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『アインの弾丸3 中』 作者:祠堂 崇 / リアル・現代 アクション
全角75870.5文字
容量151741 bytes
原稿用紙約231.25枚
 




 Bullet.V     暴虐性の連鎖する時





 かふ、という短い呼気を首元に掛けられたマーシャは、それ以上の事態に顔を青ざめた。
 携帯電話を取りこぼし地面に落とした事に、周りの人間は特に気にも留めない。
 本人でさえ、それどころじゃなかったからだ。
 寄り添うというより、いっそ寄りかかるようにしてマーシャの肩に手を置き、もう片方の手で自分の腹部を抑えるアイン。
 白く透く指先から、赤い色が塞き止め切れずに垂れている。幸いだったのは、真紅の染みが広がっているのは黒いTシャツからで、無傷のジャケットで隠れて周囲を歩く人々には、くっ付いてじゃれているだけにしか見えない事だろう。咄嗟に傷口を抑えたのも、アインのその場の判断としては最善の行為だった。
 だが、そんな事実なんてマーシャにはどうだっていい。
 刺された、という一つの結論に、思考が息の根を止められるのを感じた。
「あ、アイ――」
 思わず叫び出しそうになったマーシャの口を、アインは手で塞ぐ。
(騒がんでもえぇ! 大した事やないっ……!)
 脇腹の辺りを大雑把な触診で確認したのか、アインは耳打ちしてくる。
 しかしマーシャからすればそれが痩せ我慢なのは火を見るより明らかだ。日焼けを知らない白い肌がいつも以上に蒼白になっているし、額に掻いているのは絶対に脂汗だ。
 でも、と言いたいマーシャの傍に立ち、腰に腕を回して巧く傷口をマーシャの体で隠す。
(そんな事より、はよ人の居らへんとこまで行くで! こない人ゴミん中でも平気で闇討ちしてくるドアホや。次が来る……!)
 マーシャは自分の心臓の鼓動が破裂してしまいそうな程に跳ね上がるのを感じながらも、視線を巡らせる。しかし見渡す限り極普通の人ばかり。何人かがこちらを見て怪訝な顔をするが、特に気にした様子も無く過ぎ去ってゆく。傍から見れば体調を崩した通行人を介抱する慈悲深いシスターさんとでも受け取られているのだろう。無論、マーシャにとってはアインの良すぎる機転の早さには安堵半分不安半分な訳だが。
 むしろアインの現状把握能力は高かった。判断に困って浅い呼吸しかしていないマーシャをぐいぐいと押して人気の無い場所へと促す。ボサボサの蒼銀髪と灰銀髪のシスターでは実際、物凄く目立ってしまっている。カモフラージュになるどころか先手を打たれて、状況は最悪の一言だった。
 ようやく行動に移せたマーシャはアインの背中から腕を回して脇腹に手を置き、あまり不自然に見えないよう注意を払って足を速めた。
 後ろから来るかも知れない。下手すると前方に待ち構えているかもという緊迫感がマーシャの神経をゴリゴリと磨り減らすように圧迫するが、優先すべきが何かは分かっていた。
 自分は【救済世界】の契約者。
 では、負傷している者を前にしたならどうするべきか。
 即答した解には、敵の襲撃の危険性などとっくに二の次だった。
 じわりと迫る不可視の暗殺者から逃げるように、二人の姿は郵便局会社の小さなビルと定食屋の間にある、本来人が通る事もないだろう砂利の敷き詰められた小道へ無理に入る。
 ジャララ、と乾いた音を踏み締めて、繁華街の奥に在るビル群に潜り込む。しかしアインの負傷の程は思いの外大きく、移動速度は殆ど歩いているのと変わらない。
「避けぇ!」
 言うが、当然対応どころか反応すら出来ないマーシャの後頭部に手を置いてぐいっと前に屈ませる。
 直後に虚空を掠めたのは、柄に丸い鍔が付きその先が鉄骨のように細長い円柱状の棒が生えている奇妙な形状の武器だ。刃になっていないから切れ味は無いだろうし、殴打するにも頼りない細さのそれは、狭い場所で勢いも殺さないフルスイングをするもんだから思い切りコンクリートの壁にぶち当たる。ビィィンと鉄の棒きれはなけなしの振動を発し、その振動は余す事無く無謀な持ち主の手を痺れさせて次の攻撃をさせてくれない。
 片膝を付いて一拍置いたアインは、隙が出来たと空いていた右手を一度握り、開く。
「ファイノメイナ……!」
 リイイイィィイン――、
 呼び声に応じるように、アインの白い手から淡い光の粒子が発生し、粒子同士が結合されて形を成す。
 白銀の銃身。銃把は革造りの漆黒で、名の通り夜より存在を強める星のように荘厳な煌びやかを醸し出す美しい色合い。
 何よりもそれが拳銃としての常軌を逸した威圧感を持つ理由は、五十口径の野太い砲身に対して装弾数六発という不釣り合いさに意味を見出して欲しい。素人が撃ったら反動で吹き飛ぶどころか肩を外しかねない。
 敵須らく穿つ巨大拳銃。事実的フォルムは、スミス&ウェッソン500。
 ファイノメイナ(架空の星)。
 星天蓋≠フ真名を持つ能力者の、最大の武器。
 ズシリと厳ついイメージそのままの重みを持ち主の手に与える武装を、アインは振り向くと同時に背後に立つ男に突き付けた。
 だが、何も引き金を弾くつもりはさらさらなかった。射線上に大通りを歩く人々が居るのだし、そうでなくともこんな化け物拳銃を撃ったら発砲音で騒ぎになるに決まっている。
 これはあくまで牽制のつもりだった。少なくとも殴打が用途に見える鈍器と巨躯の拳銃とでこんな狭い場所を戦場にしたら、どちらが勝つかなど明白だ。突き付けれただけで間違い無く敵は余計な身動きをして撃たれたりしないよう体勢を整えるだろう。
 そう思っていた瞬間はほんの半秒。
 相手に突き付けたはずの銃口が、揺れた。
 ぐらりと。
 視界と共に。
「……ぁ、がっ!?」
 脳髄を揺さぶる衝撃に、アインの口から反射による言葉にならない声が漏れた。
「あ、アインっ!?」
 隣人の突然の渋面に面食らうマーシャ。アインは左手が血塗れなのを忘れ、自分の耳を押さえる。珠のような白い肌にべっとりと血が付着しても、それ以上の『何か』からの苦しみに耐えているかのように。
「アイン! ど、どうしたんですか!? アインっ!?」
 必死の呼びかけにも、アインは応じない。自慢の拳銃を出した途端から、正体不明のダメージに喘ぐように蹲りだす。
「……音の、反響攻撃……」
 不意に、覇気の感じられないくぐもった声が降りかかる。
 マーシャはそこで、男の顔をしっかりと見るに至る。
 ジャージのような材質のズボンと、白いタンクトップの上から黒い薄手のYシャツ姿。Yシャツは袖を通しているが肩に羽織らずにわざとはだけさせ、肘関節で留めるような感じだ。プリシラがここに居れば『服はきちんと着ろ』と注意していただろう。
 暗い色の髪を、顔の左半分を前髪で隠すように変な伸ばし方をしている。全体的な体つきも細く、青白い肌と据わった目つきが不健康というか、根暗なイメージを出している。
 空いている左手が手持無沙汰なのか、親指の爪をがりがりと齧っていた。
 苦しむアインや震えるマーシャの心境などいざ知らず、陰気な種明かしが続く。
「対象一人、に……集中した、空気中の振動加圧を……与える効果……」
「……っ」
 マーシャははっとして、男の握る武器を注視する。
 その長細い棒は、こうして話している間も薄く振動して淡い残像を発している。
 あの武器が音の発信源だ。さっき壁を殴ったのはわざとなのだろう。恐らくアインの耳には、凄まじいまでの爆音が耳朶を叩いているのかも知れない。それこそ鼓膜を破られそうになる余り、銃を構える事も出来ない程の。
「神器の内側は、空洞……まだまだ続く……特定の……条件に、呼応して……強制的に振動音を……対象者の、聴覚と……同調(リンク)す、る……」
 男はすっと鉄の棒を顔の前に持って来る。
「条件は……………神器を出現、所持していること」
 こんな風に、と言いたげに。
 左手の指先で、棒の先端を弾いた。
「ぅぐっ、あぁああっ……!」
 同時に、アインが呻き声を上げ出す。
 その姿をこれ以上見ていられなくなったマーシャは、さしてアインの苦痛を和らげる効果も無いのを承知で彼女の体を強く抱きしめ、懇願するような顔を男へ向ける。
「や、やめて下さいっ……!」
 言ったところで、それを聞くならそもそも闇討ちなんてしないだろう。
 マーシャは歯痒い思いに表情を歪ませる。マーシャの能力が癒せるのは断定的に負った傷であり、現在進行形で与えられる、暫定的に続くような攻撃を緩和する事が出来ない。既に破壊された箇所ならともかく、アインは今、あえて『決定打という意味でのダメージ』に至るその途中の段階を、じわじわと味わわされているのだ。
 というより、たとえ癒しの効果を発揮出来たとしても、神器の顕現に反応して回避も防御も出来ない不可視の攻撃に、戦闘自体をろくに体感した事の無いマーシャが耐えるのは到底無理だ。アインでさえこの在り様なら、マーシャでは一瞬で気絶して、それこそ御荷物となってしまう。
 それだけは避けなければならない。
 だからこそ、マーシャは震える体を必死に抑え込んで、男に問い掛ける。
「あ、≪アマテラス≫の人、ですよね……!? どうして、こ、こんな事を……争うだけがす、総てでは、ありません……! これ以上、こ、この子を、傷付けないでっ!」
 ともすれば、掠れたような声に、男は笑いもせず、暗い視線のまま端的に答えた。
「……関係無い」
「え……?」
 理解が遅れたマーシャを見据えたまま、男は己の武器を肩に掛け、ぶつ切りに言う。
「僕は、≪アマテラス≫の所属……確かにそうだ……けど、お前達が≪ツクヨミ≫だから武器を下げる理由なんて無い=c…≪ツクヨミ≫だからこそ、襲った……」
「そん、な……」
 マーシャは言葉を失う。≪アマテラス≫は容赦の無い組織ではあるが、最低限の情緒も無い組織ではない。でなければ≪ツクヨミ≫と対等に渡り合える実力など揃わないし、その前に他組織に潰される事だって在り得た。最大の譲歩と、充分に価値のある駆け引きがあってこそ≪アマテラス≫は今も名を馳せているのだ。
 この男は、容赦ではなく、情緒が無い。
 とてもじゃないが、その行動が誰かの命令で動いているとは思えない。あるいは何らかの命令が下って潜伏していたという仮説も立てられるが、これがおまけだなどとはマーシャは考えられない。考えたくもなかった。
 これでは、組織と組織の接触なんて話じゃない。
 かといって、両者の合意による私闘ですらない。
 あまりに身勝手で、あまりに不条理な、独断専攻。ただの暴力だ。
「駄目です……」
 マーシャは呟く。
 男はじっとりとした視線を、欠片も変えずにマーシャを見据え続ける。
「これは余りに、そ、双方の利益が、無さ過ぎます……そ、それどころか……他の組織に粗を探され、て……余計に、話が拗れます。そ、そんなことになったら……!」
「……だからなに?」
「――」
 完全に、
 完璧に、
 呼吸が止まるのを感じた。
「……≪アマテラス≫がさ……そう簡単に負けるわけ、ないんだ……≪ツクヨミ≫じゃあるまいし……僕みたいな下っ端に、こうして押されてる奴にさ……」
 だから思い上がるな。
 そう言いたげな男に、マーシャは深い絶望を覚える。
 それは、何もアインの身を案じてだの、組織間関係についてだの、当面の問題だけの説得ではなかった。
 こんな事をして一番危険なのは貴方なのだと=A
 私は貴方が危険に陥るのも放っておけないと=A
 【救済世界】のオーラム・チルドレンとしての、己の存在意義に忠実な想いは、
 あっさりと、否定されてしまった。
 マーシャでなければ、考えなしだと、どこまで愚かなのかと、罵る言葉も出せただろう。
 だが、彼女は違う。
 まずマーシャに敵味方なんて定義は無いのだ。
 そんなものを用意したら、彼女の出自は矛盾してしまうから。
 枠組みごとに置かれた椅子など取っ払って、総てを平等に、均等に、救済する。
 なのに、どうして理解されないのだろう。
 自分のことなんだから勝手だろ、と。突き放されなければならないのだろう。
 悲しみにマーシャの表情が彩られる。
 しかし、あくまで敵としか見ていない男は、懐にしまっていたナイフを取り出す。
 そこには、べっとりと紅い液体が濡れそぼっている。
 何をするのかと思ったマーシャの見ている前で、
「だから僕は……僕の実力だけで≪ツクヨミ≫の人間を、殺して……強さを、証明する」
 そのナイフを鉄の棒の付け根に宛がい、力を込めようとする。
 ぞっとした。軽く指で弾いただけでこれほどアインは悶え苦しんでいる。鉄同士を派手に掻き鳴らしたら、どうなってしまうのか。
 考えるより先に、マーシャは口を開いていた。
 溜めに溜めていた空気を、一気に吐き出すように――、
「シャイン・ブレス!!」
 刹那、マーシャの両手に光の粒子が纏わりつき、残滓を残して姿を現す。
 肘から指先までを覆う手甲。白を基調に赤い線が幾重にも奔っており、手の甲の部分には蒼く澄んだ丸い宝石が埋め込まれている。
 因果律を操り、死を遠ざける奇跡の神器。
 故に、一切傷付ける力を持たない、武器と呼べない道具。
 だからマーシャは、その手甲に出せるたった一つの可能性にかけて、アインを庇うようにして両腕を開いた。
 引き千切る怪音が炸裂する。
 条件を満たし、本来の標的を遮ったマーシャの聴覚に不可視の攻撃が叩き込まれる。
「ぃ、あっ……!!」
 アインと同じような、言葉にならない声が喉で引っ掛かった。
 体験した者にしか分からないだろう。耳の奥の辺りで、外に向かって飛び出そうと鼓膜を圧迫する感触。初めて感じた、恐怖と戦慄の破壊行動。
 ギィィィイイイイイン!! という雑音の中に、ミチミチ、という何の音か知りたくないモノまで聴こえてくる。
 反射的に両手で耳を塞ぐが、意味が無いのはマーシャも察していた。対象者の『聴覚』そのものに同調(リンク)する≠ニいう事はすなわち、音を聴き取れる状態にある以上はその機能自体に働きかけるという意味だろう。内耳神経でも引き抜いて音を放棄しない限り、この呪縛からは逃れられない。
 だが、同調(リンク)が高度な技術を要するからこそ、その許容範囲や対象者数はかなり狭い。呪縛から解放された人間は行動が許容される事になる。
 マーシャが攻撃を受けていたのは、たったの二秒間。
 気を失う暇も無い瞬間に平常を取り戻したアインの行動は、迅速かつ、キレていた。
 マーシャの陰から腕が伸ばされる。
 銃口は、男へ。
「――!」
 男が構えるより先に、アインの怒りに染まった眼光が狙いを定めた。
「きしょい音出すなこのボケ!!」
 荒い暴言と共に、アインは引き金に掛ける指に躊躇しなかった。
 ドガン!! と発砲音というより大砲のような轟音が爆ぜる。
 アインの目測通りに音速で飛来する弾丸は男の胸元に飛ぶ。
 思わず男は撃たれたことへの驚きから身が竦み、尚の事アインの狙った標的に命中した。
 次の音響攻撃に移ろうと胸元に持って来ていた、鉄の棒状の神器に。
 チュイィン! と小気味良い音が響き、神器は男の握力なんて知ったふうもなく扇風機のように旋回しながらバウンドを繰り返し、大通りへとすっ飛んでいってしまった。
 アインは脅威を奪われた敵には目もくれない。五十口径の弾丸をぶち込まれた音響がどれほどのモノかに不安を掻き立てられ、すぐさまマーシャを見上げる。
 だが、マーシャは男の方を遠く見つめながらも、短い吐息と共にぺたんとその場にへたれ込んだ。その両腕に手甲は無い。ほんの一瞬さえあればアインなら対処出来るという、ある意味拍手を送りたいぐらいの信頼をして、すぐに神器を引っ込めたのだろう。考えてみれば御鉢が回って来たはずのアインに音響攻撃が来ないのを見ると、術者の手元から離れると効果が失効するようだ。
 男とマーシャが次の行動に迷う内にも、アインはとっくに立ち上がってマーシャの腕を引っ張っていた。
「ぼけっとすなや! はよ行くで!」
 びくんと反応してマーシャが顔を上げる。アインは腹部を押さえながらマーシャに怒鳴っていた。既に手の平一つでは隠しきれない程、真紅の染みは波紋のように広がっている。
 それを見て、いや、それを見たからこそマーシャも頭に上っていた血が一気に下がってゆくのを感じる。立っているのも辛いはずのアインに比べ、たかが一瞬の攻撃に頭痛を覚える自分が情けなく思えてしまった。
 二人は男との距離を確認した後、今度は無理をしてでも一目散に駆けだした。
 その背を見、男は振り返る。路面の向こうには、地面を転がる謎めいた鉄の棒に『何だ何だ?』と不思議そうな顔で見下ろし、しかし歩みを止めずに過ぎ去る人間達の姿がある。
 男は舌打ちはしない。
 代わりとばかりに親指の爪を噛みながら、己の得物の回収に早歩きで繁華街へと戻った。


 ◆


 遊歩道の脇を走る小道を突っ切り、団地にやってきたルルカはマンションの足元に広がる駐車場で足を止めた。
 休日だけに車の数はまばらで、多少物を振り回しても*竭閧ヘ無いだろう。
 周囲に幼稚園や病棟の気が無いのも、ルルカにとってはまだマシな条件だ。しかし、全く人が来ないとは限らない。本来何ら気兼ねせずに戦える空間を、それを得意とするはずの組織の人間が、微塵にも提供してくれないのが悩みの種だった。
(そういえば索敵と追跡に特化した≪ツクヨミ≫ではこういった非常事態での処置に困るのが難点なんですよね……結界は≪アマテラス≫の専売特許でもないのですし、ウチにも導入する手立てぐらいは在っても良いのではないですか……?)
 元来、結界とは何らかの方法――≪アマテラス≫なら符術を用いるし、中には複製神器にもそういった結界を創る為の物が存在する――によって因果律を断絶し、範囲内の情報とほぼ酷似した情報を組み立て、そこに指定や特定をした存在を一緒に閉鎖することでそれ以外の非対象者を本来の情報、すなわち元の世界に置き去りにする仕組みだ。
 もう一つの情報で構築された世界だからこそ、その空間内においては何ら気兼ねする事無くやりたい放題が出来る。勿論、結界に支障を来たすような大規模な破壊や特殊な結界破りを行えばまた別だが、結界の内側に在る物は総て巨大なジオラマのような扱いでしかない。いくら壊したところで、結界を解けば情報の元となった世界に戻れるのだし、もう一度結界を展開し直せば更新された情報で疑似地形を創る事も可能だ。
 効果を集中させることで余計な影響力を分散させない者が多い≪ツクヨミ≫と違って、≪アマテラス≫の大半は過剰なほど周囲を巻き込む能力者も居る好戦組織だ。だからこそそれを防ぐ手段を用いてオーラム・チルドレンの存在を外に漏らさない役割をしている。むしろ、しなくてはならないのだろう。ルルカはサラトの事を庇護措置となった離反者としか知らないが、彼女が特に例にしやすい。精神的な面もあるが、サラトの能力は基本的にほとんど駄々漏れ状態で敵を攻撃する、傍迷惑さでは本当に典型的なスタイルを取る。
(今この状況下にメリッサ先輩が居なくて良かったと思います。あの人は≪ツクヨミ≫に所属しているのが不思議な程、血の気が多いですからね……)
 なおかつ、ルルカやプリシラなんかよりよっぽど目立つ能力の使い手だ。こんな街中で使ったら手に負えないまでの騒ぎになりそうだ。いけない、戦闘中に仲間を批難している場合ではなかったと、ルルカは自責の溜息を零す。
 そんな思考をさっさとやめ、ルルカは一度辺りを見回してから金髪の男を探すが、人の気配は全くしない。念の為に近くに隣接して駐車してある車同士の間に入り、息を潜める。
 ルルカは周囲の気配を察知する為に感覚を鋭敏にしながらも、現状とこれからの算段を考える。
 まず、人気の無い場所。
 これは恐らく難しいかも知れない。東京の中でもかなり人口密度の高いこの地区一帯で、そもそも人の居ない場所なんて無いに等しいのが当たり前なのだ。廃屋街というゴーストタウン同然の無人の廃墟に一番近いのがこの第六地区のようだが、ここからでは走っても三十分以上はかかるはず。三十分も敵と一定の距離を保って誘き寄せるのは不可能だろうし、その前にマーシャに襲撃が遭ったのならそちらの援護に向かわなければならない。
 次に、助けを求む。
 これも難しい。というより、仮にアインなんかが本当に助けに来たら尻を蹴飛ばしてでもマーシャの方へ行かせるつもりだ。
 最後に、敵に結界を張らせるよう交渉する。
 これも、きっと無理だろう。
 敵が複数居るのなら、その内の一人ぐらいは結界の創造に回っていると考えるのは、いささか夢見がち過ぎる。あの金髪の言動からしてそういう役に徹している仲間が居るとは思えない。もしかしたら結界の張り方自体を知らない連中だけでけし掛けて来た線の方が、遥かに強い気がする。
 駄目だ。どれもこれも改めて考え直せば考え直すほど状況は『最悪』の一言に尽きる。
(こうなったら、こちらも強硬手段に出るしかないのでしょうか……)
 強硬手段というのも、簡単な話だ。
 人の見ていない内に、ぱっと対峙してぱっと撃退する。
 それなら周囲を巻き込む前に倒せるし、助けを求む必要も無くなるし、交渉なんてしなくて済む。総ての問題を一気に解決させる豪快だが価値のある素敵な作戦。しかし、ことルルカだからこそこれを狗肉の策と呼ばずして何になるかと悩む。アインやプリシラならこういう手段もしなければならないのなら即決するだろうが、ルルカは違う。数値上の計算と常識範囲内の情緒を状況と比較し、過程から結果までもきっちりと成立する戦闘でなければ納得出来ない。確率論で動くのは愚かしい事だとルルカは躊躇っていた。
(背に腹は代えられない……ですが、本当にこんな賭けに出て良いものか――)
 ルルカはそこで、思考を中断された。
 気配より、
 音より、
 ふと視界を巡らせようと顔を上げた先で――、

 後ろの車。
 そのサイドミラーに映る影が、逆手に握るナイフをかざして跳躍する姿が見えた。

「――っ!!」
 ルルカは既に握っていた投擲小剣を構え、ぐるんと体が天を仰ぐように捻転させる。
 途端、重力に従って落ちてきたナイフの切っ先がルルカの胸元に噛みつく前に、投擲小剣が遮った。
 ギジャッ! と鉄の擦れ合う音。
 そのままの勢いで金髪は膝をルルカの腹部にぶち込み、体重を掛けて順手に持ち替えたナイフを押し出す。
 オーラム・チルドレンといえ、男一人の体重を跳ね返す程の肉体鍛練はしていないルルカの軽い体は狭い車間でさらに足場を崩し、赤い車のボディに背中から打ち付けた。それでも投擲小剣でナイフを防いだままなのはルルカの意地だったのか。
 金髪は体重を掛けてナイフの鋭利な切っ先をルルカに近づけようとしつつ、にやりと暗く嗤った。
「く、ふふっ! なかなか反応がいいじゃねぇか」
「でしょうね……! 各リーチが違う近接戦闘のスペシャリスト三人にみっちり御教授を受けた身ですのでっ……!」
 ぐぐ、と少しずつ押し返すルルカを見て、さらに金髪の口元が歪んだ。
「じゃあ、こういう怖さがあるってぇのも知っとけ」
「……っ?」
「おいおい、忘れてくれんなよぉ……テメェの目の前にあるのはただのナイフだったかぁ!?」
 ビクン、と心臓が跳ねる錯覚をルルカは覚えた。
 直後、ナイフが振動して抵抗の感触も無く投擲小剣を分断するのと、ルルカが首関節が壊れるんじゃないかと思う程横に倒してそれをかわしたのは、奇跡的なまでに同時だった。
 恐ろしい速度でナイフは眉間の在った虚空を貫き、背後にある車のドア部分に当たる。ガギギッ、と振動によって火花が散り、新品めいた光沢感に疵を創る。
(……!?)
 それを見たルルカは一瞬、怪訝な顔をした。不思議な感覚に眉をひそめるが、次の瞬間には車体の一部をざっくりと斬って、くるりと逆手に持ち替えたナイフがルルカに迫る。
 咄嗟に雑念を抱いていたルルカは一拍遅れ、金髪の手首を両手で掴んで阻んだものの、肩口に切っ先が数ミリ食い込む。
「ぃ、ぎ……ぁっ!」
 ずっぷりと刃が沈んだ時のような激痛は無い。だが振動を続けるナイフが皮膚を浅く掻き乱し、赤い染みを掘り出してくる痛みは、むず痒さと鈍い痺れを伴って思わず力を抜いてしまいたくなる。金髪はまだ口元の歪んだ笑みを消してなかった。
「くははっ! 処女を破られたみてぇな声と顔しやがって! 初モノ系はあんまり趣味じゃねぇんだけど、これはこれでソソられるなぁ……!」
 至近距離に顔を近づけていた金髪が、べろりとルルカの首元を舐めた。襟首をネクタイできちんと締めているのをわざと押し開くように、襟と肌の隙間を縫うようにして、ざらりとした、ぬめった感触が伝わる。
「――、」
 自他共に認める潔癖症のルルカだからこそ、
 その行為による背徳と醜悪の限りに対して、

 ぶちり、と。
 頭の奥で余計な事を考えていた@攝ォが、切れた。

 もう迷う気にならなかった。
 どうでもいいから、舌を引っ込めろ。圧し掛かるな触れるな近づくなさっさと離れろ!
 がっ! と。あろうことかルルカは片手を離し、今も振動を続けるナイフの刃を思い切り掴む。
 手の中で、鮮血が弾けた。切れ味を飛躍的に上げる振動によって、絶える事無くルルカの細い手の平を抉り続ける。
 その血が自分の頬に飛び散った金髪は、反射的に驚いて身を少しだけ引く。
 狙ったようにルルカは下腿を持ち上げて自身と金髪との間に出来た隙間に持ってゆき、一気に蹴り飛ばす。
 さすがの金髪ももろに鳩尾を蹴りつけられて、車体の合間から吹っ飛ばされて背中から打ち付ける。
 受け身も忘れて倒れ、アスファルトに擦って感じる熱い痛みに、金髪の眼が血走る。
「く、っそがぁ!!」
 すぐさま起き上がるが、先に立っていたルルカは慈悲の欠片も知らない無表情で一度金髪を睥睨し、自分の手の平を見下ろす。
 器用な扱い方を好む者の特有の、長く細い指を五本生やす、白い手。
 そこに斜めにばっくりと赤黒い線が奔り、爆発したように鮮血が広がっている。肉の裂けた部分を直視して、何よりもルルカに芽生えたのは苛立たしさだった。
 当分、肉を食う気になれない。
 視線を戻したルルカは、瞳にだけ怒りを表す。
 相手が立ち上がるのを見て、瞬時に頭の中で今までの出来事を反芻する。
 金髪の言動と、不可思議な現象。
 そこに見え隠れする、決定的な矛盾。
 右手を振るう。白いカラーが清潔感を持っていた車のボンネットに、赤い斑点が幾重にも飛び散る。
「いいでしょう」
 短く言い、ルルカは前に一度だけ′ゥた第六地区の地図を脳裏に浮かべ、現在位置と周囲の地形状況を把握。目的地を定め、人の通る可能性の限りなく低いであろう最適ルートを算出する。
 所要時間、三秒。
 それから、ようやく本当の意味でルルカは金髪を、見据えた。
「貴方の考えは良く理解しました――」
 金髪が睨んでくる。
 だが、今のルルカにはもう構わない。
「――理解し難い程に≠モざけた方だという事が」
 すると、予備動作も無くルルカは横に身を弾かせる。
 その先のフェンスに懐から出した投擲小剣を三本ほど投げ、網の隙間に突っかかるように穿つ。
 金髪が何かを吼えながら駆け出すが、ルルカは縦に等間隔で突き立つ三本の投擲小剣の柄に足を掛け、とんとんとん! と軽やかに跳躍。二メートルはあるフェンスを手を使わずに綺麗な弧を描いて飛び越した。
 十点満点の見事な着地を終え振り返ると、金髪も同じように投擲小剣を足場にフェンスを飛び越えようと距離と歩幅を合わせているところだった。
 だが、同じような真似なんて、出来たとしてもさせる訳が無い。ルルカはかなり無造作にフェンスを蹴る。淑女としての振る舞いなんて知った事かと言わんばかりの、片足を腰ぐらいの高さまで上げて靴底で当てるように繰り出す喧嘩キックだ。
 ガッシャン! とフェンスが揺れ、当然突っかかっていた投擲小剣が三本とも衝撃でぽろりと抜け落ちる。
 金髪はぎょっとするが、助走の速度が相当出ていたのか、ブレーキが利かない。足場を失ってどうしようもなくなった金髪はフェンスに芸人顔負けの勢いで突っ込んだ。
「がっ……!」
 薄く張り詰められたフェンスが反動で戻り、金髪はたたらを踏んで尻からずっこける。
 顔を上げると、フェンス越しのルルカは左手の人差し指を目元に当て、
「貴方のような思考能力の低い、加えて品性の足りな過ぎる人に捕まる可能性はゼロです。べー」
 と言って、軽く舌を出してあっかんべーをする。
 転ばされた上にそんな事までされた金髪は、ルルカの予想通りに顔を真っ赤にしながら額に青筋を立てた。
「てっめぇえええ! ぶっ殺す!!」
 がばっと起き上がるのを確認してから、ルルカは振り返って走り出す。
 これで、奇策の類を恐れずに走行ルートを進められる。あそこまで単純だとは思わなかったぐらいだ。
 しかし、茹で上がりそうな程に怒らせるのも、得策とは言い難いのも事実だ。万が一目的地やその途中で人が居た場合、構わず斬り払いそうな気がしてならない。
(賭けですか……本当は遠慮したかったのですが、もう許しません)
 首元を必要以上にコートの袖で拭きながら、返って冷静になったルルカは目的地へと走った。
 目指すは、小さな公園。
 あそこなら、ルルカの能力にとって武器庫も同然。
 思慮は数秒。
 自棄になってよじ登ろうとしていた金髪が怒号を発しながら、手に持つ得物でフェンスをズタズタに斬り伏せる音が聴こえた。


 ◆


 子供のはしゃぐ声も、
 木々のざわめく音も、
 麗らかな日溜まりも、
 三者の視線が絡み合うその空間だけは、冷たい無音で静まり返っていた。
 唾を飲み込む事すら許されないような圧迫感の中で、最初に口を開いたのは男の方だった。猫っ毛の茶髪の中肉中背。平均的な顔立ち。黒地のTシャツにブラウスみたいに生地の薄いYシャツの袖を腰に回して結んでいる。下は濃紺のジーンズ、所々が雑に切れているのはファッションとして分かるも、裾が両方とも黒ずんでいてボロボロだ。首のチョーカーと両手首のリストバンドは黒い。
 陰になってよく見えないが、右腰にホルスターのようなものがありそこから真っ直ぐな柄のようなものが突き出ていて、左腰には何かが入っているらしき袋がベルトに紐を通す事でぶら下がっている。手に指貫手袋を嵌めていた。パッと見は本当にそこら辺にいるような平凡な青年だ。年も恭亜とさほど変わらないんじゃないだろうか。
「やっと見つけたよオイ……まさかオレがババを引かされるとは思わなかったかよ」
 一度は笑っていた男だが、途端に溜息混じりに頭を掻く。
 一挙一動に警戒していた恭亜の横で、ずっと難しい顔をしていたサラトが突然男を指差した。
「あー! 思い出した、三バカの一人だぁー!」
 驚き半分のような顔でサラトに指を差された男は、嫌そうにというか怒った顔で言い返す。
「三バカっつぅんじゃねぇっつってんだろ! どこの漫画に影響されたんだテメェはよ!」
「だっていっつもサラトに嫌がらせしてきたんだもん、三バカは三バカだよ。お兄さん達サラト大っきらい、いーっだ」
 挑発にも見えない可愛らしい仕草をするサラトの横で、恭亜は視線を男に向けたままで訊ねる。
「≪アマテラス≫の、か……?」
 目の前に居る以上確認しなくてはならない事ではあったが、恭亜としてはあまり口には出したくはなかった。サラトはその≪アマテラス≫に何も言わず離反した人間だ。向こうからすれば完璧な裏切り者扱いに違いない。こんな幼い子供が報復の対象になるような事実を本人に確認させるのは、胸の痛む話だ。
 ところが、当のサラトは恭亜の質問にさらっと無邪気な笑顔で答えた。
「うん。序列持ちになりたいって感じのオーラをいっつも出してる、ちょっとうるさい人達だよ」
「それは数馬(かずま)に言えよな。ピーチク言ってんのはいっつもあいつだったじゃねぇかよ」
 呆れた顔で男は言う。数馬というのは三人の中でリーダーを気取っている金髪の男だが、恭亜は知らないしサラトも人物像を思い出せないのか不思議そうな顔をしていた。
「もう何だっていいや、めんどくせぇのは御免なんだよ。オレの用はお前だよ善悪一=Bよくもまぁ調子に乗った事してくれたじゃねぇかよ?」
 男はなんともやる気のなさそうな半眼でサラトをねめつけるが、サラトはきょとんとした顔で、本当によく分かってなさそうに訊き返す。
「なんのこと? サラト調子に乗ってなんかないよ?」
 無自覚と無邪気が紙一重になってしまえるような不思議そうな顔を見ても、男は溜息を吐いて付き合い切れないといった態度を取る。
「あーあー、もういいっての。マジでややこしいなお前。オレが言いたいのはな、これ以上面倒になんねぇ内に≪アマテラス≫に戻れ。嫌なら死ね。以上」
 なんとも適当な言い方だが、≪アマテラス≫という組織の存在を隠す事も無く(サラトの前では嘘も意味を為さないが)堂々とする男に、そんな事を言われて黙って居られる恭亜ではなかった。一歩前に出て二人の合間に立ちはだかる。
「待てよ。いきなり来て、そんな滅茶苦茶な選択肢があるか」
 割って入った事で、庇ってくれたと理解したサラトは少し嬉しそうな顔で恭亜の背を見る。
 しかし男の態度は真逆の、辟易としたものだった。溜息を一つ、頭を掻く。
「お前になんざ聞いてねぇよ……つぅかお前、誰?」
 組織への所属どころか力量自体の認知度がほとんど皆無に等しい恭亜は、その扱いを無視する。
「誰だっていい。サラトはもう≪ツクヨミ≫の庇護下に在るんだ。サラトに手を出すって事は、≪ツクヨミ≫に手を出すって事だぞ。……それ以前に、その選択肢はあんまりだ」
 男は少しだけ黙り込み、恭亜を観察するように見て、次に爪先を地面に擦らせて暇を潰しているサラトを見比べる。サラトの現状を理解している辺り、≪ツクヨミ≫の関係者なのかと探っているようだ。
 その上で=A男は答えた。
「選択肢じゃねぇよ。こいつぁ決定事項だ」
「何だって?」
「要するに『他組織に存在する善悪一=xなんて事実が嫌なのさ。どちらにせよ≪ツクヨミ≫に味方同然なのは一番気に食わねぇって事かよ。だから言ったんだ、『調子に乗んな』って」
「……、」
 恭亜は、それについて反論する事が出来なかった。
 サラトが≪ツクヨミ≫の庇護措置という現状に在るのは、他でもない恭亜が起因している。
 いっそ原因と言っても良いだろう。それだけ恭亜は考えなしにサラトを引き込み、危うい立場に追い込んだのだから。
「オレもどっちでも良かったんだけどさぁ、他の二人が行くってうるせぇから来たものの……駄目なんだよ、こういうのが。交渉とかそういうの? オレってバカだからさぁ……とりあえず善悪一≠ェ回収出来りゃ何でもいいってぇの。理解したかよ、素人クン?」
 男はそう言いながら、ホルスターに納められている柄に手を掛ける。長さや大きさからして、ナイフの類だと恭亜は思い身構え、そこで耳に入る声に気付く。
 視線だけそちらへ寄越す。少し離れた場所で遊ぶ子供達と、呑気に談笑している母親達。
 恭亜は男を見据えて、あまり向こうへ届かないように男に声を掛けた。
「お前、まさかこんな所で戦うつもりなんじゃないだろうな?」
「……、」
 男はそれを聞いてちらとそちらを見る。その眼はどこか鬱屈そうな色で、恭亜に視線を戻しても変わらないものだった。
「まあ、そうなるかよ」
「お前……っ!」
 恭亜の表情が、そこで初めて怒りに染まった。
 何も知らない人々とサラトとは、見てきたモノが違う。別にサラトの優先性が低いという事ではない。公園を二分する境界線があまりにも質が違うのだ。
 ボールを追いかける子供達の笑い声が、遠い。まるで侵し難い聖地を護る壁のようなものを感じる。
 しかし、それはあくまで感覚の話だ。物理的に壁が在る訳じゃない。一歩踏み込めば簡単に侵害出来る、無力な存在感。恭亜がその行為を抑止しようとしたのは、恭亜にだけはここでの戦闘を止める理由が在ったからだ。なけなしの良心と、在って当り前の情緒だ。
 この男に、それは在るのか。
 それを知りたかった恭亜を見て、男の返答はやはり覇気の無いものだった。
「勘違いしてんじゃねぇぞ。オレ達がどれだけ汚ねぇ世界に生きてるか分かってんのか? オレはした事がねぇが、人が人に殺される光景を何度も見てきた。そこでワケワカリマセンって顔してる善悪一≠セって、『死』を何度も見てきたんだろうかよ。今更そんな隠すような真似したってな、巻き込まれる時は巻き込まれるんだ」
 結わいてあった紐を解き、左腰に提げていた袋を外す。
 恭亜は知っていた。
 だからこそ何も言う資格が無くなった=B
 巻き込んだのだから。
 蓮杖アイン。檜山皓司。鵜方美弥乃。桃瀬晴香。サラト=コンスタンス。
 多くを巻き込んだ。『姫宮恭亜』という一人の存在と邂逅してしまったが為に、血を流した。涙を流した。死んでしまった者も居る。人を殺そうとしてしまった者さえ居る。
 それに、正しいか否かは当て嵌められない。
 恭亜にそんな大層な事を選べる価値など、無い。
 唇を噛んで顔を俯かせる恭亜を前に、流れ作業をさせられているような緩やかだが止まる事のない手つきで袋の口を開けようとした。
 その時だった。
 今までずっと何かを考えていたような表情だったサラトが、唐突に空気をぶち壊すような明るい声で納得した。
「恭亜、結界を張ればいいんだよね?」
 二人の視線がサラトに向くと、

「じゃあ、サラトがやってもいいのかな?」

 その一言を発した直後に、大気が戦慄いた。
 空が一瞬にして赤黒い膜で遮られる。赤黒いと思えたのは、黒い不可思議な字がびっしりと描かれていたからだ。窺知し難いドーム状の膜は、すっぽりと綺麗に公園だけを包囲する。
 てん、と音がした。少し離れた所でゴム製のカラフルなボールだけがバウンドし、やがて地を転がって止まった。
 そこに人は居ない。
 日常を生きる者の姿は無い。
「なっ……!」
 男は驚愕に目を見開く。意表を衝かれたのか、袋が手から零れ落ちてゴトリと鈍い音を立てる。
 恭亜が振り返ると、にこにこと笑いながらこちらを見るサラトの足元に、八枚の術符が彼女を囲むように地面に貼り付けられている。その内一枚だけが先端の尖った細く短い杭のような棒で縫い止められていた。さらに杭で縫い付けた術符から一本の線が地面に描かれており、対の位置にある術符に伸びていて、良く見ると杭を打ち付けた術符だけは色が青く、静電気のような火花が散っている。
 対称や象形といった法則性もまるで分からない図式だ。恭亜の目にはとりあえず適当にやってみたら偶然巧く出来たみたいな感じでしかない。
 だがどうやら、男の方はよく分かっていたらしい。
「お、おいおい冗談じゃねぇぞっ! いつの間に創ってやがったんだ!?」
「いつの間にって……恭亜がサラトの前に出てくれた時からずっとやってたよ?」
 小首を傾げて至極不思議そうな顔をするサラトに、男はたじろいだ。
(なん、つぅ……一分か二分そこらの話じゃねぇか。化け物かよこいつ……)
 男は結界の作り方までは知らないが、どういった術式で描かれたものなのかは分かっていた。
 サラトが貼り付けた術符の位置付けは、そのまま八つの方角を意味する。すなわち、風水。摸作による疑似地脈創造の応用だ。
 北と南を表す玄武と朱雀の間に線を引く事で『境界』の役割を作り、川を模する青龍と道を模する白虎とを隔てる事で『日常と非日常の隔絶』という陣形を展開する。
 術符を杭で打ち付けたのは、その方角である朱雀が心臓を意味する聖獣の為に、因果律の断絶を表す。また夏の意味でもある事から元の情報が更新されるまで自動で演算し結界を形成する、時限式だと推測できた。太陽によって伸びる影の角度を刻限のスイッチにしているなら、三十分と経たずに結界は自然消滅する。朱雀に位置する術符だけ青いのは、本来は赤を象徴する朱雀に対して青色を使う事で、『反転』の意味を加えているのだろう。
 風水を応用した術式構築は≪アマテラス≫が行う結界創造の、根本的なものだ。位置によって術式の描き方が違う為、他の人間にはすぐに真似が出来ない利点がある。
 しかし、と男は苦い顔をした。
 ≪アマテラス≫に所属する以上知識では一応覚えているが、実際にやれと言われて出来るかは個人のセンスによるものが大きい。序列三位のオーラム・チルドレンは滅茶苦茶にばら撒いただけの術符の山から適切な術符だけを選んで術式を構築し、十秒足らずで都市を丸ごと包囲する結界を創り出す天才だ。
 こういった術式には、『知っている』と『理解している』とでは天と地ほどの差が出る。
 男はそこで初めて、序列持ちという言葉の意味に気付いた。オーラム・チルドレンでなくとも単純に強い者は何人も居る。
 結界を張るだけの知識と理解が在る事は、それだけで戦術や能力の向上へと繋がるのだ。
(畜生っ、だから嫌だったんだ! ババは引くもんじゃねぇ……!)
 男は落とした袋を爪先に引っ掛けて浮かし、片手でキャッチする。
「上等かよ。平和ボケしてる組織に保護されたお前なんざに負けるか。いつまでも巴さんの部下気取りの雑魚と思ってんじゃねぇぞ」
 サラトは陣形から外に出ながらきょとんとした顔をする。
「あ、やっぱりまだ巴の部下みたいなこと言ってるんだ」
 その表情は笑っていたが、限りなく愛想笑いに近いものだ。嘲りを人に向けるという行為を絶対にしない彼女の、それは率直な意見だった。
 男は溜息混じりに袋の口を今度こそ開ける。
「そりゃな。数馬や雄介(ゆうすけ)はマジでそう思ってんだろうけど、本人の眼ぇ見りゃ普通分かんだろ。ありゃあ、『こいつ誰だっけ』って顔だ。あの人が部下なんて足手纏いになるモンを作る訳がねぇ……」袋の中に手を突っ込み、「オレぁ、そういう位置かも知んねぇけどな……昔のまんまだと思ったら違ぇ。新しい複製神器を手に入れてようやくオレも戦えるようになった。あの二人に御荷物扱いされて、小馬鹿にされても笑って受け流す毎日はもう御免なんだよ」
 それは、面倒という意味ではない。
 どうしても抜け出せない『弱者』のレッテルを、心底嫌っているから。
「元序列持ちだろうが、連れ戻せと言われたら力ずくでも連れ戻すぜ」
「どうやって?」
 サラトが右腕を上げようとした瞬間、
「五体満足で居られると思うなってぇ事だよ! 善悪一≠」!!」
 男が叫び、袋の中からずるりと何かを取り出した。
 恭亜とサラトがそれを捉える。中から出てきたのは四個の車輪が接続された靴、インラインスケートだった。黒を基調に靴の踵部分を補強してあり、両サイドから黒く長細い板のようなもので車輪を挟んでいる。足を入れる部分がマジックテープや紐ではなく、車のガルウィングドアのように上へぱかりと開いていた。
 とん、と跳躍し片足を靴に差し込むと、ガチリと音がして上部が閉じ右足が固定される。
「トリック・オア・トリート!」
 今度はサラトが短く叫んだ。常に脳内に居座り続ける形状不明の神器が、宿主の言葉に呼応する。
 バヂヂッ!! と乾いた音が響き、既に前方へ向けていたサラトの細い腕に蒼い静電気が奔る。
 使い手の肉体から雷電の負荷を防ぎ、嘘を燃料に電流を創る神器、トリック・オア・トリート。
 静電気を纏った右腕の先、ピストルをイメージにしたような手つきでサラトは狙いを定める。
 着地した瞬間の、無防備な体勢。男はもう片方の足に装着しようとして左足を浮かせ、右足が今まさに地面に付く寸前の状態だった。
「サラトの友達に酷いことしようとする人、サラト大っきらい!!」
 その一言が、攻撃の引き金代わりになった。蒼い火花が一気に紫電と化し、大気の壁を貫いて男へ飛ぶ。
「芸がねぇなぁ、善悪一<Tマよぉ!」
 ヒュイン、と何かの音がした。
 何だと思うより早く、地面に着いた右足が物凄い速度で発進しだした。
 やや弧を描くように飛び出した男の体は電撃を避け、驚きに硬直するサラトへと突撃する。
 男の右手が、腰のナイフの柄に伸びる。
「サラトっ!」
 恭亜は咄嗟にサラトの体に腕を回して横へ飛んでいた。雷撃を放った直後の帯電のせいで、触れる部分から焼ける痛みが生じる。
 だが、それ以上に鋭い痛みが奔った。庇ったことで目算が外れたナイフの先が恭亜の右肩を掠めたのだ。シャツごと肉が裂け、赤い筋が奔る。
 突っ切っていった男は舌打ちと共に左足にスケートを着け、体を横に倒して方向転換。足の幅を広げてスピードを殺した。
「恭亜!」
 腕の中のサラトは恭亜の傷口を至近距離で見て今まで以上に瞠目する。
「あーあー、面倒くっせぇ。外しちまったかよ」
 男は述べる通りの渋面を作って、手の内のナイフをくるりと弄ぶ。
「――、」
 瞬間、サラトの両眼の瞳孔が収縮する。
 恭亜からは死角になる位置にあるサラトの表情が、激変した。
 無感情で、無感動で、無感傷。
 殺意の光を宿した碧眼がぎろりと男へ向く。
「……ゆるさない」
「サラトっ?」
 小さくぽつりと呟いたサラトに恭亜が顔を覗き込もうとするが、とん、と恭亜の胸を軽く押してから、機械のように色を失ったサラトはゆらりと頭を揺らして一歩前に出る。
「恭亜傷つけた……絶対に、ゆるさないっ!!」
 無邪気で、少しでも嬉しければ満面の笑顔を浮かべていたサラトが、苛烈な怒気をぶちまける。
 それを形として体現したように、サラトの全身という全身から紫電が爆ぜた。耳をつんざく轟音と共に周囲の砂地が震え、サラトの金糸の髪が静電気によってパチパチと乾いた音を立て、ぶわりとざわめく。
「へっ! なぁにが許さないだ、テメェのやりたいように雷どっかんどっかん落としてたヤツが言えた義理かよ……そうやって自分の都合の悪い連中をマジ殺しした化け物が善人気取ってんじゃねぇぞ!!」
 負けず劣らずの怒声を吐き、男は上体を屈む。
 ヒュイン、と音がし、次の瞬間には男の体が弾丸のように飛び出した。
 サラトは右腕を天にかざし、ハンマーのように地に振り降ろす。
 直後、腕の先から紫電が弾け、合わせるようにこちらへと疾走する男に飛来するが、予備動作も無しで男がぐんと横に跳んだ。その軌道上にあったジャングルアスレチックに激突し、鉄の塊がぐわんぐわんと揺れる。
 ぐるんと捻転した男の体が一周し再びサラトに向いたと同時、死角から薙ぎ払うようにナイフが滑り込んできた。
「はあっ!」
 咄嗟に左腕に溜めていた電撃を、男と自分との間に盾になるよう飛ばす。
 だが、
 男がくいっと片足を前に出した途端、ビタァ! と慣性を無視したフルブレーキが起こる。体が前のめりになることもない。男だけ一時停止をかけたように強引に停まったのだ。
「……!?」
 バリバリと嫌な音を放つ火柱のような電撃の一歩手前で、前に出した左足のスケートだけバックする。右足を軸にコンパスのように捻転して電撃の無い側から出てきた男は左足を踏み込んで上体を前方に伸ばし、ナイフの切っ先をサラトの細い首めがけて奔らせた。
 サラトは体を捩ってそれをかわすも、避け切れずに首を少しだけ斬られる。静脈のような致命打は免れたが、首に掛けていた大きなヘッドホンが外れて吹き飛ぶ。
 もう一度電撃を、今度は自分の周囲に纏うように穿つ。だが先を読んでいた男の体がスムーズに後退した。
「うわっ……!」
 それどころか後ろに立っていた恭亜に電流の残滓が飛び散り、サラトは慌てて放電を止める。
 サラトはそこで、ようやく状況の悪さに気付いた。
 電気というのは本来、空気中では伝わるはずのないエネルギーだ。通電能力の限りなく低い粒子で覆われた空気はかなり強い妨害となってしまう為、通電を許す物体を目指す事で初めて電気は大気の壁を突破する。空気が通電する効果を持っているのなら、そもそも落雷という現象は存在しない。あれは雲の中の蓄電量が大気の持つ気圧を超えて電位差が生じるから起こるものだ。
 この場合、電位差の基準となるのは雲がサラトで地表が目標に置き換えられる。そうなれば無理に放電範囲を広げるとそれだけ威力は下がり、何より狙うはずのなかった的まで♀エ電してしまう。つまり、下手な範囲攻撃は恭亜を巻き込みかねない。
 今までは喜怒哀楽の喜と楽しかなかったサラトが、今度は打って変わって怒と哀の二つが入り混じる視線で恭亜の位置を確認して前を向く。
「恭亜、危ないから下がってて!」
「サラト、何を……!」
 男が公園の周囲を迂回して攻撃の機会を見計らっているのを目で追いながら、
「大丈夫」
 恭亜の呼吸を止める痛烈な一言を、平然と口にした。
「あのお兄さんは、サラトが殺すから」
「――っ」
 男に警戒していたサラトは、恭亜の表情が見えなかった。見たらきっと、男の事など二の次になるほどの顔を、恭亜はしていた。
「トリック・オア・トリート!」
 一喝すると、宿主の声に応じてサラトの体躯を放電が纏わりつく。
 恭亜が怒声を口にするより先に、サラトは横に跳んでいた。ピストルを模した右手を男に向け電撃を放つ。しかし素早くジャンプした男はそれを回避して、地面に着地する。
 音も無く。
「……!?」
 恭亜はそれを見て訝しむ。
 電撃を次々と避ける男の足元を目を凝らして観察し、気付いた。
「あのインラインスケート……浮いてる!? 地面の上を走ってない!」
 男の足元では、あれほど激しい走行にしては土煙も立っていなければ車輪の回る音もしない。良く見なければ分からないが、ほんの少しだけ車輪が浮いていた。
 軌道の先を塗り潰すような紫電に対しかなり不自然な角度へ曲がってかわした男は、ナイフを構えて通過間際にサラトを襲う。攻撃に移っていたサラトは少し遅れ、ギリギリを避けた。少しだけ綺麗な髪の毛先が、すぱんと切り落とされる。
 恭亜は、サラトが恭亜を気にして直線の攻撃しか出来ないのに気付く。
 それから男の奇妙な走り方と、今までの不自然な動きの辻褄を合せ始める。
 そうこうしている内に、徐々にスピードに追い付かれてきたサラトは自身を庇った腕に薄い傷が出来た。
(焦るな! 俺に出来るのは考える事しかないんだ! あの複製神器の仕組みさえ分かれば、何か手が在る……! 落ち着いて考えろ!!)
 サラトが恭亜を攻撃してしまわないよう、出来る限りサラトを中心に男と離れる位置に移動しながら思考を巡らせる。
 歯を食いしばり、噛み千切った下唇から血が垂れるのも気付かずに目まぐるしく滑走する男の頭から足先までを隈なく見る。
(……!)
 視線が止まったのは、やはり男の足元。インラインスケートは急ブレーキして方向転換している中でも、少しだけ浮いている。
(何かおかしい……浮いているのなら、車輪が付いてるのはどうしてだ?)
 構造的にも、浮いているだけならそれは意味の無いものだ。噴射を行う代物ではない。それなら土煙が立つ。
 別種の力が働かない浮力。なおかつ、機動性がインラインスケートだけでなく全身に渡るような細工が出来る力。
 その時、ふと目に留まったのは車輪を挟むように伸びている平べったい二枚の黒い板。
「――、そうか。いや……でも、もしかしたら……!」
 恭亜は閃くが、確証がある訳でもなく逡巡していた。
「そろそろ終わりにしようぜ、善悪一=I」
 正面から突っ切る男にサラトは迎撃の紫電を放つが、やはり当たらない。ふわりと跳躍した男が宙で一回転し、アクロバティックな動きでナイフを振るう。
 反射的に頭を低くしたが、肩を掠めて血が飛んだ。
 にやりと笑んだ男が着地し、それから軌道をくねらせて距離を取る=B
 その行動は、恭亜を賭けに乗せるだけの価値の在るものだった。
 恭亜は身を翻して全速力で走りだした。
 サラトが視線の端でその背を見、男もまたそれを見て鼻で笑った。
「くっははっ……! 見ろよ善悪一=Aこれがテメェの言ってた『トモダチ』ってヤツの本性なんだよ! 自分の命が危ないと分かったら、テメェがいくら信じようが置き去りにして逃げる! そいつじゃなくても、オレだって、誰だって死ぬよりマシだと思うんだからなぁ!!」
「恭亜……」
 サラトが何とも言えない表情で、敵の攻撃の事も忘れて茫然と見つめる。
 だが、その視線に信頼や期待が在る限り、
「サラトぉぉおおおっ!!」
 恭亜は決して裏切らなかった。
 男が恭亜に視線を逸らすより早く、恭亜はジャングルアスレチックへと突っ走りながら叫ぶ。
「地面に向けて、思い切り撃てぇぇえええ!!」
 男の視界の外で、サラトは表情をこの上なく明るくした。
 恭亜の言葉は説明もへったくれもない、単純な命令文。どうして、という自分の理解があって初めて行動に移せるような唐突な言葉でしかない。
 しかし、彼女は迷わなかった。
 虚偽も建前も無い恭亜の言葉が、彼女に猜疑心を作る雷を生まないなら、何に迷えというのか。
 サラト=コンスタンスの出自は、【純真世界】。
 信じることが、彼女の存在意義。
 それを、やっぱり恭亜は肯定してくれた。信じるだけしか出来ない彼女を、逆に信じてくれた!
「トリック・オア・トリート!」
 善悪一≠ニしての動きは、俊敏だった。
 腕を一斉に振り上げ、両手の中に紫電を練る。右手と左手とを何度も往復する電流が渦を創り、手の間で極々小さな青白い球体を形成する。
 乾いた連続音と共に野球ボールぐらいの大きさに膨れ上がったプラズマを横目に、男は舌打ちをした。
「ナニ考えてんのか知らねぇが、んな分かりやす過ぎるテレフォンパンチがあるかよ!!」
 男は膝を折って屈み、バネのように飛び上った。ヒュイン! という謎の音と共に三メートル以上は男の体が浮いた。
 同じくして恭亜がジャングルアスレチックに右足をかけ、左足でさらに駆け上がり、跳ね返るように跳躍。

 二人の体が空中を舞った瞬間、サラトはプラズマ球を砂地の地面へ叩き付けた。

 バァアアアンッ!!
 凄まじい爆音が炸裂した。
 鼓膜と言わず全身を震わせ、紫電が公園内の地面という地面に広がる。恭亜の注文通りに思い切り撃っただけあって、結界に余波が飛び火して揺れた気がした。
 波紋のようにサラトを中心に電流の残滓が走り、あちこちで静電気が散る。
 時間にしてほんの一、二秒。
 アスレチックから跳んでも、脚に静電気が纏わりつき、恭亜は肉離れを起こしたような硬直と激痛を感じる。
 しかし直撃した訳じゃない。恭亜は空中で手足をばたつかせて強引に着地した。
 滞空時間ぎりぎりまで使って避け切った男が嘲笑を噛み締める。
「あっぶねぇ! ハハっ、ざまぁみろ化け物! ざまぁみろ素人!! もしかしたらもしかして、こいつぁマジにオレの勝――」
 中指を立てて、男の両足が地面に触れる。
 未だに静電気が散っている砂地の地面に=B

 着地と同時、急激なブレーキが掛かり、男の顔面が地面にぶち当たった。

「が、ぼぁ……っ!?」
 コントでもなかなか出来ない勇気のある倒れ方だ。立ったままの体勢で前方に倒れれば、迫りくる地面に恐怖心から片足を前に出したり、両手を突いたりしてしまう。ただそれは、人間の本能に肉体が応じられるだけの時間が在った場合の話である。自動車並の走行速度を保ったままで、しかも注意を横に向けていた男に、受け身なんて取れるはずがなかった。
 ゴシャアッ!! と身の毛もよだつ壮絶な音が響く。男の体が比喩も無しにバウンドし、宙に放り出された四肢が乱雑に回転して地面に触れてもまだ速度を殺しきれない。結果、何回転したかも分からない程に男の体躯がごろごろと地面を転がり、次第にうつ伏せの状態でやっと停止した。
 撃ったサラトですら目を丸くしているぐらいである。何が起こったのかを理解している恭亜だけが、地面に倒れ込んだ状態で男の姿を捉え、右手の握力を少しだけ強めた。
「ぅ、ぐ……ぐぼっ……!」
 何とか上体を起こした男だが、体の前面を満遍なく打ち付けて無事では済まなかった。湿っぽい咳の直後、口元を押さえた手の隙間から赤黒い血が飛び出る。肋骨にヒビが入ったのかも知れない。顔を覗き込むと、鼻血もかなり出ていた。
「ぢぐ、しょう……! な、何が起きたのかよ……!?」
 男は体を捻って尻から座り込み自分の両足を見る。
 ぐらつく視界の中で、男にとって一つの言葉を絞り出す他にない正解が待っていた。
「なっ……何だこりゃあっ!?」
 突拍子もなく驚くのも無理はなかった。インラインスケートの下部に、びっしりと粉のようなものが貼り付いていたのだから。
 男は右足を軽く浮かして複製神器を再起動させる。だがインラインスケートはいきなり地面に踵落としをするように落下した。足首に鈍い痛みを覚えた男が顔を歪ませ、恭亜を睨みつける。
「テメェ、何をしやがった!? 複製神器か!」
 くぐもった声を上げる男に、体を起こしながら恭亜は見据える。
「違うさ」
 俯く事もせず、真っ直ぐと恭亜は答えた。
「ただの、砂鉄だ」
「――、」
 それを聞いた男は、ようやく恭亜の狙いに気付き顔を青ざめさせた。
 まだよく分かっていないサラト。恭亜は男の足元を見ながら言った。
「こいつの神器の正体、それは……磁力だ」
「磁力……?」
 ああ、と恭亜は頷く。
「車輪の左右に黒い板みたいなのがあるだろ? それは多分、S極とN極別々の磁性を持つ板だ。それを応用して磁界を作ってたんだよ――スケートと地面との境にな」
「……っ!」
 男は焦って指で車輪や板にこびり付く砂鉄を取り除こうとするが、少しだけ剥がれても大部分は取れていない。
「無理だ。さっきまでなら何とかなるかも知れなかったけど、今の砂鉄は普通じゃない」
「恭亜、ジセイとかジカイって言われても、よくわからないよ」
 難しそうに顔をしかめるサラトに、恭亜は自分の足の具合を見ながら説明する。二人して同じ個所の確認をしているが、恭亜と男とでは、心に出来ている余裕の差は大きかった。
「つまりな、左右の板がS極とN極とで違う磁石の板を付けてるんだ。S極とN極はくっ付き合う。それは分かるだろ?」
 こくりと頷くサラト。
「くっ付きそうでくっ付かない曖昧な距離間で二枚の磁石を固定したらどうなると思う? S、N、S、N……と次々に磁力の流れが板同士の間で往復を繰り返して磁場が発生した空間――磁界を作るんだ」
 リニアモーターカーの原理に酷似している。車両と線路軌道に磁石を装着させる事で反発と吸引を繰り返し前に進む。
 サラトはどこか納得がいかないといった表情で首を傾げる。とにかく浮く力が出来るんだと、恭亜はざっくりと説明した。
 一応その先にはまだ補足があった。恐らく車輪も磁石の塊だ。形成した磁界の上で、板の合間で作られた磁力の流れに押されて車輪が回り、その車輪の回転によって縦――車輪と足元の磁界との間――にS極N極の往復が発生する。ヒュイン、という音は宙に浮いている車輪が実質空回りしている音だったのだ。
「なんとなく話わかった」
 言った途端、サラトの髪からパチンと静電気が小さく爆ぜた。顔を真っ赤にして取り繕おうと慌てふためくサラトを見て、段々自分から虚勢を張る事も出来るようになったんだなと場違いな事を恭亜は考えた。
「でもでもっ、サラトまだわからないのが二つあるよっ? 磁石使ってるって言っても、あんな急な動きなんておかしいよ。それに、どうして今まで砂鉄はくっ付かなかったの?」
 恭亜はちらりと男を一瞥する。男は必死に砂鉄を取ろうとしているが、へばり付くその量はちっとも減らない。
「くそっ! くそぉ……!! なんでだよっ! なんで取れねぇんだよこれ!!」
 それを見越して恭亜はじゅんぐりに答えた。
「まず、おかしな機動性。確かに磁界の上を滑って移動してるにしては、あの急ブレーキや突然の方向転換は在り得ない」でも、と恭亜はそれを否定した。「別の磁力で体を瞬間的に固定すれば問題ない≠けだ」
 ぴたり、と。指で擦って砂鉄を落とそうとしていた男はそれを聞いて手を止める。
 思わず腕を引っ込めるが、今更気付いても遅かった。男の両手首に嵌められている黒いリストバンドにも、砂鉄がくっ付いている。
「リストバンドだけじゃない、首に付けてるチョーカーも磁石だな? 首と腕を足元の磁界に引き寄せるようにしてしまえば仕組みは簡単だ。動きの基盤になってる磁界に引き付けられて抵抗を受けるんだから、停まったり横へ跳んだりするのに邪魔な慣性を一気に削ぎ落とせる。それでも慣性の抵抗は掛かるんだから、そのまま停止したら首を圧迫する。急ブレーキする前に必ず片足を前に出して£抗のほとんどを足に向かわせれば、あの強引な機動性能は頷ける」
 そして、砂鉄が今まで付かなかった理由。
 それこそが、恭亜にとっての最大の活路となったものだった。
「普通に考えて、横と縦に二種類の往復を交える磁界なんて理論的には聴いたことがない。複製神器というだけあってそういう常識にない構造をしているんだと思うけど、そんな複雑な磁界なら横と縦の磁力の流れが、そのままS極とN極とで別々なんじゃないかと考えられる」
「……、どういうこと?」
「たとえば……横に往復する磁力の流れがS極、縦に往復する磁力の流れがN極だとすれば、それだけで足元の磁界は吸引と反発を繰り返しているって事だ=B砂鉄はインラインスケートの持つ磁力自体に引き寄せられるが、反発を受けて結局はくっ付かない。それを繰り返して磁界を維持してるからこそ、あの複製神器は何事もないかのように走れていられた」
 語尾が過去形になった事に今度は男までもが難しい顔をしたが、それが理解の色を示すのは簡単だった。
「これがサラトに……地面に向けて雷撃をけしかけた理由だ。ただの砂鉄じゃ磁界の吸引と反発の繰り返しに負けてしまうなら、砂鉄の方にも磁力を持たせればいい=v
「……っ! ま、さか……」
 恭亜は男より先に立ち上がり、爪先をとんとんと蹴って感触を確かめてから、はっきりと答える。
「砂鉄を帯電させて電磁石の性質を持たせたんだ。押し返せるのは『普通の砂鉄』ぐらいなんじゃないのか? ところが砂鉄に磁力が出来た事で反発しきれずに磁界を通り越した」
 男が愕然とするのを見て、恭亜は肩の傷を押さえながら疲れたように、男にはもう分かり切っている補足を付け足した。
「後は簡単だな。それだけ理論上にないほどの複雑な流れを持つ磁界を生んでいるなら、砂鉄が出せる磁力が小さくたって高い確率で磁力の流れは乱れて、崩壊する。それは……精密機器が異物一つ混じっただけで誤作動を起こしてしまうのと同じぐらいの意味合いだ」
 総てを悟った男が辿り着く結論は、もう一つしかなかった。
「お前の敗因は……磁力使いにとって天敵になる能力者と、得物の構造に気付ける人間を、同時に相手にした事だ」
 その一言が、勝負を決した。
 がっくりと項垂れ、男は握っていたナイフを地面に放る。
「……畜生っ!」
 頭を抱えて俯く男を、恭亜はどんな色も無い表情で見下ろしていた。
 ふとそこで、サラトが前に躍り出た。今までちんぷんかんぷんな説明に追い付けず悩ましげな顔色で唸っていたのだが、それは一先ず置いたのだろう。

 先にしなければならない事があるのだから。
「じゃあ、このお兄さん殺すね?」

 寂れた空気が沈殿していたのを完全に無視して平然とその言葉を口にするサラトに、恭亜は振り返り男は顔を上げる。奇しくも二人して同じタイミングと表情だった。
「トリック・オア・トリート」
 まるで確認というよりも決定事項を促すような静かな呼び掛けに、無意識にして絶対の神器は呼応する。バヂヂッ! と音を掻き鳴らしてサラトの右腕に蒼い静電気が奔った。
「ひっ……!」
 男は恐怖に顔を引き攣らせ、両腕を交わらせて反射的に防御の姿勢を取る。勿論、回避に自信があった男から機動性が失われた今、その動作は何ら意味を持たない。
 サラトは静電気を練り上げながら、首をちょこんと傾かせて微笑みかけた。
 そこに悪意は欠片も無い。
 純粋な殺意だけが満ちていた。
「どうして恐がるの? 恭亜を傷付けたくせに。サラトだけを狙うならまだしも、サラトの友達を苦しめたんだもん……それに、≪アマテラス≫の人間なら分かるでしょ? 酷いことをしたくせに、負けた人が生きて帰れる理屈なんてどこにもないって。それって、死んじゃっても仕方がないことだよね?」
「待っ、……オレはっ!」
 弁解の声が喉から絞り出される。複製神器にほんの少し力を加えて逃げようとするが、形成された磁界が砂鉄によって滅茶苦茶になっているせいで彼の両足はぐらぐらと奇妙に揺れるだけだ。これではまともに立ち上がる事も出来ない。かといって、今更外している余裕をくれるとは男も思っていなかった。
 一歩を踏み出し、右腕を軽く上げたサラトが、見る者を和ませる柔らかい微笑を浮かべ、聞く者を凍らせる冷たい言葉を吐いた。
「サラトから大切なモノを奪うヤツ――ぶっころしてやる」
 その腕が振り落とされる。
 蒼い静電気の束が集約され、紫電となって男の眉間にぶち込まれる。
 容赦無く、
 躊躇無く、
 涙を混じらせて情けない顔で絶望する男の命を破壊するように。

 恭亜が、振り落とされる途中の腕を掴むまでは。

「――!」
 サラトが振り返る。
 しかしそれより早く恭亜は苦悶の声を上げた。集約された電気はサラトの肉体を通して感電はしないものの、外気に漏れ出た電流の残滓が触れて、掴む手に焼けるような痛みを覚えたからだ。
 一瞬呆けていたサラトだが、ようやく恭亜の渋面の意味を理解したサラトは何よりもまず能力を解除した。右手から蒼い静電気は収束し、やがて虚空に紛れて消える。
「恭亜?」
 驚くサラトの腕を離し、恭亜はサラトを睨みつけた。見据えるのではなく、明らかな怒りを湛えて、射抜くように睨む。
 なんで、と小さくサラトが呟いた。
「なんで? それは俺の台詞だサラト。お前……自分が何をしようとしてるのか分かってるのか?」
 威圧を伴う低い声。サラトは不安そうな顔をしながらも答える。
「そ、それは……恭亜を、傷付けようとしたから……」
 叱られていることは自覚しているのか、蚊の鳴くように声は萎んでゆく。
 本来の恭亜ならそこで頭の一つでも撫でて宥めるだろうが、今は違った。決して表情を変えず、低めた声でまた言う。
「それがどうして命を奪っていい理由になるんだ?」
「ぇ――」
「何で『殺す』なんて言葉が簡単に出せるんだよ!!」
 次の瞬間には、堰を切ったように大声を発していた。ビクンと肩を竦ませサラトは怯える。
「友達だって……?」言うのも辛そうに、しかし恭亜はしっかりと口に出した。「そんな大切なモノを、そんな下らない事の為に引き合いに出すのなら、俺とお前は……友達なんかじゃない」
 っ、と。サラトの喉から声にならない音が漏れた。眼から生気の光が澱み、焦点の合わない視線を恭亜に向けながら、強張った顔で訊いてくる。
「なんで……っ? わ、悪いことしたのは、このお兄さんだよ? 先に人殺しをしようとしたのは、このお兄さんなんだよ!?」
 純真さを徹底した、至極筋の通る言い分。
 だが、恭亜はたとえ酷かろうがそれをすっぱりと否定する。
「その前に約束を破ったのはお前だ、サラト。お前が俺を裏切るなら、友達と呼ぶ資格なんて無い」
「やく、そく……?」
 頷く。
 恭亜は忘れない。決して忘れない事が、今のサラトを作り上げる為に必要なモノだから。
「俺は言ったはずだ。『奪い合う世界でお前に笑っていて欲しくない』と、『壊し合わなければ手に入らないトモダチなんか追うな』と……それにお前は『もう誰も傷つけたくない』と、『たすけて』と言ったはずだ」
 善悪一≠ニして起こした『侵蝕』の、巨大なプラズマ球が形成する雷電の監獄内で、命を失う危険も迎撃に苛む痛苦も乗り越え、彼女を救い出すことだけに賭けた恭亜。
 だが、彼が何よりも救い出したかったのは、『侵蝕』という名の暴走の事ではない。
 本当にサラトを救い出す事とは、サラト=コンスタンスが居るべき世界≠サのものだ。人の死に無頓着で、自らの手で命を摘み取る事さえ当然のように振る舞う世界が、恭亜にとっては地獄以外の何物でもないと思えたからこそ、そこにサラトは居るべきじゃないと謳った。
 ≪アマテラス≫の依存を断ち切り、ようやくサラトは光の当たる世界に来れたと信じていた。
 信じていた、はずなのに。
「どうして変わってくれないんだ、サラト……人の命を何だと思ってやがる!! お前にも俺にも、そいつにだって命はたったの一個しかねぇんだ! 使い捨ての命なんて無ぇ! 死んで良い奴も、死んだ方が良い奴も居ねぇ! ここでお前が平然と人を殺しちまったら、俺は一体なんの為にお前を助けたのか分からねぇじゃねぇか!! 返り討ちにして、どいつもこいつも生きてて、そんなバカみたいな夢を追って……万々歳の胸くそ悪ぃハッピーエンドを信じなきゃ、俺はお前を許さない! 俺はお前をこそ絶対に許さねぇからな!!」
 ぱくぱくと口を動かしながら、それでも何も言えないサラト。
 声を出したのは、目を丸くして恭亜の説教を聞いていた男だった。苦い中で、嘲るように睨む。
「なん、だよ……それ……頭おかしいんじゃねぇか!? オレぁ敵だ! ≪アマテラス≫に所属する人間として、お前を殺してでも善悪一≠連れ戻そうとした、マジもマジの悪党だぜ!? んな甘ったりぃ希望を振り撒いてどうにかなると思ってんじゃねぇぞ!!」
 拒絶の言葉を投げかけられても、恭亜の覚悟は揺るがない。
 サラトの為に、
 自分の為に、
 そして、男の為にも。
「そうだな。俺の言ってる事は、ここじゃ……この非日常の世界じゃ稚拙で不可能な希望なんだろうな……けどな、手を伸ばせば届く場所に居るんだよ。サラトも、お前もだ。俺は、絶対にお前を死なせない。サラトは連れて行かせねぇけど、お前も生きて返す事しか考えてないんだよ。それ以外の考えなんて起こせる程、俺は余裕の在る奴じゃねぇんだ」
 男は今度こそ、苦々しい顔をする。窺うような低い声で、
「……また襲ってくるかも知んねぇのにか? いや、もしかしたら序列持ちの連中が動くことだってある……それでもお前は――」
「報復が怖くて誰を助けられるんだよテメェっ!!」
 途端に、恭亜は怒号をぶちまけていた。この期に及んで、どうしていちいち理解しなきゃ納得もしない大馬鹿野郎が多すぎるんだと。
「じゃあテメェは死にたいのかよ!? こんな下らない戦いで、こんな下らない負け方で、こんな下らない物語のまま死んで、テメェは納得出来るのか! 言ってみろ!!」
 ぐっ、と男は言葉に詰まる。
「殺す為だけに生きてきたのか!? 違うだろ!? 違うはずだ!! 色んなモノを見て、力の意味を探して、何の為に、誰の為に、どれほど努力をしてきたんだ!? そんなにジーンズを駄目にしてまで、その複製神器を使いこなそうと必死になってきた≠フに!!」
 恭亜は気付いていた。
 男の履いている濃紺のジーンズ。所々が雑に切れていて、裾が両方とも黒ずんでいてボロボロのそれは、いくら何でもファッションとして初めからあったものにしては酷過ぎる=B何度も転び、何度も傷つき、それでも立ち上がり、モノになるまで血の滲むような練習を繰り返してきたのかも知れない。
 磁界を形成しその上を滑走するという、何ら攻撃効果のない高速移動するだけの&。製神器で。
「そんな事をしてまで、テメェのやりたかったのは人を殺す事の為だけだっだのか!? 本当は違う何かの為に、傷付ける力の無い複製神器で戦いを挑んだんじゃないのか!? 本当は、さっきの親子連れを巻き込むのも――」
「あぁそうだよっ!!」
 唐突に男は俯いたまま恭亜の言葉を遮った。
「畜生っ!! 誰も分かってくんねぇと思ってた事をやっと理解してくれたのは敵かよ! そうだよ! 本当は周りの一般人を巻き込むつもりなんてなかったさっ! それどころか、こんな荒事しなきゃなんねぇのも嫌だった! ……オレは反対したさ!! 結界の張り方を知らねぇオレ等だけで行くのはマズいって! でもあの二人は聴いちゃくれねぇっ!! ハナっから殺すしか考えてねぇ! 従わなきゃオレが殺されてたかも知れないから!!」
 男は蹲って、握り締めた両の拳を地面に何度も何度も叩き付ける。
 付着した自分の血ごと強く強く握り締め、なのに力無く叩き付ける。
「何でだよっ畜生……!! やられるだけの人生とオサラバしたかっただけなのに、なんでオレがやらなきゃなんねぇんだ!? どうしてこうなっちまうんだよ!! 畜生っ!! ちくしょぉぉぉおおおおお――っ!!」
 掠れた叫び声を上げ泣く男を、恭亜もサラトも何も言わず、見ている事しか出来なかった。
 やがて嗚咽だけが続くようになってから、恭亜は口を開く。
「……サラト」
 サラトは何かを学んだように理解による光を戻した碧眼で見上げる。
 恭亜はそれを正面から見つめ返し、疲れたように言った。
「今度こそ約束しろ……お前は絶対に、人を殺すな……」
 まるで、汚れ役は総て自分が引き受けるからと、言うように。
「……うん」
 足元に視線を落としながら頷く。何か言いたげだったのを押し殺したのか、パチンと静電気が髪を擦るが、恭亜はそれには指摘をしなかった。
 それから、今度は本心から言いたかったのだろう言葉をサラトはぽつりと呟く。
「恭亜、ごめんなさい……」
 肩まで縮こまって上目遣いになるサラトに、恭亜はやっと柔らかな笑みを浮かべ、頭を撫でる。サラトはくすぐったそうにはにかむが、まだ帯電しっぱなしだった髪に触れた恭亜は顔を引き攣らせる。
「いててっ……!」
 びりっとした手を引っ込める。非は無いだけにサラトは困ったように慌てた。
 そこで、その淡い痛みが血が昇った頭を冷静にさせたのか、恭亜は自分以外の≪ツクヨミ≫の連中の置かれた立場を思い出す。
 まだ蹲ったままの男に声を掛けるのは気が引けたが、殺すことしか考えてないなんて物騒な二人のようだ、聞かなくてはならない。
「他に二人来てるみたいな事を言ってたな? 今どうしてるか分かるか」
 ぐず、と鼻を啜った男は顔を上げずに涙を拭いながら首を横に振る。
「……知るかよ、下っ端のオレにいちいち報告するような奴等じゃねぇ。どうせ好き勝手にやってるはずだ」
 恭亜は奥歯を噛み締める。アインやルルカは何とかなると思う。だが、サラトが勝手に抜け出した事でマーシャが外を出歩いているとしたら、彼女が狙われるのは危険だ。何故かは知らないが、怪我だけは絶対にさせるなとプリシラが釘を刺していたあたり、戦闘の面では期待するべきじゃない。
「行こう、サラト。アイン達が心配だ」
 未だに無邪気さで溢れ返った態度には戻り切っていないサラトだが、緊迫した状況である事はなんとなく分かっているのだろう。小走りで結界を形成する術式の方へと向かう。
「マジで、オレを殺さねぇつもりかよ」
 男に声を掛けられて振り返る恭亜。ぐしゃぐしゃの泣き顔を見られたくないのか俯いたままの男をしばし見つめる。
「……これが俺にとっての最善だからな」
 それを聞いて、男は失笑に肩を震わせた。
「そりゃ残念だったな……こんな失態を犯した下っ端を、ただで済ます組織じゃねぇよ。やらかした事の種類が違う。回避不能の戦闘で命からがら逃げて来たってんなら厚く労ってくれるのかも知んねぇけどよ、無断で戦闘を起こした上に結界を張ってくれたのは敵側、しかもロクにダメージも与えられずに負けて、おまけに殺されるのだけは勘弁してくれた、なんて……組織の沽券に関わるんじゃねぇか? そうなりゃオレはもう≪アマテラス≫にゃ戻れねぇ……」
 甘んじて受けた希望の果てに待ち受ける絶望に、笑いを噛み締めだす男。
 だが、恭亜は即答していた。視線を逸らしながら、ついでとばかりに。
「なら≪ツクヨミ≫の庇護下に入れ。日和見主義で、自由人ばかりで……自分をぶっ殺そうとしていた雷電使いと、仲良く人の寮室に入り浸るような寛大な奴も居る組織だからな」
「……」
 男は、あえて拒絶しなかった。
 座り込んだまま黙る姿に背を向け、恭亜はサラトの元へと歩み寄る。
 術符に打ち込んである杭を掴んだ体勢で待っていたサラトが、それを引き抜く。
 ブゥン! と大気が戦慄き、黒い文字が消失。
 続いて赤い膜が消え果て、見失ったボールを探す子供達と、それに目もくれず談笑している母親達が現れ、

 そして、再び居なくなった。

「――、なっ」
 恭亜は言葉を失う。
 サラトは驚いて恭亜を見て、それから二人は同時に空を見上げた。
 晴れ渡る蒼が広がっているはずの空に、黒い文字で埋め尽くされた赤い膜が掛けられる。
 しかも、今度は公園だけを包む程度のものじゃない。その規模は、目視では測れないほど広大に空間を呑み込んでいた。
「なんで……!」
 恭亜の言の端に浮かべた疑念ごと、
 更なる異界が降り立った。
 誰もが思いもしなかった、悲劇の幕上げが始まる。










 Bullet.W     埒外の天秤





 午後四時三分。
 まだ昼下がりの喧騒が続く快晴の空の下。
 ルルカは第六地区の中央を奔る粒子橋上列車(レプトンライン)の北側へと疾走する。
(……こうして自分の目で見ると、圧巻の一言ですね)
 頭上にそびえる技術国家日本の片鱗を走りながら見上げ、ルルカはそう思った。
 電車は電動機付き客車の略称であり、レールの上に宛がわれた車体の内部に設置された蓄電池を動力源に車上の内燃機関で発電機を稼働させ動力を生み、前に進む。
 それに対しこの客車は素粒子である電子とその反粒子である陽電子とを採取して特殊なモーターを回し、その動力で動く。
 レプトンは素粒子の中でも強い相互作用を受けないのだが、レールと車輪とを連続的に電子と陽電子とで切り替えて吸引と反発を生む。磁石を用いて同じような動きを作るリニアモーターカーとは違い、電磁相互作用の切り替えを別の場所から指定して速度を補正・調節出来る為、ダイヤの乱れの修復や不測の事態への対処といった面で高い安定性を誇る、通常の電車やリニアモーターカーより重要視されている東京都内では有名な移動手段だ。
 橋上、と一口にされてはいるが、実際は地表から三十メートル程度の高さに四角いトンネルがずっと先の方まで続いている。あえて地面に造らないのは、レールにも配電線が設置されており、それ一つでも既存の滑車系統とは群を抜いた精密性を持つからだ。また、高さを持つ事で留置線のような箇所に入れずとも上げ下げで列車を別のポイントに進めるレールに乗り換えさせる事も可能だからという理由も在る。当時は橋上で走らせるなんて危険すぎるし、騒音問題にも発展しかねないと反対の声が上がったが結局、試験運行した際にそこらの電車より遥かに静かに走行する上、実質浮いた状態で固定しているのだから慣性等を除くイレギュラーな揺れの類もほとんどない。さらにトンネル内に等間隔で設置されている電磁誘導パルスの発信装置によって遠隔制御も出来るという技術力の前に、反対していた人間は黙るどころか逆に喜んでそれを活用するようにしだした始末だ。
 実用されてまだ半年というだけあって綺麗な外観の白いトンネルの下を潜り、ルルカは頭より高い程度という立入禁止のつもりがあるのか甚だ疑問なフェンスの縁に両手を掛け、ひょいっと飛び越える。
 この辺りは配電線に電気信号を送る為のバックアップ用変電機が並ぶ場所で、普通は近寄ろうと思わないのか人の気配は全くしない。トンネルを支える野太い支柱に落書きの一つも無いのは、腰の低いフェンスで囲まれた変電機に触れて感電してしまうかもという安直なイメージがあるからだろう。そう思っても仕方が無いぐらいに、今も駆動音を低く鳴らす変電機は大した外装もない剥き出しの外見だった。実際には風雨対策として合成樹脂の特殊装甲板で絶縁しているようだが、あるいは精密機器にも匹敵するだけあって見回り等の監視体制が敷かれているのかも知れない。フェンスに『あなたのハートをリアルにシビレさせます。御注意』などという目を疑う看板が掛かっていたような気がして日本の産業に不安を覚えなくもないが、唯一の救いは監視カメラのように明らかに通り過ぎるだけのシーンを目撃するモノが無かった事か。
 もっとも、それはあくまで一般人に知られずに済むという部分だけであって、ぶつかりざまにフェンスに噛み付いたナイフが次の瞬間にはあっさりと食い千切ったのは、今でもルルカの苦悩の種だった。
「おらおらどうしたぁ!? あんだけ偉そうなコト言っといて鬼ごっこしか能が無ぇのかよ! 確かに逃げ足の速さには勝てそうにねぇわな!! ぎゃっははははははははっ!!」
 下劣極まりない笑い声を上げて追って来る金髪に、ルルカは反論の言葉を口にしようとして、やめた。余計な体力を使いたくなかった。そもそもルルカは元々の体が弱かったため、オーラム・チルドレンとして覚醒して飛躍的に向上された今の肉体でも、スポーツに精通している人間と大して変わらないぐらいでしかない。既に二十分もの間、人の気配がしそうな場所を避けて右に左に全力疾走をしているのだ。体温の上昇と共に少し息苦しく感じてきた程度なだけでも強いはずだ。
 一方、金髪の男は大して汗一つ掻いていない。オーラム・チルドレンとしての契約の有無の差を凌駕するほど、鍛えている証拠だ。アインやプリシラなら余裕を持って誘導する事も可能であろうし、その気になればあっさり振り切る事も出来るだろう。
 だが、逆にルルカが必死に逃げているのが事実だからこそ、金髪は諦めたりせずに執拗に彼女を追うのだ。逆上の矛先が違う所にいかないように出来たのは僥倖だ。あとは、もうじき着くはずの小さな町営公園に人が居ない事を祈るだけだ。砂利道の途中にぽっかりと建っており、位置的にも住宅から子供を連れて行こうとするには離れにある。
 ルルカはもう一度フェンスをよじ登り、鼓動が早まりつつある胸倉を掴む。
 砂利を蹴って助走をつけ、腰の高さのあまり手入れが行き届いていない茂みをハードルのように飛び越えた。
(プリシラ先輩ではないですが――、南無三!)
 芝生の上で一回転し受け身を取ったルルカは、屈み込んだまま迫りくる脅威より先に公園にぐるりと視線を巡らせる。
 だが、そこに人気は全くない。鎖の錆びたブランコ、オンボロのシーソー、キリンの造形がされた滑り台、小さな砂場、衛生面が気になる水飲み場……周囲は木々で囲むようになっていて、外からの視界も極めて狭い。
 よし、とルルカは心の中で安堵した。地図上での規模や人気の無い確率は算段済みだったが、状況としてはこれ以上は望めない。
 それを確認した直後、ちき、という金属の擦れる音が耳に入ったルルカは懐から投擲小剣を摘み出して振り返り、今度は防御ではなく迎撃の為に投げた。
 案の定防ぐつもりだと思っていた金髪は驚き、反射的に投擲小剣をナイフで叩き落とした。投擲小剣は細かい砂利の地面を転がる。
(やはり、もしかすると……)
 からんと乾いた音を立てて転がる投擲小剣を見て、ルルカは一つの奇妙な点について考えつつ、さらに投擲小剣を取り出して立ち上がる。
 金髪は唾を吐いてからルルカをねめつける。
「チッ、次から次へと……手品師かこのクソアマ」
「生憎ですが鳩は出せませんね。元より、鳥はあまり好きではありませんし」
 柄にもなく軽口を叩くルルカだが、金髪は舌打ちと共に渋面を作る。あまり乗ってくれないらしい。
「鬼ごっこはおしまいかぁ?」
「ええ。非生産的な押し合い圧し合いはいい加減辟易していましたので」
 ルルカは投擲小剣を眼前に構え、金髪を見据える。
「もう一度だけ御伺いします……結界を張る気は無いのですね?」
「そればっかしかねぇのかテメェはよぉ!!」
 金髪は吐き捨て、同時に駆け出す。
 投擲小剣を指先に絡ませ、ルルカは素早く腕を振るって銀閃を奔らせる。
 一歩横にずれてそれを紙一重に避けた金髪がさらに距離を縮める内に、ルルカはもう一本の投擲小剣を放ってから横へ跳ぶ。
 すくん、と音も無く投擲小剣が中程から真っ二つにされ、返す刀がルルカの立って居た場所――首の在った虚空を空振りする。
 地面に片手を突いて側転したルルカは着地間際に体の死角から再び投擲小剣を打ち込む。金髪は体を大きく横へ動かしてやりすごし、一歩を踏み留まる。
 ルルカの戦い方は一見、投げては避けての繰り返しだ。例え攻撃を撃ち落とされても射程圏外に居るルルカにはナイフ使いは避け易いだろう。
 だがそれだけではない。ルルカの投擲技術はかなり高い事に金髪は前へ突き進み敵の武器は迎撃するという攻撃的な戦法を改めるようにした。先ほどから、ルルカは動きの合間に出来る『移動の隙』を穴埋めするように投擲小剣を放ってくる。体勢や攻防などお構いなしで、手首を捻るだけでこれだけの精密な軌道を狙って飛んでくるのでは、いずれこちらの隙を狙われてダメージを被る事になる。
 加えて、金髪は気付いていた。眼の前の小娘はさっきからただの武装≠セけで対抗している。オーラム・チルドレンとの戦いにおいて否応無しに見る事になる神器や能力を全く発現させていない。それが余裕からくる出し惜しみではなく、単純に一般人の視線を集めてしまう可能性の高い形状や効果を持っているからと読めるだろう。
 だが、金髪はそれをあくまで『舐めている』としか受け取れなかった。
 逆上に次ぐ逆上で、いっそ恐怖心が消えた金髪は強引に前へ一歩を踏み込み、フルスイングで腕を振るう。同じく後ろへ跳ぶルルカは、軸足を踏ん張り、前に出た。
 丁度動きの合間に出来た隙を狙われた金髪とルルカの身体が近接距離に迫る。互いの武器の間合が死ぬ位置で驚きに硬直する金髪に、ルルカはコートの内側に両手をクロスさせるように忍ばせ、口を開いた。
 勝利を宣言するように。
「オ――」

「なにしてるの?」

 それが、予想外の声に崩された。
 二人して反射的に首を横に向けた。
 そこには、犬なのか猫なのかよく分からない、言ってはなんだが不格好な造形の縫いぐるみを抱く小さな女の子が立っていた。
 年は幼稚園児ぐらいだろうか。殺意と敵意とで相対する二人の戦場をそうと理解していない、きょとんとした顔で見上げている。
 他に人はいない。親らしき姿が無い。
 はぐれたのだろうか。迷子としてうろついている所で、気配に気付いて来てしまったのだろうか。
 不幸か油断か、そんな考えに思考を持っていかれたのはルルカだけだった。金髪は何だこいつという視線を迷子に向けた状態で、そのまま腕を振り抜いた。
 視界の端から競り上がって来るナイフに一瞬遅れてルルカは避けようとするが遅く、二の腕から肩にかけて斬られてしまった。コートが厚いため深くは切れなかったが、意表を衝かれた一撃にルルカの表情が歪み、たたらを踏んでしまう。
 それを見ながら、よく分かっていない迷子は首を傾げて、あろうことか金髪に話しかけだす。
「なにしてるのー? テレビのさつえい?」
 分かってて訊いているのか疑問な態度の迷子を見下ろし、金髪の取った行動はあまりにも躊躇が無かった。
「はぁ……うぜぇから死んどけ」
 疲れたような溜息を混じらせて吐くには在り得ない一言と共に、逆手に持ったナイフを迷子の眉間めがけて振り上げる。
 ルルカは絶句した。
 それは、決して在ってはならない行動だった。
 そこには一体、どれほどの禁忌が詰め込まれているのか分からない。
 能力者同士、いや、戦う意思を持つ者同士の対峙ならば、たとえそれが圧倒的な蹂躙であっても正当化するだけの情緒も在っただろう。
 しかし、そこに情緒は無い。戦う者としての矜持は無い。批難も憎悪も知りたくないかのような、理不尽過ぎる悪意しかない。そこに敵意や殺意というモノは介入も許されない。
 故に、思考を断ち切られた真っ白な頭の中で、実にシンプルな命令文が弾き出され、打算も計算も置き去りにした体はすんなりと動いた。
 護れ。
 彼女を死なせるな。
 誰が悪いとか、誰がいけないとか、そんな下らない議論は捨てろ。
 ここで、何の力も関係も無い彼女が殺されては、救われないのは彼女以外の何者でもない!
 ルルカはグラついていた足を踏ん張り、まるでホームベースに突っ込むランナーのように、半ば迷子に体当たりをするように飛び付いていた。
 短い悲鳴も、布を抉り取る音も、遅れて聴こえた。何よりも早くルルカの感覚に叩き込まれたのは、背中を斜めに奔る凄まじい痛みと、熱だ。
 運が良かったのか、飛び出したルルカの背中に当たったナイフは峰の部分から触れた。しかしそれでも振動によってぎちぎちとコートを掻き分け、白く透いた背中を鉤爪で引っ掻くように抉り取られる。一緒に巻き込んだ灰銀の髪が幾本か切り落とされる。
 攻撃の隙を感じったルルカは迷子を抱き締めたまま、金髪から離れるように飛び退いた。
「――ぁ、がっ!」
 その一歩ですら背中には響く。じわりと広がる痛みに苦悶の表情を浮かべるルルカを、金髪は嘲笑った。
「何だぁ? カモがネギ背負って面白い真似してくれたなぁオイ……さっすが博愛が身に染みてる≪ツクヨミ≫の方は涙が出るねぇ。つっても笑い泣きだけどよ」
「……っ、よくも……!」
 腕の中で目を瞬かせている迷子を庇いながら、片膝を突いてルルカは金髪を睨む。
 ルルカの細い腕でも、オーラム・チルドレンとしての腕力がきつく締め付けてくる為か、迷子は少し居心地が悪そうに眉根を寄せる。
「誇りは無いのですか……? これ≠ヘ勝つための最低限の布石という次元を超えているのですよ!?」
 対して、金髪の一言は容赦が無かった。
「それが何だ!! テメェを殺すことが勝つことだとでも思ってたんかよ! ますますオメデタイ頭ぁしてんなぁ!! 邪魔になりゃ殺すのは深淵に寄り添う者の定めってヤツなんじゃねぇのかよ!!」
 ゲラゲラと下卑た笑い声を上げる金髪に、ルルカは腹の底からの低い声で呟いた。
「……深淵の、何を知るでも無い人間が……それを口実にしようとするなんてっ」
 ここへきて、ルルカの怒りは全く別種の方向へと至った。
 気に入らないという域を遥かに超えた、絶対に許してはならないという嫌悪。
「生きたモンが勝つんだよ! 死にたくねぇから殺すしかねぇのさ!!」
 ダン! と地面を蹴って猛進する金髪。
 ルルカは惑うが、すぐさま迷子を正面から抱きかかえてナイフの軌道をかわす。それでも数十キロは有るモノを抱えて、弊害が出ない訳が無い。完全に避けたつもりでも、薄く頬を掠める。半端な避け方をしたせいで体勢を崩して地面に倒れた。その拍子に迷子が腕の中から離れる。
 起き上ろうとしたルルカは、足に重い負荷を受けて身を硬直させる。既に距離を殺していた金髪が足首を踏みつけていたのだ。
「……っ!」
「チェックメイトだ、甘ちゃん女」
 ナイフに舌を這わせ、虚空を一振り。途端に刃が震え、適切な振動数を算出した強烈な殺人の一撃を生み出す。
 ルルカがどうすればいいかを必死に考え、それを打ち消すように腕を振り上げた時、金髪は思わず目を瞑った。手に収まるぐらいの小石が頬に当たったのだ。
 金髪がねめつけると、そこには縫いぐるみを片手に抱きもう片方の腕を投げきって伸びたままにして、どこか涙目になった顔で見上げる迷子の姿。
「お、おねえちゃんをいじめないで!」
 ルルカは目を見開いた。金髪の人格的に遅かれ早かれの問題なのだろうが、そんな事をすれば頭に血が昇ったこの男は決して後回しになんてしない。
「……うっぜぇな、ガキ」
 案の定、金髪は心底嫌そうな顔で踏みつける足を離す。
「ま、待って下さい!」
 腹筋の要領で上体を起こしたルルカ。だが即座に金髪はルルカの鳩尾に蹴りを打ち込む。爪先が一切の加減も無く深々と突き刺さり、呼吸と思考を奪われた。ミシ、という嫌な音まで聴こえ、嘔吐感を覚えて地面に蹲り動けなくなる。
「こ、ほっ……おぇ……!」
「弱いなぁ……テメェは弱すぎんだよ」
 金髪は涙を流しながら震え立ち竦む迷子に詰め寄り、

「そんなんだから、テメェは誰も護れやしねぇんだよ」

 振りかざしたナイフを、迷子の頭部に落とす。
 ルルカは声を発する事も出来ず、腕を伸ばした。
 届く事も無く、
 能力も意味を成さず、
 小さな命を護る事も出来ずに、
 ナイフは寸分違わず、迷子の柔らかい栗毛色の頭部の、真ん中に滑り込んだ。


 ◆


 午後三時四十二分。
 繁華街から北西に移動したアインとマーシャ。
 この辺りは居住区とオフィス地区との境目辺りにある為か、工場の多い場所だった。
 あちこちにトタンで出来た三角屋根の建造物が連なるように建てられており、入り口は扉が無く吹き抜け同然になっている。中の光景から察するに、金属類の回収・精製する場所なのだろう。分厚い木箱に無造作に積み上げられた錆びた鉄の棒や、ステンレスの光沢が輝かしい部品などが、種類ごとに分けられて置かれてある。
 人の気配はしなかった。恐らく都内を回る資源ゴミの収集会社は、土曜日に金属を回収はしないのだろうとマーシャは推測した。専門分野でもない二人は知らない事だが、実際はここ最近の金属類の取り引き額が大幅に下がってしまっているので、どこの回収業者もとりあえず置いといて、後で値が上がってから売るように溜め込んでいるのが拍車を掛けているだけだ。これは昨日今日の話ではない。土曜日は町を収集して回るよりも、電話口で依頼した家々に向かって物品を回収し金を受け取る方が無難なのをここの業者も知っているのか、門は閉まっていた。一応とはいえゴミの集積所のくせに土曜日も定休日扱いなのを知ったら、きっとルルカなら卒倒しかねない。
 マーシャは建物と建物の合間に身を潜め、アインに壁に背もたれるようにして座らせた。
 既に腹部を押さえる手は真っ赤に染まっており、綺麗な青白さを持つ肌は危険な蒼白に変わっていた。暑さとは違う脂汗を掻き、マーシャよりも荒い呼気が漏れる。
「ま、待ってて下さいっ……す、すぐに、なっ治します……!」
 マーシャは震える両手を胸元に持ってくる。
 かく言う彼女も頭痛が酷い上に、押し潰されそうな緊迫した空気に思考が乱れる。
 掌を向け合った両手が震えて、滲み出るように光の残滓が出るが、すぐに霧散してしまう。
 それを間近に見たマーシャは、自分が恐怖と焦燥に激しい動揺をしている事を自覚してしまい、さらに集中力は散漫になってゆく。
(な、治すんですっ……わ、私が、治さなくては、あ、アインがっ……アインがっ……!)
 ガチガチ、と嫌な音が耳の内側から聞こえる。それが自身の奥歯が小刻みに震えて鳴っている事も気付かず、必死に両手を強く握って目を瞑る。
(ど、どうしてですかっ、シャイン・ブレス!? な、治さなくちゃいけないんですよ!? 大切な仲間なんですよ!? わたっ、私が、治さなくちゃ、みんな、みんな傷付いたままで、苦しくて、哀しい想いまでふえっ、増えて……! だから、お、お願いですシャイン・ブレス……! お願いですから、ここに――)
「――シャ……、マーシャ!」
 不意に声が掛かり、同時に胸倉を掴まれたマーシャは意識を取り戻す。
 目の前には、酷い顔色のアイン。
 震えるような熱い吐息が頬を撫でる。
 だが、その二つの瞳には、決して消える事のないかのような光が在った。
 表情は、怒り。
「マーシャ、自分今なんて言ぅた?」
「ぇ……」
「『治す』? ちゃうやろ……! 自分の出自も忘れたんか!? ウチの傷を治す事だけが、アンタの世界やったんか?」
「――っ!」
 熱に浮かさていた頭に、水を掛けられたような気分だった。
 この少女は、
 こんな事態になって、
 腹部を刺されたというのに、
 神器を出現させられないマーシャを、
 不甲斐無さへの苛立ちではなく怒っていた。
 オーラム・チルドレンに存在する出自を、
 在るべき存在意義を、
 見失う事。
 アインは、それに怒りを覚えていた。
 『使えない』と否定する事だって出来たのに、
 彼女は、自分の事など気にも留めずに、マーシャ=ハスティーノンを全肯定する事しか考えていなかったのだ。
「……」
 呆然と見つめるマーシャ。
 アインはじっと目を見つめ返したまま、前に出したままのマーシャの両手をそっと包み、重ね合わせる。
「ちゃうやんか、アホ」
「ア、イン……?」
 手の平を重ねさせ、指を絡ませたアインは口元に薄い笑みを浮かべて穏やかに言う。
「こうせな、マーシャらしぃないで」
 ぐっと力を込め、それから手を離す。
 あ、と。マーシャの口から小さな声が漏れた。
 何回も、何十回も、何百回も、何千回も、何度作ってきたか分からない。
 それ程の、彼女らしさを形容するモノ。
 神に祈る手。
 マーシャはしばし黙り込んでいたが、やがて大胆な行為に走った。
 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。深呼吸の後に、マーシャは唐突にも重ねた手を口元に持ってゆき、目を閉じて滔々と呟き始めた。
「Il primo. Io sono un dio per Lei. Nessuno inoltre me deve farlo al dio.――」
 流暢なイタリア語の、ささやかな調べが始まる。
 カトリック教会の祈祷第七の一文、『神の十戒』。
 決してゆっくりではないが、さりとて急いてもいない。敵に追われているという事すら忘れてしまったかのように静かに謳う彼女を、しかしアインものんびりとした視線で見ていた。
 それどころか、ぼんやりとした思考は状況とはまるで違うもの。
(十戒……確か最初は……『わたし以外の神をつくるな』とか、そんなんやったな……)
 正確には、『第一 わたしはあなたの主なる神である。わたしのほか、誰をも神としてはいけない』というものだ。
 アインはマーシャに気付かれないように、失笑を噛み締めた。その通りだと思ったからだ。
 オーラム・チルドレンは、深淵の一部を受け入れる事で堕落し、魂を異形とした存在だ――加えて、受け入れ過ぎる事で冒涜し、肉体までもを異形と変えたモノをABYSSと呼ぶ――とアインは思っている。
 実際にそうではないだろうか。深淵を神と呼ぶのは宗教的に充分背徳的ではあるのだろうが、オーラム・チルドレンにとって深淵は無くてはならない居場所だ。深淵が在るからこそABYSSが跋扈し、しかし同時にオーラム・チルドレンも己の世界を作り上げる術を持つ事が出来る。
 己が信じる世界――言い換えれば出自は、まさしくその者にとっての神だ。
 決して侵されるべきでなく、決して侵すべきでもない。
 そうして出自を矜持として貫き通す者にこそ、目には視えない『力』は在り続ける事が出来るんだと。
(なら、ウチは……?)
 出自を知り得る事すら出来ない、アインは?
 神とするべき居場所を知らない、アインは?
 ピントを失った視線が虚空を彷徨う。自分は何の為に戦っているのか、という謎は無い。何故なら、孤独と言っても間違いではない程の寂しさと苦しさを知る彼女にとって、自分の為に戦う以外に答えなど在るはずがない。
 アインは、それが何かは分からない喪失感と、羨望の眼差しでマーシャを見る。
 他人の為に何かを成そうとする人間は、アインにとって理解出来ない事だった。
 リフレインする言葉。
 ――『俺は、誰かを護れるだろうか』。
 それはあの日、確たる意思もなく深淵に身を委ねてもがき苦しみ、病院の白いベッドの上で呟いた、ある青年の質問。
 彼女と同じく出自を見い出せずに居るその異常適正者は、オーラム・チルドレンのはびこる場所でも異質とされる力を、誰かの為にと望もうとした。
 結果として彼はサラト=コンスタンスを護り切った。他でもない彼の、異質な力によって。
 けれど、アインにはそれは出来なかった。
 彼を『侵蝕』から救い出したのは自分ではなかった。
 サラトから『侵蝕』を止めたのは自分ではなかった。
 それは、力が足りないという部分だけの話ではない。
 自信や誇りではなく、『しなくてはならないから』や『するのが当然』という機械めいた理屈を存在意義に当てはめようとして、ABYSSの討伐を行ってきた。
 では、戦って戦って戦い抜く先に、アインは何を見ればいいのか。
 過程を生きる術にして戦う彼女は、どんな結果を望めばいいのか。
 それは、とても尊く、そして儚い謎だった。
 マーシャに訊いてみようか。プリシラや教授に、あるいは、彼女≠ノ訊く事が出来たとしたら。
「――Il decimo. Lei non deve volere altri' imprudentemente.」
 『第十 あなたは、他人のものをみだりに欲してはならない』。
 まるでアインの考え事に対しての返答のように。
 やがて最後の一言を謳うマーシャは、そのまま両手を組んだまま、確かにその名を呼んだ。
「シャイン・ブレス」
 ポゥ、と光の粒子が両手を包み込み、構築された手甲は彼女の腕に装着される。
 蒼い水晶が手の甲に嵌め込まれた、赤い手袋。弔花の諸手≠フ神器シャイン・ブレス。
 その赤い色合いは、まるで彼岸花のように。彼女が何度も積み取ってきた死の花の数だけ赤く染まったように。
 瞼を上げ、自らの両手を見下ろしながら、マーシャは小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
 やがて笑みを引っ込めたマーシャは今度こそ真っ直ぐアインと視線を合わせ、何を言うともなく両手をアインの腹部に近付ける。アインもまた何も言わずに手を除けた。
 衣服に空いた縦の亀裂から、赤黒い色が覗いている。
 並の人間なら目を背けたくなるし、人によっては倒れかねない。
 だが、損傷の酷さなど初めから考慮の外だ。
 彼女にとって、有無以外の事など考えちゃいない。
 絶大な力がある訳じゃない。
 ただ一心不乱に傷を治す事しか考えず、救う事しか考えない。
 しかしそれは、ある種そこらで踏ん反り返るだけの暴力的な能力者より、なんて強いことか。
 ふっと目を閉じた瞬間、マーシャの両腕から淡いライトグリーンの光が溢れる。
 光を纏った両手がそっと傷口に触れた瞬間、しゅう、と焦げるような音が出た。途端にアインの顔に痛さとも痒さとも取れない渋面が浮かぶが、マーシャは気にしない。何を犠牲にしても傷を治す事が彼女の本分ならば=Aほんの十数秒で終わる苦しみに悲壮など感じてはいけない。
 じゅわりと傷口は形を歪め、傷の両端からチャックの口を両方から閉めるように繋がってゆく。『傷が出来た工程』という因果律を逆転するので、癒着による皮膚や筋線維の異常もなく、本来の綺麗な肌へと戻ってゆく。
 やがて熱が冷え、しゅうしゅうというあまり聴きたくはない音が止む。完全に正常域に達したのを悟ったマーシャは目を開けて両手を離す。糸のように光の残滓が伸び、ぷつりと切れる。両手の光が先に消え、アインの腹部に纏わり付いていた光も融けるように飽和した。
「……お、終わりました」
 恐る恐るといった具合に告げるマーシャ。アインはまだ青白い顔で自分の腹部をそっとなぞる。
 指先がほんの数ミリ触れただけなのに、顔を歪めた。シャイン・ブレスは傷を癒す事は出来るが、失血や痛覚までは戻せない。無意識の警告が烙印となった気だるさを、ただでさえ据わっている半眼を一層細めさせる。
「おおきに……」
 物憂げに言うと、アインは右手をブラブラと振ってから、小さく名を呼ぶ。
 リイイイィィイン――、
 鈴の音を思わせる涼やかな音。光の粒子が即座に拳銃に姿を変え、銃把を握ったアインは外へと視線を向けながら面倒臭そうに言った。

「ほな、そろそろ反撃といこか」


 黒髪の男は親指の爪を齧りながら工場群へと侵入する。
 左手に握る鉄の棒のような神器の先端がずるずると地面を引き摺る。
(どこに隠れた……?)
 既にここに居るのは確定の思考だった。勿論それは、蒼銀髪の銃使いが流した血痕がところどころに垂れており、ここで途切れていたからだ。おまけに鍵が掛かっていて開けられなかったからか、レールの上を引いて開ける門の一部にべっとりと血がこびり付いていたら間違いようがない。
 黒髪は薄暗い視線をあちこちに巡らせ、ゆったりとした足取りで探索を進める。
 あまり時間は掛けられない。茶髪の男はいまいち信用していないが、もう一人の仲間の腕は三人の中でも高く、単純な殺傷力だけなら確実に一人ぐらいは倒せていよう。よしんば劣勢を強いられていても、距離を開けて援護する事に向いている自分が助力になればオーラム・チルドレンといえど一溜まりも無い。早い内にあの二人を殺し、処理を済ませた上で予定の区域へ戻る。
 そんな算段を練っていた黒髪の右側から、甲高い音が響いた。
 反射的に黒髪はナイフをホルスターから引き抜き神器の根元に押し付けながら振り返る。
 だが、そこに人影はない。アスファルトの地面には一つだけ、陽光を浴びて鋭く光る銀色の部品が転がっているだけだ。
 黒髪はすぐさま拓けた場所から建物の陰に隠れた。この複製神器は性質上、後の先を取る迎撃用の武器だ。あまり射線の多い場所に立つと不利になる。
(……不意打ち、に……攻撃をしかけ、なかった……)
 黒髪は少しだけ顔を出しながら、その意図について考える。普通なら、わざわざあんな猫だましのような事をする必要はない。いっそいきなり死角から撃たれた方が、あの威力は充分恐ろしい。
 それがなかった。つまり――、
(少なく、とも……ダメージは……抜けて、いないと、……いうこと、か)
 黒髪は反対側の路地のように入り組む建物の隙間を通り、別の場所へ音も無く走る。
 腹部に深々と突き刺した感触は今も消えていない。ここに来るまでの十数分間の失血は相当のものだろう。致命傷とまではいかなくとも、少なくともあの銃が火を噴く機会は目減りしたはずだ。
 左右を壁で覆われた道を慎重に歩く黒髪の耳に、再び金属音が響く。
 実際は、その部品が投げられたのはかなり遠く、それも向こうは特に場所を特定できている訳ではなかった。冷静に考えれば気でも触れたか程度の思いしか浮かばないような事だったのだが、黒髪は今、左右に壁が在る狭い道を通っている。部品一つの小さな音は壁という壁に反響してメガホンの役割を与え、黒髪の耳朶を不気味な音量で叩く。
 びくん、と肩が竦んだ。
 思わず振り返る。よくよく考えてみれば、こんな挟撃のしやすい場所は無い。知らずの内に舌打ちをした″部ッは、危険ではあるがまだ安全性は高いであろう、屋根で死角になりやすい建物の下を通るべく路地を抜けようとする。
 次の瞬間、
 ガンッ! と頭上で音がした。
 それも、普段の正常な思考であれば、部品を屋根に投げつけたと安直に考えるべきだった。だが黒髪は緊迫した空気を何度も小突かれ、己の心臓の高鳴りに気付いていなかった。
(屋根の、上を……?)
 切り取られた青空を見上げながら、黒髪は小道を抜けて建物の中に入り込む。重厚な木箱に山積みにされた金属類の中に、脚立を発見した。恐らく棚の上に並べられた小さな木箱を手で下ろす為にだろう。黒髪はナイフを納めてそれを担ぎ、外へ出る。ガチャガチャという音が煩いのを、本人は完全に考えもせず。
 狙い撃ちを恐れて再び小道に戻った黒髪はそこに脚立を完全に開いて固定し、壁に立て掛ける。屋根までは少し足りないが、腕が届かないことはない。ぐらぐらと揺れるのをゆっくりと登り、トタン屋根の端に手を掛ける。ぐっと脚立を蹴って勢いを付けてよじ登ると、青空とトタン屋根に挟まれた工場群の全貌が見渡せた。
(どこに、居る――!?)
 身を低くして視線を巡らせる黒髪。
 不意に、視界の中を何かが飛んできた。
 咄嗟にそれを避けようとし、すぐにそれは黒髪には当たらない軌道で屋根に当たる。
 またも、銀色の光沢を持った何かの部品だ。
 黒髪は放物線をなぞってその方角を向く。
 居た。
 同じく屋根に立つ、少女の姿。
 彼我の距離は三十メートル前後。ちょうど大きな通りを挟んだ向こうだが、黒いTシャツの上からノースリーブのジャケット。チェック柄のスカートに腰にはホルダーベルト。そしてその右手には、この距離からでも分かるあの怪物拳銃。
 銃使いは屋根の頂きに腰かけ、何かをぽんと宙空に遊ばせてからキャッチする。さっきから投げている部品だろう。ここまで投げるとなると、傷口は痛むに違いない。
「馬鹿、だ……」
 黒髪は低く呟き、口の端を薄っすらと歪める。わざわざこんな距離の開いた状況を、向こうから作ってくれるとは思わなかった。いかに威力が高くとも、単発式の銃では簡単には当たらない。何しろ、彼の音響迎撃は充分に射程範囲内だ。
 銃使いはすくっと立ち上がり、銃を両手で構える。いくら両手で構えても、命中精度の修正は雀の涙だ。
 黒髪は、銃使いの挙動に合わせるようにしてナイフを引き抜き、複製神器の根元にあてがう。
「そこ、で……攻撃に移、るの、が……既に、間違いだ……!」
 何度も刃で擦り付けてきたせいでどす黒く痛んだような外観の複製神器の根元から、黒髪は火花が散らんとする勢いで一気にナイフを掻き鳴らした。
 三十メートルの距離を無視し、聴覚そのものに叩き込む音響迎撃が飛ぶ。

 だが、銃使いは何事も無いかのように狙いを定め続けてる=B

「……な、に?」
 最初に黒髪が取ったリアクションは、驚愕だった。
 音響迎撃の効果範囲は最長で五十メートル前後。まず射程に問題はない。
 耐えている、という根性丸出しの可能性も無い。耳に手を当ても蹲りもしない。
 明らかに音響迎撃が効いていない。
 何故? と困惑する黒髪がはっとした時には、向こうで銃使いは引き金を引いていた。
 硝煙が見え、音が遅れて届くのと同時に足元のトタン屋根に凄まじい速度で弾丸が直撃した。弾け飛んだ破片が黒髪の頬を掠め、赤い筋を作る程に。
「ひ――」
 喉がひくついた。溜めに溜め込んでいた恐怖感がここにきて暴発し、がくんと足の力が抜ける。バランスを崩した黒髪は屋根の上で転び、ごろごろと滑り落ちた挙句に屋根から落ちる。
 十メートル近い高さを重力のままに落下し、アスファルトの硬い地盤に激突した。
 ガラン! と複製神器がアスファルトに叩き付けられる音がけたたましく響く。
 声は出なかった。獰猛な鈍い激痛と共に呼吸が死ぬ。視界が妙に白くなり、続いてブラックアウトしそうになるのを唇を千切りそうなほど噛んで堪えた。
 むくりと起き上った黒髪は、壁にもたれて血走った目をどこへともなく奔らせる。
(よ、くも……っ。そう、か……あの、シスターだな……? あのシスターの、能力は……防御、する……類の、ものなんだな……っ!?)
 回り切らない思考で強引に結論付け、黒髪は高所から落下した衝撃などお構いなしに複製神器とナイフを拾い上げ、小走りで突き進む。フラフラとしているのもどうでもいいのか、あれ程己の力の性質を熟知していると思いこんでいた自分が嘘のように猪突猛進気味に小道を通る。
 ころす、ころしてやる、と独り言を吐きながら、黒髪は物音を聞きつけて足を止める。
「――マーシャ。アンタは物陰に隠れときぃ」
「――で、でも……」
「――アンタの能力じゃアイツには勝てへん。えぇから下がっとき!」
 バタバタと走りながら聴こえる会話に、潜めているつもりの荒い息で黒髪は嗤う。
(分散、したか……やっぱり……子供、だな……)
 銃使いは撃つ事しか能が無い。シスターは攻撃の出来ない雑魚。
 なら、どちらを狙えば良いのかは明白だ。シスターの能力はまだ詳細には分からないが、彼女が居ては音響迎撃が通用しないのなら、シスターから狙うのがベストだろう。
 そっと顔だけ出すと、銃使いが向こうの小道へ潜り込むのが一瞬見えた。
 取り残されたシスターは慌てて周りを見回し、工場内へと入ろうとする。
(させ、るか……!)
 銃使いが戻って来る危険性を考えてもう少しタイミングを図ろうとする事などせず、先手必勝とでも言いたげに身を乗り出す。
 黒いフードを目深に被ったシスターはこちらに気付くと喉を引くつかせ、足をもつれそうにしながら走り出す。
(は、はは……っ! 馬鹿、だ! 助けを、呼びも……しないなんて……!)
 ますます好都合に働いた黒髪は愉しそうに追う。
 シスターの格好ではすぐに追いついてしまい、腕を掴まれて乱雑に倒される。
 きゃっ、と悲鳴が短く届く。上体を起こしてこちらを振り向こうとしたシスターの頭をフードごと複製神器で押し付ける。
「……お、前……さえ……封じて、しまえば……お、れの……勝率、は……上がる!」
 押さえ付けられたシスターが息を呑む気配がする。
 黒髪が右手にナイフを握り抜き放つ。
 ぜぇぜぇと息を吐きながら、黒髪はばっと半身振り返る。
 視界の端に、銃使いが飛び出てくる。
 神器の名を叫ぶと同時に淡い光が奔るが、
 甘かった。
 黒髪はようやく冷静になってきた頭が、これは芝居だと悟っていた。
 そんなに好都合になるだなんて、思ってもいなかった。だから怪しいと踏んで、正解だった。
「やっぱり、だ――」
 黒髪は既に複製神器の根元にナイフを押し当てていた。
 横への勢いのままに両手を構える銃使い。
 既に音響迎撃の準備が整った黒髪。
 移動しながらでは当て難い。
 ナイフを掻き鳴らすだけ。
 命中率に関する有利不利の差は歴然だった。
 口元に引き裂かれたような笑みを浮かべて、
「――馬鹿じゃ、勝てないんだよ……この、世界はっ!!」
 完全に振り向き、単細胞が災いした哀れな標的を狙い澄ました。

 それは、初めから完全に振り向かなかったのが失策だったのだろう。
 飛び出した銃使いの両腕に、赤い手甲が出現するのを見た時は。

「――、ぇ」
 黒髪の思考は、完璧に真っ白に染まった。
 思えば、銃使いはあんな灰色の長い髪を後ろで束ねてなんていただろうか。
 思えば、さっきまではシスターは頭に黒いフードなんて被っていただろうか。
 思えば、馬乗りにされたままの眼の前の少女が喋らないのは何故だろうか。
 ガチリ、と。
 音がした。
 左肩に硬い感触がする。
 自然な速度で振り返っていた。
 こちらを向いた修道服の少女は、苛立ちに溢れた嫌そうな顔で睨んできた=B

「誰がスカタンや、このドアホ」

 その一言に、黒髪は理解した。
 至極簡単な辻褄合わせだ。
 もしそれ≠したなら、あの屋根の上で音響迎撃を仕掛けても怯むはずがない。その銃を構えていたのは、本来の持ち主から借りただけの別人なのだから。足元で音響迎撃を受けているとしても、借りている別人には影響などない。音響迎撃自体が打ち消されたと錯覚しても仕方がない。
 次に、黒髪はシスターの能力を知らない。なら、シスターの方が厄介だと思う。
 後は簡単だ。それ≠してしまえば、そもそもシスターに攻撃する力など無いと信じ切っていた黒髪は無防備に射程圏内に突っ込む事になる。
 音響迎撃なんて喰らおうが喰らうまいが関係のなくなる射程の、圏内に。
(互いの、服を――)
 単純にして大胆。
 しかし、完全に読み違えた黒髪にこれほど灯台下暗しとなる策は、無い。
(着、替え
 答えを知った時には、シスターは引き金を弾いていた。
 耳元に凶悪な炸裂音。
 着弾の直後に意識を刈り取られた黒髪の事情など露知らず、五十口径の弾丸は華奢な体躯など平然と吹き飛ばす。


「……」
 硝煙を立ち上らせる拳銃を下ろす修道服姿のアインは、頭のフードを取りながら身を起こす。間近で見れば一目瞭然だが黒いフードに見えるだけで、実際はアインのTシャツの背中部分を引き千切ってそれっぽく巻き付けていただけだ。
「ア、アイン……っ」
 対して、カジュアルな服装に扮した、なんちゃって血塗れ娘マーシャは結っていた髪を解きながら走り寄って来る。
 アインは尻餅を突いて座りながら、少し離れた所に転がっている黒髪の男を見る。
 四肢を投げうって転がる体は、ぴくりとも動かない。死んではいない。痛みと衝撃で気絶しているだけだ。
 左肩にいっそ笑えるぐらいに派手な銃創を作っているせいか、じわりと血が広がっている。マーシャに治癒を掛けさせた後で拘束すればそれで戦闘は終了だ。
 むしろ左腕が丸ごと吹き飛ばなかっただけ幸運だ。勿論アインは狙ってやった事だ。下手に至近距離から撃ったのでは生身の体は耐え切れないが、銃口を押し当てたまま撃った為、衝撃が拡散し切る前に弾丸が貫通した。普通なら着弾部分から爆発四散している所だ。
「か、彼は……だ、大丈夫でしょうか……?」
 思った通りに敵の事を心配しまくりのマーシャに、アインは頷いて答える。
「あんな策とも言えへん作戦にハマったんやで? おめでたいのは頭だけちゃうやろな」
 彼女の言う通り、作戦内容自体はまるで大した事は無い。一つ一つを冷静に対処すればボロはあっさり出ただろう。
 だが、アインはその一つ一つを冷静に対処するだけの余裕を奪うべく、簡単に精神面に作用するような行為ばかりを狙っていた。地形の悪さ、忍び寄る部品の音、音響迎撃が利かないと思わせるトリック、狙撃と地面への落下、マーシャの能力の不鮮明さ、わざと分散して力の弱い者を孤立させる……、そういう一連の流れを立て続けに行ったからこそ、黒髪の男も自分が焦りから頭が回らなくなっている事に気付かなかったのだ。
「そう、ですか……。そ、それにしても……よ、よく引っ掛かりましたね」
「アホにしか効かへん必殺技や。二度通用したら精神科医を紹介したる」
 ファイノメイナを送還し、立ち上がったアインは黒髪へと走り寄るマーシャを一瞥してから考え込んだ。
(この様子やと、一人ちゃうな……まぁルルカは心配せんでもえぇやろうけど……)
 もしかしたら、という思いに駆られたアインは頭を掻いてから治癒を始めるマーシャに声を掛けようとして、

 空間が結界に呑まれて、異質に切り替わった。

「「――っ!?」」
 二人は弾かれたように視線を合わせ、それから空を見上げる。
 陽光を些細に遮る巨大な膜が天を覆う。
 元より人気の無かった場所だが、それとは違う日常の消失を、アインもマーシャも感じていた。
「け、結界っ!?」
「驚くのはそこやない……なんやこの規模は!」
 アインは顔を上げて瞠目する。素人目に見ても、結界の頂点部が遥か彼方にぼんやりと見えるぐらいだ。
 それから振り返って、オフィス地区の在るだろう方角へ目を向ける。膜はかなり遠いがまだ視認出来る距離で大地へと降り立っている。
(位置と大きさからして、居住第六地区の北側半分は丸々覆い被さっとるようやな……しかし誰がこないな巨大結界を……っ? それこそ≪アマテラス≫の上位序列持ちでもなきゃ出来――)
 そこまで考えて、それがまんま答えになる事に気付く。
「……≪アマテラス≫の上位が、ここに……!」
 口にしたアイン。それを聴いたマーシャも治癒を続けながらも顔を向けた。その表情は、信じられないという色の、畏怖だ。
 アインはマーシャに叫ぶ。
「マーシャ! そのアホの傷は!?」
 語らずとも言わんとする部分を理解しているマーシャは傷口の修復具合を見てから勢いよく振り返った。
「も、もうじき治ります!!」
 アインは腹部の痛みを押し殺し、近くの工場内に入り込む。何か縛るのに使える物は在るか探していると、運が良い事に広く浅い籠の中に合成プラスチックで出来た、棒状の部品を数本纏めて縛る為の留め具を見つけた。一度輪を作ってしまうと引っ張って解けなくなる仕掛けになっている、ニッパーか何かで強引に切るしか出来なくなる代物だ。これで両手両足に掛ければ身動きは取れないだろう。
 二本ほどくすねたアインはスカートの裾を踏みそうになりながらも元の場所へ戻る。
「あ゛ーっ、よぅ走れへんな……っ!」
 スカートを手繰り寄せて、なんか変な御嬢様走りでマーシャの隣りに立つと、マーシャはすぐに身を除けた。既に黒髪の男に外傷は無く、飛び散った自分の返り血で頬を赤く染めた黒髪の男の両手を後ろに回して乱雑に留め具を掛ける。
「こないデカいとなると、ルルカやあの二人も結界に呑まれとるかも知れへん」
 足首に留め具を掛けながらアインはあえて最悪の状況を口にした。ルルカはまだしも、恭亜とサラトが結界の対象に指定されている線は薄いと思う反面、仮にこの男の仲間と交戦中だったとしたら強ち在り得ないとは言い切れない。
 拘束した黒髪の男をゴロゴロと蹴り転がしながら工場の片隅に追いやったアインはばっと振り返る。
「行くでマーシャ!」
「は、はい……!」
 途端、勢い良く振り返ったせいでスカートの裾を踏んづけてアインは前にすっ転ぶ。
「……っ」
 羞恥からか顔を強打したからかは定かでなく頬を染めるアイン。
 マーシャがちょっと痛そうな表情で恐々と尋ねる。
「あの、……き、着替え直した方が、い、良いんじゃ……」
 かなりもっともな提案なのだが、アインとしては時間が無い云々というより、ここで頷くのは何故か負けた気分になるのが嫌だったらしい。彼女の問いに答えず、愚痴で返す。
「ホンマに面倒な服やなぁ……! 動きに難ぅて敵わんわっ!」
 それに、アインはさっきからもう一つ気になって仕方がない事柄にも不満を覚える。
 修道服姿のアインだが、その服の前部分というか、ある部分の生地がだらんとたわんでいる。マーシャとはそれなりに体格が近いのだが、これは体格の問題じゃない。言うなれば、体型の問題。
「……なんやごっつぅ気に食わへん」
 緊迫した空気なんて全然関係無い場所に機嫌を悪くするアイン。
 マーシャは頬を赤くしながらも、口を尖らせて天然爆弾を投下した。
「そ、そんな事言われましても……そ、それに……ア、アインの服もちょっと、き、窮屈と、言いますか……」
 と、のたまいながらマーシャはノースリーブのジャケットの奥、背中部分を大きく剥ぎ取られているTシャツのある部分を摘んで控え目に伸ばす。
「――、」
 直後、アインはスカートの右側面に両手の親指を当てて乙女的復讐心丸出しでオーラム・チルドレンとしての身体能力を発揮し、チャイナドレスのスリットよろしくビリィーッ! っと縦に引き裂いた。
 元の素材に加えその美しさに神秘性が強く出ているアインなので、それなりに醸し出していた神聖な雰囲気が、次の瞬間にはコスプレ系アダルトビデオ一歩手前の状態になる様を目の当たりにしたマーシャの顔が蒼白になった。こいつもこいつで今の状況を忘れてる。
「ちょっ!? な、何してるんですかアイン!! そ、それは私の、いっ、一張羅なんですよっ!?」
「は? マーシャこれ一着しか持ってへんの?」
 なんだか悪い事をしたかなとか修道服一点物生活は女としてどうなのかとかアインは色々思ったが、はい! と頷きながらマーシャは困ったような怒ったような顔で一喝した。
「それは土曜日礼拝用の一張羅です!! あ、あと六着しか無くなっちゃうじゃないですかぁっ!」
「……、」
 びりびりびびぃー、とアインは左側面もスリット化。
 悲鳴とも怒号とも判別出来ない声でぎゃーぎゃー言うマーシャの頭もついでに叩いて黙らせ、アインは工場群から出ようと立ち上がる。


 ◆


 振り下ろされた兇刃は、そのままの速度と軌道を保ったまま、地面に激突した。
 まるで薪を真っ二つに割るかのような勢いを付けていた金髪は、言葉を失うより先に自分の手首に奔った衝撃に苦悶の顔色をした。
「な、――っ?」
 じんと手首に纏わり付く痛みを覚えながら、それでもナイフを握っていられたのは僥倖だろうか。
 目の前に居たはずの迷子が、突然姿を消した=B
 即座に天を仰いだ。視界の上部を染めていた綺麗な蒼が、いつの間にか赤黒い膜で覆われているのに気付いたのだ。
 第六地区をさらに半分にした領土は、それだけでも充分に広大だ。にも関わらず、黒い文字のびっしりと描かれた膜は視認では到底確認出来ない程の巨大な結界として東京の一部を呑み込んでいる。
(結、界……だとぉ!?)
 目を剥いた金髪は忌まわしそうに結界を睨み上げる。
(雄介か? いや、違ぇ。アイツがそんな律儀な事はしねぇな。そういや兵太(へいた)の野郎はこのテの術式ってヤツにそれなりに詳しかったが……それも違ぇ、このデカさはアイツに出来るはずがねぇ……!!)
 では誰が。
 その答えを知ろうと考えを巡らせる金髪の背後に、気配が在った。
 振り返る。そこには蹲ったままのルルカ。顔を俯かせているので表情は読み取れない。
 だが――、
「……許さない」
 ぞくり、と。
 金髪の背筋を、形容し難い重圧が凍らせる。
 良く通る綺麗な声が、低く低く吐き出されただけのはずの、彼女の言葉に。
「もう、絶対に許しません」
 ゆらりと立ち上がるルルカ。尚も顔だけは俯いていて、しかし左手がコートのファスナーに掛かる。それはコートの前を完全に閉じるというものではなく、コートの中腹にほんの数センチだけしかチャックの尺が無い、ほとんどボタン代わりのようなものだった。
 ファスナーを下ろし、はらりとコートが開く。
「貴方だけは……絶対に許しません!」
 ギン! と。顔を上げるや否や金髪の視線に飛び込んだルルカの両眼が、鋭く射抜く。
 金髪は舌打ちしてナイフを構える。
「うるっせぇんだよ!! 今更テメェに何が出来んだ!」
 ナイフを逆手に、微細な振動を奏でながら前に一歩出る。
 瞬間、ルルカはコートに指を掛けて大きく広げ、両手をクロスさせてその内側に。
 金髪はぎょっとして足を止めていた。
 無理もない。ルルカの、このくそ暑い中でもお構いなしの黒いロングコートの裏側は、一面の銀色に輝いていた。
 生地が銀色なのではない。裏側にびっしりと並んで納められている――無数の銀製の投擲小剣の色だ。既に投げた何箇所かは欠けていたが、そんなものは欠けた内にすら入らない。十本や二十本なんてもんじゃない、数えるのが億劫になってしまえるような大量の投擲小剣の列の端っこに両手の指を掛け、
「――投擲怒涛」
 一言。
 ルルカ=T=エスティークにとっての本領の開戦を告げたと同時、たわむコートの動きを読んだ上での適格かつ凄まじい速度で、指で挟んだ投擲小剣を投げた。
 精度、なんて話じゃない。とにかくその方向に向かってマシンガンのように滅茶苦茶に投げまくって来る。
「く……っ!」
 金髪は自分の体に被弾する軌道の投擲小剣を斬り払い、避ける。
 だが、金髪はその場から動けなくなった。彼女の投擲は言葉の通りに怒涛。正確に肢体を狙うのではなく、とにかく投げまくるだけの乱雑な手段だ。横に避けたら喰らう。後ろに逃げたら防ぎきれない。前に出たら迎撃が追い付かなくなると非常に悪循環を起こし、その場から動きようがないのだ。
(こい、つ……っ! 出し惜しみしていやがったなっ……!?)
 例えば、金髪から軌道が外れた投擲小剣が公園を飛び越えて家々へと入り込んでも、
 例えば、ナイフにより弾かれた投擲小剣の音が甲高く響き渡ってしまったとしても、
 結界――疑似的に作り出されたもう一つの世界――の中なら、そんなものは些事にすらならない。誰がやってくれたのかは知らないが、ある種結界とはオーラム・チルドレンの実力を最大限に発揮する事の出来る独壇場なのだ。素人ながらに凌いでいるだけでも、金髪は誇るべきだろう。
 当然、それが誉れ高い行為かどうかを金髪に考えていられる余裕はない。
「くっ……! ぐ、ぅぅ、うううぅぅぅうううううっ……!!」
 歯を食いしばり、金髪は飛来する投擲小剣を捌く。しかし振り遅れた腕や棒立ちの脚に一本、また一本と突き立つのを、奥歯が砕けそうになる程に力を込めて耐えた。投擲小剣は速いが軽量で、急所さえカバー出来れば威力にさほどの脅威は無い。耐える、それが勝利への布石になるのは金髪も分かっていた。
 だから防いだ。避けた。
 その内、遂にはカバーし切れなくなった投擲小剣が右の太腿に刺さる。一拍振るうのが早すぎたナイフの軌跡を縫うように飛んだ一本も左肩に突き立った。双方ともほんの数センチ肉に食い込んだだけだが、それでも鈍い痛みがじわりと浮かび上がる。
 最早、呼吸すらしてなかった。一息でも吸ったら、その瞬間に蜂の巣にされると背筋が凍る感触を覚える。
(くそがぁ……っ!)
 金髪は耐えた。
 耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて――、
 刹那、
 ナイフの軌道が一瞬ずれ、眉間に飛んでくる投擲小剣。
 視界のど真ん中を飛来する銀色の軌跡。
 走馬灯の代わりに、時間が止まったような気がした。
 ぶちりと頭の血管が切れるような音が響く。
「くっそブタがぁぁぁあああああああああああぁぁぁあああああぁああああっっ!!」
 それが額に突き刺さる寸前、金髪は頭を目一杯に横へ倒し、ぐるんと振り向くようにして流した。
 ぎちゅ、という嫌な音が右耳に届く。
 右のこめかみを掠めた投擲小剣が、肉を薄く切り払う音。
 次の瞬間には、投擲小剣はタン! という小気味良い音と共に背後に植えられた樹の幹に突き立った。
「―――――――、っは……!」
 止まっていた呼吸が蘇る。
 右頬を伝うぬめる感触も忘れ、金髪は荒い呼吸を繰り返していた。
 しかし、忘我は数秒。
 不意にルルカは投げる物もなくなったコートをばさりと翻し、踊るように一回転。灰の髪が尾を引くように流れ、正面を向いた後で金髪を一瞥した。
 その視線は、どこまでも事務的な、それでもどこか嫌悪の色を浮かべている。まるで、地を這う虫を見るかのような色を。
 我に返った金髪は、再び歯を食い縛って表情を憤怒に彩った。
「て、」
 ナイフを握る手に力を込め、
「テメェえええええぇぇええぇえぇええええええぇ――!!」
 ズダンっ!! と踏み込む。
 だが、
「……っ!?」
 唐突に金髪の体がぐらつき、よろめいた。
 足元に無数に突き立つ投擲小剣の一本に、蹴まづいたのだ。
(く、そ――!)
 金髪が顔を上げると、ルルカはすかさず軽やかに跳躍。彼我の距離をいくらか縮め、突き立つ投擲小剣を抜き取って投げる。
(これが狙いかっ!!)
 それをナイフで千切り取るように分断しながら、金髪は歯軋りした。
 要するに、今のはただ自棄になったつもりで投げていた訳ではなかったという事だ。
 金髪の複製神器は殺傷力こそ高いが、その分圧倒的にリーチが短い。
 勿論本人もそれを自覚しているので、彼の戦法は基本的に前進し続けて距離を縮め、ナイフのリーチが最大限に発揮出来る近接戦になる。
 ところが、それはすなわち、足をもって相手に近付く事にまず専念しなくてはならないというナイフ使いの死角が二つばかり出来てしまう。
 一つはルルカが得意とする、飛び道具。つまり遠距離や中距離からの攻撃。
 そしてもう一つが、フットワークを封じる為に地面に仕掛けを施す行為だ。
(奴の投げナイフが……地雷代わりにっ!)
 足元に広がる投擲小剣はざっと見回しても二十本かそこら。
 しかしそれは決して馬鹿にして良い本数ではない。何しろあちこちに突き立っているものだから、振り返る間も無く足にぶつかり体勢を崩すし、思いがけないタイミングでルルカがそれを引き抜いて投擲してくる事になる。近接戦に持ち込む為の対処が大幅に遅れる。
(ま、ずい! とにかくここから出ねぇと……!)
 金髪は乱雑に生える投擲小剣の地雷原を大股で走りながら出ようとする。
 それに合わせるようにして横合いから影が飛んだ。
 咄嗟に頭を左腕で防ぐと、そこに重い感触と激痛が奔る。投擲小剣を逆手にルルカが飛び込んだのだと理解した金髪は、ナイフを強引に一閃。
「うっぜぇんだよテメェええっ!!」
 首筋を狙ったナイフが、羽虫に似た低い振動音を立てて滑り込む。
 パンっ――!
 それを、あろうことかルルカは素手で防いでいた。刃の腹に手の平を当てた為に殆ど切れはしなかったが、それは金髪に驚愕を覚えさせた。
 間近でそれを受けるルルカの表情に、一切の恐怖も躊躇も無い。
 当たり前の流れ作業じみた顔色で、受けた左手を払い、金髪の手首を右手で掴んだルルカは全体重を乗せるようにして引く。前へ引っ張られた金髪の軸足を蹴り払い、御辞儀をするかの如く上半身を下げた。
「ぅ、っおぉ!?」
 教本通りといった、綺麗な一本背負いだった。明らかに体重が優っているはずの金髪の視界が反転し、再び元に戻る頃には地面に激突していた。
 幸い、金髪が倒れ込んだのは助走をつければ簡単に跳び越えられそうな狭い砂遊び場。
 ズシンと重い音を発して四肢を投げ打った金髪は、血走った目を向けて一気に立ち上がる。
「これを、ずっと待っていました」
 その時、ルルカの声が聴こえた。
 音の発生源を捉える。
 ルルカは屈みこんで砂場の外から腕を伸ばし、柔らかい砂にそっと左手を添えていた。
 金髪が訝しむより先に、ルルカは真っ直ぐと見据えて小振りの唇を動かしていた。

「――オールプリズン、砂牢発動」

 凛とした声が発せられた瞬間、足下の細かな砂がザザァ! とざわめき、不自然に盛り上がった。
 金髪が行動を起こすより早く、砂は金髪の体を呑み込んで隆起。中を空洞にして膨張した。
 砂によって網目状に形成された巨大な球体の牢獄。
 中に封じ込められた金髪は驚きに目を見開いて自分の周囲を見回してから、ルルカへ向いた。
「て、テメェ……っ」
 ルルカはすっと立ち上がってから、金髪と視線を合わせる。ただでさえ身長差が有るのに加えて、牢獄の分だけ底上げされた為、若干見上げるような状態だ。
「貴方の御考えは正解です。触れた物体同士を繋ぎ合せ、監獄や枷を創り出し対象を拘束する……それが私の神器、オールプリズンの能力です」
「サイキック能力か……!!」
「正確には思念動力(テレキネシス)に分類されますが」
 金髪は苦い顔をした。
 サイキック能力。
 いわゆる一つの種類の呼称だが、オーラム・チルドレンの中でもサイキック能力はかなりポピュラーというか、最も人数の多い能力だ。それは一つの枠組の中でもかなり能力の効果が派生するせいでもある。
 ただ、念力――金髪はそうと考えているが、実際は座標軸や比率などの算出を行った上での学術的な演算――を含む幾多にも分かれるサイキック能力は、数が多いと言っても使いこなせるかは別の問題になる、本人の資質が形として顕著に出やすいものだ。加えて演算が命であるのだが、大学の教授クラスの知能を命を奪い合うような戦闘中に行えるかと言われて、果たして出来るのか。
 ≪アマテラス≫にもそういったサイキック能力者は何人も居るが、あくまで三流の域を出ない。スプーン曲げぐらいで人を倒せるなら世話はないからだ。唯一、その類稀なる才覚によって序列四位に立つサイキック能力をタイプとして持つオーラム・チルドレンが、巫女と呼ばれているが、
(なんて奴だ……! こんなの三流どころの技術じゃねぇぞっ!!)
 金髪は戦慄を覚えながらも、反射的に握り締めたナイフを灰色の格子へ斬り付ける。
 ビィン、と格子が震えるがびくともしない。それを充分承知している金髪は再び腕を振り上げた=B物体の硬度と密度を算出する事で、最適な振動数に変える強靭な一振りが落とされる。
「残念ですが、それは不正解です」
 ルルカが小さくそう述べた。
 直後、勢い良く振り落とされたナイフが格子に当たるが、軽い火花を散らせるだけで跳ね返された。
「な……っ!?」
 金髪は面食らって、切り付けられた格子が微振動を発するのを見つめる。
「貴方の複製神器の正体は見破りました」
 ルルカの良く通る声が、いやに大きく耳に入る。
「一度斬りかかった物体の密度や硬度を計算し、最適化された振動数で容易に分断する」
 彼女は自分の手の平を一瞥しながら続けた。
「聞こえには確かに脅威に思えますが、だとすれば妙ですね。そのナイフには、所々でムラを感じました」
「何、言って……っ」
「ポーカーフェイスとしては不正解ですね……純銀製の刃は断てるのに車のボディは断てず、車のボディは断てるのに私の手は断てなかった。対象化された物体より明らかに密度も硬度も低い物を何故一撃で断てないのですか=H」
「……っ!」
 その断定に近い質問に金髪の動きが止まる。
「つまり貴方のナイフは、一度斬り付けた物体の密度と硬度を演算し、最適な振動数を起こす事でその物体の各元素ごとに在る質量の隙間を狙って切断する。物質には必ず元素が在るのですから、例えそれが同じ炭素を含んでいても人間とダイアモンドとで異なる質量数を特定出来れば文字通り思うがままに切断出来るでしょう」
 しかし、とルルカは砂の牢獄を指差し、
「逆を言えば、同じ材質でも質量が違えば構成される密度の数値も違ってしまいます=Bそのナイフの欠点は、『最適化した物体より密度が高くても低くても切断効果が著しく劣化する』のでしょう? 私の手が裂けたのは単に物体が作る振動によるもので剥ぎ取られただけに近いですから」
 そこまで御高説を受けた金髪の表情は、一気に青ざめる。
「元素密度が違う物体を切断する為には、もう一度斬り付けて演算し直すしかありません。では、これを踏まえて問一。術者の任意で密度を変えられる物体を相手に、そのナイフは有効だと思われますか?」
 カラン、と乾いた音が鳴った。金髪の手から自然とナイフが零れて地面に落ちた音だ。それにすら気付いていない程、金髪の全身が脱力していた。
「て、テメェは、一体……っ」
 腹からの恨めしそうな声に、ルルカは小さく頭を下げて答えた。
「ABYSS討滅結社≪ツクヨミ≫所属、ルルカ=T=エスティーク。真名を万牢≠ニ呼びます、お見知り置きを」
 悠長な仕草。それが出来るだけの勝利宣言を受けた金髪は、気が動転したのか砂とは思えない感触の格子に掴み掛かり悪足掻きをする。
(じ、冗談じゃねぇ……! 知りもしねぇ真名の奴ですらこんなに強ぇのか!? これが日和見集団だと……!?)
 侮った事が別種の方向から裏目に陥った事に慄く金髪を見据え、ルルカは尋問を開始する。
「色々と御訊きしたい事は山積みなのですが、まずは現状打破を最優先とさせて頂きます。この結界は一体、誰が展開しているのですか?」
「し、知るかっ」
 瞬間、格子の隙間を縫った銀閃が太腿へと飛び込む。砂の牢獄のあまりの小ささにまともに身動きが取れない彼に避けられるはずもなく、刃渡り三十センチもいかない投擲小剣が鍔元までぐさりと突き刺さる。
「ぎ、ぁっ!?」
 金属の塊が食い込む激痛に金髪の体がガクンと落ちるが、球状に出来ている牢獄内では倒れ込む事も出来ず、背を預けるようにして後ろに寄りかかる。
「……普段の私は穏健派を自負しているのですが、今回ばかりは頭に来ていますので、容赦はしません。加減ではなく容赦を、です」
「ま、待てよっ! 本当だ! 本当に知らねぇんだよ……!!」
「この結界は≪アマテラス≫特有の術式構成です。これ程の規模となれば少し齧ったぐらいの術者ではないのは容易に分かる事、誤魔化しは通用しません」
「本当だって言ってんだろ! 信――」
 銀閃が的確に格子を抜けて、今度は左肩に突き立つ。
「あ、がぁぁぁあああああ……!!」
「信じろ、と言うのではないでしょうね。無差別に命を狙うような低劣極まりない相手の、何を信じろと? 貴方はまずその低能過ぎる言動を治してからその言葉を使って下さい」
「ちがっ……本当、に……っ!」
 必死で言葉を作ろうと口をパクパクさせる金髪だが、ルルカは足元の投擲小剣を拾い上げて胸元で構え、冷たくあしらう。
「不条理には不条理で返します。その場凌ぎの抑止を述べるぐらいでしたら、本当の事を言うべきでしょう……尤も、本当に知らなかったとしてもまだまだ投げさせて貰いますが」
「っ――!」
 金髪の表情が、くしゃりと情けない色に変わる。
 たとえそんな色になろうとも、ルルカは欠片も臆さない。躊躇ってしまうような優しい人間に切っ先を向けている気など、全く感じられないのだから。
 投擲小剣を見せつけながら、
「十五秒置きに投擲します。知る知らないの真偽はあと四、五本投げてから考えましょう」
 そう言ったルルカに完全に恐怖を覚えた金髪の思考が、最悪な事に真っ白になってしまう。

「やはり負けてしまったようだね」

 それは不意に掛けられた声だった。
 本当に、二人のリズムを崩すかのように突拍子もなく。
 瞠目したルルカは金髪を見据え、彼は振り返る。ちょうどルルカには死角になる位置に立っていた。より正確には、砂の牢獄のすぐ目の前にいつの間にかその人物は佇んでいた。
「テメェ、は……」
 金髪も驚いていた。
 そこに居たのは、少女だった。少女と呼ぶにはどこか大人びた雰囲気の持ち主で、美貌に宿る眼の輝きや微笑んでいるような口元が、利発そうなイメージを思わせている。
 黒いタンクトップの上から生地の薄いカッターシャツを羽織り、濃紺のスラックス姿のモデル体型。長い茶髪が触手のように左側頭部から流れている。胸元に提げられた左半分だけの十字架のペンダントが揺れる。
 砂の牢獄内で血みどろになり苦しむ姿を、まるで展示会の絵画を眺めるような遠目がちに見上げる少女。
「まあ、オーラム・チルドレンを相手に良くやったものだよ。どうも自分の力を過信しているようで不安だったが、瞬殺されなかっただけ運と度量は認めよう。正義ポイント一点追加だ」
 自信が滲み出るようなはきはきとした声音で彼女が言うと、金髪は必死の形相で格子に掴みかかった。
「た、助けてくれ……!」
 見下ろされる少女は片目を閉じて嘆息する。
「何だい。君が何もするなと脅すから、僕は黙って見てたんだよ? 少し虫が良すぎるんじゃないかな」
 ぐ、と金髪は言葉を呑み込みかけるが、それでも躊躇無く投擲小剣を投げてくる女とは比べようもない。
「た、頼むから助けてくれよ……!」
「……仕方がないな」
 溜息混じりに呟く少女。
 ルルカが咄嗟に投擲小剣を構える。
 金髪がほっとした顔をした時、ふと思い出したように少女は口を開く。
「そうそう、その前に訊いておきたいんだけれど」
「え――」

「君……子供を殺そうとしたな?」

 その、別人のような声色に、金髪はおろかルルカでさえ身を竦めた。
 誰も居ない粗末な公園に、凄まじい重圧が降りかかる。
 金髪の呼吸が完全に停められた。
「そもそも僕は正義ポイントについてしか言ってない。まず結界を張らずに戦闘した事に劣悪ポイント二点、民間人に遭う可能性を無視して彼女を追った事に一点、戦闘に負けた事自体にも一点追加」
 つらつらと述べる訳の分からない採点に、ルルカも声を出して遮る事も出来なかった。
 胃に強引に穴でも開けようとするような、感じた事もない不快な殺意だ。
 姿が見えないルルカですらこうなのだ。金髪はもう、目を見開いて硬直するしかない。
「そして、何の罪も無い子供に手を掛けようとした。僕が結界を張ったから大事には至らなかったが、劣悪ポイント五点追加するよ。いけない、いけない事だよこれは」
「ぁ……、っ!」
「ちなみに劣悪ポイントが五点以上になったら完殺決定だ。正義ポイント分を差し引いても君は既に劣悪八点……結論、救いようがない悪党だね、君は」
 少女は無造作に、格子の隙間に腕を通す。
「助けろ、と言うんじゃないだろうね。世に蠢く闇として殺戮を営む劣悪の手先相手を、何で助けろと? 君は間違えたんじゃない、選んだんだ。死を賭しても劣悪であるとね」
 金髪は、その眼と鼻の先に突き出されたモノ≠ェ何なのか分かるまでに、ほんの数秒を要した。気が動転している事に加え、なまじ眼前にあるせいでピントのぼやけたそれは、輪郭の朧な黒い物体としか認識出来なかった。
「だから正義の味方である真琴ちゃんは、劣悪たる君を落下的に完殺する事にした」
 ようやく、金髪は手の上に乗っているモノ≠理解した。
 パイナップルに似た細かい凹凸が施された、拳大の楕円形の物体。
 ――MK2破片手榴弾。
「ぁ、ひっ」
 時代遅れの軍用小型爆弾。せいぜいが一メートル範囲を殺傷する程度の古臭い武器のはずだが、これは違う。明らかに従来のものより一回りも二回りも大きく、威力だけを徒に改良したのが窺える。良く見るとガムテープが巻かれており、その上からスプレーで黒く塗装して誤魔化されていた。
 そんな解など知らずとも、それがどんな用途に使われる武器なのかを深く察した金髪の喉から、変な悲鳴が擦れ出た。
「因果応報だよ。いや、姫君の言葉を借りるなら、天命というやつだね……まぁ要するに――悪の栄えた験し無しという事さ」
 澄んだ喋り声とは全く違い、一切の慈悲も躊躇も無く、人差し指をピンに引っ掛けて弾いた。キン、という小気味良い音に次いでレバーが吹っ飛ぶように外れて信管が点火する。
 金髪は弁解などしなかった。言い返して思い留まらせるには、起爆までの四秒弱は短すぎる。
 腕を振り払う事さえしなかった。むしろ少女は手榴弾を放って退きもせず、あろうことか手榴弾を持つ右手を格子の奥へと伸ばしたまま、薄っすらと笑っている。
 気が狂ってる。
 金髪はそう思った。
 それは畏怖というよりも、嫌悪に近かった。黒い害虫を足元に発見してしまったような、形容のし難いおぞましさが、一層金髪に単純明快な行動指針を生んだ。
 逃げろ、という実にシンプルなその行動を起こそうとして、金髪は――、
「……はっ」
 歪な笑みを浮かべた。
 状況を忘れていた。
 逃げられる訳がない。
 自分は今、牢獄の中に居るのだから。
 振り返り、格子を掴んで金髪はルルカを見る。
 ルルカはその表情に、彼自身から発せられる何かとは別の戦慄を覚えた。
 確定された死に諦めた、涙目の引き攣った微苦笑。
 ルルカがオールプリズンの効果を解除しようと左腕を伸ばしかけた時、
「ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ―――――――!!」
 金髪の、怨みの込められたような、獣の咆哮。

 直後、砂の牢獄に閉じ込められた曖昧な悪党が血風を撒き散らして爆発四散した。

 ドォン!! と腹に響く轟音。
 手の平をルルカの方へ向けて指向性を高めたのか、牢獄内部から弾けた紅い液体がルルカの半端に伸ばされた左手にまで降りかかる。
 金属片が頬を掠めていたのか、しかし陶器のように木目細かい肌をざっくりと切る。
 それでも尚、ルルカは息一つ吸えなかった。
 手に付着したのが今の今まで生きていた人間の返り血だという事も、
 もう少し金属片の軌道がずれていたら冗談になってないという事も、
 考えるのが億劫になった。
 呼吸が出来ない。酸素が吸えない。思考が定まらない。
 悪循環の中で、やっとこさ何が起きたのかを理解するまでに、無限にも思える時間が過ぎる。
 下手に高威力の爆風によって上半身を粉砕された何か≠ェ、牢獄の中からでろっとはみ出ている。それは本来、腕と呼ばれるモノであったはず。
 肘の辺りから千切り取れ、執念の顕れのように格子を掴んだままぶらんと垂れ下がる様は、簡単に認める事が出来る光景じゃなかった。
 ただ単に、ルルカの頭のどこかで無駄に冷静な思考能力が、『死』を算出していた。
 ひぅ、と。本能的に息を吸ったのは、爆発してから五秒も十秒もかかってからだった。
 地味に強い衝撃を受けた砂の牢獄が形状の維持を見失い、ざあ、と音を立てて崩れてゆく。あるいはルルカが無意識に、もう形成する理由も無いのだと判断したからか。
 牢獄が崩れ、ようやくルルカの視界に姿を現した少女は、
「おや、あれだけの金属片の雨の中で直撃しなかったとは運が良い。ただまぁ……顔を傷付けたのは詫びるよ、女の子がそれでは少し不憫だ」
 障害を取り払われた先に立っていた利発そうな少女はひらひらと右手を振りながら、そう口にした。
 自らの手の上で改造手榴弾を爆破させたというのに、その体には傷一つない。服に汚れすら負っていなかった。
 人の死など、これっぽっちも背負おうとはしない態度。
 むしろ、自らが殺したという事実さえも素知らぬ振りといった、その的外れなまでに自信に満ちた表情に、ルルカは絞り出すような声を出していた。
「な……に、を……」
「ん?」
 真摯にも悪ふざけにも受け取れるような自然な仕草で少女は聞き返す。
 呆然とした感覚から完全に抜け出せずにいるルルカは、それでも喉の渇きを押し殺して、言葉を捻り出す。
 あるいは、出したくなくても思わず出してしまっていたのか。
「何を、して……したのですか……っ!?」
 少女は不思議そうに首を傾げ、言葉を一度練ってから口を開く。
「何を……と言われてもね。質問の意味が無い気がするよ? こういう危険物を造ったりするのは得意な方なんだ。まぁ作るのに苦労はするんだけれどね、これが。唯一の救いは作成中に暴発しても死にはしない#\力を持ってるという事なんだが。まず外装を外して信管を抜いて、あらかじめ用意した大きめの外装に火薬と――」
「何をしたのかと聞いているのです!!」
 湧き出た怒りが自己を縛る理性を振り切り、ようやくルルカはありったけの一喝で遮りながら投擲小剣を突き付けた。
 少女の口元はまだ微笑んでいたが、全身に纏っていたもうそこには居ない存在への℃E気を消す。
「……君には大した事じゃないはずだ。彼は君の敵だった。そして彼は残念な事に、味方である僕にさえ目に余る行為に走った。同じ組織に所属する者として、どう粛清しようが君が怒りを覚えるのは筋違いだし、しなくてはいけない訳でもないんじゃないかい?」
「死が当然であると、言うのですか……?」
 怒気を隠そうともせず睨むルルカに、少女は肩を竦めて肯定する。
「やり方が違うのは自然な流れさ。それと一応言っておくけれど、何も彼を殺したのは≪アマテラス≫の総意じゃない……単に、僕の流儀に反したまでだ」
 迷いなく、真実だと思わせるだけの何かを持つ答えに、ルルカはそれ以上の詰問はやめた。殺しに迷いを持たない人間に、利己的な情緒をもってして説教するのは無意味だと悟った。
「……≪アマテラス≫の方なのですね」
「まぁそうではあるね。尤も、僕はさして≪アマテラス≫の傘を振りかざすつもりはないのだけれど。落下系ヒロイン真琴ちゃんは日々の影で悪を滅する孤高の正義の味方なのさ」
「正義……? それが、正義ですって?」
 ルルカは訳の分からない事ばかり口にする少女に奇妙な嫌悪感を覚えながら、それを否定する。
「命を奪う事が総て正しいというのですか!? 貴女が何者かなど知ろうとは思いませんが、貴女のした事はただの暴力です! 死なずに解決出来る問題に、しゃしゃり出るのですか!?」
「成程ね、言っている事は実に理に適っている。正義ポイント一点追加」
 どこまでがふざけているのか分からない受け答えをしながら、少女はあっさりと答える。
「勿論だとも=B悪は決して絶えず、しかも蔓延するのが速い。君が思うより、僕が思うより、誰も彼も巻き込んで広がる。そして厄介なのは、悪は一度堕ちれば戻る術を探そうとする理由を失う事だ。そうなると知って、どうして生きたまま逃がすんだい? 報復は? 確執は? 昨日の敵が今日の友になるなんて夢物語なのさ。取り除くには死によって何も出来なるさせる≠オかないんだよ」
「狂ってる……その思想は、狂っています!!」
「狂気と劣悪は別物だ。どうとでも言ってくれて構わない。落下系ヒロインの正義感を理解して貰えないのは何ともやるせないのだけれどね……」
 なおもあっさりと返す少女は、踵を返し歩き出す。
「!? ……何処へ!」
 立ち止まり、少女は振り返ってから少し照れ隠しに頭を掻いて答える。
「いや……実はね、これは僕の本来の用事じゃないんだ。突っかかって来るぐらいだからどれ程のモノを持ってるのか気になって尾行してたんだけれど、ここまでの劣悪だとは思わなかった。見つける前に咄嗟に結界も張ってしまったし……まいったね、僕はどうも子供に弱いらしい……」
「見つける?」
 うん、と頷き、
「僕の要件は、善悪一<Tラト=コンスタンスだよ」
「――っ!?」
 あまりにも簡単に言うものだから、思わず面食らった。
 しかし、いくらも冷静になったルルカはその意味を深く察した。
「組織離反者への糾弾、ですか……」
 善悪一≠ヘ元々は≪アマテラス≫の、それも序列七位という即戦力だった能力者だ。そんな彼女が何の言葉も告げずに組織を抜け、あろうことか対極的な立場に在る≪ツクヨミ≫側についたとあれば、組織としては迷惑以外の何物でもない。傍から見ればそれは、『他組織に人員を吸収される程の内部構造が不安定な組織』というレッテルを貼られるからだ。一枚岩で名高いはずの好戦集団だからこそ、そんな不愉快な先入観は避けたいのだろう。
 しかし、ルルカの納得の言葉は少女の顔をきょとんとさせた。
「あぁ、違うよ」
「え?」
 正面を向き直して少女は言う。
「別に僕はお上さんの命令を受けた訳じゃない。これは完全に僕個人の独断行為だね」
「どういう、事ですか……?」
 訝しげに眉をひそめるルルカに、少女は上目遣いで考えながら、
「つまり、ただ会って話をしようと思ったんだ。何故≪アマテラス≫を離反したのか、一体彼女を突き動かしたのは何なのか。それは、強固な組織として成り立っている≪アマテラス≫を裏切ってまで、何を欲したのか」
「――、」
 ルルカは瞳孔が収縮するような錯覚を感じた。
 それが、何を意味するのか。
 既に解を得ていた。

「僕の用事は彼女の善悪を見定め、劣悪であれば完殺する事さ」

 当然と言わんばかりの流暢な殺戮の言葉。
 死を与える事に重みすら感じさせない、平然とした回答。
「させません!!」
 ルルカは体勢を低めて突進。
 十メートルと離れていない距離を一瞬で埋めるルルカ。
 それに対し少女は何もしなかった。本当の意味で、何も。身動き一つ取らないどころか、その視線はルルカが立っていた場所を向いたままだ。口元に自然な微笑みを浮かべたまま立つ彼女に、ルルカは地面に手を突いて叫ぶ。
「オールプリズン――」
 二人の間に在るモノ。それは、赤黒い液体が浸み込んだ砂の小山。その頂点部を鷲掴みにし、
「――砂牢発動!」
 ルルカは吼える。
 途端に砂はざぁ、と隆起。どす黒くくすんだカーテンが少女を包み込み、上部から格子が形成される。崩れるように流れ落ちる砂が見る見る内に格子を造り上げ、僅か三秒の後には再び球状の牢獄が出来上がっていた。
「これが君の神器の持つ能力か。どうやら物体同士の合間を念力で吸着させているようだ。一つ一つをくっ付ける糊の役目だね。口で言うのは簡単だけれど、人間大を包囲する規模と形成までの所要時間は大いに恐ろしいと言える演算技量だよ。並大抵の能力者じゃここまでは出来ない。≪アマテラス≫で順当に修練すれば不動の上位序列者を脅かすだけの才能と努力を持ってる」
 閉じ込められた少女は牢獄を見上げながら一人そう納得する。
 ルルカはその余裕の態度を変えない姿にカチンと来た。後ろへ大きく飛び退くと同時に地面に刺さる投擲小剣を拾い上げ、絶好の間合いをつけたルルカは警告すらせずに構えた。
「死に、死を加えて連鎖を作るのかい? それはどうにも哀しいな」
「御安心を! 回避も防御も困難の私の牢獄は狙う全てを過たず穿ちます!!」
 バックステップの終わりと同時に軸足を踏み締め、ルルカは投擲小剣を放つ。
 狙いを定めたのは、彼女の左大腿部。
 放物線を無視するように直進する。どす黒く変色したせいで牢獄の中は見通しが悪いが、シルエットの下腿を正確に捉えた軌道が投擲小剣が格子の合間を滑り込む。
 直撃を確信したルルカ。
 しかし、少女の言葉がルルカの勝利を完全否定した。

「アストレア・ティンクル」

 一言だった。
 あっけないぐらいの、殺意の言葉。
 あまりにも唐突で、あまりにも不自然。
 だからルルカは、それが一体どういう事なのかを上手く考えられなかった。

 牢獄内へと入り込んだ投擲小剣が、同じ軌道を帰ってルルカの左足へ突き刺さった=B

「……、え?」
 目を丸くしてルルカは視線を落とす。
 使い慣れた白銀の短剣が、綺麗に透いた白い脚に侵入している。
 食い込んだ肉が少しだけ戻り、その隙間からつぷりと紅い輪郭が現れた。
 激痛。
 思考を忘れた脳に、空気の読めない痛覚が叩き込まれる。
 途端に重力を失った。操り糸を切られたように膝が折れ、ルルカは地面に倒れた。
「う……ぁ、がっ……?」
 自分の得物に脚を射抜かれるという予想外の事態に、顔を地面に擦り付けたまま視線を飛ばす。
 その様を見ているのか、暗いシルエットが口を開く。
「回避も防御も困難、か……それが過信であると分かって貰えたなら≠ニても幸いだね」
 ゆらりと影が動く。ゴツ、と格子に硬い何かが押し付けられる鈍い音が届くが、ルルカは苦痛に歪んだ顔で叫んだ。
「無駄です! 私の牢獄は砂のように細かい物質であればある程、常に圧縮状態を繰り返し対象者が中に居る限り脱出はさせません!」
 這ったまま叫ぶルルカに、軽い苦笑が飛んだ。
「そうなのかい? 教えてくれてありがとう。でもね……違うよ、それは違う。術の構造を喋ってしまう事が自殺行為だという事を君は分かっていない」
 それにね、と続ける少女。
 次の言葉と同時に、それは起きた。
「落下系ヒロインである真琴ちゃんに、落ちる以外の強制は通用しないよ」
 ザバァッ! と、信じられない音が響いた。
 牢獄のやや下部分。格子と格子の交わる部分から%ン色の円柱状の物体が突き出た。
「な……っ!?」
 先端面が薄く丸みを帯びた長細いその物体は、持ち主が腕を上げるのに忠実に従い、ゆっくりと上へ昇ってゆく。そこに障害となるはずの格子があっても、何ら抵抗もなく突き進む。
 中央へ達した辺りで、一気に振り上げた物体が牢獄を縦に切り裂いた時、形成の維持を続けられなくなった牢獄は砂に戻り崩れる。
 それを愕然と見つめていたルルカの口から掠れた声が漏れる。
「な、んで……」
 砂が崩れ、その中から現れた脱獄者は得物を肩に担いで自信満々の笑みを向けた。
「正義は勝つ。それは決して変わらないのさ!」
 気合いの限りに言い放つ少女の肩に掛けられているのは、またもルルカの想定を覆すモノだった。
 長細く、柄に近付くにつれ徐々に細くなっている。どうやら握る部分に該当する位置に赤い布が巻いてあり、柄尻が円盤状に持ち上がっている。
 大概の人間が知っているであろう物体。
 死の交錯する世界では在り得ない物体。
「き、金属バットっ……!?」
 場違いなモノがそこに在った。
 メタリックシルバーの金属バットを、少女は天高く掲げる。
「そう! これこそが弱きを助け強きを挫くべく与えられたジャスティスウェポンだ!! その力、世に蔓延る劣悪に大いなる完殺を完殺で完殺するための正義武装とも言える!! 単に和訳しただけなのだけれど!!」
 完全にふざけているとしか思えないナレーション口調で何かポーズを決めている少女。ルルカは痛みを堪えて脚に刺さる投擲小剣を引き抜く。
「いっ、ぁぎ……!」
 ずじゅり、と果肉を潰すような感触と共に抜かれた血塗れの投擲小剣を間近で見て、さらにルルカは困惑する。
(……っ? 刃こぼれ一つ無い!? あの頭の悪そうな神器で打ち返したの訳ではないのでしょうか……? いえ、そもそもあの狭い空間で振り回せる長さではありません。一体、何を……っ!)
 荒い吐息を上げて見上げるルルカ。ようやく戻ってきたらしい少女は腕を下ろして視線を合わせる。
「という訳で……僕はそろそろ御暇させて貰うよ。君を傷付けるのが目的ではないからね」
「……っ!」
 ルルカは腕を引き寄せて上体を起こし、ずるずると少女の方へにじり寄る。
 少女は呆れたように苦笑した。
「無理はしない方が良い。急所ではないという君の宣言通りに、狙ったらしい左脚に当てたんだ。手当てをしてじっとしていれば大事には至らないはずだよ」
 ふっと金属バットが虚空に消え、今度こそ少女は振り返る。
「≪ツクヨミ≫である事自体に五点、更に攻撃して来た事に一点劣悪ポイントを追加するから普通は殺すんだけれど……君は身を呈してまで子供を護った。あれには称賛の言葉が見つからないぐらいに素晴らしかった。正義ポイント十点追加、よって完殺は中止するよ」
「くっ……!」
「命が惜しいなら、これ以上僕の正義行為の邪魔はしない方が良い。今なら正義ポイント十五点で、もれなく真琴ちゃん直筆サイン入り落下的ステッカーシールを五枚プレゼントするキャンペーン実施中だからね。お得だから善い事して生きてみたらどうだい?」
「ま、待ちなさいっ……!」
「いや、待てないね」
 即答する少女。
 背を向けて歩き去る様は堂々としていて、そして決定的なまでに異質。
「何故なら僕の真意は――【邁進世界】」
 停まる事無き闊歩。
「≪アマテラス≫所属、序列は十位だけど多分六位ぐらいな実力のオーラム・チルドレン」
 それが彼女の世界。
「姓は相崎、名は真琴。知る人ぞ知る埒外(らちがい)の天秤≠アと落下系ヒロイン真琴ちゃんをどうぞ宜しく!」
 ビッ! と親指を立てて決めているつもりの少女は颯爽とそこから去っていった。
「待ちなさっ……く、うぅ……!」
 悔しそうに地面に拳を叩き付け、それからずるずると地面を這って滑り台の下まで辿り着いたルルカは柱に寄りかかり、懐から小柄なハンドポーチを取り出した。包帯や消毒液、中には部分麻酔薬の入った注射器など応急手当の道具が入っている簡易救急具(リペアキット)だ。チャックを引いて口を開き、震える手で消毒液の入った小さなボトルを摘む。
 キャップではなく蓋そのものを強引に抉じ開け、ルルカは左脚の傷口に目一杯の勢いで消毒液をぶっ掛けた。
 熱が引く感覚と、刺すような痛みが沁みる。声が出そうになるのを呑み込んで、ルルカは真綿を取って傷口に直接押し当てて汚い血を拭い取る。
(部分麻酔をすれば痛みは引きますが動く事に支障が出ます……マーシャ先輩と合流した際に治療を受けても異常と見做されない薬物投与は因果律逆転の対象外……!)
 ぐっと奥歯を噛んで堪えるルルカは携帯電話を取り出す。血で汚したくなかったが、この際潔癖症なんか気にしていられない。
 マーシャの携帯番号を出し、通話ボタンを押して耳に当てる。コール音は短かった。
『ルルカか!』
 意図していなかった人物の声に、ルルカは怪訝な顔をする。
「アイン先輩? どうして貴女がマーシャ先輩の携帯を……」
『ちょっとあっただけや。マーシャなら隣りにおるけど、代わるか!?』
 どうやら走っているらしい気配を耳に、ルルカは包帯を取って解く。
「いえ、そこに居るのでしたら構いません。マーシャ先輩を御借りしても宜しいですか?」
『……、なんかあったんか?』
 新しいガーゼを乗せ、包帯を巻く。携帯電話を頬と肩とで挟んで、ルルカは吐息を漏らした。
「とんだ失態です。≪アマテラス≫の序列持ちを名乗る能力者と鉢合わせてしまいまして……」
『このアホみたいにデカい結界張った奴やな。傷の具合は!』
「致命傷ではないですが、戦闘を続行するのは無理ですね。何しろ脚をやられましたので」
『今どこや!』
「粒子橋上列車(レプトンライン)を北側に百メートル程進んだ先にある小さな公園です。名前は……『しろくま公園』という看板が」
 出入り口を見て答えるルルカに、アインは舌打ちする。
『粒子橋上列車(レプトンライン)の北側、ちぃと遠いな……二十分で行く! 待てるか!?』
「善処します」
 通話を切って、ルルカは包帯を巻き終えてから、ふと視界に入った赤黒い砂の山を見る。
「……実力は序列六位を自負してしましたね」
 砂の中に埋もれている筈の哀れな死の残滓を思い浮かべ、ルルカは苦い顔をした。
「だとすれば、元序列七位の彼女を会わせる訳には、いかないですね」
 深い溜息を吐き、背中の痛みを思い出したのか軽く身を捩じった。


 ◆


 午後三時五十六分。
 繁華街大通りから三百メートル離れた小さな公園。
 恭亜は水飲み場でハンカチを濡らしてサラトの傷口をそっと拭い、それを半分に引き裂いて止血代わりに巻いてやる。
「恭亜、ありがとう」
 少しばつが悪そうに言いながら、なすがままに手当を受けるサラトに、恭亜は苦い顔をする。
「礼なんか言われる程のもんじゃないさ、応急手当にもなってないしな」
 それでもある程度の処理を済ませた恭亜は中腰をやめて立ち上がる。
 視線を上げる。
 そこに巨大な結界が赤黒く空を染めている。
「こんなでかい結界を張るような奴が、ここに来てるのか」
「これサラトでもできない。すごいむずかしいこと思う」
「少なくともプリシラ級の実力者が居るって事か……」
 天を仰ぎながら恭亜が言葉を洩らすと、小さく失笑する気配を感じた。
 視線を向けると、尻を突いて顔を俯かせている茶髪がこちらを見上げた。
「そういうこったよ。規模だけじゃねぇ。指定した対象の周囲に分範囲を設けて、対象者に干渉してる奴も纏めて隔離する高等技術まで用いてやがる。術式の意味を理解してるなんてレベルじゃねぇよ、基盤になる術式にさらに独自のアレンジを書き足してんのに、術式に異物(バグ)がまったく無ぇ。資質も技量もハンパねぇよ、その気になりゃノーベル賞だって簡単に取れる脳みその持ち主かよ」
「そんなに凄いのか?」
 自然と訊ねる恭亜。鼻血で口元が真っ赤に染まっている茶髪は憮然とした顔をするが、律儀にも項垂れながら答える。
「上には上が居るモンだけどな。≪アマテラス≫の軍師って呼ばれてる女なんかはこの規模に加えて一人一人を分断するような迷路みてぇな結界を創る化け物だけど、それに比べりゃまだ可愛い部類だろ。つっても善悪一≠ェ分からないって愚痴んのも無理はねぇよ。あくまで比較すりゃそうってだけで、オレにも原理なんてさっぱりだ」
 そこまで言われた恭亜は言葉を失った。
 そんな事をするだけの強大な能力者が近くに居るかも知れないというだけで、背筋が凍る。
 ここまで茶髪を気だるげにさせるだけの実力が、自分に刃を向けようとしているのだ。
 だが、行かなくてはならない。
 こうして恭亜とサラトが巻き込まれた時点で、他の誰かも同じように隔離されてこちら側に来ているかも知れない。
「……行こう、サラト」
 短く告げると、サラトは頷く。
「もう終わりだ……誰も勝てねぇよ。鏡面刹≠ゥ断罪剣=Aせいぜい第零開眼≠竍弾穿娘≠ナも居りゃまだ話にはなるんだろうけどな……真名もまともに広まっちゃいねぇ素人に勝てるような奴じゃねぇよ。全員ここで殺されるんだ……オレも、助からねぇ」
 髪を掴んで苦しげに呟く茶髪に、恭亜は自分やサラトがまだ動ける事を確認してから振り返った。
 断罪剣∴ネ外の能力者を知らない事も、
 恭亜も素人呼ばわりされてしまった事も、
 どうでもよかった。
「お前も来るんだよ」
「――!?」
 茶髪は驚いたように顔を上げた。
 恭亜は彼の前まで歩み寄り、見下ろす。
「全員が死ぬだなんて、まだ決まった訳じゃないだろ。でも、ここで座ってるだけじゃ見つかった時にどうなるかは簡単に予想出来る。だから、お前も一緒に来い」
 右手を差し伸べる恭亜をしばし見ていた茶髪だが、すぐに顔色は機嫌が悪そうな色に変わった。
「馬鹿じゃねぇのか? なんで敵に守られなきゃなんねぇんだ」
 唾を吐くような態度に、恭亜は至って冷静にきっぱりと答えた。
「守らせろなんて言ってない。お前はお前の生き方が在るなら、ここで簡単に諦めるような真似をするなって言ってるんだよ」
「ケッ! 冗談じゃねぇ、ナニ親切にしてやがんだ? オレが裏切るかも知れないだろが」
「裏切らないさ」恭亜は即答する。「少なくとも俺達を裏切っても、孤立すればすぐに叩かれる。かといって、全てが終わる頃にお前に俺達を相手するだけの力が在るのか? 俺とサラトだけでも何とかなるお前が、ルルカやアインも加えて闇討ちしたって状況は不利になる」
 恭亜の言葉を口の中で噛み砕いた茶髪は、暗い苦笑を浮かべた。
「……強かに考えてるってワケかよ……下らねぇ、そんなのテメェにゃ関係――」
「アルテアリス」
 ブゥン、と羽音に似た何かが聴こえた。
 遮られた茶髪が顔を上げた時には、自分の首元に黒い刀身の腹が突き付けられて言葉が続かなかった。
 全身が濡れたような漆黒で統一された、片刃の反りを持った刀。柄が長く本来は鍔が在るべき場所に鎖が無造作に巻き付いている。
 キン、と鍔鳴りのように鎖が擦れ、顔のすぐ下で響く。
「うっ……!」
「口実が欲しいならいくらでも作ってやる……こっちは余裕も無ければ時間も無いんだ! そんなに死にたいならいっそ俺が殺してやろうか!?」
「き、恭亜……っ」
 思わずサラトが一歩前に出て抑止の声を上げていた。ハッタリの通用しないサラトが焦る時点で、彼は本気だと茶髪は理解したのかうろたえた。
「わ、わかったっ! 尾いてきゃいんだろ……?」
「……それで良いんだ」
 すっと刀――姫宮恭亜の神器、アルテアリス――を虚空に掻き消し立ち上がる。
「お前を助ける、なんて敵に塩を送るような事は言わない。けど、目の前で誰かが傷つくのは嫌なんだ」
 今でも、それは瞼の裏に焼き付いて離れない。
 鵜方美弥乃。
 クラスメート。
 明るくて、人懐っこくて、女の子らしさを持つ気の置けない仲。
 切り裂き魔◇w山皓司の神器ジャック・ザ・リッパーの斬撃を受け、死に瀕した少女。
 絶望へと続くはずだった一連の光景。
 腕の中でぎこちなく微笑む表情。
 筋違いの謝罪の言葉。
 心が虚無に染まる。
 『侵蝕』。
 暗転、空白。
 そして総てが終わる、
 真実は欠けて紛れた。
 しかし恭亜は忘れない。
 あれは、己の無力が招いた結果だ。
 不運も災難も何もない。姫宮恭亜の悪手によって払わされた代償。
 決して鵜方美弥乃に許されてはならない≠ニいう、形無き誓約。
 もし彼女に許されてしまったら、当然のように死を与えられるだけでは飽き足らず、己の不幸への悔恨すら変えられずに存在を無かった事にされた檜山皓司が救われないから。
 それを忘れる訳にはいかない。
 だから恭亜は、言うのだ。
「俺が欲しいのはハッピーエンドだ。胸焼けするような大団円が絵空事だっていうのなら、俺は誰を敵に回しても全員を救ってみせてやる」
 恥ずかしげもない。
 断言以外の何物でもないその言葉に、サラトも茶髪も言葉を失って恭亜を見つめた。
「……恭亜」
 後ろに立つサラトがどこか安堵するような声を発し、茶髪は俯き加減に一瞥をくれて苦々しく口を開いた。
「……テメェ、名前は?」
「姫宮恭亜」
「テメェも、≪ツクヨミ≫の人間かよ」
 いや、と。考え込んだ恭亜はやがて首を振った。
「俺は≪ツクヨミ≫に所属してはいない。まあ、友好的な間柄だっていうのは否定しないけど……俺は、俺個人の問題もまだ解決出来てないんだ。出自も知らないのに契約だけはしている異常適正者の俺が、気安く組織を名乗る訳にはいかない」
「しゅっ……!?」
 茶髪は驚きに息が止まるが、すぐに探るような視線で頷いた。
「……畜生。どうしてこう、オレの周りにゃ化け物しか居ねぇのかよ」
 苦し紛れの一言に、恭亜は肩を竦めるしかなかった。


 ◆


 公園に辿り着いたアインとマーシャを見て、ルルカは思わず変な顔をしてしまった。
「……何してるんですか?」
「やかましい、勝つ為に必要やっただけや」
 マーシャの携帯電話に掛けたのにアインが出た理由をようやくルルカは理解した。
 スカートの両側が大胆に引き裂かれた修道服姿のアインと、一見して重傷に見えてしまいそうな程に血塗れのラフな格好という、結構珍しい服装に衣替えした二人を見比べる。たまらず溜息を零した。
「こちらは壮絶な事態に陥っていたというのに、案外余裕ではありませんか」
「アホか、腹刺されたまま逃げ回った上に鼓膜を何度もぶち抜かれそうなってんねんで。てぇか、そない状態で減らず口叩けるルルカの方が余裕に見えるわ」
 互いに人格通りの応酬は即終了。割って入ったマーシャがシャイン・ブレスを出現させ、背を預けて座ったままのルルカの脚の傷を診始めた。恐る恐る包帯を解くマーシャ。応急処置が綺麗に出来ているおかげか、化膿の類はなかった。
「アンタが負けるなんて意外やな。序列持ち言うてたけど……」
 ルルカは口の端の血を拭いながら答える。
「耳に入った限りでは、敵の名前はアイザキマコト、真名は埒外の天秤=B彼女の特徴を一言で表すなら……頭のおかしい落下系ヒロインです」
「……、頭おかしいんはほんまにそいつだけか?」
「どういう意味ですか」
 憮然とした表情をするルルカ。淡い光に包まれ、傷の修復を受けながらも情報を伝える事に専念する。
「危険なのは……言動もまぁそうなんですが、能力も相当危険です。神器の形状が金属バットなんで目を疑いましたが、私の牢獄をいとも簡単に破壊して悠々と姿を消しましたよ」
 それを聞いたアインとマーシャは瞠目する。
「ルルカのオールプリズンを!? 発破でも使わんと出れへんて豪語しとったやんけ、どんな能力や?」
「それが分かればそんなどうでもいい情報を説明したりしません。確実に当てたはずの投擲小剣を一瞬で返されて、この有り様です」
 既に血が固まり、徐々に小さくなってゆく傷口を指差し言うルルカを見て、アインは口元に手を当てて深く考え込む。
「……投擲小剣を一瞬で返された?」
「刃こぼれの類は有りませんでした。私の牢獄内部で、投げられた投擲小剣の勢いを殺さずに投げ返すなんて、それが可能な広さではありません。能力自体はっきりと見た訳ではないですし……」
 咄嗟にアインとマーシャは目を合わせる。彼女の神器オールプリズンは構成する物体の一つ一つが小さければ小さい程その圧縮率は高くなる。公園の地面に出来上がっている不自然に赤みを帯びた砂の山を見る限りそれを用いたのだろうが、その封縛能力は二人も充分知っているだけに、ルルカの弱気な発言に耳を疑いたくなった。
「一体、目的は……」
 マーシャがぽつりと呟く。ルルカは目を細めて答えた。
「……善悪一≠ノ会う。そう、言っていました」
「「――!」」
「彼女の思惑の根本は分かりません……ですが一つ言えるのは、彼女の行動原理はあまりにも危険という事です。正義という言葉をしきりに使っていましたが、手を掛けられそうになった子供を助けたと思いきや、涼しい顔で人を殺めまでするような人格の持ち主です」
 それを聞いたマーシャが、強張った顔でそっと山盛りになった砂を見遣る。その赤黒く変色したモノが何によるものなのか、解を導いたマーシャの表情が蒼白になる。
「話をし、場合によっては……という、目に見えた粛清目的を感じました。絶対に彼女をサラトさんに会わせてはいけません。阻止しなくては……」
「とにかくや」アインはそんな気まずい空気をあえて読まないふうに装い、話を先へ変える。「なんしかそいつを止めなあかんのは良ぉ分かった。とりあえずウチが先に行って足止めしたる」
 平然とそう言うアインに、ルルカは身を乗り出さんとする程に抑止の声を上げた。
「無茶です! これ程の結界を張り、至近距離での爆風にも傷一つ付けず、挙句私のオールプリズンすら容易に破壊するような相手を、一人で引き付けるのには無理があります!」
「どの道このムナクソ悪ぅ結界の中に居る以上逃げ出す事も出来へん。かといってルルカの傷の具合じゃまだ無理や。マーシャは戦えへん。サラトに会わす訳にもいかへん。せやったらウチ以外に誰がやれんねや」
 正論を突き付けられたルルカが押し黙る。
 小さく呟くアイン。鈴を思わせる音色が響き、彼女の手に厳つい口径の拳銃が握られる。
「それに……サラトに会わせたないってのは一応ウチも同意や」
 顔の横に拳銃を構え、アインは振り返る。
「アイン先輩っ!」
 その声を受けて尚、アインは風のように走り出し、次の言葉を探す間に公園から姿を消してしまっていた。
「まったく! どうしてこう≪ツクヨミ≫の過激派は人の言う事を聞かないのですか!!」
 すぐに立ち上がろうとするが、途端に苦痛の表情を浮かべて屈み込む。
「いっ……!」
「う、動いちゃ駄目ですっ! 痛みは消えないんですから……!」
 マーシャが座らせようとするが、その手をやんわりと払ってルルカは強引に立ち上がる。
「アイン先輩の実力を低く評価している訳ではありません。ですが、アイン先輩だけでは太刀打ち出来ない可能性を秘めた相手に、一人で向かうのは見過ごせません」
 痛みと失血でよろめきながらも歩き出すルルカに、マーシャは困ったような顔で肩を貸す。
「わ、分かりましたからっ! せめて、わ、私も……行きますからね!?」
「……構いません」
 傷が無くとも手負いと変わらないルルカに、致命傷を払拭出来るマーシャが戦場へ向かう事を却下する道理はなく、仕方なくといった具合にマーシャの肩を借りて公園を出た。


 ◆


 遊歩道を越え、マンションが立ち並ぶエリアに辿り着いたアインはそこで足を止め、周囲を見回す。
 広い立体駐車場が目に付き、アインは車の出入り口を潜って横にある小さな階段を二段飛ばしで駆け上がった。
 外気に晒された駐車場にはいくつか車が停まっていた。休日のせいか、数はまばらだ。
 駐車場の片方は大きなマンションがほとんどくっ付くように建てられてあり、反対側には結構な広さの公園があった。どうも一般住宅ではないようだ。付近に学校が無く駐車場まである事から学生寮ではないだろう。多分、複合企業などの大きな会社の社宅か何かか。
 辺りをぐるりと見回したアインは、一息吸い、叫んだ。
「居んのやろ!? 出て来ぃ!!」
 大気に反響するような一喝を放つ。木霊するように伝播しやがて虚空に掻き消されるのを充分に待っても、返事はこない。
「――、」
 怒気と敵意を湛えたアインの瞳に強い光が宿る。
 アインは握ったままだった拳銃、ファイノメイナを天高く突き上げ、唐突に引き金を引いた。
 ガゥン!! と相変わらず大砲みたいな轟音を上げて銃弾が射出され、数秒たっぷりは遅れて結界の膜に直撃する。水面に小石を投げたような波紋が少し出来るが、膜に描かれている黒い文字の一部、波紋が広がった部分だけが白く発光し、すぐにそれは収まった。
 どうやら、この結界は術者とは関係無しに自動(オート)で修復するタイプのようだ。事前に設置した支柱となる術式陣で囲った内側を丸ごと結界で覆う。小さな術式陣で大きな結界を張る手法は≪アマテラス≫にしては珍しい。普通はいつでも任意で展開・解除を行えるよう術者を核とした結界を張るはずだが、これでは設定した刻限を待つか、術者が足で出迎えて支柱の一本を分解して術式構成を崩しでもしなければ結界は消えない。
(つまり、戦うなら徹底的にっちゅうことやな)
 威嚇や牽制ではなく、宣戦布告の銃声を掻き鳴らし、アインは反応を見た。
 もう一発撃ってやろうかと思った直後、その声は高らかに轟いた。
「――天知る地知る人ぞ知る!」
 まるで劇団員のような腹からの発声に、聴こえる方を見上げたアインへ言葉が紡がれる。
「安らぐ心に魔の手差し伸べ、蝕むものかな悪の華!」
 それは、マンションの屋上から。
 立体駐車場の分だけ縮んではいても、彼我の距離は優に三十メートル以上は在る。
「非道鬼畜を省みぬ、散華の如く苛まれ、闇に喘ぐは弱き者!」
 屋上の縁に片足を乗せ、腕を組んだ一人の少女はすっと目を見開きアインを見下ろす。
「道理無きに裁きを下し、咲かせて魅せよう善の華!!」
 炎を思わせる自信の光を携えて、天高く指差す。
「我こそが正義の使者! 哀を裂く誠、即ち相崎真琴! いざ、ここに参上ぉおおおっ!!」
 ズビシィイイイッ!!
 効果音まで聴こえてきそうな程の勢いでポーズを決める少女――相崎真琴。
 呆然とその様を見上げていたアインは、心からの叫びを小さく漏らした。
「……こいつ、ほんまに危険や」
 思わず握る手から拳銃を落としそうになるぐらいに脱力するアインに、天を差す指を肩からスライドさせて突き付ける真琴。
「どうも見ない顔だけれど、一体全体どうやって結界の中に入ったんだい!? ≪アマテラス≫で見かけた記憶はないから、まさか≪ツクヨミ≫なんじゃないだろうね!!」
 遠いからという理屈からか無駄に大きな声をかけてくる彼女に、アインは頭を掻いてからある程度届くぐらいに声を張って答えた。
「アンタか、ウチの優等生をイジメてくれたんは」
「イジメ? さっきの灰色の髪の子かい? 何を言っているんだ、正義の味方がそんな事をするなんて笑止千万。僕はただの正当防衛として粛清したまでさ」
 アインは手首を返して拳銃を見せつけ、睨み上げる。
「人の身内に喧嘩売っといて正当もクソもないわボケ、えぇから早ぉそこ降りてこんかい」
 ふむ、と一人考え込む仕草の真琴。
 アインは内心で奇妙な不快感を覚えた。こんな訳の分からない素っ頓狂にあのルルカが負けたとは思えなかった。それ程までに彼女からは緊張感が伝わってこない。それこそ、いつ攻撃してもモロに喰らいそうなぐらいに*ウ防備すぎる。
 しばし思考に没頭していた真琴はもう一度アインに視線を向ける。その表情は真摯にアインへと目を合わせようとする、迷いの感じられないものだった。
「要するに君が僕を追って来たのは、単なる報復行為という訳かい?」
「そない気の重い話ちゃうわ。売られた喧嘩を、ウチが代わって買いに来た。それだけや」
「物騒な事を言うものじゃないよ、劣悪ポイント一点追加」
 溜息混じりに真琴は呟く。
「残念だけれど、それは筋違いというものだよ美人なお嬢さん。僕は喧嘩なんて売ったつもりはないし、百歩譲ったとしても決して君には買う道理なんて無いはずだ。それをこじつけで買ったと言い張り銃を向けるのは宜しくない、宜しくないんだよ」
「ならなんのつもりやねん。こない結界まで張って、今更無関係なワケあるかい」
「こんな大事にするつもりはなかったんだけれど、それには致し方ない理由が出来てしまっただけだよ。僕にも僕なりに目的が有って赴いた次第でね」
 そう答える彼女の言葉に割り込んで、冷たくアインはあしらった。
「サラトを殺す、か?」
「!」
 軽い瞠目と共に口を閉ざす真琴。
 真っ直ぐと睨んでくるアインを見下ろし、彼女の口元に微笑が浮かんだ。
「……そうか。やっぱり君は≪ツクヨミ≫の人間だったんだね」
「そやったらどうするん?」
「さてね、どうしようか……?」
 暗さを持たない意地悪な笑みの真琴に、アインは舌打ちをした。
「ウチにもウチなりの目的ってのが有んねん。アンタをサラトに会わせなんてさせへんよ」
「どうしてだい? それにちゃんとした理屈があるなら聞くけれど――」
 ガゥン!!
 発砲音。
 突然に一発撃ったアインの弾丸は、真琴の顔面のすぐ横を通過してゆく。遅れて結界に当たり、再び修復せんと文字が白く発光する。
 真琴は瞬き一つしなかった。ただ静かな笑みを消し、硝煙を燻らせる銃口からアインの眼へ視線を移す。
 アインは、短く怒気を放った。
「理屈理屈で駄々捏ねんとさっさと降りろ言ぅとんのが聴こえへんのかクソボケ。その的みたいな頭本気で撃ち抜いたろか?」
「……」
 無表情で見下ろす真琴の口が小さく開かれ、
「――成程、実に劣悪」
 敵意で満たした重圧を滲ませる。
「……!」
 ビリビリと震えるような感触を肌に感じたアインが体勢を低くする。真琴はふっと薄く微笑んでから、
「良いだろう! その横暴にして理不尽な難癖に劣悪ポイント二点追加! よってこれより粛清を開始しようじゃないか!!」
 直後、真琴は一歩下がり、助走を付ける。
「……は?」
 助走。それが持つ意味を理解し損ねたアインの見ている中で、一切躊躇せずに真琴は縁を蹴って屋上から飛び降りた。
 ただ、彼我の距離は三十メートル以上。まず落下していい高さじゃない。たとえオーラム・チルドレンが普通の人間より身体能力が高いとはいえ、この高度から落ちれば両足首が潰れる。
 アインは呆れに溜息を吐いた。まさかこんなバカな相手にルルカは負けたのかと視線を外し出来るだけ惨事を見ないようにした直後、

 ズドン!! と凄まじい轟音を立てて真琴は地面に平然と着地した。

「な……っ」
 言葉を失ったアインにお構いなしで、すっと立ち上がった真琴は片足をトントンとしながらそれ≠肩に掛けた。
 そこらのスポーツ用品店で腐る程御目にかかれる、ありふれた形状の金属バット。
 アインは屋上を一瞥する。
(あの高さで無傷やと……? あの神器は一体なんの能力を持っとる?)
 訝しげに真琴を見る。
「落下系ヒロイン真琴ちゃん、推して参る」
 自信満々に強い笑みを浮かべてアインを指差す真琴。
 アインは銃を握る手に少しだけ力を込め、
「上等や、ここで終わらしたる」
 異質の住人は相反する表情を向け合い、同時に得物を構えた。



2008/12/12(Fri)22:55:51 公開 / 祠堂 崇
■この作品の著作権は祠堂 崇さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
予想通り一つに纏め切るには長過ぎるので、分けました。
200枚分ぴったりだしね。
と言い訳しつつも、三分の一でこの文字量は久し振りだなと気付きました。尻すぼみにならないよう頑張りたいと思います。

それでは、続きをお楽しみ下さい。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは!続き読ませて頂きました♪
怒りの中でも、計算された戦い方をするルルカが、らしくて良かったです。指が切れなかった事や、あとはルルカの力も読めたのが嬉しかったですね。真琴の再登場と「正義は勝つ」発言は、かなり凶悪な感じでした。力なき正義は正義じゃないとか良くいいますが、真琴なら、自分の正義を貫き通せそうだなって感じました。このままサラト達と遭遇してしまうのか、続きが楽しみですw
では続きも期待しています♪
2008/12/05(Fri)20:01:270点羽堕
【羽堕様】
レス、有り難う御座います。
同じ戦闘でも、人によって違うスタイルを意識するのは結構大変です。
ルルカなんかは完全に飛び道具が主流なので逆に描写しにくいんですよね。未だに勉強不足……。
真琴の正義。それが何を示し、何を導くのか。それはもう少し経ってから。
続きを御期待下さい。
しからば。
2008/12/12(Fri)22:50:480点祠堂 崇
こんにちは!続き読ませて頂きました♪
アインと真琴の対峙から、戦闘はスタートみたいですね。これからの仲間の合流や、どう戦闘に一時的な幕を引くのかなど楽しみにしたいです。恭亜の優しさか責任感か、罪の意識なのか、分からないのですが、だんだんと慣れてきた感じがしますw
では続きも期待しています♪
2008/12/13(Sat)11:12:480点羽堕
【羽堕様】
レス、有り難う御座います。
ネタバレ気味になっちゃうんで多くは語りませんが、恭亜は今回のテーマに関わる人間です。

ていうか『アインの弾丸』なのに主人公は恭亜な件。(しかもアインは一応メインヒロイン)

多分、慣れてきた感じというのが三話テーマらしい心境の変化になったんだと思うと嬉しいです。
これからも御期待下さい。
しからば。


【連絡】
長いので下巻へ。
一話二話とのえらいページ数の差はやっぱり月日なんだと(略)。
2008/12/14(Sun)23:00:490点祠堂 崇
合計0点
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