『蒼い髪 35話 復讐後編』作者:土塔 美和 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
 平民の母を持つルカは、王子とは言え身分は低かった。七歳の時、政略の道具としてボイ星へ送られる。ボイに謀反を起こさせるように仕向けたネルガルは、圧倒的な軍事力でボイ王朝を倒し、植民惑星とする。ルカは友人の助けを借り妻シナカを助け出すが、ネルガルでシナカは戦犯の娘として拘束される。ルカは軍部に協力することを条件にシナカの身の安全を図ったが、出兵中に異母兄ピクロス王子によって殺害される。復讐を誓い、ピクロスを山荘に呼び出したルカは、彼と彼の仲間たちとともに炎の中に身を置いた。
全角89175文字
容量178350 bytes
原稿用紙約222.94枚

 登場人物

  ルカ   ネルガルの王子 別名エルシア
  シナカ  ボイの王女 ルカの妻 ピクロスの手にかかる
  ミズナ  娼婦 ピクロスに恨みがある
  アヅミ  娼婦 ピクロスに恨みがある
  ケリン  ルカの親衛隊 元情報部所属
  ジェラルド  ネルガルの太子 ルカの異母兄 白痴
  シモン  ジェラルドの妻 カロルの姉 怒ると怖い
  ピクロス  ネルガルの王子 ルカの異母兄
  オルスターデ夫人  ピクロスの母
  クリンベルク将軍  ネルガルの名将 カロルの父
  カロル  ジェラルドの親衛隊隊長 野生児
  ニック  ジェラルドの親衛隊副隊長
  エドリス  ジェラルドの親衛隊 ボイ侵攻からのカロルの友人
  ハルメンス公爵  父 先代皇帝の弟 母 現皇帝の姉
  クロード  ハルメンスの秘書 地下組織のメンバー
  フェリス  ルカの親衛隊 地下組織のメンバー




 爆発を繰り返し炎上する山荘、ミズナとアヅミはそれをただ茫然と眺めているしかなかった。暫くすると裾野の方が賑やかになった。山林消防隊が火事に気付いたようだ。何十台とサイレンを鳴らして登って来る。山荘へと急ぐ消防カー、その内の一台がこの山小屋に気づいたようだ、近づいて来て止まった。
「大丈夫ですか?」
「誰か、居るのですか!」と、数人のどなる声。
 生存者を確認しているようだ。
「助けてください」と、侍女の一人が消防士の前に飛び出し救助を求める。
 この火事の全容を知っているのはミズナお姉様と私だけ。私たちさえ黙っていれば、とアヅミはとっさに思った。
 侍女の一人が懸命に訴える。
「山荘の中に、まだ殿下が」
「殿下?」と、首を傾げる消防士に、
「ルカ殿下です。それにピクロス王子も。助けようと駆けつけたのですが、既にホールは火の海で」
 髪を振り乱して訴える侍女。
「お願いです、殿下を、殿下を助けて」と、ミズナは狂ったように消防士に縋りつく。
「わかりました、とにかく落ち着いて」と、消防士はミズナや侍女の両肩を抱え、どうにか落ち着かせるようにする。
「今、医療カーを呼びましたから、とにかく皆さんの傷の手当てを」
 侍女たちの服はびしょ濡れの上にぼろぼろ、ところどころ血がにじんでいるのを見た消防士は、とりあえず彼女たちの傷の手当てが先と考えたのだろう、だが傷の大半は、慌てて山道を走ったためによる傷であり、たいしたことはない。
「逃げ出せたのはあなた方だけですか」
 パーティーに何人出席していたのが知りたいようだ。一人がタブレットを出してメモを取り始める。
 そうです。と頷く侍女。やっと安心したせいか、逆に恐怖を思い出し泣きべそをかきだした。
「大半の方は途中でお帰りなりました。コックや召使たちも帰ってよいとのことでしたが、誰も居なくなっては旦那様がご不自由だろうと思いまして私たち数名が残っていたのです」と、侍女に代わって説明を始めたのはアヅミ。
「それは、またどうして?」
「今宵はピクロス王子様がお見えになりましたので、あまりお酒が入らない内にと皆さん引き揚げられましたし、酔った時に被害が少ない方がよいと旦那様は仰せになりまして、私たちにも用がすみしだい帰ってよいと」
 そう言っただけで消防士たちもわかったようだ。ピクロス王子の乱行は平民の間でも知れ渡っている。納得したように頷く。
「わかりました。では残った使用人たちは全員無事なのでしょうか?」
 アズミは全員の顔をチェックし、
「残っていた者たちは全員いると思いますが」
 確かなことはわからない。と言う感じに答えた。この騒ぎだ、あまりはっきり答えるのはかえって不自然である。
 消防士は頷くと、
「とりあえず火を消さないことには。それとパーティーへの出席者の名簿がありましたら、お貸しいただけませんか」
「名簿はないのです。消失してしまったというより最初から、招待状は出しませんから。皆さん、好きな時にお見えになられますので」
 それがルカの夜会だった。その噂は流れている。ただ上流社会の人たちは知っているが、消防士たちはどうだろうと、アヅミは首を傾げる。その点を不審に思わなければよいが。アヅミは、ここは不注意による出火の一点張りで通すつもりだった。そうすれば亡くなられたルカ王子にも王族殺しなどと言う傷がつかなくて済む。私たちの復讐のためにこんな舞台を用意してくれたのだから。この手で一矢報いることが出来たことには心から感謝していた。アヅミはそのことをミズナにも言い聞かせた。
「名簿がないのでは」と、困り果てたような顔をした消防士は、アヅミに向かい、
「それでは記憶にある限りでけっこうですので、どのような方が見えられていたのか教えていただけませんか。生存の確認をとりたいもので」
「わかりました。では侍女たちや使用人も集めて訊いてみます。私の記憶だけでは心もとないもので」
 皆で誰の姿を見かけたと言うことで、おおまかな一覧表が出来てきた。この方は火事の前に帰られたと思います。と言う情報も。
「解りました。一応、確認を取ってみます」

 一方、火事場に駆けつけた消防士たちは、あまりの破壊の凄さに驚いていた。炎上する建物と言っても、ほとんど建物の原型は留めていなかった。建物は粉々に飛び散りただ飛散した瓦礫が燃えているだけならよいが、ところどころ陥没さえしている。水をかけても火は広がるだけ、一向に消えようとはしない。
「普通の火事でここまで粉々になるものでしょうか? まるで空爆でも受けたような」
「一体、何があったのだ?」
「何が燃えているのだ、この臭い」
 寄り集まり口々に呟く消防士たち。
 可燃性の液体にまじって人肉の焦げる臭い。
「あの時と同じだ」と言ったのは一人の消防士。
「あの時?」と訊きかえす同僚。
 やはりあの時もいくら水をかけても消えなかった、火は広がる一方で。
「ルクテンパウロ夫人の館が炎上した時ですよ、可燃性の液体が撒かれ、放火だということで検証が入ったのですが、結局捜査は途中で打ち切られた。お前らのような下級貴族の出る幕ではないと」
 どこでも現場の指揮を執っているのは貴族とは言え名ばかりの者が多い。
「では今回も、犯人は解らずじまいですか」
「おそらくな」と、その消防士は頷く。
「この液体は普通の人が簡単に手に入れることはできない代物なのです。これは調査して行くうちにわかったことなのですが、軍の極秘兵器の一部のようで」
 そこへアヅミたちから情報を得た消防士からの通信が入る。
 その通信を受け取った消防士の顔は青くなった。
「どうなさいました、隊長」
「この建物の中にルカ王子とピクロス王子がおられたらしい」
「ルカ王子が!」
 ピクロス王子はどうでもよかった。だがルカ王子は国民のアイドルでもあり憧れでもある。現に消防士の中にも彼を崇拝している者がいる。王子ながらに前線で指揮を執る英雄。負けを知らない智将。
「ご無事なのだろうか」と、消防士たちは炎を見詰める。
 この中に居たのでは助かるはずがない。
「その山小屋へ避難した者たちとご一緒ではないのか?」
「そこにはおられないようです」
 消防士たちはまた炎を見詰める。
「自力で他に避難したと言うことも考えられる。周辺を手分けして捜そう」
 誰もの胸の内に、どうか御無事でという祈りが。
 すぐさま捜索隊が結成された。火は燃料が尽きて来たのか最初の頃のような勢いはなくなって来ていた。そもそも燃えるような建物ではないのだ。今は建築法で燃えにくい材質になっている。せいぜい燃えたとしても中の調度品ぐらいで建物まで燃えるようなことはない。それがここまで消失したということは、誰かが故意にやったとしか思えない。一体、誰が何の目的で。ピクロス王子は恨まれても仕方あるまい、あの性分では。しかしルカ王子まで。まずい時にご一緒に居たものだ。





 こちらはジェラルドの館。ルカの山荘が炎上していると知ったカロルは、パジャマのまま廊下に飛び出していた。
「たっ、隊長。いくらなんでもその恰好では」
「かまわねぇー、早く車を用意しろ!」
 後ろを向いて部下を叱咤しながら走っていると、いきなり何かにぶつかった。
「いっ、痛てぇー」
 前方不注意。見れば人影。
 よくよく見れば、
「ジェラルド、てめぇー、どうしてこんな所に突っ立ってんだ」
 そして本当によくよく見れば、外出着。
「おっ、おめぇー、そう言う格好で寝ているのか?」
 するとジェラルドの背後からクラークスが現れ、こちらも外出着。カロルの部下に指示をした。
「裏口の方へカロルさんの着替えを持って来てやってください」
 部下は解りましたとばかりにすんなりとその指示に従う。
「お前、誰の部下だ!」と、カロルは怒鳴る。
「行きましょう、車は既に用意してあります」と、クラークスはカロルの気持ちを完全に無視してカロルを促す。
 既にクラークスの所にはさる筋から情報が入っていたようだ。
「知っていたのか?」
「いいえ私も、今知ったばかりです」
「それにしちゃ、用意が」
 ぶつぶつ言いながらも走る速度は落とさない。
「まったく、無駄に広い家だ」

 裏口には車がアイドリング状態になっていた。
 ジェラルド、クラークスと乗り込む。そしてカロルは車中にシモンの姿を見た。
「どうして姉貴がここに居るんだ?」
「こう言う状況ですので、ご一緒の方がよろしいかと思いまして」と、クラークス。
「シナカ様の件が御座いましたから」
 全員出払った後で。
「ご一緒に居てくだされば、あなたも私もおりますから」
 万が一の時にはどうにかなると言うことらしい。だがクラークスは一番強い味方の名を口にはしていなかった。
「そっ、そうだな」と、カロルは頷く。
 あの記憶はまだ新しい。否、今でも尾を引いている。
「俺たちが出払った後に襲撃されては、守りようがないからな。これが俺たちを誘き出す陽動とも限らないし」と、カロルにしては考えた。否、陽動であって欲しいとすら思った。犯人の目的が俺たちの方にあるなら、あの山荘にルカが居る必要はないのだから。誰も居ない方が火は付けやすいはずだ。そう思いながらも、カロルがシモンを連れて行くことに同意した一番の目的は、
「こいつの子守りも必要だし」と、カロルはジェラルドの方にさり気なく視線を流すと、
「おい、おとなしくしていろよ」と、ジェラルドに言い聞かせるように言う。
 そこへカロルの着替えを持った部下と副官のニックがやって来た。
 カロルはニックに後の事を指示すると、
「俺が運転する」と、運転席に乗り込もうとしてエドリスに気付く。
「どうして、お前が?」
 既にエドリスは運転席で準備万端整えていた。後はギヤをはずしアクセルを踏むだけ。それでいつでも車は発進できる。
「クラークスさんに直に頼まれまして」
「お前の上官は俺だ」と、怒鳴りながらカロルはクラークスを見る。何でこいつをとばかりに。
「早く乗ってください。発車しますよ」
 クラークスは完全にカロルの視線を無視した。
「着替えは車の中で、早く」
 クラークスに急かされるまま、カロルは車に乗り込む。カロルが車に乗るや否や、車は急発進した。
 その反動で思いっきりシートに腰を打ちつけながらも、
「なんで、エドリスを?」
 カロルは体勢を立て直しながら問う。
「エドリスさんなら何が起こっても驚かないと思いまして」
 それを聞いたエドリスが、
「そりゃ、隊長と一緒に居ると得体の知れないことばかりですが、俺、本当は幽霊、苦手なんです」
 エドリスは嫌な予感がしているようだ。
「誰だって、幽霊の好きな奴はいねぇー、馬鹿」と、カロルは言いつつ着替え始めた。
 パジャマをばさっと抜いた時、青年になってから初めて見るカロルの体にシモンは驚く。
「随分、傷があるのね」
 戦場を駆け回っているカロルの体は傷だらけだった。自慢ではないがクラークスにも若いころ将官として戦場で指揮を執っていたころの傷の痕が残っている。
「当然だろう、前線を駆け回ればこのぐらいの傷は。無い方がおかしい」
 そう言いつつカロルはルカの体を思い出していた。致命傷なほどの深手を負いながら、奴の体には傷痕はもとよりシミ一つない。
「やっぱり、あいつ、人間じゃねぇー」
 いきなりカロルが自分にでも言い聞かせるように呟いた言葉に、
「誰が?」と、シモンが問う。
「だからルカだよ。あいつ、どんなに深手を負っても、傷痕が残らないんだ。あいつの体には傷がねぇー」
 クラークスもそれは疑問に思っていた。ルカ本人に言わせれば突然変異だそうだが、そのような遺伝子があるなら皆が欲しがるだろう。カロルも同じことを考えていたのか、
「あいつ、王子でなかったらとっくに生体実験の材料にされていただろうな。奴の細胞を欲しがる製薬会社は多い。現に俺に髪の毛一本でもいいからもらってきてくれだの、耳糞でいいだのと。だがよ、なんぼ調べても奴の細胞は俺たちと変わらないらしいぜ。レセプターがどうのこうのとは言っていたが」
「どうしてあなたがそんなこと知っているの?」と、不審に思ったシモンは訊く。
「いい小遣いになるんだよ、奴の髪の毛。フケなんか持っていた時には喜ばれたぜ」
「カロル、あなたって」
 怒りだしそうになるシモン。
「いいじゃねぇーか、別に本人は痛くも痒くもないんだから」
 そう言いながらカロルは靴下をはきズボンをはく。やっと着替えが終わった頃にはカロルたちを乗せた地上カーは山を登り始めていた。
 検問で捕まる。
「これより先は通行禁止だ。看板が見えなかったのか」と、怒鳴る警官。
 だがボンネットマスコットからジェラルド王子の地上カーだと気付いた警官は、急に態度を改めて来た。
「これは失礼いたしました。この先は危険ですのでお戻りください」
 相手が強く出れば対応の仕方もあるエドリスだが、下手に出て来る相手にはどう対応してよいか困った。仕方なく後ろを振り向くと。カロルも強引に突っ切るしかないと思っていたのだが、タイミングを逃したような感じだ。するとジェラルドが静かに窓のガラスを降ろした。
「ハ・ナ・ビ」と、警官に言う。
「ハナビ? ですか?」と、警官が首を傾げる。
「ハナビ、ハナビ」と、楽しそうに言うジェラルド。
「そういう訳なんだ。こいつが」と、カロルは仕方なくという感じに言いかける。
 そして、そうか、と今更ながらに気付く。この手があるか。とジェラルドの言葉に便乗する。
「ジェラルド様がどうしても花火が見たいと仰せになり、だから少し通してくれないか。違うとわかれば気が済むのだから」
「しかし」と、困り顔をする警官。
 誰も通すな。と言うのが上官からの命令である。
「そこをなんとか」と、カロルはこっちも困っているんだとばかりに頼み込む。
「ハナビ、ハナビ」と騒ぐジェラルド。
 そこへこの警官の上官であり、カロルとは顔見知りの警官がやって来た。
「これはカロル坊ちゃま、お子守りご苦労様です」と、敬礼する。
「おっ、お前。どうしてここに居るんだ?」
「どうしてと言われましても、私は警察官ですので事件があれば何処にでも」
「お前、人が苦労しているのを見て、今、笑ってただろう」
「そんなことありませんよ。心から労をねぎらったのですが。そのように聞こえましたか」
「お前に言われるとな」と、カロルは視線を上空にそらし溜息を吐く。
 ジェラルドが背後で騒いでいる。
「なっ、頼むよ。こんな夜更けに花火だなんて言ってたたき起こされるこっちの労をねぎらってくれるならよ、なっ」と、カロルは両手を合わせて拝みこむ。
「いくら花火じゃないと言ってもきかないんだ。一度見れば気がすむから、ほんの数秒でいいから」
 ほとほと困り果てていると言う感じにカロルは言う。
「わかりました。門を開けてやれ」と、部下に指示する。
「しかし、隊長」と、部下が心配した。
「相手がジェラルド王子では仕方なかろう」
「わりぃー、恩に着る。ところで、皆無事なのか?」
「数人山小屋に避難して来たようですが」
「ルカは」と、カロルは訊いて、「ルカ王子は?」と、訊きかえした。
 こう言っちゃなんだが、他の連中はどうでもいいルカさえ無事なら。
「それがその避難して来た使用人たちの話しによりますと、ピクロス王子とホールの中におられたそうで」
「ピクロス王子?」
 カロルは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「はい。昨夜はピクロス王子がお見えになられたもので皆様、早めに切り上げたとか。絡まれて問題でも起こしたらつまらないと言うことで」
 さもありなん。と内心納得しながらも、
「どうしてピクロスが」と、疑問を持つカロル。
 だがクラークスは既にその情報も掴んでいたようだ。
「お二人とも逃げ出せなかったと?」と、クラークスが話しに割って入って来た。
「使用人の話しによりますと、助けに行った頃にはホールは火の海だったそうです。ですがもしかしたらと思いまして、大概貴族の館には万が一に備えて地下通路があると伺っておりますので。ただ今皆で周辺を捜索中ですが、まだそれらしき情報は。お怪我でもされておられなければよいのですが」
 ルカ王子がそれを使って非難したかも知れない。
「ピクロス王子の方はどうでもいいのですが、ルカ王子様の方は、一目お会いしたいと皆思っているようで必死で捜索しているのです」と言ったのは、背後にいた別の警官。
「私もこんな任務を言い付けられなかったら、捜索隊に加わりたかったです」
「皆、本気になって捜索しています」
「そうか、有難う」
 カロルは心の底から素直に感謝の言葉が出た。
「現場、少し見せてもらってもいいかな」
「どうやら放火のようなのです。何か気づいたら教えてくれるというのが条件で」
「わかった。何か気づいたら教える」
「では、私が案内しましょう」
「エドリス、奴と運転かわれ」
 隊長がジェラルドの車に乗り込む。
「たっ、隊長。いいのですか、そんなことをして」
「彼はルカ王子の友人なのです」と、隊長はカロルのことを他の警官に紹介した。
「それに、今回使われた可燃性の液体にも詳しい」
「可燃性の液体?」
「はい。以前、ルクテンポウロ夫人の館が炎上した時に使われたものと同じもののようです」
「そっ、そうか」
 あいつに限ってそんなことはないと思っていたが、ここに来てカロルは確信めいたものを感じた。

 案内された場所は何もない平地だった。数時間前までここに豪華な山荘があり、中で夜会が開かれていたなど想像もつかないほど何もなくなっていた。火は完全に消えているようだがまだ所々くすぶっているようだ、煙が立ちのぼっている。
「では、私はまだ任務がありますので。何かわかりましたら連絡ください」
 そう言ってジェラルドの方に最敬礼を取って立ち去る隊長。
 カロルは一通りの礼を言うとその場に降り立った。
 暫し呆然と焼け跡を眺める。どこから手を付けてよいのか。
 復讐とは言え、ここまでやるか、馬鹿。と心の底で毒づきながら。
 あいつの徹底した性格を今更ながらに思い知らされた。これじゃ、骨すら残っていまい。案の定、人が居たであろう所には血が酸化されてできたと思われる赤茶黒い影があるだけ。
 カロルは大きく肩で息をする。
 とにかく、生きててくれ。どんな姿になっても、俺が助けてやる。
「何も、ありませんね」とクラークスが、カロルの横でやはり何から手を付けてよいのかわからないという感じに呟く。
「地下室とか、なかったのかな」
 あの液体から逃げるには地下にもぐることだ。ただかなりの高温になるから下手な地下室では蒸し焼きになってしまう。
 カロルはルカが最後に居たと言う大ホールのあった場所へと歩き出す。骨でも落ちているか、否、生きている証を求めて。あいつは人間じゃない。こんなことでは死ぬはずがない。今までだって、もっと悲惨な状況に遭遇して来たのにあいつは生き残って来た。あいつはこんなことで死なない。
 ジェラルドたちも車の中から唖然とした顔で現場を見詰める。
 エドリスが慌てて車から降りカロルの後を追いかけようとした時、
「お前たちは、そこで待っていろ」と、カロル。
 ジェラルドとシモンの護衛は必要だ。
 カロルはまだ所々煙の立ちのぼる焼け跡を一歩一歩踏みしめる。動きはとても緩慢なのだが、気持ちは次第に焦り始めていた。何もない。時折、人骨だか肉片だかわからないものに脚をとられるが、ルカのものではないような気がしていた。もし奴がこの場で焼け死んだのならあの奇妙な笛ぐらいあってもよさそうだ。それてもあの笛ですら焼失してしまったのか?
「ルカ! 何処に隠れているんだ、出て来い!」
 カロルは堪り兼ねて怒鳴っていた。ふざけてんじゃねぇーぞ。内心で罵声を浴びせる。
 周辺で捜索していた者たちがカロルを見た。
 カロルがバツ悪そうに視線を逸らした時、焼け跡に白蛇の姿を見た。
「ヨウカ」
 白蛇は微かに頷くと、付いて来いとばかりに鎌首をもたげたまま這い出す。
 カロルはその後を必死で追いかける。気づけばいつの間にか地上カーの前に出ていた。
「車に乗れと言うことか?」
 白蛇は頷く。
「おい、皆、車に乗れ」
 ジェラルドたちも近くを探索していたようだ。
「見つかったのか?」と、エドリス。
「今から、奴の所へ行く」
 皆が驚いた顔をしてカロルを見た。
「いいから、早く乗れ」
 皆が車に乗り込むのを見届けると、
「エドリス、あの白蛇を追え」と、カロルは車の前方を指さす。
「白蛇って?」
 残念ながらエドリスには見えなかった。だがジェラルドには見えたようだ。
「ヘビ」と言って、カロルと同じ場所を指さす。
 どうやら見えるのはカロルとジェラルドだけのようだ。
「どけ」と、カロルはエドリスを助手席の方に追いやると猛烈な勢いで車を発進させた。
「カロルさん、あまり飛ばさない方が、不自然に思われます」と、クラークスが忠告する。
「でも、白蛇が」 消えてしまったら。とカロルは心配した。
 地上カーより早く這う白蛇。否、宙を飛んでいると言う方がふさわしい。
「彼女が私たちを案内したいのなら、下等なこの乗り物に速度を合わせてくれるはずです」
「そうだな、あいつだけならもっと早く宙を飛ぶのだろうが、我々と一緒じゃ、超ド級の宇宙貨物船を引船しているようなものだろうな」
 だが何時しか景色はぼやけ、気が付くとある崖の淵に来ていた。
「ここは?」
 だがカロルとエドリスは直ぐに気付いた。この景色、忘れもしない。
「ここ、シナカ様を乗せた車が」と、言い出したのはエドリス。
 散々シナカの懐剣を探し回った場所だ。木の根のはり方まで記憶にある。
「あの山荘からどうやってここへ? 時間は数分と経っていない」
 誰もが時計を確認した。
「超ド級の貨物船もけん引してくれる船によってはかなりのスピードが出るようですね」と言ったのはクラークス。
 だがカロルはそんな冗談に付き合っている余裕はなかった。車を降りるや白蛇の後を追う。
 崖の淵、白蛇が動きを止めた先にルカが佇んでいた。
(カロル、あやつを、助けてやってくれ)
 白蛇からの思念。
 ルカはカロルの存在に気付くや、谷に飛び込もうとした。それを間一髪、カロルはルカを抱え込むようにして大地に転がる。
「何、考えてんだ、てめぇーは」
 ルカに殴りかかろうと振り上げたカロルの拳を、ジェラルドが掴む。
「放せジェラルド。たたき起こさなければこいつ、何をするかわからない。寝ぼけてやがる」
 ルカはカロルからジェラルドに視線を移した。
「にっ、兄さん」
「ルカ、大丈夫ですか」
 その声は凍てついた大地をふんわりと包み込む綿雪のような温かさがあった。
「兄さん、私はピクロス兄さんを殺してしまった」
「あれは火事です」と、穏やかに言うジェラルド。
「違う、私はこの手で」
 ルカは自分の手を見詰める。
 ジェラルドはカロルと場所を入れ替えるとルカを優しく抱き起す。
 ルカは手を見詰めたまま、
「私は、私の腕の中からシナカを奪った奴が許せなかった」
 涙が頬を伝わる。ジェラルドの顔を見たとたん、張りつめていた糸が切れたように。何のための涙だ? ピクロスに対する涙か、それとも後悔の涙か。ルカはどうして涙が流れるのか自分でもわからなかった。後悔はしていない。ましてピクロス兄さんに同情など。だが涙は止めどもなく出て来る。ルカはジェラルドの腕の中で泣いた。ジェラルドはそんなルカを落ち着くまで無言で抱きしめていた。
 暫くするとルカがジェラルドの胸から頭を放した。
「落ち着かれましたか」と、ジェラルド。
「あなたはボイ星が襲撃された時からずっと、我慢して来たのです。怒りという感情をゴム風船の中に押し込めて。ずっとずっと破裂しないように押さえて来ていた。だがピクロスはそれを割ってしまったのです。誰にも限界はあります。割ったゴム風船のゴムが当たったからと言って誰のせいでもありません。割った人が悪いのです」
 ジェラルドははっきりピクロスが悪いと言ってのけた。
 カロルは驚いた顔をしてジェラルドを見る。こいつ、正気か?
 ルカは視線を大地に落とすと、
「私は自分勝手です。他人には許すように説得しておきながら、自分がいざそう言う立場になると、復讐をしなければ気が済まなかった。私はシナカを失ってからずっと、この機会だけを待ち続けていた。そのためだけに生きていた。彼らを地獄まで道案内しなければ、間違って天国へなど行かれたら、あそこにはシナカたちがいるのです」
 ルカはそう言うとジェラルドの腕を振り切り崖の方へ走ろうとする。それをカロルが取り押えるより早く、崖の方に先回りしていたクラークスがルカを捕まえた。クラークスの腕の中でぐったりするルカ。
「何をした!」と、怒鳴るカロル。
「鎮静剤です。こんなこともあろうかと」
 クラークスの手の中には麻酔針とはわからないような指輪が握られていた。
「暫くは眠っております。目が覚めない内に館の方へお連れいたしましょう」
 クラークスがルカを抱きかかえようとした時、ジェラルドが手を差し伸べる。
「私の大切な弟ですから、私が」
 ジェラルドにしても異母弟をこれほど愛おしいと思ったのは初めてである。
「お前、正気に戻ったのか?」と、カロル。
「ジェラルド様ははなから正気でしたよ」と、クラークス。
 カロルは元よりシモンもエドリスもそれには驚く。
「じゃ、今までのあれは何だったんだよ」と、カロル。
「芝居です」と、あっさりと言い放つクラークス。
「芝居って、じゃ、こいつは正気で俺を今まで愚弄していたのか」
 怒りが込み上がって来た。
「ゆっ、許さねぇー」と、騒ぎ出すカロルに、
「しぃー」と、ジェラルド。
「そんなに騒いだらルカが起きてしまいます」
 そう言われれば静かにせざるを得ない。だが腹の中は煮えたぎっていた。
「覚えていろよ、ジェラルド。この落とし前はきっちり付けてもらうからな」と、小声で言うカロル。
「覚えて居られたら、覚えておきます」と、いつもの芝居を始めるジェラルド。
「てっ、てめぇー、この期に及んでもそんなことを」
「カロル! 少し静かにしなさい」と、シモンは手をあげかけた。
 だが夫の手前、聖女を装う。
 この銀河で何より怖い姉の平手。飛んでこない内に言うことをきかなければ。これがカロルの幼少のころから仕込まれた記憶。体も力ももうとっくに姉以上になっていると言うのに、未だに逆らえない。もう条件反射と言ってもいい。
 カロルは首をすくめてしょぼんとする。
 だが誰の心の中にもルカが生きていてくれたと言う喜びがあったようだ。それがカロルをはしゃがせていた。
 ジェラルドはルカを抱えて車に乗り込む。
「シモン、あなたの上着をルカに貸してやってください。それと帽子も」
 ルカにシモンの上着を着せ帽子を被せれば、どこからどう見ても、どこかの令嬢が車酔いをしたか、気分を害したかでジェラルドに凭れかかっているようにしか見えない。
 シモンがその隣に乗り込みいたわるように服を直す、向かいにクラークスとカロルが座った。
「エドリス、車を」
 エドリスが車を発進させた。
 ヨウカがじっと崖の淵で見送っているのには誰も気付かない。

 ジェラルドは館に着くまでずっとルカの手を握りしめていた。
「ルカ、あまり自分を攻めてはいけない」
 独り呟くジェラルド。
 しーんとしている車中に、バックミラーで皆の様子を窺いながらエドリスが尋ねてきた。
「あのー、こんな時にとは思うのですが、どうも気になって一つ訊いてもよろしいですか」
「何ですか?」と、クラークスは優しく訊きかえす。
「あの俺たち、山荘からあの崖まで、どうやって行ったのでしょうか」
 それを考えると今夜は眠れないような気がした。
「それは、車を運転していたカロルさんに訊いた方がよいのではありませんか」
 いきなり振られたカロルは、
「俺が」と、カロルはクラークスを見据えながら自分のことを指さし考え込む。
 だが直ぐに頭を切り替えると、
「そんなこと知るか。ぐだぐだ言ってねぇーで前見て運転しろ。事故ったらもともこもねぇーだろ、せっかくあの火事場から助かったと言うのに」
 そうだこいつはあの火事場から逃げ出して来たんだ。それなのに火傷どころかかすり傷一つない。
 カロルはジェラルドに寄り添って寝ているルカをまじまじと見る。
 やっぱこいつ、化け物だ。と心の中で呟く。まぁ、お前がネルガルの王子だろうと蛇の化身だろうと、俺にとっちゃどうでもいい。お前はお前なのだから、またつまらねぇー屁理屈を俺の前で自慢げに並べ立ててくれりゃ、それでいい。

 クラークスは車を裏口に止めさせる。
 ジェラルドがルカを抱えたまま車から降りた。
「今、客間を」
 用意しようとしたクラークス。
「否、私の寝室に連れて行きます。その方が人目につかない」
「では、ジェラルド様はどちらでお休みに?」
「私はシモンと」
 それを聞いた途端、カロルが怒鳴った。
「てっ、てめぇー、姉貴に何する気だ!」
「たっ、隊長。お二人はご夫婦なのですから、何をするのしないのって」と、カロルを押さえに入ったのはエドリス。
 よって、エドリスがカロルの怒りを一手に引き受けることになった。
「そのぐらい、わかってらー、このド阿呆」
 カロルはおもいっきりエドリスを殴った。わかっているからどうにもならないんだ。感情と理性の凌ぎ合い。俺はこいつを姉貴の夫とは認めたかねぇー。叫びたい思いだった。
「まぁ、仲間割れはそこらへんにして、カロル」と、ジェラルドはやたら清々しい声で言う。
 誰のせいでこうなったと思っているんだ。とカロルは心の中で毒づく。
「あなたは寝室のソファで寝てください。ルカに変なまねはしないでくださいよ、私の大事な弟なのですから」
「だっ、誰がー。俺はおめぇーじゃねぇ」

 一頻りの騒ぎが落ち着き、とりあえずルカをジェラルドのベッドへ寝かせ、皆は揃って隣の部屋に移り、今後のことを話しあい始めた。
「どうするんだ、これから」と、言い出したのはカロル。
「放火と言うことは、現場検証をすれば直ぐわかる」
「そうですね」と、クラークス。
「ルカが犯人だと言うことも、時間の問題だろう」
「ですが、それは誰も口にはしないのではありませんか」
 公然とルカ王子が放火をしたとは。状況証拠だけで実際に見た者はいないし、身分がそれを言わせることを禁忌している。
「でもオルスターデ夫人はどうでしょう。我が子を殺されたとなれば黙ってはいないと思いますが」と、シモン。
「そうだな、このまま匿えばお前の身も危なくなるぜ、ジェラルド」と言ったのはカロル。
 カロルも馬鹿ではない。共犯だと言われかねないことを忠告した。
 こいつ(ジェラルド)はどうでもいいが姉貴を不幸にすることは出来ない。かと言って、ルカを見捨てることも出来ない。カロルは頭を抱えた。どうして俺はいつもこういう選択肢を強要されるのだ。
 その時である。ルカの見張りをさせておいたエドリスが飛び込んで来たのは。
「どうした、エドリス」
「麻酔がきれそうです」
「麻酔が?」
 クラークスは時計を見る。
「まだ、少し早いと思いますが」
「でも」と、エドリス。
「行ってみよう、また馬鹿なことをされたら」と、カロルはソファから飛び跳ねるように立った。

 カロルはノックもせずにおもいっきり扉を開けた。
 寝室の奥、ルカは窓ガラス越しに庭を眺めていた。
「また、飛び降りるつもりか」と、カロル。
 ここは崖ではない。だが打ちどころが悪ければ致命傷にもなりかねない高さだ。
 ルカは静かに振り向いた。
 カロルは自害を警戒しながらゆっくりルカに近づいて行く。
「お前、死ねないんだよ、知ってるか?」
 こいつが今まで助かって来たのは偶然ではない。俺がこの奇怪な剣に守られているように、こいつも何かに守られている。
「知っております、カロルさん」
 一瞬、カロルの動きが止まった。カロルはそのルカの返答に違和感を覚えた。
「きっ、貴様、ルカじゃないな。エルシアか?」
 そう思った瞬間、カロルはルカに殴りかかっていた。拳を振り上げ、もう少しで拳がルカの顔面を捉えようとしたその刹那、ルカが消えた。カロルはバランスを崩したたらを踏む。振り向くとそこにルカが居た。
 どうやって移動した? だがカロルには思い当たることがあった。
 テレポート。カロルは初めて見た。そしてこの部屋に居た者全員も、実際に見るのは初めてだった。
「これがテレポートですか」と、クラークスが感心したように言う。
「私もイシュタル人の端くれですから」
「やはりあなた様はイシュタル人だったのですか」
 エルシアは苦笑する。
「本来、魂に何人と言う国境はないのです。国境どころか、動物であろうと植物であろうと、それとも鉱物であろうと、そのような感覚は魂にはないのです。ただエネルギーが凝縮して三次元に出現した時、どのような形をとるかによって自我の表現が変わって来るだけです」
 カロルはぽかんとしてしまった。意味が解らない。ジェラルドたちも多かれ少なかれカロルと似たような反応をしていた。
「じゃ、なんかい。石ころにも魂があるって言うのか?」
「エネルギーを魂と言うなら、石は石であろうとする力が魂ということになります。現にその力がなくなれば石は三次元に存在することはできなくなります」
 ますますわからなくなってしまった。訊くんじゃなかったと後悔するカロル。こいつ、ルカに似ている。やたら解からネェー屁理屈ばかりならべやがって。
「要は、器の違いでエネルギーは同じものなのです。ただ凝縮したものの違いによって意志が表現できるか出来ないかの違いがあるだけで。否、実際は全てのものが表現しているのです。ただ我々にその受容体がないためキャッチできないだけです。もっとも実際、それらを全てキャッチすると大変なことになりますが」
 エルシアはそういう人物を知っている。人でありながら虫の想いまで、否、石の思念までキャッチしてしまう人物を。
 カロルはエルシアの言うことを理解することを諦めた。カロルはエルシアと同じ人でありながら、エルシアの言うことをキャッチする受容体を持っていなかったのである。こいつは人間じゃねぇーから、わからない俺の方が正常だ。と屁理屈を付けて。
「ルカは、どうしたんだよ?」
 自分の理解できる範囲に話を持って行く。
 こいつの屁理屈などどうでもいい。こいつもルカと同じで、わかんねぇーことを並べやがって。まあ、奴の言い方を借りればエルシアとルカ、器が同じなのだから表現も同じなのだろう。だがカロルにとって魂がどうだろうと宇宙がどうだろうと、そんなことどうでもよかった。肝心なのはルカが生きているか、その一言に尽きる。しかも正気で。生きていてもジェラルドのようじゃ困る。まて、奴は正気だ。と思いカロルはジェラルドを見た。ジェラルドはいつものようにぽかんとした顔で立っている。うむ、正気なのか。まあいい、この際ジェラルドが正気だろうが馬鹿だろうがアホだろうが。うむ、頭が混乱しそうだ。なんでここでジェラルドのことを考える。
「ルカは眠らせております、少し心が落ち着くまで。眠りは思考の再構築になりますから。寝ている間に、それこそこの宇宙に存在するあらゆるものから助言を受け、夢で自分のやったことをもう一度再現し、納得するしかないのです」
「どうして、お前は止めなかったんだ。あいつがこんなことをしでかして、まともで居られるはずがないだろう」
 ルカは報復だの復讐だのを一番嫌っていた。それは繰り返しを招くだけで何の解決にもならないからだ。
「止めました、ですがこの肉体はルカのもので、ルカが覚悟を決めた以上、私にはもうどうすることもできません」
「今のように眠らせればよかった」
「意志がしっかりしている時は無理です。彼は復讐に正当性を与えてしまったのです。ピクロス王子は自分が玉座に着くために、あなたやあなたの奥方様」と、エルシアはジェラルド夫妻を示した。
 カロルはピクロスの行動には気づいていた。ルカから再三警告されてもいたこともあり。かなり警戒はしていた。奴のスパイがこの館に潜んでいることを割り出し、数名の使用人を首にはしたものの完璧とは言えなかった。
「強いては自分の兄であるネルロス王子の命まで狙っていたのです。それを知ったルカはピクロス王子の指示で動いている者たちを全員あの山荘に呼び出し」
「ピクロスと共に」と、カロルが言うと、エルシアは頷いた。
「別にあなた方に恩を着せるということではありません。復讐に正当性を与えることで行動を起こしやすくしたと言うだけのことです」
 カロルは黙り込む。あいつの考えそうなことだ。
 暫しの沈黙が流れる。
「大丈夫なのか、奴は」
 あまりの沈黙に耐え兼ねてカロルはもう一度エルシアにルカの無事を問う。
「次に目を覚ました時には、今より少し落ち着いていると思います」
「何だ、その思います。て言うのは、頼りにならないな」
 カロルはエルシアに文句を言う。言ってもせんないことなのだが。
「これからどうなさるおつもりですか」と、尋ねたのはクラークス。
 オルスターデ夫人のことだ、我が子を殺されてこのまま黙っているはずがない。何らかの報復はしてくるだろう。
「そうですね、ここに居てはあなた方に迷惑をかけることになりますし」
「そのようなつもりでお尋ねした訳では」と、クラークスが困ったような顔をする。
「ええ、わかっております」
「迷惑なんて、俺たちはちっとも」と言うカロルに対し、
「あなた方に迷惑がかかることはルカが一番嫌がることです」と、エルシアはカロルたちの支援を断った。
「じゃ、どうするんだよ」
「旅に出ようかと思っております」
「旅? イシュタルにか?」
 エルシアは黙り込む。
「本当はイシュタルに帰りたいのですが、ネルガルを離れるわけにはまいりませんので。とりあえず自分の館へ戻り、治安部が来るのを待ちます」
「それじゃ、旅どころじゃねぇーだろ。捕まり死罪だ」
「たぶん彼らは私を処刑することはないと思います」
「どうして?」
「ピクロス王子とルカと、どちらが存在価値があるかと言う問題です。それがあなた方ネルガル人の思考パターンですから。今軍部はルカを必要としています。アヅマやシャーと戦えるのは私しかいませんから」
 カロルは、はっと思った。確かに、同じ技(テレポート)を使えるこいつなら奴らの動きが読めるはずだ。
「イシュタル人はそのような考え方はしないのですか?」と、疑問を投げかけて来たのはクラークス。どうしても必要価値が優先されるネルガル。それは裏を返せば、役に立たないものは存在することすら許されないという結論を生む。
「イシュタル人には存在価値という概念がないのです。全てのものは存在が許され、自然の摂理によって死んでいきます。死に対する抵抗もしません。また生まれ変わることを知っておりますから。もっともこれは三次元だけを見た場合ですが、あらゆる次元を含めればどこかに必ず存在しているのです。そうですね、丁度あなたがたがこの部屋を出て隣の部屋に移動した感覚ですか。この部屋には存在しなくなっても隣の部屋に居る」
 カロルはちょっと待てと言う感じに片手をあげ手のひらを突く出すような感じでエルシアに見せた。
「お前らの概念などどうでもいい」と、話題をもとへ戻す。
 また、ややっこしくなったら大変だから。
「確かに軍部はお前を必要としている、それは事実だ。だがオルスターデ夫人はどうかな。彼女はそんなことは考えないだろうから、彼女の息のかかった者がお前を捕らえに来るとも限らない。奴らは裁判なんて面倒なことはしないぜ、その場で処刑だ」
 エルシアはカロルのその反論に微笑みで返した。
「その時は今お見せしたように」
 つまりテレポートを使ってその場から逃げると言うことか。
 なるほど。と、カロルは納得した。余計な心配だったかと思うものの、いまいちしっくりこない。
「おそらく軍部は、ほとぼりが冷めるまで私を何処かの惑星にでも軟禁するでしょう」
 これがエルシアの考えのようだ。そう予測通りに事が運ぶかどうか。
「それが私の旅です」
「えっ!」と、カロルは言葉を失う。こいつ、何、考えてんだ?
「それでは旅とは言えなくありませんか、軟禁状態では」と、カロルに代わって問いただしたのはシモン。
「旅の目的はただ一つ、ある人物に会うことなのです。ただ彼女をネルガル星に呼ぶわけには参りませんので、私がネルガル星を離れる必要があるのです。ですが、王子の身ではなかなか。ボイ星の時がチャンスだったのですが、あの頃は私の方にまだ心の準備がありませんでしたので」
「どうしてその女性をネルガル星に向かい入れられないのですか」と、今まで黙って会話の成り行きを聞いていたジェラルドが、初めて口を開いた。
 どんな話の内容かはわからないが、心の準備が必要なほどの話しならこの星でじっくり話し合われた方が。ジェラルドはそう考えた。
「それは」と、エルシアは口ごもった。
 エルシアは視線を落とすと、自信なげに答える。
「彼女が会ってくれるかどうかもわからないからです」
「喧嘩でもされたのですか、夫婦喧嘩のようなものを」と、シモン。
 お互いに仲直りがしたいのに我を張って仲直りができない。
 エルシアはシモンを見ると、苦笑しながら、
「そのようなものなのかもしれません。悪いのは私なのです。それはわかっているのですが」
「だったら、さっさと謝ればいいだろう」と、カロル。
 悪りぃーのが解っていて、何をぐずぐずしてんだ。
「そうもいかないのです。私が非を認めると言うことは、彼女が正しいと言うことになりますから」
「だって、おめぇーが悪りぃーんだろ。だったらその彼女とか言うやつが正しいに決まってっんだろうが」
 わかんねぇー野郎だな。とカロルは首をひねる。ルカもときおり相矛盾することを平気で言うが、こいつもか?
 エルシアは黙り込んでしまった。
 歯切れが悪い。カロルが一番苦手とする展開だ。気短なカロルは、
「まぁ、いい。それより俺の耳が悪くなければ、お前さっき、ネルガルを離れられないと言っていたよな。それなのに今度は恋人に会うために離れると言うのは、ちっと無責任じゃないか。何で離れられないのかは知らないが」
「恋人ですか」と、エルシア。
「恋人じゃねぇーのかよ、夫婦喧嘩って言ってたじゃないか」
 それはシモンがかってに例えに使っただけなのが、カロルはエルシアが夫婦喧嘩をしていると思い込んでいた。
「馬鹿ね、夫婦喧嘩では、もう恋人ではないでしょ」と、シモンが茶々を入れた。
「じゃ、何時結婚したんだよ」と、カロルはシモンに食って掛かる。
「俺はルカがシナカ様以外の女性と付き合っているところを見たことがねぇー」
 イラつきが限界にたっしかけている。
 エルシアはまた苦笑した。
「私はネルガルに来てから未だかつて一度もネルガルを離れたことはありません。ルカがボイ星に居た時も、私の本体はネルガルにありルカとは異空間を通して繋がっているだけです」
「今もですか」と、尋ねたのはクラークス。
 エルシアは頷く。
「なっ、どうしてネルガルを離れられないんだ?」
 エルシアは黙り込む、それは話したくないという感じに。
 それに気づいたシモンがカロルを注意しながらエルシアに言う。
「話したくなければお話にならなくとも、誰にも話したくないことの一つや二つありますもの」
「有難うございます、シモンさん。もう少し時間を下さい。その時がきたらルカの口から話させますので。今はまだ、彼とうまく意思疎通ができないもので」
「出来るはずねぇー。ルカはお前の存在を嫌っているからな。だってそうだろー、自分の中にもう一人自分がいるなんて、俺がそうでも薄気味わりぃー」
「カロルさん、私は以前あなたに話さなかったでしょうが。一人の人間は数十もの人格(意志、魂)の集合体であると。そもそも意志、魂がエネルギーの集合体なのですから。例えば目の前に分かれ道があるとします。もし人格が一人しかいなければ、右と決めれば何の迷いもなく右へ行きます。しかし実際は、右にしようか左にしようか迷います。それは右がいいという人格と左がいいという人格、最低二つの人格が存在していることを意味します」
「あのな、聞いたかもしれねぇーが、俺はな、理解できない話は直ぐ忘れることにしてるんだ」
「あら、理解できない話どころか、何でもかんでもすぐ忘れるのがカロルなのよ」と、シモン。
 カロルはむっとした顔をシモンに向けた。
「羨ましいですね」と、エルシア。
「何でもかんでも忘れることが出来たら」と、エルシアは黙り込む。
 カロルは馬鹿にされたと思ったようだが、シモンは話が重くなったのを感じ話題を変えた。
「確かにどちらか悩むことはあるわ。でも、それをカロルに当てはめるのは無理です。なぜならカロルは右と思えばさっさと右に行ってしまいますから。この子は頭を使うことがないのです。よって迷うことも悩むこともない。幼少の時からそうなのです」
 ジェラルドとクラークスはもう我慢できず吹き出しそうになった。二人とも口に拳をあて、どうにか笑いを堪えている。
「姉貴、何もこんなところで」と、カロルは怒る。
「それは同じような考え方をする人格が集まったからですよ。うらやましい」
「なんかおめぇー、俺を遠回しに馬鹿にしていないか」
「馬鹿になどしておりません。本当にうらやましい。私などあまりにいろいろな意見が出て、身動きが取れなくなることもあります。旅に出ることもずっと以前から考えていたのですが、結局今まで結論が出ず」と、エルシアは苦笑しカロルに視線を移すと、
「カロルさん、あなたに会わなければ私はまだそのことで悩んでいたかもしれません。本当にあなたの人格の集合はうらやましい」
 カロルはむっと来た。やはり単純だと遠回しに馬鹿にされている。
「カロル、なに、脹れているの?」と、シモン。
「俺はな、以前からこいつが嫌いだったんだよ。今、それを再々確認した」
「まぁ」と、呆れるシモン。
 だがエルシアはカロルの言葉をまるで無視して、
「もうじき、ここに宮内部の人たちが見えます。私はそろそろ戻ります」
「宮内部の奴らが」と、カロルは目を光らせる。何しに?
「戻る前にシモンさん、あなたの身が心配です。カロルさんだけでは心もとないですし」
「悪かったな」と、カロルは不貞腐れる。
「どうせ俺はルカがいなきゃ」
「それは私も同じです」と、ジェラルド。
「ルカは私に玉座をと言っておりましたが、ルカが補佐してくれるならと思っていたところです。ルカが居なければ私も何もできません。またここへ戻って来てくれるのでしょうか」
 エルシアは頷いた。
「私はこのネルガルを離れることはできませんから、彼女と話し合った後は、またここへ戻ってきます。ルカはあなたがたにお返しします」
「そうですか、それを聞いて安心しました」
 ジェラルドには漠然とだがネルガルの未来図があった。だがそれを完成させるにはどうしてもルカの助力が必要だった。私一人では成し得ない。
 エルシアはもう一度シモンの方に視線を向けると、
「シモンさん、あなたを私の主に守ってもらおうと思います。いつも身に付けているものを一つ、お借りできませんか?」
「いつも身に付けていると言われましても?」と、シモンは考え込む。
 するとエルシアは、
「その指輪を貸していただけませんか?」
 ジェラルドからもらった結婚指輪である。
「そうね、これならいつも身に付けているけど」と言いつつ、ジェラルドの方を向く。
 ジェラルドが頷いたのを見てとり、シモンは指輪をはずしエルシアに差し出した。
 エルシアはそれを受け取り、念でも込めるかのように握りしめ、目を閉じた。目を開けた時、エルシアは微かにほほ笑み、
「いやいやながらも守ってくださるそうです」
「なんだ、そのいやいやながらって言うのは?」と、カロル。
「私の主は天邪鬼なのですよ。こうしてくれと言うと、嫌だと答えるし、ではいいと言うと、じゃ、やってやると答えるのです」
「お前のようだな」と、カロル。
「私はカロルさんに似ていると思いましたが」と、エルシア。
 ジェラルドとクラークスは笑う。だが、カロルに言い返したエルシアは、
「私もそんなに天邪鬼ですか?」と訊きかえす。
「ああ、そうだ」
「似てますか」と、エルシアはしみじみ言う。
 それから握りしめた拳を開き、指輪をシモンに返す。
 指輪を受け取ったシモンは一見何の変化もないように感じたが、指輪の内側を見て驚く。そこにはカロルの剣に彫られているのと同じ竜の文様が彫り込まれていた。しかもその竜の目が開き、じっとこちらを見ていたかと思えば、いつの間にか目を閉じていた。今のは、錯覚? シモンは不思議そうな顔をしてエルシアを見る。
「その指輪、肌身離さず持っていて下さい。必ずあなたとあなたが大事に思う人たちを守ってくれますから。これで安心して旅に出られます」
 どうやって、彫り込んだのだろうと思うシモンたちを後に、
「ではこれで、失礼いたします」と、エルシア。
「送りましょう」と、クラークス。
 エルシアは軽く首を横に振ると、
「もっと早い方法がありますので」
「テレポートか」と、カロル。
 エルシアは頷いた。
「ちょっと、待て。ルカの館に戻って、もしルカが意識を戻したらどうするんだ。誰もいなくちゃ、あいつのことだ、また何をしでかすかわからない。俺が暫く付いていてやろうか」と、カロルは心配そうに言う。そして念を押した。
「勘違いするなよ、お前にじゃなくルカにだからな。ルカが精神的に落ち込んでいるのに一人にはできないだろう」
「有難う、カロルさん。あなたのその優しさにどれほどルカは救われてきたか。でも大丈夫です。あなたにはシモンさんを守る任務がありますから」
「姉貴はお前の主とかいう奴が守ってくれるんだろう」
「私の主はさっきも申しましたように天邪鬼ですから、気が向かないとやらないのです」
「はぁ?」と、カロルは首を傾げた。
 それじゃ、役に立たねぇーじゃねぇーか。だがこの剣も、自力で切り抜けられるときは何の反応もしないどころか邪魔までしたが、もう駄目だと言う時は必ず守ってくれた。あの指輪の文様もこの剣と同じ、て言うことは、あの指輪もこの剣のような振る舞いをするのか。例えば小便を引っ掛けたり。それでも、まあいいか、守ってくれることには違いないから。それよりやはり心配なのはルカのことだ。
 カロルが心配そうに自分を見詰めているのに気付いたエルシアは、
「ケリンさんを呼ぼうと思っております」
「ケリンを?」
「はい。ケリンさんが一番心置きなく話せるようですから。似ているのでしょうね」
「ルカとか?」
「私ともです」
「あんな冷血人間のどこが、ルカと似ていると言うんだ。お前ならいざ知らず」とカロル。
 エルシアは苦笑しながら、
「ルカも私も、いざとなれば非常になれるのです、自分すら切り捨てられるほどに。でなければ戦争の指揮などとれません」
 そりゃ、そうだが。とカロルは納得した。そういう意味ではルカとケリン、それにこいつは似ている。ただの非常ではない。自分すら砲弾の一つと数えられるんだ、こいつらは。
 エルシアが水平に片手をあげると、そこから蛇が這い出すのが見えた。それはこの部屋にいた全員が見えたようだ。エドリスが引きつったような悲鳴をあげる。
 白蛇はエルシアの体内から抜け出し、壁の前で妖艶な女性、それこそ目のやり場もないほどの姿をとった。
「ヨウカ、聞きましたね、ケリンさんを呼んできてくれませんか」
(わらわがか?)
 ヨウカの思念。
「そうです」
(何でわらわが?)
 暫しの沈黙。何も答えないエルシアに業を煮やしたヨウカは、
(行けばよいのじゃろ、まったく蛇使いの荒い奴じゃ)と、文句を言いながら壁に頭から飛び込んで行く。下半身が壁の中に入るころには巨大な大蛇と化していた。
「ばっ、化け物」と、震えるエドリス。
 そんなエドリスにエルシアは静かに声を掛けた。
「エドリスさん」
 エドリスは硬直した状態でエルシアを見る。彼は今までの経緯をじっと部屋の隅で聞いていた。できれば聞きたくなかったと思いながら。こんな化け物に関わりたくない。俺は偉くなりたいわけではない。ただ一市民が得られる平凡な幸せを望むだけだ。
「わっ、わかっている。今までのことは見なかった、聞かなかった」と、震えなが目を押さえ耳を塞ぐ仕種をした。
「だから、どうか命ばかりは」と、両手を合わせて拝みこむ。まだ二十代だ、死ぬには早すぎる。
「有難う、エドリスさん。これからもよきお友達で」
「悪いが、俺は、遠慮しておく」
 エドリスは歯が噛みあわないほど震えながらも、しっかりと断った。
 カロルが大声で笑う。
 エルシアはその場から姿を消した。それと同時に、侍女が宮内部の方が見えたことを告げに来た。
 宮内部の方々と対面した時、別の侍女がルカ王子からの通信が入っていることを知らせに来た。
 ルカからと、さり気なく時計を見るジェラルド。五分と経っていない。ルカは自分の館にテレポートするなり通信を入れてきたことになる。何のために? ジェラルドは察するところがあり、さり気なくクラークスに、
「ルカは無事?」と、半開きに口を開いたまま訊く。
 いつもの白痴が始まった。
 それを聞いたクラークスもジェラルドの真意を察したのか、宮内部の使者に話しかける。
「ルカ王子はご無事だったようですね、何処におられるのでしょうか?」と、居場所を知りつつ尋ねる。
 クラークスのその問いに、今、ここに。とカロルが反応しそうになったのを見て、シモンがカロルを睨み付けた。あなたは、黙っていなさいとばかりに。
「それは私たちの方がお尋ねしたくて参ったのです」
 宮内部は、ジェラルドがルカを匿ったと見ていた。否、ジェラルドにそのような能力はない。匿うとすればクラークスかクリンベルク家、目的は何だか知らないが、と思いつつ使者はクラークスやシモン、カロルの顔を見た。あの現場でジェラルドの地上カーが目撃されている。
「とにかく、回線を開きましょう」と、クラークスが卓上のパネルを操作すると、何もない空間にまるで透明のスクリーンでもあるかのようにルカの映像が結ばれる。
『ご心配おかけいたしまして申し訳ありません。私は見ての通り無事です』
「何処におられるのですか?」
『自分の館から通信を入れております』
 宮内部の使者はとっさに通信の位置を確認する。確かにルカの館からである。
「夜会にご出席なされていたのではありませんか?」と宮内部の使者。
 ルカはスクリーンの中で苦笑すると、
『ピクロス王子に嫌われているもので、早めに帰宅しました』
 話の筋としては辻褄が合う。ピクロス王子はルカ王子との同席を嫌っていたから。
「さようでしたか。ではあの現場には? あなたがホールに居たと証言する娼婦がいるのですが」
『人違いではないでしょうか。私は娼婦たちをピクロス王子に紹介し、その足で自分の館へ戻りました』
 その後は何があったのか一切知らないという感じにルカは、否、エルシアは言う。
 あいつはエルシアだ、ルカではあんなにうまく嘘はつけないと、カロルは確信していた。





 治安部から情報を得た軍部は、軍独自で調べあげた情報と照らし合わせていた。極秘兵器、それがこうもいとも簡単に流出するとは。小遣い稼ぎに軍の内部情報や武器を売る者は後を絶たない。いくら厳重に警戒し、厳しい処罰を与えても、背に腹はかえられないのか、一向にその手の犯罪が減る兆しはない。
「やはり、あの可燃性の液体ですな」
「これで二度目だぞ。保管はどうなっているのだ」
 異星人に対して使うために開発された兵器が、国内で使われるとは。
 ルクテンパウロ夫人の館では対処も早かったためたいした怪我人も出なかったが、今回は可燃性の液体のうえに爆弾まで使用されたため、大惨事となってしまった。
「それより、あの現場にルカ王子がおられたとか?」
「現場を見て来た者の話によると、まるで空爆でも受けたようだ。王子は無事なのか?」
「それが、宮内部の話しによりますと、奇跡的にルカ王子は爆発の前に帰宅されていたご様子で」
「しかし、娼婦の話によると」
「あの者たちの話しは信用おけませんから」
「では、ピクロス王子もご無事で?」
「それが」と、宮内部からの情報を持って来た者は言葉を濁した。
「無事ではなかったのか!」
「遺伝子照合で、ピクロス王子の頭蓋骨の一部かと思われる骨が焼け跡から発見されました」
「それは、間違いないのか?」
 情報を持って来た者は頷く。
 会議室の中は静まり返った。
「どうしてルカ王子だけ帰宅されたのでしょうか?」
「おそらく喧嘩でもなされたのでしょう。あのお二人の仲の悪いのは軍人なら誰でも知っておりますから」
 ベンハルト侯爵の孫娘を巡る一連の事件は、過大な修飾語をともなって、噂となって瞬時に下級士官たちを中心に広がった。
「しかし、では何故、ピクロス王子はルカ王子の山荘へ出向かれたのでしょう?」
 ルカ王子が招いたとは考えにくい、仮にそうであったとしてもピクロス王子が出向くはずがない。ピクロス王子はルカ王子が弟であることすら認めたがらないほどルカ王子を毛嫌っておられるのだから。そしてルカ王子は賢明な方だ。ピクロス王子のそのような気持ちをよく御存じでご自身から近づくことはなかった。
 誰もが同じような出口のない思考パターンを繰り返していたようだ。会議室は暫し沈黙が流れた。それを破ったのはさる幕僚の一言。
「奥方様が殺されるまでは」 ルカ王子は賢明な方だった。
 あの件に関しては、宮内部はルカ王子が帰還する前に、治安部に圧力をかけ事故で処理させた。だがあのような見え据えた工作、ルカ王子の手にかかれば、ばれるのに時間すら必要としなかったのではないか。
 その時である、セキュリティーシステムが来客のあることを告げたのは。入室して来たのは治安部の長官。
「これはコベルト長官、わざわざのご足労、痛み入ります」
 このくそ忙しい時に呼び出しておいて何がと思いつつも、コベルトは挨拶もそこそこに握りしめていたチップを卓上の入力装置に差し込んだ。
「これが、我々が入手できた情報です」
 会議室の卓上はディスプレイへと変わる。卓上に立体映像が浮き上がる。まず最初に浮き上がって来たものはルカの山荘の正式な見取り図と破損の状況だった。
「ホールや客室は跡形もない程に破壊されております。おそらく爆弾はこれらの真下に仕掛けられていたようです。それと庭も、ベンチ等が置いてある場所はことごとく破壊されております。それに可燃性の液体はやはりルクテンパウロ夫人の館と同様、スプリンクラーで撒いたようです。おそらくこちらは同一犯人かと」
 何も知らない治安部の長官は、放火に関しては同一犯と見ているようだ。
「それほど手口が似ているか?」と、聞いたのはクリンベルク将軍。
 何か思い当たることがあっての質問のようだ。
「と、申されますと」と、長官。
「否、話を続けてくれたまえ。治安部の見解を聞こう」
「爆弾の仕掛け方から、徹底的にルカ王子を狙ったものかと思われます。王子が休憩されるような所には全て仕掛けられておりましたから」と、長官は爆弾の仕掛けられていた位置を一つ一つ指し示しながら言う。
 どうやら治安部ではピクロス王子は巻き添えを食ったと見ているようだ。あくまでも犯人の狙いはルカ王子、怨恨の線が濃いと。
「しかし、これだけの爆弾を仕掛けるにはかなりの手間暇がかかったと思われます。犯人はルカ王子の近辺に居て、時間をかけてこの仕掛けを組み立てて行ったものと思われます。ルカ王子の傍に居て疑われない者、そしてかなり爆弾に精通している者」
「では、犯人は使用人の中にいると」
「その可能性が高いかと」
 将官たちは腕を組んで黙り込む。その沈黙を破ったのも長官。
「それと、これは今回の事件とはあまり関係がないかと思われますが、あの日はボンウェル伯爵のご令嬢もお見えになられることになっていたそうです」
「ボンウェル伯爵の令嬢が?」
「はい。何でもご令嬢が伺った時、ちょうどルカ王子は体調をくずされてお会いになれなかったそうで、それでそのお詫びとしてあの日を約束されていたようですが、前日になって日時の変更があったそうです、日付の印刷を間違えたとのことで。乳母に言わせれば、今思えばピクロス王子が見えることを知って、お嬢様に間違いがあってはとのルカ王子の配慮ではないかとのことです」
 将官たちは顔を見合わせた。
「ボンウェル伯爵のご令嬢とは、末娘のことかな。確かエミリアン嬢とか言ったかな」
「はい、よく御存じで」と、長官。
 間違いない。と将官たちは確信を得た。ピクロス王子がボンウェル伯爵のエミリアン嬢に気があるという話しは、知る人ぞ知るところだが、これで辻褄が合うと誰もが思った。ルカ王子はエミリアン嬢を餌にピクロス王子を呼び出したのだ。
「あのお方に限って、そのようなことをなさるでしょうか」と、誰かが呟いた。信じられないとばかりに。
 この部屋にいる誰しもがそう思った。それと同時にあの異星人の存在。ルカ王子にとってあの異星人は。我々に守らせるほどの存在。そして我々はそれに答えられなかった。今我々はルカ王子を必要としている。だがルカ王子はもう我々を必要とはしない。
「あのお方とは?」と、訊きかえした長官に、
「否、何でもない。こちらの話しだ」と、将官の一人は話を閉じる。
「ご苦労だった。また何か解り次第連絡してくれたまえ」
 長官もそう言われてはその話の先も訊けず、しぶしぶと退室した。
 長官が退室すると、会議室の中はにわかにざわめいた。
「どうします、やはり犯人は」
「しかし、証拠がない」
 あるのは動機と状況証拠のみ、ルカ王子につながる物的証拠はない。
「娼婦たちの口を封じれば、ルカ王子は先に帰ったと仰られていることだし、後は事故と言うことで片付けられる」
「さいわい治安部は使用人を疑っているようだから、使用人の中から適当な犯罪者を作り出せば」
「しかし使用人ではどうか。かなり軍の極秘事項に通じているものでなければあの液体は盗み出せないし、爆薬にたけたも者でなければあのような仕掛は作れない。使用人では無理だろう」
 将官たちは考え込む。
「ケリン・ゲリジオではどうだ。彼は元情報部員だし工作員でもあった。彼が仕掛けたとすれば誰もが納得いくだろう」
「しかし、彼がルカ王子を狙ったとは」
「最初から狙いはピクロス王子だったとすれば辻褄があうだろう。彼を犯人にすればよい。ルカ王子を助けるためだと説得すれば」
「身代わりになると。しかし、納得しなかったらどうします?」
「その時は、逃げようとしたから銃殺したと」
「死人に口なしというところですか。しかしそれではルカ王子が。ルカ王子はかなりゲリジオとは親しいようですから」
「それで自分が助かるのだ。かえって我々に感謝することだろう」
「そうでしょうか?」と、誰かが呟く。
 その時である。またセキュリティーシステムが反応した。こんど入室どころか、いきなり飛び込んで来たのは宮内部の動向を探らせていた者だった。
「たっ、大変です! ルカ王子が」






 ピクロスの壮絶な死を聞かされたオルスターデ夫人は錯乱状態だった。
「ピクロスが、どうしてあの子が、これは何かの間違いだわ。どうしてあの子があんな下賤な者の山荘に、行くはずないではありませんか」
 狂ったように叫んでは泣き乱れるオルスターデ夫人。
「奥様、お気を確かに」と、侍女が心配して声をかける。
 そこへピクロスの兄ネルロスが戻って来た。
「ただ今戻りました」
 ネルロスは弟の遺体の確認に宮内部へ行って来たのである。
 宮内部で用意してくれた霊安室には、弟以外にも数人の遺体が安置されていた。その奥、一段高い所に弟の遺体は安置されている。黒焦げでばらばらになった肉体。否、あれは肉体とも呼べない。まるで炭化された数センチの木屑のような塊が数個。豪華な箱の中に納められている。遺伝子鑑定書が付いていなければ誰のものかすら解らないどころか、木炭と間違えそうだ。あまり仲の良い兄弟とは言えなかったが、ネルロスは変わり果てた弟の姿に唖然としてしまった。やはり母を連れて来なくてよかった。
「遺留品らしきものはほとんど」と言う職員に、
「今回の被害者の名簿を見せてくれ」と言うネルロス。
 職員は持っていたタブレットを操作し、DNA鑑定と娼婦たちの話しから現在までに解っている被害者の名簿を写真入れで映し出す。
 ネルロスは死者の名簿を見て悟った。何時かこんな日が来るだろうとは思っていた。だからあれほど身を慎むように言い聞かせていたのに。馬鹿な弟だ。まんまとルカ王子の罠に嵌って。ネルロスは弟ピクロスのように愚かではなかった。彼は感情に流されず現実を分析することが出来る。その結果、彼は次第にルカの実力を認め始めていた。あれらの勝利、偶然にしてはあまりにも多すぎる。例えあれらの指揮がルカの侍従武官カスパロフのものであったとしても、その指揮を傍で見ているルカはよほどの愚鈍でない限り学んできているはずだ。我々より、より多く、しかも実践で。
 弟を殺されても、ルカに対する怒りは何故か湧いて来なかった。それどころかこれを機に、ルカに接近してみようとすら思った。弟の件、黙っている替わりに私に協力するようにと。ジェラルドはあのような有様だ。と言うことは今玉座に一番近いのはこの私と言うことになる。父にクリンベルク将軍が居るように私にも。
 独り思いに耽っていたネルロスを現実世界に戻したのは母親の一言だった。
「どうしてあなたではなかったの。どうして死んだのがピクロスなの。あなただったらよかったのに」
 母が要領の良い弟を激愛していたことは知っていた。だが、これほどとは。
 オルスターデ夫人はネルロスの両腕にしがみ付くと大きく揺すりながら、
「あなたが死ねばよかったのよ、あなたが」と、叫ぶ。
 侍女たちが慌てて夫人をネルロスから引き離すと、ソファの方へ連れて行く。
「お気を悪くしないでください。奥様は取り乱しておられるだけですから。ご自身が何を言っているのかすらわからない状態なのです」
 侍女の一人が気を使う。
「ああ、わかっている」と、ネルロスは答え部屋を後にした。
 その後を追って、一人の侍女が部屋から姿を消した。
「殿下、お待ちください」
 ネルロスに追いつくと背後から声をかける。
「お話ししたいことが」
「もうよい、わかっている。母は散乱しているのだ」
「そのことでは御座いません。私がお話ししたいのはピクロス殿下の事です」
 静かに言う侍女。だがそこには、思い詰めたような意志がある。
 ネルロスもただならぬ気配を感じたのか、自室へと彼女を連れて来た。
 部屋にはネルロスの侍従武官が居た。ルカにリンネル・カスパロフが付いているようにネルロスにも侍従武官が付いている。そのことは侍女も奥宮に使えるもの、よく知っていたが今回だけは二人だけで話がしたかった。侍女の心を察したのか、ネルロスは言う。
「彼なら心配はいらない」
 そう言われてしまってはそれ以上の拒否はできない。侍女は頷くしかなかった。
 緊張して立っている侍女にネルロスはソファに座るように促した。侍女とは言え王宮に仕えるもの、身分は貴族である。ただ食うか食わずの下級貴族の者が多い。平民が出入りしているのはルカの館ぐらいである。
 侍女は緊張した面持ちでソファに腰を降ろすと、ポケットから小瓶を取り出しテーブルの上に静かに置いた。
「それは?」
「ピクロス様から渡されたものです。妹の治療費のかわりにこの液体を一滴、あなた様の膳に垂らすようにと」
 それを聞いてネルロスも侍従武官も驚いた。
「何時からだ!」と、詰問する侍従武官。
 一瞬侍女は恐怖で顔を引きつらせたが、覚悟は決めて来たようだ、静かに話し出す。
「ルカ王子が御帰還された頃だと思います」
 正確にはシナカが事故死(宮内部公表によれば)してから。
 ルカ王子が正気を無くしたと見てとったピクロスは、玉座を自分のものにするため次は兄であるネルロスを排除しようと動き出した。
 そう言えばあの頃から体調がと、ネルロスにも心当たりがあった。
 ネルロスは小瓶を取る。無色透明の液体。だがそこには何の表示も記されていない。成分を分析させるしかないか。しかしこうやって生きているところをみると、この毒はかなり長い時間をかけてじわじわと体を衰弱させていく類のもののようだ。
「私に言う気になったのは?」
 ピクロスが死んでしまった以上、黙っていればわからなかったものを、愚かな女だとも思いつつネルロスは訊く。
「毒を盛ったのは最初の数回でした。その後は盛ったふりをしてました」
「えっ!」と、言う侍従武官。
「妹の身を保障してくれる方が現れたからです。彼が言うには、いきなりピクロス様の手の内から妹を引き揚げてしまうとかえって怪しく思われるのでそのままにしておいて、あなたは毒を盛った振りをしていればよいと。ただ、どうして毒が効かないのだと問われた時は、人目があってなかなか入れられないこともあるとでも言っておけばよいと。案の定、そう問いただされた時は、奥方様が、かえってその方がよいと仰せになられまして」
「母が?」
 唖然とするネルロス。
「そこまで奥方様はピクロス殿下のことを」と、侍従武官。こちらも唖然としている。
「はい」と、侍女は頷き話を続けた。
「突然あなた様がお倒れになられてもかえって怪しまれるからとのことです。結局私に声を掛けてくれた方の話しでは、あなた様がお倒れになられた後は口封じに、私も妹も処分されるだろうと。でも私はそんなことよりあなた様の様態が悪くなったのを見て怖くなったのです。でも妹も助けてやりたい。医者に診せれば確実に治る病気なのですから。お許しください」
 侍女はソファから立ち上がると床に手を付き、深々と頭を下げた。
 ネルロスは暫し考え込む、母に嫌われるようになった原因を。
「あまりピクロスのことを良く言わなかったからな」
「しかしそれは真実であって決して殿下の作り話ではありませんし」と、侍従武官。
「だが、母には兄が弟の悪口を言っているようにしか聞こえなかった」
 弟ピクロスに対する憐みが何時しか兄ネルロスに対する怒りへと変わって行く。
 ネルロスは大きな溜息を吐くと、
「それで、今、妹は?」と、侍女に問う。
「その方が妹の護衛にと付けてくださった看護婦の紹介で、今はさる町医者のところにおります。お願いです。妹は何も知らないのです。やっと起き上がれるようになり、今では病院の中を散歩できるまでに回復してきているのです」
 妹の命乞いを必死でする姉、兄弟と姉妹の違いとは言え、片や殺し合い、片や助け合う。持っている者と持たざる者の違いなのだろうか。富は人を畜生以下にする。
「もういい、済んだことだ。頭をあげるがいい」と、ネルロスはソファから立ち上がる。
「お前を責めても仕方ない。お前は母の侍女であり、母の命令でやったことなのだから」
 ネルロスは考え込みながら窓際に歩み寄ると窓枠に寄り掛かり、
「本当なら礼を言うべきなのだろう、途中で怖くなってやめてくれたことに。お前が母の命令通り毒を盛っていたら、今頃私は」
「殿下」と何か言おうとした侍従武官を、片手をあげて制したネルロスは、
「その方とは、一体誰だ?」
「お名前は伺っていないのです。ただふらっと現れて、ピクロス様の交友関係を教えてくれれば妹の治療費はこちらで全面的にみると言われたもので。妹さえ医者に診せることができるのなら、何もこんなことをしなくとも済むと思いましたから」
「それで交友関係を」
「はい。私が知る限り。あの時はまさかこんなことになるとは思いもよりませんでしたから」
 ルカの息のかかった者だと言うことは直ぐにわかった。
「妹さんが入院している町の病院とは、ナオミ夫人の建てた病院では?」
「誰が建てたかは存じません。ただ高貴な方がお建てになられたと伺っております」と、答える侍女。
 侍女は俯くと呟くように言う。
「私さえ、あんなことを言わなければピクロス様はこんなことにはならなかった」
 この事件で一番胸を痛めているのはこの侍女なのかもしれない。
「否」と言ったのはネルロス。
「お前が言おうと言うまいと、弟はああなる運命だった。なぜなら弟はドラゴンの逆鱗に触れてしまったのだからな」
「ドラゴンの逆鱗?」
「ああ、そうだ。だからお前のせいではない。自業自得というものだ」
 なるほど。とネルロスは自分で言いながら納得した。あんな少女のような者が第14宇宙艦隊のような荒くれ共を、よく束ねることが出来たものだと思っていたが、少女のような容姿は彼の隠れ蓑に過ぎなかったと言う訳か。
 ネルロスは侍女に視線を合わせると、
「妹の見舞いに行ってやりたいのだが、案内してもらえるかな」
「妹は、何も知らないのです。本当に何も。どうか妹だけは」
 取り乱したように妹を庇う侍女。
「心配するな。妹には何もしない。私が本当に会いたいのは別の人物だ。おそらくお前の妹の所に私が行けば、彼はお前の妹を守るため私の前に姿を見せるか、もしくは何らかの手をうってくるはずだ。それが私の狙いだ。妹の所に案内してくれればお前が私に毒を盛ったことは忘れよう」
 だがそう言われても侍女は不安だった。今度はその方の身が危険にさらされるのではないかと。私が何か言うたびに、人が死ぬ。
 侍女の心の動きを察したネルロスは、
「彼に手を出すつもりはない。彼から別な人物を紹介してもらいたいだけだ。弟を殺した真犯人を。その真犯人に礼が言いたいだけだ。私の身を守ってくれたことになるからな」
 確かにピクロス様が亡くなられたことで私はこの方に毒を盛らなくってよくなった。しかし奥方様は、あのご様子では。






 白蛇ヨウカに連れ出されたケリンはルカの眠る寝室で、何時ものようにコンピューターと対峙していた。ここ数日で、ルカの精神状態は安定を取り戻してきていた。犯してしまったことは仕方ない。取り返しがつくことではない。後は罪を償うだけ。これがルカが悩み抜いた上での結論だった。だがケリンはそうは思っていない。ルカがやったことこそ正義であり、言うなれば宇宙海賊シャーを退治したにも匹敵すると思っている。あいつ(ピクロス)はネルガル帝国の癌だ。癌は切除するに限る。ケリンは穏やかな寝息を立てているルカを脇に見ながら、今後の対処のために情報を集めていた。
「とりあえず、治安部と軍部と宮内部の動きか」と、独り呟きながら。
 そしてある情報を引き出した。
「俺が、犯人?」
 その時、背後に気配。
 ケリンは急いでディスプレイの映像を切り替えた。
「何をしているのですか?」
「いやね、事件がどう進展しているかと思いまして」
 ケリンはくるりと椅子を回転させると背後に立っていたルカと対峙し、
「まだ、犯人は解らないようですよ」
「あなただそうですね」
 ケリンは頭を掻きながら、やれやれと言う顔をする。
「見ていたのですか、だったらそう言ってください」
「他人に迷惑をかけるわけにはいきません」
「でしたらどうなさるおつもりですか?」
「自首します」
「ばっ、馬鹿な」と、ケリンは驚く。
「あなただけならまだしも、彼女たちにも迷惑がかかります」
「それでは、私の命はどうでもいいように聞けますが」と、ケリンは少し意地わるげに言う。
「それは、あなた一人ならどうにか助け出せるという意味です」
「私を助け出す」と、ケリンはまたもや驚いた様子で問う。
「今後の参考のために、どのような方法をお使いになられるのかお聞かせ願いますか?」
 ルカは悪戯っぽい笑みを浮かべるとケリンの前に椅子を持って来て座る。やっといつものルカらしさが戻って来た。
「ハルメンス公爵に頼み、地下組織を動かしてもらいます」
「そしたら内乱になってしまいますよ、あなたが一番嫌う、罪もない人々まで巻き込んだ」
「あなたの命に比べれば、どうと言うことありません」
 ケリンは不思議そうな顔をしてルカを見ると、
「随分、お変わりになりましたね。命に重さの違いがないと仰せになられたのは殿下ですよ。それでは私一つの命のために何十万人もの罪のない人々の命が巻き添えになってしまいます」
「シナカを亡くして、命に重さがあることを私は実感しました。もう以前のようなきれいごとは言いません。この上あなたを失うぐらいならネルガルを失った方がよっぽどいい」
 ケリンはあきれた顔をすると、
「とても嬉しいことですが、この星にはナオミ夫人もおられるし、ジェラルド王子の奥方シモン様もおられるのですよ」
「ですから、自首すると言っているのです。それなら私一人の命で済みます。人を殺したのです、当然でしょう。古から言うではありませんか、人を呪わば穴二つと」
 ケリンはじっとルカを見詰める。
 暫しの沈黙。ケリンは諦めたように肩をつぼめると、
「何を言っても無駄なようですね」
 復讐をする時からこの方は覚悟を決めていた。娼婦の話しに寄ればあの時、ピクロス王子と共に死ぬつもりだったようだ。手違いはエルシアの存在。ルカは死ぬつもりでもエルシアにその意志はなかった。エルシアには目的がある。そのためにはルカの肉体が必要なのだろう、死なせるわけにはいかなかった。
「わかりました」と、ケリンは覚悟を決めたかのように椅子から立ち出す。
「治安部まで送りましょう」
 ケリンがあまりにもあっさり認めたので、ルカは怪訝に思った。
「何を、考えているのですか?」
「私にも、あなたを助ける方法があります」
「身代わりなどと言うことは」
「そんなことはしません。それではあなたが納得しないでしょう」
 納得しなければこの方は次の一歩を踏み出すことはない。永遠にそこで時間が止まってしまう。奥方様を亡くされてから今まで一歩もその空間から出て来なかったように。どんなやり方であれやっと歩き始めたのだ、ここで歩みを止めさせるわけにはいかない。皆が待ち望んでいたのだから。
 ルカが不安そうに自分を見詰めていることに気付いたケリンは、
「嘆願書を出すつもりです。軍部や宮内部が青くなるほどの署名を添えて」
「それではクーデターが起こります」
「彼らも馬鹿ではありません、軍の上層部を甘く見ない方がいいですよ。おそらくそんなへまなことは起こさせないでしょう。そんなことになったらそれこそハルメンス公爵の思うつぼですから。そしてそれは私の望むところでもありません」
 ケリンは自信たっぷりに言う。軍部の統率力を信じてもよいのではないかと。
 ルカはケリンのその自信がどんな裏付けから出ているのか疑問に思いながらも、
「私は自分だけ助かろうとは思っておりません。できればほっておいて欲しいのですが」
「あなたはそうかもしれませんが、エルシアは違うでしょう。彼は生きたいはずです。でなければあの場からあなたを連れ出したりはしません」
「これは私の肉体です」
「そして、エルシアのものでもあるのではありませんか」
 ルカは黙り込む。正確にはどちらのものなのか、今ではわからなくなっていた。
「よく話し合われたらいかがですか、どうしたいのか。もっとも今回だけは、私はエルシアの味方ですが。あなたが自殺しようとしても、エルシアに頼んでそれを妨害してもらおうと思っております」
「あなたは、エルシアと会話ができるのですか」
「いいえ。ですが、エルシアが使役する白蛇とは話ができます」
 ルカは苦笑する。
「ああ、あれですか。蛇だか人だかわからない」
「殿下はお嫌いですか、彼女を」
「好きと言う方が変わっているでしょう」
 今度はケリンが苦笑する番だった。
「そうでしようか。リンネル大佐も私も彼女のことは好きですけど」
「彼も変わっておりますから」
 でなければ私の侍従武官になどなるはずがない。
「治安部まで送りましょう」
 ルカはケリンの運転する地上カーで治安部へと向かった。
 ケリンは思った。独りにしておくよりは治安部に見張らせておいた方が安全だろうと。求刑を受けると覚悟すれば、刑が施行されるまでは自殺することもないだろうから。これで私は自由に動ける、殿下を助けるために。





 驚いたのは軍部だった。
「ルカ王子が、自首して来ただと?」
「しかも、ゲリジオに付き添われて。ゲリジオは一体何を考えているのだ」
 自分こそ、主の身代わりになって自首しようとは考えなかったのか。所詮、屑は屑だ。いざとなれば自分の命が欲しいと見える。と、かってなことを言っている上層部。前線に出たことのない者ほど、上官と部下との絆の深さを理解することはできない。戦場を共にした者たちにとって死など何ということもない。ただ彼らが思うのは犬死だけはしたくないと言うことだ。死ぬなら本当に上官(ルカ)の役に立つような死に方をしたい。





 ルカに自首されて困ったのは治安部だった。
「とっ、とにかく、相手は王子。しかも国民的な英雄の。そっ、粗相がないようにな」とは言うもの、治安部は市民が対象、上流貴族はもとより王族を取り調べるような部屋などはなからない。
「どっ、どちらへ案内すれば」
「どちらと言っても、まさか豚小屋というわけにもいくまい」
 考えたあげく客間に通すことになった。
「早く、長官を呼んできてくれ」

 こちらはコベルト長官。尋問室でミズナたち数人の娼婦から事情聴衆をしている真っ最中だった。
「だからもう何回も言っているでしょ。厨房から火が出て、それが一気に広がったのよ。慌てて大ホールに駆けつけた時には、既にホールは火の海で手の施しようがなかったと」
 なんぼ一人ずつ尋問しても彼女たちの言葉に食い違いはなかった。彼女たちは火事だと知って逃げるのが精一杯だったのだろう。
「料理人たちは先に帰ったのですよね」
「ええ、お客様もほとんどお帰りになられたし、後残るはピクロス王子様たちでしたが、既にかなり酔っておられましたから。軽い朝食の用意だけしてもらって帰ってもらうことにしたのです。相手が相手ですから、間違いがあっては大変ですので」
「間違い?」と、疑問を投げかけるコベルト。
「ピクロス王子様たちのお噂は長官も御存じでしょう。そこまで私たちに口にしろと言うのですか」
 アヅミは、からまれてはという言葉は避けた。ここは治安室、誰が聞いているとも限らない。不敬罪などと言われては。
「火は、厨房から出たのだな」と、コベルトはしつこいぐらいに確認を取る。
「それは、侍女の一人が厨房が火事だと叫んで飛び込んできましたので」
「あなたはそれを見たわけでは」
「いいえ、私は見ていません。私は旦那様に知らせに走りましたから」
 コベルトは調書をパラパラとめくると、ある侍女の記録に目を止める。
 初期消火をしようとしたが、既に間に合わなかったと。
 出火は厨房に間違いないだろう。と言うことは、犯人は調理師に扮してピクロス王子の命を狙ったと言うことか。
「それより、旦那様は本当にご無事なのですか?」と、こんな一介の長官が雲上人のことなど知る由もないだろうと思いながらもアヅミは訊いた。憔悴しきているミズナを気にしながら。噂が真実であって欲しいと思い。
 ルカ王子は生きていたという噂は流れている。その噂が真実かどうか確かめたくとも連日連夜の尋問。アヅミたちはここから出ることを許されずいい加減嫌気がさしていた。
「ルカ王子はご無事だ」
 コベルト長官の確信めいた言い方。
「本当に生きておられるのですか」
「不幸中の幸いとでも言うのか、ルカ王子はピクロス王子と喧嘩をなされて、先に館へお戻りになられたそうだ」
 アヅミは怪訝な顔をした。そんなはずはないと。
「でも私たちはあのホールの中に」
「それは他人の空似だろう。ルカ王子を助けなければという思いが、そう見せたのかもしれない」
 ミズナの逆上ぶりはどの調書にも載っている。よほどルカ王子にお熱だったようだ。
「しかし、本当に良かった。ピクロス王子の評判を聞いては、あれでは恨みを買っても当然と思えますが、ルカ王子までその巻き添えにあってはと、我々もかなり心配していたのです。本当によかった」
「どうしてそこまで確信が?」と問うミズナ。
「先日、軍部に呼ばれましてね。調査の方はどうなっているのだと。ピクロス王子の骨はどうにか見つかったのですが、ルカ王子の遺骨の方はと報告したら、ルカ王子は出火する前に山荘をお出になられたとのことで、かすり傷一つないそうです」
 ミズナとアヅミはキツネにつままれたような顔をした。
「では、あれは?」
 ミズナとアヅミが言っているのはかたき討ちのことなのだが、コベルト長官は火の中のルカ王子の姿だと思ったようだ。
「あれは無幻だったのだろう」の一言で片付けた。
「こうなると犯人は調理師の中にいるということになりますか」
 ミズナとアヅミは唖然とする、真犯人を知っているだけに。だがここで下手に調理師たちを庇えば。
 その時だった。
「ちょっ、長官」
 ドアがノックそれると同時に勢いよく開けられた。一人の治安部員が飛び込んでくる。
「ばっ、馬鹿者。今重大な取り調べ中だ」
 怒鳴るコベルト長官。
「そっ、それが、一大事なのです」
「この事件より重要な事件が他にあるか」
 王族殺害の事件である。王族も王族、王位継承第三位とも目されていたピクロス王子の殺害である。本来我々の様なものが首を突っ込めるような事件ではなかったのだが、宮内部と軍部の軋轢により、治安部が動くことになった。軍部からはわいのわいの言われるし。
「それが、犯人が自首して来たのです」
「犯人が? 自首?」
 コベルトは一瞬思考が停止したようだが、
「どうやら逃げ隠れしても無駄だと悟ったようだな。それで犯人とは?」
 ルカ王子の館に仕えていた使用人で、ピクロス王子に恨みを抱く者。否、ピクロイ王子に復讐したいがためにルカ王子の館にあがったと言うべきか。
「そっ、それがルカ王子なのです」
 暫しの沈黙。
「ルカ王子、御自ら、こちらの方へ」
 連絡に来た治安部員はどうしてよいか解らず、挙動不審になっている。
「ルカ王子って、まさか本物が!」
 驚くコベルト長官に対し、治安部員はどうやら平静を取り戻したようだ。
「その、まさかです、長官。ゲリジオ伍長と同伴で」
 だがコベルトより驚いたのはミズナだった。
「そんな、そんなはずないわ。火を付けたのは私ですもの」
 言ってはならないことを口にしてしまった。
 アヅミは逆上して自分が犯人だと言い張るミズナを押さえ込む。ここは下手に動かない方がいい。状況がわからない。自首して来たのが本当に殿下なのか、それとも軍部か宮内部が作り上げた偽者か。彼らがよく使う手だ。それにもし本物なら治安部になど自首して来るはずないし。
「お姉様、しっかりしてください。旦那様がそのようなこと、なさるはずないではありませんか」と、アヅミはミズナを落ち着かせると同時にコベルトに対し、
「ミズナお姉様は逆上しておられるのです」と、ミズナの言葉を否定した。
「わかっている」と、コベルト。
 アヅミは一呼吸置き、気持ちを落ち着かせると、
「お会いできないかしら、そのお方に」と、コベルト長官に願い出る。
 真相を確かめたい。
「それで、今どちらに?」と、コベルトはアヅミたちから視線をはずし部下に問う。
「まさか、豚箱に入れるわれにも参りませんので客間に」
 コベルトは部下の取った行動を一応評価しアヅミを見た。彼女なら、本物か偽者か解るはずだ。こう言っては何だが、ルカ王子が囲っていた娼婦なのだから。
「確かめてもらえますか、本物かどうか」
 アヅミは頷く。
「私も」と、アヅミにしがみ付くミズナ。
 アヅミはミズナを抱え込む。知的な女性だと思っていた。許婚をピクロス王子に殺された時でも、これほど逆上はしなかった。おそらく復讐という思いが彼女の精神を支えていたのだろう。だが今回は違った。どこにも精神の持って行き場がない。愛はこれほどまでに知的な女性を脆くしてしまうものなのだろうか。
「お姉様、お気を確かに」
 こう言っておけば、これからミズナお姉様が何を口走ろうと狂人の言葉と取ってもらえるだろう。想い人の壮絶な死を目の当たりにしたため、判断力を失った哀れな娼婦として。

 客間に通したものの、お茶と言っても庶民的な物しかない治安部ではほとほと困り果てていた。
「あの、粗茶でございますが」と、秘書は窓辺に佇み外を眺めているルカに声をかける。
 秘書は仕方なしに現在治安部にある中で一番高級なお茶をたててみた。それを恐る恐るテーブルの上に置く。お口にあえばと思いつつ。
 ケリンはそんな秘書を見詰めて、これが王族に対する一般的な平民の態度なのだとつくづく思う。それなのにうちの館はどこかおかしいなどと思いを巡らしていると、ドアがノックされた。
「失礼いたします」と、四十過ぎの野太い声。
 秘書たちのほっとした顔。どうやら彼はかなり部下たちに信用があるようだ。
 彼は応接セットをはさみルカの前に立つと、
「ロージー・コベルト・ボイエンと申します。ここの長官を務めさせてもらっております」と、自己紹介をした。
 とりあえず相手が本物であろうとなかろうと、礼を取っておけば間違いはない。ただし偽物だとわかった時には、倍返しにしてやる。と心の中で思いながら、コベルトは最敬礼をした。
 ルカはそんなコベルトの心の中が読めたのか、にっこりすると
「ルカです」とだけ名乗った。
 王族の籍も軍の籍も今は捨てた身、ルカ以外に何の肩書もない。
 だがルカはそう思っていても、背後に控えている者の肩章はドラゴン。今ネルガルでこの肩章を知らない者はいない。今一番憧れの軍服である。軍に入籍したからにはこの軍服が着たいと。ケリンはそれを念頭に入れて、わざとこの親衛隊の軍服を着て来たのである。第7宇宙艦隊で宛がわれた軍服ではなく。ルカが平素な貴族の服を着ているのに対し、この軍服が全てを語る。
 コベルトのルカに対する第一印象は やはり美しい人、その一言に尽きた。噂は耳にしていたが。しかしこの者が偽者なら、大した人物を見つけて来たものだと感心しながら。取りあえず、それを確かめなければ。
「むさ苦しい所ですが、どうぞお掛け下さい」と、コベルトはソファを勧める。
「治安部は犯人に対して随分紳士的なのですね」
「自首して来たからと言って、犯人とは限りませんし、自首して来た以上こちらも恐喝的な態度をとる必要もありませんし。それに例えば誰かを庇って身代わりにと言うこともよくありますし。あちらのご婦人のように」
 その時だった、扉の方から
「旦那様」と、「ルカ」と言う声が同時に重なって、二人の婦人が飛び込んで来た。
「ミズナ!」
 驚くルカに。
「ミズナさんはあなたの代わりに私が火を付けたと」
「ばっ、馬鹿な。あれは素人にはできませんよ。あそこに使われた液体は特別なもので、特権を持っているような者でなければ入手できないものです。ピクロス王子や私のように」
「軍の秘密兵器だそうですね」
「ええ。私はあの頃は王子でもあり宇宙艦隊の司令官でもありましたから、次の戦いで試してみたいとでも言えば幾らでも手に入れることができました」
 間違いない、この方は本物だ。そう確信したコベルトは、
「どうして治安部になど自首して来られたのですか。王族は」とコベルトが言いかけた時、
「もう私は王子でもなければ司令官でもありませんから。最初は宮内部の方にと思ったのですが、王子でもないのにおかしいと、彼が言うもので」と、ルカはケリンの方に視線を移した。
 ケリンは宮内部に自首することは反対した。宮内部に行くぐらいなら軍部へと。だが軍部へはルカが行きたがらなかった。それで平民になったのだから治安部が妥当だろうと言うことになった。治安部の対象は平民が多い。
「平民の裁きは治安部だと聞きまして、こちらにお連れいたしました」とケリン。
 コベルトは頭を抱え込みたくなった。今回の事件、場所は宮内部の管轄から外れていたため治安部が請け負うことになった。だがこの事件、ピクロス王子の死により宮内部が動き出した。そしてルカ王子が関与していると言うことで軍部が。治安部は板挟みという形になってしまった。やりづらいことこの上ない。そこへ来てルカ王子が自首。
「火を付けたのは私です」と、言い張るミズナ。
 ルカは困ったような顔をすると、
「ミズナさん、私を庇ってくださるのはありがたいのですが、先程も申したように、あれは素人ではできません」
「私も、手伝ったのです」
 ルカは軽く首を横に振ると、
「私は素人を助手には選びません。それほど人材には事欠いておりませんから、もし助手が必要でしたらその筋のプロを選びます」
 ルカはあくまでもこの事件は自分一人でやったことを強調する。
「ヘマをされたら困りますから。戦争でもなんでもチャンスは一回なのです。それを逃したら二度と勝つことはできません。それどころか、今度は自分の身が危険になります」
 ルカは逆上しているミズナにわざと冷ややかな視線を送りながら、ゆっくりと腕から時計をはずしコベルトの前に差し出す。装飾の豪華な古典的な腕時計である。我々の年給の何年分だとでも言いたくなるような。だがその腕時計の真の目的は、
「コントローラーです。これであの火事の全てをコントロールしました。使用人たちを巻き込むわけにはまいりませんでしたし、しかしピクロス王子は逃がしたくなかった。よって何処から火を出すか、火力の勢いはどのぐらいにするか、可燃性液体の散布時期は、彼女たちが避難したのを確認して。全てこれでコントロールしました」
 緻密な計算。
「これだけの計画、助手を使うわけには参りませんでした。全て自分で、時間をかけて組み立てていきました」
「それほどピクロス王子を、どうして」
 シナカの死は事故死である。一般の者たちは知らない。否、シナカの存在自体知るものは少ない。
 ルカはそれには答えなかった。ただ逆上するミズナを、
「ケリン、彼女をオリガーのところへ連れて行ってやってください。アヅミさん、ミズナをよろしくお願いいたします」
 ケリンは心配そうにルカを見る。
「私なら大丈夫です。ここでおとなしく刑が確定するのを待ちますから」
 ケリンが心配しているのはルカの早まった行動ではなかった。ここの警備の手薄さ。と言うよりも、治安部のあまりにも宮内部や軍部の実態の知らなさ。これではオルスターデ夫人の放った刺客を阻止することはできない。
 その時である。
「長官、軍部のお偉方が」と、ルカたちの存在も知らず何時もの調子で報告に来た部下。
 また調査に文句でも付けに来たのかと。
 部下が案内するより早く、数名の軍服姿の軍人が入室して来たかと思うと、扉を中心に両サイドに綺麗に整列した。規律の良さを物語っている。その後から一人の将校が現れる。彼は軍部のお偉いさんには珍しくコベルト長官に対しきちんと敬礼をすると、
「ルカ王子のお身柄、受け取りに参りました」
 ルカはその軍人に視線を移すと、
「メンデス少将、私はもう軍人ではありませんから軍部には」
「司令官、お久しぶりです。私はそのようなことは伺っておりませんが」
 知らないはずはないとルカは思ったが、メンデスはその一言で通すつもりのようだ。
 ケリンはメンデスの顔を見てほっとした。カロルでも迎えに来てくれればと思っていたが、クリンベルク将軍にこれ以上の迷惑をかけるわけにもいかない。かといって大佐(カスパロフ)でも、否、彼は昇格して今は大将か。メンデスあたりが丁度よいところか。軍部も同じへまは繰り替えすまい。今度こそ殿下の身をきちんと守っていただかねば。
 誰が軍部になど知らせたのだと思っているコベルト長官をよそに、
「メンデス少将、殿下のことをよろしくお願いいたします」と、ケリンは頭を下げる。
「私の邸でお預かりすることになりました。軟禁状態ですが、できるだけご不自由のないように計らいますので、何なりと御命じ下さい」
 メンデスが一通りの手続きを済ませ、ルカをこの部屋から連れ出そうとした時、ルカはやっとアヅミに支えられ落ち着きを取り戻したミズナを見、声を掛けた。
「ミズナさん、一つ頼みがあるのですが」
「頼みですか?」
 ミズナはやっと正気を取り戻し問う。
「私の友人のカロルをご存知ですか」
「クリンベルク将軍の三男坊ですよね」
「ええ、貴族の常識をわきまえないで困っております」
 クリンベルク将軍の三男坊は型破りで有名である。
 ミズナはそれを思い出して微かに笑う。
「カロルにしっかりした女性を紹介したいのですが、手を貸してはいただけませんか」
「何方を?」
「ボンウェル家のエミリアン嬢を。彼女でしたら優しいししっかりしておりますから、カロルをうまく躾てくれるのではないかと」
「エミリアンを」と、ミズナは驚く。
「ええ」とルカは頷く。
「ミズナさんは、こういう話しをご存知ですか。宇宙に出ますといろいろ面白い話を聞くことができます。これはその一つなのですが、女性は火付けや泥棒や人殺しをしても、死んだときへその緒を一つ持って行けば、天国に行けるそうです」
「えっ!」と言う顔をするミズナたち。
「どうしてだと思いますか」と、ルカに問われ、ミズナとアヅミは首を傾げる。
「その宇宙人の言うことには、子供を産むと言うことは、地獄から罪人を一人助けると言うことなのだそうです。もう一度地上でやり直せ。今度は得を積めと。そうすれば天国に戻れると。つまり子供を産むと言うことは、その罪人にやり直すチャンスを与えてやったことになるそうです。それでその女性の犯した全ての罪は帳消しになるそうです」
「それは、結婚して子供を産んだ場合でしょ」
「ええ、そうです」
「では、私は無理だわ。結婚する気もないし、まして子供を産もうなど考えたこともないわ」
「ですから、エミリアンさんの件が重要になるのです。子供を産まない人または産めない人は仲人を三回やれば子供を産んだのと同じにみなされるそうです。地獄の罪人が地上でやり直せる機会を作ったと言うことで。これは絶対に子供を産むことのできない男性にも言えるのですよ、コベルト長官」と、名指しされた長官は慌てる。
 さすがに身分が身分だけあって、話に出て来る貴族の名前が超一流だと思いながら話を聞いていた長官であるが、
「失礼ですが、どうして私なのですか」
「いや、何か心当たりがあるかと思いまして。懺悔するよりも効果があるように私には思えましたから」
 ルカは現実主義である。ただ謝るより行動を取った方がより効果があるような気がする。
「ちっ、長官。何か悪い事でも」と、疑う秘書や部下たち。
「私は清廉潔白だ」と、主張するコベルト。
「冗談ですよ」と、ルカは笑う。
 だが部下たちの目は長官を疑っている。
「殿下、これではコベルト長官が可哀そうですよ、何もしていないのに」と、助け船をだしたのはメンデス。
「そうですね、コベルト長官では酔って近くの門柱に。迷惑防止礼違反と言う所ですか」
 それなら部下たちも知っていた。しばしば苦情が来る。植込みの植木が枯れたと。
 ルカが自首するに当たり、ケリンはその出先の治安部の長官の性格を調べあげ、ルカにその情報を提供していた。
 皆が納得したところで、ルカはミズナに話しかける。
「そう言うことでミズナさん、よろしくお願いいたします。ただしカロルには私の名前は絶対に出さないでください。彼は天邪鬼ですから、私がなどと言うと、決して見合うようなことはしないでしょうから」
「わかりました、どうにかやってみましょう」
 やっとミズナの顔が少し明るくなった。自分の実の妹の幸せである。姉として協力しないわけにはいかない。
「有難うございます。ただしあなたの目でカロルを確かめてからにしてください。本当にエミリアンさんに相応しいかどうか。男性の目と女性の目では見るところが違いますから。もしあなたの目にそぐわないようでしたら、却下してくださってもかまいませんから」
 ルカは言うだけ言うと、メンデスに、
「お世話になります」と頭を下げる。
「いいえ、こちらこそ、我が邸に殿下をお招きできることは光栄です」 しかも今やネルガルの英雄でもあるルカ王子ご本人を。
 ルカを見送ると、ケリンはさっそくミズナたちの身柄の引き渡しをコベルトに申し出た。既に真犯人はわかったのだから、これ以上罪のない者たちを監禁しておく必要はないと。
 コベルトもしぶしぶ承諾する。まだ何かすっきりした解決は見ていないが、犯人が自首し証拠もある以上、彼女たちを監禁しておく理由がなくなった。
 ミズナは慌ててケリンの後を追う。
「ねっ、これから殿下はどうなるの?」
 王族殺しは死罪である。毒をあおることになるのではと。
「毒など飲まさせませんよ」と、はっきり言うケリン。
「どうやって?」
 ケリンは大きな箱を取り出す。先程メンデス少将の部下から受け取ったものである。考えることは同じだった。既に第6宇宙艦隊は嘆願書を集めて来ていた。第10宇宙艦隊も第14宇宙艦隊も、最初は暴力に訴えようとしていた所をメンデスに説得されたようだ。第14宇宙艦隊など宇宙海賊退治に出陣していたのを、総司令官の命令を無視して戻って来てしまったようだ。ルカ王子の事件より重大な事件がこの銀河にあるか。と言いつつ。メンデスは合法的な方法で解決を提案した。それで駄目ならあなた方の手を使えばよいと。その時は私も協力しますとまで言われて。そしてその他の艦隊も一度でもルカの指揮下に入ったことのある者たちは嘆願書の提出を始めている。
「我々軍人は軍人でできるだけのことをする。あなた方は、平民に声をかけてくれませんか」
 アヅミは頷く。
「それにくれぐれもくだらないことは口走らないように」
 以後、この事件に関しては一切口にしないことを約束させた。あなたがたさえ黙っていてくれれば、こちらで殿下に有利なように筋書きを書き直すと。
「オリガー軍医のところへ行きますか。安定剤でも処方してもらえば、少しは落ち着きますよ」
「もう大丈夫です、殿下にはあなたのような方々が付いていると知っただけでも。私たち素人の出る幕ではありませんね」
「ですが、一応。連れて行くように命令されましたから。後であなた方に何かあったら、どうして連れて行かなかったのだと攻められても困りますから。それに今後の身の振り方もあるでしょうし。少し彼の所で落ち着いて考えてみては。もっとも落ち着けるような場所でもないのですが」
 常に急患、急患で振り回される。

 ケリンは娼婦たちが身のまわりの小荷物を取りに行っている間、治安部のロビーで待っていた。ふと視線を感じ部屋の隅を見ると、そこに白い蛇。
「ヨウカ」
 思わずその名前を口にする。
 ケリンは何時の間に自分は非現実的なものを頼りにするようになったのかと苦笑しながらも、ヨウカにルカのことを頼む。自分の命を吸ってもよいから、ルカの身の安全を。
 ケリンはつくづく自分がおかしくなって笑った、非現実的なと。それをミズナが見ていたようだ。
「どうなされたのですか、楽しそうですが」
「いや、何でもない。ただ、殿下を守るためなら、幽霊とでも悪魔とでも契約してやると思っただけです。さっ、行きますか」と、ミズナたちを促しながら、ケリンはもう一度ヨウカが居た場所に視線を移した。
 だがそこは、カーテンの紐が風に揺れているだけ。あれが蛇に見えたのか。





 ルカが自首したと聞いて驚いたのは軍部だけではなかった。宮内部も軍部以上に驚いた。
「それで今、ルカ王子の身柄は?」
「軍部に先を越されたようで」
「なっ、なに?」
「それで軍部はルカ王子をどうするつもりだ?」
「このままでは王室の規律が保てない」
 オルスターデ夫人の逆上。彼女の後宮での影響力は大きい。
 宮内部と軍部ではルカに対する見方がまるで違っていた。宮内部ではただの混乱を招く芽としか見ていないが、軍部では例え混乱を招くことになったとしても今ルカ王子を指揮官から外すわれにはいかない。それほどまでに彼の影響力は軍部内に入り込んでいた。それに彼の使う戦術、これからの敵を相手にするには必要だった。





 ルカの身柄をメンデスが引き受けたと言うことを聞いて、喜んだのはカロルだった。件の竜木の下で、ジェラルドたちとピクニックごっこに付き合わされながら。
「これで、宮内部からの手からは守れるな。ちょっくら様子を見て来るか」と、立ち出すカロルに。
「行かない方がいいわよ」と、シモン。
「ちょっこと、奴の顔を見て来るだけだよ」
「何のためにお父様たちが、あなたやカスパロフ将軍ではなくメンデス少将を選んだのかよく考えた方がいいわ」
 ここで下手に動けばルカ王子の仲間として一網打尽にされてしまう。それではいざと言う時にルカ王子を助け出すことができなくなる。ここは少し距離をおいて成り行きを見守るしかないとシモンは考えていた。
「おい」と、カロルはいつまでもカップの中のお茶をかき混ぜているジェラルドに問う。
「お前も、会いに行かない方がいいと思うか?」
 ジェラルドはカロルの問いを無視し、ぬるくなれ、ぬるくなれと言いつつかき混ぜている。
「てめぇー、もうそんな真似したって、俺には通用しないぞ」
 ルカの言うとおり、こいつは白痴ではなかった。あいつは何時知ったのだろう、こいつがまともだったことを。
「おい、聞いているのか?」と、カロルは怒鳴る。
 だがまた白痴の芝居をするジェラルドを見て、もしかしてこいつもルカと同じ、二重人格なのか? あまりそういうことを信じたくないのだが。カロルは二重人格と言うこと自体、疑っている。あれは自分に都合が悪くなった時の体裁のよい芝居だと。
 そこへ現れたのがトリスだった。
「やぁ、坊ちゃん。相変わらず元気ですね」
 トリスは案内人より先にやって来た。トリスの痕からジェラルドの館の守衛が息を切らせてやって来る。
「あの、困りますよ。かってに庭を突っ切られては」
 トリスは案内人を必要としなかった。なぜなら、
「坊ちゃんの声は門の外まで聞こえますぜ」
「てめぇー、トリス。坊ちゃん坊ちゃんって、何時までも俺を子ども扱いしやがって」
「あら、子供ではなくて。何時になっても口の利き方すらできないのですから」と、シモン。
「こっ、これは鬼嬢。いらしたのですか」
 こう言われては気取っていたシモンも黙ってはいられない。むっとするシモンをカロルはざまーみろとばかりに笑い飛ばす。
 ひとしきり笑ったカロルは、
「トリス、第7宇宙艦隊の軍服、似合うじゃねぇーか」と、ほめてやったつもりだが。
 トリスは自分の着ている軍服をながめると、
「こんなの似合ったってな。俺が羽織るのはドラゴンの肩章入りの軍服だけさ。今のところ着るものねぇーから、仕方なしに着ているだけだ。まさか、裸で戦場に行くわけにもいかねぇーだろう」
 今日はアルコールが入っていないようだが、いつものトリスじゃ、あれだけ軍服の前が肌蹴ていては裸も同然。
「それより、親ビンどうしてる?」
「親ビンどうしてるって、そりゃ、こっちが訊きたいぐらいだ」とカロル。
「何で、まだ様子見に行ってねぇーのかよ。坊ちゃんのことだから、もうとっくに会いに行ってたのかと」
「行こうとしたら、こいつらに止められたんだ」とカロルはクラークスたちを指し示す。
「なるほど、まあ、無難な選択だな」
 トリスも馬鹿ではない。
「何が、無難な選択だ。それよりお前こそ、今まで何をしていたんだ。てっきり俺はお前がここに来たのは、ルカの近況を知らせに来たのかと思ったのに」
「俺だって本当はそうしたかったよ。だけどケリンの野郎が、いろいろ言い付けるものでそれどころじゃなかったんだ。てめぇーはコンピューターの前に座っているだけでよ」
 ケリンがコンピューターの前を離れないと言うことは、情報操作をしているとしか考えられない。
「ケリンは何をしているんだ?」
「さあな、俺にはわからねぇーよ、奴のやることは」と、トリスは肩をつぼめて見せる。
「それでここへ来たのも、ケリン旦那様のご命令で」とやたら敬語を使いつつ、トリスはカバンの中から薄いケースを取り出す。
「何だ、それは?」
「嘆願書だ」
「嘆願書?」
「ああ、親ビンを無罪にする」
「お前、そんなの集めて歩っているのか?」と呆れたようにカロルは言うと、わざとらしく大きく手を振り、
「止めとけ、止めとけ。そんなもの幾ら書いて出したって、宮内部の奴らに握りつぶされるのが落ちだ」
「それは、数によるさ」と、平然と答えたトリス。
「俺たちにも、書けと?」
「いや、ただ置いて来いと言われただけだ」
「置いて来い?」と、不思議がるカロル。
 クラークスがその嘆願書を受け取り、じっくりと読む。何の変哲もないただの嘆願書だ。
「我々の頭数ははなから計算に入れていないということですか」
「じゃ、どうして持って来たんだ?」と、カロル。
「身の振り方を考えろということでしょう」
「つまり、ルカに付くかピクロスに付くかと言うことか」
 クラークスは軽く首を横に振ると、
「これからの情勢を予測して、火の子のかからない所に避難していて下さいと言う所ですか」
「さすがクラークスの旦那だ。ケリンの旦那はこれをあんたの所に持って行くだけで意味が通じると言っていたが、そう言うことだったのか」と、トリスは納得する。
「それほどの数が集まっているのですか」 宮内部が握りつぶせない程の、
「軍人の方はあらまし集まった、後は一般市民の方だが。こっちは凄いぜ。親ビンが囲っていた娼婦が中心らしいが、やっぱり女を敵に回すものじゃないねぇー。噂のツボと言うものを知っているてぇーのか、ケリンの旦那でもあそこまでは出来まい。彼女たちの流した噂が、今では尾びれや背びれが付いてピクロスのことをけちょんけちょんだぜ。自業自得だの殺されて当然だのと。何でもベッドの上で殺された娘の数は千をくだらないとか。その娘たちに憑りつかれて狂って自分で放火したとか。それに今まで黙って泣き根入りしていた人たちが一斉に口を開き始めたからたまったもんじゃない。今ではそこら辺に転がっていた女性の変死体は全てピクロスの仕業だってことになっているから。生きミイラのような婆様までピクロスは相手にしたのかと。炎上した山荘の跡地まで行って唾をかけて来る親までいるらしい。そう言えばその中にリーベルト子爵の姿もあったとか」
 噂は噂を呼び、もう止めようがなくなっていた。
 シモンたちは誰もが黙り込んでしまった。
「まあ、握りつぶせるものならつぶしてみろと言う所かな。その時はクーデターだぜ」
「それじゃ、ハル公を喜ばせるだけだろう」と、カロル。
「確かに」と、トリスは笑う。
「まああんたらは、巻き込まれないように高台に避難しておくことだ」





 鷲宮の門前は、詰め寄せる群衆で動きも取れないほどだった。軍人たちが守衛に当たっているのだが、その軍人たちも民衆に銃口を向ける気はない。俺も軍人などやっていなければ、否、非番だったらあの中に居ただろうと思うものが大半。現に民衆の中に仲間の顔が見える。
「ルカ王子を釈放しろ!」
「俺たちの英雄を返せ!」
「ルカ王子は王宮に巣くう悪魔を退治しただけじゃないか」

 ハルメンスは王宮の執務館の一室、三階からこの様子を眺めていた。
「ルカ王子の評判、これほどとは思いもよりませんでした」と、クロード。
 今更ながらに民衆のルカ王子に対する想いを見せつけられた。
「まあ、全部が全部ルカ王子を慕ってとは限らないでしょう。中にはギルバ帝国に反感を持ち、この騒動に便乗している者もおります。我々の仲間以外でも似たような考えを持っている者はいるでしょうから。ただ今までは秘密警察が怖くって口にしなかっただけで」
 多額の報酬は密告者を生む。密告者は金が欲しいが上に、何も企んでいない罪もない隣人を反国主義者だと訴える。そして拷問は何もしていない人に罪を認めさせた。これが沈黙の世界の始まり。
「膿を出すには丁度良い機会なのかもしれませんね」
「一発の銃声が、全てを変える」と、背後から声。
 クロードは静かに腰のプラスターに手を添え振り向く。
「フェリスさんではありませんか。あまり脅かさないでください」
 フェリスもカーテン越しに外を眺める。
「うまく潜り込んだようですね、ルカの親衛隊として」
「初めから私の正体はばれておりました。もっとも私も隠す気はありませんでしたが」
 ほーと言う顔をするハルメンス。
「あの民衆の中の一人を殺せば、否、殺す必要もありませんね。銃声の音を聞かせるだけでこの均衡は崩れます。民衆はフェンスを乗り越えてこの王宮に迫ります。そうすれば軍との衝突は避けられません。内戦の始まりです」
「そんなことしたら、私はルカに嫌われてしまいます。嫌われては協力は得られません。可愛い顔をしていて、あれでなかなかの意固地ですからね、彼は」
 軍人も民衆も地下組織に付くのではない。ルカに付くのだ。ルカがこのままギルバ王朝を存続させると言えば、彼らはそれを承諾するだろう。ただしその時の皇帝はルカ。
 ハルメンスは窓際に一歩近づくと。
「さて、宮内部はこれをどう納めるのでしょう」
「彼らのことです、装甲車でも持ち出してひき殺しますか」とクロード。
 彼らが自分たち以外を人間だと思っていないことは百も承知での意見。
「そんなことしたら、銃声どころの騒ぎではありませんね」
「だが、あなたはそれを願っている」と、フェリス。
 ハルメンスは苦笑した。宮内部がそうしてくれれば、ルカの怒りは宮内部に向けられ、私は彼に嫌われることなく彼を味方に付けることができる。
 しかしそこに姿を見せたのは宮内部の人間ではなかった。彼らもそこまで馬鹿ではなかったようだ。現れたのは獅子の刺繍がほどこされた真紅の軍旗。群衆の間にざわめきが起こる。波紋のようにグリンベルク将軍の名が広がる。ルカと同様、彼も国民の英雄である。正確に言えばルカが現れるまでは彼が英雄のトップの座を占めていた。
 群衆たちはどよめきで、軍人たちは敬礼をもって彼を迎える。
 クリンベルクは一段高い台の上にあがると、群衆が静まるのを待ち話し出した。
「ルカ王子はご無事だ。私の命に代えてもルカ王子を処刑台に送るようなことはさせない」
「それは、本当か!」と、民衆の一人が怒鳴る。
 すると追随するかのように疑心暗鬼の声。
「誓う。絶対に殺させたりはしない。だからあなた方もおとなしくこの場を引き揚げてくれ」
 暫しの沈黙、群衆は彼らの中で話し合っていたのか、その内ざわざわとした音が聞こえ始めたが、先程のような罵声や怒鳴り声は聞こえなくなった。
 するとまた何処からか、一人が叫ぶ。
「本当に、本当だな」と、念を押すかのように。
「将軍が言うのなら間違いないだろう」と、折れる群衆。
「ルカ王子にもしものことがあったら、ただでは済まないからな」と言い残すと、一グループ、二グループと去り始めた。
「最悪の状態は避けられたようですね」とクロード。
 地下組織としてはこの動乱を機に、とも思わなくもなかったが、ある意味クリンベルク将軍の存在を知ら示させられたような形になった。
「さすがはクリンベルク将軍。まだまだ民衆に慕われているようですね」
 侮れない存在だ。





 一方ルカの身柄は、王都に置いておいては、いつ反乱分子に利用されないとも限らないと悟った軍上層部は、クリンベルクの手によって、片田舎にある王家の離宮に暫くの間幽閉することにした。これを知るのは極一部の者、カロルですらルカの幽閉先は聞かされていない。クリンベルクの部下の中でも口の堅い忠実な部下が選ばれ、ルカの護衛と身のまわりの世話をすることになった。
「ご不自由でしょうが」
 そう言って案内された館は、掃除の行き届いた清楚な館だった。
 幽閉とは言え、あまり遠くまで行かなければ馬を使っての散策も許された。ルカにとっては、かえってここの方が奥宮に居た時よりも自由だった、村人とは自由に話が出来るし。しかしルカはこの館へ来た当初は、自室として与えられた部屋に思い詰めたようにこもって、一歩も外へ出ようとはしなかった。これでは体によくないと思った護衛のスワッファは、どうにかルカを説得して馬での散策ならと、やっと外出してもらえたのである。太陽の下、少しでも体を動かせばご気分も少しは変わるだろうと。ここの村人たちはルカの正体をしらされていない。だから余計なことを口にすることはないだろう。高貴な方が病気療養のため暫くここで暮らされる、粗相のないように。これが彼ら村人に与えられた情報である。
 ここはギルバ王朝直轄領である。ここの大地で取れる食物が王宮へと上がる。この時代、大半の農産物は巨大な円形のドームの中で完全管理されて栽培され、大地を必要としなくなっていた。逆に露地物は高級品になる。そしてさすがに直轄領だけのことはある。税金は普通の所より安いとみえ、ここの村人の生活水準は王都の近郊で暮らしている人たちよりはるかに高い。
 ルカは小高い丘で馬を止め、馬上から永遠と続く田園風景を眺め想いをはせていた。
「どうなさいましたか?」と、じっと村を見詰め動かないルカに護衛は声を掛けた。
「いえ。母の故郷も、このような感じなのかと思いまして」
 一度も足を踏み入れたことはない。ただ母から話を聞いただけで。
「母?」と暫しスワッファは、クリンベルク将軍から与えられたルカ王子に関するデーターを頭の中で探る。ボイ人の義父母に関するデーターは多いのだが。やっと探り当てたデーター。
「失礼いたしました。ナオミ夫人のことですね」
 ルカはスワッファをじっと見つめると、
「どのぐらい私に関するデーターを与えられているのですか?」
「日常会話が困らない程度には」
「私はあなたのことを何も知りませんが」
「名乗るほどの者ではありませんから」と、スワッファは慎み深く言う。
 だが、最初に自己紹介は受けていた。確か、ドミック・スワッファ・ホイルと名乗っていたはずだが。
「貴族と言うのは名ばかりで、本来でしたら拝顔することすら許されないような者なのです。クリンベルク将軍でもなければ、私のような者にあなた様の護衛を命じたりはいたしません」
「クリンベルク将軍は実力主義者ですから。クリンベルク将軍に認められたと言うことは、あなたの実力は本物なのですから、もっと誇ってよいのではありませんか」
 この館へ来て暫らく経つと言うのに、いつも背後に控えているだけでろくに会話をしたことがない。これがトリスなどではこちらが口を利く前に十でも二十でも話題を振って来る。否、トリスに限らない、あの館の雰囲気がそうだった。あの館の中では身分があってないがごとく。時には独りで考え事をしたくとも、トイレにでも隠れない限りは出来なかった。だがここは、静かだ。誰も私に率先して声を掛けてこようとはしない、まるで腫れ物にでも触るかのように。もっとも私にそうさせない雰囲気があったのか、自分のことが精一杯で周りを見る余裕がなかった。この村がこんなに美しい田園風景を持っていると言うことも、今気付いたぐらいだ。ここの静けさが、ようやくルカに心の整理を付けさせ始めていた。
「殿下がそう思ってくださることは、光栄です」と、慎ましく喜びを伝えて来る。
 トリスたちの雰囲気に慣れていたルカは、対処に戸惑う。

 スワッファはルカ王子に仕えるに当たりクリンベルク将軍からいろいろと聞かされた。どうしてここへ幽閉されることになったかも。もっとも今や、クリンベルク将軍の上を行くのではないかと噂されているほどの方である。将軍から伺う前からそれなりの情報は噂で知っていた。ただ噂はあくまでも噂、何処までが真実なのか。ルカ王子の母親が平民だと言う噂も。だがその母親が巫女でしかも神の子を産むと予言されていたことは知らなかった。その証が胸の痣。確かにルカ王子には胸に痣がある。浴室で見た時には思わず、痛くないのですか。とお伺いしてしまったほどだ。しかしルカ王子ご本人は、自分が神の生まれ変わりだと言うことは頭から否定しておられる。正気な方でよかったと思った。よくある話だ。民衆は政治の腐敗による生活苦から救世主を求めたがる。それが予言などという行動にでるのだが、それに踊らされるものは愚かだとスワッファは思っていた。自分の人生は自分で切り開くしかない。それが彼が二十七年間生きて来て学んだこと。今彼が得ている地位も彼の努力による。そんな神がかりな話しより、スワッファが興味を抱いたのは、ルカ王子のシナカに対する想いである。復讐、異母兄弟とは言え兄を手にかけた。異星人をそこまで愛せるものなのだろうか。スワッファのその問いにクリンベルク将軍は、ルカ王子は身分や容姿にはこだわらないお方だ。それどころか人種にも、この世に生を受けた全てのものを自分と同等に扱われる。そしてご自分が仲間と認められた方を身内のように大切になさると。その話を聞いて、自分には分不相応だとは知りつつこの役を受けたのである。ルカ王子とはどんなお方なのか、この目で確かめたくて。将軍からはくれぐれも口にするもの、刺客には注意してくれと念を押された。


 それぞれの想いに浸りながら馬を並べて進むこと暫し、林にさしかかった頃である。林の中から罵声と殴りあう音。
「喧嘩ですか」
「そのようですね、様子を見て参りますので、ルカ様はこちらで」と言って、スワッファは遠巻きに護衛にあたっていた者を行かせようとした時、ルカが動いた。
「ルカ様、危険です」
「やられているのは一人、それも数人で」
 気配から察したようだ。ルカはそう言い残すと、馬を蹴った。
 林の少し開けたところ、数人の少年がまだ年端もいかない子供を取り囲んで木刀で滅多打ちにしている。
「何をしているのだ、お前たち」
 ルカは馬から飛び降りるとその輪の中に飛び込んで行った。
「そんなに殴ったら死んでしまう」
 ルカは笛をサーベルの代わりに振り回し、少年たちを子供から追い払う。
「死んで当然さ。こいつは人間じゃないんだからな」と、一人の少年が怒鳴る。
「人間じゃない?」
「そのフードを取ればわかるさ。そいつは悪魔だ」
「悪魔?」
 ルカが殴られていた子供に近づこうとした時、その子供がルカに棒切れを振りかざしてかかって来た。スワッファがいなかったら、ルカはその子供に殴られていただろう。
「お怪我は?」と、スワッファの気遣う声。
 子供はスワッファに弾かれながらも体勢を立て直し、かかってこようとする。まるで獣のようだ。見れば子供の足元に女性。その女性も殴られたと見え血だらけだ。かなり衰弱している。生きているのか死んでいるのか? 子供はその女性を守るかのように棒切れを構える。そしてこちらが隙を見せれば殴りかかろうとする。
「これでわかっただろう、あいつは悪魔だから見境なく俺たちにかかって来るんだ」と、少年の一人。
 少年は正当防衛を訴えているようだが。ルカは少年たちの方を見ると、
「私だって、暴力から母を守るためなら鬼にだって悪魔にだってなります」と言う。
 お前たちが暴力を振るわなければこの子だってこんな乱暴なことはしなかっただろうと。
 おそらくあの子供の足元に横たわっているのは、あの子の母親だろう。母は子を守ろうとして、そして子は母を守ろうとして。
「あなた様はそいつの正体を知らないからそんなことが言えるんだ」
「そうだ、そいつの髪は青いんだ。フードをかぶっているのはその青い髪を隠すためさ」
「おい、フードを取れよ。お前のその醜い髪をこの方に見せてやれ。そうすれば俺たちのやったことが正しいことがわかる」
「青い髪の奴はその場で殺すことになっているんだ。そうしないと災いを招くことになるからな」
「悪魔め、ぶっ殺してやる」
 青い髪と聞いて、護衛たちはざわめいた。
 ルカも驚く、本当に青い髪の子供がいたのかと。迷信だと思っていた。まぁ、突然変異と言うことはあるだろう、自然の悪戯だ。
「そうか、髪が青いのか」と言うと、ルカは少年たちの方を向いて、
「髪が朱かろうと青かろうと、それは人外の力です。この子のせいではありませんし、この子を産んだ母親のせいでもありません。抗議したいのなら、この子の髪を青くした人外の者をここに呼び出して抗議したらどうですか」
 そう言うとルカは子供の方に歩み寄る。
「私の館へ行って、傷の手当てをしましょう」と、女性のところにしゃがみ込もうとすると、
「さわるな」と、子供はあわててルカと女性の間に割って入った。
 怖い顔で睨み付ける。
 ルカは子供の気持ちを思い、それ以上女性に近づくのを諦めた。
「どうやら私たちを味方だとは受け入れてくれないようですね」と、スワッファに話しかける。どうすればよいかと。
「そいつらを治療してどうする。そいつらは殺すべきなんだ」
「そうだ。そうしないと後で多くの村人が殺される」と、少年たちが抗議する。
 ルカは立ち上がると少年たちに
「わかりました。では私の館でそのようにしましょう。だからあなたたちはもう帰りなさい。何時までもいると憲兵を呼びますよ」
 憲兵と聞いただけで少年たちは振るえあがった。これ以上貴族には逆らわない方がいい。それでなくともあの館には近づくなと親から注意されていた。高貴な方だ、粗相でもしたらその場で手打ちに会うと。現に目の前に居る少年は見るからに気品があり少年たちが今まで会ったどんな人とも違う。それに周りを取り囲む屈強な護衛たち。これ以上関わらない方がと思った少年たちは文句を言いながらもこの場を去った。
 ルカはまた子供を見る。今のルカの言葉で警戒心を一層強くしたようだ。母には指一本触れさせないと言う態度だ。
 その時だった。どうやら息があったようだ。傷だらけの体をかろうじて持ち上げた女性は、かすれるような声で、
「お願いです、この子を助けてやってください。この子はとても優しい子です。お願いします」と、力尽きたのか地に伏せてしまった。
「母ちゃん」
 あわてて母を抱き起そうとする子供、
 ルカはその隙を見逃さなかった。背後から子供を取り押えると同時に、
「スワッファ、彼女を館まで運んでくれ。早く手当てをしないと」
「ルカ様は?」
「私はこの子を」
 ルカはどこからロープを取り出したのか見る間に暴れている子供を縛り上げていた。
「放せ、母ちゃんをどうする気だ!」
「聞こえなかったのですか、傷の手当てをするのです」
 子供はぐっとルカを睨むと、
「だって、さっき、殺すって」
「そんなこと一言も言ってませんよ」
 ルカは強引に子供を引っ張って行くと自分の馬に乗せようとする。子供は縛られていても最後の抵抗とばかりに暴れる。その拍子にフードが外れる。ざんばらな青い髪があらわになった。ルカはまじまじとその髪を見た。血と泥で汚れてはいても確かに青い。
「地毛なのですか?」
 子供は何も答えない。
 ルカはそっとフードをかぶせ直してやると、
「私の館に行きましょう。消毒をしないと破傷風になってしまいますよ」
 子供を乗せるとルカは馬を蹴った。既に女性の方はスワッファが自分の上着で女性を包み騎乗していた。
 ルカは子供が落ちないように、片方の手を子供の胴に回しこむとしっかり子供を抱え込み、もう片方の手で手綱を握り馬を走らせた。
「しっかり馬の鬣を掴んでいなさい、落ちないように」
 馬が走り出すと子供は抵抗を止め、ルカに言われなくともしっかり馬にしがみ付いた。
 雲一つない青空、林道を館へと急ぐ。空の青と新緑のコントラストが美しい。自然はシナカが居なくなる前と何一つ変わっていない。しかし私には今までこの色が見えなかった。どういて今頃になってこんなに美しく目に入ってくるのだろう。新緑の香り、ルカが大きく深呼吸をした時、頬に雨粒。否、涙だ。子供が泣いている。
「傷が痛むのですか?」
「違う」と、子供は俯く。
「俺はどうなってもいい。俺さえいなければ母ちゃんはあんな目に合わなくって済んだたんだ。村で平和に暮らせた。俺を産んだばかりに」
 村から村へと追われて生活して来た子供は、いつしかそこまでの考えを持つようになっていた。時には自分たちを匿ってくれた者も居たのだろう。
「あんたはいい人みたいだから。頼む、母ちゃんを助けてくれ。俺がいるとまた母ちゃんは酷い目に合うし、あんたも俺を匿えば酷い目に合う。俺は悪魔だから俺の回りの人を不幸にしてしまう。だから俺は。今、馬から降ろしてくれれば独りでどっかへ行くよ。独りで誰の目にも付かないところで生活する。だから母ちゃんを頼む」
「私が酷い目に合うことを気に病んでいるのでしたら、その必要はありません。私は既に酷い目に会っている。見張りを付けられ自殺することもできない」
 子供は不思議そうな顔をしてルカの方に振り向いた。
「私はあの館に監禁されているのです。本当は出てはいけないのですが、スワッファはいい人ですから私を散歩に連れ出してくれるのです」
 子供はどうして? と言う顔をした。
「あなたは、人を殺したことがありますか?」
 ルカのその問いに子供ははっきりと答えた。
「あるよ。母ちゃんを殺そうとした奴を」
「そうですか。偉いですね。お母さんを守ったのですね」
「人を殺して偉いと言われたのは初めてだ。誰もがやっぱり悪魔だって言うのに。あんた、変わっているな」
「偉いですよ。私はシナカを守れなかった。殺されてから殺すぐらいなら、殺される前に彼を殺しておればよかったのです、あなたのように。そうすればシナカは死なずにすんだ」
 子供はそう言うルカをじっと見つめた。この人の心の闇。
「こんな話、子供にするものではありませんね」
「お兄ちゃんも、人を殺したことがあるんだ?」
 ルカは頷く。
「お兄ちゃん、そのシナカと言う人がいなくなって寂しいんだ」
「独りになってしまいましたからね。あなたも何処かに行くのでしたらお母さんに挨拶してから行きなさい。何処へ行っても連絡ができるように連絡先を教えてから。そうしないとお母さんが寂しがります。寂しさのあまり自殺したくなってしまうかもしれませんよ、私のように」
 子供は黙り込む。
「ねっ、そのシナカって言う人、お兄ちゃんの恋人?」
 ルカは頷く。
「きれいな人だったんだ。お兄ちゃんより?」
 ルカはまた頷く。
「俺の母ちゃんより?」
「あなたのお母さんより」
 子供は少しむっとしたが、
「そうか」と、納得する。
「そうです。私はこの銀河でシナカより美しい人に会ったことがありません」
「本当にお兄ちゃんは、シナカと言う人のことが好きだったんだね、俺が母ちゃんを好きなぐらい」
 ルカは首を横に振ると、
「それよりもっと、私はシナカを好きでした」
 子供はむっとした顔でルカを睨み付ける。俺が母ちゃんを好きな方が上だとばかりに。暫く馬上で睨み合っていたが、どちらともなく笑いだす。
「やっと、笑いましたね」と言われて、子供は顔を引き締める。
「シナカはとても優しい人だったのです。あなたに会ったのは偶然ではないような気がします。きっとシナカが呼んだのです。林の中でいじめられている子がいるから助けてやってと。シナカの頼みでは聞かないわけにはまいりませんから。暫くは私の館で傷を癒すといいですよ。それからこれからのことを考えれば」
 前方に大きな館が見えて来た。既に連絡が行っていたのか門が開けられている。ルカたちはその門を駆け抜けると、門番に、
「医者を、呼んで来てくれませんか」と、ルカ。
 エントランスには既に担架が二つ用意されていた。
「私は医者です」と、侍女の一人。
 ルカは驚いたように彼女を見た。今までただの侍女だとばかり思っていた。
「あなた様の身に何かあった時の用心に、将軍が付けてくださったのです」と、スワッファは女性を担架の上に乗せながら言う。
「その子の方は?」と女医。
 馬から降りてしっかり大地に足を着けている子供を見ながら問う。
「俺は平気だ。それより母ちゃんを」
 馬上でルカ様と和解が成立したのか、すっかり子供は落ち着いていた。既に縛り上げていたロープもない。
 女医は子供の方は大丈夫だろうと診たてたようだ、まずは衰弱している母親の方から。既に反重力装置で床から一メートルぐらい浮き上がっている担架を、侍女二人が治療のためにと整えた部屋へ押して行く。その後を女医も急いで追いかけた。
 彼女たちを見送ると、ルカは子供の方に視線を移した。
「そう言えば、まだ名前を聞いていませんね。私はルカです。あなたは?」
「アルン」
「アルンですか、可愛い名前ですね」
 子供はむっとすると、
「俺は、十歳だ」と、胸を張る。
 もう可愛いなどと言う形容詞は使ってもらいたくないとぱかりに。
「アルンは私の部屋に行きましょう」
「ルカ様、それは」と、止めたのはスワッファだった。
 こんな子供が刺客だとは思えない。だが念には念を。それに髪の色が、迷信だとは思いつつも間違いがあってからでは。
「そんなに心配でしたら、あなたもご一緒に」と、スワッファに声を掛けるルカ。
 だが別な護衛が、
「ルカ様、その子は」
 林の中での凶暴性を見ていた護衛たちは、やはりルカと子供が二人だけになるのを反対した。一番の理由はやはり髪が青いことのようだ。子供の頃から童話で刷り込まれた恐怖、童話の中の話しだと思いつつも、幼いころの教えはトラウマになるようだ。
「三つ子の魂、百までですか。いかに幼い時に平和的な思考を持たせるかが、その子の一生を左右してしまいますね。私の母は青い髪の話しは一切しなかった。しても遺伝的突然変異としか。はっきり言って、猿ほど違わないと」
 アルンを引き寄せて連れて行こうとするルカに。
「ルカ様、あなたの身にもしものことがあったら」
「心配には及びません。あなた方のせいにはいたしませんから。将軍も私の性格はよく知っておりますから」
「そう言うことではありません。ネルガル軍の損失だと言いたいのです。あなたの指揮は素晴らしい。私はそれに憧れてこのお役を買って出ました。あなた様が立ち直り、もう一度我々の前に立ってくださることを思いつつ」
 ルカは大きく首を横に振ると、
「それは無理です。私はもう軍人はやめました」
 ルカはアルンの手をしっかり握ると、
「もうこの子はこの館ではあのように暴れることはないでしょう。誰だって目の前で自分の母親が殴られれば悪魔のように凶暴になります。殴られているのを黙って見ているようでしたら、そちらの方が悪魔ではありませんか」
 ルカはそう言うと子供を促す。
「さぁっ、傷の手当てをして着替えて、お母さんの所に行きましょう。その頃にはお母さんも落ち着いておられるでしょうから」
 アルンはルカの手をしっかり握り返し頷く。
 スワッファは慌ててルカの痕を追う。そのスワッファを護衛の一人が呼び止める。
「たっ、隊長!」
 スワッファは振り向きざま、
「あの子の髪が青いことは口外するな」
「しかし」と言う護衛たちに、
「暫く様子をみよう」
「わかりました」と、護衛たちも今は納得するしかない。


 アルンを自室へ案内したルカは、彼を脱水所に連れて行き、何時から身に付けているのかわからないぼろぼろになって匂うフード付のマントのようなものと服を脱がせた。アルンの体はあざだらけである。ルカは一つ一つの痣をチェックする。
「思ったより、傷は酷くないですね。これならシャワーをあびてからシップしておけば」
「俺、意外に傷の治りが早いんだ」
 確かに。とルカも思った。あの時は血も出ていたような気がしていたが、既に傷口は塞がっている。
「この青い髪のせいかな。大怪我をしても直ぐに治っちゃうんだ」
 シャンプーをして泥や血の凝りを洗い流した髪は、見事なほどの青だった。バスタオルでせおを拭くのを手伝いながらルカは、
「美しい髪だ」と呟く。
「俺の髪を美しいと言ってくれたのは、母ちゃんとルカ様だけだ」
 ルカはせおを取る手を止めると、
「お兄ちゃんでいい」
「でもみんな、ルカ様って」
「彼らは仕事だから。あなたまでルカ様って言うのでは、私はあなたにも給金を払わなければならなくなる。そんなにお金がない」
「うん、じゃ、わかった。俺はタダ働きでもいいよ。母ちゃんさえ治してくれれば」
「ではこれからは私のことは、お兄ちゃんて呼んでください。私はあなたのことをアルンと呼び捨てにしますから」
 アルンは頷く。交渉成立。
「そうだ」と、言ってルカはいきなり棚の方に歩みだす。
「お兄ちゃんでいいことを思い付きました」と、棚からヘアーカラー剤を取り出す。
 バスローブで子供の体を包むと、青い髪にカラー剤を塗りたくる。
「これで暫くしたら洗い流すといい。その間にシップを」と思い、傷を見ると、シップもいらない程に痣が薄れている。ルカは不思議そうな顔をしてアルンを見る。
「だから、言っただろう。俺、治りが早いんだった。でも今回は特に早い。いつもは一晩寝て起きないとここまでにはならないんだけど」
「実は、私も傷の治りは早いほうなのです。でもここまで早くはありませんが」
「やっぱり、この髪のせいなのかな」と、アルンはカラー剤のついた髪を引っ張る。
「でも、私の髪は青くありませんよ」と、ルカ。
 薬剤が髪に浸み込むのを待ち、ルカはアルンの髪を洗い流してやった。青い美しい髪は栗毛色になっていた。なにかもったいないような気もしたが、仕方ない。
「どうですか」と、ルカはアルンを鏡の前に連れて行く。
 アルンは鏡に映った自分の顔をまじまじと見ると、
「まるで別人のようだ」と言ってルカの方に振り向く。
「気に入りましたか」
「うん。だってお兄ちゃんの髪の色と同じだもの」
「ではこれで正式に、アルンと私は兄弟ですね」
 ルカはアルンをドレッサー室に連れて行くと、奥の方から衣装ケースを出して来た。
「私が子供の頃に来ていた服なのですけど」と言ってケースの蓋を開ける。
 そこには繊細な刺繍がほどこされた服が何枚も入っていた。
「きれいな服だね。こんなきれいな服、初めて見る」と、アルンは感嘆する。
「どれもシナカが刺してくれたものなのです。もう着られないから処分しようと思っていたのですが、思い出が多くてこれだけは手放せませんでした」
 ルカは服をケースから取り出すとアルンの肩にあわせる。
「これなら丁度いいかもしれませんよ、着てみませんか?」
「俺が?」と、アルンは自分を指し示す。
 ルカは頷く。
「そんな、もったいねぇーよ」
「他に着られる人はいませんから。弟は兄のお下がりを着るものですよ」
「だってよ、こんな立派な服、俺には似合わないよ。それにシナカさんの形見なんだろ、俺なんかが着たら汚れちまう」
「いいから。ここには子供服はこれしかないのですから」
 子供と言われてアルンはむっとする。
「俺は、子供じゃない」
 十歳のアルン。ルカは自分の過去を見るようだった、丁度この服を着ている頃の自分を。いくら大人びいていても十歳は十歳。それ以上のものにはなれなかった。だがシナカの手前、必死で背伸びした。そんな自分を思い出し、ルカはおかしくなった。シナカとの苦くもある甘い思い出だ。シナカもこんな思いでいきがる私を見ていたのだろうかと思うと、知らず知らずに顔をほころぶ。
「何が、おかしいんだよ」
 アルンは自分が笑われたのかと思い怒る。
「いや、とても似合ってますよ」 本当に似合うとルカは思った。
「いいよ、脱くら。だから着たくなかったんだ」
 そこへ
「着替えは終わりましたか」と、スワッファが声をかけて入って来た。
 まあ、中の雰囲気が和やかなようなので暫くは二人だけにしてくれていたようだが、あまり二人だけにしておいて何かあってはとの配慮のようだ。
 スワッファはアルンを見て驚く。どちらの貴公子様ですか。と思わず伺いたくなるような。
「どうですか、スワッファ。似合いますよね」
「ええ、驚きました。何方がお見えになっておられるのかと」
「ほら、私は嘘はつきませんよ」
「じゃ、何でさっき笑っていたんだよ」
「その服を着ていたころの自分を思い出しましてね。私も、子ども扱いされるのが嫌いでした」
「そっ、そうなんだ」
「しかし、馬子にも衣装とはよく言ったものですね」と、スワッファは感心する。
「どうですか、これなら私の弟だと村人に紹介しても何ら違和感はないでしょう」
「確かにそうですが、問題は言葉遣いと仕種ですか」
 スワッファははっきり指摘した。
「そっ、そうですね」と、ルカは笑う。
 アルンはむっとする。何故かいちいちこいつの言葉は気に障る。
「でも、カロルさんのような方もおりますから」
 確かにと、スワッファは納得する。トリスさんたちのように親しく接したわけではないが、それでもクリンベルク将軍の館に仕えていれば会うことはあった。三人のご子息の中では一番言葉をかけやかいと言う印象を受けた。
「カロルって、誰?」
「偉い貴族のくせに言葉と態度があなたのような人です」と、ルカはカロルを紹介した。
「それは、どういう意味だ? それに俺は貴族じゃない」
「そうでしたね。でもこれからは私の弟なのですから、貴族のまねをしてもらわないと」
「傲慢な貴族の真似などできるか」
「まあ、ぼちぼち練習してもらいましょう。それよりお母さんにその姿、見せに行きませんか」
 母と言われて、アルンは急に心配になった。そうだ、容体は? 忘れていたわけではない、だがこいつの雰囲気に振り回されていた。こんなに楽しい想いをしたのは生まれて初めてだ。
「さぁ」とアルンの手を引いたルカは急に歩みを止めた。
「どうせなら、きれいに散髪してからにしましょう。そんなぼさぼさ頭では」
「でも、母ちゃんは?」と、急に心配になったアルン。
「お母様でしたら、薬が効いて今、お休みになられております。少し休まれればしっかりなされるでしょう。それよりあなたの方をと思って診に来たのですが」と、タイミングよく女医が入室して来た。
 意外に元気そうな少年を見て女医は驚く。否、それよりもその少年の姿を見て。最初は誰だか解らなかったぐらいだ。
「どうなされたのですか、その服?」
「私の子供の頃の」と、ルカは言いかけて、「昔の」と言い直した。
「お似合いですね」と、大きな荷物を持っていた侍女が言う。
「誰か、散髪できる方はおりませんか」と、問うルカに。
「それでしたら私が」と、荷物をテーブルの上に置くと中を開けた。
「酷い恰好でしたので着替えがあった方がよいかと思い用意したのですが、不要だったようですね」
 その荷物の中にはどこで用意したのか、大人用の少し小さめの服が入っていた。それと洗面用具と散髪の道具。治療が済んだら身だしなみを整えるつもりだったようだ。
「脱水所をお借りします。髪が散りますので」
「ええ、どうぞ」
 侍女がアルンを連れて行こうとした時、
「その前に」と、女医がアルンに駆け寄り、
「少し傷をみせてもらえますか」
「もう治ったよ」と言うアルン。
 だが女医はその場をどかない。アルンは諦めたように袖をまくり上げた。
「ほら」
 そしてズボンも。
 女医はそれらをまじまじと観察すると、確かにと不思議そうな顔をする。
「体の傷もみんなそんな感じです」と、ルカ。
「傷の治りが早いそうですよ、私と同じに」
 ルカの傷の治りが早いことはクリンベルク将軍から聞いていた。しかしこの少年の傷の治りの速さは尋常ではない。
「そうね、これだけ治っていれば治療はいらないわね」と、女医は不思議に思いながらも立ち出す。
「お姉ちゃん、母ちゃんを助けてくれてありがとう」
「いいえ、どういたしまして。髪をきれいにしたら、まだ眠っていると思うけど顔を見せに行ってくるといいわ、随分あなたのこと、心配していたから」
「うん」と、アルンは素直に返事をした。
 つい数時間前とは別人のようだとスワッファは思った。スワッファはさり気なくルカを見る。あの極道の集まりと言われているバルガス中佐の艦隊を、猫のように飼いならしたと噂には聞いていたが、どうやら本当のようだ。
 数分後、髪をきれいにカットしてアルンが現れた。どこからどう見ても貴公子である、姿だけは。あの品の良い刺繍がそう見せるのだろうか。
「では、お母さんの様子を見に行きましょうか」
 アルンは頷く。


 女性はお客用に用意された寝室に移されていた。淡い色彩のベッドの中に横たわっている彼女は、眠れる姫のようだ。
「母ちゃんが、こんなにきれいな人だとはしらなかった」
 いつも泥だらけになって働いていた母親の姿しか見たことのないアルンだ、嬉しくて涙が出そうになるのを必死でこらえる。
「お兄ちゃん、ありがとう。俺、母ちゃんが元気になるまで母ちゃんの分まで働くから、母ちゃんをこのままゆっくり休ませてくれないかな」
「怪我人を使うわけにはまいりませんから、怪我が治るまでゆっくりするといいですよ、それに子供を使うほどここは忙しくもありません」
「俺は、子供じゃない」
 ルカはやれやれという顔をすると、
「アルンは隣のベッドを使うといいですよ」
 母親の隣のベッドは既にいつでも使えるようにメイキングされていた。アルンの怪我を思っての配慮だったようだが、必要ないほどにアルンは元気だ。
「それではご飯が出来るまで、読書でもしませんか」
「ど・く・しょ!」と、アルンは素っ頓狂な声を出した。
「しぃー」と、唇に指をあてるルカ。
「あまり変な声を出すと、お母さんが驚いて目を覚ましてしまいますよ」
 アルンは声を潜めると、
「読書って、俺が本なんか読んでどうするんだよ。それより何か言い付けてくれないか。部屋の掃除でも靴磨きでも皿洗いでも、何でもするよ、俺。兄ちゃんの言い付けなら」
「だから、読書」
「だから、俺が本なんかよんで」
「アルンは強くなりたくありませんか」
「そっ、そりゃ、強くなりたいよ。あいつらから母ちゃんを守れるぐらいに」
「では、来てごらんなさい、いい本があります」
 アルンは意味も解らずルカの後に続いた。力と本とどういう関係があるのだと首をかしげながら。
 ルカは書斎から一冊のアルンでも読めそうな薄い本を取り出すと彼に差し出す。
「字は、読めますか?」
「少しは。母ちゃんからおそわった」
「そうですか、それはよかった」
 母親が字が読めれば大概その子供も読めるものである。
「体術って、どういう意味?」と、アルンは本の表紙を読み取って。
「読んでいけばわかりますよ」
 アルンは本を開いた。足跡や体の動きが描かれている。
「アルンの動きは無駄が多すぎるのです。あれでは勝てません」
 ルカにそう言われアルンは林の中でのことを思い出す。兄ちゃんの素早い動きに、あいつらは手も足も出なかった。
「教えてくれないか、喧嘩の仕方を」
「まずその本で、足の運びと体の動かし方を練習するといいですよ」
 そう言うとルカは最初のページを開いて本を机の上に置き、そこに書いてある通りの型をアルンに取らせた。拳の出し方から、そして体重の移動の仕方。
「本を見ながら、書いてある通りに動いてみなさい」
 アルンは拳を振り回しながら本気で本を読み始めた。
 そこへスワッファがいつものように食事の用意が出来たことを知らせに来た。
「何をなされているのですか」
 本を見ながら構えを取っているアルンを見て。
「読書です」と、ルカが答えると。
「喧嘩の練習だ」とアルン。
「きっかけはどうでも、読書の習慣がつけばと思いまして」と、ルカ。
「ルカ様の狙いはそちらですか」と、だがアルンは違うのではないかとスワッフアは思う。
 これで読書の習慣がつくものなのだろうか。


 中庭に面した食堂のテーブルの上には三人の食事が用意されていた。いつもはルカとスワッファ二人だけ。お互い率先して話すタイプではないので、二人で黙々と食事をすませると言う感じだったが、今回は違った。
 テーブルに着くなり、
「すげぇー、これ、みんな食っちゃっていいのか」と、アルン。
「どうぞ、おかわりもありますよ」と、ルカ。
「でも、半分残しておこう、母ちゃんに」
「お母さんの分は別にありますから、心配しなくてもいいですよ」
「ほんとに?」と、目を輝かせるアルン。
 ルカとスワッファは頷く。二人が頷くのを見て、
「じゃ、遠慮なく」と、アルンはフォークを持ち出すと、そのまま肉に突き刺し大きな口でガブリと食いちぎる。口いっぱいに頬張りながら、うまいうまいと言葉にならない声を発する。
 その行儀の悪さをスワッファが注意しようとした時、
「食べている時に小言を言うと消化不良になりますから。おいしければ食べ方は二の次です」
 次から次へと口いっぱいに押し込みジュースで流し込むアルン。その食欲に、
「こちらも負けてはいられませんね」と、ルカ。
 次第に食事のピッチが速くなるルカとスワッファ。この館へ来てから食べたいと思って食事をしたことがなかったルカである。それが今日は。
「豚の子は、一匹で飼うより三匹まとめて飼った方が太ると言いますが」
 今まで美味しいと思ったことがなかった。残しては悪いと思い我慢して食べていたのだ。
「今までこの館のコック長には悪いことをしていました」
 最後にデザートが出て来ると、
「えっ、まだこんなうまいものがあったのかよ。先に言ってくれなきゃ、もう腹くちくって入らない」と、言いながらもアルンはそれを食べ始めた。
 おそらく好きなものは別腹なのだろう。だが半分食べると、
「後の半分は母ちゃんに」
「お母さんの分はありますよ」
「これもか、まじで?」
「ええ」
「じゃ、食っちゃえ」
 結局、無理して強引に押し込んでしまったようだ。椅子にそっくり返ると大きく膨らんだ腹を撫でる。
「もう、何もいらない。うめぇー、飯だった。トイレに行くのももったいないぐらいだ。お兄ちゃんたち、いつもこんな美味いもの食っているのか」
 ルカたちは笑った。
 侍女が皿を下げに来ると、アルンは腹を撫でながら立ち出す。
「俺、皿ぐらい洗えるよ」と、自分の皿を持ち侍女の後を付いて行く。
 スワッファが止めようとすると、ルカが首を大きく横に振る。
「ただ食いでは悪いと思っているようですから、アルンの気の済むように」
「ですが、邪魔にならなければよいのですが」
「大丈夫でしょう」
 ルカたちは運ばれてきたお茶をゆっくり楽しむ。
「スワッファさん、ありがとう」
「何がですか?」 スワッファには感謝される覚えはない。
「アルンのことです。館の人たちを説得してくれまして」
 青い髪だ、気味悪がる者は気味悪がるだろう。
「傷だらけの者を放置するわけにもまいりませんから」
「彼の髪のことですが」
「気にならないと言えば嘘になりますが、あの子が母親を守ろうとする一途に押されまして。私は守れなかった」
 スワッファが初めて口にした自分の過去。スワッファは苦笑する。
「私は貴族とは言え、食うか食わずの生活でしたから。酒代に父が母を売ったのです。私は母を助けてやることもできず、父を殺すこともできず、家を飛び出すのが精一杯でした。あの後、父は中毒死したそうです。借金だけが残りまして」
 ぼそりと言うスワッファ。
 彼は顔をルカの方に上げると、
「羨ましいのですよ、私はあの子が。何にも囚われないあの子が。あの時、もし私にあの子の十分の一の勇気でもあったら、母に屈辱を与えた者たちに一矢報えたかとも思いまして」
「あなたと私は似た者同士だったのですね。どちらも大切な人を守れなかった。あの子にだけはこんな想い、させたくありませんね」
 そうですね。と言う感じにスワッファは頷く。
「髪が青いも朱いも関係ありません、その時、何をしたかです。何もしないで傍観している方が悪魔かもしれませんね」
「私は別にそういう意味で言ったのでは」と、ルカはアルンを助けようとしてとっさに口走った言葉。スワッファを責めてしまったのかもしれない。
「ええ、存じております。あなた様が私のことなど知る由もないのですから」
 そこへアルンが戻って来た。アイスクリームを二つも持って。
「また、二つも食べるのですか」と、驚くルカ。
「違うよ、これは母ちゃんの分」
 二つも? と言う顔をしているルカとスワッファに。
「一つは俺の分。皿洗いの駄賃にもらったんだ。働くと腹減るんだぜ、兄ちゃん仕事なんかしたことないからわかんないだろーが」
 アルンにとってルカは、何一つ苦労したことのない大貴族の御曹司にしか見えない。
「それより、母ちゃんが目を覚ましたらしいんだ。さっき女医さんが知らせてくれた。だからこのアイスを持って行ってやろうと思うんだけど、なんせ館が無駄にだだっぴれーから、どっちへ行っていいのかわかんなくなっちまったんだ。案内してくれないかな」
「それはすみませんね、無駄に広くて」
「そうだよ。一人で住むのなら、もう少し狭くってもいいんじゃないか」
 思わずルカとスワッファはアルンの提案に顔を見合わせてしまった。

 彼女はベッドの上に起き上がっていた。丁度食事がすんだところなのか、侍女が後片付けをしている。そこへ、
「母ちゃん」と、飛び込んでくるアルン。
 婦人はアルンの姿を見て驚く。
「どうしたのですか、その恰好は?」
 アルンはサイドボードにトレイを置くと両手を広げた。
「似合うだろ、これお兄ちゃんのお下がり」
「お下がりって? それにその髪?」
 そこへルカとスワッファが入って来た。侍女は控えるようにその場を開けた。
 婦人は侍女の動きからこの方がこの館の主だと悟り、急いでベッドから降りようとする。
「いいですから、そのままで。お体の調子はいかがですか」
「おかげさまで。それよりアルンが随分ご無礼なことを」
「いいえ、こちらこそ、おかげさまで楽しい食事ができました」
「それならよろしいのですが」と、心配そうな顔をする婦人。
「母ちゃん、心配いらないよ。俺、ちゃんとやっているから。挨拶もきちんとしてるし」
 母親はほとほと困ったという顔をした。既に言葉遣いからなっていないのである。
「ご無礼をお許しください。なにしろこの子は人里離れたところで育ったもので」
「無礼なことは何もしていませんよ。本当に素直で明るい子だと感心しているぐらいです」
 逆境の中、これだけ素直に育っているということは、よほど母親がしっかり守ったのだろう、世の中の荒波から。
「それより母ちゃん、早く食わないとアイスがとけちゃうよ」と言って、アルンはアイスを差し出す。
「ほんとうにおいしてから、食ってみろよ」と、アルン。
 母親が遠慮しているのを見てとったルカは、
「では、私たちはこれで。アルン、今夜はお母さんのパイパイを十分にすすれますね」
 アルンはむっとした。
「兄貴」と、急に大人びた口をきくと、
「さっきから言ってるだろう、俺は子供でもなければ赤ん坊でもない」
「そうでしたね」と、ルカは笑って部屋から出て行く。
 扉が閉まると、
「もう、まったく。悪い奴じゃないんだが、どうも俺をガキ扱いするのが気にくわない」
「あっ、アルンたら」
 母親はほとほと困った。

 次の日から、アルンは朝食が済むとルカの部屋に押しかけて来た。
「お兄ちゃん、昨日の本はあらまし読んだよ。だから体術、教えてくれ」
「もう、読んだのですか?」
 ルカは自分の趣味で読んでいる本から目をはずして問う。
「わかるところだけな」
 それでも最後まで目を通したところをみると、よほど興味があったようだ。
 ルカは自分が読んでいた所にしおりを挟むと、その本をテーブルの上に置き立ち出す。書斎に行くと一冊の絵本を持って来た。それをアルンの前に差し出す。
「なっ、何だ?」
「読書をしてから体術の練習をしましょう」
 アルンは差し出された絵本をパラパラとめくると、
「読書ってな、こんな本、体術には何の関係もないだろう」
「体術を学ぶ心構えが書かれております」
「あっ?」
 意味わかんねぇー。と思いつつ、アルンはまた絵本をパラパラとめくる。がどうも納得がいかない。
「この本読んだら、体術を教えてくれるって言っただろう。これじゃ約束が違う」
「本を読んだら教えますと私は言ったのです。その本は昨日の分、これは今日の分です」
「えっ!」
「読まないのなら、教えませんよ」
 そこへスワッファがモーニングティを持って入って来た。この館に移ってから、必ず朝お茶を持って様子を窺いに来るのが彼の日課になっている。
「おはようございます。随分とお早い来客ですね」
「なっ、聞いてくれよスワッファの兄貴。この本読んだら体術教えてくれるってルカ兄ちゃんは言ってたよな」
「ええ、私も聞きましたが」と、スワッフアはお茶をテーブルに用意しながら。
「なのに、また新しい本、出してきやがったんだぜ。これ読まないと、教えてくれないって。こんなの読んでいたら、昼になっちまうぜ」
 スワッファが答える前に、
「スワッファ、話はよく聞くべきですよ。だれもこの本とは言っておりません」
 スワッファは昨日のことを思い出すかのように視線を宙に漂わせた。
「そう言えば確かに、本を読んだらとは仰っておりましたが」
「あっ、おめぇーら、二人で結託して俺をはめよってんだな」
 スワッファはアルンのあまりの言葉に反応の仕方を思いつかなかったようだが、ルカはバルガス艦隊で慣れていた。
「人聞きが悪いですね、それでは私たちが悪党のように聞こえますが」
「悪党じゃねぇーのか。こんな子供をいじめて」
 この時とばかりにアルンは子供になった。
 ルカはやれやれと言う顔をすると、
「早く読まないと、練習する時間がなくなりますよ」と、優雅にお茶をすする。
 うむっ。と息を呑むアルン。選択肢はないと悟ったようだ。
「読みゃーいいんだろ、読みゃー」
 絵本を開けると黙読し始めた。
「声を出して読んでください」と、ルカ。
「どうして?」
「きちんと読んでいるかどうか、わかりませんから」
 むっ。と思いつつも、体術はどうしても教わりたい。人の弱みに付け込みやがって、覚えていろよ。とばかりに大声を出して読み始めた。
「朝から、元気ですね」
「声を出せって言ったのは、おめぇーだろ」
 薄い絵本だ。どうにかこうにかつっかえつっかえでも最後まで読み終えた。
「読んだよ」と言いながら本を閉じるアルン。
「何が書いてありました?」と、問うルカ。
「何がって?」
 読むことは読んだが内容まではわからない。
 答えられないアルンを見て、スワッファは不思議に思う。
「そんなの、わかるか」と、威張るアルン。
 ルカはにっこりすると、
「まあ、読んだことには間違いありませんから、体術の練習をしますか」
「そうこなくっちゃ」と、喜ぶアルン。
 スワッファは首を傾げた。それって、本当に読んだことになるのかと。
「スワッファさん、手伝ってくれませんか。私は足が悪いのできちんとした型がとれませんので」
「ええ、かまいませんよ」
 スワッファも暇だった。彼の任務はルカの護衛。だがここは、王都からも軍部からも離れていた。まるで現世界から隔離されたような生活。ルカ王子には心の休養がご必要だ。とクリンベルク将軍は言われていた。単調な生活もいいが、まだ若いスワッファには退屈でもあった。そこへ変化をもたらしたのはこの少年だった。
 そして次の日も、スワッファがモーニングティを運ぶより早くルカの部屋の中から声。
「今日は、どの本を読むんだ?」
 ルカは昨日と同じ本を出す。
「それは、昨日読んだよ」
「でも、内容がわからなかったからもう一度」と、ルカ。
 そこへスワッファがお茶を持って来る。
「大きな声だから、廊下まで聞こえますよ」と言って、アルンを見る。
「あれ、その服、どうしたのですか」
 アルンは平民の服を着ていた。
「母ちゃんが、あの服はお兄ちゃんに返しなさいって。そしたら女中さんたちがこの服を用意してくれたんだ。お兄ちゃんには悪いけど、やっぱり、こっちの服の方が動きやすいよ」
「そうですか」
「それより、これもう一度読めばいいのか」
 アルンは早く体術の練習に入りたい。
 ルカが頷くと、昨日のように大きな声を出して読み始めた。さすがに二度目、昨日よりはすらすら読めたが、まだ内容を理解するまでには至らなかったようだ。それでもさっさと読み終わすと本をかたづけ、庭へと二人を引っ張って行く。
「早く、早く。時間が無くなっちまう」
 そして三日目、さすがに三回も同じ絵本を読まされれば、たかが数ページ、暗記したかのように読めるようになったし内容もわかったようだ。
 ルカが、めでたしめでたしと綴ると、
「どこがめでたいんだか。お頭がめでたいとしか言いようがない」などと皮肉を言う。
 四日目にはルカは別の本を差し出した。
「なっ、なんで。今日は違うんかよ。せっかく早く読めるようになったのに」
 その本も二、三回も読めば内容がわかる。そんなことを繰り返して十日も経てば、アルンの方から本を選んでくるようになった。
「そんなのより、こっちの方がおもしろそうだぜ」 冒険譚である。
 なるほど、確かに読書の習慣がついた。バルガス中佐もこのようにして飼いならされたのかと、スワッファは感心する。
 その頃にはアルンの母親もすっかり元気になり、侍女たちにまじって下働きを始めていた。それを見かけたルカは、
「アルン、あまり無理をしないようにとお母さんに言っておいてください。せっかく治りかけた傷が開いてはつまらないから」
「うん、言っておく」
 アルンは体術の練習は午前中だけにすると自分で決めているようだ。午後からは館の雑用をこなしている。働かざる者、食うべからず。これがアルンのモットーのようだ。
 午後はおかけでゆっくりできた。午後までアルンに付き合っていては体が持たない。
「本当に、元気のいい子ですね。あの体力はどこから湧いてくるのでしようか」と、スワッファも感心すると同時に、感謝もしていた。あの子が来てからルカ様のご様子が変わったと。
「おそらく、あの青い髪が源ではありませんか」と、何気なく言うルカ。
 スワッファは一瞬黙り込んだが、
「ご冗談を」と、内心の恐怖心を笑いでごまかした。
 迷信だとは思いつつも幼少からの童話は忘れられない。だがルカ様に至ってはそのようなトラウマはないのか、青い髪を恐れる節は微塵もない。


 ディナーの準備をするキッチンにアルンと母親の姿があった。
「母ちゃん、それ、俺が持つよ。母ちゃんまだ、あんまり動かない方がいいって、お兄ちゃん言ってた」
「私のような者にまで配慮してくださるなんて、一度、きちんとお礼を言いに伺わなければ」
 ついつい身分の違いからその御前に出るのすら遠慮していた。
「礼なら俺がきちんと言っておいたから、だいじょうぶだよ」と言いつつ、アルンは皿をテーブルの方へと運ぶ。
 母親はそのアルンの後姿を見て、そのきちんとが心配なのです、と言いたそうな顔をする。
 その親子の会話を聞いていた侍女の一人が、
「いい子ですね」と、つくづく感心する。
 侍女たちはあの子の髪が青いことを知らない。スワッファが急いで護衛たちに口止めをしたため、館内には広がらなかったようだ。もっともこの館の護衛たちは口が堅い者ばかりである。守る相手が相手だ。王族殺しの王子、しかもネルガルの若き英雄ときていては、不必要なことは口外できない。だいいち、彼がここに匿われていることすら極一部の者しか知らない。無論、侍女たちも自分たちの本当の主の正体を知らない。知っているのは女医ぐらいで、後の者たちは、クリンベルク将軍の遠縁にあたる方で、妻を事故でなくされ心が不安定になっておられるから、暫くここで療養すると聞かされているだけだ。
「礼を言うのはこちらの方だわ。あの子が来てから、ルカ様のご様子がお変わりになられましたもの」
「そうね、最初は部屋に閉じこもり一つも外に出ようとなさらなかったのですもの。スワッファ隊長が、やっとの思いで外に連れ出されておりましたから。馬での散策でしたらどうにか外出してくださるようで」
「そうとうショックでしたのでしょう、奥さんを亡くされたことが」
「まだお若いですし、あれだけの美貌ですから幾らでも替わりはいると思いますが」
「お若いだけに、一途だったのでしょう」
「でもほんとによかったわ、あなた方が来てくださって。今ではご自身からお庭に出られるようになられましたし、食事の時も楽しそうに会話をなされておられるようですし」
 ほんとほんと、と侍女たちは頷き合う。
「しかしルカ様が、あんなに子供好きだとは知らなかったわ」


 食事のテーブルは今ではいつも三人分用意されているようになっていた。ルカとスワッファ、そしてアルンの分。アルンが話しながらパクパク食べるので、必然的にルカたちもそれにつられる形になる。
 スワッファにすれば話すか食べるかのどちらかにしなさいと注意したいところだが、ルカはそんなアルンの話しを心から聞いておられるようだ。どんな相手に対しても見下すようなことはなさらない。とクリンベルク将軍は評していたが、真剣にアルンの話しを聞き入るルカの姿は、まさにその通りだと思った。
 そしてお風呂も、ルカとアルンは一緒に入るようになった。そしてルカの奇妙な趣味。ルカは時おりアルンの髪を染め返すようだ。最初はありふれた色だったのだが、今では黄色だの緑だの、時には赤と黄色のボーダーだの、今日はアルンの好きなキャラメルかけケーキ型だのと言って、頭の中央を黒くし周りを黄色く染めたりした。最初の頃は侍女たちも驚いたり笑ったりしていたが、今日は何をイメージしたのかしら。と訊くようになっていた。アルンも体術に変わり棒術や剣術を教わる手前、ルカが趣味で染めるのを断ることもできず、されるがままになっているようだ。だが、一応抗議はする。
「兄貴、髪、染めてくれるのはいいけどさ、もう少しまともな色にしてくれないかな」
「この色、嫌ですか。似合うと思いますが」
「ピンクとオレンジと黄色だぜ、どう見ても女の子みてぇーじゃねぇーか」
「女の子は、そういう言葉遣いしませんから」
「そういう話じゃないよ」と、言いながらアルンは肉を突っついて頬張る。
 スワッファはおかしくて思わず口に含んだ飲み物をふきだすところだった。
「では、今夜は別な色に染めかえましょう」
「栗毛色がいいな、栗毛色が。お兄ちゃんと同じ」


 だが、ルカが染めた色は、否、今回は染めなかったのである。今まで染めた色を抜いただけ。アルンの本来の髪の色が出て来た。青い髪。アルンはそれを見て驚く。ルカはその青い髪に紫をうっすらとメッシュのようにかける。
「きれいですね。やっぱりこの髪の色があなたには一番よく似合う」
「で、でも」と不安がるアルン。
「明日、これで皆に何時ものように挨拶しましょう。私の悪趣味でこんなふうに染められてしまったと。きっと誰もあなたを悪く言う人はいませんよ、私を悪く言う人はいても」
 でもアルンにはこの髪で人前に出る自信はなかった。今までこの髪のせいでさんざんな目に会ってきたのだから。
 ルカは躊躇しているアルンの両肩をしっかり掴むと、
「アルン。もしこれがうまくいったら、アルンにあなたにしか使えない剣をあげよう。もうそろそろ本物の剣を使って練習してもいいかなと思っていました」
 そう言われてアルンは驚く。
「俺に、剣をくれるのか」
 ルカは頷く。
「でも、それには一つ条件があります。自分の髪が青いことを素直に受け入れることです。そうしないと、その剣は使えない。明日その髪で、その剣を使ってみましょう」
 だが、まだ躊躇するアルン。
「剣、いらないのですか?」
 ルカに最後の通告のように言われて、
「わかった」と、アルンは腹を決める。
 ルカはアルンの頭の上に手を乗せると、
「侍女たちに何か言われたら、嫌だと言うのに私に強引に染められたと言いなさい。地毛だと言う必要はありません」
 アルンは頷いた。


 そして翌日、アルンの髪の色を見て最初に驚いたのは母親だった。
「どうしたのですか、その髪?」
「お兄ちゃんが」と、困ったように答えるアルン。
「今日は、これで一日過ごすようにって」
 館の人たちの反応が怖い。だが約束してしまったのだから。
 アルンはパジャマを着替えると食堂に向かう。母親が心配そうに後から付いて来た。
 案の定、食堂に入ると、
「どうしたの、アルン。その髪の毛」
 一人の侍女の言葉に皆が振り向く。今日はどんな髪の色なのかという好奇心もあって。だが、一斉に黙り込んでしまった。
「だから、嫌だって言ったんだ」と、アルン。
「ルカ様が染めたの、それ」
 アルンは頷く。
「酷いわ。よりによって青く染めるなんて。いいわ、私が抗議してきてあげる。別な色に染め直すように。なんだったら、私が染め直してあげるわ」と言いつつ、彼女はアルンの手を引きルカの部屋へ向かう。
 一人では心もとないだろうと、そこに二、三人の侍女が付き従う。母親はどうしてよいのかおろおろしながらその後に続いた。
 ドアがノックされる。
「ルカ様。お食事中、失礼いたします」と、侍女。
 ぞろぞろと入って来る侍女を見て、ルカは食べ物を口に運ぶのを止めた。
「どうしたのですか? みなさんお揃いで」と、問うルカ。
「どうしたもこうしたもありません。見てやってください、この子の髪を」と、アルンを前へ押しやる侍女。
 それを見て驚いたのはスワッファだった。スワッファが何か言おうとするより早く、
「かわいそうではありませんか。おふざけもいい加減になさらないと」
 悪趣味だとでも言いたげに言う侍女。
「元の色に戻してやるか、別な色に染め返してやるかしてやってください。これではかわいそう過ぎます」
「そんなにおかしいですか、その色。きれいだと思いますが」
「ルカ様!」と、咎めるように言う侍女。
「わかりました。では今日一日だけ。せっかくきれいに染めたのですから」
「アルンは嫌がっているのですよ」
「そうでもないよね、アルン」と、アルンはルカに訊かれて答えに窮していると、
「はっきり嫌だと仰いなさい」と、侍女。
「ルカ様が元に戻すのが億劫だと仰るのでしたら、私が元の色に戻してやりますから」
「アルンは嫌だとは言わないよ。だって、剣が欲しいものね」と、ルカ。
「ルカ様は、そういう手を使ってこんな子供を」と、侍女はルカを非難する。
「俺、剣が欲しい」と、アルン。
「ほら」と、ルカはその侍女に言う。
「わかりました。では今日一日だけ。今夜、お風呂に一緒に入られた時、元に戻すかまともな色に染め直してやって下さい」
「わかりました」と、ルカ。
 商談成立という感じである。
 押しかけて来た侍女たちは、悪趣味だといいながらも出て行った。部屋に残ったのはアルンとその母親。
 母親は困り果てた顔をしている。
「アルン、これでわかっただろう。人は奇抜なものを見せつけられると、少しぐらいおかしなことがあってもあまり感じなくなるものなのです。その奇抜さに何時しか慣れてしまうのでしょう」
「えっ?」と、首を傾げるアルン。
「髪の毛、誰もあなたが青い髪だとは思っておりません。私の悪趣味で染められてかわいそうだとは思っても」
 確かにそうだ。とスワッファは思った。もしかして、これが狙いだったのか、今まで奇抜にアルンの髪を染めていたのは。
「アルン。もし染料がなくなって染められなかったり、何かの拍子に染料が落ちてしまったりした時は、青く染めてみたと言うといいですよ。普段から奇抜な染め方をしていれば、誰も何ともいいませんから。ただあなたの嗜好を疑われるだけで」
 アルンは納得したようにルカを見る。
「お兄ちゃんて、頭いいな」
「ですから、本を読みなさいと言っているのです」
「本に、書いてあったのか」
「ええ」と言って、ルカは本棚からヘアーデザインという本を持って来た。
 アルンはその本をペラペラと捲るが、そこにはいろいろな髪形や染色が乗っていたが、ルカが言ったようなことは何処にも書いていない。
「この、何処に書いてあるんだ?」
「ほら、ここに」と、ルカは以前アルンに染めてやった染色の方法が書かれてあるページを開く。
「そういうことじゃなくて」と、ルカを非難しようとしたアルン。
 だがルカはスワッファに視線を移すと、
「スワッファ、本当はこのことはあなたに言いたかったのです。戦場で多くの人の死を見ると、いつしか一人や二人の死は何とも思わなくなってしまいます。けれどもその一人があなたの親だったら、子だったら。その亡くなった人にも必ず悲しむ人がいるはずです。そのことを慣れと言う中に置き去りにしないでほしいのです」
 スワッファはルカを直視した。そう言えばこの方は、時間が許す限り負傷した兵士たちの見舞いをすると聞いたことがある。
「ご教訓、肝に銘じておきます」
「そんな堅苦しいことではないのですが。あなたは出世をしていくだろうと思いまして」
 そう言われては真面目な性格が故に、返す言葉を持たないスワッファである。
 ルカはアルンの背後に控えている母親に視線を移すと、
「ご心配かけました」
「いいえ、今の話しを聞いて勉強になりました。こういう方法もあったのですね。私は今まで隠すことばかりを考えておりました」
 ルカは逆に堂々と見せる方法を取ったのである。
 母親は、「ありがとうございます」と、深々と頭を下げる。
「お礼を言うのは、こちらのほうです」と、ルカ。
「私はアルンに優しさと生きる力を教わりました。ですからお礼に武術を教えようと思ったのです。優しい力をもっと強くするために。ですからこれから私が教えることは、あなたが大切にしている人を守るために使ってください」
「わかってるよ、そんなことぐらい」と、アルンは生意気に言うと、母親が注意した。
 アルンは母親が居るとやりづらいと悟ったのか、
「じゃ、母ちゃんは出て行って。俺、これからお兄ちゃんと武術の練習をするんだから」と、母親の背を押し廊下の方に追いやる。
 もっともっと強くなって、どんな奴らからも母ちゃんを守ってみせる、これが今のアルンの想い。
「さて、母ちゃんも行ったことだし」と、アルンはドアを閉めるとルカの方に振り向く。
「約束だよな、剣をくれるって」
「ええ、そうでしたね」と、ルカは書棚の引き出しから握りこぶしぐらいの乳白色の石を取り出す。
「なっ! 何だ、それ?」
「剣です」
「剣って、それのどこが剣なんだ?」
 だがスワッファはそれと同じ物を何処かで見たことがある。
「あっ」と、言う顔をした時、
「やはり、ご存知でしたか」と、ルカ。
「確かクリンベルク将軍の武器コレクションの中に似たような物が。異星人の武器だと伺っておりますが。旧石器時代の武器でもあるのでしょうか、石飛礫」とスワッファが言いかけた時、
「これはイシュタル人の武器です。しかも我々のどの武器よりも優れております」
「と、仰せられるということは、超小型爆弾ででもあるのですか」
 宇宙戦艦の一隻や二隻、吹き飛ばしてしまうほどの。
「そうですね、爆弾ではありませんが、これ一つあれば宇宙戦艦の十や二十、軽く破壊できるそうです」
 それを聞いてスワッファは驚く。
「どうやってですか?」と、訊かずにはいられなかった。
 スワッファの動揺をよそに、ルカは石の説明をした。
「彼らはこれを殺人の道具として使うことは滅多にありません。どちらかと言えば日用品として使っているようです」
「日用品と剣と、どういう関係なんだ?」と、アルン。
「今、それをお見せいたしましょう。うまくいったら拍手してください、まるで手品のようなものですから」
 手品のようなものと言われ、アルンとスワッファは首を傾げた。
 ルカはその石を握ると目を閉じ、念を込めるかのようにして軽く振った。すると指の間から白い紐。
「あっ!」と、アルンとスワッファ。
 二人はその紐に見覚えがあった。
「そうです。あの時、あなたを縛った紐ですよ、アルン」
 スワッファはどこから持ち出したのかと思っていた。
 ルカが手を開くと石はどこにもなく、替わりに紐の束が握られている。
 ルカはまじまじとその紐を見ると、紐をくるくると丸め両手で握り込む。それを片手に握りなおしたかと思うと、
「今度はこれを剣にしてみましょう」
「えっ! そんなこと出来るのか」と、驚くアルン。
「それではまるで手品だろーが」
「ですから、うまく行ったら拍手喝采と言ったでしょ。さぁっ、どちらさんも誤魔化されないようによく見ていて下さい」
 ルカはまるで手品をする大道芸人のように紐を握っている手に仰々しく片手を添えると、
「剣になれ」と言いながら、今度は先程より思いっきり上下に手を振り下ろした。
 ルカの手から白い光のようなものが伸びるとそのまま固定する。見るとそれは凍てつくような光を放つ剣になっていた。
「えっ、えええ!」と、驚くアルンとスワッファ。
 ルカはその剣を二人の前にかざす。
「切れそうでしょう」
「確かに切れそうだけど」と、アルン。
 どうもハンカチがステッキに変わったような感覚しかわかない。剣をしげしげと眺めるアルン。
 ルカはそんなアルンの感情を無視して、
「これは持つ人によってその威力が違うそうです」
「それはどういう意味ですか?」と、スワッファ。
「私ではせいぜい角材を切るのが関の山ですが、人によってチタンやダイヤでも。砕くのではありません、切ることができるそうです。宇宙戦艦でも惑星でも」
「切るって、真っ二つにすることだよな」と、アルン。
「そう言うことでしょう」と、ルカ。
「私にこれをくれた人は、宇宙船でも惑星でも切ることが出来る人がいると言っておりました」
 アルンは宇宙戦艦はともかくとして、惑星が一刀両断のもと二つに割れるのをイメージしたが、中からヒヨコが出て来るのが関の山だった。漫画だぁー。とアルンは大きな溜息を吐くとその想像を打ち消すかのように頭を振る。
「馬鹿な、そんなちっちゃな剣で宇宙船なんか、切れるはずないだろう、レプリカの艦船の間違いじゃないのか」
 惑星に至っては論外だった。語るもアホらしい。芋に惑星の絵でも描いて真っ二つに切ったのだろうと。これが無難な想像の範疇である。
「イシュタル人がそのように言っていたのですか」と、スワッファはある意味、真面目に受け止めていた。
 やはり幼いころの教育とはトラウマになるようだ。いくら現状のイシュタル人を見て、彼らのどこが悪魔なのだと思いつつも、子供の頃の恐怖の物語は忘れられない。そんなに騒いでいるとイシュタル人が来ると言われただけで、毛布をかぶって寝たものだ。
 スワッファの知っているイシュタル人も他のネルガル人同様、奴隷として売買されているイシュタル人である。この時代、奴隷と言う言葉は死語になっている、あくまでも労働契約だが、あれでは奴隷と何ら変わりはない。結局ネルガル人は、ネルガル人以外の者の権利を表向きはきれいなことを言っても、内心は認めようとはしない。ネルガル人以外の者の知性を認めないからである。それが自分たちが立っている場所と違う角度からの思考だと尚更である。
「彼らに、そのようなことが出来るとは思えませんが」
 内心の恐怖を隠しつつ、スワッファは疑問を投げかける。
 一時は悪魔と恐れられていたイシュタル人。だがその実体は我々より下等な生物。神がご自身の姿に似せて我々ネルガル人を創られたように、我々に似せて創ったのがイシュタル人のようなものだ。
「私たちの知っているイシュタル人は極一部の者たちですから。既にそのようなことが出来るイシュタル人はあの星にはいないそうです」
「と言われますと?」
「どこかの星に移住した」
「移住したと仰いますが、その痕跡はないようです。イシュタルから不審な宇宙船が飛び立ったという報告は受けておりません。飛び立てば直ぐに我々の監視衛星が捉えるはずです」
 ルカは軽く首を振ると、
「彼らは惑星から惑星へ移動するのに、宇宙船を必要とはしません」
「では、なにで?」
「テレポーテーションです」
「テレポート?」
「そうです。彼らは惑星から惑星まで、瞬間移動できるのです。出来ない者だけがあの惑星に取り残された。否、留まって私たちの目を撹乱させている」
「撹乱? 何のために?」
「彼らは、戦闘準備をしているそうです」
「戦闘準備? 何処で?」
「総攻撃の準備です。場所はわかりません。その者も知らないようでした。知っていれば駆けつけると。後は、総指揮を執ってくれる白竜が降臨するのを待つのみだそうです」
 スワッファは息を呑んだ。しかし、
「その者、そんな大事なことを、我々に話しても大丈夫なものなのでしょうか」
 眉唾ではないのかと。
「私もそう思いまして、その者に尋ねました。そしたら、知ったところであなた方は何も出来ないと、その者は胸を張って答えました。確かにそうでしょう。私たちの科学力では三次元は捉えられても、四次元を捉えることは出来ないのですから。アヅマは四次元を使う。彼らが移住した惑星も、もしかすると四次元にあるのではないのですか。例えばネルガル星の隣に。ボイ星には変わった惑星が存在しています」
 確かに、それで第一陣は壊滅状態だった。スワッファは黙り込む。この方は宇宙海賊シャーと戦って唯一勝利を収めた方だ。そしてアヅマと戦った者たちの奇妙な話。いきなり空間から艦船や人が現れると。そこではレーダーも防御システムも何の役にもたたなかったと。四次元に存在する惑星。
「無論、攻撃目標はネルガル星でしょう。宇宙海賊アヅマのやり方を見ればわかります。彼らは無駄なことはしません。おそらく白竜が降臨すればネルガルを直接攻めてきます。そしたらあの伝説の再来です。ですから私はクリンベルク将軍に進言したのです。そうなる前に今ネルガルに居るイシュタル人を全員イシュタル星へ戻しなさいと。そしてアヅマに謝り二度とイシュタルには手を出さないことです。そうすれば最悪のシナリオだけは回避できます。彼らは私たちより利口です。私たちとは違って、振り上げた拳の置き場がないなどとは言わないでしょう」
「ねっ、何の話し? アヅマだのシャーだのボイだのと」と、アルン。
「宇宙海賊の話しです」と、ルカは話をはぐらかせた。
 まだこんな幼い子に、絶望的なネルガルの未来を語りたくはなかった。否、絶望的なわけではない。やり方によっては幾らでも未来はある。
「それより、やってみませんか。あなたなら出来るような気がします」と、ルカはアルンに剣を差し出す。
 しかし剣は見る間に消え乳白色の石の塊になった。アルンはそれを両手で受け取った。重いかと思ったが、石より遥かに軽い。ルカが握っていたせいか暖かくもあった。
 アルンはそれを片手に持ち帰ると、手の上で弄ぶ。
「意外に、軽いんだな」
「軽いですか?」
「ああ、軽石みたいだ」
「スワッファ、持ってみてください」
 スワッファはそれをアルンから受け取る。
「どうですか?」
「重いですね、ヒヤッとしてまさに石だ」
 二人のこの感覚の違い。スワッファはアルンが手の上でゴム鞠のように弄んだ感覚がわからない。大人ならともかく子供の手では、手首がおかしくなってしまうぐらいの重みはある。
「これ、軽く感じないようでは駄目なのです」と、ルカ。
「私も最初は重かったのです。ですが使っているうちに段々軽くなってきたのです。でもアルンは最初から、おそらくその石と相性がいいのでしょう」
 青い髪のせいなのではとルカは思ったが、口にはしなかった。これ以上スワッファを怖がらせても何の得にもならない。彼がかろうじてアルンの存在を認めてくれたおかげで、この館の護衛たちも口をつぐんでいてくれるのだから。彼の誠実さは部下たちからかなりの信頼を得ているようだ。
 ルカがアルンにこの石をやろうと思いついたのも、青い髪のアルンなら使いこなせるのではないかと思ったからである。
「さぁ、やってみますか。まずは、頭の中でイメージするのです、この石を何に変えたいか」
「何に?」と、アルンはルカを見上げる。
「その石は、アルンが心の中で思った形になります。目を閉じて、想像してください、剣なら剣を。そして剣になれと言えば、その石は剣に形を変えます」
 スワッファはそれを聞いて嘘だろうと思った。だが信じた者は救われた。
「つるぎになれー!」
 アルンは大声を張り上げて手を振り下ろした。
 見事なほどの禍々しい剣がアルンの手に握られている。ルカが出した剣など話にならない程、立派な剣だ。
「つ、つるぎになった」
 アルンが驚きのあまり腰を引いた瞬間、その剣は消え石にもどってしまった。アルンの心の集中が切れたからだ。
「あっ!」と、アルン。
 驚いたのはアルンだけではない、スワッファも。
「もとに、もどっちゃったよ」と、アルンはがっかりしてしまった。
 アルンは全エネルギーを使って剣を具現化したとみえ、肩で息をしている。それを見たルカは心配になってアルンに声をかけた。やはりよく説明してからやらせるべきだったのだろうか、この石は生体イエネルギーを使って変化することを。だがこんな子供に何と説明すれば。あの者は言っていた。イシュタル人は子供の頃から遊び道具としてその石の使い方を学んでいくと。誰が教えるわけでもない。皆が使っているのを見よう見まねで。だから私が教えてくれと言っても、彼はうまく教えることが出来なかった。
「大丈夫ですか、アルン」
「なっ、何か、すげぇー疲れる」
 アルンのその反応にルカはにっこりすると、
「今日は、これで終わりにしましょう」
「どっ、どうして」と、アルンは不服そうに口をとがらせて言う。
「石、重くありませんか?」
 アルンは石を手の上で弄ぼうとしたが、
「確かに、さっきよりかなり重い」
「それはあなたにその石を変化させるだけの体力がもうないことを意味しています」
 アルンは石をまじまじと見ると、寂しそうな顔をして、
「つまり、俺にはこの石は使えないってことか」と、ルカに問う。
 ルカは軽く首を横に振ると、
「いいえ、そういう意味ではありません。その石は人の体力を使って変化するのです。今アルンは自分の持てるだけの体力でこの石を剣に変えました。だから凄い剣が現れました。でも集中と体力がなくなると石に戻ってしまうのです。そして石は重くなります。石が重い間は何度念じても変化しません。そういう時は、ご飯をいっぱい食べて寝るのです。寝て起きて石を持って軽く感じたら、もう一度やればいい。そうすればまた剣が現れます。でも今度は少し手加減して、少し小さなものを。それを繰り返しているうちに段々と自分の思った物へと変化するようになります。私も剣にしたり紐にしたりするのには何度も練習しました。たぶんアルンなら私より早く上手に出来るようになるのではないかと思います。アルンはまだ小さい。もっと大きくなって体力もつけば先程のような剣が何時までも消えずに現れています。アルンならもしかすると宇宙船ぐらい切れるかもしれませんね。それはアルンにあげます。ただし一つだけ約束してください。それをスワッファと私以外の人の前で武器に変えるのだけは絶対にしないでください。それこそ悪魔だ。などと言われかねないですから。ただし手品の道具として使うならかまいません。例えば花に変えたりステッキに変えたりハンカチに変えたり」
「そんなこと、出来るのか?」
「貸し手ご覧なさい」と、ルカはアルンからその石を受け取ると、両手で覆い何かを念じたようだ。
 石は白い鳥へと変わり二、三回羽ばたくとまた石に戻った。
「えっ、すごい」
「この石を私にくれた人はこの鳥を飛ばして肩に乗せたり頭に乗せたりしたのですよ」
「そんなこともできるのか」
「本来この石は武器ではありませんから。彼らはコップにして水をくんだり、加護にして収穫物を運んだり、網にして魚を取ったりといろいろに使っていたようです」
「へぇー」と、感心するアルン。
「俺も練習するとそういうことが出来るのかな?」
「たぶん、出来るようになるとおもいますよ。私ですら鳥に変えられたのですから」
 そう言うとルカはその石をアルンに返した。アルンは嬉しそうにそれを受け取ると、
「うん、わかった。これはお兄ちゃん、スワッファさんと俺との三人だけの秘密にする」
「そうです。だから人前ではやらないこと。武器に変える練習だけは誰も見ていないところで」
「うん、わかった」
「それを約束してくれるのでしたら、それはもうアルンのものです」


 その日の午後、何時ものようにキッチンの皿洗いを手伝っているアルンは欠伸ばかりしている。
「どうしたのアルン、今日は」と、侍女が声を掛けて来た。
 体が段々前傾姿勢になり、皿を洗いながら自分の顔まで洗いそうな有様だ。アルンの体調を心配する侍女。もうそこには髪が青いことなど誰も言う人はいない。
「随分、お疲れの様ね。昨夜は夜更かしでもしたの、子供は早く寝ないとね」
「そうではないわよね、ルカ様の武術の稽古が厳しくなってきたのでしょう。棒を使って本格的ですもの。少しは手加減してやればいいのに、まだ子供なのだから」
 練習を垣間見たのだろう、感想をもらす侍女。ルカにしてみればかなり手加減しているのだが。ルカがレスターから教わった時はこんなものではなかった。
 侍女のその言葉にアルンは脹れた。
「俺、こどもじゃない。俺、強くなりたいんだ。母ちゃんを悪い奴から守るために」
「まあ、頼もしいこと」と、侍女たちは母親の方を見る。
 母親は気恥ずかしそえに俯く。
「お姉ちゃんたちも、ついでに守ってあげるからね」と言いながらも、眠そうに眼をこするアルン。
 侍女たちは笑いながら、
「未来のナイトさんが寝ぼけて怪我しないように、今日のお手伝いはこれでいいわ」と言って、お駄賃のアイスクリームを持って来た。
 アルンはそれをペロリとたいらげるとキッチンの隅の長椅子でグーグー寝てしまった。
 大暴れをした子供は寝つきも早い。その寝顔を見ながら侍女たちは、
「かわいい子ね、将来が頼もしいわ」





 その頃、王宮の某会議室では宮内部と軍部が、ルカの処遇について幾度となく無意味な会議を開いていた。話は平行線。宮内部としては、ルカを排斥、否、法令にならって処刑したい。そうすることがギルバ王朝の禍根を断つと疑わない。やはり血筋を濁すということは、後々の王位継承の問題の種になる。それでなくとも高貴な血筋の間で争いが尽きないと言うのに、そこへ平民の血まで持ち込みたくはない。宮内部が過去に囚われるのに対し、軍部は現実を見ていた。今ここで、ルカ王子を失う、否、ルカ将軍を失うと言うことは、対宇宙海賊戦に敗北することを意味する。現段階、宇宙海賊とまともに戦えるのは彼しかいない。このままでは、ギルバ王朝がどうのこうのと言う前にネルガル星そのものが宇宙海賊によって蹂躙されかねない。ネルガル星あってのギルバ王朝であり、ギルバ王朝あっての我々である。そう言う意味では何もなくなった時に一番強いのは、最初から何も持っていない平民たちだろう。彼らはどんな王国が出来ようと、今までより酷くなることはないと思っている。
「では、ルカ王子の身をどうすればよいのだ」と議長が、あまりの進展のない会議に嫌気を差して問う。
「ですから、処刑すべきだと申し上げているのです」
「あなたがた宮内部はギルバ王朝のことしか考えておらん。今、宇宙がどうなっているか」
「それは軍部の役目だろう、我々に言われても。ネルガル星を守るための軍部なのだから」
「だから、先程から言っているのだ。宇宙海賊の手からネルガルを守るには、ルカ王子が必要なのだと」
「これだけの将軍がいて、ルカ王子一人にかなわないと言うのですか、クリンベルク将軍」
 宮内部の者から名指しされたクリンベルクは、はっきり自分の負けを認めた。
「その通りだ」
 一瞬、場が静まる。
「ご冗談を」と笑い出す宮内部に対し、
「我々は冗談など言わない」と、将軍の一人。
「あのお方は、数度の海賊との接触により、彼らの動向が図れるようだ」
 出撃回数の多いルカ王子ならではの、実践から得た感覚。それを将軍たちは教わりたかった。
「ルカ王子の身柄、軍部にお預けいただきたい」
 一人の宮内部の者が本気で笑い出した。
「負け続けで、随分と軍部も弱腰になったものだ。ルカ王子一人に、何が出来ると言うのです」
「そうだ、いっそのことオルスターデ夫人に預けたらどうだ」と、厄介払いをしたがる宮内部。
 そうすればもめ事の種もなくなり王宮は安泰となる。オルスターデ夫人の怒りも収まり、毎日毎日あのヒステリックな声を聴かなくって済む我々も、心安らかに眠れるというものだ。
「馬鹿な」と、軍部。
 その時である、緊急速報が入ったのは。
「どうした?」
『会議中申し訳ありません。先程 レミュール方面からの不審な通信を傍受しました。それによりますと、どうやらツァッハ要塞はシャーの襲撃を受け壊滅したもようです。先程から呼びかけておりますが何の返答もありません』
「援軍の要請はなかったのか?」
『はい。ツァッハ要塞からは何の連絡もありませんでした』
「またか」と、舌打ちする軍部。
 援軍を呼ぶ余裕すらなかったのか、それとも真っ先に通信機器を破壊するのか、奴らは。宇宙海賊との戦闘はいつもこうである。ただ相手がアヅマなら襲撃後の収容所から被害報告がある。だがシャーではそれをする者が生き残っていない。
 ツァッハ要塞とは、距離が近すぎる。こんな所まで宇宙海賊が出没するようになったのか。と誰しもが思ったのだろう、会議室は水を打ったように静まり返った。いよいよ喉元が危険にさらされ始めた。
 ツァッハ要塞と言えば初期の頃に移住が始まった惑星である。この惑星だけは侵略によるものではなかった。何もない不毛の惑星に一つ一つ手をかけネルガル人が住めるように改造して行ったのである。今では要塞というよりも都市が発達し高級リゾート地もあり、第二のネルガルと言ってもいいほどに豊かな惑星になっていた。宇宙開発初期のネルガル人は今ほど傲慢ではなかった。その努力の惑星が一瞬にして。避難できたものは極わずかなようだ。
「何故、ツァッハが? 要塞とは名ばかりの、ただの居住惑星ではないか」
「私の家族が」と、嘆く宮内部の官僚。
「植民地も収容所もない惑星だ。住んでいるのはネルガル人だけのはずだ」
 使用人として異星人が若干住んではいるが、多くは中流以上のネルガル人が住んでいた、腐れ切ったネルガル本星を捨てて。
「ネルガル人しか住んでいない。それが狙いだったのだろう。おそらく攻撃して来たのはシャー。シャーでは全滅だ」と、諦めの声。
 捕虜になったら最後、何をされるか知れたものではない。シャーの襲撃後を見た者たちは誰もが息を呑んだ。その惨状に言葉すら発することが出来ない。これが同じネルガル人の仕業かと思えるほど。シャーが兵隊崩れの集まりだと言うことは、辛うじて生き残った者たちから聞いている。あの中に顔見知りの大佐や中将、同僚の姿があったと。アヅマならツァッハを襲撃するはずがない。彼らの狙いははっきりしている。収容所、捕虜の解放が目的。だがシャーは違った。殺人そのものが目的、しかもゲーム感覚で。そしてアヅマは異星人なのに対し、どうやらシャーはネルガル人だと言うことも解り始めていた。やはりこの宇宙で一番残虐なのはネルガル人なのか。自分たちがやられて初めて、その残虐性に気付く。
「ルカ将軍を、返していただきたい」
 軍部は強く出た。これ以上悠長なことはやっていられない。とにかく、ルカ将軍のもと、反撃体勢を整えなければ。
 宮内部は黙り込む。ここで例外を認めれば。既に平民の血を引く子を堕胎させなかったことが、このような災難を招いたのだ。あくまでも宮内部の頭の中は宇宙の事より王宮の事。宇宙海賊の襲撃より王子殺しの方が優先していた。
 そこへ、
「どうでしょ、こうしたら」と、あまりの解決のなさに議長が提案してきた。
「宮内部としては王子殺しの責任を取らせたい。軍部としてはルカ王子が必要だと言うのでしたら、ルカ王子を何処かの惑星に軟禁しては如何ですか」
「そんな悠長なことを」と、宮内部と軍部は声を揃えた。
 宮内部はオルスターデ夫人にわいのわいの突っつかれいい加減ノイローゼぎみなのである。軍部は海賊との対戦でこれ以上の負けを加算したくない。権威の失墜を招きかねないから。
 だが議長は年の功、落ち着いたものである。
「距離を離して時間をおけばオルスターデ夫人も少しは落ち着かれるでしょうし、ルカ王子ご自身も、除隊を願い出ているようでは今のところ協力は仰げないと思うのですが」
 軍部は確かにと頷いた。だが宮内部の方は、距離と時間を置いたぐらいであの夫人の怒りが静まるとは思えない。
「オルスターデ夫人の方は、誰かに説得してもらうしかありません。ルカ王子の方は時折ことらの戦況を知らせ、早く戻っていただけるように、これも説得するしかありません。お互いの気持ちの整理がつくころには、世間的なほとぼりも冷めていることでしょう」
 議長の提案に、会議室は暫しの沈黙が流れる。
 その沈黙を破ったのはクリンベルク将軍だった、
「それしか方法がないようですな」
 その言葉に全員、頷くしかなかった。
「それではどの惑星に」と、議長。
「M13星系第6惑星では」と提案したのは宮内部。
 別名砂の星、過酷な気象だが貴重な鉱山資源の宝庫でもある。そのため罪人を収容し彼らに採掘させている。あの星に流されて生きて帰って来た者はいない。これならオルスターデ夫人も納得するだろう。そしてほとぼりが冷めた頃、軍部が迎えに行けばよい。その頃にはルカ王子のお考えも変わられているだろう。
「あそこならよい。あそこなら全てが丸く収まる」





 数日後、その決定はルカのもとにも届けられた。
「M13星系だって」
 驚いたのはスワッファ。
 ルカは冷静に受け止めていた。
「殺人者には丁度よい星ではありませんか」
「殺人者などと、とんでもありません。今から私が軍部に出向いて掛け合って参ります」
 まじめで物静かなスワッファにしては上層部の指示に掛け合うなど珍しい。
「軍部が決めたわけでもないでしょう。それより労働することによって私が犯した罪が少しでも許されるのなら、それでよいと思っております。少しでも罪が許されるのなら、あの世に行ってシナカと話ができなくとも、その後ろ姿を見ることぐらいは許されるかもしれませんから。シナカがご両親とあの世で幸せに暮らしている姿を一目見ることができれば、私は地獄へ行っても」
 この方の癒えない心の傷。スワッファは心配そうにルカを見た。ルカはスワッファの想いを知ってか笑う。
「地獄の方が友人が多いのです。私が行ったら閻魔大王をやっつけて、鬼を配下に納め、地獄を天国より住みやすい所にしようと手ぐすねを引いて私が来るのを待っているそうです。レスターのことです、もう既に鬼とのゲリラ戦ぐらいは始まっているのかもしれませんね。まごまごしていると行くまでに片付いていたりして」
 部下たちはそんな冗談を言って戦死して行った。
 スワッファは何と言ってよいかわからず黙り込む。
「それより、何時出立するのでしょう。その前にアルンたちを身が立つようにしてやらなければ」
 アルンを人目にさらすわけにはいかない。
「おそらく十日後あたりになると思われます。次の囚人船がその頃に出ますので」
「そうですか、では明日にでもアルンにはよく言い聞かせて、この館を出て行ってもらいましょう」


 次の日、ルカはアルンと母親を自室に呼び出した。
「何か、ご用でしょうか」と入って来る母親。
 それに対してアルンは、
「今日は、稽古はないの?」
「少し話があるのです。そこに掛けてくれませんか」
「話し?」と、アルンは怪訝な顔をする。
 二人が座るとルカは、テーブルの上に一握りの袋を置く。
「何? これ?」と、アルンは持ち上げてずっしりした重みを感じる。
「給金です、今までよく働いてくれましたから」
「給金?」
 アルンには意味が解らないようだ。しかし母親の方は悟った。
「何か、粗相でも?」
「いいえ、あなた方に落ち度はありません。私が近々この館を出ることになりましたもので、それでその前に、よく働いていただきましたので。当面はこれで食べて行けると思います。アルンを学校にあげ、きちんとした教育を与えてやってください。アルンはいい子ですから、きちんとした教養さえ身につければ立派な大人になります」
 そしてルカはアルンの方を見ると、
「アルン、お母さんの言うことをよく聞いて」
「嫌だ!」と、アルンは立ち上がる。ルカに最後まで言わせなかった。
「俺は何処にも行かない。俺はお兄ちゃんと」
「アルン、私はもう直ここを発たなければなりません」
「だったら、俺も一緒に行く」
「では、お母さんはどうするのですか」
「母ちゃんも一緒に」
 ルカは首を横に振ると、
「それはできません。誰も連れて行くことはできないのです。スワッファもここに残ります」
「ほっ、本当に?」と、アルンはルカの背後で静かに控えているスワッファを見る。
 スワッファは静かに頷く。
「スワッファたちは私の身のまわりの世話をしてくれるためにここに居たのです。私が居なくなれば彼らは本来の仕事に戻ります。この館は誰もいなくなります」
「だったら俺がここで、母ちゃんと一緒にお兄ちゃんの帰りを待っている。掃除もきちんとしておくし、いつ戻って来ても直ぐに使えるように」
 ルカは軽く首を横に振ると、
「もう、ここへ戻ることはあれません」
「どうして?」
「私を迎えに来るのは刑吏なのです。以前、話しませんでしたか、私は人を殺したことがあると。その判決が出たのです」
「だったら、俺だって」
「あなたの場合は正当防衛です。それにあなたが捕まったらお母さんは誰が守るのですか。お母さんにはあなたしかいないのですよ。ですから彼らが来る前にここから逃げなさいと言っているのです」
「だったら、お兄ちゃんも一緒に、逃げよー」
 ルカは大きな溜息を吐くと、
「それができればとっくにやっています」
 ルカは最初から逃げる気はなかった。だがこう言えばアルンが納得するのではと思い、
「あなたのことはまだ誰もしりませんから、あなたひとりなら逃げられます。逃げるとなれば善は急げです。明日にでも荷物をまとめて」
 知られたら最後、アルンこそその場で殺される。青い髪なのだから。
 アルンは悲しそうに唇を噛み黙り込む。
 ルカはアルンの気持ちを察して、
「アルン、お昼を食べたら何時もの所へ来なさい。最後の稽古をしましょう。私の取って置きの奥義を教えてあげます」
「ほんとに」
 アルンの目が輝く。
 ルカは頷く。
「無敵の技です。それでお母さんを守ってあげなさい」
 その奥義とはレスターから教わった技だ。レスターがルカ以外の者に教えたことがないように、ルカもこの技を誰にも教えたことがない。でもアルンになら。イシュタル人の武器である懐剣を使えるようになって来ているアルンになら、何故か教えてもいいと思った。


 昼食後、稽古場にはスワッファとアルンの姿があった。ルカはボイ星にいた時ボイ人に作ってもらった剣を身に付けて来た。使い慣れた剣である。これでよくリンネルから剣術の指導を受けたものだ。
「真剣でやりましょう。アルン、あの石、剣に変えることはできますよね」
 アルンは頷いた。今ではかなり長い時間を保てるようになっていた。ただ、かなり疲れるが。
 ルカは鞘から剣を抜き、構える。アルンはその前に石を剣に変えつつ走り込んできた。真剣と真剣のぶつかる音。スワッファは驚く。こんな子供に真剣で稽古するなんて。
 ルカはなんなくアルンを弾き飛ばした。
「私もこうだったのです。ボイ星に行くと決まった頃にはレスターに滅多打ちにされたものです。これからは自分の身は自分で守らなければならないと。親衛隊を当てにするなと。そのおかげで私は幾度とない危機を乗り越えることが出来ました。彼の教えは正しかった。やはり最後は自分の力です。さっアルン。私に一刀浴びせるつもりで本気でかかってきなさい」
 幾度となく真剣の交わる音。アルンの足の運びは以前と比べものにならない程、無駄がなくなっている。
 これが十歳の子供の動きか。とスワッファが思うほど。スワッファの腕も悪い方ではない。なにしろクリンベルク将軍がルカの護衛にと選んだぐらいなのだから。
 その時である。ルカの動きが妙に流れ始めた。今までぶつかっていた剣同士が、滑るようにかわされる。アルンはその抵抗のなさに思わずバランスを崩した。本来、そのバランスを崩した時がねらい目なのだが、ルカはアルンが態勢を整える間、コンマ数秒だが待った。実戦ではこのコンマ数秒にも値しない時間が命取りになるのだが。数回の後、アルンの動きが止まった。
「なるほど、これが奥義か」
 アルンは、今度は流されたままの体勢で切り返して来た。力を入れ過ぎては駄目だ。必要な時に必要なだけ、そうすればバランスを崩さないで済む。体重を完全に移動させる前に次の動きに入る。アルンの動きが先程より数段早くなった。
 ルカはにっこりした。コツを掴むのが早い子だと。
 だがルカの動きは、それに増して早くなった。
 スワッファは肝をつぶして二人の動きに見入る。何と言う技なのだ、これは。今まで見たことがない。
 最終的に、アルンの剣が消えてこの勝負は終わった。アルンは地面にへたり込みぜいぜいと肩で息をする。それに対しルカはほとんど呼吸の乱れがない。ルカは水筒を持って来るとアルンの横に座った。アルンはルカから水筒を受け取りながら、
「すっ、すげぇーな、兄ちゃんは。全然疲れてないようだ」
「それはそうです。アルンはその石を剣に変えているだけでかなりの体力を使っているのですから。もし、普通の剣なら、もう少し長く戦えましたよ」
 アルンはルカのその言葉に顔の前で手を振って答える。水が喉元を通り、やっと呼吸が整い声が出せるようになると、
「違うよそれ。普通の剣だったら重たくってこんなには振り回せなかったと思う。これ、軽いんだ。まるで小枝でも振り回しているように。それにお兄ちゃんから受ける衝撃も、剣が吸収してくれるみたいんだ。俺の腕には当たったという感触はあっても重みを感じるほどの衝撃はないんだ」と、アルンは丸い石になってしまった剣を見詰めながら。
 アルンは剣としての重さどころか打撃の重さもほとんど感じていなかったようだ。
「そうなのですか」と、ルカ。
「うん。不思議な石だね」
 剣になること自体不思議なのだから、重さがないことぐらいそれに比べれば。と二人の会話を聞いてスワッファは思った。
「アルン、お母さんをしっかり守ってあげなさい。今度はアルンが守る番ですよ」
「うん」と、アルンは頷く。


 次の日、アルンと母親は荷物をまとめルカの所へ来た。母親がルカの前に昨日もらった金貨の入った袋を差し出す。
「このお金はお返しします」
 ルカは怪訝な顔をして母親を見ると、
「これはアルンにやったものです。アルン」と、ルカはアルンを呼ぶと、
「これで学校に行き、立派な大人になりなさい。そしてお母さんを助けてあげるのですよ、わかりましたね」
 アルンは頷いた。もう、昨日のようなわがままは言わない。
「それと、もう一つアルンにあげるものがあります」と、ルカは袋を持って来た。
 見るとその中に、毛染め用の染料が幾つも入っている。
「これで、出来るだけ奇抜に染めるのですよ。そうすれば色が落ちた時、誰も何も感じませんから」
 それはこの館で実証済みだった。
「うん」
「時々青い染料も使った振りをして流して買い換えなさい。そうすれば誰も気づきませんから」
「うん」
 どう言い含められたのか、アルンはすっかり別れの心の準備が出来ていた。実はこれには訳がある。あの練習の後、ルカのことを心配しているアルンにスワッファが耳打ちしたのである。ルカ様は私たちが命に代えてもお守りする。と。ですからあなたも生き抜いて、またいつか皆で会いましょうと。
 スワッファは嘘を吐かない人だ。アルンはその言葉を信じた。いつか、必ず、またこうやって三人で。男同士の約束だった。



 アルンが発って数日後、宮内部から迎えが来た。このまま宇宙港に行き、三日後にはネルガル星を発つとの報告を受けた。それでは何の準備もと狼狽えるスワッファに、既にこちらの方で必需品は用意してあると宮内部の役人は言う。宇宙船も囚人船とは別にルカ専用の船が用意されているようだが、ルカはそんなことはどうでもよかった。
 ルカは世話になった人々に丁寧に頭をさげた。
2014-06-17 00:11:43公開 / 作者:土塔 美和
■この作品の著作権は土塔 美和さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 皆さん、お元気ですか。本当に本当にお久しぶりです。死んだと思いましたか。例えば交通事故死とか。実は25年11月ごろから始まった消費増税による特需は、翌1、2、3月でピークを迎え、一日四時間の睡眠がとれるかどうかの騒ぎでした。そして迎えた4月。案の定、閑古鳥。この際だから有給休暇を取ろうと思ったのがいけなかった。気を抜いたが最後、風邪をひきそのまま寝込むはめになってしまった。気が付けばゴールデンウィーク。土塔美和が息を吹き返したのはそれから数日後でした。書いている本人が筋がわからなくなるぐらいですから、読んでくださっている方々は尚更でしょう。それでも付き合っていただければ幸いです。またゆっくり書いていきますので、ご意見、ご感想、よろしくお願いいたします。
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