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創作小説 投稿掲示板『登竜門』 『十月の海』
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- 『十月の海』 作者：時貞 / ショート*2 未分類
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全角4448.5文字※グロテスクな描写がございます。苦手な方はご注意ください。
容量8897 bytes
原稿用紙約13.25枚 -
「もうすぐだよ、ゆかり。もうすぐ海岸線が見えてくるはずだ」
僕は車窓の外に広がる景色を眺めながら、右手で握り締めたゆかりの手の甲を左手の指先でそっと撫でた。
見渡す限りの茶畑が広がっている。
降り注ぐ陽光が茶葉の濃い緑に照り返り、その眩しさに僕は思わず目を細める。空は高く、雲ひとつ無い上天気だ。ほんの少しだけ開いた車窓から、心地よい涼風と共にむせ返るほど濃厚な茶葉の匂いが入り込んでくる。
茶畑を越え、その先にある山腹の長いトンネルを抜けると、白い砂浜に真っ青な海原が見えてくるはずだ。ゆかりの大好きな、十月の海が――。
列車が長いトンネルに入る。
僕はゆかりの手をそっと握り締めたまま、数年前にこのトンネルを通った日のことを思い出していた。あのときも隣にゆかりが居た。今日と同じくらいの上天気で、列車の程よい揺れに思わずウトウトと舟を漕ぎ始めていた僕は、ゆかりに優しく揺り起こされたのであった。
起きた途端、目に飛び込んできた真っ白な砂浜と青く輝く海。砕け落ちる波の彼方に小さな漁船の姿があった――。
「さぁ、ゆかり。このトンネルを越えれば――」
そう言ってゆかりの手を強く握った僕の目の前に、背広姿の二人の男が姿をあらわした。
男の一人が口を開く。
「愛川、勇樹だな？」
僕は二人の男の顔を交互に見比べながら、ゆっくりと返事をかえした。
「ええ――」
＊
ゆかりが死んだ。
あまりにも呆気なくこの世を去った。
僕がこの世でもっとも愛するゆかりが、その僕の手によって永遠の眠りについたのである。
気が付くと僕の部屋のベッドの上で、僕の隣で、ゆかりは全裸のまま冷たくなっていた。しばらくは、これはきっと何かタチの悪い冗談なのだろうと思った。悪い夢の続きなのだろうとも――。僕の身体の中でまだ僅かに残っている《クスリ》の効力が、こんな幻覚を見せているのだと思った。
ＬＳＤとマリファナを吸引して、二人でしっかりと抱き合った。
そして、いつものように狂おしく愛し合った。
快感が高まってくるにつれ、ゆかりはいつものように身体を仰け反らせてこう叫んだ。
「ああ――兄さん、兄さん締めてッ！ わたしの首を締めてッ！」
僕はいつものように、ゆかりの細く白い首筋に両手をまわす。そして、ゆっくりとその手に力を込めていった。ゆかりは快感と苦悶がない交ぜになったエロティックな表情を浮かべ、白く長い腕と脚を小刻みに痙攣させる。そこで僕がゆっくり手を放すと、ゆかりはしばし恍惚の表情を浮かべ、それから僕を真っ直ぐに見つめて嫣然と微笑んだのであった。
僕らはいつものように、この狂おしくも愛しい行為を何度も繰り返した――。
ゆかりの首筋には、赤黒い指痕が鮮やかに浮かび上がっていた。
見開かれた両目は天井を見つめ、口元には相変わらず嫣然とした微笑を浮かべている。僕は無言でゆかりの腕を掴んだ。冷たく、いつものような弾力を失ったその肌の感触で、僕はゆかりが本当に死んでしまっていることを実感した。
「ゆかり……？」
間近に横たわるゆかりの姿が、まるでピントが狂ったように二重に見える。僕はゆかりに寄り添うように身を横たえ、ひんやりと冷たいその頬を何度も何度も手のひらで撫でた。そして、長く真っ直ぐな黒髪に指を絡ませる……。
それらをしばらく繰り返した後、僕は弾かれたように半身を起こした。
いつもそうであるように、背筋や四肢の内側にざわざわとした痒みを、まるで無数の小さな虫が這いずりまわるような痒みを感じ始めた。クスリが完全に効力を失い、僕の神経が逆立ち始めたのだ。
全身に鈍痛が走り、目の周りが焼け付くように熱くなる。脳髄がぐるりと一回転したような感覚を受け、やがて視界のピントが徐々にはっきりとしてくる。すると突然、息絶えたゆかりの姿をただ呆然と見詰めていた僕の両目から、ぼろぼろと生ぬるい涙が溢れ落ちてきた。
生ぬるい涙を両手で受け止めると、声にならない呻き声が身の内から湧きあがってきた。
（あああああ、あああああ、あ……僕が、ゆかりを……）
生ぬるい涙は止まらない。
（ううううう、ううううう、う……ゆかりを、僕が……）
突然喉の奥から、いや、腹の奥から獣のような咆哮が迸り出た。両手で自分の髪の毛を、血が滲むほど強く掻き毟った。ベッドの下に転がっていたウィスキーのボトルを掴み上げ、生のままでグイグイとあおる。そして、そのまま胃液ごと吐き出した。全身の血液が、内臓のすべてが悲鳴をあげている。身体中が熱くて寒い。僕はいつまでも声にならない悲鳴をあげつづけた。頬と顎とを濡らす生ぬるい涙が、胸を伝ってゆかりの死に顔の上に滴り落ちていく。その涙が血の色に見えた。
――ゆかりが居なくなったら僕は僕はゆかりが居なくなったらゆかりが居なくなったら僕は僕はゆかりが居なくなったらゆかりが居なくなったら僕は……。
ゆかりを失った、それは僕の慟哭であった――。
僕はゆかりの死体を車のトランクに載せ、深夜の高速道路を飛ばした。両親の別荘のある信州へと向かう。ガラガラに空いた高速道路を飛ばしたため、二時間半ほどでその別荘に着くことが出来た。
まるで人気のない別荘地――枯れ枝や落ち葉で覆われた駐車場に車を停め、僕はゆかりの身体を抱きかかえてロッジ風に造られた別荘へと向かう。用意してきた大きな真鍮製の鍵をポケットから取り出し、表玄関のドアを開けた。足を踏み入れると、別荘内はつんと据えた黴のような匂いが立ち込めていた。
僕は暖炉に火をいれ、冷たい床に座り込んでウィスキーをあおりながら、全裸のまま横たえたゆかりの姿をじっと眺めていた。幼い頃から現在にいたるまでのゆかりとの思い出が、まるでスローモーションのようにゆっくりと脳裏に浮かび上がり、そして消えていく。僕の頬を伝う涙痕はいつまでも消えなかった――。
一睡もしないまま丸一日が過ぎた。
僕はゆかりのすべてを自分の中に取り入れることに、ゆかりを食すことに決めた。この胸に大きく穿たれた穴を埋めるためには、それより他に思い浮かばなかった。
キッチンから肉切り包丁、納屋から鋸を持ち込む。そして僕は、ゆかりの身体を解体する作業に没頭した。全身から汗を流し、寝不足で充血した目を擦りながら――。
スリムで脂肪分などほとんどないように思えていたゆかりの身体であったが、刃を入れてみると意外にもその脂肪分の多さにてこずった。数分もすると刃先がぬるぬると滑りだし、肉切り包丁も鋸もたちまち切れ味が悪くなってしまう。僕は何度もキッチンで刃先に付着した脂肪を洗い流しながら、焦らずにじっくりとゆかりの身体を細かく分けていった。
生で食べられそうな部分はそのまま生で食べた。
あとは火で炙ったり、大鍋で煮込んだりして食べた。
骨などの堅い部分は、金槌で細かく砕いてウィスキーと一緒に流し込んだ。
僕はゆかりを一口一口噛み締めるたびに二人の思い出を一つ一つ思い出し、生ぬるい涙で頬を濡らした。全身から溢れ出すほどの悲しみと、ゆかりと一体になれる幸福感とが交互に押し寄せてくる。
ああ、ゆかり、美味しいよ……苦しいよ……美味しいよ……苦しいよ……ゆかり、ゆかり、ゆかり、ゆかり、ゆかり……。
とろけるほどに柔らかく煮込んだ臀部の肉を食していたとき、ふいに生前のゆかりが僕によく言っていた言葉を思い出した。
――ねえ兄さん。前に一度連れて行ってもらった、あの海にもう一度行ってみたいなぁ。兄さんと二人っきりで、またあの旧型の列車に乗って。……あそこの白い砂浜で、また十月の黄昏ゆく海が見てみたいなぁ――。
僕はゆかりを、二人の思い出の海に連れて行ってあげることにした。
＊
「愛川勇樹、お前を愛川ゆかり殺害、および死体損壊遺棄の疑いで逮捕する。我々と一緒に署までご同行願おうか」
僕の面前に立った男は、実に冷静な口調でそう言った。自分の顎の位置に、役所で見掛けるような薄っぺらな書類を掲げている。僕は、ああこれが逮捕状ってやつか――と、漠然とそれを見上げていた。
やがて僕の視線が男たちの背後に移った。
長いトンネルを抜けた列車が、真っ青に輝く海岸沿いをゆっくりと走っている。以前とまったく同じ、白い砂浜と美しい十月の海が視界の先に広がっていた。
「さぁ行こう」
そう言って男が僕の手を取ろうとする。そのはずみに、僕とゆかりの手の上に掛けてあったスポーツタオルがはらりと床に落ちた。
男は僕の手を見つめ一瞬声を詰まらせたかと思うと、その後「ひっ」と喉の奥から裏返った声を吐き出して後ろに飛び退いた。
その男と、隣でずっと成り行きを見守っていた男が青ざめた表情で一点を凝視する。
僕は男たちの視線から隠すように、床に落ちていたスポーツタオルを取り上げて自分とゆかりの手とを覆った。
「――そ、その、お前が握っている白骨は、愛川ゆかりの遺体の一部だなッ！」
僕に逮捕状を見せた方の男が、大きな目玉をぎょろりとむいてそう言った。そして、もう一人の男と共に僕の肩を掴んで席を立たせようとする。
僕は口を開いた。
「もう少し、待ってもらえませんか？」
「なに？」
「ゆかりと一緒に海を見ていたいんです。この、十月の海を――」
僕の肩を掴んだ男の手に、更に強い力が加わった。
「ば、馬鹿なことを言うな！ さぁ立って、とっとと行くぞッ」
「少しだけでいいんです。この浜が途切れるところまで、僕とゆかりを二人だけにしてもらえませんか？ 絶対に逃げも隠れもしませんから」
「駄目だ！」
男はそう吐き出して僕の顔を睨みつけた。男の額に浮いた汗が、やけに大きな水の玉のように見える。
二人の男によって、僕の身体が強引に席から引き上げられた。手錠を掛けられる際に、一人の男が僕の手からゆかりの手を引き離す。そして、手袋を嵌めた手でゆかりの手をビニール袋の中にぞんざいに放り込んだ。
「か、かえしてくれッ！ ゆかりをかえしてくれッ！」
僕は手錠の掛かった両手を振り回し、身近にいた男の顔面に強く叩きつけた。そして、ゆかりの手をビニール袋に放り込んだ男に詰め寄る。と、そのとき、左足の腿の裏に激しい衝撃を受けて思わずつんのめった。
僕に顔面を強打された男が、警棒らしき物を僕の左足に叩き込んだようだった。男は呼吸を荒げながら、うずくまった僕の前に回りこむ。
「こ、このッ！ お前のような危険人物には一秒たりとも猶予などやれん！ ……ちッ、いつまでも気味の悪い白骨なんぞ持ち歩きやがって」
「……」
「さぁ、あんまりてこずらせるな。ほら、立て。行くぞ――」
僕は立ち上がると同時に、男の大きく突き出た鷲鼻に噛み付いた。そして、力の限りを込めてその鷲鼻を食いちぎった。
十月の海の波音が、一瞬だけ大きく聞こえたような気がした――。
――了―― -
2005/09/26(Mon)18:31:27 公開 / 時貞
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■作者からのメッセージ
お読みくださりまして誠にありがとうございます。
自分としましては、かなり実験的な意味合いを込めたＳＳを書いてみました。冒頭で述べたとおり、グロテスクな描写が多々ございます。登竜門に投稿するにおいては問題があるかとも思ったのですが、過去作品集を読ませていただいた中で今作以上に猟奇的な作品もございましたので、思い切って投稿させていただくことにしました。
今作を読んで気分を害された方や、投稿作品として明らかに問題があるといった場合には、ご指摘いただければ削除したいと思います。自分の中ではある意味、一種歪な形の恋愛小説といった位置付けでもあるのですが。
皆様からのご感想を心よりお待ち申し上げます。
※有栖川様からのご指摘をもとに微修正させていただきました。
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