『微笑みの終末』作者:TAKE / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
最近できた曲の内容を、小説として描いてみました。
全角2181文字
容量4362 bytes
原稿用紙約5.45枚
「なぁ」
 キッチンで野菜を切っている彼女に呼びかけた。
「んー?」
「あー……何言おうとしたか忘れた」
「何それ」そう言い、彼女は背中越しに笑った。

 自分が心底情けなく思えた。
 事実を隠している事が、僕とこのまま暮らし続ける事が、彼女の幸せに繋がるわけがない。頭では分かっていても、臆病な僕はずっと誤魔化し続けていた。
 朝、いつものようにマンションの部屋を出る。週に二度、会社とは逆方向の電車に乗っている事を、彼女は知らない。
「正直、今月が山ですよ」診察室の椅子に座る僕に、白衣を着た医師は苛立ちを見せながら言った。「いい加減、うちで泊まってちゃんと措置を受けて頂かないと。もう少し早く手術でもしてれば、何とかなったかも知れないのに」
「すみません。でも……妻を部屋で一人にはさせたくないので」
「お気持ちはわかりますがね――」
 受付で二週間分の薬を貰う。ここ数か月で、種類と量は増えてゆく一方だった。
 午後に出社して、ノルマに遅れている分を取り戻そうと営業を廻る。今年の夏は異常に暑く、体力はすぐに消耗した。

「ただいま」
 帰宅して、すぐに処方箋と薬をパソコンデスクの引き出しに入れる。小さな鍵をロックすると、シャワーで汗を流した。
「疲れた顔してるね」彼女は言った。
「この暑さだから。雲一つ無かったし」
 夕飯を食べ終わり、寝室で二人並んでテレビを見る。一番幸せを感じる時間だった。
 12時を過ぎて、ベッドの隣で彼女が寝静まった頃。胸にキリキリと痛みが走った。

 また発作だ。

 脂汗を垂らしながら、なるべく音を立てないようにベッドを出て、引き出しから薬を取り出し、水道水と共に急いで飲み干した。
「どうしたの?」
 水道の音で目を覚ました彼女が声をかけてきた。そばにあったスーパーの袋で、残りの薬をくるむ。
「ちょっと暑くて」
「クーラー強める?」
「いや、大丈夫。変な姿勢で寝てたせいだ」
 心は罪悪感に染まるばかりだった。

 早朝、彼女よりも早く目が覚め、そっと体を起こす。ベランダのカーテンを開け、外を眺めた。
 コーヒーを淹れて、砂糖も加えずに飲んでいると、彼女が起きてきた。
「早いね」
「うん」
「朝ご飯、パンがいい?」
「そうだね」
 彼女はキッチンへ向かった。
「ありがとう」
「何よ、急に」
 そう言ってはにかむと、彼女はトースターに食パンを突っ込んだ

 今日こそ、ちゃんと切り出さないと。

 その後ろ姿を見ながら、僕は十数回目の決意をした。

「あのさ……」テーブルで向い合わせに座り、目玉焼きに醤油をかけて僕は言った。「ちょっと、大事な話があるんだ」
「プロポーズの時も、そう言ってたよね」少し緊張した面持ちで、彼女は笑った。「何?」
「えっと――」
 別れて欲しいんだ。その一言が、今日もまた喉元で引っ掛かったまま、僕は目を伏せた。
「ねえ、どうしたの?」彼女は下から覗き込むように僕を見た。
「いや、あの……」
 心配をかけず、二人の幸せな生活を続けたかった。あと少し、もう少しだけ……そうして先延ばしにしてきた。結局は今、彼女から笑顔が消えていた。
 言葉にならない気持ちが混ざり合って、胸が苦しくなった。時計の針が動く音だけが、静かな部屋に響いた。
 苦しみは、やがて痛みに変わり、発作が起き始めた。

 こんな時に……。

 荒い息をしながら、僕は立ち上がった。
「ちょっと……大丈夫?」僕の肩へ触れそうとする手に背中を向け、コップに水を注ぎ、デスクに向かうと引き出しを開け、初めて彼女の目の前で薬を飲んだ。

 時既に遅かった。

 症状が和らぐことは無く、僕はそのまま床へ倒れ込んだ。傍らに落ちたコップが、音を立てて割れた。
 駆け寄ってきた彼女は、僕の名前を大声で呼びながら、右手を握った。
「ごめん」やっとのことで絞り出したのは、そんな一言だった。
「……とっくに知ってた」彼女は言った。
「病気の事? どうして――」
「隠し通せるわけないでしょう? 一緒に住んでるんだもの」涙声で、彼女は自分の秘密を明かした。「あなたは優しくて、嘘が下手だから。いつ別れを告げられるのかって、不安でしょうがなかった」
 何もかも、彼女にはバレていた。言葉に出さない優しさに気付かなかったのは、僕の方だった。
「私を気遣ってくれてたのは分かったから、嬉しかった。ありがとう」
「でも、君にもずっと気を遣わせてた」
「いいの」彼女は言った。「ありがとうとごめんねを、ちゃんと分かち合えたじゃない。もう怖いものなんてない」そう言いながら、涙を流した。「だから安心して?」
 右手に力を込めようとするが、ピクリとも動かなかった。彼女はその手を離し、携帯で救急車を呼んだ。
「ありがとう」そう言うと、今度は左手を握ってきた。
 電話を終えた彼女を、僕は名前で呼んだ。「本当にごめん」
「私の方こそ」
 再び手に力を込めると、少しだけ動かすことが出来た。それに応えるように、彼女は僕の方へ顔を寄せた。

 救急車を待つ間、僕らは最後のキスを交わした。
2013-10-10 00:22:10公開 / 作者:TAKE
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