『痣 3』作者:宇多崎 真智 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 皐月が部屋に篭って、一週間が過ぎた。あの日から彼女は祈りも禊も、舞すらしなくなった。社の巫女の話では、食事もろくに取っていないという。
 佑介は、一日に一度は必ず皐月の部屋を訪ねるようにしている。呪いを解く方法を考えたり、全く関係のない話をしたりと、自分でも頑張っていると思うのだが、皐月の顔色は悪くなる一方で、彼女の『気』は、弱くなるばかりだった。
「皐月。外に出よう。今日はいい天気だ」
「嫌だ。疲れる」
「……皐月。弓を教えてくれ。横から指導するだけでいいから」
「弓の稽古なら、私でなくてもいいだろう」
「…………皐月。気晴らしに、博打を教えてやろうか」
「近寄るな不良」
 この調子である。
「……なあ。お前、最近飯食ってるか?」
 小さく嘆息した後、一番気になっていたことを尋ねる。
「腹が空かないなら食べる必要がない」
「大ありだ、馬鹿」
 険しい声音で窘(たしな)めるが、皐月は気にも留めずに、ふんと横を向いた。
 彼女の精神が食事を必要としていなくとも、彼女の身体は栄養を求めている。それに気付かないほど、皐月の身体は病んでいるのか。
「最近寝てるか?」
 二番目に気になっていたこと。
「寝ると嫌な夢を見るから、出来る限り深い眠りにはつかないようにしている」
「何でそんな所ばかり器用なんだよ」
 無茶苦茶だ。これでは蛇神の呪いが彼女を殺すよりも早く、衰弱死してしまう。
 どうにかして、彼女の神経を休ませなければいけない。睡眠でも、食事でも、この際気晴らしでも何でもいい。
 と、その時ふいに佑介は思いついた。即座に拒否されることを覚悟で、言ってみる。
「……皐月。舞、見せてくれ」
 予想に反して、初めて皐月が反応らしい反応を見せた。
「……なぜそこで、舞なんだ」
 こちらを向いた。それに少し安堵し、しかし佑介は口をつぐむ。
「……理由はないが。最近見てないなと思っただけだ」
「ふぅん……」
「駄目か」
 突っ撥ねられると思ったが、何を思ったか皐月はゆらりと立ち上がった。
「曲も道具もないからな」
 それが承諾の言葉だったのか。そう広くもない部屋の真ん中に立って、皐月は静かに息を整える。
 す、と彼女の右腕が真っ直ぐ伸ばされる。同時に左足を少々中心からずらし、歩幅を広げた。
 直線、曲線、円。様々な図形を、その腕が、脚が、手首が、指先がゆっくりと紡ぐ。
 時には厳かに目を閉じ、時には糸で引いたような恐ろしく真っ直ぐな眼差しで。
 ──確かに笛や太鼓の調べもなかったが、その洗練された動きは一片の曇りもなく、そんなことを忘れさせるくらい、ただ美しかった。いや……寧ろ無音の美と言うべきか。
(大昔の巫女、花月とやらの生まれ変りと言うのも、あながち冗談ではないかもな……)

 そのまま四半刻(約三十分)も過ぎただろうか。佑介は我を忘れて彼女の舞に見入っていた。
 ゆっくりと皐月の腕が下り、脚が止まる。細い息を吐きながら、皐月はこちらを見た。
「……どうした? 要望通り舞ってやったというのに、呆けた顔をして」
 その言葉でようやく、彼は我に返った。馬鹿正直に見惚れていた、などと言ったら、顎に一撃くらいでは済まない。
「あ……いや。良かった。ありがとう」
 適当に言葉を濁す。しかし彼女がそれで気分を害することはなかった。
「そう……なんだか、疲れた」
 彼女にしては珍しく、力の入らない声で呟くと。
「あ、おい……ちょっと待て」
 かくん、とその場に膝をつく皐月。佑介は慌てて彼女の傍に駆け寄った。
「……夢は……見たくない……。
 けど……少しだけ寝かせて」
 それだけ言うと、皐月は佑介の腕の中に倒れこんでしまった。睡眠もろくに取らず、精神的に疲弊しきっていたのだから、当たり前だ。
「悪かったな、皐月」
 でも、結果的に良かったのかもしれない。安定した寝顔を見せる彼女にとっても、自然と微笑が込み上げる自分にとっても。
 佑介は皐月の身体を片腕で抱えると、空いている手で、器用に隅に畳まれている布団を敷いた。そっと、その身を横たえる。
 悪夢にうなされて目覚めたとき、誰かが傍に居ないと不安だろう。
 佑介は壁に寄りかかって片膝を抱え、皐月の寝顔を見つめていた。


 更にその三日後。皐月を起こすため、彼女の部屋にきた佑介は、部屋の様子がいつもと違うことに気が付いた。
 皐月が部屋に居ない。どころか、人の気配と言うものが全くなかった。敷かれた布団はまだ微かに暖かく、確かに皐月がここに横になっていたことを示す。
 ただ部屋に居ないだけならば、厠へ行ったとも考えられる。しかし、そうであれば渡り廊下を渡ってきた佑介と擦れ違うはずだ。
 急に嫌な予感がして、佑介は社の入り口へと引き返した。
 掃き掃除をしていた若い坊主に、息せき切って尋ねる。
「皐月がここに来なかったかっ!?」
 もしもどこかに行ったならば、必ずここを通る。しかしその坊主は、しばらくこの周辺を掃除していたが、誰も来なかったと答えた。
「皐月さんになにか?」
「いや……皐月の部屋に、卯伊さまを呼んできてくれ。急いで!」
 呆気に取られている坊主に踵(きびす)を向け、彼は皐月の部屋に戻った。思い出したのだ。部屋の奥の、人一人が何とか通れそうなくらいの窓があるのを。誰にも目撃されずに外に出るなら、ここを使ったはずだ。
「……やっぱり……」
 まだ新しい、土の後と踏まれた草。皐月はここを通って外に出たに違いない。
 その時、部屋の中に卯伊が入ってきた。
「佑介。皐月は……」
 窓を視線で差し、首を横に振る。
「踏まれた草の汁が新しい。まだそんなに時間は経っていないはずだ。
 それに、この方向はおそらく山を降りたと思われます。
 ……探してきます」
「……頼む」


「皐月! どこだ、皐月!」
 声を張り上げて、彼女の名を呼ぶ。
「くそっ……」
 苛立ちに、歯噛みする。皐月の足と体力を考えると、まだそう遠くまでは言っていないように思われた。しかしどこかに隠れてやり過ごされてしまったら、どうしようもない。
「くそっ!」
 もう一度悪態をついたとき、佑介の目に、白と朱の塊が映った。
「皐月!」
 その声が聞こえたのか、彼女は一度こちらを振り向き、そして背を向けて駆け出した。
 ──皐月は逃げている。
「待て! 皐月!」
 しかし所詮は女の足だ。加えて皐月はここ数日、ろくに食事をしていない。本人は走っているつもりだろうが、それは怪我人か老人のような走り方だった。
 佑介はすぐに皐月を追い、さほど苦労もせずにその腕を掴んだ。
「皐月!」
「いや! 離して、離して、離して、行かせて、行かせてぇ……っ!」
「皐月!」
 彼女は狂ったように暴れ、必死で佑介の腕から逃れようとしている。佑介はなども彼女の名を呼び、その腕に彼女の身体を閉じ込め、皐月が落ち着くまで待った。
「皐月、落ち着け、俺だ!」
「やめて、来ないで、来ないでっ!」
 怯えて泣き叫ぶ皐月の身体は、痩せ細っていた。もともと華奢な身体つきだが、輪をかけて痛々しい程である。
(これでは、あんな走り方しか出来ないのも当然だ)
 佑介はぎり、と奥歯を噛みしめて、皐月を抱く腕に力を込めた。
 やがて、彼女の身体から抵抗が抜け、皐月の荒い呼吸しか聞こえなくなると。
「皐月……」
 抵抗を止めた彼女が、今度は震えているのが分かった。
「……佑……介……」
「落ち着け。落ち着くんだ。大丈夫だから」
「頭の中で、声がするんだ、声が響いて……私は従いたくないのに、それに従って……!」
 震える声で呟く皐月を、佑介は強く抱き締めた。そうすることで、彼女の恐怖を断ち切るように。
「私は……行かなくてはいけない。どこか分からないけど、どこかに行かなくてはいけないって……ずっと言い続けるんだ……
私の中に、私でないものが広がって、蝕んで、壊そうとしてる……
 どうすれば、私はどうすればいい?」
 佑介は悟った。これは蛇神の意思だ。蛇神は皐月の意識を徐々に乗っ取り、
彼女を苦しめ、狂わせ、死に至らせるつもりだ。
「皐月。自分を持つんだ。『声』に耳を傾けるな」
「分かってるけど……私は、どこに……どこに行けばいいんだ? 私はここに居
てはいけないのに……!」
「聞くな皐月! こっちを見ろ!」
 声に誘われる皐月を、必死で連れ戻 そうとする。
「恐い。恐いよ。佑介」
「……大丈夫だ。逃げるな、皐月。どこに行っても蛇神はお前を追ってくるかもしれないが、どこに居ようとお前はお前だ」
 皐月の震えが完全に消えるまで、佑介はずっと彼女を抱き締めたまま、言い聞かせていた。
「……佑介……」
「――大丈夫か?」
 そっと、腕を離す。すう、と力が抜けたように、へたり込む皐月。慌てて佑介は彼女を支えた。
「……逃げるな、どこに居ても変わらない……」
「皐月?」
「どこに居ても……変わらない……」
 ふ、と皐月の瞳の焦点が合った。
「そう、か……」
 よろり、と立ち上がる。佑介は彼女を支えながら、尋ねる。
「どうしたんだ、いきなり」
「佑介」
 言った彼女の声は、思いの他しっかりしていた。
「手伝ってくれ。蛇神の呪いを解く」


2004-02-07 11:06:47公開 / 作者:宇多崎 真智
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■作者からのメッセージ
第3話です。いろいろあってかなり凹みましたが、加筆修正してなんとかアップです。
つまらない裏話なんか暴露しますと、これはもともと一昨年(2002)の夏、文化祭の部誌掲載のため、編集長に「2週間で2作よろしく☆」とか言われて書いた代物です。ワードの日付見ると、書き始めから印刷まで10日……。締め切り前日(当日?)は徹夜でパソに向かって、睡眠時間は2日で7時間以下という(私にとっては)過酷な作業の末、当日編集長に「ごめんッ!まだ全部出来てなくて、あと一日あればできるから、明日まで待ってッ!!」と謝り倒したところ、「えっもうそんなに出来てるの!?まだ誰も出してないから全然平気だよ」と言われて思わず彼女を張り倒しそうになったのは嘘の様なほんとの話。宇多崎高2の夏でした。
えー……馬鹿話でしたが、次回の更新で完結です。ここまで読んで下さってありがとうございました。
この作品に対する感想 - 昇順
佑介君のしっかりしているキャラが好きです!次回で完結なので、今後の二人の関係とか、果たして呪いが本当に解けるのか、気になる所満載なので、楽しみにしています!
2004-02-07 12:12:17【★★★★☆】葉瀬 潤
計:4点
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