オリジナル小説 投稿掲示板『登竜門』へようこそ! ... 創作小説投稿/小説掲示板

 誤動作・不具合に気付いた際には管理板『バグ報告スレッド』へご一報お願い致します。

 システム拡張変更予定(感想書き込みできませんが、作品探したり読むのは早いかと)。
 全作品から原稿枚数順表示や、 評価(ポイント)合計順コメント数順ができます。
 利用者の方々に支えられて開設から10年、これまでで5400件以上の作品。作品の為にもシステムメンテ等して参ります。

 縦書きビューワがNoto Serif JP対応になりました(Androidスマホ対応)。是非「[縦] 」から読んでください。by 運営者:紅堂幹人(@MikitoKudow) Facebook

-20031231 -20040229 -20040430 -20040530 -20040731
-20040930 -20041130 -20050115 -20050315 -20050430
-20050615 -20050731 -20050915 -20051115 -20060120
-20060331 -20060430 -20060630 -20061231 -20070615
-20071031 -20080130 -20080730 -20081130 -20091031
-20100301 -20100831 -20110331 -20120331 -girls_compilation
-completed_01 -completed_02 -completed_03 -completed_04 -incomp_01
-incomp_02 -現行ログ
メニュー
お知らせ・概要など
必読【利用規約】
クッキー環境設定
RSS 1.0 feed
Atom 1.0 feed
リレー小説板β
雑談掲示板
討論・管理掲示板
サポートツール

『――Desert Rose――』 作者:道詠 / 異世界 ファンタジー
全角39832.5文字
容量79665 bytes
原稿用紙約119.8枚
※グロデスクな描写が含まれていますので、ご注意下さい。別名、意志とも呼ばれる宝珠から精霊を召喚して使役する職業、宝珠使い(召喚士)。その中の一人である「彼」は、他の宝珠使い達と力を合わせ、専ら商人の護衛や街の守衛などの仕事に就いていた。街の外にはニンゲンを殺すケガレが徘徊し、宝珠使いはケガレを倒すことで砂漠の民を護っていたのだ。そんな或る日、彼はケガレに殺された恋人が大好きだった薔薇を墓に添えようと、有給をとって喋る仮面を身に着け砂漠の薔薇を探しに出かける。恋人を亡くした傷が癒えていない弟を心配し、彼の姉であるアルテミスは強引に彼の砂漠の薔薇探しに手伝うことにした。二人はとうとう砂漠の薔薇を見つけるが、ケガレと遭遇し、彼は地下に落とされて姉と離れ離れになってしまう。出口を探し、姉と合流しようとする仮面と彼は、地下通路を歩き出す。その先に何が待っているとも知らずに……。
 鴉の羽のように漆黒に光るその髪は、鉄錆の臭いを引き連れて生温く吹き抜ける。一陣の風が彼女の長髪を棚引かせた。

「え、痛い? そう……なら、お薬をあげないとね」
 女性は赤い瞳と長い睫毛を伏せ、気遣わしげな顔で、その手は赤ん坊の口を銃で抉じ開けた。
「鉛のお薬よ。ちょっと変な味がするけど、すぐに痛みもなくなるわ。痛み止めなんだから、当たり前よね。ふふっ」
 彼女は赤ん坊の口腔に銃口をねじり込み、口角を吊り上げて流し目を送る。瞳を細め、赤ん坊の耳たぶにそっとキスをして、やさしくささやいた。
「ちょっとだけ、ガマンしてね」

 そして、彼女は真っ赤になった。

 ベチャベチャ。べちゃべちゃ。


 ――Desert Rose――


 此処は、砂漠に海が在る世界。緑は無いが、砂漠の外には海が広がっている。
 海の果てに在るものを知ろうと、旅立った男達は皆戻って来てはいない。何処までも海が広がっているだけなのか、そこに最果てが有るのか、それは誰も知らない話なのだ。
 最果てが在るだけだとも、楽園が広がっているのだとも、口々に言われ続け、エデンの伝説を信じた者はまだ誰も帰って来てはいない。
 余りにも目にした光景は、素晴らしいものだったのか。それとも、最果てに辿り着けず死んだか。途中で事故か何かに遭ったのか。
 真相は誰も知らない。だからこそ、この世界の内側は砂漠だけで、外側には海が在るだけだ。
 砂漠に住む者達は自らを「ニンゲン」と自称し、他の生物と自分達を区別していた。「ニンゲン」と言う線引きは曖昧で、個体個人の価値観に依存していた。
 そして、彼らは外には他の「ニンゲン」が居るのだと信じていた。尤も、それは民話を純粋に信じる者たちだけで、大抵の現実主義者は居る訳がないと心の奥では思っている。
 彼ら「ニンゲン」は砂漠に住んでいたので、砂漠の民だと名乗っていた。
 砂漠の民は皆面妖な仮面をつけ暮らしている。顔を隠し、仮面に従って生きていた。
 この物語は、そんな彼らの内の一人、砂漠の民と面妖な仮面が織り成す薔薇探しに過ぎない。
 それでも構わないなら、私の話を聞いて欲しい。私の話を聞いて欲しい。私にとって、それは大事な話だ。


「ローズ……」
 神々しいまでの造形を持つ青年の横顔は、憂いの色に満ちている。長い睫毛を伏せ、今にも雫をその青玉から零しそうな表情には、一筋の闇が差し込んでいた。
 彼の周囲には、たくさんの石碑が立っており、右と左、対照的な双眼の行く先は初めから決まっている。
 彼の眼差しは彼の前に立つ小さな石碑へと向けられていた。小さな石碑には、誰々へとまるで手紙でも送るような一言が彫られている。
 石碑の名前を呟いたきり、無言で立ち尽くす青年の眸は、真っ青なサファイアのように美しい彩を纏いながらも悲しみに濡れていた。金紅石のような金色の輝きを放つ髪は、太陽の光の如く神聖なものに感じられる。
 傍らには、黒曜石のように目映い光と真っ黒な色彩のコントラストが艶やかな眸を持つ青年が立っていた。その髪は濡鴉色で、肌は漆の様な黒さを持っている。
「鴉。俺が此処に戻ってくるまでローズを守ってるんだ、いいな?」
 鴉、と呼ばれた青年はこくりと頷く。その身体からは黒々とした靄が溢れ出ている。
 美しい青年は、見栄えの良い宝玉がバランスよく飾られた仮面を顔に身につけ、石碑から離れて行く。
『わたしね、お花の中でもやっぱりローズが好き。気品があって、とっても綺麗だよね』
 想い出の中の彼女は、図鑑に載った薔薇の写真を指差して柔和に微笑んでいた。
「待ってろ、ローズ。今、薔薇をとってきてやるからな……」
 青年は独語を呟き、目を瞑る。次に瞼を開けた時は、もうその眸には何の彩も宿ってはおらず、ただ何時ものルチルがそこには在った。

「よお、武器の調子は如何だ。今なら安くしておくぞ?」
 街の入り口に着くと、傍で商いをしている武器屋の主人が声を掛けてくる。狐をモチーフにした仮面は、硬い木で出来ていた。仮面は代々家系に引き継がれるもので、この仮面もそのようだ。
 武器屋の主人の肌は浅黒く、腕も丸太のような太さだったが、髪と目は赤色だった。反して彼は砂漠の中に居ながら、雪のように白い肌を持ち、均整のとれた程良い体付きに育っている。しかし、この砂漠の世界では珍しいと言う程ではない。
「そうだな、修理を頼む」
「まいどあり。言っておくけどな、くれぐれも――」
「――馬鹿な事は考えるんじゃない、ってか?」
 おどけるような笑みを見せた彼に、武器屋の主人は動揺したように目を泳がせる。尤も、仮面を身に着けているのでその形相は隠れていたが。
「ま、まあ分かってるならいいんだが……」
「ああ、十分分かってるさ。あんたの言いたい事はな」
 彼が軽く顎を引き答えると、それを見た武器屋の主人は失言の挽回を図ろうと焦った感情を顔に出しつつも話題を替える。それも、彼が飛び付くような話だ。
「そ、そうだ。最近のケガレは、俺達を捕食するそうだ」
「……そうか。ありがとう」
 彼の眸から一瞬にして偽りの温かみが消え、冷徹な光が顔を覗かせる。冷たい光を帯びた目に、武器屋の主人はそっと顔を逸らす。対象は自身ではないと言うのに、それでも顔を逸らしてしまう目をしていた。
 憎悪に駆られた復讐の念は、マグマのように熱く滾っている。だが、その眸は相反するように暗く濁りながらも冷めた色を宿していた。
『ケガレの輩も随分と気味の悪い趣向を持つようになったものだな……』
 何処からか声が聞こえる。彼は無感情で虚無的な表情を隠しもせず、歩き出した。しかし、また彼を呼び止める者が現れる。
「やあ、これからケガレ退治か?」
「ああ、そうだよ」
 彼は背を向けたまま、平坦な声音で答える。彼に話し掛けて来たのは、次期長と謳われる彼の友人だった。
「精が出ることだな。私も出来る事が有るなら、協力しよう」
 友人は痛ましそうな目で彼を見ながらも、人好きするような笑みを浮かべる。
「頼む」
 素っ気なく返し、手をひらひらと振って会話を切り上げた彼が次に向かった場所は、街の中央で開かれているバザーだった。砂漠の街にも関わらず、街の住人は肌を露出させている者も少なくない。
 どうやら、別段肌を露出していても平気らしい。身体の構造か何かが違うのだろうか。
 よくよく見れば、誰もが琥珀を身に着けている。在る者はブレスレットに、在る者はネックレスに、在る者はバレッタに、と身に着ける箇所や物は様々だったが、琥珀を身に飾っていると言う点だけは皆共通しているようだ。
 もしかしたら、琥珀が彼らの身を守っているのかもしれなかった。
 彼が歩いているその時、ふと背後から影が差す。彼は砂の地面に映る影だけで判別できたのか、顔色を変えた。
「おや、我が弟じゃないか。とっくのとうに死んだと思っていたが」
 彼の顔に不敵な笑みが浮かぶ。しかし振り返った彼の顔は、日常を演出していた。
「ケガレにあっさり殺される程、俺は弱くないさ。それより姉貴、あんたが持っている宝玉を分けてはくれないか」
「貴様にはサファイアが有る筈だろう。それじゃ足りないと?」
「ああ、ちょいと厄介なケガレが居てな。退治に手間取っている」
 ケガレ。それは、魂を穢したモノの成れの果てだと言われている。ニンゲンは死んだら、海の最果てに召されると伝えられているが、魂を穢したモノはこの地を離れられず、彷徨うのだと言う話だ。
 そして、ケガレは人々に危害を加える。中にはニンゲンを捕食しようとする者まで出て来始め、その存在に非常に危険視され、彼のように退治や護衛を専門にしている者も少なくはない。
 しかし、何人ものニンゲンが帰らぬ人となってしまっているのが現状だ。そんな中で、才色兼備である彼は武術にも優れ、街の住人から頼りにされていた。
 謂わば、ちょっとした街の英雄なのだ。元々、ケガレを退治する事を生業にする者は街の者達からヒーローと讃えられ、親しまれている。要は彼もそうした内の一人だった。
 彼の姉であるアルテミスは、街をケガレから守る衛兵の一人。女性ではあるが、細い腕で斧を器用に使いこなす立派な門番だ。
 今日は非番らしく、バザーを楽しんでいるところだったらしい。彼は姉の邪魔をしないようにと、用件だけを熟して早々に立ち去ろうとしていた。
「私の部屋にある。好きに取って行け、変態」
「姉に興味を持つような嗜好は持ち合わせていないさ。とにかく、ありがとう」
 彼は立ち去ろうと踵を返す。彼がバザーに立ち寄ったのは、宝玉を買う為だったのだろうか。とは言え、どうやら姉の宝玉で事足りるようだ。
「待て」
 姉が彼を呼び止める。彼は嫌な予感を覚え、そのまま歩みを進めた。聞こえなかったことにしたのだ。
「私も行こう。杖も使っておかないと、腕が鈍りそうだからな。遠慮せず、私を頼るがよい」
 一石二鳥だろう、と彼女は豪胆に笑む。頼もしい笑みに、彼は半ば頬を引き攣らせつつ、何とか笑顔を繕い反対する。
「やっぱり……いいか、姉貴。たまの非番なんだから、買い物の楽しみってヤツを堪能していけばいいだろ」
「気にすることはない。長い人生だ、買い物なんぞは生きていれば何時か出来る」
「何時死ぬかも分からない。ケガレを退治するってのは、危険な仕事なんだよ」
「分かっている。街を守る身として、十分にな。
だが、女としての楽しみより弟の無事を願って行動する方が姉としてらしいだろう」
 この姉が頑固でこうと決めたら決して覆さない性格だと言うことは分かり切っている、とでも思っているのだろうか、彼は黙りこくる。
「…………」
「そうぶすくれた顔をするな。元から、貴様は女だの男だの型に嵌め過ぎなのだ。
今時、そんな男流行らんぞ?」
 くすりと微笑みながら、アルテミスは右手で彼の頭をぐしゃぐしゃに撫で回す。
「うわっ! 何歳だと思っているんだよ、俺を」
 頭を手で整えつつ、弟はむすりとした顔で姉を見上げる。彼の身長は百七十五センチ有ったが、姉は百八十センチも有った。
「幾つになっても、貴様は私の弟だよ。みみっちいことを気にする暇があったら、私の信頼に応えてみせるのだな」
 形が整った白銀色のポニーテールが、黄土色の砂を含む風に流され、軽く揺れる。仮面に隠されて常に顔は見えないが、彼は姉が笑っているのだと確信を持っていた。
 ――悪戯を仕掛ける子供の様な笑みを無邪気に浮かべているのだろう、と。

 星粒のような琥珀が星屑を散りばめたように嵌められており、後は妖しい紅玉が一つ描かれ、夥しい青い血痕が描かれた仮面。そんな仮面をアルテミスは被っている。宝玉的な意味で言えば、弟と対比してもシンプルなものだ。
『準備は出来たか、小僧』
「勿論だよ、カメ」
『ええい、あのノロマな甲羅と一緒にするな! 我輩は高尚な仮面であるぞ!』
 そう、喋っているのはあの宝玉がゴテゴテと飾られてある彼の仮面だ。顔につけた仮面と喋るのは何とも不思議な光景だが、本人達にとっては既に日常の一頁に変わりないのだろう。
「武術大会の優勝賞品が口煩いぞ」
『ガサツな男女は黙ってろ!』
「はははは、有能な弟の仮面でよかったな。他の者なら木端微塵にしているところだ」
「出来の悪い弟でも、ぶっ壊すだろあんたは……」
 呆れた顔で呟く弟に、姉はカラリとこの砂漠の空にも負けない晴れ晴れしい笑顔で「まあな」と悪びれもなく答える。言う内容は、怖ろしく物騒なものであったが。
『ガサツ女め。我輩が彼の王家に代々伝わる素晴らしき仮面だと言う事を信じぬとは……お主もお主だ、何故我輩の神々しさに気付かぬ?』
「いや、だって武術大会の景品だしさ」
『仕方ないであろう! 貧困と病で王家の血が一度絶え、何も知らぬ住民たちが他方へ我輩を売り払ったせいで、我輩はこんな辺境の土地を歩かなくてはならなくなったのだぞ!』
「はは、亀と違ってカメは歩けないだろう?」
「全くだ。普通の亀以下の屑としか思えん。貴様の口は高度な知能ではなく、お飾りを示しているに違いないな」
 アルテミスは腕を組み、やれやれと首をふる。どうやらこの仮面と一人、仲が悪いようだ。それとも、喧嘩するほど仲が良いのか。
「それよりも、何時もの斧じゃなくていいのか?」
 彼が首だけを振り返らせてアルテミスに聞く。アルテミスは、べしんと彼の頭を叩いた。前を向け、と言うことだろう。彼女は口より先に手が出る性質らしい。
「ふん。たまには杖も使わんと、錆びるだけだ。それではもったいないだろう?」
 実際問題、接近戦が得意な彼に合わせて後方支援が出来る杖を選び取ったのだろう。
「ケガレ相手に、随分と余裕なもんだな……」
 ジト目でアルテミスを見る彼に、彼女は不敵に笑って答える。風で優雅に靡くポニーテールは、彼女の自信に満ちた態度に似合っていた。
「何、自慢の弟の腕を信用しないほど私は過保護ではない。それとも何か、貴様は私の信頼を裏切る自信が有ると?」
「そんな訳がない。ただ、俺は一人で採りに行きたかっただけだ」
「貴様こそ、私情たっぷりだろうが。一丁前の口を利くなら、きっちりと公私混同しないようになってからだな」
『残念な事に、我輩もガサツ女とほぼ同意見だ。しかしニンゲンは公私混同するナマモノ故、致し方ない部分もあろうな』
「おい、カメ。いい加減叩き斬るぞ」
「二人共、喧嘩するならとっとと帰ってくれ」
『我輩は仮面であるぞ。邪魔なのはこの女のみよ』
「話す事以外に能のない仮面が何をほざく。どうやら、真っ二つにされたいようだな……」
「暢気に話している場合じゃないだろう。今、ここら一帯は危険地帯に指定されているんだから」
 ――そうだ。ローズが死んでから、ココは危険区域に認定された。皮肉にも、彼女の死を契機に。
 彼の顔に影が差す。暗い顔をした彼を置いて、姉と仮面はぶすくれている。何も気付いていないらしい。
『むう……』
「ふん」
 彼の制止を渋々聞く一人と一仮面。彼は溜息を吐きながらも、苦笑した。
 ――デザートを亡くしてもこうして居られるのは、二人のお蔭なんだろうな。
 懐古に満ちた寂しそうな眸をしながら、彼は一人前へと進む。その後をアルテミスが着いて行く。無口なアルテミスの仮面は、道中何も喋らなかった。
『ところで、お主は何を探しているのだ?』
「デザートローズ。砂漠に咲く薔薇だよ」
「成程。デザートはローズが好きだったな」
「ああ、だけど本当は……」
『――でも、ローズの中でも私がいっちばん好きなローズは――』
 彼は緩くかぶりをふる。彼女との思い出に決別しようとする姿は、内から溢れ出ようとする悲しみと苦しさを堪えているように見えた。
「着いたよ。確か、デザートから聞いた話によると、此処らへんにあるはずだ」
 彼が足を止めた場所は、オアシスが干上がった所だった。飢え乾いた砂漠の地には、最早生い茂った緑は見当たらない。
 二、三日前にオアシスが干上がったせいで、不自然にぽっかりと開いた空間が出来ている。そこから底まで降り、彼は砂漠の薔薇を探し始めた。
「がんばれー、がんばれー」
「姉貴、気が抜けそうになる応援は止めてくれ!」
 脱力感に包まれた身体に気力を奮い立たせつつ、彼は上で待っている姉に叫ぶ。
「さっさと見付けて、墓石にお供えしないと日が暮れるぞ!」
『……汝が姉ながら、配慮が足りぬな』
「……慣れてるけど、今は少し、つらい、かな……」
 はは、と軽く笑う彼だったが、無理しているのが見え見えだ。仮面は常に彼の傍に居たからか、彼がローズの墓石を「石碑」と敢えて呼んでいる事に気付いていた。
「あ、あっ――うわああっ!?」
 何時の間にか、隙を見せていたのだろうか。不意を突かれた形となって、気付けば彼は足を砂漠に引きずり込まれていた。
 一瞬の事態に、仮面も彼も彼女も呆然とする。だが、そこは歴戦の戦士、立て直すのも早かった。
「ペリドット! ツルをロープに!」
『アイアイサー!』
 アルテミスが身に着けていたペリドットの宝石から、精霊が出て来る。アルテミスが命令すると、妖精は手の平から蔓を出し、彼が居た筈の所に蔓を伸ばす。
「掴んで出て来い!」
 アルテミスが叫ぶが、応答はない。用心深く辺りを見渡しながら待つアルテミスだが、数分程待っても反応らしい反応は見えなかった。
「ちっ、世話の焼ける弟だ」
 アルテミスは顰め面をして舌打ちをすると、自身も底へ飛び降りる。だが、どんな事をしても無反応だった。
「どういうことだ、一体? ん、あれは……」
 険しい顔付きをしたアルテミスは、歩いていると何かを見つける。それを取ろうと歩み寄ると、地下から茨が伸びてきて、アルテミスの足首を捕まえる。そのまま、三本四本と茨が這い出てきてアルテミスの体を縛り付けた。その強靭な力に、さしものアルテミスも力ずくは通用しなさそうだ。
「ッ! 下に隠れるなこのっ!!」
 杖をグッと握り、奇妙にも杖に備え付けてある若草色の宝珠を押す。すると、杖の先端付近から内蔵されていた刃が飛び出し、刃から風の刃が飛び出してきて、アルテミスごと茨を切り裂いた。
『御主人様! 止血します!』
 ペリドットのライムグリーンの瞳がアルテミスを追い掛け、ふわっと黄緑色のワンピースが舞う。若草色の髪がはらり、と風で揺蕩うが運悪く風の刃に数本切られた。
「ぐっ……! ハアッ、随分と男好きなケガレだな! 弟はアジトに引き込んでも、私はお断りと言う事か!」
 アルテミスの動きに、ポニーテールの先っぽがゆらゆらと揺れた。銀色の髪は、激しく弧を描く。
 ペリドットの精霊が、蔓を血が流れ出る箇所に当て腕輪状にする。自然治癒効果を持つ精霊魔法だ。
 宝玉は別名、意志と呼ばれている。宝玉には意思が宿っているからだ。その意思を精霊と呼び、精霊は宝玉の種類によって性格や能力も異なる。
 この精霊を呼び出す事を召喚、従える事を使役、と呼ぶ場合が有るがそれは専ら同職の間のみだ。
 大切に扱えばの話ではあるが、昔からニンゲンの命を聞き従う為、人々は意志を宝玉と崇めていたのだ。
 実質的に能力はニンゲンよりも高く、魔力を操る精神力はニンゲンを軽く上回る。何故精霊がニンゲンに従うのかは、年々のケガレによる人口減少により、究明される時間はなく、また彼らも知らない。
 アルテミスはオアシスが干上がった地面を跳んで、先程まで居た場所に戻る。オアシスが干上がった地面からは、無数の茨が生え出し、茨の棘からは黒い煙が丸い形を作り生えている。それも棘全てに生えている為、まるで茨を包み込む黒い腕のように見えた。
『何だか、薔薇が咲いてるみたいですね』
「何処をどう見たらそんな風に見える?」
 アルテミスが思わず呆れた声を出す。くるりふわりと重力を感じさせぬ軽やかな動きで宙を駆け回る精霊は、その価値観も人には自由気ままに見えるらしい。
 薔薇と言えば見えなくもない煙は、何時しか霧となり集まっては拡散し、離合集散を繰り返している。
「…………何だ?」
 胡乱な目で注意深く観察していると何か形容し難い音が鼓膜を鳴らす。段々とその発する音に慣れてきたアルテミスは、それが声だと分かった。
 試しに耳を澄ませてみれば、どうやら言葉を発しているようだ。声が言葉に聞こえてきた時点で、アルテミスは後ずさるが後一歩遅かった。
『シ、に………タ…………い……』
 ぞわぞわと悪寒が背筋を貫く。心臓をざわざわとした寒気で撫で上げられているような、鳥肌が立つような嫌悪感に彼女は襲われた。
 繰り返し同じ言葉を発しているように聞こえ、薄気味悪いものを感じたアルテミスはそれ以上黒い何かの言葉を聞くことを止める。
「ケガレは倒すだけだ。行くぞ、ペリドット!」
『あいあいさー』
 何事も無かったかの如く声を張り上げるアルテミスに、ペリドットは何ら気付いた様子がなくマイペースに返事を返す。
 要所要所で気の抜ける声を出すのは、主人に似たせいだろうか。ある意味、大物である。
 
 一方、その頃彼と仮面のコンビは、地下道のような場所に居た。彼らが先程まで居た通路には、砂の山が出来ている。砂の山は相当な高さで壁の代わりとして立ちはだかり、逆の道を行くのは少々手間が掛かりそうだ。
「こんな所が有るなんてな。中はどうなっているんだ?」
『此処は、恐らく隠し通路だ。本来は正規の方法で入るのだろうが、我々は強制的に連れ込まれたと見える』
 こういった知識には疎い彼は、素直に仮面に聞く。雑学に富んだ仮面は少し周辺を見渡すと、判断した結果を伝える。
「どうして隠し通路だなんて?」
『街から然程離れておらぬ上、明らかに人工的に造られたものだ。お主ら住民が知らぬとなれば、何かの危機が訪れた時の緊急避難経路か何かだろう。
この間の祭りで聞いたが、昔此処にまだ緑があった時代――大津波に襲われ、多くの人間が亡くなったと聞いた』
「太古の昔に造られたように見えるな」
『ふむ、あるいは昔まだニンゲンがうようよと生息していた頃、他国に攻め込まれた時を想定して造られた物なのかもしれぬ。ケガレ対策としては、何の施しも掛けられておらぬからの』
「そうだな。ケガレ相手だったら、宝玉を飾るのが普通だ」
『宝玉自体は、昔からあったようだしの。この通り、我が書にも記載されておる』
 ケガレに一番効くのは、精霊の魔法だ。通路に宝玉を仕掛け、いざという時は精霊に出て来てもらい、守ってもらうようにするのが一般的なのだろう。
 少なくとも、砂漠の街には宝玉があちこちに置かれてある。盗難に遭う事がないよう、厳重に柱や壁に埋め込まれているのだが。
 尤も、宝玉の精霊は主人の言う事しか聞かない為、前々から命令を下し閉じ込めておく必要がある。ニンゲンには寿命が有る為、代々その役目を持つ家系がその仕事を請け負い熟していた。
 とは言え、一度砂漠の街に大勢のケガレが責め入った時にその家系は滅び、それからは志願によって宝玉に挑み選ばれた者のみがその役目を負っている。彼もアルテミスも志願によって選ばれたクチだ。
「古代語なんて読めるか」
『少しばかり、話すことは可能だろうに』
「話すのと読むのを同じ扱いにしてもらっちゃ困る」
 顔を顰める彼に、やれやれと仮面は内心肩を竦める。その空気を察したのか、彼は先程思い付いた疑問点を述べて颯爽と逃げる事にした。
「それにしても、さっき足首を掴んだのは何だったのか」
『お主が首を動かさぬと、我が見えぬ』
「分かってるさ。だが、周りを見た時にはそれらしき物は既になかった」
『逃げ足の素早い者だ』
「こういうの、太古の言葉で言うとヒット&ウェイって言うんだっけか?」
『我輩にカタカナの類は聞くでない』
 遠い古の時代から存在していたと主張する仮面だと言うのに、太古の言葉が苦手とは不思議なものである。彼らの言葉から察するに、片仮名は古代の言葉らしい。
「はいはい」
 きっとこの仮面は苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろう、と考えた彼はほんのり苦笑して、通路を歩き出す。途中、何が何時出て来るかは分からないので剣は鞘から出しておいた。
『変だな、何も出て来ぬぞ?』
「ああ、誘い出しておいで矛盾している。それとも、それが目的なのか?」
『この先に行くと、罠が設置してあると?』
 拍子抜けするほど、歩いた通路からは何も出て来ない。彼は緩く首を左右にふり、自身が考えられる範囲で選択肢を上げてみた。
「例えば、散々歩かせて疲弊させてから狙う、とかだな。長い間警戒していれば、油断しているつもりはなくても隙は自ずと見えてくるだろう?
もしくは、姉貴と俺とを分断する事が目的だったのかもしれない」
『なんとまあ、賢いケガレだな』
 ケガレにニンゲン並の知能は無い。例外はあるかもしれないが、専門職に就いている彼らが遭遇したことが無いと言う事は、よっぽどの事が無い限り無いと考えていいだろう。
「単に何時でも手が出せると思って、興味を失くして眠ってるのかもしれないがさ」
『存外、そんな気紛れであろう。ケガレに優れた知能があるとも思えぬ』
「それは分からない。ケガレの事を知ろうとする奴なんて居ないから」
 自分たちが見過ごしているだけで、本当は何らかの意図があって行動したケガレも居るかもしれない、と彼は言外にそう言った。
『……冷静だの、お主は』
 勘繰るように、観察するように、沈黙の後に言葉は紡がれた。仮面の宝玉は冷たい光沢を放っている。
「過小評価は危険だからだ。もう、俺は二度とあの過ちを犯さない。絶対にだ」
 力強く念を押して語る彼の眸には、深い青と同時に全く逆の炎が見え隠れする。瞋恚の炎を眸に灯し、爛々と光る彼の目は獣の様に荒々しい。
『我輩が悪かった。前言を撤回する故、落ち着き給え』
「俺は落ち着いているさ!」
『ああ、そうさな』
「……悪い。行くぞ」
『…………』
 ただ彼の顔を隠す仮面は、物静かに黙していた。何かを悟っているように、ずっと。
 そのまま、もう暫く歩いていると開けた場所に出た。既に時間感覚はなくなりかけていたが、漸く変わった景色に彼と仮面は安堵の息を漏らす。
 大きく開いた広間の様な場所は、ひんやりと冷えており、壁は青銅色の石で出来ていた。床は青白い光を仄かに放っている。月光に照らされたような淡い光だった。
「……末恐ろしいな。中央に立てられた柱、どれほどの力になるのものか……」
 中央に突き立った透き通った水色のクリスタルは、透徹とした輝きを見せている。クリスタルの真ん中には、優美な青いラインで三輪の薔薇が描かれていた。
 その周囲には、大輪の青い薔薇が咲き誇っている。彼が通って来た通路から流れ込む風が、柔らかな艶を放つ花びらを散らせていた。
 彼は思わず、幻想的な光景の美しさに見惚れてしまう。神秘的で、儀式か何かを執り行えそう時に用いられそうな場所だ。
『見よ。クリスタルの中に、何か封じ込められているぞ』
 クリスタルの中に、よく見れば青い長髪が特徴的な人の様な者が閉じ込められていた。クリスタルの大きさと遠近法のせいか、西洋人形の様な大きさに見える。
『……ふむ。ケガレのようだな』
「確かに、全身が黒い靄に覆われているよな」
 全身が青い靄の形をしており、人型をしていた。彼は顰め面をして、仮面を見る。
「あれはどうすればいい?」
『我輩が破壊してやろう、仮面を外せ』
 彼は仮面を外す。仮面は浮き上がり、ふよふよとクリスタルに向かう。何時の間にか仮面の顔付がガラリと変わり、宝石が人間の顔のように並び替えられていた。
『仮面の力をとくと見よ!』
 仮面は凄まじい高熱を発し、クリスタルに近寄って来る。その時だ、クリスタルから目映い真っ青な光が放たれる。
『うぐっ!?』
「カメッ!?」
『ア……ガ、ぐ……』
 彼は急いで駆け寄るが、既に仮面はぶるぶると震えながら、茨によって縛り上げられていた。
「カメを離せっ!」
 彼は女装をつけて跳び上がると、剣で仮面を縛る茨を切り裂いた。カタリ、と仮面が床に転がり落ちる。
 彼がクリスタルに目を向けると、クリスタルに罅が入っていた。その原因は、人型の青い靄から数本の茨が伸び、クリスタルの内側からクリスタルに罅を入れたからだった。
『ぐっ、この崇高なる我輩に対しこのような狼藉……許さんぞ!』
 パリィィインッ! クリスタルが割れ、クリスタルの破片が仮面と彼に降り注ぐ。
「くっ!」
 彼は思わず目を瞑り、腕で自身を庇う。仮面がサッと前に飛び出て、彼の盾代わりとなった。
『わ、我輩の仮面に傷が……ええい、後でしっかりと磨いておけよ青二才!』
「小さな盾は、本当小癪な爺さんだなー。もう、黙っていれば恰好が付くのにさ」
 やれやれと言いながらも、その口元は笑っている。未知の敵を相手にして、その豪胆とも傲岸とも言える仮面の態度が彼は好きだった。
「暫くは力を出せないんだから、カメはそこで体でも休めてろよ。あ、仮面かごめんごめん」
『主は一言余計だっ!』
 彼は剣を構え、凛とした面持ちで前を見据える。あちこちが傷だらけで、破片が突き刺さっていた。だが、破片を取る暇はない。
『……い、っ…………ショ……ニ……い、テ…………』
 ビュンッ、と無数の茨が伸びていく。数本だった筈の茨は、ほんの少しの間に数がとんでもなく増していた。
「紅の宝珠、炎の守護者、我が前の下に出でよ。ガーネット!」
 彼は剣で自身に向かってくる茨を斬りながら、呪文を口にする。茨に体当たりすると言う斬新な援護をしていた仮面は、その言葉に反応するように己の身についている赤い宝玉に赤い光を灯す。
 輝き出す光は、やがてひとつの形を作る。出来上がったのは、小さな小さなドラゴンだった。美しい紅の鱗に、緋色の瞳が鮮やかに瞬いている。
 適性の無い者が精霊を使役しようとすると長々しい詠唱、供物、儀式と面倒な手間が要るこの召喚だが、彼ら――精霊使い――は違う。
 詠唱を省略し、魔力を宝玉に籠めるだけで何とかなってしまうのだ。それだけに、精霊使いは人々に頼られ、畏怖される存在と言えよう。
 砂漠の民は砂漠の中だけで生活している分、閉鎖的な環境下に置かれている。
 ケガレの脅威に晒されている現代(いま)の環境が、迫害を生まない理由になっているとは何とも皮肉な事だった。特に、ケガレによって恋人を亡くした彼にとっては皮肉としか言いようがない。
 古代の文献が殆ど消失して文明のレベルは格段に落ちており、周囲との関わりも高が知れているこの環境、そういった数々の要因によって何も知らずに居る、それがせめてもの幸運だろうか。
『グガァァアアッ!!』
 口をぽっかりと開け、炎を吐き出すドラゴン。ドラゴンも精霊に区分されるのか、はたまたドラゴンがドラゴンの形をした別のモノなのかは分からないがそれはさておき、明らかに茨を燃やす速度が追いついていない。
 既に何本かは彼の肉体に絡み付き、棘が彼の皮膚に食い込んでいる。動き易さを重視した恰好では、ダメージも馬鹿に出来なかった。
「ガーネット、茨のところだけ燃やしてくれ!」
『何ともまあ、無茶な願い事だな。それとお主、破片を好い加減何とかせい!』
 破片ごと茨が肢体を包み込むお蔭で、破片が余計肉に突き刺さる。口から出す炎で茨を燃やしながらガーネットは尻尾に点いている炎で、茨を地道に燃やしていく。が、かなり遅い上に彼の身動きは取れなくなった。
「カメ、相性悪いのは!?」
『このポンコツ頭! それぐらい己自身で考えよ、熱と水はするな!』
「分かった。ゴリ押しでいくから、破片は頼んだ!」
『それが仮面に頼む事かーッ!!!』
 仮面には、口も肢体も無い。言う間でもないことである。彼は仮面の華麗なるツッコミに「あはは」と笑う事でさらっと流し、破片を抜く。
 痛みから反射的に目を瞑りそうになるが、堪えて全て抜け終えると彼は一目散に逃げ出した。仮面は慌てふためくようにうろついたが、間一髪のところで茨の拘束から逃れると彼を追い掛ける。
『どういうつもりだお主!?』
「戦略的てったーい!」
 楽しそうに笑いながら、彼は声を上げる。しかし、茨はガーネットの炎の軌道を避けて遠回りをしながらも猛烈な速度で、彼が出ようとした出入り口を塞いだ。
 ニッと輝く笑みを浮かべ、彼は剣を構える。勢いよく駆け抜けていく様を見て、仮面が素っ頓狂な声を上げた。
『また茨に捕まっても知らぬぞ!?』
 金色の髪先が揺らめきながら、剣先が真っ直ぐと駆けていく。近付いてきた彼に対し、茨が彼の全身を覆う様にして襲い掛かった。
 ヒュンッ、ヒュッ、スパッ、と流れるような剣裁きで彼は茨を斬り裂いていく。まるでバターを斬るようにその軌道は滑らかで淀みがない。
 一閃一閃、閃くように刃の切っ先が光る。仮面が茨に縛り上げられたが、彼は振り返りざまに茨を全て斬り落とし、仮面を引っ手繰るようにして持って行った。
『その様な粗末な扱いは許さんぞー!!』
「文句は後で、苦情係にお願いしまーす!」
 ケラケラと笑い声を上げながら、彼は通路を走り抜けていく。果たして、何処まで行くのだろうか。
「さあってと、そろそろか! ガーネット、火炎放射だッ!!」
 爛々と眸を光らせ、ゾクリと背筋に寒気が立つような笑みを浮かべる彼は、剣を振り下ろしガーネットに命令を下す。
 ガーネットは口一杯に溜め込んでいた炎を迫ってくる茨に向けて一斉放射した。
『成程。此処は狭い故、一網打尽に出来るの。だが、お主。無限再生されたら、どうするつもりなのだ』
「その時は、茨が届かない所まで逃げる」
『この通路が繋がっていて、円形だったら挟み撃ちになるぞ』
「そしたら、逃げるさ」
 あっさりと言ってのけた彼に、さしもの仮面も脱力したらしい。一見不可能な事に思えたが、そこまで気軽に言ってくれると本当に出来るように聞こえてくるから不思議なものだ。
『取り敢えず、アルテミスと合流すべきだろう。あのケガレは少々厄介と踏んだ』
「なんで?」
『再生能力が優れている。火力は無いが、手駒も居る。些か相手にするのは骨が折れる』
「手駒?」
『ふむ。お主、見てなかっ――来たぞ!』
「あれも……ケガレ、なのか?」
 またもや何本もの茨が彼の下に迫って来るが、今度は先程のとはタイプが異なり、棘の先端からは色とりどりの靄が出来ている。ペリドットの言葉を借りるのならば、色鮮やかな薔薇の花が咲いていると言ったところだろう。
『一部と見るべきかもしれぬな。あそこまで小さいケガレは見たことがない。それよりも、来るぞ!』
 彼はこくりと頷き、剣を閃かせる。狭い通路内では体を動かし辛かったが、派手に動き回る茨の動きが大幅に抑えられたお蔭で、何となく斬ることが出来ている。
「攻撃は想定出来るけど、ジリ賃だな。やっぱ逃げる?」
 危なくなったところを仮面のタックル(?)に助けてもらい、ガーネットの攻撃を合間合間に上手く入れ、今の所ペースを保てているが、体力は無尽蔵ではない。
『今回のケガレは、疲れが見えぬ。ここは一旦、立て直すぞ』
「了解。俺が時間を稼ぐから、カメは退路を確保。ガーネットにはもう少し頑張ってもらう」
 悪いな、と謝る主にガーネットは力強く吼えた。その咆哮に、ビクリと茨の動きがぎこちなくなり、そこを空かさず彼が突く。
「しかし、アレは何だ。歯のようなものが見えたぞ」
 彼は険しい顔付きで、茨を待ち構えながらもケガレの攻撃について考え出す。棘から咲く薔薇の中心、蕾の部分には歯が有ったのだ。
 捕食目的なのだろうが、一体何を喰らうのだろうか。ケガレの一部、と言う仮面の言葉を思い出しながら彼は思考する。
『ケガレの輩も随分と気味の悪い趣向を持つようになったものだな……』
 ふっと記憶の海の底から、水泡が浮かんできた。想起したのは、仮面の言葉。それは、何時、何処で、どんな会話をしていた時だったか。
 彼は極限にまで凝縮した一つの感情を見開いた瞳孔に籠める。唇を噛み締めた余り、唇から血が滴ることはない。
 剣を握る手に力が籠もる。彼は歯を食い縛り、ギラついた目をより一層ギラつかせ、瞋恚に溢れ返る眸でじっと薄暗い廊下の先を見据えた。
 よたよたと向こうから何かがやってくる。茨の手は止んでいた。次は一体、何が出るのか。
「お前もあのケガレと同類か……」
 地の底から這い出てきたかのようなおどろおどろしい声だった。煮詰められ最早判別のつかなくなった泥沼の様な感情が、全身を震わせ溢れさせる。

『デザートローズを探しに行くの。そうそう、貴方の誕生日に約束の場所を見せてあげるわ』
 嘗て、幼い頃。ケガレによって目の前で家族を惨殺された彼は、唯一生き残った幼馴染と一緒に肩身を寄せ合って生きてきた。
 幼馴染の温もりだけが、彼を正気の淵にと立ち止まらせていたのだ。彼女の差し伸べる手が、触れる温もりが、囁くような小さい声が、自分を見つめるその瞳が、真っ黒な靄を掻き消すその言葉や思いが、彼の全てを留まらせていた。
『本当か? と言うか、やっぱりついていくぞ。ケガレに遭ったら如何する?』
『平気よ、聖水を持っているもの。それに、あの場所にはケガレも出て来ないんだから』
『その場所まで行く途中で、ケガレに遭遇しかねない。聖水だって効果が証明されている訳ではないんだぞ』
『ふふ、君ってカメちゃんに似てきたね。やっぱり、一緒に居たら似てくるのかな?』
『話を逸らすなよ。なあ、誕生日なんて言わずにさぁ』
『今日だって、仕事が有るんでしょ? それなのに、無理に付き合わせられないよ』
 にこっと優しげに微笑んだ彼女が戻ってくることは、決してなかった。
 見付かったのは、彼が護衛の仕事で退治した時、倒れたケガレの傍に転がっていた彼女の千切れた右腕。砂塗れになった肉の断面から血が滴ることはなく、赤黒い痕は風に流されたのか既に消えていた。
 彼は茫然とした表情で砂に埋もれかけていた右腕を掬い上げ、右手首の真珠のブレスレットを見た瞬間、発狂したかのように砂漠の砂を掻き出した。
 どれだけ深い穴を掘っても、それ以上何も見付かる事はなく、彼は愛した者の名を叫び続けた。
 それが絶叫へと変わり、自身の鼓膜を揺さぶる音が、枯れ果て血の零れた自分の喉から出るのだと気付くまで、ずっと……。
 その時から彼にとって全てのケガレが抹殺すべき復讐のモノと変貌したのだ。
 零れ落ちてもまだ溢れ出て来る憎悪の波は、独りの男を狂わせる。彼がひた隠しにした真実は、滑稽な喜劇のようにただただ悲劇的だった。
 廊下の向こう側から現れてきた薔薇の化け物に向かって、彼は闇雲に剣を振るう。血塗れになりながら、人間大の薔薇に肉を噛み付かれながら、彼は剣を振り落とし続けた。
 艶々と光る青い薔薇の花びらが散る。蕾である筈の箇所には、剥き出しの白い歯と赤い舌が獲物を食い殺さんと構えていた。
 薔薇は茨を足にして、うねうねと動かしながら彼に襲い掛かってくる。移動速度は先程の茨と比べると段違いに遅いが、彼の剣が間近に迫るとそれを貪り喰らおうと喰らい付いてくるのが厄介だった。
 どれほどの時間が経ったのだろう。無尽蔵に思える彼の体力で場は持っているが、何体倒したのか一々数え切れない程、長く戦っている気がした。
 剣の切れ味は格段に落ちていた。刃毀れしてきた剣が悲鳴を上げるのも構わず、彼は疲れ果てたガーネットを送還させるとひたすら斬り続けた。
『シ……タ……ク……タ……イ……』
 くるったように、なんども、なんども。グチャグチャになるまで、何体も、何輪も。
 彼女が大好きだった薔薇を斬り裂いて、突き刺して、笑いながら引き裂いた。
 薔薇からも彼からも青い血が飛び散る。薔薇の花びらを斬り裂く度、彼女が好きだった花を穢す度、その青い血に自身が包まれていく度、彼の心は留まることなく、破滅の道へと進んでいく。
「ハハッ、アハハハハハハハハッ!!! くっ、くくっ、クククッ、くははははははははっ!!! しね、しね、死ねッ!!!」
 濁り切った目をして、手を真っ青に染めて、楽しそうに笑い声を上げて、彼は素手でも薔薇に掴みかかる。襲い掛かって、殺す。
「とうさん、かあさん……ニス、デザート……! みてろ、みてろ、いまたおすから、ころしてやるからさァ……」
 高らかな哄笑を止め、ニタニタと口角が異常に吊り上がり、道化の仮面とも悪鬼の凄惨な笑みともとれるその笑顔に、薔薇の化け物は躊躇することなく立ち向かう。
 破れた皮膚からドロドロと流れ出る青い血が、露となった剥き出しの肉を隠す。ピンク色の肉片に青い血が混ざるように見え、それはそれでグロデスクな見栄えだった。
 使い物にならなくなった両足が膝をつく。それでも、彼は爛々とした光をその眸に宿らせた。狂気だけが彼を駆り立たせるのだ。狂気だけが、彼に力を与えた。
 理性と本能が壊れゆく世界で、誰も応えてくれぬ世界で、彼はただただ殺し続けた。
 宝玉は応えない。彼を拒絶するように、彼が何度呼んでも、助けを求めても、意志はただ彼を拒絶した。
「……くくっ、ひひ……ひはは……しね、しね、しねよォ……もっと死ねェェェェエエエエエッ!!!」
 狂気と血に濡れた眸が、見据えるのはケガレのみ。人肉を貪り食うケガレを彼は一生赦せない。
 真っ青な血に濡れ切った手で、薔薇の花びらを掴み、茨の棘に突き刺さろうと茨に捕縛されようと、執念深く執拗にその剛腕で薔薇の花びらを引き千切る。その両手はますます、噴き出す青い血を浴び、たらたらと青い雫が古い通路の床に滴り落ちていった。
『シ……に……タ……な……イ……』
 自身の血なのか、薔薇の血なのか、彼の全身を纏う血の出所は最早分からない。それでも、彼は血だらけのまま薔薇を殺す。ナマクラの剣を鈍器として使い、それが薔薇に喰われると今度は身に着けていた宝玉をぶつけ、殴り続けた。
「ひゃは、しね、しね、しね、くはっ、くははっ、ふふふっ、ふははっ、あははっ……ヒャハハッ!」
 喉奥から鳴り響く声。止まらない哂いは、どこからくるのだろう。心の底から楽しげに笑う彼の口元は、ただ、歪んでいた。


『主! お主!! 目を覚ませ、こっの脳筋めが!!』
 すてーん! そんな音が響き、彼の後頭部は仮面の体当たりにより、ぐらりと前倒しになる。
「ってぇ……」
 通路には、最早青い薔薇は何処にも居ない。撤退をしたのか、全滅をさせたのか。
『全くもってお主は不甲斐ない。我輩が居なければ、呆気なく正気を失いおって。
兎さんか、お主は兎さんなのか、兎さんなのだな?』
 寂しがり屋の兎は、傍に誰も居ないと独りでに発狂するらしい。初めて知った、と彼は笑う。冗談が通じているのか、通じていないのか。
「あはは、ごめんごめん」
『そのような軽いノリで済ますな! ほれ、傷の具合を見せてみろ』
 彼は失敗を誤魔化す様に軽く笑うと、バタリと床に倒れ込む。仮面は焦ったように彼の周囲を動き回り、彼の体に近付く。
『おい、お主!? 本当にどうしようもない輩だの』
 コツ、コツ、コツ、とその時仮面は誰かの足音を耳にする。彼は血が足りないのか疲労からなのか、完全に気を失っていた。
 仮面は逡巡するようにうろうろすると、覚悟を決めたのか足音の方に向かう。
「……あら、うふふ、ケガレにでもやられたの?」
『何奴?』
 仮面は緊張した声音を出しつつ、後ろに居る彼を行かせないように前を遮る。突然現れたのは、女性だった。艶のある長い黒髪に、真っ赤な目をしている。ロングストレートの艶やかな髪は人の目を惹く。
「血の臭いがするわぁ……死んだ? ねえ、死んだの?」
 クスクスと笑いながら話し掛けてくる女性に、仮面は狂気じみた異常性を感じる。無神経と言うよりは、常識的な部分が欠如か麻痺しているように見えた。
『死んではおらん! さっさとこの場を立ち去るがいい、そこの失礼な女よ』
 女性物の民族衣装を着ており、その服装自体は彼の街に住む者だったが、普段彼の顔につけられている仮面には何故か見覚えがない。
 そもそも、仮面の街には黒の目や髪を持つ者が居ない。黒は魂が穢れた者を表す色、砂漠の民には黒と言う色は不吉の象徴だった。
 そのせいで、武器屋の主人も一部の人間から差別を受けている。とは言え、目や髪は無くとも浅黒い肌を持つ者の人数は多く、差別を受けるのは極一部の人間からだ。
「ふふふ、手当してあげましょうか? お仲間さんは上に居るみたいだしね」
『……お主の様な怪しい者の施しは受けぬ』
「へえ、いいの? 悪いけど、仮面で手当てができるのかしら。大したことのない怪我なら、構わないでしょうけれど」
『ぐぬぬ……』
 仮面は呻くように、後ずさる。女は仮面に歩み寄る。彼の具合は確認出来ていないが、だからこそ放って置けば危険だ。とは言え、目前の女から目を離しても危険な予感がする。
 女はあまりにも不審人物だった。しかし、此処から出る出口は見付かっていない。仮面は彼の笑い声に、慌てて駆け寄って来たのだ。
『汝は如何して此処に来た?』
「うふふふ、素敵な声がしたから」
 スレンダーな体をした彼女はカモシカのような足を仮面に伸ばす。こんがやりと焼けた素肌が、伸ばした足から見えた。
『……怪しい真似でもしたら、赦さぬぞ』
「あらあら。それで、仮面さんには何が出来るのかしら?」
『あやつには他にも仲間が居る』
「ふふふ、助けを呼ぶ前に殺されないといいわね。ああ、冗談よ冗談」
 にこにことあどけない少女のような笑顔に、仮面はぞっと戦慄にも似た感情を受けつつ、彼の下へ案内をする。
「あーら、これは酷いわね。余程、情熱的な戦い方でもしたのかしら」
 天井や壁一面にへばり付く粘性のある青い液体。言う間でもなく、薔薇の血だった。
 彼を中心とした床一面には、寸分の隙がなく青い血で塗りたくられたかのように血だまりが広がっている。
「サファイア。出てきて頂戴」
『……御用は何でしょうか、マスター』
「つれないわねぇ。ふふっ、冗談よ。その子を治してやってくれる?」
『畏まりました』
 青い燕尾服を着た少年の全身は青く、髪も眸も肌も青い。パーツごとで青の種類に差異はあれど、全てが青と言うのは変わりなかった。
『お前、何者だ。何故、簡易な呪文すら省略出来る?』
「……そうね。どうせ、この子の意識は無いのだし、話してあげましょうか」
 にこっと柔らかに微笑む女性に、仮面は一層警戒心を高める。女性の瞳に秘められた残虐性が煌々と光を帯び輝いているのを知っていたからだ。
「此処は元々在った遺跡でね。一から造るのも面倒だし地理的に丁度良いから、って避難場所に改造された場所なの。
遺跡自体の構造はシンプルだし、運も重なって、大した手は入れられずに完成したのよ。これは、文献を読んで知ったことなのだけれど」
『…………待て。すると、貴様はニンゲンではないのか?』
「……さあ、ね。アナタならば私の種族を言い当てることが出来るでしょうけれど、この世界のニンゲンには形容出来ない生き物だと言っておきましょうか」
『古代の生き物だと言うのか? お前と言い、主と言い、一体全体何なのだ。
何故、古代語を知っている? 古代の文献を読むことが出来たのは何故だ?』
「ウフフフフ、アハハハハッ!! これはこれは、ずいぶんとヘンなことを言うのねェ、アナタ」
 腹を抱えて笑い出す彼女に、仮面は苛立った感情を隠しもせず問い詰める。
『何なのだ、何なのだ貴様は!?』
 さらりと指通りの良い黒髪を耳に掻き上げ、彼女は薄紅色の唇を緩慢に動かす。彼女の鮮やかなルビーが、仮面を眺めていた。
「ふふ、ふふ……嘗て、世界は滅び掛けた。そして今も、その滅びはゆっくりとこのジハードを覆いつつあるわ」
『ジハード……この世界の、名称』
 昔の知識が蘇えってくることを仮面は感じていた。辿るように紡いだ言葉に、彼女は頷く。
「緩やかに衰退していくことが、私の望み。願い。だけれども、人の皮を被った神は違う」
 僅かに唇を噛み締め、彼女は睫毛を伏せて、残念そうに語る。そこに滲み出た悔しさに勘付きつつも、仮面は黙って話を聞いていた。
「闘争を禁じた神は、ニンゲンからナイトメアと呼ばれたモノの質を変えた。
滅びゆく世界を危惧し、とあるニンゲンに惚れた神は愚かにも闘争を禁じ、ルールを編み出したのよ。そのことによって、ヒトビトの魂が集うヒトビトにとっての悪夢は滅んだ」
『それが……貴様に関係するのか?』
「ええ。神は私の様な者に協力するように見せかけて、裏切った!!
ニンゲンに恋をし、それ故ニンゲンの愚かさを知っていた神だからこその作戦に、私達はまんまと引っ掛かり、私は閉じ込められたのよッ!!」
 劇場に走る彼女の周囲には、ピキピキッと罅が壁に入る。脆くなった壁に走る音を聞き、仮面は慌てて声を上げた。
『落ち着け! 落ち着くのだ、そこの! 我輩は生き埋めなぞ御免だぞ!』
「……チッ」
『きゅ、急に態度が粗野になってきたな。粗暴な男女と言い、我輩の周りにはこの様な女しか居らぬのか……』
 真剣に凹む仮面は、ぐったりと項垂れる。そんな仮面の機敏を動作や言動から読み取れなかった、自分の事で一杯一杯の女の目には仮面が地面を見ているようにしか見えない。
『マスター。治療が完了致しました』
「私、借りは返す主義なの。もういいでしょ? これ以上、何年、何十年、何百年経っても、たったヒトリのニンゲンすらも救えない神の話なんて、我慢がならないわ。
うふふ、それじゃあね。お馬鹿な仮面さん」
 ひらひらと手を振り返す彼女の後姿が消えるまで、仮面はずっと見続けていた。だが、去り際に彼女は言葉を残す。
『――この世界の果てはもうすぐ。少し行けば、底無しの壁に突き当たるこの世界は人々にとって狭かったのよ』
 にこやかな微笑とは裏腹に、得体の知れない思惑を抱え込んでいるような彼女に、仮面は最初から最後まで冷や冷やしっ放しだった。
『……ふう。何というか、目を離した瞬間何か仕出かしそうな者だった』
 どうやら、最後の最後まで警戒していたらしく、仮面は彼女が消えるとホッとしたように彼の下へ進んで行く。
 今更な話だが、如何して仮面が空中遊泳を出来るのだろうか。仮面の使用用途を考えると、必要の無い機能に思えるが。
『……む、血がない』
 うっかり屋なのか余程彼女に敵意を抱いていたのか、仮面は後ろでサファイアが彼を治療する場面を見ていなかったようだ。
 天井にも床にも壁にもべっとりと張り付いていた血液は消失している。不自然な光景に、仮面はあんぐりと口を開けたつもりで、周囲を見渡していた。

「ん……」
『お、目覚めたか馬鹿者! 愚か者め、お主の姉の手で我輩が天に召すところだったぞ!』
「あ、あれ……カメはわかるけど、どうして?」
 そこには、アルテミスと仮面が居る。アルテミスは面倒臭くなり、ありのままに言おうとした事実を簡潔に纏めた。
「貴様を捜していたら、何故かこの奥の通路に居てな」
 指を指した方向は、薔薇の化け物が現れた方向とは真逆だ。つまり、クリスタルが在った場所とは真逆の方向からアルテミスは現れたらしい。
「……気付いたら、居たと言う意味か?」
 彼は起き上がり様に尋ねる。アルテミスは首をゴキゴキと鳴らしながら、答えた。
「突然、そこに来た。記憶が無くなったか身体が移動したか、まあ私の知るところではない」
『この男女に首を傾げるなどといった所業は出来ぬか』
「性別云々が言える立場かこの糞仮面」
 さらっと何時もの毒を吐き出すと、アルテミスは彼の腕を掴み立ち上がらせる。手を差し伸べないところが、アルテミスらしかった。
「それで、記憶がぼやけているんだが、俺は何をしていたんだっけ?」
『ケガレ共を一掃し、無理が過ぎてぶっ倒れたのだ。愚か者め!』
「うわっ、カッコ悪いなそれ」
「敵を一掃して死んだら元も子もない。本当に貴様は私の弟か?」
 腰に手を当て、彼の近くの床に唾を吐くアルテミス。行儀の悪い野武士だな、と仮面が顔を顰めたつもりで言う。内心、彼も同意していた。姉が怖いのでその件には深く突っ込まないが。
「いやいや、そんな訝しげに見るなって! 誰が何と言おうと、俺はあんたの弟だ」
『今ここで言う台詞ではないな』
「もちろん、あんたが何を言おうとしてもだ。姉貴」
「誤魔化したか」
「ぐっ、何かカメと姉貴って変なところで仲良いよな」
『殺されたいか、そうかそうか』
「久しぶりにニンゲンの腸でも見るか」
 ゴゴゴ、と湧き上がる殺意のオーラに彼は仮面を掴んで咄嗟に逃げ出す。怒ると見境がなくなるバーサーカーは、杖から刃を出して本格的に彼を追い掛け始めた。
 洒落にならないブラックジョークを言う時は、大抵怒った時である。彼は冷や汗を掻きつつ、無情な現実に溜息を吐いた。
「こっちくんなぁぁああああっ!!!」
「コロス、殺す、コロスッー!」
『どうやらあの男女。楽しくなってきて、お主が弟だと言う事実を何処かに置き忘れてきたそうだぞ』
「叫び声が既に対ケガレ用だから分かるーっ!!」
 るんるん気分で弟を殺害せんと迫る姉に、弟は必死で逃げる。その方向は、姉の居ない方向へと駆け出したせいで見事にあの広間へと向かっていた。
「ぜえっ、はあっ、はあっ、はあ〜……」
 アルテミスの足音が落ち着いたことを聞き取り、彼は走る速度を遅くする。そうして小走りから歩きに変えると、ようやく一息ついたように仮面で顔を煽ぐ。当然ながら、微風しかこない。
『お主、神聖なる仮面を何と思っておる!?』
「別に、煽いでも暑くなるだけの不便な仮面だと思っている」
 言いながら、彼は携帯用食料と水を取出す。念の為、精霊も出しておいた。
 宝玉の名前は光によってカラーチェンジするアレキサンドライトだ。鮮やかな色相の変化は、見る人々の目を惹き付ける。
 彼は何事も無く水分を補給し、無味の食料を胃袋に詰め込んだ。
『仮面は被るものであって、団扇の用途はしておらんぞ!』
「あー、はいはい。ワカリマシタ、ワカリマシタ」
『どうして、我輩がこの様な扱いを受けねばならぬ……圧倒的不条理……圧倒的不合理……』
 愚痴を言い始めた仮面だが、勿論誰も聞いていない。彼は聞き流しながら、遺跡の広間に辿り着いた。
 広間には割れたクリスタルの破片だけが散らばっており、クリスタルの周りに咲いていた美しい薔薇の花園もクリスタルに閉じ込められていたケガレも見当たらない。
 彼は丹念に広間を調べ、敵の気配がないことを確認すると入り口に戻り、通路の方向をじっと見つめた。アルテミスがまだ来ていないのだ。
「姉貴……?」
『お主は随分と寝ておったから気付いておらぬだろうが、街を出てから数時間は経っておる。あの野生動物のことだ、追うのに飽きて寝ておるのだろう』
「本当に、何処でも寝れるよなあの人」
『お主も大概だがの。寧ろ、我輩が一番疲れておるぞ』
「仮面に疲れがあるのか?」
『歌って踊れる仮面を侮るな!』
「……あー、うん。そうだな」
 返答に困った彼は言葉を濁すと、背中の剣を抜き取って周囲を見渡す。
「そういえば、腰の剣が無くなっているんだがそれも戦闘中に?」
『恐らくな。我輩も詳細は知らぬ』
 ぷいっとそっぽを向いて答える仮面に、彼は穏やかな苦笑を零す。諸々の事情を隠すつもりの仮面があの女性の事を言う筈もなく、仮面は返答をその嘘ではない一言に纏め上げた。
『待て。お主、何か勘違いしておるな?』
 長年の付き合いからか微妙に嫌な予感を覚え、くるっと振り返る仮面。彼は変わらず、微笑を湛えている。
「何をだ?」
『その様な微笑ましそうな目で見られる所以なぞ、我輩には無いぞ』
「何の話かな〜」
 上手に口笛を吹く彼に、ぐぎぎと仮面が無い歯を食い縛るような声を出す。無意識の内に、不安定な精神を仮面弄りと言う日常的な行為をすることで、彼は精神を安寧に導こうとしていた。
 何事も無かったように、日常を送る事。それが一番の精神安定剤だと、彼は身を持って知っていたのだろう。例え、金メッキに過ぎないハリボテであっても。貼らないよりはマシだった。
「仕方がない。姉貴を迎えに行くか」
『あやつの寝起きを起こすだと……!? 我輩は此処に一人で残るぞ!』
「残念、道連れ確定だ」
 彼は容赦なく仮面を掴み上げ、自身の顔に嵌める。仮面は悲鳴を上げたが、諦めたようにその場に収まった。何時ものことである。
 彼女は寝起きが悪いのではない。寝起きを見られるのが、非常に嫌なのだ。寝顔を見られるのも嫌いな恥ずかしがり屋(?)なアルテミスは、見られたと分かった瞬間に見た者の記憶を消しに掛かる。
 アルテミスの婚期が遅れている成因の大半は、彼女自身の問題だろう。それを彼女も自覚しているのか、お世話になっている家族がすすめてくる縁談はそれらを理由にして全て断っている。
 高嶺の花で終わった方が、良い現実の例を体現する女性だった。逆に弟である彼は、見事に姉の逆を行くのだから面白い話だ。
 ピクリ、と彼の耳が反応する。彼は振り返り、両手剣を構えた。
 大きな音も同時に、天井が崩れ落ちていく。それを見て対処するには、全てが遅かった。

「がっ……ぐっ、う……」
 天井からの瓦礫に埋もれた彼は、必死で言葉を唇から吐き出す。すると、一つずつ瓦礫が取り除かれていく。
 しかし、その作業が即座に止まった。瓦礫と瓦礫の間から食み出た一筋の光は、一瞬緑色に染まる。そして、彼の身に着けていた何かがパキンと音を立てて砕ける。
『……ここは、そうか……おもい……だし……た、ぞ……』
 何かが瓦礫にぶつかり、その度に瓦礫が割れ崩れる。仮面の言葉は、その音に掻き消され、彼の鼓膜に届くことはない。
「ど、こ……か、め……」
 ちいさなこえで、迷子のこどもが母親を探るように、彼は震える睫毛を何とかして上げながら、仮面の姿を捜そうとする。身体は全く動かない。
『大丈夫だ、主。あの戦闘馬鹿が、この場に来ない筈がないのだ』
 どこからか、仮面の声が聞こえてくる。彼は心中で静かに返事を返すと、またも気を失った。失神はしても寝ていなかったことと瓦礫の落ち所が悪かったのだろう。
「ちっ、敵のお出ましか! おい、ウスノロ。ここは私が引き付ける。
精霊を出しておいたから、治療させろ」
 失神した彼とすれ違いに、アルテミスが瓦礫を跳んで広間に駆け付けた。瓦礫に迫りくる茨を精霊の力で斬り捨てる。アレキサンドライトキャッツアイと言う、アレキサンドライトの分類に入る宝玉の精霊だ。
 カラーチェンジとシャトヤンシーを兼ね備えた稀少な宝石で、シャトヤンシーとは宝石内部で反射された光が宝石の外部に集まって、一線引かれたように白い光の帯が見えることだ。要は、猫の目のようなもので、多角的に見ることで位置が異なる目映い光の線と宝玉の艶めかしい光沢は贅沢な魅力を放っている。
『……了解した』
 沈黙の後の返事に、アルテミスは若干の違和感を抱くが戦闘の最中だと割り切り、気にせず敵に挑む。
 真っ青な長髪に青いのっぺらぼうのような顔。裸体の形は人型のように形取ってはいるものの、茨で出来ている為怪物が人間を憧れ真似たようにしか見えなかった。
 崩れ落ちた天井からは、青空が見える。目映い太陽光が薄暗い遺跡を照らし上げ、ケガレまでもを目映く光らせていた。
 アルテミスは彼が埋まっている瓦礫から左に動き、ケガレの攻撃の軌道をずらそうと杖を振り上げる。ケガレは瓦礫を丁寧に一枚一枚除いており、隙だらけだ。
 杖の中央部に嵌められた緑色のアレキキャッツアイが青色に変わり、陽光を浴びて艶やかな光沢を放つ。
『いけ、ランス!』
 アレキキャッツアイの精霊は、両掌をケガレに差出し、大きな氷の槍を生み出す。尚も瓦礫を壊し続けるケガレに向かって、強力な一撃を放った。
 巨大な氷の槍は、ケガレを撃ち抜く。胸部に穴が開き、突き刺さった氷の槍によってケガレは倒れる。すると、茨についていた靄が膨れ上がり、青い薔薇となりアルテミスに伸びていく。
『あやつのアレキサンドライトは喰われた、気を付けろ』
 仮面からの助言に、アルテミスは顔を顰める。魔力の塊である精霊ですら食すとは、そんなケガレは見たことも聞いたこともない。
『へぇ〜。面白そうじゃん! いいよ、いいよ、掛かってきなよ』
 挑発的にぐるりと一回転する精霊に、アルテミスは瞳孔を尖らせて鋭く叱咤する。
「油断するな! これだから貴様は使い辛いのだ」
 下手に実力があるだけに、中々改心しないようだ。一度、痛い目に遭えばまた別かもしれないが、この状況でそれは不味い。
 アルテミスはケガレに上手く立ち回りつつも、精霊に対し一抹の不安を抱えていた。
 その心理が見破られたのだろうか、ケガレの矛先は精霊に向かっている。一心に攻撃を受ける精霊をアルテミスが庇うと言う、おかしな事態となった。
「くっ! 愚劣極まりない……!」
 強力な一打を持っているのは精霊の方だ。精霊は必死でケガレの攻撃を捌くが、属性の変わり目が激しい。日の光が当たる場所と日陰の場所、逃げ回っているせいで精霊自身に日光が当たったり外れたりとしているせいだ。
 正確に言えば、逃げ回る精霊を追い掛けて守るアルテミスに、だが。あくまでも本体は宝玉なのだが、特殊なケガレなので捕まれば一気に魔力を捕食される。精霊を咀嚼し呑み込むケガレに、口では何とでも言っているが精霊自身恐怖感があるのだろう。
『今までのケガレとは違う……なにこれっ!?』
「そこのカメ野郎の言葉を忘れたか小童!」
 精霊がアルテミスに向け、口を開こうとした瞬間、アルテミスのカマイタチを潜り抜けた一本の茨が、精霊を縛り付けグイッと引っ張り出す。
 ぐいん、と引き寄せられた精霊は悲鳴を上げる暇なく、茨の棘に咲いた薔薇の口の中へと突っ込まれ、噛み砕かれる。
「チィッ!」
『待て、魔力の暴発だ!』
 目前の異常事態を察し、アルテミスの仮面が吼える。アルテミスは急ぐ足を戻し、咄嗟に杖を構えた。
『イヤァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!!!』
 その瞬間、彼女の視界一杯に真白な光が広がり、遺跡一面に放たれた目映い光は目くらましのように彼女の目を焼き焦がす。急速に高まり、爆発する魔力の衝動は、全身を揺るがした。
 苦悶の声が唇から零れ、アルテミスの仮面がアルテミスの宝玉を利用し防御壁を張る。夜空に散らばった星粒のような琥珀が、蜂蜜色の輝きを失い、どんよりと濁った。
「かはぁっ、かっ、く……!」
 水面を飛び跳ねる小魚の如く、光に押され床に叩き付けられ、更に飛び跳ねた身体は受け身もとれず、もう一度床に叩き落とされた。地面に突っ伏したアルテミスの手から、カランコロンと杖が滑り落ちていく。どうやら、武具の損壊は免れているようだ。
『……どういう、ことだ?』
 咄嗟に瓦礫の中に隠れた仮面は、静かに疑問の言葉を吐き出す。静謐な宝玉の色の宿った仮面は、沈思黙考に耽る。
 小柄な体のお蔭で、瓦礫に入り込めた仮面は瓦礫の合間から見えた彼の所在に安心したが、同時に違和感も抱いた。
 相変わらず彼が危険な状態には変わりないが、距離を考えると瓦礫に何らか衝撃があっても不自然ではない。事実、アルテミスはダメージを受け吹っ飛んだ。
 仮面に嵌められた数有る琥珀が輝きを失っていると言うことは、アルテミスの仮面が力を行使したからだろう。使っているところは今まで見たことがないものの、もう少しダメージの軽減は出来る筈だ、と仮面は無い脳みそを働かせる。
 ケガレの本体がよろめく。うえっと薔薇が吐き出したのは、精霊と血塗れの肉塊だった。肉塊の方は既に原型を留めてはおらず、その正体は判別不能だ。
 しかし、真っ青な血が肉に滴り落ちているのを見ると死後然程時間は経っていないと見えた。青い血を出す生き物を、仮面はその他に知らない。
『ニンゲン……ニンゲンを、喰らう……』
 仮面は、彼が薔薇のケガレと戦っていることを思い起こす。あのとき、ケガレは何を言っていたのか。
『シ……タ……ク……タ……イ……』
 真っ青な薔薇の花びらが、ふわりと柔らかな風に流され、仮面の傍にはらりと落ちた。
『シ……タ……ク……タ……イ……』
 仮面は、無い目を見開いてハッと呟く。
『そうか、シニタクナイではなく――』
 その時、薔薇の蕾が開かれ、ニタリと嫌に白い歯を剥き出しにした青い薔薇が笑う様に、仮面に伝える。
『シ……タ……ク……イ……』
 仮面は無い耳を澄ませる。恐ろしい予感が膨らみ上がり、シャボン玉みたく弾け飛んだ。

『シ……タ……イ……ク、イ……タイ……!』

 茨がそろそろと伸びてくる。仮面は逃げるが、茨は呆気なく仮面を追い抜いた。その先は、言うのを躊躇うような話だ。
『イッ……ョ………イッ……ョ……』
 ケガレの本体が起き上がり、再生した茨でまた人間の身体のようなものを作り上げ、のそのそと瓦礫の方へと近付いて来る。
『やめろ……やめろッ!! やめるのだ!!』
 仮面が叫ぶ。まるで、人間のように。出来の悪い喜劇のような光景が、目前で今、繰り広げられようとしていた。
『……ク、イ……タイ……ク……タ……』
 最早全てを聞かなくても、分かっていた。だって、ほら、薔薇は自慢の綺麗な歯を傷付けながらも、瓦礫を喰い壊しているのだから。
 我慢が出来なくて、泣き叫ぶ赤ん坊のように。痛烈な呪怨のようなおねだりが、花びらから漏れて仮面を揺さぶる。
『やめろ……やめろ……もとはニンゲンだったのであろう!?
ならば、なぜ、なぜ……なぜできる!? なぜ平然とニンゲンを喰うッ!?』
『ク……タ……イ』
 返事はない。だと言うのに、何故だろうか、仮面には、それがメッセージに聞こえてならない。
 今更ながら、濃厚な腐敗臭が薔薇の口から放たれ、咽るように濁った空気を生み出している。血錆の臭いがますますケガレの悍ましさを引き立てていく。
 大きく花びらを広げ、真っ青な舌が、血濡れた舌が開いた口腔から這いずり出てくる。冒涜的なその様に、仮面は震え出す。
 叫び声が掠れていく。だから、仮面はソレらのモノに近付いていく。早く、はやく、はやく。
『はなせ……やめろ、やめろ、やめろぉ……』
 仮面の絶望が溢れ出た声は、何処にも届かない。光の届き、空の見える、地下。
 その中で、食い散らかされた肉塊と、三半規管をやられ耳が聞こえなくなった女と、錯乱し痛みから発狂した精霊の暴れ出す音と、精霊に抗いながらも徐々に獲物に近寄るケガレと、そして瓦礫を壊して彼を取り出すブルーローズたち……。
 引きずりおろされていく彼の瞼は閉じられており、運よくそのケガレを見ることはなかった。彼の脳漿を欲し、大きな口を開き、健康な歯列を剥き出しにし、涎を垂らすその人食薔薇の様を、仮面は目が無いからこそ見てしまった。
 塞ぐ瞼のない仮面は、ただ薔薇に体当たりをしようとして、茨に絡め取られ、縛り上げられる。
『ぐぅぅ……はなせ、ハナセッ!!』
 放せ、と叫ぶ仮面の拘束は弱まることがなく、仮面はただ見ていることしか出来なかった。
 
「……うるさい、な」
 ぱちり、と瞼に隠されていた眸は笑う。開かれた眼差しが深い闇に包まれた口腔を見据える。
 ハッと気づいたように、全ての茨が彼の下へ伸びる。放たれた仮面は、彼に向かう。
 彼は薄らと口元に緩やかな微笑を作り、右腕を薔薇の口腔に突っ込む。ガリ、と腕に真白な歯が食い込んだ。
『っ! 御主ッ……!』
 仮面が歓喜の声を漏らし掛け、駆け寄ろうとするのを慌てて立ち止まる。
 彼は左手で、薔薇の喉辺りに位置しそうな茎を締め殺さん勢いで握りつぶす。薔薇は痛みから口の中を一杯に開き、腕を離す。彼は全力で腕を引っ込め、起き上がろうとしてふらつく。
 そこで、彼の腕を支える者が現れた。捕まれた腕から伝わってくる力強さに彼は顔を上げ、その人物を見る。
「貴様は毎度爪が甘いとそこの滓に言われているだろうに」
 そこに居たのは、アルテミスだった。彼女は彼の肩を組み、何とかして立たせる。
「……ワリィ」
「馬鹿者。敵がこちらを睨み付けているぞ」
『くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなァァアアッ!!!』
 精霊は叫び散らしながら、魔力を乱暴に放ち飛ばす。魔法未満の塊が、次々と床下に打ち付けられ、時折罅を入れる。
「……リンクが切れない。私の精神を浸食し、魔力を勝手に使っているのか……?」
 自分は自身の意思をきちんと持っていて、精神は操られてなどいない、とアルテミスは認識する。だからだろう、そんなまさか、と彼女の顔は本音を物語っていた。しかし、アルテミスが感じる異常なまでの脱力感は、そうでもしないと説明がつかない。
 精霊が乱暴に飛び散らす魔力はケガレにぶつかる時もあったが、ケガレは口を作り出し受け止め、魔力を吸収する。魔力から別の物質や現象に作り変える魔法ならばケガレはダメージを受けるが、魔法未満ならばこのケガレは吸収することが出来るのだ。
『ぐるるぅぅぁぁぁぁぁあああああああああっ!!!』
 ケガレの本体が、目前で苦しみ悶えるケガレを見て悲鳴のような雄叫びを上げる。本体は先程から精霊の相手に手間取っていたが、ケガレが苦しむのを見て二人の下へ駆け込む。
『っ、男女っ!』
「うっ!」
 その時、精霊が所構わずに打ち放った魔力の塊が二人の近くの床に落ち、度重なる衝撃で罅割れた床はとうとう割れてしまい、破片が飛び散る。
 咄嗟にアルテミスは彼を庇うが、その分破片が彼女の太股や頬を掠め裂いた。
『うがぁぁああ……』
 怒り狂うように吼えるケガレは、何本もの茨を一本に束ね、太い茨の鞭を作るとアルテミスに打ち込む。容赦なく放たれた一撃は、庇われた彼を巻き添えにして吹っ飛んだ。
 庇われて視界を阻まれた彼は、何が起こっているかも分からずに床に打ち付ける。だが、アルテミスを護るように衝撃は全て一人で受け負った。
「かほっ、けほっ……!」
 気管が詰まり、咳き込む。ますます理性を失くしていく精霊は、ついにそこら中に魔力の塊を当たり散らしていく。
 魔力の塊が、彼を喰らおうとした青い薔薇のケガレにぶつかり、ケガレは苦悶の声を上げる。魔力を喰うには、口が要る。そもそもこのケガレが魔力を喰えるとは限らない。
 青い薔薇の花びらが床にはらはらと舞い落ちる。剥がれ落ちていく花びらに、絶望と狂乱の声が辺り一帯に響きまわる。
 その声は、まるでニンゲンのように。皮膚が剥がれ落ち、自身の美しさが醜さへと変貌していくことを拒み恐れる女性のように、ケガレは慟哭を迸らせた。
『イアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
 その殺気立つ叫びに呼応するかの如く、精霊は集中して魔力の塊を薔薇のケガレにぶつける。ケガレの本体はそれを見て、彼に向けた茨の鞭を精霊に与える。
 薙ぐように放たれた茨の鞭は、遺跡の中をぐらりと揺らした。壁に突き当たり、壁は大きな割れ目を作る。
 魔力の塊である精霊自体には、何ら影響がなかった。精霊は突如歌う様に笑い声を上げ、ケガレの本体に魔力の塊をぶつけていく。
『きゃははっ! きゃはっ、ら、らら、らららっ、ららら、ららららあぁっ!!』
 無邪気な笑顔を浮かべる精霊は、青い髪を靡かせる。規則性のない動きは軽やかで、舞っている様に見えるほど優美さがあった。
 狂った精霊のダンスは、ただただ場を混迷させていく。その両手から放つ魔力の弾は、着実にアルテミスの死へと誘う。
 その行為が無為な事だと、ケガレの力を増幅させる事なのだと、今の彼女は理解出来ているのだろうか。
 彼はアルテミスを膝からどかすと、よろめきながら立ち上がり、一人で鞭の攻撃を受け止める。
 バシッと鞭で叩かれた彼は、全身を細かい棘に刺され、無視できない出血量を流す。太い薔薇の鞭は、今度は彼を拘束するようにぎゅぅうと締め付け、縛り上げる。
『御主! 諦めるな。抗え! 死んでも詠唱を紡ぐのだッ!!』
 頷く代わりに彼は言葉を紡ぐ。今にも絶えてしまいそうな呼吸(いき)で唱えるが、茨が枝分かれし彼の首を絞めようと絡み付く。棘が首筋へと突き刺さり、血の粒が噴き出す。
 仮面はゲシゲシと茨に体当たりをし、注意を向けようとするが他の茨が対応しようとして、上手くいかない。
 アルテミスの指先が、床をなぞる。床に描かれた紋様は、簡易な魔法陣だった。魔法陣の光が浮かび上がり、魔法陣が描かれた床から杖が浮き上がってくる。
 杖を召還する魔法らしく、アルテミスは杖を手にすると、枝分かれして自身に向かってくる茨ごと、カマイタチで切り裂いた。風の刃は、器用に彼の首を過ぎる。
『よくやった、野放図女! ナマモノからニンゲンに昇格だぞ!』
「く、そ……ノロマカメ、め……」
 アルテミスは気力を振り絞って悪態を突き、ぐたりと顔を床下につけた。眠るように、その瞼が閉じられる。凛とした輝きを持つ紅玉は、生の裏に隠されていった。
 首に巻かれた茨が断ち切られ、彼は歯を食い縛り堪えていた痛みを物ともせず、詠唱を再開した。
『こっちだ、愚かな茨の主よ! その姿形で我々を如何にか出来ると思うな!』
 口煩く声を上げ喋ることで、気を自身に向けさせようとする仮面。無数の茨相手では、即座に捕まってしまったものの、僅かな時間稼ぎは成功した。
「ガーネット!」
『きゅぴぃ!』
 飛び出てきたのはガーネット、赤い鱗に覆われた小さなドラゴンだ。彼の力量に応じ、その姿形の大きさをとっている。
 アルテミスのように風の精霊は呼び出せない彼は、ガーネットに炎を吐かせ、自身ごと茨を燃やさせた。
 茨は見る見るうちに燃えていき、怯えたようにケガレは茨を引っ込め、彼の拘束を解く。
 彼はしゃがみ込み、血液の足りなくなった体を何とか駆使し、アルテミスの下まで這いずりながらも行こうとする。
『あいあいぎゃいあいあいうあぅうあうあぐあうああああああっ!!!』
 暴れ出すケガレが操る茨に、運悪く仮面がぶつかり吹き飛ばされる。彼のすぐ横の床のタイルが剥がれ、壁に衝突し砕けた。
 ぐらぐらと天井の崩れる音がする。この遺跡は果たして、何時までもってくれるのだろうか。
「……あね、き……」
 彼は手を伸ばす。動かない肉体に鞭を打ち、震える指先を前へ前へと必死に伸ばす。
 壁に打ち付けられた仮面は、ボロボロに汚れ所々欠けていたが、それでも起き上がり、ガーネットと共にケガレの注意を引こうとする。賢いガーネットは仮面の的確な指示を理解し、素直に従っていた。精霊は基本的に、主人以外の命は聞かない。
 アルテミスは失神していた。血塗れで明らかに重傷な彼とは違い、目立った外傷はない。だが、彼女の顔は青白く唇は青紫に変色していた。力なく伸びた手足まで血の気を失せているように見え、彼はアルテミスの腕輪を外し、床に落ちていた破片で思い切り腕輪の宝玉を壊す。
 罅割れる宝玉に反応するように精霊は身悶えし、ぶるぶると震えながら狂ったように頭を掻き毟り、唇からあぶくを吹きながらギョロリと眼球をグルグル回し、最後は胸を掻き毟りながら、消えていった。
 宝玉は既に割れている。彼は使い物にならなくなった破片を投げ捨てると、ぱたりと倒れ伏せた。
 血が足りず、身体に力が入らない。せめて姉だけでも、と彼は瞳孔を見開き、焦点をアルテミスの端整な顔に当てる。
 まるで死んでいるようなアルテミスの顔。事実、アルテミスは相当衰弱していた。
 精霊の発狂と言う暴走により、アルテミスは精霊とのリンクを切ろうとしたが失敗。契約と言う形が、精霊の発狂により一方的な搾取となったのだ。
 アルテミスの魔力を強制的に吸い続ける精霊は、その魔力を放ち続けた。アルテミスは意識を失うまでに、体内の魔力を消費してしまった。
 彼が精霊の本体である宝玉を壊し、何とか成功したが、このままでは二人共死んでしまうだろう。
 かと言って、下手にアルテミスの意識が有る時に宝玉を壊そうとしても、彼女と精霊の魔力はつなげられているので、アルテミスも死亡しかねなかった。
 アルテミスの月のような美しさは、埃と血に汚れていながらもまだ健在であった。否、と言うよりかはその病的な儚さが一層彼女を月の女神に仕立て上げている。
 髪を束ねたゴムは衝撃によって切れてしまい、ポニーテールは解かれていた。一面に広がる銀色の髪は、数時間前の仄かな光を灯す床の上だったならば幻想的に妖しく艶美に輝いていただろう。それこそ、夜空に浮かぶ月の光のように。
 白銀色の長髪はさらさらと流れるように、床に散りばめられ、彼女の居る周辺だけが別世界のように映えていた。
 彼の青い血塗れの人差し指が、白銀の絹糸に触れる。掬い上げても滑り落ちていくような髪の細さは、数本触れても手に感触が残らない。
『がぁあっ!』
「か、め……」
 細められた眸は、声の主へと向けられる。彼女から仮面に移ったその視線は、その瞬間から憤怒に燃えだす。
『ユ……ル……ナ…………』
 ケガレがぼそぼそと話す。仮面を粉砕しかねないその力は、仮面に猛烈な痛みを与える。
『ぬ、ぬし……』
「かめっ……!」
 掌に力を入れ、彼は立ち上がろうとする。しかし、頭がくらくらして身体から力が抜け落ちてしまう。
『サ……ナ……』
『キュルキュルゥゥウウウッ!』
 主人に忠実なガーネットは彼を護ろうと炎を吐き出し、ケガレの茨を焼き尽くす。ケガレは悲鳴を上げながらも、ガーネットを食い殺そうと襲い掛かる。
 仮面はよたよたとふらつくも、何とか茨の拘束から逃れ、彼の下へ辿り着く。宙に浮く力もないのか、彼の顔にすり付くように仮面がカタリと落ちた。
『……我輩は、平気だ。それより、御主の方を何とかせねばな』
「ま……て、姉貴が……」
『このままでは全滅だ。都合が良い展開なぞは、訪れぬだろう』
 正義の味方に救われるような、善良な人間でもないしな、と仮面は冗談交じりに言う。
 彼は仮面の言葉を耳で捉える。何をするつもりなのか、この状況を打開できる策は有るのか、と期待の籠もった眼差しを一身に受けた仮面は、人間だったならばきっと笑っていただろう。
『王家代々に伝わるこの由緒正しき仮面が、何も出来ぬと思ったか青二才。
ふっ、我輩がこの場を切り開いてみせようぞ』
「うっせぇ……さっさと、ほら……」
 前口上の長い仮面に、憎まれ口を叩く彼。仮面はふらふらと彼の上で這うように、彼の額に上っていく。宝玉がこつん、と彼の額にぶつかった。
『言っておくが、我輩の名はペルソナだ』
「……ぺる、そな……」
 ぼんやりと血を失った彼の唇からは、鸚鵡返しに仮面の名を繰り返すだけだ。
『次に逢うときまでに、しっかりと我輩の名をその旨に刻み込み覚えておけ』
 そこで、彼の脳が止まる。緩やかな思考すらも頑なに強張り、失った体温が余計に全身の冷たさを感じさせた。
「……ぺる、そな……」
 今度の言葉の意味を仮面が読み取ることはなく、仮面はただその名前を肯定した。
『ああ。馬鹿な仮面の名だ。決して忘れるな』
 唇が微かに動くが、その動きがすぐに止む。彼の拳が僅かに震え、拳を握る力が強まる。
 だが、それも短い間の事だった。彼は手を開き、姉に伸ばした腕ではなくもう片方の腕を出す。
「……つぎ、あったら……ぜったい、よんで……」
 血濡れた手が、仮面を伸ばす。血で汚れきった手だと言うのに、仮面は自らその顔を近付け、青い指を仮面に届かせた。どこか、仮面が慈しむような顔をしているように見えたのはただの錯覚だったのか。
『さあ、さっさとしろ。我輩の仮面に真ん中にある意志に触れるのだ』
 仮面の全ての宝玉が光を失っていた。ただ、仮面の中央に宝玉だけが虹色に光を放ち、目映く輝いている。
 その目映い艶やかで美しい光を見て、途方もなく悲しくなった。少し前に決めた決意や覚悟が、呆気なく散っていく。一輪の薔薇の花のように、気高く咲いた筈のそれは儚く。
「い……や、だ……」
 首を横に振る力すらもない。けれども、彼は拒んだ。断るしかなかった。それがただの駄々だと理解していても。
『今更駄々を捏ねるでない。それとも、御主は愛しい女に薔薇の一輪でも供えてやらぬ薄情者か?』
 仮面の言葉に、彼の目が僅かに見開かれる。ぎゅっと眉を下げ、困ったような顔をして。
『――ねえ、やくそく』
 ギリッと口惜しそうに唇を噛み締める。やるせなさが、喉奥や目の奥から込み上げてきて、悔しくて、情けなくて、彼は堪らなくなる。
『――図鑑でしか、お花は見たことないの。でもね、砂漠の薔薇なら見付かるかもしれないんだ!』
 期待と希望に満ちた笑顔を一杯に浮かべて、彼女はにっこりと約束を口にした。
『だから、ねえ、約束してくれる?』
苦渋に満ちた顔で彼は決断を下した。頬を熱いものが伝うには、まだ早い。だから、彼は唇を引き結んで、わなわなと震えながら目を瞑った。
「…………たの、む」
『私の誕生日は、一緒に砂漠の薔薇を探しにいくって!』
 彼女の笑顔が瞼の裏に蘇えり、走馬灯のように思い出が流れて零れ落ちていく。昔のスクリーンのように不鮮明ながらも、彼女の温もりや笑顔は彼の想い出の中で煌めいていて、まるで生きて居るようだった。
『全くもって情けない。だが、我輩もあの粗暴女も、お主のそういう所は嫌いではなかった』
 その言葉にはっと気付かされるように、彼はゆっくりと瞼を上げて、仮面の光り輝く意志を見つめた。
 憤慨さを表そうと緩慢ながらも上下する仮面の動きに、彼はくすりと苦笑を零す。一方で、その眸から静かな雫がぽたりぽたりと血に混じり頬を汚していく。
 こんなにも、必死になって、なることでしか、普段通りもやれなくなってしまったことに、改めて突きつけられてしまったから。
 目から熱いものが頬を伝い、拭う指も持たぬ仮面は、彼に凭れ掛かる。
 その雫が透明なあまり酷く神聖なものに感じられ、仮面は少しだけ弱々しく本心を晒す。
『……我輩は、うつくしいモノは隠せても、うつくしいものに触れることすら出来ぬのだな……』
 神の如き美貌は、空気により青黒く変色した血により穢れを纏っているように見える。彼の太陽の様な光を放つ髪は青と黄金の斑となり、その白く滑らかな肌も血で汚れてしまった。
 だんだんと力を失い、ずり落ちていく手を仮面は必死で支える。重たくなっていく瞼を持ち上げようとする主に、報いるように。
 口惜しさが、心の底から溢れてくる。繋ぎ止めたくて、子供のように我儘を言いたくて、彼の胸中では静かに激しい葛藤が起こり、互いを鬩ぎ合う。
 そして、唇から零れ落ちた本心は。
「……いか……ない、で……」
 たったひとつの、ことば。すがりつくように、幼いココロが訴える。一緒に居たいよ、もっと、ずっと、すこしのあいだでも。
 泣いてしまいそうなほど切ない声色に、仮面は自らが涙を流す術を持たない事を思い知る。無機質な仮面なのだと、仮面は俯くが彼の眼差しは尚も変わらず仮面に注がれている。
 たったひとつの意志は、チカチカと点滅を繰り返し、光を放つ時間は瞬く合間に途切れ途切れになっていく。
『抗え、最期の時まで』
 仮面は彼の額に仮面自身を少しだけ触れさせ、その何処から発するかも分からぬ口を動かした。

『――――……アポロン』
 優しく、穏やかで温かな声。その声に込められた言葉は、言霊は、全てが特別だった。
 彼は瞳孔を一杯に見開いて、ボロボロと涙を流す。気付けば、そうやって泣く事が出来る程体力は戻ってきていたのだ。
 そう、仮面――ペルソナのお蔭だ。たった一人の人を思い遣り、自身の祈りの為に動いた仮面のお蔭だった。

『主は、我が王なり』
 不思議と、そのとき。仮面が柔和にも静穏にも微笑んでいるように見えたのは、彼の錯覚だったのだろうか。
 

「………………」
 ふらり、と幽鬼のように彼は立ち上がる。終始無言で、その顔は凍り付いたかのように無表情で、全身から立ち上る殺気が彼を殺人鬼に見せ掛けた。
「ガーネット、ルビー、ルチル」
『ギュルァァアアッ!!』
『ククッ、神の祝福が相手とァ、皮肉なモンだな』
『狂気と理性の合間を行き交うケガレか。妙なシンパシーを感じるものだ』
 彼はアルテミスの杖を拾い上げ、ブンッと大きく振り下ろす。向かう先はただひとつ、ブルーローズのケガレだ。
「殺せ」
『了解ッ!!』
 全員が声を揃え、ビュンッと風を切る速さでケガレへと肉薄する。それすらも無視をして、青い薔薇の茨は精霊を避けるように彼へと真っ直ぐ伸びていく。
 その先で人の形を模し、精霊の相手と彼の相手同時に出来るよう分身した。
『……っ、しょ……』
 人間のような形を模したケガレは、彼の下へ向かうと右腕を尖らせた茨で彼を斬り裂こうとする。
『い、て……』
「死ねッ!!」
 彼は杖の宝玉をエメラルド色に光らせ、杖から刃を出して茨を切断、風で本体を真っ二つに裂いた。
『アギャァァァァァアアアアアアッ!!!』
 ケガレは怒号と悲鳴を織り交ぜた声を上げ、切断された茎と茎の間からもう一本の茎を生やし、ブルーローズを咲かせた。
 砂漠の民の青い血に染まったかの如く、その薔薇は青く青く煌びやかに咲き誇る。
 柔らかで艶やかな質感の花びらが彼の脳髄に染み込むまで、空色の眸に映り込む。
 悪夢の様な青に、彼は激怒に駆られながら杖を振るう。カマイタチが至近距離で放たれ、青い薔薇を八つ裂きにする。
『――わたしね、青い薔薇がいっちばんダイスキよ!』
 幼い頃の彼女は、くるくるとその表情(かお)を万華鏡のように多彩に変えて、色とりどりの笑顔を彼に見せていた。あのときも、快活で朗らかな笑顔を浮かべていて。
「ガーネット、ルチル、ルビィッ!!」
 舌を噛み切る勢いで歯に力を籠め、命令を下す。目が殺せ、と殺気に満ちていた。
『閃光烈火』
『グルァァアアアッ!』
『ヘルバーニングッ!』
 ルチルが全身を発光させ、自身の姿を大剣の形状に作り変え、大きく振りかぶる。
 ケガレは自身の核を移動させ、核は上空へ向かうが全てを焼き尽くさんとする地獄の火炎が広範囲に広がっていく。
 その間、彼に裂かれた方のケガレは精霊から吸い取った膨大な魔力をここぞとばかり使い、急速に再生させていった。
 しかし、そこをガーネットが突く。ガーネットは牙と爪に炎を灯し、ブルーローズに取っ付き噛り付いた。
 噛み付き、斬り裂く。単純で原始的だが、その威力は絶大だ。氷で覆おうとしても溶けていく有様に、薔薇は全身を燃やし尽くされながらそれでも彼に襲い掛かる。
 顔に位置された部分に、氷が溶け水滴が跳ねる。人の顔を模していただけに、目の縁に溜まり、蒸発していった水滴はまるで人が流す涙のようだった。
 間近で見ていた彼は、そこで初めて何かに気付いたように顔色を変える。だが、次の瞬間にはもう炎に包まれていた。
『何をしている、主人!』
 ルビーが彼を引っ張り上げ、救い出す。ルビーが彼の全身に燃え移った火を吸収すると、彼は茫然としたようにケガレだったモノを見つめる。炎は全身に燃え広がり、緑色も青色もそこにはなく、ただ全てを浸食し尽くす赤だけがそこには在った。
 ふと、彼の脳裏に浮かんだのは、焼き殺され、真っ黒な炭と化した家族の姿。燃やし尽くされていき、黒くどこまでも黒く焼き焦げていくだろうその身体が、燃えて炭となるまで、彼は押入れの隙間からそれを見ていた。目を離すことも出来ず、ただ震えて縮こまる彼女の隣で、ずっと。
『ギャゴガァァアアアアアアアアアアアッ!!!!』
 断末魔の悲鳴が轟き、遺跡内でグラグラと揺れ始める。精霊の呼び掛けに、主人である彼は従者のように静かに応えた。
『主、早く脱出を!』
 燃え盛る広間の中、彼はガーネットの頭部にジャンプして乗っかると、天井の穴から遺跡を脱出した。
 その両腕には、アルテミスが抱えられている。顔色は回復しており、すやすやと眠っているようにも見えた。
 遺跡の大広間は火炎に包み込まれ、その勢いは留まることを知らず、遺跡は度重なる戦闘に耐え切れず崩壊していく。
『本当にこれでよかったのか、マスターさんよォ』
 金色の髪に燃え盛るような赤い眸、首から下は炎であるルチルは、唯一表現出来る言語と表情を用い、彼に問い掛ける。
 せせら笑うような笑みに他人を愚弄する事に長けた言葉も、喪失感で埋め尽くされた彼の心を揺さぶるには至らない。
『神の祝福を受け、奇跡を呼び込むブルーローズ。不可能を可能とする青い薔薇、か』
 皮肉だな、と言いたげに説明をするルビー。ガーネットは二人を咎めるように見ていた。
「……糞喰らえだ、そんなもの。滅べばいい、すべて」
 彼は顔を俯かせていて、その表情は窺うことは出来ない。ガーネットは無粋な真似はせず、静かに宝玉の中へと戻っていく。
 彼はアルテミスを砂の上に降ろすと、手の平に青い薔薇の花びらが乗っていることに気付く。
 一枚の青い花びらを見て、思い出したのはケガレではなく薔薇を一番に愛した彼女の姿。
『――早く誕生日、こないかな〜?』
 わくわくと瞳を煌めかせ、ほころんだ頬に無垢な笑顔を見せてくれる、彼女はもう。
 彼は、花びらを手に取り、引き千切る。何度も、何度も、何度も。
『主は、我が王なり』
 彼の全てを包み込んでくれるような、温かで優しい音。最期まで彼を救おうとした相棒にも、もう、いなくなってしまった。
 細かく引き千切られた花びらを、彼は自身の掌の上で燃やす。何処からともなく現れ、灯る火は青を焼き尽くした。
 全てを滅ぼしたその手は、ただ空気を握り締める。
 何も掴めなかったその手は、たくさんの悲しみに濡れた。
 ぽろぽろと、ぽろぽろと、ふりそそぐのは、だれがために。

『抗え、最期の時まで!』

 最後は、虚しいだけだった。


 ――それはまるで蛍火のように。
 仄かに粒子が飛び散り、天へと昇っていく。漆黒の太陽に握りつぶされるように、その赤い光は淡く消えていった。
 彼は茫然と立ち尽くしている。右の手の平には、真っ青な血に染まった赤い宝玉が握られていた。
 罅割れた宝玉は血に染まり、光を失っている。力尽きたガーネットは、もう何も応えない。
 がくん、と膝が崩れ落ちた。俯いた顔からは、何も見えない。彼の傍らには、青く青くどこまでも青の血に染まった亡骸が横たわっていた。
「……どう、して……」
 何度も呟いた言葉。それでも尚、呟かずには居られない。どうして、どうしてだ、と。
「うっ……くっ……」
 彼は地面に手をつき、嗚咽を漏らした。呼吸が乱れる。瞳孔を見開き、苦しげにひたすら喘ぎ、息を求め見上げた世界は、絶望一色に作り変えられていた。
 壁や建物には吐瀉物や様々な器官がぶちまけられ、時たまへばり付いた臓物がぺしゃっと地面に落ちる。
 街の門には、逃げようとしたのか大量の屍が転がっていた。斬り裂かれた肉の断片が、吐き気を誘う。
 そこには、生きたニンゲンもケガレも何も残ってはいない。醜悪な臭いを放つ肉塊がごろごろと無数に在るだけだ。
 岩肌に飛び散った血は乾いており、砂と混じり青黒くなっていた。辺り一帯に立ち上る臭気は、紛れもなくそれが悪夢では済ませられない現実感を醸し出している。
 こびり付いた血はあちこちに広がっており、水溜まりのように青い血だまりが残っている。砂が青い血を吸い上げ、真っ青に染まった世界は砂漠の外の世界――海――を思い起こさせた。
 浮かび上がってくる最悪のヴィジョン。街に立ち入る勇気はない。開け放たれた扉から映る世界は、あまりにも残虐で悍ましく、禁断の臭いを発し、醜悪だったからだ。
 ぶよぶよとしたピンク色の臓器や脳漿、斬り裂かれた手足がぶちまけられ、まるで人体切断ショーのようだった。緑色の血管が通っていた手は皮膚が破れ丸見えになっていて、他の死体も綺麗なものから酷いものまで様々だ。
 傍らにある脈を打っていたであろう血管の浮き出た心臓には、穴が開いている。それは、彼がやったことだった。
「……しょうがなかった……狂っているのは、むこうのほうだ……俺は、おれは……」
 譫言を繰り返し繰り返し、それでも悪夢からは逃避出来ない。直視してしまう現実に、彼はまた吐いた。
 この小さな世界には、慟哭が響き渡っている。塗り替えられた世界の色は、嘗ての懐かしく愛おしい日常の青空を思い出させる青だ。
「……もう、いやだ……だれか、だれか……いないのか、だれか……」
 血塗れの手で頭を抱えて助けを求めても、濡れた地面は何も応えてはくれない。青に染まった街は、惨劇の痕を凄惨に伝えるだけだ。
 絶望と嘆きに彩られた砂漠の街は、不気味なまでの沈黙と悲壮感を湛えながら、何時までもいつまでも、ひっそりと静まり返っていた。
 ――――最後の一撃は、せつなくて、かなしい――――

 一歩、二歩、三歩。彼が砂を踏み締め、歩く度、何も変わらない。起こらない。
 ただ、目の前に居る鳥型のケガレは砂の上に留まり、羽を休めているが、その目はじっと彼へと向けられていた。
 彼は、手の平を前に突き出す。それが、彼の選択だった。
「全ては、無知の責と咎だ」
 研ぎ澄まされた氷柱が、彼の眼差しを通してケガレに突き刺さる。ケガレは陽炎の如くその黒い靄を揺らがせ、ぐにゃりと歪む。
『……タ……ス……ケ…………』
 ゴォォオオオ、と焼けるように暑く狭い世界の中、一体のケガレが燃やされていく。
 彼は無感情にそれを眺めていたが、冷淡な筈の眸に僅かな愉悦が見え隠れする。冷たい青は、宵闇の不自然に静かな大海原を思わせ、不気味ですらあった。
 石碑の傍に居た漆黒の靄を纏う鳥のようなケガレを燃やし尽くした彼は、石碑に歩み寄る。
石碑の前に立つと、ぼんやりと石碑に書かれたメッセージを見た。
 ――愛しいローズへ。
 手紙を書いたように、その一言が綴られている。8文字のメッサージュには、大切な想いが籠められていた。
「……あの頃に、もどりたい」
 墓石に縋り付き、彼はうつむく。もう、呼べなくなった名前。彼が二度と呼ぶことのない名は、風に晒され風化していくだろう。

「俺は、殺すよ」
 言の葉はなく、されどその唇は愛しい人の名を形作る。誰に向かって言ったのかは一目瞭然で、それが決意表明であることは言う間でもなかった。
「全てを、滅ぼす」
 ――だれのために?
 新たな世界が在ると、続いていると、未来を信じて。彼は真っ赤に染まった崩壊への足音を響かせる大空を仰ぎ、歪んだ愉悦を含ませて笑う。
 笑う。嗤う。哂う。わらう。
 ――それは、何に、誰に対して?

「ふっ……くっ……」

「くくっ、あはっ、あははっ、あはははははっ! アハハハハハハハッ!!」
 げほげほと咽こんで、また笑う。彼は盛大に哄笑を響かせる。何かが可笑しくて堪らない。可笑しくて、おかしくて、笑いが止まらなかった。

「ふっ、ふふふっ、ひ、ひひっ、ひひゃはは、ひひゃはははっ! ひゃはははハハッ!! ヒャハハハハハハハァッ!!」
 笑い声が止まらない。血塗れの空と大地は、音を吸い込んだ。ルチルの眸は、世界を果てを見据えている。空の向こうへ、海の果てへ。
「ヒハハハハハハハハハハハハッ!! ヒハハハハハははははハハハハはははははははははははッ!!」


「姉貴」
 全身に青い血を浴びた彼が、部屋に帰ってくる。すると、そこにはアルテミスが佇んでいた。
 彼の涼んだ顔は冷ややかに尖ったナイフを眸の中で抱擁しており、先程の狂気はその中で生きていた。全てを包容する眸は、狂気を抱き締めたのだ。
 壁に凭れ掛かるアルテミスは、腕を組み、じっと彼の顔を見つめている。見守っているともとれるその眼差しに籠められた思いには気付かず、彼は凛とした眸を姉に向けた。
「俺、ケガレを殺すよ。何時か、ケガレが滅びるその時まで殺し続ける」
 真っ青な蒼玉の眸から、蒼穹の青空が垣間見えることは最早ないだろう。寝台に座り剣の柄を握り締める姿が見ていられず、けれども目が離せず、アルテミスはただ問い返す。
「貴様は、それでいいのか」
「ああ。ペルソナの仇を……スの仇を、とるんだ」
 ぼかされたかのように、後半の名前は上手く聞き取れない。それでも、たった独り帰ってきた弟を見れば答えは目に見えていた。
「そうか……好きにしろ」
 躊躇いもなく返された返事に、アルテミスは彼の眸を見つめ返すしかなかった。いいや、最初から分かっていたのだ。
 アルテミスの悲しい色を宿す瞳は、彼に何も問い掛けてはいなかったのだから。
「ただ」
 たった独りの弟に背を向け、アルテミスは扉に手を掛ける際呟いた。その瞳は、弟と同様覚悟と決意を静謐に湛えている。
「最後の独りは――私が倒す」
 真実から目を背け続ける独りの弟に、独りの姉は優しく、穏やかで温かな声でそうっと呟いた。秘め事を囁くような声音は、誰かを思い起こさせるように彼への思いで満ちていて――たいせつなひとを最後まで守れない悔しさがそこにはあるように見えた。

「なあ、カメ」
 何処に居るかも分からぬ、ニンゲンのような仮面に姉は問う。扉越しの弟には聞こえないよう、ささやくように。
「何故、正しいかも間違いかも私は決めることができないのだと思う?
貴様のように我が物顔で決めてしまえば……だけども、こうとも思う」
 姉は天井を見上げ、さびしそうにつぶやいた。彼女の瞳には、彼女の好きな青空は見えない。
 それが暗に自身の行く末を定めているようで、彼女は口元を歪め自嘲する。手の平から零れ落ちた大切なカケラは大き過ぎて、ふざけるなと吠え立てる事も出来なかった。

「私は、後悔し続けるんだ。その答えが、例え正しいと定められても、間違いだとしても」
 くるしげなひとみのゆくさきは、だれもしらない。

『シ……に……タ……ク……ナ、い……』
 武器を使う事は、魂を穢すこと。魂を穢されたモノは、海の果てに逝けないと言われている。
 魂を穢したモノも魂を穢されたモノも、海の果てには逝けない。だからこそ、さびしいのだ。くるしいのだ。かなしいのだ。
 悲鳴を上げても、誰かが気付くことはない。だからこそ、さびしい。永遠の孤独だ。
 堪え切れない痛みに耐え切れなくなったそのときは、ただ仲間を求め彷徨い歩く。
 魂を取り入れて、取り込んで、少しでも寂しさを紛らわすように。その先に希望は無いと知っているのか、知らないのか、あるいは苦しさから忘れてしまったのか。
 悲しい言葉を繰り返しながら、悲痛な悲鳴を上げながら、今日も魂は砂漠を彷徨う。

『……いっしょ……に……いて……』
 ――――さびしいのだと、ココロの奥底でさけびながら。

2012/09/22(Sat)21:13:03 公開 / 道詠
■この作品の著作権は道詠さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ニーアレプリカント一週目クリア記念に、短編の二次創作小説を書こうと思ってたんです。
なのに一次創作になったお蔭で、大分拙くて不味いところが…お、オマージュだとかインスパイアと言わせて下さいごめんなさいごめんなさい(汗
と、いうことで、久々の投稿です。あれ、短編の基準って何枚だっけ…?
一応この作品は「ユメノクニヘヨウコソ」の番外編ですが、肝心の本編が全然進んでおらず、関係性がちっとも見えてこなくて申し訳ありません。進んでも見えてこないのは置いとい(ry
やっと物語の表が書けました。ゲームで言うなら一週目です。二週目からは敵視点追加だー! と言うノリです。すみません、「なるほど、わからん」の方はフィーリングで感じ取って下されば幸いです。
一応、本編とのつながりは掲示していますが、分かり辛いですよね(汗
伏線張る作業のせいで、中だるみしているのでしょうか、何かもう達成感で何も分かりません(暴
ニーア二週目クリアか本編進めるか番外編進めるか、どれを選べばいいか悩みものです。
戦闘描写が大の苦手なのに入れてしまいました。読むのは大好きなんです、読むのは(力説
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました!!
これからもよろしくお願いします!!
この作品に対する感想 - 昇順
感想記事の投稿は現在ありません。
名前 E-Mail 文章感想 簡易感想
簡易感想をラジオボタンで選択した場合、コメント欄の本文は無視され、選んだ定型文(0pt)が投稿されます。

この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
スタッフ用:
投稿者用: 編集 削除