『Age of innocent』作者:境 裕次郎 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角5424.5文字
容量10849 bytes
原稿用紙約13.56枚
 
 僕は一人になったあの日から。
 身体を売って生き延びていた。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 朝七時、いつも通りの時間に起床して、僕はダンボールから身を起こす。
 春が近い今頃の季節、日本が一番寒くなる日にダンボール一つは流石に身に堪えた。
 ビンテージ風に擦り切れたダークグレーのジーンズ、真っ白なカッターシャツ、その上からハーフジャケットを着込んだだけなら尚更だ。
 寒いに決まっている。
 だけど、帰る場所が無い僕は。
 ダンボールに身を委ねるしかなかった。

 大きく一つ伸びをして、ダンボールを膝で蹴り上げると。
 公園の隅にある水道に口を近づけ、一気に含み、吐き出し、その後顔を洗う。
 冷え切った水が、次第に意識を覚醒に導いていく。
「憂鬱な一日の始まりだ」
 いつも晴れ渡ることの無い、澄み切った青空を見上げて僕は一人呟く。
 今日も身体を売らなければ、生きていけない。

 公園から電車で十数分も揺られると、O府一番の繁華街に出るコトができる。
 だが、僕の仕事は宵の口からが勝負だ。
 昼前まで電車の中でまた一眠りするコトにする。
 僕は周回周りで終点の無い、環状線に乗り込むと連結脇の車両隅を陣取り、座り込んで眠りにつく。
 
 そのまま数周回ったのだろうか。
 僕は浅い眠りから目を覚ました。
 太陽が丁度真上に差し掛かる頃だった。
 停車しては通過していく駅の時計を遠目で見ると、十三時五分を指していた。
 時間を見ると、腹が減っているコトに気づく。
 少々早いが、僕は繁華街に向かうコトにした。

 数少ない人ごみに紛れて駅に降り立つ。
 今日はどうやら平日らしい。
 乗り降りの数の多さで見分けることが出来る。
 休日にでもなれば、人が群れをなして降り立っていく。
 皆、それぞれの思いと表情を抱えて。
 僕には何も無いから。
 時々、其れが羨ましくなる。
 だから俯いて足早に立ち去っていく。

 マクドに寄って半額セールのバーガーと、コカコーラのMを購入した僕は、コンクリートの床に座り込んで流し込む。
 ロクに味なんてしない。
 しないけど、食べていかなきゃ生きていけない。
 生きるのに、愛情は必要ないけど、食事は必要だ。
 誰しも、其れを知っているから愛情を求めるんだ。
 愛が無ければ生きていけない。
 知ったフリしてのたまうんだ。
 綺麗事はもううんざりだ。
 愛が無ければ生きていけないのなら。
 
 ……何故両親は僕を捨てた。

 バーガーの包み紙と、氷だけが残った紙コップをまとめて紙製の袋に放り込むと、力任せにぐしゃり、とやる。
 ポタポタ水滴が破れた隙間から垂れる。
 昔は此れを見て
『僕の破れた想いの隙間から涙が零れだしてるんだ』
 なんて感傷的な気分にも浸れたが。
 今の僕には、もうそんな感情なんて残っていない。
 ただ、現象だけが思考のフィルターを通り抜けて消えていく。

 喜怒哀楽

 全部、僕にとっては偽りだ。   

 それから暫くを、僕は百貨店にある待合室で過ごす。
 右手にセブンスター。
 左手にプッチーニの『トゥーランドット』。
 ノベルといったジャンルの小説はあまり好きではないが、オペラ小説は好きだ。
 お決まりの展開を、指先でなぞる様に進めていく。
 本来ならつまらないはずだ。
 なのに、過剰なまでの演出で人を感動させる。
 それにこそ、人が求めるモノが全て詰め込まれているような気がする。
 素敵に生きるための方法。
 オペラっていうのは其れが全部詰め込まれている。
 だから、僕は其れが好きだ。
 身体を売ることを繰り返す日々に、ささやかな華を添えたい。
 そういった願いを持つことが出来るから好きだ。

 待合室の時計を見る。
 五時を少し回っていた。
 僕は五本目のセブンスターを灰皿に押し付けてもみ消し、小説に栞を挟んで閉じた。
 続きはまた今度だ。
 僕は、これから生きていかねばならない。

 繁華街から少し入った脇道に出る。
 其れは、時に公園傍だったり。
 駅から離れたコンコースだったり。
 ガード下だったり。
 一度通りが少なめの場所で僕は手当たり次第に声を掛ける。

「ねぇ、僕を買ってくれませんか?」

 ありったけ、精一杯の微笑みで僕は年上の女性に声を掛ける。
 両親が僕を器量良しに生んでくれた所為か、それとも世の中には寂しい人間が多いのか。
 十人に声をかければ、その中の一人は僕の価値を聞いてくる。
 そして価値を聞いた中の二・三人に一人と交渉は成立する。

 そして、彼女達は僕を抱く。
 
 僕は抱かれる。
 僕は玩具になる。
 僕はペットになる。
 僕は道具になる。
 
 僕は人で無くなる。

 例え、相手が僕に対等の性行為を求めたとしても、彼女が僕の価値を決定付けた時点で僕はもう人ではない。
 そう思わないとやってられない。
 穢れていくことに耐えられない。
 
 だから、僕は相手の望みに応じた性格を作りあげ。
 自分の性格を現実世界から切り離していく。
 
 そして僕は身体を売った代価をポケットに忍ばせ、彼女達が疲れ果てている間にそっと姿を消す。
 
 僕を買う人間は決してリアルを求めてなんかいない。
 ただ一夜の夢が欲しいだけだ。
 
 僕も買う人間にリアルを求めて欲しくなんてない。
 僕はこれから千夜を越えて歩いていかなければならない。
 
 『穢れ』はいつか忘却の彼方へ葬りさってしまいたい。
 その時に『リアル』は邪魔になる。

 僕は今日も一人の女性と一夜を共にすることになった。
 彼女が僕に求めたコト。
 其れは

『一晩中抱きしめさせて欲しい』

 それだけだった。
 性交渉抜きで僕に価値がつけられたのは、初めてのことだった。
 
 其処から僕らは十分程、少しの会話と少しの歩みを進め、古びたラブホテルの一つに入る。

 シャワーは浴びなくていい。
 と言われた。
 そしてベッドに横たわった彼女に手招きされる。
 僕は彼女の傍らに身体を横たえた。

 瞬間後ろからギュと抱きしめられる。

 抱きしめられて……
 そのまま抱きしめられたままだった。
 彼女は何もせず、僕を抱きしめたままだった。
 
 おそらく、彼女は僕に子供の様な純粋無垢さを求めているんだ。
 なら僕は純粋なフリをするだけだ。
 僕は身じろぎもせず、呼吸だけを繰り返した。
 
 薄暗闇と沈黙の下幾許かの時が過ぎた頃。
 彼女は僕に向けて語りかけ始めた。

 君は一人ぼっちなの?
 うん
 
 僕は短く答える。
 彼女が僕を一層強く抱きしめる。
 布団の温もりが彼女の温度に染め上げられていく。
 
 一人ぼっちは寂しい?
 ううん

 正直に答える。一人ぼっりが寂しいのは最初の一ヶ月ぐらいだった。
 後はただ生きるのに必死で。
 寂しいなんてモノは遠く昔に消え果ていた。

 私はね、寂しいよ
 …………
 
 どう答えていいか分からなかった。
 どうして僕にそんなことを言う。
 どうして捨てられた僕にそんなことを呟く。

 私もね、こんなにも広い世界の下で一人ぼっち。人は私なんてものに振り向きさえしないんだよ。
 誰かに必要とされていたくて。
 誰かに愛されていたくて。
 誰かと生きていたい私に。
 そんな私に誰も振り向いてくれないんだよ。
 どうして?
 …………どうして?

 僕は痛いぐらいに抱きしめられた。
 彼女の身体が微かに震えている
 声を押し殺して泣いていた 
 僕は意図せず、彼女の掌の上から自分の掌を重ねて握り締めた。
 僕なんかに、誰も癒せやしない。
 僕は、一人で世界に生きている人間だ。
 自分の想いでさえ癒しきれない僕が他人を癒せるはずが無い。
 なのに彼女は僕に癒しを求めている。
 
 彼女は暫くして泣き止むと、僕にこう告げた

 ねぇ、二人で一緒に暮らさない?
 一人ぼっちと一人ぼっち同士なら上手くやっていけると思うんだ。
 ねぇ、二人で一緒に生きようよ。

 その彼女の一言はとても甘い囁きで。
 僕の弱さを抉り出すのに十分すぎる一言だった。
 
 僕は弱い。
 僕は脆い。
 ……本当は一人で生きるのなんて嫌だった。
 一人では無くなった時に、今までに失った心を数えてしまいそうになるのが怖かっただけだ。
 一人で居れば傷つかない。
 それだけのために、僕は一人で生きてきた。
 僕は弱い、な。
 本当に弱い。
 言葉一つで脆く崩される程度の心しか持って居なかった。
 
 僕は彼女の腕の中で小さく頷いた。

 うん
 
 其の一言に込められた想いは。
 久しく僕が忘れていた感情を蘇らせて。

 僕は泣いた。
 彼女の腕の中で。

 押し殺して。
 今までの自分を押し殺して。
 殺してきた痛みに泣き叫んだ思いを全部詰め込んだ涙を流した。

 ねぇ、朝までゆっくり眠ろう?
 朝起きたら笑って『おはよう』って言って。
 泣いたことなんて忘れて、笑いあって。
 一人じゃなくなった日を一緒に二人で歩いていける日を夢見ようよ。
 
 彼女は僕を抱きしめたまま耳元で囁く。

 わかった。

 僕は其れに短く答えた。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 

 そして朝が来る。
 夢の終わりの朝が来る。
 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
 久しぶりにゆっくりと眠った僕は、澄み切った感情で朝を迎えた。
 僕を抱きしめていた、彼女の姿はベッドに無かった。
 だけど、僕は安心していた。
 小さな窪みが其処にあったから。

 僕は大きく一つ伸びをすると、彼女を探した。
 シャワーでも浴びているのだろう。
 そう思っていた。
 子供らしい純真無垢な心で安心しきっていた。

 ……だけど

 彼女は消え失せていた。
 小さな此の部屋から消え失せていた。
 
 俄かには信じられなかった。
 急いで僕はジーンズを穿く。
 
 そして、気づいてしまった。
 ジーンズの後ろポケットに入れていた財布の重みが、全く無いことに気づいてしまった。
 
 僕はそのまま跪く。
 跪いて両手で顔を覆って泣いた。
 泣き叫んだ。

 彼女の言葉は全て偽りだった。
 彼女は僕に嘘を付いた。

 僕は全てを奪われて。
 僕はまた捨てられた。

 僕は弱い。僕は脆い。

 ……僕は子供だ。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「だけど、な」
 僕はオペラ小説を閉じた。
 此れでこの小説を読むのはもう三度目だった。
 
「これが人生なんだろうさ」
 煙草を灰皿に押し付けて立ち上がる。
 いつもの仕草で。
 いつもの様に。

 僕は彼女に嘘を付かれた。
 裏切られた。
 捨てられた。
 心を引き裂かれた。
 
 だけど其れも人生なんだ。
 
 恨んでないと言ってしまえば嘘になる。
 あれから僕は次の客を捕まえるまで多少の空腹と、多少の虚無感を心逝くまで味わった。
 
 だけど其れも少年の僕が大人になるためのフィルターなんだ。

 僕は、人ゴミ雑踏に踏みにじられたコンクリートタイルの上を歩き出す。 ものの五分も歩いただろうか
 僕は偶然にも見知った顔を見かけた。
 真向かいから僕に向かって歩いてくる見知った顔。
 彼女だ。
 
 彼女はまだ僕に気づいていない。
 
 気づかないなら其れで良い。
 人なんて元からお互いに触れ合えない世界に生きている。
 元より肩すれ違う人間のコトすら知らないのに。
 たった一夜を共にした相手を、言葉だけで理解して分かりあおうとする方がどうかしている。 
 
 僕は彼女にもう一度視線を向けた。
 偶然すれ違う視線。
 彼女は驚いた顔をして僕を見つめながら立ち止まった。
 
 僕はその脇をそ知らぬ顔で通り過ぎる。

 彼女は嘘を付いたが、僕を少しだけ大人にしてくれた。
 偽りだったとしても、温もりをくれた。

 すれ違い様に僕は彼女に向けて小さく呟く。

「……ハローグッバイまたねサンキュー」

 全てを其の一言に込めて。

 



 さて、今日もまた。
 身体を売って生き延びていこうじゃないか。 
 

 
2004-02-29 10:11:50公開 / 作者:境 裕次郎
■この作品の著作権は境 裕次郎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 ダメダメです。取りあえず、描いてみただけの作品だったのですが、もっと作品として昇華できたなぁ、と思いました。中〜後半あたりに上手く描ききれなかった後悔が残る作品なので、その内また描き直そうかなぁ、とも思ってます。あと、最期の台詞を入れるかどうか迷ったのですが、使いどころがなさそうなので入れてしまったのも後悔の一つ……。
この作品に対する感想 - 昇順
シュールですね。僕には難しかったですが、いい作品だと思います。もっと僕に理解力があればさらに楽しめたと思うのですが力不足でした(汗
2004-02-29 10:18:31【★★★★☆】風
私的には、境様のまた違ったイイ作品に出会えたと思います! 少年を裏切った女性が「賢く」もみえ、「愚か」にもみえ、少年の生き様には、圧倒されるものを感じて、またこういう雰囲気のストーリがあればまた読みたいと思います!境様が「ダメダメ」といったけれど、私は、すごくいい作品だと思います!なんか偉そうなこといってますね・・・すいません。。
2004-02-29 17:53:57【★★★★☆】葉瀬 潤
いいです、主人公の生き様が。正直あの女の人に裏切られたのはビックリでしたね。描写も上手いですし、言うことなしです。流れるようにリズムよく読めたことも好印象でした。ただ・・・最後のセリフは個人的にはいらなかったと思います。それで−2点ですね(苦笑
2004-03-01 16:23:38【★★★★☆】daiki
すごく好きな話でした!人間裏切られるのって辛いけど、でもやっぱり今を生きてる自分には裏切られることも必要だったんだって思える、主人公の生き方がとてもよかったです。話の展開も驚かされたし、テンポもちょうどよい感じでした。でも、私も個人的には最後の台詞は・・・ちょっとしっくりきませんでした。台詞自体が要らないっていうわけでもないんですが・・・。すみません、中途半端な感想で。境さんのありきたりすぎないけど共感できる、お話の豊かさが素晴らしいと思います。次も楽しみにしてます。
2004-03-02 14:20:38【★★★★☆】白雪苺
計:16点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。