オリジナル小説 投稿掲示板『登竜門』へようこそ! ... 創作小説投稿/小説掲示板

 誤動作・不具合に気付いた際には管理板『バグ報告スレッド』へご一報お願い致します。

 システム拡張変更予定(感想書き込みできませんが、作品探したり読むのは早いかと)。
 全作品から原稿枚数順表示や、 評価(ポイント)合計順コメント数順ができます。
 利用者の方々に支えられて開設から10年、これまでで5400件以上の作品。作品の為にもシステムメンテ等して参ります。

 縦書きビューワがNoto Serif JP対応になりました(Androidスマホ対応)。是非「[縦] 」から読んでください。by 運営者:紅堂幹人(@MikitoKudow) Facebook

-20031231 -20040229 -20040430 -20040530 -20040731
-20040930 -20041130 -20050115 -20050315 -20050430
-20050615 -20050731 -20050915 -20051115 -20060120
-20060331 -20060430 -20060630 -20061231 -20070615
-20071031 -20080130 -20080730 -20081130 -20091031
-20100301 -20100831 -20110331 -20120331 -girls_compilation
-completed_01 -completed_02 -completed_03 -completed_04 -incomp_01
-incomp_02 -現行ログ
メニュー
お知らせ・概要など
必読【利用規約】
クッキー環境設定
RSS 1.0 feed
Atom 1.0 feed
リレー小説板β
雑談掲示板
討論・管理掲示板
サポートツール

『逆立ち犬』 作者:三上 / リアル・現代 未分類
全角7946文字
容量15892 bytes
原稿用紙約24.15枚
とあるやる気のない大学院生のある日の話


 犬は逆立ちしていた。
 そこまで読んで、高村は本から目を離した。瞼の上から眼球を撫で、ぼんやりと膜のように襲ってくる睡魔を隅に追いやる。しかし目を開けて活字を見ると、睡魔は更に強大なものになって襲ってきて、諦めてしおりを挟むと本を閉じた。携帯で時刻を確認し、潜り込んでいたベッドのかけ布団を被り直す。仰向けの体制からうつぶせになって、ベッドサイドに本を投げた。顎に枕を感じながら目を閉じる。疲れ切った目が癒されていくのを感じた。
 明日の授業は午前のみで、午後からはバイトを入れていたはずだ。頭の中で明日のスケジュールを思い浮かべていると、邪魔をするように先ほどまで読んでいた本の内容がぐるぐると襲ってきた。童話を読むと頭が混乱する。
 気持ち悪くなって、早く眠ってしまおうと念じた。落ちてゆく意識の中で、そういえば犬が逆立ちすると、頭が引っかかったりしないんだろうかと考える。眠る。


 派手に寝坊して、見事に授業を逃してしまった。時刻を携帯で見ると何もかも面倒くさくなって、しかし午後からのバイトを思い出し、とりあえず着替えようとパジャマ替わりのTシャツを脱ぐ。割と気に入っていたジーンズのズボンを洗濯してしまったのを思い出し、仕方なく、実家から送られてきた、センスがあるのか無いのかよく分からないジャージ素材のものを履いて時刻を見ると、外に出て昼食を食べるのに丁度良い程度の時間が余っていた。蒸し器のような部屋に閉じこもっているのは健康的とは言えないので、もう出るかと考える。
 金が勿体なくて、部屋のクーラーは殆ど機能したことはなかった。


 扉を開いて閉めて屋外に出ても、濁った空気の暑さは変わらなくて、不快な汗が背中を流れた。鍵をかけると、狭いアパートの階段を下りて駐輪場に向かう。日差しを何となく雲がぼかしていたが、湿度も気温も不快感も大して変わりはしない。げんなりとしながら駐輪場にある自分の自転車を動かそうと、ポケットを探り鍵を探していたら、聞き覚えのある声がかかった。
「こんにちは」
 顔を上げその人物を見て、誰だったかと思い出す。「ああ」と頷いた。同じバイト先に勤めている青年だ。名前は確か工藤とか言っていた気がする。
「こんにちは」
「高村さん、珍しいですねこの時間。今日は大学休みなんですか?」
 高村とひとつしか歳は違わないのに、工藤はとても丁寧に言葉を使う。女受けする顔であるのに、浮ついたことなど殆どしない彼を、炎天下の中で世間話を始める程度には、高村は気に入っていた。
 隠す必要も無かったので、素直に寝坊したことを言う。工藤も工藤で、聞いてきた割には興味がなさそうに頷いていた。この人物は彼に似ているな、と高村は絵描きである級友を思い出す。
「それより、そっちこそ珍しいんじゃない」
 確かこの時間は君のシフトでしょ、と指摘すると、工藤も頷いた。
「そうなんですけど、今日はちょっと、店長に頼んで休みにして貰って」
「彼女?」
 何故、と聞く前に、直感で口が動いた。その言葉により工藤が硬直したのを見て、久々に高村は自分の直感に感謝する。
「いや、彼女って言うか、そう言う訳じゃないんですけど」
 誤魔化すように照れるように、工藤が頭を掻いた。顔に似合わず、工藤は恋愛に真摯で、奥手なところすら感じさせる。それが彼の彼たる所以であり、だからこそ高村は工藤を気に入っている。
「何かのお祝いなの?」
 更に直感に従うと、更に工藤は困ったように、整った眉を寄せた。
「プレゼントが決まらないんだ」
 指摘され、暫く唸った工藤は、降参するように苦笑する。苦笑しながらも、僅かな敬意を高村に向け、言った。
「すごいですね高村さん」
 君がわかりやすいんだよ。
 親切心と自らの好奇心のために、高村はそれは言わない。工藤がとある人物(どうやら年下の女の子らしいが)の話をするとき、工藤は決まって幸せそうな顔をした。周りの人間は表情の変化など無いと言うが、高村に言わせてみれば、特別な幸せを感じている顔にしか見えなかった。
「何の記念日」
「いえ、彼女が英検に合格したって言うんで」
「へえ」案外大げさだね。やはり高村は口に出さない。
「どんなプレゼントあげたいの?」
「いや、やっぱ、アクセサリとか」
 あ、それなら、と思った。とある店の名と店の位置を工藤に告げる。
「そこの店お勧め。ご贔屓に」あの店なら工藤の趣味にも合うだろう。
「あ、はい」
 工藤が不思議そうに頷いた。首を傾げると、言ってくる。
「何か、高村さん以外と詳しいですね。アクセとか興味ないと思ってました」
「詳しい訳じゃないけど、知り合いが働いてるから」
「知り合い?」
「おれの恋人」
 へえ、とやっぱり工藤は興味が無さそうだった。


 男二人で炎天下のアスファルトの上何やってたんだ、と数分前の自分を呪いたくなる。
 喫茶店でブランチを胃に入れてコーヒーを飲み、店を出ると、愛自転車は日差しを受けたサドルが死ぬほど熱くなっており、本気で死にたくなった。死にたさと尻の熱さを堪えて自転車に跨ると、バイト先に向かう。まだ時間は少し早かった。
 都会の中でも田舎にあるそのコンビニは、昼間は客も少なくて、一銭も払わず立ち読みしている学生や、ジュース棚を一人で整理している店長しか居なかった。レジには誰も居らず、店長にどうしたんですかと尋ねると、ああ高村君か実は今日工藤君が休むのを忘れていてね、と笑ってきた。あ、じゃあおれ入って良いですかもう暇だし、などというと、それでもやっぱり時給持って行くんだろうと見透かされていた。なんて言いながらも、じゃあレジ頼むよ、と店長は笑う。


 昼間の少ない客を捌いて、三時頃に新たな客がやってきた。真夏日だというのにニット帽を深く被った男は、しばらくおにぎりのコーナーを物色し、文具をいくつか籠に入れてレジに持ってきた。籠の中には大量の食物と、それを覆い尽くすような量の鉛筆が入っていた。置かれた籠の中身をレジ台に通しながら、高村は話しかける。
「修羅場?」
「ああ」
 疲れたような声で、籠を持ってきた友人が返す。友人でありコンビニの常連でもある藤井は、高村が勤める以前から、何かとこのコンビニを利用しているらしい。最近は、主に誰かに頼まれて品を買いに来るらしいが。
 会計しながら言葉を交わす。
「大変だね」
「もうこりごりだ。ていうか、何であいつは俺を頼る」
「フジが頼りになるからでしょ」
 愛称で呼ぶと、藤井は「冗談じゃねえ」と呟き、居心地悪そうに頭を掻いた。その間にも高村は、大量の鉛筆を次々とビニール袋に突っ込む。その量には今更驚愕を感じる訳でもなかったが、藤井に買ってくるように言った人物が、この量をコンビニに買いに来るという金銭感覚に、少し目を丸くする。
「どうしてこの量をコンビニで買うのかが分からない」
「近いからだろ」あいつの家から。
「自分が買いに行くわけでもないのに?」
「ちょっと高村くん、最近はコンビニも経営難なんだから」客足が遠のくようなこと言わないでよ、棚の方から店長が言ってくる。
 すべてをビニール袋に入れて藤井に手渡し、受け取った紙幣をレジスターに入れる。ずっしりと重い袋を見て、高村は言った。
「消費量すごいよね、相変わらず」
「あいつが弘法でよかったぜ」
 彼は筆を選ばない。

 藤井の袋に一方的にツナサンドを突っ込むと、藤井はかなり嫌そうな顔をしたが、自分のバイト代から出すから、というと、藤井以上に耳ざとく棚を整頓している店長が反応した。先ほどからずっと同じ棚の品を並べたり引っ込めたりしているが、そこがレジでの会話をもっとも聞き取りやすい位置だと言うことを、高村は知っている。とりあえず今は店長を無視した。藤井に尋ねる。
「おれも行っていい?」
「奴の家か?」
「うん」というかフジ要領悪いから一人だったら絶対入れてもらえないよ、断言すると、藤井が顔を歪める。
 また頭を掻いて、「しゃーねーな」と律儀にツナサンドの代金も払った。高村のバイト代から差し引くつもりだったのか、温厚なはずの店長の舌打ちが短く鳴る。
 舌打ちした店長に、おれ用事出来たんで帰っても良いですか、と声をかけると、まだ交代の人来てないから駄目、と子供のように渋った顔で店長が言ってきた。残念だったな、とどことなく嬉しそうに藤井が言ったところで、コンビニの扉がまた開く。客かと思って目をやり、「あ」と指を差す。
「店長、交代の人が」
「え、池永くん?」
「店長どうも。あ、清兄。て、あれ? 藤井先生も?」
「おー、池永か」
 その場にいたそれぞれが勝手な反応を返す。店長は驚いたようにし、池永と呼ばれた青年は目を丸くして、藤井は表情筋をやや緩める。従兄弟であるその人に、高村は軽く片手を挙げると、「今からシフト?」と確認をした。
「んー、そうだけど、暇だからちょっと早めに来たんだよなあ。もしかして失敗した?」
 子供が悪戯に失敗したときのような顔で池永は笑い、指先で頬を掻く。しかし藤井を見て、更に面白そうに口の端をつり上げた。
「というか、先生もコンビニくるんスね。何か意外」
「意外って、お前」
 池永は、藤井をからかうように、それでも子供っぽく笑う。それを見て高村は、藤井が池永のクラスの担任であり、新米教師であることを思い出した。
 藤井は、いつもより些か馴染みやすい雰囲気で笑い、池永の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「うわっ」
「お前、バイトは禁止だろー」
「オレ、ちゃんと申請して許可貰ってるって! 先生も知ってるじゃん!」
 笑いながら更に藤井は池永の頭を掻き回した。悪口を並べる池永も、悪くは無さそうな顔をしている。
「教師クオリティ」
 思わず高村は呟いた。何か言ったか、と高村を見た藤井の顔は、裏町に拠点を張る不良そのものだったが。


 自分から早く来た割に、自分勝手にバイトを抜け、高村は今藤井の車の助手席に座っている。自分の自転車は、帰りに取りに来ることにした。煙草臭かったり汚かったりするわけでもない車内は、しかし中古車と言うこともあって、シートも運転席もどこか頼りない。
 助手席に座った高村に続き、藤井も運転席に座って、高村の膝にコンビニで買ってきた品を預けた。
「落とすなよ、間違っても。半分以上食い物なんだから」
「うん。ねえ、何か食べて良い?」
「ふざけろ」
 エンジンがかかる。ここから目的地までは車で五分、歩きだと十分になる。しかし途中の傾斜が多く、移動は自然と車に頼っていた。
 駐車場から車道へ出たところで、丁度信号が赤になった。高村は袋の中に春イチゴサンドが入っていたことに気づき、いそいそとラッピングを剥ぐ。
 元々高村を黙らせるために買ったのか、高村がサンドイッチを食べ始めても、藤井は何も言わなかった。信号が青になる。車が発進する。


 メインストリートから一本中の道に入っただけで、大通りの喧噪が嘘のように遠のいた。赤みを帯び始めた空を背景に、道を挟んで住宅が並んでいる。彼ならこの光景を絵にするだろうか、何となく高村は思った。
 彼の家の前に辿り着くと、藤井は塀に車を寄せ、路面駐車をして降りた。コンビニの袋を持って高村も続く。藤井は慣れた足取りで門扉を開け、玄関へと歩み寄る。チャイムを鳴らした。
「天野、買ってきたぞ。開けろ」
 なるべく大声で呼ぶ。暫くして、チャイムの対応口から不機嫌そうな声が返ってきた。
『誰だ』
「オレだ。藤井」
『呼んでねえ』
「嘘こけ!」
 苛立たしそうに藤井は玄関の扉を蹴る。鍵が厳重に閉ざされていく音がした。
「お前! 人パシリに使っておきながらっ」
『頼んでねえ』
「嘘つけ! 修羅場だと何もかもすぐに忘れるのは、お前の悪い癖だろうが!」
 更に声を荒げようとした藤井の背中を超えて、高村が玄関に声をかける。
「アマ、久しぶり」
『帰れ』
「残念。せっかくツナサンド持ってきたのに」
 しばらくの沈黙の後、扉の向こうで荒々しく鍵が開かれていく音がした。そのまま、不規則なリズムを刻みつつ、足音が遠ざかっていく。間違いなくリビングへ向かったのだろう。
「入っても良いって合図でしょ」高村は藤井に言う。
「あの野郎、いつか絶対締める」
「無理無理」
 フジの性格じゃね。高村はそれは言わない。

 リビングに入って、懐かしい高校の美術室を思い出した。籠もったアクリル絵の具の匂いがそれを感じさせるのだろう、と思う。
 広くは無いリビングには、床一面に新聞紙が敷き詰められていて、部屋は几帳面な彼からは信じられないほどに汚い状態だった。リビングがこれで、どこで生活をしているのだろうと思う。テーブルの上には色々な絵の具やら筆やらが散乱しており、その真ん中に、背筋をぴんと伸ばしてキャンバスが立っていた。
 一週間前に一度だけこの空間を訪れた高村は、たった一週間によるキャンバスの変貌に目を見張る。一週間前は薄く均等に水色が引き延ばされていただけだったのに、七日の内にそれに青が差し、黒が差し、赤みが差して雲が伸び、星もきらきらと光っていた。人工的に象られた色合いであるのに、自然のそれをそのまま連想させる。それで居て人間を模写しているような、どこか不思議な世界観が、そのキャンバスの中に閉じこめられていた。
「これは夜明け?」
 尋ね、返事が返ってこないのに顔を上げ、この家の持ち主であり、この絵を描いた天野が居ないことに気づく。と、台所に続く扉から顔を覗かせた。いつもの彼からは信じられないほどに疲れた表情をしており、髪もぼさぼさで、髭まで生えている。目の下の隈が、彼の生気を奪い取っているようだった。
 日頃からは想像のつかない弱々しさで目を押さえ、溜息をつき、高村を見る。肌は血の気が無いどころか、土色にさえ見えた。
「何か、いるか。コーヒーとか」
「要らん」
 答えたのは、天野の背後から現れた藤井だ。どうやら藤井が天野の冷蔵庫に、先ほど買ってきた食料を詰め込んでいたらしい。天野をとっとと台所から追い出して言った。
「お前、あの絵は一応一段落着いたんだろ。とっととシャワー浴びてこい。臭いし、悪くは無い顔が台無しだぞ」
「良く分かるな」
 描き終わったというのが。天野は今にも倒れ込みそうな声で言う。
 集中したいからオレを買い出しに行かせたんだろうがお前は、出来ても無いのにお前がオレたちの声に反応するかよ。良いからシャワー浴びてこい。くれぐれも風呂でぶっ倒れるなよ。
 藤井は、一蹴と共に天野に文句と着替えを押しつける。やりづらそうに頭を掻くと、天野は着替えを手に風呂へと姿を消した。二人の問答が続いていた間、高村はじっとキャンバスを眺めていた。
 天野の絵の才能に周囲が気づいたのは、彼が高校一年の二学期を過ごしていた頃だ。運動部からの勧誘をすべて蹴った彼は、気まぐれだったのか何なのか、美術部からの誘いに乗り、仮入部した。しかし一枚絵を描かせてみると、これまたどうして、部員全員が顔色を変えたのだから驚きだ。本人も熱心に指導を受けていたし、傍目から見れば、十分充実した高校生活だったように思えた。
 だがその後、またまた周囲の勧めを蹴って、天野は美大への進学をしなかった。普通の大学で普通に四年を過ごした後、漸く本格的に創作活動を始めたのである。どうせ絵を描くなら美大に通っても同じじゃないかといつだったか高村が尋ねると、集中したら生活できなくなるんだと天野が頭を掻きながら言っていた。当時は首を傾げたが、なるほど、今ならその意味が分かる。現在でも、藤井が定期的に通わなければ、天野は筆を握りしめたままとっくに骸と化しているだろう。
 天野は、人を描くように空を描いた。風景画の内でも特に、空を描くことを選んだのだ。彼の空には、今にも星に手が届きそうな幻想感があり、それでいて今にも額縁の中に入れられそうな、不思議な現実感がある。「本物をそのまま描かないことが信条だ」と天野は言っていたが、未だに高村には理解できない。
 それを理解することについて高村が考えを巡らせていると、台所の方からなにやら物音がした。目を向けると、先ほどの扉からまた藤井が顔を覗かせている。
「何かいるか? スープならあったが」
 ここで何故か、高村の中に、高校時代にこうして天野の家にやってきた時のことが思い出された。「サボチャ」
「サボチャ?」
「サボテンとカボチャのコンビネーション」
「なんじゃそりゃ」
 顔を歪め、飲みたいなら自分で作れよと言ってから、また藤井は台所に引っ込む。


 あの後、シャワーを浴びてこざっぱりとした天野と漸くまともな挨拶を交わし、高村は早々に引き上げた。藤井はまだ天野に用事があったようだし、天野も暇では無さそうだ。高村は恋人との約束があったので、藤井にコンビニまで送ってもらった後、目的地まで自転車を漕いでいった。
 そして今、高村とその恋人は、学生向けの洒落たイタリア料理店にいる。
「ということがあったんだよ」
「へえ」
 目の前にいる女性は、パスタを口に運びながら曖昧に頷いた。自分より年下であるのに、考えや動作はすっかり大人びているその人は、「天野さんも大変なんですね」と零す。
「うん。というか、他人に頼らないと体調管理が出来ないって言うのが可笑しいと思う」
「それ高村さんも同じじゃないですか」
 その女性、志水倖は、全く嫌みのない笑みで楽しそうに笑った。つられて高村も、やや表情筋が緩む。
「おれの場合は、良いんだよ。最近は目覚まし通りに起きれるようになったし」
「小学生じゃないんだから、そういうのいちいち主張しないで下さい」誕生日プレゼントが活用されてるのは何よりですけどね。
 倖の言う言葉自体は冷たいものだが、内容には決して、人を無意識のうちに傷つけようなどと言う棘がない。
 うん、まあ、君がくれたものだからその時間に起きられるようになったんだと思うよ。高村はその言葉をバジルソースと共に口の中に封じ込めた。
 新たにパスタをフォークに絡めながら、倖が呟くように言う。
「天野さん、凄いなあ」
「だよね」
「藤井さんも凄いですよね」
「それ、おれが凄く無いみたいじゃない?」
「図書館で真剣な顔をして童話を借りてる人も、ある意味凄いですよ」
 童話、との言葉で思い出した。「ねえ」と話の筋を変えるために前置く。
「何ですか?」
「犬が逆立ちしたら、どうなると思う?」
「犬が」
 犬が逆立ち、犬が逆立ち。と、高村に何をいうでもなくぶつぶつと考え込む倖も、やっぱりある意味凄い、と胸中で思った。
 それはやっぱり、と倖が両手を軽く挙げてジェスチャーをする。
「ブリッジみたいになるんじゃないですか」
「ブリッジ?」
「ほら、人間がやるやつ。逆立ちっていうか、寝転がる?」
 手を下ろし、ジュースをストローで混ぜながら、倖は続けた。
「犬って、体と地面が平行になってますよね。人の逆立ちは体が地面と垂直であり続けることなんだから、別に犬だって平行のままでも良いじゃないですか。別に前足で全体重支えなくても、横に転がって、両手両足伸ばしたら、犬にとっては立派な逆立ちですよ」
 逆立ちねえ。高村はコーヒーにガムシロップを並々と注いだ。
 というか倖、それは寝転がっているだけであって、逆さに立っている訳ではないと思うよ、おれは。
 やはり高村は言わない。ストローで一口コーヒーを飲んで、底に沈殿していたガムシロップに露骨に表情を歪めた。それを見て、倖が笑う。



END 
2007/06/13(Wed)23:14:47 公開 / 三上
■この作品の著作権は三上さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
こんにちは、三上です。
これまで何度か連載を投稿し挑戦しようと思っていたのですが、スケジュールや集中力のために何度か挫折をし、この度、すでに書き上がっているものを投稿するという形をとらさせていただきました。
今後、皆様の意見を参考に、何度か書き直しはアップする予定ですが、続編の予定はありません。

作品自体は、以前に書いていた物語の番外編、という位置づけになっていますが、本編を知らない人でも理解できるものを、というものを目標に、書き上げました。
何かありましたら、ご指導ご鞭撻宜しくお願いいたします。
この作品に対する感想 - 昇順
感想記事の投稿は現在ありません。
名前 E-Mail 文章感想 簡易感想
簡易感想をラジオボタンで選択した場合、コメント欄の本文は無視され、選んだ定型文(0pt)が投稿されます。

この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
スタッフ用:
投稿者用: 編集 削除