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『アインの弾丸2 下』 作者:祠堂 崇 / リアル・現代 アクション
全角26332文字
容量52664 bytes
原稿用紙約88.65枚




 Bullet.X     闇の楽園の在るべき笑顔


 1


 轟音は遠く、しかし立ち昇る黒煙ははっきりと戦場を物語る。
 プリシラ=グロリオーサはマーシャ=ハスティーノンと共に、目を丸くした。それは、やっとこさ治癒が完遂した矢先のことだったため、一段落付いた瞬間のタイミングを崩される出来事だった。
「何が……、ごぶっ!?」
 立ち上がろうとしたプリシラの腹部に、マーシャは拳を叩き込みながら黒煙を仰いだ。
「プリシラはダメです! ま、まだ痛みが、危険域を抜けてません!!」
 真面目な顔で向こうを見つめながら言う。シャイン・ブレスによって回復したプリシラは一見では傷一つ無い綺麗な顔だが、因果逆転の許容外である『痛み』はかなり健在だ。非力な拳の威力こそがその危険域の痛みにどれだけキツいか、言葉すら出せずに蹲っているプリシラを見ていないマーシャは気付かない。
「アイン、ですかね……」
 胃が破れかけるほどの痛みに余計な打撃を喰らっているプリシラは、無自覚な医療の天才シスターの後頭部をねめつけながらも答えた。少し涙目である。
「お、恐らくな……破戟≠フ奴は自分と同等かそれ以上を謳っていた。アインが簡単に殺されるとは思えんが、放ってはおけぬ」
「で、ですから、だだダメですってば!」
「い゛っ!? よ、よりによって腹に体重を掛けるな! 痛い痛い痛い痛い痛い……っ!」
 ようやく自分が危険域を深めていることに気付いたマーシャは、顔を青ざめて手を放した。
「ごごご、ごめんなさいぃ!」
 泣きそうな顔で頭を下げるマーシャ。こっちが泣きたいと思ったが、歯を食いしばってプリシラは立ち上がった。
「あっ」
「止めるな」
 強い眼光に、マーシャは制止を拒まれる。
「私もそこまで大人気ないことをする訳ではない。奴が不服なのではなく、死なれては困るからな」
 マーシャは、その背中に何とない気恥ずかしさを感じて、不謹慎ながらも笑ってしまった。
 だが、状態を悪化(傷自体はもう無いが)させるようなことは出来ない。
 それでも鋭い眼光を無碍に出来ない立場でもあるマーシャは、プリシラの顔や腹に触れないように気をつけながら腕を回した。
 血の混じる汗ばんだ顔で少し驚くプリシラは横顔を見やる。
「マーシャっ?」
「い、言っても聞かないのは、貴女とアインで充分に、わ、分からされて、ままますから……」
 《ツクヨミ》の中で他の三人のように戦うことも出来ず、こうして生半可に傷を癒すことしかできない人間が、血を流してまで戦う人間を止められる権利が、どこにあろうものか。
 そんなのは、分かりきっていた。
「ですから、せめて、し、死なないで下さいねっ……死なれたら、治せませんから」
 プリシラを支えているマーシャのほうが見た感じでは頼り無さそうだが、
「……すまない」
 自分の落ち度を痛感させられるプリシラは、くしゃくしゃになった黒髪に表情を隠した。
「……………ところで」
「はい?」
「……………左腕も、骨折間近だったのを治してもらった記憶があるの、だが……」
 何気無くプリシラの左側に着いたマーシャは、ようやく彼女が掻いているのは脂汗であると気付いた。





 衝撃が炸裂し、粉塵を撒き散らして砂塵と黒煙覆う戦場はマンション群。誰もが予想だにしない場所で、しかし地下という爆心地は人々に逃げるという行動を取らせにくかった。
 コンクリート製にしては案外強度は強く、また爆破させたガソリンタンクは数がそれほどない。あくまで近くに居る人間にダメージを負わせる程度の#囈ュになるよう調整されたため、マンション自体はほぼ無傷といえた。
 当然、その近くに居る人間の一人である蓮杖アインには配慮することが多い。
 比較的外に居たアインでも、それは相当の痛みだ。歩くことまでは出来たが銃さえ引き絞れないほどの傷で、精々がマンションから遠ざかるぐらいだった。
 アインは人気の無い場所として裏手にある空き地に入っていた。マンションを建設するためのなだらかな丘になっている薄く木々の鬱蒼とした場所で、普通の人間は寄り付きそうにない。むしろそろそろマンションの爆発した付近に野次馬が群がりそうだ。これで大怪我を負っているはずの善悪一≠ヘ搬送されて終わりだ。
「人気の多い場所でやり合って、プリシラ怒ってるやろなぁ〜……さすがにマーシャも助けてくれへんかも」
 自嘲するようにふっと笑って、不意に無意識で過ぎるあの強張った表情に、アインは無言になる。
「……恭亜。ウチは、」

「トリック・オア・トリート」

 声は抑揚を欠いたもの。
 そのせいで、反応が遅れて振り返ったアインの背中に、蒼く爆ぜる雷閃が直撃した。
「――がっ!」
 ドン! というハンマーで殴りつけられたような衝撃と、鋭い刃物で貫かれた虚脱感。
 息を吐くことすら赦さない一撃が炸裂し、前方に吹き飛ばされたアインは受身を取ることすら出来ずに芝生の上に倒れ込んだ。
 びくん、びくん、と身体中が緊張と弛緩を無作為に起こし、視界は白んで思考が弾ける。
 くず折れる寸前の意識を繋ぎ止めて、力任せに芝生を踏みしめる足音のほうへ視界をずらした。
 そこには、
「……ねぇ、お姉さん」
 金糸の髪は煤け、
「サラト、言ったよね?」
 清潔だった服は焼け、
「嘘つくの、大嫌いだって」
 首に回るヘッドホンは砕け、
「サラト、言ったよね?」
 瑞々しい肌は赤く痛々しく染まり、
「嫌いだって、お姉さんに」
 口元を食べ散らかしたように鮮血で濡らし、
「ねぇ、トリック・オア・トリート」
 靴が片方だけ脱げている足を頼りなくふらつかせて、
「サラト、言ったよね?」
 それでもアインへと歩き続ける姿は――、
「嘘つく人は、サラトが殺すって」
 《アマテラス》のオーラム・チルドレン、善悪一<Tラト=コンスタンス。
 この局面で立つには、アインにとって最悪の雷電使い。
 バチン! と紫電が爆ぜる。
 それが合図のように、紫電は纏い束ね塊と化し、蒼い閃光となって竹を砕くような破裂音と共に空を裂く。
 直撃を受けているアインには、避けられない。
 脚を貫く雷光。直後、燃えるような激痛が襲い掛かりアインは眼の焦点を失いかける。
「ぐ、あぁあうぅぅ!!」
「恭亜はいらないくせに。サラトのことまでイジメて、さいてー。大っ嫌いなんだから」
 すると、サラトはふら付きながら近づき、アインのすぐ横に立つ。
 アインは死力を振り絞って首を回す。片目だけでもサラトを見上げ、懐から出した銃を突きつけようと
「トリック・オア・トリート」
 ズバン!!
 一切感情を失った声と共に呼応する雷電が飛び、見た目に違わぬファイノメイナの銃口内に滑り込む。雷電を受けた銃弾が炸裂し、的外れな方向へ飛来。さすがに武器そのものを破壊することは出来なかったが、当然掴んでいるアインの腕は感電して灼熱に襲われる。
 悲鳴すら出せずに痺れた手からファイノメイナが零れ落ちる。
 サラトはさらに、爛れたような髪に顔を少し隠して俯く。
「なんでサラトのことイジメるの? なんで嘘つくの? なんで、サラトから恭亜を奪うの!?」
 ぎりぎりと歯を食いしばり、苦渋の表情に彩るサラト。無邪気の欠片もない、後悔や疑念、憎悪で染まる表情に、アインは言葉を選び仕損じる。
「取らないでよ! サラトの大事なトモダチ! 探してたんだよ!? ずっとずっと、探してたの! サラトを信じて、サラトに信じさせてくれるトモダチを! お姉さんみたいに嘘ついたり、イジメしたりしないで!」
 それは、子供の言う我が儘。
 なのにそれはどこまでも切実で、本心で、哀しみを帯びていた。
「サラトはいい子だもん! いい子だから、トモダチをお願いしたのに、どうしてダメなの!? なんでサラトのトモダチを取るのっ!? もうトモダチじゃないくせに! イジワルなくせに! 嘘つきなくせに!!」
 直後、葛藤したサラトの爪先が、倒れているアインの鳩尾に突き刺さった。
「おふっ……!?」
「サラトのほうがいい子! 嘘つかないし、元気でいられるし、どんなことでもやってみせる! トモダチだもん! 恭亜はサラトのトモダチなんだからぁっ!!」
 次々と振り抜かれる蹴撃。体重も全く乗っていない子供の素人蹴りだが、相手はオーラム・チルドレンであり、なにより雷電によって自由の利かない体には充分に辛い。
 顔や腹、胸、腕。様々な場所を容赦なく当たり次第に蹴られ、アインは地面に顔を付ける。
 すると、
 ぱたた、と液体が落ちる音がした。
 自分の血だろうか、と思ったが、目の前を通過して地面に落ちる液体は透明。
 仰ぐ。
 そこにいるサラトは両の目から涙を流し、一心不乱にも狂気的にも区別できない顔で泣いていた。
 奪われたくない。
 一人になりたくない。
 その想いが、サラトの総てを突き動かす。
 本当は振り上げている脚ですら激痛が奔るはずなのに、重傷のはずなのに、
「サラトから取らないでよ! サラトから、トモダチを奪わないでよぉおっ……!!」
 泣き出して震えた声で、サラトは叫びながら蹴りつけてくる。
 やがて足を痛めたか気が少しは晴れたのか、サラトは息を荒くして五歩退がった。
 崩れそうになる脚を叱責して、サラトは睨みつける。
「もうやだ! ……取られ、たくないの! 返してよっ! サラトのトモダチを、返してよ……!!」
 ジジジ、と立つ地面が熱せられる。ちりちりと萎れる芝生を見て、やばいとアインは身動ぎする。
 バチン! バチン! と空気が帯電し、辺り一面に紫電の残滓が飛ぶ。
 金糸の髪は煤けても尚煌きを燈し、サラトは涙で濡れた顔で睨みつけて腕を振り上げた。

「サラト!!」

 瞬間、茂みから飛び出した姿は倒れるアインとサラトとの間で立ち塞がる。
 それが知らない人間なら、サラトも別にどうでもいいと認識していただろう。
 だがそこに居て両腕を広げてこちらを見つめるその姿は、
 姫宮、恭亜。
「――、っ! だめええっ……!」
 悲鳴にも似た一喝。
 持ち主の意思に従い、振り落とされる腕から前方へ飛ぶはずの一撃は見当違いの方向でスパークした。
 細い木の幹を寸断し、雷光は掠れる。
 その衝撃止まない中で、サラトは表情を初めて驚愕で引き攣らせた。
「……きょ、あ?」
 恭亜は攻撃の気配が消えたことに両腕を下ろし、一度アインを見てから振り向き直した。
 綺麗な相貌に浮かぶ色は、悲哀。
「サラト、やめるんだ……もう、誰も傷つけるなよ」
 言葉は震えるようなもの。
 切実で、本心で、純真と呼ぶに相応しい言葉。サラトの最も好きな言葉。嘘の無い、言葉。
 だからこそサラトは不可解が膨らんで、疑心に変わりそうになるのを堪えた。
「恭亜……どうしてお姉さんを庇うの? 恭亜はお姉さんに捨てられたんだよ? 裏切られたん、だよ?」
 拒絶した上での接近。
 それは、サラトにとって猜疑すべきことなのだ。
 その先にあるのは、ただの利用だから。
 裏切る者と裏切られる者とが生まれる世界だから。サラトの、地獄だから。
 だが恭亜は首を横に振って見つめる。
「俺は、確かにアインの友達になれるかもなんて思った。何も知らないくせに踏み入ろうとして、アインに迷惑をかけたのも事実だ。だからってさ、これは違う。あんまりだ」
 アインは何の意思もなく振り返ってしまった。死力も何も無い、体がつい反応してしまった振り返り。
「サラト。俺はだから報復をするなんて、間違ってる。そんなこと≠してまで得る友達なんて、友達じゃない。友達ってのは、奪い合って手に入れるものじゃないからだ」
 その時、サラトは衝撃を受けた。
 利かないはずなのに落雷を落とされたように、サラトはくらっときた。
 その表情は、どんどん生気を失っていく。
 震える。声が。恐怖で。
「恭亜? どう、して……サラトのこと、嫌いになったの?」
 それは、恭亜を追い詰めると分かって言うもの。だとしても恭亜も眉根をひそめる。
「俺は、命を奪うサラトは好きになれない。もう、サラトに誰も殺して欲しくない!」
 サラトの笑顔は本当だ。
 それが嘘じゃないと恭亜は判る。
 判るからこそ、その笑顔を保つために人を殺す<Tラトは許せない。
 絶対に、許せない!
「だからサラト、もうやめるんだ。もう……」
「……違う」
 サラトは、呟く。
 それでも収束した雷電は攻撃に移らない。
 恭亜は傷つけたくないという意思の表れであるが、サラトは真っ青な表情で呟いた。
「サラトは……恭亜を奪おうとしたお姉さんが嫌いなの。嘘つくのが嫌い、利用するのが嫌い、独りにさせるのが嫌い!」
 きっと睨んだのは、恭亜の脇から見える倒れた少女。
「恭亜はサラトを見てよ! サラトいい子にしてるからっ、恭亜の一番になってみせるから……!」
 だから、消えないで欲しい。
 去り往く何かが、サラトの純真のカタチであることが、サラトには耐えられない。
 恭亜は哀しい顔をした。
 彼女の総てが解っているから。
 今の彼女は善悪一≠焜Iーラム・チルドレンも《アマテラス》もABYSSも、何もかもが関係ない。そんなこと≠ヌうでもいいんだ。
 ただ、欲したのはトモダチという純真と、一抹でもいい確かな未来。
 それが壊れるのが恐くて、ただ恐くて、首を振る。がむしゃらに。ただ子供のように。
 紅く火傷した頬を伝う涙が、止まらない感情の奔流を加速させる。
「サラトは、恭亜だけを信じていたい……もう、独りはいやぁ……」
 ひくっ、と嗚咽を混じらせてサラトは両手を広げる。
 親を待ち焦がれる子供のように、甘えたくて、だけど求める人の意思で来て欲しくて。
 どこまでも純真。
 それが、恭亜の表情を同じように悲哀に染める。
 どうして、こんな信じられる子供が傷つかなければならないのか、と。
 やがて恭亜が、思わず歩を進めようとしたとき、
「ま、って……」
 足首を掴む感触に、恭亜は我に返った。
 振り向くそこには、這い蹲るように恭亜を引き止めるアイン。
「アイン……っ」
「恭亜……行ったら、あかん……アンタが選んでもぉたら、誰が美弥乃との約束を果たすんや……!」
 はっと、脳裏を過ぎるのは恭亜の友達の顔。
 忘れてはいけない。
 過去の姫宮恭亜は、様々な人間の日常を傷つけている。
 恭亜が居なければ、檜山皓司の張り詰めていた日常をぐちゃぐちゃに崩すことはなかったはずだ。
 恭亜が居なければ、桃瀬晴香は愚かで稚拙な作戦なんかの失敗のツケは負わなかったはずだ。
 そして、
 鵜方美弥乃に『ごめん』と言わせたのは、恭亜だ。
 護れなかったくせに、謝らせて。
 今の&P宮恭亜は、それを忘れてはならない。
 彼の非日常は、誰らの犠牲のもとに出来ているのかを。
 ぐっ、と。
 噛み締めるように立ち尽くす恭亜。
 歩み寄ってくれない。それを理解したサラトは、絶望を恐怖してアインを睨んだ。
「ダメっ!! 恭亜は、恭亜をっ! 恭亜をそそのかして、サラトから取らないでよぉおおお!!」
 バチン!
 紫電の解放。
 彼女の言葉が引き金を絞れば、それだけで閃光が迸る。
 それでも、撃たない。
 アインを狙う軌道には、恭亜がいる。
 誰よりも失いたくない、トモダチが。
「サラトは、サラトは!」
 駄々を捏ねていると判っていても。
 異常を謳われていると言われても。
「サラトは――恭亜のトモダチになるんだから!!」

 パチン、

 その音は、言葉に隠れる不純性の音色。
 彼女にしか聴こえない音。
 決して、有り得ない音。
「……あ、れ?」
 唐突に声の調子を外したのは、サラトだった。
 おかしい。
 なんで、今、トリック・オア・トリートが嘘を電質化した=H
 判ってはいることだ。トリック・オア・トリートが電質化する嘘はまさに無差別極まりない。つまり、本人の意思を無視して彼女が認識する『言葉』の中から嘘を映し出す。だからサラトは人ごみで雷電を溜めないように、ヘッドホンで大音量を流して肉声を聞き取れないようにしているのだ。
 だけど、おかしい。
 今、トリック・オア・トリートが感知したのはサラトの言葉だ。
 なら、
「――やめて」
 サラトが、
「違う――」
 嘘をついた。
「違う!!」
 両手で頭を掻き毟り、叫ぶサラト。
 突然の出来事に、恭亜もアインも呆然と見ることしかできない最中、サラトは頭を危険なほど振り乱して叫び続ける。
「違う違う違うっ! サラトは、トモダチになるんだもん!」
 そうだ。
 もう、独りはいやだ。
 だから、
「恭亜のトモダチになりたい!」
 叫ぶ。

 パチン、

 音が鳴る。
 文字通り脳裏から。
「嘘じゃない!! 恭亜が居ればサラトはいいの! 恭亜が居てくれるなら、サラトはずっとずっといい子でっ」

 パチン、

 説くほどに、蓄積される雷電。
 肉体を力が満たす感覚に、サラトは絶望が膨れ上がる。
「ち、違う! トリック・オア・トリート! サラトは、嘘なんか……サラトは恭亜と! 恭亜と一緒に……!」
 ついていない。
 なのに、トリック・オア・トリートは嘘を電質化してゆく。
 なんで、
 サラトはそう考える。
 トリック・オア・トリートの嘘の電質化は絶対だ。言葉から嘘を感知する確率は神の巧妙すら殺す百パーセント。まず、確率として計算すること自体が本質的に馬鹿馬鹿しい。
 なら、何かが反応しているのだ。
 サラトの言葉の中の、嘘に。
 掻き毟る手をさらに強めて、サラトは思い出す。
 トリック・オア・トリートが反応する手前、共通して口にする何か。見落としている何か、誰か

「……………あ、」

 気付いた。
『恭亜のトモダチになりたい!』
『嘘じゃない!! 恭亜が居ればサラトはいいの! 恭亜が居てくれるなら、サラトはずっとずっといい子でっ』
『ち、違う! トリック・オア・トリート! サラトは、嘘なんか……サラトは恭亜と! 恭亜と一緒に……!』
 思い出した。
 星天蓋§@杖アインに心を揺るがされた、あの言葉。

『アンタ、本当は何が欲しいのか判ってないんやないか?』

 そういう、ことだった。
 サラトは、
「――」

 恭亜が<gモダチであることに、自信を持てなくなっていた。

 刹那。
 紫電が爆ぜた。
 恭亜を傷つけたくなかった雷撃は、蒼い爆風と化して、辺り一面を包み込み、破壊した。





 2


 純真が始まるその時。
 世界はまだ訪れていない過去。
 少女が、狂いだす前のこと――。





「サラト!」
 声を掛けられた少女は振り向く。

――場所は孤児院だった。
――経済が発展すれば、その土台となった人間が要る。
――そうして苦しい生活に溺れて負けた家族から、家族を剥奪された子供達は孤児院の子として育てられる。
――それはどこかでは特別で、どこかでは大した話ではないものだった。

「何してるの?」
「お砂! 城を作るんだぁ……!」
 近づいてきた小学生ぐらいの男の子に、それ以上に幼い少女は笑顔で答える。
 金糸の見事な髪はまだ短く、誰が見ても微笑みしか浮かばない幼さだけの子。

――都市と呼ぶには少し古めかしい家々がある中で、ひっそりと孤児院は建てられていた。
――子供達の見る世界はやはり孤児院で、少女含む子供達にとって孤児院こそが世界≠セった。

「みんなと遊ばないの?」
「……サラト、みんなと違う」
 少女はすぐに表情を曇らせる。子供は表情を変えやすいと言うが、こと少女のおいては孤児院の中で一番の感情屋だった。楽しければとにかく笑って、悲しければとにかく泣いていた。
「サラトはみんなみたいに頭が黒くないもん。眼も緑だし……サラト、みんなと友達になんてなれないよ」
 その言葉に、男の子はむっとした。
「だめだ」
「?」
 不思議そうに顔を上げる少女に、男の子は少し顔を赤らめてそっぽを向きながら言う。
「友達は作ろうとおもえば作れるんだぞ? おまえは逃げてるだけだよ」
「サラトが、にげてる?」
 きょとんとした顔で少女は首を傾げた。ひよこみたいな反応は一挙一動が可愛らしく、男の子はどうしても目を合わせられないでいた。
「と、とにかく! 色なんか違ったってお前はお前だろっ? だから来いよ」
 すっと手を伸ばす男の子。
 差し出した手の平を不思議そうに見つめる少女は、少しして口を開いた。
「サラトの友達になってくれるの?」
 男の子は一瞬躊躇ったが、すぐに頷いた。
「お、おう」
 少女は、嬉しくて頬が弛む。
 同じように頬を染めて、はにかんだ顔で男の子の手を掴んだ。

――孤児院に居る子供達は、ほとんどがまだ自立するには無理がある幼少の層であった。
――中で最も歳が幼いのがその少女だった。
――少女は日本人にない風体から、周りの子供達に少し遠く見られていた。
――それもどこかでは特別で、どこかでは大した話ではないものだった。

 午後も終わり、夕暮れが紅く空を染める。
 子供達が寮母に呼ばれて孤児院に帰る際に、少女はふと院内で人と出逢った。
 その人物は、突然の来訪であった。
 だがしかし、寮母との会話はとても朗らかなもので、二人とも談笑に花咲かせている。
 何故なら、その男性は医者だった。よれよれの白衣を着て、聴診器を首から提げた三十代過ぎの、健康を損なって痩せたような顔つきの精悍そうな男性。フレームが少なくてレンズの丸い眼鏡をかけている。
 白衣のポケットに両手を入れて話をしていた男性は、少女の存在に気が付く。
 廊下に立っていた少女は無邪気なまでににぱっと笑って、男性と寮母に手を振る。
「あら、サラトちゃん。あ、先生、孤児院の子です」
「そうかい、いやはや可愛らしい子だねぇ」
 ふっと自然な微笑を浮かべて男性は手招きをする。
 意味するところを知らず、とりあえず呼ばれたからと少女は半開きの戸を開けて執務室へ入る。
 近づくと、男性からは煙草の香りが仄かに匂う。しかしそれすらも、痩せこけた体格の男性にはとても似合っていた。
 黒髪を後ろで一本に縛っていて、だらしない、というよりも頼りないと感じた。
 しかし、その微笑の疲れ具合がまた知的を孕んでもいた。
「サラト君かね。ふむ、いい色の髪をしているね」
 ととと、と歩み寄る少女の頭を撫でる男性に、少女は小首を傾げた。
「いい色? サラトの髪と眼は変だから、サラトはあまり好きじゃない」
「いやはや、そうなのかい?」無邪気な返答だと判っていても、男性の声は若干空笑いをしていた。「私の施設ではもっと凄い色をした子が居るよ、黒髪の子が二人居るが、瑠璃の髪と薄桃色の髪が居るねぇ……」
 遠い目をしながらも男性が言う。
「そのひとたちも、変なの?」
 さらに訊くと、男性は首を横に振った。
「いいや、いい子達だよ。皆、自分の人生を頑張るために色んなことをしているね」
「いい子?」
 少女には、よく判らないラインだった。
 変だから拒絶される人間と、いい子だから崇拝される人間。
 孤児院という世界≠ナしか生きていない少女には、そのラインこそが彼女の意義の決め方だったため、男性の物言いが酷くそのラインを曖昧にしてしまうのだ。
 答えを形として捉える方法をあまり解らない少女に、男性は苦笑した。
「いやはや、難しいことじゃないよ。サラト君、君も世界を知ってみたくないかね?」
 頭を撫でる手。
 少女は男性が何を言っているかまでは深く理解できなかったが、その手の温もりが優しくて、少女は体の内側からほんのりと熱が広がる感覚に嬉しくなった。
 子供、故の無邪気。
「うん、欲しい!」
 信じられる。その意味に確定的な何かが無かったとしても。
「いやはや、そうかね」
 だから、

「じゃあ、君の世界がどれほど綺麗なものなのか、まずは自分で知って御覧」

 その言葉と共に、少女の視界が一瞬、潰れた。

――それが、彼女の原点だった。
――彼女にとって終わりを迎えたのか、始まりを迎えたのか。
――その時の少女には、判らない。
――理解したのは、

 少女と同じくして男性の物言いに気付けなかった寮母が内心で首を捻る目の前で、少女は急にすとんと尻餅を突いた。
「っ、サラトちゃん!?」
 生気を失ったように倒れ込んだ少女に寮母が驚く。
 その表情は、とろんとしていて目の焦点が定まっていない。無理矢理睡眠を取らないような状態の少女に、男性はすまなさそうに苦笑した。
「いやはや、煙草の匂いに中てられてしまったかな……?」
 立ち上がる男性は、そそくさと執務室の戸口に立つ。
「じゃあ樋口君、また今度何かあったら呼んでくれたまえ。孤児院の子なら、すっ飛んできて診てあげるから」
「あ、はい。大丈夫? サラトちゃん」
 背を擦ってくれる寮母に、少女は無言で頷いて答えた。

――それが、彼女の根源だった。
――彼女の最も得たいもの、それは、信じる友達。
――ただ、無償でいいから隣りに居てくれる誰か。
――だから彼女は、

 夜。
 孤児院の明かりはとうに消えた時刻。
 寝静まる子供達の少し離れた場所に居る少女は、暗闇の中に立ち上がると部屋を出る。
 ゆっくりと、ゆっくりと、まるで徘徊する幽霊のような足取りで、暗闇の中を歩き、やがて辿り着いたのは屋上だった。
 満天のとはいかないが、星の綺麗な空の下。
 虚空を見上げる目は、見開いているのに虚ろ。
 小さな体躯の中から、ゆっくりと、何かが蠢くものを感じた。
 ドロドロと、総てが熔けて。
 バチバチと、総てが爆ぜて。
 少女という総てが壊れてゆく音が、一陣の風に流されていった。
「……、サラトちゃん?」
 不意に背後から声が聴こえた。
 振り返る少女の先には、見回りをしていた寮母の一人が眉根をひそめて立っていた。
「何をしているの、こんなところで。危ないじゃない」
 咎めるような目つきに少女は、不安を覚えた。
 寮母は、少女にとって彼女の世界≠フ最も頂点に君臨する存在だ。その存在に咎められるのは、ある意味では死にも似た感覚だ。
「ごめんなさい、なんか変で眠れなかったの」
 言うと、寮母はふっと口元を緩めた。
「まったく……早く部屋に戻りなさい、風邪を引くわよ?」

 パチン、

――それが、彼女の猜疑。

「……? どうしたの?」
「……せんせい、疲れてるの?」
「え?」
「サラトの風邪よりも、もっと違うこと考えてる。自分のこと考えてる」
 それを口にした途端に寮母の顔が一瞬引き攣った。
 だがすぐに苦笑いをする。
「や、やだなぁサラトちゃん、あなたが風邪を引いたら先生心配よ?」

 パチン、

――体躯より生まれる猜疑の雷が、彼女へ届く声を不明瞭にする。

「……、」
「ほら、早く戻りなさい」
「……はい」
 とぼとぼと歩く。通り過ぎる瞬間、背後から寮母の安堵の息を感じていた。

――嵐の前の静けさに過ぎなかった。
――徐々に、徐々に、彼女を蝕む真実。

「おーい、サラト!」
 声を掛けられた少女は振り向く。
 そこには、砂場で手を差し伸べてくれた男の子が駆け寄ってきた。
「……」
「どうしたんだよ、みんな待ってるぞ?」
「……サラト、一人がいい」
 抑揚の無い声で少女が言うと、男の子は怪訝な顔をした。
「なに言ってんだよ、それじゃ進歩しないだろ。早く来いよ」
 な、と笑って手を差し伸べてくれる男の子。
 少女は逡巡したが、その信じられる℃閧取って、立ち上がった。
 砂場から庭に出た二人を、孤児院の子供達が見る。
「光也君、サラトちゃん入れるの?」
「うん、いいだろ?」
「うーん……どうしよっかなぁ……」
 渋る子供達に、男の子はむっとした。
「なんだよお前ら、サラトだってここの子供なんだぞ? 家族じゃんかよ」
 その言葉に、少女は救われた気分になる。頬を染めちょっと恥ずかしくなった矢先、
「うーん、まあいいだけどさ」

 パチン、
――雷電は、拒絶。

「いいじゃない、わたしもサラトちゃんと仲良くなりたかったし」

 パチン、
――総てが、嘘。

「サラトちゃんって体は丈夫なのかな、今度はドッチボールにしようよ」

 パチン、
――彼女への、刃。

「そんなこといって、いきなりサラトちゃん狙わないでよね」

 パチン、
――傷つけるだけの、虚言。

「……っ」
 遂に耐え切れなくなった少女は、男の子と繋いでいる手を離して走り出す。
「あ、おいっサラト!?」
 驚く男の子を振り返ることも出来ず、少女はただ一刻も早くこの場から逃げたくて走った。

――世界≠ェ、変わったことを知った。
――孤児院という世界≠ヘ既に崩壊していて、少女の本当の世界≠ヘ、彼女の内に存在した。
――純真。

「おいっ、サラト!」
 孤児院の裏手にしゃがんでいた少女を見つけた男の子は、息を切らして追いつく。
「どうしたんだよっ、みんな仲良くしようって言ったのにさ」
「……こわい」
「恐い?」
「みんな、が恐い。サラトはいい子になりたいから、大勢はやだ」
 その震える言葉を理解し損ねた男の子の手を握る少女。
「一人でいいの……一人でいいから、サラトのトモダチになって」
 信じられる人だけでいい。
 だから、
「トモダチは、一人でもいいから」
 その切なげな表情に圧された男の子は、少し戸惑ったが、すぐに自分もしゃがんで視線を同じ高さに合わせて笑った。
「しょうがないな……まあお前がそうしたいっていうならいいけどさ、少しずつみんなと溶け込めるように頑張るんだぞ? これは約束だ。わかったな?」
「……うん」
 目尻に涙を浮かべた少女は、それでも頷いた。
 たとえそれが彼女の意思に反していたとしても、信じられるトモダチを失いたくない少女は従うほかない。
 だから、にぱっと笑顔を浮かべて、必死に少女は笑った。
「うんっ……やくそく!」

――それでも、終わりなのか始まりなのか判らない曖昧な世界≠ェ、降臨する。

 いつかの夜。
 男の子はふと異質な気配を感じて目を醒ました。
 部屋の中で小さくも荒い呼吸。
 何事かと辺りをきょろきょろと見回すと、それは見つかった。
「……っ、サラト!?」
 男子部屋の戸が開いていて、少女が胸元を強く抑えて廊下に倒れていた。
 慌てて電気を付けて、周りが起きだす中で少女へ走る。
「どうしたんだよ!? サラトっ!? 返事しろって!」
 おろおろとする男の子を苦しそうに見上げて、口をぱくぱくと動かす。
「苦しい、たすけて……」
 弱々しくなる呼吸。
 どうしたのかと思った瞬間、廊下で二人のやりとりを発見した見回りの寮母が驚いて走り寄る。
「一体、何があったの!?」
「サラトが、苦しんでてっ……」
 どうしよう、と慌てる男の子に、寮母が冷静そうに口にした言葉。
「大丈夫、多分風邪だから先生が診るわ」
 それが、引き金となる。
「――……っ!!」
 バヂヂ!
 空気を凍てつかせるような乾いた音が響く。
 驚いた二人の足元で、倒れる少女の体から、紫電が爆ぜる。
「きゃっ……なに、これ!」
 寮母は驚愕よりも恐怖が勝ったらしい。その場で腰を抜かしたように尻餅を突く。
 少女は涙を流して、体の内側から食い破って出てくるような力を抑えながら男の子へ手を伸ばした。
「くるしい……たすけ、て……」
 伸ばした手に、男の子は、

「ひっ――」

 引き攣った喉から悲鳴を出して、後ろに退がる。
「……あ、え」
 少女は思考を失った。
 救いの言葉すらも、消え果てた。
 男の子が、少女を護ってくれるはずの男の子が、少女を恐れた=B約束を、違えた。
「う、っわ……!」
 伸ばした少女の腕から奔る紫電を見て、男の子はさらに退がる。恐怖で、どんどんと遠ざかる。
 そして、言ってしまった。
「来るなぁ! ば、ばけもの……!!」
 少女は、瞬間、体の内側に巣食う膨大な力の留め金を、反射的に解いた。

 直後、
 紫電は蒼く煌き、孤児院を包み込んだ。





 朝日が昇る、そこは孤児院があった場所。
 たったひとりその荒んだ瓦礫の中に佇む少女は、朦朧とした意識の最中、人の気配を感じる。
「御嬢様、やはりオーラム・チルドレンですね。寄生型の神器を制御し切れずに暴発したかと」
「ええ、こんな年端もいかない子を深淵に引き摺り込むだなんて……」
「東京に居る煌きの都市≠ナは不可能と思われますが」
「一体誰が……おいおい調べておく必要が有りますわね」
「はい」
 視線だけを向けるが、丁度朝日がバックにあって、シルエットしか判らない。
 二人の人物は、何食わぬ顔で少女に近づいてゆく。
「可哀相な子……笙子、この子はわたくしの屋敷で育てますわ」
「それが御嬢様の意思であるのでしたら、私に異議など御座いません」
 小さく頭を下げるメイド姿の女性に、血のような紅のドレスを身に纏う少女は笑う。
 次に振り返ったその人物は、少女に微笑を向けて言った。
「おいでなさい。在るべき世界は違えど、わたくし達は深淵を歩く者なのですから」
 少女は、何も言えずに頷いた。
 ただその時に、胸に膨らむ拒絶がなかったから。





 純真が始まるその時。
 世界が訪れてしまった過去。
 少女が、狂い始めてしまった――。










 雷撃の爆風によって、裏手の茂みが吹き飛ばされる。
 サラトはゆらりと立ち上がって、失いたくないトモダチを探した。
「恭、亜……?」
 その時、ちらと砂塵に紛れて見えた姿が視界に入る。
 サラトは過度の熱で火傷した脚をずるずると引きずって、その影へと歩み寄る。
「恭亜、本当だよ? 信じてほしい」
 誰よりも、と信じたい。
「サラトは、恭亜のことが大好きだよ?」
 彼のことが、と信じたい。
「いい子にするよ? 欲しいものがあったのなら言って、サラトが取ってきてあげる……必ず取ってきてあげる」
 トモダチを、信じたい。ただ一つ、たったそれだけのために。
「女の子の体が欲しいなら、サラトのを使って。サラト、そういうことは初めてだけど、恭亜とならいいよ」
 なくしたくない。
 あの時、掴んでくれるはずだった、差し伸べられるはずだった手。
「だから、お願い……」
 もう、なくしたくない。
「恭亜、サラトのトモダチになって――」
 そうして砂塵が薄らいでそこにある姿を目にした。
 そこには、

「痛っ……、え?」
 仰向けに倒れるアインは、目を開けて驚く。
 目の前には、恭亜の美しい顔。恭亜はアインを押し倒して覆い被さり、アインを庇っていた。
 そのせいで恭亜は背を焼く雷光に苦痛の表情だが、アインを見て無理にでも笑った。
「アイ、ン……無事でよか、っつ……!」
「恭亜……」
 ほんのりと頬を染めたアインは、少しそっぽを向いて、
「……お、おおきに」
 恥ずかしそうにそう答え、恭亜は苦笑で返した。

 その光景。
 恭亜が、彼女を選んだ。
 そう知った瞬間、
「い――」

 サラトの世界が、壊れた。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ――!!」

 悲鳴が響き渡った。
 それは彼女にとって終わりを迎えたのか、始まりを迎えたのか。
 答えは、判らないまま。





 3


 轟! と空気が破裂して閃光が奔る。
 驚いた恭亜とアインは、その音源を見て言葉を失った。
 金糸の髪を散らし、全身から溢れ出た雷電を放つ善悪一=B
 宙を舞う紫電は蒼いプラズマに凝縮され、彼女を中心に牢獄のように雷電のドームを作り出す。
 バチバチ!! と辺り一面を焼き払いあまりの眩しさに二人は後ずさる。
「なん、だ……これ!」
 恭亜の声に、アインは幾分か冷静を取り戻して顔を引き締めると起き上がる。
 煌々と爆ぜる牢獄の中心で、善悪一≠ヘ絶叫しながら頭を掻き毟って雷電を放ち続ける。
 その一瞬、善悪一≠フ眼を見たアインは絶句しかけた。
「金の、眼……!」
 驚愕によって叫んだアインにつられるように、恭亜も向く。
 雷光の牢獄の中で叫び続ける善悪一≠フ眼は、涙を流しながらどこともつかぬ虚空を見つめている。
 あの、愛くるしかったガラス細工のような翡翠の瞳が、金晴眼に染まっている。
「金の瞳……暴走……意識の断絶……」
 恭亜は、びりびりと空気を振動する雷撃の檻を呆然と見つめて口を動かした。
「オーラム・チルドレンの、『侵蝕』……」
 想像を絶する光景に、恭亜は呆気に取られたまま動けなかった。
 『侵蝕』。
 オーラム・チルドレンが本来保っている深淵との境界線は、酷く曖昧だ。オーラム・チルドレンに成った時点で、コップに入っている液体は水と油の混じった異質なものに変わる。しかも、油のほうは際限が無い。
 当然、許容域の存在するコップは継ぎ足され続ける液体を保てない。溢れる。油に紛れる水が、在るべき人間性が、溢れる。欠落する。
 そうして、油から失せた水――深淵から戻れなくなった精神は死に絶え、瓦解する。それが、『侵蝕』。
(だった、のに……)
 恭亜は思う。
「なんだよ……これ」
 思わずにはいられない。
 当時は気を失ったように記憶の無い恭亜には、『侵蝕』がどういうものかは安直なイメージでしか出来ない。
 だから、正直恐いと思った。何食わぬ顔をして人を殺そうとした自分は恐い。
 なのに、
「なんで、こんな」
 こんな、哀しい≠フか。
 雷電を放ち、拒絶の檻に閉じこもり泣き叫ぶ少女は、恭亜の心を容赦なく引き裂く。見ているこっちが泣いてしまいそうなほど残酷で、壊れてはいけないはずだったのに。
「……アイン」
 呟く。傍らのアインは視線だけを送るが、恭亜は視線すら外せなかった。
「これが、『侵蝕』なのか……?」
「……、」
「こんな……痛いのが、見るのさえ辛い、のが……『侵蝕』なのか? こんなのがオーラム・チルドレンなのか!?」
「……恭亜」
 咄嗟にアインが恭亜の肩を掴もうとした直前に、背後から声が掛かった。
「アイン!」
 振り返ると、そこにはシスターに肩を担がれて歩く黒髪の軍服少女が目を瞠ってこっちを見ていた。
「プリ、シラ……マーシャ」
「これは、一体何があった!? あの金晴眼……『侵蝕』を引き起こしているではないかっ」
 プリシラもマーシャも善悪一≠フ『侵蝕』に驚愕している。『侵蝕』を直接見るのはこれが初めてのマーシャにいたっては、言葉すらなかった。
 マーシャから離れたプリシラは、アインの肩を掴んで身体を支えながら恭亜とアイン、そして善悪一≠ニを見回して状況を把握しようとしたが、やはり訳が解らないのかすぐに思考を切り換えた。
「くそ、仕方が無い……アイン、戦えるか」
「え? う、うん」
「ならば援護してくれ。あの雷撃を受けるには少し厳しいが、イヴィルブレイカーの反撃で」
「……、ちょっと。待て、よ」
 そこで、声が掛かった。二人は振り返る。
 掛けたのは恭亜。言っていることを聴きそびれたように、しかしその内容を理解したからこそ蒼白な顔をしていた。思わず、アインが目を逸らしてしまいそうになるほどに。
「なんだ」
 プリシラは目つきを鋭くして、恭亜を睨みつける。
「なんだじゃない……お前、今何をしようとした?」
「決まっている。どういう経緯で『侵蝕』したのか知らんが、今すぐ奴を止めなければならない」
「だから、何をしようとした?」
「くどい」
 それ以上を語らない。それが、恭亜には理解を決定付けた。
「殺すっていうのか。サラトを……!」
「……、」
 プリシラはさすがに逡巡した。年端もいかない子供を手に掛けることに抵抗がない訳ではない。
 だが、
「仕方が無い、ことだ。許せ」
 瞬間、プリシラに向ける恭亜の表情が初めて怒りに染まった。
 恭亜はその折れてしまいそうな肩を掴んで振り向かせた。思っていた以上に簡単に身体は振り返る。
「『許せ』!? 人を殺しておいて、何を許せっていうんだ!!」
 マーシャはおろか、アインですら初めて見たせいか硬直した。
 恭亜が、怒っている。
 だがここで食い下がるプリシラではない。目を丸くはしたものの、すぐにキッと目つきを戻す。
「少なくとも貴様に許される謂れはないな。だが奴を止めなければとんでもないことになるぞ」
「だからって、殺すって簡単に言うな! あいつはただ独りぼっちが恐くて――」
「姫宮恭亜!!」
 突然の咆哮に、恭亜は口を噤む。
「現実を見据えろ!! 奴を見るんだ!」
 胸倉を掴んで、無理矢理振り向かせる。
 プラズマの煌きを放つ中心で、善悪一≠ヘ叫んでいる。
 総てが信じられなくなった世界の中心で、自分さえ信じられなくなった世界の中心で、善悪一≠ヘ泣いている。
 途端、プラズマの流れが変わる。
 蒼い光の塊は善悪一≠フ周りを旋回し、その金糸の髪の頭上で集約する。
 芝生の生えていた地面は既に荒廃し、さらに熱せられて空気が歪む。蜃気楼のようにぐにゃりと滲んで、紫電が円を描き出す。ヒュンヒュン、と高い音が鳴り、じりじりと熱が膨大になってゆく。
「いかん! 電気の流れが過度の密集で許容を超えているっ……このままではメルトダウンを起こすぞ!!」
 胸倉を引き寄せて、さらに恭亜との顔を近づけるプリシラ。その近さといったら、アインがドキッとしたぐらいだ。
「アレを見ろ! このまま奴の『侵蝕』を引き伸ばせば、ここら一帯は焦土と化すぞ!」
 プリシラは表情を険しくして、恭亜を見上げる。
「奴が何をしている!? 暴走という名の無差別殺戮だ! ただ在りのままに近づくもの総てを破壊して、深淵に引きずり込まれてABYSSのように他のオーラム・チルドレンに殺されるだけだ! そうしなければ現実の安寧は誰が護る!? 非情と無情は別だぞ姫宮恭亜っ! ここで私が奴を殺さなければ、奴が人殺しになるんだぞ! それでもいいのか!!」
「……」
「これは、仕方が無いことなんだ」
「――、」
 無言になってしまった恭亜から離れ、プリシラは善悪一≠見据えて腕を振り上げる。
「イヴィルブレイカー!!」
 一喝と共に空気が揺らぎ、西洋大剣が現れる。
 それを構え、傾いだ心を冷静に戻したプリシラは叫んだ。
「征くぞアイン!」
 だが、背後から聴こえた返事はプリシラの予想を超えたところにあった。
「プリシラ、後ろっ」
「は?」
 振り向いてしまった。善悪一≠ヘ前に居るのだし、背後といったら身内しか居ないはず。
 と、そこで働いた思考に、身内じゃない人物が居たことを思い出した瞬間、

 ゴン……ッ!!

「〜〜っっ!?」
 視界いっぱいに、火花が散った。
 明滅する視界を向けると、恭亜は拳を握って振り落とした格好で睨んでいる。
 明らかに、プリシラの頭に拳骨を落としたと理解した。
 恭亜が憤然とした表情で怒鳴る。
「この大馬鹿!!」
「なん……っ!」
 が、その躊躇の無さに驚いたプリシラは、涙目で頭を擦りながら口をぱくぱくと動かしていた。普通に頭を殴られたのは初めてだったのか、よほど衝撃だったらしい。
 あまりの事態に閉口しかけたが、それでもプリシラが反論しようとした時、恭亜は言った。

「命を奪うことの何が『仕方が無い』んだっ!!」

「――」
 何も、言えなくなった。
 善悪一≠指差す恭亜。
「いいか! あいつはオーラム・チルドレンとかそれ以前にサラトなんだ! ただの女の子で、友達が欲しくてしょうがなくてっ、責められて駄々捏ねて! それの! どこがおかしいんだ!? 恐くてがむしゃらに腕を振り回してただけじゃねぇか!! それなのに俺達はなんで殺すことしか考えられないんだ! 一丁前でも救わない奴が、サラトの何を解ってやれるんだよ!! 『侵蝕』は危ない? 停まらないから止めるしかない!? そんなどうでもいいこと≠ナ殺されるのか! 友達が欲しいだけの奴が、殺されるっていうのか!!」
 目の前で叫ばれて、ついにはビクン、と肩を竦めるプリシラ。
 恭亜は動かないプリシラの肩を退けて歩き出す。
 その先は、蒼い閃光の爆ぜる牢獄。入った瞬間に総てを焼き尽くす雷電の鳥籠。
 悲鳴を続け、光の球体を練り上げる善悪一≠見つめた恭亜は、ぐっと手を握り締めた。
「恭亜!?」
 突然の行動にアイン達に戦慄が奔る。
「莫迦者っ……! 死ぬ気か!!」
 プリシラは怒号を放つが、振り返った恭亜に迷いはもう無かった。
「そんなわけないだろ、俺だって死ぬのは御免だ」
「ならば――」
「だけど、殺すのは死んでも御免だ」
 ふっと、苦笑する恭亜。
 プリシラは恭亜を見て、怪訝な顔をしてしまった。
「何故、だ……? 何故貴様はそこまでして誰かを救いたがる? それが偽善だと解って尚、何故!?」
 思わずには、いられない。それは、奇しくもアインと同じだった。
 羨ましい、と。
 誰かを救うために自分を投げ出せるこの男に、プリシラは自分のことのような高揚感を覚えてしまった。
「決まってるだろ」
 偽善者は、笑って答えた。

「サラトは、俺の友達だからさ」

 その笑顔をプリシラが見送ってしまう最中で、恭亜はもう走り出していた。
 雷撃の嵐の中へ、一寸の躊躇もなく。
 ズバン!!
 突入直後に襲われたのは聴覚だった。
 まるで鉄板をぶち抜くような音が降りかかり、猛烈な吐き気と共に視界がずれた=B
「――が、あっ!?」
 ビリビリと脚を襲う雷電の猛襲に、それでも恭亜は前を向いた。
 瞬間、頭上で何かが弾ける音がして恭亜は横に逸れた。
 倒れると同時に視線を向けると、立っていた場所に一撃の落雷が放たれる。
(雷……そうか、避雷針!)
 直立で進んでも、恭亜は雷を吸い寄せる水の塊でしかない。
 ぎり、と唇を噛んで痛みを誤魔化し、出来るだけ姿勢を低めて進む。
 すると、雷電の轟音の中で、彼女の悲鳴が耳に入る。
「もう、やだ……やだよこんなのっ……」
「サラト……」
「独りはいやだ! もう、いやなのぉおおおおお!!」
 叫び。その直後、彼女の頭上のプラズマがさらに膨れ上がる。
 時間が無い。そう理解した恭亜は、自分のことなど忘れて何も考えられなくなった。
 這いつくばって雷撃を恐れていて、目の前の彼女が救えるのか。
 違う。
 絶対に、違う!
「サラトぉ!!」
 立ち上がり、走った。
 避雷針と化した恭亜を、雷撃が襲う。
 頭を少し下げるだけでそれを辛うじて避けて、恭亜は前を向き続ける。
 あと少し、もう少しでいい。
 停まってはいけない。そう思った。それは自分のためではない。彼女を、救うため。
 『侵蝕』が二度と戻れない。
 そんなこと、誰が決めたんだ。ただ勝手に見捨てられた人間が、犠牲者になっただけの話なのに。
 残り三メートル。
 プラズマが起こす熱が肌を焼く圏内で、恭亜は飛びつこうとした。
 届け、と。思った矢先のことだった。
「恭亜っ!」「避けろ!」
 背後から二人の声が薄く聴こえた。
 だが、それでも気付いたのが遅く、避けることは出来なかった。

 頭上から落ちた落雷が、恭亜の頭を撃ち抜いた。

 ずがん、と聴こえた雷撃はあまりにも遠く。意識を根こそぎ刈り取る一撃が奔ると共に、恭亜の視界が黒に染まる。
 ふらっと傾いだ体勢が、地面へと落ちてゆく。
 だめだ、とプリシラが叫ぼうとした。空気が凍る一瞬の後に、
 倒れる寸前の足が踏み止まり、恭亜が身体を反らして立ち上がった。
 痙攣で腕が痺れ、衝撃で脚が震え、朦朧とした意識で頭はふらふらと揺れる。
 それでも、
「サ、ラ……」
 失いたくないのは、同じなのだ。
 救われなかったのが彼女なら、恭亜は、救えなかったのだから。
 恭亜は唇を噛み千切る。口の端を流れる血が顎を伝う中、恭亜は無造作なまでに善悪一≠フ肩を掴んだ。
 刹那、
 全身を、雷電が流れるのを感じた。
「ぐ、――がああぁぁぁあああああぁぁああぁぁああぁあああああああぁぁああああぁぁぁぁああああああああっ!!」
 今度は明確な激痛だった。金槌で腕を満遍なく釘で打ったような、気絶してしまいたくなる感覚に、再び視界が暗転しそうになる。それでも恭亜は、善悪一≠フ涙を見るたびに意識を戻す。
「サラトっ……! サラト!!」
 叫ぶ。そうしなければ届かない声だと思った。
 そうして掴んだ肩は柔らかく、しかし確実なまでに強く掴む。放さないように、強く。
 すると、ビクン! と身体が震えた善悪一≠フ金晴眼が恭亜に向く。恐怖と憐憫で濡れそぼった目が、見開いたまま視線を絡めてくる。
「恭……あ?」
 口を動かす。目の前に居るのが信じられないといった風に、それでも彼の名前を呼ぶ。
 恭亜の知る彼女。善悪一≠カゃない、サラト。
 それを見た恭亜は、笑う。全身を襲い続ける雷電に頬が引き攣っていたかもしれないけど、笑った。
「ごめん、な……俺、気付けなくて………だけど、さ……奪い合う世界でっ! おまえ、に……笑ってほしく、ない、んだ……っ! そんな理由、で……お前に笑って、いて、ほしくないんだ!」
「恭、亜……っ」
 サラトの顔が、くしゃりと歪む。
 恭亜は笑ったまま、頷いた。
「俺は、逃げないからさ……友達だって信じていたいからさ……サラト、もう、壊しあわなけりゃ手に入らない、トモダチなんか、追うなよ。な?」
 涙が、つう、と流れる。サラトは恭亜の顔を見上げて、小さく頷いた。
「もう、誰も傷つけたくない……恭亜、たすけて……こんな化け物だけど、お願い……たすけて」
 あの時は拒絶された結末。
 偽善者は、一際強く笑った。
「ああ、もちろんだ」
 恭亜は肩を掴む右手を離して、それに視線を落とす。
「……聴こえるか」
 ぐっと握って、
「俺の中に在る世界」
 開いて、
「目に映る総てを護れなくてもいい。それでも目の前で、手を伸ばせば届く所に居る奴を救える力があるなら……」
 蒼い閃光の奔流の中で、天に向かって手をかざす。
 何も掴めなかった弱い手。
 だけど、ここでサラトを救えなければその手は弱いだけでない。究極に、最低なだけ。
「名前だろうが何だろうがくれてやる! その代わり、この子を独りにだけはしない力を俺に貸せ」
 伸ばした先に、何があっても。
 迷わない。
 理由は、どこまでも簡単だから。
 だから、

「アルテアリス!!」

 漆黒の世界はその手に宿った。
 ブゥン! という羽虫のような音が一瞬。虚空を黒が覆い、形を模ってゆく。
 形状は、刀。
 柄も刀身も、鍔の代わりに巻きつく鎖さえも、総てが黒に染まった日本刀。それが恭亜の手に握られた直後、足元に巨大な魔方陣が奔る。象形文字や読めない記号でびっしりと描かれた魔方陣は、プラズマが生み出す蒼の嵐を包み込む。
「発動と同時に方陣結界を展開しただと!? 奴の神器は空間そのものを支配しているというのか……!」
 プリシラが驚愕する。
 無理も無い。空間を操作するグラヴィティローダーにとって、空間の支配権を奪われることは敗北にも近い感情を覚える。だが実際に空間を丸ごと操作することなど不可能に近い。人間には本来、得手不得手がある。演算対象もまた然りで、炎を操る人間に空気中の水素と酸素の摩擦は可能でも、それを結合させて水を創り出すことは許容外だ。
 気体、粒子、比重、温度、高度、光の量。二次元、三次元はおろか四次元上の演算を含めた総ての情報を取り込んでしまうと、人間の脳は崩壊する。
 だが、握り締めた刀を強すぎるほどに握り締めて、恭亜はサラトを真っ直ぐ見据えて切っ先を放った。
 すくん、と呆気ないほどに簡単に貫かれた肢体。サラトの胸元を突き刺した刀は、彼女の背中から突き出ると同時にその力≠穿った。
 背中から伸びる漆黒の刀身、その切っ先には握り拳ぐらいの大きさの蒼い光が刺さっている。
 バチバチと鳴り響く閃光をサラト越しに睨む恭亜は言葉を紡ぐ。
「離れろよ……」
 びりびりと刀を伝わる雷電。それすら厭わない恭亜は、叫んだ。
「サラトから離れろよ、くそやろぉおおおおおおお―――――――!!」
 ズバアアァァァアアアン!!
 強烈な爆音が弾けた。
 蒼い光は吹き飛び、紫電を散らせて虚空に消える。
 瞬間、蒼いプラズマは霧のように霞んで、サラトの見開いた眼から金晴眼が翡翠に戻る。
 すると、恭亜の手元からサラトの背中まで奔っていた漆黒の刀も霧のように姿を消す。支えを失ったサラトはその場ですとんと膝を突き、後ろに倒れる。
 雷電の檻は消え果て、静寂が戻る。
 見下ろす恭亜の背中をじっと見続けていたアインが恐る恐る声を掛ける。
「き、恭亜……?」
 途端、恭亜もガクンと倒れこみ、サラトに覆い被さるように突っ伏した。
「恭亜!!」
 アインが走り出す。といっても、片脚を引きずっている状態なのでほとんど足取りが危ない。
 一瞬の間を置いて再起動したプリシラも、マーシャに振り返った。
「マーシャ、急いで治癒しろ。ここから一刻も早く離れるぞ」
「は、はいっ」
 アインは恭亜とサラトに近づいて、表情を強張らせる。
「恭亜! 起きぃ! 恭亜!?」
 肩を揺さぶろうかと迷っていたとき、ふと二つの呼吸に気付く。
 見ると、うつ伏せに倒れる恭亜も、涙を流しながら眠るサラトも、気絶しているだけだった。
 安堵するアインは、その場で尻餅をつく。
「……心配さすなや、アホ」
 小さく呟いたアインは、しかし苦笑を混じらせて二人を見つめていた。










 Epilogue     とある事件の三日後





「うあ゛〜、身体中いってぇ〜……」
 と言ってしまったことに後悔した。治してくれた本人が目の前でびくりと震えたからだ。
 やば、と思った恭亜は振り向く。
 そこには医療用の救急キットを片付けている修道女がこちらを見て涙目だった。
「……えーっと、すみません」
「あ、いえその、こちらこそ」
 二人はマーシャの住むアパートに居た。
 今から三日前、ちょっとした出来事≠ノよって大怪我を負った恭亜は彼女の治療を受けていた。傷自体はほんの小一時間で済んだのだが、いかんせん痛みが頭にまで響く勢いだったため、彼は残って様子を見るということになったのだ。現実問題、恭亜が一番重傷だった。
 なんせ雷電を浴びた上に、普通なら絶命していておかしくない落雷を受けているのだ。今こうして全身筋肉痛程度で済んで学園へ向かう支度をしていることが既に不思議である。
 恭亜としてはどこまでが夢なのかという感覚だが、目の前の修道女はやっぱりむくれた表情をする。
「も、もう二,三日休んだほうが、い、いいんじゃないでしょう、か?」
 おどおどした風にマーシャは言う。いつになく挙動不審なのは、男の子と女の子が一つ屋根の下で何か間違いが無いか心配だっただけなのだが、その間違い自体が頭に無かった恭亜には哀しいまでに問題が無かった。
 まあ、丸一日昏睡状態だった恭亜をプリシラが無言で睨み続けていたせいで、恭亜がうなされたというのは闇に潰えるべき思い出である。
 制服どころか換えの服すら持っていない患者状態続行中の恭亜は、とりあえず寮室に戻って、とそこまで考えたところでまた筋肉痛に襲われた。
「ぐ、おおぅ……!」
「や、やっぱりやめたほうが……」
「いや、さすがにこれ以上休んだら不審に思われるから」
 誰に、と訊きそうになったがあえて黙った。恭亜としてもここで訊かれても困る質問だった。
 早く出ないと時間が押している恭亜は、借りたビニール袋に服を詰め込んで立ち上がる。
「じゃあ……えっと、マーシャさん。色々とありがとう」
 なんとない敬称に、マーシャはくすりと笑う。
「よ、呼び捨てでいいですよ? 私、十六ですし」
「十六歳!?」
 さすがに驚いた。灰の髪と眼を持つ彼女は、しかしその相貌から『お姉さん』という雰囲気を持っていたので、もう一人立ちできる歳だと思っていた。第一印象では物凄く頼りなく見えるのはあくまで内緒だが。
「なんだか外見と年齢が一致していない身内が多いなぁ俺。プリシラも実は俺らと同い年なんてオチだったりしてな」
 空笑いする恭亜に、きょとんとしたマーシャは首を傾げた。
「同い年のはずですよ?」
「……、え?」
 とんでもない返答が返ってきた気がした。
「アインと、同い年ですから……プリシラ、ああ見えて十五歳です、けど」
「あいつ、あれでも十五なんだ」
「はい、あれでも十五なんです」
「……」
 絶句してしまった。あの小学生と中学生との扱いが難しい幼さで、恭亜やアインと同い年。まったく関係ないとこで意識がぶっ飛びそうになった。
 最近の子は発育の差が著しいと聞くが、世も末だと思った。いや、そう思っておきたかった。
 恭亜はもう歳云々には触れないように、玄関で靴を履く。
 その時、マーシャはなんとなく口を開いていた。
「貴方があれほど救いたがるのは、理由があるんですか?」
「え?」
 不意打ちの質問に振り返る恭亜を見て、その質問が自分の口から出たことを知ったマーシャは慌てた。
「あ、いえっ……その、ですね……」
 マーシャは俯いて、ばつが悪そうに言う。
「オーラム・チルドレンは、意味もなく生まれる存在じゃ、ないですから……あ、貴方にも、何か、意味のある、しゅ、出自があるん、ですよね……?」
「ですよね、って言われてもな」
 恭亜は頭を掻いた。
 そのオーラム・チルドレンに成った瞬間に、恭亜は『侵蝕』を起こして自我も意識も無かった。そもそもオーラム・チルドレンになること自体がもう夢見心地に近いためか、特に違和を感じられないでいた。
「俺がどんな世界と契約したかは判らない……、けど」
 そう続ける恭亜に、マーシャは顔を上げる。
 そこには、苦笑を込めてドアノブに手を掛ける恭亜が居た。
「結局は、誰が苦しんで誰が護れるかだろ? 少なくともサラトが泣いていたら、俺は誰が相手でも戦うさ」
 はは、と笑う恭亜を見て、マーシャは顔を赤らめた。
 自分の出自すら醜いものなのに、彼はそれを知らないどころか異常とまで宣告されても立ち向かった。
 傷ついているのは自分なのに、他人の傷を見ぬ振りできない。
(羨ましいです、この人はまったく……)
 苦笑に、マーシャも苦笑を込めて返した。
「はい」
 恭亜はノブを回して戸を開ける。
 その時、目の前に白い色が広がった。
 少し驚いて恭亜が足を止めると、目の前の白はアインの髪だった。向こうも扉を開けるつもりだったのか、握手を求めるかのように手を差し出したまま硬直している。お互いに結構近い位置にいたため、その銀砂のような白髪からふわりと甘い香りが鼻腔を掠めた。
 眼を丸くするアインは見上げる。
「恭亜……」
「よう、アイン」
 恭亜は、マーシャに逢いに来たんだろうと思い込んで笑顔を浮かべた。
 何気無く言ったつもりの言葉に、アインの雪のような肌が赤らむ。
 その刹那に、アインはあの言葉≠思い出した。

『ドロドロした感触がもどかしいのでしたらぁ〜、もし恥ずかしいと思ったらぁ〜、』

 耳打ちされたときに想像したあの行為を、思わず反射でやってしまっていた。
 それは、
 ドン!!
「――、」
 差し出したままだった手を握って、見事なまでのストレートパンチを恭亜の胸元に突き刺していた。
 僅かな静寂。
 直後、
 無表情に近い顔のまま、恭亜が後ろへ倒れた。
「……あれ?」
 不思議そうな顔で呆けるアインと倒れる恭亜の光景を見て、マーシャの血の気が失せた。
「な、なななな何をしてるんですかアイン! わ、きょきょっ、恭亜さん!? 恭亜さぁぁあああんっ!?」
 三日前のちょっとした出来事≠ナ最もダメージを受けていた心臓に拳を叩き込まれた恭亜は、白目を剥いて今度こそ身内によって生死の境を彷徨わされていた。
 後に恭亜は述懐する。もしかすると女難の類かもしれない、と。





「以上だ、詳細は追って紙の上で伝える」
 プリシラは受話の向こうの男が頷く気配に、溜息で一区切りを打った。
 携帯電話を持っていないプリシラは、しかし滞在しているアパートには目を醒ましている彼が居て物凄く居辛いので、しょうがなくコンビニの据え付けられている公衆電話を使っていた。硬貨を入れることを知らず、全く動かない公衆電話に本気で首を捻っていた松葉杖装備のコスプレ気味幼女に、アルバイトの男性が内心ビクつきながら教えてくれたというのは数分前の話だ。といっても、狙って人通りの少ないコンビニを選んでいるので、大したことではなかった。
 店員に両替してもらった大量の十円玉を早すぎるぐらいに入れ続けながら状況説明をしていたプリシラの溜息に、受話する男――ハイネ=クロフォードは口火を切った。
『随分としてやられたようだな。《アマテラス》を相手に、よくやってくれた』
「これでも《ツクヨミ》の第二位を名乗っているんだ。早々死なん」
 受話する向こうでハイネが笑う。
『だが、話に聞けば聞くほど異常だな、彼は』
「まったくだ」今度は狙ってではなく深い溜息をついた。「他人を『侵蝕』から引き戻すオーラム・チルドレンなんて、聞いたことがないどころか想像だにしたこともない」
『お前の見解ではどうだ? 「侵蝕」を封印することが神器の能力に思えるか?』
 ふん、とプリシラは鼻で笑った。
「貴殿も察してはおろう。『侵蝕』の為だけに作用する能力に何の効率がある、あの空間を丸ごと食い潰す魔方陣も恐らくは副産物だ。姫宮恭亜はただ単に神器の名前を呼んだだけ≠セからな」
 溜息と同時に、ギシ、という軋んだ音がする。椅子にもたれたのだろう。
『アルテアリス、か……ますます闇の楽園≠フ真名の通りになってしまったな』
「私に言うな、持ち主が付けた名だ。これも天命と思え」
 この男はどういうわけか、シェイプネームについて運命という相互関係を考えることがある。確かに、その人間の存在意義を名称として名乗る人間はオーラム・チルドレンではセオリーと化している。孤高がために自他の殺戮性を均一にする、故にプリシラは断罪剣≠名乗っているのだ。
 だからといって、
「確率にも値しない言葉に頼るとは貴殿らしくもないな、鏡面刹=Bそれでは我等が長には忍びない」
『それこそ私に言うな断罪剣=A夢見がちを押し付けたのは先代だ』
「噂に聞く夜国一滅の魔女か。まったく、貴殿といいその女といい、どうして《ツクヨミ》の連中はこう甘い――」
『だが、』
 遮った声は、幾分にも抑揚がない。
『その甘さに救われた娘が居るんだろう?』
「……っ」
 脳裏に浮かぶ、戦場の跡地。焦土に倒れる二人。救われた、金糸の髪の泣き眠る少女。
 《アマテラス》のオーラム・チルドレン、善悪一<Tラト=コンスタンス。
 彼女は結局、犠牲者でしかなかった。破戟≠フような明確な攻撃や侵略ではなく、ただ友達が欲しくて駄々を捏ねて起きた、まさに、ちょっとした出来事。
『お前にまで割り切れとは言わないが……その青年、面白いじゃないか。友達困っているから手を差し伸べただけでは、断罪も何もないな』
 くつくつと込み上げるような笑いが聴こえて、プリシラは苦い顔をした。
「本当に、なんなのだあの男は。あんなことするせいで……」
 ごにょごにょと口篭るプリシラ。向こうで怪訝そうな気配が伝わるが視線を泳がせた。
 見えないのをいい事に、すっと伸ばした手を自分の黒髪の上に乗せる。
「……真説、男に殴られたのも怒鳴られたのも初めてだ」
『なんのことだ?』
「気にするな、私とて愚痴ぐらい溜まる」
 プリシラはまた十円玉を入れ始め、話を変えた。
「再び現状維持か。まあ、局地的な話は纏まっているのなら、瞑らない目ではないな」
『別に構わない、例の彼女もお前の判断に任せよう』
 言葉を切って、プリシラは受話器を落とした。余計すぎるぐらいに出てくる十円玉を回収して、踵を返した。
 『侵蝕』を封じる神器使い。言うなればそれは異常を通り越して、オーラム・チルドレンの脅威と言える。
(……これで野放しに出来ない上に、制御が利かなくなった際の目付け役が必要になった)
 松葉杖を突いて歩き出しながら思う。
 今回の事件は、ハイネの謳い文句に見事にやられた。
(だが……)
 ふっと笑ってしまった。
 死人が出なかったのだ。これがかの青年の救いから生まれた結果なら、それもまた結末だ。
 見上げた空は、夏の入りらしい見事な快晴。
 プリシラはゆっくりとした足取りでアパートへの岐路を進みだした。

「…………………………」
 踵を返す。
 再び受話器を持って十円玉を入れてボタンを押し始めた。
 コールは一回。
『誰だ?』
「私だ」
『どうした?』
「……思わぬ出費で滞在費が底を突いていたのだった、もう少し金を貸してくれ」





                                                            FIN

2006/03/19(Sun)04:17:08 公開 / 祠堂 崇
■この作品の著作権は祠堂 崇さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
と言うわけで二作目が完成です。
今回のテーマは『信じること』、キーワードとしては『差し伸べる手と突き放す手』ですね。何気無くプリシラと恭亜の対話と、サラトの絡みについてはどことない接点が有ったような責められたら無いと言いそうな……。
文面見て解るひとは解ると思います。破戟≠ウんの実は女設定はかなりギリギリで決まったことです。ある意味アインシリーズ(まだ二作ですけど)で一番の『やっちゃった感』キャラの極致な人です。
実は二作目を勢いで書いている内に、三作目書こうか新作書こうか迷い始めました。
アインがいいか新作がいいか、迷いつつここで失礼させていただきます。
ここまで読んでいただいた方に、底無き感謝の思いを。
どんどん恭亜がやられボケキャラになりつつあることに恐怖すら抱く諸星でした。
かしこ。
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