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『“CHOCO”』 作者:コーヒーCUP / 恋愛小説 ミステリ
全角19223文字
容量38446 bytes
原稿用紙約56.8枚
注意書き!! この作品は「“COVER”」「“CUBE”」という作品のスピンオフになりますので、どっちか読んでないと退屈な可能性があります。暇だからいいよという方、ないしは「ば、バレンタインデーなんて憎くない」というお方は読んでも大丈夫かと。
 これは、世界で一番甘い日の話し。
 なんていうとひどくロマンチックで、素敵で、色々と妄想してしまうけれど、実を言うとその日を迎える前まではちょっとした戦争が毎年起こっている。そう、戦争。WAR。激しく火花散る、乙女たちの命がけの戦い。これを馬鹿らしいと思った人たち、君たちは一生チョコレートなんてもらえない。
「死に物狂い、という言葉を想起してしまうね」
 私が友人の春川にそう話しかけると、彼女は少し笑ってから「そうね」と同意してくれた。
「あそこまで一所懸命になれるなんて、素晴らしいとは思うけど」
「いやはや、なんというか邪魔をしたら殺されてしまいそうだよ」
 私たちは今、デパートの地下にいる。本日は2月12日、ヴァレンタインイヴイヴといったところ。このシーズンだけ特設されているチョコレートコーナーは私達を含め、女性で溢れかえっていた。見れば小学生くらいの子が親に付き添ってもらいながらチョコレートのショーケースを真剣な目で見ているし、年老いたおばあさんたちが「おいしそうねえ」と感想を漏らしながら店を回っている。年齢層は様々。平均年齢を算出したら、きっと面白いことになる。
 しかし、本当にごく一部を除き、彼女たちの目は真剣だ。特に若ければ若いほど、その傾向が強い。
「まあ、男性諸君にはわからない世界だよね」
「あら、わかっちゃダメな世界じゃないかしら」
「一理あるね」
 男性がチョコもらえるかなんて淡い期待をしている裏で、あげる女性はこんな勝負をしている。こっちの苦労も知りなさいと説教してやりたいところだけど、知られてもいやな世界だ。
「それに、こういうのは必死になってしまうけれど、それがまた楽しかったりするんだよね」
「そうね。私達だって人のことをいえたものではないけど」
「その通りだね。では、彼女たちの邪魔にならないようにさっさと買い物を済ませてしまおうか」
 私たちは残念ながらヴァレンタインに本命チョコをあげるような人はいない。まったく世の男性陣はこれだけの美女二人がフリーでいることにもったいないと思わないのかな。
 そんなフリーな美女二人は今日、大学の友人達にあげるチョコレートの準備のためにここに来ていた。ただ私たちはチョコレートそのものじゃなくて、材料を買いに来たのである。チョコレートなら近所や、大学のそばでも売っているところはたくさんあるのだけど、材料となるとそうもいかない。こういうデパートじゃないと、欲しいものがおいてなかったりする。
「手作りチョコレート、正直あなたが作れるというのは今も信じられないわ。ほんと、意外」
 春川が中々失礼な感想を言ってくれるが、私はふふんと鼻で笑ってみせる。なに、そんな感想は今までいっぱい言われている。
「君だって一冊本を読めば作れるようになるさ。特別難しいことはないんだよ」
 私は中学時代になんとなく手作りチョコレートの本を読んで、それを真似て作ってみたら存外上手にできたし、なによりチョコレートを自分仕様にできるのが面白かったので、以後は毎年ヴァレンタインには誰彼かまわず手作りをあげることにしている。
 それを春川に話したら「なら教えてちょうだいよ」と頼まれたので、私が彼女の頼みを断れるはずもないから、今年は二人で作ることにした。
「あなたは器用だからなんでもできるのよ。私は不器用なの」
「君が不器用だって? 冗談や嘘をいうのはヴァレンタインじゃなくてエイプリルフールだよ、君」
 君が不器用なら、世の中の「器用な人」たちは天然記念物指定でもして国に保護してもらわないといけなくなってくる。
「大げさね。けどせっかくあげるのだし、いいものをあげたいからあなたがいてくれて助かったわ。最近はヴァレンタインも多様化してきたからあげるのも一苦労だもの。男性にあげるのだけで義理や本命、友チョコに、あとバイト先の先輩とかにもあげないといけないし、家族にも」
「チョコの有り難みも薄れちゃうね」
「最近は男性から女性にあげる逆チョコなんてものもあるらしいわよ」
「ああ、聞いたことはあるね」
「なんでもありなのよね。……そういえば、なんでもありで思い出したわ。あなた、何か頼まれごとをしてるんじゃなかった?」
 会話の途中で春川が思い出したようで、そんなことを訊いてくる。私は高校時代から、そして大学の一回生が終わりそうな今になっても、ちょっとしたトラブルシューターみたいなことをやっている。こう言うと格好いいけど、人の厄介事に口を出してるだけ。できるだけそれを早く解決できるように手を貸してるだけ。
 しかしそれをなんでもありで思い出すというのは、どういうことだろう。
 春川が思い出したとおり、私は数日前、ある友人から悩み事のようなことを告白された。そしてそれを解決して欲しいとも頼まれた……いや訂正しよう、脅された。こう表現するのが適切だろう。
「うーん、まあそうなんだけどねえ」
 私が煮え切らない答え方をすると、彼女が首をかしげた。
「なによ、あなたらしくもない反応ね。その頼み事をしてきた人ってあなたの高校のときの友達なんでしょう? いつものあなたなら、飛んでいくところじゃない」
「まあ、そうなんだけどさあ……」
 高校の友人からの頼まれごとであることは間違いない。しかもかなり想い出深い友人である。けど今回の件に関して、なんとうか……。
「ほっといて大丈夫だと思うんだよね。というか、勝手にして欲しい」
 そんな正直な感想をいうと、春川が目を見開いて驚いた。
「あなたの口からそんな言葉がでるとは思わなかったわ。友達の悩みごとなら頼まれてもないのに口をだすのがあなたじゃない。熱でもあるの?」
 一体彼女は私をどう認識しているのか、この際はっきりさせたい。
「いやこの件は本当にそれでいいと思うんだよ」
「なによ、一体どんな相談だったの?」
「うん? どんな相談ってそりゃ」
 私はそこで言葉を区切った。そして周りでショーケースをにらみ続けている女性たちを見ながら答える。
「恋の相談だよ」


 2


 私と彼女、北条静佳が合うのは四ヶ月ぶりだった。彼女との出会いは高校1年生の頃まで遡る。なんてことない、同じクラスだったということだけ。そこで出会い、少なくとも私は親しくさせてもらった。2年と3年ではクラスがわかれたので1年生のころほど接触することは少なくなったが、3年の時にちょっとした事件が学校で起こり、そこでまた深く関わることになった。
 そんな彼女はお世辞にも人付き合いが上手とはいえない。ぶっきらぼうで、名前通り普段から非常に物静か。それになにより、彼女は幼い頃にした怪我の影響で右目をずっと眼帯をしている。そして残った左目は基本的に細く鋭いので、なんだか常に睨んでるようになってしまう。
 高校時代の別の友人が彼女のこと「24時間怒ってるみたい」と評したのには笑ってしまった。彼女は確かに少し怒りっぽいがそんな誰彼構わず怒るほどの湯沸し器みたいな子ではない。ただ、そういう雰囲気を出してしまうところはある。まあ、ここは彼女のチャームポイントの一つだと思っている。
 そんな彼女とは卒業してからも数度会っていた。なんてことない、私が会いたくなったからたまに買い物や遊びに誘ってるだけ。基本的に彼女は「なんでお前の暇つぶしに付き合わないといけないんだ」と怒っている。そんなこと言いつつ、誘いを断ってきたことはない。
 しかし、今回は違った。あろうことか彼女から連絡をしてきて、またとんでもないことに「あって話がしたい」なんて言い出すものだから、私としてはこの2月に台風でも来るんじゃないかと肝を冷やした。
 そんなわけで私と彼女は急遽合うことになった。待ち合わせ場所のファーストフード店に行くと、彼女はすでにいた。どうやらもう私の分の飲み物も注文してくれていたらしく、彼女の目の前のテーブルには2つの紙コップがあった。
「お久しぶりだね、尼将軍。待たせてしまったかい?」
 そんな挨拶をしながら私は彼女の向かい側の席につく。ちなみに尼将軍というのは、私が彼女につけたニックネーム。彼女が2年の途中で生徒会長に就任した記念に、北条という名前にかけてそうつけたのだけど、私以外使う人はいなかった。
「いや、特に待ってはいない。呼び出したのはこっちだから、気にすることもない」
「そうかい。それはありがたい言葉だね。ちなみこの飲み物は?」
「安心しろ、ただのコーヒーだ。酒じゃないぞ」
「あら残念だね」
 正面に向きあうと彼女がえらく色っぽくなったことに気づいた。高校時代から綺麗な子ではあったけど、どうもあの醸し出していた雰囲気と制服が似合わなかったから、窮屈そうなイメージだったが私服姿の彼女は、もう本当にたまらない。
「いい加減、そのアルコール依存を直せ。お前は絶対将来体を壊す」
「それはもう耳にたこができるくらい聞いているよ。そしてそのたびに言っているけどね、恋人に殺されるなら本望なんだよ、私はね」
 私は中学1年のときからアルコールとニコチン中毒。タバコとお酒を恋人と形容している。彼ら無しにはもう生きていけないし、彼らのためなら死んでやれたりする。だからいろんな人に止められるけど、こればかりは私のポリシーというか、もう人生観に関わるので無理。
「全く……勝手にしろ」
「なにを言ってるのかな。私はずっと勝手にしてるさ、言われるまでもないね」
 勝ち誇ったように「ふふん」と笑って見せると、ぎろりと睨まれてしまった。怖い怖い。
「さて、私の話はまたいつでもしてあげるから、今はおいておこうじゃないか。今日は君からお話があるんだろ、どうぞ聞かせてほしいね。正直君から頼まれごとをされる日がくるなんて夢にも思っていなかった」
 私が人の厄介事に口を出したりするようになったのは、高校時代、しかも1年の頃からだ。そしてその時私のすぐそばにいた彼女はその活動について「暇人か、お前は」とあまり相手にしてくれていなかった。事実、彼女は三年間で一度も私に相談事なんてしなかった。
 そんな彼女から呼び出されている。さて、一体どんなことがあったのか。
「まあ……別に、別にな、なんというかその……た、大したことではないんだが」
 …………。
「ひぃ君のことかい?」
 彼女らしくもなく急に言葉が詰まりだしたので、そう指摘してやると彼女は顔を赤くしながら「ま、まあ」と頷いた。
 ひぃ君というのは、彼女の恋人のこと。本名は櫻井仁志。私達より2つ年下で、現在高校2年。もちろん私たちの後輩。ただ私にとって彼は後輩というより弟分という感じ。彼も決して私のことを先輩とは思ってないだろう。なにせ、私達が出会ったのは高校よりずっと前。彼が小学5年で、私が中学1年の頃。
 家が近所だったので、それ以降非常に親密な関係になっている。
 そしてそんな彼は一年ほど前、尼将軍に告白してめでたく付き合っている。私としては弟分と友人のカップルなので温かく見守っている。
 ただ尼将軍は日頃は「冷徹」と評していいくらい冷静沈着なのに、こと恋愛に関してはそうはいかない。ひぃ君の話題を私が持ちだしたりすると、顔を真赤にして言葉をつまらせて最終的には「それ以上喋ったら黙らせる!」と激昴する。
 だから、この反応だけで彼女の相談がひぃ君に関することだというのは瞬時にわかった。 
 ただ彼女がひぃ君の話題を出すっていうのも、珍しい。いや珍しいというか、たぶん初めてだろう。
「君から恋愛相談をされるとは正直、驚いているよ。私が漫画だったら目が飛び出してる」
「ち、違うっ、恋愛相談なんてそんな軟弱なものでは断じてない!」
 テーブルを叩いてそう強く主張してくる。そうは言っても、これを恋愛相談以外どう表現したらいいのか。誰か国語の先生でも連れてきてくれないか。
「じゃあ、一体なんの相談なのかな?」
「さ、櫻井がな」
「あのね君、いい加減彼氏の名前くらい下の名前で呼んでやりなよ。ひぃ君、たぶん結構気にしてるはずだよ」
「そんなことできるわけないだろ!」
 またテーブルを叩く。いやできると思うけどね。事実私はそうしてるし、ほとんどのカップルはそうしてるだろう。全く、口にだすと絶対、ありえないくらい大声で怒るだろうから決して言わないけど、彼女、ウブすぎる。
「分かった分かった。で、ひぃ君がなんだっていうんだい?」
「あいつがな……浮気してるんだ」
 彼女がいつになく深刻な声でそう告白した。私達二人の間に静寂が落ちる。
 直後、私は吹き出していた。
「ははははっ! 浮気だって? あのひぃ君が? ハハハッ!」
 駄目だ笑いが止まらない。今度は私がテーブルを叩く番になっている。店内なのだから静かにしなければいけないというのは常識でわかっているんだけど、こればっかりは抑えられない。大声をあげて笑ってしまう。やばいやばい、お腹が痛くなってきたし、涙まで出てきた。ちょっと苦しい。
「ひぃ君が浮気……ふふっ、そんなことできるはずないじゃないか。ははっ!」
 なんとか話そうとするのだけど笑いが抑えられなくてうまく喋れない。
「き、貴様というやつはっ! 人が恥をしのんで相談をしてるのになんだその反応はっ!」
 顔をさっき以上に真っ赤にした尼将軍がそう怒鳴ってくるけど、いやこれは君が悪い。
「だってあの甲斐性なしが浮気だって? 冗談は休み休み言わなきゃだめだし、そもそもそれはもう冗談じゃないよ。そんなことは天地がひっくり返ってもない」
 断言すると続けたかったのに、また笑いが出てきて無理だった。こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。いやもしかしたら、生まれて初めてかもしれない。蓮見レイ、19歳、ここにきて人生最大の笑いを獲得。
「いやぁ、尼将軍、今日はもしかしたら私の人生でかなり特別な日になるかもしれない。君から恋愛相談をされて、しかも冗談まで言われるなんてね。明日は台風や竜巻じゃ足りないよ。日本が沈没してもおかしくない」
「だから恋愛相談でもないし、冗談でもないと言っているだろうがっ! いい加減に私の話をちゃんと聞けっ!」
「えぇー、このままおのろけ話まで聞かされるのかい? これはあれだね、隕石が落ちてくる。いい人生だった」
 もう正直、私は真剣に話を聞くつもりはさらさらない。彼女から呼び出されたから何事かと気構えて来たのに、まさかこんな展開になるとは思いもしなかった。貴重な経験だからいいけどね。
「断じてそんなものではないっ! いい加減にしろ!」
「ああもう、わかったわかった。じゃあお話をきかせてくれるかな尼将軍、もとい恋する乙女さん」
「……いつか貴様を小刻みしてやる。いいか、そもそも責任の一端はお前にもあるんだ。ちゃんと聞け」


 3


 尼将軍が最初に違和感を抱いたのは、ひぃ君の態度だったとか。尼将軍もひぃ君も決して、そう決して全く、器用な人間ではないし、恋愛に積極的な人間じゃないので、付き合って一年が経過しても実は大きな進歩はなかった。それは、なんとなく予想できたけれど。
 でも少なくとも、一年という時間はお互いを知るには十分な時間だった。
「年明けから何か、私に隠しているような雰囲気があった」
 恋愛に関してはウブな尼将軍でも、さすがに彼氏の変化には素早く気づいた。もともとひぃ君が隠し事をできるほど器用でないことも相まっているんだろうけど。
 ただ人間洞察に関しては中々鋭い尼将軍でも彼が何を隠しているかまではわからなかった。ここで彼女は一歩踏み込む。このへんは強気で、実に彼女らしい。
「私に何か隠しているだろう」
 面と向かってそう問いかけたらしい。その時のひぃ君の様子を想像すると実に面白い。きっと狼狽えたに違いないが、それを悟られまいと必死に取り繕ったに違いない。そしてそんな反応がわざとらしく、逆に彼女に確信をもたせる結果になった。
 隠してるだろう、隠してない。嘘をつくな、嘘なんかついてない。騙されないぞ、騙してない。言え、言わない。
 そんなやりとりがずっと続いたらしい。想像するだけでなんというか……まあ「微笑ましい」といっておこう。
 こういう勝負にでればひぃ君は弱い。日頃から虚勢は張っているが、内面はいまだに小心者のままだ。そこが彼の可愛いところで、いいところなんだけど、相手が尼将軍というのはついていない。彼女に睨まれれば、泣く子もだまり、そしてまた泣くとまで言われている。その眼力と圧力は前までのひぃ君ならきっと耐えられなかっただろう。
 しかし、意外にもこの勝負を制したのは、ひぃ君だったという。
 彼は言い合いの途中、いい加減爆発しそうだった尼将軍の手をいきなり握って、顔を近づけて言ったという。
「俺が信用出来ないんですか……と、真剣な眼差しで言われてな」
 ここでウブな彼女はノックアウト。思わず「そんなことは……ない」と言ってしまったそうだ。
 しかしここでまた彼の姉貴分として想像する。きっと彼にしたらかなり勇気のいる行動だったに違いない。心臓バクバクなんて可愛いものじゃない、きっと本当に体を壊したと思う。しかし、彼のその勇気ある行動でひとまずそこは尼将軍が退くことになった。
 しかし、それだけで事態は解決しなかったらしい。彼女はしばらくは彼を信用して(私から言わせれば惚れなおして)いつもどおり過ごしていたが、ある日また彼女が疑念を抱くことがおきた。その日、彼女とひぃ君は二人で出かけていたらしい(なんで素直にデートと言わないのか)。
 その途中、急に彼の携帯が震えだしたという。それだけならなんてことはないのだけど、その時彼がひどく狼狽えたというのだ。そして携帯を見るやいなや、相手に応答することもなく、そのまま電源を切ったという。
「怪しすぎたからな、誰だったのか訊いたら、ただの友人ですだと」
 それはいくらなんでも馬鹿すぎるよ、ひぃ君。
 もちろんそれで誤魔化せる彼女ではない。携帯を見せろ、見せない。誰だったか言え、友人です。嘘つけ、嘘じゃない。という、同じ事の繰り返しをしたわけだ。しかしここで彼女は今度は負けないと心に決めて、無理やり彼から携帯を奪い取った。
 そして彼が返してくださいと抵抗するのを振り払い、電源をつけて、メールフォルダを見ると未読のメールが一件。送り主は女の名前だったという。メールを開けようとしたところで、ひぃ君が携帯を取り返したという。
 今のは誰だ、誰でもないです。女だろ、女じゃないです。正直になれ、正直です。この押し問答を繰り返してるうちに、通りすがりの方に仲裁に入られたという。そこでお互い恥ずかしくなり、その日はそこで解散という形になったという。
 ただ彼女は収まらない。
「お前がちゃんと正直に告白するまで連絡しない」
 そういうメールを彼に送ったという。彼女が一度決めたことをそう覆すはずもなく、事実彼女は今日まで彼に連絡をしていないという。彼からメールは来るそうだが、どれも言い訳ばかりなので無視しているという。意地っ張りな彼女をこうしてしまったのはミスだったとしか言い様がない。
「これだけじゃない。高校でも証言がとれたんだ」
 高校というのは私たちが去年卒業したばかりの母校で、ひぃ君が在学しているところ。彼女は去年まで生徒会長だったということもあって、時々学校へいくという。そして先月の末に訪れたときに証言はとれたという。
 彼女とひぃ君は在学時代から付き合っていたのだけど、公表はしていなかった。私は知っていたけど、私以外の生徒となるとかなり限られていた。
 現在、あの高校の生徒会長はひぃ君。彼女はあえて彼が生徒会に出席できない日を選び、そこで他の生徒会の生徒に「今の会長はどうだ?」と自然に尋ねたという。勘のいい生徒がいたならきっと、その時の彼女の態度だけで二人の関係に気づけただろう。
「なんか最近よく女子たちとお弁当食べてますよ」
 一人の生徒がそんなことを証言したらしい。その生徒からしたらわざわざ訪問してくれた卒業生の質問にちゃんと答えただけなのだけど、彼女からすれば衝撃以外のなにものでもなかった。その場は「そ、そうか」と聞き流したというが、他の証言も出た。
「私は図書室で見ましたよ。雑誌と実用書を読んでましたよ、女の子と」
 そこで限界だった。彼女はそれ以上深く訊くこともなく、その日は気分が悪いという理由をつけて、逃げるように帰ったという。
 それが、今回の相談事。


 4


「ながいのろけ話だったね。星新一がびっくりするよ」
「貴様はこれのどこをのろけ話と思うんだっ」
 どこって、全部だろう。まったく、自覚がないっていうのは恐ろしいね。
「それで君はひぃ君が浮気してると。彼氏を信用出来ないと」
 ちょっと意地悪な質問の仕方をしてやると、彼女が「うっ」と答えに詰まる。まあ、今の反応でわかた。心の何処かではちゃんと彼を信用してるんだろう。それだけわかればいいや。
「だ、だがどう考えもおかしいじゃないか。それに、あのだな……見たんだ」
「ミタ? ドラマの話しかい? 私もあれ好きだけど」
「違う、あからさまに話題をそらそうとするな」
 そらしたくもなる。なんだか、聞いてるこっちが恥ずかしくなってきたんだから。
「二日前だ。街で櫻井と知らない女が二人で歩いてるのを見た。もう間違いないだろう」
「ほう、それは面白いね。ひぃ君が君と私以外の女性と二人でいるなんて、珍しいなんてものじゃないよ」
「まじめに聞け。まあ、その、なんだ……気になったから、あとをつけた」
「ああ、これは友人として言っておこう。ストーカーっていうんだよ、それ」
「ち、違うっ」
 違うことはない。断じてない。彼女にやましい気持ちがなかったことはもちろんわかってるけど、違うという否定だけは受理できないよ、残念だね。しかし私もあまり人のことを言えた義理じゃないか。変な人生経験積んでるから、ストーキングは彼女の何倍もこなしてる。
「まあいいよ。それで二人はどこでなにをしてたんだい?」
「いや、私もなんというか気が動転していたからな。しかもばれてはまずいと思って、服で顔を隠しながら遠目で見てただけだからはっきりとした行動までわからない」
 彼女が服で顔を隠しながらひぃ君を追跡してる姿を想像した……なんだろう、不思議と昔やったゲームを思い出した。バイオなんとかとかいうやつ。たしかハリウッドで映画にもなってたけど。
「私が見たのは書店と、あとは雑貨店に入っていったところだけだ」
「店内で何をしてたかは見てないの?」
「いや、さすがに入店までしてはばれると思ったからな」
 つまるところ彼女は出入り口付近でずっとこの顔を隠しながら、この眼帯で塞がれていない目をこらしながら二人が出てくるのを、まさに血眼で待っていたわけだ。友達が通報されなかったことを、私は神様に感謝しなきゃいけないみたいだね。
「で、ひぃ君はその件についてなんて言ってるの?」
「……言ってない。なんだその」
 なにか言い訳をしてくる前に彼女の前に手のひらをつきだして、それを止めさせた。
「いいよ言わなくて。察してあげる」
 怖くて聞けない。そういうことだろう。まあ、確かに状況は明らかに浮気だよね。私がひぃ君の知り合いじゃなかったら、間違いなくそう疑ってかかる。ただ、彼だからこそ、私はそうじゃないというわけだけど。
「それで、つまるところ君は私に浮気調査しろってことかい。ひぃ君が浮気してるかどうか、そして相手は誰なのか。うーん、簡単だよ。実をいうとおそらく君が思っている以上にこれは簡単なんだ。私、そんな依頼ずっと受けてきたからね。しかも相手がひぃ君だとなると、それはもうきっとインスタントラーメンより簡単だよ。けど、これは意思確認だけど、私がしていいんだね?」
 実を言うと私はおおかたの予想はついている。というか、こんな話を聞いて予想つかないのはちょっと鈍い。ただ尼将軍の頭の硬さは筋金入りだから仕方ないのかもね。
 私が確認したのは調査が嫌だからとか、そういうのじゃない。どんな小さな悩み事でも友達が困っているんだから、無視はできない。だけど多分、これは時間が解決する問題だし、なにより彼女たちが解決する事件だった。私から言わせれば事件でもないんでもないのだけど。
「……いい。どうせ私が直接聞いたところではぐらかすに決まっているんだ。非常に癪なことだが、櫻井のことならお前はすぐ見抜けるだろ?」
「まあね。長い付き合いだし、姉貴分だからね。彼がなにをしようとしているか、なにを思っているかくらい、手に取るようにわかる。君の依頼なんて、事実もう解決してるようなものなんだからね」
 というか、『非常に癪なこと』なんだね、私がひぃ君について熟知してることは。
「そもそもお前が自分のことを姉貴分というなら、あいつの教育をちゃんとしていなかったお前にも責任があるんだぞ!」
 教育って、そんな大げさな。たしかに昔の彼は性格に難がありすぎたから、私が強制的に矯正した。ああ、シャレだよ、気づいてね。とにかく、そうした経緯はあるものの、そんな彼の恋愛観までは私の範疇ではないんだよ。
「前にも言ったことだけども、もうここまで来るとそれは君の範疇さ。私はもう部外者なんだよ。君の友だちで、彼の姉貴分。それだけなんだよ」
 そういうと尼将軍が悔しそうに言葉をつまらせた。そう、それはもう君の、いや君らの責任なんだよ。お互いね。
 全く、世話のやける二人だ。いいんだけどね。
「それじゃあ、私はちょっともう行くよ。調査のことはまた連絡してあげよう。ああ、依頼料だけどね」
 私はさっきまでコーヒーの入っていた、今はもう空のコップを指さした。
「これでいい。おいしかったよ」
 私は彼女に背中を向けた。
「そうだ、これは聞いておきたいな、尼将軍。君、もしひぃ君が本当に浮気していたらどうするんだい?」
「別れる。それ以外ない」
 あっさり、すっぱり、はっきりした彼女の答えに思わず唇が曲がる。付き合うまで、そして付き合ってからも奥手なくせに、なんでこういうところだけは強気になれるんだろうね。それを他にまわせばいいのに。
「そうかい。まあもしそうなら、私もそれを勧めるよ。じゃあ逆に、君の誤解だったらどうする?」
 ちょっと意地悪な質問をしてやると、彼女は「そ、それは……」とそこはさすがにはっきりとは答えなかった。
「それは?」
「それは……私が悪かったわけだから、謝罪しないといけないだろう」
 思わず小さく笑ってしまう答えだ。謝罪、彼女が? すごい、天変地異だ。
「なるほどね。よしじゃあそれでいいよ」
 私は彼女に背中を向けたまま手を振って、店を出た。
 世話のやける二人だ。まあ、嬉しいんだけどね。


 5


「そんなわけで尼将軍は君に疑いを持ってるわけだよ。いやいやアツアツで幸せそうでなによりだけどね、できればお姉さんを巻き込んでほしくなかったなあ。私は暇人だけど、そりゃあもう暇人だけど、いくらなんでもこんなことに時間をさくのはどうかと思う感性をもった、ちょっとそんじょそこらの暇人じゃないんだよね。可愛い友達と弟分のことじゃなかったら、介入してない。ああ、勘違いしないでよ、別に面白がってはいないんだよ。なにか誤解されそうだから言っておくけど、面白がってはいないよ、そんなに」
「うるさい、話が長い。そんでもって、そんなにって言っただろう、最後に」
「あ、ばれちゃった。テヘペロ」
「可愛くねぇ、気持ち悪から舌出すのやめろ」
 目の前にいる彼、ひぃ君こと櫻井仁志は私の小粋な冗談に痛烈なツッコミをあびせたあと、めんどくせぇと舌打ちをした。
 ここは彼の家の、そして彼の自室。私は尼将軍とわかれたあと、まっすぐに地元に帰った。そして彼の家を訪問したわけだ。その時に家にいたのは彼の母親、私はおば様と呼んでいる人だった。ありがたいことにおば様は私を非常に気に入ってくれているので、ひぃ君に会いたいと伝えると「どうぞあがってちょうだいっ」と半ば引きずられるように家の中に招かれた。
 そしてひぃ君は出かけていたから、彼が帰ってくるまでおば様とお菓子をいただきながら世間話に花をさかせていた。
 そして彼が帰ってきた後、リビングに私がいるという光景に絶句してすぐに玄関にUターンをした彼を連れ戻して、彼の自室に一緒に入った。
 今彼は自分のベッドに横になっていて、私は彼の勉強机の椅子に座っている。
「君が浮気してんいるんじゃないかって。いやあ、君が浮気するくらい女の子の扱いになれていたら、君の子供のころはあんなことになっていなかっただろうね?」
「人のトラウマをさりげなく掘り返すんじゃねぇよ」
 ひぃ君が自身のトラウマというのは、彼の小学生時代まで遡るある出来事。なんてことのない、クラスの中の女子と男子のいざこざ。問題はひぃ君が当時ちょっとした女性恐怖症だったこと。だからそのいざこざに巻き込まれて、かなりひどい目にあった。
 その女性恐怖症も今では私のおかげでなくなっている。私のお陰で。
「一応、あくまでも一応、念のため? いやもしかしたらということもあるかもないかもだから、ありえないとは思っているのだけど、あくまで尼将軍に依頼をされてしまったという便宜上、正直全くばからしいとは思いつつひとまず訊いておくけれど、浮気はしてないね?」
「してねーよ!」
 それからなげーよ! と、私のちょっとした皮肉に彼は少し怒った。
「うん、やっぱりね。いやー、そうだとは思ってるんだ。君は尼将軍にゾッコンだからね。そもそも、そんな度胸があるはずもない。やっぱり確認に来るまでもなかったね。徒労だったようだ。私の時間を返してくれないかい?」
「勝手に来て好き勝手やってるやつの時間なんかしらねーよ。そもそも暇人なんだからいいだろうが」
「あらら、ぐうの音も出ない」
 彼の部屋の中を見渡す。ごく普通の男子高校生の部屋だね。勉強机には参考書と教科書が並んでいて、床には小物が散らかっていて、ベッドのまわりには漫画がある。彼の部屋に入るのは久しぶりだけど、大きな変化はひとつしかない。
 そう、一つしか。
「変わったものを置くようになったんだね」
 私はベッドの近くに置かれていたマガジンラックを指さして、そう言った。ひぃ君が横になりながらビクッと震えた。彼は基本的に隠し事をする才能が皆無らしい。これは尼将軍が疑心暗鬼になるのも無理はないか。
「べ、別にただの音楽雑誌とかだよ」
「女性誌が見えてるよ」
 半笑いでそう告げてやると、横になっていた体を一気に起き上がらせた。
「あ、嘘だよ。ここからじゃ何も見えないから」
 彼が顔を真っ赤にしてこっちを睨む。ふふん、わかりやすいリアクションで本当に助かる。
「このやろうぉ……」
「こらこら、お姉さんにそんなこと言ったらだめだよ。しかし、そうかそうかその中にはあるんだねえ、女性誌が。ふふん、やっぱりねぇー。いやもうこれで私の役目は終わりかな。結論、君は浮気はしてない。はいはい、じゃあ私はこれで撤退するよ。あとは君らのやりたいようにやってくれ。尼将軍には一応伝えとく」
「お、おい、伝えとくってまさか……」
「なにを怖がっているんだい、まったくもう。私は意地悪か意地悪でないかというと、まあ確かに小悪魔的ではあるけど、真相を彼女にぶちまけるなんて無粋な真似はしないよ。君は浮気はしてないと伝えるだけだよ。彼女は頭がかたいからね、きっと、いや絶対にそれだけじゃ納得しないだろうけど、まあ一応だよ。本当のことは君が教えてあげなさい」
 いや、君しか教えてあげられないだろう? 私がそう尋ねると、彼はしどろもどろになりながら「ま、まあ」と曖昧に頷いた。どうやら、自分の目的が私に見透かされたことはもうわかってるみたいだ。もとより彼女以外に隠すようなことではないからね。
「それじゃあ、これでお邪魔するよ」
「先輩に、ちゃんと黙っててくれよ。俺がちゃんと、自分で言うから」
 立ち去ろうとする私にそんな念を押してくる。随分と、かっこいいことをいうようになったものだと褒めてあげたくなる。
 ただ、ちょっと気に食わない。
「それは約束してあげるよ。ただ君、私は今――怒った」
「えっ?」
 唐突で当然で、なんの突拍子もない私の怒り宣言に彼は素っ頓狂な声をあげた。そんなのにお構いなく、私は彼との距離を詰めて、お互いの額があたるんじゃないかというくらいに顔を近づけた。笑顔で。どういう笑顔かは説明しない。
 あくまで「笑顔」。しかし彼はその顔にずいぶん怯えたようでさっきまでの威勢が消えた。
「君の今の言葉、普通に聞くと中々かっこいいよ、うん。私じゃなくてちゃんと尼将軍に言ってあげるといい。真っ赤になりながらよろこぶだろうから。さて、でもどうしてそういうことを、彼女の前でできないのかな、君。いいかい、今回の件は私は馬鹿らしいなあと思いつつ介入したよ。可愛い弟分と友人の恋仲のことだからね、こんなところでご破算になるのは私としても望まないのさ。私は君が浮気なんてするはずないと思っていたよ。事実、そうだしね。度胸がないとも言ったけど、その実違う、君はそんなことをする人間じゃない。これだけだよ。けどねえ君、少しは度胸をつけなさい。君は今、尼将軍のことを先輩と呼んだね。付き合って一年経つんだろ? なんだいその距離は。果てしないよ。尼将軍はああいう性格だからね、きっと自分から踏み出せない。あれは恋になるととことん臆病になるタイプだ、今回の件で身にしみただろう? 君から、踏み込んであげなきゃいけないんだよ。男なら、少しはしっかりしなさい」
 踏み込む、踏み出すという行為はどんな人間でもかなりの勇気のいる行動だ。だから怖くなり、心配になり、弱気になって臆病になってしまう。
 けどそれじゃあ、そこで止まったままだよ。
「わかったら、返事をしなきゃだよ」
「……わかった」
 少し耳が痛い言葉だったのか、それとも私の「笑顔」を見るのが嫌だったのか、彼は私と目線を合わせずに下を向いてそう返事をした。本当にわかってるのか不安になる回答の仕方だけど、ここは彼を信頼するしかなさそうだね。
「そうかい。なら、本当にこれで失礼しよう」
 久しぶりのお説教をここで終わって、私は部屋を出ることにした。一回部屋を出たところで、あることを思い出して、すぐにまた部屋のドアを開けて顔だけ室内にいれた。
 そんな私の行動にひぃ君はとっても驚いていたけど、気を抜くのが早すぎるよ。
「伝え忘れていたけどね」
 そう、一番大切なことをいい忘れていた。
「なんだよ」
「――がんばりなよ」
 彼の驚きの表情に驚きが上塗りされるのを見て、私は今度こそ退散した。おば様に挨拶をしてから彼の家を出たあと、すぐに尼将軍に電話をかけた。
『早いな、もう終わったのか』
「言わなかったかい、簡単だって。結論から先にいうとね、彼はやっぱり浮気なんてしてなかったよ。ということで君は謝罪しないといけないわけだ。あはは」
『してないって……じゃあ、私が見たのはなんだったんだ』
「さあね。細かいことは教えない」
『はぁっ?』
「教えないんだよ。でも安心するといい、しばらくすると全部わかる。じゃあね、お幸せに」
 おい待てという彼女の声を無視して私は電話をきった。
 このあとも電話がかかってくるかもと思ったので、電源をきって私は帰宅することにした。鼻歌まじりで歩いていると、だんだんと気分が良くなってきた。
 少し、あてられてしまったんだろうな。 


 6


「さて、これが私が無視して大丈夫だと思った事案だよ」
「なるほどね」
 私と春川は話しながら買い物をすませて、今は彼女が一人暮らししているマンションにきている。台所で買ってきた食材を広げて、私が家から持ってきた『特製チョコレートの作り方!』という本を春川がパラパラとめくっている。
 二人でエプロン姿。あ、ビデオに録りたい。
「それは確かに無視していいわね。いや違うわ。無視しなきゃいけないってところかしら」
 さすがに春川は今の話だけで、真相がわかったらしい。というかわからないはずもないんだよね。
「あなただってそう思ったから、そこまで介入しておいてあとは関わらないことにしたんでしょう」
「まあね。いやはや世話がやけるんだよ。見ていてもどかしくて仕方ない」
 もうちょっとお互い成長すべきだと思うね、あの二人は。あの調子じゃきっと手をつなぐことさえまともにしたことないだろうな。なんというか、うん、初々しいよ。
「けど本当にする人いるのね」
「何をだい?」
「決まってるでしょ」
 彼女はそこで本を閉じて、表紙に写されていたおいしそうなデコレーチョンチョコレートを指さした。
「逆チョコよ」


 これが、今回の真相。真相だなんて大げさすぎる単語だけど、とにかくひぃ君の浮気の正体。そういえば、さっきデパートの地下で話したところだったね、逆チョコのこと。男性から女性へ贈るチョコレート。
 ひぃ君はそれを尼将軍にしようとした。どういう経緯があったかは知らないけど、きっとそれは彼なりに踏み出そうという決意の表れだったんじゃないかと、姉貴分として勝手に想像している。とにかく彼はそうすると決めた。しかしながら、彼にはチョコレートの知識なんてあるはずもない。昔基本的な料理の仕方はちゃんと教えてあげたんだけど、チョコレートまでは教えてなかった。
 そこで彼は誰かを頼ることにした。チョコレートに詳しそうな知り合いと彼が考えついたのは、きっと同級生の女の子たちだった。私に相談してくれればよかったのにね。
 相談に乗られた彼女たちは気前よく彼に協力した。食堂で昼食をとりながらどうしたらいいか相談にのり、図書館や書店で参考資料になりそうなものを一緒にあさり、そしてご丁寧に材料や作るのに必要なものを雑貨屋へ買いにいくところまで協力した。
 もちろん、ひぃ君としては隠密行動してたつもり。けど悪いことは重なった。まず尼将軍に態度でばれて、続いてそんな同級生たちからデートのときに連絡を受けてしまった。もちろん、素直に言えるはずもないから隠そうとした結果、事態は悪化した。
 そしてまた間が悪いことに尼将軍が母校へ出向いて、妙な質問を後輩にしてしまった。後輩からすれば先輩の質問に素直に答えただけ。けど尼将軍も気づいてあげるべきだったんだよ。後輩はこう言ったんだから。
『なんか最近よく女子たちとお弁当食べてますよ』
 注目すべきは「女子たち」というワード。いくらなんでも浮気してる男が複数の女子と、目立つように食べるわけがない。ましてや尼将軍の知り合いがまだ残ってる学校で。だから、彼が後ろめたいことはしてないというのは容易に想像がつくはずなんだ。
 そしてそれに気づけば、彼の行動から何をしようとしてるかくらい、想像がつく。このシーズンだしね。
「彼らしくもない行動だけどね。まあ、私が余計なお説教はしたけれど、何かを変えなきゃいけないってのは当人たちが一番わかっていたんだろうね」
 ただまだあのタイミングで先輩と呼んでいたあたり、覚悟が足りないとは思うけどね。
「可愛らしいわね。あー、私も支えてくれる人が欲しいわ」
「おやおや、君のとなりにナイスな人材がいるよ。告白してみたらどうかな? 君の体のためならなんでもできるよ」
「よくもそこまではっきりと体目当てと公言できるものね」
「素直が取り柄なんだよ」
 そう、素直。春川は何を言ってるのよと聞き流してるけど、とっても大切なことだろう。そうできれば人生は結構楽しい。
「ところで君」
 私は彼女のつま先から頭までをゆっくりと眺めていく。同性として嫉妬してしまいそうなスレンダーな体に、綺麗な姿勢。それはいつもだけど、今日はなんと言ったって、エプロン姿。これはやばい。
「胸かお尻、どっちかでいいから触らしてくれるかい?」
 瞬間、丸めた本で頭を叩かれた。
「冗談が過ぎるわよ」
「失礼なことを言うんじゃないよ、私は真剣さ」
「そう。なら通報するわ」
 そんなやりとりをしながら、私たちはチョコレート作りに取りかかった。作ってる間に彼女の隙を何度もつこうとしたんだけど、残念な結果に終わった。
 そんなふざけたことをしながらも、私は明後日のことを思い巡らせていた。世界で一番甘い日。さてさて、彼らはどうなるんだろうなあと、他人ごとのように。実際他人ごとなんだけど、無視出来るほど他人でもないから困る。
 しかし、思いめぐらすたびに笑ってしまうのだった。
 どうせ、うまくいくだろうな。つまり、運命ってのはそういうもんだからね。あの二人は不器用で臆病で、似たもの同士だから、きっとお互いのことを理解できるはずなんだ。時間がかかってはいるものの、いやむしろ時間がかかってる分、きっと最後は幸せになる。
 まったく、羨ましい話じゃないか。いい加減噛ませ犬は、ここで失礼させてもらうよ。


【エピローグ】


 北条静佳は自分で不器用な人間であるという自覚はしている。それはもう自他共に認める不器用である。家族にも、友達にも幾度と無く言われてきた。それでも彼女はそれでいいじゃないかと、自分に言い聞かせてきた。誰にでもオープンでいる必要はないんだからと。知り合いに一人、誰にでもオープンで遠慮ってものを知らない女がいるけれど、ああいう生き方は絶対にごめんだと思っていた。
 だから彼女は今までの人生で自分を悔い改めるということは、あまりしてこなかった。我が強いだけではなく、それを通せるほんとうの意味での強さも兼ね備えた意地っ張りだった。
 しかしそんな彼女も今日ばかりは、それを通せそうにないと痛感している。落ち度のほとんどを自分が背負っていることは、意識するまでもないことだった。
 本日は2月14日、世間一般にいうヴァレンタインデー。恋人たちの日。そんな華やかな日を、こんなふうに自分の情けなさに打ちひしがれることになるとは思いもしなかった。
 彼女は今、自分の部屋にいた。正直今日はここで一日潰すつもりだった。テレビもラジオもパソコンもつけることなく、外の世界を遮断して、本でも読みながら過ごしてやろうと決めていた。
 しかしその目論見は見事に破壊された。一撃で、即座に壊された。
『家の前にいます。』
 そんなメールが届いたからだ。送り主は櫻井仁志、絶賛喧嘩中の恋人だった。もちろん、宣言した通り彼が彼女に何を隠している素直に告白するまでは、相手をするつもりはなかった。だから返信もしなかった。自分の意地を通した。
 そこまでは。
 しかしすぐに『ちゃんと話します』というメールが来たので、折れた。ひとまず寒い外で待たせて風邪でもひかすわけにはいかなかったので、部屋の中にいれることにした。
 そして自分がいかにとんでもない勘違していたかを知ることになった。浮気だ浮気だと騒ぎ立てていたのが、顔から火が出るほど恥ずかしい。しかも相談相手が相談相手だった。もしかして、一番弱みを握られていけない人間にとんでもない醜態をさらしたことになったのではないか。
 しかし、そんな心配をしてる暇さえなかった。
 目の前に座った彼。差し出されたプレゼント。説明された真相。全部が彼女を混乱させていた。説明されるとなんてことのないこと。自分が何に腹をたてていたのかわからなくなる。逆チョコなんて文化知らなかった。
 蓮見は知っていたんだろう。だからいとも簡単に見抜いていた。どおりであんな余裕の態度をとっていたわけだ。
 いやもうあれのことはおいておこう。
「誤解させるつもりじゃなかったんです。ただ、ちょっと驚かそうとしただけで……」
 彼がそう解説してくれる。彼がちょっと驚かそうとした結果、まったく「ちょっと」ではなくなったのだが、これも彼の責任ではない。
「すいませんでした」
「い、いや、謝るな。君は悪くない」
 そう、悪いのは勝手に疑い、勝手に想像を膨らませて、彼を信用しなかった自分。
 重たい沈黙が二人を包んでいる。これがヴァレンタインの恋人たちの醸しだす空気ではないことくらいわかるのだけど、なんと言えばいいかわからない。なんと切り出せばいいのか、判断がつかない。
『 君の誤解だったらどうする?』
 ふいに頭に響いたのはやっぱりあの女の声だった。そう、あの時去り際にしていった質問。そして彼女はその質問にちゃんと答えを出していた。そしてあれは満足そうに去っていった。
 そう、わかっている。何を言えばいいか、いや何を言わないといけないか。
「あの……あのだな、君……そ、その、なんというか」
 言葉をつまらしながら、なんとか口に出そうとする。しっかりしろ自分と心のなかで自分を叱咤しながら。
「わ、わ……悪かったな、浮気なんて疑って。ご……ごめん」
 最後の一言は蚊がなくような声で、誰かが口笛でも吹けばそれで聞こえなくなりそうな、そんな声量だった。それでも重たい空気が支配した、この二人しかいない空間では十分だったようで、目の前の彼は驚いた顔をしたあと、ぶんぶんと首を左右に強く振る。
「謝らないでくださいよ! もういいですから。それよりほら、食べてください。おいしいチョコだって、雑誌で紹介してあったんです」
 彼がそう言ってプレゼントの箱を差し出す。綺麗なラッピングをされている箱だ。しかしただの包装紙ではない、以前何かの機会で彼女が好きな柄だと言っていた柄の包装紙だった。だからきっと、これは彼が自らしてくれたんだろう。だから、雑貨屋にも行っていたんだ。
「ちょっとまってくれ」
 彼女は立ち上がって、一旦部屋から出る。そして日頃あれだけ家の中で走るんじゃないと、幼少の頃から教えられてきたことを破り、全力疾走で台所へ向かう。そして冷蔵庫からあるものを取り出すと、それを持ってまた全力疾走で部屋に戻った。
 息を切らしながら、彼女は冷蔵庫から取り出したそれを彼に差し出す。それは赤い包装紙でラッピングされた小さな正方形のプレゼント。今日この日、中身を説明する必要はない。
 彼が顔を輝かしてそれを「ありがとうございますっ」とお礼をしながら受け取る。正直、渡せるとは思っていなかった。それでも用意はしていた。しなきゃいけないと思った。いや、素直になれ自分。
 用意したいと思った。だからそうした。そして渡せて恥ずかしいが、嬉しかった。
「じゃあせっかくだから一緒に食べましょうよ」
 彼はそこで一度言葉を止めると、何かを決意したかのように一度つばを飲み込んでから、笑顔でこう続けた。
「食べましょう、静佳さん」
 心臓が一気に高なった。付き合って1年以上経つがそう呼ばれたのは始めてだった。ただ、そのリアクションを決して表には出さず、なるべくすました態度をとることにした。
「そうだな、そうしよう――仁志」
 彼のように笑顔ではなく、素っ気なく、ごく自然な態度を装ってそう呼んでやる。彼もそれに少し表情をほころばせただけで、それ以上はつっこまなかった。あまりにもな長かった距離を、ようやく縮めれた。
 その後二人でチョコを堪能した。
 これは、世界で一番甘い日の話し。
2013/02/14(Thu)23:50:17 公開 / コーヒーCUP
■この作品の著作権はコーヒーCUPさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 はじめまして、ないしはこんにりは、コーヒーCUPです。
 なんとかバレンタインに投稿することができたとほっとしております。このネタ、去年思いついて、なんか形にできたらなあと思っていて、ほんとうに思いつきに近い状態で書いてみた。おいおいと思われても仕方ないけど、書いてて楽しかったので、まあよしとしよう。本当に楽しむこと以外考えて書かなかった。
 こういう慣れないジャンルを書くのもたまにはいいですね、年に一回くらいでいいですけど。
 さて、この作品は細かくいうと去年くらいに書いていた『“COVER”』という作品の一年後の作品になります。蓮見がまだ大学1年、つまり『“CUBE”』より前のお話。ちょっと番外編作りすぎだけども、“COVER”書き終えたときに「このあと二人がどうなるか知りたい」的な感想があったので、ラブコメで書いてみた。
 さて、義理チョコ3つが収穫の自分のヴァレンタインだったけども、皆さんには幸せがあることを願います。
 では、こんな稚拙な作品をお読みいただきありがとうございました。
この作品に対する感想 - 昇順
拝読しました。水芭蕉猫ですにゃん。
……ニャン……orz
ラブコメのコメはいらないね。これはラブだと思う。ラブミステリ?(おい)物語としては割とよくあるパターンだと思うのですが、なんでしょうこの破壊力は。思わずバケツ一杯砂糖を吐きたい気分になります。ハスミンいいなぁ。個人的にはハスミンみたいな人なら同性でもおつきあいして構わないと思う猫。でも彼女には春川嬢が居るから無理か。
ちなみに私はバレンタインは渡す相手は父親一人です。学生時代はクラスメイトのお爺さんと先生。モテ期は小学生以来来てません。ひゃっほー。
あぁもう甘いなぁ。甘いけど、心地よい甘さだ。ミルクチョコレートみたい。
2013/02/17(Sun)22:38:231水芭蕉猫
サブストーリーならこれくらいの展開と物語が一番良い。素直に面白かった。尻の方が痒くなるくらいのこの物語に素直に拍手を。ところで婚約相手からチョコすら貰えなかったんだけどどういうことなの。
2013/03/07(Thu)16:28:321神夜
水芭蕉猫様
 ラブコメのつもり……だったんですが、確かに「コメ」の要素少なかったです。とにかくヴァレンタインだし、甘い話しを書こうとしたら、こうなってしまった。「バケツ一杯砂糖を吐きたい気分になります」というのは、狙い通りではありますね(笑)。
 ハスミンはたぶん付き合ってくれますよ。あれは「私は何人も平等に愛せるのさ」なんて軽口を田tけるでしょうし、春川はハスミンの行動などすべて「そう」で片付けるでしょうから。だからいけます。
 ヴァレンタイン、お父様は喜ばれたでしょう。一人だけがいやというのなら、大阪の寂しい男に送ってくれませんか(迫真)。
 それは、お読みいただきありがとうございました。

神夜様
 サブにしては長すぎたかもしれんと心配してたんだが、そうかこれでよかったんだ、安心しました。むずむずしてくれれば、最高だよ。そういうの狙いの物語だしね。このシリーズではこの二人しかできない。
 婚約までしたの? 式するの? 呼べよ、飯喰いに行くから。けど婚約までしたなら逆にチョコなんかいらんのじゃない? むしろもらってないのにホワイトデーで幻さんがなんかプレゼントしてかっこつけろよ。
 お読みいただきありがとうございました。
2013/03/08(Fri)03:02:220点コーヒーCUP
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