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『アインの弾丸2 中』 作者:祠堂 崇 / リアル・現代 アクション
全角40666.5文字
容量81333 bytes
原稿用紙約133.85枚




 Bullet.V     断罪剣の掲げた正義


 1


 ズバン!!
 絹を引き裂いたような音が炸裂する。
 膜のような薄い紫煙の壁を突き破って入り込んだのは、深緑の軍服。
 ばさりとマントを翻して地面に着地した少女は、瞬時に視界を開く。
 中はまるで何事も無いかのように曇り空のオフィス街。紫煙の壁はどこにも見当たらなく、一見して異常はない。
 だが実際は因果の遮断を掻い潜って強引に入り込んだ異質な空間だ。廃屋街のように、いや、それこそ廃屋街よりも人間が居ないことになる。深淵の干渉性を持たない人間は、この空間から弾かれるのだ。
 消音のテレビを付けた薄暗い部屋のように、どこか緊張感を持った静かなオフィス街を、疾走する。
 半球の中心になる辺りを見定めて走る足が、大きな公園に入ったところで停まった。
 公園は噴水やちょっとした木製テーブル以外は質素なものだ。それでもあちこちに札のようなものが張り巡らしてあり、紅い魔方陣が描かれている。
 その中心に、敵は居た。
「……さすがニ、感付くのが早いナ。さすがは月読の名を持つ組織だけのことはあル」
「黙れ。そんなちまちまとした陣取り合戦しか出来ないのでは天照の名に恥だな」
 両者の牽制は刺々しい空気を一瞬で創り出す。
 鈍色の巨躯を誇る西洋甲冑の男は、くぐもった声で言う。
「さりとテ、何者カ」
「名を問うならば己が名を説け、無礼者」
 少女の言葉に、甲冑の男はしばしの沈黙。だがやがて口を開く。
「それは済まなかっタ。我の名は劉=飛牙(りゅう ふぇいあ)と言ウ」
 甲冑の男は鎧の重量など全く気にせず歩き出す。ずしりと重い一歩を繰り返して、紅い魔方陣から出た。
「私の名はプリシラ=グロリオーサ。挨拶はこの辺にして貰おうか、ここで何をしている?」
「見て判らない訳ではないだろウ?」
「さしもABYSSを討つために生まれ出でた組織が、ABYSSを呼びかねない行動を取るとは」
「堕ちたと思うカ?」
「ふん、情緒の無い者だな……まあいい。かの紅姫≠ナないのなら単刀直入に言う、ここから出てゆけ。今すぐこの因果遮断を解くならば得物までは抜かん」
 威圧を放ち合う二人の異質。
 やがて、甲冑は答えた。
「断ル」
 その言葉が引き金になって、少女の気配が殺意に似た力を発した。
「イヴィルブレイカー!!」
 刹那、怒号と共に少女の手元が揺らぎ、巨大な両刃剣が現れる。
「押し問答を続けるつもりは無い! 因果の崩壊に繋がる遮断、力ずくで瓦解する!!」
 大剣イヴィルブレイカーを振り回し、肩に背負うようにして剣をかざす。
 男は体勢を低くし、武道家のような構えをした。
「破戟=A参ル――!」





 公園は公園でも、こっちは児童が遊べるようにジャングルジムや滑り台、砂場といった遊べる場所が設けられたこじんまりとしたものだった。
 特に昼下がりの公園を占拠する子供や主婦は居ないらしく、まばらに人の通るだけの据付ベンチに腰掛ける姫宮恭亜はただ俯いて考えていた。
「アイン、なんなんだよ……」
 結局自分がしてやれることが無いのは、どうにも出来ないことなのか。
 それが悔しくて、恭亜は打ちひしがれるように考えようとするが、思考は全く働かない。
 彼女に拒絶されたことから、それをありありと感じてしまっていた。
 隣りにちょこんと座り、足をぶらぶらとさせていたサラト=コンスタンスはヘッドホンを耳から外す。どうでもいいが、凄い爆音で聴いてるんだなと恭亜は思った。隣りにいるだけで曲が何か判ってしまうほどの音量で、それでもサラトは平然とリズムに乗っていた。
「恭亜、元気ない。さっきの人達は恭亜のトモダチ? アイン、ってあの人のことでしょ?」
 友達。
 それを聞いた恭亜は、ふと気付く。
 結局、それこそが%人を繋ぐものだったのじゃないか、と。
 曖昧な立場であることに焦燥することがおかしいのに何故気付けなかったのか。初めから酷く曖昧で、柔風にすら掻き消える蝋燭の炎のような間柄だった。それだけの、ことだったのだ。
「……なにが、仲間だ。俺はあいつの何を判ってやれたんだろうな」
 組んだ手に、力を込める。
 アインの仲間を気取るくせに、アインの記憶が無いという事実をちっとも知らなかった。格好いいとか綺麗だとか、そんな外見を見て物事を捉えようした。これはそのツケだ。
「もう、やめよう」
 小さく、呟く。
 きょとんとした顔で首を傾げるサラトに、恭亜は努めた微苦笑を浮かべる。
「友達、だと俺が一方的に思ってた人だったんだ、あの銀髪の子。でも、結局思ってたのは俺だけで、俺は何も判っていないくせに踏み込もうとしたんだ」
 故に傷つけた。
 だから、
「俺が、あいつの意味を知る資格は……無い」
 誰一人護ることも出来ない姫宮恭亜=B
 それは、外れた世界を生きる者に変わっても、同じまま。
 最低なほど優しかった過去を捨てて、成り果てた自分は最低なまでに残酷な選択を無自覚にする悪魔になった。
 だからこれは、報いなのか償いなのか判らないけれど、決めたことだ。
「俺には、誰も……………護れない」
 悔しい。
 こんなことを判らされることなんて、死にたくなるほど悔しくて、哀しい。
 でも、恭亜にはアインは救えない。ただ、傷つけるだけだ。
 苦虫を噛んだような顔をする恭亜の横顔をじっと見ていたサラトは、そっと両手で恭亜の顔を振り向かせる。
「恭亜、いい人。恭亜本気で悩んでる。嘘じゃない苦しみを感じてる。本当の自分をさらけ出せる恭亜、サラトは好き」
「……」
「恭亜、アインって人とトモダチやめるなら、サラトとトモダチなろう」
 サラトは真摯な面持ちで言う。
 時に無邪気に、時に無知に、だけど時に真実のままに口を開くサラト。
「サラト初めて。ただ近寄りたいから、ただ触れたいからサラトに嘘っぱちの声を掛ける人大勢いた。でも恭亜は違う。恭亜はいっつも本当を目の当たりにして、嘘を吐かない。時々誤魔化そうとするけれど、仕方が無い嘘しか吐かない。そんな人は男の人で初めて。だから好き」
 異性としての告白に近い言葉に、少しだけ恭亜は驚くが、すぐに頬に触れている柔らかい手を離させる。
「俺には誰も判ってやることは出来ないよ、誰も知ってやれない……」
「違うよ、トモダチは一生のモノだもん。きっとアインって人は違かったんだよ」
 どこまでも純粋に愛しく想えるサラトに、恭亜はふっと疲れたような笑みを浮かべた。
「……ありがとう、こんな俺でいいのか? 情けなくて、自分で自分を捨てたくなる」
「ダメだよ恭亜、恭亜はいい人だよ?」
 にぱっと零れるような笑みを浮かべてサラトはベンチから立ち上がる。
 くるりと向き直って、サラトが両手を開く。
「恭亜、サラトのトモダチになって!」
 愛くるしい、こんな癒しがあるなら恭亜も満更じゃなかった。
 本気で恭亜のことを判ってくれる少女に、恭亜も苦笑気味に笑って頷いた。
「ああ、友達になろう」
「ほんと!? やったぁ♪」
 頬を染めて嬉しそうにジャンプするサラト。
 恭亜は今を決別するために、立ち上がろうとした。ひとまず、ゲームセンターとやらをこの目で見てみようとした。
 忘れよう。もう恭亜はアインやプリシラの世界には踏み入れることはできない。
 そうしてベンチから立ち上がるために頭を下げたとき、サラトが嬉しくて仕方が無いかのような声で言った。

「じゃあ、これで恭亜は永遠にサラトのモノになるんだね♪」

「……え?」
 顔を上げた瞬間、こじんまりとしていた公園は異質に呑み込まれていた。





 振り上げた大剣が地を抉る。その衝撃は凄まじく、張り巡らされていた札が弾け飛ぶ。
 破戟≠ヘ一瞬だけ懸念を抱いたが、中点を司るとはいえ四方の『塔』を司っている陣形さえ崩されなければいくらでも創り直せる。当面は邪魔し続ける相手を潰すこと。
 ばさりと風で煽られたマントの中は姿態のラインが出る黒いタンクトップのようなものを着ていた。それを見てというわけではないが、お世辞にもあんな化け物武器を振り回す豪腕があるとは思えなかった。
「どうした破戟≠ニやら! 騎士が劣勢とは嘆かわしいな!」
 罵声ではなく、ありのままの感情を言の葉に乗せる。蔑みではなく、その視線は『攻撃してこい』だった。
 一気に振りかぶった大剣の重みを利用して、跳躍。綺麗に舗装されているアスファルトを砕いて、地を這うように大剣を滑らせる。
 燕のように大剣を振り上げ、破戟≠フ頭部を狙う。
 破戟≠ヘ巨躯を退いて斬撃をぎりぎり避けるが、
「甘い!」
 プリシラのソプラノが一喝。
 ず、どん――!!
 アスファルトを踏み砕いてしまいそうなほどの踏み込みが炸裂する。
 その足から伝わる衝撃を使って大剣を力任せに振り上げる。
 破戟≠ヘ両腕をクロスさせて防ごうとしたが、あろうことかプリシラの手から大剣がすっぽ抜けた。
 分厚い鉄鋼を穿つ要を捨て去ることに驚愕した破戟≠フ足元で、プリシラは地面に顔がつくほど体勢を低めて破戟≠フ無骨な足首に手を添える。
「――っ破!!」
 掌低を穿つ。
 破戟≠ノではなく、破戟≠フ足元の地面を。
「むッ……!」
 地面に奔る衝撃で一瞬だけ破戟≠フ体勢がぐら付いた瞬間に体当たりを掛けるプリシラ。
 完全に倒れ込んだ甲冑は重みに見紛うことなく、ずしんと衝撃を作り倒れる。
 上体を起こそうとした破戟≠フ肩を、プリシラが踏みつける。
「これで終いだ」
 冷徹な言葉。
 破戟≠ヘ気付いた。
 上空に投げ出した大剣イヴィルブレイカーが、切っ先を向けて振ってくる。
「絶対正義の名の下に」
 胸元で十字を切るプリシラ。
 大剣が狙っていたように破戟≠フ首へ落ちてゆく。
 だが、仰向けで倒れる巨大な甲冑から、深い溜息が漏れた。
「……千の戟槍は我の前では破られル、故に我が真名は破戟≠ネのダ」
 刹那、プリシラは予想外の出来事に目を剥いた。

「―――――――インペリアル・シェル」
 ガン!
 首元を突き刺すはずの大剣は、何もない空中で弾かれて£n面に落ちた。

「な、」
 言葉を無くしたプリシラの足を掴み、破戟≠ヘその太い腕にこそ見合う怪力で投げた。
 プリシラは地面に身を投げ打つが、すぐに回転して勢いを殺し体勢を直す。
 既に立ち上がっていた破戟≠ヘ、甲冑の装着具合を見るように片腕を診ている。
 その動作こそ彼女には侮辱の域であったが、プリシラは何が起きたのか判らずに警戒していた。
「何だ今のは……!?」
「なニ、オーラム・チルドレンを名乗る以上神器と能力は付き物だろウ? これが我の神器、インペリアル・シェルの力ダ」
 甲冑の胸板を軽く叩く破戟=B
「その鎧が神器、アビリティ・アーティファクト(常時発動型)か……!」
「いかにモ」
「ちっ、迂闊だった……てっきり酔狂かと」
「……味方どころか敵にまで言われるとハ……」
 何故かうな垂れるような気配を見せる破戟=B
 プリシラは冷静を保ちつつ、足元のイヴィルブレイカーを見やる。
「拾っても構わないゾ」
「ほう、随分と自信があるようだな」
「そんなつもりはなイ、戦いにも紳士的にいきたいだけダ」
「……」
 好機を逃がす手は無いが、今の謎の防御が気掛かりだ。
 イヴィルブレイカーは正確に狙って落ちた。問題は外れたのではなく、何かに当たったように弾かれた≠ニいうことだ。
(空間を操る? いや待て、そんな強大な能力を神器に宿しているのなら、もっと早く攻撃に移せるはずだ)
 口振りからして泳がせるような戦いをするとは思えない。
 じりじりと大剣へ近づくプリシラ。腕を伸ばせば届く距離にも関わらず、破戟≠ヘ展示されている装飾鎧のようにぴくりとも動かずに待っているようだ。
 プリシラはイヴィルブレイカーを両手で掴むと、一気に距離を取った。
(妙だ。能力をひけらかす人間ではないと感じるが、何故危険な状態になるまで出し惜しみした?)
 思考を巡らせるが、何が起きたのか一瞬すぎて判らない。
 そうこうしている内に、破戟≠ェ動き出す。
「さテ、いつまでもここで汝と戦っている時間は無イ。女子供を傷つけるつもりは無イ、早々に立ち去レ」
「謳うな、騎士が戦を恐れて何になる……!」
「死ぬゾ」
「――、ふざけるなっ!」
 プリシラは大剣を振り回し、爆発にも似た衝撃と共に前進する。
「死を受け入れてこそ騎士の本懐! それを貴様は侮辱するかぁあああ!!」
 素人であれば心臓を潰されているであろう気迫を以って、プリシラは大剣を振るう。
 バットのように横に薙いだイヴィルブレイカーの切っ先が、破戟≠フ胴体に届く寸前に火花を発して弾かれた。
(剣、じゃない……今の感触は盾……!?)
 刹那、破戟≠フ左腕が振り上げられ、甲をプリシラに向けて振るった。
 破城鎚の如き風を巻き込んだ轟音がプリシラの頭部を爆砕しようとした直前、第六感のようなモノを感じたプリシラが一歩だけ下がっていた。鼻先を掠めるように過ぎていく豪腕を見て、プリシラはもう一度退こうとした。
 だが、
「インペリアル・シェル」
 くぐもった声。
 防御しようとしたプリシラは、急に足を止められた。
 なんせ、背後にあるはずのない壁にぶつかった≠ゥらだった。
「――っ!?」
 驚いて振り向くが、そこには何も無い。何も無いのに壁に背を預けるようにしていて、下がれない。
「まさか――」
 ふと過ぎった予感に戦慄した直後、すっと影が差す。
 ぎくりと見上げたそこには、甲冑の鋼の壁が立ち塞がる。
 大剣を振って蹴散らそうとしたが、
「インペリアル・シェル」
 声と共に、大剣が何か≠ノ引っ掛かって停まる。
「しまった……!」
 静止していた豪腕が、振り上げられる。
 咄嗟に片手を腹の前に持っていって拳を受け止めたが、あまりにも体勢が悪く、何か≠ノぶち当たった。
 バギン!
 何かガラスを突き破るような甲高い音と共に、プリシラは初めて背後に飛んでゆく。
 地面を転げ、なんとか体勢を立て直した。
 俯き、咳き込んだ瞬間、地面に紅い液体が散る。
「ご、っふ……! ……視えない壁、それが……」
「そうダ。これが我がインペリアル・シェルの不可視の防壁……破戟≠ェ誇る絶対防御ダ」
 破戟≠ェ指を鳴らした瞬間、虚空から薄い紫煙色の壁が姿を現した。
 半透明で膜のような壁で、大剣でなくとも簡単に突き破れそうに見えるが、体重を掛けたイヴィルブレイカーの一撃が利かない強度はとっくに予想できている。
 問題は視えないことと、
「グラヴィティローダー……」
 空間比重使い。
 オーラム・チルドレンの能力は千差万別。その中でも空間を操作する能力は扱いが難しいがその分性能は抜群に高い。《ツクヨミ》のリーダーである男も同じであり、座標や空気中の素粒子を演算して物体を創り出したり創り変えたりするタイプを言う。
 例えば、炎を操る能力者がいたならばそれはグラヴィティローダーに属する。空気中の水素と酸素に粒子加速を加えて摩擦を起こし、炎を創りだす。『無から炎を出す』というメルヘンではなく、『材料から炎を創る』というサイエンスだ。素粒子の流動計算が狂えば炎は全く生まれない。
 これはまさしくその使い手だ。空間に歪みを創って、そこに圧縮した空気の壁を割り込ませる手順だろう。物理的な物体の無い空間にしか創れない分、こんなただっ広い公園では明らかに有利だ。
 しかも、防御という攻撃性を持たない能力はプリシラにとって最も相性が悪い。防ぐという順を追うのはプリシラのイヴィルブレイカーも同じなのだ。
 プリシラは大剣を握り締め、前へ出る。
 瞬間、
「インペリアル・シェル」
 指を鳴らしたことに呼応して、紫煙色の壁が姿を消す。
 プリシラは横合いに軌道を変えて体勢を崩すように傾け、足を掬うように大剣を奔らせる。
 だが、ズガン! と堅い何かにぶつかり火花が散る。
 表情を歪ませてプリシラは壁がある目の前に立ち、真上から一気に大剣を振り払う。
 全ての体重を乗せた真っ直ぐ斬り落とす大剣は、強烈な一撃となって視えない壁に触れ、衝撃を伴って砕いた。
「ほウ、インペリアル・シェルを貫くカ。身内でも姫殿と鴉≠ョらいだと自負していたのだガ」
 だガ、と呟いたことで、プリシラの心臓が跳ね上がる。
「これはどうすル?」
 瞬間、空気が変わったことを感じた。
 プリシラを拒絶するように連なる壁。
 全力で一枚を破壊するが、勢いをほとんど奪われた大剣では二枚目にあっさりと弾かれる。
 びりびりと手が痺れる。もうあまり消耗戦は出来ないと踏んだプリシラは、懐から浅黒い物体を取り出す。
 握り拳ぐらいの丸いそれは、上部に輪の付いたピンが刺さっている。
 それを引き抜いて、プリシラは二人を挟む上空に投げる。
 直後、閃光が炸裂した。
 爆音と共にそれは数秒続く。
「音響閃光手榴弾カ!」
 甲冑の目の部分を腕で防いで、爆発的に視界を焼く光が収束するのを見計らって身を乗り出す。
 そこには、プリシラの姿が無い。
「何処ニ――」
 その時、地面に影だけがあり、それがこちらへ近づいているのが見える。
「上カ!!」
 見上げたそこに、深緑の姿。
 大剣を振り上げて両手で握りしめ、プリシラが全力の一撃を放つ。
「喰らえぇえええっ!!」
 巨大な大剣と巨大な甲冑。双方の神器がぶつかり、爆風が砂塵を巻き起こした。





 2


 蓮杖アインは一人廃屋街へと続く小道を歩いていた。
 自分が出来ることを探すでもない。向かったところで、プリシラが居るのだから邪魔になるだけだ。
 過去の記憶がない。
 それに負い目を感じたことはなかった。記憶が無いことへの虚脱感は確かにあったが、それは時が過ぎてゆくにつれて漠然としたものに変わってゆく。
 だから、辛いと思ったことは一度も無かった。
 姫宮恭亜にそれを知られる、それまでは。
 どうしてなのかは自分でも分かっていない。
 ただ、プリシラが恭亜に自分の過去が無いことを暴露されるのが、堪らなくなった。
 不快や嫌悪じゃない。どこか、もどかしくて、嫌だった。
 押し込んでいた箱から流れ出て欲しくないモノが滲んでくるように、心が痛い。
 足を挫きかけてよろけたアインは、家の塀に寄りかかる。
「ウチは……」
 誰だ。
 いつもそう考えてしまう。
 記憶を無くした自分がなんなのかを知らない。気が付いた時にはハイネの医療施設の白い病室に居た。
 自分が誰なのか、それすら知らない彼女を、ハイネは『アイン』と呼んだ。なんでも、首に掛かっていたチェーンの先に付いているネームプレートに、EINと彫ってあったかららしい。蓮杖は後から考えてくれた苗字だ。
 ただ、それだけでしかない。
 蓮杖アインの情報が、あまりにも不足している。誰が親なのかも、自分が何をしていたのかも、どうして自分がオーラム・チルドレンになっているのかも憶えていない。
 それが、今になって彼≠ノ知られるのが、恐かった。
 何故か、それは判らない。でも、恐かった。
 淀んだ何かが胸を焼く苦しみに、虚ろな目をして歩き出したとき、背後に人の気配がした。
「――、」
 一瞬、彼≠ネんじゃないかと振り返った先には、
「あらあらぁ〜、背後から『だ〜れだ』作戦が失敗してしまいましたねぇ〜」
 以外な人物が立っていた。





 爆風によって舞い上げられた砂塵が、柔らかく過ぎる風によって薙がれてゆく。
 公園は戦場らしく、地は割れ木々は倒れあちこちに斬撃と爆砕の痕が出来る。
 そうして砂塵の晴れたそこに居たのは、

 破戟≠ノ、片腕を掴まれたまま吊るされる、プリシラの姿。

「っく……!」
 プリシラは空いた左手で拳を作り、破戟≠フ顔を殴る。
 だが、いくら人並以上の力を持つプリシラでも、鋼の甲冑を殴って傷を付けられるわけではない。
 くぐもった声は、鼻で笑うようなもの。
「ふフ、いくら汝でモ、大剣を持たずして我を攻撃する手段は持たないだろウ」
「しまったっ……イヴィルブレイカーが……!」
 衝撃のぶつかり合いで、プリシラの手には大剣が無い。
「得物を失った汝でハ、我には勝てないゾ。この鎧、インペリアル・シェルが障壁よりも強固であることを失念したナ」
 ぷらん、と浮いた状態で、プリシラは苦虫を噛んだような顔で睨みつける。
「今一度言ウ。失せロ、そうすれば命までは奪わン」
 その声には、怒気も嘲笑もない。恐らく従えば、本当に無事に帰してくれそうだ。
 だが、それは許さない。
 プリシラが己に課した、絶対正義が許さない。
「……、ふん」
 鼻で笑い返したプリシラを見据え、破戟≠ヘ右手で拳を作った。
「その心意気や善シ!」
 風を裂いて振るわれた文字通りの鉄拳が、プリシラのか細い腹に突き刺さる。
 かは、とプリシラは息を吐き出し、苦悶の表情をする。
 破戟≠ヘ、もう一度だけ言う。
「退ケ、我に女子供を殺させるナ」
「……」
「我が真意は自衛、己が身を守り抜くが故に生き残ル、汝の言う甘い考えで構築された世界ダ」
 だからこそ、空間を押し出して歪みを生み障壁を創る能力と、神器そのものの装甲性能を持つ力だ。
 ただの一度も他人を護るために使ったことの無い、在るべき世界をそこに縛り続ける力。
「踏み入る世界に拒絶の壁ヲ。退ケ、我が領域を去れば命は取らなイ」
「……」
 睨みつけて無言に徹するプリシラの頬に、拳が飛んだ。
「がふっ……!?」
「次ハ、手加減しなイ」
 顔を俯かせるプリシラ。
 数秒の沈黙の後に、ぽつりと呟いた。
「……右の、頬を……打たれたら」
「?」
「左の頬を差し出せ……」
 すっと上げた左手で人差し指だけを立ててクイックイッ、と挑発する。
 口の端に血を滲ませて、邪悪とも見て取れるギラギラとした笑みを浮かべてプリシラは言った。
「私を誰だと思ってる? 衣服を焼き精神を穢し肢体を犯そうとも、貴様の軍門に降るなど正義に離反する……!」
「……真正、恐ろしい騎士道。狂気にも似たその強さは感服に値すル!」
 ぶぉん! と振り上げられた拳が、顔に腹に腕に、容赦無く飛来する。
 腕を殴られて痺れ、
「ぐぅ……!」
 腹を殴られて吐血し、
「ふ、ごっ……!」
 顔を殴られて、
「がはあ……っ!」
 左右で結っていたゴムが、切れて地に落ちた。





「どうぞぉ〜、粗茶ですがぁ〜」
 といって差し出した缶を受け取る。
 ……缶コーヒーだったが。
「ども」
 手に伝わるひんやりとした感触。
 それを見下ろしてから、視線を上げた。
 道端に据え付けられている自動販売機から、またボタンを押す。自分の分だろう。
 と思ったが、出てくる銘柄に驚くアイン。
「……、梅ソーダっ?」
 どんな味なのか未知数すぎる中身だが、なんの躊躇いもなく飲み慣れた風にプルタブを開けて口を付けた。その表情はちょっと恍惚めいていて、思わず背筋が凍った。
 口を離して吐息を一つ。
 それから、小早川沙耶は振り返った。
 アインも開けてから、一口啜って唇を潤わせる。
 とはいえ会話が見当たらない。呑気に喋ってる暇はないということもあるが、担任と生徒という間柄にしてはほとんど言葉を交わしたことはなかったので、半ば緊張していたのだ。
 ある意味、孤高の権化よりも話しにくい。元々会話が好きではなかった。一人が好きというより、会話の量で面識が該当すると思ってないので、話さなければならない空間がアインにとって何よりも難しい。
 だが、それを知ってか知らずか、沙耶は微笑みを浮かべて声を掛けてくる。
「今日はどうしたんですかぁ〜? お散歩にしてはぁ〜、顔色が優れなかったようですがぁ〜」
 春の陽だまりのような笑み。ワンピースの上からカーディガンを袖を通さずに羽織った深窓の御嬢様風体と相まって、ふんわりとした雰囲気をかもし出していた。
 余計にアインは戸惑う。今まで見たこともない雰囲気だ。鵜方美弥乃がこれに似ているが、彼女とはまだ距離感があるのに対して、こっちはモロに踏み込んでくる。
「……別に」
「そうですかぁ〜、ところでぇ〜、補習課題は終わらせましたでしょうかぁ〜」
「……ま、だ」
「ほほぉ〜」
 今の『ほほぉ〜』には実際には物凄いプレッシャーが掛かっていて、そういう類に敏感なアインはぶるっと震えた。
 こく、と一口。ひんやりとしたコーヒーの味が胃腑に染み渡る。
 どこかに座る場所も無いので、二人はその場で缶の中身を減らしてゆく。
 本当に、何をしているんだろう。
 自分でも訳が判らない。
 そんなアインの無言に、沙耶は少しだけ一瞥してから、ふと口を開いた。
「……恭亜君ですかぁ〜?」
「えっ、」
 目を丸くするアイン。
「それとも美弥乃さんですかぁ〜? あの二人と最近仲が良いようなのでぇ〜」
「……」
 思わず動転したが、すぐにそれは『友達との友好関係』の質問だった。アインにとっては、まさにどうでもいい問題だ。いや、友達というものに興味は無かったし、今更欲しいとは思わない。
「別に、ウチに友達なんて……おらへん」
「あらあらぁ〜、そうなんですかぁ〜」
 少しだけ落胆めいた声色になる沙耶。
 なんで、という視線に気付いて、危険な飲み物を一口飲んでから曇り空を仰いで答える。
「いえぇ〜、実はぁ〜、四人が退院した直後に提出するように言った課題をぉ〜、みんなでやろうと約束しているらしいことをぉ〜、小耳に挟んだのでぇ〜」
「……誰に?」
「城嶋さんですぅ〜」
 誰だそいつは、とアインは視線を虚空に向けて心の中で舌打ちした。クラスメイトなのに全く憶えられていない城嶋明海(じょうしま あけみ)がどこかでくしゃみをしたのか、定かではない。
「何かあったのではないですかぁ〜? 先生としてはぁ〜、教え子の悩みバスターはぁ〜、使命ですぅ〜」
 のんびりとした口調で、しかし嫌な気はしない。
 じっと見つめてしまっていることに気付いたアインは慌てて視線を逸らした。母親というものが定義されるなら、きっとこんな風な女性なんだろうなと思ったのだ。
 頬を染めてコーヒーを飲み、アインはふと思ったことを訊いてみた。
「本当のことを知られるのは……」
「……、」
「辛いこと、やと思ってる。明け透けなく言われるんは腹立つけど、せやけど……今回はちゃうんや」
 滔々と、地面に転がる小石を足先で弄りながら、アインは言う。
「なんでかよぉ判らへんけど……アイツにそれを知られるのが、気持ち悪かった。触れて欲しくなかった」
「それはぁ〜、追及されるからですかぁ〜?」
 幾分か沙耶の声は窺うようなものになる。
 アインは首を横に振った。ぼさぼさに伸びて目元を隠す白銀の髪が、一緒に揺れる。
「ちゃう。アイツは『なんで?』って訊いてきたけど、それは『何を黙ってたか』やのぉて『どうして黙ってたか』やった。正直に言わへんかったウチが悪い」
 だからちゃう、とアインは呟く。
「傷つくかも知れへんから、って思った。知り合いに甘いって言われたけど、ウチもどうしていいか判らへんねや」
 く、と缶を強く握り締める。
 黙ったまま視線を落とすアインを見つめ、沙耶は静かに口を開いた。
「……蓮杖さんはぁ〜、その気持ち悪いのがなんなのかぁ〜、判っていますかぁ〜?」
「え?」
 沙耶はぐっと缶の中身を全て飲み干し、それを片手で握り潰してゴミ箱に捨てた。アインにも出来る芸当だが、こんな太陽みたいな人物がスチール缶を涼しい顔で潰すのは正直びっくりした。
 正面を向いて立つ沙耶に根負けしたように、アインは俯いて首を振る。
「……知らへん」
 心臓の中にゲル状の液体を流し込むような、ぞわぞわとした感触が全身を撫で回すような不快感。アイツに自分の空白を知られたくないという感覚が、気持ち悪い。
 ふっと笑って目を伏せた沙耶は、答えた。
「それはぁ〜、恥ずかしい≠フ裏返しなんですよぉ〜」
「――、」
 顔を上げると、沙耶がまさにふんわりとした笑みを浮かべていた。
「ドロドロした感触がもどかしいのでしたらぁ〜、もし恥ずかしいと思ったらぁ〜、」
 近づいて、栗毛の三つ編みを胸元に垂らした綺麗な女性は耳打ちする。
「――をすればぁ〜、万々歳といくでしょう〜、男の子限定ですけどぉ〜、蓮杖さんは可愛いので許されるでしょうねぇ〜」
 楽しそうに笑い、面白がるようにステップを踏んで距離を取る。
 囁かれた言葉に放心していたアインは、不意に違和感を肌で感じ取って弾かれたように遙か向こうを見つめる。
 そこは、雲ってはいても陽光で白んでいる色とは程遠い、雨雲が立ち込めていた。局所的な場所すぎて、どうみても異常と判る。距離からして、オフィス街じゃない。
(まさか、)
 スカートのポケットを外から触れる。そこに入っている探知神器が、びりびりと震えているのが感じられた。
(《アマテラス》!?)
 歯を食いしばり、薄暗い雲を睨んでいたアインの背後で、沙耶も空を仰ぐ。
「今日も酷い天気ですねぇ〜、それでは先生はこれにて帰らせてもらいますがぁ〜、頑張ってくださいねぇ〜」
 アインが振り向くと、沙耶はゆっくりとした足取りで去ってゆく。
 背中を見つめて、アインはコーヒーの中身を全部一気に飲み干してからゴミ箱を見ずに投げて走った。
 宙を舞う空き缶は、綺麗にゴミ箱に入る。










 少女にはトモダチが居なかった。

 彼女の言うトモダチ≠ニは真実を隠して偽りの言葉を刃にしてしまう人間以外のことを意味した。
 少女は真説、人を疑うことを知らなかったから。
 近寄る者全てを恋し、語られる言葉総てを愛し、ただありのままを判って貰うことで、自分は赦されると信じていた。
 少女はだから純真だった。
 綺麗な想いを決して離さない。そうすることで傍らの誰かは必ず信じられると思っていた。

 だが、少女にトモダチは出来なかった。

 ある日、少女が外れた世界を背負ってさえも純真を求め続けたことで、少女の意味合いが狂い始めた。
 少女の力は、人を信じる力だった。
 それが少女を永遠に苦しめる。
 少女に歩み寄る人々の言葉は、残酷な真実をどれだけ巧妙に隠しても少女を傷つけた。
 何故なら、少女の力は信じることだったから。
 あまりに強制的すぎて、言葉に隠れる真実さえも知ってしまう@ヘだったから。

 そうして、少女からトモダチは去っていった。

 嘘。
 それは、少女を拒絶する者の心を、ありのまま少女に伝える刃。
 故に、少女は初めて知った。
 全ての人間は、総ての言葉は、彼女を利用しようとするためだけに届くと知った。
 猜疑という、少女の存在意義を否定する感情を、彼女は知ってしまった。
 誰よりも人を信じられる少女。
 誰よりも人を信じていた少女。
 そうして彼女は拒絶と猜疑の狭間に揺れる朧気な純真を繋ぎ止めていた。
 いつしか本当のトモダチが手に入ると信じて、
 手に入るトモダチを決して放さないと誓って、
 少女は、だから嘘を許容した。
 何よりも彼女を傷つける嘘を、認めた。

 そうすることで、少女は嘘をついてでも彼女を護ろうとするトモダチに巡り逢えた。

 男の人なのに綺麗な顔で、
 優しくて悩みがあって、
 自分を犠牲にしても誰かを護りたいと嘘でなく想う、
 そんな人。
 少女の求めた信じられるトモダチ。
 だから、放さない。
 いつしか本当のトモダチが手に入ると信じたから。
 手に入るトモダチを決して放さないと誓ったから。
 彼女は一人、世界に佇む。
 在るべきそこは、【純真世界】。
 そう。
 善にも悪にも一つの嘘。
 彼女の名前は善悪一=B





 3


 静かな公園。
 他者の介入の許されない異界で、二人の作る一方的な苛虐が続く。
 片腕を掴まれて持ち上げられた状態の彼女は、そのせいで左腕でしか防げないのだが、相手との腕力からして明らかに差が出来ている。
 それでなくても、破戟≠ヘ甲冑の神器インペリアル・シェルで全身を覆っている。拳で殴りつけても傷つかないのに対して、岩の塊のような手甲が容赦無く少女の柔肌に食い込む。
 裏拳気味に振るわれた攻撃が、下腹部に突き刺さる。
「ぶ、ごふっ!」
 幾度となく衝撃を受け、遂に胃が破裂したように少女の口腔からおびただしい血が爆ぜた。
 顔も腹も血だらけになって、黒い髪が解けて俯いてぐったりとした少女の顔を隠す。
 足元に降る鮮血が小さな泉のように流れる。
 誰がどう見ても絶望的な、もはや拷問に掛けられたような光景。
 サンドバックのように華奢な身体が揺れている。
 だが、破戟≠ヘ口を開く。これで死んだと思っては騎士に対する侮辱と判っていた。
「何故、そこまでして戦ウ? 己が身を滅ぼそうとも剣を取るのカ」
「……」
「自衛が真意の我が高説を口走るのは法度だと我でも分かル。それでモ、」
「――のだ」
 小さく、内腑を傷つけられ喉元を潰されたような脆弱なソプラノが紡がれる。
「戦うことで、しか……孤高を背、負う意味が……ない……………それ以上、に……私に、は」
 ぎり、と歯軋りし、少女は顔を上げた。
 血に塗れた可憐な顔を炎のように滾らせて、吼える。
「私に、は……ここで立ち止まる訳にはいかない理由が、あるんだ!!」
 瞬間、ぎくりと身を強張らせたのは破戟≠セった。
「……待テ。汝、今……孤高と言ったかッ?」
 甲冑の隙間から少女を見据え、顔を少しだけ上げる。
「【孤高世界】……ッ! 汝ハ――」
 そこでやっと、破戟≠ヘ知る。
 砂塵も落ち着いた公園。
 砕けた地面。
 吹き飛ばされた呪符。
 傷だらけの少女から流した血と、魔方陣の禍々しい紅が調和したその周囲に、有るべきモノがない。
 大剣イヴィルブレイカーがどこにも無い。
「まさカ、」
 振り向いたそこで、垂れた黒髪から覗く、血を流す口元がせせら笑う。
 まさか、と破戟≠ヘ息を止めた。
 彼女は神器を取りこぼしたのではなく、初めから狙って深淵に戻した≠フだとしたら。
 この少女の世界の真意が孤高だとしたら。
 あの<Iーラム・チルドレンだとしたら。

「殺生等価に不問が常」
 少女は唱える。
 確たる正義の大剣の名を。
「故に真意は孤高」
 少女は唱える。
 酷たる戦場を駆ける如く。
「欠けし忠義に滅殺を」
 少女は唱える。
 最たる信念が貫くがために。
「即ち――、断罪」

 そして、少女はオーラム・チルドレンの名の元に、鋼の切っ先を天へ掲げるように、その力を熾した。
「イヴィルブレイカー」

 ズドン!!
 衝撃は一閃。
 張り詰められたピアノ線のように奔る一撃が、破戟≠フ腕を掠めた。
 爆発的な風の滞留と同時に穿たれたその『一撃』こそが、強固随一と謳われる破戟≠フ装甲インペリアル・シェルを貫き、少女を拘束していた左腕に傷を創った。
「ぐッ、ああぁア……ッ!?」
 物理的な筋肉の弛緩を強制され、手を緩めてしまう。少女はその隙に距離を取った。
 破戟≠ヘ障壁を創って少女の間合いを封ずることも出来たのに、それを仕損じた。
 それはひとえに、絶対にこの距離での大剣がインペリアル・シェルに傷を付けられるわけがないと信じきっていたため、それを破壊されて腕に傷が出来たことに驚愕して空間の演算が出来なかったからだ。
 そうして大剣の間合いどころか、数十歩に及んで離れた少女は佇んだ。
 深緑の軍服は鮮血と殴打によってズタズタに痛み、黒髪はぼさぼさに乱れて肩に掛かっている。
 小学生と中学生の間ぐらいの、ほんとうに戦いの似合わなさそうな小柄な姿には、強烈な力が放たれている。
 強く、
 強く、
 決して迷わない。
 そして、彼女が誰であるのかを知った破戟≠ヘ、戦慄する。
「馬鹿ナ……! 【孤高世界】、汝はまさカ!」
「そういえば、私のほうはまだ真名を言っていなかったな……断罪剣=Aと言えば少しは聴こえが良かろう」
「汝があの《ツクヨミ》のナンバー2……!」
 そして、彼女が誰であるのかを知った破戟≠ヘ、後悔する。
 少女――断罪剣≠ヘ口元を拭い、血を払う。
「十八……今のを差し引いて、十五撃か」
 言葉にぎくりと身を強張らせる。
 もし彼女が断罪剣≠ネらば、一撃で殺さなかったことこそ破戟≠フ敗因なのだ。
「その様子ならば私の能力は知っているようだな……イヴィルブレイカーは、持ち主が受けた傷の回数と大剣の威力の倍率が比例する#\力を持つ」
「カウンター、能力……ッ」
 その力は、他者の暴虐性を穿つ能力。
 術者が相手から傷を受ければ受けるほど、それに比例して大剣の攻撃力が倍増する痛み返しの能力。
 一方的な攻撃を封殺する、究極の諸刃の剣。それが、イヴィルブレイカー。
 《ツクヨミ》の二番手を担う戦闘のプロフェッショナル。
 こんな年端もいかない少女がそれだと思うと、破戟≠ヘ《ツクヨミ》の底知れなさに恐怖すら抱いた。
「さて、」断罪剣≠ヘ髪を掻き上げて、不敵な笑みを浮かべる。「問おう。去るならば命は取らんぞ?」
 逆転をしたかのような物言い。
 事実そうであることを知っている破戟≠ヘ、それでも自衛を求める自分がどうするべきか逡巡した。
 自衛を取るならば、今すぐ降伏するべきだ。
 だが、
 目の前の少女は、自衛どころか己の身が危険に曝されようとも厭わない孤高の世界の住人が、逃げなかったのだ。
 そんな中で、自分は、退けない。退けるわけがない!
「我は破戟@ォ=飛牙! この身滅ぼそうとモ、退けヌ!」
 断罪剣≠ヘきょとんとした後、ふっと力なく微笑んだ。
「それもまた、強い意志だ」
 ぶぉん! と振り上げられた大剣を掲げ、一気に振り落とした。
 破戟≠ヘ総ての力を振り絞り、余力など残すことなく障壁の壁を何重にも何重にも創り出す。バズーカですら貫き切れない絶対防御を、オーラム・チルドレン破戟≠フ総てを。

「穿て、イヴィルブレイカー」

 二倍。
 三倍、四倍。
 五倍、六倍、七倍。
 八倍、九倍、十倍、十一倍十二倍十三倍十四倍、
 十五倍。
 障壁を、なんの能力も使わずに一枚破壊する重量大剣が、十五倍にも膨れ上がって斬撃を創る。
 曙光にも似た山吹色の閃光が刃となり地を薙ぎ、障壁の連なりに衝突する。
 だが、それはあまりにも強力すぎた一撃は、一枚目の壁はおろか次々と障子を貫くように粉砕し、
 そして、
 装甲インペリアル・シェルを切り裂き、歪ませ、周囲の地面を陥没させた。





 手元の大剣は、主の意を汲み取ったように虚空に滲んで消える。
 甲冑を、肩口から腰元にかけて切り裂かれ、そこから血が吹いている破戟≠ヘ、べっこりとへこんだ地面の中央で膝を突いていた。
 倒れることもなくこんな体勢をしたままの人間はそうそういない。執念から辛うじて膝を突くだけに留まったのだろうと断罪剣≠ヘ思う。よほど耐え切るつもりだったらしい。
「……右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」
 ぽつりと呟くように、キリストの賛美歌を謳う断罪剣≠ヘ口元の血を親指で拭いきり、勝者としての威厳溢れる気配を放ちながら鼻で笑った。
「私の頬は、タダで殴らせてやるほど安くはない」
 言葉すら勝者のような誇ったもの。思わず破戟≠ヘ苦笑を漏らした。
 その直後、鎧の端々が灰のように爆ぜ散る。常時発動型と言っていたが、断罪剣≠熹磨Xとこの男の神器は違うと気付いていた。アビリティ・アーティファクトはまさに自分の肉体と同じモノだと思い込むという。先の戦闘の最中のように、そうそう神器の自負や自慢はしないからだ。
 酷使した神器が一時的に深淵に還ることで、中の人物の姿が露わになる。
 素顔を見た断罪剣≠ヘ表情こそ変えなかったものの、声に少しだけ動揺が出てしまった。
「……そうか、神器によっては特殊な弊害の出るものも有ると聞く。貴様の場合は声質だったのか」
 目を伏せ気味にして、断罪剣≠ヘ見下ろしながら呟いた。
「男と戦っていると思い込んでいた……」

 そこに膝を突いて座っているのは、女性だった。

 妙齢の美人。黒くしなやかな髪を切り揃えた、和服の道着とスパッツを着た軽装の女性が、口の端から血を流してこちらを見上げていた。
 さすがに鎧の防御があったのか、皮膚を切り裂くことはなかったらしく死ぬことはなさそうだ。それでも十五撃分も倍返しされた衝撃が内臓にダメージを与えているらしく、日系の綺麗な相貌が苦悶に歪んでいた。
「知っているのは極一部ダ。出来ればこの事は黙っていて欲しイ」
 神器の弊害がなくなったことで、打って変わったせせらぎのような澄んだ声。片言なのは、名前にある劉=飛牙が偽名でないことを裏付ける。
「言い触らす気にもならん。貴様のような美麗の女ならば、真意が自衛も頷ける」
 破戟≠ヘすまなさそうに暗い苦笑をした。
 女だからこその傷つき方。それが破戟≠生み出した原初だ。
 ただの一人も拒絶する。彼女の場合、きっかけは男が相手だったということである。それは、勝者であろうとも触れてはいけないことだと断罪剣≠ヘ判りきっている。
「インペリアル・シェルと言ったか。得物に感謝するんだな、殺すつもりで斬った」
「構わなイ、我……ワタシもそれは承知の上だっタ」
 断罪剣≠ヘ少しだけふらっときた足を心中で叱責し、振り返る。
 それに気付いた破戟≠ヘ、しかしまともに動けずに口だけを開く。
「殺さないのカ」
「ああ」
「何故ダ、ワタシが女だからなどとほざくなヨ?」
「謳うな。与える死に意味が無くなればただの殺戮だ、それは私の正義に離反する。どの道、その傷と神器が深淵に戻ってしまった今では、貴様では私には勝てんだろうに」
「どこまでモ……騎士道を謳わせておいテ、敗北を赦せと言うのカ」
「ふざけるな」振り向き、苛立ったように睨む。「敗北した分際で死生を問うのは刃向ける者への愚弄だ。生きて帰れることに何の有益無益を説く意味が有る?」
「……」
 正論を言われた破戟≠ヘ、俯いた。
 その時、四方で『塔』を司っていた建物が効力を失ったのか、パンッ! という風船の破裂したような音と共に空気の異質さが消え果る。
「……終いだ、早々に失せろ」
 とは言うが、自力で帰させるには時間が要りそうだ。
 しばらくの時間を無言に過ごすには忍びなかった断罪剣≠ヘ、少しだけ窺うように口を開いた。
「破戟=A敗北に確たる証を求むのならば、私の問いに答えろ」
 顔を上げた破戟≠ヘ神妙な顔の断罪剣≠ノ不思議そうな顔をしたが、すぐに俯いた。
「答えられる範囲なラ……」
「捜している女がいる。歳は貴様と近く、黒い瞳に桃の髪をしている、私と同じ花の名を姓に持つ者、」
 一呼吸入れてから、その名を言った。
「名をベルカトラと言う。聞き覚えは?」
「……………、悪いが無イ」
 断罪剣≠ヘ「そうか」と呟きながら深く溜息を吐いた。嘘を吐く相手ではないと判っているし、そもそも知っているとは思ってなかった。グロリオーサの名に関して何も気付かなかったからだ。
「知り合いなのカ……?」
 あまりに落胆ぶった態度に不思議に思った破戟≠ヘ訊く。
 断罪剣≠フ表情は、一転して険しくなった。
「知り合いなどという生易しいものではない。私が《ツクヨミ》に居座っている理由だ」
 今でも記憶に鮮明に残る女。
 誰よりも近くに居て、誰よりも信じ合えた存在。
「ベルカトラ……必ず見つけ出して、殺してやる」
 腹から搾り出すような殺意の言葉に、視線を向けられているわけでもない破戟≠ヘぞっとした。
 小さな全身から、ドロドロの飴みたいな殺意で満たされた少女に、震えが止まらない。
 ふと思ってしまう。本当に目の前にいるのは、人間なのかと。
 人並外れたその圧倒的な憎しみの表情に畏怖する破戟≠セが、そこで突然空気が変わったのを感じた。
 はっとした断罪剣≠熕Uり返る。住宅街の方角の雲行きが、驚くほどの黒雲に染められていた。
 呆然と見ていた断罪剣≠ヘ、振り返る。
「貴様――」
「ワタシではなイ」
 意図に気付いた破戟≠ヘ即答した。
「磁気嵐の初期的な影響ダ。恐らくは善悪一=c…」
「《アマテラス》か」
「あア、まだ子供だガ……もしかしたならワタシよりも強イ」
「……、」
「征ケ。敗けて尚罠造りをするほど愚かではなイ」
 弱々しくだが、確信の持てる声。
 断罪剣≠ヘじっと破戟≠見つめたが、すぐに踵を返して走り出した。


 残された場所には、再び陣形が模られる。
 といっても、その規模は公園を包むだけの小さなもので、その小規模さ故に《ツクヨミ》が得意とする異質の探知にも引っ掛からないほどの簡易的な陣形だった。
 創ったのは、一人の少女だった。
 制服を着ている。白い基調のカッターシャツと白いプリーツスカート。紫耀学園の夏服を着るその少女は、しかし少女と言うには大人びた風貌と起伏の大きな胸元をしている。
 特に目立つのはその顔の整い具合だけではなく、緑色に染められた髪を孔雀の求愛が如く広がるように結った髪型と、右眼に着けているモノクル。片眼鏡から伸びるチェーンがゆらゆらと揺れていた。
 口から出てくるのは、酔っ払いにも似た埒外な口調。
「うーい、飛牙っち久しぶりぃ〜ん」
「……魂喰らい=v
 そこに佇むのは、愉悦に頬を赤らめる狂人、稲城雪嬰(いなぎ せっか)だった。
 彼女は手元の呪符を無造作にばら撒く。だがそう見えるのは破戟≠セけで、実際はその落とし方には法則があり、地面に降る呪符はどこか調和をしながら貼り付けられてゆく。
 およそ彼女ほど呪符による陣形の創造が巧い人間はいない。紅姫≠竍不定名詞≠熏I妙だが、彼女のそれは違う。言うなれば、彼女は天才なのだ。
 殺戮すら天才と称される少女は、まるでふざけているような態度で笑う。
「あぁらら、インペリアル・シェル送還されちったかぃな〜」
「……なんとでも哂エ」
「そぉんなつもりないですねぃ、女の子のキレーな顔はオールオッケーですよぉ〜ん、いやはや眼福眼福♪」
「……そんなつもりは無いくせニ」
 小さく言った途端、稲城雪嬰ではなく魂喰らい≠フ言葉が降りかかる。
「だったら説明は必要ないですねぇ〜ん、飛牙っちの場合断罪剣≠ネんかと戦闘した運の尽き尽きですねぃ」
「……ッ」
「胸中は察すりねぃ、女だからって嬲られる苦しみは絶望も自衛も似たり寄ったりぃ〜」
「ワタ……我は違ウ、我は汝のように苦しめられたがために他者を嬲る蹂躙の狂言使いにはならなイ」
「だから自分の殻に閉じ篭る? まぁるで子供のようでぇすねぇ〜い♪」
 けらけらと哂う声に、破戟≠ヘ何も答えられなくなる。
 天才とはまさに、即興の言葉にすら相手のことなどお構いなしに引き裂いてゆく。
 彼女の場合、能力がためにその言葉は誰にも負けない。もしかすると紅姫≠ナすら言い負かすほどの言霊を扱う。何にも勝る彼女だが、こと言葉の蹂躙で彼女に勝てる者は世界中探しても居ないだろう。
 まさに魂喰らい≠フ名に恥じない。もし神器を使われたら、破戟≠ネどあっさりと負けるだろう。
「ま、あんまりイジめないでってなぁ風には飛鳥っちに言われてるんでぇ、今回はあまりイジんないであげるよぉ〜ん」
 どこまでも人を嘲る魂喰らい≠ヘ、だがすぐに呪符の張り方を変えた。
 言葉では容赦無いが、一応仲間意識はあるらしい。
「……謝謝」
 羞恥から頬を染める破戟=B
「謝るぐらいなら抱きつき三分間ですねぃ。怪我治ったら覚悟せぃ♪」
 最後の最後まで、魂喰らい≠フ言うことは容赦が無かった。










 Bullet.W     善悪一の救いの手


 1


 目の前で発せられたはずの言葉なのに、遠く聞こえた。
 自分がこれから先どんな人間性を保ち、どうすればいいか判らない現状。
 まさに希望が無い今その時に、彼女の存在は姫宮恭亜にとって救いにも似た感覚だった。
 だから、
 だからこそ、
 彼女の言葉が、
 希望のはずの言葉が、

「じゃあ、これで恭亜は永遠にサラトのモノになるんだね♪」

 楽しそうに言う言葉は、あまりにも遠い。
 そうして彼女の総てが、恭亜を裏切る。
 無情にも、彼女の純真が始まっていた。





「……え?」
 顔を上げた先に居るサラト=コンスタンスは、数秒前とまるで変わらない無邪気な笑顔。
 とてもじゃないが、彼女の口からは想像がつかない言葉を、朧気に反芻する。
 それでもやっぱり信じられなくて、恭亜は乾いた引き攣るような笑みを浮かべた。
「サラト……今、なんて」
「だから、恭亜はサラトのトモダチになるんでしょ? だから恭亜はサラトの永遠のモノになるの〜♪」
 それが何かおかしいのかと言いたげな笑顔で、答える。
 今度はしっかりと聴こえて、恭亜は冷水を浴びたように身を強張らせた。
 彼女のありのままを固めたような言葉がそれかと知って、失意のどん底に落とされた気がした。
「……サラ、ト?」
 畏怖のようなものを感じて、少女が『冗談だよ♪』って悪戯に笑ってくれるのを望んだ。
 故に、
「恭亜はサラトだけ見てくれればいいよ? サラトも恭亜のことだけ見たいから」
 恥ずかしそうに言うあどけない顔が、恐い。
「……サラト、」乾いた笑みのまま、「どういう、ことだ?」
 その問いに、突然サラトの表情は固まった。
 初めて見る生き物を相手にするみたいにきょとんと見つめていたサラトは、そのまま訊いてくる。
「サラトはトモダチでしょ? 違うの?」
「それは……」
「嘘なの?」
「……っ、それは違う!」
 そうだ。
 彼女にとって恭亜は信じるに値する人間なのだ。
 檜山皓司や鵜方美弥乃を犠牲にして成り立つ非日常の恭亜に、目の前の笑顔まで砕く権利なんてどこにもない。
 それは、嘘じゃない。
 するとサラトはすぐににっこりとした笑顔を浮かべる。
「うん、よかった……恭亜、嘘じゃないんだ。本当にトモダチになってくれるんだね! 嬉しい!」
 本当に嬉しそうな笑顔に胸を撫で下ろそうとするが、
「じゃあ恭亜はサラトのことだけ見てくれるんだよね。さ、早く行こうよ♪」
 差し出した手。
 子供の安直な駄々とは違う、圧倒的な危険性。
 その瞬間、ふと恭亜はある人種を思い出した。
 普通に見えるのに、どこか異質を放つ存在。この世を外れた、自分だけが支配する世界の占領者。
「オーラム、……チルドレンっ」
 言葉が出た直後、横合いから声が飛んだ。
「恭亜!」
 導かれるままに振り向くと、そこには制服姿の蓮杖アインが立っていた。
 息を少し弾ませ、紅潮させた表情は瞬時に状況を理解しようと必死な様子だ。
「アイン……!」
 安堵に思わずほっとしてしまった。
 訳が判らない今の状態で、誰よりも彼女が血相変えて来てくれたのが嬉しかった。
 そうして出た溜息が、サラトの表情を奪った。
「……恭亜、どういうことや」
「アイン、これは……」
 弁解みたいな言い出しだが、サラトを御することに専念したい恭亜が口を開いた瞬間、

 それは突然だった。

 ズバン!!
 空気を破壊する強烈な音がアインに飛んだ。
 反射で身を強張らせた恭亜だったら避けられない光の一撃は、反射で身を横にずらしたアインの足元を撃つ。
 アスファルトで出来た地面にびりびりと焼きつく光の残滓は、こびり付くように煌いて散った。
 突然の明確な攻撃≠ノ、二人は言葉を失う。
 先に視線を向けたアインに習って、恭亜も少しずつ視線を前に戻す。
 そこには、金糸の髪を揺らしてアインに左腕を突き出すサラト。
 その腕には、纏わりつくように光が爆ぜ、乾いた音を立てて空気に紛れてゆく。
 色は蒼。見るからにそれは、電気。
「――して?」
 あれほど笑顔の似合っていた顔からは背筋も凍るほど想像のつかない、能面のような表情。
 白魚のような指先から手首、肘、二の腕、肩、そこから静電気は身体中を駆け巡り、金糸の髪がふわりと舞うだけで、ぱちぱちと帯電した力が拡散される音が鳴る。
 呟く声は、生気すら失ったようなもの。
「どうしてなの? 今になって、なんで帰ってくるの?」
 子供が親に訊く無邪気な言葉のようで、アインは眉根をひそめて恭亜に視線を送る。
 恭亜は目で否定の色を表すと、アインは溜息めいたものを浮かべる。なまじ他人事なだけに、呆れたような表情にすまなさそうな顔をしてしまう。
 だが、アインはすぐに表情を変える。氷のような視線でサラトを見やると、サラトは無表情で呟き続ける。
「お姉さんは恭亜がいらないんでしょ? だから捨てたんだ……恭亜は誰もいないから、サラトが恭亜のトモダチになるの。もう恭亜はサラトだけのものなんだから」
 その言葉の中にある禁句にカチンときたアインは、睨み気味に口を開く。
「なんやよぉ判らへんけど……《アマテラス》の人間いうんはアンタなんか? プリシラはオフィス街に行ってもぉたみたいやけど、そそっかしいやっちゃな」
「……お姉さん、何を言ってるの? サラトは《アマテラス》の人だけど、そんなのどうでもいいの」
 驚きに目を瞠る恭亜を尻目に、サラトは怒った顔をする。
「恭亜はサラトのものなの、だからお姉さんは恭亜に近づかないでよ。勝手に恭亜から逃げたくせに、なんで帰ってくるの?」
「……、恭亜」
「え、」
「……アホ」
 なんだか彼が余計なことに足を突っ込んでいることに気付いたアインは、冷たい視線で一蹴。
 黙ってしまった恭亜から視線を戻し、アインは溜息まじりに言う。
「別にウチはそこのアホと友達になった憶えなんてないねん、どうでもえぇから今すぐ失せや」
 さもないと許さない、と言いたげに睨みを利かせるアインに、サラトは少しの沈黙。
 突然、表情は明るいものに変わる。
「恭亜!」
「えっ?」
「サラト、邪魔者を殺してくるよ。すぐに帰ってくるから、待っててね」
 殺す。そこに比喩や冗談はないと恭亜は言葉を失う。
 頬を染めて言うその内容にぎくりとした恭亜から振り返ったサラトの横顔は、もう虫でも見るような目つきだ。
「恭亜は永遠にサラトのトモダチなんだから、邪魔しないでよ」
 再び腕をかざすサラト。
 攻撃の意思が確定されたことを知ったアインは、叫んだ。
「ファイノメイナ!」
 刹那、手元が煌き、閃光から形成された白銀の大口径リボルバーの神器、ファイノメイナを出現させる。
 サラトは無表情に、ゆっくりと腕を上げて行き、水平になったところで止める。
「逃げたくせに、サラトの恭亜を取らないでよ」
 バチン――!
 指先から這うように爆ぜる電流が、次々と蓄積される。
 アインは警戒する。あの謎の力は、神器によるものなのか。
 だとしても、彼女の身なりには異常な点は見当たらない。ティーシャツと短パン、不釣合いなほど大きなヘッドホン。長袖の青い服を腹巻のように腰に巻いていて、青いキャップは今の雷撃で地面に落ちている。
 どこに、という思考が生まれた瞬間、ある可能性に気付いた。
 神器の一つの種類が、ある法則性を持つこと。
「まさか――」
 アビリティ・アーティファクト。
 持ち主の意思に関係なく常に表意されるタイプの神器。それは大抵、肉体の一部として依存する*@則性を持つものが多い。
「逃げたくせに帰ってくるなんて、嘘つく人は大っ嫌い」
 ――ズバババ――!
 帯電した繊細な綿毛のような光は、うねる蛇のように流れ、折れてしまいそうなほど白く細い腕に纏わりつく。空気を焼いて摩擦による帯電から帯電の連続音がさらに激しくなる。
 すると、公園の街灯は定刻点灯を無視して過度なほど輝く。
 草木を揺らし、空気を震わせ、蒼電が総てを焼き尽くす刃となる。
「嘘つく人なんか、サラトの前にいないでよ」
 呟いた直後、電流は一瞬にして雷撃と化す。

「トリック・オア・トリート」

 ――ズドン!!
 爆弾が破裂したような強烈な音が耳をつんざく。
 水平に奔る蒼い閃光が空気を裂いて突き進む。狙うはアインの眉間。
 アインは雷撃が相手なら、防ぐ行動は根本から封印すべきと理解していた。咄嗟に横に転がりながら避ける。
 白い頭があった場所を通過していった雷撃は植えられている観覧用樹に突き刺さり、内側から幹を爆砕した。
 余波の振動を受けて大気が哭いている。
 バチバチと乾いた音を立てて、サラトの腕が振りかぶられる。
 その寸前に、アインは傍らの茂みに入り込んだ。
「……っ」
 行動が正解なだけに、サラトの表情はムッとしたものなる。
 原理としては簡単だ。彼女の力が雷撃なら、アスファルトよりも柔らかい地面の上の方が電圧の影響で比較的軽減できる。あのアインという人間、戦闘慣れしている。サラトの中でそう改められた。
 それに、サラトにとって相手を死に至らしめるほどの雷撃はそうそう連発できない。
 茂みを伝って逃げるアインの背を見つめ、サラトはしたり顔をした。
「無駄なのになぁ……サラトと鬼ごっこして逃げられる人なんて鴉≠フお姉さんぐらいんだから」
 そういって一瞬ふらっと身体を前に倒したと思いきや、顔を地面すれすれのまま走り出す。弾丸のように木々を走り抜ける姿を目で追って、恭亜はやっとベンチから立ち上がることができた。
「サラト! アイン……!」
 どうしていいかなの判らない。それでも思考するより先に浮かんだ命令に、恭亜は従うように追いかけた。





 立ち止まった善悪一≠ヘ、辺りを見回した。
 建てられているのは中流の低い屋根の家々。ただ道が狭い造りになっているためにあの白い姿が見当たらない。
 これも狙ってのことだろう。気付かれずに相手の手の内を把握しようとする戦法は《アマテラス》では《ツクヨミ》には勝てない。地の利を用いた戦法は本を質せば《ツクヨミ》のほうが巧いのだ。
 だからといって逃げ切るつもりもないのだろう。相手は姫宮恭亜という人質を取られているも同然だ。これこそまさに鬼ごっこ。見つけられたら向こうが不利になる。
 要は、
「見つければいいんだもん」
 悪戯に笑い、まずは深呼吸をした。
「本当はイヤなんだけどな……計算するのってサラトには難しいよ」
 愚痴を零しながらゆっくり酸素を吸い込み、吐く。
 そうして波紋の無い水面のような静けさの中で善悪一≠ヘ両手を広げた。目を閉じて両手を精一杯に広げる姿は、愛しく誰かの抱擁を待ち焦がれる子供のようだ。
 不意に、パチパチと乾いた音が鳴る。指先に奔る電気が手の平に染み渡り、金糸の髪が少し揺れただけで乾いた音が聴こえてくる。
 電流が空気に紛れ、彼女を中心に視えない力が張り巡らされる。
 脳裏に宿ったイメージを手繰り寄せて、善悪一≠ヘ曖昧に口の端を吊り上げた。





「はぁ……はぁ……は、……っはぁ……はぁ……!」
 住宅街の家々が密集している場所に逃げ込んだ星天蓋≠ヘ、家の塀に背もたれながら息を整えていた。
 辺りに誰も居ないのを確認してから、ファイノメイナのシリンダーを開ける。空薬莢だけ取り外して溝に捨てると、ぐっと拳を握って念じた。
 ぼぉ、と淡い光が燈り、手の平に創り出された弾丸を込めて閉じる。
 その時にはもう息も大分回復した。
 だが、体力とはまた違う部分で動悸が治まらない。
「あの雷電……ちょっと厄介やな」
 あれだけの雷電を使うなら、それなりに代償なり制約なり存在するものだが、まさかアビリティ・アーティファクト、それも寄生型の神器の持ち主だとは予想外だった。
 寄生型は特に危険性が伴う。何故なら、本人の意思に関係なく強制的に出現したままになるからだ。言うなれば人に向かって、『どうしてあなたには腕があるの?』と訊いているようなものだ。
 何より能力を持たない星天蓋≠ナは分が悪い。それにあんな子供がまさか殺しをするとは思えないという思慮と《アマテラス》の人間なら非道なのかという思案とが入り混じって、判断がつかなかった。
 なんにせよ、今は逃げるに越したことはない。あの口振りからして恭亜に危害を加えることはなさそ

「見ーつっけた♪」

 そう思っていた星天蓋≠セからこそ、楽しげにせせら笑う少女の声が、信じられなかった。
 振り向くと同時に警戒していて良かった。
 バン!! と強烈な音と共に閃光が奔り、咄嗟に避けた星天蓋≠フ頭部があった場所を過ぎて塀を穿つ。
 びりびり、と塀が熱と衝撃で振動しているのを見てぞっとしながら星天蓋≠ヘ振り向く。
 手をかざしたまま佇む、金糸の髪の可愛らしい子。大きなヘッドホンを首に掛け、帽子を鍔が後ろに回るように被った姿は稀にいそうな可憐な子として処理できたかもしれない。
 そのかざした腕から、ジジジ! と静電気を放っていなければ。
 星天蓋≠ヘ銃爪に指を掛けてから驚いたままの表情で対峙する。
「なんで、や……」
「なんでここに居るとすぐに判った、でしょ」すると、少女はくすくすと笑って答えた。「サラトは鬼ごっこ、すごく強いんだよ? ちょっとやそっとじゃ逃げ切れないんだから」
 笑いながら手を引っ込める。
 星天蓋≠ヘ努めて冷静に、口を開いた。
「雷撃使い」
「そだよ。サラトは雷が大好きなの」
 まるで厭わないふうに答える。
 思わず星天蓋≠ェ驚いたぐらいだ。
「シェイプネームは善悪一=B神器は見えないところにあるの、それは」
 サラトは指先を自分のこめかみに持ってゆき、
「ここ。名前はトリック・オア・トリート。この子の能力はちょっと変わってるの。キセイガタっていうもののせいでハツドウジョーケンがいるって言ってた」
 論理を言えば簡単だ。
 常に表意し続ける寄生型は、星天蓋£Bのように深淵に戻すことがないため、別の方法でオンとオフを切り替える必要がある。それが彼女の言う発動条件だ。
 条件を満たして初めて使えるタイプのその神器は、逆を言えばその条件さえ揃わせなければいい。
 ただしその条件をわざわざ教える人間がいるとは思っていなかった星天蓋≠ヘ、明け透けなく答えるサラトに動揺した。
「条件が知りたいんでしょ? 教えてあげるよ」
「な……っ」
「ホントは飛鳥に教えちゃだめって言われてるんだけど、サラト嘘つくの嫌いだから、教えてあげる」
 すると、サラトは両腕を後ろで組んでいきなり話の内容を変えだした。
「お姉さん、嫌いな食べ物はなーに?」
「……は?」
「嫌いなたーべーもーのー」
 いきなり何を言い出すのかと注意を払っていた星天蓋≠ニしては、急に何を訊いたのかと呆れた。
 星天蓋≠ヘ基本的に苦いものが全般的に嫌いだが、こんな戦いの場でふざける余裕はない。
「別に、ない」
「……、ふうん」
 サラトは格段何も問い質さずにまた話を変えだす。
「じゃあ海と山どっちが好き?」
 本当に、何を考えてるのか。星天蓋≠ヘ不審にも思えるが答える。
「……海」
「右利き? 左利き?」
「……左」
「じゃあ、好きな人はいるの?」
 その質問には一瞬怯んだが、あんな奴取り分けてなんとも思ってない星天蓋≠ヘムッとした。
「別に」
 いくつかの質問を終えて満足したような顔のサラトは、一呼吸置いてから急に表情を消した。
「お姉さん、嘘ついたでしょ。それも最後の一個以外」
「――、」
 ぎくりとした。
 確かに、不審すぎるから嘘をついていたが、バレるほど顔に出したわけではない。むしろ知っている仲でなければ絶対に信じていたであろうポーカーフェイスをしたと自負していた。
 サラトはくすくす笑ってから、無邪気に答える。
「これがサラトの力。トリック・オア・トリートは嘘を電質化する#\力があるの」
 嘘や建前。
 そこに来てようやく星天蓋≠フ今の質問の応答が何を示しているかに気付いた。
「サラトはね、嘘で強くなれるの。雷を創るのに嘘が必要だから、サラトは嘘の飛び交う中で戦う。死ぬほど大っ嫌いな嘘を武器にしないと、生きてゆけないの」
 無邪気、故にぞっとするほど寂しそうな笑みを浮かべてサラトは言う。
「だからサラトはお姉さんが嫌い。逃げて恭亜を捨てたくせに、いまさら恭亜を呼ばないでよ」
 侮蔑にも似た、少女らしからぬ冷たい声色。
 サラトは腕を突き出して睨む。
「サラトから恭亜を取る悪いやつ、殺してやるんだから!」
 バチン! と閃光が蓄積される音が鳴り、直後に爆ぜて槍と化す。
 横に跳んでギリギリそれを避けるが、今度のは微妙に威力が弱かった。
 何となく予想していたのだが、もしかしたら本当なのかもしれない。
 それは、許容量不足だ。
 要は燃料不足を起こしたに近い。常時発動型はそのスイッチのオンオフの切り替えの性質上、消費した分だけ回復することが必要動作に入ってしまう。ことあれだけの殺傷力を維持するには、電流が薄まったのだろう。
 好機とも思える。相手が嘘を電気に変えるのなら、嘘をつかずに一方的に無言であればいい。
 突然の奇襲がために思考が安直になった星天蓋≠ノ、サラトは笑顔で口を開いた。
「今日は晴天=A選り取りみどりの♀C開き」
 突然何を言い出したのかと思った直後、ぎくりと身を強張らせた。
「しまっ……!」
 刹那、空気を異質が満たす。
 バチバチと帯電していた力が、不意に膨らんだのを星天蓋≠ヘ感じ取った。
「サラトは気分がいい≠フ、だって新しいトモダチは女の人≠セから」
 嘘を吐く。
 それがもし、本人の発した言葉も範疇内だ≠ニしたら――、
「ねぇトリック・オア・トリート、今日は何をして遊ぼう、げーせんはちょっと恐い≠ネ。ねぇトリック・オア・トリート、こんな綺麗なお姉さんともトモダチになれるかな=H」
 口から次々と繰り出される言葉の中の嘘や建前を、彼女の神器は次々と電質化する。
 そうして、
「トリック・オア・トリート。嘘つく人って大嫌いだよね?」
 最後の本音は、きっと彼女の引き金だ。

 瞬間、

 ズバン!!
 つんざく音が爆発し、閃光の奔流が星天蓋≠襲った。
 しかも今度のは威力重視の槍の形状ではなく、雷光の柱を幾つも作り出し、それが地走りしながら迫ってくる。
 退路を断たれた星天蓋≠ヘどうしようもなく、反射で両腕をクロスさせて防いだ。





 2


 ごごご、と黒雲特有の雷が起こる前兆の音が聴こえる。
 街をすり抜ける風に乗じて肌をなぞる悪寒にも似た感覚が、プリシラ=グロリオーサの胸中を焦らせる。
「こうも《アマテラス》との戦闘が立て続けに起こるなど数字の上でも有り得んほどだというのに……!」
 ぎり、と歯軋りをしながら道を曲がり黒雲立ち込める辺りへと急ぐ。
 それでも、
「――が、ぐっ」
 やってきた限界に、プリシラは腹を抱えて塀に身体を預けた。
 いくらこと『攻撃』に耐性を持つ彼女でも、さすがにあの豪腕であれだけ殴られては、全身が軋む。
 こふ、と咳き込んだ際に粘ついた鮮血を吐き捨て、プリシラはそれでも身体を起こす。
 不意に、
「プリシラ……!」
 背後から掛かってきた悲壮めいた声に、ツインテールの解けた黒髪の中から見やる。
 息を乱して走ってきたのは、漆黒のシスター服を着込む灰の髪の少女。本当に崇拝者かと思うほど首に掛けているシルバーアクセサリーがじゃらじゃらと煩い。
 血相を変えた彼女――弔花の諸手≠ヘ、すぐにプリシラの脇に経って体を支えた。戦闘だと自信が無さそうに思えるが、こういった治療に対する判断力はとてもありがたい。
「顔、酷い状態ですよ……っ? も、もしかしてイヴィルブレイカーを?」
「……察しがいいな、さすがにタダで殴らせるには過小評価が過ぎたな」
 弱々しく、喋るたびに腹部の激痛を伴いだしてきたことに苦悶の表情をするプリシラ。
 すぐに弔花の諸手≠ヘプリシラを座らせ、腹部に触れるか触れないかという感じで手を添える。
 触診しているのだ。患部に触れているのか疑問なほどソフトに触るくせに、驚くほど正確に損傷や病状を把握できる彼女の知識は、《アマテラス》に渡らなくてよかったとプリシラは心底思った。
「……な、殴られたんですね、それも、て、手甲か何かでっ……」
 現に見事に当てた。本当に頼もしい限りだとプリシラは力なく笑う。
「あれが、見えるだろう? 《アマテラス》の善悪一≠ニいう者も現れているらしい。すぐに行かねば」
「だ、ダメですぅ! そんな状態で、は、走ったらっ……胃壁が破裂する、可能性も、あ、あるんですから……!」
 弔花の諸手≠ノ窘められて、プリシラは浮かせた背をまた壁に戻した。他の人間が言うのであれば無視していたが、相手はその道十年の医者よりも凄腕の医療班だ。
 観念したプリシラを見てほっと一息ついてから、目を閉じて両手を差し出す。
「シャイン・ブレス」
 呟きとともに彼女の両腕が肘辺りまで揺らぎ、そこに赤い基調の皮製の手袋のようなものが姿を現す。その中心、手の甲のところには宝石のように煌く水晶が埋め込まれている。
 すっとプリシラの腹部と顔に手を近づけると、ボォ、と淡い光が燈る。数秒して、プリシラの苦悶の表情が幾分か和らいだ。
 因果の逆転による治癒能力。細胞の壊死を除く総ての肉体組織の復元経過を巻き戻して、傷を受けなかったことにする≠ニいう力だ。
 【恩恵世界】のオーラム・チルドレン、弔花の諸手<}ーシャ=ハスティーノン。真名の通り、その諸手は死に逝く者の弔花すら摘み取る慈悲の溢れる世界。
 ただし、恩恵というだけあって与えども恵まれないのが彼女の世界だ。つまり彼女の神器シャイン・ブレスは、術者である弔花の諸手*{人を治癒することができないのだ。
 ある程度危険域を脱したのか、弔花の諸手≠ヘ口を開いた。彼女は少しでも危険な状態の人間の治癒の際、まったく喋らない癖がある。プリシラとしても集中するのはいいことではあるのだが。
「で、でも……ペンデュラムには、な、なんの探知もかかって、ま、ませんよ?」
「私もあれを見て初めて気付いたぐらいだ。そもそもアインはどこへ行った?」
「アイン、ですか?」
 その質問に、弔花の諸手≠ヘ怪訝な顔をした。
「ご、御一緒のはずじゃないのですか? でで、電話してきたのは、アイン、だったのです、し……」
 その返答に、プリシラは舌打ちをした。
「あの小娘、どこで何をしているんだ……!」
 ねめつけるようにして空を仰いだプリシラは、その方角で目当ての少女が戦っていることは知らない。





 右腕を焼かれたような痛みに苛まれて、星天蓋≠ヘ歯を食いしばる。
 銀銃を左手に握り替えて、道を曲がる。
 だが、
「ほらほら、遅いよお姉さん!」
 楽しそうな声は、頭上から。
 びくりとして見上げたそこに、高く跳躍したサラトが右腕に雷光を放って振るっていた。
 横に跳んで、勢いのあまりに転んでしまうが、それが幸いしてか雷撃は途中から散って星天蓋≠フ体を縫うように爆ぜた。
 電気というのは、本来空気中を移動できない代物だ。雷が空気の中を落ちるのも、相当の電力が蓄積された結果起きる現象であり、その軌道も決して一直線ではない。雷がほぼ垂直に落ちるのは、建物の避雷針や高い木に吸い寄せられてそこを伝うからだ。恐らく彼女も、地面に垂直に立っているのが常の人間を頭から狙うことで余計な電力消耗を防いでいるのかもしれない。
 だから、ある程度の距離を保っていれば、サラトは攻撃が出来ない。
 はずなのに、
(なんでや……っ、なんで場所が……!)
 道を掻い潜り、姿を消そうとするたびに追いつかれる。まるで相手がどこに居るのか判っているかのように。
 寝そべっているような状態では落雷を当てられないサラトは、子供のようにむくれる。
「もぉ! 寝てたら当たらないぃ〜!」
 横に薙いだ腕から紫電が飛び散り、蒼い閃光を纏って星天蓋≠ヨ無茶苦茶に狙う。
 ごろごろと横に転がってそれを避ける。
 それでも散らばる雷撃の残滓が纏わりつき、極細の鍼で刺されたような痛みが染み渡る。
「あっははは! 鬼ごっこの次はだるまさんだ〜♪」
 甲高い笑い声と共に、雷撃を散らすサラト。
 星天蓋≠ヘすぐに起き上がると、落雷を警戒して屈んだ態勢のまま道を曲がる。
 サラトはすぐに追いかけたが、曲がったところで星天蓋≠フ白い姿が無く、立ち止まった。
「むぅ〜、また鬼ごっこ? 変わりやすいお姉さんだなぁ〜」
 呆れた風に溜息をついて、両手を広げる。親を求める子供のように広げた手の平から、パチン、と静電気が奔る。
「トリック・オア・トリート」
 空気が不可視の質量を増やし、何かが広がる。
 サラトがしているのは、微電流の拡散探知だ。
 人間は、体内に電気を持っている。
 というのも、人間は脳によって作り出した信号を電気に変えて、光のような速さで肉体へ命令を送る。いわば人間の思考は電気信号によって成り立つと言っても過言ではない。さらに、空気中にも電気は存在する。これは素粒子のプラスとマイナスの二つが摩擦したことで結合し、電気を帯びた粒子に変わる。そのために湿度の薄い冬に静電気が起きやすいのだ。
 ただ夏のじめじめした空気の中といっても、あくまで浮遊している粒子は粒子であり、一定量の蓄積がない、つまり人間の服や体内に蓄積されない限りはただの空気でしかない。
 逆説、気圧抵抗を無視して雷撃を放てるサラトなら、空気中の電気の量を増幅して微電流を感知することが可能だ。
 ぶわ、と風になびいたように金糸の髪が広がり、辺り一帯の電気の変動が彼女の脳内でイメージされる。
 建物の構造、気流の方向、鳥のはばたき、二人の人間の会話する姿、そして――
「くす、はっけーん♪」
 二人だけの秘密を共有する子供のように、笑みを堪えて塀に足を掛ける。
 とん、という軽い音と共にまるで猫が飛び乗ったようにふわりと背の低い民家の屋根に昇り、最短ルートを突っ切った。跳躍して、空中で電信柱から伸びる足掛けを経由して方向を屈折。常人なら脚が折れてしまっている高さを物ともせず、サラトは体のバネを利用して綺麗に着地する。
 風は南南西、太陽から遠ざかるように逃げる背中をイメージに、サラトはぱっと顔を輝かせる。
「すっごいすっごい! 風下向きに逃げないように走るなんて、普通できないもん!」
 楽しくなってきた! と笑いながらさらに家に入り、庭へ潜って塀を飛び越える。
 どれだけ逃げようとも、サラトの微電流からは逃げ切れない。





 アインは背後に注意をしながら、身体中を刺す痛みを振り払うようにカッターシャツの袖を引き千切った。全部脱ぎたいと思いたかったが、生憎彼女はブラジャーという代物にまったく頼らないため、そうもいかなかった。
 煤けた服を見ながら、思案を深める。
 雷撃。となれば直接的な破壊力は向こうのほうが上だ。だとしても、それを解っているからこそアインは距離を取って標的を見失った隙を突くつもりでいた。
 なのに、善悪一≠ヘどうしてこちらの位置が判るのか。
(探知用の……いや、いくら連中でもウチら《ツクヨミ》の神器の扱いが巧いとは思えへん。となれば、能力……)
 雷使いの索敵効果。はっきりいって、卑怯なまでに強い。どうすればいいのか。

「――ちゅどーん」

 不意に横合いから向けられたピストルのジェスチャーをした幼い手から、蒼い閃光が飛来する。
 まさか横から来ると想像もしていなかったアインは、ファイノメイナで防ぐが、それでも爆ぜた雷撃の余波が枝分かれしたように掻い潜ってアインの腹部を撃った。
「が、!」
 痛さ熱さの前に、猛烈な吐き気を覚えてアインは地面に倒れる。
 笑いすぎでもないのに腹の裏側でぴくぴくと痙攣を起こし、呼吸困難になりそうになったアインは咄嗟に拳を握って自分の腹を殴る。激痛に表情が歪むが、すぐに体勢を整えた。
 銃を向け、引き金を引き絞る。
 ドン! と強烈な炸裂音が響き、空気を貫く。
「うわっと……!」
 顔の横を飛来する弾丸に、さすがに善悪一≠煦き攣った笑顔でよろける。たたらを踏んでから、すぐに体勢を低くした。
「恐いなぁ……死んじゃったら恭亜に逢えないじゃない!」
 倒れるほど体を倒した体勢で、腕を振るう。五指の先から伸びる紫電が蒼く爆ぜ、空目掛けて飛ぶ。
 何かと思った瞬間、気付く。
 真上にあるのは、電信柱によって繋がれて伸びる電線。
 その中心から切断された電線の端が、丁度アインの顔に来るように落ちてくる。
「〜〜っ!」
 思わず体を目一杯に後ろに倒してそれを避ける。切られた電線の先から、バチバチと触れてはならない威力の電気を発して通過してゆく。
「あっぶな……」
 ドキドキしながら冷や汗を噛み締めるアインは、とん、と跳躍する音と共に真上に飛来する紫電を捉える。
「ずっ」
 善悪一≠ェ腹に溜めた空気を引き絞り、
「どーん!」
 本当にオーラム・チルドレンとして、戦闘をする者として自覚があるのか、遊ぶような無邪気な笑い声で雷撃を落とす。
 アインは腹筋を生かして上体を起こすと、またごろごろ転がる。ふざけた態度ではあるが、降りかかる一撃一撃が危険なのでこっちは全力で避けるしかない。
「どんどんいっくよ〜!」
 一声。同時に紫電が飛び散る。
 ズバン! と空気を突破した雷電の一撃が降り、アインを猛襲する。
 起き上がるアインは銃を向け撃つが、体ごと移動をする善悪一≠ヘ予想外にすばしっこく、銃口が揺れる。
 何よりも雷撃というのが厄介だ。下手な徒手空拳よりもダメージの後残りが酷い。直撃したら、動けくなるかもしれない。
 軽やかなステップを踏み、瞬間、紫電が弾ける。紫から白に近づきたい蒼の光に変わるのが攻撃に転ずる合図なのだろか、とアインも体移動を欠かさずに善悪一≠フ攻撃を見切ろうとする。
 どうも雷撃の充分な効果範囲は五メートル前後だ。それ以上遠いと雷が軌道を変えて的外れな方向に飛んでしまう。だから彼女の周囲五メートルは死界に設定する。周囲総てが死界なら、ヒット・アンド・アウェイもできない。
 苦虫を奥歯に噛み締めたような顔をして、アインは背中を見せないようにしながら少しずつ下がってゆく。火力勝負どころの話ではない。唯一勝る狙撃が殺されている今、アインでは善悪一≠ノ勝てない。
 すると、突然善悪一≠フ紫電が止んだ。
 怪訝な顔をするアインだが、善悪一≠フほうはそれ以上にきょとんとした顔の後に眉根を寄せた。
「むむ、電池切れしちゃいました」
 てへ、と舌を出して照れ笑いをする善悪一=Bアインは妙な感覚に気付いた。
 なんだか、戦っている気分にならない。まるで本当に遊んでいるだけのように思える、少なくとも向こうは。
 殺戮を遊戯と称して残酷な戦いをする人間は予想できたが、彼女は違う。そもそも彼女の顔を見る限り、人を殺すことがどういうことかを知らないような素振りを見せてくる。
 逆に恐ろしくもなる。殺戮を知らない遊戯で人を殺せる人間なんて、まさに機械と同じだ。居なくなってほしいからという理由で簡単に殺戮を選ぶなんてプリシラだってしない。
 パシン、と紫電が飛ぶが、ほとんど静電気並の小さな威力になってしまっている。
 好機と見たアインは、背を完全に見せて走り出す。
「あ! ず、ずるい!」
 という声が背後から飛ぶが、ずるいもなにもない。こちとら命のやり取りの上にいるのだ。
 ファイノメイナを深淵に戻し、アインは一気に走り抜ける。





 サラトは全力疾走で星天蓋≠追う。
 調子に乗って雷撃を撃ち過ぎて底を尽きたことに恥ずかしいのか頬を染め、再び充電するために嘘をついたことで後悔の色を混じらせている。
 こんな思いをしなければ、死ぬほど嫌いな嘘をついてまで敵を殺さなければならないのが辛い。
 でも、
「待ってて、恭亜」
 負けられない。
 殺さなければ、手に入らないのなら。
「必ず、サラトは恭亜のサラトになってあげるからね!」
 もう、失いたくない。
 奪われるぐらいなら、殺してやる。
 絶対に、トモダチを奪われたくない!
 ぎり、と。
 サラト=コンスタンスが最もしなかった苦々しい表情をしながら、星天蓋≠フイメージを追う。
 だが、突然そのイメージが崩れた。
「え?」
 膨大な力場が迫り、サラトの演算する微弱電流が全く働かない。大量に人間が居る場所でよくなることだが、それこそ歩行者天国で一斉に携帯を弄るぐらいの電流滞留が起きなければならない。
 サラトは困惑しながら、星天蓋≠ェ姿を消した場所に入り込んだ。
 直後、立ち尽くすと共に理解する。
「……そっか」
 思わず呟く。
 場所は、マンション群。どうやら追っている内に住宅街の外れのほうに来てしまったらしい。
 だが、サラトはそこが何を意味するか判っていた。
 マンションは、長方形に直立する建造内に、実に六,七十個もの部屋がある。
 言うなれば、そこは電子機器の宝庫だ。一軒家が連なるだけなら平面的な磁場の流れで済むが、マンションは高さが違う。一つ一つの磁場の流れが強く、それが連なって立つマンション群ではその流れも膨大で複雑である。
 もし、こんな場所で微弱電流の探知のために演算なんてしたら、どうなるか。
 人間は常に思考思慮を脳内に働かせている。寝ている最中も脳が活動するのは一種の例だ。
 それと同じく、許容される計算を超える演算は人間の精神に悪影響を与える。磁場という地雷原に足を踏み入れるには、サラトの脳では無理がある。
 星天蓋≠ェこれを知ってか知らずかは判らないが、やられたものだ。
 サラトはマンションの駐車スペースに入り、少し余裕を無くした。これでは、どこに彼女が居るのか判らない。
 駐車スペースにはまばらに車が置いてあるが、それに警戒する。サラトほどではないが、星天蓋≠烽サれなりに背格好が低い。潜むには変な髪の色だが、それはサラトも同じだ。
 イーブン。いや、もしかしたら不利かも知れない。
 サラトはゆっくりと、いつ銃声が鳴っても避けられるように足の裏に力を入れて進んだ。





 3


「……、」
 シリンダーに弾込めし、アインは息を潜めていた。
 マンションの一角に侵入し、金糸の髪を揺らしてきょろきょろと見回している善悪一≠六階から一瞥し、再び姿を隠す。
 どうやら、向こうは何かが起きたらしく、こちらに来ることがない。アインが潜んでいるマンションを探り当てた勘は鋭いものだが、かれこれ十分近く彼女はやってこない。
 罠、とも思ったが、そこまでして嘘を吐くほどの相手にはそう思わない。
 アインは付近の住民に注意し、ふと閃いた。
「……そうか」
 マンション。
 それは人の密集すると同時に、移動の制限されやすい場所。
 いくら雷撃使いとはいえ、建物をぶち壊すほどの火力は隙を作るし、何より下手に目立っては向こうが困るだろう。
 しめたとばかりにニヤつき、アインは柵から頭を出さないように屈んで進んだ。
 エレベーターに辿り着いたときに丁度上から降りてくるのに気付いて、ファイノメイナを戻してからボタンを押した。
 六階で停まり、扉が開いた瞬間に、入ろうとしていたアインは立ち止まった。
 先客は、顔ぐらいは知っていた。
 淡いハニーブロンドをウェーブさせた、眼鏡の少女だ。緑色のワンピースの上からポシェットを提げた夏っぽい格好。
 名前は知らない(というか忘れた)が、アインと同じクラスメイトだ。
 向こうもまた驚いた顔をしていたが、エレベーターの自動ドアが閉まりそうになったので、開閉ボタンを押して止める。
「え、っと……」少女は少し控えめに笑顔を浮かべて口を開く。「蓮杖さん、このマンションに住んでたかしら。あれ? 美弥乃ちゃんの寮室の隣りって話を聞いてたんだけど……」
 不意にアインにとっての禁止ワードを無自覚に出され、傾いでいた心が冷静なものになる。
「……別に」
 といって、すっと入り込む。
 エレベーターはそれなりの無言の圧迫感を帯びる空間だ。それでなくとも二人の面識が曖昧すぎて、異様に息苦しいのか少女は口を開く。
「蓮杖さん、転んだの? なんだか、凄い汚れてるけど……」
 まじまじと身体中を見てから少女は訊いてくる。実際、よりにもよって制服が焼けたように煤けている、誰が見ても訊きたくなる汚れ方をしていた。
 アインはエレベーターの壁に背を預けて、少し気まずそうに答えた。さすがに、殺し合いをしてましたとは言えない。別に言ってもいいとか思ったが、相手はあくまでもクラスメイトだ。
「……転んだ」
「……そ、う」
 一瞬何か言いたげだったが、向こうも相手が相手なのか、そこで言葉を切った。
 自動ドアが閉まる。階数をちらと確認したが、彼女は一階を押している。これから外出するようだ。
 ごぅん、と一瞬の浮遊感の後に、動き出す。当然そこは沈黙が重く、人が出来ているのか少女も見てすらこない。初めから好きじゃないだけなのかもしれないが。
 ゆっくりとエレベーターが降りてくる最中、口火を切った。
 驚くことに、アインがだった。
「……友達、居る?」
「え?」
 彼女もそこで話しかけてくると思ってなかったらしく、内容そっちのけで目を瞠って振り向いた。
「友達居るかって」
「え、ええ……自慢ながらに昔からの親友が二人と新しい友達が二人ほど」
 嫌味ではなく本音で言っているのだろう。とはいえ、その中に彼が入っていることをアインは知らない。
「……」アインは一切相槌も打たずに、「友達って、えぇもんかな」
 突然の質問。
 自分でもアホだと自嘲したくなったが、
「ええ、もちろん」
 訊いたアインが驚くぐらい、即答だった。
 顔を上げると、すでに扉に向いてしまっている。
「といっても、私の一方的なものなのだけれど」少女は苦笑しながら、「少なくとも晴香と明海とは友達として信じられる、でもそこには理由がないわ」
「なんで?」
「いちいち理由が無くちゃ出来ない友達なんて、形だけだもの」
 あ、と小さく声を漏らした。
 そういうことだったのだ、小早川沙耶が言っていたのは。
「蓮杖さんには、居ないの? 理由はどうでもいいから友達になってほしいって人」
「……」
 しばし俯いていたアインは、壁から背を離してボタンを押す。
 押したのは二階。三階の半ばで押されたことで、ぎりぎり間に合ったエレベーターは二階で停まる。
「居れへん」
 呟く。
 自動ドアが開き、外に出たアインはふっと笑って答えた。
「せやけど、一生作らへんほど寂しないで」
 そのまま閉まってゆく扉。その向こうで去ってゆく白い姿を見つめ、少女はふと思う。
「……六階で乗って二階で降りるって、ここの住まいじゃないのなら何しているのかしら?」
 ここの住まいの少女は本気で首を捻った。





 サラトは、いい加減飽きていた。
「ぶー、なんか同じところぐるぐる回ってるだけな気がするな〜」
 磁場の強い場所に居ては微弱電流の感知が出来ない。となれば本格的に至極公平な鬼ごっこになるのだが、サラトとしては星天蓋≠ノ個人的な感情は持ち合わせていない。
 ただ、恭亜を奪うのが許せなかっただけで、逃げてばっかりの相手をわざわざ追う気にもならない。
 もう来ないなら用は無い。後は恭亜を探すだけだ。
「んっふふ〜♪ 恭亜、すぐ帰るからね」
 スキップしかねないほどの嬉しそうな顔で、サラトは振り向いた。
 瞬間、
 チュイン!
 飛来した弾丸がサラトの足元を狙った。
 ちらと見る。すぐそこでアスファルトが削れて、白煙を上げていた。
 振り向く。当然、姿はどこにもない。角度からして二階辺り。
 パシン! とサラトの金糸の髪から紫電が爆ぜる。
「なぁんだ、一抜けしたんじゃなかったんだ……」
 無表情に薄っすらと笑みを湛えて、サラトは振り向く。
「なんかずるいなぁ〜。めんどくさくなってきちゃったし……もう吹き飛ばしちゃおうかな、ここらへん」
 バチバチ! と紫電が蓄積される。建物を丸ごと崩壊させるには無理だが、居る階が判っているなら、全体を包む必要はない。その階付近に居る人間も巻き込んでしまうが、サラトはどうでもよかった。
 恭亜を、トモダチを、奪う奴は許さない。
 ジジジ、と立っているアスファルトが熱を帯びてオレンジに燈る。
 雷撃の閃光を穿とうと両手を広げた瞬間、視界に緑の服を着た高校生ぐらいの眼鏡の少女が入った途端、咄嗟に紫電を収束させた。
 サラトに気付いた少女は、仁王立ちで駐車スペースに立っている金髪碧眼の可憐な子供に少し驚いた顔をした。
 どうしようか、という思考は生まれたが、これも何かの縁だとサラトは思った。
「こんにちは」
 作った毛色の全くない笑顔で言うと、人形みたいなルックスが助長されてか少女は頬を少し染めて笑顔で会釈した。
 そのまま擦れ違うと、少女がサラトの呟きを聴き取れない距離までいったところで唇を尖らせた。
「あ〜あ、たぶんまた逃げたかも」
 とはいうが、また楽しくなってきた。
 星天蓋≠ヘ、どうやら背は向けないらしい。
「楽しくなってきた、って言いたいけど〜……だんだん恭亜に逢いたくなってきたな」
 ととん、とスキップのように一歩。
 直後、靴の裏から紫電が爆発する。弾丸のように弾かれたサラトは、二階へ跳ぶ。くるりと一回転して二階の柵の上に着地すると、横合いに白い姿を見つける。
「!」
 振り向いた瞬間にはその白い姿が向かいの階段へと消えるのが見える。
「またまた鬼ごっこ、電気読めないからってサラトから逃げられるわけないんだからね!」
 サラトは廊下を疾走し、階段へ辿り着く。
 星天蓋≠ヘ下へ降りて駐車スペースの右手に回っている。サラトも習うように階段の踊り場からジャンプして着地すると、右手に回る。
 その先は地下になっていて、車はまばらだが薄暗いがために狭く感じる。埃っぽいせいか、サラトの金糸の髪に滞留する電気と摩擦されて余計にパチパチと鳴る。
 サラトは髪の帯電を懸念して、脳内に埋め込まれている常時発動型の神器トリック・オア・トリートの効力を遮断する。背中の辺りから髪を束ねて掴み、低い姿勢で車の間を走り抜ける。
 不意に、ドン! という炸裂音が地下中に響き、サラトは肩を竦める。
 するとガコンと何かが外れる音がして、次々と何かがへこむ音がする。
 サラトは何事かと驚きながら視線だけを送ろうとそっと頭を上げる。
 その直後、
 ドン!
「ぎにゃあ!!」
 目の前で車に被弾した弾丸が火花を放つ。思いっきり頭を下げて、心臓バクバクの胸を両手で押さえる。
「覗き見すなや!」
 どこかから星天蓋≠フ良く通る声が響く。
 言葉が言葉だけに涙目のサラトも怒った。
「女の子どーしでノゾキもなにもないじゃん!」
「あーもうじゃあ恥ずかしいから!」
「『じゃあ』付けて恥ずかしがり屋さん!?」
 殺し合いなのに! と叫んだところでまた銃弾が的外れなところで炸裂し、何かが壊れる音が続く。
 何かを企んでいるようだが、この辺りには車やコーン、あとはなけなしの消火器ぐらいしか見当たらない。
「何をしてる、のかな……」
 思いながらもサラトはタイミングを見計らって車の合間合間を飛び移る。
 すると、また銃声が鳴って何かが壊れる音。しかし、何かを壊しながらも移動しているらしい。その度にズルズルと引きずる音が反響してサラトはいよいよ首を傾げたくなった。
 だが、何かをしているにしても、攻撃することは出来ないことじゃない。磁場の狂いは酷いが、単純的な雷電の放出なら支障は無い。特に狭苦しいこんな場所では、本来雷撃のほうが銃弾なんかよりよっぽど有利なのだ。
 何を恐がるのか。何を躊躇うのか。
 自分は、自分を信じられる。
 サラトは車のドアに手を添える。
 ジジ、と電気が一瞬奔り、ジュワ! と熔ける。熔けたのはドアの鍵穴。ノブを引くとガチャリと開き、サラトは撃たれないように気を配りながら計器を見る。
 比較的新しい車だ。外装からして予想はできていたが、これは電気を主動力にしたエコカーで、鍵も特殊だ。鍵を差し込んで回すとエンジンが掛かるのではなく、回すとギアが回転してできた電気を元にエンジンを点けるタイプ。
 なら、善悪一<Tラトにはエンジンを掛けるぐらい造作ない。
 車内で、ズバン! と閃光が弾け、次の瞬間にエンジンが掛かる。
 サラトはクラッチを換え、アクセルを思いっきり踏みしめて降りる。
 直後、車庫居れされていた車は全速力でバックしだす。
 向こう側の壁に激突し、その近くに立っていた星天蓋≠ェ注意を逸らしてしまう。
 しめたと笑んだサラトは腕をかざす。バチ! と紫電が蓄積されるが、あろうことか星天蓋≠ヘ両手を軽く挙げて不敵な笑みを浮かべていた。
 負け惜しみとも思えたが、さっきの破壊音が何か判らないサラトは咄嗟に攻撃をやめた。
 それを見計らった星天蓋≠ヘすぐさま車の陰に潜む。
 迷わず撃てなかったサラトは頬を膨らませるが、星天蓋≠ェ逃げた先を予測して車を踏み台にする。ジャンプから着地と同時に銃弾が飛んでくると思っていたサラトは体を方向転換させつつ白い姿を探す。
 黒い車だから気付いた。その先を星天蓋≠ェ通過する。
「見つけた!」
 だが、ふと気になる臭いを嗅いだ。
 鼻の奥まで纏わりつくような、ツンとする刺激臭。
 臭いの元を思わず探した。右、左、そして、気付く。
 足元。サラトが立っている場所一面。
 薄暗いせいで気付かなかった足元は、臭い液体がおびただしいまでに広がっている。
 しまった、と顔が引き攣った。
 あったではないか。この駐車場で一番の武器。それはまばらに駐車されている車の、ガソリン。
 しかもそれだけじゃない。そこかしこに落ちている塊はガソリンタンク。銃で車体を引っぺがしてそれを引き抜いて撒いたと理解してから、あの解体の音の意味も察した。
 向こうから出てくる星天蓋=B堂々としているが事実そうだ。地下という適度に密閉された挙句、真上に建てられているのは七,八階分のコンクリートの塊だ。もしここで雷撃を撃ったら、とんでもない事態になる。
 ぞくりと背筋が凍り、逆に星天蓋≠ヘ笑みを浮かべている。
「お互い攻撃したらアウトやな、ウチも寒がりやさかい」
「……っ」
 不意に、ピリ、という針で刺されたような感触。トリック・オア・トリートが嘘を見抜く。ふざけた語尾がいい加減さを知ってサラトは嫌悪を感じた。
 頬を膨らませて睨みつけるサラトだが、星天蓋≠ヘ銃を握ってはいるが銃爪に指が掛かっていない。向こうも冷や冷やしているのだろうとサラトは察した。
「どっちみち、こんなトラップ置いても二人とも攻撃できないじゃないの?」
「どうやろな。ほんなら殴り合いでもする? チビとぎょうさんボコボコに殴り合ったことあるから耐性ついとるで」
 ピリ、――
 信じる力が、生まれる音がする。
 それは、星天蓋≠フ耳には決して入らない。
「……どうして恭亜に寄り付くの? トモダチじゃないんだよ、お姉さんはもう」
「別に、ウチは友達なんか居らへん」
 ――ビシンッ――
 耳にする言葉の不純性に比例してサラトの身に蓄積される。
 それは、星天蓋≠フ心には決して届かない。
「……………どうして、嘘つくの?」
「……、嘘」
「本当じゃない言葉を使わないで。サラトに向けないで。サラトの世界を汚さないでよ」
 ――、バチン!
 内腑を伝い、脳内で解かれ、認識された『言葉の中の不純物』が、力となる。
 信頼の力は、それを裏切る総てへ拒絶の力に変わる。
 善悪一≠ヘ、善にも悪にも嘘を一つとして拒絶する。否定する。
 本当は発散させたい雷電を抑えてサラトは睨みつける。少しずつ、その表情の無さが自然になってゆく。
 その時、ふと星天蓋≠ヘ口を開いた。

「アンタ、本当は寂しいんちゃうか?」

 その言葉に、サラトは思考を断たれた。
「……え?」
 星天蓋≠ヘ、まるで笑顔を持たない。
 いや、
 むしろ、
 余裕がないせいで笑えないように、見えた。
「……寂しくて、本当は一度失ったんやろ? 友達を。だから、失いたくないからガムシャラになる≠ちゃうんか?」
 余裕がないから、本音が¥oる。
 雷電が生まれない。トリック・オア・トリートの強制的な能力が発動しない。
 彼女は、本気でサラトを案じている=B
「初めてしった喜びが嘘やって知って、結局恐いから人を寄せ付けへんよぉなって、何がしたいんや? 駄々捏ねて我が儘撒き散らした結果、やりたいのは奪うことなんか」
「……がう」
「なぁ、チビ二号。アンタが欲しいのは恭亜? それともトモダチの恭亜=H」
「……違う」
「本当は気付いてるんちゃうん?」
「やめ――」

「アンタ、本当は何が欲しいのか判ってないんやないか?」

 その言葉が、サラトの心を引き裂くには充分だった。
「うるさいぃっ!!」
 悲鳴のような声が響き渡る。
 刹那、紫電が口の端から漏れる。
 星天蓋≠ェ目を見開き、サラトは涙を溜めて叫んだ。
「違う! 違う違う違う! サラトはいい子なんだもん! いい子だからサラトは許されるもん! 恭亜だって、お姉さんみたいなイジワルな人なんかより、サラトのほうが好きに決まってるもん!!」
 バチバチ! と紫電が金糸の髪の摩擦で膨らみ、逆上に我を忘れたサラトの体から一縷の紫電が飛ぶ。
「――あっ」
 咄嗟に、自分が何をしているのか気付いたときには、もう収束は遅い。
 飛んだ電気が、足元の広がりに触れ、サラトは怯えるように目を閉じた。
「〜〜……っ、」
 だが、閉じた目蓋の裏の闇は、一向に破られない。
 そーっと目を開けた瞬間、サラトの脇を白い姿がすり抜けた。
 慌ててそれを追うと、星天蓋≠ヘ出入り口のほうで振り向く。
 なんで、とサラトは足元を見下ろした。紫電が触れて爆発するはずだったのに、と。
 足元の濡れた広がりは、紫電を浴びてパチパチと音を立てているが、何も無い。
 まさか、という言葉がサラトの脳裏を過ぎった。
「これ、水?」
 車にあるのはガソリンだけじゃない。暑さを凌ぐために付けられる機能に、クーラーがあるのなら。
「ただの、水っ……!」
 はっと、彼女の言葉を反芻した。

『お互い攻撃したらアウトやな、ウチも寒がりやさかい』

 あれは、寒がりがどうのじゃなくて、攻撃が出来ないという部分にトリック・オア・トリートが感知したのだとしたら。
 急いで上げた視界の真ん中で、銃を突きつける星天蓋=B
「一応言うとくけど、寒がりは本当や」
 引き金が、引かれる。
 リボルバーとはいえ拳銃かと思う大砲のような発砲音。空を貫き奔るそれを、だがサラトは騙された怒りで返って冷静になっていた。こんな嘘つきなんかに、殺されたくない。
 銃口と視線の交わる先を見つめることを忘れなかったサラトは弾道を見切り、全身を横に向ける。
 胸すれすれを飛んでゆく弾。
 サラトは紫電を奔らせる。撃っても爆発しないなら、使える!
 そうして雷電を放とうと腕を上げたときには、星天蓋≠ェ不敵な笑みを浮かべて言った。
「でも、今度のそれ≠ヘ本当やで」
 え、と振り返ってしまった。
 それは、トリック・オア・トリートが反応しないため、咄嗟に彼女の言葉が真実として振り向いてしまったのだ。
 それによって、気付いた。
 避けた弾道は、見事に地面に落ちる四角い箱のようなものに突き刺さる。
 幾つも無造作に積まれているそれ≠ヘ、車が通る道の真上に置かれ、どろどろとした液体を流している。
 星天蓋≠ェこのマンション群から出ないのも。
 彼女が車を解体したのも。
 わざわざクーラーの水で嘘をついたのも。
 隙が出来たのに、出入り口に向かうことを先決した≠フも。
 これの、布石。
(ガソリンの、タンク――)
 瞬間、サラトの理解と同時に地下駐車場は紅蓮の爆発を起こした。





 ――第四章――
2006/03/19(Sun)03:32:23 公開 / 祠堂 崇
■この作品の著作権は祠堂 崇さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
第四章です。諸星です。
物語中に起きる騒動に紛れた最悪の事件。サラトの異常な執念が生む純真に、恭亜とアインはどうなるのか。
……みたいな感じのナレーションって、え? いらない? そんなこと言わないでよこの作品七割近くが勢いなんだから。
前作よりもはるかに『やっつけ』作業の多い(どこらへんがなのかはあえて黙します……)今回。エピローグが出来たらテーマ的なものを書き、その上で再度彼らがどういった意思を持ってこの事件に立ち向かうのか、読み直していただけると嬉しいと思います(直訳すると『もう一度読め』ってこと? と思った方、そんなに不正解でもない、です……)。
感想指摘、または黙して語らずともアインの名前をクリックしていただけた方々にも、感謝の言葉を贈りたいと思います。なぜまだ四章で贈るのかって? 諸星の勢いはいつ失速するのか不明だからです(ある意味では爆弾発言)。
それでは、この辺で。バイト帰りで二十時間寝てない頭で何を思ったかあとがき書き換えて四章2話をUPさせようとか考え出した危険域突入中の諸星でした。
かしこ。
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