『巡り橋』作者:鍵 かなた / - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
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 愛。
 愛について考えていた。
 自分が送っていきた彼女との時間は、ただただ愛を薄めてしまっていただけなのだろうか。絵の具に水を垂らすように、少しずつ、透明になっていったのだろうか。僕の彼女への愛は、届いていなかったのか。それとも、むしろそれは重荷になっていたのか。
 外界と遮断された車の中で、僕はそんなことを考えていた。

 幻想的な夜の街並みも、今の僕には、ただ過ぎていく目障りな風景でしかない。
 信号を無視してしまった…。これで何度目だろうか。止まりたくなかった。止まってしまえば、とたんに哀しみと後悔で押しつぶされそうになるだろうから。
 しばらくして、僕は橋へと差し掛かった。県を繋いでる世界最長の吊り橋。この橋を渡ってしまえば、もう彼女とは違うところへ行ってしまう。それがやたらと悲しかった。もう二度とここへは来れないような気がして…
 この長い長い橋を見ていると、僕は彼女との時間を思い出していた。この橋のように、長かった彼女との時間を。

 僕は橋を渡り始めた。

 出会い方が良すぎたのかもしれない。突然の雨で困っていた僕は、近くの公園の樹で雨宿りをすることにした。天気予報も晴れだったので、傘は持ち合わせていなかった。不幸だな、と憂鬱になってぼんやりと濁った空を眺めていた。
 そこへ彼女がやってきた。
 お邪魔します、とぎこちない笑顔を向けて。それから僕はしばらく彼女と話した。どんな仕事をしているか。趣味はなんなのか。休日はどのように過ごしているか。仕事でうまくいっているか。上司の愚痴は特に盛り上がったのを覚えている。彼女は少し照れながら、少し間を置きながらも、会話が途切れることは無かった。
 長かったのか、短かったのか。よくわからないが、気がつくと雨は止んでいて僕は神様に、もう少しだけ、とお願いしてみたが、後は晴れるだけだった。
「あの…ありがとうございました」
 そう言い残して、彼女は水たまりの上を駆けながら去っていった。少しの間話しただけだったが、その言葉は恥ずかしがり屋な彼女にとって精一杯のお礼だったのだろう。

 偶然というのは恐ろしいもので、駅のホームで財布を落とした女性に、声をかけて財布を渡すと、彼女だった。
「「あ…」」
なんて、またお互い苦笑い。こんな出会い方をしてしまうと、どうしても運命や奇跡といった言葉が脳裏をかすめるもので。女性はそういう言葉に弱いと言いますし。
 今は時間が無いが改めてお礼をしたいので、という理由で名刺をもらい、彼女とまた会う約束をした。

 それからは順調だった。積極的な僕と、自分から話しにくい彼女とはお互いに気が合い、どんどんと距離を縮めていった。
 そして僕は告白をした。どんな事を言ったのかは覚えていないが、ごくごく普通の告白だったと思う。僕はお世辞でもいい顔とは言えないし、収入も一般的。性格も良いなんて言えない。そんな僕が自信を持てるはずもなく、緊張で固まってしまって頭の中は真っ白だった。何を言ったか覚えてないのはそのせいだ。
 彼女は心底嬉しそうに、はい、とだけ言った気がする。


 あの時はよかった。僕も幸せで、朝を迎えるたびにニヤけていた。僕もこの生活が続くと思っていた。この幸せが、ずっと。
 気がつけば橋の入り口はずっと後ろになっていた。しかし、この吊り橋からすると、それはまだ半分も過ぎてはいなかった。まだまだ遠くに出口が見える。
 …そう、先は長いのだ。


「え、転勤ですか!?」
 ある日、すでに同居までしていた僕たちに転勤の知らせが入った。仕事柄仕方のないことだが、遠い。七つも八つも県を離れた僕の実家があるところだ。そんなに離れてしまっては、そう簡単に会うことはできなくなる。彼女とよく話すことが必要だった。
 彼女は哀しそうに頷いた。もちろんすぐに理解してくれたわけではなかった。彼女も自分の仕事で忙しいし、幼いころから夢見ていた仕事が軌道に乗った時期だ。僕と一緒に来てくれることはなかった。僕も、自分の仕事の都合で彼女の夢を奪い去ることはできなかったのだ。
 今となっては無理矢理にでも一緒に連れて行くべきだった…。
 今の世の中、携帯電話やパソコンといった便利な通信機器があるため、多少の心配はあったがお互いに納得できた。時の残酷さを甘くみていたのだ。

 うまくいっていた。電話やメールのやりとり、たまの連休には会いに行ったりもした。遠距離恋愛なんて簡単じゃないか。僕の不安や心配はすぐに無くなった。やっぱり愛は距離なんて関係ない。出会いを思い出していた。やっぱり僕たちは幸せになる運命だと思っていた。僕は運命という言葉にすがりついていたのだ。


 やっと半分を過ぎた頃だろうか。本当に長い橋だ。見た目より実際に渡ってみると随分と長く感じる。あと半分で僕と彼女との思い出の場所から離れる。
 別れ…。その足音に気づいたのはここからだった。


 彼女との連絡が少しずつ減っていった。仕事が忙しいから、という理由で。
 確かに彼女は夢を実現して忙しいのはわかる。僕は当然に喜んだ。しかし、この不安は一体なんなのだろうか。この、心で芽生えた小さな黒い芽は一体。
 それが疑いだと気づいたのはもう少し後だった。明らかに彼女との距離が遠くなっていった。電話は呼び出し音が鳴り続け、メールの返信は数日後。運悪く、僕の仕事も忙しくて連休もなかなか来なかった。電話ができたとしても、数分で切られた。疲れているらしい。仕方無い。仕方無いのだ。
 そう自分に言い聞かせるにも限界が来た時だった。運良く連休を取ることができた。彼女と直接会って話すことができる。怒りや憎悪もあったかもしれないが、何より僕はまだ彼女を愛していた。

 もうそろそろ橋の出口だ。あと100mといったところだろうか。丁度良い、僕と彼女との話はもう終わりに近い。ここからは鮮明に覚えている。なにせ、今日の出来事なのだから。80m…60…40…

 
「やあ…」
「久しぶり…」
 待ち合わせは、彼女と初めて待ち合わせをしたレストランだった。挨拶をしたはいいものの、それからが続かない。どう言えばいいのかわからなかった。問い詰めるべきなのだろうか。しかし、本当に仕事が忙しくて連絡が取れないというのなら強引に責める訳にもいかない。彼女も今日のために時間を取ってくれたのだ、できればまた笑顔で、また会おうね、と言って次も、その次も会いたい。しばらく僕は、ああでもない、こうでもないと頭の中でどう切り出すか考えていた。
 しかし、沈黙は彼女のよって破られた。
「ごめんなさい…」
 どういうことだろう。頭の中で葛藤していた言葉の群れは消し飛び、代わりに真っ黒い煙が押し寄せてきた。その正体は不安。できれば次の言葉は聞きたくない。神様が居るなら、せめて時間を永遠に止めてほしいとまで望んだ。しかし、時は進む、残酷に。
「別れましょう」
 聞きたくなかった言葉が容赦なく僕を襲う。
「なんで…どうしてっ」
 かすれて聞き取りにくい僕の質問は、僕のもっとも恐れていた言葉で解答される。
「もう貴方を愛していないの」
 僕はそれから、一言も喋ることができなかった。


 渡り終わった。長かったこの橋を。
 渡ってしまえば、それはただの背景になってしまう。道を進むにつれて橋はどんどん小さくなっていく。あんなに短かっただろうか、あの橋は。
 橋はもう、見えなくなっていた。


―――数年後
 僕は今日も切実に仕事をこなしている。実家の両親は他界し、今は両親の遺した家に一人暮らしていた。当時の心の傷はまだ痛むが、立ち直ることはできた。あの経験を元に、新しい恋は過ちを犯したくないと思う。
 風呂上がり、バスタオルを下半身に巻いて、冷蔵庫からビールを取り出しリビングのソファーに座る。仕事後のこの時間が最近の楽しみになっている。冷たいビールで喉を潤し幸福の声を上げる。
『ブゥーブゥー…ブゥーブゥー』
 机の上に置いていた携帯のバイブレーション音が静かな部屋に響く。開くと、新着メールに1通と表記してある。送信者は、懐かしい人。
 焦る気持ちを抑えながら、ゆっくりとボタンを押していく。メールの内容を見て僕は複雑な気持ちになったが、微笑んだ。

 僕はまた橋を渡ろうとしている。こんどは彼女のところへ向かって。
「もう貴方を愛していないの」
 まだ心に焼き付いているあの言葉。初めは気まずい雰囲気で対面するだろう。しばらくは心から笑顔で話せないかもしれない。橋の出口の様に。しかし、その橋の出口も今は入り口。出会った頃を目指して、また僕は彼女に会いに行く。


 僕は橋を渡り始めた。





2012-10-07 01:47:31公開 / 作者:鍵 かなた
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■作者からのメッセージ

わかった方もいるかもしれませんが、この話の「巡り橋」こと世界最長の吊り橋は、明石海峡大橋です。となれば彼女は徳島県に…?(どうだっていいよ
何が言いたい作品なの?と聞かれたら「・」三つで答えるしかない作品ですが、何かを感じ取っていただけると嬉しいです。
ショートは2つめですね…。次もショートになりそうです。だって長編は途中で保留になったりするんですよ(殴
それでは次回作で会いま…。会ってくれると嬉しいですっ!
この作品に対する感想 - 昇順
作品を読ませていただきました。
簡潔に書きすぎて主人公に感情移入できないまま物語が終わってしまった感があります。もう少し彼女との日々やその時の主人公の心情を描いて欲しかったです。
ラストは唐突感がぬぐいきれなかったです。ワンクッションを置いてラストに持っていって欲しかったです。
戯れ言失礼しました。
2012-10-14 16:25:52【☆☆☆☆☆】甘木
大変遅れてしまって申し訳ありません。
甘木様に感想をいただけるなんて光栄です。

簡潔すぎるのは私の直すべき点です。
どの作品にも言えることなのでほとほと困ってます……。
貴重なご感想ありがとうございました!
2012-10-31 23:53:01【☆☆☆☆☆】鍵 かなた
計:0点
お手数ですが、作品の感想は旧版でお願いします。