『碧眼組合』作者:コーヒーCUP / ~Xe - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
高校生の青山愛は同じ演劇部に所属するアリーという子の悩みを解決すると約束した。その悩みとは、最近彼女の母親に妙な人物がつきまとっているというものだった。そして愛はこのことを後輩の東雲四季に相談する――。奇妙な人物から導き出される、ある企みとは何か。
全角28408文字
容量56816 bytes
原稿用紙約71.02枚

「四季君、アリーちゃんのこと知ってる?」
 いつもの昼休み。私たちの高校は不用心にも遠慮なく屋上を開放している。閉鎖している学校も多いと聞くけど、ここはちょっとやそこらじゃ登れないほど立派なフェンスがあるので問題ないそうだ。
 そんなフェンスにもたれかかりながら、私は隣で寝そべりながら携帯ゲーム機をいじっている後輩、東雲四季君に声をかけた。
 今日はわけあって彼と一緒に食べることにした。もちろん彼は了解してないけど、クラスで浮いている彼がいつもここで一人でいることは知っていたので、乗り込んだ次第だ。
 彼は嫌がったけど、そんなの知らない。
「アリー? なんか、聞いたことはあります」
「君さ、本当に他人に興味なさすぎだよ。アリーちゃん、同じ演劇部でしょ」
 四季君は起き上がり、頭をかく。
「まだあそこの全員覚えてないです。多すぎてついていけない」
 多いことないと思う。私達が所属する演劇部は実際二十人いない。本当の大所帯はこれの数倍はいるんだから可愛いものだけど、彼の場合は望んで入部したわけじゃないし、口癖のように「他人に興味ない」っていうほどの性格だから、覚えられないというより、覚える気がないんだろうな。
「高橋アリー。私達と同じ二年で、君の先輩。うちの部で美術担当」
「ああ、あの小道具をいっぱい創ってる人ですか」
 なんとか思い出してくれた。珍しい名前だから、すぐに思い出して欲しかったけど。
 高橋アリー。変わった名前で、ちゃんとした本名。ハーフで、半分はアイルランドの血が入っている。少しだけ金色がまじる髪の毛に、立派な碧い目。恥ずかしがり屋の性格で、皆から親しみをもって「アリーちゃん」と呼ばれてる。
 演劇部では舞台衣装や、劇で使う道具を用意してくれる。手先が器用だから色々作るのが得意な、羨ましい女子力の持ち主。
「で、あの人がどうしたんですか?」
「最近ね、ちょっとボーっとすることが多いんだ。わけを聞いたら昨日教えてくれたんだけどね。最近、変な人がお母さんに近づいてるらしいの」
「変な人?」
 ここでようやく私の話に興味をもってくれたみたいで、彼は携帯ゲーム機をとじた。だから私もお弁当を食べるのをやめて、お箸を膝の上に置いてあったお弁当箱にのせて、ゆっくりと経緯を話しはじめる。
 話は、昨日の放課後まで遡る。



「アリー、衣装が一着足りないわ」
 真夏も一瞬で冬に変わりそうなほど、底が冷えた声が部室に響いた。別に大声だったわけじゃないけど、不機嫌な彼女の声はこういうことがおこる。
 その声の子、東雲季節は部室の壁際にある衣装掛けの前に立って、部室の皆には背を向けていた。表情が伺えないというのは怖さに拍車をかける。
「えっ、うそ……」
 丁度季節と部屋の反対側にいて、一人の部員の衣装の裾直しをしていたアリーちゃんが立ち上がって、動揺を隠せないでいた。
「嘘じゃないわ。私が数を数えられないっていうなら、別だけど」
 部室には私を含めて他にも部員がいたけど、誰も喋れなくなった。その静寂がアリーちゃんを焦らせるのか、彼女は汗を流しながら顔を青くした。
 季節はこの演劇部の部長。部活への情熱があって、芯がしっかりした子だから部長は適役なんだけど、とにかく怖い。
「え、えっと、多分、家に忘れたんだと思う……。き、昨日、ちゃんと持ってこようと準備したはずなの……」
 震えた声は後半になるにつれて声が小さくなって、ついには首をがくっと下げてしまった。もともとプレッシャーに強いタイプじゃないから無理もない。
 彼女の懸命な釈明に対して、季節は冷たかった。
「そう」
 無関心のようにそれしか言わず、しばらく黙ってしまった。
 誰も喋れない状況に、緊張が部室を包んだ。当事者のアリーちゃんは俯いていて表情が伺えない。黒と金の混じった長髪が力なく垂れ下がっている。
 静寂をやぶったのは、他でもない季節だった。くるりと体を反転させて、ようやく表情を見せてくれたおかげで、少しだけ安心した。本気で怒っているわけじゃないとわかったから。
 当然、柔らかい表情ではないけど、眉を吊り上げたりはしていなかった。
「いいわ。明日、ちゃんと持ってきて。うちじゃあなたしかできない仕事なんだから、しっかりして」
 許しが出てほっとしたのか、アリーちゃんは顔をあげて、うんっと頷いた。
「ただ、今月で二回目よ。この前は衣装の丈が長かったのよね。珍しい、というか初めて。アリー、何かあったの?」
 そういえばそうだった。季節に言われて私も初めて思い出した。
「な、なんでもないよ。ボーッとしちゃったんだと思う。ごめんね」
「そう。ならいいわ。その代わり、ペナルティはうけてもらう」
 突然の宣告に再び部室に緊張が走った。アリーちゃんもかなり驚いている。
「アリー、今日は愛と帰りなさい。以上よ。じゃあ、私は職員室で顧問と話してくるから」
 季節はそれだけ告げると何事もなかったかのように、綺麗な足音だけ残して部室から出て行ったが、しばらく静寂包まれた。ただそれはすぐには終わる。
「えっ?」
 私の素っ頓狂な声が、間抜けに響いたからだ。

「ご、ごめんね、なんか巻き込んじゃって」
 夕暮れが外の世界をオレンジに染める時間。私とアリーちゃんは二人で自転車を押しながら帰路についていた。
「ううん、気にしないでいいよ」
 何度も謝られると、こっちが悪いことをした気持ちになる。
 ペナルティが私と一緒に帰ること。そんな訳のわからないもので、アリーちゃんもどうしていいかわからない様子だった。彼女はそんなに積極的に人と話すタイプでもないから余計に。
 季節は時々こういうよくわからない無茶を私に回してくる。何がしたいのか本当にわかんない。
「アリーちゃんの家って学校の近くの雑貨屋さんなんだよね?」
 なんとか話題を作ろうと、思い出したことを口にしてみる。
「うん……ママがやってるの。お店っていうけど、ほとんど趣味だよ。パパは普通に会社員だから」
「そうなんだ。けど、人気があるって聞いたけど」
 その店の噂は聞いていた。可愛らしい小物がたくさんおかれている、それこそ私達のような十代の女の子に人気で、雑誌に載ったこともあるとか。
「人気店ってわけじゃないよ。似たようなお店はいっぱいあるから……」
 謙遜しているのかアリーちゃんは顔を隠しながら、首をぶんぶんと横にふる。
「一回行ってみたいな。あっ、今日は開いてる? よかったら案内してよ!」
 名案だと思って声を高くしたのに、予想外のことが起きた。アリーちゃんが全く嬉しくなさそう。それどころか、急に暗くなって俯いてしまい、足を止めてしまった。
「アリーちゃん?」
「……開いてないの」
「あ、お店のこと? 定休日? ならいいよ、気にしなくて。また今度で――」
「もうずっと開いてないのっ!」
 私の言葉を遮って彼女が悲鳴に似た大声をあげた。私はビクッと体を震わせて驚いてしまう。だって彼女のこんな声は初めて聞いたんだから。
 そしてアリーちゃんは急にポロポロと涙を流し始めた。
「あ、アリーちゃんっ、どうしたの? えっ、ねえっ」
 混乱する私をよそに彼女は鼻をすすりながら、静かに泣き始めた。焦りつつも何事かとこちらを見てくる生徒たちの視線から逃げるように私は彼女を引き連れて、人目のないところへ逃げることにした。
 私、何か悪いことしたかなと自問自答しながら。

 学校から少し離れた所に駄菓子屋さん。時々寄り道するので店長のおばちゃんとは知り合い。そのお店の前にベンチがあるので、私はそこにアリーちゃんを座らせた。
「どう、落ち着いた?」
 ここに来るまでの道中でアリーちゃんは泣き止んで、今は赤くなった目をハンカチで拭いながら何度か頷いてくれた。ほっと胸をなでおろす。
「愛ちゃん」
 急に駄菓子屋さんの扉が開いて中からおばちゃんが出てきた。その両手にはコーラのはいったコップが握られている。
「ほら、これでもお飲み」
「わあ、ありがとー!」
「いいのさ、今後共ご贔屓してくれればね」
 私は親指をたてて、それを受けとると一気に飲み干した。ここまで彼女を連れてくる労力、そして突然に泣きだしたことへの混乱で、喉がカラカラだった。
 おばちゃんがアリーちゃんにもコップを渡すと、彼女は小さくお礼を言って頭をさげた。
「あら、綺麗な青い目だ。赤くしてちゃ勿体無いよ」
 おばちゃんは彼女の頭をぽんぽんと叩いたあと、店内へ戻っていった。
「それで、どうしたの?」
 何で急に泣きだしたのか、お店がずっと開いてないとはどういうことか。この二つが気になって仕方ない。
 アリーちゃんはコップを両手で包むように持ち、それを見つめながらゆっくりと話し始めた。
「最近ね、ママがおかしいの」

 3

 アリーちゃんのお母さん、生粋のアイルランド人のマキアートさんは大学生の頃に日本に留学し、そこでアリーちゃんのお父さんと出会い、アイルランドと日本という世界記録級の遠距離恋愛をした後、結婚して日本に移住した。
 それからアリーちゃんを産み、子育ての傍らで趣味であった小物作りを続けていた。そして五年前に小さなお店をオープンさせた。それが雑貨店『Alice』。
 小さいながらお店は盛況を博し、アリーちゃんもお手伝いをさせられることが多かったという。もともと趣味ではじめたお店だからということで、あまり利益の出ない値段設定も、オシャレと可愛い物には目がないけど財布事情は厳しい女子中高生のハートを掴むきっかけになった。
 そんな順風満帆なお店に奇妙な来客があったのは、三週間前。
「マキアートさんですね?」
 その日のお店は平日ということもあって、とても静かだった。
 店主であるマキアートさんにそう声をかけたのは少しだけ顎に白いひげを蓄えた、還暦くらいの男。英国紳士のように、杖をつきながら、ハットを被っている姿は、物語に出てきそうだったという。
 その時、店内にはマキアートさんとアリーちゃんの親子二人しかいなかった。アリーちゃんは創立記念日で手伝いをしていたそうだ。
「そうですが、なにか」
 マキアートさんの日本語流暢だけどやはり少しなまりのようなものがある、独特のものらしい。
「私はこういうものです」
 男は胸ポケットから名刺を一枚取り出し、それをマキアートさんに渡した。少し離れたところにいたアリーちゃんがそれを覗こうとしたら、あなたにもと言って、微笑をうかべながら彼女にも同じものを渡した。
 名刺にはこう書かれていた。
『難民保護ボランティア団体・スフィアの会 薬師寺誠』
 名刺を受け取った親子は二人揃って首をかしげた。聞いたこともない団体で、聞いたことのない名前だったから。
「薬師寺さん、どこかでお会いしましたか?」
「いえ、はじめまして、ですよ。以後お見知り置きを」
 薬師寺は右手を胸元にあてながら頭を下げた。
「実を言いますと、マキアートさんにお願いがあり、ここまで来ました。お話し、聞いていただけませんか」
 マキアートさんは少し迷ったが、お客さんも来ないし、丁度お昼時ということもあって、お昼休憩ということにして店を一時閉店させた。そして近くの喫茶店に行き、そこで話しを聞くことにしたという。
「実を言いますと、マキアートさんにご協力いただきたいことがあります。もちろん、無償とは言いません。それなりの報酬を支払わせていただきます」
 喫茶店の席に着くなり薬師寺がそう切り出してきた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 マキアートさんは急に話を進めた彼を止めて、毅然とした態度で主張した。
「私はあなたのことをよく知りません。ですから、報酬を払うと急に言われても信用できませんし、それに私ができることなんて何もないと思います」
 趣味とはいえお店を経営するマキアートさんは極めて慎重で、いきなり現れた男を警戒していた。しかし、そんな彼女とは裏腹に、薬師寺は微笑んだ。
「あなたのおっしゃることはご尤もだ。しかし、我々のことは調べていただければすぐわかりますよ」
 実際、その場でアリーちゃんがスマホを使ってこの団体のことを検索すると、ちゃんと活動詳細が載っている立派なHPがでてきたという。
「私達のことをすぐに信用しろとは言いません。時間をかけていただいて結構です。マキアートさん、私はあなたのお店を何度か訪ねました。実に素晴らしい腕をお持ちだ。どこかで修行でもなさっていたんですか?」
「いえ、全て趣味です」
 薬師寺は目を見開き驚いて、ほおおと感嘆の声をあげた。
「素晴らしいっ! 実に素晴らしいですな。あれだけのものを趣味で」
「はい」
「マキアートさん、私はあなたのその腕をお借りしたいのです。そのためにここまで馳せ参じました」
 すると薬師寺は一枚の写真を取り出した。それには黒人の、全員が十歳にもなっていた子供たちがたくさん並んで写っていて、彼らの真中には見ず知らずの若い日本人女性が笑顔でピースをしていた。
「これは私達の団体の仲間の一人です。実はこの子どもたち、近々日本に移住することになりました。これはアフリカなのですが、国の情勢が安定しない。我々と現地の団体が協力して、子どもたちだけを一時的に日本に避難させるように尽力したのです」
 写真の子どもたちはみな汚れた薄い服を着ていて、笑顔は笑顔だが皆痩せ細っていた。
「そこで我々は彼らの歓迎パーティを開くことにしました。彼らも見ず知らずの国に来てさぞ混乱するでしょう、その不安を和らげるのが私たちの仕事です。パーティでは子どもたちにプレゼントを用意する予定です。そこであなたの力をお借りしたい」
「つまり、私に彼らのプレゼントを作って欲しい、ということでしょうか?」
 話の内容から察したマキアートさんが確認すると薬師寺は目を輝かせながら頷いた。
「あなたの創るものはきっと子どもたちの心を掴むはずだ。是非ご協力願いたい。数が数ですので、一ヶ月ほどお店は閉じていただくことになりますが、それはこちらが負担いたしましょう。我々には数多くの協力者がいます、安心していただきたい」
 実際、薬師寺はボランティ団体と名乗るわりに高級感のある服装だった。
「しかし、なぜ私なんですか?」
 その疑問は当然のものだった。彼女はいい腕を持っていたけど、そこまで希少なものかというとそうではない。
 しかし、それに薬師寺は今までで一番激しい反応を示した。とんでもないっと声を大きくして、急にマキアートさんの両手を掴んだという。
「あなたでなければならないのです! 子どもたちは異国の地に連れて来られて不安なのです。それを打ち消すには同じく異国の地で生活し、幸せな日々を送ってるあなたのような方々を見るのが一番なのです! そして、あなたは日本で娘さんを育てながら、立派な店を経営しつつ、幸せな日々を送っておられる。そんなあなたが創るものこそ、我々が欲しいものなのです!」



「それでママはそのまま協力するようになったの」
「なんだか、聞く限り……胡散臭いね」
 私はストレートな感想を、オブラートに包むこともなく漏らした。だって、実際胡散臭い。その薬師寺って男からは怪しさしか感じない。
 アリーちゃんは私の感想に「だよね! そうだよね!」と珍しく興奮した様子を見せた。どうやら彼女は一切その男を信用していないみたいだ。
「今もマキアートさんはその薬師寺って男に協力するために店を閉じてるの?」
「うん。もう、三週間になるの。その間ずっと、その男が用意したビルの一室を借りて作業してるの」
「作業部屋まで用意してあるの?」
 彼女はこくりと頷く。よく分からないけど、ボランティア団体というわりに羽振りが良すぎるのは間違いないと思う。ビルが団体の所有物なのかもしれないけど、それにしたって違和感が消えない。
「誰かに相談した?」
「パパや親戚にはちゃんと言ったよ。それにパパがそのボランティア団体に連絡とって団体の役員の人と話したら、間違いなくそういうプロジェクトは存在するって教えてくれたそうなの。薬師寺とも電話で話したらしいわ。パパ、ママはお金を払ってないから、詐欺じゃないし大丈夫だろうって……」
「けどアリーちゃんはそう思わない?」
 アリーちゃんは「おかしいもん」と小声なながらはっきりと言い切った。
「ママね、あの店のことすっごく好きなんだよ。風邪ひいたって店を開けるっていって喧嘩したこともあるの。それなのに、おかしいよ。ママはなんだか薬師寺って人と仲良くなっちゃって、ちっとも私の言葉を聞いてくれない……。大丈夫、プレゼントを作り終わったら、ちゃんと開店させるからって――」
 アリーちゃんがまた鼻をすすって、涙声になった。私はポケットティッシュを取り出して彼女に手渡す。
 彼女は小さく「ありがと」と言いながら、それで鼻をおさえた。
「ねえ、愛ちゃん……私、どうしたらいいのかな?」
 このとき、なんて答えるのが正解なのかわからなかった。まるで、ちっとも、全然、さっぱり、言葉が見つからなかった。
 それなのに私の口からと飛び出したものは――。
「よし、私が協力するよ。安心して!」
 こんな無責任な言葉だった。
 だって、ほっとけなかっただもん。自然とこう言っちゃってただもん。仕方ないじゃない?



「青山先輩の悪い癖ですね。そんなこと言って、どうするんですか」
 四季君が先輩に対する遠慮もなく一刀両断してくる。
「だ、だって……アリーちゃんがかわいそうだったし」
「だからってそんなこと言って、何かアテはあるんですか? 薬師寺って男が怪しいってマキアートさんを説得できるほどの材料を集められるんですか? 娘さんの言葉にも耳を傾けなくなってる人なんでしょう? どうするんですか?」
 四季君の詰問が確実に胸に刺さっていく。ぐうの音も出ないってこういうことだと痛感する。後輩が相手なのにまともな反論一つできず、結局私の口からは「だって……」という言い訳しかでてこない。
 はあっと四季くんに盛大に溜息をつかれた。く、悔しい……。
「けどまあ、心配することはないんじゃないですか? 本当にボランティアの協力かもしれません。協力は一ヶ月でしたっけ? ということはあと一週間。一週間後には元に戻ってるかもしれません」
「本当にそう思う?」
 私はちっともそう思えなかった。そしてそれは四季くんも同じみたいで「いえ」と首を左右に振った。
「すぐに元に戻るとは思いません。その可能性も無きにしもあらずってだけです。まあ、悪いことになりそうな予感が強いですね」
「ほーら。だって怪しいよ、その薬師寺って男。普通、ボランティア団体がこんな色んなことするの?」
「知りません。しないと思いますけど、するところもあるかもしれない」
「なにそれー。はっきりてよぉー」
「だって本当にわかんないですから仕方ない。薬師寺って男が怪しい、それだけなんですよ、この状況は。高橋先輩のお父さんが言うように、お金をとらてませんから被害は出そうにないですし」
 四季くんはそこで急に動きをとめた。なにか、一時停止のボタンを押したみたいにピタッと動きを止めた。ただ、すぐに首を左右に降って、ないないと呟いて一人で納得しだした。
「なに、どうかしたの?」
「なんでもありません。とにかく、どうすることもできませんね。高橋先輩には悪いですけど、待つしかないんじゃないですか」
「そんなひどい」
「先輩が無責任になんとかするって言っただけです。僕は今、急にこの話を聞かされただけ。無責任で当然です。それじゃあ、僕は教室に戻ります」
 話を打ち切った四季くんは私の制止を無視して、自分の持ち物を手に屋上から出て行った。
 冷たい後輩だあ、まったくもう。

 その日の放課後、私は季節と一緒に廊下を歩いていた。両手には小道具が詰まったダンボール。力仕事は嫌いだけど、部員が少ないから贅沢は言えない。
 その間に季節にもアリーちゃんから聞いた話しをした。なんとなくそうしないといけない気がした。
「そう。やっぱり愛に任せて正解だったわ」
 どういう意味か分からないけど、季節は何故か満足そうだった。
「どう思う? 怪しいよね」
「怪しいってものじゃないでしょ。そこまでくれば、間違いなく黒よ。具体的には分からないけど、何か企んでいるのは確実ね」
 すっぱりとそう言い切る季節。弟の四季くんとは違い、こういう場面で彼女は言葉を濁さない。断言し、決めつける。
「ど、どうしようか?」
 怪しい怪しいとは思っていたものの、季節に断言されると急に不安になってきた。
 うろたえる私をよそに、季節は窓を指さした。そこには私達二人が薄く映っている、制服姿の女子高生二人がダンボールを抱えていた。
「私達は高校生、特別なことはできないわ。窮屈な身分よね。……四季はなんて言った?」
「え?」
「四季にも話したんでしょ、あれはなんて言ったの」
 特別なことは言っていなかったけど、四季くんの反応を教えた。季節はふんふんと頷きながら表情を一切変えず、話を聞き終えると、なるほどねと感想を漏らした後、はっきりと言った。
「あの愚弟、使えないわ」
 オブラートというものを知らない季節の性格の一番の被害者は弟の四季くん。彼女は彼に対して容赦しない。
「でもまあ……いいわ」
 季節が片側の唇を釣り上げて微笑んだ。彼女がこの、童話に出てくる意地悪な魔女みたいな笑い方をするときは大体、いいことは起きない。
「明日は土曜日。愛、予定を開けておいて。埋まってるなら取り消して。あと、アリーも連れて行かないといけないわね。最後のあれは……連れてこさせるわ」

 5

 翌日のお昼すぎ、私と季節とアリーちゃん、そして四季くんはある商店街の通りを歩いていた。私達は普段着だけど、アリーちゃんだけは季節の命令によりフードを着用していた。
 そして私達三人の後ろでは不機嫌そうな四季くんがスマホをいじっている。
「ぶ、部長? このフードって要ります?」
「あなたは薬師寺って男に会ってるんでしょう。それなら万一のときを考えて、顔は隠しておくべきよ。我慢しなさい」
 季節はオレンジ色のベレー帽を頭にのせるようにして被って、時折それが落ちないようにしていた。日頃の彼女はこんな帽子はしないので、これも「万一のことを考えて」なんだと思う。
「それでアリー、そのビルっていうのはもうそろそろなのよね」
「うん。あとすこしだよ」
 私達は今、マキアートさんが篭って作業をしているというビルへ向かっていた。この商店街をぬけたところにあるらしい。
 季節のこの大胆な行動力はもう一年以上付き合いのある私は慣れっこだけど、アリーちゃんは当惑していた。部活では仲がいいけど、一緒に出かけたりすることはなかったから。
 そして当惑する彼女以上に、迷惑していたのが後ろの四季くん。
「なんで俺が」
「うるさいわね、サボり魔。最近のサボりを大目に見てやるんだから、黙ってついてきなさい」
 今のようなやりとりが集合したときからずっと続いている。四季くんも姉の命令には逆らえないから文句は言うものの、逃げ出したりはしない。
 彼女が四季くんをつれてきたってことは、何か探るつもりなんだろうな。
 季節が「悪癖」と呼ぶ、四季くんの特技がある。それは限られた状況からある答えを出すことができる、まるで探偵みたいな能力。彼自身、それがあることは認めないけど、私も何度かそれに助けられた。
 だから季節は四季くんを使って、薬師寺の狙いを特定するつもりなんだ。それをわかっているからこそ、彼は乗り気じゃないんだろう。
 ただ、私も期待している。彼ならできると思うから。
「あっ、あそこだよ」
 商店街を抜けたところに、横断歩道があった。そしてそのむこう側に古いビルがあり、アリーちゃんはそこを指さしていた。
「あそこの三階。あそこで作業してるって言ってた」
 ビルはお世辞にも立派とはいえない。事実、窓ガラスには大きく『ペナント募集中』と貼ってあるし、清潔感もない。
 季節は周囲を見渡しはじまると、ある場所を指さした。安いことで全国的に有名なハンバーガーショップだ。
「あそこの店、窓際が空いてるわ。行きましょう」
 同意を求めることもなく季節はそれだけ宣言すると颯爽に歩き始める。私達三人はそんな彼女の後ろについていくしかない。
 ハンバーガーショップで一番安いメニューとジュースを四つずつ注文してから窓際の席を確保した。ここからはあのビルがよく見える。
「季節、何するつもり?」
「観察よ。しばらくはね」
 彼女の回答は短くて、何のことかわからない私とアリーちゃんは目を合わせ、同時に首をかしげた。
 ふと四季くんに目を向けると彼は意外にもあのビルのほうを注視していた。なんだかんだ、彼はいざとなるとこうだ。興味がないとか言うくせに、考えてしまう。季節が悪癖と呼ぶのがよくわかる気がした。
「アリーちゃん、マキアートさんの様子はどう?」
「別に変わらない。家じゃいつもどおりだから」
「最近、おかしなことはありませんでしたか?」
 急に会話に入ってきたのは四季くんにアリーちゃんが「へ?」と聞き直す。
「普段と違っていたこと。怪しいと思ったこと。なんでもいいですけど」
「普段と……」
 アリーちゃんは頭を抱えながら最近のことを思い出そうする。
「……電話してたかな。一週間くらい前」
「電話?」
「うん。薬師寺とだと思う。なんだかボランティアがどうとか、募金がどうとか、そんな話ししてた。はっきりと聞こえなかったけど」
 アリーちゃんの話によると学校から帰ってくるとマキアートさんがどこかへ電話をしてたらしい。その内容がボランティアのことや募金のことだという。
「その時の様子は?」
「別に普通だったよ」
 アリーちゃんがそう答えたときだった。季節が「出てきたわ」と口にして、全員が一斉にビルの方を見た。
 ビルから若い男性が出てきた。茶髪姿で鼻も高く、どう見ても日本人じゃない。ワイシャツとジーパンというラフな格好をしている。
「……高橋先輩、薬師寺に協力してるのはマキアートさん一人じゃないんですか?」
 四季くんがその男を目で追いながら質問する。
「そうらしいの。十人以上はいるって聞いたよ」
「……十人。はは、まるで組合みたいですね」
 口では軽く笑っているものの、四季くんはちっとも面白くなさそうだった。
「また来たわ。今度は戻ってきたのね」
 季節の視線の先には先ほどの男性が女性に右手を挙げて挨拶する姿があった。その女性は彼と同じくらいの年齢に見える。金髪で背の低い女性で、彼とちょっとだけ話した後、ビルの中へと入っていた。
「碧眼ね」
「え?」
 季節が小声で言ったものだから聞き取れなかった。
「碧眼。今の二人、目が碧いのよ。アリー、あなたもそうね。ということはマキアートさんもそうなの?」
「うん。私より青々しいよ」
 アリーちゃんの目も私からすれば十分碧いんだけど、それ以上とはすごい。
「四季、何か気づいた?」
「ない。碧眼以外の共通点は今の二人にはない」
 短い、最低限の会話を交わした後、姉弟は何も言わなくなった。とても家族とは思えないほど淡々としているけど、これが二人のスタイル。
 それからしばらく私達は黙って、ビルを監視した。空気が重いし、周りに怪しまれたくないから私とアリーちゃんは適当に関係のない話をすることにした。どうせ何かわかるとしたら、あとの二人だから。
「マキアートさんって留学生だったんだよね?」
「うん。機械工学を学びに日本に来てたらしいの。今でもそういうのはめっぽう強いよ。自分で機械を組み立てたりできるから」
「へえ、理系なんだ。女性でそういうのは珍しいね」
「うん。それで手先が器用なんだって。ああいうお店ができるのもそのおかげ」
 ちょっとイメージと違うなと思いつつ、私はハンバーガーを頬張った。勝手にマキアートさんは刺繍とかの裁縫作業が似合うお洒落な外人女性だと考えていたけど、実のところはエリートっぽい。
「私のお母さんなんて携帯電話がややこしいって嘆いてるよ。羨ましいな」
 私の愚痴にアリーちゃんが小さく笑った時、四季くんと季節が急に「あっ」と声を揃えた。
「あ、薬師寺っ」
 アリーちゃんが大きな声を出してしまったせいで周りのお客さんが一斉にこちらを見るので、思わず彼女は小さくなってしまう。私がすいませんとぺこぺこ頭を下げている間も、姉弟は動かなかった。
 薬師寺はアリーちゃんの話し通り、英国風紳士のような身なりで、杖をつき、ハットを被っていた。
 片側の手に大きなスタバのお持ち帰り用の袋を持っていて、杖をつきながらもしっかりとした足取りでそのままビルの中へと消えていった。
「差し入れってところかしら」
「ああ、多分そうだと思う。最初はママがやってたんだって、作業する仲間同士でお茶をするときがあるから近くで買ってきてたらしいの。そしたら、そのうちにその費用は私達が持ちますって薬師寺がやるようになったって」
「おかしいですね」
 すかさず、四季くんが口を挟んだ。
「薬師寺はボランティア団体です。金の出処はともかくとして、今の高橋先輩の話しだとこの三週間、あのビルで作業している人たちに付きっきりということになります。他の仕事をこなせているとは思えません」
 四季くんはジュースを一口飲んでから、面倒くさそうに頭をかいた。
「それに、確かに今監視していた限り、協力は全員外国人です。そして碧眼。不思議ですよ。子どもたちの不安を解消させたいならメンバーにアフリカ系を入れるはずです、彼らの母国なんですから」
 言われてみれば確かにそうだった。薬師寺がマキアートさんを説得した言い分も一理あるけど、協力者全員が同じじゃ意味がない。
「やっぱり、何かあるわね」
「ねえ、不気味すぎない? ビルを貸し出してるお金、今の差し入れだって毎日すればそれなりの出費だよ。それを全部薬師寺が払ってるんでしょう? 目的が分からないけど‥…」
 だからこそ不気味で気持ち悪い。得体のしれない、底知れない真意が真っ黒って、どう危ないかも分からない。お化け屋敷みたいだ。
「詐欺ではないと思うよ、ママに限って。ママ、留学中に友達が詐欺にあって留学資金騙し取られたことあるって話してたことあるの。だからそういうのには警戒心が――」
「そういう人を騙すのが、詐欺師なんです。詐欺被害者の全員が、自分は騙されないって思っていたはずですよ。残念ながら、そんなのは参考になりません」
 アリーちゃんの言葉を遮って、四季くんが冷たく突き放した。その言葉に彼女は何か言いたそうにしたけど、マキアートさんのおかれている現状を考えてか、反論できず俯いた。
「四季くん、アリーちゃんも君の先輩だからね。ひどいこと言わないであげて」
 一応たしなめるけど彼は私の言葉に耳を傾けることもなく、事実ですからと言い切った。そうかもしれないけどさあ……。
「癪だけど、私も四季と同意見ね。マキアートさんがどんな警戒心を持っていても、それを突破したのが薬師寺なんでしょう。人心掌握術は心得ているんじゃないの、でなきゃ十人も外国人を集められないわよ」
 珍しく、二人の意見が一致した。四季くんだけならともかく、季節にまでそう断言されたのがショックだったのか、アリーちゃんは泣きそうな顔をした。
 慰めようとしたけど、行動したのは季節のほうが早くて、彼女の頭を弱めに撫でるように叩いた。
「なに泣いてるのよ。あんたのその不安を取り除くために、今こうして集まってるんでしょ。しっかりしないさい」
「……う、うん」
 彼女の言葉にアリーちゃんは嬉しそうに表情を和らげた。言った本人はなんとも言えない顔をしているけど。あんまりこういう言葉を使うのが好きじゃないんだ。素直じゃないなあ。
「で、どうするの?」
 私が根本的な質問をすると、季節は答えずに四季くんへ目をやった。彼はいつの間にかスマホを手にして、なにか作業している。まさかこんな時までゲームかと驚いたけど、画面を覗き込むと彼は地図のアプリケーションを開いていた。
「見てみたい場所がある」
「何かわかるの?」
「わかることなんてねえよ。確かめるだけだ」
 その言葉に電撃が体中に走ったような衝撃をうける。確かめるってことは、彼の中ではもう何らかの答えが出ているということだ。
「……なるほどね。いいわ、ならそうしましょう」
 季節は追求せずに立ち上がって、私達にもそうするよう促した。アリーちゃんはどういうことか状況が読み込めないでいる。彼女は四季くんの悪癖のことを知らないから当然だった。
「大丈夫、なんとかなるよ。今はとにかく四季くんに従おう」
 そう言って彼女の両肩に手をのせて、安心させる。彼女は戸惑いながら頷いてくれた。
 季節が先頭で、私達二人は彼女の後ろについて、最後尾に四季くん。
 彼は何かぶつぶつと呟いて考え込んでいたが、僅かに聞き取れた言葉が耳に入ってきた。
「……怖いな」

 6

「す、すいみんぐ?」
「スキミングよ。愛、ついにカタカナまで読めなくなったの?」
 季節の容赦ないツッコミが心にぐさっと刺さる。確かに私が読んでいたポスターには『スキミングにご注意ください!』と大きく書かれていた。
 私達は今、あのハンバーガーショップから少し歩いたところにある銀行にいた。大きめの支店で数人の大人たちが窓口に並んでいたり、ベンチシートで何かの順番を待っていたりする。カウンターの向こう側では職員さんたちが静かに、ただ素早く作業している。
 なぜこんなところに、似つかわしくない私達がいるかというと四季くんが行きたがったのがここだったから。当の本人はというと理由は分からないけど店内をうろついている。
 私は退屈だったので、壁に貼られたポスターを読んでいたところを季節に馬鹿にされたというわけだ。
「スキミング。ATMとかの、カードの差込口にスキマーってものを仕掛けて、差し込まれるカードの情報を読み解くってやつね。前にワイドショーで特集をやっていたわ」
「へえー。怖いことがあるもんなんだね」
「怖いわよ。お金のことだもの。どんなに未来になろうが、例え人間が不老不死になっても、お金が絶対に安全ってことにはならない。人のお金を奪うのは、いつだって人なんだから」
 季節が何かを悟ったように、遠い目をして断言した。まだ高校生だけど、子どもだけど、彼女の意見はきっと間違ってないだろう。
「アリーちゃんは?」
「四季がね、電話帳が欲しいっていうのよ。だから近くに公衆電話がないか探しに行かせたわ。落ち着かない様子だったし、体を動かしてた方が気が紛れるでしょ」
「電話帳? 何に使うの?」
「知らない。ただ、あれが要るって言うからには何かあるんでしょう」
 その時、聞き慣れたメロディーが聞こえてきた。季節の携帯の着信音で、彼女はすぐさまポケットから携帯を取り出すと「もしもし」と応答した。
「……そう、わかったわ」
 ほんのちょっとだけ会話だけして、携帯から顔を離す。
「アリーよ。公衆電話が見つかったって。そこで待ってるらしいから、早めに行きましょう。四季を呼んできてくれる?」
「わかった」
 季節はまた携帯でアリーちゃんと話し始める。具体的にどこにいるのか聞き出しているみたいだ。その間に私は四季くんの元へ行った。
「四季くん、公衆電話が見つかったって」
「そうですか。じゃあ、行きましょう」
「もう用事は済んだの?」
「もともとダメ元で来ただけです。特に収穫はありませんでした」
 彼の答えは短く素っ気ないものだった。ならなんでずっとここにいたのよと質問したかったけど、どうせ答えてくれないからやめた。
 銀行の出入口で季節が待っていて、三人でアリーちゃんのいる公衆電話に向かった。歩いて三分ほどの、人目につかない所で忘れられたように公衆電話が設置されていて、アリーちゃんがそこで両手に大事そうに電話帳を抱えて待っていた。
「ご苦労ね、アリー」
「す、すごく探したの。全然見当たらなくて、仕方ないから近くのコンビニの店員さんに聞いたの。スタバのとなりにあったの、助かったよぉ」
「そんなことどうでもいいから、それ見せてくれますか」
 急いでいる様子で四季くんが手をのばして電話帳を要求するので、アリーちゃんが「ご、ごめんね」と謝りながら彼にそれを渡した。
 電話帳をすごい勢いで捲り始めた彼は、しばらくしてから「あった」と声を弾ませた。
「高橋先輩、薬師寺の名刺を見せてください。青山先輩はスフィアの会のHPを」
 指示通りにアリーちゃんはおろおろとしながらも財布から名刺を出して、私はスマホでそのHPを表示した。
 そして彼は電話帳、名刺、スマホの三つを交互に何度も見る。間違いがないか確かめるように。
「……やっぱりですね。電話番号が違います」
「え?」
 私とアリーちゃんが声を揃えて驚くと、四季くんは電話帳のある部分を指さして見せてきた。そこには『スフィアの会』とあって、電話番号が載っていた。
「確かに。似てるけど、HPと名刺に載ってる番号と違うわ」
 こんな時まで落ち着いた季節。まるで動じていない。
「つまり、どういうこと?」
「名刺の番号はもちろん偽もの。そしてHPは改竄されていた。まさか電話帳が間違ってるということはないでしょう。さすがの犯人も、すでに発行されたものを誤魔化すのは無理だったということです」
「じゃあ、やっぱり……」
 アリーちゃんの声が震えだす。四季くんは彼女に向かって神妙に頷いた。
「薬師寺はボランティア団体なんかじゃありません。マキアートさんは、騙されています」
 極めて冷静に四季くんは断言した。そこには躊躇はない。自分の発言に間違いがないと確信しているのがよくわかった。
 アリーちゃんが瞬く間に青ざめていく。実際に物証を示されながら第三者にそう言われたので、急に怖くなったんだろう。私はそっと彼女の手を握った。気休めになればいいけど……。
「姉貴」
「わかってるわよ」
 季節は財布から百円硬貨を取り出して、公衆電話にいれると四季くんの持っている電話帳を見ながら、番号を押していく。
「……もしもし、私、遠藤と申します。スフィアの会でいらっしゃいますでしょうか」
 季節は声音を変えて、電話口の誰かと話し始めた。さすがは演劇部部長、電話の相手は彼女が偽名を使った女子高生だとは夢にも思っていないだろう。成人をすぎた社会人の女性くらいに考えているに違いない。それくらい彼女の演技は絶妙だった。
 そしてしばらくして会話を終えると、受話器を置いて私達に向き直った。
「難民保護の計画なんてないそうよ。あと、薬師寺って人はいるけど、若い男だって言ってたわね」
 これで状況は確定した。薬師寺と名乗った男はボランティア団体の職員でもなく、そもそも薬師寺という名前ですらない。目的は分からないけど名刺を偽造し、HPを改竄した……悪人だ。
「今どき、電話帳なんて見ませんからね。電話をかけるとしたらネットで調べるのが普通です。しかも手元に電話番号が載っているものがあれば、それを参考にするでしょうね。単純な手ですが、極めて効果的です」
 電話帳を元あった場所に戻しながら、四季くんが解説した。
 アリーちゃんの話しでは彼女のお父さんがスフィアの会に電話したと言ってたけど、それも渡された名刺か、もしくはネットで調べた番号にかけたに違いない。
 裏をとられることを予想してこんなところから騙してたんだ。
「それで四季、薬師寺と名乗ったあの男は、一体何を企てているの?」
 季節が「もうわかっているでんしょう?」という目つきで彼に訊くと、彼は目をそらした。自分の意見に間違いがあるかもしれないという不安か、それとも他になにか躊躇することがあるのか分からないけど、短い沈黙が生まれた。
 だけど、少ししてから静かに、その重たい口を開けた。
「銀行強盗」

 7

 横山悟という本名を自分でも久々に耳にした。最近はずっと「薬師寺誠」と名乗っていたせいで、反応に遅れてしまった。おかげでそれが自分の名前だと思いだしたときにはもう遅かった。
 目の前には二人の屈強な男がニヤニヤしながら立っていて、そして後ろを振り向けば、四人の制服姿の警官がいた。
 時間は明け方。今日は自分が朝飯を買ってくる順番だったので、コンビニでパンと飲み物を人数分買い、それを持ってアジト、さびれたアパートへ戻っている途中のことだった。
 アジトはアパートの二階にあり、一段一段登るたびに嫌に軋む階段を登っていた時に本名で呼ばれたのだ。
 無論、すぐさま逃げようとしたが、衰えた体に嘘はつけず、階段から飛び降りようと手すりに足をかけたところで、その数名の男たちに一気に押さえつけられる。
「おい! 離せ! 私は何もしてないぞっ! この公僕どもがあっ!」
「なぁにが何もしてないだ、この爺。HPの改竄は立派な犯罪なんだよ!」
 必死に抵抗するがすぐに息があがってしまう。そんな体では日頃訓練をうけている警官たちに敵うわけもない。
 すぐに両手を後ろに回されて思い出したくもない、冷たくて重い、あの感触が手首に支配した。
 カチャッという手錠のかかる音が、耳の奥まで届いた。
「や、やめろぉぉぉっ!」
「騒ぐな! おい誰か、口を塞ぐの持ってこい!」
 両手を塞がれた状態で大声をまき散らしながら暴れるが、警官たちに口を塞がれて、体を抑えられて、それもできなくなった。いつの間にかパトカーがランプを灯しながら現れていた。
「色々話してもらおうか。証拠はたんまりありそうだ」
 警官の誰かがそう言いながら暴れる自分を連行して、投げ飛ばすようにパトカーの後部座席に突っ込んだ。
 窓の外を見るとアジトから次々と仲間たちが連行されていく姿があった。
「なんで……」
 息があがったまま思わずそう声を出すが、答えるものはいない。警官に挟まれるように座らされて、暴れることも許されないまま、パトカーが発進するのを見届けるしかなかった。
 また大金が手に入る。そう、思っていたのに――。

 8

「すごいね……。なんか、ドラマみたい」
「悪党が最後にひどい目にあう。まあ、ありきたりだけど清々しいドラマね」
 ものすごく安直な感想を口にする私とは違い、季節は「ざまあみやがれ」と舌をだして、あっかんべーをしながら走って行くパトカーを見届ける。
 私と季節、そしてアリーちゃんの三人は薬師寺と名乗っていた男が潜伏していたアジトの側にある電信柱に身を隠すようにひっついていた。隠すようにっていうか、隠れているんだけど。
「刑事さんたちに近寄らないようにって言われてたのに、大丈夫かな?」
 アリーちゃんが不安に負けて涙声で季節の腕を掴んで揺らす。
「大丈夫よ。今、警察の人たちは忙しいもの。逮捕した以上、情報提供者にもう興味なんてないでしょう」
 野次馬精神でここまで来たけど、こんなに大きな騒動になるとは思ってなかった。アパートにはまだ警察官がたくさんいて、今も忙しそうに動きまわっている。本当にドラマみたいで、現実感がない。
 そしてそれに自分が少しでも関わったということが信じられなかった。
 私は現実離れした光景を見ながら、四季くんの推理を思い出していた。

「ぎ、銀行強盗っ?」
 四季くんの言葉に思わず大声で反応してしまったが、幸いな事に周りには誰もいなかった。それでも自分で口元を両手で抑えてしまう。
「はい。薬師寺と名乗った男が企んでいることは、おそらくそれでしょう」
「物騒な話しね。確証はあるのかしら?」
「ない。ただ、状況的にそうだと思うってだけ」
 季節の確認をさらっと否定しながらも、彼は自分の考えに自信を持っているようだった。
「まず、あの男がなぜあそこに居を構えているか。協力者を騙すならあんなボロいところにはしないはずです。もっと綺麗なところを選ぶでしょう。なのにあそこだったということは、あそこでないといけないか、あそこしかなかったか。このどちらかです」
 四季くんが語り始めると季節は公衆電話に背中を預けて、彼の話を聞く姿勢をとった。私とアリーちゃんは彼の前に立って、ドキドキする心臓を抑えながら聞き耳をたてる。
「あそこしかなかったってことはありません。ペナントを募集してるビルなんてそこら中にあります。ということは、あそこでないと駄目だったということです。なぜか」
 四季くんはスマホを取り出して、何か操作した後、その画面をアリーちゃんに見せた。地図のアプリが開かれていて、私達の現在地が赤点で記されている。
「あのビルは銀行の近くにありました。おそらく、薬師寺は銀行強盗を企てるにあたって、色々と下準備をしているはずです。下見はもちろん、それに含まれます。あのビルなら銀行の様子を伺うことは容易い。目と鼻の先ですからね」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 薬師寺が何か企てているのはわかるけど、どうして強盗って言い切れるの?」
「集団ですることで、大量のお金が手に入ること。これが条件だからです。そうなると詐欺か強盗でしょう。詐欺の可能性は低い。わざわざよく知らない外国人たちを一箇所に集める意味もわかりません。そんな厄介なことをするなら、その十人から直接騙し取るでしょう。詐欺でないなら、強盗が可能性として一番高いです」
 私の質問にまくしたてるようによはいえ、答えてくれたのは良かったけど、やはり疑問が残った。そしてそれを口にしたのは意外にもアリーちゃんだった。
「ど、どうして集団ってわかるの? 私、薬師寺って男しか知らないよ」
「高橋先輩は知らなくても、お父さんは知ってるんじゃないですか?」
 一瞬、アリーちゃんは目を点にしたけど、彼が言わんとしてることを理解して息をのんだ。そう、私も言われて思い出した。
 彼女のお父さんはボランティア団体に電話して、役員の人と話したと言っていた。そしてそのあと薬師寺とも話していたという。つまり、薬師寺と、最低限もう一人誰か協力者がいるんだ。
「納得しましたか。次、ビルを借りたり差し入れをしたり、お金を使っていますけど外国人達からお金を取っていない以上、あとで回収する算段があるということが予想されます。そうなると、もう強盗以外ありません」
 淡々と説明されると、確かにそうとしか思えなくなってきた。しかし、それでもと思う。
「強盗なの? ドロボウじゃなくて?」
「可能性はあるでしょうが、限りなくゼロです。銀行以外でお金が大量に手に入りそうな所はない。そして銀行に夜に侵入してお金を盗むのは、今のセキュリテイじゃかなり難しいですよ? それなら昼間から押し入って、もらうだけもらって逃げた方が、危険性は高いですが確実です」
 物騒な二択で、薬師寺が選んだのがより物騒な方。なんだか現実感がない。
 しかしここで季節がクスッと笑った。
「強盗したあと、この周囲から逃げ出すのも相当難しいわ。ここは商店街の近く、どうやって逃げるつもりだったのしから?」
「だから、下準備を入念にしてるんだ」
 季節の挑発的な質問に動じることはなく、四季くんは相変わらず淡々としていた。
「逃走ルートの確保は当然してるはずです。周囲にどういうものがあるか細かく調べてるでしょう。また不測の事態に備えて、ルートはいくつも用意している可能性もある。この界隈ではいつ頃なにが起こるか、丁寧にリサーチしてたんだろ。HPの改竄までするやつらだ、入念だよ」
 だがしかし、と彼は続ける。
「そういうことをするには、当然何度も下見が必要。薬師寺は杖をついた、歳のいった男だ。正直、強盗に参加するとは思えない。となると、あいつは強盗の実行犯じゃなくて、参謀かなにか。逃走ルートの下見は、実行犯自らしてる可能性が高い。その実行犯兼下見が、協力者。人数までは分からないけど――ただ一つだけ、わかります」
 急に声のトーンを落として、彼はアリーちゃんを見つめた。そして彼女の目をまっすぐ捉える。睨まれるような形になった彼女は思わず、「な、なに?」と声を震わせながら、一歩後ろに退いた。
 そんな彼女に対して、四季くんは手を伸ばして、彼女の目を一直線に指した。
「協力者は――碧眼です」

「四季の悪癖は見事に的中だったわね。連行されていった薬師寺の仲間、日本人じゃなかったわ」
 私達はあの場から離れて、近くの公園のベンチに座っていた。季節だけがブランコに座って揺れている。パトカーのサイレンが先ほどまで鳴り響いていた町内はやはりまだ不穏な空気だ。
「協力が碧眼で目立つから、それを誤魔化すために、同じように碧眼の外国人を周囲に集めていた――最初聞いた時は馬鹿馬鹿しいと思ったのにね」
 それには全く同意見だった。正直、四季くんは何を言ってるのかと疑ってしまったというのが本音。
 彼はマキアートさんを含めた外国人たちは、下見をする実行犯のカモフラージュだと結論づけたんだ。

「協力者は碧眼の外国人なんです。そしてそんな人物にこの界隈の下見をさせたら目立ってしまいます。ましてや一回だけならともかく、何度もすればそれはもう避けられない。それを誤魔化すために、他に外国人が必要だった」
 協力者以外の外国人を集めて、その存在感を薄める。そのためだけにマキアートさんたちは集められた……つまり、そういうこと?
「髪の毛の色は変えられても、眼の色は変えられません。事件を起こした後、警察は当然周囲に聞き込み調査をします。その際に外国人の目撃情報があれば、当然それは大きな手がかりになる」
 四季くんは一度だけ間を置いて休むと、また語り始める。
「強盗する時、覆面をしても目は隠せません。サングラスやコンタクトなどの手段を考えてはいるでしょうが、アクシデントでそれが外れることも十分予想できます」
 確かにコンタクトなんて何かの拍子で落ちてしまうことがよくあるし、誰かと揉み合いにでもなればサングラスも簡単に外れてしまうだろう。
「その保険として碧眼の外国人を集めた。聞き込み捜査の際、警察が碧眼の外国人に見覚えがないかと質問しても、大勢いたから分からないってなります」
 カメレオンだと直感的に思った。ただ、ちょっと特殊なカメレオン。自分の色を変えるんじゃなくて、周囲を自分の色に染める。それが薬師寺たちだ。
 とても信じられない内容だけど、信じるに値する推理で私達三人は口を閉ざした。それぞれ、何を言っていいか分からない様子だったけど、やはり最初に口を開いたのは季節だった。
「あんたの推理が本当だったとして、どうするの? 見過ごす?」
「多分だけど、なんとかなるかもしれない。警察に言えば」

 その後私達は警察署に行き、四季くんの指示通りにあることを要求した。薬師寺の名刺から指紋をとって欲しい。これが私達の要求。
 当然、最初は相手にされなかった。警察は忙しいんだと叱られたりもしたが、季節が生徒手帳を一人の警官に押し付けて宣言した。
「もし何もでなかったら学校や家に連絡して、退学処分にでもしてもらって結構よ。だから、検査して」
 その力強い言葉と彼女から放たれる威圧に警官は気圧されたようだった。
 それにHPの改竄はすぐに証明できた。そういう物証もあったから、警察は高校生の無茶な要求を渋々のんでくれた。
 そしてある結果が出た。横山悟という男の指紋が検出されたのだ。
 横山悟は数年前に詐欺事件で逮捕され、一年前に釈放されたのだという。
 前科者の指紋が出て、状況が明らかに怪しいとなると警察は素早かった。すぐさま横山をマークして、アジトを特定、HP改竄などの微罪をもとに逮捕に踏み切った。
 当然、四季くんの推理は話している。ただ警察も半信半疑だったようで、家宅捜索したら何かでる可能性があるという言葉で濁していた。
 それが、ついさっきの逮捕劇に繋がる。

「銀行強盗計画の有無はこれからわかるでしょうね。あってるかどうか興味があるわ。愛、あなたはどう思う?」
 季節が微笑みながらそんな質問をしてくるので素直に答えた。
「あってると思う。四季くんの推理は突拍子もないけど、ここまで全部正解だから」
「そう。まあ、当の本人は興味がないようだけど。とりあえず、逮捕されたってメールだけは送っておいたわ」
 四季くんは今日いない。季節が一緒に見に来るかどうか誘ったのに、用事があると行ってどこかへ出かけたらしい。
『どうなろうが後は知りません』
 警察への報告を終えた彼が口にした言葉だ。実際、彼はこういうことは嫌いだろう。部活さえ面倒だと嘆くんだから、とんでもない疲労だったと思う。
「で、でも、警察の人が言ってたよ。もし四季くんの言う通りだったなら、表彰ものだって」
 アリーちゃんが両手を叩いて目を輝かせた。意外とこういうのに弱い性格なんだ。
「無駄よ。四季、そういうの嫌がるもの。あげるって言われたって、いらないって断るに決まってるわ」
 一番彼の近くに長くいる実の姉がそういうのだから、間違いなくそうなるだろう。それに、付き合いの短い私でさえそう思う。彼はそういう子だ。
「まあ、とにかく」
 季節がブランコから飛びおり、綺麗に着地した。
「これでマキアートさんは開放され、店は再開されるわ。良かったわね、アリー」
「そうだね。なんか事態が大きくなっちゃったけど、もともと私たちの目的はそれだもんね。アリーちゃん、本当に良かったね」
 彼女は今にも泣き出しそうなほど表情を崩しながら、「うんっ」と何度も力強く頷いた。よっぽど嬉しいみたいで、泣きそうな顔だけど、それはあの帰り道にみせたものと違って、抑えきれない笑顔が混じっている。
「二人共、本当にありがとうっ。わ、私なんてお礼をしたらいいか」
「くだらないこと言うんじゃないわよ。部員の悩みを解決した、それだけでしょ」
 季節は自分で言っておいて、苦虫を噛み潰したような顔をする。あまり彼女が好きじゃない言葉。それでもたまに口から出てしまう本音。アリーちゃんは瞼に涙をためて、部長ぉっと彼女に抱きつく。
「ああっ、鬱陶しいから離れなさい!」
 季節は彼女を引き離そうとするけど、思いの外力強く上手くいかないみたい。
「アリーちゃん、また今度でいいから四季くんにもお礼を言ってあげてね」
「いいわよ、あれは」
 私と季節の正反対の意見。いくらなんでもお礼無しはかわいそうだ。決して素直に「どういたしまして」というタイプの子じゃないけど、喜ばないってわけじゃないんだから。
「もちろん、そうするよ!」
 アリーちゃんがそう元気に返事する。それを聴きながら私は彼に思いを馳せた。今日、彼は何をしてるんだろう。自分が解決した事件の終焉を見届けもせず、どこへ行ったのか。そして私は、あることが気になって仕方ない。
『怖いな』
 ハンバーガーショップを出るときに彼が口にした言葉。あれは何だっただろう。
 どうしてか、銀行強盗について言ってたようには思えないんだけど。

 9

 今日創るプレゼントに必要な材料を準備していたときのことだ。カランッカランッという鈴の音が店内に響き、マキアートはレジの下で屈めていた体を起こした。
 鈴はお客さんが入ってくると鳴るようにドアに設置されたもの。そしてドアの前に、見覚えのない少年が一人立っていた。娘と同じ位の背格好の男の子だ。
「ごめんなさい。最近、この店は閉じさせてもらってるの」
 てっきり店が開いているものだと勘違して入店してきたお客さんかと思い、申し訳なさそうな声を出して謝ったが彼はその言葉をほとんど聞かずに、いきなり切り出してきた。
「薬師寺誠がつい先程逮捕されたそうです。もう、あのビルへ行っても無駄ですよ」
 薬師寺が逮捕された。思わず声を出しそうになるほどの衝撃ではあったが、彼女はそれを押し殺して、目の前の少年と向き合った。
 どうやらお客さんではないみたいだ。少年相手にも関わらず身構えた。
「……そう。それで、どうしてそれを私に?」
「謝っておこうと思って」
 その答えに呆けてしまった彼女を無視して、彼は小さく、本当に少しだけ頭を下げた。
「すいませんでした」
「ど、どうして謝るのよ?」
 頭をあげた彼はまっすぐこちらの目を見つめ、はっきりと言った。
「あなたの復讐の邪魔をしたからです」
 この瞬間、彼女は悟った。彼は、全て見抜いている――。
 非常事態にも関わらず、その事実が妙におかしく、ふふっと笑ってしまった。
「あなた、アリーの友達?」
「いいえ、知り合いです」
 それはとても重要な違いだと言わんばかりに彼はそう主張した。
「一応聞くわ。復讐ってなんのこと?」
「あなたは薬師寺にわざと騙されたふりをしていた。そうですね?」
「質問に質問で返すのは、マナー違反よ」
「違法よりはマシでしょう」
 彼はポケットからなにか取り出した。それはプラスチックでできた、手のひらより少し大きめの四角い、白いもの。カードを差し込むところと、その横に小さなランプがついている。四隅には取り付けるための金具がついている。
 それを目にした瞬間、思わず息をのんでしまった。そんな彼女にお構いなく、彼は話を進めてくる。
「これ、スキマーですよね? スキミングに利用される。スタバの隣にあるコンビニのATMに仕掛けられてました。あなたのでしょ、お返しします」
 彼は扉からはなれ、レジの前まで来るとそれを彼女の前に置いた。
「意外と簡単に取り外せました。店員にばれないかヒヤヒヤしましたけど、朝のコンビニって人が多いんですね。おかげで助かりました」
 まるでイタズラを自慢するかのような口調のわりには、彼は無表情だった。
「機械工学が専門分野のあなただ、作れても不思議じゃない。まさかとは思いましたけど、驚きました。銀行強盗以上に半信半疑だったんで」
「……どうして、わかったの?」
「別に、可能性があったから確認しただけです。あなたには不審な点があった、だから考えた。それだけです」
 朝だから起きた、夜だから寝た。それと同じですよと彼は続けた。
「高橋先輩が言ってました。あなたが学生の頃、友人が留学資金を詐欺で騙し取られたことがあって、だから警戒心が強い。詐欺になんてあうはずないって。……その時は否定しましたけど、実は僕も先輩に同意見でした。あなたにとってはここは何年住もうが異国の地。そんな場所で一番気をつけるのは、詐欺師です。ましてやあなたは経営者でもある。だから、あんな不審な男にどうして騙されたのか不思議でした。それで思ったんです。あなたは、薬師寺を知っているんじゃないかと」
 まるでどこかで見ていたかのように、的確に言い当ててくる。彼女は質問するのをやめて、彼の話に耳を傾けることにした。
「薬師寺は詐欺の前科があったそうです。あの年齢の男ですから詐欺は何度もしてきた可能性が高い。今回、利用したのは外国人です。彼は外国人の扱いがうまかった。あなたはともかく、他の人たちは見事に彼に騙されたわけですから。そこで考えたんですよ、もしかしたら、薬師寺は外国人を騙したことが過去にあったのかもしれないと」
 薬師寺という名前が出てくるたびに、腸が煮えくり返りそうになる。そんな彼女の静かな怒気を感じたのか、彼はこほんっと咳をした。
「あなたはここに薬師寺がきたとき、思い出したんです。友人を騙した詐欺師のことを。あの男がその人物であることを。どこかで会っていたんですか?」
「……ええ、そうよ。結婚詐欺だったわ。その友達の紹介で私も一度会っていた。忘れるわけがない。あの男のせいで、友達は帰国を余儀なくされたの。それなのに、あの男はこっちのことは覚えていなかったわ」
 今でもあの時のことを思い出すと胸が張り裂けそうになる。友達は本気で彼に恋をしていた。それなのに捨てられ、お金までとられ、留学さえできなくなった。
 あの時の彼女の涙を、泣き声を、忘れたことはない。
 少年は何も言わなかった。どのような言葉も無意味だとわかっていたんだろう。
「……あなたは薬師寺に騙されるフリをして近づき、復讐を目論んだ。あなたも彼の計画にはすぐに気づいたんでしょう。だから、その前までには警察に通報するつもりだった。では、なぜすぐしなかったのか。あなたは、彼からお金を奪い取るつもりだった。そうですよね?」
 今度は彼女が何も言わない。否定も肯定もしない。それなのに彼女はそれを肯定と受け取って話を進めた。
「だってただ逮捕されるだけでは、復讐には足りない。友人が味わった屈辱を、苦しさを彼に与えないと気がすまなかった。だからあなたは、スタバを利用した」
 どこが情報源か考える必要もなかった。彼が今まで話していることは、娘のアリーなら全て知っている。彼女がどういう理由かわからないけど、彼に話したんだろう。そして、それで、それだけで、彼は推理した。
 アイルランドでも日本でも、これほどの衝撃に出会ったことはない。
「スタバの隣にコンビニがあることを高橋先輩が教えてくれました。あなたはそこでコーヒーを買ってましたよね、しかも協力者全員分。おかしいと思ったんですよ。あのビルの前にはハンバーガーショップがあったのに、どうしてそこで買わなかったのか。僕があなたに抱いた、最初の疑問で、きっかけでした」
 そのお店の存在はもちろん知っていた。夕方になると学生たちのたまり場になる、安さがウリのチェーン店だ。だからこそ利用しなかったのだが、まさかこれがきっかけで気づく人が現れるなんて思いもしなかった。
「当然、薬師寺は信頼を得るため自分がしはじめる。あなたはそれを期待したんですよね? 毎日、十人分のコーヒーです。それなりの値段になります。スタバ、高いですからね。だからこそあの店じゃ駄目だった」
 彼は一呼吸だけ間をおいてから、またしゃべり始める。
「スタバにしておけば、薬師寺はいつか隣のコンビニのATMを利用するかもしれない。これは賭けだったでしょう。利用すればあなたの勝ち。例えそうしなくても彼が姿をくらます前に通報すればいい」
「あなたがどこのどなたか、まだ聞いてないの。ただ、アリーの後輩ということはわかった。では後輩さん、どうしてそこまで言い切れるの?」
「電話です」
 彼は即答したけど、こちらは何を言われているのかわからなかった。
「高橋先輩が聞いたそうです。あなたがどこかへ電話しているのを。薬師寺と先輩は思っていたそうですが、おかしいです。話の内容が募金とかだったと言ってたので。薬師寺がお金の話をあなたにしたとは思えない。だから、確認しました」
 彼は胸ポケットからスマートフォンをとりだすと、その画面を見せてきた。発信履歴がずらりと表示されている。
「本物のボランティア団体に片っ端から電話しました。最近、多額の募金の申し出、ないしはそれに近いものはなかったか。警察だと嘘をついたら、簡単に教えてくれましたよ。最近、ある団体に多額の募金はどういう使われ方をするのかしつこく尋ねてきた人がいたそうです。名乗りはしなかったそうですが、声は中年の女性だったそうです。それと、少し日本語に違和感があったとも言ってました。……あなたですよね?」
 紛れも無くそれは自分だった。計画がうまくいき、薬師寺のお金を奪い取っても、それを懐に入れるつもりはなかった。そこで彼に悪用された団体に寄付しようと考えたのだが、お金の額がどれくらいになるか分からないので、分散させる計画もたてた。そのために色んな団体に連絡をとり、どこが信用できるか探っていたのだ。
 アリーが聞いていたことも予想外だが、その断片的なことだけでここまで推理したというこの少年は、存在そのものが想定外だ。
「どうせ薬師寺が使ってる口座は不正なもの。彼が捕まったあとも彼は口を閉ざすでしょう。それも想定内。騙し取られたことを知るのは、下手をすれば数年後でしょうね。まあ、スキマーがまだコンビニにあったということは、計画は実行されていなかったようですね……。よかったです」
 そこで初めて、少年が表情を和らげた。それは実に高校生らしい、柔らかい笑み。しかし、すぐに彼はれを消して、一歩退いた。
「僕の話は終わりです。それじゃあ、失礼します。スキマーは捨ててくださいね。多分警察が後ほど聴取に来ます。それ、見られたら厄介ですよ」
 彼が背中を向けて店を出ようとするのを止めた。
「どうして、あなたはそこまでしたの? 推理するだけでもすごいわ。ええ、認める。全てあなたの言う通りよ。……でも、薬師寺を逮捕させたり、スキマーを取り外したり、嘘をついてまで電話したり、それなりのリスクを負ってる。どうして、そこまでしたの?」
 純粋な疑問だった。この少年がどうしてそこまでしたのか。本来、無視してもいいものだ。何もわからなかったと言っても、誰もが信じる状況なのに、真実を突き止め、自分の計画を壊したのはなぜか。
 彼は止まってしばらく動かなかった。背中を向けたまま、何か恥ずかしそうに答えを躊躇していたが、ため息をついた後、面倒くさそうに答えた。
「高橋先輩にしかできない仕事あるんですよ、演劇部には。だからです。先輩がしっかりしてくれないとうるさいのが騒ぐんです。それが嫌だっただけですよ」
 どうやら彼は娘と同じ演劇部らしい。さすがにもう十七年も人の母親をしているので、彼の今の言葉が本心の全てでないことはわかる。心底にあるものは言いたくないんだろう。照れているなと、直感で分かった。
 今度こそ店を出ていこうとする彼にまた質問を投げかける。
「待って。まだ、名前を聞いてないわ」
 彼は最後の質問には答えず出て行った。カランッカランッという彼が出て行ったときの残響を聴きながら、徐々に頭を切り替える。
 さて、開店の用意をしなければ。

10

 薬師寺の逮捕から数日後のこと。
「四季くん、この前はありがとうね」
 久々に部活にでてきた四季くんにアリーちゃんが声をかける。彼は照れくさそうに頭を掻きながら「はあ」と答えていた。そんな彼に彼女が、小さな袋を渡した。
 可愛くラッピングされた手のひらサイズの小袋。
「これ、ママがお礼に渡して欲しいって。四季くんが推理したんだよって話したら、すごいわねって褒めてたよ」
 なぜだが分からないけど四季くんはその話を嫌そうな顔で聞いていた。ただ、お礼を受け取らないわけにはいかないと思ったのか、恐る恐るといった感じでそれを手にとり、中を開ける。
 そこにはキーホルダーが入っていた。茶色に塗られた太めの針金が綺麗にパイプの形をなしている、可愛らしいキーホルダー。
「あ、かわいいー。いいなあ」
 私が横から覗き込むと四季くんは咄嗟にそれを隠した。ケチンボ。
「シャーロック・ホームズをイメージしたんだってママが言ってたよ」
「僕はコカイン中毒者じゃないですよ」
 なんだかマニアックなツッコミをいれた四季くん。ホームズってコカイン中毒なの?
「あと、ママから伝言。よく分からないけど……また来てね、ゆっくりお話しがしたいわ、だって。四季くん、ママに会ったの?」
 パイプのキーホルダーを見つめながら、四季くんは黙っていた。そし季節によく似た、唇の片側を釣り上げる笑顔を浮かべたあと、アリーちゃんの碧眼を見つめながら、彼にしては珍しく、なんだか楽しそうに答えた。
「遠慮しますって伝えておいてください」
 そう言いながらもキーホルダーを小袋に戻すと、大事そうに鞄にしまった。


――了
2014-01-30 03:45:32公開 / 作者:コーヒーCUP
■この作品の著作権はコーヒーCUPさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 あけましておめでとうございます。ないしは、はじめまして。もしくは、お久しぶりです。コーヒーCUPです。
 去年の夏頃から行方をくらましていましたが、大学の卒業もほぼ決まり、落ち着いたので投稿させていただきました。一年ほど前に「ならまた明日駅で会おう」という作品を投稿しましたが、今回の作品はそれと同じキャラクターがでてきてます。続編というわけではありません。キャラの使い回しです。
 タイトルを見た段階で、ないしは事件の概要を聞いたときに、この作品がパロディであることに気づかれた方もいらっしゃるかと思います。これはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの一編「赤毛組合」のパロディです。ちょっとやってみたかったんです。
 最後まで読んでいただいのなら幸いです。お付き合いいただきありがとうございました。
 感想、苦情、アドバイスなどお待ちしております。
この作品に対する感想 - 昇順
 おひさしぶりです。
 「赤毛」よりもう一ひねりあって面白かったです。ただそのせいで事件が入り組み、読後のすがすがしさは減ってしまっているのですが……。何だか含みを持たせる終わり方になりましたね。でも意外性のある展開で楽しめました。これで終わりかめでたしめでたし、何かもやもやが残るけど……あれまだ続くの? ああそうかあー、という感じで、完全に術中にはまりました。
 アイルランドとホームズって何か関係あるのかなあと考えていたのですが、地理的に近いということくらいでしょうか。変に気になっちゃいました。
 それから登場人物がみんな人がいいので、読んでいてほっこりします。屈折してないのがいいですね。
2014-01-30 18:30:21【★★★★☆】ゆうら 佑
[簡易感想]後味が悪い感じがしました。
2014-05-30 10:55:24【☆☆☆☆☆】Tony
[簡易感想]セリフが多すぎる気がします。
2014-05-30 12:48:25【☆☆☆☆☆】Cesar
計:4点
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