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『LOST COLOR 【プロローグ〜第二章】』 作者:伊藤 昴 / リアル・現代 アクション
全角50376文字
容量100752 bytes
原稿用紙約161.85枚
SD.317。有限資源である燃料に代わり『マナ』と呼ばれる未知のエネルギー体の発見・活用に至り、世界発展に革命が起きてから約300年。ユグドラシルの地、豊饒と抗争の機械都市ミッドガルドを舞台に、能力者達の邂逅が織り成す激動が、静かに幕を上げ始めた。



 赦されないモノが、在ったとする。



 それは例えばの話だが、白と黒の混じった色は言うまでも無く灰色だ。
 赤と青で紫、金と銀で黄土色に近い色。
 色には限界が無い。それが何色であるかをこと細やかに言葉に表現するには限度があるが、それが『色』であることには違いがないのは、紛れも無い事実だ。
 だが、唯一色彩に混じっていては、決してならない色がある。
 無、だ。
 無色。透明。色でない色。色彩という、人間が色として識別する際に最も必要不可欠なモノが、欠落した色。
 白と黒を合わせても、無色にはならない。
 赤と青を合わせても、無色にはならない。
 金と銀でも、灰と紫でも、虹色と形容し難い色とを掛け合わせても、無色にだけは決してならない。
 そもそも、何も無いのに色と呼ぶこと自体が間違っているのかも知れない。
 無限に段階を重ねる色彩の世界で、どこにも位置できずに弾き出されておいて、色と呼ばれるもの。
 無色という存在は、限りなく膨大で限りなく曖昧で限りなく真実だ。
 色と呼ばれる総てとは違い、そこに塗りたくられても現状を曝け出してしまう透明度がある。
 たとえ、その曝された何かが、罪に溺れて酷く汚れて穢れて歪んでいても、総てを隠さずそこに留める。
 敵も味方も存在させない、諸刃という名の究極の色彩。
 もし、
 そんな爪弾きにされた色彩を統べるモノがいたとしたら、どうだろう。
 眼に映る有色を総て透明にしてしまうモノがいたとしたら、どうだろう。
 罪に溺れた者も、汚濁に塗れた者も、誰かが許しを希う暇すら与えずに平等にしてしまう。すべてを平面にしてしまう。
 優しき人も、愛しき人も、麗しき人も、誰かの上に居続けた強き者も構わずして、穢れた位と同類となってしまう。
 敵も味方も存在させない、善も悪も必要として留める、なのに自分は絶対に無色でいられる、凶悪で醜悪で最悪の色彩。

 赦されないモノが、在ったとする。

 とある少女は無色だった。
 だとしても、ただ透明であるだけなら、誰も彼女の存在など気付かないはずだった。
 だが、少女が赦されるシナリオなど存在しなかった。
 それは、眼に映る総てを無色にしてしまうこと。
 赤は、彼女の前では無色になる。
 青は、彼女の前では無色になる。
 黄は、彼女の前では無色になる。
 緑は、彼女の前では無色になる。
 白は、彼女の前では無色になる。
 黒は、彼女の前では無色になる。
 総ての有色は、彼女の眼に映るだけで透明となった。
 有色を透明にするモノ。
 それは、彼女から色彩が織り成す総てをも消し去った。
 感情も、人格も、肉体も、運命――幸福も不幸も、その先にあるべき、自分の未来すらも。
 総てが彼女の眼に映るだけで、薄れて消えた。無色になった。
 在るだけで、赦されない。
 少女の色は、決して赦されない。
 凶悪で醜悪で最悪の少女には、凶悪で醜悪で最悪のシナリオしか選べない。
 いくつもの可能性から選ばないのではく、その存在方法しか彼女には赦されなかった。
 優しさを殺す。浅ましさを殺す。四戒も常光も殺す彼女は、存在することが禁忌であった。
 永遠に。
 悠久に。
 ただ、赦されない。

 少女は眠り続ける。
 淡い夢を見続けて。叶うことの有り得ない夢を見続けて。
 ゆっくりと、ゆっくりと、眠り続ける。



 そんな、例えばの話。










 Prologue     赤い色、紅い色、緋い色





 暗い世界だった。
 視界を彩るのは黒。床に広がる鮮血が真紅に波紋を創り、むせる様な匂いが充満していた。
 狭苦しいだけのカプセル。満たされる緑黄色の培養液。呼吸はどうだとツッコミたいが、生憎と酸素を固形化して液体に浸しているのか、肺に入ると同時に気化して生体供給を賄っているらしい。
 別に自分で得た知識ではない。この前、狸寝入りをしている目の前で科学者二人が馬鹿みたいにペラペラと喋ってくれた。
 とても冷たかった。
 培養液自体は被験体の体温と同じになるように常に装置が働いている。
 でも、とても冷たかった。
 心が、冷たい。
 自分が、どうしてこんなホルマリン漬け紛いの扱いをされているのかを、憶えていない。
 気がついたら、ここに居た。
 何か、とても大切な何かを忘れた気がしたのに、どうしても思い出せない。
 思い出せない以上はどうでもいいのかも知れない。
 だとしたら、この心の寒さはなんだろう。
 ただ、それだけを機械的に考えていた。
 何も期待せずに、何も思想せずに、ただ、ただ……―――――――

「……それが、答えか」

 遠くから聴こえるのは、女性の声。
 広がる鮮血の上を静かに歩む二つの影。

「……………」
「求めた解を判らないと言うつもりか? トワ……」
「だとしても、これ以上この子達を傷つけるわけにはいかないのよ」
「それが答えかと訊いているんだ。あの鉄面皮も自棄になったも同然だな、イレギュラーを狩る側でなければならない存在が、システム史上最大のイレギュラーになったのだからな」
「いいの、それでも……私はセツを信じるわ。それが愛する女の出来ることだから、ね」
「豪く他人事だな。最早このプロジェクト殺しの災厄は私もお前も同じだ。ただでさえそいつを逃がすだけでも禁忌だというのに、挙句神に喧嘩を売るときたか。お前の無頓着は今に始まったわけではないが、ここまでくると頭痛の一つも起こしたくなるぞ」
「……ふふ」
「な、なんだ……?」
「心配性が表に出ているわよ、リタ」
「なっ!?」
「ふふ♪」
「わ、笑っている場合かこの莫迦娘っ!」
「いいじゃない♪ それに、セツのことは私が一番に信じているわ。それは愛する女の特権よ?」
「ふんっ……惚気るな」

 静寂が、重く染み渡ってゆく。
 何も言葉を発さなくなった女性に一瞥をくれてから、少女はゆったりと近づいた。
 培養液に関わりはないが、水の中は怖くて眼を開けない。
 ただ、すぐ目の前。強化ガラスに手を触れて、自分を見ている気配だけは、何故か判った。

「………ごめんね。貴女の総てを殺してでも自分を信じられるほど、神に忠実には生きられないみたいだから」

 とても凛としていて、美しい。なのに、その言葉には優しさが溢れていて、そして哀しみが滲んでいた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……護れなくて……寄り添ってあげられなくて、ごめんなさい……………」

 涙を流していた。
 それは、少女なのか。自分なのか。
 もしかしたら、互いに泣いていたのかもしれない。
 誰だか知らないけれど、想ってくれる誰かに、培養液の中で違う液体が目尻から込み上げた。
 何故か、この時だけ、心のどこかが暖かいと思えた。

「せめて、安らげる中で笑っていられるように……必ず生きて。悲しまないで、生きて………生きて」
「トワ、急ぎなさい! いくらセツでももう保てないわ……!!」
「……………、ええ。じゃあ、お別れよ」

 待って、と言いたかった。
 誰なのか分からないけれど、もっと知りたかった。
 他でもない、純粋に泣いてくれる少女の総てを。
 知らない人なのに、傍らに居て欲しかった。
 だけど、時は来た。

「最後に……私は眠る。終わらない世界で。ただ一人、ベッドに眠って待ち続ける。いつか逢える時が来るから。だから」

 そして、最後に少女が微笑っていることだけは、絶対的に判った気がした。





「親愛なる我が子。死ぬまで幸福でいられますように、と。心から願っているわ」





 そこで、総ては終わった。
 意識が途絶えて、涙を忘れる。
 記憶が薄れ、
 人格が掠れ、
 感情が壊れ、
 肉体が崩れ、
 総てが、無色になった。










 Scene.T     ネピリムCURTAIN CALL


 1


 風が強く吹き抜け、巨大な縦の空洞に渦を巻いて奥底へと過ぎていった。
 空洞の大きさは100メートル。縦の高さは最早誰にも測定できないだろう。上から落ちたら潰れたトマトどころの騒ぎじゃない。
 本来なら光が差すはずだが、上にあるアップタウンによる鉄の天井が、空洞にも似た街、ダウンタウンを暗く埃っぽい世界に変えていた。
 巨大空洞には無数のコードが吊るされ、無数の鉄筋とパイプが無造作に交差している。
 空洞、と言ってはいるが実際は巨大な塔であり、アップタウンとダウンタウンとの中間にそびえる一種の支柱だ。
 ホール型の建物と表現すべきか、金が無くアップタウンへと移動する際にエレクト・トレインやゴンドラが使えない、つまりはダウンタウンの住人の徒歩による移動用通路だった。
 だとしても、実際にダウンタウンの住民が上の街に赴いたところで、規制が厳しいアップタウンには行けない。
 それこそ、完全にただの飾りの建物でしかない。
 だが、例外が居る。
 空洞を中心に、数十階にも区分されるこの塔は、実際はかなり構造が複雑で広い。
 そのため、そういう§A中にとってダウンタウンへ逃げる際にわざわざ捕まり易い場所よりもここを経由したほうがはるかにメリットがある。
 塔自体を潰せばそれも解消できるが、そうもいかない。何故なら、構造上ダウンタウン、塔、アップタウン。という順で建っているため、早い話が『塔が崩れる=アップタウンのダルマ落とし』という結果になる。
 それでなくてもダウンタウンはアップタウン以上にマナと呼ばれる魔導動力エネルギーが満たされている大気を持つ。ダウンタウン無しではアップタウンは機能を維持できず、逆にアップタウン無しではダウンタウンは荒くればかりの無法都市と化してしまう。
 絶妙、故の不安定な情勢を持つが、世界中のあらゆる技術が凝縮された超巨大都市、ミッドガルド。
 四つの層によって構成されている巨大な街であり、アップタウン、ダウンタウン、ブラックタウン、そして最下層。
 二重のピザを想像すればいい。
 円盤状に建設されたアップタウン12区画に、同じく円盤状に造られた12区画のダウンタウン。地中街区にブラックタウン。
 無尽蔵な数の鉄柱と、アップタウンとダウンタウンの上下区画を支える12本の塔。
 12本の塔によって二段式になったピザ、という図だ。
 この街は元々規制の厳しさとそれに反発する反帝都軍組織との抗争の激化。外来外出絶対不可に対する闇ルートトレード。ブラックタウンのような無法地区の悪質化。積もる問題が絶えない。
 だが、マナの密度もとても高い場所であり、それによる経済発展は目まぐるしいものであることも事実だ。
 最大の汚点、それは言うまでもない治安。
 アップタウンの帝都騎士団の活躍は確立してはいるが、実際には事件数は増える一方。レジスタンスによる対抗戦は最早住民にとって迷惑なまでに激しくなっている。


 地に当たった風が、行き場を失って再び真上へと吹き上げられる。
 それによってぎしぎしと錆びた鉄の音を奏でるパイプの上。直径100メートル、高さは最早測定不能。
 そんな、誰もが震え上がるような場所に、ぽつんと立つひとつの影。
 光の届かない薄暗い空洞に迷彩色となる、漆黒の出で立ち。
 黒のカッターシャツとジーンズ。その上から全身を隠す巨大な黒のマントを羽織り、黒い髪とそれを裏切るような月白の肌。
 左腰にはガンベルトから差した黒い鞘に、幅の少し広い刀にも見える片刃剣。刃と柄の根元には、鍔の代わりに黒のメタリックが美しい噴射口が取り付けられ、銃のようなトリガーが付いている。
 中性的というよりも、やや少女にも見える若い美青年。その相貌には二つの漆黒の瞳が昏く、全身から感情が失せている。
 風切り音だけが虚しく木霊する空洞の中で、人間の腕ぐらいの細さしかないパイプに立つ青年は、もう完全に静寂と同化していた。
 じっと虚空を見つめる青年とその静寂は、彼の左耳に装着されているマイクロイヤホンによって破られる。
 薄いノイズと共に聴こえるのは、音色の高い少女の声。
『………ム………ピリ…………ネピリム!? 聴こ…て…すか……!? お……、も……ぉ〜しぃ!!』
 断絶すぎて、他の音があったら聴こえないような声に、それでも青年は小さく息をついた。
「……、ククリ。大声過ぎて逆に回線が悪いぞ」
『あ、そっか、ごめんちゃい……こんぐらいかな? そっちに二人行ったみたいだから、後片付けお願いヨロシクぅ♪』
「ククリ、いい加減に追うから逃げられるんだ」
『い〜じゃん。焦って物事を見据えてもいいことなんてノンノン♪』
「……、そろそろ言葉の言及ではなく、給料の減給にするか」
『わわっ! じょ、ジョークだよぉ……まったく、冗談が通じないような顔でホントに冗談にならない冗談言うかなぁ……』
 聞き分けのない娘だ、と青年は溜息を大仰についた。
『あ、溜息つきつきぃ? ダメだよ幸せはしっかりとっておかなくちゃ。特にミッドガルドでは、ね♪』
「いらない世話だ」
『じゃ、ぼちぼちお願いしまっす! ポカやらかして帝都の笑いのオカズにならないよーに♪』
「……、どうでもいいが、さっきからお前のMDの音楽が煩い」
 なにおー、という抗議の声に対して無理矢理回線を切って、青年は目を細めて薄暗い空洞を展望する。
 周りをぐるりと囲むそこは、1メートル程度の鉄柵だけであまりに頼りない。
 だが、その分通路を歩く人間は丸見えに近い。それも、空洞を繋ぐパイプの上に立っていれば尚更。
 足を踏み外せば一巻の終わり。だが青年はまるで臆さずに埃臭い空洞内部を高速で見通す。
(……、居た)
 高さにして青年の下方50メートル。螺旋階段になっている塔を下へ――ダウンタウンへと疾走している二つの影。
 ついさっき、アップタウンから輸送車を襲撃した連中の逃亡者だ。多少は計画的に犯行が行われ、アップタウンの帝都騎士団の捜査網から巧く掻い潜ったようだが、ダウンタウン独立所属部隊の管理局には一筋縄ではいかなかった。結局、十人は居た連中も残すところあの二人だけ。

 顔色ひとつ変えない青年は、パイプの上で身体を少し低くして、跳躍。

 普通なら、そこで即死への道一直線。
 だが、途中で擦れ違うコードに手を掛け、一気に重力を殺す。
 ロープのようにしなるコードを放し、鉄柵を越えて綺麗に回廊に着地。
 眼前に現れた青年に、二人の中年の男は驚いて立ち止まる。
 青年は、一瞥した視線を離さずに、左腰の太刀に手を添えた。
「機動管理局だ。月並みの台詞で悪いが、大人しくしてくれれば手加減出来る」
 必要事項のみの言葉に、男達は強張った形相で青年を睨む。
 距離にして5メートル。確実に拳銃を片手にしている男達の方が有利の位置だ。
 それでも男の一人が、慎重そうに、だがそれでも焦ったように口火を切った。
「……ふざけ、るな! ダウンタウンに潜伏している帝都騎士団紛いが……!」
 痛いところを良く見た罵声。だが、青年はまったく気にしない。気にならない。
「狗扱い、結構。だが罵声が終わりの台詞では、真面な配役にはなれまい」
 青年は腰の太刀をすらりと引き抜く。
 全体の長さは150センチという、まさに大太刀。黒銀の絹をあしらえた日本刀のような柄拵え。ただ刀の形状なのは柄で、柄自体もやや長く、太刀とも呼べるがツヴァイハンダー(諸手剣)に向いている。刃の部分は片刃でありながら反り返りのない直刀、太刀というよりも巨大包丁に近かった。
 鍔の代わりに、ロケットの装置のような噴射口が峰の方に付いており、人差し指の指元にはトリガー。そして、柄尻から切っ先まで一切の妥協の無い銀の光沢を持つ漆黒の刀身。
 大太刀を片手で軽々と振り上げ、肩に掛ける。
「過ぎたオーバーワード(脚本殺し)は三文芝居にしかならない。何も言わなくていいから拍手喝采でもしていろ」
「く、そぉ……!」
 苦虫を噛むような顔で男の一人が拳銃を構える。
 セミオート式のダブルアクション。形状からしてコルトの類だが、それを見て恐ろしいと思えるのは、その男の銃口が青年の頭部を目掛けており、何より、その眼は迷いがなかった。本気で殺す気でいた。
 引き金を引き絞る。同時にハンマーが上がり、
「死にやがれぇえ!!」
 銃弾が炸裂する。
 だが、
 青年は軽く頭を横にずらすだけで平然と避けてしまった。
 それこそ、ほんの数センチ単位の距離での回避。青年は、瞬き一つしない。
 チュイィン……!! と、背後の壁に弾が被弾する甲高い音が塔に木霊した。
 二人の男は、ぽかんと口を開ける。
「……、まさかそんな遅い弾速相手におろおろと転げ回って逃げる必要があるのか? 俺はショットガンでクイックショット(早撃ち)を自慢する知り合いがいるんだがな」
 まったく笑わない青年は、冷ややかに侮蔑と嘲笑の意を込めて、そう呟く。
 拳銃を突き出したままの男が我に返り、再び引き金を乱射すべく引こうとした刹那、
「遅い」
 端的な言葉を残して、青年が視界から消える。
 びくりと肩を竦ませて視線をやや上へ上げると、縦に回転しながらこちらへ滑空する黒い塊。
 ばさり、というマントの音だけが響き、男の目と鼻の先で着地。氷の視線が合う。
 だが、刹那の時だけ。
 次の瞬間には横合い、男の死角から飛ぶ左拳が脇腹に突き刺さった。
「う、ごぶっ……ふ!?」
 視界が白く染まり、くの字に折れ曲がった。その下を向いた顔面に、青年は容赦なく突き上げる蹴りを打つ。
 鈍い肉音と同時に男の身体が吹き飛び、階段にどうと倒れ伏せる。
 僅か3秒の早業に、挙動の停滞を解くのが遅れたもう一人の男が、怯えた表情で拳銃を突き出した。
 だが、近距離で腕を差し出すことがどれほど危険かを分かっていない男の腕目掛けて、青年は右腕に持っていた太刀を振った。
 ギン……!! という硬い物質の擦れる音の直後には、男の持っていた拳銃の銃口が斜めに切り取られる。
 あと少しずれていたら指が吹き飛んでいたことの恐怖に硬直した男に、さらに青年は嵐のような斬撃を繰り出す。
 伸ばした腕の先の、拳銃を少しずつ切り落としてゆく。一振り、二振り、三振りと太刀を振るう度にどんどん銃身が斬られて床に落ちる。
 最後に水平に太刀を一閃。気がついたときには銃把を残してスッパリと分解された銃を見つめ、男は茫然と歯を震わせた。
 青年は、まったく感情の無い瞳で、ぽつりと呟く。
「……、銃を……人を殺す勇気を持たないなら、」
 太刀を鞘に収め、青年は刺すような視線だが諭すような口調で答えた。
「気安く、人を殺められるだけの力を握るな。素人が」
 その一言に、男は震える息を漏らしてゆっくりとへたりこんだ。
 青年は左耳に手を添えて、イヤホンをつけた。










 24時間常に陽を見ることのないダウンタウン第3区画。
 塔のふもとに停車されているトラック。といっても見かけからした移動用ではなく、宿泊設備の整っている宿みたいなものである。
 出口のところに座って、暖かいココアに息を吹きかけながら少女は待っていた。
 桃色というド派手な髪をツインテールにしている12,3歳の幼い少女で、黒いノースリーブシャツに短いスカートと、白く瑞々しい肌を露出しているも幼い雰囲気が強い。顔は整っていてまだ丸みばかりの童顔。
 顔の小ささに似合わない大きなヘッドホンを着けていて、薄く音楽が漏れている。
 はふはふとココアの湯気に弄ばれている少女が視線をふと上げると、塔の狭いゲートを潜って出てきた三つの影。
 一人に肩を貸す男達の後ろから出てきた美しい顔立ちの青年に、少女は顔を明るくしてヘッドホンを外した。
「カイン〜! ネピリムが帰ってきたよぉ〜!」
 足をぱたぱたと振って良く通る声を発すると、室内から出てきた青年はにっこりと笑顔で迎えた。
 輪郭の幼さを、内面に孕ませた知性で大人びた風に見せる16歳前後。
 蜂蜜色の長い髪を、後ろで一本に束ねた利発そうな顔立ちで、眼鏡を掛けた物腰の柔らかそうな風体。
 向こうの青年や足元の少女と同じく漆黒の服。ただ長袖とズボンに羽織りという格好で、二人とは違った機能性を殺した服。
「成功のようですね」
「じゃなきゃネピリムじゃないも〜ん♪」
「ごもっとも」
 黒い青年に向かって少女、ククリ・アルジャーネは腕を目一杯に振った。
「ネ〜ピ〜リ〜ム〜!! お〜疲〜れさ〜ん♪」
「叫ばなくても聴こえている」
 ネピリムと呼ばれた青年は眉根を寄せて歩み寄る。
 黒い姿の三者に、気絶している男を担いだ中年が、恐る恐る訊いた。
「あんた等……あの管理局ってヤツだろ? 上の連中に加担してるっていう」
 すると、眼鏡の青年、カイン・ヴァーティラインも少し心外そうに苦笑した。
「随分な言い草ですよ、それ。まあ拒否はしますが否定はしません。実際、正義の味方ぶっているのは本当ですし、ね」
「……俺等も、帝都の連中に明け渡すのか?」
 核心を漏らさずに訊く男に、ネピリムは冷ややかな視線で即答する。
「そうだ」
「……! 結局、あんた等も上の奴等みたいに思ってるってことだ。どうしてだよ、ダウンタウンの人間のクセに、エリート気取りの連中に手を貸すなんて」
「別に手を貸したわけじゃない。俺達は俺達の意思でイレギュラーハントをしているだけだ、勝手に仲間内に囲むな」
 容赦のない一言に、男は押し黙る。
「それに感謝の釣りがきてもいいぐらいだ」
 え? と男の怪訝な顔に、明るい表情でククリが答えた。
「そぉだよ〜♪ 言っとくけどねオジサン、逃亡罪ってけっこー重いんだから。悪いことしたんだから罰ぐらいはあるだろうけど、だからって逃げたら絶対に死刑確定だよ」
 そう。
 実際に区別するなら、機動管理局は民警。帝都騎士団は軍警備隊という感じだ。かなり簡単な言い方だが、間違った表現ではない。
 ただ、管理局は帝都軍と違って何かをするにも気分で、ほとんど相談屋じみた行動を起こしている。
 そのせいか、帝都軍のようなキャリア重視の企業都市では相当毛嫌いされているダウンタウン派の警備隊、それが機動管理局。
 だからといって、アップタウンに対していがみはするが表立った抵抗運動はしない。したらレジスタンスと同じになってしまう。
 カインが微笑を湛えて話を切り替える。
「どちらにせよ、レジスタンスでないのでしたら上の刑罰も軽くなると思いますよ。ダウンタウンの情勢が判らない連中でもないでしょう」
「……他の、仲間も……無事なのか?」
 散り散りに逃走した男は、仲間の安否を知らない。
「既に騎士団が捕縛しただろうな。だがアンタ等と同様、反省する気があるなら殺されはしない」
「………なあ、」
 男は、少し緊張を解いた表情で、言葉を続ける。
「確かに俺等はレジスタンスじゃないからアンタ等に興味は無いが……どうして俺等のことで一々構おうなんて思うんだ?」
 ククリがココアを片手にきょとんとするが、ネピリムがまた即答した。
「勘違いするな。アップタウンのマナの搾取に苦しんでいるのは、あくまでダウンタウン全体であってアンタ達だけの問題じゃない。勝手に被害者ぶられても迷惑なんだよ」
 情けに対して冷たい口調。だが男は神妙な面持ちで耳を傾けた。
「確かに俺達のやっていることは偽善かもしれない。だが、誰かが汚れ役じゃなければいけない世界なら、俺達が汚れてやってるだけだ。アンタ達みたいな連中に、気分や感情で汚れてたまるか」
 だから管理局なんてものを、騎士団の反対を押し切って発足したのだ。
 誰かが悪にならなければならないなんて間違っている。そう意志を持って管理局を取り仕切る女がそう言っていたのは、偽善だが間違いではない。
 堅苦しい正義に囚われなければ正当化出来ないアップタウンとは180度趣旨が違うが、所詮管理局もそういうことだ。
 ただの、ダウンタウン専門の警備組織でしかない。
「俺達はアンチスキル(警備隊)じゃない、結局はただのネゴシエーター(交渉人)だ。だから悪事を続けるなら止めはしない、ただ俺も容赦なくアンタ達を――」
「いや、もうこれ以上は大人しく捕まることにするよ」
 ネピリムも口を閉ざす。担いだ中年を床に寝させて、男も疲れながらの苦笑を浮かべた。
「アンタ等ダウンタウンの人間にまで迷惑かけて、馬鹿みたいだな俺等……悪かった、もう諦めるさ」
 ネピリムは、あえて何も口に出さずに視線を外し、ククリとカインもそれぞれの笑みで迎えた。
「それならば、僕達も何も追及はしません。それに――」
 カインは塔の脇にある巨大エレベーターが降り、重い扉が開いたのを見つめて目を細めた。
 中から出てきたのは、深緑の色の詰襟軍服を着込む数人の男性達。
 その先頭に立っているのは、男性達に頭一つ分は小さい体躯を白い戦闘服で包んだ――少女。
 修道服に似ていて、ロングスカートを脚が露出するように側面を裂いたような服装で、漆黒の髪を背中まで真っ直ぐ伸ばした姿。
 純日本国の出身であるのは容姿に留まらず、西洋の衣服に似つかわしくない黒銀の日本刀が左腰に携えられている。
 機械的に近寄ると、その相貌はさらに際立っていた。潤んだ唇に整った鼻、小さな頭に大きな黒い瞳を鋭くした目つき。金糸をあしらった白い装束と相まって、気品と精美なものが、黙っていてもひしひしと伝わってくる。
 管理局のトラックの前に立つと、少女はネピリムを睨み上げた。
「その男達は先刻の輸送車を襲撃した連中の逃亡者だな?」
 凛としているが、感情の刺々しい声。
 ネピリムもほんの少しだけ表情を険し、ククリはさっさとヘッドホンを着けてしまった。
「……、そうだ」
「ふむ、連行しろ」
 少女の言葉に、背後に立っていた男達は音も無く近寄って二人の逃走者に手錠を掛ける。
 少女はそれを一瞥してから、もう一度ネピリムを見上げた。
「ふん……ダウンタウンでも有名になってきたのだな。帝都騎士団のレプリカ風情が、随分と粋がっていると聞いているぞ」
「お前達の真似をした憶えは無い。アップタウンに出来なかったこと≠やっただけだ」
「減らず口を……!」
 睨んで、少女は踵を返す。
「管理局だか知らんが、我々帝都騎士団の敵にならないことを祈ってから寝ろ……。総員、撤収!」
 一喝に男達は動き、縄を引かれる男がネピリムを見る。
「なあ、アンタ名前なんてんだ? せめてそれぐらいは教えてくれ」
 ネピリムは少し考えてから、
「……、ネピリム。それが俺の名前さ」
 男の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
 数秒の停滞の後に、男は恐る恐ると訊く。
「ネピ、リム……? アンタまさか……終幕<lピリム?」
 その問いに、ネピリムは笑顔も作らずに言い置いてトラックへと向かった。
「……、さあな……人違い、さ」





 2


 ダウンタウン第3区画を移動したトラックは建物の陰に停車していた。
 トラックとは言うが居住可能の造りになっていて、客室に当たる部屋が彼等のよく居る場所だった。
 中の構造は至ってシンプル。板張りの床に柄の無いカーペット、4脚テーブルと四つのソファはぐら付かないように固定され、窓は強化ガラスによるひとつのみ。
 調度品は無い。一応は特攻用に造られたトラックである。調度品なんてあったら室内ぐっちゃぐちゃだ。
 ソファの定位置に座る三者。
 全員漆黒の出で立ちではあるが、放っている雰囲気からして違うので、三つの空気が生まれている。
 ネピリムは三人掛けのソファに座っているが、元S級特殊魔導宝具『レヴァンテイン』の整備をチェックしている。下手な人間並みの刃渡りを持つ太刀をソファに横にしているので三人掛けなのに一人独占状態になっている。
 純度の高いマナを充填して弾丸に込めるカートリッジアクショナルシステム搭載の起動大剣。
 弾丸に火薬代わりに詰め込むマナは、術者(この場合はネピリム)の体内に持つマナを媒介に変換する。
 実際にマナを操作できる人間は極少数だが、ネピリムはそのマナの操作に長けている。ククリやカインもマナを原動とした能力を行使できるが、あくまで付与される能力であって、マナ自体を扱えるのは、管理局でもネピリムしかいない。
 ちなみに、とある白装束の少女もネピリムと同じであることは、まったくの余談である。
 ネピリムと向かうように三人掛けソファに座る桃の髪をツインテールにした幼い少女、ククリ・アルジャーネは折り曲げた両脚を抱いて小さな頭にそぐわない巨大なヘッドホンを介して音楽を聴いているのか、鼻唄を歌っていた。
 ともあれ、静かな室内にシャカシャカと漏れるその大音量は耳を悪くするのだが、ククリはとある理由から日常の音をMDで遮っている。
 良い言い方で副作用、悪い言い方で代償と呼ぶべきそれは、ククリの意思を無視してあまりにも強制的に発現するので、常日頃から日常会話をシャットアウトしていて、気が向いたときしか外さない。
 そして、一人掛け用のソファに背筋良く座って、目の前のパソコンに視線を集中させる眼鏡の青年、カイン・ヴァーティライン。
 彼はいわゆる参謀役。フィールドワーク担当の二人を指揮し、作戦を練るマイコン的な役割だが、実際に戦闘になったとき弱いのかというとそうでもない。護身術があるということもそうだが、彼の能力が発動できるのは夜間のみなのだ。
 機動管理局は他にもまだいるのだが、年齢的にも相性的にも考えて、この三人はよく行動を共にしていた。
 というより、放って置くと何を仕出かすか判らないと、帝都騎士団からもレジスタンスからもある意味恐れられている独立武装集団だ。少数とはいえ団体行動をしてくれたほうが、連中も都合がいいのだろう。
 パソコンに繋いでいたOSコードを外して、カインは視線を上げる。
「さて、今回の襲撃事件は無事解決したとして、スペアリブ(食前酒)ぐらいのノリでしたけど、どうです?」
「大した歯ごたえが無くてつまらなかったな。どっかの爆弾娘みたいなのとは戦いたくはないが、もっとマシなのは無いものか」
「い〜じゃ〜ん、ミッドガルドだって平和なときは平和だってことだよ♪」
 何度も言うが、ククリはヘッドホンから流れる大音量で日常会話をシャットアウトしている。声は全く聴こえていない。
 物心つく前から読唇術の習得をしていたため、日常会話を目で見て理解することが習慣というよりも当たり前になっている。
「他にはもう無いのか? さすがにこの程度の土産話でイリセリアの館に戻るのもどうだか」
「う〜ん……有るには、有るんですけどねぇ………」
 遠回しな苦笑に、ネピリムがピンと来た。
 カインのこういう笑い方には、必ず何か含まれることをよく知っている。
「聞かせてくれ、興味ある」
「実は、ダウンタウンでA級の回収指定がされている特殊魔導宝具が徘徊しているというものですが」
「A級……随分と物騒な代物が徘徊しているもんだな」
「まったくです。事実そうなら騎士団が動くのですが、ちんたらしてるんなら奪っちゃいましょうか」
「やめてくれ、そのツケを回してくるのはいつも俺にだろう」
「はは、ごもっとも」
 カインが一方的に笑った後に、もう一度視線を落とす。
「あとはそうですねぇ……ダウンタウン第5区画でスリが多発してるとか、ブラックタウンで違法トレードが行われたとか、またレジスタンスの威嚇攻撃があったとか」
「スリはともかく、違法トレードの下りは完全に騎士団の仕事だな。だとしても不確定スリも願い下げだが……」
 基本的に管理局と騎士団は不可侵を結んではいるが、協定は結んでいない。
 性格が合わないというのも含まれるが、たかが仲違いで法を知る者同士が扮装をしたら話にならない。
 応援要請があれば受け付けるが、結局相手がしていることに勝手に首を突っ込む人間はいない。極少数を除いては。
「他には……ん?」
 カインの跳ねた声に、ネピリムが視線だけを寄越す。その表情は『どうした?』と訊いていた。
「あ、いえ……なんだか妙な噂があったものだなぁって思いまして」
「何がだ?」
「えっと……最近、ダウンタウン第10区画で幽霊が出没するという話らしいんですが」
 幽霊? とネピリムは顔をしかめた。確かに信じられない≠ニいう類の怪訝な顔だが、それはあくまで『幽霊は』ではなく、『この都市で幽霊の噂が立つことが』という意味合いを省いた結果である。
 マナや能力者など、超常現象を扱うとはいえ幽霊はミッドガルドでは規格外だ。と言いたいところだが、同大陸別都市のニヴルヘイムはキマイラ・クローン(乱種結合生命)、アルフヘイムでは純粋な魔法使いの研究がされている。ミッドガルドに幽霊沙汰は、いささかメルヘン(幻想的)ではあるがオカルト(非日常)とは言い切れない。
 どういう意味かを問いただそうとネピリムが口を開く一歩手前で、ククリがちらと見たカインへの読唇で表情を輝かせてヘッドホンを外した。
「なにナニ幽霊!? なにその素敵イベント!!」
 机の上を飛び越えてパソコンを覗き込む。
 ククリは管理局でもネピリムのような殺伐キャラの相反する、楽しいことが好きな性格をしている。
 というより、カインはまだしも管理局の人間はほとんどがいい加減でやりたいことしか気が向かない破天荒さで騎士団やレジスタンスにある意味恐れられている連中の集まりだ。
 幽霊なんてワケワカラナイモノにすら手を出したくなる組織なんて本末転倒だと思うだろう。でも実際にいるのだから仕方が無いのも事実といえば事実だ。
 元よりゴリゴリの縦社会の騎士団とは違って、ほぼ全員の意思が通用する横の組織団体だ。
 従って、今のように組織の一人でしかないククリの意見
「行きたい! はいはいセンセー行きたい行きたいすっごく行きたいでーす♪」
 というか、まんま我が儘でも動くことがしばしばある。
 だが、ネピリムにしてみればつまらない話だ。巻き込まれるのはちょっと嫌だと感じる。
 なので、
「却下」
「なんで!?」
「億劫」
 にぎゃー!! と喚くククリ。ここまで来てどんちゃん騒ぎ推奨派の意地を通さないわけにもいかない。というより暇過ぎる。
「行こうよぉ〜。ねっ、ね?」
「いやだ」
「いやだってネピリム……君が我が儘を言ってどうするんですか」
 溜息をつくカインに、ネピリムも渋面を作る。こういう時のククリが引き下がらないことぐらい、二人ともよく理解していた。
「お前……大体そこまでして面倒に首を突っ込みたがるんだ?」
「だって暇ヒマなんだも〜ん♪ ただでさえさっきの仕事だってククリあんまり動かなかったし、あれ≠燻gわなくて欲求不満〜」
「今日びの年頃の娘が欲求不満とか言うな」
 だとしても、いつまでぶーたれるか判らない。
 『レヴァンテイン』の整備中だというのに、ネピリムの座っているソファの方へ無理矢理乗りかかるククリ。
 無邪気さが愛い行動ではあるが、限度を超えればやっぱりウザい。
「えぇい、さりげなく頬を擦りつけるなっ!」
「あ、イイコト聞いた。ごろごろ〜♪」
 あ……嫌そう、と内心でカインは苦笑する。
 鳥肌が立つほどではないが、暑苦しいのでネピリムは苛立った。
「………判った」
「え?」
「第10区画か」
「はい、そうです」
 豆鉄砲を喰らった鳥のように目を丸くしていたククリは、やっと起動する。
「行くの!?」
「仕方が無い、煩いのは御免だ」
 唸るように溜息を漏らすネピリムを見下ろし、「やった〜ネピリムありがと大好きごろごろごろ〜♪」とじゃれ付いてきた。
 なんだか安請け合いをした気がして、ネピリムは薄く後悔した。


     ◆


 同刻。
 アップタウンの中央にそびえる巨塔セントラルチャペル。
 チャペルと呼ばれる所以は一見で瞭然とする外観で、横幅に広く二つの先端が尖った塔に挟まれて巨大な鐘が吊るされており、誰がどう見ても西洋教会だった。
 恐らく、この機械都市ミッドガルドで最も機械らしからぬ結界≠ニいう魔法を用いた要塞だ。
 『エデン・レプリカ』という名の結界式術式魔導錬金法。
 かの魔術都市アルフヘイムでの遺産であるが、純金と特定の音色が生む音階のシグナル(信号)を介して二つの魔法を併発するらしい。
 らしい、と曖昧なのはそれを知っているのが帝都騎士団の上層部の連中だけだからだという。
 結局のところ、ただの馬鹿でかい教会にしか見えない建物ではあるのだが。


 綺麗な銀糸の刺繍が美しい蒼の絨毯が続く廊下。
 アスカ=ミズキは先刻の輸送車襲撃の件の報告を終え、一人廊下を進む。
 支柱塔のふもとに関わらず、ダウンタウンはアップタウンという天井のせいで常に風だけに晒され空気が砂っぽい。そのせいで随分と埃塗れになった身体をどうにかしたくて、アスカは足早に歩いていた。
「あ、いたいた……先輩ぃ〜!」
 背後から男の声がする。大した異常な声ではないにしろ、その声にはどこか弱々しい雰囲気が伝わってきた。
 振り返ると、小走りで近寄る若い男の顔は、やはり幼い輪郭がどこか感じた。
 長身であり、女性の平均より高めのアスカでさえ頭一つ差が出る男は紙切れを挟んだボードを片手に傍まで来ると、その長身をペコリと折った。
「グレイズ」
「探しましたよ。報告をしようと思って……」
「話せ」
 端的に告げ、歩き出す。コンパスはアスカのほうが短いのだが、早足なのでグレイズ・カッシュウはやや小走り気味で横を尾いてゆく。
「浮上不確定だったA級回収指定特殊魔導宝具『ザカート』のダウンタウン徘徊が確認されました」
 『ザカート』。アスカも聞いたことがあった。
 終幕≠ニ呼ばれている男の持つ大太刀『レヴァンテイン』や、いま二人が居る『エデン・レプリカ』と同様、マナ機動式特殊デバイスの一つだ。
 基本的に魔導宝具と呼ばれる秘宝は、マナを原動力に動く物総てを総称する。要はマナによって稼動すればなんでもいいので、『レヴァンテイン』やアスカの所持する細身の日本刀のように武器の形状を持つ物や、『エデン・レプリカ』のように結界や城塞の形態を持つ物もある。他にも霧や思念体のほか、究極、人の形をした魔導宝具も存在するらしいとか。
 しかも今度のはA級。危険度にピンと来なければ、A級は小規模集落消滅の可能性大。S級にもなれば大型都市崩壊の可能性も有りと判断される。
 ちなみに、『レヴァンテイン』などという危険極まりないS級を所持している男がいるが、『レヴァンテイン』がS級なのは破壊性ではなく耐久性にあるため、スルーされているというのはまったくの余談である。
 『ザカート』はミッドガルドと隣接する都市アースガルドによって造られた人工魔導宝具、厄介なのはマナを吸収充填して稼動する自立機動型であるということ。要は勝手に考えて勝手に動き回るタイプだ。
 ミッドガルドは大陸、ユグドラシルの地の中で最も大気中に浮遊するマナの密度が高い都市だ。『ザカート』に限らず魔導宝具が活動するのには、ミッドガルドほど最適な場所はない。
 ふむ、とアスカは顎に指を添えた。
 ここで『ザカート』という単語が出てくるだけで、随分と懸念すべきことが増える。
 先に述べたが『ザカート』の製造元はアースガルドだ。翌々考えてみれば、近隣とはいえミッドガルドに居るはずがない。
 しかも、『ザカート』の起動コードは二種類ある。一つが自立機動、もう一つがデバイスコードを経由して他者からの命令で機動する。つまり、『ザカート』がミッドガルドまできたのは何らかの人為的なものを感じる、ということ。そうでなければ、ミッドガルド周辺をうろうろしているだけで『エデン・レプリカ』の領域にキャッチが入るはずだからだ。
 となれば恐らくは、
「レジスタンス、か……」
 グレイズが頷く。
「確証はありませんが、否定はできませんね。ここのところ激戦は無いにしろ、ちょくちょく戦闘の跡が見られますし」
 だとしても、腑に落ちないものは二人とも感づいていた。
「グレイズ、ダウンタウンに間違いはないのだな?」
「はい。それは間違いありません」
 だとすれば尚更おかしい。
 元より、アップタウンを騎士団、ダウンタウンを管理局、そしてブラックタウンと最下層をレジスタンスが陣取っている。
 勢力的に見ても仲立ちすらしない空気を持っている管理局でも、勝手にダウンタウンで暴れられたら動くに決まっている。
 何故、『ザカート』の確認が管理局の領分でされたのか。
「もしかして、機動管理局の連中が?」
「有り得ん。管理局の頭領はアップタウンの人間だ、そこまでしてA級戦闘′^を無理矢理トレードするとは思えんな」
 それこそS級所持の際にも随分と揉め事と押し問答を繰り広げたものだが、自分を追い込んで快感を得るほどマゾな集団ではない。
 それは、アスカが一番よく知っていた。
 ふと立ち止まる。
「まだ不確定要素が多いな。引き続き捜査を、立証言が整った後に報告をしてくれ。指揮は貴殿に任せる」
「判りました。後は小さなものですけど……どうします?」
 アスカは嫌そうに表情を歪めた。
「グレイズ……悪事凶事に大小の選択意義を持ち込むな、騎士たる者に恥ずべき思想だ」
 咎めるような視線に、グレイズは申し訳なさそうに頭を下げた。
「まあ、良い。それについては下に回してくれ」
「あ、はい……それはいいんですけど、どこへ?」
 ぴくり、とアスカの形の良い眉が揺れた。
「……………貴殿は、私が女には見えんのか?」
 アスカの背後には、ノブの取り付けられた扉に『女性シャワー室』と文字の打たれたプレートが掛かっている。
 そこに来てようやくアスカの思わんとしていることに気付いたグレイズが、顔を真っ赤にして慌てた。
「なっ! え、えええええと……!!」
 なんていうか、美少女の上目遣いは破壊力があるのだが、恐らく……いや間違いなく無自覚にやっているだろう。
 計り知れないプレッシャーに男の性が働いてか、グレイズは強張った赤い表情でうろたえる。
「し、失礼しましたぁああ!!」
 そのまま転びそうになりながらも廊下を走る。
 お若いグレイズ・カッシュウ(19)の背後を、まだまだだと溜息混じりに見送るアスカ=ミズキ(17)であった。
 アスカはドアを通って中へ入る。
 さすがにこの時間にシャワーを使う人間はいないらしく、中は無人だ。
 刀を立て掛け、ベルトを外しながらアスカは懸案事項の処理を無言で行う。
 『ザカート』については確証が無い今動いても無駄に終わる可能性もある。それについてはまだ彼に任せよう。
 服を軽くたたんでロッカーに放り込み、髪を縛るゴムの口にシャワールームの引き戸に手を掛け、
 ふと、そこにある姿に視線を向けた。
 鏡に映る、黒髪の少女。珠のように白く瑞々しく滑らかな、瑕の無い宝石のような細い体躯。
 きっと、彼女の力量と智性と気品が織り成す『強さ』を知る者が見れば、だれだってこの華奢すぎる肢体に驚くだろう。
 彼女自身も、この女としての完成度の高い肉体に薄い嫌悪を持っていた。
 ミッドガルド帝都騎士団副隊長などという肩書きを持ち、そこへ辿り着くだけの術名まで持ち、度量器量が人々を惹きつけ、誰よりも美しく強く生きる、騎士に生きる姿。
 なのに、目の前の鏡に映るのは、少女としてのか弱い姿。
 アスカはどうしてもそれが好きになれなかった。服を脱ぐだけで、傷一つ知らないただの子供になる自分が。
 あの黒い青年のように、それすらも迷い無く受けきるような強さが欲しかった。無理矢理な力ではなく、もっと――、
「………」
 軽い溜息をつき、アスカは引き戸に手を掛けてシャワールームに入った。





 3


 ダウンタウン。
 12に分かれたピースが隔壁に隔てて結合された円盤状の街並み。当然アップタウンも円盤状に出来ているため、上空を綺麗に遮られて日光が拝めない。
 ただでさえマナは供給搾取によって枯渇し、草木が生えない死の土地となっている。
 人々も上を向いたところで砂の舞い落ちるだけの鉄の天井しか見えない。
 ちなみに、一区画おきの面積は約20平方キロメートル。それが12個あるのだから馬鹿げた大きさだ。
 第3区画から第10区画まで移動するのに、車を使っているにしても七つもの隔壁をいちいち通らないといけないので、それだけで数時間掛かる。とてもじゃないが道楽で移動する距離とは思えない(彼女はそうは思っているようだが)。

 かくして、『機動管理局局員による幽霊騒動捜索』という名目の元、さりげないククリ・アルジャーネの暇潰しが敢行された。





 建物の陰にトラックを停車し、カイン・ヴァーティラインはしっかりと施錠する。
 腐っても特攻用のトラックだ。防弾装甲な上に強化ガラスと満遍なくフル装備なので上下左右どこからでも傷一つ付かない。
 というより、管理局に喧嘩を売ってまで燃料食いの激しい乗用車なんて盗む人間がそうそういない。根本的に考えたって、第10区画はほとんどマナの影響を失いつつある。そもそも人が来ないのだ。
 でも念入りにロックする必要はあるだろう。一応は特攻用だが、一応は住居用でもある。
 何が言いたいのか、それは『ククリが居る』とだけしか答えようがない。そんなもん訊く人自体が野暮です。
 振り返って、カインはショルダーバックを掛け直して二人を見る。
 随分と相対的な表情だった。
 ネピリムはネピリムでもの凄く苛立ってムスっとした表情だ。元々請けたとはいえ不本意だ。カインと運転を替えてここまで来て、訪問相手が幽霊なんて終幕≠フキャラじゃない。暇と面倒は違うということを理解して欲しそうな渋面だった。
 ククリはククリでもの凄く楽しくて仕方が無さそうな表情だ。元々言いだしっぺは彼女の方だ。かれこれ六時間の移動中もはしゃぎ、幽霊探険というイベントを楽しみにしている。どうせの時間は有効に愉しむべきだと言いたげな笑顔だった。
 それらを見比べてカインは苦笑する。
「さて、行きましょうか。といっても、真面な情報はまるでないんですけどね」
「……、難点はそこだな。どうするつもりなんだ?」
 事の発端であるククリを見ると、少女はにんまりしながら片手を挙げた。
「とにかく歩き回る♪」
「カイン、正確な情報は無いのか」
「そうですね、確かその幽霊は白い子供だったと聞いています」
「……………すっごい気持ちいいスルーされた。イジメ? ねぇイジメ?」
 なんだか不毛な会話になりかけて溜息をつくネピリム。
 廃墟を見回すが、むしろ幽霊はおろか誰か捜すということが難しい。
 これを、本当に歩き回るつもりなのだろうか。飽くなき探求心は結構だが、それに『巻き添え』が加わるといっそ戦慄が奔る。
 なんだか茫然としだしたネピリムをよそに、ククリはウズウズを抑えきれずに先頭を小走りしだす。
「れっつご〜♪」
「……、まったく」
 女にも見える中性的な顔を疲労で歪めて後を追う。
 胸元に携帯している煙草を取り出し、お気に入りの黒のジッポで火をつける。ふぃー、と一服。
 隣りを歩くカインが苦笑した。その笑みの中に、咎める意思も加わるが。
「ネピリム、煙草を吸うなとは言いませんが度を過ぎないで下さいね。ショウコさんに注意されたでしょう?」
 ああ、とネピリムは生返事をする。
 今時のミッドガルドで17歳の喫煙なんて誰も咎めない(むしろ皆それどころじゃない)のだが、管理局の本拠にしている館だと、吸うとそこの侍女さんに怒られるのであまり吸う機会はない。
 ただでさえククリの前では吸わないように心がけているが、煙草依存ぐらいなったところで文句を垂れるのは館の持ち主と侍女か、どっかの騎士団の頑固娘ぐらいなものだ。
 かくいうカインは多少の酒はまだしも煙草は吸えない。というより、ダウンタウンに住んでいる人間は煙草に費やす金があるぐらいなら少しでも腹の足しを求なければやっていけない。吸いたくてもそうそう吸えないだけである。
 ちなみに、煙草とライターのガス代だけで拳銃の弾丸が数発買えるという最近の情勢に、二つの意味でショックなカインであった。
 ねめつけるような視線に気付かないネピリムは上を向く。
 それが、天を仰ぐと表現できないのは、その視線の先に灰色の天井が掛かっているせいだ。
 ネピリムはふと思い出す。そして思ったままに口にした。
「もう、七年か……」
 その主語が抜けたネピリムの呟きに、カインは澄ました表情をした。
 ネピリムにとっての七年とはまさしく、カインが一番良く知っている記憶のことを言っているからだ。
 だから、カインも呟くように答える。
「そうですね。君が管理局に来て……いや、君という人間が在ったのは、と言うべきでしょうか」
「……、」
 思い出す。
 ずっと以前のことを。



 最下層。
 『星の海』とも称するそこは、陽光をまったく受け付けない地下の都市。同じく地下街区であるブラックタウンのように、人口電灯を持たないため、最下層は本当に漆黒しかない。
 唯一の光源は、50平方キロメートルに及ぶ壁全面に含まれている夜洸石によって、夜道程度には見える。
 そこには、街というモノは無い。正確には在ったようだが、崩壊による崩壊で建物など微塵も無くなってしまっている。
 瓦礫ばかりの大空洞には、たった一つだけの魔導宝具が存在するだけだった。
 黒いドーム状の壁。街灯も無い夜道レベルの暗がりに、それでも映える漆黒の壁面。
 一見してただの壁だが、その湾曲の壁面こそが魔導宝具。
 S級回収指定魔導宝具『黒の地平』。
 様々な魔導宝具を研究しているミッドガルドだが、未だに『黒の地平』だけは未知の宝具として、誰もその材質はおろか効果や特性といったものも理解出来ていない。
 『黒の地平』は基本的に何も起こさない。ただその黒塗りの壁を露出させているだけである。
 特出すべきは、その硬度。今までミッドガルドは元よりアルフヘイムやニヴルヘイムですら、あの壁に傷を付けられなかった。
 ネピリムの持つ『レヴァンテイン』も、『黒の地平』と同じ材質であり、大太刀に加工できるというなんらかの操作が出来ると踏んでいるが、それ以外が総て謎の絶対防護壁。それが『黒の地平』。
 最下層には『黒の地平』しかない。というより、誰もそこまで足を運べない。
 マナが充満し過ぎているのだ。マナは科学的に言うなら、酸素と同じ役目を果たす。無ければ豊饒に欠陥が生じるが、有り過ぎても弊害を引き起こす。
 原理としては酷く簡単なことだ。単に大気を構成するマナの密度が高すぎるため、人体が必要な酸素や窒素が稀薄となる。丁度、高山の頂に酸素や気温が平均より下回るのと同じだ。
 充満しているマナのせいで、生身で侵入することも叶わない最下層。
 そこで、カインは出遭った。
 夜間による能力の発動で、最下層を探査していたカインが見たのは、一人の少年。
 『黒の地平』に寄りかかるようにして眠る姿は、場所や風体に似合わずに穏やかだったことを思い出す。
 ボロ布一枚しか羽織っておらず、顔や身体の所々が煤けて汚れて、それでも気付かないほど小さい吐息を繰り返す。
 彼が彼である証はただひとつ。胸元に置かれてあった、『NEPILIYM』と打たれたアルミ製のネームプレートだけ。
 ネピリムは、記憶喪失である。
 といっても、今時10歳の子供が記憶を失うことは、それほど負い目ではない。最近のブラックタウンでは栄養失調による精神崩壊を起こしている子供だって指折りじゃ数え切れない。
 カインは、あの頃も中性的に美しい少年に魅入っていた。
 能力に関係無しに最下層に居ながら、マナ過量中毒病を受けないこともそうだが、少年の存在は他の空気を圧倒していた。
 放って置けば、あと4,5日先には死体になってしまうほど弱々しいはずなのに、その姿にカインは魅了された。
 かのレジスタンスの人間、棘の君≠ニ呼ばれる少女にすら惑わされたことのないカインが、だ。
 だからだろうか。
 あの時の、ネピリムを背負って最下層から出てきたカインを見て驚くイリセリア達の顔は、正直笑えた。
 もしかすると、と。ネピリムは思う。
 カインが自分を救う気になったのは、単なる気まぐれなのだろうか。
 もしかすると、カインもネピリムと同じ―――――――、



「――リム?」
 ふと、掛けられた声にネピリムは我に返る。
「……、悪い。なんだ?」
 聞き返したが、カインは「え〜っと」と言いながら苦笑して頬を掻いている。
 怪訝そうに首を傾げて、彼が指す方向を向くと、理解した。
 ククリが、居ない。
「……、しまった」
 思わず顔を手で覆ってしまう。
 完全に失念していた。ククリはMDの音楽によって日常音を遮断している。逆説、周りの音が聴こえないということは後ろに尾いて来ているはずだと思ってはぐれ易いということに繋がる。
 現に、ククリはすぐにはぐれる失踪癖なる悪癖を持っている。
 すみません、とカインが控えめに苦笑する。どうやら考え事に耽っていたのはネピリムだけではなかったらしい。
「どうしましょうか」
「仕方が無い、捜そう。アイツもそこまで方向音痴ではないし、騙されることはまず有り得ないしな」
 カインも頷く。もしかして、孤立していることに気付いたククリも、自力で車まで帰ってこれるかも知れない。
「アイツだって、むしろ時間を問わない対人戦闘ならお前よりも強いんだ。そこまで心配する必要はない」
「ですね。じゃあ、僕らも僕らで幽霊でも捜しますか」
「ああ、ここまできて逢わないのも無性に嫌だな」
 吸いきった煙草を捨てて踏み消し、ネピリムはゆっくりと歩き出した。


     ◆


 細い路地を縫うように疾走する。
 背後から迫る鋼の駆動音は、幅2メートル程度の細道に痞えて、だがそれは一瞬で破壊してしまう。
 少女は右に曲がって、息を整える。
 胸元に手を押しやって、初めて自分が過呼吸気味になっていることに気付いた。
 くらくらとする小さな頭を横に振って、彼女は思考した。
 暗闇に何日も居たところまでは憶えている。とりあえず辺りを歩き回って、上へ通ずる道が有ったので上がってみれば、まるで欠陥のある巨大ジオラマみたいな廃墟に出た。
 すると、何故か薄汚れた麻の布だけの痩せた男達に詰め寄られて困惑したことを思い出す。
 それもとりあえず逃げ、さらに上の階に上がった瞬間、いきなり狙撃された。
 狙撃といっても、あからさまな近距離発射だったので、反射的に逃げることで生き延びていた。
 しかし、状況がよく解らないのに追われてばかりいるだなんて、どうしてだろうと小首を傾げて少女は歩き始

 ドガン!!

「……っ」
 直後、少女は硬直する。すぐ目と鼻の先。煤けてひび割れた廃屋のコンクリートの壁に、弾痕が突き刺さる。
 弾痕、といっても穿たれた穴はほんの数センチ。少女が驚愕に身を強張らせたのは、その弾痕の周りが黒々と焼け焦げ煙を昇らせていた。
 その弾丸は複雑な溝と弾丸の表面が左右別で回転することで、強烈な熱を生む焼却弾である。要は時間差で弾けるドリル型の爆弾みたいなものだ。破砕より先に、瞬間的に物体を熱で炙って防御を無視する貫通力を誇る対装甲特殊弾。
 だが、そんなもの少女に理解できるはずがない。少女の思考するところは、『殺すつもりで撃たれた』という懸案事項だけだ。
 息を呑むことすら出来ずに固まる少女は、次の瞬間には走り出す。

 ドガン!!

 後頭部。ちょうど自分の頭があった位置の壁に、弾痕が直撃した。


     ◆


「――、?」
 はたと立ち止まるネピリムに、カインは振り向く。
「どうしました?」
「……、気のせいか。いや、なんでもない」
 どこかで鉄の穿たれる鈍い炸裂音がしたような感覚に囚われたが、こんなところに人が居るとは思えないし、銃撃戦なんて余計有り得ない。
 なんでもない、というネピリムはそれでも視線を巡らせている。カインは訝しんだ。


     ◆


 廃屋が連なる密集街。荒んだ瓦礫と煤けた空気が漂う細い路地を、網目のように走り抜ける。
 ごちゃごちゃに走ることで、撹乱できると少女は踏んで。
 少しでも、自分がどうして追われているかを知るために。
 今をやり過ごすことで、少女は生き延びられると思っていた。

 たった数秒先までは、

『捕捉敵影、視認』
 男によるものだが、電子音によって構成された硬い声は少女の―――――――真上。
「――っ!?」
 反射的に見上げた先には、恐ろしい巨体が壁に両腕を突き刺して見下ろしていた。
 その、サイバーによって防護された顔面の奥の、ひとつ眼のレンズが少女だけを真っ直ぐと射止める。


     ◆


 道を曲がったカインを追うところで、背後からの雑音を聴き取ったネピリムは振り向く。
 やはり妙だ、と彼は眉根をひそめる。
 ほぼ無人であるはずの第10区画で、人の抗戦の気配がすること自体おかしい。
 ましてや、大規模な銃撃戦なら確実に管理局の鼻先を掠めるようなものだ。
 なんだろう、と思考に慮るネピリムは、はっとする。彼にしては珍しく慌てて走り、道を曲がった先を見るが遅かった。
 カインが居ない。どうやら彼ともはぐれてしまった。
「……、莫迦か俺は」
 深い溜息をついて自嘲ともつかない呆れ顔をするが、今更叫んで呼び戻すにしてもしょうもない話だ。
 カインだって伊達に管理局のメンバーじゃない。己の配偶でしっかりと帰ってこれるのだから、気にすることでもない。
 はぐれるのに気付かずにぼーっとしてばかりの自分を戒めるように絹のような黒髪を掻き、ネピリムは歩き出した。
 煙草に火をつけ、これじゃ幽霊どころの問題でもないことを考える。何度も言うが、今回の引っ立て役はククリであってネピリム等は巻き添えだ。仲間内の手助けはいいとして、暇潰しに同じノリで付き合えなんて無茶にも程がある。
 はたして、『幽霊に逢いに来ました』なんて終幕≠ェ言ったら、彼を知る者は笑い転げるだろうか。
 なんだか不安と疲弊が混ざった吐息を白い煙に変えて吐き出していると、ふと若干傾いているビルとビルの隙間、幅2メートル程度の小道から、誰かの近づく気配を察知した。
 ククリだろうか、とも思うが彼女が息を切らせるとは珍しいし、カインはさっき見失ったばかりで息を乱すわけがない。
 誰だ、と小道を覗き込もうとした。それは、ほんのささいな興味と暇潰しの混じった理由から。


     ◆


 光の差す小道を抜けた先で、少女は思い切り顔からぶつかった。
 誰か、と見上げると、そこには漆黒の出で立ちの美形。中性的で、それでいて端整な顔つきは怪訝ではあるが見る者によっては良く言えば厳格、悪く言えば怒っているような怖い表情。
 カッターシャツとジーンズ、羽織るマントといい全身が黒一色で、潤った質感を持つ長めの髪や、切れ長の双眸に浮かぶ瞳もまた夜色をしている。
 腰には、左腰に差すには随分と大きな大剣があり、まるで闇に彩られた騎士のようだった。
 感情が伝わらない代わりのように、口元に咥えている煙草から噎びそうな匂いが鼻腔をつく。
 だが、男なのだろう華奢に見えて少女を強く跳ね返す身体からは、香水の類の無理矢理な芳しさは全くなく、しっかりとした男装でなければ女と間違えそうだった。
 打った鼻がじんじんする。沁みる痛みに手を添えて、少女は再度見上げると、やっと青年も口を開く。
「お前……は?」
 声もなんだか低くない。ひょっとしたら女の人なんだろうか、そんな意識が生まれる。
 だが、少女が口を開くより先に、青年の頭部に弾丸が飛来した。


     ◆


 光の蔭る小道の奥から、一人の少女が出てきてネピリムとぶつかった。
 ぶつかった、といってもその少女は12歳前後の至極小さな背格好で、ネピリムの胸元あたりに顔面がぶつかるために、ネピリムは軽い振動以外はまるで押されなかった。
 ぶつけた鼻が思ったより痛かったのか、数秒鼻を両手で押さえて声を噛み殺す少女を、茫然と見下ろす。
 やがて見上げた少女の相貌に、美形で通るネピリムも見惚れた。
 言うなら、白い完成と黒い異質、であろうか。
 少女の出で立ちは白一色だった。脱色ではここまでは出来ない白く透いた髪を背中まで伸ばし、色素のまったく無い病人のように白すぎる肌。着ている一枚のワンピースも、多少裾が黒ずんでいるが白く清楚。白い裸足が汚れてしまっているのが痛々しい。
 左眼は白銀の瞳を丸く大きく覗かせており、対する右眼は眼帯が掛けられていた。医療用の市販されている、極普通の眼帯。
 だが、少女の顔つきはそんな眼帯ひとつでは損なわれるほどのレベルではなかった。
 きめ細かい肌。綺麗に切り揃えられた眉。桜色に潤んだ唇。
 顔の輪郭や手足の丸みから滲む幼さは、その瞳に宿る色だけ大人にも思えるほど完成度が高かった。
 アスカ=ミズキや、イリセリア・フランノワールといった美少女を深い知り合いに持ちながら、他者のルックスなど微塵の感想すら浮かばない女泣かせなネピリムですら、少女の瑕の無い宝石のような存在感に凝視していた。
 ただ、その凝視の中には、戸惑いの色も混じっている。
 何しろ、少女の首には大きな首輪が着けられてあった。
 どこまでも白い少女の首元で、唯一漆黒に光沢を持つ首輪は大きく、少女の首の細さにはなんだか不釣合いだ。
 ネピリムは一瞬、チョーカーか何かだと思っていたが、良く見ればそれの拷問性がありありと伝わる。
 形状はベルト造り、濡れたような黒光りの材質は革とも他の素材とも判らない。
 そして首輪に拷問の感覚を憶えたのは、首輪の中央。少女の喉にあたる部分に取り付けられた白銀色の南京錠。
 まるで、その首輪が決して外れないようにとロックしたように、首輪だけが『少女』から逸脱していた。
 大きく見開かれた、くりっとした銀の瞳に言葉を失っていたネピリムは、やっと口を動かせた。
「お前……は?」
 なんとも月並み以下の台詞だが、少女が口を動かしている辺り、返事をしようとしているのだろうと

 ズガン!!

 真横から空を裂く雑音が耳に入り、ネピリムは条件反射で頭を垂れるように一気に下を向く。
 首筋に嫌な熱気が掠め、鈍くも鋭い炸裂音へと視線を滑らせる。
 老朽して錆びれたコンクリートの壁に、弾痕。ただ弾痕という穴自体は大した口径ではないが、そこを中心に焦がす熱の加減と、老朽した壁に着弾したにも関わらず、ひび割れひとつ広がっていない威力は、あからさまな殺意を感じる。
 すぐさま対向線上を振り向くと、そこには異形らしからぬ人の姿をした――巨体。
 全長にして4,5メートル。流線形のメタリックボディは甲冑のようで、太い両腕は生えてるが下半身は四脚キャタピラ仕様になっていて、旋回は悪そうだが場所を問わない馬力が窺えた。
 頭部も甲冑のようなヘルメットで、目に当たる部分がサイバーみたいに強化ガラスで防護されている。その奥、ひとつ眼のレンズが伸縮しながらネピリム達との距離や位置のピントを合わせていた。
 あまりの邂逅と襲撃による空白は、意外にも少女によって破られる。
「にげて……あぶない」
 服をはっしと掴んで少女が困惑の表情で見上げる。
「ねらわれてるのはボクだから、はやくにげて」
 瞬間、ネピリムの表情が蔭る。
 なんだかこの少女の言葉は、言語としては理解できるが発声機能があまりにも拙過ぎるような気がする。
 まるで、覚え立ての言葉を口にする赤ん坊のように、
「……、ちょっと待て。お前、あれは一体なんなんだ?」
 と、訊いたが、聴いていなかったのか少女は捲くし立てながら踵を返す。
「おねがいだからにげてっ……ボクがおとりになるかあ゛っ!?」
 語尾が変になった。それもそのはず、走り出した少女の服をネピリムが後ろから掴んだ。肩の露出するワンピースとはいえ、あれだけの勢いを首オンリーに掛けられたらそりゃ断頭に近い。
 ネックチョップによって空気の吐き所を失い、首を押さえてけほけほと噎せる少女にネピリムは怒気を孕んだ声を出す。
「あれはなんだと訊いているんだ、巻き込まれた俺の役をちゃっちゃと終わらせようとするな」
 逃げてとか言われたって、ネピリムからすれば『はい、そうですか』と頷くわけにはいかない。こちとら今さっき頭部を爆砕されかけたのだ。
 なんだか涙目で睨み上げる少女。ちんまい小娘の上目遣い程度が利くようなネピリムではないが。
「あれはなんだ?」
 というネピリムに、ついに少女逆ギレ。
「うううぅぅぅ……! わからないわからないわからないからおしえられない」
 その内舌でも噛むんじゃないかというほど覚束無い口調で少女は両腕を振り回す。
 なんだか緊張感が無くなった刹那、
『捕捉敵影、視認。新たな不審者も同時に視界内に確認。識別照合……不一致、殲滅排除の対象と組み込む』
 奥のほうで狭すぎる小道に突っ掛かっていた巨体が、電子音による声でそうのたまう。
 は? とネピリムは聞き捨てならない単語に目を少し見開いた。
 新たな不審者? 殲滅排除の対象と組み込む?
 嫌な予感が戦慄となってネピリムの背筋を駆け巡る。
『戦闘、開始』
 抑揚や感情の一切が無い電子音の声が切っ掛けになり、巨体は狭い廊下など眼中に入れないように強引に破壊して迫る。
 その、硝煙を吐いていた筒状の右腕を突き出した瞬間、

 摩擦による熱が生んだ、オレンジ色の穿弾が炸裂した。










 Scene.U     逃走BOY MEETS GIRL


 1


 ズガン!!

 溝が空気を根こそぎ抉り、摩擦が生んだ熱によってオレンジに輝いて猛進する。
 弾丸に特殊な構造の溝を彫り込むと同時に、前後で左右別々に回転する仕掛けになっていて、加速と慣性によって空気と過剰摩擦して発火寸前の熱量を浴びて飛来する特殊弾道弾だ。
 彫りこんだ溝のせいで規範の小銃以下の弾速に落ちることがネックだが、それを有り余らせる殺傷能力を誇る。
 熱弾がネピリムの眉間を正確に狙う。いつもならこんな遅い弾、首を曲げるだけで避けているのだが――、
「……、っく!」
 ネピリムは少女の腰に手を回し、酒樽のように脇に担ぐ状態で横に跳ぶ。
 そう、忘れてはいけない。飛んでくるのは着弾の際、破砕のみではなく標的を焼き払うことに考慮を置いた焼却弾だ。センチ単位で避けようものなら、熱にやられて火傷じゃ済まない。
 散らばるコンクリートの欠片が痛い地面を転がり、すぐに体勢を整える。
 狭い場所は正解だった。広いと連射はされるにしろ同時発射をされない。退路はいくらでもある。
 オンナノコに対する抱き上げ方としてはかなりおざなりな扱いをされて尚、白い少女は彼の安否を気にする。
「あの、はなしていいよ? ボクはだいじょ――」
「子供が素手で戦う相手とは思えないな」
「でも、キミをきずつけたくな――」
「子供が素手で戦う相手とは思えないな」
「かってにぶつかったのはあやまるから、はな――」
「子供が素手で戦う相手とは思えないな」
「………」
「子供が素手で戦う相手とは思えないな」
「……あの、ききたくないだけ?」
 ほぼ無視する方向で細い路地を走り、冷静に状況を整理し始める。
 ロボット、という茶目っ気のある思考も生まれるが、射撃手相手に背後を見せて逃げているのに、安穏と考える暇はない。
 痞える路地の小ささなど薙ぎ倒して突き進む巨体をちらと見やり、曲がり角を左に滑り込んで射界から逃れる。一秒後には、T字路の突き当たりに熱弾が空気を焼いて貫いてゆく。
 ネピリムは奇妙に思った。
 どうも攻撃が単調過ぎる。二人の逃亡ルートを予測して、後ろから熱弾をバカスカ打ち込んでくるだけ。
(……、待て。ルートを予測?)
 自分が思った事項を瞬時に引っ張り返す。
 予測、という割には随分と追跡が正確だ。だとしても誰かが乗っているとも思えない。
 だとするなら、あれ≠ヘ自立稼動。
 そんなモノ、一つしか思いつかない。
「魔導宝具……例のA級か!」
「まどう……」
 腰を担がれる少女が呟いた。なんだとネピリムが視線を落としたそこで、

「――《魔導宝具》。無反動エネルギー体マナによる粒子稼動デバイスの機能を付属する特殊端末の総称。マナによる逐電・貯水・燃焼の副稼動設備も兼ねている物もこれに含まれる。作動支配の圏外での誤発動、誘発、人為的な作動等が生じた場合、ミッドガルド憲法第9条2項において機能の有無を度外視した回収が指定される。また、人為、自然を問わずに生態系殺害や許容過剰器物破損害が確認された場合には破壊指定が掛かる」

「―――――――、」
 あまりの少女の変貌に、ネピリムは思考が停まった。
 何を言っているのかと笑ってしまえることでもないし、むしろ理解できない。饒舌で流れるような無機質な言葉の羅列に、ネピリムは硬直する。
「……………ちがった?」
 次の瞬間には、甘ったるいようなとろんとした口調。
 茫然と、脇に抱える少女の恐ろしさに滲む畏怖を感じていた。
 瞬間、
『捕捉敵影、視認』
 電子音と、一秒先の弾丸の吹き荒ぶ音。
「……、っ!」
 少女を胸元に抱き直し、横に跳んで転げる。
 通路の壁に両腕を突き刺し、怪力によって重量を支え浮く、A級魔導宝具。

 いきなり、その自分を支える腕を引っ込めた。

「な……っ!」
 絶句する。数トンはあろうかという巨体が、自由落下で降って来る。
 地を転げ仰向けのネピリムでは、避けきれない。


     ◆


「何時の際にも埃臭いな」
 アスカ=ミズキは第10区画の灰の街を遠く見つめて小さく息を吸う。
 傍らに立っているグレイズ・カッシュウも、嫌そうに虚空を手で仰いで愚痴る。
「まったくですよ。どうしたってこんな埃っぽいんでしょうかね」
「……本気で言っているのか?」
 頭上にハテナマークを浮かべる、わざとなら殴っていたリアクションを取るグレイズ。彼にもやはり自覚は無いようだ。
 こんな荒廃した街並を創ったのは、紛れも無いアップタウンの人間だというのに。
 押し黙るアスカに、それでもグレイズは気付かない。
 アスカも、昔は彼のように無自覚だった。自分が搾取をしているなど微塵も違和感に思わず、異を唱える者に正義の鉄槌を下し、それが騎士だと思い込み、あまつさえ無能を用無しと斬り捨てる。そんな人間だった。
 機動管理局のとある人間に出逢わなければ、きっと今でもそうだっただろう。
「………」
 かといって、ずっと黙ったままだとさすがのグレイズも気になる。
「あの、どうかしました?」
「………何でも無い。何でも、な」
 首を傾げるグレイズをよそに、アスカは辺りを見回した。
 瓦礫の散らばる街の残骸。もう無人となったここにA級回収の魔導宝具『ザカート』が潜伏しているという噂。
「しかし、どうしたものか。これほど人が居なくては真面な情報も無いな」
「そうですね。自立稼動しているのなら暴走してくれていたっていいんですけどね」
「グレイズ、言葉に気をつけよ」
 怒気が込められて低くなったアスカの声に、グレイズがぞっとする。
「す、すいません!」
「……良い」
 自分も随分と部下の不遜な物言いに穏便になったものだ、とアスカは自嘲した。昔の自分なら、今の一言でクビだ。
 腰に手を当てて、溜息をついた。
「しかし確かにな。もう少し判り易い情報が得られればいいのだが」
 結局、第10区画に居るということだけは判った帝都騎士団はアスカとグレイズによる視察と評して足を運んだ。
 さすがの『ザカート』も、ブラックタウンを経由しない以外は他の区画へは移動できない。隔壁には一応はチェックが掛かる。かといって、ブラックタウンに降りて移動することは、ブラックタウンが無断所持しているということに繋がる。
 だとすれば、『ザカート』はこの区画に居るのが妥当で適当だ。
 居る、のだが……。
「どうしたものか」
 実際に来てみれば、薄く後悔する。なんせ、一区画ごとの面積は20平方キロメートル、確実に二人で捜す広さじゃない。
「ふぅ……本当に打つ手が無いな。済まぬ、グレイズ。やはり暴走の類でも起こしてくれた方が判り易――」

 ―――――――ズゥゥウウウウゥゥゥゥゥン……!

「……………」
「……………」
 遙か遠方に、灰に保護色となる灰燼の煙が立ち昇る。
 ビルの密集している辺りで、そのビル同士の狭間から煙が舞い上がっていた。
 口を『す』の状態で凍りつくアスカと、一緒に凍結するグレイズ。
 やがて、アスカが口の動きを再開する。
「……判り易いな」
「……そうですね」


     ◆


 爆風が吹き荒れ、細い路地の壁と壁を粉砕して地に落ちた魔導宝具『ザカート』。
 だが、コンクリートの地面に地割れを起こして尚『ザカート』は異常に気付いた。
 手応えが、無い。

 ガシュン……! という軽快な機械音が背後から届く。

 音を認識した『ザカート』のプログラムが、視界と胴体の反転を命じる。
 振り返った先に、彼等は居た。
 片膝をつき、白い少女をはためく漆黒の衣で包む、黒い青年。
 柄の長いツヴァイハンダーに両手を宛がい、人間並みの刃渡りを誇る漆黒の大剣の鍔元、噴射口の取り付けられた部分から、小さな乾電池のようなモノが白煙を帯びて地に跳ね落ちる。
 きょとんとする白い少女は茫然と黒い青年を見つめ、黒い青年は『ザカート』を射抜く眼光で捉える。
 『ザカート』は刹那のタイムラグの直後、すぐさま行動を起こす。
 見つめる先は、手に持つ大剣。
『……………鑑定、失敗。大剣の材質、不明。形状照合、不明。製造記録、不明。捕捉に障害が発生したため、対象の所持する武装の詳細認知をコードから除外。通常稼動を続行』
 ザカート・プログラムは、なんだか口論を展開している黒い青年と白い少女を殲滅の視界の中心へ入れる。


     ◆


「……、まったく。厄日が危うく命日になるところだ」
 薄い感情の中に、緊張した声でネピリムは前方の魔導宝具を見据える。
 四駆のキャタピラは綺麗に地面に激突し、コンクリートを引き裂く。
 弾けた地面を引き飛ばす魔導宝具は上半身がグルンと回転し、サイバーの奥のレンズと視線が絡まる。
 一歩間違えれば二人ともどもミンチだった。それを思うともう洒落じゃ済まないのか、と冷静に絶望してみた。
 ネピリムの胸元に掴みかかっている少女は、恐怖と突然の激動に細い腕が震えていた。
「……、」
 心の中で舌打ちし、ネピリムは『レヴァンテイン』に掛けていた片手を少女の腰に回して立ち上がらせる。
 まるで怯える小鳥のような、それでも、困惑はあっても混乱は無いようだ。
 それでいい、とネピリムは状況を処理する。もしあの魔導宝具が管理局やレジスタンス絡みのモノなら、尚更この区画から出るとマズいものとみなされる。仮に所有権の無い爆走暴走ポンコツ欠陥品なら、攻撃された現時点で騎士団の保護対象になれるはず――

 ドカン!!

 新たなる熱弾の飛来が再び起こる。
 まあ、逃げ切れればの話だ。さすがに騎士団が死体の回収は仕事にしないだろう。これでは埒が明かない。
「くそ、魔導宝具相手ならカインの支配領域なんだがなっ……生憎と今は昼か」
 だが、そろそろこれだけの爆音を連発していれば気付くと思う。ていうか、いい加減気付けと苛付きたい。
 やはり、単調すぎる行動からして自立稼動なのだろう魔導宝具。
(……、妙だな)
 細い路地を右に曲がったところで、おかしいとふと思う。
 所持者認識照合の不一致ぐらいで女子供も躊躇なく射殺しようとする魔導宝具を、ダウンタウンに野放しにする莫迦は誰なんだろうか。
 レジスタンスの連中なら考えられなくもない。無差別に殺して回れば騎士団は魔導宝具の殲滅に駆り出される。そうすればアップタウンに乗り込む方法などいくらでも浮上するが、己の意思の自由さに美化しすぎな節があるとはいえ、わざわざこんな大々的クーデターじみたことなんてそうそうするだろうか。むしろあの毒舌宰相が黙っていない気がする。
 帝都騎士団、これはどうだろうと思う。あの正義感の塊の頑固娘が絶対に無差別殺害なんて赦さないだろう。第一、騎士団のクーデターなんて聴いたことが無い。ミッドガルドという都市を代表している騎士団がそんなことやらかせば、他都市の圧力が掛かる。
(普通はそうだ。そう、なのに……何故だ?)
 そう。なんでダウンタウンで、なのか。
 レジスタンスならアップタウンに、騎士団ならブラックタウンに、両雄それなら理解できる。
 だが、明らかに中立ですらない無関係組織の管轄領分にあんなモノ暴走させるメリットもないし、理由が判らない。まさか管理局の人間と喧嘩のためだけに第10区画で幼女を殺戮鬼ごっこなんてふざけているにも程がある。
(……、)
 随分と距離を空けたところで、ネピリムは少女をゆっくりと足から下ろす。
 まずはこの白い少女をなんとかしなければならない。
「ふぅ……俺も災難に巻き込まれやすい属性だと自覚してるが、遂には赤の他人ときたか」
 しかもそのほとんどが華の女性というから始末に追えない。というかそのせいで頑固娘が不機嫌になるアレはなんなのか。
「お前、どこの奴だ? その風体からしてアップタウンの人間か? 待て、だとするとアップタウンの人間が認識照合不一致ならアレはレジスタンスの厄介物か。くそ、道楽で来たのにまた仕事か。しかも敵勢力不明なんてお墨付きで」
 だんだん愚痴が混じってきたネピリムの言葉に、白い少女はぼんやりと小首を傾げる。
「あっぷたうん……?」
「……、解らないとでも言うつもりか?」
 だが、彼女の発声の異常さや首輪からして、彼女が普通でない≠アとは何となく感じるので、冷静に息を吐く。
 それに、常非常を問う以前に年端もいかない幼女だ。ショックで記憶が錯乱していることも強ち考えられる。
「……、ならいい、名前は? それぐらいあるだろう」
 せめて些事でもいいから知っておきたい。アップタウンに居るだろうこの子の親に説教が必要だ。
 白い少女は、狙われていることも忘れたような安堵と困惑と、おずおずといった感じに首元の南京錠を弄る。
「………ウサギ」
 ぽつり、と返答。
 は? と、ネピリムは怪訝な顔をした。
 うさぎ、と言ったのだろうか。確かにそう言った。
 うさぎと言えば、どう考えても、兎、ということなのか。
「………なまえ、ボクの……ウサギ」
 このミッドガルドでは、砂漠に浮かぶ蜃気楼並に居ることの無くなった兎と同じ名前の少女。かちゃかちゃと南京錠を弄り続ける。どうも癖かなにかなのかも知れない。
 珍しい名前もあったものだ。頭のどこかでネピリムはそう思う。まあ、自分の名前も男に付ける名前にしてはいささか女々しい気がするが(とある数名には大絶賛だったが)、世界は広い。未だに日本国の名前に馴染みが無いのもそれと似たものだ。
「ウサギか……登録明証でもってスキャナかけて貰えばいいとして、なんなんだあの魔導宝具は……」
「だから、無反動エネルギー体マナによる粒子稼動デバ」
「もういい黙れというよりむしろまた饒舌になってるし……」
 だんだん頭がおかしくなったんじゃないかと抱えるネピリムは、背後から瓦礫の粉砕される乾いた激音が近づいてくるのを感じる。
「ちっ……まずいな。自立も自立の莫迦なら手が打てるんだが、荷物持ちだとそうも言えない」
 わざと愚痴ってみるネピリム。当の荷物は意味が解っていないのか、小首を傾げてきょとんとしていた。
 ネピリムは少女ウサギを連れて細い路地を駆ける。一応はウサギの足に合わせようとするが、いかんせんコンパスの長さが違いすぎるため、簡単に追いつかれそうだった。
 ええいままよ、とネピリムはウサギの足に手を回してお嬢様抱っこをする。また脇に抱えてやってもよかったが、場合が場合だ。
 至近距離から白磁に艶の張る顔を、驚き半分戸惑い半分でウサギは見つめてくる。子供だから体温は高めなのかと思ったら、触れる肩や脚はひんやりとしていて冷たい。それでも、なけなしの芳香が鼻腔を掠める。
「カインか、できればククリが来てくれれば何とかなるな」
 一度抱き直し、ネピリムは自分の脚でもって全力で走る。ウサギの身体は華奢に見える通り軽かったので、支障は無い。
 瓦礫の破片をアサルトブーツの底で踏み砕き、風のように駆け抜けてゆく。
 埃を取り巻き疾走する耳元で、ウサギが不思議そうに呟く。
「……どうして?」
「何がだ?」
「どうして、たすけるの?」
 何を言うのかと思えば、
「助けてはマズかったのか?」
 ウサギは数秒、沈黙。やがて、
「………わからない」
「それも、わからない……か」
「……ボクは、だれなの?」
「そんなこと訊かれても困る、今さっきが初対面だ」
「どうして? どうしてたすけるの?」
 もう一度訊く言葉。その中には、困惑が混じっていて真意が良く判らない。
 ネピリムは、本心を答えるか逡巡した。どうせアップタウンの騎士団やアンチスキル(警備隊)に頼んで引き渡せば、彼女と逢うことはもうなくなる。結局はそれまでの邂逅でしかない。
 ショックによって記憶に障害を起こしている人間に、無闇に現状を教える必要はない。そういうのは専門家の前でカウンセリングを受けて貰えればいい。
 だから、ネピリムはいつものように、冷静に、冷徹に、冷血に、突き放す口調で答える。
「悪いが理由なんてあって助けるつもりなんて俺には無い。慈善事業でヒーローなんて願い下げだ」
 聴く者の嫌悪にも触れかねない言葉の刃。もしかしたら傷つけたかもしれないし、それでも良かった。
 そのつもりで、汚れ役を買うのが本業の仕事をしているのだ。
 だが、返ってくる態度は意外なものだった。
「……いいひと」
「なに?」
「キミ、いいひと。ふつうはみんな、きずつきたくないから、きずついているひとでも、たすけない」
 目の前で、ふんわりと笑ってウサギは言う。思わずネピリムは言葉を失った。
「でも、キミはただボクがしぬのがいやだから、いまこうしてる。それが、キミにとってジゼンなの?」
「……、」
 何も返答できずに面食らうネピリムに、ウサギは少女らしからぬ銀の隻眼を細める。
「だから、キミがいやでもボクはいいたい。なにがおきたのか、よくわからないけど………ありがとう」
 なんなんだ、と思考が錯乱しそうになる。
 今、抱き上げている少女は本当にただの少女なのか。
 達観した物言いと、赤ん坊みたいな口調の、首輪の異質な少女。
 疾走しながらも、背後に迫る巨体すら忘れてネピリムは路地を出た。
 そして黒髪の少女と、本日二度目の顔合わせをした。


     ◆


 後ろから情けない声を引きずって走っていたグレイズを置き去りにし、アスカは文字通り風のような速度で疾走する。
 灰の煙を昇らせる場所のすぐ近く。広間になっていたらしく、広いスペースの中央には噴水の残骸が残っている。
 その噴水にしたって、水は枯渇しきっている。いかにマナを失っているかを知り、軽いショックとこれからは第10区画のマナ供給の軽減を考慮することにしようと、頭のどこかで懸念した。
 煙はビルとビルの合間。路地網の真っ只中だ。
 アスカは腰元の鞘に手を掛け、目ぼしい通路へ潜り込もうとした。

 刹那、その通路から黒い青年が飛び出してくる。

 アスカは驚いて立ち止まる。
 漆黒の髪と風体。容姿は端整で女性にも見え、月白の肌の木目細かい相貌は向こうも驚きに満ちていた。
 その貌と、左腰のガンベルトを通して携えられた人間並みの刃渡りの大剣――元S級回収指定の魔導宝具、『レヴァンテイン』を持っていることから、アスカは瞬時にその人物の術名で呼んだ。
「終幕=c…!?」
 術名、といってもニックネームのようなものだが、愛称という柔らかいニュアンスは無い。暗に、ミッドガルドでは特殊能力を持つ者、あるいはその能力を武装として行使する人間をカテゴリするために付けられた称号に近い。
 かく言う彼女も持っているわけだが、そんなところまで思考が回らなかった。
 終幕≠フ黒い服に浮き立つように映える、一人の少女。
 歳からしては12歳ぐらいだろうか。白すぎるんじゃないかというほどの髪と肌を持ち、相貌は今まで見たこともないほど美しい。眼帯を右に掛けているがそんなもの関係なしに、人形でも表せないような可憐さと壮麗さがあった。
 あった、のは……いい。
 何故かその少女には黒の首輪(白い南京錠付き)が装着され、あまつさえ終幕≠ノお姫様抱っこをされている。
 ぴしり、と。
 アスカの頭のどこかで音がした、気がした。
「………ほほう……貴様は、私の見ていない処で、婦女子に、そんなモノを着けて、こんな無人区画に……ほほぅ〜」
 なんだかぶつりぶつりと抑揚無く呟くアスカに、終幕≠ヘ怪訝な顔をすぐに理解し得た引きつった表情に変える。
「ちょっと待て。なんだか俺が悪いような方向に話が進ん……って、前にもあったぞこの展開」
 平淡な口調で弁解をする終幕≠ノ、まったく聴いていないアスカは激昂に頬を紅潮させる。
「遂に堕ちたかっ!! い、いくら貴様に、お、想い人が出来た処で、私には関係が無いことは重々承知している!!」
「……、おい――」
「だが、貴様が己の挙動の良し悪しを見失うとは思わなんだ!!」
「……、だから――」
「貴様……私の母国では児童ポルノ禁止法というのが在ることを知っているかぁああ!!!」
 完全に人の話を聴こうとせずに、気のせいか顔を赤らめて怒号している。
 胸元の少女が、開口。
「――《児童ポルノ禁止法》。児童買春、または児童買春の周旋の目的で児童へ勧誘をしたりすることに対し」
「しょうもないとこでいきなり活舌を良くするな」
「でもさっき、ボクもああやって、むしされたけど?」
「あれはお前がふざけたバンザイアタックしようとしたからスルーしただけだ」
「……」
 こっちはこっちで漫才みたいな会話をして時間を潰す。
 あらん限りに叫んだせいで、肩でぜぇぜぇと息をしながらアスカは深呼吸をする。
 終幕≠ェ口を利く。
「……、終わったか」
 涼しい顔で、かなり嫌味っぽい態度が災いして、アスカの眉が吊り上がる。
「っ……! どうやら折檻では足りんと判断したぞ。今すぐ牢獄送りにしてくれる……!!」
 日本刀に手を掛けて鬼の形相で詰め寄るアスカ。
「あの……なんか、あのひとおこってるよ?」
「気にするな、アップタウン住まいのエリート令嬢なのにカルシウムが足りてないんだ」
 なんだとぉ!!? と食いつくアスカに、終幕≠ヘ溜息を小さく漏らす。
「悪いが、お前と話している暇が無い。こっちは今大変なんだ」
「貴様ぁ……騎士団の眼前で幼女誘拐を起こしておいて、暇だ大変だと、愚弄するのも――」

 その直後、アスカの言葉が爆音によって遮られる。
 バネ仕掛けのように、アスカと終幕≠フ首が通路へ向く。
 細い路地を破壊しながら、巨体を無理矢理擦ってこちらへ猛進してくる、キャタピラ仕様の甲冑。
 アスカは一瞬驚愕の表情でそれを見ていたが、一秒後には気付く。
「あれは、『ザカート』!? 終幕=A貴様っ……なんてモノに目を付けられたんだ!!」
「ざかーと……? するとあの魔導宝具が噂のA級か」
 ぽつりと呟く終幕=B本当に恐怖を感じないのかとアスカはいつも訝しむ。
 しかし、予想外にも程がある。『ザカート』の確認が取れたのは結構だが、まさか管理局の人間と一般市民が巻き込まれていることはかなりの不測の事態だ。
 だが、管理局の人間が襲われてるということは、やはりレジスタンスの連中が絡んでいる可能性が高まる。
「……、! 何を突っ立ってる、避けろ!!」
 不意を突かれて、びくりと肩を震わせたアスカが反応を遅らす。
 軽い発砲音と同時に飛来する朱色の閃光がアスカの眉間を狙う。
 だが、その一歩手前で身体を反転させて勢いをつけた終幕≠フ蹴りが、アスカの脇腹に刺さった。
 単純な破壊力は膝を少し曲げて緩和したようで、大した痛みも無くアスカの軽い身体が吹き飛ぶ。
 くふ、と小さく息を吐き、アスカは瓦礫に塗れたポリバケツの山に突っ込む。が、すぐに身を起こすと憤怒と自重の表情。
「くっ……くそ、私としたことが何たる」
 仇敵に助けられたことへの情けなさに苛立ちながら立ち上がり、髪にへばり付く汚れを腕の振りで一掃。
 終幕≠ヘ少女を抱えて横に跳ぶ。その直後に、熱を纏った穿弾が弾け、瓦礫の山を砕いてゆく。
 アスカが叫ぶ。
「終幕=I 『ザカート』は鉄屑やガラクタを錬って弾丸を造っていてきりが無い! 今は退け!!」
「……、」
 視線だけで頷く終幕=B随分と前から防戦一方だったようで、彼が自分に同意するのは珍しかった。
 終幕≠ェこちらへ走ってくると、狭い通路を完全に破砕して『ザカート』が這い出てくる。
 一瞬、ざっと周りをきょろきょろと見回している姿に、アスカは妙な感覚を憶えた。
(……? なんだ?)
 怪訝そうなアスカ達にすぐさま気付き、『ザカート』は左腕を切り離して筒を突出させる。
 だが、右腕のそれとは明らかに口径が違う。
「っ……デュアル・カノンか!」
 アスカは腰に備えていた空き缶ぐらいの大きさの黒い物体に手を掛ける。
「終幕=c…! 眼を瞑れぇ!!」
 ピンを白く細い指で弾き、終幕≠ヨ猛追を開始しようとした『ザカート』目掛けて、投擲した。
 終幕≠フ頭上を飛び越え、黒い筒は瓦礫の地面にバウンドしてころころと転がる。

 ズ、バアアアァァァァァアアアアアン―――――――!!!
 瞬間、『ザカート』の足元で眩いばかりの閃光が炸裂し、絹を破るような爆音が空気を引き裂いた。


     ◆


 あまりの光量に視覚が情報を送れず、ザカート・プログラムは動きを停めた。
 別に理解不能な情報ではない。単に閃光音響手榴弾が着火しただけだ。コードに影響は無い。
 爆音も計測されるが、鼓膜や三半規管の無い機械に音の弊害はほとんど無い。記録から除けばいい。
 闇雲に乱射したところで、当たる可能性から演算を組み込んでも確実に効率が悪い。
 停滞は十数秒。光の収束と共に視界が良好になり、ザカート・プログラムは真っ先に敵を索敵する。
 だが、もうそこには誰も居ない。
 もぬけの殻となった広間にぽつんと佇む自分だけで、風がふわりと土埃を薙いでゆく。
 寂れた灰の街並みを見つめ、ザカート・プログラムは主体を失った己の次の行動を、演算と共に思考した。





 2


 停車したトラックの中。客室にあたるそこには五人の奇妙な空気が充満していた。
 二人掛けソファに腰掛けるネピリムとククリ・アルジャーネ。向かいの二人掛けにウサギとアスカ=ミズキ。そして、
「………え〜っと、お二人さん。詳細は解りました、けど……」
 定位置の一人掛けソファに座るカイン・ヴァーティラインが、対峙する視線に怖気ながらも口を開いた。


 あの後、『ザカート』から逃れる内にククリを捕獲していたカインが騒動に気付いて来たところに鉢合わせした。
 その際にもアスカがぎゃーすかと喚く中で、カインの判断であるトラックで区画を出てしまうことに同意した。
 区画間を移動できない『ザカート』とは違い、管理局の人間なら簡単なパスで通れる。
 結果、念を押して第8区画に逃げ遂せたのはいいのだが、厄介な状況に見舞われていた。
 というのも、向かい合って座るネピリムに対してアスカの視線がかなり怖い。睨みの中に嫌悪が含まれている。
 昔からそうだった。今よりも無反応・無関心・無感動で毒舌の酷かったネピリムは、興味無いの一言で自己をざっと正当化する面倒臭がりの極致と言えた。それは、極めてアスカの信条に反する事項のオンパレードだ。
 数年前に始めて邂逅した頃から正義を振りかざすアスカに、束縛を忌むネピリムは彼女を無視し、無視されたアスカが逆上する。初対面が最悪の堂々巡りによる激突だから、管理局も騎士団も頭を抱えていた。
 あの時、管理局所属の侍女が収束してなければ、一応は殺し合いに発展する勢いだったのだ。
 理由を知らないウサギはきょとんとしていて、ククリはMDに耳を傾け会話はあまり聴いていない。
 今でもそれは健在だが、まだマシなほうだ。常日頃から誘惑してくる万年発情期や、目を合わせると冷たい毒舌を吐く冷徹女や、逢うと問答無用で殺しに掛かってくる小娘だって居るのだから、多少剣呑な空気を放たれるぐらい許容できる。
 咎めるような定めるような訝しむ視線を向けるアスカに一瞥もくれず、ネピリムはカインへ向く。
「カイン、別に大したことはないからスルーしてくれていい。問題は魔導宝具の『ザカート』と、ウサギの身柄だ」
 だが、カインが頷くより先にアスカが食って掛かる。
「随分と珍しいこともあるものだな、終幕≠ェ他人の身の保障を案じるとは」
 嫌味なのか愚痴なのか判らないが、ネピリムはそれを不快には思わないし、いちいち相手するのが億劫だ。
 なので、己の思慮に慨さない事柄は一切合切無視するという、ネピリム本来のスタンスでカインと会話。
「『ザカート』がダウンタウンにあるとしても、騎士団が襲われたなら誰が所有しているかも対象が狭まるな」
「えと……そ、そうですね。レジスタンスの人間とコンタクトを取らないことには、『ザカート』は無闇に破壊できないですし」
「……おい、」
「それは保留だな。だとして、ウサギはどうするか」
「見た感じではアップタウンの子のようですが……登録がされていれば誰それ何処そことか判るでしょう」
「……貴様、」
「記憶、障害か何かでしょうか?」
「恐らくな、あれだけの出来事はさすがにショックが強すぎるのかも知れない。上に行けばそれなりの医療は賄えるはずだ」
「………っ」
 なんとなく無視全開のネピリムに釣られるカインが引きつった笑みを浮かべ、堪忍袋の緒が切れたアスカは憤然と立ち上がる。
「無視、するなぁああ!!」
 さすがの怒号にウサギもククリも目を丸くし、ネピリムは眉根をひそめて視線を向ける。
「……、なんだお前はさっきから。一応は真面目な会話の最中だぞ」
 一応なんだ、とアスカを除く全員が心のどこかでふと思った。
「黙れ! 管理局の人間が襲われた時点で『ザカート』がレジスタンス所有の可能性が浮上する。そうなれば騎士団の領分のはずだ!!」
「だが管轄は俺達の領域内だ。一般人が襲われたって、管理局が動いちゃいけない理由は無いわけじゃないだろう?」
 む、とアスカの眉が上がる。
「……何とでもほざけ、それでも確証無しに破壊するわけにいかない。『ザカート』を破壊するには、私を連れて行かなければいかんのだぞ。そうでなければ貴様等も牢獄送りにしなければならん」
「いいのか? ウチのリーダーがアップタウンの人間だからと安心するなよ。アイツは自分が正しいと思ったことは、自分が死の間際に追い込まれようともこなそうとするってことぐらいお前も知ってるはずだ」
 ぐ、とアスカが苦々しい顔をする。
「紅姫≠ゥ……」
「それに、お前ショウコにかなり世話になっただろうが」
 う゛っ、とアスカはついには押し黙る。ちなみに、その押し黙る理由を知らない三者は首を傾げていた。
 だがアスカは首を横に振る。前々からネピリムに言い包められて終わっているのだが、今回は負けるわけにいかない。
「ええい! どちらにせよ今グレイズが申請を受諾しにアップタウンに戻っている。騎士団副隊長として力の無い市民が襲われたことを黙っては見過ごせん!」
「……、」
 ネピリムは抗議の言葉を考えたが、逡巡しても思いつかない。彼女の言うことは理に適っており、何より『ザカート』のターゲットにウサギもネピリムもされている現状。止めるのはいささか無意味と判断した。
「好きにすればいい。どの道、俺も奴に殺されかけた借りを返さなきゃ気が晴れない」
「ふむ、共闘か、或いは奪い合いに発展するやも知れんぞ?」
 立ち上がって上から見眇めるアスカに、ネピリムは目を合わせる。
「どうかな。別に俺は前後者を選ぶ気は無いし、人殺し相手にゲーム感覚はお前のタブーだろう?」
「当然」
 即答。やはりこの正義に迷いの無い素行は部下を統べるに申し分無い器だと、心の中だけで感嘆する。
 カマ掛けが利かなかったことに薄く憮然な表情を浮かべ、アスカは傍らのウサギを見やる。
「彼女についてだが、ウサギという名称のみというのが幾分データ検索に時間は掛かるやも知れん。まあ、随分珍しい名前だが」
 気配りが利くと賞するべきか迷うが、身柄の保障にことおいては人数が極端に少ない管理局では不安だ。それを見越しての進んだ提案は、ネピリム側にも正直ありがたかった。
「なら俺はブラックタウンに行こう。あれがレジスタンスの所有かどうかを知らない限りは壊しようがないんだろう?」
 アスカはこくりと頷く。
 確かに暴走しているといえど、勝手にレジスタンスの所有物を破壊すると、それが切っ掛けで報復、最悪は紛争になってしまう。
 といっても、書類だのなんだのみたいな細かいものではない。要はレジスタンスの誰かが『違う』と言ってしまえば、公的に破壊できる。後で文句を言われても、レジスタンスのそいつが違うと言ったと誤魔化せるからだ。
 だが、そのレジスタンスという単語に、アスカは元よりカインも不安を感じた。
「でもいいんですか? レジスタンスの方々は、君が一番知っているはずでしょう?」
「仕方が無い。騎士団の人間が行くよりまだ穏便にいけるさ……奴を除けば、な」
 三者はその奴と呼ばれた少女を思い出し、溜息をついた。
「兎に角、私は一度戻る。殺されぬよう気をつけるんだな」
 アスカはネピリムに一瞥をくれてから、素っ気無い態度で振り返る。
「場所は第7区画、ブラックタウンへのダウンゲート前。標準時刻16:00にしよう」
 その時間に、少しネピリムは眉をひそめる。
「おいおい待てよ、今10時だぞ? もしアンジェラに逢ってみろ、半日は戦闘している可能性だってあるんだ。俺だと特に」
「別に無力化までする必要は今回無いんだ、急事の際は何とかしてみよ。出来ないとは言わせんぞ、終幕=v
 その術名を言われ、車を出てゆくアスカにネピリムは舌打ちで答えた。





 さて、とカインはいつものように仕切りを敷く。
 当然それが切っ掛けとなるように、いつも通りククリもヘッドホンを外した。
 三人の視線は、ウサギへ。
「本題へ勝手に首を突っ込むことに関しては何も言いませんが、どうするんです? まさか単身で下へ降りるんですか?」
 ふぅ、とネピリムは溜息で頷くように答える。
 確かに、中立組織とはいえ管理局の人間だって、レジスタンスの標的であることに変わりはない。不可侵を協定と考えているのはあくまで騎士団であって、レジスタンスは戦闘志向丸出しのゴリ押し集団だ。まず、話が通じない。
 彼女をアップタウンに突き返しておいて正解だった。騎士団の人間がブラックタウンに不法侵入したら、いろいろとまずい。
 かといって、管理局が良く思われていないのもまた事実だ。その上、ククリやカインならまだしも、ネピリムは終幕≠ニいう術名だけは広く知られている。特に、レジスタンスの中では。
 しかし、今回レジスタンスに赴くのはその終幕≠セ。それを見越して、カインは訊いた。
 ネピリムは渋面になった。さすがに、カインに饒舌で勝つのには一苦労だ。
「悪いがそうなるな。ただでさえ狙われているんだ、おちおち寝てアイツに頼むのも俺はいやだ」
「ですから、いやだって……」
 カインは苦笑を漏らす。
 さっきからネピリムの隣りで、相対するウサギをまじまじと観察していたククリが振り返った。
「でもでもネピリムぅ〜、ククリだってネピリム死ぬの見たくないよ? だからククリも――」
「お前は一旦イリセリアの館に帰れ」
 即座に切り伏せるネピリムに、ククリはぶーたれる。
 絶対に首を突っ込むと判ってはいるし、役不足ということはまずない。
 だが、結局ククリは経験の無さが露出している。むざむざ死地に赴く自分に連れて行くのも考え物だ。
「どぉしても〜……ダメ?」
「くどい」
 上目遣いが通用しないネピリムが懇願に却下を繰り返していると、
「あ、あの……」
 ウサギが、おずおずと手を挙げる。
 ちなみに、ウサギは黒のワンピースを着ている。ボロボロだった衣服を脱がせ、足に包帯を巻く。『貴様婦女子の裸を見る気か!!』とか何とか煩い頑固娘が居たので、ククリに頼んだ。実際、ククリと背格好が近いのは助かったと云える。
 白い髪と肌と眼、対照的な漆黒の肩が露出するワンピースと首輪。はっきり言って、首輪だけ明確に浮いていた。
 眼帯の隠れた隻眼で、ネピリム達を順に見回してから、口を開く。
「……そのぉ……ボクもキミに――」
「却下」
「あ、え……と」
 条件反射で斬ったネピリムを即座にカインとククリが睨む。眼は語っていた。『初対面に対してデリカシーに欠けると思う』、と。
 知るか、とばかりに視線を一瞬送り返す。今のバンザイアタック宣言が二度目だということを知らないのだから、何も言えないが。
「お前も二人と一緒にイリセリアという女の館に行け。やや遠いが、あそこなら安全だ」
「でも……」
「でもなんだ?」
 なんだかイライラしてきたネピリムの脇を、ククリの拳が突き刺さる。
「っぐ……」
 意外と痛かった。
「もう少し優しい訊き方できないかなぁ〜? 子供に好かれる素質あるクセに♪」
「黙れ。確実にお前を連れて行くより危険だろうが」
 そうなの? という視線を送ると、肯定のようにカインは苦笑した。
「どの道、レジスタンスに逢いに行くんだ。素人を連れて行くなんて言語道断だ」
「………ネピリム、建前言ってるってモロバレだよ?」
 咎めるような視線で顔を近づけるククリに、ネピリムは思わず目を逸らした。忘れてた、ククリに嘘や建前は通用しないことを。
 大仰に溜息をついた。
「……、誰かが死ぬのは見たくない。建前だけど赦せ、腹を割る気になれない」
 む、とククリは眉根をひそめるが、数秒して「いいよ、しょうがないな〜♪」とか言いながらヘッドホンを着けた。
 もう一度ウサギを見る。
「悪いが、そうしてくれ。どうも一波乱有りそうなんだ」
 頼む口調で言うと、ウサギは慌てた。
「あっ、い、いいよ! そんなっ……わるいのは、ボクなんだし……」
「別に良い悪いを決める必要はない。それに……」
「それに?」
 今度はウサギが上目遣い。普通ならメロメロドッキューンなんだろうけども、何度も言うがネピリムにそんなフラグは立ちません。
「……、いや。何でもない」
 答えてやる気になれなかった。

 興味が湧いたから。なんて、言えるわけがなかった。





 車を降り、振り返ってカインを見上げる。
「ウサギを頼む。何かあったら無線で」
「ええ、判りました」
 ふと気付く。カインの表情に、微笑が含まれている。
「……、なんだ?」
「いいえ、君が他人の名前を呼ぶなんて、珍しいなと思いまして」
 そういえば、とネピリムも思った。いつもならあの頑固娘の名前も、気に入らないからという安直な理由で呼ばないのに。
 数秒思案し、それでもぼやけた言葉しか思いつかなかった。
「……、理由なんて無い。なんだか」
「なんだか?」
 さっきのウサギと同じような聞き返し方をされる。
「……………不思議とあいつの名前は、呼ぶのに違和感が無いんだ。何故だろうな」
 少し、カインはきょとんとした表情をしていた。


     ◆


 ネピリムを見送ったカインが居なくなり、居間に残ったウサギは少し半身を引いた。
「え、と……」
 鼻先数センチのところに、興味津々のククリの顔がある。それこそ吐息も伝わる零距離だ。
「う〜ふふ〜♪」
 ネピリムなら、絶対に背筋に悪寒を奔らせる気味の悪い笑みを湛え、ヘッドホンを外す。
「ウサギっていうんだぁ、変わった名前だね。まぁネピリムも変だし、ククリ的にはアスカとかショウコって名前も変だけど」
「……あすか?」
 小首を傾げるウサギ。
「あ、そっか。知らないよね。さっきの怖い剣幕の女の人、アスカさんっていうの。ショウコさんは管理局の人ぉ〜♪」
 楽しそうに笑うククリを、じーっと見つめるウサギ。
「ん? なになに? ククリに何か訊きたいことある? どーんと訊いてくださいな♪」
「その……カンリキョクって、どういうものなの?」
 おずおずと訊くウサギに、しばし言葉を考えてからククリは向き直る。
「機動管理局。ミッドガルドの中間階層ダウンタウンの治安を維持したりとか、悪いことする人を更生するよう促したりとか、それ無視する人をギッタギタにしたりとか、ダウンタウン専門の何でも屋みたいなものかな」
 微妙に簡略化されているが、間違いはないだろう。実際は率先的な行動はほぼ皆無で、頼まれた依頼を買ったり、騎士団からの応援要請を請けてなどなど、自分から動かないことである意味有名な組織だ。
 何より、騎士団やレジスタンスのような上下の階級が存在する軍隊組織とは根本が違う。その数、たったの6名。つまり、事実的にはリーダーは居るが、6人全員に意思の決定権があるという、組織というよりも個人個人の寄り合わせに近い。
「だから、管理局内でもああいう、『俺のやることに首突っ込むな』的なことも起こっちゃうんだよねぇ〜。ま、別にいいけどね」
「……ククリさん」
 口を開くウサギの唇に、ククリは人差し指を当てる。
「ククリ、でいいよ。歳もそんな違わないと思うし」
 むしろ同い年なんじゃないか、と思う背格好だが、今時そうそう外見で判断するのは侮れない。例のリーダーが、あんなロリフェイスのくせして実はネピリムやアスカと同年齢というのは、本当に驚きだった。
 指が離れ、ウサギは口を動かす。
「え、と……じゃあ、ククリ。あの、ネピリムさんは、どうしてボクのことたすけて、くれるの?」
 今度はククリは硬直した。
 数秒の停滞の後、ククリは顔を逸らして、
(………ネピリム、また女の子に関わって……これで何人目だと思ってるの?)
「え、なに?」
「ううん、なんでもな〜い♪」
 すると、カインが居間に戻ってくる。
「ネピリム行っちゃった?」
「ええ。『大所帯で行っても刺激するだけだ』と言って。そう思いますけどね」
「ククリも行きたかったのにぃ〜」
 頬を膨らませるククリに、カインは苦笑する。
「『足手纏いだ』って言わないだけ僕らのことを理解してくれてるってことですよ。それにククリさん、あれ=A溜まってないでしょう?」
「むむ、痛いトコつっつくねぇ〜。ま、そうなんだけどね」
 ははは、と笑う。
 談笑についていけないウサギは遠巻きに二人を眺めていたが、すぐにカインが振り向く。
「ウサギさん、でしたね……安心してください。僕らがしっかりと護衛しますので」
「あ、はい……その」
 上目遣いでカインを見上げる。眼鏡の奥の双眸が、次の言葉を待っていた。
「その……ネピリムさんは、だいじょうぶなんですか?」
 拙い言葉で訊く。カインは柔らかく微笑んで、
「大丈夫ですよ、彼は決して死にません。彼は死地なんてもの平然と通り越して行く男ですから」





 3


 ダウンタウンの第8区画と第9区画とを隔てる隔壁。
 ふもとに大きく閉まっている扉は何重にも封縛された鉄の柱によって強固に護られている。
 そこに一人居る、小柄な制服の少女。茶のショートヘアの少女は古びた椅子に腰掛け、外にぽつんと座っていた。
 傍らにガラス張りの隔壁操作室が設置されているのだが、少女は外に居るのが、明らかに扉を開け閉めする気がなさそうだ。
 元々人の往来自体はまったくといっていいほど無いので、外も中も対して変わりが無かった。
 制服と体格がマッチしていない少女が足先をコツコツと硬い地面に打っていると、人影が視界に入った。
 視線を上げる。
 漆黒のワイシャツとジーンズの上から、大きなマントを羽織った黒髪の青年。腰元に差している大剣が目立つ。
 相貌は可憐。雰囲気は壮麗。他人に無いオーラと、他者の介入を赦さない氷の瞳が美しい青年だった。
 近づいてくる青年に、少女は立ち上がって相対する。
「管理局の方ですよね? ついさっきトラックでここを通った……」
「……、第9区画に通してくれ」
「あ、はい」
 少女は微笑を浮かべて操作室に入る。鍵を差してロックを外し、やたら大きなレバーを引き上げる。
 すると、壮絶な音が一瞬、無数の柱が引っ込んで、隔壁が開く。
 ゴガガガガ、と鉄の擦れる轟音を傍観する青年に、少女は近づく。
「今日は通る回数が多いですね。何かあったん――」

 ヒゥン……!

 風斬音が刹那を過ぎり、少女の眼前に切っ先が停まる。
 硬直し、目の前に突きつけられた大剣を見つめる少女に、突きつけた青年は冷たい眼光を向ける。
 空気が痛いくらいに静寂に包まれる。
 青年が、先に口を開いた。
「……、普通の検問員がここで混乱しないのもおかしな話だな」
 揺らぐ瞳孔を装って=A少女は怯えた表情をする。
「な、え……?」
「いつまで下らない演技を続ける気だ、ザッシュ」
 ついに名前を言われた少女は、一秒後にはもうまるで突きつけられた大剣など気にすることないように溜息をついた。
「なんだよ、今度こそバレねぇって完璧に誤魔化してたのによぉ。やっぱククリとお前には勝てないな、ネピリム?」
 敬語だった口調もまるで男のものに一変する。動きも少女のシナから、男のように大股歩きへ。
 青年は大剣を鞘に収め、一瞥に呆れを混じらせる。
「最近館に来ないからまたふざけたことやりだしたんだろうって、イリセリア達と話してたんだが……本当に、何をしているんだお前」
「いいじゃんかさ♪ オレっちの仕事はこういう裏工作なんだからよ、特訓特訓」
 少女はカラカラと鈴のように笑って、青年に背を向ける。
「あ〜あ、バレちまったら続ける意味ねぇやな。意外と収入とかったんだぜよ、この仕事」
「知ったことか。むしろ顔を見せろ顔を」
「あらぁん、女人表現の引き出しの多さなら自信あるわよぉ〜ん♪」
 くねくねと艶かしい動きをする少女に青年は睨みを利かせる。少女は降参のポーズをした。
「ま、暇だから館に帰るわな。つってもオレっちってばショウコさん苦手だからまた姿を消すかも。『捜さないで』の置手紙付きで」
「……、それはそれでどうでもいいな」
「ぐわっ、ひっで! 仲間に対してもそのクール&ドライやめれよぉ〜、レジスタンスの冷点娘と同じに見えんよぉ〜?」
 肩に腕を回そうとするが、確実に背格好が合わないので少女は青年の肩に手を添えた。
「別に故意じゃない、本当に興味が無いだけだ」
 少女は口の端を吊り上げて意地悪そうに笑う。それは、彼≠フ本来の笑みだった。
「そういう性格してっから、オレっちは好きだぜ?」
「……、男に好かれるのもどうかな」
「やたら女に見えるからその辺スルーする奴も居るごぶっ!?」
 ヘラヘラしながら近寄る少女の鼻っ柱に軽い裏拳。少女は鼻を押さえて苦しんだ。
「〜〜っ……い、一応女の顔殴ってるってアンダースタン?」
「男を殴ったと理解できているから些事ですらない」
「ひっどいねぇ〜。それはそうとして朝から行ったり来たりしてっけど、どったの?」
 薄く鼻を赤くして涙目の少女は見上げる。
 青年は少し迷ったが、無表情で開ききった隔壁へ歩いていった。
「別に大したことじゃない」
 隔壁の向こう、ブラックタウンへ降りる隠し通路のある第9区画へと進みながら、
「ウサギのお守りをしに行くだけだ」
 その言葉を最後に去ってしまう背中を見つめ、少女は可愛らしく小首を傾げた。
「はて……ミッドガルドに兎なんていたのかしら?」


     ◆


 セントラルチャペルに戻ったアスカ=ミズキは、副隊長執務室に戻って受話器を手に取った。
 コールは2回。すぐに繋がる。まあ、そうでなければ困るのだが。
『はい、こちら情報課』
「アスカだ」
『え……? えっ、わわ! せ、先輩!? お、おおお疲れ様です!!』
 きーん、と耳をつんざく高音に、受話器を少し離すアスカ。
「……………何故慌てふためいた?」
『あ、いや、その〜……お菓子貰って、皆で食べてて』
「……そうか。別に構わないが、忙しいのだから仕事をして欲しい」
 文句を言うと、向こうの少女はすぐに平謝りする。
『で、あの……どうされましたか?』
「いや、調べて欲しい事が二三有る」
『なんでしょう』
 落ち着いた口調を取り戻して少女は聴く。曲りなりにも騎士団でも指折りの情報収集専門だ、それはアスカもお墨付きにしている。
「『ザカート』がダウンタウン第10区画にて確認が取れたようだが、どうなっている?」
『えっと、「ザカート」ですか……今は進展無し、ですね。どうもジャミングか何かをされているようで、加えてダウンタウンは「エデン・レプリカ」領域のギリギリ外なんです。発見は、直接視認しないと無理そうだとグレイズ君にもお伝えしました』
「そうか。やはり、奴を待つしかないようだな……」
『はい?』
「いや、何でも無い。それと、アップタウンの住所登録にウサギという名前の行方不明通知が有るかどうか、スキャナを掛けてくれ」
 アスカがその言葉を口にした直後、「え?」という驚きの声を漏らした。
「どうした、エイダ?」
『あ、いや、その〜……行方不明通知、ですか? アップタウンの』
「そうだ」
『え、でも……だって』
 しどろもどろで紙をめくる擦れた音が耳に入る。
 少し眉をひそめてアスカは問いただした。
「なんだ、はっきりしろ」
『えと、怒らないで下さいね?』
 何を怒れと思うのか微妙だが、首を傾げるアスカの耳元で、意外な言葉が出た。
『その〜……行方不明なんて、いないですよ? 少なくとも今日までは絶対に』
 怪訝な表情が、険しいものに変わる。
「なんだと?」
『こ、声色変えないで下さいよぉ〜』
 泣き声を出す少女に、アスカは声を少し戻すよう専念してやった。
「教えてくれ、どういう意味だ?」
『どういう意味も何も、昨日アップタウンの納税期日だったじゃないですか。忘れたんですか?』
「――、」
 言葉を発し損ねた。
 アップタウンはその機能維持のために、全住居市民に納税を義務付けている。
 期日というのは月の1日と15日に決められており、遅れると十一感覚で納税金が増えるシビアな仕組みだ。
 だが、この義務には裏に住居者の確認という要素も含まれている。
 納税する際に必ず住居している全員の記録をすることで、誰が居ないとかを確認できるのだ。
 今日は7月の2日。昨日納税があった。
『その時の現金を積んだ輸送車が、ダウンタウンの人に襲撃されたんじゃないですか。朝に』
 そうだ。その報告をしたのは、他でもない自分だということを思い出す。
 ゆっくりと、重い口を開く。
「……エイダ、今の時点での住居者に行方不明通知は」
 言葉は真っ直ぐ、
『有りません。今日付けで全市民の納税と住居確認が出来ましたが、誰も″s方不明にはなってません』
 耳に、突き刺さった。

『そもそも、情報課なので住居者の登録名称は憶えてますが、「ウサギ」という名前は聞いたことがありません』


     ◆


 ダウンタウン第9区画のビルとビルに囲まれた狭い場所。
 瓦礫の山のふもとに小さな扉がある。
 灰の地面に、下へと通ずるそれを空け、階段を下りてゆく。
 五分も歩けば広い場所に出る。そこは空洞のようになっていて、巨大なドーム内に造られた仮設都市だった。
 遙か上空の天井に電灯が燈ってはいるが、かなり薄暗い。だが、最下層に比べればまだマシだと思えた。あそこは暗過ぎる。
 ブラックタウンは上の二階層とは違って、隔壁のようなもので括っていない。そのため、実に半径200平方キロメートルという膨大な敷地が一つの大空洞として成っている。ここからレジスタンスの幹部を捜すとなると、一苦労だ。
 ネピリムは辺りを見回すが、荒廃した街並みが連なっているだけで、人の気配は第10区画並みに雑然としていて無音。
 自分の足音すら響くほどに静かな街を歩いていると、数人の気配がする。
「……、」
 気配はするが、誰も近づこうとしない。恐らく、ブラックタウンに生きているレジスタンスとは違う普通の住人だろう。
 だが、『普通の』と言っても浅はかなものだ。その数人もきっと、隙あらば襲って身包みを奪ってしまおうと考えている連中だ。
 マナの枯渇はそれほど酷くは無いのだが、光はおろか水もまともに得られないことが多く、供給設備を使って裕福に暮らしているアップタウンの住人に憎悪を抱いている人間が激増している。俗に言う、スラム街に値する。
 倒れたビルが隣りのビルに倒れかけ、門かトンネルのようになっているそこを潜って、ネピリムは再度辺りを見回す。
 レジスタンスの人間なら、管理局員が降りてきたと知ればすぐに出てくるのだが、
(せめて誕婚病葬≠竍夜を歩く銀=A最悪棘の君≠ナもいいんだが……さて、誰が来ることやら)
 最悪も最悪の人種が来ないことだけを、無表情ながらも何となくネピリムは思った。


     ◆


 少女はただとぼとぼと歩いていた。
 特に目的は無い。ただ生き抜く術を行使するほかに、このブラックタウンで暇を潰せる道楽や金持ちは居ないからだ。
 彼女もその人間と同じにカテゴリされるのだが、纏っている強さが他を寄せ付けない雰囲気を放っていた。
 小柄な体躯に紅い髪をショートヘアに切り揃え、紅蓮の色が目に映える着物のような民族衣装とスパッツ。どちらもダウンタウンから強奪したものなので、服装のセンスは微妙にズレていた。
 少女は瓦礫を踏み越え、散歩をしていた。こんな薄暗い大空洞で散歩もどうかと思うが、暇なのだから仕方がない。
 鼻唄を混じらせて歩くこと数分。意外な人物を発見した。
 漆黒の出で立ちと黒の大剣の美青年。彼女にとって誰よりも知りうるあの男。
 不意に胸のあたりでちりちりと激情が湧いた。
 それは狂気でもなければ憎悪でもない。純粋な、闘争本能。
 少女は可憐な相貌を獰猛すぎるほどに強烈な笑みで飾り、足の裏に力を込める。
 爆風が轟音と共に弾け、刹那を裂く弾丸と化した少女は青年へと狙撃した。


     ◆


 横合いから爆音が押し寄せ、ネピリムを襲う。
 反射でネピリムは退く。ギリギリ過ぎって突き進むのは、紅蓮の弾丸。
 瓦礫に突き刺さり、コンクリートの地面を爆砕して炎の塊。ぱちぱちと乾いた音を放ち、空気を焼き焦がす。
 戦慄が奔り、緊迫した状態に一変し、ネピリムは表情を一瞬強張らせる。
 だが、すぐに平常を取り戻す。良く知っている人間だったからだ。
 紅蓮から、絶叫にも近い狂笑が爆ぜる。
「ネぇーピーリムぅぅ!!! ここで逢ったが……あん? 何年目だっけ?」
 炎を弾いて現れたのは、首を傾げている一人の少女。ククリやウサギと変わらない背格好は12歳の平均身長。紅い奇抜な髪を綺麗に切り揃え、形の良い眉の下には、決して惑わない灼炎色の瞳。
 民族のような衣装束。下はスパッツと華奢な脚が白く覗いている。
 浴びている獄炎は、まるで少女の身体も服も焦げひとつ付けず、まるで炎のドレスのようだった。
 血色に染まった舌をぺろりと出して、少女は鋭い眼光をネピリムに投げかける。己でも留められないような威圧を滲ませる。
 ネピリムは紅蓮の少女を見据え、口を開く。迂闊に空気を吸うと、喉が熱で焼けそうだった。
「……、一番来て欲しくない奴に逢った」
 少女は腰に手を当ててむっとする。
「うっさいなぁ〜、アタシはに逢いたかったんだぜ〜?」
 獣のように獰猛に笑う。口元から、キッと八重歯が見えた。
 背筋を伸ばし、炎を掻き消すと再度ネピリムを睨み上げる。
「今度こそオマエをブチ倒して、アタシのほうが強いってことを証明してやる!」
 小さな唇から、火の粉が漏れ出る。
 ネピリムは、ぽつりと呟くように少女の名前を口にした。
「アンジェラ……!」
 二人が姿勢を低くしたのは、同時だった。
「挙句燃えて塵になっちまえよ!! 包むモノ纏めて灰にしちまえ!! 【ブリーズ・オブ・ハート】ぉ!!!」
 一瞬にして少女の周りの空気は酸素を吸い込み、灼熱を帯びて紅蓮を生み出す。
 炎は帯と化して右腕に纏わりつき、轟と燃え盛る。
 少女の暴虐的な笑みを真っ向から見つめ、自分の厄日よりも先にすべきことを為すためネピリムは手を突き出し抑制しようとする。
「待て、アンジェラ。今日はお前と遊んでいる暇がない。ヴェルドは居ないのか? それかクラウリーゼでも――」
 その言葉に、少女は瞳の奥に殺意を漲らせる。
「この野郎っ……アタシとの勝負が、遊びだってぇ!? ふざけんなよ! こちとらマジで闘りあおうって思ってんだぞゴラァ!!」
「悪いがそういうわけにいかないんだ。お前、『ザカート』という魔導宝具を知っているか?」
 あくまで平然と訊いてくるネピリムに、少女は困惑と焦燥が混じった表情をする。
「はぁ? なんだその、ざか……何とかって」
 やはり、とネピリムは心の内で落胆の溜息を漏らす。
 レジスタンスの中でも指折りの無法者であるこの少女に、そんな内情を知っているとは思っていなかった。
 そんなことよりも、と急かす少女は炎を持て余す。
 だが、ネピリムとしては今は戦っている暇など無い。早く『ザカート』を知っていそうな連中を吐かせて、破壊しなければならない。
 なので、慨さない事柄を無視するいつも通り≠展開し、踵を返す。
「な゛っ……ちょっと待てよ! なんでそこでスルーするわけ!? 待てよ!!」
 慌てて近寄る少女。追いかけることに集中したせいか、身を纏う炎が消える。
 心底疲れたように、ネピリムは振り向く。
「何なんだお前は。俺は今忙しい、後にしてくれ」
「〜〜なんだよオマエ! そんなことアタシには知ったことじゃないし、とにかく闘え戦えたたかえぇ〜!!」
 子供らしい駄々の捏ね方をする少女に、ネピリムはそれでも冷たい。
「黙れ。今回は見過ごせないんだよ、俺やウサギが狙われて――」
 はっとして、ネピリムは自分の口元を覆うが、今更吐いた言葉は引っ込まない。
 そして少女の目が、すっと据わる。
「………うさぎ?」
 振り返って弁解の言葉を口にしようとした瞬間、
「………んの野郎……あの風女や御嬢様かぶりだけじゃなくて、」
 やばい、とネピリムは本能的に一歩退がる。少女の、この低くなった声が何を示すかを、ネピリムは良く知っていた。
 少女の心に、火がついた。
「今度はドコの女と仲良くやってんだこの野郎ぉぉおおお―――――――!!!」

 瞬間、灼炎が爆発する。

 酸素を包んで質量を孕んだ炎弾が、ネピリムに向かって炸裂する。
 ネピリムは咄嗟に大剣『レヴァンテイン』を引き抜き、前方に叩きつけるように振って炎を掻き消した。
 だがその抜剣が災いして、少女の瞳に歓喜の光が宿る。
「はんっ! ハナからそう構えてりゃよかったんだよ! 本気でブチ殺してやるよ!! ついでにウサギって誰だこの野郎ぉ!!」
「……、ほとんど後半が理由じゃないか」
 ぽつりと毒づくネピリムに、少女は顔を赤らめて激昂する。
「うっせぇうっせぇぶっ殺す!!」
 レジスタンスの少女による炎の鞭が、横に薙ぎ払うように襲い掛かった。





 ――第二章――
2005/11/07(Mon)21:12:21 公開 / 伊藤 昴
■この作品の著作権は伊藤 昴さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
伊藤です。
第二章3話更新です。
そして文字数が膨大になってきたので、新規で引き続き第三章書かせていただきます。
ああ、アンジェラの性格が凄く書き易い今日この頃。アスカ派ですか? アンジェラ派ですか? ていうかメインヒロインのウサギはどこいったのかと自分に疑問する今日この頃。最近猫背に悩みだした今日この(中略)。
それでは、新規にて第三章。これからも指摘、お願いします。ではでは。
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