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『一人じゃない 1〜8』 作者:霜 / 未分類 未分類
全角32677.5文字
容量65355 bytes
原稿用紙約99.85枚
<プロローグ>
 一つの村が無くなろうとしていた。
 最近は、遠くはなれた田舎の村なんかに残る若者は少ない。若者の少ない村は、現在騒がれている少子高齢化になり、最後には高齢者だけが残る。高齢者だけになるとその村はどうなるか。もちろん無くなるのだ。廃屋に近い建物がいくつかあっても、そこに人は住んでいない。かつては田んぼや道だった場所も、再び森へと還ろうとしている。
「父さん……」
 その廃屋の一つに、かろうじて二人住んでいるものがいた。一人はまだ若い、幼そうな少年。もう一人は……。
「等……私はもう駄目だ。だが、悲しまないでくれ」
 等という少年に話しかけているのは、もう虫の息ほどの老人だった。暗い廃屋の小さい一間で、静かに息を引き取ろうとしている。
「僕にはもう父さんしかいないんだ!」
 等は、立ち上がり、老人の死を力の限り否定した。
「お願いだから、また僕を一人にしないでくれ! いっしょに生きようよ! ねえ!」
「…………」
 老人は何も言わなかった。
「どうしてだよ! なんでだ! 何で僕といっしょにいてくれないんだ! ……頼むよ。もう父さんを怒らせるようなことしないから。わがまま言ったりしないから……」
 等の声が、力任せの怒声から弱気な懇願へと変わっていく。最後に再び座り込んだ。
「頼むよ……」
 老人は黙り込んでいた。まだ死んでいないのは分かる。黙って、等の声を一つ一つ大事に聞き取っていた。
そして、とうとう口を開いた。
「等……。これは私の運命だ。たとえ今死ぬことができなくても……お前より後に死ぬことなんてありえない……お前を育てると決めたときから……私はこのことを覚悟していた」
 蝋燭が、最後に少しだけ激しく燃えるように、老人も話し続ける。この機を逃したらもう、言いたいことは言えない。彼に自分の気持ちを分かってもらえるよう、諭すように続ける。
「悲しむなとは言わない……人間として生きている限りそんなことはできない……もし、それでも人間として生きて生きたいなら、都会に行ってみなさい。そこでは、人がいないなんてことはない。もしかしたら、お前の悲しみが拭い去ることができるかもしれない……」
「都会……」
「そして……ワシに、都会のことについて教えておくれ。まだ……行ったことが……ないんだ……」
 老人はニヤッと笑い、そのまま動かなくなった。
等はしばらくその寝顔を見続けた。悲しくはある。だが、何かちょっとだけ、希望のようなものをもらったような気がする。等は、濡れた顔をごしごしと服で拭いた。
「都会か……とりあえず、葬式をやってからだな。よし、とっておきの火を炊いてあげるからな」
 そう、老人に言い、等は廃屋を出て行った。
 これは、かれこれ3百年前の話である。



<1>

 初夏。だんだん強くなりつつある日差しの下、一人の男が椅子に深く腰掛けて気持ち良さそうに寝ていた。茶色く長い髪を無造作に縛っている。白いTシャツ、ジーンズ、麦藁帽子といった格好の三十代ぐらいの男だ。
この男の名は寛和。科学者である。何の科学者かというと――。
「センセ〜。そろそろお目覚めの時間ですよ」
 長い金髪をたなびかせながら近づいてくる女性がいた。こちらも白いTシャツ、ジーンズ、麦藁帽子といった格好である。これでもかというくらいに微笑んでいる。
「……ん? もうこんな時間か……」
 寛和が起きた。くああ〜と、あくびをしながら猫のように伸びている。
「あー。じゃあ、そこのスイカを冷やしといて」
 寛和はクーラーボックスを指差し、その女性に伝えた。この女性の名前は三つ葉。いつも絶えず笑っているのがチャームポイントだ。
「はーい。分かりました〜。よっと」
 返事をしたとたん、クーラーボックスを持ち上げ、十メートル先の川にそのまま投げ込んだ。バシャン! と音を立てて(中に入っている)スイカが川に放り込まれた。
「…………」
 唖然としてみる周囲の人々、と寛和。ここはキャンプ場だった。ニコニコキャンプ場という、結構有名な場所である。綺麗な川と涼しげな森が避暑に適している、とかなんとか。
「あ〜、すまん。スイカを冷やしたいから、クーラーボックスから取り出して、水につけておいてくれ。網は石に引っ掛けておいて」
「は〜い。分かりました〜」

 ニコニコ顔で、スイカを取りに行く三つ葉。寛和は忘れていた。三つ葉はアンドロイドなのだ。しかも寛和がつくった。よく分からないが、言語能力が著しく低いのだ。結果的に、命令するとき言葉が足りないとこうなる。寛和たちは三日ほどここに滞在しているのだが、なれるまでに大変な努力を要した。色々な問題があったのだが、一番の問題は、食料を持ってくる量が足りなかったということだ。昨日の分でもう無くなっている。六日滞在する予定なのだが、どうしても三日分足りない。実は昼寝ではなくふて寝だったのだ。
「することもないし食料もないし……どうすればいいんだか」
「森に行って食料採って来てはどうですか?」
 問題なくスイカを冷やせる状態にしてきた三つ葉がそう言った。誰のせいだと思っているんだろうか。聞きたいが、なんとなく聞けない。
「森には動物がいるらしいですし。薪用の木も持ってきて欲しいですし」
 アンドロイドの癖にいやに横着なヤローだ。
「あ、キノコなら毒か食べられるか見分けられますよ。最近図鑑読んだので大丈夫です」
 あくまで自分が行く気はないらしい。
「じゃあ代わりに魚釣りしててくれ。周囲の皆さんに迷惑かけないようにな」
 元気よい返事とニコニコスマイルに見送られて、寛和は森の中へと入っていくのだった。

 都会は、お世辞にも良いとは言えない場所だった。
 まず第一に、空気が悪かった。排気ガスという有害な物質を遠慮なく吐き出す乗り物に乗りながら、その有害な物質をなんとかする対策なんて全く取ろうとしていない。空気は汚されていく一方だった。反面、街の美しさといえば、人間の建造物としては相当なものだった。大小さまざまな大きさの建物が街を彩っている。暗闇に浮かぶネオンの色は、眠らない街、という名のとおり夜でさえも人がいるかのような明るさだ。
 だが、何よりも都会を悪印象にさせたのは……そこにいる人々だった。ぶつかるだけでけんか腰、他人とはあまり関わろうとしない態度。好意的に接してくる人がいても、自分を売って金にするような人。最後に、結局僕より先に死んでしまう。
「都会は、あんまり良いところじゃなかったよ」
 父の墓の前でそう言ったのは何年前のことだろうか。覚えていない。
 僕は、本来の習性どおり森の中で暮らすことにした。人が入ってこない程度の深さの森で、動物達と木々たちと暮らすことに。でも、それも上手くいっていない様な気がする。人間は、自分の意思をはっきりと伝えてくれるけど、動物や木々はなかなか伝えるということはしない。もともとそんな能力ないのかもしれない。
彼らは、僕を恐れた。僕が彼らに近寄るたびに、彼らは逃げた。逃げないことがあっても、彼らからかすかに感じ取れる感情は、恐怖。そういった感情さえもない木々達も、僕がちょっとした炎を出すだけで簡単に燃え尽きてしまった。
 僕は……彼らと生きることに対して相性が合わないみたいだ。
 僕は……これからどうすればいいんだろう。

 等は森にいた。父親が死んでから三百年ほど経っても見ために変わった部分がない。少し身長が伸びたように思われる程度か。それさえも確信できないほどに変わっていなかった。
「僕がいるべき場所なんてないのかな」
 暗い森の中の、そこだけ光のあたる部分に立ちながらぼやいた。ここは、等が昔焼き払ってしまった場所である。半径十メートルぐらいの雑草ぐらいしか生えていない部分に立っている。
 木の枝に止まっている小鳥にが等の下によって来た。等は優しく手を差し伸べた。止まってくれるのだろうか。小鳥は、等が手を出した瞬間に何かを感じて飛び去った。
「僕がいてもいい場所なんてあるのかな……」
 前向きに生きていけ、と父に教えられたが、度々暗い気持ちになってしまう。分かってはいるが、気持ちというものはそう簡単なものではない。
 しばらくそこに立ったままでいた。これが最後だから。これ以上いると、悲しみが蘇るだけだから。
「今度は海の見える所に行ってみようかな」
 そう言って、そこから立ち去ろうとしたその時。
「子供か? こんな場所まで入れるとは……ここらへん詳しいの?」
 久しぶりに聞く人間の言葉に等は驚きながらふり返った。そこにいたのは、麦藁帽子の、茶髪のおっさんだった。
「……その眼、亜種の人間だな。思いもよらない掘り出し物だ」
 そう言ってニヤリと笑う。
 その言葉と笑みに、等はすばやく反応した。何度か経験のある、目的のものを見つけた笑み。自分を捕獲しようとしたやつらの。表情だ。
 それと同時に、等にある一種の希望が浮かんできた。もしかしたら、捕獲されれば死ねるのかもしれない。そう考えると、なんだか気楽に思えてきた。こんなに辛い思いをする必要も無い。本当に楽になれるかもしれない。
 ためしに
「捕獲されるのって痛い?」
 と聞いてみた。
 男はふうむ、と唸りながら困った様子だ。
「死ぬだけならけっこう楽なんじゃないかな。死にたいの?」
「結構あんたらみたいなのに辛い思いをさせられてるんで。そろそろお終いかなって」
「そうか。でも生きたいだろう?」
「生きたいよ」
 そりゃあね、と心の中で付け加える。
 それに対して、男は満足そうに頷いた。 
「そうか、俺はハンティングしにきたんじゃない。君を息子にしたいと思ったんだ」
 優しい笑みをたたえながらそっと手を出してくる男のいうことを等はなかなか理解できなかった。長い時間をかけてようやく理解した等はただただ驚くばかりだった。



<2>

 寛和は上機嫌だった。食料を探しに行った結果、思わぬものが釣れてしまった。長年の夢を達成できたかのような(実際にしたのだが)達成感で胸がいっぱいである。
「あの……息子ってどういうことなの?」
「ん? ああ、そのまんまの意味だけど。家に来て欲しいってだけ」
「だって、僕は人間じゃないから……」
「別に人間として家に来て欲しいわけじゃないんだ。むしろ、人間じゃないからこそキミが必要なんだ。かれこれ何年生きてる?」
「三百年ちょっとかな」
「やっぱりな」
「それがどうか?」
「まあ、生きる時間の長さってのは長いにしろ短いにしろ悩むもんなんだよ」
 そこで言葉を区切った。色々と話していたためか、あっという間に森を出てしまった。目の前に見えるのは、橙色の日差しと、その光を受けてきらきらと輝いている川面。ついでに、人がそこらじゅう。
 自分のテントや椅子がある場所まで行くと、とあるものを見つけた。
「すか〜……すぴ〜むぐう……」
「…………」
 気持ちよく寝ている三つ葉だ。その笑顔での寝顔は、人々を微笑ませるようなものであり、寛和の神経を逆なでするようなものでもあった。
「可愛い寝顔だね」
 等が笑って寛和に囁く。起こさないように気を使って、声を小さくしているらしいが、寛和にはそんな気は毛頭なかった。
「こおらああああ! おきろおおおおおお!」
 耳元(耳を口まで引っ張るようにして)で大声で叫ぶ。すると、猫のように、にゃんと鳴いて飛び起きた。頭を振り回したせいで金色の髪がバサバサと跳ね上がる。
「あははは。お疲れ様ですはい」
 手のひらをさすり合わせながら、笑顔で言った。
 見るところ、魚どころか釣り道具さえも出した様子がない。どうしようもないほどの横着ものだ。寛和は、等を連れてくることだけで頭がいっぱいだったので、食料らしきものは採ってこなかった。客にもてなすものもない……。
「はあ〜。これじゃ夕食抜きだぞ。どうしようか」
「別に、サボってたわけじゃないですよ。帰ってくるのを待ってただけです」
 そう言って、自信満々の足取りで川のほうへ歩いていく。川に近づくと、そのまま川の中へ入っていった。ジーンズが濡れるのも全く気にしていない。
 右腕と左腕を川の中に突っ込む。そして
「あ」
 寛和が呆けた声を出した。三つ葉が何をしようとしているのか理解したのだ。等は興味心身で三つ葉の様子を見ている。
 一瞬バヂィイ!と機械がショートしたような音が鳴り響いた。数秒後に現れたのは、腹を水面より高く出した魚達。十数匹いる。
「ああ〜」
 寛和は、顔に手を当てたまま、もう片方の手をヒラヒラと振った。もう、どうにでもなれといった感じだ。
「後は焼くだけですね。食後にスイカをどうぞ!」
 周囲の人々に驚きの目で見られる中、三つ葉は自信たっぷりでそう言うのだった。

「要するに、三つ葉はアンドロイドなんだよ」
 椅子にどっかりと腰を下ろしながら寛和は言った。等は、驚きながらも納得した。あんなことできるのが人間であるはずがない。
「ずっとニコニコ顔なのはそのせい?」
「別にずっとニコニコ顔になるようにしたわけじゃないんだよ。感情を出せるようにしたんだけど、やっぱり難しいもんでね。やっとできたのが喜だったって話」
「でも、本当に人間みたいだな」
 等は、さっき起こった出来事を思い出した。三つ葉が魚を取って川から上がってきた後、こちらがわに来る途中で石につまずいたのだ。あわてて等が助けようとして、支えたのだが、体が柔らかかった。機械とは思えないようなやわらかさとぬくもりがあった。変な印象で恥ずかしい限りだが、顔が赤くなったことも事実だ。一つだけ、体がめちゃくちゃ重かったのが彼女を機械だと思わせられる証拠だろう。本人に聞いたところ、百五十キログラムちょっとあるらしい。
 しかし、そんなアンドロイドがいるのに何故自分が息子になることを望むのだろうか。何かして欲しいことがあれば、また作ればいい。嬉しい話ではあるが、答えを出す前に聞いておく必要がある。
「まあ、俺様がそれだけすごいってことだ。さてと、そろそろ飯にするかな」
 寛和のその言葉で、初めて自分が空腹なのに気づいた。グウグウと腹の虫がなり始める。ちょっと恥ずかしかった。
「さっさと焼きたいが、薪もないんだな。どうしようか」
「あ、それなら任せて」
 等は、椅子から立って、その場にうずくまった。何をしてるんだ? という寛和の声がかかる。等は無視してとあるものを吐いた。べしゃ、という音を立てて、透明な液体が口から吐き出される。そして、たちまちそれが燃え出した。
「ほほう。ドラゴンか」
 感嘆の声を漏らす寛和。
「ええ。唾液が燃える成分らしくて。外に出すと、持続する炎が出せるみたい」
「眼の色からして蛇かなんかかと思っていたんだが……しかし、なかなかカッコいいじゃないか」
 カッコいいという言葉に等は驚いた。
「なんかの本で読んだことがあるんだが、伝説の龍と混血した人間がいるとか。内容からして神話だなこれ」
「今まで会った人たちは、大抵気味悪がってたけど」
「それは、そうだろうな。今の人間は特殊なものをすぐに恐れるから」
 等は、ゴオゴオと、オレンジ色に燃えている炎を見ていた。火を吐くぐらいしか能のない自分をなんで恐れるんだろうか。なんで寛和は恐れないのだろうか。
「俺らは、どちらかというとそういうファンタジー的なものにあこがれるタイプでね。そういった人間はキミのことを怖がらないだろうね。代わりに捕まえようとするだろうけど」
「あなたは? なんで僕を?」
「ドラゴンだろうが人間だろうが、寿命が長くても短くても、悩みはあるんだよ……」
 言っていることは理解できるが、意味は理解できない。自分が長くて寛和が短いからどうだというのだろう。別に何も――
「俺が死んだら、三つ葉は一人で生きていくことになるだろう」
 寛和は、魚に串を刺している三つ葉を見つめていた。笑いながら遊んでいる三つ葉を。
「俺は絶対に犯してはならない過ちを犯した。三つ葉は数百年死ねない。俺は三つ葉を殺したくもない。もし、俺が死んだ後、ひとりぼっちの暗い人生を送るかもしれない。だから、同じくらい長く生きられるやつを探してたんだ」
「だから、息子になってほしいと?」
「ああ。けど、俺の罪をかぶって欲しいって意味じゃない。一人ぼっちの辛さは俺も良く知ってるから。キミは、あの森の中で悲しい顔をしていた。君なら、三つ葉とずっと一緒にいてくれるって思ったんだ」
 ただそれだけさ。
 消え入りそうなその言葉に、等は心が激しくゆすられるのを感じた。それは、久しく感じたことのなかった感情だった。
「でも、彼女がいいと言うかわからないし」
「だったら、デートでもしてみればいい」
 寛和がニヤリと笑った。すごく意地悪な笑みだった。
「さて、それは明日においといて、とりあえず晩飯でも食べようか」
 辺りはすっかり暗くなっていた。空気が綺麗なため、数億の星があちらこちらで瞬き始めている。寛和と三つ葉がまた、口論しているようだった。それも楽しそうに。
 僕も、あの中に入れるのかな……。
 等はそう思った。
 夜はどんどん漆黒の闇へと塗り換わっていく。



<3>

 小鳥のさえずりが聞こえてくる。気がつくと、瞼の境目から、真っ白の光がねじりこむようにして入ってくる。 それに耐え切れなくて目を開ける。だが、虹彩の調節ができていないために、強い刺激が走り閉じてしまう。それを何度も何度も繰り返した。
 やっと目を開けても痛くない状態になったとき
「朝か……」
 ぼんやりと、テントの天井を見ながら呟いた。
数分間、テントでぼんやりとしたあと、寛和はテントを出て、近くの川まで歩いていった。夏といっても朝はまだ肌寒い。薄手の上着を着ていた。
川に辿り着くと、眼鏡を外して履いていたサンダルを脱ぎ、川の中に入っていった。両手で水をすくい、ジャバジャバと顔を洗う。ぼやけて良く見えないが、水の中でうごめくものが見える。
「魚か……朝からはちょっと厳しいなあ。日本人として」
 ちなみに朝ごはんのことだ。
 川から上がり、そのままテントへ大股で歩いていく。テントの入り口を元気良く開き
「起きろー!」
 叫んだ。
 中の人は、いきなりのことで飛び起きた。
「うお! もう朝? てか早くない?」
 いきなりのことであるにもかかわらず、キョロキョロと辺りを見回している。血圧が高い方なのだろうか。眠そうな様子は微塵も感じられない。
 もう一人の方はというと
「すかー。すぴー」
 だらしなく、寝袋に抱きつきながら嬉しそうに寝ている。時々エヘヘヘ、という笑い声が聞こえるが、そんなもの入れた覚えはない。
「起きないけれど、寝かせておく?」
 さっきまで辺りを見回していた等だ。他人にはやさしく、ということで優しい対応を希望している。だが、寛和は身内だ。そんなつまらないことをする気はない。
「いや、こうする」
 意地悪な笑みをたたえながら、寝ている三つ葉の元に近づいて脇をくすぐった。
「ひゃああああ!」
 寝ていた三つ葉は叫んで飛び起きた。ついでにテントの外に飛び出した。
 揺れる金髪を見送りながら
「くすぐり弱いんだね。ロボットなのに」
 少し跳ねた黒髪をごしごしと掻く。少し長い黒髪がさらにくしゃくしゃになった。
「ああ。五感は人間と同じだからな。面白いと思ったんだ」
 三つ葉が消えた方向を見ながら、ポツリポツリと呟いた。バシャン! という何かが川に落ちた音がするまで、二人はずっと眺めていた。

「だから何で?」
 三つ葉は魚を採っていた。前回のように、川に電流を流して、だ。
 川から少し離れた地点で、寛和が三つ葉に話しかける。
「だから、朝っぱらから魚って嫌じゃない?」
「だって食べないし」
 この野郎……。寛和はむかつく気持ちを抑えながら、(珍しく)優しい声で三つ葉とコミュニケーションをとる。
「森に入って食べ物とってきて欲しいんだよ。あと燃えるもの」
「食べ物ねえ……。ちなみに、生木はあまり燃えませんよ」
 昨日言っていたことはなんだったんだコイツ……。それでもむかつく気持ちを抑えながら辛抱強く続ける。
「枯れ木でもあったら持ってきてくれればいいし。つーか、たまにはお前も動け。横着もの」
 もしかしたら、さっきの出来事を根に持っているのかもしれない。感情が喜しかないので、ありえないことだと思うのだが。
 着替えを済ませてきた等がやってきた。昨日、彼を見たときは気づかなかったのだが、服がかなりボロボロだった。森の中で生活していたということなので、かれこれ数年はその服装だったのだろう。今は、ジーンズと黒いTシャツ姿である。麦藁帽子は遠慮された。シャツが黒いのも、実は等は白が似合わなかったからだ。人には色の相性がある。けれども、白が似合わないというのは致命的なような気もする。
「森に用事があるのなら僕が行くよ。三つ葉さんも行かない?」
 軽い口調で三つ葉に聞く。最近の若者は男女の仲というものに抵抗が何のだろうか。そりゃあもう昔はブツブツ……とりあえず、そんなことで三つ葉は動かないだろう。寛和はそう思った。
「うん。いく!」
 このガキ……。
 寛和の引きつった笑みに青筋が立つ。
「まあ、まだ早いから、もうちょっと経ってから行こうか。まだちょっと暖かくなってきた程度だから。お昼過ぎがちょうどいいんじゃないかな?」
 そう言って、そさくさと去っていく等、悪いどころがよかったのだが、何故か腑に落ちない寛和、喜の感情しかないはずの――だからこそさらに上機嫌なのかもしれないが、三つ葉だった。
 数時間後、森へと入っていく二人を見送りながら、寛和は心の中に締め付けられるような痛みを感じた。
「託すことをしなければならない辛さ、お前には分かるか? 等」
 ポケットから煙草を取り出し、吸い始める。気を紛らわすために吸った煙草だが、その煙が自分のように思えてくる。
 澄み渡る青空の下、森のはずれで小さな火がねじ消された。

 森の中は暑く感じられた。気温のせいではないというのははっきりと分かっている。こんな暑さはいまだかつて経験したことがない。
 等は森の中を歩いていた。三つ葉と一緒に。ガサガサと枝や落ち葉を踏む音が、いつもより早く聞こえる。
「えっと……枯れ木と食料を採ってくればいいんだよね?」
「うん。でも、枯れ木は必要ないと思うよ。等さんがいれば」
「ああ……そうだね」
 なぜだがすごく緊張する。三つ葉を支えたあの時と同じ感じだった。そして、なぜだか言葉が出てこない。沈黙は、心臓を針で刺されるように痛かった。でも、言葉が出ない。
 何故今頃こんな風になったのか。どうしてさっきまでは普通だったのか。突然のことで等は良く分からなかった。
「どうしたの?」
 あいかわらずのニコニコ顔で、三つ葉が覗き込んでくる。その顔を見たとたん、等は顔が暑くなるのを感じた。
「い、いやなんでもないんだ。本当に」
 たかだか一人の女性にここまでかっこ悪いところをみせるなんて、どうかしてる。とりあえず、前に進むことに集中した。
「もしかして、センセを悪く思ってるの? 無理矢理つれてきたから」
 その言葉に、等は意表を突かれた。断じてそんなことはない。そもそも、自分から着いてきたようなものだ。
「いや、まあ、確かにあの人をあまり信じることはできないけど。それもあまり事情を知らないからだし」
 夜に寛和が話してくれた内容を三つ葉は知っているのだろうか。無難にすむように、知らないことにした。
「等さんがなんで息子になって欲しいのかはわからないけど、センセはあなたをだますようなことはしないよ」
 にっこりと微笑みながらそう言ってくれた。その笑顔が、寛和は信用するに値する人物だというのを証明してくれている。
「でも、何で僕なんだ? 亜種っていうのは、発見された例はそれほど多くないけど、一応裏では売買されているって話も聞いたことがあるし」
 そんなことを自分で言ってしまって悲しくなった。自分が商品だと認めているようなものだ。
「そういった情報は全調べて当たってみたよ」
「本気で? そいつらをどうしたの?」
「全員買い取って、希望する場所に逃がしてあげた。センセにとって、人の命はどんなものよりも大切だから」
「人になれなかったもの達の命も?」
「うん。それに、あなたたちは人だよ。センセは認めてる。すこしカッコいい人間だって」
 また微笑んだ。喜しかない彼女の笑顔がだんだん分かってきた様な気がする。
「でも、なんで僕なんだ……」
 考えても、答えなんて出ないことは分かっている。でも、今はこの話題しかない。
「本当に知りたい?」
 三つ葉の言っていることが良く分からなかった。
「だって知らないんじゃないの?」
「知らないけど、私の記憶の中にどうしても見ることができないものがあるの」
「それに、もしかしたら入っているかもしれないって事?」
「なんとなくしか分からないんだけど、多分見せることならできると思う」
 三つ葉は、少しの間目を閉じた。無表情の彼女の顔を初めてみる。その横顔は、とても綺麗だった。
 だが、突然瞼を開いた。良く見ると、彼女の目は違うものに変わっていた。
『boy』
 聞き慣れない、機械的な言葉が三つ葉の口から発せられる。次に、映像が流れ始めた。

「これは……」
 三つ葉の目から出る光が、前方に広がってスクリーンを作っている。その映像は、子どものものだった。小学一年生ぐらいの蒼色の瞳をした少年。
『直人、あんまりはしゃぐんじゃないぞ』
「この声……寛和の声だ」
 と、いうことは、この少年は寛和の息子だということか。
 その少年は、画面の中で楽しそうに走り回っていた。映像を撮られるのが恥ずかしいのかもしれない。
 そして、いきなり画面が暗くなった。
『うわあああ!』
『貴様、直人を放せ! 何が目的なんだ!』
 暗い部屋の中で叫ぶ少年と寛和。少年は、知らない男に捕まえられている。
『金だ。警察には言うなよ。わかってんだろ』
 男は少年を連れて画面から離れた。寛和はその場に崩れ落ちた。
『直人……直人……直人……!』
 最後に
「……これは、写真か」
 無残に切り刻まれた少年の姿……。人形のように崩れ落ちていた。
 等の、特殊な蒼い瞳が細められた。

 あの映像を三つ葉に入れたのは寛和なのだろうか。あんなむごいものをどうして三つ葉の記憶の中にわざわざ入れたのだろうか。三つ葉自身は、何も見ていないようだった。それさえも寛和が仕組んだものなのか。……分からない。
 そんなことを考えているうちに、二日が過ぎた。
 今日は、二人がここを去ってしまう日だった。
「僕は本当について行って良いのか分からない」
 三つ葉に打ち明けたとき、とある紙切れをくれた。
「寛和と話すときに、大声で読んでみて。絶対に納得すると思うから。それまで読まないでね」
 いったい何が書いてあるのだろうか。
 とうとうその時が来た。
「等、お前はどうする? 俺らと一緒に来なくても構わない。決めるのはおまえ自身だ」
 等はゴクリとつばを飲み込んだ。
 最後まで悩んだ挙句決めた。三つ葉がくれたものは、三つ葉の気持ちも入っているはずだ。彼女が来て欲しいようなことが書いてあるならば、それを受け入れよう。違うものだったら諦めよう。その大事にポケットの中に入れていた紙を取り出して開いた。息を吸って早口で読む。
「お父さん! 娘さんを僕にくださいっ! ってああ!?」
 とんでもないことを言ってしまった。
 うおー、ぬがー、なんなんだこれはー! みたいな絶叫が等の頭の中を走り回る。あまりの内容に汗が浮かんできた。
 二人はというと
「えええええ!?」
 等の言葉が理解できなくて絶叫する寛和。
「等さんよろしくね!」
 元気良く、いつも以上の笑みをたたえている三つ葉。場は混乱を極めるばかりだった。
 遠く下にある地面を見下ろしながら、カラスが数羽鳴いている。アホー、アホーと。



<4>

 久しぶりに、ここに帰ってきた。家を出発するとき、一週間も家を空けると恋しくなるのかなと思った。結果は、どちらともいえない。やっと帰ってきたという想いはあるものの、恋しくはない。
 寛和達は、家に帰ってきた。新たな家族を連れて。
「当り前だけど変わんないな」
「たった一週間じゃ変わりませんよ。家自体を改造しているなら別ですけど〜」
「…………」
 適当な感想を漏らす寛和と、それに答える三つ葉、無言で家を見続ける等がいた。
「どうしたの?」
「……でかい」
 等はとても驚いているようだった。それも無理はない。でかいのだから。そこら辺の住宅の2、3倍の大きさだ。
「科学者ってのは結構儲かるものなんだよ。ちょっとした技術を売ればこんな家一つ二つ軽いもんだ」
 だが、そのせいで寛和が過ちを犯したのも事実である。軽はずみで才能を利用したその報い。それは既に、寛和の身に起こっていることではあるが。
「まあ、こんなとこで突っ立ってないで入るぞ」
 同時に思考も断ち切った。ドアを開ける前に、後に振り返って
「それと、等。これからはお父さんと呼びなさい」
 上機嫌でにっこりと笑いかける寛和。
「あはははは!」
 三つ葉はその顔を見てゲラゲラと笑い出した。
 いつの日か……いつの日か……!
 何かしら復習を果たそうとする寛和であった。
 等はぼんやりと、家と二人を眺めている。その蒼い瞳が、いつもより透けているのに寛和は気づいた。しかし、何も言える言葉はない。
(ま、本人がなんとかしなきゃいけない問題だろう)
 そう自分に言い聞かせて、家の中に入っていった。

 等は家のでかさに驚いた。父親と住んでた家の十倍近くでかかったからだ。豪邸と呼ばれるものなのかもしれない。白い、洋風の家で、庭もちょっとだけあった。庭の広さだけは勝っていた様な気もするが。何しろ山は全部庭だったから。
 今は、家の中に入って色々と案内してもらっていた。玄関に入ると、目の前に階段があった。広い部屋の等から見て右側にある。そこから、扉が四つある。左側に二つ、前方に一つ、階段の下に一つ。これは物置だろう。順番に、書斎、トイレ、リビングとキッチンとなっている。部屋数は少ないが、その分一つ一つの部屋が大きかった。二階は、四つの部屋があって、寝室、三つ葉の部屋、物置、トイレだ。
「浴室は?」
「ああ、あれは一階のトイレのところにある。あそこからまた二つに分かれるんだ」
三人はそのまま二階の物置部屋に向かった。
「ここが、等の部屋になるってことだな」
 そこは、ところどころにダンボールが積まれている場所だった。広さは八畳。何の荷物も持っていない等にとってはかなり広い。
「後で片付けなくちゃな。こっちで適当にやっておくから、二人は買い物でもしてきてくれ」
 そう言って寛和は退室した。
「買い物?」
「服とか、夕ご飯とか、あと何か必要なもの」
「いや、そこまでしてもらわなくても。働いたこともあるし」
 等は都会にいる間ちゃんと働いていた。こんな人間でも雇ってくれる良い人間はいるのだ。ほとんど見た目が変わらないので、一、二年が限界だったが。
「遠慮しないで! もう家族の一員になったんだから、言いたいことは言わなくちゃダメだよ!」
 強引に引っ張って部屋から連れ出す三つ葉。確かに彼女の言う通りなのかもしれない。家族を失って三百年、家族というものを忘れていたのかもしれない。家の前で楽しそうに言い争っていた二人の姿。等はその二人の姿がとても羨ましかった。
 僕は……変われるだろうか。いや、変わりたい。
「僕は家族に入ってもいいんだよね?」
 申し訳なさそうに、かすれた声で等は言った。
「あったりまえじゃん!」
 満面の笑みをくれる三つ葉。
彼女は、僕にいろいろなものを与えてもらったような気がする。
僕は、彼女が悲しむことの無いようにできるのだろうか。
僕は、彼女に何をして上げられるんだろう。
当分先に必ず起こること。それは決して避けて通れない。その時までに答えは出るのだろうか……。

 三つ葉は、それなりにご近所づきあいが良いらしい。商店街を歩いていると、色々と声がかかった。
「三つ葉ちゃんこんにちは! その男の子彼女?」
「ああは。そんなことあるわけ無いじゃないですか。この子はちゃんとした人間ですよ」
「おう! 三つ葉ちゃん。今日も相変わらず可愛いねえ。彼氏にスイカでも買ってもらったら?」
「私は食べられませんよ! もう。でも、買っていくのはいいかも。センセ、スイカ好きだし。等さんも食べる?」
「う、うん……」
「まいど! 三つ葉ちゃんに彼氏ができたってことでまけておくよ」
「あはは。そんなんじゃないですよ。この子はちゃんとした人間です」
 等に必要な身の回りのものを買った後、商店街によって行ったのだが、行くとこ行くとこで話しかけられた。
 しかも、この子って……自慢じゃない(嬉しくもない)けど、これでも三百年ちょっと生きてるんだけど。
 そんなわけで、商店街を通り抜けるのにはかなり時間がかかった。大した長さではないはずなのだが、半日中歩いていたような疲れが出てくる。
「ハア……」
 等は驚いた。ため息をついたのは等ではなかったからだ。
「え!? なんでため息なんかつけるの?」
「そりゃあ、ため息ぐらいつくよ。あれだけ自分はロボットだ! って言わなくちゃいけないんだもん」
「感情が完全に作られてないんじゃなかったの?」
「喜びがあるのなら反対のものもあって当り前だと」
 いつものニコニコ顔に戻った。
「なら、怒ったり、泣いたりするの?」
「それはないなあ。だって涙でないし、怒るっていうのもいまいちわからないし」
「でも、水普通に飲んでるでしょ」
 等は見たことがある。三つ葉が水を飲むのを。『ん〜ゴクゴク、ぷはあ〜。新鮮な水はうまいなあ!』とかなんとか。忘れられるものではない。なんかオヤジ臭いし。
「あれは、冷却するのに必要なだけ。定期的に交換してるんだよ」
「えええええ!?」
 その言葉に、等は機関車のような蒸気を思い浮かべた。ぽー! と頭から噴射するのだろうか。
「やっぱり頭から?」
「そんな、いかにもロボットらしいことしませんよ。秘密」
 足を速めて等から遠ざかる三つ葉。等には、何故かその顔についている笑みが引きつっているように見えた。

「いやあ……なんかすごいなあ」
 等が驚いているのは、自分の部屋の様子だった。見事なほどに、綺麗に掃除され、いろいろなものが運び込まれている。机、本棚、ベッド、テレビなどなど。部屋の色は青だ。すがすがしい水色の壁紙と、白を主とした家具類が部屋を明るくしている。
「お年頃の少年の部屋、というのをイメージしてみた」
 自信満々な様子の寛和。どこからこれらの物品を揃えてきたのだろうか。
「特に! このパソコンはすごいぞ! なんたってこの俺様がじきじきに自作したパソコンだ! そこら辺に売っているものなんかとは比べ物にならない高スペックで――」
 とりあえず、良く分からないので無視することにした。
「お年頃ねえ」
「そうだ! これからは私のことをお姉さんって呼んでも構わないよ!」
 同様に、自信満々な態度の三つ葉。
「んー、どちらかというと僕の方が年上かなあ」
「えー。見ため的には私の方が」
「見ためでも僕のほうが上じゃないか。良く分からないけど」
 何故か譲りたくなかった。弟、という言葉がしっくり来ない。どちらかというと、三つ葉が妹みたいで、個人的に姉より妹の方が可愛い感じがする。
「でも、等さんは見た目が弟みたいだし、十分可愛いよ」
 似たようなことを考えていたらしい。これでは埒が明かない。
「寛和さんは、どっちが上だと思う?」
 聞いてみた。自信満々に話していた自分の話を無視され、少し落ち込んでいた寛和は
「双子ってのが妥当だな」
 一番困る回答をしてきた。
「えー! 絶対私のほうが上だって!」
「いやいや。精神的には僕の方が確実に上だし」
「商店街の様子見たでしょ! 絶対に私のほうが知られてるし、お姉さまって感じだし」
「僕も毎日通えば顔覚えられると思うよ」
 不毛な会話の中、こんなに感情豊かな会話をしたのは何年ぶりだろう、と思った。こういうのが続いてくれるのも悪くは無い。何かしらおかしい部分がある三人だが、それ故にこの暖かい雰囲気を作り出せている――。

 深夜、等はトイレに行きたくなって目覚めた。頭の上にある目覚まし時計は二時を刻んでいる。
辺りは暗闇だ。しかし、実は等は普通の人間よりも夜目が利く。暗闇も昼間もほとんど変わらない。
明かりを付けずに部屋を出て、廊下を歩いていく、とジャーと何かが流れる音と同時に、目の前の扉から人が出てきた。パジャマ姿の三つ葉だった。
「ふぁ〜あ。おやふみ……」
 そう言って自分の部屋に入っていく。等はトイレのドアを開けた。
「あれ?」
 三つ葉が出てきたのはトイレだ。『そんな、いかにもロボットらしいことしませんよ。秘密』という声がぼやけた頭の中で反響する。
「えええええええ!?」
 暗いトイレで訳も分からなく絶叫する等だった。


<5>

 暗い部屋の中で、女性のヒステリックな叫び声が響き渡る。
「あなた! 直人が……直人が!」
 肩にかかる自分の髪の毛を振り回しながら、意味も無く叫び続ける。頭を強く振るたびに、流れ落ちる直前の雫が当たりに飛び散った。
「落ち着け! 相手は金を要求している。もしかしたら生きて帰ってきてくれるかもしれない」
「どうして!? なんであなたはそんなに冷静でいられるの!? 直人がさらわれたのよ。 あなたはなんとも思わないの!」
「落ち着けといっているんだ!」
 女性の声よりさらに大きな、太い声で男が叫ぶ。まるでビンタをくらったかのように、女性は動きを止めて夫を見た。その男の眼は、燃え上がるような憎悪を映し出している。
「可能性がゼロじゃないならあきらめるな。直人を助けたいと思うのなら、いつでも行動できるように準備しておかなければならないんだ。とりあえずは、朝まで待つしかない」
 そう言って、部屋から出て行こうとする。
「どこに行くの?」
 女性が尋ねた。
「……ちょっと外に出てくる。大丈夫だから寝てて」
 男は部屋から退出した。
 できるだけ音を立てないように、慎重に玄関の扉を閉め、外に出る。
空は雲ひとつ無かった。黒い建物の上に架かる数億の星々が、男の気持ちも知らずに有意義に光り輝いている。
男が向かった先は、公園だった。人っ子一人いない公園のブランコに腰をかけた。
「ここで良く遊んだんだよな……」
 ポケットからタバコを取り出し、吸い始めた。ゆらゆらと、紫煙が空へと昇っていく。
 だが
「何なんだよ……これじゃ線香あげてるようなもんじゃないか!」
 燃え上がる憎悪の前に、煙草は一瞬にしてぐちゃぐちゃになった。
「うあああああああ!」
 深夜であるにもかかわらず、男は叫んだ。誰に聞こえたって構わない。なんと思われたって構わない。ただ、息子に聞こえていて欲しかった。

 のあーという叫び声で目を覚ました。気がつくと、本の上で寝転んでいた。
「あれ? 椅子の上で寝てなかったっけ……今の悲鳴は俺のか」
 寛和が上に顔を向けると、目の前に椅子がそびえ立っていた。日の光を浴びて、いかにも神々しい様子を出している。起こしてやったんだから感謝しろ、といった感じだ。
しばらく見上げていると、バタンという音がして後のドアが開いた。部屋の方に押す形のドアだ。
「今の悲鳴なに? あ」
 のあーという悲鳴を上げて本に押し倒される。かろうじて残っていたのは右腕一本だけで、いかにもお墓らしく突き上げていた。
「だから立ち入り禁止って言ったのに……」
 自分のせいなのに、やれやれとため息をつく。等が苦し紛れで『たすけてええ』と言っているのでとりあえず本をどけてやることにした。知らない人は知らないだろうが、本の生き埋めは洒落にならないほど苦しい。
 寛和が等の上にある本を取り除こうとしたとき、本の圧力で閉じていたドアがまた開いた。衝撃で等が寛和の方へ吹っ飛ばされる。
「今の悲鳴なんですか!? あ」
 のあーという悲鳴と共に、三つ葉は無数の本に押し倒された。今度は何も突き出ない。
「何やってんだか……」
 隣でゴホゴホと咳をしている等と三つ葉を交互に見比べながら、さらに大きなため息をついた。
 
 公園で、バスン、とクッションを思いっきり叩きつけたような音が当たりに響き渡る。しばらくすると、またバスン、と音がする。
「なかなか良い球だなあ」
 左手のグローブに挟まったボールを取り出し、真正面に向かって投げる。遠くの方でバスンと音がした。
「キャッチボールくらいはね」
 十メートル位離れている等が投げ返す。
「男ならできないと」
「そうなの?」
 二人の中間の位置で、少しずれて見ている三つ葉が尋ねた。ボールを目で追っており、首を左右に振っている。テニスを見ている観客みたいだ。
「キャッチボールイコール心のコミュニケーション! これをするかしないかで親子の親密度が変わるのだ! ワハハ――」
 ガコン。
 生々しい音がした。ふんぞり返っていた、寛和がボールに当たったのだ。
「…………!」
 メチャクチャイテエ。硬式ボールはやめておけば良かった。しばらく悶える寛和。
「あ〜。どうする?」
「なら、わたしやる」
 三つ葉が、半ば強引に寛和のグローブ及びボールを取った。寛和を無視して気持ちの良い音が続く。
バスン、バスン、バズン、バズン、バズ! バズ!
 とりあえず、近くのブランコに腰を下ろして傍観する寛和。煙草を吸いながら、にやけた顔をしてその様子を見ている。
「三つ葉さんちょっと強い……」
 だんだん威力が強くなっているのに耐えかねた等が弱音を吐いた。
「いいや、ダメだ三つ葉! 心のコミュニケーション即ち、全力でやらないと自分の気持ちを受け取ってもらえたことにはならないんだ! 一撃だ。その一撃で仕留めるんだ!」
 自分でも何言ってんだか分かんなくなってきた。だが、三つ葉はその言葉を鵜呑みにした。
「そうなんだ! 分かった本気で行くよ」
 プロの投手並みの良いフォームで、しかも全力でボールを前に送り出す。
 距離なんて一瞬で縮まった。
 空気を切り裂き、等のグローブ目掛けて一直線に進むボール。
「あああああ!?」
 ボールの衝撃に耐え切れず、後方に三メートルほど飛ばされる等は、ボールを放さなかったものの背中から地面に強く打ち付けられた。
「やった! ちゃんと受け取ってもらえた! キャッチボールって楽しいね」
 狂喜乱舞ではしゃぐ三つ葉を尻目に
「もう……二度とやりたくない」
 小声でそう呟くのが精一杯な等であった。
 寛和はこの光景を以前に見たことがあるような気がした。ずっと昔に、三つ葉と息子がキャッチボールをする姿。一つの人生の中で、似たような光景を見るのはたまにあることのだと思う。だが、寛和が見た昔のこの光景はあまり良いものではなかった……。
 あのキャッチボールの後、特に何をするでもなく日が沈んでいった。夕食を食べ、風呂に入って。等がまた叫んでいたがなんだったのだろうか? どうでもいいことだけど。
 三十路を過ぎてから、日の代わりがすごく早くなったような気がする。一日が全てと考えていた幼稚園から、五 六年で何か変わったことがあればいいような状態に。一日一日を大事に過ごすことが必要なのに、得られるものは五 六年でしか得られない。皮肉なもんだ。その代わり、一生かけて得なければいけないものが得られた。俺はもう終わりなのか? そう思う。もしくは、彼が一生を賭けて得るものでないのかもしれない。
 実のところ、もう既に分かってる。もし、一方が確実だとしたら、もう一方は何だったのだろう。そんな程度の考えだ。別に今さら、しかも、何度も考えるものでもない。世の中は規則的に流れているようでもあり、不規則に流れているようでもある。不規則になっても、維持することができ、さらに元に戻すことも可能である。だからこそ頼りにならない。
「だが、原則というものは存在しているのかもしれない――無駄な考えだな。意味不明だし」
 寛和は書斎にいた。本の山を崩さずに入れるのは自分だけだ。撤去すればいいだろう、と三つ葉にいわれたことがある。でも、そうしようとは思わなかった。誰にも入られたくなかったから。
 なんとなく時計をみる。そこには二時と書かれていた。本当に一日一日が短い。夜に起きている時間は長くなっているというのに。
「さて、そろそろ寝るか」
 椅子にいつもの形で深く腰掛け、机に足を投げ出して目を閉じた。
「うあああああ!」
 家の壁を何度も反射して聞こえてきた悲鳴。その声は
「等!」
 二階からだ。以前にも経験のあるこの空気、この光景。
 何が起こったのかはわからない。だが、寛和はなんとなく分かっていた。
「無事でいてくれ……!」
 素早く階段を駆け上がり、等の部屋へ飛び込む。そこで見た光景は
「久しぶりだな」
「なんで……」
 こうなるんだ。寛和は絶叫したかった。誰に聞こえたって構わない。なんと思われたって構わない。ただ、この世の不条理さを嘆かずにはいられなかった。
 先に着いていた三つ葉が壁の側で固まっている。
 等は、いかにも混乱している様子でこちらを見てくる。首の近くにナイフがあった。
「目的は、金だ。わかってんだろ?」
 凄絶な笑みで寛和を見ている真っ黒な服装の男。その声で分かった。これは過去の繰り返しだと。


<6>

 深夜、深夜の部屋に四人がいた。ドアの前で固まったかのように立っている寛和、壁に付くようにしている三つ葉、ナイフを突きつけられ、動けないでいる等。
最後に、等にナイフを突きつけている男。微かな、月と星の光を浴び、残虐な笑みをたたえている。
 ざわっ、と風が部屋を通り抜けていく。見ると、窓が開いていて、カーテンがバサバサと収縮を繰り返している。
 多分、そこから入ったのだろう。
「コイツが、寛和の息子を殺したやつ?」
 等が寛和に問いかける。
「ああ、そうだよ」
 男が丁寧に答えてくれる。ついでに、見るものを凍りつかせるような笑みを等に向けた。
「なんで殺したの? お金はもらったんでしょ」
「確かにもらったさ。でも、一週間くらいは生かしておいたんだけど、顔見られちゃったんだよね。ポリにチクられると厄介だから」
「……わざと見せたんじゃないの」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どのみち邪魔だったんだ。定期的に脅してないとビービー鳴きやがるし――まあ、そんなことはどうでもいい。それ以上喋るようなら刺すぞ?」
 等の首筋にナイフを触れさせた。どちらかがちょっとでも動けば切れてしまう。等が動くことは出来ないだろう。だが
「刺したいなら刺せばいい。もう、僕はあなたを許す気はない」
 ドクン、と何かが脈を打つ音が聞こえた。その音は、遠ざかっていたものが近づいてくるように、だんだんと大きく、早くなっている。
 男は、最初何が起こっているかわからなかった。それでも、何かが起こっていると理解し、等の首に手に持っているナイフを差し込んだ。
 ガヂン。
 首に当たったナイフは、等の皮膚を切り裂けなかった。さらに二 三回試してみるが、全く切れず、ナイフの刃が欠けてしまった。
「あなたは、そのナイフで、彼をズタズタに引き裂いたのかい? 哀れな人形のように」
 突然、男が後ろに飛んだ。そのまま壁にぶつかる。
 見ると、等の背中に大きな翼が生えていた。皮膚の方も、暗闇で分かりづらいが、鱗のようなもので覆われている。
「それだけじゃないね。彼の肘や膝、首の関節は異常な方向に曲がっていた」
 等の変化は続いている。腕や足が異常に細長くなっている。首もだんだん長くなっていた。三つ葉と寛和は、その姿に驚愕しつつ、彼が何に変わっていくのかが分かった。
 等はドラゴンの血をもつ亜種だ。だからこそ、寛和は等を息子として向かい入れたのだが。
『あなたは殺人を楽しんでいたんじゃないのか? 金を得ることはまた別の口実だったんじゃないのか? じゃなければ、あんな写真だれが取っておく? まだ血があふれ出る状態の、最悪の光景を。俺は絶対に許さない!』
 等の姿が月光だけのせいで青白く見える。しかし、それだけではない。そのドラゴン自体が蒼かった。
 両翼を大きく広げ、威嚇するように男を睨みつけている。その蒼い瞳で。
 狂ったように悲鳴を上げ始める男を足でつかみ、等は夜の空へと舞い上がった。部屋を軽々と破壊して。そして、飛び去っていった。
 寛和と三つ葉は、言葉を失ったまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。

「どこに行くって、決まってるじゃないですか!」
 ニコニコ笑いながら、颯爽と階段を下りていく三つ葉。人間と違って、夜だろうが昼だろうが視界は爽快なのだ。
「パジャマ姿で?」
 寛和の問いかけに、うーあーと一瞬悩みながらも
「そんなこと気にしてる時じゃないでしょ!」
 とりあえず、言い返す。
「でも、どこに行ったのかも分からないし、止めるとなるとお前だって壊される」
「覚悟はとっくにできてます」
「何の覚悟を?」
「彼の全てを受け入れる覚悟を」
 玄関から外に出て、ガレージにまわり、勢い良くシャッターを上げる。隅の倉庫入れに放ってあったバイク用の黒いジャケットを手際よく着て、手袋をし、ヘルメットをかぶる。
 バイクは二つあった。一つは赤い大型のバイク。もう一つは、これも大型の、赤いものだった。三つ葉は迷わず黒い方を選んだ。
 鍵は刺さっている。
「そっちを選んだか」
 エンジンが唸りをあげる中、寛和がボソボソと喋るのが耳に入る。
「それは、昔俺の妻が使っていたものでな。やっぱりお前も似ているよ」
「使っちゃっていいの?」
「別に構わないだろ。お前なら」
「じゃあ、行ってきます」
 にっこりと微笑む三つ葉に対して
「ただ、自分の身を滅ぼす覚悟だけはするな。必ず連れて、二人で帰って来い。他人と同じくらい自分を大事にするんだ」
 そういう人だったのだろうか。寛和の奥さんは。そんなことを考えながら、三つ葉は夜の道路を走り出した。思ったよりも小さい音がマフラーから吐き出される。
 たった一つの光がどこか頼りなく感じる。しかし、彼を見つけるのには十分な量だと思う。どんなに小さくても、どんなに儚くても、彼を止める理由さえあれば十分だ。

 雲ひとつ無い星空の中を、大きな翼を持ったものが駆け抜ける。はるか下には、色々な形の建物が見える。ここはまだ住宅街だった。
 等は、あるところに行こうとしていた。それは、森だ。
 誰にも邪魔されないから、という意味ではない。森は、罪を持つものには裁きを与え、罪を持たないものには恵を与える。そこで冷静に見極めようと思ったからだ。
 森がどこにあるか、というのは簡単に分かる。等は、嗅覚も異常なほど発達していた。森から出る新鮮な空気をたどることで簡単に行ける。迷うことも無くひたすら真っ直ぐに進んでいた。
その両翼が上下に動くだけで、空気が乱れる。等は誰もが思い浮かべるようなドラゴンとは少し違い、やせている、というか力が凝縮されている姿だが。どのみち重いためそれほど速くは飛べない。たまにイライラすることもあるが、今はこのスピードで良かった。この足に引っかかっている男に、少しでも長く恐怖を味わせてやりたかったから。
『きっと、直人はこんなものでは済まなかったはずだ!』
 思わず声に出る。男はちゃんと聞いていたらしく、青白い顔をさらに蒼白にした。降りようとじたばたもがくが、服に爪が刺さっているため、取り外せない。取らせる気も毛頭ない。
 鼻に付く、嫌な空気がかなり薄れてきた。近くなってきているということだ。前方に目を凝らすと、真っ黒な森が静かに、微かに蠢くように在った。
 等は、その森の入り口に降りた。ちょうどいい空間があったからだ。地面から五 六メートル離れた地点で、男を放った。ドサッ、とゴミが落ちたかのように地面に横たわる。やわい骨が折れたかもしれないが、知ったことではない。
等も地面に降りた。難なく着地する、が、等の体がまた変化していた。姿のほとんどは人間に戻っている。しかし、その右腕、さらに両翼はそのままだ。蒼い、五本爪の分厚い腕がゴキゴキと骨を鳴らしている。
「……森の裁きに判断を委ねる必要も無かったな」
 森が、空気が、変化していた。等たちが来た途端に様子が変化し出した。
「お前を恐れ、怯えている。普通の人間にはありえない反応だ。お前の心を感じ取り、森は危険だと評価したんだ!」
 等は右腕を振った。同時に、荒れ狂う風の舞が二人の間を襲った。地面の雑草がずたずたに切り裂かれ、あるいは土ごと吹き飛ばされて、黒い腐葉土をむき出しにしている。その光景を見て、男は怯えていた。ただそれだけだった。
「た、助けて……」
 かろうじて発したその言葉に、等は怒った。憤慨といってもいい。
『……人間以外で命乞いをする生物がいるか? 命乞いは、自分の弱さを相手に哀れに思わせる高度な心理的攻撃だ。そもそも人間じゃない俺には効かないんだよ……!』
 右腕を水平に構える。もう、一秒でも奴を生かしておく気になれない。躊躇わずにその一撃を放った――。

「……間にあった?」
 等は驚愕した。今までいなかったはずなのに、三つ葉がいた。等の右腕を、両腕で抑えていた。そして、その両手の指の先から細かな亀裂が入り始める。
 やめてくれ、と心の中で叫んだ。でも、その細かい亀裂がどんどん進行していくのは止められない。その亀裂は、指先から手首まで、手首から肘まで、肘から腕の根元までを粉々に砕いた。それだけではない。衝撃だけで、両足が吹き飛ばされている。かろうじて残った左足の太腿。それさえも、無数の亀裂が彼女の肌をズタズタに裂いている。重力に逆らい、空中に静止していた三つ葉の体が落下し始めた。
抱き留めたい、そう思った。しかし、ゆっくりと過ぎていく時間に反して、自分の身体は全く動いてくれなかった。何も出来ずにいるまま、三つ葉の胴体が地面に触れる。そこで、内側が既にボロボロになっていた胴体が、氷が砕け散るように、あっけなく瓦解した。
「うあああああああ!」
 悲壮な叫び声があたりに響き渡る。等の驚愕に開かれた瞳には、三つ葉の頭だったものだけ。表面のゴムを引きちぎられたバスケットボールに成り果てていた。
「ま……だ……じょうぶ」
 三つ葉から聞こえてくる機械的な声を等は聞いた。衝撃を与えないように静かに抱き上げる。
「生きてるの!?」
「あ……とす……こし……か」
 あと少ししか持たない。一度は見えた希望の光も、絶望の闇に喰われ小さくなっていく。このとき、初めて自分のことを恨んだかもしれない。今までは、他人に絶望を与えられても死ぬことのない自分を嫌っていた。しかし、今は人を傷つけてしまった自分を正直に憎んでいる。
「……セン……セ……な……す」
 寛和が治してくれるということだろうか。それでも、急がないと危ない。等は、恐怖で身をすくませている男を無視して飛び去った。自己嫌悪なんてものもどうでもいい。何があっても、三つ葉を助けなければいけないから。

「……来たか。やれやれ、俺の言ったことがどれだけ守れたのか見ものだな」
 玄関脇で煙草を吸っていた寛和は、その微妙な空気の変化に気づいた。何かが向かってきている。
 しばらくすると、他の家の隙間から、飛んでいる黒い影を見つけた。それは、次第に大きくなっている。鳥ではないことは分かっていた。大抵が鳥目だから。そんなことはどうでもいいとして、こちらに飛んでくるだけで等だと分かる。
 彼は、徐々に高度を下げ、優しく地面に降りた。翼だけが生えている、という特異な形態だった。うずくまる様にして、大事そうに抱えているものは――言わんこっちゃない。
「寛和! 三つ葉が!」
「ああ、分かってるよ。どいつもコイツも似たようなことを繰り返しやがって。準備はできている」
 寛和はそう言い切り、家の中へ入っていった。等も、焦る気持ちをなんとか抑えようと努力しながら足早に入る。
 バタン、と玄関のドアが閉まったことを確認すると、寛和は階段の下にある物置の扉を蹴破った。バギャン、と音を立てて薄いドアが壊れる。
「何を……?」
「ここは、二度と入らないように鍵をかけた場所だ。鍵も、開けられないように万力で潰して捨てた。開けるならこうするしかない」
 中は薄暗かった。だが、中に何があるのかは分かっている。左手に地下に下りる階段がある。十段くらいを降りた後、そこにあるのはちょっとした小さな部屋。久しぶりに来たのですこし空気が変だった。周りに何が置いてあったのかは覚えていない。ほとんど暗闇の状態なので分からない。見ようとも思わなかったが。等は、何度か頭をぶつけながら、それでも三つ葉を傷つけないように身長に降りてきた。
「ここを右に進む。絶対に前には進むなよ」
 そう言って、右側にあるとされる扉さえも蹴り破った。
「準備してたのに、何で蹴り壊して進むの?」
「……電源入れておいただけなんだよ」
 ちょっと申し訳なさそうにしながら呟く。どんな些細なことでも準備でいいだろうに。そんなわけで、着いたのが
「昔使っていた研究室だ。二度と使うこともないと思っていたんだがな」
 手探りで、壁を這いながら電気を付ける。そこにあったのは、色々な機材と、数種類の大きなコンピューター、最後に、ぐちゃぐちゃに書きなぐられたマジックボード。その光景を見て、等は目を丸くしていた。凄かった。人体系の、いわゆる生物学の本や解剖図などの道具と工学的な、ある意味ここにあるべきものがいろいろと置かれている。
「そうだ。俺が目指していたのは、アンドロイドを完成させることだ。本当の意味のアンドロイドを」
 アンドロイドとは、一般に人間と見分けのつかないロボットのことだ。だが、何故人間と同じか? という疑問が出てくる。それは
「人間の形が、人間がコミュニケーションをとるための、最も適したものだったからだ。そして、俺が心の揺らぎに耐え切れなくて、三つ葉を作り出した原因でもある」
 ここは、寛和の罪の場所でもある。だからこそ、もう二度と開けないように誓いを立てた。だが、今はそんなことをぐだぐだ愚痴っている時ではない。
「そこの寝台に三つ葉を置け。とりあえず電力を確保しておかなきゃ本当に死ぬぞ」
 その言葉が効いて、等は素早く、さらに慎重に三つ葉の頭を寝台の上に置いた。寛和はその三つ葉の頭に、ガチャガチャと色々な機械をつける。
「これで意識を取り戻さなかったらアウトだ」
 ブウォン、と音を立てて、機械が作動する。同時に細かい振動が始まった。等は、三つ葉の横で目を閉じていた。両手を握って、額につけている。祈っているのだ。等にできることはそれしかないから。
 空調のきかない室内で、しかも夏だ。とても暑かった。機械に暑さはあまり良くないのだが、そんなことを気にできる余裕もない。寛和の頬を汗が滑り落ちていく。
 機械が作動してから十分後、三つ葉が目を開いた。ぼおっとした眼差しを天井の照明に向けている。
「三つ葉!」
 等は三つ葉に、必死で声をかける。何度も、何度も。すると、その声に気づいてチラッと目が動いた。そして、ニッコリといつもの笑みを作り出す。顔のあちこちがズタズタになっていて、悲惨さを漂わせる笑みだったが、それは間違いなく喜びのものだった。その笑みに、等は涙を流さずにいられなかった。
「良かった! ……本当に良かった」
 そう言って、抱きつくわけにもいかないので(寛和もある意味許さなかったが)等は、三つ葉の顔にかかった光り輝く金髪をそっとどけてあげた。
「とりあえずは大丈夫だな。頭だけは」
 寛和は、タバコを取り出し、ぷかぷかと吸い始める。その顔にも、安堵の笑みが深く掘られていた。同時に煙草がいつもよりうまく感じられる。何事も、幸せに終われる事が良いようだ。



<7>

 外から、小鳥のさえずりが聞こえてきた。早朝からせわしく、チチチチと短い声を絶えず上げ続けている。等は、ベッドの上で、毛布にくるまって寝ていた。その爽やかな目覚しに顔をしかめながら、無視して寝ようとする。実際、小鳥の声なんて厄介なものでしかないだろうと思う。眠たいときにこそ聞こえてくるような気がするから。
 だが、小鳥の声で起きるロマンチスト野郎もいないわけではない。
「起きろ起きろおきろおきろおきろ! 小鳥が鳴いたら目覚めて体操だ!」
 あんた何歳だよ。等は心の中だけでそう思った。実は、ここに着てから毎日こんな感じなので大体は目が覚めていたりする。慣れとは怖いものだ。しょうがなく毛布を脇にどけて時計を見る。すると、四時半をさしていた。夏の日は出るのが早いのだ。
「……おはよ」
「朝の挨拶はグッモーニンだ! そんなへなたれた挨拶じゃみんなに笑われるぞ!」
 日本語のどこが悪い。その前にへなたれたって日本語じゃねえだろ。ツッコミたくはなったが、寛和の朝の意味不明さは相変わらずなのでいい加減諦めた。
(これさえなければ本当に天才なんだけどな)
 寛和は三つ葉の製作者である。いや、生みの親というほうが近いか。本当の子どもの様に可愛がっている点では、作ったという表現はふさわしくない。とりあえず、天才なのは確かだった。馬鹿と天才は紙一重といことで、限りなく馬鹿に近いかもしれないが。
「朝食どうすんのさ」
 階段を下りながら、それとなく寛和に聞いてみた。三つ葉は動けないので、作ることができなかった。寛和はまともに作ることができるのだろうか。等は一人で生きてきた身なので、多少の料理はできた。自慢になるほどの腕ではないが、できないよりはマシだろう。
「何言ってんだ。朝食作ってのはいつも俺だぞ?」
「え?」
 衝撃の事実に、等は最後の一段を踏み外して滑り落ちた。ズダン、と大層な音が等の腰を強く打つ。
「あたたたた……」
 涙目で腰をさすっていると、先に歩いていた寛和がこちらを見てニヤリと笑っている。天罰だ、と言わんばかりである。
「はは〜ん。さては、今までの食事は三つ葉が作っていたと思ってたんだな。残念だが、あいつは自分で食いもしないものをまともに作りはしないんだ」
 だって食べないし、という言葉を等は思い出した。キャンプ場で寛和と三つ葉が話していたときに三つ葉が言ったことだ。本当に興味がなかったとは。
「毎日毎日、俺の料理を三つ葉の愛情のこもった料理だと勘違いして食べてたわけだ」
 その言葉に、等は顔が赤くなるのを感じた。
「そこまでは思ってないよ」
「どんな時でも残さずに食べていたのはそういうわけだったんだねえ?」
「うっ……」
 一度だけ、絶対に食べきれないと思った量を頑張って食べきったことがある。あとで胃がおかしくなって大変だったのだが、そんなことなら食べなければ良かった。
 寛和の作った朝食は、いつも通り美味しかった。ご飯に大根の味噌汁、シャケとその他諸々。
「どうだ? 作り手への見方が変わると味も変わるか?」
 しつこく嫌味を利かせてくれる寛和に対して
「うん。男らしい料理でいいね」
 お世辞で攻める等だった。
 
 朝食を済ませた後、等は自分の部屋に戻った。パジャマ代わりに着ている短パンとシャツを黒いジーンズと綺麗な青色の模様の入ったTシャツに着替える。一階の洗面台で寝癖を何とかしようと努力してみた。結局のところ暇潰しなのだが。
 そんなことで色々と頑張ってはみたが、時計の針はまだ六時だ。
「何をしようかなあ……」
 声に出して呟く。そして、やることが一つしかないことに気づいた。もともと気づいていたことではあるが、何故か拒否したいものでもあった。
それは、三つ葉と話すことだった。自分のせいで三つ葉を傷つけてしまい、さらに生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込んだことに、等はものすごい反省をしている。同時に、再び三つ葉や寛和との間に透明な壁が現れてきた。二人が自分と関わらなければこんなことは起らなかった、と思う。その想いが、さらに壁を厚くしていく。なんてネガティブな考えなんだ、とは思った。でも、本当のことだ。あの時、衝動的な感情で寛和についていかなければこんなことにはならずにすんだ。
 他にも様々な葛藤が起こった結果、三つ葉を看ていたいという想いと関わらない方がいいという想いが交錯していた。
「でも、他にすることないんだよなあ……」
 部屋に戻り、ダラダラとベッドで横になっているのも性に合わない。買い物なんてどこに行けばいいのかもわからないし、開いてすらいない。
 だからといって、会いに行くのは気が引ける。
「でも他にすることないんだよなあ……」
 パソコン、というものを寛和から貰ったのだが、イマイチ良く分からない。第一に、これは何をするものなのだろうか? 文字を書いて印刷したり、絵を描いたり。音楽を聴いたりすることができるらしいのだが、文字を書きたいのなら紙とペンがあればいいし、絵だって、さらにクレヨンとかがあれば問題ないだろう。音楽を聴くのも、それ専用の物があるのだからそれを使えばいい。書類といったものを作成するのには役立つようだが、会社に入ってもいないのにそんなものを作ったりする機会は皆無だ。テレビも見れると聞いたが、テレビを見ればいいだろうに。あるんだから。さらに、文字を打つものをキーボードというらしいのだが、文字が日本のものでない。アルファベットを打つようになっているところまではいい。しかし、等はアルファベットの使い方が分からない。右下に書かれている平仮名を出せるわけでもないし、使っている人間の気が知れない。一応マウスという手に収まるくらいの大きさの変なものの使い方を覚えた。でも、これしか使えないなんて本末転倒もいいところである。
 結局のところ、等には手のあまり過ぎるものだった。こういうものを猫に小判というのだろうか。
「でも――うあ〜」
 二度三度同じことを繰り返し言っていると、本当に嫌になってくる。等は観念して、三つ葉の部屋へと行くことに決めた。

 そこは、思ったよりも殺風景な部屋だった。ピンクピンクでウサギやネコなどのファンシーな人形などが置いてあるような部屋を想像していたのだが、全くそんなことはない。どこまでも真っ白だった。机やベッドが金属質の物の為、さらに殺風景に見える。あるいみインテリアと言えるのだろうが、女の子の部屋にはふさわしくない感じだ。人形も一つだけだった。
「おはよ」
「おはよー! 朝早いねえ。また起こされたの?」
 三つ葉は、そう質問しながら微笑んでいた。質問というよりは確認、もっと確実なのは断定だろうか。三つ葉は理由がそれしかないことを知っている。
 当の三つ葉は、ベッドで横になっていた。身体は治せたのだが、腕と足は義足義腕である。理由は分からない。
 掛け布団の下で、体がゆっくりと上下している。実は、三つ葉は呼吸しているらしい。人間のものと少し変わるけれど、肺から外に出す空気を振動させて声を作る目的なので、呼吸と称しても問題はないと思う。
 三つ葉の姿を見て、等は自責の念に押し潰されそうになる。あの夜の出来事。自分の右腕の先にある両手。そこから入る無数の亀裂。刻々と刻まれ、崩壊していく三つ葉の身体。あちこちにヒビの入った彼女の笑顔――
「等?」
 気がつくと、三つ葉が心配してこちらを見ている。
「あ、ああ。なんでもないんだ。ごめん」
「あんまり心配しなくてもいいんだよ。私は見ての通りロボットだし。何回壊れたって元通りになるから」
 その言葉は、一掃等の気持ちを悲しくさせた。
「そんなこと言わないでくれよ。そしたら、僕は何度でも君を壊していいってことじゃないか。僕は本当に三つ葉に悪いと思ってるんだ。もし、僕が寛和と一緒に森から出てこなければ、こんなことにはならなかった」
「等なら、何度でも壊していいよ。私は、等が人を殺すのが嫌だったから。私の理想のままでいてくれるのなら、私はいくらでも等を助けるよ。それと、等が来てから、毎日が楽しくなったし、センセもそう思ってるだろうし、そんなこと言わないで欲しいな」
 涙が、等の頬から滴り落ちた。一つが二つ、二つが三つとだんだん増えていく。等は、自分が何で泣いているのか分からなかった。何も悲しくはない。むしろ無心に近い。何の感情も湧かなかったのに。
「僕は……なんで?」
「人が涙を流すのに理由なんて必要ないよ。泣きたいときに想いっきり泣けばいいんだ」
 三つ葉がニッコリと笑ってくれている。もし、彼女の両手両足が動いたなら、等を抱いてくれたような気がする。いや、いま、この状態でも等は三つ葉に抱かれている。それぐらい、三つ葉の言葉は包容力を感じさせた。
 もしかしたら、自分で気づかないうちに、透明な壁を取り去ってくれることを望んでいたのかもしれない。関係を断つ事を、否定して欲しかったのかもしれない。等は三つ葉の身体を起こして優しく、しかし強く抱きしめた。三つ葉から香る優しい芳香が等の感情を優しく落ち着かせてくれる。
 等は思った。彼女に感情を与えてあげたいと。人間として生きる人生を送ってもらいたいと。


<8>

「ごめんなさい」
 一体何のことを謝っているんだろう、と寛和は疑問に思った。謝っているのは等である。
 現在、寛和は食後に溜まった食器を洗っている。赤が好きなので、落ち着くような色のエプロンをしていた。BGMは微かに聞こえるテレビの音。爆笑が聞こえたりすると、思わず画面を見に行ってしまう。そんなことはどうでもいいとして、とりあえず、手を動かしながら寛和は尋ねた。
「……何が?」
 つかの間の静寂。等は驚いたように寛和を見ている。その行動が、イマイチ良く分からないのでガチャガチャと食器を洗うことにした。
「いや、何がって三つ葉が壊れちゃったから」
「せめてケガをしたと言って欲しいな」
 おなじみのニヤリとした笑みを等に向ける。エプロン姿で何やってんだか、と心の中でため息をつきながらも、その笑みはやめられない。一度ついた癖はなかなか消えないものだ。
「どっちでもいいけど、結局は僕のせいだし……」
 シュン、と肩をすくめると同時に声も尻すぼみになっていく。ああ、と寛和はようやく理解した。だが、寛和にとってはどうでもいいことだった。
「何で謝るんだ?」
「何でって、三つ葉がケガしたから?」
 自分に問いかけるようにしながら等は答えた。
「だったら、三つ葉に謝ればいいじゃないか」
「もう謝ったよ」
「だったら、それでいいんじゃないのか? 俺は、人殺しに殺されずにすんでくれて良かったと思ってるけど」
 再び沈黙が訪れる。寛和が手に持っている食器のカチャカチャという音と、ジャー、という水が流れる音だけが時を刻んで行く。
「つまり、お前は三つ葉を俺の所有物と思ってるんだな」
 寛和が切り出した。
 等は、弾かれるようにその言葉に反応する。
「そんな風には思ってないよ」
「例えば、喧嘩をした兄弟がいるとする。片方が片方を泣かせたからといって親に謝ることがあるか?」
「そういう環境は分からないからなんとも言えないけど、三つ葉をそういう風に見ていることだけは決してない」
「なら、なんで?」
「迷惑かけちゃったから。心配したでしょ?」
 ふうむ、と少し考え込み、再び口を開く。
「そりゃあ心配するけど、別にお前の責任でもないだろ。どのみち誘拐されたわけでもないし、喧嘩でもして帰ってきた、みたいな感じだったし」
 それで終わり、という風にカチャカチャと食器を洗い始める。フライパンを持ち上げたとき、等がまだそこにいるのに気になった。油がこびりついてるな、と片方で思いながら疑問に思う。
「何かあるのか?」
「三つ葉は、治るの?」
 その質問に、寛和は渋った。隠しても意味がないことだが、やはり説明するのには勇気がいる。そもそも、身体を治した時点で両手両足も治っていなければおかしいのだ。なぜ、バラバラに治す必要がある? どうして、数日たった今でも義足義腕のままなのだ? そう疑問に思うのが当り前だ。
「……三つ葉に腕や足を付けてやるのは簡単だ。すぐにでもできる。でも、付けたからといって動きはしない」
「どうして?」
「人間でいうなら、脊髄の部分――背骨だ。そこで条件反射とかなんやらする場所なんだが、そこが損傷している。損傷というか、完全になくなったわけだ。その技術は俺の妻が研究していたものでな。俺ではどうにもならないんだ……」
 寛和ができない、ということは現在の技術ではできないということである。最近新聞を読み始めた等なら、そのことが分かるはずだ。寛和は現代の科学者として、飛び抜けた才能を持っている。ロボットを歩かせるのがやっとの状況の文明に、三つ葉を治す術はない。
 できるのなら、寛和は早く治してやりたかった。毎日夜遅くまで、いや、朝早くまで妻の研究していたものを必死に学んでいるが、寛和の妻も同様に飛び抜けた人だった。立った数日で分かるほど簡単な技術ではない。寛和の学んだものは力学的なもので、走ったり、飛んだり、物を投げたりするものだ。それに生物的なものを加えて呼吸などの人間的な運動ができるように研究していた。一方、寛和の妻が学んだのも、力学的なものだったのだが、それに加えて、人間でいうなら神経系。能や、脊髄、神経など。最終的に感情を作り出すまでに至った。人間の脳がどういったものなのかを理解していたのだ。ここまで分野が違うとなると、難しいの一言では表せない。さらに、寛和には――。
「だったら、寛和の奥さんの研究していたものを僕に教えてくれ」
 ガチャン、と音を立てて、寛和が拭いていた皿が床で割れた。
「二人みたいな才能はないかもしれないけれど、僕には時間がある。何倍もの時間を賭けたっていい。僕が治す」
「……俺には教えることはできないよ。この技術は俺の罪だ。擦り付けるようなことはしない――以前言ったはずだよな」
「それは三つ葉を作ったことだ。寛和がその罪を意識したとき、どんな想いだったかは知らないけど、僕は違う。彼女を治したいんだ。それは罪じゃない。寛和はその技術が罪だと言ったけど、僕は思わない。どう使うかによって変わるんだ」
 道具の良し悪しはそれを使う人間によって決まる。何かでそう言っていたのを寛和は思い出した。確かに、そうかもしれない。自分は、三つ葉を造ったことを道具のせいにしていたのかもしれない。自分の想いが招いた結果だというのに。
「そうかもな……いや、そうだな」
 厳しく見つめていた等の蒼い瞳が和らいだ。
「お前なら、きっとできるだろうな」
 やれやれと肩をすくめる寛和。
完敗だ。等に完全に負けた。まったく、見た目は子どものくせになかなかイキなこと言うじゃないか。
「お前を少し小さく見すぎてたのかも知れないな。大人にもなっていない子どもに言われるなんて情けないな」
 近寄って、ポンポンと頭を撫でるようにはたく。等はそれを黙って受けていた。
「あははは。一応三百歳ちょっとなんだけど?」

「車椅子の散歩っていうのも結構楽しいものなんだね!」
 脚にひざ掛けをかけて、車椅子を押してもらっている三つ葉。押しているのは等だ。ちなみに、楽しい……とは言い難かった。なんといっても暑い。炎天下の砂漠を延々と歩いているような気分だ。少なくとも、等にとっては。
「ひざ掛けなんかして暑くないの?」
「義足だからねえ。でも、身体の方もなんか暑く感じないなあ」
「以前は感じていたの?」
「うん。ある程度は感じてたよ」
 等は確信した。寛和が話していたことは本当らしい。疑うつもりはないのだが、信じられなかったのだ。どちからというと信じたくないという方が近いか。
 等と三つ葉は、近所を適当に歩き回っていた。一応ロボットでも、退屈という言葉はあるらしい。喜しかない聞かされているが、本当に三つ葉は喜の感情しかないのだろうか。以前ため息をついた事もあった。分からないが、一つの感情ができている、ということは――。
「あれ? あれって、アイスクリーム屋?」
 突然の三つ葉の声に、等の思考は中断された。別にいいことだけど。三つ葉の視線の先を見ると、確かにあった。川沿いにトラックが止まっている。屋台みたいな感じだ。もっとも、見た目は全然違うが。
「そうだね。ちょっと近くに寄ってみようか」
 二人が近寄ってくるのに気づいた店員が声をかけてきた。
「あ、そこのカップルさん。お二ついかが?」
 女性の店員が、磨きのかかった笑顔をくれる。この暑い中よくやるもんだ。もしかしたら、中は涼しいのかもしれない。アイスクリーム屋なんだし。
「あ、いただきます!」
 負けじと(競っているわけではないが)三つ葉も輝かんばかりの笑顔で返す。店員は、その笑顔が気に入ったのか
「あ、なかなかの営業スマイルね……これは放っておくにはもったいないわ」
 などとブツブツ呟き始める。見かねた等が
「あーえーじゃあ、このチョコミント下さい」
 というのでやっともとの世界に戻ってきた。
「あ、はい! そうですね! なんたってこのくそ暑い日にはさっぱりとしたイチゴがいいですよね!」
 くそってなんだくそって……。しかも注文聞いてないし。さらに
「ブルーベーリーのミックスなんかもイケますよ!」
 とか言いつつ作り始める。なんなんだか。
 作り終わったものを等の手に半ば押し付けるように渡した。
「あ、お代はいりませんよ」
 等は、何か嫌な予感がした。その営業スマイルとやらになにか裏があるような気がしたからだ。
「いいえ払います」
「本当にいらないんですってば。ただ――」
 等は、話を聞かずに逃げ出した。等もまた、半ば強引にアイスクリームを三つ葉に渡して一目散に離れようとする。ただ――って何かあるんじゃないか。
「等、人の話はちゃんと聞いた方がいいよ?」
 背中にぐさりと釘が刺さったかのように動きが止まる。三つ葉の言葉には逆らえない等だった。
「そうそう! そんな年から女性に頭が上がらないなんて先が見えてるねえ」
 やかましい。客に対する態度じゃないだろ! 等は沈んだ目で彼女を見た。とうの店員は挑発気味に等を見ている。
「どのみちあんたに用はないから。私が興味あるのはそこのお嬢さん」
「お嬢さんて私!?」
 驚きながらも嬉しそうにはしゃぐ。ただし頭だけで。初めて言われたのだろう。三つ葉はお嬢さんというよりは娘といった感じだから。
「あなたしかいないじゃない。あなたのその笑顔、使えるわ」
 カッコよく決めているが、見ているのは三つ葉しかいない。等は関わりたくなかったので、他の方向を見ながらアイスを食べていた。確かに、口の中でさっぱりとした味が広がる。彼女の判断は間違っていなかった。
「どうやって?」
 その使える笑顔で三つ葉が聞き返す。三つ葉も彼女を気に入ったらしく、食い入るように彼女の話を聞いていた。等は、三つ葉に始めて友達ができたのかな、と思った。自分は……まあどうでもいいや。弟なのか? やっぱり。
「あたしと一緒にこの店をやって欲しいの!」
「……無理でしょだって――」
「やる! 私やる!」
 止めようとした等の言葉を遮って、三つ葉の燃えたような闘志が響き渡る。
「いや、だから――」
「ぜったいにやる! 面白そうだもん」
 見ると、三つ葉の瞳がきらきらと輝いていた。女の子というものはこういったものにあこがれるものなのだろうか。
「その気迫、只者じゃないと見たわ! 明日から一緒に頑張りましょう!」
 手足動けないのにどうやって仕事するつもりだろう……。等はその疑問を口に出せずにいた。出したとしてもどうにでもなってしまう気がする。二人に見られないように、こっそりとため息をついた。
 陽がだんだん高くなっていく中、二人のやる気もだんだんと高まっている。ただ、等だけが、周りより沈んでいた。



2004/06/05(Sat)21:53:12 公開 /
■この作品の著作権は霜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初連載ものです。
ちゃんと終わらせられるかどうかドキドキものですが、頑張って書いていきたいと思っています。
書き終わったときに、少しでも上手になっているように。

8話目に入りました。
最近モナカ系のアイスにはまっています。
本編に影響が出てしまいましたね(笑
皆さんはどんなアイスが好きですか?

それと、感想をくださる皆さん本当にありがとうございます。


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