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『NRF〜始まりの物語〜   0〜9』 作者:ねこふみ / アクション アクション
全角68283文字
容量136566 bytes
原稿用紙約194.45枚



      「 プロローグ 」




「――やめてよ、父さん……父さん!」
 それは思い出したくないものだった。
「母さん……母さん!」
 苦しい思い出――忘れたかった思い出。
 だから忘れた。忘れてやった。
「――そうですか、残念です。いやぁ彼にもっといろいろな研究を見せてやりたかったですけど……」「三嶋博士……、今までありがとうございました……。それでは……私たちは……これで」
 覚えていない。忘れた。嫌だった。
「ずっと、ずっと友達だ! 友達だよ!」
手を振る友達にすら何も答えられなかった。
 だから心を閉ざす。
 閉ざして何も見たくなかった。
 それでも正義と夢が心にあった。
 だから、負けたくなかった。
 負けられなかった。
「阿智……全ては順調なのか?」「えぇ、三嶋博士。彼がいなくとも、大丈夫ですよ。まだ、“実験体”は山ほどといるのですから……」
 何も知らなかっただけかもしれない。
 全てが全て、仕組まれているのかもしれない。
 それでも構わなかった。
 現実は嫌いだから。
 夢を作って、それを叶える為に必死に耐えたのだから。
 忘れないよ、きっと。
 忘れてもきっと忘れない。
「――大切な、大切な友達だから! キミは僕の大事な、大事な! 仲間だから!」
 その言葉を……その思いだけでも……忘れずにいたかった――




      NRF〜始まりの物語〜




その1 「 目覚め と 目覚め 」




 『――ここはどこだろう……』

 月島明人(つきしまあきと)は一人、ジャングルのような木々の覆われた場所で起き上がる。体がやけに重たく感じてしょうがなかった。
 起き上って一番に目が行ったのは木で作られた机。周囲にはもっと見なければならない“モノ”は山ほどあるにも関わらず、それでもあの記憶が本物なのかどうなのかを確かめたかった。
無造作に置かれた一通の封筒を真っ先に手取り、封を切り、中に入っていた手紙を読む。
 それは明人の運命を変えるものだったからだ。

『五名の実験体様

 この度、我々は貴方達の全てにおける権利・自由を剥奪しました。よって、これから貴方達は我々の為に勤めていただく事になります。つきましては、貴方達には“NRFバgル”を行なっていただきます。

 最初にNRFですが、これは略称で本来を“Nature Rouse Force”と言い、Nature =自然、自然界。Rouse=目覚め、覚醒。 Force=力、影響。つまりを本来人間に備わっている、自然界での力に目覚めた事を言います。

 ルールは簡単です。
 まず、貴方達五人は一つのチームになります。そして、チームの一人は相手のチームに向かい、人質になってもらいます。(人質に関しては、あらかじめこちらから一人ランダムで選び、既に互いのホームに捕らえられています)

 ホームとは後ろにある一軒家の事で、それを拠点としてもらいます。
 そして、人質として捕らえられた仲間を救い出した方が勝ちとします。
 NRFバトルの最中、人質を守る為に最低一人はホームに固定されてもらいます。

 なお、NRFによって“死なない”という保障はありませんので、お気をつけください。
 ただし、各自のNRFがどのようになるものかはこちらとしても分かりかねますので、そこは各自で己の力を引き出してください。
 NRFを引き出すための時間は、六ヶ月です。その六ヵ月後にNRFバトルを開始いたします。

 場所に関してですが、ココは我々が保有する研究施設で互いのチームはそれぞれで出会えないような場所になっています。ただ、六ヵ月後には自分の場所から相手の場所へいけるようになります。
 食事などはホームに六ヶ月分用意されているので安心してください。

 それでは、快く戦ってもらう事を切に願います。
                          NRF研究委員長・三嶋由紀夫』

 明人は手紙を読み終え、一息つき、椅子にもたれ、辺りを見渡す。目の前に現れる緑で覆われた場所での深呼吸はこれ以上ない贅沢のような気もした、が、それを今考えてる場合ではなかった。見渡す限りジャングルが広がり、そのジャングルの中で一人だけぽつりと存在する自分が寂しかった。
 ジャングルからは何も聞こえてこなかった。動物の声も、風も何もかもがなく、ただそこは“ジャングル”だけが広がっていた。そして、座っている後ろには、簡単に作られた家のようなものもあった。そして地面には――。
 どうして、自分はこうも落ち着いているのか、と不思議に思うくらいだ。明人は手紙を読んでから、あまり動揺をしていなかった。ただ頭の中は混乱でいっぱいになっている。それでも、結局はあまりにも非現実的な光景のせいで気力というか、やる気がなくなっているからかもしれない。いつまでも地面で倒れている“仲間”に目をやることすらできていないのだから、そうなのだろうと思っていた。
 
 『――あれは夢じゃない……のか……』

 ――明人は夢を見ていた。
 そう思った。
 バスの中で、五人でいつものようにバカ騒ぎをしていた。
 高校生の三月に決行した、一年遅れの修学旅行の最中だ。
 バスの中、五人以外にはバスの運転手と少数の老若男女がいるだけの場所でいきなり、夜中に灯したろうそくの明かりをフッと消した様に、一瞬にして目の前が真っ暗になった。それと同時に意識が消えて――気がついたらそこは研究室だった。
「――だから、これをそいつにだ。あぁー、そいつに打てば良い。早くしろっていうのが、わからないのか! あぁー! その手紙はコイツらに見せるべきものだろうぅが! ちゃんと封をして、机の上においておけ! ……まったく貴様はクビだ……んぁ?」
 目を開けた。白い服に身を纏った、とにかく偉そうな男と目が合う。何かの研究員なのだろうか。周りに人たちがその人を「三嶋先生」と呼んでいるのがいくつも聞こえていた。けれど、聞こえていても顔を向ける事は明人には出来なかった。目が覚めた明人の体は全くというほど自分では動かす事はできず、そしてしゃべることもできなかった。それでも目は、はっきりと現実を映し出し、耳は現実の音を明人に聞かせていた。
「気がついたのか、明人。お前は良い。俺に選ばれたのだからなぁー。選ばれたというよりは、それがお前に運命かもしれんが。まぁーなんにせよ懐かしむとしよう。全ての事を……。俺がお前を本当に救い出してやる。――その意味がわかるか? わからねぇ〜よな、なんたってお前は――」「博士、注入完了しました」
 他の男の声が聞こえた。そして、その光景は消えていった。
 再び訪れたのは真っ暗闇だった。

 『――あれはなんだったのだろうか……』

 そう思って、必死に真っ暗闇から光を求めていた。一本の光の糸のようなものを必死になって追いかけて――目が覚めた。
そして、目の前に机があって――力は全く起きてこなかった。

 『――僕達は一体どうしてしまったのだろうか。あの白衣を着た“博士”と呼ばれた男は一体……』

 頭の中で混乱がエンドレスし、混乱は更なる混乱を頭の中で生み出していった。全然わけがわからない頭で何をしようとしてもダメな事はわかっているからこそ、落ち着くためにも明人は仲間と一緒の時の事を、必死になって懐かしんでいた。

 明人達は仲間はずれだった。だから五人でいつも居た。クラスは違えど五人でつるんで色々なことをしてきた。明人は高校が一番楽しかった。クラスが唯一同じだった上辺京四郎(うわべ きょうしろう)のバカさ。逃げ足が速かった如月亜由美(きさらぎあゆみ)。五人の中でアイドルなのになんでか上辺と付き合っている大草愛(おおくさ あい)。そんな俺たち四人を知的に見下す笹倉総一郎(ささくら そういちろう)。そんな五人でいつも、バカやって楽しんでいた日々がどこか遠くなった気分だった。

 周りを見て、明らかに愛がいんなかった。けれど、叫びようにも混乱し、それに加えまったく気力のない明人はただそこにずっと座っている事しか出来なかった。


                  ※


 同じ時、日向仁(ひゅうが じん)は手紙よりも先に皆を起こし始めた。いつもなら、起こされる側なのに今日は仁が最初に目が覚めた。それはやはり、この“ゲーム”に期待して、ドキドキしているからなのだと、仁は思った。
 最初に仁に起こされたのは、東城美咲(とうじょう みさき)だった。美咲は勢い良く起き上がり、「あれ、アタシなんでこんなトコで寝てるのよ」と言いながら爆笑していた。多分、ジャングルの中で眠っていた自分がおかしくなったのだろうと、仁は思いながらも、本当のところはなんで爆笑したのかはわからないが、美咲は少し笑い辺りを見渡して、仁に気付いて「……や、やぁ」となんとも言えない声を出した。
 続いて起きたのは美咲の親友の七月志保(ななつき しほ)だった。志保は天然が入っており、ゆっくりと起き上がって二人に対して「おはようぅ〜〜〜〜、ムニャムニャ。美咲ちゃん、仁君」とゆっくりと挨拶をして、そして驚いた。「ここどぉ〜こ〜」と言うと「あぁー! NRVのなかだってっけぇ〜」とボケたので「NRFだってば」とすかさず美咲がツッコミを入れた。
 最後は柏彦一(かしわ ひこいち)だった。三人の“オモチャ”でもある彦一は三人が一斉に顔をつねったおかげで「ぎゃー!」と男らしからぬ声で飛び起き、そして辺りをキョロキョロと見渡しそして、「……ていうか、ここどこすかぁー!」と叫び「だからNRFだっての!」と今度はでこピンをくらった。
 とにもかくにもこれで全員起き上がったのだ。そして仁はようやく手紙をとる。
『仁・美咲・志保・彦一・彩音へ

 どぉーだ、そっちの気分は? あまり変わらないだろう。俺が作った“NRF”は既にお前らに話した通りだ。一応敵として、五人の実験体を用意した。存分に戦ってくれ。尚、NRFの覚醒の為に六ヶ月の期間を与える。存分に己の力を引き出し、楽しんでくれ。
 これは俺からキミ達へ卒業のプレゼントだ。
 そして、これは約束だ。
 かならず全てを倒して帰ってくること。
 以上だ。
                           NRF研究員長・三嶋由紀夫』

 それを仁が読み上げると、その場の残り三人が歓喜の声を上げた。これから自分たちの戦いが始まるのだ、と。人質になった浅羽彩音(あさば あやね)を救い出してやろう、と。そして、敵を全滅させよう、と――
「おっしゃ! 三嶋博士の新作ゲーム! クリアしてやろーじゃん!」

 二つのシナリオ、そして十人の青年たち、一人の博士のNRFバトルが、今まさに始まろうとしていたのだった。






その2 「 友達 と 人間 」






 高校生活、明人達はクラスで一人ぼっちだった。それでも、明人には仲間ができた。高校で初めて出来たのはクラス一の馬鹿で不良の京四郎だった。

 京四郎はその日、クラスの皆から『お願いだから学校を辞めてください』という手紙を貰うことになった。もちろん明人は何も書いてもいないし、関わろうともしなかった。それでも「――こんな、お利口ちゃんクラスにいられっかよ!」と机を蹴り倒し、勢い良く教室を出てった京四郎を自分にかぶせて見ていたのだった。
 中学校に上がる時、転校していった学校でいじめられた事。そして、クラスから『お願いだからもうこないで』という手紙を貰い、周りの皆が自分を見てクスクス笑っているのが怖く、そして、誰も助けてくれないのが寂しかった。それでも明人は逃げる事はなかった。笑われながらもそこでいつものように一人、座っていた。それがとても辛くて、寂しかった。
 だから明人は一人教室を飛び出ていった。自分と同じような京四郎をそっとしておけなかったから、だから京四郎を必死になって見つけた。
「――きょ、京四郎、ま、まって」かなり息を切らしていた。こんなに必死に走ったのは何年ぶりだろうか、といえるぐらい走った。
「あぁ? てめぇーは、たしか月島。てめぇーがなんのようだ」
 京四郎は明人としゃべるのはこれが初めてだった。高校生活において明人は無口の青年だった。京四郎はクラスで唯一の不良――接点はなにもなかったのだ。
「僕は中学の時、同じような手紙を貰った。それは僕のせいだ。僕が無口だから、だからあんな手紙をもらった。そして僕は人を怖くなった。もう誰とも関わりたくないって思った。それでも、それでも! やっぱ人が傷つくのを見ていられない!」
 月島は泣いていた。この時、高校一年だ。高校一年でしかも、男で、あまり関わりのない人間に泣いているのだ。
「けっ。くだらねぇー、俺は少なからずてめぇーも気にいらねぇーし、傷ついたなんて思っちゃねぇーよ。てめぇーもあの良い子ちゃんぶってる、お利口ちゃんクラスの一人だろうがぁー! うぜぇーから消えろ!」「嫌だ!」
 明人は腕を命いっぱい伸ばし、大の字に道をふさぐ。それをみて「やんのかぁてめー」という京四郎に臆せず、明人は力強く言い放った。
「僕は卒業したい。夢があるから……。その夢を叶える為に、今は必死に耐えるんだ。だから、負けない。負けたくない! 無口でも良い、付き合い悪くても良い、でも逃げない。京四郎とも一緒に卒業したい。だって、だって……僕と同じような手紙をもらったりして……負けてほしくないんだ……。傷ついて……そのままなんてやなんだ……! だから、僕はキミを連れ戻す。僕の勝手な感情だけど、キミは僕の大切な仲間なんだ!」
 京四郎は泣いた。こんな馬鹿がいるなんて、と思った。京四郎はただ、その場に崩れ落ちた。言葉は出なかった。一人っきりになって寂しくなった気持ち。どうでも良いから、タバコでも麻薬でもなんでもして落ちるとこまで落ちてやろうという気持ち。がいっきに消えていった。『自分が不良で仲間なんか欲しくない』という見栄のような気持ちは崩れ、そして今までそんなことを言われた事のない為に、なんとも言えない、それでもとても暖かい気持ちがいっぱいになっていた。

 ――それ以来の付き合いだ。
 それから二人は屋上で(ほとんど京四郎が明人を誘うのだが)さぼるようになっていた。自称アイドルで「授業なんてアイドルには不必要」と思って何度も屋上でさぼるようになった大草に出会ったり、近くの古い駄菓子屋で万引き(ほとんど京四郎が明人を誘うのだが)で逃げるのに、隣で万引きし、一緒になって逃げて、いつのまにか仲良くなった亜由美や、勉強疲れから現実逃避がしたくなり、いつのまにか屋上でのんびりし始めた総一郎も入ってきたり――とにかく、いつからか、ちゃんとした日にちはもうわからないほど、いつでも五人は一緒いることになっていた。 
 
「わけわかんねぇーつーの! なんで、愛が捕まらなきゃいけねぇーんだよ!」
 落ち着けなんて言葉は通用しない。明人はどうする力もなかったからだ。
 みんなが目覚め、三人は混乱した。それでも亜由美と総一郎はなんとかそれを認めようとしたが、京四郎だけがいまだに混乱をしていた。そんな京四郎に亜由美は怒鳴りつけた。
「うるさいなぁー、京四郎少し黙ってよ!」
「ざけんな! だまってられっかよ! ドコだココはぁー! 誰なんだ、三嶋つーやろぉーは! NRFってなんのことだぁー! わけわかんねぇ、わかんねぇーよ! 月島ぁー!」
 京四郎は明人に救いの言葉を求めた。でも、結局それは現実を認めなきゃいけなと実感されるものになるのだった。
「……正直僕にもわからない……。ただ、僕たちは自由を奪われた……三嶋っていう博士によって……」
 それを聞くと京四郎も俯き、そして黙る。けれど、拳にはまだ力が入っている。
「――そうだな。簡単に言えば、殺し合いで勝ったら元の世界に戻すって事だと、俺は思う。第一、俺たちの全ての権利を剥奪したといっても、人体実験なんてこの国では合法ではない。それに本当に死ぬなんて事があったら、大問題だ。常識的に見てもおかしすぎる。だからといってココが夢じゃないってことはわかっている。六ヶ月という時間もあながち、元の世界の時間とはかなり違うのでは? と俺は思う。まぁーこれはあくまで俺の考えだが、とにかく、ここで言っている“NRF”を使えるようにするのが先決な気がする。まだ良く分かっていないがこのNRFっていうのは、どうやらアニメや漫画の特殊能力――例えば、火とか水を自由に操るとか、そんなトコだろう。それを六ヶ月間で習得して、あらかじめ用意されている“敵なるもの”を倒せばいいだけのこと。それが終わればこの記憶なんてなくなって、元の世界に戻れる、そう俺は思う」
 メガネを右手中指で直す。総一郎はいつものように彼らに諭した。あくまでも予想であるが、それが間違っているとは思えない二人は、「さすが総一郎……」と声をこぼす。しかし、京四郎だけはまだはっきりと理解はできていないようだった。それでも、総一郎も自分なりの解釈をしていた。このNRFについてを、だからそう諭した。NRFに目覚める事が先決である事を。
「僕もそう思う。第一、非現実過ぎるけど……。でも……さ……、さっきまでいた愛はどこにも居ないし、さっきまでのバスも見当たらないし……、どうやってでもこの現実を認めなきゃいけないんだって思う! だから――」
 明人は空を見上げる。空は人工だろか。だけど青空がずっと続いている。この現実を認めることは出来ないだろう。けれど、認めようとすることで救われる事もあるのだ。それでもこれは単なる『殺し合いをしろ』というようなものである。しかも殺し合いに非現実過ぎるNRFという謎のものを使えというのだ。信じがたいものでもある。
 京四郎は叫ぶ。亜由美は決意する。総一郎は考え続ける。そして、一つの決断を明人が下す。
「――愛を取り戻して、元の世界に戻る。それが今僕らのするべき事だ。NRFというのは未知だし、信じていいものかもわからない。けれど、やるしかない。殺し合いだってやってやろう。仲間を救うんだ。愛を取り戻そう!」
 四人は誓う。全ての始まりに、これが長き戦いになるにもかかわらず――四人は誓うのだった。


                  ※


 まずNRFについておさらいを仁はしようと言った。
「確か〜、個々の持つ元々ある、特殊能力みたいのを引き出す……だったよね?」美咲は悩みながら思い出す。それに志保は頷き、仁は親指を立てる。
「――そう。俺たちはその特殊能力、NRFを六ヶ月という時間で習得しきゃいけない。それはこのゲームで絶対必要な要素なんだろう。六ヶ月なんて長すぎるがそれは、現実とはまったく関係ない時間で、このバーチャルな世界での六ヶ月である可能性が高い。つか、それしかないな。彦一、お前はNRFにどんなのがあるか聞いてるか?」
 彦一は首をブンブンとい振る。そうすると、美咲が「つかえねぇーやつぅーめぇ〜!」とか言いながら頭をグリグリする。彦一は耐え切れず、またも「ぎゃー!」と声を上げた。
「美咲、あんま今はいじめるな」「今って……」「なんにせよ、俺たちはNRFにどうにか目覚めて、その能力をアップさせなきゃいけないらしぃ。まぁーめんどうだが、おもしろそうじゃん、って感じだけどな」
 仁は空を見上げる。そして博士に感謝する。卒業する自分たちへのプレゼントを全身で感じ、そして誓う。このゲームを絶対クリアすると。そして、再び現実に戻る事を願い、声を上げる。
「よっしゃぁー! やってやろーじゃんかぁー!」
 仁の掛け声に、みんないっせいにもりあがる。ただ、彦一だけが「はぁー……」とため息をつき、またも「ぎゃー!」と声を上げていたのは気のせいではない。
「じゃぁー、ホームとかいう一軒家にでも入ろうか。どんな奴が檻に入っているのかすげぇー楽しみだし」
「だね。ていうかぁさぁー、機械なんでしょ? 実験体っていってたけど、本当の人間なわけないしね。だったら壊してみちゃう? アハハ」
「そうだよねぇ〜でも、あたしロボットみてみたぁ〜い。ウィ〜ンガシャーンってぇ〜みたいなぁ〜♪」
「志保ってアホだよな……ぎゃー!」
 四人は思い思いの事をいいながら、扉を開ける。そして入った場所は普通の家だった。部屋は人数分あって、キッチンやお風呂やトイレまでついている。そして『地下に人質の部屋がある』という博士の言葉を思い出し、恐る恐る地下に向かっていく。薄暗い、中で扉を見つけ、ドアノブを回すとそこは白で覆われた部屋だった。
「さぁーて機械人形はどこかしらぁー……え……」
 美咲が初めに見る。そしてそれは衝撃だった。衝撃が体を走る。
「な、なんで……」
 美咲の異変にみんなが駆け寄る。そして見たのだ。ただのゲームであるはずの世界で、自分たち以外の――

「――人間……じゃねぇーかよ……」

 全ては謎だらけだったのだ。





その3 「 覚醒 と 博士 」





 ホームには地下が存在していた。
 明人は亜由美と一緒に“人質”の確認に行ってみることにした。地下にいるはずの人質が本当に存在するのか、存在するなら彼女たちもまた同じように拉致されたのかを聞きたかった。
 薄暗い階段を下りて、見つけた扉を開けるとそこには白で覆われた部屋が広がっている。あたりには少なからず、家具は存在していたが、どこか寂しい部屋だった。そして、部屋の一角でスヤスヤと寝息をたてている女の子、彩音がそこにいた。
「この娘が、人質……」亜由美は眠っている彩音の顔を覗き込む。彩音の顔は安らかだった。亜由美は明人に「起こす?」と聞くが「眠っているんだし、起こさないでおこう」という明人に従った。
「でも、」
 亜由美が口火を切る。
「なんで、この娘はこんなところにいるんだろうね……。私達のように拉致されたのかな……。だとしたら、この娘の仲間も……人間ってことだよね、だったら――」
 亜由美はうつむく。認めたくない現実はすぐ目の前の光景だった。相手が人間なら、自分たちは戦わなければならない。未知なる力、NRFというものによって互いに命を賭けた戦いが始まってしまうのかもしれない。けれど、自分たちはまだ高校生で、この世界に存在する“社会”を本当には知らないでいる。つまらない現実から逃げたい時は幾度となくあった。その思いは、いつしか亜由美に万引きをさせるようになっていった。

 『――短距離走……優勝は如月選手です』

 小学校から始まり、中学・高校と続けた陸上で亜由美がしていたのは短距離走の中の百メートル走だった。それはたった百メートルという長く、短い距離で行なわれる真剣勝負で、亜由美は長くて短い百メートルという距離を必死になって走る事が大好きだった。
だから亜由美はその日も部活に出ていた。清涼高等学校陸上部の朝練に、だ。
 けれど現実は亜由美の百メートル走る楽しさを奪ったのだ。
「中谷コーチが昨夜捕まった。中谷コーチは覚せい剤の保有し、裏で売買を行っていたことが判明し、昨夜遅くに逮捕状により逮捕された……。なお中谷コーチの件で、陸上部の活動は無期限の活動停止となる事が決定し、それから――」

 ――悪夢だった。

 亜由美はそれからたった一人でグランドを走っていた。小学校の運動会のときクラス対抗百メートル走で一番になった喜びを忘れた事は今まで一度もなかった。中学三年にして念願だった全国に行く事もできた。結果はどうであれ、大観衆の中で走っている爽快感は格別で、余計に亜由美を楽しませ、高校は陸上部が活発な清涼高等学校を一番に考え、その為に部活が終わってからは必死になって勉強に励み、成績を上げることが出来た。それでも毎日何時間勉強していても必ず朝起きてから百メートルダッシュはかかさずに行なっていき、その努力は高校でも即戦力という形で身を結んだ。
 高校に入学し、中谷コーチの事件までの時間は短かった。高校一年の秋ごろ事件が発覚した。けれど、その短い期間で亜由美は全てを失っていた。
 誰も居ない場所で走り、何の目標もない自分という存在がこれほどまで空しいものだとは思っていなかった。まるで百メートル走を走りきってしまったように、けれど走っている時に後悔し、その後悔が残ったまま終了し、やりきれない気持ちだった。
「…………」
 初めて万引きしたのは中谷コーチの事件から数日後のことだった。初めて万引きしたものは十円ぐらいの駄菓子だった。なんの意味もなく、ただ必死になって走りたかった。走って、走って――それで捕まってもどうでも良くなっていた。
 数回ほど繰り返しているうちに亜由美は明人と京四郎、そして愛に出会った。顔見知りではない亜由美は、初めて会ったときは無視し、商品をいつものようにポケットに隠し店から必死になって逃げ出した。その時、なんでか後ろから三人の声が聞こえ、それは亜由美を呼び止めるものだった。だから亜由美は必死になって走った。考えてみれば駄菓子屋で万引きし、逃げても「だれか来るのではないか?」という勝手な恐怖感のようなものだけで必死に逃げていた。けれど、実際のところは誰も追いかけて来やしない。それは、駄菓子屋には年老いた老夫婦だけしかいないからだ。
 だから後ろから声が聞こえた時はドキリとした。胸がバクバクとまるで太鼓を叩いているように激しく高鳴るのが分かり、余計に必死になった。それでも後ろから声は聞こえ、亜由美は数百メートル走り、清涼公園にて力尽きた。

 『――諦めよう……。私はもう……これで終わり……。観念だ』

 亜由美はハァハァと息を上げ後ろを振り向いた。そしてそこにいたのはさきほどの三人だった。
「何? あんた達……」
 亜由美は三人をにらみながら言った。
「えぇーっと、君って確か陸上部の如月さんだよね?」「だから何」
 亜由美は立ち上がり腕を組みさらに三人をにらんだ。
「頼みがあるんだけど……僕たちにも走り方教えてくれない? あ、その……こっちの京四郎が――」

 『――わけがわからなかった』

 三人は亜由美と同じく、ハァハァゼェゼェ言いながら、万引きを見つけて「やめたほうが良いよ」とでも言うのかと思ったら、走り方を教えてほしいという。理由は「万引きしてみたいから」この三人は物珍しそうに亜由美を見ていた。亜由美は最初こそ乗り気ではなかったが、三人の好奇心に満ちた表情に負けた。というよりは、断ったら先生にでもちくるのではないか? という恐怖もあった。だから亜由美は仕方なしに引き受ける事にした。
 けれど、それから亜由美はこの三人が羨ましくなっていた。練習し始めてからの三人は走る事を本当に楽しんでいた。それを見た亜由美は一人思ったのだ。
「私は楽しんでいなかった……あの時からずっと。忘れてた……走る事がこんなに楽しい事を……」
 声に出し、一人部屋で呟く。
 現実は嫌なものばかりが見えてくる。けれど、亜由美はそんな現実でも、現実だからこそ楽しめている事があったのだ、と気付く。それは明人、京四郎、愛、そして総一郎に出会ったおかげだった。四人に会えたからこそ今の亜由美は亜由美でいられるのだ。

 だから亜由美は――

「――だったら、私はこの娘も、この娘の仲間も助けてあげたい。殺し合いっていうんじゃなくて、話し合いとか……そういうようなことで……。甘い……かな?」
 亜由美は一人明人に言う。明人は「いや」と顔を横に振り、「それでいいと思うよ」と笑顔で頷く。それからあたりを見渡し、何もへんなとこをはないと確認してから地下室からもとの部屋に戻っていった。

「――彼女は起きないかも、と俺は思う」総一郎は腕組をしながら言った。
 明人と亜由美が元の部屋に戻って先ほどの女の子の話を二人にしたのだ。
 上辺は「殺してやる!」となんども吼える。それを三人して止め、これからどうすべきなのかを考えた。
「僕は――目覚めるべきだと思う」ふいに明人は立ち上がる。
「NRFに目覚める為には、どうにかしなきゃいけない。それはわかっている。けれど、俺たちはどうしたら目覚めるのかはわかっていない。明人、一つ聞くが、なんでお前はそう落ち着いているんだ? 一番最初に起きたお前は、俺や亜由美、京四郎を起こすよりも手紙を読んだ。俺が思うに、お前は何かを知っているんじゃ――」「わからないよ」明人は立ち上がりながら言う。
「僕は研究室なるものの中で、一度意識を取り戻した。そして、そこには“三嶋博士”と呼ばれた男がいた。そして、その男は僕を見て“懐かしい”と言った。けれど、僕は知らない。わからない。けれど……なんでか、わかった気がする。そして、わかったからこそ思う。そして、愛を奪われ、自分たちの自由をなくした博士に――」
 明人は拳に力を込める。そして“ソレ”が生み出される。明人は悲しげな表情で自ら生み出した“ソレ”を見る。その様子に京四郎も亜由美も総一郎も驚いた。
「それが……NRF……」
 明人は一日も経たずに、それを会得してしまったのだ。

「――ただ、僕は怒っているから……」


              ※


「起きろよ。おい、おぉーい!」
 仁は寝ている愛を起こそうとする。けれど、一切起き様とはしなかった。それでも美咲と志保は体をくすぐったり、彦一は「ぎゃー!」と大声を出したり(強制的に)して、起こそうとしていた。けれど全く起きない愛に四人してつかれていた。
「はぁー……まったくおきないなぁ。でも、これはどーみても、人間だ。俺たちと同じ」仁は疲れたようにその場に崩れる。
それに続いて他の三人もペタンと座る。ハァハァゼェゼェ言いながら四人は考える。自分たちは確かに博士の作ったゲームに入ったのだと。そしてこれが最後のプレゼントである事を。
「博士は一体何をしたいんだ……」
 
 『――仁、お前達に俺の最後の研究を見せてやろう』

 五人はその時、博士の家にいた。博士はいつも、子供に優しく、子供が楽しめる研究をしていた。それはゲームの開発や、おもちゃを作ったり、とにかく子供の為だけに色々な研究をし続けていた。けれど、博士は今までにないものを作ったのだ。
 それは人間誰しもが描いた“夢”だった。
 博士は己でその夢を実物にしようとしたのだ。
 それがNRFだった。
「仁、美咲、志保、彦一、彩音。お前達にだけ特別に、だ。お前たちとは今まで色々なことをしてきた。覚えているか? 一分で釣れる釣竿で、釣れたのがめだかだった事。カエルの合唱をするために集めたカエルが実験する前に逃げ出して大パニックになったこと――もう、何年だ。お前たちと出会って……長かったような、短かったような……。それでも俺は夢を追いかけた。そして、その夢が今完成した。どうだ? やってみないか? 卒業し、旅立ってしまう前に」
 それは体に“NRF液”というモノを注入するだけのことだ、と博士は言った。それを注入する事で博士の言う“夢”が実現するのだという。博士を信用できないわけはなかった。五人は小さい時からこの研究所に通い、この研究所で育ってきたようなもので、博士は親のような存在だからだ。
 だから、それに快く五人は協力すると言った。無論、他にも子供たちは研究室にいた。けれど、博士はその五人を選んだのだ。そして、五人は目覚め、博士の作った隔離された場所に居たのだ。
 殺し合いというゲームの中に――

 仁は愛を起こすのをやめて、これからどうするべきかを考えた。NRFに目覚めるには修行だろう。そして、それはこのジャングルをうまく使えということなんだろう。自然に触れることで目覚めていく力――それがNRFなんだと、そう思ったのだ。

 時に全ては同じように動いていく。二つのチームは同じように動き出していく。まだ見ぬ敵を倒すべく、そして友の為に――力をつけようとする。


              ※


 無数のモニターが彼らを映し出している。
 そして、それを見ているのは博士だった。博士はその様子をしっかりと見る。そして、成り行きをただじっと見ていた。
「……仁、明人……」
 博士はそう呟き、近くに置いた赤ワインでのどを潤す。
 そして、不適に笑った。笑い続ける。全てはまだ動き出したばかりだった。これから彼らがどんな風になるのかは誰も分からない。しかし、博士は笑う。その結末に笑うのだ。決して、決して失敗ではない、そう思って――





その4 「 彩音 と 愛 」





 彼女たちは彼らが気付かないときに目覚める。

「あれ、ここどこ……?」
 ふと気がついた場所は広々とした部屋だった。部屋の中は真っ白で、辺りはすっからかんとして、なんとも物足りないような部屋で、それでもそこには自分しか存在していなく、どこか寂しかった。
 彩音は記憶をたどり自分が博士によって人質役になっているのを思い出す。あの日の記憶は多分、忘れないだろうと彩音は思っていた。それは博士から最後のプレゼントでもあり、彩音にとっても初めての経験をすることになったからでもある。“人質”という普段、日常では味合えない大役を任された理由はさほど大きなものではなかった。ただ単にじゃんけんで負けて、しぶしぶ引き受けただけ。けれど実際になってみたら、何か物凄く寝ていたような感じになっていた。
「――私人質なんだよね……。ん〜誰もいないし、モノはないし、なんかつまらない場所だなぁ〜、はぁー……仁や美咲たちはいつになったら着てくれるんだろ……」
 上を見上げる。白い天井がずっと続く。白くて、白くて、まるで吸い込まれてしまいそうなくらいだ。壁も周りも白だらけ。博士のセンスはやはりどこか間違っていると思った。博士は昔から一つ思いつくとそればかりだったから、今回も彩音が「白が好き」という言葉を受けて、白一色にしたのだろう。好きな色に囲まれるのは多かれ少なかれ、嬉しいものではあるが、こう九十パーセント以上も一色で出来ていると、どことなく飽きてしまう。彩音はベッドから起き上がり、机においてあった二通の封筒を手に取る。一通は先ほど仁たちにあてられた手紙と同じ内容。そしてもう一通は、『特別ルール』と書かれたものだった。けれど、そのどちらも彩音は読まずに手でクシャクシャに丸めてその辺に投げ捨てた。
 それは、彩音が実はこのNRFに反対していた事でもあった。手紙を真っ先に探したのは博士に「起きたら直ぐに読んでくれ。そこに簡単なルールが記載されている」と言われていたためだ。けれど、そのルールを知りたくなかった。だから丸めた。

 『――そうだ。殺し合いだ。それ以外に何をさせるというのだ』

 忘れようとした一瞬の記憶。彩音は少し前に夢のような、それでいて現実味を帯びた世界をみていた。目が覚めたのはどこかの研究所。多分というよりも、確実に博士の施設に間違いはない。それは目の前に博士が数人の研究生に指示をしているからだ。気がついた彩音の体は自由には動かず、言葉もしゃべれず――ただ目だけがゆっくりと開かれていた。彩音の世界には博士の映像と音だけが伝わるだけとなっていた。目の前に映る博士は研究生を怒鳴りつけ、怒鳴りつけられる研究生は「申し訳ございませんでした」と何度も頭を下げていた。博士は決して許さず、何度も怒鳴る。そして怒鳴る度に「殺し合い」という恐ろしい単語をいくつも並べていた。
 彩音が起きた事に気付いていないのか、数分が経過しても博士はそのまま研究を続けていた。彩音はどうにかクビが回る程度に回復し、少し横を向いてみる。そしてそこにいたのは、ただ眠り続けている一人の娘がいた。自分と同じぐらいの年齢で、顔は穏やかにスヤスヤと眠っている。彩音は誰かはわからなかった。けれど博士は言った。
「この“睡眠促成実験”の実験体の名前の確認だ。浅羽彩音と――」
 一瞬、頭に衝撃が走った。博士は“人質”という言葉ではなく“実験体”として彩音の名前を呼んだのだ。そして彩音は感じた。

 ――このNRFはただのゲームなんかじゃない。何か違う……。博士の最後のプレゼントは……本当の意味で最後のプレゼントなのかもしれない……。そして、博士はその実験の為に私たちを……――

 それが最後だった。隣から若い声で「注入完了しました」という合図によって再び闇が彩音を包み込んだのである。そして、消え去る意識を必死にもがく中で「大草愛」という聞きなれない名前も耳にし、そして完全なる暗闇に支配されてしまった。

 手紙を捨てた理由。それは、手紙に書かれているのは博士の奇麗事のような気がした。だからそれを鵜呑みにしたくなくって、結局は自分の目で見て判断したくなった。だから彩音は扉の前までやって来た。博士の真意を知りたくて、そして何よりもこれから行なわれる“NRFバトル”においての勝利条件の一つである『人質以外の全滅』。それは本当に殺すということなのだろうか、と。彩音は怖くなった。もしここで出られたとしても、一瞬にして殺されるかもしれない。それはまるで敵が虎視眈々と扉の前で人質を真っ先に殺しに来る、或いは博士が『絶対に出てはいけない』という意味からして、出たとたん監視レーザーのようなもので殺されるかもしれないのだ。それでも彩音はゆっくりとドアノブに手を伸ばしていく。それは博士への真意を確かめたいが為のことだった。
「冷たい!」
 思いも寄らないことが起きて、彩音は驚いた。それはなんでかドアノブがまるで凍りついているようにとてつもなく冷たかったのだ。それでも彩音は必死にドアを開けようとする。けれど、カチコチに固まっているようにびくりとも動く事はなかった。それよりもドア全体が凍り付いているように一向に開く気配がなかったのだ。そしてそれは、彩音のやる気を失わせた。自分でどうにかしたかったのにも関わらず、この部屋からも出る事は出来ない彩音にとって、どうにかするそれ以前の話になったからだ。
 彩音はベッドの上に横たわる。見上げた天井はやはり白くて、ドンドン吸い込まれていきそうになる。目を瞑り、仁達とのことを思い出しながらゆっくりとまた目を開ける。そして体を起こしてみる。辺りを改めて見渡すが、やはりそこは白一色で覆われた空間でしかなかった。
「NRF……殺し合い……人質……実験……実験体……。もう何がなんなのよ……」「大丈夫だよ」
 それは唐突だった。自分以外に誰も居ない場所で、確かに何者かの“声”が聞こえてきたのだ。それはどことなく自分の声に似ていて、それでも幼いような声。そして、それはとても小さな声で彩音に語りかけてきたのである。たった一言、彩音に話しかけ、声は消える。彩音はその声にビクンとし、そして辺りをキョロキョロ見渡すが誰も居なかった。しかし確かに声は聞こえてきた。『大丈夫だよ』という声が彩音に聞こたのだ。
「おかしいな……」「どこ探しているのさ。ボクはキミのそばにいるじゃないか」
 一度じゃなかった。彩音が探すのを諦めたとたんに声は再び聞こえてきたのだ。しかし、さっきから言うように彩音以外に辺りに人はいない。彩音は怖くなった。もしかしたら自分はとんでもない場所につれてこられたのでは。そして、わけもわからない場所で、わけがわからずに死んでいくんじゃないか、と。彩音は恐怖する。けれど、何故だか恐怖はあまり大きくなることなくどことなく、寂しさが消えていた。
「――どこいいるの!!」
 怖くなった。けれど恐怖は消えている。NRFという彩音にとっても今だ未知数の存在を確かめたくなっていたのだ。不思議な力というものがどのようなものであって、それは博士の言う“殺し合い”につながるのかを確かめたくなった。そして、その声がNRFならば――刹那、何かが頭をモゾモゾさせる何かがあった。彩音は頭が妙に痒くなり、頭を左右に大きく振った。すると、軽やかに髪の中から飛び出し、彩音の目の前にひょこんと降りてくる。そして、ついに声の主を彩音は見た。
 それは、指の第一関節ぐらいしかない、とても小さな人間だった。小さいけれど体のパーツはしっかりしている。そして小さな顔はにっこりと笑いこっちを見る。彩音はただ驚き、手を口に当て唖然としている。そこにいるんのは紛れもない、小さくなった自分そのものだったのだ。
「ボクはスモーレット。君の髪の毛から作られた、君のNRFそのものさ。ボクはキミから作られた、小人分身さ♪ ボクはキミを守る為のキミの力そのものなんだ。キミは数ヶ月もずぅ〜っと眠っていただろう? それは僕らNRFをこの部屋で修行せずに目覚める為のことなんだ。でも、キミはちゃんと目覚めた。これは博士にとっても充分な成果だって思うよ。まぁーでも、キミは僕が守る。よろしく彩音ちゃん」
 訳が分からないでいた。『充分な成果』というのは夢うつつで見ていたあの光景の事だろうか。だったらやはりあの場所で言われた『睡眠促成実験』というのは彩音自身だったのだろうか。――わからなかった。それでも、自らをスモーレットと主張する自分の分身のような存在は精一杯の笑顔で手を差し出していた。まるで握手を求めるかのように。
「よ……よろしく……」
 彩音は恐々と人差し指を差し出す。そして人差し指には確かに小さな二つの手が触れていた。それは小さな自分で、それはずっと笑顔で、それはスモーレットという名前で、スモーレットはNRFで――彩音の力だった。
「ところで、貴方は何故博士がそんな“実験”という事を行なっていたのか知っているの? それで、ココはゲームの世界なの? それとも現実……?」
 彩音はスモーレットにすがるように聞く。
「わからない。けれど、ボクが分かるのは君は必要な実験台だっあっていうことだけ……でも、ボクはこれからキミを守る。そして、君と共に歩んでいく」
 彩音はわからなかった。けれど、目の前にいる存在をひてすることは出来ない。それ故に彩音は心に誓う。仁・美咲・志保・彦一、皆と元の世界に戻る事を。

「……で、でも人質じゃ〜戦えないんじゃ……」

 彩音の力は覚醒したのだった。


              ※


 全ては夢で、目が覚めればこんな白い部屋から抜け出せるものだって考えていた。けれど、やはりこれは現実で、愛は仁たちに人質となっていた。愛はただ一人敵陣の地下に存在しているのだ。無抵抗で、その場にいる。
 NRFの人質のルールとして。でも――
「なんなのよ、ここは。真っ白でまるで華がない。あぁーもやだやだ。私はねぇー! アイドルなのよぉーー! ださせなさいよぉ〜!」
 ――愛は不適腐れていた。

『NRF人質特別ルール

 部屋から出たら失格です。
 失格すればチームは皆殺しにします。
 絶対出ない様に。
 強制です。
 
                           NRF研究委員長三嶋由紀夫』

 起きてすぐに机の上の二通の封筒をびりびりに破り中の手紙を読んだ。愛は思った。

 ――ファンからの手紙ね♪――

 開けて見えたのは活字ばかりの手紙。そして内容は悲惨極まりない、まるで精神異常者の書くような手紙だと思った。けれど愛はその手紙を直ぐに理解する。理解して、とにかくこの部屋から出てはいけないんだと気付く。だから仕方なしにこの部屋に留まる事にした。それはやはり愛する者の為でもあったからだ。一通は明人達が見たものと同じで、もう一通は特別ルールというもの。そしてその特別ルールである内容で愛は心に決めた。ココに留まって待っててやるんだ、と。それでも愛は部屋で叫ぶ。寂しさゆえの叫びをこれでもかと叫び続けていく。
 清涼高等学校、自称アイドル(上辺京四郎の保証付き)の大草愛がなんでこんな場所に一人居なきゃいけないのかとブツブツ文句を言っている。第一何もしらない博士に何故自分たちの自由を奪う権利が合ったのだろうか。そして愛は愛する者を一瞬でも奪われているのだ。きっと迎えに来るはずと信じながらも内心は寂しくてしょうがないのである。それでも、愛はブツブツ文句を言いながらも、ポケットに入っていた手鏡を取り出した。
「か、カワイイ〜〜〜〜! 今日は一段と愛カワイイぃ〜、ニアニア」
 鏡の向こうに見える自分に見とれる。いつもの事だ。それでも、いつ見ても自分が可愛かった。かわいくって、かわいくって、愛しくって……とにかく自分が大好きだった。だから学校でアイドルになろうと思った。中学で自分の美貌に気付き、そしてそれを活かすべく『アイドル学園』とまではいなくても名前が可愛い清涼高等学校に進学を決めたのはやはり独断と偏見からだった。それでも多少なり勉強はできているのでなんなく受験はスルー。むしろ面接の試験で、
「アイドルの愛でぇ〜っす♪」
 と、なんとも言えない登場に全ての教員が唖然としたのは言うまでもない。それでも教員は容姿抜群の愛を心から許し、まるで自分の子供を応援するかのように暖かく見つめていた。そして、すべての合否はやはり面接時の教員の押しの一手だったというのは知る人ぞ知る、極秘話である。
「はぁぁ!? ちょ、あんたが私と付き合う〜? プ……ねぇー冗談やめてよ。そのダサダサの服のセンスで私を口説くわけぇ? ふざけないでよねぇー」
 愛はこんな調子だった。学校で男子の人気はカナリのもので、学校帰りには必ずというほど告白を受けていた。けれど制服男子からの告白をいとも容易く断るのだ。しかも、制服なのに服のセンスにケチを必ずつける。だから、男子はみんなして「じゃぁー休日会ってくれよ!」というのだが、休日には絶対にあってくれないのだ。それは愛曰く「休日はのんびりしたいから嫌だ」ということらしい。愛はそのまま何十人、はたまた何百人もの男を切りつけていった。それでも男は蚊取り線香に纏わり付く蚊のように、わかってはいても立ち込める『愛というメッチャ可愛い女が彼氏いないんだって』という噂という名の煙に引き寄せられ、息絶えていく。出すすべなくのされていく男たちはそれでも必死になって愛を惚れさせようとするが、結果は火を見るよりも明らかだったのだ。
 そんな愛はいつのまにか、必然的に女子から完全に嫌われるようになった。でもそんなことはお構いなし。いつのまにか高校を辞めていっそ東京のアイドル専門の学校にでも行こうと思ったぐらいだ。かったるい授業に出る意味はなくなるし、それでも中学生レベルの英会話、数学、国語、社会、理科ならどれでも七十点台後半の数字を叩きだせる自信はあった。それ故に、愛はついに初めて授業をサボる事を決意する。しかし、時に高校一年の六月の事だった。
 しかし、運命というのは恐ろしいもので、いざ屋上でさぼろうとして“運命の出会い”は起きたのだ。それはまるで愛にとっては見たこともないような“不良”だった。服は乱れに乱れ、ピアスは数え切れないほど存在し、頭髪は学校で禁止されている染色。そしてその姿からモクモクと立ち込める白い煙は彼愛用のマルボロだった。そして、愛は一目でとりこになった。
「あぁー……神様。私はついにみつけましたぁ……運命の人! だって服のセンスばっちりなんですぅー」
 愛はやはりどこかしらのネジが取れているのだ。横にもう一人男がいたのも気にかけず、愛は不良事、京四郎に一直線に向かい。堂々と告白をしたのだ。
「あのぉー! 私はアイドルの愛です! 好きです! 付き合って!」
 いきなりの事で京四郎は驚く。そして、驚きながらもOKの返事を返す。明人は何がなんだかわからないけれども、一応おめでとうと言っておいた。
 それから愛はいつも京四郎の為に学校を続けたのである。アイドルになる夢を一切捨てずに、それでも愛は京四郎の為に学校に通い続けてきた。そして卒業後の進路は二人で東京進出。将来彼ら二人が芸能界で一世風靡するのはこの時誰も知らず、そしてそれはまた別の話である。

「全く〜京ちゃんのいないこの空間さびしいよぉー!」
 愛は叫ぶ。叫ぶけがどうにもならない。けれど、愛は気がつかないでいた。既に自分がNRFに目覚めている事に。そして既に戦いは始ろうとしている事に。愛もまた博士によって目覚めさせられた数少ないNRF能力者の一人になっていたのである。

 ――NRFバトル開始まで、残り一日にして……全てのNRFは目を覚ましたのだった。





その5 「 覚醒・策略 と NRFバトル開始 」





 NRFに迷い込んだその日、明人は怒りに満ちていた。非現実的な場所へ連れてこられた理由は分かってはいない。けれど、確実に明人達は被害者になっていた。大草愛という、自分たちの大切な仲間を奪われ、そして何よりも自分たちの自由を奪い取ってしまった悪魔のような存在――三嶋由紀夫という見ず知らずの博士によって。
 その怒りをふつふつと煮えたぎらせていたのは明人だけではなかった。京四郎はただどうにでもできない現実に必死になってもがき、叫び続け。亜由美は冷静に考える中でも、相手のことも考慮し、総一郎はいつものように頭の中で全てを解決させようとした。皆必死になっていた。けれど、明人の怒りはその姿を“NRF”としてその手に姿を現したのである。明人自身、自らのできたその物体に驚き、どこか悲しく寂しいような眼で見つめる。
 月島明人のNRF【作水氷結】。それは水を自由自在に凍らしたり、水にしたりする能力。何よりも恐ろしいのは、怒りのボルテージが高いほどその力は発揮され、空気中で化学変化を起こして水を作り出し、今のように手の平に氷を作り出すことも可能となる。今はまだ発展途上だが、明人はこの力を【触れたモノに水分があれば凍らせる】という段階まで力を付ける事となる。

「……これが僕のNRF……」
 明人は自らの腕を見る。手に握られているのは氷の塊。そして、それを生み出したのは紛れもない自分。自分で作り出した氷であるのは間違いなかった。そしてそれは認めることのできない現実であり、それでも目の前にあるのはやはり“現実”でしかなかった。

 ――あれから六ヶ月が経過しようとしている。
 あれ以来、明人は自らのNRFの修行に入った。明人が目覚めて徐々に残りの三人、そして仁達も目覚めていく。目覚めていき、六ヶ月という長い中で模擬の戦いなどで、確実に力をつけていく。しかし、力をつけ、戦いたくてうずうずし、何度も端からは端まで行ってみるが互いのチームは出会う事は一切なかった。そして、なによりも一番の端っこに向かうとそこには大きな壁のようなものが存在し、これ以上進めないようになっているのだ。そんな中で修行を続けてきた八人はただ強くなることを目指し、そして、それぞれの思いを胸に成長していくのだった。


                  ※


「俺が思うに、作戦は必須」
 バトル開始が数日後になったある日のことだ。あれから博士という男からは何も連絡はなかった。それでも、日々過ごし、自分たちのNRFを強化していった。明人達はいつもの修行を終え、その日ついにNRFバトルの作戦を考える事となった。
「そこでだ。明人、亜由美、京四郎は攻撃に回って欲しい。つまり、相手陣地に攻め込むんだ。俺はココで眠っている彼女を守る方に回る。それはやっぱ俺のNRFは攻めより守りという事だからだ。まぁーその辺は前々から話して合ったとおり。それで、まだ眠っているが一応脱走しない程度に明人の力でドアを氷漬けにして欲しい。まぁーそんなところで大丈夫だろう、と俺は思う」
 総一郎はココずっと考えてきた作戦を伝えた。総一郎の得意分野は“考える事”であった
った為、明人達は他の誰よりも総一郎の考えを重視しているのだ。それは総一郎がこの中で一番の頭脳派ということでもあった。

 『――是非、将棋部の主将をやってくれないか!』

 高校に入ってからの総一郎は物足りなかった。それは、中学のような常に目標があり勉強しているからではないからだった。総一郎が清涼高等学校を志望した理由はその進学率の高さだった。名門であり、誰しも夢を見る東京大学にここ数年でどの学校よりも輩出しているこの学校はかなりの人気があり、それに向けて総一郎は勉強し続けた。けれど、いざ受かって学校生活を送ると、勉強、勉強の毎日が続いていたのだ。
 中学での総一郎はこれでなんの問題はなかった。勉強が大好きという総一郎にとってみてもこんなに勉強に夢中になれる高校はそう多くはないはずで、総一郎はそこだけは満足していた。
 ――けれど、そうじゃなかった。
 総一郎は気付いたのだ。勉強だけやっていて大学に行き、そしてそれから自分がどうなっていくのかを。勉強ばかりで他の事ができないような人間になってしまうのではないかと。総一郎は勉強する事により、高校に入りその意味を問いただすようになっていたのである。そして、そのきっかけを作ったのは担任が授業で出した作文の課題によってだ。
「キミ達はただ、大学に行って、良い会社に入り、良いお給料で食べていきたいと思っているだろうが、果たしてそれは本当に楽しい事か? 芸能界を見ればわかるが、良い大学に出ていない人たちがあんなにいるにも関わらず、裕福な暮らしをし、尚且つ、自分たちの生活を誰よりも楽しんでいる。そんな人たちと必死になって働いていく人たち。キミ達はどーゆー人間になりたいのか、というのが今回のテーマだ。期限は一週間。来週のこの時間に回収する」
 担任である佐藤の言葉は、総一郎を大いに悩ませる事になった。
 この課題を総一郎は考えていく事で今まで自分が生きてきた時間がどんなものかを考えてみることにしたのだ。小学校も殆ど友達と遊んだ記憶はなかった。中学校にしても塾通いで毎日勉強で忙しく、そして何よりもこの高校に入る為に本当に三年間を大いに、勉強に費やしてきたのだ。その数年間がどれほどのもので、以後の人生がそれでどうなるかを考えていく総一郎は大きな壁にぶつかったのだ。
「俺は……そんなつまらない人生を歩みたいわけじゃない……」
 総一郎は考えた。良い大学に出て、良い会社勤め、良い給料を定年まで貰い、その後は年金で暮らしていく。それでも、三十歳ぐらいで結婚し、子供も二人ぐらい作り、それから――……嫌だった。
 総一郎にとってそれが幸せなのかと自分に問いただすと嫌になった。どこに自分の人生の楽しみがあるというのだ。考えれば考えるほどそれは悪循環していき、勉強というのが嫌になっていった。
 気がつけば屋上にいた。屋上で初めて授業をサボる事をしてみた。屋上で一時間サボる事がどれほどのものかを確かめたかった。中学の時、数人の男子はこうやって屋上でサボっているのを知っていた。そして、その誰しもが楽しそうな顔で「一度はサボってみればわかるって」という事をいうのだ。けれど総一郎には理解できなかった。「今勉強せずにいつ勉強するのか。今勉強しなければ結局泣くのは自分なのに」と、そう思った。だけど今の総一郎にはどうでも良かった。他人の意見なんて聞いている余裕はなく、ただもうどうしようもない悪循環を断ち切りたくて、――屋上でサボる決心をした。
「……暖かい……まだ夏のような……そんな気分だな」
 屋上に出て太陽の光を体中に浴びてみる。そして、深呼吸する。屋上の金網の方まで歩き、金網を背にし、座る。そしてそのまま空を見上げる――なんとも自由で心地よい時間だった。
「あれ? 先客か?」
 他の生徒の声が聞こえ、視線を空から出入り口に移す。そしてそこには明人、京四郎、愛、亜由美の四人がやってきていた。亜由美は同じクラスだったので総一郎は一瞬「やばい」と感じた。
「あぁー、君って総一郎だよね? 私と同じクラスの。でも、以外ねぇー、あんたのような頭の良い人でもこんなところでサボるなんて」
 亜由美は総一郎に言う。総一郎は「しったことか」と文句を言うが、亜由美はそれを気にせず、明人達に軽く総一郎を紹介し、明人達は「一緒に遊ばない?」と唐突に誘う。総一郎は悩んだ。こんな場所で何をするというのだ。結局こいつらは馬鹿でしょうがないやつらなんだろうか。亜由美は足が速いことで学校で有名だが、あの事件以来は全くといって良いほど走っていないだろう。自分に存在した楽しみが奪われるとはどういう状況かは総一郎にはわからなかった。それでも、総一郎は悩むのをやめて、四人に付き合ってみることにした。
「まぁーキミ達に付き合うのも別に悪くないと、俺は思う」と言い、明人が取り出した携帯用の将棋をやってみることにした。
 初めての将棋だった。
 けれど、明人達の説明によって理解していく将棋はどこか奥深く、そして勉強を嫌いになり始めた総一郎をまるで再び奮い立たせるようなものになった。攻めと守りの攻防戦。持ち駒は決められ、それをどう活かしていくか。戦略は無限に存在し、そこに“絶対”は存在しなかった。あらゆる思考で考えても絶対に勝てる場合などなく、それでも戦略によって勝敗は分かれる。
将棋は考えるものだった。
けれど楽しかった。それが嬉しく、明人達と何度も将棋をさすようになり、いつしか将棋部の前にやってきた。
「――道場……あぁ、いや。部活破りだぁー! 三年の主将・清水先輩を倒しちゃったぞぉー!」
「くそぉ、だがお願いだ。是非、将棋部の主将をやってくれないか! 次の大会で――」
 総一郎は結局それきりだった。
 部活という中に入れば本当に勉強をしなくなるだろう。だから明人達と遊ぶ事だけにした。それでも、それだけでも、楽しかった。総一郎はやっと自分の生きる意味を見つける事ができたのだ。
「――俺は、生きる意味を見つけるために、人生の楽しみを見つけるために大学に行きます」
 それが総一郎の思いだった。それから総一郎は今までと変わらない、『勉強、勉強』の毎日に戻っていった。戻っていったがただ戻ったわけではない。明人達と遊ぶ事も覚え、休日は息抜きに五人でカラオケにも行ったりもしている。総一郎は思う。楽しい日々がずっと続けば良い、と。けれど決してそれは永遠ではなく、いつしか別れはやってくるのだ。
 そして、今。NRFバトルによって総一郎はその頭をフル回転させている。明人達との思いとは別に、自分に勉強する意義を教えてくれた大事な仲間を助け、そして明人達といるこの瞬間を大事にしよう、と。


                  ※


「絶対! 僕は! 守りが良い!」
 頭をグリグリされ「ぎゃー!」と何度も声をあげながらも彦一は我先に言った。彦一はこの四人の中で一番のNRFを手に入れたと自負していた。けれど、仁との模擬バトルは一回も勝てず、美咲と志保のあまりの巨大なNRFにすぐさま降参してしまったのだ。
 だから、やっぱり怖くなり、守りをしたかったのだ。
「あぁーまぁー良いけど。どっちかって言うと、俺がホームに居た方が良いと思ったんだがなぁー。俺の名付けて【心眼疎通】の【レーダー・サークル】なら俺を中心に半径五十メートル付近で近くの生物の心を読んだりできるんだけどなぁー。……まぁーいいか。じゃー頼むぞ、ひ〜こ〜い〜ち!」
 仁は力強く背中をはたく。それはほぼ本気で、彦一は再び叫び声を上げた。
「じゃぁーまぁー、そんな感じで。俺が美咲と志保に指示出して、美咲と志保で攻撃していく。彦一は守り。……でも本題はそこじゃない」
 仁は真剣な顔つきになる。これまで仁は、仁なりに色々と考えていた。そして仁はそれ言う。この戦いの博士の真意。そして本当にゲームなのか。あまりにも理解不能な事ばかりであるNRFをどれだけ信じて良いのか。自ら開花したNRFをどう使いこなすか。全ては明日行なわれるはずの戦いの為に。
「俺たちは確かめる必要がある。確信はなにもないけど、博士の真意。そしてココが現実なのかを」
 全ての謎を解き明かす為に。
「絶対、勝つぞぉ〜!」
 おぉーという声が重なる。高らかに掲げた腕は天高くどこまでものびるかのように、天を突き刺しているのだった。


                  ※


 二人の人質は目覚めた翌日。辺りは緊迫する。
「あぁー聞こえているかー」
 明人達にはあまり聞きなれていない声。それでも仁達には聞きなれた声――博士の声が辺りに響いたのだ。 
 いきなりNRFに迷い込んで、ちょうど六ヶ月。時が満ちたのだ。博士はマイクでしゃべっている。しかし、博士の姿はどこにもない。ただ声だけがその場所に響いている。
「これより、NRFバトルを開始してもらう。勝利条件云々は前に指示した通り。それでは、楽しんでくれたまえ」
 刹那。その掛け声と共に、地面が騒ぎ出してくる。景色が数百メートル先から真っ二つに割れていくのだ。そして、自分たちの目の前に今まで見ていた風景が壊れ始めていった。明人達から見れば自分たちが地面ごと下に動き始めていた。見えてくるのは遥か下の地層。そして、土で出来たと思われた地面にはまぎれもなく機械で作られた土台が存在している。そしてまるで巨大エレベーターを降りていくように、下層へと降りて行く。徐々にさっきまで見ていた景色と同じようで同じではないジャングルが見えてきたのだ。
 仁達から見れば上に動いていた。巨大エレベーターのように上へ上へと上っていき、そして見えてくるのは今まで見てきたジャングルとは似ているようでどこか違う場所だった。
 ――そう、二つのチームがどうやっても修行という期間で出会えなかった理由は上下の二つの施設によってそれぞれのチームは存在していたのだ。だから一度も遭遇すらしなかった。そして見事ドッキングした場所の天井には一台の巨大モニターが現れ、その男を映し出した。
 そう、それは紛れもなく、三嶋博士の姿だった。
「初めましてという方。そうでない方。どうでも良いが、俺は三嶋という男だ。この戦い、本気の殺し合いを行なってもらう。機関は一週間。それ以上勝敗がつかない場合は両者を殺す。そう、殺すのだ。これは俺の夢であり、そしてキミ達は俺の夢を実現させる為に戦ってもらいたい。互いの敵はホームの入り口をまっすぐ進んだ先に存在する。手っ取り早く勝負をつけるのも良いが、まぁー俺を楽しませてくれ」
 NRFに迷い込んだ全ての人たちはその言葉の真意を知りたかった。けれど、何もわからない。非現実過ぎるような毎日。ゲームに入っているはずの毎日。今までの六ヶ月間という時間はあまりにも長く、そして彼らを成長させた。
 二つのチームはそれぞれの思いを胸に戦う決意をした。
 片方は自由と愛を取り戻しもとの世界に戻れる日が来た、と。
 片方は博士の真意を確かめたい為の戦いが始まるのだ、と。
 二つの思いが交差しながらもついにNRFバトルが開始しされようとしているのだ。
 けれど、本当の目的は彼らの殺し合いではないことを、十人は知る由もなかった。しかし、時は満ち、やるしかない現実をやっぱり、やるしかないのだ。
 研究所に存在する謎の集団。そしてそれを知らずに戦いの幕は――

「NRFバトル、開始を宣言する!」

 ――切って落とされたのだった。







その6 「 如月亜由美 対 七月志保 」








 博士の発した開始の声と同時に亜由美は自らのNRFを発動させる。
「――細胞コントロール、俊足の脚・トップ・スピード!」
 如月亜由美のNRF、【細胞コントロール】。その名の通り、細胞を自由自在に操るNRFの事であり、今の亜由美は脚力を強化させた。元々存在する足の速さとは比にならないほどの俊足と化す【細胞コントロール、俊足の脚・トップスピード】は亜由美自身がこれまで考えて編み出した自らの技の一つである。その俊足は動物界のトップアスリート、チーターを凌ぐほどの速さと化す。それは亜由美自身がこれまで“陸上”を行っていた為に引き出された力でもある。
 そして、亜由美は独走していくのだった。
 明人と京四郎を置いて――。
「明人、京四郎……ごめん。でも、やっぱり納得いかないのは私も同じだから。それに、話し合いでどうにかしたいから……」
 亜由美は走り去る瞬間にそう呟く。
 亜由美が身勝手に飛び出していったのは、明人と京四郎ではその隠しきれない博士への怒りで、「敵を見たらすぐに攻撃してしまうのではないか?」という気持ちがどこかに存在した為、密かに総一郎とも相談し、総一郎も納得しての決断だった。
「どういうことだよ! なんで亜由美のやろぉー!」
「まぁ〜これは俺の作戦。早く亜由美を追え。明人、京四郎。まぁー、亜由美一人で片付け終わるかもれないがな」
「そっか……。じゃぁー京四郎、ぼくらも急ごう。亜由美一人に任せてはいられない……だって、そうだろう? 僕らの怒りはとうに限界を超えているのだから、ね」
 総一郎は感じていた。このNRFバトルの行く末を。だからこそ、話し合いという形を一番に考えられている亜由美を一番に向かわせるのは正解だと思った。明人は本当に怒りの限界に来ているし、京四郎だってどうなるかわからない。だから、亜由美によって平和的解決が出来ることを総一郎は願い、一人ホームに戻るのだった。

 俊足で駆け巡る亜由美はまるで風になる。そして、自らが風となった気分は最高に楽しく、気持ちが良く、心地よかった。風になることで“走しる楽しさ”を存分に感じ、そしてあの時、走る楽しさを思い出させてくれた明人達に感謝する。高校に入っての事件は本当に辛かった。辛くてどうしようもなくて、万引きして――そんな亜由美に明人達は思い出させてくれたのだ。走る楽しさを。そして今、亜由美は自らが風となり敵陣へと走っていく。どこかNRFを自らに与え、風となる喜びを教えてくれた博士という亜由美にとって謎の人物にも感謝しながら……。
 しかし、自ら生み出す風はどこか悲しみが混じっている。
 明人達には本当に感謝はしている。でも、博士には完全に感謝した事はなかった。むしろ、今まで楽しくやって来た仲間との日々を、一気に奪い去った博士という存在を亜由美は恨んだ。――だから矛盾だ。
 博士への思いは全てが矛盾する。亜由美はそれを、ここ数日大きく感じた。現実から逃げたかった当時の亜由美にとって見れば、この現実は楽しいものだ。修行に関しても、広々とした広大なジャングルを駆け巡る気持ち良さは半端じゃない。本当にこの世界を走り抜ける風となり、走る楽しさを肌で感じれている。
 ――今がどれほど、楽しいか。
 それ故に、自らのNRFを極限まで鍛え上げた一人でもある亜由美は、毎日のようにジャングルを駆け巡っている。
 そして、今もまた走り続けていた。
 どうせなら敵本拠地まで走りきろうと思った瞬間、二人の人影が見えてきた。二人は自分と同い年くらいで、明らかに総一郎が言った“敵なるもの”だった。亜由美は走しる速度を一気に落とし、キキキという、車の急ブレーキの音のようなものがあたりに響き、亜由美の周辺に土煙が立ち込める。
 立ち込めた煙が消え、徐々に二人の顔が見える。そして、そこにいたのは美咲と志保だが、当然亜由美には知らない存在だった。亜由美は両手を目の前に構え、まるで「かかってこい」というような体制になる。美咲と志保もそれと同じような構えを亜由美に向ける。緊張が辺りを包む。静寂しきったその空間はなんとも言えない感じで、この場に居合わせた亜由美、美咲、志保はそれぞれが「これが戦い」という気持ちを感じた。
 静寂の中で、美咲は誰かに呟く。「どうするの?」それは亜由美に決して聞こえる大きさではなかったが、静寂の空間では確実に亜由美の耳に届く。亜由美は隣の志保へ相談しているのだろうと、感じた。『話し合い』という事を頭に入れながらも、それをどう放し始めたら良いのか亜由美は考える。自分が突如敵に「話し合いでどうにかしない?」というような事を言われても、NRFには様々な能力があるが為に、それが相手NRFと感じ迂闊に信用はしないだろ。ならば、と亜由美は思い亜由美は頭に両手を添える。それは「私には攻撃する意思はない」という体表現でもあった。しかし、
「ちょっと! あいつなんか、NRFでも使う気満々じゃない!! そーゆーNRFがあるとか思わないのアンタは! もう良いわ、ここは志保が行くから」「えぇ〜なんでぇ〜」
 亜由美の行動を「攻撃する」と美咲は解釈したのだ。そして、また誰かに呟き、そして嫌がる隣の志保の背中を押す。志保は最初嫌がるが、「わかったよぉ〜」と涙ながらに呟き、亜由美をにらむ。
「砂制御・サンドボール! いっけぇぇ〜〜」
 志保は目を瞑り、その名を呼ぶ。それと同時に、志保の目の前には三つの砂の塊が浮遊する。大きさは野球ボールくらいで、三つとも今志保の足元に存在する土から出来たものだった。亜由美は頭に置いた手を元の戦闘態勢に戻す。
「待って! 私は――」
 刹那、ボールは志保の「飛んでけ〜」という掛け声とともに、亜由美に飛び掛っていった。亜由美は強化した足ですばやくかわし、砂の塊は地面に叩きつけ、その形を崩す。志保はすかさず、再び【砂制御・サンドボール】と叫び、三つの砂の形を作り出し、亜由美に放つ。亜由美は先ほど同じように避けるが、志保は更に飛ばしていく。亜由美は埒が明かないと感じ、砂の塊を放っている志保にいっきに詰め寄る。
「ごめん、少し――黙って!」
 亜由美は拳を振り上げ、いっきに振り下ろす。NRFで強化した足の速さで詰め寄られた志保は目の前に亜由美のパンチが迫るまで状況を理解できなかった。しかし、何かを思いそれをその場にしゃがんで避ける。亜由美は志保の消えた空間を思いっきり空殴り、勢いあまってそのまま前に倒れる。
「はぁ〜い、じゃぁーあとは“アンタ”と志保で頑張ってね。アタシは休憩してるから」
 そう言うと、美咲は一人大木の根に寝そべる。志保はそんな美咲を見て何も言わず、真剣な眼差しで亜由美を見る。亜由美はスグに体制を整え、先ほどの攻撃を思い出す。
 ――あの娘のNRFは多分土。土をボールのように飛ばしたりする能力だろう。……でもなら何故、今確実にヒットした攻撃が避けられたの? もしかしてNRFは一つ以上の力が存在しているとしたら……。けど、そんなこと……ッ!?――
 亜由美は考える。しかし、すぐさま考える事をやめなければならなくなった。それは、謎に満ちた志保の本当のNRFを目の当たりしたからだ。地面はグラグラと動き出し、数メートル先に存在する志保との中間ぐらいの場所が大きく隆起していく。ゴゴゴゴと音を立てながら、辺りの大地を巻き込み隆起していき、いつしかそれは巨大な何かに形成されいく。
「な、なんなの!?」
 亜由美はその姿に絶句する。目の前に現れたのは砂で出来た大きな人間の形だった。砂でできたその巨大な人は亜由美よりも数倍の大きさを誇り、そして何よりもその姿はどう見ても亜由美を向き、今にも「殺してやる」と言わんばかりの威圧感を亜由美に与える。
「私の〜、砂制御・サウザンドゴーレムぅ〜! 光臨、ニパ!」
 志保は目の前に手でピースを作る。それは亜由美に向けてなのだろう。それでも亜由美はそんなことはどうでも良かった。その【サウザンドゴーレム】と呼ばれた巨大な人から発せられる威圧感に耐えられなくなっていたのだ。

 ――だめ、……殺らなきゃ、殺らなきゃ……殺られる!!――

 亜由美は自らのNRFを再び発動させる。
亜由美に既に理性はなかった。狂ったように、頭の中では恐怖が渦を巻いてく。あまりに巨大な存在の威圧感によって亜由美は恐怖に支配されていたのだ。
「細胞コントロール、鋼鉄の腕・スティール・アーム!」
 とっさに亜由美は足の細胞強化を解除し、【鋼鉄の腕・スティール・アーム】を発動させる。それは腕を強化するNRF。如月亜由美のNRF【細胞コントロール】は身体を強化するにはある程度のルールのようなものが存在していた。それは元々ある細胞を100とすれば、アップできるのも元々存在する細胞数である100で、その百を体中に自由自在に振り分ける事で強化できるのだ。つまりは、アップさせなければ細胞層数100のままだが、アップさせれば細胞総数200にはなるというのだ。しかし全身をいっぺんに強化すれば、個々のアップはそれほど大きくはなく、アップする場所を限定すればそれだけ強い強化となり、強力なものになるのだ。そして現在の亜由美は両手を五十パーセントずつに振り分け、その両手の硬さは鉄並に変化をしていた。
「ん〜でわぁ〜いっきまぁ〜っす! 合掌(がっしょう)!」
 巨大な土の塊であるサウザンドゴーレムは志保の掛け声によって、グオオォという叫び声のようなものを上げ、両手を大きく左右に開き、両手だけが亜由美目掛けて一気に迫っていく。亜由美は左右から迫っていく大きな手の平に更に恐怖し、それは脳内でのこんらんを呼び起こす。この【合掌】という言葉からして、このまま両手をパンと合わせ、潰す攻撃だろう。ならば後ろへ、と亜由美はいっきに後方に逃げる。思いの通り、【合掌】は両手を合わし潰す攻撃だった。【サウザンドゴーレム】から繰り出された攻撃は、パンどころではなく太鼓をはたき破るようなそれぐらいの轟音が周囲に響いた。その音でまた亜由美は混乱し、ついにはパニックに陥っていた。
 強化した腕を再び足に戻し、攻撃を避ければいいものの、そんな考えすら浮かばず、志保による【合掌】の連続攻撃にただただ、後ろに逃げる事しかできなくなっていた。
 何故志保は【合掌】だけを、という考えを深く追求することすらできず、亜由美はいつしか志保の作戦のようなモノにはまっていた。

――お願い……、……お願い……助けて……!!――

 亜由美は感じる。背中に大きな柱のようにそびえる大木を。そして、逃げ場のない左右と後ろを大木に覆われている場所にたどり着いているのだと初めて知る。志保は数メートル先に存在するこの場所へ亜由美をおびき寄せたのだ。そして、目の前に立ちはだかる、砂で作り上げられた巨大な人、【サウザンドゴーレム】は静かに亜由美を見下ろす。目など存在しない。けれど亜由美にはそう感じた。そして亜由美は最後の言葉を聴く。
「それじゃぁ〜、ラァ〜スゥ〜トォ〜!」
 亜由美は思う。
 話し合いで解決する事を考えたのに、自分の非力なせいで結局は“戦い”によって決着がついてくのだ、と。
 自分はどうしてこんなに弱いのか、と。
「アトミックパンチ〜!」
 それは全てを破壊する攻撃。亜由美の思いも、何もかもを壊してしまうほどの力。志保は無敵ではない。こんな場所へ誘導する事など明らかに不可能。それでも、志保はそれをした。それは“彼”のおかげであり、そしてこれにより志保も傍観者となった美咲も、そして勝利に導いた“彼”も感じる。

 ――自分たちは最強だ、と。

 いつもの青い空が広がる。砂で埋もれた場所に亜由美は一人倒れている。
 安らかな表情で――。


                  ※


「それじゃぁー、行くとするか」
 仁は美咲と志保を連れ目的の場所を目指す事にし、NRF開始とともに三人は走り出す。その姿を彦一はただ見つめていた。怖かったからかもしれないが、あの三人なら必ず敵を倒し、真実を見つけ、再び訪れる平穏な生活に戻してくれると信じたからだ。何せ三人のNRFはあまりにも強大なものに成長し、彦一では到底太刀打ちできない存在になっていたのだ。
 彦一は願う。
 仲間が負けず、敵が全滅する事を。
 本当に願っていた。

 日向仁のNRF【心眼疎通(しんがんそつう)】は主に相手の心を読む能力だった。その中で仁が修行で編み出した【レーダー・サークル】は自分を円の中心と考え、半径50メートルまでに入り込んだ生物を知ることができるのだ。この能力は意識せずに使用可能で、ある程度近づいてくると、その生物の思考を読み取ったり、心を読んだりする事ができるのだ。
 走り始めて五分もしないで、“そいつ”はやって来る。物凄いスピードで入ってきた“そいつ”に仁は驚きながらも冷静に美咲と志保に伝える。
「作戦開始、戦闘開始、つーことで、よろしくぅ〜」
 ――それは開始前日の作戦だった。
 日向仁のNRFは仁自身が戦闘するよりも、これまた仁の【伝達】という、まるで電話のように仁が自らの発した言葉を遥か遠くにいる伝えたい人に自由に考えを伝えられる能力を使用しようとしたのだ。まず、相手の動きを仁が読み、そしてその攻撃の対処を伝え、それに美咲と志保が従うと言う感じに。
 だからこそ、仁は草木の生える場所に身を潜める。初めこそ美咲と志保の目の前に現れた“そいつ”である、亜由美を見たがそれ以降は一切見ることはなかった。それは仁の戦いが通用するのか確かめる為でもあり、個々の能力が本当に通用するものなのか確かめたかったからででもある。

「相手はどうやら話し合いで解決したいみたいだ」
 そう、仁は呟く。仁の【伝達】は自らが発した言葉を伝える為にしゃべる必要があった。だから相手に聞こえないようにしゃべる。亜由美の思いはこ「話し合いでどうにかしたい」だった。それをそのまま美咲と志保につたえたが、頭に両手を添えてどうみても「何かのNRFを使うのでは?」という事で仁は攻撃命令を下す。
「どっちでも良いから、殺さない程度に黙らせろ。それからホームに運び、気がついたら話を聞こう」
 多分無理だろうと感じた。
 案の定、亜由美は志保に何一つできないまま崩れる。
 初めの打撃こそ驚いたがその後の亜由美は、弱かった。それは仁にも伝わってきた“恐怖”のせいだったからかもしれない。それでも、勝利は勝利だった。
 七月志保のNRF【砂制御】別名、【サンド・コントロール】。志保は地面に存在する砂をありったけ自分の意志で操作する事ができる。しかし、砂はいつまでも形を保持するわけではなく、時間が経過すればするほど操作できる量は減っていく。砂は志保の頭の中で描いた通りの形を形成する。最初の【サンドボール】は足元にある土を野球ボールぐらいの形に形成しそれを相手に放つ攻撃で、距離が遠くなればなるほど、威力・命中力は低下する。素早い連続攻撃可能だが、一度に三つ飛ばすのが限度。そして、砂で作り出した巨人【サウザンドゴーレム】は自分の目の前に存在する土をありったけ使用し、巨大な人間に形成する能力で、【サウザンドゴーレム】自身に意志はなく、志保の思う通りの動きを繰り返す。同じ攻撃ばかりを行なう理由としては、志保はあまり考えるのは得意な方ではなく、攻撃もまた単調になるタメである。
 そんな志保のNRFは確実に亜由美を撃沈させた。仁の的確なサポートと、志保の圧倒的な強さによる勝利に、美咲もまた喜ぶ。

 『――どういうことだ』

 NRFバトル開始時。仁は思った。そして四人全ての思いと合致していた。それは、自分たちの地面が動き、分厚い機械で出来た床そこをみた時だった。移動していく今まで存在した場所を見て、博士への思いは確実なものへと変わったのだ。
「これは、ゲームじゃない。現実だったんだ! 博士は本当に俺たちにNRFという力を授けた……けれど、こんな力なんてあってどうしろっていうんだ! しかも、殺し合いまでさせようとしている。俺たちが信じた博士はそんなことを本当に望むっていうのか!?」
 仁は嘆き、思う。美咲と志保、そして彦一までも愕然とする。これがゲームなら全てどうでも良かった。終わってから元の日常に戻って楽しかった思い出話にもなれば良い。しかし、これが現実だとし、本当に人殺しをさせるというのなら話は別だった。人質は本物の人間。そして、その人間を殺す事は法律関係なく、仁達自身もやりたくない行為であった。見ず知らずの赤の他人をなんの恨みも憎しみもなしで殺すというのがどういうものなのか。それは考えただけでも嗚咽がするものだった。だから仁達は決めた。自らの力がどれだけ敵に通用するものなのか、そして絶対に敵を殺すことなく倒し、人質となった彩音を救い出す、と。
 そして、その力でこの場所をぶっ壊し、博士に真意を聞いてやろう、と。

 仁と美咲と志保は絶対に殺さず戦う事を決意する。だから亜由美も気絶させる程度にした。
「…………博士、あなたは、一体何を…………」
 真意を確かめるために。
絶対に負けることなく、殺すことなく、勝つ事を誓ったのだった。


                  ※


 叫び声。それは亜由美には聞きなれた声。しかし、亜由美は気絶し眠ったままだった。
「くそったれぇ〜!」
 如月亜由美、敗北。
 東城美咲、七月志保の目の前に――
                 ――上辺京四郎が参上する。
   

 

その7 「 残された二人 と 謎の敵襲来 」




 NRFバトルにおいて、一人だけ部屋に残るというルールがある。
 部屋に残った総一郎はただ考え込む。全ての謎が謎のまま終わるのは難儀だった。だからって事もあってか、これまでの事をいつも以上に考え込む。せめて、明人達が戦っている間だけでも、全てを把握できれば、と思ったからでもある。
 突如と訪れた非現実的な日常。その非現実的な日常は六ヶ月を経過し、今まさに“敵なるもの”との攻防戦が始まっている。もしかすれば、もう既に敵なるものを倒しているかもしれないし、逆に誰か負けているかもしれない。それはホームで待っている総一郎にはまったくといって良いほどわからない。何故なら、総一郎はただホームで待っているだけしかできない。守りについた瞬間からこのホームは絶対に自分が守り抜こうと決意した。だからこそ、自分のNRFを最大限まで引き出しておいた。万が一、明人達たちがやられる事になっても、その時は自分がまだ見ぬ敵をなぎ払えるように。
 しかし、信じるべきは友。
 必ず明人達は勝利という二文字を総一郎に伝えてくるのだ、と信じている。明人の力は細胞を操る亜由美や、自らの怒りのゲージで強くなる京四郎では到底、太刀打ちできないほどの力となり、このチームでは最強の力となっている。しかし、明人自身には戦う気は毛頭なく、ただ博士への怒りをどうにかしたく、それがNRFバトルという形で解消されていくのだ。本人は「博士だけを殴り飛ばしたい」というような事を言っているが……。とにかく、どんな能力が来ても必ず勝てる力だ、と総一郎は思っていた。
 そして、万が一に備え待機している総一郎が戦う事になれば、明人以上の力で押し倒さなければならない。絶対に負ける事は許されない――それこそ命を懸けて、だ。
 ――けれどそれはどういう事になるのだろうか。
 このNRFに引き分けが存在するとすれば話は簡単だ。引き分け、つまりドローとみなし、もう一度ホームに戻り戦いを改めて行なう。それこそ、今度は相手のNRFを研究し、より効率の良い戦術で攻めていくだろう。けれど、そんな事が本当にできるのだろうか。そんなことをしていれば、いつまで経ってもケリなどつくはずはない。それこそ、泥仕合のような感じになったり、両チームのホーム以外が死んだり、下手をすれば仲間意識が出てくるかもしれない。そんな事が起こればNRFバトルなどどうでも良くなり、『期間は一週間』という時間はスグに過ぎてしまうだろう。しかし、期間中に勝利をモノにできなければ『両者を殺す』とも言っている。博士は一体何を考えてこのNRFバトルを開催したのか。
 何よりも、『人質を守る為に最低一人はホームに固定』というルールは必要なのか。人質を守るよりも、四人同時バトルを行い、いっきに決着をつけるほうが楽ではないか。自分はただここに残り、人質を助けに来る仲間を倒すのみ。けれど、そこで自分が勝てば勝敗はドローになる。しかし、もしそこで自分が全てを殺せば、確実にこちらの有利になる。
「なら、もし戦う三人が死んだら……」
 考える。総一郎はなおも考え続ける。もし、自分と同じ守りと人質以外が死んでしまえばこの戦いはどうなってしまうのだろうか。勝敗つかず両チームとも殺される……いや、そんな事が現実で許されるはずがない。それに地面が動き、敵が現れたためにここは明らかに現実である。それこそ、バーチャルなゲーム世界なら魔法のように移動するだろう。勝敗つかずで、両チームを殺したとして博士に特などあるのか。家族が失踪届けを出し、博士が実験で殺したとわかれば、死刑は確実だろう。そんなことをすれば実験の意味も何もなくなる。だが、勝敗がつかずドローになればそれはそれで博士には面白くない。
 しかし、手っ取り早く自分が負けて勝敗がつけばそれで事は終了する。まぁ、それは自分がまけるなんて考えはしないが。そして、手っ取り早くといえば、人質を差し出す事。けれど、負ければ博士が殺しに来るかもしれない……だが、そんな事が本当に可能なわけがない。誰かの命を自由に奪う権利が他人にあるはずない。日本という国での殺人はもっとも重い罪である。しかし、その罪を博士は自ら被るとでも言うのか。なんの利益だってないであろう、この狂った争いに。
「……ばかげている、と俺は思う」
 総一郎は天井を見やる。部屋は限りなく、平和だった。考え疲れ途方に暮れながらも、総一郎は様々な事を考える。頭の中に浮かぶ単語「ドロー」「六ヶ月」「NRF」「殺し合い」「権利」「力」というこれまでに手紙や博士の言動を口に出す。しかし、それが全て一つの線に結ばれる事はなく、時間だけが刻々と刻まれていく。

「――NRF研究委員長……!?」

 答えは唐突に思いつく。
「――違う。そうじゃない」
 総一郎は一人になったホームで今まで考えなかった全ての事を考え始める。NRFバトルが始まり、そして一人ただ残され、そこで落ち着いて考える事で、今まで導く事の出来なかった疑問が一本の道を作り、その道が答えというゴールまでのびていった。
「守りは別に必要じゃなかったとすれば……」
 心臓が高鳴っていく。
 怖い。
 明らかに、この答えは当たっているかもしれないと思った。
「…………それなら人質が六ヶ月間も眠り続けるのか…………」
 緊迫する。
「…………実験……NRF……人質……、六ヶ月…………」
 ドクドクと波打つ心臓を抑えることはできそうにない。総一郎は底知れぬ恐怖に襲われる。そして、その恐怖を打ち払いたく椅子から勢い良く立ち上がり、薄暗い地下へと急いで行く。「確かめる必要がある」そう声を漏らしながら、高鳴る鼓動を必死に抑えながら、転ばないように、ゆっくりとそれでいて、急ぎ足で降りていき、氷漬けされた扉の前に立つ。自分から明人に頼んでおいた作戦の一つ。何があっても開ける事が簡単にできなくする為の作戦。明人のNRFによる、扉の完璧なまでの氷漬け。けれど、それを壊し確かめる必要が総一郎にはあった。だから総一郎はポケットから木で作られた五角形をした、どこにでもありそうな将棋の駒を取り出す。
「猛進せよ。リアル将棋・香車!」
 握り締めた一つの将棋の駒を天にかざす。薄暗い地下階段の中で一筋の光が現れ、その光は扉を一直線に示す。そして、天にかざした将棋の駒である【香車】を総一郎は勢い良く地面に叩きつける。パチンという音がするとともに、そこには自分よりも一回り大きな駒へと変化し、そしてそれは氷漬けされた扉へと突き進む。
 刹那。辺りには物凄い音が鳴り響く。勢い良くぶつかって行った香車は粉々に崩れ、多少の煙を周囲に撒き散らす。数秒もせずに煙はどこかに消え、見えたのは氷漬けされたはずの見るも無残な姿になった扉だった。壊れた扉には白い部屋で覆われた部屋が見えている。そして総一郎はその中へと足を運ぶ。
 総一郎のNRF、【リアル将棋】。元々は持ち駒である歩兵・香車・桂馬・銀将・金将・飛車・角行を決められたフィールドで動かしながら互いの王を取りあう、室内遊戯の一つである、将棋。総一郎はその将棋をNRFという形で操る事になった。自らを王将に見立て、自らが持つ駒で自らを守る。駒の数は歩兵以外全て一つだけとなり、それぞれがあらゆる役割を果たすようになっている。そして、今使った【香車】には、【直線状に存在する物体を破壊する】というNRFになっており、その効果によって扉を壊したのだ。壊れた駒は一日で復元される為、一度に使える限度は限られている。そして、現在ホームの前には四枚の【歩兵】を張っている。【歩兵】には【近づく敵を排除する】という能力があり、将棋の駒から具現化される銀の鎧をかぶり刀と盾を持った兵士が現れる。一定以上のダメージを受ければ消えるのだが、消えればそれは遥か遠くにいる総一郎に消えた事が伝わるようにもなっている。
 総一郎は確信する。
「――誰!?」
 総一郎は中に入る。中には、いきなりの事で驚いた彩音がスモーレットを構えさせる。ゆっくりと、総一郎は彩音に近づいていく。「来ないで」と彩音に言われながらも、その横であまりにも不自然な小さな存在に目をやると、先ほどから総一郎が独自に考えていた事が当たっている事に気付く。「…………これが君のNRF…………」と声を漏らし、彩音を見る。そこに立っているのは、自分達と何一つ変わらぬ女の子。それこそ、歳だって同じくらいだろう。そんな彩音が実験台となった。一番の危険である“人質”という、実験体に。
 総一郎は彩音に全てを告げようと決める。
「これ以上近づかないから、話を聞いてくれ。俺の名前は笹倉総一郎。その隣にいるのは君のNRFだろうと俺は思う。君は六ヶ月近く眠っていた。それこそ、博士の手によって。ありえないだろう、普通は。けれど、君は六ヶ月近く眠り続けていた。それは君が」「実験体だから、でしょ……?」
 彩音の言葉に驚く総一郎。
「それに、ここにいるのは私のNRF」「やはり」「……というより、笹倉君は何が言いたいの?」「俺は考えた」「何を?」「博士が何故こんな事をしたのか」「それで?」「そして、答えを導いた」「答え?」
 彩音と総一郎は互いを見やる。そして、総一郎はその全てを敵であるはずの彩音に告げる決意をする。
「!?」
 刹那、総一郎は恐怖する。これまで感じた事ない禍々しいオーラのようなものを背筋に感じた。それは明らかに自分のすぐ後ろに立っている。振り向けない。彩音は気付いていないように、自分の言葉の続きを待っていた。だから、総一郎は叫んだ。
「逃げろーーーーーーー!!」
 それが最後だった。
 明人達に申し訳ないと思った。
 これが彩音の仲間なはずはない。
 こんな禍々しいオーラを出す人間がこの中に最初からいるはずなんてない。
 そうだ、やはりすべては――。
 総一郎はその場に倒れこむ。「弱い」と一言男は言った。総一郎が倒れめがねがあたりに転げ落ちる。総一郎が視界から消え、彩音の視界に男が映る。禍々しいオーラを放つ男は、彩音の知っている人物ではなかった。ならば、総一郎の仲間かと考えるが、それなら総一郎を倒したりはしないだろう。とっさに総一郎が言いたい事がわかったような感じになり、それこそ恐怖が支配していく。これから自分がどうなるのか考えたくはない。下手をすれば殺されるかもしれない。ここにルールや、総一郎達と戦う意味は全くなかったのだ。ただこれは“実験”にすぎないのだ。
 男は手に針のような物を持ち、それを総一郎の首筋に刺す。
 その動作は速かった。
 慣れた手つきで男は針を総一郎に仕込む。
 彩音はガタガタと振るえただ、それを見ていることしかできなかった。スモーレットはそんな彩音の気持ちを察してか、男に向かって走っていく。しかし、男は小さな彩音の分身をいとも容易くなぎ払う「鬱陶しい」と一言漏らし、彩音に「邪魔するな」とにらみつけ、――総一郎が立ち上がる。
「次はお前だ」
 
 ――お願い! みんな、早く気がついて!!――

 彩音は倒れる。男は総一郎と同じように針を首筋に刺す。そして笑う。笑い続ける。博士の望むべきものはすぐそばまでやってきている。
 全ては作戦通り。
 そして、それはあらかじめ決められた事。
 全ては上手く行っているのだ。
 ただ、“あの人”が消えたこと以外は――。


                  ※


 敵なるものである、人質の確認する為に地下にやってきていた彦一は愛に遭遇する。彦一は愛を見て驚く。
「やっべぇ〜、やばいよぉ〜……。起きてるよぉ〜……、どーしよー……」
 弱々しく彦一は呟いた。
「あのぉ、僕は……柏彦一っていうんだぁ……よ、よろしく〜……?」

『――そのまま、いけぇ〜!』

 彦一が残る理由はやはり、自分の恐怖からだ。
 今までだってそうだったが、結局のところ“皆と遊ぶ”というよりは“皆に遊ばれる”方だった。仁達にとってみても彦一はおもちゃのような存在で、何かにつけて彦一をいじくっていた。顔をつねったり、ビンタしたり、ボールあてたり……。色々な事を彦一にやってきていたが、それでも仁達と彦一は一緒にいた。ただ、これは列記とした一種の愛情表現であり、いじめではない、と昔「仁達が彦一にいじめしてます」とクラスの誰かが担任に忠告し、放課後残された時に、そう言ったことがあった。それこそ、担任は「本当なのか? 本当にお前はいじめられてそれが愛情表現だと感じているのか?」とまるで「変態だなお前」というかのように彦一は見られていた。
 それでも、彦一は本心で仁達と出会えてよかったと思っている。

 仁に出会うきっかけは、中学一年の体育祭だった。その体育祭は七月に行なわれる学校行事で、別名『球技大会』と呼ばれる。二日間にして行なわれるこの体育祭ではバレー・バスケット・ソフトボール・キックベース・ソフトテニス・卓球・サッカーに別れ、クラス対抗で行なうものだった。仁と彦一は同じクラスだったが、それまであまり話したことはなかった。しかし、人数の関係上彦一は仁と共にバスケットに出る事になった。バスケットといっても、三対三のスリーオンスリーというルールで、一クラス三人で一チームつくり、リーグ戦を行うというもの。学年対抗である故に、一学年六クラスを二つのリーグに分けたリーグ戦となっており、各リーグの勝利クラスが決勝戦に望めるのだ。
 仁、彦一に加え、仁と仲が特に良かった羽幌(はぼろ)というクラスメイト共にバスケットを行う事になった。しかし、彦一は出場する人数あわせのようなもので、運動神経が抜群に良い二人が相手に一得点も与えずに決勝まで上り詰めたのである。
「ちくしょー、速攻だぁ!」
「バカ、パスしろ、羽幌!」
「うるせぇー! ココは俺様のドリブルなんだよ! うりゃりゃりゃりゃー!」
「バカ、パスしろって……あぁ、言わんこっちゃねぇー」
「わりぃ、わりぃ」
「って、せっかくの決勝まで来て負けてたまるかよ!」
 最強のコンビとして、二人はバスケットに集中している。ただ彦一は何の活躍もない。ただ二人だけで走り続けた結果、バスケ部が三人もいるA組みに彼らは20対19という点差まで追い込んでいたのだ。もちろん他のクラスにもバスケ部はいたのだが、あまりにもきつい部活なために七月までにやめる人は急上昇しているのだ。しかし、そんな事よりも仁と羽幌の息の合ったプレーは最高だった。ただ、それは決勝では通用せず、一点差で現在負けている状況。そして、もうすぐ笛がなるところで、羽幌の無謀なドリブルを上手くカットされ、相手のボールとなり、相手は彦一ただひとりとなったゴールへ突き進んでいくのだった。
 彦一はただ『ゴールで適当に守るだけ』という役割だったがその役割を一切果たせずにいる。しかし、やってくる重大なところで彦一は目覚めるのだ。
 無我夢中で自らの最速スピードで走り出した相手プレイヤーは一切振り返ることもなく、ただ一心にゴールを見つめ、走り続けていく。
「彦一ぃー! ボールをぉ! 頼むから、奪ってくれぇー!」
 一瞬何を言われたのかわからなかった。
 仁が初めて彦一の名前を呼んだのだ。
 それが彦一には嬉しかった。これまで試合の中で二人だけで活躍し、結局彦一を起用することなく勝利していったものの、最後の最後で彦一を必要とし、彦一もまた必要とされたのだ。彦一はここで活躍しなければ結局、自分はクラスののけ者になってしまうのではという恐怖があった。しかし、それ以上に今、自分は必要とされている事に嬉しくなったのだ。
 彦一は両手を大きく広げ、相手の壁となった。突如と現れた壁に相手は一瞬動きを止める。しかし、ドリブルは続行。仲間は後ろから走ってきているが、そこには敵である仁と羽幌も存在する。それになにより、今まで活躍を一切しなかった彦一など雑魚でしかないと思った。右か左かと目玉だけを動かし、決める。そして彦一は低い体制で大きく手を伸ばし、相手の目を見る。そして、黒目は右を向いたままで止まり、いっきに彦一をぬきさろうとする。右手のドリブルで自分の左を抜けていく相手を彦一は左足を軸にし、90度左に回転しようとする。突如消える壁にいっきに攻め込もうとする相手は二、三度ドリブルをする。
 刹那、パーンという音共に、ボールが相手の手から消える。そして相手は何が起こったのかわからないまま、彦一を見やる。そして、その手にはボールが持たれていたのだ。
 つまり、彦一は回転する事によって一瞬にして、相手の背後にまわり、無我夢中で伸ばした手が相手のドリブルしているボールに触れ、それを一気に奪い去ったのだ。それこそ、必死に。
 相手は混乱する中、彦一は真剣な眼差しで相手のゴールを見据える。
「彦一、パスだぁー!」
 辺りの声は今の彦一には聞こえてなどいない。
 ――今やらなきゃ、誰がやるんだ。――
 彦一はまるで自分が主人公にでもなったかのように、心を落ち着かせる。彦一はゆっくりと足を屈伸させ、腕を胸に抱え、曲げた足一気に伸ばし、地上から足を離す。ゆっくりと浮上する体。曲げた腕をゆっくりと伸ばし、そして相手のゴールへとまっすぐに伸ばす。まっすぐに延びた腕から放たれた一つのボールは、ゆっくり弧を描き、彦一の定めた場所に突き進んでいく。審判は時計を見ながら、笛を加えている。彦一の放ったボールを仁と羽幌、そしてそこにいるすべての人が目をやる。「外れろ」「入れ」と声が行き交うが全くボールには影響される事はない。ただボールは放った彦一の望むべき場所へとピンポイントで進んでいく。
 時が止まったような瞬間。
 誰かが残り時間をカウントしていく。
 ボールはゴールにたどり着く。「……5」ゴールに存在する板の黒い部分にバンと音を立てながらバウンドする。「……4」しかし、そのバウンドは小さかった。「……3」紅く塗られたゴールはバウンドしたボールを自分の中へとボールを吸い込んでいく。「……2」吸い込まれたボールは白い網目模様のゴールを重力によって下へ、下へと引き寄せられる「……1」下へ突き進んだボールは地面に弾む。
「ぜぇーろぉー!」
 その場は一瞬の静寂が支配する。
 ピーという笛の音がすべてに終止符をつける。
 そして、審判は仁と羽幌、そして彦一の逆転勝利を告げるのだ。
「うぉぉ〜〜〜〜!!」
 まるで野獣のような叫び声が辺りに響く。仁達は彦一にかけよる。そして決勝点を決めてしまった彦一の頭をクシャクシャにする「やったじゃねーか!」そう言うと彦一の周りにその場にいたクラス全員が集まり、胴上げをする。この瞬間、すべての種目は終了し、前代未聞の全種目一位を獲得したのだった。

「どういうつもりよ〜! アンタぁー! 京ちゃんじゃ、ないじゃなぁーい!」
 愛は叫ぶ。京四郎の助けを求め続けていたのにも関わらず、やって来たのは長身で、ひ弱な外見をした見ず知らずの彦一だった。愛は自らのNRFを知らない。それよりも、NRFに目覚めた事すらわかってはいなかった。どうしようもない状況で愛は困惑するが、彦一は落ち着きながら、それでも焦りながら愛に言う。
「いつ……起きたの……?」
 震える声。それでもしっかりしようとする意志が少なからず含まれ、愛にはその恐怖心を感じさせる事はなかった。そして彦一は「自分は何も持っていない、キミを襲いにきたわけじゃない」というように両手を挙げる。しかし、その行為に愛は「アイドルのキミに会えてすごい嬉しい。サインして……でも、それよりも万歳しよう」という独自の解釈ですんなりと彦一を受け入れる。
「――つまり、愛ちゃん達は修学旅行のバスの中でさらわれたの?」
「そう。もぉー最悪よぉー、京ちゃんとのラブラブ旅行台無し。全く三嶋って博士最悪だと思わない? 思うよね? ありがとー」
 何も言っていない。けれど彦一は頷いていおく。あれから彦一は妙に愛となじんでいた。それは彦一が「人質なんだし寂しい……よね……? 僕も……仲間と離れちゃって寂しいから……何か話さない?」という提案からだった。たった四、五分という短い時間の中で彦一は彼女たちが拉致されていた事を知る。そして、それを知るなり、彦一は何かを決意する。
「ご……ごめん……愛ちゃん。僕……ちょっと仁……ていうか、仲間に伝えなきゃいけない……。博士のことを」
 彦一は立ち上がる。愛は「そうなのぉ?」と言いながらも突如現れた“異変”に気付く。それはあまりにも不自然すぎる丸だった。地面に、黒くて丸い、穴のようなものができていたのだ。そしてその穴から人間が二人飛び出してくる。
「それは、できねぇー相談だなぁ。だぁー!」
 一人は勢い良く出てきて「だぁー!」と叫び声を何度もあげながらありえない場所から来場する。男の頭はスキンヘッドで、額からは湯気なるものを出しでている。そして、もう片方は黒いマント自らを覆った怪しい男の二人組みだった。
「「誰(よ)!?」」「ファン!?」「いや、違うでしょ……」
 愛と彦一の声が重なる。そして、突如現れた二人組みは笑う。一人は大きく勢い良く、大いに笑い、もう一人は静かに笑う。そして言い放つ。
「お前らの身柄を、拘束する、の、だぁー!」
 その瞬間彦一は右手をまるで拳銃のように人差し指と中指を二人に向ける。
「愛ちゃん、下がって……! 指銃砲(しじゅうほう)、パーン!」
 柏彦一のNRF、【指銃砲】は指先を相手に向け、パーンという声を言う事で空気で出来上がった弾丸を飛ばす事ができるNRF。弾は空気でできているが、彦一の思いが強ければ強いほどそれは大砲のような大きさまで変化する事ができる。空気の銃弾ではあるがその痛みは、本当の銃弾を浴びたぐらいはある。
 発射された空気の弾は狙いを定め、スキンヘッドの男に命中する。しかし、なんの痛みもなかったかのように、スキンヘッドの男は平然としていた。
「……そ、そんな、指銃砲が命中したのに、効いてないなんて!?」
「わりぃーなぁ。今のがお前のNRFかぁ? めちゃくちゃ、よえぇ〜、ぞぉー!」
 スキンヘッドの男は「ぞぉー!」という掛け声で彦一に攻め寄る。そして、彦一の胸元に拳を叩きつける。しかし、その拳はただの拳ではなかった。燃えるように熱く、石の様に硬い拳は彦一の意識をいっきに消してしまった。その拳をもろに喰らった彦一はその場で崩れ落ちる。倒れた彦一を黒で覆われた男投げ渡し、そして自分たちがやってきた空間へと投げ込む。
 愛は恐怖する。これ以上ないだろうという恐怖が愛を包む。

 ――私はどうしたら良いのよ……助けて、お願い……助けて、助けてよ、京ちゃん!――

 声にならない叫び声。心の中で呟く自分だけのヒーローの名前。けれどそれは報われる事なく愛もまた二人の餌食となる。


                  ※


 NRFバトル。開始数分にて、笹倉総一郎、大草愛、柏彦一、浅羽彩音。
 四名脱落。
 謎の三人は姿を消す。
 尚、バトルは続行される――。





その8 「 終戦 」




 現実はやはり、酷く嫌なものを見せるものだ。
 これは夢だろうか。
 夢であるのなら、今となっては幸せな六ヶ月前の日々に戻って欲しかった。
「あ、亜由美……ま、マジか……よ……」
 誰も答えてはくれない。男、上辺京四郎は叫んだ。それは紛れもなく怒りによるものだ。突如、意味不明な場所に連れてこられた怒り、自分たちが謎のNRFという力に目覚めた怒り、殺し合いをさせられる怒り、愛を奪われた怒り、そして仲間を傷つけられた……怒りだ。京四郎の叫び声で亜由美の周りにいる二人、美咲と志保は京四郎に気がつく。仁は初の勝利に喜び、京四郎の存在に気がついていなかった。しかし、仁は先ほどから隠れている場所で二人に【伝達】する。
「敵だ……つか、気がついてるのよな? あんな馬鹿みたいに大声出せば……。まぁーなんにせよ、次は美咲。お前の本領発揮だ。殺すなよ、絶対に。全員気絶程度。そして、俺たちは博士の元に行く。それだけだ」
 了解、と美咲は呟く。志保に「じゃーあんたはここで座ってて」というと、志保はその場にちょこんと座る。そこは亜由美の倒れているすぐソバだった。それが更に京四郎の怒りを上げていった。何してやがる、と思った。亜由美は本当にやられている。もしかすれば死んでいるかもしれない。早く、ホームへ連れて帰らなければならない。亜由美は言った。「話し合いによる平和な解決が優先」と。その亜由美が倒れているのだ。ためらう必要がどこにある。明人にですら本気で戦った時はない。本気で戦ったとき、相手がどうなるのか自分でもわからないからだ。禍々しいNRFを手に入れてしまった故に、本気で実戦の練習なんてしなかった。けれど、もう、我慢なんてするものか。やる時がきたのだ。
 ――男になる時が、やってきたのだ。
「うぉぉぉー! くそったぁぁれぇぇーー!」
 美咲はただ、何かを叫ぶ京四郎を見ている。NRFを発動させようともしない。けれど、それは余裕なんかじゃない。仲間を傷つけられて京四郎が怒りに満ちている事を、仁から【伝達】によって聞き、それに少なからず同情しているのだ。
「はぁぁぁー! 怒燃拳!」
 上辺京四郎、NRF【怒燃拳(どぜんけん)】。字の如く、怒りに燃える拳である。これは自らの怒りを青と黒のまるで闇の炎のような姿に現し、それを両手に纏うNRF。そして、【怒燃拳】の中には【怒燃拳・熱】というものがある。これは怒りが大きければ大きいほど炎の威力は強くなり、高温となる。そして、その炎を纏い攻撃する事で京四郎の拳の威力に加え「燃える」という効果が付加されるのだ。しかし、【怒燃拳】の力はそれだけではなかった。二つ目の【怒燃拳・怒】はただの炎とは違い、京四郎の怒りで作られた炎は浴びた者は、自らの心に住まう闇が膨れだす。それこそ、今まで抑えられていた理性が消え、自分の中にある闇に縛られ、まるで悪夢を見続けるように、すべての事に恐怖していく。そして、自らの闇に飲み込まれるのだ。しかし、京四郎はその段階を試した事はなかった。もし、明人達の練習で使い本当に明人達が自らの闇に飲み込まれればそれこそNGだ。だからその力は、自らで感じていながらも絶対に使わなかった。
 でも、それも今限り。今まで鍵をかけていた部分を解き放つ時がやってきたのだ。愛を助けるべく、すべてを開放する。今ここでこの二人を倒さなければ、愛を取り戻す事など不可能。
 やるしかないのだ。
「怒!!」
 唸り声とでもいうのか、言葉で現せない声を発する。京四郎の思考は既にオーバーヒートしていく。怒りに満ち、手に青と黒で作られた闇の炎を纏い、全てのものを闇で喰らいつくすかの如く、京四郎は両腕を天に掲げる。その炎でこのふざけたような運命を作り出した神を……いや、三嶋博士を燃やそうとでも言っているかのように。しかし、京四郎は見る。すべての怒りの元凶であるはずの博士、ではなく一人の女を。東城美咲という自分と同じくらいの女にそのすべての怒りを今ここで、ぶつけてやろうではないだろうか。もうためらう事などしない。全ては思うがまま、に。
 ――本能の行くままに。
 京四郎の怒りに満ちた思考は、意外なとこで効果を発揮していた。それは仁だった。心を読み、相手の行動を事前に察知し攻撃を避ける作戦を可能とした仁に意外な事が起こっていたのだ。
「悪い……美咲、ヤツの思考は……読めない」
 怒りに満ちた京四郎に理性など存在しない。思うがままに、“敵なるもの”を攻撃するのみ。それはつまり、自ら考えて攻撃するのではなく、自らの意志とは違う本能という、頭で考えて行動するものではない、何かで動くのだ。つまりは心が読めないようになっていたのである。美咲は「どうでも良い」と一言言う。同情はする。仲間を傷つけたのは確かに悪かった。けれど、自分たちは自分たちの進むべき未来があるのだ。そのために絶対に負けられなかった。
「いくよ……レーベル……」
 美咲は静に大地に手を当てる。
 大地には多分博士によって作られた草木が茂っている。
 美咲はその草木の鼓動を感じる。
 そして、自らのNRFを――
              ――発動させる。

『――名前は〜レーベル。それが美咲ちゃんだけの花だよ♪』

 花が好きなのは、自分の家が花屋という事と、自分の名前が花からきているからである、と美咲は思う。美咲は小さい頃から花屋を経営する親と一緒にいた。そのために、花と毎日過ごす事となり、美咲の周りでは必ず花が一緒にいて、いつのまにか美咲も花が大好きな人間となっていた。花を育てていくうちに、美咲はどんどん花に愛着を沸かしてく。とくに好きなのは自分の六月二十日の誕生花である“ちがや”と呼ばれる花で、見た目こそススキのようなものだが、花言葉に“守護神”とつき、なんとも自分が守られているような気がして嬉しくなるのだ。そして、ちがやの“ち”は千のことを表し。茎が密生し、1株1000本も伸びるといわれている。花穂には甘みがあり、これを味わうのは近年ではあまり見ないが、昔の子供にとっての楽しみだったそうだ。美咲にとって、“ちがや”が自分の誕生花で本当に嬉しく思った。そして、六月二十日の人は遊び心があり、日常生活の中に楽しみを発見していく人とも言われ、その生き生きした暮らしぶりに憧れて色んな人が集まるとも言われている。グループの中心で活躍するタイプで、美咲はとくにそうだなと感じていた。
 花屋経営、東城家、長女美咲。
 その名前はやはり大好きな花からやってきていた。

『――お前は、美しく咲く花達のように、元気で明るく、そしてみんなに夢や希望を与えられる、そんな人になってほしい。そう思って、パパとママは美咲と名付けることにした』

 ずっと前に親から言われた事。学校の課題で『自分の名前をどうつけたか?』という事で聞いたらそう答えた。でも、美咲はそれがまた嬉しかった。自分の大好きでしょうがない花にちなんで名付けてくれた親に感謝する。そして、この話を聞いて余計に花を好きになれた。
 ――そんな美咲が中学で志保と出会い、仁達と出会うのは運命だった気さえする。
 初めて友達になったのは、志保だった。同じクラスではあったが、ちょっと(いや、かなりだろうか)天然の入った娘で、どこかめんどくさそうな娘だった為に、当時の美咲は志保とあまり関わりを持とうとはしなかった。しかし、美咲は来るものを拒む事はあまりしない。そして自らが女子グループの中心になっているために、変に「あいつ嫌い」とは言わなかった。それは言えば皆が皆マネをしようとして、結果として、いじめとなるからだ。その事を知っていた美咲はなるべく志保と遠ざかっていた。
 けれど、ある日店番をしていた時のことだ。
「こんにちわぁ〜、母の日なのでぇ〜カァーネルさん、くださいなぁー」
 元気良く、その日一番にやって来たお客は七月志保だった。志保はまるでメイドのようなフリフリがついた、白と黒でできた服を着て長い髪をゆらゆらしながらにっこりと笑顔で美咲を見た。美咲はこの店で見たこともない客、むしろあまり着て欲しくない客がやってきてしまい、困惑した。
「…………」
 一瞬の沈黙が襲う。
 ツッコミどころ満載なその姿。その言動。そして来店の『カーネルさん』というところにもきっとツッコミしなきゃいけないのだろうか、と美咲は悩んだ。額からまるで、アニメのような大きな汗マークが落ちそうな気分で、どう対処したら良いのか悩んだが、一応は“客”には変わりなので、それこそまずはお決まりの台詞だろうか。
「……い、いらっしゃいませー……」
 と、来店感謝の挨拶をしておいた。志保は「あぁ〜、美咲ちゃ〜ン♪ こんなところバイトォ〜? えぇーでも中学生ってバイトできたっけぇ〜。ん? 出来たような気がする……あれれ? どっちだっけぇ〜」
 やはりここはツッコミの場所なんだ、そしてツッコミを入れなきゃ永遠とボケ続けてるんだ、と美咲は思った。だから「こ、ここは私の家……というより、こん〜ちわ〜」と言っておく。これで充分かとも思った。けれど、これでは全然NGなのはわかっていた。でも、これといった対処法が生み出されなかった。けれど、さっきから言うようにお客に変わりはない。だから、平常心を保つ事に決めた。
 私は店員だ。
「カーネーションならこれでどう? やっぱ赤がベストだって思うし。あ、でも七月さんは違う色探しにきてた?」
「ん〜赤だよ〜。あぁ〜それと志保ってぇ〜呼んでぇ? ん?? カーネーション? あれれ〜カーネルさんって名前じゃなかったっけ〜? あれれれれれれ?」
 イライラする。
 明らかにいじめだ。
 志保は普段の美咲の態度にドコかしら苛立っていて、こうやって営業妨害をしにやってきただ。
 ならば、もう言うしかあるまい。
 一気に噴火してやろう。
 せぇーの……。
「あぁ〜も〜やってられっか〜、このボケ女ぁー!」
 ……などと言えたらどれだけ楽であろうか。
 美咲はふつふつと沸きあがってくる、志保への苛立ちを徐々に隠しきれなくなった。「はぁ? カーネルさんだぁ?」「はぁ? 志保って呼んでだぁ?」美咲は、活発な娘である。花が大好きだがおしとやかな性格ではない。むしろ、体育会系のような性格だ。だから、怒るとこはズバズバといわなきゃ気がすまないタイプでもある。だから美咲はついに――噴火した。
「ちょっと、あんたねぇー、母の日って言ったら“カーネーション”でしょうがぁー! それに、カーネルさんってのは、ケンタッキーフライドチキンの白髪のおっさんで、第一、全く持って関係ないでしょ! それに、何よそのフリフリのついた、まるでメイドのような服は! バイトだって自分の家だから店番で、毎月のお小遣いだって千円札一枚きりなのよ!? わかる!? って、…………あ、ご、ごめん…………」
 慌てて口を押さえる。苛立ちが噴火し、余計な事まで言ってしまった。これが美咲の悪い癖だ。良く、クラスの女子や男子から何人も「もう、美咲と遊びたくない!」と泣かれたものだった。男子に泣かれるのはどうかとも思う美咲でもあったが、それでも美咲は言わなきゃ気がすまないのだ。女子の中心人物にして、いつ皆が離れてもおかしくない性格だった。けれど、やはりそれだけは変える事はできないでいた。
 だから今回も、これで泣いて逃げてくだろうな〜と思っていた。というよりは、それのほうがいい。絶交でも何でもしてくれ、そしてもうこの店には来ないでほしい。悪かった。けれど、そんなツッコミどころ満載な志保が悪い。どうでもいいんだ。自分にはまだ友達はたくさんいるし、志保がいじめにあっても志保の味方につく人も必ずいてくれそうだ。後はもう、なるようになってしまえばいい。
 美咲は決意する。そして、それでも恐る恐る志保の顔をみる。そしてやはり、
「アハハハ、そっかぁ〜カーネルさんはケンタッキーなんだぁ〜、そうだよねぇ〜。美咲ちゃん頭いいねぇ〜♪」
 笑っていた。
 いつものようににっこりと笑顔で、そこに志保は立っているのだ。それが妙にこそばゆかった。どこか、自分言葉で傷つけたと感じたのに、志保はかわらずの笑顔でそこに立っているのだ。母の日のカーネーションを買う為に。志保はなんて優しい娘なんだと、美咲は思った。
「そ、そーゆー事……」
 美咲の言動で傷つけた人は数知れない。
 花が大好きなのだからおしとやかな性格になれば良かったのかもしれない。
 けれど美咲は美咲だ。
 誰にも変えられないものがそこにある。
 けれど、志保は笑ってくれたのだ。
 失う事になれるはずなんてない。失って良いものなら、最初からいらない。けれど、最初はいつも欲しかった。欲しくて欲しくてしょうがないのに、それがいつもあると、どうでも良くなっていくのだ。いつも見ているから、悪いところばかりが気になり始めて、いい部分が見えなくなる。そして、捨てる。美咲は友達をその言動で捨てていった。それこそ、絶交ものだ。言いたい事が山ほどあって、爆発すれば泣かれる。だから、徐々にだったが、美咲はストレスが積もりに積もっていった。言いたい事があるのに言えないで、ストレスの溜まっていた美咲は求め続けていた。欲しかったのだ。何でも言い合える親友が。だから、美咲は志保の返答を嬉しく感じていた。志保なら、素の自分でも受け入れてくれる、そう感じた。
「……だから、この赤いカーネーション買うでしょ? し、志保……」
 恥ずかしながら、美咲は志保の名前を呼ぶ。
 そしてそこには更に笑顔の志保がいた。
 ――それ以来、美咲は志保と親友になった。
 いつしか仁や彦一、そして彩音の混ざってくるのだけど、そんな毎日が楽しかった。あの時志保に会わなければ一人ぼっちになっていたかもしれない。言いたいことをズバズバ言い過ぎて嫌われていくかもしれない。だから、あまり怒らないようにしたいと思った。けれど、やっぱり我慢できずに志保に、言ってしまう。
 それでも、志保は笑ってくれた。
 志保は笑っていたのだ。
 志保と出会い、親友になった志保の面倒を出来る限り美咲は見続けてきた。『中学校クラス対抗漢字能力対決』という文科系クラスマッチの大会で、必死に志保に勉強を教える為に、『ダブル頭脳』と呼ばれるB組の二人の天才、常道楓(じょうどう かえで)と成瀬智次(なるせ ともつぐ)に勉強を教わったりもした。“ダブル頭脳の勉強会”と題して、仁や彦一、彩音に羽幌。様々人たちと仲良くなり、いつしか大事な友達となっていた。そのきっかけをくれたのは、紛れもない志保である。
「「誕生日おめでとう〜!」」
 博士の家ではじめての誕生日会を開いたのは二年になってからだった。皆がいる、誕生日。そして、博士に無理を言って志保は美咲の為にあるプレゼントを用意していた。
「ハッピ〜、美咲ちゃん♪ はい、これぇ〜」
 美咲の手に一輪の花が持たされる。見たこともない花だった。薔薇のように紅い花びらに、ひまわりのように大きな花。茎は緑の直線で、葉っぱはいくつも並べられている。
「この花は〜、はかせぇ〜に無理言って品種改良したぁ〜お花だよぉ〜、見た目はカーネーションと〜、美咲ちゃんの誕生花のちがやを合わせたんだよぉ〜。名前は〜レーベル。それが美咲ちゃんだけの花だよ♪」
 唖然とする。こんなプレゼントは初めてだった。自分だけの花を美咲の親友・志保は作ったのだ。皆が拍手する中、一人大粒の涙がポロポロとこぼれていく。自然に流れる涙は留まる事を知らず、美咲はツッコムことさえままならないでいた。
「…………どうみても…………」
 どうみても、カーネーションでもちがやでもない。けれど、その花を美咲はギュッと握り締める。大事に、大事に握り締める。最高の誕生日をくれ親友へ感謝を込めて。
「もぉー、どこがカーネーションとちがやなのよぉー!」


                  ※


「レーベル・成長ー!」
 東城美咲のNRF【レーベル】。それは、美咲が大切に育てている花の名前でもあり、今現在最も大事で、大切な花の名前。数年前に貰った親友の花は美咲に“NRF”として、新たな希望を与える。【レーベル】とは簡単に言ってしまえば「花を自由自在に操る能力」である。そして【レーベル】には、【成長】【開花】【退化】の三つの力があり、それぞれに能力が隠されている。【成長】にはその名前の通り、手に触れた植物を思うがままに成長させる事ができるようになる。限度はあるが、電柱柱の長さ、太さぐらいまでなら普通に可能。【開花】はその通りで、手に触れた植物の花を咲かせる。咲かした花から特殊な花粉を飛ばし、相手に花粉攻撃を行う事ができる。最後の【退化】は植物の成長を元に戻し、種にすることができる。ただし、植物には多種多様なものが存在する為、成長でどこまで伸び、花が咲いて花粉がでるのかはわからない。
 美咲は手に当てた大地から小さな草を伸ばしていく。草は一本の棒のような大きさへと変化する。それこそ太さは女の子の腕のように細かったが、その強度は電信柱のようなものへと変化している。そして、それを美咲は二メートルぐらいの大きさでとどめる。それが美咲の持てる重量の限度。そしてこが、美咲の編み出した技の一つ、【成長】によって生み出した。【鞭】である。頑丈で長い鞭を美咲は手に構える。京四郎は既に自分の立つ場所にやってきている。ならばもう、やるしかない。
「はぁぁぁ!」
 京四郎は猛進していく。燃える拳に恐怖しながらも、美咲は京四郎に【鞭】を放つ。ビシバシと音を立てながら京四郎を打ち付けていくが、京四郎はそれを拳で殴り飛ばしていく。あまりにも強引な回避の術だった。【鞭】とはいえ、草でできている。それ故に、殴られる度に草は焦げていく。「なんなのよ!」美咲はとっさに草の強度を弱くし、片手に持ち替える。そして、もう片方にも軽減した同じような【鞭】を持ち、両手による【鞭】の連続攻撃を放つ。どれくらい練習したのだろうか。慣れた手つきで繰り出される、あまりにも早い連続攻撃に京四郎は動く事をやめ、その場で鞭を殴り飛ばすようになる。京四郎は拳を放つ度に、「ガン」「ガン」と自ら口で効果音をつける。【怒燃拳】は確実に美咲の鞭を徐々に破壊していく。
 そして、数分と経たずに【鞭】は炎を上げ目の前から紛失する。「あたしの……草をぉー!」美咲もまた怒りに満ち始める。大好きな花を傷つける事は許されないことだった。それは草でも同じ。美咲が美咲である以上、全ては許せる事のできないもの。ならばもう、やってやるしかないだろう。切り札ってヤツを。
 刹那。【伝達】がくる。「敵がもう一人やってくる」それに忘れ去られたような志保は辺りを見渡す。美咲は気にはしながらも、再び突進する京四郎に対し、一つ目の切り札を使う。
「レーベル・成長、ガード壁!」
 【ガード壁】それは、草を自分よりス少し大きく成長させる。しかし、縦はあまりないが、横に広く。まるで壁のようなものを作り出すのだ。そして、【ガード壁】が出来上がると、京四郎は動きを止める。突如と現れた草でできた、分厚い壁。進むべき道は一本しかない。ならば、壊すしかなかった。「はぁぁぁ」と声をだし、【怒燃拳】の燃える拳を叩きつけていく。何発も殴るうちに、草は炎上し始めていく。美咲に京四郎は明らかに劣っている。それこそ、草が炎に弱いなんて至極当然。だが、やるかないだろう。ここで負けれた何もかもが終わってしまう。
 その時だ。再び【伝達】が届く。
「……やべぇーな……、博士のヤロウかなりひでぇーことしてくれたぜ……。もうヤメだ。馬鹿げた戦いなんざもうする意味はない。終戦だ」
 美咲と志保は困惑する。

                  ※


 明人は一人走っていく。遥かかなたに行ってしまった二人の仲間を求めて。明人ははっきりいって運動不足。亜由美に走り方を教わっても、次の日には筋肉痛になっているしまつ。勉強だって普通だし、運動も普通だ。けれど、体力は全くといっていいほどない。そしてなによりも、運動は普通ではあるが、全くもってダメダメな普通なのだ。
「い、いつになったらたどり着けるのだろうか……」
 むしろ、一人ジャングルの中で遭難している。
 けれど明人は先に行ってしまった二人を必死に追いかける。いつたどり着くかはわからない。けれど、戦闘になったら絶対に負けない自信だけはあった。何かが抜けている自分がとても恥ずかしく、なんでか嫌になってきた。けれど、全ては自分たちの自由の為。全てを元に戻し、愛を取り戻し、元の世界に戻る事。やるしかないとなんども心で誓った。やるべき事はもう、すぐ側まできている。進んでいく事しかない、
 はぁはぁと息を切らしながらも何とかたどり着いた先に見えた光景は、倒された亜由美と誰かと戦う京四郎だった。
「ははは……ははは……はははははは! や、やっと、やっと戦うときが来た。これですべてを戻せるんだ。ぼくは……、僕は!!」
 突如明人は自らの右手に空気中から作り出した水分を凍らせて形成したツララを作り出す。明人はそのツララを【ツララブレード】と呼ぶ。形は刃物となり強度に問題はなく、あらゆるもの切り刻められる。今すぐ京四郎に加勢しようと思った、けれど、その足を止める事となる。
 目の前に“懐かしき”日向仁が現れたのだ。


                  ※


 仁は京四郎に近づけば少なからず攻撃が読めると推測した。そして、近づいて行ってあることに気がつく。誰かがやってきていた。その場所は仁の後方。
「敵がもう一人やってくる」
 と美咲と志保に【伝達】をしておく。
「しゃーねぇー、俺がやってやるぜ」
 自らの力で、自らが戦う。これの実験もしなければならない。ならば、今がその時。美咲に相手の動きを伝える事のできないのなら、今戦っても支障はないだろう。美咲は負けるはずがない。自分の大好きな花や草で負ける事があってはならない。それに、いざとなれば志保の【サウザンドゴーレム】で圧倒させればいい。だから、今ここで俺はヤツを倒そう。やってくるであろう、敵を。
 後ろを見る。
 そこには手にツララでできた氷の刀を構えた青年がいる。
「お〜し、おまえが敵だなぁー? ん? あ、いや。なんか、すげぇーNRFだな、それ。まぁーどうでも良いけど」
「そうか。君が僕の倒すべき敵。じゃぁー、戦おう。僕は君を倒さなければならない」
「あっそ。俺も同意見。つーわけで、いくぜ!」
 明人と仁は互いを見やる。
 しかし、互いに一歩も動こうとはしなかった。
「……ははは、おもしれー……、緊張するなぁ」
 仁は平常心を保とうとしている。けれど、遥か昔の光景が脳裏から離れなくなっていた。明人を見て、一瞬だが何かを感じた。しかし、それは紛れもない事実なのかもしれない。そして、何故か胸が高鳴りだす。敵なのだから、あまり気にせず戦えばいい。
 赤の他人であるはずの敵なのだから。
「……お前、名前は……?」
 心の中で感じた違和感。誰だこいつは。でもどこか、懐かしい。誰だ本当に。一体、なんなんだろう、この懐かしさは。遥か昔に消えてしまった彼が、彼であるのだろうか。怖くなる。怖くなって、それでも返答を聞きたかった。心の中で名前を言うのでもいい。それでいいから、――答えてくれ。
「僕は月島、月島明人。でも、名前教えたからって、関係ない。僕は君を倒す」
 時間はさかのぼっていく。
 ちょっとまてというような、瞬間。あまりにも残酷な光景。博士の陰謀だろうか。何かの嫌がらせだろうか。だって仁の目の前にいる明人は紛れもなく、月島明人なのだ。
つまりは、仁は明人を――。
「おい、明人……明人なのか。本当に……。俺だよ、俺。小学校の……日向仁だ。ほら、竹ちゃんのこと覚えてないか? 小学校の頃、お前が俺を助けたじゃねぇーか」
 全ての歯車は重なり合い、回りだす。全ては博士の仕組んだ事。そして全ては博士の思っていた通りの結果。過去の映像が鮮明に復活していく。閉ざされた記憶。思い出すことを拒み続けた記憶の扉を明人は開けるときがやってきていたのだ。
 全ては、親友の為に。
 親友である。
 日向仁の為に。

 『――明人。あなたの過去は私が封印してあげる。忘れなさい。何もかも。私という人物を。ただ、あなたがもし、これから本当にその記憶を望むというのなら、その時はすべてを思い出せるようにしてあげとく。姉弟として』

 明人は、すべてを思い出す。
 閉ざされた記憶を、開放させる。
 日向仁という無二の親友によって。





その10「 夢 悪魔の子 」





 夢はあったのか。
 夢があったのにも、うろ覚え。
 それでも、夢を思い出すために必死だった。
 京四郎が飛び出したときも、結局夢を思い出せなかった。
 けれど、夢はあったのだ。
 その夢を思い出したかった。
 すべてのことを――思い出したかった。


                  ※


「月島さん。ご主人の事は我々も考えています。……大丈夫ですよ。こっちには力強い弁護士さんだっているんだぁ、それに昔の同級生じゃないですか。何か悩みがあればまた聞きますから」
「……はい……」
「今日は彼女を預かりますから……心配せずに。明人君? お母さんをよろしくね?」

 明人は母に手を握られながら河原を歩いていく。夕日がまぶしかった。夕日が二人の後方に大きな影法師を作る。明人は振り返って、突如大きくなった自分に喜ぶ。母の手をぐいぐいと引っ張り後ろに映った影法師を見せる。無邪気な笑顔は今まで起きている事がまるでうそのように、母の心を救ってくれる。それでも、無邪気な笑顔を振りまく、小学生の明人を寂しそうに見る。どうにか、この子だけは守り抜かなければならない。そう母は感じた。そのために、母は強くなる決意をし、すべてに終止符を打とうと考えた。だから、無性に抱きしめたくなりその場でゆっくりと明人を抱きしめた。それこそ、絶対に離す事などないように、一生あなたを守るといわんばかりの力だった。
「明人……あなただけが、頼りなの……。母さん……頑張るから……もうすぐの辛抱だから……お姉ちゃんと明人と私で、一緒に……」
 泣き崩れる。母の涙をあまり理解できない明人は「母さんなんで泣いてるの?」と首をかしげながらも「母さん……痛いよ」と痛がる。しかし、母は決して手を緩めることなく、その場で数分間明人を抱きしめたままだった。
 明日は『明るい日』と書く。そんな日がいつか訪れる時をずっと願い続けている。明人の母として、明人を守り抜く為に。決して、負けないように。力強く、大事な、大事な宝物を抱きしめている。すべての元凶は自分たちのせいなのだろう。けれど、それがどうすればいいのかわからない。だから、何もできないでいる自分たちがもどかしく、嫌だった。そして、いつかそれが始まるのだ。

 ――いつものように、明人は眠っていた。

 だから気がつかない。母はただ涙し、父はただ戸惑いを感じていた。けれど、どうしようもないのだ。決して、二人で解決できるような問題でないのだから。ましてや明人ではなんの解決にもならない。この世はたかだか知れている。けれど、この世に本当の不運があるとすれば“彼女”ではないだろうか。母は嘆き、父は怒り狂う。全ての元凶は“彼女”であり、全ては“彼女”が生まれたらこそ始まった。けれど、それを作り出したのは自分たち。元凶が“彼女”ならば、自分たちは何者なのだろうか。
 朝日と共に、母は明人を起こす。その日も明人はいつものように学校に出かけていく。明人が友達を家に連れてこないのは、母との約束のせいで、遊びに行かないのも母との約束だった。明人はただ、学校へ行くだけなのだ。決して何もわかってはいない。姉弟であろうが、関係ない。明人は明人なのだ。巻き込むわけには行かなかった。
「お願いだから、心配させないで」
 それが口癖で、いつもまっすぐ帰っていた。けれど、その日、明人は放課後居残りで掃除をさせられた。元々は同じクラスの竹ちゃんがする予定だったのに、風で休んだからだ。竹ちゃんには自慢のお兄ちゃんがいて、いつも竹ちゃんはクラスでお兄ちゃんの自慢をしていた。「お兄ちゃんは強いんだぞぉ」とか「お兄ちゃんはかっこいい」とか――けれど、明人にはどうでもいい事だった。「姉弟はいらない」と言い続ける明人は竹ちゃんの会話にはいつも参加しなかった。姉弟がいるからこそ、自分は何一つ自由にならない。アノ場所に何度も通っている。それも、“彼女”のせいだ。いつになったら抜け出せるのかすらわからない。明人だって、本当のことを気がついてはいない。ただ自分の目で見た真実のみを一点の曇りのない瞳で見続けているのだ。“彼女”が明人の目の前で起こした“それ”を。
 掃除が終わって夕日が地平線沈みかけている時、明人は帰り道の河原で数人の中学校の制服を着た生徒を見る。けれどその中に一人だけ、ランドセルを背負っている、見知った少年がいた。彼は同じクラスの日向仁だった。仁は数人の中学生に囲まれ、なにやらもめていた。もめている原因はわからないが、「うるせぇー」「殺すぞ」「やっちまおうぜ」などと物騒な言葉がいくつも飛び交っていた。中学生はたった一人の仁をにらめつけている。にらまれながらも、仁も必死に中学生をにらんでいる。その目がまた中学生には気に入らなくて、更に「ばか」だの「あほ」だの言われていた。
「俺は、悪くなんてない!!」
 仁の叫び声。明人はただその場所で見守っていたが、あまりにも仁に不利な状況の為、明人は必死になって河原を駆け始める。走って、走って。たどりついたのは仁の目の前だった。中学生と仁との間に明人は無我夢中で割って入ってきたのだ。その行動に一番に驚いたのは中学生もだが、仁だった。仁は「あ、明人君??」と、とても不思議そうに明人をみた。仁はそれまで明人とはあまり関わりを持ってはいなかった。明人は遊びにも行かず、いつもまっすぐ家に帰ってしまう連れないクラスメイト。でも、仁は知っていた。明人には物凄い正義感があったことを。誰かがケンカすればすぐに担任に伝え、誰かが怪我をすればわれ先にと保健室に連れて行く。けれど、そんな明人がなんでここにいるのかがわからなかった。
 明人は仁を背にしながら中学生を見る。すると、そこにいるのは竹ちゃんのお兄ちゃんを筆頭にした中学生だった。竹ちゃんのお兄ちゃんは「だれだよてめー」とか言いながら、近づいてくる。正直に中学生と明人達の力の差はかなりあった。なのにもかかわらず、明人は臆することなく、ひるむことなくただ竹ちゃんのお兄ちゃんを見る。その眼はまるで、仁に手を出すな、とでもいっているようにも見える。けれど、やはりその態度が余計に気に入らなく、ついに竹ちゃんのお兄ちゃんは仲間に合図を出した。
「めっちゃむかつくし、死ねよ、おめーら」
 それが一発目の合図。明人のお腹に強烈なパンチがヒットする。グラっと明人は体制が崩れる。目の前がたった一発だけで酔ったような感じになってくる。意識も遠のきそうなところで
「明人君!!」
 仁の声が聞こえる。必死に、意識を保とうとするが、今度はわき腹にキックが炸裂する。――それからはタコ殴り状態だった。明人に攻撃が二、三発当たると仁が唸り声を上げ、中学生に突っ込んでいくが、中学生はなんなくそれを交わし、明人と同じように何発も何発も殴ったり、蹴ったりしていく。「あははは」という中学生の笑い声が頭の中を響いていく。二人はただ自分たちの力のなさを酷く呪った。けれど、力の差は歴然だ。小学生みたいな年頃では、年齢が一個違うだけでもダメダメなのだ。ましてや仁たちはまだ小学四年生。その差はかなりのものだった。二人の意識は遠のく、けれど、必死にもがく。もがいてもがいて、そして――負けた。
 二人の体はあちらこちらに傷が出来上がっていた。
 河原で大の字になって、二人は、はぁはぁ、ぜぇぜぇと息を切らしていた。見上げた空は徐々に黒を浴びていく。黒で覆われた空には所々、小さな光が見え隠れしている。太陽も月へ、この大地から姿を消し始める。太陽に変わって、浮かび上がっていく月は徐々に光を地球へと放ち始めていく。そんな光景を、二人はただ見続けていた。川の流れる音が二人の気持ちを落ち着けていく。その音が心地よくて、いつしか興奮していた気持ちも平常心へと変わっていた。
「――弱い」
 仁が口を開く。「俺、弱すぎ」仁は空を見ながら言う。ただ空を見て、先ほどの中学生との喧嘩を思い出し、目がちょっと潤う。悔しいほどの力の差。一発も殴れなかった。二人にとってみれば、まるでのび太がドラえもんの道具なしでジャイアンに喧嘩を挑んだ気分だ。何の策もなく、挑んだ喧嘩は惨敗。それでも、必死に戦った。それには理由があった。理由があって、絶対に負けたくなかった。その気持ちがあったのだ。
「そんなことない。僕たちはやるだけやれたじゃないか」
 明人は体を起こし、仁に問う。「それで、なんで竹ちゃんのお兄ちゃんが?」その問いに、仁は膨れた顔を作る。見るからに怒っているような顔になって、体を起こす。
「だって、竹ちゃんのヤツ。いつもお兄ちゃんの自慢ばぁっかしてて、損で自分は弱いのにいつも、“お兄ちゃんに言いつけてやる”だろぅ? それが嫌で、嫌で竹ちゃんと昨日喧嘩したんだ。そしたら、今日は風邪とか言って休んで、お昼休みに“放課後河原にやって来い”って、竹ちゃんのお兄ちゃんが……」
 仁は下を向く。
「……ごめん、明人君には関係ないことだったのに……」
 仁は目線を地面から明人の顔へ移していく。目線が明人の顔に行くと明人は笑顔で「大丈夫」と一言答えた。仁にはその言葉が嬉しかった。無性に嬉しくて、仁は明人の手を握る。
「あ、ありがと……う。そ、その……お、俺と、俺と友達になってよ! 今度遊び行くからさ! あぁー、いつものように放課後遊べなかったら、休み時間だけでもいいから! な! 俺と親友に、なろうよ!」
 月明かりがぼんやりと二人を照らしている。こんなに遅くまで外にいるなんて、何年ぶりなのだろうか。それでも明人はなんだか嬉しくて、「友達」「親友」という単語が妙にこそばゆく、それでいてすごく嬉しかった。明人は仁の言葉に頷く。仁はそれに物凄く喜び、「それじゃぁー、もう帰るね!」と、夜道を一人走り去っていった。体の痛みはまだ残っているものの、スタスタと早足で帰っていく。ドンドン遠くになる仁を見ながらようやく明人も立ち上がった。
「さてと、僕も帰ろっかな……」
 嬉しかった。
 嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。
 仁との関係はただの、クラスメイト。しかし、今回明人が必死に仁を助けようとした事で、仁にとって最高の友達へと変わったのだ。もちろん、仁には友達はいる。けれど、今回の呼び出されたことに関して、みんなして無視をした。「怖い」とか「絶対負けるし」という理由出だ。もちろん、というより当然、仁が負ける事は分かっている。それでも、その無視されたのがむかついて「じゃぁー、絶交!! 絶対負けないし!」と、友達に強がって一人でここまでやって来た。すると、「一対一」といわれたのにもかかわらず、竹ちゃんのお兄ちゃんは数人の仲間を連れてきた。仁は「卑怯者!」と叫ぶが、お構いナシだった。仁は河原に来るまで色々と考えていた。イメージトレーニングのように殴り合いになった場合のことを考えまくって――けれど、まったく無意味となった。
 竹ちゃんのお兄ちゃんたちとのにらみ合い。
 そして、そこに明人が登場する。
 それこそ、仁にとってみれば神のようなものだった。たった一人で挑むには、正直怖かった。しかし、明人のおかげで怖さはなくなり、「やってやる」という意志が強くなった。当然の結果とはいえ、やるだけのことはやった。けれど、そこで明人と仁は出会ったのだ。明人にとって見れば仁のように活発な友達を持つのは初めて。仁にとっても、明人のように大人しい友達は初めてだった。けれど、二人は戦い終わって戦友から親友となる。本当の親友ではなく、まだ口先だけだったが、これから色々付き合っていけばいいだけ。これから、新しい生活が始まるのだ。

 ――そう、明人は夢を膨らませていた。

「ただいま」
 明人は玄関の戸を開ける。しかし、そこには鬼がいた。鬼のように角を伸ばしに伸ばし、この世のものとは思えない表情をしたそれは――母だった。母は明人がこんな時間まで帰ってこなかったことを怒っているのだ。その目は明人を一点に見つめている。何も口を開かない。「おかえり」という一言すら言おうとはしていない。近くにおいてある時計だけがチクタクと音を立てている。台所の方からか水の流れる音も聞こえてくる。明人はただ立ちすくみ、母を見る。母はそんな明人を怒りの形相で静かに見やる。静寂が支配する。まるで時が止まったかのような瞬間。けれど、明人はその静寂をいっきに消し去る。
「…………ごめんなさい…………」
 それが、明人にとって、決闘第ニ幕の合図だった。
 母は怒り狂ったように明人の腕を強引に引っ張る。そして、廊下までずるずると引きずると背中やお腹を必死になって殴り始める。その目は涙で潤みながら「心配させるなっていったでしょ!」そう言いながら、背中を殴り「あんたは!」お腹を殴る。ゲホゲホとする明人に容赦なく「アンタって子はぁ!」床で悶絶する明人のお腹を今度は蹴り飛ばす。明人はだんだんと意識が消え始める。もう危なそうな明人の胸倉をつかみ、母は「帰ってくるの、あの人が……アノ人が帰ってくるの! 夕飯も抜き。もう寝なさい! もう、……お願いだから、心配させないで!!」そして、最後にお腹を殴る。一瞬明人は意識を失った。
 ――気がついたら布団の中にいた。明人はゆっくりと体を起こす。
 母にこんな事をされたのは今日が初めてだった。一体何が起こったというのだろうか。母はいつもの優しい母ではく、鬼のような母だった。けれどそんな母を見るのは明人には初めてだった。怖かった。怖くなったけど、あたりから母の声が聞こえる。父の声も聞こえてくる。何かを叫ぶ母と、罵声を上げる父の声。明人は気になった。いつもはきにせず眠ろうとしたのに、今日の母は尋常ではなかった。心配になり、明人は静かにふすまを開ける。少しの隙間から見えるのは父だった。父は何かを蹴り飛ばしている。「この裏切り者!」更に一回蹴る。「きゃぁ」という聞きなれた声の叫び声。それと同時にまた父は蹴り飛ばす。明人は震える手でゆっくりと、更にふすまを開けていく。すると、そこに写ったのは紛れもない母の姿。母が四つんばいになって、父に蹴られているのだ。
「どこだ……どこにいやがる! あいつは! 紗枝はぁー! てめーの裏切りの象徴は、どこに隠しやがった!!」
 父は母を蹴る。母がよろめくと「動くなっていってるだろうが!」と叫び、横腹を蹴る。それがまた母をヨロヨロさせ、更に蹴り続ける。「紗枝はここにいないの! そ……そ、それに私は裏切ったりしていない!」母は泣き叫ぶ。「じゃぁー、なんであんな娘が生まれるんだ! 一体どこのどいつの子だ! 裏切り者!」父は何度も何度もけり続ける。その度に母は叫び声を上げる。それでも、母は必死に「違う、違うの……あの娘は、私達……あなたの娘なの……きゃっ!!」それが明人には見ていられなかった。何もかも狂っていると思った。どうしようもない怒りが明人を支配する。怖いと思った。怖いと思ったけど、このままでは、母が――死んでしまう。そう明人は感じた。
「やめて、……お願い。お願いだから、やめてよ、父さん……父さん!」
 明人は必死になって父にしがみついた。しかし、秋との倍以上体格を持つ父は「離せ、バカ息子」と言って明人をなぎ払う。「明人ぉー!」母は泣きながら叫ぶ。「着ちゃだめぇ!! きゃぁ」再び母に父のけりが炸裂する。すると、四つん這いになっていた母はついに力尽き、その場に崩れていく。明人は駆け寄るが、母はぐったりとしていた。
「母さん……母さん!」
 父は「ちくしょうめ」そう言うと、どこかに消えていく。玄関が開いた音をして、そのままだった。父はそれっきりで、明人は母のカバンを必死にあさって携帯を取り出す。怖くて、怖くてしょうがなかった。それでも、今は自分しか母を救える人はいないのだ。本当は仁との事を母に知らせたかった。自分にとって親友ができて、明日から休み時間は一人じゃなくなるんだって、聞いてほしかった。なのに、目の前には現実が広がる。酷く、嫌な現実。まるで仁との事が、遥か昔の思い出になっている気さえする。
 明人は必死になって母の携帯を取り出し、迷うことなく一人の人物に電話をかける。
「もしもし? 月島さん? どうなさいましたか?」
「もしもし! 明人です! 博士、三嶋博士ですか! 母さんが……母さんが!!」
「もしもし? 明人君? どうしたんだい!? 何かあったのか!? ちょっとまってなさい。今からそっちに向かうから、お母さんをしっかり見ていてくれ!」
 電話はすぐに消える。
 発信履歴には“三嶋由紀夫”という名前が書かれている。電話して数分もせずに博士は到着する。家の中を見て「何があったんだ……」と声を漏らし、あたりの悲惨な状況を見る。そして、なによりも母を見る。母はぐったりとして、あまりにも危険な状態だった。博士はすぐに救急車を自分の携帯で呼び、母を楽な、安静な体制にする。その動きは手馴れたものだった。救急車はすぐにやってきて、母を運び出す。明人は博士とともに救急車に乗り込む。「母さん、母さん」と叫び続ける。そんな明人を博士は背中をさすり、「よしよし。心配しないで大丈夫だから。後はこの人たちが助けてくれるから」と明人を励ます。
 病院についてすぐに母の治療が行なわれる。そして、母は病院の一室に眠る事になる。幸い、命に別状はなくすんだ。けれど医師に「なぜここまでなったのか」と明人は聞かれたが何も答えられなかった。博士は「私が聞いてみます」と医者に言うと「あなたは父親ですか?」と聞かれ「いや。彼の母親の昔の同級生で、研究員をやっております。彼とも何度も面識があるので、私から聞いて見ますよ」と言う。医師と博士と明人の三人だけだったが、明人は一向に口を開こうとしなかった。ショックが大きすぎたのか、目には大粒の涙をこれでもかというぐらいに流している。結局、博士は理由を聞き出せなく「それでは、今日は彼を私の家に泊めますので……明人君。行こうか」そう言って博士は明人共に自宅の研究所に戻って行った。
 コトコトと何かの音が聞こえる。辺りには色々な薬品が置いてある。さまざまな研究が行なわれているようだったが、明人には見慣れた光景だった。いつものように博士は明人にオレンジジュースをコップに入れて渡す。「さぁどうぞ」そう言うと、明人は一口のみ、下を向く。
「父親……かな?」
 博士の一言に、ドキリとする。
「君の父親の事は、お母さんから何度も聞いている。君が六年生になりたての頃から、父親の暴力行為は始まっていた。それは君のお母さんから聞いている。その理由として、やはり君のお姉さん……紗枝の問題からだろう」

『――悪魔の……、悪魔の子めぇー!!』

 “彼女”――月島紗枝(つきしま さえ)。それはすべての始まりだった。紗枝はそれまで普通の女の子のはずだった。明人よりも二つ年上の彼女は娘という事で、いつも父と母は可愛がっていた。おしゃれも色々させていたし、髪を結ったりさせて、それなりの可愛さで「将来は美人だね」と何度も人に言われた事があった。幸せな日々に明人は満足していた。けれど、母は何度も「放課後遊んではいけない」と言った。家につれてくるのも、誰かの家に行くのも、だ。その理由をあまり深く考えた事はなかった。

――けれど、そんな幸せな日々は突如として消え去る。 

 今までも何度か“それ”は起こっていた。けれど、あまりにも不思議な事すぎて、徐々に母と父は紗枝に疑いを持ち始める。母は何の心当たりもなかったが、父にはそうは感じなかった。「紗枝は誰の子っていうの」それが、その日の――初めて母が父に殴られる時の言葉だった。紗枝と明人が寝静まった夜中に、父は母に問い詰めた。しかし、「私は貴方だけです!!」必死に母は訴えたが、父は信用できなかった。あまりにも次元の違う紗枝に父は恐怖し始めていた。七歳の誕生日に起きた事。しかし、それでも父は必死に「あれは夢だ」と信じ込もうとした。けれど、母から再び紗枝の話を聞いて、父はついに母の頬を一度だけビンタしたのだ。
「じゃー、なんで紗枝はあんなことができるんだ!」

 “それ”が初めて起こったのは赤ちゃんの時だ。紗枝が赤ちゃんの時、紗枝は泣き続けていた。まだ母親なりたての母には何をどうしたら泣き止むのかわからず、あたふたしていた。この日、父は出張で家には二人だけ。まだ一歳にも満たない紗枝を抱っこして、どうしようかと母は悩んでいた、――その時だ。
「ミルク」
 誰かが母に言ったのだ。母はいきなりの声に驚き、辺りを見渡す。けれど誰も居ない。怖くなって家中を探すが、やはり誰も居なかった。空耳かと思ったが、「そうだ、ミルクをあげてなかった」と思い出し、紗枝にミルクを渡す。すると紗枝はすぐにご機嫌になり、眠り始める。母は不思議がるが、その時はあまり気には止めなかった。親子なのだから意志の疎通でもできたのかしら、とクスクス一人で笑っていた。
 けれど、それが母の感じた初めての“それ”だった。 
 父は父で同じように、母が家にいないで父が紗枝の世話をし、紗枝が泣くとあたふたした。そして、同じように今度は「オムツを替えて」という誰かの声が聞こえた。その声は母の聞いた空耳の声と同じだった。しかし、その話を聞いていなかった父は、不思議がり当たりを見る「気のせいか……ん? でも、確かにオムツ濡れてるな……」嫌々、オムツを取り替える。しかし、そんな事がしばし続いていくのだ。最初こそ“空耳”だと感じていたのに、“それ”が何度も続けば怖いものである。普通の人間として、あまりにも不可解な事だった。
「まさか、紗枝がテレパシーでも……」
 そんなばかげた話があるものか、と父は言う。
「親子なんだから、子の事がわかるのは当然だろう」
 あなたこそ、なに言ってるのよ。と二人は苦笑する。
 けれど、紗枝が大きくなるにつれて“それ”はだいぶなくなっていく。小学生にもなれば“それ”はまったくもってなくなった。だから父と母は“それ”を忘れ始めていた。――忘れて始めていた矢先だった。
 その日は紗枝の誕生日だった。七歳の誕生日。プレゼントはヌイグルミだった。そのヌイグルミを紗枝に渡す。しかし、紗枝は「これじゃない……」と言い、更に「紗枝がほしかったヌイグルミは……これじゃない!」と叫んだ。すると、突如として紗枝を中心にしてあたりに強風が放たれる。いきなりの強風に母と父は驚く「何があったの」と紗枝を見ると、紗枝の長くて美しい黒い髪は逆立ち、重力を無視して天へと伸びていく。そして、重力から完全に解き放たれたように、足は既に地面ではなく空中にあった――浮いていたのだ。紗枝の目は赤く輝き、紗枝の体からは何かモヤモヤした気体のようなものが溢れだしていた。
「これじゃない、私がほしいのは、これじゃない!」
 紗枝はヌイグルミを手に持ち、それを手の平で燃やす。燃やして灰にして、その灰を母と父に投げつける。灰を投げつけながらも、その光景が二人には恐怖で、カタカタと震えていた。叫び声すら出ない。声にならない恐怖が二人を支配していた。尋常じゃない光景だったが、それでも明人がすでに眠っている事だけが二人の心を楽にしていた。そして、紗枝はそんな二人を見ながらも「私が欲しいのは、これー!」と言って、空気中からヌイグルミを出現させる。空気中から突如と現れたヌイグルミ。そして、すべての事に驚く父と母は、ただそこにいることしかできなかった。まるでどこかの漫画やアニメのような光景にただ唖然となり、恐怖している。そんな二人をよそに、ほしいヌイグルミを取り出した紗枝の髪の毛はいっきに重力によって地面に向かい、正しい位置へと戻る。そして、紗枝は笑顔で「お母さん、お父さんあろうがとう」と言って、用意されていたケーキを食べ始める。
「……な、何が起こったんだ……」
 父と母にとって理解の範疇を超えていた。それは超常現象とでも言うのだろうか。明人が既に眠ってしまっている事が本当に幸いだった。父と母は無我夢中になってケーキを食べている紗枝に安堵しながらも、「夢だったのか……」そう思う事しかできなかった。二人はただ夢でも見ていたのだと自分たちを強引に納得させる。それこそ、紗枝は決して普通の人間なんだと思い込ませるように。

 ――紗枝の誕生日から数年が経過する。明人が小学校五年生になり、紗枝が中学一年生になる。それまでの長い間、紗枝に異常は見られなかった。もちろん、紗枝にそのことを聞こうと思ったときは何度もあった。けれど、その度に「また発動したらどうしよう」という恐怖でいっぱいになり、言わずにしてきた。けれど、二人は互いに紗枝が赤ちゃんの時に感じた不思議なものを考えていた。紗枝はまるで俗に言う、テレパシーのようなものを使ったのだ。そして、七歳の誕生日に火を自由に使い、ヌイグルミを燃やし、何もない空気中から再びヌイグルミを取り出しだ。――何がどうなっているのか、さっぱりだった。
そんな時、近所に母の昔の同級生である、三嶋由紀夫(博士)が引っ越してきたのだ。
月島家の隣に広がる広い何かの跡地に、大きな研究所を建てた。それこそ、大金持ちのような家だ。博士が引っ越してくるなり、母は昔の同級生に会いに行った。もちろん紗枝と明人を連れながら。あれ以来、紗枝と明人をなるべく外に出さなかった。紗枝の弟である明人にはそんな力は存在しない。しかし、紗枝だけは違っていた。紗枝だけは、不思議な“それ”を使用できているのだ。あれから平穏な日々が続いているとはいえ、心配だったが故にとった母の行動でもある。
「やぁー、ひさしぶりですね月島さん。この間の同窓会以来だから」
 玄関にやってきた母を博士は快く招き入れる。
「三年ですね」
 広いリビングが見え始め、「座ってください」と博士がソファーに誘導する。
「そうですか、そんなに経ちますか」
 博士は笑う。博士は笑いながらも、近くにいた二人の子供に目が行く。
「可愛らしい、お子さんですね」
「娘の紗枝と、息子の明人です」
 他愛もない会話が続く。そして、博士は退屈そうに座る明人と紗枝を見て「そんな二人に私からプレゼント。実験をお見せしましょう」そう言うと、博士は『実験室』と書かれたか部屋に三人を招待する。すると、そこには様々研究する薬品やら部品やら装置やらが置いてあった。その中から博士は適当に何かを見つけ、ちょっとだけ何かを混ぜ合わせ、薬品を明人の手に塗る。すると、明人の手が赤く染まる。赤く染まったと思えば、徐々に色が黄色へと変化し、そして緑、青と色を変えていく。それが不思議で「す、すごぉーい!」と目を星にする明人と紗枝に「これが私の実験ですよ」と博士はにっこりと言う。喜びと、驚きに胸を高鳴らせ、二人は博士の見たこともない実験に魅了されていった。そして、「博士なら紗枝の謎を」と、母は思った。
 博士はそれからも三人に色々なものを見せ続けた。子供達だけじゃなくいつしか、母も夢中になってそれをみている。
 しかし、紗枝がついに――再び目覚める。
「私も見せてあげる」
 そういうと、紗枝の手からモヤモヤした気体のような何かが現れ始める。しかし、それをみて母は昔の光景が脳裏に浮かび始める。七歳の誕生日で起きたあまりにも不可解な出来事。夢だと必死に信じこうともし、忘れようとした出来事。それが今再び起ころうしていたのだ。「や、やめて! 紗枝!!」母の叫び声に困惑する博士と明人。しかし、その声を無視し、紗枝は“それ”を発動させる。その手から何かを作り出す。それは氷だった。何もない場所から氷を作り出し、そしてそれを何かの形に形成するのだ。ウサギだろうかと言う形になった氷を作り出したのだ。
「博士に、プレゼント」
 そう言うと、紗枝はそれを博士に渡す。しかし、その光景に三人は唖然としていた。
 何がなんだかわからなかったが、母は明人と紗枝の腕をつかみ「お、おじゃましました!」と必死になって家に帰る。一人取り残された博士は、唖然としながらも、手に持った先ほどの氷を見て、ニヤリとそして、不適に笑い続けていた。しかし、それは誰にも知られずに、だ。

 博士の家から急いで帰宅し、必死になって明人と紗枝を寝かす。そして、二人が寝静まった頃、母はそのことを父に話す。
「どういうことだ。一体紗枝はなんなんだ。七歳の誕生日だけじゃない。それ以前からあまりにも不可解な事が起こりすぎている。あの娘は一体、何者なんだ。俺はこのことを誰にも相談できずに、いつも悩んでばっかりだ……。世間の誰がこんな事を信じてくれる!? 誰が信じるものか。俺たちが守ってやらなきゃ、だめなんだ。紗枝を、外に出すのはもうやめなければ……。紗枝を……いっそ殺――」
「あなた!」
母は父をビンタする。
「そんな事言わないで!! 紗枝は列記とした私達夫婦の子供よ!」
「…………」
 無言。静寂。深夜に起こった喧嘩。父はタバコを吸おうとテラスに無言のまま出て行く。母は「紗枝……」とどこか遠くを見ていた。「……列記とした俺の娘……本当に、そうなのか……」父は再びテラスから部屋に戻る。そして父は母に「じゃーあ紗枝は誰のこっていうの」と言われ一度ビンタしたのだ。「じゃー、なんで紗枝はあんなことができるんだ! 心当たりがあるんじゃないのか!」そして初めての夫婦喧嘩は始まったのだった。しかし、博士だけは違っていた。博士は紗枝を見てしまった。博士にとって“それ”は待ち望んでいたもの。“それ”さえあれば何でもできる。今まで研究してきた全ての事に終止符が打てる。そして、博士は偉大な存在となるのだ。
 それぞれの夜が更けていく。
 小鳥が鳴いている。朝の合図をしているかのように、鳴き続けている。朝がやってきて、明人は学校へと向かう。昨日の事を少なからず不思議がりながらも、学校へと向かっていく。そして、それと同じように紗枝も学校へと向かおうとする。すると、母がそれを制止する。
「紗枝。あなたはちょっと待って」
 母はそういうと、簡単な身支度をして紗枝と共に外に出て行く。
「博士に調べてもらうの。……あなたのことを……。貴方が不思議な力を使う謎を解き明かす為に……」
 紗枝は不思議がっていた。「不思議な力?」とまるで何も知らないように首をかしげる。しかし、そんな紗枝にお構いなしで母は紗枝の手をとり、スタスタと博士の家に向かう。昨日と同じように博士が二人を誘導する。二人は昨日と同じようにソファーに座り込む。そして、母は本題へと入った。
「三嶋博士……とでもお呼びしましょうか。先日の紗枝の事を覚えていますでしょうか? 紗枝は生まれつき、あーゆー不思議な事をやっていきまました。あまり日常じゃ考えにくい事を何度か起こしていました――」
 母は赤ちゃんの時の事。七歳の誕生日の事を事細かく博士に話した。博士は所々に相槌を入れ話を聞く。紗枝も母の言葉を黙って聞いていた。母が数分してすべてをしゃべり終わる。そして、終わったあとに「どうにか三嶋博士の力でどうにかできませんでしょうか?」その言葉を博士は待っていた。すべての出来事は彼女――紗枝から始まる。それがわかってから、博士は眠れなくなった。しかし、一日も経たずに母は紗枝を連れてやってきたのだ。願ってもない幸運だった。だから、母の手を握り「協力させてください」と強く言う。
 それからずっと、紗枝は博士によって研究されていった。しかし、この事は父には内緒にしていた。父には自分の娘がそんな事になったのが悲しく、そして信じられないようで、『博士に研究してもらってる』なんて言えばそれこそ、ショックが大きすぎるだろうと考えたのだ。
 そして、紗枝を初めて博士の家に連れて行った日から、一年が経過する。しかし、博士にも何も解決はできなかった。紗枝は学校に通いながらも、夕方から博士の家に行き、九時くらいまでじっと研究され続けていたのだ。父には「塾行ってるの」と嘘を突き通していた。そして、もう一つ父に内緒にしている事があった。それは明人もまた何かの可能性がないかと、調べられているのだ。紗枝と一緒に色々と調べられていく。そんな毎日が続いていたある日、父は再び紗枝の恐怖を見た。

 ――四月四日。紗枝の誕生日に再び、紗枝は怒り始めたのだ。

 いきなりの事で母は驚く事しかできなかった。紗枝はプレゼントが気に入らなかったのか、そのプレゼントを破壊した。そして、体から電気のようなものをあちこちに飛ばし、物を破壊して行ったのだ。数分が経過して、やっと紗枝は元の紗枝に戻る。しかし、悲劇はそれだけではすまなかった。その翌日、父は会社をリストラさせられた。理由はわからない。ただ何故か、父は強引にリストラさせられてしまったのだ。そのせいで生活資金はなくなり、父は次第に酒に溺れるようになっていった。それでも博士による研究は続いていたが、ついに父がきれたのだ。酒の勢いに任せ、自分をこんなにも惨めにした現況とでも言えるような紗枝を襲い始めたのだ。父の行動を必死に母が抑えていたが、逆に父は母を傷つけるようになった。そして、父は言い放った。
「悪魔の……、悪魔の子めぇー!!」
 それからすぐだった。母は博士の家に向かった。
「お願いです……三島博士……。もうあの人のそばに紗枝を置いておけないです……。もう……どうしたらいいのか……。暴力も日に日に増している。紗枝だけじゃなく、明人にまでしたら……私は……私は……!!」
「月島さん。ご主人の事は我々も考えています。……大丈夫ですよ。こっちには力強い弁護士さんだっているんだぁ、それに昔の同級生じゃないですか。何か悩みがあればまた聞きますから」
「……はい……」
「彼女を今日は預かりますから。心配せずに。明人君? お母さんをよろしくね。月島さん。早速、弁護士の阿智に電話しておきます。明日また着てください」
 母は下を向きがら、博士の家を後にした。


                   ※


 母は一面を取り留めた。なんとか危機を乗り越え、数日もせずに母は元の家に戻ってくる。しかし、父は一向に帰ってくる気配はなかった。それでも、帰ってきた母に明人はすごく喜び、話そうとした仁とのことを必死になって話した。母はどこか遠くを見つめながらも、明人にともd対ができたのが嬉しくて明人をギュッと抱きしめた。
「今度、遊びにきてもらいなさい……」
 母はそう言った。明人は物凄く喜んだ。そして、次の日明人は仁を家に招きいれようとした。ショックだった日を忘れたく、とにかく楽しい事をしていたい。そう明人は考えていた。母は「どうせなら、博士の家にでも」と博士の家に二人は通い始める。
 平穏な日々が続く。
 あれから紗枝は博士の家でずっと研究されている。
 家に戻ることなく、毎日だ。
 それと同じように、明人も仁と一緒に博士の家に通っていた。
 そんな日々がずっと続くと思った。
 しかし、訃報が月島家に入ってくる。
 突如と姿を消した父が、交通事故によって帰らぬ人となったのだ。
 そして、母は実家へ帰郷するのを決意する。
 それは明人と仁の別れでもあった。
「そうですか、残念です。いやぁ彼にもっといろいろな研究を見せてやりたかったですけど……。紗枝ちゃん、明人君、元気でね。月島さん、また今度会うときがあったら今度こそ幸せになってください」
「はい……。三嶋博士……、今までありがとうございました……。それでは……私たちは……これで」
 博士は遠ざかる三人を見る。
 今までの研究によって博士は紗枝のすべてを理解する事はできなかった。
 しかしスコシの可能性は生まれた。
「せっかくの……くそ。阿智……全ては順調なのか?」
「えぇ、三嶋博士。彼がいなくとも、大丈夫ですよ。まだ、“実験体”は山ほどといるのですから……。それに彼らによって実験体となる子供を何人も手なずけておけばらくだとわかりましたから。結果オーライでしょう」

 明人達が電車に乗り込むために駅に行くと、そこには仁が一人だけたっていた。
「仁!」
「あ、明人!」
 そこにいたのは紛れもなく、明人の親友となった仁だった。仁は明人に助けられてから毎日のように遊んでいた。今まで遊んだ事のなかった明人にとって仁は偉大な存在にもなっていた。
 二人はかけよる。
「お前、本当にいっちまうのか!?」
 明人が頷く。
「そっか……でも、俺はお前の友達だ。絶対忘れない!」
「うん……僕も、僕も! 仁とずっと、ずっと友達だ! 友達だよ!」
 明人はそういって、仁に握手をする。
「大切な、大切な友達だから! キミは僕の大事な、大事な! 仲間だから! 絶対に、忘れない!」
 明人は電車乗り込む。進展へ向かう。そして新たな夢ができた「絶対に戻ってくる。負けない、負けないで」そう思って。
 電車に揺られる。紗枝は一つ息を吸い込む。そして、明人に「ちょっと着て」と言って母から遠ざかった席に座る。
「明人……私は本当に、自分が何をしていたのかわからなかった。“不思議な力”って聞いてもさっぱりだった。それでも、わかったの。私は母さんや父さんのせいで生まれたわけではないって。私は多分、異世界から紛れてしまった悪魔の子。馬鹿げているような、話だと思うけど、私はこの世界とは違う世界の生き物なのよ……きっと。だから、これ以上あなた達と一緒にいては、不幸にするだけなんだって……。だから、私を……私のせいで生まれた悪魔のような全ての記憶を、明人。あなたの過去は私が封印してあげる。忘れなさい。何もかも。私という人物を。ただ、あなたがもし、これから本当にその記憶を望むというのなら、その時はすべてを思い出せるようにしてあげとく。姉弟として――さようなら、明人。母さん……」
 それがすべてだった。
 気がつけば母の実家にいた。
 母は紗枝を思い出さなかった。
 明人も紗枝を思い出せなかった。
 帰った実家も、誰の記憶にも
『月島紗枝』
 という記憶はなくなっていたのだ。
 しかし、博士だけは違っていた。
 博士には研究した資料が山のように残っていた。


                  ※


 仁が目の前にいる。仁が目の前にいる。仁が目の前に――いる。
 明人はすべてを思い出した。
 記憶がなくなったこと。
 それでも、夢だけは忘れなかった。
 その夢が。

 ――家族が幸せになるように

 そして、

 ――親友の為にも負けられない

 という夢だったことを、はっきりと思い出したのだった。



 続く


2005/03/31(Thu)09:21:57 公開 / ねこふみ
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■作者からのメッセージ
 まず初めに、更新がまったくできなく本当にすみません。すべては自分の力不足なんすけどね……。9日連続八時間バイトによる疲れによってほとんどPC開いておらず19日まで一切書いてなく、20日から書こうとしていたら、突然警察が来て「今朝方、あなたのコンビニで強盗事件がありまして」と言われ自宅で事情聴取。21日からは埼玉の従姉妹宅に行く事になってそこで買い物とかいsて、一昨日帰宅。それからは引越しの荷物整理におわれます……。今ちょっと書き始めてますが、今日中に書きあがるかが今のトコなんともいえません。話数的にはもう終わりになるのですが、本と遅れててすいみせん!!
 もしかすると、大学ではネットつなげなくなるかもでちょい焦り気味です(;_;)ただ大学ではノーパソが使えるのでNRFは書き続けて行こうと思います。一人暮らしになってどうなるかはまだわかりませんが、完結させるのは今の自分にとって絶対であるので、ちょっとだけ長い目でみてもらえれば幸いです。
 次回の話の完成度はmだ40%ぐらいです。残り時間もわずかで、荷物整理とかなんやらでかなり危ないですが、これからもお付き合いしてもらえると、本当に嬉しいです(_ _)m


 この作品を読んでくれた クリスタルさん・卍丸さん・影舞踊さん・ゆえさん・神夜さん・ニラさん・むぅさん本当にありがとうございます〜!

 そして、「ここはこうじゃない?」という指摘や、「ここが良かった」という感想、はたまためんどくさい方や、ロムオンリーな方は新しくできた簡単意見でも良いのよろしくです^^

 次回の予定は『反逆』って感じですね。ついに博士と明人・仁たちが再び出会うことになります。謎の奇襲をかけた彼らは?そしてNRFの真意は?
 それでわ〜´ω`)ノ
 というか、ホント読んでくださる皆様に感謝です!!(><)
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