『屠所の羊の最後の悪戯 前編』作者:星月夜 雪渓 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 ピチャン、と石畳の床に天井から滴る水滴が跳ねる。冷気がふぅっと流れ込むこの狭苦しい寒い牢獄で、男は一人、大きく欠伸をした。
 暖房の無い冷え切った石畳の上でただ突っ立って悪戯に思考を空転させる。出れないように、鉄の棒は外界と部屋とを仕切っている。

「うーーん・・・・・・」

 毎日そう呟いて、はぁ、と白い息―――それもかなり重苦しいもの―――を吐いて後頭部をかきむしった。
 静寂が、辺りに漂う。

「いやいや、今日も元気そうだねェ」

 そんな嫌味によって、冷たい静寂は破れてしまった。
 鉄格子の『外』に居る、この牢獄の看守は口元を愉しそうに歪めた。

「看守ってのはこんなにも暇なものなのかい? 一日七回はお前のそのいやらしい顔を見てる気がするぜ」

「そんな口が利けるのも今のうちだよォ? どうせ貴様はあと二週間足らずで死刑だしねェ」

 白く曇った丸眼鏡を、ポケットから取り出した高価そうなハンカチで拭っている。しかし男の視線は、看守の腰に在る牢獄の鍵に注がれていた。やがて丸眼鏡をいつもの様に掛けると、ふふん、と得意げに鼻を鳴らして黄金に輝くその鍵を掌で弄び、男に見せつけた。

「仮にも大盗賊団の首領がねェ・・・・・・無様なものだよねェ?」

 ちゃり、と大きな輪に繋がれている鍵が無機質な音を発てて揺れる。

「ま、此処から出れるものなら出てみなよォ。窓も出口も、鉄格子が在る限り無理だと思うけどォ」

 男は応えない。既に応える気が失せていた。

「せいぜい余生を楽しむ事だねェ。あぁ、貴様の死刑執行日が待ち遠しいねェ・・・・・・」

 看守は結局嫌味を言うだけいってその場を去って行った。
 ひんやりとした空気と静寂が再び漂う。呼吸が空気を小さく揺らす。男は軋んだベットに腰を掛け、溜息を軽くついた。
 月光が窓から微妙に射し込んでいる。照らされた男の最後となりうるだろう住処はとても殺風景だった。

「・・・・・・」

 実は、此処まで来て死ぬ気は毛頭無かった。好き勝手にやり、好き勝手に生き―――そんな生活を繰り返していた、報いなのだろうか?
 確かに人を殺した覚えも在る。でも、それは正当防衛だ。だが『盗み』という悪事が先立って正当防衛とみなされなかった。
――――捕まる前に逃げていった子分達は今頃どうしてるかな・・・・・・
 男の脳裏で、子分達の顔が浮かんでは消えていく。自分を慕っていた、子分達。

「それよりも・・・・・・」

 ベットに寝転んで、今日何回目かの溜息をついた。

「脱獄の方法を考えないとな・・・・・・」

 呟き、それは夜気に融けていく。
 しん、とした静寂。呼吸だけが、空気を揺らす。冷えた空気に熱い息が混ざり合って白い溜息が生まれ、融けていく。
 しばらくの沈黙の後、男がうとうとし始めた時に、それは起こった。


「なァ」


 突然、ベットの横に佇んでいる重そうな石壁の向こう側から、声が男に向けて降ってきた。
 驚いて、男は飛び起きた。この牢獄に入れられてから一ヶ月経って、初めて隣人の存在を知り、その隣人が初めて男に話し掛けたのだ。

「お前・・・・・・誰だ?」

「俺も盗賊さ。一匹狼だがね。―――それより、訊きたい事が有る」

 声の主はどうやら少年らしい。まだ声変わりにもなっていない。

「なんだ」

 年上の男に対して、この少年は敬語を使わない。男は少し頭にきたが、今は驚きで胸が一杯だ。

「アンタ・・・・・・昔は盗賊団の頭だったんだって?」

「あぁ、そうだが」

「一体何を盗んでいたのか聞かせてくれないか?」

 不思議な事を訊くな、と思いつつ、男は語り始めた。
 最初は、飢えをしのぐ為に隣の家の畑から数少ない食料を盗む程度だった。小さな村で盗みを働くのも無理が生じ始めた。―――すぐに犯人が判ってしまうのだ。自分の狩場だった故郷を離れ、都に出たのが12歳の頃。それからすぐ都の界隈で盗みを始めた。既に馬車が通り、酒場などの施設も十分に在った。しかし、その分盗賊も盗みの被害も十分に在った。その中で次第に集団が出来ていき、気付いたら首領になっていた―――――

「とにかく盗みまくってたよ。生きるために、必要だった食料ばっか、な」

「宝石やら金やらもアンタ程の腕だったら、簡単に盗めたと思うけどな。勿論、富も」

「お前、俺のこと知ってて訊いたのか?」

「知識程度にはな。何しろ大盗賊団の首領だし、俺も一盗賊として」

 少し笑いを含んだ声が返る。

「・・・・・・お前は、一体何を? 宝石とか金とかか?」

「俺? 俺は『記憶』を盗んでたな。結構沢山」

 男はしばらく、開いた口が塞がらなかった。
 数分して、男はゆっくりと訊ねた。

「記憶っていうと・・・・・・思い出とか、の?」

「思い出とはちょっと違うけど、二日前ぐらいだったら、そいつの記憶を盗むめるんだ。盗んで、そういうのを買うコレクターに売るのさ」

「ふぅん・・・・・・」

 少し黙って、男は再び訊ねた。
 月光が窓から入り、淡い光が男を照らす。


「――――お前、外界に未練は在るか?」


 あぁ、と即答する声が返る。

「俺は・・・・・・まだ色んな人の記憶を見てみたい。盗みの腕もまだ未熟だし、極めてみようと思ってた。そういうアンタは?」

「俺はな、はっきり言うと未練なんてねぇよ。――――だがな、俺はあの野郎に一泡吹かせてやりたいのさ」

 ひんやりと冷え切った夜気が肌に痛い。刺すような痛みが、身体中に疾っては消えていく。
 はぁ、と一つ溜息をついたのは男の方。

「あの嫌味な看守の事か?」

「あぁ、アイツの言ったこの脱獄不可能の牢獄から出て、見せ付けてやりてぇんだ。『俺は、脱獄してやったぞ!』ってな」

「そりゃ良い事だ」

「だろ? お前も見たくねぇか? あの野郎の呆然とした顔!」

 くく、と笑いが隣から漏れる。
 想像しただけでも笑える。あの嫌味な看守の唖然とした表情。さんざん嫌味を言って、逃げられたと知ったら――――そう考えるといけない笑いが自然に零れてしまう。

「・・・・・・だからよ、お互い目的を果たす為に手を組まねぇか? 脱獄する為に、お互いの力を貸し合わねぇか?」

 しん、とした静寂が戻る。少年は黙り込んだまま、何も言わない。何か考え込んでいるのだろうか、と男は耳をそばたてた。
 ふぅっ、と朝に近い空気が流れ、月の影が少しずつ薄らいでいく。
 
 数分の沈黙の後、少年は静かに重く、その口を開きようやく応えた。

「・・・・・・条件を飲んでくれたら、良いぜ」

 男は首を傾げながら壁越しに問う。

「条件?」

「あぁ。もしこの脱獄が成功したら、その時はアンタの記憶をくれよ。是非ともとっておきたいね。脱獄の記憶を。その条件を飲んでくれたら、いいぜ」

 男の方も数分黙り、そして頷いた。刹那、少年の嬉しそうな声が小さく響いた。

「よし、じゃあ頑張って脱獄しようじゃねぇか。少年よ」

「あぁ。お互い自分の目的を果たす為に頑張ろうぜ」

 朝陽が仄かに牢獄の中の二人を照らす。



――――死刑執行当日まで、あと13日。
2003-09-14 18:50:29公開 / 作者:星月夜 雪渓
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■作者からのメッセージ
初めまして、星月夜です。前・中・後編でこの「屠所の羊の最後の悪戯」をお送りしたいと思います。脱獄を企てる男二人(少年と男ですが)の話です。愉しく読んでくださると、ありがたいです。読んで下さったかた、ありがとうございました。よろしければ次もよろしくお願いします。
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