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『Boundaries 1話〜6話』 作者:BULL / 未分類 未分類
全角28332.5文字
容量56665 bytes
原稿用紙約102.95枚

 或る城跡の地下牢の中、少女は繋獄されていた。
 薄らと見える煉瓦造りの壁。燭台の炎が事切れたのは何時だったろう。
 今、朝なのか夜なのか。此処は何処なのか。
 無限の静寂を許さず頭の中で謳い上げる72人の彼ら。
「憐憫也。憐憫也。憐れ傀儡の姫君。時満ちる事無く永遠を刻む。」
「滑稽也。滑稽也。魔の鎹、絶つは能はず。」
「最果て迄、最果て迄、親の因果は子に報う――幽明境を異にしたとて。」
 ……嗚呼。彼らは飽きもせず、陽気に、情熱的に、淡々と謳う。
 或る者は臓物を穿ち抉り出すが如き低く、深い悍しい声で。
 或る者は脳の髄まで響き渡る、高く美しく、魅惑を含有した声で。
 
 もう此処にどれ位居るのだろう。よく覚えていない。
 気が付けば両手には鎖、脚には錘、人の気配なぞついぞ感じた事は無い。
 空腹も、便意も、睡魔にも襲われないのだ。
 彼らが以前、――何ヶ月前か、何年前か定かではないが――囁いた。

 ――――過去も未来も在りはしない。
             在るのは、永遠の今だけ・・・――――

 私は死なない。否、死ねないのだろう。
 煉瓦造りの牢獄。手足に枷。私に語り掛ける72の声。
 何時まで続くのだろうか。






1話 神父

 或る2つの大国が在った。両国は約400年間もの間対立を続けたが
 武力が拮抗している為か、大規模な戦争が始まる事は無かった。
 その分常に2国間の緊張状態も緩みを見せず、国境付近での小競合いの
 頻発も已む無しと言えるだろう。
 大国ベラと、帝国ヴァリス。
 約500年前滅亡した大国の城跡が佇むこの国境では
 領土区分が未だに不明確となっておりそれも対立の一因を為している。

「涼しい、と言うよりは冷え込むな、今朝は。」
 大国ベラ唯一の教会を清掃して回る一人の若い神父は呟く。
 聖堂の床を余す所無く掃き終え伸びを一つ、早朝の日課に終りを告げる。
「――さて、食事か。」
 教会脇の自宅、木造の味の有る…そう言えば聞えは良いが、率直に言えば
 襤褸屋の扉をそっと開く。でなければ不安を掻き立てる程に軋むのだ。
 ……一人暮らしの分際で誰に気兼ねしているんだか。
 自嘲気味に口の端を吊り上げ、朝食のパンと牛乳を取り出して並べる。
「主よ、今日の糧と恵みに感謝致します。」
 呼吸に等しいと言っても差し支えないくらい言い慣れた台詞。
 毎朝、黴の生える直前のパンと、申し訳程度の牛乳。
 この食事に慣れるまでは、正直辛かった。
 教会での生活ももう何年になるだろう。
 最初は質素な食事に耐え、厳格な規則に従うのにも抵抗はあった。
 少なくとも聖書の暗誦は出来るし、悪魔祓いも出来る。
 神父としては及第点だろう。十字を切る姿も様になった。
 ――本当にただの神父だったなら。

「お早う御座います、ライオット神父。」
 シスターがやって来た。
「ああ、お早う御座います。」
 彼女は俺の他に唯一この教会で一日を過ごす者である。
 若く恭しく美人、欲の無い博愛主義者で、シスターには打って付けだ。
「もう起きていらっしゃったんですか。」
「冷えて眼が冴えてしまってね。丁度教会の清掃もあるわけですし。」
「あら、御体は御大事になさって下さいね。神父様が風邪をおひきに
 なっては国民の皆さんは不安がってしまいますよ。」
「はは、いやお気遣い有難う。でも私は大丈夫ですよ。」
 一通り朝の挨拶を済ませると、シスターは修道服に身を包み、
 箒を手に教会前の通りを掃いて来ると出て行った。
 今日は特に予定も無い。懺悔に訪れる人間も最近はめっきり減った。
 罪の意識が薄弱になっているのか、単にこの国が平穏なのか……。

 否、平穏ならば俺のような存在が在る筈は無い。

 雑務を終え読書に勤しんでいると、シスターが昼食を運んできた。
 二人で、教会入り口の階段に腰を並べ穏かな陽光を見上げる。
 シスターは育ちの良いのか、自然にハンカチを敷きゆるりと腰を下ろす。
 トレーには珍しく、ハムと卵が有る。今日は特に機嫌が良いのだろうか?
「良い事でも有ったんですか?昼食がこれ程贅沢だと後が怖いですね。」
 クスクスと微笑いながら、シスターは答える。
「毎日主の下で働けるのです。これ以上に素晴しいことは有りませんよ。」
「成る程、貴女らしい。私以上に神父に向いているかもしれませんね。」
「神父様がそんなことを仰って。きっと神父様の日頃の行いがよろしいから
 主が特別に、御褒美を下さったのかもしれませんよ。」
「日頃の行い……ですか。」
 神父の眉間に皺が寄る。先刻迄の安穏とした面持ちはつぅと消え
 厳しい感情が顔を覆っていた。シスターは顔色を察して
「……何かお気に障る事を言ってしまったようで、申し訳ありません。」
「気にする事では有りませんよ。すいません、やはり今朝冷えたせいか
 腹を下してしまったようです。食事は後で必ず摂りますので。」
「あ……。」
 神父は立ち上がると、ギシギシと危険な香りの漂う扉を開き自宅へと
 入っていった。シスターは何とも言い難い気まずさを感じていた。

 日頃の行い、か。いくら平凡な人生を装っても、自分の良心だけは
 欺き通せない。もし神が俺の行いを知れば褒美どころか――。

 コンコン。    ミシッ

「神父様……ライオット神父様?宜しいですか?」
 シスターだ。ノックしただけで扉が軋んだ。今度町の修理工を呼ぼう。
「どうぞ。」
 慎重に扉を開け申し訳なさそうな表情を顔に貼り付けたシスターが入る。
「どうしました?先程は申し訳ありません。折角のご馳走だったのに。」
「いえ、それより神父様に御客様がお見えになっておられます。」
 ……厭な予感だ。
「お久し振りです、ライオット神父。」
 緑の法衣に身を包んだ男。以前に合った事はある。
 確か――国家法務委員会の役人だ。慇懃な態度だが気は許せない。
「お話があります。宜しいですね?」
 法衣の男はシスターに席を外す様目配せをする。やはりその話か。
 シスターはそそくさと教会へ戻っていった。
「法務委員会が、今度は何の用件か。」
 可能な限り冷静に、しかし威圧を含ませた声で訊ねる。
「今更言わなくてもお判りになるでしょう。」
 法衣の男は意に介さず、淡々と答える。
「日時は?」
「本日の夕刻、5時半となっております。」
「――判った。準備しておく。」
 盛大な溜息と共に喉から言葉が流れ出す。
「では御願いします、ライオット=ワルンブルグ法務執行官殿。」

「シスター、私は用事が出来ましたので城へ行ってきます。
 留守を頼まれて頂けますか。」
「勿論、行ってらっしゃいませ。なるべく暖かくなさって下さいね。」
 勘付かれてはならない。よって予定の時間よりも些か早く発つ。
 俺は咎を又一つ、積み上げるのか。

 ベラの城下町を抜けていく。12月の風が町の空気を塗りつぶす。
 やがて染まる冬が恋しいのか、皆心なしか落ち着きが認められない。
 城下町を抜け、城門を通り抜け城内へ入る。

 専用の控え部屋に通され、装束、もとい正装へ体を預ける。
 黒い羽襟の付いた、背中に十字の刻まれた漆黒のローブ。
 鴉を模した仮面。そして――柄の極端に短い、一振りの大剣。
 十字を首から下し、眼を閉じて耽る。

 ……数えることもしなくなった。最早煉獄に焼き尽くされる身。
   深く考えるだけ損か……

 黄昏の赫が国を染め始める。空は青と紅のグラデーションが鮮やかだ。
 城の中心広場には、拘束台が3つ。それぞれ男が2人、女が1人括られる。
 法務委員会の人間が読み上げる。
「汝らは、ヴァリスの諜報員、我が国にて諜報活動を展開し
 国王暗殺、国政の混乱を促そうと試みたことを今此処に告白する。
 当裁判所は、汝らを有罪と見做し

 ――よって此処に於いて処刑を断行する事を宣言する――

 そう

 この王国には死刑制度があり――主に斬首刑。

 その死刑を執行する処刑人(EXECUTIONER)が、俺だ。

 処刑人は家系で継ぐ、そういう仕来りによって

 我々ワルンブルグ家は父親も、祖父も、曾祖父も―――

 今まで何人殺したろう。
 敵国のスパイが主だった。国の極悪人も裁いた。
 若しかしたら冤罪かもしれない、そんな人間の首をさえ刎ねた。
 幼少の頃より人体の急所を学び、確実に殺す、当に必殺を極めた。
 あの頃は無知で馬鹿だった。ただ悪人を懲らしめる、そんな思いだけで
 殺人技術を磨いていたのかも知れない。

 処刑刀を握り胸の前で十字を切り、ゆったりと1人目の男に接近する。
 男は猿轡を噛まされ、声を発する事は出来ないが涙と涎で顔を濡らし
 顔を真赤にして必死に何かを叫ぼうとして身を捩っている。
「――主よ。」
 そんな言葉を発する事さえおこがましいと思った。
「〜〜〜!!!」
 一振り。首の付根の、骨の隙間を通すように。
 途端、男の首は胴に別れを告げ。断末魔の恐怖に彩られた表情のまま
 地面に転がり落ちた。残された胴からは鮮血が溢れ血泉を築く。
 そのまま2人目の男に近づき、同様に、全力で振り下ろす。
 それは一瞬の内に、次の瞬間には首の無い躯と首に分けられた。
 最後の女は、仲間が2人殺される所を間近に見て、自分の順番が来た事に
 気付いた。恐怖に顔は蒼白、涙は猿轡に染み込み、男と同様に身を捩る。
「怨むなら俺を怨んで、来世に俺を殺しに来い。」
 言い終わるや否や、渾身の力を持って必殺の一振りを――。
 
 ……ライオットは首の慄然と見開かれた目をそっと閉じる。
 躯の処理は法務委員会が担当する。拘束台の下には夥しい血が溜まり
 鉄の臭いと目に焼きつく紅が、其れだけで凄惨な儀式を物語る。
 女は失禁していたらしい。処理班が水を撒いていた。
「お疲れ様です。」
 妙に事務的な声が、その時の俺には有難かった。

 神父兼処刑人。
 昼間は人に生の道を説き、夜は仮面を被り命を摘み取る死神と化す。
 日頃の行い……か。償い切れる重さは、とうに超えている。
 全く、お笑い種だ。

 そんな俺に、国境付近城跡の調査依頼が来たのはつい先日の事だった。







2話 処刑人

 ライオット=ワルンベルグ 23歳
 大国ベラにて、神父兼法務執行官(処刑人)を務める。
 両親が他界、前法務執行官であった父親の死と同時に現職に就任。




 大国ベラは、死刑制度を採用する、珍しい国家である。
 ヴァリスと対立している状況で、内政が混乱しては相手に漬け込まれる。
 そこで即物的な手段として恐怖で国を統治するしか無かったのだ。
 斬首には、見せしめの意味も含まれているらしい――
 400年前の建国時より続く処刑は、ある家系が継承し続けていると言う。
 ワルンブルグ家。その請負う使命の重さ故か、国にある程度の生活を保障
 されている。其の家を彼が飛び出したのは、若干13歳の時であった。

 ――柄でもない。昔の事を思い出すなんて。
 頭を振って、引出された記憶を振り払おうと試みる。
 だが、一度開けられた扉の奥より濁流が流れ出し、塞ぐ事が出来ない。
 ライオットは、諦めたのか眼を閉じ記憶の濁流に身を投げた。





「――君が今日からお父さんの代わりになるんだ」
 父の死後一ヶ月。俺の家の門をくぐった法衣の男は、唐突にのたまう。
「お父さんは立派な執行官だった。最初から同じ様にやれとは言わない 
 が君ももう13歳だ。仕事も見た事が有るし、やってくれるだろう――?」
 父は死んだ。俺の知らない内に心臓を患っていたらしい。
 良心の呵責が、父の身体を蝕んだのだろうか。うちの家系は早死が多い。
「そんな、父さんの代わりなんて……」
 其の時の俺は言葉とは裏腹に、或る種の狂った使命感が心を燻っていた。
 家業を継げる。懲悪を仕事にする。悪をこの手で裁く。
 自分がこの国の「正義」の象徴に成るのだ。今思うと、幼稚で怖しい。
 そして男は俺の背中を押す台詞を吐いたのだ。
「大丈夫。君ならやれる。お父さんも生前、君には期待していたようだ。
 それに、この仕事は今君にしか出来ないんだよ」
 ――父が俺に期待していた。勿論欺瞞だ。しかしやはり俺は幼かった。
 法務委員会としては、煽てて豚が木に登れば良かったのだろう。
 だが其の言葉は俺の使命感の燻りに薪を焼べた。
「――わかりました。僕しか居ないのならやりましょう」
 生前の父は、厳格にして寡黙、しかし圧倒的な存在感と威厳を放ち、
 国を害する悪を一蹴する。当に俺の憧憬と畏敬の対象そのものだった。
 父に剣技、人体の構造、尋問術、一般学問、あらゆる知識を教わった。
 同世代の子供との遊戯など殆どしなかったように思う。
 それほどに父と過ごす時が貴重だった。
 父に認められぬまま他界された俺は、譬え欺瞞でもその言葉を信じた
 かったのだろう。父の死の悲哀に暮れていた自分は何処へやら、
 法務執行官に成った自分に陶酔し、胸を躍らせていた。



 最初の仕事の日、俺は緊張と高揚感で眠れずに鶏の叫ぶまで起きていた。
 城の門を潜り、控え室に通される。担当の役人から説明があったが、
 右から左へと抜けていった。俺はキョロキョロと部屋を見回していた。
 父が此処を使っていた。そう思うと興奮は一層体積を増し、裁きの時を
 待ち切れなくなっている自分が居た。
 一通りの説明が終わり、役人から正装が渡される。
 漆黒の羽襟の付いたローブと鴉の仮面。死の象徴を身に纏い。
 俺は城の中心、円形の草の禿げ上り乾いた土の広場へ一歩を踏む。
 時は昼の1時。拘束台には1人の中年の男が芋虫の如く括られている。
「汝、城への度重なる不法侵入及び待女への暴行・殺害、金品の強奪等の
 罪を犯した事を此処に告白する。因って此処に於いて処刑を断行する」
 
 俺に柄の短い、先端の丸い大剣が運ばれてくる。
 ずしりと重い。これで、人の首を叩き切る……俺が人を……殺す。
 突如、全く毛色の異なる感情が、――本来感じている筈の感情が――
 俺の中から滲み出しては浅薄な使命感や正義感を湿らせていく。
 戦慄。慄然。嫌悪。困惑。
 俺の中で処刑と言う概念の定義は――懲悪の儀式、から――
 人を殺す、国家公認の「殺人」へと転換した。
 厭だ。
 何で俺は剣を握ってるんだ?
 どうしてこんな仕事簡単に引き受けたんだ?
 相手は極悪人だよな?死んで然るべき人間なんだよな?
 何故俺の手は震える。
 武者震いか、使命を全うする充実感を待ち切れない感情か。
 ……何でそんなに恐怖に引き攣った顔してるんだよ。
 お前女を殺して、犯して、金を奪ったんだろ?
 ……何でそんな涙が出てるんだよ。何でそんなに逃げようとするんだよ。

 解らない。心が痛みを訴える。
「――さぁ、処刑を。執行官殿」
 焦れたのか、傍らに居た担当官が催促する。
 俺はたどたどしい足取りで拘束台へと歩み寄る。
 剣を振り上げる。男は愈々全身を揺すって、生に縋ろうとする。
 後はこのまま振り下ろすだけだ。それで仕事は終わりだ。
 父の後を継げ。誇り高い仕事だ。誰が後ろ指を指す?国家公認だ。

 やがて男は暴れるのを止め、顔を上げ此方を見上げた。
 其の澱んだ瞳に生への執着は認められず、諦念を湛えていた。
「――さぁ」
 意を決した。もう後には引けない。
 
 ザシュッ

 肉を抉った感触は、確かに掌が受け取った。
 骨を絶つ醜音は、確かに双耳が聞き取った。
 迸る赤い紅い血の臭いを、確かに嗅ぎ取った。
 口の中は渇き切り、唇を開くことは適わなかった。
 双眸が、確かにもう動かなくなった2つの「物」を捉えた。

 ――全身の感覚が対象を受容し
       俺の悟性は「死」の概念を認識した――

「お疲れ様です」
 事務的に、機械的に放つ法務委員会。
「初めてとは思えない、見事な一撃。しかと拝見させて頂きました」
 御世辞を言っていたらしい。俺には聞えなかった。
 ローブを脱ぎ、仮面を外し、身を清めた。
 俺は夢遊病患者のように覚束無い動きで城を出た。

 町を往く。皆笑っている。今は昼時だ。食事の席を囲んで
 団欒を愉しんでいる。此処も其処も、皆幸福を信じて疑わない
 殺人など知らずにその命を燃やし尽くす者ばかりだ。
「今、そこで人の首を刎ねてきました」
 こんな台詞を吐ける人間が、愉快に感じるであろう筈が無い。

 畜生!畜生!
 俺はやり切れなくなって走り出す。
 家に帰りたくなかった。母は既に死んでいる。待っているのは
 申し訳程度の待女と、腕の悪いコックだけだ。
 町を抜け、野道を往き、緑の栄える丘の上に辿り着く。
 そこで俺は、屋根の頂点に十字を掲げた、小さな教会に出会った。
 俺は扉を開け、真っ直ぐ聖堂の十字の前に跪く。
「僕の、僕の罪は赦されますか!?答えて!教えて下さい!」
 元々、敬虔な人間では無かった。が、縋れる物には何でも縋りたかった。
 たとえ偽りでも、それをしないと俺が壊れてしまいそうで――。
「神をそんなに急かしても答えてくれませんよ。それに、教会の中では
 静かにね。」
 背後から卒然、声を浴びる。
 振り向けば、1人の老神父が扉の前に佇んでいた。
「酷く辛そうな顔をしているね。余程重い十字を背負っているのかな?」
 



 


 ――それからか。
 俺は老神父に全てを話し、懺悔した。救われたかった。
 老神父は、ただ
「貴方がそれを心の底から悔いているのなら、必ず主は御赦しになる」
 とだけ言った。彼は1人でこの教会に住んでいるらしい。
 俺は雑用でも何でもするから教会に住まわせてくれないかと頼み込んだ。
 老神父は始め賛成の色を示さなかったが、結局承諾を得た。
 勿論、今までが其れなりに裕福な生活だったから、質素な生活様式に
 慣れるまでは多大な努力を要した。だが、家にだけは帰りたくなかった。
 帰ればいずれ「仕事」の以来が来る。それを何としても避けたかった。


 しかし、子供1人探し出すのに国が其れ程苦労する筈も無く、
 数週間であっさりと発見され、使者に厳重注意を受けた。
 俺は家には戻らないと抵抗したところ
「処刑さえ行って頂ければ此方としては十分です」
 用は、溝攫いさえすれば後は一向関心は無い、との事だ。
「唯、ワルンブルグの血は絶やさぬよう。
 再度言いますが、この仕事が出来るのは、貴方だけなのです。」
 どうやら徹底的に一族に穢れを押し付ける気らしい。
 そこには曖昧な返答で使者を送り返した。

 其の日の夜、俺は聖堂で頭を抱えて座り込んでいた。
「ライオット、処刑のことで悩んでいるのだね?」
 老神父は尋ねる。俺は弱々しい声で投げ返す。
「僕がやらなければ……誰かが僕と同じ事をするんだ。
 同じ気分を味わうんだ。でも……でも……」
 老神父は優しく、俺の手を包み、目を見据えてこう言った。
「貴方の使命ならば、やり遂げなさい。私は何時も此処に居る。
 辛いならば何時でも、夜が明けるまででも、貴方の話を聞きましょう。
 私は貴方の代わりは出来ない。慰めも気休めに過ぎないかも知れない。
 それでも貴方の苦しみを私に打ち明けて欲しい。」
 冷たい手に包まれ、父には感じなかった温かさをこの老人から感じた。
 
 俺は、敬虔な信者と処刑人との二重生活を決意した。

 老神父は6年前他界し、俺は教会を管理する立場となった。
 俺はまだ、この罪が赦される筈は無いと思っている。
 それでも、この教会の門を叩かなければ俺は確実に壊れていただろう。
 十字を背負った神父か――。なんとも皮肉だな。




「神父様、又怖い顔。如何なされました?」
 シスターが顔を覗き込んでくる。思わず仰け反ってしまう。
「あぁ、一寸昔のことを思い出していまして」
 自室で机に座って回顧しているところに、茶を持ってきたようだ。
「自分の昔を思い出すと、恥じ入ってしまうね」
「神父様、昔のことはあまりお話になられませんものね」
「何、後ろ暗い事があるわけじゃないんですがね」
 精一杯の作り笑顔で返す。シスターもそれ以上はその話題に触れない。
 忖度か、空気を読んで触れるべきでは無いと感じたのだろう。
 何にせよ、気遣いはありがたい。
「そうそう、暫く――そうですね、3日間ほど教会を空けるので、
 留守をお願いしますよ」
「お城からの御用ですか。優秀な神父様は大変ですね」
 菫の様に微笑んで、シスターは快諾した。

 町を往く――商店の散在する通りで、主婦や露天商から声を掛けられる。
「神父様、先日の息子の悪魔祓い、有難う御座いました」
 以前悪霊を払った家の主婦が笑顔を絡ませ挨拶する。
「悪魔といっても低級な悪霊ですから、あれくらい礼には及びませんよ」
「おぅ!神父様、何時もあんた暗いねえ!折角男前なんだからさ、
 此処は一丁山芋でも食って元気出したらどうだい!?」
「ハハハ……では今度シスターに買いに来させましょう」
 やはり、表面上は平和そのものだ。

 国王ベラルド=ハサに謁見する。高潔で厳格な雰囲気を纏う壮年の男で、
 特に眼光が鋭く気の弱いものは竦んで動くことも出来ないだろう。
 直接の依頼など、滅多にあるものではない。
「態々呼び付けてすまなかったな、ライオット法務執行官」
 重々しい口調で、ベラルドは始める。
「いいえ、国王直々のご依頼とあらば」
「すまんな……。お前達一族には、常に汚れ役を押し付けてしまう。
 今回も、お前の立場だからこそ出来る仕事だ、頼まれてくれるな」
 ごくり、と生唾を飲む込む。やはり凄まじい威圧感だ。
「国境付近の城跡にはまだ未回収の遺産や資料が残っている。
 それを調査・回収する事が目的なのだが……」
「兵を派遣すればヴァリスに発覚した際に問題となる」
「そうだ。兵を派遣すれば軍事行動と見做され問題が複雑に成り兼ねん。
 そこで、お前に頼みたい。戦闘術は我が国の中で挺然としている。
 国境付近の野盗どもなら問題有るまい。」
 

 要するに、だ。
 未だどちらの国の所有物とも言えない城跡から資料や遺産を回収し
 こちら側に既成事実をでっち上げてしまおうという腹らしい。
 それには、軍で動けば目立ちすぎる。
 民間人が近寄るには危険すぎる。そこで俺に白羽の矢が立った訳だ。
 城を後に、紅に沈む町を通り抜けながら、ふと思った。

 ――無事「調査」だけで終われば良いのだが、又厭な予感が――




3話 異邦人





戦争はいい。
恰も目の細かい、巨大な金網だ。
平穏という微温湯の底に沈殿する欲望の塊を、残らず掬い上げ、漉し取る。
やがて熱を持った金網の上で、欲望は狂気へと練成される。
男、女、老人、子供、病人、罪人、親兄弟、嬰児、時に胎児、骸さえ――
全ては糧として彼ら自身の内に滾る黒い焔へ投げ込まれる。
生存の為の殺しを、やがてその行為自体に快感を覚えていく兵士を見た。
余りの飢えか、倒錯の愛か、我が子の屍骸を喰らう両親を見た。
捕虜を禽獣の類を扱うかの様に痛めては、鼻歌を囀る番兵を見た。
値段を何倍と釣上げる商人と、商人を殺し食料を争う市民を見た。
病院の、腐臭と死臭と不潔の地獄を、諦め焼き捨てる医者を見た。
その上で、血税のワインを片手に晩餐を愉しむよく肥えた豚どもを見た。

俺は、人間の欲に塗れ、狂気に浸った姿が好きだ。
だから、俺は国を捨て放浪し、あらゆる闘争に身を晒した。
戦争ほどの、甘美で、危険で、官能的な娯楽は無い。
戦争により非日常は日常となり、狂人は常識人へと変貌する。
その中で俺は、堂々と狂人として振舞えるのだ。
数多の命を糧に生きる、食魂鬼(Soul eater)のように。






この国は腑抜けばかりだ。
――――帝国ヴァリス。
後方に険山を構え、四方を分厚い城壁に囲われた鉄壁の守りを持つ要塞。
どうも或る国――ベラとか言ったか――と400年間も対立しているらしい。
しかし双方共に大戦に踏み切らない。何故だ。
あちらは兎に角、此方には鉄壁の守りが有る。消耗戦なら勝機は十分だ。
だが、この国の腑抜け連中は、長期戦による疲労を恐れている。
戦争の「被害」を恐れている。
何の犠牲も無しに、この対立を片付けられるとでも思うのか。

「……馬鹿共が」

風通しの悪い鉄壁の甲冑に包まれて、中身は腐ったか。
ヴァリスの連中は、政管も、市民も保守的過ぎる。
この国に到達してから、約2ヶ月。俺は只々辟易した。
国境での小競合いなんぞ意味は無い。確実に緊張と鬱憤は積もっている。
「大国同士の400年分の狂気の衝突。」
それに身を委ねる時の恐ろしい程の快感を想像し、身震いする。

……早く、早く戦争を起こせ!俺を狂気の渦の中心で躍らせろ!

そんな考えに耽り右手親指の爪を齧る。
そんな折、階下から俺を呼ぶ声が――

「ネロス!ネロス=カーマイン!」
「…んだぁ?ったく……」

渋々長椅子から腰を上げ、指を1、2度軽く鳴らし、狭い階段を降りて行く。
此処は帝国ヴァリスの居酒屋、ガンアップル。
兵士と市民が日中の労働の疲弊を忘れようと集う、或る種「憩いの場」だ。
落着いていて、そしてアットホームな雰囲気が好評なのだと言う。
柔らかい橙のランプに、巨大な換気扇が緩やかに回る。
今は昼時で客足は寂しい為、カウンターにも、テーブルにも数える程の
職無ししか見当たらない。
「何だよ、店長」
「俺はマスターだ。マスターと呼べ。でなきゃ返事はしてやらんぞ」
この男……。情報収集に関してはこの国の諜報員にも劣らないと言うのに。
「何か用か、マスター」
「あぁ、お前に客が来ていてな。ホレ、あそこだ」
気だるい色を隠さず言うが、店長……もといマスターは気にした風も無く
カウンターの端でグラスを転がしている女を指差す。
「お前折角此処に泊めてやってるんだから、分け前はよこせよな」
下品な笑みのマスターに背中を押され、カウンター端へ歩いて行く。

「俺に何か用か」
「まずは始めまして、ですね。ネロス=カーマイン」
女は平然と初対面の挨拶を始める。食えない態度だ。
「御託はいいぜ。早目に用件だけを伝えてくれや」
「……私は、この帝国ヴァリスの諜報員です。とだけ言っておきます」
小声で囁き、立ち上って周囲を注視する。
先程まで呑んでいた僅かな客も、今は居なくなっている。

「じゃあ、俺はちょいと昼飯にすっからよ、店は昼休みだ」
マスターはそう言って店の扉に吊るされたプレートを裏返し「CLOSED」に。

……成程、他人に聞かれては拙い話な訳だ。
改めて店の中に人が居ないことを確認して、女諜報員は続けた。
「実は貴方を含む3人の異邦人への依頼なのです」
「ほぉ、俺以外にも異邦人が居たとはな」
「依頼内容は、国境付近の城跡の調査・探索、又城跡内の資料・遺産の
 回収となっています」
「調査?そんな下らない仕事、職無しにでもやらせればいいじゃねぇか」
女は嘆息を一つ、目を細めて説明に戻る。
「国境周辺には野盗が出没します。一般市民では太刀打ち出来ませんし、
 軍を派遣しては目立ちすぎます。ベラとの関係が危うい今、疑われる様
 な行動は慎まなければなりません」
「それで、バレた時は異邦人が勝手にやりました、で蜥蜴の尻尾か」
「残念ながら、そのように成りますね」
臆する事無く、率直に言う。此処は茶を濁して返答を逃げるかと思ったが
意外と肝が据わっているのか。この国の人間にしては珍しい。
「しかし、これは貴方達の実力を見込んでの依頼である事も事実です」
「そりゃどうも。まぁ本来ならそんな仕事はやらねぇが……。
 最近は暇でしょうがねぇ。やってやる」
「有難う御座います。明朝、此処を発って頂きます。他の2人とは其の時
 合流する事になっています」
深々と頭を下げながら店の扉に手を掛ける。
「お前、名前は何だ。面白そうな奴だから覚えておいてやるよ」
「私は、帝国ヴァリスの諜報員です」
女は、口元を少し緩めてはっきり答えた。



本来ならこんな仕事はしない、其れは事実だ。
だが、此処に来てからと言うもの、血を見ていない。
あの甘く、蕩ける灼熱の滾りを久々に眺めてみたい。
そんな欲求が俺にあの依頼を承諾せしめた。
調査も、回収も俺の興味の対象外。野盗を皆殺しだ。
歪んだ笑みを写した鏡を舐める様に覗き込む。
狂っている。この鏡の中の殺人偏執狂は、人に非ず。
狂人は、自分こそが正常だと思い込んでいると言う。
俺は違う。自分で、己が狂気を把握し、手綱を常に握っている。
さぁ、明日は久々の殺しだ――。



――――翌朝。
防寒性に優れる身軽なジャケットを羽織る。
これは数年前海を渡る前、或る兵士から譲り受けたものだ。
奴も狂人で、最後は体中に戦友の血を塗りたくり鬨の声を上げ死んだ。
かなり使い込まれた代物だが、十分実戦に耐え得る。
ベッドの脇から立て掛けて置いた巨大なマチェット(山刀)をふんだくる。
様々な武器を使ってきたが、やはりこれが一番いい。
長い間共に戦場を駆けた俺の片腕だ。形式ばった戦闘術など好まない俺には
好き勝手に振り回せるこいつは身体の一部と言っていい位馴染む。
――こいつを血で濡らすのも2ヶ月振りか――
楽しみだ。

城壁の門を潜ると、2人の男が底には立っていた。
いくつか言葉を交え、一方は冒険者、もう一方は賞金稼ぎだと分った。
「俺はネロス。――只の旅人だ」
2人は疑いもせず、軽く頷くと城跡へ向け歩き出した。
12月の朝は重い。凍て付いた黎明は筋肉を震わせる。
吐息は白く彩られ、軽い痛みが皮膚を刺す。

……追けられている。
気付かれないと思っているのか、かなり巧く隠れている様だが
俺には分る。戦場に行けばこの程度の尾行は茶飯事だ。
「昨日の女か」
2人が振り返って「どうした?」とこちらを見る。
「何でもねぇ。独り言だよ」
お目付け役、か。ベラの者に発見されたときの保険だろう。

――まぁ構わんさ。俺はせいぜい愉しませてもらうだけ。
           いざとなればこの異邦人も、あの女も――

得体の知れない予感に胸を躍らせて、朝霧を掻き分け歩いて行く。




4話 邂逅



「気をつけていってらっしゃいませ」
 シスターは満面の笑みの中に、僅かの寂しみを混ぜて玄関先に立つ。
「行って来ます。まぁ一週間とかかりますまい」
 食料と衣類を詰めた皮袋を肩に掛け、一振りの剣を帯びる。
「お城からは国境付近の生態調査と伺っていますが、その剣は?」
「護身用ですよ。草もロクに切れない鈍らですがね」
「そう……ですか」
 シスターは何を思ったか、普段から首に架けているロザリオを外し
 俺の手を包む様にそっと手渡した。
「特別に貸して差し上げます。貴方に神のご加護を」
 胸の前で十字を切り、柔らかに囁く。何か只ならぬものを感じているのだろうか。
 それとも単に俺の身を気遣っているだけなのか。
「いや、こんな大事な物を私のような者に……」
 そこから先を言わせまいとシスターの指が、冷たい、細く美しい指が口を塞ぐ。
「貸して差し上げます」
「……」
 笑みを絶やさず、ゆっくり指を離す。意外と強情だ。
「……貴女には敵いませんね。分りました、大事に預からせて頂きます」
「ええ、絶対に後で返して下さいね」
 そうして踵を返し、教会へ戻ろうとする彼女は、不意と立ち止まった。
「……無事に帰ってきて下さいね。それと、その剣……」
「ん?」
 何かを言われた気がする。振り返るがシスターはもう歩き出していた。
 俺は国境へ向け、底冷えする朝の中を進む。

 護身用……勿論、嘘だ。草どころか、人も斬れる。
 切れ味はこの十字剣が造られた時から些かの衰えも見せていない。
「ゾンビキラー」
 剣の名を呟く。十字を象ったバスタードソード。斬撃、刺突両方に対応し
 片手でも両手でも扱える。あらゆる戦局に対応する混血児だ。
 相当の昔から我がワルンブルグに遺されてきた一振りだと言う。
 抜かなければ、それに越したことは無い。処刑以外で人を殺めるなんて
 真っ平御免だ。処刑も慣れてしまったが、あの人を斬る感覚は嫌だ。
 幾ら相手が罪人だと割り切った所で、結局は人殺しに違いない。
 寧ろ人が人を罰するなどと言うこと自体傲慢だ。
 俺だって神父だ。無論形だけでなく、今は心から神の存在を信じている。
 だからこそ、恐ろしい。死後の魂の行方が。勿論、天国などその名を呼ぶ
 ことも許されはしないだろう。恐ろしいのだ。地獄の裁きが。
 数多の人を公然と屠り、かつ神の教えを説く愚行を為しながらも
 自らの罪と罰を恐れる。度し難い。度し難い男だライオット。


 城跡に辿り着いたのは、日が落ちて暫くの後だった。
「仕方が無い、調査は明日、今日は此処で野宿だ」
 国境は、森だ。森の中に広く拓けた土地があり、そこに城跡は佇む。
 手頃な巨木を見定め、その下に潜り込む。
 既に葉は枯れ落ち、その裸体を惜し気もなく晒している。
 今日は野盗にも遭遇しなかったし、このまま順調に行けば後3日程で
 帰れるかもしれない。あの厭な予感は杞憂だったのか……?
 携帯食の硬いパンと燻製の肉を胃に詰込み、水を含み食事を終える。
「しかし、夜は本当に冷えるな」
 腹が落着いたところで、睡魔が足音を立てて寄って来る。
 弱くなり始めた火に枯葉を投げ込み、火は息を吹き返す。
 急いで皮袋の中から防寒着を引っ張り出し、身体に纏う。
 後頭部や背中に巨木の根が当たり少々寝難いが、この際仕方が無い。
 やがて襲い来る眠気に身を任せ、微睡の淵へと連れて行かれた……。












「何を…ッ考えている……だ、ネロス」
 冒険者が息も絶え絶えに俺に抗議する。喧しい奴だ。
「自分から野盗に……ハァッ……喧嘩を売るなんて、正気の沙汰では…ッ」
「五月蝿いよ、お前」
 ブシュッ
「あがッ……」
 既に満身創痍の冒険者の首を刎ねる。情けない顔のままでごろりと転がるそれは、
 先程まで俺と賞金稼ぎと共に野盗と殺し合いをしていた男のものだ。
 折角の愉悦の時に、水を差しやがって。
 閑静な森は、死臭の立ち込める、長閑な夕暮れに包まれている。 
 総勢30名の野盗と2人の異邦人の死体で出来た血の海を見渡す。

 今、この中で生き残ったのは俺だけだ。

 そう考えただけで、股間の一物が屹立するかの如き昂奮が
 身体の隅々まで犯していく。やはりいい。
 幾人もの血の涙が滴るマチェットを夕日に翳す。美しい。
 この無骨なフォルムが濡れる様も、非常に官能的な美を醸し出す。
 
 賞金稼ぎは、野盗に殺された。余程間抜けだったのだろう。
 一対一に夢中になっている隙に、後ろから他の野盗にザクリ、だ。
 あの瞬間の吹き上がる血は傑作だった。奴の顔が絶望に彩られていくのが
 手に取るように分った。勿論その野盗は「俺が仇を取って」やったが。
 やはり殺しはこうでなくては。この程度の小人数での争いも悪くない。
 が、これが二国間の戦争ともなればその味わいは格別だろう。
 マチェットに付着した血と脂を拭取り、戦利品の酒を飲み干す。
「チッ……流石に安い酒だな」
 
 あの女、諜報員は……まだ居る。
 後方約100mの木の上、地上3m程の枝の上から此方を監視している。
 あの喜劇――或いは惨劇か――を見て怖気づいて逃げ出すかと思えば…
 向うも、此方が気付いている事は知っている筈だ。
 それでも付き纏うか。ま、邪魔になりさえしなければいいだろう。
 後は、城跡を見て回って適当な物を持ち帰ってくればいい。
「今日はもう寝るか」
 久々に暴れ回って、心地よい疲労感と満足感に浸りながら
 鴉の集う肉の海を臨む木の下に仰向けに寝転がる。

 だが、やはりまだ何か物足りんな――……





 翌朝。鳥の囀りと瞼を貫く陽光に目覚める。
 城跡を臨むこの巨木の下では、全く長閑な森の朝が演出されている。
 なんとも俺に似つかわしくない。
「よっ……っと」
 冷えて固くなった筋肉を適当に揉み解し、腰を持ち上げる。
 流石に慣れない体制で寝た為か、少々の違和感を感じる。
 まぁ何れ治るだろう。それに時間を無駄にする訳にも行かない。
「さっさと調査を済ませるか」
 ふとシスターに預かったロザリオに気付く。これのお蔭で障碍も無く
 此処まで来れたのかもしれない。
 まさかと思いつつ神父服のポケットにロザリオを突っ込む。
 パンと水の軽い朝食を済ませ、城跡へと踏み込む。

 古い。
 外壁は虫食いだらけで、城門は崩れ、見事に風化している。
 流石に500年前に滅んだ城では仕方ない。が、城門跡に近付いて或る事に気付いた。
「……――蔓も羊歯も苔も無い?」
 おかしい。土は痩せているようで、草の一本も生えていない。
 左半身を崩された城門の前で立ち尽くし、しばし考える。
 この城からは生気を感じない。当然、人など居よう筈も無いが、それにしたって
 植物が見当たらない。中に入っても鼠の一匹さえ居ないのかもしれない。
 異常な静寂に圧倒されながらも、本来の目的を反芻し、ほの暗い内部へ侵入する。

 探照灯を片手に、暗澹とした城内部を探索する。
 埃の臭いが凄まじく、嘗ては真紅であった絨毯も今では黒々とした垢に塗れている。
 王座、図書室跡、寝室、調理場、様々な施設を回ったが、目ぼしい物は見当たらない。
 そして、――地下牢。何も無いのは分っているが、やはり調査の名目上
 目を通さないわけには行かないだろう。
 兵の宿舎から続く階段を一歩一歩、慎重に下っていく。
 外にもまして、地下は寒い。薄気味悪い空気と舞いあがる埃を探照灯が照らす。
 牢の中には、申し訳程度の布を纏った人骨が横たわっている。
 囚われたまま城が滅び、彼らの命も此処で尽きたのだろう。
 眼を閉じ、十字を切る。
「アーメン」
 出来れば正式に弔ってやりたいが、今はそういうわけにもいかない。
 通路へ向き直り、地上へ引き返そうとした時――――

「……誰?」

 声が聞こえた。蚊の鳴くような女の声だが、確かに聞こえた。
 だが、人の居る気配は無い。
「おい!誰か居るのか!?」
 呼びかけてみるが、返事は無かった。先程の声が聞こえた方、地下牢の最奥へ歩み寄る。
 そこには、明らかに他の牢とは違う、呪符にその格子を護られていた。
「封魔護符終式?何故こんな所に……」

「誰か……そこにいるの……?」

 この奥に誰か居る。間違いない。
「少々荒っぽいが……仕方ない!!」
 ヒュッ  ガギィン!!
 ゾンビキラーに聖水を振り、格子を護符ごと切り裂く。
 何故牢が封魔の護符で固められているのか。疑問はあったが今は気にする余裕は無い。
 誰かがまだ、生きているのだ。

 人が来た。
 もう諦めていたのに、此処を人が訪れるなんて。
 私をどうする積りだろう。
 分らない。
 なんだか怖い。
 男の人だ。若く、神父服を着て、美しい装飾の剣を携えている。
「大丈夫か!?」
 その人は言った。大丈夫……。大丈夫な筈だ。
 私は死ねない。それだけは分っていた。
 その人は私の手足の自由を束縛していた鎖を断ち切った。
 ああ、この人、私をどうするのかな――

 少女だった。おそらく外観からすると18から20歳程だろう。
 服は酷く汚れ、ボロボロになっている。しかし、身体は――健康そのものだ。
 やつれている様子も無い。それどころか洗えば艶さえ出そうな肌だ。
 しかし、不思議なことにこの少女からは生気を感じない。
 そこに居るのは分る。だが存在感が希薄で、まるで煙を見ているようだ。
「取りあえず、これを飲むといい。気付けだ」
 手持ちの水で酒を割って手渡す。最初、じっと容器を見つめていたが、少し口をつけ
 飲み始めた。無事を確認した後で、様々な疑問が頭から漏れ出して来た。

 何故500年前に滅んだ城に生存者がいる?
 服の汚れ方は確かに500年前のものといっても問題は無いだろう。
 俺が先刻入るまで此処に誰かが入った様子も無い。
 何故だ?何時入った?何故生きている?食料も無い、水も無い。
 まさか500年間此処で生き続けたのか?そんな馬鹿な――――

 落ち着け。まずは、この少女の保護だ。見た所、身体に異常は無さそうだが
 もしもの場合も有る。彼女はベラに連れて帰らねばなるまい。考えるのはそれからだ。

「君、名前は?」
 少女は、暫く黙っていた。無理も無いか。そう思っていると
「……覚えていません」
 弱弱しい声で俯いたまま答えた。
「覚えていない?」
「私……気が付いたら繋がれていて……他は何も分らないんです」
 記憶喪失?その単語が頭に浮上した。
「何時から此処に繋がれていた?」
「分りません……ただ、永い永い時としか」
 それぎり少女は押し黙ってしまった。
 此処には日が入らない。時間を感知するものが一切無い。
 だが、食料も水も無しにそんな永いと感じるほどの時を生きられるだろうか?
 
 ――これ以上の質問は控えたほうがいい。
 幾ら肉体に外傷は無くとも精神的ショックはあるだろう。
 王国で静養させ、事情はそれから訊けばいい。

「此処から出よう、立てるか?」
 少女は軽く頷くと、覚束無い足取りで立ち上がった。
 脚の筋肉の衰退も見られないが……すぐさま疑問を振り払う。
 探照灯の光を頼りに、地上への道を戻る。
 少女は、俺の神父服の裾を掴み、雛鳥の様について来る。
 気付くと、少女の手は軽く震えている。不安か、恐怖か。
 普通、見ず知らずの男にこんな素直について来るなど無防備だ。
 だが、あのような閉鎖空間に長時間閉じ込められていた彼女には
 仕方が無いのかもしれない。
 俺は、出来るだけゆっくりと階段を上り、城門への道を辿って行った。

 


「つまらねえ」
 城跡の調査。面白い物など有りはしない。
 あの異邦人達を生かしておけばこの様な面倒な作業、任せておけたものを。
 人の気配が全くしない。何か目ぼしい物を持ち帰って済ませるか。
 しかし女諜報員も監視している。それなりの成果を挙げないと後々面倒だ。
「……チッ、どうせなら労働者運動制圧とかにしろっつの」
 こんなボロい城の何が欲しいと言うのだ。
 ぼやきながら探索を続ける。椅子を蹴り飛ばし、机を叩き割り、進む。
 王座の間。どうせなら此処から何かを持ち帰ってやろう。
 王座を蹴り飛ばす。嘗ての豪華な装飾は見る影も無く、破片を絨毯にぶち撒ける。
「……あ?」
 王座の下の隠し窓に気付く。開いてみると、指輪が収められていた。
 金の、単純なデザインの指輪。だが、只の指輪ではない。何か奇妙な力を感じる。
 内側に小さく「Solomon」と刻まれている。
「これで構わんな」
 ポケットに指輪を入れ、踵を返し城門へ向かう。
 あぁ、もっと血の沸き立つような闘争がしたかった――
 
 




 午前11時37分。城門前にて、2人の男と1人の少女は出会った。

5話 国境にて



「なぁ、あんた臭ぇな」

 開口一番、城門に身を傾けている男は嬉々として言い放つ。
 金に縁取られた短髪、精悍だが影を含んだ顔立ち。
 年の頃は――20代半ばだろうか。軍用ジャケットを纏い巨大な山刀を背に
 此方を見ている。誰だ、この男は。野盗ではあるまい。

「……ッ君は何故此処に居る?国境付近は危険だ。即刻立退き給え」

 俺の台詞に少々気を悪くしたのか、若い神父は刺々しく返答した。
 この男、形(ナリ)は神父だが臭う。臭うんだよ。
 血が。血が。血の臭いがする。
 この黒髪の、青瓢箪にしか見えねえ神父は脳髄が痺れ渡る程臭う。

「なぁ神父さんよ、あんた此処で何をしていたんだ?
女と2人で人気の無い城にしけ込んでさ」

 少女は男の視線を感じぶるりと震え、俺の背中に回りこんだ。
 俺の警告を右から左に流し、男は最も答えに困窮する問を投げかける。
 馬鹿正直に真実を答える程が悪い訳でもない。
 が、此処で機転の利く虚偽をでっち上げられる程利口でも無い。
 ここは…

「返答義務は無い。君こそ何をしている?」
「質問に質問で返しちゃあいけねえなぁ、神父さん」
「初対面の人間に臭気を放っている等と言う輩に答える気は無いさ」
「ハッ……!まぁいい」

 如何にかしてこの神父を暴いてみたい。確信を持って言える。
 人を殺している。それも、指で足りる数じゃねぇ。
 同族感知。分る。分るぞ。人を殺める事に慣れている。
 俺と同じだ。肉を斬る喜びを、骨を断つ快感を知っている筈だ。









 








 戦いたい。否、殺し合うのだ。
 嘗て死闘に身を染めた兵達にも勝るとも劣らぬ血の臭い。
 血が沸き立つ。一方的な虐殺も悪くない。
 だが、やはり甘美を極めるものは――互いに命を賭す死合。


 




 
 さて、どう仕掛けたものか――……









「俺はよ……只の旅人だ。だから国境なんて知らねぇさ」

 自称旅人の男は肩を竦めて何とも無しに吐き捨てる。
 旅人……だが、此処に居ることが洩れないとも限らない。
 気付くと、少女は俺の背に隠れて男を訝しげに注視している。
 女の勘――そんなものに頼るのは気が進まないが、この男は怪しい。
 俺の勘も「奴は危険だ」と騒ぎ立てている。

「其れが事実だとしても何をしていたか、教えることは出来ない。
それに私は見ての通り神父だ。君のような者に聞かせる話は説教ぐらいのものだ」
「そんな得物腰に下げて説教かい?恐ろしいねぇ」
「護身用だ。国境周辺は野盗の温床で物騒だからな」

 護身用。そんな筈が有るか。アレは正真正銘、殺人剣だ。
 しかし中々口を割らない。カマ掛けて見るしか無い……な。

「あんた、この襤褸城の何を調べてた?何が欲しいんだ?」
「……ッ!!」

 図星を突かれ、心は冷静の積りだったが身体は息を呑んでしまった。
 拙い。男は俺の反応を目に確認したのか、嫌悪感を撫上げる如き笑みを浮かべる。

「図星だな。クククッ……そうか、あんたベラとやらの人間だろう?」

 沈黙の返答。奴も此方が気付いていると分っているだろう。
 成る程、向うも考えることは一緒だったって訳だ。
 双方相手国を出抜いた積りだったろうが……残念だったな、腰抜け共。

「へぇ……此処の調査をしていたのか……」
「だから如何した。どういう積りだ、貴様」
「おお怖い。何、俺は旅人で宿に困ってこんな辺鄙な所に来たんだがね。
偶然、城内でこんなものを見つけてね……」

 くそ……今更弁解は埒も無い。だが国境にベラの人間が居ると知って
 落ち着き払っていられるヴァリスの人間は居ないだろう。
 其れ程両国共に緊張している。些事がいつ大戦の引鉄を引くものか。
 どうやら旅人――異邦人で有ることには間違い無いようだ。
 そんな思考を忙しなく額の奥で走り回らせていると、男は突然ジャケット
 から何かを引出した。
「……それは?」
「俺も知らんがね、王座の下から見つけた」
 あれは……あの指輪には確かな資料的価値が有る。
 王座からの発見。これを我が国が所有していればこの城跡を領地とする
 理由には釣りが来るだろう。
 何としてでも手に入れ、持ち帰らねばならない。説得…いや買収か。
「うぅっ……あぁう……」
 卒然少女が後頭部を抱えしゃがみ込んでしまった。
 その乾いた瞳は焦点が定まらず、何か怯え、震えている。
「どうした?大丈夫か?」
 少女は只頭を左右に振って小動物のそれのように、震え続ける。
 今は対処の仕様が無い……仕方ない、先ずはあの指輪だ。
「その指輪、此方に譲って貰えないか?勿論、対価は払おう」
「対価?対価か……何でも望む物……って事かい?」
「あぁ。或る程度可能な事なら何でも、だ」
「何でも……」

















じゃあ、こういうのでどうだい?









ヒュッ













 何が起きたのか、その刹那は認識が取り残されていた。
 男は地を一蹴、瞬時に間合いを詰め俺の目前を一文字に山刀で翳めた。
「なッ……!」
「俺と闘って、殺して奪え。欲しいんだろ?指輪が」
 漸く判断が追いついた時、男は肉薄し薄ら笑いを顔に塗り付けながら言っていた。
 身体が反射的に男の鳩尾に掌底を叩き込む。
「ぐフっ!?」
 男はそう声を上げたが、接触の瞬間、自ら後方に飛び退き衝撃を受け流している。
 間合いが離れて初めて、背後には少女が蹲っている事を思い出す。
「おいおい……行き成りだな」
 男は全く堪えた様子も見せず、巨大な山刀で空を横薙ぎに払うと、切れ長の双眸で
 此方を睨む。その口は薄ら笑いのまま、形を変えない。
「止めろ!此方は闘う積りなど毛頭無い!」
「お前が言ったんだ。対価を払ってくれよ、神父さん。
俺は金にも困らねぇし、女にも困らねぇ。俺は、ただ闘いたいのさ。
命の奪い合いがしたいんだ」
「私と戦って如何する!私は只の…」
「『只の神父』な訳ねぇよなぁ……?」
 男の眉間に険しい山脈が彫り上がる。
「何……だと?」
「さっきも言ったろ。てめぇ、臭うんだよ。血生臭ぇんだ。
只の神父からそんな臭いがする筈がねぇ。人殺しの臭いだ」

 この男。俺の正体――いや俺の所業を知っている?
 そんな筈は無い。ではこの男は全くの勘だけで見抜いた?
 ……蛇の道は蛇。同類には同類が感知できる。
 ということはこの男もまた――……

「どうしても、退く気は無いか」
「愚問だな。俺が仕掛けたんだ」
「……お相手しよう」

 だが、殺す事はしない。気絶させ、指輪だけを回収させてもらう。
 この様なタイプの人間は――口だけで納得する訳が無い。
 そういう世界で生きて来た人間には、闘争の世で生きてきた人間には。
 蹲り震える少女の頭に掌をそっと乗せ、語り掛ける。
「すぐ終る。少しだけ待っていろ」
 先刻より落ち着いていたのか、少女が頷いた様に見えた。

 掛かった。やはり同類は話が分る。
 奴は女から離れて闘おうと提案して来た。まぁ構わんさ。
 障碍で腕を鈍らせては詰まらない。
 存分に殺り合おうじゃないか。










 城門を抜け、2人とも無言の儘に森の開けた地に出た。
 男はジャケットの下の鎖帷子を脱ぎ捨てる。
「……どういう積りだ」
「これから命を賭けるんだ。コレは無粋でいけねぇ」
 道理で掌底に全く堪えていない筈だ。それにあの受身。
 衝撃を受け流すだけでなく、体勢の立て直しも素早い。
 しかし、今奴は防具を自ら破棄した。
 これなら――

「おい、何の真似だ?」
 奴は腰に下げた鞘を土に寝かせた。
「剣は、抜かない。同じ様に貴様を体術で地に伏せよう」
 自身満々じゃないか。だが、礼儀としては最悪だ。
「寝言はベッドの上だけ、って神様は教えてくれねぇのか?」
「神を貶める発言は控えたほうが良い」
 野郎……。良い度胸だ。俺に、拳のみで向うとはな。
 まぁいい。直に剣を抜く様にさせるさ。
 いざとなれば――あの女を使うか。
 城門を一瞥して、再び視線は神父の方へ。
「其の内、剣を使いたくなる。厭でもな」

 両者、各々の構えを取る。
 半身に拳を構え、脚の筋肉を緊張させる者。
 マチェットを右手に、上半身を低く、下半身を沈める者。
 身体は、不可視のオーラを放つ。
 片や享楽的な殺意。片や不殺の覚悟。
 激突の時を報せる鴉が金切声を上げる。
 
「俺は、ネロス=カーマイン。『只の』旅人さ」
「ライオット=ワルンブルグ。『只の』神父だ」

グヴァァア!!




















「参る」









 何故、何故何故?あの指輪を見た瞬間。彼らが騒ぎ始めた。
 頭が割れるように痛い。何かを話し合っている。
「かの指輪こそは、知者の指輪、賢者の証」
「我らの抑止、統制、支配、使役。我ら即ちソロモンが手足也」
 痛い。痛い。こんなに彼らが騒がしいのは初めてだ。
 元々城の外に出たのも初めてだけど……。
 空が青い。雲の裂け目から麗らな日が顔を覗かせる。
 私を連れ出した男の人……未だ名前も聞いてない。
 斬りかかって来た男の人……良く分らない。
 あの指輪が彼らを騒がせている。彼らは指輪を恐れているのか。
「ラボラス、あの神父、貴殿の例の――?」
「急くな、アスモデ。奴は……ああ、恐らく私の『器』だ」
 声が別々に響いて頭を掻き回す。
「ヤハウェの使途……其処が気に入らぬ」
「だが、業(カルマ)の深き事、普通の泥人形(ヒト)と比類無き者也」
 まだ、まだ騒いでいる。
 私の中の彼らが、何かをしようとしている。
 私には、其れが何か窺い知る事は出来ないが――
 何か、途轍もなく恐ろしい予感だけが渦巻く。

―――では貴女の身体、いえ、門を拝借―――


6話 The Boundary

 激突は尚も続いている。
 一見拮抗している様に映る両雄の鬩ぎ合い。
 だが、やはり武器を持たぬライオットに疲労の色は濃く現れる。
 肩で息をするライオットに、ネロスは揶揄を投掛ける。

「ハッ……ハァッ……ッ!」
「どうしたッ?何時でも得物を振るって良いんだぜ!?待っててやるからよぉ!!?」

 この野郎……確かに体術も大したもんだが……不利なのは自分の身体が良く知ってる筈だ。
 先刻からお得意と見える掌底も確実にその威力を落としている。
 避けるのもお上手だが、既に疲労は隠せまい。
 何に拘る気だ?何故剣を使わない!!
 折角の「同類」をこのまま一方的に屠るなんざ勿体無ぇ!!
 
 クソッ……!強い。
 全く型の無い構えから繰り出される突きと払いの応酬。
 強靭な下半身を活かし瞬時に間合いを調節する。そして柔軟で且つ復帰の迅速な受身。
 闘い慣れている……動かない相手を殺し、組手の経験のみの俺とは違う。
 常に自らの命を戦火の下で炙って来た男だ。
 やはり抜くしか……無いのか?
 全身は擦過傷、切傷だらけだ。傷は深くないが逃回るのもそろそろ限界か。
 治癒護符(ヒールシンボル)を使う時間も与えてはくれないだろう。
 だが……だがやはり剣は抜けない。
 殺してしまう可能性は可能な限り抑えておきたい。
「うおおっ!!」
 声を上げ地を蹴り、ネロスに向け突進する。
 虚を突かれ、ネロスは仁王立ちの侭だ。今なら!
「何ッ!?」
「覚悟!」
 ネロスまで後数歩という所、全身の体重を右肩に乗せ、拳を固める。
 もう受身を取ろうにも遅い!之で終わりにさせて貰う!!
「――何てな」
「なッ?」
 次の瞬間、ネロスはマチェットで足元の地を抉り、土と砂の飛礫が爆ぜる。
 突然、褐色の物体に視界を塞がれ体制を崩してしまった。
 其処を見逃さずネロスは俺の腹を蹴り上げる。無様にも、膝を突き嗚咽を漏らす。
「ぐッ……がハっ……!」
「おい……大概にしろよ」
 怒りも顕に此方を睨む。
「ガッ!……ハァ……ハァ」
 再度同じ箇所への蹴撃。一瞬視界に靄がかかったようだ。
「てめぇ、ライオットとか言ったか。俺を舐めてんのか?もう一度だけ言うぜ……剣を抜け。
 不意打ちなんて姑息な手でも俺には効かねぇんだよ!!」
「剣は……剣は抜かない!」
「ほぉ〜お…………」

 何時まで強情を張っている積りだ。リーチも違う。威力も違う。
 そんなハンディをつけて、この現実を見てまだ俺に勝つ積りなのか?
 まぁ、いい。どうせ抜かせる方法は考えてある。
「お前が其処まで意地を張るなら俺としては……こうせざるを得ないなぁ?」
「?……ッ貴様、何を!?」

 ネロスは突然城跡へ眼を送り、醜悪な笑みを浮かべ走り出す。
 しまった!城門にはあの少女が居る。奴の狙いは彼女か!
 追い駆けようにも既に奴に追い付くのは不可能だろう。
 すると、間も無くネロスはあの少女と共に現れた。
 少女は背後から首に腕を回され、喉元にはあの山刀が肉薄している。
 怯えた顔の少女を尻目に、ネロスは切り出す。
「さぁ、シンプルな人質脅迫だ。剣を抜いて俺と闘え。さもなければ……」
 そう言い終えるや否や、少女の白い喉に切先を嘴の如く突き立てる。
「分るな?」
「……月並みな事を言う様だがその子は関係ない。放せ!」
「おいおい……あの神父さんはアンタが死んでも構わんそうだぜ?」
 ぎり、と歯で音を立てネロスは又も額に山脈を形作る。
 少女はただ切迫し震えている。眦には薄ら涙が滲む。しかし奴に怯えている風ではないが……?
「……剣を抜けば、彼女を放すのか?」
「あぁ、男に二言は無いね。それに、お前に悪い条件じゃないだろ?俺と互角に戦えるかもしれねえんだぜ?」
 嘆息を吐き、渋々ながら了承する。
「先に彼女を放せ」
「言われんでもな。俺だって何時までもこんな乳臭え餓鬼に構ってられるか」
 俺が鞘に手を掛け、奴が少女を突き飛ばそうとした刹那、
 少女の口から男声と女声の混濁した不快な声が放たれた。

『ふぅぅう〜……久し振りだ。下界、いや物質界は』

「何?」
 2人が声を揃え驚嘆を口にした次には、悍しい光景が広がった。

「あ…あぁあ……アアアああAHahaaああAあhhh!!!」

 少女の断末魔の絶叫。帝王切開、そんな喩えも温いと感じる程の惨状。
 少女の身体を食い破り、肉片を撒き散らし、鮮血は噴水の如く、赤い惨劇。
 瞳孔全開、その顔の中心に亀裂が生まれ、美しい顔は二つに裂ける。
 その体内から、グリフォンの翼を広げた巨大な犬が現れる。
「な……な……」
『ふ、それ程愕くものでもない。彼女は不死者、直に再生するさ』
「犬、犬が喋りやがった!!」
 ネロスも眼前の出来事を脳が追い切れていない。
 俺も呆気に取られ、数秒意識が白濁していた。頬を叩き意識を鮮明に正すと、犬に向ってこう言った。
「貴様、悪魔だな?彼女が不死者とはどういうことだ?」
 そう、奴は悪魔だ。種々の獣を模した外形、高い知能を有し人語を操る。
 しかし……この様な召喚は異質だ。まして召喚媒体を破壊するなど。
『文字の通りだ。彼女は我々の物質界への「門」であり境界線なのだよ。ワルンブルグの後胤よ』
「!……何故俺の名前を知っている?」
『何故?何故とな?お前が?私に?お前は、お前の血は誰よりも私を知っている筈だ』
 何を言っている?そう俺が困惑しているうちに、鏤められた少女の肉片から次々と異形の者が姿を現す。
 蛇の尾を有する逞しい男、巨鳥、グリフォンの双翼の人間、黒馬に跨った毒蛇を持ったライオン。
 各々の魔方陣より淡い紫の光に包まれながら続々と、続々と現れる。
 数にして72。カバラの聖なる数だ。
 其の時、俺の頭の片隅で閃光が煌く。確かゲーティアに記してあった。
 まさか……まさか「こいつら」は!

 ――そう、我等はソロモンの悪魔
     ヤハウェにより悪魔に貶められた嘗ての神々
        賢者の使役魔、奇跡の源泉
           我等、72の悪魔也――

 信じられない。何故これ程の高位悪魔達が、たった一人の少女に憑依している?
 その疑問を打ち破るかの様に、悪魔の1人、バエルが掠れた声で言う。
『先刻申した通りだ。彼女は門。唯の「抜け道」なのだ』
「門?門だと?いったい何を…」
 そう言い掛けて、何者かに身体の自由が奪われた。
 背後には先程の犬が佇んでいる。冷たく燃え盛る眼で、此方を見ている。
『詳しい話が訊きたければ、後々語ってやろう。……厭と言う程な』
 口さえも動かすことが出来ない。ネロスはただ呆然と眼前で繰広げられる白昼夢に眼を注いでいた。
『先ずは、待ち兼ねた「器」の具合を、確かめさせて貰おう――』
 犬は、俺の背中に素早く魔方陣を描き、呪詛の詠唱を始める。
『時来たり、魔の器。血は我が血。肉は我が肉。今暫し傀儡と化せ』
 恐ろしい、等と言う陳腐な言葉では表現し切れない程の痛みが全身を駆け回る。
 全身の血管から黒い水を流し込まれる様な感覚。脳は警鐘を鳴らすが身体はピクリとも動かない。
『我が名はグラーシャ・ラボラス。殺戮と流血の悪魔也』
 頭の奥で響き渡る悪魔の声。止めろ、止めろ!
 俺は神父だ!神の使途だ!貴様等悪魔の憑依媒介ではない!
『数え切れぬ人を殺めて尚そのような戯言を……諦めろ』
「グ……ああ゛あ゛あ!」
『ラボラスも酔狂な者よ。ヒトの器等……』
『良いではないか。所詮我々も、ヤハウェの掌の上だ。存分に躍らせてやれ』
『しかし門の姫を斯様に散らかすとは、やり過ぎではないか?』
『何、所謂演出と言う奴だ。次回からは控えるさ』









 何だ?こいつ等何をしていやがる?
 悪魔?ソロモン?門?何のことだ?さっぱり話が見えない。
 しかしあの小娘が弾け飛んだ時はゾクリとした。
 戦争の時、火薬庫での遊戯を彷彿とさせる――アレは良かった。
 ――それより、ライオット、あの神父だ。
 あの犬に何かされてから、ただ獣の様に叫び続けて居る。
 やがて……奴は叫ぶのを止め、首を垂れて暫く動かない。
「フシュゥウ〜……。フフ、良い具合だ」
「……ぁん?」
 突然奴は顔を上げ、此方を直視する。気付くと、他の悪魔共は霧散していた。
 毛髪は白色に、双眸は青、肌は浅黒く変色し、邪悪な表情を湛えている。
「さぁ、人間、相手をしてやろう。肩慣らしには役不足かも知れんがな」
「……大した自信だな?さっきまでの平和主義者の面はどうした?」
 奴は、遠慮無く剣を抜いた。漸くその気になったか。
 雰囲気、どころか外見まで変貌したが、まぁ構わんさ。
 此の際奴が殺る気になっただけでも良しとしよう。
「気に入らん装飾の剣だ。この500年、ワルンブルグの血に何があったかは知らぬが……」
「何言ってやがる、てめぇの剣だぜ?」
「フフ、そうだな、全くそうだ」
 そう言うと嬉しそうに身体を動かしている。手を握り指を動かし首を鳴らしている。
「さぁ、かかってきな、『お待ちかね』といこう」
 中指を振って、挑発する。
 奴も既にその気だ。先程まで毫も感じられなかった殺気に溢れている。
 再び俺が視線を遣った時、奴は消えていた。




















 では遠慮無く

 !!!!!!!!!!!!?????
 グチュッ!!グリュグリュ……メリ…メリ…ブチィッ
 
 突然、左眼が赤くなった。遅れて激痛に神経を鷲掴みにされる。
「グッ…ギャアアァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
 熱い。熱い。頭が灼ける。視界が真赤だ。今迄に見たどんな血より赫い。
 抉られた。しかも素手で、だ。視神経ごと引き千切られた。
 地獄、とはこんな時使えば良いのだろう。地獄の痛みと熱が頭を侵食する。
 血液が口唇に流れ込み、鉄の苦味が舌に触る。
 痛みに消えかける意識を叱咤し、辛うじて像を結ぶ右目で視界に縋り付く。
 奴は、ライオットは俺の左眼球を掌上で玩んでいる。
「他愛も無い……この程度の動きにも反応できんのか……木偶め」
「ぐっ…ぞぉっ……て、でめぇ……」
 俺が痛みに耐え、動けずに居る間、奴は抉り取った眼球を玩ぶのに飽きたのか
 口の中に放り込み、咀嚼し、嚥下した。
「ふむ、人間の眼球は御世辞にも美味とは言い難い」
 舌舐め擦りをして、こともなげに言い捨てる。こいつ……本当にあの神父か?
 痛みはまだ残るものの、如何にか身体を動かせるまでには落ち着いた。
 チィ……視界が極端に狭く感じる。やはり左側が上手く見えていない。
 俺は右半身を前方に左手にマチェットを持ち替える構えを取った。
「ほう、もう動き回れるのか。人間にしては、やる」
「ハァッ……ハァッ……な、なかなか良い動きだ。やれば……出来るじゃねえか」
「負惜しみ、というヤツか?まぁ、直に無駄口も叩けない身体になる」
「ほざけ!」
 突進の速度と体重を乗せた突きを放つ。しかし、奴は俺の視界から消え
 背後に立っていた。不敵な笑みで、醜く顔を歪ませて。
「鈍い、やはり泥人形に少々毛が生えただけだったか?」
「五月蝿ぇ!!」
 振向きざまに斜め下から切上げる。
 奴はその一撃を、柳の如く切り払う。バスタードソード……良い趣味してるぜ。
「まだまだぁ!!」
 俺の斬撃も、刺突も、全て受け流し、弾き、無力化する。
 間合いを詰めれば、それに合わせて直に自分に有利な範囲を保つ。
 鉄と鉄の弾け、火花の散る音色。普段なら小気味良い筈の音さえ、もどかしい。
 クソっ!畜生!何故だ!!俺も、奴も人間だ!これ程の差が有るものか!!
 剣戟の交差の雨霰。アルジュナの矢の如き隙の無い連続刺突。
 それも全く奴の刃の前に意味を成さず、虚しく吸い込まれる。
 激痛に耐えながら、依然として続く攻防。
 既に実力差は明確。本能が其れを察知しても、頭は拒絶する。
「止めておけ……。私は悪魔グラーシャ・ラボラスだ。人間相手では比較にならん」
「何寝言言ってやがる!!てめぇはライオット=ワルンブルグ!!
自分でそう名乗っただろうが!!」
「ライオット……そうか、この個体はライオットと命名されたのか」
「随分と余裕があるなぁ、オイ!」
 悪魔……それならあの超人的な力、速さも頷ける。
 左側は見えないが、俺が奴に負わせた傷も既に癒えている。
「貴様が闘っていた男、確かに身体は彼の物だ。だが意識は私の者であり
今この五体を操っているのは私だ。悪魔だ」
「するてっと……何か?てめぇは……ハァッ…ハァ…悪魔だってのか?」
「無論、この身体は500年前に私のモノだと定められたのだ」
 力任せに袈裟斬りで向うが、当然奴の剣に受け止められる。
 鍔迫り合い、にすらならないかも知れない。力の桁が違う。気を抜けば即、終わりだ。
 向うは額を汗に濡らす事も無く平然とした顔付きでマチェットを押さえ付ける。
「さぁ、もう余興も飽きた。お前を屠り、指輪は頂こう」
「……この指輪が、欲しいのか?」
「……お前には関係無い。冥府への土産も要らんだろう」
 紫電一閃。奴の剣は光の線を描き、俺の右手を吹飛ばした。

 唯、見ていた。身体は乗っ取られた。
 だが俺の意識は眠ることを赦されず、眼前の行為のみに眼を向けさせられた。
 眼を背ける事も出来ない。恐らく悪魔が俺に見せ付けているのだ。
 罪の証を、殺戮の喜劇を。
 何を言っているのかは分らない。眼球を喰った時の味も分らない。
 ただ、眼前の光景だけが、無声の映写機の如く延々と流れ続ける。
「……もう止めろ。止めてくれ!!」
 当然声は届かない。男の、ネロスの右腕を吹飛ばした。
 以前の俺の力では、到底不可能だろう。悪魔の力を見せ付けるには十分だ。
 助けるべき少女が俺の前で爆ぜた。
 神に仕える身でありながら人を殺しあまつさえ悪魔にその身を蹂躙された。
 抗いようの無い絶対的な力の前に、ただ己の無力を呪うしかなかった。

「さぁ、首を刎(と)ばしてやろう。其処から先は、極楽だ」
 もう、俺は終りなのか――?そう諦めてかけていた時。
 奴が剣を振り上げ、俺の首筋を通過させようとした時。
 奴は、突然固まった。――どうした?焦らすな。殺るなら早く――
 ゆっくりと振り上げた剣を下ろし、苦虫を噛み潰した様な顔で
「シンボルか…………興醒めだ。不快極まりないものを見た」
 そう言い、奴はフッと意識を失い倒れ込んだ。
 神父服のポケットから覗くもの――純銀のロザリオ。
 次の瞬間、俺の首筋に軽い衝撃が与えられた。
 しまった――そう思った時には、俺の意識は深淵の闇へ堕ちて行った。

 帝国ヴァリス機動諜報部隊諜報員、アンバーは地に臥す2人の男を見下ろした。
 手刀でネロス眠らせ、腕の止血、眼窩の消毒等応急処置を施す。
 予想通りベラも派遣員、しかも悪名高いワルンブルグ法務執行官とは。
 ここは……いいえ、やはりネロスを証人に立てよう。
 あの少女は所謂魔法兵器、召喚兵器だ。敵国に渡すには余りに危険だ。
 いや、そもそも人間に扱えた代物かどうか――
 だがこうなってしまっては、回収は不可能だろう。
 かなりの大男に分類されるであろうネロスを軽々と担ぎ、戦場を後にする。
 
 ――……ベラとの戦争もそう遠くは無い。

 夜が帳を下ろした頃、眼が覚めた。
 仰臥していた俺には、満天の星が天球に張り付いているのが見えた。
 身体は、随意に動くようになっている。気付くと、少女は再生を果たし、
 辺りには俺とネロスの血だけしか認められない。
 不死者、という話は事実なのだろう。獄中で行き続けたのも合点がいく。
 少女はこの寒い中、裸の侭で震えながら俺の目覚めを待っていたのだ。
「……済まない」
 少女はふるふると頭を振って心配そうに顔を覗き込んでくる。
 俺は神父服を彼女に着せ、立ち上がる。傷は全て癒え、異常も無い。
 だが、これが悪魔の力の影響かと思うと遣り切れない。
 彼女に着せた神父服から、先日預かったロザリオが顔を見せている。
 ……やはり、これに助けられたな。
 上位悪魔にしてみれば、身が焼けずともそれなりの効果は有るだろう。
 少女の顔は泣いていた。涙を流さずに泣いていた。
 無理も無い。突然解体死し、気付けば復活しているのだ。
 しかし身体は痛みを鮮明に憶えているだろう。
 身体が弾け飛んでも、意識だけが明確なら尚辛いに違いない。
 俺は彼女を優しく、出来るだけ優しく抱擁した。
 暫く其の侭でいると、痛々しいほど冷たい少女の肩が震え始めた。
 ――わっと堰を切った様に乾いた眼を涙が濡らす。
 俺には、彼女を慰める言葉なんてかけられない。
 俺には、ただ彼女を抱き締めていることしか出来ない。
 500年間、死さえ許されず孤独と闘い
 悪魔の手にその身体を弄ばれ――決して訪れぬ安息を冀う。
 誰が不死者の忖度など出来ようか。
 俺がどれだけ気の利いたことを言っったところで、何になるだろう。
 少女は、ただ俺の胸で嗚咽を漏らすだけだった。

 …………

 そのまま、約半時程の時間が過ぎた。
 悪魔の門。ソロモンの使役魔。グラーシャ・ラボラスの器。
 何も分らない。何もかも分らない。
 俺達が悪夢の中を彷徨っているという事意外は。

                          続く
2004/12/20(Mon)02:32:17 公開 / BULL
■この作品の著作権はBULLさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
第6話です。
一寸くどい展開になってしまいましたが余りに展開が遅すぎるので。いや今回もかなり進行が遅いのですが。卍丸さん、影舞踊さん>今回で少々指輪との関係を臭わせるような雰囲気にしたんですが、どうでしょうか……。夜行地球さん>ソロモンの悪魔達はキリスト教の普及によって悪魔に貶められたという背景があるそうなので……気になったらすいません。メイルマンさん>空行は演出だと思っていただければ宜しいかと。余りに気になる様でしたら修正も検討します。ふんだくる、というのは乱暴に扱うといった喩えの積りで用いています。
ご感想・ご指摘お待ちしています。
少々修正しました。
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