『宇宙にいちばん近い場所【完結】』作者:ゆうら 佑 / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
接客用ロボットが爆発的に普及した近未来。町がクリスマスムードに包まれる中、種子島出身の宇宙飛行士、浜添ほしみの地球帰還も間近に迫っていた。最悪の事故で帰還が絶望的になった時、宇宙に向けておくられるものは――。
全角49978文字
容量99956 bytes
原稿用紙約124.95枚
   (1)

 十一月の末にもなれば、安アパートの部屋は昼下がりでも寒い。窓から差し込む淡い光。散らかった机。カップラーメンの容器、飲み残したペットボトル、ポテチの袋。その間からかすかに見える楽譜。朝まで電子ドラムを叩いていたから頭と腕とのどが痛い。
 それでも、黙っていると落ち着かない。声を出したくて、誰かと話したくて、居ても立ってもいられない。
「おー中井? ひさしぶり。あー元気元気。あのさ、えっと知ってる? 『グリム』って。そうそう。最近デビューしたバンド」
 カード型通信機の向こうからは、いつもの、昔通りの、中井のはつらつとした声が聞こえてくる。
「ドラムが犬の仮面かぶってるやつだろ。あれ笑えるよな」
「オオカミな。犬じゃなくて」さりげなく訂正。
「知らねえよ」と中井は笑う。これも、いつも通りだ。
「でさ、その仮面してるドラムな」おれは寝起きでがらがらの声を絞り出して、本題に入る。「素顔隠してんじゃん? そいつ、どうやらあの田中みたいなんだよ」
「田中? 誰?」
「覚えてないか? 高校の時の同級。吹奏楽部に入ってた」
「いや、さあ……ってマジか? あれがそうなのか? 高校の? マジか?」
 中井は早口で「マジか?」を繰り返す。
「おれも同級の奴らから聞いただけだから半信半疑だけどさ、どうやら確からしくて」
「お前、そいつのこと知ってんの? 高校の時から仲良かったの? 連絡先とかは?」
 驚いていても、中井の口調はいつも通り歯切れがいい。こっちが続ける前に、絶対に二言か三言は返してくる。
「いや知らねえ。あ、でも何かクリスマスライブは種子島でやるらしい」
「おー凱旋コンサート? こっち来るんだ」中井の声が大きくなる。気持ちも体もマイクに近くなったのがわかる。「やるねえ。故郷に錦を飾るつもりか。いや、マジすげえ」
「お前、行く気ある?」
「まあ、そりゃなあ。プロがこっち来る機会なんてのもめったにないし。お前もクリスマスの頃にはこっち帰ってくんの?」
「ああ、たぶんな」とあいまいに返す。
「そだ、ちょっと待って」
 中井の声が聞こえなくなった。カードフォンを置いてどこかに行ったらしい。しんとして何も聞こえない。周りには誰もいないのか。二、三分も待たされただろうか、中井が戻ってきた。
「お待たせ」
「どうした?」
「卒業アルバム持ってきた。高校の。えっと、誰だっけ?」
「ああ、田中か」わざわざそんなものを引っぱり出してくる中井に感心する。向こうの声が少しくぐもって、ぶ厚いページをめくるぱた、ぱたという音がかすかに聞こえる。おれらの高校では最後の紙のアルバムだ。次の代からは電子データになった。おれのアルバムどこ置いたっけ、と、ちょっと考えたけど思い出せなかった。
「田中田中……何組?」
「覚えてねえよ。そんなもん探したってしょうがねえだろ」
「そんなことねえよ。顔見てえだろ」中井はそれから少し黙った。むきになって探しているのかと思ったら、ふいにこうつぶやいた。「また先越されちゃったな」
 ほっと、心の中に何か温かいものが灯る。それを悟られないように、努めて自然な声を出す。
「ああ? うん。ぼちぼちやってくさ。焦ったってしょうがないし」
「お? 大人だねえ」
 大人か。
「おれもう四捨五入したら三十だぜ」中井を諭すためにいったはずの言葉が、なぜか自分の胸に刺さる。
「マジか」
 マジだ。
「っておれもだったわ。てかお前、ちゃんと頑張ってんのか? 音楽続けてんのか?」
「やってるよ」
「それでよし」
 どこか先輩ぶった、上から目線の、はきはきした声。気づかれないようにため息をつく。何がそれでよしだ。
「あーっ」中井が叫ぶ。
「あ? どうしたよ」何事かと思ったけど、中井の声は笑っていた。
「おま、この写真! 口半分空いてんじゃねーか、ははははは」
 何のことか最初はわからなかったが、おれの顔写真を見てるんだろうと気づく。そういえば、ふざけて妙な顔をした記憶がある。
「あの顔写真か。そんなもん見なくていいよ。冗談でやったんだよ冗談で。あ、ほしみちゃんも写ってない?」
 中井、一瞬沈黙。
「……写ってるわけないだろ。一こ上だぞ」
「わかってるよ。行事写真とかでさ、偶然に写ってないかなって」
「ないだろ」
「探そうぜ。おれも卒アル持ってくるわ」どこにあるかわからないけど。
「やめろよ」
 中井の口調はそっけない。ここぞとばかりにからかってやる。
「中井はほしみちゃん一筋だったもんなー。おれはみづきさん派だったけど」
「みづきさあああん、ってことあるごとに叫んでたもんな。今でも好きなの?」
 またそうやって。
「おれのことはいいから。で、ほしみちゃんとは順調なわけ? 帰って来るのっていつだっけ。宇宙って電話通じんの?」
「通じるかばか。通じたとしても持って行ってないだろ、たぶん」
「そこは確認しとけよ」
「NASAに?」
「本人にだよ」
 浜添ほしみといえば、おれらの高校では知らないやつのいない、美人ツートップの一人だった。学年が一つ上だったから、当然近づくチャンスなんかないのに、中井は必死でアプローチを試みていた。おれはそんな中井をずっと隣で見ていた。あれほど中井が必死になったのは、おれの知る限り、後にも先にもあの一度きりだ。
「はいはい、で、田中だろ田中」ページをめくる音だけが耳に届く。
 何だろうこの違和感は。中井は並み居る先輩方を押しのけて、ほしみちゃんをゲットしたはずだ。高校を卒業してからもずっと付き合ってるはずだ。どうして話を避けるんだ?
「あ」中井の声。
「あったか?」
「いや、おれらの写真。軽音部の」
「みづきさんとかも写ってるやつ?」
「いやおれらが三年の時のだから。おれらから下の世代だけ。お前卒アル見たのかよ?」
「見たけど、いちいち覚えてねえって」
 高校時代は一緒にバンドを組んでいた。学校の中庭でしょぼいコンサートを開いたりもした。中井がボーカルギターで、楽譜から機材から何でも調達してきて、おれ達をぐいぐい引っ張ってくれていた。おれは高校から始めた下手なドラム。中井にくっついていくばっかりだった。でも約束した。馬鹿みたいに滑稽で、でも当の二人には馬鹿みたいに真面目な約束。だからおれは音楽活動を続けてるし、中井も家業の手伝いをしながら腕を磨いている。
 そのはずだ。
「すまんなー長々と」おれは会話を切り上げにかかる。「『グリム』のことで話したかっただけだから。忙しかった?」
「いや別に。家の店番だけだし。客ぜんぜん来ねえ。お前は?」
「これからバイト」
「がんばれーっ。何やってんの?」
「バー店員」
「レトロだなー」と笑われる。うるせえよ、と返す前に、もう中井は次の言葉をいう。
「東京ってもう寒いのか?」
「寒いどころじゃねえよ。ひと月前からこたつ出してる」
「マジか。こっちまだ夏の花咲いてるぞ」
「それは嘘だろ」
「ははは。さすがにこっちも寒くなってきたよ。ん、それじゃ」
「おーっすお疲れー」
 あの約束のことには触れない。夢とか理想とかいうものを、口にするのが怖い年齢になってしまったからだろうか。
 通話を切る。片手にカードフォンを持ったままうんと伸びをして、パーカーからYシャツに着替える。窓の外を電車が走る音がする。部屋がかすかに揺れる。外はもう薄暗くなり始めている。

 下町の商店街を早足で抜ける。買い物客に加え、車輪の付いた配達用ロボットも行き交うせいでごった返していて、なかなか前に進めない。耳に付けた小型イヤホンからは、好みの女子アナの声が聞こえてくる。夕方のニュースだ。
「宇宙飛行士の浜添ほしみさんの帰還まで、あと一か月。地元種子島の初等学校の体育館には、今日、大きなクリスマスツリーが設置されました。これからクリスマスに向けて飾りつけが行われます。用意された飾りには、生徒や地元住民からの、浜添さんへのメッセージが。町のスターの帰りを、今か今かと待ち望んでいます」
 ふと周りを見渡せば、町はクリスマス一色だ。青や白や金色のイルミネーションが、黒い夜空に映えている。
 着信音。かじかむ手でカードフォンを取り出す。薄いプラスチックに浮かんだ表示を見て、盛大にため息をついた。しばらく待っても鳴りやまないので、しぶしぶ出る。あとでかけ直すのも面倒だ。
「はい。もしもし?」
「秀一郎? あんた今何してんの?」
「何って。バイト行くとこだけど」
「あのね、お父さん倒れちゃったの。過労で」
「はあ」
 精一杯、動揺を隠す。
「はあって……あんたねえ。とにかく一度帰ってきなさい」
「あ?」
「こっちも大変なのよ。いつ帰ってこれる? 明日?」
「ちょっと待てよ」精一杯、強がる。「何で親父が倒れたからって、おれが帰らなきゃいけねーの」
「何いってんの」
「過労だろ。たいしたことないんだろ」
「あんた……」そこでため息をつかれた。「もういいわ。昔はそんな子じゃなかったのに……」
 電話がぶちっと切れる。
 勘弁してくれよ。
 手のひらに汗がにじんでいた。
 同じ帰りを待たれる身でも、ほしみちゃんとおれとは大違い。なんてね。
 左官屋むけの商売じゃ今どきやっていけない。劇的アフターアフターみてりゃわかる。現場では最新の素材がバンバン導入されて、それを扱ってるのはそこそこ名の売れたメーカーで。さびれた卸屋が入る余地なんかどこにもない。しかも、親父が倒れた。今のままじゃ、実家の会社はもう何年ももちそうにない。

 ドアがすっと開き、ベルが来店を知らせる。常連客のおじさんだ。禿げ頭に長いひげ。どこか仙人っぽい。
「おうにいちゃん、いつもの」
「かしこまりました」と返事をして、おれはカウンターで飲料を作る。
「にいちゃん、しょっちゅう入ってるね。休みとかもらってる?」
「え? ああ、大丈夫っすよ」
 このおじさんとはよく顔を合わせる。でもいつもはむっつりしてることが多いから、ぽつぽつ言葉を交わす程度だった。今日は機嫌がいいのか、何だか口数が多い。おれもそのほうが気が楽だ。おじさんはおれをじっと見つめて、
「何か痩せたね。ちゃんと飯食ってる?」
「大丈夫っす」
 注文のカクテルを出す。
「やっぱりいいね、人に出してもらう酒ってのは」
「最近はどこでも接客ロボットっすからね」
 おじさんはしみじみうなずいた。
「どこ行ってもロボットが『ご注文はお決まりですか?』『ご注文の品をお持ちしました』だもんねえ。厨房も大半はロボットでしょ。何か血が通ってないっていうか、味気ないんだよねえ。こういう昔ながらの店が、無性に懐かしいわけ」
「つってもこの店が貧乏なだけなんすけど。金ができたらお前はクビだ! って、店長によくいわれてます」
「うははは。そしたらにいちゃんどうするの」
「路頭に迷うんじゃないですか? 冗談きついっすよ」
「ふうん。にいちゃんどこの生まれなの。こっちじゃないでしょ」
「あ、南部九州っす」
「あそうなの? すごいね。でもあんまり訛りとかないね。わざと隠してんの?」
「いや、別に。九州つっても離島のほうなんで。鹿児島弁しゃべるわけじゃないっすよ」
「何ていう島?」
「種子島っす」
「あーロケットの島ね」
「知ってますか」
「そりゃにいちゃん、ここんとこいつもニュースでやってるんだもん。何、あの、宇宙飛行士のかわいこちゃん、もうすぐ帰って来るんでしょ。あの子とも知り合いだったりするの」
 思わぬところでまたあの人の話をすることになった。
「ええ、まあ……」
「ほんと? すげえな」
「偶然っすよ。離島っても人多いんで。たまたま高校がいっしょだったんで」
「種子島って美人多いの?」
「まあまあ……っすかね」
「だろうな、にいちゃんもこっち出てきてるほどだし! うははは」
 おじさんはカクテルに口を付ける。ひげが浸ってしまいそうで、見てるほうとしては心もとない。「まあそれは冗談として、何でこっちに出てきたの?」
「まあ、夢を追って……みたいな」
 恥ずかしくて、ごまかす。何でもないようなふりをする。
「いいねえ」おじさんはにやりと笑う。口元のひげがすっと持ち上がる。でも嫌味な笑みじゃなかった。「今のうちだけだよそんなことできるのは。頑張れや」
「ありがとうございます」
「何やってんの」
「音楽っす。ドラムで……」
「ミュージシャンね。芽出そう? データとかあんの? 買ってやろうか」
「いや、ちょっと今は持ってないんで」
「何だそれ。にいちゃん、チャンスは逃さねえようにしろよ」
「はい」と笑って頭をかく。おじさんは小さな黒い目でおれを見つめる。何もかも見透かされているような気になった。
「親の人は何ていってんの」
 さっきの母親の電話がよみがえる。言葉に詰まった。
「たまには帰って顔見せてやんなよ。それで親の顔もちゃあんと見とけよ」
「はあ……」
「今のうちだけだぜ。にいちゃんがここで足踏みして生きてても、時間のほうは待っちゃくれないんだよ。どんどん時間が流れて、いろんなもの取り戻せなくなっちゃうわけ。わかる?」
「何となく」
「まあ何となくだよなあ。おれだって若いうちはそうだったもん。でも今のうちだけってのが、気づかないぐらいいっぱいあるもんなんだよなあ。チャンスは逃さねえようにしろよ」
 なぜか、親父と一緒に、中井の顔も浮かんだ。
「あーあの」気づくとしゃべっていた。「自分、友達に一つ隠してることがあるんですけど。それ、ちゃんといっとくのも今のうち……っすよね」
「にいちゃんがそう思うならそうじゃない?」おじさんはカクテルを傾けて笑う。
「にいちゃん、名前何だっけ?」
「三田秀一郎っす」
「サンタ? 何かサンタさんみたいでおもしろいね」
「昔はそれでよくからかわれてましたけどね。てか、このご時世にサンタさんつっても、って感じっすけど」
「そう? 夢があっていいじゃない。クリスマスは期待してるよ」
 ウインクされる。苦笑いするしかない。
「そうそう、ぼく牧野っていいます。何かあったら連絡して。プレゼントはこの住所に送ってね」
 名刺を渡された。名前と会社の連絡先が書いてある。何の気なしに受け取ってポケットにしまった。

 島内唯一のファミレスで待ち合わせた。ドリンクバーで時間をつぶしていたら、やっぱり中井は旋風のようにやってきた。十五分遅刻だが、気にする様子もない。
「おっす。親父さん大丈夫?」ラフでおしゃれな服装が、平凡な店の中でよく目立つ。中井はおれの目の前にどんと座る。
「だからただの過労だって。もう退院してる」
「お前、家にいなくていいの?」
「中井も何か頼めよ。ドリンクバーでいいか?」
「おう。あと唐揚げ」
 テーブルに設置されたボタンを押す。ほどなく接客用ロボットが近づいてきて、水とおしぼりを中井に手渡した。『ご注文はお決まりですか?』
「ドリンクバーと唐揚げ」
『ドリンクバーお一つ、唐揚げお一つ。かしこまりました』
「こんな田舎でもコイツ導入されてんのな。びっくりしたんだけど」おれはロボットのつぶらな瞳を見ながらつぶやく。ここ何年かで爆発的に普及した接客用ロボット「MAWARO」君だった。都会だけかと思っていたら、数年ぶりに帰った地元にもわんさかいて、本当に驚いていた。
「馬鹿にすんなよ。もう二年ぐらい前から使われてんぞ」
『全国のジョイフルでお食事中の皆様……』突然、ロボットから音声メッセージが流れ出した。店のあちこちで同じ声が流れている。内容からすると、ここだけじゃなく全店舗に向けて発信されているらしい。音声通信機能も付いているわけだ。
「中井のほうの家はどうなの」ロボットの後ろ姿を見送りながら、さりげなく聞いてみる。中井の実家は生花店、つまり花屋だ。
「ああーそれがさ、年末近いだろ、クリスマスやら忘年会やらでてんやわんや」
「クリスマスって花使うっけ?」
「使うところは使うんだよ。正確にいうと花じゃなくて葉だな。ヒイラギとかリースとか」
「けっこう手伝ってんのか」
「手伝うっつーか、もう主戦力。こき使われてる。親が年取ってきたしな」
「やっぱ、家継ぐ方向になってんのか」
 コーラを飲みながら、中井の目を見ずに、聞いた。中井は、覚えてるか。あの約束。覚えてるよな。
「んー? さあな、まだわからん。ジュース持ってくるわ」
 逃げられた、と思う。
 手持ちぶさたにあたりを見回すと、平日の昼間だというのに、かなり客が入っている。
 コップを手に戻ってきた中井は、屈託のない顔で関係のない話を始める。折よく唐揚げも到着した。
「繁盛してんな。いつもこんなもんか」
「あれだろ、はやぶさ」と中井は答えた。「もうすぐ打ち上げだからさ、気の早い人はもう来てるんじゃね」
「ふうん」
「お前も打ち上げ見て行く?」
「どうしよっかな」
「何か今日カップル多くないか?」おれには構わず、中井があたりを見回していう。
「そうか?」
 どことなく、中井のそわそわした感じが気になった。このあと予定でもあるのか。話していてもどこかうわの空、という感じがしないでもない。中井は腕を組んで宙を見つめ、芝居がかった口調でいう。
「あー、やっぱクリスマスが近いからかね? ……あ、クリスマスっていえばさ、お前いっつもいじられるんだよな」
「プレゼントくれってか」この前も、あのおじさんにいわれたばっかりだ。「ああ、何か昔、冗談でさ、軽音部でお菓子配ったよなおれ」
 遠い昔のことを、ふと思い出す。記憶の糸が次々たぐり寄せられるように、当時の映像と感情が、何の脈絡もなくよみがえってくる。中井といるからだろうか。地元に帰ってきているからだろうか。普段なら、こんなことは絶対にないのに。
「そうだっけ?」中井は気のない返事をする。
「覚えてないのかよ。そしたらお前がさ――あれたぶん高一の時だったんだよな、まだみづきさんの代もいる年でさ――お前が、ほしみちゃんにもプレゼントしなきゃ、つって、無理やりおれを引っぱって科学部のとこに行って」
「全然覚えてない。お前よく覚えてるなそんなこと。おれなんか高校の時のこと、もうあんま覚えてねえぞ」
「人をだしにしといてそれかよ。あんな恥かいたの初めてだったからな。おれは忘れねえ」
 はは、と中井はのんきに笑う。
「でもさ」とおれは続けた。記憶の波はなかなか終わらない。十年近くもまったく思い出さなかったことが、光みたいに頭の中を駆けぬけてきた。小柄で、くるくるした髪のほしみちゃんの、ひまわりみたいな笑顔。「お菓子あげたらほしみちゃんめっちゃ喜んで、『三田くんって本当にサンタみたいだあ』って! 嬉しそうにいってくれたんだよなー」
「そうだっけ?」やっぱり興味のなさそうな声。
「で、中井くんはトナカイだねって」
「お前にこき使われてるってか」
「違うよ」おれは、ふっと笑う。
 中井が、いっつもおれを引っぱってたからだよ。
「で、ほしみちゃんとはどうなの?」また、しつこく聞いてみる。
「あ?」
「あれ以来順調なの?」
「順調も何も、別に」
「別にって何だよ。もうすぐ帰って来るんだろ。何かあるだろ」
 ああ、と、中井が何かを思いついたような顔をする。
「お前さあ……高校の時の約束、覚えてるか?」
 はっとする。どくん、と、自分の心臓が脈打つのがわかった。
「お前も隣で聞いてただろ? ほしみちゃんが宇宙にいったら、星のかけらを拾ってきてくれるって。で、その間におれがものすごいきれいな花を作って、お互いに交換するって。今考えると馬鹿馬鹿しいよな」
 しゅん、と、自分の中の何かがしぼんだ。
「のろけかよ」
「違うって。そういうんじゃなくてさ」
「いやーいい話だな」とおれは相槌を打った。そういえばそんな話も聞いた気がする。ほしみちゃんは高校時代から、宇宙に行くことを目標にしていた。中井の家の花屋は、親父さんが趣味で品種改良もやっていて、中井もそういうことには興味を持っていた。星のかけらと、誰も見たことのない花。ロマンチックだ。泣けるぐらいに。
「やっぱ付き合ってんじゃん。その花ってもうできたの?」
「だからそれは冗談で」
 中井が口をつぐみ、カードフォンを取り出した。メールが来たらしい。おれのほうをちらちら見る。
「どうした?」
「あのさ」中井の声が少しうわずっていた。ちょうど半音。いやそれより小さく。「会わせたい人がいるんだけど」
「誰?」
 おれの声は、いつも通りだっただろうか。
「あの、おれの、昔からの知り合いなんだけどさ。何だ、いい感じになってきたっていうか。親も認めてくれてるし」
「何の話だお前」
 とっさに中井のカードフォンを奪い取る。メールの文面に目を走らせる。
 うそだろ。
「お前……」
「まあ、そういうことで」中井は怒る様子もなく、へらへら笑っている。照れたような、幸せそうな顔で。
 頭に血がのぼった。何かを考える間もなかった。
 あとから考えれば――中井のこととか、中井の家のこととか、自分の家のこととか、要は少しでも人の生き方について思いをめぐらせる暇があったなら、そういうことも「あり」だと考え直せたのかもしれない。でも、その時のおれにはそれができなかった。
「は? 約束したんだろ?」テーブルを叩いて、叫んだ。「帰ってきたら花あげるって、今いったじゃねえかよ。お前何なんだよ。約束の一つも守れねえのかよ!」
「何だその言い方」中井も声を尖らせて、おれをにらんだ。「お前が偉そうにいうことじゃねえだろ」
「もういい。帰る」
「はあ? おい……」
 ファミレスを出て行く時、入り口で女の子とすれ違う。茶色のコートの、背の低い、髪をくるくるにした、かわいい女の子。
 思い出が、その光景に塗りつぶされる。
 結局、何も話せなかった。

 カウントダウン。夜空に広がる爆炎。見物人の歓声。一筋、空に向かう金色の流れ星。何台ものテレビカメラと、何台も掲げられたカードフォンと、何千もの人の目と。全部きらきら輝いている。宇宙ってそんなに偉いのか。そんなに遠いのか。よく、わからねえ。

 ステージに立った時は一人だ。もちろんメンバーはいるが、おれは一番後ろに座っていて、言葉を交わすことがほとんどできない。黙っていると、しゃべりたくて、叫びたくて、うずうずする。居ても立ってもいられない。
「はやぶさ3打ち上げ成功記念! みんなに曲のプレゼント――!」
 威勢よく声を上げて立ち上がり、両手のスティックでシンバルを叩くと、客席から大波のような歓声が返ってきた。割れんばかりの「グリム」コール。他のメンバーも楽器をかき鳴らして、ライブハウスのムードは高まっていく。仮面をかぶってると暑くてたまらない。冬になったとはいえ、ライブハウスの中は蒸し風呂みたいな熱気だ。汗があごからしたたり落ちる。頭がくらくらしてきて視界がぼやける。それでも、この仮面は外すことができない。
 どうしておれはこのステージに立ってるんだ。どうしてこんなに体を振り回して、音を打ち鳴らしてるんだ。どうしてあの約束を破ってまで、歓声を受けてるんだ?
 みんなに音楽を届ける? 曲のプレゼント?
 詭弁だ。ごまかしだ。
 こんな自分勝手なサンタ、いたらたまったもんじゃない。
 でも。
 金髪のボーカルの後ろ姿が、観客の顔が、みるみるぼやけて形を失う。
 わるいな中井。いつまでも、お前に引っぱってもらうばかりのおれじゃないんだ。
 お前だって裏切るんだろ?

 目の前がにじんでいるのは、必ずしも仮面のせいだけじゃないらしい。







   (2)

 陽が落ちるのが、気づけばびっくりするぐらい早くなった。閉め切った窓はいつもの役目を忘れてしまったみたいに、空も校舎もぼんやりさせて、蛍光灯の白い光をはねかえし始めている。フラスコや試験管が整列する部屋で、髪を縦巻きにした女の子が、窓ガラスの奥からこっちを見つめ返していた。その女の子に向かって、白衣の男が歩み寄ってくる――
「部長」と後輩の男子に声をかけられて、わたしは振り返った。その瞬間、白い照明が無機質に実験器具を照らす、現実の光景が目の前にあらわれる。
「こっちの実験、なかなかゼリーの色が変わらないんですけど……」
「見せてー」と、少し離れた机に駆け寄る。「あーこれはねえ。たぶん電流が足りないんじゃないかな。電圧上げてみて。そうそう」
「部長、自分のもちゃんと見ておかないと……」
「あっやばい」慌てて自分の机に戻る。ビーカーの中のメタノールが、なんかすごい勢いで燃えていた。
「部長、あそこの蛍光灯切れかけてます」
「ほんとだ、先生にいっとくねー」
「部長、紅イモもっと調達してきていいですか?」
「いいよー。レシートもらってきてねー。あ、でももう暗いから気をつけて」
 窓の外を見る。写りこんだ部屋の景色の向こう側で、木枯らしに裏庭の木の葉が飛び散っていた。
 流しでビーカーを洗っていると、後ろから男の子たちの会話が聞こえてきた。
「今日遅くなっちゃったな」
「ったく軽音部のせいで集中できなかったし。何様?」
「ほんとうるさかった」
「なんか……他の人の迷惑とか考えないのかな」
 気づかれないように、小さくため息をつく。
「じゃあ、おつかれさま。戸締りよろしくね」と精一杯明るく声を残して、理科室をあとにする。
 暗い廊下を歩く。
 まだ頭の中に歌声が響きわたっている。あの横顔も。マイクをつかむ手の赤さも。寒風吹きすさぶ中庭で行われた、軽音部の放課後コンサート。理科室の窓をぶるぶる震わせるような大音量。落ちかけた西日が中庭を照らしていて、まぶしかった。ガラス窓一枚隔てているだけなのに――みづきが歌っている場所はきらきらしていた。
 すれ違った先生が「さようなら。気をつけて帰れよ」と片手をあげる。「さようなら」と返す。
 照明の落ちた校庭にはもう誰もいないのに、遠くに見える部室棟には、まだ、明かりが灯っている。こんな時間まで、あそこで音を鳴らしているのは誰なんだろう。

「ただいま」をいいながらリビングを覗く。みづきは無言で寝そべって、漫画を読んでいた。たぶん今日は早く帰ってきたんだろう、髪をまとめたジャージ姿で、いかにもくつろいだ雰囲気だった。もうお風呂も入ったのかもしれない。
「今日お疲れ」と声をかけた。
 みづきが首だけこっちに向ける。化粧を落とした顔を見ると、なんだか鏡と向きあっているような気分になる。「おー。ごめんねうるさくしちゃって。みんな文句とかいってなかった?」
「大丈夫だよ」
「ふーん」
 会話はそれで終わる。手を洗いに行こうとして、もう一言かけた。「めずらしいね。みづきが歌うのって。いつもドラムじゃなかった?」
 みづきはまたマンガに目を戻して、「ん。そだね。たまにはいいんじゃない」とだけつぶやいた。
「ふーん」それ以上は聞かない。聞いて欲しくないって思ってるのがわかるし、それに、聞かなくても――わかる。心の中にあるものが、空気以外のものを伝わって自然とわかってしまう。きっと、それは向こうも同じだ。
 二階に上がる。右手にわたしの部屋、正面にみづきの部屋。小さい頃からずっと同じ部屋で机を並べていたけれど、高校に上がる時、別々にしてもらった――二人分の部屋をまかなうには家が小さすぎたから、親に無理をいって改築までしてもらった。方角や家具の位置、壁紙やカーテンの色はもちろん、部屋の広さも窓の大きさもそれぞれ違う。ドアの形まで微妙に違う。仲が悪いわけじゃない。でも何だか、仲良くもできない。互いを意識するようになったのはいつからだろう。同じ顔で、同じ服を着て、同じ性格をしているのが嫌になったのは――同じでいたくないと思うようになったのは、いつからだろう――
 お風呂に入って、明日の準備をして、ひとりっきりのベッドに入る。真っ暗闇の中で目を開けていると、あのガラス窓の向こうの出来事が、目の前をちらついて離れなかった。
 歌うみづき。その後ろで、ドラムを叩く一年の男の子。みづきが叩いているのを何度も見たことがあるから、わたしにも、その子があんまり上手じゃないことがわかった。でも、その子は顔を真っ赤にしながら、口を半開きにしながら、汗を流しながら、一生懸命に、必死に、みづきを見つめていて。
 くすり、と笑ってしまう。
 わたしも、あんなふうに見つめられたいと思った。

 あと一週間で冬休みが来る。冬休みが終わればすぐ二年生が終わって、自分は三年生になる。この一年、自分は何をできたんだろうと思う。でもたぶん、それを強く感じているのは、二年生のわたしよりも、卒業を控えた三年生の人たちなのかもしれない。
 教室移動の途中、廊下で三年生の男子グループが待ち受けていた。四人とも背が高くて、髪はワックスでばっちりキメている。
「ほしみちゃん」中の一人に話しかけられる。
「はい」
 こういうときに限って、友達は先に行ってしまっている。動きがとろすぎて、こうやって置いてけぼりを食らうことはめずらしくないのだけれど。
「今度のクリスマス、おれらでクリスマスパーティーやるんだけど、来ない?」
「いつですか?」
「いつって、そりゃ十二月二十四日の夜でしょ」
 そういって、だよねー、と、みんなで耳障りな笑い声を立てる。
「どこでですか」
「こいつの家!」と、その人はそばの一人を指さした。「どう、来る? 来てくれたらほんと、何でもおごるから。何でも用意するし。ケーキとか。あ、ケーキ何が好き?」
「さあ……まだちょっと予定がわからないので」
「そう? じゃケータイの番号だけでも教えてくれない?」
 勢いよく腕をつかまれた。そのまま引っぱって行かれる。ストレートの黒髪が、一歩踏み出すごとにゆさゆさ揺れる。みづきだった。
「ちゃっちゃと断れよー」振り返った顔は、呆れてるみたいだった。
「え、でも誘ってくれてるし、一応」
「あいつらあたしのことも誘ってたよ。『みづきさん、おれらのパーティー来ませんか?』だって。ばっかじゃないの」
 やっぱみづきさん、なんだ。
「みづきはクリスマス予定あるんだ」
「そーゆーわけじゃなくてー」とみづきはため息をつく。「ってかあいつら暇だよねー。受験生じゃないの?」
「推薦受かったか、就職決まったかじゃないの」
「それか現実と・お・ひ!」
 みづきの言い方は、いつもびしっと厳しい。妥協とか手加減とか、そういうのが一切ない。わたしも昔はそうだったんだと思う。でもそれは、思い出せないほど昔だ。
「あ、あたしはまた軽音部でパーティーだから、クリスマス」当然のことのようにいうみづき。部活のパーティー。みんなそういうもんなのかな。
「へー楽しそう。あれ、クリスマスって、まだ冬休みじゃなかったっけ」
「なんかちょうど終業式とかぶってるんだけど。ありえなくない? でも授業あるよりましかー。あ、ほしみも来る?」
「わたし、軽音部じゃないし」
「そだね。てか科学部ってそういうイベント系するわけ? しなさそー。でもやってみれば? あ、でも女子ってほしみだけ? あー、大丈夫か科学部だし。いやでもあーいうムッツリはいざって時何しでかすかわかんないよねー」
「ちょっとみづき」
 授業のある社会科教室の前まで来ていた。もう席に着いた人たちが、教室の中からこっちを見てる。
「それじゃ」、という。
「うん」
「ありがと」、と付け加える。
「ん」
 一瞬、二人で固まってどぎまぎする。なんかこう、自然と言葉を交わしてしまったのが、異様に恥ずかしいことみたいに思えてくる。最近はどっちも大人ぶってたから、特に。わたしにはわたしの世界がありますカラ。あなたのことなんて視界にありませんよー、みたいな。微妙に違うドアの向こうで、それぞれ自分だけの要塞を作ってる――まさにそんな感じで。
 互いを意識するようになったのはいつからだろう――自分の行動に「してはいけない」が増えたのは、いつからだろう――

 正直、またか、と思う。
「ほしみちゃん、あのっ」
 同じ日。勢いよく声をかけてきたのは、一年の中井君だった。軽音部で、みづきの後輩だ。
「今度軽音部でクリスマスパーティーやるんですけど、来ませんか? みづきさんもいるし。あ、もちろん、予定が無かったら、ってことなんですけど」
 ジェスチャー付きで、やたらと髪をいじりながら、できるだけカッコよく振舞おうとしているのがわかる。目が真剣なのもわかる。少し離れたところにいつも友達が立っているのも――最近気づくようになった。こっちに気をつかっているのかそっぽを向いて、壁の掲示を眺めている。みづきの後ろでドラムを叩いていた子だな、と思う。背が低くて、若干ぽっちゃりめで、髪型はまあまあキマってるんだけど――かっこいいっていうより、カワイイ系の男の子。
「あ、あの、チョコケーキ好きですよね? 用意しようと思ってるんで! それから」
「ごめんね、実はみづきにもちょっと誘われたんだけど。終業式の日だからいろいろ科学部の用事とかもあって。片付けとか。あ、たぶんこっちでもパーティーやると思うし。ごめんね」
 顔の前で手を合わせて、わざときっぱり断った。
 中井君はがくっと肩を落として「そうっすか。すみません、なんか。えっと、じゃあ、これ早めのクリスマスプレゼントってことで……あ、お返しとか、そーいうの全然いいんで」
 差し出されたかわいい包みを受け取る。
 中井君は去っていく。待っていた友達が大きな声で「またフラれた?」と聞く。「うるせーな」と中井君が言い返す。「元気出せよー。もー。おれたちにはみづきさんがいるんだからー。みづきさああああん」「うるせーって」
 こら高校生男子。

 あっ。自然と口元がほころんでしまう。
 包みを開けてみたら、カピバラさんのストラップだった。カピバラさんとは、げっ歯類の動物カピバラをモデルにした、大きな顔と短い足がキュートな癒し系キャラである! ……クリスマスバージョンらしくて、なんか鹿みたいなツノが生えてる。ストラップでじゃらじゃらしたケータイを見る。付けたいけど、どれ外そう? しばらく考えようと思って、カピバラさんはカバンのポッケに。一人で戸締りをして、理科室を出た。取り組んでいた実験が長引いて、男の子たちには先に帰られてしまった。
「浜添」
 わたしのことを名字で呼ぶのは、たぶん、この人しかいない。同学年の岩崎が、つい今しがた通りかかった――というふうに、わたしの後ろに立っていた。
「こんな時間まで残ってんの?」
「うん、ちょっと今日は……実験がなかなか終わんなくて」
「へー。どんな実験してんの?」
「最近は酸化とか電気分解とか……鍵、返してくる」
「一人で危なくね? 暗いし」
「平気平気」構わず歩き出す。岩崎は付いてくる。電気の消えた廊下には誰もいない。非常ボタンの赤い光だけが、ぽつん、と一つ灯っている。
「おれも最近、生徒会の仕事がいろいろあって。今日もこんな時間になっちゃって」
 聞いてもないのに話し出す。黙ってるわけにもいかないから、調子を合わせる。
「なったばっかだもんね、生徒会長。掛け持ちたいへんそう」
「マジ、マジ。科学部って楽なの?」
「楽じゃないよ。毎日やってるし」
「そっか。時間とかもあんまりない感じ?」
「そだね」
「あのさ、もしよかったら、なんだけど」
 明かりのついた職員室に入る。「失礼します。理科室の鍵返しに来ましたー」岩崎の鼻先でドアを閉める。エアコンが効いていて、あったかい。ふう、と息をついて、マフラーをゆるめる。
 ドアをそっと開けると、岩崎はまだそこにいた。首だけ出してささやく。
「あのさ、わたしちょっとまだかかるかも。先生といろいろ話すことあるんだ。先帰ってていいよ」
「おう」
 鍵を壁のフックの一つにぶら下げる。ほとんどのフックが埋まっていた。こんな時間まで校内に残っている生徒はふつういない。何となく軽音部の鍵を探したけれど、フックすら見当たらなかった。たぶん部室の鍵は生徒で管理してるんだ。うらやましくも、悔しくもある。
 ただ一人居残っていた矢野先生と言葉を交わして、ついでに切れかけた蛍光灯のことを報告して、コーヒーまでごちそうになって、わざとゆっくりしてから出ていくと――まだ岩崎はそこにいた。ちょっと不機嫌そうな顔で。
「おそっ。何してたの」
「帰ってくれてよかったのに。……待っててくれたんだ、ありがと」そういって、軽く手を振る。「じゃあね、また明日」
「さっきの話の続きなんだけどさ、あ、歩きながら話す?」
「ここでして」
 自分でも――ちょっと冷たすぎるな、と思った。
 岩崎は観念したように、ぶすっとしたように、肩をすくめた。「今生徒会、人手足りてないんだよね。三年生は上半期で引退したし。浜添に入ってもらえたらうれしいなって」
「みづきにも頼んだ?」
「え?」岩崎は意表を突かれた顔になる。「いや……」
「遺伝子いっしょだよ」
 笑おうとして、笑えない。岩崎はそんな表情をした。
「浜添ってさ、なんか、そういうとこあるよな」
 わかんないかなあ、とつぶやいて、彼は去っていく。その姿はすぐに曲がり角で消えて、足音だけが遠ざかっていく。
 ゆっくりマフラーを巻きなおす。目の後ろが熱くなる。
 わかるよ。
 でも、そんな簡単にはいかないんだよ。
 わたしって、ほんと、ばかだなあ――

   *

 遺伝子いっしょだよ。
 自分はどのくらい本気で、この言葉を口にしたんだろう。いっしょであることを、嫌だと思ってたんじゃなかったっけ……
 誰もいないグラウンドを黙々と走る。敷地の隅に建てられた部室棟の二階――軽音部の部室にはまだ明かりが灯っていて、ドラムの音が聞こえてくる……。
 その部室から人が出てくる。背の高い男の子。遠目でよくわからなかったけど、常夜灯に照らされて見えたのは、長めの髪をふわふわ立たせた、中井君のシルエット。でも、部室の電気はまだ消えていない。
 走るのをやめて、体育館入り口の階段に座って休憩する。上着を着て、自販機で買った冷たいカルピスを飲んで、また遠くから軽音部の部室を眺めた。まだドラムの音はやまない。
 クールダウンのためにまた走り出す。部室棟の前まで来たとき、たった一つ残っていた窓明かりが消えた。そして、中から出てきたのは――
 あの男の子だ。いつも中井君といっしょの。
「あ――こんな時間までやってるんだ」
 男の子はびっくりしたようにわたしを見る。そういえば、ほぼ初対面だった。
「あ、ごめんごめん。わたしのこと知ってるかな? 浜添ほしみ。みづきの――」
「ああ」ようやく思い出したように「どうも」と挨拶された。
「いつもうちのみづきがお世話になってます」
「え、いや、おれのほうがお世話になってますよ」
「いじめられてない?」
「いや、そんなことないっす」
 何となく焦ってるようで、笑えた。「今終わったとこ? 練習熱心だね」
「いや、遊んでる時間のほうが長いんで」
「でもずっと音聞こえてたよ」
 男の子は少しうろたえる。「え……。ほしみちゃんは――あ、すみません、えっと」
 そのまま口ごもってしまった。先輩を目の前にして「ちゃん」を付けるのは、やっぱり気がひけるらしい。
「いいよ、ほしみちゃんで。みんなそう呼ぶし」
「あ、はい。……こんな時間までどうしたんすか?」
 男の子はわたしの体を遠慮がちに見る。上下ジャージ姿で、靴はスニーカー、髪は後ろでまとめている。体育の授業以外、学校でわたしがこんな格好をすることはない。意外に見えるかな。
「走ったりとか」
「走る?」
「うん、体力作り。運動しないと太っちゃうし。体育のない日とか、なんか落ち着かなくて」
「一人っすか? でも夜だと危なくないっすか?」
「大丈夫だよ。誰もいないし」
「はあ。あれ、確か科学部に入ってるんですよね」
「うん」
「体育会系の部活に入らないんですか?」
 答えに詰まる。「んー」とごまかしたきり、しばらく沈黙が続いた。もう校庭に響きわたる音は何もない。男の子が盛大にくしゃみをする。
「あ、ごめん。立ち話してたら寒いよね。わたしも寒くなってきた」
 自然と、二人で歩き出す。本当に自然とそうなった。誰も見てないから? 相手が後輩の子だから? ――それは、何だかこの子にも失礼なような気がした。
「……ほんとは運動も好きなんだけどね。でもみづきが軽音部入ってて目立つじゃん。だからどうしても、わたしは地味なほうに行っちゃうわけ。あ、地味っていったら科学部の人に悪いか」
「そういうもんすか?」
「そうそう、ベクトルが全然逆になっちゃう。気づいたら対抗しちゃってて。みづきがストパーかけたからこっちは巻き毛、みたいな」
「ははっ単純!」大きな声で笑ったあと、男の子ははっとしたように小さく「すみません」と付け加えた。
「いいよ。自分でもばかみたいだと思うし。でも何だろ、どっちも文化部なあたり、根は通じてんのかもね」
「そうかもしんないっすね」
「えっと」男の子の名前を呼ぼうとして、すぐには出てこなくて――そもそもそれを知らなかったことを思い出す。「ごめんまだ名前聞いてなかった。中井君の友達だよね?」
「三田っす」
「サンタくん? 変わってるね。三田君は、何で軽音部入ったの」
「なんか……憧れて。かっこいいじゃないですか、ミュージシャンて」
「わかるわかる。わたしもライブとか行きたいなってずっと思ってて。でも行けてないっていう。せめて鹿児島まで来てくれたらなー、とか思わない?」
「マジ差別っすよね」
「ねー。三田君は行ったことある?」
「いや……でも来年は参戦できたらなって」
 三田君は、あこがれのロックバンドのことを熱心に語った。ミーハーですけど、と照れ笑いしながら、でも本気で音楽やってるんだって、素人のわたしにでも伝わるような話し方だった。
「三田君は高校から始めたの?」
「はい。まだ全然下手で。ちゃんとバンドも組んでないんですけど……」
「あ、そうなんだ。でもこの前はみづきと一緒に演奏してなかった?」
「あ、はい。出させてもらいました。あれが初めてだったんすけど……」
「わ、初舞台! おめでとう。頑張ってたね」
 みづきを見つめる三田君の目を思い出す。
「ミスしまくりっすよ」と、三田君は頭をかいた。
「ほんとに?」
「はい。みづきさんにめっちゃ怒られました」
「あはは。それで一生懸命練習してるのか」
「はい。来年はちゃんとバンド組めたらいいなって、中井とも話してて。中井は、ギターなんすけど、経験もあっておれよりずっとうまいんで……」
 中井君の話をするとき、三田君の顔は少しさびしそうになった。
「うわー青春だあ」と茶化すと、三田君は笑ってくれた。
「そうやって一つのことに打ち込めるのって、今だけ、って感じがする」
「そうっすね」
「そんなことない?」
「さあ……あの、ほしみちゃんって、将来の夢とかありますか」
「夢? うん、あるかな」
「何ですか?」
「笑わない?」
「笑いませんよ」
「お嫁さんになること」
 三田君は吹き出した。
「あーっ、笑わないっていったのにい」
「すみませんすみません。今のなしで。だって……みづきさんと同じこというから」
「え」
「あ……」
 砂を踏む足音だけが、校舎をはねかえって大きく響く。
「みづき、ほんとにそんなこといってた?」
「え? あ、はい……」
 そっか。
「――……」
「え?」三田君は怪訝そうにわたしを振り向く。
「ううん何でもない。そりゃそーだよね、双子だもん。そりゃ同じこともいうよ。……でもふしぎだね。顔も声も同じなのに、『ちゃん』と『さん』くらいの違いがあったりさ。わたしにだけ声かける男がいたりさ」
「中井っすか。いいですよ、あんなやつのことは気にしなくて」
 中井君、だけでもないけど。
「あは、だめだよ応援しないと」
「こっちはいい迷惑なんすけど……。えっと、でも、おれもほしみちゃんのほうが人気あるような気がします! ほしみちゃんならすぐお嫁さんになれると思います」
「みづき推しのくせに」
「あ、えっ?」
「ごめんごめん、うわーやな先輩だなーわたし」
 三田君は顔を赤くして黙る。中井君といるときは恥ずかしげもなく叫んでたくせに。そのギャップに面食らう。なんかわたしのほうが一方的に悪者みたいじゃん。
「ごめんね。今のはごめん」実際――完全な八つ当たりだった。三田君に、というより、自分に言い訳するようにつぶやく。「でもそんな簡単なもんじゃないんだよー。女の子っていろいろあるんだよ」
「まあ、わかります」と三田君はうなずいた。
「うそだー。男の子にはわかんないよ」わざと意地悪くいう。
「でもほしみちゃんくらいかわいかったら、だいぶ得だと思いますけど……」
「みんなそういうけどさ。逆に周りの目が厳しかったりするじゃん。ちやほやされるだけじゃないよね。目立つと恨まれちゃったりもして。だからあえて欠点見せたりとか……馬鹿なフリしたりとか……そういう人もいるよね。わたしじゃなくて、一般的にね。ちょっと何かするだけで、お前そんなことすんなよ、みたいなオーラが伝わって来るんだよね。わたしが空気壊してるみたいじゃん。そういうの嫌だからさ……」
 話しているうちに、なぜだろう、目の奥に涙がたまってくる。
「だから科学部入ったんすか?」
 今度はわたしが不意打ちを食らった。
「三田君って意外と鋭いなあ」
「あ……あたりですか」
「だってふつうの部活入ったら、男子もうるさいだろうしさ、誰と付き合うとか、ポイント稼いでるとか稼いでないとかいう話になるじゃん。先輩への遠慮っていうか、そういうのもあるし。地味なとこだったらさ、わたしも楽だもん。科学部、みんな草食系だし。うわーすっごいぶっちゃけちゃった。引いた? 今引いたでしょ?」
 三田君は黙って首を振る。三田君にこんなこと話しても仕方ないのにな。後悔した。
「なんかでも……親近感わきました。この人も人間なんだなっていう」
「何それ」
「おれ、何もいえる立場じゃないんですけど、無責任なんすけど……そうやってダークな部分っていうか、悩んで、いろいろ考えてるの聞くと、この人すっごいいい人なんだなあって思って」
「またポイント稼いじゃった?」
「……」
「ごめんごめん」
 笑った。気分が少し軽くなった。
「ごめんね八つ当たりしちゃって。自分が臆病なだけなのに。だから、こーゆー世界に飛びこんでいくみづきのこと、うらやましかったりもする。人前で歌うとかさ。どういう神経してんのって感じ。あ、三田君は、やっぱみづきのそういうとこが好きなの?」
 不意を突かれて、三田君はどもる。
「え、いや、それは。……勘弁してください」
「でもドラム叩いてる三田君、かっこよかったよ」
「えっ」
「この前の中庭コンサート。でもみづきは前に立って歌ってるんだもんなあ。あの三田君をみづきが見てないのは残念すぎるー。なんかね、もう、情熱っていうのかな? そういうのハンパなかった。ちょっと妬いちゃった。やっぱみづきのこと好き?」
「いや、ほんとそういうのじゃないっすから」
「わたしじゃダメ?」
 同じでいたくないって思うのに――同じじゃないと、こんなにも不安になるのは、何でだろう――。
「……冗談冗談、そんな顔しないでよ」
 三田君をいじめたいわけじゃない。きっとわたしは、答えが欲しいんだ。自分とみづきは何が違っていて、何が同じで、その二つをどういうバランスで組み合わせて生きていけばいいのか。
「……あの中庭コン、中井がセッティングしてくれて……お前も今年のうちに一回出とけって」
「世話焼きなんだね」
「はい。いっつも引っぱってもらってます。みづきさんにボーカル頼んでくれたのも中井なんですよ。どうせ出るならみづきさんに肩貸してもらえ、って。あれ、胸貸して? 肩? どっちでもいいっすけど」
「もしかして、三田君って軽音部ではどじっこキャラ?」笑いをこらえて聞く。
「え? いや、違うと思いますけど」
「そっかそっか」
 なるほど。
 みづきがほっとけないわけだ。

   *

 ヒトにも繁殖期があるんだろうか。
 女の子を狙う獣たちが、目をぎらぎらと光らせて、終業式を終えた学校のあちらこちらを徘徊している。あーあめんどくさいなあ。こわいなあ。
 物陰に隠れてこそこそ様子をうかがっていたら、ばすん、と、肩に何かがのしかかった。
「二人でいようぜ」みづきに肩を組まれていた。「二人一緒のほうが声かけられないっしょ」
 顔がかっと熱くなる。でもみづきの横顔はあまりに涼しげで。
 こんなにくっついたのはいつ以来だろう――そんなことを気にしていたのは、もしかしてわたしのほうだけ?
「え、いいよ、友達もいるし」
「どーせまた置いてけぼりにされたんでしょ?」
「うっ……」
「ひさしぶりにジョイフル行こうよ。パーティーまではまだ時間あるし」
「あ、でもわたし部活。みづきも部活じゃないの?」
「さぼっちゃえさぼっちゃえ」
「えーっ」
 どうにか学校を脱出して、くねくねした二車線の道路を自転車で駆け下りた。
「みづきってさあ」前を走るみづきに、後ろから声をかける。「クリスマス、いっしょに過ごす男とかいないの?」
「えー?」聞こえないふりをされる。
「もういーい」
 両側に崖のせまる道を抜けると、すっと視界が開けた。
 空が、広い。
 西之表の港町が、淡い日差しの中で白くにぶく光って見えた。ぐんぐんスピードを増す自転車は、今なら何でも追い越せてしまいそうな気がした。
 広々とした駐車場を駆けぬけて、自転車をファミレスの前に停める。川沿いの工場街に現れたショッピング・タウンには、ツタヤもあれば大きな電気店もある。くすんだ森をバックに浮かび上がった派手な看板は、どの季節でも色あせることがない。しかもこの時期は――ひと月ほど前からツリーやイルミネーションの飾りが増えてきて、クリスマス気分を引き立たせてくれていた。
「マックとかもできたらいいのにね。ここもそろそろ飽きてきた」
 入口のクリスマスツリーに積もった雪――ふわふわの綿をいじくりながら、みづきはそういって笑った。
 店員さんにドリンクバーだけ頼んで、あとはひたすらどうでもいい話をした。終業式の日だからか、学生でどんどん混んでくる。
「うーわカップルばっか」
「みづきも男作ればいいのに」
 わたしがそういって茶化すと、みづきは「ほしみがそういうこというのって、めずらしーね」と、ジュースをすすりながら口をとがらせる。
「ほしみのほうこそどうなの? 最近は中井があんたにお熱だよねー」
「あ、みづきでしょ。中井君に、わたしがチョコケーキ好きとか、カピバラさん好きとかいったの」
「え、いってないよ」
「うっそー」
「いってないって。てかほしみカピバラさん好きだったっけ? 初めて知った」
「えーあんなかわいいのにー」
「そういう問題じゃなくて。あいつ自分で調べたのかな? あ、あいつ最近髪形も変えてたな。ほしみの好みに合わせるとか何とか……」
「そーいえば、フジくんと同じ髪型だー」わたしははっとして、お気に入りのアイドルのことを口にした。「何でわたしがファンだって知ってるんだろ?」
 みづきの顔が、すっと近づく。
「……ほしみ、一緒にケーサツ行ってあげてもいいよ」
「あはは」
「笑い事じゃないって。でも本命はやっぱ岩崎?」
 思わず顔がこわばる。
「え、それ誰から聞いたの?」
「誰でも知ってるよ。科学部の予算増やしてもらおうとしてるわけ?」
「何いってんの、違うよ」
「じゃなかったらあいつは無いわ」
「え、岩崎君、けっこうかっこいいと思うけど……」
「あのさ、他人ならともかく」とみづきは笑う。「あたしに嘘ついても仕方ないから」
 だよね。
 にやにやしながらジュースをすする。
「あ、わたしこの前三田君と話したよ?」
「三田と? 何話したの?」
 逆もおんなじで。何気ないふりをしていても――みづきの目の色が少し変わるのが、心の奥がちょっぴり動いたのが、わたしにはわかる。
「教えなーい」
「何でよ」
「教えなーいあはは」
 わたしの考えてることくらい、聞かなくたってわかっちゃうくせに。
「あんまり三田君のこといじめないであげてね?」
「あいつそんなこといってた? くそー覚えてろよ。だってあいつ下手なんだからしょーがないじゃん。下手なまま出すわけにもいかないし。だいたいねー、あいつ中井にくっついてばっかでさあ、馬鹿だしさあ、先輩がちゃんと見てあげないと、って思うじゃん。この前だってさ」
 延々と続くみづきの話を、わたしはにこにこしながら聞いていた。気づくとどちらのコップにも、同じジュースが入っている。でも、そんなに悪い気はしない。
 わたしはあのとき、ちょっとほっとしたんだ。
 ――お嫁さんになること。
 三田君に、みづきも同じこといってたと教えてもらったとき――。

 理科室にサンタさんがやってきた。もうすっかり夜になってからのことだった。
「メリークリスマース。サンタからのプレゼントでーす」
 科学部の面々が目をぱちくりさせるなか、三田君は大きな白いポリ袋をひっくり返して、お菓子を机の上にどさどさっと落とした。
「わあっありがとー。あ、ポッキーがある! カントリーマアムも! 三田君ってほんとにサンタみたいだあー」
 そこで振り向いたら、ちょっぴりさびしそうな顔をした中井君と目が合った。さっと目をそらされる。まるで、すねてしまった子どもみたいに――
「中井君はトナカイだね」
「え?」と中井君はきょとんとする。
「ううん、何でもない」わたしは笑って、ジュースの入った紙コップを差し出した。実験で使った残り物の、歯が溶けちゃうくらい酸性の強いレモンジュース。
 知ってるよ。いつも帰るのが軽音部の中で二番目に遅いってことも。チャラそうに見えて、本当はすごく努力のできる人なんだってことも。でももっと努力していて、不器用で、頼りなくて、カッコいい人が隣にいるものだから。
 頑張ってるのに――いっつもサンタさんの引き立て役。
「メリークリスマス」
 コップを軽く触れ合わせながら思う。
 家に帰ったら――カバンの中に入ったままのあのストラップを、ケータイに付けてあげよう。
 だって、トナカイさんからのプレゼントだもん。
 切れかけの蛍光灯が、まるでイルミネーションのように頭の上でちかちかしていた。







   (3)

 三田との電話を切ると、萌絵がじっとこっちを見つめていた。どんぐりみたいな大きな目で、芯の芯まで見透かすのが義務だとでもいうような、そんな視線を萌絵はいつも向けてくる。
「中井君は、まだミュージシャンになりたかったりするの?」
 そう聞かれた。
「しないって。昔の夢だよ」とおれは答えた。
 いまの話を少し聞いてたんだろう。電話の相手は高校のときの同級生――同じ元軽音部で、東京に出ていまも音楽を続けてるやつだった。
 ひさしぶりの、しかも急な電話だった。おれたちの高校から、プロのミュージシャンが出たという話。しかもおれたちと同学年。地元の島に残って家業の手伝いをしているおれとしては――悔しくない、といえば嘘になる。
 雑念を振り払って伝票の整理に戻る。一面ガラス張りの店内は、午後の黄色い日差しがいっぱいに差し込んであたたかい。二人だけの空間に、タッチパネルを叩く音がたんたんとかすかに響く。ときどき目を上げて萌絵を見ると、彼女はゆっくり歩きまわりながら、陳列された花を丁寧に世話していた。水をやったり、土を盛ったり、剪定したり。そんなちゃんとやらなくていいよ、水なんか上からばあっとまけばいいんだよ、と何度いってみても無駄だった。萌絵はじょうろの口をそっと花の根元に差し入れて、まるで母親が赤ちゃんにミルクを飲ませるように、優しく飲ませてあげていた。そう――飲ませるというほかに言いようのないやり方だった。
 雲が太陽にかかったんだろう。中が薄暗くなった。床に、壁に、天井に、花が隙間なく並んだ店内は半温室とはいえ――そしていくら南の島とはいえ、もう日陰が肌寒い季節になった。
「寒くない?」と萌絵に声をかける。
 彼女はぱっとこっちを振り返って「大丈夫」といったあと、「中井君は寒い?」と逆に聞いてきた。おれは「ううん、萌絵が寒いんじゃないかと思って」と首を振って、何だか自然と笑ってしまう。
「ただいまあ。あらっ萌絵ちゃん、いらっしゃい。いつもありがとうね」
 店の正面から、大量の買い物袋を提げた母親が入ってきた。
「いえ、あっ、お持ちしましょうか」
「あら、いいの? じゃあお願いしようかなあ。今日はね、ごちそう作ろうと思って。ほらぁお肉買ってきたの! 萌絵ちゃんも食べていく?」
「わあ……いいんですか?」
「当たり前じゃないのっ」
「早く行けよ。肉腐るだろ」おれが声を荒らげると、母親は「何よ。もう冬なんだからそんな簡単に腐るわけないでしょ」とおれをにらみつつ、萌絵には気持ち悪いくらいの笑顔を向け、太った体を揺らして店の奥に入っていった。袋を持たされた萌絵もあとにつづく。
「そんな無理して手伝わなくていいから。すぐこき使うんだからあの人」
「いいの、いいの」萌絵はくるくるにした髪を揺らして、おれを振り返ってにこっとした。「見て見てすごいよ、高そうなお肉だよ」
「おう……」
 一人残された店内で、おれは椅子の背もたれに身を預けて目をつむる。また顔を出したらしい太陽が、まぶたに力なく降りそそいだ。
「萌絵ちゃん、すっかりここの看板娘ねえ」と、母親がご機嫌でいうのが聞こえた。
 悪い気は――しなかった。
 萌絵はリスに似ている。
 顔じゃなくて性格だ。いや顔もちょっと似てるかもしれない。大きな目で、まるっこい顔、これで八重歯だったら完全にリスだったかもしれない。性格がリスっぽいから顔もそうなるのか、それともその逆か、そもそも全然関係ないのか、よくわからないけれど。
 具体的な例を挙げるなら、一つは森の木の上を駆けまわるように、小さな体でいつもちょこちょこと動きまわっているところ。もう一つはどんぐりをほお袋いっぱいに詰め込むように、一生懸命に何かを得ることに熱中するところ。おなかのすく夜に備えて、あるいは来たるべき冬に備えて、そしてまた楽しい春を迎えるために、萌絵は努力を惜しまない。
 この島の高校を出て、偏差値の高い大学で農学を専攻。大学院まで進んで、輝かしい成果をあげて、今年は大きな企業から就職の内定ももらった。そこの重役から熱心に誘われているらしいけど、本人は地元に戻って仕事をしたがっている――自分の研究してきたことを生かして、地域に新しい産業を興すのが夢なのだと、静かに、照れくさそうに、小さな声で話してくれた。
 おれの二つ年下で、近所に住んでいたから小さい頃からの知り合いだった。昔から真面目な女の子で目立たなかったけど、いまや周囲から期待される地域の星だ。重ねてきた小さな努力が、ついに実を結ぼうとしている。
 ただし期待というなら――例のミュージシャンは別として――この島からもっと大きなスターが出てしまったから、萌絵はきっと、一生、ナンバーワンになることはできないだろう。
 でも、そのほうがいいのだと思う。

 クリスマスプレゼントは何がいいか、という話になった。盛大な晩ごはんとデザートがわが家のむさくるしい食卓で振る舞われたあと、歩いて十分の萌絵の家まで、夜道を送っていったときだった。母親が張り切りすぎたせいで、萌絵はキャパシティをはるかに超える量を食べる羽目になり――重そうなおなかを抱え、ときどき顔をしかめながら歩いていた。もちろん不平不満は口には出さず、料理がおいしかったこと、お世話になって恐縮なこと、またぜひごちそうになりたいこと、などなどの感想を、母親の前でもおれの隣でも繰り返していた。自動点灯式の街灯が、おれたちが歩くそばからぽつん、ぽつんと点いて、細い坂道をまだら模様に照らした。
 クリスマスまであと一か月。まだまだのようで、きっと今年も、あっという間にその日がやってきてしまうんだろう。
「中井君は何がほしい?」
 そう聞かれても、すぐには思い浮かばない。ほしいものはたくさんあるはずなのに、いざ聞かれると答えられない。本当にほしいものなんか、この年に――四捨五入すると三十になる年になると、そうたいしてなくなってしまうのかもしれない。でぃーえす! とか、ぷれすて! とか無邪気に叫んでいた頃が懐かしい。
「また考えとく」と答えてから、今度は同じことを萌絵に聞き返した。うーん、と少し悩むそぶりを見せてから、萌絵は「なんだろうね」とだけいった。
 言葉が途切れた。
 萌絵が何をほしがっているのかは、誰よりも、たぶん本人よりも、おれが一番よく知ってる。でも、簡単にそれをあげられない自分がいる。まだ踏み切れない。もうこの人を選ぶと決めたはずなのに、残りの物は全部捨てる覚悟をしたはずなのに――まだ何か引っかかっている。
 何か。それも、おれが一番よく知ってる。

   *

 コスモスはさすがに元気をなくしてきたけれど、木の実や菊の色は日に日に鮮やかになってきた。冬の始まりは、実りの季節だ。彩りの季節でもある。たぶん、まわりのいろんなものが色をなくすから、余計にそう思えるんだろう。交配技術、遺伝子組み換え技術が進んで、いまじゃオールシーズンどんな花でも作り放題だけど、やっぱりこういう季節感も大切にしたい。そういううちの花屋だって、親父の代から、品種改良に力を入れて何とかやってきた。冬でも枯れない花、長持ちする花、日光に当てなくても育つ花――。科学が進歩して、高等な技術が民間でも使えるようになったのはいいこと――でも逆にいえば、こんな田舎の店ですら、高等な技術を使わないと生きていけなくなったってことだ。
 店番をしていても客はほとんど来ない。基本はネットで注文を受けて仕事をする商売だから、誰かがふらっと店に入ってくるとか、電話が鳴るとか、そんなことはほとんどない。開け放した入口には、ふわふわした初冬の光が風と一緒にうずを巻いているだけ。
 まだ何も書けていない短冊をぼんやりと見下ろした。色画用紙を小さく切ってひもを付けただけの、このご時世にやけにアナログな代物だ。一か月後に帰還する宇宙飛行士へのメッセージ。大きなクリスマスツリーに島民全員のものをぶら下げるつもりらしい。もう締め切りはとっくに過ぎて、ツリーの飾りつけも始まっている。昨日の全国ニュースでも紹介されていた。でかでかとした人工のモミの木が、小学校の体育館いっぱいに鎮座していて――町は地元のスターを迎えるお祭り気分で――実際すぐに日本に帰ってくるわけじゃないだろうに、インタビューに答える誰もがうれしそうに笑っていて――
 えんぴつを机の上に投げ出す。何を書けばいい? どんな言葉を贈る? 何も思い浮かばない。
 宇宙ステーションでの一年間の滞在を終え、もうすぐ地球に帰ってくる浜添ほしみは、おれの高校の一つ上の先輩だった――そんな言葉だけで割り切れたら、どんなにいいだろう。学校のアイドルだったあの人を、おれはいっつも追っかけまわして、ちょっと振り向いてもらって、ある時期そういう関係になったこともあった。でもそれだけのことだ。宇宙を目指すと決めたあの人はおれを振り切って、のぼって、のぼって、のぼりつめて、――そしていま、絶対におれの手の届かないところにいる。
 萌絵もそのことを何となくは知っている。でもちゃんと話したことはない。当たり前だ。昔の女のことなんて、ほじくり返してどうする。焼きもちも何も、あの人は遠すぎて、おれたちが気にするような人じゃないんだから。いまおれたちは――おれと萌絵は、二人で新しい生活を歩み始めようとしている。まだかすかにしか見えない道だけど、これから深く分け入っていくんだろうという予感がある。いや、予感よりもっと強いものだ。おれの親はもちろん、萌絵の両親も、それからおれと浜添ほしみの関係を知っていた昔の友人たちも、みんな喜んで、応援してくれている。
 だからこそ――もう忘れないといけない。
 おれは意を決して、短冊にえんぴつを走らせた。

 ちょっとしたデートのはずだったのに。
 突然の出来事に、逃げることすらできなかった。
「ここ入らないでくださーい」といいながら、海岸をこっちに走ってきたその人は――
 岩崎さん。高校の先輩で、生徒会長も務めていた人。
 そして、浜添ほしみの、最有力彼氏候補だった人――
 海辺をドライブしたいといったのは萌絵だった。そういえば最近、彼女がおれの家に遊びに来ることはあっても、二人でどこかへ出かけるということがほとんどなくなっていた。普段からにこにこするだけで口数の少ない萌絵が、そうやって自分から意見をいうことはめったにない。夏休みに女友達といっしょに島を一周して、それがすごく楽しかったから、今度はおれと行ってみたい――そういうことらしかった。ちょうど店も休みだし、天気も悪くないし。飽きるほど暮らした島だけど、たまにはぶらっと出かけてみるのもいいよな。そう思って車を出した。
 鉄砲伝来の地、門倉岬に降り立ってすぐ後悔した。寒すぎる。海風がまともに吹きつけて、潮のにおいが鼻に突き刺さる。夏ならさぞかし気持ちいいんだろうけど――そう思って萌絵の横顔を盗み見たら、例のごとく萌絵は笑って「寒いね」といった。
 そもそも行くところなんかどこでもよかったのかもしれない。
 海岸線一周はとりあえずあきらめて、近場の宇宙科学技術館に行くことにする。遠足で何度も行かされた場所だけど、寒さしのぎにはなるし、展示とかも新しくなってるだろうし……いろいろと理由を付けながら向かった。でも本当は理由なんかいらなくて。おれは――きっと萌絵だって――二人で出かけるってことだけで無性に楽しかった。目的もなく、予定もなく、肩ひじ張らずにどうでもいい会話を交わして、新発売のお菓子をつまんで。ハンドルを握りながら、こういう幸せがこれから一生続くかもしれない――と、能天気なことを一瞬だけ思ったりもした。
 途中、萌絵が夏に見つけたおすすめスポットなるものを教えてくれた。いわれるままに車を停めて、また海岸に向かって歩きだす。何でも、宇宙センターと発射台を一望できる最高の眺め、なのだそうだ。
 二人で砂浜を歩きながら、ああ竹崎展望台のことだな、と思う。ロケット打ち上げの日以外は誰でも自由に出入りすることができるし、確か夏には海水浴の施設としても使えるはずだ。昔マスコミ向けに作られた施設で、打ち上げのたびにカメラマンでごった返した時代もあったらしい。
 岩崎さんはそんな場所で、何人かの報道関係者と打ち合わせをしていた。
「無人飛行機と人間のカメラマンが同じ場所にいるとさ、どうしても接触とかで事故の可能性あるだろ、だから事前にちゃんと決めておくんだよ。人はここに何人、機械はこっちに何台、ここまでしか入っちゃだめ、ってね」
 『JAXA』のロゴマーク入りの作業着を着た岩崎さんは、その日の仕事の内容をそんなふうに説明してくれた。
「おれらももうすぐお役御免だよ」と――飛び交う小型カメラを眺めながら――居合わせていた人間のカメラマンは笑った。
 もうすぐ『はやぶさ』の三代目が打ち上げられる。二代目の成功によって、さらなる期待がかけられた惑星探査機だ。小惑星のかけらを拾いに宇宙に飛び出し、そしてまた地球に戻ってくる。それで宇宙誕生の謎が解けるかもしれない――というようなことを、ニュースでちらほらとは聞いていた。だから取材の準備が進んでいるのはわかる。JAXAの職員が立ち会っているのもわかる。ただ、どうして、島を出て働いているはずの岩崎さんがここに――
「報道関係の部署に異動したんだよ。まあ普段は東京にいるんだけど、こういう大事なときはマスコミ対応で現場に駆り出されるっていう。ああ一応、これでもここの現場責任者なんだぜ?」
「そうなんですか……たいへんですね」
 そこからの言葉が続かない。何となく、萌絵を背中で隠すようにしてしまう。意味のないことはわかってるのに。さっきから、岩崎さんは萌絵のことをちらちら見ている。岩崎さんは知ってるんだろうか、おれが浜添ほしみじゃなくて、この人を選ぼうとしてること――。
 気まずくない、わけがない。
 いま思えば、浜添ほしみにふさわしいのはやっぱりこの人だったんだ。この人だったら彼女を追いかけて、どこまでだって行けただろう。現にいまだって……
「ご結婚されてるんですか?」
 唐突な萌絵の言葉に、おれは一瞬わけがわからなくなる。振り返ると、萌絵は岩崎さんをじいっと見つめていた。
「え? ああ」聞かれた岩崎さんもちょっと意外そうな顔をして、「はい、今年の春に式を挙げて……」と改まった口調で答えた。
 岩崎さんが結婚している。
 でも相手は浜添ほしみじゃない。あの人はまだ間違いなく独身だから――口では「おめでとうございます」といいながら、なぜかそんなことを考えていた。
「中井、こちらは……」岩崎さんはためらいがちに萌絵を指して、おれに紹介をうながす。
「えっ。あー」と口ごもるおれより先に、萌絵が気をきかせて答えてくれた。
「鹿屋萌絵です。えっと、九州大学大学院修士課程に在籍しています。中井君とは家が近所で、昔から知り合いで……えっと」
 岩崎さんは快活に「そうかそうか」とうなずくと、「中井の高校の一こ上だった、岩崎修也です。いまはJAXAの職員で、いつもは東京で働いてます」と挨拶した。
 何となくなごやかな空気になって、おれはほっとした。
「お若いのにもう結婚されたんですね」萌絵が話を続ける。
「まあ、まだ二十七だからなー」岩崎さんは頭をかいた。「でも思い立ったが吉日、っていうの? これより遅れるとどんどん焦りが出てきちゃう気がして。付き合って、結婚するまではけっこう早かったよ」
「相手の方は……」
「仕事で知り合った人。同じ職場の」
「そうなんですか」
 岩崎さんはすっとおれに顔を向けて、「で、お前らは?」とからかうようにいった。
 おれはとっさに萌絵を見る。萌絵はあたふたするばっかりで何もいわない。おれは岩崎さんの笑顔をまともに見れないまま、「いやー、おれらも、そろそろ……ってとこですかね」と小声で答えた。
 冬の風はますます厳しくなって、海の向こうからひっきりなしに吹きつけていた。おれと岩崎さんが交わした言葉は、たぶん萌絵には聞こえなかっただろう。
「まあ、そういうもんだよな」
 岩崎さんにそういってもらえて、何だか肩の荷が下りた気がした。
 帰り道、萌絵と発射台の話をした。
「あそこから宇宙に飛んでいくんだもんねえ」
 空を突き刺すようにそびえる発射台には、まだロケットは設置されていなかった。それでもそのからっぽの姿だけでも、宇宙を連想するにはじゅうぶんだった。そうだ、あそこから飛んでいくんだ。宇宙まで、一本道でつながってるんだ。改めて考えてみると、ふしぎな気がする。
「宇宙にいちばん近い島だもんな」
 昔から、ロケットの発射は何度も見てきた。
 でも、打ち上げのときはいまだにわくわくしてしまう。
 これだけ科学が発達して、技術が進歩して、宇宙旅行だってほぼ現実のものになったのに――ただの人間には、宇宙はまだまだ遠い。いちばん近い島でこのざまだ。
 疲れたのか、やがて萌絵は助手席で眠ってしまった。
 かすかな寝息を聞きながら、一人黙々とハンドルを切る。車は音もなく、滑るように海岸線を走っていく。
 萌絵はどうして岩崎さんが結婚しているとわかったんだろう。あのときは突然のことでよく確認もしなかったけど……。考えてみて、すぐに思い当たった。
 ――指輪。
 萌絵の手元を、盗み見た。何もつけていないかわいらしい指が、スカートの上に行儀よく並んでいる。
 指の太さ――どれくらいだ?
 そこで萌絵が目を覚ましたので、おれは慌てて前を向き、運転に熱中しているふりをした。

 お客さんに注文の品を渡して、お金をもらい、「ありがとう」の笑顔をもらう。難しい注文が来て、どう対応するかに知恵を絞る。たいへんだけど、仕事に打ち込むことはそんなに嫌じゃない。むしろ、楽しい。少し前までは、家業を継ぐことをあんなに拒んでいたのに。
 隣には、いつものように手伝いに来てくれた萌絵がいる。彼女の家はサラリーマン家庭だ。だから継ぐ仕事というものがない。だから仕事は自分で選ばなくちゃいけない。自由でいいけど、その分しんどいんだよ、と、いつかおれにこぼしたことがある。
 家があって、家の仕事があって、たいへんだけどそれなりに頑張れば、何十年もこのまま暮らしていける――。何だ、悪くないじゃないか。
 もう焦りもない。もう、ばかげた野望を抱く必要もない。
 ああそうか――と思う。
 夢をあきらめたら、生きるのってこんなに楽なのか。

   *

 こんな田舎にも接客ロボット『MAWARO』はやってきた。この島ではまだ全国チェーンの大型店に限られてはいるけれど、これからどんどん広まっていくだろう。メリットはいくつもある。まずミスをしない。接客態度にクレームを付けられることもない。これだけでも相当魅力的だし、うちにも金さえあれば導入して、おれなんかとっくに勘当されてるところだろうけど――それに加えて、たとえば飲食店ならメニューに関する質問には完璧に答えられる。量販店なら確実に案内、説明、セールスをこなす。人間なら数か月訓練させなければいけないところを、ロボットなら専門の業者が一週間でデータ入力を終えてくれる。つまり即戦力ってわけだ。しかも高度な人工知能を備えた独立型のロボットだから、導入の際はパソコン一台あればいい。いままで業務を任せていた人間と、そっくりそのまま入れ替えることが可能ということだ。その上電波による音声通信機能つき。いざというときは人間が、離れたところから声と耳を使って対応することもできるらしい。
 そんな接客ロボットの目の前で、おれは高校時代の友人に罵倒されていた。
「帰ってきたら花あげるって、いまいったじゃねえかよ」テーブルを力任せに叩き、顔を真っ赤にして三田は怒鳴った。「お前何なんだよ。約束の一つも守れねえのかよ!」
 意味がわからなかった。
 三田は「もういい」とだけいって席を立った。止める間もなかった。出入り口のところで、ちょうど入ってきた萌絵とあやうくぶつかりそうになる――三田は彼女に一瞥をくれて、何もいわずにファミレスを出ていった。
「いまのが三田君? 何か……怒ってたね」テーブルのそばまで来て、萌絵は心配そうにつぶやいた。まだ出入り口のほうを気にしている。
「とりあえず座れよ」というと、萌絵は三田が座っていた場所にちょこんとおさまった。すぐに接客ロボットが近づいてきたが、手を振って追い払う。ロボットは嫌な顔一つせずに、しずしずと退散した。
「ごめんな」
 萌絵はううん、とだけいった。
「あれーおっかしいなあ。何であいつ怒ったんだろ? 何かまだ勘違いしてるみたいでさ、ほんとごめんな」
 自分のせいだ。萌絵の前で笑いながらも、それだけはわかっていた。浜添ほしみのことで、おれがあいまいな態度ばかり取り続けていたからだ。あいつがキレるのも無理はない――それは、ちゃんとわかっていた。
 それでも、おれは目の前の幸せを手に入れたいと思った。
「さっき話してた約束って、何?」
 萌絵に尋ねられて、答えに詰まった。「約束の一つも守れねえのかよ」――三田がいったあれを聞かれていたらしい。
「いま宇宙に行ってる、浜添ほしみさん」
 その名前を、萌絵の前で初めて口にした。どんな顔をされるか、正直こわくて――彼女のほうをまともに見ることができなかった。けれど意外にもこれといった反応は返ってこなくて、萌絵は「うん」とうなずいただけだった。
「おれの高校の先輩だったんだよね、あ、この前会った岩崎さんと同学年の人で。……で、たぶんおれが二年生のときだったから、卒業式の日かな……何か軽音部で集まる機会があって、そこにたまたまほしみ――さんも来てて。そのときの約束。約束っていうか、冗談みたいなものだったんだけど」
 ずっと忘れていたことなのに――あるいは忘れようと努力してきたことなのに――三田のせいで思いだしてしまった。いや、自分で掘り起こしてしまった。最悪だ。
「ほしみさんが変なこといいだしてさ。もし宇宙に行ったら、星のかけらを拾って、持って帰ってくるって。それで……あ、だからそのときもうほしみさん、宇宙飛行士をめざすって決めてたんだよな、たぶん」
「はやぶさみたい」
 萌絵がつぶやいた。
 はやぶさ。その通りだと思った。浜添ほしみははやぶさだ。虚空を、一人で、わき目もふらずに飛んでいく――
 いや、そうだろうか?
 ――宇宙に行ったら、星のかけらをポッケにたくさん詰め込んで帰ってきます! ズボンのポッケと、胸ポッケと、あとお尻のポッケにも!
 ――それみんなにあげるね。でも何かいいものと交換で! 早いもの勝ちだよっ。
「……で、おれはすっごいきれいな花を開発するからって」
 真っ先に立候補した。ほかのやつらに渡すもんかと思った。ほしみは笑って、約束だからね、といった――
「へえー。おもしろいね」おれのせりふだけ聞いた萌絵は、感心したように声をあげた。
「だろ?」
「楽しみだね」
「楽しみ?」おれは思わず聞き返す。何をいいだすんだと思った。
 萌絵はにこにこしながら答える。
「だって、ほしみさん、もうすぐ帰ってくるんでしょ。絶対、星のかけら、持って帰ってきてくれるよ」
 そう――だろうか?
「きれいな花、ちゃんと渡してあげないとね。もうできてるの?」
 できて、ない。
 できてないよ。
 忘れてました。それでいいんじゃないか?
「えっ。でも、いまからでも、じゅうぶん間に合うと思うけど……間に合うよね?」
 おれは呆けたように萌絵を見つめた。
 そうだ。サンプルかき集めて遺伝子組み替えるだけなら、そうたいした手間でもない。促成栽培なら結果もすぐに出る。必要なのは金とアイデア、ただそれは気合で何とかなるともいえる。つまり――
 いまからでも、間に合ってしまう。萌絵のいうとおりだ。感動的なほどの技術の進歩は――おれにとって酷でしかなかった。
「わたしも手伝おうか?」
 上目づかいに、萌絵はおれを見ていた。
 わたしも手伝おうか。
 おれは、この子に、ここまでいわせてしまうのか。
 その瞬間、自分の顔を殴りたいと思った。この顔のどこにそんなことが書いてあった。声に出さないままで、この口が何をしゃべってた――?
「いや、大丈夫。ありがと」何とかその言葉だけをしぼりだした。萌絵は黙ったまま、寂しそうな顔で、おれを見つめていた。
 思いださなければよかった。
 本当に、思いださなければよかった。

 『はやぶさ3』が無事に打ち上げられた翌日、店の前に奇妙な封筒が落ちていた。宛名はおれになっていたけれど、住所も書いていないし、差出人の名前もない。ただ裏には細かい字で「田中からあずかってた。よかったら行けよ」と走り書きされていた。田中――たしかプロデビューした同級生の名前だ。最後に付け添えられた三に○のマークを見るまでもなく、それが三田の字だということはすぐわかった。
 中身はクリスマスライブの招待状だった。
 萌絵はそのバンド『グリム』を知っていたけれど、さすがにそのドラマーが地元出身ということは初耳だったようだ。
「あー、だからクリスマスのライブ、こっちでやるんだね」
「そうそう、凱旋コンサート」この前三田と電話で話していたことだ。高校の同級生がプロになった。そしてこの島でライブをやる。そんなの、おれだってわくわくしないわけがない。「場所あんのかよ? って思ったけど、海辺に野外舞台作ってやるみたいだな。さむそー」
 チケットは二枚あった。当然萌絵を誘ってみたら、目を輝かせて喜んでくれた。「いいの? ほんとにいいの?」としつこく聞くから何かと思っていたら――萌絵とクリスマスをいっしょに過ごすのは、実はこれが初めてだということに気がついた。
 萌絵の存在はずっと前から知っていた――意識もしていた――でも彼女の存在がおれの中でにわかに大きくなったのは、一年前、あの人が宇宙に旅立ってからだ。
 いや、違う。そう否定してはみても、心の中にわだかまる後ろめたさは消えない。
「いいに決まってんじゃん」
 今年はクリスマスをいっしょに過ごそう――改めていうのは恥ずかしいから、当たり前だろ、という顔を取り繕った。
 でも、まだ好きなんだよね――?
 はっとして萌絵の顔を見る。いや、萌絵がいったんじゃない。店の中にはほかに誰もいない。まさか、萌絵の心の声を感じてしまったのか。それともいまのは、もう一人の自分の声か。頭が混乱する。頭痛もする。とりあえず萌絵に店番を任せて、家の中に引っ込んで、自分の部屋で布団にもぐり込んだ。
 妥協だ。
 暗がりの中で、吐き出すようにつぶやいた。
 妥協で萌絵と結婚しようとしている。そうだ。届かなかったから、届くところに手を伸ばしただけ――だっておれのこと好いてくれてるんだから――だって家も継がなきゃいけないし――だってあの人にはもっとふさわしい人がいるだろうから――だっておれも人並みに幸せになりたいわけで――萌絵のため、家のため、あの人のため、自分のため……どれが正しい?
 どれが嘘だ?
 あの人には手が届かないから、萌絵を選ぶ? 最低な考え方だ。それくらいわかってる。
 でも、それしか選ぶ道がない。
 たとえばの話、あの人のことを友達だと割り切ったとしたら。
 うん、それはいい考えかもしれない。
 寝返りを打って、だけど――と考え直す。
 もし男と女の関係じゃなかったとしたら――あの人にとっておれは、そもそも友達に値する人間だったんだろうか。

   *

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、あの人が帰ってきたんだと思った。
「みづきさん……」
「みづきさん……じゃなくてさ」と、浜添みづきは腰に手を当ててため息をついた。「センパイが来たらまず挨拶でしょ?」
「あ、すみません。……こんにちは」
「あと気きかせてお茶出すとか」
「は、はい」慌てて店の奥に駆けていこうとするおれを、みづきさんは「うそうそ。冗談だから」と呼び止めて、自分は店の陳列棚の端に腰かけた。「あったかいねここ」といいながらコートを脱いで、厚手のブーツを履いた足をだらしなく投げ出す。まだ朝の早い時間帯で、萌絵は来ていない。親たちも配達で島を駆けずりまわっていた。
「どうしたんすか? 急に」
 何も出さないのも悪いのでコーヒーを淹れ、折り畳みの台と椅子を引っぱり出し、即席のお茶席を用意した。やばいな、と思う。体が元気すぎる。目が冴えすぎる。ここ数日徹夜同然で働いてきたわりには、気味が悪いくらい疲れがない。
「見てこれ」みづきさんはおれにカードフォンを差しだした。写真が大きく表示されていて、きりっとした男の人が写っていた。
「誰ですか?」
「あたしのお見合い相手」
「へえー。かっこいいじゃないっすか」
 ばか、とカードフォンで頭を殴られる。寸前でよけた。
「いまどきお見合いって何? 意味わかんなくない?」
 おれが返事に困っていると、その話はそれきりになった。みづきさんはコーヒーを啜って、人間が淹れたにしちゃ悪くないね、と笑った。
「今日仕事とか……じゃないんですか」
「早めの冬休みってとこかな」
「それでこっちに帰ってきたんすか」
 みづきさんも普段はこの島にはいない。東京だったか名古屋だったかニューヨークだったか、とにかくそういう大都市でバリバリ働いていると聞いていた。
「そうそう、ほしみだってもうすぐ戻ってくるし」
 まるであと数時間もすれば双子の姉妹が帰ってきて、いっしょにお茶するんだといわんばかりの口調だった。
 地球帰還の予定は今日――二十四日の午後だ。でもその日に帰ってきてその日に種子島到着、というわけにもいかないだろうから……と思ったけど怒られると面倒くさいので、深くは突っこまずにおいた。
「ま、こっちにもいろいろ予定があるの」とみづきさんは話を終わらせ、さて、と立ち上がる。
「中井、ちょっと付き合え」
 有無をいわさぬ口調は、まったく昔のままだ。いやむしろ磨きがかかっている。
「えっと……クリスマスの追い込みでマジ忙しいんすけど。まだたぶん注文も来るし」
「親父さんとかいないの?」
「いや配達行ってますし……」
 そのとき入口に人の気配がした。振り返ると、萌絵が遠慮がちに外からこっちをうかがっていた。猫の手も借りたいクリスマス、午前中だけでも――と、親父が無理をいって来てもらったのだ。彼女だって研究室所属の大学院生で、ひまなわけがないのだけれど……みづきさんはさっと出ていって、驚くべき大胆さで萌絵に「ごめん、ちょっと店番頼むわ」といい放った。「はい」としか答えようのなかった萌絵を残して、おれはみづきさんについて力なく店を出る。
 しばらく無言で商店街を歩いた。クリスマスイブなのにほとんど人通りがなくて、閉められたシャッターが嫌でも目立つ。みづきさんの歩幅は広い。足も速い。かつかつかつかつと、ブーツが規則正しく道路を打つ。ぼーっとしていると置いていかれそうだった。
「カノジョか」と聞かれた。「かわいいじゃん」
 顔がかっと熱くなる。「……すみません」
「何で謝んの」
 想像していたより優しい声に、顔を上げる。みづきさんは笑っていた。
 意外だった。
「え、だって」
 だって――その先はいえなかった。
「いい子そうだね」そういったきり、みづきさんも黙ってしまった。
 連れて行かれたのは、なぜか西之表の音楽スタジオだった。予約も既にしていたようで、朝早くにもかかわらずスムーズに中に通される。一時期は廃業してしまったこの島唯一のスタジオで、営業は常連のみの完全予約制――例の『グリム』のおかげで、また島の音楽人口も増えるかも、と、管理人のおばさんはうれしそうに話した。今日は、海岸の特設会場で彼らのクリスマスライブが開かれる日でもある。島の音楽ファンにとっては、とんでもない事件の日なのだ。
「ギター、借りといたからそこの使って。マイギターのほうがよかった? まああたしもこれだし、平等だよね」みづきさんは早くもドラムの前にスタンバイし、ウォーミングアップを始めている。
「あの、何を……?」
「ひさしぶりに相手してあげる。ほら早く」
 急かされてしぶしぶギターを肩にかける。相手――つまりセッションしてやるということか。一体どういうことなんだろう。いつもの気まぐれか、それとも……冷や汗をかきながら、手早くチューニングを終えてピックを持つ。
 あれでいいか? と、みづきさんは聞き慣れた曲名を口にした。名曲でしかもシンプルな構成のため、軽音部に入った一年生が最初に練習するような曲だ。初歩中の初歩。あれならいまでも完璧に弾ける。
 みづきさんのカウントで演奏が始まる。始まってすぐに驚く。上手い。みづきさんには、まるでブランクなんかないみたいだった。それともまだバンドを続けたり、教室に通ったりしてるんだろうか。そんなことを思いながら演奏を進める。だが、すぐに考えごとをしている余裕はなくなった。わずかに遅れ始めた――。そんなはずはないのに、と焦る。テンポは完璧に取れてるはずだ。しっかりドラムに合わせてるはずだ――それなのに、遅れはどんどん大きくなってくる。もっと速く、もっと速く――指も腕も徐々にこわばってきて、思うように動かない。みづきさんの様子を盗み見る。淡々とした表情で、風のようにリズムを打ち込んでいく。まずい。置いていかれる――そう思った瞬間、第四弦がぷつんと切れた。
 荒い息をついて、その場に座り込む。
「お前、やっぱ練習してないな」みづきさんの声は冷たかった。
 おれはうなだれる。みづきさんの顔を見ることができない。
「三田はずっと待ってんだぞ? 待ってるだけじゃなくて、必死に努力してんだぞ?」
 ――お前何なんだよ。約束の一つも守れねえのかよ!
「わかってますよ」
 おれはつぶやいた。
 三田は昔から感情をすぐ口に出すタイプで、一人でテンション上げて「みづきさああああああんかわいいいいいいいい」とか叫んだかと思えば、二秒後にはもう憤然として、朝ドラの結末に文句をぶちまけていたりするやつだった。それでも根はまともで、わけもなく人に当たったりは絶対にしなかった。
 あいつが浜添ほしみのことだけで、あんなに怒るはずがない。約束の一つも――あの言葉の意味をおれはよく知っていて、よく知っているからこそ、ごまかした。ごまかさないと、自分のことが嫌で嫌でたまらなくなってしまうと思ったから。
 自分が、あいつとの約束まで反故にしようとしているから――。
「別に……その気がなくなったってわけじゃないんですよ。ちょっとまだ、身の回りがばたばたしてるっていうか……」
「ごちゃごちゃいうなよ」みづきさんの声が頭の上に落ちてきた。「もうなかったことにしたいんだろ?」
 いい返すことができなかった。
「お前が正直になんないとさあ」呆れたような口調に、おずおずと顔を上げる。おれの前に仁王立ちしたみづきさんと、目が合った。「三田のやつも、正直になれないじゃん」
「…………?」
「とりあえず――あたしはほっとしたけどね」
 へ? と間抜けな声が出てしまう。みづきさんはパイプ椅子に腰を下ろして、スポーツドリンクをぐいと飲んだ。
「あんたも真面目な人生歩もうとしてるんだなーって思って。大人になったわ、中井君」
 マジメな人生。その言葉にかちんときた。
 図星だったからだ。
「何すかその言い方」おれはギターをもとの場所に戻し、みづきさんに一歩近づく。「怒るんならはっきりいってくださいよ。何か……そういうこといわれると気持ち悪いんすけど」
「うっさい」と一喝される。「あんたのまわりの人、みんな喜んでるでしょ」
 それを聞いて、まっ先に親の顔が浮かんだ。おれが店を手伝うようになって、萌絵が来てくれるようになって、一番うれしく思っているのは母親だろう。親父だって――だからってそれが何なんだ。他人を裏切って――身内を喜ばせることの何がいい。
「いやあんたは立派だよ。これ真面目な話ね」みづきさんは本当に真剣な口調で話を続けた。「いろんなとこふらついて、親に心配かけたりしないもんね。東京とか、ニューヨークとか――宇宙とかさ」
 それってどういう、といいかけるおれを制して、みづきさんはまたカードフォンの映像を起動させる。お見合い相手の画像がふわりと浮かび上がって、みづきさんの目の前に展開した。それをちょんちょんとつつきながら、独り言のようにつぶやく。「まああたしのほうはまだいいよね、少なくともおんなじ地面の上にいるんだし。でもあの子はさあ。宇宙だもんね。何よ宇宙飛行士って。そんな不安定な……いつ死ぬかもわからないような仕事に就いて。うちの親がどんだけ胃をきりきりさせてんのか、って話。だからさ」
 みづきさんはこっちを見て、ピンク色の唇をふっとほころばせた。
「もう一人のほうくらいはさ、ちゃんと堅実に生きなきゃだめだよね」
 その言葉と、カードフォンを見比べて――おれは、みづきさんが何をいっているのかを理解した。
「そんなことないっす」はっきりいおうとしたのに、か細い声しか出なかった。「そんなことないっすよ。ちゃんと自分の幸せとかも考えて……」
「その言葉!」みづきさんはペットボトルの先をおれに突きつけ、にっと笑った。まるで拳銃だ。体が動かなくなる。「そっくりそのままお返ししますよ。中井、あんた無駄に真面目すぎるんだよ。自分のことだけ考えてればいーの。人のことばっか気にしてたら、いつかぶっ壊れちゃうよ」
 その通りだ、と思った。おれはぶっ壊れる寸前だ。自分のことは守らなくちゃいけない。それはわかってる。――でも、でも、そんなことを認めてしまったら――いままでやってきたことの全部が無駄になる。みんな幸せになれればいいと思って、誰も傷つけたくないと思って、考えて、考えて、考え抜いてきたことの意味が――なくなってしまう。迷いに迷ったあげくに出した答えが「自分優先」――そんなの、あんまりだ。
「じゃあみづきさんだって、おれのことなんか気にしないほうがいいんじゃないっすか」思わず口走っていた。「何でおれに構うんですか。自分のことだけ考えとけばいいじゃないですか」
「そーゆーわけにはいかないんだな」
 みづきさんは立ち上がって、つかつかと歩み寄ってきた。情けないことに、二、三歩あとずさりしてしまう。
「あの子がお前のせいで苦しんでるんだもん」
「え?」
 とてつもなく冷たいものが、背筋を駆けぬけていった――
「わたしのせいで一生を棒に振っちゃったらどうしようって、そういうんだもん。早くいいお嫁さん見つけてもらいたいって、そういうんだもん」
 防音室の中に、重い重い沈黙が流れた。
「そんなこと……いったんですか」
「いってないけどね。双子だからわかっちゃう」
「いってないんじゃないっすか」
 この人は、どこまでおれをからかうんだ。「だからもう、おれには構わないでくださいって」
「お前のことなんか知るか。ほしみがかわいそうだからいってんの」
「ほら、やっぱり人のこと気にしてるんじゃないっすか。矛盾してますよ」
「あたしは特別なの」
 胸ぐらをつかまれ、つんと立った目でじっと見つめられる。「あたしは強いから」
 もういい返す気も起こらない。
 みづきさんの腕を乱暴に振り払って、スタジオの出口に向かう。使用料金のことがちょっと気にかかったが、無理やり連れてこられたんだから払う義務はないだろう――とか、そんなことを考えた。
 背後で物音がした。
 振り返ると、みづきさんがうずくまっている。慌てて駆け寄ると、みづきさんは青白い顔を上げ、大丈夫、と身ぶりで示した。
「いや……体調悪いんすか? 病院とか行きますか?」
「あたしじゃないから……大丈夫」
「は?」
「大丈夫、だいじょーぶだから……」
 それから長いこと、みづきさんはその場にうずくまったまま、大丈夫、大丈夫、を繰り返していた。

 たぶんあれが、シンクロというやつだったんだろう。
 幼い頃に生き別れになった双子が、その後偶然同じ町に住み、同じ職業に就き、同じ日に結婚をして……なんて話はよく聞く。そんな「奇跡体験」じゃなくても、ジャンケンをすればあいこが何回も続くとか、別々に出かけたのに同じコンビニの同じサンドイッチを昼食に食べたとか、一方が泣いたとき、怒ったとき、離れていてもそれがもう一方にもわかるとか――あのときみづきさんの身に起こった出来事も、その瞬間の浜添ほしみとのシンクロだったんだろう。真相は、その日の夕方のニュースで明らかになった。
『いま入ってきたニュースです。ISS国際宇宙ステーションを離脱し、大気圏外を航行中の宇宙船ソユーズにトラブルが発生し、関係者が対応にあたっています。JAXA宇宙航空研究開発機構によると、何らかの原因で火災が発生したもようで、宇宙船には空気漏れや機体の損傷が見られるということです。日本時間で今日の午後六時三十二分に帰還が予定されているソユーズには、浜添ほしみさんを含む三名の宇宙飛行士が乗っており――』
 夕方までは商品の配送ミスの対応で走りまわっていた。ある取引先に注文にない品物を納品してしまい、そのせいで本来のお客さんに回すべきものが足りなくなってしまった。忙しい時期にはありがちなことだが、注意すれば確実に防げたことでもある。間違えて納品した先方が好意的だったからよかったものの、下手をすれば利益以上に信頼を失うところだった。親父にもこっぴどく叱られた。
 それもようやく片付き、一通りの仕事を終え、『グリム』のコンサートに行く準備をしていたときだった――そのニュースが耳に飛び込んできたのは。
 耳に付けた無線の小型イヤホンからは、カードフォンを経由して、常にお気に入りの番組が自動的に選択されて流れてくる。仕事中は機能を停止させていたから、自動録音されていたニュースをそのとき初めて聞くことになった。午後四時過ぎ――太陽がすでに大きく傾いて、オレンジの光で窓を染めている頃だった。親たちもニュースを見たんだろう、家の奥から小さな声で「大丈夫か、これ」「大丈夫なんじゃない?」とささやき合っているのが聞こえる。
 情報はひっきりなしに流れ込んできた。『浜添ほしみ』のキーワードでカードフォンが収集してきた情報は膨大だった。けれど何度も何度も同じことばかり繰り返していた――歯がゆさにカードフォンを叩くようにして、リアルタイムのニュースを呼び出す。状況は、さらに悪くなっていた。
『船内の宇宙飛行士は宇宙服を着用しており、火災ガスや空気漏れ等による身体への影響はないということです。ただ、帰還モジュールに大きな損傷が見つかっているとの報告もあり、その程度によっては、大気圏内に再突入した際』
 空中分解する可能性もあるということで――
 気づくと庭の温室に突っ立っていた。壁のビニールを通して、まぶしいくらいの夕日が差し込んでくる。明日は晴れそうだ、と、なぜかそんなどうでもいいことを考えた。
 枯れて変色した植物の残骸が、足元に散らばっていた。突貫の品種改良を行おうとして、うまくいかなかった「失敗作」。役にも立たない、でき損ない。
 惜しげもなく抜いて捨てた花。
 これは、おれだと思った。
 目眩がして、その場にうずくまる。頭ががんがん鳴っている。朝からやけに目が冴えると思った。納品、ミスの対応、クレームの対応――全部こなした。無理するんじゃなかった。やっぱり反動って来るもんなんだな――
 楽に生きてるなんて嘘だ。
 でき損ないでも――おれだって、命削ってんだよ。当たり前じゃねえか。

 日本時間午後三時三分に国際宇宙ステーションを離脱した宇宙船ソユーズが、大気圏に再突入するのは午後六時頃。テレビで流れたNASAの会見は深刻なもので、どんな素人にも、最悪の事態が待ち受けていることが理解できた――
 『グリム』のクリスマスライブは予定通り、夕方五時から始まった。野外の特設会場に集まった島内・島外のファンたちは、メンバーが登場すると熱狂して叫んだ。何事もなかったかのようにドラムは音を刻み始め、当然のことのように曲は始まる。観客はさらに熱狂する。大きなエネルギーが、複雑な感情なんか一瞬で吹き飛ばしてしまう。そんなものは最初からなかったかのように。おれは時計を見た。萌絵は大学の用事があるとかで、まだ来ていない。
 そういうものだ、と思った。あんな事故が起こっても、しょせんは他人事。自分の幸せは目の前にあって――遠くの空に思いを馳せる理由なんか、これっぽっちもない。会場の一番後ろに立って、遠くに米粒ほどに見えるメンバーを眺めた。高校生の頃、おれもあんなふうに歌っていた。夜遅くまでギターを練習して、かなうはずのない夢を見たりもした。いつかプロになって、大勢のファンに曲を届けて……おれはそれをあきらめたのに、三田のやつはまだあきらめずに努力を続けている。どうしてだろう、と思う。どうしてそんな遠くのものを、ずっと見ていられるんだろう。どうして、ずっと手を伸ばしていられるんだろう。
 仮面をかぶったドラマーに目をやる。見とれるような鮮やかな動きで、音を鳴らし、リズムを刻み、曲だけじゃなくバンド全体の雰囲気まで支配していく。三田の話では、あれは田中とかいうおれらの同級生らしい。同じ島に生まれて、同じ学校に通って、同じ授業を受けた人間らしい。だとしたら。おれがもっと頑張っていれば、三田だって、あそこに座ることができたのかもしれない……。
 仕方のないことだと思いながら、耳ではまだニュースを聞き続けていた。宇宙船に搭載された危機管理ロボットについて、ロボット学の権威なる人がコメントしていた。
『牧野博士は接客用ロボットMAWAROの開発者として著名でいらっしゃいますが、ソユーズに搭載されたロボットというのは、MAWAROの原型になるものなんですよね?』
『そうだね、そもそも宇宙開発用の危機管理ロボットを応用したのがMAWAROだから』
『そのあたりについて、専門的なご意見をうかがいたいのですが。危機管理ロボットは、今回の事故に対応できるんでしょうか』
『まあ人間以上のことはやるね。でも乗組員の命まで救えるかどうか、これはぼくにもわからないな――』
 無責任、しょせんは他人事。吐き気がした。そして自分も同類だという事実に、頭がくらくらして、もうどこに立っているのかもわからなくなっていた。大歓声にはっと顔を上げる。オープニング曲が終わっていた。その盛り上がりもおさまらないうちに、メンバーの誰かが叫んだ。マイクの大音量が、会場中にこだました。
 夢を見てるんだろうと思った。
「今日はあの子の無事を祈って! みんなで歌おうぜ! ほしみちゃああああああああああん!」
 その叫びに誘われるように、客席から自然とわき起こる『ほしみ』コール。
 声は波のように会場全体に広がって、大きなうねりになった。誰もが涙声で手を叩いていた。ステージの上には――体を振り回すようにして、シンバルをめちゃくちゃに叩きまくっているやつがいる。
 お前、三田だろ。おれは笑いをこらえきれないまま、泣いていた。

   *

「時間ないし、手短にいうぜ」
 開口一番、それだった。休憩時間に入ってすぐかかってきた電話は、三田からだった。「さっきのニュース聞いた? あれに出てた牧野さん、あの人、おれがバイトしてた店の常連でさ。あの人に相談したら何とかしてくれるかもしんない」
「何の話だよ、何とかって……」おれはカードフォンを耳に押し当てながら、できるだけ騒がしくない場所を探して移動する。牧野? さっきのロボット開発者か?「それがどうしたんだよ――」
「どーしたもこーしたもねえよ!」
「は?」
「だってお前まさか、このままほしみちゃんとお別れするつもりじゃないだろうな?」
 頭をがつん、と殴られたような気がした。
 このままお別れ。ふいに現実が目の前に迫ってきた。いま何時だ?
「いや、もう間に合わねえよ。おれに何しろって――」
「このばか!」ものすごい剣幕だった。かすれて、裏返った、そんな三田の必死の声を、初めて聞いた。
「届くところにくらい、手ぇ伸ばせよ!」
 その瞬間、ほしみの顔が――温室に散らばった花が――ちかちかする照明の下で交わした言葉が――浮かんでは消えた。
「早く行けよ。牧野さんにはおれから連絡しとくから。おれは、ちょっと行けねえけど……」
 涙をぬぐって、深い息をつく。そうか、届くのか。
 だったら、行かなくてどうする。
「頑張れよ、ライブ」そう声をかけると、三田が急におどけた調子になる。
「あ――わかっちゃった?」
「わかっちゃった? じゃねーよ。何が……田中だよ……」
「最後だから見てほしかったんだけど、ほしみちゃんのためなら仕方ねえな」
「さいご?」
「これ、おれの引退ライブだから」
「は?」
「これで最後。これできっぱり辞めて、家継ぐ。もうずっと前から決めてたことだから。だから、マジ申し訳ないんだけど、おれ――もうずっと前から、夢あきらめてたんだよ」

 会場を飛びだしたときには、午後五時半を回っていた。
 ――だってすぐ辞めることがわかってんのに、お前のことは誘えないもんな。
 三田はそういって、寂しそうに笑った。
 ――だからデビューしたのも隠してた。ほんと、自分勝手でごめんな――
「何でお前が謝るんだよ。おれだろ、悪いのは――」
 最後の最後まで、三田はおれのことを気にかけてくれていた。おれがふらふらしてるばっかりに、おれはずっと三田のことを迷わせてた――期待させておいて、裏切った背徳感に悶々とさせて、でも結局キレさせて、失望させて、あげくの果てにはあいつを悪者にして――。
 頭の中がぐちゃぐちゃになって、何のために走っているのかもわからなくなった。ただ、冷たい風が耳元をものすごい勢いでかすめていくだけだった。がむしゃらに手足を動かした。胸が火照り、肺が泣き叫んで、口の中は血の味がした。いっそ、この心臓が、張り裂けてしまえばいいと思った。そうすれば、もう、何も感じずに済む――。
 ぎゅ、と、袖をつかまれた。
 振り返ると、そこに萌絵の小さい体があった。
「中井君――」毛糸の帽子とマフラーでもこもこになった萌絵が、息を切らせ、不安そうな目でおれを見上げた。「あの、ニュースで見たけど、ほしみさん――」
 そうだ、と我に返る。やらなきゃいけないことがある。行かなきゃいけない場所が――
 何もいわずにまた走り出す。萌絵も何もいわずについて来た。空港から飛行機に飛び乗って、シートに深く身を預ける。東京までどれくらいだ? わからない。間に合うか間に合わないか、意味があるか意味がないか、届くのか届かないのか、そんなことはとりあえずどうでもいいような気がした。
 荒くなった息を静められないまま、窓から列島を見下ろす。暗い。弓なりの島には、ところどころに大きな光の中心がある以外、ほとんどが闇に包まれている。人が減って、大きな都市に集まって、地方はどんどん取り残されて、大勢の人が小さな光の島で窮屈に暮らしている――そう思えば、人が住む場所は、どこも離れ小島なのかもしれない――。

「きみが三田君の知り合い? そういえば三田君、バイトくびになっちゃって残念だったねえ」
 大学の研究室で、牧野博士はのんきにそうのたまった。
 部屋の時計を見上げると、針は六時四十分を指していた。予定通りなら、とっくに宇宙船が地上に激突している時間だ――
「まだ大丈夫だよ」壁一面を覆うほどの巨大なコンピュータモニタを操作しながら、牧野はいった。複数の画面が表示されていて、その中には地球をバックに、暗い宇宙空間をただよう小さな宇宙船の映像もあった。ここに、あの人は乗っているんだろうか――。「できるだけ大気圏再突入を遅らせるような措置は取られてるけどね、いつまでもってわけにはいかない……長くてあと十五分かなあ。そうしたら大破だよ」
「大破だよって、おっさん……」
 おれは言葉を失った。おい三田、どういうことだよ。こいつが何とかしてくれるんじゃねえのかよ。話が違うじゃんかよ。
「死ぬよ、彼女」
 しんとした研究室の中で、牧野の声は残酷なほどはっきり響いた。おれの後ろに立った萌絵が、はっと息をのむ声だけがあとを引いて残った。
 おれはすっかりキレてしまった。まっすぐ牧野に向かっていって殴りかかったが、ふりあげた腕をいとも簡単にいなされてしまう。逆に関節を締められて、痛みに情けない声が出る。
「何事も最悪の事態を想定しておけってこと。そうすれば最善の行動が取れる」
 牧野はひょうひょうとした態度を崩さないまま、そうつぶやいておれを放した。
「最善の行動って……何だよ?」
 牧野は腕を後ろに組んでおれに向き直った。銀縁の眼鏡の向こうで、小さな目がかすかに光った。
「現在、各宇宙局の連中が必死で対応にあたってる。人の命救うためにみんな最善を尽くしてるわけね。その上で、宇宙飛行士たちを救うためにぼくらにできることは何一つない。ここまではオッケー?」
 おれはうなずいた。いちいちムカつくおっさんだ。そんなことくらいわかってる。承知の上で、恥も外聞もかなぐり捨てて、こんなとこまで来てんだよ。
「で」と、牧野はひげに覆われた口をにやりと動かした。「きみはそこで何をしたいわけ」
 おれは牧野をじっと見返した。冷たくなった手を何度も握り直し、口をぱくぱく動かし、混乱した頭をようやく整理して、一言、つぶやいた。
「……届けたい、っす」
「何を?」
「声を――」
 涙があふれた。急なことで、こらえるひまもなかった。初めて気づいた。自分が、あの人に何も伝えられないまま、お別れしようとしていることに。嘘も本音も、何一ついえないまま――
 萌絵がすっと近づいてきて、遠慮がちに背中をなでてくれた。ばかみたいだ。というか本物のばかだ、おれは。――今度はぽんぽん、と肩を叩かれる。顔を上げると、牧野の仙人みたいな顔が目の前にあった。
「できるよ、それ」彼は笑った。まるで、おもしろいいたずらを思いついた子どもみたいに。

 牧野が説明したところによると――こうだ。宇宙船ソユーズに搭載された危機管理ロボットは、接客用ロボットMAWAROの前身であり、構造もOSも近い。音声通信機能も共通している。つまり地上のMAWAROから――宇宙船に電波を飛ばし、会話を交わすことができるということだ。
「ただねー、ソユーズのロボットちゃんは旧式仕様なんだよね。八十五型っていうんだけど。それ、最近のMAWAROにはもう使われてないの。四年前に新型に移行して、衛星も変えちゃったから。で、MAWAROの耐用年数って地球上で三年くらいでしょ? 四年以上前の旧型なんて、もうほとんど残ってないんだよ」
「ここにもないんすか?」おれは驚いて聞いた。開発者の研究室なんだから、昔の型でも保存してるもんだろう、普通。
「そんな古いの置いてないって。場所取るし」
「何すかそれ……」
「て、いうかこの国にまだ残ってるかどうかすら怪しい。すっごい田舎ならあるかもしんないけど」
「種子島なら……」ととっさにつぶやく。だが牧野は首を振った。
「たぶんないね。あったとして、それいまから取り寄せるわけ? 時間ないよ」
 絶望的な気持ちで時計を見上げる。こうしている間にも、宇宙船は刻一刻と大気圏に迫っている――
「通信」と、声がした。
 萌絵だった。顔を赤らめ、それでも大きな目でしかと牧野を見据えながら、彼に向かってこういった。
「MAWAROで通信して――呼びかけられないですか? 旧式の、ありませんかって」
 おれもはっとして牧野を見る。「なるほどねえ」と牧野はつぶやいて、大型モニタの前の椅子に腰かけた。手慣れた様子で指を動かし、操作を始める。画面には何やら見たこともないプログラムが表示され、高速で無数の文字を書きつづり始める。
「音声通信……本当は登録制なんだけど、リミット外しちゃうね。いいよねぼく開発者だし。移動時間考えて、ここから半径十キロ圏内にしとくよ? ちょちょいのちょい、と。はいつながった。どーぞ」
 そういって、機器類から突き出たマイクを指さす。「早く!」と急かされる。
「え? おれ?」
「きみのためにやってんだからね? はい、探してるのは八十五型、20XX年製ね」
 おれはよたよたと駆け寄り、マイクに顔を近づけた。
「えっと――あの――」
「声が小さいよ」
「えっと! あの、探してます、旧式のMAWARO! 持ってる方、返事ください!」
 返事はすぐに返ってきた。
『商売中だぞ馬鹿野郎!』
『おい何だ壊れたのか?』
『うるせえんだよ誰だよお前――』
 そんな罵声が、研究室の中に大音量で次々と流れた。たじたじとなる。泣きそうになる。でも――ここでくじけるわけにはいかない。時間がないんだ。
「ほんとにすみません! 旧式のMAWARO、八十五型、20XX年製です! お願いします!」だが話し終える前に、怒声で声はかき消されてしまう。
『だからうるせえんだよ――』『ごめんなさいね受験生もいるんで――』『黙れ!』『何かの嫌がらせか?』『あんた誰?』『死ねよばーか』
「旧式のMAWARO、八十五型、20XX年製です! お願いします! お願いします!」
 自分でも、ばかげていると思った。カッコ悪すぎると思った。でもやめられなかった。叫び続けずにはいられなかった。
 返ってくるのは怒りと困惑の声ばかりだった。
 これじゃ、もし本当の返事が来たとしても、聞き逃してしまう――
 悔しくて、マイクを力任せに叩きつけた。そこで悟った。そうだ、自分が甘かったんだ。いままでのらくらと逃げ続けて、甘い汁ばかり吸っていて、いざ高いところに手を伸ばそうとして――届くはずがなかった。届くはずがなかったんだ――
 モニタの前に突っ伏す。目を閉じる。暗やみの中に、何もかもが沈んでいく。
「ぼく思いついちゃったかも」隣で牧野がカードフォンを耳に当て、誰かと話を始めた。「もしもしマスター? ひさしぶり。あのさ、きみが三田君の代わりに入れたMAWARO、うん、だよね、中古だよね? 20XX年製? 間違いない? ミラクル来ちゃったね。あ、ごめんごめん、さっきから混線しててさあ。ありがと。今から行くね」
 呆然としているおれを残して、牧野は部屋を出ていこうとする。
「いや、あの、どこへ――」
 牧野は振り向いて、ぐっと親指を立てた。「見つかったから、行くわ。ちゃんとつなぐからそこで待っててね。あ、もうそのスイッチ切っちゃっていいよ。うるさいし」
 誰もいない研究室で、おれと萌絵だけが取り残された。よりにもよって、萌絵と二人きりで――。
 とりあえず、向かいあって椅子に座る。おれは急に恥ずかしくなってきた。何も考えずに走ってきたけど、これってよく考えたら、昔の女に未練たらたらで追っかけまわしてる男、以外の何物でもないじゃん。――どう思われてんだろ? 愛想尽かされるかな――もう考えるのも面倒くさくて、かといって現実を知るのもこわくて、目を合わせることができなかった。
 長い――実際は数分だったんだろうけど――沈黙が続いたあとで、萌絵がいった。
「まだかな」
 うん、とうなずく。
「届いたらいいね」
 それ本気でいってる――? と聞きたかったけど、やっぱり聞けなかった。
「中井君が話してるときさあ」涙交じりの声に、はっと顔を上げる。萌絵は目を赤くしながら、それでも笑っていた。「わたし耳ふさいどくから。だから、ちゃんと伝えてね、中井君の気持ち――」
『ソユーズ、大気圏再突入マデアト六十秒』
 無機質な音声が、どこからともなく流れた――六十秒? もう、そんなに? 体中がざわざわと震えた。間に合わなかったのか? ここまで来て、そんな結末ってアリか――?
『こちら牧野。聞こえますか?』
 今度はとぼけた声が大音量で響いた。
『牧野研究室からバー「オアシス」経由、宇宙船ソユーズへ、音声通信を開始します――』

 何かを選ぶということは、何かを捨てるということだ。
 全てを手に入れることなんてできやしない。
 全ての人を幸せにすることも、できやしない。
 どっちつかずで生きていくとしても、それは猶予期間でしかなくて、最終的には、誰にでも選択を迫られるときが来る。そのときに迷うのは、選択肢が豊富だからじゃない。
 捨てられるものがないからだ――。
『ソユーズ、大気圏再突入マデアト三十秒』
 なつかしい息づかいが、小さなスピーカーを通して確かに聞こえた。あの人が、その向こうに、確かにいた。
『ソユーズ、大気圏再突入マデアト二十秒』
 何かを捨てるということ――
 萌絵は本当に耳をふさいでいるだろうか? こんなときまで、そんなことを考えている自分が情けない。おれは萌絵を選んだんだ。手の届く幸せを選んだんだ。この人との関係は終わったんだ。それが、みんなにとっての――この人にとっても――幸せだと思ったから。何度も考えて、何度も考え直して、何度も決めたことだ――そんな人に、最後に伝えることがあるとしたら――
『ソユーズ、大気圏再突入マデアト十秒』
 いや、違う。
 そんなことじゃない。
 もしおれがこの人の立場だったら。死ぬ前に聞きたいのは、そんなことじゃなくて――
 いつか短冊に書いたメッセージを、心の中で握りつぶした。ありったけの思いを込めて、叫んだ。
「忘れてないっ!」

『ソユーズ、大気圏再突入マデアト五秒』
 届いただろうか?
『ソユーズ、大気圏再突入マデアト三秒』
 届かなかったんだろうか?
『二』『一』……
 スピーカーの向こうから、かすかにカチ、カチ、と音がした。
 ――石?
『ソユーズ、大気圏再突入』

   *

「忘れてない、かあ……」
 萌絵の前で、おれはうなだれたまま顔を上げられない。やっぱり聞いてたんじゃないか。
「いや、あの、あれはお別れの言葉っていうか、その……」
 そっと萌絵を盗み見ると、彼女は丸っこい顔をつんと横に向けて、洟をすすりながら研究室の大型モニタを見上げていた。
「……知ってたけどね」
「え?」
 萌絵はゆっくり首を回してこっちを向く。涙でぬれたまつ毛が、星みたいにきらきら光った。
「知ってたよ、中井君が忘れてないこと。ずっとほしみさんのこと考えてたって――見てたら、わかるし」
「……ごめん」
「これからもずっと忘れない?」
「えっと……ちょっとずつ忘れようと思い……ます」
 そうだ、あの人はもういない。失ってしまったものは、とてつもなく大きい。でも、失わなければ、進めない道もある。届かないものだって、ある。
 そうだよな、ほしみ――。
 おれは目をごしごしとこすり、ポケットに手を突っこんで、小さな箱を取り出した。「あの……こういう状況で渡すのもどうかと思うんだけど、今日クリスマスじゃん、だから――」
 だが、萌絵の目は大型モニタに釘付けになっていた。
 真ん中にひときわ大きな画面が現れ、そこには夕暮れの大草原が映し出されていた。無人カメラの映像だろうか。作業着を着た人や機材を担いだ人たちが、あちらこちらと動きまわっている。そしてカメラは徐々に移動し、地面に突き刺さった何か大きな物体にズームし始める。ライトが煌々と照らされていて、そこに寄り集まっている人たちが黒い蟻のように見える。焼け焦げたように煙を立てているその物体の中から、何かが運びだされている。何か――細長い、人のようなものが――。
 小型イヤホンが、最新ニュースをキャッチした。アナウンサーが興奮した様子でしゃべっている。
『いま、帰還モジュールの中から人が、人が運びだされました。あっ、いま、手が、手が振られました! 無事です! 中の宇宙飛行士は無事です!』
 思わず萌絵と顔を見合わせて――半分泣いて、半分笑った萌絵の顔は、もうくしゃくしゃで――
 きっと、おれも、同じ顔をしていた。










    終わり








 
2014-12-22 21:39:30公開 / 作者:ゆうら 佑
■この作品の著作権はゆうら 佑さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 クリスマスに向けて書き始めたものですが、このあと登場人物の高校時代をいったん書いて、そのあと(作中の)現在に戻ってこようかと思っています。だからクリスマスまでには完成しないかと……。いろいろ実験しながら書いているので、ちょっと最初から迷走気味かもしれません。ご意見・ご感想等、よろしくお願いします。(11月30日)

 掲示板がにぎやかになってきましたね! ぼくもちょっぴりモチベーションが上がってきました。このペースならクリスマスまでに完成できるかも……と思いはじめています。(12月12日)

 今回の(3)で完結となります。もう二、三章つづけることも考えていましたが、リアルのクリスマスも近いため、ちょっと「巻き」ました。予定していたエピソードをぎゅっと詰め込んだので分量は多めです。ただ構成には気をつかい、この章が一つの短編小説としても成り立つことを目指しました。
 ご意見ご感想等、いただければ幸いです。では皆さま、よいクリスマスを!(12月22日)

11月30日 (1)投稿。
12月12日 (2)投稿。
12月22日 (3)投稿、完結。
この作品に対する感想 - 昇順
 こんばんは、ゆうら 佑様。上野文です。
 御作を読みました。
 師走を控えた街の雰囲気や、中井君との男同士の馬鹿話、主人公の持つ強烈な挫折感が伝わってきました。
 やはり、精緻な情景と心情描写で綴りあげる雰囲気が抜群に巧みですね!
 惚れ惚れしました。
 ただ、三田秀一郎って主人公の名前、導入部で中井君なり小道具つかって出せましたよね?
 主人公の名前が不明で、しばらく落ち着かなかったので、ちょっと気になりました。
 また、ゆうら 佑様の新作が読めて嬉しいですヽ(*´∀`)ノ
 更新、楽しみにしています!
2014-12-01 20:32:42【★★★★☆】上野文
ゆうら 佑様
早苗陀相馬です。
以前は、自スレでの指摘ご感謝致します。
そちらの小説を読ませていただきました。
僕の作品と比べると、流石だなと思います。
ただ、自分のはファンダジー系でして
あまりわからないのですが…。

ですが一つだけ言えるのが『約束』です。
『約束』は、宇宙に行ったら
ほしのかけらとすごいきれいな花と
交換することでした。
とてもロマンチックだと感じました。

上野文様と被ってしまいますが、
男同士の馬鹿話や、約束を破った時の
中井君の思いがはっきりと出ていて素晴らしいなと思いました。

上野文様の言う感じですと、他の作品があるそうなのでそちらも閲覧させていただきます♪
更新楽しみにしていますね^_^
2014-12-01 22:30:04【★★★★★】早苗陀 相馬
 こんにちは、ゆうら 佑様。御作拝読いたしました。
 セリフ劇が主体の物語でテンポが良くていいですね。前作前々作と地の文で作品背景を濃厚に演出する文体を用いていらっしゃったので、意外ですが、非常に読みやすいとは思います。
 現段階ではセリフが主体だけに作品の全体像がまだまだ掴めていない段階ですので、多くは語れませんが、季節感とストーリーがマッチしていて、更に近未来を意識している作風といい、私個人の好みとはよく合っていました。日本は国内産業をサービス業で支えているのにそれを全てオートメーション化してしまったらどうなるんだろうとか本気で悩みました。
 いずれにせよ、今後の展開に期待致します。失礼いたしました。
2014-12-02 11:01:29【☆☆☆☆☆】夏海
>上野文さん
 こんばんは。感想ありがとうございます! ちょっと書き込みが足りないかなあと自分で心配していたのですが、そういっていただけて何よりです。
 主人公の名前紹介については、確かにそうですねえ。あまり深く考えていませんでした。前々作では章のタイトルにしていたので問題なかったのですが……今回はどうしましょう。実は今回も章ごとに主人公を変えようと思っているので、できるだけ早く判明するように気をつけたほうが良さそうですね。いや、でも彼を主人公にしてもう少し書いてみたい気もするし……と、まだちょっと迷っています。書くのは同じ物語で、要は視点を変えるだけなんですが、これが意外と大問題なんですよね。
 いきなりポイントをいただけるとは思いませんでした! 「新作」といわれると何だかむずがゆいですね。ご期待に添えるように頑張ります。

>早苗陀 相馬さん
 こちらこそ感想ありがとうございます。うーん、作者やジャンルによって作品の形もずいぶん変わりますから、簡単に比較するのは難しいですね。
 おお、「約束」に注目していただけましたか。うれしいです。今はまだぼくの中でもぼんやりしていますが、後々作品の核になっていくかもしれない約束だったりします(実をいうと、この作品を書き始めるきっかけになった約束でもあります)。それから登場人物の会話や心理は気をつけて書いたつもりなので、そう評価していただけるのはありがたいですし、報われます(笑)
 ほかの作品も読んでいただけるのなら大変うれしいです。まあぼくのより断然うまい作品がいくつもあるので、いろいろ読んでいただけたらと思います。ポイントや感想数がある程度の目安にはなると思うので。では、これからもよろしくお願いします。

>夏海さん
 今回もありがとうございます! おっしゃる通りセリフ主体です。どうも雰囲気を変えないと、新作を書くスイッチが入らないというか……前作で地の文をぎっちり書きこんだので、その反動ですね(笑)
 全体像がつかめないとのこと、これはぼく自身そう思っていることでして、これから少しずつ絵の具を塗り重ねるように、いくつかのエピソードを重ねて、少しずつ物語を厚くしていけたらと思っています。最初からきちんと流れを決めてしまうと、話が凝り固まっておもしろくなくなってしまいそうですし……。これまでの反省を踏まえているつもりですが、また迷走していたらすみません(笑)
 季節感を合わせると書きやすいんです。だってその日に見たものをすぐ作品に取り込めるので。鮮度抜群です。どうにか季節に追い越されないようにしないと、ですが。
 近未来……こんな感じなんでしょうかね。こうなるような気もするし、ならないような気もするし……。
2014-12-03 03:11:41【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
こんばんは。
近未来、クリスマス、離島(種子島)と好みの題材が三つも揃った小説と言うことで、おおっと思って読ませていただきました。
最初にあれっと思ったのは、他の方も書かれていますが、会話が主体になっているということで、ゆうら佑さんの作品というと細密な描写のイメージがあったので、これは意外でした。
あとがきを読むと、実験的な要素があるということでなるほどと思いましたが、そこをあえて考えずに申し上げると、誰と誰がいつの時点で会話(モノローグを含め)をしているのかが少々わかりにくい感じもしました。上野文さんもおっしゃっておられるとおり、主人公の名前が頭に入りにくいのと、さらに「中井」「田中」と、主要人物の名前のトーンが似た感じなのも原因かなと思います。(「約束を破った時の中井君の思いが出ていた」という感想が書かれているのを見て、やはりわかりにくいのかなと感じました。これは三田くんの思いかな?)
もっとも、時系列をあえてわかりにくくする(これが伏線になっている)という手法なのであれば、これは早とちりということになるのかも知れません。三人の名前が似ているのも、それなら分かります。
あとは、近未来っぽさを感じるアイテムが、まだカードフォン(スマホの進化型?)と接客用ロボットだけというのもちょっと淋しいかなと感じました。個人的には冒頭三行辺りに、もう少しそれらしい記述があると嬉しいかなと思います。接客用ロボットのほうは、後の展開に絡むのかなとは思うのですが。

憧れのマドンナが今や宇宙へ、そして地上に残った彼らのそれぞれの想い、という展開は魅力的ですね。西之表のクリスマスの様子とか、色々出てくるんじゃないかと(勝手に)期待してしまいます。
また続きを楽しみにしています。
2014-12-03 20:31:13【☆☆☆☆☆】天野橋立
>天野橋立さん
 こんばんは。ひさしぶりに感想をいただけた! と思ったら、そうか、確かに天野橋立さんのストライクだったかも……。はい、今回は(とりあえずこの章は)会話中心です。前回感想をいただいたのは二年ほど前だったかと思いますが――と思って見返してみると……「風景描写の素晴らしさに比べると、記者や友人との会話部分は少々退屈なようにも思えました。」というお言葉をいただいていました(笑) 会話にはいまだに試行錯誤しています。
 ご指摘ありがとうございます。ちょっと場面ごとに整理してみました。
1‐「おれ」と中井の会話
2‐「おれ」と母親(らしき人)の会話 「秀一郎? あんた今何してんの?」
3‐「おれ」と常連客の会話 「三田秀一郎っす」
4‐「おれ」と中井の会話 「『三田くんって本当にサンタみたいだあ』って!」
5‐打ち上げを見る人のモノローグ
6‐「おれ」のステージ
 こうやって並べてみると、確かに主人公の名前がわかりづらいですね……名前があんまり出てこない……。深読みしていただいたのかもしれませんが、一応「おれ」は全て同一人物、地の文は全て「おれ」のモノローグ、時系列はそのまま1〜6の場面順、ということで読んでいただくことを想定していました。しかし地の文が少ないのと、会話の相手がころころ変わるというのが混乱の原因だったのかもしれません。最近ぼく自身が一人称に慣れ切っていた分、そのあたりの説明がおろそかだったかなと思います。
 名前の字面、似てますよね……ぼくも気になってました。「中井」「三田」はちょっと譲れないのですが(いや「仲井」「参田」にしてもいいんですけども)これに加えた「田中」は失敗でしたね。でもここではどうしても田中にしたかったんです……わかっていただけるでしょうか……。
 >>時系列をあえてわかりにくくする(これが伏線になっている)という手法
 すみません、上に書いた通り手法でも何でもないのですが、天野橋立さんが想像されていたその「手法」ってどういうものだったのか、よければ教えてください。この章のラストの伏線? それとももう少し長い目で見ての伏線? 前者だとすると、確かにラストで一つの秘密が明かされるので、それをうまく隠すための混乱……ともいえる……んでしょうか?
 近未来アイテムはもっと増やしたかったのですが……。ぼくとしても机の上にもっと何か置いておきたかったです。ペットボトルとかポテチの袋ってもうないのかな、とも思ったのですが……何がいいんでしょうねえ……。あ、おっしゃる通り接客用ロボットは絡んできます。バレバレですね(笑)
 西之表のクリスマスの様子って、また難しい注文を(笑) でも次回は登場人物の過去の話なので、2014年現在の種子島に近い風景をいろいろ書けるかもしれません。
 やはりクリスマスに向けて天野さんも投稿されるのでしょうか。楽しみにしています。
2014-12-04 00:40:24【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
いや、すみません。ちょっと考えすぎだったかも知れませんね。
叙述トリックじゃないですが、何となくわざと「おれ」が誰なのかわかりにくくしているような気もしたのです。で、実は「おれ」は何人か居るとか、この「おれ」は実は三田くんではないとか、それが何かの伏線になってるんじゃないかと、そんなことも考えてみたりしました。だってあれは中井でも三田でもなく田中だったはずなんだし…。
バーの場面から島のファミレスの場面へつながる辺りも、ここがちょっと唐突な感じに時間的に飛ばしてあるのは、実はこの間に何か重要な出来事があるんじゃないか、とか思いました。
いや、あんまり謎解きめいたことばかりするのはつまらないし、読む楽しみがなくなってしまいそうですので、この辺りで。次の展開を楽しみにしています。
2014-12-04 21:39:24【☆☆☆☆☆】天野橋立
>天野橋立さん
 返信ありがとうございます。なるほど、そういうことでしたか!
 この章の真相が明らかになるのはもう少し先なので、ぼくも多くを語ることはできないのですが……天野さんの視点も実は本質的なところを突いているのかもしれません。何というか、「不自然さ」への着眼はさすがだなあと思います。
 いろいろ考えていただけると、書くほうとしても気が引き締まります。よければ次回もお付き合いください。
2014-12-05 00:28:27【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
 作品を読ませていただきました。
 高校時代の回想部分に物語の肝がありそう。これからの展開に期待ですね! ちょっとだけ気になったのは、近未来にしては近未来の描写が少ないということでしょうか。今僕が書いている文章も一応近未来が舞台なのですが、話の特性上あんまりその描写が必要ではないのですよね。だけど、この作品に関してはそういう近未来チックな情景描写があった方がいいかな、と思います。天野様もおっしゃっていますが、カードフォンとロボットだけじゃちょっと寂しい気がします。
 ところで、この作品の世界にはメイドロボットは存在するのでしょうか? 接客用ロボットとありますから、メイドの形をしたプリティーなロボットもいる、はず……? 僕の夢の一つとして生きているうちにメイドロボットを手に入れるというのがありまして、もしこの世界に入っていけたら僕にとって夢のような生活が待っているかもしれません。残念ながら僕は文系人間でロボット開発とは無縁の人間です。妹がそっち方面の人間なのですが、「め、メイドロボ……ハァハァ、作れる? デュッフフフフ」とか聞けませんので、大人しく、紳士的に日々メイドロボが開発されるのを待っています。
 新たな試みをされているということで、ゆうら 佑様がこの作品を書くことで新たな境地を見出されることを期待しています! わくわく……! 新境地の開拓、実験的小説を書くって覚悟が要りますよねー。頑張ってください!
 よし……! 今回はわりと真面目な感想が書けたかな。
 次回もまた読ませていただきますね〜。ピンク色伯爵でした。
2014-12-09 19:43:13【☆☆☆☆☆】ピンク色伯爵
>ピンク色伯爵さん
 感想ありがとうございます!
 今回はあまりプロットを固めず、心のおもむくままに書き継いでいこうと思っています(これも実験の一つです)。だから物語の肝がどこにあるか、ぼくもまだ手探りなんですよね……。高校時代の章がそろそろ書き終わるのですが、なんだか当初予定したような話になりませんでした。
 >>この作品に関してはそういう近未来チックな情景描写があった方がいいかな、と思います。
 うーん了解です。考えてみます。もともと技術的なところより人文的なところに興味があるので、そっち系の小ネタは地味にねじこんでいるのですが。すみません、ぼくも文系なもので……。そしてもう一つすみません、この世界にメイドロボは存在しません。でもがっかりしないでください、別の世界線上であればきっと……。
 たしかに新しい試みは勇気がいりますねー。ぼくはけっこう新しいことをやるのが好きなので、新しい作品を書くたびに何かしら実験をしています。でもたぶん、みなさんそうじゃないでしょうか。新しい作品を書くということ自体、新しい世界に挑戦するということですし。ぼくの場合『ゆめはるか』なんかは、その実験が比較的うまくいったケースかもしれません。で、うまくいくと別の方法も試してみたくなるんですよね。そして失敗するという(笑) これを繰り返しつつ上達できたらなあと思っています。
 真面目な感想をいただけて光栄です。よければ次回もお付き合いください。
2014-12-10 20:04:12【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
続きを読ませたいただきました。
うーむ、さすがと言うべきなのでしょうが、ここまでと一転して女の子の一人称による心境の描写が主体となった今回の投稿分は、非常にうまいと思いました。ほしみちゃん、いいですね。性格の対照的な双子、的な展開は良くあると思うのですが、ここではどうも意識的にあえて別の性格を目指したかのように思える台詞もあって、人物造形としてしっかりしていると感じられました。
クリスマスの情景、出てきましたね。十年前に西之表に行った時はまだショッピングモールみたいなのはなかったですが、あれから出来たのか、近未来だからの設定なのか。どちらにせよ、「離島と言えども中心の町には小さなショッピングモールくらいはあって、地元の若者は都会に憧れつつも、そこでそれなりに楽しいクリスマスを過ごす」……いいですね、こういうの大好きなので。
今回は、近未来感がどうかというのはあまり気になりませんでした。いっそ近未来的な描写は全部やめてもいいんじゃないかと思ったくらいです。あくまで現代だけど、この小説内では接客ロボットは普及しています、って割り切っても構わないように思えました。
では、次回も楽しみにしています。
2014-12-14 20:08:31【★★★★☆】天野橋立
 こんばんは、ゆうら佑様。上野文です。
 御作の続きを読みました。
 視点のほしみちゃんがヒロイン、いや、本来の主人公はこっちなのでしょうか?
 社会人然とした前章とは一転、学生らしい雰囲気に引き込まれました。情景描写と心理描写に磨きがかかってますね!
 一見何気ない日常に、少しずつ散らされたトゲが、ほんのりと気にかかりました。
 面白かったです。続きを楽しみにしています。
2014-12-14 20:41:24【☆☆☆☆☆】上野文
>天野橋立さん
 感想ありがとうございます! いったんほしみちゃんという人物を作り込んでおこうと思い、そのために設けた章なので、「人物造形としてしっかりしている」と感じていただけてうれしく思います。実際、いっしょに暮らしている双子はお互いを意識するからか、容姿や嗜好がちょっとずつ違ってくるそうです。ここではそれを参考にしつつ、性格にポイントを絞って書いてみました。
 やはり西之表に行かれたことがあるんですね。今回はほぼ現代くらいの時代設定にしているので、できるだけウソは書かないように気をつけました。ショッピングモールといえるほどのものではないですが、全国チェーンの店が集まったような場所はちゃんとできているようです。クリスマス描写には少し困りましたが……(笑) 気に入っていただけたようで何よりです。
 >>あくまで現代だけど、この小説内では接客ロボットは普及しています、って割り切っても構わないように思えました。
 なるほど! そのご意見に飛びつきたいところなのですが……いま三章目を書いていて、意外と近未来設定が便利なことに気づき始めており……とりあえずは近未来で進めたいと思います。でもそうですよね、そういう書き方もありでしたね。
 ポイントまでありがとうございます。次回も楽しんでいただけるよう頑張ります。

>上野文さん
 今回もありがとうございます! 一応各章の語り手がそれぞれの主人公、なのですが、作品を通しての主人公は……三田君でもほしみちゃんでもなく、次の章の語り手かなあと思います。それは最初からなんとなく想定していたことなのですが、この二つの章を書き終えてようやく決まった、といったところです。行き当たりばったりですみません……。
 描写、よかったですか。推敲を何度も重ねたかいがありました。ある程度は「量」でカバーできるものですね。
 次回はトゲどころの騒ぎではないかもしれませんが……お付き合いいただけると幸いです。
2014-12-17 00:13:19【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
最後まで、読ませていただきました。
完成を優先させて「巻いた」ということで、やっぱり打ち切りの最終回的な感じは否めないし、前章の完成度を考えるともったいない気もしないではありません。本来、この数倍のボリュームは必要な内容かなあと思います。しかしクリスマスに間に合わせる、これも意味のあることなので、とりあえずこれはこれで良かったのかなと。
完全に連作形式にしてしまうとか、いっそもっと説明を飛ばして短く詰め込んで、昔の「コンデンスト・ノベル」みたいにするとか、SF的には色々遊べそうな小説だと思いました。
ともかく、完結おめでとうございます。良いクリスマスをお過ごしください。
2014-12-23 21:21:05【☆☆☆☆☆】天野橋立
前作くらいの長編かと思ってたら中編だった。そしてもう終わってた。
完結おめでとうございます、読ませて貰いました。読ませて貰いましたけど違うやん、違うやんか。いや違わないんだけど。何だろう、何なんだろうか。ゆうら 佑さんと神夜の感性は本当に相容れないのだろうか。天野さんが言ってる「打ち切りの最終回的な感じは否めない」と「クリスマスに間に合わせる、これも意味のあること」の二つは自分も最もだと思う、思うんだけど前者のインパクトが強すぎて逆に「クリスマスとかええからしっかり全部書いてくれ!!」と悲痛な叫びを上げずにはいられない。
「お前、三田だろ。おれは笑いをこらえきれないまま、泣いていた。」ここで一気にラストスパートのボルテージを上げられたのに、しかしそのボルテージを消化しないまま「ご愛読ありがとうございました。次回作に期待ください」て例のあれが出て来て「マジか……」と置いて行かれてしまった。非常に勿体無い。悶々とするくらい勿体無い。しかし主人公はてっきり三田だと思ってたのに、ゆうら 佑さんのこういう話は視点がころころ変わって結局誰が主人公か判らないまま終わって行ってしまう。この書き方は不思議である。
が、やっぱり「お前、三田だろ。」は久々に心が洗われるような表現であり、上記の感想は否めないけれども、それでも面白かったから、素直にポイントを入れ入れ。次回作、期待しております。
※短編の方にもこそっとしょうもない感想入れておいたことを、ここに小さく報告。
2014-12-24 18:34:06【★★★★☆】神夜
 僕、この作品がとても好きです。序盤はなかなか入り込めなかったのですけど、中盤からの吸引力はすさまじかった。貴方の作品を半年以上に渡って読んできましたが、この作品の二章以降が一番好きかもしれません。確かに最後助かって、それで終わりなのかと拍子抜けしてしまった(ごめんなさい)のですが、そんなこと気にならないくらいに面白かった。二章のほしみちゃん視線の物語、さすがですね! 女性視点の描写が本当にうまい。遺伝子一緒って表現は思わず笑ってしまった。いや、その他にも彼女の言動の一つ一つに味があってよかったのですが、この一言のインパクトはすごかった。男性の欲望のようなものをある意味的確にとらえていますよね。そうなんだよな、同じ顔して、同じ体してたらいいじゃんって思っちゃうんだよなー……。で、付き合って性格の違いに愕然とするまでがテンプレート。
 最終章、田中の下りも笑えました。一章の分かりにくい会話、最後まで読んでもう一度読むとめちゃくちゃ面白いですね。三田君、あんたは考えることが小学生並だな(笑) いやあ、どんな顔で「そいつどうやら田中なんだよ」って言っているのだろうか?w これは酷い(笑)
 本当にユーモラスで楽しく、もうこれだけで二点なんじゃないかと僕は思います。
 みづきや萌絵もいい味出していました。僕もみづきさんみたいな先輩欲しかったなー。あと萌絵ちゃんかわいい。いい嫁さんになりそう。中井君はすごく贅沢な悩みをしていますねー……。気持ちは分かるのですが、二人以上の女性にモテたことが無いので(ていうか一人でも僕を愛してくれた女性はいませんね。俺が悪いんですが)まず羨望の気持ちが前に出てきてしまった。
 とても面白かったです! 次回作、お待ちしていますよ! メリー・クリスマス!
2014-12-24 21:09:41【★★★★★】ピンク色伯爵
 こんばんは、ゆうら 佑様。上野文です。
 だいぶ巻かれたなあ、というか、本来キーに使いたかったロボットを使いきれなかった、という印象を受けました。
 たぶんロボットは、救出とか支援の際に使うか、誰か(三田くんか中井くん?)に被せようとしたのかな?
 と、推測しましたが、私の好みの問題かもしれません。
 最後、絡まった人間関係の大半に決着をつけて、ほしみちゃんの生還で希望の持てる終わりにした展開は、個人的に大好きです。
 ハッピーンエンドの方が心地いいですもの。とても面白かったです。
2014-12-27 09:27:21【☆☆☆☆☆】上野文
>天野橋立さん
 返信が遅れて申し訳ありません。
 ぼくの脳内イメージでは(1)から(3)にかけて完成度が二次曲線のように上昇しているはずだったので、「前章の完成度を考えると」のお言葉には思わず何…だと…とつぶやいてしまいました。このギャップは真摯に受け止めたいと思います。ぼくとしては、巻くことで密度が増し、完成度が高まるんじゃないかとさえ考えていたんですから。
 完結を急いでみづきさんや三田のエピソードを少し削ってしまったのは事実ですが、急いだのが失敗というより……そもそも、ぼくの当初の見通しが甘かったということなのかもしれません。内容はむしろ最初の予定より濃くなっているくらいですし(三十枚×三章で百枚くらいの短編かな、と思いながら三田の章を書き始めたのに、ふたを開けてみたら全然違ってました)。これはご意見の通り、連作形式にしてじっくり進めるべきものだったかと思います。「コンデンスト・ノベル」って初めて聞きましたが、さすがにこれ以上切り詰める勇気はないですね……。ここに再アップするかどうかはわかりませんが、ちょっと改稿にも着手したいと思います。
 最後までお読みいただけてたいへんうれしかったです。クリスマスは終わってしまったので、よいお年を。

>神夜さん
 ひさしぶりにお名前を見てびっくりしました。感想をいただけてうれしい限りです。なのに返信が遅くなって申し訳ありません。
 えっと、はい、違いますね。ごめんなさい! また同じ失敗を繰り返してしまいました。「お前、三田だろ。」はぼくとしてもヤマ場として設定していたので、そこを評価していただいたのは素直にうれしいのですが……ボルテージの消化、というのがピンとこないのです……どうしたら消化できたんでしょうか? 三田のことをもっとちゃんと書いて、ラストのあたりももうちょっと工夫して、エピローグとかも付けて……とかでしょうか。自分の書きたいことは全部書いたつもりだったのですが、後半の内容が若干雑になったことは否めないですね。振り返ってみると、ふくらませるだけふくらませてプッツリ切る、といういつものあれでした。本当はこのラストを見据えつつ、いろんな人の視点でじっくり話を重ねていくつもりだったんですが、クリスマスの誘惑には耐えきれず……。
 主人公は、各章にはいるんですが作品全体にはいないですね。神夜さんにいわれて初めて気づきましたが、ぼくが最近書いた中長編はどれもこんな感じで、主人公不在なんですね。三人称でもころころ視点を変えてしまいがちですし。どうも一人の視点にしぼって書くことに不慣れなようです。何でしょう、目移りしてしまうというか……こらえ性がなくてすみません。
 感想、短編のほうまでありがとうございます! お忙しいようですが……今度こそご期待に添えるものを書きたいと思いますので、またよろしくお願いします(笑)

>ピンク色伯爵さん
 お読みいただきありがとうございます。一番好きって本当ですか。まさかこんなに高評価をいただけるとは……。実は(1)にいただいたコメントを見て、ピンク色伯爵さんの反応薄いなーまずいなー、と思って気合いを入れ直したので、最後こういう結果になってよかったです(笑)
 たしかにコミカルともいえる展開、言動が多かったですね。ほしみちゃんの台詞は的確だからこそ、男としては笑うしかないというか……本人はまじめに悩んでるんだと思うんですが。二章はけっこうこだわって書いたので、楽しんでいただけたのは何よりなのですが……ぼくとしてもほしみちゃんを死なせるのが惜しくなり、ラストはあんな感じになってしまいました。本当は助からない予定だったんです。もっと別の終わらせ方もあったかもと、ちょっと後悔しています。
 三田はばかですね(笑) いや、これも本人はおそらくまじめなんですけど。読み返したときのおもしろさまでは考えていなかったのですが、ピンク色伯爵さんのコメントを見て想像したらすごく笑えてきました。三田、こんなにおもしろいやつだったのか。
 みづきさんや萌絵ちゃんもよかったですか。時間があればこの人たちの章も設けるつもりでしたし、ぼくもできればもっと書いてみたいと思っています。中井の境遇は――まあぼくにとっても理想の理想を理想化したものなので、雲の上の話だと思って読んでいただければ……。でも「気持ちは分かる」といっていただけてうれしいです。どうすれば彼がただの浮気者にならないか、けっこう苦心していましたので(笑)
 返信が遅れて申し訳ありませんでした。あと作品のコメントも遅くなってすみません! よいお年を。

>上野文さん
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。
 巻いたこととラストの展開とはあまり関係ないんですね……ロボットで声を届ける、というのは当初の予定通りなんです。でもこれだとしょぼかったですかね……むしろ急いだことで、プロットを練らないまま勢いで執筆してしまったことが問題だったかと思います。
 生還だけ見るとハッピーエンドなんですが……。中井と萌絵ちゃん視点で見るとあんまりハッピーじゃないような……と思えてラスト一文を書くのに苦労したんですが、このへん大丈夫だったでしょうか。こういうラストは書き慣れていないので、何だかむずむずしています。
 いつも感想をいただけて励みになります。今年もありがとうございました! よいお年を。
2014-12-30 21:13:13【☆☆☆☆☆】ゆうら 佑
計:22点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。