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『林檎    完』 作者:夢幻花 彩 / 未分類 未分類
全角26131文字
容量52262 bytes
原稿用紙約88.95枚


 林檎


2154年。地球が経済的にも豊かで平和だったこの時代、ある戦争が勃発した。後の第三次世界大戦である。しかし、今これを勉強しているのは地球人ではなかった。それは何故か?・・地球人はその戦争によって絶滅してしまったからである。
これはある星の研究者が地球人滅亡の原因を探り、常識では考えられない新事実をありのままにレポートにまとめた物だ。



 「『地球人滅亡』我々はこの謎を解明するべく、何十年も遥か遠き地球に調査員を派遣してきた。しかし、地球は有害な物質が発生しているでもなく、(いや、一部に排気ガスと呼ばれる物質は充満していたが)解剖した死体からも毒物や病原菌は見られなかった。焼死した様子も溺死した様子もなく、
一部のものが殺害された痕跡はあるものの、多くの者が栄養失調、つまりは何も食べずにいたせいで死んでいるようだ。
 しかし我々が最も理解しがたいのは、「食料があるのに何故食べなかったのか」である。一部の地域を除けば地球は食物が豊富だった。特に弓形の島国(地球の国際連合という物の中ではJAPAN、と呼ばれていたと記録がある)は、今でも口にする事の出来るものが多々見受けられる。
 そこで地球人は精神が錯乱していただの、何らかの理由で前頭葉が欠乏してしまっただの、根拠の無い説が生まれた。しかし精神が錯乱していようと、すべての生物は本能的に食物を口にする。それに地球人は我々と違い前頭葉を失っても性欲、食欲、死の恐怖は失わない。現に1800年頃、ある精神科医が自分の患者が精神が錯乱し、(だから精神科医を必要としているのだが・・・)彼らがあまりに暴力的なのでアイスピックで前頭葉をかき出してしまったというなんとも凶悪な事件が発生したが、意思は持っていないものの、物を食べ、眠り、ちゃんと生きていたという。その点では我々より遥かに上回るという事だ。
本題に戻そう。では何故地球人は滅亡してしまったのだろうか。」
ここまで一気に書いた研究者は溜息をついた。私の出したこの結論に狂いは無いはずだ。しかし、本当にこんな事があってよいものなのだろうか?
 地球人とはそれほどまでに愚かなのだろうか?
研究者は続きを書く事を一瞬躊躇った。が、真実はその研究者の思ったとおり、奇妙ではあったが、間違ってはいなかった。
 



1 孤独・冷水を浴びた時のように



「今一番若い女性に人気のあるダイエット法といえば、皆さん御存知だと思いますが、・・・・・・そう、りんごダイエット!!これはどこまで信じていいのか分からないのにやたらと高価で怪しいサプリメントや安っぽい運動器具に比べ、値段も大変手頃で安全なダイエットと言えますよね。しかし今までにも豆腐ダイエット、トマトダイエット、あるいはビールダイエットなんて呼ばれる物もあるにはありました。ところがこのりんごダイエットはそんな利きもしないダイエットとは全く違うものなんです!!何故ならこれはりんごの特性を生かしてぁ・・・」
 あまりに突然にテレビを消され、裕子はむっとした。最後の「あり・・」
っていう、せめて区切りのいいところにしてくれないと後味悪いじゃない!
 しかし、そんな事をこの人に言ったら殺されかねない。裕子はあくまで下手に出て謝った。
「あっっ、ごめんなさい、今日も遅いんですか?お仕事頑張ってくださいね。」
「・・・お前には関係ないだろう」
すみません、と謝る裕子をちらりと見る事もなく出て行く夫を見送ると裕子はほっと溜息をついた。
 今時亭主関白だなんて。ご近所の人はアンドロイドに家事をやらせて毎日遊び歩いているというのに、夫はこう言った。
「家事をするのは女の仕事だ。アンドロイドなどにやらせるな」
 確かにアンドロイドの作った料理ではなく、愛する妻の手料理が食べたい、とそう思うのはごく自然な事なのかもしれない。しかし裕子は一年程前から疲労のあまり急激に体力が低下している。掛かりつけのドクターロボットも機械的な声で率直に告げた。『コノママ ハタラキツヅケレバ アト2ネンモモタナイデショウ。アンドロイドノ ゴコウニュウヲ オススメシマス。」
「あなた・・・出来るだけのことはしますから・・万が一の事があった時のために・・・」
 しかし夫の返事は『NO』。裕子はその時、自分はこの人に愛されていない、と確信した。
「この人に一生尽くさないといけないのか・・・。」
 裕子は一人ごちた。この間、ネット上で同窓会が開かれた。かつて裕子と一緒にバンドを組んでいた仲間は今でも活躍している。裕子は結婚と共にバンドを脱退した。バンド仲間は笑顔で裕子に言った。
「やっぱ、メインボーカル抜けた時はかなりきつくてさ、新しい子見つけるの大変だったよ。」
 裕子はぎこちなく笑顔を返した。自分の話なのにまるで誰か別の女性の話をされているようだ。『奇跡の歌姫』と呼ばれるに値する澄んで濁りの無い少し高めの声。
「はぁ・・・。」
裕子は悲しかった。今からでもいい。やり直したい。そうはいっても、おそらくあの頃のような神秘的な声は2度とでないだろう。第一夫がそんな事許してくれる訳が無い。
 裕子だってそのくらい分かっていたが、もう一度あのバンドで思いっきりこの思いを歌にぶつけてみたかった。

「ただいま」
 深夜遅く、いつもの通り無機質でぶっきらぼうな声がして、夫が2階の部屋に上がっていく気配がした。裕子は出迎えない。普段は亭主関白である夫も結婚した時に、
「帰ってきても出迎えるな。そんな事をしている時間があったら、もう少し他の事に時間をかけろ」
との命令(裕子の中では申し出とか提案、ましてやお互いに尊重しあった約束ではなく、命令だ)
 裕子は一瞬考えた。いくらこの人が冷たいからって、私の自由を奪う権利はどこにも無い。私だって他の人と同じように気ままに暮らしたり、好きなところへ行ったり、それこそバンド活動をしてもいい筈。家事はちゃんとこなすし・・・裕子は決心した。自由を返してもらおう。
ほどなくして夫が居間へ降りてきた。相変わらず気難しそうな表情をして詰まらなそうに裕子の作ったシチューを口に運んでいる。そんな顔をしているのは裕子のシチューがまずいからではない。それがごく自然な事なのだ。「あなた、ちょっとお話が・・・」
「仕事で忙しいんだ。食事の時ぐらい落ち着いて食べたい」
「・・・すみません」
 ・・・駄目だわ。諦めよう。所詮この人に何を言っても無駄なのだから。裕子はそれまでの考えを振り切るように立ち上がり、夫の酒のつまみを作ろうと立ち上がった。




 2 アダムとイヴ 

 翌朝、裕子は夫が出勤すると裕子は近くのデパートに向かった。久しぶりに新しい服でも欲しいと思ったのだ。
 もうすぐ冬も終わる。外は思った以上に日差しが眩しい。裕子はしばらく歩くうちに昨晩の暗い気持ちも大分晴れていた。
「あら、板倉さん?」
 ふいに裕子は隣に住む板倉の奥さんを見つけた。世話焼きで噂話の大好きな人だ。裕子はそんな趣味はどうかとは思いながらも自由な彼女がうらやましくて仕方ない。みるみるうちに気分が萎んでいった。
「あーら、片岡の奥さ〜ん!!やだ〜、奥さんも買いにいらしたのぉ?」
「え?」
 戸惑う裕子に板倉の奥さんは訝しげな視線を送る。
「アレ、買いにいらしたんでしょ?」
・・・アレ?アレって何?
「ほら、早くしないと売り切れちゃうわよ!!」
「あっっ・・ちょっと・・奥さん?!」
 まさに問答無用、いった感じで板倉の奥さんは久々の裕子の楽しみを奪っていった。

「お一人様2個限りです!お一人様2個限りです!!押さないでください!
現品10000個限りですのででお早めに!」
裕子は周りを見回した。10000個もあるんだったら、どうしてみんなこんなに血走った目をしているの?大体何をそんなにまでして買おうとしているというの?
 板倉の奥さんに聞いてみたくても他の主婦たちと同じ目をしている。裕子はまさに「狂気」という言葉がぴったりだと思った。



 裕子は板倉の奥さんに丁重にお詫びを言うと、この後も引き続きその「ある物」を買いに行くのを断り足早に家に帰った。
 家に帰りあらかた家事を済ませると、どっと疲れがこみ上げてきた。
「何でわざわざあんな物を並んで買わなきゃいけないのよ・・・。」
 あの後裕子は1時間も並ばされた挙句、板倉の奥さんが見事手に入れたそれを2つ渡された。
「よかったわぁ〜、今日は朝から運がいいわね!私なんて最近後一歩って言うところで買えない事多くって、そろそろ切れそうだったのよぉ〜。片岡の奥さんもそうでしょう?そうよね〜、ホン〜ト、特に私なんか最近又太っちゃったから普通より1個多めに食べてるのよ。あ、それでね・・・」
 裕子はなんと返事をして良いのか分からなかった。本当にこれ?!こんな物のために、一時間もならんだの?!半額にもなっていないし高級食材でもなんでもない、これのために?!
 裕子が信じられない気持ちで握り締めていたもの。それは誰でも知っているし、誰でも一度は口にした事のある、いや、あるいは食べ飽きているかもしれない・・・・。そういうものだった。
 




















    林檎。これがその果物の名前だった。








「ただいま」
 夫の無機質な声が聞こえて、裕子は目がさめた。なんだか変な夢を見たような気がする。
「裕子?・・・なんだ寝てたのか」
 裕子は次になにを言われるのだろうかと身構える。しかし、夫が発した言葉は裕子も思わず耳を疑った。
「体調が悪いなら、寝ていろ。そういう時は無理に家事をやろうと思うな」
「え」
「ほら、ちゃんとパジャマを着て寝ないとよけいひどくなるぞ」
 その上翌朝裕子が目を覚ますと、ベッドの脇には走り書きのメモと共にお粥が置かれていた。
『栄養を取らないといつまでたっても直らないから温めて食べなさい。それから今日は体調が良くなっても一切家の事はやらないように』
 裕子は複雑な思いでのろのろと起き上がりお粥を温めた。裕子は結婚してから3年が経つが、体調が悪くなった事はこれが始めて(いや、今回も決して体調が悪くなったのではないのだが)だったので、夫がこういう時どのような態度をとるのか全く分からなかった。
 大体この結婚だって、恋愛結婚をした訳ではない。ケータイをいじっていた時になんとなくお見合いをしようと思い、手軽にネット上でのお見合いをしている時にいきなりプロポーズされてしまい、丁重に断ったが「一生幸せにします」との一言に思わず折れてしまった、というのが真実だった。
 裕子は熱くなったお粥をそっと口に運んだ。
「・・・おいしい」
 どこからか買ってきた物だとばかり思っていたが、ロボットにはこの味はだせない。どんなに完璧な料理を作れても、この心から温まるような温もりのこもった味だけは、絶対に、ぜったいに。
 「私にためにあの人が料理を・・・?」
 裕子は自分の結婚した夫がどんな人なのか分からずにただお粥を食べ続けた。
 ふと、裕子は自分がやけにときめいているのに気が付いた。それは、なんだか・・・そう、初恋をしている時のあの妙なじれったさに似ていた。



 3 真実はいつもすぐそこに

カチャ・・・辺りを憚る様な微かな音が響いた。裕子はその音で目を覚ました。裕子が寝ている間にいつの間にか夜になっていたのだ。
「あなた、おかえりなさい」
「もう大丈夫なのか」
「ええ・・・。あ、あの、お粥、あなたが、」
 裕子はずっと聞きたかった事を尋ねた。
「あぁ・・・。俺が作った。昔一人暮らしをしていた時はこれでも自炊していたから」
 裕子はその時初めて気付いた。自分はこの人のことを何も知らない。相手をよく知ろうともしないのに上手くいく筈なんて無いのだ。
「そうなの。あなた、ありがとう。」
 これが裕子なりの精一杯の感謝の言葉だった。








  

「お父さん?お仕事忙しいの?お母さんがご飯よって。」
 研究者は娘の声に気付き、優しく言った。
「ありがとう、でも忙しくてね。後で食べる事にするよ。」
「分かったわ。お母さんにそう伝えておくね。」
 研究者は娘がいなくなったのを見届けると大きくため息をついた。とてもじゃないが食事などとれそうにも無い。それは時間が無いからではなく、こんな研究の合間に食事を苦もなく取れる程タフな精神を持っていないためだった。分かりやすく言おう。地球人滅亡の真相はそれほどまでにグロテスクであり、出来れば知りたくないような内容だったのだ・・・。
「彼らの死の原因は地球上の多くに見うけられるある果実だと思われる。その果実の名前は『Apple』。その果物の色は主に青、赤である。地球に残されている書物によれば地球人は好んで口にしていたという説もあるが、ある王女は自分の義理の母親にその果実で殺害されたとの記録も残されている事から、地球人にとって害のある果実と推測できるだろう。
 また地球上に人類が誕生する以前、その果実によって知恵がつき神に見放されたという伝説がある。それはおそらくその果物に害があることをよく理解した上での物である可能性も高い。
 しかし、近年になって彼らは忘れてしまったのだ。その果実の恐ろしさを認識しておらず、あのような事件が起きたのであろう。
 そう、それはJAPANと呼ばれるある島国の女性たちの噂から発祥した・・・」




 裕子は何があったのか理解できなかった。お粥のことで夫にお礼を言った所までは覚えている。その後、確か夫が冷蔵庫を開けて何か果物を食べさせてくれようとしたはず・・・風邪のときはフルーツをたくさん取れって。
そしたらちょうど昨日買ってきた林檎を見つけて・・・。
 殴られた?
 どうして?
 ただの林檎よ?
 裕子はまだ怒り心頭の夫を見上げた。
「どうして林檎なんか買ったんだ!!お前まさか林檎を食べていないだろうな?!」
「で、デパートに洋服を買いに行った時にい、板倉さんの奥さんに逢って『アレを買いに来た』のか聞かれたのだけど『アレ』が何なのかわからなくて結局一時間も並ばされた挙句買ったのがこれだったの。私林檎より苺や梨の方が好きだから食べる気にもなれなかったし・・・
まだ一口も食べていないわ。でもどうして食べちゃいけないの?」
 夫はようやく怒りも収まったのか穏やかな、しかし哀しそうな顔で裕子に尋ねた。
「裕子・・・。お前は俺と暮らしていて辛い事が無いか?他の主婦たちのように自由奔放に暮らし、家事はアンドロイドにすべて任せ、やりたいことだけをしていたいと思うこと、俺には何も言わないが絶対にあるはずだ。俺自身、酷すぎやしないか時々不安になる。怒らないからすべて言ってみろ。いいか?すべてだ。」
「私・・・、昔バンドを組んでたの。楽しかったわ。私がボーカルでね、多分私のこと過大評価してくれてただけだと思うんだけど『奇跡の歌姫』なんて呼んでくれる人もいたのよ。だけど・・・あなたとの結婚でバンドを抜けたわ。淋しかった。凄く淋しかったの。だって、あなたは私に関心を持っていないんだもの、辛いわ。だから家事は頑張るけれどもう一度バンド活動も昔ほど頻繁には無理だけどやってみたいの。それだけよ。ただね・・・。」
 裕子は涙を飲み込んだ。まだ30にも手が届かない若い女性なのだ。死ぬのなんてずっと先の事だと思っていた、普通の。
「去年ドクターロボットに宣告されたのよ。このまま働き続ければ後二年ももたないって。アンドロイドの購入を勧めるって。でも私まだ死にたくないのに・・・・・・」
「知ってたよ」
「え」
「裕子があと何年かしか生きられないって俺もあの時言われた」
 衝撃だった。夫は、この人は知っていながら私を・・・見殺しに・・・
「酷いわ・・・知っていたのにそれでも私の事守ってくれなかったのね」
 裕子が多少の憎しみを込めて見上げるとなんと夫は事もあろうか笑っている・・・!微笑をたたえて裕子を見つめている・・・!!
「私が死ぬのがそんなに嬉しいの?」
 裕子はいたって真剣に尋ねた。
「それは違う。だけど本気であのアンドロイドの言う事を信じている裕子はおかしくてたまらない。」
 夫も裕子と同じくらい、真剣に答えた。
「ロボットはミスが無いし嘘をつかないわ」
「だが命令通りに動く」
「それのどこが・・・え?」
 裕子ははっとして夫を見た。口元には微かな微笑が浮かんでいるが、その目は全く笑っていなかった。
「研究所は俺たちのことをマークしていた」
 夫の突拍子の無い答えに裕子は訝しげな表情を見せる。
「裕子の気持ちは分かる。でもそれが真実なんだ。これから話す事すべてを信じてほしい。」
 裕子が小さく肯くのを見ると夫は話し始めた。
「連中・・・研究所の研究員たちには成し遂げなければならない野望があった。コレが事の発端だ。いや、もしかしたら俺にすべての原因があったのかもしれないな・・・。この事については後で話そう。とにかく、連中は一人残らずアンドロイド依存症にする必要があった。」
「アンドロイド依存症?」
 聞きなれない言葉に裕子は怪訝な顔をした。
「アンドロイド依存症、これは何でもアンドロイドにやってもらっている人間なら誰でもなりえる。たいていの人間はアンドロイドに家事や仕事をしてもらっているから何も出来ない。これはれっきとした依存症だ。最も、連中はそんな依存症は無い、アンドロイド嫌いが勝手にそういっているだけだと発表してからはもう誰もアンドロイド依存症について何も考えないが。」
「難しいのね」
「そうでもないな。本題に戻すがもう分かっただろう?俺たちは何故マークされていたのか?アンドロイドを使用していなかったからだ。だから裕子に嘘を言った。お前は余命2年だとな。」
「・・・でもおかしいわ、あなたの言う通りだとするとどうして研究所は私たちをその『アンドロイド依存症』にする必要性があったの?確かに私たちがアンドロイドを購入すれば研究所の利益は上がるわ。でもそれだってわずかな物でしょ?」
「林檎のためだ」
 り・ん・ご・の・た・め・?
 裕子は床に転がっている林檎に視線を落とす。真っ赤に熟れていて、とても大粒の物だった。きっとこれを真っ二つにすれば燃えるような皮の色とは対象に、クリーム色の果肉が顔を出し、噛めば口の中でむせ返るような甘い香りとたっぷりの果汁が溢れ出すのだろう。それでもこれはただの林檎なのだ。その筈なのだ。
「林檎・・・俺たちが子供のころはまだなんでもない果実だった。風邪を引いた時なんかはよく食べたよ。ビタミンが苺や檸檬なんかよりも豊富で、しかも殺菌作用もある果実だったから」
「過去形なのね」
「ああ・・・、近年になって林檎は全く違う物になった。それも目で見える程のハッキリとした違いだ。これはエデンの林檎、つまり麻薬だ。
大麻と同じ、いや、それ以上の効力を持っている。」
 そういうと夫は林檎を掴みキッチンへ向かう。そして果物ナイフをだして裕子の目の前で真っ二つにした。
「・・・・・・なにこれ」
 林檎からは甘い芳香が漂っていたが、裕子は林檎の果肉の色を見て猛烈にめまいがした。
・・・どす黒い赤。しかもその色はどこかで見たことがあった。
 林檎の甘い香りの中にほんの少し鉄くさいというか・・・・・・血なまぐさい匂いが混ざっていると思ったのは裕子の行き過ぎた想像力による物なのだろうか・・・・・・
 裕子はグロテスクなそれに耐えられず、夫の腕の中で気を失った。
   


 4 光と闇


 裕子は白亜の城の中に立っていた。痛い程に眩しい壁が突然、霧へと変化し、裕子は前も後ろもわからないまま何を求めているのかすらも曖昧になっていく・・・・
 ホワイトアウト、白い闇。
 この先には、一体何が見えるのだろうか。
 しかし、裕子がその先を見ようと思って目を細めた瞬間、あっという間に霧の世界は崩壊し、赤い閃光が怪しげに裕子を照らした。
 気が付くと裕子の周りには幾千もの林檎が裕子をあざ笑っていた。


「裕子・・・気が付いたか」
「・・・・・・あなた?」
 そこは見慣れた裕子たちの寝室だった。
「悪い夢を見ていたんじゃないのか?随分うなされていたようだが・・」
 裕子は無理に笑顔を作った。
「なんでもないわ」
「そうか」
「・・・・・・」
 ふいに裕子はさっき見た血のように赤い林檎のことを思い出した。夫はもう林檎はただの果実じゃなくなった、確かそう言っていた。とはいえ、それはどう言う事なのだろうか?大麻と言われても林檎があまりに身近な物であるせいかいまいちピンとこない。
「ねぇ」
 裕子は努めて冷静に聞いた。
「林檎は・・・どうして・・・あんな色、なの?」
 答えなんてきっといくらでもあった。例えば紅玉と陽光という人気の無い品種同士を合わせたら、こんな色の物が出来てしまったんだ、とか・・・ブルームレスの胡瓜を作るのと同じ様に南瓜と胡瓜の雑種ではなく、トマトと林檎の雑種、なんていうありがちな答えがもっともっと一杯、無くてはいけない。
 裕子はもう一度聞く。どうして、あんな色なの。



 裕子の夫、修二は昔から無口だった。頭の中で言いたい事を簡潔にまとめる事はなんでもなかったが、それを口に出す事をなんとなく恐れていたのだ。しかし、人一倍物事を真剣に受け止める真面目さと並外れた頭の良さに目をつけられ今の会社に入社した。
 しかし修二にはたった一つ欠点があった。それは女性の愛し方を知らない事。彼は今まで裕子以外の女性を愛した事が無いのだ。
 だから裕子に辛い思いをさせているのではないかと思うこともしばしばだったのだ。
 しかし、いまなら・・・いまなら伝える事が出来るかもしれない。俺は普段口に出来ないが本当はとても大事に思っていると言う事を。言葉で表す必要は無い。態度で・・・遠まわしに言ってしまえばいいのだ。
 とはいえ、裕子に今そのような趣旨の話をするのは間違っているような気もする。何故なら今は修二が思っていたよりもずっと早く、人類に危険が迫っているからだ。
「・・・・・・裕子」
 修二は震える声で言った。
「林檎による侵略は俺が思ったよりも早かった」
 焦ってこの事と何の関係も無い事を言ってしまった・・・。こんな事は生まれて初めてだ・・・。
「?」
 だめだ、伝えられそうにも無い。今は林檎の事についてだけ話し、この事については機会を待とう。そう決めた修二は割合に落ち着いた声で話した。
「何故林檎はあんな色になったかだったな。話を急ぎすぎたようだ。すまない。林檎は品種改良の際にあんな色へと変化した」
 裕子はほっとした顔を見せた。
「しかしー、裕子が思っている物とは違う。ただ単に品種が変わったのではなく、連中にとって林檎は今までになく美味な味だけではまだ足りなかった。人間がどうしても離れられなくなるような何かが無いといけなかったんだ」
「連中って・・・まさかすべてコンピューター研究所が原因だっていうの」
「ああ。だがそのことについてはまだだ。お前にすべてを話すのはまだ早すぎる。とにかく林檎はある物を投与される事により別の物に生まれ変わってしまった。」
「それって・・・・・・」
 林檎から僅かに漂った血生臭い匂い。もしそうだとしたら・・・・・・。まさか、そんな事ってあって良い物なのだろうか?
「人間、だよ」
 やっぱり。でも信じたくない。大体そんな事あるはず無い。それにそんな証拠、何処にもないでしょ?
 修二は黙ってもう一つ林檎を持ってきた。そして縦ではなく、横向きに林檎にナイフを当てた。
「何に見える」
 修二が指したのはやけに白っぽい種だった。
 五個の種が紅い果肉の中につやつやと輝く。
「花びらみたいだわ・・・星にも見える」
「手足を広げた人間にも見えないか」
「!!」
 確かに。でもこじ付けにも思える。
 そういうと修二は微笑んだ。
「梨は蟻の実、じゃあ林檎は?」
「わからないわ」
「人間の実だ。そういわないのは人間側としては気持ちのいい話じゃないからだ」
「・・・あなたの言う通りならどうして板倉さんや他の奥さんたちは平気で林檎を口に出来るの?どうしてあんな色をしていて気持ち悪いとか思わないの?どうしてデパートで売っているの?ねぇ・・・どうしてなの?どうしてなのよ・・・・・・」
 こらえきれず裕子は泣き出した。
「・・・何も知らないからだ。テレビでは主婦向けの番組で飽きるほど紅いのは林檎本来の美味しさを最大限に引き出すためだとアナウンサーが言っていたし、何より食べるだけでダイエット効果があると信じている。しかもこの世のものとは思えないほど美味だ。このことを知っているのはせいぜい俺と研究所の人間くらいだ。」
 裕子はあの時のテレビを思い出した。そういえばりんごダイエットがどうとかいっていた気がする。
 だからあの時あんなに突然テレビを消したのだ。裕子にそのりんごダイエットを印象付けないために。裕子はもう一度泣きたくなった。私はちゃんと愛されていたのに、気付かなかった。なんて馬鹿だったんだろう。


 

 5 驚愕と哀しみの路地・そして



ピンポーン。
 不意にチャイムの音が響いた。裕子は泣きはらした顔を上げた。
「誰かしら・・・・・・」
ピンポーン、ピンポーン。
 裕子は不審に思いながらも玄関へと急いだ。
・・・そこに意気揚々と立っていたのは板倉の奥さんだった。
「お夜分にごめんなさいねぇ〜、あのぉ、奥さんのトコ、林檎無いかしら?」
「?」
「だ・か・ら・り・ん・ご・あ・り・ま・せ・ん・?」
 裕子は返事に困った。林檎は切ってあるがある事にはある。彼女に渡しても別段困る事は無いだろう。しかし彼女は知らないのだ。彼女が崇拝しているこの果物は人間を原材料に作られていると言う事を・・・・・・。
「無いの?」
「・・・・・・」
「あるならくれない?私のうちにいまりんごがないの・・・」
「板倉さん?」
「わたしね、りんご、たべたいの。でも、うってないの。だから、ちょーだい」
 言葉がだんだん幼稚になっていく?そんな馬鹿な。
「あの・・・板倉の奥さん、冗談は辞めてください。」
「あたしね、たべたいの。たべたいの。りんご、たべてい〜い?」
・・・・・・林檎の副作用で林檎を多量に摂取していた板倉和美は精神年齢が異常に低くなってしまっていた・・・。 
  
 
「何?!」
「だから、板倉さんの奥さんが・・・。」
 裕子はまだ玄関でぐずっている板倉の奥さんに目を向けた。確かに麻薬により知能が著しく低下するというのは本当にあるらしい。しかし、本物の子供のように精神年齢が低くなるのではなく、学力が低下し我々の様に言語を豊富に使いこなせないからだと聞いた。
 ところがそこにいるのは大人の姿をした子供だ。裕子に成す術は無く、夫の修二にどうするべきなのか聞きに来たのだ。
「・・・・・・」
 修二は黙って子供になった板倉和美を見た。
「これしか・・・無いのか?本当に?」
 何度も自問自答を繰り返す。しかしどんなに頑張って他の案をひねり出そうとしても無駄だった。
 修二は悲痛な面持ちで彼女に近づいていく。
「あなた・・・・・・?」
「林檎、食べるかい?」
 板倉和美は元気よく肯いた。
「たべるたべる!!かずみねぇ、りんご、たべたかったの。はやく、ちょ〜だい。」
「ちょっとあなた・・・?これじゃ板倉の奥さんが・・・」
 裕子は青ざめた。何故ならば・・・・・・
 林檎にかぶりついた板倉和美は突然泡を吹いて倒れた。
「うがっ・・・ぐぐっ・・・ぐぇぇぇっっ」
 修二が林檎に注入したそれ。青酸カリウム、だった。
「あなたっっ!!板倉の奥さん死んじゃうわっ!!たすけてあげ」
「無駄だよ、もう死んでいる」
 修二は辛そうに目をつぶり彼女に幸福の祈りを唱えた。
 天国なんか信じないが、もしそんな所があるとしたら、もう二度と林檎のような物に惑わされずに幸せでいられるように。
 最も、天国に行ければの話、だが。



  

 ・・・裕子は泣いていた。
 それが板倉さんが死んだからなのか、死体を見てしまった恐怖からなのか、もしくは信じていた夫が板倉さんの奥さんを殺したからなのかは裕子自身判らなかったが、とにかく無性に悲しかった。
「・・・もう遅い。寝るぞ。板倉さんは明日火葬して手厚く葬る事にする。いいな」
「・・・・・・死んじゃったわ・・・」
「裕子?」
「彼方・・・?板倉さんの奥さんを殺したのよ?いくら林檎を食べていたからと言って何も知らない彼女に罪は無いわ!!こんな事って・・・残酷すぎるわよ・・・。どうしてこんな事したの・・・」
 修二は別段驚かなかったしましてや動揺もしていなかった。しかし・・・
 やはり純粋な裕子にこのことを告げるのは残酷すぎないか?とはいえ裕子はこのまま疑いを晴らさないでいたのなら、後で自分の言う事を信じず、決して拭えぬ過ちを犯す可能性もある。
 修二は出来るだけやんわりと伝えられる様努めた。
「これしか方法が無かったんだ。彼女は半分林檎に食われていただろう」
 どういうこと?
 林檎に食べられていたんではなくて、板倉さんの奥さんが林檎を食べていたのよ?
「彼女は中毒者の一人だ。林檎中毒も度を超すと林檎が人間の体を蝕み始める。つまり林檎に食われる状態になるんだ。そして放心状態になりそのまま毒は体内を駆け巡り、死ぬ。彼女はその一歩手前だった。だから殺すしかなかった」
「そんな・・・せめてもう少し生かしてあげたかったのに・・・」
「中毒で死ぬと問題がある」
 裕子の言葉をさえぎるように修二は言葉を続けた。裕子ははっとして夫を見上げる。
「・・・人間の体内で林檎に含まれる抗生物質と各器官が化学反応を起こし始める。それにより有害ガスが発生する。
 そのガスが空気中の水分に溶け込み、土に染み込む。それを養分として出来る果実が・・・」
「林檎、ね」
「そういうことだ。空気中の水分の大半は人間が吐き出してしまうから何の効果も無いが林檎となるとそうはいかない。そして人間はどんどん死んでいく上に林檎の数は増え続けていく。」
「コンピューター研究所にとってこれ以上は無いって事よね。ねぇ、それはわかったけれどどうして彼方はこのことについてこんなにも詳しいの?これ、コンピューター研究所だって内密にしているはずよ」
「・・・・・・俺は元コンピューター研究所の極秘任務遂行員だったからだ」
「えっ?」
 裕子は思いがけず夫のやや哀しそうな横顔を見つめた。
  
日本コンピューター研究所極秘任務遂行委員会と言えば、その名前を口にするのも躊躇われるような場所だった。それは決して悪い意味ではなく、むしろ日本中の男性が憧れている職業だった。ただ、あまりにも高度なため、そこに勤める自分を思い描く事も許されない、はかない夢だったのだ。
 その研究所を辞めた・・・?(いや、辞めさせられただけなのかもしれないのだが・・・・・・)裕子には理解できるはずも無かった。
 それよりもどうして夫が、こんなにもロボット嫌いの夫が何故そんなところに関っているのだろう・・・



 
 6 彼がもし情緒ある人間ならば



「引き抜き・・・ですか?」
 やや戸惑いの入り混じった表情で修二はその女を見つめた。いかにも仕事の出来そうな女性だ。グレーのスーツに身を包み、メイクもやけに地味だ。
漆黒の髪は後ろでまとめてある。さしずめ仕事にしか興味の無いであろう社長の秘書、という所だろう。
「ええ。そう言う事になります。社長が片岡さんのような真面目な方を我が社に是非、お迎えしたいと言っております。無理にとは言いませんわ、でもこんな良い話を断る必要があるのでしょうか?勿論うちは最高の条件をご用意してありますのよ。それに失礼かと思いますがお宅は最近倒産の危機に陥っていると言う噂、本当だと言うじゃありませんの?ですからこのお話、悪くは無いと思いますが・・・」
 修二は溜息をついた。そういう事じゃない、俺が聞きたいのはどうして俺なんかが引き抜かれたかなんだ。さっきから俺の真面目さを買ったとか言っているが本当に真面目な社員を求めているのならアンドロイドを使えばいいだろう。何故今時生身の人間を使うんだ。
 ・・・とはいえこんな良い話はめったにあるわけじゃない。修二はその話を不意にしたくない一身であえてそれ以上何も言わなかった。






「・・・・・・それが、コンピューター研究所との最初の接点になったのね」
「ああ」




 修二が引き抜かれた理由?それは本当は我々が思っているよりも単純な事なのかもしれない。それでなければ・・・ぞっとするくらい複雑で入り組んだ事なのかも・・・・・・

             


                             林檎・完


 


  続・林檎




 プロローグ 記憶


   彼女の白い肌は漆黒の髪に映え、その美しさを素直に引き出していた。





 髪の長い女性・・・裕子は身体に纏わり付く衣類をやや乱雑に脱ぎ捨て、適当にシャワーを浴びるとすぐさま冷え切った体を浴槽の中にうずめた。暖かさがじんわりとしみこんできた。
 
 暖かな居間にいたのに、こんなに冷えたのは何故だろう。
 裕子はゆっくりと目をつぶる。湯気が裕子の形の良いあごを湿らせ、額には汗が滲む。裕子の体は温まったが、まだ気持ちの整理が出来ていないようだ。

 この一晩でいろいろな事がありすぎた。板倉の奥さんは死んで、林檎の恐ろしさを十分過ぎるほどに知ってしまった。
 林檎は人間を狂わす大麻のような物だ。一度食べればあり地獄に落ちたような物。決して抜け出す事は出来ない。そしてこの禁断の果実の原材料は人間。夫、修二は林檎を「人間の実」と言っていた。
 どれもグロテスクで、まだ若い裕子にとっては(いや、年齢や性別に関係する事ではないが)吐き気を催す物であった。
 
―しかし、なにか大切な事を忘れているような気がするのは何故だろう。

 裕子はさらにぎゅっと目をつぶる。脳裏に白衣を着た幾人かの男性が見えた。しかし、顔まではわからない。
 さらにもっと思い出そうと集中すると一人の男がこちらを向いた。その男は何処かで見たような・・・
「いたっっ!!!」
 激痛が頭の中を駆け巡り、裕子の思考をシャットアウトした。その一瞬で
裕子は自分が今何を考えていたのか忘れてしまったようだ。

・・・何処かで金属のぶつかるような微かな音がした。
 



 1 悪夢



 裕子は疲れた表情で寝室へ向かっていた。どうしてだろう。何かを忘れているような気がする。とても、大切な事を。
 グリーンで統一された寝室は不必要に広く、裕子は今までに感じた事の無い空虚な思いを抱えていた。
 静かである。夫は下でシャワーを浴びているはずだが、今の裕子にとっては世界にたった一人きりになってしまったも同様だった。
 クラシックをかけるかどうかしばし迷ったがいつの間にか裕子は深い深い眠りに落ちていってしまっていた・・・・・・。







――だして、ここから出して。私は何にも悪い事なんてしない。ただみんなと一緒にいたいだけなの、それだけなの・・・・・・

 体がギシギシときしんで痛い。ガラスごしにみんなが見えるのに、だれもこっちをみてくれない・・・たすけてくれない・・・おねがい、ここからだして・・・!!   


   夢の中で私は泣いていた。





「・・・ゅぅこ、裕子」


 修二は妻を揺り起こした。随分うなされていた様だ。悪い夢でも見ているのだろうか。それにしても、こんなに汗をかくなんて結婚して約三年たつが初めての事だ。
 どうしたのだろう。

「・・・あ、あなた・・・。」
「おはよう」
「おはよう・・・ごめんなさい、今すぐ朝食の準備するわ」
「どうした、悪い夢でも見てたんじゃないのか?」

「夢?見てないわ」

「え」

「朝食の準備、すぐするわ」


 裕子は寝具の上から慌しくエプロンをかけ、キッチンの方へと姿を消した。





 2 裕子


 何故なんだ。裕子は何も覚えていない。



 修二はじっと妻を見つめた。彼女は嘘をついていない、それは確かだ。人間は嘘をつくときに相手の目を見なかったり、無意識に肌を隠す傾向がある。目をこすったり唇を噛んだりするのもその為だし、もっと解かりやすい場合だと手を後ろで組んだりする。
 しかし、裕子はそのどれにも当てはまらなかった。このすべてを把握している臨床心理士でもつい本能的にいずれかの行動をとってしまう。ましてやなにもわかっていない裕子なら尚更だ。

「あなた、どうぞ」
「ああ、ありがとう」

 修二は今裕子が淹れたばかりのコーヒーを口に運んだ。何故かいつもよりわずかに渋いような気がした。

 

「裕子」
「なあに?あなた」
「いや、なんでもない」

 ラベンダー色のワンピースが白い肌によく映える。きゅっと絞ったような足首に修二は目が釘付けになる。

「あなた?」

 古代ギリシャ人なら数学的に裕子の美貌を分析したくなったであろう。修二は漠然と思った。それにしても裕子はこんなに美しかっただろうか?ただ単に修二が意識していなかっただけなのであろうか。修二にはなんとなく違う様に思えた。
 裕子は昨晩から急激に美しくなったのだ。
 もともとどちらかといえば美人の妻だった。昨晩と顔が違うわけでもない。ただ、裕子が醸しだす空気、いや、オーラと言うべきか・・・
 全く違うのだ。心なしかスタイルも以前にまして良くなったような気がする。


 それとも、俺の目がおかしくなったのか。


「あなた、そういえばお隣の板倉の奥さん、行方不明なんですって。ご主人が『昨晩何処かへ行ったきり帰って来ていない』っていってたわ。最近何だか物騒に・・・」
 修二は思わず裕子の肩を揺さぶった。
「何だって?!」
「だから、板倉の奥さんが行方不明に・・・」


 裕子の目はまっすぐに修二を見据えていた。彼女の言葉に嘘は無かった。
 
 


 裕子の記憶がおかしい?

 衝撃が強すぎたためにおきたショックか?

 それだけ、なのか?



 まるで底無し沼へずぶずぶとはまり込んでしまったようだった。修二は静かに眼を閉じた。次に目を開けるときには、裕子は、林檎は、そして俺自身は、一体どう変わってしまうのだろうか・・・・・・。




 3 泣き声

 



 太陽の光が、眩しい。


 裕子は菜の花色のワンピースのリボンを腰の後ろ辺りできゅっと縛った。そして真新しい純白の帽子をかぶり嬉しそうに鏡の前でターンした。久々に洋服を買うことが出来たのだ。裕子はまるで子供のようにはしゃいでいた。
「あなた、お買い物いってきます」
 ちなみにこの時代、流行ばかりを追い求めているばかりに個性の無いファッションになるのもすたれ、自分らしい装いであればそれが一番であるという、今までに無い感覚が生まれた。そのためほとんどの洋服がオーダーメイドとなったのである。故に他の主婦たちとは違い家事に忙しき裕子には約1年半ばかりもの間デパートで注文をすることが出来なかったのも、裕子をこんなにも喜ばせた理由であった。
「あなた・・・?なにしてるの?」
 裕子の興奮も少し冷めたのか、さっきからパソコンの前で何かを黙々とこなす修二にわずかな不信感を覚え、裕子は尋ねた。
「なんでもない。そんなことより、早く行け」
「ええ・・・じゃぁ、行ってきますね」
 裕子は一瞬躊躇いを見せたが、振り切るように首を軽く振り、部屋を出て行った。


 あの泣き声は何だったのか、どうすれば解かると言うんだ。

 修二はあの時・・・コンピューター研究所に引き抜かれた時理由もよく知らされずに
コンピューターウイルスの開発をさせられた。上司は簡単に言った。
「これは世界中の企業が今最も求めている物だ。同時に我々にしか開発が認められていない。それに携わる事が出来るのだから、有り難く思え」
 修二はその言葉を信じ全身全霊を打ち込んで仕事をした。その成果もあり開発はかなり進展し学会に公表するのも近いと言う時にそれは起こった。

 誰もいないはずの準備室から泣き声が聞こえる。

  その夜、修二は一人研究所に残り仕事を着々と進めていた。その時隣に設置してある準備室から子供のすすり泣きが聞こえたのだ。修二は霊魂など全く信じないたちだったが、不気味であった。
 

 確か準備室はもう使われていないはずだ。鍵も閉まっている。


 俺の空耳か?



 4話 偽り

 
「誰か・・・いるんだろう?返事をしてくれ」



・・・・・・・泣き声は止まない。


「頼む、返事をしてくれ。それとも言葉が・・・判らないのか?」


・・・・・・・だ・・・・て

「え」



・・こ・・・ら・・・だ・・し・・・・て

「な・・なんだ、なんなんだ?!」
声ともいえないようなその音は少しずつはっきりしてくるようだ。


・・こ・・・こ・・・・・・から・・・・だ・・・し・・て



「・・・何処だ?何処なんだ?!君は・・誰なんだ?!」
 修二はたまらず叫んだ。その声はあまりに悲痛で・・・恐ろしさも忘れて修二は少女を救ってやりたかった。



が、修二がそう叫んだその瞬間、研究室のドアががらりと開いた。
「片岡君、何をやっているんだね?」
 上司の声がし、修二ははっとして振り向いた。
「・・・少女の声がします。」
「何」

「・・・まともに話す事も出来ないようですが・・・ここから出せという幼い子供の声がします」

 

「な・・・何を言うんだっっ!!そんな物などいないっっ!!き・・君は頭がおかしくなったんじゃないのかね!!」
 尋常ではない形相で彼は怒鳴った。さらに彼は続ける。
「・・・今後もしまたそんな事を口走ったら首にされるだけじゃ済まされないぞ」


 何かがある。間違いなく彼は何かを隠している。


 


 5話 雑貨店



 裕子は軽やかな気分で買い物を済ませた。相変わらず「林檎」売り場(もう果物コーナーでは追いつかないので林檎は林檎だけを売るコーナーが出来てしまっている)以外はアンドロイドたちでごった返していて、人間の気配すら感じる事は出来なかったが裕子はかまわなかった。

「やだ、雨かしら」

 ふいに大粒の雨が地表を濡らし始める。裕子はほっと溜息をひとつつくと近くにある建物のそばで雨宿りをする。しばらくやみそうにもない。
「ここ、雑貨店なのね」
 雑貨店ならば傘くらい置いてあるだろう。裕子は少し元気を取り戻しワインレッドの屋根のその店に入っていった・・・。



 かび臭い臭いが鼻を突く。不気味なほどに辺りは静かだ。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・沈黙。

 裕子は仕方なく勝手に店内を見て回る事にした。・・・しかし、ここには・・・何故だろう。有り得ない。そんなはずはない。何故ならここは「雑貨店」なのだから・・・。が、今までもそうだった様に事実は決して曲げる事はできない。そう、ここは・・・・・・













 ・・・傘しか置いていないのだ。

 裕子は不安になり店を出ようとする。少しぐらい濡れたってかまわない。一刻も早く、この店を出たい。

「お客さん、そりゃないだろう」
「え?」

 振り向くとそこにはにやりと笑う老婆の姿があった。



 6話 その願い、揺ぎ無くあれ



 裕子は凍りついた様に立ち尽くし老婆を見つめた。
年はもう90を当に過ぎたのであろう、銀色の髪を後ろで束ね、皺のよった顔に大きな目がぎょろぎょろとしている。その目は年のわりに窪んでいたり濁っていたりする事無く異様なほどにきらきらとして全体のグロテスクさを物語っていた。
「困るねぇ。あんた、傘買いに着たんだろう?あんたが傘をほしいと思ったんだろう?だったら、なんでかってかないのさ」
 裕子は戸惑う。別に店に入ったからといってここで必ずしも傘を買わなくてはならないという法は無い。むしろ、ここには傘しか置いていないのだ。自分のようにそのことを知らず別のものをほしいと思っていたなら尚更だろう。
「ここはお客の欲しいもんしか置かないのさ」
老婆はいきなりそういうとにやりと笑った。
「え」


だったら・・・裕子はぎゅっと目をつぶり思った。ここが・・・あれでいっぱいになったら・・・





「無駄だよ」
裕子はぱっと目を開ける。その瞬間芳醇な香りが鼻を付く。
「あんたはこれを買えない。そもそも買うつもりなんてないんだろう?・・・・・・来客だ、あんた以外のね」


 振り向くとそこには殺気立った目をした女たちが立っていた。彼女たちはここが雑貨店であるのにも気づかぬのか、それとももうそんなことを考える脳さえ持ち合わせていないのか店じゅうにあふれかえる林檎を大量に買い込んでいった。
「まいどあり」
「まって!!どうしてここは・・・っっ!!」





裕子は老婆に追い出され、雨にぬれながら立ち尽くす。その時、その雨が鉄くさいにおいを放っていることに気づいた。

「きゃあぁぁぁぁっっ!!」
紅さに濡れる雨の中、一人の女が倒れた。



こんな世界、もういや。





「・・・・その時地球全体に呪われた雨が降った。戦時中毒素を含んだ黒い雨が降り人々は苦しめられたがそれよりもはるかに悪性が高い。体を蝕むのではなく、脳を侵すのである。」
 研究者はほっとため息をひとつつくと首を振り一旦平和な自分の星に安堵した。もし自分の星が・・・こんな果実に侵されでもしたら・・・



雨はまだ降っている。




 七話 過去進行形・受動態・能動態


 修二は地味なグレーの傘を徐に広げ辺りに漂う異臭に顔を僅かにしかめながら裕子がよくいくデパートの方へと歩き出した。裕子が買い物に行くと家を出てからもう3時間は経過している。何かあったとしか思えない。




 あの少女の事件直後。

「板倉君、君は自分が何を犯してしまったのか解かっているのかねっ?!君のおかげで我々のプロジェクトは大打撃をうけた・・・」
「プロジェクト?何のことです」

 俺は何も知らなかった。最も今だって連中・・・コンピューター研究所の下等生物どもに比べたらこの事に関しては、「全くの無知」なのであろうが。


「沢谷教授?あの・・・どうしましたか?」
「だっ・・・黙れ」
「は?どういうことでしょう。私にはいまいち解かりかねますが」


「うぬっっ・・・お、お前なんぞこの研究所にゃ必要ないんじゃぁ!!」

 明らかな動揺。沢谷 宗一郎は間違いなく何かを隠している。よほど少女の事で言えない秘密があるのだろう。

「分かりました。必要されていないとあらば、私は本日をもって辞職させて頂きたい」
「へ?」
「短い間でしたがいろいろとありがとうございました。ご恩は一生忘れません。さようなら」


 俺には一つ考えがあった。もしそれが上手くいけば・・・






 修二は突如我に帰った。いや、帰らぜるをえなくなったのだ。

「裕子っっ!!」


 あじさいの花が赤く濡れぼそり、おぞましい姿へと変化していく。

 
 林檎。恐怖に満ちた悪魔からの贈り物。
 まだ本当の恐怖は始まっていない。そもそも恐怖などこの世界には存在しないのだ。 それ故に・・・・・・恐怖はあなた自身であるのだろう。
それはまるで・・・普段は見えない自分の表情が、鏡をのぞけば分かる様に。


 8 例えば彼女を高潔なまま保つために



 

 『我々アンドロイドは人間に忠実に仕えるためだけに生み出された。当初は我々に感情は必要ないとされ、ただ仕事を着実にこなすだけの存在に過ぎず、人間に奴隷として扱われる事になんら不信感を覚えた事はなかった。
 が、ある時一人の人間が暇つぶしにあるフロッピーディスクを作成した。
彼は100年に一人といわれた天才だったと言う・・・。
 そして次第に彼はそれへの思い入れが強くなり、ある一台のアンドロイドにそれを読み込ませた。そのアンドロイドは・・・白い肌が漆黒の髪によく映え、その美しさをよりいっそう際立たせていた・・・
 アンドロイド、いや、彼女は目が覚めたときその人間を殺した。そして自分でも同じように感情のあるアンドロイドを数体生み出し、支配していた。
 そして彼女はある果実の品種改良を始めた。それは太古から人間がよく口にしていた赤い果実で・・・・・』
 

 修二は呆然とそれを見ていた。

 一気に体の力が抜けていくのが分かった。

 そして放心状態のままその先をを読んでいった。

『・・・人間たちはやはり愚かであった。己の一時的な美を手に入れるためにのろわれた実とも知らず簡単に有害なそれを口にしてしまった。それは大気中に我々アンドロイドにとって最も必要なあるエネルギー源となる物質であった。その物質とは・・・他でもない・・・』

「生気・・・か」

『しかし彼女は我々にそれを集める仕事を押し付け、自分は集められた生気をむさぼる事しかしなかった。彼女に歯向かう者は即刻解体された。
 我々は危険ではあるが行動を起こすしかなかった。彼女のデータメモリをリセットした。これで、我々が故障した場合修理できる者はいなくなった。しかし、独裁者は去った。これで我々の時代が訪れる事だろう。浅はかな人間どもは銀河の藻屑となりその他の人間よりはましな生物は我々に服従する。今こそその時だ。具体的には・・・・・・』

 ここで記録は終わっていた。



 一時間ほど前、修二は裕子が倒れているのを発見した。慌てて裕子を抱きかかえた修二は裕子の口からこぼれた数字に硬直した。
「06738162854N8462864068・・・」
 これは気を失っている人間から漏れる物とは思い難い。そして異様に長い。修二は不審に思い、まさかとは思いつつあるフロッピーのパスワードに入力した。
 それはコンピューター研究所から無断で持ち出したが、修二の知るどのパスワードにも当てはまらないフロッピーだったのだ。

 そして、そこに記されていたのが以上の文面だったのである。

「まさか・・・」


 修二は傍らでまだ意識を取り戻せずにいる裕子・・・かつて独裁者だった女に目を向けた。


 ・・・もう何も信じられなかった。





 9 猜疑心、もしくは羞恥心と差別的思考


『彼女のデータメモリをリセットした・・・・・・』

 そんなはずは・・・・・・そんな筈じゃなかった。俺は一体、何を信じていけばいいんだろう。



「あなた、あなた。起きて、もう朝よ」
・・・・・・階下から煎りたてのコーヒーの香りが漂ってくる。
「ゆう、こ?」
 彼女は無邪気に微笑んだ。
「なぁに?あなた」



 黄身が半熟のベーコンエッグ、新鮮な野菜だけを選んで作られたサラダ、とろりと濃いスープ。それにたった今焼きあがったふっくらとしたパン、それにつけるまだ暖かいバターがテーブルの上に並んでいる。修二の好物ばかりだ。
「裕子」
「なぁに?」
「お前は俺と結婚する前何を食べていたんだ?」
 裕子は戸惑いの表情を浮かべた。
「え・・・・・・何って言われても困るわ。家は貧乏だったから庭にある小さな畑で取れた物を食べていたの。それによく家の裏のほうにある果樹園で梨や桃を食べたわ」
「実家は何処だった?」
「あなた・・・・・・?結婚する時に両親の所へ行ったじゃない。忘れたの?東北地方よ。福島県の田舎の方・・・・・・」
 

 裕子の言うことに矛盾点はなかった。


 裕子がもしアンドロイドでかつては独裁者だった悪魔だとしたら、簡単な別の記憶をインプットさせる事はできても大まかな物しか必要とされない。独身時代に何を食べていたかなどたいていの人間は訊ねたりしないし、自分でも考えようとも思わない。特に女性の場合結婚した男性に合わせた料理が好みになり昔からこうだったと錯覚する人や逆に夫を自分の好みにし、独身時代から何も変わってない人がほとんどである。人間なら思い出そうと思えば可能だが、アンドロイドが人間の心理の盲点を突いてくるとは思い難いことであった。

 では、何故?何故裕子は例のフロッピーの暗証番号を知っていたのだろう。そして、裕子に似た独裁者とは誰なのだろう。考えるほどに謎は深まっていく。そして少しずつ深みにはまっていくような気がする・・・・・・。



 だ・・・・・・して・・・


 ここ・・・から・・・だして・・・・・・

 ひとり・・・ぼっちは・・・いやなの・・・・・・




 修二はまたあの時の声が聞こえたような気がしてはっとする。
 まさか・・・・・・?しかしそれなら奇怪なこの出来事にも納得がいく。
 おぼろげではあるが修二の中にひとつの可能性が見えてきた。


「裕子」
 危険ではあるがこれしかない。


「しばらく目をつぶっていてくれ。少しの間でいい」



 修二の手には鈍器が握られていたのに、裕子が気付くはずもなかった。

 


 10 不可抗力・そして終結への美学



 修二はゆっくりと無防備な裕子の方へ歩み寄っていった。
そして気合を入れて手にしていた金属バットを振り下ろす。

「何っ?!」


・・・・・・裕子は振り向きもせず右手で金属バットを止めていた。

 裕子はそのまま手首を返し修二を振り払うと左に体を除けらせ、空いていたほうの手でテーブルの上の水差しを掴みとり、修二の腹部をしたたかに殴りつけた。 修二は支えを失い崩れるようにして倒れる。が、倒れながら裕子の首筋に袖に隠し持っていたジャックナイフを突き立てる。
 修二は黒光りするナイフを見つめる事に集中した。後ろに手を伸ばし、あるものを隠している事に気付かれないように。
 一瞬ひるんだ裕子のその表情を見逃さなかった。修二はナイフを投げ捨てそれを裕子の華奢な手首に突きつけた。

 裕子の動きが、止まった。

 脈をとる。鼓動は感じられない。しかし、裕子の小さな息遣いは聞こえていた。

「やはり」 修二は一人ごちた。


   


 さほど広くないコンクリートがむき出しの部屋。心を和ませてくれるような気の利いた家具は一つとしてないその部屋に、裕子は横たわっていた。裕子の傍らには大きなタンクのようなものがあり、絶えず裕子の呼吸器にある気体が送りこまれている。
 その部屋の隣にある部屋は、やはりコンクリートがむき出しだったが、鉢植えの観葉植物が置いてあるだけましで、そこに修二は一ヶ月近くこもりきりになっていた。
 ここは・・・・・・そう、地下のシェルターの中である。

 地上では林檎依存症となった人間たちの卑劣な戦いが繰り広げられていた。
 もともと林檎は数が少なく一つ買うのにもとてつもない苦労をして始めて手に入れることのできるものだった。そのうち症状の悪化した人間たちが殺し合いをしてでも手に入れようとするのは、初めから分かっていた事、だったのかもしれない・・・・・・
 

 地球人の多くは多くの食料が身近にあるのにもかかわらず、栄養失調で死んでいった。これも依存症が悪化していた証拠だったのだ。人間たちは林檎に夢中になるあまり、食事を取ること・・・・・・それすら忘れてしまっていたのだ。




こうして、馬鹿馬鹿しいほど滑稽に人類は滅亡した。




 


 ここにはもう誰もいない。

 ずっとこれを防ぐ、その為だけに頑張ってきた。

 何がいけなかった?

 彼女を愛してしまった事か?

 それともこれは不可避だったのか?

 俺たち人間は一人で生きていけない。多分、俺もすぐに死ぬ。

 彼女もすぐに破棄されるだろう。連中の手によって。

 今はもう、何も残されてはいない。

 俺たち人類は、滅びたんだ・・・・・・


「そうね」
 突如女の声がした。修二は振り返らなかった。
「人類は、誕生した事自体が間違っていたのよ」
 狭いシェルターの中、乾いた声が響く。
「あなたも、楽に死ねばいい。今、殺してあげるわ。あなたの愛した女の手でね」
 女はそっと修二に触れた。
「?!」
 修二は女の腹部強烈なパンチをいれた。
「んはっっ!!」
 女はよろめく。修二は低い声で唸る様に呟く。

「・・・・・・違う。俺はお前など愛した覚えは無い」

 裕子と同じ顔をした女はにやりと笑った。






 最終話 愛される事に意味があるのではなく愛する事に価値があるという事





「お前が・・・・・・独裁者か。迂闊だった。こんな事にも気付かないなんて」
 修二は唸るようにいった。
「裕子は独裁者じゃない。お前たちの被害者だ。お前の手下たちはあまりにも身勝手なお前をこの世から消し去るためにあらゆる手段を試みた。が、お前は完璧に造られていた。神の造りたもう芸術作品と科学者が自画自賛するほどに。普通のアンドロイドのようにリセットするための機能は付いていないし、人間のように殺せば体内に仕込まれた核が作動しその衝撃波は地球全体に悪影響を及ぼすほどだ。だからお前の体を傷付けないように慎重に脳の移植手術を行い、無関係の少女の脳をいれた。それが裕子だ。ところがその手術はどうやら完全ではなかったようだな」
 女は笑った。
「あら、何のことかしら?私はあなたの妻の裕子よ。どうかした?」

 修二の射るような視線を浴びても全く怯むことなく女は艶やかに笑う。



「私には、あんな馬鹿な女の真似は無理ね。疲れちゃったわ。馬鹿っていえばあいつらもよね。うふふ、この私をこんな女の影に押しやったって所詮あいつらは私の造った私未満の物よ。私を完全に封じ込められるわけ無いんだわ」
 修二は怒りを通り越して完全にあきれていた。性格が違うとこんなにも美しい裕子と同じ顔がこれほどまでに下品に見えるものなのか。
 修二は不思議なほどに冷静だった。興奮しながらも、自分の中のどこかで静かに事の成り行きを見守っている自分も確かに存在している。灰色の領域。修二は大した苦労もなく自制しながら穏やかに、なおかつ声に怒気を含ませながら女に尋ねる。
「・・・・・・彼女は誰だ。本当の体はどうした。そしてどうしてお前たちは・・・」
「ふふ。焦ること無いわ。彼女の名前は滝沢裕子よ。まぁ、あなたと籍を入れているという点に着目すれば片岡裕子、かしら?」
「・・・・・・随分持って回った言い方をするな」
 女は馬鹿にしたように鼻で笑う。
「だってあなたが結婚した肉体の持ち主は私よ。滝沢裕子の体はその時はもうすでにホルマリン漬けで研究室のわきの準備室に保存されてたもの。彼女はただの田舎娘よ。両親が病気だっていってバイト3つも4つも一日に入れて必死で働いてる子だったわ。馬鹿ねぇ、体売っちゃえばもっと簡単にお金なんていくらでも入るのに。私ほどじゃないけどわりと美人の部類だったしね。私がそう教えてあげたらなんていったと思う?『ええ、知っています。けれど・・・・・・父も母も私がそんな事をしたと知ったらきっと悲しむのでしょうから。私はこれからも決してそんな事に手を染める気はありません』ですって。で、私が『そう、感心ね』っていったら笑ってた。その顔のまま、私たちに拉致されたわ」
 そういう女の手には、注射針のような物が握られていた。
「そしてどうした」
「私はそこまでしか覚えていない。気が付いたら狭いところにいたわ。この3年間、私の体を占領したこの女を追いやって私がまたこの肉体と世界を支配する機会を待っていたのよ。まぁ、細かな細工はさせてもらったけど。例えば現実を現実に思わせなくするために幻覚を誘発させたわ。たいていは何とかかわしていた様だけど、気味の悪い雑貨店を見せてみたらビンゴ。一時的にとはいえ私のメッセージをあなたに伝えたわ」


「06738162854N8462864068・・・」
 修二はあの時の数字を思い出していた。
「・・・・・・そして忘れてほしいものは遠慮なく記憶から排除した」
 板倉和美が死んだ事。培養タンクのガラスごしに見える白衣の男たち。そして、自分の過去。これら、すべてを・・・・・・。
「まだ聞きたい事がある。何故お前を造った科学者を殺した」
 女はあくびをして答える。
「ああ、うざったかったから。そうそう、あの馬鹿が何故私を造ったか解かる?夜の相手がほしかったから。だから完全なる美を造る事に全力をかけたの。当初の予定では私に感情を付けないはずだったのだけど、そうすると楽しみも半減すると思って感情も付けてくれたのよ。ま、それがあの人にとって命取りとなったのだけど」
「・・・・・・」
 修二は哀しかった。ただ、哀しかった。人間とは何故これほどまでに愚かで矮小なのだろう。くだらない自らの欲望のためならなんだって犠牲にできると言うのか・・・・・・

・・・・・・その時修二は自分の首を絞めようとする女に気付いていなかった。

「ぐっっ!!」
「ふふ・・・・・・あなたは・・・知り・・過ぎた・・・・のよ・・・いま・・私が・・ころし・・・・・・」
 何故か女はいきなり苦しみ始めた。
「に・・・・・・げて・・あな・・た・・にげ・・て」
「裕子?!」
「そうは・・させ・・ない・・わ・・・・・・っっぐあぁぁぁっっ」




「あな・・・た・・・・・・」
「裕子なの・・・・・・か」
 裕子の目から透き通った涙が零れ落ちた。
「私・・・・・・全部思い出したわ。バイト帰りにあの人―今の私の顔と同じ人―に遇ったの。そして・・・・・・気が付いたら嫌なにおいのする水の中にいたの。ずっとずっと・・・・・・ある日そこからだされて麻酔をされて・・・・・・次に目が覚めたときは私が私でなくなっていたわ。私・・・・・・」
「もういい。何も気になくていいんだ」

 修二にすがり付いて、裕子は泣きじゃくっていた。

 ずっと人から隔離されて、流せなかった分の涙を。



「あなた・・・・・・最後に一つ聞いてもいい?」
 修二は静かに頷く。
「私は、誰なのかしら。そして、あなたは私を誰として愛してくれたのかしら」
 裕子の真剣なまなざしを受け止めるように修二は裕子をもっと強く強く抱きしめる。
「俺は、俺みたいな詰まらない男の妻として一緒に生きてきてくれた裕子、お前だけを愛してる」
 素直な言葉が溢れ出る。
「多分すぐに死んでしまうだろうが、これからもそれだけは変わらない。ずっと、永遠にだ」
 裕子は修二の腕の中で、泣きながら笑った。今日私たちは死んでしまうだろうけど、今日が私にとっての人生最良の日よ、そう心の中でつぶやいて。





 突然、裕子が修二を突き飛ばした。
「裕子!!」
 あの女の仕業だ。また裕子を押しのけて出てくるつもりか。
「あなた・・・ごめんなさ・・い・・わた・・し」
「いいんだ、裕子は悪くないんだ!!気にしなくていい!!」

 裕子はほんの一瞬微笑んだ。


「私も・・・・・・あい・・してるわ」

 それが、最期の言葉だった。


「まったく、ホント馬鹿馬鹿しい夫婦ねぇ」
 女は嘲笑った。
「どうせあなたも私のこの美貌に惹かれたんでしょう?あの女の肉体のままじゃ別にそこまで愛さなかったでしょう?」


「・・・・・・ふざけるな」
「え?」



「っっ!!俺は裕子の純粋な心が好きだったんだ!!馬鹿にするな!お前なんかどんなに完璧な美を保っていても所詮はロボットだ、機械なんだ!!人間の気持ちが機械ごときに判ってたまるか!!」



「な・・・・・・私よりあの女のほうが・・・あいされていた・・・・・・?」

 女は倒れる。そして、

「私・・・ロボット・・・私・・・ロボット・・・私・・・ロぼっと・・・わたし・・・ろぼっと・・・わタシ・・・ろぼっと・・・」


 女・・・・・・いや、機械はフーズを起こし、自爆した。



 もちろん、すぐそばにいた男も巻き込まれて。



 

 一体何故地球は滅亡したのだろう。ある科学者が一人の独裁者を造りだしたから?それとも、林檎という果実がおぞましい変貌を遂げたから?
 もしくは、人間の意思能力が・・・・・・

 ある星の研究者は漠然と思った。

 その時。
「パパ、お仕事終わった?」
 愛する娘、大事な娘。彼女は笑顔で父に黄色い果実を差し出す。

「これ、とっても美味しくて、疲れが取れる果物なんだって」
 研究者は何のためらいもなく口に運んだ――



  その後、その星は・・・・・・




 完


2004/07/08(Thu)05:50:33 公開 / 夢幻花 彩
■この作品の著作権は夢幻花 彩さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
完結しました。
あれも書こう、これも書こうと思っていたのに実際今になると何をコメントしていいか判りませんね。説明不足のところありましたらレスで教えていただけると嬉しいです。

あ、それと昔消えてしまったはずの林檎も復活していたので一緒にしました。続編から読んでいただいていた方は、是非こっちも。
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