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『戦場に響く鎮魂歌』 作者:サル道 / 異世界 未分類
全角68272.5文字
容量136545 bytes
原稿用紙約205.2枚
リオデはバスニア砦の攻略部隊を強襲し、戦果をあげることに成功した。これで当分はバスニア砦の部隊は、持ちこたえるだろう。そんな期待を胸に、彼女は本隊に帰還していた。その頃、王国の鉄鋼物採掘都市として、最も産出量の多いポルターナは、いずれは来るであろうユストニア軍の攻略に備えていた。ニ大国のレルジアント地方をめぐる領土戦争、その第二の攻防が、今、始まろうとしていた。
攻防の手立て・前編


プロローグ


 その日は酷く荒れていた。吹き付ける横殴りの雪たちが、頬に張り付いて体を冷やしていく。すでに戦いが始まって何ヶ月も過ぎようとしている。
 ユストニアとの国境に近い位置にもあるにも関わらず、この高山都市ポルターナは敵の攻勢に晒されていなかった。というのも、ポルターナの地形が幸いしているからである。
 ポルターナ高原と呼ばれる山の上の広大な台地は、山脈に囲まれている。国境に近いとはいえ、ユストニア側は南であり、その南側には高い山脈がそそり立っている。山脈がユストニア軍の侵攻を阻んでいるのだ。自然の強固な要塞と言ってもいいだろう。
 そして、侵攻してこない第ニの理由が、他の高原地帯に出るための道が、西側に二つしか通っていないということだ。一つが山を削って無理に広げられた中央道、もう一つがポルターナを見下ろすことのできる、小さな村を通った狭い登山道だ。双方とも封鎖すれば、このポルターナより王国軍は出ることができない。
 だからといって占領するにしても、ユストニアに直接道が通じていないため、補給物資の問題などが山積していて長期間の戦いは望めない。その上、自然要塞都市のポルターナは、強固な城壁を都市の周りに造っている。駐留しているのは、親衛隊一個連隊の約五千人と常駐している陸軍歩兵隊二千五百人にすぎない。だが、城壁さえあればその倍以上の戦力を容易に防ぐことができる。
 道さえ封鎖してしまえば、脅威にもならない。
 臭いものには蓋というが、まさにその典型例なのがこの都市といっていい。ポルターナは、戦略的にはなんら価値なしと見られているのだ。
 だからこそユストニアは、この資源豊かなポルターナに攻め入ってこない。
 山脈から多くの鉄鋼資源を産出しているこのポルターナさえ、封鎖してしまえば王国は幾らか衰弱する。そのための封鎖でもあった。
「だが、戦局は流れるように動く」
 吹雪いて山脈はおろか、普段なら見下ろせるはずのポルターナも見えない。そんな天候の中、親衛隊員のラスナは、臨時で作られた城壁の上でじっと高原を見据えていた。
「ラスナ隊長! やはり、我が軍はここを見捨てているんじゃないんですか」
 ここ数ヶ月、ユストニア軍の侵攻はおろか、来たといえば敗走してきた第1112師団の大隊くらいである。味方も敵もそれ以外は、このポルターナの地を踏んでいない。
「ここは王国の心臓部でもあるんだ。鉄がなければ、王国は逼迫して経済は崩壊さ! 見捨てるわけがないだろ」
 そう部下に言い聞かせるラスナは、部下を元気付けるためにそう言っていた。それはけして部下だけではなく、自分を奮い立たせるために言っているようなものだった。
 彼自身、外がどのようになっているのか。戦況は一体どのように動いているのか。全くもって知ることができていないのだ。
 かなりの数のユストニア軍が、この道の入り口に、殺到しているのだ。それくらいしか、彼の手に入る情報はなかった。
 心配になるのも無理はない。
 それに一つ、ポルターナの兵の間で、噂が立っていた。ここ、ポルターナに近々ユストニア軍が攻め込んでくる。そんな不穏な話が浮き上がってきていたのだ。
 というのも、封鎖をしていたユストニア軍が、最近になって数を増しているというのだ。これは斥候隊の報告による確かな情報である。
 敵軍がなんらかの動きを見せた以上は、ここに攻めてくるといっても、なんら違和感はない。
 だが、ポルターナの兵士たちは、これまで何も対策を立ててこなかったわけではない。
 王国軍は敗走してきた一千名近い兵士を、常駐軍に再編成して組み込んでいる。そして、なにより、このポルターナに通じる中央道路を、この再編成した部隊の半分で封鎖しているのだ。
 中央道路の真ん中に強固な防衛陣地を敷き、敵を突破させないために、最前の策の基に動いている。
 守備隊の陣地の前衛には、銃をもった銃兵隊と、城壁の上に備えていた備砲と呼ばれる小型の大砲を配備している。そして、その後方には大型の大砲を二門、配置していた。
 何よりも騎兵による突撃を防ぐための防柵や、何重にも掘られた土堀がある。
 その陣地を、この中央道に三重に作っている。最後の陣地を抜けたとき、ようやくポルターナの高原と、街を囲む強固な城壁に辿りつけるようになっているのだ。
「だが、陣地が強固であっても、いかんせん兵の数が足りなくてはな……」
 ラスナはそう言って嘆息していた。
 それだけの陣地を作っておきながら、その陣地を完全に運用するだけの兵力が、このポルターナには残されていなかった。
 陣地を作ることは、普段、採掘場で働いている鉱夫たちを大量に投入することで、容易にできたのだ。だが、彼らはあくまで穴掘り専門の男たち、シャベルとつるはしを扱うことに長けていても、剣の扱いは一流ではない。さらに、戦が長期化するとすれば、城壁の補強などに重宝される存在である。
 兵士として戦場に投入するわけにもいかない。いかんせん、訓練期間もないままの兵士たちを、平地の陣地に投入するなどもってのほかである。
「本気になったユストニア軍に、たった一千と五百の人数でどれだけ戦えるか」
 ラネスは呟いた後、ものけの空となった村を歩いていた。
 村の住人は全てポルターナに避難させて、いまや四百の親衛隊員がこの村に足を留めているにすぎなかった。どの親衛隊員も士気は孤立したという状況の割に高い。
 村の中央には二台の投石器が配置されていた。旧式でいつ作られたかも分からないような投石器、それが見つめる先はこの村から西側に抜けられる道だ。
 といっても、今や石で作られた城壁で、その先の細い山道は見ることはできない。
 ラスナが投石器を見つめていると、投石器の指揮を任されている親衛隊員が彼の横まで歩いてきていた。
「こんなに古臭いモノ、まさか使うことになるとは思いませんでしたよ」
 彼はそう言って投石器を、吹雪の中、ラスナと共に見上げていた。
「確かにな。陸軍士官学校時代に一応使い方は教わってるけどな。それも知識だけだ。まさか実物を使うことになるとは、思わなかった」
 ラスナの言葉に頷いてみせると、その親衛隊員は嘆息していた。
「こんなものを使わねばならんとはね」
 ラスナはそんな呟きに、顔をしかめながら答える。
「それだけ、切羽詰ってんだ。それに、人を殺す兵器に古いも新しいも関係ないさ」
 ラスナはそういうと、苦笑してみせる。彼の顔に吹き付ける雪がこびり付いていて、親衛隊員もつられて笑みを浮かべていた。
「そうですね。確かにそうです」
「わかったら、さっさと休息をとれよ。もしかすると、これが最後の休息になるかもしれんのだからな」
 ラスナはそういうと、親衛隊員に背を向けて歩き出していた。
 この言葉が真実になるということは、この場にいる誰もが予想していなかった。


T


「リオデ君、君は本当によくやってくれている」
 村の司令部でフォリオンは、リオデを前にして真剣な視線を向けていた。作戦の会議は、彼女が着てから急ピッチで立てられていった。全てはリオデが持ち帰った情報が、正確であるがゆえのことだ。それに加えて捕虜の捕縛、それに基づいた敵の内情なども得ることができた。綿密な作戦を立て終えたフォリオンは、ホフマンにすぐに軍を動かせるように命じた。リオデもそれにならって、作戦司令室を出ようとしたのだが、フォリオンは彼女を呼び止めたのだ。
 そして、彼女を前にしてフォリオンは、珍しく労いの言葉をかけていた。
「はい。恐縮です」
「君の大隊は、大分消耗しただろう」
 フォリオンの言葉に、リオデは憤怒の思いがこみ上げてくるのを感じる。だが、ここは抑えなければならない。誰の責任で消耗したのか。誰の責任で多くの兵を死なせたのか。そんなことは、今は関係のないことだ。
 そう自分に言い聞かせたリオデは、フォリオンを見据えて答える。
「はい。しかし、作戦活動を遂行するのに支障はありません」
「そうか。なら、よいが」
 フォリオンは、そう言って改めて地図を指し示していた。
 リオデの大隊は、偵察結果から砦の西側から、襲撃することが決まったのだ。フォリオンたち本隊は、正面に展開して、砦攻略部隊を迎え撃つ。単純ではあるが、実はこの配置には大きな意味があった。
 砦西側の高台を制圧して、そこから防御の薄い南側に雪崩込み、最終的に敵の逃げ道を遮断することを目的としているのだ。それにはリオデの騎兵隊が重要となってくる。
 今回は騎兵が一千を超える数で突貫をかけ、南を制圧、そのあとを歩兵隊一千が南側を確保した上で、東側制圧にあたる。兵力の差を考えれば、優にフォリオン連隊は、攻略部隊の二倍はある。
 全ての不安定要素を断ち切った上で、ユストニア軍を殲滅する。西側の兵も、リオデの歩兵隊で抑えていれば、挟撃することも可能となる。なにより、こうなった時、バスニア砦は兵を送り出して少なからず加勢すると、フォリオンは見ている。
 それを可能と判断したからこそ、彼はリオデにこの重要な任務を任せたのだ。
 だからといって、本当にこのままフォリオンを信じていいのか。リオデは完全に彼を信用し切れないでいた。
「なに、疑うことはない」
 フォリオンは鋭い目つきでリオデを見ると、そう言葉をかけていた。
 ただの惚気の狸でない。リオデの微妙な表情の変化を、フォリオンは見逃さなかった。
「いえ、疑うもなにも」
「いいんだ。別に隠すことはない。私はそれだけのことをしてきた」
 フォリオンはリオデの言葉をさえぎると、手を組んで下を向いていた。司令室の机の上に肘を立てて悲しそうに俯くさまを、リオデは複雑な心境で見ていた。
 暫くして彼はその暗い表情をしたまま、悲しげな視線をリオデに向けていた。
「私は本当に、君に感謝しなければならない」
 その目はけして嘘を語ってはいない。きわめて澄んだ瞳を、リオデに向けている。彼女は黙って直立不動のまま、フォリオンの話を聞いていた。
「私は君を排除するように、南方方面の司令部から言われていたんだ。正直、迷ったよ。命令を選ぶか、君を選ぶかでね」
 その苦悩に満ちた表情で苦笑するフォリオンを、彼女は初めて見た。
「だが、結局、流れるままに私は君を追い出そうとした。君の中隊を犠牲にしようとしてね。私は……本当は迷っていたんだ」
 フォリオンはそう言って、組んだ手を離すと立ち上がった。そして、リオデに向き直る。
「だが、君は私の命令を聞かずに、それを阻んだ。その時、私は救われた気がしたのだ」
「なにを、いまさら」
 リオデは怒りを抑えきれずに、口を震わせながら呟いていた。
「自分の、そして、私の部下を殺そうとしておいて、救われた!? なにを言っているんですか!?」
「罵倒してくれてかまわん。私はそれだけのことをしようとした」
 彼は甘んじてリオデの言葉を受け入れていた。ティオの部隊を犠牲にし、自身をも危険に晒そうとしたフォリオンに、リオデは憤慨していた。
「私は……。いえ、もう、いいです」
 リオデはそこで口を噤んでいた。これ以上フォリオンを罵倒したところで、何も変わりはしないのだ。それよりも、彼が今後どうするのかが気がかりだ。リオデは冷静になるために、一息ついて彼を見つめる。
「すまない。だが、私の思いも聞いてほしい。私は本当にいままで血迷っていた。だが、
君の気転のきいた行動と、これまでの活躍、それを見て、私も初心を思い出すことができたのだ。軍学校を卒業したときのことを」
 フォリオンはそう言って天井を見つめ、何かを懐かしむように語りだす。
「国王に、国に忠誠を誓い、この身を、国を守るために捧げる。そんな単純明快、だが、明瞭な目的のある想いを思い出すことができた」
 フォリオンはそういいおえると、リオデを真っ直ぐに見つめる。そして、力強く彼女に言い聞かせるように言う。
「自らの地位を守ることなど、もはや、私にとってどうでもよいことだ。今は一刻も早く、わが国の地にのさばるユストニアを駆逐し、国民を守りたい。それだけだ!」
 リオデはフォリオンの目を見て、その思いが嘘偽りでないことを確信した。今までリオデを虐げてきたこの男が、彼女と同じ想いを抱いているのだ。だが、それを言うためだけに、彼女を呼び止めたわけではないはずである。
 次に出てくる言葉を、リオデは待っていた。このことはリオデに直接言わなくとも、態度で示すことができる。それをあえて選ばずに、彼女に直接語ったフォリオンは、あくまで部下から目をそらすことをしない、実直な指揮官である。
「話は変わるが、君の中隊と騎兵は消耗してしまっている。そこで、タリボンから補充兵を要求している。中隊にいた軍医長が戦死しては、部隊の指揮も乱れるからな」
 さらりとそう言ってのけると、フォリオンはいつもの威厳のある雰囲気を漂わせて、リオデに鋭い視線を向けていた。リオデは直立不動のまま、フォリオンと見つめ合う。
「私の部隊に補充ですか」
「そうだ。受けとらんとは言うまい」
 意外な言葉に驚嘆し唖然とするリオデに、フォリオンは有無を言わせぬ目つきで見る。
「ありがたく、お受けいたします」
 王国式の敬礼をしてみせるリオデに、フォリオンもまた答礼を返していた。
「君の健闘を祈る。下がってよい」
 フォリオンはそういうと、リオデに下がるように言ってのける。
 彼女はその言葉に従って、司令室より出て行った。フォリオンの言葉で、また一つ、胸の中にあったしこりのような想いが取り除かれた。どんなに自分が頑張ったところで、味方の支援と信頼がなければ、戦争には勝てない。なにより、生き残れない。そんな不安を、リオデは心の奥底に抱いていた。
 一歩外にでれば、家屋を挟んだ道の脇でホフマン大隊の兵たちが、武器防具の整備点検に追われていた。横を駆け抜けていく兵士や、整備をする兵士たちが彼女に目を止める者はいない。
 それだけに彼らは真剣な思いで、戦いに挑もうとしているのだ。
「これはこれは、リオデ隊長ではありませんか」
 突然後ろから声をかけられ、彼女は振り向いていた。リオデの後ろには偵察任務を決める時に彼女の責任を追及しようとしていたホフマン大隊の将校が立っていた。
 階級は彼女より下とはいえ、彼にリオデを敬うような態度は一切見られない。それを気に留めた様子もなく、リオデは向き直っていた。
「あなたは、たしかホフマン大隊の」
「そう。ホフマン大隊銃騎兵小隊長、ウェリストといいます」
 ウェリストはリオデの言葉を遮るように名乗ると、彼女をねめつけるような目つきで見つめる。明らかに彼女を嫌悪していて、今すぐにでも出て行ってほしい。そんなことを、無言で主張しているような感じのする男だ。
「何か御用ですか?」
「そういえば、確か。あなたは兵の補充をするようですね」
 ウェリストはそう言うと、意味深な視線をリオデに向ける。それがなにをさしているのか。彼女には今ひとつわからなかった。
「それが何か?」
 リオデはそんなウェリストの態度など、気にした様子も見せずに答える。
「いえ、兵を補充されるほど、戦場でご活躍しているあなたが、とても、羨ましく見えて仕方がないのですよ」
 リオデが第一線でどのような体験をしてきたのか。そんなことを知らないウェリストは、さりげなく部隊の消耗が激しいことを遠まわしに言っていた。
 彼女はそんな軽々しい挑発にのることなく、毅然とした態度で彼に言葉を返していた。
「たっぷりと休養をとって、これから戦場で存分に活躍できるあなたが羨ましいですよ」
 ウェリストはその言葉に、機嫌を損ねてリオデを睨みつけていた。
 挑発にのらずに、さらりと挑発で返してきた彼女が気に食わなかったのだ。なにより、リオデの存在そのものを、ウェリストはよく思っていない。
「ま、いいでしょう。ところで最近、まことに奇妙な噂が流れていましてね」
 話を区切ってウェリストは鋭い視線で、リオデに顔を向ける。怪訝な表情をして、リオデは彼を見つめていた。
「妙な、噂?」
「そう、あなたも存じているでしょう。ティオ中隊の後方にあった負傷者の治療場所」
 ティオの部隊は村の西側で守備をしており、敵の大部隊の侵攻からその身を挺して村を守っていた。その後方には彼の部隊の負傷者を治療する陣地が敷かれており、警戒網も万全に整っていた。だが、その陣地が襲撃を受けて、多くの負傷者が殺され、軍医もその手にかけられたのだ。
 ティオは即座に援軍を回して、襲撃したユストニア軍を撃退した。だが、被害と士気の低下は避けられず、リオデの出した援軍が到着していなければそのまま全滅していたかもしれないという事件である。
「襲撃の件か?」
「ええ、そうです。なんでも、万全の警戒をしていたとか」
 陣地の警戒網は周囲を見渡せる丘を確保して、そこを中心に歩哨を立たせていた。その歩哨も互いが視認で切る距離を保ちながら、陣地周辺を巡回していた。なにより、その巡回ルートも数刻ごとに、歩哨が通ることになっている。
 敵の大部隊が接近していれば、すぐに気づけるはずなのだ。
「だが、それでも、襲撃をされた。私の言っている意味、わかります?」
 鋭い視線をリオデに向けるウェリスト、彼女は少し考え込んだ。
 抜け目のない巡回監視ルートを潜り抜けて、陣地を襲撃した。はたして、偶然にそのようなことが起こりえるものなのか。ないとは言い切れないが、その可能性は限りなく低い。
 では、なぜそのようなことがおきたのか。情報が漏れていたからに他ならない。
 情報がもれるということは、捕虜になった誰かがその巡回ルートのことを言ったのか。
 だが、ティオの部隊で捕虜になったという話はきいていない。
「なにが、いいたいのですか?」
 リオデは情報が漏れているということは、認めざるをえなかった。それでも、ウェリストの言っている意味を、理解したくなかった。彼は表情を変えずに言う。
「率直に言いましょう。あなたの部隊に、ユストニアと通じている者がいるんじゃないのですか?」
 ウェリストはそう言ってリオデを睨みつけていた。リオデはそのことを認めたくはなかった。部下との信頼、それがこの事件一つで、崩壊しかねないのだ。それどころか、味方同士が疑心暗鬼に陥って、誰も信用できなくなるという事態さえ引き起こしかねない。
 リオデは奥歯をかみ締めていた。その可能性が、絶対にないと言い切れない。
 そんな自分が腹かゆく、悔しい。
「どうしたのですか? もしかして、あなたはその犯人を知っているのですか?」
 ユストニアに仲間を売るような人間を、かばっている。そういわれて、リオデはウェリストに初めて自分の抑えきれなくなった感情をぶつけていた。
「そんなことがあるわけないだろ!」
 そう言って、リオデは感情のまま、直情的にウェリストの胸倉を掴みあげていた。見下すような視線を向ける彼は口を吊り上げていた。
「まさかねえ、そこまで感情的になるのは、やっぱり、知っているんじゃないですか?」
「貴様は! 味方を、私を愚弄するか!」
 険しい表情のまま、ウェリストを睨みつけるリオデ、それを彼は笑みを浮かべたまま答える。
「ふふ、そんなことないですよ。ただ不安要素があっては、作戦行動に支障が出るのでね。それを取り除け、と言っているだけですよ」
「上官に向かってその口の利き方、それに、私を疑うなど!」
 リオデは叫びながら、拳を上げてウェリストを殴ろうとした。その様子を見て忙しく動いていた周囲の兵士たちが、動きを止めて二人を注視する。
「やめて頂きたいな。兵が見ている」
 拳を振り上げたままリオデは動きを止める。そして、周囲の兵士が冷たい視線を、二人に向けていることに気づいた。
 歯軋りをして睨みつけるリオデを、ウェリストはあいわらずの笑みを浮かべて見つめていた。その目には、明らかに彼女を嘲笑する感情があらわになっている。
「関係あるか!」
 リオデはそう言って拳を、ウェリストの顔面に叩き込もうとする。
 彼は目を瞑り、顔に来る衝撃を待ち受ける。だが、その顔に屈辱の表情はない。それどころか、安堵のこもった笑みさえ浮かべていた・
 だが、目を瞑ったところで、彼女の拳はなかなか顔面にとどかなかった。
「それ以上は、やめたまえ」
 彼女の振り上げた手首を一人の男が掴んで、それを許さなかったのだ。リオデは掴まれた手首の方へと顔を向ける。そこには、この大隊を率いる大隊長のホフマンが立っていた。
 長身で短く切りそろえられた銀髪、体の肉付きもよく、筋骨隆々という表現の相応しい大男だ。なにより、その鋭い目つきを見れば、怒りの感情に、冷淡な視線が向けられていることが分かる。そんな彼を見て、リオデは動きを止めていた。
「私の部下が失礼なことを言ったのは、私から謝ろう。すまなかった」
 腕を掴んだ手を放すと、ホフマンはそう言ってその巨体に似合わない会釈をしてみせる。
 大隊の長が、頭を下げてリオデに願い出ているのだ。彼女も手を上げるわけにはいかなかった。
「大隊長に感謝しろ」
 不機嫌そうにリオデはそう言うと、ウェリストの胸倉を荒々しく放していた。
 襟元を直すウェリストは、ホフマンを見ると王国式の敬礼をしてみせる。
「ウェリスト、貴様には話がある。ついてこい」
「は!」
 元気よく返事をするウェリストは、リオデに背中を向けてホフマンに付いて歩いていく。一瞬の静寂は終わりを告げ、再び兵士たちは何事もなかったかのように動き出す。
 リオデはその中で、拳を握り締めていた。
 自分を、自分の部下を、味方が疑ったのだ。それは紛れもない事実なのだ。
「くそ!」
 リオデはその場を歩き出し、ある場所へと足を運び出していた。全ては疑いを晴らすために。それを証明するために。




「まさか、捕まるだなんで、おもいもしながっだ」
「俺が王国騎兵の実力を見くびっていたのが、悪い」
 窓もなく薄暗い部屋の中、カートと農民兵士のアルベートはやることなく床に寝そべっていた。二人はリオデたちに捕まってから、この村までつれてこられていた。
 カートはこの王国軍の拠点の村に着てから、休むまもなく尋問を受けていた。目の前にいる王国軍兵士は、指揮官クラスのカートに詰問していた。
 バスニア砦の詳しい部隊の配置、部隊の正確な数、そして、展開位置までをも聞き出そうとしていた。だが、カートも一筋縄で答えようとしなかった。そのため、いくらかの暴行も受けていた。
 そのせいか、今のカートの顔は腫れ上がっていて、体中にあざができていた。だが、それだけ、王国軍も焦っている証拠なのだと、彼は確信していた。
 満身創痍、長い徒歩の行軍とで疲れ果てていたカートは、やむなく必要な情報を与えていた。カート自身それに後悔はしていない。
 おそらく、すでにバスニア砦の包囲部隊は、大砲を失ったことで退却の準備を始めている。事実、カートはあることを言われていた。
「君の部隊が帰隊後に、撤退を開始する」と、司令官は彼のみに告げていたのだ。おそらく大砲を守りきれなかった部隊には、懲罰の意味も込めて最後の突撃を命じるだろう。
 もちろん、その後方で撤退の準備をしていることなど、突撃をかけている本人たちは知らない。なんとも酷い懲罰である。
 だからこそ、カートは味方の位置を王国軍に教えた。
「着いた頃には、もうバスニア砦のユストニア軍はいないさ」
 一人笑みを浮かべるカート、かと思えば顔をゆがめていた。表情を変えるだけで、かなりの苦痛を伴ったのだ。なんのために、こんなに耐えたのか。自分でもわからない。
「カート隊長、でも、これで生きて帰れるんでねえか?」
 アルベートはそう言ってカートに顔を向ける。その顔には戦争から開放された者、特有の安堵の表情をしていた。
「だといいな。なんでも噂じゃ、ラネス平原で捕まった味方はタリボンで優雅に過ごしてるらしいじゃないか」
「ええ、わすらもそこに送られるなら、万々歳でさぁ」
 苦笑することもできず、カートはアルベートから顔を背ける。
「そんなに甘くはないと思うんだがな」
 だが、リオデは悪いようには扱わないといった。事実、尋問こそ拷問に近かったが、それでも、その後の待遇はそんなに悪くはなかった。尋問で負った怪我を治療し、捕虜の食事も三食分保障されている。特別に待遇が悪いわけではない。
「ところで、アルベート、お前、かみさんがいるんだろ?」
 話すこともなくなり、アルベートにカートは新たな話題をふっていた。
「はい! わすにはもってえねえくれえの別嬪ですてね。五歳の息子と、お腹にも子どもがいるんでさあ」
 アルベートは嬉しそうにカートを見ながら、話をしていた。カートも妻子いる身だ。その嬉しさは、彼にも身に染みてわかる。なにより、アルベートと同じ年頃の息子が、カートにもいるのだ。自然と頭の中に浮かんでくる息子の顔、それを思い浮かべると自然と表情も緩んでくる。
「生き物が好きな奴でさ、将来は立派な生き物の学者になりてぇといってんですよ」
 アルベートはそう言って区切ると、カートに向き直って聞いていた。
「カート隊長も、ご家族がおるんですか?」
「あぁ、お前と同じ位の年頃の息子がな。元気のいいやつさ」
 カートは顔の痛みも忘れて、自分の息子に付いて話をしていた。アルベートは今まで殴られてばかりだったために、カートを嫌味な上官としか思っていなかった。だが、その明るい表情に、彼が自分と同じ親なのだということを感じずにはいられなかった。
 お互いに話が盛り上がり、二人は壁に背をつけて座り込んで話を交わしていた。
「にしても、敵さんも同じような奴がいるんですかね?」
 アルベートの突然の問いに、カートは苦笑して答える。
「この戦場じゃ、敵も味方も、みんな家族をもっている者が殺しあっている。それだけは隠しようのない事実さ」
 カートはそう言って暗い天井を見上げていた。
 その事実だけは、どうやっても揺るがすことのできないのだ。カートはそう思って、敵の気持ちを考えた。家族を守るために戦う兵士たちの姿、必死になって自分の領地、家族、財産を守るために戦う兵士たちを。ユストニア軍からしても、気持ちは同じである。
「そう……ですな」
 アルベートはそう言って、カートに倣って天井を見上げていた。暗い天井が、いつ終るかもわからない戦いを暗示しているようで、二人にはとても重く感じられた。
 そんな、二人が感傷に浸っている間に、誰かが訪ねてきたのか。重く閉ざされていた扉が開いていた。
「カートだったな。お前は出てこい」
 突然の守衛の呼び出しに、面食らったカートは立ち上がっていた。そして、いわれるがまま外に向かって歩き出していた。
「た、隊長」
 心配そうに呼んだアルベートに、カートは無理やりに笑みを浮かべて答えた。
「安心しろ、別に心配するようなことじゃないさ」
 そう言ってカートは拘留所として使われている納屋をあとにした。
 一人の守衛が彼の後ろに付いて歩く。数歩も行かないところにある大きめのテント、そこに向かってカートは連行されていた。そこは彼がこの村に来て、取調べを受けた悪い印象しかない場所だ。
「また、取調べか?」
「黙って歩け!」
 カートのうんざりした様子など意にかえさず守衛は答えていた。
 大き目のテントの幕くぐり、カートは中へと追いやられる。そして、守衛の兵士は、そのテントの外で槍を持って見張りを開始する。
 カートがテントに入って、驚いていた。この村にきてから、一度も顔をあわせていないリオデが、尋問用の机の後ろ側に座っていたのだ。唖然とするカートに構うことなく、リオデは足を組んだままカートにいう。
「座れ」
 鋭い視線を向けられ、カートは促されるままに彼女の向かいに腰をかけていた。
「どうやら、酷い尋問を受けたみたいだな」
「あぁ、おかげさまで、このとおりね」
 カートはそう言ってリオデを見ていた。当初の予定ではリオデを捕まえて話をするつもりだった。だが、今はその全く逆の立場で、話をすることになっている。その皮肉な状況に自嘲せずには居られなかった。
「で、何か自分に用でも? 言うことは、全部言ったぜ」
 何か用事があるから呼ばれているそれは百も承知の上、だが、黙って聞かれるのを待つよりは、自分から話を切り出したほうが相手も話しやすい。
 リオデはカートに鋭い視線を向けると、口を開いていた。
「単刀直入に聞こう。我が軍内にユストニアへの内通者はいるか?」
 全く表情を変えず、見つめる者を切り裂くような目つきで、リオデはカートを見つめる。カートはそれに対して、唾を飲み込んだ。
 彼女の出す殺気にも似た研ぎ澄まされた気迫、美貌のある顔立ちがその気迫をより一層と研ぎ澄まし、彼を圧し黙らせていた。
「そんなことはしらん」
 カートはリオデに圧されながらも、彼女の目を見つめながら答えていた。実際のところ、ユストニア側に内通している王国軍兵士がいるということを、カートは知らなかった。
 いたとしても、たかが一小隊の隊長にすぎないカートにはまず知らされないことだ。
「本当か?」
 リオデは相変わらずの表情のまま、カートを詰問していた。そこで押し黙るわけにもいかず、彼もすぐに答えを返していた。
「本当だ」
 まっすぐと彼女の蒼い双眸を、カートは見つめ返す。
「そうか。いるのなら、すぐにでも知りたかったのだがな」
 カートの返答に嘆息するリオデは、額に手をやって背もたれにもたれかかっていた。
 しばしの間、二人の間に静寂の間が流れていた。その沈黙に耐えられなかったカートは、口を開けていた。
「用事ってそれだけか?」
「あぁ」
 暗い声で返事をするリオデに、カートは呆気に取られていた。もっと重要なことを聞かれるのかと思っていたのだ。もしかすると、更なる尋問と暴行の嵐が待ち受けているのではないか。腹をくくってテントの幕をくぐったのだが、そんなものはなく、カートは拍子抜けした。
「それだけなら、俺はもう、いいですかな」
 そう言って立ち上がるカートに、リオデは再び鋭い視線を向けていた。
「だれが勝手に立っていいと言った。まだ話は終っていない」
 苦笑してカートは持ち上げた腰を、再び椅子に戻していた。
「は、はい」
「お前たち捕虜の身柄は、タリボンに送る予定だったが、タリボンの収容所が一杯でな。暫くは、ここでお前たちは過ごしてもらうことになる。それだけだ。衛兵! 連れて行け!」
 そういうなりリオデは守衛を呼んでいた。捕虜に対する示しというものもある。勝手な行動を捕虜が取ったとなれば、それこそリオデの威信に関わることになる。
 守衛がテントに入ってくるなり、カートの後ろで威圧的な態度で立つことを促した。それに従ってカートは彼女に背を向けて歩き出していた。


U


 早朝、補充の歩兵と共に続々と村に入ってくるリオデ大隊の兵士たち、その顔には憔悴の色が色濃く残っている。だが、それでもリオデが村の前で出迎えるのを見ると、たちまちに歓声があがり、士気そのものは衰えていなかった。
 タリボンからの予備隊が無事に到着して、ティオ中隊の任務を引き継いだ。ユストニア軍からの攻撃を防いだティオたちは、後任をタリボンの部隊に任せて村に急いだ。村からの報告では、補充兵の編入後、バスニア砦に出発する。ということだった。
 そんな憔悴した兵士たちは、村の中で一時の休息を取っている。
 正午の太陽が昇るころ、リオデは自分に割り当てられた指揮官用のテント内で、部隊再編の報告書に目を通していた。
 ティオ中隊の損害は予想以上に大きく、戦死傷者が二百名を超えていたのだ。部隊の三割以上を消耗すると、部隊運用というものが危うくなる。これは事実上壊滅を意味する。
 全体の三割、即ち、全大隊人員2600名のうちの780名、これがリオデ大隊のデッドラインになるのだ。
 すでに300名余りをこれまでに失っている大隊に、リオデは不安を感じずには居られなかった。だが、ここで新たに補充の兵が編入されるのだ。その不安もなく、今回のバスニア砦の救出作戦を展開できることは、彼女としてはとても喜ばしいことだった。
「リオデ隊長! ただいま帰還いたしました!」
 指揮を任せていたティオが、彼女のテントに入るなり元気よく言葉をかけてきていた。
「ご苦労様」
 一言だけ声をかけてティオを一瞥すると、リオデは再び報告書に目を通し始める。
 その態度に不満があったのか、ティオは顔をしかめていた。
「機嫌をそこねなくても、いいだろう。その綺麗な顔が台無しになるぞ。白銀の冷血姫」
 リオデはそう言って報告書を机の上に投げ出し、ティオの顔を笑顔で見ていた。
「その呼び名! 隊長まで、そんな呼び名で呼ばないでください!」
 不服そうにするティオに、リオデは声をだして笑う。
「すまない。お前はからかいがいがあるんで、ついな」
 彼女の言葉をきいたティオは、その丸めの瞳を細め、膨らみのある唇を尖らせる。長く伸ばした銀色の髪の毛に、首元からの綺麗なうなじ、喋らなければ女性とも見間違えられるほどの美青年である。王都フロイワには彼の追っかけ女子たちがいるらしいが、リオデは詳しいことは知らない。
 だが、そんな美青年の顔にも、連日の戦いによる疲れの色が残っていた。
「隊長、本当に茶化すのはやめてください。自分、泣きますよ?」
「泣いたら、私が頭を撫でてやるよ」
 冗談を言うリオデに、ティオは深いため息をついて肩を落としていた。
「そんなに、自分は女々しいですか?」
 苦笑を浮かべるティオに、リオデは笑顔を向けていた。
「そんなことはないぞ。立派に私の代わりを果たしてきた。ティオ、お前は立派な男だよ」
 そう労いの言葉をかけるリオデに、ティオは暗い表情を浮かべていた。
「ですが、自分の指揮のせいで……。多くの部下を死なせてしまいました」
 野戦病院たる陣地に奇襲を許し、その結果戦傷者のみならず、軍医までも失うはめになったのだ。悔やんでも悔やみきれない、そんな煮え切らない想いが彼を支配している。
 リオデはレイヴァンを失ったときの事を思い出し、戦場の冷酷さに悩む自分をティオに重ね合わせていた。
 そうすることで彼の悩みが、まるで自分の苦しみのようにさえ感じられた。
「私がその任務にあたっていても、結果は違わなかっただろう」
「ですが、自分は奇襲をかけられたんです……」
 リオデの気を紛らわせる言葉、ティオはそれにも関わらず俯いて顔を背ける。彼女は力強く怒声にも似た声を、ティオに浴びせていた。
「だからこそ、無念のまま戦死した部下の想いも一身に背負って戦わなくてはならない!」
 鋭い視線を向けられたティオは、リオデの言葉に顔をまっすぐに向けていた。
 部下が死んでいくのは、戦場であるからには避けられない。それをリオデはこの身をもって分からされたのだ。だからこそ、真剣に悩み、そして迷い、懸命に答えを出した。
 死んでいった部下たちの想いも全て、この身に背負って戦うこと、それが指揮官の役目なのだ。と。
指揮官がそうであれば、兵士たちは何も迷うことなく、その命を投げ出してでも戦いに身を投じることができる。それが、戦場での信頼であり、絆である。
 彼女はそう答えをだして、その信念を貫き通すつもりでいるのだ。
「隊長もいろいろとご苦労を、なさっているのですね」
 リオデが一瞬見せた暗い表情から、ティオはそのことをすぐに察していた。
「まあな。お互いに気苦労がたえない。だが、それがこの指揮官という立場だ」
 それに驚くことなく、リオデはティオの眼を見ながら答えていた。お互いが沈黙し、静寂な空気がテント内を支配する。
「あ、御取り込中でしたか」
 そんな静寂の中、若い兵士がテントの中に入ってきていた。声をかけて指揮官のテントに入ることを知らないらしく、兵士としての基礎を疑われるような態度であった。
「貴様、入る前か入った後に名を名乗らないか!」
 その兵士はティオから向けられた視線に、びくりと肩を震わせて即座に拳を胸の前にあてる敬礼をしてみせる。
「遅れて申し訳ありません! ヴィットリオ・クレツィア軍医長、ただいま着任いたしました!」
 リオデはその名前を聞いて、彼の顔をまじまじと見つめていた。クレツィア……。もしかすると、彼はレイヴァンの親族なのではないか?
 そんな疑問が彼女の頭によぎっていた。
「ヴィットリオといったな。貴様、出身は?」
「は! ポルターナであります! タリボンにて軍医の募集を見て志願し、ここに配属されることとなりました。はれて、兄と同じ部隊に入れるとは、思いもしませんでした」
 聞かれてもいないことをヴィットリオは、次々と喋りだしていた。そして、なにより、彼女を悩ませたのが、レイヴァンの弟かもしれないということである。疑問を確信にかえるために、リオデは彼を見つめて聞いていた。
「お前の兄の名は?」
「レイヴァンであります!」
 運命のめぐり合わせというものは、時として人を残酷な道へと導いていく。それが今のリオデの状況といっていいだろう。
 嘆息付いて、リオデはヴィットリオを見つめていた。
「言いにくいことなのだがな……」
「は、はぁ?」
 今まで毅然とした態度を取っていたリオデが、急に殊勝な態度へと変化したことに、ヴィットリオは困惑した表情を見せる。そんな彼にリオデは震える口で、告げていた。
「お前のお兄さんは、つい最近、名誉の戦死をとげた」
 親族の前では、けして自分の代わりに死んでいったなどといえない。言いたくない。だが、いずれはこの事実を告げなければならないだろう。
「え?」
 ヴィットリオは言葉を失って立ち尽くす。実感がわかないのか、嘘だといわんばかりの表情をリオデに向けていた。
「そんな、ことが……あるわけ、ないですよね?」
 着任早々に知らされた事実に、ヴィットリオは明らかに動揺していた。つい昨日のように思い出される兄との思い出、それが彼の中で渦巻いては消えていく。
 複雑な心境の中、リオデは再び口を開いていた。
「すまないが、事実だ」
 レイヴァンの遺品は何一つとして持ち帰ることはできなかった。もちろん、遺体を回収することさえできない。むしろ、この戦場で遺体を回収できたら、それはかなりの幸運な戦死者である。
「あ、あの、兄のいた部隊はどこに?」
 彼女の言葉だけでは、その重い真実はヴィットリオにとって受け入れがたいことだった。
 それゆえに出た言葉が、それだった。
「今は別行動を取っているが、いずれは合流する予定だ」
 リオデは彼の問いに言葉を濁していた。いずれは分かることだ。ならば、早めに知らせておいたほうがいいだろう。そんな考えをヴィットリオは遮るように再び尋ねていた。
「いえ、そういうことではなく、どこにいるんですかときいているんです」
 リオデは彼の言葉に、顔を向けて答えていた。
「ここから、12カルデン南東にいったところにある陣地に駐留している」
 彼女の答えにヴィットリオは、言いにくそうに、目を見ながらも口を開いていた。
「その、自分をそこに、今すぐ派遣してもらえせえんか?」
 リオデはその言葉に顔をしかめて見せていた。私的に部隊配置を変えることは、それこそ軍規の乱れに繋がる。だが、彼の兄はリオデの命を守って、その体を散らしたのだ。せめて、彼の死を確認するくらいは、容認してもいいのではないか。彼女の頭の中にそんな考えがよぎっていた。
「それはあとで決める。今は自分の持ち場に戻れ」
 リオデの決定に納得がいかないのか、表情をゆがめるヴィットリオ、それを見かねたティオが睨みつけて口にしていた。
「上官の命令は絶対だ。分かったら、さっさと持ち場に戻れ」
「は、はい。失礼します」
 ヴィットリオはティオの目を気にして、すぐに王国式の敬礼をしてみせると、リオデに背中を向けてテントから出て行った。その納得いかない様子の背中が、リオデの目には妙に小さく映っていた。
「たく、とんだ補充兵ですね」
 悪態つくティオはテントから出て行く彼の背中を、その鋭い目つきで見つめていた。
「まあ、そう言うな。軍医を緊急に派遣することはそう容易くできることではない。それに、どこの部隊も軍医は不足している。民間人から医者を引っ張ってここによこしてくるくらいなんだからな」
 リオデはそう言って虚空を睨みつけていた。戦争は長期化し、泥沼の戦いになろうとしている。それゆえに民間人からも、兵を徴集しなければならない。他地域からの補充兵を待っていては、時間がかかりすぎるのだ。特に特殊な兵士、軍医などの医療技術に専門的知識を持った者は重宝される。
 それゆえ、他部隊からは送ることもできないのが、現状である。
「だからこそ、早くこの戦いを終らせる必要があるんです」
 ティオはその顔に真剣な表情を浮かべて、こぶしを強く握り締める。リオデはその決意を見て、口を噤んでいた。
 だが、再び沈黙が訪れる前に、リオデはティオに対して言葉をかけていた。
「ところでティオ」
「は、なんでしょうか?」
「戦闘中に怪しい動きをしている部下はいたか?」
 リオデの突然の問いに、ティオは困惑していた。彼女の言葉の意味、それは部下を疑うことを意味している。部下に信頼を寄せている彼女を見て、指揮官としてやってこられたティオにとって、このことは彼を困惑させるのに充分だった。
「いえ、特に。なぜ、そのようなことを聞かれるのです?」
「気になることがあってな。どうも、あの奇襲の一件が解せないんだ」
 リオデが言うことも、一理ある。完璧なる防御体勢を取っていたとはいえなくとも、それ相応に索敵のいきわたるような布陣と警備体制を整えていた。一個小隊規模の部隊がその警備網を潜り抜けて、奇襲をかけられること自体が奇跡のようなものである。
 彼女は隊内にユストニアへの内通者がいると、遠まわしにいっているのだ。
「まさか。隊長は内通者がいると?」
 リオデとしても、いないと信じたい。無用な疑いをかけることは、兵士たちの士気に関わってくる。だが、このまま何も確信を得ないまま、作戦を進めることも危険が伴う。
「私もいないと信じたい。だが、密告者がいないという確信もない」
「部下を疑うことは、できません」
 ティオの真剣な反論に、リオデは苦汁の表情を浮かべていた。
「確かに怪しい行動を取る部下はいない。だが、あの一件をただの奇襲で済ますのはな」
「では、何か策があるのですか?」
 問われてリオデはティオに向き直る。そして、すぐに口を開いていた。
「ないことはない。ティオ、この陣地内に噂を流してはくれないか?」
「噂……ですか?」
「ああ、そうだ。これで内通者がいるかがはっきりする」
 不敵な笑みを浮かべるリオデに、ティオはただ彼女を見つめることしかできなかった。





 日が傾きだした頃、王国軍が駐留している村内は、一時騒然となっていた。というのも、タリボンからの予備隊が、ユストニア軍の高級参謀を捕らえたというのだ。そして、その参謀がこの村に一時的に拘留されることになったのだ。その身柄は後日、タリボンに送られる予定である。
 兵士たちの間でもそのタリボンの予備隊の戦功が話題となっていた。リオデがどこを歩いても、兵士たちの話す話題は、あとから来た予備隊に戦功を先越されたという不満ばかりであった。
 その分、兵士たちの士気も高まっていく。
 次の戦いで大きな戦功を挙げてやろう。そんなやる気を起こさせる出来事が、村を支配していた。
「で、だ。アルベート、ここにその参謀閣下がおられるのだが、誰だかわかるか?」
 守衛の話を盗み聞きしていたカートは、ここに参謀が拘留されることを知っていた。
 白髭を生やした老兵の参謀が、カートの前に座りこんでいる。
 憔悴しきっていて覇気もなく、目も虚ろでどこを見ているのかわからない。なにより、なにを考え込んでいるのかわからない。
 彼はここに連れてこられてから、カートたちの問いにも一切答えず、沈黙を貫き通していた。
「さぁ、あっしには上のごだぁ、わかりゃしあせん」
 アルベートはそう言って白髭を生やした老人を見た。どことなく老兵として経験は豊かそうではある。が、それでも参謀という感じはどうもしない。
「まあ、それはそうかもな。俺も参謀とはあったことはない」
 だからこそ、カートは怪しんでいた。参謀というのは作戦を立案して、戦場の後方で戦術、戦略を練る役目の兵隊である。そうそう参謀が捕まることなど、戦場ではよっぽど敵が圧勝していない限りはありえない。
 戦況はユストニアが劣勢であることに変わりはないが、それでも、そこまでの大敗をするような戦いは、まだ起こっていない。
「もしがしで、移動中を襲われだとか?」
 アルベートの問いにカートは喉を唸らせながら、考えていた。
 移動中を襲われたとするならば、王国軍側に情報が漏れていた。と考えるのが普通だ。
 参謀クラスの兵士が移動するのには、最善の警備を敷いて情報漏洩にも気を使う。だからこそ、ここにその参謀がいること自体がおかしい。
「詳しいことはわからんなぁ。お、そうだ」
 カートはそう言って立ち上がって、夕日の明かりが漏れ出す出口に向かって足を歩ませていた。そして、扉の前までくると守衛に話しかけていた。
「守衛さんよ。この参謀がどこで捕まったのか知らないか?」
 もちろんそんな質問に対して、答えが返ってくるわけがない。姿こそ見られないが、きっと守衛は顔をしかめているに違いない。暫く待っても結果は同じ、返ってくるのは虚しい沈黙だけだった。
 あきらめてカートがその場から、また、自分の居た場所に戻ろうとした。
「どうした? 持ち場を離れてなにをやっている?」
 守衛が突然喋りだしていた。だが、それはけしてカートに向けられたものではない。外で何かが起こったのだ。カートはすぐに扉に耳を押し当てて、外から聞こえてくる会話を聞いていた。
「まいった。まいった。隊長からそこの参謀を一人にするように頼まれてな」
「なんだと?」
「中の二人を出して、新しく新設した拘留所に連れて行くように頼まれたんだ」
 会話を聞く限りでは、自分たちはこの拘留所から出されてどこかに移されるらしい。
 カートは急いで自分の居たところへと、駆け戻っていた。暫く扉の向こうでやり取りがなされていたが、すぐに扉が開いて三人の目に眩い夕日の光が差し込んでいた。
「そこの二人、立って後ろを向け!」
 中に入ってきた兵士は、カートとアルベートに向かって命令していた。
 二人はそう言って兵士に背を向ける。すると、兵士は二人の腕を縄で縛り上げていた。
「出ろ!」
 手際よく二人の腕を縛り上げると、兵士は二人に歩くように指示を出していた。
 二人はその指示に従って、足を歩みださせる。何の疑いもなく、拘留所に残していく老兵に多少の同情とうしろめたさを感じながら、扉から出ていた。
「ここから自分らはどこに向かうんですかね?」
 村を歩かされるカートは、後ろに付いている兵士に尋ねていた。
「黙って歩け。私の指示通りにな」
 そういった兵士はカートとアルベートの後ろにぴたりと付いて、離れずに歩く方向を指示していた。周囲は静まり返っていて、村には少数の兵士がいるだけだ。殆どの兵士はテントの中で休息を取っているのだろう。
「わざわざ、俺たちが人目につかない時間をえらんだってか」
 それもそのはず、ユストニアに対する憎悪をもった兵士が大勢いれば、それだけ、騒ぎはおきやすくなる。ましてや、情報を聞き出して用済みとあらば、この場で殺されるかもしれない。そんな不安が、カートの頭をよぎっていた。
 後ろを歩く兵士は、あくまで人目にふれないように、村の兵士とは最低限の接触のみで済ませるようなルートを選んでいた。まるで二人を連れていることを、周りから見られないようにしているかのように。
 カートの頭の中に、嫌な思考がよぎって仕方がなかった。この男は自分たちを影で殺そうとしているのではないか。目撃者が少なければ、その分犯行もごまかしやすい。なにより死人に口なしだ。
 彼が「逃げようとしたから殺した」といえば、それで万事解決してしまう。戦場とはそんなものでもある。
(まさか。まさかな)
 カートは首を左右に振って、その不安を振り払った。だが、一行に新しくできたという拘留場にはつかない。それどころか、気がつけば村の外に向かって二人は歩かされていた。
 もしかすると、その考えたくもない最悪の展開なのではないか。
 カートは後ろを歩く兵士に尋ねる。
「村からでようとしてないか?」
「それがどうかしたか。それよりも黙って歩け」
 兵士は有無を言わせぬように二人に歩くように促す。もしかすると、やはり、その最悪の展開なのではないか。両刃の剣の柄に手をかけた兵士は、黙々と二人を見張っている。
「なあ、あんた。俺たちをこ」
「黙れ!」
 カートの言葉を遮って、怒声を浴びせるように言う兵士、それにカートは確信した。この兵士は自分たちを殺そうとしている。殺したところで、脱走を口実にされれば、この兵士はなにも罰せられることはない。
 カートとアルベートの目の前には、雪に覆われた緩やかな丘陵が広がっていた。空は茜色に染まり、夜の訪れを知らせている。
 村の外れまで二人を連れ出した兵士は、二人に後ろを向いたままで居るように指示を出す。カートとアルベートは目を合わせていた。
 無言の会話、目を合わせるだけで意思の疎通ができる。
(この兵士はおれたちを殺そうとしている)
 だが、両手を縛られている二人にはなす術はない。
 ゆっくりと引き抜かれる両刃の剣、鞘の金属部分と刃が擦れる冷たい音が二人の耳に届いていた。
(こうなれば、覚悟を決めるか)
 カートはそう思って、目を瞑ってから跪いていた。どうせ殺るのなら、一思いに首を一突きして殺してくれ。そんな思いが、彼を雪原に跪かせていた。
 剣を抜き放った兵士は、彼の思いを汲み取ったのか、後ろに立つなり剣を両手で持って刃を彼の背中に向けていた。
「お願いだ。やるなら、一突きでやってくれ!」
 高鳴る心臓の音を聞きながら、カートは震える口調で叫んでいた。
 兵士は無言のまま、剣を振り下ろしていた。
 横でその様子を見ていたアルベートも、剣を振り下ろした瞬間に目を瞑っていた。
 だが、剣の刃が彼を貫くことはなかった。それどころか、きつく縛られていた手の縄を、剣の刃が切り裂いていた。
 予想もしていなかった出来事に、カートは唖然として兵士のほうに振り向いていた。
「ここから、15カルデン南に向かえ。味方が待っている」
 カートが口を開くよりも先に、兵士は口を開いていた。兵士の言葉にカートは混乱していた。王国の兵士が自分を助け、なおかつ、味方のいる位置まで教えてくれる。
「一体、どうゆう風の吹き回しだ?」
「お前は知らなくていい。それよりも、早く部下と一緒に逃げるがいい」
 兵士はカートの問いをさらりとかわすと、すぐにアルベートの縄も切って見せた。そして、その剣を地面に突き刺すと、鞘を取り外してカートに手渡した。
「あんたは?」
「何も聞くな。早く行け」
 兵士はカートを逃げるようにせかすと、その場から立ち去っていく。
 何はともあれ、武器も貰ってここから自由になったのだ。何も悔いることなどない。カートとアルベートはその場から駆け出していた。
 振り返ることもせず、ただとにかく南に向かって二人は走り出していた。
 十五カルデンなら走れば完全に日が暮れる前に、到着することができる。カートは剣を片手に、とにかく雪を踏みしめて走り続けていた。アルベートもその後に続いて、足を動かし続けている。
「隊長、もしかして、あの兵隊は」
「今は喋るな。息が乱れる。走ることだけに集中しろ」
 アルベートの問いに答えることなく、カートは足を動かす。今はなんとしても、あの村から距離をとらなくてはならない。
 空が茜色から、段々と紺色へと肌の色を変えていく。日が完全に暮れだすのに、そんなに時間はかからないだろう。日が暮れれば、敵も追ってはこなくなるだろう。
 かなりの距離を走り続けた二人は、白い息を吐きながら、その場で膝に手をやって休憩していた。
「ここまで、くれば、もう来ないでしょう」
「だろうな。これで、お前も息子に合えるな」
 カートの言葉にアルベートは、笑みを浮かべて答えていた。
「そうで」
 そう言い掛けた時、空気を切り裂くような音が、アルベートの声を奪い去っていた。
「ん? アルベート」
 胸からじわじわと服の上に広がっていく新鮮な紅い色、アルベートは状況を飲み込めず、ただ胸に右手を当てていた。
「た、たいちょお……」
 右手にべっとりと付いた鮮血、それを見た瞬間にアルベートは顔から笑みを消して、その場に力を失って崩れ落ちていた。
「お、おい」
 カートは慌てて駆け寄ろうと、アルベートの元へと足を歩ませていた。そして、雪の中に埋まっていた石に気づかずに躓いて、派手にアルベートの横に倒れこんでいた。
 ほぼそれと同時に、彼の耳元で空気を切り裂く耳障りな音が掠める。
「た、たいちょぅ。そのまま、うごがねえで」
 肺から漏れ出すような弱弱しい声で、アルベートはカートに言っていた。ふと、目を雪原に向けると、二羽の恐鳥とそれに跨る兵士が視界に入る。
「そうか。奴ら、銃で」
「たい、ちょう、じ……分はもう。妻子に、愛して……る、って」
 アルベートはそういったきり、何も喋らなくなる。彼が苦しそうに息をする音も、すぐに聞こえなくなっていた。
「ア、アルベート、おい。死ぬな!」
 無傷のままのカートは、アルベートに声をかける。だが、返事は返ってこない。
 戦場で息絶えた命、たった今消えた兵士の灯火、それでも、自分はここで剣を握って生きている。今は何よりも生き残ることを、最優先に考えなければならない。
 アルベートを貫いた銃弾、それを放った者はグイを走らせてカートに迫っていた。二人の死を確認するためだろう。さっきまで距離のあるところにいたのに、数刻もしないうちに、カートのすぐ近くまで迫ってきていた。
「死んだか?」
「死んだんじゃないか?」
 そんな会話がカートの耳に届く。彼は動けなかった。今はここでやり過ごすことをしなければ生き残れない。
「一応、確認しとかなくちゃな」
 そう言って一人の兵士が、グイから降りるとカートとアルベートの元へと近寄っていく。だが、まだ、動いてはだめだ。
 兵士はアルベートの元でしゃがみ込むと、手袋を脱いで首に手を当てる。そして、生死を確認する。そして、次にカートの元へと歩み寄る。
 兵士は同じように、カートの肩の辺りでしゃがみこんでいた。
「うぉお!」
 雄たけびにも似た叫びを上げて、カートはその兵士に飛び掛っていた。手に握る剣を振りかざし、一心不乱に兵士に斬りかかる。
 兵士は完全に油断しきっていた。突然動き出したカートに、驚いて尻餅を着いていたのだ。だが、カートの振り下ろす一撃を命からがらにかわすと、銃で彼の剣戟を受けていた。
 もう一人の兵士は、銃剣を着剣したままの銃で、カートに狙いを定めていた。だが、乱戦となっている二人に、向けて銃を放つことは危険を伴う。
 兵士は銃で狙うのをやめて、グイを巧みに操ってその場を駆け出す。
 カートの狙いはそれだった。とにかく銃を撃たせないこと、それが彼に残された唯一の生き残る方法。そのために、あえて乱戦に持ち込んで、目の前の兵士と戦いを繰り広げている。
 グイを走らせてきた兵士を見たカートは、目の前の兵士に足蹴りを食らわせて、押し倒す。そして、すぐに止めを刺しに剣をつきたてていた。それと同時に押し倒された兵士の銃剣も、彼の腹めがけて突き立てられようとしていた。
 寸でのところで銃口を片手で掴み、剣を片手で兵士の胸に突き刺す。どうにか、難を逃れたカートは迫り来るグイに体を向ける。そして、すばやく剣を利き手の右手に持ち替えると、向けられた銃剣とは反対側に転がっていた。
 その避けざまに、グイの足を剣で切りつける。
 甲高い嘶きにも似たグイの泣き声が響いて、走っていた勢いのまま派手に兵士は転倒していた。その兵士に止めを刺しに、カートは兵隊の元へと駆けていた。
 転倒した兵士は、グイと地面に挟まれて圧迫されている。そして、苦しそうにカートを見つめていた。口からは血を吐いていて、もうその兵士が助からないことを暗示していた。
「言葉が分かるだけ、余計に悲惨な戦いになるな……」
 グイに圧迫され苦しそうに息をする兵士を見て、カートはそう言って再びアルベートの元へとかけていた。
 彼は夜空を仰ぎ見ていて、それでいて、瞳の焦点は定まっていない。虚空を見つめるような目をしていた。彼の瞳に反射して映る夜空の星々、それがカートには虚しく感じられてしかたがなかった。
 指でその開いたままの瞳を閉じさせると、彼の近くに自分の持っていた剣をつきたてる。そして、同様に、自分の止めを刺した敵の兵士の銃も地面に突き立てる。
 最後に虫の息の兵士の元へと足を進めた。
「こ、ろしてくれ」
 苦しそうにする兵士はそう言って、カートに頼み込んでいた。近くには兵士が持っていた小銃が、無造作に投げ出されていた。
 カートは無言のまま、その小銃を手に取ると、遊低を引いて残弾を確認する。弾がチャンバー内にあることが分かると、兵士に銃口を向ける。
 そして、容赦なくその引き金を引いていた。
 乾いた発砲音が響き、兵士の最後の願いをかなえていた。
 カートは銃をその兵士の近くに突き立てると、再びその場から走り出していた。何も言わず、ただ、一人で闇の中を、走り出していた。




「内通者、というよりは、我が軍の軍服を着たユストニア軍の兵士か」
 リオデは足を組んで椅子に座り、両手を後ろに縛られた王国歩兵を見下ろしていた。
「誰が尋問に来るかと思えば、ただの女か」
 その縛られた兵士はリオデを睨みつけていた。
 ティオに噂を流させるまでもなく、この村にはいいエサが飛び込んできていた。そう、例の参謀の拘留といううまい話が、転がり込んできていたのだ。
 リオデは内通者を探し出すために、フォリオンに頼んで参謀の拘留場所を一般兵士と一緒にするように頼んでいた。その上で拘留所を部下に監視させていたのだ。
 あとは捕虜を脱走させるかであろう、標的を待つだけである。
 だが、内通者が来るとも限らない。それでも、リオデはあえて待ち続けた。参謀クラスの捕虜を一般兵士の捕虜と一緒にすることで、脱走をさせるための口実を作ったのだ。
 くるかどうかは、運しだい。そんなリオデのその策に、拘束された兵士はまんまとはまっていた。そう、リオデの予想通りの展開となったのだ。
 目の前の敵兵士は、二人の捕虜を脱走させたのだ。その脱走した二人の捕虜には、銃を持たせた騎兵を向かわせて対応している。
「にしても、遅いな」
 リオデはいらだたしげに、逃がした捕虜二人の捕縛の報告を待っていた。
「逃げたのさ。あんたは甘いからな」
 兵士はリオデを見ながら、嘲笑するように言っていた。
「それよりも、だ。貴様には聞きたいことが山ほどある」
「なにを聞いたところで、俺は喋らんぞ」
 鋭い視線で捕虜を睨みつけるリオデ、それに捕虜は動じることもなく、まっすぐと彼女を見据えていた。それが、女であるからか、年齢が若いからか、はたまたその両方からくる余裕なのかは、判然としない。
 ただ、彼女を見下していることだけは、明らかだった。
「そうか。まあいい。私で聞き出せなければ、このあとくる尋問部隊がお前の口から聞きだしてくれるだろうからな」
「ふん。あんたはその尋問部隊にも、信用されていないんじゃないか?」
 リオデの置かれている状況を見破っていたのか、捕虜はそう言って笑みを浮かべていた。横にいたティオが、それを聞いて額に血管を浮かべて捕虜の胸倉を掴みあげる。
「貴様! 少しは身をわきまえろ!」
 拳を上げようとするティオ、その挙げられた腕を掴んでリオデが制止する。
「やめろ。少し頭を冷やせ」
 震える拳から、リオデにティオの気持ちがひしひしと伝わってきていた。この目の前の男のせいで、大勢の負傷者や軍医が命をおとしたのだ。ティオが手を出したくなるのも、無理はない。
「しかし、隊長」
「ティオ、ここは私にまかせてくれないか?」
 リオデの真摯な視線に、ティオは肩を落として従うことしかできなかった。彼女の後ろに下がるティオを見て、捕虜は一層表情を愉快そうにする。
「はん。王国軍は、女の尻にしかれる腑抜けしかいないのか」
 明らかにグイディシュ王国軍を侮辱する言葉、だが、両手を縛られた捕虜が言う言葉では、負け犬の遠吠えでしかない。
「改めて聞く。お前は、我が軍の情報を、最前線で流していたんだな?」
「さあ? なんのことやら」
 リオデの問いに答えるどころか、顔を背けて人を小ばかにするような態度を取る。
「尋問部隊、貴様も聞いたことくらいはあるだろ?」
「ああん?」
 リオデは捕虜の態度に、話をそらしていた。尋問部隊、拘束した捕虜から重要な情報を聞き出すことが仕事である。だが、軍の内外からも評判は悪い。
 というのも、彼らは情報を得るためなら、手段をいとわないのだ。
 両手両足の爪を剥ぐ程度のことは、序の口である。口の堅い捕虜でも、尋問部隊の尋問を受ければ、三日と経たずに情報を吐くといわれている。
「私は今、お前に選ぶ権利を与える。今私に全てを喋るか。尋問部隊の拷問を受けて、身も心も壊された上で情報を吐くか。だ」
 真剣に目を見つめるリオデに、捕虜は再び嘲笑する。
「そんなコケ脅し、お前みたいな女が言った所で、なんら説得力ねえ」
「そうか。なら、しかたない。お前がいつまでもそんな態度なら、私も考えを変えるとしよう」
 リオデが横に控えるティオに視線を向ける。彼はそれを合図と受け取って、腰の短刀を彼女に渡していた。手渡された短刀を抜くと、リオデは真剣な表情のままで捕虜を見つめる。
「お前が喋らないとなると、少々手荒な真似をしなくてはならない」
 捕虜は目つきを変えて、リオデを見据える。
「なんのつもりだ?」
 無言のままリオデは、捕虜に対して近寄っていく。そして、捕虜の髪の毛を鷲掴みし、荒々しく無理やり立たせる。そして、そのまま首に短刀の刃を突きつけていた。
「拷問は私の趣味じゃない」
 捕虜はそれでも無理やりに笑みを浮かべる。
「俺を殺そうってのか。俺が死ねば、情報は得られなくなるぜ」
 相変わらずリオデを嘲笑する捕虜、だが、リオデも引けを取らない険しい目つきで睨みつける。そして、髪の毛を掴んだまま、無理やりに顔を自分のほうへと向けさせる。
「貴様が情報を流したことは、分かっている。そのせいで私の部下が、大勢死んだ。しかも、正規の兵士ではなく、負傷した無力な兵士が、だ! 正直に言おう。別に私はお前が死んだって、一行に構わんのだ。たとえ、有力な情報を握っていようとな」
 彼女が言葉を続けるたびに、短刀の刃は捕虜の首に食い込んでいく。皮膚を切り裂き、徐々に血がにじみ出てくる。
 リオデの目が如実に怒りをあらわにしていた。捕虜はそれを感じ取ると、急に表情を強張らせる。彼女は本気なのだということを、その刃から、その目から感じ取ったのだ。
「無力な部下を殺した人間を、生かしておけるほど私は優しくはなれない。私の手はお前を殺したくて、うずいているんだ。早く答えないと、私の手がすべるぞ?」
 不気味なまでに無表情なリオデに、捕虜は息もできなかった。けして美人な女性の顔が、目の前にあるからではない。彼女から感じる殺意が、肌を通してぴりぴりと伝わってくる。
「わ、わかった。話す」
 血の滲んでいた首筋から、リオデがすっと短刀を引き離す。それに捕虜は肩で息をして、安堵していた。自分が生きていることが、奇跡のように激しく息をしていた。
「所属と任務内容を言え」
「第一陽動遊撃隊、ミエート中尉だ。任務は敵の内情の偵察だ」
 ミエートはそう言ったあと、彼女を見つめながら続ける。
「だが、一つ言っておく。あの奇襲は、捕虜からの情報だ。俺は流していない。潜入したのは、ちょうどここに補充兵が来るのと、同時期だ」
 捕虜の言葉にリオデは疑問を抱いた。こうも都合よく、敵が部隊に潜入できるものだろうか。ましてや、兵の補充に関して、この捕虜は知っていたのだ。ますます疑いを深めるしかなかった。
「お前、補充兵のことはどうやって知った?」
「さあな。それは俺の関与するところじゃないから、知らん」
 リオデは捕虜の男を見据えていた。どうも、他にも隠していることがありそうである。ミエートはそれでも、まっすぐと彼女を見つめ返す。
「そうか。あと、他に確認しておきたいことがある」
 リオデを見据えたまま、捕虜の男は眉をひそめる。
「あの参謀は偽者だな?」
 一瞬だけ左に目を背けたミエートは、すぐにリオデに向き直る。
「まさか、正真正銘の、参謀殿さ」
 眉一つ動かさずに、彼はリオデに答えていた。だが、それでリオデはこの男が嘘をついていることを、確信した。
 目の前の男が潜入した時期と、参謀が捕まった時期は見事に被っている。そして、何より、参謀が前線に出て行って捕まること自体が、おかしいことなのだ。
 ユストニア軍の参謀が前線の視察に訪れるという情報が、タリボンの予備隊に入ってきた。その情報の真偽を確認することもせず、予備隊は動いてまんまと参謀を捕まえた。
 リオデが確認した情報では、そういうものだった。
 話ができすぎていて、逆に怪しいのだ。
 そこで、リオデは男が何かを知っているのではないかと、カマを駆けてみた。
 引っかからなかったように思えた。が、男が嘘をついているのを見破るのに、リオデにとっては充分な反応だった。
「嘘は、よくないな。参謀殿を呼んで、直接聞いてみるとするかな」
 リオデはミエートに目を向ける。彼もまっすぐと見据えていた。
「どうせ、何も喋らないさ」
 リオデはそれに、笑みを浮かべてミエートを見つめる。
「なぜ、わかるんだ?」
「さあ、な?」
 ミエートは明らかに顔をそらしていた。まるで、参謀が最初から何も喋らないことを、知っているかのように勝ち誇っている。
「ティオ、参謀を連れてこい」
 リオデの命令に対して、ティオはその場を離れていった。テントの中には、リオデと男の捕虜だけだ。暫く沈黙が場を支配していたが、再びリオデが口を開いていた。
「さっきも聞いたが、どこで補充兵のことを知った?」
「そんなことまで、俺が知るものか。俺は行ってこいと言われたから、ここに来た」
 それを聞いたリオデは、ミエートを問い詰める。
「目的は?」
「だから、ただの情報収集だって言ってるだろ」
「他に協力者は?」
「さあな。俺以外にいないんじゃないの?」
 そう言って再び黙りこけるミエート、それにリオデは嘆息していた。
「連れてきました!」
 ティオの声がテントないに響いてくる。彼の傍らには、老兵である参謀が俯いて、立ち尽くしていた。覇気もなく、経験は豊かそうだが、それでも兵隊という感じはしない。
 リオデの横までその参謀を、ティオは連れてくる。そして、椅子に座らせていた。
 目は死んだように輝きをなくし、リオデを見てもなんら反応を示さない。それが、彼女の不信感を余計にあおっていた。
 今までであれば、リオデを見た敵兵は、彼女を見て驚きの表情をしていきた。だが、参謀はまるで彼女に興味なしだ。どこを見つめているのかも、わからない。
「貴官の所属は?」
 リオデはその参謀に質問していた。だが、彼は沈黙したまま俯く。その暗い表情が彼女の方へと向くことはない。
「もう一度聞く。貴官の所属と氏名を、言ってください」
 何も答えようとしない参謀に、リオデは苛立たしげに靴踏みをしていた。その後も参謀を色々と問いつめる。が、帰ってくるのは沈黙ばかりである。
 やつれた老人の参謀は、リオデの問いに対して何一つ答えようとはしなかった。ただ、なにを聞かれても黙秘を貫いていた。それが、余計にリオデの懐疑心を、くすぐった。
 この老人は参謀ではないのではないか?
 そんな疑問さえ持ってしまうほど、元気も風格もないのだ。
「だから、いっただろ。その参謀は喋らんと。口が堅いことで、有名だからな」
 捕虜は明らかに勝ち誇った笑みを浮かべて、リオデたちを見ていた。それでも、やはり彼女は負に落ちない部分があることを感じていた。
「もう一度きこう。お前以外に、侵入した奴はいるのか?」
 リオデは鋭い視線を、ミエートに向けた。彼女は腰のサーベルに手を当てて、今にも飛び掛りそうな剣幕で男を見る。
 ミエートはそれに唾を一度だけ飲み込むと、再び口をあけていた。
「しらねえな」
 その一言でリオデは再び、彼に飛び掛っていた。地面に転がり込んだミエートの上に、馬乗りになり、サーベルを抜いて刃を向ける。
「いい加減、貴様のその態度に、私も我慢の限界が来ているんだ。人を小ばかにして、女を見下し、何より、敵とはいえ、階級の高い私に、そんな態度をとることが許せない」
 参謀を連れてきてからも、ミエートの態度は変わらなかった。首筋の怪我は軽く、なんら、尋問に支障をきたさない。
 あのような脅しにも屈さずに、ここまで口を割らなかったことは、尊敬にあたいする。だが、その反面、リオデの怒りも、いい加減に我慢の限界が来ていた。
 捕虜でありながら、時にはリオデをけなし、時には暴言を吐く。そうかと思えば、彼自身の情報を時おり喋る。だが、その情報の真偽は、分からずじまい。
 そう、この捕虜の男自体が嘘の塊に見えて、どの情報が正しいのか分かりもしないのだ。
「なにしようってんだ?」
「さっきも言っただろ。我慢の限界だ。もう一度だけ聞く。仲間はいるのか?」
「さあな」
 目を背けるミエートに、リオデは彼の太ももにサーベルを容赦なく突き立てていた。瞬時にテント内に響く男の悲鳴、それに参謀とティオは釘付けとなっていた。
「な、なにしやがる!?」
「喋れ!」
 胸倉を掴み、リオデは男の上半身を起き上がらせる。男はそれでも、口を噤んでいた。
 その態度を見て、リオデは素早くサーベルを右太ももから抜く。そして、今度は反対側の太ももにサーベルを突き立てていた。
 再び戦慄の悲鳴が、テント内に響き渡っていた。
「だれが、喋るもんか! こおおのくそあまあああ!」
 意地で男は叫びながら、リオデを怒鳴りつけていた。彼女は突き立てたサーベルの柄を、握ったまま手首をひねる。それによって、太ももの傷口が開いていく。
 断末魔の叫びが、その場の全員の耳を支配していた。
「言ったはずだ! 我慢の限界だ。と。次はこのサーベル、貴様の首に立てる」
 再びサーベルを抜き取ると、今度は両手でサーベルを握り、刃の切っ先を首に当てる。
「わ、わかった。まて、待ってくれ! 話す! 話すから!」
 勢いに任せて、リオデは大きくサーベルを振り上げる。そして、サーベルを突き立てていた。
 テント内が静寂で支配される。
 ミエートは目を見開いたまま、ゆっくりと震える目で、首の横に突き刺さるサーベルを見ていた。サーベルは彼の首を貫かず、首の横の地面を突き刺していた。
「仲間はいるのか?」
 リオデは無表情のまま、ミエートを問い詰める。それに、彼は震える口で答えていた。
「い、いない。お、俺、一人だけだ」
 おびえた目でミエートは、リオデを見つめていた。彼女がなぜこの軍内部で、ここまで這い上がってこられたのか。彼はその片鱗を見た気がしたのだ。
「本当の目的はなんだ?」
 リオデは再び、ミエートに対して質問をしていた。
「カート・アルバーツェリンの脱走の手助けと、情報の収集だ」
「他に協力者は?」
 リオデの質問に、ミエートは再び沈黙しようとする。彼女は握ったままのサーベルを、素早く彼の首のほうへと押し倒す。
 ミエートの首にひんやりとした鉄が、当たっていた。冷や汗をかいたミエートは、再び喋りだしていた。
「この村に駐留している男だ。名前はフィルドォ・ゲルゼン。全部そいつの情報だ。元ユストニア国籍で、王国に帰化した男だ。捕虜って言うのもうそだ。あいつが、あいつが、情報を全部、ユストニアに流してるんだ。お願いだ。助けてくれ!」
 必死で懇願するミエートに、リオデは容赦なく言葉を浴びせかける。
「聞きたいことはまだある。あの参謀は本物か?」
「ち、違う。そこらの村の老人を適当に連れてきただけだ!」
 痛みとリオデの真剣な表情に、ミエートは恐怖していた。また、いつサーベルを突き刺すか。それさえ、わからない。
 表情を変えないで、なんでもやってのける彼女に、心底震えていたのだ。この女はやる時は、本当にやる女だ。そう確信していた。
「よし、よく正直に喋ってくれたな。協力、感謝するよ」
 そう言うとリオデは、テント前で待機している守衛を呼んでいた。
 彼女の声に呼ばれた守衛二人が、テント内に入ってくる。そして、ミエートの両腕の紐を解いて、彼の腕を担ぎ起こしていた。ミエートは息を取り乱しながら、感情のない目でリオデを見ていた。
「すまないが、そいつはちゃんと手当てをしてやってくれ」
 守衛の兵士にリオデはそういうと、守衛は苦笑して返事をしていた。
「はは、お安い御用です。にしても、尋問部隊は、こんな荒々しいことしませんよ」
 守衛はリオデが暴力で聞き出したのを見て、笑みを浮かべて言っていた。彼らは尋問部隊なら、もっとじわじわと時間をかけていたぶる。と、遠まわしに言っているのだ。
「すまないな。私も少し感情的にやりすぎたと思っている」
 リオデは守衛の冗談に、苦笑を浮かべて答えていた。
 彼女を見た守衛は、ミエートを外へと連れ出していく。リオデは血の付いたサーベルを見る。銀色の刃についた血を、机の上に置いていた布で拭い取る。そして、サーベルを再び鞘に戻していた。
「隊長、こんなことをしては、尋問部隊に文句言われますよ」
 ティオが呆れながら、リオデに顔を向けていた。
「尋問部隊で、あの男が苦しまないなら、私はそれでもいい」
 リオデの言葉に、ティオはさらに唖然としていた。
 あの時、冷静さを失っていたかのように見えた。だが、リオデは実は尋問部隊の尋問から、捕虜を逃がしていた。
 大怪我をしてしまっていては、いくら尋問部隊といえ、下手に手出しができなくなる。
 なにより、リオデたちと違って、捕虜から情報を聞きだせもしない間に、殺してしまうことは、彼らにとって最大の屈辱であるのだ。だから、できるだけ、捕虜は拷問にも耐えられるように、五体満足のまま尋問をするのが鉄則となっている。
 だが、リオデが捕虜の男に重傷を負わせてしまった今、尋問部隊はお役ごめんとなる。
「呆れましたよ。まさか、今後の捕虜のことも考えていたなんて」
 ティオはそう言って顔面を、片手で覆っていた。それを一瞥したあと、リオデは老人に向き直る。
「今まで、気づいて差し上げられず、申し訳ありませんでした」
 リオデはやさしく老人に話しかけていた。まるで、先ほど見せた顔とは、全く別人のような、柔和な笑みだ。そして、彼の手にかかる縄を解いていた。
 老人はリオデを見て、急に目に涙をためていた。そして、口をわななかせながら言う。
「た、助けて、くれませんか」
 今まで黙秘を続けてきた老人が、安全とわかった瞬間に喋りだしていた。その状況にリオデとティオは顔を見合わせていた。
「私の、孫を、娘を、家族を助けてください!」
 そう言って懇願する参謀は、跪いていた。
「人質、ですか?」
 跪いたままの老人の背中に、リオデは手を当てる。老人は顔をゆがめると、叫ぶように言っていた。
「そうなんだ。ユストニア軍に家族を人質にとられて、仕方なく奴らの指示に従っただけなんだ! 何も言うな。ただし、何か一言でも喋ったら、家族は皆殺しにされる! お願いだ。家族を助け出してくれ!」
 予想が付いていたとはいえ、そんな事実を口にする老人に、リオデは言葉を失っていた。
 捕まってから誰とも口を利かず、彼はずっと黙秘を続けてきた。なにより、リオデは彼にもとから軍人らしさが、かけらも見えなかったのが、気になっていた。
 だが、この理由なら納得がいく。
 軍人らしさが見えないのも、農夫であるなら当たり前のことだ。何より家族の命がかかっていれば、喋らないのも納得がいく。
「分かりました。とりあえず、このことは司令部に連絡させてもらいます。だから、ご安心ください」
 リオデは嗚咽を漏らす老人の背中を、優しくさすっていた。
 憤りを感じずにはいられない事実。それにリオデは、胸の奥でつかえる思いを感じずにはいられなかった。
 今の今まで耐えてきた老人の気持ち、それがまた、リオデたち軍人とは違った境遇で戦場に容赦なく巻き込まれる。
 卑劣で下劣な戦術を駆使してでも、ユストニアはこの地を奪おうとしている。リオデはそれを再確認して、ティオに向き直っていた。
「ティオ、すぐにあの男が言ったフィルドォを調べ上げて、捕まえろ」
「了解です!」
 凛としたリオデの声に、ティオは威勢良く返事を返していた。
「た、隊長! 向かわせた騎兵二人が、殺されました」
 テント内に駆け込んできていた兵士が、そう叫んでいた。ティオとリオデは、その兵士に向かって聞いていた。
「捕虜は!?」
「一人は死亡を確認! もう一人のカートと思われる方は、逃亡中です。おそらく、にげきられたかと」
 兵士はそう言ったきり黙りこんでいた。完璧でないにしろ、二人の追跡には騎兵がついていた。その騎兵を返り討ちにし、逃げおおせたのだ。
「信じられんな……」
 リオデは知らずのうちに、呟いていた。
 捕虜に逃げられることで、もしかすると、自分の立場が窮地に追いやられるかもしれない。そんな不安を胸のどこかに、彼女は感じていた。
「大丈夫ですよ。隊長のこのことで、内通者も判明しましたし、全部、帳消しになるはずです!」
 ティオは彼女の不安そうな表情を見て、そう言葉をかけていた。
 もともと、この内通者探しが、一番の目的だ。捕虜が逃げたからといって、彼女は見事に内通者を突き止めた。
 今後の作戦行動の不安を取り除いた、功労者でもあるのだ。
「だと、いいがな」
 ティオに元気のない返事をして、リオデは俯いていた。
 逃がしてしまったことには変わりはない。その責任は全て、自分にある。ここで自分の目的が絶たれようと、それも仕方がないことだ。
 リオデは一人、覚悟を決めてテントから出て行っていた。


V


 満身創痍なカートの目には、鮮やかな星空と、半分にかけた月が映っていた。
 あれから彼はとにかく、ひたすら南に向かって走っていた。どれだけ走っても、味方が待っている所まで辿りつけない。
 いずれは追っ手が来て、自分は捕まえられるのではないか。そんな不安が頭をよぎっていた。だが、その不安も遥か先に見えた騎兵のおかげで消えていた。
「まさか、本当にいたのか」
 月明かりに照らされて見える馬に跨る兵、丘の上にその勇しい姿を見せつけていた。カートにとって、それがどれだけ安堵できる存在か、計り知れない。
「お〜い! 味方だ!」
 カートは知らないうちに、叫びながら走っていた。騎兵も暗闇の中、カートを確認してから馬を走らせる。その手には騎兵槍が握られていた。
「そこでとまれ!」
 見る見るうちに近づいてくる騎兵が、カートにそう叫んでいた。今までここで彼を待ち続けていたのだ。その上、目の前の男が味方であるという確証はない。
 騎兵は近くまで来ると、カートを一瞥して言葉をかける。
「所属は?」
「バスニア砦攻略部隊、特務部隊小隊長。カート・アルバーツェリン」
「一応、予定通りだな」
 騎兵はそう呟くと、カートにすぐに後ろに乗るように指示する。それに従ってカートは馬に跨ると、騎兵の背中にしがみついていた。
 カートは馬が走り出した瞬間に、ほっと安堵のため息をついていた。それに加えて、目頭が急に熱を帯びてくるのを感じていた。
 自分は生きている。そう実感した。だから、目頭が熱くなったのか。
 だが、それとは何か違う感情が、カートの胸を締め付けていた。一体なんのための戦争なのか。頭では分かっている。でも、どうしても納得がいかない。
 部下を、アルベートを失った。あの時、自分は何をしていた。休んでいた。それだけなのに、騎兵は銃を発砲していた。
 そもそも、なんのための、だれのための、戦争なんだ。カートは涙を流しながらも、考えだしていた。
 第一次レルジアント戦争のとき、ユストニアは貿易摩擦によって経済が貧窮していた。
 そこで目をつけたのが、グイディシュ王国内にある鉄資源であった。それを求めて大陸統一戦争終結後、間もないグイディッシュ王国に攻め入った。
 結果は知っての通り、王国の辛勝、ほぼ痛み分けだった。
 それから、二十年が経って、再びユストニアが国境沿いの軍備拡張を実行する。それは、王国側が報復戦争をしかけてくる。という、根拠のない過剰な防衛意識から来ていた。
 それに対して、グイディシュ王国は鉄の輸出を規制するという処置に出ていた。その上で、軍備拡張を停止して、駐留軍の削減を提案したのだ。
 だが、グイディシュ王国側は、国境沿いの守備兵力の削減をすることはしなかった。
 それは、守備兵力を削減すれば、ユストニアが再び攻めてくるという恐怖からの行動だった。ユストニア側も、二十年前の報復戦争をされるのではないかと恐れている。
 両国が互いに「自国内に敵が攻めて来るのではないか」という疑心暗鬼に陥っていたのだ。
 ユストニア側が国境沿いの軍を撤退させないことから、グイディシュ王国は鉄の輸出規制を、全面輸出禁止に繰り上げていた。それに対してユストニアは実力を行使したのだ。
 だが、それは外交面から、見たときのことである。ユストニア国内では、鉄の高騰と再び起きた貿易摩擦に、民衆が不満を漏らしていた。殆どの国民がこの戦争を支持、それに加えて貴族たちがレルジアントの既得権益を狙っていたことから、この戦争が始まった。
 だが、それで戦わされているのは、俺たち兵士だ。多くの兵士が、この戦争に疑問を持たずに戦っているが、俺は違う。
 こんなことをしなくても、もっと違う方法があったはずなのだ。
 戦わなければ、こんな目にあうこともなかったはずなのに……。
「アルベート。お前を連れ帰れなかった俺を、許してくれ」
 カートは一人胸の苦しみを感じながら、騎兵にしがみついて、涙を流していた。
 それでも馬は、戦場を駆け抜けていく。
 騎兵に乗ってバスニア砦前の陣地に着いたカートは、陣地内の兵士たちが身支度をしていることで、安堵していた。計画通り順調に陣地内の撤収作業が行われていたのだ。
 もし、このまま戦い続けていれば、村にいる敵連隊に撃滅されかねない。
 陣地内に戻ったカートは、どのユストニア兵からも歓声で迎え入れられていた。
 それに構うことなく、彼は自分もすぐに身支度をしようとしていた。だが、すぐにバスニア砦攻略部隊の指令所に、カートは呼び出されていた。
 そして、今、指令所のテントの中、作戦司令官と向かい合っている。
「任務ご苦労、カート君」
 目の前で横柄な態度で、カートを見る司令官は、労いの言葉をかけていた。だが、その言葉には感情のかけらもこもっていない。あるのは、帰ってきた部下へ、作業としての労いの言葉だ。
「お言葉、ありがとうございます」
 恭しく頭を下げて見せるが、目の前の司令官は貴族である。カートにとってこれほど屈辱的な構図は、いい気分のするものではない。
「さて、帰ってきて早々で悪いのだがな。我々は後退してすぐに、そのままポルターナ封鎖部隊に戻されることになった」
 司令官はそう言ってカートを見つめる。だが、それを知らせる意味が全くわからない。カートは疑問に思い、司令官に尋ねていた。
「私は一小隊の指揮官に過ぎません。なぜ、直にそのようなことを?」
「ふむ。うわさ以上に、頭の回る奴らしい」
 司令官は満足そうにカートを見ながら、顎に手をやって笑みを浮かべる。
「先ほども言ったように、我々はポルターナの封鎖部隊に戻される。それに加えて、封鎖部隊にはタレンジ共和国の義勇軍旅団五千名と、本国からの増強軍一万人が加わって、おおよそ、三万の兵力になるのだ。ここまで言えば、分かるか?」
 司令官の言葉にカートは奥歯をかみ締めていた。そう、司令官は暗にポルターナの攻略が開始されようとしていることを、言っているのだ。
 ポルターナの封鎖には、威嚇の意味も込めて、もともと一万五千名余りの兵力があてられていた。だが、ラネス平原での敗北以降、この封鎖部隊の五千名は各地域の制圧に駆り出されていた。その旅団の中で、最も兵力が多いのがカートの所属している連隊だ。
 カートの連隊はバスニア砦攻略に駆り出され、陥落寸前の砦を前に撤退を開始していた。
 その部隊が引き戻され、なおかつ、封鎖部隊に増強されるのだ。
 攻略開始の合図以外の、なにものでもない。
「司令官殿、それと私にどういう関係が?」
 カートはそれでも、自分が呼び出されて話を聞かされている意味が分からなかった。小隊指揮官とはいえ、たかが一小隊長にすぎないのだ。このようなことを、直接司令官から話されることなど、まずありえない。
「君を南側の山道ルートの総指揮官に、任命しようと思っている」
 なにを言い出すのかと思えば、カートは司令官の言葉に耳を疑っていた。
 たかが小隊指揮官の自分が、なぜ、山道の南側ルートの総指揮官なのか。それ以前に、指揮官になるだけの資質と階級を、カートは持ち合わせてないと思っている。
「お言葉ですが、南側ルートとはいえ、あなたが私に総指揮を命じることなど、横暴です。私以外にも階級の高い、適任者がおられるはずです」
 カートはそう言って司令官を見つめていた。総指揮を任せられるにしては、カートの階級は低すぎるのだ。第一に、他にも優秀な兵士は大勢いる。その中で、なぜ、自分なのか。それが彼には納得がいかなかった。
「なぜ、そう思うかね?」
 司令官は不満そうに眉根をひそめて、カートを見つめる。
「自分は、一度は失態で捕虜となりました。その失態を負った兵士が、指揮官になれば、兵たちの士気も下がるでしょう」
 淡々と事実を述べていくカートは、司令官に対してまっすぐと向き直る。
「君の言うことも、一理ある。だが、兵士たちが君を英雄視していれば、話は違ってくる。陣地内では早くも君の噂で持ちきりなのだよ」
「は?」
 司令官の顔を見ながら、カートは首をかしげる。何も自分は英雄視されるようなことはしていない。やったとすれば、無謀な突貫攻撃と、捕虜になった屈辱的敗北である。
「わからんかね? 君の臨時特別部隊の生き残った連中が、そうとうな戦果をあげたと報告したのだ。そして何より、君の部下は、部隊の撤退をさせるために自らが捕虜となったと証言した。これに加え、尋問に耐えて、しかも、単身陣地に帰還したのだ。だれが見ても、君は英雄であるよ」
 カートはその言葉を、内心否定していた。あくまで、自分がここまでこられたのは、味方のおかげである。なおかつ、捕虜となったのも、自分の浅はかな考えからである。
 自分が英雄であることなど、あるはずがない。
 であるのに、兵士たちはそんな彼を、英雄と騒ぎ立てているのだ。
 モノはいいようと言うが、これほど事実を前向きに兵士たちが捉えているのに、カートは愕然としていた。
「まあ、そういうわけだ。兵士たちの期待も信頼も厚い。頑張ってくれたまえ」
「ですが、私はただの少尉に過ぎません」
 カートの言葉に、司令官は顔色を変えずに見つめる。
「あんずることはない。私が階級など、どうにでもする。それに、君には充分指揮官として素質はあると思う。給料もあがるし、勝てば貴族にもしてやる。だから……」
 カートはその司令官の言葉に、顔色を変えていた。明らかに、司令官を嫌悪する表情を浮かべている。そう、これが今現在のユストニアの貴族の実態だ。カートはこんな者たちに振り回されて、この戦場に来ていると思うと、無性に腹立たしく思えて仕方がなかった。
 だからこそ、目の前の司令官を睨みつける。だが、それにもかかわらず、司令官は笑顔で彼に近づいていく。
「だから、頑張ってくれ」
 司令官はそう言って、カートの肩に手を載せていた。そして、顔を彼の耳元に近づける。
「でなければ、君をわざわざ救い出した甲斐もないからな」
 カートの耳元で司令官はささやく。司令官の言葉に呆然とするカート。ようは、カートのために、一人の普通の兵士が、あの王国軍陣地に向かわされたのだ。
「そ、それじゃあ、あの、王国の兵士は!?」
「そうだとも、我が軍のただの兵士に、服を着せたにすぎん。相手側の内通者も、あいつが捕まればばれるだろう。だが、目的は達したのだ。別に構わんさ」
 カートは腸(はらわた)が煮えくり返るような想いで、司令官を睨み付けなら言う。
「そ、そんな。では、あの村にいた我が軍の参謀は!?」
 カートの問いかけに、司令官はその鼻の下に生やしたカイゼル髭を撫でながら言う。
「なんの話かな? われわれの参謀は、デルマシアの高原で策を練っているが?」
「は!?」
「あれは民間人だ。ただのじじいに服を着せて脅しただけ。はったりの脅しを真に受けた割には、よくやってくれたと思うよ」
「あ、あなたって人は!」
 拳を握り締め、カートは司令官に向いていた。奥歯をかみ締めて、今にも殴りかかりそうなほどの剣幕で、睨みつける。
「せっかく、助かったのだ。ここで命を無駄にすることはない。君にだって家族はいるのだろう」
 司令官はそう言ってカートをなだめる。戦闘に関係のない民間人さえ、この戦場に巻き込んでしまっている。そのことが、カートには許せなかった。
 だが、ここでこの司令官に手を出せば、確実にカートは幽閉されるはめになる。なんといっても、目の前の男は貴族であり、上官だ。カートはただの市民に過ぎない。
 市民が貴族に手を上げたというだけで、一方的に裁かれる。その上、今の状況では上官と部下の関係た。この男を殴って待っているのは、独房に十数年という禁固刑だ。
 家族にも会えず、ただ、独房で毎日を過ごさなければならない。
 カートは何もできない自分に、拳を握り締めていた。
「分かりました! やってやります。やってやりますとも!」
 忌々しげに見つめるカートに、司令官は笑みを浮かべる。
「おお、それはよかった」
 そういって、彼に手を差し出す。だが、その手をカートは握ろうとはしなかった。
「その代わり」
 カートはそう言って真剣な眼差しで、司令官を見ていた。
「その代わり、勝てば、必ず、私に貴族の地位をください」
 彼の言葉に、司令官は頷いてみせると、肩に手を乗せていた。
「いいだろう。せいぜい、君の活躍には期待しておくよ」
 耳元で司令官は呟くと、カートを残して足を踏み出していた。
 司令官の態度に憤りを感じるカートは、一つの決心をしていた。ユストニアでは貴族が特権を握っている。ならば、貴族になって、愛する祖国、全てを変えてやろう。
 司令官が出て行ったテントの中で、カートは決意を新たに、握り拳を作っていた。
 貴族になって、ここの司令官を殴り飛ばすことを夢見ながら……。




 濃霧のかかる早朝、フィルドォと呼ばれる男が村内で捕まっていた。ホフマン大隊に所属していた兵士で、ユストニアから帰化して既に三年が経っているという。
 フィルドォの趣味は鳩を飛ばすことだった。彼の住んでいる地元の鳩レースでは、よく彼の鳩が優勝していたという。そして、何より問題だったのが、彼がその経歴を生かして軍に入隊して、軍用鳩を管理していたことだ。
 ホフマンの大隊に配属されてから一年がたっていたらしく、その人柄から彼が内通者だと疑う兵士もいなかったという。だが、ここの村に付いてから彼は、ずっと偽造報告書を作り続けた。そして、軍用鳩を放って、敵に情報を与えていたのだ。
 この重罪で軍事裁判にかけられ、近々裁かれることが決まっている。それも、彼が王国の国民であるからだ。もし、ユストニア国籍であれば、即刻、銃殺刑に処されていただろう。リオデは捕虜を逃がしたものの、このことをいち早く発見したことで、罪状に関しては帳消しとなっていた。
 それもこれもフォリオンがリオデを擁護し、ウェリストなどの反リオデ派将校を黙らせたからだ。これで、リオデはフォリオンに一つ貸しができていた。
 そのことを思い出しながら、昼下がりの休憩を満喫していた。
 リオデ大隊は村から先陣をきって、出発していた。度重なる戦場に休みはなく、大隊兵士の顔色も優れない。
 それでも、リオデは大隊を歩ませて、ものけの空となった駐屯地で騎兵隊と合流した。そこで、久々にリオデ大隊が一つとなっていた。
 ベルシアとアリナと、何日ぶりかの再開を、リオデは果たしていた。
 嬉しそうにヴェーリィ水を入れるアリナに、ティオや他の兵士はもちろん、リオデも癒されていた。嫌なことばかりが重なる戦場での、ほんの一時の休息と癒し、それをどの兵士たちも満喫していた。
「隊長、偵察を幾らかしてみましたが、あの様子だと、我々がつくまで、絶対にもってくれますよ」
 笑顔でそう報告するベルシアに、リオデも安堵のため息をついていた。あそこで敢行した突撃が、味方の砦を救ったのだ。そう思えば、リオデの命令で死んでいった部下の命も、無駄ではないと思える。
「よかった。これで、私も少しは気が晴れるもんだよ」
 そう言ってリオデはベルシアに笑みを見せる。彼もまた笑みをうかべていた。
「それよりも、隊長、アリナちゃんを、よくベルシアなんかに任せましたね」
 リオデの横に座っていたティオは、そう言って初対面のアリナを見ていた。
 村の少女とはいえ、顔立ちも整っていて、艶やかな黒い髪の毛がとても印象深い。アリナは大人の女性にも見劣りしないほどの可愛さと、その反面、落ち着いた女性を思わせるなんとも言えない魅力を持っている。
 いわば、美少女といえる。
 そんなティオの言葉に、ベルシアは彼を馬鹿にしたように言う。
「ばかか。俺はガキんちょには興味ないの。俺の女にするなら、あと四年くらいは待たないといけないからな」
「上官に馬鹿とは何だ!?」
 ティオは鋭い視線でベルシアを睨みつける。そんな彼に、ベルシアはよそふく風といった感じで、空を見上げていた。
「ああ、もったいない。怒った顔が、美しいのが憎いですな。ティオ殿が女であれば、口説いていたのになぁ」
 どっと周りにいた兵士たちの間で笑いが起こる。アリナもそんな二人のやり取りに、くすりと笑みをこぼしていた。
「た、隊長! ベルシアを何とかしてください!」
 部下の兵士たちに笑われて動揺するティオは、リオデに助けを求めていた。
 だが、そのリオデも、ティオの困り果てた顔を見た瞬間に、顔をそらしてくすりと笑っていた。
「た、隊長まで!」
 ティオは最後の頼みであるリオデにまで笑われ、心底落ち込んでいた。顔を地面に向けると、深いため息をついて見せていた。
「す、すまん。あまりにも、お前の困った顔が、かわいくてな」
 リオデはそんなティオの背中に手を当てる。ティオはリオデの言葉に、さらに胸をえぐられる。格好がいい、美青年だ。そういわれるならまだしも、リオデには「かわいい」とさえ言われる始末だ。
 男としての誇りをけなされている。
 それを思うとティオは、俯いたまま再び深いため息を吐いていた。
「で、でも、あのベルシアを口説かせたいとまで言わせたんだ。凄いことだぞ」
 リオデの言葉に、ティオは更に落ち込んでいた。すかさずアリナが彼女に言葉をかける。
「リオデさん、それフォローになってません」
 またしても、どっと笑い声があたりを包む。部隊の最高指揮官と兵士が戯れるような光景は、他の部隊では滅多と見られるものではない。
 こうして、リオデやティオ、ベルシアが下級兵士と戯れていること自体が、異常である。
 だが、こうすることで、兵士たちはリオデやティオの人柄を知ることができる。ひいてはそれが信頼に繋がった。最終的には兵士たちが、命を預けてもいいと思えるようになった。だからこそ、リオデに大隊の兵士たちが付いていくのだ。
 王国の軍隊の中では、本当に異質な存在、それがリオデ大隊である。だからこそ、規律や伝統を遵守する軍人から、彼女は嫌われるのだ。
 ホフマンの部下のウェリストも、その一人である。女性でありながら、ここまで実力で成り上がった彼女を、よく思わない。
 王国軍の中には、他にも彼女をよく思わない人間が、大勢いる。
 談笑するリオデたちの前に、肩を落としたヴィットリオが近づいてきていた。
 リオデはそれに気づいて、ヴィットリオに対して顔を向けていた。
「リオデ隊長、申し訳ありませんが、話をする時間をくれませんか?」
 栗色の髪の毛の青年軍医のヴィットリオは、浮かない顔をしてみせる。そして、彼はリオデに頼み込んでいた。おそらく、誰かからか兄の真相を聞かされたのだろう。
 冷酷な現実を突きつけられたヴィットリオは、元気なくリオデの前に立ち尽くしている。
「わかった」
 リオデは顔から笑みを消した。そして、アリナの作ったヴェーリィ水を飲み干すと、ベルシアにコップを渡していた。
「ベルシア、口はつけるなよ」
 そう言ってベルシアを見ると、彼は苦笑しながら言う。
「ちょっとは信頼してくださいよ。自分は隊長を心から愛してるんですから!」
「気持ち悪いことを言うな。冗談でも殺すぞ」
 軽口を叩いたベルシアに、リオデも冗談で返す。周りからはまた、笑いが起こっていた。
 彼女はそんなやりとりをおえると、すぐに立ち上がっていた。そして、ヴィットリオに付いてくるようにいう。彼は黙って彼女の後ろについて、歩いていた。
 他の兵士たちの目に付かないところへ場所を移す。そして、リオデはヴィットリオに向き直って真剣な視線を向ける。
 ヴィットリオはそれに、口を開けないでいた。暫く二人の間に、沈黙が訪れていた。
 それに耐え切れず、リオデが口を開こうとした。その矢先だ。
「隊長、ぼくは、僕は、兄が死んだなんて、いまだに信じられません」
 ヴィットリオはその重い口をあけて、彼女に語りかけていた。リオデはそれに、ただ黙って聞くことしかできなかった。
「ここに兄がいないのは、まだどこかで偵察に行っているからなんだって。でも、現実は違いました」
 そう言ってヴィットリオは深いため息をついていた。そして、顔を地面に向ける。
「ウィルフィという方が、兄の死を話してくれました。それに、他の兵士たちも、みんな、僕を見て気の毒に、という顔を向けてきました。それで、確信したんです。兄はやっぱり死んだのだ。と」
 ヴィットリオはそこで言葉を区切ると、リオデに向き直っていた。そして、鋭く睨みつけるような、彼女を突き刺すような視線を向ける。
「でも、その原因が、あなたなら、僕は、あなたを許せない! あなたは僕の兄を殺したんだ!」
 ヴィットリオがそう言うのもわかる。理由はどうあれレイヴァンは、結局は彼女のために死んだことに変わりはない。そして、なにより、ヴィットリオは彼の兄弟である。ここでこうやって、リオデを責める権利はあるのだ。
「すまない。とは思っている。だが、後悔はしていない」
 リオデは凛と澄ました表情で、ヴィットリオを見ていた。彼は納得がいかないらしく、潤んだ瞳で彼女を睨みつけていた。
「なぜ、あなたはなぜ、そんな冷酷でいられるんです! 僕の兄を殺しておいて!」
 眉をひそめたまま、リオデは憎まれるのを覚悟して、口を開いていた。
「私は軍人だ。冷酷にならないといけない時もある」
「あなたは、僕の兄を殺したんだ。罪悪感を微塵も感じないんですか!?」
 ヴィットリオはそう言って主張を、けして曲げようとはしなかった。その言葉がリオデの胸に突き刺さっていた。
 実際、罪悪感を持たないことなどない。部下を見殺しにまでして、自分は生き延びたのだ。それで罪悪感を持たないほうがおかしい。
 だが、もう、そのことでもう悩むことはしない。リオデ自身、明確な答えを見つけ出して、前に進んでいるのだ。
「君のお兄さんには、心のそこから感謝している。だが、私はそのことで罪悪感をもたないと決めている。悩んで立ち止まっていることは、せっかく助けてもらったこの命を、無駄に使っているのと同じだから」
 リオデはそう言ってヴィットリオに真摯な視線を向き直っていた。何も曇りのない瞳をむけられ、ヴィットリオは初めて顔を背けた。
 地面に俯いて、その目からどんどん涙を流していく。ぽたぽたと雪に吸い込まれていく涙、ヴィットリオのやり場のない気持ちを、冷たい雪が受け止めていた。
「すみません。僕は、その、気持ちをどうしても、整理が付けられなくて、僕は、僕は」
 嗚咽を漏らしだしたヴィットリオは、膝を突いていた。そして、そのどうしようもない気持ちを、地面に積もった雪に向けて、何度も繰り返し、拳を振り上げていた。悲痛な叫びを上げながら、リオデの前ということも忘れて、一心不乱に雪を殴っていた。
 リオデはそれをただ、声をかけることもできずに、見守るしかなかった。
 それから、また一夜あけた早朝、リオデ大隊が駐屯地前に整列していた。
 その整列した兵士の前で、リオデは声高らかに叫んでいた。
「総員、これよりバスニア砦に向かう! ここからは本当の戦場が待ち受けている。私は諸君らを心から信頼をしている。だからこそ、一丸となって、バスニア砦を共に救おう!」
 リオデの言葉に兵士たちは、歓喜の叫びを上げていた。リオデはその中で、決意を固めていたヴィットリオを見た。彼は空を仰ぎ見て、胸に拳を当てていた。
 だが、リオデの視線に気づいて、目を合わせると、すぐに王国式の敬礼をして見せていた。リオデもまた、彼に対して真剣な表情で、答礼していた。
 何千の将兵が、バスニア砦に向けて雪の上を行軍しだす。
 戦場に渦巻く人々の想いをかき混ぜながら、戦場は広がっていく。
 誰もこの戦火を止められない。ただ感情をもたず、多くの人を巻き込んでいき、戦場は広がっていくのだ。
 悲劇を繰り返しながら……。




 前編   ―――了―――




攻防の手立て・後編


プロローグ


 大地を震わせる砲撃音、それが次々と山を割るかのごとく響き渡る。早朝から雪の上を、ユストニア軍の第一陣攻撃隊の兵士たちが、歩いて前進していた。
「まだだ、まだ引き付けろ、充分に引き付けるんだ」
 対して王国軍の銃兵三百名は、迫り来る兵士を前に、隊列を組んで銃を構えていた。徐々に近づいていく敵歩兵部隊は、張り巡らされた防柵を乗り越えていく。そして、また一歩、一歩と隊列を乱さずに、前進していく。
 そこに砲弾が落ちようが、彼らは恐れることなく、隊列を維持したまま銃兵たちに迫っていた。とにかく肉薄していく。
「射程ライン、150ルデンをきりました! 隊長!」
 一人の兵士がそう叫んでいた。だが、それでも、小隊長は発砲を指示しない。その間にも、防柵を次々と敵が乗り越えて、この陣地内に向けて前進しきている。
 最前列の兵士たちの顔まで、くっきりと見える。そのような距離に迫りつつある。
「射程ライン! 距離100ルデン、まだですか!?」
 焦って一人の兵士が、小隊長に対して射撃を催促する。それでも、小隊長は射撃の許可を出さなかった。
「まだだ、引き付けろ!」
 ユストニア兵の隊列の、最前列に並ぶ兵士たちの顔が、一人一人、目視できる距離にまで迫っていた。
「射程ライン! 距離50ルデン!」
 一人の兵士がそう叫ぶ。後方で、砲兵隊が絶え間なく、二門の大砲を発砲し続けていた。
 だが、その砲弾は、時折、敵の分隊を一つ蹴散らす程度で、陣地全体を救うには、頼りなさ過ぎる。
「よく狙え! 撃てえ!」
 小隊長がサーベルを振り上げて、全員に聞こえるように叫んでいた。それを皮切りに、ユストニア兵に向けられていた銃が、一斉に火と硝煙、鉛弾を射出していた。
 谷を振るわせる発砲音、ばたばたと倒れていくユストニア兵たち、その死体を踏み越えて、次々と後方の兵士たちが前に出てくる。
「次装填! 撃て!」
 掛け声に合わせ遊低を引いて、薬莢を排出する。そして、また、一斉に発砲する。
 次々と倒れていくユストニア兵、だが、それでも兵士たちの距離は縮まっていく。
 五度目の発砲が終ったとき、すでに銃兵の目の前までユストニア兵が迫っていた。
「よし、総員、防衛線を一段階下げるぞ!」
 その言葉に従って、銃兵たちは一斉に後方の塹壕に後退していた。銃兵の後ろには、甲冑と鋼鉄の盾、槍を装備した重装甲歩兵の列が控えていた。
 グイディシュ王国が誇る、最高の鉄で体を覆った屈強なる兵士たちだ。
 銃兵たちは第一防衛ラインから、第二防衛ラインまで、あっさりと引き下がる。そして、すぐに第二防衛ラインである塹壕で、弾込めを開始する。
 その間に、重装甲歩兵たちと、ユストニア歩兵による戦闘が開始されていた。
 鋼鉄の盾に向かって、走って突撃をかけるユストニア兵達、それを槍と盾を使い、巧みに阻止する王国重装甲歩兵隊、時間を稼ぐには充分な役割を果たしていた。
「塹壕から、合図を確認。総員、そのまま、抑えながら後退だ」
 人で壁を作っている重装甲兵は、徐々に後退していく。そして、巧みな槍使いにより、殆ど損害を出さずに、塹壕手前まで後退していた。
 前衛を押さえているのは、たった300の重装甲兵のみだ。
「総員! 爆薬点火!」
 銃兵隊の小隊長の言葉で、一斉に爆薬に繋がる紐に、火がつけられていた。そして、その爆薬を持ったまま、銃兵たちは一斉に塹壕を飛び出していた。駆けて装甲兵の後ろまで行き、力の限り、爆薬をユストニア歩兵隊に向かって投げていた。
 それが一つや二つなら、大した混乱を招かないだろう。だが、銃兵三百の一人一人が、次々とその爆薬をユストニア側に投げ込んでいくのだ。
 連続して起こる爆発音とともに、ユストニア兵たちが粉々に吹き飛んでいく。最前列で行われている壮絶な戦闘と後方への爆撃は、ユストニア兵の隊列に乱れを起こしていた。
 だが、それでも容赦なく降り注ぐ爆薬に、ユストニア兵は恐怖していた。味方が目の前で肉片となって、自分に降り注ぐのだ。そして、なにより、いつ自分がああなるか分からないという恐怖が、ユストニア兵を支配していた。これでは戦いどころではなく、次々とユストニア歩兵は、戦意を失って後方へと下がっていった。
「て、撤退だ! 全員、撤退! 体勢を立て直す!」
 ユストニア側から聞こえてきた声に、次々とユストニア兵が後ろに下がっていた。
 重装甲歩兵隊はそれを追うこともせず、ただ、過ぎ去った危機を見つめていた。
 陣地内の各所から、敵の撤退を見て、歓声が上がっていた。
「まだだ、銃兵隊、即時、前方に展開だ! 手はずどおりにしろ!」
 一人の将校が塹壕の中で指示を飛ばしていた。散り散りに逃げていく歩兵たち、その前方には、既に次の敵の隊列が迫っていたのだ。
「敵は波状攻撃をかけるか。さすがに数の差が大きすぎる」
 一人呟く将校が再び慌しく動き出した陣地の中で、ポツリと呟いていた。
 第一波を防いでも、第二波、第三波、と次々に兵力を投入できる。それに対して、王国軍はたったの一千五百人で、この波状攻撃を防がねばならないのだ。
 一人の損失が、これほどまでに大きくなる戦場を、王国軍兵士は初めて経験しようとしていた。
「ポルターナにいる家族、恋人、友人を守るのだ! 全員、なんとしても、この攻撃を耐え抜け!」
 塹壕の中から叫び声をあげる将校に、陣地内の全ての兵士たちが雄たけびを上げていた。
 ポルターナの中央道ルートで、今、死闘の火蓋が、きって落とされていた。




 雪の上で燃え上がる油、それはまるで雪そのものが燃えあがっているかのようにも見える。目の前で起きているありえない事態を把握するのに、カートは叫んでいた。
「総員、被害報告!」
 燃え盛る炎、直撃弾を食らった歩兵部隊の兵士たちが、瞬く間に炎に包まれていく。
「負傷者多数! 状況を把握できません!」
 叫ぶ兵士、その頭上を、炎を噴き出しながら、大きな壷が飛んでいく。
 そして、カートの後方の部隊にも、その被害は拡大していく。目の前まで南側山道ルートの終点、村の城壁が見えている。だが、そこにたどり着いた兵士はいない。
 それどころか、城壁の上より浴びせられる銃弾と弓矢によって、多くの骸がその手前で山となっている。
 狭い道幅に加えて、登り道、そして、逃げ場のない谷という、最悪の山道を突き進まなければならないのだ。
 その地形をグイディシュ王国軍は熟知し、地形をふんだんに利用していた。可燃性の高い油を大きな壷に入れて、油の染み込んだ布で蓋をして、それに火をつける。そして、その大壷ごと、投石器で道に放り込んでいた。
 直撃弾を受ければ当然命はない。それに加えて粉々に飛び散った壷からは、大量の油が飛散し、大勢の兵士たちにかかっていた。瞬く間に、火の海に包まれる山道、兵士たちの断末魔の叫びが、谷に響き渡る。
「撤退! 即時撤退だ! 態勢を立て直す!」
 カートはそう叫んで、全員に命令していた。だが、この狭い道に、数千の兵士たちがひしめき合っているのだ。その上、この混乱状態である。
 撤退を命令しても、一行に長蛇の列は後方に後退しない。
「なにをやっているんだ! 撤退といっているだろうが!」
「隊長! 後方まで命令が伝達されず、後ろの部隊がこちらに来ています!」
 報告してくる部隊の兵士が、カートに現状を報告していた。
「現状を見て行動もできんのか!?」
 カートは苛立たしく叫んでいた。目の前まで迫っていた城壁が、これほどまでに遠く感じる。その上、多くの兵士が死傷している。
 状況の打開策もなく、ただ、前に突っ込んでくる兵士たち、それに城壁の上で一生懸命に応戦する王国軍兵士たち。まさに血みどろの死闘である。
「総員、退け! 退くんだ」
 カートは叫んで後方へと足を進める。それに習って次々と部下が続いて、後退していく。
 撤退しだしたユストニア兵を見て、城壁の黒ずくめの兵士たちが歓声を上げていた。
 一度目の攻撃は、大敗したのだ。
 何も策はなく、とにかく城壁に対して取り付くことを目的とした前進だ。それが、この一度目の大敗を招いたのだ。
 そんな様子を城壁の上から、見ていた親衛隊員が呟いていた。
「こうも、うまくいくとはな。予想もしていなかった」
 歓声に包まれる城壁の上で、その若い青年の親衛隊員ラスナは、呟いていた。
 城壁に取り付かせる前に、投石器を使用した攻撃と、それを抜けてきた敵を、銃と短弓を使用した攻撃で阻むというものだ。
 投石器には油を入れた壷に炎をつけて、即席の火炎弾を作って、射出していた。狭い道ゆえ、同じ場所に向かって投げ入れれば、火の海が出来上がる。
 それをやっと抜けてきても、今度は弓と銃によって、城壁前で歩兵たちはいとも簡単に倒されていくのだ。
 ほぼ一方的な戦いといってもいい。こちらの損害はゼロ、相手方は多数の負傷者と死者を出しているのだ。
「敵の撤退を確認しだい、矢の回収と、敵の負傷者を収容しろ!」
 ラスナはそう命令していた。親衛隊の大部分は軍人出身者だ。軍事的業務をこなすことができる。だが、それでも、親衛隊は軍隊ではない。本来の任務は、町の治安を維持することである。たとえ、敵であれ、負傷者ならば収容して手当てをするのは、当然と考えているのだ。
「ラスナ隊長! こちらの医療物資を使うというので?」
 一人の親衛隊員が、ラスナを問いただしていた。
「そうなるな。確かに、我々の敵ではある。だが、苦しんでいる人間を、そのままにしておくわけにはいくまい」
 親衛隊員ならば、そのくらいの心構えを持っていなければならない。ラスナはそう考えているのだ。
「しかし、我々が負傷したときに、医療物資が不足してしまっては」
 その親衛隊員の言うとおり、現在は優勢ではある。しかし、これから劣勢に回っていくかもしれない状況の中、負傷者を手当てする物資がなければ、士気もさがる。
 その上、戦うことができなくなる。
「だから、多めに医療物資をここに持ってこさせたのだ。あんずるな。我々が使う分とは、別に確保している」
 ラスナはそう言って、笑みを浮かべて見せていた。それに親衛隊員も胸を撫で下ろしていた。そうと分かれば、すぐにでも救助に向かえるものだ。
「門を開けろ。すぐに矢と負傷者の回収に向かうぞ」
 若い親衛隊員はすぐに、城壁から駆け下りていた。ラスナはその様子を、一息つきながら見守っていた。苦しんでいる負傷者の声、味方から見捨てられ、その場に放置されている。
 もし、自分がそうなったとき、どうしてほしいか。それを考えたとき、ラスナは見捨てることなどできなかったのだ。
 次々と運び込まれていく負傷者、死体は道の脇に寄せられ、次の襲撃に備えられていた。
 ポルターナに続く南北のルートで、死闘が始まっていた。


T


 バスニア砦に駐留したリオデ達は、久々の休息を取っていた。バスニア砦に、フォリオン連隊が殺到したときには、すでにユストニア軍はいなかった。
 あるとすれば、そこにあったであろう陣地と、放棄されたユストニア軍の大砲だけであった。
 フォリオンはそれに嘆息付いて、行動の遅かった自分を悔やんでいた。もし、もう少し駆けつけるのが早ければ、ここのユストニア軍を殲滅できていたかもしれない。
 だが、終ったことはどうしようもない。
 後方から続々と王国軍の主力部隊が、山岳地帯、高原に進出していると聞いている。
 ここを敵勢力圏から守り抜いただけ、ましということだ。
 それもこれも、リオデの気転が功をせいしたからだ。
 そこでフォリオンは、リオデ大隊に対して休息を命じていたのだ。とはいえ、この猛吹雪の中、ホフマンの大隊も行軍することはできなかった。
 敵味方、双方の軍隊がこの吹雪の中では、どうすることもできず、ただ、自然の猛威が過ぎ去るのを待つしかない。
「リオデ大隊長! ベルシアです。はいりますよ?」
 そう言って指揮官専用室に、ベルシアは返事をまたずに足を踏み入れていた。
 バスニア砦には幸いなことに、指揮官用の部屋がいくつかあった。簡素とはいえ暖かい布団のしかれたベッドに、机、部屋を照らすガス灯がついている。なにより、一番贅沢なのは、この部屋には小さなシャワールームがついているのだ。
 戦場では入ることのできないフロに、肩からつかることができるのだ。戦場の疲れを癒すのには、余りにも豪華で贅沢すぎる待遇である。
 だが、リオデはこのバスニア砦を救った立役者だ。砦の兵士からも歓迎されて、フォリオンよりも先に、この部屋に割り当てが決まった。
 ベルシアは鍵のかかっていない扉を開けて、部屋へと足を踏み入れる。軍の制服がハンガーにかけられていて、ベッドには畳まれた下着やシャツが置かれている。その脇にはベルトやサーベルなどの装備品一式が、無造作に置かれていた。
 そこから、ベルシアは嫌な、ある意味では幸運な予感を感じていた。
「ベ、ベルシア!?」
 体にタオルを巻いたまま、頭を拭きながらリオデが浴室のある一室から出てきていた。それにベルシアは、表情を嬉しそうに緩める。
「隊長、これは失礼いたしました。入浴中だったなんて」
 ベルシアはそう言って、リオデを注視したまま動きを止めていた。
「失礼と思うなら、すぐに出て行け。殺すぞ?」
 いつになく真面目な表情で言うリオデに、ベルシアは早足で部屋から出て行っていた。
 廊下で待っていると、侍女がタオルを抱えて、ベルシアの前をそそくさと通り過ぎていく。そして、リオデのいる部屋へと入っていった。
 その過ぎ去り際に、侍女が微妙な笑みを浮かべていたのをベルシアは見逃さなかった。
 そうしているうちに、髪を伸ばした長身で銀髪の男が、ベルシアの前に現れていた。一見すれば女性にも見える顔立ちの美男子。歳もベルシアより若く、それでいて大隊長補佐という役職に付いている。
 美青年で階級も高い。文句のつけどころのない、高級将校が扉に手をかけていた。
「白銀の冷血姫どの、今はあけないほうがいいですよ」
 あえて、補佐官とは呼ばずに、彼の嫌うあだ名で呼んでいた。もともと、ベルシアのことが気に入らなかったティオは、扉の横で腕を組んでいる青年将校を一瞥する。
 とても、友好的とは言えない視線をベルシアに向けると、すぐに扉を開けていた。
 だが、扉をあけたティオの動きが止まる。かと思えば、その雪のように白い頬を、急に真っ赤に染め上げて甲高い声で叫んでいた。
「し、失礼しました!」
「失礼と思うなら、すぐに閉めろ!」
 リオデの怒鳴り声と共に、ティオは慌てて扉を閉めていた。ベルシアはそのやり取りを、下品な笑みを浮かべてみていた。
「こ、この、き、貴様、知っていてわざと止めなかったな!」
「いや、それは語弊があります。ティオ補佐官殿! 自分は開けないほうが良いと忠告しました」
 ティオは苛立たしげに、ベルシアを見る。そして、すぐに怒鳴りつけていた。
「貴様! 私をからかっておるのか。開けようとする時に、実力で制止することができただろうが!」
 ベルシアは相変わらずの笑みで、意地悪く反論してみせる。
「恐れ多くて、上官殿にふれることなどできませんよ」
 ティオはそれ以上何も言わず、腕を組んでベルシアの横の壁にもたれかかっていた。
 そして、一つため息をつく。そんなティオを見て、ベルシアはティオに問う。
「でかかったか?」
「え? ああ、結構あったな……。って貴様! なにを言わせるか!」
 自然な流れでティオに聞いたベルシア、だが、その質問内容は、とてもよろしいとはいえない。それに気づいたティオは、ベルシアの胸倉を掴んでいた。
「まあ、まあ。落ち着いてください。いいものが見れたんだし、いいじゃないですか」
 ベルシアの言葉に、ティオは振り上げていた拳を下ろしていた。納得のいかない言葉、だが、それもまた事実である。
 ティオは再び壁にもたれかかる。そして、目を瞑ってベルシアに聞いていた。
「で、お前は何の用事で隊長のところに?」
「ポルターナの件を耳にして、リオデ隊長に知らせようかと」
 ベルシアはそう言って、天井を見つめていた。この猛吹雪はいつまで続くか分からない。だが、この吹雪がやめば、必ず戦わなければならない。であれば、作戦目標である第1112山岳歩兵旅団の中隊救出に付いて、情報を集めておいたほうがいい。
 そう思って、ベルシアはバスニア砦内の兵士から、情報をかき集めていた。そう、全ては今後のためだ。
「そうか。だが、我が隊がポルターナに向かうかは、分からないぞ」
 ティオはそう言ってベルシアの方へと向いていた。その言葉に、ベルシアもティオを見つめ返していた。
「どういうことだ?」
「デルマシア高原にな、ユストニア軍の主力が集まりつつあるのだ。その先の都市ゲリアールが敵の目標だろう。占領を阻止するために、我が軍の主力部隊も、デルマシア高原に向かっている」
 デルマシア高原、ユストニアに最も近く、レルジアント地方最大の広さを持つ高原だ。その高原の手前には、六万人の住人が住む城砦都市ゲリアールがある。
 このゲリアールをユストニア側に押さえられれば、このレルジアント地方で最も鉱物の採掘が豊富なポルターナを占領されたも同然である。
 ポルターナに向かうにはデルマシア高原から伸びる二つの道を、通るしかない。ポルターナを獲るには、デルマシア高原を完全なる勢力圏化に置かなければならないのだ。そこで、完全なる勢力圏に置くには、高原の前にあるゲリアールの占領がかぎとなる。
 ゲリアールを押さえられれば、デルマシア高原を完全に失うこととなる。
「ゲリアールは占領されてなかったのか?」
「奇跡的に、俺たちとは他の連隊が駆けつけて、占領を逃れたらしい。ゲリアールは敵さんの電撃戦のルートには入っていなかったからな。奴らも、最終的に勝利は難しいと見て、悪あがきで、ポルターナを手に入れようとしているのさ」
 ユストニアの電撃作戦では西側ルートか、東側ルートかを選ぶかで、進行速度が違っていた。
 東側ルートには都市自体が少ない。しかし、鉱物資源が豊富に出ているため、都市そのものが城砦化しているところが多く、王国軍の駐留部隊の基地が多い。それだけに、障害も大きいのだ。
 それに対して西側ルートは、主に商業ルートと呼ばれており、隊商が休憩するための中小規模の都市や村が多いのだ。
 鉱物資源を狙ってくると見ていた王国軍は、守備隊を東側に固めていた。そのため、レルジアント地方の西側には駐留基地はあるものの、基地内は空に等しく、防備も薄かった。
 何より西側ルートを決定付けたのが、ユストニアとグイディシュの障壁ともなっているガルス山脈を抜けたとき、ラネス平原に直に出られたことだった。
 ここを基点にレルジアント地方を、一気に占領していこうとしたのだ。その足がかりが、タリボンの占領である。タリボンを占領すれば、東側の補給ルートを遮断できる。
 疲弊していった東側守備隊を、掃討していくのは、とてもたやすいことだ。
 だからこそタリボン攻略戦は、両軍が必死でぶつかった最初の戦いといえた。
 だが、タリボン攻略失敗と、ラネス平原での大敗を喫したユストニアは、守勢に回った。
 西側ルートでは、相次いで王国軍が勝利を収めて、ユストニアから国土を奪還していく。そして、遅れながらも、鉱物資源を手に入れるために、ユストニアは山岳地帯での戦闘を開始していた。
 ラネスで敗走したとはいえ、山岳地帯がユストニアの勢力圏に置かれていることには、変わりはなかった。東側での守備の主力であった第111山岳歩兵師団が、数の上で優勢なユストニア軍に破れていたのだ。
 そのためグイディシュ王国軍は都市や砦に篭城し、援軍が来るまで、じっと耐えしのぐことしかできなかった。それ以外に、手立てがなかったのだ。
 だが、リオデの所属する第六近衛師団や、第七近衛師団など、中央軍集団の援軍投入で、戦局が覆されようとしていた。
「ようするに、俺たちは東側守備隊の救世主ってところか」
 つぶやくベルシアは、再び天井を見上げていた。
「まあ、デルマシア高原での戦闘に勝てば、の話だな」
 ティオはそう言って、同じように天井を見上げる。ベルシアはそれに嘆息していた。
「主戦力同士の激突か。噂じゃ、西側ルートの敵は、国境まで後退したそうだな」
「話が早いな。西側の脅威が去ったから、第七近衛師団もデルマシアに投入できる。続々と他の師団や旅団もデルマシアに向かっている。参謀本部は、決着をつける気でいる」
 ティオはそう言ってフォリオンから聞いた情報を、ベルシアに話していた。
「敵も西に敵が来ないと知ったら、その分、デルマシアに集中できる。ここが本当の正念場だな」
 ベルシアはそう言って、扉の前まで歩み寄る。そして、ノックしていた。
「入っていいぞ」
 先をこされたと、ティオはベルシアを見つめる。その後ろにすぐ続いて、ティオも部屋の中へと足を踏み入れていた。
 ベッドの横の椅子に腰をかけるリオデは、軍服を身に付けていた。侍女が三人に礼をして、その場から駆け出て行く。
「二人とも、テントならまだしも、ここは士官の個室だ。今度からノックして、その場で待てよ」
 不機嫌そうに二人を見るリオデ、それにベルシアとティオは顔を見合わせていた。
「申し訳ありません。今度から気をつけます」
 声を合わせて言う二人、それにリオデは嘆息付いていた。
「で、用件があるのだろう?」
「補佐官殿からどうぞ」
 リオデが言葉をかけると、ベルシアはそう言ってティオに言うように促していた。
「報告します。ご存知と思いますが、デルマシア高原に敵が集結しつつあり、我が軍の主力も、そちらに向かっています。おそらく、我々もそれに加えられると思われます」
 ティオがそういい終えると、リオデは頷いてみせる。そして、ベルシアを見た。
 彼に次の報告を言うように、目で促す。
「例の中隊を調べましたところ、ポルターナに避難したという情報が入っています。ここに来ていた同師団の連中から聞いた情報なので、確かなことかと」
 リオデはそれに頷いてみせると、再び考え出していた。ポルターナを完全な勢力圏に置く戦いが、デルマシア高原の戦いだ。であれば、ポルターナは陥落しているのではないか。
 だが、ポルターナへの道は長く、入り口さえ封鎖してしまえば、ポルターナからの部隊は遮断できる。
 何より、救出目標の部隊が、ポルターナ方面に逃げたのであれば、ポルターナが落ちていない可能性は高い。
「隊長、それと捕まえた捕虜の話を聞きますと、ここを攻略に当たっていた部隊は、もとはポルターナ封鎖部隊の所属と言っていました。このバスニア砦を攻略する時は、まだポルターナには手を出していなかったそうです」
 リオデはベルシアからの報告を聞いて、ほっと胸を撫で下ろしていた。そうと分かれば、ポルターナでは、まだ多くの軍人や民間人は生きているのだ。
 何より彼らは救援部隊を待っている。
「よかった。本当によかった」
 リオデはそう言って、心の底から安堵のため息をついていた。それを見たティオは、不思議そうに彼女を見ていた。今の今まで、都市の無事を聞いて、ここまで彼女が感情を露にするところを見たことがなかったのだ。
 その怪訝な表情に気づいたベルシアは、ティオの胸をこついていた。そして、小声で彼に言う。
「あまり、気にしないほうがいいぞ」
 ベルシアにそう言われ、ティオは余計にリオデのことが気になった。今まで彼には見せたことのない、切ない表情をしていたのだ。
 だが、彼女はすぐに表情をいつもの硬いものに戻していた。
「ありがとう。ベルシア。それにティオもご苦労だった」
「は! 失礼します」
 二人は声を合わせて、リオデに背中を向ける。ティオはついでにお礼を言われた感じが、どうにも気に食わなかった。それでも、それを無理やりに胸にしまいこむ。そして、ベルシアと共に部屋を出て行った。
「さっきの言葉、どういう意味だ?」
 部屋を出て二人は廊下を歩いていた。ティオは横を歩くベルシアを問いただす。
「そういえば、お前しらなかったのか?」
「じょ、上官に向かって、お前はないだろ!」
「だが、俺のほうが年上だ」
 ベルシアはそう言って、ティオに微笑をみせる。彼は観念して首を左右に振って、諦めていた。リオデにさえ軽口を叩くこの男が、今更、自分に対して態度を改めるわけがない。
「で、どういう意味なんだ?」
 ベルシアに改めて問うティオは、腕を組んで不機嫌そうに彼を見つめる。そんな彼にベルシアは耳打ちして、小さな声で呟いていた。
「ここだけの話だ。隊長はな。婚約者がいるんだ」
「こ、ここ、婚約す」
 大声を上げそうになるティオの口を、冷静にベルシアは片手で押さえていた。
「大声は上げるなよ。ばれるとまずいからな。で、その婚約者は今、ポルターナにいるんだ。隊長の補佐をするんだから、そのくらいは知っておけよ」
 そう言って小声でささやくと、ベルシアはゆっくりと片手をティオから離していた。
「そ、そんなの初耳だ。僕は信頼されてないんじゃないか?」
「安心しろ、俺だから知りえた情報なんだ。けして、信頼どうのの話じゃない」
 ティオはベルシアの目を見つめて、考える。この男は女ぐせの悪さで、大隊一の有名人だ。
 どんな女性であろうと、綺麗であればとにかく声を掛けまくる。当然、リオデにも声をかけていたはずだ。そこでティオは初めて、ベルシアの言葉の意味を悟った。
 この男はすでにリオデに声をかけ、見事に撃沈されていたのだ。と。
 だからこそ、その事実を知りえたのだ。
「分かったなら、いい。とりあえず、このことは絶対に他言無用だ。いいか。もう一回だけ言う。絶対に他の人間には喋るな!」
 ベルシアはそう言って釘をさしていた。ティオは珍しくみる真面目なベルシアに、押し黙って頷くことしかできなかった。




 リオデはベルシアとティオの出て行った静かな部屋で、ただ、呆然と椅子に座っていた。
「生きている。ポルターナで生きてるんだ」
 胸に手を当てて、下に俯く。それと同時に、乾いたばかりの赤毛が、垂れて彼女の顔を隠していた。肩を上下させて、涙を頬から流していた。
 そして、ポルターナの無事を聞いて、感極まって嗚咽を漏らしていた。
「彼が生きてる」
 ここに来るまで、彼女は今の今まで、ポルターナが無事かどうか、気がかりだった。けして、それを表面に見せることなく、今まで任務を果たしてきた。だが、それも、先ほどのベルシアの報告を聞いて、我慢していた感情が、一気になだれ込んできていた。
 嗚咽を漏らしながら、リオデは俯いたまま呟いていた。
「ラスナ……」
 そう言って、吹雪いて何も見えない窓に、歩み寄っていた。
 窓に移るは白銀の世界、だが、彼女の目には深い緑の広がる敷地が映っていた。
 敷地の中にポツリとある小さな噴水は、太陽の光をきらきらと反射していた。
 リオデはその光景を窓辺より、見つめていた。彼女は淡い白のシルクのドレスに身を包み、その青い目で愛おしそうに街を眺め続ける。
 白い腕で窓に手をかけ、手を太陽にかざし、宙で太陽を握るような仕草を見せる。
 リオデは何かを待ち望むように、目を細めて、赤くなる夕日を見つめる。彼女は待っているのだ。その時を期待して、胸を高鳴らせて…。
 彼女の部屋のドアが三回、音をたてた。リオデは振り向きもせずに一言だけ告げる。
「入ってください……」
 ドアはゆっくりと開き、彼女も扉の開く音に合わせて首を動かす。
「たそがれ時を邪魔したかな?」
 彼女の視線は扉の前に向けられ、その前では黒い軍服に金ボタン、赤色の肩章、胸には褒章と徽章をつけ、誇らしげに着飾った男性が立っていた。
「いいえ、そんなことはありません」
 リオデは微笑を顔に浮かべ、男性のほうを見ながら言う。彼は表情を一変させて、リオデのもとに近付いた。彼女はその行動を、微笑を崩さずに見つめる。
 リオデは胸の高鳴りを感じていた。男性が近付くにつれて、その胸の高鳴りは大きくなる。普段見る彼からは感じられない、温かく女性を包み込む高貴さが、胸の高鳴りを早めていた。
 男性がリオデの前まで来ると、立ち止まり跪いた。
 彼女は左腕を彼の前に差し出す。その差し出された滑らかで色白の手を、男性は両手でとり、軽く唇を触れさせる。
 暫くその体勢のままでいたが、彼はゆっくりと顔を上げて、リオデを見つめた。
「ラスナ・ファン・エイベルヒ子爵、ネイド家の長女リオデ・ジュリア・ネイドに婚約を申し込みにきました」
 リオデは微笑を崩さずに正装に包まれたラスナを見つめる。
 彼女の顔はどことなく、ほんのりと赤くなっているようにラスナには見えた。
「この私と、結婚してください」
 リオデはその問いに静かに頷いて小さな声で「はい」と、答えた。ラスナは返事を聞いて、立ち上がり、顔を近づけると、それにあわせてリオデも目を瞑り、彼に唇をゆだねる。
 リオデとラスナが唇を重ねるのは、これが初めてではない。これまで、ラスナとリオデは数え切れないほど唇を重ねてきていた。
 だが、リオデにとってこの時ほど温かで幸福に満ち足りたキスは、彼と初めて唇を合わせたその日以来である。
 一瞬の出来事であるにも関わらず、リオデとラスナにはそれが、永遠に続くかのようにも感じられた。
 ゆっくりとラスナは顔を離すと、あらためて、夕日を背にしたリオデの顔を見つめた。
 滑らかな顎から首にかけてのライン、小さな唇に女性らしい丸く、しかし少しばかり鋭い瞳、適度に高い鼻、艶のある髪の毛が、女性としてのリオデを際立たせた。
 ラスナはリオデの両親に結婚の許しを得るのに、何度となく両親のもとに出向いていていた。その苦労も彼女と一緒になれるかと思えば、忘れてしまいそうになる。
「美しい……」
 見とれるラスナは目を細めて、改めて彼女を見つめる。
 ラスナはリオデの瞳を見ながら、胸元に垂れ下がる長い髪の毛に、ゆっくりと手を忍ばせていく。手は髪の毛を伝って段々と上に行き、顎に伸び、その手が更に首に回される。ゆっくりとあいたもう片方の手を、彼女の腰に置いた。
 そして、リオデを力強く、だが、優しく抱き寄せる。
 二人はもう一度間近に見つめあい、再び口付けを交わした。
 彼女はこの口付けが妙に長く、濃厚なことに気付いた。唇を離したときにラスナの顔をまじまじと見つめる。
 いつもとは違う雰囲気を、唇を合わせたときにリオデは感じ取っていた。
 誰よりも深く愛する。それが抱擁されているときにひしひしと伝わってきていた。
 彼もまたリオデの視線に気付いて、彼女に向かい合った。
「私は、まだこれから君に言わなくてはならないことがある」
 迷いの無い茶色い双眸は、リオデの不安そうな表情を見据えている。
 普段はよく喋るラスナが静かに、より一層真剣な表情をしている。それが何を意味するのか気になって仕方がない。
「言うことがあるなら、早く言ってください」
 リオデはラスナを急かすように言う。すると、彼はうつむいて彼女から視線を外した。そして、もう一度彼女の顔を見据える。
 ラスナは決心をつけ、彼女に対し口を開いた。
「私、ラスナ・ファン・エイベルヒ親衛隊大尉は、ポルターナに向かうことが決定しています」
 ラスナはどことなく他人口調で、自分の身に起こっていることをリオデに告げた。ポルターナは王国南東にある山岳に囲まれた高原にある主要都市のひとつだ。
 この王都フロイワからは馬やグイに乗っても、二週間以上はかかる距離にある。
 レルジアント地方で、鉄鋼資源を産出する都市である。数ある採鉱都市の中で、鉄鋼の産出量は王国随一だ。
 そんな、ポルターナに駐留している部隊も、親衛隊の一個旅団と陸軍の少数の部隊のみである。ラスナはその親衛隊の一個旅団に編入されたのだ。
 そして、今この時期、ユストニアとの間できな臭い空気の流れているレルジアント地方のポルターナへの転勤である。
 もし、戦争が始まれば、ポルターナは被害を受ける可能性が高い。
「帰りはいつに?」
 リオデは気になっていることを、彼の身を案じながらラスナに聞いた。
「分からない……。おそらく半年はいなければならないだろう。でも、そのあと、必ず結婚式を挙げよう」
 ラスナはそう言って、再びリオデを抱き寄せていた。再び交わされるキス、彼の温もりを感じながら、リオデはラスナの身を思い切り抱きしめていた。
 リオデはその出来事を思い出しながら、窓に手を伸ばしていた。
 白銀の世界が映る窓に……。


U


 幾度となく繰り返される突撃、簡素な城壁に向かってユストニア兵たちは走っていく。
 これで何度目の総攻撃か、それはわからない。ただ、なんとしても城壁には、敵を辿りつかせてはならない。
 ラスナは城壁の上で、卓越した指揮をして見せていた。
「投石器の油が、次で最後です!」
 ラスナに向かって一人の親衛隊員が叫んでいた。すでに武器弾薬のうち、投石器の油がそこを尽きようとしていた。敵にはそうとうな被害を与えていたが、それも繰り返すうちに効果をなさなくなってきていた。
 敵は燃え広がる油に対して、雪を使用した消火作業を的確にこなしていく。その上、狭い道ということもあり、大まかな着弾位置が敵に知れ渡っていた。
 最初こそ効果はあったものの、効果がありすぎて早急に対策を立てられてしまったのだ。
 そのため、敵に与える被害も段々と、少なくなっていた。そして、この城壁に取り付くために、敵の歩兵隊は新たな兵器を導入していた。
 矢や銃弾を塞ぐための木のL字型をした板状の盾を、歩兵の隊列に装備させたのだ。歩兵の隊列十人分が、すっぽり入り込んでしまうほどの大きさだ。木とその内側をこのレルジアントで取れた良質な軽い鉄の板で覆った盾。開戦前の最後の輸入鉄で作られた攻城兵器、矢はもちろん、銃弾の貫通は望めなかった。
 その隊列がこの城壁に向かい、ゆっくりと迫っていた。
 城壁の上の兵士たちは、果敢に攻撃をかける。しかし、矢は木に突き刺ささるだけ、銃弾も貫通した様子はない。
 全くもって攻撃の効果は、見えなかった。もう少し近づいていれば、銃弾も貫通するかもしれない。だが、敵を近寄らせることは、城壁に敵を取り付かせることを意味する。
 それだけは、避けなくてはならない。
「総員、射撃をやめ! 白兵戦の容易だ! 銃兵部隊は着剣! 弓兵隊はさがり、歩兵隊前へ!」
 目の前に迫ってくる長細い板の列を見て、ラスナは素早くそう命令していた。
「隊長! 敵の弓兵部隊です!」
 ラスナの耳に届く声、城壁に迫る隊列の後方に、弓兵部隊がぴったりと距離を保って接近してきていている。
 目の前の光景にラスナは考え込んでいた。
 このままでは、城壁に敵を取り付かせてしまう。いくら城壁とはいえ、臨時で作った簡素なもの、高さもさほどない。傾斜になっていて城壁側の方が高いとはいえ、弓兵の接近を許せば、その矢は城壁の上の兵士にとどまらず、村内にまで被害を与えるかもしれない。
 弓兵の接近も避けなければならい。
 ラスナはふとひらめいて、城壁の内側に向かって叫んでいた。
「村にあるグイは何羽だ!?」
 その声を聞いた兵士が大声で答える。
「指揮官用のものを合わせて三十七羽です!」
 その答えを聞いたラスナは、傍らにいた若い青年親衛隊員の肩に手を置いていた。
「ここの指揮はシュトルヴァー、お前が執れ! 私は騎兵隊を編成し、城壁からでる」
「じ、自分が、でありますか!?」
 シュトルヴァーという青年は、目を点にしてラスナを見つめる。
「大丈夫だ。ここまで、敵の接近は許させん」
 ラスナは笑顔で彼に言うと、すぐに城壁から梯子を伝って降りていた。
「グイ三十羽をここにつれて来い! 騎兵の経験のある者も集めろ!」
 ラスナの命令に、村の中が慌ただしく動いていた。たちまち村の厩舎から、グイが城壁前に集められていく。そして、ラスナ自身は親衛隊に配られる、真っ黒に黒光りする甲冑を身にまとい、騎兵槍を手に持っていた。
 ラスナ同様の格好に身をまとった親衛隊員が、彼の前に続々と集結していく。
「これより、敵に突撃攻撃をかける。けして、自殺行為ではないことを、肝に命じておけ」
 ラスナは目の前に集まった屈強な男たちに、力強く、そして簡単に説明をしていく。山道が狭く、谷になっていることや、あの長細い木の盾が、この山道ではどうあがいても二つ並べるのが限界なこと。そして、さらにその後方に弓兵隊が迫っていることだ。
「我々の目標はあくまで弓兵! 他に構うな。それと、俺の言ったことを確実にこなせ!」
 ラスナはそう締めくくると、グイに向かって駆け出していた。各員がグイに騎乗していき、二列の隊列が組まれていた。
「敵はまだとりついていないな!」
 城壁上にいるシュトルヴァーに、ラスナが確認をとる。
「まだであります!」
 シュトルヴァーは手を振って、ラスナに答えていた。それに、再び笑みをかえすと、ラスナはすぐに、近くにいた兵士に命令する。
「歩兵隊100を私が出て行ったあとに、敵にぶつけろ! 城壁守備隊は、そのまま待機だ」
 その声に応呼して村の中の親衛隊員が、雄たけびを上げていた。





 カートは火炎弾の攻撃と城壁からの攻撃に、万全の対策をもって挑んでいた。炎の攻撃にはおおまかな着弾点が分かったので、部隊を移動させる。そして、城壁からの攻撃にはL字型の盾をもって、対処しようとしていた。
 どちらも攻撃をするうえで、デメリットはある。盾を持たせることで、城壁に取り付かせる兵員の数が制限される。その上、移動時間がかかる。
 部隊の移動で作戦の遂行に多少の遅れが出ることだ。だが、それもこちらが城壁に取り付いてしまえば、関係のなくなることだ。
 城壁は人の身長二人分程度の大きさだ。普通の攻城とはちがって、下に付けば槍でも攻撃が届く。城壁に取り付いてしまえば、後方への攻撃が手薄になり、一気に部隊をなだれ込ませることが可能になるのだ。
 だが、敵もそれを熟知している。
 だからこそ、果敢に攻撃して、城壁への接近を拒んでいた。
「城壁からの攻撃がやんだ?」
 カートは盾を持たせた部隊を三つ、波状に向かわせていた。合計60名の歩兵隊である。盾は全部で六つあり、万全を準備しての攻撃だ。だが、部隊が近づいて攻撃が通じないのを確認すると、敵は城壁から攻撃をやめていた。
「カート隊長! 敵は城壁の上に近接武器を持った兵士を配置しています!」
 その報告を聞いたカートは双眼鏡で、城壁の上を見ていた。黒ずくめの兵士たちが槍をもち、銃には銃剣を着剣している。
「弾が尽きたのか? いや、それはないか。であれば、接近攻撃でしのぐつもりか?」
 独り言を呟いているカート、その間にも盾を持った部隊は城壁に着実に近づいていた。
 だが、それでも、この不可解な行動に、カートは不安感をあおられていた。
「何かがある」
「まさか。気のせいですよ。弾がなくなったんでしょう」
 嵐の前の静けさとは言うが、この状況がぴったりに感じられる。独り言に答える兵士の言葉を、カートは嫌々ながらも肯定していた。
「たしかにな。それに、下につけば、こっちのもんだ」
 カートはそう呟いていた。だが、次の瞬間、彼の嫌な予感が的中していたことが、証明される。
「じょ、城門があきます!」
「なんだと!?」
 一人の兵士が叫び、城門を指差していた。木で作られた城門が、確かに開き始めていたのだ。そして、開け放たれた扉から、なんと騎兵が飛び出してきていた。
「ば、ばかな。この状況で、攻撃をかけるのか!? 血迷っている!」
 カートは常識破りの攻撃に、思わず叫んでいた。
 城壁を守るのに、門を開けて逆に突撃をかける。そんなことは、城壁を利用した防衛の常識を、全く無視している。
 だが、目の前で起きていることは現実だ。
 騎兵隊は城門を勢いよく飛び出していくと、一直線に盾を持っている攻撃隊に向かっていた。攻撃隊も異変に気づいていた。しかし、どうすることもできない。
 そう、横一直線にくっついている盾では、両端の兵士しか攻撃には対応できない。だが、その盾は騎兵の攻撃を阻むのには、充分な効果をえる。はずだった。
 先頭の騎兵がグイを果敢に操り、盾に迫っていく。
 そして、次の瞬間にはグイが、盾を踏みつけて、乗り越えていたのだ。
 目を疑う光景に、カートは一度その手で目を擦って前を見る。だが、起きた現実は覆しようがない。確かに盾の上に騎兵が一騎、乗っている。
 二足歩行の鳥だからこそできる荒業だ。
 グイの体重と、盾自身の重さを抑えきれずに歩兵たちは盾を手放していた。たちまち、歩兵たちの姿が露になる。
 慌てふためく歩兵に、騎兵達は槍を突き立てていく。だが、隊列は崩さず、そのまま直進していく。そのため、被害は歩兵十人のうち、三人ほどですんでいた。
 木と鉄を組み合わせて臨時で作った盾は重く、一度全員が手を放してしまうと、もう一度持ち直すのに時間がかかる。
 だからこそ、カートはここで使ったのだ。敵が出てくる恐れのない、この戦場で使った。だが、彼は敵の常識破りなこの戦いに、開いた口がふさがらなかった。
「ば、馬鹿な! なぜでてくるんだ!」
 最初におこなった行為に味を占めたのか、先頭の騎兵は次々と同じように攻撃部隊の盾を剥いでいく。そして、露になった歩兵に後続の騎兵が槍を突き立てる。
 だが、それでも、騎兵達は隊列を崩さず、前進をやめなかった。それどころか、更に奥へと足を進めていた。その進路を見て、すぐにカートは敵の目的を知った。
「攻撃隊の後続の弓隊をさげろ!」
 カートは一心不乱に叫んでいた。だが、とき既におそし、攻撃隊を突破した騎兵が、弓兵に牙を向いていた。
 次々と弓兵隊になだれ込む騎兵達、混乱をきたして散り散りになる弓兵達、こうなってしまっては、どうにも手はつけられない。
「だが、まだ、手はある。攻撃隊を呼び戻せ! 騎兵隊を挟むんだ!」
 カートはそう叫んでいた。だが、それを遮るように、補佐官が言う。
「無理です! 攻撃隊は敵歩兵隊と交戦を開始、すでに全滅しかけています!」
 その言葉にカートは再び双眼鏡を覗いて、攻撃隊のいたところを見ていた。報告どおり、次々と真っ黒なコートを羽織った兵士たちが、攻撃隊を次々と討ち取っていた。
「万策尽きた……?」
 カートは肩を落として、地面を見つめていた。
「撤退し、態勢の立て直しを具申します」
 補佐官がそう言って、カートの指示を待っていた。
「そう、だな」
 元気のない返事をするカートは、戦場に背を向けて歩き出していた。





「ラスナ隊長! 敵が! 敵が引き返していきます!」
 弓兵部隊を蹂躙していた騎兵隊の一員が、指をさして叫んでいた。周りにいた敵兵士で、生きている者はすでに、敵の本隊へと逃げ帰っている。
「やった。やったぞ!」
 歓喜する兵士たち、それにラスナも釣られて笑みを浮かべていた。
 これで、当分敵はこない。
「総員、帰還だ。負傷者、武器の回収を優先的に行う!」
 ラスナは撤退していく部隊を見ながら、部下たちに命令していた。ここで勝利を収めたことは大きい。それでも、けして、ラスナは心の底から喜べなかった。
 この勝利が一時的なものであることが、彼にはわかっていた。
 今回の戦闘で敵部隊の損害は軽微なもの、それにも関わらす部隊の士気が下がったのを見て早急に撤退していく。
 引き際を見極めているが故に、相手はかなり手強いことがラスナには手に取るようにわかるのだ。
「次に敵が来ても、また追い返せるようにしなくては……」
「あんな腑抜けのユストニア兵なんぞ、何度来たって一緒ですよ!」
 ラスナの独り言を聞いた兵士が、そう言って彼に微笑んでいた。心の底からの歓喜、それを彼らは味わっているのだ。
 勝利の余韻に浸るくらいは、許してやろう。
 ラスナはそう思い、一人、城壁に向かってグイを走らせた。
 その道中、自分の蹴倒した盾を見た。その盾で身を守っていた兵士たちは、いまや一人残らず骸となって、道に横たわっているのを見て溜息をついていた。
 軍学校時代、ラスナは騎乗術大会で何度となく優勝している。それゆえ、王国の軍隊のみならず、親衛隊にも一目置かれていた。その騎乗術の技術の高さは、現役の騎兵達をもうならせるほどだった。
 騎乗といっても、グイには複数の競技がある。平地を早く走らせる競技や、持久力を競う競技、障害物競技や、急な傾斜をいかに早く登らせるかといものである。その全ての競技で、ラスナは優勝を収めているのだ。
 グイの能力というものもあるが、やはりそれでも、全競技制覇はなかなかなしえることではない。
 その卓越した騎乗術がこの戦場で生かせるとは、ラスナ自身思っても見なかった。
 盾を転がせたのは、盾の上に飛び乗って、降りる際に盾の角をグイの足蹴りで押すことで盾を無理に剥がしたからだ。グイと人が一心同体となっていなければできない。
 悲惨な目にあった敵を尻目に、ラスナは城門を潜って村へと入っていく。
 そんな彼のもとに、一人の親衛隊員が駆け寄ってきていた。
「ラスナ隊長! 大変です!」
 その表情は明らかに焦りを募らせている。
「どうした?」
「中央道の陣地がすでに、最終防衛ラインにまで下がっています。大砲も一つは破壊されており、負傷者も多数出ている模様で、もってあと三日です」
 その報告からラスナは、中央道がすでに敵の手にあることを悟った。陣地を守備しているのは、総数1800名からなる陸軍歩兵隊だ。
 それに対するユストニア軍は、総数二万以上と見られている。おおよそ十一倍の敵を相手に、中央道で死闘を繰り広げているのだ。
 だが、それでも、敵が攻撃を仕掛けてきて、すでに四日がたとうとしているのだ。中央道の味方は、希望を捨てずによくこらえている。
 とはいえ、孤立無援のポルターナを守ることが、本当にできるのか。ラスナ自身、不安になっていた。
 なにより中央道が抜かれたら、この村は本当に陸の孤島となるだろう。
 ポルターナ平原を後ろに、現在この山道を守っている。しかし、中央道が抜かれ、ポルターナ平原に敵が雪崩れ込んできた時、ラスナたちの逃げ道はなくなるのだ。
「ポルターナに捕虜を送り届けてこい。ついでに、補給物資もたんまりと貰ってこい!」
 ラスナはそういって、伝令に命令を下していた。
 死闘はまだ始まったばかりなのだ。





 作戦司令部からの伝令が到着したのは、猛吹雪がやんでからのことだった。バスニア砦では、その伝令からの指令を聞いて、臨時で作戦が立てられていた。
 作戦が立案されて、決定するのに一日はかかっていた。
 次の日の朝、曇り空の下でバスニア砦の中庭にフォリオン連隊が集まっていた。整列し、フォリオンの言葉に耳を傾ける兵士たち、彼の横には大隊の各重要将校が整列している。
「今回、諸君らに集まってもらったのは、他でもない。我々の任務の変更を告げるためだ」
 フォリオンは台に上って、整列した兵士たちに叫んでいた。それを傾聴する兵士たち、あたりは静寂に包まれていた。
「デルマシア高原にて、我が第六近衛師団、第七近衛師団、レルジアント軍団の各師団、旅団が集結し、敵主力部隊と、最後の戦いに挑もうとしている。この戦いの真意はポルターナの防衛にある」
 昨日来た伝令は、事細かにフォリオンの連隊に対して、作戦指令書を手渡していた。
 ポルターナの無事の確認、それがフォリオン連隊に課せられた任務だった。だが、ポルターナにいく道は、いまだに敵勢力圏下である。
「だが、そのポルターナの無事はいまだに、どこの部隊もはっきりと確認はしていない。そこで、諸君! 総司令部より命令が下された」
 フォリオンはそう高らかに叫ぶと、兵士たちを見回して続けた。
「ポルターナの無事を確認すること。これが任務となったのだ。だが、ポルターナに通じる道を通るには、いまだ敵勢力圏内にあるデルマシア高原を通らなければならない。そのため、我々は、ポルターナにデルマシアルートを通らず、直接山越えをしていく」
 一日かけて議論した結果の最良な選択、それが山越え案だった。
 デルマシアの高原には、おおよそ十万のユストニア軍が集結している。ポルターナに続く道は、完全にユストニア側にある。
 だが、このバスニア砦からならば、ポルターナへは山越えをすれば、直に出られるのだ。
 そもそも、フォリオン連隊がこの任務を命じられたのは、デルマシア高原での最終決戦に、部隊の配置が間に合わないと判断されたからだ。
 それゆえ、ポルターナの無事を確認するように、命じられたのだ。
「諸君らには、きつい任務かもしれんが、ポルターナの同胞は、我々をまっているのだ。諸君! ポルターナ奪還のために、私に命を預けてくれ!」
 演説を終えたフォリオンに、一斉に歓声をあげる兵士たち、静まり返っていた中庭が一気に騒がしくなっていた。
「ポルターナに自由を!」「ポルターナのために!」など、それぞれの兵士が歓声を上げる。異常なまでに熱気を帯びていた。リオデ大隊、ホフマン大隊、ともに関係なく、一丸となった瞬間でもあった。
 その日の夕方には、連隊は砦を出発していた。また、吹雪くかもしれない。そんな懸念を吹き飛ばすように、その日の夕方は晴れ渡っていた。
 アリナを先頭に、リオデ、ベルシア、ティオ、ホフマン、フォリオンと、高級な将校たちが続いていた。その後ろに、連隊の兵士たち約五千人が続いていた。
 バスニア砦内でも、ポルターナ救出に向かいたいと、志願してくる兵士が大勢いた。そのため、砦の守備兵三百を残し、残りの四百名が義勇部隊として、加わっていた。
 もちろん、その部隊の指揮権はフォリオンにある。
 そんな一個連隊は最初の夜を迎えようとしていた。
 デルマシア高原に続くルートにはいかず、ポルターナに真っ直ぐ向かう。そのルートはけして生易しいものではない。
 バスニア砦からポルターナに向かうには、本来デルマシア高原を通らなければならない。だが、そのルートはユストニア軍の勢力圏である。実質通り抜けることなど、不可能だ。
 そのため、砦から東南に向けてまっすぐ、進路をとらねばならない。その道の途中までは高原地帯が続いているが、それ以降は、過酷な山越えが待っている。
 ポルターナを囲う山岳を越えて、直接、ポルターナに向かうというのだ。
 険しい山肌に山道はなく、あるのは傾斜の岩肌と、それにかぶさった雪の斜面だ。雪崩の危険もあり、山に入るにはそれ相応の準備がいる。
 予定では、砦を出て三日後にポルターナにつくことになっている。
「あの、入ってもいいですか?」
 リオデはその日のことを、テント内で日誌にしてまとめていた。そこに、少女の声がかかり、その筆をとめていた。
「いちいち許可を求めなくていいよ」
 リオデはそう言って、アリナのいるテント入り口に向いていた。指揮官用テントとは違い、行軍に持っていく簡素なテントである。それゆえ、大きさも他の一般の兵士のものと大して変わりはない。
 唯一違うというのは、指揮官ということで、テントを一人で使用できる程度である。本来なら、大の男の兵士が四から五人が、所狭しと体を寄せ合って寝るのが、恒例の光景である。
「で、でも、隊長さんだし」
 アリナは戸惑いながら答えていた。リオデは笑みを浮かべ、やさしく彼女に答える。
「アリナは軍人じゃないから、気にしなくていい。それに、ここはアリナのテントでもあるんだ。何も遠慮なんかすることない」
 ガイドのアリナは女性である。男の兵士たちと寝るわけにも行かない。いくあてのないアリナが、女性であるリオデのテントに行くのは必然といえた。
「明日も早いからな。ゆっくり休むんだよ」
 山越え手前の休息、高原の中で連隊は休息をとっていた。明日からは傾斜の急な丘陵を登って、ポルターナに向かわなければならない。
 その分、やはり、体の負担は取り除いておかなければならない。
「はい。リオデさんは、いいんですか?」
 アリナはテントの入り口を閉めると、彼女の傍らに座って聞く。
「私もそろそろ寝ようとおもってる」
 リオデはそう言ってバッグに、日誌を大切にしまいこんでいた。そして、寝袋に入り込んでいた。グイの羽毛を詰めているこの寝袋は、保温性に優れていて外気との断熱効果もある。
 この寝袋は、寒冷な国土の王国軍にとって、最大の武器でもあった。一度入れば、温もりを逃がすことなく、熱がこもりすぎることもない。
 平原を追われて高原地帯に逃げたグイが、この高原で生き残るために進化してきた。この寝袋は、その恩恵を受けて誕生したのだ。
 横でアリナも寝袋に入り込み、リオデの方へと向いていた。顔を互いに見合わせるように、二人は寝転がっていた。
「あの、リオデさん」
「なに?」
「リオデさんは、なんのために戦ってるんですか?」
 アリナの突然の問いに、リオデは少し黙り込む。
「私が、なんのために戦ってるか、か」
 一人呟いて再び考え込む。そして、アリナの目を見つめて、答えていた。
「アリナたちのため、みんなのため、仲間のため。と言うのもある。だけど、一番は身近な人を守るため、だろうな」
 リオデはそう言って、アリナの真剣な眼差しを受け止める。アリナは彼女の言っていることが、嘘でないことがわかった。
「アリナは、なぜこの作戦にまでガイドを名乗り出たんだ?」
 リオデもまたアリナに質問していた。連隊に合流した砦の部隊は、地元の地形に精通している。その分、ガイドとして、アリナの同行は必要ではなくなっていたのだ。
 だが、彼女は砦を出るときに、あえて行軍に同行することを選んでいた。
「私は、私の中の答えを見つけるため、ここに来ました。ベルシアさんや他の兵隊さんを見ていて、彼らが復讐だけで剣を振るっていないということが、分かったから」
 リオデのいない間に、アリナの心境が大きく変化していた。少し見ない間に、随分と大人びた少女を、リオデはまっすぐ見つめていた。
「私は、まだ、自分の中で答えを見つけられてません」
 少女はそう言って、黙り込んでリオデから目をそらしていた。家族を奪われた苦しみ、それと向き合って生きることが、どれだけ辛いことか。
 リオデには分かろうとしても、それだけは分からない。それは実際に奪われて、初めて分かることだ。
「この世の中、答えは一つじゃない」
 リオデはそう言って、アリナを見つめる。真摯で何でも受け入れるような、優しい目にアリナは目を潤めていた。
「そこに人がいれば、その人の数だけ、違う答えがある。だからといって、その答えを急いで見つける必要はない。ゆっくり、時間をかけて、見つければいい」
 頬を伝って流れ落ちるアリナの涙、リオデは寝袋からでる。そして、アリナのすぐ横まで来て、座り込む。
 黙ってそのまま、その手でアリナの頬を伝う涙をぬぐいとる。そのまま、リオデは横になってアリナの背中をさすっていた。
「お前が寝付くまで、そばにいる」
 アリナはリオデの手の温もりを感じた。リオデの姿が今はなき、母親の姿と重なる。抑えきれなかった涙が、アリナの目から次々と溢れ出てくる。
「泣かないって、決めたのに。なんで、なんで、涙が出るのかな」
 アリナはそう言って、自分の手で頬をぬぐう。目をこすり、涙を拭い取る。だが、それでも涙はとまらない。
「泣きたいなら、泣きなさい」
 リオデはそう言って、体を起こしていた。それに、アリナは寝袋から飛び出て、リオデの胸に飛び込んでいた。そして、声を上げて泣いていた。
 リオデはやさしく頭を撫でる。それに、あの村での出来事が重なって、リオデの目からも自然と涙が流れ落ちていた。
 だが、アリナにそれを悟られるわけにはいかない。リオデは片手で涙をぬぐうと、そのままアリナを優しく慰め続けていた。





 朝早くから親衛隊員が荷車を押しながら、村内に入ってくる。食料に弾薬に、矢、医療物資、少量の補充兵が、この村の中に足を踏み入れる。
 それを見ながら、補給を終えた兵士が、ラスナに報告する。
「ラスナ隊長、これで補給は最後です。援軍も来ません」
 その報告に、ラスナは小さくため息をついていた。
 その言葉は中央道側の防衛ラインが突破されたことを意味していた。あの報告からまだ、二日と経っていない。
「総員、撤退してくる陸軍の歩兵隊の収容を準備、高原側の防備も固める」
 ラスナはそう言って、各守備隊員に命令を下していた。
 中央道からは、ポルターナに撤退するより、この村に撤退してきたほうが、距離が短い。
 逃げてくる陸軍の歩兵たちは、今後の守備にも活用できる。そのため、できるだけ、多くの撤退してくる生き残りの兵士を、収容しなければならない。
 そこまで考えて、大目に補給を要求していた。
 意図を理解したポルターナの本隊は、それに答えて惜しみなく物資をラスナのもとに送った。敵のポルターナの攻略部隊が、ポルターナにのみ集中できない状況を作り上げる。
 それが、ラスナに課せられた重要な、最終任務の一つである。
「ラスナ隊長、陸軍の歩兵隊です! 結構な数です!」
 高原側の城壁守備に付いていた若い親衛隊員が、叫んでいた。
 その声にラスナも、高原側の城壁に上っていた。敗走してくる陸軍歩兵隊、兵科は一見して混在しているのが分かる。騎兵隊に、装甲兵、銃兵、砲兵、歩兵。だが、その総数は見た限り、二百名ほどだ。
「少ないな……」
 ラスナはそう呟いて、中央道の激戦を感じ取っていた。
 収容した兵士たちは、どの兵士も負傷していた。戦いには支障をきたさないものの、士気そのものも低く、憔悴しきっていた。
 撤退してきた兵科のなかで、最も帰還率が低かったのは銃兵だった。どの兵士も負けると分かっている戦いに果敢に挑み、多くの命を散らしていった。
 その中でも、銃兵たちは特に勇敢に戦ったという。
 重装甲兵の数が足りなくなり、穴が開けば、着剣した銃を持ってその穴を塞ぎに向かう。鎧を身に付けていないにもかかわらず、先頭に立って死を恐れずに戦った。
 そして、最後まで仲間を見捨てなかった。
 負傷した兵士を後方まで連れ帰った。そして、最後の砦で動けない負傷兵たちを見捨てることはできないと、撤退の時間稼ぎをするために、多くの銃兵が残ったという。
 その最後の勇姿を見つつ、涙を呑んで撤退してきた陸軍兵士の気持ちは、推し量れない。
 なんと言葉をかけていいのか分からず、ラスナは黙り込んでいた。ここで自分がご苦労と言葉をかけていいものなのか。
 続々と村内に入ってくる陸軍兵士を、複雑な心境でラスナは見つめていた。
「ラスナ隊長! 陸軍の代表が挨拶を求めてきています」
 一人の親衛隊員がそう言って、ラスナを読んでいた。彼はそれに応じるために、村の作戦室とも言うべき、教会に来ていた。
 目の前には陸軍の士官が一人、地図を広げた机を前に立っている。
「ラスナ・ファン・エイベルヒ親衛隊大尉です」
 ラスナはその将校に名乗る。その将校は無精ひげの生えた顔で、ラスナに向き直っていた。
「ここの責任者か。私は王国陸軍、特別守備隊、臨時部隊長のエルディガー・マンハルト少尉。ここに逃げてきた者の中で、階級が最も高い兵士だ」
 ラスナはどう声を掛けていいのか分からず、悲しそうな目を向ける。
「そう、神妙な顔つきをする必要はない。我々は、任務を全うした。そして、また、ここでポルターナを守るために戦えるのだ」
 エルディガーはそう言って、笑みを浮かべていた。その笑みが自嘲であることが、ラスナにはすぐに分かった。
 もし、自分が同じ立場だったら、同じことを言っているだろう。
 何があったのか。それは、本人たちしか知らない。だが、大方、ラスナにも想像がついていた。おそらくは仲間に背中を押されて、ここにきたのだと。
 ラスナにはエルディガーがここに来ていることを、後悔しているようにも見えた。
「その、お察し申し上げます」
「ラスナ君、そのことはいい。それよりも、今後の戦いについて君の意見を聞きたい」
 エルディガーはそう言って、机の上の地図を指さしていた。
「はい。我々、親衛守備隊はここを死守するつもりでいます。そのために、村の両入り口に城壁を設け、それを基点に守備をしています」
「そんなことは見ればわかる。君の考えを聞かせてくれと、私は言っているのだ」
 エルディガーの声が聖堂内に響き渡り、ラスナは再び口を開いていた。
「できるだけ、長くここを防衛しなければならない。そのために、城壁に敵を取り付かせないことを徹底してきました」
 そう言って、ラスナはエルディガーを見つめる。
「だが、高原が敵の手に渡ってかからでは、その戦術には限界がある」
 エルディガーは鋭い視線を向けて、ラスナを見つめていた。
「承知しております。だからこそ、油の補給を優先的に行いました」
「取り付いた敵を、油で焼き払おうと?」
 エルディガーの問いに、ラスナは頷いて見せていた。
 暫くの沈黙の後、エルディガーはラスナに向き直って言う。
「それはやめておけ。大砲が来たときに、城壁が火薬庫になりかねん」
 エルディガーの言うことは、最もなことだった。もしも、大砲に城壁を破られたとき、油を満載した城壁は火の海になる可能性がある。
 それを指摘されて、ラスナは嘆息していた。
「戦場ではなにが起こるか。それはわからない。だから、最悪の事態を常に想定して動かねばならない。親衛隊に入った者は、そこら辺の意識が甘い」
 エルディガーはそう言って、次に自分の防衛案をラスナに提案していた。
「まずは、この城壁内の守備隊形からかえろ。臨機応変に対応するための配置としてはいいが、万が一、敵が侵入してきたときに対応が遅れる」
 そう言って、部隊配置の変更を命じてきていた。
 彼の提案した防衛案は、城壁に敵を取り付かせないものではなく、取り付き城壁を突破したことを前提としたものであった。
 城壁上部の銃兵は全て地上におろし、城壁の内側に塹壕を掘って、そこに銃兵を配置する。城壁の上には弓兵と、一般歩兵を配置しておく。もし、城壁を破られても、内側の銃兵が一斉に射撃をして対応する。
 その後、予備兵力を使って、城壁を奪還するというものだった。
 だが、ラスナは疑問に思った。城壁を破られるまで、疲弊しきったのでは、奪還は愚か、防衛に専守せねばならない状況ではないのかと。
「お言葉ですが、奪還はできないと思われます。城壁を破られたとき、それはそこに回す兵士がいないことを意味します。確かに、破られたあとの戦術としてはいいかもしれませんが、兵がなくては、この作戦はなりたちません」
 そこを指摘され、エルディガーは喉をうならせていた。ラスナの言うことは、しごく真っ当なことなのだ。
「ですが、その塹壕案には賛成します」
 そう言ってラスナは、エルディガーを見つめていた。再び議論を重ねあう二人は、自分の意見を出し合っていた。そして、最終的に案件がまとまったのは、夕日が沈むころあいであった。
 最終案の部隊配置の移動は、城壁の死守に専念できるものとし、城壁上にも銃兵は配置する。また、城壁の内側に塹壕を掘って、そこに武器弾薬、油を保管しておく。
 必要とあらば、すぐに城壁に届けるというものだ。万に一つ、城壁を破られても、塹壕を拠点に戦うことができる。
 また、その塹壕は作戦司令室の教会を守るように、二重に展開していくことだ。
 その日の夜には、全兵力を持って、防衛陣地の再構築の作業にかかっていた。
 それと同時に、ポルターナ高原には続々とユストニア軍が入り、ポルターナの都市を包囲していった。
 そこで新たなに事実が判明する。このポルターナの攻略に当たっている部隊が、おそらく総数では三万近いことが、分かったのだ。
 ポルターナ高原側には、二万七千の敵兵士たち、それまで多大な被害を与えてきたはずなのに、まだ、それだけの兵力が高原になだれ込んできたのだ。
 それに加えて、撤退したユストニア軍が、いつ、山道側から来るか分からない。
 村の守備隊総数600の陸軍兵士と親衛隊員は、気を引き締めて戦いに備えて、陣地の再構築に取り掛かるのだった。
2011/11/15(Tue)23:57:23 公開 / サル道
■この作品の著作権はサル道さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
前・後編の二部作で完結予定です。
前回の続きを使用すると、少し分量が多いため、二回目に分けることにいたしました。
ここまでだらだらとした長い文をご拝読いただき、まことにありがとうございます。批評、ご指摘、感想をなんなりといただけたら、とても嬉しく思います。
今後ともご指摘、批評をいかして、よりよいものを書けたらと、思っています。

更新履歴

3/5 前編T

3/10 前編U更新 前編一の誤字修正、及び、細部修正(物語進行上、何も問題はありません)

3/22 前編V更新

3/26 後編プロローグ 更新

3/30 後編T更新

11/15 後編U更新
後編V
後編W
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは! 羽堕です♪
 プロローグにてポルターナの現状と兵力や士気などの説明が、分かりやすく書かれていて良かったです。ユストニア側の狙いや増兵など気になる動きなどもあって、戦への臭いを感じる事も出来ました。
 何でだろうリオデのようにフォリオンの言葉を素直に受け止めれないのは、私が疑い深いせいなのかな。懐柔の為の演技のように感じてしまいました。でも、ここはリオデの人を見る目を信じよう。
 ウェリストの目的は何だったのか分からないけど、リオデには次々と胸の中へと重みが掛っていきますね。いつか押し潰されないかと心配になります。あとカートが登場して嬉しいです。戦争で相手にも家族がいるんだなど考えだしたら辛いでしょうね、敵は敵だと思うからこそ戦えるのかなと私は思ったりもするので。そしてカートとリオデの短いながら会話があって、なんか今後が楽しみです!
であ続きを楽しみにしています♪
2010/03/06(Sat)14:06:590点羽堕
こんにちは。寒の戻りに辟易としている木沢井です。
 次の舞台や謎が見られて、楽しみになりますね。羽堕様ではありませんが、フォリオンの態度がかなり怪しく感じられてしまい、これは中々素直に受け止めるのは難しいですね。
 ウェリスト、案外彼のような人間が内通しているのでは? と思いました。この件に関しましてはカートも役に立ちそうにないですし、リオデはどうやって解決していくのか、これも楽しみですねぇ。
 話は変わりまして、どうしても気になってしまっていた点を二つほど。
>そのせいか、今のカートの顔は晴れ上がっていて
 顔を殴られた場合は晴れる、ではなく腫れるではないでしょうか? 前者の場合ですと、カートが殴られて喜んでいるようになってしまうかと思われます。
>アルベートはそう言って、カートに習って
 この場合は、誰かに教えてもらうという意味の『習う』ではなく、真似をするという意味の『倣う』が適当ではないでしょうか。こちらだと、アルベートは獄中で何を教えてもらうのでしょう。
 他にも私が見落としているものもあるかもしれませんが、一度ご自身でも見直されてみてはいかがでしょうか。
 以上、辟易としている理由は外出しなくてはならないからだった木沢井でした。サル道様も体調を崩されませぬよう、ご自愛下さい。
2010/03/06(Sat)17:01:070点木沢井
>羽堕さま
返信遅れて申し訳ないです。
ポルターナでの状況がわかりやすいと言って頂いて、とても嬉しく思います。
ここが伝わらなかったら、のちの話で少し、やっかいなことになってしまうので、とても不安でした。
リオデの人を見る目を信じてしまってもいいのか。それは後々分かってくるでしょう。
ただ、フォリオンやウェリストも王国軍人ですし、最終的に思い至る部分はリオデと一緒かもしれませんね。
カートの再登場、今後はカートがどのように動くか。それはお楽しみです。役者は大方で揃ったので、後は動かすだけといったところでしょうか。
まあ、リオデの心境みたいなのも、今後かけるように努力して移行と思っています。
本当にご感想ありがとうございます。

>木沢井様
ご感想とご指摘ありがとうございます。そして、返信遅れて申し訳ありません。
いやはや、誤字の指摘はとてもありがたいです。まったくもってごもっとも、推敲が足りていませんでしたね。申し訳ありません。
リオデはやはり、まあ、それは秘密です。
今後の展開を言ってしまうのはよくないですしねw
フォリオンが怪しく感じられるといわれると、ちょっと複雑な気がします。でも、まあ、確かにそうにもみえますね。
カートも役に立たず、だが、このあとにリオデたちにとてつもないことが、待ち受けているかもしれない。
まあ、大体仕上がったので、あとはご指摘なり、感想なりを頂いて、参考にしていこうかとも思っています。
お気遣いありがとうございます。木沢井様もお体を充分に療養なさってください。
2010/03/10(Wed)02:25:030点サル道
こんにちは! 羽堕です♪
 リオデのティオへの言葉などは、自身の体験も含めて重みのあるものだったと思います。そいえばレイヴァンってポルターナ出身でしたね。そして弟のヴィットリオの登場とひと騒動ありそうな予感がしました。この短い登場でも兄への敬愛が感じれた気がします。
 内通者ではなく潜入工作員だった事は、リオデの気持ちの負担としてはいくらか軽かったのかな。あぶり出し方としては少し物足りなさを感じましたが(決定的な策などがあったら嬉しかったです)、その期を逃さずカートは逃亡に成功したようで、物語の盛り上がりとしては嬉しい展開です!
 リオデの最初の脅しでは、屈服したように見せかけて嘘の情報を流そうとするミエートなどは良かったと思います。敵に捕まる可能性の高いスパイとして選ばれて送られてきた人物だとしても、死の恐怖の前にはやっぱりあっさりと口を割ってしまうのかな。でも得られた情報の価値は高いなと思いました! だけどカートを逃した責任か……どうなるか期待しています。
 細かいのですが「無力な部下を殺した……」というよりは、「負傷した部下を殺した……」などの方が、いいかなと私だけかもですが、ちょっと思いました。
であ続きを楽しみにしています♪
2010/03/10(Wed)18:29:140点羽堕
 こんばんは、サル道様。上野文です。
 御作を読みました。
 あ、あれ、リオデって、こんなに子供でしたっけ?
 前作で得た経験を失って、感情的になりすぎているような印象を受けました。
 もともと直情的なタイプなのと、臨界に達した、というのはわかりますが、理性がとびすぎていて、少し違和感を覚えました。カートが冷静なので尚更…
 少々辛いことも書きましたが、一部隊に焦点を当てて、物語られるエピソードが興味深く、展開に引き込まれました。面白かったです。続きを楽しみにしています。
2010/03/11(Thu)22:17:100点上野文
>羽堕さま
感想、指摘ありがとうございます。
重みがあると感じていただき、ありがとうございます。
正直カートをどう逃がせばいいのか、めちゃくちゃ悩みました。今後のキーパーソンとなってもらうには、どうしよう……と。
結局こうするしかなくて……。もっと、いい逃がし方なかったかなぁ…(苦笑
スパイのあぶりだし方、確かにちょっと決定打にかけてましたねぇ…。この指摘をいかして、今後各作品では、もっと決定打を考えていこうと思います。
すぐに口をわってしまったのも、次回の更新で分かりますw
今後も精進して書いていきたいと思います。

>上野文さま
感想、指摘ありがとうございます。
う〜む。たしかにご指摘の通り、リオデの理性がぶっ飛びすぎなきもしますねぇ……。
もっと、何か決定的に相手を、冷静に問い詰めていくような尋問にすればよかったかなぁ。
小説って難しいもんです。
今後の作品ではもう少し、気をつけていきたいと思います。はい。

展開がおもしろいといっていただけて、とても嬉しいです。

今後も精進して書いていきたいと思います。
2010/03/22(Mon)12:53:220点サル道
こんにちは! 羽堕です♪
 カートの思いもよらぬ形での英雄扱いや新たな任務と、これからどう立ちまわって行くのか楽しみになりました。でもポルターナが、どうなってしまうのか心配です。カートなら被害も少なく上手くやってくれる事を期待しています。それとユストニアでの貴族の立場など、その不平等さみたいなものには腹が立ちました。あと王国兵の格好さえすれば簡単に、紛れ込むは事できるのかな? そいう所が王国の甘さなのかなと、ちょっと思ってしまいました。
 ティオなどとの、ちょっとした笑い話など雰囲気も温かくて良かったです。ヴィットリオの気持ちは分らなくもないのですが、兄の何を見て来たんだろうと(兵士としての兄は見てはいないけど)、どんな所を尊敬していたんだろうって思ってしまいました。とにかく兄の死を乗り越えて、大きく成長して多くの兵士の命を救って欲しいなと思いました。この後の展開に期待も込めて、面白かったです!
 細かいのですがカートの「私が総指揮をとることなど、横暴です」意味は通じるような気がするのですが「私に総指揮を任せるなど、横暴です」とか、横暴が無謀とかになるのかなと少し思いました。
であ続きを楽しみにしています♪
2010/03/23(Tue)17:09:331羽堕
加点、感想ありがとうございます。
カートには存分に、働いてもらわないといけませんからね(笑)
ポルターナ攻略戦、それが後編ではメインになっていきます。まあ、リオデ達にも視点は一応おかれていますが、後編では主に三つの視点で物語が展開していけたらと思っています。
潜入でも補充兵が多くいますから、ある程度のごまかしはきいたという設定でして、もうちょっと描写を入れておくべきでしたね。すみません><
うむ〜。確かに、ヴィットリオの描写がちょっと少なくて、なにを尊敬していたのか。それを今回は書いていませんでしたね…。
アドバイスありがとうございます。最後まで悩んでいたところを指摘されて、痛いというかw
修正しておきます。
2010/03/26(Fri)23:37:020点サル道
 こんばんは、サル道様。上野文です。
 御作を読みました。
 カート、格好いいじゃないか!
 リオデが株を落としてしまった分、彼が映えて引っ張っていましたね。
 …こう、サル道様は力を入れるシーンにリソースを割いて、それはいいんですが、他のキャラや関係をかっとばされていないかなあ、と気になりました。
 リオデも、ヴィットリオも、丁寧に書いてあげたら、該当のシーンの印象が様変わりすると思うのです。上手い分、そこが惜しいかなあ、という印象を受けました。
 牽引車となったカート一連の描写はたいへん興味深く、また面白かったです。
 続きを楽しみにしています。
2010/03/28(Sun)11:28:310点上野文
ご感想とご指摘ありがとうございます。
カートのキャラが立ちすぎていますかなw それはそれでいいことですけどw
とりあえず、このキャラを気に入ってもらえたら、何よりです。
う〜む。キャラとの関係をかっとばしですか。口辛いご指摘をありがとうございます。
もうちょっとリオデやヴィットリオを丁寧に書けばよかったですか……。
一応読み直しても見ているんですが、今ひとつぱっと思い当たる節がないというか。
もう少し具体的に内容をご指摘いただけたら、ありがたいです。
後半戦はもう書き終えているので、改めてご指摘いただいた点に注意しながら、推敲していきたいともいます。
いやはや、本当に指摘してくれることは、ありがたいです。
そして、楽しんでいただけたら、何よりです。
精進して書いていきたいと思います。
2010/03/30(Tue)01:01:010点サル道
こんにちは! 羽堕です♪
 ポルターナでの攻防が、すごくよく伝わってきて面白かったです。守っても守っての王国軍と、一度でダメなた何度でものユストニア軍と、どうなってしまうのか持ち堪えられるのかと緊迫した雰囲気がありました。まずはラスナ対カートという感じなのかな。
 リオデ、ティオ、ベルシアを含めたやり取りなどは、戦いの前のほんの一時という感じで温かくて良かったです。そしてラスナが、まさかリオデの婚約者だとは! 何だろう? どこかリオデの雰囲気って柔らかく最初の頃より女性らしくなったような気がします。でも、それが良かったのか悪かったのか分るのは、これからなんだろうなと思いました。あとこの婚約者の話などは、ちょっと唐突な感じがしました。私だけかもですが、少し入り込めなかったかも知れません。もっと前から伏線などあったとしたら、私が見逃していただけかもなので申し訳ないです。
であ続きを楽しみにしています♪
2010/03/30(Tue)16:35:100点羽堕
 こんばんは、サル道様。上野文です。
 御作の続きを読みました。
 ラスナ〜〜TT
「一流のフラグ立てを見せてやる!」
「ちょっ、おまっ、それ死亡フラグっ」
 と言わんばかりに見事なフラグ立てをやっちゃってないか?
 確かに婚約者話は唐突だったのですが、リオデが窓に手を伸ばすシーンとか、「ここでこういうのがあったらいいなあ」という小さくても意味の大きな描写で補填されていて、納得できました。他にも重装歩兵登場までの描写とか、小技が効いていて、今回更新分、大変楽しめました。面白かったです! 続きを楽しみにしています。
2010/04/04(Sun)16:37:280点上野文
こんばんは、チューバ・ソロを聴いてテンション底上げ中の木沢井です。
 新たに重歩兵隊が登場し、戦況が多様化していきそうな予感がしますね。それだけに、今現在登場している人物達も明日はどうなるのやら、といった気持ちで拝読しました。
 カートの方で出ていた地名がリオデサイドで出ると、ドキッとします。私達読者は上の方から見ていることになっているのでしょうが、当事者である彼らは本当に戦争をやっているんだなと思えてくるものですから、目が離せないものです。
 ラスナ……彼の優しさが戦場でどちらに傾くのかと想像しつつ待ちたく思います。
 以上、オマケに頭を悩ませる木沢井でした。
2010/04/14(Wed)00:24:080点木沢井
>羽堕さん

おおよそ二年ぶり、返信遅れて大変申し訳ありませんでした。

一身上の都合でいろいろと立て込んでおりまして、ここにお詫び申し上げる所存でございます。

そして、感想ありがとうございます。

当初から婚約者を救うという予定で書いてはいたものの、当初は短編のままの流れで書いていて、伏線を入れていなかったのは、見直すべき点かなと思いますね。

でも、まあ、結果として、リオデのイメージを急激に変えることには成功したんで、結果オーライかなと思ってみたりw

とにかく本当に申し訳ありません。そして、まことにありがとうございます。
今後も精進して書いていきます。
2011/11/16(Wed)00:05:430点サル道
>上野文さん

おおよそ二年ぶり、返信遅れて大変申し訳ありませんでした。

上記したように一身上の都合によって、しばらくこられませんでした。
こういう死亡フラグ掲げるキャラが大好きなのは、個人的にダメな意見でしょうかなw
描写についてお褒めいただけるとは、とても光栄です。
伏線引いてない分、どうしようかなと思って必死に思いついて書いたのは、ここだけの秘密です。

今後も一気に詰めて終わらせて行きたいと思っているので、もしよろしければ、また今後もお読みになっていただけると光栄です。

ではでは、スランプ気味のサル道、今後も精進して書いていきます。
2011/11/16(Wed)00:11:520点サル道
>木沢井さん

ああーもう、本当に放置していたこと、とても申し訳ありません。
皆さんに土下座させてもらいたい所存です。

泥沼の東部戦線ならぬ、泥沼の救いようのない戦い。そんな陰気な戦いが大好物でして、はい。趣味が悪いのは承知の上です。はい。
いよいよクライマックスまで一気に駆け抜けていきますよ。
この作品には思い入れもあって、また、最も力をいれた作品でもありますから、本当にそういうご意見をいただけると嬉しい限りです。
本当に感想をありがとうございます。
今後とも精進して書いていきます。
2011/11/16(Wed)00:16:520点サル道
合計1
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