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『蒼い髪 37話 カロルの恋人』 作者:土塔 美和 / 未分類 未分類
全角78668文字
容量157336 bytes
原稿用紙約238.85枚
 イシュタル星に傀儡王朝を築くため、ネルガル人の手によって偽物の王子と入れ替えられた本物のイシュタルの王子アツチは、ネルガルの囚人惑星として名高いM13星系第6惑星に護送される。そこでミルトンと出会い三次元の感覚を取り戻していく。一方ネルガル星では、ピクロス王子を殺害したルカの刑が決まると同時に、次期皇帝の座をかけた暗躍が始まる。

登場人物

 ネルガル人
  ルカ  ネルガル星の王子 別名 エルシア
  シナカ  ボイ星の王女 ルカの妻 ピクロス王子の手にかかる
  ジェラルド  ネルガル星の太子 ルカの異母兄
  クラークス  ジェラルドの侍従武官兼執事
  シモン  ジェラルドの妻 カロルの姉
  カロル  ジェラルドの親衛隊隊長
  エドリス  カロルの部下
  クリンベルク将軍  ネルガル星の名将 カロルの父
  リンネル・カスパロフ大将  元ルカの侍従武官
  クリス  元ルカの部下
  ケリン  元ルカの部下 元情報部所属
  ミズナ  娼婦 本名、ウルナリ ボンウェル家の令嬢
  アヅミ  娼婦 ミズナの侍女

 イシュタル人
  アツチ  イシュタル星の王子
  ユーカス  囚人 能力があるのに使い方を知らない
  ミルトン  囚人 魂の量が普通の人の半分以下
  ビッキ  囚人 魂の色を見分けられる
  クラフト  囚人 医者の卵
  アヅマ  宇宙海賊
  ラクエル  アヅマの仲間

  ヨウカ  四次元生物



「おどろきました。あの子が歩けるようになるとは」
 ミルトンに手を引かれて歩くアツチの姿を見て、クリスは感心する。
 八年もの間、寝返り一つうてなかった少年、それがたかだか数日間で立って歩くまでになった。ただし、その歩き方はぎこちない。まあ、最初は誰もがこんなものだっただろうと、自分の子供の頃の映像を思い出して納得する。しかし不思議なのは、彼に私たちが見えていないと言うことだ。否、見えていないと言うのは語弊がある。目の見えない者でも同じ部屋に居ればその気配は感じることができるのだから。それなのに同じ部屋に居ながらその存在を感じられないと言うことは、どういう感覚なのだろうか。
 クリスがそんなことを心に想っていた時である。想いが強すぎたのだろう、それが思念として四次元で形に現れた。
「それはあなたが空気中のウイルスを感知しないのと同じ感覚ですよ」と言ったのは、医者の卵と言われているクラフト。
 いきなりの声にクリスは驚く。もうこれで何度目だろう、カスパロフ将軍が彼らにこの部屋への出入りを許してからというもの、否、許す前から自由に出入りしていたが、許してからは遠慮も何もなくなった。いきなり現れその度に驚かされる。テレポートだと言うことは知っていた、ボイ星で会ったイシュタル人が教えてくれたから。だが彼らの方がまだ礼儀があった。現れる時は必ずドアをノックするかのように声を掛けてから現れた。いきなり現れたりいきなり話し掛けたりはしなかった。これではテレポートであることを知らなければ幽霊だと思って逃げ出すところだ。現に最初の頃は腰が抜けそうになった。彼らは首だけだの手だけだのと体の必要な部分しか現さない時がある。話すのに胴体はいらなかろうと言わんばかりに。
「あの、クラフトさん」
「何でしょうか?」
「部屋に出入りすることに対しては文句はありませんが、せめて現れる前にノックぐらいしてはもらえませんか」
 同じ能力を持っていれば現れる瞬間にその位置が解るのだが、クリスにはその能力はない。
「これは失礼、あまりにもあなたがテレポートに慣れておられたもので。普通のネルガル人は私たちがこのように空間から現れると、狂ったように叫びだすか脱兎のごとく逃げ出すかのどちらかなのですが、あなた方はどちらもしなかった。既にテレポートをご存じ」
「ええ、以前に見たことがありますから。でもあの時は腰が抜けて動けなくなりました」
「そうでしたか」
「ところで、あなた方には読心力もあるのですか?」
「読心力?」
「ええ、今私が考えていたことが」
「それはあなたの心を読んだのではありません。あなたの心の声が聞こえただけです」
「心の声?」
 思念。能力の使えない者でも強く思えば、その思いは四次元の世界で大きな声となる。否、能力が使えないと言うのは語弊だ。誰もが多かれ少なかれ持っている。ただその訓練をしていないから使うことができないだけで。
「四次元はそのような声で満ち溢れているのです」
 その声は嬉しい楽しいと言う声よりも、辛い苦しい憎い恨めしいという声の方がはるかに膨大なエネルギーを持つ。つまり前者を正と言うならば正のエネルギーより負のエネルギーの方が多い。否、生物は自分を守るために負のエネルギーに対し、より敏感に反応するのだろう。だから負のエネルギーの方が多いような感じがするのかもしれない。


 ミルトンがアツチを椅子に座らせて、こっちへやって来た。呼吸が荒い。
「随分、大変そうですね」
「そりゃ、そうだ。一馬力のモーターで一万馬力のモーターを駆動させようと言うのだからな、無理もなかろう」
「一万馬力ですか。私たちは一馬力にも満たないと言うことですね、彼にその存在を認めてもらえないのですから」
「その内、お前らも捉えてもらえるようになるよ。今、闇の中を詮索中だから」
 それほどまでに彼らの存在は小さい。
「ユーカスに代わってもらえばどうだ。彼ならアツチも捉えることが出来るのだろう」と、こちらもいきなり現れながら話し出した。
 クリスは驚いて声のする方に振り向く。そこには大男のビッキが立っていた。
 クリスは大きな溜息を吐く、一人一人説明しないとだめなのかと。
「ビッキさん、部屋に入る前にはドアをノックして欲しいそうです」と、クラフト。
 今クリスに言われたことをビッキに伝える。
「ドアをか? こういうふうにか」と、ビッキは部屋に居ながらドアを念力でノックした。
 ドアの所には誰も居ないのにドアが叩かれた音がする。それはそれでまた不気味だ。クリスは、
「もっ、もういいです」と諦めた。
 この部屋の中に居る者でアツチがミルトン以外に認識できるのは、今の所ユーカスぐらいだった。
「私たちは無理かな」と、クラフト。
 せっかく、白竜が目の前に居て何の会話もできないとは。
 ミルトンを通して自分たちを彼に紹介してもらいたかったのだが、彼の紫竜ならそれが出来る。しかしミルトンは彼の紫竜ではない。
「力が強い方から弱い方へならそれも可能だが。俺の力じゃ、奴の中には入れない。もう少し待て。そのうち奴の方でお前たちを見つけてくれるよ」
「何百年先のことになるやら、気の長い話だな」と、ビッキは半分諦めの境地で答える。
 それも無理もない。言うなれば深海に投げ入れた小石を探すようなものだから。思念という深海、そこはありとあらゆる生き物の想いで満たされている。その中からビッキなりクラフトなりの思念(魂)を探し出すのだ。その思念が輝きを放つような真珠ならまだしも、泥にまみれて曇っているような石では到底見つからないだろう。
「しかし、どうしてユーカスの魂は見えるのに私たちの魂は? 彼の魂こそ泥に埋もれているような」と、クラフトは残念がる。
「あれで、なかなかいい色をしているからな」と、魂の色が見えるビッキ。
「魂に、知性は関係ないからな。まあ、ネルガル人的に言えば神の悪戯さ」と、ミルトン。
 相変わらず口が悪い。ユーカスが居たら大騒動だ。
「だがあと一人、ユーカス以外に奴が認識できる人物がいる」と、ミルトンは真面目な顔に戻って言う。
「あのカスパロフ将軍か」と、ビッキ。
「魂の色はいいが、私たちより弱い」
「では、どうして?」と、クラフト。
「ずっと、紫竜の傍に居たからさ。魂の移り香とでも言うのかな」
「将軍が、紫竜の傍に居たって、もしかして」と、クリス。
「ああ、お前の想像は正しい」と、ミルトン。
「でもボイ人は、ルカ殿下は竜の恋人だと言っていましたよ。もしも紫竜なら、結婚はしないはずだと」
「そいつの現世の名は、ルカって言うのか」
 クリスは頷く。
「奴、誰かと結婚しているのか?」と、ミルトンは驚いたように訊く。
 クリスはまた頷いた。もっとも今はもうこの世にはおられないが。
「それな、絶対奴(アツチ)には言うなよ。後が大変なことになるから。白竜が嫉妬深いのは知っているだろう」
 クリスは大きく首を振った。知らないと。
「お前、知らないのか。悪いことは言わない。口が裂けてもそれだけは言うな。それじゃなくとも奴ら過去に」
「過去にって、何かあったのか?」と、問うビッキ。
「俺が知るか。だいたい竜同士は同じ次元に存在することはない、魂が重すぎるからな。今回は特別だ、後一頭、巨大な竜がいるのだからな。奴らが完全に覚醒したら三次元は歪むぞ」
「巨大な竜って、まだ他にもいるのですか」と、クラフト。
 竜は呼ばれれば降臨する。そして今イシュタル星は。
「ああ、今にわかる」






 カスパロフは就任直後から定期的に採掘現場を見て回るようにしていた。最初のうちだけで二度と顔を出すことはあるまいと思っていた囚人や捕虜たちも、これには驚いていた。そして徐々にだが、現場の雰囲気も変わって来た。電光鞭を振り回し怒鳴る看守の数は減った。疲労で倒れれば介護してくれる施設も創設された。休憩時間も前より増えた。長時間だらだらやっているよりも効率よく短時間で終わらせるのがカスパロフのやり方。現に休憩時間が増えても採掘量には何ら変わりはなかった。それどころか増えたぐらいだ。
 改善は徐々にやるしかない。殿下もよく言われていた。いきなりの改善は反感を買うだけ。徐々に徐々に気づかない内にモラルをあげるのが一番だ。
 ならず者の集まりであるあの第14宇宙艦隊をあそこまでにするには、階段を一つ一つ確認して上がるようなものだった。最初の頃は悪も認めざるを得まい。全てを否定してしまっては看守にボイコットされるだけ。それでは何も出来なくなる。殿下がなされたようにここは一歩一歩的を決めて、最初は目をつぶることが多いだろう。





「将軍、話が」と、採掘現場から戻って来たカスパロフを捕まえたのはクリスだった。
 クリスはカスパロフが採掘現場を視察している間、アツチの監視をすることが任務になっていた。監視と言ってもやることはない。アツチからすれば自分はこの部屋に居ないのも同然。これでは会話をすることもできない。遠くから見守るしかない、ミルトンたちがやっていることを。そしていつもと変わらない報告をするのが日課となっていたのだが、今回ばかりは違っていた。
 クリスは先程ミルトンたちから聞いた話をカスパロフに伝える。
「つまり、あの子はここでルカ殿下が見えられるのを待っていると言うのか、我々と同じように」
 カスパロフも殿下が来る前に先に来て、殿下が何不自由することがないようにと準備していたのである。
「はやり殿下は、紫竜だったのか」
 本体に痣があるから影にも痣がある。と言うヨウカの言葉。少年の痣を見た時からカスパロフは気づいていた。この少年がルカ殿下の本体。ルカ殿下はこの少年の魂の一部によって作られた、どういう意味だ? と思いつつもそれを前提でヨウカやイシュタル人の話しを聞かなければ意味がわからなくなる。魂は不滅だと言うが、しかし、魂にまで痣が出来るような傷とは、どのような傷なのだ。






 ルカが離宮に軟禁されて間もなく、カロルはある女性に出会う。そのきっかけとなったのはルカの母であるナオミ夫人の建てた診療所兼学校でのこと。父クリンベルク将軍からルカの軟禁場所を知らせてもらえないカロルは、この診療所に来れば誰か知っている者がいるのではないか、否、ケリンに会えるのではないか、奴なら知らないはずがない。
 ナオミ夫人の建てた診療所は最初は掘立小屋のようなものだったが、今ではそこを中心に一つの町が出来上がっていた。その周辺には贅沢には縁遠いがそれでもどうにか人の家と言える民家、そしてその外側には広大な田園が広がっている。最初は内戦の影響で草木も生えないような荒れ果てた荒野だった。そこへまずは生命力の強い作物から栽培を始めて行った。始めた頃はろくに食えるようなものは作れなかったが、餓死せずに済んだのは、ナオミ夫人の里から送られて来る食料のおかげだった。それが今では余るほどと言いたいが、ここの噂が噂を呼び各地から貧民たちが集まって来る。結局食料はいつもぎりぎりの状態である。だがそこで農業を学んだ者たちは他の荒れ地に移り同じようなことを始めた。曲りなりの学校をつくり若者を集め大地を耕す。次第にその輪は貧民の間に広がり始めている。兵士になる以外に食う当てのなかった彼ら、その彼らが兵士以外に職を得られるようになった。誰も好き好んで兵士になるわけではない。家族の中の一人が国に命を捧げれば家族全員が食べていけるからである。最初は何がなくとも食の確保。人々の生活はここから始まる。
 カロルは探し求めていた人物の顔を見つけ、大声で近づいて行った。
「オリガー! ケリン知らないか?」
 オリガーは治療の手を一旦止めるとカロルの方に振り向く。
「彼なら、ルカ殿下の救出で忙しいのではありませんか」
「ここには、来ないのか?」
「一度だけ来ましたよ」と言いつつ、ぱっくりと開いた患者の傷を縫合し始めた。
 どうやら農作業中の事故のようだ。同じ傷ならこちらの方が治しがいがある。兵士の傷では、治ればまた彼は戦場に立たなければならない。いっそのこと、このまま治らなければよいのにと思うこともあった。
「一度って、いつ頃?」
「殿下が自首された時ですか、婦人を二人連れてきました。ここで面倒見て欲しいと言って」
「婦人?」
「ええ、あっちで手伝ってもらっていますよ」
 縫合が終わったのか、オリガーは手袋をはずすと看護士に指示を出し、次の患者の所へと急ぐ。
「それより、ケリンに何のようですか? あっ、その消毒のセット、持って来てくれますか」
 カロルまでいつの間にか助手のように使う。カロルは消毒液の瓶やガーゼが乗っているトレーを運びながら。
「ルカの居場所を訊こうと思って」
 オリガーは怪訝な顔をしてカロルの方に振り向いた。
「カロルさんは知らないのですか? 私はてっきりクリンベルク将軍から聞いているのかと」
「知ってりゃ、こんな所にこねぇー。さっさとルカの所へ行っているよ。親父、俺にはルカのこと、何も言わねぇーんだもん」
 オリガーは納得したように頷くと、次の患者と向き合い、
「どこが痛いのですか」と、訊き始めた。
 まるでこの診療所は野戦病院のようだ。おそまつな簡易ベッドにプライバシーの保護などと言うものは、あるかないかのようなカーテンが頼りだ。
「よっ、ケリンから何か聞いていないか?」
「おそらくクリンベルク将軍は、あなたに言うとルカ殿下の居場所がオルスターデ夫人に知れるのも時間の問題だとお考えになり、言うのを避けたのでしょう」
「それ、どういう意味だ? 俺があのヒステリー夫人にルカの居場所を教えるとでも」
「あれ、知らないのですか、ご自身のあだ名を。ネルガル星の拡声器」
「はっ?」と、カロルは一瞬首を傾げたが、
「誰が、そんなことを」
「ルカ殿下ですよ。ですからカロルさんに話したら銀河の隅々まで行き渡ったと思った方がいいと」
「あっ、あの野郎。俺がいないところで。あったらただじゃおかねぇー」などと診療所で大声を張り上げているから、その声は二人の婦人の耳にも入った。
「まあ、元気な急患が来ていると思ったら、カロルさんではありませんか」と、ミズナ。
 彼女はここでオリガーの手伝いをしているうちに次第に心を安定させていった。
「俺は、患者じゃねぇー」
「あら、私はてっきり足の小指の先でもテーブルの角にぶつけて、剥離骨折でもして死ぬ騒ぎで駆け込んで来たのかと思いました」
 その説明はあまりにも具体的すぎて、オリガーは思わず吹き出してしまった。
「軍人がそんなことで、いちいち医者に来るか!」
「カロルさんなら来る可能性がありますね」と、オリガーはやっと笑いをおさえ、きどった顔で言う。
 その顔があまりにおかしくてアヅミはミズナの背後で笑う。ここで手伝っている内にいろいろなことが解った。その一つが、オリガーさんのあの顔。あれはオリガーさんが人をからかう時の顔である。そう思いながらアヅミはミズナの背後からカロルを観察する。
 人格をよく見極めてから妹さんに紹介して欲しい。もしあなた方の目に適わなかったらこの話はなかったことにしてくれ。そう言ってカロルのことをミズナに頼んだのはルカ殿下である。私はミズナ様の侍女として主にきちんとした意見を述べる義務がある。とかってに責任感を抱いて観察に余念がない。
 人柄は悪くないみたいだわ。後はこの野生児みたいなところをエミリアン嬢がどう思われるかだわ。とアヅミは思った。
「なにしろ瘡蓋がとれて血が出ただけでも大騒ぎですからねぇ」
「あっ、あれは、たまたま手に血が付いていたから」と、カロルはバツ悪そうな顔をして、いきなり咳払いしたかと思うと、
「それより」と、話題を替える。
「それより、どうしてお前らがここにいるんだよ」と、ミズナたちに向かって言う。
 ルカの娼婦と名乗る彼女たちに会ったのは某娼館、ルカをたぶらかすのを止めてもらおうと頼みに行った、土下座までして。あの時はどぎつい化粧に香水の匂いをぷんぷんさせてかなり気倍女だと思っていたが、今改めてこうやって見るとなかなかの美人だ。なるほどこれならルカがくらっときてもおかしくないか。否、あいつに限ってそんなことはあるはずがない。あいつの頭の中には最愛の妻を殺したピクロスへの報復しかなかった。ルカに限ってそんなことは間違ってもするはずがないと思っていたが、今思えば、あいつが娼婦になど溺れるはずがないのだ。そこで異常を感じるべきだったのだ。カロルは後悔の念を払いのけるかのように頭を振り、話の筋を追う。
「ですから、先程言ったでしょ。ケリンさんが連れて来たと」
「ケリンが連れて来たと言う婦人と言うのは、彼女たちのことか」
「そうですよ」
「しかし、カロルさんの声は大きいわね。何処に居ても聞こえる」
「なにしろネルガル星の拡声器ですものね」と、ミズナ。
 彼女もルカから聞いていたようだ。
「その声で作戦会議など開いたら、敵に全て筒抜けね」と、アヅミ。
「ですから隠密な作戦を立てる時はカロルさん抜きなのよね、カロルさん。そして敵に知らせたい作戦の時はカロルさんも一緒なの。そうすれば何も敵に知らせるのにわざわざ工作をしなくて済むって」と、ミズナ。
「ルカが言っていたのか」と、カロル。
 カロルはルカが面白半分にミズナたちに話している姿を妄想した。
「あの野郎、ただじゃおかねぇー」と、カロルは拳を握りしめる。絶対に見つけ出して。探し出す本来の目的が違ってきている。
「ほんと、賑やかな方ね。本当にあの無口なクリンベルク将軍のご子息なの?」と、アヅミは疑問に思う。
「まあ、どこにでも遺伝子の複製ミスというのはありますから」と、オリガー。
「なっ。それじゃなんか、俺が欠陥品のように聞こえうるが」
「あれ、そういうつもりで言ったのですけど」
「てっ、てめぇー」
 あまりの賑やかさに婦長が堪り兼ねてやって来た。
「カロルさん、ここは病院ですよ、もう少し静かにできませんか」と、婦長に注意されしょぼんとなるカロル。
「お昼はまだ?」と、しょげてしまったカロルにミズナは訊く。
「よかったら一緒に食べませんか」と、カロルを誘う。
 カロルはルカの居場所を知るのに必死で、腹が減っていることすら忘れていた。言われれば腹の虫が鳴く。
「オリガーさん、少し」
「ああ、三人で行って来るといい。カロルに居られたのでは治療がはかどらない」
 体よく追い出されたような形になった。
 食堂といっても貴族の食事とは程遠い。腹がくちくなればそれでよしという感じだ、質より量を重んじた料理がならんでいる。ミズナとアヅミとカロルの三人は、入口に置かれてあるトレーを手にし、好きなものを好きなだけ取り始めた。いくら取っても金額は同じ。ここら辺は軍艦の兵士たちの食堂と同じだ。もっともカロルクラスになれば将官専用のレストランがありボウイが運んで来るが、ルカは特別なことがない限り兵士たちと一緒に食事を取っていたようだ。
 三人は空いているテーブルに着くと、ルカのことを話し始めた。
「お前たちも、ルカの居場所を本当に知らないのか」
 噂の坩堝と言われている町である、何かそれらしき噂がないかと尋ねたが、ルカに関する情報は何一つなかった。親父の野郎、そうとううまくやったな。だがこうでもしない限りオルスターデ夫人の手からルカを守ることは出来ない。今や彼女の力は奥宮を牛耳るほどになっていた。ジェラルドの命ですら彼女がその気になれば。
「それより、殿下に恋人がいたの、知っていた?」
 いきなりミズナにそう問われてカロルは今しがた咀嚼して飲み込もうとしたものを、変な形で飲み込むはめになった。むせ返るカロルにミズナはさり気なく水を差しだす。
 アヅミも驚いたがミズナからのサインを受け取り、話を合わせることにした。
 カロルは胸につかえているものを拳で叩き落とし、やっと自分を落ち着かせると、
「まさか、あいつはシナカ妃一筋だぜ。他の女など、見向きも」
「でも、シナカ様を亡くされ、お淋しくなった頃」と、アヅミが言いかけると、
「絶対、ありえない」と、カロルは強く否定した。
「そうかしら。だってあなたも、私たちのことを疑ったではありませんか」
「それは、ルカは女に免疫がないから、お前らに騙されたんだと思って」
「あら、私たち、そんな悪女に見えて」
「あの時は、見えた」と、カロルははっきり宣言する。
「まあ、一見は百聞に如かず。ウソかホントか、一度会ってみたらどうかしらその女性に。なんでも殿下がとても大事にしていらした物をプレゼントなされたそうですから」
「大事にしていた物?」と、カロルは首を傾げる。
「オルゴールよ、何でも亡きボイ国王夫妻からいただいたものだとか」
「馬鹿な、あれを他人にやるようなことはない」
「あら、そうかしら。だって王族殺しは死刑よ。あの世にまで持って行ってもしかたないでしょ。でしたら大切な人に、形見として持っていてもらったほうが」
「馬鹿な、あいつがシナカ妃以外に」
 カロルは途中で食べるのを止めて椅子から飛び出す。
「どちらへ?」
「決まってんだろう、ルカの館へだ。オルゴールがあるかどうか確認してくる」
 去ろうとするカロルに。
「その御嬢さんの名前、聞かなくっていいの?」
「誰だ、その女狐は」
「まあ、酷い」と、アヅミ。
「ボンウェル伯爵の末娘、エミリアン嬢よ」
 カロルは走り出していた。途中で誰かにぶつかったようだが、そんなことかまってはいられない。

 ケリンは振り向きながらアヅミたちに訊く。
「何かあったのか、カロルの奴、随分と急いでいるようだが」
「あら、あなたを探していたみたいよ」
「今、そこでぶつかったのだが」
「あまり近すぎて見えなかったのね」と、ミズナとアヅミは顔を見合わせて笑う。
「何で俺を?」 探しているのか。
「ルカ殿下の居場所を知りたいそうよ」
「カロルにだけには教えられないな」
「やはり、ケリンさんは知っているのですね」
「だが、誰にも教えないよ」
「それで結構です。ただ、お元気でいらっしゃるのかどうか」
「元気になられたようだ。何でも生意気な浮浪児が住み着いて、その子が家の中をかきまわしているらしい。おかげで殿下も思考が前向きになってきたようです」
「そっ、そうですか。それはよかった」と、ミズナ。
「ミズナさんも随分元気になられましたね」
「ええ、皆さんのおかげです。特にアヅミには迷惑をかけてしまったわ」
「とんでもありません、お嬢様。私は随分お嬢様には助けていただきましたから」
「よかった、二人とも元気になられて」と、一息つくケリン。
「ところでケリンさんはどうしてここへ?」
「お二人の様子を見に来ただけですよ、頼まれた以上、責任がありますから」
「殿下にはちょくちょくお会いしているのですか」
「否、あれ以来、会ってはおりません」
「ではどうして、先程のような情報を?」
「流してくれる者がいるのですよ。ですからこちらからもあなた方の情報を」
「そうだったのですか」と、少し寂しそうなミズナ。
「心配はいりませんよ、あなたが心の傷を癒したように殿下もまた。あれで見かけほど弱い方ではないのですよ。私は殿下とは殿下が三歳の時からの付き合いになりますから、殿下のしぶとさはよく知っております」
「三歳の頃の殿下って、どのようなお子さんだったのかしら」と、興味津々に訊くアヅミ。
「一言で言って、生意気なガキ。ですか」
 ミズナとアヅスは顔を見合わせた。
「親衛隊の間ではそう言われていました」
「なんとなくわかるわ」と、アヅミは納得したようにほほ笑む
「ところでカロルは、あんなに急いで何処へ行ったのですか」
「ルカ殿下の館です」
「何しに?」
「オルゴールを探しに」
「そう言えば、オルゴールがなくなっていましたね、何か心当たりでも?」
「あら、ケリンさんでも知らないことがあるのですか」
 無理もない。あの報復の計画は殿下と私、それにアヅミの三人で立てたのだから。もっとも私たちは途中から便乗しただけで、あの細工はすべて殿下お一人で。
「ありますよ、私は神ではありませんから。もっともあの山荘爆破事件は、神でも知らなかったのでは」
 ピクロス王子の友人のリストをルカが欲しがっていたのは知っていたが。それを得るために協力もした。だがあのリストがあのような使われ方をするとは、想像を絶した。
「あのオルゴール、ボンウェル家のエミリアン嬢の手元にあります」
「また、どうしてそんなところに」と、ケリンは考え込むと、
「なるほど」と、独り納得したように言ってから、
「利用してしまった償いですか。しかしそれにしては高価すぎる礼だ」
 殿下にとってあのオルゴールは金額的な範疇をこえているはずなのに。
「ええ、私もそう思います。それだけでしたら高価すぎます」
「それでは何か他に?」
「実は、カロルさんとエミリアンの仲を取り持ってほしいと」
 ケリンはまた考え込んだ。
「なるほど、お二人の結婚のお祝いとしてなら納得がいきます。殿下はカロルさんのこと、大変気になされておりましたから」
 そしてケリンは顎に手をあてると、エミリアンの情報でも頭の中で検索しているのだろうか、しばし宙を見つめていたが、納得したように、
「似合いのカップルですね」と、ミズナに言う。
「ケリンさんもそう思いますか」
「カロルは気の強い女性がすきですから」
「失礼な、エミリアンは優しい娘です」と、やはりそこは姉である。妹を庇う。
 ケリンはミズナが垣間見せた姉心に微笑むと、
「殿下も気の強い女性がすきなのですよ、そこら辺はカロルと趣味が同じなようで。ナオミ夫人も気のお強い方でしたし、シナカ妃も強い方でした。曲がったことがお嫌いで、それでいて周りの方にはとても優しい。噂によるとエミリアン嬢もそのような方だと伺っておりますが」
 ケリンに妹をナオミ夫人やシナカ妃と同列に並べて評価されたことに、はい。とも言えず黙ってしまったミズナに替わってアヅミが、
「エミリアンお嬢様は、それはお美しい上にお優しい方です」
「しかし、いくらこちらが望んでも肝心のエミリアン嬢がカロルのことをどう思うかだ」
 これが一番問題だ。と言わんばかりにケリンは言う。
「なにしろ教養のない野生児だろう。よいのはお育ちだけ。よくあれで追い出されずにジェラルドの身辺警護の任が務まっていると思います」と言うケリンの酷評に、
「カロルさん、あれで人が良いから、そこを高く買われているのでしょう。エミリアンお嬢様もきっとわかると思います」と、アヅミは助け船を出す。
「何か、二人の出会いになるよいきっかけはないかしら」と、相談するミズナ。
「それでしたら、近々ボンウェル家で伯爵の誕生パーティーがあるそうです。実はそのパーティー、伯爵の誕生会に託けた末娘の婿さん探しだとか、もっぱら貴族の間では噂されています」
 ミズナは呆れたような顔をした。娘の私ですら知らなかったことをこの人は。
「ここに居ると、門閥貴族たちの噂からは疎くなりますか」
「そうね、ここでは誰が餓死したの、誰が食うために軍人になったのと言う話ししかしませんもの」
 同じ人間に生まれながら、あれは美味しいの、この服はデザインが飽きたと言っては直ぐに買い換えて育った私、でもここの人間は食えれば味など二の次だし、服など接ぎ当てながら擦り切れるまで着ている。だが愛情は違った。親は子のために出征し、子は親のために出征する。私の父のように出世のために娘を利用したりはしない。
「ここは、いいわ。貧しくとも皆が助け合って」
「そうでもないですよ」と、ケリン。
「こうなったのは、ナオミ夫人の援助によってどうにか食える見通しが付いてからのことです。それまでは生まれてくる子供は口減らしのために殺したり、生活するために売り飛ばしたり、病気になった者はそのまま放置され、年老いた者は見捨てられた。それがここの現状でした」
「えっ」と、驚くミズナとアヅミ。
 彼女たちも落ちるところまで落ちたと思っていたが。下には下があるものだ。生まれながらの貧困。
「自分のことで精一杯で他人をかまっていられなかったのです」
「でも生活保護が」と、アヅミ。
「そんなのとっくに破たんしております。確かに税金は払っております。少しでも所得が出れば直ぐに納税通知書が着ます。貧しい者の生活保障のためになどと言う名目で。でも結局貧しい者から取り立てた税金は、軍備費か貴族の生活費に使われるだけです。私たちに戻って来ることはない。生活保護を受けたくとも字が書けなければ申請もできませんし、だいたいそういう保障があること自体ここに居るものたちは知らない。医者にかかりたくとも初診料が払えないためにかかることも出来ないし、子供を学校に通わせたくとも教材費が払えないために通わせることもできない。それが現状だった。完全なるただと言うものは何もないですから。世の中から見捨てられた人々。貨幣主義はお金を持たない者は相手にしないのです。否、人間としても扱わないのです。彼らがいつかしら、こんな世界はおかしいと言い出す日が来るでしょう。そして団結して新しい国を作る。そうさせないためにも戦争は必要なのです。そういう不満を全て仮想敵星にぶつける。否、実際に戦争を起こしてそう言う者たちを処分するとでも言うのかな。実際に彼らに銃口を向けることは出来ませんから。その代わり敵に殺される分には殉死です。英雄として処分できる」
「ケリンさん、あなたと言う人は」
 ミズナはケリンの思想に怖いものを感じた。この人はギルバ王朝を真っ向から反対している。
 ケリンは苦笑すると、
「これは殿下の考えでもあります」
「嘘だわ。ルカ王子がそのようなこと。自分の立場を危うくするようなものではありませんか」
「殿下は、自分を王子だとは思っておりませんから。一介の人間だと思っているようです」
 ミズナとアヅミは顔を見合わせて黙り込んでしまった。殿下とは今思えば長い付き合いでもなかった。でも復讐のために暫しの間、夫婦まがいの生活をしていたのに。その胸の内は一つも知らなかった。
「でも心配はいりません。殿下にはギルバ王朝と対決するつもりは毛頭ありませんから。そんなことをしても民衆を不幸にするだけだそうです。それよりネルガル人の考えを少しずつ変えて行くことに努力するそうです。気の長い話だと私は笑いましたが。自由には制限が必要だそうですよ。皆で少しずつ我慢すると言う。ここの人たちはやっとそれを理解し始めました。もっともそれは少し気を許すと直ぐに忘れられてしまいますが」
 生活が少し楽になれば直ぐに欲が出て来る。自分が欲張れば損する者が出て来る。そして欲に溺れて隣で苦しんでいる者の姿が見えなくなる。
「殿下は本当にそのようなお考えをお持ちなのですか」
 あの時は復讐で頭が一杯で、他のことは何も考えられなかった。殿下がそのような考えを持っていたなどとは、ただ普通の貴族たちとはどこか違うような気はしていたが。それは平民の血を引いているからだろうと、ある意味、自分の方が血筋がいいと思っていたぐらいだ。
 自分の考えに没頭しているミズナに、ケリンは話題を戻すかのように話しかけて来た。
「どうです、伯爵に頼んでジェラルド殿下の元にも招待状を出してもらっては」
 我に返ったミズナは困り果てた顔をした。そう言われても、父のやり方に反対して一度飛び出した家である。
「伯爵は、あなたに戻って来てもらいたいようですよ」
 ケリンがどこから仕入れて来た情報なのか、ミズナは疑問に思ったが。この人が持って来る情報に間違いがないことにも気づいていた。おそらくこの人がそう言うのならそうなのだろうが、
「でも、私は」
 家に戻るには、あまりにもいろいろな事件を起こしすぎた。
「あなたの履歴でしたら、私がいか様にも作りましょう。恋人の死のショックから立ち直るため、某惑星で養生していたとか」
「まぁ」と、ミズナは呆れた顔をする。
 この人にかかったら偽造証ぐらい朝飯前なのね。
「どうしてそんなに私のことを」
「ですからさっきも言いました、殿下に頼まれたから。殿下は私を信頼してあなたがた二人を私に託したのです。後で戻られた時に、あなたがた二人が不幸にでもなっていたら何を言われるか。あれで口はうるさいですから」
 ミズナはつくづく呆れた。この人は、カロルさんだけではなく殿下の事まで辛辣に言う。
「でも、招待状を出したところで、ジェラルド殿下がお越しになるかしら」
 今まで一度もお見えにはなられなかった。




 そして数日後、ジェラルドの館にボンウェル家からパーティーの招待状が届いた。
「ボンウェル伯爵ですか。既に政界からは手を引いたと伺っておりましたが」と、クラークスは訝しげに言う。
「何で、今頃になって」
 過去、再三の誘いがあった。だがクラークスはボンウェル伯爵の手口の汚さを嫌い、ジャラルドには仮病を使い休むように進言して来た。あの伯爵とは係わりを持たない方がよいとの判断から。
「また、返り咲こうと言うおつもりなのでしょうか」
 貴族間の派閥争いは凄まじい。下手に巻き込まれればこちらの命すら危険になる。そして誰もが皇位継承者筆頭のジェラルドを自分の館に呼びたがる。特に近頃は、ピクロス王子を亡くして発狂寸前のオルスターデ夫人と親交を結ぶより、白痴のジェラルドの方がまだましだと考えるようになって来た。ジェラルドの妻がクリンベルク将軍の娘であることも影響している。血筋と力が結び付けは怖いものはない。
「どういたしましょう」と、クラークスはジェラルドとその妻であるシモンに相談する。
「今回は頭ごなしに反対しないのだな」と、ジェラルド。
「政界から離れ、随分性格が変わったと伺っております」
「欲が取れて伯爵本来の姿に戻ったと言うことですか」
 人間、そう悪い人はいない。そこに欲がかかわって来るから本人も知らぬ間に醜くなっていくのである。
 招待を受けるべきか断るべきか三人で迷っているところに、欲がなさ過ぎて困るカロルがやって来た。否、ない訳ではない。欲のレベルが幼すぎると言うのが妥当だ。
「何を三人でこそこそやっているんだ」
「カロル、何回言えばわかるの」と、怖い顔をしたのは姉のシモン。
「ジェラルド様はあなたの主なのですよ」
「こいつが俺の主だと、俺をさんざんこけにしやがって」
 ルカの山荘の爆破事件以来、過去のことを思い出すたびにどうにも我慢が出来なくなるカロルである。俺はこいつがアホだと思っていたから、馬鹿げたことにも付きやってきたんだ。それをこいつは正気で、俺がやることを腹の中で笑っていたのかと思うと無性に腹が立つ。カロルは頭を掻きむしった。
「もう、どうにも我慢できない」
「カロルさん、ジェラルド様はそのような方では」と、クラークスがジェラルドの代わりに弁明しようとすると、
「煩い、黙れ!」
 カロルはかんかんである。論戦では負けるのが必定。ここは奴らに何も言わせないのが勝ちだ。
「いつまで、昔のことを根に持っているの」と、シモンが呆れたように言う。
「そんな昔の話しじゃねぇー、ついこの間までの話しじゃねぇーか。俺は、本気でこいつが白痴だと思って」 心配していた。ネルガルの未来を、姉の将来を。
「それを、逆手に取りやがって」
 心を踏みにじられたようなものだ。
「カロル、いい加減にしなさい!」と、今度はシモンがキレたようだ。
 姉弟、血は争えない。こうなって来ると場所も立場もあったものではない。本気で姉弟の喧嘩が始まる。慌ててクラークスが割って入ったが、肝心のジェラルドは、また白痴のようなふりをし始めた。
「てっ、てめぇー」
 そこへ執事が入って来た。
「殿下、お食事の用意が」
「カロル、ご飯、ご飯」
 ジェラルドはこの三人以外の前では決して正気の姿を見せない。それが例えジェラルドの母ロイスタール夫人の前でも。
「わかりました、ジェラルド様。カロルさんの分も用意してもらいましょう」と、クラークスはまるで駄々をこねる子供をなだめるかのように言い、執事に指示する。
「畏まりました」と、執事は丁寧に一礼した。
「俺は、いらない。こいつと一緒に食うぐらいなら食わない方がよっぽどましだ」
「カロル。せっかくお兄様が誘ってくださっているのですから」と、シモン。
「誰が、兄だと? 俺には既に小うるさい兄が二人もいるんだ。もうこれ以上、兄はいらない」
「まぁ」と、シモンは開いた口が塞がらない。
 クラークスは笑いを堪えているのだろう、拳を口に当てているが堪えきれないようだ。
「オレ、オレ。オレ、カロルの兄」と、ジェラルドは自分を指さす。
「もう、その手には乗るものか」
「オレだなんて、カロルが使うから。真似をしてしまわれたわ」
「俺のせいかよ」
 姉弟の言い争いに執事が困った顔をしているのを見てクラークスは、笑いを噛み殺すようにして、
「カロルさんの分も頼みます」と、再度申し込む。
 執事が出て行った後も、
「俺は絶対、こいつを兄だとは認めない」と、カロルは怒鳴った。
 カロルのこの宣言は平和なジェラルド家の何時もの日課である。
「ところで、どうしますか」と、部外者を追い出してからクラークスはジェラルドに問い直した。
「何が?」と、カロル。
「ボンウェル家からの招待状です」
「ボンウェル家から招待状が来ているのか?」と、カロルは驚く。
 どうにかしてボンウォル家の館に潜り込もうとしたカロルだが、これと言った伝手もなく困り果てていたところだった。渡りに船とはこのこと。
「何の招待状なんだ?」
「誕生パーティーよ」と、答えたのはシモン。
「誰の?」
「伯爵に決まっているでしょ」
「伯爵? 俺はてっきりエミリアン嬢の誕生日かと思ったぜ」
「カロルさん、エミリアン嬢に興味がおありですか?」と、クラークス。
 何やら意味ありげな笑みを浮かべながら問う。
「だっ、誰が。女などに」
「あら、カロルもいい歳ではありませんか。そろそろ身を固めても」
「なかなかの美人だそうですよ」と、クラークス。
 まるでカロルをからかうかのように言う。
「余計なお世話だ」と、むっとするカロルに、
「カロルのお嫁さん、お嫁さん」と、ジェラルド。
「てっ、てめぇー。ふざけてんじゃねぇーぞ。誰がその手に乗るか」
 今までこれで散々アホ踊りをやらされて来た。もう、騙されない。
「ではどうしてエミリアン嬢のことを?」と、真顔になって問うクラークス。
「オルゴールだよ」
「オルゴール?」と、訊き返すシモン。
「ルカが大切にしていたボイ国王夫妻からもらった」
「そのオルゴールがどうしてまた、エミリアン嬢と。どのような関係なのですか?」と、問うクラークス。
「そのエミリアンとか言う娘の所にあるらしい」
「どうして、彼女が持っているのですか?」
「それは、こっちが知りたい」
「誰が、そのようなことを?」
「例の娼婦たちだよ、ルカには恋人がいたって」
「まさか、ルカ王子に限って」と、シモン。
「俺もそう言ったんだよ。そしたらルカ王子はとても大切にしていたオルゴールをそのエミリアンとか言え娘に贈ったとか」
 そのオルゴールを、どんなにルカが大切にしていたか知っているジェラルドとクラークスとシモンは、信じられないという顔をした。
「あのオルゴールは、ご自身の命より大切にしていたようにお見受けしましたが」と、クラークス。
 ジェラルドとシモンも頷く。
「だが現にあのオルゴールは館の何処を探しても見つからなかった。俺の贈った宇宙戦艦のレプリカは文句を言いながらも、本棚の隙間に押し込んで大事にしてくれていたようだが。ケリンも知らなかったらしいぜ、あの情報通の」
「ケリンさんも知らなかったのですか」
 ますます三人は不思議に思った。
 どう考えてもルカ王子がシナカ妃以外の女性に心を移すことはあり得ない。例えシナカ妃がこの世の方ではなくなられても。そしてあのオルゴールは亡くなられたボイ国王夫妻の形見、言わばルカ王子が敬愛する義父母の形見だ。そのオルゴールを他人の手に渡すなど到底考えられない。これには何か訳があるはずだ。
「本当にエミリアン嬢の手元に、そのオルゴールはあるのですか?」と、クラークスは再度訊いて来た。
「だから、それを確かめたいんだ」と、カロル。
 あいつが、シナカ妃以外の女性を好きになるはずがない。
「受けよう、その招待状。カロルも一緒に来るがよい」と、ジェラルド。
「なんだ、いきなり偉そうに」





 こちらはボンウェル家。
 ジェラルドから出席するとの返信を受けたボンウェル家では、上を下への大騒ぎとなった。今までの再三の案内状は全て梨のつぶてだったのに、一体どのような風の吹きまわしだと伯爵は思いつつも、お気が変わらない内にお礼状を気の利いた執事に持たせ、先方の嗜好をよく伺って来るようにと指示を出す。
「よいか、お好みを。否、嫌いなものを。こちらの方が重要だ。嫌な思いとは後々まで残るからな」
 今まで社交界で名を馳せただけのことはある、そこら辺の気の配りようは匠だ。
 王位継承の第一人者であるジェラルドが見えるというだけで、そのパーティーの格は高くなる。無論招待する客も自ずと決まる。あまり身分の低い貴族はこの際遠慮してもらおう。エミリアンの婿選びには絶好の機会だ。





 そしてここは某娼館。結局ミズナはボンウェル家には戻らなかった。
「よろしかったのですか、これで」
「あなたこそ、何も私に付きあわずとも」
 二人はボンウェル家に残るのを拒否し、また出て来てしまったのである。
「一度、こういう世界に身を落とすと、格式ばった生活には戻れないわ」
「実は、私もです。いろいろな方に会ううちに、貴族だけが人間ではないとつくづく思うようになりました」
「そうね、平民にも素晴らしい人は沢山いたわ。特に殿下の回りに居る方々は、下手な貴族よりよっぽど人が出来ている」
「類は友を呼ぶと言うのでしょうね」
「私もその仲間に加わりたいと思いまして」
「お嬢様ならなれますよ」
「あら、私はアヅミの方がよっぽど人が出来ていると思いました」
 ルカを喪ったと思った時、支えてくれたのはアヅミだった。
「ここで二人で、殿下の帰りを待ちましょう」
 ケリンさんたちは約束してくれた。必ず殿下を取り戻すと。
「俺たちの軍旗はドラゴンさ」
「ドラゴン以外の旗に跪く気はない」





 ボンウェル家、一世一代のパーティーが始まろうとしている。だが当主であるボンウェル伯爵は広間とエントランスホールを行ったり来たり。
「まだ、お見えにはならないのか?」
「旦那様、落ち着いてください。ジェラルド殿下が時間にルーズなのは社交界の常識。後三十分や一時間はお待ちしなければ」
「本当に先方は」
「確かに伺うと仰せでした」
 うむっ。と伯爵は口を結ぶ。
「それより旦那様、そろそろ会場の方に戻りませんと」
 その時である、一台の地上カーが乗り付けて来たのは。
「お見えになりました」
 入口から駆け込んで来るドアマン。
「早いお着きだ」と驚く執事。
 何時もなら侍従武官のクラークスの影に隠れるようにして移動するジェラルドが、今回は夫人をエスコートして、否、もとい、夫人にエスコートされて入って来た。しかも大きな花束を抱えて。
「これは、ジェラルド殿下、ようこそお越しくださって」と、伯爵が正式な挨拶をしようとしているのをまるで無視して。
「誕生日、誕生日、おめでとう。これ、エミリアンに」と、大きな花束を伯爵に差し出す。
 シモンが慌てたように、
「でっ、殿下。今宵のパーティーは伯爵の誕生会です」と、忠告する。
「伯爵?」と、ジェラルドは目の前のボンウェル伯爵の顔をまじまじと見ると、
「爺さんの誕生会?」
「そうです」と、シモンははっきり言う。
 ジェラルドはまたボンウェル伯爵をまじまじ見直すと、
「かえる」と、出口の方に向き直ってしまった。
 慌てたのは伯爵、
「でっ、殿下。今宵はエミリアンの誕生会です。踊ってやってください」と、伯爵。
 こうなれば誰の誕生会でもよい。ジェラルド殿下がお越しくださったと言うだけで、それでこのパーティーは大成功なのだ。
「やっぱりエミリアンの誕生会ではないか、エミリアンは何処だ」
 そう言うと、伯爵に渡した花束を取り上げ、シモンの手を引き会場へと入って行く。
 シモンは振り向きざま、
「よろしいのですか」と、伯爵に問う。
 伯爵は仕方がないという感じに肩を落とす。もっともこのパーティーはエミリアンの婿選びの意味もある。殿下が踊ってくださればエミリアンの格も上がると言うものだ。
 カロルはこの様子を入口で見ていて顔を覆った。
「あれが演技か。正気であんな演技が出来るはずがない。やっぱり奴はこれが本当で、この間のことは俺が姉貴に同情するあまりに見た夢だったのだろう。そうに違いない」
「何が、違うのですか」と、ドアマン。
「否、なんでもない」と、カロルは頭をふりふり中へと入って行く。
 ジェラルドは若い女性を見ると誰彼かまわず、
「エミリアン」と、言って花束を差し出す。
 さすがにシモンも疲れてしまった。慣れないヒールなど履いて来たからよけいだ。こんなことならヒールなど履いて来なければよかったと後悔するほど。
「エミリアンお嬢様でしたら、あちらにおられますよ」と、一人の夫人が彼女を指し示す。
 ジェラルドは解ったとばかりに頷くとエミリアンの前に行き、
「お誕生日、おめでとう」と言って、花束を差し出した。
 エミリアンは困った顔をした。自分の誕生会でないのは確か。花束を受け取ってよいやら迷っていると、
「もらっておけ。どうせこいつには言ったって解らないのだから。下手に否定して話をややっこしくする必要もないだろう」
 そんな声が背後から聞こえた。殿下をこいつ呼ばわりするとはどんな人なのだろうと思い振り向くと、そこに一人の青年。
「カロル。シモンの護衛。私はエミリアンとダンス、ダンス」
 ジェラルドからカロルと呼ばれたその青年は、
「はい、はい。ごゆっくりどうぞ」と、疲れた感じにジェラルドの手からシモンを受け取る。
 ジェラルドはカロルの不敬な態度を一つも気にしていないかのように、楽しそうにエミリアンの手を取り、
「ダンス、ダンス」と言って、ホールの中央に用意されたステージに向かう。
 それがこのパーティーの始まりのようなものだった。
 曲が終わると盛大な拍手。
「もう一つ、もう一つ」とせがまれ、エミリアンはもう一度ジェラルドと踊る。しかし今度は周りも踊りだした。伯爵の用意していた挨拶の言葉は、カットされるような形で誕生パーティーは始まってしまった。それでも伯爵は機嫌が良かった。ジェラルド王子が来てくれた。しかも娘と踊ってくれた。まるで夢のようだ。どれほどこの人物に近付きたかったことか。そのためにどれほどの賄賂を王宮に貢いだことか。全ては無駄だった。そして社交界から引退した今、向こうから来てくれたのだ。
 二曲踊ったジェラルドは、「疲れた、疲れた」と言って、シモンの所に戻って来た。
 戻るや否や、
「今度はカロルの番」
「どうして俺が。俺はお前の護衛で付いて来ただけだ」
「護衛、クラークスが居る。お前、いらない」
「なっ、なに?」と、むっとするカロル。
 ジェラルドはそれにお構いなく、
「早く、踊れ、踊れ」と、けしかける。
 なかなかステージに行かないカロルを見て、
「カロル、踊り、できない?」と、疑問の顔でカロルを見たが、直ぐに確証を得たようだ、今度は大きく息を吸うと、
「カロル  」と、声を張り上げて、カロルが踊れないことを皆に公表しようとした。
「うっ、煩いな、踊ればいいんだろ。ダンスの一つや二つ、踊れねぇーわけねぇーだろうが。ただ女々しいからやらないだけだ」などと息巻き、ステージの方へ行く。
 実はこの会場で話題になっているのはジェラルドもさることなから、独身のカロルの方が令嬢の間では人気だった。
「あの方が、クリンベルク将軍の三男坊様」
「お育ちのよい野生児だとは耳にしておりましたが、本当によく言ったものですね」と、感心しながらくすくす笑う令嬢たち。
 先ほどからのカロルの言動は注目の的だ。知らぬは本人のみ。
 カロルはエミリアンの前に行くと軽く挨拶した。実はエミリアンもこの機会を待っていたのである。先日、エミリアンに教えてくれた者がいた。ルカ殿下のことが知りたければクリンベルク将軍の三男坊、カロルに訊けばよいと。彼はルカ殿下の王宮での数少ない友人の一人だから、居場所を知っているはずだと。
 エミリアンはカロルの誘いに乗った。そしてカロルの方も、彼女とルカの関係を知りたかった。命より大切にしていたあのオルゴールを、どうしてこの娘が持っているのか。
 駆け引きのダンスが始まった。お互い、相手の心中をうかがうのに集中していた。いきなり問うのも気が退ける。どう切り出したらよいやら。だが、ダンスを馬鹿にして練習していなかったカロルは、相手の足を踏まないように踊るのが精一杯で、そのことを聞きだす余裕すらなくなっていた。案の定、足の底に柔らかい感触、これで何度目だろうか。
「すまん」と、ゆっくり足をどけるカロル。
 だがエミリアンは今度も笑って許してくれた。
 こんなことならダンスも練習しておくべきだった。ルカには再三言われた。貴族のたしなみだと。だが俺は武人、あんな女々しいことは出来るかと息巻いた。実はカロルは恥ずかしかったのである、女性と手を握るのが。うぶと言えばそれまでなのだが、女性それも年が自分と同じぐらいの娘の前に出ると口もきけなくなった。だがどこにでも例外はある。それがルカの館の侍女たちだった。普段なら女性の前でたじたじになるカロルが、彼女たちの前では男たちの前で話しているように堂々と話せるのである。そうだ、奴らは女じゃねぇー。娘の皮を被った雌ゴジラだ。だから、
 いつの間にか一人でぶつぶつ言っていたのだろう、
「雌ゴジラとはどのような生物なのですか」と、問われてきた。
「はっ?」
 彼女のいきなりの問いに反応できないカロル。
「先程から雌ゴジラがどうとか」
 宇宙人の一種とでも思ったようだ。
「雌ゴジラとはルカの館の侍女たちのことです」
「ルカの館と言いますと、ルカ殿下の館のことですか」
「ええ、他にあんなゴジラが住んでいる館はありませんよ」
 エミリアンが不異議な顔をしているので、カロルは説明に入った。
「ルカの館にはそれはそれは凄い雌ゴジラが何頭いるのです。まごまごしていると高箒を振りかざし追いかけて来るのです。それで殴る、蹴る、踏みつけるで、蹴らした瞬間、下手にパイツが見えてるぞなどと言った暁には、昼間でも星を見るようなはめになります」
 言葉はカロルにしては丁寧なのだが、その内容はエミリアンには理解できなかったようだ。だがカロルは、
「これ、ここだけの話しですよ。俺が言ってたなんてあの雌ゴジラたちの耳に入ったら、惑星の衝突のような災難が俺の頭上に降りかかるから」
「あの、その侍女とはどのような姿をしているのですか」
 エミリアンはカロルの話しをまともに受け取ってしまった。異星人を妻に持つほどの方だ、侍女に巨人のような異星人がいてもおかしくないのだろうと。
「後で紹介するよ。だがその時は、本当にこうだからな」と、カロルは人差し指を唇の前に立てて、絶対に俺が言ったことは話すなと言う感じの顔をした。
「さもないと、俺、半殺しの目にあう」
 相当腕力のある異星人たちなのだろうとエミリアンは察した。
 いつの間にかダンスは意気込まなくなったせいか、彼女の足を踏むこともなくなっていた。
「でも今、彼女たちは何処におられるのですか」
 ルカ王子が刑を受けている間、館は閉鎖されていると聞いている。
「ルカの館にいるよ。奴がいつ戻って来ても不自由しないように掃除をしているらしい」
「何時、お戻りになられるのですか」
 エミリアンはこれが一番知りたかった。これさえ聞けばこのような蛮族と踊る必要もない。しかし、どうしてあの方がこのような人を友人に? エミリアンは疑問に思う。
「さあ、それは俺にもわからない。オルスターデ夫人しだいじゃないのか。彼女が少し落ち着けば」
「オルスターデ夫人しだいですか」と、エミリアンは肩を落とす。
 それでは何時になることやら。
 誰が見ても彼女が落ち着くようには思えない。恨みは刻一刻深まって行くばかりだ。だが彼女は落ち着かなくとも狂人と化した彼女から離れるものは増えて来た。彼女と組むより別な者と組んだ方が権勢に近付けると考えるようになったのだ。彼女の力さえ削げればそれはそれでどうにかやりようがある。そしてそう考える者たちの次なる相手の筆頭が、カロルの姉でありジェラルドの妻であるシモン妃。今ではクリンベルク家の方まで貢物が届くようになってきた。これはまずいと思ったカロルの父クリンベルク将軍は、あくまでも政治には疎い鈍重な武芸一筋の武人を演じている。王宮で生き残るためには愚鈍が一番。宮内部にでも目を付けられれば家を潰されるのは必定。私だけの命で住めばよいが一族皆殺しでは。これはクリンベルクが常日頃懸念していることである。敵は外より内にあり。
「そう気を落とすな、直だ。何時までも気違いの相手をしている奴はいない。俺位なものさ」と言いつつ、カロルはジェラルドを見る。
 それからおもむろにエミリアンの方に視線を移すと、
「奴から、オルゴール、もらったんだって」
 この際だ、単刀直入に訊こう。俺には遠回しなことは出来ないと思った瞬間、何時ものカロルの口調が出て来た。
「奴?」と、首を傾げるエミリアン。
「ルカだよ、ルカ」
 呼び捨て。友人でも相手は王子。不敬罪に問われないのかしらと、内心思うエミリアン。
「それ、見せてくれないかな」
「どうして?」
「実は、奴が命より大切にしていたオルゴールが見当たらないんだよ。もしかしてそのオルゴールじゃないかと思って。侍女たちが探しているんだ、奴が戻って来た時、そのオルゴールがないと。君にやったと言うことがわかっているならそれはそれでいいんだが」
「命より大切なオネゴールなんて、どうしてそのようなオルゴールを私などに」
「それは、こっちが知りたい。とにかくそのオルゴールが本当にそのオルゴールなのか確認したいんだ」
 カロルに強引に押し切られるようにして、エミリアンは彼を自室へ案内することになってしまった。もっとも老侍女監視の元。
「やぁ」と、カロルに声を掛けられた老侍女は驚く。
 さり気なくエミリアンに近付くと小声で、
「本当にこの方はルカ王子のご友人なのですか?」と、エミリアンに問う。
「そのようです」と、答えるエミリアン。
「そのようですって、そんな確信のない殿方を、お部屋に通すなど」
「仕方ないでしょ。話の流れでこうなってしまったのですから」と、また老侍女の小言が始まるのではないかと警戒するエミリアン。
「仕方ないって、下手な噂でも立てられたら、後々お嬢様の穢れになってしまいます」
 ほらほらと思いながら反論するエミリアン。
「あら、身分が良ければそれでよかったのではなくて。彼はああ見えてもクリンベルク将軍のご子息ですよ」
「それはクリンベルク家と言えば申し分ありませんが、歴史をたどればボンフェル家の方が上です。それに私としてはもう少し紳士的な方のほうが」
「婆やが結婚するわけではないのよ」
「それはそうですけど」
「婆やは彼が嫌い」
「嫌いではありませんが」
「よっ、何、ぶつぶつ言っているんだ」と、カロルが近づいて来た。
「いえ、何でもありません」と、老侍女。
「オルゴール、何処にあるんだ。居間を見回した限りなさそうだが」
 カロルは部屋に入るや否や探索を始めていた。用が済んだらさっさと帰るつもりで。
「寝室にあります」
「寝室?」
「どっちだ?」と、行こうとするカロルを老侍女が咳払いで止める。
「殿方が出入りするような所ではありません」
 それでカロルは思い出した。今、自分が居るところを。オルゴールに集中し、ここが女性の部屋だと言うことをすっかり忘れていた。思い出した途端、顔が赤くなり、
「俺、外で待っているよ、持って来てくれないか」と、慌てて部屋を出る。
 後ろ手に扉を閉め、ほっと胸を撫で下ろした。
 俺としたことが不覚だった。そっ、そうだよ。ここはルカの部屋ではない。奴にしては随分少女趣味になったものだと思っていたが、そもそも部屋が違うんだ。俺、まずいことしたかな、結婚前の女性の部屋にずかずかと乗り込んで。姉貴にでも見つかったらと思い顔を上げると、そこにシモンが居た。
「姉貴!」
 口から心臓が飛び出しそうになり、慌てて口を押える。
「心配で見に来たのよ、あなたのことだから」
「ジェラルドは?」
「何度言えば解るの、殿下、もしくはお兄様と呼びなさいと。ジェラルド様はクラークスさんに頼んできました」
 そこへエミリアンが件のオルゴールを持って部屋から出て来た。
 シモンはすかさずエミリアンに謝る。
「弟が、随分失礼なことを」
「いいえ、何も」と、言うエミリアンにシモンは、
「どうも弟の言動は乱暴で、父が何も言わないことをいいことにやりたい放題で、困っております」
 不思議とクリンベルク将軍はカロルだけには何も言わず好きなことをさせていた。お蔭で社交儀礼が何一つできていない。
「ルカ殿下の爪の垢でも煎じて飲ませたいぐらいです」
 エミリアンはシモンのカロルに対する思いやりを察したのか、軽く会釈をしてほほ笑む。社交界では男勝りだと噂されていたクリンベルク家のシモン嬢。否、今はシモン妃殿下。弟に対する愛は本物のようだ。
「あのな、姉貴はあいつの正体を知らないからそんなことを言うんだよ。あいつの正体を知れば」
「ルカ王子は、あなたより気品があります」
「そっ、それは確かだ」
 そう言われては反論できないカロルである。あいつ、姉貴の前じゃぼろ出さないからな。ここは黙るしかない。ルカと同様シモンにも口ではかなわないカロルだ。
 姉弟の話しが落ち着いたところで、エミリアンは件のオネゴールをカロルに差し出した。
「これです。ルカ王子からいただいたものは」
 見れば直ぐにわかった。
「確かにこれだ」
 カロルはオルゴールを受け取ると蓋を開けた。流れる曲は、
「何て言う曲かしら」と、尋ねるエミリアンに、
「なんだ、曲の名前を言わなかったのか奴」
「ただ、贈られてきただけですから」
「贈られてきた?」
「はい。パーティーの日時を間違えたと」
 はっ? とカロルは何のことだと疑問に思った。
 すると老侍女が、
「ピクロス王子がお見えになることを知ったルカ王子が、お嬢様に間違いがあってはとわざと日時をずらしてくださったようです。本当に運というものはあるものですね。あの時、ピクロス王子がお見えにならなければお嬢様があの山荘に行っていたことになります。お嬢様は本当に幸運でした」
 老侍女はあの火事を事故と見ているようだ。
「しかし、あれはルカがやったと」
「いいえ、そのようなことありません。ルカ王子にかぎってそのようなこと。あれは天罰です。厨房から火が出たそうではありませんか。それをオルスターデ夫人ときたらルカ王子のせいになされて、あんまりです、情けない。夫人としてあるまじき行為です」
 これが真実を知らない者の見かたのようだ。常日頃の言動が物を言うのだろう。ルカ王子を知っている者たちは、誰もルカ王子があのようなことをするとは思っていない。事故なのに王族殺しの濡れ衣を着せられたルカ王子こそ哀れ。
「でもようございました。ルカ王子にお怪我がなくて」と、老侍女。
「ルカ王子は何処におられるのでしょうか。本当にご無事なのでしょうか」と、ルカの身を案じるエミリアン。
 これが、この二人が今一番知りたがっていることだ。
「無事だし、元気だ。何処にいるかは俺も知らないが。俺は蚊帳の外なんだよ、口が軽いから」と、カロルは寂しそうに言う。
 本来なら友人として今、傍に付いていてやりたいのに。
「そうですか」と、エミリアンはがっかりしたように言う。だが気を取り直して、
「でも、ご無事だったと言うことがはっきりわかっただけでも感謝いたします」
 今まで噂には聞いていた。だが確信が持てなかった。誰も元気なルカ王子の姿を見た者はいない。だがカロルは断言してくれた。ルカ王子が元気なことを。
「おそらく親父は知っている。ただオルスターデ夫人の刺客からルカを守るため、今は居場所を言えないようだ。心配ない、親父たちが総出でルカを守っているから。今軍部はルカを必要としている。これからの新しい敵と戦うために、どうしても奴の知恵が必要なんだ」
「ルカ王子の知恵?」
「ああ。その曲の題名は竜の子守歌って言うんだ。イシュタルの曲だ」
「えっ!」と、驚くエミリアンと老侍女。
「イシュタルって、あの悪魔の棲む」と、老侍女はさも恐ろしいものでも口にするかのように言う。
「でも、美しい曲だわ」と、エミリアンはうっとりとその曲に聞き入る。
「ああ、美しい曲だ。奴もそう言っていた。奴はイシュタル人を悪魔だとは思っていないようだぜ。俺たちとは違う科学力を持つ知性体」
「そうなのですか」と、エミリアン。
「奴はイシュタル人と友好を結ぼうとしている」
「友好を」
「ああ、そうすることが宇宙海賊との戦いを終わらせる一番の早道だからな」
「宇宙海賊との戦いは、彼らが攻めて来るから始まってしまったのではありませんか、今更友好などと」
 一般の者はそう思っている。よほど政治や金儲けに関心がない限り。
「今にわかるさ、今までの戦争の本当の意味が」
 勝っているうちはその実体をどうにでも隠せる。些細な褒美をやれば幾らでも平民たちは戦場に出て行く。ネルガルの英雄になることを望んで。だが負けが続く様になれば平民も疑問を持って来る、何で我々は戦争をしているのかと。最初は敵にやられる前にやっちまえ。先制攻撃こそ最大の防御だなどと教えられ。だがはたして何処に敵がいたのだろうか。自分の臆病が敵を作ってしまったのではないのだろうか。そして敵の存在が曖昧になって来ると今度は、下等な生物たちの生活を向上させてやるために悪徳指導者を叩くのだなどと、戦うための名義はいかようにも作れる。そしていつしかその指導者に取って代わったネルガル人は彼ら以上の悪徳をやってのける、金儲けのために。そのために多くの平民の血が流されてきた。その事実を知らないのは、その血によって得られた果実を貪っている者たちだけ。こんなことが何時までも続くはずがない。もう直天誅が下されるのだろう。それを避けるのに軍部はルカを必要としている。だが奴に何ができる。王位継承権もないほど末尾に生まれた一介の王子に。それは確かに奴には不思議な所がある。神の生まれ変わりなのかそれとも、奴の軍旗が示すようにドラゴンなのか。だが奴を野に放ったのは何を隠そう軍部と宮内部ではないか。シナカと言う鎖を切って。もう奴にはネルガルに何の未練もなかろう。野に放たれたドラゴンは天高く昇るだけだ。ネルガルを見捨てて。
「カロルさんはルカ王子のこと、お詳しいのですね」
 いきなりエミリアンに問われカロルは我に返った。
「そりゃ、そうだ。奴が物心ついた時からの友達だからな」
「まっ、かってにルカ王子の館に押しかけて行ったくせに」
「いいだろ、姉貴はうるといんだよ。あっちへ行って、ジェラルドの子守りでもしてろよ」
 カロルのその言い方に二人の淑女と老侍女を加えた三人は呆れた顔をした。
「はいはい、私はお邪魔ですか」と、シモン。
「別に、そういう意味じゃない」と、カロルは慌てて否定した。
 だがシモンはいわくありげな笑みを浮かべていそいそと去って行ってしまった。
「姉貴の野郎、何勘違いしてんだか」と、ぶつぶつ言うカロル。
 エミリアンはそれを無視して、
「ルカ王子のこと、もっと教えてくれませんか」
 カロルはエミリアンをまじまじ見ると、
「ルカのことが好きなのか?」
 エミリアンは俯いてしまった。
「そうか」と、カロルは歩き出す。
 エミリアンは慌てて後を追った。
「何処で知り合ったんだ?」
「皇帝主催の舞踏会で。あの方、隅の方でお一人で佇まれておりましたから」
「あいつは、兄弟姉妹からは嫌われているからな」
「平民の血を引くからですか」
「ああ。唯一の例外はジェラルドだけだ」
 そうだ。最初からジェラルドはルカを嫌ったりしなかった。最初は頭が狂っていたからだと思っていたが、正気であいつは平民の血を引くルカを受け入れていたんだ。今更ながらに驚くカロル。今まで馬鹿にしていたがもしかしてあいつ、ルカと同格か。否、そんなはずはない。ルカのような考えを持つ奴がこの世に二人も居たら、頭を二つ持つ化け物が出来上がってしまう。頭は一つでいい。
「皆が汚らわしいって言って、奴に近付くことすらしなかった」
 中にはオルスターデ夫人の目を気にしてルカを遠ざけている者もいた。彼女に睨まれると奥宮では生きてはいけない。
「そうなの、お可哀そうに」
「しかし女性とは、見ただけで相手をそんなに好きになれるものなのか」
「実は、助けていただいたのです」
「助ける?」
 カロルは外の見える窓に寄り掛かり不思議そうな顔をした。
「その会場でピクロス王子に言い寄られまして、それで逃げたのです。そしたらたまたまそこにルカ王子がいらして、一緒に踊っていただいたのです。するとルカ王子が、私がうまく出口までエスコートしますので、出口の近くに来たら私を振り払うような感じに外へお逃げなさい。私があなたに何か失礼なことをしたと言う感じに」
 ピクロスに次は俺の番だと言い寄る隙を与えないために。
「そっ、それって不味かったんじゃないのか」と、カロル。
「あの時はルカ王子とピクロス王子の間に確執があるとは知りませんでしたから」
「だよな、普通の奴が王宮の内部の事まで知るはずないものな。俺たちは仕事がら王子の館に出入りしているからいろいろと解るけど」
 口の軽いカロルですら王宮の陰湿なごたごたを口外することはなかった。否、そもそもそう言うことが嫌いなのであまりかかわらないようにしている。
「もしかしてあの事件、私が原因で? 婆やは事故だと言っておりますが」と、責任を感じているかのように言うエミリアン。
「いや、違う」と、カロルは強く否定した。
「奴とルカは最初から共存できる存在ではなかったのさ。居るだろう、馬が合わない奴ってーのが。どこがどうってわけじゃないんだが、無性に嫌いな奴ってーのが」
「そんな人、居るのですか?」
「お前には居ないのか。見ただけで嫌いになるような奴」
「そんな、お付き合いもしないで嫌いになるなんて、難しいわ」
「じゃ、俺が変なのかな。まあ、いいや」
 カロルは感性が先に動く。会っただけで口も利かない内に嫌いになることがある。
「ピクロスとルカは全てが違っていたんだ。ものの見かた、他人に対する接し方、考え方が違うから全て違っていたんだろうな。もし、ルカがピクロスのような立場に生まれていたら、ピクロスのようないけ好かない奴になっていたのかな、と時々思うことがあるよ」
 カロルは庭に視線を移す。だがその眼は庭を見てするようではない。遥かかなたを望むような視線で、
「俺たち軍人は主を持たなければならないんだ。親父が数いた王子の中から今の皇帝を主に選んだように、俺も誰か選ばなければならない」
「でも、既にあなたは選んでいるのではありませんか、ジェラルド王子を」
「あれは違う」と、カロルはエミリアンの方に振り向くと、
「あれはルカに強引に押し付けられたんだ」
「押し付けられた?」
「ああ、聞いてくれ。ジェラルドの妃に俺の姉貴を推挙したのも奴だった。話はとんとん拍子に進み、あいつ俺に何て言ったと思う。某夫人が毒を盛るとすればジェラルドお兄様ではなくシモン様の方です。シモン様にお子が出来たら、ましてそのお子が男児だったりしたら。と」
「そうね、確かに王位がどうしても必要なら」と、エミリアン。
 エミリアンは馬鹿ではない。その位の母親の心理はわかる。ただそこまでして我が子を皇帝にしたいかとなると、話は別だ。
「俺は、はっと! した。そんなことさせねぇー。ジェラルドの野郎には姉貴に指一本触れされネェー」
 それを聞いてエミリアンは少し意味が違うのではないかと思ったが、話の先を促した。
「そしたら奴、だったらこんな所にいないでジェラルドお兄様の館にあがって、二人の寝室で見張っていたらどうですかって」
 カロルがそこまで言った時、エミリアンは笑い出していた。
「そっ、そうね。それで」と、先を促す。
「それで俺はジェラルドの親衛隊になっちまったんじゃないか。今思えば奴の口車にまんまと乗せられちまったんだ」と、カロルは悔しそうに頭を掻きむしる。
 エミリアンはおかしくてならない。
「本当は俺、奴を主に持ちたかったんだよ。だが奴は反対した。私の元へ来ても一生冷や飯食いで終わってしまうと。それどころか下手をすれば親父や兄貴と戦うことになるかもしれないって。奴の考えは、何ていうかなぁー、ちょっと変わっているから、その考えを権門たちが受け入れるかどうかってところだよ。だけど俺、あの事件ではっきりわかったんだ。やっぱり俺は奴以外を主に持つ気はないと。例え親父や兄貴と戦うことになっても、親父なら許してくれるんじゃないかと思う」
「親子の間で戦争になってもですか」
「ああ、俺の親父だもの、わかってくれるさ」
 エミリアンには理解できなかった。だいたいどうしてルカ王子に仕えると戦争になってしまうのか、それがわからない。ルカ王子は戦争を起こすような悪い人には見えなかった。
「ねぇ、どうしてそうなってしまうの」
「否、そうなるとは限らない。ならないかもしれない」
 ルカだって戦争は好まないし親父だって好まない。否、この二人は戦争の悲惨さを知るが上に、ネルガルの中で一番戦争に反対しているのではないか。
 エミリアンが不安げな顔をしているのを見て、
「絶対、そうはならない。だってルカがジェラルドに楯突くようなことはしないもの」
「そうよね」
「変なこと言ってご免。でもこの話、聞かなかったことにしてくれ。これこそ口外されたら、親父と戦うと言うことはネルガル皇帝に銃口を向けたのと同じだからな。ただの親子喧嘩では済まなくなる。俺、死刑になっちまう」
「確かに、そうね。クリンベルク将軍と言えば皇帝の右腕ですもの」と、何も知らないエミリアンだってその位のことは知っている。
「どうしてこんなことを私に話したの、憲兵にでも聞かれたらそれこそ」
「そのオルゴールのせいだと思う」
「これ?」と、エミリアンはオルゴールをしげしげと見つめる。
「そのオルゴール、ルカがとっても大切にしていたんだ。ボイ星に婿入りして、まだ雰囲気になじめなかった時、ボイ国王夫妻がくれたらしい。今じゃ形見になっちまったけどな」
「そっ、そんな大切なものを」と、エミリアンは驚く。
「奴のことだ、くれたものを返せとは言わないだろう。奴に代わって大切にしてもらえないかな」
「どうして私のようなものに?」
「さあな、それは俺の方が聞きたい」
 暫し二人でオネゴールの音色に聞き入っていた時である。
「たっ。隊長。ここでしたか」
 館中に響き渡るような大声で、ニックが息を切らして走り込んで来た。
「ニック、何でお前がここに居るんだ。お前には俺が留守の間ジェラルドの館の警備を」
「それどころじゃないんです」
「それどころじゃないって、それ以上に重要なことでもあるのか?」
 ニックはエミリアンを意識した。
「隊長、ちょっとお耳を貸してくれませんか」と言うと、いきなりカロルの耳を引っ張り廊下の片隅へと連れて行く。
 耳を引っ張られたカロルは大騒ぎである。
「いっ、痛てぇー。耳を貸せって、耳だけ持って行く奴がどこにいるか」
「耳を引っ張れば、体も付いてくるだろう」
 体が耳の付録のように言われてしまった。
「とにかく、ちょっとこっちへ来てもらえませんか」
 この隊長にしてこの部下ありか。と思いながらエミリアンは滑稽な二人を眺める。
 廊下の片隅でこそこそと二人で話しているかと思ったらいきなり、
「何だって! 出陣!」と、カロルが怒鳴る。
「しぃー、声が大きいですよ、隊長」と、ニックはエミリアンを気にしながらカロルを静める。
「どっ、どういうことなんだよ」と、声を潜めて問うカロル。
「どういうことって、つまりですね。ジェラルド様が皇帝になりたいのならそれ相応の実力を示せと」
「だっ、誰が、そんなこと言っているんだ」
「おそらく裏で糸を引いているのはオルスターデ夫人ではないかと」
「あっ、あの妖怪。まだ生きていやがったのか」
「たっ、隊長。これはあくまでも憶測で、確かな証拠があるわけでも」
「妖怪の仕業に決まっている」
 カロルは完全に決めつけていた。あの妖怪め、完全に頭が狂ったと思っていたが、まだこんな悪巧みができるとは」
「妖怪って?」と、エミリアンが問う。
 いつの間に近くに来ていたのか、カロルたちは気づかなかった。話をどこまで聞かれたのか? まあ、そんなことはどうでもいい。と開き直るのが早いのもカロルの性格。聞かれてしまったものを今更もとへ戻せない。
「妖怪ってぇーのはな、奥の宮に住んでいる化け物のことさ」
 説明になっていない。
「奥の宮にはそのような化け物が住んでいるのですか」と、怖がるエミリアン。
「ああ、ヨウカよりたちが悪い」と、カロルが言った瞬間、カロルの足に何かが巻き付いたかと思ったら一瞬にして足をすくわれた。
 バランスを崩して倒れるカロル。
「たっ、隊長」と、助けようとしたが間に合わなかった。
 カロルは大きに音をたてて尻もちを付いた。
「痛っー」
「たっ、隊長。大丈夫ですか」
 エミリアンには何が起こったか解らなかった。まるで自分の足に気躓いて転んだような、そんなに長い脚でもないのに。
「まずいですよ、ここでヨウカ様の名前を出しては」
 ニックはさんどころか様を付けて件の白蛇を敬う。その後で心の中で、くわばらくわばらと唱えるのは何時ものこと。
 なかなか立たずにお尻をさすっているカロルを見て、エミリアンは本当に心配した。
「お医者さん、呼びましょうか」
「否、大丈夫だ。それより、それは何時、公式発表されたんだ」
「それが、まだ噂の段階で」
「噂?」
「ただ、持って来た人が持って来た人なだけに」
「誰だ?」
「ケリンさんです」
 カロルは唸り込んでしまった。奴が持って来たのでは事実になる確率が高い。
「駐車場の方におります」
「この館に、来ているのか」
 ニックは頷く。
「お前、ジェラルド、否、姉貴の護衛をしてくれ」
「姉貴のって、それではジェラルド様は?」
「あんな奴、死んだってかまうもんか。いいか、何かあったらまず姉貴の方を守るんだぞ。姉貴に何かあったら、ただじゃおかないからな」
 カロルはニックを脅すと駐車場の方へと駈け出す。
「やれやれこれでは誰の親衛隊なのか」と、ニックは呆れたように言う。
「大変ですね」と、エミリアンはニックの労をねぎらう。
「ほんと、隊長は型破りで」と言いつつ、エミリアンの手に視線をやって驚く。
「そのオルゴール? どうしてここに? ルカ王子の館中、ジェラルド様の護衛もせずに総出で探させられたのです。命より大事にしていたぐらいでしたから、何処かにあるはずだって。それはもう、寝ずに。それがどうしてここに?」
「いただいたのです」
「いただいたって、どなたに?」
「ルカ王子に」
 えっ! と言う感じにニックの動きは止まった。命より大切なものをどうしてこの令嬢に贈ったのか、疑問に思わないわけでもなかったが、
「まあ、いいか。ここにあることがわかっていれば」と、自分を納得させる。
 所詮、下級貴族の首を突っ込むことではない。下手に突っ込んで取り返しがつかなくなったらそれこそ、俺にとっては一大事だ。それよりシモン様の護衛をしなければ。シモン様に何かあったら、それも俺にとっては一大事だ、どっちもおまんまの食い上げになる。ニックはホールへと急ぐ。まったく宮使い、一大事が多すぎる。
 一人取り残されたエミリアンに老侍女が近づいて来た。
「やれやれ、賑やかな方たちですね」と、呆れ果てたように言う。
「婆や、わかりました。あの方々がルカ王子のご友人だと言う訳が。言葉は乱暴でもとても誠実な方々です」
 老侍女はどう答えてよいか解らない。確かに家柄としては申し分ないのだが、もう少し紳士的であってくれれば、エミリアンお嬢様にお似合いなのだが。



 カロルは駐車場へと急いだ。運転手たちが彼ら専用の待合室で寛いでいる。その中にケリンの姿があった。ケリンもカロルの姿を見つけたのか立ち出して外へと出て来た。
「やぁー」と、片手をあげるカロルに。
「相変わらず元気だな」と、ケリン。
「いいのか、第七艦隊ほっといて」
「レイとトリスががんばっているよ。今の所、俺は不必要だからな」
 二人はそのまま夕闇の庭園へと歩き出す。
「どうだった、エミリアン嬢は?」
「はっ?」
 何も知らないカロルはケリンの言っている意味がわからない。
「このパーティーはエミリアン嬢の婿選びだと聞いていたが」
「そんなの知るか。俺は彼女より彼女の持っているオルゴールに興味があったんだ」
「ああ、殿下が贈ったオルゴールのことか」
「なっ、何だ、お前、知っていたのかあのオルゴールのことを。じゃ、何で俺に教えてくれなかったんだ、さんざん探していたのに」
「なっ、何だお前、あのオルゴール探していたのか? だったら最初に俺に訊けばよかったのに」
 そっ、そうだった。こいつに訊けば知らないものはないんだ。
「だったら俺が探し物をしている時に、何を探しているんだぐらい訊いてくれればよかったのに」
「俺も探しものをしていたから、そんな余裕なかったんだよ」
「何だよ、お前の探し物とは?」
「ルカの救出の方法さ」
 カロルは黙ってしまった。ケリンはそれには気づかないふりをして、
「踊ったんだろう、エミリアン嬢と。どうだった? なかなかの別嬪らしいが」
「知るか」と、カロルは脹れる。
「そうか、もったいないな。俺だったらものにするがな」
 カロルはむっとした顔でケリンを睨み付けると、
「そんなこと言いにわざわざここまで来たわけじゃないだろう」
「ああ、そうだったな。近々出陣することになるらしい。もっとも王子の出陣だから名目は××星系の治安強化のための偵察などとなっているが大概はただの遊覧、遭遇戦にでもならない限りは戦うこともない。だが問題は同行する艦隊だ」
「つまり、敵より味方に注意しろということか」
「まあ、そう言うことになるかな。この件、彼女がからんでいるからな」
「あの妖怪め」と、カロルは憎々しげに言う。
「第七宇宙艦隊も同行できるように計らってみるよ。お前の艦隊だけじゃ数の上ではかなり不利だからな。それとシモン様の身だ。お前たちを引き離すための陽動かもしれない。シナカ様の二の舞になってはな。あの世に行って殿下に言い訳が立たないからな」
「ああ、わかってる。その時は親父のところにでも」
「それがいいな。クリンベルク将軍の館なら間違いないだろうから」





 ケリンと別れてホールへ戻れば、ジェラルドがシモンと踊っていた。カロルはそれを暫し眺めていた。やはり血は争えないものだ。母親が違っても皇帝の血を引くジェラルドとルカ、どことなく似ている。まして髪が朱く瞳がグリーンとくれば尚更だ。顔が似ていれば性格も、なんてことはありえないよな。あんな理屈っぽい奴が二人も居たらこっちの頭が変になる。
 ジェラルドたちもカロルに気付いたのか、踊りながら近づいて来た。
「カロル、どこ、行っていた?」と、ジェラルド。
 相変わらず白痴の振りをしている。
「トイレだ」
「ながい、ながい」と、責め立てるようにはしゃぐジェラルド。
「煩せぇーな、おめぇーに言われたかねぇー」
 いつも出発前にトイレで大騒動だ。まてよ、あれもこいつの芝居だったのか。今更ながらにジェラルドの馬鹿さぶりに感服する。否、腹が立つ。
「オルゴールだよ、オルゴール。見せてもらって来た」
「それで、本物だったのですか」と問うクラークス。
「ああ」と、カロルは頷いた。
「どうして、あんなに大切にしていたオルゴールを」と、クラークス。
 それはこっちが知りたい。と、幾度となく胸の中で問い続けるカロル。
 そのクラークスの問いに答えたのはジェラルドだった。
「こ い び と」
「恋人!」と、驚くカロル。
 それこそ、ルカに限って絶対ありえない。
「おめぇーじゃあるまいし、ルカがシナカ妃以外の女に、目をくれるはずないだろーが」
 カロルはそう言って、ふと、不安が刺した。
「てめぇー、姉貴以外に女、作ってんじゃねぇーだろーな」
 よくある話だ。英雄色を好む。しかしこいつは英雄には程遠い。色を好む者、必ずしも英雄ならずとも言うからな。こいつは後の口、じゃなくて、
「てめぇー、姉貴を泣かせるようなことをしたら」と、カロルが言いかけた時である。
「カロルの こいびと」
 はっ? 一瞬、カロルの頭の中は白くなってしまった。
「こいびと、こいびと、カロルのこいびと」と言いながら、楽しそうに飛び跳ねシモンと踊るジェラルド。
 その傍にはエミリアンも居た。
「てっ、てめぇー、ふざけたこと言ってんじぉねぇー」と、ジェラルドをシモンの手から引き離すとホールの隅の方に連れて行き、声を落とすと、
「まっさか、正気で言ってんじゃねぇーだろうな」と、脅すような声で問う。
 ジェラルドは小さな声で、だがトーンを落とした落ち着いた声で、
「正気だ」と、答えた。
 焦ったのはカロルの方である。顔が見る見る赤くなり最後には怒り出した。
「てっ、てめぇー。ふざけてんじゃねぇーぞ」
「あかくなった、あかくなった」と、はしゃぐジェラルド。
「てっ、てめぇー、殺す」と、カロルが剣の柄に手を当てた時、
「カロル、いい加減にしなさい」と、シモン。
「皆さんに笑われますよ」
 辺りを見回すと野次馬どもが興味津々に集まって来ている。そんな中にエミリアンの姿もあった。彼女は必死で笑いを堪えているようだ。
 カロルはむっとした顔をジェラルドとシモンに向けると、
「先に、帰る」と、戸口の方へ歩き出していた。
 今度焦ったのは副隊長のニックだった。
「たっ、隊長。護衛の方はどうなさるのですか」
「お前に任せる」と言い残すと、さっさと外へ出て行ってしまった。
「少し、からかい過ぎましたか」と、ジャラルドは反省しつつシモンに小声で言う。
「ああ見えてカロルさん、以外に純情ですから」と、クラークス。
 さり気なくジェラルドの行為を咎めている。

 誕生会もジェラルドたちが帰ると同時に自然消滅的にお開きとなった。エミリアンは自室へ駆け込みベッドに突っ伏すと、今まで堪えに堪えていた笑いを一気に吐き出した。涙が出るほどおかしい。
「おっ、お嬢様」
 心配する老侍女。遠目には泣いているのか笑っているのか見分けがつかなかった。
「婆や、ご免なさい。あまりにもおかしくておかしくて」
 涙を拭きながら振り向くエミリアン。
「こんなに笑ったのは何年ぶりかしら」
 老侍女にしてもエミリアンのこんな無邪気な笑顔を見るのは久々である。幼かった頃のエミリアンはよく笑う活発な少女だった。その少女から笑顔を奪ったのは父親の権勢欲だった。娘たちは次々と政略結婚を強いられ家庭の中は不調和音が鳴り響いていた。無論エミリアンの相手も権門貴族の中から選ばれていた。その中にクリンベルク家も含まれていたのだが、クリンベルク家からは一向によい返事が来なかった。そんな折、これ以上のボンウェル家の勢力の拡大を警戒した宮内部によって、些細な事件を口実にボンウェル家は王宮への出入りを禁じられたのである。だが王宮から離れてからと言うものボンウェル伯爵の性格はがらりと変わった。まるで憑き物が落ちたかのように、家族を顧みるようになった。家庭の中は明るくなりエミリアンも自由を得た。今回のパーティーも大した貴族を呼んだつもりはなかったのだが、エミリアンの姉ウルリナの提案でロイスタール夫人に招待状を送ったところ、ジェラルド王子がお見えになり、クリンベルク家のご子息ともお近付きになれた。縁とは不思議なものである。こちらが求めれば逃げて行き、何もしなければ近づいて来るのだから。
 部屋着に着替えたエミリアンはおもむろにオルゴールを取り出し蓋を開けた。美しい旋律の曲が流れ出す。
 エミリアンはベッドに腰掛け暫しうっとりとその曲に聞き入り、今日一日を振り返っていたようだ。
「面白い方ですね」と、誰にいうともなく呟く。
「何方がですか?」と、ドレスを片付けながら老侍女が問う。
「カロルさんですよ。最初は野蛮で嫌な人と思ったのですが、以外に純情で」
 どうやらクリンベルク家のご子息は、エミリアンお嬢様のお心を掴んだようだ。
「このオルゴールがなかったら、お会いすることもなかった方なのでしょうね」
 噂に聞く破天荒な三男坊。
「そうですね。まるでルカ王子様が引き合わせてくれたような」





 一方カロルはエミリアンの心を露とも知らずに思い悩んでいた。もうあの館には行けない、あいつのせいでいい笑いものになった。ジェラルドの野郎、ただじゃおかねぇー。
「たっ、隊長。何一人でぶつぶつ言っているのですか?」と、ニック。
「煩い!」
 余計な時に声をかけたがために怒鳴られてしまった。そしてまたまた、空気を読めないのは災難の始まり。
「しかしエミリアン嬢、噂以上におきれいな方でしたね」
「てっ、てめぇーは、煩って言っているのがわかんねぇーのか、ぶっ殺すぞ」
 カロルは舞踏会での恥をニックに当たり散らした。
 ニックは慌てる。
「たっ、隊長。どうしたのですか。さっきっから何かおかしいですよ。さては舞踏会でなんかやらかしたのですか」と、止めを刺してしまった。
 ニックも次第にカロルの影響を受けて来たのか言葉が丁寧なのか乱暴なのかわからなくなってきている。
「てめぇー、ぶっ殺す」
 剣を構えるカロル。ニックは訳も解らず慌てて逃げ出した。


 そして数日後だった、ジェラルドの出陣が決まったのは。
 カロルは考えた。親衛隊の隊長である以上、ジェラルドには付いて行かなければならない。そうなると姉貴の身辺が、まさか姉貴を一緒に軍艦に乗せるわけにもいくまい。否、王子の出陣だ、外遊も同じ、いっそジェラルドと一緒に宇宙旅行でも楽しんだ方が。だがやはり軍艦であることには間違いない。万が一敵と遭遇した時には、商船のようにこそこそ逃げるわけにはいかない。戦闘ということもあり得る。いくら後方で高みの見物とはいえ、戦況によっては安全とは限らない。
 自室を熊のようにうろつきながら考えていると、目に留まったのはルカからもらった剣である。
「そっ、そうだ。こいつを姉貴の傍においていけば、こいつが姉貴を守ってくれるはずだ」
 我ながら名案だと思った時、
(お前のことは、誰が守るのだ。今まで俺が守ってやったからお前は生きて来られたのだぞ。俺がいなければ何百回死んでいたことか)
 剣にそう言われれば反論はできなかった。確かにこいつには助けられている。それも一度や二度ではない。だが回数の違いは、カロルの武人としての矜持が許さなかった。
「俺は、百回も助けられた覚えはない」
(ああ、そう言う心つもりだったのか。感謝のかの字もない奴だ。ならもう、どんなことがあっても絶対助けてやらんからな)
 剣は柄と鞘をカチンと閉じると、
(カロルに七難あれ)と呟く。
 その刹那、部屋がぐらりと歪んだかと思ったら、大事にしていた宇宙戦艦のレプリカが棚から落ちて来た。カロルは慌ててそれを受け取ろうとして絨毯にけつまずき近くの棚に頭をぶつける。それでもめげずに手を伸ばしたのだが、レプリカは落ちる途中で別の棚にぶつかり角度を変えてカロルの体の下に潜り込んでしまった。慌てて腕立て伏せの体制を執ろうとしたが間に合わず、体の下で嫌な音がした。しまった。と思うと同時に腕の力を抜いたのがまずかった。遠心力のかかっていた頭部はそのまま家具の足に眉間をぶつける羽目になってしまった。
「痛っー」
 だがそれよりも何よりも、レプリカを下敷きにしてしまったことが、カロルにはショックだった。
(これで何回だ。後二、三回は難が残っているかな)と、剣は楽しそうに言う。
「てっ、てめぇー、もう許さん。俺の大事にしていたレプリカを」
(動かない方がいいぞ。まだ難が残っていると言ってるだろう)
 カロルはぐっと剣を睨み付けた。
(どうだ、心を入れ替えて感謝しろ。そうすれば許してやってもいいぞ)
「だれが、俺の大事なレプリカをこんなにしやがった奴に、感謝するものか」
(それはお前がやったのだろう。俺は何もしていない)
 カロルはむっとした。どうやってもこいつにはかなわない。それはわかりきっていた。こいつには実体がないのだ。幽霊と喧嘩をしたところでかなうはずがない。
 カロルはつぶれてばらばらになってしまったレプリカの破片を大事そうに集め始めた。今日は何故か言い合う気力もない。いつもならかなわずとももっとがんがん言い合うのだが。
 暫し、剣はつまらなそうに破片を拾い集めているカロルを眺めていた。いつもならもっと反応があるはずなのにとでも言いたげに。そうとうショックだったのかな、あのエミリアンとか言う娘に笑われたのが。そして少し言い過ぎたと思ったのか、
(シモンなら心配いらない。既に俺の分身を持っている)と、話題を変えてみた。
「お前の分身?」
(そうだ。彼の分身だ)
 カロルは心当たりがないという感じに首を傾げる。
(指輪だ、俺の姿を彫り込んだ)
 あっ。とカロルは思い出した。エルシアが姉貴に渡したあの指輪。
(守ってやるよ。なかなか心のきれいな人だからな、お前に似ず。彼女は守りがいがある。感謝もしてくれるしな)
「悪かったな、俺だってお前がもう少し可愛げがあれば」
(持ち主に似るんだ。持ち主が可愛げがないから)
 カロルはむっとした。だがよくよく考えると、これから俺はジェラルドに付いて出陣しなければならない。姉貴と俺は数光年も離れることになる。それをどうやってあいつは姉貴と俺を守るのだ。そんな、あっちもこっちも無理だろう。
(お前、ジェラルドより馬鹿だな。俺は四次元を出入りできるのだ。四次元には距離も時間もない)
「なっ、お前、俺の心を読んだのか。そう言うことをしたら遊んでやらないと言っただろ」
(お前の心など読まない。お前の思念が俺の中に入り込んだのだ)
「同じことじゃないか」
(違う。お前が俺に思念を送るから悪いんだ)
「俺は送った覚えはない」
(送っておいて、無責任だぞ)
 二人が言い合っている所に、否、一人と剣が言い合っている所にシモンが入って来た。しかしシモンには剣の声は聞こえない。
「カロル、なに独りで騒いでいるの」
 シモンはドアを開けたとたん驚く。
「なんなの、これは」
 見れば部屋中、まるで泥棒にでも入られたかのような散らかりようだ。
「早く片付けなさい。片付けが終わるまで、食事抜きよ」
 カロルも今まで気づかなかった。自分の部屋がこんなに散らかっていたとは。
「きっ、貴様」と、剣に殴りかかろうとした時、
「カロル、何ふざけているの。さっさと片付けなさい」と、とびっきり大きな雷を落として姉は去って行った。
(怖ぇー)と剣。
「なにが怖ぇーだ。お前のせいで怒られちっまったじゃねぇーか。お前が散らかしたのだから、お前が片付けろよ」
(いいのか、俺が片付けて)
「当たり前だろ、やった奴が片付けるのに」
(そうか)と剣が言う。
 以外に素直だなとカロルは疑問に思ったが、片付けてくれるのならそれにことたことはないと思ったのが間違いの始まりだった。一瞬にして部屋は、それはそれはきれいになった。否、きれいになり過ぎた。散らかっていたレプリカが全て消えてしまったのだ。
「はぁ?」と、カロル。
「俺のコレクショ、どこにやったんだよ」
(邪魔だから片付けた。この方がさっぱりするだろう)
 部屋はがらんとしてしまった。あるのはからっぽになった棚だけ。
 カロルは唖然としてしまった。
「俺の、レプリカ」
 剣をきつい視線で睨むと、
「俺のレプリカ、何処へやったんだ!」と、大声で怒鳴る。
 剣がやれやれと言う感じに鍔を歪めると、また部屋が歪んだ。そしてレプリカが元あった場所にきちんと並んでいる。無論、さっき壊してしまったはずのレプリカも。
 では、この破片は? と思い手の中を見て見ると、そこには綿くずが握られていた。
「とっ、どうなっているんだ」
(あんまりお前が落ち込んでいたから俺の世界に招待してやったのに。何時気付くかと思えば、とうとう気づかないだものな。シモンも偽者だったのに)
 カロルはキツネにつままれたような顔をしていた。時間はあれから一秒ぐらいしか経っていない。
 一体なんだったんだ。白昼夢か、それにしてはリアリティーが強い。カロルはじっと剣を見詰める。俺の世界。どういう意味だ。
 その時である、ドアがノックされたのは。
「隊長、クラークスさんがお呼びです。竜木の下で待っているそうです」
 これも、夢か? とカロルは自分の頬をたたく。
「隊長、何やっているのですか?」と、ニック。
「お前が幻かと思ってな」
「昼間から、なに寝ぼけているのですか、それより早く来てくださいよ、大事な話があるそうです」
「わかった」と、カロルは身を引き締めた。
 話の内容は今回の出陣のことに違いない。いつしか難しい話はあの池の畔でするようになっていた。あの池の畔で話し合うと不思議と名案が浮かぶのだ。
 カロルは剣を握ると呼びに来た部下の後に続いた。


「まったく、無駄にだだっぴろい屋敷だ」と、文句を言いながら走ること暫し、やっと件の竜木が見えて来た。
 そこにはジェラルドを始めクラークス、シモン、そしてレイの姿もあった。挨拶をしようとして立ち出したレイを、カロルは片手をあげて押し留め、まず呼吸を整えることに専念した。両膝に手をあて前こごみになってふうふうと息を吐き出す。やっと呼吸が整ったところで顔をあげて改まってレイを見た。
「お久しぶりです、坊ちゃん」
 レイが愛情には満ちているが一番嫌な愛称で挨拶して来た。それでむかっとした途端、短距離走の疲れはいっぺんに吹き飛んだ。
「レイ、俺を幾つだと思っているんだ。俺はもう子供じゃねぇー。いい加減に坊ちゃんはやめてくれ」
「これは失礼いたしました、カロル大佐」
 子供の頃からよく知っているレイに、そう呼ばれればそう呼ばれたでどことなくこそばゆい。もじもじしているカロルを横目に、
「ところで坊ちゃんではなく、カロル大佐。ボンウェル家のご令嬢とお付き合いされているそうですね」
「付き合う、俺が?」と、カロルは自分のことを指し示しながら、俺には身に覚えがないという顔をした。
「社交界ではもっぱらの噂ですよ」
「なんで、そんな噂が流れているんだ」
「お付き合いはしておられないのですか、なかなかの美人だと伺っておりますが。青年将校の間では、誰がものにするかともっぱらの噂でした。そこへクリンベルク家のカロル坊ちゃんだと言うので、坊ちゃんが相手では手も足も出ないと皆さん、諦めムードのようです」
「はぁ?」と、カロル。
 まるで寝耳に水のような話だ。
「俺はパーティーで踊っただけだ。付き合ってなんかいない」
「ご令嬢の部屋で、何やらお二人だけで話をなされていたとか」
「なぁ?」
 カロルはあの時のことを思い出していた。
「あれは」と言いかけ、ジェラルドを睨み付ける。
「ジェラルド、おめぇーか、変な噂を流しやがったのは」
 主に対しての、否、次期皇帝になるかもしれない方に対しての、相変わらずの口の利きようである。これがカロルでなければ不敬罪でとっくに処刑されている。
「カロル。そういう口の利き方をするから、何時までも子供扱いされるのよ」と、シモン。
「こいつ以外に、他に考えられないだろうが」と、カロルはジェラルドを指さし非難する。
 これはミズナの陰謀によるのだがここに居るものは誰も知らない。
 レイは昔と少しも変わらないカロルを優しい眼差しで見詰め、
「坊ちゃんもルカ殿下と同じですね、ご令嬢たちの視線を気にしない。否、視線に気づかないのでしょうか。彼女たちはあなた方の一挙手一投足に溜息を吐いておられると言うのに」
「はぁ、なんだ、そりゃ」
 カロルは自分が思っている以上に社交界で令嬢の間で人気があることを知らない。もっともカロルの場合は親の七光りもあるようだが、どうやらそれだけでもなさそうだ。ハルガン曹長がもてたように、野性味がいい、否、カロルの場合は幼さと純朴さが母性本能をくすぐるようだ、子供は嫌いだと言うわりに。ご婦人の心はわからないものだ。そしてレイと同じ感想を持つものがここにも居た。
「しかし、女の気持ちとはわかんないスねぇー。うちの隊長なんか、パーティーに出席したって食っているだけなのに」と、口を挿んだのはエドリスだった。
「あんながっついているところのどこがいいスかねぇー。豚でも見ていた方がよっぽどましでスよねぇー。まるまる太ってそろそろ食いごろかと」
「てっ、てめぇー」と、カロルはエドリスを蹴りあげる。
 カロルはダンスが苦手だ。よって食うことに専念してしまうのだ。と言うよりも芸術にも興味のないカロルには食う以外にやることがない。
「それより、こんなことを言うためにここに来た訳じゃないだろう」と、レイに詰め寄る。
 形勢が不利になったカロルは話題を変えにかかった。
「そうでした。カロル坊ちゃんの婚約の噂はさておいて」
「俺の婚約!」
 これこそ寝耳に水だ。
「一体、誰と!」
 カロルは身を乗り出して訊く。
「噂ですから、あまり気にすることは」
「気にするなって」 これが気にならないはずはない。
 カロルにとってはこの話の方が重要だったが、
「こんな話をするためにここへ来た訳ではありませんから」と、レイにきっぱりと言われてしまった。
「そっ、そうだよな、俺のことより」と、しぶしぶ納得せざるを得なかった。

 話はジェラルドの出陣のことである。同行する艦隊は第6、第7、第8宇宙艦隊と、カロルの率いる近衛宇宙艦隊である。どの艦隊も規律が取れていて申し分はないのだが、
カロルにしては少し物足りない。
「第10宇宙艦隊か第14宇宙艦隊のどちらかでいいから入っていてくれればよかったのに、できれば両方とも」と、カロルは呟く。
 彼らがいてくれればどれほど心強いか。だがカロル以外の司令官は指揮を乱すと、彼らを嫌う。
「それは無理ですよ。彼らの評判を聞けば宮内部としては彼らに王子の身を任せるわけにはいかないでしょう。それに彼らを使えるのはルカ王子だけですから」
「ルカも王子だったのにな」
「あの方は特別です。軍神と言ってもいいぐらいです。あのやくざ艦隊から親分として崇められたぐらいですから」
「でもよ、戦場じゃ、規律がよいだけでは駄目なんだよな、雑草のような生命力の持ち主がいなければ」
 いざ死地に追い込まれた時、否が応でも生き抜こうとする力、それが戦況を変える。諦めたらそこでおしまいだ。その点では第10、第14宇宙艦隊の右に出るものはいない。同じ艦に同乗していながら隣の奴は死んでも俺は死なないと思っているぐらいだから。
「まったく、日頃の言動が悪いから、いざと言う時に役に立たない」
 シモンはくすくす笑いながら、
「それって、あなたにも当てはまるのではなくて、カロル。あなたはクリンベルク家を冠しているから助かっているのよ」
 シモンのその言葉にジェラルドも笑う。
「姉貴は、うるさいんだよ」と、カロルは脹れた。
「まあ、お決まりのコースですから、たいした心配はないと思いますが」と、言ったのはクラークス。
「ただオルスターデ夫人の狙いがどちらにあるかと言うことです」
「それは、どういうことなのでしょう」と、クラークスに問うシモン。
「余計なことは言うな」と、クラークスに忠告するカロル。
「この際ですから、シモン妃殿下にもはっきりわかっていただいた方がよいかと思いまして、ご自身がどのような危険な場所に身を置いているか」
 そのことなら宮内部からの申し出があった段階で、父クリンベルクから散々忠告された。いまさらとは思いながらも実感せざるを得ないシモンだった。
「そうだな、自分で気を付けない限りどんなに守ってもらっても、長生きはできない」
 兄たちの死、クラークスは責任を感じているようだが、運がなかったとしかいいようがない。ジェラルドがここまで生きられたのはクラークスの力もあるが、やはり自分で気を付けるしかないと、ジェラルドは自覚している。
「自分の身は、自分で守るしかないと言うことですね」
 ジェラルドは頷く。
「さすがはクリンベルク将軍のご令嬢です」と、感心するクラークス。
「姉貴、俺たちが留守の間、絶対にその指輪を体から放すな。寝る時も風呂に入る時もだ。そいつは言ったんだ、姉貴を守ってくれるって」
 シモンはまじまじと指輪を見ながら、
「どうして、この指輪が?」
「エルシアに命令されたからだよ」と言ったとたん、柄がカロルの頭に当たった。
「痛っー。何すんだよ」と、剣に食って掛かるカロル。
(間違えるな。俺は奴に命令されたから守るのではない。頼まれたから守ってやるのだ)
 カロルのあまりの不自然さに、
「剣が何か言っているのですか」と問うクラークス。
 剣の声はカロル以外には聞こえない。
「奴に命令されたのではなく頼まれたらしい。俺にはそんなことどっちでもいいのだが」と、カロルが言ったとたん、また柄がカロルの頭を小突く。
「てめぇー、なにすんだよ」と、剣を両手で握りしめて怒鳴るカロル。
(どっちでもよくない。奴の主は俺だ)
 はぁ? と黙り込むカロル。
「どうしたの」と、心配そうに尋ねるシモン。
「否、なんでもない」と、カロルは首を横に振る。
 剣が人間の主のはずないだろう。だがこの話は後にしよう、ややっこしくなりそうだから。カロルは大きく頭を横に振って気分を切り替えると、
「話を戻そう。第6宇宙艦隊と第7宇宙艦隊と第8宇宙艦隊が同行するということだよな」
「はい、そうです」
「第6宇宙艦隊のメンデス中将とお前は気心が知れているが、問題は第8宇宙艦隊の    だ。アルシャ中将とはどんな奴だ」
「奴ではありません。女性です」
「あっ、そうだったな」
「豪傑な方のようです」
「それこそ、男に対する褒め言葉ではないか」
「まあ、会ってみるのが一番ではありませんか、近々第一回の作戦会議が開かれますので」
「そうだな」



 ここは軍部の特別会議室、集まっているのは今回出陣するジェラルド皇太子を総司令官に仰ぐ宇宙艦隊司令官の面々だった。だが肝心の総司令官ジェラルドの姿はない。その代理としてジェラルドの執事兼侍従武官であるクラークス・デルネール・ピテルス伯爵が出席していた。そしてその横にジェラルドの親衛隊隊長のカロル・クリンベルク・アプロニア。だがクラークスたちの背後の威厳の塊のような皇太子の席が空いていることに、誰も疑問を抱くものはいない。会議の最初から王子が出席することはない。かえって戦争のセの字も知らずに威厳ばかりを振りがざす者に出席されては迷惑だと思っている司令官が多い。唯一例外はルカ王子だけだった。あいつは王子専用の椅子に座るどころか司令官たちとテーブルを同じにして議論しあった。カロルはそんなことを思いながら今回同行する司令官たちの顔ぶれを眺めた。子供の頃から兵士たちの中で育ったカロルには知っている顔も何人か居る。そして第8宇宙艦隊の司令官は、豪傑な婆ぁどころか、絶世の美女とまではいかないが其れなりに年輪を重ねた品のいい婦人だった。
 年は四十前半だろう、俺の親父より少し若いか。
「どこが、豪傑なんだよ、レイの野郎」と、カロルは呟く。
「しぃー」という感じにクラークスに注意された。
 肝心のレイはとおもえば幕僚たちと何やら話をしている。
 作戦本部長の静粛にと言う言葉を合図に、議題が進められていった。
 今回の出陣はやはり同盟星を巡回していくコースだった。近年宇宙海賊との戦いで負け続けているネルガルに不信感を持ち、ギクシャクし始めて来ている同盟との絆を、皇太子が直々に訪問することでより強いものにしようと言う狙いのようだ。これと言った危険な場所はない。せいぜい危険と言えば磁気嵐ぐらいなものだ。磁気嵐にさえ出会わなければ半年で回れるコースだ。カロルはそう見たのだが、唯一気になるのはケリンの忠告だった。敵は外より内にあり。

 数度の作戦会議が開かれ艦隊配列や細かいコースの日取りなどが決まったころでジャラルドが会議室に姿を現した。王族専用の椅子に腰かけたジェラルドは何処からどう見ても次期皇帝の威厳を持っているように見える。あいつの正体を知らない者はこの雰囲気に騙されるなとカロルは思った。案の定、司令官たちは重々しく頭を下げると自己紹介に入って行った。ジェラルドはジェラルドで、クラークスにでも教わった台詞で重々しくその労をねぎらう。持って生まれた威厳とでも言うのだろうか、その板についた仕種にカロルは内心、あのヤロー。と思いつつも、これがルカだったら俺は真っ先にその足元に跪くものをと思っていた。朱い髪といい翡翠のような瞳といい、似ている。違うのはその朱い髪が包んでいる中身だ。
「カロル坊ちゃん、どうなされました」
 背後からいきなりレイに声をかけられ驚くカロル。
「いや、なに。黙って座っていれば結構見られる奴だと思ってな」
「何方がですか?」
「ジェラルドだよ、ジェ・ラ・ル・ド」と言いかけて、声の主を見る。
 そこには第8宇宙艦隊司令官のアルシャ中将がいた。
「クリンベルク将軍の三男坊は少し破天荒な方と聞きおよんでおりましたが、皇太子様を呼び捨てにするなど、少し度が過ぎませんか」
 会うなり忠告されてしまった。そしてその言葉にカロルは頭を抱えたくなった。
「アルシャ中将。こういっては何ですが、中将は彼の正体を知らないから」
 カロルにしてはかなり丁寧な言葉で話したつもりだったのだが、
「彼の正体とは、皇太子様のことですか」
「そうだよ、他に」と、言いかけた時。
「アルシャ中将、よいのだ。カロルは私のペットだから」
「ペットですか?」と不思議な顔をするアルシャに、
「ペットはよく吠えた方がおもしろい」
 はぁはぁー とアルシャは胸に片手を当て深々と頭を下げる。その仕種は男より凛々しく見える。
「部下の不敬な言葉をお許しなさる殿下のその寛大なお心、痛み入ります」
 カロルはめまいを感じた。完全にこいつの容姿に騙されている。
「カロル、帰るぞ」
 ジェラルドはそう言い残すとさっさと会議室を後にした。
 カロルは誤解を解いておきたかったのだが、ジェラルドの後を追うのに忙しくその時間的余裕はなかった。
(何でこんな時に限ってこいつは、てきぱきと動くんだよ)と、心の中で毒づきながら親衛隊としてジェラルドの後を追う。
 そしてクリンベルク将軍の三男坊は礼儀をわきまえないと言う誤解をされたまま、出陣することになった。



 そして数日後、皇帝の言葉もめでたくジェラルドを総司令官に仰ぐ宇宙艦隊は出陣した。それをジェラルドの館の自室から見送るシモン。まるで鰯の大群が太陽の光にその鱗を銀色に光らせて真っ青な海原を泳いでいるかのように、シャトルは上空に位置する宇宙港へと向かう。
「シナカ様はどのようなお気持ちでこの光景を眺めておられたのでしょう」と、シモンは隣に控えている侍女に問う。
 別に侍女の答えを期待している訳ではない。ジェラルド様の出陣はただの遊泳だと言うのに、それでもこんなに心配になる自分。だがルカ王子の出陣は遊泳などではなかった。実際に戦闘に行くのだ。あの中のどれだけの人たちが戻って来るのだろうかと見送るそのお気持ちは、幾何の物だっただろうか。今更ながらにシナカ妃のお心が思いやられた。
「いつも、ルカ王子が出陣なされる時は、こんな想いで佇まれておられたのでしょうね」
 シモンがぽつりと言った言葉に、
「どなた様がですか?」と、問う侍女。
「いえ、なんでもありません」
 左手の指輪を右手で握りしめ、心の中で祈る。
(どうかあの方々をお守りください、白竜様)
 イシュタルの神である。ネルガルでは悪魔。よってその祈りを声にすることはできない。



 一方、出陣したジェラルドたちは、右前方にレイの率いる第7宇宙艦隊、左前方にアルシャ率いる第8宇宙艦隊、後方にメンデス率いる第6宇宙艦隊という陣形で宇宙港を後にした。
 リッター星系、レーマー星系、サバイン星系と順調に訪問は続いた。これなら楽勝だとほっとするカロル。ネルガル王家の紋章である鷲を刺繍した軍旗の前の御座に座ったジェラルドは、それだけでこの宇宙を支配している王者のように見えた。まったくその見栄えの良さには感服するばかりのカロル。どうせなら性格もあの見栄えに比例してくれればと思う。そして星々は皇太子自ら足を運ばれたとあっては下にも置かない騒ぎだった。どの星系も表向きは歓迎の色一色。腹でどう思っているかはわからないが。宇宙海賊との攻防でネルガルの栄光に影が差し始めているのも事実だ。
 そして、異変を感じたのはトリスネ星系を発して間もなくのことだった。
『前方に不審な艦影発見、数、数千。急速に接近して来ます』
 通信を入れて来たのは第8宇宙艦隊の司令官アルシャ中将だった。敵の動きからして遭遇と言うよりもは待ち伏せしていたようだ。
『どうやら宇宙海賊のようです』と通信して来たのは第7宇宙艦隊の司令官レイ中将。
 敵の通信を傍受できたようだ。さすがはケリン。
「シャーかアヅマか」と問うカロルに、
『どちらでもない』と答えたのはケリンだった。
「では一体、 何者?」
『仲間同士の通信の内容から察するところ、妖怪に雇われた愚連隊のようだ』とケリン。
 一部の者には妖怪で通用するのだが、その意味を知らない幕僚の一人が、
「妖怪とはどの星の異星人を指すのですか?」と、尋ねて来た。
 どうやらネルガル人には似ても似つかないような異星人を想像しているらしい。
「名声欲と金と血に飢えた奴らの総称だ」
 カロルは某夫人の名前は強いて出さなかった。
「なるほど、この艦にジェラルド様が乗船していることを承知で襲撃して来たと言うことですか」と、察しのいい幕僚が答える。
「否、乗船しているからこそ、襲撃して来たのだ」
「では、狙いはジェラルド様。誰に雇われて」
「それが解れば苦労はしない。王子が多すぎるからな」
 カロルのその答えで、これが王位継承争いであることを悟った幕僚は唖然とした。
 誰しもが自分の担いでいる王子を玉座に付けたがっている。そう言う意味では奴らの雇い主がオルスターデ夫人だとは限らない。そして王子たちもネルガルの王子として生まれたからには玉座に座りたかろう。座りたがらないのはルカ位なものだ。あいつは変わっているからな。そしてネルガルの皇帝になれなければ他の星を征服して王になるしかない。建前はこうだ、ネルガルによる平和をこの宇宙に広げるため。蛮族たちに文明的な生活をさせるため。何を持って蛮族と言い、何をもって文明と言うのか一切説明されずに。そこに侵略戦争の種がある。
『敵、急速接近中。速度をあげております』
『数』と言ってオペレーターは黙り込む。
 後から後からレーダーに映り込んでくる敵艦隊の数に驚く。
『ほぼ我々と同数です』
 この空域では逃げ隠れ出来るような小惑星帯もない。
「戦闘配置に付け」と、カロルは指示を出した。
 前方でレイの率いる第7宇宙艦隊とアルシャ率いる第8宇宙艦隊が展開し始めた。
「どうします、さがりますか」と、幕僚の一人がカロルに問う。
 カロルは後方の御座で構えているジェラルドの方を仰ぎ見た。
 良きに計らえという感じである。クラークスもジェラルドも、ここは常勝将軍クリンベルクの三男坊カロルに任せたようだ。
「このままでいい。総司令官が下がったとなると士気にかかわる」
『それでは第6宇宙艦隊に左右を固めさせましょう。背後は我々が』と、申し出たのは近衛第2宇宙艦隊を率いるハウワン・クライセル・バーグ中佐。戦術が巧みでカロルが信頼している部下の一人である。
「ではクライセル、君に頼む。君がしんがりなら怖いものなしだな」
『かしこまりました』と、クライセルは最敬礼すると通信を切った。
 メンデス率いる第6宇宙艦隊があがり旗艦の左右を固める。そして背後は近衛艦隊だけになった。近衛艦隊は精鋭中の精鋭が集められた艦隊である。背後に回られた敵に後れを取ることはなかろう。これで宇宙海賊を迎え撃つしかない。腹が据われば性根もできる。どうにかジェラルドだけは姉貴の元へ届けなければ。あんなアホでも姉貴にとっては亭主だからな。
「戦闘用意!」
 カロルは全艦に号令を発した。
 先に撃って来たのは宇宙海賊の方だった。どうやら真っ向勝負をしようと言うらしい。数なら互角、そして兵器も同じ。後はそれを使う人間の器だ。相当自信があるようだ、敵ながらあっぱれな奴らだ。相手がアヅマやシャーでなかったことに感謝する。
「撃て!」
 カロルの合図で味方の艦も一斉に火を噴いた。激しいエネルギーの攻防、バリアが吸収している間はいいが、それが持ち堪えられなくなった艦が次々に爆発していく。
「消耗戦だな、作戦も何もあったものではない」と、幕僚。
「しょうがない。相手が怯んだ隙に逃げるしかないな」
「逃げるのですか?」と、幕僚。
「そうだ。この勝負、勝ったところでこちらには何の得もない」
 カロルは冷静に戦況を見ていた。伊達にクリンベルク将軍を父に持っていたわけではないようだ。
 だが均衡のとれた打ち合いはある艦隊の行動によって一気に変化した。
『背後に、敵、出現』
 オペレーターの緊張した声。
 背後で砲撃によるエネルギーと味方の艦の破裂するエネルギーをレーダーが捉えた。
『否、砲撃して来たのは敵ではありません。味方の艦隊です』
「なっ、なに!」
『通信が入っております』
 オペレーターが操作する前に勝手にメインスクリーンがある人物の映像を映し出した。
「クライセル」
『司令、砲撃を中止してください。我々が欲しいのはジェラルド王子のお命だけです。他の者たちに危害を与えるつもりはありません』
「クライセル、これはどういうことだ」
『司令、今ネルガルは周りを敵に囲まれ今までにない危機に立たされているのです。そんな時に次期皇帝がジェラルド様では、ネルガルは終わりです。ここはどうしても覇気のある方でなければ。ピクロス王子ではさすがに私も担ぐのを考えましたがネルロス王子なら、あの方でしたら知性もあり思慮も深いし、それにはジェラルド様が生きておられては』
「お前まで、オルスターデ夫人にそそのかされたのか、それともネルロスの指示か」
『いいえ、どちらの指示でもありません。これは私の一存です。司令、よくお考えください。このままではもし皇帝に何かあった場合、内乱になってしまいます。今内乱を起こしては宇宙海賊たちの思うつぼです。ですから世継ぎをはっきりさせておくべきなのです』
「世継ぎははっきりしているだろう、ジェラルドに」
『司令、本気で言っておられるのですか。ジェラルド王子をよく知っている者たちは誰も彼を次期皇帝だとは認めておりません。彼に皇帝の座は無理です、何しろ日常生活すらままならないのですから』
「だから、皆で補佐をしてやったらいいじゃないか。軍務なら俺が補佐をできるし政務ならクラークスだっていることだし、お前だっているだろう」
『司令、それでこれからの時世を乗り切れると思っておられるのですか』
「それしか方法がないだろう」と、カロルは半分投げやりな感じに答える。
 俺が本当に担ぎたいのはジェラルドではないのだから。
 クライセルはスクリーンの向こう側で大きな溜息を吐いた。
『司令、司令もほんとうはわかっておられるのではありませんか、彼では駄目なことを。司令、これ以上の流血は無用でしょう。ジェラルド様の身をこちらに渡してください。そうすれば我々は引き揚げます』
「断る」
 カロルは即答した。
『司令、ネルガルの将来をお考えください。ジェラルド王子よりもは』
「クライセル。俺はどちらも担ぐ気はないんだ。俺が担ぐのはルカ」
 これにはクライセルも黙ってしまった。誰もが次期皇帝と認めつつあった人物。
「ルカにジェラルドのことを頼むと言われたから。俺はジェラルドの親衛隊になっているだけだ。奴の願いを聞けば、俺の願いも聞き届けてくれるんじゃないかと思ってな。それにジェラルドはお前が思うほど馬鹿ではない。次期皇帝に相応しいかどうかはわからないがな。だがその点ではネルロスも同じだ」
 カロルはルカ以外の者を皇帝とは認めたくなかった。よって敬称も付けない。
『司令、ルカ王子は無理でしよう、あのご様子では』
 ルカ王子なら誰も文句はないのだが、最愛の人を失ってからのルカ王子はネルガルを捨ててしまった。
『司令。無駄な流血を避け、ジェラルド様の身をこちらへ』
「だから、断ると言っただろう」
『司令はもう少し頭が良い方かと思っておりましたが』
「頭が良ければジェラルドの親衛隊などにならなかった。それに俺はクリンベルク家じゃ、馬鹿で通っているんだ」
 クライセルはカロルのその言葉に苦笑する。
『では仕方ありません、力ずくで奪うだけです。亡きものにすればよいのですから、司令もろとも。さようなら』
 その言葉を合図に巨大なエネルギーが。
「バリアの出力を最大限にしろ」
 この際、砲撃のエネルギーをバリアに回してでも持ち堪えるしかない。

 だが、そのエネルギーは何時になっても到着して来なかった。それどころかクライセルの率いる艦隊が巨大なエネルギーに飲み込まれたのである。まるで自爆でもしたような。そしてそれと同じことは宇宙海賊の中でも起こった。
 スクリーンを直視することもできないほどの光の量。数秒間、辺りは真っ白になった。
「なっ! 何が起こったのだ」
 カロルでなくとも誰しもがそう思った。
 光が去り、やっとスクリーンが正常に戻り映し出したものは、辺り一面に散乱する宇宙船の残骸と、その残骸の背後に整然と並ぶ新たな艦隊の影。
 敵か味方か? 何が起こったのか判断する前に目の前の艦隊を判別する方が先だった。
「戦闘態勢を崩すな」と、カロルは全艦に指示を出す。
『囲まれておれます』と、オペレーター。
「だが、数はすくない」と言ったのは幕僚の一人。
「弱い所を見つけて強行突破するか」
 だが相手の艦隊は次第に数を増やしつつあった。まるでワームホールから出て来るかのように、あちらに一艦こちらに一艦と空間の穴から出現して来るとでも例えた方がいい。その現れ方を間近に見た者たちの間に動揺が走る。酒保での噂が誰の脳裏にもよぎった。それは幽霊船のように空間にふわりと現れる。そしてそれを見たもので生きて帰って来た者はいない。これが宇宙海賊シャーの艦隊だ。奴らは生身の人間ではない、幽霊だ。幽霊と戦ったところで勝てるはずがない、奴らは既に死んでいるのだから。恐怖は恐怖を呼ぶ。宇宙海賊の話しが始まると何時しか酒保は恐怖で満たされていた。奴らと出くわしたら死、あるのみ。だが生きて帰って来た者がいなければこんな噂も流れないはずなのだが。
「狼狽えるな、相手はシャーとは限らない」と、カロルは檄を飛ばした。
『その通り』
 カロルの檄に答えたのは、こともあろうかその相手だった。いきなりディスプレイが輝きだすと一つの像を結ぶ。そこに映し出されたのは一人の青年。年の頃ならカロルと同じか少し上か。髪は栗色、姿はネルガル人によく似ているが身にまとっている衣装はボイ人のそれとどことなく似ている。
「だっ、誰だ、貴様」
『人に名を尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀だろう』
「それを言うなら、勝手に人のディスプレイに映る方こそ非礼だろう」
 カロルが売り言葉に買い言葉で話すのを幕僚の一人が注意する。ここは相手の機嫌を損なわない程度に話し、何が目的なのか聞き出す方が先決だとでも言いたげに。
『なるほど、なかなか生意気なガキだな』
 同年代だと思わしき相手に、カロルは子供扱いされたことにむっと来た。
「てめぇーにガキ呼ばわりされたかねぇーな。見りゃ、同じような年だろう」
 カロルの常識外れた交渉に幕僚たちは慌てる。だがディスプレイの青年は別に怒ったようでもない。楽しげににっこりすると、
『面白い奴だ、そっちに行く』と言い出した。
 これには青年の回りに居た幕僚たちも焦ったようだ。なにやら揉めているような気配がした。だがどうやって、と思っているうちに目の前に青年が現れたのだ。それと同時に数人の男。まるで青年を守るかのように青年の回りに立っていた。
「どうして来たんだ。俺がこいつらにやられるとでも」と、青年は自分の回りを取り囲んでいる男たちに言う。
「否、その逆です。あなたが彼らに危害を加えるのではないかと思いまして。なにしろ相手は竜の思い人です。その方に何かあったら、白竜様が黙ってはおられないでしょうから」
「それはおもしろいではないか、白竜の力、試してみるか」
「ばっ、馬鹿なことを言うものではありません」と、男たちは焦る。
 そこにはこの青年ではやりかねないという雰囲気が漂っていた。
「いくら我々でも白竜様相手では敵うはずがない」
 青年は口を固く結んで黙り込む、こいつらには冗談も通じないのかとばかりに。そして辺りを見回した。
「どいつだ、竜の恋人と言う奴は?」
 だが問うまでもなかった。青年はカロルに視線を止める。
「なんだ、お前か。白竜様も物好きな」
「俺が?」と、カロルは自分を指し示した。
「違うのか?」
 青年にそう問われてもカロルには身に覚えはなかった。第一、竜などに会ったことがない。
「その剣が何よりの証拠だ。もらったのだろう、竜から。しかしなんでこんなチンケな能力しか持っていない奴を竜は恋人として選んだのだろう。俺の方がよっぽど」と、青年が言いかけた時、
「魂の色が違うのです。輝きとでも言うのですか」
「こんなチンケな輝きがか?」
「でも澄んでおります」
 幕僚のその言葉に青年も認めるものがあったのだろう黙り込んでしまった。
 カロルは剣を柄ごと腰から引き抜くと、
「確かにこれはもらったものだ。だがこれを俺にくれた奴は人間だ。竜などという化け物ではない」
「竜は人間だ、化け物などではない。ただ我々より少し能力が強いだけで」と言いつつ、青年は苦笑する。
「否、少しどころではありません、桁違いなのです」と言い返したのは、青年と一緒に現れた男の一人。
 カロルは剣をまじまじと見る。
「もったいないな、お前ではその剣は使いこなせないだろう、どれ、ちっと俺に貸してみろ」
 青年が腕を伸ばしカロルからその剣を奪った瞬間だった、耳をつんざく様な雷鳴と同時に稲妻が青年めがけて走った。否、剣が放電したと言うべきなのだろうか、青年は立ったまま黒こげになってしまった。トンと剣が床に落ちる音。それと同時に青年が仰向けに倒れた。誰もが死んだと思ったが青年は生きていた。凄まじい青年の叫び声。男たちが青年に駆け寄った。
「今、薬を用意する」
「その必要はない、自分の能力で治せる」と、青年は息絶え絶えに言う。
「どうやら白竜の力を防いだぞ」
 苦しみながらも嬉しそうな青年。
「のぼせるのもいい加減にしろ」と言ったのは男の一人。
「白竜様は防御の出来ないその子のために、放電を手加減したのだ」
 その子と言われたカロルは固まって動けなかった。今のは何だったのだ。カロルだけではなくこの艦橋にいたネルガル人全員が、一瞬の出来事に硬直していた。
 そうこうしているうちにカプセルが異空間から現れた。中は黄色みがかった液体で満たされているようだが、何の液体だかはカロルたちネルガル人には知る由もない。
 カプセルのふたが開く。
「さぁ」と、促す男。
 だが青年は意地でも自分の能力で治したいようだ。
「だから、こんな傷、たいしたこと」
「あなたはたいしたことがないでしょうが、見ている人たちは心配げな顔をしております」
 ネルガル人からすればあんなまる焦げでまともな会話をすること自体不思議である。
「気味悪がっておりますから、早く」
「はっ?」
 自分の姿の見えない青年には、男の言っていることがわからない。
「つべこべ言っていないで早く入って下さい」と言ったのは別の男。
「この中に入ったら、俺はこいつと話ができなくなる」と、青年はカロルを指し示した。
 青年はカロルが気になるようだ。どうして竜はこんな奴を選んだのか。実際何やかんや言っても、青年にとっても竜は憧れの存在である。イシュタル人なら誰でも多かれ少なかれ竜には憧れる、その強さと美しさに。どのような鍛練をすればああなれるのか。
 結局青年は抵抗もむなしく男たちの能力によって強引にカプセルに押し込まれた。カプセルの蓋を閉め静かになったところで、まだ液体の中で青年は暴れているのだが、それを無視して男たちはカロルの方を向くと、
「おさわがせいたしました」と、頭を下げる。
 カロルは、はぁー? と言う感じにカプセルを眺め、
「息が出来なくて苦しんでいるんじゃないのか?」と、問う。
「彼位の能力があれば呼吸はできますので」
「じゃ、何で騒いでいるんだ?」
「出せと騒いでいるだけです。しばらくすれば皮膚が復元しますので」
「その液体はなんなのですか?」と、クラークス。
「培養液です」
「培養液?」
「はい、細胞の」
 それでネルガル人たちは納得した。
 暫くするとカプセルの中の青年も諦めたらしくおとなしくなった。
 男の一人が床に落ちている剣の前に跪くと空間から紫の袱紗を取り出した。それを静かに剣の上に掛けると、今までの非礼を深々と謝る。暫く剣と対話でもしているかのように動かなかった男が、静かに両手を差し出し袱紗の上から剣を握り持ち上げた。そしてカロルの方に差し出す。
「この剣はあなた以外の人に触れられるのを嫌がっておりますので」
 だが先ほどの光景を見てしまったカロルはなかなか手が出せない。
「大丈夫ですよ。あなたに対してはあのようなことはなさらないでしょうから」
 男にそう言われてもカロルはなかなか受け取ろうとはしない。
「どんな女性だって、いきなり見ず知らずの男性に手を握られたら、平手の一発ぐらい与えたくなるでしょう」
「さっきのが平手だとでも言うのか」
 一歩間違えば死んでしまう。
「そうです、なにしろ相手は白竜様なのですから、あのぐらいで済んでよかったと思うべきです。あなたも経験ありませんか。話が弾み、てっきり好意を抱いていると思って手を握ったら」
 カロルは、うむっ。と唸った。
 そう言われてカロルは恐る恐る手を伸ばした。剣に触れた瞬間、バッチという静電気。カロルは慌てて剣を放した。剣は今度は床の上に投げ出された。
 痛い。という思念と声。カロルは慌てて指をくわえた。
 イシュタル人には両方聞こえたがネルガル人にはカロルの声しか聞こえなかった。
 心配するクラークスたち。だがイシュタル人たちは笑っていた。
「随分、白竜様に好かれておられるのですね。あなたがあまりにも怖がっておられるもので、からかわれたようです」
 そう言うと男はまた剣の前に跪き、
「あまりそのような悪戯をなされますと、彼に嫌われますよ」と、剣に忠告する。
 だが剣は何の反応もしない。男は先程の袱紗を剣に被せると持つあげ、カロルに差し出した。
 カロルは意を決して剣を掴む。だが今度は何も起こらなかった。それどころか暖かいものが、まるで女性の、否、エミリアンの腕でも掴んだような柔らかい感触がした。
「白竜って、女なのか?」
「そうですよ、それも絶世の美女。その姿を見た者で魂を抜かれなかった者はいないと言われるほど」
「そっ、そんな美人なのか」と、カロルは黙り込む。
 しばし考えた後、
「少しおかしいな」
「何がですか?」
「俺の前に現れるのは男だぜ、それも小生意気なガキ。俺はてっきりあいつがこの剣の精かと思っていた。なっ、エドリス」と、カロルは先程からジェラルドの影で怯えているエドリスに向かって言う。
「奴は俺と同じものを見ている。なっ」と、カロルに二度も相槌を求められ、エドリスは嫌々ながらにジェラルドの影で頷く。これ以上、あなた方とはかかわりたくないいう感じに。
「それは、白竜様のお気遣いです」
「気遣い?」
「ええ、青い髪のお姿で現れたら、どんなに美しくともあなたがたは怖がるでしょ。ですから、あなた方が一番親しんでくれるような姿で現れたのです」
「つまり、それが生意気なガキ」
「ええ、その姿が一番あなたが相手をしてくれると思ったからです。でもどのようなお姿であれ現れたと言うことは、私たちからすれば羨ましいかぎりです。白竜様が人前に姿をお見せになるなどめったにあることではありませんから。よほどあなたのことを気に入られたのですね」
「そもそも白竜様には姿があってないようなものなのです」と言い出したのは別の男だった。
「例えば同じ二つのガラスのコップに青い水と赤い水を入れたようなものです。青い水のコップは冷たく感じ赤い水のコップは暖かく感じます、同じコップだというのに不思議なことです。私たちの肉体もこのコッブと同じ器にすぎませんから、中にどのような魂が入ったかによって微妙に見え方が違ってきます。同じ肉体でも澄んでいる魂が入れば美しく見え、濁った魂が入れば醜く見えます。白竜様の場合、魂のエネルギーが強すぎますから魂が完全に肉体を覆ってしまうのです。魂は四次元の存在ですから白竜様に会われた時、実際の三次元のお姿ではなく、こちらが意識したように見えてしまうのです。それで白竜様のお姿は人によって微妙に違ってくるのです。それが絶世の美女と言われる所以です。誰しもが意識の中に美人とはこういうものだというイメージを持っております。白竜様はその姿で現れますから。カロルさん、あなたもあまり人から嫌われることはないでしょう。白竜様が好むぐらいの魂ですから、器はどうであれその中に入っている魂はとても澄んでおられる」
 この言い方、つまり三次元の肉体はたいしたことないが、四次元の魂が澄んでいるからと言うことらしい。褒められているのか貶されているのかカロルは一瞬迷った。だが確かにこの男の言うとおり、あまり人から嫌われたことはない。もっとも妬まれることはいつものことだが。ネルガル人は知らないようだが、魂が澄んでいるとそれは澄んでいないものからすればとても羨ましい存在になる。そして人は自分にないものを持っている人を妬む習性がある。
 カロルはじっと剣を見詰める。絶世の美人なら一目見たかったものを、何であんなガキの姿で。だが実際、女人の姿で出現されたら口もきけなくなるのは必定。やっぱり生意気なガキぐらいが俺には丁度いいのかと思い直した、寂しいことだが。
 カロルは頭を振り考えを元に戻す。確かにこれを俺にくれた奴は、神の生まれ変わりだと一時は噂されていた。だがその実体は俺たち以上に人間臭い奴だ。正義感が強く言い出すときかない。楽しい時は皆で笑い悲しい時は一緒になって涙をこぼして泣く。人を誰よりも深く愛すれば誰よりも激しく憎むこともできる。まさに喜怒哀楽のある人間そのものだ。神などとは到底思えない。否、俺がかってに思い込んでいる神の姿とは超然としていて。カロルはここで思考を停止した。俺は神など信じない。その点においては奴と同類だ。信じるのは自分の力のみ。
 カロルは男たちに視線を移すと、
「これを俺にくれたのはネルガル人だ。イシュタル人ではない」と、きっぱりと言った。
「それでは前世でもらっているのでしょう。竜は一度約束をすれば忘れませんから。どのような方法を取ってでもその剣はあなたの所に戻るようになっているのです。あなたの魂が濁らない限り」
「前世?」
「そうです。前の世代かその前の世代か、紫竜様にもらった記憶はありませんか」
「前世の記憶などあるはずがないだろう」
「そうでしたね、ネルガル人は前世の記憶を思い出そうとはしない。だから同じ過ちを何度も繰り返す」
「悪かったな、何度も繰り返して」
「ええ、本当に迷惑です」
「てっ、てめぇー、他人が下手に出てりゃ、調子に乗りやがって」
「カロルさん、ここは冷静に話し合いましょう」と、言ったのはクラークスだった。
「カロルにその剣をやったのは私の弟だ」と、ジェラルドが話しに割って入る。
 交渉をカロルにだけ任せるわけにはいかないと言う感じだ。
「では、確かにその方は竜ではありませんね。私たちはありとあらゆる動物に転生しますが、ネルガル人だけには転生したいと思いませんから」
「どうして?」と、カロルは友達にでも問うかのように反応する。
「それはあなた方が私たちにした仕打ちを思い出せば解ることです」
「白竜伝説ですか」と、ジェラルド。
 ジェラルドもあの物語は読んでいたようだ。
「そうです。あの物語は真実です。私たちは数万年前にネルガル星から追放された」
「数万年前!」と、カロルが素っ頓狂な声を出す。
「そんな昔の事、覚えてられるか、昨夜食った飯のことだって覚えてねぇーのに。お前たちはそんな昔のことを根に持って、俺たちに復讐しようとして宇宙海賊などやっているのか」
「カロルさん」と、制止したのはクラークスだった。
 カロルは食って掛かるような目つきでクラークスを睨むと、
「そんな何万年も前の記憶にこだわることこそおかしい。だいたいあの書物はお前らが書いたものだ。真実かどうか立証のしようがなかろう」
「やった方は忘れてもやられた方は覚えているものなのです」と、クラークス。
「お前、どっちの味方だ?」
 そう問われてもクラークスにはどちらの味方をするつもりもない。ただ真実を言ったまで。
「何万年もたってもか」
「そうなのでしょう」と、ここら辺はクラークスも曖昧に答えた。
 だいたいそんなに長い間、記憶をたもてるはずはない。ただ唯一の方法としては書き記すことだ。そして読み聞かせることによって子孫に幾度となく刷り込むことだ。だがそれは危険すぎる。なぜならそれらは時代と共に内容が変わって行くものだから。より残虐に記されたり過大に表示されたり、あるいは過少に表示されたり、都合の悪い所は削除されたり、その時代の政治や民衆の感情によって作り変えられて行く。そんなものに頼っていては何時まで経っても恨みが消えることはない。さっさと忘れてしまうべきなのだ。そのために死があり生があるのではないか、前世を全て清算するために。
「いいえ、私たちもそんな昔のことを今更穿り返すつもりはありません。今の問題なのです。イシュタル星は私たちが長い流浪の末、やっと見つけた星なのです。それをあなた方はまた、そこからも私たちを追い出そうとしている。過去に一度それをやって、散々こりたはずなのに、もう忘れてしまったのですか」
 その時の戦いが、白竜伝説を生んだ。青い悪魔の棲む星。

 その時である。いきなりバシャという水の音と共にカプセルの蓋が開き、中から青年が飛び出して来た。
「ひとをこんな所へ閉じ込めやがって」
 見れば黒焦げに焼けただれた皮膚はきれいに復元されている。
「たいしたものですね、ほぼ完治ですか」と、感心する男の一人。
「当然だ、俺の能力をもってすればこのぐらいの傷」
「いいえ、培養液の効果です」と、男は涼しげに言う。
「てっ、てめぇー」
 男の一人が咳払いをする。
「いい加減にしなさい」と。
 どこにでもカロルのような脳みその構造の者はいるようだ。そして不思議とリーダーに納まっている。
「それよりこれからどうします?」と、男の一人が青年に訊く。

 その時だった、レイからの通信が入ったのは。
『司令、ご無事なのですか?』
 戦闘態勢のまま敵と睨み合う形で待機させられ、以後何の指示もないのでどうしたのかと心配した挙句の通信のようだ。相手がシャーやアヅマならテレポートを使うことぐらいレイはボイ星で経験している。こうしている間にも既に旗艦は彼らに占拠されている可能性もあると。異空間を自由に行き来できる彼らに、我々はなすすべを持たない。
「心配かけた、俺たちは無事だ」とカロルが返信を返したその通信機を使って、青年が言う。
「この艦は我々の支配下にある。乗員の生命が心配ならお前らは直ちに回れ右をしてネルガルに戻れ。そうすれば乗員の生命は保障しよう」
 いきなり通信に割り込まれ、どの艦も混乱をきたした。我々の旗艦は一体どうなっているのだと。その中で落ち着いていたのはレイの率いる第7宇宙艦隊の一部の者たちだった。ボイ星でテレポートを使う者たちと共同戦線を張ったことがある。旗艦の中がどうなっているかぐらいは想像がついた。通信を取って来るぐらいだ、いきなり殺すことはないだろう、銃口すら向けていないはずだ。彼らは人を殺すのに武器など必要としない。何が狙いだ。
『我々はあなた方と争う気はない。ネルガルへ帰れと言うなら帰ろう。ただし旗艦も一緒です』と、レイは交渉に出た。
「わかった。じゃ、そうすればよい」
 誰もが青年の言葉に疑問を抱いた。だが青年は自分を取り囲んでいる男たちに視線をやると、
「帰るぞ」と言って姿を消した。
 カロルは何しに奴らは来たのだと思ったが、気づいてみると同じ艦橋でも景色が違っていた。
「こっ、ここは?」




 無論、驚いているのはカロルの旗艦の艦橋に居た者たちも同様だった。
「ジェラルド王子のお姿が!」
「司令官の姿も」と、幕僚たちは慌てる。
 正確に言えば、カロルとジェラルド、それにクラークスとエドリスの姿が消えていたのだが、幕僚たちにとってクラークスとエドリスはあまり重要視していないようだ。




 ここはアヅマ第3宇宙艦隊旗艦の艦橋だった。
「よえこそ、俺の船に」と、青年。
 アヅマの艦は元々は艦船ではなかった。長距離用の客船や貨物船である。それを海賊船に使っているだけなのでアヅマの誰しもが自分たちの船を軍艦とは思っていない。よって我々の船と言うことになる。アヅマ第3宇宙艦隊と命名したのは、第3宇宙商船隊を艦隊に呼び変えただけである。
「俺の船?」
 カロルは辺りを見回した。これと言って何もない円形の空間。壁際に装置類があるのか数人の人がいた。彼らはと言うか彼女たちはと言うべきか、イシュタル人はパッと見、男か女かわからない。衣装も男女兼用なのか、戦闘服と言うよりもは淡い色でグラデーションされたシルクのような素材の布を、前合わせにして紐で縛っているだけだ。ただその紐に個性がある。彼らは、椅子に優雅に座りこちらを見ていた。
「まぁ、立っているのもなんだから座れば」
 青年にそう言われても椅子など何処にもない。カロルは辺りをキョロキョロ見回した。
「あっ、悪いな、今、用意する」
 青年がそう言うと目の前に椅子とテーブルが現れた。どこから? と言う疑問の前に誰かに体を抱えられたかのようにふんわりとその椅子に座るはめになった。無重力は経験しているがそれとはまた違う感覚だった。椅子はこれと言って何の変哲もない、だが座り心地はよい。一見木で出来ているのかと思ったが木ではなさそうだ。だが不思議と木のような温もりがある。
 座って落ち着いたところでエドリスが騒ぎ出す。
「この三人を拉致するのは解る、身代金も星の数ほどふんだくれるからな。だが俺など拉致したところでパンの屑ほどの得にもならないぞ」
 何の身分も階級もない一兵卒である。死のうと生きようと誰も嘆く人はいない。
「そうだな、ネルガルとの取引にはお前は何の価値もない」
 青年にはっきりそう言われてエドリスは一瞬喜びかけたが、価値がない以上この場で処分されてしまう可能性を想像し笑顔になるはずの顔がひきつった。
「だがお前も白竜に会っているからな。お前らが言う身分だの階級よりそっちの方が俺たちには価値がある」
「俺は白竜など見たことはない。白蛇なら見たことがあるが」
「ほー、白蛇も見るのか。面白い奴だ」
 帰してもらうつもりで言った言葉が、ますます不利に働いたことを悟ったエドリスだった。
「俺たちをどうするつもりだ?」と、カロル。
「アヅマの要塞に連れて行く。会わせたい奴がいるのでな」
「会わせたい奴?」
「俺たちの要塞も見たいだろ。随分探しているようだから」
 カロルは黙り込む。確かに今軍部は、宇宙海賊の基地をやっきになって捜している。自分たちから案内してくれるとは有り難いことだが、
「そこに連れて行って、俺たちをどうしようと言うのだ」
「そう怖がることはない。別に煮て食おうなどとは思っていないからな。あいつに会ってもらえばいいだけだ」
「あいつ?」
「いけ好かネェー奴さ」と、青年は吐き捨てるように言うと、
「戻るぞ」と、周りの者たちに指示を出した。
「ちょっと待ってくれ。俺たちの艦隊は今どうしている?」
「お前たちの行方を捜している」
「なら、彼らに連絡を取らせてもらえないか」
「ここに居るとでも教えるつもりか、教えても無駄だぞ」
「ああ、そのぐらい知っているよ、四次元に逃げられたら俺たちは手も足もでない」
 彼らとの幾度とない交戦の中でそれは学んでいた。唯一立ち向かえるのはルカだけである。だから軍部はルカ王子の軍への復帰を待っているのだ。
「ネルガルへ戻るように指示するだけだ。あそこに居てもしょうがないだろう」
「それもそうだな」
 青年はオペレーターの方に顎をしゃくった。明らかに女性だろう、髪が長い。だが待てよ、こいつの幕僚とおぼしき男にも長い奴がいる。
「通信ができますよ、どうぞ」と、オペレーター。
 やはり女だった。美しいソプラノだ。カロルは何故かほっとする自分を感じた。彼女が男だったら、俺の人生も危うい。
「誰に繋がっているだ?」
「全艦に」
「うっ、嘘」
 一斉に声が飛び込んで来た。要約すれば、司令、無事でしたか、何処に居るのですか。というところだ。
 カロルはその中からレイを呼び出した。
『ご無事でしたか』と言うレイのほっとする声。
「レイ、それに他の者たちもよく聞いてくれ。俺たちは今からアヅマの要塞へ向かう」
 カロルのその言葉に動揺している様子が通信機を通して伝わって来る。
『ジェラルド様も御一緒なのですか』
「ああ、一緒だ。元気でいるから心配しないでくれ。彼らは俺たちに手を出す気はないらしい」
『皆さん、ご無事なのですね』
「ああ。案内してくれるそうだから、ちょっと行ってみる」
 そんなご気楽な。と誰しもが思っていると、
「だから、お前たちは一先ずネルガルへ戻れ」
『しかし』とレイがその後の言葉をどう続けてよいか迷っていると。
「彼らの生命は保障しよう。ある人物に会ってくれればまたネルガルへ戻す」
『ある人物?』
『アヅマですか』とアルシャ中将が問う。
「いや、親父ではない」と、青年は答えた。
「もっとも親父に会いたければ会わせてやってもよいが」
「親父って、お前、アヅマの倅だったのか」
 今更ながらに驚くカロル。
 だからこいつ、威張っていやがったのか。親の七光りめ。人のことは言えないカロルである。
「まあ、そう言うことだ」
 そう言われても、ジェラルド様を拉致されて御身大事さに逃げて来たのかと言われるだけだ。
『シモン様にはどのようにお伝えすれば』
 うむっ、姉貴に。カロルもここは言葉に詰まった。下手なことを言えば軍艦砲より怖い平手が飛んでくる。あれは百発百中だ。避けようものなら百倍になって返って来る。数光年離れていてもその恐怖の呪縛からは解放されないカロルである。
「待つように伝えてくれ」と言ったのはジェラルドだった。
「せっかくの招待だからアヅマの要塞を偵察して来ると」
『畏まりました』と言ったものの、責任を追及されるのは必定。
 だが既に敵の姿は何処にもない。何処から通信が入って来ているのかもわからない。よって探すにも探しようがなかった。ここに何時までも居てもらちが明かない。それよりここはいったん引き揚げ、策を練ってから出直した方が。




 カロルたちは自分の戦艦からアヅマ第3宇宙艦隊の艦橋に移されたように、いつの間にかアヅマの要塞の格納庫に移動していた。時間はものの数分。その数分とはレイと通信をしていた時間である。その時間がなかったら戦場からここまでの移動はものの数秒だったのだろう。要塞がどのような形をしているのかすら見る術もなかった。無論、何処にあるかなど時間から割り出すこともできない。
「ここは、どのあたりなのですか?」と問うクラークスに対し、
「さぁー」と、肩をつぼめて見せるイシュタル人。
 さすがに要塞の位置は教えるつもりはないようだ。
「こっちだ」と言われ艦から出たとたん、人、人、人の山である。
「そんなにネルガル人は珍しいものなのか」と、カロル。
「いや、彼らが見たがっているのはネルガル人ではない。竜の恋人さ。ネルガル人など掃いて捨てるほどいるからな。だが竜の恋人にはめったにお目にかかれない。なにしろ竜自体に会うことがかなわないから、せめて竜が愛した人物ぐらい拝みたいと思っているのさ。どんな魂の持ち主なら竜が近づいて来るのかと」
「つまり、目的は俺」
「そう言うことになるかな」
 だがカロルにはピンとこなかった。だいたい自分がそんなに出来た人間だとは思っていない。それどころか優秀な兄貴たちからはクリンベル家の恥とまで言われている。それに魂、魂と言うが、魂の存在自体あやふやなのに、魂に色や形があるなどと言われても。
 要塞の入り口で武器は没収された。だがカロルの持つ剣だけは誰も触ろうとしない。
「いいのか、これも取り上げなくて」と、カロルは剣を差し出す。
「その剣は、取り上げるだけ無駄です。どんなことをしても直ぐにあなたの所に戻ってしまいますから」
「剣がかってに」
「そうですよ、経験ありませんか」
 カロルは思い出していた。戦場で剣をなくしてしまっても必ず思い出すと傍にあったことを。そうだ、とっさの出立で忘れてしまった時でも、何で俺を忘れて来たとばかりに追い回された。敵に徴収されてもいつの間にか傍にある。そのおかげでどれだけ命拾いをしたことか。
「そうだ、こいつは自分から付いて来るんだ」と、カロル。
 それは戦場をカロルと共に駆け回って来たエドリスも知っていた。だからこそ、気味が悪い。だが助けてもらったことも再三。よってカロルの部下たちは、気味は悪いが害にならなければ良しとしようという結論に達していた。
「どんなに厳重に封印してもその剣は必ずあなたの所へ戻るのです。そしてあなたを守るのです。未来永劫、あなたの魂が腐らない限り」
「未来永劫?」
 イシュタル人は頷く。
「これから数千年、否、数万年、あなたがあなたである限り」
「数千年って、おれはそんなに長生きできない」
 イシュタル人は笑った。
「一つの肉体を千年も持たせることができるのは竜ぐらいなものです。一般の人はそんなに長生きできません。転生です」
 これがイシュタル人の死生観。
「それに俺は昨日のことだって覚えていられないんだ」
 テストがいい例だ。昨夜あんなに暗記したって。
「大丈夫ですよ、あなたが忘れても竜は覚えておりますから」
 カロルは黙り込んでしまった。こいつは一体何者なのだ。と剣をまじまじと見詰める。

 そうこうしている内に気づけばある部屋に通されていた。
「こちらの部屋でよろしいですか」
 そう問われてもどう答えてよいかわからないカロルだった。目の前に広がっているのは部屋と言うよりもは、何もないただの円形の空間。通路を歩いた覚えはない。またテレポートか。確かに移動は早いがこの部屋が宇宙船の格納庫からどこら辺に位置しているのかさっぱりわからない。格納庫より上なのか下なのか、それとも右なのか左なのか。要塞のどこら辺に位置しているのか。これでは逃げ出そうにも方向も距離もわからない。腕に携帯している位置情報システムも作動していない。
「全員一緒の方がよろしいですか、それとも個室の方が」と、イシュタル人がカロルの思考に関係なく問う。それに即答したのはエドリスだった。
「全員一緒がいい」
 自分がこんなことを言える立場でないことは重々承知だった。下手をすれば俺が独りにされる可能性は高い。なぜなら、俺だけが貴族ではないから。
「寝室は二人ずつにしてもらえないか。その方が落ち着ける。そしてここを皆が集まる居間に」
「かしこまりました」
 イシュタル人がそう答えると同時に壁に二つの穴が開いた。中を除くとそれぞれに部屋がある。寝室なのだろうがベッドも何もない。
「内装はこちらのタブレットで」
 そう言われて小型のタブレットを渡された。調度品は画面上の好きな物をクリックすればその場に現れると言う。
 どこからか移動して来てはいるのだろうが床からせり上がって来たわれではない。
「これも、テレポートなのでしょうか」と、クラークス。
 壁も床も天井も好きな柄にできる。嫌なら何度でもやり直せる。
「結構、おもしろいスね」と、エドリス。
 恐怖はどこへやら、ゲーム感覚で内装をアレンジし始めた
「気に入っていただけましたか、その装置。それでは部屋のアレンジが済むまで私は別室で待っておりますので、終わりましたら呼んでください」
「どうやって呼べばいいスか」と、エドリスは素直に疑問を投げかけながらもタブレットの操作を止めない。
 クリック一つで好みの椅子とテーブルが現れた。まるで手品か魔法のようだ。
「失礼ですが、お名前は? 先ほどから誰も名乗らないもので」と、クラークスは部屋まで案内してくれた男に問う。
「イシュタル人に名前はありませんので好きなように呼んでください」
「好きなように呼んでくれと言われてもな」と、カロル。
 カロルはイシュタル人に名前がないことは既にルカから聞いて知っていた。
「じゃ、この艦での通り名は?」
 通り名やあだ名ならあることも。現にハンメンス公爵の館にいるイシュタル人には怠け者というあだ名が付いていた。
「ここでは名前を呼ぶ必要がないのです」
「名前を呼ぶ必要がないとは。今はいいですよ、あなた一人しかいない。ですが何人も居る中からあなたを呼び出したい時、どうすればよいのでしょう」
「その時は、こうすればよいのです」
 目の前のイシュタル人がそう言った瞬間、頭の中で自分を呼ぶ声が聞こえたのを感じたクラークス。だが名前を呼ばれた訳ではない。ただ君と呼ばれただけだ。そして周囲を見ても誰も何の反応も示していない。
「今のはあなたにしか聞こえておりません」
「今のって?」と、カロルがクラークスに問うが、クラークスはそれには答えず、
「テレパシーですか?」と、イシュタル人に問う。
「私たちはその人に話しかけたい時はその人にだけ話しかけます。よって全体からその人を呼ぶ必要はないのです。皆に話す時のみ音声を使います。もっともそれすらテレパシーでやることが多いですが。テレパシーの方が言葉を使うより正確で早いですから。イメージがそのまま伝わりますので」
「そういうものなのですか」と、テレパシーを使えないネルガル人たちは納得するしかない。
「ですが私たちネルガル人はテレパシーは使えませんので、全体から個を取り出すとき名前を呼ぶしかないのです」
「それは不自由ですね」とイシュタル人に言われ、クラークスたちは何も答えられなくなってしまった。
「だが実際、イシュタル人全員が名前がない訳ではないだろう。その場その場の通り名はある」と、言ったのはカロルだった。
 カロルは以前イシュタル人に訊いたことがある。通り名を必要としないのは高い能力のある者だけ。イシュタル人全員が高い能力があるとは限らない。
「ええ、確かに通り名を持つものはおります。しかしこの要塞に居る者で持っているものはおりません」
「つまりこの要塞に居るものは、イシュタル人の中でも特に能力がある者たちということか」と、カロル。
 ルカから聞いたことがある。イシュタル人の中で能力に優れている者はネルガル人が侵略して来る前に、既に別の惑星に移動しネルガルへの攻撃準備をしている可能性があると。つまり、こいつらのことか。アヅマはただの宇宙海賊ではない。これもルカの口癖だった。彼らとどうにかして交渉したいと、それがネルガルを助ける唯一の方法だと。

 皆がいろいろ考える中、一人はしゃいでいるのはエドリスだった。
「隊長、こんなのでどうっスか?」
 カロルは出来上がった部屋を見て絶句した。
「なっ、なんだ、こりゃ。お前の脳みそはどういう構造をしているんだ」
 これはカロルがよく一族から言われる台詞だったのだが、今、その意味がはっきりわかった。
 エドリスがデザインした部屋は床だけを取ってみても、石の所あり、木造の所あり、タイルの所あり、あげくに芝。壁も似たり寄ったりである。木目調だったり花柄だったり格子柄だったり幾何学模様だったり、材質もちぐはぐなら色もカラフル。家具に至っては表現のしようがない、いつの時代の何処の民族のものだ。こいつの脳みそには静寂という単語がないのか。
「なんでたいして広くもない所にこれだけの種類の物が?」
「だって、どれも捨てがたいっス」
「いいから、俺に貸せ」と、カロルはエドリスから強引にタブレットをひったくると、壁や床や天井は単調なものにし、家具は必要最小限度の物を置き、終わらせてしまった。
「こっ、これじゃ、味気ないっスよ」
「味など、食い物で十分だ」
 ジェラルドたちも部屋をアレンジした。こちらはさすがに貴族、格調高く落ち着いたおもむきである。
 居間ではイシュタル人が待っていた。
「そのタブレットは置いておきますので、飽きたら何時でも模様替えしてください」
 案内役のイシュタル人がそう言った時である。あの黒焦げの青年(今ではすっかり火傷はなおっている)が空間からいきなり現れた。
「親父に会わせてやるよ、お前に会わせたい奴がそろそろ戻って来るからな。帰還するとまず親父に挨拶に来ることになっているんだ」
 つまりこの青年はアヅマに会わせると言うよりも、帰還してくる人物に会わせたいようだ。
「俺たちに会わせたい奴とは?」と、カロルは慎重に訊いてみた。
 この青年の目的はどこにあるのか。
「だから、さっきから言っているだろう、いけ好かねぇー奴だと」
 それじゃさっぱり解らないとカロルが言い返そうとした時、既に周りの景色は変わっていた。また、テレポートか。今度は何処だ?
 そこは村と言ってもよかった。緑の草原の中に小さな円形のドームが幾つも並んでいる。ドームには入口らしきものと窓らしきものが付いていた。頭上には真っ青な空が広がり筋雲のようなものがたなびいている。そしてそのドームの近くでは子供たちが遊び、婦人たちが楽しそうに会話をしている、何処にでもありそうな田舎の風景である。その片隅に私たちは移動させられた。
 やはりここは何処かの惑星なのか、要塞かとばかり思っていたが。
 カロルのそんな胸の内を読んだのか、青年が答えた。
「ここは惑星ではない。要塞だ」
 カロルはむっとした顔で青年をにらんだ。
「この剣と同じだな、読心術が使えるのか」
「読心術ではない。お前が私にテレパシーを発したから受け止めただけだ」
 同じようなことをこの剣にも言われたことがあるが、
「俺は、テレパシーなど発した覚えはない」と、剣に答えたのと同じように答えた。
 青年はやれやれと言う顔をした。
「ここは、本当に惑星上ではないのですか」と、クラークスがかっとなっているカロルに代わって訊き返した。
「ここは要塞の中です。あなた方が壁紙を張り替えたように私たちは村を作っただけです」と答えたのは案内人。
「では、この村は絵? それにしてはリアルすぎる」
「いいえ、実際にこの要塞の住人が生活しております。あなた方ネルガル人は個室を好むようですが、私たちイシュタル人は集団を好みます。よって部屋もこのような形になります」
「部屋?」と、疑問を持ったのはカロルだけではなかった。
「一つの空間をどのように作るかはその人の自由ですから。もともとこの要塞にはたいした仕切りはないのです」
 一つの空間を自由に仕切って使っているというのが実情のようだ。
「空間を仕切ることが部屋と言うなら、このような空間も部屋ということになるのでしょう」と、クラークスは納得しようと努力しているようだ。
 とにかく相手はイシュタル人、我々とは感覚が違う。
 この部屋と言うより村には、緩やかな螺旋を描きながら中央へと延びている通路(道)があった。青年はその道を中央へと歩みだす。必然的に私たちもその後を付いて行くような形になった。村には老若男女、いろいろな世代の人々が居た。要塞と言うから戦闘員が中心なのかと思いきや赤ん坊まで居る。
「赤ん坊だからと甘く見ない方がいいですよ、あれでも彼女、私よりはるかに能力がありますから」と、言ったのは案内人だった。
 この要塞は能力のある者しか入れない。
 螺旋の道がまっすぐになった所で一際大きなドームが目に入った。
「あのドームが集会場、兼、親父の家だ」
 ちょうど村の長老の家と言う感じである。
 ドームの扉は自動で開いた。やはりここら辺は近代科学的な創りになっているようだ。中はがらんとしていて広い。集会所と言うので椅子やテーブルが整然と並んでいるのを想像していたが実際は何もなかった。ただ木目調の床が広がっているだけ。木目調と言っても材質は木ではないようだ。
「親父、連れて来たぜ」
 青年の言葉に奥方なのだろうか、にこやかな笑顔で、
「ようこそお越しくださいました、竜の恋人さん」と、声を掛けて来た。
 どうやらここでの俺の通り名は竜の恋人らしい。
 奥方の隣りに居るのがアヅマのようだ。宇宙を股にかけて荒らし回っている海賊だから相当ごつい男を想像していたが、意外に華奢な男だ。だがイシュタル人にしてみれば体格のいいほうだろう。イシュタル人はネルガル人に比べて華奢である、重労働をしたことがないような。こいつ等武器や食料を担いで長時間遠征などしたことなどないのだろう、いつでもテレポートで。もっとも宇宙船の中からボタン一つで相手を打ち落とす戦闘では、そんな重いものを担ぐ必要もない。野戦になれば断トツでネルガル人の方が強いと、その体系からかってに思い込んでいるカロルである。相手がテレポートを使うことをすっかり忘れて。
「どうぞ、こちらへ」と、案内されたのはドームの片隅、そこには食事の用意がなされていた。
「お腹、空いておりませんか」と夫人が問う前に、テーブルの上の美味しそうな料理を見たとたん、カロルの腹の虫は素直に鳴いた。
 そう言えば、今、何時だ。否、何日だ。いろいろな出来事があった上に長距離移動。否、長距離移動だと思う。時間どころか日付の感覚までなくなっていた。
 促されるままテーブルに着くと、さっそくカロルは食べ始めた。
「カロルさん」と、そのマナーの無さを咎めようとするクラークスに、頬張りながらカロルは答える。
「どうせ彼らは、自己紹介などする気はないぜ」
 カロルのその返答を無視してクラークスは問う。
「アヅマさんとお呼びしてもよろしいですか」
「ええ、それで結構です」と、アヅマ。
「やっぱ、名前がないんだ」と、カロルは確信した。
「ここでは必要ありませんから」と、アヅマはあっさり答えた。
 何か話しづらいと言いながらお互いに当たり障りのない会話をしていると、
(第17宇宙艦隊、帰還しました)と言う思念。
 この思念がなくともこの要塞にいるイシュタル人なら誰でも気づいているが、カロルたちにはこの思念すらキャッチすることは出来なかった。
「いよいよ奴が来るぜ」と、青年が言うが早いか、ドームの片隅に三人の人影。
「ただ今、戻りました」
 いきなりの挨拶、こちらの状況は一切考慮しないようだ。だがアヅマたちはそこに現れるのが既に解っていたようだ。
「ご苦労だった、して、首尾は?」
「また、空振りでした」と、肩を落として答えたのは背後の男。
 前に居るリーダーらしき男は何の反応も示さない。
「それは、残念でした。まあ、どうぞお掛け下さい」と、労をねぎらい椅子を勧めるアヅマ夫人。
 だが背後の二人はネルガル人が居るのを見て露骨に嫌な顔をした。
「どうして、ここにネルガル人が?」
 そう問いただして来たのは先程とは別な男性。否、見た目は男性のようだが声からして女性のようだ。ショウトヘヤーが良く似合う。だがそう問いただすと同時にその女性は首を傾げた。違和感、次元を歪めるほどの強いエネルギー。必然的に視線がカロルの剣へと向かう。
 それを見てとって、ここぞとばかりにアヅマの倅が話し出した。
「また、収穫がなかったようだな。竜を探すために結成したと威張っているわりには」
 アヅマ第17宇宙艦隊はアヅマの中でも特異な存在だった。彼らはアヅマが結成された後に加わった艦隊である。イシュタル人の中でも特に能力に長けた者の集団で、アヅマの仲間たちですら恐れている存在である。彼らの目的はただ一つ、竜を探し出すこと。よってアヅマの結成目的であるイシュタル人の救出とは行動を別にしていた。共同戦線を張ることも滅多にない。仲間である以上しかたないから加わることはあっても、非協力的な彼らをアヅマのメンバーたちは余り快く思っていない。ただ当主であるアヅマが仲間として認めているから容認しているだけで。実際彼らは、個人プレーはすぐれていても17艦隊としての結束もないため、勝てる相手にも負けなかったという程度で引き揚げて来ることがしばしばである。ヒーローが多すぎて統率が取れないからさ。と言うのがアヅマ内でのもっぱらの陰口である。アヅマに言わせれば彼らを統率できるのは彼らより能力のある竜だけだろうと。よって竜が見つからない限り17艦隊が本領を発揮することはない。宝の持ち腐れと言う所だ。
 アヅマの倅は自信たっぷりに言う。
「こっちにはあったぜ、こいつさ」と言って、カロルを指し示す。
「竜の思い人だ」
 それを聞いて背後の二人は驚く。だがリーダー格の人物は平然としていた。
「竜の思い人ですって! 彼はどう見てもネルガル人だわ」
 どうしてネルガル人が竜の恋人に?
「それは確かにその剣から発するエネルギーは強い。しかしその位のエネルギーなら我々の中にも」
 居るだろうか? と男は自分の言葉に疑問を抱いた。我々が敵意を示せば示すほどその剣から発せられるエネルギーは強くなっている。一体どれだけのエネルギーがこの剣には? 今の状態でも我々に防御できるかどうか疑問だ。そう思った瞬間、その思念を捕らえたかのように、
「あまり怒らせないほうがいい。これ以上エネルギーを注入されたら我々でも防御しきれなくなりますから。我々が束になってかかってもかなう相手ではありません」と言ったのはリーダー格の男。
「あなたは、彼が本物の竜の恋人だとでも言うの、彼はどう見てもネルガル人よ」
「白竜様には相手がお見えにはなりませんから、紫竜様がイシュタル人だと言えばそれを信じるしかありません」
「それ、どういう意味?」と、背後に居た女性はリーダーに詰め寄る。
 リーダーは背後の女性の方に振り向くと、
「竜があなた方の願いを聞き届けるとは限らないと言うことです」
「紫竜様はネルガル人の味方、とでも」
「さあ、私にはあの方のお考えは理解しかねますから」
 リーダー格の人物はいかにもその紫竜を知っているかのように話した。そして改まってカロルの方を向くと、
「初めまして、カロル・クリンベルク・アブロニア大佐。私はこの船ではラクエルと呼ばれております。嘘つきと言う意味です」
 本人から堂々とよいイメージでもない名前の意味を聞かされ、どう反応してよいか迷っているカロルに対し、ラクエルは言う。
「クリンベルク将軍はお元気ですか」と。
「どうして、親父のことを?」
「お噂はかねがね」
 そうか、敵の間でも有名だからな。とカロルは納得する。
「それに、あなたにその剣を与えたルカ王子もご健在ですか」
 そう訊かれてカロルが答えに躊躇していると、
「あっ、ルカ王子は今はネルガル星にはおられないのでしたね」
 カロルは訝しげな顔をしてラクエルを見た。こいつ、何が言いたい?
 そう思ったのはカロルだけではないようだ、彼を取り巻くイシュタル人たちも訝しげな顔をしている。だが、ラクエルと呼ばれている男は辺りの空気を気にしないようだ、アヅマの方に向き直ると、自分の要望を言う。
「十日後の出航を許可願います」
「十日後って、今、帰って来たばかりなのよ」と、女性。
「標的と日程は、私が決めてよいことになっておりますから」
「それは、竜を探しに行くという意味でだ」と、男の方が言う。
 そもそもこの男(ラクエル)に竜を探しに行かないかと持ちかけられ、この船に乗り込んだのだ。竜の気を感じ取れると言うこの男の言葉を信じて。だがこうも空振りでは、それでこの男に付けられたあだ名がラクエルである。
「そうです、竜を探しに行くのです」
「そう言って、何時も空振りだわ」
「何十回、付きあわされたことか」と、苛立たしげに男が言うと、
「私の通り名はラクエルですから」と、ラクエルはいけしゃあしゃあと言う。
「きっ、貴様」と、男は思わずラクエルの胸倉を掴みあげた。
 ラクエルはその男の手を静かにはらいのける。
「今度はおりますよ」
「何度、その言葉を口にした」と、男は怒りを抑え付けながら。
「羊飼いの少年のオオカミが来たですか。でもあれは全て真実だったのですよ。少年は確かにオオカミの姿を見ていた」
「お前も、竜の気をそこに感じていたと言うのか」
「どちらへ?」と、険悪な雰囲気を和らげるかのように問うアヅマ夫人。
「M13星系第6惑星です」
 それを聞いてカロルたちが驚いた。そこはルカが流刑された惑星。
「そこに本当に竜がおられるのですか」と問うアヅマ夫人に対し、
「ネルガルの強制収容所があります。イシュタル人もかなり収容され、過酷な労働を強いられております」と、ラクエルは竜とは関係ない答えを言う。
「そうですか」と夫人の顔は沈む。
 どれだけのイシュタル人が何の罪もないのに平凡な日常生活をネルガル人の手によって奪われたことか。家族は離散し収容所へ送られて行った。
 拉致されたイシュタル人を救出するのがアヅマの本来の目的。収容所内のイシュタル人を救いに行くと言われれば許可を出さないわけにはいかない。だが何時までもこんなことをしていても埒が明かない。その根源を断たなければ、それにはどうしても白竜様のお力が。
「やっぱり今回も憶測ね。イシュタル人が沢山収容されているからその中に、と言う訳ね」と、女性はがっかりしたように言う。
「今度はおりますよ、嘘だと思ったら彼に聞いてください」と、ラクエルはカロルの方を指し示した。
「彼にあの剣を与えた人物が、そこに居るはずです」
「彼にあの剣を与えた人物はネルガル人だ。ネルガル人が竜のはずはない」と、男はもう我慢の限界だとばかりに言う。
「あなたは、どうして竜がネルガル人に転生しないと決めつけるのですか」
「決まっているだろう。ネルガル人は宇宙の屑だ。高貴な竜が屑のような生物に転生するはずがない。ネルガル人に転生するぐらいなら、ゴキブリに転生した方がまだましだ」
「それではゴキブリに失礼だわ、ネルガル人と同列にするなんて。それはどちらも宇宙の嫌われものだけど、まだゴキブリの方が可愛さがありますもの」
「ちょっと待て、他人が黙って話を聞いていれば」と、カロルが割って入った。
 するとラクエルの背後にいたイシュタル人は、まるで汚物でも見るかのような視線をカロルに向けた。
 こっ、こいつら。カロルは言葉を失う。自分たちが他の惑星の人々からよく思われていないことは知っていた。だがこれほどまでの視線を受けたのは初めてだ。他の惑星の人々はネルガル人の力を恐れ、自分たちの感情を態度に出すことはなかったから。
「許可しよう」と、アヅマ。
「だが彼女が言うとおり、今戻って来たばかりだ。十日ぐらいの休養でよいのですか」
「たいした成果をあげたわけではありませんから」
「本当に竜がいるのなら、明日にでも出立してもかまわないが」と、男は言う。
「ネルガル人相手では、戦った気もしない。今回のネルガル艦隊の百や二百、私一人で十分だと言うのに、余計なことするから取り逃がしてしまった」
 結局これがアヅマ第17艦隊の弱点である。連係プレーが取れないのだ。
「明日では、早い」と、ラクエル。
「早いって?」
「白竜様と紫竜様が出会うのを今まで待っていたのです。出会って仲直りをするのを」
「仲直りって、白竜様と紫竜様でしょ。白竜様と紫竜様と言えば」
 仲の良いものの象徴。
「ところが中には、仲の悪い方もおられるのですよ。だいたいネルガル人に転生するぐらいですから」
 これにはイシュタル人たちは驚いた。
「どうして? 自分で自分を嫌うようなものではないですか」と、女性は言いつつ、
「まあ世の中には自分のことを嫌う人もいますが」と、訳ありげに言い納得する。
「それは十日後にお会いできると思いますので、本人の口から直接聞いてください。先程も言ったとおり、私にはあの方は理解不能ですから」
 そう言うとラクエルはアヅマの方におもむろに一礼し、
「旅の疲れを癒したいと思いますので」
「どこが疲れているのだ。お前は座標だけ示して、後は私たちに任せて、戦いが終わるまで船の中で昼寝していただけだろう」
 アヅマは怒り心頭にきている男を抑えながらラクエルに対し頷く。
「ご苦労でした。ゆっくりしてください」
「それではお言葉に甘えまして」と、ラクエルはいけしゃあしゃあとその場から消えた。
「なんなの、彼は。彼が一番何もしていなかったのに」と、女も呆れたように言う。
「あなた方に何を言っても無駄だと、はなから諦めているからではありませんか」と、アヅマ夫人。
 夫人のその言葉に男と女は顔を見合わせた。
「あなた方は自分の力のみを信じ、他人と協力しようとはしない。彼は、最初から白竜様の居場所を知っていたのでは」
「では何故、私たちに白竜を探しにいかないかと声を掛けて来たの。知っているなら何も探す必要はないわ、迎えに行けばいいだけで」
 ラクエルはイシュタル人の中でも特に能力のある者を集めていた。
「眷族は竜がこの世に誕生する前から、その居場所がわかるそうです」と、話し出したのはアヅマ。
「彼らは白竜様の力が完全になるまで白竜様と紫竜様をお守りするのが任務ですから」
「だったら、生まれる前に竜の傍に駆けつけたらいいだろうに。どうしてそうしないのだ」
「ネルガル人に転生されたからではないの。どうしてよいのか。言っていたでしょ、あの方は理解できないと」
 女性の言葉に男は納得する。だが、どうしても納得できないことがあった。
「それにしては奴の能力は低いと思わないか。あれなら私の方が」
「眷族には武で仕える者と文で仕える者の二種類あって、おそらく彼は文で仕えていたのでしょう、頭はキレそうですから。文で仕えるのならあのぐらい能力があれば十分です」
「随分、あなたは眷族に詳しいのですね」
 アヅマは苦笑すると、
「私の友人で眷族になった者がおりますから。一億年も前の話しになりますが」
「あなたは、何故ならなかったのですか」
「恥ずかしい話ですが、彼らの能力の高さに怖気づいたとでもいいますか。あの時、初めて恐怖というものを感じました」
「あなたほどの能力者ででもですか」
 アヅマはまた苦笑すると、
「私の力など、友人のそれと比べれば足元にもおよびません。ですがここ数千年、彼とは連絡が取れなくなっております。眷族になってからも転生すれば必ず連絡を取り合っていたのに。何処でどうしているのか」
 心配そうな顔をするアヅマ。
「親父の知人に眷族が居たなんて、初耳だな」
「奴が、眷族だという証拠は?」
「証拠などありません。なんとなくそんな気がしたのです」
「でも、竜があんないい加減な人を眷族にするとは思えないわ」
「だが彼の知略は確かです。おそらく彼の知略とあなた方の能力があればネルガル星など敵ではないのでしょう」
「やっと勝っていると言うのにか」
「それは、あなた方が彼の言うことを信用しないからです」
「信用しないって、あんな嘘つきを」
「本当に彼は嘘つきなのでしょうか。あなた方が彼をそうしてしまったのでは」
 確かに奴の指示など仰ごうともしなかった。
「では何故、彼はネルガル星を攻撃しない?」
 勝てるならそうすべきだろう。いくら収容所を破壊したところで、ネルガル人がいる限り、またイシュタル人は捕らえられ収容所に送られる。これではいたちごっこもいいところだ。
「おそらく先程の紫竜様の存在があるからでしょう」
「紫竜様?」
「もし紫竜様がネルガル星におられるのなら、ネルガル星を攻撃すると言うことは白竜様に向かって矢を放つようなものです」
 後は言わずもが、イシュタル人ならその結果は誰もが知っている。
「それで紫竜様がネルガル星を出るように計らったと」
 カロルは村の庄屋たちの話しを思い出していた。エルシア様は村の守り神だけではなくネルガル星の守り神なのだと。この村に居るだけでネルガル星を守っておられる。そうだったのか、ルカがネルガル星に居る限り、こいつら(イシュタル人)は攻められないんだ。だが今、ルカはネルガル星を発ってしまったと言うことは。カロルは恐る恐る彼らを見た。
「では、今がチャンスではないか、ネルガル星に総攻撃をかける。何もぐずぐずしていることはない。彼の知略と私たちの能力があれば勝てると言うなら」
「そうね、何も白竜様に頼みに行かなくとも」
「それはどうかな」と、アヅマ。
「紫竜様はおられなくとも、彼が居ます」と、アヅマはカロルを指し示した。
「彼がネルガルへ戻りたいと望めば、その剣はどんなことをしても彼をネルガル星へ送り届けます。それを私たちが阻止することはできません。能力が違い過ぎますから。そして彼がネルガル星を守りたいと望めば。今私たちの仲間で彼からその剣を奪うことができる者は誰もいない。そんなことをしようものなら、私の倅のように大火傷をおうのが落ちです」
「でも彼はネルガル人よ、そのことをはっきり言えば白竜様だってお解りになるわ」
「それが言えるのは紫竜様だけです。でも紫竜様はそうしなかった。どうしてでしょう」と、言ったのはアヅマ夫人。
「そもそも白竜様が見ることができるのは魂だけですから、何度も言うように魂にはイシュタル人もネルガル人もありません。それどころか犬も猫もゴキブリもありません。生きとし生けるもの、否、魂はエネルギーの塊ですから、その姿であり続けようとする物質には全て魂が宿っております、例え石でも。そこには生も死もないはずです。それにいろいろ装飾するのは三次元に肉体を持って存在する私たちの特権です。肉体を亡くせば死ですし、肉体の形が違えば犬だの猫だのゴキブリだのと言い、思想が違えばイシュタル人だのネルガル人だのと言っているだけです。白竜様は肉体を見ることが出来ないのですから、白竜様にとっては全て同じく見えるはずです。エネルギーの塊として。何の違いもないエネルギーの塊を、何をもって私たちが区別しているのか理解に苦しんでおられるのでは」
「つまりその違いを助言するのが紫竜様と言うことか」
「そう言うことになりますね」
「同じボールを見せられ、こっちがAでこっちがBと言われても、ぐるぐるかきまわされれば、印でもついていない限りどっちがAだかBだか解らなくなるのと同じね」
「そういうことになりますね、白竜様に見える魂(エネルギー)の違いといえば、その大きさぐらいですから。輝きと大きさはお見えになられるようですから」
「その人が生きているか死んでいるかも」
「解らないのではありませんか」と、アヅマ。
「もっともこれは眷族になった私の知人から聞いた話です。最初は白竜様の感覚が理解できなくて苦労したと。だが白竜様からすれば私たちの感覚が理解できなくて苦労しておられるのでしょう」
 その部屋に居た者たちは暫し黙り込んだ。白竜の感覚に思いをはせているようだ。
「つまり紫竜様は自分がネルガルを離れた時の用心に、彼を」と言ったのは男。
「そう言うことになるのでしょうか」
「どうして?」と、疑問を口にしたのは女性。
「紫竜様のお考えがわからない」
「それは竜の本質を知れば」と、アヅマ夫人。
「古より、竜は清らかな水辺の淵で昼寝をしているのが好きなのですよ。争いは好まない」
「私たちがネルガルを滅ぼすことを、竜は快く思わないと言うことなのだろうか。ならばどうすれば、仲間をネルガル人の手から救い出すことが出来るのだ。一つ一つ収容所を破壊して行っても、また新たに作られていたのでは」と、男は考え込む。そして結論が出たかのように、
「また数億年前のようにネルガル人の手の届かないような所に、新たな星を見つけるしかないのだろうか」
「でも、今度ばかりはそれも出来ないわ、だってビャクがいるもの。ネルガル人をあのままにしてイシュタル星を離れたら」
「そうだな、私たちの移住を認めてくれた彼らに、迷惑はかけられない」
「では、どうすればいいの。白竜様は何をお考えなのでしょう」
「さあな、俺にはわからない」と言うと、男は議論は尽きたとばかりに消えた。
 女性の方も、
「少し休むわ。何かどっと疲れてしまった」と言いつつ消えて行った。
 夫人はおもむろにカロルたちを見ると、
「ご免なさいね、彼らはあなた方がネルガル人であることを失念しているようで」
「いいえ、謝らなくてはならないのはこちらの方です」と言ったのはジェラルド。
「皆さんに多大な迷惑を掛けなければ成り立たないネルガルの社会構造は、どこか間違っているのです」
 そうは言ったものの、その間違いをどう正せばよいのか解らないのが実情。ジェラルドはそこで黙り込んでしまった。
「流れ出して大河となってしまった水の流れを、変えるのは並大抵ではありません」とアヅマ。
 既にその流れに適応して生活している人々にとって、流れの変化を受け入れることは、またこれも並大抵のことではない。よって自ずとそこには今までの自分の位置を守ろうとする者たちと、流れを変えようとする者たちの間に争いが起きる。その争い、どちらが正しいのかと言えば、おそらくどちらも正しいのだろう。自分の生活基盤を守ろうとする上で。
「どうしたらよいのでしょう、我々は」と問いかけたのはクラークス。
「紫竜様が何をお考えになられているかです。紫竜様は白竜様にあなた方を守るように告げておられます。白竜様でしたらその大河を問答無用で力で捻じ曲げることができますから」
「もっとルカと話し合うべきだった」と、ジェラルドは後悔する。
「いいえ、過去形にするにはまだ早すぎます。白竜様を背後に控えさせた紫竜様は、絶対的な力を持ちますから、イシュタル人なら誰も逆らいません」
「だがあいつは、権力を振りかざすような人物ではない」とカロル。
 ネルガルの王子として生まれたのに、それを鼻にかけるようなことはしなかった。
「紫竜様は、一番白竜様の恐ろしさをご存知ですから」
「エルシアは、人に会いに行くと言って囚人船に乗り込んだんだよな」と、カロルはあの時のことを思い出してジェラルドたちに確認を取った。
「つまり人とは、こいつの実体のことだったのか」と、カロルはまじまじと剣を見詰める。
「いいえ、ご自身の実体に会いに行かれたのです」
「ご自身の実体?」と、クラークスたちは問う。
「ええ。紫竜様と白竜様はそもそも一つの魂なのです。言うなれば一卵性双生児がいるように一魂性双生児が存在するのです」
「一魂双生児? どういう意味だ?」
「紫竜様からお話は聞いておられないのですか。紫竜様は白竜様の魂の欠片だと」
「聞いているはずねぇーだろう。だいたいあいつは自分が紫竜だなどとは思っていなかった」
「さようですか。しかし、ネルガルの人にこれを説明するのはすこし難しいですね。死生観が違いますから。そこから説明しなければなりません。ですが今日はこの辺で、私たちも少し疲れました」と、アヅマ。
 これはカロルたちを気遣ってのようだった。疲れているのはカロルたちの方、あまりの日常生活の違いと思想の違い。根本を正せば平穏に暮らしたいと言う願いは同じなのに、その手段がイシュタル人とネルガル人では違い過ぎていた。

 見慣れた部屋に戻ったカロルたちはどっと疲れを感じた。アヅマの前では緊張していたせいか疲れを感じなかったのだが。カロルはソファに倒れ込むように腰かけた。なんなんだこの倦怠感は、連日連夜野戦を続けていたって、これほどの疲れを感じたことはなかったカロルである。やっぱり俺は、頭を使うのは苦手だ。しかし何なんだあのアヅマと言う男は。宇宙海賊の総大将だと言うからもっと熊のような男を想像していたのに、あんなひょろい男だったとは、ある意味がっかりしていた。だがアヅマはイシュタル人の中では体格のいいほうである。ただネルカル人には及ばないだけで。だがこうやってソファに倒れ込んで心が落ち着いて来ると思い出されるのは数日前の、否、数時間前と言うべきなのだろうか、既にカロルたちには時間の感覚がなくなっていた。テレポート、あれを使われては数光年移動しても時間は一秒とかからない。あの戦いからどの位経っているのだ? 否、それどころかここは一体どのあたりなのだ? 味方であるものから攻撃され、敵であるものによって援護された。そして右腕とも言うべき人物を喪ってしまった。今までその喪失感を味わう余裕もなかったのだが。クライセル、どうしてお前が。反旗を翻された時は信じられなかった。どうして俺を信じてくれなかったのだ。どうして俺に付いて来てくれなかったのだ。俺はそんなに頼りない司令官か。自己問答する。だが人間は、自分を責めるより他人を責めた方が楽であることを知っている。カロルはがばっと起き上がると、
「ジェラルド、お前が何時までもあんな馬鹿な芝居をしていなければ、あいつだってお前の存在を認めただろうに」
 カロルにいきなり食って掛かられたジェラルドは訳がわからず戸惑う。
「何のことだ?」
「クライセルのことだ。お前が白痴の真似などしていなければ、あいつは死ななくって済んだ。お前さえ、ネルガルの次期皇帝らしい振る舞いをしていれば、あいつがあんな妖女に騙されることはなかったんだ。あいつはいい奴だったんだ。こんな死に方をするような」
 カロルの胸に今更ながらに悲しみが湧き出して来た。
「いい奴だったんだ、ほんとに。頼れる奴だったんだ。俺より頭は切れるし。てめぇーさえしっかりしていれば」
 ルカがいない今、カロルはルカに代わるブレーンを欲していた。クライセルはルカには遥かに及ばないが、それでもカロルにとってはよき相談相手だった。
 カロルはジェラルドの胸倉を掴みあげた。
 止めに入ったのはクラークスだった。
「カロルさん、今更ジェラルド様を責めても、クライセル中佐は生き返りません」
「そんなこと、わかっている、放せ、クラークス」
「すまなかった、カロル」
 謝ったのはジェラルドだった。
「自分の身のことだけを考え、周りにどれだけ迷惑をかけていたか」
 ジェラルドにあまりに素直に謝られ、カロルは振り上げた拳の置き場を喪った。
「今更謝られたって、クライセルは戻って来ない」
 カロルが大声を張り上げた時である。部屋の中に人影。嘘つきと言うあだ名のラクエルがテレポートして来た。
「また、喧嘩ですか。ネルガル人は寄らば触れば喧嘩ですね」と言いながら、ラクエルは現れた。
「これのどこが喧嘩にみえる」と、カロルは大声で怒鳴る。
 置き場を失った拳の位置が決まったとばかりに、カロルはラクエルを睨み付けた。カロルはこの男に対してあまりよいイメージを持てないでいる、なぜかしらないが。
「喧嘩でなければ何なのですか?」
「話し合いだ」
「話し合いですか」と、あまり納得がいかない様子でラクエルは言い、
「ネルガル人は善人が多いですから、どうしても喧嘩になるのでしょう。それに比べてイシュタル人は愚鈍な者が多いですから」
「それ、どういう意味だ」と、カロル。
 嫌味にしか取れない。
「言葉通りですよ。自分が正しければ当然、相手は間違っていることになりますから」
「それは、当然だろう。俺が正しいのだから」と、カロル。
 ラクエルは苦笑する。
「ですから、喧嘩が絶えないのです」
「何が言いたいんだ。正しいことを正しいと言ってどこが悪い」
 カロルは苛立たしげに言う。俺はイシュタル人に限らず、奥歯に物が挟まったような言い方をされるのが一番嫌いだった。
「こいつがしっかりしていれば、クライセルは死なずにすんだ」
「彼は、自ら死を選んだのではありませんか」
 カロルでなくともこの部屋にいた者たちはラクエルのその言葉に驚く。
「どうしてクライセルが自ら死を選ばなければならないんだ?」
「竜は自分が気に入った者が悲しむようなことはしないものです。おそらくその剣は、彼を助けようとしたはずです。あの時、その剣の目は開いていたと思いますが」
「あれは、俺たちを助けようとして」
「それもありますが、竜は既にあなたたちに害が及ばないことを知っていたはずです。三次元に現象が現れる時は、まず四次元が動きますから」
「竜の助けを、クライセルが断ったと」
 ラクエルは頷く。
「どうして?」
「さあ、それはクライセル中佐に訊いてみませんことには」
 訊くと言っても、彼はもうこの世にいない。
 黙り込むカロルに対しクラークスがラクエルに問う。
「そのことを知らせるためにわざわざ私たちの所に現れたのですか?」と。
 それだけのために彼が私たちに接近してくることはないだろう。どんなに公平を装っていようと、彼が私たちネルガル人を嫌っていることは一目瞭然だ。
「いいえ、ここへ来た用件は、もしよかったら、ご一緒に白竜様の所へと思ったのですが」
 カロルの態度を見て考え直したようだ。
「やはり、ご一緒しない方がいいですね」
「あのな、あの星は俺たちの支配下にあるんだ。行きたければかってに行く。何もお前らに連れて行ってもらわなくともな。お前たちがルカに会うより先に」
 そう言ってカロルは思った。テレポートを使われては競争にならないと。
「さようですか」と、ラクエルは何の反論もせずにその場から現れた時のように消えた。
「カロルさん、あのような言い方をしては話し合いも何も」と、クラークスが困り果てたように言う。
「俺は、あいつが嫌いだ。会った瞬間から、何故だか知らないが」
 クラークスはやれやれと言う顔をした。
「正義ですか」と、いきなりジェラルドは言う。
 人間の考える正義と、神(大自然)の正義とはどこか違うのではないか。
「はっ? お前、何、言ってんだ?」
「ルカも以前、似たようなことを言っていました。こちら側の神(正義)は相手側の悪魔(悪)だと。ついでに神の戦いに人間は不要だとも。人間が居てはかえって邪魔だと。神にとってこの宇宙は有ってもなくてもいいもの。いざとなれば宇宙もろとも消してしまえばよいこと。神のために戦うなど、神を愚弄しているにすぎないと。神は人間の力を借りるほど力に不自由はしていない。神のために戦うなど人間の驕りに過ぎない。言うなれば、哲学的な問題でもめている二人の人間の間に猿がしゃしゃり出るようなもので、神にとってはキィーキィー鳴いていて煩いだけだと」
「それと、奴の言ったことと、どういう関係があるんだ。それよりあいつは次の襲撃目標はM13第6惑星だとはっきり言ったんだぞ。奴らが攻撃して来る前にどうにかカスパロフ大将に知らせてやらなければ」
 こと戦争のことに関してはカロルは現実主義者だ。
「おそらくこちらから反撃しなければ、彼らは何もしないのではありませんか」と、クラークス。
「じゃ、なんかい。黙ってルカを奴らに差し出せとでも言うのか」
「カロル、落ち着け」と、ジェラルド。
「これが、落ち着いていられるか。ネルガルなどどうなってもいい、ルカかえ俺の傍に居てくれれば」
 ことルカのことになるとむきになるカロルである。
「私たちもそろそろネルガル星へ帰してもらいましょう」と、ジェラルド。
「本当に帰してもらえるものなのでしょうか」と、クラークスは心配そうに言う。
「そう言う約束でしたから」と、ジェラルドはのんびりと答える。
「あのな、約束は破るためにあるんだ」と、カロルがしったかぶりな口調で言う。
「それはネルガル人の場合でしょう。イシュタル人は違うのではありませんか」と、ジェラルドはまるで自分がネルガル人ではないように言う。
「ジェラルド、いい加減にしろよ。さっきも言ったばかりだろう。もう、ふざけるのはよせと」
「ふざけてなどいません。ルカの救援には、私が行きます」
 ジェラルドの強い意志。カロルが初めて見るジェラルドだった。
「明日、母星への帰国を願い出て見ましょう」と言ったのはクラークス。
 これでやっと帰れると内心喜んでいるのは、彼らの喧嘩兼会話を、当たり障りのない所で傍観していたエドリスである。

 そして翌日、アヅマに申し出たところ、それはあっさりと認められた。
「もう帰られるのですか。もう少しいろいろと話がしたかったのですが」
「少し野暮用が出来たもので」と、言ったのはカロル。
「ルカ王子の救出ですか」と、話に入って来たのはラクエル。
「それでしたら今更ネルガルへ戻られたところで無理ですよ。ネルガル星からあの惑星まで、あなた方の科学では十日では行けませんから」
 カロルはむっとした。
「そんなことわかっている。だが近くの基地から救援を送ることぐらいは」
「いくら艦隊の数が増えても、私たちは怖いとは思いません。私たちが怖いのはその剣だけですから。もっとも今回はその剣の実体に会いに行くのですが」
「ラクエルさん」と、注意に入ったのはアヅマ夫人。
 もうその辺でとばかりに首を横に振る。
 ラクエルは夫人の忠告を素直に受け、その場を去った。
「すみません。彼はどうもネルガル人が好きではないようでして」
「気にしておりません。ネルガル人が好きな星人の方が少ないようですので」と、ジェラルド。
「では昼過ぎに、宇宙船もろともネルガル星の周回軌道上に転送いたしましょう。忘れ物がないように荷物は部屋の片隅にまとめておいてください」と、アヅマに言われたものの、着の身着のままでいきなりテレポートされてここに来たのだ。荷物などあろうはずがない。
 昼食は、最後の晩餐とばかりに豪華な物だった。イシュタル人でもこんな贅沢をするのかと思うほどに。
 そして昼過ぎ、気が付けばジェラルドの旗艦はネルガル星の周回軌道上にあった。まるで今までのことが嘘のように。
2015/06/23(Tue)23:31:26 公開 / 土塔 美和
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■作者からのメッセージ
 お久しぶりです。ほんとにほんとにお久しぶりです。死んだと思いましたか。少し充電してました。また、だらだらと書いていきますので、お付き合い願えれば幸いです。
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