オリジナル小説 投稿掲示板『登竜門』へようこそ! ... 創作小説投稿/小説掲示板

 誤動作・不具合に気付いた際には管理板『バグ報告スレッド』へご一報お願い致します。

 システム拡張変更予定(感想書き込みできませんが、作品探したり読むのは早いかと)。
 全作品から原稿枚数順表示や、 評価(ポイント)合計順コメント数順ができます。
 利用者の方々に支えられて開設から10年、これまでで5400件以上の作品。作品の為にもシステムメンテ等して参ります。

 縦書きビューワがNoto Serif JP対応になりました(Androidスマホ対応)。是非「[縦] 」から読んでください。by 運営者:紅堂幹人(@MikitoKudow) Facebook

-20031231 -20040229 -20040430 -20040530 -20040731
-20040930 -20041130 -20050115 -20050315 -20050430
-20050615 -20050731 -20050915 -20051115 -20060120
-20060331 -20060430 -20060630 -20061231 -20070615
-20071031 -20080130 -20080730 -20081130 -20091031
-20100301 -20100831 -20110331 -20120331 -girls_compilation
-completed_01 -completed_02 -completed_03 -completed_04 -incomp_01
-incomp_02 -現行ログ
メニュー
お知らせ・概要など
必読【利用規約】
クッキー環境設定
RSS 1.0 feed
Atom 1.0 feed
リレー小説板β
雑談掲示板
討論・管理掲示板
サポートツール

『サトコのシンデレラストーリー(略してS.S.S.)』 作者:碧 / リアル・現代 恋愛小説
全角15574.5文字
容量31149 bytes
原稿用紙約46.45枚
1.働かざるもの


 自分が寝転がるための場所を作るべく、部屋一面に散乱したいろんなものをずさずさと端に寄せる。その作業は時間にしてわずか3秒ほどだったが、里美にはそれさえも億劫だった。
 床に出現させたスペースよりも、ちょっぴり体の方が大きかったらしい。横になった途端、巻き起こった風圧のせいか、体の肉のどこかが引っかかったのか、飲みかけのペットボトルやら、空になったビールのアルミ缶がごっそりなぎ倒され、里美に向かってゴロゴロとなだれ込んで来た。
 いつから放置されたままなのか、茶色く液状化したものを内包するコンビニ弁当の容器も、己の存在を主張するかのごとく、ここぞとばかりにパキパキメリメリと、嫌な音を立てた。

「ああ、めんどくさい」里美は誰に言うでもなく声を荒げ、ため息をついた。何もかもが面倒なのだ。仕方なく上半身を起こし、ゴミたちを睨み付ける。もちろん、里美の眼力に物体を動かす特殊能力などないし、睨まれたくらいで動くほど、ゴミの方も親切ではない。睨んだだけ時間と体力の無駄である。腹立たしい気持ちになりながら、里美は乱暴にそれらを隅へと押しやると、
もう一度床に転がり直し、おもむろにアルバイト情報誌を広げた。

 食って、寝る。それだけの生活。暇つぶしにテレビを見て、深夜のショッピングチャンネルを眺める。訳のわからない動機から、ダイエット用の薬やフィットネス器具、自己啓発プログラム、開運グッズのあれこれ、美しく変身できるメイクセット、誰でも弾けるピアノ講座(すぐ練習できるキーボード付き)「恋愛講座〜あなたも恋の勝者になれる1535ヶ条〜」(テキストとドラマ仕立てのDVD付)その他もろもろを手当たり次第に購入したりもした。
しかし、届く頃にはやる気など消滅しているものである。三日も経たないうちに、狭い部屋の中でゴミたちと同化して終わり。あっけないものである。あっけく終わった、遠い記憶の中の恋よりも。
最近は、アパートの向かいのコンビニへ行くことさえ面倒になってきた。
玄関を出てから30秒も掛らない場所が、遠い。
「私みたいな上客には気ィ利かして届けてくれても良さそうなもんだよ、近いんだし」
などと文句を垂れている間に行って帰って来ることができる距離だというのに。

 田中里美、24歳。独身彼氏なし。花も恥らう乙女と言うには難しくても、妙齢の女性であることには間違いない里美であったが、それは年齢だけで語ればの話。今の彼女に、乙女な部分はこれっぽっちも残っていない。
 アパートの一室に篭ったまま、半年ほど前から昼夜逆転コンビニ頼みな生活をしている。もともと軽いほうでもなかった体重は、彼女自身を押しつぶす勢いで増加し続けた。体が重く、動く気になれない。何もかもが面倒で、何にも興味が持てなかった。風呂も入らない、歯も磨かない。顔も洗わない。洗濯も掃除も料理もしない。着ているものがきつくなってくると、通販でビッグサイズの服を買う。宅急便が届くと、荷物が入るだけのスキマを開けて素早く荷物を受け取る。そのわずかな時間と、一日に一度、コンビニへ行く時間だけ、里美は外の空気を吸った。
しかし、彼女の心が外気に触れることは、ほとんどないような生活だった。
そういえば、最後に自分の顔を鏡で見たのがいつだったのか、洗面所以外の鏡が今どこにあるのかも、分からなくなっている。
週に2回ある生ゴミ収集日にも、月に1回参加できれば上出来だ。不燃物については、ほとんど参加できずにいる。なぜなら、朝8時までにゴミを出すなんてほぼ不可能だからである。その時間は、里美が眠りについて、間もない頃なのだから。

 里美自身が、この生活を心から望んでいるわけではない。なんとなくこうなっちゃった、だけである。しかし、続けるにしてもしないにしても、経済的危機に直面していることだけは確かだった。
 昨年、思いがけず転がり込んできた祖父の遺産で暮らしてきたが、それがもう、いくらも残っていないのだ。実家には戻れない。二周りも若い男との再婚を果たし、第二の人生を謳歌している母が、妙齢の娘が戻ってくることを許してくれるはずがない。もし許されたとしても、里美の居場所などなさそうである。

 そういうわけで、先刻、重い腰を上げて、コンビニへ行き、一日分の食料などと一緒に、アルバイト情報誌を購入したのであった。

 里美は、分厚い雑誌ををめくり始めた。
「客商売はパスだな」
接客、サービス、と書かれたページを惜しげもなく飛ばす。
人の世話をする気になんてなれない。
「体動かす仕事は無理。疲れる」
製造業、配達、などのページも、飛ばす。
ページをめくるスピードが、どんどん加速していく。
里美は今まで正社員で働いた経験がない。高校卒業後の肩書きは、「フリーター」である。アパートに引き篭もる半年前まで、ありとあらゆるアルバイトを経験してきたが、どれも長くは続かなかった。何をしても、里美なりにどう頑張っても、一人前にはなれなかった。
初歩的なミスを重ね、日が経つにつれ、職場のお荷物になっていく。軽く周囲から浮いた存在になる頃、新しく入ってきた年下のバイト君の方が、物覚えも良く、要領もよく仕事仲間の受けも良い、という、里美にとって非常に居心地の悪い環境が出来上がる。そこで居辛くなって辞める、というのがお決まりのパターンだった。
「頭使う仕事は問題外だな、んん?」
【その他の仕事】のページで、里美の指が止まった。
『簡単な電話応対のお仕事。頑張り次第で日給1万円以上も可。年齢経験不問。
出社不要。ご自宅でできる簡単なお仕事です!
とりあえずお電話を!24時間受付中』
これは楽そうだ。時計は午前2時を指していたが、24時間受付ならば、今すぐでも構わないだろう。善は急げである。
すぐに電話をかける。
何十回目かのコールでようやく電話に出た相手は、寝ているところを起こされたのか、非常に不機嫌だった。
「あんたね、一体何時だと思っているのよ! 」
突然怒鳴られて、里美は一瞬ひるんだ。しかし、日ごろの鬱憤を晴らすかのように、里美は即座に言いかえした。
「何時っておっしゃいますけど! 24時間受付中って書いてあるじゃないの! 」
「だからって、こんな夜中に電話することないでしょっ! 」
電話の相手は怒っている。
「だからって、じゃないでしょうが。こっちだってこの時間しか電話できないから、忙しい中電話しているのよ! 」
 その後も、眠そうな中年女性の声と、怒れる里美の攻防は、半時間ほど続いた。
「もう、あんたじゃ話にならない。上を出しなさい!じゃないと訴えるわよっ! 」
 里美の剣幕にたじろいだのか、電話の相手は急に態度が変わった。
「少々お待ちくださいませ」
電話の向こうで、音の外れた「エリーゼのために」が流れ始めた。拷問のような不協和音に、暴発しそうだった里美の脳の血管は、寸でのところで穏やかな男性の声に救われた。
「合格です」
「は!? 」里美は何のことやら分からなかった。
男性によると、里美と先ほどの女性のやりとりは、面接試験なのだという。
「わが社は、苦情処理業務を請負う会社なんですよ」
電話の向こうの男性は、ゆっくりと説明を始めた。
 製品に対して不満のある人が、業者のお客様サービス窓口に電話をかけてくる。大手の会社なら、そのために人を雇えるが、そこまで手が回らない会社もある。そこで、対応しきれない会社は、苦情などの電話応対を下請け会社に依頼する。下請け会社は、電話をかけて来た人物のタイプを見極め、謝罪課、逆ギレ課、交渉課、などに電話を振り分ける。その先に控えているのが、自宅アルバイトの苦情処理係、というわけである。
「あなたには、逆ギレ課のノー返金係、略して『G課のNHK』を担当していただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「NHK? 」里美は思わず聞き返した。
「ノーのN、返金のH、係りのK、頭文字をつなげてNHKです」男性は澄まして答えた。
「G課のNHKは人材が不足しておりまして、歩合制でお給料も良くなっておりますよ」
「つまり、私はかかってきた電話の相手に逆ギレすればいいわけ? 」里美は質問した。
「まぁ、平たく言えばそうなのですが、筋は通して頂きたい。相手を口汚く罵ったり、脅したりするのはいけません。
それから、電話は短く済ませるほど、お給料が良くなるシステムになっておりますので。
原則として、『返金は一切できません』このセリフは、電話を切る前に必ずおっしゃってください」
「言うだけ言って、さっさと電話切ればいいってことね?」里美はそう言いながら、これなら自分にも出来そうな気がした。
「その通りです。話が早くて助かります」
電話の相手は、事務的な手続きをするために、里美の給料振込み用の口座番号や住所、電話番号を尋ねた。
「では、すぐに手続きいたします。ご自宅に電話がかかってきましたら、即座に対応をお願いします。他のアルバイトもおりますので、早い者勝ちですよ。正確に電話で話した時間が時給として計上されます。先ほども申し上げましたが、電話を短く済ませるほど、お給料は良くなる仕組みです。もちろん、出たくない場合は、出なくても構いません。」
 その後、明細は何日に届いて、給料振込みは何日だとかいう、細かい説明をした後、
「お電話、ありがとうございました」男性はそう言って、電話はがちゃりと切れた。



2.魚心あれば

 里美にとって「NHK」の仕事は、実に楽しいものであった。
 電話が掛ってくる。すかさず受話器を取る。相手は必ず商品の返金を求めてくる。
「効果がなかった場合返金します」を謳い文句にしている商品を買った客が、返金受付窓口だと思って電話をかけてきているからである。
「返金OK!」なんて言っておきながら、会社側は最初から返金に応じる気などないのだ。
 しかし。売る側、買う側、どちらにどういう事情があろうとも、相手に返金を諦めさせるのが、里美たち「NHK」の仕事。里美は確実に仕事をこなしていった。
 相手の緊張が伝わってきた瞬間、攻撃を開始する。思いも寄らない攻撃に、相手がひるむ。ひるんだ隙に、
「とにかく、絶対に返金はできませんから! 」
必殺のセリフを相手に突きつける。すばやく電話を切る。ここで終了。早ければ10秒以内にカタがつく。
 G課に回されるのは、強気な人間には言い返せないような、小心者が多い。たまに言い返せる相手に出会うが、その場合は逆ギレで「正論」を突きつける。相手が考えている間に、「とにかく返金は出来ませんから! 」でトドメを刺す。

 飽きることなく、里美は次から次へと同じやりとりを繰り返した。2週間に一度、給料明細が郵便で届けられる。最初の明細を見て里美はたまげた。
「にじゅうよんまんさんぜんにひゃくさんじゅうに円も!? 」
こんなに簡単に大金が手に入ってしまって良いのだろうか。
 明細には、月1発行の広報紙「G通信NHK版」が添えられていた。
NHKの前月収入トップ10、(驚くなかれ、1位は月収100万以上!)NHKのお役立ちヒント、苦情の多い商品の説明や、対応法などが掲載されている。「GOGO!NHK!」なる手書きの四コマ漫画付きである。
 NHKの仕事を始めてから、里美は気づいたことがあった。電話で聞く商品のほとんどを、自分も買ったことがあるということに、である。
「『開運バッチ恋ペンダント』を1ヶ月つけているのに、彼氏ができない!」
と言う相手に
「まずは自分で何か行動しなくちゃ、ペンダントの効果なんて期待できないのよ!だから返金できません! 」
などと吼えた後、そういえば、そんなペンダントを自分も買ったことを思い出す。
「絶対にやせる薬『超!ダイエット革命』飲んだけど痩せません!返金してください」
「はぁ?飲むだけで痩せる?あなた何か勘違いしてません?個人差があるって、ちゃんと書かれてるでしょ?
だいたい、薬で一気に痩せたら不健康よ!だから返金できません! 」
「『誰でも弾けるピアノ講座』やってみたんですけど、弾けないんですが?」
「あのね、練習したの?練習してナンボでしょ、ちゃんと練習してもないのに弾けない?そんな理由で返金できません!」
 そんなやり取りを繰り返していながら、『開運バッチ恋ペンダント』も、『超!ダイエット革命』も、
『誰でも弾けるピアノ講座』も里美のアパートのどこかに埋もれているはずなのであった。
 効果がなかったから返金してくれと言ってくる客に、自分と同じ匂いを感じる里美だった。どことなく他力本願なのである。その商品を買っただけで、何の根拠もなく、自分の夢や望みが叶うと信じてしまう。その心の弱みに付込んで、偉そうに説教じみた言葉を叩きつけ、相手を斬っていく。自分に自分で説教しているようなものだと、里美は心の中では苦笑した。
 電話を待つ間に、ゴミに埋もれて同化している、かつて購入した商品を掘り起こしてみた。そのついでに、手に取ったものがゴミであった場合、ゴミ袋に入れることにした。
 午前9時から午後5時までが一番の稼ぎ時である。NHKの仕事をするようになってから、里美は夜寝て昼起きる生活に戻っていた。可燃物の日に大量のゴミを出すと、部屋は随分スッキリした。ペットボトルとアルミ缶もそれぞれまとめて捨てた。
「超!ダイエット革命」が出てきたので、食後に飲むことにした。細かい注意書きを読むと、
一日の摂取カロリーや、バランスの良い食事についてびっしり書かれていて、適度な運動もするように指示がある。
一冊のダイエット本くらいの量である。
「これちゃんと守れば、絶対痩せるよなー」里美は感嘆した。
 ステッパーや、ヨガのDVD、運動効果を高める腹巻も出現した。
 昔の彼が忘れていった、「過激な彼女たち」なるアダルトビデオが出てきたときは、さすがの里美ものけぞった。
「コウちゃん、どうしてるかなぁ? 」
久しぶりに思い出す昔の彼との甘い思い出。彼との甘い、甘い?ないぞ、そんな思い出。里美は記憶の箱をがさごそ探し回ったが、実際、コウちゃんとのいい思い出は何もない。
 バイト仲間で同じ年で、仕事が終わると、一緒にコンビニでビールと食料買って、里美のアパートに来る。
 コウちゃんは、アダルトビデオを3本レンタルしたら中古1本おまけでくれたんだ!ってものすごく嬉しそうな顔してたっけ。「過激な女たち」はその「おまけ」である。
 二人でビール飲んでコンビニ弁当食べて、ビデオを見て、ああだこうだ喧嘩した。
(コウちゃんが勝手に早送りするから、私が怒って………、でも二人とも目はテレビの画面に向けたままでだったなぁ)
 二人で床に二人分のスペースを作って、抱き合って寝転がったら空のビールの缶が転がってきて、コウちゃんが面倒くさそうに壁に向かって投げた。里美が「
投げなくてもいいじゃないの! 」
と怒ると、
「サトコが片付けないからだろ! 」
なんて逆ギレ。あんまりムカついたから思いっきり言い返してやったら、コウちゃんもムキになってきた。お互いの腕の中にいて、さぁこれからっ!って体勢で大喧嘩に発展。
(だいたい、サトコって呼ばれるのがイヤだと言ったら、じゃあ、もう何にも呼んでやらねぇよ、ってそっぽ向いて拗ねてさ。ゴメンって言おうと思って、背中に可愛く抱きついたつもりが、勢いあまって、コウちゃんの後頭部に、すっごい頭突きかましちゃったんだよねぇ。で、怒って帰っちゃって、それっきり………)
「はははー馬鹿だよね、うちらって」里美は声を出して笑ってみた。
 会えば喧嘩ばかりなのに、何故かいつも一緒にいた。いなくなると、寂しかった。コウちゃんが去ってから、それからなんとなく、里美はひきこもりがちになった。
 コウちゃんに会いたいと里美は素直に思った。しかし、
「もう一度やり直そう」
なんて言いながら、優しく抱き締めてくれたりはしないだろう。コウちゃんは、そんなことを真面目にできる男ではないのだ。それは分かりすぎるほど分かっていた。
 ちょっと切ない感情に支配されそうになって、ちょっぴり乙女な涙を流しそうになった里美だったが、3秒後には雄雄しく立ち上がっていた。
「よおし!絶対、恋の勝者になってやる! 」
里美は新たなる発掘品、「恋愛講座〜あなたも恋の勝者になれる1535ヶ条〜」(テキストとドラマ仕立てのDVD付)を胸に抱き、恋のリベンジを誓った。
 それからというもの、発掘したアイテムを駆使して、運動しながら、電話応対をこなした。お掃除グッズや洗剤もでてきた。収納や掃除のノウハウ本も。里美はゴミを片付け、部屋を掃除し、散らかったものを綺麗に整頓し、ピアノの練習をした。料理も勉強した。当然風呂も毎日入り、歯磨きもさぼらず、メイクの練習もした。
 里美は次第に痩せた。「超!ダイエット革命」のおかげではなく、その注意書きのおかげで。筋肉トレーニングやウォーキングをして体を引き締めた。
 体が軽くなると、今まで来ていた服が皆、大きくなってしまった。稼いだお金で、可愛い流行の服を買った。そして、「恋愛講座〜あなたも恋の勝者になれる1535ヶ条〜」(テキストとドラマ仕立てのDVD付)を
徹底的に研究した。
 この商品も、返金希望の多い商品のひとつで、
「この通りに頑張っても彼氏が出来ません! 返金してください! 」
などと泣きついてくる客が後をたたない。何しろ、税込み価格、89800円(送料別)もする高価な商品である。
 広告には、「効果がなければいつでも返金に応じます」などと明記してあるのだが、そんな彼女たちを、里美は情け容赦なく斬って捨ててきた。
「あのね、諦めちゃ終わりなのよ、恋は勝ち取るものでしょ? ここで負けてどうするの。泣いてたってダメよ。頑張っても出来ませんでどうするの。出来るまで頑張るのよ!分かった? だから返金は出来ません! 」
 今では、宅急便の荷物を受け取るときも、堂々と玄関を開けて、にっこり笑顔で受け取れるようになった。アパートはいつも綺麗に片付いているし、毎日鏡を見るのも楽しくなった。
 それから間もなく、里美は決心して、NHKの仕事は退職することにした。その頃には『G通信NHK版』で常連の稼ぎ頭になっていた。仕事は楽しかったし、本部から直々に思いとどまるように説得されたが、里美の決意は固かった。このままここで仕事をしていても、「恋の勝者」にはなれそうもないと判断したからだった。
 里美は出会いを求めて行動を開始した。そして、大手企業のお客様サービス部の正社員に応募し、見事に採用された。面接をした人事部長は、「NHKで働いていた」という里美の自信たっぷりの態度にコロリと騙されて採用を決定。
 そして、運命の王子様、女性社員の憧れの的、クールでハンサムでナイスガイな、営業部の出世頭、高橋勇のハートをガッチリ!掴むことに成功したのであった。
 田中里美、26歳の夏。一生忘れられないようなプロポーズの言葉を彼の口から引き出し、人生順風満帆、さあ、幸せまっしぐら! というところに来ていた。

 シンデレラのお話なら、ここでハッピーエンド。里美の現実はというと、そうは問屋が卸さない。
 結婚式でも、よく言われますよね。結婚はゴールじゃない、新しい人生の、スタートだと。しかし、そのスタート地点に着くまでにも、いろいろあるのである。人生の山やら谷やらが。



3.冬来たりなば

「恋愛講座〜あなたも恋の勝者になれる1535ヶ条〜」(テキストとドラマ仕立てのDVD付)
最終章により抜粋

『恋のライバルに勝利して、恋の相手を手に入れた後も油断してはいけない。
 往々にして戦いは終わっていないと思うべきである。
 終わっていないどころか、真の戦いの始まりかもしれない。
 戦え!戦い抜け!そして真の恋の勝者となるのだ! 』

 里美は今、とあるホテルの高級レストランにおいて、彼の家族との初対面のお食事会に出席中である。そして、先ほどの言葉をわが身のこととして感じていた。
 交際相手の高橋勇は、本当にいい男だ。里美の勤める会社では女性社員の恋の標的、もとい、憧れの的、営業部の出世頭である。高学歴、高収入、高身長、優しく頼もしく、仕事もできる。当然のことながら、顔も男前だ。こんな男が売れ残っているなんて、この世の不思議でさえある。
 里美も恋のライバルたちも、ひょっとして同性の方が好きなのかも?などと一瞬疑ったりしたものだった。

 しかし、その謎はいまや里美の前においては完全に謎ではなくなっていた。
 その母、その姉1、その姉2、双子の妹A,Bがとんでもない曲者だった。父親はというと、
「わざと気を消してますか?消せるんですか? 」
と尋ねたくなるような、無口で存在感のない男だったが。
 この五人の女達の鉄壁の守備を前に、里美は前進すべきか後退すべきか、心底迷っていた。
 当の高橋は、「うちの母も姉も妹も、みんな優しくていい人ばかりだから、里美もきっとすぐ仲良くなれるよ」などと言っていたのだが……。 
 高橋の母親は、里美が言い出したわけでもないのに、里美の母が高橋よりも若い男と再婚していることを話題にし、大げさに驚いてみせ、
「とてもじゃありませんが、仲良くさせていただけそうもありませんわ! 」
、眉間に深く皺を寄せた。
姉1、2は、「うちの勇ちゃんは、もっと美人系が好みだと思っていたわ」と顔を見合わせてくすくす笑う。
妹A,Bは、「お兄ちゃんって、意外と騙され易いタイプみたいね」と囁きあう。
 高橋は、そんな状況で針のムシロ状態の里美には、少しも気遣いを見せない。
 それどころか、「母さんは体が弱いから、体には気をつけるんだよ」と母親を気遣い、姉たちには「姉さんたちのおかげで俺はここまで頑張ることができた」と言い、妹たちに「お前たちを泣かせる男がいたら、俺が絶対に許さない」なんて言っている。
 里美は真の恋の勝者になる前に、勝者になりたい気持ちが失せ始めていた。
 
 高橋とは、甘い甘い「こひのおもひで」がこれでもか!というほどある。恋の駆け引きもした。ライバルを蹴落としたりもした。素敵なデートをした。甘い言葉も、悶え死にしそうなほど囁いてもらった。めくるめく……思い出すだけでため息をつきたくなるような夜を共に過ごした。汚いアパートでゴミを端に寄せ、ではなく、ちょいとお高い夜景の素敵なホテルで、である。
 一緒にアダルトビデオ鑑賞なんてしたことなどない。鑑賞するなら日本庭園とか来日した有名なバレエ団の公演とか、話題になっている演劇など、どれもこれも、里美にとっては面白くも楽しくもないものばかりである。そして、うっとりと独りよがりな薀蓄を垂れる美しい男の瞳を、さも興味あるといった風を装いながら見つめ続けてきた。
 里美は高橋の期待を絶対に裏切らない女を演じ続けた。その演技を見抜けないような男であることには目を瞑って。
 高橋とは一度も喧嘩にならなかった。いつでもお互いに気を遣い合うことを忘れなかった。これこそ大人の男女の恋愛なのだと、里美はその感覚に酔う努力をしてきた。
 里美は思ったことがある。この男にとって私は、美しい自分の姿を映し出して賛美してくれる生きた鏡でしかないんじゃないかと。私じゃなくても、本当は誰でも良くて、私も、高橋じゃなくても、誰かに自慢できるような分かりやすい要素を持つ男なら、誰でも良かったんじゃないかと。でも、気づかない振りをしてきた。自分の中の、本当の気持ちに。
 高橋と結婚すればきっと、幸せが待っているはず。結婚して、皆に羨ましがられて、裕福な暮らしをして。王子様と結婚したシンデレラは、絶対に幸せになったはず。とにかく、そう信じたかった。それが、里美の勝手な幻想でしかないとしても。

 現実は常に、自分の目の前にある。嫌でもなんでも。
 母、姉、妹の前での彼は、我慢ならないほど愚鈍な男であった。
「里美さんって、寝相が悪いんですってね」母が言えば
「そうそう、布団、蹴飛ばしちゃうんですって? 」姉その1がその2に目配せする
「あらぁ、勇ちゃんが風邪ひいちゃうじゃないの」姉その2が、あり得ないという顔をしてみせる。
「結構男慣れしてるって本当? 」妹Aは里美を見ずに妹Bに言う。この双子は二人でしか会話しないのである。
「寝言で言ったコウちゃんって誰なのかしら? 」妹Bが意地悪く言い始める。

 里美は高橋に目で救いを求めた。話題を変えようと話を振ってもみた。それなのに高橋は何も言わない。
「和やかな女性同士の会話には口を挟みませんよ、僕は」という態度である。
がっかりしてうつむく里美に追い討ちをかけるように、女五人衆は、「あら、里美さん、お疲れなの? 」などと言い合って笑った。


 里美が三時間にも及ぶ精神的苦痛を味わった後、婚約者同士、二人きりで最上階のホテルのバーに並んで腰掛けていた。
 高橋は満足そうに微笑んで、「二人の未来に、乾杯」なんて言いながらグラスを傾けた。
(二人ってそれ、あなたとママでしょ?)里美は笑顔を作って応えたが、心の中はモヤモヤしたもので一杯だった。
「ね、僕の言ったとおり、うちの家族は賑やかで楽しい人ばかりでしょう。里美も、すっかり仲良くなっていたよね。里美ももう、高橋家の一員だな、ははは」
「おいおい、どこがだよっ! 」
里美は心の中で叫んだ。
 グラスに口につけている最中でなかったら、声に出して言ってしまったに違いない。浅い三角形のグラスに飾られたスタッフドオリーブを、ピンごと危うく鼻息で吹き飛ばしそうになるのを堪え、ほんの一口しかなかったマティーニを一気に飲み干す。そのグラスを床に叩き付けてやりたい衝動をにも打ち克ち、淑女らしくグラスを置く。
(私を誰だと思ってんだ、てめぇは! )里美は心の中で吼えた。泣く子も黙る元NHKの前月収入ナンバーワン、田中里美様だぞ!

「恋愛講座〜あなたも恋の勝者になれる1535ヶ条〜」(テキストとドラマ仕立てのDVD付)
別れの章より抜粋

『どんな男と別れるときも、思い出を美しく残すための演出を惜しんではならない。
 過去を汚される心配さえなければ、男のプライドは保たれ、また後腐れなく綺麗に別れられるものである』

良い例)「あなたのことが嫌いになったわけじゃないの。あなたと過ごした楽しい思い出は忘れないわ。
     私のせいで苦しむあなたを見るのは辛いの。最後のお願いよ。男らしく黙って我儘な私を許して頂戴」

悪い例)「もうあなたのことは嫌いになったから別れるわ。
     だって、あなたって、○○なんだもの。私、そういう男って我慢できないの」

『別れの達人は、恋の達人である』

 いやもう、勝利者とか、達人とか、どうでもいいから。
 良い例なんて、口が裂けても言えそうにない。こういうときこそ、嘘を付くべきなのだろうが、こういうときだからこそ嘘を付けないのが、里美という女だった。
 里美の頭の中で、何かが弾け飛んだ。背後から抱きつく振りして、後頭部に力いっぱい頭突きをかましてやりたい。
 その前に、こんな男に好きだの愛してるだの囁きまくった自分の馬鹿さ加減に腹が立って仕方がなかった。

『別れを切り出すときは、二人きりの場所は避けたい。どんな理知的な男性でも、時と場合によっては、
 あなたを殴り殺す恐れがあることを忘れずに』

 里美は冷静に考えた。こんな雰囲気の良いバーなら、修羅場にはならないだろう。高橋がどんなにマザコンシスコンキモ男だろうと、マナーをわきまえ、場数を踏んきた男には違いない。慌てず騒がず、別れの達人ぶりを披露してくれるはずだ。二人きりになってから別れを切り出すという未知の危険性を考慮すると、ここが高橋との決別の場でも問題なかろう。

 里美は一応、高橋のプライドを傷つけないようなセリフを考え出し、頭の中で何度か練習してから、口に出すことにしていた。
しかし、「ああ、めんどくさい! 」という気持ちは里美が思っているよりも強かったのである。
 今や自分の目の前にいる男前の恋人は、かつて自分の周囲で異臭を放っていたコンビニ弁当の容器ほどの価値しかなかった。
 用意した言葉の代わりに、里美の口をついて出た言葉は、非常にシンプルであった。
「私、あの人たち、嫌い。だから、結婚なんて無理。もう別れる」
なんの前触れもなく里美が吐き捨てた言葉に、高橋は驚いた。そして、「別れる」と言われたことよりも、自分の愛する家族を「嫌い」と言われたことに腹を立てた。
「母親も姉も妹も性格悪すぎ! それに気づかないようなバカな男はもっと嫌い」
里美は自分が止められなかった。スマートに別れるはずが、これでは泥沼確定である。
 高橋はみるみるうちに激昂した。
「ぼぼぼ、僕の家族をバカにするつもりか!? 」
そして、突然立ち上がった。
「別にバカにするつもりなんてない。バカだって言ったの。分からなかった? 」
里美は立ち上がった長身の高橋を、ひるむことなく睨みつけた。こうなってしまったら、一歩も引けない。

「こ、こ、こ、」
高橋が何を言おうとしたのかは分からないが、唇をわなわなと震わせて、突然里美を殴りつけた。里美の体は、バーの椅子から落ちて、床に叩きつけられた。体に鈍い痛みが走る。

「痛いじゃないの! 言いたいことがあったら口で言いなさいよ! 」
里美は顔を上げると、なおも高橋を追い詰めた。
「里美が僕を怒らせるようなことを言うからだろ! 」
高橋はこぶしを振り上げた。
「そんな幼稚園児みたいな言い訳、ママには通用しても警察には通用しないわよ! 」
里美はひるまない。
「私、あんたみたいなマザコン男とは絶対に結婚できないから! 」
NHK時代の口調で言い切ると同時に、 黒服姿の店員が何人か駆け寄ってきた。
 高橋は、数人に取り囲まれ、静かになだめられながら店の外へと強制連行されていった。
「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、もう少しお静かに願えますか? 」
黒服の一人はその場に残って、床にぺたりと座り込んでいた里美に手を差し伸べた。その手につかまって立ち上がりながら、
「文句ならあの男に言いなさいよ! 」
興奮冷めやらぬ里美は男の顔を睨みつけた。慇懃な態度で黒服の男は里美に一礼し、
「全然変わってないな、サトコは」とつぶやいた。
 里美は驚いた。
「コウちゃん? 」
男は頭を上げると、一瞬笑いを含んだ目で里美を見つめ、すぐに仕事の顔に戻って言った。
「お客様、鼻血がでております」




4.春遠からじ
  
  シンデレラの残した靴を頼りに、王子様は探しに来てくれることになっている。
 コウちゃんみたいになマヌケな王子様でも、私の鼻血の後を辿ってきてくれたらいいのに。里美はそんなことを本気で思ってみたりした。
 季節がひとつ、過ぎていった。
 街にクリスマスのイルミネーションが輝きだす頃、逆だったのかな、と里美は思い始めていた。コウちゃんの残していった「過激な彼女たち」を手がかりに、自分がコウちゃんを追いかけるべきだったのかもしれない、と。

 突然、その日はやってきた。
 里美のアパートの玄関に、コウちゃんは突っ立っていた。
「どうしたの?上がって? 」
里美が声をかけてもキョロキョロと周りを見回して、落ち着かない。
「ここ、ホントにおまえんちだっけか? 」
「そうだよ、前よりちょっと片付いてるけど」
里美は笑う。
「信じられねー。あんなに汚かったのによ、どうしちゃったワケ? 」
「それがいろいろあってね」
里美はまた笑った。
「お、お邪魔します」コウちゃんは他人行儀に靴を揃えて上がった。
「床が全部見えてると、どこ座っていいのか分からん。逆に落ちつかないのはナゼだ」
コウちゃんは、そんなことばかり言っている。
「何の用で来たの? 」と里美は尋ねなかった。用などないことは、分かっている。コウちゃんは、ここに来たくて来たんだろうし、それだけで、里美は嬉しかった。
「どこでもいいから座ってよ。コーヒー淹れようか? 」
「あ、俺、ビール買ってきた」
コウちゃんはコンビニの袋を里美に渡した。袋の中に、おじさんの絵のついた、金色の缶ビールが半ダース。里美が一番好きな銘柄だ。
「ありがと。じゃ、グラス取ってくるね」
「グラスって、そんなしゃれたもん、あったっけか? 」
コウちゃんは、所在無く床の上に正座したまま、里美を見上げた。
「おまえ、本当にサトコか? 部屋は片付いてるし、家にいるのに化粧してるし、しゃべり方も、なんか前と違う。全体的に一回り小さくなってるし」
「ねぇ、それ褒めてるの? 」
「いや、落ち着かないだけ」
そう言ってコウちゃんは黙った。

「そうえいばさ、なんで私のこと、サトコって呼ぶの? 」
里美はテーブルにグラスを二つ並べながら尋ねた。
「なんでって、そりゃ、サトコが俺のこと、コウちゃんって呼ぶからだろ」
「へ?」
ビールを注いだグラスのひとつをコウちゃんに渡し、早速ごくごくと喉に流し込みながら、里美は目だけをコウちゃんの方に向けた。

「だからさ、サトコだけじゃん、俺のことコウちゃんって呼ぶのって。だからオレもさー。」
そこまで言うと、コウちゃんはまた黙った。黙ったまま、里美に背を向ける。
「コウちゃんも、変わってない」
「拗ねるとそうやってすぐ背中向けるクセ」
「頭突きはするなよ」ぶっきらぼうな声が飛んでくる。
背中にそっと寄り添って、コウちゃんの細い体に腕を回すと、里美の手に、
懐かしい手が重なった。
「頭突きしたら、また怒って帰るんでしょ 」
「いや、今度は頭突き返す! 」
コウちゃんは振り向くと、里美の額に軽く自分の額をぶつけた。
「黒服。びっくりだった。サトコって言われなかったら誰か分からなかったよ」
「サトコと喧嘩してから、ずっとあそこで働いてる」
コウちゃんは少し得意げに言った。どこで働いても長く続かないのは、コウちゃんも同じだった。
「私はね、前はG課のNHKで働いてた。」
「NHK?」
「逆ギレ課の、ノー返金係。略してG課のNHK」
「なんじゃそりゃ? 」
コウちゃんは聞き返したが、里美は話を先に進めた。
「で、その後 別の会社で働いてたんだけど、今はまた無職」
 里美は高橋と別れた後、会社に居辛くなって退職したのである。
あの手この手で蹴落とした恋のライバル達も多い社内で、噂の的になるのは辛かったし、
高橋と顔を合わせるのも嫌だった。
 ふと、コウちゃんが何かに気づいたように里美から体を離した。
「そういえばこの間の男、あれ、彼氏だろ? 」
「あー、彼氏っていうか、元婚約者。略して元婚?コウちゃんは今、彼女いるの? 」
「い、いるさー」
コウちゃんは、「モトコンて」などとブツブツ言いながら、天井を見上げた。嘘を付くとき、意味なく上を見るクセも相変わらずだ。本人が気づいていないのがおかしい。
 コウちゃんの背中が、また里美の方を向いた。
「やっぱさ、元彼よりも、元コンの方が、格が上だよな」
「格?元だったらどっちでも一緒じゃないの?」
「そっかな、俺は元コンのほうが上だと思うな」
「じゃあ、元コンより元夫が上ってこと?」
「そうじゃなくてさ………」
「コウちゃんの今の彼女の話、してよ」
里美は意地悪を言った。
「イヤだ。絶対に教えない」
「元カノとこんなことしてるって知ったら今カノが怒るんじゃない? 」
「………黙れ」
二人の距離が徐々に近づく。逆らうことのできない引力が働く。お互いを引き合って、ぴったりと重なる。
「分かってるくせに」コウちゃんはめんどくさそうに言う。自分の知っているサトコのままなのかどうかを、
早く確認したいと焦るコウちゃん。里美はそんなコウちゃんを、心から愛しいと思った。

「分かってるくせに、か」
里美の心のなかを、行き場のない感情が駆け巡った。本当に、伝わるのか。伝わっているのか。この想いが。お互いに、お互いの気持ちが分かるような気はする。肌が触れ合えば、もっと。でも、分かっているだけに腹が立つ。こんなに分かっているのに、私のことも、ちゃんと分かっているくせに、どうして、どうして、どうして、コウちゃんは、そういう態度しかできないの?
どうして私は、そんなコウちゃんに腹を立ててしまうんだろう?どうして私も、こんな風にしか、できないんだろう。
 高橋の前では、できたのに。ちゃんと気を使っていられた。我儘も意地悪も言わずに、物分りのいい顔していられた。好きだとか、愛してるとか、タイミングもポイントもしっかり押さえて、簡単に言い合えた。
日本庭園の講釈だって、それがワインだろうと、映画だろうと、おとなしく聞いていられた。自分で言うのもアレだけどさ、最初から最後まで、結構可愛い女でいられたと思うよ?最後はちょっと保てなかったけどさ。
だけど、どうしてコウちゃんが相手だと、ダメなんだろ、私。

「サトコ、やっぱりオレのこと、イヤだとか、思ってる? 」
きょとんとして里美がコウちゃんを見上げると、ちょっと寂しそうな顔をしたコウちゃんが、里美の答えを待っていた。里美は、黙ったまま首を横に振ると、微笑んで見せた。
「真の恋の勝者とは、勝者になった者のことではない。恋の相手に、『自分が勝者である』と確信させた者のことである byサトコ」
「なんじゃそりゃ? 」今度はコウちゃんが目を丸くする番だった。
「要するに、イヤじゃないの反対じゃないってこと」
「素直に好きって言え! 」
「コウちゃんが言ってよ!」
「イヤだ」
 灯りを消した部屋の中で、テレビの画面だけが光っている。点滅するように不規則なその光は、恋人たちには相応しくないような、不毛なやり取りにため息をつく。コウちゃんの忘れたガラスの靴、「過激な彼女」を淡々と映し続けながら。

 12時になっても帰らなくていいシンデレラ。
 王子様じゃない男を選んだシンデレラ。
 そんなシンデレラと、王子でもないのに姫に選ばれた男の戸惑いをを包み込みながら、 クリスマスイブという名の夜は、ゆっくりと更けていった。

 
                                    END
2006/09/25(Mon)21:20:05 公開 /
■この作品の著作権は碧さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
私は幼い頃から、いつも疑問に思っていました。
シンデレラは、本当に、王子様と結婚して幸せだったのか。
眠り姫は勝手に自分にキスした男(たまたま王子だけどさ)で本当に満足だったのと。

 爽やかな恋愛小説を書いてみたくて、挑戦しました。
結果、爽やかとはまた、随分かけ離れてしまいました。
自分自身の限界に挑戦、という感じです。

最後まで読んで下さった方に、心よりお礼を申し上げます。
この作品に対する感想 - 昇順
感想記事の投稿は現在ありません。
名前 E-Mail 文章感想 簡易感想
簡易感想をラジオボタンで選択した場合、コメント欄の本文は無視され、選んだ定型文(0pt)が投稿されます。

この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
スタッフ用:
投稿者用: 編集 削除