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『花火使い』 作者:えんがわ / 異世界 ファンタジー
全角26465文字
容量52930 bytes
原稿用紙約82.8枚
 これは炎の花を描く男の物語。 青い空は両手一杯に広く、火銃の残り火は肌の内に温かく、想いを込めた球は天へと伸びる。 花火使いと世界の物語。
 1 花火使い

 川下から涼しげな風が流れる。こげ茶の革を被った人と人の群れに、安堵の息がこぼれた。あちこちから賑やかな声が行き交い、街は石畳の水溜まりと方々から吹き出る汗で、どんよりと蒸していた。
 『職商街』
 物を製造する『職』人と、物を売買する『商』人が、交じり合う界隈。
 シューズは土色に染まり、ズボンは皺だらけで、コートは申し訳程度に引っ掛けられている。
 そうした格好の男は、ゆらゆらと群衆を縫うように歩いていた。緩やかに、しかし、探るように。
 包丁の研ぎ店と風車のネジ店、その間の一本の裏道。これで、そこを通るのは、三度目だ。ねっとりとした視線を背中に受けるのもまた、三度目だ。男は歩みのリズムを変えないまま、歩幅を広げた。自然に、だからこそ尾行者の不意を突いて、男は加速する。そのまま右の角を曲がった。「しまった」と言う足の乱れと、次いで駆け足が聞こえる。
「くそっ!」
 走りながら、尾行者はそう吐き捨てた。
「穏やかじゃないな、糞なんて。俺ってさ、もっとさ、フローラルな花の薫りがするんだよね。まだまだ若いし、風呂には毎日入ってるし、香水も付けてるし」
 男は曲がり角の直ぐ先で、にやりと笑いながら応じた。
「なっ! 貴様ッ!」
 尾行者は深く動揺している。思わぬ反撃を受け、それでも面子を保とうとする、そんな人間特有の虚勢だ。男は尾行者の姿を一瞥し、その苦い表情を読み取ると、笑いを弾ませた。
 それにより、尾行者の心は、更に強く振り子を打った。
「尾行に気づいてたのか!」
「ああ、あんたの正体もな……」
「何だとっ! こっ、このコネ頼りのぽっと出がっ! あれこれ嗅ぎまわっているようだが、アラン様の元へは行かせないぞ!」
 尾行者は頬を紅潮させ、怒鳴りつけた。
 男は口を震わせ、肩を上下させ、くっくっと笑う。
「なるほどね、アラン老んとこの、同業者さんか。そちらこそ、コソコソ付けまわさないで、正面からぶつかってくりゃいいのに。半端者さん。それにしても俺って、案外と有名人なんだね、何だい何だい」
 それから両手を広げ、ため息を吐き、
「何だかなあ……」
 尾行者は怒りのままに
「貴様っ! ブラフを吐きやがったな!」
 何時の間にか男は笑いを止め、次いで真っ黒な瞳でじいっと見つめている。
 尾行者はそれに気圧される。つい先刻までは、彼は獲物を狩る山猫のように、優越感に浸っていたのだ。それを男の突然の行動、言動によって、根元から崩された。追っていた筈の兎が、狼だったかのように。
 深い闇色を宿した瞳の男は気さくに答える。
「いや、見当は付いてたんだよ。無名の花火使いさん。でも、それでも修行を八年から十年は積んでいるな。それもインドア派だ。工房にこもって球にごそごそと手を加え続けてる、な。うん、うんうん、この横柄な態度からして、そろそろ花火使いとしての自信と傲慢さが出てきた頃合いかな。ねちっこいねー」
 尾行者は、いよいよ取り乱して
「なっ! 何だとっ! 探偵でも雇ったのかっ!」
「おっ!」
 男は左手をぴしと空に向け
「ビンゴかい?」
「くっ!」
 男は指をちっちっと振り、
「そろそろ不憫になってきたなー。中堅花火使いさん。指だよ、指。指が言っているよ」
 男はその人差し指を相手に向け
「人差し指と中指の間のタコ。球に触れ続け、弄り続けると出来る。花火使いとしてのサイン、言うなれば職業病としての業だ」
 尾行者は、自身のそれを間近で見つめる。確かにぷっくらと三ミリトゥール程のタコが浮き出ている。しかし、彼の驚愕は、気付けなかった己の一部の発見にあるのではなかった。それすらも軽いものにしてしまう程の異様。男の、来訪者の指。
「しかし、まだ赤みを帯びている。精進が足らんよ、足らん」
 うむうむと男はしたり顔で説教をしているような、戯れているかのような声を出す。
「そのタコ、もっと、インドア派として死ぬ程の鍛錬を積めば、このように白い塊となる。なるのだぞ、わこうっ、こっこっ、くくくっ」
 若人(わこうど)と言おうとして、笑いを吹き出したのを尾行者は悟った。
「くっ、くくっ、く、わっ、わこっ、くくくくっ、おっ、おっ、おっさんだろーっ、くくっ」
 しかし、もはや何も言えない。彼には言う資格が無いことを、その男の指は雄弁に物語っていた。
 三倍もの大きさ、九ミリトゥールはある固く化石のように風化した指のタコ。それが男の花火使いとしての修練を何よりも主張していた。
「ちなみに、こんなとこまでしゃしゃり出るんだから、俺ってけっこう、アウトドア派なんだけどね」

 2 火銃

 右手には菊の花束、左手にはトランクケースを携えて、男は応接間に居た。この東方一の花火ギルドの長を、待っているのだった。部屋には大小様々なトロフィーと、額に入った写真が立てかけられていた。乱雑かと思えるその並びと、部屋全体をくすめる黒いカビが、その歳月を男に語る。男は白いソファに申し訳程度にちょこんと座り、トランクを置くと、着慣れぬスーツの内ポケットを弄っていた。何時もの暖かなカーブを、指でなぞり、退屈を埋めていた。
 ふと、扉がぎぃっと擦れる音がして、そこからギルドの長、アラン老が睨むように男を見つめた。頭にはハチマキ、上着にはハッピ姿だった。
「あちゃー! やっちゃった?」
 急に場違いに思えた自身の黒色のスーツをなぞり、男は「はは……」と誤魔化し笑いをした。
「ほう、お主か……メイルの一番弟子だったと言う若造は。噂は聞いとる。中々、凝った花火を作ると」
 吟味するような視線が、第一に鋭く人差し指のタコに向かっていた。流石にそこらの中堅とは、審美眼は段違いだ。
 そして今、向けられている顔への視線を意識して、男は愛想笑いを浮かべながら、取引のきっかけを待つ。アラン老は、駆け引きなぞ知ったことかという調子で、すっと話の核へと迫る。
「火銃を求めとるらしいな。それも我らが至宝、ご先祖様が作り出した五連式火銃を」
「無理……ですか」
「無茶……じゃよ。だが、このマスターピース、一つきりの我らが秘宝も、そろそろ融通が利かぬ程に、古びていく時期じゃ。だから、志願者をろくに確かめもせず、門前払いすることは避けとる。一人も眼鏡に叶った者などおらんがな。どうやら弟子には、それが歪んだ形で伝わってしまったらしい。元は思慕であろうが、それは醜い歪みだ。すまぬな」
 ぶっきらぼうではあったが、男はその謝罪にアラン老の義理を通す気風を感じた。心を引き締め、背をピンと張り、口を開く。
「アラン老。俺はこの時のために、全てを花火に捧げてきました。五つの球を連鎖させ一度に放つマスターピース……五連式火銃を手にするために、です。この至宝に恥じぬ球を用意する覚悟も出来ておりますし、使いこなすための技量も磨いてきました」
 丁寧語の「です、ます」が妙に甲高く響いたのが、男をひやりとさせた。使い慣れていないのは、一目瞭然だろう。
 しかし男はこうこうと語り続ける。聞いてくれているのだ、それに応えて全力で話すしかない。
 東の花火ギルドに伝わる五連式火銃。二百年前に花火使いの歴史に残り続けるだろう名工達によって、奇跡的に作り上げられた銃。
 銃は花火を打ち上げる際に用いられる。通常の銃なら、一度に一発の球を入れるのが限界だ。親方と呼ばれる程の熟練を経て、ようやく二発の球を入れる二連式を手に取ることが許される。三発の玉を入れることのできる三連式は、中でも特に優れた花火使いのみが扱うことができる。世に出回っている三連式火銃は四十を数える程しかないのだ。それでも三つの球を十全に扱える力量の花火使いは両手に数える程もいまい。
 そして五連式火銃。五つの球を入れることの出来るそれは、銃という存在を超え、工芸品としての価値すらある芸術品だった。規格外の火銃だった。そして、これからもそうあるべきものと看做されていた。優れた肖像画が、モデルにではなく美術館に寄贈されるように。

 男は一通り語り終えたあと、口を閉ざした。沈黙がしばし支配する。男は痛感していた。アラン老はこのような軽い口で説き伏せられる輩ではない。その老人が皺くちゃの唇を動かした。
「では……主の過去、作り上げてきた球を見せてもらおう」
 男はトランクケースを開け、球を出した。

【特級】伝説の球。他に比べようもない物に使う比喩であって、ゆえに幻。
【1級】最高峰の球。それを巡って戦争が起こるほどの希少価値を持つ。
【2級】滅多にない球。その年の国の祭りで最後に放たれる程の球。多くの花火使いの目標点。
【3級】上級の球。市場で出回るもので最高級。つまり金で買えるもので最上質のもの。
【4級】中級の球。多くの名作や傑作と呼ばれる球は、ここに入る。
【5級】佳作の球。花火使いが生計を立てる為に作られる球。生活に根ざし、その個性なども愛され、親しまれている。
【6級】通常の球。地方都市や、大きな大会での連弾花火に使われる。実験作が多い。花火使いと呼ばれる為のボーダーライン。
【7級】初球の球。殆どのそれは量産化されている。個人や、小さな仲間内で楽しむような、廉価な球。
【級外】7級に満たない球。それでも全体の80パーセント以上を占める。

「2級が二つ、3級が五つ、7級が一つ、と言ったところか。しかし実に癖と個性のある球たちじゃ。使いようによっては、3級が2級に、2級が1級に、化けるやもしれん。それにこの球」
 老人の目が特別に細まったのを、男は見て慌てて
「あー、こいつらはこれでも俺のベストセレクションでね。何年も弄り続けて来た球なんだ」
 男は汗を滲ませ、球を両手で手元へと滑らせた。
「はいはい、これまでよ。はい」
「ほう、『べすとせれくしょん』とな。それにしては、主の持つ最高級の球が見当たらんが。メイルから受け継いだという、至宝の球がのう。偶然にも主の内ポケットにぽかりと膨らみがあるのは気のせいか」
 男は「やれやれ」と天井を見上げ
「取って置きの秘密の球なんだけど。アラン老」

 その球は青く透き通りながらも、強く光の海を透かしていた。球の中の地球。老人が中指で触れると、それが、じじっと、鳴くような音を立てた。
「1級、それも希に見る、いや初めてじゃ。これほど上質な球は。限りなく特級に近い……」
「ばあちゃんの形見でね。こいつは商売道具外だ」
「しかし、我らが火銃に見合うのは、これだけの対価を必要とするわい」
 男は首を振り
「何せ、タダで譲り受けたもんでね。こいつと交換じゃ、俺のプライドの方が納得しないよ。持ってるだけなら、サルでも出来る品だしな」
 アラン老は、かしこまった目をして
「謙遜するでない。マスターピースを、その繊細な姿を、世に留めるために施せねばならぬメンテナンス、配慮。持つだけで魂が蝕まれるプレッシャー。わしだって経験し続けているのじゃからな。正直に言うとわしはその重荷を背負うのに、いささか疲れた」
 アラン老はふっと息を吐き、男にその球を返すと、
「うむ、過去はぎりぎり及第点といったところか……
 では、未来を聞こう、主はこれから何を詰める?」
「ジェイス流星群、それを詰めようと思う」
「ほう……」
「驚いたかい?」
「驚いたわい!」
「そう見えなかったけど」
 男はぽりぽりと頭をかく。老人はここ数十分で一気に老けたかのように、何年も男と共に時を重ねたかのように、ぶっきらぼうに
「驚きすぎて何も言えんかっただけじゃ。しかし、馬鹿な発想をしおる。いや、馬鹿どころか、バカの天才じゃな」
「褒めてる?」
「褒めとるよ。そして主にはそれだけの力と覚悟がある」

「では、対価を貰おう」
 男は渋った表情で
「あー、だからさ、この球は婆ちゃんのものなの! 何が何でも取引は出来ないっての!」
 アラン老は皺くちゃを震わせる。
「ほほっ、この球は、この銃に詰めれば良いじゃろ。我らが至宝が描く花の一の球、下地となる土台の球に」
 視界の先には黒銀の銃があった。腹部の膨らみとそこに施された精緻なカラクリが、その凄みを伝える。
「じいさん! いいのか!」
「うむ……」

「しかし、対価は頂くぞ。それはお主が最も心血を注いだ球じゃ」
「あっ、こいつらね。こっちはエメラルドとアメジストを、火山の熱で蒸発させ混ぜ合わせた宝石球。【2級 カップルジュエル】
 それとこっちは常雪の森で、百年に一度の大満月の光を浴びせ、銀細工を施したムーンストーン【2級 雪月花】」
 アラン老は「隠すなや」とそれを指さした。
「おいおい、こりゃ7級の個人用の」
「形だけはな。しかし、だからこそ、尊い」
 老人はそれを奪うように取り、手のひらに透かす。幾つもの淡く、眩しい光が層になって圧縮されている。【7級 ポケットフルレインボウ】
「せっかく……十四年かけたのにな。今日も微調整し続けようと、持ってきたのがアダとなったか。爺さん、中々鋭いねえ」
「ふふっ、お主が放とうとするのは、名工達が五十年かけて作ったマスターピース。そしてわしらが四百年かけて守った時の引き鉄じゃ。軽いもんじゃて」
「あー。気に入ってたのになー」
「ほほっ、ご先祖さんも孫も喜ぶじゃろ」

 河川敷には老人と若夫婦と幼い子が一人。川辺を走るねずみ花火から、楽しそうに逃げ惑っていた。やがてねずみがくすくすと、その命を終えると。
「おじいちゃん! ありがと! 楽しー」
 少女の紫の浴衣姿は、快活な日焼け肌と不思議にマッチしていた。
 厚い眼鏡をかけたその父親が畏まって、
「お義父さん、ありがとうございます。許してくれて」
 頭を直角に、ペコペコおじぎをする。
「許したわけじゃないわい。ただ、ノアちゃんが可愛くてな。たとえあんたの血が混じっていようが……」
「これから、これからを見てください。好きになられるように、頑張りますから」
 父親は何度も何度も頭を下げながら、懇願している。しかし、アラン老は孫と「昨日の学校の給食はどうじゃった」などと取り留めのない話を続けていた。
「父さん! 聞かないふりをしないでよ!」
 娘がたしなめようとするが、老人は知らん顔をして、やがて愛おしそうに世界一高価な7級花火を手にした。
「ノアちゃん、ノアちゃん。さて、ご注目。記念すべき本日のメインじゃ。しっかりと手に持って、目に焼き付けておくんだぞ。最高の線香花火じゃ」

 GET!
【マスターピース 五連式火銃】  =y

 3 一の球 婆ちゃんの球

 華の都、レイシャン。古代から花が栄え、花が咲き続け、花火使いが引き寄せられる街だ。そこには紅、蒼、黄金、と輝き続ける空がある。よく手入れされた竹林のように、先人たちのこうした優れた花火の余韻が、次代の花火を育む。
 そして住民が何よりも良い。花火を理解し愛でる人達だ。昼は花火の話に没頭し、夜は明かりを消して空を眺める。それに世界各地から訪れる愛好家が加わる。
 そのような街だから、小学校では二年から簡単な花火作りが、化学の実験に先立って行われる。
 男が少年だった時もそうだった。
「いいですか。打ち上げ花火は銃と球の二つによって作られています。銃に球を込め空へと撃つ。それが、君たちが見ているどーん、どーん、と響く花火なんですね。銃は決して人に向けてはダメですよ。
 球はですね。いいですか。この球に手を加えると、ひゅうぅぅぅっと周りの空気が入り込みます。それが球の素地、基本となります。いいですか。球に花火を込めれるのは一度きりですよ。もう一度、空気を込めようしても、却って今まで入れたものが出て行ってしまう。それきり、もう入ってこない。だから一度きりなんです。
 この空気が大切なんです。だからアウトドア派の花火使いは、旅人にもなるのです。世界中の美しい空気を求めて、旅を続けるのですね」
 講師はつかつかと机の間の縦道を歩みながら
「さて、先ほど出てきたアウトドア派という言葉。大きく分けて、花火使いは、インドア派とアウトドア派に分かれます。インドア派は部屋の中で空気を込められた球を用い、球に詰められたその配置や偏りをいじることによって、球をより美しく、輝くものに調整します。反対にアウトドア派は、美しい場所、風景、秘境を求めて、より花火に貢献する空気を求めて、世界を渡り続けるのです。
 先生は……ですか? そうですね。坊や達にここへ教えに来ているように、このレイシャンと言う街に、ひとつところに定まり続ける花火使い。インドア派と言ったところでしょうか……」
 黒板には角張った文字が刻まれていた。
 銃×球 = 打ち上げ花火
 探索 アウトドア派
 研究 インドア派
「では、まずマッチ花火から始めます。よく見ていてください」
 講師が花瓶の百合へと左右にチクタクと球を振ると、ぼんやりとそれは光り、色を帯びた空気が吸い込まれていった。
 驚きの声と一杯の拍手が、あちこちから挙がった。
「こんなところですかね……
 では、実習開始!」

 少年が作り出した球に、クラス中の好奇な視線が集まる。そこには薄明るい紫が四層に積もって、ちかちかと瞬いていた。
 特別に招かれた講師のそれよりも鮮やかで、それ故により艶やかな花を咲かすことは幼い彼らでもわかった。

「すげー!」
「わー」
「坊や、もう一度、球を作ってご覧なさい」
「えー! 一人だけもう一個なんてずるいー」
「いいから! 作ってみなさい!」
「えっ? えっと、うん、あっ、はいっ! わかりました!」
「これは……」

「凄いねー、一人だけ、花火工房に出入りするなんて」
「うん、大人だね」
「一人だけね、ずるいね」

「火薬臭いんだよ!」
「ガキのくせに、生意気なんだよ!」
「一人だけ特別扱いで、俺らを無視しやがって! お前、前から気に食わなかったんだよ」

「知ってるー。知ってるー。毎日毎日。うじうじ家にこもってるー。メンコもカードも持ってなーい。クズ花火だけが友達だー。やー、モヤシッコー、モヤシッコー」

 少年は、部屋にこもっていた。周りの噂なんて構わない。ただ、手の平に乗った球の瞬きやリズムを調整するのが、面白い。寝食を忘れる。少年は、心も職も、花火に全てを費やすことを、その幼さの中、決めていた。それは例えば秘密基地を作って盗賊団を名乗るように、世界中を自転車で旅をすることを計画するように、児童特有の足元の見えていない夢想だったのかもしれない。ただ、違うのは、目の前の球は少年のそれに応えて、強く光っていることだ。
 不意に扉が開いた。少年の痩せ顔の筋肉がこわばる。あるはずの音がなかった。母が、父が、階段を駆け上がるコツコツという音が。振り返ると、背の高い老婆が、少年を値踏みするように見下ろしていた。
「おっ、おばちゃん、誰っ?」
 少年は震え声で尋ねる。老婆は何も言わず、少年の手から球を取った。
「ほう、なるほど、噂以上の天才少年じゃな」
 老婆はその球の光を見てとると、にこやかに笑った。
「なぁに、怯えとるんか! 幽霊ではないぞ、わしゃ」
 それから球を転がしながら、指で軽く撫で、押し始めた。ぼぅっと光り、淡い紫に若葉の緑が加わった。
「わっ!」
 少年は嬉しさを隠しきれない声をあげ、老婆の前へと歩み、球を見つめる。老婆はそれを更に転がし始める。緑がマーブルのように、紫と混ざり合う。
 それだけで十分だった。その球を使った交流は、酒場でアルコールと宴会芸を交えた語り合いの何倍も、二人の距離を短いものした。
「すごい、すごい! 婆ちゃん!」
「ふふっ、よいよい。坊主なら直ぐに出来るようになる」
 老婆の言葉を、まるで紙芝居がめくられているかのように純粋な目で聞き入る少年だった。

「出来……ない……」
「そりゃま、直ぐといっても、一時間かそこらでやられちゃ、こちらも敵わんよ。これはな、一流の工房の花火使いでも習得に三年はかかる、染め付けと言ってな」
 老婆はごつごつとした手を差し出して、少年の前の前で玉を転がす。
 ぼぅっとした音を連れて、球が光り、赤に青が加わる。少年は
「すごぉい!」
 そして球を手に取り、真似てみる。
「ほほっ」
 と老婆は眩しそうな目をする。まだまだ修練が必要じゃ、という言葉は、少年の嬉しそうな顔の手前、控える。だが次の瞬間、老婆の瞳には光る玉と新たに藍が加わった球が映されていた。

 少年と老婆は、子供部屋で一夜を過ごした。それは、今までにない充実した心地よい瞬間の連続だった。少年にとっても、老婆にとっても。
 辺りには無造作に幾つもの球が転がっている。だが、見るものが鑑れば、それらに4級や5級の球が含まれているのを見て取っただろう。
 夜の闇は濃密に二人を包み、しかしあっという間に朱色の朝日へと変わっていった。
「恐ろしいのう。スポンジのような吸収力。才能、じゃな。坊主、主のセンスはな、神様からの贈り物、謂わばギフトじゃ。天職というものじゃ」
 少年の耳には届いているのか、指元の球に夢中になっている。
「わしもな、神童とも呼ばれたが。これ程までは」
 ペタペタというスリッパを響かせ、母親が入って来た。
「もう! 学校の時間よ。早くご飯食べちゃいなさい」
 と少年を台所へと促すと、改まった顔で振り返り
「メイル様、お体のお加減は如何でしょうか? わたくし共の息子が、迷惑をおかけしてしまい……」
「素晴らしい子じゃ、わし以上のな」
「はあ」
「それにわし以上に恵まれた環境を持っておる。一晩もぶしつけな訪問を耐えてくれた理解ある親と、そして彼を導くだろう師を。
 お願いじゃ。いや、願い申し上げる。あなたのお子さんを私にください」
 老婆は床に膝をつき、頭を深く下げていた。
 母は、崩れた顔になりながら、それでもそれを取り繕って
「そうですか……でも、それを決めるのはメイル様ではありません。私でもありません……あの子の意思を一番に」

 ランドセルを取りに少年が子供部屋に戻ってきた。母は部屋の隅でじっとしていて、老婆は少年の椅子に座り勉強机に肘をついている。
「坊主、学校は好きか?」
「楽しくない」
「花火はどうじゃ?」
「大好き」
「わしと先生、どちらが好きじゃ?」
「婆ちゃん! いっぱいいっぱい知らないこと教えてくれた!」
 老婆はふっと息をつき、少年の顔を見つめ
「花火使いとして知ることは、もっと沢山あるぞ。沢山、な。どうだ、わしに付いてこんか?」
「でも……学校が……」
「学校なぞ、どうとでもなる。小学校も、中学校も、ギルドでの見習い期間も、一日も出席せずに、卒業させてやるわい」
 それだけの権威を老婆は持っていた。華の街レイシャンでも史上希に見る、技術と才覚と実績を持った老獪な花火使い。それがメイルだった。
「付いてこん」
「うん! 付いていく!」
 少年の真っ黒な瞳は、興奮で輝いていた。
「いっぱい、いっぱい、教えて! ねえ! 球を打つの見せて! どうやってあの色を出すのか教えて!」
 老婆の瞳も心なしか湿っていた。
「ふふっ、わしの持つ全てをお前に叩き込んでやるわい。
 しかし、花火に捧げる路。それは険しく過酷で、時には激しく競い合い、時には独りで切り開かねばならぬ、修羅の路じゃぞ!」
「えー?」
 まさか怖気付いたか、と老婆はうろたえた。如何に言い逃れをしようか、言葉を探す。だが、それすら待たずに少年は
「婆ちゃん、花火って辛いの?」
「そりゃ、しんどいが。それでもやり甲斐の」
「花火って、楽しいんだよ! すっごく! シュラって鬼さんのことだよね。そんなの住んでないよ! 花火って楽しいんだ!」

 老婆は胸を打たれた。この歳で孫のような子から学ぶことがあるとは。老婆は少年の持つ才能に惹かれていた。しかし、気づかぬうちに、少年という人間を知ろうとしていた。
「お婆ちゃんは楽しいの?」
「楽しいもんかい! いや、楽しいのか……まあ、年を取ると色々なものが複雑に見えてくるんじゃよ。さて、付いてくるで良いんじゃな。違ってても、さらってしまうぞ」
「うん、婆ちゃん、よろしくね!」

「良いか、インドア派、アウトドア派との単語に囚われるな。花火使いの生き様は旅にある。世界中の美を求め、旅を続けよ。
 宿屋だろうが、野っ原だろうが、そこを己の場所とせい。古びたベットや朝露の草花に座り、そこを工房替わりにして、球を調整し続けるのじゃ。一流の花火使いには、ドアなぞ存在しないのだ」

「婆ちゃん、ちょっと待って。このリュック重い……スーツケース重い……それにこの崖……えっ! こうやってよじ登るの。えっ! えー? ああ、えっと、うん、わかったよ婆ちゃん、登るよ。はぁはぁ、はっ。
 うわー、綺麗。凄い、雲が下を泳いでる。それにこの石、太陽みたい。キラキラ。えっ? 白輝石っていうの?」

「婆ちゃん、どう? こんな色、出してみたんだけど。どうしたの? えっ、分からない? 婆ちゃんのくせにー。うん、もうちょっと自分でもわかるくらいに、いじってみる……」

「わしらは一つのチームになって、一つの球を作った。素晴らしいチームだった。みなが全力以上のものを搾り出し、これまでにない高みへとたどり着いた……
 じゃが、亀裂は程なくしてじゃった。球が完成してからの。
 保存しておくべきだ、いや生きている内に見よう、富豪に売り払う派、俺のものだなぞ。一本の太い紐はほどけ、もつれた。
 不思議なもんじゃ、あれだけ一心同体のチームだった筈なのに、虚しくて虚しくてな。共に身体を重ね終えて、離れ行く恋人のようにな。おっと、いや、坊主にもそろそろ分かる喩えか……
 うむ、そうじゃ。そうさね。争っていがみ合い、結局勝ったのは保存派のわしだったけど。振り返ると一の球にこだわり続けていたのが滑稽だ。そんなことなら二の球をみんなでこしらえばよかったんだ」

 少年は、いや嘗て少年だった男は、必死に首を横に振り、
「受け取れない! 俺、そんなの受け止めれない!」
 より年を重ねた老婆は、
「受け取って欲しいんじゃ。坊主よ。あんなに幼い頃から、よくわしのワガママに耐え続けたね。
 坊主、お前こそ、わしの二の球、いや最高傑作、マスターピースじゃ。生きとくれ。花をつくっとくれ。そこにわしらの想いも混ぜとくれ。
 楽しかったぞ。花火を作るのも、花火使いを育てるのも。そう思ってこれから生きていけることが、こんな球になぞ換えられない、お前から貰った宝物じゃ」

 バスはゴトゴト揺れる。男はポケットの中の暖かな感触を確かめる。何時の間にかお守りがわりになっていた球。これがあったから、どんなに遠くまで、どんなに危険な所へ行っても、華が咲く故郷レイシャンへと帰って来れる気がしていた。今も、そうだ。
 婆ちゃんはその球を渡してから二週間後、この世を去った。
 男には、全く素振りや前兆すら見せなかったのだけど、ずいぶん前から重い重い病にかかっていたらしい。

「当オオハト観光バスは、星流れる丘ジェイスに、向かっております。右手に見えますのが当地方で随一の」

 GET!
【1級 ブループラネット】  +○ *

 4 二の球 流星の球

 丘一面に生えた緑が、風にそよぎ足元をくすぐる。男の頬を涼しさが伝う。目の先には夜空。その夜空には今夜も白と黄の星が何十と滑っている。
 流星群。
 星の丘ジェイスには、雲は滅多にかからず、高地からなのか、空の高さからなのか、毎晩のように幾百もの流れ星を見ることができる。それでも、今夜は特別な日だ。これから三時間後、ジェイスでも四年ぶりの大流星群が控えている。その性か、星の流れも人の動きも、妙に慌ただしい。男は約束の丘の膨らみまで歩を速める。
 そこには巨大な気球が立っていた。一部屋ほどもある大きさに、何台もの燃料タンクが備え付けられている。更には、氷を一杯に詰めた氷冷庫にジュースとワインが一式。星を題にした絵本が並んだ本棚。クッションの効いた二段ベッド。
「おいおい、ここらで一番高くまで飛べる気球を選んだはずだよ。何だい、この無駄な飲み物に読み物に雑貨の固まりは!」
 頬の弛んだ気球士は「ハハハハ」と笑う。
「そりゃな、ウチは何でも一番なのさ。高さでも楽しさでも快適さでも」
「俺は高さだけでいい。その為に貸し切りにしたんだ。無駄なものは、どけてもらおう!」
 気球士は笑顔のままで
「いいのかい? お客さん? この世紀の繁盛記に。
 今からじゃ、どんなに金を積んでも、誰もそんなワガママ聞いてくれないぜ。それに前金は返さないからな!」
 男はポケットに手を突っ込みながら
「騙されたー」
 と星降る天を仰いだ。
「騙してるもんか! ジェイス一番の飛行屋は確かに俺だ。最高に楽しい天体ショーを見せてやるぜ!」
 恰幅のよい気球士は、どんと男の両肩を叩いた。
「任せろい!」
 男はげんなりと
「任せました……」

 街の夜景が眼下に広がると、深海の中の渡り鳥のような気分になる。そこに存在してはいけないような。
 そんな心を鮮やかに浮かぶ八つのバーナーの青白い炎が、力強く元気づけていた。
「へぇ、なるほど、ジェイス一番の気球士ってのは伊達じゃなかったんだ」
「わかるんかい? お客さん。わかるもんかい?」
 男は少しムキになって、それでも気球士への敬意を損ねることなく、
「いや、俺も花火使いで、火を扱ってるから、わかるよ。それぞれの配置、火力に、極限まで無駄がない」
「へえ」
 夜空を一面の星が流れ始めた。
「意外なもんだね。花火使いさん。今回は流星の光を、球に詰めるんだそうだけど。やっぱりその絶妙な色合いが目当てかい? いや、星が描くそのシャープな軌道、かな?」
 男はオレンジのジュースをグラスに注ぎながら
「んっ? 色も動きも模様も、どれも花火の方が上だよ。だからさ、今までどの花火使いも球に流星を詰めようと思わなかったんだろ」
 今度は気球士がムッとして
「心外だな」
 男は星を眺めながら続けた。
「でもさ、一つだけ到底敵わないものがある」
「それが、あれねえ」
「そうさ! 高ささ! 見上げても見上げても、空一面に流れる星。どんなに高く高く飛んでも見下ろすことが出来ない。俺の花火にもこの、高さ、を少しでもおすそ分けして欲しくてね」
「へー、またお客さん、大層なことを。ウチら、気球士だって、そんな新米のポエムなんて捨てちゃってるよ」
 男は気にも留めず興奮した声で
「この流星みたいに、空一杯に巨大な花が咲き乱れるって凄いと思わないか! いやー、折角の五連式火銃、その一つをそんな球に使うなんて、無駄だって同業者には説き伏せられかけたけどね。子供の頃からの夢なんだ。譲れない。俺はやるよ」
 天の流星の動きには代わり映えはないが、地上の街の家々は一つ一つ光を灯していて、その光景全体を一望できる高さにまで来た。
 男はふぅっとポケットから球を出し
「これくらいが限度かな? 願わくば、もっともっと高けりゃ面白いんだけど。流石に俺だって現実を見るようになったからね。いや、良くやってくれたよ。これがベストだよ。あんた……ありがと……」
 気球士は黙っていた。男はその伏せた顔を覗き込んで尋ねた。
「んっ? どした?」
 気球士は目を細め、空を見上げていた。
「お客さん、子供の頃、夢を見るのは何も花火使いだけじゃないんですよ。俺だって、夢を見てた。何よりも誰よりも、天高く星に近づくって! だからこの仕事に就いたんだ。よしっ! 俺も根性を見せる! 付いてこいよ! お客さん!」
 気球士は太い全身に力を込めた。男が脂肪だと思っていたそれらは、ぼんっと膨らみ、硬い筋肉の筋を浮きあがらせていた。

 氷冷庫があった。
「やっぱ、星見ながらの冷えたロゼワインは最高だな! あれっ? おツマミないの? しけってんなー」
 本棚があった。
「何やら、曇ってきましたね。私、本を読んでいますんで、晴れてきたらお声をかけてくださいね」
 ベッドがあった。
「うん……なんか、ねみぃ。やっぱ夜ふかしは健康に悪いな。ちょっと仮眠するわ」

 気球士は筋肉を隆起させ、氷冷庫を掴んだかと思うと、眼下に放り投げた。本棚、ベッド、テーブル、椅子、どんどんと放り投げた。
「よしっ、軽くなった」
 止まっていた気球は、再度、浮かび始めた。一つ一つの丸い家の光は、小さな点の大きさになった。それも滲んで輪郭が曖昧になっていく。オレンジの灯の流砂。
「どうだい、この高さ? もっとかい?」
 男は呆気にとられながらも喜びに満ちた声で答えた。
「クレイジー!」
 次いで気球士は、燃料タンクに穴を開け始めた。一つ、二つ、三つ……全部。
「おっ! おい!」
 流石の男も動揺し、駆け寄る。
「慌てるない! 無駄に重い燃料を放り出しただけだ!」
 燃料は床の溝に沿って、外へと零れ落ち始める。
「そりゃ、帰りの分も無くなっちまうがな。なーに、こちとらパラシュートがある」
 花火使いも気球士も大声で笑った。
「クレイジー」

 GET!
【2級 ライジングスター】  ☆ヾ

 5 三の球 永遠の少女の球

 狭苦しい住宅街の小道を迷うこと二十分。右に左に折れた先の行き止まりに、その店はあった。
「ここか……」
 男の目の前には、古びた二階建ての食堂が佇んでいた。看板には「昇○ 飯店」と書いてあるのだが、二番目の文字はくすんでいて読み取れない。
「ほんとに、ここかいな」

 如何にもな頑固親父のような髭面の男が、クマさんの模様がプリントされたエプロンを着て、黙って突っ立っている。それも木彫りの熊というより、園児が遊ぶような笑顔で舌をペロリと伸ばしたクマさんのそれだった。
 円盤レコードには一昔前のアイドルの曲が流れていた。他に客はいなかった。思わず、失礼しました、と引き返したくなるような衝動をこらえ、注文を頼む。
「予約してたんだけど。ニラとレタスのチャーハン大盛り、それにメロンソーダの炭酸抜き」
 頑固親父は値踏みするように
「スープは?」
 男はすかさず
「キノコと鳥団子の白湯スープ」
「来い」
 ふすまが開けられ、座敷に通される。七、八人の団体客が小さな宴会を開くようなそんな広さ。壁には『平和』やら『根性』やらのペナントが、ぺたぺた貼りつけられている。頑固親父がその右に奥まった掛け軸を外すと、地下への階段が姿を現した。
「おう!」
「おっ、おぉ。ありがと」
 男はバイバイと手を振り、
「やっぱさ、このエプロンって似合わないよ」
 頑固親父はぶっきらぼうに、
「お嬢様からのプレゼントだ」
 照れていたのか、声が少し上ずっていた。

 階段を下りて地下通路を進み、三十分になる。代わり映えのない石畳だが、所々で監視の者の鋭い目を感じる。
「永遠、ってのは、そんなに大それていて、秘密にしておきたいもんなんかね」
 男はふぅっと息を吐く。

 ごついタンクトップの門番が直立不動だ。
「やー、やって来たよ。はるばる」
 男の気さくな挨拶を無視し、門番は
「お嬢さまが、今までになく興味津々でな。でなければ、ここに立っていることなぞ無いと知れ」
「おー、怖っ!」
 扉が開かれた。
 そこは地下とは思えない煌びやかな部屋だった。パステルブルーに塗られた壁紙、窓際に並んだ鮮やかな観葉植物の鉢、光沢を放つグランドピアノまである。
 その中央で、端正な顔立ちの透けるように白い肌の少女が、優雅にお茶を飲んでいた。黒いワンピースがそれをシックに包んでいる。男はしばし見とれ、次いで部屋の中に入る。心なしか少しひんやりとしていた。

 身体の変化である成長も老いも止める魔法の空気、謂わば永遠の空気の為なのだろうか。
 遥か昔の化学者たちが、永遠の空気をほんの一部屋分だけ生み出すことに偶然にも成功し、それを此処に閉じ込めた。時の権力者たちは不変の若さと命を求めて相争った。最後に勝ち残った大富豪は、妻と子供と父と母を連れてこの部屋に移住し、当時最も美しいと呼ばれていた少女をそこに招いた。
 しかし、その永遠の空気は、永遠に生きる者を選んだ。そうで無い者には拒否反応を示したのだった。まずはその息子の身体に異変は起き、死ぬことの出来ない永遠の苦痛を与え続けた。大富豪は、息子を勇気づけた。この症状では、部屋から抜け出せば、身体の変化によって命を失ってしまう。そう、説き続けた。だが、息子が「死にたい、死にたい」と叫び続ける姿を見て、大富豪は彼をそこから懐かしい空気へと戻した。息子は安堵の息を吐き、息を引き取った。それが、妻、父、母と続いた。それから三十四年、大富豪はある日、部屋を出て、自ら命を絶った。部屋には美しい少女だけが取り残された。それから数え切れない時が経ったと言う。
 男が知っているのは、それだけだった。何百年か、何千年か、そんな漠とした年輪すら分からない。ただ目の前には永遠の少女が佇んでいる。その蕾が熟す前のあどけない身体の瑞々しさ、端正に配置された眉、瞳、鼻、口は、当時から今も変わらず男の目の前にある。門番がその後ろで睨んでいなければ、口説き落とす所なのにな、等とのんびりと男は思った。
「いらっしゃい」
 少女の優雅な会釈、だがその作られた笑顔を見た時、男のそうした軟派な妄想は立ち消えた。
「どうぞ、おかけになって」
「いやいや、立ってる方が楽なもんで」
 男は訪問の目的を、ざっくばらんに語り始めた。それを聞きながらも崩れを見せない少女の表情に、男はその思いを強くした。
「うん、まー、その、何だろ」
「はっきり言ってよ。まどろっこしいわ。まあ、こっちは時間が有り余ってるんだけど」
「永遠を求めてたってのかな。俺たち、花火使いは画家や写真家に憧れるわけよ。花火って一瞬で消えちまうものだからな。
 だからさ、その丹精込めた花を花瓶に飾るようにさ、空気中に留めておけたらとか思ってたんだよ」
「ほんと、まどろっこしい。『求めてた』に『思ってた』? なんで過去形なの?」
 男はじぃっと少女を見つめて
「んっ、だけどさ、花瓶に造花を飾ってもしょうがねえよな、と。花は散るから美しいんだってさ。ついさっき、三分くらい前に思った」
 少女はその表情を崩さずに
「ひっかかるわね」
「ひっかけて、ごめんなさい」
「許してあげるから」
「うん、ま、さ、あんたは美しいよ。でもさ、やっぱりそれはお人形さんのようなものなんだな。何かが、ぼやけてて。綺麗だけど、さ。
 正直さ、よれよれだったけどウチの婆ちゃんの方が、可愛かったよ。なんか、そういうの諦めた枯れた雰囲気も含めてさ」
 門番が怒りの声をあげる。
「この、黙っていれば、無礼な!」
 少女は門番を制して、裾を持ち上げ、改めて会釈する。
「まあ、老婆より酷いとは酷なもんですね」
「まだるっこいのは、嫌いなんだろ? やっぱ消えてしまうから綺麗なもの。そんなのを求めることにしたよ。どうやら永遠とは相性が悪いみたいだ」
 少女はふと、アルバムを眺めるかのような遠い目を、投げかけた。
「わたしも、そう思ってた時はあったわ。四百年くらい前に好きな人ができてね。一緒に外に出て愛しあおうかと思ったわ。真剣に悩んだのよ」
「おや? 思ったよりオアツイね。お嬢さん」
「ふふ、でも、倦怠期ってやつでね。一万年続きそうな恋でも、一月もすれば通り過ぎてしまうものだったわ」
 少女は未だにその一言一句を覚えている。その時の白い花の香りと一緒に。
『俺さ、無い頭ふりまわして悩んだんだけど。きっと、きみが永遠だから愛そうと思ったんだ。だから俺のためにそれを失ってしまうのは辛い、悲しい』

 それから、少女は突然、宝物を隠した子供のような弾むような声で
「でもね! この部屋で永遠に続かないモノってあるのよ。それは何かしら?」
「へ? 何?」
 男は呆気にとられた。もちろん、謎々の答えにも見当は付かなかったが、その少女のスタッカートな調子に面食らっていた。少女は続ける。
「花火といっしょ! 空気を震わせ、一瞬で消えるモノ」
「えっ?」
「ほら、あなたも出した」
 頭をポリポリと掻く。
「何かわかる?」
「うーん」
「ほら、それが答え」
 男は膝を打ち
「あっ、心か! 思考か!」
「ちょっとだけ、正解。でも、もうちょっと具体的なモノよ」
「なんだよ。イラつくなあ」
「ほら、それも答え」
「うーん、あっ! 声?」
 少女は頷く。
「うん、そう、声もね。ずばり正解は、音なのよ。永遠じゃないものって、私だって紡いでるんだから」
「なるほど」
「その声、要らない? 例えば永遠の少女が奏でる歌……
 ほら! 急いで球を用意して! 滅多にないことなんだから」

 少女はピアノへと向かい、椅子に腰掛け、次いで歌が響いた。

 よく洗練されている。何百年と重ねた月日が、その声に最適なメロディーを響かせた。
 それにしても永遠の少女が、一夜限りの逢瀬を歌うなんてな。
 あんなにか弱そうなのに、明るくて、芯のある暖かなソプラノで。
 ああ、そうか。彼女もやっぱ人間なんだ。

「どう?」
 男は、慌てて球をすぐさま懐に入れ、
「うん、これは中々。等級としては3級なんだろうけど、とんでもなく癖がある。うまく使えば凄いことになるけど、それができなければ、まー、微妙ってやつ」
「そっか」
 門番が耐え兼ねたかのように、宣告した。
「それでは、お客人、お引き取りを」
 そこに軽い嫉妬の含みを聞いて、男は笑みを浮かべた。そしてパチン、パチンと手拍子をして
「アンコール! アンコール! アンコールワットに火を灯せ!」
「えっ?」
「なっ?」
 突然の男の動きに、二人共、呆然としている。
「アンコールだよ。もう一回、歌ってくれよ。今度は花火とは関係なく、俺のためだけに」
「まっ……」
 パチン、パチン。
 男は紅潮した頬に汗を滲ませた。それが冷や汗だったことは、男の秘密だった。
 球が勿体ないからって、道楽に付き合う趣味はないからって、入れ損なったなんて口が裂けても言えない。
「それじゃ、あなたへ、特別よ」

 パチパチパチパチ。
 男は今度は手を小刻みに叩きながら、微笑みかけた。
「ありがとう、助かったぜ」
「こちらこそ」
「んっ?」
「ありがとう!」
 永遠の空気の合間に、微妙な間が流れた。
「何?」
「拍手っていいものね。美辞麗句とかより、ずっと素敵」
「そんなもんかね。こんなん、ちょっとした手品でも貰えるもんだぜ。わけわかんない永遠の少女ちゃんなもんだ」
「今に分かるわよ。大っきな花火を打ち上げるんでしょ。きっと、みんなから、いっぱいの拍手をもらうわ!」
「なんだ、なんだ。プレッシャーかけんなよ。でも、さ、拍手が生まれるとしたら、それはあんたの歌のおかげでもあんだぜ」
「そっ?」
「そっ!」
 男はエスコートする仕草をして
「何なら見に来んさい! 街まで、華の都レイシャンまで出かけてさ。俺の大活躍を瞳に焼き付けろ!」
「釣られないわよ。決してこの部屋からは、出ないわ。わたしの永遠は、永遠だから永遠なの」
「あ〜、行きたいくせにさ」
「ふふっ。あなた、ぶっきらぼうだけど、いい人ね。また、会いに来てね」
「まっ、しばらくしたらまた音を採りに行こうかね。それまで歌を磨いとけよ」
 少女は目を細め、口元をほころばせ
「うん、時間は腐るほどあるしね」

 GET!
【3級 パッシング モメント】  c/⌒ ○♪

 6 四の球 河蛍の球

 今日も静かな川辺で、河蛍はリリィィィィ、リリリィィィ、と鳴いて、眩しく儚い黄金色の光を発する。その光はちかちかと淡く夜の闇に明滅する。

 河蛍は、他に誰も居ない清流の源泉を住処とする。人は、様々なものが集う家々を住処とする。二つは交わり合わない。
 しかし、人は河蛍のその光を求めた。初めは手探りで、次いで大規模に遠慮なく、河蛍は人によって乱獲され、その光を奪われた。
 現在、河蛍が残っている水域は僅か。それも人の持つ気配、動き、心の高揚を感じとると光るのを止め、彼方へと消えてしまう。そのような河蛍だからこそ、人を極度に嫌っているからこそ、命を奪われずに泉を淡く照らし続けているのかもしれない。

 そのようなガイドブックでお馴染みの説明を、森のレンジャーは繰り返す。
「どうか、特別な観察台で蛍を遠くから見つめる。あなたもそれに留めてください」
 男は顔を紅潮させて
「いやー、間近で見てこそ、風流でしょー」
 それでもレンジャーは
「近づくのは禁止しているのです。僅かな蛍たちの安息の地。その故郷を荒らして、万が一のことが起きたら、どう責任を取るのですか!」
 男はぶっきらぼうに
「うん、ちゃんと大丈夫な秘策はあるんだよ。我二秘策アリ! 全ては計算されてる! ってね」
 レンジャーはため息を吐く。男は奇妙な臨戦態勢を取っていた。その姿から、貴重なる水源に何かが起こるのは明らかだ。
 しかし、彼にそれを引き止める術はない。レイシャンの名のある実業家、東方のギルドの長、永遠の少女を保護する富豪の残した護衛団。男はそれらの後ろ盾を構えて、この山脈の、ブルター水源へと赴こうとしているのだ。一介の森のレンジャー、そのレンジャーの中でも第八部署のサブリーダー、でしかない彼に、止めるどころかそれを弱める力すらない。それでも男の心変わりを期待して説得を試みたのだが。
「どうだい? この秘策? 河蛍もこのルートには気づくまい」
「ええ、わかりました。お気をつけて。
 しかし蛍達に少しでも危害を与えた場合、死よりも厳しい厳罰が待っていることをお忘れなく」
 レンジャーはそう言い終えると、蛍の淡い光が点になって泳ぐ川の方へと目を移した。そして、すまない、と口元を静かに動かした。

 男は水着の短パン一丁だった。青と黒のストライプ。それに不似合いな鋼鉄のロングブーツを履いていた。妙な取り合わせだった。加えて、長い長いシュノーケル。
「行くぞ、ニンジャ作戦! ミズグモの術!」
 などと、でっかい独り言を言って河へと飛び込んだ。
 重いブーツで男の身体は、とんと水底まで沈む。細長いシュノーケルを口にくわえ息を整えて。
 さっ、体力勝負だ。登りきってやる、上流の水源まで!
 男は重いブーツをゆっくりと運びながら、鈍歩で、しかし確実に水源へと歩んで行った。
 どの地上ルートで行っても、鋭いセンサーを持つ河蛍には気づかれる。
 上空では、尚更だ。下降している姿は丸見えで、レンジャー達によって兵器とも成りうる飛行機器、グライダーも気球も禁止されている。
 ふぅと、シュノーケルから大きく息を吸い、水中を歩くという負荷の高い運動を続けた太ももを労わる。

 二時間が過ぎていた。だが、男の足取りは一定のままだ。水源まであと三分の一登れば、たどり着く。
 しかし、妙なもんだな。水上から光が溢れて見えてもいいのに。蛍ちゃん、ご機嫌斜め? いや、たまたま水源に集まる日なんだろう。纏め採りが出来るかもな。
 馬鹿と言っても良いほどに、楽観的な男だった。

 だが、その男にも汗が吹き出ていた。その汗も河の水に流される。
 水源まであと僅か。一つの坂を超えるだけだ。だが、その坂が厄介だった。まるで崖のように二トゥールほど切り立っている。
 こちとらロッククライミングは心得ててね。魅せてやるぜ! 俺の花火魂!
 まずは崖全体を詳察する。手で掴められるでっぱりを探し、ルートを決める。多少強引だが、行ける、と男は判断した。男は右手で苔むした岩の出っ張りを掴んだ。次いで左手。足を窪みにかけて、腕の筋肉を休める。このバランス取りが難しい。よじ登る腕が限界を告げればおしまいだが、身体を支える足こそが限界になる場合も考えられる。何せ男の足は水中を沈むために重いブーツを履いているのだから。

 おいっちに! おいっちに!
 崖の半分まで来た。だが、腕の痺れは激しいものになっている。急がねば。
 おいっちに! おいっちに!
 加速する。何処か吹っ切れたかのように絶妙に体が軽い。アドレナリンがどんどんと出て、苦しさよりも笑ってしまうような快感が脳を支配する。
 おいっちに! おいっちに!
 崖は更に急斜面になる。
 そこを男は全速力でよじ登る。
 肩で息をしながら。

 水源に辿り着いた。

 蛍たちが集まる筈の、泉のような水源。しかし水底から水面へと目を凝らしても、光は映らなかった。
 時期が悪いか……お休みどきか……それとも、こちらの行動は蛍に筒抜けで、心の声は水の固まりを飛び越え警戒されている、なんてのも有り得るが……
 いやいや、そうじゃない。きっとそうじゃない! 今に光るさ。そうさ、待つんだ。待つだけでいい。ミッションは、ほぼコンプリートだ、ほぼ、ほぼぼぼ
 男の中で、区切り、とでも言おうか、戦闘から待機へと移行するスイッチのようなものが押された。アドレナリンが切れ、張り詰めていた緊張が切れ、急に上半身が重くなる。水がのしかかる。背をしっかと張っているのが辛い。骨がきしむようだ。自然、男は中腰になる。足も支えきれない。片膝をつく。シュノーケルが水中に沈んだ。水が喉へ入ってくる。げほっ、げほっとむせ込んで、シュノーケルは口から離れる。水は肺に入ったかのように体内で暴れだす。息を。しかし鉄のロングブーツがそれを拒む。男は夢中でそれを外す。外れた。上昇する。浮かぶ。男は背中を水面に付け、空を見上げる。背泳ぎのようにぷかぷかとしながら。
 幾つかの黒い虫が辺りを飛んでいるのが見えた。それらは全く光ってない。その黒もどんどんとくすんで行く。視界が、意識が消えかかっている。
 強行軍で水中を歩き続けたこと、水源の前での崖登り、そして失敗、様々な徒労がうねり、男の意思を削いでいった。ぼうっと月のない空と、黒いシルエットとなった木々を見つめる。背中の水が冷たく、それが、かろうじて意識を繋げる。

 ダメか。
 もう……

 リリィィィィ、リリリィィィ。

 気づくと光がちかちかと明滅し、空にそれらの曲線が生まれていた。一つ一つの光は川下の蛍の五倍の大きさはあり、その数は数え切れない程だ。

 なるほどね、もう危害を加えるパワーは全然残ってないし、欲望も捕らえる気力も、どっか行っちまったからなあ。

 男はメンドウクサソウに二つ球を取り出した。
 球が光を吸い、蛍の光のように淡く、そう、淡いながらも鮮やかで確かな光を宿した。
「我二秘策アリ。どーだ、計算通り」

 GET!
【WARNING―希少生物保護条例につき、等級付け禁止― ファイアフライ】  ○**

 7 五の球 染め付け士の球

 球の芯の芯から、まるで星屑を入れたランタンのように、きらきらと光がリズムを刻む。色彩は黄金を更にクリスタルで濾過したゴールドだ。
 男はそれを手に取り、加える色を思い浮かべながら、それでも決断することが出来ず、布にくるんで収め、身体を長方形のベッドに横たえた。そうした日々が一週間は続いていた。
 俺ってさ、染め付けの技術はあるんだけど、絵心が皆無なんだよね。これだけ最上級の絵の具を貰って、何を描きゃいいのさ。あー、やっぱ専門家に頼むか……
 旅でもするか。

 男は山合の田舎道を歩いていた。寝巻きのような普段着の地元民に混じって、日傘を広げロングドレスなどを纏っている観光客が目に付く。その道の両脇には、色とりどりの花々が咲いている。今は丁度、バラのシーズンで、赤や白やピンク、そしてその名の通りのローズピングが咲き誇っている。男のホームグラウンドのレイシャンが花火によって華の都と呼ばれているのなら、ここウルムは文字通り草花の花によって花咲く村と呼ばれていた。

 その一つの花に娘が水遣りをしている。
 母はそれを腕組みしながら見つめ
「あら、朝顔には水をやらなくてもいいのよ、たしか」
 娘はきょとんとした顔で
「なんでー」
「朝露と霧から水分を補給するからよ」
「どうやってホキュウするのー、ねー、なんでー」
「何ででしょう」
「なんでー」
「ハハハ、ひみつ」
 母は誤魔化し誤魔化し、笑い続ける。
 男はそれに割って入って
「ありゃ、葉っぱから、吸ってるんだよ」
「ものしりー」
 母は勢いよく、首を縦に振る。
「そっ、そうよ!」
「いいのか? 知ったかぶりで適当に言ったこと、真にうけちまって」
 母は笑顔をひきつらせて
「はは、ぶんなぐりたい」
「いや、まー、すまない。こちらの旦那に用があってな」

 藍染の羽織を着た染め付け士が、球を睨んでいた。
「河蛍の球か……」
 男は正座しつつ、注釈を加える。
「綺麗だろ? 花火の光り方を司る球を作る際の、ラッキーなオマケというか何というか……
 だが、綺麗すぎて、うん、他の色とそれに見合う絵が浮かばないんだ」
 染め付け士は瞳を閉じて、花火を描く。
「金と銀と虹だな、蛍の黄金は不死鳥に使える。フェニックスだ。密細工の純銀でそれをふち取り、そこに天の川の虹を添える」
 染め付け士の自信ある声に反して、男は未だ思い悩んだ様子で
「うーん……」
「何か?」
「なんだかなー、違うんだよな」
「何だ! お前も腕がたつのだから、わかるだろう。これを超える色合いはどこにも無い。金、銀、虹! 花火の頂点だ」
 それでも男は曇りを晴らさず
「なんかさー、頂点って言っても流行にのってるだけだし。そもそも細かい銀細工は玄人が喜んでも、何も知らない子供はそうは思わないよ。
 こう言うの、通ぶった『わ・た・し』カッコイイだしさ。それに蛍の光はさ、淡いものなんだよ。不死鳥の力強さには似合わない。そんなのは俺でも自力でやれるし。まー、何だけどさ、何だろう、花だからこその花火だからね、もっと」
 男のつらつらとした反論に染め付け士は怒りを顕にし、怒鳴った。
「出てけ!」

 男が日の光を眩しげに見上げ、ふらふらと屋敷を出ると、そこには娘がいた。
「お兄ちゃん、やっちゃったねー」
「あちゃー、怒らせちゃったよ」
 娘は何故か自慢をしているような調子で
「パパ、メッタにああなんないんだよ。口ではイセイいいこと言ってるけど、ずっと花火のことばっか考えて、寝るのも起きるのもわすれて、うじうじうじうじ、ぶつぶつぶつぶつ」
「へー」
 妻が目立たぬように小走りで追いかけ
「お客さん、数晩、この村に泊まってくといいよ。ウチの旦那はこんな時、やる人だから」

 突然の夕立雨が紫陽花を叩いている。
 染め付け士は傘もささず、考えを巡らせながら村を散歩していた。彼を良く知る人物は、「また、ハマッチャッタカ」と生暖かい目で見守ることだろう。染め付け士は、考え事をする為の特別に長い散歩コース、一周に一時間半は費やす散歩コースを、悩みながら回り続けるのだった。
「花火、花火、花」
 天気雨が止んだ。降るのが突然なのならば、止むのも突然だった。雨は植物の葉に、花に、水のコーディングを施し、気まぐれな強い西日は、それをキラキラと照らし、ペンキの塗りたてのように色を輝かせる。
 丁度、そんな夕顔が蕾を綻ばせようとしていた。男は何とは無しにそれを見つめる。
「夏だなあ」
 と、ぼつり。
 夕顔の奥には、向日葵が背比べをしていた。
 染め付け士の胸に閃きが走った。
 花、花、花。
 いけるかもしれない。

 花火使いの男は、染め付け士の客間に呼び寄せられていた。
「さて」
 染め付け士は静かに、しかし、初めて捕まえたクワガタムシを自慢するかのように語り始めた。
「お宅の言う通り、花にしようと思う。黄色のヒマワリとタンポポ。青と赤の紫陽花。藍と朱の朝顔と夕顔だ。
 蛍の高貴な夏の光は太陽の花を豊かに染めるだろう。
 他は朱、藍、どちらを使おうか迷ったが、どちらも使うことにした。青のあじさい、赤のあじさい、紫のあじさい、朱色の夕顔、藍色の朝顔、それらを色の混ぜ具合で調整する」
 男は興奮しながらも慎重に尋ねる。
「出来るかな? それって描き分けれる?」
「花には一つとして同じ色は眠っていない。そして、それを引き出す俺を信じてくれ」
 即答だった。その鬼気迫る表情に、男は久しぶりにぞくりとした。
「ありがてえ。俺も出来るだけ協力する。技術面は任せてくれ。存分に、最高の球を仕上げよう」

 GET!
【2級 花匠】  @* ◎  + @

 8 風詠み

 華の都レイシャンは、霧吹きを吹いたような、じとじとした雨に覆われている。
 男は宿屋で球の最終調整をしていた。五日後に、彼はここで大玉花火を放つことになっていた。
「根、詰めとるね。でも、折角帰ってきたんだから、工房でやればいいのに」
 男はふぅっと息をこぼし、目線を女将に向け
「こっちの方が性が合ってるんでね」
 女将はやれやれと台所に向かい、その途中で雨の雫がつつーっと滑り続ける窓を見つめ
「ほんと、雨、止むのかしらね」
 男はぶっきらぼうに
「風詠みが晴れるってんだから、晴れるだろ」
 と答えたが、高まる不安は隠しきれなかった。
「おやまあ、おてんとさんは気まぐれだからねぇ」
 でんでん虫が、葉に逆さまに掴まっていた。

 川辺には、野球帽の少年らが集まっていた。
 その中心には高さも大きさも様々なカザグルマとフウリンが、密集して配置されていた。遥か頭上からカラカラと風車が回ったかと思うと、両隣の短冊のように付けられた風鈴が賑やかな音を立てている。その中心には座禅を組んだ女。裾の長い羽衣を着て、長い髪を腰の辺りで結いている。
 彼女がチンドン屋や物売りではないのは、その真剣な表情から明らかだった。風詠みとは、風を詠むことで、明日の天気から台風の進路まで、未来の風向きや天候を言い当てる人類古代からの生業だ。ただ、今では希少さと非効率さ故に消えゆく生業として、文化遺産に指定すらされようとしている。
 男は「はいはい、お子ちゃんは帰る時間ですよー」などと少年らを捌きながら、風詠みの元へと出向く。
「雨が降り続けて八日目か……」
 まだ目と体型にあどけなさが残る女はぶっきらぼうに応じた。
「正確には七日と十八時間二十三分五十二秒」
「そういうマニア情報はいいから。ほんと止むんだろうな。俺はこれに命賭けてんだ」
 風詠みの女は薄い唇から
「随分ちゃちな命だこと。こんな所でやっすい油売ってて、花火の微調整はどうしたのよ? わたしは風読みに全て賭けてるんだから、邪魔しないでよ」
 男は気圧されながら
「でもなー。あと一週間は長雨が続くって。天気屋も」
 新聞の天気面をひらひらさせて、男は文句を垂れた。
「天気屋がなんだって? あんな新参が! 全てを賭けてるって言ったよね。わたし本気なんだから。絶対晴れる! 太陽は顔を出す! 違ってたら、警察でもヤクザにでも突きつけてやってちょうだい!」
 男はぽりぽりと頭を掻き、あー、押しの強い女にゃ、俺って弱いんだよな、なんて心で呟いていた。
「晴れた頃にまた来る。雨で花火が飛ばせなかった、なんて仲間内じゃ赤っ恥だし、楽しみにしている都の連中に集団でボコられても何も言えねえ。言ったように、命を賭けるのはこちらも同じだ。あんたの風詠み信じてるからな。晴れたら、また来る」

 久しぶりの陽光が眩しい。空のてっぺんからは太陽が、さんさんと光を降らせ、水蒸気の帯びた空気が、むっと辺りを支配している。子供たちはやっと顔を出した太陽にきゃっきゃっと草野球に興じ、大人たちも久方ぶりに何時もの傘いらずの散歩を楽しんでいる。
 男と風読みは、西の空をじぃっと眺めていた。
「なあ、こいつ、詠めたか?」
「いえ……」
「詠めないものもあるのか」
 女はやれやれと肩をとがらせ
「流石に管轄外……」
 男は空を見上げ続け
「あー、ちくしょー。誤算だ」
「嬉しい誤算にしちゃおうよ。空気を暖める前座としては、まずまずでしょ」
「そうしちまおっか」
 幾人かの通行人も男たちと一緒にそれを見上げていた。
 空には大きな虹が弧を描いていた。

 9 放たれる

 染め付け士は妻と娘を連れて、レイシャンの街をふらふらと見物する。不意に観光客の老人と肩がぶつかりそうになる。そうした訪問者の数も多く、地元民も夜を待ちかねぬように活気強かった。染め付け士もまた半ば観光を兼ねているのだが、その目は仕事の成果を見守る職人のそれだった。染め付け士は彼が男と染め上げた花火を観に来たのだった。奥から屋台の呼び子の声が聞こえる。
「ブルーベリー、レイシャン名産ブルーベリーは如何ですかー? 如何ー?」
 妻は物珍し気に
「ブルーベリー? 一体、何なの?」
 染め付け士は肩をすくめ、
「うーむ」
 とボヤいた。
「キューリ、如何っすかー、看板メニューでございますよ」
 塩揉みしたきゅうりを丸ごと一本、割り箸でチョコバナナのように挿して、売られている。全く都会の考えていることはわからんもんだ、と染め付け士は談笑しながら、しかし興奮を内に秘め、会場の河川敷へと向かった。
「鰻だよー、鰻、ウナギ、うなぎだよー」

 気球士は、川原で寝っ転がっていた。
 周りからは好奇で訝しげな目が集まる。気球士はそんな周囲の嘲笑を笑い返す。

 俺だって、知ってんだよ。花火ってのは座ってみるのがベストなんだろ? 立って観るには、待ち時間のジレがしんどいし、ミヤビじゃない。寝るなんて一見楽に見えるが、花火を観るには角度が悪い。首を中途半端にねじ上げなければ、その全容を拝めることは出来ないってね。
 だが! なに! 今回のこいつは特別さ! 高く高く空へと飛ぶんだ!

 永遠の少女はシュラーの真夜中の交響曲第三番を弾き終えた。室内に通してもらった門番が、拍手をする。拍手をしながらも心此処に在らずな、ぼんやりとした顔持ちだった。
 少女は
「さぞや、行きたかったんでしょうねえ? わざわざ休暇まで取って、花火を見に」
 門番は珍しく声を崩して
「あの、それは、お嬢様の勇姿がどの様に空を彩るのか、監察とご報告に」
 少女は笑顔を崩さずに
「言い訳はケッコウ。えと、こちらが、ごめんなさいね。何よりね、あなたに抜けがけなんてされちゃうと、わたし嫉妬で、どうにか為っちゃいそうだったのよ。うん、ほんの少しだけどね、久しぶりに泣いちゃいそう……んっ、じゃ、次! 交響曲四番よ!」

 アラン老は、新米花火使いとして青春を過ごしたレイシャンを懐かしげに眺め、孫に色々と解説をしながら、街を散歩していた。
「おー、ブルーベリーか。やはりな、目にイイからのう。ありゃザル一杯も食わされた時もあったわい。より美しい花火を見ようと、ならばそれを映す眼をより良くしようと、そんな発想じゃな。
 おっ、キュウリか! 買っていこうかの、ノアちゃん。キュウリはな、水分が多くて味付けされた塩も濃い。塩分と水分がお日様に打たれて、バタン! と言うのを防いでくれるんじゃ。
 なに、何で、ウナギが焼かれてるかって? そりゃ屋台だからのう、ウナギの武器の煙攻撃が存分に発揮される。それとな、お母さんには内緒だが、花火を観て興奮した恋人が夜に」
 老人の長話は止みそうになかった。

「夜だな……」
 レンジャーは、河蛍へと向かって、ぼそりと零した。
「何時も通りの夜だ……」

「右に三歩、前に六歩」
「おうっ」
「うん、こころもち手前に半歩」
 風詠みは笑う。
「うん、そこ。その位置が風のベスト……いよいよね」
 男は両足を広げ、銃口を空に向け、
「おう、やっとだ」
 ゆっくりとカウントダウンされていく。

 Set!

【五連式火銃】  =y

 Release!

【ブループラネット】  +○ *

【ライジングスター】  ☆ヾ

【パッシングモメント】  c/⌒ ○♪

【ファイアフライ】  ○**

【花匠】  @* ◎  + @

「ばあちゃん、みんな、みんなの想いを光にするよ」
 男は火銃の引き鉄に手をかけて
「さあ! いざ!」

 Fire!

 ピアノの調和音と共に、光が天へと放たれる。
 光は細い線となり、高く高く登っていく。その線の周りを蛍の明滅する輝きが囲む。
「はっしゃー!」
「おお!」
「おっ! おおお!」
「わっ! すごっ!」
「おいおい、どこまで」
「高いっ!」
「わああぁぁぁ」
「もう、行けるとこまで、行っちまえ!」
「こっ、これってマジ?」
「おおおぉぉ!」
 火薬が炸裂し、何層もの、それでいて澄んだ音色を響かせる。
 朱、藍、紫、黄の花々が夜空に咲いた。
 光の花束。




 それは鮮やかに輝き、やがてちかちかと明滅し、最後に一際強い粒子となり空へと溶けていった。





 全ては終わり、辺りは再び闇へと包まれた。
 だが、人々はそこに豊かな光の余韻を映していた。
 感嘆と拍手の後、忘れ物をしたかのように今更ながらの「たまやー」「かぎやー」の散発的な掛け声が響く。
 他の多くは火薬の匂いを味わうかのような心地よさに浸る。
 その夜、笑い声が途絶えることはなかった。わたあめ片手の男の子も。手を繋ぎながら空を見つめていた二人も。久しぶりに屋根上へと登った老人も。同じ心だった。死者すらもそれは同じだと、そう思わせてくれる花火だった。
 男はその夜を見守り終えると、少し照れくさそうに笑った。
2015/02/14(Sat)03:32:24 公開 / えんがわ
■この作品の著作権はえんがわさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
前回に引き続き、なんとういうかアレな感じで、google検索すると、ああ言うのが出てきます。うう。
でも、文章だけでも何とか成立しようと意識しました。それが叶えば。

文章とアレ、どちらか片方でも目を通してくださり、途中で読むの辛くなったってのでも、何かしら足跡やメッセージをお聞かせいただけたら、嬉しいです。
よろしくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
 こんにちは。『さよなら雨の日』と比べると地の文が多くて、セリフでの説明も詳しいですし、読んでいて無理を感じませんでした(ぼくが慣れてしまっただけかもしれませんが……)。まず色の表現が良いですね。「青く透き通りながらも、強く光の海を透かしていた」とか、「黄金を更にクリスタルで濾過したゴールド」とか。たくさんの美しい表現が、文字通り物語に色彩を加えているなあと感じました。また、各章にそれなりの分量があるのでぶつ切りな感じも受けず、落ち着いて読むことができました。
 花火使いというより魔法使い、ですね。こういうファンタジー要素はやっぱりジブリを連想してしまいます。あと、師匠から教えを受ける場面はファンタジー小説の『ゲド戦記』を思いだしました。アイテムを集めながらの旅なのでRPGっぽくも感じますね。しかし、この独特の世界観と、連作形式でつむがれるエピソードの多様さには素直に感心してしまいました。
 少し残念に思ったのは、主人公の花火使いの男がただの天才であり、人間的な深みが見られなかったこと。それからラストまでほぼ一本道で、安心感はあるけど意外性はなかったこと、くらいでしょうか。まあ、そこは深く考えずに楽しんだほうがいいのかもしれませんが。
 AAのほうもちらっと見てみました。最後の花火のシーン、感動しますね! この掲示板でも挿絵を入れるのはアリだと思いますが……AAの仕様をこっちに合わせるのはちょっと手間でしょうか。
2015/03/04(Wed)19:13:261ゆうら 佑
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