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『じいじへ――十五年前の秋晴れ――』 作者:村瀬 悠人 / ショート*2 リアル・現代
全角3827.5文字
容量7655 bytes
原稿用紙約10.35枚
祖父との思い出、記憶の超短編仕立てです。短いので……あらすじは不要かと。
「じいじへ――十五年前の秋晴れ」 

 目を覚ますと、血相を変えた母親がものすごい剣幕で「早く支度しなさい」と怒鳴ってきた。当時、まだ小学三年生で、母親に起こしてもらう事によって一日をスタートさせていた僕は、朝一番からの母親の怒鳴り声にはそれなりにびっくりもしたし、“さては寝坊したのかな”などと、生意気な事を考えもした。それでも、壁かけ時計を見てみたら、針は僕が見たこともないような時間を指していた。午前五時半。何だか分らないけれど、いつもと雰囲気の違う朝。僕が知る由もないところで何かが起きた朝。1992年の、九月。少しだけ、肌寒い朝だった事を、僕は不思議と覚えている。
 祖父が、二週間前から入院していた事くらいは、小学三年生の僕でも知っていた。二回か三回はお見舞いにも行っていたし、ティッシュにつつんだお小遣いをもらった。何もかもが“今思えば”で、少し嫌になる。いつもは千円札が一枚だけ包んであるティッシュの中には、その時、一万円札が包まれていた。貰ったその時、母親は「こんなに多くあげちゃ駄目だって、お父さん!」と言って突き返していた。何もかもを分かっていなかった僕は、目当てのゲームソフトが買えるなあ、などと可愛げのない計算で頭がいっぱいだった。本当、我が幼少期ながら軽い自己嫌悪を覚える。
 いくら小学三年生でも、“死ぬ”という事がどういう事であるのかは、小学三年生なりに理解していた。いなくなること。もう、会えなくなる事。苦しくて、寂しい事。つらい事。漠然としていて、適当極まりない、毒の無いイメージ。それでも、僕がお見舞いについて行ったその時、祖父は普通にベッドで横になっていただけだった。テレビドラマで見たようなチューブに繋がれていたわけでもなかったし、さして、つらそうにも見えなかった。寝起きのようなかすれた声が、今でも耳朶に焼き付いている。小学三年生に、本当の病名なんかを細かく説明するような無粋な大人は、幸いと言うべきか僕の周りにはいなかったから、僕は祖父が“もうすぐ死んでしまう”などとは思っていなかったのだ。だから、「早く元気になってね」と言えたし、「釣りに行きたいんだ」なんて言えた。祖父はただ、かすれた声で「分かったよ」とだけ言っていた。「きっと行こう」とか「約束」とか、そういう言葉は無かった。無かったけれど僕は、祖父がその時もう既に死期を悟っていた、などとは考えたくない。そんなの、あんまりだと思わないか?



 僕と祖父の記憶、思い出は自転車に始まり、河原を経由して、病室に舞い降りる。小学生に上がる前から、一年生の途中くらいまで、僕と祖父は毎週日曜日になると、江戸川の河原まで自転車で遊びに行っていた。河原に行って、釣りをしたり、キャッチボールをしたり、ただサイクリングロードを走ったり。祖父の後ろに乗って、河原まで。祖父の自転車は、母親が漕ぐよりも、父親が漕ぐよりも早かった。早くて、力強かった。早起きの祖父に合わせて出発だったから、周囲にはまだ朝靄がぼんやりと漂っていて、空はまだ青さを取り戻しきれていなくて、僕達はその中を猛スピードで川目指して走っていた。そんな習慣は、祖父が初めて入院した時を境にして終わった。その時は、大した事が無い入院だったのだ。酔っ払って道で転んで骨折。数日入院して、それから自宅療養して、リハビリしたけれど、もう祖父には力強く自転車を漕ぐ事が出来なくなっていた。「たっくん、ごめんな」と祖父は言いながら笑っていた。その時の笑顔が寂しそうだったかどうかなんて、もう、覚えていない。
 それからまもなく祖父は腰を痛めた。満足に歩けなくなった。ポリープが出来て、その除去のために短い入院をした。動き回れなくなった祖父は自宅にいてテレビを見ている事が多くなった。これまで一日一箱だった煙草が、一箱半を経由して、二箱になった。同じころ、僕は自分の自転車を手に入れて、友達も増えてきて、あまり祖父母の家に遊びにいかなくなった。当時の僕が何かを意識していたわけではない事は明白だ。僕はただ何も考えず、小学生らしく、より楽しい事を選んでいただけだった。そこには悪意も無ければ善意も無くて、ただ、流れる時間が僕にそうさせた。その頃の祖父がどのような事を考えていたのか、僕はそれを知る術を持たない。術があったところで、今の僕がそれと正面から向き合えるかどうかは、正直分からない。



 僕が当時住んでいた家から車で一時間半。夜明け間もなく出発して、病院に着いた頃に、いつもの起床時間になっていた。車の中で僕は「何処へ行くの?」と聞いて、母親は「じいじの病院」とだけ答えた。父親は黙って車を運転していた。雰囲気が何だか恐ろしかった。
 お見舞いに来た時とは違う、夜間通用口のようなところから病院内に入って、祖父の病室に向かった。前に来た時とは違う病室だった。テレビドラマで見たような状態の祖父がそこにいた。チューブで全身を繋がれて、酸素マスクのようなものをつけられていた。SFマンガの改造人間のようだった。フィクションでも何でもない、強烈で無慈悲で、痛くてつらい現実が、僕と周囲の大人を取り囲んでいた。
 祖父の枕もとまで行くと、祖母が、「話しかけてあげて」と言って来た。何を話せばいいのか分らなかったけれど、「大丈夫?」と言ってみた。酸素マスクの向こう側で口を動かして、祖父は僕に何かを伝えているようだった。僕は「聞こえているの?」と言い、祖父の代弁として、横から祖母が「じいじ、嬉しそうだよ」と教えてくれた。一体、何のマンガで読んだのだか、今となっては定かでは無いけれど、“こういう時は泣かなくてはいけない”と思って、僕は泣けるかどうか自分で試してみた。けれど、泣けなかった。何だか自分が悪い奴みたいな気がして、つらかった。「きっと元気になってくれるよ」なんていう祖母や親戚のおじさん、おばさんの言葉が、ひとつも本当の事には思えなかった。なのに、泣けない自分。もう、お別れかもしれないのに。
「じいじ、大丈夫なんでしょ?」
 笑えるような状態では無かったのだろう。けれど、笑おうとしていたのだと思う。口元が少しだけ、ひくり、と動いたような気がした。



 祖父が亡くなったのは、その日から数えて三日後の早朝だった。朝、目が覚めて、キッチンに行くと母親が泣いていた。悔しそうに、握りこぶしをキッチンの壁に叩きつけながら、嗚咽を漏らしていた。「どうしたの?」なんて、言えるわけなかった。ただ、「お父さん……」と言って泣いている母親の様子で、何が起きたのかは分った。泣けるかどうか、また試してみた。またしても、泣けなかった。泣けなかったけれど、チューブでつながれながら、酸素マスクの向こう側で口元とひくりと動かして見せた祖父の姿がいつまでも脳裏から離れなかった。
 いつもは母親がやっていた作業だったけれど、この日は自分で寝室の雨戸を開けた。爽やかな秋晴れの朝だった。祖父がいなくなった。つらくて、悲しくて、寂しくて、痛くて。庭中に延び放題の雑草が、隣の家との境界線になっているコンクリートブロックが、みんなして僕が泣かないことを非難しているかのようで、つらかった。少しだけ、泣けそうだった。
「お父さんの声がしない……? あんたの名前、呼んでるみたい。やっぱり……寂しいのかな?」
 いつの間にか、母親が横にいた。耳を澄ませてみた。雀の騒ぐ声。庭を通り過ぎる風の音。何処か遠くからの、車の音。誰かが漕ぐ自転車の、ベルが鳴らされる音。背後から、電話が鳴る音が聞こえて、ゆっくりとした動作で母親が取りに向かった。もう一度、耳を澄ませてみる。僕にも、声が聞こえた。「たっくん……」と掠れた呼び声。それは確かに聞こえた。気の所為でもいい。空耳でも構わない。原因なんか何でもいい。僕は祖父が死んでしまってから初めて泣いた。祖父が死んでしまった事、もういない事、もう会えない事。そんな、大切な幾つかを初めてちゃんと理解する事が出来たのだと思う。だから、泣いた。
 学校に行く時間を告げるテレビの時報が居間の方から聞こえて、僕は祖父に、じいじに、小さなお別れを告げた。



 二十四歳になった僕は、今、こうしてこの文章を書いている。それが何になる、であるとか、そこから何かが生まれるであるとか、そういうのは抜きに、思いつきで、深くは考えずに、記憶をさらってみた。創作をする人間として、それは正しくない姿勢かもしれない。ここには創作的な意欲もなければ、読者を驚かせるようなギミックも無い。ストーリィがあるわけでもない。だから、定義めいたことを無粋にも言ってしまうなら、これはそもそも“小説”として成立しえないのかもしれない。
きっかけは至極単純だ。テレビ番組に映し出された“ある爺の肖像画”を見た。同席していた母親が、泣きだした。少しずつ、少しずつではあるけれど祖父の死んだ年に近づいていく母親は、最近、随分と涙もろくなった。泣きだした理由は理解出来たから、僕は何も言わなかった。「庭でさ、あんたの事呼んでたのを思い出しちゃった……」と言いながら、照れくさそうに焼酎を舐める母親を見て、書きたくなった。書かなければ僕は何処にも行けないような、そんな気分になった。だから、この短い文章を、僕は書いた。それだけの事。それだけの事なんだ。


2007/10/30(Tue)03:10:57 公開 / 村瀬 悠人
http://www.murase-yujin.jp
■この作品の著作権は村瀬 悠人さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
お久しぶりです。或いは、始めまして。村瀬悠人です。
僕はあくまでもフィクション創作の人でありたいと思っていますが、今回ばかりは幾分、事実も元にしていますから、
「これは、事実を元にしたフィクションです」といったところでしょうか。自分で「短編やそれより短いもので人の生き死に
は表現できん」などと言っておきながら、敢えてやってみました。我ながらおろかかもしれません。
この小説は削除しません。こちらに残しておきます。では、また当分は潜伏しますが、お元気で。
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