『神の恋』作者:篠宮恵美 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 必ず迎えに行くよ。
 その瞳と同じ紫の色のアメジストの指輪をムリヤリ嵌めて交わした約束。
 そのために、ボクは生きるんだ。


「んふ〜♪んふふ〜♪んふ〜♪」
 ボクは今日も上機嫌ナリ。
 お日様が出ていて気持ちイイし、いつもはねてるちょっとクセっ毛の横髪も今日ははねてない。
 良い日になりそうだ。
 木造の質素なベットの上に放ってあるポーチからヘアメイクを取り出して鏡台の前でシュッシュッと二吹き。
「うん、可愛いわ」
 にっこり、満足。
 肌も荒れてないし、ニキビもなし。
 目も腫れぼったくないし、顔もムクんでない。
「パーフェッックトッ!!」
 バシッと両手を上げてナゾなポーズ。
「うふ。こんな変なカッコウしてても完璧なボクってもしかして天才?」
「アホか。朝っぱらからクソジャリがよけーなコト、してんじゃねえよ」
「なによ。女の子の着替えを勝手に覗かないでくれるかしら?」
「このオレをトランクに押し込めてここに持ってきたのはてめえだろがっ。大体……、てめえごとき真っ平らな体見たトコで何とも感じねぇよ」
「まっ真っ平らですってぇぇぇぇっ!!ヒトが気になっていることをっ!!」
「けけけっ。事実じゃねえか」

 ベッドに鎮座ましまししているのは一見とゆーかどー見ても犬にしか見えない謎の生物体。
 茶色の毛並みがなかなかに良ろしいのは、このボクが小姑並に口うるさく口が悪いコイツの願いを聞いて二日に一辺は風呂に入ることを許可しているからだ。
 そして動物のクセに喋るコイツのことをボクは実はあまり知らない。
 だってそもそもコイツの出会いのことはボクは思い出せないんだから。
 とにかく気が付いたら隣にいて当然のようにこんな風に悪口を言い合ってた。
(まあ、でも、他に身寄りもナイしね〜)
 ボクはこの世界ではちょっと生きにくい境遇の持ち主だ。
──フェアリーテール。
 耳が羽のように変化して、莫大な魔導力でそこら辺の小っちゃい石も宝石に変える能力を持つ。
 ボクもちょっとだけ、その「力」を使って旅の資金を稼いでるケド。
(そんな、大したものでもないのにね)
 他の同じ種族の人がどーだかは知らないけど(ボクは生まれた時から一人だった。えへ。少し可哀想げ?)ボクはちょっとだけその輝きを増すことしかできない。
(噂って尾鰭付くのよね)
 なまじフェアリーテールが今では既に狩り尽くされてほとんどお目にかかれないから、想像力は大っきくなる。
 ……でもね、そんなに可哀想でもないんだよ。
 正体さえバレなければ(羽耳は魔導力でヒトの耳みたいにも出来る)ふつーにヒトと紛れて生きていくことだって出来るし。
(何よりボクはアコガレのあのお方に会えたし)
「キャア〜。想い出しちゃったわ〜」
「また、ドアホな妄想癖が始まった」
 一見犬(通称ポッチー(本人はイヤがったが、ボクが犬はポッチーと押しつけて決めた))の同室相手が呆れるが、耳には入ってこない。
「うふ。カッコ良かったわ」
 虹色の腰まで輝く髪。
 同じ虹色の七色の細くてキレイな瞳。
 太陽の光のような白い掌でそっと優しくこのボクの頬に触れてくれた。
「そしてそして、「大丈夫かい?」って〜。キャア〜♪」
「……どーでもいいけどな。もうすぐチェックアウトの時間じゃねえか?」
 んなアホなコトしてていいのかよ?とポッチーより更に突っ込み。
 ハッと我に返る。
「バカバカ〜!!そーゆーことは早く言ってくれるかしら?」
 「てめえで気づけっつの」というポッチーの至極尤もな反論は耳から耳へ流して、まだ塗り残しているピンクのカラーヘアメイクを髪にスプレーしピンクのカラーコンタクトを瞳に入れ荷物を大急ぎで纏めて二階の寝室から一回のカウンターへとダッシュした。


「ねえ、今日は、どうしようかしら?」
(……その、クソ似合わねえ喋り方は、やめる気はねえんだな)
 他の人がいる時は、頭ん中に直接語りかけてくるポッチーにボクは聞く。
 はたから見ると、独り言を言う変なヒトだが、せーっかく喋れる相手がいるのに、話さないなんて、損だ。
 ボクは、他人からの見た目より、自分の快楽を重視する楽天主義者なんだ。
「似合わなく、なんて無いわよ。少なくとも、ルックス的には、合ってるわよ」
 とりあえず、腹が減っては戦が出来ぬということで、宿の一階の吹き抜けの大衆食堂で、席に着いてるボクたちだけど、
(ホラ、また、振り返った)
 それなりに繁盛している、歩き回る時に肩と肩が触れ合わなくてはいけないくらいの人口密度のこの店の中で、このボクを振り返ったのは、これで三人目だ。
(この店に入ったのは、十五分前だから……上等なものだと思うケド)
 花のコサージュを所狭しと飾り付けたピンクのバスケットの中でポッチーは窮屈そうに耳の後ろを前足で掻いてる。
(そりゃあ、お前が顔とこれまた合わねえカッコウしてっからだろ)
「むっ。カワイイ女の子がカワイイ格好してナニが悪いのよ」
 今日のスタイルはお気に入りだ。
 ピンクのフリルの付いた膝丈までのスカートと、それより少し薄い色彩の桜色の刺繍を袖につけた、カーディガン。ゴージャスなフリルの付いたブラウス。
 薄水色の花のブレスレットもお気に入りだし、それとお揃いのペンダントとイヤリングも秘蔵の品だった。
(少女趣味すぎんだよ。てめえのツラ見てから考えやがれ)
「うふふ〜♪ポッチーにはこのセンスが分からないのね」
(今日は、特別な、日だから)
 十年前の今日、ボクは運命の出会いをした。
 相手は超絶美形な正体不明の男の人。
 何にでも姿を変えられるんだって言ってた。
 十年ごとに真の姿に還るから、その時見つけてみろって。
(そしたらそしたら、私をおヨメさんにしてくれるって〜!!!)
「キャ〜!!」
(オイオイ、うっせぇよ。クソジャリ)
「おヨメさん……おヨメさん……うふふ〜」
(きーてねぇし。脳味噌腐ってんじゃねえのか)


「……ライラルンカ」
「へえ?おめえにしちゃあ、随分ロマンティック路線だな」
「そりゃあ、オレにもよっやっと、コレが出来たからな」
 小指を立て浅黒く日焼けした精悍な顔をした男が、ボクからちょうど二つ右隣の席で笑った。
 ムサイ男、二人組らしい。
 朝も早くから(ちなみに今現在の時刻は八時半だ)男同士でサミシイ食事かあ可哀想ねえなんて、自分のウェディング姿からバージンロード、新婚風景まで一通り妄想し終わったボクは思う。
「ライラルンカだって……知ってる?ポッチー」
 丸テーブルの下のポッチーに聞く。
 ポッチーは珍しく応えない。
(ふっふ〜んだ。意地悪して教えてくれなかったって、あの二人の会話を盗み聞きしちゃえばすぐ分かるんだから)
 ボクは、頬をぐにりと潰して肘鉄して二人の方にバレないように椅子を寄せる。
 いかにも肉体労働派な筋肉ムキムキの二人はそんなこっちの不審な行動には気づいていないみたいだ。
 相変わらずの会話を続ける。
「でも、ホントかねぇ?そんな、夢みたいな話がねぇ」
「あるんだってっ!!確かな筋からの情報だから、信用できるぜ」
「……ふ〜ん。白い花畑に奇跡のような音楽ねぇ……」
「そうっ!!それが、ライラルンカ」
 ボクの三倍はあるんじゃないかってくらい、太い指を胸の前で合わせ、その外見とは全く合わない夢見る少女のポーズを、その男は、する。
 目までキラキラとダイヤのように光ってきそうなその素振りに、何か見てはイケナイ物を見てしまった気分で、ボクは向き直った。
「……ご注文の、フルーツパフェです」
 ちょうどそのタイミングで、土色のエプロンを身につけたあまり表情の変わらない無愛想なウェイトレスが、皿を運んできた。
「わぁ♪うれしいわ」
 早速備え付けの銀のスプーンをウキウキと持ち、一口、頬張る。
(幸せ〜)
 夢中になってスプーンを進めるボクに何か視線を感じて下を向くと、ポッチーがその犬にしては少し小さい体を丸め、じぃっと見ていた。
「あ、欲しいのかしら?」
 ゴメンなさいね〜。自分ばっかり楽しんじゃって。
 一応、ペット禁制の食堂だから隠しているけど、ちゃっかり何品かはポッチーのための食糧を持ち帰るつもりだったんだけど。
 今すぐ欲しかったのかなあ、そんなにお腹空いてたんなら悪いコトしちゃったな、と少し反省した。
 対して、ポッチーはムッスーとした顔のまま動かない。
「ポッチー?」
(……行くのかよ?)
「ん〜行くわよ?どうして?」
(今日は、特別な、日だったんじゃあないのかよ)
 運命の人と会える。
「エヘヘ。それだったら大丈夫よ。あのお方が何処にいてもね、ボクには絶対分かるわ。だって、それが、運命の人だもの」
(……そうかよ)
「それにね、どうせ、会うのなら、ステキな場所で会いたいでしょう?だからね、今日のこの日に「ライラルンカ」を捜すのには、意味があるの」
(オレには、そういうくだんねえことを考えるてめえの気持ちがわかんねえな。会えりゃあ、何処でも同じじゃねえか)
「ふっふ〜ん。ポッチーのような野蛮なヒトには15の乙女の気持ちはわからないわよ」


 ボクは、あのお方に釣り合う自分になるために、あらゆる努力をしてきた。
 虹色に輝く清らかな気を放つあのお方の隣に並び立つためには、清楚な美少女が似合う。
 そう思ったから、この男の子みたいな喋り方だって必死になって変えてきたし(それでも時々ボロが出るけど、それはナイショだ)好んでフリルがついた着用品を選んできた。
──それなのに。
「コイツは、いっつも否定するのよね」
「あ?ナンか言ったかっ?」
 人が多い街道沿いから人気のない獣道へと進路を変えたボクたちの周りには、当然のようにヒトはいない。
 チュンチュンと鳥が高く鳴いて、森の切れ間から時々陽が覗く。
 背丈近くまで草が植生していて、藁のサンダルを履いた裸足がくすぐったい。
 だけどボクはそんなコトよりいざあのお方に会った時こんな姿は見せられないなあコレは見つけたら一回宿に戻ってシャワー浴びないと、なんて思ってた。
「……ん〜。何でもないわよ。それよりあのオヤジ、間違った情報を流してんじゃないでしょうね」
 あれから、「ライラルンカ」という単語を聞きつけたボクは、馴染みの腕利きの情報屋に速攻で駆け込んで正確な地図と方角を掴んできたのだ。
「そんなコトして、あのオヤジに何の得があるんだよ」
──アホかお前。
「アホアホ言わないでくれるかしらっ!!」
 草と草と間を器用に擦り抜ける小柄な彼を恨めしく眺めながら、ボクは歩きにくいことこの上ない道をガシガシ進む。
 汗が、吹き出る。息が、苦しい。
(でも、頑張るんだ)
 あのお方が、その綺麗な瞳で、その風景で、そっと微笑ってくれたら、それだけで幸せだから。
「あ〜。やっぱり、追ってきやがった……」
「え……?」
 ポッチーの呟きにボクは足を止める。
 ポッチーは時に鋭い。
 自由気儘なボクの旅に危険のシグナルを鳴らすのはいつも、ポッチーの役目だ。
 ポッチーが「危ない」と言って止めた場所は常に曰くつきの所で、ボクが行くのをやめた直後に人が死んだり、怪我したりしていた。
 だから、ボクはこの時もポッチーのことを信じていた。
「ヤツらだよ。……食堂の」
「え……?そんなに恋人に見せたかったの?……まあ、凄く楽しみにしてたみたいだけど」
「アホか。んなの演技に決まってんだろっ」
「え……?演技って……?」
 ボクの言葉と同時に、周りの雑草が風とは違う、不自然な動きに揺れた。
 そして、いつの間にか十数人の筋肉マッチョな汗くさそうな男たちがボクたちの四方の行き手を阻むように、立っていた。
 しかも、手に手に剣やボウガンや弓を持ってるのは何たることか。
 ボクにはさっぱりワケが分からなかった。
「ね、ねえ……コレ、どういうことよ……?」
 小言でポッチーに話し掛けても、彼は応えてくれない。
 代わりに食堂でも見かけた、あの、夢見るロマンティストが一歩前に出た。
「その、手に持っている地図を、渡してもらおうか?」
「え……?」
 混乱した頭で考えを纏める。それでも、ボクには分からない。
「ふぇっへっへっ。おミズ系のツラして、似合わねえブリブリの服着て、何処の箱入りお嬢だよ」
「コイツを売り飛ばしても、イイカネになるんじゃねえのか?」
「ふぇっへっへっ。そぉりゃあ、違いねえやっ!!」
「え、え……?」
「オラオラボサっとしてんじゃねえよっ!!その手に持ってるモンを渡せって言ってんだろっ!!」
 ムリヤリ、その腕も掴まれるにあたって、よーやく、騙されたことに気づいた。
「……あんたたちねぇぇぇっ!!」
 バシッと男の毛深い手を振り払う。──本当は触るのも嫌なくらい、汗でぬめぬめとした手だったけど、我慢する。
「あんたたち、地図が欲しかったら、自分で何とかしなさいよっ!!大の男がよってたかってこんなか弱い女のコからタカるなんて情けないと思わないのっ!!」
「か弱い女のコだって……?ふぇっくっくっ」
「バカじゃねぇの?コイツ……?」
「すぐにコロッと騙されたクセに……」
 口々に下品な、聞くだけで耳が汚れる揶揄や蔑視の声が届く。
 ボクはきゅっと、唇を噛んだ。悔しかった。──どうしてこのボクが、こんなヤツらにバカにされなくちゃいけないのか、いわれがないからだ。
「残念ながら、お嬢ちゃん。世の中、上手く渡った方が、勝ちなんだよ」
 噛んで含めるような偽りの優しさの仮面を被って、自らの優位を疑っていない先程ボクに右腕を思いきり叩かれた男が近づいてくる。
(──イヤだ、イヤだ)
 逃げられない。
「イヤだぁぁぁぁっ!!」
 耳が、虹色に輝く。
 体が数十メートル、浮く。
 瞳を閉じ、視界は真っ白に染まる。
 土が、盛り上がる。
 放たれる巨大な魔導のエネルギーに耐えきれず、草がボクを中心に円形に曲がる。
 ボクは、呪文を唱える。
 古えの呪文。
 大地の精霊と心を通じるフェアリーテールであるボクでしか知り得ることが出来ない、母である大地の真名(まことな)。
「ラ=ル=ラ=ローズ。愛し児である我の名はシャリティー=ルーラル。その力を迷える我の前に今指し示せ……」
 足下から火・水・風・土を示すクロスの紋章が浮かび上がる。
 古代言語で語られるこの言葉はヒトである目の前の彼らには伝わない。
 ただ、某かの大きな力が働いている、その事実だけが、分かるだけだ。
「ラ=ル=ラ=ローズ。ラ=ル=ラ=ローズ。ラ=ル=ラ=ローズ。……シャリティー=ルーラルっ!!」
 フェアリーテールの真名は大地の真名と同じく、莫大な破壊と戒めの力を持つ。──それは、意志を持って唱えるだけで、呪いとして威力を持つくらい。それゆえ、ボクは限られた人の前でしか、自分の名を告げない。
 ポッチーが、いつも「お前」とか、「てめえ」とかしか言わないのはその為だ。
 そして、ボクが真名を告げているのは、あのお方と、ポッチーだけだ。
──果たして、その壮絶な力は、大地を数百メートル盛り上げ、取り囲んでいた男たちを上下左右へと揺らす、地鳴りを起こした。
 ボクの耳は、キラキラと金色に輝いている。
 ボクの力の源。
 フサフサとウサギのように長く顔と同じ程度伸びたそれが、ボクがボクである証。
 普段は隠さなくちゃいけないけど、ボクはボク自身に誇りを持ってた。
(それを、穢したヤツらを……)
──赦すわけにはいかない。
 騙され、あまつさえその言葉でボクを貶めたヤツらに対する怒りに燃えるボクは、異なる呪文を唱え始める。
「風の神よ……」
 違う神の召喚のそれを唇に乗せる、その時──。
「バカかお前っ!!やめろよっ!!」
 良く見知った、知己のそれにボクは手を止めた。
 ソイツは、草の端にみっともなく捕まって、それでも必死にボクに呼びかけてた。
「そんなコト、してみろっ!!てめえの体が先に呪いの威力に耐えきれずに消し飛ぶぞっ!!」
──ポッチーだった。
 いつもキレイにいないと煩い彼が、汚れるのにも構わず、真剣な瞳でボクに語りかけていた。
「ボク……」
(犬のクセに……)
 いつも一番大事な時に、彼は助けてくれるのだ。
「ボク……は」
「いいから、てめえは寝てろ。……後はオレが何とかするから」
 子犬の彼が何をどのように大男の彼らとこの惨状をどうにかするのか、全く分からなかったけど、この時の彼には任せても大丈夫な気がして、ボクは意識を手放した。


(……花の、香り?)
 何とはなく、白をイメージさせる芳しい香りだった。──香水のようにキツくはなく、また、嗅ぎ逃してしまうほど微かな匂いでもない、とても不思議な香りだった。
「……どうして……?」
 ボクが気を失ったのは草が無造作に生えている、土地で。
 こんな、花の香りなんてしなかった。
「……どうして?」
 二度目の呟きでボクは、目を開けた。何故か、怖かった。瞼を開いた時に現れる現実が。
 広がる一面の白い花畑──。
「ここ、は……」
 「ライラルンカ」──?
「どうして?」
 ボクは確かに「そこ」に行こうと思って旅立ったし、地図も持っていた。でも、ポッチーがボクを運んで連れてきたにしても、ライラルンカはまだ遠くて、子犬の彼にはそこまでの体力はないはずだった。
「……不思議、そうですね」
 シャラン、シャラン、シャララン……。
 葉音が、優しく音を奏で始める。
 天上の音。
 その輝き。
 ヒトが等しく紡ぐ七音には決して含まれないその、旋律。
 耳の、脳の、一番奥に直接語りかける真紡ぎの詩(うた)。
(ああ……これが「ライラルンカ」の……音楽)
 「奇跡」
 食堂のあの男の言葉の中で唯一嘘ではなかった、それ。
 ボクは、振り向く。
 その、「奇跡の音楽」に負けないくらい、それ以上に美しく、得難い声をかけた、相手に。
「お久しぶり……ですね」
 存るのは、柔らかく……微笑む虹色の唯一至高の美貌の持ち主──。
 腰まで真っ直ぐに伸びた、光り輝く川を思わせる、七色の髪。
 同じく古代の聖者を思わせる、質感を感じさせない薄い衣を幾重にも羽のように重ねて服と成す細い肢体をひっそりと包むローブ。
 午後に傾きかけた陽の光に照らされる、初雪のような白い肌。
 そして、底を感じさせない、神聖な──どんな宝石にも色褪せない七色の瞳。
 全然……変わってなんてなかった。
 昔ボクが渡した彼を彩る中では異質すぎる、不格好な約束のしるしも、彼の細い長い小指に嵌っていた。
「あ……う」
 声が、出ない。
 会えたら言いたいことが沢山あった。
 貴方に会うためにこんなに頑張ったんだよ、とか。
 ボクは、貴方の隣に並ぶのに合格でしょうか、とか。
 それから、ボクはこんなに素晴らしい友だちにあったんだよ、とか……。
(友だち……?)
 周りを、見る。──いないっ!!
「友だちっ!!」
 いきなし大声を上げて、長年のアコガレの人の光彩の無い虹色の瞳が少し大きく見開いたけど、構ってはいられなかった。
「あの、あのガイスト様っ!!ポッチーを、ポッチーをご覧になりませんでしたかっ!?」
(一緒にいたはずなのにっ!!)
 言い様の無い不安に駆られていた。
 それから暫くして、その名だけでは、このお方にはその姿形までは伝わないということに気づき、身振り手振りを交えて懸命に説明する。
「あの、このくらいのっ!!子犬なのですけどっ!!ええーっと茶色で……それでちょっとふてぶてしいカオをしてて……」
 自分の膝丈くらいまでの高さを示し、のちに特徴を伝えようとする、でも、それは上手くはいかない。
「それで……」
 言葉が、続かない。
(ポッチーは、近くにいすぎたから……)
 いつも手を伸ばせば、そこに、いてくれたから。
(……わからないんだ)
 何と言えば、他人に彼が伝わるのか、分からなかった。
 虹色のその人は、頷く。
 髪の毛のちょっとした、揺れさえ光を弾く水面のようで、うつくしかった。
「…あなたの、そばにいた、子犬のことですね……?」
「ええ、ええ、そうですっ!!」
 やっぱりこの人は、知っていたっっ!!──希望に燃えるボクは、その胸元に駆け込んだ。
 でも、その人は、長く細く虹色に輝く睫毛を穢れなく透明な白い瞼に落とすばかり。
 風が、舞った。
 紅く、一輪の薔薇のように華やかでありながら何処か清楚な薄い色彩を感じさせるその唇が、開いた。
「……死にました」
「え……?」
 シャラン、シャラン、シャララン……。
「あなたを、ここに連れてくる、ために、力を使い果たしてしまったんでしょうね……。わたくしがここに着いた時には、既に……」
 何度も何度もその頬にかかる長い髪を直すその仕種。
 一度もこちらを見ない瞳。
(う、そだ……)
 言いかけた言葉を口中に飲み込む。
 存在自体が、力に溢れている彼。そこに立っているだけで、他者を圧倒せずにはいられないその威圧感。──子どもの頃には分からなかったけど、きっと彼は、フェアリーテールのボクでも実際には見たことはない「神」の内の一人だと今は確信しているから。
(神は嘘はつけない……)
 神は言霊に縛られる存在だ。──だから、彼が語る言葉はすべて真実。
「……ポッチー」
 ポロポロと涙が零れる。
 小っちゃな体のクセに、口が悪くていつもいつもボクを困らせた。
 キレイ好きで、ボクの趣味に理解が無くて。
 でも変に、勘が鋭くて。
 危ないところで助けてくれることも、多くて。
 唯一の、ボクの、友だちで──。
「うわあああん。ポッチーっ!!」
(大好きだったのに、一度も、それを言えなかった)
 意地なんて張らなくて。
 言えば、良かった──。
「うわあああん。うわあああん」
 ボクは、泣き叫んだ。
 やっと会えたあのお方の前で、鼻水垂らして。
 惨めに。
 泣き叫んだ。


「……どうしたもんかな」
 自らの胸でひとしきり泣き叫んだ後、一時の安らかな眠りに落ちた、その小柄な少女を抱き止めた「鏡神」ガイスト=エミールは心底困ったようにその口調さえ変えて呟いた。
「いや……嘘は、ついてねぇけどさあ」
 ボリボリとその頭を掻く。──先程までの一種近づき難いまでの神々しさは何処に行ったのやら、人間くさいそれに胸の中の少女が起きていたら、瞠目するに違いないだろう。
「まあ……確かにあん姿の時に一回、力、使い果たしちまったから、一度は死んだんだけどよ……」
 少女が二度目呪いを唱えるのを止めたあの後。
 彼は、子犬である自らの姿を保てないほど、魔力を消耗してこの地に彼女を運んだのだ。
 そして彼は少女の望むとおりの形になり得たのだが、彼女の中でかなり肥大し美化しすぎている自分と、常に隣にいた本来の性格の自分を見比べて、彼女が前者のことばかり誉めちぎるので、少々彼は面白くない気分になっていたのだ。
(だから、一芝居くらい打って、…反応を見ようと思ったんだけどなあ……)
 あんまりもの彼女の哀しみの慟哭に真実を言いそびれてしまった。
(さあて……どうしたもんかなあ……)

 自業自得の神の恋の行方は、前途多難のようである。
2003-09-02 14:26:40公開 / 作者:篠宮恵美
■この作品の著作権は篠宮恵美さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
読み切り小説に挑戦してみました。
楽しんでいただけたら幸いです。
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この作品に対する感想 - 昇順
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