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『 アジアン・カフェにある絵画』 作者:幸田優介 / リアル・現代 恋愛小説
全角8616文字
容量17232 bytes
原稿用紙約29.3 枚
出会いと別れをコンセプトにしています。恋愛小説のひとつの形になれば良いと考えています。
4月のある土曜日の昼下がり、僕達は、アジアン・カフェで落ち合っていた。
 窓際の2席用のテーブルに座り、僕はコーヒー、彼女は、マサラ・ティを飲んでいた。
「どうしても、行くの」
「もう、決めた事だから」と、彼女は言った。
 カチャと、かすかな音をたてて、彼女はカップを口元に運んだ。そして俯き加減に、
髪をなぞるような感じで掻き揚げ、僕を見た。
「しばらくバリ島で過ごして、あとの事は考えようと思うの。それに、高校の時の友達も
向こうにいるから、安心だし」と彼女は言って、格子状の窓辺に掛っていた絵画を何気な
く見た。それはおかっぱ風の女性で、凛と研ぎ澄ましたような表情をしていて、横顔で描
かれていた。背景が深緑色がかった絵の具だったので、顔色が青白く感じられたが、整っ
た顔立ちをしていた。
 その絵画は、アジアン・カフェには少し不釣合いな感じだったが、彼女にとても似てい
るような気がした。
「似てるね」
「誰に」と言って、彼女は僕を見た。
 彼女は口元に笑みを浮かべ「こんな美人じゃないわ」と、素っ気なく言った。 僕は黙って、
コーヒーを飲んだ。そして、テーブルの天板の凹凸の部分を指でなぞった。それはバリの
家具で、アンティークな風合いをしていた。壁と天井は、漆喰が塗れていて、包み込まれる
ような暖かさがあった。そして、床は天然の大理石が貼ってあった。
 アジアン・カフェの椅子やテーブル、天井や壁に取付けられた照明器具、入り口の重厚な扉、
棚に置いてある雑貨類もここのマスターが代行業者に依頼して、バリから取り揃えたもの
だった。店の広さは15坪ぐらいで、マスターとアルバイトの女の子たちが交代で切り盛り
していた。
 店は木造2階建ての建物で、外部階段があり、2階はマスターの住居になっていた。
窓から見える裏手のブロック塀は、蔦に覆われていて、隣地との境界でもあり、ちょっと
した裏庭になっている。店内にある両開きのガラス扉が、店内と裏庭を繋いでいた。裏庭は
石材が敷き詰められ、石像の置物が至る所に点在し、真ん中辺りに大きな円卓が置かれていた。
春から秋にかけて、そこはオープンカフェとして開放されている。
 彼女はこの店のアジアンな雰囲気が好きで、ときおり、一人で来ていた。
 二人でふらっと寄って見つけたアジアン・カフェだったが、いつのまにか、彼女はこの店の
常連客になっていた。
 彼女は、このアジアン・カフェに通いだしてからしばらくして、勤めていた会社を辞めた。
なぜ辞めたのか、理由は聞かなかった。聞けるほど、彼女と深い関係ではなかったからだ。
そういえば、彼女が勤め先を辞めた後、この絵画が掛けられたように思う。
「あのね」と彼女はおもむろに言って、飲んでいたカップの縁についたルージュを指でぬぐい、
ティシュで拭いた。
「本当はね。雑貨屋さんのお店をしたいと思ってるの。」
「初めて聞いたよ」
「本当のこと、言いたくなかったの。黙ってようと思ってた。でも、できなかった。」と彼女は
言って、真顔で僕を見た。
 僕はたんに彼女がバリ島を好きになり、長期滞在を考えているに過ぎないと思っていた。数回、
このアジアン・カフェで過ごした中で、旅行会社のパンフレットを彼女から見せてもらった事が
あった。2階建ての建物が点在している広い庭園。そこにある、太陽の光に照らされた室外プール。
熱帯の花々が咲き乱れる庭園の先には、パラソルの列をなしたピーチがあった。
リゾート地の美しい写真。そしてバカンスを誘う言葉の数々が、そのパンフレットには
添えられていた。
 僕は、彼女から見せられたパンフレットを眺めながら、いつか彼女と一緒にバリ島に行く事を
考えた。でもそれは、漠然とした思いにすぎなかった。
 6ヶ月前に別れた彼女とは、音信が途絶えていた。別れる前の数ヶ月間、勤め先での上司との
人間関係に悩んでいた僕は、精神的にとても疲れていた。休日出勤や残業も重なっていた事も
あって、彼女と会う回数が極端に減っていたのは事実だった。
 別れた彼女の誕生日の数日前、彼女の誕生日に食事をする約束をしていた僕は、仕事の調整が
つかない事を彼女に伝えた。すると、彼女は急に不機嫌になった。飲食店の予約を彼女がとって
いたせいかもしれない。日程の変更を伝えると、会話も途切れとぎれになり、彼女との会話に
ついていけなくなった僕は、ちょっとした事で口喧嘩となり、
「もう、別れよう」と、切り出した。
 彼女は一瞬黙り、僕がいった言葉に驚いたような感じで、見開いた目を僕に向けた。そして、
唇を振るわせながら、僕を睨み付けた。その日が彼女との最後の別れの日になるとは思いも
しなかった。数日後、何度か彼女の携帯に電話してみたが、応対はなかった。そして、
しばらくして僕達の関係は終った。
 あっけない終り方だったと、いまでも思っている。本心から言ったわけではなかった。
その事を伝えたかったが、伝える手段が思いつかなかった。

 4ヶ月前に、ふとしたきっかけで知り合った今の彼女とは、友達としての関係でしかなかった。
 別に彼女に異性を感じないわけではなかったが、なぜか、距離を縮める事に対して、
わずらわしい気分があった。ときおり会って、映画館やカフェめぐりでもして、休日の時間を
ふたりで過ごす事が出来ればそれで良かった。彼女といることが、僕にとって自然な事の
ように思えた。ただ、一人になると、時折、別れた彼女を思い出し、気分が滅入った。
  
「私、母に育てられたの。」と彼女は静かに言って、押し黙った。
 僕はどう答えていいのかわからず、タバコに火をつけると静かに深く吸い込み、煙を吐出した。
タバコの煙は、窓辺から溢れる4月の陽光に照らされ、辺りに漂った。
 僕は思い付いたように
「母親から、あなたは安定した職業につきなさいよって、言われた事があったんだ。なんでも、
叔父さんが事業に失敗して惨めな生活をしているらしいんだ。母親は相当、ショックだった
みたいだったけどね」と言った。
事実、僕は大学を卒業してから変らず、業界では中堅といわれている住宅会社に勤務している。
 そして来客との打合せと、パソコンに向かっての、設計業務が、主な仕事だった。仕事上、
多少のトラブルがあったとしても、それはそれなりに満足していた。
彼女はしばらく黙ったまま、僕を見ていた。
「お店を開くのはどうかと思うよ」と僕は言った。
「リスクが大きいって事?」
「そう思う。店舗改装にお金がたくさん掛るし。実際、誰も保証してくれるわけでもないし」
「私ね、母から自立した女性になってねって、言われた事があったわ。基本的に男の人に頼れ
ない性格かもね」
と言って、彼女は口元に笑みを浮かべた。何だか、自嘲ぎみに言ってるように僕には思えた。
「何も、お店なんかしなくても、また、就職する手だってあるよ。」
「昔から、自分で何かしたかったの。」
「止めたほうがいいよ。自分の思い通りなんか、いかないと思う」
「そう思う?でも、したい事が見つかるって、とても幸せな事だと思うわ。それに、結婚資金に
貯めていたお金があるの」
と言って、彼女はマサラ・ティのお代わりとチーズケーキを注文した。僕も促され、
コーヒーを頼んだ。
 彼女はチーズケーキを美味しそうに食べなから、
「この店を知ってから、バリ島にいる友達とメールの回数が増えたの。友達も私を応援するって、
言ってくれたわ。いつまで滞在するかわからないけど、向こうのことが良くわかったら、戻って
くるつもりでいるわ」と、言った。
 僕は彼女に対して、それ以上、その事に触れることを諦めた。  
「いつ、戻ってくる?」
「まだ考えてない。でも、戻ってきたら小さなスペースの空店舗は探そうと思ってる。
ここのマスターも協力するって、言ってくれたのよ」と彼女は言った。
 僕は、カウンターの中で働くマスターに目を移した。何かランチの注文が入ったのか、調理台に
向き合い、俯き加減の状態で作業をしていた。チョビ髭を生やしたマスターは、人のいい感じの
顔立ちをしていて、確か、自分で50代だと言っていた。でもなぜか、会社の上司と同じような
年代のはずなのに、マスターのほうが、とても若々しくみえた。多分、好きな事をして、
生きてるせいかもしれない。
 マスターとは、必要な事以外は、話をした事がなかった。注文の時と、挨拶を交わすぐらいの
事だった。
 カウンターの天板は木製ではなくて、珍しく大理石だった。縁取りは無垢のチーク材だったが、
天板の大理石はよく磨きを掛けられ、光沢があった。天板の上部には、アンティークなシーリング
ライトが、等間隔で並んでいて、カウンターと同じ長さのあるバック棚には、食器類や
アルコール類のビンが並べられている。夜は、ショット・バーになるらしい。まだ彼女と、
夜に訪れた事はなかったが、週末はわりと、賑わっているらしい。
「マスター、忙しそうね」
「そうだね」と言って、僕は彼女の方へ顔を向けた。
「でも、不思議ね」と彼女は言った。
「何が?」
「あなたと出会ってなかったら、この店の事も知らなかったし、バリ島に行くことも、雑貨店を
する事も考えなかったもの」
「そうかな」
「人の縁は不思議。そんな気がするわ」 
「そう言えば、線路沿いの2階にあるショット・バーで初めて会ったんだ」と僕は、思い出した
ように言った。
「そうね。カウンターしかない、小さなバーだったけど。窓際に座ると、駅のプラットホームが良く
見えたわ」
「僕が扉を開けると、確か、窓際でひとりで座ってた。あの日、僕が寄ってなかったら、今頃、
二人でこの店にいる事もなかったかもしれない」
「神様がそれぞれの人に人生のシナリオを与えてるって事?」と彼女が不思議そうに言って、微笑んだ。
「それはわからないよ」と言って、僕は煙草に火をつけた。いまでも、どうしてあの日、
ショット・バーに立寄ったのかわからなかった。
 吐出した紫煙は、窓辺から差込む陽光にさらされ、塵のように辺りに漂った。
 彼女は27歳で、僕より2歳年下だった。
 彼女が言うように、「神様がそれぞれの人間に人生のシナリオを与えている」のかもしれない。
ふと、そんな風に思えた。
 彼女とこの店に居ることも、神様が仕組んだシナリオなんだろうか。

「でも何だか、とても淋しそうだった」と僕は言った。
「きっと、薄暗かったせいよ。あの店、カウンターしかライトがあたってなかったもの」と彼女は
言って、ゆっくり、カップを口元に運んだ。
「あの日、店が終るまで話込んで、店の外で別れたんだ」
「そうね、初めて会った日に別れた彼女の話をしてたものね。まだ、未練があるような感じだったわ。
それに、ずいぶん酔ってた。」
「別に。もう何も思ってないよ」と僕は、口調を強めた。彼女が言うように、僕は当時、別れた彼女の
事を思っていた。彼女と話していると、別れた彼女との記憶の断片が、頭の中を駆け巡り、
少し切ない気分になっていたのは事実だった。会社でパソコンに向かって設計業務をしている時は
そうでもなかったが、通勤途中の電車の中で、彼女の付けていた香水と同じ匂いが鼻をついたり
すると、不意に別れた彼女を思い出した。彼女にもらったジャズ・シンガーのCDの思い出の曲を
聞いていると、自然に涙が流れる事があった。
「だから、誘わなかったのかと思った」と、彼女はポツリ寂しげに言って、僕を上目遣いにみた。
 僕が黙っていると、彼女は小さな溜息をついた。
「本当わね。あの日、とても淋しかったの。というか、落着かなかったの。父の妹、つまり、
私の叔母と会った日だったから」
「どうして?」
「叔母が父の居場所を教えてくれたの」と彼女は言って、スプーンで食べ残しのチーズケーキの断片
を細かく砕く仕草をした。
「叔母に教えてもらって居場所はわかったけど、まだ会ってない」と彼女は、つぶやくように言った。
 僕はどう、彼女に答えていいのかわからなかった。
「父と別れたのは、5歳の頃だったの。確か、私の家だったと思う。私は父の膝の上にいたけど、
誰かが、私と父を引き離したの。多分…、祖父だったと思う。母の顔は表情がなくて、
とても怖い感じだった。私は、母に抱きついたけど、何だか私、とても身体が震えていたような
気がする。父は黙ってうなだれているだけだった。父の身体も小刻みに震えていたようだけど、
部屋の電灯も揺れていたし、私が震えてたから、そう感じたのかもしれない。外に出て、
私は引きずられるようにして母と歩いた。身体が震えるのを感じながら何度も何度も、家のほうを
振り返ったわ。それから一度も会ってない」
 彼女はそう言って、膝に置いていたハンカチを握り締めた。
「ごめんなさい。泣いたりして」彼女は沈んだ声を出して、押し黙った。
 彼女の瞳が潤んで光っているようにみえて、きまづくなって、僕は彼女から目をそらした。
「あの日、あなたに誘われてたら、どこでもついて行ってたかもしれないわね」と彼女は口を
ひらいて、力なく微笑んだ。
「そんな気分でもなかったし」と僕は遮るように言った。何だか、意識していったせいか、
周りのざわめきが妙に気にかかった。彼女に見透かされているような気がして、仕方がなかった。
 彼女の両親がどうして別れたのか、僕にはわからない。理由を聞いたとしても、彼女に何かして
あげられる事は何もなかったし、返す言葉もなかった。へんに言葉をかけても、彼女を
傷つけるだけだと思い、気がひけた。だから、僕は話題を替えたかった。
「そういえば、この前、教えてもらったブログみたよ」
「ミーコのブロク、見てくれたの? 」
「バリ島の日常の生活風景の写真がたくさんあった」
「私も毎日、寝る前に見てるのよ。でも最近、ミーコも忙しくて、あまり更新していないみたい」
「本当に楽園みたいだね。バリ島は」
「美しいところしか、写してないもの。観光用の写真しか、載せてないって。ミーコ、言ってたわ。
汚い処を写しても、誰もいい気分にならないでしょう」と彼女は言って、前髪をなぞるような
仕草をして、窓の外を伺いながら、「しばらくしたら、ミーコに会えるわ」と、つぶやくように
言った。
「僕がバリ島に行く事になったら、案内してくれる?」
「本当にそう思ってるの?」
「多分、行くと思う。スケジュールを調整して」 
「その前に戻ってくるかもしれないわよ。いつになるか、わからないんでしょう?」
「秋頃には、調整がつくと思う」
「でも…。私、仕事で行くのよ」
「わかってるよ」と僕が言うと、彼女は絵画に視線を移し、押し黙った。しばらく、
考え込んでいるような感じだったが、不意に口を開いた。
「叔母から父の事、たくさん聞いたわ。母は父の事、あまり語らなかったけど。私の記憶では、
父との楽しい思い出しかなかった…。父と母が別れた理由は、父が友達の保証人になった事が
原因だったらしいの。父は小さな工務店を経営していて、一時は少し羽振りが良かったみたい。
あなたが建築の仕事をしていると聞いて、父を思い出し、親近感を持ったの。母に相談もせずに
保証人になった事は父も悪いけど、一度も、私を父に会わさなかった母もどうかと思う」 
「何か、保証人になる事情があったんじゃないかな」
「人が良かったんだと思う。私にとって、やさしい父だったけど、母にとっては、頼りない男に
映ったのかもしれない」
「お父さんに会いたくないの?」
「会いたいけど、今は会うべきではないと思ってるわ」
「どうして?」
「どうしてなのかわからない。自分でもよくわからないの。でも、お店を開いたら、父に手伝って。
って、言うつもり。父と何かをしたかったのかもしれない。ずっと、父がいない生活をしてきたから」
「お父さんが好きなんだね」
「父がいて、母がいて、私が生まれたの。だから、小学生の頃、3人の生活に憧れてた。母に隠れて、
よく父の似顔絵を描いては、学校の近くの川の土手で燃やしたわ。母の実家でお世話になっていて、
おじいさんにもかわいがってもらってたけど、父の事は少しも触れなかった。私も父の事、
聞きたかったけど、何だか、聞くのが怖かった」   
「でも、今なら会おうと思えばいつでも会えるよ」
「そうね。ただ、父が会ってくれるかどうかわからないけど」
「会ってくれるよ」
「そうね。たぶん…。」 
彼女はそう言って、照れるように微笑んだ。
 片親と暮す生活など、僕には想像もつかなかった。僕が小学生の頃、父は、会社の部下を何度も
新築の家に連れて来たことがあった。
 応接間にしていた部屋が宴会場となり、母は忙しそうに立ち振る舞っていた。そんな時の父は
上機嫌で、普段より酒の量も多かったように思う。母もわりと楽しそうな感じだったが、夜中、
父に小言を言う姿を何度も見た。僕が中学生になっても、たまに、そんな事もあったが、中学3年生
の頃になると、父は会社の人を連れてくることもなくなった。今から考えて見ると、ただ単に、
新築の家を自慢したいだけだったのかもしれない。平凡な家庭に過ぎなかった。だから、
彼女の言う事は頭で理解ができても、実感としてはなかった。
 僕は彼女と話し込んだせいか、喉が乾いた。グラスの水を飲みほしたが、とても喉が乾く感じ
だったので、アルバイトの女の子を呼んで、水のおかわりを頼んだ。正直いって、僕は彼女に
バリ島には行ってほしくはなかった。僕の気持の整理がつけば、付き合って欲しいと思って
いたからだ。ただ、彼女にその意志表示を示すには、少しの時間が必要だった。ただ、彼女は
2週間後には、バリ島に旅立つ。数日前、彼女から携帯電話でその事を知らされた。そして、
このアジアン・カフェで落ち合ったのだ。確かに、別れた彼女の事を思い出すことがある。
楽しいことしか思い出せない。そのまま別れた彼女と付き合っていたら、たぶん、僕達は結婚して
いただろう。いままで付き合った女の子の中では、彼女は長く付き合ったほうだ。気も合っていたし、
彼女と別れるまでは、確かに僕達は愛し合っていた。
「ごめんね」
「えっ、どうして?」
「何だか、自分の事ばかり話してるような気がして」
「別にいいよ」
「こんな話し、退屈なんじゃないの」
「別に」
「でも、退屈そうに黙ってるから」
 僕は彼女の問いかけには答えず、黙っていた。
「ねぇ、今でも別れた彼女の事、思い出すことある?」
 僕は小さく頷いた。
「素敵な彼女だったのね」と彼女は言ったが、もう別れた彼女の事は触れられたくなかったので、
僕はトイレに行くと言って席を立った。
 トイレの中で、バリ島に行く彼女を止められない自分自身を悔やんだ。そして、そんな事が頭の中
を駆け巡っても時間ばかりが過ぎて行く。答えが見つからないまま、席に戻ってみると、彼女は
俯き加減に雑誌を読んでいた。
 彼女は僕を見て「遅かったのね」と言った。
 僕はグラスに少しだけ残った水を飲み干し
「バリ島に行くの、止めてくれないか」と切り出した。
 彼女は、少し驚いた表情を浮かべ、それは出来ないと静かに言った。
「やっぱり、無理か」
「また、私の代りの人が見つかるわよ」
「そんな問題じゃないよ」
「あなたは、とても親切でいい男友達だと思ってるわ。いつも、私のこと気づかってくれてたし。
でも、私、彼がいるの」
 と彼女は言って、静かに息を吸い込み、言葉を続けた。
「それも、20歳以上離れた人。いままで付き合った人は、そんな人ばかりだったわ。そんな人に
なぜか惹かれる。自分でもよくわからないの。実は、壁に掛ってる絵は私なの。あなたに
言われた時、少しドキッとしたけど。」
「僕と出会う前から?」
 彼女は首を振った。
「夜、この店で出会った人。絵を描いてる人。」
 僕はもう一度、絵画を見た。確かに彼女に似ていた。その絵は紛れもなく彼女だった。黒っぽい
タートルネックのセーターを着て、横顔で描かれている。首は細長く、冷めた眼差しで何かを
見ている。彼女は彼を見ているのだろうか。そんな事を考えると、嫉妬に似た感情がこみ上げてきた。
 不意に「ごめんなさい」と彼女は言って、おもむろに立ち上がると、財布を取り出した。赤色の
財布から、3枚の千円札を抜き出し、テーブルに置いた。
「ありがとう。いつも出してもらってるから、今日は私にださせて。バリ島から戻ったら連絡するわ」と
言い残し、彼女は踵を返して、厨房にいるマスターに無言で会釈すると、出入口の扉へと向かった。
 僕は呆然として、彼女を見送るだけだった。もう、再会することはないと思いながら。  
 2週間後、彼女は予定通り、関西空港からバリ島へ旅立って行った。その間、何も話す事が
なくなった僕は、彼女に連絡を入れなかったし、彼女からも携帯に連絡はなかった。
 彼女と最後に会った日から1ヶ月が過ぎて、土曜日の昼下がり、同じテーブルで、僕は一人で
コーヒーを飲んでいた。
 あの日も、格子状の窓から陽光が溢れ、大理石の床を濡らしていた。絵画もそのまま、
壁に掛っている。土曜日の昼下がりの店内のざわめきも変ることはない。ただ、違っているのは、
僕の前に彼女がいない事だけだった。
2005/08/30(Tue)23:10:01 公開 / 幸田優介
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