『人形の心 四〜五章』作者:林 竹子 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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四章


 街の門から広場、王宮までをまっすぐに貫く大通り。その両脇にはさまざまな店が軒を連ねている。
 宿屋に酒場、薬の看板を出している店もあれば色とりどりの果物が並んでいる店もある。しかし、今はそのどこにもあまり客は居ない。宿屋や酒場は夜になってから人が集まるものだし、薬や果物は広場で開かれている市に行けばもっと珍しいものが手に入るからだろう。
 ラウルはそんな店の様子を眺めながら歩いていた。と、目の端に何か赤いものが映った。
 立ち止まってそちらを向く。道の端に座り込んでいる少女が居た。
(……なんだ)
 先ほど、店に居た少女ではなかった。年や背丈は似ているが、まるで違う。店に居た少女は燃えるような赤い髪をしていたが、座り込んでいる少女はくすんだ、どちらかというと茶に近いような色合いだった。
 今改めて見ると、間違いようがない。
(気が急いているな)
 ラウルは自嘲のような笑みをこぼした。重大なことであればあるほど、落ち着いてかからねばならない。今からこれほど焦っていても仕方がない。そう思ってはいるのだが。
 不意に座り込んでいた少女が立ち上がった。振り向くと、ラウルを見てにっと唇を歪めた。
「何? アタイのこと見てたよね?」
 真っ赤に朱を引いた唇を開き、鼻にかかったような艶っぽい声を出した。どこか地方の出身なのだろう、奇妙な訛りがあった。上目使いにラウルを眺め回す。
「兵隊サンやよね? アタイに何か用でもある?」
 まだ育ちきらない体躯を薄い布で包み、しなをつけてラウルに寄って来る。
「何か言ってよ」
 何も言わないラウルに焦れたように、腕を絡ませてきた。小さな胸を服越しに押し付けてくる。
「……まだ随分早いけど、お客サン?」
 妙に露出の多い服に、この喋り方。
 ラウルはやんわりと腕を解いて首を振った。
「何だ。お客サンやないの? ホンマ?」
 幼い娼婦はつまらなそうに息を吐いた。それを見てラウルも息をつく。
 まだ身体も成熟しない少女がこのような仕事をする。それは国のせいだ。フレア王国は特別貧しくはないが、決して富んだ国ではない。徐々に良くなっては来ているが、まだまだ生活に困窮し、子を捨てる親も多い。そうして捨てられた子供はこうして色を売らねば生きてはいけない。それは男も女も変わりない。 
「ま、いつでもええから来て。一本隣の通りの緑色のお店やから。来る時は絶対アタイを指名してよ? サービスするから」
「行かん」
 ラウルは硬い声で返した。
 少女はくすっと大人っぽく笑う。
「そう? まあええけど。またね」
 少女はじゃね、と手を振って踵を返す。
 ラウルはその細い腕を取った。
「何? やっぱお店、来てくれる?」
「……これを」
 ラウルは少女の掌を上向けさせ、何かを握らせた。
 少女は手を開き、掌に乗っている数枚の銅貨を見て、にかっと笑った。今度は少女がラウルの手を取る。
「ありがとう。どこ行く? サービス、するよ?」
「違う」
「何が?」
「私はそういうつもりではなくて。ただ、その金で何かをすればいいと思ったのだ」
 その場を動かないラウルに、少女は首を傾けた。
「少ないとは思うが、とりあえず生活費にして、その間に他の仕事を探すとかだな」
 ラウルが言うと、上機嫌だった少女は顔を強張らせた。
「つまり」
 先ほどまでの艶っぽい声からはかけ離れた、低い声。
「兵隊サンはこのお金を恵んでくれるってわけ? だからこの仕事はやめろって? それはどうもありがとう」
 少女は硬貨の乗った手をラウルに突き出す。
「でも、いらん。バカにせんといて。そりゃあ兵隊サンから見たらアタイみたいなのは汚らわしいやろな? ああそれとも可哀想? 哀れ? ……ふざけんなや! アタイやって最初はこんなこと嫌やったよ。でも、今は違う。楽しいとかそういうわけやないけど、アタイはアタイなりの誇りを持ってこの仕事してる。自分に自信持って、金払ってもらうだけの価値はあるて思うてる。それはこんな金やない。同情なんか要らんのんや。アタイはアタイのしたいように生きてる。兵隊サンなんかに口出しされる筋合いはない!!」
 興奮に訛りを直すのも忘れまくしたてた少女は、呆然とするラウルに思い切り硬貨を投げつけた。そのまま走り去っていった。
「…………」
 ラウルはかがんで銅貨を拾う。地面に敷かれたレンガの茶色とマッチして、最後の一枚がなかなか見つからない。
 あきらめて身体を伸ばしたら、すぐ近くに燃えるような赤い髪の少女が立っていた。そう、店で会ったあの少女だ。ラウルは目を見開いて少女を見つめた。
(間違いない)
「これ、そうですよね」
「……ああ、どうも」
 最後の一枚を受け取り、ラウルは小さく礼を述べた。見られていたという思いと、見つけたという思いで声が上擦った。
「さっき、市場でお会いしましたよね?」
「……ええ」
 ラウルは銅貨をしまい、頷いた。
 少女は少し悩むような様子を見せている。
(言わねば)
 ラウルは口を開いた。少女も口を開いた。
「少々お時間をいただけますか?」
「少し、話をしませんか?」
 二人は顔を見合わせた。



五章


「狭いところですが、どうぞ。入って下さい」
 アミィはそう言ってラウルを促す。ラウルは少し悩むような様子を見せて、
「失礼します」
 室内に足を踏み入れた。
 本当に狭い部屋だった。大人がどうにか二人寝転がれる程度で、床や壁が古い。二階建ての宿屋の一室なのだが、この宿屋自体が古い。階段や廊下は狭く、ぎしぎしと音がする。数箇所腐って誰かに踏み抜かれたらしき場所もあった。
 室内の調度品は小さな古びた棚一つで、その横に薄っぽい布団が積まれている。天井が低く、長身のラウルは少しかがまねばならなかった。
「あの、どうぞ、座って下さい」
 敷物も何もないのだろう、アミィに言われて、ラウルはそのまま床に腰を下ろした。アミィもそれに向かい合うようにして座る。
「…………」
 二人の間に気まずい沈黙が流れた。互いに話はあるはずなのだが、それを始めるきっかけが掴めずにいる。
 ラウルは少女をそっと盗み見る。少女は膝の上に置いた手を固く握り、見つめている。その手は日に焼け、年頃の乙女らしからず、ひどくあれているようだった。燃えるような髪も、肩の上で短く切られている。
 ラウルの視線に気づいたのか、アミィは顔を上げて髪を手で押さえた。
「あたしの髪はやっぱりおかしいですか? 会う人会う人、不思議な目で見るんですけど」
 恥ずかしそうに笑うアミィに、ラウルは少し視線を落とす。
「すいません、不躾でした。……珍しい色ですが、変、ということでは。とても、……美しいと思います」
 ラウルは頬を上気させる。幼きころからいずれは軍に入り、兵士になるのだと過ごしてきたラウルは女性に慣れていない。面と向かってこのようなことを言うのは初めてだった。
 アミィもまた頬を染めて頷いた。
 また奇妙な沈黙が訪れた。それを吹っ切るように、アミィが再度口を開いた。
「ラウル様は、王女様に仕えていらっしゃるのですよね?」
 確かめる口調のアミィに、ラウルは続きを促すように軽く頷いた。
 互いの名前や仕事など、ある程度のことは大通りからこの宿屋に来るまでにすませておいた。
「じゃあ、教えていただきたいことがあるんですけど」
「どうぞ。私に答えられるものならば」
 アミィは頷いて唇を軽く舐めた。
「王女様は、どのような方ですか?」
「とても美しい方です。金の髪と、碧の瞳で。私は今まであれほど美しい方を見たことがありません」
 ラウルはきっぱりと答えた。常々思っていることだった。
 アミィは首を振る。
「違うんです、そういうことじゃなくて……。お姿のことではなく、性格の、内面のことを聞きたいんです」
「内面、ですか?」
 ラウルが問い返すと、アミィは真剣な表情で頷いた。
「……とても、おやさしい方です。いつも国のことを一番に考えていらっしゃる」
 それは一点の曇りなく正しいとは言えなかったから、ラウルは少し言いよどんだ。しかし本当のことを言うわけにはいかない。王家の品格を落とすようなことは間違っても口にしてはならない。
「それは、本当ですか?」
「もちろんです」
 今度ははっきりと頷くことができた。
「……そう、ですか」
「…………」
 アミィは泣いていた。ラウルはどうしていいかわからず、座ったまま動けない。頬を伝った涙が、ぱたぱたと古くなった木の上に落ちる。
 うつむいて肩を震わせるアミィを、ラウルはただ見ていた。

「ただいま!」
 アミィの涙がようやく治まったころ、ドアが勢いよく開かれて、幼い少年が飛び込んできた。歳は十にもならないくらいだろう、鳶色の髪と瞳をしている。
 不思議そうな目で見られて、ラウルは軽く会釈をした。少年も軽く会釈を返してきて、アミィの方を向いた。
「アミィ? どうしたの? 目、赤い」
 心配そうに覗き込んでくる少年に、アミィは軽く手を振った。
「大丈夫。何でもないから。――今日は体の調子どう?」
「平気だよ。アミィは心配しすぎだって。ほら」
 少年はアミィにぶんぶん腕を振って見せた。
「はいはい、わかったから、そんな暴れないで。ちゃんと挨拶して」
「はーい」
 少年はラウルに向き直ってにかっと可愛らしく笑んだ。
「僕はニック。よろしく」
「私はラウルだ」
「ラウルは――」
 ニックが言いさすと、アミィがその腕をぱしっと叩いた。
「ラウルさん、でしょ」
「ラウルさんは、どうしてここにいるの?」
「少し、アミィさんに話があってね」
「ふーん。アミィのこと、いじめないでね」
 ちらっとアミィに目をやってニックが言った。
「いじめたら、僕が許さないから」
 アミィが横から腕を引っ張る。
「失礼でしょ。何言ってんの。……すいません」
 そんな様子がほほえましくて、ラウルは笑ってしまった。
 ニックはきっと睨みつけた。
「何笑ってんの」
「ああ、すまない。約束するよ、いじめない」
「絶対?」
「絶対だ」
「わかった」
 ニックは満足そうに腕を組んで頷いた。唇の端をくっと上げて笑う。その仕草が妙に大人ぶっていて、ラウルはまた笑いそうになるのをこらえた。
「じゃ、僕ちょっと用があるから」
「どこ行くの?」
「ナイショ。すぐ帰るよ」
「気をつけてね」
「わかってる」
 ニックはその小さな手をひらひら振って出て行った。アミィはそれを見送って、ぎしぎしと立て付けの悪いドアをそっと閉めた。愛しそうな微笑が浮かんでいる。
「弟さん、ですか?」
 ラウルが尋ねると、少し悲しそうな顔になって首を振った。
「いえ。大切な人の、弟なんです。その人はもう帰ってこないけど、あたしにとって大切な人であることは変わりないから。今はニックと二人で暮らしてるんです」
「その人は、今?」
「わかりません。生きてるか、どうかも。朝、普段どおりに出て行って……帰ってこなくなりました。今の暮らしに不満があって出て行ったのか、それとも事故にでもあったのか……。何も、わからなくて。何も言わずに出て行くような人じゃないと思うから、事故だと思うけど、そうしたらどこで何があったんでしょう。あたし、心配で……。でも、きっと帰ってきてくれると思ってます。だって彼、出て行くときに、『待ってて』って言いましたから」
 また涙がにじみそうになるアミィの瞳を見て、ラウルは慌てて謝った。
「すみません。どうも、いけないことを聞いたようで」
 アミィは指先でまなじりをぬぐった。
「大丈夫です。むしろ、聞いてもらって少しすっきりしました。すいません、こんな話」
 アミィは立ち上がって窓の外に目をやった。この部屋に一つだけある、小さな窓。そこからはこの宿屋の前の通りが見える。
(あれ……あれは)
 大通りから数本外れた寂しい通りに、ぴっちりとした紺の軍服に身を包んだ兵士の列が見えた。三人ずつ、五列になっている。背には黒光りする銃を背負っている。そしてその後ろには二人の男女。女の方は白い日傘を差していてよく見えないが、男の方は珍しい、銀色の髪をしていた。
 と、隊列の先頭に立っていた兵士が、一人の少年を締め上げているのが目に入った。
「ニック!?」
 鳶色の髪の少年が兵士に掴まれ、暴れていた。間違いなく、先ほど出て行った幼いあの子だ。
「やめて!!」
 アミィは叫んだが、まわりにいる野次馬のざわめきに消されたのか、届かない。
 ニックは兵士の腕に噛み付いた。少し力が緩んだ隙に手からすり抜け、駆け出す。
 後ろで日傘を差していた女が隣の男に何事か耳打ちした。すると男は近くの兵しから銃を借り受け、かまえる。逃げるニックの背に向けて。
「ニックー!!」
 アミィがもう一度叫ぶと、ニックがちらりとこの宿屋の二階の窓に目を向けた。見えるはずもないのに、アミィにはその小さな唇が自分の名前の形に動いた気がした。
 次の瞬間、大きな音がして、ニックの体がぴたりと止まった。そしてゆっくりとかしいで、舗装がなされずむきだしの土の上に音もなく倒れた。
 まわりの野次馬は顔を見合わせ、いっせいに散らばって細い路地や店の中に逃げ出した。

 アミィが通りに飛び出すと、野次馬はすでに居なくなっており、ニックが一人地面に伏していた。その小さな体から流れ出たとは信じられないほどの大量の血が、ニックの服やまわりの土を赤く染めている。
 駆け寄って抱き起こすと、息はしているものの目は焦点を結んでおらず、意識も途切れかけているようだった。
「ニック! ニック!」
 アミィが名前を呼ぶと、何か言おうと口を開くのだが、声にならない。余計に血を吐いてしまう。
「ニック、喋らないで。だいじょうぶ、だいじょうぶだから!」
 それでもニックは必死に何かを伝えようとする。自分の血で濡れた指先を動かし、口を開く。アミィはニックの口元に耳を寄せた。
(……お、に……ちゃ)
「おにちゃ? おにちゃって何?」
 アミィが聞くと、ニックの腕がほんの少し動いた。しかし、それ以上は動かない。息もだんだんかぼそくなっていくようだ。
「やだ! ニック!? ニック!!」
 アミィは吐いた血で血まみれになっているニックの顔を覗き込む。ニックの瞳はもうアミィを映していない。
 ほんの少し、ほんの少しだけ唇の端が上がった気がした。
「ニック……。ニッ、ク? ねえ! ねえってば! ニック―――!!」
 アミィの目からこぼれた涙が、開いたままの鳶色の瞳に落ちた。
2004-03-15 20:03:26公開 / 作者:林 竹子
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■作者からのメッセージ
五章です。少し長めになりました。読んでくださった方、ありがとうございます。
血などがダメな方、申し訳ありません!私の描写力なんで大したことないと思いますが、苦手な方はすみません。
感想・批評などなんでもよろしくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
『金を払ってもらうだけの価値』。少女の其の台詞から、街の貧しさのバックグラウンドが浮き彫りになっていて……成る程、こういった表現方法もあるのだなぁ、と思いました。先行きの展開に期待が持てる終わり方も良い、と思います。続き、頑張って下さい。
2004-03-13 08:27:11【★★★★☆】境 裕次郎
林さんの作品はいつ読んでも、何かこう優しい雰囲気がありますね。すごくいいと思います。続きも頑張ってください
2004-03-13 21:34:59【★★★★☆】オレンジ
堺様、オレンジ様、感想ありがとうございます。拙い文章ですが、頑張ってまいりたいと思いますので、まだしばらくお付き合いくださいませ。
2004-03-13 21:48:58【☆☆☆☆☆】林 竹子
五章の最後の方、イキナリの急展開に驚きました。其れまで、物語が淡々と流れてきただけあって結構インパクトを受けました!それと、血の描写は浅目かなーと思いました(結構血が出る系は駄目な方です)。続きも頑張って下さい!新たなる局面、期待してます。
2004-03-16 10:51:43【★★★★☆】境 裕次郎
話の展開がとても良いです。とても良かったです。次回も頑張ってください!!
2004-03-18 15:10:24【★★★★☆】フィッシュ
計:16点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。