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『朝の歌・夜の夢 1、2、3、4、5、6話』 作者:リトラ / 未分類 未分類
全角13283.5文字
容量26567 bytes
原稿用紙約45.05枚
 
 流れるピアノの音の中、俺は歌っていた。
 うわずった声にならないように、そしてその必死さが表情に出ないように、取り澄まして歌うのはなかなか大変なことだ。
 それでもこのピアノの音を壊したくないから、おれはいつだって一生懸命に歌う。

「純くん、練習したでしょ? 上手になってるよ」
 何時の間にか演奏は終わっていた。
 呆けて突っ立っている俺に、ピアノの弾き手がニコニコと話し掛けてくる。
「えっ、うん、まぁちっとは練習したかな……」
 慌てて言葉を返す。本当はかなり練習した。
「純くんは偉いね! 私はそんなまじめに練習なんてできないよ」
 言いながらピアノの蓋をする。
 長い黒髪が一房、白い指先にかかっていた。
「な、なに言ってんだよ、美由紀は元から上手いって! ほら、俺ァ下手だからこう、練習してるんであって……」
 へどもどしながら言い立てると、彼女はピアノから離れ、窓辺へ寄ってくすくすと笑っう。
「純くんったらへんなの!」
「そ、そうか……?」
 二人貸切の音楽室。
 無作為に並べられた椅子の合間をぬって、彼女の後を追う。
 その髪に染み付いた、香りのいいシャンプーの匂いに、俺は緊張した。
 普段からこういう訳では、無論ない。
 ただ美由紀の近くにいると、動悸・手足の震え・発熱・狭心症などの症状で、一秒たりとも平静を保っていられなくなる。
 ……一応言っておくが、俺は病気ではない。

 ただ、俺は美由紀にホの字なだけだ……ぞっこんなだけだ……。
「純くん? どうしたの?」
「ああ!? い、いや、なんでもない」
 しまった。また意識が飛んでいたようだ。
 美由紀の前にいると、まるで頭のヤバい奴みたいにしか振舞えない。
 それが俺の今一番の悩みだった。
 これ以上美由紀を直視していられなくて、俺は窓の外に目線を転じ……
「もう外真っ暗だ、そろそろ帰らねーと、事務のおっさんに怒られちまうな」
 すると彼女も夜の風景に視線をはわせる。
「あぁ、本当だ、じゃぁ今日の練習はこれまでにしようか! お疲れ!」
「おう、お疲れ!」
 美由紀は微笑むと(俺は“悩殺の微笑”と名づけている)、カバンを拾い上げ、無邪気に手を振りながら、部屋を後にした。
 愛らしい姿が夜の廊下に吸い込まれ、軽やかな靴音が遠ざかっていく……。
 
 そして音楽室には誰もいなくなった。

 校庭までぽとぽと歩き、校舎を振り仰げば、濃い闇と建物の輪郭は入り混じり、今がもう相当遅い時間であることを告げていた。
 こんなになるまで、美由紀を留めていたことに少し後悔したが、彼女の家はそんなに遠くないはずだから大丈夫だろう。
 俺と美由紀、家の方角は一緒だ。
 だが、本当に残念なことに、俺たちは恋人同士ではない。
 恐くて、告白ができないのだ。
 彼女の微笑みが自分に向けられなくなるかと思うと……。
 そんな引け目があるので、一緒に登下校なんぞという大それたマネはできなかった。
 なんてったってクラスのアイドル的存在だもんなァ……。
「純!」
 思考に割り込んできたダミ声には聞き覚えがあった。
 こっちをきょろきょろ、あっちをきょろきょろして、やっとその姿を認める。
「マサシ? お前、どうしてンな所にいんだよ!?」
 急いで校門に駆け寄ると、その向こう側に親友のマサシがいた。
 こう言ってはなんだが、ぶ男である。お世辞にもハンサムとはいえない。
「決まってんだろ、お前が美由紀ちゃんとデートしてるから、それが終わんの待っててやったんだよ」
「ばッか! デートじゃねぇ!」
「あいよ」
 マサシのダミ声を聞きながら、もう閉まってる門をよじ登り、校外の土に着地する。
 せっかく人がかっこよく(?)着地したというのに、奴はもう歩き出していた。
 まったくいちいち気に障る奴である。

「それにしても純は歌が下手だなァ」
 歩き出してしばらくすると、思い出したように、奴は口を開いた。
「きっ、聞いてたのか?!」
「嫌でも聞こえるって、あんな見当外れな大声あげてりゃさ!」
「…………」
 そんでも美由紀は、上手くなったって言ってくれたぜ?
 言うとからかわれそうだから口には出さないが……。
「んで、さ」
 話題を変えたくなって、俺はちょっと明るい声を出した。
「今日お前ン家泊まってってもいい?」
「は? どーかしたのか?」
「いやさ、なんか最近母ちゃんがヒステリックでよ」
 これは本当のことだ。この頃母ちゃんは何かというと、騒ぎ立てるようになった。
 本当なら親父に当たって欲しいところなのだが、頼みの綱の親父はやけに忙しいらしくて、帰ってくるのは俺が寝てる間だ。
 だからそれまでは、俺が母ちゃんの八つ当たりに、付き合わなけりゃならんのだ。
 これが俺の二番目の悩みである。

「な! 後生だよ!」
 俺の必死の面持ちに、マサシは短く唸ったあと、潔く頷いた。
「ま、しゃーないだろ」
「ありがとよ、ホント頼りになるぜ! お前って奴は!」
 近道をするために、ちょっとした路地に滑り込んだので、通学路に設置されている形ばかりの街灯群が途切れ、お互いの顔まで闇と同化し、見えなくなった。

 そんな暗闇の中。
 素直にはしゃぐ俺に、奴はひとつ付け加えた。

「ただし、美由紀ちゃんを俺に紹介しろよ! 俺だってクラスのアイドルのお近づきになりたいんだからな!」
 
 顔が見えないのをいいことに、俺は目を細め、ちょっと意地の悪い考えをした。
 どうせマサシみたいな不細工を、美由紀に紹介したって俺の恋の障害にもなりはしないだろう。
 そう思えばこいつも哀れな奴だ。
 まるでブタみたいなつぶれた顔に、ゴマのようなしょぼい目玉。
 十人並みの俺と並んでも、こんなに惨めな奴なんだから、アイドル的な彼女と肩を並べたら、二目と見れぬような凄惨な構図になるのだろうに。

 このとき、俺はこの親友を見下していた。
 自分よりは劣っていると、はっきりと自覚していた。

「いいぜ! 今度紹介してやるよ!」
 俺の気前のいい言葉に、マサシは満足したようだ。
 ニヤリと下品に笑うと、別のことを話し始めた。

 田舎の暮れ染めは暗い。
 肩を並べて歩く俺たちの前に、深い夜が立ち込めている。


    2

 俺は、俺は歌手を目指している。将来を決めたのは今年の春だ。
 グランドピアノの音色に惹きつけられ、訪れた放課後の音楽室。
 流れるような指先が鍵盤を叩き、そのたびに澄んだ音が響く。
 真剣な面持ちの彼女は、光の中、とても……美しかった。
「あれ? もしかして今の聞いてた?」
 演奏が終わって初めて、俺の存在に気付いたのか、ぱっと頬を赤らめる。
 その表情に、思わずこっちまで赤くなってしまう。
「まだぜんぜん弾けてないのに、恥ずかしいなぁ……」
「い、いや! す、凄く上手だったよ!」
 あまりの緊張に、猿みたいなキーキー声が出た。
 ぷっ、と彼女は吹きだし、へんなの! と、さもおかしそうに笑った。
 あんまり可笑しそうに笑うもんで、俺もつられて笑ってしまった。
 そうしていると、ずっと前から見知ってる仲のように思える。
「純くんだったよね、同じクラスでしょ? 純くんは将来の夢とかある?」
 突然の問い。
 それにとっさに答えていたのだ。

“俺の夢は歌手になることだよ!”

 ……本当はそんなの決まってなかった。
 ただ彼女がそれを聞いて微笑んだのを見て、俺は心底幸せだった。
「歌手を目指しているんだったら……」
 そう言って彼女が提案した放課後練習は、今では生きがいにすらなっている。

 それなのに……。

「なぁ、これなんか見てくれよ! 去年富士山行ったときに撮ったやつでさー!」
 奴は誇らしげに、いやみったらしく、その薄汚い手を上げた。
 摘み上げられているのは、一片のどうってことない花の写真である。
「わぁすごい! ほら、見てよ純くん!」
 しかし美由紀はその写真に魅せられたようだ。
 暗室の中でよく見えもしないそれを褒め、ぐいぐいと押し付けてくる。
「…………」
 無言で受け取り、それを眺めるふりをして、わずかに視線をそらす。
 粗末に積み上げられた大小様々な写真達、赤黒い照明の中、浮かび上がる得体の知れぬ現像機具。
 そのどれにも関心は向かない。
 苛烈な視線の先にはマサシがいた。写真部特有のあのオタク臭い笑みを浮かべている。
「な、その写真は傑作なんだ、凄いだろ!」
 俺の反応が芳しくないので、奴は焦れたように言った。
「……ああ、いい写真だ」
 写真なんて見ちゃいない。
 ひたすら視界に入り込むのは、親しげに話す美由紀と奴の姿だ。
 無言で写真を返す。
 本当は、今すぐ破ってしまいたかった。
 
 マサシの所属する写真部は、その部室自体が暗室になっていて、いつでも写真を現像できるようになっていた。
 それゆえ室内は暗く、僅かな光も命取りとでも言うように、分厚く辛気臭いカーテンで締め切られている。
 風の一吹きすら望めぬ室内は、冬だと言うのに蒸し暑く、廊下に出たときには三人とも汗だくだった。
「マサシ君にこんな才能があるなんて、最初は全然わからなかったよ!」
 本当は疲れているだろう彼女の声は、しかし明るかった。
「そんなに誉めるなよ、俺ってすぐ調子にのる性質だし……」
 謙遜する振りだ。言葉とは裏腹に、マサシはかなり喜んでる。
 その態度に、なんだかイライラっと来た。
「立ち話してないで早く帰ろうぜ、もう外真っ暗だ」
 軽いデジャビュ。
 しかしあの時と違って、俺の声は陰気でかび臭い気がした。

 毎日のように行われていた歌の練習は、“こいつ”のせいで大幅に減っていた。
 俺が放課後の練習を始めようとすると、マサシがどこからともなくやってきて言うのだ。
『なぁ、お二人さん! こんな所で練習なんかしてないで、写真部にコイよ!』
 は? なに調子のってんの、お前。
 気分はこの言葉一色である。
 それこそブタのようなケツを、蹴り飛ばして追い返してやりたい所だが、美由紀は人がいいので直ぐにOKしてしまう。
 美由紀が賛成したことに反対するのは恐かったし、俺が渋ると、調子こいたアイツはこう吐き捨てた。
『別にお前は来なくってもいいンだぜ? 一人で練習してろよ』
 むろん……アタマにはキてる。
 もう、本当に、殺してやりたい程に。
 
「でもマサシ君の写真ってあれだけなの?」
 清らかな美由紀の声が、俺をどす黒い思索から引き戻した。
 俺たちは今下駄箱にいる。マサシと美由紀が仲良くなってから、家の方向がほぼ同じ三人は一緒に帰るようになったのだ。
 嬉しいことは嬉しいが、俺が成そうとして成せなかったことを、マサシがあっさり実現させてしまったのだと思うと、寧ろ腸が煮えたぎる。
「まさか! あれだけじゃねーよ! まだまだ沢山あるぞ! 今度見に来るか?」
 どうやら会話が弾んでいるらしい、マサシの汚らしい音声は、底抜けに明るかった。
 ほんの数週間前まで口すら効けなかった美由紀に、よくもまぁここまで馴れ馴れしくなれるもんである。
 それに引き換え、俺は無口になっていった。
 まるで恋人、いや、親友みたいになってしまった二人の会話に割り込めない。
 俺が入っていったせいで、その場が白けるのが恐い。
 マサシたちは靴を履くと、二人きりの会話を楽しみつつ、さっさと先に行ってしまった。
 俺が居ても居なくても会話は弾むのだ。
 俺が相手でなくても、美由紀は女神のように微笑むことができるのだ。
 わざとゆっくりした動作で靴を履く。
 靴紐が結び終わった頃には、二人の姿は既に夜に紛れていた。
 
 二人が帰ったはずの道のりを、一人辿る。
 そうすると自分の存在意義が何なのか、解らなくなってくる。
 美由紀をマサシに紹介したことを、俺は本気で後悔していた。


    3
 
「純! こんな遅い時間まで何してたの!」
 ヒステリックな母ちゃんの叫びに、自然に顔が強張るのを感じた。
 最近家に帰ると、必ず玄関で待ちうけるようになっている。
 いい加減へきえきする思いで、俺は少し恐い声をだした。
「遅くねーって、コレが普通なんだよ」
 何を言っても無駄だと解っているので、返事も待たずに横をすり抜ける。
 重い足枷を剥ぎ取るように、セーターを脱ぎ、マフラーを取り外す。
 色とりどりに脱ぎ散らかした安布の海が、異常なほど磨き上げられた床に広がった。
 足元にわだかまるそれらを軽く蹴散らすと、俺は階段を駆け上がり、自室の扉を乱暴に閉める。
 そのとんでもない行いを非難する、母ちゃんのがなり声は飛んで来なかった。 

 母ちゃんのヒステリー、と言うよりもノイローゼは日増しに悪化しているように思えた。
 酷く取り乱していたはずなのに、突然おしのように沈黙したり、そうかと思えば子供のように泣き出したりもする。
 
「まったく、やってられねぇ」
 スプリングの効いたベッドに身を投げ出し、呟いた。
 自分でもあんまりな科白だと思う。
 けど、いまの俺に、人のことを気遣う余裕はない。
 目を閉じれば、先ほどの二人の様子が当然のように浮かんで来る。
 
 ああ くそう……
 
 全ての思いを振り払うように、手近なケータイを手にする。
 誰か親しい、マサシ以外の友達と話そうと思っていた。
 ……しかし、意気込んだ俺を出迎えたのはこの四文字だった。
<着信アリ>


 吹き付ける風は肌寒かった。
 しかし、俺は有頂天で、その冷たさに気付かない。
 下駄箱前の大木に身を預けながら、下校途中の同校生徒を眺めやり、俺はどうも違和感を感じ、わずかに首を傾げた。
 明るく照り輝き、ガラス細工のようになった木の葉や、金属的な光を反射する時計塔。
 気温がグッと下がったためだろう。
 様々な防寒服を身につけている、いつもより数の多い学生の姿。
 特に何がオカシイという訳ではない。これが普通の風景なのだ。
「夜、帰るのに慣れ過ぎたからなー……。」
 考えてみれば、こんなに日が高いうちに帰るのは久しぶりだ。
 今日は歌の練習はしなかった。そして写真部にも行っていない。
 そのとき、軽やかな靴音が背後から近づいてきた。
「ごめん! 待った?」
 かけられた声に幹から身を起し、振り返る。
 自然に顔が綻び、笑みの形をつくった。久々の幸福に心が昂揚している。
「いんや、全然、マサシは?」
「今日は用事があるって言ったら、しぶしぶOKしてくれたわ! じゃぁ帰ろう!」
 美由紀は微笑むと、俺の手を引き歩き出した。

「初めてだよねー、二人きりで帰るのって」
「ああ、そうだなァ」
 俺は幸福感と充実感に、頭まで漬かりながら頷いた。
 昨日までの憂鬱で陰気な気分が嘘のようである。
「それで早速なんだけど、相談ってなに?」
 俺が、彼女と二人きりで帰って来れている理由は、これであった。 
 昨夜、意味ありげな着信が彼女のものと知り、俺は複雑な気持ちで電話を掛け返したのだ。
 三度のベルで彼女は受話器を取り、明るい声で話し掛けてきた。
 そのとき俺はあまり上機嫌とは言えず、生返事をしたが、彼女の二の句に思わず驚きの声が上をあげた。

 ケータイを置いた後も、驚きと感激で心は震えている。
『相談したい事がある』と、そう美由紀は言ったのだ。
 それもマサシには相談できない事らしい。
 それだけで早とちりするほど自惚れてはいないが、重大なことを打ち明けるほど信頼されているのかと思えば気持ちが安らいだ。
 マサシにはまだ負けてないという、幼稚な優越感が心地よかった。

「そのことなんだけど……」
 人通りの少ない空き地に入ると、美由紀は少しまじめな顔になる。
 つられて俺も心を引き締めた。
 こういう大事なときに、緊張に負けてフザケルほど、俺は命知らずではない。
「なに、そんな大変な話なの?」
「うん、でも純くんなら解ってくれるかなーって……」
“純くんなら”か、いい響きである。
「いいよ、言ってみろ」
 俺の真剣な、それでいて優しい面持ちに、彼女は心を許したようだ。
 少し照れたように微笑むと思い切って話し始めた。 


「笑わないで聞いてね、実は私、マサシ君のことが好きになっちゃったみたいなの!」


 肩の重みが取れたとでも言うように、彼女は微笑んだ。
 俺が、俺が笑うとでも思ったのか、その微笑を隠すように目をふせる。
 それゆえ彼女は見落とした。
 俺の表情に、抑えきれず表れた、一瞬で宿り、形を潜めたのある激情を。
「それでね、マサシ君は私のことどう思ってるのかなって、気になって……」
 言葉を続ける彼女。
「純くんとマサシ君って、昔からの親友って聞いて……ね、マサシ君って私のことどう思ってるかなぁ?」


 それを 俺に 聞くの?


 彼女のその笑みに、顔色を窺う色はない。
 美由紀は気付いていないのだ。俺の気持ちも、それゆえ生まれた危険性も。
「ね、純くんはどう思う?」
 今度は俺が目を伏せる番だった。
 瞳に、口元に、鼻先に現れた危険な翳ろいを、彼女に感じ取らせてはならない。
 それは野生の直感だった。
「マサシは美由紀のこと、好きなんじゃないのかな……多分」
 いや、絶対にそうだ。決まってる。
 奴とは短い付き合いではないのだ。だからあの赤黒く染まった顔を見れば、一目でそれと知れる。
 それでも語尾に“多分”とつけてしまうのは、醜い嫉妬のせいなのか……。
「そう、そう思う! よかった! ありがとう純くん」
「ああ……」
 執念深い憎しみにキラリと目を光らせて、俺は言った。
 数秒。彼女は黙って、なにかを感じ取ろうとするかのように覗き込んできた。
 俺は穏やかな表情を崩さなかった。
「純くん……あの……お母さんとお父さん、大変なんだってね……」
「ん?」
「ううん、やっぱりなんでもないの……」
 彼女の妙な態度の意味する所が、気にならないでもなかったが、俺は問い詰めることはせず、彼女もそれ以上語らなかった。
 
 美由紀を帰したあと、俺は再び空き地に訪れた。
 痩せた土地を、枯れ果てた草々の上を、凍てつく風が吹き抜ける。
 その冷たさを充分に感じながら、俺は遥かな太陽を見上げた。
 そしてそのまま目を閉じる。この件で泣くのは、これが最後だ。

 俺はここで、一人の親友と、愛すべき相手をうしなった。
 彼女にひた寄せていた慕情は、このときはっきりと、おぞましい憎悪に変わった。

    4

 だからと言って……、別に何が変わった訳でもなかった。
 美由紀が誰に心を奪われようが、学校には行かなくてはならないし、母ちゃんが正気を取り戻すわけでもない。
 この厳しい冬が、突然夏に変わることは絶対にないのだ。

 朝日はまだ昇っていない。
 ほの明かりの中、俺はベッドの上で半身を起し、手鏡を覗き込んでいた。
 あの日から数日経つが、今日もあまり眠れなかった。
 陰を集める目の下のラインは、その色をますます濃くし、俺の顔はまるで病人然として、不健康そのもの……。
 吐く息が、白い。
 冷たい朝の空気は、布団から這い出た俺の体温を、情け容赦なく奪っていく。
 少し身震いすると、枕もとに用意しておいた制服を取り上げた。

 何か紙が落ちた。

「――?」
 広げてみれば、それは一枚の楽譜だった。ごく最近のもので、黄ばみやシミは一つもない。
 黒々としたオタマジャクシたちが、その上で緩やかなステップを踏んでいる。
 作曲者名は「中村 美由紀」。
 歌手になりたい俺のために、彼女が作ってくれた曲だった。
 あの頃の思い出が蘇ってくる。
 放課後になると音楽室に身を寄せて、恋した彼女のピアノの音に、俺は力いっぱい歌ったものだ。
 今思えば苦い記憶だが、あの頃は本当に幸せだった。
 マサシという親友もいたし、母ちゃんも今よりずっとマトモで……。
 
 しかし俺が追憶にふけったのはほんの一瞬だった。
 楽譜を元のようにたたみなおすと、少し迷ってから机の上に置く、捨てるかどうかは後で決めればいいのだ。
 どうせ――捨てられはしないのだが……。

 シャツのボタンを閉め、鈍色のズボンを手早く足に通す。
 短い髪を、手先でチョチョと整えれば、もう登校準備は済んでしまった。
 殆どカラッポの鞄を手にし、ゆっくりと、小暗い階段を降りて行く。

 廃人のようになってしまった母ちゃん。今はリビングに居た、しかし親父は居なかった。
 虚ろな視線を、何もない空間に投げかける姿は、なんとも不気味で妖怪じみている。
「じゃぁ行ってくるから……」
 当然、返事はない。
 彼女は既に狂っていた。


 奴と美由紀はついに付き合い始めた。
 その素晴らしい顔と、どうにも気持ちの良くない性格のおかげで、惨めな青春を歩んできた奴の返事は、当然OKだったのだ。
 二人仲良く並んで登校する姿が、毎朝目撃され、彼らを知るものはそのたびに大騒ぎするらしい。
 しかし今、通学路には誰も居なかった。
 腕時計を見る。5時だ。
 ……マサシと美由紀が寄り添い歩く様を想像する。
 そんな二人に偶然出会ってしまい、惨めなほど自然に振舞おうと、きりきり舞する俺。
 その苦しみに比べりャこんなのチョロイのだ。
 街灯が消え、太陽の光も届かぬ微妙な時間帯。
 当然こんな時間に校門は開いてはいない。じっとカギが開くのをまつ。
 俺の心は、剥き出しの頬と同じように冷え、卑屈なほど頑なに凝り固まってしまっていた。
  

 アイドル的美少女の美由紀が、あろうことか『あの』マサシを相手に選んだことは、大きな驚きと、そして数々の憶測を生んだ。
 中にはガックリきた可哀想な男子もいただろう。
 クラスどころか学年全体がこの話で持ちきりである。たかが一組のカップルに、この反応は異常だ。
(ねぇ、聞いた?)
(もちろん聞いたわよ、それにしても物凄い組み合わせね)
(ふふふ、それはちょっとあんまりよ、でも本当に酷い顔。あれじゃぁ美由紀の美貌が引き立つわね)
(あら、そっちこそ平気な顔で酷いことを……)
(まぁ、ふふふふふ)
 小鼻を膨らませ、この話題に口角泡を飛ばしあう連中の声が、自然に耳に入る。
 何も知らないくせに、お気楽な奴らである。
 教室に入れば、いやでも目に入る二人の姿を、俺は強情に見ないよう努め、少しでも早く今日一日が終わる事を願った。
 だが、一時は美由紀との仲を疑われた俺を、連中が放って置くはずもない。

「なぁ、純? お前美由紀とアレだったんだろ? 今回のことについてどう思う?」
 
 ついに、一人の勇気ある、または無遠慮な男が、口にだしてこう言った。
 ぴくッ――という音がしそうな程、神経質そうに方眉が跳ね上がる。
 そのとたん、いままでピーチクパーチクと囀っていた連中は、さっと押し黙った。
 過度の興味と好奇心は、ときに人を傷つけ、震えるほどの怒りを呼び覚ますことがある。
「…………」
 今にも怒鳴り散らしそうな口元を引き締め、相手のあごを砕く準備のできた拳――実際はあごを砕けるかは解らないが、それだけの勢いはあるはずだった――を、机の上で固く結び合わた。
 俺の刺すような視線を諸ともせず、男は期待に耳をそわそわさせている。
 場の緊張が一気に高まった!

「純!」

 俺の名を呼んだのは、誰なのか。
 そんなのは直ぐ判ったので、そちらに一瞥もくれる事なく、やりきれない激情に震えながら、さらに拳を硬くした。
「おい、純、ちょっといいか?」
 ダミ声が間近に迫った。無視することすらままならない。
 筋が浮き出るほど強張った顔を、上げる。

 そんな俺の前に、奴は喜色満面に立ちはだかっている……訳ではなかった。
「おい、どうしたんだよ!」
 やり場のない憎しみから来る呪詛の言葉より先に口をついたのは、そんな思いであった。
 俺が思わず目を見張るくらい、奴は苦しげな顔をしていた。
 最近のマサシといえば、汚ねェけつっぺたを、思わず蹴り上げてやりたくなる程、へらへらした顔つきをしていたはずだ。
 声もない俺に、眉尻を下げた奴はこう言った。
「なぁ、ちょっと言いてェ事があンだ……今日、一緒に帰らなねェか?」
 絶えがたいほど悲痛な声音。
 周りで耳をそばだて、目を爛々と光らせる野次馬の群れなど、もう気にならない。

「……ああ、いいよ……」

 知らない内に、俺は囁いていた。


    5

 マサシが念頭に置くのは、先ずは自分のことだ。
 他人のことや、自分の気持ちに反する物事は、常に後回しになる。
 今だってそう。
 黙ったままで、中々話を聞く姿勢をつくらない俺の顔を、奴は苛々と凝視していた。
 無論、突然黙り込んだ俺を心配してくれている訳ではない。
 奴はただ話しがしたいのだ。
 自分が言いたいこととやらを、早いとこ俺にぶちまけてしまいたいのだ。
 相手の立場や心理を考える。などという芸当は、この豚にとって無理難題であるようだった。
 俺が美由紀を好きだった事くらい、いくらなんでも知らないはずはない。
 そして、自分が当の美由紀と付き合っている事実も、まさか忘れた訳ではないだろう。
 だから。
 何の相談かは知らないが、それを俺に――もう親友でありえぬ俺に――持ちかけるのは間違っている。
 あの時。思わずOKしてしまったあの時は、こちらも半ばパニック状態だったのだ。その筈だ。
 そうでなけりゃ、誰がこんな奴の相談など受ける物か!
 もしかしたら、その場でこの外道をぶん殴っていたのかもしれない。
 それほど俺の恨みは深く、激しい。
 
 しかし……
 よく考えもせずにOKしてしまったのは、ハッキリと俺のミスだ。
 だから話だけでも聞いてやろうと、今俺はココにいるのだ。
 もう二度と近寄るまいと思っていたあの空き地に……。

 あの時と同じ風が吹き、あの時と同じ雲が流れる。
 数日前の事なのだ。
 なまじ記憶力がいい分、はにかみながら打ち明け話をする美由紀の姿が、今でもハッキリと思い出せる。
 普段から彼女は美しかったが、あの時が最も光り輝いて……。
 その分俺の怒りは、嫌が上にも掻き立てられたのだ……。
 
「純! 人の話を聞けよ!」
 思わず回想に浸りきりになる所だった俺の心を、現世におし留めたのは、マサシのダミ声であった。
 多少むっとして、そちらを顧みる。
 奴の生意気そうな視線と、俺の視線がぶつかった。

「やっぱりお前は最低の人間だ!」

 そう叫んだのは俺ではなく、意外にもマサシの方であった。
「お前はいつも、そうやって俺を無視して、バカにするんだ!」
 一瞬。唖然としてその言葉を受け入れてしまった俺に、間髪入れず奴は続けた。
「俺がバカだって、醜いって……いつだってそう思ってたんだろう……」 
 それは確かにそうであったが、だから一体なんだと言うのか。

 だってそれは、事実じゃないか!

「いつも、俺がどんだけ傷ついてるかも知りもしないで……」
 カエルが絞め殺されたような、聞くに堪えない嗚咽を上げたと思うや否や。
 奴はその場に倒れ付すと、大袈裟なことに見も世もなく泣き出した。
「…………」
 相当辟易した俺は、どうしようもなくその悲惨で滑稽な一幕を見守った。
 そうしている間にも、奴の汚らしい口からは、情けない嗚咽が漏れる。
「そう……だ、皆そうなんだ……みゆきだって……心の底では……」
 
『みゆき』という単語に、少し心臓が飛び跳ねたが、その先はよく聞き取れず、俺は相当やきもきした。

 そして……やっと落ち着いてきた奴は、何を思ったか、バッと顔を上げた。
 地面を見れば涙の雫が、乾いた土に染みることなく、その形を保っていた。
 まるでその毒々しい涙を、大地が拒んだかのようである。
 怪訝そうに眉をひそめる俺を、奴はじっと――その涙でくしゃくしゃになった顔で――見詰めると、こう吐き捨てた。

「そうやって、仮にも親友である俺の苦しみも理解できないで、そんなんだから美由紀を振り向かすことができなかったんだ!」

 目の前が……真っ赤になった。
 衝動的に、蹲った奴の腹を蹴り上げていた。
 靴先が肉に埋もれる。嫌な感触がして、嫌な音がした。
「ぐぅぅ」
 うめいて倒れ掛かるのへ、今度は顔面を蹴りつけた。
 いままで見たことがないくらい派手に……。鼻血が吹き出た。
 何度も何度も蹴りつける俺の靴が、たちまちその色に染まる。
 
 他人を傷つけ、暴行する際、人は奇妙な高ぶりを覚えるという。
 しかし、今の俺は凍えてしまいそうな程の寒気を覚えていた。
 心のうちに、高ぶりも、他人を傷つける狂奮ひとつ見出せず……。

 ただただ、寒い。

 今ならまだ、心の食い違い程度で済むかもしれない!
 そう叫び続ける自分自身に逆らい、俺の足はマサシを蹴り上げつづけた。
 もう何で自分が怒っているのかも解からない。
 俺も、確かに狂っていた。


    6

「お終いだな……もう、お互いに……友達としてなんて、やってらんねェよな……」
 それは確認ではなく断定の言葉。

 酷い疲れを感じ、俺の足が奴を蹴るのを止めたのは、つい今さっきのことだ。
 怒りのせいか、未だに手足は震え、息は荒い。
 それとは別に、身体は芯から冷え込んでいた。
 内部から壊死するような錯覚に捕らえられ、その恐慌に俺はぐっと目を閉じる。
 外界から隔離された。
 足元のマサシも、恐いくらい無人の空き地も、何もかも見ていた空も、見えなくなった。
 数十秒前までの血なまぐさい暴行が嘘のように、場は静まり返っていた。
 五月蝿いのは己の呼吸ただひとつ……。

「…………」
 ふい俺は目を開け、しゃがみ込んだ。
 マサシは蹴られたままの醜態をさらして、横たわっている。
 制服の上に羽織ったコートに、鼻血の跡が生々しい。
 ……ぴくりとも動かない。
 俺は爆弾を解体しているかのような緊張した手つきで、奴を仰向けにさせた。
 見るに耐えないほど顔面がグッシャグシャになっている。
 鼻の一つも折れたやもしれない。
 あんなに酷くやってやったのに、息ひとつ乱さず、まるで眠ってるようで……。

「……マサシ……起きろ……」

 静けさの圧倒的な存在感に負けて、俺は囁いた。
 震える手先を、乾きかけた鼻血にぬめる頬に持って行く。
 指先に粘着質の液体が絡みついて不快だったが、今はそれどころじゃない。
 ピシャ、と叩く。
 マサシは……起きない。
「おい、マサシってば! 俺が悪かった、だから起きろ!」
 錯覚だろうか? マサシの頬は前より冷たい。
 心臓がうるさい。少し、だまれ。
「マサシ、起きろ! 頼む!」
 気狂いの思いは止め処ない。
 しかしその支離滅裂な渦の中で、確実に何かが高まっていった。
「おいってばぁ!」
 最後の方は悲鳴みたいな裏返った声になった。
 美由紀との練習のときには、決して出さなかった情けない声。
 気が付けば俺の頬も、奴のと同じように濡れていた。
 もう二度と流すまいと誓った涙。
 
 己の身を案じるものでも、
 ましてや同情の涙でもない。

 狂人の涙だ。

 しかしその狂人にも、ちょっとばかしの理性があったのか、どうか。
 俺は傍らに転がった鞄を引きずり上げると、必死に中身を掻き出し始めた。
 すぐに奴のケータイが姿を現す。
 ビクついた動作でソレを拾い上げると、粘っこい血液が、白いボディに付着した。
 こういうときは110番――警察か? 119番――救急車……?
 9つの番号の上で、親指が切りきり舞をする。
 アゴを伝った汗が、画面の上に滴り、滲む。
 もう涙は流れていなかった。

 …………
 
 空が近い。
 
「うん、ああ、俺。いやちょっとさ、空き地に来てくんないかな? うん、この前の……そこにさ、マサシが死にかけてるからさ……」

 広い、広い空き地に、俺の声は不自然なほど高く、広がり響く。
 会話中の相手が何か言う前に、俺はそれを投げ捨てた。
 今は誰の話も聞きたくなかった。
「…………」
 のろのろとした動作で、手を、見る。
 粘っこい血は乾いていた。
 その乾いた血のこびりついた指と指の間を覗き込む。
 死にかけの……が、転がっていた。

 ギクシャクと、俺は立ち上がる。
 惨劇の後。
 空間を圧する大気は清々しく、甘味を佩びて……それでいてドコかいがらっぽい。
 ソレを、肺がはちきれるほど吸い込んだ。
 俺の鼻から喉へ、そして肺胞へ……その工程の間に、澄んだ空気は重く濁り、血流に乗って身体の隅々に送り届けられる。

 さぁ、立ち去ろう。
 もたもたしてると美由紀が来てしまう。
 

 点々と散りばめられた、どす黒い染みを押し包み、再び空き地に静寂が……訪れようとしている。
  



 続
2004/11/21(Sun)07:44:42 公開 / リトラ
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■作者からのメッセージ
しまった。
5話と6話は合併させたほうがいいのかもしれない……。
だんだんとアレになってますが。
これからどんでん返しの予定です。
色々至らぬところが有ります。
ご指摘をいただきたいです。
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