『蒼い髪 36話 囚人惑星』作者:土塔 美和 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 ルカは妻シナカを殺害した異母兄ピクロスに復讐を遂げる。その頃イシュタル星では、ネルガルによる傀儡王朝を築くための準備が着々と進められていた。
全角64385文字
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 話は少し戻る。ここはイシュタルの王宮、王子の部屋。王子の部屋と言ってもネルガルとは違い装飾品どころかこれといった家具もほとんどない。モスグリーンに見える壁はよく見れば小さな花柄のデザインによる。そしてそこにあるのは起き上がることのない主が寝ているベッドと、窓際に侍女ニーナのための椅子とテーブル、壁際にはときおり王妃が見えられた時のための長めのソファが一つ、窓には淡い紫のカーテンがかかっていた。
 主様にはお見えにならないのですが、(決して目が悪いわけではない。能力が強すぎでそのエネルギーによって三次元の感覚を塞がれているだけである)紫竜様の髪の色に近いものをと思いまして。これがニーナがこのカーテンを選んだ理由。
 八歳を迎えたアツチ(この部屋の主)は、起き上がるどころか寝返りすら一人ではできなかった。それでも近頃はニーナの努力も少し報われ、起こしてクッションで支えてやれば座っていられるようになり、流動食もスプーンで喉の奥に流し込んでやれば食べられるようになった。だが食は細い。よって体は小さく八歳とはいえ、見た目は五、六歳ぐらいにしか見えない。

 今朝もニーナはいつものようにドロドロに煮詰めたポタージュのようなものをつくり、アツチの元へ運んで来た。だがその日はいつもとは違っていた。
「主様!」
 何時もならここでポタージュをサイドボードの上に置き,主を起こしてパジャマを着替えさせてから食事に入るのだが、今回は自分で起きていたのである。しかも何にも寄り掛からず足をベッドの下に垂らして座っている。だがその体の位置は不自然。
「どうなされました?」
 こちらの声が聞こえるはずはない。だがテレパシーは、私が心配している心の声は、聞こえているはずだ。
 アツチはゆっくりニーナの方へ顔を向けた。否、そのテレパシーが伝わって来た方向にと言った方が正確かもしれない。
 ニーナは慌ててポタージュをサイドボードに置くと、不自然な恰好のアツチの体を支えてやろうと歩み始めたが、一歩踏み出したところで動きを止めた。何故か、近寄りがたい雰囲気がある。
「どうなされました?」
(迎えが来る)
「迎え?」
(あいつが、呼んでいる)
「呼んでいるって、紫竜様がですか?」
 ニーナのその問いに返事はなかった。それだけ言うとアツチは重心の傾いている方へと倒れて行く。そもそも体の重心を安定させて座っていたわけではない。能力で強引に体を支えていただけである。その能力を切れば不自然な体勢は自然な体勢に戻ろうとするのは必定。ニーナは慌ててアツチの体を受け止めた。倒れても怪我をすることはない。それでも受け身も取らずただ倒れて行く主を見てはいられない。
「お怪我は?」と問うたところで、いつものように返事はない。
 ニーナはいつもの生活に戻った。一日着ていたパジャマを新しいものに着替えさせてやり、クッションに寄り添わせて流動食を時間をかけて流し込む。何の反応も示さない主、せめて美味しいとか不味いとか言ってくださればそれなりに作り甲斐もあるのだが。肉体は三次元にあっても魂は三次元にない。
 食べ終わると食べ物が胃に落ち着くまで少しそのままの状態にしておいてやる。いくら魂は三次元にないとは言え、肉体は三次元の物である。きちんと栄養をとらなければ。その間にベッドをメイキングする。しかし、迎えが来るとはどういう意味なのだろうと、ふとニーナが手を止めた時である。
 慌ただしくドアがノックされた。こちらの許可も取らずに数名の屈強な男たちが流れ込んでくる。
「あなた方は誰の許可を得て」と誰何する暇もなく、彼らはアツチを取り囲んだ。
「こいつか、イシュタルの王子と言うのは」
 プラスターを突き付け確認をとる男。
「よせ、相手は子供だ。その必要もなかろう」と、その男の乱暴な態度を諌める男。
「しかし、髪が青いと聞いていたが」
「白く染めているのだろう、我々の目を誤魔化すために」
 諌められた男は、青髪と言う恐怖心からプラスターの構えを解くことに納得していないようだが、その男の忠告に従い銃口を下げた。どうやらこの男がここのリーダーのようだ。
 リーダー格の男はニーナの方に向きを変えると、
「おとなしくしていてもらえますか。そうすれば我々はあなたに危害を加えない」
「連れて行け」と言うその男の命令で、二人の屈強な男がアツチの腕を両サイドから掴む。
「どこへ?」と問うニーナに、
「今後のあなたの行動によっては、この少年の命はないと思ったほうがよい。我々はあなたに協力を求める。あなたが協力する限り、この少年の命は保障される」
「取引ですか」
「そうだ」
 十人たらずの男たち、いくら屈強といえニーナの能力をもってすれば数分で片が付く。増してアツチ様の能力に至っては時間すら必要とはしない。それなのに何の抵抗もなさらないということは、
(これが迎えなのですか)と、ニーナは心で問う。
 相変わらずアツチからは何の返事もない。
「わかりました」と、ニーナ。
 ニーナはアツチに答えたつもりだったのだが、男は自分に答えてもらったと取ったようだ。
「話の解る方で助かる」と、男。
「協力ついでにお願いがあるのですが」と、男は背後に合図する。
 この女を抱き込めれば今回の作戦の九割は成功だと上官に言われてきた。
 男の合図を待って男たちの背後からスーツケースを持った者が現れた。ケースをゆっくり床に倒し蓋を開けると、中からアツチより少し大きめな少年が現れる。髪は青い。どうやら地毛のようだ。ネルガル人もイシュタル人も元は同族、同じ遺伝子を持つ。イシュタル人に生まれる青い髪の子供はネルガル人の中にも生まれる。
 線が細く色白のその子供は、どうやら快活に育てられたようではない。アツチ様に似せるためにろくな食事も運動も与えられずに育てられたようだ。無論、野外で遊んだこともないのだろう、皮膚が紫外線によって痛められた形跡がない。
 アツチと呼ばれたその子は頷く。
 男は青い髪の子供とアツチを見比べ、
「八歳と伺っていたが、思ったより小さいな」と、感想を述べた。
「この子も八歳だ。イシュタル語は教えてある」と、ニーナに言う。
「替え玉ですか」
 男はにやりとすると、
「話のわかる方だ。無論、ただとは言いません。それなりの報酬はお支払いいたしましょう」
 金はいくらかかってもよい。ニーナと言う女官を抱き込め。これが上官からの命令だった。
 男の指示で本物のアツチがスーツケースの中に入れられる。
 ニーナが歩み寄る。
 男たちがブラスターを構えて警戒する。
「私の手で」
 リーダー格の男は頷き、男たちを下がらせる。
 ニーナは丁寧にアツチをスーツケースの中にしゃがませるような感じで寝かせると、
(紫竜様にお会いしたらよく話し合われてください。暴力はいけません)
 だがニーナのそのテレパシーにアツチは何も答えて来ない。
 ニーナはアツチの背中まで伸びた白い髪を丁寧に束ねてケースの中に納めてやる。
 背後からその様子を窺っていたリーダー格の男が、
「美しい方ですね。王女かと思いました」
 まさにその美しさに魔女が嫉妬し、永遠の眠りの呪いをかけたような。
「病んでおられなければ、もっとお美しいのです」
「病む?」
 もっとも、自分では寝返りすらうつことが出来ないと聞いていた。平民ならとっくに死んでいただろう、兵役にも付けないような体では。福祉だの介護だの医療だのと言うがそれはお金がある人の話しで、生まれ落ちたところが路地裏では、人一倍丈夫な体と運を親から与えてもらえない限り、まず一歳の誕生日は迎えられない。王子だから生きていられたのだ。それが今のネルガルの現状。人は自分の経験からしか物事を判断できない。よってイシュタルも同様だろうと思うことはこの男の責任ではない。ネルガル人が来ない以前のイシュタルは、どんな姿でも寿命が尽きるまでは生きられた。餓死することはなかった。
「連れて行け」
 この女の気が変わらない内にさっさと事を進めた方がよい。
 ケースの蓋が閉められた時、
「呼吸はできるのでしょうね」と、ニーナは問う。
 もっともアツチ様に空気はいらない。宇宙空間ですら生きていられるのだから。白竜は誕生した以上、自分で死のうと思わない限りどんな状況下でも死ぬことはない。ニーナがそう問いただしたのは、そう問いただすことが白竜の本質を知らないネルガル人にとっては自然だと思ったからだ。あまり抵抗なくアツチ様を引き渡し替え玉ではないかと勘繰られても後が面倒である。
「この子が入っていたのですから。それに船に行けば部屋は用意してあります。この部屋よりましな部屋を」
 この部屋の殺風景には驚いた。これが一星の王子の部屋かと。確かに寝たっきりで動けないとは言え、これではあまりにも酷すぎる。
「さようですか、乱暴には扱わないでください。こちらもこのお子を大切にしたしますので」
 男にしてみれば、何処の馬の骨だかわからない子供、どう扱われようと知ったことではないのだが、
「ご心配にはおよびません。あなたが我々に協力してくださる限り、あのお子は大事に扱われます」
 男は自分で言っていて確証は持てなかった。だが殺されることはない。少なくとも価値があるうちはチューブ付けにしてでも生かしておくだろう。ネルガルの上層部は、この青い髪の子供を使って、イシュタルにネルガルの思い通りになる傀儡王朝を築こうとしている。それには今まで王子の一番近い所で仕えていたこの女の協力がどうしても不可欠だ。この女がこの偽者の王子を本物と認めれば他に誰も疑うものはいない。しかし髪が青くなかったというのはどういう失態だ。情報部の奴らは何を調べていたのだ。だが、それもよかろう、髪など染めればよいのだから。それよりこの女の証言だ。本物の王子を質に取っている限り、この女が逆らうことはないだろう。と、男は今までのこの女の態度から見てとった。

 アツチと入れ替えに国王夫妻が入室して来た。あと問題はこの国王夫妻の態度だが。既に夫妻にはネルガルの手が回っていた。我々に協力しなければイシュタルに宣戦布告すると。布告の理由などどうでもよい、何とでもこじつけられる。ネルガルがこの銀河の中心であり法律なのだから。今ネルガルと戦ったところでイシュタルに勝ち目がないのは必定。負け戦を進んでやるほど彼らは愚かではないだろう、イシュタル国がなければイシュタルの王も存在しないのだから。傀儡であろうと我々に協力すれば王であり続けられる。どんな愚かな奴らでもそのぐらいの計算はできるだろう。だが、そう考えるのはネルガル人だけだと言うことを彼らは知らない。イシュタルの王は民の苦悩を優先する。解放戦争をした方が、民が幸せになれるのか、それともこのままの状態の方が解放戦争をするよりましなのか。そこに名誉だの名声だの地位だのという考えはなかった。彼らのボイ星と同じ、国民の代表でしかないのだから。ただただ民の幸せ。否、それよりなによりビャクに対する迷惑が優先する。難民となり宇宙をさまよっていたイシュタル人を、この星に受け入れてくれたのはビャクなのだから。彼らにこれ以上の迷惑をかけるわけにはいかない。

 王妃は部屋に入るなり驚いた。ベッドに座っているのはアツチによく似た青い髪の少年。アツチの姿はどこにもない。
「ニッ、ニーナ。アツチは?」
 取り乱しかけた王妃を王はしっかりと抱える。
「それをこれからご説明いたそうと思いまして」と、男。
 実際、この王宮で王子の姿を見たことがある者は極少数だ。平民に至っては王子様がお生まれになったと言う噂は聞いても、その姿を映像ですら見た者はない。報道で一度もそのお姿を流されたことがないからだ。もっともあのような状態では誕生日を祝うと言う訳にもいかなかったのだろう。それがこの作戦をいっそうやりやすくした。既にアツチ王子のことを知っている閣僚たちは、金と脅しで口封じが済んでいる。それで封じられなかった者は永遠にその口を閉ざすことになった。
「アツチ王子は我々がお預かりした。あなた方が我々に協力してくださるのでしたら、アツチ王子はネルガルで他のネルガルの王子たちと共に健やかにお育ちになられます。それとあなた方の地位は安泰です」
「それは、本当ですか、アツチは」と、王妃。
 王妃はその男の言葉を信じたようだ。否、信じるしかないと思ったのかもしれない。
「本当でございます、王妃様」と、男。
 男は我ながらよくいけしゃあしゃあとこんな嘘が言えたものだと感心する。おそらくあの子供は何処かの牢獄に監禁されることになるだろう。そして永遠に日の光を見ることはない。用が済めば闇から闇に葬られる。だがそれを言うならこの状態も似たようなものだ。誰にも会わせることなくこの何もない部屋に軟禁されているのだから。あの様子ではわざわざ手を下さなくともそう長くは生きられまい。救世主と期待されていた王子があのような状態では、国民に見せるわけにはいかなかったのだろう。そして後の方は真実である。これは男も保障できた。我々に逆らわない限りイシュタル王朝は永遠に続く。ネルガルが沈まぬ太陽のごとくに。

 ニーナは偽のアツチに近づくと、
「髪を白く染め、ベッドに横たわっていただけませんか。アシア王女様の手前、急に起きられても不自然ですから」
 アツチの妹アシア王女は五歳になられた。聡明で快活な姫である。ときおり王妃様とご一緒に遊びに見えられては声を掛けてくださるのですが、アツチは一度も反応を示したことがない。今では王女も兄はこういうものだと諦めておられるようだが、それでも何かあるとここへ来て報告してくださる。ここに見えられた時は、アツチの醸し出す雰囲気に怯えながらも必ずアツチに声をかけた、何時か暖かい反応してくれるのではないかと期待を込めて、けなげなことだ。
「それに、姫様がお声をかけられても、決して反応なさらないでください。折を見て姫様と会話ができるようにもっていきますので」
 青い髪の少年はリーダー格の男に視線を送る。
 男は考え込むように頷いたが、
「これからは、この女官の言うとおりにしろ」と、少年に命令した。
 少年は言葉で答える代りに頷く。
 そう言えばこの少年の声をまだ聞いてはいないとニーナは思った。余計なことは喋らないようにしつけられているのかもしれない。
「それでは以後のことは全てあなたにお任せいたしましょう。私は暫く大使の護衛と言うことで大使の近辺におりますので、何かわからないことがありましたら何時でも声をかけてください」と、男。
 どうやらこの計画が軌道に乗るまではイシュタルに在籍しているようだ。
「失礼ですが、お名前は。まだ伺っておりませんが」
「これは失礼いたしました。私はヴァン・デル・ヴェルデと申します」
「デル大佐とお呼びすればよろしいでしょうか」
 ニーナは彼の胸の階級を見てとって伺う。
「ええ、それで。あなたの方は?」
「私はニーナでかまいません。イシュタルには地位も階級もありませんので」
 ついでに名前もと言いたかったのだが、それは止めた。言えば説明が必要になる。ニーナと言うこの名前は数万年前、まだ私たちがネルガルに居た頃、主が付けてくださった名前だ。以後、転生して主とかかわった時だけこの名前を使っている。
「さようですか。しかし、あなたが話の解る方で本当に助かりました」
「こちらこそ、協力は惜しみませんので、どうかアツチ様や国王夫妻、アルア王女様には手荒なことはなさらないでください」
「それは、もちろんです」
 お互いにこう言っておけばという目論見があるようだ。取引は成立した。
「引き揚げるぞ」と、デルは部下たちに指図する。

 偽のアツチを残し全員が引き揚げた後、王妃が不安げな顔をしてニーナに歩み寄って来た。
「塵一つ残さずと言いたいところですが、盗聴器が仕掛けて行ったようですね」と、ニーナは聞こえよがしに言う。
「えっ、盗聴器が!」と、王妃。
 どう対処してよいか、不安げである。
「心配には及びません。何も彼らに隠すようなことはありませんから」
 王妃は青い髪の少年を見ながら、
「アツチは本当に大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫です。例え宇宙空間に投げ出されても死ぬようなことはありませんから」
「何処へ行かれたのかご存知ですか?」
 王妃も連れて行かれたとは言わなかった。自ら出かけられたのではないかと思っている。
「M13星系第6惑星です」
「彼らが、そう言ったのですか?」
「いいえ、これは私の勘です」
 勘などではなかった。既に白竜様と紫竜様に関する四次元のベクトルは、その方向を指し示している。三次元が動き出す前にその思念の世界である四次元は動き出している。あの二人を取り巻く思念がM13星系第6惑星を指し示しているのである。ニーナの能力はそれを捉えていた。



 そしてここ(傍受室)に、ニーナのその勘に驚いた者がいた。
「デル大佐」
「何でしょうか、閣下」
「随分、余計なことまで喋ったようだな」
 盗聴がはじまったのはデルとニーナの会話の途中から。二人の親しげそうな会話を、閣下と呼ばれた男はこの部屋で聞いていた。ここはイシュタル王宮の一角、ネルガル人のために宛がわれたところだ。宛がわれたとは言え、ここはイシュタル王宮でも一番よいところである。なにしろ今は彼らがイシュタルの支配者なのだから。表に出ないのは次期早々、もう少しイシュタルのエリートたちをネルガル式に教育してから。その方がより効率的にイシュタルを支配できる。どの民族も他の民族に支配されるのは好まない。だが同じ民族同士なら、自分たちが尊敬する者に支配されてもさほど苦だとは思わない。例えその者がネルガルを尊敬していて、我々の言いなりになっていても。ネルガル人たちは過去の経験から、出来るだけ間接的な支配体系を望むようになっていた。イシュタルのエリートたちには既存権利を保障した上で鼻薬を十二分に効かせればよい。彼らにかけた費用はイシュタルからの搾取によって十二分に補ってもらう。それがネルガル人の考え。取れるだけ取ってしまえば、もうこの星にも用はない。後はイシュタルが衰退していこうと。後は洪水、野となれ山となれだ。
「私は何も」と否定するデル。
「では、どうして彼女があの小僧の行先を知っているのだ」
 それにはデルも首を傾げざるを得ない。だがその答えは直ぐにわかった。彼らが納得しかねる会話から。



「勘ですか」と、がっかりする王妃。
「勘と言ったのはまずかったですね。能力と言うべきでした。私には何万光年離れようとあのお二人の位置は直ぐにわかるのです」
「もう、その星に行ってしまわれたのですか」
「いいえ、まだこの星におります。ですがエネルギーの方向がそちらを指しておりますから、おそらく近いうちにその星に発たれるかと存じます」
「これがあなたの能力なのですね。私は母であってもあの子の位置を知ることすらできません」と、寂しそうに言う。
「王妃様、この方をアツチ様だと思われて大事にしてやって下さい。そうすれば必ずアツチ様はここに戻られます、今より精神的に成長なされて。よく言うではありませんか、かわいい子には旅をさせろと。この部屋の中に居ては駄目なのです。やっとご自身で動く気になられたのですから、戻られるのをお待ちいたしましょう」
「そうだな、紫竜様とご一緒に」と、国王。
「そうですね、そうなってくだされば一番良いのですが」
 ニーナの心配の種はそこだった。逆に喧嘩をし、今以上にこじれてしまうのではないかと。やはり私も付いて行くべきだったのだろうか。



「どういう意味だ?」
「何がでしょうか、閣下」と、デル。
「会話がおかしくないか。あれではまるであの小僧が自ら出て行ったような口ぶりだ。我々に拉致されたとは思っていない。それにあの女の能力とは?」
 イシュタル人には特殊な能力があるとは聞いていた。ただそれがどのようなものか知る者はいない。
「奴らは、あの小僧が戻って来ると本気で思っているのか」
 閣下と呼ばれた男の質問に答えられる者はこの部屋にはいなかった。確かに会話はおかしい。それに二人とはどういう意味だ。
「ヴァン・デル大佐」
「はい、閣下」と、閣下に名前から呼ばれたデルは緊張して、直立不動の形を取る。
「暫くここに滞在して、あの女の様子を探れ。本当に我々に協力する気があるのかどうか」
「畏まりました、閣下」



 また会話が始まる。どうやら王妃たちは部屋を出て行ったようだ。髪を白く染められた偽のアツチ(これからは彼をアツチと呼ぶ)は、ベッドに座った。
「そんなに緊張することないわ」と、ニーナ。
「あなたと私だけの時は演技をする必要もありません。偽者だと言うことは知っているのですから。ただ、アルア姫様の前ではしっかり演技をしてください。あなたが偽者だとばれないように。姫様はまだお小さい。聡明とは言え、大人の都合による嘘には付いて行けないでしょう。こう言ってしまえばあなたも同様ですが」
 この子も八歳、まだ母親が恋しい年頃だ。それを一人で何も知らない世界に放り出すなど、ネルガル人は何を考えているのだろう。イシュタルでは十歳までは母親の元、母親の属するグループがその子を大切に育てる。そして十歳頃を境に今度は子供が親を選ぶのである。親というよりもは人生の師匠と言った方が正しい。親に選ばれたものは自分の持ちうるものを全てその子に教える、技術から思想まで。それがその子から親として尊敬された礼である。技術の出し惜しみはしない。特許によるパイの争奪戦がないからだ。一部の者の生活水準の向上より星全体の知的財産の向上を目的としている。イシュタルはボイと同じ。否、ボイ星がイシュタル星と同じ社会体制を執っていたのだろう。そしてその子は、自分の成長と共に親を何回でも替えられる。そうすることによってより高度な知識を一対一で学んでいくのだ。そう言う意味ではアツチの旅立ちも育ての親を探しに行ったとも言える。そしてこの子がここに来たのも、国王夫妻や私を親として人生を学びたいとも取れる。少なくとも人生の師匠として恥ずかしくない振る舞いはいたしましょう。しかし、言っておくことだけは言っておかなければ。
「姫様には言っていいことと悪いことの判断がまだおつきになりません、正直なお方なもので。あなたが偽者だと言うことが、どれだけ自分の身を危険にさらすことなのかも理解できません。ですから姫様の前ではきちんと演技をしてください。もし姫様の身に何かありましたら、私は決してあなた方を許しません」
 これは目の前の少年に言ったというよりも、盗聴している者たちに言ったようだ。



 閣下と呼ばれている男は舌打ちした。
「なんなのだ、あの女は。自分の今置かれている立場を理解していない。こちらがその気になれば」
「閣下、ご立腹は重々承知しております。しかし、今彼女の協力を得られなければ」
「わかっておる!」
 閣下と呼ばれている男は怒鳴った。
 部屋に居た者たちは全員首を引っ込めた。ここはこの男の独断場である。逆らうものは容赦しない。



「横になられますか」と、ニーナ。
 既にパジャマは着ている。少年は何も言わずにただ横になっていればよいと上の者から言いつかって来ていた。
「毎日横になっているだけでは疲れるでしょうから、私と居る時だけは起きていてもかまいませんよ」
 ニーナはそう言いながらサイドボードの食器をかたづけ、ふと気づく。
「そう言えば、食事は?」
 主は食べて行ったが、もっとも食べなくとも幾らでも空間からエネルギーを取ることができるのだから心配はいらない。だが、この子は。
「ケースに入れられる前に食べて来ました」
 初めてこの子が口をきいた。
「話せるのですね、安心しました。でももうお昼になります。何か用意いたしましょう」
「昼は食べないと伺っております」
「ええ、ですから王宮の厨房に注文するのは無理ね、出前を頼みましょう」
 そんなことしたら。と、少年は思ったのだが。
「お子様向けのランチでいいかしら」
 そう言うと目の前にダイニングセットが現れた。何処から? と思っていると数分後、子供が好きそうな料理が数品。
「どうぞ」と、椅子を勧められ、少年はどうしたらよいか迷った。
 ここで閣下に伺いをたてるわけにもいかない。これからは自分で判断しろとも言われてきた。食べてもよいものかどうかと悩んでいるうちに、その美味しそうな匂いに体が答えてしまった。グッグググーとお腹が鳴る。慌てて腹を押さえ込んだが遅い。
 ニーナはにっこりすると、
「お腹の虫の方が正直ね。さあ、どうぞ」
 少年は促されるままにテーブルに着き食事を始めた。一口、口にすれば発育盛りの少年、もう止まらない。いままでろくに食べさせてもらえなかった分、がっつくように食べてしまった。
「美味しかった?」
「うん」
 少年は初めて子供らしい笑顔で答える。
「デザートもあるのよ」
 ニーナがそう言うと、今まで少年がきれいに食べてしまった食器が消えアイスクリームの盛り合わせが現れた。
 少年は驚いたようにニーナを見る。まるで手品だ。
「どうぞ」と、ニーナに勧められ、それもパクパクと食べてしまった。
 ニーナはそんな少年の姿を見て、
「いいわね、やはり子供はこうでないと。主様も、何時かはこのように食してくださるのではないかと期待していたのですが」
 とうとうその姿を目にすることはなかった。否、戻られれば今度はこのように食してくださるのでは。
 食べ終わるとまた食器はきれいに消えた。何処へ?
 少年が疑問に思っていると、それを察したかのようにニーナが答えた。
「食器は注文したレストランに返しました。ついでにお金も支払いました。誰にも気づかれないように。このテーブルと椅子は主の許可を得て竜宮から持ってきました。以前よく主が使っていたものです」
 その時、相対して座っているのは私ではなく紫竜様。そのことはニーナは口にしなかった。
「竜宮?」と、少年が首を傾げる。
「お聞きになっておりませんか。ここから二十キロ先にある湖の底に竜宮があると言うことを」
 そういう噂があると言うことは聞かされていた。イシュタル人はそれを信じているとも。だからお前も話を合わせろと。
 どう話を合わせてよいか迷っている少年に。
「ネルガルの方々は随分あの湖底を探索なされたようですね。でも何も出て来なかった」
「伝説だと聞かされております」
 白竜の童話も読まされた。イシュタル人の立場から。
「あれは見る人が見れば見えるのです。現にこうやって家具は存在するのですから」
 しかし、これをあの湖底から持って来たという保証はない。と少年は思った。隣の部屋から運ばせてもそれまで。だが運ばせたとしてもどうやって? 瞬時に現れた椅子とテーブル、物質転送装置でも使ったと言うのか、それではSFの世界ではないか。これだけ科学が発達していてもまだ物質転送装置なるものはネルガル星では開発されていない。
「湖底には粒子として存在しておりますから、それをここに移動させただけです」
 粒子なら四次元を通ることができる。
 少年にはニーナの話しは理解できないようだ。不思議そうな顔をする少年。
「まあ、その内に解るようになります、この星の習慣になれれば」
 どんなにその星の文明を破壊したところでその民族の持つ根本的な思想を破壊することはできない。いつか国が納まればその思想はまた復活して来る。その民族が絶えない限り。



 だがこの話が理解できなかったのは少年だけではなかった。
「どういう意味だ? あの湖底はさんざん調査したはずではないのか、それなのに椅子、テーブルがあったとは。どこか古代王宮に通じる扉があるのではないか」
 それに答えたのは情報部の男。
「あの湖底からは遺跡一つ発見できませんでした」
 最初ネルガル人がイシュタルに来て真っ先にやったことは、伝説に眠る古代王朝の財宝捜し。湖は特定できたのだが、探せど探せどそれらしきものは出て来なかった。それこそネルガルの全科学力を結集しても。
 閣下と呼ばれている男は何度目かの舌打ちをした。
「まあよい。そのうち解るというのだから、時期が来れば手品の種明かしでもしてくれるのだろう。そんなことより今は、この計画を軌道に乗せることだ」



 そして次の日、案の定アルア王女が遊びにやって来た。心配になった王妃が一緒に付いて来た。
 ニーナは急いでアツチをベッドに寝かせると、
「何の反応もしないでください、それが何時もの事なのですから。目は明いていても閉じていてもあなたのやりやすい方で」
 アツチの用意が整うと、ニーナは何時ものように窓際の椅子に腰かけ編み物を始めた。古いショールを編みかえしているのである。
「お兄様、今日は」
 開口一番、元気な声である。
「今日は、姫様」
 アツチの代わりに答えたのはニーナだった。
 王妃が心配そうにアルアの後から入って来た。
 ニーナはそんな王妃に対して心配いりませんと言う感じに頷いて見せる。
 アルアは小さな花束を持っていた。どうやらアツチのために野で摘んで来たようだ。
「ニーナ、これ」と、その花束をニーナの方に差し出す。
「お兄様がお好きだと聞いたもので」
「矢車草ですか、もうこの花が咲く季節になったのですね。この部屋の中にばかりいると季節に疎くなってしまいます」
 ニーナはそう言いながら、
「本当はこの花がお好きなのは紫竜様なのですよ、アツチ様にはお見えになりませんから」
「そっ、そうなのですか」と、アルアはアツチに喜んでもらいたくて摘んで来たのだろう、期待が外れて寂しそうな顔をした。
「ですが、姫様のそのお気持ちはよく伝わっていると存じます」
「どう言うお気持ちなのでしょうね、何も見えない聞こえない匂わないと言うのは」と、アルアはアツチの心を推測してみる。だが自分にはまったく推測できない。
「まったく見えない聞こえない匂わないというわけではないのです。遥か彼方にそれらしき気配を感じるとでも言えばよいのでしょうか」
「こんなに近くにあるのに?」と、アルアはアツチの鼻先に花を差し出す。
「ええ、そうです」と言いながら、ニーナは水の入った花瓶を手中に出す。
 それをサイドボードの上に置くと、アルアから花を受け取り花瓶に挿した。
 この花が鼻先にあってもサイドボードの上にあっても野に咲いていても、アチツにとっては同じ位置にあるようにしか感じない。四次元の距離。近いようであって遠く、遠いようであって近い。ただその花に込められた想いが強ければ強いほど近くにあるように感じられる。そんな空間にアツチは居る。
 アルアはまじまじとアツチを眺める。アルアにも能力はある、ニーナには遥かに及ばないが、この空間の違いを読み取るぐらいは。
「お兄様、少し変わりません? そう言えばこの部屋の雰囲気も。いつもでしたら怖いほどの冷たさを感じていたのですが、今日はそれがありません」
 王妃は娘の感覚の鋭さを心配した。やはり本当のことを言って。そんな王妃をニーナは目で優しく制すると、心得たかのように、
「やはり、お気づきになりました?」と、アルアににっこりとほほ笑む。
「何か、あったのですか?」
「実は」と、ニーナはさも大切な話をするかのように声を落として、
「紫竜様が、お見えになられたのです」
「えっ! 紫竜様が!」と、アルアの驚きは尋常でなかった。
 よほど待ち焦がれていたのだろう。
「何処におられるのですか、私もお会いしたい」
「それが、お見えになられたと言っても魂だけなのです。否、意志と言うべきでしょうか」
 それを聞いてアルアはがっかりする。
「まだ、おられるのですか」と、アルアは第六感を集中させて部屋の気配をうかがう。
 だが何も感じられない。やはりニーナさんぐらいの能力が無ければ駄目なのかしら。
「いえ、直ぐに帰られてしまいました」
「帰られてしまったのですか、直ぐに」
 ニーナは頷く。
「あちらがまだ、お忙しいようなのです。ですが、髪の毛を置いて行かれまして、それで今、ショールを編みかえしているところなのです」
 古そうなショールをほごし、新しい糸とともに同じように編みかえしている。
「紫竜様の髪の毛を編み込んだこのショールを掛けてやると喜ぶのです」
 現に王妃はアツチが赤子の頃、むずかるこの子にあのショールを掛けてやると、すやすやと眠りだす光景を幾度となく見ている。
「やっと新しい髪の毛が手に入りましたから、編みかえすことができます」
「でも、魂だけでも会いに来てくれてよかった。こんなにお兄様の気が穏やかになられて」
「そうですね」
「早く、魂だけではなく体ごと会いに来てくださればよいのに。そうすればお兄様も起き上がれるようになりますよね。お兄様とお話がしたい」



 この一部始終を盗聴していたネルガルの情報部は、またまた首を傾げることになってしまった。
「どういう意味だ? 魂だけとは。その紫竜とは幽霊ででもあるのか?」
 さぁー? と、周りの者たちはますます首を斜めにひねった。半植民地化してかれこれ二百年近く経とうとしているが、イシュタル人とまともに会話をしたネルガル人は少ない。いつも上からの命令口調である。原住民を甘やかすと反乱の元。これが幾多の植民惑星を支配して来たネルガル人の基本思考。よって幾ら同族とは言えイシュタル人にも同じ態度を取って来た。否、最初は同族だったと言うことすら知らなかった者が多い。否、今でもそれを知る者は極一部だ、科学的に興味のある者ぐらいで後の者はそれを知ろうともしない。神は悪戯がお好きだ。こんな宇宙の辺境の惑星に我々と同じような姿をした生物をお創りになるのだから。これが最初にこの地を踏んだものの感想だった。姿は似ているが知性は遥かに遅れている。大自然に溶け込むように暮らしているイシュタル人の生活は、ネルガル人の目には猿に毛が生えた程度にしか見えなかった。町はあるものの、これと言った科学力は見当たらない。我々の力で産業革命を、彼らの生活水準を向上させてやろう。イシュタル人にしてみれば余計なお世話だ。
 会話を聞けば聞くほど解らなくなるイシュタル人の実態。
「まあ、よい。アルアと言うガキも騙せたようだから。まあ、ばれるようなら始末すればよいことだ。引き続き監視を続けろ」



 あれから数日が経過した。ここへ来て朝、昼、晩としっかり食べるようになったアツチは、すっかり健康的になった。そして以前のような冷たい空気が部屋から消えたせいか、アルアも入りやすくなったと見え、ちょくちょく遊びに来るようになった。
「お兄様、少し太られたみたい」と、アツチの顔を覗きこみながら言うアルア。
「そうですね、近頃少しずつですけど、食べるようになりましたから」
 やっと健康的な子供らしい姿になって来た。
「そう言えばスープの量が増えたと、厨房の人たちが喜んでいました」
 おませなアルアは大人たちの会話に入りたがる。おかげでアルアを通して周囲の人たちがアツチをどう見ているのか知ることができた。
「そうですか」と、ニーナ。
 朝だけはスープにしてもらっている。いきなり食生活を変えるのも変に思われるから。ただし昼食と夜は食べたいものをニーナのテレパシーに反応したレストランから取り寄せている。
 半年から一年かけて少しずつ変わった振りをして、偽者のアツチを本物のように皆さんにお披露目しようとニーナは考えている。





 一方、本物のアツチを詰めたスーツケースはその日のうちに某宇宙船に運ばれていた。その宇宙船は出稼ぎ労働者専用船となっているが、数十世紀前の奴隷船と何ら変わりはない。無理やり家族から引き離された子供や若者たちは、高度な労働が出来そうな者は途中の労働市場で降ろされる。ここで労働契約と言うが右も左も解らず言葉さえ解らない彼らにとっては逃げようもない。よってその契約は斡旋料として仕事を紹介した者と雇い主との間で行われた人身売買も同じ。そして後に残された何のとりえもない者は全員、M13星系第6惑星に連れて行かれ、そこで死ぬまで鉱物の採掘にあたる。別名砂の星または囚人の星と言われているその惑星には、ネルガルからは大量の犯罪者が送り込まれて来る。そこは砂の星、収容所から逃走したところで十日と生きることは出来ない。
 そのスーツケースはイシュタルの王子のために用意された一室に運ばれた。アツチのことをイシュタルの王子とは言うものの、彼らは自分たちの王族以外を王とは認めない。よってアツチに用意された部屋は、航行中不祥事を起こした者を監禁しておく独房と一つだった。
「ここなら逃げ出すこともあるまい。と言ったところで自分では動けないそうではないか」と、艦長。
 この船は民間船を装っているが軍の特殊任務を宛がわれている。よって乗組員は全員軍人。宇宙船も巡洋艦を改装したものでいざとなればこの船で戦うことも出来る。
 屈強な男がゆっくりとスーツケースを床に置く。さすがに独房、男が三人も入ってはきついぐらいだ。
「開けろ」
 艦長の命令でケースが開けられた。
 中を見て艦長は驚いた。白いパジャマを着た白い少年。否、少女か? 白い長い髪にシミ一つない白い肌。白一色で色が無い。だが、それよりなによりその少年が淡く輝いて見える、まるで後光を発しているかのように。馬鹿なと、艦長は思わず自分の胸の中に浮かんだ、神に接したかのような感覚を、首を振ることで払いのけた。だがその輝きは一瞬だった。目が慣れると次第に見えなくなった。やはり気のせいか。余りの色のなさに錯覚したようだ。しかし美しい。本当に男なのか。
 あれの輝きが生体エネルギーだと言うことをネルガル人は知らない。どんな生物でも生きている限りは持っている。多かれ少なかれ輝いているのだが、生き生きしていると感じ取れても見えたと言うほど実感はできない。ただアツチはこれが強すぎる。強すぎるが故に五感が使えないのである。そしてこのエネルギーは体臭と同じ、体臭が慣れると臭わなくなるのと同様、このエネルギーも強いて意識しないと見えなくなる。
「この子が、イシュタルの王子なのか?」
「そのようで」と、スーツケースを運んで来た男。
 この船にイシュタルの王子が乗っていることを知っている者は極わずか。
 ケースの中でぴくりともしない子供を見て、
「睡眠薬でも使ったのか?」
「いえ、寝てはおりません。自身では何もできないようです」
 そう言いながら屈強な男は子供をケースから軽々と抱え出し簡易ベッドに移す。
 艦長はその子供の顔を覗きこみ、
「殿下」と、呼びかけて見る。
 だが何の反応もない。
「呼びかけても、反応を示すことはないそうです」
 一応一通り、イシュタルの王子についての情報をもらってはいたが。
「まるでこれでは植物人間だな。食事は?」
「流動食のようです」
「誰か、世話をする者が必要だな」
 誰にともなく言う艦長。どうせなら同じイシュタル人がいいか。収容した中に手頃な者がいるだろう。
「しかし、こんな状態でよく今まで生きていたものだ」
「ニーナとか言う侍女が付きっきりだったようで」
「砂の星まで持ちますかねェ」
「上からは、死んだら死んだでかまわんと言われている」





 M13星系第6惑星。荒涼たる砂の原野、鉄分を多く含むためか赤茶色に見える砂、時おり吹き荒れる砂嵐によって美しい風紋が描かれている。空気は窒素が主成分だが酸素もほどよく含まれているため酸素マスクはいらない。空は常備どこかで起きている砂嵐のせいか砂塵が舞いどんよりとした黄色に見える。それがまれに澄み渡る時がある。その時、遥かかなたにはその赤い大地と黄色い空を分ける地平線がくっきりと浮かび上がる。その地平線の一角、原野を地上カーで暫く行くと広大な岩場がある。遠くからは砂丘に見えた山々だが実際は脆い岩でできている。その上に砂が化粧砂糖のように覆いかぶさっている。足を踏みかけただけで崩れてしまう岩。崖縁はかなり危険である。その岩場の一部に人為的に抉られた場所がある、そこが鉱物の採掘現場である。この惑星は鉱物の宝庫。このような場所が他にも数か所存在している。その採掘の担い手はネルガル人によって送り込まれた囚人や捕虜。彼らの間ではこの惑星は別名、死の鑑別所、人生の終着駅と言われ、ここへ送り込まれた者は決して生きてこの惑星を出ることはなかった。ここの惑星の囚人の多くは、ネルガル星の社会に害をなすと見なされる政治犯で、中には政権争奪戦で敗れたり仲間同士の陰謀や策略によって罪人にされた者もいる。また捕虜の多くは、植民惑星でネルガル人のやり方に反抗し反乱を起こした者たちである。そしてイシュタル人のようにただの頭数で連れて来られた者もいる。
 採掘現場はSF映画の怪物を想像させるような巨大な重機があちらこちらに点在し黒い影を落としていた。それが夜明けと同時に動き出す光景は、巨大な寄生虫に宿主が食い荒らしているかのようにも見える。可哀そうに宿主は鉱物という血を垂れ流してもがき苦しんでいる。それを何も出来ずに傍観しているような心境に陥る。
 ここまで貪欲に貪らなくとも生きられるのではないか、イシュタル人たちはそんな心境でその巨大な重機を眺める。
 彼らは夜明けとともにここへ連れて来られ日が暮れるまで、黙々と採掘に従事する。さぼっていれば容赦なく電光鞭が飛んでくる。乾ききった空気はどんなに重労働を課せられ汗をかいても汗が流れ出すということはない。かくと同時に蒸発してしまうからである。日中の温度は五十度を超す。さすがにこの気温の中での重労働は無理である。午後からは岩の下の洞窟に降りて行き別な鉱物の採掘に当たる。洞窟の中は光が当たらない分冷え冷えとしている。定期的に与えられる休憩時間は全員、死んだように眠る。逃亡などとは考えにも及ばない。なぜならここから離れれば砂、砂、砂。そして日が沈めば気温は一気に下がりマイナス二十度を下回ることもある。これでは逃げたところで一日と生きてはいけない。無論、反乱という手もあるが、収容所をまるまる占拠しない限り自分たちが生きる術はない。占拠したところでそれがネルガル本星に知れれば一切の補給物資が打ち切られることになる。この星で自給自足はできない。後は死を待つばかりになる。そのことは幾度となく繰り返された過去の経験から誰もが知っている。この収容所から逃亡するには外部からの援助が不可欠である。外部との繋ぎが付かない限りやるだけ無駄。そのことは監視官も知っていると見え、見回りはずさんである。


 今日もいつもと変わらず暑い一日が始まった。
「どうにかならないのかよ、あの太陽」と、手をかざしながら空を睨み付けるユーカス。
 だが太陽と言ってもこの惑星から太陽までの距離はかなりあり、肉眼ではその輪郭を捉えることはできない。それなのに何故この惑星がこんなに暑いのか、そこには宇宙が生み出す不思議があった。弱い太陽光はこの惑星に直接届くのではなく、一旦、太陽とこの惑星の間にある特殊な層、言ってみれば太陽光増幅層とでも言うべき層の中に集められ、この惑星に降り注いでいる。よって太陽はこの惑星では一つの点としてではなく、空全体が輝くパネルのように見える。この光が昼間の惑星の温度をあげるのである。
「だが、あの太陽がなくなれば、否、あの空がなくなれば一気に冷え込むぜ」と、黙々と発破の用意をするミルトン。
「それも、そうだな」
 夜の冷え込みも半端じゃない。
「なっ、なんでこんな星へ来たんだ?」と、ユーカス。
 ミルトンは作業の手を止めてユーカスの方へ振り向くと、
「誰も、一緒に来てくれなんて頼んじゃいないぜ」
「そりゃ、そうだが」
 この二人、出会ったのはとある賭博場。ネルガル人を相手に堂々といかさま賭博をしているミルトンに、ユーカスの目は何故か釘付けになった。シミ一つない白い肌に流れるような紫に髪、その容姿の美しさにだろうか、それともいかさまの手際の良さにだろうか。それとも、
 あいつ、あんなことして見つかりでもしたら、と思っている矢先だった。
 いきなりカードをめくろうとするミルトンの少女のようなか細い腕を、これまた炭坑ででも働いているのかと思われるほどごつい手が鷲掴みにした。
「きっ、貴様、ガキだと思って油断していりゃ」
 腕をひねりあげられるミルトン。
 言わんこっちゃない。とユーカスが助けに入り乱闘。だが、ユーカスの振り出す拳は、最初の四、五回はあたったがそれ以降は何度やっても何故か空振りだった。
 なっ、何? 間合いが間違っているとは思えない。何なんだ、この異常な空間は? と自分の拳を見詰めて立ち止まった瞬間、屈強な男たちにつるし上げられてしまった。
「生きのいいガキじゃないか。これなら相当持つぜ」
 そう言われて連れて来られたのがこの惑星だった。逃げる機会なら幾らでもあった。テレポートを使えばよいのだから。奴一人ぐらい連れて異空間を移動することぐらい、ユーカスには朝飯前だったのだが。
「よっ、何故逃げないんだよ」
「お前ひとりで行けばいいだろ」
「それじゃ、夢見が悪かろー」
 弱いものを見捨てて俺一人だけ逃げ出すなんて。
「じゃ、他の奴を連れて行けば。ここから逃げたい奴は幾らでもいる」
「お前は、逃げたくないのかよ」
「その気になれば、自分で逃げる」
 ユーカスは不思議に思った。こいつの魂の量は普通の奴の半分以下だ。それなのに何故、普通の人間と同じようにいられるのだ。本来これしか魂を宿せなかった肉体は白痴、否、植物人間もいいところだろう。生まれて来れたこと自体不思議だ。魂の宿りきれなかった肉体は流産するのが自然なのに。
「その気になればって、お前に能力が使えるか」
 その魂の量では生きていること自体不思議なのだ。
「使えないと思っているのか」
 ミルトンがそう言った時、ユーカスの回りの空気が風でもふいたかのように揺らいだかと思ったら、襟足の頭髪が散った。
 ユーカスは慌てて首筋に手を当てる。奴が本気だったら、首が飛んでいた。ユーカスはかろうじて見ることが出来たのだ。一瞬だが、奴は剣を振りかざし俺の首下で寸止めしたのだ。その時、剣に接触したユーカスのこげ茶の髪が、首の代わりに落ちたのだ。
 ユーカスは機械人形のようにぎこちなくミルトンから離れる。
 ばっ、馬鹿な。俺も剣の腕にはかなり自信があった。だが今のは、不意を突かれたとはいえ手も足もでなかったなど、ユーカス様の名が廃る。
「どうした、怖気づいたのか」
「馬鹿言え。俺はこう見えても村一番の」
 ミルトンは最後まで言わせなかった。
「随分、弱い奴しかいなかったようだな、その村は」
 むっとするユーカスに、一向におかまいなしのミルトン。その態度がユーカスにはどうにも気にくわない。何か言い返してやろうと思っているうちにこの惑星まで来てしまった。

「何、さぼっている!」
 電光鞭が飛んでくる。避けてもよかったのだが、下手によけて後々面倒になるのも無髄。ユーカスはミルトンを庇うようにしてその電光鞭を自分の体で受けた。うっと言うくぐもった声と同時に、ユーカスはミルトンと一緒に砂の上に倒れ込む。それを見て満足したのか看守は行ってしまった。
「馬鹿だな、何も庇ってくれなくともよかったのに」
 ユーカスはますますむっと来た。
「何も、礼を言えとは言わない。だが、その言い方はないだろう。せめて大丈夫かぐらい聞いてくれたって、罰は当たるまい」
「余計なことをして、煩い奴た」
「なっ、なに!」
「そっ、そこ。何やっている!」
 別の看守がやって来た。
 ユーカスは慌てて仕事をしているふりをする。それに対してミルトンは、
「仕掛けは終わりました。後はボタンを押せばいい」
「そっ、そうか」
 ミルトンはリモコンを看守に渡すと、さっさと次の現場へ移動し始めた。
 何なんだ、あの高飛車な態度は、やっぱり気にいらねぇー。とぼやきつつもユーカスは金魚の糞のように後を追う。

 そして午後は洞窟の中、
「上はいい、暑いのさえ我慢すれば全て重機がやってくれる。だが下は」
 洞窟は狭い上に脆いときていた。幾度となく洞窟が崩壊し生き埋めという事故が起きている。
「その暑さに我慢が出来なくてブーブー言っていたのはどこのどいつだ」
「ここのこいつですよ、わるかったな」
 この二人、傍から見ていると仲がいいのか悪いのかわからない。そもそも何故一緒に居るのかが疑問だ。片や都会的な洗練されたセンスの持ち主。囚人服を着ていてすらさり気ない襟や袖の折り返しが気品を漂わせる。それに引き替えこげ茶の髪の少年の方は田舎丸出し。汗臭さがこれだけ離れていても漂ってきそうだ。これが住む世界が違うと言うのだろう、何処でどう間違って出会ったのか。そんな思いで二人を眺めているイシュタル人にしては珍しいほどの、二メーターを超すたてよこがっしりした大男に、学者肌のほっそりとした少年が声を掛けた。
「また、やってますね。喧嘩ですか」
「私には、相手にされたくて、片方が一方的に噛み付いているように見えるが」
 クラフトはビッキのその答えに久々に笑顔を見せた。
「元気ですね。私にもあの体力を少し分けてもらいたいものです」と言いつつ、大きな溜息を吐く。
 彼らが知り合ったのはこの採掘場でだ。怪我をした大男ビッキに、手当てをしてくれたのがこの少年クラフトだった。聞けば医者の卵。ある人物を人生の師匠と仰ぎ住み込みで勉強していた所、ネルガル人に襲撃された。診療所は破壊され多くの患者は殺された、使い物にならないからと。生き残った医師や看護師たちの多くは捕らえられた。中には逃げ切った者も居たのだろうが今ではその安否を知るすべはない。
「仲間の事が心配か?」
「皆さん、生きていればよいのですけが。目の前でああも簡単に患者たちを殺されては、ネルガル人とはどういう思想の持ち主なのかと思いましてね」
「仲間は無事だろう」
「随分、確信がある言い方ですね」
「医師や看護師は、彼らにとっては幾ら居ても足らないだろうから、きっと重宝されているはずだ」
「それならよいのですが」
 鉱石を掘り出しながらの会話。手を休めることは許されない。疲労で倒れればその場で銃殺、ここでは介護をしてもらえることはない。彼らは消耗品でしかないのだから、幾らでも罪人と捕虜の補充はきく。
「ところで、あなたはどうして囚われたのですか。見ればかなりの能力があるようですが」
 テレポートを使わなくとも腕力だけでも逃げられそうな。
 ビッキはユーカスたちの方に顎をしゃくった。
「私には、魂の色が見える」と、ビッキは目を細めた。
「魂の色?」と言いつつ、クラフトもビッキが見ている方に視線を移す。
「弱いが美しい。私は今まであのように美しい魂を見たことがない」
「あのこげ茶色の?」
 クラフトには生体エネルギーの有り余っているユーカスは輝いて見えた。
「いや、紫の髪の少年の方だよ。もしかしたら紫竜ではないかと思ってな」
「紫竜?」と、クラフトは驚く。
 伝説は知っている。老人からもよく聞かされた。だが今まで一度も会ったことがない。否、会っていても解らないのが普通だと言われてきた。
「どうして、そう思うのですか?」
「勘だよ。だから助けてやろうと思ったら、既にあのユーカスとか言う少年が彼の傍に付いていた。あの少年の能力なら十二分に助けられたはずなのに。ちなみにあの少年は彼の魂の美しさに引き付けられたのではないかな、本人は気づいていないようだが」
「しかし本当に彼が紫竜なら、何も助ける必要はないのでは。紫竜の傍には必ず白竜がいると聞いていましたが」
「確かに。だが見たところ彼は私たちより年下、おそらく十四、五より下かな。そうなると白竜はもっと幼くなるからまだ力が十分にコントロールできないのでは」
「それでしたら眷属が近くにいるはずです。白竜の力が完全になるまで紫竜を守るために」と言いつつ、クラフトはユーカスを見る。
「まさか、あのユーカスとか言う少年が?」
 クラフトのその問いにビッキは首を傾げた。
「確かに魂の色は悪くはない。だが能力が眷属にしてはあまりにも貧弱だ」
 自分の力が目覚めるまで白竜が自分の代わりに紫竜に付ける護衛だ、その力は並ではない。と聞いたことがある。
「まあ、彼が本当に紫竜なら、近いうちに白竜が現れることでしょう。ちょっとした楽しみですね。私は未だかつてまだ白竜様にはお会いしたことがありませんから」
「それを言うなら私もだ。だが会っても話は出来ないぞ、相当な魂を持っていない限り」
「それは覚悟の上です。おそらく私の存在すら気づいてもらえないでしょう、寂しいことですが。でも拝顔するだけでも」


「てめぇーのその生意気な態度が気に入らないんだよ」と、ユーカスの怒鳴る声。
「そんなに気に入らないのなら、あっちへ行けば」と、クールなミルトンの態度。
「てめぇー、俺が手伝ってやってやれば」
 確かにミルトンの倍は動いている。無駄な動きが多いかもしれないが、否、口が、それ以上に仕事もこなしている。
「お前が居ると、俺までサボっているように思われる」
 案の定、
「何やっているんだ、そこ!」と、怒鳴る看守。
 古代ネルガル語で話していては、看守には意味が解らない。些細な会話でも何か悪口でも言っているように聞こえる。ましてそれが怒鳴っているような会話では。
「ほれ見ろ、お前のせいで看守がやって来る」
 看守は二人の前に立つと、
「何、無駄口をたたいている」
「こいつが煩いんだ」と、ミルトンは肩越しにユーカスを指し示す。
 その言葉を看守はどう勘違いしたのか、下卑な笑いを浮かべると、
「ほー、なるほど。なかなかきれいな顔をしているじゃないか。どうだ、今夜付き合うのなら今日の仕事は終わりにしてもいいぞ」と、ミルトンに触れようとした瞬間、
「俺の男に何すんだ!」と、またこれ、勘違いさせるような台詞を吐き、ユーカスは看守がミルトンに伸ばして来た腕を払いのけた。
「きっ、貴様」
 電光鞭が飛んでくる。ユーカスは地面に転がりそれを交わす。看守は力任せに鞭を数回振りまわす。だが当たったのは最初の一回だろう。それでもダメージとしては十分だが、看守はそれ以上に満足してその場を去って行った。
「なっ、何だ? もうこれで終わりか?」
 ミルトンの能力で助けられたことをユーカスは知らない。ミルトンは幻影を操る。看守にユーカスが泣きながら命乞いをしている姿を見せつけたのである。本人が知ればかんかんに怒るであろう幻影を。
「なんだ、もっと殴られていたかったのか? 変わった趣味だな」
「殴られてぇーはずねぇーだろー。俺は殴るのは好きだが、殴られるのは大っ嫌いなんだ」
「それも面白い趣味だ」
「てっ、てめぇー、殴ったろーか」
「どうせ、殴れないくせに。剣技は俺の方が上だ」
 ユーカスはむすっと黙り込む。たっ、確かに、反論が出来ない。こいつの動きは早すぎて付いて行けない。だがそれを認めるほどユーカスの度量は広くない。現実逃避、責任転嫁。
「あの時は、空間がおかしかったんだよ」
 その空間の歪み、実際にはそう錯覚させられただけだが。それもミルトンの能力だとは知らない。
「自分の技のなさを空間のせいにするのか、卑怯な奴だ」
「なっ、何!」
 いきり立つユーカス。
「うるさいな、もう少し静かに仕事ができないのかよ、さもなきゃ、あっちへ行け」
 ユーカスは今までの倍のスピードでシャベルを動かし始めた。ミルトンは呆れたような顔でそれを見る。馬鹿は疲れを知らないのか?
 それからユーカスは黙々と仕事をする。仕事は今までの倍ではきかない、三倍以上の速さでかたづいて行く。ミルトンはマジで呆れた。そんなにネルガル人のために働いてどうするのかと。
 そんなこんなでまた今日も終わった。日が陰り始めると気温は一気に下がる。今までかいていた汗が凍りつくのではないかと思えるほどに。
「引き揚げるぞ」と言う看守の命令で、今日の一日の仕事は終わる。
 今日も終わったかとミルトンは洞窟から出て来て空を眺める。何時まで待てばいいんだ。だが会ったところで俺に何が出来る。

 採掘場から引き揚げるとまずはシャワーだ。水は貴重、よってめいめいとはいかない。横十人ぐらい並ぶような通路を、上からシャワーのように水が落ちてくる。そこを歩いて行くうちに体も洗うようになっている。通路を抜けた所に洗濯された囚人服がサイズ別に置いてある。それをワンセット取って着替えて終わりだ。後はそのまま食堂と言ってもそこで座って食べることはない。食事はチューブ食、食器を洗う水も貴重なため食器はいっさい使わない。トレーに用意されている物を取り各部屋での食事になる。ベッドの上に横になりチューブから口に流し込むだけ、ものの一分とかからない。味もそっけもない食事だ。これでは顎が退化してしまうと言うことからビー玉ぐらいの食べられるガムが一つ。これを味がなくなるまで噛み続け、最後に飲み込む。この食事が一日三回。これに適量の水分。部屋は六人部屋、両サイドに三段ベッドがあり通路の奥に便器が一つ。開放感のあるトイレだ、部屋のどこからでも用を足す姿が見える。部屋の扉は無論、特殊合金、ちょっとやそっとでは切ることも曲げることもできない。
 会話できるのはこの部屋の仲間六人だけ。できるだけ囚人同士の密談が出来ないように図られている。囚人間での暴動が起きることを防止するためだ。よってこの六人以外と会話をするにはシャワーを浴びている時しかない。俗に言う裸の付き合いとはこの事なのかもしれない。
 ビッキとクラフトは同部屋だった、それと四人のネルガル人。イシュタル人とネルガル人は間違って相部屋にされることがまれにある。この場合もビッキの体格を見た看守がネルガル人と間違って同部屋にしてしまったようだ。ビッキは同部屋のネルガル人を見て思った。
「ネルガル人にもあなた方のような人がいるのか」
 一人呟いたつもりだったのだが。
「それはどういう意味でしょうか」と、一人のネルガル人に尋ねられてしまった。
 ビッキが返答に窮していると、
「私の村はネルガル人によって破壊されました」とクラフト。
「そっ、それは気の毒に」と、その後の言葉が出て来ないネルガル人。
「ですから私は、ネルガル人は全てあの看守のような人たちばかりなのかと思っておりました」
「イシュタル人の大半は彼と同じように思っていると思う」とビッキは、気の毒そうに言う。
 相部屋になって気付いたのだが、今ここに居る彼らは我々が思っていたようなネルガル人ではなかった。礼儀は正しいし温厚だ。何で彼らが囚人なのだ? 一体、何をやったのだ?
「そう思っているのはイシュタル人だけではありません。ネルガル人以外の者たちは皆、あなた方と同じように、この銀河で一番低能な蛮族はネルガル人だと思っていることでしょう」と、もう一人のネルガル人が苦笑まじりに言う。
 本人たちにそう言われては後に続ける言葉がない。
「囚人と訊いたが、あなた方は何をしたのだ? こんな惑星まで送られるような」
「何もしていませんよ、強いて言えば他の惑星の社会制度について勉強していただけです。何かネルガルに役に立つものはないかと」
 はっ? とビッキとクラフトは不思議な顔をする。
「それで、捕まったのか?」
「はい」と頷く四人のネルガル人。
「どうして?」
 クラフトは意味が解らないという顔をする。
 イシュタルではこういう人たちは大事にされる。より良い社会を創るためにいろいろと研究してくれる人物は貴重だ。彼らの話し合いの結果、より良くなりそうなら少しずつそれを取り入れて行けばよいのだから。急がずゆっくり時間をかけて。どうせ人類は何億年と生き続けるのだから、そんな一年や二年で。これがイシュタル人の考えである。
 だがビッキはクラフトより少しだけ人生経験が豊富だったようだ。何となく意味が解った。
「両刃の剣と言う所ですか。自分たちの味方をしてくれるならこれほど強い味方はないが、敵に回られてはこれほど厄介な者もいない」
 ネルガル人たちはまた苦笑した。
「どうして敵に回るのですか? あなた方はネルガルの事を思って勉強していたのでしょう」とクラフト。
「私も患者のことを思って、今よりよい治療方法はないかと日々学んでおりました」
「クラフト、それがネルガル人の面白い所なのだ」と、ビッキ。
 ビッキは既にここへ来る前にネルガル人と接していたようだ。
「私たちはただ、国民の苦境を救いたかっただけなのです。ご存知ですか、今、ネルガル星がどのような状態なのか?」
「知るはずありません、ネルガルになど行ったこともありませんから」と、クラフトは何処となく冷たい態度で言う。
 同僚を殺されたと言う思いが、例え彼らがやったのではなくとも、同じネルガル人だと言うだけで彼らを許せなくなる。それが復讐の連鎖を生み出すと解ってはいるのだが態度に出てしまう。今まで同じ部屋だと言うのに口を利かなかったのもそのせい。
「そうですね」と、一人のネルガル人は素直に受け止める。
 彼らの方がビッキやクラフトより年上のようだ、なかなか度量もある。年齢は二十台か。
「餓死者や栄養失調の者が随分いると聞いている」と、ビッキ。
「よく御存じで。誰からお聞きになりました?」
 その事は他言しない。否、他言できないようになっている。特に他の星の者には、ネルガルの覇権に関わるから。そう思いながらビッキを見たネルガル人は、その体躯に納得した。この体で銀河共通語のネルガル語を流暢に話されては、ネルガル人と間違う。イシュタル人は全体的にネルガル人より小柄だ。
「友達からだ」
「友達?」
「テレポートをしてネルガル人に捕まる前にイシュタル星を去った。アヅマと合流すると言って」
「宇宙海賊ですか」
「あなた方からすれば海賊かもしれないが、私たちからすればアヅマは救世主です」と、クラフト。
「確かに」と、ネルガル人も納得する。
 彼らがただのゲリラに身をやつさなければ。
「その友達がどこからそのような情報を得たのかは知りませんが、それは確かです」と、ネルガル人の一人が話し始めた。
「今のネルガルは、兵器の開発にばかり国家予算を当てたが故に、医療も生活保障も、挙句に農業までもが衰退して餓死者が出るありさまです。それでも一握りの者たちは天文的な生活費を浪費し優雅に暮らしているのです。その生活を支えているのが植民惑星からあがって来る利益と、その惑星を植民地化にするために流された貧困階級の若者たちの血。その利益を増やすため彼らはより一層の兵器開発に専念し、新たな政争の火口を見つけているのです」
「それにあなた方は反対したと」とビッキ。
 まるでそれは愚かな行動だと言わんばかり言う。
「そうです」と、胸を張って答えるネルガルの青年。
 ビッキは黙り込んでしまった。今のネルガルのようにならないために教育と言うものがあるのだろうに、ネルガル人は子供(子孫)たちに何を教育して来たのだろう。読み書きもいいが、まずは道徳だろう。三つ子の魂、百までと言うから、三歳までに愛情をたっぷり注いでしっかりした人間としてのルールを教えておかないと。そのルールもただ一つ、命を大切にする。そこから全てのものが派生するのだから。
「もう、ここまでになってしまっては、ちょっとやそっとでは引っくり返せないだろう」
「何も私たちはネルガル王朝を潰そうとは思っておりません。もうこの辺で戦争は終わりにして、国内に目を向けて欲しいと言っているだけなのです」と、やりきれない思いで訴えるネルガルの青年。
「ネルガルもほとほと衰退の道を選んだものだ。あなた方のような人たちをこんな所で一生送らせるようでは。繁栄の道を断ったも同然」
「イシュタルはどうなのですか」
「私たちの星はあなたたちのお蔭でめちゃめちゃです」
「すみません」と、四人のネルガル人は素直に謝った。
「あなた方に謝られても、別にあなた方が指揮しているわけではないのですから」と、余りにも素直に謝られたためクラフトはたじろぐ。
「イシュタルは心配ない。その内、助けが来る」
「白竜ですか」と、ネルガル人。
 どうやら他の惑星の社会制度の中にイシュタル星も含まれていたようだ。
「信じているのですか?」
「私たちをネルガル星からイシュタル星に導いたのも白竜です。また、その宇宙船が動き出したと聞きましたから、準備ができ次第迎えにきてくれます」
「宇宙船?」
 ネルガル人たちには初耳だった。軍の極秘事項で一般の者たちにはまだ伝えられていないのか。何でも防衛のためだと機密事項にされ、国民の選択の自由はなくなって行った。そして知らされた時にはもう選択する余地などない。そうするしかない状態になっている。その結果の繰り返しが今のネルガル星を作ってしまったのである。
「何処にある?」
「聞いても言うはずないだろう」と、他のネルガル人。
「教えてやりたいが、私たちにも知らない。知っていれば今頃こんな所に居ない。とっくにその船に乗り込んでいるよ」
「本当に知らないのか?」
「あの宇宙船は四次元にあるのです。テレポートの使えない者はあの船には乗れないのです」
「あなた方はテレポートは使えないのですか?」
「使えたら、捕まったりしない」
 確かに。とネルガル人たちは頷く。
「では、助けに来ても」
「だからその準備をしているのです。私たちのような者でも乗れるように」
「本当に助けに来ると思うのですか? もしかしたら彼らだけで逃げてしまうとは思わないのですか」
「私たちはネルガル人とは違いますから」
 クラフトは確信を持って行う。
「そこまで上層部の者たちを信じられるのですか。どうして?」
 ネルガル人なら危機が迫ったら上層部ほど我先に逃げ出す。他人のことなどかまっていられない。そんな素晴らしい宇宙船があるのなら、他人を蹴落としたってさっさとそれで自分だけ逃げ出すだろう。
「イシュタルでは強いものが弱いものを助けるのは当然ですから。能力のある者はない者を助けます。自分にできて隣の者ができなければ手伝います。何事も皆でやり皆で平等に分ける。これが社会的ルール。一人だけということはありません」
 皆で分かち合う、技術も知恵も富も。よってそこに貨幣がないと言えば語弊になるが、物々交換が主流のイシュタル人にとって、労働を貨幣で評価するということはあまりない。欲しいものがあれば頼んで作ってもらうか、教わって自分で作るかである。それを買うと言う感覚がない。
「見知らぬ惑星に移住するには、今ほど宇宙開発が進んでいたわけでもない。協力しなければ、死を意味した」
 それがイシュタル人の国民性を形成したのだろうか。否、それ以前から彼らはそうだったのかもしれない。だからネルガル人とは性格が合わず迫害されることになった。一見、自分たちより低能に見えるイシュタル人、だがその本質は我々より高度な知能を持っているのではないかと言うネルガル人の劣等感は、いつしかイシュタル人を目障りに感じ敵意へと変わって行った。





 今日も暑い。景色も単調なら仕事も単調だ。そんな日が続いたある日の事だった。ユーカスは動かしている手を急に止めた。何かが、近づいて来る。ユーカスがその方向に魂を飛ばして偵察に行こうとした時、ミルトンがしかりとユーカスの腕を握り魂を封じ込めた。
 一瞬、体内の気の循環が止まり体の動きが取れなくなったユーカスは、ミルトンを睨みつけ、やっとの思いでその手を振り払う。
「なっ、何すんだよ」
「止めておけ、お前のかなう相手ではない。それどころか少し静かにしていろ。お前の魂は目障りなんだ」
 中途半端な能力。相手にするほどの者ではないが、見えなくもない。この手のエネルギーの持ち主が一番危険にさらされる。見えなければ相手にされることもないが、見える以上目障りだと思われれば雑草のように取りはぶかれる。丁度バクテリアを踏み潰そうとは思わないが蟻はそう思えば踏み潰せるように。まして相手は病んでいる。こちらの常識が通用するか。それが解るまではこういう相手には見つからないように隠れているしかない。蟻も姿を見せなければ踏み潰されなくてすむように。
「いいかユーカス、奴には近づかずにおとなしくしていろ。さもないと殺されるぞ」
 こっ、こいつもやはり、この異常なエネルギーを感知していたのか。もっとも時空を歪めるのではないかと思われるほどのエネルギー、感じない奴はよほどの鈍感か、魂の抜けた死体ぐらいだろう。
 収容所に到着した頃にはイシュタル人の大半が空を見上げはじめていた。それも恐怖を抱いて。
「何なのでしようか、このエネルギー。しかもかなり陰が籠った」と、クラフトは不安げに空を仰ぐ。
 まるで今から嵐が来るように空は陰の気で淀み始めた。
「貴様ら、何処を見ているんだ。さっさと降りろ」と、看守は怒鳴りながら囚人たちを車から降ろし収容所へと向かわせる。
「祟り神だ、祟り神が来る」
 その恐怖に耐え切れず叫びだした者がいる。それをきっかけにイシュタル人の中でざわめきが起こる。
「何、騒いでいる!」と、看守がその男を捕らえ足蹴にし黙らせる。
「いいからさっさとシャワーを浴びて着替えろ」
 イシュタル人たちは重い足取りで歩き出した。

 シャワー室というよりシャワー通路でビッキたちと同室のネルガルの青年が髪を洗いながらユーカスに近づいて来た。
「君、イシュタル人だろう?」
「それが、どうした?」
「ビッキとか言うイシュタル人があなた方を気にしている」
「ビッキ? 知らねぇーな」
「彼だよ」と、そのネルガルの青年は前方にいる大男の方に顎をしゃくった。
「あいつ、ネルガル人じゃないのか?」
「体格で間違えられ私と同部屋になっている」
 体格か、なるほど。とユーカスは感心する。確かにイシュタル人にしてはでかい。
「ところで、祟り神とは何だ?」と、そのネルガルの青年は訊いて来た。
「祟り神?」
「ほら、さっき君たちが騒いでいただろう」
「ああ、あれか」
 あまりの不安に居てもたってもいられず騒ぎ出した者がいた。
「お前、この気を感じないのか?」
「気?」
「すげぇーマイナスの。まるでこの世の終わりのような。惑星自体がだんだん暗くなってきているのを感じないか。例えばこの通路も以前より薄暗くなった」
 ネルガルの青年は辺りを見回す。だが何の変哲もない。
「私には何時もと変わらないように思えるが」
「そうか、お前らには感じ取れないんだな。これは個人差があるからしかたないが」
 こういうのを感じ取れない奴は天災から逃げ遅れる確率が高い。
「胸騒ぎもしないのか?」
「しない」と、ネルガルの青年たちは言う。
 ネルガル人は人工的な産物の中で生活しているうちに、そう言う感覚を退化させてしまったようだ。地震にしろ台風にしろ全て計測機がはじき出す。その情報をもとに行動するようになってから、そう言う感覚を失ったようだ。
「お前、こう言う感覚を持っている奴と友達になった方がいいぞ。さもないと長生きできない」

 そして次の日、暑い日中の仕事が終え洞窟へ移動した時である。
「来た」と、ユーカス。
 気になって気になってしかたがない。
「よせ、殺されたいのか」
「お前、このエネルギーの正体を知っているんだな」
「白竜だ」
「白竜?」
 ユーカスは息を呑んだ。話には聞いていた。だが実在するなんて。ユーカスは驚きと緊張と期待で気持ちが押さえられない。それに対してミルトンは平然としていた。
「白竜って、あの伝説の。本当にいたのか、会ってみてぇー」
「会わないことを勧めるよ。会ったらがっかりする。しかも、かなり病んでいるからな、紫竜が傍にいないから」
「紫竜は君かと思ったが」と、ビッキがユーカスたちの背後から話に割り込んできた。
 ミルトンはむっとした表情でビッキたちを睨むと、
「俺は、あんな奴の紫竜ではない」と、強く否定した。
「あんな馬鹿奴らと一緒にされてたまるか」と言い捨てると、黙々と仕事を始める。
 口ぶりから相当嫌っているようだ。
「あんな奴らって、お前、その白竜と会ったことがあるのか?」と、ユーカスはミルトンに問う。
「いや、一度もない」
「じゃ、何で馬鹿だとわかる?」
「馬鹿じゃなきゃ、こんな気は纏わなかろう。これではせっかくの魂の輝きを濁すだけだ。服とは自分を美しくするために纏うものだ。気もしかり」
 確かにとビッキは思った。これではせっかくの魂の輝きが台無しだ。ビッキには魂の色が見えるだけに人一倍がっかりしている。この負のエネルギーさえなければどれほどの輝きを放っていることだろう。
「そこ、なにやっている」と看守の声。
 まとまっての会話を嫌う。何か企んでいるのではないかと警戒しているのだ。
「なに、人数もずいぶん減ったから、そろそろ補充でもあるのかなと思って」
「いい勘してるじゃないか。明日、護送船が来る。また新しい仲間が増えると言うことだ。彼らによく教えておけ、ここのルールを。長生きしたければどうすればよいか」
「へぇ、ここで長生きしたってどうしょもないだろう」
「そんなに死にたいのなら、今すぐ殺してやってもいいぞ」と、看守はプラスターを取り出す。
「じょ、冗談ですよ。こいつ、暑さで頭がいかれたらしい。ここは勘弁してやってください」と、ビッキは大きな図体を小さく丸めて頭を下げると同時に、ユーカスの頭を大きな掌で抑え込み強引に下げさせた。
 看守が去るのを見届けてから、
「水を好む竜が、こんな水のない星に何しに来るんだ」
 ユーカスの疑問は当然だ。竜と言えば水、水と言えば竜と言うほどイシュタル人にとって竜と水は切り離せない存在である。
「紫竜に会うためだ」
「じゃ、紫竜もここに来るのか?」
「当然だろう、白竜の傍らには必ず紫竜が居る。否、居なければならない」
 それがイシュタルの伝説。
「じゃ、ここに居れば白竜と紫竜に会えると言うことか、すげぇー」と、ユーカスは踊りだしそうな喜びようである。
「この惑星も悪くないネェー」
 いきなりシャベルを持ち上げると今までの倍以上のスピードで仕事を始めた。
「ネルガル人に感謝、感謝。今まで婆ぁーちゃんから話を聞くたびに一度でいいから会ってみたいと願っていた白竜に、奴らが会わせてくれるんだからな」
「別に奴らが会わせてくれる訳じゃない。奴らが再会の場として偶然この惑星が選ばれただけだ」
「水がないのにか」と、ビッキ。
 ビッキも、どうもそこが引っかかる。
「竜の力を弱めるためだ」
 えっ! と言う感じにユーカスたちはミルトンを見詰めた。
 三人に見詰められたミルトンは、
「会えばわかる」と言うと、黙々と仕事をはじめた。




 そして次の日、アツチを乗せた護送艦が衛星軌道上にある宇宙港に着岸したのはお昼過ぎのことだった。
「いよいよ、来た」
 昼過ぎ、薄暗い洞窟の中て作業をしているユーカスには、それがはっきり見えていたと言うより、思念の中ではっきりと映像化できたと言う方が正しい表現だ。
「ユーカス、よせ。命が欲しくないのか」
「白竜だぜ、俺、一目この目で拝めれば、死んでもいい」
「馬鹿」と言って、ミルトンは呆れた顔をする。
「この分だと、彼らが降りて来るのは明日だな」と、ビッキも洞窟の天井を睨みながら。
 ビッキはビッキでユーカスとは別な形で思念で捉えているようだ。

 次の日、採掘の仕事は中止になった。その代わり、上空から降りてくる生活物資を詰めたコンテナの受け取りが始まる。そして採掘した鉱物を詰めたコンテナを軌道上の宇宙港へ上げる作業。コンテナを積んだシャトルが数日かけて幾度となく地上と宇宙港を行き来し、砂漠の中の広々とした離着陸上に高々と積み上げられていた鉱物を詰め込んだコンテナの山が消え、生活物資が詰め込まれたコンテナの山が新たにできる。これは貨物船が来ればいつものことなのだが、今回は生活物資以外に囚人を詰めたコンテナも幾つか降ろされてきた。
「早く開けてやらないとこの暑さだ、へばるぜ」
 ユーカスは自分の過去の経験から次々とコンテナの扉を開けてやった。中からむせ返るような熱気と同時に捕虜たちが新鮮な空気を求めてなだれ出て来る。それを眺めながらクラフトは問う。
「誰が、そうなんですか?」と。
「いや、奴はここにはいない。まだ上空だ」
 そこへ一台のシャトルが降りて来た。
「あれだ」と、ユーカスが駆け寄ろうとした時、ミルトンがユーカスの腕を引っ張り引き留める。そして大きく首を左右に振った。
「だって、あそこに白竜が」
 ミルトンはユーカスの腕を握ってはなさない。
「病んでいるんだ、近づかない方がいい」
 そのシャトルからは日常物資のコンテナ以外にカプセルが一つ、屈強な男たちに囲まれて降ろされた。そして女が一人。カプセルの中の少年の身分を知っている者は極わずか。カプセルはそのまま地上カーに移され領事館へと運ばれて行った。
 ユーカスはミルトンの腕を払いのけると、
「何で、邪魔をすんだよ。あいつらはあんなに近くに居たって、何ともないじゃないか」
「奴らはカプセルの中の人物の正体を知らないから。自分を意識してくれない相手では、そこに居ても居なくとも同じだろ、何の邪魔にもならないから何の危害も及ばない。だからお前も意識するなと言っているのだ」
 そこに石が落ちていてもつま先にでも当たらない限り、蹴飛ばすこともない。感覚に捉えていないのだからその存在は否定されているのと同じ。
 ユーカスは遠ざかる地上カーをじっと見つめている。
 白竜が目と鼻の先に居るのだ。一度でいいから拝顔したい。
 ぼーと突っ立っているユーカスに、
「そこ、何さぼっている!」と看守の怒鳴り声。
「あのカプセルは?」と、ユーカスは今遠ざかろうとする地上カーの方を指し示した。
「カプセル?」
「地上カーで運ばれた」
「ああ、あれか。お偉方さんでも船酔いしたのだろう」
「重力制御装置が付いているのにか?」
「気分の問題さ。こんな星に左遷させられちゃ、船酔いでもなんでもしたくなるさ」
 そう言う看守は何処となく嬉しそうだ。だが看守たちはあの中身の存在を知らない。
「それより、さっさとコンテナの移動を手伝え」
 彼らは交代制である。三年から五年勤務すればネルガル星に戻れる。どうやらこの看守も今回の船で故郷へ帰るようだ。常なら電光鞭を振り回すところなのに注意ぐらいで済んだ。いつもに無く機嫌がいい。


 領事館の地下にある個室、窓もなく出入り口は一か所のみ。その部屋を特別にこのために外から鍵がかかるように改良した。めったに使用したことがなくその存在自体忘れられていた部屋である。過去にどのような使われ方をしたのかは知らない。室内灯がぼんやりと部屋の中を照らす、わざと明度を落としてあるようだ。ベッド以外はなにもない。上層部からは何もいらないとも聞かされていた。ここへ少年が連れて来られるのを知っているのは館長と数名の口の堅い看守のみ。
 看守が二名、部屋の入口の外で待機していた。そして部屋の中で待っていたのは館長の ゲオルギ・ナビエ・マルーフ。その館長の前にカプセルは運び込まれた。
「ただ今、到着しました」
「ご苦労だった。して、その娘は?」
 男たちは背後に控えている女に視線を移すと、その中の一人が彼女の肩を握り強引に館長の前に連れ出した。
「ここへ来るまで、この女にこの子供の面倒をみさせておりました。なにしろ商品になりませんでしたもので」
 そう聞いて館長は疑問に思った。娘の顎に手をやると、親指で娘の唇を愛でながら、
「なかなかきれいな顔をしていると思うが、これならそれなりの値段が付いたと思うが」
 そして気づく。女の首筋からのぞくケロイド。
「戦火の中を逃げ惑っていたようで」
 だがその戦火はネルガル人によるものだ。彼女の村はネルガル人に襲撃された。彼らさえイシュタル星に来なければ彼女には幸せな未来があった。
「ですが、遊ぶには事欠きません。下半身はしっかりしていますから。もっとも閣下でしたら何もこのような傷物相手にしなくとも、より取り見取りでしょうが」と、にやけた顔で男の一人が言う。
 どうやら既に宇宙船の中でこの男たちにいいようにされてきたようだ。護送されて来る囚人や捕虜の中には女もいた。だが大概の女はその途中でお手付きとなる。否、宇宙船に乗る前に既に。
 艦長は話を元に戻すため咳払いをした。
「蓋を開けろ」
 ゆっくりと蓋が開けられた。室内灯が照らし出したカプセルの中は白一色、あまりの色の無さに館長は驚く。
 暫しの沈黙の後、
「王子と聞いていたが?」
「男です」と、屈強な男の一人が答える。
「寝ているのか?」 睡眠薬ででも服用させて。
「いえ。たぶん起きていると思います。ただ自分ではほとんど動くことが出来ないようで」
「食事は?」
「鼻からの流動食になります」
 見れば鼻に細い管が通されている。そして排便も排尿も管による。
「青い悪魔だと聞いていたが植物人間だったとは、見ると聞くとでは随分と話が違うな」
「申し訳ありません。情報部のミスのようで」
「しかし、美しい」 きめが細かくシミ一つない肌、男とは思えない。
「ほとんど寝室から外へ出たことはなかったようで」
 しみじみとその少年を眺めている館長に別の男が問う。
「どうなさいますか」
 このままカプセルに詰めておいてもよいのだが、
「とりあえずベッドに移してくれ」
 イシュタルの王子だと聞いて囚人たちより少しましなベッドを用意しておいた。
 管が途中で切り離され屈強な男の腕に抱かれてベッドへと運ばれる。八歳とは言え、身長も体重もネルガル人の同年代の子供に比べればはるかに小さい。ただ背丈ほどある白い長い髪が印象的だ。
 男は少年をベッドの上に寝かせると、管の接続を女に指示した。
「管は、通したままなのか」
「抜くと面倒ですから、こうしておけば後は袋だけ取り換えれば済みますので。すべてこの女ができます」
 女は手慣れたように処置をしていく。
 一通りの処置が済むと館長たちは女を置いて地下室を出た。とりあえず入口の両サイドに看守を二名見張りとして付けたが、あの様子では見張る必要もなさそうだ。


 ホールではパーティーの準備が整っていた。生活物資が到着した時の恒例である。この時とばかりに酒と料理が振る舞われる。そして酒と料理が出てくれば次に用意されるのは女である。この惑星に連れて来られた囚人や捕虜の女性(否、この中には美少年も含まれる)が、最初に受ける試練がこれである。あらかじめ区分けされていた女たちがホールへと引き出された。我先にと看守たちは女を奪い合う。ホールのあちらこちらで女性の悲痛な叫び、三、四人の看守に押さえつけられた女は強引に囚人服を剥ぎ取られた。こうして気に入られた女性は定期的に看守の相手をすることになる。
 そして囚人たちの牢でも、この日は酒が振る舞われ男女を隔てている扉が開け放たれた。どっと肉に飢えた男たちが野獣と化して女たちの囲われている牢へとなだれ込む。ガス抜きである。定期的に性欲を満たしておけば反抗心が衰える。まさにホールも牢も酒池肉林と化した。
「お前たちは行かないのか?」と、ビッキは同室のネルガル人たちに訊く。
「私たちを、あのような野獣と一緒にしないでもらいたいな」と、ネルガルの青年の一人が答える。
「何年もちますか、その理性」と言ったのはクラフトだった。
「ここでは楽しみは他にないですから」
「お前、私たちを馬鹿にする気か」
「ネルガル人は皆、野獣だと思っておりましたから」
「きっ、貴様」と、少し気の短い青年がクラフトに掴みかかろうとする。
「やめろ」と、止めに入る青年と、
「クラフト」と、彼の言葉を制止するビッキ。
 暫しの気まずい間の後、
「すまなかった、言い過ぎた」と、謝るクラフト。
 病院のベッドのうえで同僚の医師や看護師が犯されるところを思い出してしまったのである。
「あなた方はどうなのです? 何時まで理性を保つことができるのですか」と、問うネルガル人。
「私たちは四次元で遊ぶことが出来るからな」と、答えたのはビッキ。
「四次元?」
「夢のことです」と答えたのはクラフト。
「夢も現実ですから、肉体は現実と同じ反応をします。ですからわざわざ現実で行動しなくとも生理的現象は済みます」
「夢ねぇー」と、いまいち物足りなげな反応をするネルガル人。
「夢と言うより妄想と言った方が解りやいすかな」と、ビッキは笑う。
「何だ、あなた方も私たちとなんら変わらないではないですか」
「そりゃ、元をただせば同じ人種だからな」
 全員が笑った時である。プラスターを構えた看守が三人、奥の牢へと急ぐのが目に入った。そして一つの牢の前で止まる。
「確かあの牢はユーカスたちがいる牢ではないか」と、ビッキ。
「お目当てはあの少女のような少年ですか」と、ネルガルの青年。
「まずいのでは」と、心配するクラフト。
「ユーカスが付いているから大丈夫だろう」と、ビッキ。
 案の定、ミルトンが牢から出された。そしてそれを追うようにユーカス。だがこちらはプラスターで思いっきり叩きのめされた。
「俺は、今夜がこの惑星での最後の晩餐となる。それでこの惑星の思い出にお前に酌でもらおうかと思ってな、連れて行け」と、部下らしき者たちに命令する。
 ミルトンは自分へ伸ばされる腕を払いのけ、
「目を受けしてくれるのは有難いが、俺はお前たちの相手は出来ないぜ。なぜなら」と、言ってミルトンは服のボタンをはずす。
 そこに現れた素肌は。看守たちは驚いたようにミルトンをユーカスの方に突き飛ばした。
「とっ、とんだ食わせ物だ」
「売り物にならないからこの惑星に連れて来られたのだ。そのぐらい知っていると思っていたが」
 ミルトンはいけしゃあしゃあと言い放つと服のボタンを閉める。
 看守たちはブーブー言いながら去って行った。
 ビッキたちは今の光景を見なかった振りをして自分たちの牢へと戻る。
「幻影か。どのような幻影を作って見せたかは知らないが、看守たちのあの様子では相当おぞましいものを見せつけられたようだ」
「伝説によれば紫竜が得意とする能力ですね」
「幻影? 紫竜?」と、いちいち訊き返してくるネルガル人。
「幻影とは幻のことだ」とビッキが説明すると、そのぐらいなら知っていると言わんばかりのネルガル青年。
「紫竜とは白竜が自分の魂の一部を削って作った人間のことです」と、説明したのはクラフト。
 こちらの説明は理解できなかったようだ。ネルガルの青年たちは顔を見合わせた。
「どういう意味ですか?」
「これを説明するとなると、ネルガル人とイシュタル人の死生観の違いから説明しないとならなくなるから、かなり長くなる」
 この違いが結局、この二つの人種を永遠に分けてしまったのである。
「お互い、親から教わった世界観が一番正しいと思いますから」
 悲しいことだが、それが元で殺し合いが繰り返されてきた。結局自分たちが受け入れられないような世界観を持つ相手は、恐怖(悪魔)でしかないのである。やらなければ自分がやられるという錯覚。その恐怖に打ち勝つためにはその恐怖の元を断つしかない。つまりその相手を殺すしかないのである。
「行ってみるか、紫竜様の所へ。今宵は無礼講だろう。どの牢も自由に出入りできる」
 ビッキたちが敬称を付けて呼ぶ相手。興味がないと言えば嘘になる。
「会わせていただけるのですか」
「会わせてはやれるが、先方が会いたがるかだ。かなり気難しそうだからな」

 どの牢も今宵は、扉は開け放たれていた。ネルガル人の収容されている牢は静かだ。大半がもぬけの殻だから。その代わり女子牢の方は肉に飢えた野獣に蹂躙され阿鼻叫喚の有様だ。暴力が過ぎて中には殺される者までいるが、今宵ばかりは看守も見て見ぬふりである。それどころか一緒になってその余興にいそしんでいる。そしてイシュタル人の牢もある意味静かだった。全員が瞑想していると言う訳でもない。中にはネルガル人同様女子牢に遊びに行った者もいるが、ほとんどの者がペッドで静かに寝ている。この時とばかりに常日頃の疲れを取るために。
 いくつかの扉の前を通り少し賑やかな扉の前に来た。相変わらずユーカスの声はよく聞こえる。彼は疲れを知らないようだ。
「なっ、どうして奴ら、血相かいて行っちまったんだ?」
 ユーカスはまだミルトンの能力を理解していないようだ。
「要を思い出したんだろう」と、ミルトンはベッドの上で煩げに答える。
「お前を目の前にして、他の要、思い出すかな。例え思い出したってここまで来ちゃ、もうどうでもいいぞな、俺だったら」
 あと一歩で自分の欲求を満たせるところだったはずだ。後はこいつの承諾を得て飛びつくだけ。ユーカスも本当は飛び掛かりたいのだが、なかなか本人の承諾を取る機会が得られない。何故かこいつの前には見えない壁があって、近寄りがたいのだ。いつもの俺なら強引に口説いて、うん。と言わせるものを。どうやったらとユーカスが妄想に耽っていると。
「ユーカス、あそこに絶世の美女がいるぜ」と、ミルトン。
「えっ?」と、思わずユーカスは反射的に振り向いた。絶世の美人と聞いては一目拝まなくては、何のために目があるのか、見ないようでは目の存在を疑いたくなる。何処だとばかりに視線を動かし、視線がある一点で止まった。確かになかなかの女人だ。しかも媚をぷんぷん漂わせ艶めかしく立っている。これなら女の承諾はいらない。あっちから誘っているようなものだ。
「なっ、なんで、男牢へ?」
「お前に会いに来たらしいぜ、採石場の凛々しい姿に一目ぼれして」
「ほっ、ほんとかよー」
 ユーカスはミルトンの言葉にすっかり騙され、やっぱりそうか。と、その女人に抱きついた。
 その刹那、
「なっ、なにするのですか」
 隙だらけのユーカスはそのまま投げ飛ばされた。
「いっ、痛っー」
 したたかに腰を打ち、腰をさすりさすり見上げるとそこには男の集団。クラフトが乱れた囚人服を直していた。ミルトンの作った幻影にまんまとはまったのだ。
「なっ、なんだ、おめぇーら」
「悪いですけど、私にはそう言う趣味はないのです」と、クラフト。
「俺だって、男になど」
 否、一人例外がいるかと思いつつも、
「何しに来たんだ。言っておくが、ミルトンは俺のものだ、おめぇーらなどに」
「誰が何時、お前のものになった」と、ミルトン。
「じゃ、なんかい。お前はこういうのが趣味なのか」と、ユーカスは集団の中でも熊のように大きいビッキを指し示してミルトンに問う。
 ミルトンは呆れたように天井を見て何も話してこない。
 ミルトンの代わりに声を掛けて来たのはビッキだった。
「相変わらず、元気だな。あなたの声は何処に居ても聞こえる」
「アルコールが入ったから、たちが悪い。やっぱり子供に酒は飲ますものではないな」と、ミルトンは付き合いきれないと言う顔をする。
「子供、子供って。お前だって同じ年だろうが」
 ミルトンはユーカスなど相手にせずに、
「何しに来たんだ。俺はお前らを相手にする気もない、体力を温存しておきたいからな」
 ビッキは苦笑すると、
「竜の気を吸うには相当な覚悟がいりますからね、私たちには無理ですよ、紫竜様」
 ビッキが紫竜と言った途端、同室の者たちが囁き始めた。
 ミルトンは顔をしかめたかと思うと、天井を見詰めていた視線をビッキに移す。
「俺は、紫竜ではない」と、強い口調で否定した。
「地下におられる白竜様の紫竜ではないというだけのこと」と、ビッキ。
「それ、どういう意味だ?」
「竜は何頭もいるのですよ。記録に残っているだけでも十数頭。祖母の話しでは紋章によって性格がかなり違うらしい」
「そっ、そんなに居たのか。知らなかった。じゃ、何故イシュタル星を救ってくれないんだ」
「そもそも竜にそんな義理はないからだ。私たちは別に彼らを神として崇めている訳でもない。ただ都合のいい時に利用しているだけだ、竜の優しさに付け入って。彼らもそれは知っているのではないかな。だから誰にも気づかれないように人として生まれ人として死ぬ、解る者だけが解ればいいと言う感じに」
 確かに、ビッキがミルトンは紫竜ではないかと言わなければ、誰も気にもしなかった。そしてビッキのその一言は、瞬く間にイシュタル人の間を駆け抜けた。通路から、
「白竜様? 白竜様がおられるのですか」
 ざわめきが起こる。
 ミルトンはますます嫌な顔をすると、
「お前に、何がわかる。あいつは役にたたない」
「私には魂が見えるのです。これが私の能力」
「そうか」と、ミルトンは納得したように。
「なら、どうしてそれだけの能力があるのに捕まったんだ」
「それは囚われの身になられているあなた様をお見かけしたから。お助けしようと思いまして」
「私が紫竜ならその必要はなかろう。紫竜の背後には常に白竜がいるのだから」
「そうは思いましたが、お見かけしたところまだお若いようでしたので」
「必要はない、この星からさっさと去れ。ついでにこいつも連れて行け。煩くってかなわない」と、ミルトンはユーカスの方を顎でしゃくって示した。
「何しに来られたのですか、この惑星に」と、クラフト。
「お前らには関係ない」と、ミルトンは苛立たしげに言う。
 ビッキは地下の白竜と何か関係があるのだろうと察した。だが竜同士が出会うことはないと聞いたこともある。
「何か、お手伝いできればと思いまして」と、ビッキは大きな体を小さく丸めて神妙に問う。
 ミルトンは上半身を起こしてベッドへ座ると、
「お前らに手伝えることは何もない。怪我をしたくなければこの惑星から去れ」
「地下に、白竜様がおられるのですか」と、同室のイシュタル人が問いただして来た。
 ミルトンはその人物をきつい目で睨むと、
「あいつは白竜などではない。化け物だ」
 ミルトンのその辛辣な言葉に部屋の者たちは黙り込んだ。
 その時である。壁から染み出してくるかのような陰の気。部屋に居たイシュタル人たちは、恐怖を感じ我先にと通路に飛び出した。
 何も感じないネルガル人たちは、イシュタル人のその動揺ぶりにどうしてよいか迷っていると、目の前にうっすらと白いものが現れ始める。それが次第に形を成していく。
「ゆっ、幽霊?」
 ここへ来てやっとネルガル青年たちも感じ始めた。一人がうわずった声で言う。
 そのものがすっかり人の形を成す頃には、ユーカスはミルトンを守るように、いつの間にかそのものとミルトンの間に立ちはだかっていた。
「ユーカス、どけ!」
 ミルトンが叫ぶより早く、何かが。だがその何かはミルトンの繰り出した剣に弾かれた。
 ミルトンはその白い人物を睨み付ける。その白い人物は自分で立っているのかそれとも吊るされているのか解らないような不自然な姿でそこに居る。
「こいつは、俺のペットだ。潰すことは許さない」
(お前の、ペット?)
「そうだ」
 ミルトンが幽霊と話しているようだが、幽霊の声はミルトン以外には聞こえないようだ。
(すまなかった、目障りだったもので。壊れなかったか?)
「ああ、大丈夫だった。わかってくれればいい」
 ミルトンは剣をユーカスの方に差し出すと、
「これを持って後ろに下がっていろ」と、目の前の白い人物から視線をはずさずに言う。
「すげぇー綺麗な剣だ」
 見事なまでに装飾がほどこされている。だがそれらが決して華美には見えない。何よりも握った感じがしっくりと手に納まる。重量といい長さといい、使いやすそうな剣だ。
「これ、俺にくれるのか?」
 ミルトンは一瞬、ユーカスの方に振り向くと、
「それは、俺のだ。誰がお前のような猿に。持つには万年早い。しばし預かっていろと言っているんだ。傷でも付けたらただじゃおかないからな」
「どうせ俺は、下品で野蛮だ」と、ユーカスはあまりにも美しいものを見せつけられ開き直る。だが奴の悪口より気になるのは奴の身。
「お前はどうするんだ。奴と対峙するのに武器がなくては」と、ユーカスは心配する。
 完全に能力の差は見てとれた。どうあがいても目の前に立っている人物にかなうはずがない。奴がその気になればこの部屋の中の奴ら等は瞬時に霧散する、悲鳴をあげている暇もない。気持ちが落ち着くとじわじわと伝わってくる力の差。感じれば感じるほど恐怖で足がすくみあがってくる。失禁しないのが不思議なぐらいだ。否、少しちびっているかも。ユーカスは股間を確かめたくとも、既に体はあまりの恐怖で動けなくなっていた。ある程度の能力を持っているからこそ計れる相手の力量。
「俺は別に、奴に喧嘩を売りに来たわけではない。忠告しに来ただけだ。武器はいらない」
「忠告?」と、ユーカスは首を傾げた。
「いいからお前は黙っていろ、気が散る」と、ミルトンはユーカスに忠告すると、おもむろに白い化け物の方に視線を移す。
「まだ、正気が残っているようだな」
 ミルトンのその言葉に白い化け物は反応したのだろうか、微かに体が動いた。だがそもそも立っている体勢が不自然なのだ。支える力の均衡を失った肉体は倒れ始めた。
 ミルトンは慌てて駆け寄りその体を支える。だがミルトンがその化け物に接触した瞬間、ショートしたかのような稲妻が轟音と共に走った。
「まずい」と、ビッキが駆け寄ろうとした時、
「来るな」と、ミルトンが制した。
 量こそ違え同質のエネルギーを持つ竜同士は、磁石で言えばS極とS極のようなもの。反発しあうのである。それを強引に接触させれば。
 ミルトンは静かにその化け物を床に寝かせる。
(どうして? 怪我は?)
「俺なら大丈夫だ。それよりお前のほうだろう。いきなり気を逆流させたら肉体にかなりの負担がかかっただろうに」
 だがミルトンの問いに化け物は何も答えて来なかった。
「目の前で倒れられたら、例え怪我をしないと知っていても手が出るよ」
 化け物は微かに笑ったのだろうか、体が小刻みに震えた。
(ニーナも同じことを言う)
「ニーナ? お前の紫竜か?」
(ニーナはニーナだ)
「そうか。ならはっきり忠告しておく。役に立たない紫竜はさっさと処分して、新しい紫竜を創ることだ。お前ほどの力、紫竜になる人格なら二つや三つ持っているだろう」
(体、私が治せればよかったのだが、お前は私の紫竜ではない)
「心配はいらない。このぐらいの傷なら自分で治せる」
 その会話を最後に化け物は消えた。
 ミルトンは立ち上がろうとしてよろめき、床に両手を付く。見れば床にかなりの血だまり。ユーカスは慌てて駆け寄りミルトンの体を支えながら。
「いっ、医者を呼ぼう」
「私は医者だ」と、名乗り出たのはクラフト。
「医者はいらない」と、ミルトンはふらふらと立ち出しベッドの方へ歩みだした。
「因業な奴だ」と、ユーカスは舌打ちしつつも、ミルトンに手を貸す。
「煩いな、ほっといてくれ」と、ユーカスの手を払いのけると、そのままベッドに倒れ込んだ。
「俺より奴の方だ。あれだけのエネルギーを逆流させては、肉体がもたない」
「たぶん、彼は大丈夫だろう」と答えたのはビッキだった。
「妖が逆流したエネルギーを全て吸い上げたから」
「妖が、憑いていたのか」
 ミルトンは自分を守るのが必死で気づかなかったようだ。
「さすがに竜に憑くだけのことはある。この部屋では納まりきれなかったようだ」
 頭と胴の一部、残りはこの建物全体をおおっていた。
「そうか、あんな化け物でも役に立つことがあるんだな」
 そう言うとミルトンは静かに目を閉じる。
「ユーカス、少し寝るから静かにしていろよ。それと、俺の剣」と、手を宙に差し出す。
 ユーカスはいつの間にか放り投げていた剣を拾いミルトンの所まで持って行った。物欲しげに暫しその剣を見詰めながら持ち主の手に返す。
 ミルトンはその剣を抱え込むと深い眠りについた。
 声を掛けるにもかけられず、手当てをするにも。ユーカスは困ってクラフトに助けを求める。だがクラフトもどうしてよいのか解らずビッキを仰ぎ見ると、
「そのままにしておいてよいのでは」
「この出血だ、止血しないと死んじまうぜ」
「これで彼が紫竜であることは間違いないのだから、ただあの白竜の紫竜ではないだけで。でなければ接触しただけであんな反応は起こらない。妖が居なければおそらくこの建物は粉々になっていただろう。彼は彼の白竜が治すだろう、自分の作った人間なのだから」
 クラフトはビッキをまじまじと見て、
「あなたは随分、竜には詳しいのですね」
「実は、俺の友人に竜の眷属になった者がいる、もう数億年も前の話しだが。俺も誘われたのだが、あまりのエネルギーの巨大さに足がすくんで近寄れなかった」
 先ほどのユーカスと同じ。その力の前に。
「白竜だ、白竜様が、俺たちを助けに」
 そう叫んだのは別室のイシュタル人たちだった。どうやら竜の気を吸って具現化した妖を見たようだ、通路で騒ぎ出している。
 こんな所を看守に見つかったらまずいと思ったビッキは、通路に出ると興奮しているイシュタル人たちに言った。
「あれは、妖だ。勘違いするな」
「あんただろう、紫竜様がおられると言ったのは。では白竜様が迎えに来られても何ら不思議ではなかろう。きっと白竜様が紫竜様をお迎えに見えられたのだ」
「だから、あれは」と、ビッキは騒いでいるイシュタル人たちをどうにか静まらせようとする。
 するとその中の一人が、
「あれは違うと、俺も思う」と言い出した。
「あの竜には手足がなかった。おそらく彼が言うとおり白蛇だろう」
「いや、違う。あれは確かに竜だった。白蛇があんなにおおきいはずがない」
 竜と同じ四次元に住む妖は、竜に遠慮して具現する時蛇の姿を取る。
「竜に憑依していた妖が竜の巨大なエネルギーを吸って姿を現しただけだ。否、現れたと言うよりもは、四次元から三次元に放たれたエネルギーを我々の脳が理解しやすい形に表現しただけだ。つまり竜や蛇の形で」
「では、あなた方の言うとおりあれが妖だとしても、あの妖は白竜様の気を吸って巨大化したのだろう。白竜様は何処におられるのだ?」
「白竜はここにはいない」
「では、何処に?」
「この惑星にはいない」と、ビッキははっきりその存在を否定した。
 これにはユーカスたちが驚いた。
「では、先程の気の乱れは?」
「紫竜様が夢でも見られたのだろう。ぐっすりお休みになられているから」
 イシュタル人たちが部屋を覗き込もうとしたので、ユーカスたちは慌てて血だまりを隠そうとした。だがその頃には血だまりはすっかり跡形もなく消えていた。あれ?と思いながらも、ユーカスはその場所が彼らに見えないようにその前に立つ。
 イシュタル人たちは部屋を覗き込み、寝入っているミルトンの姿を見て納得したようだ。
「よくお休みになられているようですね」
 別のイシュタル人はがっかりと肩をおとして、
「そっ、そうですか。まだ白竜様はお越しにはなられていないのですか」
 イシュタル人たちはがっかりしたように各々の牢へ戻って行った。
 納得いかないのはユーカスたちである。
「どうして、あんな嘘を」
「皆をあの白竜に会わせるわけにはいかないだろう。下手をすれば皆殺しにされる。紫竜様がお越しになるまではあのまま地下でおとなしくしていただいた方が」
「そうですね」と、クラフト。
「ミルトンさんと何をお話になられたかは存じませんが、かなり危険な方のように思われました」
「そもそも白竜には善悪の判断ができないのだ、四次元に居るのだからな。四次元はエネルギーがエネルギーとして存在しているだけで、そこには生も死もない。生や死と言う概念は三次元の特徴さ、肉体を持って初めて感じられる概念。肉体以上のエネルギーを持つ白竜にはそれは理解できない。死の恐怖を持たないと言うことは善も悪も理解できないことになる」
 死の恐怖こそが善悪の判断の基礎になる。痛みや苦しみとは生きたいがために肉体に備わった感覚。生きたくないのならそのような感覚は不要である。肉体が痛みや苦しみを感じるのは死にそうだからであり、そして人は他人にそれらの苦しみを与えることを悪と位置付けている。
 そして白竜に死はない。自分が死にたい時(四次元に帰りたい時)が死である。よって死の恐怖もない。その白竜と人間との感覚のキャップを埋めてくれるのが紫竜だ。紫竜には死がある。
「そもそも我々は白竜と直接話をすることはできないからな、紫竜を通してでなければ」
「本当に来るのか、奴の紫竜は。ミルトンは忠告しに来たと言っていたが、あれはどういう意味だったのだ」
 新しい紫竜を創れ。
 何が何だかユーカスにはさっぱり解らなくなっていた。だがそれより理解に苦しんでいたのはネルガルの青年たちである。
「一体、あれは何だったのですか?」
「大丈夫なのか、あの子。かなり出血しているようだが」
「あの子が竜なのか。我々と何ら変わりがないと思うが」
「剣は何処から出て来たんだ。武器は全て押収されたはずなのに。どうやって隠し持っていたのだ、今まで」
 後から後から疑問が湧いてくる。
「どれから答えればいいかな」
 ビッキにそう問われてネルガルの青年は困った。おそらくどれを答えられても我々には理解できないだろうという気がしていたから。案の定、
「剣は先程竜宮から彼が持ち出した。竜宮は四次元にある」
 ネルガルの青年たちは聞くべきではなかったと言う顔をした。世界観が違うのだ。まずそこから、とりあえず白竜と紫竜から理解して行かなければ。否、四次元を理解するべきなのか、死生観を。
「そう言えば以前、私の友人が面白いことを言っていたな。さる王子のお言葉だそうだが、死後、もし天国があるとすれば、その天国がどのぐらい広いのかはしらないが、そこは相当、込み合っているのではないか。これだけの者たちが毎日毎日戦争して死んで行くのだから、過去から換算すると身動きもできないほどの人口になっているはずだ。とのことだそうだ」





 ホールは女にとっては地獄、男にとっては天国と化していた。ホールの中は肉に飢えた男の歓喜と雄叫びの声と、侵される女の苦悶と悲鳴の声で満ち溢れていた。ガス抜きとは言え道具にされた方はたまったものではない。そもそもこの惑星は肉体労働のための収容所、男女比は圧倒的に男の方が多い。一人の女が数十人の男を相手にしなければならない。場所によっては一物を出したまま順番待ちで行列を作っている所もある。
 館長はそんな仲間を尻目にホールを抜け出し、ほんの数名しか持つことを許されない光子カードを使ってロックを解除し、地下へと降りて行く。
「馬鹿馬鹿しい。あんな田舎娘よりもっと美しい者がいるというのに」
 館長ならその特権で上玉を独り占めすることができる。現に将校クラスの階級を持つ看守たちは上玉を選んで自室へと引き上げていた。だが館長の選んだ上玉とは。
 館長は扉の前で立ち止まった。扉の両サイドで見張りをしていた看守がおもむろに敬礼をする。
「ご苦労、中の様子は」
「何ら変わりありません。物音ひとつしません」
「そうか」と、館長は覗きスクリーンから中の様子を窺う。
「あれから一つも動いていないようだな」
 寝かせたままの形になっている。
「そのようです。自ら動くことはできないようです」
 女が少年の横に跪き、祈りでもしているかのように手を合わせている。
「あの女は何をしているのだ?」
「それが、先程からずっとあのままで」
 館長は覗きスクリーンの照明を落とすと、看守の二人に酒瓶を差し出した。
「この様子では見張りも必要なかろう。お前たちも上で遊んでくるとよい」
「しかし」と、仕事に忠実な看守が心配そうに。
「誰も居なくなるわけには」
「では、私が暫く見張っていよう。私が呼ぶまで遊んで来るとよい。無礼講も今宵が最後だからな」
 館長はロックカードを預かり彼らが去るのを待った。


 女は少年の横に跪くと両手を合わせ、一心不乱に祈る。
(私の魂を差し上げます。夫と子供たち、否、村の者たちの仇を。この銀河からネルガル人を一掃してください)
 繰り返し繰り返し祈るその願いの陰のエネルギーは、闇となってこの地下室に充満する。
(お願いです、どうか仇を。私の魂はどうなってもいい、あなた様に差し上げます)


 看守が地上へと続く扉を閉めた音を確認して、館長は地下牢のロックを解除した。
 薄暗い明かりの中、妖精のような少女、否、少年が横たわっている。
 女は館長ナビエの姿を見るや慌てて少年から離れた。その女に、
「チューブをはずせ」と、ナビエは命令する。
 女は言われたとおりにチューブをはずしていく。少年らしいかわいい性器が覗く。
 八歳か、否、イシュタルを発ったとき既に八歳だったのだから九歳にはなっているはずだ。宇宙にいると年齢と言うものが解らなくなる。ある惑星での一年は他の惑星の一年とは違う。公転周期が違うからだ。まあ、年齢などどうでもいい。青い髪の悪魔か、とんだ食わせ物だったな。だがこの美しさは神を通り越して悪魔のようだ。そしてその肉体の中にはイシュタルとは言え、王家と言う高貴な血が流れている。身分を持たない者たちの憧れの的。無防備に横たわる少年。今、その美しい肉体と気高い血を我がものにできる喜びで、ナビエの心臓は高鳴っている。ただ唯一残念なことにはこいつが男だと言うことだ。少女ならば高貴な血を引く俺の子が得られたものを。だがそれもどうでもよいことだ。例え高貴とは言え所詮イシュタル人。ネルガル人の血に比べればどれほどの価値があろうか。
 ナビエが一歩踏み出し時、
「止めた方がいいわ、竜の気を吸って生きていられる者はいない」
 女の忠告に、高揚した気持ちに水を差されたナビエは、力任せに女の頬を張った。女はその反動で壁に思いっきり頭を打ち付け、そのまま意識をなくした。
「死んだか。まあどうでもよい。人の楽しみを邪魔するからだ」
 ナビエは少年に近づいた。そして白い髪に触れる。柔らかな髪、そして頬へと手を伸ばす。白く透けるような肌は想像以上に滑らかだ。そしてほんのりとピンクをおびた唇。何も食したこのない唇。だがこれからは俺の精液を存分に味あわせてやる。そして華奢な首。今両手でこうやって締め上げれば、息の根を絶つこともできる。無抵抗な者に対する優越感で体内の血が逆流するのを感じ取ったナビエは、少年の着ている囚人服のボタンをはずすのももどかしい。
「ちくしょ、これからは裸で寝かせておこう」
 そしてボタンをはずし終わり前を開いて唖然とした。
「なっ、なんだ、この痣は?」
 肌が白いが故に、いっそう痛々しそうに見える青黒い痣。思わず背中を見れば背中にも、まるで何かで刺し貫かれたような。胸から背中へと。
 ナビエは少年から一歩退いた。
 杭でも打ち込まれていたとでも言うのか。棺桶の中に封印されていたとでも。
 一瞬の恐怖。だがナビエは静かに笑った。おもしろいではないか。青い髪の悪魔。そもそも俺が相手にしようとしているのは人ではない。ただの田舎娘はもう飽きた。悪魔か。何の欠点もなくては美しすぎて近づきがたかったが、これなら存分に楽しめる。ナビエは自分の服を脱ぎ捨てると少年の上に馬乗りになり、狂ったかのように少年の肉体を求めた。



 女は混沌とした意識の中で自分の行動に悩んでいた。
 何故、あの男を助けようとしたの。私は彼ら全員の死を望んでいるというのに。
 その時だった。
(奴らを四次元に追いやってどうするつもりだ。また三次元に戻って来るものを)
 思念。いきなり女の脳裏に流れ込んできたのは言葉ではなくイメージだった。阿鼻叫喚するネルガル人。彼らの肉体が霧散し純粋なエネルギーへと戻る。そしてまた新たな肉体を得て三次元へ。その繰り返し。だが三次元へ戻る時はまたネルガル人になるとは限らない。イシュタル人の場合もあれば、他の惑星の星人の場合もある。それどころか動物だったり植物だったり、はたまた鉱物に変化した者までいる。数秒の命しか持てない虫に化した者はまた新たな肉体を得るし、鉱物に化したものなどは次の転生に数億年の歳月を必要とする。生と死はエネルギーの循環にすぎない。まるでそれは宇宙創造に等しい。
(だっ、誰?)
 女は辺りを見回す。だがそこは闇。

 それから女はいきなり意識が浮上するのを感じた。
 重たい。誰かが私の上に乗っている。
「やっと気が付いたか。最後はお前の下半身で処理しようと思ってな」
 ナビエは女を貫いた。
 ナビエは立ち上がると女に命令する。
「片付けておけ、何もなかったように。くずくずするな」
 女が全てを洗いざらしの物と交換し、最後に少年にチューブを取り付けるのを見定めて、ナビエは地下室を後にした。





 その頃ユーカスの牢では、ユーカスが心配そうにミルトンを眺めていた。
「あの大男がああは言ったものの、やはりここは止血剤でも、それがなければ造血剤でも看守に言ってもらって来るか」などと立ち出すと、ミルトンの枕元に白い影が現れた。またあいつか、とユーカスは警戒する。だがその白い影は次第に形を成し、青い髪の女性へと姿を変えた。
 青髪、女性、てぇーことは白竜。ユーカスは思わず心の中で叫んでいた。
 その青い髪の女性はミルトンの手を両手で柔らかく包み込む。
 ユーカスは白竜がいる。と皆に知らせようとしたが声も出なければ体も動かない。ただじっとそこに佇むだけ。白竜のあまりの美しさに金縛りの状態になっていた。
 白竜がミルトンからユーカスへと視線を移して来た。ユーカスは白竜と視線を合した時、その美しさに呼吸が、否、心臓が止まったのではないかと思った。もうこの世のなにもかもがどうでもよくなった。自分が生きていることすら。ただ目の前の白竜の美しさに自分の全魂を捧げても欲しくない。
 白竜はゆっくり頭を下げると、
(どうか、この子の力になってやってください)
「おっ、俺が? そりゃ、頼まれなくともこいつに手を貸してやろうと思っているのだが、なんせこいつ、意固地で」
(お願いします)と、白竜はまた頭を下げるとそのまま消えた。
 そして誰かに肩を叩かれた感覚でユーカスは我に返った。見ると目の前にミルトンが立っている。
「おっ、お前、怪我は? 起きて、大丈夫なのか」と、うわずった声で問うユーカスに、
「それよりお前、器用な奴だな。立ったまま寝ていたのか」
 はっと思い、辺りを見回すと部屋の仲間たちに取り囲まれていた。
「大丈夫か、朝になっちまったぜ」
「やっと意識が戻ったようだな」
 はっ? とユーカス。彼らの言っていることが解らない。
「お前ここで、立ったまま寝てたんだぜ。なんぼベッドの方へ連れて行こうとしてもちっとも動かないし」
「はっ、白竜が、居たんだ」
「何処に?」と、同室の仲間。
「こいつの傍にだよ」
「お前、見たか?」と、同室の仲間が仲間同士で訊きあう。
「いや」
「俺も見ていない」
「夢でも見たんだろー」と、ミルトン。
「何しろ立ったまま寝るほどの変わり者だから、夢も人一倍変わっているのさ」
 そう言うミルトンにユーカスは、
「俺はな、その白竜にお前のことを頼まれたんだよ」
「頼まれた? 何を?」
「だから、お前のことを」
 ミルトンはひとしきり笑うと、
「ユーカス。よく考えてみろ。俺が白竜だったらな、俺より弱いものに俺のことを頼むか? お前だって頼まないだろう」
「そっ、そりゃ、そうだ」と、ユーカスはミルトンの辛辣な言葉に納得はしたくないが納得する。今現在、俺はこいつにかなわないと言うことは実感している。
「まったく、自分に都合のいい夢ばかり見てるな。付き合う方が疲れる。それより新旧の交代が済むまで看守の数が倍になるからな。当分さぼれないぞ」
 さぼっているのはお前だけだろうと言いたいのだが。こいつが一人で堂々と休憩を取っていても看守は何も言わない。それがユーカスには不思議でならない。
「そうだな。新米はハッスルしているからな。当分は仕事がきつくなるな」と、ここに長く居る捕虜の一人。毎度のことだと言わんばかりに。
「まあ、それも惰性になるまでの間だ。この惑星の気候なら直ぐに嫌気がさす」
 過酷な気象と労働で何時しか女性は月経が止まり男は無気力になる。そしてそれは彼らを支配する看守たちへと伝染していく。なぜなら生きとし生きるものは無意識(四次元)で繋がっているから。丁度、右足の指先が化膿すると数日後には全身が発熱するように、全ての感情は無意識の世界を通して共有されている、伝わり方に早い遅いの違いはあるが。




 宇宙貨物船への荷積みが済み彼らがこの星を発つと、惑星には何時もの静けさが戻った。聞こえるのは看守の罵声と電光鞭の音。
「暑いな」と、ユーカスは額に手をかざす。
 だが汗をかいているわけではない。汗は瞬時に蒸発する。それが救いと言えば救いだが。
「干からびそうだぜ。こんなこと機械にやらせればいいのに、何だって人間が。ネルガル人の文明はわかんねぇー。イシュタルにはこのぐらいのロボット、簡単に作っちまう奴ならごろごろ居るぜ。もっともこんなに鉱物を掘り出すこともないが」
 何事も自分の生活を賄うためでそれ以上のことはしないのがイシュタル人である。十人いれば十個の卵で間に合う。そり以上を自然界から求めない。
「人を殺す機械を作るのが忙しくって、日常道具を作る暇がないんだろう」と、ミルトンが皮肉たっぷりに言う。
「なんせ、殺人兵器は高く売れますが、採掘機械はたいした金額にはなりませんから」と、こちらもその皮肉を受けて立ったように答えたのはネルガルの青年だった。
 あれから彼らとはしばしば話すようになった。だが、紫竜だと言われているミルトンは彼らを毛嫌っている。
「同じ労力を使うなら高く売れる方に専念するのがネルガル人です」
「人から喜ばれなくともか」と、ミルトン。
 ミルトンにはそこが訊きたかった。装飾過剰な剣、否、あくまでも使いやすさを追求した上での装飾である。使いづらい道具は喜ばれない。だがミルトンにとって道具は芸術でもあった。ただ使いやすいだけでは面白くない。
「そうです」と、ネルガルの青年はこれこそがネルガル人の本質だと言わんが如くにはっきりと答えた。
「使いやすい道具を作れば皆から感謝されるのに」
「皆から感謝されるより一部の者に喜ばれた方がもうかるのです」
 大衆化すれば値段はさがる。値段が下がれば大量に作らなければ同じ利益を得ることはできない。そのため労働時間が長くなる。だが少なければ何時までもその値段が維持できる。少しの労働で大量の利益が得られる。
「かわっているよな、ネルガル人は。便利な道具があった方が楽できると思うのにな」と、ユーカスが口を挟んできた。
「私たちの楽とは、他人を支配して他人にやらせることを楽と言うのです。他人がやるのですから便利な道具などあったってなくたって関係ありません」
 はっ? とユーカス。やっぱネルガル人はわかんねぇーと、心の中で呟く。





 一方、竜の気の味を覚えてしまったナビエは、定期的に地下室を尋ねるようになっていた。今では看守も解っているのか、ナビエの姿を見ると扉のロックを解除するようになっていた。ナビエは二人に高級酒を渡すと中へと入って行く。
「あんな植物人間のどこがおもしろいのかな」
「なんだお前、知らないのか。すげぇー気持ちいい肌してるんだぜ。さすっているだけでむらむらとしてくるほど」
「おっ、お前!」
「館長があまり頻繁に通うものでな、俺も少し。ありゃ病み付きになるのも無理はない。お前も試してみるといい、今日来たんじゃ四、五日は来ないだろうから」





「なっ、ミルトン、あいつ、どうしているかな。飯、ちゃんと食わせてもらっているのかな」
 ユーカスは気になっていた。
「俺、ちょっくら様子」
「止めとけ」と、ミルシンは強い口調で言う。
「飯など食わなくとも、奴は死なない」
「でっ、でもよ」
「殺されたいのか」
「私も、止めておいた方がいいと思いますよ」と言ったのはクラフト。
「私たちの相手に出来る存在ではありませんから。紫竜が来ると言うのなら、それまでは近づかない方が」





 鉱物を採掘して燃料にまで加工するのがこの惑星での仕事である。採掘場は男が多いが加工工場は力のない女や高齢者が多い。燃料に加工されたものは巨大なコンテナに積み込まれ貨物船が来るのを待つ。空のコンテナが一杯になった頃、また宇宙貨物船がやって来る、日常雑貨を持って。だが今回は奴隷船、もとい労働契約者を乗せた宇宙船は同行していなかった。
「なんだ、今回は囚人はなしか」
 いつも新入りが入るとは限らない。労働者の数が減った時のみ、惑星の方から囚人の補充を頼むのである。
「今回は使い古しの女で我慢するしかないか」と、看守たちが話していると、
「整列」と、号令がかかった。
 今回は館長の交代がある。誰がこんな辺境の惑星に左遷されて来たのかと思っていたら、
「敬礼」
 シャトルから姿を現したのは、リンネル・カスパロフ・ラバ大将だった。
「カスパロフ大将だぜ、どうしてこんな惑星に」
「確か第七宇宙艦隊を指揮していたんじゃなかったのか。カスパロフ大佐が指揮を執るようになってから第七宇宙艦隊は負け知らずになったとか」
「俺もその噂、聞いたことがある」と、この間この惑星に配属された看守たち。
「ルカ王子が常勝将軍で居られたのも、カスパロフ大将のような参謀が付いていたからなのだろうな」
「それがまた、どうしてこんな辺境惑星へ?」
「そこ、何話をしている」と、上官の叱責。
 カスパロフは一人の部下と言うより秘書を連れて惑星へと降り立った。
 暑いと思う暇もなく、一台の地上カーが二人の前に停車した。二人はそれに乗り込むと、地上カーは敬礼する看守たちの前を通り抜け領事館へと向う。
 執務室で待っていたのは今までの館長ゲオルド・ナビエ・マルーフだった。既に明け渡しの準備は整っている。この星の総領事という立場もネルガルへ戻れることを思えば、何の未練もなかった。さっさと後継者に譲り俺はネルガルで、今までの死んでいたような生活を取り戻さなければ。唯一、気残りなのは。
 ネルガル星から帰還の連絡を受け、一番変わったのはナビエお抱えの娼婦たちだった。娼婦とは言え元は囚人。囚人の中から特に気に入った者を二、三人、身の回りの世話をさせると言うことで自室に囲っている。そして帰還の時に一緒に連れ帰ることもできる。これは将官クラスの特権だ。ネルガルへ帰りたい娼婦たちはここ数日、ナビエに対するサービスが良くなった。それもそのはず一緒に帰れなければ彼女たちは他の囚人同様、工場や採掘場で永遠に働かなければならない。ナビエはそんな彼女たちの気持ちを知って、彼女たちの与えてくれるサービスをフルに活用している。帰還の際、彼女たちを連れて帰る気は毛頭ない。だがそのことは一言も口にしない。あんなあばずれを相手にしなくとも、ネルガルに帰ればもっといい女は幾らでも手に入る。ただ唯一、あいつは連れ帰るか。どうせあのような状態、何処で監禁しておいても同じだろう。
 そんな思いを抱きつつ、今、カスパロフ大将と対峙した。
「遠路はるばる、ご苦労様です。さぞお疲れのことでしょう、まずは部屋の方に案内いたします。事務手続きは夕食の後にでも」
 そう言ってナビエは部下に案内するように指示した。
 部屋は前館長が使っていた所である。今まで客間として使われていたためそれなりの調度品はそろっている。これからはそこが館長の部屋になり今までナビエが使っていた部屋が今度は客間になる。
 さっとカーテンを開けると眼下に赤茶色の砂丘が広がっていた。
「本当に、何もない星ですね」と、感想を述べたのはリンネルに付き従ってきたクリス。
 ルカ殿下に会えると知って、付いて来たがる者は山ほどいた。リンネルはその中から彼の事務処理能力を買っての選任だった。これには選ばれなかった者たちも納得した。
 クリスも、またルカ殿下に会えるのならどのような過酷な星でもと喜んで付いて来た。
「まだ殿下がお見えになるまでは月日がある。その間にこの惑星のことをよく知っておかなければ」
 特に囚人や看守の気質。後々殿下にどのような災難が降りかかるかもしれない。もっとも殿下のことだ、またあの第十四宇宙艦隊を手なずけたようにここの囚人たちも手なずけてしまうのだろうが。
 クリスはさっそく荷を解き始めた。服はクローゼットへ洗面用具は洗面所へと駒のように動くクリス。
「クリス。自分のことは自分でやるから、君は君の荷物を」と、リンネル。
 クリスの部屋はリンネルの隣の秘書室が用意されていた。
「私の荷物はたいしたことはありませんから」とクリス。
 だがリンネルの荷物も、大将という階級にしてはあっさりしていた。贅沢品には縁遠いリンネル。その気になればそれなりの品は幾らでも揃えられるのだが、戦場に行くのに必要ないと言って必要最小限の物しかいつも揃えておかない。そんなカスパロフ大将の荷の中からクリスは懐かしい物を見つけ出した。
「これは、殿下が幼少の頃の服」
「捨てるに忍びなかったものでな」
 シナカ王女がルカのために丹念に刺してくれたものだ。
「着せたい人物がいて、それで持って来た」
「着せたい人物?」
 こんな囚人惑星に子供が居るのだろうか?
「事務手続きが済んだら、会いに行ってみるか。着られるとよいが」
 誰に? とクリスは怪訝な顔をした。
 リンネルがこの星に来たのはルカのことだけではなかった。


 軍部の会議でルカ王子をほとぼりが冷めるまでM13第6惑星に軟禁することが決まった。ついてはその従者に誰をと言うことになったのだが、第14宇宙艦隊の兵士を始め名乗りを上げる者が多すぎた。
 ルカ将軍のお傍に居られるのならどのような辺境の惑星でも厭わない。そんな感じである。そんな中、カスパロフ大将の一言。
「元々私はルカ王子の侍従武官ですので、最後までこの任務を果たしたいと思います」
「では、第7宇宙艦隊はどうするのだ」
「レイ・アイリッシュ中将に。彼も何時までも私の影ではかわいそうです。そろそろ彼の実力をお見せする頃ではないかと存じまして。彼なら私以上に第7宇宙艦隊をまとめあげるでしょう」
 カスパロフ大将のアイリッシュ中将に対する信頼が会議を動かした。
 M13第6惑星に軟禁されるのはルカ王子だけではない。既にイシュタルの王子が軟禁されている。青髪だと噂されていたがどうやらそれは情報部のミスのようだった。カスパロフはこの二人の王子の面倒をみることになる。
 出立前、クリンベルク将軍に呼び出されたカスパロフ。
「私が君をルカ王子の侍従武官に推挙したがために、君の一生を台無しにしてしまったようだ」
 武闘大会の優勝者ともあれば皇帝直属の近衛にも入団できたものを。それは下級貴族に取っては最高の名誉でありチャンスでもあった。皇帝の目に留まれば爵位のある貴族との縁談も考えられたのだ。
「いいえ、閣下。私は有難く思っております。ルカ王子は私の一生を捧げるに値するお方です。本当によき主に巡りあわせてくださったと感謝しております」
「そう言ってもらえれば、私の気持ちも少しは楽になる。できるだけ早く、ルカ王子と共に呼び戻すつもりだ。それまで辛抱してくれ」
 軍部にとってこれからの宇宙海賊との戦いには、どうしてもルカ王子の手腕が必要だった。
「閣下こそ、無理をなさらずに。宮内部とぶつかるようなことにでもなれば、ネルガルが分裂するようなことにもなりかねませんから」
 宮内部と軍部の仲たがいは地下組織の望むところである。
「くれぐれもお体に気を付けて」
「それはこちらの台詞だ、カスパロフ大将」
 二人は笑った。
「それとイシュタルの王子の件だが、これは極秘事項だ。あの惑星でも知っている者は極わずか。どのような状態なのか私もよくは知らないが、どうやら植物人間のようだ。青髪、悪魔という噂もあったが、どうやらそれはイシュタルの王家がイシュタル人に希望を持たせるために故意に流した嘘のようだ」
「さようですか。人間、苦しくなると最後は神頼みですから。どこの星も変わりがないようです」
「そうだな」と、クリンベルクは相槌を打つ。
 神を頼るようになってはその国も終わりだ。なぜなら神を利用した者の国民総暗示の始まりだから。
「まあ、殿下の事、くれぐれも。かなり宮内部や軍部のことを嫌っているようだが、気持ちが落ち着けばご自身の立場というものをもう一度お考え直してくださるでしょう」
 クリンベルクがルカ王子の軟禁の場所にM13第6惑星を選んだのは囚人惑星だからと言うことだけではなかった。誰にも邪魔されないところでご自身の立場とネルガルの未来をよく考えてもらいたかったからである。
「殿下は仲間想いの方ですから、仲間たちの暮らしているネルガルを見捨てるようなことはなさらないと思います」
「そうあっていただきたいものだ」


 リンネルはシャワーを浴び寛いだところでディナーの用意が整ったとの連絡を受けた。大ホールは恒例の乱交パーティーが始まっていたが、二階のダイニングルームは落ち着いたものだった。席は三つ用意されていた。
「将軍は部下を大事になさるとおききしまして」と言いつつ、ナビエは二人に席を勧める。
 どうやらクリスの席もあるようだ。
「もっとも下の方がよければ、若いことだし」と、ナビエは下卑な笑みを浮かべてクリスを見る。
「いいえ、閣下。私はあのような所はどうも苦手でして」と、クリスは勧められた席に着いた。トリスに随分連れて行かれたが、どうも馴染めなかった。
 クリスは自分では気が付いていないようだが、否、今までルカが傍に居たから目立たなかったと言うのが正当だろう、中性的な美しさを持っている。ナビエはごついカスパロフを眺めて食事するよりもクリスを眺めていた方がと思い、彼の席も用意させたようだ。
 食事を運ぶのはナビエお抱え娼婦たちだった。胸元が大きく開いたディナードレス。スリットからのぞく脚が艶めかしい。クリスは目のやり場に困っていた。
「ここはいいところですよ、女は日替わりで名指しできますから」
 飽きれば囚人牢に戻せばよい。そして替わりの囚人を。
「どうですか将軍も、女牢に行ってお好みの囚人を、今宵の抱き枕に。それとも将軍は男のほうですか」と、クリスに視線をさり気なく移す。
「そうですな、その内気が向いたら」と、カスパロフも無下に否定はしなかった。
 下手に否定をして話をこじらせたくはなかった。
 ナビエから一通りこの惑星のことを聞きだしながら食事は終わると、二人は早々に自室へと戻った。
 部屋に戻るなり、クリスは大きな深呼吸をした。
「どうした、クリス」
「あのように香水の匂いが強くては、料理の味が」
 カスパロフは笑う。だが直ぐに笑いを止めると、
「イシュタル人の捕虜が多いようだな。下手をするとアヅマの絶好の的になりかねない」
「そっ、そんな」と、クリスは一気に香水酔いから醒めた。
「それまでに帰還命令が出ればよいですね」と心配する。
「アヅマならまだ交渉の余地がある。シャーではな。だがシャーはイシュタル人の居るような所は攻撃して来ない」
 ある意味、この惑星は安全だ。シャーの目に留まった軍事要塞はことごとく死の惑星へと姿を変えた。



 次の日、さっそくリンネルはナビエを呼び出しイシュタルの王子の所へ案内させた。
 ナビエは焦った。王子の身のまわりを片付けるように女に言い付けようと連絡を取ったのだが、その応答がない。そのため時間稼ぎにいろいろと話題を替えカスパロフの足を止めようとしたのだが、カスパロフはそれを無視して地下室へと急ぐ。そして地下室では、今日が最後だとばかりに看守たちが欲望の全てを吐き出していた。これではいくら連絡をしても返事がないはずだ。通信機は扉の外に上着と共に打ち捨てられていた。ロックを解除し扉が開くと、ナビエですら唖然とした。
「お前ら、何をやっているのだ。早く服を着ろ!」
 ナビエ館長の突然の出現に看守らは驚く。一人は王子にそしてもう一人は女に伸し掛かっていたが、転げ落ちるように離れると慌てて服を着だす。
 リンネルはそんな二人を無視して王子に近づいた。そして自分の上着で王子の体を包むとゆっくり立ち上がる。
「クリス、女を頼む」
 クリスも自分の上着を脱ぐと女に掛けてやり、手を貸して立たせた。
 王子と女を連れ出そうとするカスパロフにナビエは声を掛ける。
「どちらへ?」
「私の部屋へだ」
「しかし、ここに監禁しておくように上から命令されております」
「こんな所に置けるか。いやしくもこの子はイシュタルの王子なのですぞ」
「蛮族の王子など」と、ナビエが言いかけ、カスパロフの憤怒の顔を見て口を閉ざした。
「王子は王子だ。いくら他の星の王子だとは言え、もう少し扱いようがあろう」
 子供とは言えその星を代表する者に違いはない。代表する者を蔑むと言うことはその星の人々全員を蔑むことになり、憎み合いの始まりにもなりかねない。
「蛮族はどちらだ」
 ナビエはカスパロフにそう言われて舌打ちをした。


 リンネルは二人を自分の部屋に連れて来ると、クリスに風呂の用意をさせた。
「先に、シャワーを浴びて来るとよい」と、リンネルは少年をソファに寝かせながら女に言う。
「私は大丈夫です。それより白竜様を清めてやってください。お水は好きなはずですから、きっと喜ばれます」
「白竜?」と、リンネルは訊き返す。
 当然クリスも辺りを見回した。幾度となくボイ人から聞かされた話だが、実在するとは思っていない。もしやあの白蛇がと思い、辺りを見回すが何もいない。白竜が何処に居るのだ? この少年が白竜だと言うのか? ただ気を失っているこの少年が。
 クリスは彼らのあまりの暴力にショックで少年は気絶してしまったのだと思っていた。見ればひ弱そうな少女のようだ。そう言えば殿下も。幼少の頃はこんな感じだった。似ていると思いながらも、しかし殿下の場合は外見と内面が違い過ぎた。殿下は内面にマグマを抱えるようなご気性だったから、後で痛い目を見た者がかなりいた。それを思い出しクリスの顔は微笑んだ。
「そうだ、私の部屋のバスを使うといいですよ。服も女物はないですが、私のでよければ。まだカスパロフ大将のよりましでしょうから」
 そう言うとクリスは女を自分の部屋へ連れて行った。そして小さ目な服を用意し、脱水所にそっと置いて来た、カスパロフ大将の方を手伝ってやろうと思い、否、男の私が傍に居てはゆっくりシャワーも浴びられないだろうとクリスなりに気を使ってのことだ。
 リンネルは少年を抱え込むと、静かに湯船に付けた。そして初めて気づく、胸の痣に。
「殿下と同じですね」と、クリス。
「ああ」と言いつつ、タオルで体をさすってやり背中を向けて驚く。
 痣は背中にもあった。丁度、胸から貫かれたような位置に。
「背中にもあるのですね」
 ルカには背中にはなかった。
 ふと、ヨウカの言葉を思い出す。
(こいつは影じゃ。本体に痣があるからこいつにも痣があるのじゃ。丁度、本体に腕がなければ影にも腕が映らないのと同じじゃ)
 この少年がルカ殿下の本体? そう言えばあの女はこの少年を白竜様と言った。ボイ人の話しでは竜神は二柱で一神。必ず白竜と紫竜が対をなしていると言う。
 湯に付けても意識が戻らない少年を見てクリスは、
「気を失っておられるのですか」と、リンネルに問う。
 それでリンネルは迷宮の思考から抜け出せた。
「否、この子は植物人間らしい」
「植物人間?」と、クリスは驚く。
「生まれた時から、寝たきりでほとんど反応をしめさないようだ」
「意志はあるのですか?」
「さあ、わからん。なにしろ私も会うのは今日が初めてだからな」
 一通りシャボンで洗ってやり、湯船から担ぎ出そうとリンネルは肩に少年を寄り掛からせた時、
(お前は誰だ?)と言う声。
 一瞬、クリスが何か言ったのかと思いリンネルは、クリスに何だ? と問う。
「何でしょうか、将軍」と、クリスに逆に怪訝な顔で訊き返されてしまった。
「いや、何でもない。あっ、そこのパジャマをとってくれないか」
 空耳か。否、声と言うよりもは頭の中に直接イメージとして入ってきたような。
 リンネルはクリスに手伝ってもらい少年にルカのパジャマを着せた。
「少し大きかったかな」
 だが袖を折り返せば着られなくもない。そのままリンネルのベッドへと運ぶ。
 ルカのパジャマを着せれば一層、
「似ておりますね」と、クリス。
「よくよく見れば髪の色も違えば目鼻立ちも違うのに、どうして?」
「君も、やはりそう思うか?」とリンネル。
 何処が似ている? と問われれば答えようがない。本当は似ていないのではないか。だがどうしてこうも。雰囲気が似ているのか? しかし片や何の反応も示さない植物人間。
 ベッドに横にしてやり肌掛けを掛けてやると、まるで幼少の頃のルカ殿下が寝ているようだ。
「やっぱり、似てますよね」と、クリス。
 そこへクリスの服を着た女が入って来た。こちらも服が大きいとみえ、袖や裾を折り返している。
 身綺麗にすれば見られない女ではない。それどころか美人の口だろう、疲労で少しやつれてはいるが。
「シャワーと服、有難うございます」と、丁寧に礼は述べるもののどことなく冷たい。
 まあ、あのような仕打ちをされていたのでは無理もないか。
「すまないね、男物の服しかなくて。明日にでも館長に言って女物の服を用意させよう。今日の所はそれで我慢してくれ」
 ネルガル人の、予想だにしなかった言葉に、女はただ俯いて頷く。そして少年の所に駆け寄ると、
「よかったですね、白竜様」
 きれいな布団に寝かされている少年を見て涙ぐむ。
「後は、紫竜様がいらしてくだされば」
 そう少年に話しかけている女にリンネルは尋ねる。
「話は、通じるのか?」
「いいえ、おそらく私の声は聞こえていないと思います。白竜様と話が出はるのは紫竜様だけですから」
 女はリンネルの方へ振り向くと、
「それより排泄がうまく出来ないのです。おむつをあてがうか管を付けませんと布団を汚してしまいます」
「食事は流動食なのか?」
 鼻には管が通されたままである。
 女は頷く。
「お前がずっと世話をしていたのか?」
 また女は頷いた。
「では、また頼めないか。私たちではどうしてよいかわからん」
 女は頷く。
「ただ、道具が地下に」
 それでクリスと一緒に取りに行くことになった。
 部屋に少年とリンネルが二人だけになった時である。壁際に人影。何時から居たのかと思えるほどに自然に現れた。まるで別世界のような人物。色白で華奢なその姿は一見、少年だか少女だかわからない。そして纏っている服が、この世の物とは思えないような品だ。豪華というより清楚と言った方があう、その色合いは少年の透けるような白い肌と紫の髪を引き立たせていた。しかもその布の織と言い刺繍といい王侯貴族が着るような、決して一般の貴族では手に入らないような品である。リンネルも上流貴族との付き合いは長い。物を見る目は確かだ。リンネルは警戒をするのも忘れその美しさに見とれた。もしこの世に天女が実在するならこのような姿をしているのではないかと。だがその人影はリンネルをまるで無視して少年に近づく。少年とある一定の距離を置くと止まり、少年に話しかけた。
「そんなにその服が嫌なら脱いたらどうだ」
 服が嫌? リンネルは疑問に思った。着せる時、拒むような反応もしなかった。
 だが少年は服を着せられる時からずっと葛藤していた。奴の服だ。着たくない。だがその服から漂ってくる奴の微弱な生体反応は懐かしくて放したくない。
「お前がそうやってはっきりしないから、何時までもこんな状態が続くんだよ」
 そう言われても寝ている少年は何の反応もしないようにリンネルには見えた。
 だがその人影は容赦なく言う。見た目は天女だが言葉は棘があった。
「食事ぐらい、自分で取ったらどうだ。排泄も。奴が来ないのなら自分でやらなければならないだろう、過去の経験を思い出して」
 暗闇の中、もう何千年も自分で動いたことはない。否、一時は人に転生するのを拒んでいたぐらいだ。何をどうしてよいか少年には記憶がなかった。否、思い出す気力がない。
「起きられるのか?」
 そう問われ、ベッドに寝ている少年は上半身を起こし始めた。だがそれが、リンネルは不思議に思った。何処も動かさず上半身だけが起き上がって来るのである。まるで糸ででも引っ張っているかのように。不自然だ。あれでは相当腹筋がなければ、否、腹筋がかなりあったとしてもあのように起き上がれるものなのだろうかと疑問に思っていた時である。
「ただ今、戻りました」と、クリスは部屋に入るなり部屋の異常に気付き、プラスターを抜いた。
 だがその銃口が焦点を合わせる前に女がその口先を天井に向ける。否、それより早く何か黒い影がいきなり空間から現れクリスを床に圧し倒し取り押えた。
 紫の髪の少年は緊張を途切れさせられた忌々しさに振り向きざま、
「煩いなユーカス。何しに来たんだ」と、きつい声で一喝する。
「何しに来たって、こいつはお前に銃口を向けようとしてたんだぜ」
 ユーカスと呼ばれた少年はクリスを押さえ付けたまま、たどたどしく言う。
「銃口を向けたからって、撃つとは限らないだろう、お前とは違う」
「はっ?」と、ユーカス。
 助けてやったはずなのに。とユーカス。どうして俺が怒られなきゃならないんだ。
「早く放してやれ、苦しがっているだろう」
 確かにクリスはユーカスに喉を締め上げられ苦しそうに喘いでいる。
「放したら、また」
「だからお前とは違うと言っているだろう。話せばわかる」
「ネルガル人だ、話など通じるか」
「お前と話すよりましだ」
「じゃなんかい。俺は言葉も解らない猿だとでも言いたいのか」
 ミルトンはやれやれと言う顔をすると、
「お前と猿を比較したのでは猿に失礼だろう。猿の方がお前よりはるかに知性が高い」
「てっ、てめぇー。言わせておけば」
「いいから、さっさとそいつを放してやれ」
 笑い声が聞こえた。見れば何時の間に現れたのか大男と長身の男が立っている。
「ミルトンさん、そこら辺にしてやりなさい。ユーカスがかわいそうです」
「事実を言ったまでだ」と、ミルトンは冷ややかに言う。
「わかった。もうどんなことがあっても助けてなんかやらんからな」と言いつつ、ユーカスはクリスを放した。
 クリスは慌ててリンネルに視線を送る、次の行動の指示を得るために。だがリンネルは軽く首を左右に振っただけだ。テレポートである。テレポートを使う相手になすすべがないことは過去の経験から知っていた。今はルカ殿下もおられない、出来るだけ彼らとの争いは避けるのが賢明。こちらから何もしなければ先方も何かしようという訳でもなさそうだし。
 ミルトンは少年に視線を戻した。
 不自然な体勢で起き上がっている少年。
「起き方も忘れたのか」
 ミルトンは呆れた顔をしながらも、手足の屈伸から教え始めた。まずはイメージを流し込む。手を曲げるとはどういう感覚なのか。感覚を持たない肉体。否、あるのだが生体エネルギーが強すぎて感覚を封じてしまっている。ミルトンがイメージ通りに少年の腕を動かしてやろうとした時。
「おい、触れて大丈夫なのかよ」と、ユーカス。
 この間のことがある。同じエネルギーを持つ者同士。
「こいつは、馬鹿は馬鹿でもお前ほどではないからな」
「わかった。もう心配もしねぇー」と、ユーカスは口をつぐんだ。
「そうだな。そうやって静かにしてもらっていた方がよっぽどいい」
 ミルトンは神経を集中させるとまた少年と対峙した。ゆっくりと手を伸ばし少年の腕を掴む。ミルトンもユーカスに言われなくともこの間のことがあったから警戒はしていた。だがエネルギー同士の衝突はなかった。どうやら少年がエネルギーを押さえているようだ。生体エネルギーというベールに五十にも百にも覆われた手で物に触ったところで、その物が柔らかいのか硬いのか感じることはほとんど出来ない。ミルトンはイメージを通してその感覚を与えて行く。布団の感触、ベッドの感触、肉体の感触。そして自然な所作で起き上がる方法。脳にイメージを流し込みそのイメージ通りに何度も体を動かしてやる。
「わかるか、こうやって起きるんだ」
 能力で起き上がれないこともない。だがそれは不自然な体勢を取り、強いては曲がるはずのない所を曲げてしまったりして骨を折る危険性がある。痛みぐらいは感じるだろうが、それも邪魔だと思えば能力でその痛みを断つこともできる。それでは肉体が持たない。
「今日はこの辺にしておこう。お前は疲れないだろうが、俺は疲れる」
 過度な緊張を強いられたミルトンは、呼吸が荒くなっていた。
 紫竜は人間と同じだ。動けば疲れも感じる。
(ありがとう)と言う思念。
「礼はいらない。それよりこの間俺が言ったこと、よく考えろ」
 新しい紫竜を作れと言うことだ。少年は黙り込むと不自然な寝返りをうち、ミルトンに背を向けた。
「アツチ」と言いつつ、ミルトンが少年に触れようとした瞬間、稲妻のようなものが走る。
 少年がミルトンを拒んだのである。アツチは自分の作った紫竜に触れられることを嫌う。ある白竜には数億年前からあんな出来損ないしか作れないのかと言われ続けて来たが。どんな出来損ないでも自分の分身には違いない。
「ミルトン!」と、ユーカスが慌てて駆け寄って来た。
(すまなかった)と言う謝罪とミルトンの身を案じる思念。
「心配ない。大したことはない」
 ミルトンの手から微かに血が滲んでいる。ミルトンは少年から離れると消えた。
「あっ、あいつ。何処へ行った?」と、ユーカス。
 ユーカスもミルトンを追うように消えて行った。
 残ったのはビッキとクラフト。
「危険ですね、彼にやらせるのは」と、クラフト。
「私たちがこの子と話が出来ればよいのだが」
「ユーカスさんなら、もしかして」
「だがミルトンの話しではこの子が私たちを受け入れないだろうと」
「何を、そんなに嫌われることを私たちはしてしまったのだろう。思い出せばわかるとミルトンは言っていたが」
 ビッキは腕を組む。
「百年や二百年なら思い出すこともできるが、何千年も前のことではな。私たちは竜ではないし」
「言い伝えがあるのではないか。竜とイシュタル人が仲たがいをしたと言う」
「さぁ」と、ビッキは首を傾げた。
「ネルガル人が嫌われた理由は白竜伝説に出て来るからよく知っているが、イシュタル人が嫌われていたという話しはな、初めて聞いた」
「それはそれ、これはこれで私たちを受け入れてもらえないものだろうか」
 二人の会話を聞いていて、そんな都合のいい話とクリスは思ったが口にはしなかった。
「紫竜様がおられればそうすることもできるだろうが」
「その前に紫竜様も私たちイシュタル人を嫌っておられたら」
 元も子もない。
「あの」と、二人の会話に割って入ったのはリンネルだった。
 この二人に訊きたいことは山ほどある。だが何から訊いてよいのか?
 二人は初めてリンネルたちに気付いたようだ。
「あっ、これは失礼。おられたのですか」
「おられたのですかって、他人の部屋に勝手に入って来たのはそちらですよ」と、弱気なクリスにしては、意外なほど強気に出た。
「失礼しました。直ぐに戻ります」
「少し待ってくれ。話がしたい」と、リンネル。
 彼らが消えようとするのを止める。
「いろいろと訊きたいことがあるのだ。何から訊いくか今整理するので、そこに腰掛けて少し待ってくれ」と、リンネルは居間のソファを勧めた。
 だが整理がつかない。取りあえず自己紹介からかと思い立ったリンネルは、彼らと対峙するように座り、
「私はこの都度新しくここへ就任したカスパロフと言うものだ」
「知っております。常勝将軍だそうですね、看守たちの間でかなりの噂です」と、クラフト。
「いや、その話は別にして。まず君たちの名前は?」
 そして思い立ったように、
「クリス、お茶を用意してくれ」と、クリスに指示を出した。
 それからまた二人に向き直る。
 二人の着ている服は囚人服、と言うことはイシュタルから連れて来られた捕虜なのだろう。だが先ほどの人物は違った。彼は一体どこからテレポートして来たのだろう。
 お茶が用意されるとクリスにも自分の横に座るように指示し、クリスを紹介した。
「彼には私の秘書兼、このコロニーの事務処理をしてもらう。何か足らないようなものがあれば彼に言ってくれ」
「私は体が大きいから大きいという言葉をもじってビッキと呼ばれている。彼は医者の卵だからクラフト。それにさっきユーカスと呼ばれていた少年はお頭が弱いと言う意味だ。そして紫色の髪のミルトンはいかさま師と言う意味だ」
 クリスは驚く。紫竜と呼ぶからには神ではないのか。それをいかさま師と呼ぶなど、ネルガル人の神経では考えられないと。だがリンネルは知っていたようだ。イシュタル人の名前はその人の体の特徴だったり職業だったり癖や性格で呼ばれることを。しかし馬鹿とかいかさま師と言うのを名前にしているとは。もっともハルメナス公爵の館にナマケモノと言う名前のイシュタル人がいた。そしてその呼び名はその場だけ、場所や付き合いが変われば当然呼び名も変わる。つまり彼らに決まった名前はない。
「あなた方は捕虜ですな。テレポートを使うような方々がどうして捕虜になったかは後で訊くとして、あのいかさま師と名乗る少年は、何処から来たのでしょう」
 近くに宇宙船でもあるのか。もし宇宙船があるならとリンネルは警戒する。警戒しても相手がテレポートを使うようでは手の打ちようがないのだが、軍人としての資質がそうさせる。
「彼もここの捕虜です」
「だが、服が」
「あれは竜宮から持って来たのでしょう、白竜に会うために」
「竜宮?」
「四次元に存在する竜たちの宮です。四次元ですから三次元からは何処からでも行けるのです、能力さえあれば」
 四次元。三次元的な時間と距離の感覚がない世界。ヨウカと接触してそれはうすうす感じてはいるが。
「彼は紫竜なのですか?」
「彼も紫竜だと言うべきでしょう。ただ今ベッドに横たわっている白竜の紫竜ではないだけで」と、今度答えたのはクラフトだった。
「白竜は何頭もいる」と、リンネル。
 ボイ星でいろいろな種類の竜の紋章を見せられた。その中の一つにルカ殿下の笛に描かれている竜と同じものがあった。
「その通りです。白竜の数だけ紫竜もいます」
「ミルトンの話しでは近々、あの白竜の紫竜が見えるそうです」
 捕虜収容船が来る予定はない。近々来る予定の船は生活物資を積んだ補給貨物船と、ルカ殿下を乗せた囚人船だけである。




 ナビエから総領事館の地位を受け継いだリンネル・カスパロフは、初の仕事として採掘現場の見回りから始めた、看守たちの反対を押し切って。
「なるほど、この暑さでは彼らが反対するのもわかる」
 恒星の光が微かにしか届かないのに暑いこの惑星は、上空にある太陽光増幅層のせいである。昼間はその層が光と熱を増幅させ面として地上に降り注いでくる。そして地上の砂を焼く。まるで熱い鉄板に上と下から挟まれたようだ。
「こんな中で働いているのですか」と問うクリスに、地上カーを操縦している看守が、
「午前中だけです。さすがに午後までは」
「では、午後は?」と、問うカスパロフ。
 午後、彼らが戻って来た気配はない。
「午後は地下で、別な鉱物を採掘します」
 脆い岩盤、こちらはこちらで生き埋めになる危険性がある。
「まず、労働環境を改善して行かなければならないな」



 そしてミルトンはあれからたびたびアツチの元へ現れては、体の動かし方を教えて行った。今では立って歩けるようになり、食事も排出も管を必要としなくなった。その気になれば会話もできるのだが、アツチの方から話してくることはない。



「何が、楽しくって生きているのかな?」とユーカス。
「奴は紫竜が来るのを待っているだけだ、数千年もああやって」
2014-10-14 23:54:23公開 / 作者:土塔 美和
■この作品の著作権は土塔 美和さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 今日は。やっと続きを書くことができました。消費税8%の呪詛、強力だっただけに返し(呪詛返し)も凄い。未だに消費が戻ってきません。忙しいのは体が疲れて大変でしたが、暇なのも会議会議で頭が疲れて大変です。おかげで妄想にふけっている時間もありませんでした。次は10%、これで宇宙艦隊日本も全滅ですね。妄想も被害妄想になりそう。などと暗いことばかり妄想せず、次回はカロルでも登場させて明るく行きたいと思います。お付き合い下さって、有難うございます。
この作品に対する感想 - 昇順
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