『八月見聞録』作者:中島ゆうき / AE - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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原稿用紙約6.08枚
母子家庭で育った。父親が異なる弟が一人いる。私は母親に似て、一昔前のホステスみたいな派手顔だけど、弟は色白で、鼻筋の通った涼しい顔をしている。どことなく、小学校の時の担任の先生に似ていると思う。経済的には中の下。親子三人、食べてはいけても、欲しい物はいつも手に入らない。色々な物事を、遠くから眺めてやり過ごすことが得意な子供だった。

男運と金運には、本当に恵まれなかった母親だったけど、私と弟に対しては、本当に最低限の母性と責任感をもって、なんとか高校まで出してくれた。感謝しているというよりは、ほっとしている。

高校を卒業してすぐ、地元を離れて就職した。でも予想通り続かなくて、結局私は夜に流れた。夜という時間は、何時でも、何でも、流してくれた。流れに身を任せているのは、とても楽に思えて、私ってば、今まで案外頑張って踏ん張って生きてたんだなぁなんて、しみじみしてみたり。でも、私が頑張ってきたことの具体例が一つも思いつかなくて、もしやこれは言い訳なのかもしれないと、気付き始めた瞬間、私は流れの外にいた。眺めていた。懐かしい気持ちになった。


カレンダーを見たら、八月が、まだあと少しだけ残っていた。夕方、近所のスーパーで米を三キロ買って帰り道、夕立に濡れた。天気予報が言い忘れた夕立だった。ちょっとびっくりするぐらいの大粒で、自然現象とは思えない、誰かの、少し悪意のある主張みたいだった。


びしょ濡れて帰って、とりあえず服を脱ぎ、裸になって、裸のままで、三キロの米を米びつに移す作業をした。米びつに米を入れる前に、三キロの米を袋ごと、赤ん坊を抱き抱えるようして持ってみた。裸で。ニ、三度揺らしてあやしてみた。米なんだけど。母親になった自分を想像した。子供を欲しいと思ったことは、まだ無いんだけど。ため息をひとつついてしまい、それを帳消しにするがごとく腹一杯息を吸い、息を止めた。米を移す作業の間、ずっと息を止めたままにした。ギリギリで城の陥落を防いだような気分だった。


酒を辞めた。酒は好きだし、結構強いし、辞める理由はまだ特に見当たらなかったけれど、それがなんだかとても恐くなった。夜働いてた時の、数少ない太客に、「最近酒が恐くなってきた」と話したら、「そんなに自分自身を労る言葉、珍しいね」と言われた。「恐いもの無しのサヤカが好きだったんだけどなぁ」彼はそれっきり、もう店には来なくなった。


鏡で自分の裸の体を見る。なんだか妙な気分になる。あんまり見過ぎると、吐き気がしてくる。そこまで醜いもんでもないはずなんだけど。体って、じっと見てると、なんかもう、美しいとか醜いとか、神秘的とか、不思議とか、そんなの解らなくなる。この骨と肉を形容する言葉なんて、要るのか?人類で一番最初に人間の肉体について語ったのは、一体どんな人なんだろう。真夏の夕暮れ、薄暗い部屋でエアコンも付けずに、雨の雫で濡れた体を鏡に映して、私はあえて、「ちょっと太っちゃったかなぁ」と、心の何処にも無い言葉を一応呟いておく。サヤカの為に。


街で弟を一度だけ見かけたことがある。子供の頃からひょろっと痩せた華奢な体つきだったけど、街で見かけた弟は、キリスト並に痩せていた。十字架にかけられる予定があるのかもしれないと思った程に。隣に、色黒のやたら恰幅の良い男がいた。ふたりは時々お互いの耳元で囁くように話しながら、夜の繁華街に消えた。どうして私は、この街中で、弟に気づいたんだろう。あんなにまで痩せたら別人だよ。決して仲の良い姉と弟ではなかったけど、仲の悪い姉と弟でもなかった。なんの根拠もないけれど、携帯電話に登録してある弟の番号に電話をかけても、もう繋がらないような気がした。


昨日母親から久しぶりに電話がかかってきた。再婚するらしい。あぁそうなのか。おめでとう。ところでさ、サトシって今何やってんの?こないだ外で見かけたけど、痩せて雰囲気変わってたよ。え?いつ?なんで?そっか。うん、わかった。全然知らない。もうずっと会ってもないし、電話で話してもないし。うん、行った方がいいのかな。いや別に関わりたくないってわけじゃないけど、サトシが嫌がりそうな気もする。まぁ、考えとく。はい、じゃあ。あ、その人に、宜しく言っといて。全然いいよ、何を今更。今度は上手くやれるといいね。じゃあね。




私は昔、ケーキ屋さんかアイドルになりたかった。弟は昔、虫博士か警察官になりたいって、言ってたっけな。





ネットで拘置所の面会時間を調べる。いっそのこと、誰かを刺して捕まって欲しいと思ってしまった。その誰かは、私でいい。多分弟は、私と同じように育ったけど、私よりも真面目に自分の人生と向き合ってたのかもしれない。姉弟の情でかばうんじゃない。昔から私はそうだけど、特に最近の私なんて酷いもんで、なんにも使わなくてもキメた後みたいに脱け殻だから。わざわざリスクのある方法で、脱け殻になりにいった弟が、まぬけで可哀想で仕方ない。

面と向かって、こうやればあらゆることを傍観できるよ、なんて、言えるわけもないけど。







カレンダーを見ると、八月がもう終わったらしいことがわかる。母親からはあれから連絡はないし、弟の面会にも行ってない。最近また夜の仕事を始めた。酒もまた飲むようになった。前の店で太客だった男からまた連絡が来るようになって、今の店にも通ってくれる。「最近のサヤカ、良いよ」と言われた。ここんとこ夕立には遭遇してない。なんとなく猫を飼いたいと思う。米は三キロずつ買うのをやめて、今は十キロを宅配してもらってる。ベランダで蝉の死骸を見つけた。虫博士に、この蝉の名前を聞いてみたい。






2013-08-12 19:53:31公開 / 作者:中島ゆうき
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この作品に対する感想 - 昇順
初めまして中島ゆうき様。作品を読ませていただきました!
小説というには少し内容が短すぎるかもしれませんが、作品はとても素敵だなと思いました。ゆうき様はPNから男性かと思いますが、何処か文章が女性的で、ふと大学2、3年の女子学生が暗い部屋の中で気だるそうにPCに向かって文章を打ち込んでる姿が浮かびましたw
こう、水槽の中で林檎が腐っていってる様子を見ているような、緩やかな時間の流れと名残惜しさを感じさせられました。個人的にはとても良い作品だと思います。次回作もお待ちしております^^では、また
2013-08-30 23:19:44【☆☆☆☆☆】有馬 頼家
有馬様 読んで下さってありがとうございます。あまりにも短過ぎるのでちょっとなぁと思いつつのせてしまい、そこでこのような感想を頂いて申し訳ない次第。励みになります。ありがとうございます。 中島ゆうき
2013-09-02 20:05:05【☆☆☆☆☆】中島ゆうき
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