- 『出世魚』 作者:スピンナ / ショート*2 お笑い
-
全角1359.5文字
容量2719 bytes
原稿用紙約4.7枚
ブリか。いいよな、お前は。ただ生きてるだけで出世できて。
-
中島は、とぼとぼと夕方の商店街を歩いていた。
くたびれた紺の背広に身を包み、手にはカバンを持っている。
彼には、結婚して十年目になる妻と、高校生の娘が一人いた。
だが、円満というわけではない。妻には尻に敷かれ、出世が遅いと嘆かれる。
小さい頃こそ可愛かった一人娘とは、今ではほとんど会話もなく、邪魔者扱いされている。
万年平社員で、この先、出世できる見込みもない。
家に帰る足取りは重かった。
魚屋の前を通り過ぎようとしたところで、呼び止められた。
「旦那、今日は生きのいいやつが揃ってるんだ。どうだい、このブリなんか」
中島は、勧められたブリをしげしげと見た。
「ブリか。いいよな、お前は。ただ生きてるだけで出世できて。勝手に名前が変わるんだから」
「安くしとくよ」
「いいや、やめとく」
男は、再びとぼとぼと歩き出した。
「あなた、食べ終わった食器は洗っといてくださいね」
家に帰ると、妻と娘は、既に夕食を済ませ、テレビを見ていた。
「ああ」
食事を済ませ、風呂に入る。
体の異変に気づいたのは、風呂から上がってビールを飲んでいる時だった。
頭が痛い。妻に聞いてみる。
「頭が痛いんだが、医者に行ったほうがいいかな」
「とりあえず薬でも飲んどけば」
と、心配する様子は全くないようだった。
「うん。そうだな」
明日は休日だし、寝れば良くなっているだろう。薬を飲んで布団に入った。
ところが、次の朝になると状況はさらに悪化していた。体が重く、熱があるようだった。
「ちょっと、医者に行ってくる」
家を出て徒歩数分の病院に。受付を済めせしばらくすると、名前を呼ばれた。
「ナカシマさん」
本当はナカジマであったがまあいいか。診断はただの風邪であった。
休み明け、会社に行くと、驚くべきことが起きていた。
「ナカシマ係長、おはようございます」
「僕が係長?それに名前は……」
「なにとぼけてるんですか。ただでさえ忙しいんだから、ふざけないでください」
これはどういうことだろうか?
何とか仕事をこなし、家に帰る。
「あなた、お帰り」
「おかえりなさい」
妻と娘の笑顔があった。今までには考えられないことだ。
違和感を感じながら夕食を済ませ、風呂に入る。
「しかし、いったいどういうことか。そうか、名前だ。名前が変わったから出世したんだ」
そして、ある考えが男の頭に浮かんだ。
「上島課長、おはようございます」
思った通りだった。出世している。試しに、名刺の名前を変えてみたのだった。
男は、名前をかえるたびにどんどん出世していき、ついには会長まで上り詰めた。
休日。友人と食事。
「しかし、会長とはすごいな」
「実は、ここだけの話なんだが……」
男は、それまでの経緯を話した。
「かわったこともあるもんだな」
「そうだ、君に何かいい名前を考えてもらおう。そういうことは得意だろ」
「だが、会長まで上り詰めたんだ。もう十分だろ」
「いやいや、まだまだこれからさ」
「お世話になりました」
ここは墓場。男の墓の前で妻が頭を下げる。
「しかし、突然の心臓発作とはね。ついこの前も食事をしたばかりで……」
坊主が言った。
「それでは」
軽く会釈をし、妻は帰って行った。
「しかし、名前を考えてくれと言われて、それが戒名になってしまうなんて」
-
2013/02/21(Thu)20:09:19 公開 / スピンナ
■この作品の著作権はスピンナさんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
作者からのメッセージはありません。