『神々の箱庭 』作者:祈月玲於奈 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角29419.5文字
容量58839 bytes
原稿用紙約73.55枚
ACT0:ガーデン

 犯罪者及び、人為特異体質者、戦闘志願者収容学園。
 通称『ガーデン』
 ここはその名の通り、二十歳未満の少年犯罪者や、人体実験で生み出された特異体質の少年、そしてこの国を支配しようともくろむ他国と戦うと志願した少年の、人殺しを学ぶ施設である。
 この国、名をニホン。民主主義資本主義国であり、先進国として世界を率いるアメリカ国に従事している。何百年も前から言われ続けた地球温暖化の影響をまともに受けて、土地の大部分が海中に沈んでしまっている。元は南北に長い島国だったわけだが、今では本州と呼ばれていた一部分と、四国九州、北海道の高山地帯や、高地だけが浮いて小さな島が出来ているばかりだ。つまりは、四角の大きな陸に、点々と島があるという国。経済状況も、デフレスパイラルという状況が気の遠くなるほど前から続き、人々の生活を日増しに脅かしている。一握りの政治家、金持ちが楽な生涯を生きる、そして一般市民は仕事に明け暮れる。当然のいきさつ、子供達の教育まで手が回らない。それはつまり、子供達が非行に走るのを意味している。彼らは当たり前のように盗み、気に食わないと人を殴り、家に閉じこもり、親を泣かせる。
 そして世界の近況も随分酷いものになっていた。これも何百年か前、第二次世界大戦なる大きな戦争があった。その戦いの中、枢軸国としてアメリカやその他の民主主義、あるいは社会主義国を相手取って、人々の記憶に永遠に傷を残す酷い戦いをした国がいた、それがドイツ・イタリア・そして日本。日本は戦争に敗れてからは、平和主義国として戦争を永久に放棄した。しかし前の二国は違った。つい十年前に二カ国は合併し、独伊共和国なる君主制の国を立ち上げた。ニホンの大人が、ドクイと呼んでいるその二国は、次々に周囲の小さな国を戦争で攻め落とし、規模を拡大し始めた。かの国がその他の小国を落とし始めた端的な理由とは、資源を手に入れるためだった。石油は尽き果て、残った石炭資源や他の動力に欠かせないものを、買うのではなく奪うためである。そして前の世界大戦と変わらず、民衆にこれは正義の行為と言い張り、正当な領地確保、そして資源確保の戦いをしていると思わせているのだ。アメリカやチュウゴクなんかの国の忠告を無視してこのデタラメな国は、今もなお領地を広げているという具合だ。ニホンはこの暴動によって、もしもこの国が侵略戦争を持ちかければ戦うと宣言し、そしてガーデンを作った。
 ガーデンというのは前の通り、少年を人殺しの道具として教育するための政府直属の施設。大きさは首都トーキョーの一等地をまるまるせしめていて、文句なしにでかい。外壁は何十にも及ぶ鉄格子、そしてコンクリートの壁。門は硬く閉ざされていて、そこに住まう少年達は週に一度の外出許可の日以外は外の世界へ出ることを許されない。彼らは休みと睡眠や食事、そして趣味の時間を除き、戦いの訓練を受けさせられ、武器を手に血を浴びて、仲間同士競い合うわけだ。ガーデンの生徒は皆、上の事情の者か親が一級犯罪者である場合が殆どである。非行に走った者、他国の侵略で親を失った者、それから人為的に生まれた者達だ。
 近未来のニホンは経済状況は危ういものの、戦闘兵器や、科学技術においてはアメリカと並んで一二を争う大国である。始めのうちこそ、人権、人権と馬鹿の一つ覚えのように唱えていたのだが、いざ自分らの身が危なくなれば、簡単に人造人間や、化け物に近しい生き物さえ作り出してしまった。そういう人に創られし人は、何かしら特異体質を持って生まれ、普通の人間に白目で見られながら生きる。彼らがつまりは戦闘人間としてガーデンへ送り込まれるのだ。見るもみすぼらしい怪物似の生き物は、ガーデンの訓練用のターゲットとして日々生まれ、殺されている。

 ガーデンの子供たちは、二十歳になるまで生きていれたら晴れて外の世界へ出ることを許され、普通の市民になるか、または軍人になる。外の空気を毎日吸えるだけで、彼らは相当の開放感と自由だと言う感覚を手にする。皆、そのためだけに窮地を潜り抜けているといっても過言ではない。
 子供達は、年齢や出身地、種族によって分けられるのではなく無作為に選ばれて、7人と教員一名の班を作って行動する。寝食、ガーデンでの演習、行動の大半を共にし、小紛争の際には班毎に指令が下り、時としてやはり命を落とすこともある。そんな時、彼らは平然と新しい仲間を迎え入れる。より多く敵軍を撃破した班や、通常の演習で成績上位の班はそれぞれ外出時の小遣いを増しで貰える為、それなりに熱を入れる。既に彼らにとって人殺しも、戦いも、生きぬく為の死のゲームに等しかった。そのくらい、ここではそれが当たり前になりつつあるわけである。
 ただ、一つだけ子供の遊びとそれが違うのは、命を賭けるか賭けないかである。

 今日、また一人この荒れ果てた、水が乾く檻の中に一人の少女が閉じ込められた。
 名前を奪われ、自由を束縛され、殺すことを求められ、そして帰る家を失って。
 当然、彼女の目にガーデンの図は憎らしい鉄格子に映ったことだろう。
ACT1:アクス

 私は普通の中学生だった。だった、という響きから分かるようにもうそれも過去の話。
 私には本当の両親がいなかった、でもこれは現在進行形今もいない。遠い親戚に預けられて、そこで小さな命のともし火を、外敵の風から守っていた。別に、親戚のおばさんやおじさん、優しくなかったわけじゃない。いや、私が殆ど赤の他人であるにも関わらず、自分の子のように手を焼いてくれていた。でもやっぱり本当の自分の子供には適う訳ない。姉として同じ部屋にいた三咲ちゃんは、言っちゃ悪いかもしれないけど私より頭だって、運動だって下だった。なのに、いつも優遇させていたのは三咲ちゃんだった。心底それだけが悔しかった。
 このご時世、大した娯楽も無ければ趣味を持たない人も珍しくなんか無い。趣味が仕事だと言う大人までいる、頭が下がると言うか…寧ろ気の毒だ。そういう私は唯一、水泳が得意だった。クロール、バタフライ、背泳ぎ何でも出来た。それだって、小さい頃泳げなかった三咲ちゃんを引き離して、自分だけ褒められたくてしたことだった。それが今じゃ趣味だなんて、私の方が馬鹿みたいだ。流石に勉強を趣味なんて言うほど、私は良く出来た子じゃなかったから、水泳だけが私のアイデンティティになっていたっけ。敵軍からこの何年か攻撃を受けていたけれど、都心部に家が割と近かったから、軍隊に守られて私はゆうゆうと魚みたいに水の中漂って、友達と笑ってなんかいれたのだ。その軍隊は…自分より年の低い子供まで混じった、ガーデンの生徒だった。たまたま避難所へ逃げている最中で目の合った少女、凍った目つきで睨んでいた。疎んでいる、それが一発でわかった。
 この夏が私の自由の最後の夏だと言うのに、その時は気がつくはずもなかったけれど。
 私の本当の母親は、A級犯罪者だということがわかったから。聞いた話、連続通り魔として、随分前に有名になって、警察沙汰に勿論なったけれど、結局時効までに逮捕されなかったらしい。当然私が生まれる前、それに今よりも少し生活が楽だった時代、どんな気持ちで母親が人を殺したかなんて考えもつかない。今だから人殺しも多くなったようなもの、その時彼女にどんな衝動が走ったかなんて正直な話考えたくも無かった。その母親を警察から匿ったのが私の本当の父で、その時の云々で私が生まれたという。これじゃあ…今までの家族が本当に親戚なのかも疑わしい、でもおじさん達は私の本当の父の親戚だと、大胸を張っていた。その行動自体が既に怪しいなんて、私がとっくに気がついていた。別に今更、誰が父親で、母親が殺人鬼だなんて知っても知らなくても関係ないし、ふぅん、と相槌をかまして終わるような内容だった。
 でも毎日のように押し寄せる外国軍と戦うには、まだガーデンの人手は十分じゃなかった。結構前にテレビでそんなこと言ってたのを覚えている。でも勝手な話、子供に人殺しさせておいて自衛隊軍は指揮官だなんて…いくら犯罪者や、人の子じゃなくってもあんまりじゃない、と言ったのも記憶に割と新しい。人手が足りないってことは、つまらない理由でも人を掻き集めて人口密度を増やし、よりクオリティの高い兵器を作る必要があったに違いない。だから私みたいに、ちょっと犯罪者の血が混じった、特に沢山人を殺したような人間の子供を無理やりガーデンに引き連れていくんでしょう。

 いつも通りの夏休みの最終日、宿題をカバンに詰めて一人ぼんやり窓枠に座っていた時、政府の連中が私を迎えに来た。おばさん恐縮しきってて、舌が回ってなかった。私は両親の事実を聞かされた後、部屋の荷物を必要最小限にまとめて、その日のうちに連れて行かれた。おじさんもおばさんも、それに三咲ちゃんも皆が玄関で驚きとも似つかない表情を浮かべていたけど、誰も泣こうとしなかった。寧ろ、厄介者が減って安堵をしていたようにも映った。ちょっとでも家族を期待した、そんな自分に反吐が出そうだった。

 私が逃げ出したりしないように、なのかも知れない腕に冷たい手錠をはめられた。自分が何をしたわけでもないのにこういうことをされると内心穏やかではない。私に多少なりとも、その凶悪犯の血が流れているのなら、遺伝子的にも私はキレやすいのだろうな、それかどこか狂っているのだろうな、落ち着け、落ち着け、と呪文のように繰り返しながら、道中ずっと心臓をバクバクいわせていた。
 そしてガーデンと呼ばれる施設に行き着いた、本当に大きい。トーキョーの一種名物であった遊園地の二倍はあっただろうか、とにかく見上げればきりが無い高さの建物が数箇所あった。歩くようにきたされて、私は自分がぼんやりと鉄格子を見ていたのに気がついた。同じく子供が脱走を図らないように、何十もの格子がはまっていて、厚さ三十センチはあろうコンクリートの壁が外界と施設の隔たりになっていた。周囲は一軒も家が無かったし、ガードマンやら自衛官やらが無表情で突っ立っているのしか見回しても無い。ガーデンというのは実に強固だなぁ、他人事のようにそう思い嘲笑した。
 私を連れてきた政府のお偉いさんが、携帯電話で誰かと話し終えると目の前の格子が開いていく。あぁ暫くこの景色ともお別れだな、名残惜しいわけじゃなかったけど別れはなんとなく寂しい。少しずつ、足が大きなガーデンの自動ドアに近くなる、ライフルを構えた自衛官が政府の黒服に敬礼をしていた、その中の一人が私を見て笑った気がして、無性に腹が立った。
 
 施設の中も小奇麗で、ハイテクという言葉がお似合いだった。
 物珍しそうに辺りを見ていた私の前に、迷彩柄の服を纏った年は二十歳になったばかりぐらいの、お世辞抜きで綺麗な女性が立っている。絵帽子みたいな変わった帽子をきゅっと構えていて、何だか悲しくなってきた。もっとめかしたら絶対もてるのに、柄にも無くそう思ってしまうところ、私は子供なのかもしれない。ここは殺人者の学校なのに不謹慎な、そう言われそうだったからあえて女性にその旨は伝えなかった。

「瀬野 響子さんね、始めまして、今日から貴方の教官になるポイズンよ、よろしく」

 私の名前を既に知っているようだった、隣の黒服の男にぐいっと頭を押さえつけられて私は頭を仕方なく下げた。それを見て、ポイズン…つまり毒女と名乗った女性はにこりと柔和に微笑んだ。
 そうだ、ガーデンはエイトマンセル、八人一斑で行動すると小学校でも中学校でも教わったっけ。彼女は私の班、らしきものの教官だそうだ。何だか頼りない、若そうだし、体力も無さそう。私は彼女を穴が開くほどじっと凝視しながらそう考えをめぐらせた。

「フルネームで呼ばなくて良いです、好きなように呼んでください」

 ついついいつもの口調でそう言った、隣の男がその肉と皺だらけの顔で睨んだのが見えて、ちょっと肩をすぼめた。だがしかし、ポイズンは笑顔のまま、かたくなに首を横に振る。

「いいえ、その必要はもうなくなるわ。貴方には新しい名前が与えられます。アクス、これが貴方の名前」

 一瞬私の顔がひきつり、その醜い顔のまま液体が固体になるように固まっていく。

「は? それってどういうこと…」

 反射的に私は聞き返していた。今まで呼ばれ慣れ、そして使い慣れた名前を捨てろと間接的に言っている。アクスだなんて、これじゃあ私の嫌いな外風名じゃないか、不満そうな目を向けながら精一杯の反論をしたつもりだった。
 それにもポイズンは動じない、それどころかかえって面白そうな興味津々の目で見つめ返してくる。

「つまりまぁ…貴方の名前がアクスになって、昔の名前じゃもう呼ばれなくなるってことね。あら、こういうことは学校じゃ勉強しないのかしら」

 私がそれなりに勉強が出来るのを知っているのか、ポイズンはあてつけのように言ってきた。思い切り小馬鹿にされれば、温厚な私でも気分を害する。
 舌打ちにならない舌打ちをすると、私は肩掛けカバンを丁寧に磨かれて光を受けているフローリングに投げ捨てた。

「O.C.収容確定者アクス、コード不明。ニホン国の誇りに背かず戦うと誓う…2120.8.16」

 授業で習わないはずないだろう、ガーデンというのはもはや誰の目にも明らかな防衛手段なのだから。見よう見まねで、ガーデンの誓いを述べきった。その言いっぷりに黒服の男や、側近らしき自衛官がぎょっとした目で私を見つめていた。ただ一人、ポイズンだけが満面の笑みで私を見下ろしていた。
 残暑が厳しい八月の十六日、夏休み最後の日。私の自由はここで終わった。


ACT2:クルッタセカイ

 それにしても大きな施設だ、どこへ行くのかもわからないポイズンについて歩きながら私は物珍しそうに施設内を見渡した。
 奇怪な機械の群れ、小さな日用品売りの店が気の遠くなるほど連なったマーケットゾーン、それから大きな女神像の描かれたステンドグラスの先に見え隠れする、数本の高層ビル。流石に摩天楼、とまでは言いにくいけれどそれぐらいの高さはあった。あれにもここと同じような店や、トレーニングルームの類があると思うと何だか眩暈も覚える。これでも都市トーキョーに住んでいた、生粋の都会っ子なのになぁ…。羨ましくはなかったけど、なんとなく残念な気分だ。自分だけが知っていると思ったことを、他人が何事も無いように話すのに似た、恨めしいものだった。

「そんなにここが気に入ったかしら? アクスさん」

 さっきからどうにもポイズンは、私の気を逆撫でするのが好きなようだ。
 気に入るわけないだろう、今までいた家から引き離されて、名前まで勝手に取ってつけられてたまったもんじゃない。幸い私は利口だから、この連中に逆らうなんて馬鹿げた衝動に駆られたりはしなかったけど、七人をまとめる班隊長なら人の気持ちくらい読み取って欲しいものだ。いや、ただ単に私の反応が面白いのかもしれない。私はわざと、楽しそうな笑顔を作って「はい」と答えた。
 その外国風の名を呼ばれるだけでも、十分虫唾が走るのに私で遊ぶからお返しだ。心の中で、反抗できた自分に、拍手を送ってやりたかった。

「あらそう、それは良かったわ」

 語尾に今時の高校生が携帯電話で使う絵文字のハートがついてそうだった。私は真面目人間を装いすぎたせいか、その優等生思考が地についていたらしい、そういう類の流行物とかに異常に拒絶を示している。だから毒女の、名のまま毒を帯びた返事に鳥肌が立ちそうだった。心の中の私は、眉をひそめて「うげぇ」と行儀の悪い効果音を立てた。現実世界の私も、引きつり笑いを浮かべるので精一杯だった。

「あの子達には迎えに来いと言ったはずなんだけど、恥ずかしがりやさんだから来なかったみたいねぇ」

 暫く黙って、それでも好奇心に負けてあちこちに目線を走らせていた私は、彼女の突然の言葉に前を歩くその背に目をやった。迷彩柄に似合わない黒ファーがついたジャケットが視界に入る、初めて見た時も思ったけど、随分と服のセンスが悪い。これじゃあシブヤにいるひねくれた女子高生の汚いミニスカートと一緒もいいところだな、そう鼻で笑いたいぐらいだった。
 脱線したが、彼女の話し具合から言って、エイトマンセルの話は本当のようだ。時に、学校の教えるガーデンの話には真っ赤な嘘が混じっている。例えば、ガーデンの子供達は皆自分らの意志でここで学ぶ、ということを小学校で確かに自分は習った。でも、数年後、改定した教科書にはしっかりとしたゴシック体のふと文字で犯罪者及び、人為特異体質者、戦闘志願者収容学園。と書かれていた。だが、どこぞの天然ボケ性な暢気者でもない限り、ここの子供が掻き集められた戦闘員であることは、表で騒がれないにしろ人の目には明らか過ぎていた。だから中学校でその文面をいきなり見せられても、呆れさえすれ怒りを覚えることはなかった。寧ろほぼ全ての子供達はこんな身勝手な大人に、既に諦めを隠せてはいなかった。もしかしたらそれは大人へじゃなくて、この腐ったニホンという国に対してかもしれない。どうでもいい、もう冷めていたから。水泳や勉強に打ち込んでいる時以外は、どこか胸にぽっかりと穴でも空いた様に切なかったから。このガーデンじゃ、そんな小さいことで悩んでいたら、生きる気さえ失うだろう。

 でも私は、この状況下で果たして非情になれるだろうか…それが自分の生き残る唯一の手段だと分かった時には、躊躇わず人さえ殺せるのか。家に迷い込んだ虫一匹殺せない自分が、そんなこと…キット出来ない。その点では三咲ちゃんの方が上だった、人を蹴落とすのも私の何倍も上手かったし、世渡りもそれなりにしていたし。でも人の命を踏み台にするのが出来ないのは、ガーデンでは通用しないのは雰囲気でなんとなく分かる、だから今のうちにめいっぱい悩むことしか出来ない。私に言わせれば、自分からこの鉄格子の魔界に踏み入る奴が不思議でならない。どうして、日常を自分から捨て去るのか…、そう言えばクラス委員長が時々どこか飛んで行ったような顔つきで「ガーデンの兵士は、こんなチンケなことで悩まないで済むんだろうな。叱る親もいないしな」とか言っていたのを思い出す。今なら、そいつの首根っこを掴んで腐った脳天、叩きつけてやるのにな。叱られるだけ、マシなんじゃないか…戦わない兵士はどうなるか私は知っている。人を殺すこと、縛られること、拒絶した子供はガーデンの人間全員の前で拷問されて殺されるんだぞ。墓さえも立てられないで、不名誉に。考えるだけで、身の毛もよだつってもんだ。
 私が知る限るの大人は、口々に子供が子供が、と言っている。それは我が子にも同じだ。一体いつからこの国はおかしくなったんだろう。私が思うに、ガーデンが作られるずっと前から大人も、そう子供もおかしくなっていたんだ。それはもう私の知るところじゃなかったけれども。
 人殺しを生き抜くためのサバイバルゲームと言う子供、自分が生き残るためなら子孫もいとわない大人、もうどっちもどっちか。

「どうしたの? 黙りこんじゃって…何か忘れ物でもしてきた?」

 相変わらず無神経にポイズンは問いかけてくる、私は素っ気無く返す。

「はい、忘れてきました。でもそれはもう戻ってきません」

「そらそうね、家に戻ることなんか絶対許されないもん」

 勝ち誇ったように笑う彼女を見上げながら、私はやるせなさを抑え切れなかった。周りには、新入者が珍しくないのか普通にガーデンの生徒が通り過ぎていく。どれも形さえ違うけれど同じ少年少女、同じ無表情。

「家にも無いんです、だから…もうどこにも無いんです」

 泣きそうになりながら、でもプライドが許さなくて、大人に泣き顔なんか見られたくなくて私は俯く。自分を見捨てた親、我が子と平等にしてくれない義親、もう誰も信じたくないのが本音。
 ポイズンは急にちゃらけた表情を、神妙な面持ちに変えて言い放った。

「貴方たち外の人、庇護者は暫くはここの性質に慣れないわ。それは当たり前、最初は殆ど誰だって同じなのよ。貴方随分頭良さそうだし、最近はガーデンの情報入ってきてると思うから、どこまで知ってるかわからないけど、一つだけ教えてあげる。生き延びて、外の空気を思い切り吸って、自由の身になりたかったら鬼になりなさい。誰も信じないで、自分を守ること。逐一物を考えていたら身を滅ぼすだけ。
私のチームメイトを見習うのね、新入りのアクシデンツ」

 彼女、大人びてはいなかったけれど、その言葉には十分私をリアルに引き込むものがあった。転じて、相当な思いでここに立っているに違いない。もう、言わなくてもわかることを繰り返し言っている。外で人を殺すのとは違う、ここで殺すのはあくまで仕方の無いこと。私は早くもそれを見せ付けられた気がして、内心どこへ向くわけでもない怒りの火種を燃やしていた。
 そして文末のアクシデンツという響き、どこかで聞いたことのあるものだった。事故、という意味の外来語であるのは重々承知だか、ついさっきも聞いたような感じが襲う。

「あ、そうそういい忘れていたわ。貴方のその名前、私たち教官がつけるんだけど…どう? なかなかのネーミングセンスでしょ? アクシデンツ、そこをちょっとデフォルメしてアクス」

 なるほどね、沈黙と鉄分の匂いの檻のちょっとした茶目っ気のつもりか。
 アクシデンツ、事故…悪くない単語だ。どうせならドリームとかの方がいい、これが夢であって欲しかったからだ。

「…良いんじゃないですか、センスは良くないですけど」

 私は生意気な口を利いた。でもそれが服もネームセンスもどれを取っても最低な毒女に対しての、精一杯の褒め言葉のつもりだった。


ACT3:エイトマンセル

 何段もの階段、先が見えないほどのトンネル通路、それからカプセル型のエレベーター。どれもがデパートで見るものと違っていた、実用的とはお世辞にも言えない…着飾った装飾品に見えてくる。
 上の階に行くにつれて、どんどんと明かりが乏しくなり、人気が少なくなり、蛍光の広告宣伝板が無くなっていく。檻が近づいているのだな、私の握りこぶしにも力がこもった。こんな巨大タワーが訓練施設なんて実に笑わせてくれる、私の名前の由来もいつかはきっと笑いのネタになるのだろう、その日が近いか、遠いかそれは誰にもわからない。少なくとも、今は笑顔の余裕が無かった。
 息が切れてしまいそうな、コンクリート舗装の階段を一気に駆け上がる。ここで上に光が見えたら、幾分楽な気分になれるだろうか。残念ながらてっぺんには光どころか、闇夜そのものが広がっているようだった。真夏の正午にこんなこともあるのだな、ちらりと腕時計を横目で見ながら小さく息を吐き出した。それももうじき荒々しい肩の呼吸に変わる、なにせこの階段急にも程がある。

「ここでね、ちょっと前に転げ落ちて死んだ生徒がいるから、足元には気をつけてね。まさか新しい仲間が階段から落ちて、死体になりましたーなんていえるわけないでしょ?」

 ポイズンの含み笑いが入ったごたくも、そろそろ慣れてきた。どうやらこれは彼女の癖のようだ、別に私の反応を見ているわけでもなく、忙しなく口と足を動かしている。だが、ふと目線を階段の下にやって、なるほどあながち嘘でもないな、と私はつばを飲み込んだ。既に、昇ってきた階下がめっきり見えなくなっている。それどことか、段の一つ一つに足半分ほどのスペースしかない、油断すればよろけてしまう。

「善処しますよ、先生」

 蛙の子は蛙、ということわざは大概の人間が知るところだろう。どうやら私も母親の子らしい、さっきまでの不安はどこへ、今は目の前を行く女を先生と呼ぶ始末だ。
 いや、その呼び名は別に私がガーデンの生徒であると、断固決意したものではない。私に初めて見せたあの雄雄しい、というか凛々しい顔と、その言葉がそう自然とさせたのだ。彼女は名前と服のセンスはないけれど、どうやら教員のセンスはあるらしい。カリスマ、とでも言っておくか。

 そして下から上へ目線をあげると、ふわっと体が軽く浮いた感覚に襲われ、重力がおかしくなる。 
 少しの気の緩みだった、ぞわっという悪寒が走った後で足が片方宙を泳いだ。顔がその恐怖に、驚きを隠せずに歪む。迂闊だった、私はどうやら足を踏み外したようだ。
 思うや否や、ガツンという段を蹴り外した音が、講堂内のように反響するこの階段で響く。まさかこんな馬鹿げた箱庭で、訓練死でもなく、殉死でもなく、かと言って自殺でもなく、階段から落っこちて死ぬなんて、という思いが光よりも早く、脳みそを駆け巡った。そして一瞬、今までの記憶が走馬灯のように脳を過ぎる、おぼろげに不確かな記憶は、映画のフィルムのように過ぎる。その時確かに私は、黒い影がまるで瞬間移動したかのように目の前に映るのを見た。ポイズン、ではあるまい影が小さすぎる、というか私の視界内で遠くの方にぼやけて彼女が見えたからそれは無い。
 だとすると、誰が。そう思うより早く、階段から落ちかかった私の腕を握って、誰かが目の前の踊り場まで引き上げた。丁度前を見ていなかったせいだ、踊り場付近で助かった。普通の段なら、このまま何段も引きずられかねないからだ。ここは階段の中間地点とおぼしき場所だと、走馬灯が過ぎ去ったボケ眼が言っていた。

「ふぅ、危なく新しいチームメイト、階段に落っこちるところだったわー」

 ポイズンに良く似た口調、しかし声色は明らかに子供じみた、そんな声が聞こえた。
 よくよく前の人物に焦点を当てると、小さな女の子の姿が映る。何せ、この暗がり、階段のくせにライトの一つも無い、下は豪勢なくせにとんでもなくしけた場所だった。私が視力が悪いせいもあるだろうか、丸い輪郭と、暗闇に映える綺麗な金髪、それからゴーグルみたいな大きな眼鏡だけが目に付く。恐らく、エイトマンセルの一人で、私を迎えに来たのだろう。

「よっ! 大丈夫ですかぁ?」

 女の子は引き上げた私の手をきゅっと握りながら、小さく首を傾ける。妹がいなかった私には、実に新鮮な光景に映った。可愛らしい、というか思わず守ってやりたくなる衝動に駆られる。それでもガーデン生徒、やはり服装は迷彩柄、カーキのキュロットに迷彩のジャンパーを着込んでいた。大き目の体格に似合わないデイパック、黒いブーツが熱そうだ。

「えっあぁ大丈夫、ありがとう」

 素っ頓狂な声を上げてとりあえずお礼を述べると、私は踊り場の冷たい床から立ち上がった。冷や汗なんだか、脂汗なんだか見当もつかない液体が頬を伝って落ちる。一時なんて死ぬとまで思ったのだ、今もなんだか生きた心地が十分にしない。どこかふわふわと浮遊しているようで、足元も安定しないし、精神だけどこか出かけてしまったんじゃないかとさえ思った。
 にこにこと可愛らしい笑顔を浮かべる女の子は、私が立ち上がると今度はマジマジと顔を観察している。私並みの好奇心の持ち主なのだろう…こんなに幼さが残る少女でさえ、政府の自慢の殺戮兵器になるわけか、それはいずれ私も同じなんだろう。そう思うと、やっぱり階段から転げ落ちた方が良かったんじゃないかと、馬鹿げた構想が頭の中を行ったり来たりした。そのせいで、一層飽和感が強まる。

「ふぅん…やっぱりあたしよりは年上かぁ。ざぁんねん…だな」

 女の子は一通りつま先から、頭のてっぺんまで舐めるように見るとはぁっとため息をついてカーキのジャンパースカートの埃を払った。どうやら私が自分より年下でないのが懸念されるのだろう、子供特有の無いものねだりな顔だ。
 私たちが踊り場であれやこれややっているうちに、随分階段を上がってから私がこの最初の障壁にぶちあたったことに気がついたのか、いそいそとポイズンが踊り場に戻ってきた。どこかよろめいた、感心しない足取りだった。それはきっと、自分が言った階段話が危うく自分の仲間の身に降りかかるところだったことへの懸念と、安堵のせいだ。しかし、その顔も私の隣の女の子を見るなり、ぱっと光を受けた花のように輝く。

「セルフィーじゃないの! やっぱり何だかんだ言いながら来てくれたのね…流石先生想いのいい子っ!」

 セルフィー、と呼ばれた女の子はまたも満面の笑みで微笑むと、駆け寄ったポイズンに抱きつく。デパートで母親を待ちくたびれた子供みたいだ、どこか懐かしい。自分はこういう光景になれていないし、自分もそんなことをした覚えが無い、それが胸の中に波紋と歪を生み出す。それはヒガミでしかないのに…。
 二人は抱き合って微笑み合うと、ふと隣でぼんやりと立ち尽くす私の存在に気がついたらしい。女の子の方がポイズンから離れて、私の傍に駆け寄り腕を掴んだ。

「そうそう、グッドタイミングだわ! 今、何だかドクイの軍隊が突然襲来したらしくてね、ガーデン全員出動の命令が掛かったばかりなのー。つい三分くらい前にねっ」

 なんだって? まさか…チームメイトの顔さえ知らない、自分の寝床も知らない私が、戦闘なんかできるはずない私が出動!? 
 私も流石にドクイと言うのは知っている、ドイツとイタリアの混合国だ…大方ドクイの植民地と化し、のっとられたアジアのどこかの途上国が攻めてきたのだろう。私が始めてガーデン生徒を見たのも、つい十五年前に出来たばかりのセルシア共和国、という南アジアの国との攻防戦の時だった。この国もまた、ドクイの占領下に置かれている国であった。その時は自衛隊も混ざっての激しい戦いで、ニホン軍はセルシア軍を撃破し、ドクイを威嚇することに成功したと報道陣は告げていた。けれどただ私にはセルシア軍も含めて、自国の犠牲者の冥福を祈ることもしない大人に、また一抹の諦めを感じずにはいられなかった。そして現在も、セルシア軍の捕虜はこのガーデンの傭兵にされたり、または新しい兵器の実験台になったという噂もちらほら立っていた。ドクイはその行為にまた怒り、そして今回の布告無しの攻撃に出たのであろう。別に私はドクイの庇い立てをするわけじゃない、なぜならあの国も他の民族を虐げたり、経済的に途上の国を無理やり戦地へ追いやったりする、最低の国だからだ。
 とにかく今はそんな愚痴も同然の話はどうでも良い、肝心なのは私も出陣するべきなのか否かだ。初陣が死に場所になるなんて、階段落下ほどじゃないがまっぴらごめんだ。

「無線切っててわからなかったわ…」

 ポイズンは左胸に入っていた、片手で包み込めるほどの大きさの無線を取り出すと、苦笑いをしながら電源を入れた。無線からは、指揮官と思われる自衛官の怒鳴り声が響きっぱなしだった。「とにかく早く位置につけ!」というけたたましい声が一つして、ようやくぶつっと機械音が鳴り電源が切れた。
 舌打ちをしながら、ポイズンは音のめっきり鳴らなくなった無線を床に叩きつけて右足で踏みにじった。バキバキという変形音と、電気が飛ぶ音が何度かしてやがてそれはもう二度と音を発しなくなる。「まぁた怒られますよぉ先生」という弱弱しく、たどたどしい少女の声が聞こえると彼女はやっと我に返ったようだ、いそいそと懐から何かを出している。黒光りするソレは、私が今一番見たくないものだった。

「皆さんはもう待てないと先に行きましたぁ…先生どうします?」女の子は上目遣いに聞く。

「しょうがないわね、まずはアクスに案内ぐらいして、それから武器ぐらい使わせないとならないのに。まぁいいわ実体験の方が参考になるでしょ、ホラ」

 じっと自分を見つめてくる女の子の頭を撫でながら、ポイズンは私に向かって小型のピストルを放り投げた。小さい割に、意外と重量はあるようで私は腕の中でそれを受け止めた。冷たい銃口、吐き気がする。扱い方の一つも知らないのに、こんなもので敵と戦えと言うのか。

「それは我がガーデンの試作品、ゴッドガーデン345。使い勝手はまぁまぁってところね、初心者にはそれが一番向いてるわ。使い方は、あぁセルフィー説明してあげてっ」

 そして私の腕に『ゴッドガーデン345』なるものを残して、ポイズンは元来た階段を段飛ばして下りていく。私と女の子を置き去りにして、全く纏め役が向いているのか向かないのかわからない人だ。腕に抱かれた銃口がきら光する、突然過ぎている何もかもが、だからもう頭の判断能力が追いつかなくなっている。いつもの子供なりの肝の据わった私、返して欲しい、それだけいるのかいないのか分からない、残酷な神にお願いしたいところだった。ここへ来て、もう一度自由を勝ち取るためには、もう戦うしかない。誰でもない、弱い自分とも…勿論大人とも。とにかく今は、早いところこの騒動が過ぎることを祈った。握り締めるゴッドガーデン、神の庭、なんてうさんくさい名前だ。
 小さく、蟻ぐらいの大きさになり、視界から消えていくポイズンを見送りながら、女の子はしょいこんでいたデイパックをおろすと、中からごそごそと手探りまさぐりで迷彩のジャンパースカートと、濃い緑のパーカーを引っ張り出して、私に押し付けた。サイズは、的を得ている私と同じだ。

「それ着て、早く表に出なきゃっ! 銃の説明は後、後。あ、そうそうあたし『セルフィス』セルフィって呼んでね、年は見えないと思うけど13歳でーす。これから同じ班だけど、まぁよろしくねっ!」

 実に暢気な返事だった、学校に遅れる寸前の子供みたいな。ガーデンにはもはやこれが普通の現象と化していることは目に見えて明らかだった。13だと言った少女、彼女は一体何年ここにいて、何を思っているのだろうか…。
 そんなことお構い無しに、セルフィスはまたデイパックを探り出し、弾丸を取り出した。小さなケースに入れられているビービー弾のような丸い玉、最新式の物はやはりどこか違うのだろうか。彼女は私からゴッドガーデンをひったくるように奪うと、玉を詰め込みだした。弾薬数が多いらしい、ざらざらと音を立てて玉は黒い銃の中に吸い込まれるようにして、消えていった。

「あっあぁこちらこそ…ってまだ私ここでどうするか決めてないけど。とりあえず、アクスって言うらしい。一応14歳で学校も通ってた」

 私がぽつぽつ喋るのを聞きながら、セルフィスは首を横にひねる。
 それから小さく乾いた笑顔を浮かべた、そこにはもう澄んだ子供の色が無くなっていた。

「先生に聞いたと思うけど、ここに来ちゃったら戦うか、死ぬしか残ってないの。だから無理ね、もう戻るのは。どういう理由かは首つっこまないけどさ。まぁ仕方ないんだよ」

 そう、それは覚悟を決めた大人の鋭い目つき。それで、どこか楽しそうにつりあがる口元。そうか、この子もやっぱり…感化されてるわけか。不器用に交じり合った、大人と子供を見ているようだった。

「あぁそれにしても、やっぱりあたしより年下はなかなかいないわけねー。んじゃまぁ行きますか…えぇとえぇと」

 かと思うとけろっと顔を変える、さっきまでの彼女だ。
 そうか、なんとなくこの子が普通の子と違う部分を見つけた。状況で、感情なんかいくらでも変えられるんだ。まるで、犯罪者が人から追われても平然としてられるように。そして、不謹慎なことに、私はセルフィスが何かしらの罪を犯して、ここへ連れてこられたのではないか、とふんだ。
 そんな思惑知る由もなく、先刻と同じことを言いながら、無邪気に小さな指を唇に当てて何かを考え込んでいる様子。そして、何かをひらめいたようににこりと微笑む。

「そうそう、あっちゃん…って呼ぶねっ? さっ早く行かないと」

 そうか、あだ名を考えていたわけか。私は言い難い言葉をもごもごさせるように、頷いて着替えの手を進めた。この子の天真爛漫さが余計に、不仕付けで空恐ろしかったのは言うまでも無い。薄着のシャツの上から、暑苦しいジャンパースカートとパーカーを着終わった私の腕をぐいっと引っ張るその力強さは、本当に13歳のものなのかいまいち合点が行かないままだった。
 そして明かりの無い暗がりの石階段を、私とセルフィスが軽快に下りていった。右手には、ピストルが一丁握られていた。


ACT4:ゼロかムゲンか

 パパパパッ…という銃撃戦の音が、もう間近に迫っていた。壁越しに、ガーデンの生徒と、そして敵軍が競り合っているのが手に取るようにわかる。ガラスの向こうではないから激しい音しか聞こえなかったけど、状況説明はそれだけで十分だった。おびただしい血の海と、死体の山と、それから火薬のキツイ匂い、どれもが目で見ているようにしっかりと脳内に伝わるようで、何度も耳を塞ぎたくなった。
 セルフィスの方は、黙々と私の手を引いて走るばかりで、寡黙に前を急いだ。階段を羽のようにくだり、連絡通路を何度も走りすぎ、そして購買モールの前を幾度か振り返りながら歩いた。宿舎から、外までの道のりが非常に遠かった、水泳以外の運動を殆どしない私は、精神疲労のせいかもう足が棒になりかけていた。しかし、私よりも年の低いセルフィスの方は、全くそれを感じさせない軽快な足取りだ。私の疲れが、彼女の移動速度を遅めているのは、一目瞭然。

「それにしても…珍しいなぁ、ガーデンまで攻めて来るなんて」

 よほど沈黙が気に召さなかったのか、足の動きはそのままにセルフィスはぽつりと呟く。
 確かに、市内や都心部、それから政府の隠れ場所なんかには、よくドクイの犬が攻めて来たのは、ラジオなんかで既に耳にタコが出来るほど聞いている。夏休み中にも一回、セルシアが攻めて来てから、小国の小軍隊がうちの隣町に攻入ったのだ。その時も、ガーデンは出動を要請され、実況中継のごとく、テレビの司会者は忙しなく、口を動かした。その時、結構有名なテレビ番組の放送で、このまま頻繁に敵軍が攻撃を仕掛けてくるなら、近い将来大人も、子供も皆赤紙の元に戦わざるを得なくなるのでは? というトークで盛り上がっていたのを、夕飯を食べながら聞いた。赤紙の前に、ここに来ることになって、どこか現実味が無い。

「そうだね…どうしてガーデンへ? だってガーデンへ攻めたら、あっという間に殲滅されちゃうのがオチなんじゃないの?」

 私は密かにそれを期待した。前にも一回、どこかの国がガーデンへ突撃して、全員一時間で皆殺しになったというニュースを聞いたことがある。ここは武器と、兵士の倉庫だ、そんなことをするのが自殺行為だというのは、馬鹿でも分かる。ちなみに、その時ガーデンの生徒は一人たりとも死ななかったという話。実は、その裏には、ガーデンの調査をするためというドクイの思惑が潜んでいる、と言った学者も沢山いた。
 ともかく、どういう理由でも良い私がたどり着く前に、相手国が降参か、殲滅されていて欲しい。この状況下に置かれれば、どんな慈愛の持ち主でもそう願うだろう。いざとなると、人間生きるために人が死ぬことにいちいち頓着していられない、私も半分そんな感じだ。
 
「そうとも言えないよ? 前は凄く強い軍隊がガーデンに来て、五分五分のところで相手が引き上げたって話、先生に聞いたもんあたし」

 セルフィスは相変わらずのんびりと、そんなことを言った。私が不安になるのを煽るかのように。
 その色が顔に出ていたらしい、彼女ははたと気がついて付け加える。

「まぁ、うちの班が負けるーなんてありえない話なんだけどねっ!」

 よほど、自信があるらしい、鼻高々にそう言った。しかし、このセルフィスのような少女が寄せ集まった塊が、果たしてその力を発揮出来るのか。改めて不安に襲われる。
 返事が無くて首を傾けた彼女に、私は適当な相槌をかますと、先を急ぐよう促した。


 外は酷い有様だった、予想的中。こんな場面に使いたくは無い言葉だ。
 門は私が通った時よりも開け放されていて、何十人もの自衛官達がライフルを手に、無表情で壁に寄りかかっていた。私たちがどうやら最後の出撃者らしい、一斉に何人かがこちらを振り向くと、ギロリとその目で睨みつけ、そして首で向こうへ行くように言った。私は目が合った何人かにぺこりとお辞儀をしたが、セルフィスは面白くなさそうに、ぷっと頬を膨らませた。どうやら、下手に見られるのが嫌らしい。コンクリートの上に出た後も「あたしと戦ったら負けるくせにさ、本当偉そうだよねー」なんて言っていた。その度に、自衛官に聞こえでもしたら適わない、とばかりに私は目を配らせた。
 そして戦地、と言ってもガーデンのすぐ近くで事は起こっている。やはり、音がするとなるとそれなりに現地と近いものだ。私とセルフィスのすぐ手前では、ガーデン生徒と相手の軍が激しく撃ち合いをしている。私たちに流れ弾がいつ飛んでくるかわかったもんじゃない。一人の生徒の持っていたライフルから、火花と白い煙がもくもくと上がり、そしてその直線上には一人の兵士が倒れている。まだ二十歳には行ってないだろう、今回の相手国もガーデンと同じく、子供までが戦地へ送り出されている。痛々しく傷ついた体を横たえている、まだ幼げな相手方の少女、それに躊躇いもなく止めを刺す少年の図。とても目を当てておけるようなものじゃない、そんな様子の私を見て、セルフィスは急いで手を引いた。

「ここではあれが普通なの、皆死にたくないから」

「だからって…もうあの子死んでいるも同然じゃない、何であんな…」私の口からはもうそればかりが、とめどなくこぼれていた。

「…苦しみ続けるより楽、だから。もう、皆そんなこと考えてないんだよ。悲しいけどね」

 セルフィスは戦場を潜り抜けながら、目を細めて寂しそうに言った。そして「最後の椅子に座るために、皆必死の椅子取りゲームしてるんだよ。遊びじゃない、生き残りのための」そう付け足した。それっきり、私は口さえ開きたくなくなった、そうすると乾いた血の匂いとか、機械の匂いとか、火薬の煙とかで、むせ返って動けなくなりそうだったから。ただ、生きるため、と理由をつけて人殺しなんかする人間に、唇をしっかり噛み締めて理性を保つので精一杯だった。
 仲間と連絡を取ろうと、これで三回目の無線をセルフィスが鳴らした。もう二十分は戦場をうろうろしている、これじゃあまずいなぁと彼女は何度も言った。左手には無線、右手には大型のショットガンを構えて、走りながら目でも班員を探す。どれも同じ迷彩服なので、私にはポイズンの姿すらわからない。プップッという繋がりの音が途中で途切れる、どうやら無線が通じたらしい。

「えーこちらM.C.コード3002 セルフィス。どちら様でー?」

 M.C.…それを聞いて、私はもう一つの予想が当たったことを理解した。
 セルフィスはやはりMine Criminal(マイン クリミナル)つまり、自ら罪を犯し、ガーデン生徒になったということだ。外の人間でさえ知っている、ガーデン生徒がコードわけされ、そして自らの入所理由を頭に置くということ、ちなみに私はO.C.…Other Criminal(アザー クリミナル)その他の理由の入所者にあたる。相手からの応答が、小さく聞こえた、それに答えるセルフィス。どうやら、現在地やら戦況を確認しているらしい、私は大人しく周りに『口無し』しかいないのを確かめると、ガーデンの高壁を見上げた。
 暫くセルフィスは相手とやりとりをすると、突然持っていたショットガンを、私に向けて、そして何も言わずに引き金を引いた。えっ!? どうしてなの? その意識が暫時頭を強く支配する。弾が飛ぶその瞬間、全身の血の巡りが逆転したかと思うほどの緊張が走る。
 しかし弾丸は私の頬にすらかすめておらず、私の後ろに飛んで行った。耳元で風が鳴く、ヒュンという音とパンッという発射音がほとんど同時に聞こえる。それから間があって、後ろの方でどさりという何かが地面に落ちた音が聞こえた。恐る恐る振り返ると、ナイフを持った年頃は私と同じくらいの男の子が絶命している。そのナイフが私の背中を狙っていたのは、狙われていた私じゃなくても分かる。自分の背後に、自分を殺そうとした人間がいたことに、とてもショックを受けた。それと同じく、無線で連絡し合いながら私の後ろにまで気を配るセルフィスの集中力、そして着弾の正確さ、どれもが常人離れしている。これが彼女の実力なのか、一瞬気が動転した。
 そして適当に会話をすると、セルフィスは固まっている私の目の前で無線を置いて空になった、小さな左手を振った。

「おーい? 大丈夫? 危なかったねぇ、後ろも気をつけないと駄目だよ。それとちょっと掠めたかもしれないけど、まぁ後で薬でも塗ってちょうだいなー。死ぬよりは、マシでしょ?」

 そう言うと、少し冷たく微笑んでショットガンを両腕で構えて、今度は慎重に前に歩き出す。私は、後ろに倒れた少年を見やり、そこで泣き叫びたい気持ちを抑えて、遅れをとらないようにセルフィスの後を付いて行った。
 それからは、やけに死体が目に付いた。恐らくこの映像は焼きついて離れないのだろう、私は吐き気を堪えるのにまた精神をすり減らした。言い出せばキリがないくらいの死人の山、また山。どれも滑稽な死に方をしていて、一つ一つが私の目を通してインプットされていく。もう黒く固まってしまった血さえあって、どうにも現実味が沸かなかった。その死体の上を、両足で飛び回りながら鴉の一群が、死肉をむさぼっていた。多くの野生の鳥類が絶滅した今でさえ、100年前と同じように鴉どもは人間の残飯を漁ったり、こうして死したものを弔うように啄ばむのだった。その鳴き声は奇妙で、まるで私ら人間をあざ笑うかのような甲高い笑い声にさえ聞こえた。セルフィスは目の前を跳ね回るそれを上手いこと交わしながら、前を急いでいた。なぜか鴉は変に人なれをしていて、目の前を通るぐらいでは逃げも隠れもしない。私が一羽の鴉の前を横切ると、通せん坊をするようにわざと前で出て、小さく小首をかしげて、それから大きな不吉色の羽を羽ばたかせどこかへ飛び去っていった。私はそのとき、無性に羽が欲しくなった。
 さらに五分ほど歩くと、戦場の一番最前線で敵の侵入を防いでいる小隊が見えた。どうやら彼らは先発隊として、ここで攻防戦をしているのだろう。この班の近くには、突破された後なのか、ガーデンの人間が何人か横たわっている。その中で立ったまま銃撃を繰り返している小隊、数はひいふうみぃ、丁度教員を入れて六人だった。
 そして教員と思しき影は、どうやらポイズンのようだった、黒いファーがなによりの証拠。そして彼女を取り巻くように、五人の影。皆身長こそバラバラだったが、子供の背格好だった。そのうちの一人の背中には、血のりで艶光している幅広の大きな、見たことも無いような剣が背負い込まれている。四方八方を向いた黒い短い髪は活発そうで、剣を握る腕に指だしのグローブをはめている。剣は、ファンタジーのような御伽噺に出そうな、今の状況と不釣合いなものであった。

「ちぃーっす、遅れちゃったよぉ」

 隣で左手を高々と挙げながら、セルフィスはその群れの中に向かって、大きく声を上げた。
 その声を聞きつけて、前の何人かが振り返る。先ほどの剣の子と、ポイズン、そして綺麗な黄色とクリームの中間色の長い髪を青いリボンで二つに結った、穏やかそうな表情の子、他の三人ほどは興味が無かったのか、前の軍隊の動きに集中していたのかこちらは振り向かなかった。
 剣を背負った子は、セルフィスを見つけるなり「よっ」という掛け声を上げて、右手を額に当てた。その合図を受け取った彼女の方は、にんまりと笑みをいっぱいに笑った。クリーム色の髪の子は、私の方を見て小さく頭を下げた。私もつられて、ぺこりとお辞儀をする。見た目どおり、礼儀正しい子のようだ。綺麗な小顔に、白い肌が一層引き立てられた。二人とも、あまり年を得ているようには見えない。
 ポイズンが手前の残った三人に、命令を指示してまたこちらを振り返った。じゃりっという砂の乾いた音が、耳に残る。

「ここまでどうやら無傷だったようね、うんうん、なによりなにより」

 無傷、もしもセルフィスが背中の殺人者に気がつかなければ今頃この地面の上で、ミミズのようにのた打ち回っていただろう、感謝せねばいけないんだな。私は、左胸に手を当てると、小さく深呼吸した。

「先生どうです、ここは?」途端に真面目になると、セルフィスがポイズンに聞く。

「まずまずねぇ、最近の中じゃセルシアに続いて面倒だわ。いや、ひょっとするとセルシアよりも格が上かもしんないわね。今までの国じゃ、自爆までして対抗しようなんてことなかったから」

 ポイズンはやれやれ、とため息をつきながら腕を組んだ。
 確かに…幼い子供まで駆り出して紛争を吹っかけた国だ、それなりの度胸も覚悟もあったらしい。仕舞いにはガーデンの生徒に殺されるくらいなら、と自決した隊もあったほどだ、と剣のグリップを握り直しながらその持ち主も、浅く息を吐いた。

「で、結局どの国だったんです?」セルフィスは小首を傾げる。

「ダイカンミンコク、です」前に向いたまま、両手で自分の武器らしいライフルを構えた、クリーム色のショートカットの髪の子がきっぱりと答える。

 その返答を聞くと、セルフィスは苦笑いしながら「あぁ」とだけ答えた。
 ダイカンミンコク、この国は五十年も前から、他の国にいつテロ行為を行うか、と監視されていた国である。チュウゴクの隣国、そしてニホンの海を挟んですぐそこ、という距離がよりその危機感を強めていた。この国も数年前に、ドクイの占領化に置かれ、他の資本主義国を脅かしている次第だ。核保有国で、それなりに軍事に長けているため、あのアメリカでさえ目を離していなかったという。つい数ヶ月前に行われた、世界首脳会談では、アメリカのワシントンでニホン・イギリス・フランス・ロシア・チュウゴクそしてアメリカで、今後の戦況と、同盟結託の強みを示していた。それと同時に、ドクイやその支配下に置かれた国の対処と、ダイカンミンコクは、侵略戦争で負けたのではなく自ら志願して、ドクイと結びついたという話まで流れた。先の六カ国は随分前に、新連合同盟を結成し、それぞれの国に戦争があればお互いを助ける、という条約を締結していた。今回は唐突の規模のまだ小さな紛争だったので、他国軍は出番なし、というわけだ。だが、最近はニホンはガーデンという、他の国とは違うシステムを取っているため、それほど紛争に難を示さない。だからとりわけこの国は他の国の、手の薄い国であり、それ故ドクイの標的にもなりやすかった。
 まぁ簡単に言えば、ダイカンミンコクがドクイを介さず、いきなり侵略戦争をしたのも頷けるということだ。昨日のSFの入ったテレビで、明日はどこが攻めてくるかわからない、というキャッチフレーズが流れたのがまさか本当になるとは、内心信じがたいものがある。
 それにも彼らガーデン生徒は冷静に対処し、的確な処理を行っているわけだ。
 訓練された通り、敵を排除し、滅する。これに尽きるわけだ。

「思ったより攻防が激しくて、セルフィスが戻ってきて助かったわぁ…アクス、貴方も自分の身は自分で守ってちょうだいね、こういう次第だから」ポイズンはそう言うと、前に向き直ってクリームのおさげの子となにやら話し出してしまった。

 そういう次第、と言われても。
 私は胸の中で、呆れ顔で訴えた。右手のピストル以外は自分を守ってくれない、そう分かると仕方なく右手を前に突き出した、カタカタと恐怖と感覚の変化で、照準が定まらない。まだ標的はいない、だが殺したくは無い…いきなりガーデンなんていう物騒な所に連れてこられて、いきなり戦地へ送られて、私にこれ以上何を望むのだ。脳では分かっている、ポイズンやセルフィスの言ったとおり、ここでは殺戮を犯さねば生き延びれないことぐらい。あのすれ違った少女の冷たい目つきで、あれから分かっている。でも、常人で、我関せずにいたいという思いが、未だに私を留める。

「おうっ…お前どうしたんだ、そんなに震えてさ」

 私の腕が痙攣しているのに気がついたのか、黒髪の剣士は言った。幼さが残るテノールの声、ぶっきらぼうな態度、どれも私が知っている普通の男の子と変わりはしない。この少年、迷彩のバンダナを腕に巻きつけているだけで、後は普通の鋼色のシャツと、紺色のシャカパンを履いている。胸には、麻の紐で繋がったペンダントがあった、そして蒼い瞳でじっと見てくる。

「え、いや…私戦えない、やっぱり」

「何言ってるんだよ、全くこれだから新入りは困るぜ。俺はフェイリ、お前は?」

 剣をずるっとおろしながら、フェイリという少年は名前を尋ねた。やはり、私はおかしいのか…ここまで来てずるずると躊躇いの奇麗事な感情を引きずる私に、ちょっと呆れているようだった。

「アクス…」

 そうかぁと言いながらフェイリは、鈍く怪しい輝きを放つ濃いウグイス色の大振りの剣を、もう一度担いだ。

「ねぇ、貴方もやっぱり、人を殺したの?」私は一呼吸置くと、出来るだけ強気で言った。

「ん、あぁそりゃあな。俺だって別に殺人鬼じゃねぇから…殺してぇわけじゃねぇけどさ」そういうと、フェイリはぽりぽりと頭を掻いた。

「まぁ生き残れよ。人の可能性はゼロかムゲンかしか無いからな」

 不器用に言い放つと、彼はいつの間にか群れへ帰ったセルフィスの隣に立った、躊躇いがちに私も後をついていく。勢いでガーデンの制約を述べた私は、もう帰れないことなんかとっくに気がついていた。
 可能性、ゼロかムゲン…か。心なしか、空模様も怪しかった。

ACT5:Rain

 前線の銃撃戦もいよいよ終盤に差し掛かっていた。
 向かってくる兵士の数がみるみるうちに減っているからだ、向かってくる者も腕から、足から血を流しながら、必死によろめく体を動かしている様子だった。ガーデンの生徒も、大半は施設の方を厚手にしたいらしく残ったのは私の班と、そして距離を置いて一つ二つと数えるばかりになっていた。
 後は物を言えなくなった、冷たい体が散らばるように地面に落ちているだけだった。ガーデンの生徒のものもいくつかあったが、大方敵軍の子供兵士だ。その痛ましい姿を見ると、自分の身にも痛みが電流になって走るようだった。
 
「だぁーもーどうして降参しないかなぁ、馬鹿だよなぁ国のために死ぬなんざっ!」

 今しがた相手をしていた兵士の胸に、大きな剣を付きたてながらフェイリはうんざりとしたように言った。ずぶっという音を立てて剣は胸に沈み、そして血飛沫を上げて胸から引き抜かれる。赤い鮮血が、フェイリの頬に小さな丸を描いたが、別段それは気にしていないらしい。なんともなさそうな顔をして、露出され、切り傷だらけの素手でそれを拭った。兵士はもう瀕死だったが、まだ息はあるようだった。フェイリの切先を握りながら、呻くように呟いた。

「うっ…戻ったところで、どうせまた地獄の労働が待つばかりだ、死ぬのがよっぽどマシだなァ…」

 それっきり兵士は動かなかった、目には一滴の涙。そして剣先を握った腕は、赤い液が漏れ出していた。
 それを黙って見下ろしながら、冷淡にフェイリは剣から腕を離した。

「けっ…それでも死んだら意味ねーじゃん」

 そして剣を一振るいすると、血のりが小さく飛沫した。分散されたそれは、地面に染み付き、またこの地に赤い色を広める。戦いたくない、死にたくない、でもそうしなくてはならない、矛盾。突きつけられたその矛先をどこへ向ければ良いかわからない矛盾。
 私は震える唇を、ぐっと噛み締めた。ここで悲鳴を上げたくなかった、私にはもう戻る場所は無いから。それなら自由を手にするまで、生き延びなきゃいけない。だから、耐えなくてはいけない、とてもじゃないけど殺すことを拒否して、政府の手に掛かるのは嫌だ。そこまでの否の意思なんか、私は持てない。
 私は中途半端に頭が良い。

 フェイリの近くで、セルフィスが抱えたショットガンを敵軍に向けて連射している。心なしか、その瞳が笑っている気がして、とてつもなく怖かった。パラパラパラッ、銃弾がセルフィスの腕の動きにあわせて扇状に散って、そして新しい犠牲者を出す。向こうも必死に抵抗してはいるが、力の差が歴然としていた、こちらは鍛えられた殺戮兵器、向こうは戦闘ド素人。武器さえ満足に使えていない、私と大して変わらなかった。
 ただどの瞳も、狂ったように大きく見開かれていて、目蓋が引きつったようにヒクヒクと痙攣している。恐怖でどこか変になってしまっているようだ。国のお偉いに収集されて、見ず知らずの子供に殺される、哀れで哀れでならなかった。それはたった今ガーデンのことなど殆ど知らず、ピストルを持たされた私が一番わかるつもりだった。
 
「そろそろ、ね…きっと殲滅で終わるかしら」ポイズンはそんな私の思惑なんて知らずに、時計とにらみ合っていた。

「恐らくそうかと」先ほどセルフィスに話しかけた、ショートカットの子が小さく答える。

 はっきり言うと、皆この戦いにただ退屈を覚えるばかりのようだ。
 ポイズンは子供達にまかせっきりで銃の一丁も持っていない、フェイリなんて大きくあくびをしている。しまいには持っていた剣が重かったようで、地面に突き刺し、肩を上げ下げしていた。何が攻防が激しいのか、私は誰かにそう問いただしたかった。
 私のいる、班員の後ろまで軍が回らないせいか、私には危機感はあまりなかった。出来れば、このピストル『ゴッドガーデン345』を使いたくない。私は小さく辺りを見回すと、パーカーの内ポケットにそれをしまおうとした。しかし…セルフィスと打ち合いをしていた黒髪の少女が銃弾が当たるのを顧みず、こちらに突撃してきたではないかっ! 目はもううつろで、体中の打たれた穴から血が噴出している。ゾンビが迫ってくるようで、人と思えない形相をしていた。セルフィスはその様子に身を引いて、舌打ちをして足を一歩一歩と後退させながら、どんどん後ろに引き下がっている。すると、向こうにいた兵士たちもそれに触発されたのか、途端に元気になり、獲物を見つけた古代人のような奇声を上げながら、こちらにどんどん押し寄せてくる。その数ざっと三十人ほど、恐らく彼らが最後の砦だろう。ガーデンへ向かった兵士たちは、数の差でもう全滅させられているに違いない。

「あぁんっもうだめっ! 援護お願い!!」セルフィスは冷や汗を流しながら、それでもショットガンで打ち続ける。

 皆銃弾を浴びているというのに、しぶといぐらいに動く。先に詰め寄ってきた少女など、もう顔面蒼白だった。誰から見ても、死んでいるも同然なのに。何が…彼らを突き動かすのだろうか。
 彼らの腕に握られた小型銃からの弾は、セルフィスの腹や、顔を掠めるばかりで的確に当たらない。無理も無い、即興の兵士だ。幸いガーデン生徒には防弾チョッキが支給されている、当たろうが別に構いはしない。
 他の班員も各々武器を取り出して、打つなり切り付けるなりしている、しかし軍の勢いはもはや留まるところを知らなかった。ポイズンのマシンガンの雨の中も、彼らは進んでくる。

「チィ…こいつら一体どうしたというのだ」私の前方でサブマシンガンを構える、ねずみ色の髪の青年は舌打ちをした。額の迷彩の布が、近くを通った弾ではらりと地に落ちた。

「恐らくは…もう僕たちを道連れにする気なのかと」ポニーテイルの子は、膝に抱いた小型のラップトップのノートパソコンに弾がこないようにしながら、キーボードを叩いていた。その速度は人並みをはるかに上回るスピードだった。

 道連れ…なるほど、私は再び胸に仕舞ったピストルを手に持つと、まっすぐ正面で構える。
 先と同じく指先が小刻みに震えて、照準の先にいる黒髪の少女に定まらない。打ちたいわけじゃないけど、道連れは了解しかねる。でも、怯える指だけは私の意志に正直だった。
 と、持っていたピストルが汗で滑ったのか、腕から転げ落ちる。カランカラン、そんな音が響いて、ピストルは人気の無い方へ転がり、自分を軸に回転を繰り返すとやがて動きを止めた。コンクリートの上で止まる黒いピストル、そして迫り来る兵士たち。私がピストルを落としたことに気がつかないのか、それとも自分で拾えと言っているのか、こちらを見ようともしない班小隊を見ると、前の敵と、自分を守る武器を交互に見据え、そしてヤケクソ、とばかりにピストルへ走った。前方では白い煙がコウコウと上がり、砂埃がこれでもかと言うほどに宙を舞っている。
 後五メートルくらい、それは水泳の競泳に似ていた。もう少し、手が届きそうになる、気が緩む距離。
 蹴り上げる砂が、踏みしめるコンクリートが、いちいち音を立てる。これでもか、と言うほど走る時間が長く感じる。たった数メートルの距離が、一瞬にして何キロにもなったような、変な錯覚が起きた。
 後一メートル、もう滑り込めば手に届く範囲。私は、つりそうなくらいに伸ばした指先で、ピストルを絡め取った。
 しかしこれだけで安心するのは早かった、そうこれは往復レース。私は今まさに、飛び込み台にタッチした水泳選手になっていた。懐かしい水の音、そして冷たい感覚、ではなくて乾いた風だけが周りにある。もう少しで隊列に戻れる、大きく一歩を踏もうとした、しかし間抜けなことに、私の右足は攣った。動かそうとするとビシビシと痛みが伝わり、反射でそれが出来なくなる。仕方なく、地面に手をついて、引きずるように前へ進む。それ以外にゴールに行き着くすべが、困惑した頭に浮かばなかっただけの話。うずくまって手に持った拳銃を構えるという手もあっただろう、しかしそれは私の恐怖心が大きく首を振ったのだ。はいずるように、子供が四足で歩くような無様な格好で、でも助かりたくて私は必死になっていた。遠い距離はさらに長くなり、蜃気楼などないのに眼も霞んで、行き着きたい場所がぼやける。それが土ぼこりのせいだと気が付けない時点で、私は大いに動揺していた。
 あともう二三歩進めば、元の場所へ戻れる。そのときだった、戦況をふと確認したくなり私は顔をそちらへ向けたのだ。人の好奇心とは面白可笑しい、一度気になりだすとなかなか心に納めるまでそのことから関心が離れない。今の私も、うずうずしていてもたってもいれず、心臓が飛び出るほど緊張しているくせに、そちらの方が気になるのだ。
 私は自分の目に入った光景に、思考回路がいきなりショートしたかと思った。
 さっきまで顔の輪郭すらわからないところにいた兵士が、私の眼と鼻の先にいたのだ! もう相手の血だらけの軍服が、私の視界にばっちり入ってきている。生臭い、鉄分と乾ききっていない汗の匂い。鼻がひん曲がりそうだった。そしてその青白い顔、生気の欠片も見当たらない…白目、赤黒い口腔どれもが決定的に、その者が生きていないことを物語っていたのだ。どこかのホラー映画を見ている気分が、どっと脳みそに押し寄せてきて、血の満ちひきをしているようだ。ひときわ大きく、心音が高鳴る。そして、私の右手には拳銃が一丁、相手は武器すら持っていない。しかし、言いようの無い恐怖が私の体を支配している。
 殺すのか、罪も無い人を。そう、誰かが私の中で言った。しかしすでにピストルを目の前で構えて、私の頭の中はもう真っ白だった。そのうつろいだ視線の先には、いくつかのガーデン生徒の仏と、何十もの軍人の死体の海だった。海、よりも、山である。幾重にも幾重にも積み重なって、こんなところで人生を終えた。
 嫌だ、死にたくは無いっ!
 私は大きく、獣のように叫ぶと、引き金を引いた。しかし弾は愚か、カチャリとも音がしない。負けじと何度も何度も、ひいてみる。しかし、弾が無いと言わんばかりのスカスカという、空洞な音しかしない。目からは涙が溢れてくる、軍人はよたよたとその足取りで近づいてくる。やがて私は、自分がしている行為が阿呆らしいと気がついた。なにせ、相手はもう虫の息だ。それを死に物狂いで殺そうとする、そんな自分に呆れてきたのだ。冷めると、あとは簡単だった。片足で立ち上がると、もう片方を引きずり、なんとか終着駅に行き着く。射撃できない銃でも威嚇にはなるかもしれない、無言で頭の方へ構えた。いつの間にか、震えはなくなっていた。

「あっちゃん、安全装置付いたままっ!」どこからかセルフィスの緊迫した声がした。

 ふと、拳銃を睨む。そこには使用前に取り外すべきの、テープでくくった安全装置が付いていた。気がついていたならなんで無視したんだ、無性にむしゃくしゃする。こんな単純なものに気づけない、そこまで精神は追い詰められていたのか。びりっという無機質な粘着物が剥がれる音がして、安全装置はやっと取り外された。心なしか、少し重たくもなった気がする、こればかりは私の気のせいだろうけど。地面に構えて、そして私は空を見上げた…黒く重々しい空気がただ張り詰めていて、さっきよりも、多少湿っぽい生ぬるい風が頬を撫でた。
 私はもう、銃を撃つ気をすっかりなくしていた。無い方が人間らしいのはわかっている、ただそう思い込みたいだけでも良い。まだ、人の感情が残っているだけで万々歳だ。
 後方へ下がろうと思った、止めを刺さなくとも、もうじき息絶えるだろう。それはきっと、小さな何も知らない子供でさえ本能的にわかることだ。吐き出す息が、人肌で髪に絡んで気持ち悪かった。しかし、そこで制止が入った。クリーム色のポニーテイルの子である、ノートパソコンの打ち込みが終わったのか、完成の喜びを露にしている。

「よし、これで実験品の完成と。そこ、危ないから動かないでくださいね」そして私に向かってそう笑いかける。

 え? 私がそこから踏み出さないのを見ると、右手の人差し指がエンターキーを押した。カタン、という固いボタンを押した小さなきっかけ。その細かく、聞き取れない微弱な物に対して、私の周りからは花火のような爆発音がとどろき、円状に取り囲んで物凄い火花が飛び散った。その音も、シューなどという生易しいものではなく、まさにマグマが飛び出したようなゴォーという炸裂音にさえにた、巨大な音が鼓膜を突き破らんばかりに聞こえた。火薬のような匂い、煙、そう言ったものは無かったが、つい咳き込んでしまった。

「何これっ! どうなってんのよ…」

 私は必死に最後の抵抗をした、声を上げてみたものの周りからの反応は薄い。
 そして数秒間、噴射をしていた火花は次第に小さく縮こまってゆき、私は再びこの平坦なアスファルトの道を一望できるようになった。だが、私の目の前には一つの黒こげた人型の物が横たわっていた。マネキンでも転がっているのかと、一瞬軽い空想感を覚え、すぐにそれが焼けて真っ黒になってしまった、人間の遺体であることがわかった。小さく墨色の煙を帯びながら、もうそれはどこが顔で、どこが体なのか、その区別さえつかないぐらい、真っ黒くただれ焦げ臭い匂いをしていた。しかもそれは、普通料理をしていて焦がすような、生易しい匂いじゃなくて、鼻の奥がツンとするような腐敗臭だった。私は思わず、ぐっと口元を塞ぎ、何歩か後退した。遠くで、また黄色い歓喜の声が一つ上がった。その声に、暫し私は思考が止まった。
 そしてその黒い体を、遠巻きに見ながら、私が数秒あの火薬に巻かれているとき、この人物は焼き殺されたんだな、というぎこちない感想が芽生えた。当然、殺したのは自分ではない、でも目の前に厳として死体はあり、自分はそれを見て何をしようともしない。駆け寄って、息があるかも確かめようとしない。単に、軍人がもう生きていないという真っ当な確証のせいもあるが、それを人と思いたくも無いというとんでもない考えも胸中を黒に埋めているのは確かだった。
 
「皆、死んだの? ここに倒れている人は、私の目の前にいる人は」私は呆然とそう言った。

「えぇ、それにガーデンに向かった小隊もたった今殲滅されたようね。向こうでは数に差がありすぎたんでしょ、ガーデンの生徒も自衛官も、誰一人としてかすり傷すら負わなかったらしいから」

 立ったまま、夢を見ているようだった。班を離れて私の方へやってきたポイズンの言葉が、胸に深く突き刺さるのがわかった。
 彼女はふと、地面に這い蹲るようにして息絶えた、ガーデンの生徒たちを見やり、目を細めた。他の生存者たちは、とっくに本部へ帰っているらしい、周りには死体と、私たちの班員の姿があるばかりだった。
 セルフィスとフェイリは、黙って立ち尽くす私を見て、声を掛けずらそうにしていた。無理も無い、今の私の目は死んだ魚の目のように濁り、前さえ見えなかったのだから。他の班員は自分らの武器を回収し、無線機で報告を買って出ていた。そのやりとりを聴きながら、私は目頭が熱くなるのを感じた。しかし、すぐに涙は溢れてこなかった。
 殺さなければいけない現実、殺したくは無い事実。自分の腕が、赤く、黒く染まる幻影にふと気づく。

「さぁ、帰りましょう。貴方の新しい家へ」

 何の皮肉だろう、私はこれからあの鉄格子へ帰らなければならないのだ。
 ポイズンの声色が、どんどん薄れていくのを感じた。

「あーちゃん…」

 セルフィスはいても経ってもいれない顔で、私の名前を、名前を呼んだ。でもその名前は、生まれて与えられた本当の名前ではなかった。響子という聴きなれたものじゃなかった。それだけがただ痛い。
 ふと、私の顔に、鼻頭に、服に、雫が落ちてきた。パタパタと滴り落ちる。
 火照った体には、それがもうただの雨だと認識できていない。ましてや、生ぬるい血が降り注いでいるようだ。血を浴びたわけじゃない、だがなんとなくそんな気がした。これはもうただの遺伝と片付けて良くはないはずだ。私はやはり、実の母の狂気な部分を少なからず受け継いでいるに違いない。
 地面が次第に濃い灰色に色を変える、早く拭い去って欲しい。でも、そんな思いとは裏腹に、雨が降ったせいで余計に生臭い匂いが酷くなって、鼻をつく。
 一瞬、死んでも良いとさえ思った。私は酷く放心していた。
 もう、顔を濡らす透明な粒が、雨か涙かなんてとっくにわからなかった。

 唯一、もしかしたら私はもう涙など流せないかもしれない、それだけが胸に残った。
2004-01-30 07:42:21公開 / 作者:祈月玲於奈
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■作者からのメッセージ
遅筆ですが、ACT5。
ひとまず戦闘は終了、ここから箱庭の核に迫って生きたいと思います。
なかなかに長いのですが…
この作品に対する感想 - 昇順
はじめまして、笹りょさんといいます。馬鹿げた名前ですいません。初めて祈月さんの作品を読ませていただきました。文章に無駄な言葉がなく、とても読みやすかったし、世界が独自のものなので、読んでいて惹き込まれるものがありました。次から本格的に話が始まるのですね。ガーデンの中で、「少女」がどう生きていくか(勝手に「少女」が主人公だと見ております)凄く興味があります。次も楽しみに待ってます。
2004-01-05 14:59:57【★★★★☆】笹りょさん。
社会、にあまり詳しいわけではありませんが、ドイツとイタリアは『戦争放棄』を曖昧ながら(日本も似たようなものだけど)明言しています。二つの国の防衛機構は確かに『軍』と呼ばれますが、実際はNATO(いわゆる北大西洋条約機構)軍の中枢として機能するために軍と呼ばれるのであって、二つの国の軍はそれぞれ『専守防衛主義』による精神で行動するという方針をとっています。なので、実際は他国の侵攻に使えない(政府が変われば話は別だけど)のです。しかし、それは話の面白さとは別、とても面白い話になると期待しています。
2004-01-05 23:34:27【★★★★☆】クサリカタビラ
感想ありがとうございました、ある程度進んだところを知り合いに見せたら主人公が目立ってないじゃんと指摘を受けたもので、微妙なところですが少女の生き様期待していてください。そして社会について説明いただきありがとうございます、違うサイトさんではアメリカにニホンが付き従うならあるんじゃないかと言われたので書き直しする際はそうなると思います。勉強にもなりました^^;期待を良い意味で裏切ってみたいですね、本当にこんな未熟者にありがとうございました。
2004-01-06 07:09:14【☆☆☆☆☆】祈月玲於奈
めっちゃ続き楽しみに待ってました!長さも感じさせないくらいすらすらと読めました。とても面白かったからですよ!(何)アクス(響子って呼んであげられないのがかわいそう過ぎる)の大人びた考え方が凄く痛々しかったです。アクスはこれからガーデンでどう生きていくんでしょう。どう死んでいくんでしょう。これからも読ませていただきますv
2004-01-09 17:13:57【★★★★☆】笹りょさん。
笹ちょさん。様、二度もありがとうございます(感涙 これでも結構短くしたつもりですが、少し長いでしょうかね、でもそれも苦じゃないなら嬉しいです^^ 響子、という名前を奪われるって結構悲しいことだなというのが伝わってよかったです。本当に勿体無いくらいのお褒めの言葉に感謝します、長い話になりそうですがよろしくお願いします。
2004-01-10 17:35:08【☆☆☆☆☆】祈月玲於奈
計:12点
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