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『寒いとき、一杯のコーヒーを』 作者:遥 彼方 / リアル・現代 ショート*2
全角1857文字
容量3714 bytes
原稿用紙約5.7枚
私は誰もいなくなった喫茶店のテラスで、ある人を待ち続けていた。そこに漂う寒気が私の肌を突き刺し、心を切りつけてくる。そんな時、店員の女性が現れ、こう言った。「コーヒーでもいかがですか?」喫茶店で紡ぐ冬のショートストーリー。
 夜の静けさがテラスに差し込むぼんやりとした明りをさらに薄く霞ませ、私の手元は何も見えないほど闇に沈んでいた。それだけでなく、夜気がわずかな服の隙間から入り込んで肌を切りつけてくる。
 私は背後のドアからわずかに漏れてくるジャズ・ピアノの旋律を頼りに、意識をこの世に繋ぎ留めていた。こんな寒気漂う喫茶店のテラスで、しかも眠ろうとしているのはこの世でただ一人、私だけだった。
 寒さも気にならないほど、私は眠かったのだ。毎日仕事続きで睡眠時間が取れず、どこでも構わず眠ってしまうほど疲れていた。何故テラスにいるのかと言うと、待ち合わせがこの場所だったからだ。
 もう約束の時間からかなり過ぎている。三時に待ち合わせて、もう五時で辺りは真っ暗だった。一体彼女はどこで何をしているのだろう。
 そこで背後のドアが開き、足音が近づいてきた。私は加代子が来たのかと思って振り返った。
 でも、そこに立っていたのはこの喫茶店の店員だった。その女性は背中で揺れるストレートの髪をふわりと浮き上がらせ、私の前へと近づいてくると、「大丈夫ですか? 寒くありませんか?」と言った。
 私は正直に「寒いです」と言った。
「中でお待ちいただいた方がいいと思います……風邪を引いてしまいますので」
「でも、ここで待ち合わせたんです」
 私は苦笑して言った。
「テラスを閉める時間が近づいていますし、中でブレンドコーヒーでもいかがですか?」
 私は俊巡した後、「わかりました」とうなずいた。
 掌でしっかりと握り締めていた小さな箱をコートのポケットへ滑り込ませ、鞄を受け取った。
 中へと入ると、たくさんの人々の声で溢れていて、明るい照明の下、木製のテーブルや椅子が狭い店内に詰め込まれていた。おそらく彼女がテラスを選んだのは、ゆっくりと二人で話したかった為だろう。
 角の席に案内されて座ると、その店員の女性が間もなくブレンドコーヒーを運んできた。
「すみません。気を遣わせてしまって」
「いいんですよ。こういう時に飲むコーヒーが一番最高に美味しいんです」
 彼女はそう言って、カップの中の水面を少しも揺らがせず、すっとテーブルに置いた。そして一礼し、去っていった。
 私は寒さで震えていた手を伸ばし、カップをつかんだ。ゆっくりとそれを口に含む。
 とにかく甘いコーヒーだった。いや、砂糖などは一切入っていないのだけれど、舌にすんなりと馴染む飲みやすさで、その苦みさえも甘く感じてしまう……比喩ではなくとても甘い、おいしいコーヒーだった。
 私は腕時計をちらりと見て、確認した。五時四十分。
 彼女はやはり、私の想いを受け取らなかったのだ。そう思うと、苦笑が漏れてしまった。
 けれど、そこであのきびきびした足音がこちらに近づいてきた。見ると、先ほどの女性店員だった。手にカップを持っている。お代わりをサービスしてくれるのか、と私は驚いたけれど、彼女はただ黙礼し、それを私の向かい側に置いた。
 そして、去っていく。どうして誰もいない席にコーヒーが置かれたのかと私は呆然としていたが、そこでカランと小気味良い音が鳴って誰かが入ってきた。
 私は振り向き――そして、胸が跳ね上がった。
 加代子が息を切らせて駆け寄ってきたのだ。
「遅れてごめんなさい!」
 彼女はそう言って席に座った。その顔は不安げで私を恐る恐る見つめてくる。
「こんなに、遅れてしまって、私……」
「いや、いいんだ。それより、そのコーヒー、飲むといいよ」
 私はふっと笑い、そのカップを指し示した。彼女は潤んだ目をカップに向けてうなずき、手に取った。
 そっと口紅が載った唇を開き、コーヒーを流し込む。すると、彼女が目を見開く。
「こういう時に飲むコーヒーが一番最高に美味しいんだってさ」
 私が微笑むと、彼女は心からほっとしたような笑みを浮かべた。
「ええ、本当に。不安だった時に、優しい言葉をもらえて、その温かさが肌に染みるものね」
 彼女はそう言って一輪のバラのように微笑んだ。私はうなずき、ポケットに入れていたその箱を取り出す。そうして言った。

「結婚して下さい」


 その女性店員が何故加代子の分を置いたのか、今でもわからないけれど、きっとただ私と彼女のことを想って置いてくれたのだと思う。
 それが今でも消えない温かみとなって私の心に残っている。
 心から寒いと感じた時、一杯のコーヒーを淹れてみて下さい。
 そうすれば、とりあえずはほっと暖かくなります。
 あの女性店員はそう言っている気がした。

2015/04/18(Sat)20:44:23 公開 / 遥 彼方
■この作品の著作権は遥 彼方さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お久しぶりです。今回はとても短い作品で、少し季節外れなような気がしますが、掲載させていただきます。他に一本短編を書いていたりして、また掲載させていただきたいと思います。ご感想・アドバイスなど、お待ちしています。
この作品に対する感想 - 昇順
 こんにちは。
 うーむ。「私」が言葉を発するまで、てっきり「私」は女性だと思っていました。そのせいで作品の雰囲気をうまくつかめなかった部分があるかと思います。それでもよくまとまっており、読みやすい掌編に仕上がっていると感じました。寒いときに温かいコーヒーが沁みる……そのメッセージはよく伝わってきますし、とても共感できます。ただ短い作品なので、これをどうしたら良くなるとか、そういうことは言いにくいですね。
 少し思ったのは、「おそらく彼女がテラスを選んだのは、ゆっくりと二人で話したかった為だろう。」「彼女はやはり、私の想いを受け取らなかったのだ。」この二文の内容が微妙に矛盾しているのでは、ということです。前者を読んで、待ち合わせに誘ったのは彼女のほうだと思ったのですが、後者と後半の内容からすると、誘ったのはどうやら「私」のようですね。このあたりの設定はもう少し整理できるのではと思いました。
2015/04/20(Mon)22:26:450点ゆうら 佑
初めまして。作品読みました。前半は、風が冷たく暗い夜の感じが「私」の不安な気持ちをよく表しているなあと思いました。そして、冷えきった手で持つ温かいコーヒー、物語もハッピーな方へとうまく流れていきましたね。ただ、鞄を受け取った。というところが、誰から受け取ったの?と思いました。店員の女性かなと思いましたが、いつ鞄持ったのかなとか。「私」が置いていた鞄を持ち上げたということかな、とか。あとは私も、主人公は女だと思っていました。また、機会があれば拙い感想ではありますが、書かせてくださいね。
2015/04/22(Wed)22:41:210点えりん
返信が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。大変貴重なアドバイス、本当にありがとうございました。

ゆうら 佑様
今回はノートにさらさらと書き綴った掌編を掲載してみました。全くその通りで、主人公の性別についてどこにも描写がなかったので、入り込みづらくなっていたと思います。今後、主人公の人物像がわかるように書けるように頑張っていきたいと思います。
読みやすい掌編になっていると言っていただけて、本当に良かったと思います。読みやすさを意識してこれからも書き続けていきたいと思います。
ご指摘の点については全くその通りで、また微修正して掲載できるように頑張っていきたいと思います。
いつもお読みいただいてありがとうございます。また次回作もお読みいただけると本当に嬉しいです。ありがとうございました!

えりん様
初めまして。作品を読んでいただき、ありがとうございます。描写が少しでも人物の心を表せていたようで、本当に良かったです。ご指摘の点、実は「私」は店員から鞄を受け取ったのですが、おっしゃる通りでそこがわかりづらくなっていたので、違和感のある場所を必ずチェックしていきたいと思います。それでは、貴重なアドバイス、本当にありがとうございました。またお読みいただければ幸いです!
2015/05/03(Sun)15:58:310点遥 彼方
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