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『初夜明けて』 作者:中島ゆうき / 未分類 ショート*2
全角2237.5文字
容量4475 bytes
原稿用紙約6.75枚
今日、仕事に行く前に婚姻届を出してきた。もう市役所が閉まっていた時間だったので、裏口にある二十四時間受付の小さな窓口のような所で出した。とてもこざっぱりとした中年のおじさんが、僕が出した婚姻届の端から端までを、人差し指でつらつらとなぞっていく。「記入もれは、ないかな、ない、はい、ありませんね、はい」と言った。本当に紙一枚なんだな、と、めちゃくちゃ妙な気持ちになった。





パスタが旨いダーツバーの副店長の僕は、その後いつも通りに出勤して、いつも通りに仕事をこなした。前菜を準備し、カクテルを作り、入ったばかりのアルバイトの失敗を注意しつつ慰め、馴染みの客のゲームの相手を少しやって。今日は客の引きも良く、閉店時間きっかりに店を閉めることができた。いつもの平日より、少し売り上げが良かったことに、千円札を数えながら小さく鼻唄が出ちゃう。調理担当のニシジマさんに、「なんか良いことあったん?」と聞かれて、「いや今日けっこう良かったよ売り上げ」って言ったら、「え?それだけ?」って言われて、「え?」って聞き返したら、「なんかいつもより、今日、すごい楽しそうなんやけど」って言われた。

ちょっと考えてから、まぁ隠すことでもないしなと思って、「いやぁな、結婚してんか」と言ったけど、その声のトーンが自分でもちょっとびっくりするくらい明るくて、引く。僕はもしかしたら今日勤務中ずっとこんなウキウキした感じを出しながら接客していたのかと思うと、恥ずかしさがイッパイ。

ニシジマさんが、残ったクリームパスタのソースで、ポテトグラタンを作ってくれた。多めのチーズがかかったまだ火の通っていないグラタンは、ちょっと大きめの耐熱皿にたっぷり二人前以上。

「トースターで、十五分くらい。ちょっとこんがりめが美味しいで。おめでとう」

ニシジマさんが、本来なら僕が当番のトイレ掃除も代わってくれたので、僕はおみやげのグラタンを片手にいつもより少し早くに店を出た。





もうすぐ夜が空ける。人のいない繁華街を早足で抜けて、僕は歩いて帰る。いつもはバイクが多いけど、僕は今日は、歩いて出勤して歩いて帰宅したかったのだ。どうしても。特に理由はないけれど。一月があと数日で終わり、二月のバレンタインデーに向けて、暗いショーウィンドウのガラスの向こうにはハートが並ぶ。人の姿はちらりほらり。飲み疲れたホスト、髪がくたびれたキャバ嬢、ごみ箱を漁るホームレス、風俗店の前に止まるタオル業者のトラック。繁華街から光が消えて、そこで働くきらびやかに魅せていた人達が、ぐったりとしている姿を見るのは、僕は嫌いじゃない。別に、今日の僕は気分が良いから、優越感からそう思うってわけじゃない。どんな種類の労働にも、しっかりと疲労があることを露骨に見せてくれる明け方の繁華街に、僕は何度も勇気づけられたことがあるから。






狭いワンルームマンションに帰ると、いつも通り彼女はもう起きていて、ドアを開けて玄関で靴を脱ぐ僕の方には見向きもせずに、小さな音量でテレビのニュースを見ていた。知り合って三年、同棲して2年、籍入れて十二時間。ただいまも、おかえりも、おはようも、お疲れ様も、僕も彼女も言わない。それはいつものこと。

僕はグラタンが入った紙袋をこたつの上にそっと置いて、彼女の隣にぴったりと寄り添ってこたつに入る。別にいちゃついてるんじゃない。純粋に、寒くって。

ヘアセット専門の出張美容師、という仕事をしている彼女は、今日は一日休みだそうで。レンズのくもった眼鏡はややずれ気味で、前髪が横に跳ねてる。グレーのスエットには抜け毛が一本まとわりついている。眠たそうな目はあいかわらずテレビに向いたまま、でも不意に僕の腕に顔を擦り付けてきて、フンフン鼻を鳴らす。

「外のにおいする」
「帰ってきたばっかやもん」

こたつの上の紙袋を覗きながら。
「この袋なに?」
「グラタン。ニシジマさんくれた」
「なんで?余ったん?」
「余ってたやつやけど、わざわざ作ってくれはってんで」

グラタン皿を持ち上げて。
「うわ、これめっちゃ量あるやん」
「君なら食える食える」
「朝からグラタンかぁ」

僕が帰ってきてもぼーっとしてたくせに、しゅぱっと素早くこたつから出て、彼女はレンジのオーブン機能をピッピッと操作。
「余熱とかいらんのかな?何分くらい焼いたらいいんやろ?」

ニシジマさんの言葉を思い出す。
「トースターで十五分ってゆうてはったで。ちょっとこんがりめが旨いねんて」

帰ってから着替えもせず、僕はこたつにもぞもぞと身体を埋めて、掛け布団を首までかけて、台所に立つ彼女の後ろ姿を眺める。彼女のマイメロディのピンクのスリッパがちょっと黒ずんできている。彼女がスエットのズボンを前後ろ逆にはいているのに気がつく。僕はにんまりする。

「うちのトースターにはこの皿入らへんねんけど。ニシジマさんちのトースターって、業務用なんかなぁ」

じんわりと温もっていく身体が気持ち良くて、僕は目を閉じた。すると急に眠気がやってきて、すぐに飲み込まれてしまう。

あ、そうそう出しといたで婚姻届、ギリギリの意識で僕はそう言った。彼女が台所からこたつの側に寄ってきて、寝てる僕のほっぺたにちゅーをしたような気がした。ものすごく眠たくて、それは夢かもしれないけど。僕が眠っている間に、彼女にグラタンを全部食べられてしまったらどうしようと、心配しながら僕は眠ってしまった。






2014/02/01(Sat)14:37:14 公開 / 中島ゆうき
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この作品に対する感想 - 昇順
こういうのも好きです。
2014/02/26(Wed)22:48:371ゆうら 佑
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