『虚構と居場所と淋しさと』作者:朝日真秀 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角4000文字
容量8000 bytes
原稿用紙約10枚
「──…何だ。明かり消し忘れたのかと思ったら、まだ起きてたんだ」
 扉から顔だけ出すと、回転椅子の上で胡坐をかいているこの部屋の主は、驚きもせずに振り向いた。
 能面のようなその無表情。肩より少し長い、セミロングの髪が邪魔と言わんばかりに括られている。
 あまりにも彼女らしくて、危うく失笑するところだった。
「お邪魔してもいいかしら?」
「どうぞ?汚い部屋だけど」
 彼女は本当のことしか言わない。
 本当に、お世辞にも綺麗とは言い難い部屋。床を埋め尽くしているのは、おびただしい量の書籍類だ。
 唯一そのままの姿が保たれているベッドに座ると、彼女は器用に反動だけで椅子を回してこちらへと向き直った。
「何してたの?」
「インターネット。前に言わなかったっけ?ホームページ作ったって」
 言いながら、机の上に広げてあるノート型パソコンのマウスを忙しなく動かしている。
 彼女のパソコンには『御門(みかど)』という、大層立派な名が付けられていた。
 名付け親は勿論所有者。
 以前書いた小説の登場人物の名だと、彼女の口から聞いたことがある。
「そう言われてみれば、そんなこと言ってたわねぇ」
「冷てぇ〜」
 戯けた調子の声に、低く籠もった笑いが重なる。
「わたしは冷たい女よ。──で?そのホームページでは何をやってるの?」
 彼女は目を見開き、わざとらしい大きな溜息を漏らした。
「友達甲斐のない人だね。あたしは何を目指してるんだっけかぁ」
 間延びした言い方に、また笑いが込み上げてきそうだった。
 彼女は外面がいいだけに、初対面の時はまんまと真面目で大人しい子だと思わされた。付き合っていく内に、何十枚と剥がれ落ちた化けの皮。
 真面目で大人しいなんて、一番似合わない言葉だと痛感した。
「物書きだったかしらね。…あぁじゃあ、小説載せてるわけ?」
「御名答。正解した貴女にはこれをプレゼント♪」
 無造作に一冊のノートを投げて寄越す。
 中をパラパラと捲ってみれば、右上がりの特徴ある字が幾つもの文章を綴っている。
「ホムペに載せてる小説の下書き」
 言われて再びノートに目を落とすと、一つの文章が飛び込んできた。

『神は狂った。テトラグラマトン─四文字から成る神─、即ちエホヴァ─IHVH─は狂神となったのだ。』

 わたしの知る限り、彼女が西洋ファンタジーを書いたことはない。ホームページで新たなジャンルに挑戦しようというのだろうか。
「長そうな話ね」
「んーそこそこだと思うけど?」
 マウスをクリックする小気味良い音が響く。それに一呼吸遅れて小気味良いとは程遠い、疲労を感じさせる溜息が彼女の口から漏れた。
「楽しくないの?」
 刹那、驚きの表情が浮かんだように見えた。けれどこちらに顔を向けた時には、困ったような笑みが浮かんでいるだけだった。
「始めた頃に比べると、楽しくないかなぁ。解っちゃったからさ」
 乾いた笑い。何処か自嘲的な感じがする。
「何が解ったのよ」
「…始めた頃は顔が見えなくて年齢も判らなくて、自分じゃない自分がネットに居るみたいで楽しかった」
 胡坐をかいたまま、彼女は両腕を真上に突き上げて気持ち良さそうに背を伸ばす。
「でも徐徐に、その新鮮さは失われていく。代わりに身に付くのは、ネットでの挨拶や付き合い方。要はマナーってやつね」
「当たり前だけど、何処でもマナーってのはあるのね」
「そりゃあそうでしょうよ。良い人ばっかりの御目出度い世の中じゃないんだし」
 その通りだ。広いこの世界、善人だけでは成り立たないだろう。やってはならない暗黙の掟を無知か故意かは知らないが、やる人間がいるのは確かだった。
 だからこそ、暗黙の掟が具現化したマナーが存在する。
「でまぁいろんな人と付き合っていくと、合う人と合わない人が出てくるのよね。好きな人と嫌いな人って言ってもいいかな」
「出てくるでしょうね、当然」
 皆仲良くなんて、所詮幻想でしかない。人間それぞれ個性があると言うのなら、合わない人間がいるのは当然のことだろう。同じことを考え、同じことをするとは限らないのだから。
 少なくともわたしはそう思っている。彼女も同意見だろう。
「忙しいと言いつつ、まめにレスしたり小説を更新する人。本当に忙しいの !? って言いたくなる。本人にしてみれば忙しい合い間を縫って、最低限レスや小説更新だけでもしようってやってるんだろうけど」
 言いたいことが解ったような気がした。彼女は完璧主義者。中途半端な行為は嫌いだった筈。
「忙しいなら、いっそ何もしない方がいい。本当に忙しいなら何も出来ない。違うかしら?」
 言わんとしていることを口にしてみたら、拍手が起こった。癖のある笑みを浮かべて、彼女がわたしを見詰める。
「その通り!そもそも『忙しい』とかをレスに紛れ込ませて掲示板に書くこと自体、大嫌いね。まるで同情を買ってるみたいじゃない !? わたしは忙しいけれどこんなに頑張ってるんですよ、ってさ」
 鋭い目付きでパソコンの画面を睨む。
「『忙しい』とか書かれたらさ、普通『頑張って下さい』とか『無理しないで下さい』とか返すじゃん?それを待ってるような魂胆が、心底気に食わないんだよ」
 部屋に冷気が漂う。殺気にも似た、刺すような冷たさ。久し振りに感じる心地良い空気だ。
 最近はとんと、殺気を伴うような依頼とは御無沙汰なのを思い出した。
「他にもあるけど、そういうのに出くわしていく内に思うんだよねぇ。例え顔が見えなくて年齢が判んなくても、相手にしてるのは『人間』なんだって。虚構で作られたキャラクターじゃないんだ」
 彼女はインターネットに何を夢見ていたのだろう。虚構の世界に浸りたかったのだろうか。
 表情は元の無表情に戻っていた。何を考えているのか解らない、下手すると相手に冷たい印象を与えるものだ。
「挨拶もあれば、礼儀もある。近所付き合い、友達付き合い。良く訪問する親友もいれば、たまにしか行かない若しくは来たら行くクラスメイトみたいな友達も居る。…つくづく、現実と同じだと思わない?」
 笑っている。確かに顔は笑みを作っている。
 でも何故だろう?わたしには、彼女が泣きそうになっているように見えた。
「…止めようとは思わないの?」
 現実と同じで楽しくないと思っているのなら、どうして彼女はホームページを止めないのか。中途半端は嫌いなのに。
「止めないよ。あたしの居場所だもの」
「居場所って、ここだって──」
 貴女の居場所。そう思っているのはわたしや他の皆だけなのか。
「ああ、言い方が悪かったみたいね。物書きとしてのあたしの居場所ってこと。オーケー?」
 右目を軽く瞑って、彼女はウインクしてみせる。
「現実のあたしの居場所は、ここしかないって思ってる。あたしってさぁ、独りが好きなくせに妙に淋しがり屋でしょ?」
 それは知っている。独りで居たいのに、誰かにも居て欲しい。矛盾する思いに出会った頃は戸惑ったものだ。
「大抵何人かの友達と居る時って、話に加わらないといけない。そうじゃないと仲間として認めて貰えないから。でも、皆は違った。喋らなくても、只そこに居るだけで仲間だった。あたしが話しに加わろうが無視してようが、仲間であることに変わりはなかった」
 回転椅子から立ち上がり、ベッドで寛いでいるわたしの隣に腰掛ける。
「皆と居る時は淋しくないし、独りにもなれる。だからあたしの居場所はここしかないよ」
「──ならいいけど」
 彼女も他の皆も、わたしが今の『仕事』に引きずり込んだのだ。ここが嫌だと言うなら、それはわたしの責任に他ならない。
「今思ったんだけど──…」
 彼女が独り言のように呟く。
「ホームページ運営してる人って、交流を持ちたがるよね。掲示板とかあるし。意外と皆、あたしと同じ淋しがり屋なのかも」
 淋しがり屋の集まり。
 わたしには良く解らないけれど、彼女がそう感じるのならばそうなのかもしれない。
 ふと、パソコンの隣に置いてある藍色の、開いた窓のような形をした時計が目に入った。
 午前二時四十分。
 明日に備えて、そろそろ自室に引き上げた方が良さそうな時刻だった。
「もう帰るわ。お邪魔したわね」
「愚痴聞いてくれて有難う。何かすっきりしたよ」
 彼女の笑顔にわたしも笑顔で返す。
「じゃあ明日──じゃなかった、今日の店番大丈夫そうね。良かった良かった」
 一瞬、間の抜けた表情になる。やはり忘れていたようだ。
「店番 !? 嘘っっ今日だっけ !? 」
「嘘ですって?このわたしが嘘を言うとでも?」
 高圧的に見ると、彼女は恭しく頭を下げた。──勿論、戯けているのはお互い承知の上だ。
「疑って申し訳ありません、静華(しずか)大明神様」
「宜しい。許して進ぜようぞ」
 言って、二人でくすくすと静かに笑った。そして扉へと足を進める。
「わたしと大海(おおみ)と藤原は買出しに行くから、高杉と二人ちゃんと店番しといてよ?」
「お任せあれ♪」
 彼女は陽気に手を振っている。
「早く寝なさいね!貴女朝弱いんだから」
「はいはい。お休み、シズ。愛してるよ☆」
 さっきまでの無表情は何処へやら。彼女は仲間内には、おどけた表情も結構見せるのだ。
「わたしは愛してないわ。お休み、吉栖(よしずみ)」
 振り返らずに、部屋から出て扉を閉めた。
 振り返らずとも解る。吉栖は今頃、「冷たいなぁ」と言いながら笑っているだろう。
2004-01-20 01:14:55公開 / 作者:朝日真秀
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■作者からのメッセージ
話の世界観とキャラは拙作の派生なので少々解らない部分もあるかと思いますが、作品の主題はネットです。
宜しければ感想などお聞かせ下さいませ。
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