『罪』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:篠宮恵美
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どれだけ殺したのか分からない闇の中。
気がついたんだ。
お前に逢ったおかげで。
魔界。
そこは太陽が昇ることもなく赤い月が昼も夜も変わらず降り注ぐ魔の大地。
土は幾度となく繰り返される殺し合いの果て、月と同じどす黒い色彩に変化し、生える植物は通り過ぎるモノ達を誰ともなく貪り喰って生長する、そんな世界。
それ故住人である妖怪達は閉じこめられたその空間で、精神を歪ませ他人を犠牲にしてでも生きていかなければならなかった。
そしてまた殺戮は始まり、月は魔力を帯びて土は穢れていくのだ。
狂った者達が巣くっていくのは天命か、はたまた必然か――誰にも分からぬまま時だけが過ぎていく。
男は、その魔界での日常の戦闘を終え、赤く淀む湖の淵で独り座っていた。
周りには、幾百の妖怪の死骸。
視界一杯に広がる湖の水面に浮かぶそれには子どももいれば大人もいる。
「魔界最恐」と呼ばれる男を仕留めようとして無様に散っていった敗北者たちの山だ。
背後に広がる広大な森にも肉片が木の枝に無数に転がっている。
男は、それらには一瞥もくれず喰うでもなく、放置していた。
それがこの男の日常だった。
不意に暖かい風が吹いた。
男は目を開く。
「……亜弥か?」
前方、湖の水面の上に女が現れていた。
女は水面に襞を作ることもなく涼の目の前に進み出た。
「……分かった?」
まるで悪戯が見つかったように唇を緩やかに上げて笑い、男の隣に自然に座る。
「分かるだろう」
言うと、ますます嬉しそうに笑った。
(……わからないな)
「ここには来るなと言っておいた筈だが」
実体を持たない魂のみの存在。
初対面時、攻撃して擦り抜けた掌の違和感。
今も鮮やかに思い出すことが出来る。
彼女はそういう存在だ。
そんな彼女でも、この魔界は危険だった。
自分も含めてここにいるモノ達は狂っているのだから。
何が彼女に危害を及ぼすか分からない。
それを説明しても彼女は笑うだけで。
「……嬉しいのよ。あなたに逢えるだけで」
また、意味の分からないことを言う。
「俺が、迷惑だという事にも関わらず、か?」
「ええ。そうよ。だって私は動けないから……想いくらい自由にしてくれても良いじゃない?」
「――勝手にしろ」
隣にいる女はここの所ずっと男のところに通い詰めていてこんな風に何か声を掛けるたびに笑う。
女がどこの誰かは男は知らない。
知りたいとも思わなかった。
彼女は美しすぎた。
「魔界」という汚れすぎた世界に慣れきったこの身には深く抉る棘となって刺さるほどに。
澄んでいた。
「涼?」
彼女の瞳が真っ直ぐに涼を視て、そこに映る自身の姿が己の心の内を暴く。彼女が心配そうに頬に翳してくる掌を涼は仕草だけで振り払って、睨んだ。
木も水も土もすべてが赤いこの世界で彼女だけが異質だった。
苛ついた。
「――その名を、呼ぶな。俺はまだ、納得したわけじゃない」
涼やかな瞳が素敵ね、と彼女が付けたその名。
名も無い自分の属性を他人に押しつけられるようで彼はまだ首肯していなかった。
彼が腰まで伸びた髪の毛を掻き上げ睨みを利かせると、彼女は少しまた笑った。哀しそうに触れられない手を涼の頬に掛け、さする。
伝わらないはずの暖かさが目映い光のように頬に灯る。
「私は、あなたを呼びたいのよ」
亜弥は、地上を浮遊し髪を漂わせていた。
――弱き者は死に、強い者だけが生き残れるこの「魔界」。
生き物すべてが生きることを過剰なまでに主張し、どれも「喰われる」ことを甘受しない世界。植物さえ能動的に何もかもを喰う。
だが、亜弥は違う。
ずっとこの世界で生きてきた涼にはそれが分かった。
亜弥は「魔界」ではない何処かから来た多分――人間。
ここの住人ならばこんな風に無防備に他人に手を伸ばしたりしない。
涼たち上位妖怪と寸分変わらない容姿を持っている人間。
彼らは涼たち妖怪が彼らより優れた戦闘能力を持ち、その上人間を主食とする事に恐れをなし、この魔界に強固な結界を張った。自分たちに牙を剥かないように。
妖怪達は太陽のない大地で食糧を奪われ、共喰いをすることで飢えを凌いだ。
(だから……人間は、憎い)
亜弥自身がいくら純粋であろうとも、そういう鬱屈した思いを抱えている輩にとっては、関係無い。自分の気が済むまでいたぶりボロボロになるまで離さないだろう。
「……去れ」
涼には、そんな感傷は無いし、人間を憎んでもいない。彼はここで生き続けることに不便を感じてもいない。彼はここで生き抜ける実力を持っていたし、逆に気に入っていた。
涼は遊びと称して、喰う為でもなく次々と仲間を殺していた。死に瀕した時にするその表情が面白かった。命乞いをする者恐れの余り正気を失う者誰かの名前を必死に呼ぶ者決死の覚悟で敵わぬ反抗をする者………。飽きることが無かった。
だがどうしてだろう。亜弥をそうしたいと思わなかった。まして彼女が他の誰かにそうされるところなんて想像したくも無かった。
「……心配してくれてるんでしょう?大丈夫よ、私は」
大丈夫。彼女の口癖。
涼は彼女の視線から逃れるように横を向いた。
「俺は、どうなっても知らんからな」
胸が疼いた。
2003/05/31(Sat)16:58:02 公開 /
篠宮恵美
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