『蒼い髪 23話 オネスの復讐後編』作者:土塔 美和 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角52376文字
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原稿用紙約130.94枚
「か ろ る か ろ る」
 ここはイシュタル星、某王宮の一室。
「か ろ る か ろ る」
 寝たきりで何の反応も示さなかった幼児が、片言のように言う。そしてほんの少しだけ、嬉しそうに頬をほころばせた。
「人の名前のようですね。お友達でもできたのでしようか」と、微かに反応を示した我が子の寝顔を見て、王妃も心和ませる。
「そのようですね。そのお友達とはおそらく幼い男の子ででもあるのでしよう、今の主様ぐらいの。とてもやんちゃな方のようです」
 アツチは八歳になった。だがその体は小さく、まるで四、五歳の幼児のようだ。
「とても楽しそうですね」
「ええ、紫竜様が紹介してくださったのですから、相性が合うのでしょう」
「やはり紫竜様は、アツチ様のことをご存じだったのですか。では何故、来ていただけないのでしょう」
 しかしニーナには、その王妃の質問には答えるすべがなかった。ニーナですら、早く来ていただきたいと思っているのだから。
「な つ か ぜ」と、たどたどしい言葉。
「あら、大変。お友達が夏風邪をおめしに」
 ニーナは少しほほ笑むと、
「ご心配にはおよびません。夏風邪の意味が私たちの感覚とは少し違うように思われます」「意味が違うとは、どういうことなのでしょう」
「主様は、夏風邪をお人よしのお馬鹿さんと、とらえておられるようです」
「それは、またどうして」
 どこをどう間違えればそのような意味になるのかと、王妃は訝しがる。白竜様の感覚は理解しがたい。
「夏風邪をお召しになられた方が、そのようなご性格であらせられたのでしょう」
 その時、テレポート。
 ニーナは気づいたが王妃は気づかなかったようだ。
「誰です!」
 懐の石を握りながら、廊下に向かって誰何するニーナ。いつでも剣を抜ける体勢である。
「ゲンと申します」
 男は部屋の外、扉の前で跪く。
「入室の許可をお願いいたします。主様にお渡ししたいものがございます」
 扉の外からひしひしと感じられる紫竜の気配。それはアツチも気付いたようだ。ずっとその気配に気を集中させているご様子。
 何故このような者が紫竜様の気配を? と思いながら、ニーナは入室を許可した。
 現れた男は二十代後半、イシュタルでは何処にでもいるような中肉中背の男だった。彼は扉を開けずに通り抜けて来た。
 男はその場に跪くと、
「お久しぶりです、ニーナ様」と挨拶をしてきた。
 だがニーナにはこのように能力の低い男に覚えはない。おそらく過去何千年と転生を繰り返して来た時に、一度ぐらい出会っているのだろうが、いちいち気に留めるような人物ではないと判断して来たのだろう。
「ご記憶にないのもいたしかたありません」
 男は自分の能力の低さを知っている。だがそれですらイシュタル人の中ではある方だ。ただ目の前にいる女性の能力がけた違いだから。増してベッドの上に横たわっている幼児に至っては、けた違いどころの話ではない。
「三千年前のお約束、一部かなえましたのでご報告に参りました」
 ニーナは、はっと思い出した。跪く男を立たせると、
「あの時の」と声をかける。
「はい、紫竜様を探してきますとお約束し、白竜様より懐石(懐の中の石)をいただいた」
「そうでしたか。あれからずっと」
「私の能力では今までかかってしまいました」
「それで、お会いできたのですか」
「はい。戻ってくださるようにお話ししたのですが」
 男はその後をどう続けてよいか迷った。三千年前、弱り果てている白竜様を目の当たりにして、今より酷いお姿だったような気がする。必ず紫竜様を探し出しお連れすると約束したのに。
「やはり、駄目でしたか」
「何か、まだ、戻れないご事情がおありのようでして、それにご記憶の方も、まだはっきりなされておられないようで。それで記憶の助けになればと思いまして、せっかく白竜様からいただいた懐石を紫竜様の元へお返しして来てしまいました。お戻りいただけないのでしたらせめて髪の毛でもと思いまして、紫竜様の髪の毛を少しいばかりただいて参りました。それがこれです」と、男は美しい螺鈿の箱を差し出す。
「まあ、これは美しい」と、箱に感嘆する王妃。
 だがニーナは箱には興味がないようだ。その箱を男の手から受け取ると、アツチの元へ持って行く。
 ニーナが箱を差し出した瞬間、その箱は空中を舞い床に叩き付かった。ニーナは慌ててその箱を拾い上げる。箱に損傷が何一つなかったのは、どうやら紫竜様が箱を守ってくださったおかげ。
「主様」と、ニーナはその箱を大事に胸に抱きながらアツチに呼びかける。
 だがアツチはじっと天井を睨み付けているだけ。ただ夢でも見ているかのように眼球が激しく動いている。おそらく紫竜様と暮らした数億年の記憶が走馬灯のように脳裏を駆け抜けているのだろう。
「主様、いらないのですか」とニーナは問う。
 その刹那、怖いほどの思念。
(何故、連れて来なかった! 嫌がるのなら首だけでも目玉だけでもよい)
「主様」とニーナが、どうにかアツチの怒りを和らげようとするのだが、アツチはそっぽを向いて何の反応も示さなくなった。
 ニーナは困ったと思いながらもその箱を、アツチから一番離れているテーブの上に置いた。蓋を開けて驚く。
「こっ、これは」
 中には朱色の髪。少し紫色に輝いているのは、今、白竜の力を押さえるのに能力を使ったせい。
「これが今の紫竜様の髪の色です」
「そうでしたか」
 もしかするとネルガル人に転生しているのではないかと想像はしていたが。
 ニーナはその髪を二つに分けると、空間からお守り袋のような小さな袋を取り出し、その中に片方の髪の毛をくるくると巻いて入れる。
「これを、あなたに」と言って、男の方に差し出す。
「これを、私にですか」
 男は嬉しさのあまり震える手でその袋を受け取る。
「主様からいただいた懐石を紫竜様にお返ししてしまったのでは、何か代わりのものがなければお淋しいでしょう」
「有難うございます」
 男はそれをしっかりと胸に抱き、
「もう一度、戻られるように説得して参ります」
 ニーナか悲しげに首を横に振ると、
「もう、充分です。後はお二人の問題ですから。否、主様ご自身の問題、と言うべきなのでしょうか。実際私たちの目からはお二人のように見えますが、本来は白竜様と紫竜様はお一人の存在なのですから。私たちがこれ以上関与することはできません」
 人形のように反応を示さなくなってしまったアツチ。
 ニーナは朱色の髪を見詰めた。





「ゲート、オープン」
「旗艦トヨタマ、発進いたします」
 オペレーターと館長の声が艦内に響き渡った。
 艦は静かに宇宙港から宇宙空間へと滑り出す。
 十分後、既に先に出航していた第10、14、15宇宙艦隊と合流した旗艦トヨタマの艦内では、
「さて、どうする。オネスを探すと言ってもな、この広い宇宙、どこから? 自室で落とした預金カードを探すのとは訳が違う」と、マジで考え込むトリス。
「そりゃ、そうだ。おめぇーの預金カードはオネスを探すより難しかろう、なんせ、はなからねぇーもんな」と茶々を入れたのはロン。
「ロン、てめぇー」
 深刻なムードもこの二人が居ては喜劇。
「もう、手は打ってあります」とケリン。
 二人を黙らせように睨みつけて言う。
 へぇー、手筈がいいな、どんな手だ? と訊こうとしてトリスは思いとどまる。訊かない方が身のためだ。このまま知らない方が平穏な時間が長く保てるような気がしてならない。何となくそう直感したトリスは彼に似合わず黙り込んだ。
 ケリンの作戦はこうだった。
 こちらから探すのは到底至難の業だから、向こうから出て来てもらうことにしました。オネスはキュリロス星の一件で殿下に恨みを抱いております。殿下が宇宙を航宙していると知れば、攻撃を仕掛けずにはいられないはずです。よってその時がチャンス。そのためにケリンはルカの航宙経路をあらかじめさり気なく公開しておいたようだ。
「そっ、それってよ、何時仕掛けられるかわかんねぇーてことじゃねぇーのか。常備、警戒してなきゃならねぇーてことだよな、神経が持たねぇーぜ」
 やっぱり聞くんじゃなかった。後悔先に立たず。トリスは大きな溜息を吐いた。

 ルカはアパラ星系(ネルガル星が存在する星系)から離脱する前に、士官たちを旗艦に集め第一回の作戦会議を開いた。
「オネスとの戦闘方法ですが」と、ルカは切り出す。
 既にダゴン軍事要塞の陥落の映像と情報は各士官たちには渡されていた。
「データーから、何かお気づきの点がございましたら」とルカ。
 まずは彼らの考えを確認しておこうと思った。ルカの親衛隊以外、彼らの中でテレポートを実際に見たものはいない。案の定、彼らから出てきた最初の質問は、
「何なのですか、あの戦法は。あんな所にワームホールがあるのですか」
 やはり彼らもオネスの艦隊がワームホールを通って現れたとしか考えられないようだ。
「テレポーテーションです」とルカが答えた。
「テレポーテーション、まるでSFだな」
 未だネルガル人はワームホールの仕組みを完全に理解していない。だが利用は出来る。それは脳の仕組みを理解していなくとも生きて行くのに支障がないのと同じ原理。
「イシュタル人はテレポートが出来るんだ」と言ったのはトリス。
「俺たちはボイ星でこの目で見たんだ。奴らがいきなり俺たちの目の前に現れ消えるのを。オネスはそれを艦船ごとやっているにすぎない」
「そんな馬鹿なことあり得ない」と言い出したのは第14宇宙艦隊の将校。
 幕僚ダニール大尉のお勉強の猛特訓が功を奏したのか、あるいは裏目に出たのかはわからないが、理屈をこねるようにはなってきた。
「SFじゃあるまいし。まあ人間、土壇場に追い込まれると幻を見るものだ。助けてほしいと思えば、イシュタル人だってなんだって現れるさ」
 何故そこで、アパラ神や味方ではなくイシュタル人だったのかは疑問だが、まあ、この中で神など信仰している奴はいないし、敵がネルガル人じゃ味方に攻められているようなものだからなと、その将校は独り納得する。
「そうそう、最新型の兵器でやられようが原始的な兵器でやられようが、燃え盛る炎の中を味方の血肉や黒こげになった死体を踏みつけ逃げ惑う時は、母親が手を差し伸べてくれたり、つれねぇー女が急に優しく口づけしてくれたりよ、不思議と幸せな幻だけが浮かぶぞな。気づいたときには辺りは焦土と化して、数十万いた仲間もほんの一握りになっちまってよ」
 そんな戦いを経験したこともあった。だがボイ星での戦いは知らない。
「新兵器なんかくそくらえだ。そんなの戦っている時はわからねぇー。そんなもの戦争が終わってからわかるようなもので、戦っている時は親分が殺されるか、地上を圧倒的な数で制圧されない限り降伏をしようとは思わねぇー」
 所詮人間は地上の動物である。どんなに宇宙を支配しても、どれほど制宙権、制空権と制海権を取られても地上に侵攻されない限り負けた気がしない。そのためこれだけの宇宙艦船を持ち上空を包囲しても、多大な犠牲を払って上陸しなければならない。おそらく人間が魚だったら地上ではなく制海中権が重要視されたのだろう。
「だけどよ、今回は戦う前に敵には新型兵器があるらしいという噂が流れているからな」
 ここが何とも戦いづらいところである。知らなきゃ猪突猛進で行けるものを、やたら噂に振り回され下手なビビりが入ってきている。荒くれ共の集まりだとはいえ、やはり命は欲しい。増してそれが自分が全然崇拝している訳でも尊敬している訳でもないネルガル帝国のために散らすなど、考えただけでもぞっとする。
「なっ、殿下。このままトンずらしちまねぇーか」と、言い出す者まで出て来た。
「それはできません。ネルガル星ではシナカが私の帰りを待っておりますから」
 自分が軍部を裏切ればシナカの命はない。
「強制はいたしません。帰りたい方は戻ってくださって結構です」
 そう言われて、それではと言って出て行く者はここには居なかった。ネルガル帝国のために捨てる命はなくとも、殿下のためにならと思う者ばかりである。それほどルカは帰還した時に負傷した兵士やその家族の面倒を見て来た。あの司令官のためなら。それに司令官ならどうにかしてくれるさ、今までもそうだったのだから。彼らがわりと楽観的なのはそれだけルカを信じ切っているから。
「テレポーテーションとは、一体どのような現象なのでしょうか」
 いよいよ本題に入った。
「ワームホールのミニ版といえば解りやすいでしょうか」と、答えたのはケリンだった。
 ルカに代わって説明を始める。
「では、空間の歪みさえ捉えられれば、待ち伏せすることもできますね」と言ったのは学者肌の将校。
 ワームホールなら巨大な空間の歪み故、完全に開くまで時間がかかりコンピューターの演算が間に合うのだが、テレポートに至っては時空の歪みをキャッチし何処が開くかまでの計算が間に合わない。そこが難点なのだ。
「計算が間に合えばな」と言ったのはトリス。
「間に合えばって?」
「今の我々の演算能力では不可能なのです」とケリン。
「つまり、敵が何処に現れるかまったくわからないということか」
「そうです」
 一瞬、室内が静まり返った。
「レーダーがあるではないか」と、その静けさを掻き消すかのように言う将官。
 だがレーダーが役に立つようなら、ダゴスはあのような敗北は帰さなかった。一度も要塞砲を発砲することなく陥落したのだ。
「敵はレーダーの範囲外からテレポートして来るということですか」
 ケリンは頷く。
「ではこちらには、反撃の術がないと」
「一つだけ方法があります。と言うか、この方法しかないと思われます」と前置きして、ケリンは今回の作戦を説明した。
 まず、集中砲撃を避けるために艦隊を十隻もしくは十五隻ぐらいの小さな集団に分け、お互いの集団の距離は互いの艦隊砲が届くか届かないかの距離を保つようにして航宙します。こうすれば、もし敵がテレポートしてきた時、一集団は犠牲になりますが他の二、三個の集団でこの敵を叩くことができます。
 ケリンはシミュレーションを交えながら説明した。これがルカとケリンが練り上げた戦術だった。今回の戦い、かなりの犠牲を覚悟しなければならない。
「何か、ご質問は」と問うケリンに対し、
「本当にオネスの背後にはイシュタル人がいるのですか?」
「そうだよ、他の星人ならともかく、イシュタル人に限ってネルガル帝国に逆らおうなんて発想するかな。俺、イシュタル人を何度か一晩金で買ったことがあるが、あいつらのんびりしているもんな」
 数人の将校が頷いた。どうやら同じ経験があるようだ。
「殿下に言うとあまりいい顔しないから、今まで黙っていたけど」と、少し罪悪感まじりに言う者もいる。
「やつらは直ぐに裸になるからてっとり早いんだ。出陣前にもちょっくらやらせてもらってきたんだぜ。やつらはどうやら俺たちとセックスの感覚が違うようだ。この世に男と女が居る以上、性交渉はあって当然と考えている。そこに罪悪感がないのが、またいい」と、今度は別の将校が、こちらは全然罪悪感なしで言う。
 イシュタル人は誰とでも寝るというのがもっぱらの評判だった。星が乱れている証拠だ。その星の幸せ度を見るには女性と子供の笑顔の数を数えれば早い。国が乱れて底辺に行くのは何時も女と子供である。
「自分たちが知っている限りでは、イシュタル人はそんな獰猛な星人には見えない。無能で命令されなければ何も出来ない、そんな星人だ。せっかく神が我々に姿かたちを似せて創ったのだから、もう少し有能であってもらいたいが」
 こちらの将校は少しネルガル人至上主義の気がある。
 だが当のイシュタル人がこれを聞けば、第14宇宙艦隊の者たちだけには言われたくないと思うことだろう。だがこれが今のネルガル人のイシュタル人に対する評価だった。そこにはイシュタル星が過去に魔の星と呼ばれていたという記憶はどこにもない。実際イシュタル人に会うまではその恐怖もなくはなかったのだが。眠れる獅子を起こしたら獅子どころか兎だったと言う所だ。
「あれは、お伽噺だよ。誰かがおもしろおかしく作った」
「それならいいがな」と言ったのはトリス。
「お前たちがネルガル星で抱いているイシュタル人は、能力が無いが故に間抜けなネルガル人に捕まった奴らだ。能力のある者はとっくにイシュタル星を離脱している」
「能力のない者たちを見捨ててか」
「全員、連れて行くわけにはいかなかったのだろう。だが彼らは、着実にネルガルとの戦闘準備に入っているようだ。後は白竜が降臨するのを待つのみ。否、既に白竜は降臨しているようだ。奴らが俺たちに戦闘を仕掛けて来ないのは、そいつの力が目覚めるのを待っているからだ。俺が抱いた女はそう言った。白竜が目覚めればネルガル星はこの世から跡形もなくなると。だが俺だけは白竜に頼んで助けてくれるらしい、俺が優しい男だから。お前らも今のうちにイシュタル人とよしみを通じておいた方がいいぞ。いざと言う時、助けてくれるかもしれないから」
 トリスの言葉に誰もが顔を見合わせる。白竜伝説。これは誰もが子供の頃に一度は読む物語だ。ドラゴンが攻めて来て、神とネルガル人が協力して多大な犠牲を払って勝利したと言う。
「だが、奴らは負けたんだぜ。アパラ神の前に跪いたのだ」
「それはネルガルの物語だからさ。イシュタルの物語ではドラゴンが勝っている」
 どちらの物語が真実なのか、今となっては知る由もない。
「少しよろしいでしょうか」と話に割って入ったのはホルヘだった。
「白竜伝説。ボイ星にも同じような物語があります。無論ボイ星でもドラゴンつまり白竜様が勝利しておられます。イシュタル星の白竜とボイ星の白竜はおそらく同じもの。となれば竜神様は二柱で一体なのです。白竜様と紫竜様です。白竜様と会話をするのは不可能と言われております。白竜様と会話をするには紫竜様を通さなければなりません。よってまず紫竜様を探すことをお勧めします。そうすれば白竜様と交渉することができます。オネスの背後に控えているのが能力のあるイシュタル人なら、白竜様がどうにかしてくださるはずです。もしその能力のあるイシュタル人が白竜様でしたら、それこそ紫竜様を通して交渉なされれば」
「そう言うがなホルヘ、その紫竜様とか言う奴を、どうやって探すんだよ」
「第一、時間がない」と言い捨てたのはどの艦隊の将校か。
「そうだよ、既に俺たちは囮として航宙しようとしているのだから。紫竜とかいう奴を見つける前に、俺たちがオネスに見つかっちまう」
 ホルヘはルカを見た。彼なら全ての条件を満たす。ただ髪の色が紫でないことを除けば。
 ルカはその視線に気づいて、
「私が紫竜だと言いたいのですか。ですが私の髪の色は見てのとおりです。それに胸には痣が。紫竜は傷一つないと聞いておりますが。そして決定的なのは、私はネルガル人であってイシュタル人ではありません」
 そう言われればホルヘには何も言えない。
 何も知らない艦隊の者たちは、何の話だとお互いの顔を見合わせる。
 そこにオペレーターからの通信。
『只今より、三時間後にワームホールが開きます』
 さすがにケリンもワームホールの出口だけは公開していない。そこで待ち伏せを受けたら全滅だからだ。
「みなさん、各艦に戻り直ちに小隊を編制してください。ワームホールを出ると同時にその陣形で航宙いたします」





 その頃オネスは。
 オネスは宇宙海賊シャーの頭だったが、元軍人崩れのオネスは、仲間からオネス提督と呼ばれていた。
「提督、ルカ王子の艦隊が、出航した模様です」
 わざと航宙航路を公開している所など、俺をおびき寄せるつもりなのだろうがと、オネスはにんまりとした。
 オネスのその不気味な笑みを見て、部下たちは自分たちの親分の考えを読み取っていた。
「提督、危険だ、罠だ」
 部下の一人が忠告する。
「罠か」
 そのぐらい知っているとばかりに、オネスの笑みはますます不気味さを増した。
 どのような罠を仕掛けられようと、今の俺に怖いものは無い。今俺が攻撃するのに躊躇しているのは、その艦隊の中に本当に王子が居るかどうかだ。奴のことだ、他の王子とは違い後方で高みの見物をするようなことはないだろう。ルカ王子、それだけは誉めてやろう。だがそれが命取りだ。
「その艦隊の中に、本当に王子がいるかどうか確認しろ」
 そう言い残すとオネスは艦橋を去った。
「提督は、やる気なのでしょうか」
「そりゃ、ルカ王子には恨みがあるからな」
 だが海賊の間では、クリンベルク将軍とルカ王子の率いる艦隊に出っくわしたときは、逃げるに限る。というのが合言葉になっていた。
「だっ、大丈夫なんですかねぇー」
「オネス提督には、悪魔が憑いているからな」

 そしてオネスは自室に引きこもった。その奥にもう一つ部屋がある。十畳ほどの何の飾りもない部屋。その部屋の中央にはテーブルが一つ、そして一対の椅子。だが片方の椅子には人が座ることはなかった。テーブルはタブレットになっておりチェス盤のようなものを映し出している。淡く天井自体が発光する薄暗い部屋で、そのタブレットテーブルだけが目立つ。その上に水晶で作られた駒。オネスは相手をルカの艦隊に見立て駒を動かし始めた。暫くすると、敵の駒が勝手に動き出す。
「来たか」とオネスは呟く。
(今度の相手はルカ王子か)
 その声と同時に壁際に青い髪の少年が現れた。少年はそこから駒に触れることなくタブレット上の駒を自由に動かす。
「どうして、そんなに奴を殺したい?」
「当然だろう。俺は奴に仲間を、家族を、皆殺しにされたのだ」
 復讐心で興奮するオネスを少年は冷ややかに見つめる。
「どうしてもと言うなら、手を貸さんこともないが」
 少年は気乗りなさげに答える。その様子がオネスには納得いかない。これだけの力を持ちながら、何故、ルカ王子を恐れる、ルカ王子とは一体何者なのだ。オネスは少年がルカ王子に関して隠していることを聞き出そうと、鎌をかけてみた。どう反応して来るか。
「どうして、お前は奴を恐れるのだ?」
「恐れてはいない」
 少年はあっさりと否定して来た、気おることもなく。どうやら本当に恐れてはいないようだ。では何故、奴を避けたがる。俺の復讐心を知りながら、この少年はルカ王子にだけは触れようとしない。奴に何があるというのだ。ただのネルガルの王子ではないか、しかもその王位継承権は最下位。オネスは少年を睨み付け、心の中で毒づく。悪魔目、何を隠している。
「俺には恐れているように見えるが」
「そう見えるか。それならそれでもかまわん。お前らのような下等な生き物には解らないことだからな」
 オネスは黙り込む。確かにこの少年の力は凄い。だが我々ネルガル人を愚弄するところが気に食わない。
 黙り込むオネスに少年は、
「手を貸そう」とは言うものの、率先してという感じは受け取れない。
 まあ、それでもいい。テレポートさえしてくれれば後はこっちでどうにかする。今までだってそうだった。
 少年の背後の壁のスクリーンが輝き、何光年の彼方にいるか知らないが、ルカの率いる宇宙艦隊を映し出した。これもこの青い髪の少年(悪魔)の仕業だ。我々の技術力(レーダー)では、まだこれほど遠い空域を航宙しているものを捉えることは出来ない。
 それを見てオネスが第一に受けた印象は、随分と広範囲に広がって航宙しているということだった。これでは艦隊運動がままなるまい。奴は何を考えているのだ。だが暫しその陣形を見詰めていて、オネスは思い立った。なるほど奴は奴なりに考えた陣形か。これなら一集団は犠牲にしても、他の集団で挟み撃ちにできる。おもしろいとオネスは不敵な笑みを浮かべる。一時はその喜びを与えてやろう。だがルカ王子、お前はこの少年の真の力、テレポートの意味を知らない。
 チェスの盤を映し出していたダブレットが、壁のスクリーンの映像へと変わった。刻々と移動するルカの宇宙艦隊。あれだけの距離を開けながらもルカの率いる宇宙艦隊は整然と航宙している。
「好きな所に駒を移動させろ。準備ができしだいテレポートしてやる」
「場所は、どのあたりなのだ」と問うオネス。
「ルモニエ星系付近だ」
 ルモニエ星系、ここから一万三千光年はある。だがこの悪魔の力なら一秒とかからずに移動できる。目を閉じて開けた時には、敵は目の前。最初はその感覚に面食らったオネスだが、今ではそのスピードにも慣れた。
 オネスは公開されている航宙航路の図をタブレットの端に開く。ルカ王子の率いる宇宙艦隊は、ルモニエ星系の外れに存在する何もない空域に向かっている様子。どうやらルカ王子はそこを死に場所に選んだようだな。だがその空域に到達するにはまだ暫らく時間がかかるだろう。
 オネスは椅子から立ち上がった。
「準備が整い次第、連絡する」
 青い髪の少年は軽く頷くと、闇に溶けるように姿を消した。

 オネスはその足で艦橋に戻ると、各船の船長を集めさせた。
「今度の獲物は、ルカ王子の率いる宇宙艦隊だ」
 相手がルカ王子と聞いて艦橋がざわめく。
「提督、本気なのですか。何もこちらから仕掛けなくとも」
「そうですよ。それに艦隊では戦利品がない」
 相手が貿易船でもあればがっぽりと儲かるのだが、艦隊ではせいぜい女子隊員ぐらいなものだ。それですら俺たち全員の欲求を満たせるほどの数はいまい。もっともルカ王子は絶世の美青年だとは聞いているが、艦砲戦が始まってしまっては、お会いするころにはどれがルカ王子の肉片なのだかわからなくなっていることだろう。否、まだ肉片でもあればましな方だ。艦自体、自らの重力エンジンの作る圧力で押しつぶされ、この銀河の粒と成り果ててしまうだろう。
「そんな利益にならないことは」と言いかけて、部下たちは黙り込む。
 オネスの怒りが絶頂に達しているのに気付いたからだ。
「何か、文句がある奴は」
 次に逆らえば、プラスターの餌食になるのは必定。
 静まり返る艦橋。
「わかればいい。もう暫くすると補給衛星に到着する。丸々三日、時間をお前らに与える。俺のおごりだ、好きなだけ女でも抱いて十分に命の洗濯をしておけ」






 ここは青い髪の悪魔シャーの船の中。後にシャーの幽霊船と呼ばれることになるこの船は、生きている者がいないのだから生命維持装置を作動させることはない。だが船は動くし人は乗っている。
 少年は何もない空間に話しかける。
「よろしかったのですか、これで。オネスは彼の方を襲うでしょう」
(忠告はしたのだろう)
 少年は頷く。
(忠告を聞かぬ奴が悪いのだ。お前が責任を感じることはない)
「そう言うことではありません。彼の方の身に危険が及べば、あの方が黙ってはおられないでしょう。あなた様の身にも危険が」
(心配は無用だ。そんなへません。それよりよい機会だろう。何時までも惰眠をむさぼらせておくわけにはいかない。いい加減ここら辺で起きて現実を見てもらわねば)
「このような乱暴なやり方で、あなた様がお怪我をなさらなければよろしいのですが」と、心配する少年。
(あいつは、肩をゆすったぐらいでは起きないからな)






 ワームホールから抜け出したルカの宇宙艦隊は、十艦ごとの固まりになり広範囲に広がり航宙し始めた。これで何時、何処から攻められてもある程度の対処は出来るように準備は整ったが、
「あまり気持ちのいいもんじゃねぇーぞな」とトリス。
『しかし、敵はどうやって攻めて来るのでしょうか。テレポートと言いますが』と、トリスの通信に答えて来たのは第14宇宙艦隊のオペレーター。
 やはり見えざる敵は怖いと見え、少しでも恐怖を紛らわすために誰かと話しがしたいようだ。
「こら、通信回路を私用で使うな」と旗艦のオペレーター。
「敵に傍受されたらどうする、こちらの居場所が」
 そこまで言いかけてオペレーターも気付いたようだ。今回の航宙は隠してはいない。だがわざわざ敵に知らせるようなことをしなくとも。気づかれなければそれに越したことはない。などと甘い考えを抱いていると、
「早く気づかれてちゃっちゃっとけりがついた方がいい。何時までもこんな状態、精神が参っちまうぜ」と茶々を入れる奴。
『トリスの兄貴は、テレポート、経験あるのですか』
「それが出来れば、俺はとっくにネルガル星をトンずらしてるぜ」
『そっ、そうですよね』
 やはり恐怖は隠せない。敵が何処から現れるか解らない以上、仕方のないことだ。
「テレポートは経験ねぇーが、ワームホールと同じ感覚じゃねぇーのか。気が付いた時には別の空域にいる感じは。それに俺たち過去に不思議な経験をしているんだよ。暗黒惑星を横切ったと言っちゃ、ちょっと大げさだが、それに近いことをやったことがある」
『ああ、あのボイ星での戦闘ですか、第一回目の。あの時はネルガル正規軍は完敗でしたからね、それもほんの数秒で』と、まるで他人事のように言う。
 話題に入って来たのは第15宇宙艦隊のオペレーターのようだ。
「何でもケリンの旦那に言わせりゃ、波動関数プサイがゼロのところを通れば、粒子にぶつからないそうだ。暗黒惑星は幾つかの粒子の集まりで、その空間だけが膨張しているから大きな惑星のように見えるらしい。実際はほんの数センチにも満たない空間で、そこへ入ると俺たちも粒子ぐらいの大きさになるらしい。そしてその中を潜って出て来たんだよ。無論、敵も俺たちを追っかけて来たんだが、奴らプサイの計算をしなかったから皆、粒子にぶつかって自爆したという有様さ。だからものの数秒でけりがついたそうだ」
 よくよく考えれば数センチの距離だ、どんなにゆっくり航宙したところで数秒とはかからないはずだが、かなり長い時間レスターに案内され航宙していたような気がした。だがあの惑星から出て時計を見れば、ほんの数秒しか進んでいなかった。一時、時計が壊れたと思ったぐらいだ。
『そこへ入るって、お前たちは膨張しなかったのか?』
「するどころか、粒子の大きさになったらしい」
「そんなに小さくなった気、しなかったがな」と言ったのはトリスと共にボイ星での戦場を潜り抜けて来た同胞。
「はっきり言って、俺もわからねぇーよ、レスターにでも訊いてくれ」
 だがその肝心なレスターが、既にこの世にはいない。
「その原理がわかれば俺たちだってテレポートできるんじゃねぇーのか」
「否、意外にイシュタル人は感覚でやっているのではないか。俺たちが脳の原理を知らなくともこんな馬鹿なことを話しているのと同じように」
『なるほどな』
『ところでなんなんです、そのブサイとか言うやつは』
『ブサカワ猫ですか』と、また別の艦のオペレーター。
 どうやらこの通信は全艦に流れているようだ。
『何だ、そのブサカワ猫とは?』
『ブサイけど可愛い猫のことですよ』
「ブサイと猫を切り離せ」
『ラジャー』と通信機の前で敬礼する兵士。
 いつのまにかプサイはブサイになっていた。
『プサイ、ブサイ、ブサイク、ブギョウの五段活用ですか』と、新たなオペレーター。
 何がブ行の五段活用だ。五段活用の意味がわかっていない。だがそんなことどうでもよかった。誰しもが何かしら話しをして気を紛らしたいだけなのだ。
「なっ、なんだ、そりゃ?」
『ブギョウ? お代官様』
『越後屋、お前も悪よのー』
『悪代官め、成敗してくれる』
 解らない話とは、どこかわかる単語を求めた結果、暗黒星雲のように広がって行く。だが結局、その努力もむなしく第14宇宙艦隊の艦橋ではチャンバラが始まってしまった。
「だっ、駄目だ、こりゃ」と、トリスは片手で顔を覆う。
 説明している者がわからないのだから聞いている者がわかるはずがない。
 波動関数プサイで始まった説明は、彼らの持ちうる限りの知識と単語を結集した結果、チャンバラで終了することになった。
『解らないところに、解らない奴が首を突っ込んでくるから、よけいに解らなくなるのだ』などと、文句を言いだすオペレーターまで出る有様。
 ケリンはその会話を聞いて呆れ果てた。
「奴ら、あれでよく宇宙軍に入れたな」
「今のネルガルは人材不足ですから」と幕僚の一人。
「まあ、よいのではありませんか、当たらずも遠からずですよ」とルカののんびりした声。
 一段高い指揮シートに座り寛いでいるルカの姿は、どう見てもこれから死地に向かうという感じではない。それが皆の心の救いになっている。テレポート、その恐怖を一番理解しているのはおそらく殿下だろう。わざとのんきに振る舞っているルカをケリンは見上げた。この方は恐怖をあのボイ星の戦いで捨ててきてしまったのだろうかと。
 ケリンとは引き換えに、
「どこがですか!」とむきになる幕僚。
 ルカはまたまたのんびりと答えた。
「少なくとも敵より先に撃たなければなりませんから。居合い抜きの極意のようなものですよ」
 ケリンはルカの例えに噴き出した。しばし心行くまで笑うと、操作パレルに視線を落とす。ここからが私の仕事だ。私の腕を買ってくださった殿下のために、俺にできることをやるしかない。ケリンの指がパネルの上を優雅に流れる。とにかく、全ての機能を切り離し、このコンピューターには空間の歪みの計算のみをしてもらう。それで演算の速度をあげるしかない。後は奴らの腕に掛けるしかない。頭の回転は遅いが脊髄反射はめっぽう早い奴らの。





 時を同じくして某植民惑星で反乱が起きた。その惑星の名はバイイ、ジェラルドが二十歳の誕生日に父ネルガル皇帝からもらった惑星である。ネルガルの植民惑星としてはかなり善政が敷かれていた。だがやはり支配される側にしてみれば、自分たちの星は自分たちの手で統治する。というのが望みである。少なくともネルガル人が侵攻して来る前、この星にもそれなりの政治体制はあった。それはネルガル人から見れば原始的で貧しかったかもしれないが、仲間同士の絆や心は豊かだった。これと言った高度な機械を持ち合わせていなかった彼らは、何をやるにも村をあげての大騒ぎだった。食料を確保するのも土木工事をするのも個人の家を建てるのも、老若男女を問わず全員でやったものだ。そこに貨幣などない、ただ礼と労いの言葉があるのみ。それが何時しかそれらの言葉は貨幣に取って代わり、貨幣さえ出せば礼を言う必要すらなくなっていった。代わりに出て来るのは苦情。これだけの対価を払ったのに、こんな様にしか出来ないのかと。そしてやる方も、これっぽちの対価ではこれで十分だろうと。
 何かがおかしい、ネルガル人の価値観は。昔のバイイを取り戻せ。それで始まったのがネルガル人の排斥運動だった。まずはネルガル人が開拓した資源産業の国有化。自分たちの星のものは自分たちの手で分配する。第三者が聞けば当然のように聞こえるのだが、既得権益者が黙ってはいなかった。
「クラークス・デルネール伯爵が甘やかすからこの有様だ」
「彼らを我々ネルガル人と同等に扱おうなどと、正気の沙汰ではない」
「下等な生き物に必要なものは、飴と鞭だ」
 衝突は些細な酒場の喧嘩から始まった。ネルガルの政治体制に順応したバイイ人とそうでないバイイ人の間に、生活の格差が出来始めていた。
「ネルガルの犬どもめが」
 その言葉はネットを介して不満分子を掻き立てた。
 治安部隊が動き出す。バイイ民衆に対する催涙ガス、それが実弾に代わるのも時間の問題だった。軍が真っ先に標的にするのは何処の星でも、装備を備えた敵より無防備な民衆に対してである。

 その報がジェラルドの館にもたらされたのは、ルカが出陣してから数日のことであった。
「バイイで民衆の反乱?」
 何かの間違いであってほしいと使者に問い直すクラークス。
「何が、不服なのだ。利益も均等に分けているのに」
「おそらく、ネルガル人が居ることでしょう」と言ったのはキネラオ。
 ジェラルドたちはルカから預かったボイ人たちを、ルカがしていたように身近に置いていた。ネルガルの社会以外のことを聞くのも勉強になった。彼らは彼らなりの社会を作っていたのだ。社会制度は一つではない。どれがよいかと言うと、それはそれを運営する人々の心の在り様のような気がしてきた。自由だの平等だのと叫ぶのはそれが虐げられるから、だがそれすら感じないほど心豊かに暮らせるなら、それはそれでよいような気がする。少なくともボイ人たちはネルガル人に出会うまで、自由や平等という言葉を知らなかったのではないか。その言葉を意識しないほど彼らは自由で平等だったのだ。
「ネルガル人が居ること自体が悪ですか」
 キネラオの代わりにサミランが頷く。
「クラークスさんのことですから、本当に彼らを平等に扱っておられるのでしょうが、やはり自分の星は自分たちの手で統治したいのです。それがどんなに酷い統治でも」
「そういうものなのでしょうか」とシモン。
 平和に暮らせれば誰が統治してもと思うシモンだが。
「支配されたことのないネルガル人には解らない感情です」
「サミラン」と弟の言葉を制するキネラオ。
「いいのです、サミランさんの言われるとおりでしょう」
「弟は少し言葉に棘が」と言いながらも、
「おそらくここであなたが手を引けば、バイイは荒れるでしょう。もう、元のバイイ星のようには戻れません。ボイ星が良い例です。どんなに昔がよくとも一度新しい思考が入りそれに順応した者が現れれば、その者たちが昔には戻りたがりませんから」
 ジェラルドは角砂糖を積み上げながらボイ人たちの話を黙って聞いていた。
「とにかく、軍が出動する前にどうにか手を打たなければなりません」
 バイイの領事館からネルガルに正規軍の要請があったら戦争になってしまう。
「どうするつもりだ」とカロル。
 ジェラルドの居るところ必ずカロルありと言いたいところだが、実際カロルは姉シモンを守っているようだ。
「私が行って、直接彼らと話し合いましょう」
「それは、危険です」と言ったのは使者。
「既にネルガル人は引き揚げ始めています」
 戦争に備えて退避しょうと言うところだ。
「今のキネラオさんやサミランさんの話を聞いた以上は、他の者ではうまく交渉できないでしょう。彼らが自分たちの星を返して欲しいと願っていることを念頭に入れて、交渉しなければ」
「返すおつもりなのですか」と使者。
「いえ、それはこちらが願っても今のネルガルの体制では無理でしょう」
 クラークス自身は、バイイ星をバイイの人々に返してもよいと言うようなことを言った。
 ルカ王子がネルガルの皇帝になるようなことがあれば話は別だろうが、否、その前にネルガル帝国がこのまま存続できるか、疑問になりつつある。何時までも沈まない太陽はない。
「とにかくこれ以上、暴動が広がらないうちに」
「お前が行くなら、俺が護衛に」とカロル。
 だがクラークスは大きく首を横に振ると、
「護衛は別の方に頼みます。あなたにはジェラルド様を守っていただかねばなりません。私が留守の間」
 はっ? とカロル。
「こいつを、おいて行くのか」
「当然です。あのような危険な場所に、ジェラルド様をご一緒するわけにはまいりません」
「だけどよ、あの星はそもそもこいつのものだろー」と、カロルはジェラルドを親指で指し示しながら言う。
「こいつが責任を取るのが」
「ですから私が代わりに行くのです。私が留守の間、ジェラルド様をよろしくお願いいたします」
 そう頭を下げられてもカロルは困った。
「おめぇーが居なくちゃ、着替えから飯まで、どうするんだよ」
「大抵のことは、急かさなければご自身でできます。あなたはジェラルド様の身辺の警護を、今まで以上に厳重にしてくだされば」
「カロル、日常のことでしたら私がお支えいたします」
「奥方様、よろしくお願いいたします」
「こちらのことは心配なさらずに、どうかバイイの方々のことを。戦争にでもなったらそれこそ何十万人と言う不幸な方々を作ってしまうことになりますもの」
 そしてクラークスはネルガル星を後にした。ジェラルドのことをシモンとカロルに託して。





 ルモニエ星系にさしかかったルカの率いる艦隊。
 星系とは名ばかりでここには星らしき星はない。ルカはここを決戦上に選んだ。ここなら誰にも迷惑をかけることがないから。後はオネスもそう考えてくれることを望むだけ。これが貿易船の航路にでもなっているような空域や商業惑星の近辺の空域では、民間の旅客船や貿易船を巻き込み、多大な犠牲を出すことになってしまう。
「オネスが殿下ほど理性的なら、逆恨みもしなかったでしょうに」と言うのは主任オペレーター。
「それはどうでしょう、私でも最愛の人を殺されれば正気ではいられませんから。オネスが私のことを殺したい気持ちもわからなくはありません」
「殿下、これから戦う相手に、そのような同情しないでくださいよ、戦いづらくなる」
「そうですね」と、ルカは苦笑する。
「オネスに理性が残っていることを祈りましょう」
「しかし、今回もまた随分と酷い艦隊をあてがわれたものだ」と、スクリーンに映る味方の艦影を眺めながら一人の幕僚がもらす。
 彼はこの戦いに宮内部からの監視役として派遣されて来たのである。上流貴族であることをやたらと鼻にかける。食事も平民と一緒に食べるのは嫌だと言って自室へ運ばせている有様。ルカですら身の回りの世話をする者はケイト一人なのに、十人もの従者を従え、おまけに女まで。これでは戦争に出陣したのか物見遊山に来たのかわからない。宮内部のお偉方にどうそそのかされたのか知らないが、この戦いの悲惨さを知らずに乗艦しているようだ。きっと王子の旗艦なら安全だとでも言われて来たのだろう。
「ブンゼン閣下、もう彼らは以前のような屑ではありません。それどころか今やルカ殿下の両翼です」
 これ以上仲間の悪口は聞くに堪えないと言う感じに、ボイ星の時からルカの元に仕えていた幕僚の一人が言う。
 平民のくせにと、ブンゼンがその幕僚を睨み付けたその時である。
「エネルギー反応キャッチ。後方、第10宇宙艦隊の近辺です。どうやら砲撃が始まった様子です」
 突然のことだった。
「レーダーに反応はなかったのか」
「はい、艦長。レーダーがキャッチした時には既に砲撃が」
「宣戦布告も何もなかったではないか」とブンゼン。
「相手は宇宙海賊だ。海賊が襲撃するのにいちいち断るか、この馬鹿」
 どさくさに紛れて誰かが罵倒する。
 ブンゼンの怒りの声も掻き消されるほどに臨戦態勢の警報が鳴りだす。艦内に緊張が走る。
「敵の位置は」と艦長が訊いている間にも、何もない空域にいきなり敵艦隊が出現した。
「これが、テレポートか」
 レーダーで捉えることは出来ない。レーダーが捉えた頃には砲撃が始まっている。だがルカとケリンが練り上げた戦術は、今のところ功を奏していた。一つの部隊はやられても他の二つの部隊でその敵を殲滅させる。だがこれでは犠牲が多すぎる。敵が出現する位置さえ突き止められれば。
「ケリン、どうにかならないのか」と誰が叫ぶ。
 確率で求めるしかない。次に奴らが現れる確率は、ケリンは必至でコンピューターのパネルを叩く。
 出た。と思いケリンが方程式の解を報告した時には、既に間に合わない。いきなり実体化した敵の艦隊は、実体化すると同時に発砲し始めた。エネルギーの束。何万もの世帯が数十年間も平穏に暮らせるだけのエネルギーが、たかだか一隻の艦船を破壊するために使われ、そして空しく虚構に消えて行く。本来なら光子を反射する塵一つないこの宇宙空間では、当然エネルギー砲の軌跡を目視することなど出来ないはずなのに、敵味方の艦船が破裂し飛び散ったその破片が空気中の塵の役目をし、エネルギー砲の軌跡をはっきりと浮き上がらせている。艦船が破裂すれば破裂するほど、エネルギー砲の威力は軌跡の輝きとしてはっきり目に見えるようになる。その輝きは死の極限の美を表しているかのようだ。
 トヨタマの艦橋、大型スクリーンの中に現れては消える巨大な光の渦、まるで夏の世を彩る大輪の花、花火のようだ。誰もがその美しさに一瞬、今の現実を逃避して見入る。
 美しい。これが味方の艦でなければ。否、味方の艦であっても。






 ここはシャーの幽霊船。何もない空間は囁く。
 数では圧倒的にルカの方が多い。だがその思念は余裕をもって笑う。
(これで勝ったつもりかエルシア。これからが本番だ)


 オネスは三次元チェス盤の前に座り、じっと空間を睨み付けた。本来一つのテーブルと一対の椅子しかない部屋、壁も床も天井もダークグレーで統一されている。その壁や床や天井全てが今はこの空域を映し出している。まるでこの宇宙に自分一人がぽつんと居るかのように。これも目の前の悪魔のなせる業。その空間にあと一人、青い髪の少年が佇んでいる。そして空間は今の戦況をも映し出していた。右斜め上奥の方で数条の光、かと思えば左下方の方で幾つもの炸裂光、かと思えば真っ上で、後方で、オネスが動かした駒が表す位置と同じ空域で光が乱舞する。敵味方の炸裂する艦影。
「消耗戦か、これでは駄目だ。こちらの方が数が少ないのだからな、そのうち全滅してしまう」
「こんなまどろっこしいことをしていないで、直接彼を狙ったらどうだ」と少年。
 オスネはむっとした視線を少年に叩き付けた。
「直ぐに殺してなるものか。仲間が死ぬ様子をじっくり見せつけてからだ」
「お前は、そうされた訳ではなかろう」
 またまた助かったから仲間の死を知ったまでのことで、本来悪魔が手をかさなければ生きてはいなかった。ある意味オネスに苦しみを与えたのはルカではなく目の前にいる悪魔。
「うるさい。お前には解るまい、全てを失った俺の苦しみを。奴にも同じ苦しみを与えてやる」
 少年は黙ってオネスを見ていた。否、オネスを見ているのは少年の目を借りた悪魔。
 オネスは駒を床に投げつけると、
「お前の力も所詮、こんなもか。大きな口を利くわりには」
 いよいよオネスがルカの旗艦の前に味方の艦をテレポートさせようと駒を動かそうとした時、
「私の力を見くびらないでほしいな。では、こうしたらどうだ」と、少年は先程オネスがテレポートさせるように指示した数隻の艦船をそれらの艦船がテレポートして発砲すると同時にまたテレポートとさせた。そして発砲するとまた。ルカの艦隊が気づいて発砲する前にその艦船は幾つもの場所を駆け巡る。テレポートに次ぐテレポート。
「どうです」
 オネスは驚いたように少年を見る。
 今やオネスの艦隊全てがそのような動きに変わった。既にオネスの指示ではない、目の前の少年の意のままに動いている。
「こんなことができたのか。どうして今まで黙っていた」
 今まではテレポートすればその場で発砲し続けていた。テレポートは一回しかできないものかとオネスは思っていた。
「お前が訊かなかったからさ」
 オネスは少年を睨み付けた。そのようなことが出来るのなら最初から言えとばかりに。今までの犠牲は何だったのだ。
 少年は涼しい顔をして、
「どうだ、この方法ならお前の艦隊が打たれることはない。彼らがお前の艦隊の出現する位置を掴まない限り」
 戦闘はオネスに優位に運び始めた。だがこの段階でオネスの艦隊の指揮は少年に移った。腕は二つ、いちいち駒を動かしていたのでは全ての艦船を動かせない。





 ルカとケリンの編み出した戦術はそう長くは持たなかった。海賊たちは戦術を変えて来たのである。
 エネルギーに撃ち抜かれる味方の艦。その破壊のエネルギーに気づき、味方の艦が援護射撃をするころには、敵の艦隊は消えていた。
「なっ、なに」
「奴ら、発砲すると同時にテレポートできるのか」
「そんなに簡単にワームホールが出来るのか?」
 先ほどまではテレポートしてきた位置で発砲し続けていたから3対1でこっちが有利だったが、発砲すると同時に異次元に逃げられてしまっては。本来敵が居るべき空域を通過したエネルギーは、敵に接近し過ぎていた味方の艦を射抜くことになってしまった。
「まずい、距離をとれ」
「これからはあまり敵に接近できませんね」
 そんなことを言っている間に、またテレポートして来た敵艦隊に、今度は自分たちがやられてしまった。
「まっ、まずい、これでは」
 ケリンのはじき出す位置が時折間に合うこともあるが。
 戦闘は次第にオネスの方が有利になって来た。
 ルカの艦隊は応戦どころか撃たれる一方になって来た。
「司令、このままでは殲滅です!」
 誰かが叫んだ。
「何故、私の艦の前に現れない。私さえ殺せば恨みは晴れるだろうに」
「じっくりいたぶるのが奴の趣味なのだろう」と、ロン。
 次から次へと美しい花を咲かせて消えて行く味方の艦影。ルカは苛立ちを隠せなくなっていた。爪を噛む。
 どうしたらいい、どうしたら。このままでは殲滅だ。
 ルカは指揮シートから立ち上がる。
「おのおの戦線を離脱しろ、彼の狙いは私だ。私から離れろ」
「ばっ、馬鹿な。そんなことを命令する指揮官がどこに」とブンゼン。
 ルカに攻めより先程の命令を撤回させようとするブンゼンをロンが押さえる。
「黙って自分のシートに座っていろ。撃たれれば痛みも感じないうちにあの世へ行けるから、心配するな」





 ディーゼは寝室の窓から夜空を眺めていた。きらきらと輝く星。あれから何日経ったのだろう、眠れない日が続く。行ってしまった。もしかするとあの食事会がルカお兄様と過ごせた最後の時間だったのかもしれない。そんな気がしてならないディーゼだった。ルカお兄様は、お土産は何がいいと尋ねられたが、出陣前の食事会の様子からディーゼは不安を抱き始めた。シナカお姉様にはこの心の動揺、内緒にしているのが、不安で不安でどうにもならない。それでなくとも今回の相手は、青い髪の悪魔と契約しているという噂だ。子供の頃よく読んだあの物語に出て来る。現実にそんな悪魔がいるとは思えないが。
 恒例となっている月に一度の皇帝(父)との食事会。兄弟姉妹が全員出席することになっている、特別病気でもない限り。席は母親の門地によって決まる。平民の母を持つルカは何時も末席だった。廊下を歩く時も、格上の兄弟姉妹が前から来れば通路を譲り、私と並んで歩く時ですら年下の私にまで気を遣い半歩下がって歩いていた。私はそんなこと気にしないと言っても、他の兄弟からあなたが嫌がらせを受けることになると言って。ルカの母ナオミ夫人がシャレディンガー家の養女になってからは、母親の格は同じになったのですからと言っても、やはり私より半歩下がって歩き、食事の席は末席だった。まるでそこがルカお兄様の定位置であるかのように。他の席は兄弟姉妹が生まれるたびに位置が時々違ってくることもある。
 今回も、父を囲み上座に座っている兄弟姉妹は、宮中での行事の事やファッションや芸術、芸能、宇宙旅行のことなどで話が盛り上がっているのに対し、地上にあまり足を着けていないルカにとっては、知ることもない事ばかりのようである。相変わらず独り黙々と箸だけをすすめていた。
「戦争しか、興味がありませんの?」
 そんな声が上座から聞こえて来て、ルカは慌てて皿から視線をあげた。誰が言ったのかはわからない。格上の兄弟姉妹から蔑視されているルカは、口もろくに利いてもらったことがない。ルカがきちんと挨拶したところでかえって来たためしがない。
「先程から、声をかけているのですが」
 話しかけて来たのは最上位、ジェラルドの妹のフェリシアだった。今日はその隣に、いつも体調の不調を訴え休みがちなジェラルドも居る。クラークスに介添えされて。
「すみません、気づきませんで」
「何か、考え事でも?」
「いえ、料理があまりにもおいしいもので、つい夢中になってしまいまして」
 そう言うわりには皿の上のものは減ってはいない。
「どうなのだ、今度の相手は」と、話しかけて来たのはピクロス。
 巷でのオネスの噂を聞いてのことだ。内心ルカの困る顔を見たさに声をかけて来た。
「相手の戦術が全然わからないそうではないか」と、別の王子が話しに加わる。
「常勝将軍としては、どうやって勝つつもりだ」と、冷淡な笑みを浮かべながら問うピクロス。
 ルカは少し顔を歪めた。
 フェルシアは困った顔をした。そのようなつもりで声をかけたのではないのに、話題はルカへの中傷に変わりつつあった。
 人前であまり戦争の話しはしたくないルカ。戦いは交渉の最低手段だと思っているルカは、勝利したところでそれを自慢する気にはなれない。それよりも戦わずに相手と交渉できないかと、いつも考える方である。特に今回は、もしこの戦いを機にイシュタル人が攻勢に入ったら、私は取り返しのつかないことをしてしまったことになる。
「この話はやめましょう、お姉様方もおられることですし」
「あら、私も知りたいわ」と言ったのはどの王女だろう。
 ルカは視線をテーブルの上に落とすと、
「今までもそうですが、別に戦術などはありません。勝利は時の運ですから、ただ生きるために努力するだけです。その努力を勝利の女神が認めてくだされば、勝てるだけです」
 これはルカの本音だった。どんなに戦術を立てても、これで完璧だとは思ったことはない。ただ他の方法より少しましか。と思うだけである。
「ただ、私は死の女神からは嫌われているようで、今回も戻って来られると思います」
 ここで下手なことを言い、それがシナカの耳にでも入ってあらぬ心配をさせるようなことになってはと思ったルカは、心にもないことを付け足した。
 ジェラルドとクラークスはルカを見る。
 先日、ふらりとやって来てルカが言っていた言葉。
 もし私が戻って来なかったらシナカとボイ星を頼む。そして必ず敵のデーターを幾つもの装置で記録しておくから、残骸の中からその記録装置を見つけ出し分析してほしいと。カロルさんに頼めば必ず記録装置は見つけてくれるでしょう。私の声が入っているとでも言えば。きっとカロルなら。我を忘れて探し回るカロルの姿が目に浮かぶようだ。
 これは二人だけに託されたものである、見つけ方まで伝授して。

 ディーゼは頭を大きく振った。いけないわ、不吉なことを想像しては。本当にそうなってしまう。ルカお兄様は死神から嫌われているのですもの。そうよね、あの性格では嫌われて当然。時折ルカが言う、「女の子なのですからもう少しお淑やかに」と言う言葉が、ディーゼには腹正しかった。気性が気性なだけに筋の通らないことは大っ嫌いなディーゼである。ついつい喧嘩になることもしばしば。
「では、何ですか。女の子ならやられてもやり返すなとでも言うのですか」
 先日のことだった。年上の某王子と取っ組み合いの喧嘩のあげく、その王子の顔をひっかいて泣かせてしまった。後日、その王子の館から使者が来てさんざん母は謝っていた。それを遠目で見ていたルカお兄様は呆れた顔をしながら何時ものように、女の子なのですから。と言い出す。でもそもそもの原因は彼がルカお兄様の悪口を言ったのが元。
 その時のことを思い出したらディーゼは無性に腹が立ってきた。
 そうよ、ルカお兄様なんて死神に嫌われて当然、絶対好かれるはずないわ。あの世には性格が美しくなければ行けないのよ、いくら容姿が美しくっても。ルカの容姿の美しさは少女であるディーゼも認めざるを得ない。
 やっと納得して眠りに付こうとしたその時だった。館が急に賑やかになった。
 叫び合う、声、声、声。
「使用人を非難させろ!」
「家具を運び出せ!」
「火を消せ!」
「消火栓は?」
「奥方様は何処だ、ディーゼ王女は?」
「王女様!」 叫ぶ声。
 声がしだいに近づいて来た。
 思いっきり開けられるドア。
 侍女が飛び込んで来た。
「王女様、ディーゼ王女様、火事です」
 見れば窓ガラスに朱い影。
 それからは何が何だかわからなかった。逃げながら、燃え盛る炎を見てルカの館からも守衛や下僕たちが消火に来てくれたとのことを聞く。気づけば宮内部で用意してくれた王宮の一室に、私と母、それに数人の侍女が居るだけだった。
「館は、どうなったのでしょう」
 さぁ。と首を傾げる侍女たち。誰もその後の館の様子を知る者はいなかった。
「それより、お着替えを」
 埃だらけの服。見れば新しい服がクローゼットの中には既に用意されている。全ては宮内部の方で用意してくれたようだ。
「まずはシャワーでも浴びて落ち着かれては、その内情報も」
「そっ、そうね。皆、無事だったかしら」
 何よりも使用人たちを心配してくださるディーゼの気持ちが、侍女たちは嬉しかった。
「私が、皆さんの安否を確認にしてきます」と、一番若い侍女が名乗りをあげる。
 そこへクリンベルク家、カロルの部下がやって来た。
「ニックさん」
 ディーゼは見知った顔に出会いほっとする。
「覚えていてくださったのですか」
「それはもう、カロルさんのお目付け役さんでしょ」
 ニックは苦笑する。
「それ、隊長には内緒ですよ」
 ディーゼはわかったとばかりに頷く。
「館の人たちは全員無事ですよ。何人か火傷を負ったものもおりますが命に別状はありません」
「そっ、そうですか」とディーゼはほっとする。
「今、男手で消火にあたっております。ルカ王子の館からも数人手伝いが来てくれましたから、火が消えるのも時間の問題でしょう。消えたらまた、ご報告にあがりますので、それまでここでお待ちください」
 やっとなんぼかの情報がわかって安心するディーゼ。去ろうとするニックに、気を付けてください。とだけ声をかけた。
 皆が無事だとわかると今度気になるのは出火元。
「どこから火が出たのでしょうね」と言う侍女。
「私が気が付いた時には既に館中が火の海で、とにかく奥方様と王女様をと思いまして」
 この侍女に手を引かれ、ディーゼはここまで逃げて来たのである。





 トリスは砲撃制御室にいた。
 何言ってんだ、あの馬鹿は。この期に及んで。
 トリスは通信機に向かって怒鳴る。
「誰が、おめぇーをおいて逃げ出すか!」
 その通信は全艦に響き渡った。
『そうだ。離脱しろって、殿下を置いて逃げられるか』
『駄目だ、このままではやられる』
 通信が錯綜する。
『いいしゃねぇーか、あの世で会おう』
『殿下、あの世までお供しますぜ』
『そうだ。ルカ王子万歳』
 それらの通信を聞いて、正気の沙汰ではないとブンゼンが悲鳴をあげる。
「正気で人が殺せるか、このアホ」
 ブンゼンは誰が言ったのかと艦橋を一望するがわからない。
 ケリンは通信どころではなかった。必死で計算をしていたがついに諦め、全てを投げ出すかのようにパネルに突っ伏した。その刹那、
(聞こえるか?)と女の声。否、思念。
 ケリンは疲れ切った頭をもたげ辺りを見回す。
(わらわじゃ)
 目の前の制御装置の前に現れたのは妖艶な女。そんな所に人が立てるスペースはないはずなのだが。
(さっきっから呼んじょるのに、聞こえなんだか?)
「何者だ?」
(ヨウカじゃ。リンネルから聞いておらんか?)
 はっ、とケリンは思い体を起こす。
「私に、何の用だ?」
(随分と困ちょるきに、手を貸してやろーかと思うてのー。否、目かのー)
「目?」
(オネスの艦隊の位置が知りたいのじゃろー)
「お前、見えるのか?」
(わらわには三次元は見えぬのじゃが、四次元はよー見えるのじゃ。今からわらわが見ているものをお前の頭の中に流し込んでやるきに、よく判断して反撃しろ)
「何故、私に」
(決まちょるだろー、あやつを助けるためじゃ)
 そう言うヨウカの視線は、ルカの方を向いていた。
 殿下の守り神。とケリンが心に思った時、それをヨウカは読み取ったとみえ、
(わらわは神ではない。寄生虫じゃ。あやつに死なれるとわらわは食に不自由するからのー)
 ケリンは苦笑した。そう言えばそんなこともリンネル大佐から聞いていた。
 ヨウカと言う女が消えると同時に、ケリンの目には不思議な光景が映り始めた。
 オネスの艦隊の移動。あのまま前進すれば味方の艦隊と衝突してしまうと思いきや、そのまま味方の艦隊を通過してしまう。まるでと透明人間のように。そして味方の艦隊は目の前のスクリーンに映っているのに対し、オネスの艦隊は映らない。だがオネスの艦隊がスクリーンに映った時は、
「あっ」とケリン。
 発砲が始まり味方の艦が炸裂した。するとオネスの艦隊はスクリーンから消えた。だがその動きはケリンにははっきりと見える。
(何をしちょるのじゃ、せっかく教えてやったのに)
 ケリンにはオネスの艦隊が見えるようになったが、何処を移動しているのかその位置が掴めない。四次元と三次元を繋ぐ感覚、目の見えなかった人が初めて目が見えるようになった時、見えていてもその形がわからないと聞いたことがあるが、今ケリンが感じているのもそれと同じ。現れる方向はわかるのだが、その遠近感が。
 どう調整すればいい。
 その時だった、ルカからの指示が飛ぶ。否、これは思念だ。
(砲撃用意、2時の方向、発射角度30度、発射)
 ある小さなまとまりが、一斉にルカの指示の方角に斉射した。
 スクリーンで見る限り何もない空域と思ったが、ケリンの目にはその方向にオネスの艦隊が移動しているのが見えた。そしてスクリーンにその姿を現した刹那、ルカの指示によって放たれたエネルギーがオネスの艦隊を襲った。
「やっ、やったー」
 艦橋に歓声があがる。
「どっ、どういうことだ」とケリンは首を傾げた。
(エルシアじゃ)
「エルシア?」
 ルカのもう一人の人格。


 ルカは指揮シートに深く座り考え込んでいた。
 誰も離脱しようとはしない。このままでは全滅だ。どうしたらよい。オネス艦隊の出現位置さえわかれば。ルカは第10、14宇宙艦隊の艦隊運動と砲撃力には自信を持っていた。敵が堂々と向かってくるのであれば負ける気がしない。だがこれでは、その威力も発揮できないままやられてしまう。どうしたらよい。ルカは自分の背後に静かに控えているホルヘを見た、あなただけは死なない。どんなことがあっても。それを私は見たいと言った。自分の命と引き換えに。このまま皆を死なせるわけにはいかない。この時ルカは初めてエルシアに助けを求めた。お前なら彼らの位置がわかるはずだ。お前はテレポートができるようだからな。
 その時だった、ルカの目の前が一気に開けたのは、三次元と四次元が重なって見える。初めてエルシアとルカの意識が繋がった。
(砲撃用意、2時の方向、発射角度30度、発射)
 既に通信では間に合わないと悟ったルカは、砲撃主に思念で送った。これもエルシアの指示。否、自分で思いついたようにも思えるが、よくよく考えれば私にはテレパシーは使えない。
 それからは次々と指示をしていく。全ては思念、オネスとの戦い、もう通信機を操作していては間に合わない。今やルカには敵味方の全ての艦の動きが、スクリーンを通さずにも見えていた。

 ケリンにはヨウカのおかげでルカの思念が全て受け取れた。三次元と四次元の感覚の差も掴みつつある。エルシアがカバーしきれなかった部分をケリンが補い始めた。二人の指示のおかげでルカの艦隊はどうにか持ち直してきた。
 その時だった、ケリンの脳裏にルカとは別な一つの思念が飛び込む。おそらくこの思念はルカも受け取っているはずだ。
(エルシア、健在のようだな)
 どうやらルカに話しかけているようだ。
(お前ごときの力で、ネルガルが守れると思うたか。自惚れるのもいい加減にしろ)
 相手は怒っているようだ。
(私のような者が、あなたに勝てるはずがない)
 エルシアはこの思念の相手を知っているのか。
(わかっておるのなら、さっさとあの馬鹿の元に帰るがよい)
 馬鹿とは誰だ? ケリンには会話の意味がわからない。
(戻れない) 悲壮な思念。
(きっ、貴様!) 怒りの思念。
 ケリンはこの会話にどう対処してよいものか困った。だがその刹那、何かが接近して来るのをケリンは、今までに経験したことのないほどの恐怖と共に感じた。なんなんのこの空間の歪みは、地鳴りとでも言うのか、だがここは宇宙、惑星はおろか地面などない。
 ルカの叫び、否、エルシアのなのだろうか。絶望がこもった壮絶な思念。
(やめろー!)
 ルカ(エルシア)は笛を握りしめた。だが既に遅い。
 何もない空域に突然現れた巨大な光の束は、この空域にあるありとあらゆるものを飲み込んだ。周りが眩いばかりに輝き何も見えない。ケリンが意識を取り戻した時には光は去り、目の前のスクリーンは艦船の残骸を映し出していた。時間はと思い時計を見るが、まるで時計は壊れてでもいるかのようにほとんど先程と変わらない時刻を示している。
 どっ、どういうことなのだ、一秒ほどの出来事だったのか? もっとも相手は光、光速で移動しているとなれば、この空域を通り過ぎるのに一秒とかかるまい。
 残ったのは、この艦だけなのか?
 その時だった、ルカからの指示。
「ケリン、被害状況を調べてください」
 全滅か。と言う呟きが聞こえた。スクリーンの映像を見て、やはり誰もが自分の乗艦しているこの艦しか残っていないと思っているようだ。
 だが通信網が正常化すると、パニックのように通信が錯綜した。やはり誰もが自分の艦しか残っていないのではないかと思い、必死で呼びかけている。
「落ち着け、落ち着くんだ」
 ケリンは必死で鎮静にあたった。
 オペレーターたちが自分以外の艦の存在を知り落ち着き始めると、やっと通信が正常になり全艦無事がわかった。味方の艦船であのエネルギーでやられた艦船はない。だがオネスの艦隊は全滅だった。跡形もないほど粉々に砕けている。このスクリーンが映し出している艦の残骸は全てオネスたちのもの。味方は脱出ようのポットで宙を彷徨っていた者まで無事である。
「敵は、壊滅です」
「味方は?」とルカ。
 ルカは敵の被害状況より味方の被害状況の方が知りたかったようだ。
「あの光でやられた味方の艦隊はありません」
「そうか」
 ルカはほっと胸を撫で下ろすかのように指揮シートにもたれかかった。
 今の指示、ルカが出したのか、それともエルシアが出したのか。エルシアはおそらくあの光のことを知っている。あの光が敵も味方もなく無差別に破壊することを。しかしどうやってあの光は、敵と味方の艦を識別したのだろう。それは識別信号があるとはいえ、脱出用のポットまで。それに一体どこから来たのだ。
 ホルヘはじっとスクリーンを見ていた。これこそが白竜様の力ではないかと。一瞬の白、その中で竜が舞っていたように見えた。お父様、お母様、あなた方の選択は間違っておりません。このお方でしたら必ずボイ星を我々の手に返してくださる。白竜様は必ず助けると、約束してくださったのだから。





 オネスは巨大なエネルギーが押し寄せて来るのを見た。そして空間に件の手。だが今回その手が助けたのはオネスではなかった。手は青い髪の少年を掴むとそのまま異空間へと消えて行く。
 吹き荒れる光の嵐。





 植民惑星バイイの発起、ディーゼ王女の館の火災と一度にいろいろなことが起き、すっかり疲れ切ったカロルは池をぼんやりと眺めていた。
「どうしたんだ、隊長」とエドリス。
 ルカ救出の時に同艦していたエドリスはカロルの下僕から格をあげ、すっかり部下になっていた。
「いや、なに、なんか池がな」
 別にどこがとうという訳ではないのだが、何となくいつもと違うような。そう言えばここ数日、奴の顔を見ない。俺がここ数日、忙しくって奴の相手をしてやらなかったせいだろうか。池の底ですねてでもいるのか。
「生気がないような気がするんだが」
「生気がないって、池がか?」
 もともと池は生物ではないのだから生気があるはずがないと思っているエドリスは、
「俺には何時もと同じように見えるが」
「そっ、そうか。でもよ、いくら呼んでも、あいつ、出て来ないんだよ」
「あいつって、あの幽霊のことだよな」
 エドリスは少しぞっとしたような顔をする。隊長の持っている剣といい、この人の周りでは変なことしか起きない。剣に至っては、持ち主の意思にかかわらず相手を殺すところを見ている。他の者たちはあの剣は危険がないと思っているようだが、あれを見てしまったエドリスはあの剣にだけは逆らうまいと心に決めていた。
「幽霊だからな、出て来ないのならその方がいいんじゃねーのか」

 そしてその晩、見張りの交代で仮眠を取ろうとカロルは自室に戻り、疲れきった重い体を引きずるようにしてベッドに横たわった。どのぐらいうとうとしたのだろうか、突然の圧迫感に目を覚ました。体に砲管でものせられたような、そしてカロルは目にしてしまった。
「でっ、でたー!」
 カロルは布団を蹴飛ばし、後ろに飛び退いたのがいけなかった、そのままベッドから転げ落ちしたたかに腰を打つ。その腰をさすりながら立ち上がると、布団の上に池から這い出してでも来たのか、ずぶ濡れで血だらけの子供が助けを求めるかのようにこちらへ手を伸ばして来た。その手が触れるか触れないかの瞬間、脈は上がり心臓は高鳴り頭に血がのぼり、カロルは一気に目が覚めた。
「だっ、誰だ!」
(かっ、カロルー。うらめしやー)
「くっ、来るな!」
 カロルはとっさに後ろに飛び退き、またもやしたたかに背中を調度品にぶつけた。
「いっ、痛てぇー」
 だが背後を確認している余裕はない。うずくまる余裕すらない。
 近づいて来ようとする少年。
 カロルが柄に手をやった時、
(受け身が下手だな、教えたはずなのに)
 濡れた黒髪が顔までかかり、その子供の顔はよく見えないが、その声には聞き覚えがあった。
 血だらけのその子供は布団の上で胡坐をかくと笑い出した。
(本当にお前って、期待を裏切らない奴だ)
 何時もの悪戯好きな少年の声。
「おっ、お前」
 相手が何者かわかった途端、カロルは脇の下からどっと汗が流れたのを感じた。そして、無性に頭にきた。
「てっ、てめぇー、何なんだよ、その恰好は」と怒鳴る。
 少年は楽しそうに笑うと、
(お前の期待に応えてやっただけだよ。本当は、こういう格好で出てきてもらいたかったんだろー、幽霊は幽霊らしく。だが俺、これでも生きているんだけどな)
 カロルはどっと疲れを感じた。出て来なければ出て来ないで気になる奴だが、出て来られれば出て来たでむかつく野郎だ。
「どけ、俺は休憩中なんだ」
 少年を追い飛ばすが、いざ少年がどいたところは、
「どうしてくれるんだよ、この布団。びゃびゃじゃねぇーか」
 カロルは濡れた布団をまるめてベッドの下へ落とすと、替わりに毛布を引っ張り出し、それに包まって残りわずかな休憩の時間で仮眠を取ろうとした。だが少年は立ち去る気配がない。
「どうしたんだ、何か俺に用か。その前に、その恰好どうにかしろ」
 血生臭い幽霊の恰好では話しもしにくい。第一視線の置き場が。
(この格好、気に入らないか)
「当然だろう」
(まったく、いろいろと注文の多い奴だ)
「俺は、そんな恰好で出て来いなどと、一度も注文したことはない」
(そう、怒るな)と言うと、少年は何時もの姿に戻った。
 だがそれはそれでその姿は薄気味悪いほど美しい。あんな血生臭い姿を見せつけられた後だから、よけいにそう感じるのだろうか。しかしルカにしろこいつにしろ、なんなのだこの美しさは、まるで化け物だ。まあ、こいつは正真正銘の化け物だが。
(何か、言ったか?)
 また俺の心の声が聞こえたのか。とカロルは思ったものの、
「それで、何の用だ?」と、早く休みたいが故にさっさと要件だけを聞いて済ませようとした。
(なっ、カロル、聞いてくれよ)と、少年はカロルにすがりつくような視線を送って話し出す。そういう視線をされてはカロルも仕方なしに起きだし、ベッドの上でクッションに寄り掛かりながら少年の話しを聞いてやることにした。
「うんじゃ、何かい。おめぇーは、おめぇーを助けて、おめぇーに怒られたと言うのか」
(そうだ!)と、少年はきっぱりはっきり断定した。
 そう強く、そうだ。ときっぱりはっきり言われれば、そうかと思わざるを得ないような気がするが、否、ちょっと待て、何かおかしい。
 カロルが心の中でそう思ったのが少年に伝わったのか、
(やっぱりお前もおかしいと思うよな、普通助けてもらえば礼を言うのが道理だろう。それを怒るとは実におかしい)
 そっ、そこかよ。違うだろー。と言いたいところだが。
(常識のないお前だって、助けてやれば礼の一つぐらい言うのにな)
「悪かったな、常識が無くて。だが違うのはそこじゃないだろー」
(そこじゃないって、じゃ、お前はどこがおかしいと言うのだ)
「おめぇーがおめぇーを助けるところだ」
(お前は、自分で自分を助けたことはないのか)
 そりゃ、あるが。何かこの少年の言うのとはニュアンスが微妙に違うような気がする。
(しかし、お前はいい奴だな。お前に愚痴ったらすっきりした。それにあの反応はよかった。本当にお前は期待を裏切らない)
 そう言うとまた少年は笑いだす。先程の俺の無様な恰好を思い出したのか、さんざん笑ったあげく、大きな伸びをする。
(あー、すっきりした。疲れた)
「疲れるほど、笑うな。まったく頭に来る奴だ」
(すっきりしたら急に眠くなったから、俺、寝るわ)と、大きな欠伸をする。
「寝るって、何処で?」
(何処でって、決まってんだろー、池の底に)
 普通、池の底で寝る奴がいるか。と突っ込みを入れたいところだが、帰ろうとしている少年をわざわざ引き留めることもない。ここはさっさと池の底だろうと宇宙の果てだろうと帰っていただくのに限る。こちらも疲れているのだ。だが、ふと気になることがあった。
「おめぇー、今まで何処にいたのだ? それに疲れたって幽霊でも仕事があるのか」
 だが少年は、カロルが問うより早く消えてしまった。
 まあ、いいか。俺も休もう、もう休憩時間はさほどないはずだ。と思いつつ時計を見ると、あれから時間はほんの数秒しか経っていない。一体なんだったのだ、あの少年との会話は。かなり長いこと話していたような気がするが。首を傾げるカロル。だが今はそんなことで悩んでいる暇はない。とにかく体を休められる時に休ませておかなければ。

 目が覚めてカロルが真っ先にやったことは、
「まず、この濡れた敷布団だが」
 下僕に頼んでもよかったのだが、それでは後々なにかと煩いと思ったカロルは、自分で運びだし手すりに干すことにした。そこへタイミングがよいと言うのか悪いと言うのか、エドリスがカロルを起こしに来たのである。
「たっ、隊長。おねしょですか」
 いきなり言葉が丁寧になっている。
「ばっ、馬鹿野郎。この何処がおねしょに見える」
 そう言われても、布団の真ん中に暗黒星雲が描かれていては、どこをどう見てもおねしょにしか見えない。まさかこれを、花瓶の水をこぼしたと言ったところで、そちらの方が不自然である。
「おねしょでなければ、なんなんだ?」
「あいつが、出たんだよ」
「あいつ?」
「あの幽霊だよ。今度は本当の幽霊の恰好をして、俺がビビるのを見たかったらしくてよ、俺が寝ている所にいきなりずぶ濡れの血だらけで」
 さすがのカロルも寝込みを襲われてはとっさに反応ができなかったが、エドリスに至っては聞いただけで背後に悪寒を感じた。
「やっぱ、あんまりその少年とはかかわらない方がいいんじゃねーのか。地獄とやらに連れて行かれたら、やばいぜ」と、カロルに忠告をする。
 カロルはまじまじと怯えるエドリスを見ると、
「あいつは生きているそうだ、それに俺のビビる姿を見たら喜んで帰って行った」
「生きているって?」
「本人がそう言うのだからそうなのだろう」
 そこへニックが埃だらけの姿で走り込んできた。
「どうした、ディーゼ王女は無事か」
「無事です、奥方様も。今、宮内部が用意した別邸へ従者たちとお移りになりました」
「そうか。火の方は」
「鎮火にはもう暫くかかりそうです」
 そしてニックはカロルの背後にあるものをおもむろに見た。
「おっ、おねしょですか」
「ばっ、馬鹿野郎。どいつもこいつも同じ反応をしやがって、このどこがおねしょにみえるんだ」
「おねしょ、おねしょ。カロルのおねしょ」
 もう一人、ここに厄介な奴が現れ同じ反応をした。だがこちらは心から楽しんでいるようだ。
「ジェラルド、てめぇー、うるさい、黙れ」
 はしゃぎまわるジェラルドをカロルは抑え込んだ。
「カロル、どうしたの、いい歳して」
「あっ、姉貴。だからこれは違うって。なんなんだよ、皆して」
 いつの間にかカロルの布団の前に皆が集まっていた。じとっとした目。
「だから、言ってんだろー、これは、奴がおねしょしたんだ」
 とうとうカロルは幽霊がおねしょをしたことにしてしまった。
「まあ、幽霊のせいにするの、この期に及んで、情けない」とシモン。
「だから、本当に奴が。自分を助けたら自分に怒られたとかなんとか言って、池の中から這い出して来たんだよ」
「どう言う意味、それ?」と、呆れたような顔をして訊くシモン。
「そんなの俺が知るか。奴に聞け。俺はそれじゃなくったって頭が一杯なんだ」
 だがそこに一人だけ、違う反応をした者がいた。その者が飽和状態で熱くなっているカロルの頭の中に冷水をぶち込んだ。
 もう一つの事件。
「たっ、大変だ。シナカ様が!」
 火事の時から行方がわからない。
「行方がわからないって?」
「それが、火事騒ぎも落ち着き侍女たちが気付いたときには、シナカ様のお姿が自室はおろか何処にも。今、皆で館中を探しているのですが」
 そして別の者が、
「隊長、火事の件なのですが」と、辺りを憚るように言い出した。
「普通の出火にしては火の回りが早すぎます。どうやら火付けではないかと、しかも可燃性の液体が撒かれていたような形跡があるのです。まだ現場検証をしたわけではありませんからはっきりしたことは言えませんが、あの匂いは戦場で使う火炎放射機のような」
 彼はその機器の専門家だった。
「わかった。このことは」
「まだはっきりした証拠があるわけではありませんので、誰にも」
「そうか。現場検証が済むまで黙っていてくれるか」
「畏まりました」
「他の奴らもだぞ」と、カロルはこの場にいた全員に口止めさせる。
「ジェラルド、おめぇーもだ、わかってんだろーな」と、こいつにだけは言っても無駄かと思いつつも念を押した。
「それで火の方は」
「もしそれだとすると、普通の方法では消えませんので科学薬剤を使わせていただきました。もうじき鎮火すると思います」
「そうか、やっぱりお前を送って正解だったな。後はお前に任せる」
「畏まりました」
 カロルは容量の少ない頭をフル回転させた。火付け、何のために? シナカの失踪。まさか! 最初からシナカ様を誘拐するのが目的でディーゼ王女の館に火を付けたとでも言うのか。
 カロルの脳裏に一人の人物の顔が浮かんだ。もしそれが目的なら、こんなことをするのは、否、出来るのはあいつ以外にはいない。自分の目的のためなら手段を選ばない。例えどのような犠牲が出ようとも、ピクロスの野郎。
 カロルが走り出そうとした時、
「カロル、何処へ行くのですか」
「隊長、何処へ?」と言う言葉が重なりカロルの行方を阻む。
「何処へって、決まってんだろー、シナカ様を探しにだ」
 この宇宙で唯一、カロルが敬語を使う相手。
 彼らの言葉の手を振り切るようにして走り出そうとするカロルに、
「ジェラルド様はどうなさるおつもりですか」
「そうだよ、ここでジェラルド様にまで何かあったら」
 クラークスに頼まれた手前、もしものことがあったら。
 うっ、とカロルは息を止めた。
 どっ、どうしたらいい。ルカ、俺はシナカとジェラルド、どちらを守ればいいのだ。体が二つ欲しい。クラークスの野郎、早く帰ってこねぇーかな。
「ニック、部下を集めろ。今から殴り込みに行ってもらう」
「どっ、何処へですか?」
「決まってんだろー、ピクロスの館だ」
「ピクロス王子の館ですか」
「あんなゴキブリ以下の奴に王子など付けるな、ゴキブリに笑われるぞ」
「おい、ゴキブリが笑うとどういう顔になるんだ?」と、エドリスは隣の下僕に問う。
「なっ、殴り込みに行くって、私がですか?」
「当然だろう。俺はここを動けない。まさか、こいつを連れて殴り込みに行くわけにもいくまい」と、カロルか肩越しにジェラルドを差す。
「それはそうですけど、証拠は?」
「そんなもの、奴の館の中を探せば、シナカ王妃がおられるだろう。それが証拠だ」
「もし、おられなかったら」
「その時は奴の胸倉をこうやって締め上げれば、幾らだって出てくら」と、カロルは近くにいた下僕の胸倉を締め上げた。
 災難なのは下僕、呼吸が出来ずひいひい言う。
「つべこべ言っていないでさっさと」
「カロル、ニックさんの言うとおりだは。オルスターデ夫人の館よ、オルスターデ夫人はジェラルド様のお母様に次ぐ地位、証拠もないのに下手なことはできないわ」
「そうですよ、例え証拠があったって」
「どいつもこいつも、ここに第14宇宙艦隊の奴らがいれば俺が言う前に」
「オルスターデ夫人の館は地震と竜巻と空爆が同時に襲ってきたようなさわぎでしょう」とニック。
「わかっているじゃないか、俺はそうしろと言っているんだ」
「無理ですよ」
「じゃ、このままシナカ王女を見殺しにしろと言うのか」
 おねしょ布団の前での怒鳴り合い。カロルの声はよく通る。いつの間に館で預かっていたボイ人たちまで集まって来てしまった。
「王女様に何か?」
 心配するボイ人。
「行方がわからないらしい」
「ピクロスの野郎がかどわかしたにきまっている」
「それで殴り込みですか」と、キネラオ。
「そうだ。シナカ様の身に万が一のことがあったら、俺、ルカに合わせる顔がなくなる」
「ですが、今あなたが動けば、あなたの父であるクリンベルク将軍に迷惑が」
「それだけではすまなかろー」と言ったのはサミラン。
「ジェラルド様の近衛である以上、ジェラルド様の差し金だと言われても反論できません」
「あのな、この馬鹿にそんな策略ができるか、誰が考えたって」
「ですが一般の方々は、ジェラルド様がこのような方だとは誰も知りません」
 メディア映りはいい。ネルガルの中でも高貴と称えられる朱い髪にグリーンの瞳、だまって第一継承の椅子に座っている姿は、誰が何処から見ても次のネルガル皇帝であることを彷彿させる。
「じゃ、どうしろと言うんだ!」
 カロルは苛立つ。早くしないと、あいつのことだ、何をやるか知れたものではない。
「害虫以外のなにものでもない。あの時、駆除しておけばよかった」
「カロル!」と、シモンがカロルの言葉を遮る。
「隊長、あまりお言葉が。誰が聞いているか知れたものではありません」とニックが忠告する。
 カロルは容量の少ない脳をフル回転させた。容量が少なくとも意外にでてくるものである。否、少ないからこそ早いと言うべきか。
「そうだ」とカロルは手を打つ。
 こういう時、シモンとニックは警戒した。過去の経験からろくなことがない。
「権力には権力。手頃な奴がいたじゃないか」
「手頃な奴とは?」と、ニックが警戒しながら問う。
「ハル公だよ」
「まっ、また。そういう人物を出す」
 ここに地下組織と繋がりがあるハルメンス公爵など出してきたら。
「ニック、奴と連絡を取ってくれ。否、やっぱり俺がやる」
 カロルは腕に装着してある端末からハルメンス公爵に通信を入れたのだが、なかなか相手が出ない。
「あいつ、何処に居るのだ?」
 暫くして、
『これはカロルさん、お久しぶりです』とのどかなハルメンス公爵の声。
「てめぇー、今、何処に居るんだ?」
『何処、と言われましても』
 ハルメンスは惑星間外遊を楽しんでいた。
 なかなか答えて来ないハルメンスに業を煮やしたカロルは、
「こらハル公。肝心な時に何処をほっつき歩いてんだ!」と怒鳴る。
 宇宙広しと言えども、ネルガル皇帝に次ぐ大貴族ハルメンス家の当主を、怒鳴りつけるのはカロルぐらいだろう。ジェラルドですら気を使っていると言うのに。
「カロル」とシモンは弟の常識のなさに呆れ果ててしまった。
 通信を受け取り、挨拶より先に怒鳴られたハルメンスは胸騒ぎを感じた。
『何か、あったのですか?』
「何かじゃねぇー」
 カロルが説明に入る前に、ハルメンスの秘書兼友人が、今現在、カロルの身辺で起きていることを全て調べあげ報告した。
『ネルガルへ直ぐ戻る』と言ったところで、一日や二日で戻って来られるような所ではない。
 カロルは舌打ちする。
「どいつもこいつも肝心な時に役にたたねぇー」





 話は少し戻る。ちょうどディーゼ王女の館が炎に包まれている頃、シナカは炊き出しの陣頭指揮を執っていた。ボイ星では何か災難が起こった時は皆で助け合うのが習わし。
「立ったまま食べられるものがいいわね、おにぎりとかサンドイッチとか。飲み物もね。お風呂を用意しておいてやってください、灰と消化液で泥だらけでしょうから。それに着替えと、そうそう救急箱」
 てきぱきと指示を出すシナカ。ディーゼ王女の館からぞくぞくと人々が避難して来た。そんな中、シナカを呼ぶ娘がいた。シナカは不思議に思いその娘の所へ行くと、娘は駐車場の方を指さす。その片隅に見慣れない地上カーが一台。中から軍服を着た男が二人降りて来た。その軍服はここから見てもきれいとは言えない、さんざん戦場を走り回って来たような。車は知らないがその軍服の肩章には見覚えがあった。
「あれは確か、第14宇宙艦隊の軍旗だわ。どうして彼らが」
 今、第14宇宙艦隊はルカと共にオネスの率いる宇宙海賊と交戦中のはずなのに。
 そう思った瞬間、シナカの胸は不安がよぎった。
 まさか、あの人の身に、何か。
 男たちはシナカに駆け寄ると、
「奥方様ですか」
 シナカが頷くと。
「殿下が」
「あの人が?」 不安が的中したとシナカは思った。
「まだ、息がおありなのです。息があるうちにお会いしたいと」
 シナカの頭の中は真っ白になってしまった。今回の戦い、口にこそお出しにはならなかったが、かなり状況が不利なことは薄々気づいていた。なんぼ出陣を辞退してもらおうと心の中で願ったことか。
「それで、どちらに?」
「艦の中です。もう移動させることも御無理で」
「解りました。直ぐ」と、シモンは後をルイにでも頼んでと思ったが、
「一刻のご猶予もございません」
 そう急かされて、そのまま車に乗ってしまった。
 地上カーはシナカを乗せるとそのまま静かに加速し始めた。

 てっきり空港へ行くのかと思っていたシナカは、方向が違うのに気付き問う。
「道が、違うのでは?」
「やっと気づかれましたか」
 シナカは不審に思い両サイドの軍服姿の軍人を見る。
 軍人にしては何かが違う。そう感じた時、
「騒がないでください」
 左サイドの男がシナカの脇腹に小型のプラスターを突き付けて来た。
「あなた方は誰なの? ルカは、あの人は無事なの?」
「我々が何者かと言うことに関しては、ピクロス王子の配下とでも答えておきましょうか。ルカ王子が無事かと言うことに関しては、先程軍司令部に、オネスの艦隊と遭遇したと言う連絡が入ったので今頃戦闘中だろう。無事かどうかまでは」と、右サイドの男が肩をつぼめてみせる。
 少なくとも危篤ではないと言うことを知り、シナカは少し安心した。では、この場をどうする。
 シナカは思いっきりプラスターを構えている男の腕をねじり上げたが、その瞬間、右サイドの男に撃たれた。そのまま意識を無くす。
「おっ、おい。殺したのか?」
「まさか、気絶させただけだ」
 男はシナカにねじあげられた手首をさすりながら、
「ボイ人はネルガル人より力があると聞いていたが、手首を折られるかと思った」
「しかし、殿下(ピクロス)も物好きだな。いくら宇宙人が好きだからと言え、もう少しましなのがいるだろうに」と、意識を失って車のソファにもたれかかっているシナカを眺めながら言う。
 ボイ人もホモ系だが、ネルガル人に比べ首や手足が微妙に長いのはなんとなく気持ちのいいものではない。顔は能面のようで表情がなく、おまけに髪は赤毛でちぢれている。どう見ても美の対象にはならない。
「宇宙人を相手にするなら、俺はやっぱりイシュタル人がいいな、肌はきめ細かいし」
「そうだよな、一度脅し付ければ、何しようとこっちの自由だからな」
 そんなことを言っている間に車は件の別荘に着いた。その別荘は町はずれ鬱蒼とする森の中にあった。地下の駐車場に静かに着ける。
「意識が戻る前に縛り上げておこう。暴れられたら大変だからな」と、助手席で見張りを担当していた男が言う。
 男四人でシナカの手足を縛ると猿轡を噛ませ、担架に乗せ運び出した。
 件の寝室に連れて行く。ベッドに移してもまだ意識が戻らない。
「少し刺激が強すぎたか。一番弱くしたつもりだったが」
 そこへ広間からの扉が開き、ピクロスが現れた。
「殿下!」
 驚く男たち。予定より早いお越しだ。しかもいつもなら千鳥足なのに、今回は殆ど酔っておられないご様子。
 男たちは慌てて一歩下がった。
「まだ、お気づきになられないようで」
「そのようだな」
 ピクロスはじっとベッドの上に横たわっているシナカを眺める。
「これがシナカか」
 男たちは頷く。
 ピクロスはシナカに会うのは初めてだった。ルカが秘書として連れて歩っているボイ人には数度すれ違ったことはあるが。これでは彼らだと言われても見分けがつかない。
「ご苦労だった。部屋に女と酒を用意してあるから、ゆっくりしていくがよい」
「あっ、有難うございます」と、男たちは退室していった。
 ピクロスの取り巻きが、
「シナカ、シナカと、ルカ王子が人前にも出さずに大事にするもので、さぞや絶世の美人かと思えば」と、がっかりするように言う。
「これでは、不細工で人前には出せませんな」と笑う。
 だがピクロスはそんな取り巻きの言葉など聞いてはいなかった。あいつが大事にする全てのものを壊したい。それが今のピクロスの感情。恥をかかされた復讐。その手始めがシナカだった。
「お前ら、出て行け」
 取り巻きたちはにやにやしながら、
「終わりましたら、私たちにも」
「ああ、考えておこう」
「では、ごゆっくり」と言いながら天蓋を降ろし、退室した。
 ピクロスは暫し、近くの椅子に座り意識をなくして横たわるシナカの顔を眺めていたが、シナカの懐からボイ人が護身用にと持ち歩いていると言われている飾り剣を奪う。万が一暴れられた時の用心に、武器になるようなものは取り上げておいた方がよい。
 それからシナカの鼻先に刺激剤を近づける。
 シナカがむせるように目を覚ました。だが直ぐに人の気配に気づき、その人物に焦点を合わせる。
「誰? ここは?」
 猿轡を噛まされているせいか言葉にはならない。
 辺り一面、薄いベールのようなもので覆われている部屋、否、ベッド。そして男。
 シナカは慌てて起きようとしたが、手足が縛られていて思うように動かない。
「やっとお目覚めですか、シナカ王女」
 シナカはじっと男の顔に焦点を合わせる。何処かで見たような。はっと思った瞬間、
「おわかりになったようですね、ルカから何か聞いておりますか」 私の悪口を。
 だがルカは、一度もピクロスのことをシナカに話したことはない。話して聞かせてくれたのはルカの親衛隊や館の人たち。
 シナカが何か話したそうにもがくのを見て、
「それ、取ってやってもよいのですが、あまり大きな声は出さないでください。もっとも出したところでこの部屋は防音になっておりますから、外に音が漏れるようなことはないのですが」と、ピクロスにしては似つかわしくない程の紳士的な振る舞い。
 ピクロスは優雅に立ち出すと、シナカの剣を鞘から抜く。
「美しい剣ですね、切れるのですか」と、シナカの耳元に剣を差し込むと猿轡を切った。
「切れ味もいい、このようなもの、持ち歩いては危険ですね」
「人を殺すためのものではありません、それは道具ですから」
「何をする?」
「人によっていろいろです」
「それではこれで人を殺す人もいるでしょう」と、ピクロスは美しい剣をもてあそびながら言う。
「少なくともボイ人にはおりません」
「そうですか」と、ピクロスはそれをザイドボードの上に置く。
 シナカは完全にこの男に騙されたことを悟った。だが心のどこかではほっとしている。そう、あれは嘘だったのだ。あの人はまだ生きている。
「随分、ルカのことが心配のようだな」
「あれは、嘘だったのでしょ」
「今、交戦中だそうだ。やられるのも時間のもんだいだろう」
 シナカは黙ってしまった。
 ピクロスはにんまりすると、
「この際、私も敵の宇宙空母を撃破しようと思いましてね」
 敵の宇宙空母? シナカには意味がわからなかった。
「ルカはどう攻撃するのですか。まずは、この通信機を破壊するのですか」と、ピクロスはシナカの唇に指で触れた。
 だがその瞬間、シナカはその指に噛み付こうとした。
「ほっ、これは激しい」
 ピクロスはまたにんまりすると、
「だが戦いは、こうでなければおもしろくない」
「卑怯ではありませんか。それなら私をしばっているこの紐をほどかなければ」
「これは作戦ですよ、ルカだって戦術はいろいろと考えるではありませんか、時には卑怯な方法も」と、ピクロスはシナカのちぢれた髪を掴むと、顔を近づけて言う。
「通信機が駄目では、主砲から行きますか」と、シナカの両胸を鷲掴みにした。
 シナカは体をひねるが縛られているため思うように動けない。
「意外に小さいのですね、これではルカもがっかりしたことだろう」と、ピクロスは笑う。
 ピクロスはシナカの乳房の感触を味わいながら、
「それとも奴のことだ、一気に司令室を襲撃するのかな、こんなふうに」と、片手を下半身へと持って行った。
「ぶっ、無礼な」
 暴れ出そうとするシナカの上に馬乗りになると、先程の剣を握り、
「あまり暴れると怪我をしますよ」と忠告する。
 シナカが一瞬怯んだ隙に、ピクロスはその剣でシナカの服を引き裂いた。
 シナカの朱い肌が露わになる。
「やっ、やめて!」
 シナカは本気で暴れ出した。こうなるとやはりボイ人、ネルガル人より力があるだけピクロスの腕ではどうにも収まらない。鎮静剤へと手が伸びる。
 小さな針のついたカプセルをシナカの長い首筋に押し当てる。数分でシナカの動きは緩慢になった。薬が効き始めたようだ。
「麻痺薬だ、少しおとなしくしていれば素晴らしい夢の世界に連れて行って差し上げます、奴よりももっといいところに」
 紐が切られ手足は自由になったものの力が入らない。
 ピクロスがのしかかって来る。それにシナカは力の入らない腕で抵抗する。
「お願い、やめて」
 ピクロスの手がシナカの体をまさぐる。
「やめて、いや」
 必死で抵抗を試みるシナカ。だが体は次第に麻痺していく。
「助けて、あなた!」
「呼んでも無駄だ。奴は今、数光年の彼方でオネスを相手に私と同じことをしている」
 薄れて行く意識。頬をつたわる涙。
「ルカ」
(ありがとう、私はあなたに会えて幸せだった)
 それが最後の言葉かのようにシナカは、それ以後おとなしくなった。抵抗を諦めたのだと思い、ピクロスは思う存分シナカの肉体を愛で始めた。奴にかかされた恥をこの女の肉体で返してもらおう。
「どうです、ルカより私の方が上手だろう。なにしろ数えきれないほどの女を相手にしてきましたから、あなたのために」
 ルカへの勝利の優越感に浸りながら、最後の留めとばかりに。
 だがあまりにも反応が無さすぎる。オルガズムに入り意識をなくしたかと思い、自分のテクニックで陶酔しきっているシナカを連想しながら、ピクロスはシナカの顔を覗きこんだ。
 その刹那、何かがおかしい。
「おい、シナカ」と、彼女の頬を軽くたたいたところで何の反応もない。薬が効いているとはいえ、こんなに強くないはずだ。反応が無くてはつまらない。そのため薬の効きはしびれる程度でとめてある。それにそろそろ切れてもよい時間なのだが。
 ピクロスは慌ててシナカの肉体から離れた。
 離れて初めて気が付いた。シナカの肌から赤みが消えつつある。
「まっ、まさか」
 ボイ人は死ぬと色が白くなるとは、誰かから聞いたことがある。
「だっ、誰か!」
 ピクロスは天蓋のベールから転げ出ると叫んだ。
 取り巻きたちが慌てて入って来る。
「どうなさいました、殿下」
 ピクロスはベールの中を指さす。その指は微かに震えている。
「終わったのですか、いかがでした」
「それではおこぼれを」と、既に順番を決めていたようだ二番手がベールの中へと入って行く。
 そして慌てて飛び出して来た。
「どうしたのだ?」
「死んでいる」
「えっ?」
 取り巻きたちが一斉に中へ飛び込んだ。
 シナカの肌の色は先程よりも白くなり、今ではルカの肌のようだ。
 その中の一人、父親が医者である倅は一人落ち着き、情事が済んだままの姿で横たわる女の体を敗れた服で覆い、まずは鼻先に手をかざし呼吸を確かめた。それから首筋で脈を取り、瞳孔を確認する。
「確かに死んでいる。何か?」 やったのかと言うことらしい。
「いや、何も」と、ピクロスは首を振る。
 これと言って命にかかわるような暴力は振るっていない。
 その男はシナカの首筋の痣に注目する。
「鎮静剤を射った、あまり暴れるもので」
 いつもやっていることだった。軽い麻痺薬。それで何百人もの女性を好きなようにしてきた。ここはオルスターデ夫人の別館、どんな司法もここまでは届かない。それに相手はピクロス王子、どんな令嬢も泣き寝入りだった。
「まさか、死ぬなんて」
「よく調べて置くべきだった。宇宙人によってはネルガル人には効く薬が害になることがある。食べ物も、我々がおいしいと思う物が時には毒になることもある」
「つまり、どういうことだ?」
「つまりこの鎮静剤はボイ人には使えなかったということだ」
「どっ、どうするのだ。今頃そんなことを言われても」
 死んだ者は生き返えらない。
「まずいな、これがルカ王子に知れたら」
 一見、おとなしそうに見えるルカ王子。だがそのひ弱そうな姿の中に秘めているプロミネンスを、ピクロスは垣間見たことがある。
「そうだ、奴らのせいにしたらどうだ」
「そうだな。拉致するところを見られている可能性もあるし」
「車中の情事」
「酔っぱらって車ごと海に落ちたと言うことにすれば」
「何の証拠もない。いくらルカ王子だって、証拠もないのに我々を攻めることは出来ない」
 取り巻きたちが架空の物語を作るかのように一言ずつ発した。
「それにはまず、この女の体を清めないとな。そして奴らの精液を取って来てたっぷりと塗りたくる。服も洗ってから着せたほうがいいな」
「この敗れた服を着せるのか?」
「当然だろー。抵抗して敗れたという形を取らないと。もっと引き裂いた方がいい」
 話がまとまるとさっそく行動に移った。
「奴らはまだこの館にいるのだろう?」
「ああ、まだ帰っていないはずだ」
「では、最後にと言って極上の酒を持って行ってやれ、これを入れて」と、医者の倅はポケットから小さなカプセルを取り出した。
「なんだ、それは?」
「睡眠薬だ。奴らが眠り込んだら車に乗せ崖まで運ぶ。最後にアクセルを全開にして突き落すという段取りだ。薬は一時間もしない内に検出できないぐらいになるから、後残るはアルコールだけ。よって酔っぱらってアクセルとブレーキを間違え、カーブを曲がりきれなかったということになる」
「そっ、それで行こう。さすが知能犯、あなたにかかってはルカ王子も顔負けだ」
 行動は速やかに実行された。

 あれからピクロスたちは場所を花街に移し、イシュタル人相手に欲望の限りを尽くした。
「やはり宇宙人相手ならイシュタル人がいいですね。ネルガル人に似ている」
「しかも何をやっても後腐れがない。例え殺してしまっても、遊んでいるうちに死んだと言えば、それなりの代金を払って終わりになる」
 そんなことを言いながら本館に戻って来たのは昼過ぎ。
 それでもピクロスは気になったのかさり気なくニュースを見る。だがニュースはどこもそれらしき事件を伝えているところはなかった。
「やはり、あんな山奥、誰も行かないのか」
 だがその日の夕方、崖の上で車の破片と共に男の遺体が発見された。発見したのは皇宮警察。どうやら車が落ちる途中で崖にぶつかりドアが開き、男の一人が外へ投げ出されたようだ。
「しかし、どうして奴ら(皇宮警察)が動いているのだ?」
「軍部から出動要請があったようです。ルカの館から見知らぬ車が、殿下の別邸の方に逃走したと」
「軍部が?」
「ルカ王子の件ではいつもピリピリしていますからね」
 軍部はルカ王子を恐れているのではないかと、医者の倅は思っている。ピクロスの手前、口にはしないが。
「だが、あの車が私の別館に来たことにはならない。途中で道は分れるからな。右に行けば私の別館、左に行けばあの急カーブを通り越し砂浜の美しいリゾート地に出る。彼らがそこを目指したと言えなくもない」
「その通りです。車が引き上げられるのも時間の問題でしょう。だが証拠がない」
 案の定、数時間後に車は引き揚げられた。中に乗っているのは男三人。ボイ人の死はあえて公表しなかったようだ。死因は酒気帯び運転によるハンドル操作ミス。
「一件、落着ですね」





 ルカの館からシナカの失踪の知らせが宮内部に届けられたのは、ディーゼの館から火が出て四、五時間後のことだった。館の消火は一向に進まない上にシナカの失踪。宮内部はシナカの失踪の方は放置した。所詮は異星人、いくらルカ王子の妃とはいえ、宮内部は正式に認めてはいない。だが、軍部の動きは早かった。軍部直属の情報部が動き出す。しかし全ては遅かった。彼らが発見したのは海中に沈んだ車。直ぐに皇宮警察に連絡を取り引き上げを要請した、ルカ王子の妃がこの車に同乗していないことを祈りながら。場所が場所だけに宮内部の管轄である、軍部の独断では手が出せない。なにしろあそこら辺一帯は王族の別邸が多い。
 情報部から軍部へもたらされた報告は最悪のものだった。
「本当にシナカ様なのか」
 クリンベルクは他の者たちが異星人であるシナカを呼び捨てにするのに対し、敬称を付けて呼んだ。
『我々もお会いしたことはありませんので、本人かどうか。ただ、ボイ人であることには間違いありません』
 クリンベルクは舌打ちした。こんな時にカロルが居てくれれば。だが今カロルは、クラークスの代わりにジェラルド王子の身辺の世話をしている。
「それで、死因は?」
『それが、見たところ水死ではなさそうですし、これと言った外傷もありません』
 毒殺か? と将軍たちは疑う。後宮ではよくあることだ。だが何のために。異星人など毒殺したところで王位継承には何の関係もなかろう。
「で、ご遺体は?」
『司法解剖に回すそうです』
「場所は何処だ?」
 今から直ぐに、そこへ駆けつけ自分も立ち会おうとするクリンベルク。病気ででもあってくれれば、死んだ者は生き返らない。しかしそれでも何かの言い訳はつく。ボイ人とネルガル人では生態が違う、例えば食物アレルギーとか。謝って済むことではないが。
『それが、宮内部の管轄で、我々にも手が出せないのです』
 何処へご遺体を運んだかすら解らない。
「なっ、なんだと」
「何時でもこうですな、肝心な時には」とゴクレニウス将軍。
 宮内部だけがかってな行動を取る。
「おそらく、ご遺体が戻られた時には、証拠らしきものは何も出まい」とフリシウス将軍。
 きれいに洗浄され防腐をほどこされ生きているかのような姿で返される。これが宮内部のやり方、犯人を追及させないために。それはそれで向かい入れる方はうれしいのだが。
「奴らは何を考えているのだ!」
 常日頃穏やかなクリンベルクにしては珍しく声を荒げ、テーブルを叩いた。
「しょ、将軍」と周りの者たちが心配する。
 クリンベルクは頭を抱えたまま会議室の椅子に座り込む。
「何と言うことをしてくれたのだ。奴らは、自分たちが何をしたのかわかっていない」
 ただの異星人の王女を殺したのではない。それなら何ということはない、ネルガルの軍事力と経済力を持ってすれば何とでもねじ伏せられる。
「奴らは、鎖を切ってしまったのだ、猛獣を縛り付けておいた鎖を。虎は野に放たれた。否、ドラゴンは天空に。もう我々の力では縛り付けることはできない。虎がわざわざ自ら檻を作り、その中におとなしく入っていて下さったと言うのに、それを我々の手で壊すとは、なんと愚かなことを」
 クリンベルクは頭をかきむしった。
「クリンベルク将軍、いくら戦争がうまいとはいえ、こう言ってはなんですが、ルカ王子はまだ二十歳にも満たない若造です。万が一の時は我々が相手になれば」
 クリンベルクはドンとテーブルを大きな音をたてて叩くと、
「あなた方はルカ王子の本当の実力を知らない」
 その領域に達した者だけがその力を知ることができる。
「失礼だが、あなた方が束になってかかっても、おそらく勝てまい。無論、私も。あのお方は戦争の天才だ。否、軍神と言っても過言ではない」
「クリンベルク将軍、それは少し買いかぶりではありませんか」
「ルカ王子のこれまでの戦い方を見て、あなた方は何も感じないのか。あのお方は、味方の犠牲を最小限度に抑えている。それどころか、敵の犠牲ですら出来るだけ少なくして勝利を得ようとしているのだ」
 クリンベルクはイラつく様にテーブルを指で叩くと、テーブルの上にルカのこれまでの戦争のデーターが映し出された。
「数字を見給え、数字が全てを物語っている。我々の戦い方とはまるで違うのだ。勝てばよいと言うだけの戦い方は一度もなされてはおられない」
 まさに数字を見れば一目瞭然だった。例え誰かの指揮下に入っていても、ルカ王子の率いる艦隊はほとんど無傷でありながら中心的な活躍をしている。
 どの将軍も黙り込んだ。噂は聞いていた。ルカ王子の指揮下に入った艦隊の司令官たちが、いつの間にかに戦争が始まっていつの間にかに終わっていると。あんな楽な戦争は今までに経験したことがない。あれで死ぬのは死ぬ方がおかしいと。その感覚、自分たちは実際ルカ王子の下で戦ったことがないから解らないが。
「どうします、ルカ王子がご帰還なさるまでに犯人を」
 既に四人の男が真犯人によってでっちあげられている。
「今のクリンベルク将軍の話によると、ルカ王子は我々以上の戦術の持ち主と言うことになる。このような子供だましが通用するとは思えない」と、バロキラス将軍。
「では、真犯人を」
「宮内部が動いたところを見ると、おそらく我々が手を出せるような相手ではなかろう」
「どうすればよい」
「いっその事、ルカ王子が戦死してくだされば。軍部にとってはかなりの損失になりますが、ネルガルの安泰のためには」
 声を大きくして言えることではない。
 将軍たちは頷いた。だがクリンベルクだけは、これからの戦い、ルカ王子なしでは戦えまい。これからの戦いは本物のドラゴン、青い星が相手なのだから。我々は眠っている竜を起こしてしまったのだ。
『報告します』
「何だ」
 重要なはなしをしている時にと、スクリーンに映ったオペレーターを睨み付けるようにサンドベック将軍が問う。
 オベレーターはその視線に一瞬躊躇しながらも、
『先程、ルカ王子のご旗艦トヨタマから通信が入りまして、オネスの艦隊に勝利したもようです』
「なっ!」
『被害状況を把握した後、改めて報告するとのことです』
「それで、ルカ王子は」とクリンベルク。
『ご無事なご様子です』
 最後の望みは絶たれた。
「どうするのだ?」
「ここへ来ては、宮内部の出方を待つしかあるまい」
「本当に奴ら、真犯人に繋がる証拠を消せるのか。下手な小細工がばれたら、かえってルカ王子を怒らせることになるのではないか」





 無言の帰宅となったシナカを迎え入れたルカの館は、静まり返っていた。そこへ知らせを聞きつけオリガー軍医が駆けつけてくる。ジェラルドの館からもクラークスが戻ったことで自由になったカロルが、ルカから預かったボイ人たちを連れて駆けつけた。全ては遅かった。クラークスがもっと早く戻って来ていたら、否、シナカの行方がわからなくなった時点で、奴(ピクロス)の館へ乗り込んでいたら、こんなことにはならなかったのだ。自分を攻めるカロル。だがもう一人ここに、自分を許せないでいる者がいた。
 ルカが帰還するといつも軍旗がかざされている謁見の間。そこで独り、演壇に向かって跪いている男が居る,めかみにプラスターを当て。
 オリガーはラーセルの姿がないので、もしやと思いこの部屋にやって来た。
 オリガーは虚構を見詰めるような目をして演壇を見詰めているラーセルの背後に静かに回り込み、彼がプラスターに手をかけるやいなや、飛び掛かりプラスターを取り上げた。
「ラーセル! 棺を二つ並べてどうするつもりだ。それで殿下が喜ぶと思うか!」
 オリガーは怒鳴る。
 怒鳴りつけられた男はその場に崩れた。床を叩きながら、
「では、どうしたらよいのだ。俺は、殿面下げて殿下の前に立てばよいのだ。殿下は俺を信じて、俺に奥方様を預けてくださったのだ。それなのに、俺は、守れなかった」
 男は床を叩きながら泣き叫ぶ。
 オリガーは男の前にしゃがみ込むと、
「力を蓄えておけ。自分を殺せるほどの力があるなら、その力を殿下のために。必ず殿下はお前のその力を必要とする」
「オリガー軍医」と、男は涙でぐしゃぐしゃになった顔をもたげた。
 オリガーは強く頷く。男の肩を強く握ると、
「殿下は、必ずお前を必要とする。それまで生きろ。死ぬのは何時でも出来る」

 シナカの遺体を寝室に安置し、ボイ人や館の者たちが集まって来た。そこにキネラオたちの姿を見てオリガーは不審に思った。
「どうしてあなた方が、ここに居るのですか。殿下と一緒だったのでは」
「それはこっちの台詞だ」と言ったのはカロル。
「お前こそ、奴の傍にいなければ軍医の用をなすまい」
「殿下に言われたのですよ、帰還した者たちの治療を頼むと。殿下は自分にもしものことがあったら、即刻退却しろと司令官たちには命令したようです。今回の戦闘はデーターを持ち帰ることが目的、私の仇を取るのはデーターを分析してからにしろと。早まって犬死だけはするなと」
「そっ、そうだったんだ」とカロル。
 今更ながらにルカの今回の戦いに挑む真情を知った。しかし仇を討ってくれとは奴らしからぬ指示だ。おそらくそうでも言わなければ、誰も退却しないからだろう。
「それでな、俺はここで待機させられることになった」
「私たちは出陣前にジェラルド様の館に預けられたのです。ホルヘだけはどうしても供をしたいと言うもので、連れて行ってくださったのですが」
「そんな話、俺は聞いていない」とカロル。
 だがカロルには心当たりがあった。
「ボイ人にネルガルの帝王学を教えたいと言うことで、こいつらをジェラルドの館に預けたと、俺は聞いていたが」
「あなたに本当のことを言うと騒ぎになり、このことが奥方様の耳に入れば奥方様にいらぬ心配をかけるからと」
「俺ひとり、蚊帳の外だったのか。あの野郎」と悔しがるカロル。
 あの時だ、俺を部屋から閉め出しやがって、何をこそこそと企てていたかと思えば。だが今はそんなことを言っている時ではなかった。
「死んだ者は生き返らない。どうする?」
 こんなシナカの姿を見て、あいつが正常でいられるはずがない。
 それはボイ人ネルガル人を問わず、この館の誰しもが思った。殿下の奥方様に対する愛情の深さ、誰もが羨むほどだ。女に生まれたからにはこのように愛されたいと。
「葬儀は、殿下が戻られてからにしよう。それまでこのまま」
 腐乱防止して安置するしかない。
 誰もが黙り込む。殿下に何と伝えたらよいのか。否、その前に誰がその役を。
「ちっ、ちきしょう」
 背後で大きな音がしたので振り向けば、サミランがサイドボードを軽々と持ち上げ壁に投げつけたところだった。さすがにボイ人、本気になればネルガル人が四、五人がかりで持ち上げる家具を、一人で軽々と持ち上げ投げ飛ばした。
「サッ、サミラン!」
 驚くキネラオ。
「嘘だったのだ、全ては。竜など何処にもいないのだ。我々は預言者を語るペテン師に騙されたのだ」
 もう一度その壊れたサイドボードを持ち上げ投げつけようとしているサミランを、キネラオは抑え込む。
「よせ、サミラン」
「兄さん、所詮竜などいないのだ」
 サミランは号泣する。キネラオはサミランの肩を抱え込む。
 サミランは兄の腕の中で呪いの言葉を吐く。
「ネルガル人など、白竜に皆、殺されてしまえばよいのだ。否、あの白竜が本当に竜の中の竜なら、この銀河からネルガル星を消してくれればいいのだ」
「サミラン」
 キネラオは静かに首を横に振った。サミランの言葉を否定するために。それからカロルたちの方を向いて、ボイ人を代表するかのように語る。
「王妃様の死は心痛みます。ですが私たちは決してネルガル人を憎んだりはいたしません。これは狂人の仕業です。狂人は人種を問わずどこにでもおります、ボイ人にも。一時、あまりの悲しみに気が狂うこともあります。どうかサミランの今の暴言をお許しください」
 それからキネラオはボイ人たちの方に向かって、
「このことによって、ボイ人がネルガル人に暴言を吐くようなことがあってはなりません。そのようなこと、王妃様がお喜びになるはずないのですから。王妃様はネルガル人である殿下を心から愛しておられた」
「サミラン、すまなかった。俺が、もう少ししっかりしていれば」とカロル。
「私が、火事にばかり気をとられていなければ」と、ルカの留守を預かったラーセル。
「いえ、私がお傍に付いていながら」とルイ。
 ラーセル以上にルイも自分を攻めていた。
「全ては罠だったのだ、狂人による。こうなるように仕組まれた」とオリガー。
 キネラオが全てを狂人のせいにしてくれたことに感謝をして。ここでボイ人とネルガル人の間に亀裂が入っては、殿下がご帰還なされた時に心の置き場がなくなってしまう。
 それからオリガーはキネラオたちの前に跪くと、
「王妃様のご遺体、暫く私にお貸しください。もう一度検分したいのです」
「既に検分はすんでいるはずだ。これ以上、王妃様のご遺体を傷つけるのは」とサミラン。
「これでは犯人がわかりません」
 既にオリガーはそのデーターを去る筋から入手していた。
「犯人?」とキネラオ。
 既に宮内部からは遺体を引き渡す際に、四人の男に拉致され酔った挙句崖から転落した。と聞かされている。それを真に受けるわけでもないが、公の公表がそれでは逆らえない。
「不自然すぎるのです。見るからに海水を飲んでいる気配がない。既に車の中でお亡くなりになられていたと思われます」
「では、他の四人の男は?」とカロル。
「ここへ来る前に見て来ました。一人は脳挫傷、車から投げ出されて岩にぶつかったせいでしょう。後の三人は水死です。ですがシナカ様だけは、見たところどちらでもないようです」
「つまり、何処かで殺されて車に乗せられたということか。何のために」とカロル。
「事故死に見せかけるためです」
 カロルもこれは偽装だと思っていた。だが証拠がない以上、余計なことは言えない。
「お願いです、私に検分させていただけませんか」
「犯人を突き止めて、どうなさるおつもりですか。仇でも?」とキネラオ。
「いいえ、それは殿下の御心次第です。ただ私は。あの報告書ではおそらく殿下は納得なされないでしょう。戦場で死体は山と見ておられるのです、一目見れば水死でないことぐらいわかります。あの方が戻られるまでに、きちんとした報告書を作っておきたいのです」
「竜に復讐をさせるおつもりですか。ましてあの竜は、サミランが言ったことは嘘ではありません。あの白竜様なら出来るのです、惑星の一つや二つ、否、恒星ですら消すことが」
「それは、ボイ星での言い伝えだろ」とカロル。
 茶化すつもりではなかったのだが、信じていない分、カロルの口調は軽くなった。だがキネラオは本気。それを受けてオリガーは、
「私には今まで、自分はプライドとは程遠い存在だと思っておりました」と、周囲の者たちが、やれ階級だ、やれ家柄だと騒いでいるのを横目で見て鼻で笑っていた。
 医者である以上、やるだけのことはやる。だが人間一度は死ぬものだ、別に俺の腕が悪くてこいつが死んだわけではないと。二度は死なないから心配するなと。そんな感じで脈を取っているから貴族からは声がかからなくなった。だが平民は違う、素直に死を受け入れる。金で命を買おうなどと浅ましいもがきはしない。
「が、それは今まで自分のプライドをくすぐられるような上官に会うことがなかったからです。今私ははっきりプライドを持っている。あの方だけには無能と思われたくないと言うプライドを。この銀河の全ての者から藪医者と呼ばわれようとかまわない、ただあの方さえ私を認めてくだされば、それでいいのです。あの方から無能だと思われるのだけが私には一番耐え難い。例え私の報告によってこの星が銀河から消滅することになっても、私が死ぬことになっても、それでも無能だったとだけは思われたくない。ここまで来るとエゴですね」とオリガーは苦笑した。
 自分のエゴのためにネルガル星が消えるかもしれない。それでも、オリガーは目を閉じる。殿下、あなたは私を引き付けてやまない方だ。
 目を開けると同時に、
「お願いです、シナカ様のご遺体を」と、キネラオの足元にひれ伏す。





 閃光が通り過ぎ、我に返った第14宇宙艦隊の艦橋では、各々が自分の手足を確認すると、
「生きていたぜー」と、誰言うでもなく安堵の声があがった。
 だが、てっきり敵の巨大な砲撃を食らったと思っていた彼らは、自分たちが生きていることに確信が持てなかった。あれだけのエネルギーだ、まともに食らっていれば今頃、艦は跡形もないはずだ。では、今の俺たちは?
「まさか、ここは天国か?」
「間違っても、おめぇーが天国へ行けるはずはなかろう」
「そう言うおめぇーだって」
 そこへ別の兵士が、
「第14宇宙艦隊の御一行様、地獄の門はこちらです。お間違えないように。そちらは天国の門になります。開きませんのでご注意ください」
 また別の方のハッチを指し示しながら、
「あちらの門は生き返りの門です。宇宙空間で生き返ってもまた死ななければなりませんので、面倒ですのでお間違えならないように」 などとガイドを気取る。
 そこへタイミングよく、ピロロローグーグーグーと音がした。
「地獄の門が開きます」
 しかしこの音、何故か懐かしい。
 すると別の兵士が、
「済まん、今の俺の腹の虫」
 一瞬の沈黙。そして爆笑。
「死んでも腹は減るのか?」
 バルガスは呆れた顔をすると、
「馬鹿はほっておけ。それより、味方の被害状況を報告してくれ」と、レーダー主任に命令する。
「しかし、今の光は何だったのですかね」と、幕僚のダニール。
「それは、おれが知りたい」とバルガス。
「他の艦も無事ならよいが」
 被害状況を調べたレーダー主任は、
「現在レーダーに映っている艦影は全て味方の艦です。敵の艦影はどこにもありません。全て跡形もなく砕けたようです」
「どういうことだ?」とバルガス。
「残骸がすごいのです。今、スクリーンに映します」
 スクリーンに映し出された映像は、船の残骸で一杯だった。その中に味方の艦が浮いていると言う感じだ。
「敵が接近していたような気はしなかったが」
「おそらくテレポートをして出現したところをあの閃光にやられたものと思われます」
「つまり、あの閃光がもう少し遅かったら俺たちがあの海賊たちによって残骸と化していたと言うことか」
「そういうことになります」
「ではあの光は、俺たちを救ってくれたと言うことか」
「結果、そういうことになります」
「どっ、どうやって?」
 完全に艦は光に包まれていた。あれが破壊光なら我々の艦も無傷なはずはない。だが、各部署からの報告ではあの光による損傷は一つもない。やられたのは敵艦のみ。
 首を傾げているバルガスへオペレーターから、
「司令、旗艦トヨタマから通信が入っております」
「トヨタマ、殿下の艦船ではないか。無事だったのか」
 艦内は歓喜に包まれた。
「早く回線を開け、ご無事なお姿が見たい」
 バルガスが敬語を使った。ダニールは自分の耳を疑う。


 生存者の収容が始まると、後の指揮をリンネルに任せルカは指揮シートを後にした。ここのところ殆んど寝ていない体を休ませるために。
 シャワーを浴び、寝室へ戻ったところでルカは驚く。
「シナカ、どうしてあなたがここに?」
 シナカは優しく微笑む。
「あっ、これは夢か。ほっとしたら急にあなたに会いたくなって、でも、立ったまま夢を見るなんて」
 ルカはそっとベッドに潜り込む。
「夢でもいいですから、添い寝してくれませんか」と、ルカは自分の隣にシナカを誘った。
 目をつぶり、ゆっくり呼吸をする。
「よい香りだ」
 ルカはシナカの手を握ると、
「今回もどうにか生き残れました。待っていください、直ぐに戻りますから」
 そのまま疲れがルカを深い眠りへと誘って行く。
(ルカ、ありがとう。私はあなたに会えて幸せだった)


 リンネルは被害報告書を抱えてやって来た。ルカの寝室の扉の前、佇むヨウカの姿を見て不思議に思う。てっきり何時ものようにシナカ様に化けて殿下のベッドに潜り込んでいるものと思っていた。
「どうしたのですか、エルシア様にでも拒否されたのですか」
 ヨウカはむっとした顔をすると、
(シナカが来てるのじゃ)
「シナカ様が?」
 ヨウカが呼んでくれたのだと思ったリンネルは、
「では、報告は後日にしましょう」と、踵を返した時、
(わらわが呼んだのではない。自分の力で来たのじゃ)
 リンネルはヨウカの方に向きを変える。
「それは、どういう意味ですか?」
(シナカは誰かに幽体離脱の方法でも教わったのか、さもなければ)
 幽体離脱など教えられるものはネルガルにはいない、まして異星人に。
「さもなければ、何なのですか」
 不吉な予感が走る。
(エルシアもわらわも、全てが解るわけではない。神ではないからのー。今日は、お前らを助けるので精一杯だったのじゃ)
 シナカの守りが手薄になった。
 このこと、殿下にお知らせた方がよいのか。それとも帰還するまで黙っていた方が。


 ケリンはじっとスクリーンを見詰めていた。今では三次元しか見えない目で。ケリンは本物の空間を見たような気がした。以前、幽霊が見えるという友人が話していたことを思い出す。空間はお前が思うほど静かで穏やかな所ではない。いろいろな思念でごったがいしていて、まごまごしているとその思念に自分が飲み込まれ、何が真実なのか何を信じてよいのか解らなくなり、最後は気がふれて来ると。先程のがその一環だったのだろう、戦闘中、いろいろな者たちの増悪の言葉と阿鼻驚嘆の叫びが聞こえていた。四次元とはそういう世界なのだろうか、もしそれならヨウカとか言うあの女性は、いつもあのような声を聴いていることになる。四次元に住む生物、否、死物か?
2013-06-10 00:46:03公開 / 作者:土塔 美和
■この作品の著作権は土塔 美和さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 今日は。続き書いてみました。今回は同時多発事件でしたので、かなり場面が行ったり来たりして読みづらいかも知れませんが、お付き合いいただければ幸いです。コメント、お待ちしております。尚、あらすじと人物の紹介は、前編のはじめを参考にしてください。
この作品に対する感想 - 昇順
感想記事の投稿は現在ありません。
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