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久々に時間が出来たからここをふらふらと覗きにきたら、まさか狸さんが投稿しているとは驚いた。否応無く読むことになった。解読に時間が掛かるような例のあれだったらどうしよう――、なんて思いながらも、今回はそうじゃないようで良かった。 しかし最初に読んでて思ったのが、おいおいなんかどっかで見たことあるような主人公と展開じゃないか、などと考えると、まあ狸さんの自己投影はさて置きとして、そう、展開のノリが神夜と一緒だ。一緒だ、なんて言うと狸さんにぶっ殺されそうですが、「狸さんもこんなノリを普通にこういうので書くのか」と感心しつつ、所々に見え隠れするちゃんと考えて書いているんだろうなぁ、と思わせる描写に自分の甘さを感じる神夜。 ばたばた虫が出て来た辺りで夢落ち――、といういつもの狸さんの物語で締め括ると思いきや、そこから展開した。これは意外だった。なんか狸さんの物語はそこで一回終わらせてエピローグにいく感じが強い。だからこれは意外だと驚きながら――そうや、こうや、物語はこうじゃなきゃいかんのや!!人によってはばたばた虫のところで終わらせるいつもの狸流が良いと言うかもしれんが、違うんや!!ここまでやって物語はハッピーエンドなんや!!哀愁漂う準ハッピーエンドなんてクソ食らえや!!ひゃっふー!! いや久々にすっきりする物語を読めた気がする。どうもありがとうございます。 | |||
神夜 | |||
拝読しました。 読み始めるなり「大傑作や!」と叫びたくなるのを抑えつつ、時にはハラハラドキドキしつつ、時には見も知らぬ古き東北の農山村への郷愁に身悶えしつつ、また時には胸が痛んでページを伏せたりもしつつ、まさに一読巻をおく能わず、仕事嫌だ嫌だと思いつつ通勤電車の中で最後まで一気に読んでしまった、ということを大前提として知っていただいた上でいくつか申し上げますと―― まず、190枚もあるとはとても思えないほど短く感じました。極端な話、60枚くらいしか読んでないような気がします。たまたま字数行数の表示されないビュワーで読んでいたのですが、「190枚もあるならまだまだ楽めるゾ」などと思ってるうちに終わってしまったんです。 それが何のせいなのか、それが何を意味しているのか、うまく説明できなくて申し訳ないのですが、小説としてやはり短編なのだということでしょうか。一読者としては十二分に楽しませていただいたにも関わらず、ひとつの小説として見ると、分量に比して何かが満たされなかったような気がします。 おそらくそのことと関係していると思うのですが、前半と後半、つまり「ばたばた虫」登場の前と後のある種の落差が僕としては少し気になりました。前半があまりに濃密である故のことであるのは確かですが、前半の盛り上がりと比べると、ラストに向かっては、下降線とまでは言わないまでも、緩やかに滑空してゆくような印象で、物語を結末に向かってドライブしてゆく駆動力のようなものをあまり感じませんでした。(バニラダヌキ様ご自身が、物語を終わらせたくないとお思いだったからかもしれません) しかしながら――偉そうな言いようで恐縮ではありますが――思うに、ひょっとしてこの小説、バニラダヌキ様の本当の本心からすれば、「小説として」どうであるかというのは、重要でないとは言わぬまでも、二の次のことだったのではありませんか? もしそうだとすれば、それでいいのだろうとも思うのです。バニラダヌキ様の中に、確固とした、リアルこの上ない、切実な幻想としてこの世界があり、その世界が余すところなく描かれているという、何よりそのことが僕をひきつけ心を打ったのに違いありませんから、それ以外のことはさして重要ではないのでしょう。 ともあれ、良いものを読ませていただきました。ありがとうございました。 | |||
中村ケイタロウ | |||
少し遅れましたが、読ませていただきました。 これは傑作だと思います。確かに傑作かどうかはあまり問題ではない小説、ということなのかも知れないとは思いつつ、やはりそう思います。 ただ、みなさんの感想ともかぶりますが、僕も短いと感じてしまいました。まだまだ読めると思いながら読んでいて、ふとビューアのページ残量を確認したらもう終わりかけで驚いた、というのも全く同じでした。 峰館についてから、ラストまでがちょっとあっけなさすぎるかな、と僕には感じられました。「俺」がチヨコを手放すに至るまでの心の動きがあっさりしすぎている気もします。 しかし山家にしても、駅にしても、特に峰館の町についての部分が好きなのですが、描写が素晴らしいと思いました。描写というのはそれだけうまくても仕方ない、とも言えるわけですが、優れた物語や設定を支えるためには描写力というのは必須のわけで、これはもう僕には一つのお手本だと思えます。 「たかちゃんシリーズ」もそうなのですが、商売物にはならないと割り切って書いておられるのは承知していますが、どうにも惜しくて…。「純度」は少し落ちるかも知れませんが、世に出せないものかと思ってしまいます。余計なことで、申し訳ないのですけれども。 | |||
天野橋立 | |||
>神夜様 やっほー! かみよるのおにーちゃん、おひさしぶりのたかちゃんだよー! ……違う。 ところで狸自身、この前半ノリノリの言語決壊状態は、なんかに似てるなあ似てるなあと首を傾げながら打っておりましたが、そうか、神夜印の言霊に憑依されていたのか。すると、この後半の狸らしくない展開も、実は神夜印のハッピー光線による萌え上がりで……。 いや正味の話、ばたばた虫以降の展開は、ただチヨコを無事に昇天させてやれれば、主人公なんぞ孤独のどん底に落ちようが、熱中症で死のうが、ばたばた虫のローターで首をちょん切られてチヨコの代わりに首なし狸屋敷を建てようがどーでも良かったのですが、そこはそれ自己投影キャラ、少しでもチヨコといっしょに遊び続けたくて、後半戦に突入してしまいました。 そのあたりを神夜様にも充分楽しんでいただけたのなら――もしかして神夜様もア●ネスの標的ですね。青竜刀でまっぷたつにされるタイプの萌え野郎ですね。うん、きっと仲間だ。 >中村ケイタロウ様 いやもう、おっしゃるとおり、いつもの狸印の小説構造云々はどこへやら、ひたすら自分が猛暑と切り結んで、チヨコとの濃密な夢に逃げきるために打ち始めた次第です。ちなみに打鍵開始は8月下旬でした。 したがって、後半、いきなり夏が終わって涼しくなると、いやいや逃げてはいけない現実と対峙しなければ、などという理性が蘇り、なおかつそれまであまりにチヨコずっぷしで生きてきた未練も生じ、なんじゃやら分裂気味の後半戦に突入してしまった次第です。 しかしまあ、今さら全体のトーンを整えるために流れそのものを変えてしまうと、ストーリー自体もトーンに見合った展開に変えねばならず、自分の中での『俺』や『チヨコ』が、多少なりとも変質せざるをえません。特に後半のチヨコに関しては、打鍵中に考えついた様々な読者寄りのエンタメ的趣向をバッサバッサと切り落としてここまで無垢になってもらった、そんな経緯がありまして、もう自分の中では綺麗に昇天しまっており……。 などと言いつつ、やっぱり後半、会話中心の白っぽい感じだけは、その後、ほんの少し手を入れてみたりも……。 とまあ、本作に関しましては言い訳ばっかりになってしまいますが、ここはひとつ、お気に入りのサブキャラ・新庄パパの言葉で、お茶を濁したいと思います。 「アホならアホで、なんか余計かわいいじゃない」 >天野橋立様 あう、やっぱり後半、物足りないですか。中村様へのお返しにもちょっと記したのですが、たとえば峰館に着いてからの俺とチヨコの道中など、まあ色々と面白げなシークエンスを考えたのですが、正直、俺のチヨコをこれ以上見世物にしたくない、そんな気持ちでボツにしてしまいました。それはたぶん、天野様のおっしゃる『商売物にはならない』ことによる逃げでもあり、同時に一介のアマとしての攻撃でもあるのでしょう。 しかし、『「俺」がチヨコを手放すに至るまでの心の動きがあっさりしすぎている気もします。』、その天野様のひと言は――ガッチャ! そうです。チヨコとの別れがつらいあまり、自分の気持ちすら深く見まいとしておりました。まったく困った狸だ。 あわてて今し方、補填させていただきました。いつもいつも貴重な御意見、感謝です。 | |||
バニラダヌキ | |||
正直、読了直後の感想は「うーん?」でした。 まず、チヨコがいかにも理想的な幼女像であり、かつ話しぶりが七歳にしてはずいぶんと幼いこと(訥々というより片言、言うなれば行動はサツキなのに口調はメイ)や、時折現れる作者視点での語り口調に違和感を覚え、特に山から下りてからの場面は本当に必要なのか、これはチヨコのためというより、単にチヨコと長くいたいおじさんのためだけじゃないか、やだこれ結局単なる幼女趣味? ……などと思えてしまったのです。 しかし、しばらくして突然気がつきました。あ、これは本当にチヨコのためじゃないのかも。 つまり○○○は単なる○○○○ではなく、むしろ○○○○というべき存在ではないか。 いやいやちょっと待て、そうするとそもそものアレこそ実はナニなのではないか。そうか、だからアノ時アレをアア表現していたのか、そうかそうか。 ――と伏せ字だらけで申し訳ありませんが、本文を読み切る前に感想を読んでしまう私のような人が他にもいると困りますのでご容赦願います。ええ、けして自分の解釈に自信がないからではありませんとも。 さてそうしてみると上のようなつっかかりが一気に氷解し、さらにカツやら鰻やらの脂で飛んでしまったと思っていた野薔薇の馥郁たる香りがまた立ち昇り全編を覆い尽くすのをまざまざと感じて慄然とした次第です。 まったく、読了直後にこれを感じ取れなかったのも、一瞬でも(キャー! ロリ●ン! ア●ネスに通報しなくちゃ!)と思ってしまったのも、ひとえに私の不明の致すところであります、心からお詫び申し上げます。 そうしてまた今日、仕事をさぼって再読し、そうすると表現のいちいちに納得することができ、ああやはり山から下りた場面は必要だったのだ、つまずいたのも疑問を感じたのも単なる自分の読み違いのせいだったのだ、これは初めに思っていたのよりもずっと優しく大きな慈愛の話なのだ、とあらためて得心いたしました。 文章の素晴らしさはあらためて言うまでもありませんね。 私のお気に入りは冒頭の「無慮九千九百九十九円」以下のくだりと、峰館駅を見たチヨコの「これはこれは、なまんだぶなまんだぶ」です。特に「無慮〜」の(二回転半と思いきやもう一回転あった〜!)という起伏に富んだ文章は、もうこれだけでお金を出してもいいくらいです。 ですが、「その代わり熱中症であの世行きになる奴は多いが」の「が」は本当に「が」でよろしいのかしらん、また「ないすきゃっち」のところ、「これはけして時代考証をないがしろにしたウケ狙いではない。」という一文は本当に必要であろうか、などと思ったりもいたしますが、しかしまた色々勘違いしている可能性が大なので軽く流してやってくださいませ。 それにしても、確かに現世で感じられるもののうち子供から与えられる愛情ほど純粋で完ぺきなものはない、と思います。 ともあれ、汗すら香水に変化させてしまう、文学の力を感じさせていただき、 大変勉強になりました。ありがとうございました! | |||
狐ママン | |||
ああっ、ママン、ごめんねごめんね。実はボク、ママンに産んでもらう前から、じゃねーや、ママンが生まれる前からロリ●ンだったんだ――って、母親の倍も生きてる息子って、どうよ。いや問題は、そこではなくロ●コンなんだけども。 閑話休題。 行動はサツキなのに口調はメイ(実年齢はその中間)――言い得て妙な違和感ですが、そこがまたいかにも実社会でイジメられそうなキャラに思われたりして、やっぱりこれはもう狸が護ってやらねばなあ、うん。 再閑話休題。 近頃若年性アルツ気味の狸としては、○○○と○○○○と○○○○の伏せ字がどうしても埋められず、ちょっと頭を掻きむしったりしておりますが、『そもそものアレこそ実はナニ』や『アノ時アレをアア表現』あたりは正にドンピシャ、暗喩を汲み取っていただけたと信じます。そうなんだよママン。ママンなら、この大きな愛に気づいてくれると信じていたよママン。 さらに、冒頭からしばらくのクドい言い回しを気に入っていただいた由、ああやっぱり持つべきものは自分より若いノン・アルツな母親であるなあ、などと、感謝の念を新たにしている狸です。 ところで、あそこのところの『が』は、確かに文法上では『から』のほうが正しいわけですが、ここでは、論理的文章では本来極力控えるべき、単純接続としての『が』だと思ってやってください。この話の『俺』は、狸に輪をかけていいかげんな奴で、しかも脳味噌が煮えているもので。 しかし一方、『これはけして時代考証をないがしろにしたウケ狙いではない』は――誰だ、こんなアホな文言を垂れ流した奴は。『俺』か? ……いやこれは狸の脳味噌が煮えて……すみません。イキオイで、ついついやっちゃいました。あわてて修正させていただきます。どうか忘れてやってください。 | |||
バニラダヌキ | |||
遅ればせながら読ませていただきました。 生きるとは何なのか、人は死ぬとどこへ行くのか、みたいなことがさらっと書かれていて、というか根底に流れているように感じられて勝手に戦慄していました。地獄だ成仏だと冗談のようにかましておきながら、一方ではこの世に居残ってしまった女の子があっちへ行ったりこっちへ行ったり。陳腐だとは思いつつ上記のようなことを考えてしまいました。 読後に喪失感が残るのは、まさかウン十代のおじさまに感情移入しているわけではないと思うのですが、やっぱりあの子があれしてしまった寂しさなのでしょう。めでたしめでたしに見えても、昭和前期を知る怪奇っ子が現代社会から姿を消すというのは重大な損失であると思われます。このあたり、チヨコが地方都市に下りてくるのも含め、科学の及ばないもの・よくわからないものも時代の波に流されて消えていってしまうんだなあと感じられ、これも勝手に悔しい思いをしていました。黄門様め……。 山に分け入って異類と出会うという一種の型を踏まえつつ、そこからロマンチックなラストにまで引っぱっていく展開はおもしろく読ませていただきました。チヨコもかーいー。あ、ご飯食べる時、二人でなーむーするより「おあがりやす」みたいな丁寧な応じ方をしてもらったほうがかーいかったかなと。もてなしてるんですし。東北の言葉でどう言うのかはわからないんですけれど。 寒い日が続きますが、おじさんには頑張ってチヨコを待ち続けてもらいたい……。失礼いたしました。 | |||
ゆうら 佑 | |||
『生きるとは何なのか』も『人は死ぬとどこへ行くのか』も、ちっとも深く考えないままなりゆきで生きているオヤジが、『山に分け入って異類と出会うという一種の型』の中で、人間としてどう変わって行くのか――それが本作の大きなテーマでした。 ……すみません。大嘘です。ただ、あんまり今年の残暑がキビしかったんで、『山に分け入って異類と出会うという一種の型』の中、かーいー異類相手に思うさま遊んでみたくなっただけなんです。 しかしその『型』に遊ぶ以上、泉鏡花大先生の『高野聖』とか幸田露伴大先生の『対髑髏』を意識しないわけにはいかず、つまり迷いこむ奴という自分の同類の頭の中(および現実社会)から、その出会う異類をどこまでハイパーに昇華させてやるかが問題なんだ、みたいな意識も常にあり……。 てなわけで、ゆうら様の『喪失感』『重大な損失』『悔しい思い』、そして何より『かーいー』、そのあたりが、チヨコにとって何よりありがたいご感想だったりします。 ところで『二人でなーむー』と『おあがりやす』の件、ここはアレです。って、どれやねん。つまりチヨコは自分ではこの大デブを「お客様」と表現しておりますが、実は一心同体のように委ね会える叔父さん級の存在を切望しているのでありまして……。たぶんその前のお風呂でも、もしチヨコが料理中じゃなかったら、それはもうア●ネス乱入必至、大デブ誅殺必至の混浴シーンがごにょごにょごにょ……。 ちなみにこの大デブは、ヨボヨボのホームレスになってからも、夜ごとこの公園をうろつき続けていたとゆーことです。めでたしめでたし。 | |||
バニラダヌキ | |||
拝見しました! 主人公の現状、もしこれが街中の雑踏での心の呟きだとしたら、耐えられないような苦しい気持ちの方が先行してしまったかもしれません。でも自然の中と一万円、少し条件が変わっただけで、何故だかピクニックのような爽やかさを感じれました。丁度良く入ってくる風景が、そうしてくれるのだろうなと。出だしでは、やはりここの「……やめ」「はい休憩」汗ダラダラの中年男性だと文章で理解していても、可愛いなって思ってしまうのですよね。主人公もうギリギリだなって伝わってくるのに、読んでいて何故だかメルヘンな気持ちにさせて頂きました。 チヨコが主人公に初めて気づいて逃げるところは、ちょっと微笑ましくて心の中でクフフフと笑いながらも、一回逃げ出す主人公に喝を入れたいですね。あの瞬間に逃げなかったくせに、その後に何逃げ出してるのだと! チヨコの家で大人の存在を確認するために家探しして一応の納得をするところ、他の場面よりも少しですが風景というかイメージが入りずらかった気がします。ただ単に私の知識不足なのかもですが。 風呂に入り食事のあたりまでは、主人公の過去や思い出もしくは望むものから成り立ってる空間なのかと思っていたのですが、チヨコの独立した存在感が強くあってチヨコ自信の母親をまねしようとしているようにも(最後まで読むとこれはないのかな? 憧れか……)、主人公の母親を記憶からまねしているようにも。ただあの場面でのやり取りは、暖かく幸せですね。主人公の思い出す風景とは違うけど、私も子供の頃に泊まった家のことを思い出しました。 独り占めするよりも半分こと分け合う方がいいって、純粋に言えるのってどれくらいまでなのかなぁとか、それを本心でいえるチヨコの可愛さや愛おしさが、じんわり沁み込んできます。主人公をあやすチヨコの言葉と仕草に泣きたくなる気持ち分かりますね。あと翌朝の餡パンから、チヨコの感じた美味しさが、もう一回り伝わってきて溜め息が洩れる感じでした。 ここまで書いて、どうしても私はこういう感想になっちゃうんだよなぁと思いつつ後半を。「ぱたぱた虫」から、読みやすいではないのですが(その前が読みにくいとかではなく)、すらすらどんどんと読めてしまいました。これはチヨコの世界から、例えチヨコがいても、そこは現実だからなのかなぁと。スカーフをして焼き鳥屋の匂いに誘われるチヨコと、手を引く主人公を頭の中に浮かんできて凄く良い風景だなって思いました。 最後まで‘なん’であっても、少女は少女として扱う主人公さすがです。誰かが待っててくれたら、しっかり生きないとですね。それと読み終えて、実はヤマキマダラヒカゲは叔父ちゃんだったのではないかなと、主人公に一瞬でも勝利を味わせつつ、待たせに待たせたチヨコに対してしっかり美味しいところを持っていったんじゃないかな、なんて。 遅ればせながら読ませて頂きましたが、大変に面白かったです! | |||
羽付 | |||
ギリギリの人生もゆとりの人生も、酷暑で脳味噌が茹だってしまえば同じウニ。茹だったウニはおいしいのです。……なんの話をしている俺。 いや、あそこで逃げだしてすみませんすみません。でも逃げるでしょう、ふつう。ロリの生首がしゃべったくらいでは逃げない筋金入りのロリコンでも、いざその首なしロリがジワジワ迫ってきたりしたら、いかにロリコンでも……なんでロリコンの話をしている俺。 ところでチヨコが住んでいたあの家は、あくまでチヨコの生家を、チヨコ自身が記憶や願望によって再構築した世界、そんなもんだと思ってやってください。主人公も同じ地方の田舎に育っているので、家屋構造や調度には共通点が多く、すっかりノスタルジーの虜状態という。 文体も描写もクドさ全開の前半と、いきなり軽快にトントンと話が進む後半の差違は、羽付様のおっしゃるとおり、『チヨコの夢想世界にいる主人公』と『主人公といっしょに現世にいるチヨコ』の差違と思われます。他の皆様にも違和感バリバリとのご指摘を受け、後半の描写を若干増やしたりもしてみたのですが、結局「キャラはおんなじでも世界が違うんだから文体だって描写だって違って当然」と、胸を張って居直ることにしました。えっへん。 で、蝶々と叔父さんの件ですが、きわめて曖昧ながら、どうもこれも羽付様のおっしゃるとおりなのではないか、と思われます。もっとも狸自身、蝶々でも叔父さんでもないただの筆記係にすぎないわけで、これは戦地で死んだ叔父さんが蝶に変身して何十年かけて故郷に舞い戻ってきたもののすでに村はなくチヨコの気配がする幻想エリアにも入るに入れずウロウロしていたのを通りすがりの大デブの頭陀袋を借りてやっと潜入したのかな、とか、いやいやこれはきっといっぺん成仏してから蝶に生まれ変わって前世の記憶なども失ってただ漠然としたチヨコへの思いに導かれ大デブの頭陀袋を借りて以下省略、とか、まあなんかいろいろ想像を巡らすしかないわけで、なんぼなんでもそりゃ無責任だろう、といった一般世間の良識などは綺麗さっぱり脳味噌から放逐され、紅白の野薔薇に彩られた緑の山道を、なんの逡巡もなくただひたすら大汗流しながら登り続けたのである、まる、と。 | |||
バニラダヌキ | |||
どうもお久しぶりです。久々にわいたはさみ虫……じゃなかった、鋏屋でございます。 遅ればせながら、御作読ませていただきました。 いや〜面白かったです。久々にすっきりさっぱり、洗い→すすぎ→洗い→すすぎ(柔軟剤投入)→脱水って感じですw(何の話だ?) おまけに糊までまで効いてて…… ってもう良いかw 夢落ちパターンかと思いきや、え? 素直についてくるのかよオイ!? って感じで、次の展開が気になり一気読みでした。お話しを読みながら初めは御大ご自身の回想記なのかとちょっぴり心配になりましたがw 幽霊や妖怪などと一杯やるのが夢である私にとっては、この主人公がうらやましくて仕方ないですよ。 私的には峰館の町の描写の部分がお気に入りです。ホント、頭の中に情景が浮かんでくるようです。毎度毎度の事だけど、御大のお話しはやっぱりこの描写力が半端ないですね。 あと『11匹のねこ』は懐かしかったw 私も子供の頃大好きで、幼い頃に舞台も見に行きました。私が幼稚園時代に買って貰った絵本がお袋が取っていて、未だに手元にあります。上の子と下の子が小さい頃に読んであげましたよ。どーでもいいですけどねw たかちゃん以外の御大の話は『迷い込み』が多い気がします。まあ素で狸さんなので、化かして迷わせるのはお手の物なのかと納得して読んでますけどw 楽しい時間は過ぎるのも早いって昔ユダヤ人のおっさんが言ってましたが、本当にそうですね。あっという間に読んでしまって少々物足りなさを感じました。それだけ夢中になって読んだ証拠でしょう。楽しい一時をありがとうございました。 鋏屋でした。 | |||
鋏屋 | |||
いやいや、まだ乾燥が残っております。今日は雨なので、近所のコインランドリーのドラムに放り込み、くるくるくるくると。ほんとは閑静な田舎に引っ越して、溢れる日差しの庭先、ひらひらと爽風にさらし、よりふんわりと心地よい肌触りの洗濯物に――何の話でしたっけ。洗濯小説? ともあれ、鋏屋様にも、しばし楽しんで化かされていただけたようで、なによりです。『11匹のねこ』のような、既成概念をすっとばしたえもいわれぬ開放感とは、無縁のサミしい話になってしまいましたが、年寄りなりに「どこかにヌケたい!」という願望だけは表現できたのかな、と。 しかし言われてみれば、ほんとに狸の芸は『迷い込み』多いですね。今、過去の自作をつらつらと鑑み、「ああなんだ、俺って、迷ったりヌケたりする話ばっかしじゃん」と、呆れかえっている次第です。というか、鋏屋様のおっしゃるとおり、読者を化かして迷わせて、どこかとんでもねーところにいっしょにヌケさせてしまうのが、狸の生き甲斐なのですね。もっとも今回は、ヌケたのはチヨコだけで、主人公はついにどこにもヌケていないわけですが、読者の方々はヌケてくれたかどうか――たぶん皆さんおっしゃる『物足りなさ』は、そこいらの押しの弱さにあるのかも。 ところで、『御大』と呼ばれると、思わず市川右太衛門さんや片岡千恵蔵さんのように顔面を巨大化させて派手に見得を切らねば、などと焦ってしまうチャンバラ世代の狸ですので、できればただの『狸』、あるいは『信楽焼』とか、なるべく精神的な負荷をかけないでやってください。正体は、冒頭部の回想を当社比2倍くらいにつまんなくした奴です。 | |||
バニラダヌキ | |||
[簡易感想]おもしろかったです。完結したら細かい感想を書きたいです。 | |||
Thierno | |||
ああっ、五ヶ月以上も、Thierno様のご感想に気づかなかった……すみませんすみません。 もひとつおまけに、すみません。このお話は、とりあえずこれでおしまいなんです。 まあ腹の底では、チヨコにまた下界に舞い戻ってもらって、俺といっしょに長々と珍騒動を繰り広げてもらいたい……そんな欲求もあったりするのですが……やっぱりチヨコには早めに成仏してもらいたいし……ぶつぶつぶつ。 | |||
バニラダヌキ | |||
合計 | 12点 |