『アカディネの泉』作者: / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 王都と呼ばれる、人間達の人口密度の最も多い場所から遠く離れた、辺境の村。そこからさらに少し遠のいたところに、深い、深い樹海が広がっていた。その樹海は、来るものを拒むかのように暗く。ひっそりと佇んでいた。拒むものには、例外はないだろう。人間、動物、太陽の光までも拒む。
 だが、その全てを拒む樹海でも無理矢理拒むということはない。その心理的影響を受けながらも、あえて来る者達には何の対処もしなかった。することもできなかった。それは警告だった。
 警告を受けたにもかかわらず、好奇心が勝った二人の少年。彼ら二人はこの樹海で毎日のように遊んでいた。樹海の中は、真っ暗で何もすることができない。だが、一部だけ木々で覆われていない部分があった。そこは、泉だった。樹海の中心にある樹海ではない部分。少年二人は、毎日そこに通っていたのだ。
「なあ、この泉の名前を知っているか?」
 少年の一人がもう一人に尋ねた。
「ううん。なんていうの? お兄ちゃん」
 もう一人が尋ねた。どうやら兄弟らしい。見ると、この兄弟は顔がそっくりだった。
「実はな、俺も知らないんだ」
 実のところ、彼ら以外にこの泉に来れた人間はいない。だから、この樹海の中に泉があるということも知るものはいなかった。
「へえー。じゃあ、名前付けてもいいの?」
「そうだなあ」
 兄は、ポケットに突っ込んでいた手を抜き出し、その手につかんでいたものを泉に投げた。それは小石だった。
 ポチャン、と音と波紋を立てて小石は泉に沈んだ。と、思ったら小石は浮かんできた。
「うわー。すごいなあ!」
「どうやら、この泉は物が沈まないらしい」
 喜ぶ弟に対して、兄が説明する。
「じゃあ、僕も入ったら浮くかな?」
 そう言うや否や、弟は泉に飛び込んだ。兄はあわてて止めようとしたが既に遅い。弟は泳げないのだ。もし、石と同じように浮かばなければ、死んでしまう。助けたかったが、兄もまた泳げなかった。固唾を呑んで見守っていると、弟の姿がだんだん見えてきた。最後に、水面から頭を出して、
「本当に浮かんだよ!」
 嬉しそうにはしゃいでいる。兄は胸を撫で下ろした。
「じゃあ、俺も!」
 そう言って兄も泉に飛び込んだ。案の定、兄も浮かんだ。
二人は日が暮れるまで泉で遊んだ。二人にとって、この場所は秘密の場所だった。
 
 森の中で、木漏れ日を浴びながら走り続ける男がいた。長身で、痩せた男だ。男は、見境なく、森の中を走っていた。長い間走っているのだろうか、ゼエゼエと息を切らしている。顔も汗で濡れていた。
 男の後ろから、数人の足音が聞こえてきている。誰か(多数と推測する)から追われているのだろう。男は、その音が近くなるたびに走るスピードをわずかに速めていた。
 男と多数の追いかけっこ。しばらく続くと思われたが、男がいきなりスピードを上げたことで変化した。逃げ切ろうという魂胆だろう。男と多数の間がどんどん広がって行く。追いかける側も喰らいつこうと必死になっているようだが、その差は埋まることがなかった。ついに、男は逃げ切り森の奥へと姿を消した。
 追っ手たちから逃げ切って、足音が聞こえないことを確認した後、男は地面にへたり込んだ。
「は、はあ……まったく……詐欺ぐらいでそう怒んなっつーの……」
 息を整えながら悪態をついた。ちなみに、男のいう詐欺とは名誉詐称だ。自分とうりふたつで、有名な人間に成り代わったのだ。
「しっかし、本人のご登場とはね」
 息が整うにつれて、独り言もだんだんまともな声になっていく。
 結局、本人が男の目の前に現れたため偽者だと分かってしまったのだ。詐欺を働いていた村には一年ほど滞在しており、信用が固まってきたところだったため、村人達には憤るほどのものだったのだろう。実際、詐欺で稼いだお金は平民には手の届かないくらいのものだ。だが、男に罪悪感はなかった。どうせそっくりなんだ、どっちが本物だっていいだろうに。そういった考えを持っていたからだ。
 と、ガサゴソと言う音が彼の耳に入った。方向は、彼の背後の茂みからだった。
「くそ! もう見つかったか」
 あわてて立ち上がり、そのまま逃げようとする。が、茂みから出てきたのは猫だった。猫は、にゃーごと鳴き、元いた茂みの中に入っていった。
「なんだ、猫か」
 脅かしやがって、と思いつつ胸を撫で下ろす。そして、
「俺の飼っている猫だよ」
 さらに背後から人間の声がかかった。再び振り向き、見えたその人物は――。
「兄貴……!」
 男の兄であり、詐欺の元となってもらった人物だった。
 兄は、男と全く変わらない姿だった。身長、体格、来ている服(これは男が真似たのだが)もだ。どちらが本物でどちらが偽者か見分けが付かないほどの似ようだ。
「残念だな。本来人を救うはずの騎士という名誉を詐欺に使うとは」
 二人の間に乾いた風が吹き抜ける。二人は時が止まったかのように立ち竦んだ。
 やがて、兄が口を開く。
「なあ、もう一度俺ではなくお前という人間でやり直すことはできないのか? お前が村でやっていたことは知っている。騎士の教えと変わらない心構えで、みんなを救ってきたんだろう。その優しさがあれば、俺が持っている名誉なんて必要ないんじゃないか?」
 兄が説く。その表情は寂しげながらも微笑んでいた。その表情が、男にとって痛いものだった。
「優しさだけでは……人は救えないんだ」
 男は、そう言って駆け出した。
 男は走った。だが、先ほどより早くはなかった。なにより、兄の足音を聞きながら走っていた。遠ざかると緩め、近づくと速めた。
 男が兄を連れて行った先は。泉だった。
「ここは、俺達しか知らない場所だ。ここで兄貴を殺して俺が兄貴になる」
「どうして俺になりたがるんだ?」
「兄貴は俺の理想だったから」
 理想とはいっても、その言葉で投げかける意味は、尊敬ではなく憎悪だ。
 泉の脇で、二人はぶつかり合った。武器を使わず殴りあった。唸り出る怒声と共に、二人は殴られ、殴り続けた。
 樹海は光を通した。樹海は村の人々を通した。樹海は二人を通した。泉は何もしなかった。二人を見ていた。ただ、待っていた……。
 二人は、もつれ合って泉の中に飛び込んだ。すでに、どちらが兄で弟なのか、見分けも付かない。だが、それを見分ける決定的な変化が起こった。一人は泉の水面に浮き、もう一人は底のない、暗闇へと引きずり込まれていく。
 男は驚愕し、その眼を見開いた。その眼に映るのは岸に上がろうとする兄の姿。
(なぜだ! 何故浮かない!)
 昔の記憶では、自分は浮いたはずだ。その経験は嘘だったのか。彼は水中で叫んだ。何度も叫んだ。何故、何故、何故……。
 やがて、はるか上の丸い光が消えていった。周りは深い暗闇。男はもがいた。それでも光を見ることはなかった。
――救うは真、喰うは偽――
 苦しさで意識が薄れていく中、そんな言葉が頭を貫いた。
(俺は偽者……)
 悔やむまもなく、男は意識を失った。
 男はどこまでも沈んでいった。彼の周りには、深い、深い闇が広がっていた。
2004-02-22 20:17:04公開 / 作者:霜
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