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『マイ・ブラザー・サウンド 『完』』 作者:7com / リアル・現代 ファンタジー
全角17693文字
容量35386 bytes
原稿用紙約54.25枚
自身の素行が原因で兄ナオヤを失ったタク。兄に対する贖罪の形を探し、彼は日々悩み続ける。不器用な青年の音楽小説。
“@ ―― コール・オン・ザ・ウェイ”

『バンドマンは最強だぞオメェ。兄貴は最後にそう言ってこの世からいなくなった』


 駅前大通りの信号機がその光の色を赤から青に変えたのと同時に、今まで駅前で響いていた路上ライブの声とギターの響きは車のエンジン音に呑み込まれた。日はどっぷりと暮れてはいるが、時間はまだ九時前で駅前商店街には人が溢れている。帰路に着く人か遊びに行く学生か宴会の会社員か。
 人が溢れている、そうは言っても片田舎の駅にそんなに人がいるわけではない。ただ地域ではそこそこ大きい駅、しかも終着駅だ。地理的には都市部から少し離れたいわゆるベッドタウンに適した、そんな場所だ。駅前にはビルがいくつか立ち並ぶ、カラオケ、ゲーセン、銀行、あとは消費者金融。どれも四階以上は見当たらない。地下駅の階段を出ればすぐに駅前広場、その先に商店街がある。寒空の下でもアーケードのおかげか、そこそこ賑わっているようだった。
 駅から出てくる人が波のように駅前広場に押し寄せたかと思うと、やがて人々が散りじりに分かれ、バス亭、タクシー乗り場、自転車置場へ向かうと、波が引く様にそこには何もなくなっていく。その波が起こるたび、それがその都度電車の到着を知らせているようだった。
 駅前広場の真ん中の木々を囲む柵に、人待ち顔の若者が座っていた。コーディロイ生地のベージュのパンツに茶色のジャケット、何処にでも居そうな普通の若者だった。彼は時折、携帯電話を取り出して時間を確認しながら、駅から出てくる人々を見ている。そして、それをもう何度も繰り返しているようだった。路上ライブの方にも時々目をやりながら、それでも退屈そうな顔をしていた。
 それから更に幾度目かの波が押し寄せた時、青年が見飽きた光景の中から、ダウンジャケットを着て腰パンしたもう一人のイマドキな若者が現れた。それは彼が待ち続けていた人のようで、呆れた顔でその若者を迎えた。

「遅くないスか?」

 彼はそう言うと、またポケットから携帯電話を取り出して時間を確認する。もう九時半近くだった。やって来た男は髪を手でいじりながら言う。
「まぁ、アレだな、身だしなみは大切だからな」
 遅れて来たはずのその男は、ちっとも悪びれる様子もなくそう弁解する。待っていた彼は諦めた様な顔になった。自信満々に弁解した男は、さっと辺りを見回してから、続けて彼の肩を組んで言った。
「それで、アレは?」
「ほい、八千円になります」
 青年がそう答えると、男は肩を組んでいない左手で器用に財布から一万円札を取り出して彼に渡した。青年はどうも、と答えて一万円札を受け取り、右のポケットに捻じ込んだ。そしてかわりに手品のような手つきで、何処からともなく取り出したチケットと思しき紙を手渡した。
「いつも思うんだけど、アレだよな、お前そうやって手品みたいに物出すのうまいよな」
 チケットを受け取り、組んだ肩を離しながら男は不思議そうに言った。青年はその表情は変えないまま淡々と答える。
「企業秘密です、教えませんよ」
「んなこと言ってねぇよ、それよりさっさと釣りくれねーか」
 男はその顔を不満の色で染めながら言った。しかし、青年はニヤリと笑って返す。
「こないだ貸しましたよね? ニセンイェン」
 考助はそう言ってピースサインの様に二本指を立てた。そう言われた男は上を向いて一瞬考えたが、すぐに何か思い出し、その顔の不満の色を濃くさせた。そして頭を掻いて、彼の方を向き直り言った。
「……チッ、分かったよ、ついでに返しとく」
 男はそう言ってから、腕時計をチラリと見る。九時半を少しこえていた。
「おっと、俺そろそろ行くわ――コレが待ってるんでね」
 男はニヤニヤと嬉しそうに小指を立てる。

「親父臭いですよ、その小指立ては」
 その言葉と同時に大通りの信号が赤に変わり、辺りにはまた横断歩道の電子音と路上ライブの声が響いた。



 彼はヤバイチケットの売人だ、というと誤解されるかもしれないが、チケット自体は確かにヤバイものだ。知る人ぞ知る、とあるクラブの、乱交パーチィのチケット。が、彼自体はほぼ無害と言っていい。ただの小遣い稼ぎだ。そう割り切る彼は何処か他人に冷めた目を持ってはいるものの、冷めている故に人と干渉する事を嫌う。人々から見れば、立派な不良なのかもしれないが。
 寄り道でもして行くか。そう考えて、彼は駅前商店街の路地を入る。まだ賑やかな雰囲気を見せる洒落た路地を進むと、更に横に伸びる暗い路地があった。彼はそこに迷いなく進み、そしてやがて一番奥に現れた重そうな黒いドアを押した。中に入ると、落とされた照明で僅かに照らされた受付があった。彼はそのカウンターにもたれかかると、その上にあった呼び鈴を一度だけ押した。

「どうも」

 すると、カウンターの奥にチラリと見える小部屋から若い女が出てきた。見るとトゲトゲしい、いかにもなパンクロッカー。髪の毛には赤のメッシュが入っていた。
「あぁ、弾きにきたの?」
「少しだけいいスか、忙しいならいいんですけど」
 彼がそう言うと、女は苦笑いしてから奥に目をやり、そしてまた彼に視線を戻した。
「どう見える?」
「暇そう」
「じゃあどうぞ」
 女はそれだけ言うとまたカウンターの奥の小部屋へ消えていった。
 彼はそのまま店の奥へと進んでいった。更に照明の暗い、狭い通路を抜けて二つに分かれて少しだけ通路が続いている場所に出た。彼が左右に目をやって迷っていると、左の通路の奥から先ほどの女が顔を出し、手招いた。
「右は?」
「マツが使用中」
「なる」
 彼は左の通路に進んだ。
 彼が通路を進むと、入り口と似た重そうな黒いドアと、その左に暗い通路があり、その口に女が立っていた。先は小部屋に続いているようだった。女はカギを手に持ってチャラチャラと金属の触れ合う音を繰り返させていた。
「どんぐらい行けます?」
 彼がそう尋ねると、女はカギをドアに差し込みながら答えた。
「さぁ、予約はないから。マツ次第かな」
 いい終わると同時にドアが開く。女がそのまま横に避けると彼は一段高い入り口に片足をかけ、そして気付いた様に振り返り言った。
「後でマツさんとこ行きますんで」
 そしてそんなに広くない部屋に入る。壁には無数の穴があいている、防音設備、スタジオだ。彼は少し奥まで進むと、ジャケットを脱いで端の小さな椅子に放り投げ、傍らに無造作に立て掛けられたエレキギターを手に取った。そしてギターのストラップを肩にかけていると、女が入り口で言った。
「ギター持った時のタク、目が燃えるね。食べたいくらい」
 それまでギターに向けていた視線を女の方にやると、女は舌を少し出し、腰に手を当てて立っていた。目はメス猫のようだ。しかし、タクはそのまま表情を変えずに返した。
「リツさんは激しいんで俺には無理です」
 すると女は笑って、そのまま部屋を出ながらドアを閉めた。タクは溜息を一つついて、傍らにあった大きなアンプのスイッチを入れた。
 確かに、ギターに触れている時の彼は、燃える様な赤い目をしている。厳密な色でなく、雰囲気として、だ。“FM7”彼は好きなコードをまず鳴らす。寂しい様な崩れそうな、それでいて勇気のこもった。そんな響き。続いて彼は頭の中に入ったコード進行を次々と繰り返した。
 これ以上ないくらい、雑音の混じった。でも力強い音色だった。



 数十分が経って、突然重苦しいドアがこれまた重そうな音と共に開いた。音は聞こえなくとも、タクはそれに気づいて、手を止めてドアを見た。既に少し汗ばんでいた。
「相変わらず、ヘッタクソだな」
 現れたのは、タクよりは少し年上に見える白黒柄のジャージを着た男。どう見てもこの場所に似つかわしくない格好だった。
「相変わらず、ダッサイですね」
 男は少しムっとして返す。
「おめーはギターのセンスねーよ」
「マツさんはファッションセンスがねースよ」
 マツさんと呼ばれた男は、笑った。
 タクも、笑った。

「お前、コレ俺の勝負着だぞ」
「ジャージ着てベース弾いてるのがカッコ良く見えるのは、世界中でもマツさんぐらいじゃないですか」
 部屋の端にあった小さい椅子に二人が並んで座って、そんな会話をする。マツの手には缶コーヒーがあった。タクはその手にドラムのスティックを二本持っている。彼は立ち上がると、部屋の奥にあるドラムセットまで行って座り、ドラムを叩き始めた。基本的なエイトビート。ギターよりは断然手馴れていて、上手い様に感じる。
 しばらく叩いて、彼はその手を止めた。
「やっぱギターよか全然いいな」
 マツがそう言うと、タクはその場に立ち上がり、スティックを無造作に投げた。
「まぁ、こっちから始めましたし」
「う、おっと。でもギターがいいんだろ?」
 マツはそのスティックを器用にキャッチした。タクはアンプの近くまで来て、またエレキギターを手にとった。
「コレでないと――意味ないんで」
 そう言った彼の顔は笑いながら、でも少し寂しそうだった。








“A ―― リコール・バッド・デイ”

『音楽にはな、ビートを刻むんじゃねぇ、魂を刻むんだよ。兄貴は俺にそう言って笑った』


 フー、と一息ついたタクは携帯をその手に持って店――スタジオ・ZA・RAM――の前の暗い路地に立っていた。あの後少しだけギターを弾いて、彼は店を出た。そして携帯を開いてメールを打ち込む、時間はもう十一時を回っていた。
『チケット売れました。売上げはあさって持ってきます。仲介料はいつも通りで。』
 そんなメールを送信する、宛先はチケットの出所であるクラブのオーナーだ。よくもまぁ乱交パーチィなんぞを堂々と続けられるものだが、それには役人が店に来るとか、賄賂を払ってるとか、そんなまことしやかな噂をタクは耳にしていた。だが、彼にとってはそれもどうでもいい、と言えばそれまでだ。半年前から始めたこのバイトも楽な上に割のいいものだった。元々ソウイウ知り合いの多かった(あくまでも友達でなく)タクは、裁く先はいくらでもあったし、裁けばそれだけ金が入る。それに、こんなチケットを売っても大した罪悪感の覚えない彼には打ってつけでもあった。

 メールを送信してから、タクは歩き出した。路地を抜け、少し賑やかな通りに出て、商店街に戻る。更に駅前広場まで出て、突っ切って大通りまで行き、横断歩道を渡り、そして比較的静かな住宅街の方面へと歩き出した。しばらく歩いた先の、その一画、割と新しいアパートがそこにあった。タクの自宅、いや、元は兄であるナオヤの自宅だ。兄が死に、それ以来タクはここに暮らす様になった。

 兄貴の好きだったニルヴァーナのヴォーカルの、自ら打ち抜いた魂は、ニルヴァーナ(涅槃)をみたんだろうか。誰にもそんな下らない事は聞けるはずもない。俺の好きだった兄貴の音楽は、俺なんかに再現できるんだろうか。兄貴は死んだ。魂は死んだ。音楽は……? 誰にもそんな問いを聞けるはずもない。確かなものなんてねぇよな。と、言ったのは誰だったか。今ならタクにもそれがよく分かる気がした。
 兄が死んだ。あの日、俺のせいで死んだ。




 昔、巷で人気のバンドがあった。バンド名“mHeventh・マイナーヘヴンス”。Drのムロちゃん、Bassのマツ、sideGのリツ、Vo&Gのナオヤ。全員がそれぞれの個性を持ち、それぞれの色を持つ彼らの中でも、一際異彩を放つ男が居た。ナオヤ、それがタクの兄だった。
 タクは当然、ナオヤに憧れた。兄に憧れたタクがギターをやらなかったのは、ナオヤが『音楽にはな、ビートを刻むんじゃねぇ、魂を刻むんだよ』と言ったからだった。音楽に魂を刻む、そのためにタクはドラムでリズムを刻み続けた。
 ドラムを始めて数ヶ月が経って。それまでに出会った友人と四人でバンドを組んだ。色んな曲を練習した。そして、ライブをやることになった。初舞台は、あの憧れた兄のバンドの前座だった。
 とんでもなくヘタクソだった。兄のバンドに比べれば当然足元にも及ばない。それでも、最高の舞台だった、と兄は言った。タクは笑った。あの頃はまだ彼にも暖かい笑顔があった。
 事件が起こったのは二度目のライブだった。

 演奏を始めたのと同時に、メインギターの一弦が弾け飛んだ。彼はすぐに予備の弦を出し、張り出した。その間にも、時間は過ぎる、野次は飛ぶ。
『シケさせんな』
『出直せヘタクソ』
 バンドメンバーは悔しさを感じてはいたが、野次に憎しみは感じなかった。いつかナオヤが言っていた。『野次が飛ぶってのが、盛り上がってる証拠だろ。それだけ期待してんだよ』 タクはそれを思い出して、ドラムを叩いた。ヘタクソなドラムソロの時間繋ぎ、出来る限りの事はやった。
 ライブ自体は、曲を一つ減らす事で時間通りにおさまった。タク達の演奏が終わって『魂が切れなきゃいいんだよ』と言って肩を叩いたのはナオヤ、ステージに向かう彼はいつも燃えるようだった。

 調子に乗っていた、と言えば間違いではない。アクシデントがありつつも、二度目のライブを一応の成功に収めたバンドメンバーは、薄暗いライブハウスの裏でたむろしていた数人の女に声をかけた。それが他の男のモノだった、なんてのはよくある話で、彼らは当然ボコられた。
『テメェら、良く見りゃさっきのヘタクソバンドじゃねぇか』
『ハハ、アッチの方もヘタクソなクセに人の女に手ぇ出してんじゃねぇよバァ−カ』
『オイ、二度とヘタクソな演奏なんかできねぇようにしてやろうぜ』
『いいねぇ、軽く指でもへし折っとくか』
 一人の男がそう言ってタクの指を掴んだ。次の瞬間、タクには吹っ飛ぶ男の姿と、愛用であるGibsonのギターのネックを握って立っている兄・ナオヤの姿が見えた。周りの男が次々とナオヤに襲い掛かる、彼はその手に握ったギターを振り回して、男たちを薙ぎ倒していった。タクには、それがイカれたロックスターみたいに見えた。ハハ、カッチョ良過ぎだろ。そう呟いてからタクは意識を失った。

 タクが意識を取り戻したのは病院だった。目を覚ますと、傍には誰もおらず、彼は一人で立ち上がって病室を出た、するとそこに彼のバンドメンバー達が現れた。そして、衝撃的な言葉を放った。
『ナオヤさんが、意識不明らしい』
 最も反抗したタク、彼以外のバンドメンバーは比較的マシな怪我で、事の次第を覚えている限りタクに話した。男達はしぶとくナオヤに襲い掛かり、次第に疲れ始めたナオヤは、不意に後頭部を鉄パイプで殴られ、倒れた。数人に囲まれ、ボコボコにされた挙句、指をめちゃくちゃに折られて意識を失ったナオヤ。そこに誰が通報したのか、警察が来て男たちは逃げていった。
 その話を聞いてしばらくして、兄の眠る集中治療室を訪れた。めちゃくちゃに殴られた顔、折れた指、目を覚まさないナオヤ。それから何日もタクは兄の元を訪れた。

 数日が経って、ナオヤの折れた指に触れていたタクに、わずかな反応が返ってきた。タクは、兄の顔に自分の顔を近付けた。
『おかしいな、体に感覚ねぇぞタク』
『兄貴……ゴメン』
『あ? 何謝ってんだ。俺のギター触ったっつーんなら許すわけねぇぞ』
 タクは言葉を返せなかった。心臓の鼓動を測る電子音と、微振動するなんだか分からない機器の音が妙にうるさく響く。しばらくして、兄は独り言の様に言葉を発した。
『ブランキージェットシティーってよぉ、3104丁目のダンスホールに行ったと思うか』
『……わかんねぇ』
 言葉に、力はない。目も瞑っている。でも、そこに何か意思があった。
『だよな。世の中によぉ、確かなモノなんてねぇよな』
『うん』
『でもよぉ、音楽はスゲェだろ』
 兄の表情は変わらない。でもタクには笑っている様に見えた。
『…うん』
『音楽は確かなんだよ、魂で刻むからな。だから死なねぇ』
 死、という言葉が兄から出て、タクはハッとした。そして、震えた声で言った。
『兄貴も、死なねぇよな?』
『あ? 死ぬわけねぇだろバカ。バンドマンは最強だぞオメェ』
 それは遺言の様にタクに響いた。
『……うん』
 涙が出た。兄は笑っているようだった。

――そして、ピーという電子音が高く響いた。




 昔を思い出す事をやめて、タクは閉じていた目を開けた。パイプベッドに仰向けに寝転がって天井を見る。しばらくして、ふとベッドの横を見た。そこには、壁に立て掛けられたボロボロのギターがあった。泥にまみれ、ネックは折れ、弦は切れている。ヘッドにGibsonのロゴが僅かに見えた。それはかつて兄が不良に向かって振り回してめちゃくちゃになったギターだった。
 俺のせいで、兄貴の魂は中途半端に折れたままだ。そんな風に思って、タクは拳を握り締めた。彼は、いつか兄の魂である音楽を自分で再現しよう、とさえ思っていた。それが愚かな事をした自分なりの償いのつもりでもあった。だが、自分如きが兄の音楽に辿り着けるのだろうか、自分如きが兄の魂に触れていいのだろうか、そう考えるといつも何処かで本気になれないで居た。ギターを練習しては、ドラムを叩いて、そんな事を繰り返していた。かつて組んでいたバンドも今は解散してしまった。
 乱交パーチィだとか、大抵の事に胸なんか痛めないタクだとしても、ナオヤの事だけはいつまでもタクの心を締め付けていた。俺が兄貴を殺した、俺が兄貴の音楽を殺した、俺が兄貴の魂を壊した。そして、その魂に共鳴した者達の魂さえ俺は壊した。そんな風にしか、タクは考えられなくなっていた。
『世の中によぉ、確かなモノなんてねぇよな』
 そう言ったのはナオヤだった。
『音楽は確かなんだよ、魂で刻むからな。だから死なねぇ』
 そう言ったのもナオヤだった。
 魂で刻まれた音は壊れない。タクはまた目を閉じた。








“B ―― ヴェルヴェティー・コーヒー・タイム”

『音楽は理論じゃねぇ。でも分かってなきゃなんねぇこともある。小難しい本を抱えた兄貴が、そう言い放った。』


 何処かで、まだ踏み切れないで居た。兄貴の魂が壊れたとしても、音だけは生き続けてる。そんな風にも思えたタクだが、相変わらずギターとドラムを交互に続ける中途半端な日々を繰り返していた。
 タクが改めて兄を思い出し、思い直したあの日から一週間近くが過ぎた。今日もタクはスタジオを訪れて、しばらくのギター練習の後で休憩していた。そこにリツが重いドアを開け、中を覗き込んだ。
「珍しい人が来てるわよ」
「珍しい?」
「ええ、受付にいるから」
 リツはそれだけ言うと、何処か不機嫌そうにドアを閉めた。タクは不機嫌な彼女の姿を見た覚えがあまりない、それだけに、珍しい人、という言葉に不安を感じた。仕方なくタクは椅子を立ち上がり、重いドアを押して部屋を出た。相変わらず暗い通路を抜けて、受付まで出る。そして、その小さな空間の端。二人掛けのソファに、その珍しい人は居た。
「あ、カナ……さん?」
 タクがそう言うと、その女はそれまで俯いていた顔をハッと上げた。そして、まるで仮面を付け替えるかのように、整った真面目な顔からパッと明るい笑顔になる。
「やほ、タク君」
 それはタクの兄、ナオヤの彼女だった。いや、正確には元彼女だが。
「あ、どうも。今日は何を?」
 タクは、突然の来訪の理由がまったく見当たらなかった。兄の一周忌なら少し前に過ぎたし、その時はその時でカナも当然現れていた。今、この場所でわざわざタクを呼び出す理由なんてないはずだった。
「うん、ちょっと、外に出て話さない?」
 タクはそう言われて、受付の奥の小部屋に居たリツをチラリと見やった。タクを、そしてカナを睨んでいた。あぁ、そういえば昔カナさんと兄貴を取り合ったんだっけ。そんな事を思い出して、タクはちょっと焦る。バリバリパンクロッカーのリツと、どっちかというとお嬢様でおとなしいカナがぶつかったのはなかなか見応えのある光景だったが、結局、兄はカナを選んだ。その腹いせに弟のタクがとばっちりを食ったのは、また別の話。
「えーと、リツさん、ちっくら出てきます」
 タクがそう言うと、リツはプイっと身を翻して奥に消えて行った。普段はセクシーなのにな。タクはそんな風に考えてから、そんな子供っぽいリツから視線を離して苦笑した。
「あはは……じゃあ外出ます?」
「うん。リツさん、何かあったの?」
 カナはとてつもなく鈍い女だ。しかし、そんな所もナオヤの好きだった所だと知っているタクは、どうも返す言葉がなかった。いや、別に。と言葉を濁してから、タクは入り口の扉を押した。
 スタジオの扉を開けて外に出ると、寒さが身に染みた。タクは着てきたダウンジャケットを中に置いてきてしまった。そうしてタクが身震いしていると、後から続いて出てきたカナが心配そうに言った。
「何処か喫茶店でも入ろっか?」
 タクはそう言われてチラっとカナを見る。カナはファー付きのコート、タクはトレーナーだけだ。
「あー、えーっと」
 その時、急に冷たい風が吹いて、二人の体を打ちつけた。タクはまた身震いした。
「…どっか行きましょうか」
「うん」
 カナはニッコリと笑った。



 路地を抜けて商店街に出る、そして、その一画にある最近できたコーヒーショップ―VelVety Face Coffee―に入った。路地にあった喫茶店の前で、カナが、ここは? と聞いたが、そこはとてつもなくマズイだけのコーヒーを出す事をタクは知っていた。だからこそ、寒さに耐えて新しくできたこの店まで来たのだ。席に着く前に、まずタクはキャラメルラテ、カナはエスプレッソ・コンパナを頼んだ。
「相変わらず苦いのは飲めない?」
 二人は店の奥に進み、四人掛けの丸テーブルに向かった。カナはコートを脱いで隣の椅子に掛けてから椅子に座り、微笑んでそう言う。
「ええ、まぁ。カナさんも相変わらずみたいで」
 タクは答えながらそのまま座った。
「うん、クリームがないと飲めないけどね」
 話題はコーヒーなのに、二人はお互いの近況を確かめ合った気がした。もちろん、お互いに変わってない、という事を認識したのは言うまでもない。タクはそれが、嬉しくも何処か空しくも感じた。
 席に着いて、少しの無言。タクはチラっと店内を見渡す。そんなに広くない店内には、チラホラと人の姿が見えた。内装は、何処ぞのコーヒーチェーンに似ている気がした。味はどうだろうか。ふとそんな事を思ってから、タクはカナの方に向き直った。
「今日は、どうしたんですか?」
 二度目の問いかけ。タクには未だに見当が付かなかった。
「うん、こないだ本棚を整理してたらね、これが挟まってたの」
 カナはそう言って、傍の椅子に置いてあったノートケースから紙束を取り出した。ノートケースを見て、大学の帰りであろう事は安易に想像できた。こんな真面目っぽい人と兄貴がくっついたのは、奇跡だな。タクは改めてそう思った。
「これ、タク君に渡した方がいいと思って」
 タクは机の上に置かれた、所々破れて汚れた紙束を見た。表紙はメモのようで、方々に走り書きが糸くずの如く走り回っていて、たまに音符らしきものも見えた。そして表紙をめくると、他は全て五線譜だった。
「何スか?コレ」
「うん、たぶん、ナオヤのだと思うんだけど」
 タクはそう言われて、心の中で何かが揺れた気がした。もう一度紙束の一番上のメモを見る。よく見ると、右下に“Naoya”と小さく書かれていた。そして後ろの五線譜を改めて見ると、汚く書かれた音符がその上で踊っていた。
「兄貴の――オリジナル?」
「それも、まだライブでは演奏してないみたいなの。始めてのバラードみたい」
 カナはこう見えて“mHeventh・マイナーヘヴンス”のマネージャーかと思えるぐらいにバンドに詳しく、また色々な事務的手続きを手伝っていた。タクはそれを思って、これが未発表の曲であるという事を何の疑いも無く理解した。
「この表紙の左下にメモしてあるのは、私が教えた音楽理論の本の名前なの。音楽は理論じゃない、なんてナオヤは言い張ってたけど、影でこっそり勉強してたのはバレバレだったんだよね」
 カナは思い出すように微笑む。この人は兄の居ない哀しみを乗り越えたのだろうか? タクはそう考えてから、もう一度楽譜に目を落とした。五線譜の一番最初のページの左上に、タイトルはない。兄貴は、この曲を一度も演ってない。タクは楽譜をさっと見てから、改めて理解した。だいたい色んなロックバンドの曲をコピーしたりカヴァーしたりしていた兄のライブに、これまでオリジナルはいくつかあったものの、そんなに多くは登場していない。兄の音の再現、そんな課題に主とした目的を見失いつつあったタクには、これが兄の音楽だ、と言えるものが現れた気がしていた。しかし、演ってない曲に再現も何もないな。なんて考えて、また一度奮い立ちそうだった心が折れていくのを感じた。
「お待たせしました――」
 思いに耽っていたタクの思考が断ち切られる。目の前には、キャラメルラテが置かれていた。


「ん、うまい」
 ゴチャゴチャと考えるのをやめて、キャラメルラテを飲んでいたら、タクは思わずそんな声を漏らした。そして、漏らしてからハッと気付いて、チラリとカナを見た。
「どうしたの?」
「いや、別に」
 タクはそう言って誤魔化す。ここで改めて兄の話をするのは野暮に思えた。
「…まだ、責任感じてるんだ?」
 カナが、何時になく鋭い視線でタクを見た。
「ハハハ、カナさんには適わないな」
 タクは諦めた様に溜め息をつく。そして、少しずつこれまでの自分の思いをカナに打ち明けた。兄の音楽を再現したい、という気持ち。でも自分なんかが、という気持ち。兄の死への罪悪感。そして、全てを話し終えて、タクはもう一度ため息をついた。

「なんか宗教的になっちゃうけど」
 話を聞き終わって少しして、急にカナが言った。二人のコーヒーカップは、もう空だった。
「魂の再現? って、いうか。そういう事には、凄い意味があると思うの」
「……カナさんからそんな言葉を聞くとは思わなかったスね」
 タクはカナの中に、何処か兄の面影を感じた。ナオヤの魂は、ここにも生きている。
「うーん、ナオヤの影響かな?」
 そう言ってカナは照れくさそうに笑う。そこには一抹の寂しさだって漂っていた。

――誰も哀しみを乗り越えられてなんかいない、哀しみの上に強さを纏う。哀しみという礎の上にある強さだから、きっとこんなに強く見えてしまう。俺は何をしてるんだろう? ただ、哀しむだけ? ただ罪悪感を感じるだけか? それだけが今俺に出来る事かと問われれば、それは違う。兄貴の魂は、すぐ近くに生きている――

「うっし」
 ガタ、と椅子を鳴らせながら、タクは立ち上がる。それを見て、カナは少しも動じずに微笑んだ。
「やるの?」
 やっぱり、カナさんには適わない。とタクは思う。全てを見通した様な、包み込む様な優しさと、無闇に折れてしまわない強さ、きっと兄はこれに惚れ込んだんだろう、と。
「行ってきます」
 そう言ってタクは兄の楽譜の束を掴み、勢い良く店を出た。周りの客が何事かと見送る中、カナだけは静かに笑顔をたたえていた。


 タクがスタジオの入り口の重いドアを押し開ける。そこから少し暖かい空気が流れてきて、次に、マツが受付の前にあるソファーで出迎えた。タクはドアを閉めてから、マツに決意を伝えようとした。
「演るんだろ?」
 先に口を開いたのはマツだった。
「みんなお見通しスか」
「そんなことぐらい、お前の顔見りゃ分かる」
 マツはソファーから立ち上がって、嬉しそうに笑う。そして愛煙のラッキーストライクに火を付けた。
 そこに腰パンして、パーカーを着た男がスタジオの奥から現れた。1週間ほど前、タクが乱交パーチィのチケットを売った男。“mHeventh・マイナーヘヴンス”のDrのムロちゃんこと、ムロイだった。
「アレだ、ドラムは俺だから、ギターお前な」
「もちろんス」
「ヘタクソだったら容赦しねーかんな」
 ムロイがタクの肩を抱く。二人とも笑った。
「タク、これ練習しときなさいよ」
 受付の奥から、リツが出てくる。いつも練習で使っていたエレキギターが黒いソフトケースに入れられ、更にその上に楽譜の束が乗って、受付のカウンターにドン、と置かれた。
「曲は勝手に決めちゃったから」
「どうも」
 リツがいつものセクシーな姿で、笑う。

 これが、ナオヤを欠いた“mHeventh・マイナーヘヴンス”のメンバーだとは、とても思えない。そこにはまるでナオヤが一緒に笑っている様で、タクは大きな安心感と開放感に包まれるのを感じた。
「俺、もう迷うのはやめます」
 タクが、静かに言い出した。
「俺は俺だけど、やっぱり兄貴の弟であって……なんつぅか、難しい事は分かんないけど」
「心配すんなって、分かってる」
 言葉に詰まったタクに、マツが言った。その顔は真剣な様で嬉しそうで、他の二人も同じだった。マツはタクの肩に手を置いた。優しく、力強く、何かを確認するように。
 そこに新たな“mHeventh・マイナーヘヴンス”が動き出した。ナオヤの魂に触れて、未だそれが彼らの中で息づいている。そんな奴らによって。
『音楽は確かなんだよ、魂で刻むからな。だから死なねぇ』、魂も決して死にはしない。タクはナオヤがそう言った気がした。








“C ―― オン・ザ・ライブステージ”

『やることはやったんだろ?後はステージで暴れるだけだ。ライヴ直前、兄貴は俺にそんな言葉をくれた』


 短い時間に感じた。今のタクにとっては時間はあればあるだけ欲しいもので、ギターの練習をしていれば一瞬で過ぎてしまう。ライブの日取りはマツによって、だいたい一ヵ月後に決められた。応募して参加する合同ライヴ、そこに滑り込む。その日は奇しくも“mHeventh・マイナーヘヴンス”が初ライヴを行った舞台、そして日付だった。
 朝、アパートで目覚めるとまずギターを手にとって、寝ぼけ眼を擦りながら頭の中に覚えているフレーズをとにかく弾いた。パワーコードの進行だったり、時にはソロだったり、とにかく目的も決めずに弾く。それがタクに朝を告げた。なんとなく、だが、タクば持っていたドラムのスティックをムロイに預けた。それはタクなりに真っ直ぐな気持ちを表すもので、決して誰かにすがったわけではなかった。
 ライブの内容は、ほとんどが“mHeventh・マイナーヘヴンス”をなぞったものだった。かつてコピーした曲や、もちろんオリジナルも含まれていて、『再現』と呼ぶにふさわしい内容だった。ただ、カナに渡された楽譜だけはマツとリツとムロイには見せず、タクが大事に持っていた。何故かそれだけはタクにとって特別な存在で、演る気になれなかったからだ。
 ヴォーカルの練習もしなくてはならない。当然ナオヤはギター・ヴォーカルだったのだから、それは欠かせない。専門的なヴォーカルの練習なんかはしない。ただギターを弾きながら歌いまくった。今更チマチマした基礎をやっている暇はない。本当に時間がなかった。一ヶ月そこらで目を見張る上達は望めない。しかし、上手い下手はタクにとってはさほど問題ではない、彼はただ自信が欲しかった。これが兄の音楽だ、これがナオヤの魂だ、そう胸を張って演れる自信。そのためにタクは弾き続けた、そこに何かを宿す様に、自分を刻み、音を刻み、ナオヤという男の音楽・魂を刻む。
 日増しにタクの気持ちは高ぶってった。それは緊張と期待と不安と、色んなものが入り混じって起こる、もはや自分自身にも抑えられない衝動だった。それを全てギターにぶつけた、シャウトで吐き出した。
 ライブの日は瞬く間にやってきた。


 タクは目覚めてから、まずギターを手に取った。それからいくつかのフレーズをやって、今日がライブの日であることを思い出す。ゆっくり起き上がって、ギターを置き、いつも通りのスピードで、いつも通りの仕度をした。これまで幾度となくしてきた音合わせと同じ用意。何度マツのスタジオ・ZA・RAMにナオヤの音楽が鳴り響いたか分からない。それぐらいに練習はした。
 自信はできかけていた。ゆっくり時間をかけたわけではない。でもナオヤの考えていた事が、何となく分かってきた気がしていた。音楽を通して訴えたかったこと、感情や願いや、色んなものたち。それを全て今日ぶちまける。タクは全ての仕度を済ませると、ゆっくりとアパートのドアを開けた。


 古いライブハウス。昔からナオヤが演り続けていたステージ。リハは無事に済ませた。楽屋とも呼べない狭いスペースに、今はタクが一人で居た。
 ここに来て、迷いがあった。このライヴのゴールは何だ、と。演奏を全て終えればそれでゴールなのか、ステージに立った時点でゴールなのか、それとも別の何か? 答えは出ない。迷いがタクに不安の種を植え続ける。今、初めて怖い。ステージに立っている自分が想像できない。演奏を終える自分が想像できない。練習の様にシャウトする自分はそこには居ない。心音が聞こえる。それがリズムを刻む。
『魂を刻むんだ』
 ふと、兄の言葉が反芻する。
『確かなモノなんてない』
 いや、でも
『音楽は確かだろ』
 そうだ、だから
『バンドマンは最強だ』
ガタ、っと椅子から立ち上がった。


 ステージの裾の暗幕に覆われたスペースに身を置く。右手にはギター、左手にはエフェクターの入ったボックス。前のバンドのステージが終わる。入れ替わりで“mHeventh・マイナーヘヴンス”がステージに上がった。
 前評判はある。かつてあのナオヤが率いたバンド。でもナオヤは居ない。それでもかつての常連達が集まっていた。タクはセッティングを始める。シールドをギターに差し込む手が震えた。
「タク、後はトブだけ、だ」
 ジャージ姿のマツが、肩に手を置く。
「やってやれ」
 最後にぎゅっと肩を握って、その手を離す。
 タクは無言で頷く。カチャリ、とシールドがささった。
 ふぅ、と一つ息をついて。後ろを振り返る。ムロイがまだか、とばかりにスティックをカチカチ叩いていた。左を見る、マツが小さく頷いた。右を見る、リツがセクシーに舌をペロっと出した。
 オーケー。タクはエフェクターのスイッチを足で押し、ギターを鳴らす。客達は聞きなれたイントロに声援を上げた。ナオヤの初オリジナル曲、『ネバーダイ』。

ミ、ミ、ミ、レ#、ミ、ミ、ソ、ミ、シ、シ、シ、レ、レ#
ミ、ミ、ミ、レ#、ミ、ソ、ラ、ラ(cho)、ラ、ソ、ラ、ラ(cho)、ラ、ソ
ミ、ミ、ミ、レ#、ミ、ミ、ソ、ミ、シ、シ、シ、レ、レ#
ミ、ミ、ミ、レ#、ミ、ソ、ラ、ラ(cho)、ラ、ソ、ラ、ラ(cho)、ラ、ソ、ミ
(g↓)Em、G、D、Em、Em、G、D、Em

 タクが真剣な顔付きでイントロを弾き終え、それまでうつむきがちだった顔を観客に向けた。その目は、燃える様に赤い。すると、他の三人はそれぞれ笑って、演奏に加わった。新たな“mHeventh・マイナーヘヴンス”が動き出す。『ネバーダイ』。音楽は死なない。ナオヤの魂が叫びを上げた。








“D ―― マイ・ブラザー・サウンド”

『ゴールはどこにもねぇ、でも突っ走ってやれ。ナオヤ――兄貴はあのステージでそう吼えた』


オレがやってるのは平和とはカンケイナイこと
誰が消えても生まれてもカンケイナイこと
でもオレが願うのは誰もが笑ってることで
それはきっと平和を願うパンクロッカーみたいな

明日はきっと弦が切れるんだろうなんて
そんな予感は放り出してしまえばいい
オレが望むのはたったひとつシンプルさ
壊れないギターをくれないか

世の中には可愛い女の子が溢れているのに
オレが愛したのはギターという楽器だっただけのこと
世の中はもっとフクザツかもしれないのに
オレの願いはどこまでもシンプルだっただけのこと

震わせた魂に触れた優しさ
越えたい今日は…

ネバーダイ 死にはしない
ネバーダイ 明日が待ってる
ネバーダイ…

 胸を撫で下ろすのはまだ早いのだけれど、タクは少し安心していた。間奏までを歌いきる。いつか兄のライヴで見たことのあるかつての常連達は、何処か満足げ―とても嬉しそうな目―で聴いていた。
 今度はリツがギターソロをぶちかました。ネックを這う指が艶かしい。
 タクはと言うと、何故かとても冷静に、いつかの出来事を思い出していた。『世の中には可愛い女の子が溢れているのに オレが愛したのはギターという楽器だっただけのこと』そんなフレーズを聴いたカナが、ナオヤに文句を付けているのを、タクは目の当たりにした。『私よりギターの方が好きなんだ?』イラズラっぽくそう言うカナに、ナオヤが焦って、『バカ、オマエが一番に決まってんだろ』なんて恥ずかしいセリフを吐いていたこと。表情には出さずにタクはクスっと笑う。
そして続く曲に、タクはまた全てを浸していった。


 『ネバーダイ』を演り切って、次に『Anarchy In The UK』こカヴァーを演り終えた頃には、タクはもう随分落ち着いていた。頭の中に、次の曲のイントロやら何やらを思い浮かべてから、ふと、観客を見て、タクは心臓が止まった気がした。

――奴らが居る

 そう、ナオヤの命を奪った、いつかの不良達。タクには気付いている様で、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。このライヴを滅茶苦茶にするつもりなのか。そんな考えが浮かんで、タクは無理矢理に打ち消した。落ち着いたハズの心臓の鼓動が、またバクバクを高鳴る。

――お前が兄貴を殺した

 奴らがそんな風に言っている様にさえタクは思えた。そんなことはあるはずがないのに。打ち消したハズの不安や言い様のない恐怖がタクの中で再び沸き上がった。

 ――兄貴を殺したのは俺だ。俺の責任だ。俺があんな馬鹿みたいなことをしなければ、きっと兄貴は死なずに済んだ。兄貴は俺をかばって死んだ。俺をかばって? それだけで兄貴は死んだのか? 兄貴は何を思っていたんだ。どうしようもない弟だと思っただろうか。それともただ自分の魂に従っただけなのか? 分からない。分からない。兄貴。分からない。教えてくれ。兄貴。俺は、俺はどうすればいい――

 その瞬間、タクは全てが真っ白になった気がした。そして、真っ白になったその世界には、ナオヤが立っていた。コツコツと、愛用のアーミーブーツが音を立てて、そしてそれがタクに近付いていく。
「よぉ」
 ナオヤがいつかと変わらない声を出した。
「兄貴……」
「何て顔してんだよバカ」
「俺――俺、どうすりゃいい」
「『もう答えは出てるんだろう 俺たちの悩みはいつも下らない』ってな、俺はあながち間違ってねぇと思うぜ、この言葉」
 それは、ナオヤのオリジナル曲。それもまだ未発表で、カナがタクに渡した曲のフレーズのひとつ。あの楽譜を隅から隅まで目を通していたタクには、それが何のことかがよく分かっていた。
「やるだけだろ、何もかも。ステージに立ってゴチャゴチャ考えても無駄なんだからよ」
「やるだけ……」
「でもよぉ」
 ナオヤがニヤリと笑った。
「一緒にやって演ってやってもいいぜ」
「え?」
「もう長いこと暴れてねぇからよ」
 ナオヤが拳を突き出す。
「……死んでも暴れ足んねぇのかよ兄貴」
 タクが、やっと笑った。ナオヤもうるせぇ、と笑った。
「やってやろうぜ。あんな奴ら、黙らせりゃいいんだよ」
「おう」
 タクも拳を突き出した。それがナオヤの拳と触れる。辺りがまた真っ白に光った気がした。そこから先のことは、タクはもう覚えていなかった。


 マツは、急に動きの止まってしまったタクを、ふと見た。そこには、ナオヤが一緒に立っていた。ナオヤもマツを見る。目が合って、それだけでマツは全て分かった様な気がした。ナオヤは笑って、サンキュー、と言った。

 リツは、何かに気付いてハッとタクの方を振り向いた。リツがやっぱり、と呟くと、ナオヤは今日もセクシィだねぇ、とジロジロ見回した。リツは、そのかつて愛した男に、いや、今もまだ愛している男にベーと舌を出してみせて、それから前を向き直った。ナオヤが可愛くねぇオンナ、と言った。

 ムロイは、タクの横に、ナオヤが浮かび上がった気がした。幻覚ではない、そこに確かにナオヤの存在感があった。薄っすら浮かんだナオヤが振り返る。『おう、ムロちゃん。ちっとだけ出来のわりぃ弟を手伝ってやることにしたぜ』。ムロイは、フンと笑った。死んでも飽きたりねぇ奴だ、と呟いて、中指を立てた。

 そこからはもう伝説のバンド、“mHeventh・マイナーヘヴンス”そのものだった。かつての常連達は彼らの演奏を聴きながら、跳ねて、飛んで、首が千切れる程振り回して、もう手が付けられなかった。あの不良達は、全てに気圧されていた。情けなく口をポカンと開けて、観客達のウェーブにただ巻き込まれるだけだった。それは本当の伝説。“mHeventh・マイナーヘヴンス”という伝説。

――兄貴















 タクが目を覚ましたのは、楽屋だった。ハッと体を起こすと、周りにはマツ、ムロイ、リツが座っていた。
「目ぇ覚めたか」
 マツが笑って言った。
「お前イタコだったんか?」
 ハハハ、とムロイが笑った。
「やめてよね、いきなり倒れるとか」
 リツが呆れた顔で呟いた。
 タクは、いや、ナオヤを宿したタクは、全ての演奏を終えて裾に下がった瞬間、床に倒れ込んだ。それをマツとムロイがここまで運んだのだった。
「俺……全然覚えてないス」
 タクはあの白い世界でナオヤと拳を合わせてから先の記憶が、本当になかった。
「いーんだよ、別にゴチャゴチャ考える必要はねぇ」
 マツのその言葉を聞いてから、タクは三人を見た。それぞれ、本当に満足そうな顔だった。
「でよぉ」
 ムロイが急に切り出した。
「これからもやんのか? “mHeventh・マイナーヘヴンス”」
「それは……」
 タクは俯いた。ナオヤが言った様に、シンプルに、結論を出してから、顔を上げた。
「もう、やりません」
 そこで、恐る恐る、タクは三人の顔を順番に見た。
「やっぱりそうね」
「だな」
「おっしゃ、やっと練習から解放されるぜ」
 三人が思い思いに言葉を口にした。タクは、何がなんだか分からなかった。
「あの、いいんスか」
「あん? まだ何か心残りあんのか?」
 ムロイが言い放った言葉に、タクはライヴとその練習の日々を思い返した。もっとも、ライヴは途中までしか覚えてはいないのだけれど。確かに悔いはなかった。全てやった。ナオヤが答えともつかないが、確かに何かをくれた。タクは、笑った。
「ないスね」
 その言葉で三人が立ち上がる。
「じゃあ、解散だな。まぁまたスタジオに遊びに来いよ」
「今度からはちゃんと料金払って貰うから」
「またあのチケット入ったら知らせろよ」
 そう言って、ぞろぞろと楽屋から出て行った。急に、シンとなる。


 全てはいたってシンプルだった。ナオヤがただ壊れないギターをくれないかと歌ったように。
 人は死んでも、きっと何かを残している。死んだ人は確かに居なくなったのだけれど、何か必ず残されたものがある。それがナオヤの場合、音楽にかける魂だっただけのこと。残された者たちに必要なのは、例えば死を悔いることではない。大切なのは、死んだものたちが残した何かを大事にすること。


 タクはガタっと席を立った。立てかけてあった自分のギターを肩に下げ、ドアに手をかける。ふと、後ろを振り返ったけれど、そこには何もなかった。

――兄貴、サンキュー

 ガチャリ、とドアを開けた。



2005/09/04(Sun)01:30:50 公開 / 7com
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■作者からのメッセージ
いやはや、どんだけかかったのか。実際は殆ど何も書き進めていませんでした。ケジメの意味も込めて一気に完結。もう見ている人はいないかもしれないけれど、自己満足かもしれないけれど、やはり書き終えておきたかった。どうもありがとうございました。
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