『明治妖魔討伐隊 第一章 ロンドンからの帰還(1)(2)』作者:羽田野邦彦 / Ej - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 天下分け目の戊辰戦争が終結してから十年後の明治十年、徳川魔方陣が妖魔の手によって破壊された。妖魔が次々に東京府民を襲う事態に、大久保利通は英国の妖術組織『闇の翼(ウイングオブダーク)』(WD)で修行していた元徳川隠密剣士であり、有馬妖刀術伝承者・有馬総介に帰国命令を下した。 そして WDの仲間であるロバートと共に帰国した総介を待っていたのは、闇乃道化師が和泉家を襲撃するという犯行予告だった。仕事を引き受けた総介たちは、徳川魔方陣の中心部である紅葉山に向かった。そこで出会ったのは、女陰陽師・桜宮沙那だった。彼女は妖力を使って、魔方陣の御神体である妙見菩薩像を治癒していた。「政府は、将来的には徳川魔方陣を破り、明治魔方陣を創る」という沙那の話に、総介は矛盾を感じた。
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                           第一章 ロンドンからの帰還

                         (1)
 
 日本の首都が東京に移ってから今年で十年目を迎えた。上野戦争があった当時の様相とは百八十度変わり、昼間は洋式建造物が立ち並ぶ街の中を、人力車と馬車が忙しく縦横無尽に駆け巡り、夜間は淡い橙色の炎が燃えるガス灯が、帝都の街に文明開化の光を照らす。近年、洋式建造物の建築が堰を切ったように各地区で進むなか、武家屋敷が存在した東京府赤坂界隈は、今尚、徳川幕府二百六十五年の名残をとどめている。鬱蒼(うつそう)とした氷川神社の境内の真ん中に、悠然と枝を伸ばし、黄金色の葉が生い茂る樹齢二百六十年の大銀杏が、風格を醸し出している。
 本氷川(もとひかわ)坂下にある邸宅では、今から日本の行く末を左右する会合が行われる。
 暖炉を設けた洋間には、直火の温もりを感じる雰囲気とは対照的に、厳粛な面持ちで洋式卓(テーブル)を囲む五人の男がいる。
 上座にどっしりと腰を下ろす洋装の男は、英国紳士宛(さなが)らの気品を漂わせる。洋装の男の名は、元薩摩藩志士で明治政府内務卿の大久保利通。激動の幕末(じだい)に身を置きながらも、若い志士たちを率いた革命家が持つカリスマ性は、明治の世になった今でも健在だ。
 内務卿の左隣りの席には、黒い制服を着た男がいる。『内務卿の懐刀』という異名を持つ警視庁警視長、川路利良だ。
 「これで全員揃ったな」と参加者の顔を一通り見渡した大久保は、目の前に座る三人に向けて、挨拶をした。
 「忙しい中、集まってくれて感謝する。それと有馬君、ロンドンでの長い修行生活、ご苦労であった。君の手紙を読ませてもらったよ。元気に修行に励んでいるのを、勝翁が嬉々としていた」
 「やめて下さい大久保卿」と、白髪頭を掻いて頬を紅潮させた初老の男が、照れ臭そうに言う。
一見、好々爺に見えるこの男の名は、旧幕臣であり、元参議兼海軍卿の勝海舟だ。
 一八六〇年(万延元年)、幕府の遣米使節団の一員だった海舟は、日米修好通商条約の批准書交換のためにアメリカ・サンフランシスコへ渡航した。イギリスとの戦争終結から七十七年が経ったアメリカの急速な経済発展に日本の行く末を懸念した海舟は帰国後、国が一丸となって欧米列強と対等に渡り合う近代国家を作ることを幕府に提案した。戊辰戦争が始まると、旧徳川家の存続を危ぶみ、江戸の町が戦禍に巻き込まれることを恐れた海舟は、新政府軍の参謀である西郷隆盛と薩摩藩邸で会見した。徳川家の家臣を向島へ追放し、軍艦と武器類そして江戸城を新政府軍に明け渡す条件で江戸百万人の命が救われた。もし海舟の機転と絶対恭順という思想がなければ、江戸は大火に包まれ、国力の低下を諸外国に露呈していただろう。
 海舟は、右隣りに座る黒装束の青年を窘(たしな)める。
 「有馬、大久保卿が此処に見えてから、ろくに挨拶もしてねえじゃねえか。日本を暫く離れていたとはいえ、礼儀作法は万国共通だろ」
 しかし有馬と呼ばれた青年からの返事は、なかった。むしろ大久保の顔面を射る様な、鋭い眼力を浴びせてくる。その一方で、二人と同じ並びに座る純白のキャソック(祭服)を着た異人が、大久保と警視庁警視長の川路利良に向けて丁寧に頭を下げる。
 彼の額に装着している黄金色に輝く冠の中央には、紫色の宝石のような物が施されていた。
 「初めまして、私はイギリス人のロバート・エリックと申しマス。総介サンと共に『闇の翼(ウイングオブダーク)』で修行に励みマシタ」
切れ長の目と鼻筋が通った金髪男が爽やかに話す流暢な日本語に、総介以外の日本人は感嘆した。
武家屋敷から一転して近代都市化を目指すようになったのは、日本が欧米諸国と互角に渡り合える文明を築くことも一理あるが、総介が日本を発ってから二年後の明治五年に起きた銀座大火だった。江戸城和田倉門内にある旧会津藩邸から火の手が上がると、折からの烈風に煽られ、銀座から築地一帯を焼き尽くした。復興にあたって、東京を倫敦(ロンドン)や巴里(パリ)のように『不燃都市』にする計画が持ち上がった。焼け野原になった銀座はその後、木造の建家から耐火性のある煉瓦造りになり、歩道も煉瓦で舗装された日本初の洋風街区である。
ロバートは日本の印象を歯切れの良い口調で述べた。
 「十五年程前に私は一度、江戸を訪れてイマス。一年程、江戸に居ましたが、木造建家は清潔感があり、景観は絶えず美しく変化していまシタ。新時代になってから、都市開発を着々と進めているという噂を耳にしましたので少し残念に思いましたが、私の故郷のリージェント・ストリートを思わせる街並みで、とても馴染みやすいデス」
同じ妖術士でも氷の様に冷たい表情を見せる有馬とは違い、明朗なロバートに大久保は安堵した。
 周囲が少し和やかになったところで、大久保は話の本題に入った。
 「本日、皆さんに集まっていただいたのは他でもない、二年前の一月に帝都を守護する妙見菩薩像に亀裂が入ったことで、妖魔たちが帝都に暗躍していることはご存じだな。この仏像の建立は、今から二百二十八年前に徳川家三代将軍家光公が、複数の妖魔に襲われたことから始まった。それゆえ、日本を妖魔から守るために、より強力な結界を張ることを決意した天海僧正は、皇城(旧江戸城)内にある紅葉山に建立したのである。陰陽師の桜宮沙那(さくらのみやさな)殿によると、あれに亀裂を入れるのは人間の力では不可能であり、強大な妖力が外側から働いているということだ」
「桜宮沙那……」と、目を見開く総介が、此処に来て初めてボソッと口にするのを、大久保は聞き逃さなかった。
 大久保は話を続けた。
「仏像の事件に呼応したかのように、日本各地ではコレラが流行り、さらに士族たちが政府(われわれ)に反旗を翻した。コレラと士族の反乱で日本が混沌としている最中、東京では資産家とその令嬢が妖魔に惨殺される事件が四十三件も発生した」
 「川路君、あれを出したまえ」と、大久保は川路に命じた。
「これは、二日前に麻布霞町の和泉家に送られた犯行予告状だ」
 川路は木箱をテーブルに置くと、おもむろに蓋を開けた。そして、中から腐臭漂う黒い物体を手にして、それを向かい側に座る三人の前に置いた。
 生臭い物体に鼻を曲げながらも、手に持って熟視する総介が言った。
 「これは蝙蝠(こうもり)の死骸ですね。死骸に貼ってある書状には『十一月二十九日の深夜零時に、麻布霞町の和泉家を襲撃する。闇乃道化師』と明記してあります」
「犯行予告日の前日に、これを標的者に送りつけて、主人とその令嬢の命を奪うということだ。当初の道化師像は、政府に不平不満を抱える一部の士族が腹いせに資産家を襲ったか、もしくは無差別殺人を快楽的に行う用意周到な殺人犯の二通り考えた。しかし、警護に当たって重傷を負ったある部下は、『獣臭が漂う翼の生えた悪魔』と証言した」
 「翼の生えた悪魔……」と、大久保の話を耳にする妖術士たちの表情が、より引き締まった。そして、これまで不本意な結果に終わった怒りと、悔しさで握り拳を震わせる川路を横目に、大久保は話を続けた。
「情けない話だが、先月までに妖魔の討伐に向かった警官隊は計千百三十二名。その内、死者千三十六名に重傷者九十六名が出ている。これ以上被害が出ぬよう、おまえたちに白羽の矢を立てたんだ。妖魔を斃(たお)してほしい。西南戦争が終結してまだ二ヶ月しか経っていない今、こんなことで軍隊を動かすわけにはいかないのだ」
大久保がテーブルに両手をついて頭を下げた。内務卿自らが、西洋仕込みの妖術士相手に頭を下げるなど、あるまじきことだ。ところが、総介の口からは予想外の言葉が返ってきた。
「軍隊を動かすわけにはいかない……。つまり内政を諸外国に露呈するのを恐れているのですか? 随分、勝手な話ですね。新時代の実現に大きく貢献しながらも、俸禄制度の廃止と侍の尊厳を奪い取られ、貧困に追いやられた士族に対しては、軍隊を動かすことはできても、国民ひとりひとりの安息した暮らしを妨げる魔物を排除するために、動かすことはできないのですね」
旧幕府に仕えていた妖術剣士に核心をつかれた大久保は、冷静にそれを受け入れる。しかし、血気盛んな川路は、敗者側である男の分不相応な言動をに我慢が出来ず、声を荒らげた。
「バカモン! 再び内乱でも起きようものなら当然、国力低下に繋がる。そのような事態になったら、手ぐすねを引いて待っている欧米列強は日本を植民地にしようと襲いかかってくるだろう。そんなことも分からんのか!」
 「しかし、いつまでも世間体を気にしていて、日本を守れますか? 欧米列強からの侵略の危機に晒される日本の将来を憂いた維新志士(あなたがた)は、弱体化した国礎を強固し、誰もが住みよい国にするべく旧幕府(わたしたち)と戦い、そして勝利を手中にしました。新時代の幕開けに嬉々とした国民は、争いのない安息な世の中になることを期待していました。ところが、いざ蓋を開けてみると、侍の存在意義を失って生きる術(すべ)を無くした士族と、彼らの尊厳を奪い取った政治家たちの汚職に目を瞑る政府に絶望した国民が、やがて反政府感情を高めたのです。彼らを武力で鎮圧することが出来るのに、妖魔相手では逃げ腰ですか?」
 「逃げ腰だと……」と、怒りで体を震わす警視長を相手に、物怖じしない妖術士を見兼ねた海舟が一喝した。
「いい加減にしねぇか、有馬! おまえの言っていることは、タイムズ社(イギリスの新聞社)の受け売りだろうが。何も政府は、国民を見捨てるとは言っていない。軍隊を使うだけで事が片付くなら、おまえたちを呼ぶわけないだろ!」
舌戦を繰り広げる三人を横目に、ロバートは日本茶を啜りながら、呑気にそれを傍観しているではないか。妖魔退治を控えている彼らの結束力の無さに、大久保は思わず溜息をつく。そして、やれやれと言わんばかりに、大久保が三人の仲裁に入ろうと腰を上げた。
 「三人とも落ち着きなさい。君たちに言っておくが、明治維新から十年が経った日本は、近代国家の創成期であるが故、内政が安定せず、不平士族たちによる戦乱の多い時期だった。再び戦乱が危ぶまれるが、向こう十年で内政を整え、軍事力の強化と産業の発展に尽力する。欧米列強に引けを取らない国家を創るのが国民(われわれ)の使命だ。つまり、国家繁栄を妨げる悪の芽を摘まなくては、維新はいつまでも完成しない。しかし、この件に関しては、警視庁の力では手に負えないのだよ。仮に軍を動かしたとしよう。妖魔の討伐で国力が衰退した日本を我の物にしようと、手ぐすねを引いて待っていた列強が、必ず侵攻してくるだろう。当然、君たちのような妖術士を従えてだ。これ以上被害を増やさないためにも、力を貸してくれ。この国を支えるのは維新志士だけではない、旧幕府(きみたち) の力も必要だ」
冷静沈着な大久保が、胸の内に久々に熱く湧き上がった想いを打ち明けた。そして、総介に頭を下げた。
 「大久保卿……」と、内務卿の熱意に圧倒された総介は、戸惑いを隠しきれない。するとロバートが、そんな有馬の背中を一押しした。
 「総介、あなたが人間味に溢れた人だということは分かっています。しかし、政府にも事情があります。ここは私たちの力で妖魔(やつら)に目に物を見せてやりましょう。先ほど言ったように、私は日本が好きです。妖魔に支配された日本なんて見たくもナイ」
親日家の意気込みに暫く思案する。そして総介が、とうとう腹を括った。
「分かりました、引き受けいたしましょう。だが、これだけはお約束下さい。十年前の戦で幕府(わたしたち)を倒して維新を起こしたあなた方が、薄汚い政治で民衆を失望させるようなことがないように、国民が国の行く末を決める理想の国家を目指して下さい」
「約束しよう」
十年前、日本の覇権を懸けて維新志士と戦い、そして敗れた有馬総介は現在(いま)、民衆を守ろうと、再び死地に赴くことを決意してくれた。彼の意志を無駄にしまいと、大久保は真摯にそれを受け止めた。

                                  第二章(2)

五分程度の会合を終えると、沙那は鶴子嬢を連れて屋敷を出た。
総介はどうしても気になることがあった。それは、会合終了間際に呟いた仙一郎の言葉だ。
誠一。
明らかに人名だ。これが頭に残っている総介は、大田原に訊いた
「和泉さんがぼそりと呟いたセイイチとは、一体誰のことですか?」
総介の質問に、大田原の眉がピクリと動いた。執事が気難しい顔で答える
「お気付きになられましたか。誠一さんは和泉商会の跡取りになるお方でした。学力優秀で鶴子様にとっては面倒見の良い兄で、六年前、経営学を学ぶために単身で渡米しました。ところが二年前の夏に届いた手紙を最後に、音信が途絶えました」
「行方不明ということですか?」
「はい。それを境に旦那様は体調を崩すようになりました。それでも、誠一さんの帰国を信じて職務に就く旦那様が、とても健気です」
「大田原さん」
総介はやるせない思いに駆られた。

                            *

 予告時間まで残り十五分が経過した。
鶴子嬢を秘密のアジトに送って、無事、屋敷に戻ってきた沙那は、鶴子の部屋で待機している。
一方、主寝室の前で待機している妖術士の二人は、座禅を組んで瞑想に耽っている。最大限に高めた妖気を全身に隈無く流す。この動作を行うことで過去の戦いで負傷した箇所を治癒して、万全な体調で妖魔との一戦に臨むことができる。
残り五分が経過した。
総介は主寝室に足を踏み入れた。
一瞬、居間と見紛う豪華な内装に、英国帰りの総介でも度肝を抜かれた。 
 煉瓦造りの大きな暖炉と、その向かい側には木製のセミダブルベッドを中心に、臙脂(えんじ)色のカウチソファーと、高級感漂うチェストに書斎机が設置されている。まるで高級ホテルを思わせる造りだ。
ソファーに座る仙一郎と大田原は、ゆらゆらと炎が躍る暖炉を見据える。橙色の光が顔の輪郭を照らし、バチッと炎が爆(ば)ぜる音を耳にする二人は今、何を思っているのだろう。特に主人は、何かに取り憑かれた様な、虚ろな顔をしている。
「予告時間の五分前です。火を消して、ベッドの下に身を隠して下さい」と、総介は二人に告げた。
ゆっくりと立ち上がった大田原は暖炉に向かった。暖炉の脇にある水壺から柄杓で水を注いだ執事は、それを暖炉の中に撒き、火掻き棒で灰を混ぜる。これら一連の動作を二回、三回と繰り返すことで火種が消えた。
 書斎机の片隅に写真が飾ってある。中央にいる仙一郎を挟む様に座る男女は、妻と行方知れずの誠一か? 三人の背後に立つのは、大田原と鶴子だ。
写真を見ている総介に気付いた大田原は、当時の光景を振り返った。
「こちらのお写真は誠一様が渡米する一週間前に撮影したものです。亡き奥様も愛息の帰国を待ち焦がれていました」
誠一は父親に似て目鼻立ちが整った凛々しい顔立ちだ。が、父親より眉毛が濃い。
(親子か……)
総介はふと、父の面影を思い出した。
妖刀術に対してストイックな源三郎は、愛息にも、その精神を叩き込んだ。
 当時は目的もなく、言われるがまま厳しい修行に明け暮れた総介は、厳格な父を恨んだこともあった。しかし、黒船来航から始まった攘夷運動が、やがて討幕運動へと変わっていくことで、彼の思想も一変した。そして、激動の時代に徳川家の矢面に立つことを、決心したのである。
父との思い出を胸の奥にしまった総介は、懐中時計を見た。長針が五十八分を過ぎたところだ。
予告時間が近いことを知った総介は、二人を急(せ)かした。
「あと二分です。早く」
妖術士の合図で、仙一郎がゆっくりと立ち上がる。執事に付き添われながら、脱力感を漂わせる動きでベッドの下に潜った。
扉の向こうから相棒の声が聞こえた。
「総介、来るゾ!」
複数の小さな妖気が屋敷に集合しているのが分かる。しかし、それ以上に気がかりなことがある。それは仙一郎の震えだ。ベッドの下に身を隠しているとはいえ、彼の呻き声が、こちらに伝わる。妖魔が襲来してくるから当然と言えば当然だが、これではかえって妖魔の目につきやすくなる。
「旦那様、落ち着いて下さい」
畏怖する仙一郎を何とか落ち着かせようと、大田原が労っている。
「此処は私にお任せ下さい」と総介は、二人に告げた。
 そして、予告時間を告げる振り子時計の鐘音(しようおん)を耳にした時だった、複数の黒い物体が、重厚な音色を打ち消す窓硝子の粉砕音に紛れて、妖術士の前に現れた。
「ウェギギギ」
耳障りな鳴き声を上げるその妖魔は、無残に朽ち果てた皮膚に、狼を彷彿させる鋭利な牙が特徴だ。
「こいつは吸血屍鬼(ブロードゾンビ)じゃないか」
紅葉山に現れたインプといい、西洋諸国にしか存在しない妖魔が、こうして日本で活動している。徳川魔方陣の防御効果が薄れていることが、これで明確になった。
ブロードゾンビに血を吸われて絶命した生物が時間を置いて蘇生すると、吸血能力に目覚める。能力が覚醒したゾンビは、様々な生物を襲撃して吸血するのである。
総介の目の前には、腹を空かせた三体のゾンビがいる。奴らは鋭い爪と牙を武器に、総介の頭と脇腹を目がけて襲ってきた。
(牙で突かれたら終わりだ)
総介は、暖炉に向かって飛んだ。そして妖魔の様子を窺いながら、適当に薪を拾った。
片腕で薪の束を抱きかかえる総介に、ゾンビたちが嵐のような三位一体攻撃を仕掛けてきた。殺人爪が、総介の頬と脇腹、そして二の腕を掠める。
 しかし、総介はただ敵の攻撃をかわしているわけではなかった。妖魔を部屋の隅におびき寄せた妖術士は、薪に妖気を込めた。
「妖魔を跡形もなく消滅する地獄の業火よ、覚醒せよ炎滅爆弾(バーニングボム)!」
薪の束が淡い赤色に発光する。それを一本手にした総介は、爪を向けて突進してくるゾンビの鳩尾(みぞおち)目がけて前蹴りを浴びせた。
「グゴッ」
前蹴りの反動で膝をついたゾンビの口腔に薪を突っ込んだ総介は、敵の目を掻い潜る。そして、残りの妖魔たちに視線を向けた妖術士は、手にする二本の薪を両手に持ち直すと、敵の心臓目がけて突き刺した。
「ウゴゴッ」と呻き声を上げる三体のゾンビの体が、激しい爆発音と共に炎上した。
妖魔の肉体が炎滅したのを見届けた総介は、「ふぅー」と一呼吸ついた。
まだ始まったばかりだ。扉を蹴破ったゾンビが、ぞろぞろと迫ってくる。
この展開を想定していた総介は冷静だ。再び呪文を唱えた。
「古代より眠りし真紅の魂よ、悪しき者に裁きを与えたまえ、業火暴風(ヘルファイアストーム)!」
両腕を前に出した総介は、空気中に∞を描く。空気摩擦によって発火した炎は、部屋に倒れ込むゾンビたちを飲み込んだ。
「グエェェ」
 絶叫を上げるゾンビの皮膚がグツグツと煮え立ち、ドロドロに溶けだした。
 血臭が鼻腔を刺激した刹那、総介は、この部屋に迫ってくる異常な妖気を察した。弱々しく、完全に闇に染まっていない中途半端な妖気だ。
(なんだ、この灰色の妖気は?)
妖魔になりたてか、もしくは奴らの心にも良心があると灰色の妖気を醸し出す。薄気味悪い妖気が足音を立てて近づいてくる。
総介は魔刃丸を手にすると、呪文を唱えた。
「この世の邪を焼き尽くす灼熱の炎よ、我に力を与えたまえ」
現れた紅蓮の刃が天を指した。
「ウウッ」
 不気味な呻き声がベッドの下から聞こえてきた。仙一郎だ。妖魔との距離が縮まるにつれ、声の張りが大きくなっていく。
仙一郎の異変を察した総介は、廊下側からベッド下に視線を移した。
(いや、違う。このベッドの下からも灰色の妖気を感じる。どういうことだ、そこは仙一郎と執事の二人だけのはずだ)
魔刃丸を握る手に汗が滲む。そして、渾身の力を込めてベッドをひっくり返した一瞬の隙を突かれた。なんと、黒い物体が総介の顔面を襲った。
「グギョオオ!」
妖魔が総介の左頭部に目がけて牙を突いた。しかし間一髪のところを、手甲で頭部を防御した妖術士は、妖魔の左顎を目がけて拳を突いた。
妖魔はチェストまで吹っ飛び、叩きつけられた。
目の前の出来事に戦慄が走った。ベッド下に二人がいない。いや――、いつの間に妖魔が身を潜めていたのか? 
失神している妖魔の顔を見た総介は、驚愕した。
「和泉さん?」
なんと、仙一郎がブロードゾンビに変貌しているではないか。
「大田原さん!」
総介は執事の安否が気になった。しかし、彼の姿どころか気配すら感じないのだ。
「どういうことだ?」
総介は額に手を添え考え込んだ。
窓から侵入してきた三体のゾンビは、ベッドに触れることなく、真っ直ぐ妖術士に向かってきった。正面から堂々と入ってきた複数のゾンビもそうだ。ベッドには目を向けていない。
屍鬼化して間もない仙一郎に一歩歩み寄った次の瞬間、木壁を打ち破る衝撃音が襲った。
木塵で姿がはっきり見えない。どうやら先程から感じていた灰色の妖気を持った者のようだ。
木塵の向こうに見えたのは、朽ち果てた肉体に、血染めのワイシャツにズボンを穿いたゾンビだ。
「ん?」
総介は異変に気付いた。
(この顔、どこかで見たことがあるぞ)
総介は記憶の糸を手繰り寄せた。
「あの写真だ」と、思わず声を出した。
数分前に見た家族写真に写っていた若い男。そう、仙一郎の愛息、誠一だ。
何ということだ、親子揃ってゾンビになるとは……。
総介は呪われた一家を哀れんだ。
2014-11-02 09:06:15公開 / 作者:羽田野邦彦
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■作者からのメッセージ
おはようございます。明治妖魔討伐隊の第一章ロンドンからの帰還(1)(2)を更新しました。宜しくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
こんにちは。感想でなくて申し訳ありませんが、長編を章ごとに分割しての投稿はNGです。利用規約をご一読ください。
2014-11-02 09:37:18【☆☆☆☆☆】天野橋立
計:0点
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