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『【創作祭】蝶の列車』 作者:若葉竜城 / 未分類 未分類
全角12547文字
容量25094 bytes
原稿用紙約37.95枚




    「蝶の列車」






 こそこそと物陰で話す二つの人影に、人々は白い目を投げかけつつ通り過ぎていく。二人とも真っ青なコートのような物を着て、純白のズボンをはいている。手にはタクシー運転手がつけるような白い手袋。明らかに何らかの正装である格好なのに、二人は街のゴミ箱を椅子代わりにして座っているのだ。
「……先輩も大変ですね。いくら一族の仕事とはいえ、こんなことまでしなければならないなんて」
 女性らしいソプラノの小さな声が男の耳に届いた。男は目を閉じて、ズボンのポケットから煙草を取り出した。それを見て、女もライターを取り出す。
「何てことはない。俺はただ一族の名に恥じないような仕事をすればいいだけさ。何しろうちの一族は名門中の名門だからな」
 男は箱の中に全く煙草が見あたらないことに気がつくと、ぐしゃりと箱をつぶした。
「それでも、先輩はずっと一般人として暮らしてきたんでしょう」
「まあ、九蝶々(くちょうちょう)一族に生まれたからには仕方がない。この力も持ち腐れされるよりは使われた方が嬉しいだろう。それに、この仕事は俺が一族からようやく認められたという証だ」
 にやりと笑って、男は内ポケットからもう一箱取り出す。今度は、入っていることを確認して、一本取り出した。
「お前こそ、どうなんだ。別に俺に付き合わなくてもよかったんだぜ。お前の方こそ完璧な一般人なんだから」
 男の目は手を引くなら今だ、と言っていたが、女は男の言葉を聞いて、小さく微笑んだ。
「いいんです。私も先輩と同じ車掌ですから」
 男は女の妙な余裕にややたじろいだが、女が差し出したライターの火に気が利く、と笑んだ。自分の煙草をライターの火に近づけていく。火がついたと思ったら、遠ざけていく。
「そうか。なら、途中で止めようとか思うなよ、夜久野(やくの)」
「当然です」
 真面目な顔で大きく頷いた女に男は一本煙草を渡した。
「多分、お前がすることなんてこれからもほとんど無いだろうけどな」
 そう言って、自分に背中を向けた男に女は拗ねたようにした。口に煙草をくわえて、ライターで火をつける。ライターをポケットに仕舞うと男に置いて行かれないように小走りで追いかけた。後ろから聞こえるまぬけな足音が男の口の両端を少しだけ上げていた。


 ・+・*・+・


 黒い革ジャンを羽織って中は白いTシャツ。真冬に着る服装とは思えなかったが、暖房で室温が異常に高いそこではその格好でも暑いぐらいなのかもしれない。バーのカウンターで、ちびちびとソルティドッグを飲んでいる。その横に並ぶ大量のグラスから分かるように先ほどからずっと龍一はカクテルやワインを飲み続けていた。バーテンダーが少し心配そうにちらちらと龍一を見やっている。
「……なあ、俺は勝手な男なのかな?」
 どうやら龍一と知り合いであるらしいバーテンダーは少し嘆息して、磨いていたグラスを台上に置く。龍一が沈んでいることは雰囲気からも、表情からも、つい数時間前まで繰り広げられていた会話からも、感じられたので、バーテンダーはカウンターの方に回って、龍一の隣に座った。
「お前も悪かったと思うよ。けど、誰だってあんな言い方されたらカチンとくるだろうよ」
 バーテンダーは龍一の友人として、隣でグラスに口を付けた。中で心許なげに揺れるミモザのオレンジ色をバーテンダーは見つめていた。
「けど、観月が悪いとも言えないだろう?」
 バーテンダーは龍一の問いかけに対して何も答えられず、沈黙が漂った。ミモザをぐいっと飲み干して、無理矢理、龍一と目を合わせる。
「お前とは高校時代からの付き合いだ。お前が昔から女には酷い目に会い続けてきたことも知ってる。それでも、はっきり言うぞ」
 バーテンダーはそれでも諦めがつかないようで、何か言おうとして再度口をつぐむ。だが、何かを決心したように龍一の方を向いた。
「お前はあの女に騙されてたんだ。大学でも噂になってたのお前だって知ってただろ?」
 バーテンダーの言葉で龍一は目を見開いた。どうしても信じられない、と首を横に振る。
「観月沙織は男から全てを奪った後で逃げていく、魔性の女。どれだけいい男でも堕とされる。……有名だったじゃないか。それなのに、どうしてお前がわざわざ引っかかりに行ったのか不思議でならなかったよ。赤道教授がどうして大学辞めたか知ってるか。あの女に全部盗られたんだよ。名誉も、才能も、金も、家庭も、全部」
 バーテンダーはやりきれない、と龍一に背を向けて友人からバーテンダーに戻った。拭きかけだったグラスをもう一度拭き始めた。
 しばらくすると、バーテンダーは龍一が俯いて身動きしないことに気がついた。
「……おい、寝ちまったのか?」
 バーテンダーは龍一の肩を揺り動かした。龍一の反応がないので、寝てしまったのだと思い、龍一が自分に預けていたコートを被せてやった。
「ったく、手が焼ける奴だな」
 バーテンダーがカチャカチャとグラスを片づける音と共に、ドヒュッシーの夜想曲、シレーヌがか細く流れていた。遠野龍一の体の中にもそれは響いているように思えた。


 ・+・*・+・


 金糸に彩られた豪奢な列車が龍一の目に入った。明らかに電車ではない、昔ながらの列車だった。列車の側面には『金糸雀(カナリア)』と書かれている。おそらくはその列車の名称なのだろう。そんなことを思いながら、龍一はその列車に乗り込んだ。周りに誰もいなかったので自分のためだけの列車にも思えた。
「へえ、結構いいとこじゃないか」
 自分以外の客はいないというのにシャンデリアを天井から吊して車内を照らしている。ボックスになっている席に一人で座る。深紅に染められた座席は流石に趣味が悪いとしか言えなかった。
 ふと、隣を見ると窓際の方の席に一人の女性が、座っていた。多分、この女性は自分より先に座っていたはずである。
「あ……すみません。俺、退きましょうか?」
 連れ合いがいることを考えての龍一の遠慮に女性は首を振った。龍一は女性から煙草の臭いがすることに気がついた。
「いいえ、結構です」
 女性が美人であることに気がついて、龍一は今更ながら少しだけ照れた。女性は自分の方を見もせずに、文庫本ばかりを見つめている。
 女性に見惚れていたが、その先の風景を見て、龍一は思わず驚愕した。
「……どこだよ、ここ?」
 見たこともない場所が龍一の目に映った。どれだけ考えても思い出せない場所で、この列車は一体どこへ行こうとしているのか、が分からなかった。
「あの、この列車ってどこに行ってるんですか?」
 女性は龍一の声に顔を傾けて、静かに栞を挟んで、本を閉じた。
「私は知りません。貴方も、今は知らないはずです」
 女性はそう言うとまた本を開いて、龍一から目を離した。龍一と女性の間にある沈黙がいよいよ重くなっていくのを龍一は感じていた。
再び窓の方を見ると窓が開いていた。龍一は女性の前を通って、窓に手をかけた。


 ・+・*・+・


 人々が隣や正面、後ろからぎゅうぎゅうと流れてくる。暑苦しいことこの上ない。
 俺は、どこにいるんだろう。俺の名前は?
……遠野龍一。強そうな名前をつけてもらったもんだな。それでも、どうして俺はこんなとこに居るんだ?
 目に痛いショッキングピンクだな。ネオンも程ほどにしとかないと客にも退かれてしまうだろ。
そりゃ、ダメだって、おばさん。それは明らかに貢がせホストだよ。ま、そのどぎつい香水にも指や首にじゃらじゃらぶら下げてる金も高そうな服も、カモとしてアピールしてるようにしか見えないけどな。
臭い。いつもこういう人混みを歩いたら色んな臭いがしてきついんだけど、今日は格別だ。どうしてみんなこう臭いがするんだろう。いつもより異常に臭い。汗臭いデブに、香水臭いおばちゃん、くわえ煙草してかっこつけてるホストの兄ちゃん。あんた達、強烈な臭いがするんですけど?
そんなことを思いながら人混みを抜けていく。丁度、向かい側の歩道があまり込んでいなかったから道路を横断しようとしたら、真っ赤なスポーツカーがこっちに向かって進んできた。
やばい、轢かれる。
そう思った瞬間、俺は目を思い切り瞑って、体を縮めた。待ち受けていた痛みがいつまでたってもやってこない。恐る恐る目を開くとそのスポーツカーは俺の目の前で止まっていた。俺は文句を言ってやろうと出てきた男に寄っていった。
「おい、あんた、俺が見えてなかったのか。危うく死ぬとこだったぞ!」
 まるで俺のことが本当に見えていないように男は俺の前を通り過ぎていく。俺はもう一度文句をつけようとした。しかし、それは男の後ろをついて出てきた女にかき消された。
「……観月」
 俺と数時間前にバーで喧嘩して、別れた女だった。金遣いは荒いし、我が儘な女だったけど、才能と顔、小狡さに関しては他と格が違う女。観月も俺の前を素通りして、前を歩いていた男の腕に艶めかしく絡みつく。公衆の面前で熱くキスなんて交わしている。そして、熱々の二人が入っていくのはピンクと紫のストライプで彩っている看板が立てかけられたラブホテル。看板には『三時間五千円』と黄色い蛍光ペンで書かれていた。
 そうか……。俺と別れて数時間しか経ってないのにもう新しい男か。おめでとう。俺は赤いスポーツカーなか持ってなかったし、こんな安っぽいラブホに泊まれるほどプライドが低いわけでもなかったもんな。そりゃあ、こっちの男の方がずっと付き合いやすい男だっただろう。思えば、俺の車を初めて見せたとき。観月はどんな顔をしていた。確かベンツかよ、みたいな顔だったかな。スポーツカーとか柄でもなかったから、絶対に買うつもりもなかった。スポーツカーの方がいいならそう言えよ。
 少しだけ観月が怒った顔をして、一人で出てくるのを期待した。そして、その場に偶然いた俺を見つけて、よりを戻すことになるんじゃないか、と期待した。でも、現実にはそんなことあるわけなかった。観月はあの男と今頃よろしくしているに違いない。でも、俺はその場を離れることが出来なかった。
「リアル……。現実的。幻想敵?」
 それで馬鹿なことを言ってみたりして。小さく呟いて余計虚しく思えた。誰にも聞かれずにいただろうことが唯一の救いだったかもしれない。


 ・+・*・+・


 しゃらん、しゃらん。
 音が聞こえる。
 甘い香りが、鼻について離れない。
花の香り? それともまた別の香りなのか?

分からない。


 ・+・*・+・


 気を抜くと眠気に囚われそうになる。どこかに座りたい。さっきからずっと歩いてばかりだ。
 急に柔らかい感触が顔に感じられた。全身を包み込まれるような感覚だ。一番最近にこの感覚を感じたのはふかふかの冬用掛け布団に倒れ込んだとき。じゃあ、これは冬用掛け布団か?
 こっちからそれを抱きしめてみてもただ同じ感触が伝わってくるだけで正体が分からない。正体が知りたくて上を見上げると、そこには、丸い顔をした、おっさんがいた。とはいえ、顔見知りのおっさんだ。遠野龍一、二十一年間の人生の間に十八年間この顔を見続けてきた。そのおっさんは俺の親父だった。
「親父?」
 親父は、蜂蜜のホットケーキを持って、あのお人好しな笑顔でこっちを見つめている。何も喋ろうとしない。
「これ、食べろって?」
 俺は、蜂蜜がどろどろにかかっているホットケーキはもう蜂蜜が染み込んでいて狐色がやや濃くなっている。親父はにこにこ笑ったままこくりと頷く。フォークとナイフを俺の方に向けて、受け取れ、と軽く揺らす。
「……やだね。俺、子供の頃とは味覚が違うんだ。こんなもん食べてもあまり美味しいとは思えない」
 俺は、甘い物が大好きな子供だった。飴玉を舐め、果てにはガトーショコラケーキのホールを一人で満足そうに食べていた。それを俺に与えるのが親父で、食べ過ぎた後に、五キロぐらい走らせるのがお袋の仕事だった。極度な飴と鞭のモデルが我が家にあった。そのため、いつのまにか俺の中には甘い物を食べると走らされるという構図ができあがり、今ではどうも甘い物に対して抵抗がある。
「……だから、嫌だって。親父が食べればいいだろ」
 俺がそう言うとそれまでにこにこだった親父の顔に一点の曇りができた。
「何だ、親父も甘い物嫌いになったのかよ」
 俺が笑うと、親父は苦笑いして、軽く左右に首を振った。
「じゃあ、何だよ?」
 親父は、俺を見て、また笑い始めた。俺の目を自分の手でそっと覆い隠す。視界が真っ暗になって何も見えなくなった。心許ないその感じに、俺は戸惑うが親父はそれでも何も言わず、俺の目から手を離そうとしなかった。
「なあ、親父、手ぇ離せって!」
 俺が声を荒げると急に視界が晴れた。親父はいなくなっていて、どろどろのホットケーキだけが、残っていた。
「え……」
 思い出した。親父は一昨年、死んだんだった。俺の記憶にあったよりもずっと鮮明な強い印象。どこまでも目が覚えている。揺れるフォークとナイフ。差し出された目の前のホットケーキ。あの十八年間見ていたお人好しな丸い顔。
いつまでそんな面して損ばっかりしてるんだよ、ってずっと思ってた。昔から、ずっとずっと、株で失敗しては宝くじとかで大もうけして、その繰り返しだった。それが、積み重なって俺が十八歳になった頃にはかなり金持ちになっていた。けど、俺はどうしても許せなかった。その悠々とした、親父という人間が。そして、俺は十八で遠い大学に行って、一人暮らしを始めた。その一年後、親父は死んだ。
 俺は最初の謎の冬用掛け布団の感覚を思い出した。慌てて周りを確認する。
 俺が小さい頃大好きだった熊柄のタオルケットだった。どこが冬用掛け布団? 夏用掛け布団代用品じゃねえか。
ちぇっ、馬鹿親父。


 ・+・*・+・


 しゃらん、しゃらん。
 音が聞こえる。またこの音?
 苦い臭いが俺を取り巻いている。
 目や鼻にしみる。

 死にそうに痛い。


 ・+・*・+・


 お袋のこともついでに思い出した。あの人は、まるで炎のような人だった、否、今も健在なので訂正しよう。あの人は、まるで炎のような人だ。激情家で、不正が許せなくて、喧嘩にも強い、そして恐ろしい人情家。そんな専業主婦だ。自分が親父のために作ったお菓子を俺が食べると、ものすごく怒った。けど、俺のために作った物を俺が食べるのは当然怒ることもなかった。俺が典型的なデブにならなかったのはあなたのおかげです。どうもありがとう。感謝してます。
 とか何とかふざけたことを考えていると、俺の目の前に小さな扉がついていない入り口が現れた。他に何も無かったので俺はその入り口に入って、前に進んだ。すると、目の前には親父の残したホットケーキがあった。
「何でこれがここにあんの?」
 流石に食べるべきかとも思ったのだが匂い立つ甘い香りすら俺は拒絶してしまった。泣く泣くというほどでもないが、やや勿体ないと思いつつ、俺はあのホットケーキをあの場所においてきた。きれいに畳んだあのタオルケットを下に敷いて、その上に置いてきたのだ。
 俺が頭の中にクエスチョンマークを浮かべていると部屋の奥から足音が聞こえた。
「あら……鈴木さんからのお裾分けかしら?」
 俺はまた頭の中がはち切れそうになった。親父の次はお袋かよ。お袋は長かった髪をざっくりと切っていたが髪の色は相変わらず老いを見せない漆黒のままだった。エプロンをつけて、白いカッターシャツに黒ズボン。バリバリの社会人にしか見えないが、薄黄色のエプロンがそれを少しだけ抑えていた。もともとすっきりとした顔立ちだったし、俺を走らすときには自転車で後ろから俺を追い立てていたので、歳と共に弛んだ体になる、ということもなかった。どうしてあんな親父と結婚したのか、と訊いて、格好いいから、と答えられた覚えがある。昔の親父の写真を見ると今では考えられない程細くて、伊達男だった。
「蜂蜜をかけすぎよ。下手くそなホットケーキねえ」
 お袋は少しだけ口をへの字に曲げて、とりあえず床の上から持ち上げて、奥の方に持っていった。甘い香りが玄関に漂っていて、俺は何となくお袋の背を追いかけて、奥に進んでいった。お袋の後をついていくと、煙たい空気がどんどん押し寄せてきて、ずっと煙草を吸っていたことが分かった。白煙が立ちこめていたが、お袋は全く感知せずに進んでいく。俺も仕方なしに後を付いていった。
「でも、割と綺麗に焼けているわ。狐色が蜂蜜で台無しだけど」
 俺の目の前でお袋はホットケーキを切って、一欠片を口に入れた。あまりの甘さに顔をしかめて、お袋は用意していた紅茶を急いで一口飲む。
「ほんと、甘い……雅之さんが昔作ったホットケーキみたい、ね」
 雅之さん。親父のことだ。親父が、ホットケーキを作った? いつの話だよ。俺は食べたことなんて一度も……多分無いはずだ。
 お袋はホットケーキ一欠片につき、紅茶一口という割合でどんどん食べ進めていった。
「……ん?」
 お袋が急に変な声を出した。俺は何か悪い物でもあったのか、とお袋に急接近する。お袋はナイフで下まで切る寸前で、手を止めていた。ゆっくりとナイフを横に置いて、ナイフの刃を止めた異物を取り出す。それは、小さく小さく折りたたまれた紙きれだった。
「何よ。メッセージ?」
 メッセージだかなんだか知らないけど、変なことする奴がいたもんだな。
 お袋は訝しげに顔を歪めながら、その紙切れを開いた。しばらく、読みづらそうに見つめていたが、急に顔を驚愕に染める。
「……雅之さん……酷い。こんな悪戯……」
 お袋はいきなり、目元を押さえた。指と指の間から押さえきれずに流れてくる涙が、紅茶の中にぽとんと落ちた。俺は何事かとお袋の側に回って、その紙切れをのぞき込んだ。そこには懐かしい親父の筆跡で、つらつらと短い文がつづられていた。
『親愛なる恭子(お袋の名前だ)と龍一へ
お元気ですか? といっても僕はいつも君たちのことを見ているから元気だということは分かっているのだけれど。僕は、元気です。君たちと喋ることや触れあうことができないので、今こうしてつたない文章をつづっています。幽霊生の中で一生に一度だけ許される家族への手紙。これを君達に送ります。僕は元気です。きっとこれからも元気です。
僕が死んで君たちがちゃんとやっていけているかどうか不安でなりませんでした。一応僕は遠野家のお財布だったから。でも、君たちは存外うまくやっていけていてとても安心しています。これからもそのように元気でやっていってください。このホットケーキは下手ながらも僕が作った物です。では、さようなら。
P.S. 龍一、たまにはお母さんと一緒に食事でもしてください』
別れを告げているところで明らかに紙が足りなくて、もう終えるしかないと焦っているのが分かって、俺は思わず吹き出してしまった。天国だか地獄だかには消しゴムというもんがないのだろうか。何故かは分からないが、俺はどうしてもお袋のように泣くことは出来なかったし悪戯だと思うことも出来なかった。先ほど、実際に幽霊親父を見てしまったからだろうか?
それにしても、親父、最後の行はそうまで無理して書くことだったか? あんなこと書くぐらいなら、もっといいことかけよ。『恭子、愛してる』とかさ。
馬鹿みたいに、丸っこい愛嬌がある顔が、浮かんで消えて、充満している白煙にかき消されようとしてるみたいだった。


 ・+・*・+・


 急に目の前が真っ暗になった。一点の光も無いところに俺は立たされたのか?
 否、俺はスポットライトの光を浴びせられている。だが、その他は全く光がない。どこからか、小さな拍手が、それが段々大きくなっていく。俺の足下を見ると、そこにはまるで舞台のフローリング。観客の拍手はまだまだ大きくなっていく。
 観客? 観客と言ったか? それは本当か!
 そうだ、俺はヴァイオリニストだ。何故、何故忘れていたんだ?
「ただ今より、高峯音楽学院大学三年生、遠野龍一によります『協奏曲集「四季」より第四番ヘ短調作品八―四「冬」第二楽章』を演奏いたします。最後までごゆっくりお聞きください」
 再度、拍手が大きくなって、やがて小さくなっていく。真の静寂がおとずれた。俺は今、緊張の最高潮に達している。一、二、三……今だ!

 俺の手にはヴァイオリンが握られていなかった。どうしてか分からない。

 あるべき場所に俺の手が無かった。ヴァイオリンを弾きならす両手がどこにも無い!

 段々と観客の間にざわめきが広がっていく。小さかったそのざわめきがやがて大きくなっていく。ざわめきは嘲笑に変わり、その嘲笑は、憤慨に変わった。
 前の方の席からパンフレットを投げつけられた。はっきりとその顔が見える。この演奏会に俺が参加できるよう推薦してくれた高場教授だ。その憤怒の顔から発せられる声にならない感情。
『よくも私の顔に泥を塗ってくれたな!』
 はっきりとそれは俺の耳と心臓に響いた。
 どうしてなんだ。どうして、俺の手はない? 俺のヴァイオリンが無い?

一体どこへ行ったんだ!

 しゃらん、しゃらん。
 音が聞こえてくる。耳元で俺に焦るな、と告げる。
 香りがするんだ……。俺に何かを告げようとしているんだ……。

なあ、何かが俺に挑戦しているんだ。
誰かに……挑戦されているんだよ……。


 ・+・*・+・


 龍一は、目をうっすらと開けた。目に入る光が眩しくてならなかったので細く、時々完璧に瞼を閉じながら、ゆっくりと目を開けていった。
「あ、九蝶々先輩。遠野龍一が起きましたよ」
 隣に座っていた美人がお澄ましを取り除いて、あっけらかんとした笑顔で、龍一の目覚めを誰かに知らせた。
「夜久野、その男はサンプルAといえ。どうやら、くだらないことで悩んでいた馬鹿のようだからな」
 やってきた男は中途半端に肩まで伸ばした髪を誰に遊ばれたのか、少し三つ編みにされている。随分と名前とは雰囲気が違う男だ、と龍一は思った。男のもつお盆に三つコーヒーカップが置かれているのを見て、龍一は自分も飲んでいいのだと思い、手を伸ばす。しかし、その途中で手をはたかれた。
「九蝶々先輩がコーヒー入れてくれることなんて滅多にないんだから貴方の分は私の分よ。ね、九蝶々先輩?」
 九蝶々はこともなげな顔をして、夜久野が取ったコーヒーカップ二つ以外の残ったコーヒーに口を付けた。どうやら勝手にしろ、ということらしい。龍一は深くため息をついた。
「そもそも……この列車は何なんだ。『金糸雀』なんて列車聞いたこと無いぞ」
 九蝶々と夜久野がコーヒーを口元から離して、揃って龍一の方を見た。龍一は何か悪いことでも言ったのか、と狼狽えた。龍一のその様子に二人は思わず吹き出してしまう。
「それは当たり前よ。言ってみれば幻想お悩み相談所みたいなものだもの」
「この金糸雀は俺の一族から指名された人間の場所にのみ向かう。お前みたいな青臭い悩みばかりじゃなく、時には政治家の裏献金問題まで解消して差し上げないと駄目なわけだ」
 九蝶々と夜久野の立て続けの説明に龍一は目を白黒させる。理解できないその内容についていけないのだ。それを見て取った二人は苦笑して、ひとまずコーヒーを飲み干した。
「つまり、悩んでいる人間を助けるよろず屋、みたいなもののことよ」
 夜久野が言った言葉に隣で九蝶々が訳知り顔で頷いている。
「まあ、簡単に言ったらそんなものだ。ほら、外を見てみろ」
 九蝶々が窓の外に向かって指をさしたのにつられて、龍一も顔を傾ける。そこには、列車の窓から、どんどんと飛び立っていく蝶の列があった。黒、赤、青、白、黄など様々な色が列車の窓から四方八方に飛び立っているのだ。
「……何だよ、あれ」
 龍一の唖然とした声に九蝶々と夜久野は目を合わせて肩をすくめた。九蝶々は真っ赤なカードを龍一の方に向ける。
「これに書いてあるのが君の階級だ。もちろん、独断と偏見による判断によって、うちの一族にのみ適用される階級だがね。しかし、現実社会でエリートになりたいのならこれは必須、ともいえる」
 訝りながらも、九蝶々が差し出すカードを龍一は受け取った。その赤いカードの裏には真っ白な文字で、『P』と書かれていた。訳が分からず、再度龍一は二人を見上げた。すると、夜久野も九蝶々もそれぞれ一枚ずつ同じような赤いカードを持っている。夜久野には『H』、九蝶々には『E』、と書かれている。
「これはアルファベット順に階級がつけられている。昇格するときは自動的にこの印字が変化するんだ。因みにお前のような初心者でP階級というのは素晴らしいことだ」
 九蝶々がそう言うと夜久野は上機嫌で自分のカードを龍一に見せつける。龍一は真っ赤な視界に頭がどうにかなりそうになった。
「学長とかにそれを見せたら多分、へこへこしてくれると思うわよ。確か、高峯音楽学院の学長っていまだU階級だったはずだから」
 九蝶々と夜久野の間で龍一はきょろきょろしていたが、自分が馬鹿なことをしているように思えて、その動作を一瞬止めた。それを見計らって、九蝶々が話を切り出した。
「お前は胡蝶の夢という故事を知っているか?」
「……まあ、知ってますけど」
 九蝶々は当たり前だ、というように鼻で笑った。龍一はその笑い方に少ししょぼくれて、赤いカードの角を少しいじった。
「やや意味合いが違うが、この力を『胡蝶の夢』という。お前には見えないだろうが、お前の隣の席にはまだ眠り続けている親父がいる。その親父の魂が、ほら、見えるだろう、あの蝶だ。紫と黄色のまだらの……そう、それだ」
 余裕たっぷりの笑みを浮かべて夜久野が指さした蝶に、九蝶々が珍しく微笑んだ。龍一の鈍さをあざ笑うかのように夜久野がふふんと笑ってみせる。
「おい、夜久野、そのあたりにしとけ。……とにかく、お前が今起きるまで見ていた光景は実際のものであり、お前は魂の状態で蝶の姿となって、悠々自適に行きたいところに行っていた。最初が彼女、その次は逆に会いにやって来た幽霊親父、次に母親。青臭いにも程があるぞ」
 龍一はあることを思い出して、九蝶々につかみかかるようにして、訊いた。その鬼気迫る様子に九蝶々は邪魔だ、と龍一の手を払いのけた。それでも龍一は手を離さない。
「じゃ、じゃあ、あの音は何なんだ……?」
 夜久野は立ち上がって、無理矢理龍一の手を九蝶々から離させる。九蝶々はさっと、襟元を整えて、答えた。
「お前をつなぐ鎖だ」
 抗議しようとする龍一を目で黙らせて、九蝶々は後を続けた。
「鎖と言っても糸のように細い。蝶自身には見えやしないよ」
 夜久野はまだわずかに残っている一杯目のコーヒーを飲み干して、龍一に押しつけた。
「あなた、あのとき危険地帯に行きかけていたのよ。私たちの仕事は悩みがあればそれを解決するという内容。なのに、あのままでは魂を蝶にしていたことで変に解釈して悩みを増やしそうだったじゃない。馬鹿の考え休むに似たりとはこのことね」
 あからさまに自分を馬鹿にしている夜久野の態度にやや違和感を覚えつつ龍一は黙りこくるしかなかった。
「それで……お前はどうするんだ?」
 九蝶々がいきなり、龍一に問いかけた。今まで問うばかりで問われることなど無かったので、龍一はやや狼狽える。しかし、夜久野の厳しい視線にさらされているとどうにも大きく慌てることは出来なかった。
「……別に……」
 九蝶々は目を瞑って、考え込むような顔をした。龍一は沈黙に耐えきれずコーヒーをすする夜久野を思わずちらりと見た。だが、その途端、逆にぎらりとにらみ返された。
「勝手にしたらいい。どちらにしろ、お前がいい加減帰ってくれなければやや困る。お前の隣の親父がそろそろ起きる頃だからな」
 顎で龍一の隣を指し示して、偉そうにふんぞり返る。実際顔からして偉そうにした男なのだが、そのような姿勢でいるとなおさらである。
「……じゃあ、帰ります。お世話に、なりました」
 龍一は深く顔を下げて、二人に背を向けた。九蝶々も夜久野も微動だにせず、追いかけてきたりもしなかった。
「あなた、どうでもいいけどヴァイオリンの腕はいいのよ。始めてなのにP階級なんだから。磨かないと損するわよ」
 龍一は背中から聞こえた夜久野の声に、思わず両腕が熱くなった。それ以上は夜久野は何も言わず、九蝶々がライターの火をカチャリとつけた音が聞こえた。
「ああ、そのまま直進して左に曲がってまた直進しろ。そしたら出られるぞ」
 九蝶々の声が妙に車内に反響した。彼らにはたくさん見えているのだろう眠りこけている乗客達。だが、自分には自分と夜久野と九蝶々しかいないように見える。空っぽに近い車両で九蝶々の言葉が少しだけ頑張れ、とエールを送ってくれているように思えた。
「はい」
 龍一も、静かに感謝を込めて返事をしてみた。


 ・+・*・+・


 バーのカウンターで遠野龍一は寝ぼけ眼で朝を迎えた。バーテンダーをしている友人が周りにいないだろうか、ときょろきょろ見回す。既に頭もセットして、完璧に朝を迎え終えた友人が龍一の目の前にやってくる。
「よお、起きたか。夜に物音がしたんだけど、お前、どっか行ってたか?」
 龍一は、しばらく目をぱちぱちと瞬かせて、妙に充血した目をこすった。壁にかけたある鏡を見て自分の目の下にクマを認める。
「なあ、お前、大丈夫か?」
 友人と数秒目を合わせて、龍一はぷっと笑った。
「いや、気にしないことにしたんだ。どうかなあ、とかそういうことは思うんだけど、俺にはヴァイオリンがあるし……金も全部吸い取られた訳じゃなかったし……良かった方だと思うことにした」
 昨夜と打ってかわった友人にバーテンダーは変な顔をして、じっと龍一の顔を見ていた。
「お前、ヴァイオリンでプロ目指すつもりなのか?」
 バーテンダーはクスクス笑いながら目を細めている龍一に更に変な顔をする。
「できれば、ね」
 こっそりと自分の革ジャンの内ポケットに手を突っ込んで、あのカードの四つ角を確認した。自分の座っている椅子の下に自分のコートが落ちているのを拾って、ばさっと整えもせずに羽織る。
「朝飯は?」
 心優しい友人の言葉に龍一はにかっと笑って答えた。
「ちょっと、里帰りでもしてみるわ」
 バーテンダーは、ますます訳の分からない、という顔をしたが、物わかりのいい友人の顔をして、出て行く龍一にひらひらと手を振った。
 後には、人々の間にメトロノームが規則的にリズムを刻んでいた。

 ・+・*・+・


 ひらり、ひらり。

 蝶々が飛んでいる。たくさんの蝶々が、窓から飛び立っていく。

 しゃらん、しゃらん、と鳴る鎖。

 細々と蝶々達を繋ぎ止めていた。




   《了》


2005/09/11(Sun)00:00:00 公開 / 若葉竜城
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■作者からのメッセージ
わけのわからん列車の話を書きたかった……。
それだけでできた作品かもしれませんが感想よろしくお願いします。
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