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『縁側と舟 【掌編】』 作者:中村ケイタロウ / ショート*2 未分類
全角2680.5文字
容量5361 bytes
原稿用紙約7.6枚
暗い庭と、座敷と、縁側と舟。
   縁側と舟 

 右手には青い闇に沈んだ庭があった。左側は明かりの無い座敷だった。その境界をなす縁側で、柱にもたれ、足を投げ出して座っているのだった。
 真暗闇ではない。雨上がりに月でも出ているのか、木の葉や庭石に光の点が散らばっている。黒光りする敷板に、投げ出された裸足の両足が白く浮かんでいた。
 座敷は広い。二十畳ほどあろうか。そのあちらこちらに、布にくるまって眠る人影がある。大きい者や小さい者。体を横に向けあるいは背中を丸め、誰も顔を見せない。男か女かも分からない。幾人かは布の端から黒い髪を少しのぞかせていた。
 もはや痛みも無く、苦い思いも無かった。ただ懐かしい。みな気心の知れた親しい人ばかりだ。ひとりびとりを誰が誰とは見分けられなくとも、そのことは確かだった。
 暗い座敷の奥には、水墨画の襖絵がぼんやりと見えた。白砂に松原、帆掛け舟が一艘浮かんでいる、霞んだ浜辺の風景。見覚えのある絵だったが、どこかの寺院で実際に見たのか、画集で目にしたのか、それとも絵ではなく実景を見たのだったか、判然としなかった。
 細部の情景は暗くてよく見えないが、たしか霧雨が降っていたはずだ。そしてあるかなきかの風を筵帆に受けて進む舟。鏡の如く凪いだ水を、舳先がさばさばと切る。編笠姿の船頭は、うつむいて面貌を見せない。舵を取る腕は、袖のない着物からするりと伸び、胸がひやりとするほど細く、白かった。
 霞の底に水面が広がる。見やると船頭は目の前にいる。笠の縁から口元だけがのぞく。青白く薄い唇。長く黒い髪がはらりと垂れ、その幾筋かが微風にあおられて、濡れた笠の縁にはりついた。
 背筋を激しく打たれたように、
 ――この人を、知っている。
 と気づいた刹那、ひぃーん、と硝子を撫でるような響きを聞いた。
 静けさが戻ると、船頭も舟も景色もすべて元どおりに薄暗い襖絵の中に沈んでいた。
 今の音は何だったのか。庭の石灯籠の辺りから聞こえた。生き物の声のようであった。ひぐらしの鳴く声にも似ていた。夢にうなされた少女の、声にもならぬ声とも思えた。
 薄闇の座敷は、今はまた全き静寂のなかにあった。
 二十人近い人がいるのに、衣擦れや寝息さえ聞こえないのだった。あるいは、もはや彼らとは違った理のうちにあって、互いに界を異にしているのかもしれなかった。
 寂しかった。誰かと声を交わしたかった。この中の、誰にでもいいから、せめて別れを告げたかった。
 寝ている人影の中で最も近くにいるのは、細い身体を黒っぽい毛布にくるんだ小柄な女性、もしくは少年だった。丸めた背中をこちらに向けて、微動もしない。
 誰だろう。幾人かが思い当たる。いずれもごく近しい相手だった。その中のひとりに違いないのだ。少し手を伸ばせば、その肩に触れることも、毛布をめくって顔を見こともできたろう。しかしそうすればこの静かな時は永久に消え去ってしまうかもしれない。
 彼らと顔を合わせ、言葉を交わすことは二度とできない。そう納得せねばならないのだろう。こうした時間が与えられただけでも幸いなことなのだ。
 暗い座敷を目を凝らして見渡す。誰も身体を丸めて石のように動かない。床の間の掛け軸には細い筆で何か書かれているようだったが、はっきりとは見えなかった。奇妙に崩された二文字は「未生」とも読めたし、「未来」とも「来世」とも「本来」とも読めるようだった。
 それより他には家具も調度も無い。床脇の違い棚に置かれた白っぽいものは、目を凝らすと置物でも陶器でもなく、丸めた衣服らしかった。
 誰かが脱いでそのまま置いたような服。それだけがこの美しい空間と時間の調和を乱していた。
 グレーのパーカーのように見える。遠い呼び声のごとく、記憶が胸を打つ。この中に、あの子がいるのか。
 そうだ。そうに違いない。あの子が寝る前に脱いで、丸めてあの違い棚に置いたのだ。グレーのパーカーを。そうに違いなかった。
 静寂を乱さぬように座ったまま目で探す。この十何人かの中にあの子がいる。考えてみれば、いない筈が無いのだ。どこかに……どこに? 体形の極端に違う者はすぐに除外できる。では床の間の前で寝ているのがあの子か。でもあの子はもっと手足が長かった。部屋の中央でうつ伏せになっているのは? それともやはりパーカーのいちばん近く、違い棚の下で体を折り曲げているのがそうなのか。
 それらしき姿を三、四人にまで絞り込むことはできたけれど、そこまでだった。どれもあの子のようであり、だがやはりどれも違うように思われて、そうなると違い棚に置かれているのがあの子のパーカーかどうかも怪しくなってくる。ここにあの子がいない筈が無いという確信だけが残り、見つけ出すことはやはりできないのだと悟った。
 だがとにかく、あの中の誰かなのだ。その筈なのだ。いる筈なのだ。ひとつひとつの人影を、しばし見つめた。あの子でなくても、みんな誰かしら大切な人であることは間違いないのだ。
 この時間はいつまでも続かない。皆が目覚める前にここから消えなければならない。自分は遅れて来て、先に行く者だ。それは分かっていた。
 襖絵の舟が、少しずつ進んでゆく。微かな風を帆に受け、注視し過ぎると動きが見えなくなるほど、ゆっくりと。
 いや、そうではない。舟が進むのではない。舟の描かれた襖一枚だけが動いているのだ。
 開いてゆく。少しずつ、少しずつ。
 やがて現れた隙間の向こうは、黒漆で塗りつぶしたように真っ暗だった。
 徐々に広がってゆく四角な闇に目を凝らすと、そこにもやはり光はあった。オレンジ色の小さな灯火のようなものが、ぼんやりと見えた。しばらく見ていると消えてしまう。しかし目の力を抜くと、やはりそこにある。
 長方形の闇はさらに少しずつ広がり、何もかもを飲み込んでいった。襖も、眠る人々も、畳も床の間も、やがては縁側も庭も、なべて暗闇と成り果て、それでもなおオレンジの光はゆらゆらと揺れる。裸足の指先に触れるのはもはや磨かれた縁側ではなく、冷たく濡れた船底である。編み笠をかぶった船頭が、白くか細い腕で舵を取っている。凪いだ水の上を、オレンジ色の光にむかって音も無く、ゆっくりと進んでゆく。
 すとん。
 襖の閉じる音を背後に聞き、すべてが父母未生以前の闇に崩れ落ちた。
 何もかも分かっていた。船頭のこと、あの子のこと、あらゆる物事の意味さえも。しかしそれを口に出そうにも、もう言葉にも声にもならない。そこには縁側も舟も無く、光も影も形も無い。時間も、私も無い。



2013/01/02(Wed)10:07:14 公開 / 中村ケイタロウ
http://home.att.ne.jp/blue/nakamu1973/index.html
■この作品の著作権は中村ケイタロウさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
あけましておめでとうございます。新年に短いものを一つ。
新年一番乗りかなと思ったのですが浅田さんに負けてしまいましたね。
本年もよろしくお願いいたします。
この作品に対する感想 - 昇順
明けましておめでとうございます。
……濃密ですね。
たった今見た夢のような、理由の判然としない、しかし明らかな必然の世界に、畏れも安らぎも感じました。
いえ、狸は今日から仕事なのですが、とろとろとなにか夢を見たと思ったら目が冴えてしまい、今、起き出したところなのです。でも今日は昼からの遅番なので無問題――いや、私事失礼。
漱石先生や百鬼園先生ばりの、夢を模した心象世界の成文化に、きっちり成功していると思います。いいものを読ませていただきました。
2013/01/04(Fri)06:21:031バニラダヌキ
>バニラダヌキさま
 明けましてアケオメでございます。本年もよろしくアケオメ申し上げます。
 いやー「濃密」とおっしゃってくださってほっと安心しました。書いてみて「どうも薄いなあ」と思い、何度も手直ししていたのです。なかなかしっくりこなくて…。
 まさにおっしゃる通り、漱石先生や百關謳カのひそみに倣って、不調法ながら挑戦してみたのでありました。お褒めいただいて恐縮です。
2013/01/04(Fri)09:20:580点中村ケイタロウ
拝読しました。明けましておめでとうございます。猫ですにゃん。
これは夢なのかな。それとも夢じゃないのかな。解らないですが、多分夢なのでしょう。暗いなかで、自分と他人が隔たっているような感じがなんだか切なくて良いと思います。
私もここに行きたい。物語の中に行きたい。でもちょっと怖いような気もする。でも行ってしまえば、きっと苦にならないに違いない。そんな気がします。
2013/01/04(Fri)23:56:461水芭蕉猫
>水芭蕉猫さま
 あけましておめでとうございます。にゃんにゃかにゃん。
 そうですね、この小説自体は夢に似た何かですが、この小説の中の世界は現実なのかもしれません。我々が夢で経験する諸々が、夢の中では現実であるのと同じように。…って、よく分かんないですけど。
 この物語の中へは、僕は正直あんまり行ってみたくないです(笑)。怖い方が勝ってしまいます。
 コメントと点数、いただきましてありがとうございました。それから、実ははこれ、去年の夏のいつぞやに水芭蕉猫さんがここに投稿なさった掌編(「浜辺」でしたっけ…?)に刺激されて構想したものでありました。その点についてもお礼申し上げます。
2013/01/05(Sat)00:37:010点中村ケイタロウ
明けました。おめでとうございます。まんまと新年一番乗りを掠め取って行った浅田ですw
何というか、私は正直この手の作品は読むのも書くのも苦手なんであんまり深い感想は言えないのですが、読んでいてとても不思議な印象が残る話でした。舞台そのものがどこか判然としなくて、出てくる人々も存在そのものがあやふやで、確かにそこにあるのに触れれば消えてなくなってしまいそうな、そんなイメージでした。
話のジャンルも純文学にもホラーにもファンタジーにも見える。個人的にはホラーちっくな感じがしましたが(こう、「あの子」の肩に触れた瞬間、腐り落ちたかのように肩が崩れ…みたいな)
それでは、最後になりましたが今年ものんびりまったりよろしくお願いしますノシ
2013/01/05(Sat)02:45:250点浅田明守
>浅田明守さま
(ひそひそ…一番乗りということは…今年の夏祭りのイケニエは…ひそひそ…)

…い、いえなんでもありません。
 あけましておめでとうございます。
 ご感想ありがとうございます。そうですね、ホラーの雰囲気はあると思いますよ。僕は書いててけっこう怖かったです。ただ、なんていうか僕は、ジャンルというのは書くほうが決めるものではなくて、読んだ人や、小説を解説したり紹介したりする人々が決めるだと思うんです。ですのでまあ僕としてはジャンルというのは決めなくてもいいかなと。
 ではでは、今年もよろしくお願いします熨斗
 

 
2013/01/05(Sat)11:07:570点中村ケイタロウ
読ませていただきました。
何度も読んで、時間も数日置いてみましたが、うまく感想を伝えられそうにありません。
でも、この作品を読めて本当によかったです。口に出して読んでみても素敵で、しあわせな文章でした。物語っていいな、ってしみじみ思いました。
こんな感想でごめんなさい。
2013/01/07(Mon)20:53:012夢幻花 彩
>夢幻花 彩さま
 どうも恐れ入ります。
 文章としては「こんなもんかなあ」「いやもっと練ることができるはず」「でもこれが今の限界かなあ」と迷いつつ出したものだったので、そこまでおっしゃっていただいてなんだか申し訳ない気もします。そして「素敵でしあわせ」というご感想にはちょっとだけ意表を突かれました。いや、「意図とは違う」ということではありません。もちろんそういう側面を持った物語でもあるのですが。
 読んでくださってありがとうございました。
2013/01/07(Mon)22:08:370点中村ケイタロウ
 こんにちは。
 これはまた時代がかった……というのが初めの感想でした。
 そして読み進んでいくと、何なのでしょう、お盆に帰ってきた先祖の霊か何かでしょうか。これは夜に読むものではないですね。びくびく、ぞくぞくしながら読んでいました。というのがぼくの感想です。いえ、感想にすらなっていないかもしれませんが。
 すみません、もうひとつ。ぼくは右左の概念をすぐにイメージできないほうなので、冒頭の「右手には青い闇に沈んだ庭があった。左側は……」の様子を頭に思い描くのに時間がかかってしまいました。左右を指定する必要はなかったのでは、とも思います(しょうもないことですみません)。
 では次回作も期待しています。
2013/01/08(Tue)01:32:441ゆうら 佑
>ゆうら佑さま
 おお、こんにちは。お久しぶりです。
 いやいやそんなに時代がかってなんかいませ……いますか…いますかね…。でもまあ田舎に行けばこういうお庭とかお座敷というのはまだまだあるわけで…。でもそういう問題ではないですか…。うん…。

 そ、そんなに怖かったですか。必ずしもホラーを意図したというわけではなかったのですが。でもお盆に帰ってきた祖霊という解釈もいいですね。たしかに彼らの目線はこんな風かもしれない。

 左右は必要だったかというお話ですが、うーむ。右と左ってそんなにイメージしにくいですか。
 確かに、右が左でも左が右でも物語には何も影響しないんですよね。「片側」「反対側」でもいいのですが、なんとなく生硬な感じがするし、一方が主で一方が従という印象になっちゃうし…とか…境界領域としての縁側の象徴性をクリアにしたかったとか…とか…むにゃむにゃ…。
 ただ、ただですね、右と左というのは完全に対等で交換可能なものとも限らないとも思うのです。舞台の上手と下手とか、絵巻物を紐解くときの方向とか、右と左には何かの流れや動きを暗示するようなシンボリズムも含まれています。僕としては、僕の脳内に最初にあった視覚的イメージ(と、そこに含まれているかもしれない無意識的な象徴性)を重んじたいなあとも思うんです…とかいう理屈も少々言い訳がましいですね…。んー、いや、ちょっと真面目に考えてみます。

 ご感想ありがとうございます。感謝します。
2013/01/08(Tue)07:53:010点中村ケイタロウ
 そういえばこうしてお話(?)するのは何年ぶりかですね……。
 すみません、前回の補足です。冒頭についてあのようなことを書いたのは、左右ってリクツの概念ですから、この作品にはそぐわないのでは、とも思ったからです。また、主体がまだ明らかになっていない冒頭で「右」「左」と言われると、余計に混乱してしまいます。
 失礼しました。
2013/01/10(Thu)23:54:030点ゆうら 佑
>ゆうら 佑さま
 いやいやどうも。補足、再補足、二度レス三度レスは大歓迎というのが僕の姿勢です。反論いただけてうれしいです。運営サイドにとっては容量的にどうなのか分からないけど。

>左右ってリクツの概念ですから、この作品にはそぐわない

 どうなんでしょう。僕にとっては理屈の概念という感じがしません。むしろ左右って直観的っていうか身体的じゃないですか? 「お箸を持つ方が右」ってよく子供に言うじゃないですか。逆に、左右という概念を理屈で説明・定義するのはかなり難しいことだし。

>また、主体がまだ明らかになっていない冒頭で「右」「左」と言われると、余計に混乱してしまいます。

 これは小説論的に興味深い見解だとは思うのですが、僕の立場は違います。会話であれ文章であれ、言葉が存在している以上、言葉を発した主体(=語り手)は必ず存在します。ましてや「左右」というのは必ず主体(=視点)の存在を必要とする概念です。この文章の最初の一文字である「右」という字が発せられた瞬間に、主体の存在は100%明示されていると僕は考えます。
 たしかにいきなりな感じがするかもしれませんが、この文章には唐突な始まりが必要なのです。「気がつくと私は、薄暗い日本家屋の中にいたのだった」みたいな文章では絶対に始めたくなかったのです。日常的経験に依拠した「私」の存在を所与の前提としたそんな書き方ではドッチラケ(古い)です。

 いやそもそも、「左」「右」で混乱するというのが僕には不思議なんだけどなあ。だって「右も左も分からない」という慣用句もあるくらいじゃないですか。あれって「左右の区別は人間にとって最も基本的な認識である」という通念が前提になってるのでは?
2013/01/11(Fri)00:39:010点中村ケイタロウ
 遅くなってしまい申し訳ありません。
 中村さんとは意見が異なるのかもしれませんが、ぼくの認識としては「お箸を持つ方が右」という例はむしろ、左右は直感的でない概念だということを示しているような気がします。だってお箸を持つ手を思い浮かべないと左右を特定できないわけですから…。子供は左右をよく間違えますし。とはいえ大人の場合はほとんど直感的だと思います。
 ただ、ひとりの人間から見れば直感的なんですが、複数の人間がいるときの「左」「右」は主体によって変わります。もちろん一人称小説あるいは語り手のいる小説であれば主体=語り手になると思いますが、神視点だと思って読んだ場合、「右には」と来ると“何の右だろう?”と思ってしまわないでしょうか? ケンジさんの右なのかシンジさんの右なのか…あるいは仏壇の右なのか郵便局の右なのか…みたいな。考えすぎなのかもしれませんが。
2013/01/22(Tue)01:54:300点ゆうら 佑
>ゆうら佑さま
 どうもどうも。お付き合いいただいて恐縮です。
 ちょっと話が食い違っている気がします。「お箸を持つ方が右」という例を出したのは、「左右は理屈の概念」とおっしゃったことに対する反証です。つまり、身体性に依拠しているのであって、論理性に依拠しているのではない、という意味です。繰り返しになりますが、左右を論理的に定義するのは大変困難です。

 子供にとって直観的ではない、というのは事実だと思います。しかし「大人であればほとんど直観的」という点で合意していただけるのなら、その点に関してはこれ以上問題にならないと思います。この小説は大人の読者(もしくは大人と同等の読解力を有する読者)を対象としていますから。そもそも、言語形成期の子供にとっては、いかなる言葉も直観的ではありえないじゃないですか。

 言葉が発せられている以上、語り手は必ず存在します。そもそも「神視点」などというものは存在しないというのが僕の立場です――というのはいささか極論に聞こえるでしょう(僕にとっては極論ではないのですが)から他の言い方をしますと、

 つまり、のっけから「右手」という言葉を使うことによって、「これは神視点の小説ではない」ということを示していると考えていただけないでしょうか。唐突でしょうか? 唐突でいいのです。主人公と座敷の世界を、読者の前に唐突に現前させたかったからです。その唐突感がこの小説の本質とかかわっていると、僕は思っているのですが。
 その意味では、最初の一文字で「なんの右だろう?」と読者が一瞬思われるのは当然かもしれません。そう思ってくださってもかまわないし、逆にそれがひとつの効果を生むこともあるのではないでしょうか。最後までお読みになった読者にそれを伝えきれていないとしたら、もちろんそれは僕の失敗ですけど。

 なんとなく見えてきた気がするのですが、この議論の本質は「左右」の性質にあるのではなく、小説観の相違にあるのではないでしょうか?
2013/01/22(Tue)06:22:010点中村ケイタロウ
左右の話については、もう結論は出ているのではないでしょうか?

「会話であれ文章であれ、言葉が存在している以上、言葉を発した主体(=語り手)は必ず存在します。ましてや「左右」というのは必ず主体(=視点)の存在を必要とする概念です。この文章の最初の一文字である「右」という字が発せられた瞬間に、主体の存在は100%明示されていると僕は考えます。」

全くその通りだと思うのです。そもそも「書かれたもの」である以上、語り手が存在しないということはあり得ないですよね。あたかも存在しないように見せて書く、というのは文章内でのトリックと言うかだまし絵のようなものに過ぎないわけです。特にエンタテインメントなんかの場合は、上手にだまして書くのが重要になる時がありますけども。

まあ、メタレベルの議論はともかく、戯曲的な手法による書き出し、と捉えるとわかりやすいのではないでしょうか。一幕劇のような書き出しから始まり、最後にはその舞台もろとも闇の底に向かって崩してみせる、そんなイメージの作品なのかなと思いました。
2013/01/23(Wed)22:58:330点天野橋立
>天野橋立さま
 はい。僕の見解は一貫してそのようなものです。しかし他の方には他のご意見があるでしょう。そのへんの差異を知ることができるのもここに投稿することのメリットの一つだと思います。

 おっしゃる通り、いわゆる「神視点」というのはひとつの技巧ということになるでしょうね。しかも結構難しい。僕はまだうまく扱えないのでやってません。技術が無いと、あるいはそれが技巧であることに無自覚だと、「神」が「神」として機能せず、読者はぽかんとしたまま取り残されてしまうことになるのではないかと思います。

 書くこと自体がひとつの立場であり、世界観(言葉の本来の意味での)でなければならないと思います。そしてその世界観は、説明されるのでなく、作品そのものの中に盛り込まれていなければならないとも思います。
 ですから、この感想欄でこのように言い訳がましい理屈を述べねばならない時点で、すでに僕の作品がある面で失敗しているということを意味しているのだとも言えましょう。

 だから、ゆうら佑さんのおっしゃることにも、一理も二理もあると思います。
 たしかに僕の書き方は読者に対して不親切であったと思います。しかしこの小説においてはこのような書き方しかなかったのではないかとも思います。難しいです。

 実は戯曲や舞台劇といったものは意識していませんでした。僕としては「○○てみせる」といった技巧的な意図ではなく(もちろんそこまでの技術もなく)もう少し感覚的で切実なもの(「崩した」というより「崩れる」という感じ)だったのですが、客観的に解釈すればそういうことになるのでしょう。
 しかし最後に舞台装置ごと崩れるなんていうと、ちょっとドリフのオチみたいで楽しいですね。ダメだこりゃ…。
2013/01/25(Fri)00:22:220点中村ケイタロウ
[簡易感想]読み易く、そして飽きなくてよかったです。
2017/02/16(Thu)13:44:030点Laicee
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