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『be next to deadend』 作者:境 裕次郎 / 未分類 未分類
全角3982文字
容量7964 bytes
原稿用紙約16.2枚

 此処で手首を切って、赤を流しきってしまえば僕は救われるのか?
 それとも、空に大きく羽ばたいて重力に逆らえば僕は救われるのか?
 自分の机に汗を垂らしながら僕は美容カミソリを握り締めていた。
 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね。
 もう一人の自分が囁きかける声とずっと対峙していた。
 死ぬのは良いんだ。
 産まれてこの方十数年。
 僕はずっと負け組みだった。
 これから先に展望も無く、負け組みらしく一生を費えるのだろう。
 其処までして生きることに何の意味がある。
 そんな事に意味など無い。
 だから、いつ死んでも全く構わない。
 
 だけど、臆病な僕はどうやって死ねば良い?


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 気づけば衝動的に玄関を飛び出し、駆け出していた。
 踵を潰して履いたスニーカーでは速度を上げきれず苛立ちばかりが募る。
 追い駆けてくる夜が僕を喰ってしまうのに、上手く速度を上げきれないもどかしさに翻弄される。
 そうして夜に追いつかれた僕は、大きく口を開き涎を見せ付ける夜に、ただ臆病に震える。
 子犬の様におどおど、びくびくと。
 止めろ、止めてくれ。
 僕は弱いんだ。
 弱いから、僕のことぐらい見逃してくれよぉ……。
 が、夜の闇は僕を喰い散らかし隅から隅まで黒で塗り潰す。
 潰された僕は醜い蟇蛙の様に地面に這いつくばって世界に土下座する。
 謝罪する。
 夜はそんな僕を嘲笑って太陽の光を覗かせる。
 オマエは愚鈍で、脆弱で、矮小で、卑屈で、最悪でどうしようもなく救い難い。
 そう言って、太陽の光を眩しいぐらいに照り翳す。
 また一日多く生き延びてしまった弱さを僕に浮き彫りにする。 
 
 オマエに救いの道など無い。
 僕に救いの道など無い。

 はっと顔を上げる。
 蛍光灯が室内を明るく照らしていた。
 
 ――夢か。
 
 時計は相変わらず規則正しい音で空気を振動させ、僕はカミソリを握り締めたままだ。
 何も変わっていなかった。
 カーテンと窓で遮られた世界は未だ黒く世界を染め上げている。
 どうやって死ぬか。
 考えている間に僕は浅い眠りに入りかけていたらしい。

 ……本当にそうかな?

 パッパッパッパチッ。
 蛍光灯の光が点滅して掻き消える。
 周囲の世界が僕から途切れる。
 辺りを見回すが、何も無い。
 ただの暗闇が果てしなく広がっていた。
 僕は手探りで歩き出す。
 僕の部屋は端から端まで五メートル程だ。
 手探りで行けば辿り着く。
 なのに、壁が無い。
 壁が無くて其の先に暗闇が続いている。
 気づけば、掌に何も持っていない事に気づく。
 カミソリが消えていた。
 僕は走り出す。
 裸足の足に何も無い、コンクリートの様な冷たさが伝わってくる。
「なんだよ、此れ? なんなんだよぉ!」
 叫ぶが、誰も答えない。
 答えない変わりに足元からずぶずぶ地面へと沈み込んでいく。
 そして膝元辺りで侵食が止まる。
 僕は其処から一歩も動けない。
 う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
 叫ぶが何も起こらない。
 僕はこの世界の一つのオブジェとなって上半身だけを無我夢中で動かす。
 カミソリがあれば死ねたのに。
 僕はこの世界でこのまま孤独に餓死するのか?
 嫌だ。それだけは嫌だ。
「死にたくないぃぃぃ」

 気づけば、机に突っ伏していた。
 突っ伏したまま汗を濁々に掻いていた。
 息が荒れている。
 激しく高鳴る心臓が痛い。
 無くしたと思っていたカミソリは手から離れて、机の上十数センチ向こうに転がっていた。
 悪夢?
 悪夢なのか、全て。
 埋まっていた足を見るが、何ともなっていなかった。
 自殺しようとする人間は悪夢を見るのだろうか?
 袖で額の汗を拭い思考するが答えはでてきそうになかった。
 カミソリに手を延ばして握り締めてみる。
 掌に広がる冷たさが心地よかった。
 僕は此れで死のうとしていた。
 此れが無ければ死ねなかった。
 あの悪夢の世界では。
 だけど、今手の中にある此れで、僕は死ねるのだろうか?   
 死ねるのだろうか?
 死ね死ね死ね死ね。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 僕は荒廃した大地立っていた。
 瓦礫の残骸で繰り広げられる荒野。
 空は茶色と黄色と黒を混ぜたような気色の悪い色。
 世界は終わっていた。
「はは、また夢か?」
 僕は掌を見る。
 錆付いたカミソリを握り締めていた。 
 ボロボロで青錆の浮かんだカミソリは使い物にならなさそうだった。
 ザクッ。
 一歩歩みを進める毎に灰燼が巻き上がった。
 小さく咳き込む。
 ケホッ。
 同時に顎から滴り落ちる物を感じた。
 ぽたり。
 其れは地面に落ちて、黒い雫の円を描いた。
 おもむろに手の甲で拭う。
 ただの涎だった。
 だが。
 ぽたり、ぽたり、ぽたり。
 何故か止まらなかった。
 突然溢れて、流れるように零れ出す。
 顎を滝のごとく伝い落ちる。
 舌が痺れてくる。
 上手く動かない、身体も痺れてくる。
 なんだ此れは。
 一体なんなんだ。
 世界の終わりか? 
 僕も終わるのか?
 
 ――どうせまた夢だろ?
 
 僕は手首にカミソリを当てて薄く引いてみる。
 肌は切り裂けなかった。
 もう少し力を入れてみる。
 まだ裂けない。
 目を閉じて本気より若干弱めに引くが、裂けない。
 錆でこすれて浅く擦り剥け、一本の淡い線が残っただけだった。
 乾いた喉で掠れる悲鳴を上げる。

「……僕は死ねないのか?」

 目を覚ますと朝だった。
 日の光が室内を淡く照らし、外からはチ、チ、チと小鳥の鳴く声が響いている。
 すがすがしい朝だった。
 僕はまた眠っていたのか。
 椅子から立ち上がりカーテンをサァッと引く。

 見たことも無い景色が広がっていた。

 何処かの高山の一角なのだろうか。
 雪を被った山と同じ高さに僕の部屋はあった。
 外では草原に野兎が戯れ、黄色い蝶が飛び交っている。
 時折、雲ひとつ無い真っ青の空を小鳥が弧を描くように舞い飛んで行き、一目で分かる春爛漫の風景が広がっている。
 家前の道路に小さな電灯の明かりが一つ照らし出されているいつもの風景とは百八十度違っていた。
 夢?
 夢、夢だ。
 そうだ。
 いつの間にか蛍光灯が消えている。
 僕は消した覚えなど無い。
 
 思考が暗転する。

 僕は夜に追い駆けられていた。
 必死で逃げている。
 僕は闇に足を掴まれていた。
 必死にもがいている。
 僕は世界の終わりに生きていた。
 必死でリストカットを試みる。

 そして僕は目を醒ました。
 蛍光灯に煌々と照らし出された室内に僕の影が伸びていた。
 伸びていた。
 僕は机に向き合って汗を流している。
 流している。
 横顔は真剣そのもので笑ってしまいそうだった。
 笑ってしまいそうだった。

 え、横顔?

 気づくと僕の口元にはニタリと最悪の笑みが毀れていて、掌のカミソリをしっかりと握り締めていた。
 僕が、僕を第三者視点で見てる。
 何故?
 僕は手首にゆっくりとカミソリを当て、思いっきり引いた。
 ぶしゃ。
 カーテンと机を真っ赤に染め上げていく大量の血液。
 僕は突然立ち上がり絨毯の上で踊りだした。
 部屋中が血で真っ赤に染まっていく。
 壁も、時計も、床も、影も。
 真っ赤真っ赤真っ赤真っ赤。
 意識が途切れてきた。
 僕は誰なんだ。
 僕は誰だ。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 君こそ誰だ。
 何故僕の視点で僕を語る。
 君が僕の何を知って僕を語る。
 見るな、見るんじゃない。
 僕は僕だ。
 鏡を見れば分かる。
 この顔は僕だ。

 へぇー、そうかい?
 本当に君は君なのかい?
 ただ君の視点が此処にあるだけで、全ての行為は君では無い誰かの景色を見ているに過ぎないんじゃないのかい?

 黙れ!

 黙れ、ね。
 逃げるのかい?
 まぁ、いいさ。
 じゃぁ、黙る前に一言。
 君は誰かの視点じゃないのか?
 他人の行動を自分がしてるものだと思い込んでる影みたいなものじゃないのか?

 …………

 …………

 君は僕で、僕は君なのさ。
 その辺に留意して限りある命を大切にして生き延びてもらえれば嬉しいんだがね。

 …………

 …………
 
 それが言いたかったのかよ。

 さぁ、どうだろうね。
 君は君であって君ではないのかもしれないし、君は君なのかも知れない。

 意味分かんねぇよ。

 意味が分からないことにこそ、物事の本質は隠れているのさ。

 はっ。馬鹿じゃねーの?


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 僕は立ち上がり掌のカミソリをゴミ箱に投げ捨てる。 
 今日はもう自殺する雰囲気には浸れなかった。
 椅子から立ち上がり蛍光灯を消すとベッドに横たわる。
 眠るのは少し怖かったが、数分もすると思考は途絶えた。

 翌朝。

 いつも通りの時間に起きた僕は、いつも通りにニュースを見る。
 そしてある取材報道に目が釘付けになった。
 
 『昨日深夜、有名画家自殺。死因は出血多量』

 …………。
 ……まさか、な。 
 あれは全部夢で、全部僕の妄想だ。
 あれは彼の視点になった僕が見た現実ではない。
 昨日からも、一昨日からも、そのずっと前から僕は僕だ。
 誰かに生かされている視点などでは無い。
 笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。
 自分の命の生殺与奪の権利も自分で持っている。

 僕は食卓の席から立ち上がると『急に食べたくなった』サラミチーズを口に咥えた。
 
 

 別段と生きていく事に意味が在るとも思えなかったが、死ぬ事にも意味が無いと気づいたそんな朝だった。

 
 
2004/03/05(Fri)10:20:38 公開 / 境 裕次郎
■この作品の著作権は境 裕次郎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
甘い恋の話を書こうとしたのに、何故こんなモノが出来上がってしまうのだろう、と自分に嘆きつつ仕上げた作品です。何気に十作目。エドガーアランポー風の恐怖、戦慄とREDIOHEAD独特の酩酊感が出てれば良いナァと思いながら書き上げたいわゆる悪作。一応、初めて手を出すジャンルなので評価して頂けると幸いです。
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