『蒼い髪 29話 惑星キュリロス後編』作者:土塔 美和 / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
全角53128文字
容量106256 bytes
原稿用紙約132.82枚

 これまでのあらすじ、登場人物の紹介は27話の冒頭に書いてありますので、それを参照してください。



 ルカは夢を見ていた。池の畔、矢車草に覆われた平屋がある。ここはネルガル星にある私の館、それともボイ星にあった私の邸、どちらにも似ているようでどことなく違う。もしや母の村にあるというエルシアの祠。そもそもネルガルにある私の館の庭は、エルシアの祠の裏にある池を真似て作られた。そしてボイの私の邸はそのネルガルの庭を真似て作られている。よってこの三つは同じような形をしている。エルシアの祠の池は見たことがないが矢車草に埋もれていると聞いていた。なぜならこの花はエルシアの好きな花。そしてエルシアの好きな花は私の好きな花でもあるらしい。納得はいかないが、そう言われて育てられると最初は何とも感じなかった花もかわいらしく見えるようになるものだ。まったく納得いかないが感情とは不思議なものだ。
 矢車草の中の小道を平屋へと向かう。その途中、
「ルカ、こっちよ、何処へ行くの?」
 そよ風に揺れる青い花の中、一人の乙女が手招きしている。
「こっち、こっち、あなたが鬼よ、捕まえてごらんなさい」
 ちぢれた朱色の髪を風になびかせて走る。ネルガル人より長い赤茶色の手足。彼女に本気で走られると追いつくのはかなり至難の業だ。
「待て」
 以前にもこうやって鬼ごっこをした。あの時は体も小さくやたらこの矢車草が邪魔に思えたが、今では身長も伸び足ではらうだけで済むようになった。それよりなにより走る速度が以前の倍、もうシナカに手加減してもらう必要はなかった。
「捕まえた」
 背後から飛び掛かりそのまま草むらへ転がる。シナカが怪我をしないように自分の体で覆い包んで。
「もう、洋服が草の汁で」と脹れるシナカ。
「捕まえてごらんと言ったのはあなたですよ。もう以前の私ではありませんから」
 まだシナカの方が大きいかもしれない。それでも以前のようなチビではない。
 ルカはそっとシナカの唇に自分のそれを重ねた。何時ものただいまのキスをするつもりだった。そして首筋へ、いい香りだ。シナカの香りだろうか、それともこの矢車草の? 服の上から感じる彼女の微かな胸の膨らみ、筋肉質そうに見える赤茶色の四肢は思った以上に柔らかい。その後の記憶はルカにはなかった。ただ十五歳という年齢だけが不思議と頭に浮かぶ。
 十五歳、元服、皇帝から軍旗と剣をいただく。大人への仲間入り。だがそれだけではないような気がした。もっと古からの約束。
(そうじゃ、思い出したか)
 ルカははっと目を覚ました。そこは草むらではなかった。綿雲のように白く柔らかなベッドの上、ルカは全裸だった。そしてルカの下に寝ている女性も。彼女の肌はルカよりも白い、癖のない黒く長い髪。シナカではない。
「だ、誰だ!」
 ルカは思わずはじけるようにベッドから飛び起きた。そして辺りを見回す。
 ここはオネスが客間として使っていた寝室、装飾過多すぎる天蓋付きのベッド。
 夢か。と安心する反面、股間に違和感。生理学的には理解していたことだが。
「どうなさいました?」
 飛び込んで来たのはケイトとリンネル、それに数名の護衛。
「叫び声が聞こえましたもので」
 誰何するような声。
「不審者でも」と調度品の陰や窓際を調べる。
 どうやら寝言を聞かれたようだ。とルカは気まずく思いながらも平常心を装い、
「何でもありません、お騒がせしました。少し疲れているようなのでもう暫く横になっております」と、起きるに起きられずもう一度横になることにした。
 皆が部屋を出払ったのを見て、ルカはそーと起き出す。
 シーツは、大丈夫なようだが気になるので念のため取り替えようとしている所に背後に気配。振り向くとそこにケイトが立っていた。
「ケイトさん」と、シーツを元に戻そうとしながらルカは言う。
「手伝いましょう」と、ケイトがシーツをはがそうとする。
「殿下もこれで男の仲間入りですね」
「ですから自分の粗相は自分でしまつしようと思いまして」と、ルカがケイトからシーツを奪おうとすると、
「大佐に言われたのです、殿下の話し相手になるようにと。私が親衛隊の中では一番殿下に年齢が近いですから」
 ケイトはルカに面影が似ていたため、ルカの影として某公爵の手によって幼少の頃スラム街から買われてきた子供である。ルカより二、三歳年上だが成長抑制剤によって成長を押さえられていた。しかしルカの猛反対を受け今では正常に成長している。そして今ではルカの兄のような存在だ。
「リンネルが」
「知っておられたようです。何でも十五歳の約束がどうとか言われておりました」
「十五の約束? どういう意味ですか? どのような約束?」
「さあ、そこまでは」
 矢継ぎ早なルカの質問に戸惑いながらケイトは答える。
「そうですか、大佐に直接訊いた方がよさそうですね」
 シャワーを浴び、やっと落ち着いたところで、
「朝食はどうなさいます。こちらに用意いたしましょうか」
 ケイトにそう言われて空腹を思い出す。それと同時に例えようのない気怠さ。寝たのにかえって疲れが蓄積したような。
「わるいですが、ここに」
 ケイトはルカを探るように見る、どこか体の調子でも悪いのではないかと。調べものに夢中になっている時以外は、めったに食事を運ばせる方ではない。
「お体の調子でも」と訊こうとしたところに、
「ケイトも食事はまだなのでしょう、一緒に食べませんか」と誘われた。
「ええ、喜んで」
 結局部屋に二人分の食事を用意し、相対して食事を取ることになったのだが、ルカは溜息ばかりついていて箸を付けようとはしない。
「どうなさいました。先ほどから箸が一向に進んでおりませんが、お嫌いでしたかそれ。なんでしたら別なものを」
 ルカは好き嫌いを言うような子ではなかった。なぜなら食事も科学的に味わうからだ。アミノ酸に脂質、炭水化物にビタミン、これでは味覚など発達するはずがない。
「いえ、いいです」とは言うものの、一向に芳しくはない。
「殿下、ドクターを呼びましょうか?」
「いいえ、その必要はありません。病気ではないのです」
 こんな所にオリガーなどが来たら後々酒の肴にされるだけだ。
「では、どうなされました? 殿下らしくありませんよ、何事もはっきりしておられる方が」
 ルカは料理を箸でつっつくとケイトに視線を移した。だが直ぐに料理へ戻す。食べるでもなくただ料理を突っついている。言おうか言うまいかと迷っているのは明白だ。ケイトは急かさず暫し待つことにした。
 ルカがその沈黙に耐え兼ねてぽつりと言う。
「相手が、違うのです」
「相手が? 違う?」
 ルカは軽く頷く。
「シナカではないのです。最初はシナカだと思ったのですが」
「奥方様ではない?」
 ケイトは始め何のことかわからなかったが、
「夢の事ですか?」
 ルカは頷く。
 ケイトはやっと納得したかのように、
「夢は夢ですから」
「でも、裏切ったことに違いはありません」
「殿下、そんな夢の事まで責任を感じることはありませんよ」
「私の心のどこかにそういう想いがなければあのような夢を見ることはないのです。これは私のシナカに対する裏切りです。どう謝罪したらよいか」
 ケイトは大きな溜息をついてしまった。これは私では手に負えない。やはり大佐に、だが大佐は独身、しかし親衛隊の中にもケイトが知る限り役立ちそうな人物はいなかった。こんな時ハルメンス公爵でも居てくださればと思ったものの、直ぐに思い直した。あのお方ではこのようなことで悩むような神経は持ち合わせていないだろうと。
 互いに思いを巡らしながらお通夜のような食事を取っている所に、トリスたちがやって来た。リンネルも心配そうにトリスの背後からこちらを見詰めている。ヨウカに生気(生体エネルギー)を奪われた以上、食事をきちんととり少しでも早く体力を回復してもらいたいと思っているのだが。
「どうしたんだ、食事を運ばせるなんて。どっか体の具合でも悪いのか」
 部屋に入るなりトリスは話しかけてきた。
「医者に診てもらったのか? あのオリガーの藪に」
 ケイトが相談に乗ってもらおうとして今のことを言おうとした時、ルカはかんぶりを振ってそれを止める。トリスだけには言わないでくれと哀願するかのような眼差し。
 ケイトは黙る。代わりにルカが、
「何でもありません。たまには静かに食事をしようと思いまして」
「それにしちゃー、はかばかしくないな」とルカの手元を見て。
「これから取ろうとしていたところです」
「スープが冷めてるぜ」
 ここら辺は酔っている割には観察が鋭い。
「ケイト、何があったんだ」
 ここはルカを問いただすよりケイトを問いただした方が早いと読んだトリス。
 ケイトは困った顔をする。
「黙秘か」
「そっ、そんな、別に悪いことをしている訳ではありませんから」
「じゃ、何なんだよ」
 ケイトは一層困った顔をした。
「そうか、言いたくなければ言わなくてもいい。当ててやるよ」
 トリスは空中に視線を遊ばせると、
「夢見が悪かったってところか」
 不思議とトリスは相手の心を勘ぐるときは勘がいい。顎に手をやると、
「お前のことだ、間違っても戦いで大敗退をしたなどという夢を見るはずはないな、少なくともこの銀河最強の装備を備えたネルガル軍を指揮している限り。すると後は」と、空中にまた視線を遊ばせ顎をなでると、
「フォームシックか。今頃になってと思うがほぼお前のやることは終わったしな。あんまり長いこと館を空けているからな、奥方が別な男性を連れ込んだ」
「トッ、トリスさん」
 ケイトは椅子をはじくように立ち上がった。椅子が後ろで大きな音をたてて倒れる。
「馬鹿、夢だ。奥方様に限ってそんなことするはずないだろう」
「その通りです、奥方様に限って。でも言っていいことと悪いことがあります。例え夢の話しでも」とケイトはトリスに向かって怒った様に言う。
 本来ならここで「心配いりませんよ、奥方様は殿下のお帰りを待っておられます」などと、ホルヘなどが優しく声をかけて仲裁に入ってくれるところなのだが、彼らは復興の技術指導に当たっていて今ここには居ない。ボイ人の技術は復興に欠かせない。
「その逆なのです」と言ったのはルカ。
「はぁっ?」と、トリスは一瞬何のことが解らずぽかんとする。
「ですから裏切ったのはシナカではなく、私の方なのです」
「私の方って、お前、誰か好きな女、できたのか?」とトリスは訊きながらも酔いが一気に醒めた。
 信じられない話を聞いてしまった。まるで目の前に巨大隕石が落ちて来たような。否、ネルガルの恒星であるアパラが超新星爆発を起こしネルガル星がそれに巻き込まれこの銀河から消滅してしまうより、ありえない話だった。
 夢が現か幻聴か。トリスは自分の心を冷静にするのに暫し時間を必要とした。
「そっ、それで、何処のどういう女だ?」と声を潜めて訊く。
「夢です」と言ったのはケイトだった。
「お付き合いされた女性が奥方様とは違ったと言うだけで」
「夢?」
 トリスの興味は一挙に萎んだ。
「夢って、あの、寝ているときに見るあれか?」
「そうです」と、ケイトはマジな顔をして答える。
「じゃ、なんかい。夢で付き合った女が奥方と違うからって、そんなことでいちいち罪悪を感じて落ち込んでいるっていうのか」
「別に落ち込んではいません。ただ、どう謝罪したらよいか」とルカは真剣に悩んでいる。
「夢で浮気をしたからって謝る馬鹿が何処に居るんだよ」
「ここにおります」
 トリスは一瞬何も言えず口をパクパクさせた。
「あのな、夢の中で付き合った女の顔など、いちいち覚えていられるか」
「確かにそうです。今思い出すと髪が黒かったのか青かったのか定かではありませんが、シナカでなかったのは確かです」
「髪が青かった!」とトリスは驚いたように言う。
 夢の中でまで、こいつは悪魔と付き合っているのかよ、くわばらくわばら。と、魔よけの呪文を唱えながらも、
「なっ、それって、人ではないんじゃないか。イシュタル星が擬人化して夢の中に出て来たんじゃないか。青い髪と言えばイシュタルの象徴だしイシュタル人には黒い髪の女が多いって言うじゃないか。お前イシュタルにあまりにも興味持ちすぎているから、そういう形でイシュタル星が現れたんだよ」
 一番納得のいく説明だった。
「へぇー、トリスにしちゃ、学のあること言うじゃねぇーか」とからかうロン。
「おえーは、引っ込んでいろ!」
「そうね、私もそう思うわ」と、話に加わったのはルカの秘書を仰せつかっている女性。
「思い入れの強い人形や玩具が擬人化して夢に出て来たと言う話しはよく聞きますもの。何でしたら私、夢判断の本を持っておりますからお貸しいたしましょうか」
 突然現れたと言うよりもは話を立ち聞きしていたようだ。彼女もいつの間にかトリスたちの影響を受け、ノックもせずに入室するようになっていた。しかしトリスと違い失礼なことは重々承知のようで、そのことに関して謝罪を入れると、自分がここへ来た真の目的を告げる。
「議会の代表者たちが一度お会いしたいそうですが、日程のほどはどうなさいますか」
 まがいなりにも議会制が始まった。もともと貴族だけの会議に平民や海賊の代表が出席するようになったのである。そして各地域の代表者たちがルカの誕生会をきっかけに集まって来ていた。
「では、食事がすみしだい」と言いかけたルカの言葉を遮ったのはリンネルだった。
「失礼ですが殿下、食事がお済みになられたら少し横になられた方が」
 リンネルはルカの体力を心配した。ヨウカがどのぐらいルカの生気を抜き取ったかはわからない。だが少しでも横になって体力を回復しなければ、戦争は終わったとは言え、まだまだ国家として機能するまでには時間がかかる。いつ何時、不満分子による反乱がおこるとも限らない。できるだけ体調だけは万全を期した方がよい。
「リンネル」と、ルカは大佐に問いかける。
「十五歳の約束とは、何ですか?」
「思い出されませんか」
「私は十五歳の約束などした覚えがありません」
「では、そのことを誰からお聞きになりました」
 エルシア様ではなければ誰が殿下の耳に?
 ルカはケイトを見た。
 ケイトは気まずそうな顔をしてリンネルを見る。
「申し訳ありません、話したのは私です。大佐が約束がどうのこうのと仰っておりましたから」
 リンネルは大きな溜息をつくと、
「話したことに関しては何とも思っておりません。エルシア様からお聞きになっておられないのでしたら、いつか私の口から話さなければならないと思っておりましたから。ただ、信じていただけるかどうか」
「やはりエルシアがからんでいるのですね。エルシアは誰にどんな約束をしたのですか」
 リンネルは辺りを見回すと、
「ここでは」
「俺たちが居ちゃ、まずいと言うことか大佐」とトリス。
「いえ、そういう訳ではない」と、リンネルはトリスの言葉をはっきり否定してから、
「ただ、私は口下手ですので、誤解があってはまずいと思いまして。まず殿下が納得いかれましたら殿下のお口より皆さんへ」
 沈黙。ただ秘書だけが訳がわからず視線をキョロキョロさせていた。
「わかりました。では奥で」
「できれば寝室で、横になられても話はできますので。気怠くありませんか」
 言われなくとも先ほどから起きているのが辛い。
「わかりました、そうさせてもらいましょう。議員の方々に会うのは」
「一、二日後がよろしいかと存じます。体力が回復してから」
 どうやらリンネルはこの気怠さの原因もわかっているようだ。
「わかりました。それでは明日か明後日、殿下の予定が付き次第と伝えておきます」
「そうしてください」
 そう言っている間にも空腹が満たされると欠伸が出そうになってきた。このまま横になってリンネルの話を聞いたのでは寝てしまうかも。

 寝室、ルカはラフな部屋着に着替えるとベッドの上に横になった。リンネルが椅子を持ってきてベッドの横に座る。
 だが案の定、ルカは話を聞くどころではなかった。ベッドへ入るや否や、耐え難い睡魔が襲う。
「リンネル、悪いですが話は明日に」
 言葉の途中でルカは眠りについてしまった。
 リンネルは毛布を掛けなおしてやると寝室を後にした。

 寝室から出てきたリンネルを真っ先に捉えたのはトリスだった。
「大佐、殿下は?」
「お休みになられた」
「そうか」
 この際今のトリスにとってルカの体調は二の次だった。あいつはああ見えて意外にしぶとい。殺したところでちょっとやそっとじゃ死なない。それより気になるのはリンネルの話。
「それで」
「それでとは?」
「だから、その」と聞きづらそうに問う。
「だからそれはさっきも言ったように私は口下手だから」
 ここでヨウカ殿を変に誤解されては後々面倒になる。エルシア様とあの化け物とは数千年来の付き合いのようだから。ただ知らないのは殿下のみ。
「白蛇のことだろう」と言ったのはケリン。
 いきなり背後から声がした。この男もやはり、ノックをして入室するという礼儀を知らない。
「ケリン、お前今まで何処に居たんだよ」
「ちょっと調べもの」
 こいつもルカと同じではまると籠ってとことん出て来ない。
「調べものって?」
「だからその白蛇」
「白蛇って、あの池に居ると言われている蛇のことですか」と聞いて来たのはケイト。
「あれって、頭のいかれた奴にしか見えないんじゃないか」と言ったのはトリス。
「ジェラルド王子やカロル(ジェラルドとは別な意味で頭がいかれている)みたいな」
「それを言うならトリス、お前に見えないのは不思議だ」とロン。
 トリスも先ほどの二人と別な意味で頭がいかれていると仲間たちは思っている。
「てっ、てめぇー」
 また鬼ごっこがはじまるところを、
「静かに」とリンネルが制する。
「殿下がお休みになられているのです」
「それで、何かわかったのですか?」とケイト。
 そうだそうだとばかりに皆がケリンの周りに集まる。
 ケリンは肩をすくめると溜息を吐く。
「データーがない。少なくともネルガルには彼女に関するデーターは何一つない」
「彼女?」
「白蛇だ、大佐に言わせればあの白蛇は女性だそうだ」
「メスか」
「メスなどと言わない方がいいですよ、トリスさん」とケリンはきどって話し出す。
「彼女は我々の生気、つまり生体エネルギーを吸って生きているらしいですから。彼女に生体エネルギーを吸われるとミイラのように枯れて死ぬそうです」と、ケリンはリンネルの方を向いた。
「まっ、まじかよ」
「そうですよね、大佐」
 リンネルはどう答えてよいか迷った。そうだ。と言ってしまえばヨウカは悪魔のような存在になってしまう。
「どうして、どうしてそんな化け物があの池に住み着いているんだ」
「住み着いているのはあの池ではなく殿下にです」と言うケリンの言葉に皆は唖然としてしまった。
「つまりナオミ夫人の村の人々はその化け物を神として崇めていたわけか」とトリス。
「いや違う。あの化け物はエルシア様を守るようにと神から言いつかりエルシア様に憑いているのだ」とリンネル。
 ここまで話が来ては黙っていてもしかたない。
「あっ?」とトリス。
 トリスではなくとも頭が混乱してきた。事情を知らない秘書などはとっくに傍観の境地に達していた。
「つまりその化け物は神の命令でエルシアに憑いていて、じゃ、エルシアは何なんだ。おれはてっきりエルシアが神なのかと思っていたが」
 神だと思っている割には呼び捨てである。トリスに怖いものはない。
 少なくともルカは神などと言うにはあまりにも人間臭すぎる。失敗したり悩んだり落ち込んだり、だが頭はずば抜けていい。言ってみれば頭でっかちな俺の弟分のような存在。ルカにしてみればトリスのような酔いどれ兄貴は持ちたくなかろうが。
「彼は神に仕える者。とナオミ夫人が仰せでした」
「神に仕える者」
 最初からナオミ夫人は我が子ルカを神の子とは言っても神とは言っていなかった。神に仕える者。
「神は別に居るということか、イシュタル星に」
 一方の民族の神は相対する民族の悪魔である。
 あの村はイシュタルとつながっている。イシュタル人の末裔か? はるか昔、イシュタル人もネルガル星の住民だった。俺たちの記憶にないほど昔、殿下がボイ星で史記をほじくり出さなければ永遠に知ることがなかった事実。イシュタル人はこのことを知っているのだろうか。おそらく知っているはずだ。追い出した方(やった方)は忘れても、追い出された方(やられた方)は覚えているに決まっている、何万年経ってもその史実は子孫に語り継がれる。
「あの村の人々は、神が戻ってくるのを待っているのか?」
「いや、それは違うだろう。あの時の村人の話しでは、その神を封じ込めるのに殿下の笛が必要だと言っていたからな。もし神の帰還を待っているのならそうは言わないだろう」
「封じ込めるなどと一言もいっていなかったと思うが」
「封じ込めるとは言わないさ。体裁わるいからな。眠らせると言っていただろう」
「つまり眠らせると言うことは」
「そういうことだと思うが、私は」とケリン。
「竜の子守歌とはきれいな表現だ。おそらくドラゴンが戻ってくればただちに封じ込めるつもりなのだろう、殿下の笛を使って」
「あんな笛で、どうやって?」
「それは私にもわからない。何か特殊な兵器なのではないか」
「じゃ、つまりあの村の人々はイシュタルと戦った戦士の末裔ってことか」
 それにも疑問が湧く。それでは大佐の話しと辻褄が合わない。
 何故神は自分の敵である相手をあんな化け物に守らせているのだ。現に白蛇は幾度となく殿下を助けている。否、白蛇がいなければ殿下は今頃生きていたかどうかすら怪しいほどに、あの白蛇は献身的に殿下を守っている。それにイシュタルと戦った戦士の末裔なら、何故ドラゴンを神として称えるのだ。他のネルガル人と同じく青い髪の悪魔として恐れるべきだろう。少なくとも悪魔と呼んでも神とは呼ばない。
(逆じゃ、逆じゃ。神がネルガルに戻るのを待っているのじゃない、神の方があやつが帰って来るのを待っておるのじゃ)
(ヨウカ殿)
 ヨウカの姿はリンネルにしか見えない。そしてこの二人、否、一人と一匹の間には時間の流れもなかった。
(食った、食った。やっぱり竜の気はうまい。久々に食したから、ちと吸い過ぎたかもしれぬ)
 などと無責任なことを言いつつ、ヨウカは部屋の長椅子の上に長々とその妖艶な姿を横たえていた。赤茶色に日焼けした張りのある肌。それを惜しげもなくさらけ出している。まるでこちらを挑発するかのように。大きく膨らんだ胸、括れた腰、腹が少しぷっくりしているのはたらふく食した証拠。
(何をじろじろ見ておるのじゃ)
 リンネルは慌てて視線をそらした。
(殿下は本当に大丈夫なのだろうな)
(心配いらぬわ。一晩も寝れば元に戻る)
 それでもリンネルがヨウカを睨めていると、
(何か、文句があるのか。これはエルシアとの約束じゃ、十五になれば)
(それは解っております。私が言いたいのは、何故、奥方様のお姿を)
(その方が奴が安心すると思うたからじゃ)
(では何故、その後に別な女性に)
(その方がおもしろいからじゃ。案の定、あやつ、落ち込んでおったじゃろう)と、ヨウカはぷっくりと脹れた腹を抱えて笑う。
「ヨウカ殿」
 ヨウカに抗議するつもりでリンネルは思わず声にしてしまった。
 皆が振り向く。
(煩いのー、わらわは満腹で眠いのじゃ)
 そう言うとヨウカは姿を消した。
「大佐」
 皆が驚いたようにリンネルに声をかける。
 リンネルは部下たちの顔を一通り見回すと、
「今までそこに、白蛇がいた」とソファの上を指さす。
 今までと言っても数秒と経過していない。親衛隊たちからすればいきなりリンネルが声を張り上げたように聞こえた。
「それで、彼女は何と?」と、ケリンだけは落ち着き払って問う。
 今までの大佐の話しからおそらく会話をしていたのだろう。彼女と居る間は時間がないとも言っていた。かなり長い話をしていても一分と経過することはないと。
「殿下は一晩寝れば元気になるそうだ」
「それだけですか?」
 リンネルは頷くしかなかった。
 彼らにしてみればほんの数秒と経っていないはずだ。この程度の会話しかできなかったと思っても当然だろう。ただケリンだけは誤魔化せない。後で二人っきりで話そう。


 ヨウカが言った通りルカは一晩寝たら元気になった。以前より活力に満ちトリスのお蔭で夢も吹っ切れたようだ。
「結局私の思い入れが、あんな形で夢に出たのですね」
 ここは大衆食堂の片隅。リンネルとケイトを従え食事を取っている所にトリスたちもやって来た。
「もう、大丈夫なのか」
「ええ。心配かけました」
「お前が食事を運ばせることなんて滅多にないからな」と言いつつ、トリスは自分のトレーをルカの真向かいに置く。
「イシュタルもそうなのですが、私はどちらかと言えばアヅマが怖いのです。もし彼らと戦うようなことになったら」
 テレポーテーション、あれを使われては今のところ私には策がない。出現する場所が特定できない以上、守備のしようがない、増して攻撃など。
「できることなら、彼らと仲良くしたい」
「ベッドの上でか」とトリスが茶々を入れる。
 ルカはむっとした顔をすると、
「違います!」と怒る。
「そんなに怒るなよ、お前も一人前なんだから。それよりどうだ、奥方とやる前に一度練習したら。いい女、紹介してやるぜ」
 ルカはむっとした顔をすると自分のトレーを持ち、がばっと立ち上がった。
「その必要はありません」とさっさと配膳室の方へ歩き出す。
 トリスはその背に、
「悪いことは言わない、一度練習しておいた方がいいぞ、恥をかかないためにも」
 ルカは聞こえなかった振りをしてさっさと歩き去った。
「何を練習しておいた方がいいのですか」と、ルカの代わりにやって来たのは秘書。
 まさかいくら俺でもこんな話を女性の前では出来ない。トリスはさっさと話題を変えた。
「銃だよ、銃。ここの所全然練習していないから」
 秘書は今までルカが居た所に自分のトレーを置くと、
「あら、総司令官が銃を抜くようでは、その戦闘は負けが見えていますね」
「そうですね」と納得して相槌を打つケイト。
「煩い」と、トリスはケイトの頭を軽く小突くと、
「刺客と言うこともある。それから身を守るには自分でも少しできなければ」
「でしたら心配はいらないのではありませんか、トリスさんより殿下の方が強いと伺っておりますが」
「誰から!」と、むっとしたように問うトリス。
「俺」と答えたのはロン。
「殿下はああ見えても剣も銃もうまいんだ。剣なんかは右に出るものがいない」
「そうなのー」と秘書は感心する。
「頭がいいだけではないのですね。頭がいい人は臆病だと父から聞いておりましたが」
「ついでに貴族もな」とロンは付け足す。
「だがあいつに限ってそれは通用しない」
 ケイトは早々と食事を済ませると立ち出す。
「おい、何処へ行くんだ?」
「殿下のところですよ、トリスさんがあんなこと言うから」
「俺が? 俺は何も悪いこと言った覚えがないが」
「トリスさんの神経ではね」
 皆が笑った。
「そうだな、トリスの神経と一緒にされたんじゃ、殿下も傷つくわ」
「ロン、てめぇー。俺はな、殿下のことを思って言ったんだぜ、マジで親切心から。それなのに怒るなんて、理解できねぇーよ」とふてくされるトリス。
「何を殿下に言われたのですか?」と秘書。
 親衛隊たちは一斉に何でもないと首を横に振る。
 それでも秘書はくいさがったのだが、
「とにかくケイト、奴のことはほっとけ、今に俺が正しかったとわかるから」と言うトリスの一言で、この議題は幕を閉じた。



 ルカは与えられた執務室の窓から外を眺めていた。以前より霧も晴れシンメトリーの庭もよく見えるようになっていた。自然とはたいしたものだ。どんなことがあっても元に戻ろうとする。そしてキュリロス星は元に戻りつつあった。後はその上に寄生している人間。こちらはなかなか元には戻れない。小動物ですら徐々に住み分けが始まっているというのにキュリロス人は、未だに土地問題でもめている。隕石によって破壊されてしまった都市に豪邸を構えていた貴族たち、彼らの居場所がない。なにしろオネスに媚を売っていた者たちだけあって、何処へ行ってもいい顔されないのである。それとオネスに近い存在の者たち。今まで威張っていた分、周囲から嫌われる。キュリロスには新しい差別が出来つつあった。それはオネス派だった者と反オネス派だった者。既にオネスはこの世にいない。よってどちらも過去の存在なのだが。ルカは海賊たちを許したというのに、やはり住民はそうは簡単に気持ちが切り替えられないようだ。ルカはレイたちと共に一つ一つ事に当たるしかなかった。
「まったく殿下も物好きだよ。ほっときゃいいのに」
 これがトリスやケリンたちの感想だった。

 まがいなりにも始まった議会民主政。ルカは用件だけ言うと後は彼らに任せた。とにかく貴族と平民と海賊は平等であること。これがルカの第一条件だった。そして鉱山は国有化し、そこから得た収益は医療費、教育費、天災費等を優先的に差引、国民が何らかの事情で働けなくとも最低限の生活はできるようにした。そしてその残りを会議で自由に再分配するようにと。
「おい、おめぇーら。修繕費ぐらいは積み立ててあるんだろうな、全部分配しちまったら、機械が壊れた時に修理もできないからな」
「酷いですね、俺たちそこまで馬鹿じゃありませんよ」
「金、金って騒いでいるから、俺はてっきり全部分配しちまうのかと思ったぜ。宵越しの金は持たないなんて格好つけてよ」
 それはトリス自身のことである。
 ルカの親衛隊の口の悪さはこの頃には定評になっていた。全員が全員そうではないのだが、否、事実口の悪い部下は少数派なのだが、そこは集団、その集団の一割も口の悪い者がいればその集団は全員口が悪いように思われる。
「本当に殿下なのかな?」
「あの子自体は品がいいのだけど」
 親衛隊を見る限り王子とは思えない。どちらかと言えば海賊の親分。オネスの子分たちも顔負けの極道揃い。
「影武者じゃないのか、本物が来るはずないよ」と、一部では囁かれるようになっていた。
 だが、彼らが親衛隊の訓練を見るようになってから考えが変わるようになった。実戦さながらの訓練。一歩間違えば死人が出てもおかしくない。
「そろそろここの仕事も終わりだからな、次に備えて体をならしておかなければ。俺たちは軍人だぜ、破壊と殺人が本職だからな」
 ネルガルに戻れば次の仕事が待っている。
「軍の上層部の奴ら、次の戦場を用意して手ぐすね引いてんだろうな」
「あいつら俺たちを人間だとは思っていねぇーじゃねぇーのか、次から次へと、ロボットじゃあるまいし、休みなしでやってられるかよ」
「しかたねぇーだろ、奴らにとって俺たちは邪魔なんだから」
「俺たちが邪魔?」
「正確に言えば、俺たちじゃなくて殿下だ」
「殿下が?」
「ああ、戦死してくれればいいと思ってんじゃねぇーのか」
「おいそこ、何喋ってんだ。もう一周やらせるぞ」
 五十キロも六十キロもある土嚢をせおって起伏のある地形を走る。そして塹壕に入っては銃を構える。その繰り返しだった。
 そして別な一角では、
「文明人のやることじゃねぇー」
「そもそも戦争自体が、文明人のやることではないだろう。殿下に言わせれば、あれは言葉の使えない原人のやることだって」
「そんなことどうでもいい、せめてロボットスーツを使わせてくれ」
「それじゃ、体の鍛練にはならないだろう」
「どうせボタン一つで木端微塵になるような戦いじゃねぇーか、こんなことやる意味がわかんねぇー」
「何つべごべ言ってんだ、さっさと走れ!」
 これらは全て、土木工事の合間に行われる訓練だった。
 そしてこれに輪をかけて訓練しているのが第10宇宙艦隊と第14宇宙艦隊。
「親衛隊の奴らになど後れを取るな。二度と馬鹿にされてたまるか」



 一方ルカたちは、
「よかったですね、これでどうにか国としての形ができましたね」と、キネラオがほっとしたように言う。
「一時はどうなるかと思いました。お互いにいがみ合っていて」とサミラン。
 土木現場で指揮を執りつつも、キュリロスはこのまま分裂してしまうのではなないかと気にかけていた彼らである。
「結局キュリロスは何やかんや言ったところでネルガル人の集まりです。他の異星人がいるわけでもありませんから」
 結局、敵も味方も同じネルガル人だったと言うことが、問題をこれ以上複雑にしないですんだ要因のようだ。同じネルガル人、鏡に映したような相手にお前は馬鹿だと言えば、それは自分に馬鹿だと言っているようにも聞こえる。だがこれが姿の違う異星人に対してならどうだろう。例えばネルガル人より首や手が長く肌の色の赤いボイ人や、ゴリラのように体格がよく色の黒いマルドック人に対してなら。言葉も通じない。ましてその言葉が音の領域の違いにより犬が吠えているような、または獣が唸っているように聞こえたら、そこに彼らの知性を見ることなく優越感を十分に味わえるのではないだろうか。人は自分の五感でしか判断できない。蝶が紫外線によって花を見分けているなど紫外線の存在を知るまで知らなかった。怖いのは本当に知性がないと思い込んでしまうことだ。どうしてネルガル人は相手が自分より劣ると思い込めるのだろうか。どんな相手でも家族や仲間を思う心はあると思わないのだろうか。例えば自分が飼っているペットや食している家畜にも。
「どうなさいました、殿下」
 ルカはじっと庭を見詰めたきり動かない。ルカの目には既に庭は映っていなかった。
「いえ、ネルガル人同士の戦いでよかったと思っただけです。これが異星人だったら、少数民族による多数民族の支配が始まる。ボイ星の二の舞になってしまう。否、ボイ星とは限りませんね、あらゆる植民惑星のようになってしまう」
 ルカはぐっと下唇を噛みしめた。じっと庭を見詰めると独り言のように話し出す。ただし言葉は明朗。
「一つだけ覚えておいてください。あなた方はネルガル人より優れているのです。少なくとも何千年もの間、戦争をすることなく話し合いで事を解決してきたのですから。これこそ真の文明人です。生活水準がどうのこうのなどと言う低級な比較ではありません」
「殿下」とキネラオがルカの気持ちを察して声をかける。
「私はネルガル人であることが恥ずかしいのです」
 破壊という行為をやめてから彼らの芸術は花開いた。彼らが作らなかったのは人を殺す武器だけ、そのためネルガルに負けた。だがネルガル人の感性では到底彼らの繊細さにはかなわない。
「ですが逆に、同種族だからこそ因縁が残ると言うこともあります」と、急に言いだしたのはサミランだった。
 ルカは驚いたように振り向く。争いをしないボイ人がこんなことを言うとは。
「私たちも生きておりますから時には喧嘩もします。それがこじれて一生口を利かなかったり」
「そういうこともあるのですか」
「生きると言うことはそう言うことなのでしょうね、おそらく」
 いくら穏和に暮らしたいと願っても、時として相性の悪い相手はいるものだ。
「そうかもしれませんね」
 自分にも覚えがある。罪を憎んで人を憎まずと言うが、どうしてもその罪を犯した人が許せない時がある。
 ルカはゆっくり庭に視線を向けなおすと、
「知っていますか、少数民族が多数の民族を支配するにはどうするか。差別するのです、しかも徹底的に。ネルガル人でないことが下等なのだと。今ボイ星ではその教育が行われているはずです。そうすることによって自分はネルガル人ではないので下等なのだと思う従順なエリートを作るのです。彼らにボイ星を支配させればボイ星がネルガルに楯突くことはなくなります」
 ルカはじっと庭を見詰める。ルカの両手はいつの間にか爪が食い込むほどに強く握られ震えていた。
「そうなる前に、ボイ星を私の手に。否、シナカの元へ」
 キネラオたちはそんなルカの背中に、どう声をかけてよいかわからなくなってしまった。
 ルカは大きく深呼吸をするとゆっくり振り向いた。先ほどの気配は微塵も見せずに。
「ウンコクさんから手紙が来ました」
 これだけ通信機器が発達すると一番漏洩しないのは原始的な手紙。手紙は盗まれない限りその内容が漏れることはない。ルカとボイ星の交信は全て傍受されている。よって彼らと連絡をとるにはマルドック人の手を借りるしかない。
 ウンコクの手紙には嘆きさえ書かれてはいなかったがボイの悲惨な状態が数値をもって明晰に書かれていた。ルカに誤魔化しはきかないということを知ったうえの報告書である。シナカ宛には別に書いてあるようだ。
「彼には頭がさがります。今の私には励ましの言葉しか書いてやれません」
 ボイ星がネルガルの植民惑星になる前までは、ウンコクはだれよりもボイ星の行く末を案じていた。ただウンコクとルカではやり方が違った。そのため政策面ではいちいち対立していた仲である。今ウンコクはボイ星に留まり、支配者であるネルガル人とボイ人の橋渡しのような役を担っている。一番辛い立場に立っていると言ってもいい。だが愚痴は一度も書いては来なかった。ただ淡々とその状況を報告してくるのみ。
「ネルガル人の支配に対抗するにはプライドを捨てないことです。自分はボイ人であること、ボイ人はネルガル人より温厚で手先が器用だということ。それをプライドとして持ち続けることです。そしてネルガル人を冷静に分析することです。良いところも悪いところも、そして良いところだけ取り入れて行くのです。そのことをキネラオさん、あなたが手紙で書いて送ってやってください」
「殿下がお書きになられた方が」
 ルカは首を横に振る。
「私はただただ耐えるようにとだけかきますので、あなた方の手紙で。その方がウンコクさんもプライドを維持できるでしょうから。この星でネルガル人に頼られたことも書き添えるといいかもしれませんね、ここでボイ人の技術がいかに必要とされたか具体的に。それがボイ人のプライドを維持する根拠になりますから、ボイ人たちが今までつちかってきたことは無駄ではなかったと。戦争に負けると自分たちの歴史そのものが全て無意味なものに思いがちですから」
 そう言うとルカはじっとまた庭を見詰めた。
「一つ一つつぶしていきましょう。そしてボイ星を交渉の場に」
 その準備は既にケリンとレイに言いつけてあった。暇をみてケリンは情報をレイは法律の方を固めておくようにと、ネルガル皇帝との交渉に備えて。



 終戦から三か月が経った。隕石によって穿かれた大地には雨水と何処からか流れ込んできた水が溜まり、湖のようになって来ていた。そしてその周辺に新しい都市が出来つつあった。
「まるでボイ星のようですね、町の中心に湖があるところは」
「ですがボイの湖には流れ込む川も流れだす川もありませんでした」
 全ての水は乾いたボイの大地へと浸み込んでしまう。それほどボイは水の希少な星だった。
「もう私の役目は終わりましたね。後は時間が解決してくれます」
 議会も出来、星の憲章も出来、町も大方の姿を見せ始めてきた。治安も落ち着いてきている。ここまで軌道に乗せればもうこの星に留まる必要もないだろう。だが監視は必要だ。もう暫くの間は彼らに留まってもらおう、相談役として。私たちが帰還した後、復讐戦がぶり返さないように。ルカは自分が連れてきた学者たちにメンデス率いる第6宇宙艦隊を護衛に付け、キュリロス星にもう暫くの間留まってもらうことにした。否、そもそもそのつもりで連れて来た。
「もう、帰られるのですか」
 ルカが帰還すると言う噂を聞きつけ慌てて来たのはハロルドだった。最初は貴族を目の敵のように嫌い平民代表としてルカの前に立ちはだかった男だ。しかし今ではルカにすっかり飼いならされてしまったようだ。借りてきた猫よりおとなしい、忠実な番犬と化していた。だが代表としての手前、ときおり吠えることもある。
「もうと言われますが、既に三か月も経っております」
 三か月を長いとみるか短いとみるかの違いのようだ。
「だが、まだ国の形が」と心配するもう一人の代表。
「ですから専門家を残していきます。彼らに何なりと相談してください」
「つまり、監視か」とハロルドは吠えた。
「それはあなた方しだいです。あなた方が物事を議会で平和的に解決するのでしたから彼らはよき相談相手になるでしょうし、武器を持って解決しようとするなら監視役になります」
「相変わらず、うまいことを言うな」とハロルドは苦笑した。
 こいつに口で勝てる奴がいたら会ってみたいものだ。



 それから数日後、ルカはキュリロスの住民に見送られ帰還の途についた。駐留軍がこれほど住民に歓迎されたのも珍しい。住民に対する乱暴もなくはなかったが、なにしろネルガル宇宙軍で一、二を争う荒くれ者の集団である第10宇宙艦隊と第14宇宙艦隊を治安の任に付けたのが功を奏したのだろう、治安が任務である以上、自ら暴れることも出来ず、また他の艦隊は彼らの怖さを知っているが故におとなしくなった。
「これこそまさに、毒は毒を持って制すというやつですね」
 キュリロス星を離れてワームホールに向かうまでの間、艦内の休憩室ではそんな会話が流れていた。
「おい、あんまりのんびりしているなよ、ネルガルに着くまでは戦争が続いていると思え。何処で宇宙海賊と遭遇するかわからないからな」
 帰還の喜びに水を差すような上官の言葉。
 兵士たちはやれやれという顔をすると同時に、
「今回は、何処へ寄るのですか」と訊いてきた。
「それはまだ決まっていない。今、航宙士がはじき出している」
 ルカは帰還の途中、必ず軍人の慰安のため賑やかな商業星系へ寄ることにしている。しかも経費の大半はルカ持ちで。仲間を亡くした寂しさを癒すため、そして生き残った喜びを実感するため。だが実際は自分自身の心の安定を保つためなのだろう。シナカに会う前に血の臭いを消したい。だがその膏薬が一番うまくいっていないのもルカである。どうしても引きずってしまう。だが今回はかなり楽な方だ。
 今回はかなりの艦隊なのでゲリュック群星ぐらいの規模の商業星系でなければ身動きが取れないと言いつつ、今、航宙士たちがそれを探している。
「人使いの荒い司令官だが、これだけは話せるよな」
「だから俺、どうしても生き残ろうと思うんだよ。この帰還の寄り道が楽しみでよ。俺たちの報酬じゃ、あんな贅沢はできないからな」


 一方ルカは、旗艦トヨタマの自室へ戻るや否や爆睡。今まで寝ていなかった分を取り返すかのようにほとんど寝返りすることもなく熟睡している。
「お疲れだったのですね」
「睡眠とは、寝溜めできるものなのか?」とトリスが感心する。
「声をかけるのも気の毒になってしまいます」とケイト。
 ルカの食事を運んで来たのだが、起こしてよいやらと悩む。
「そこら辺に置いておけば。腹減ったら起きて食うだろう」と相変わらずのトリスの助言。
「冷めてしまいます」
「腹減ってりゃ、何だって美味いさ」
「そうですね、今はこのまま寝かせておいてあげた方がよろしいかと思います」とホルヘ。
 同じようなことを言っているのにどうしてトリスとこのボイ人とではこうも響きがちがうのだろう。ケイトはつくづくボイ人の表現の柔らかさに感心する。
 ケリンに言わせればそれはボイ人とネルガル人の知性の差だそうだ。知性のない奴ほど乱暴な言葉を好む。

 艦隊はコンピューターがはじき出したワームホールへとゆっくり進んで行く。ゆっくりと言ってもそんなに遅いわけではない。ただ宇宙が広すぎるのだ。そのため惑星上にいるようなスピード感はなかった。
 戦うとなると先頭を切るのもトリスだが帰るとなると一段とハッスルするのもトリスだ。どこにあれだけの余剰体力があるのかと思うほど。
 艦の操縦室に飛び込むと、
「今回は、何処に寄るのだ?」
「えっ?」と言う航宙士。
 商業衛星を探していることをトリスにわざと隠す。まだ決まっていないとしれたら煩い。
「えっ? じゃねぇーよ、えっじゃ。慰安会だよ慰安会。恒例だろうが」
「キュリロス星で十二分に寛いだろーが」と言ったのは操縦士のバム。
 彼はこの艦を見るや否や、一生で一度でいいからこんな船を操縦してみたいと言いだし、とうとうこの艦の主任操縦士と取って代わってしまった。よってトヨタマには現在主任操縦士が二人いることになった。日を決めて代わり番に操縦しているようだ。
「あれはあれ、これはこれだ。敵に囲まれて寛げるはずねぇーだろー」
「そうにも見えなかったがな」と、バムは椅子をくるりと回しトリスを見る。
「おい、いいのかよ。操縦パネルから手を離して」
「今は自動操縦だ」
 しかしものは言いようだ。一番はめをはずしていたトリスだったのに。
「よく敵のど真ん中で真っ裸で踊れるな。護身用のプラスターどころか、パンツすら身に着けていないで」
「銃が一丁、股間にあるからいいんだよ」
 バムは呆れてパネルに突っ伏した。
「それより今回は本当に何処にも寄らずに帰りかよ。見てくれよこれを」
 トリスは星間通信網に接続すると自分のホームページを開いた。そこはいろいろな星の娼館からのラブコールで一杯だった。これでは寄らないわけにはいかない。
「なっ、傍を通って寄らないと言う訳にはいかないだろう。そんなことしたら俺のホームページは炎上しちまうぜ」
 そこへタイミング悪くとでも言うのか二等航宙士がやって来た。
 バムがシィーと合図するより早く、
「どうですか、この星系など」と、航宙図を持ってきた。
 何処にでも場の空気を読めない奴はいる。
「やっ、やっぱり寄るんじゃねぇーか」
「せっかくからかっていたのに、台無だ」
「あっ?」と、トリスは口を開けたままバムを見る。
「からかってたって?」
「暇だったからさ」と、バムは椅子の上で伸びをする。
「てっ、てめぇー」
 バムに飛び掛かろうとするトリスの前に航宙士が割って入る。最初はルカの親衛隊たちの言動に気おされていたトヨタマの艦員たちも今ではすっかり馴染み、その間合いも取れるようになった。
「まったくあなた方は」と言いつつも、二等航宙士の航宙図を見て、
「ルビニエツキ星系ですか、ここでしたら規模といい距離といい手頃ですね」
「ではさっそく殿下にお伺いを」と二等航宙士。
「残念ながら、奴は今、死んでる」とトリス。
「しっ、死んでる!」
 真に受ける二等航宙士。彼はまだ若くて純情だ。
「馬鹿、爆睡しているってことだ。こっちで勝手に決めちまえば」
「そうはまいりません」と、真面目なトヨタマの艦員たち。
 それに比べてルカの親衛隊たちは、
「どうせ日常生活に関しては、よきに計らえ主義だからな奴は、どこに決めたって文句は言わないぜ」
「しかし、予算が」と、ルカの懐を心配する二等航宙士。
「大事だ、金なら幾らでも奴は持っている」
 今回のキュリロス星での採掘権。議会にやったとは言いつつも、奴のことだ、ただでやるはずがない。おそらく売っただろう、ただし二束三文で。それでもかなりの額になるはずだ。奴はああ見えても金が取れるところからは取る主義だ。そうでもしなければあのスラムの子供たちを食わせて行くことは出来ない。だから出来るだけ無駄には使いたくないのだがそこはやはり、それはそれこれはこれである。少しは楽しまなければ。
「王子とはそういう身分なのですか。お金は好きなだけ湧いてくるような」
「否、王子だからと言って小遣いが天井知らずということはない、まして奴の身分じゃ」
 王子の中でも名前を知られていない王子は何人もいる。ルカもその中の一人だった。皇位継承者と目される王子は、生まれる前から騒がれる。
「もっともいくらもらっているのかは知らないが。ただ奴は商売がうまいんだよ。マルドック人に儲けさせながらピンハネしてるんだから」
「あれって、謝礼だろ」とバム。
「謝礼もピンハネも同じようなものじゃないか。奴がうまいのは戦争だけじゃないんだ、金儲けもマルドック人並みだ」
 ネルガル人の中にはマルドック人は金に汚いと言ってあまり良いイメージを持っていない者もいる。トリスにかかっては今や時を騒がせる名将となったルカ王子でも、隕石のように地上に落とされる。操縦室に居た艦員たちは顔を見合わせてしまった、ルカ王子の実態がますますわからなくなって。
「いい人ですよね、ルカ王子は」
「悪い人には見えないが」
「ピンハネなどと言われると」
「ほら見ろ、お前の言い方が悪いから誤解を招く」とバム。
 結局トリスの一存でルビニエツキ星系に決まった。ルカには事後報告と言うことで。
「よろしいのですか、本当にそれで」と、心配する副航宙士。
「駄目だったらお前の責任だ、こんな星系を俺に紹介するから」と、あっさり言ってのけるトリス。
「そっ、そんな」



 ワームホールをぬければルビニエツキ星系までは後数日、そこで事件は起きた。ルカはキュリロス星での疲れもやっと抜け、今日は朝から気分よくシャワーを浴びていたのだが。ちなみに艦内の照明はネルガル星の時間で調整されていた。主要部門と緊急時以外は全てネルガルのサイクルで動く。陸上生物には重力以外に朝焼けと夕焼けも必要とみえ、これがないと体内時計が狂う。
 シャワーを浴びながらルカは鏡に映った自分の姿を見て凍りつく。思わず背後を振り向くがそこには誰もいない。だが鏡の中には、彼女もシャワーを浴びたのか濡れた長い黒い髪の先からしずくを垂らしこちらを見ている。問題なのはその姿、上半身が女性で下半身が蛇。ルカは気を取り直し、もう一度後ろを振り向く。だがやはりそこには誰もいない。じっと鏡を見詰めていると、その化け物が手をのばしてきた。その手が鏡から出て来るや、ルカの反応は早かった。数メートル後ろに飛びのいたかと思うと、叫んでシャワー室から飛び出した。
「ばっ、化け物だ!」
 ルカは寝室の壁に掛けられている護身用の刀を取る。鞘を抜くなり化け物と対峙した。だがその化け物は臆することなく、まるで蛇が鎌首を持ち上げたような形で上半身を起こし近づいて来る。ルカは上段に構えた刀をそのまま振り下ろした。確かに切った、はずなのに手応えがない。刀は化け物の体を袈裟に通りそのままぬけたのだが。
「ばっ、馬鹿な!」
 ルカは返す刃で今度は真横に薙いだ。結果は同じ、化け物は何もなかったかのように近づいて来る。後は無我夢中になった。化け物との間合いを取りながらルカは必至で刀を振り回す。そこへルカの叫び声を聞きつけクリスとケイトが駆けつけて来た。だが彼らが見たものは、化け物だと言いつつ狂ったように刀を振り回すルカの姿。風呂上がりのせいかずぶ濡れのまま。近づくに近づけず躊躇している所にリンネルとケリンがやって来た。
「どうした?」
「たっ、大佐」
 うわずった声で大佐に救いを求め、クリスは寝室の方に視線を向ける。
 狂乱したルカの姿を見て、
「どうしたんだ」と驚くケリンに対し、
「ヨウカ殿だ」と大佐。
 リンネルにははっきり見えた。ヨウカが嬉しそうにルカの刀の間を潜り抜けている姿が。
 どうやら大佐だけに見えるようだ。クリスにもケイトにもケリンにも見えない。彼らにはただルカが狂って刀を振り回しているとしか思えなかった。
「ヨウカ、殿? あの白蛇か」
 ケリンはコンピューターに合図をすると急いでこの部屋の様子を録画するように指示した。
「ケリン」と大佐。
「カメラに何か映るかもしれない。大佐には見えるのですか、そのヨウカとか言う化け物が」
「お前たちには、やはり見えないのか。これだけはっきりしているのに」
「どうしましょう?」とクリスとケイト。
 殿下を押さえ付けた方がよいのか。
「ヨウカ殿は殿下に危害を加えることはない。からかっておられるのだ。おそらく殿下がお疲れになれば終わりになるとは思うが」
 ヨウカ殿はからかっておられるつもりなのだろうが、からかわれている殿下の方は、本気である。このままにしておいてよいものだろうか。
 そう思った時である。ヨウカがいきなりルカの胸の中に飛び込んだ。そのままスーとルカの体の中に入っていく。入られた方はたまったものではない。ルカは刀を落とすなり狂ったように胸をかきむしり始めた。
「ばっ、化け物が!」
「でっ、殿下」
 リンネルはシーツでルカの体を包むとそのままベッドに押さえつけた。
 ケリンは急いでオリガーに通信を入れ、鎮静剤を持ってくるように指示した。
「殿下、殿下、私だ。大丈夫ですか?」
「リッ、リンネル」
 ルカは落ち着きなさげに辺りを見回し、
「リンネル、化け物が」
「心配にはおよびません。あの化け物は殿下に危害をくわえることはありません」
「どうしてそう言い切れる、あの化け物は私の体内に」
「殿下、落ち着いてよく聞いてください。私は以前にも話しました。あれは池に住む白蛇です」
 白蛇はルカも幾度となく見ている。
「実際は池ではなくあなたの体内に住んでいるそうです」
「私の体内に?」
 これも何度かリンネルから聞いたことはある。だがあの時は相手にしなかった。そんなことがあるはずがないから。
「私は、人間ではないのか?」
 母の村の人々から崇められれば崇められるほど、自分は普通の人間だと自分に言い聞かせて来た。現に今まで、自分は普通のネルガル人となんら変わるところはなかった。とルカは思っている。だがルカの近辺で仕える者たちは気づきつつあった。どこか普通の人間とは違うということを。だがどこがどうと問われればはっきりしたことは言えない。ただ漠然と、なんとなく普通の人とは違うような気がする。
「いいえ」と、リンネルは首を横に振る。
「あなた以外にもあのような白蛇を体内に住まわせているネルガル人はいるそうです、数万人に一人の割合で」
「では、この艦隊にも」
「おそらく一人ぐらいは居るかもしれません、殿下以外に」
「その者が誰だかわかるか、お前には見えるのだろう」
 リンネルは大きく首を横に振ると、
「私に見えるのはヨウカ殿だけです。普通あの白蛇は周りの者はもとより本人にも気づかれないように寄生しているようです」
「寄生?」
「はい。寄生虫のようなものですから」
「私は、あの化け物に最後には食べられてしまうのですか」
「いいえ。彼女はあなたの余剰の生体エネルギーをもらっているようです。逆にあなたの生体エネルギーが足らなくなった時は、別の者からもらってきてあなたに与えたこともあります。あなたが大怪我をして生還できたのは全て彼女のおかげです」
 これまでの幾度とない危機、それにルカの怪我の治りが普通の人より早いのはそのせい。
 ルカはやっと落ち着いたらしく、風呂上がりで疲れ切った体をベッドに長々と横たえた。
「普通は気づかれないように寄生しているのに、どうして私だけ?」
「それはエルシア様が彼女の存在を知っておられるからだと思います。彼女との付き合いは百年や二百年ではないそうです」
「エルシアか。もう一人の私」と呟くと、ルカはじっと天井を睨む。
 そこへオリガーがやって来た。
「何か、あったのか?」
 ケリンはもう済んだというように肩をつぼめてみせる。ただ胸をかきむしっていたからその傷がと思ったのだが、胸には例の痣以外はかすり傷ひとつなかった。
 クリスとケイトはまだ呆然としている。ヨウカの姿の見えない彼らにはルカが狂って暴れているようにしか思えなかった。
「でっ、殿下」と心配げにルカの顔を覗く。
「なにか、迷惑をかけたようですみません」と謝るルカ。
 ルカの反応が何時ものようになったのを見てほっとするクリスとケイト。
「い、いいえ。迷惑などと」
 どちらかと言えば心配だった。このままおかしくなってしまわれるのではないかと。私たちがあまりにも殿下お一人に頼りすぎるから、お疲れだったのだろう。
「もとの殿下に戻られて、よかったです」と、ぽつりと本音を言うクリス。
「少し休まれた方がよろしいかと存じます」とリンネル。
 ルカは静かに頷く。
 リンネルは毛布を掛けてやると立ち出し、刀を元の位置に置きなおした。
「お腹、すいておりませんか」とケイト。
「少し頭の中を整理したい。もう少ししたら食べに行きます」
「そうですか」
「食事を運ぶせたりしたら、また皆が騒ぎ出しますから」とルカはほほ笑む。
 ケイトたちもその笑顔にほっとした。

 全員ルカの寝室から出ると、ケリンはコンピューター室に急いだ。先ほどの録画を見るために。
「何が、映っているのだ」とオリガーも付いてくる。
 戦争がなければ軍医は暇である。
「ヨウカとか言う化け物だよ、映っていればと思って」
 だが予想は外れた。その録画にはルカが一人で狂ったように刀を振り回している姿しか映っていなかった。どの角度から撮ったのも同じである。
「やっぱり、駄目か」
 期待はそれほどしていなかったが。だがクリスが変なことに気付く。
「止めて」と言うと、「ここを見てください」と画面の右上の方を指す。
「刀の先端が」
 まるで刀が折れたかのように刃先だけが映っている。そしてルカが振り下ろした刀の先端が何かに切られたようにない。
「つまり、この剣の先端が、ここに映っていると言う訳ですか」
 注意して見ればそういう場面は幾つでもあった。一回ぐらいなら光の加減か、機械の故障とも考えられるが、こう頻繁では。中には刀の中心だけが別な所に映っている場面もある。極め付きはルカの指だった。リンネルにはヨウカをかきむしっているように見えたルカの指、他の者たちには胸をかきむしっているように見えた。その指先が画面下の方に指先だけ映っている。そしてルカの手を見れば指先がない。
「どうなっているのですか?」
「つまりこの指が、ここに映っていると言うことか」
「まるで切断されたようですね」
「切断された指が、ああも動くか?」
 一体これは何を意味するのか。
「テレポートの原理か」とケリン。
「次の場面では刀は既に元の位置に戻っているのだからな」
「テレポートか」とオリガーは腕を組み考え込む。
「まるであそこの空間とそこの空間がつながっているようだ。一つだけ言えることは、あそこに何か居るということですね、空間をゆがめるような、大佐の話しからすると」と、オリガーはルカの手元を指し示した。
「空間と空間を繋ぎ合わせることが出来るような生物が。つまり生物の向こう側とこっち側で空間が違っている」とケリン。
「いや、それは違う」と大佐。
「ヨウカ殿の体内が異空間なのだ。だからヨウカ殿の体に刺さった様に見える刀の先だけが別な所に現れる」
「とにかく」とケリンは言ったものの、この映像の説明が出来ないのが本音だ。
「よく分析してみよう。他にも何か映っているかもしれない」


 一方ルカは、ルカも考えていた、あの化け物は何なのか、エルシアとの関係は。しかしお腹がすいた。でも眠くもあった。空腹がエネルギーの浪費を押さえるために睡眠を誘発しているのか、ルカは何時しかまた眠りについていた。
「シナカ」
「お帰りなさい、随分早かったのね」
「急いで帰って来た」
 シナカは何時ものようにルカを抱きかかえる。背はもう同じぐらい。否、まだシナカの方が高い。だが以前のような母親が子供を抱き上げるような形ではなくなった。
「お怪我は?」
「見ての通りだ。どこも怪我していません」
 ルカはシナカから離れるとぐるりと回って見せた。
「皆さんは?」
「全員無事とは言えないが、それでも今回は」
 戦争だ。人を殺しに行くのだ。こちらも負傷しないわけがない。
 それを知ってかシナカは、最後まで言わせなかった。シナカの唇が私の口を塞ぐ。もういいのよ、そんなに自分を責めないでと言わんがごとくに。
 気付けば二人は何時しかベッドの上。私の下に居る女性は、今度はシナカに間違いなかった。ちぢれは朱色の髪、ボイ人にしてはくすんだ赤茶色の肌、ネルガル人より長い手足、そして黒真珠のような瞳。美しい。シナカがこんなに美しかったなんて、今まで気づかなかった。
「ご免」
「何が?」
「あなたがこんなに美しいとは知らなかった」
「今頃、気づいたの?」
 シナカは呆れたように言う。
 ボイ人もネルガル人も体のつくりはたいして変わらない。ただ遺伝子の数が違うため子供ができないだけで。否、この宇宙、狭い三次元で生きている生物はたいして作りに変わりはないのだろう。なぜなら惑星で誕生したバクテリアが恒星風によって宇宙にばら蒔かれ、手頃な惑星でその惑星に適合した進化をとげたのが今の生物なのだから、どこか共通するところがある。そういえばマルドック人もエヌルタ人も、イシュタル人に至ってはネルガル人と同じ。
「どうなされました?」
「いや、ちょっと考え事」
「あら、こんな時でも」 シナカはぐっとルカを抱き寄せた。
 後は考える余裕はなかった。本能が赴くまま。





 ここはネルガル星、ルカの館。
 シナカは朝から機嫌がよかった。
「どうなさいました、今朝は」と侍女兼親友のルイ。
 鼻歌など歌いながら植物に水をあたえているシナカを見て。
 ルカの好きな花。シナカは花に水をやりながらくすくすと笑った。
「いつもあの人、この花に水をやる時、こう言うのよ。どうして私がこの花が好きでなければならないのかわからないって。もうあれはあの人の口癖ね」
 私が好きなのはこの花ではないのかもしれない。この花の色なのかもしれない。この花の色は何かに似ている。それがどうしても思い出せない。
 シナカは花殻を取りながら、
「昨夜、あの人の夢を見ました」
 夢の内容までは、今回はいくら親友とは言え恥ずかしくって話せなかった。
「楽しい夢だったのですね」
「ええ、今頃になってあの人、私の美しさに気付いたと言うのですよ」
「まあ、失礼な。今までどこ見ておられたのかしら」と、怒る振りをするレイ。
「そう言えば先ほど軍部から連絡がありまして、補給のためルビニエツキ星系に寄ってから帰還するそうです。後一ヶ月もかからないとのことでした」
「そうですか」
 既にマルドック人から戦争が無事に終わったことは報告を受けていた、高価な首飾りと共に。ルカの手紙も添えられていた。
「後、一ヶ月ですか」
 待ちくたびれたと言うのが本音かもしれない。やっと先が見えたような気がした。
 そこへ小さなお客様。
「シナカお姉様、クッキー焼いてみたのです。味見してください。あっ、レイさんも一緒だったのね、ちょうどよかったわ。どうかしら」とディーゼ。
 レイには批評を求めていた。ルカが帰ってきたらお手製のクッキーを食べてもらうのだと、この間からレイのところで猛特訓。
「ご迷惑ではありませんか」
 見ればディーゼの背後、ルクテンバウロ夫人も一緒。ルクテンバウロ夫人は下流貴族の家柄でその容姿故、ルクインバウロ侯爵に見初められルクテンバウロ家の養女となり、皇帝の御種を授かるべく宮廷に差し出されたのである。残念ながら御子は姫であったが、姫とは言え皇帝の子に間違いはない。よってルカの館の隣に、隣と言ってもかなり距離はあるが、館を構えることになった。その折にルカの館の様子を逐次報告するようにと皇帝から言いつかり、スパイまがいなことをやるはめになったのだが。そもそも下級貴族出の彼女にとって門閥貴族の婦人たちとの交際は肩身の狭い思いだった。それに対しナオミ夫人は気さくだった。身ごもっていたせいもあり、誰か頼れる友人を欲してもいた。いつしかナオミ夫人とはこの孤立した宮廷で親友のような仲になって行った。当然親同士が仲良ければ子供も。そしてルカの結婚、主のいなくなったルカの館の閉鎖。彼女はこの宮廷で独りになってしまった。そこへルカが異星人の奥方を連れて戻って来たのである。真っ先に駆けつけたかったが傍目がある。それに異星人の奥方とどうお付き合いしたらと迷っているうちに、娘の方が積極的だった。さっさと遊びに行って友達になってきたのである。今では姉、妹と呼び合う仲。ルカお兄様の奥方様なのだから私にとってはお姉様よね。などと言って。
 レイはディーゼの焼いて来たクッキーを一つつまむと、
「おいしい。これなら大丈夫ですよ、殿下も喜ばれます」
「ほんと」
「ねっ、妃様」と、相槌を求めるレイ。
「ええ、これならレイが作ったと言ってもわからないわ」
 飛び跳ねて喜ぶディーゼ。
「そうだ、ちょうどこのクッキーにあうお茶がありますから、今、入れてきます」とレイが立ち出すと、
「私も、手伝うわ」とディーゼが後を付いて行く。
 その後ろ姿をシナカと夫人はほほえましく見つめる。
「いつ、お戻りになられるのですか」
「後、一ヶ月ほどで」
「そうですか、よかったですね」 御無事で。
 王子であれば出征は当たりまえ。そのたびに無事を祈らなければならない。その気苦労は計り知れない。だが王女の場合は政略の一環として知らない星に嫁がされる。そうしなくとも済むようにと宮内部の一部の官僚が体を要求してきているが、それを飲んだところで結果は同じだと以前ナオミ夫人が言っていたことがある。ここでは身分の低い母を持ったが因果。では身分の高い母を持った子は、それはそれでまた皇位争奪戦、暗殺という危機にさらされる。ここは人の生きる場所ではない。
「どうなされました、シモーネさん」
 思い詰めた顔をしていたのだろうか、シナカ王女が心配してきた。この館ではお互い名前で呼び合うことにしている。
「ご無事で、本当によかったと思いまして」
「有難うございます。お茶が入るまで少し庭でも散策いたしませんか。あの人が好きでなければならない花が満開ですから」
 シナカのその言い方に、「まぁ」と言いながらほほ笑むシモーネ。
 この場に居ない人を肴にするのが一番気分が楽。
「今頃、くしゃみしているかもしれませんね」
 庭に出ると箒を持った者たちに挨拶を受けた。シナカ王女が見えてから、朝は掃除をするのがこの館の日課になった。出来るだけボイ星での風習をそのままにと言うルカ王子の配慮のようだ。
「やはり、お邪魔でしたか」
「いいえ、掃除もちょうど一段落ついたところなのですよ」
「ディーゼが早く試食してもらいたくて、今朝から大騒ぎなもので」
「ディーゼちゃんはのびのびしていて羨ましいです」
 私も十歳のころは父や母や皆に守られ、何知らずに安らかな日々を送っていた。
 この道は祠へと続く道。まだディーゼがお腹にいる時からナオミ夫人とよく散歩した道である。道の先は池へとつながり池の中ほどに小さな島があり、その島の上に小さな祠がある。ナオミ夫人はよくここへ来ると、しゃがみこんであの小さな祠に手を合わせていたものだ。気づけば自分もそうしていた。
 政略結婚が身分の低い母を持った王女の運命なら受け入れなければならない。だがただ受け入れるだけでは。ルカ王子は生きて戻られた。なら我が娘ディーゼにもそれは可能だろう。それにはどんな逆境でも生き抜ける力を与えてやらなければ。そのためには自分のことは自分で出来なければ、王女だからと服の着替えまで侍女にやってもらうようでは、いざ戦火の中を逃げ出すようなことになっても何もできない。この館はいい、王子や王女ですら自分のことは自分でやる。これがナオミ夫人のモットーだった。そして私のように人に頼る生き方では駄目だ。自分の足でしっかり大地に立たなければ、ナオミ夫人やシナカ王女様のように。自分の力で人生を切り開いて行かなければ、運命だからと諦めないで。
 いつしかシモーネは必至になって祈っていた。
 どうか我が娘に力をお与え下さい。どんな逆境でも耐え抜き生きられるだけの力を。
「お母様、何をそんなに祈っておられるのですか」
 何時の間に来ていたのだろう、シモーネはディーゼに気付かなかった。それほど必死に祈っていたのである。
「あなたのお婿さんよ、いい人に巡り合えますようにって」
「やだ、お母様。まだ早いわよ。でも私、結婚するならルカお兄様のような人がいいわ、優しくて。シナカお姉様が羨ましい」
 そこへ、夢見る乙女心を傷つけるような声。
「やめた方がいいぞ。ああ見えて殿下は意外に不親切なんだから、理屈ぽいし」
 振り向くとお茶の香りに誘われてやってきた親衛隊。
「それよりどうです、私のところに来ませんか。大事にしますよ」
「却下」とディーゼは即座に断った。
「却下って、やっぱり顔じゃかなわないか」
 ルカが美男子だと言うことは王宮はおろか、今ではネルガル中に知れ渡っていた、クリンベルク将軍に次ぐ常勝将軍としての噂と共に。クリンベルク将軍より若いルカはネルガル中の女性を虜にし始めている。
「私、顔はどうでもいいのよ」とディーゼはそっけなく言う。
 じゃ、何が? と訊きたくなる男に対して答えたのは親友であるはずの同じ親衛隊。
「それじゃ救いようがないな。顔なら幾らでも整形ができるが、心が気に入らないのでは」
「心って、俺は殿下より優しいぞ、絶対」
 ディーゼはぷっと頬を膨らませると、
「私、ルカお兄様の悪口を言う人は、嫌いなの」
 ディーゼは怒ったのか大股で館の方へ歩いて行ってしまった。
「まったくお前は、女心が解らないんだから、そう言うことだから彼女ができないんだよ」
「女心って、相手はまだ十歳だぜ」
「十歳だって、立派な女性だ。その女性を相手に彼女の目の前で彼女の憧れている人の悪口を言ったら、嫌われるのは当然だろう」
「じゃ、お前ならどう自分をアピールするんだよ」
「俺か、俺なら、まず相手を持ち上げておいてさりげなく自分をアピールするな」
「どういうふうに?」
「殿下はとても優しい方だ。でも私だって優しい。どうですか、一度付き合っていただけませんか、殿下と私とどちらが優しいか。てな感じかな」
「なっ、なるほど」と感心する。





 ルカは久々に清々しい朝を迎えた。否、昼か? 夜か? ルカは時間の感覚を失っていた。キュリロス星を発ってから今まで、ルカはずっとまどろみ続けていたような気がする。思えばあの化け物も、夢だったのかもしれない。だがシナカのことに関しては夢にしてはあまりにも生々しかった。今思い出しただけでも胸の中が熱くなる。
 腹の虫が泣いた。ルカは慌てて腹を押さえる。だが虫は泣き止まない。
「まずは、こちらを黙らせる方が先ですか。これでは思考もおぼつかない」
 見れば部屋の片隅、テーブルの上に食事がよういされている。冷めてはいるが次の食事の時間がいつなのか見当もつかない。ルカはそれらをペロリと食べると、シャワー室に向かった。またあの化け物が居るのではないかと恐る恐る中を覗き込んだが、中には何もいなかった。洗面用具やタオルがきれいに整えられている。私が寝ている間にケイトさんがきれいに掃除をしてくれたようだ。やっぱりあれは夢だったのか。何もいなかったと確認したにもかかわらず、ルカは恐る恐るシャワーを浴びる。あの化け物はシャワーを浴びていたらいきなり鏡に。だが今回はルカ以外の人物は映っていない。ほっと安心してもう一度鏡を見ると、そこに顔。ルカは慌てて後ろを振り向く。
「ケイトさん」
「すっ、すみません」
 ケイトは慌ててシャワー室の扉を閉めた。扉越しに、
「様子を伺いに参りましたところ、お姿がございませんでしたので。そしらシャワーの音が聞こえたもので、もしや中でお倒れにでもと思いまして」
 たどたどしく必死で自分の行動を弁解する。
「心配おかけいたしました。もう大丈夫です」
 ルカの声は思ったより元気である。否、それどころかどことなく嬉しそうでもある。
 ケイトはガウンにくるまってシャワー室から出てきたルカに声をかける。
「何か、いいことでもあったのですか?」
 ルカはどうして? という顔をしたが、
「やっぱり、わかりましたか」と開き直る。
 ケイトさんにばれるようでは隠しようがない。
「やっぱりいいことあったのですか?」
 ルカは濡れた朱色の髪をタオルで拭きながら、
「ここだけの話しですよ」と声を潜めると、
「シナカの夢をみました」
「奥方様の?」
 夢だけでこんなに嬉しくなるものなのだろうか? と思えるほどに今のルカは幸せそうな顔をしている。
「それで、お元気でしたか」
「それは、夢ですから。自分の都合の良いように見るものです」
「そうですね」とケイトは相槌を打った。
 しかし、自分の場合はそうとは限らない。
「お夕飯の用意ができたのですが、どうなされますか?」
「今、食べたところですからね」
「でも朝も昼も、食堂の方に顔をお出しにならないものですから、皆さん心配しております」
「それであなたに様子を見て来いと?」
 ばれましたか、と言う感じにケイトは照れ笑いする。
「仕方ありませんね、果物でもよばれに行きますか。でももう夕方になっていたとは知りませんでした。私は今日一日、うとうとしていたようですね」
「お疲れだったのでしよう。キュリロス星を離れ、やっと肩の荷をおろされたのですよ」
 言われればそうかもしれない。だがそれだけではないような、何だろう、この気怠さ。だが心は爽快である。何なのだこの体と心のギャップは。


 ルカが食堂に顔を出すと、皆が、
「ゆっくり休めましたか」
「疲れはとれましたか」と、声をかけてくる。
 皆がかなり心配していたことがうかがえる。
「ご心配をおかけいたしました」とルカが言うと。
「後は帰るだけですから、俺たちに任せてゆっくりしてください」と、誰ともなく言ってくる。
「ええ、ではそうさせていただきます」
 ルカは果物だけを取ってテーブルに着く。
 そこへ酔いどれトリスがやって来た。相変わらずの千鳥足、アルコールの臭いをぷんぷんさせながら、だが不思議と物にぶつかることはない。人にはぶつかるが。
「よっ、やっとお目覚めかい」
 言うや否やルカのトレーを覗き込み、
「果物だけかい、飯はどうしたんだ。そんなものべぇー食っているから何時になっても疲れが取れないんだよ」
「食事はさっき、部屋で済ませて来たのです」
「部屋で?」と、トリスは疑わしい目をしてケイトを見る。
「本当です。お昼の分として用意してあったものを」
「そうか」と信じるトリス。
「どうして私の言葉は信じないのにケイトさんの言葉なら信じるのですか」
「そりゃ、決まってんだろー。ケイトの方がお前より素直だからさ」
 むっとするルカに、
「途中でよる星だが、ルビニエツキ星系と言うことにしたから。既に軍部にも連絡済み、今から変更はできないぜ。文句はないだろ」
 ルカが寝ている間に全てトリスが段取ったようだ、既に文句の付けようがないほどに。
「文句はありませんけど、その星系はこれだけの艦隊を賄えるのですか」
「心配ない、全ての男に女一人は当てが得られるだけの娼館がある」
 ルカは呆れた顔をすると、
「この艦隊には女性もいるのですよ」
「それも大丈夫だ。高級ゲイバーもある」
 ルカは顔にも出せないほど呆れ果てた。どういう基準で休息の星を選んだのだろうかと。
「ところでお前、いい顔しているな」と、トリスは先程からルカを睨みつけていると思ったら、いきなり言い出した。
「さっぱりした顔をしている。何か、こう吹っ切れたような」
 どこがどうさっぱりしているのかと言われればトリスにもよくわからないが、よく寝たせいなのだろうか、それとも帰れる喜びか。そうか、とトリスは思い当たったことがあったのか拳で自分のもう片方の手のひらを叩いた。
「さては、母ちゃんのパイパイでもすすっている夢でも見たか」
 何時までも私を子ども扱いするな、とルカは声を大にして言いたかった。同じすするでも今回は母のではなく、シナカのだったと。だがそんなことトリスに言ったのでは後が怖い。
「今度は夢ではなく本物のパパイがすすれるぜ、いい女紹介してやるから」
「結構です」と、ルカは即答した。
「やれやれ、どうしてそう一人の女だけで満足できるかな」
「シナカ以上の女性はこの銀河にはおりません」
「はいはい」
 こうなるとトリスは尻尾を巻いて退散するしかなかった。
「まったく困ったものですね、トリスさんにも」とケイト。
「どうしてああ、女の尻べぇー追い回せるのか、いくらビンタもらってもこりないんだぜ」と言ったのはロン。
「はたき方がいいなんて、かえって惚れ込んだりしてな」
 わかんねぇーわかんねぇーと首を振りながら、ロンはトリスの後を追った。その行為こそケイトには理解できなかった。
「なんなのでしょうね、あの二人」
 代わりに現れたのはケリンだった。
「気分の方は、もうよろしいのですか」
「ええ、おかげさまで」
 ケリンは椅子を引くとルカの前に座る。
「今日は一段といい顔しておられますね、やっと疲れがぬけたという感じですか」
「そう見えますか、先ほどトリスさんにも言われました」
 ケイトはルカに顔を寄せると、
「では、少し見てもらいたいものがあるのですが」と、改まって話し始める。
「見てもらいたいものですか」
 ケイトがルカの体調を思いまだ早いと止めようとした時、そのケイトを制するかのように、
「何でしょう?」とルカ。
「あなたが刀を振り回していた時の映像です」
「撮影していたのですか」
「途中からですが」
「何か、映っておりましたか?」
「否、何も」とケリンは肩をつぼめて首を振る。
「だが、ただ不思議な現象が。それを見つけたのはケイトですが」
「ケイトさんが」とルカはケイトの方を向く。
 ケイトはあの現象をどう説明しようかと悩んだ。
「聞くより見た方が早い」
「わかりました」と、立ち出すルカに、
「果物だけでも食べて行ったらどうですか。私はまだ夕飯を取っていないもので」
 ケリンはルカの前で夕飯を済ませると、そのまま二人はコンピューター室へと姿を消した。
 映像を見ること暫し、
「どう思いますか?」
「確かにあそこに何か居る、もしくはあるということですね」
 だがそれ以上の分析は出来なかった。
「異次元空間ですか」
「おそらくあの原理がわかれば、テレポートも可能だろう」
「イシュタル人に訊いてみますか」
 ルビニエツキ星系へ行けば異星人に会える。その中にはイシュタル人もいるはずだ。ただ向こうから名乗ってくれない限り、こちらからは見分けがつかない。
「それも一つの方法でしょうが、彼らがどのぐらいテレポートを科学的に分析しているのかが問題です。彼らにとってテレポートとは、我々が前進するのに右足を出したら次に左足を出すような感覚ではないのでしょうか。ほとんど無意識のうちにその行動を取っているような」
 ボイ星で会ったイシュタル人はそうだった。行きたいと思っただけでその場に行ける。彼らにとってテレポートとは生まれつき備わっているもの。我々が歩むのと同じ感覚。彼らはこの特殊能力が故に忌み嫌われた。それがイシュタル人の始まり、元をただせば我々と同じ人種。
 そう会話をしながらもルカの目は映像から離れようとはしなかった。
 アヅマとどうにか交渉したい。こちらから戦争を仕掛けて交渉もないが、もし彼らと戦うようなことになれば、今のネルガルの実力では。それは確かに軍事力も資金も彼らよりはるかに勝っている。だがテレポートを駆使したゲリラ戦を展開されたら、今の我々には手の打ちようがない。



 それから数日後、ルカの率いる宇宙艦隊はルビニエツキ星系に到着した。宇宙港に着岸した宇宙艦船はルカの艦隊では恒例になっている誓約書におのおのサインするとシャトルに飛び乗り地上へと降下した。その誓約書には常識的な日常の決まりが書かれていた。行動はその星の法律に基づくものとし、特に酒上のトラブル、暴行は一切禁止されている。もしこれらの約束を破った者は、その身柄をその星に預けその星の法に基づいて裁くということになっている。その星がどんなに野蛮であっても、これに関してのルカの態度ははっきりしていた。一切の妥協を認めない。そのためのサインである。そこにはその星の法律で裁かれることが鮮明に記載されている。これだけの人数、こうでもしなければ規律が保てない。人は罰せられないとなると幾らでも羽目を外す。
 兵士たちが狭い艦船、狭いとは言え宇宙遠征のためちょっとした娯楽施設も備えられている艦である。だがやはり惑星の広さにはかなわない。兵士たちが狭い艦船から惑星に降り立つと、真っ先にすることは深呼吸だ。そして宇宙艦船より狭いのではないかと思える酒場へと急ぐ、蟻の行列のように。
「あれでは宇宙艦船の方がはるかに広いと思いますが」と感想を述べるクリス。
「そうですね」とルカは相槌をうちながらも、
「私たちも狭いところに入って行きますか」
 ショッピングモール、ここでシナカへの土産を買おうとルカは思った。
(どうじゃ、元気じゃろー)
 頭の中でいきなり声が響いた。
 リンネルは慌てて辺りを見回す。雑多な中にその姿を見出し、
(ヨウカ殿)
 ヨウカは一段と妖艶な姿になっていた。今まで以上に肌に艶が出て来たと言うか、殿下の生気をかなり吸っているようだ。だが殿下に体力の衰えはない。それどころか以前にもまして溌剌として来ている。トリスなどに言わせれば家(奥方)が近づいてきているからだろう、とのことだ。
(シナカの魂を呼んでやったのじゃ。毎晩では体力が持たぬから、ほどほどにのー)
(奥方様の?)
(そうじゃ。主様なら肉体ごと呼べるが、わらわじゃ魂が精一杯じゃ。その報酬と言っちゃーなんじゃがのー)
 ルカの生気をいただいていると言うわけだ。
(エルシアとの約束じゃからのー、十五までは待つと言う)
 誰にも文句は言わせないというところらしい。
(わかっております)
(わかっておるならよいが、何か不服げな顔をしちょるからのー)と、ヨウカは楽しそうに笑う。
(本当に殿下に間違いはないのだろうな)とリンネルは念を押す。
 間違って命を奪うようなことは。
(そなた)とヨウカは鋭い目でリンネルを睨めると、
(わらわと奴の付き合いは、何万年だと思うちょるのじゃ)
 ネルガル人のリンネルには想像もつかないほどの長い歳月。
 ヨウカは脹れたまま姿を消した。
 リンネルは慌てて時計を見る。やはり時間は一秒と経っていないようだ、三次元の会話が不自然なく続いていた。
「どちらへ行かれるのですか?」
「シナカへの土産を探しに。あなたは誰か好きな人はいないのですか」
 そう問われて戸惑うクリス。
 ルカは別にクリスの答えを待っていたわけでもないようだ、いそいそとアクセサリー売り場へと向かう。
「奥方様のところへ戻れるのが、よほど嬉しいようですね」とケイトはトリスに耳打ちする。
「ホルヘさん、見繕ってもらえませんか、私にはどうも」
 いまいち細工のよさがわからないようである。
「それ、無理ではありませんか。ここにはホルヘさんに敵うようなものはありませんよ」
 高級品売り場に行かなければ。そこにすらあるかどうか。
 売り場から売り場へとそぞろ歩くルカの一行、そんな彼らを目で追う人物がいた。
 やっと見つけましたよ、エルシア様。


 シナカへの手土産を選び終わったルカ一行は、町の一角にある公園を散策し始めた。
「やっぱり、惑星はいいですね」
 頭上を見上げれば枝の間から見えるオレンジ色の空、ネルガル星より窒素がおおいせいなのだろうか。そして植物。植物とは不思議なものだ、どの惑星に行っても似たり寄ったりの形をしている。もっとも中には奇抜なものもないことはないが、それですら得てして我々の惑星のどこかにあるような気がする、ただまだ私が見ていないだけで。しかしこれだけ似ていると言うことは、同じ種子から進化したとしか考えられない。おそらくどこかの惑星、あるいは我々の惑星の空気中に舞った種子がいつしか成層圏をぬけ、数千年、否、数千万光年の旅の果てにこの星にたどり着き根を下ろしたものなのだろう。そしてこの惑星の環境に適応して来た。それが今の姿。だが元をただせばイシュタル人とネルガル人のように同じ種から分かれたにすぎない。だからどの惑星に行ってもどことなく似ていて私たちをほっとさせてくれるのだろう。そしてこの水。水はどの惑星でも植物を育てるのに大事な役を担っている。
 ルカは池の畔のベンチに座る。
「殿下、どうされました」
 ルカはいつしか周囲の人たちの存在を忘れ、一人思考に埋没していた。
「どんな惑星にも、生物が居るところ、池があるものだと思いまして」
 ルカはくるりとみんなの方を振り向くと、
「どうですか、泳いでみませんか。幸い、遊泳禁止という立札はないようですし」
 確かに遊泳禁止の看板はない。だが誰も泳いでいないのも事実だった。
 ルカは言うが早いか、上着を脱ぐとそのまま飛び込んだ。止める暇もなかった。
「でっ、殿下!」
「あなたたちも、一緒にどうですか。気持ちいいですよ」
 皆、顔を見合わせた。いくらなんでもそこまで付き合う義理はないと判断する。
「まあ、竜の素性は水ですから」とホルヘ。
 水を見れば飛び込んでしまうと言うこの奇怪な行動も致し方ない。
 皆がやれやれとルカの泳ぎを眺めていた時である。何か巨大な生物がルカの後を追った。水飛沫が、サメかワニか怪獣か。一同は一斉に飛び込んだ。
「殿下、危ない!」
 誰ともなく叫ぶ。
 だが次の瞬間、波はおさまり池は鏡のように滑らかになり、ルカはその中を優雅に泳いでいる。
「今のは、何だったのですか」
 誰ともなく問う、お蔭で皆でずぶ濡れだ。
「これなら殿下に誘われた時、一緒に泳げばよかった」と言いながらも、未だに警戒心は解かない。
 たがリンネルだけは気づいた。池の畔、巨大な大蛇が腹を上にして楽しそうに体をくねらせ笑っているようだ。
(ヨウカ殿)
 それはホルヘにも見えたようだ。
「白蛇様のいたずらでしたか」とホルヘはリンネルに囁く。
 だがホルヘの見た白蛇は一メートル足らずの小さなもののようだ。
「着替えを用意した方が」
「そうだな」
「兄に持ってきてもらいましょう」
 ホルヘはキネラオへ連絡を取る。
 暫くしてキネラオが数人の親衛隊とともに地上カーでやって来た。
 その頃ルカは、泳ぎ疲れて岸に上がったものの、公衆の面前で裸になって濡れた服を乾かすわけにもいかず、そのまま着て岸に座り込んでいる。
 その姿を見た親衛隊たちはやれやれと言う顔をしかめる。
「キュリロス星では池に飛び込むようなことはなかったのですがね」
「これさえなければ我が主は」 銀河一だと豪語できる。
 ルックスもいいしスタイルもいい、おまけに知性があり血筋もいい(平民から見れば)、そして金もある。非の打ちどころがないはずなのに。
「無くて七癖か」とため息。
「一つぐらい、愛嬌さ。完璧じゃ、近づきがたい」
「そうだな」と、納得せざるを得ない。
 それに対してボイ人たちは、
「竜神様ですから当然です」と、この非行を寛大に受け入れている。
「まったくあなた方は、心が広いと言うか深いというか」と、親衛隊たちは付き合いきれないと肩をすくめる。
 キネラオとホルヘで着替えを手伝い、地上カーでホテルへと向かう。その道中、
「ルビニエツキ星の人々が謁見を願い出ておりますが、いかがいたしましょう」
 どうやら彼らの目的はルカの着替えより、こちらのほうだった。
 ルカは暫し考え、
「わかりました。ネルガル星のあるアパラ星系方面のワームホールが開くまでもう暫く時間があるようですので、皆さんにお会いいたしましょう」
 ワームホールが開くまで、まだ数日ある。それまでの暇つぶし。それに生の情報を得ることは重要だ、勉強にもなる。
 ルカはシャワーを浴びると略式礼装に着替え、ホテルの一室を借り軍旗を掲げ出迎えた。猛禽類ではなく竜の紋章。これには皆驚いたが、その迫力はすぐさまルビニエツキ星中の噂になった。まず最初に現れたのはルビニエツキ星の政界の面々、次に財界の面々だった。それぞれネルガルとの太いパイプを欲している。ネルガルのどの王子と親交を深めるのが一番有利か計算しての行為である。一昔前まではルカなど鼻にもかけられない存在だったが、今では違う。誰もが親交を深めたがっている。それだけルカの実力がこの銀河で認められ始めている証拠だ。
 三日も行えばさすがのルカも疲れたと見え、
「後、どのぐらいいるのですか?」
「後から後から並びますから、一向に数が減りません」
「そうですか」
「そろそろここら辺で打ち切られたらいかがですか」
 そろそろ帰還の準備もしなければならない。最後の航宙、次にワームホールをぬけた時はシナカの待っているネルガル星が見える。
「それでは後五人で、後の方々には悪いのですが丁重にお断りしてください」
「畏まりました」
 親衛隊の二人が通路へと出て行く。そして五人目を最後に謁見の終了を伝えた。するとその中にどうしても会わせてほしいと言い張る者がいた。
「ここで、打ち切りだ。後は帰ってもらおう」
「そこを、何とか」としつこく食い下がる。
「何だ、ネルガル人ではないか、何の用だ」
「私はマルドック人と旅をしている者ですが、是非とも殿下にお目にかかりたい」
「聞こえなかったのか、もう謁見は」
「そこを何とか」
「お前も、しつこいな」
「お願いいたします」
「いくら頼まれても、駄目なものは駄目だ」
 ここで一人だけ許可を出しては終止符が付かなくなる。
「帰れ、帰れ」と追い払う。丁重にと言うルカの言葉はどこへやら。
 五番目以降の人々は渋々と帰って行ったがその男は諦めないようだ。じっとこっちを睨んで立ちすくんでいる。
「聞こえなかったのか」
「わかりました」
 やっとのことでその男も去って行った。
 やれやれと肩の荷をおろしたような親衛隊たち。謁見の客人に紛れて刺客が居るかもしれない。そのことに気を張っていたせいか、これで終わりだと言われてほっとした。これと言って怪しい人物もいなかったが、最後の男がどうも気になる。何故ネルガル人がマルドック人などと一緒に仕事をしているのだ?

 最後の客人が去って、お疲れ様でしたと挨拶をし合う。
「本当に助かりました。やはりこう言うことは女性にかぎりますね」と、ルカは秘書兼接待係を務めてくれた女兵士たちを労った。
「いいえ、こちらこそ、お役にたてて光栄です」
 女性なら誰もがこの美しい殿下の側近くで働きたいと願う。
 皆が謁見の間を出、何時ものメンバーになった時のことである。すーと人影。その男は音もなく通路に現れると、扉も開けずに中へと入って行った。
 それに気づいたのはケリンとリンネルだった。リンネルはルカを背後に庇いケリンはプラスターを構えた。コンマ数秒という速さ、だがその男にその気があったならおそらく間に合わなかっただろう。ケリンもそれを知ってかプラスターの引き金は引かなかった。
「何者だ!」
「どうやってここへ!」
「守衛は何をしていたのだ!」と、ケリンとリンネルで問い詰める。
 男は何から答えてよいか迷った。直接この部屋にテレポートしてもよかったのだが、それではあまりにも失礼だと思い、一旦部屋の外へテレポートした。そしてドアを通過してきたのだがドアマンは誰も気付かなかった。
「あいつら、何処を守備しているのだ!」
 ルカはいきなり目の前に現れた男をじっと見詰めている。
「どこかで、お会いしたことがありますか?」
 何となく知っているような気がした。
「いいえ、直接お会いしたことはございません。私どものようなものがあなた様に直接お会いするのは憚られますから」
「それはおかしいですね、イシュタル人には身分の差別はないと聞きましたが」
 誰でも平等、太陽の下、上下はない。王もいなければ奴隷もいない。これがイシュタルだとルカは聞いていた。ある意味ボイ星と同じ。ボイも王と名乗りこそすれ彼らの王は我々ネルガル人の描く王とはイメージが違う。どちらかと言えば代表者のような存在。
 男はゆっくり跪くと、
「身分の差はございません。しかし自らを恥じるということはございます」
「自らを、恥じる?」
「美しい花を目の前にして、自分の手が汚れているので触れることができなかったというご経験は?」
 花でなくともよい女性でも。泥でなくともよい血でも。
 ルカは自分の手を見た。心当たりはある。シナカに触れようとして自分の手があまりにも穢れていて躊躇したことが。
 男はますます小さくなった。まるでこの場に居るのが場違いだと言わんが如くに。
「私に何か用ですか?」
「お人払いを」
 ルカは周りの者たちを見た。だが誰一人部屋から出ようとはしない。
「無理です。こんな怪しい人物がいるのに殿下一人にするのは」とクリス。
 誰もがその言葉に頷く。
「しかし、何人いても同じだろう。さっきこの男に殿下を殺す気があれば我々は防ぎようがなかった」とケリン。
 それはリンネルも認めるところだ。
「しかし」とクリスはケリンを見る。盾ぐらいにはなれるのではないかと。
「ここは私と大佐に任せて他の者たちは」
 ケリンはホルヘたちの方を見た。
 イシュタル人が今までに殿下に危害を加えたことはない。もしそのようなことがあれば我々には防げない。これが今までイシュタル人と接触した時の印象だ。
「わかりました」と、ホルヘは答えると他の者たちを引き連れ部屋を出た。
「人払いは済んだ」とケリン。
 だがまだ男は話そうとしない。
「申し訳ないが我々は」
「この二人なら心配は及びません。口は堅いし、私は全面的に信頼を寄せておりますから」
「エルシア様がそう仰せになられるのでしたら」
 これではっきりした。この男はルカに会いに来たのではない。
「悪いが、私はエルシアではない。ルカだ」
 男は怪訝な顔をしてルカを見上げる。
「まだ、ご記憶が?」
「記憶も何も」とルカが言いかけた時、
「では、聞いて下さるだけでかまいません。何時か思い出されるでしょうから。でも出来るだけ早く思い出していただきたい。このままでは主様があまりにもお可哀そうすぎる」
「主様?」
「主様のご記憶もないのですか?」
 男は驚いたように目を見開く。それからゆっくり視線をそらすと大きな溜息を吐いた。
「お戻りにならないのも無理はありませんね、ご記憶がないのでは」
 男はまた溜息を吐くと、
「主様からのご伝言です。早く帰って来て欲しいと。私が主様からのご伝言を受け取り、この広い銀河であなた様を探し当てるまでに三千年もの月日を費やしてしまいました。もう少し私に能力があれば瞬時にあなた様を探し出せたものを、悔やまれます。主様は今でもイシュタルであなた様のお帰りを待っておられます。早く戻って差し上げて下さい」
「少し、待ってくれないか」
 ルカは手の平を男の方へ突き出すと、男の言葉を遮った。
 ルカの頭は混乱していた。
「三千年前?」
「私が主様にお会いしたのは三千年前です。おそらく主様はそれよりはるか以前から、ずっとあなた様のお帰りを待ちわびているのだとぞんじます」
 気が遠くなりそうな話だ。
「済まないが、ネルガル人の寿命はほぼ百年です。百年も生きられれば長生きの方です。イシュタル人の寿命はどのぐらいなのでしょう?」
「イシュタル人もネルガル人と同じです」
「では、三千年とは?」
「肉体の寿命は百年ですが魂は不滅です」
「魂の寿命ですか」
 ルカは顎に手をあてると考え込む。
「するとエルシアは何年ぐらい生きているのだ?」と、訊くともなくルカは呟いた。
「エルシア様はあなた様です」
「私は、ルカです」
「現世のお名前が」
 ルカはじっと目の前のイシュタル人を見る。
「そう言えばまだ、名前を聞いておりません」
「何時の名前でしょう。三千年前の名前ですか、それとも今の?」
 ルカはリンネルやケリンと顔を見合わせてしまった。
 イシュタル人には名前がない。つまりこういうことなのか。
「エルシアとは何時から使っている名前なのですか」
「さあ、私は存じ上げません。主様がそう呼ばわれましたのでおそらく私が主様にお会いする以前からだとぞんじます」
 ルカは黙り込んでしまった。暫くして、
「私は、何処へ帰ればよいのですか?」
「主様の元へです」
「つまりイシュタルへ」
 男は頷く。
「それも、出来るだけ早く」
「その、主様とか言う人は、体の調子でもお悪いのですか?」
 そんなに急ぐのでは。
「あなたが傍におられなければ、何もできません」
「どういう意味でしょうか?」
「ご記憶にありませんか?」
 ルカはさっぱりわからないと言う感じに肩をすぼめてみせる。
「ネルガルでの生活が長かったようですね」
 そう言われてもルカには、まだこの星に生を受けて十五年、長いも短いも人生はこれから。
 どうしてもご自身のことがわかっていないルカの姿を見て、男は懐から石飛礫のようなものを取り出した。
「これを」と、ルカの方に差し出す。
「護身用にと主様からいただいたものなのですが、あなた様のご記憶の助けになるのでしたらと思いまして、お返しいたします」
「返すって?」
「主様からいただいたものは、あなた様からいただいたも同じですから」
 ルカには意味がわからない。
「そのうちわかるようになります、ご記憶がお戻りになられれば」
「無理だと思う」と言うルカに、
「これは、ご存知ですか?」
「武器ですか、イシュタル人の」
 クリンベルク将軍の武器コレクションの中で見たことがある。クリンベルク将軍が、どうやら武器らしいと言っていたことも。
「懐剣とか言っていましたか、私たちからすれば怪剣になりますか」と、ルカにしては下手な冗談を言う。
 男は苦笑した。
「武器という訳ではないのです。道具の一種です。ただ武器にもなるというだけのことで」
 大きさは大人の男性の握りこぶしぐらい、乳白色で美しい石だ。
 ルカはその石を受け取ると、まじまじと見詰めた。不思議と手の中にしっくりと納まる。思ったより重さもない。
「何か、思い出されましたか?」
「いや、何も。それより、これはどのようにして使うのですか?」
 武器にもなると言うが、ただの石飛礫では一回投げて終わりではないか。それともこれが破裂するとでも?
「貸していただけますか」と、男はルカから懐剣を受け取ると、
「こうするのです」
 男が目をつぶり何かを念じた瞬間、乳白色の石は鋭い剣へと姿を変えた。
 思わずリンネルが腰のサーベルへと手をかける。
 男は剣を百八十度反転させると、柄の方をルカに差し出す。
 ルカは恐る恐るその剣を受け取った。まじまじと観察する。刃こぼれ一つない美しい剣だ。
「切れるのですか?」
「それはその剣を持つ者の能力によります。私ではせいぜい鉄ぐらいまでが精一杯ですが、あなた様でしたら軍艦ぐらいは」
「軍艦!」
「剣の大きさは自由になります」
「どういう意味だ?」とケリン。
「百聞は一見にしかず、やってみましようか」
「何を切るつもりだ」と、リンネルは警戒する。
 ここで剣を振り回されたのでは。
「缶詰などあれば、ありがたいのですが」
「缶詰?」
 ルカは艦が撃沈された時の用心に、どの部屋にも缶詰を常備食として置かせてある。万が一の時には、それだけでも持って逃げ出すようにと。既に薬は最低限度のものはスカーフに縫い付け常備身に着けている。薬と食料があれば数日は持ちこたえられるだろう。もっともその間に助けが来ることが前提だが。
 ケリンは壁に飾られている缶詰の一つを持ち出すと男に差し出す。男がそれを受け取ると剣が消えた。代わりに握りこぶしぐらいの缶切りが現れる。男はそれで器用にキコキコと缶のふたを開けた。
「いかがですか」と、男は缶詰をルカに差し出す。
 ルカは缶詰より男のもっている缶切りのほうが気になった。
「なるほど、道具とはこういう意味なのですか」
「これは、頭に描いた物に形を変えるのです。例えば水が飲みたいと思えば」
 その乳白色の石は今度は器へと形を変えた。
 ルカはその器を手に取って見る。
「なるほど、これ一つあれば重宝ですね」
「やってみますか?」
「私がですか?」
「そもそもこれは、あなた様の物ですから」
「私の?」
 そこら辺がまだルカには意味がわからない。どうしてこれが私のものなのか。
「私にも使えるものなのでしょうか」
「あなた様が本気になれば、軍艦どころか惑星ですら切ることができます」
「惑星? それはどういう意味ですか?」
「惑星を真っぷたつにすると言うことです」と、男はあっけらかんと言う。
「もっともあなた様ではなく、あなた様の背後に控えおられるお方ならと言うべきなのでしょうか」
「あの、白蛇が」
 ルカに憑いているのは白い蛇。
「白蛇?」と、男は訝しそうな顔をする。
 どうやら男には心当たりがないようだ。
「主様のことですよ」と、男は言いかえた。
 ルカは考え込む。白蛇と主様とは別もののようだ。もっともあの白蛇は主に言いつかって私を守っているとリンネルには言ったそうだから。
 ケリンは男からその乳白色の石を受け取ると、光に透かしてまじまじと見詰める。
「こんなもので惑星が破壊できるのですか」
「ですから、それはそれを扱う者の能力によります。あなたや私がやったところで人や大根を切るのがやっとです」
 ケリンはそれをルカに渡す。
「試してみたらいかがですか?」
「惑星をですか?」
「いきなりそれは無理ではないか。とりあえず何かを」
 缶切りと言うのもショボイ気がするが。
 ルカは暫しその石を眺め、男に訊く。もしかするとこの男なら知っているかもしれないとささやかな期待を込めて。
「私の村には古の言い伝えがあります。その言い伝えては、私がネルガルを離れるとネルガルが滅ぶと言う。何か、心当たりはありませんか」
「私にですか?」と、男は自分を指し示した。
 ルカは頷く。
「申し訳ありませんが、私は犬や猫に転生したことはあってもネルガル人に転生したことは一度もないのです。つい最近まではマルドック人に転生しておりました。あなた様の情報を得るには銀河を股にかけているマルドック人がいいかと思いまして」
「どうしてネルガル人には転生しないのだ?」とケリンが問う。
 男は苦笑する。
「私はネルガル人が好きではありませんから。傲慢で暴力的で」と言いかけて男は慌てて口を塞いだ。そしてバツ悪そうな顔をすると、
「あなた様がどうしてネルガル人などに転生しておられるのか、こちらの方が聞きたいぐらいです。大抵のイシュタル人はネルガル人を嫌っていると思いますが」
 少なくとも自分が会って来たイシュタル人は今までそうだった。
「そうなのですか」と、ルカ。
「お心を悪くいたしましたか」
「いいえ、うすうすは察しておりましたから」
 ネルガル星に奴隷として連れてこられたイシュタル人。彼らが私たちのことを快く思っていないのは当然。
「あなたはこれからどうなさるおつもりですか?」
「私ですか」と男は暫し考え、
「マルドック人との契約が切れたら、イシュタルへ戻ろうかと思っております。主様にあなた様に伝えたことをお知らせしようかと。出来ればご一緒に戻っていただければ一番なのですが」
 その望みはどうやらかなえそうもない。
「戻る前に、この使い方を教えていただけませんか」
「それはかまいませんが」と、男は考え込む。
 どう教えたらよいのか。イシユタル人なら物心付いた時から玩具として使っている。遊びながら覚えて行くものである。これと言って教わったことはない。気づけばいつの間にか自由に使えるようになっていた。もっともその能力の差は歴然だが。だがそれは集団の中には必ず頭がいい奴がいたり、足の速い奴がいたりするように能力の強い奴もいる。ただそれだけの違い。
 とりあえず、何か形が出来れば後はご自身で思い出されるだろうと思った男は、ルカの右手に懐剣を握らせると、「失礼」と言ってそっと腕に触れる。
「心の中に何かをイメージしてください」
 ルカは目をつぶり一つの物をイメージした。
「そしたら次に私がせーのと言いますから、そしたら手の中で懐剣がその形になるところをイメージしてください。そうすればその懐剣はその形になっております。いいですか」
 ルカは目を開け頷く。
「せーの」
 男が合図をすると同時に電流が走った。凄い稲妻音。リンネルたちは思わず身をかがめ耳を塞ぐ。
 廊下で守備していた者たちが慌てて入ろうとした時、
「実験だ、入ってくる必要はない!」とインターホンに怒鳴る。
『何の実験ですか?』
 怪訝そうに守衛が聞いてきた。
「放電です」
 今度はルカの声も落ち着いていた。
「確かだ。放電を誘導しようとして失敗しただけだ。心配はいらない。それより入って来ると危険だ」とケリン。
『本当に、お怪我はないのですね、大佐は?』
「こちらから指示があるまでそこで待機していてくれ」とリンネル。
『畏まりました、大佐』
 やっと外を鎮めると、ケリンたちは男を見た。
「私ではありません。殿下がおそらく電流をイメージなされたものかと」
 ルカは暫し考えてから、
「最初は剣をイメージしていたのです。ところが彼がせーのと言った瞬間、体中に電流が走ったような気がしたもので」
「私の気をあなた様の体内に流すことによって滞っている気の流れを開いたのですが、どうやらそれがあなた様には電流のように感じられたのですね。人によっては虫が這っているように感じる方もおります」
「もう一度、やってはもらえませんか」と、ルカ。
 男は考え込んでしまった。
「本当でしたら、私があなた様より能力があればよかったのですが、私の力ではあなた様の力が先程のように暴走した時、止めようが御座いません。この部屋の中の方々を、否、部屋だけで済めばよいのですが、それでもかまわないのでしたら」
 かまわなくはない。それでも、
「何となく感覚が掴めたような気がするのです。今度は先程のような失態はいたしません」
「わかりました、ではもう一度」
 男には失態などどうでもよかった。この方の気に触れられる、ただそれだけで。本来なと私など決して触れることのできない方なのに。
 男はそっとルカの腕に自分の手を添えると、
「いいですか、イメージしましたか」
 ルカは頷く。
「それでは、せーの」
 一瞬、手先が光ったと思ったらその先に剣。だがその剣は直ぐに消えてしまった。
「あっ」とルカ口惜しそうに。
「イメージを持続していないからです」と男。
「なるほど」
 ルカはしげしげと乳白色の石をながめた。
「感覚は掴めましたか」
「少し、なんとなくですが。もう一度やってもらえませんか、今度こそ」と言うルカに対し、男はあらぬ方向を見ていた。そして舌打ちする。
「まずい、カンカンだ」と、誰にともなく言う。
「どうしました?」
「私の雇い主が先程から私を探しているのです。もう既に限界です。早くいかないとどやされます」
 男は常々エルシアの情報を得るため彼らのもとを離れることがあった。それを彼らは仕事が嫌でサボっていると取っている。
「あのネルガル人の野郎、また何処かへ隠れやがって、今度こそ、首だ」
 だが替わりの宇宙船が見つかるまでは、男も彼らのもとを離れるわけにはいかない。彼らなら商売になるとなればイシュタル星へも行くだろう、命より金の方が欲しい奴らばかりだから。
「それでは私はこの辺で失礼させていただきます」と言いかけて、そうだ。と思い出したように手を打つ。
「殿下、我々をイシュタル星まで雇ってくれませんか。ちょうど次の荷を探していたところなのですよ」
「私は別にイュタルには用はありませんが」
「そこを何とか。主様に何か贈り物とか。そうすれば私は無事に彼らの船でイシュタル星まで戻れますから。何もなくともイシュタルは魔の星と忌み嫌われ、行く宇宙船が少ないのです。そこへ来て近頃でイシュタルの近辺では宇宙海賊が出たり奇怪な現象が起こったりでますます皆が近寄らなくなっているのです。イシュタル行の宇宙船を探すのは至難の業です」
 男は大袈裟に言う。
「荷があれば彼らは動きます。わりと好奇心旺盛な者ばかりですので」
 命知らずの馬鹿ばかりだからとは心に思っていても言わなかった。
「私を助けると思って、お願いいたします」
 ルカは考えた。先程のお礼をしなければとは思っていたのだが、その見ず知らずの人物への贈り物などと急に言われても、何を用意してよいのか。第一どのような趣向なのかも知らないし。
「あなた様の髪の毛一本でよいのです。それが一番喜ばれます」
「私の、髪の毛?」
 男は頷く。
「それと、できればお言葉を何か?」
「言葉?」
「一番喜ばれる言葉は、直ぐ戻ると」
「それは無理だ」とルカは即答した。
 何故だか知らないが、自分ではそう答えるはずではなかったような気がするのだが、本当はイシュタルに行ってみたい。だが自分の気持ちとは裏腹に。
「ご無理ですか?」と、男はがっかりしたように。
「今の状況では戻れない、これを片付けてからでないと」
 そのこれが、ルカには解らなかった。今のこのネルガルの置かれた状態を言っているのか、それとも別な状況があるのか。何故こんな疑問を持つのかすら自分には解らなかった。とにかく無理だと、心のどこかが言う。
「では、今の状況が片付けば」と言う男の言葉にルカは、永遠に戻れない気がして答えるすべを持たなかった。
 男はそんなルカの姿を見てひとりで納得したのか、
「わかりました。では来世でと言うことにしてお伝えしておきます。私の乗っている貨物船はクソクラエ号、船長はカルメットと言います。殿下から直接依頼してくださると有難いのですが。何しろ危険な空域への航宙ですのでそれ相当の人物からの依頼でなてと、なかなかうんと言ってもらえませんので、よろしくお願いいたします。では宇宙港でもう一度お会いいたしましょう。これで仕事を取って来たと言えるので、今までのサボりは帳消しになります」
 一石二鳥、男はそう言い残すとイシュタル特有の礼を取ってルカの前から姿を消した。
「あいつ、まだこちらは依頼するとも、一言も言っていないのに」とケリン。
「依頼するしかありませんね」と言うと、ルカは爪を噛む。
 何時もの考える仕種だ。こうなると何を話しかけても何の反応もしない。
 彼が主様と呼ぶ人物は一体どんな人物なのだろう。三千年も前から生きているなどと。


 ここは旗艦トヨタマの一室。ルカはそうそうに宇宙港にドッキングしているトヨタマに乗り込んでいた。
 ルカはキネラオに頼んで美しい螺鈿の箱を用意してもらった。ボイ星でも一、二位を競う彼が細工してくれた箱である。何処へ出しても恥ずかしくない。だがその中身が。
「本当に私の髪の毛一本ぐらいでよいのでしょうか」
 何か高価な宝石でも。
「それでよろしいかと存じます」
 そう答えたのはホルヘだった。ボイ人たちはこの美しい箱に髪の毛一本しか入れないことに何ら疑問を抱いていない。それに対し親衛隊たちは、
「こんな美しい箱、手渡されてよ、蓋開けたら髪の毛一本だぜ、そりゃネルガル王子様の高貴な髪の毛かもしれねぇーが、俺なんかあまりの嬉しさに涙が出ちまうぜ、こんなものじゃ腹の足しにもならねぇーってよ。せめて宝石を散りばめたパンぐらい入れてくれって」
 トリスらしい発想だ。
「その必要はないでしょう。おそらくこの箱の受取人は白竜様です」
「白竜? つまり水神だというのか」とケリン。
 ボイ人たちは頷く。
「あの方は水神様のお使いだったのでしょう。白竜様の目は何も見えないと聞いております。おそらくこの箱も見ることはできないでしょう。どんなに美しくとも目が見えないのでは意味を持ちません。おそらく唯一見ることが出来るのはこの箱の中に納まっている殿下の髪の毛だけです。他、何を入れても同じことです」
「どういう意味だ?」とケリン。
「意味はわかりません。ただ私たちはそう聞いております」
 暫しの沈黙。おそらくこの部屋に居る誰もが水神とはどのような生き物なのかと想像していたに違いない。
「本来あなた様はこんな所に居るべきお方ではないのです。白竜様のお側に居るのが本来の姿。先程の男と一緒にイシュタル星へ戻られたらいかがでしょうか」
「否、この艦で戻られたら」
 サミランがそう言った途端、
「それは出来ない!」とルカは強く否定した。
「そんなことしたら、ネルガルが滅ぶ」
 言うが早いかルカは駆けだしていた。
 テレポーテーション。ルカの姿が消える。
 皆は唖然とした。
 皆が騒ぎ出す前に、リンネルが止めに入った。
「静かに、私に心当たりがある。おそらく今のはエルシア様だ」
 エルシア、ボイ人たちは会うのは初めて。ルカは二重人格だと聞いてはいたが。
「次の私の指示を待て。それまで今のことは口外しないでくれ」
 リンネルは宇宙の星々が肉眼で楽しめる展望台へと急いだ。
「やはり、ここでしたか。お久しぶりです、エルシア様」
 ルカはゆっくりと振り向いた。
「後でルカに怒られますね、急に意識を落としたりして」と、エルシアは苦笑する。
「教えてください。何故あなたがイシュタルに戻られると、ネルガルが滅ぶのか」
 エルシアは黙り込む。暫くして重い口を開いた。
「私が全て悪いのです。ネルガルとイシュタルは接触するべきではなかった。そうすればこんなことにはならなかった。全ては私の責任。イシュタルへ戻りたい、彼女の傍に」
 深淵に落ちて行くようなエルシアの想い。
「自業自得です」と、エルシアは悲しい笑みを浮かべた。
 するとすーと笑みが消え、呆然自失のルカが立っていた。目から涙。ルカはその涙を人差し指で受ける。泣いているのはエルシア、ルカには涙の意味がわからない。
「リンネル、私は?」
「心配には及びません」
「あいつが、何か言っていたのですか」
 例えようのない悲しみ。笛を吹いている時と同じ感覚だ。
「いいえ、何も。ただ、星がきれいだと」
 この方向、遥かかなたにイシュタル星がある。レーダーでも捉えることはできないが。
「嘘だろう。本当のところを教えてくれないか」
 リンネルは苦笑する。殿下はもう子供ではない。何時までもその場しのぎの嘘は通用しない。
「イシュタル星に戻りたいそうです」
「でも、戻れない」とルカ。
 その感覚はひしひしと伝わってくる。
 リンネルは頷いた。
「どうして?」
「そこまでは、お話にはなりませんでした」




 ここは地上。先程の男はマルドック人に囲まれていた。
「てめぇー、何処へ行っていたんだよ、このくそ忙しい時に」
「言っておいたはずだ、今度さぼったら首だと」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ船長」
 男は皆の怒りを鎮めるように両手を上下に大きく振り、
「仕事、取って来たんですよ、仕事」
「仕事?」
「ほら、ここまで来たが帰りの荷がないと言っていたではありませんか。その帰りの荷、もっとも方向が少し違いますが。俺だってそうは遊んではいませんよ、少しは皆さんのお役に立ちたいと思い」
 一生懸命に弁明する男。
「それで、どんな荷を何処へ運ぶのだ?」
「それより、まず食事を。まだ俺、飯食っていないんだ。皆さんもでしょ、腹がすいているからカリカリしている」
「当然だ、今、荷卸しが終わったところなのだからな」
「では皆で、あそこででも」と、男は近くにある飯屋を指さし仲間を誘う。
 腹が減っている時に話すようなはなしではないからな、まずは皆さんを落ち着かせてから、ゆっくりと。うん、と言ってもらわなければ困るし。
「次の荷が見つかったのならそう焦ることもないか。まずは腹ごしらえといくか。そこでじっくりと話を聞こうではないか」
 飯をたらふくかっ込み気持ちがでかくなったところを見計り、男は切り出した。
「荷なのですが」
 急に言葉が丁寧になる。
「これくらいの箱を」と、男は両手で二十センチ位の空間を胸の前に作り出す。
「はぁ?」とマルドック人たち。
「おい、俺たちの貨物船の大きさを知っているのか。そんなの定期船に頼めばいいだろう」
「それが、定期船の航路がないところで」
 マルドック人たちは訝しがった。定期船の航路がないと言うことは、よほど辺境の星系か、危険な空域に決まっている。そんな所へ行っていたのでは前者では儲からないし、後者では命が幾つあっても足りない。よほど金をもらわなければ間尺に合わない。
 そこで話は切れた、まだ行先も言っていないうちに。
「駄目だ、駄目だ、そんな仕事」と、船長は顔の前で片手を振る。
「依頼主は、ネルガルの王子ですよ、今噂の」
 マルドック人たちは顔を見合わせた。相手が王子なら、しかもネルガルの王子なら、ふんだくれる。
「ルカ王子か」
 今この星系にいるのはルカ王子の率いる宇宙艦隊。
 男は頷く。
 だがその後で、全員が爆笑した。
「おいコヴァック。嘘を吐くならもう少しましな嘘を吐け」
「嘘じゃありませんよ、本当ですよ」と、コヴァックと呼ばれた男はむきになる。
「まあいい、それが本当だとして行く先は?」と、仲間の一人がからかい半分に訊く。
「イシュタル星です」
 またまた皆が顔を見合わせた。
「イシュタル星だって!」
 仲間の一人が突拍子もない声を出す。
 船長は凄んだ目で男を睨んだ。
「その話、本当なのか?」
「だから、さっきから」
「どうしてお前がルカ王子と?」と訝しがる船長。
 カルメットも何か仕事がないかと、謁見を願い出たがかなえられなかった。まああれだけの申し出がいちゃ、俺の番までは無理だろうと諦めてもいた。案の定、遥か先で謁見は打ち切られた。肩を落としてぞろぞろと引き上げて行く人ごみ。自分もその中の一人だった。どうせこんなことなら並ぶのではなかったと悔やみながら。無駄な時間を過ごした。この間、少しでも走り回っていれば荷の一つや二つ取れたかもしれない。
「ほら、俺、ネルガル人だろう。親衛隊に知り合いがいて、ケリンとか言ったかな、昔の駄知だからすっかり忘れていたんだが、たまたま道端ですれちがってな、訊けば今はルカ王子直属の親衛隊なんだと、随分出世したものだ」
 マルドック人たちはこの男の話を信じてよいものか迷った。この男、ネルガル人にしてはどこか調子がよすぎる。
 マルドック人たちが態度を決めかけている姿を見て、
「まあ、百聞は一見に如かずと言うから、明日ルカ王子に会うことになっているのだけど、どうする、この返事を持っていくことになっているのだけど、出来ないと返事した方がいいのかな?」
 男はわざと否定的な方を言った。
「ちょっ、ちょっと待て。明日だと、何処で?」
「宇宙港だ」
「宇宙港! じゃ、今直ぐシャトルに乗らなければ間に合わないだろう」
「そう言うことになるかな」と、男はわざとのんびりと答える。
「お前、こう言うことはもっと早く言え」
 食後の休息など取っている暇がない。
「だから言っているじゃないか。そしたら船長たちが嘘だの何だのと、ぐぢぐぢ言っているから。それで、どうするのですか返事の方は。御代はかなりはずむそうですよ」
 相手はネルガルの王子だ。それこそ金は浴びるほどある。
「うむっ」と唸ったきり何の反応も示さない船長。
 今ほど船長という重圧を感じた時はない。金は欲しいが命も欲しい。俺一人の命ならともかく乗組員全員の命がかかっているとなると、そう容易く返事もできない。
「どうするのですか、早くシャトルに乗らないと明日までには間に合わない」と、男はプレッシャーをかける。
 事を自分の思うように勧めるには、出来るだけ相手に考える時間を与えないのがコツ。相手の弱みを十二分に引き出しせっつく。ただし相手には自分で判断したような錯覚をさせることが必要。マルドック人は根っからの商売人、金になるとなれば苦労も命もおしまない。今回の取引相手はネルガルの王子。金に糸目をつける相手ではない。これだけの条件を付けてやれば命も売るだろう、深く考える時間さえ与えなければ。イシュタルへ行ったからといって生きて帰れないわけではない。
「とにかく、シャトルに乗ろう。その先はシャトルの中で考える」
「ちょっ、ちょっと船長。本気で行く気なのですか」と仲間の一人がびびりながら問う。
 男はにんまりとした。これでイュタルへ黙っていても帰れる。




 翌朝。
『殿下、例のイシュタル人から通信が入っております。今日お会いしたいのですが、日程のほどはとのことです。船長も一緒とか』
「どこに居るのでしょう?」
『この宇宙港に居るそうです』
「では三時間後に待合室で、来られますかと訊いてみてください」
 通信士は一時ルカとの交信を切った後、直ぐに連絡して来た。
『大丈夫だそうです』
「では待合室で待っていると」
『畏まりました』
 ルカはホルヘたちを見た。
 螺鈿の箱にボイの高級紙に包んだ髪が毛一本。これではあまりにもわびしすぎるので一総にしてみた。だがあまり代わり映えしない。
「やはり何か他の物を」
「いえ、これだけで十分だと存じます」と言ったのはキネラオ。
「私も兄と同じ思いです」
 ルカはじっと箱の中を見詰める。
「どのみちこれをお受けになられる方が白竜様でしたら、何をお入れしたところであなた様の髪の毛以外はお見えにならないのです」
「どうして?」
「そう伺っております」
「誰から?」
 それにはホルヘたちも答えられなかった。言い伝えとでも言うべきものなのだろう。ボイ人なら誰でも知っている。竜神様はお目が悪い。
「まあ、いいです。あなた方がそう言うのでしたら」
 竜神については私より彼らの方が詳しい。だいたい私は竜神の存在を信じてはいない。
 蓋をして箱に入れるとキネラオが丁寧に包装してくれた。中身より器の方が高価というのも珍しい、まあ、そういう贈り物もあってもいいか、銀河は広いことだし。とルカは納得した。
 しかし一体、誰に届くのだ?


 数日後、イシュタル星方面のワームホールが開くと言うことでカルメット船長のクソクラエ号は慌てて旅立った。それをルカは宇宙港にある高級ホテルの一室で見送る。その部屋は前方の窓が特殊強化ガラスで覆われ壮大な宇宙のパノラマが楽しめるようになっていた。照明を落とすとルビニエツキ星系の星々が輝きだす。窓の左片隅にはついこの間まで居た惑星がオレンジ色の光を放っている。まるで巨大な鞠のようだ。その星々の間に数条の光、さすがにイシュタル方面に行く宇宙船の数は少ない。その中の一つがあの男の乗っている宇宙貨物船クソクラエ号だ。
 無事にと思と同時に、一体、どんな人物があの箱を受け取るのか、気になる。
 カルメット船長に受け渡し人の名を問われ、ルカは答えに窮した。その時テレパシー、発信者は目の前の男。
(ゲンと言う男が宇宙港で待っているはずだから、彼に渡してくれ。と仰って下さい)
 ゲン? その男は誰だ? と心に思った時、
(それは私です。主様からいただいた名前です)
 ルカは男を見る。
 男は軽く頷いたようだ。
 ルカは男が言ったとおりにカルメット船長に伝え運賃の半額を前払いした。残金は荷が完全に先方に届いたのを確認してから。
「ゲンからの連絡があり次第、残金をあなたの口座に振り込みます」
 契約成立。これが一般的なマルドック商人との契約である。ただ今回はかなりふっかけられた、危険手当とか言われて。
 ルカは苦笑した。私の髪の毛はこれほどの値打ちがあるのか、この金額では小惑星ぐらい買えそうだ。
「殿下、そろそろこちらも用意いたしませんと」




 ここはキュリロス星から離れること数百光年。某空域に一隻の宇宙船が浮いていた。後にこの船はシャーの幽霊船と呼ばれ恐れられるようになる。この船影を見てその空域から生きて戻って来たものはいない。
「気が付かれたようですね」
 声をかけて来たのは十歳ぐらいの青い髪の少年。
 オネス・ゲーベルはゆっくりと体を起こした。
 ここは何処だ? 俺は一体如何していたのだ? 疑問が湧きおこる。そして記憶が。
「そうだ、俺は」
 崩れ落ちる天井。阿鼻驚嘆の声。落ちてくる天井に押しつぶされそうになった瞬間、亜空間から白い手が伸び引きずり込まれた。
 ではここは、あの世か?
 青い髪の少年の姿は天使のように美しい。だが青は悪魔、ここは地獄か。
「食事にしますか?」
 死んだ者が飯を食うのか? 空腹感。
「俺は、生きているのか?」
 少年は微かに微笑む。
 オネスはまじまじと自分の手を見た。
「生きて、いるのか」
 よみがえる記憶。
「そうだ、俺は」
「完敗でしたね」
 少年は楽しそうに言う。
「そうだ、完敗だった」
 あの時の悔しさがむらむらと湧いてくる。
「妻は? 子供は?」
「見てのとおりです」
 この部屋にはオネスしかいない。
 今まで妻や子供などと思ったことのないオネスだったが。
 涙が湧き出て来た。それと同時に怒りが。
「ルカ・ギルバ、お前を俺は絶対に許さない。宇宙の果てまで追いつめてその息の根を」
「手を、貸しましょうか」
2012-11-02 22:23:22公開 / 作者:土塔 美和
■この作品の著作権は土塔 美和さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 今日は。寒くなってきました。続き書いてみました。長々とお付き合い下さってありがとうございます。コメント、お待ちしております。
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