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『現代社会の人間嫌い』 作者:霜 / 未分類 未分類
全角28489.5文字
容量56979 bytes
原稿用紙約85.55枚
 


 暦では既に春になったというのに、風の冷たさは冬のまんま。冷たい空気が俺の全身を満遍なくなでている。……メチャクチャ寒い。
 俺は屋上に一人で寝転んでいた。冬は冷たく夏はひたすら暑いコンクリートの地面がなんとも憎たらしく感じる。
 今の時間はちょうどホームルームの時間だろう。一年五組のクラスはどの教室よりも屋上に近い。俺にとってはそれが唯一の救いだった。俺の名前は水野和弘。俗に言う「人間嫌い」という性質を持ってしまった人間だ。サイキック系ファンタジーにありがちな特殊能力みたいなものだったらどんなに良かった事か。特殊な性質ではあるけれど、人とのかかわりが濃厚な現代ではかなり致命的だと思う。だって、こんな寒い日でも屋上にいなければならないのだから。
 「屋上に何でいるのか」と問われれば「教室にいるのが嫌だから」と返す。「だったら学校に来なけりゃいいじゃん」と言われれば「世の中好き勝手にできることなんてほとんどないんだよ」と答えてやるだろう。うちの親はかなり厳しい。嫌いだから行かないなんて言っても聞いてくれるわけが無い。ちなみに、一度言った事はある。一晩外に放り投げられるという結果に終わったが。
 そんなわけで、俺は好きで屋上にいるわけじゃないんだ。幸い、学校の単位は心配する必要が無いようなものなので、好き勝手にやらせてもらっている。「なんだかんだ言って好き勝手やってんじゃん」とか思うかもしれないけれど、授業に出ない分自分で勉強しなければならない。ある意味効率はいいけれど、高校の勉強は読んだだけで理解できるようなものじゃない。教科書を読んでできるところは理解する。できないところは参考書や比較的簡単な問題を解くことでとき方を覚える。言うなれば、自由という名の代価だろう。普通に授業を受ける事ができればどんなに楽な事か。
 まあ、だからといって、学校生活で全く人に関わらないでいるということはありえない。授業や学活で配られるプリントは誰かが俺のところにまで持ってこなければならないんだ。
 そんなわけで、唯一俺に関わらなければならないのが――、
「……おい」
 低い声で俺に呼びかけるコイツだった。
 振り向くと、長い茶髪の女が睨みを利かせて立っていた。名前は瀬戸渚。髪の色は地毛らしい。クラスの委員長なので、こうして俺のところまでプリントやら何やらを持ってきてくれるわけだ。これだけを見てみれば、下僕のようで気持ちいい。
「何さ?」
 俺は、ムクリと起き上がって、惚けたようなそぶりをした。実際惚けていたんだけど。
「何でいっつも変なところにいるかねえ……わざわざ探さなきゃならねえこっちの身にもなれっつの……寒いし」
 普通、教室にいない人間というのは保健室か図書室にいる。もしくは学校の外で遊んでいるかだ。俺の場合かなり特殊なケースで(自分で言うのもなんだけど)学校のいろんなところにいる。今日のように屋上にいる日もあれば、保健室や図書館に大人しくいるときもある。一番快適な場所は校長室だ。あそこはソファーが気持ちいい。校長はいっつもどこかに出かけているので朝会があるような日以外は使えるようになっていたりする。
 一体どのくらいの時間をかけて見つけ出したのかは知らないが、渚の怒り様からするとかなり探し回ったに違いない。
「寒いからいないと思ったか?」
「思いましたとも。わざわざ寒いところにはいないだろうって考えの裏をかいていると思ってたんだけどね。それでもこんな寒い日にいるのは馬鹿しかいないと思って探してたんだよ」
 憎たらしい口調。最初から馬鹿とでも言えばいいのに。嫌味に律儀なのはやっぱり委員長だからだろうか。とりあえず、これ以上歩き回らなくてすむせいかそれ以上何も言わずにプリントを差し出した。俺は軽く感謝して受け取った。
「全く……精神異常者ならそれらしく保健室にでもいろっつの」
 それはその人たちに対する無礼だと思うが、どうなんだろうか。それはさておき、根本的な誤解があるので、俺は直ぐに反論をした。
「俺は異常じゃない。人が嫌いなだけだ」
「同族嫌悪ってヤツ?」
「普通に苦手なんだよ。黒かろうが白かろうが多分変わらん」
 俺の症状は――簡単な話、病気ではあるんだけど異常と見なされるほどのものではない。ただの、人間恐怖症というものだ。文字通りの意味で、人がいると落ち着かなくなる。上がり症とはまた違うものなのだが、俺の病気はそんなものだった。性質と考えているのは、別にトラウマとかがないから。ことあるごとに「何かあったの?」などと訊かれるけれど、何も無いのだから答えようが無い。生まれ持ったものだからそう呼んでいるに過ぎない。嫌いと言っているのは、恐怖というのが格好悪いと思っているからだ。嫌っているほうが一匹狼らしくていいじゃないか。
「つーか、どのみち保健いろよ。こっちだって毎回毎回時間かかるせいで授業に間に合わないんだよ」
「んなこといってもねえ」
 渚が座ったのを確認してから俺は再び寝転がる。相変わらず地面は冷たかったけれど、少し心地よく感じられた。渚が座ったのを確認したのは、勝手に寝転ぶと蹴り飛ばされるから。別に興味は無いんだが、変態呼ばわりされて蹴られるのは是非とも避けたいものだ。
 一息ついてから、俺は話を続ける。
「俺、保健室駄目なんだよね」
「なんでだよ。人もいないだろ」
「いや、先生がコーヒー好きでね。あの臭い嗅ぐと気持ち悪くなるんだ」
「だったら図書館は……」
「本に囲まれた空間にいると気持ち悪くなるんだよね。カビ臭いあの臭いも嫌いだし」
「だったらずっとここにいろよ!」
 だらけた口調で話しているのが癇に障ったのか、渚は声を荒らげた。まあ、どうでもいいんだけど、そんな台詞誰かに訊かれたらどうするつもりなんだろう。クサイけど、勘違いされそうな内容ではある。
 確かに、言われたとおりにしておいても問題はないのだ。教室にも近いし。
「まあ、そのうち考えておくよそれよりも――」
「なんだよ?」
「授業始まったな」
 俺がそう言うと同時に、大きなチャイムの音がグワングワンと鳴り出した。
「うわっやば!」
 焦って立ち上がる渚。同時に、高校生の綺麗な生足が下から覗けるかたちに――と思っていたら顔面を蹴られた。……痛い。
「次は現文だろ? 今から行けば間に合うだろ」
 ぼやけた視界から立ち去っていく彼女の背中に投げかける。幸い鼻血は出ていなかった。
「ああ! 明日は絶対にここにいろよ!」
 こっちを振り向かずに消えていく儚い姿。
 チャイムが鳴り終わる頃には、全てが以前の静かな光景に戻っていた。相も変わらず冷たい風が俺の全身から体温を削ぎとっていく。
 淡い淡い夢のような出来事。俺は渚の言葉を頭の中で繰り返しながら、こんな事を考えていた。
「明日は何処にいようかなあ」
 俺って結構いやなヤツ?

 
 人間嫌いなのによく話す事ができるなあなどと感心するかもしれない。だが、どんなに心を閉ざした人でも家族までを拒否するというのはよほどでない限り無い。例外もたくさんあるけれど、慣れ親しむという事は互いの緊張をほぐす事にもなっているからだ。
 俺の場合は……まあそういうことになるな。
  

 次の日、俺は保健室で優雅にくつろいでいた。屋上にいないのは単純に寒いからだ。昨日は寒くないと思って足を運んでみたんだけど、失敗だったな。
 優雅にといっても、それほど優雅といえるものではない。安物のインスタントコーヒーをすすりながら校内で一番の性能を誇るパソコンでネットサーフィンをしている。優雅というよりもオタクかもしれない。
 なんにしろ、あったかいので昨日よりは快適だ。
「水野君。教室行かなくて良いの?」
 たまに言われるその言葉。それを言ったのは保健の先生だ。名前は知らない。知らなくても困らないし。
「いい」
 そっけない一言。後ろのデスクで何かやっている先生も、
「そう」
 と、そっけなく応答する。いつもの簡単なやり取りだった。基本的に保健の先生というのは、無理矢理教室で授業を受けさせるような事はしない。それが苦痛だからここにいるわけで、さらに追い討ちをかけてしまうと登校拒否になってしまうこともあるからだ。義務教育ではないが、登校拒否だから学校を辞めさせる、などということは簡単に出来ることではない。
 そんなわけで、コーヒーの臭いさえなければ保健室は快適だったりする。ただ通わせる事が目的のような学校だ。保健室でサボるくらいならもっといい場所がたくさんある。ベッドなんかで寝ているのは、生真面目で病気の人間くらいだ。あとは夜に遊びすぎた人間とか。
 ちなみに、俺の声は現在鼻声だったりする。鼻で呼吸していないからだ。コーヒーの臭いは本当に嫌いなので、ここにいるにはこうするしかない。何でこうしているのかといえば――、
「水野!」
 ドバン! と失礼極まりないドアの開け方でずかずかと保健室に入ってくる渚。結局のところ、コイツを待っているために俺はここにいるわけだ。
「今日は何処から探してたんだ?」
「屋上だよ……!」
「寒かった?」
 何気ない俺の問いの数に比例して、渚の怒り具合はもの凄い事になっている。般若面てこんなかんじだっけか?
「今に見てろよ……」
 さっきむき出しの脅しを軽く交わして、俺はプリントを受け取った。手に持っていた部分がくしゃくしゃになっているけど……まあいいか。俺は渡されたプリントに目を通し始めた。
「まったく。人の苦労を少しは知れ」
「精神異常者らしくしてんだろ。文句言うなよ」
「だったら初めからそう言えばいいだろうに。昨日お前はなんて言った?」
「何とも言ってないな」
 実際、俺は何の承諾もしていなかった。こう言っては何だけど、勝手に言って去っていったわけだから従う義理は無い。
「日ごろの感謝とかないわけ?」
「いや……感謝はしてるけどね」
 そう言って、俺は再びパソコンに目を向けた。俺なりの「話は終わりだ」という合図だ。次の時間は英語なのでチャイムがなる前に戻れないと入出許可書を書かされる羽目になる。親切心というヤツだ。
 そっけなく去っていってしまう渚。
 俺はその足音だけをただただ聞いているだけだった。
「また明日もよろしく〜」
 ……挑発はでちゃったかな? 
 来たときと同じく失礼極まりないドアの音。俺はその後の足音が消えてから、やっとため息をついた。
「仲いいね?」
 保健の先生がぽつりと呟く。話をするのが上手いと思う。楽しい話は話すだけでも楽しくなる。暗い話は話すうちに心も暗くなってしまう。ある意味精神異常者なわけだから、あながちその判断は間違っていない。
「どうなんだろうね」
「少なくとも悪くは見えないよ」
「たしかに、俺も緊張せずに話せるし楽しいとも思える」
「それが何か問題あるの?」
「……怖いっていうのは人が怖いってことだけど、ある境界を越えられることが怖いということでもあるんだ。自分に近づいてきてくれる嬉しさがある反面、何かとても怖いものが常に付きまとってる」
 俺は、パソコンから目を離し、先生の方へと身体を向けた。先生は、にっこりと笑って俺を見ている。いつもは何とも思わないけど、この先生は結構美人だなあ。笑っているときがとても綺麗に見える。
「それって嫌われたくないってことなんじゃない?」
 それだけで、先生が何を言おうとしているのか分かった。嫌われたくないってことは少なくとも好かれたいという気持ちがある。ということは――。
「どう想像しようと勝手だけど、そういうのとは違うよ」
「どうして?」
「好きか嫌いか問われれば、前者を選ぶだろうね。アイツをからかうのは面白い。でも、嫌われたくないというわけじゃないんだ。逆に、好かれることのほうが怖い」
 俺は、座っていた椅子から立ち上がり、パソコンの電源を切った。既にここにいる理由は無い。あれこれ考えるのは屋上でいい。
「独りって、孤独で寂しいかもしれないけど、誰とも関わらない分痛みが無いんだ」
 だからこそ、俺は独りでいたいのかもしれない。人を拒むのかもしれない。
「弱いね」
 先生は、そう言い放った。その通りだと思う。だが、先生はさらに付け加えた。
「でも、痛みがあっても、人といることの楽しさを知っているからこそ渚ちゃんを受け入れてるんじゃない?」
「……子供にそんな話しても分からないよ」
 俺は保健室のドアに手をかけて、ゆっくり開いた。渚のようなことはしない。子供だからって、礼儀ぐらいはわきまえられる。
「子供っていうのは大人びたいという願望を持っているもの。水野君が子供ぶるってことは、ある意味、より大人である事だと思うよ」
 …………ガチャン。
 静かな廊下に、その音は嫌味なほど大きく響いた。
 先生はどうしてそんな小難しい話を俺にするのだろうか。それが俺の特効薬なのだろうか。高校に来て三ヶ月。俺の性質は少しだけ変わろうとしている。一人だけ身近な人間が出来たから。でも、どうなんだろう。アイツはどう思っているんだろうか。
 ……寒い方が頭は冷えるだろう。
 俺はそのまま冷たい屋上へと足を向けた。



 屋上に出ると、微妙に温かい風が俺を迎えてくれた。昨日は寒冷前線がどうのこうのという理由で寒かっただけらしい。今の気温は春になってきたという実感を得られるような暖かさだった。これで気ままに寝ることが出来る。
 といっても、流石にずっと寝ているわけにはいかない。勉強もちゃんとしなきゃならないからだ。俺の一日は結構あいまいだけど、けじめをつけて取り組まないと後で泣く事になるので、そこだけはちゃんと計画を練っている。今日は数学でもしようか。数学以外はテスト直前に勉強すれば問題ないので、どのみちやる事はほとんど無いのだが。教科書をめくってたまに寝て、読書を楽しむ平凡な毎日。いつもやっていると退屈で退屈で仕方が無い。
 なんか刺激的なことでもあればいいんだけどな。
 唯一の刺激といえば、渚が来てくれることしかない。
 和むような風が俺の髪を優しく撫でる。
 俺は、先生が言っていたことを思い出した。弱い。人といる事の楽しさ。たしかに、渚といるのは楽しいと思う。けれど、他の人はどうして苦手なんだろうか。痛みが無くて済むなんて言ったけど、だれかが知らないうちにだれかを傷つけるなんてことは良くある事だと理解している。とっさに言ってしまったけれど、俺は一体何を恐れているんだろう。何でそんなに痛がることを怖がるんだろう。
 ガシャン。
 突然のことで驚いた。屋上の扉が開いたのだ。しかも無造作に。蹴り飛ばしたらしく、シューズの先だけが見える。それは女子のものだった。
「ういーっす。誰もいないよね〜?」
 渚か? と思ったけれど、その声は違う。よく見ると、シューズの色も俺らの学年のものではなかった。俺らは青だ。二年が赤で、三年が水色。青と水色の微妙な違いは何なんだと良く疑問に思うけど、どうだっていい。そのシューズの色は赤色だったから。先輩なわけだ。
「いますよ」
 数学の教科書を眺めながら(実際は読んでいない)、適当にそう答えた。
「え〜。何でいるの?」
 いちゃ悪いかよ。思わず出そうになった言葉を押しとどめて、俺は別な事を訊いてみた。
「先輩はどうしてこんなところにサボりにきたんですか?」
「先輩……ってことは一年か〜。なんだ、つまんない」
「三年だったら良かったとでも?」
「好みは年上だからね」
 ああそうですか……。何というか、一言で言えばムカツク。苦手以前に嫌悪症状が出てくる。存在自体を腹立たしく思うような、そんな感じだ。
「こんなところで何してるの?」
 訊くまでも無いだろうに。こんなところにいる時点でサボっているに決まっているのだ。それとも、良い子はちゃんと授業受けましょうね〜とかいうつもりか?
「人が嫌いなんですよ」
 そっけなく俺は答えた。詳しい事情を説明する気なんて毛頭ない。この一言で俺はいつも片付けるようにしている。
「へえ〜。また変わった子がいるもんだね」
「……何か用ですか?」
 じーっとこちらを見つめている先輩は、非常にうざったい。会話にかったるさを覚えつつも、無意味な応答を続ける事にした。そうしないと動かないだろう。コイツ。
「特に用は無いんだけどね〜」
「だったら、どっか行ってくれませんか?」
「それもできないから困ってるんだよね〜」
「意味わかんねえよ……説明してくれ」
 俺は目の前にあった教科書をどかし、ムクリと起き上がった。事情があるのなら訊いてやって対処すれば問題ないだろう。
 その先輩は、とりあえず可愛かった。間延びしたコギャルという感じだ。ゆらゆら揺れるツインテールがなんだか古時計の錘を連想させる。長いからそれだけ揺れが長いんだろう。
「えっとねえ。ここで人と待ち合わせしてるの〜。それで、ここから消えろとか言われても困るんだよね」
「誰もそこまで言ってないじゃないっすか」
「それでねえ。相手が女の子なら雑談するだけだから問題ないんだけど〜。男なんだよね〜」
 そういうことか。理解した俺は、すぐに鞄を持って、教科書をしまい始めた。だったらさっさと退散した方がいい。こんなところで話しているところに鉢合わせしたら、話がこじれるかもしれない。それは避けたかった。
「だけど――」
 カンカンカン――。
 階段を昇る音が聴こえてくる。遅かったか……。俺は鞄を肩に担ぎ、ここから死角になりそうな場所へと走った。なんだかよく分からない部屋のようなものがそこらじゅうにあるので(多分何かを管理する場所なんだと思う)、その建物の影に隠れる。
 同時に、ひょろ長い男が屋上に現れた。先輩なんだろう……多分。
 建物の壁に背を預け、俺は大きなため息を付いた。どうせ聴こえない距離だ。構わない。
 刺激が欲しいとは思ったけれど、こんな状況に出会うとは。人の恋愛に興味は無いが、なんだか嫌な予感がしてならない。
 とりあえず早く終わってくれ。
 俺は、ずっと心の中で祈り続けていた。


 他人の色恋沙汰には興味が無い。けれど、特にやる事が無かったので俺は二人の様子を見ていることにした。いや、やる事はあったけど集中できるわけが無い。隠れているわけだし。
 俺からは、男の背中と女の先輩の顔が見える。この状態で続いてくれればなんら問題は無いわけだ。だから壁から存分に顔を出して見ていた。……やっぱり興味があるだけか?
 二人は会話しているようだ。内容までは聞き取れないけれど、少しだけ音として聞き取る事が出来る。ああ……もどかしい。もう少し大きな声で話してくれればいいのに。女の先輩は顔を赤くして、もじもじしながら話している。さっきまでの間延びした様子とは一転していた。男の方は顔が見えないので分からないけど、頭を掻いていた。気恥ずかしいのだろうか。
 会話だけが続いていた。何の進展も無く――したらしたでちょっと怖いんだけど――ちょっとした仕草と口を動かすのが見えるだけ。はっきりいって退屈だ。
 俺は一度顔を引っ込めて、大きく伸びをした。変な姿勢でいたので、肩が少し疲れていたのだ。片方ずつ揉み解しながら、再び壁から顔を出そうとしたとき、
「もういいよ〜」
 先輩の、いつもの間延びした声が聞こえてきた。いつの間にか終わっていたらしい。見てみると、そこに男の姿は無かった。特別注目するところは……涙ぐんだ先輩の顔だろうか。どんな話だったのかは知らないけれど、良い話ではなかったんだろう。
 鞄を持ってして先輩の方へ行くと、彼女は勝手に話し始めた。
「ふられちゃったんだよね〜」
 別に訊いていないんだけどねえ。でも、喋るなとは言えない。
 俺は、いつもいる場所に適当に座って、それから持っていた鞄を枕にして寝転んだ。レンズのような快晴がとても綺麗だった。先輩の話もこれぐらい晴れ晴れとしてればいいのにと思ってしまう。仕方の無い事だけど。
 先輩は、俺と同じく寝転んで空を見上げていた。
「高校は行ってすぐに付き合い始めたんだけど」
「なんで俺に話すんだよ……」
「愚痴ぐらい聞いてもらったっていいじゃん」
 そんな義理は無いんだけどね。どのみちここから動く気は(どっちも)ないので、話は続く。
「考え方が違うみたい。たくさん喧嘩したしね……怒ったのは私の方ばっかりだったけど」
「喧嘩するほど仲がいいんじゃ?」
「そういうのじゃなくてねえ。私は好きだって思って頑張ってるのに、あっちは無反応だし、何もしてくれないし。自分だけが空回りしてて、それを冷めた目で見てるあの人がすごく腹立たししくて……」
 何となく分かるけど、恋愛経験の無い俺は何も言えない。こういう場合は何も言わずにしておいた方がいいのかもしれない。人間、溜め込んだ分だけ吐き出さなきゃどんどん蓄積して行ってしまうから。
「それで、本当のところどうなの? って訊いてみたんだけど、あっちは何の反応もしてくれなかった」
「顔を赤くして笑ってたのは何でだよ」
「その前に普通の雑談くらいするでしょ。普通に友達として話しているだけなら楽しいんだけどね……」
「結局、想われていなかったってことか?」
「どうなんだろうね。別れて欲しいって言ったら、あっさり承諾してるし」
 先輩は、その後しばらく黙ったままだった。何も言わずに、ただただ蒼い空を見つめている。必要以上に力んでいる歯の間には、未練という名の硬くどうしようもないものが、挟まっているように思えた。



 しばらくして、先輩はどこかへと戻っていった。どこに行ったのかは知らない。興味が無かったから。
 人間関係というのは、本当に奥深いものだと思う。友達と一言でくくったとしても、その中には千差万別の関係がある。いくら人間嫌いだからといっても、それが面倒だとは思わない。むしろ憧れているかもしれない。今の自分には程遠い望みだったから。
 友達だったら、考えが合わなくても深い関わりじゃないからどうにでもなるのかもしれない。でも、異性との関係ともなると深いものになるのは仕方のないことであり、考え方の違いが彼らのような状況に陥ってしまうのも仕方の無い事だと思う。
 先輩の泣き顔が脳裏に焼きついて離れない。すごく寂しい表情だった。本当は別れたくなんて無かったんだろう。試しに言ってみただけなんだろう。それをあっさりと訊き入れてしまった彼のことを怒りたいのだろう……推測することしかでいないのが悲しい。
 人は支えあいながら生きて行くものなのに、何で俺はそれができないんだ?
 それが出来る、人たちがとても羨ましく思える。憎しみとも思える想いが在る。
 遠くから流れてきた大きな雲はゆっくりと、確実に近づいてきている。風の流れに乗り、自然の流れに身を任せて。
 みんな出来ている事なのに……俺はなんで出来ないんだろうか。
 さまよい続ける思考の片隅で、カチャリと何かが開く音が聴こえて来た。屋上に出るためのドアを開く音。
 顔をそちらに向けると、そこにいたのはひょろ長い体格の男……あのときの男だ。シューズを見ると、水色だった。好みどおり先輩だな。
「あの先輩なら下に戻りましたよ」
 俺は彼にそう言ってやった。
 男は、怪訝な表情をし、俺を見る。
「あいつの知り合いか?」
「そうだけど、今日の出来事は一部始終見せてもらったから」
「……覗き見とはいい趣味してるな」
「勝手にいちゃついているあんたらが悪い」
 切って返した俺の言葉に、
「そうだな。邪魔したな」
 男はそう言って、元来た道を戻り始める。何ともまあ、あっさりした態度だ。これが冷めた態度というヤツか?
「探してるの?」
 男は足を止めて俺を見た。話すか話さまいか迷っているようだ。しばらくして、彼は口を開いた。
「いや、ここに来たかっただけだよ」
「未練があるとでも? あっさりと別れ話を受け入れたのに」
「……アイツが望んでいるんならしょうがないことだ。無理矢理続けても辛いだけだからな」
 何となく、この男の性格がつかめてきたような気がする。別に何とも思っていないわけでもないらしい。
 人間には、自分を犠牲にしてまで他人を尊重しようとする人間がいる。それは自己満足を得られる反面、相手の気持ちを考えすぎてしまうという損な面も持っている。考えれば考えるほど、自分の主張を押し殺してしまうからだ。考え方の違いというのは、気兼ねなく主張する彼女と自分を押し殺して受け取るだけの彼という性格の差異なのかもしれない。
「予想した望みを叶えた彼女は、喜んでいたのか?」
「いいや、今にも泣きそうだった」
「分かってんならそれに見合った行動をしろよ。アイツはずっと待っているんだぞ」
「分かってる。でも、それが怖いんだ。自分の意見を押し付ける事が本当に正しいのか、分からない」
 そんなこと、俺だってわかんねえよ。つーか、なんで俺がこんなヤツと話さなけりゃならないんだ。自分の行動と、コイツの性格がすごくムカツク。でも、後悔や躊躇いは全くなかった。
「……先輩はそれだけ人のことを考えてるのに、どうしてアイツのことを考えられないんだ? アイツは、考え方が違うって言ってたけど、要はそんな難しい事じゃない。言いたいことを言って欲しかったんだろ」
 挨拶をしたのに返してもらえない。そんなときの寂しさに似たようなものが、常に彼女を取り巻いていたんだろう。多分。
 先輩は、黙って俺の言葉を訊いているだけだった。
「もしかしたら、恥かしいだけなんじゃないのか? アイツのためという勝手な理由を付けて、責任の全てを押し付けている。そんな気はないかもしれないけど、俺には、あいつのせいで別れたんだって言っているように聞こえるよ」
 俺は顔を空に戻し、それを眺めた。いつの間にか通って行った飛行機が、空を真っ二つに両断していた。この先輩の殻もこんな感じに割れてくれればいいのになあ。
 ふと横を見ると、さっきまで立っていた先輩は消えていた。どうしたのかは知らない。これ以上言う言葉もないし、興味も無い。
 まあ、縒りが戻ってくれればいいんだけどねえ。
 相も変わらず空には飛行機雲が空を割っている。そのうち消えてしまう儚い線。飛行機は、二つの場所を線で繋ごうとしているように思えた。完全に繋がることは無いけれど、何度も何度もそれを繰り返している。
 彼らも、同じことをすればいいと思う。赤い糸があるのなら、たとえ切れても繋ぎ直せばいい。次はもっと強く結べばいい。
 春風の心地よい温もりを感じながら、俺は目を閉じ眠る事にした。



「でね! それでね! 放課後シンちゃん来てくれて、好きだって言ってくれたの!」
 ……ああうぜえ。
 朝学校に来て、向かった先はここだった。少し肌寒さを感じる屋上。少し時間が経てば、すぐに暖かくなると思ったからだ。ところが、先に先客がいたわけで。
「…………」
「も〜どうしようかと思っちゃった。そんなこと一度も言われた事無かったし、とりあえず抱きついてみたら頭撫でてくれるし」
「…………」
「やっぱちゃんと考えてくれてるんだな〜って思った。今まで何も言えなくてごめんって謝ってくれたし」
 コイツは、少し彼の性格を見習う必要があるんじゃないだろうか。なんか極端すぎるような気がする。てか、なんで俺のところに来るんだよ。友達にしろよ。そういう話は。
「でもね〜。結局離れることになっちゃったんだ〜」
 そこで、俺は今日始めてコイツに反応した。
「は?」
「何かわかんないんだけど、自分の弱い部分を直したいんだって〜」
 修行でもするつもりなんだろうか。コンパでも行って慣れるぐらいのことしか考えらんないけど。
「自分に自信がもてたら、今度は自分から告白するって言ってくれたからいいんだけどね」
 そういう形で納まったわけか。いろんな恋愛があるもんだなあと思う。まあ、それでまとめて置く事にしよう。問題はそれじゃない。
「それで、なんでここにいるんだ?」
「どうせ授業受けなくてもいいし。面倒くさいジャン?」
 じゃん? じゃねえよ。受けられるんなら受けろよ。
 心の中でツッコミを入れつつ、俺は立ち上がった。
「あれ? どこいくの?」
「一応彼氏いるんなら他の男と話すなよ……」
「そんなことで嫉妬する人じゃないし〜。キミのこと感謝してたよ。世話になったって」
 世話した覚えはないけどね。
「そんなわけで、これからも相談役ヨロシク〜」
 ふざけんな。
 厄介極まりないその申し出を無言でつっぱねて、屋上から逃げ出す。逃げる場所は何処でもいい。これ以上付きまとわれるのは避けたかった。
 ドアに手を伸ばし、開けようとした瞬間、
 ドバン!
 思いっきり開かれたドアに顔面殴打されて吹っ飛んだ。
「今日はいないのか……なと。あれ?」
 目の前で倒れている俺を不思議そうな目で見ている渚。
「珍しいねえ」
 どっちの事を言っているんだろうか。この変な格好か? それともここにいることか? 基本的に一週間に一回しか同じ場所を使わないので、大変珍しい事ではある。
 けれど、この場合違うようだった。
「女のこと一緒にいるなんて」
 いつもより冷めた目が俺を見る。何かいつもと違う。
「人にパシリさてといて有頂天だと思ったら、さらに上を目指すワケデスカ」
 後半が無機質的過ぎる。
「どうも〜。直子です〜」
 いらぬ挑発するなよ……。
「いや、これはちょっとわけありなんだけど……訊く気ある?」
「ない」
 即答だし。不可抗力なのに。言い訳ではあるけど。
 北極の氷のような冷たさを持った渚は、プリントを無造作に放ってよこした。
「じゃ、ごゆっくり」
 そう言って、さっさと立ち去ってしまった。何であんなに怒ってるんだ?
 いつもよりくしゃくしゃになっているプリントを眺めながら、俺はどう弁解すればいいか考えていた。このままではヤバイ気がする。
 俺は手を止めて、空を眺めた。昨日と同じく、今日は快晴だ。ただ、幾重もの飛行機雲が風に流され、歪んだりしてぐちゃぐちゃになっている。一つ一つちゃんとほぐすのには、かなりの時間がかかりそうだと思った。
 ……今の俺みたいに。



白に少し肌色のような色が混じった壁紙。綺麗に生理整頓されていている机。黒い椅子に座っている白衣のおばさんと、学ランを着て丸椅子に座っている俺。
 ここは、病院だった。何の変哲も無いただの病院。特別な部分といえば、普通の人が通う場所ではないという事か。
 この病院は、精神科の病院だった。
 医者がいつものように、いつものことを訊いてくる。
「調子の方はどうですか?」
 メンタルな部分というのは、医者の手だけで判断する事ができない。呼吸や体温を調べたところであまり意味が無いからだ。だから、彼らは病気を持っている当人たちから話を聞くことで病気を判断しなければならない。もちろんそれだけ、というわけではない。選択式のアンケートを使う事によって、ある程度、その人の性格や精神面の傾向を知ることが出来る。だが、それはあくまでも基準に過ぎず、解決策は個人個人で違ってくる。だから、話を聞くことによって具体的な解決策を組み立てるのだ。
 俺はいつものようにこう答えた。
「特に何も。いつも通り過ごせてますよ」
 ある意味皮肉なんだろう。こんな場所で使うものではない。しかし、俺は何も未だに治らないことをこの医者のせいにしているわけじゃない。結局のところ医者は手助けすることしかできない。原因はつきとめられても、薬や助言というのは解決策にはならないからだ。今よりもまだマシな状態に保っているだけに過ぎない。治すのは自分自身の心にかかっている。だから、医者に対して皮肉ったわけじゃないんだ。これは、自分自身の心の弱さに対する自嘲だった。
「そうですか……まあ、いいでしょう」
 この医者とはそれなりの付き合いになる。いつから通っているのかは忘れたが、数年の付き合いはあったような気がする。だから、俺の皮肉についてもちゃんと理解していた。
 同情するような寂しげな笑み。いつもこの医者は俺にそんな笑みを投げかける。嫌、というわけではない。俺にとっては同情さえも有難いものに感じられるから。
「でも、何かありましたね?」
 珍しく、医者は俺の眼を見て言った。いつもならこんなこと言わないのに。
「どうしてですか?」
 俺は逆に訊き返した。すると、
「目が笑ってるんですよ」
 目が笑う? どういうことだろうか。俺は、近くに置いてあった鏡で自分を見てみた。そこから見えるものは、いつもと変わらない自分の姿。笑った顔ではなかった。
 怪訝な表情をしていると、医者はにんまりと笑ってこう言った。
「こういう場所にいるとね。人の目っていうのが良く分かるんですよ。空虚な人もいれば、本当に腐ってしまっているひともいる。逆に、笑っている人もいる」
 長年の経験というヤツか。どうやら理解できるものではないらしい。
「……何かがあったといえば、騒がしくなった事ですかね」
「どういうふうに?」
「こっちは嫌なのに、無理矢理付いてきたり。なんか勘違いして怒りをぶつけてきたり」
 ちなみに、渚と直子のことだ。あれから数日立っているんだが、渚はどうしてか、怒りマークを常に生やしているし、直子はいっつも邪魔してくる。はっきりいって何とかして欲しかった。自由がごっそり奪われた気分だ。
「いいじゃないですか。楽しいんでしょ?」
 他人事だからそう言えるんだよ……。度が過ぎれば迷惑極まりない。そんなことを考えていると、頭がだんだん重くなってきた。現在十時ちょっと。診療開始時間丁度に来て、それから終わり次第学校に行くという形をとっている。これからその騒がしい場所へと行かなければならないわけだ。
「嫌で離れているっていうのに、付いてこられたらたまんないですよ」
「嫌、なわけじゃないでしょ? そう思い込むのはやめなさい。そうしないと、本当に人を嫌う事になってしまいますよ。あなたは体が人を受け付けないだけで、本当は人と共にいる事を望んでいるんですから」
 ……当たってはいる。俺は人間嫌いではなく人間恐怖症というだけだ。怖いというわけでなく、体が人を拒否してしまう。極度の緊張や腹痛、頭痛など。けれど、そうなるという事は、心の奥底では人を拒んでいるという事にならないのだろうか。
 俺がその疑問をぶつけてみると、
「そう思えば、あなたは本当に心の奥底で人を嫌うという様になってしまいますね。でも、人といたいと願えば、いつかは叶うでしょう。精神というのはその人の心にかかっているわけですから」
 本当に、それを望める日が来るのだろうか? 
 俺が黙って考えていると、
「とりあえずは今のままでいいですね。薬はいつも通りのものを出しておきます」
「……ありがとうございます」
 患者は俺だけじゃない。長居する事は出来なかった。礼の言葉と共に立ち上がり、その場を去る。
 俺が今貰っている薬は安定剤。精神安定剤と呼ばれるものだ。心の安定を保たせる事によって、異常な症状を抑えるという効果がある。だから、これを飲んでいれば特に問題は無いのだ。だが、人間の身体には耐性というものがある。使い続ければ効き目がなくなってしまう。そうなると、さらに強い薬を使わなければいけない。さらに、その薬の効き目が薄まれば、またさらに強い薬を求める事になる。精神に病気を持つ者にとってはありがちな悪循環だ。今は薬で何とか持っているけれど、いつかは治さなければならない。薬というのは解決策になるのではなく、保留という効果しかない。
 俺は、みんなのように、普通に生活する事を望んでいる。この病気に勝ちたいと思っている。
 ……本当に叶うのだろうか?


学校に着いた俺は、早速職員室へと足を運んだ。遅刻は遅刻。遅刻届けを出さないと、出席扱いにならない。まあ、一日ぐらいどうってことは無いんだけど、せっかく通っているわけだし。さっさと提出して、俺は保健室へと足を向けた。どうして保健室かというと、最近直子のやつが五月蝿いから。最近といっても、最初に会った時から騒がしかったけど。会うたびにのろけ話をするのは止めて欲しかった。だって、切なくなるから。……ひがみか?
 パタパタというサンダルの音と共に、保健室のドアを開ける。扉は、見た目よりも重く、ゆっくりと開いた。どうして渚はあんなにもやかましく開ける事が出来るんだろうか。両手で開けばできないことはないけれど、やっぱり怒りの成せる業なのかもしれない。
「失礼します〜っと」
 適当に入室時の挨拶をした俺は、中にいる人を見て少し驚いた。渚がいつも俺がくつろいでいるパソコンの場所にいたからだ。
「ういっす」
 こちらに振り向かず、女らしくない挨拶を返す渚。何やら調べ物をしているらしく、忙しくキーボードを叩いたりマウスをいじったりしている。何というか、珍しい。
「授業はどうした?」
 俺は渚に訊いて見た。委員長だからって真面目だという偏見を持っているわけじゃあない。でも、コイツが授業を抜け出すことなんて今まで無かった。
「サボリ」
 そっけない一言で作業を続ける渚。何かあったのだろうか。
 とりあえず先生を探すために、辺りを見回していると、普段使われていないソファーで誰かと話しているようだった。こちらからでは姿が見えない。カーテンのようなもので隔ててしまっている。プライバシー保護のためだ。当分は出てこないんだろう。誰かの相談に乗っているらしい。そこから話し声が聴こえて来る。内容はでは分からないけれど。
 やる事のなくなってしまった俺は、渚が何を調べているのか、ということに興味を持った。それ以外暇をつぶせそうなものが無かったとも言える。集中しているらしい渚は、俺が背後から忍び寄っているのにも気づいていない。気づかれたら怒られるんだろうけど、流石に気になってしょうがない。だって、授業をサボってまで調べるものなのだから。
 そーっと近づき、肩越しに見える液晶画面に目を向けると、そこには――。
「何見てんだよ」
 ゴツッと、渚の後頭部が俺の鼻に直撃する。俺は目に涙を浮かべて、鼻を押さえた。痛い。痛すぎる……。痺れる感覚が鼻全体を多い、狂った涙腺から涙が溢れだす。タマネギ並の効果だ。
「何すんだよ……」
 たまらず言った俺の言葉に、
「覗き見すんな。変態が」
 冷静に返す渚。たしかに悪いのはこっちだけど、変態は無いだろう。鼻血が出ていないか確認してから、俺は再び画面を覗き込んだ。今度は何も攻撃してこない。別に見られてもいいんなら最初から見せてくれればいいのに。
 俺の目に映ったのは、「対人恐怖症を治す」という題名がついたホームページだった。
「ふむ……」
 そのサイトには、対人恐怖症になった人の日記と、それに対する前向きな対策が書かれていた。ということは、俺の病気を治すために、わざわざ調べてくれていたというのだろうか。いつもは口の悪いだけの女だと思っていたのに、今日だけはなんだか女神のように見えた。いつも通り冷たい表情で画面をスクロールさせているが、もしかしたら、これはただの照れ隠しなのかもしれない。
 目の前にいる冷たい女神が振り返り、俺のことを凝視する。変な妄想を浮かばせていた俺は驚いた。まさか、何か要求でもするつもりだろうか。こんな状態で見つめられればだれだって心臓が爆発しそうになるだろう。
 だが、冷たい女神はあくまで冷たく、冷酷でもあった。
「勝手な想像してるんだろうが、これはお前じゃなくアイツのためのものだ」
 アイツって?
 そう質問しようとした俺の耳にシャッとカーテンを開ける音が聴こえて来た。話が終わったという事なんだろう。
「あら、和弘君来てたんだ。ちょうどいい」
 なにが丁度いいんだ?
 話の内容が分からない。俺の表情から察した渚が説明をしてくれる。
「先輩の話が聞きたいんだってよ。悲しいことに同類ができちゃったんだからな」
 先輩って俺はまだ入りたての一年生だっつの。そんな突っ込みはいれられなかった。隔絶された空間から出てきた一人の男子生徒。話からするに、俺の同類らしき男が救いを求める目で見ていたからだ。


 その同類男の名前は、遠田龍之介という古風な名前だった。ついでに、同じクラスだとのことで。
「どうでもいいけど、そんなこと他人の俺に言っていいのかよ……」
 精神的な病気というものは恐怖が原因となる事が多い。だから、隠したいと思っている人は数多くいる。まあ、自分の病気を嫌だと思うから治るのも難しいし、悪化の原因になる事もあるんだけど。
「りゅう君はクラスになじめなくてね。丁度いいからお前に何とかならんかと」
 さっき調べていたのはそのせいか……。たしかに俺はいなかったし。誘っておいて意味無かった、じゃ面目が立たないわけだし。
「なんで、そんなこと喋れたんだよ」
 基本的に、病気を隠すのが普通なのだ。渚にだけ話せるというのはどういうことだ。
「何でそんなイライラしてんの?」
 渚の問いに、俺は何も返せなかった。怒る理由は無いよなあ。何でイラついてるのかは自分でも分からない。
 渚は答る気がないと判断してようで、話を続けた。
「学級委員は二人。男がりゅう君で、たまたま教えてもらったというわけだ」
 そういうものなのか?
 よくは分からないけれど、それだけ信頼できる人がいればならないんじゃないのだろうか。とはいっても、病気になる理由は人それぞれなので何ともいえない。
 俺は、適当に言ってみた。
「コイツに話せるのなら、ある程度信頼しているってことだろ。だったら一緒にいてやれば安定剤代わりになるんじゃないのか? どうせ同じクラスだし」
「いや……それはちょっと」
 そこで初めて龍之介が口を開いた。はっきりとしない声だった。
「だって、そういうのって迷惑でしょ。瀬戸さんだって好きな人ぐらいいるだろうし。俺なんかじゃ駄目じゃないですか」
 つまりは自分に自信がないということか? なんともまあ回りくどい拒否のしかただ。だが、こういう人間が精神病にはなりやすい。回りくどく、というのははっきりと答える事を嫌うことにもなる。コイツは断ることに躊躇しているわけだ。そして、自分に自信もない。自分は駄目だ、と思うことは思考の悪循環に繋がる事もある。何のとりえもない人間なんていない。おれはそう断言できる。そりゃあ、全世界の人間の得意不得意を数値で表したとすれば、得意なんてものを持っているのはかなり少ない人間だけ担ってしまうだろう。けれど、得意というのは他人に照らし合わせて見つけるものではない。自分の特に優秀な部分を得意と呼んでも構わないんだ。
 けれど、龍太郎にはそういった自信がまるでない。
「アタシは別に好きだとか思っている人はいないけどね」
 こういう風にはっきりといえるヤツだったら問題ないんだけどねえ。俺は気づかれないようにため息をついた。
「だったら、病院に行って薬でももらうなりカウンセラーを受けるなりしろよ。だいぶ違うはずだ」
「でも……病院って、精神科でしょ? そんなところ行って大丈夫なんですか? あと、薬って危なくないんですか?」
 何のための病院だよ……。ついでに、安定剤はそこまで危ないものではない。使い方を間違えなければ害はほとんどない。風邪薬の方が害があると言う医者もいる。強さだってピンからキリまである。最初からそんなに強い薬を出す医者なんていやしない。弱い薬で様子を見て、合うか合わないかを確かめて、それから強くするか弱くするか判断していく。あっちは医者だ。素人じゃなく、玄人なんだ。
 俺がそれを説明すると、
「親に頼んで見ます……」
 龍之介は弱腰でそう言った。
 しょうがない事ではあるけれど、なんだかイライラする。この口調、この態度、この眼。弱りきった負け犬の姿。全てが、昔の自分にそっくりだった。これが同族嫌悪というやつなのかもしれないな。
「つっても、薬があるからって治るわけじゃないけどな。そんなんで治るんなら、俺だってとっくになってるわけだし」
「確かにそうだね。なんで治んないの?」
「……精神病ってのはデリケートでね――つまりは俺もデリケートな人間に入るわけだ……って蹴るなよ。それで、薬使うのはあくまで日常を過ごしやすくするだけだ。それだけでも十分有難いとは思うけどね」
「でも、結局は治らないということですか?」
「まあな。治る人もいれば治らない人もいる。きっかけが様々なんだ。病気を治す特効薬も様々だと。ただ、それらを一つに絞るんなら、心の開放だろうな」
 人間嫌いスペシャリストの俺は、だんだん調子が良くなって来ていた。自分の知識や経験を話すのはかなり快感だ。辛いものもそりゃああったけれど、役に立つものに変わってくれるのなら喜んで話せる。先生とか向いているのかもしれないな。
「心の開放とは?」
「原因があるんだよな。人を怖がるって事は何かしらの原因があって、その恐怖を取り除く事が出来れば、治るとされている。一般的な見方ではね」
 つまり、治すにはその人の怖がっているものを知らなければいけない。龍之介にとっては酷なことかもしれないけれど、カウンセラーだって、この恐怖を利用する治療法なんだ。この方法だけというわけではないけれど、大概は似たようなものだといえる。
「なあ。お前はどうして人が怖いんだ?」
「……怖くは無いですよ。ただ、面倒な付き合いが苦痛なだけです」
「だったら、なんでココに来て先生と話なんてするんだ? 面倒なことは苦痛なんだろ」
「苦痛ですよ。でも、それじゃ駄目だって思う自分もいるんです。どうにかしたいけど、無理矢理行動しても辛いだけだし……これじゃ先が見えなくて」
 俺はそれを訊いて、すぐに思った。
「典型的なタイプだな」
「どういうこと?」
「自分の感情と行動を切り離す人間なんだよ。コイツは。何よりも最優先するのが周囲の人間。誘われたら嫌でも断れない。自分より他人を強く優先してしまうんだ。けれど、心の中ではそれを後悔する。こういった矛盾がストレスを生む。お前、何で学級委員なんてやってるんだ?」
「他に誰もいなかったから……本当はやりたくなかったんだけど」
 ほらみろ。コイツの治療方法は後悔しない行動を取れるようになること。それ以外の方法はない。精神病は自分の心を開放しなければならない。
「お前は他人を気にしすぎなんだよ。どうして他人を気にしなければならない? どうせこの世界なんて自分を中心に回ってるようなもんなんだぜ?」
「それはいくらなんでも自己中心的な発言では?」
「そうかもしれないけどな。お前という個人は自分の感覚器官から世界を読み取っている。お前にとってはそれが世界だろ。死ねば何の情報もなくなってしまう。お前にとっては自分自身が世界の中心じゃないのか?」
「う……難しいですね」
「別にそれを鵜呑みにしろとは言ってないよ。ただ、それぐらいの気持ちで生きていくのが普通なんだ。例えこの考えが違っているとしても、お前が他人を気にしすぎていることには変わりない」
 ちなみに、俺はこの考えが正しいとは思っていない。世界がなんだの考えるほど暇じゃないし。ただ、カウンセラーをするときにはこのような常識外れの考えをぶち当てる必要があるときもある。その方が、患者が楽になるからだ。
「とりあえず、こんなところだな。そんな急に変わることなんてできないだろうし……少し時間をかけて考えてみる事を薦めるよ」
 俺はそう言って、保健室から立ち去った。
 パタパタとサンダルの音がやけに響く。まだ授業中らしく、廊下は静まり返っていた。今度はどこにいこうかな。やっぱり屋上か? 
 そんなことを考えていると、後ろから追いかけてくる足音が一つ。俺の耳に入ってきた。誰だかは、何となくわかる。
「どうかしたのか?」
「いや、別に」
 渚はそれ以上何も言わずに付いてくる。
「人間てさ。本当に一人で何日も生活してると狂うんだよ」
 俺は、何も言わない渚に向けて独り言を発し続ける。
「だから、本当に人が嫌いな人なんていやしないんだよな」
「…………」
「だからといって、俺らが人を拒みたいと思う気持ちは在るんだ。これは断言できる。人間嫌いっていうのは、孤独を望む人じゃなくて、人といる事を望みながら一定の距離を置く事を願う、不安定な人間の事だと思うんだよ」
「……分からん」
 端的な渚の言葉に、俺は心の中で笑った。
「そうだよな。俺もわかんねえ」



 ある晴れた昼下がり。市場へ続く道ではないけれど、俺は断崖絶壁とも言えるだろう校舎の屋上で寝そべっていた。
 隣にいる直子が先ほどからいつも通り騒ぎまくっているのだが、全然気にならなかった。耳栓という秘密兵器を使っていたからだ。そんなわけで、直子のやかましい声は完全に塞いでしまっている。
 辺りが静かなせいか、俺はうとうとしてきていた。昼飯食べた後だし、薬飲んだ後だし。だいぶ暖かいし、このまま寝てしまっても風邪はひかないような気がする。
 視界がぼんやりしてきた。多分、もう少しで完全に眠りについてしまうだろう。眠るのは早いほうだから、何となく分かる。
 本当に眠りに付こうとしていたその時、ガツッという音と共に激痛が頭上に走った。
「うわっ! 痛ってえ……」
 脳天に一撃された俺は、すぐに飛び起きて痛みの中心点を抑える。痛みが引いてきたころ、俺は周囲を見回しながら蹴ったと思われる人間を睨みつけた。
「いてえっつーの! 少しは手加減しろよ」
 涙目で訴えているので、効果は無いかもしれない。俺の目の先にいるのは渚だった。というか、こんなことをするのはコイツしかいない。
 耳栓を外しながら、渚の弁解を訊いてみた。
「何度呼んでも反応が無かったんでね」
 言い訳……なのか? これ。とりあえず悪いとは思っていないようだった。
「それで何なんだよ……」
 これ以上言っても意味がないと判断して、俺は本題に移った。昼過ぎにくることなんて今までありえなかったことだ。何かあるんだろう。
「あのりゅう君のことなんだけど」
「あ〜、そういえばそんなのいたっけ。それで?」
「特に何も無いけど、まあ……少し変わってきているような気がするよ。なんだか、今まであった境界線がなくなったというか……」
「そんなもんだろ。吹っ切れて自分の好きな位置に身を置くことが出来れば、気負うことなんてないしな。付き合いは悪くなったかもしれないけれど、今までみたいな近寄りがたさは無くなったはずだ」
「そんなもんかね」
 そんなもんだろうよ。龍之介自身の病状も軽かったという事もあるんだろうけど。なんにしろ、こんな短期間で解消できたのは本人の行動力もあるのだろう。自分を変えるということは結構難しいものがある。アイツは成功したわけだ。
「それで、アンタはいつ治るのかね?」
 意地悪な笑みを作って皮肉の言葉を投げる渚。
「どうだろうな……俺は原因が分からないんだよな。どうしてこうなったのか、どんなに思い出そうとしても無いんだ」
「原因はあるんじゃなかったの?」
「あるんだとは思う。でも、思い出せない。生まれつきなんて言ってるのはそういう理由だからだよ」
 渚は黙って俺を見つめていた。その眼は、何というか、哀しかった。
「まあ、アイツでさえ治り始めているんだ。俺だってその気になれば治るだろ。アイツと俺の行動力は比べ物にならないくらい凄いからな」
 楽観的な口調で俺は言い放った。自信過剰などと思われるかもしれないけれど、それでもいい。同情なんていらないから。そんな哀しい顔するよりも、笑っていて欲しかった。そうすれば、俺も不思議と元気になれるから。
「え、何? 私の笑顔って最高!?」
「誰もんなこと言ってねえよ!」
 やかましいのが一人いるけれど、これはこれで面白いもんだ。


 今回の主人公はこのアタシ。瀬戸渚だ。
 どうしてそんな急に変わったのかって? ……いや、誰もそんなこと思わないんだろうけど、訊いておいて損は無いと思うよ? ホント。まあ、実際の話そんなに難しい事じゃないんだよね。話のきっかけがアタシで、この話を一番把握できているのもアタシだから――。


 いつも通りのささやかな休憩時間。クラスの人間どもは、この時間を利用してトイレに行ったり次の教科の準備をしたりしている。そんな感じが理想の休み時間の使い方らしい。この学校はそこまで勉強熱心ではないので、休み時間の使い方なんて人それぞれだ。携帯ゲームや携帯で遊んでいる人、音楽の世界に浸っている人、授業中も休み時間の境目すらなくただただ睡眠に明け暮れている人。ちなみにアタシは、黒板を消しているところだ。役割だからしょうがないことなんだけど、その度に制服に粉が付くので好き好んでやるものではない。潔癖症ではないけれど、制服ぐらいは綺麗にしておきたいと思っている。汚れた制服って格好悪いじゃないか。
「瀬戸さ〜ん」
 水道でなかなか落ちない袖の粉を落としていたときだ。後ろから誰かに声を掛けられた。声からして、もう一人の学級委員、遠田龍之介だろう。通称りゅう君。
「どうかした?」
 アタシが振り返ると、そこにいたのは予想通りの人物。りゅう君はプリントを抱えていた。
「これ、水野さんに渡しておいて欲しいんだけど」
「……ああ。分かったよ」
 水野とは、今日も学校のどこかで寝ているだろう自称人間嫌いの同級生だ。クラスに来る事はありえないので、わざわざプリントを持って行ってやらなければならい。ヤツの席はアタシよりもりゅう君の方が近いので、机の中から取ってきてくれるのだ。といっても、最近からだけど。りゅう君も精神的な病気だったらしいんだが、軽度だったのと、適切(?)な水野のアドバイスを受けてなんとか立ち治っていた。
「つーかさあ。さん付けで呼ぶの止めたら? 同級生だろうに」
「いや、恩人だし。敬意を付けて呼びたいから」
 恩人……ねえ。話をするだけなのにそこまでありがたみを感じられるものなのだろうか。一応アタシも訊いていたけれど、そこまで感謝の情は沸いてこなかった。やっぱり実際になってみないと分からない事なんだろうか。
「まあいいや。とりあえず置いてくるね」
 プリントを受け取り、アタシはそのまま歩き出した。向かう場所は、とりあえず屋上。最近出没率が高いから。
「あー、ちょっと待って」
 りゅう君が、アタシを呼び止めた。まだ、他に何かあるのか? 気だるげに頭を掻いていると、
「……やっぱり、後にしようかな」
 いきなり声が萎んで行った。こっちの様子を見て迷惑掛けているとでも思ったのか? りゅう君とはそんな人間だった。気が小さいとでもいうのだろうか。ついでに、気配りしすぎるところもある。それが心にストレスをかけているらしいんだけど、確かに毎日毎日こんなことで気を配っていれば疲れてしまうと思う。
「言っちゃいなよ。そっちのほうが面倒じゃない」
 周りから見れば、この言葉はそっけなく見えるのだろう。けれど、こんなことを言わない限り多分コイツは言わない。断言できる。
「えーと、先生が言ってたんだけど。明日最後の授業何もないでしょ。それで、親睦会? みたいな事をやるから、水野さんを連れてきて欲しいって」
 親睦会……。まだ入学して三ヶ月ちょっとしか経ってないわけだし、自然な事なんだろうけど、あいつが来るとは思えなかった。自称人間嫌いだし。どこまで嫌いなのかは分からないけれど(だって、アタシ達と会話しても何の問題も無いし)好ましくは無いんじゃないのだろうか。
 りゅう君は再びアタシの心中を察したようで、
「あ、ゴメン……」
 再び萎んでしまった。いくら自分を変えようと頑張っても、急激に変えるのは難しい事なのかもしれない。ちょっとは変わってきているので進歩はしてるんだがね。
「とりあえず訊いてみるしかないだろうね。期待はしないでおいてくれると助かるかな」
「ありがとう。じゃあ、お願いします」
 そういって、りゅう君は教室へと戻っていった。
 プリントの束を見てみると、一番上に封筒のようなものがあった。表の文字を読んでみると、招待状と書かれてある。先生が書いたのか? これ。どうせ学校に来ているんだし、授業はこれなくても人と接するいい機会だとでも思ったのだろうか。少なくとも、アタシならそう考える。アイツは、出来るのなら真っ先にそうしているだろう。そうしないのは出来ないからで。無理矢理呼ぶのはどうなんだろうか?
 まあ、どうせ決めるのはアイツだし、アタシは提示するだけで構わないんだけどね。
 カンカンカンと甲高い音を立てながら、アタシは屋上へ続く階段を登る。実のところ、この音はあまり好きじゃなかった。理由は無いけれど、何となく嫌いなのだ。音を立てないようにして登ろうと思うのだけれど、どうしてか音が消える事はない。水野の場合はそこまで音を立てなかったと思ったんだが、シューズの違いかもしれない。男と女では造りが違う微妙にだけど。
 いつものように錆付いたドアを蹴り飛ばして、屋上に出た。大きな入道雲が悠々と空を泳いでいる気持ちの良い空が眼に映った。暖かみのある風が優しく髪を撫でる。いかにも春らしい天気だった。
「おい。いるか?」
 端的に放つ。基本的に呼べば返事をするので(最近耳栓をつけているせいで返答がないときもあったけど)目で見て探すよりも早い。
「ああ。いるよ」
 屋上に出てすぐ近くのところで、水野和弘は寝そべっていた。憎たらしく思えるほど、気持ち良さそうな顔だ。どうでもいいけど。
 周りを見やると、いつもならいるはずの直子という先輩がいない。どういう経緯かは知らないが、その先輩は水野と仲が良かった。一方的に付いて来ているという感じではあったけれど、追い返さない辺り、そこまで邪魔ではないのだろう。
「プリント。ついでに招待状」
 さっさと戻らないと、授業に遅れてしまう。抱えていたプリントの束を水野に渡し、早々と去ろうとした。
「なんだこれ? 親睦会?」
 封筒の方に興味を持ったらしく、水野は直ぐに開いて読んでいた。十秒ぐらいしただろうか。水野は顔を上げてアタシの方を見た。
「俺に出ろと?」
「出たくなきゃでなくていいよ。あんたの親睦会じゃなくてみんなの親睦会だからね」
「ふむ……」
 水野はそれから黙り込んでしまった。出るか出ないか迷っているらしい。
 別にそのまま迷わせておけばいいのに、アタシは無意識のうちに口から言葉が出てしまった。
「人に慣れたいんなら出た方がいいんじゃないの?」
「……たしかにな」
 再び黙り込む水野。どうしてそこまで悩む必要があるのかは分からない。精神病になんてかかったことはないから。様子から察するに、悩む必要があるほどの症状でアはあるんだろう。りゅう君は緊張が止まらない様子だった。でも、それくらいならいいんじゃないか? と思う。寧ろ、それくらいならできるだけ人に慣れる努力をしたほうが良いような気がする。
「なあ……俺は本当に出た方がいいと思うか?」
 珍しく弱気な発言が水野の口から出てきた。いつもなら調子良く皮肉の一つでも言うヤツなのに。相当悩んでいるのだろうか。
 ……何か言ってやらなければならないだろう。
「出る事が本当に良い結果になるかは分からないけど、アタシは出て欲しいと思ってるよ」
 らしくない事を言うもんだ。これじゃあ出ろといっているようなもんだろうに。
 どの道決めるのはこいつだし、そろそろ時間なので、アタシは退散する事にした。
 チャイムの音が鳴り出すと同時に、急いで校舎の中へと駆け込むアタシ。轟音のようなチャイムの音の中でも、水野が呟いた小さな言葉だけははっきりと聞き取る事が出来た。
「分かった。出るよ」
 それを訊いて、アタシは顔が笑んでいることを感じた。もしかしたら、これで一歩進めるかもしれないと思ったから。


――でも、まさかこんな結果になるとは思いもしなかった――


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 待ちに待った親睦会。丁度机を並べ終えたところに、水野は普段どおりの様子で来てくれた。
 何の変哲もない、ちょっと目を細めたいつもの顔。何だ、大丈夫じゃん。対人恐怖症なんて言っているけれど、そんなにひどいものではないらしい。アタシはほっとしていた。
「幽霊部員も来たことだし、さっさと始めますか」
 アタシはいつも通りのさっぱりした声でそう言った。「部活じゃねーよ」などとツッコミが入ったが、もちろんそれを予想しての事だ。
 アタシはりゅう君と司会の席について言葉を交わした。
「水野さん、ちゃんと来たね」
「まあね。来なきゃ来ないでもいいんだけど」
「……無理してないかなあ」
 いくらなんでもアイツが無理してくる理由はないだろう。アタシは勝手に決め付けた。だって、性格からしてそんなことありえないからだ。嫌なら嫌だという性格だったはずだ。
「じゃあ、これから親睦会を始めます」
 適当に始まりの挨拶をして、横に置いてあった丸い穴の空いた箱を抱えて立ち上がった。この中には、数種類の絵柄が書いてある紙が入っている。いわゆるクジ引きだ。同じ絵柄の付いている座席について、それぞれ飲食しながら雑談するという形式をとってある。決められた時間ごとにクジ引きを繰り返すことで、色々な人たちと話すことができる。会う人が数人だぶる場合もあるかもしれないけれど、もっと仲良くなってくれればそれでいい。
「面倒だからさっさと並んで。りゅう君男子でアタシは女子ね」
 うい〜と、気の抜けた、それでも少し楽しそうな同意がところどころからあがった。水野もかったるそうに同意している。クラスの人ごみから少し離れていたけれど、他の人と話せば溝は消えるだろう。
 こうして、滞りなく親睦会は始まったのだった。


「ねえねえ。渚さんて彼氏いるの〜?」
 ……ここは合コンか。
 開始して数分。アタシはいきなりうんざりしていた。最初の組み合わせでいきなりナンパ。ふざけんなっつの。こっちはそれどころじゃねえんだよ。
「いない。けど作る気無い」
 いつもより冷たくあしらい、周りの様子を探る。親睦会だからって、喧嘩が起きる事も無くは無い。男子はそういう点ではさっぱりしているので目だった行為は無いが、問題は女子の方だった。クラスの女子というのは仲がよさそうに見ても、その仲では暗いラインが敷かれている。派閥というらしい。そんなわけで、一見楽しく話しているように見えていても、裏側で陰険な駆け引きを行っている場合がある。ちなみにアタシはそういうのは嫌いなので無所属というヤツだ。
「けどさ〜。そういうのって寂しくない? 孤独って嫌ジャン」
「孤独なアタシに同情してくれんの?」
 やっと話に乗ってくれた、という感じでナンパ野郎は勢いを増す。
「同情っていうか、仲良くなりたいな〜って」
「だったら、そこにいる孤独野郎に話かけてなよ」
 ズズズ〜と無作法にジュースを飲みながら、ナンパ野郎の隣にいる水野に話を向ける。こいつは、さっきからぼけ〜っとした表情で窓の景色を眺めていた。やる気あるのかコイツ……。
「あ〜。水野ね。こいつは普通に仲良いから別にいいの♪」
 キモイイントネーションつけんなよ。
 心の声はさておき、水野を知っているらしい。腕を組んでぼけーっとしている水野の腹を、ナンパ野郎は軽くつついた。
「……なんだよ」
 気だるげに返事をする水野。
「なんだよって。久しぶりに会ったんだから、よう! 親友! とか言えよ」
「親友じゃねえ。久しぶりだけど感慨はない」
「ひでえ……」
 うな垂れるナンパ野郎を無視して、水野は説明をしてくれた。
「中学校の仲間だよ。俺の学校人数だけは多かったから。馬鹿はみんなここ来るわけ」
「へええ」
 アイツにも過去はあったというわけだ。当たり前なんだろうけど、凄く興味深いものだった。
「どこの中学?」
 水野にアタシが訊いていると、ナンパ野郎が口を挟んできた。
「ねえねえ。別にコイツの思い出話なんていいじゃん――」
「黙れ軽薄」
 一蹴して話を続ける。友達、という事は以前は友達付き合いがあったという事なんだろう。だったら、そのときは普通に生活できていたという事じゃないか。
 対して水野は、口をぽかんと開いて目がどっかに行っていた。
「話訊いてる?」
「…………」
「おい」
「…………」
 放心しているのか? そう思ったとき、
「……俺は、中学校に通ったんだよな?」
「は?」
 いきなりの質問。一体何を言いたいのやら、自分の中学生のことを思い出せないとでもいうのだろうか。
「俺は、中学校に入って、勉強して、卒業した……」
 自分自身に問いかけるように、水野は独り言を呟いている。冗談でも言っているのかと思ったが、眼が冗談じゃなかった。真剣だ。
 ナンパ野郎を見ると、アタシの隣にいる女子と会話をしていた。何か言ってやって欲しかったが、邪魔はよくないだろう。アタシは水野の独り言に耳を立てていることにした。
「何をしたんだ……?」
 よく分からない質問に、アタシは何も答える事が出来ない。独り言を呟いていた水野は、そこで口を閉じた。そのまま黙って目の前のカップを見つめている。心ここにあらず状態だ。
 そのまま一回目の時間が終わり、アタシたちは次のクジ引きをする事になった。席を離れるとき、アイツはいつも通りの状態に戻っていた。けれど、異様に見えるほど左腕を右手でずっと掴んでいた――。


 次の席は、りゅう君のいる席だった。
 両脇の女子が、楽しそうに目の前の男子と話している。男子と女子で向かい合わせる方法は間違いだったかもしれない。結果的に異性間での会話が主になってしまうから。男女平等と考えるんならどっちでもいいけれど。
 しかし、水野は大丈夫なんだろうか。元に戻ったとはいえ、おかしかったわけだし。
「……瀬戸さん大丈夫ですか?」
 りゅう君が心配そうにアタシを見ている。大丈夫、と答えて再び思考再開。あの放心したような表情。あの掴んで離さない腕。なんなんだ?
「ねえりゅう君」
「なんですか?」
「記憶喪失って普通にあることなのか?」
 りゅう君は、少し悩んでから答えた。
「あるかもしれないけど、普通は無いでしょうね。強いショックを受ければなるかもしれませんが」
 そうだよなあ。普通。
 さっきの出来事をりゅう君に話すことにした。りゅう君なら、少しは知っている事があるかもしれないと思ったからだ。
「うーん……」
「何かない?」
「腕のほう……なら」
 おお〜。流石はりゅう君。頭良い。どちらかというと記憶の方が気になったけれど、たとえ記憶がおかしいとしてもどうしようもない。それならもう一つの異常な行動について知っていた方がいい。
「アレって、多分抑えてるんじゃないですか?」
「何を」
「痛いときにその場所を押さえたりするでしょう。あれって、ちゃんと科学的な根拠があるんです。痛覚は神経を通って脳に信号が送られるんですけど、さわる事によって触覚も同じ神経を通って脳にいきます。さわる事で痛みの信号の間に別の信号が入るわけです」
「そうすると?」
「つまりは誤魔化すってことですよ。痛みも和らぐ事になります。つまり、何かを誤魔化すために、絶えず脳に緩和する信号を送り続けている――」
 水野を見ると、相変わらずの表情で目の前の女子と話をしていた。一応話はしているようだ。 その左腕から垂れた一滴の液体。それは床に落ちて小さく跳ねた。
 真っ赤な真っ赤な王冠を作っていた……。
「記憶は分からないけれど……水野さんは限界に来ているのかもしれない」
 
 
 親睦会は、つつがなく進行し、終了した。
 なんでもない表情を繕っていた水野は、
「悪いけど、保健室に用事があるから」
 と言って先に出て行ってしまった。もちろん、そんなのに騙されるアタシではない。
 片付けと学活をりゅう君に任せて、アタシは水野の足音を追いかけた。静かにカンカンカンカンと下りていく階段を一足飛びで走り降り、静かな廊下の軽い足取りを出来るだけ早く追っていく。
 着いた場所は、下駄箱だった。
 その出口の近くにある水道で、水野は――。
「ハアッ、ハアッ……ガッ――」
 吐いていた。さっきまで飲んでいたもの、食べていたものを全て。胃が中の物を拒否し、上へ上へと押し上げる。びちゃびちゃと、消化途中のものが口から出ていた。
 さらに、地面には血の染み付いた包帯が……。
「情けないよな……人がいるだけで緊張して、挙句の果てにこんな状態なんて」
「おさまったのか?」
「おかげさまで……。感謝するよ。こんな良い機会を作ってくれた。気づく事も出来た」
 ジャブジャブと、水野は顔を洗って、無造作に拭っていた。頬から滴る水が、哀しそうな顔に合っている。泣いているようだった。
「ごめん。大丈夫だと思ったんだけど――いいわけだね。これは」
 アタシは俯いて謝った。早く治って欲しい。そんな気持ちで始めたのに、結果は逆だった。水野の症状だって、分かっているつもりだったのに、全然分かってなかった。勝手に理解して辛い思いをさせたのはアタシだ。こんなに苦しませたのはアタシなんだ。
 何よりも、自責の念で胸がはちきれそうだった。
「いや、渚。お前が謝る必要はないんだ。元々言わなかった俺が悪かったんだから。こうなる事はもともとわかってたんだよ。でも、正直な話、お前に大丈夫だと証明したかった」
 アタシが顔を上げると、さっぱりした表情で、空を見上げていた。吹っ切れたような、そんな感じの。
 水野が口を開くのが、やけにゆっくりと見えた。スタートする前の、一瞬の緊張。多分、アタシは水野がなんていうのかわかっていたんだと思う。アタシだって、こんな状況を平然と続ける事なんて出来やしないから。
「ごめん。俺、学校辞めるわ」


 
2005/04/01(Fri)21:04:55 公開 /
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■作者からのメッセージ
勢いで書いてしまったので、ちょっと修正すべき点が多く(自分でも)感じました。
次に繋げたいです。
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