『『擬人化された欲望』』作者:ちーな / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
権力欲に取りつかれた人間の数奇な運命。これは自分勝手な、だけど切ない、そんな男の物語
全角15205.5文字
容量30411 bytes
原稿用紙約38.01枚
 思えば僕はいつも人と違ったことをしては注目を集めたがる少年だった。今でもハッキリ覚えている。幼稚園の頃、周りの男の子が青や緑色の画用紙を選ぶと本当は僕も緑色のが良かったにも関わらずあえて男の子が誰も選ぼうとはしなかったピンク色の画用紙を選んで周りとは違う自分というのに酔いしれていた。他にも親からお小遣いをもらって周りがコインゲームに興じたり駄菓子を買う中僕はひとりお小遣いを使わず貯めて偽の真珠のネックレスなんか買って見せて周りの注目を集めた。とにかく人と違うことをすることがたまらなく得意げであった。
 父は大工で気が非常に荒くよく母に暴力をふるった。その都度母は僕に父さんのようにはならないでおくれよ、というのが常であった。父は稼ぎが少ないにも関わらず見栄張りな性格だったためよく仕事から帰ってきてはくだらないお土産を母に買っては母が少ない稼ぎで自分も必死で工場で働いて何とか家計を支えているのにもったいないことをして、と愚痴をこぼしそれに腹を立てた父がお前のために土産を買ってきてやったのにその言い様はなんだと激怒し母の髪をつかんで暴力をふるう。そんな毎日だったから自然と僕は父が非常に恐ろしい存在であり、またこのようなことが起こるのも自分たちが貧困だからだと結論付けそれ以来ひどく人一倍貧困や欠乏といったことに強い恐怖と敵愾心を抱くようになった。
 自分は数学が苦手であった。少し複雑な問題に当たると何時間考えてもどう勉強してもわからない。周りが難なく解けるような問題でも少し頭をひねる問題だともうわからない。それ以外にも靴ひもがどうしても結べない。親や友人に何度も教えてもらっても理解がどうしても出来なかった。僕は周りが出来ることが自分には出来ないことにひどく恐怖し自分の才能のなさを憎んだ。容姿も運動神経も学力もとにかく劣等感の塊であった。たとえ人より良くできる分野であってもひどく能力の低さを必要以上に嘆いた。
 高等学校にいた時分は制服以外で外に出ることにひどく抵抗感を感じた。周りは逆なようでむしろ制服よりも私服といったほうが大多数であったが僕は私服をひどく避けた。日曜日、学校のない日であってもわざわざ制服を着て外出したほどだ。少しでも洒落た私服なんて着ようものなら恥じらいから顔がこう歪んでしまい人なんてまともに見られず鼻がひくひくしてしまう。自分のような醜い容姿の人間が不釣り合いな洒落た服を着ることにこの上ない羞恥心を抱いてしまいもう気が気でなく発狂してしまいそうであった。誰かに笑われているような被害妄想的な感情を否応なく抱いてしまう。自信がないのだ、自分というものに。それでいて実は自分が周りとはどこか違う特別な存在であるということを心の奥底で信じきっているのだから手におえない。
 貧困をおそれかつ自分というものに自信がなく人と違うことがしたい。そんな僕は自然軍人になりたいと思うようになった。今の平和なご時世、軍人になりたいという人間は少ないはずだし何より貧困の心配がない。僕の好きな制服、つまり軍服だって着放題だ。軍服は良い。僕のこの内面に潜む羞恥心を見事に外から隠してくれるから堂々と人に接せられる。高等学校の図書館で見た将軍や高級軍人が着ている軍服に勲章がたくさんついている姿を見ては自分もこんな立派なものを着たい、そして僕のこの羞恥心を隠したいと心から願った。栄達心、優越感、自分という存在の特別性を唯一僕に感じさせてくれるのが軍服であった。そして勲章がつくとなおよい。軍服や勲章は僕が卑小な人間から尊大な人間へと変貌させる虚栄心の象徴になるものであった。
 陸軍の士官学校に行きたいことを母に伝えるとひどく喜んでくれた。お前は親孝行だと大層褒めてくれた。僕は自分と母のためも絶対に士官学校に受からなければならなかった。絶対に落ちるようなことがあってはならない。そんなことがあってはもう僕は羞恥心から生きてはいけない。一種の強迫観念となって僕は必死に勉強した。その甲斐あって士官学校に現役で合格することができた。僕はその時僕以外の人間がひどく劣等なものであるという錯覚を覚えた。僕が士官学校に受かった反面落ちた者も当然それ以上に多くいる。僕はいわばこの士官学校の入学試験という戦争で勝ったのだ。そして僕に敗れた者が大勢いる。僕はもううれしいやらしてやったりやらでひどく嗜虐的な快感を感じた。たかが学力試験で合格したからと言って喜びこそはすれ、落ちたもに対してその全人格を自分よりも劣っているものとみなし自分を英雄ナポレオンになぞらえ落ちた者を何の見せ場もなく戦死した無名戦士とまで考えが飛躍するのは僕が狂っていた証左であろうか。
 母はもう僕のことを神様でも見るかのように接してくれお前は三人いる兄弟(僕は末っ子である)の中でも一番親孝行で男らしいと散々褒めてくれた。僕は有頂天だった。世界で僕が一番優れていてそれ以外はみな下等であると狭く薄暗い部屋の中で情熱的に頭の中で全世界の人民に演説して見せたりした。僕は士官学校で大いに人から羨望のまなざしを受けるはずだ。そしてこうきゅ軍人としての道を順調に歩みそして強大な権力を握る。国家権力の行使は僕の理想的な人との接し方のように思われた。自分に自信がないから人と話す時でも自分の思ったことをろくに口にも出来ず一人になるといろいろ愚痴をこぼすような人間である僕でも、ひとたびかっこいい国家権力の衣装を身にまとうと人格は豹変しそれはもう流暢に自分の主義主張をはっきりと雄弁に述べてみせ多分に侮蔑を含んだ傲慢な態度で有無を言わせず相手に接することが出来るだろう。人はこのような態度をひどく俗物的でいやらしいものであると批判的だが僕にとってはこれ以上かっこよく理想的な態度はないように思えた。
 もらった俸給で母を温泉にでも連れて行き親孝行をする。それは親を心から労わるという気持ちもあるにはあるが大半は母を温泉に連れて行ってあげるだけの経済的余裕とその源泉が国家権力からくるものであるという自分の崇高さを気高さを見せつけてやりたいという気持ちが働いていたことを告白します。いずれはどこかしらの町で暴動が起きて僕はその鎮圧部隊の隊長に任ぜられるであろう。そして反乱軍を見事に撃退し捕らえた暴徒たちに対してそれはもう高慢な態度で臨みありとあらゆる罵詈雑言を浴びせその人間性を否定し軍服を着ている自分と軍服を着ていない暴徒との決定的な差異を肉体的にも精神的にも刻み込む(あるいはそういう風に考えながら余裕の笑みを浮かべてみせるだろうか)。自分よりも容姿や運動神経、学力が高そうな奴には容赦しない。それはもはや暴徒としてではなく自分の劣等感を彼らに重ねあげてそれを必死に警棒で叩き付けているのと同義であった。僕にとって真の敵は自分自身である。
 いよいよ士官学校に入学するという日、母の涙に見送られ僕は必ず立派になって帰ってくるからそれを楽しみにして待っていてくれ給えと虚勢を張り兄貴にも一般大学生と軍人になる自分とは格が違うといったような戯言を散々はいて汽車に乗り夢と希望に満ちて士官学校のある都へと旅立ちました。
 士官学校は言うまでもなく厳しい上下関係の社会であり学年が一つでも違えば天と地ほどの立場の差があります。新参の僕たち初年兵は当然上級生の玩具にされる運命にあります。今は寡黙な将軍でも昔は今の自分たちのように散々上級生にこき使われ道化を演じざるを得ないような時代があったのかと想像してみると少し愉快な気がしてなりませんでした。日々は厳しくつらく朝早くに起きては一日中何かしらの雑用の追われ走りっぱなしで行きつく暇もありませんでした。疲れ果てた時はいつもカーキ色の軍服を着ている自分を鏡に映して僕は立派なのだ、僕は選ばれた人間なのだということを自分に固く言い聞かせ、高級軍人になったらあんなことやこんなことをするんだという妄想をして辛さを紛らわせました。軍服を着ながら外出するときはたまらなく興奮したのを覚えています。街によく同期とともに休日繰り出すのですがそれはもう周囲からの視線をこれまでかという位に感じ、いよいよ自分の特別性というものをひしひしと感じ身悶えするのを隠すのに必死でありました。軍人たるものケチケチはせんと欲しいものは全部買い貧困からの救済に酔いしれました。何より劣等感を全く感じずに済みました。親への手紙は景気の良い事だけを書きました。上級生に可愛がってもらっている、こっちは順風満帆だ、そちらも健康には気を付けて云々。しかし、僕はここでの生活に慣れていくにつれ実のところ精神を着実に病んでいったのです。元々靴のひもすらろくに結べない不器用な僕は次第に同期や上級生からノロマと認識されるようになりました。一度ノロマという烙印を押された僕は村社会の士官学校内においていよいよ居づらいものとなっていきました。同じ動作をしていても出来ない奴という色眼鏡で僕は見られるものだからひどく理不尽な仕打ちを受け続けました。一年とそのような胸の中に石綿を詰め込んだような生活をしたものだからすっかりと奴隷根性が染みつき下種な笑いが板についてしまいました。もはや僕の矜持を支えてくれるのは軍服だけとなっておりました。ある日突然写真屋へ行き軍刀を佩して正装した自分をうつさなければならぬと感じました。そしてその通りにした。
 自分を薄ら馬鹿と罵る上級生や同期は一体どういう神経をしてそのようなことが言えるのか。良心の呵責は覚えないのか。僕はひどく人間のおぞましさ、あさはかさ、残酷さに絶望した。絶望して自分の不甲斐なさ、能力のなさに涙した。元々自分には先天的な天賦の才なんてものはなく凡人が必死にもがいてもがいてもがいたあげく運と多少の実力によってつかんだ不安定な情けない栄光であった。士官学校に合格したから僕は世界中の誰よりも優秀であるとうぬぼれ散々周囲に虚勢を張りいざ入ってみれば自分なんかより優れている人間のほうが圧倒的に多く自分はここで生活を続けるためにも恥を恥とも感じないがごとくに道化を演じ続け、軍服姿の自分を見てはその屈辱を慰める。自分は世界で一番優れているなんて幻想はここで見事に打ち砕かれ僕のあの潜在的に内面に潜む劣等感が再び顔を覗かせ私はもうパニック状態に陥り内心意味をなさない叫び声を上げていましたが表向きはへらへらと平生を装い母にも元気しているから心配ご無用とおどけてみせたがもはや限界であった。お前は何も考えていなさそうにいつもしているから気楽だろうよと部屋のものに言われた時僕はついに発狂しました。これまで軍服によって支え続けられていた私の精神はついにその言葉が引き金となって音を立てて崩壊していきました。僕は精神病院に連れていかれました。そして退校しました。
 これまで僕が士官学校でたくましく若者らしく溌剌と生活しているものだと信じてやまなかった母の衝撃は計り知れないものがありました。母はどうしてそれほどまでに悩んでいたのであれば一度でも相談をしてくれなかったのか、どうして元気なような素振りをしてきたのかと問い詰めてきました。そして親不孝者、この親泣かせがと散々に罵られました。全くをもって正論でありました。私は死にたい衝動に自然と駆られました。家族からは情けない敗北者としてみられ、外へ出れば軍服を剥奪され、私服で街を再び歩かなくてはいけなくなった自分がひどく恥ずかしい者と思われ赤面し鼻をひくひくさせ無様な醜態を大衆にさらけ出されて凌辱されたかのような気分になりました。僕は屋上で泣きました。しかしそんなときであっても絶望に打ちひしがれた僕はかっこいい、人生で一度失敗してもそこから立ち上がって見事捲土重来を果たした偉人はいくらでもいるではないか。自分は特別な人間なんだからきっとこれは神が我に与えた試練なのだ、挫折した人間は強いのだという何とも自分の都合の良いように全てを解釈しまして一人息巻いてみせるのでした。僕の堅い内心での決意をよそに母はいつまでも泣き続けました。僕はいてもたってもいられない感情になり泣くのはやめてくれ、これは神の試練なのだと諭すと母は、何を調子のいいことを言うかこの親不孝者、今さらお前が何になろうと母さんはもう何も嬉しくない、お前が士官学校にいるということがどれだけ誇らしかったことか、今じゃもうとんだ笑いものだ、と言われ流石に僕は腹を立て(身勝手な話ですが)こんな陰鬱な家にいてられるか、いつまでもメソメソしていればいいさ、僕は大物になるんだ今に見ておれ、きっと僕は立派な歴史学者になって見せるのだと熱弁をふるいそしてその一歩を進むため僕は数か月後に控える大学受験の勉強を始めました。母は大学に行くには金がかかるからもう諦めて職に就け、実際のところお前を大学に行かせてやるだけの金はもうないといわれた。ならば自分が働いてでも大学に行くと言い返したが母は真面目くさった顔になってまだ誰にも話していないがと前置きをしてから今この家を取り巻く危機を暴露し始めた。
 この家の権利は色々あって父さんの姉が持っている。その父さんのの姉の愚息がある事件を起こして莫大な慰謝料を払わなくてはいけなくなった。父さんの姉はこの家をどうやら売り払ってその慰謝料を払おうとしている。だからこの家から出て行かなくてはいけないのも時間の問題なのだ。このような状況でお前をどうやって大学に行かせられるだけの余裕があるというんだい。父さんの稼ぎも全くあてにならないというのに、とこんな具合であった。
 そんなこと知るか、何でそんな他人の都合で自分が大学進学を諦めなくてはならないのか、ふざけるのも大概にしてもらいたい、僕は立派な歴史学者になる。そうとも僕はこの家に金がないからこそ元々の夢であった歴史学者の夢を捨てさせられて士官学校なんぞに行く羽目になったのだ。金さえあればあんなところに行かなくて済んだのだ。そしてその金がまた僕の栄光ある未来を遮ろうとしている。何てことだ。世の中なんて不公平なのだ。こんなことが許されてはならない。僕がこんな社会を変えなくてはならない。急にそんな考えにまで行きついてしまいこの家にいることも心苦しかったので家を出る決意をしました。母はもう二度とこの家に帰らぬといった剣幕で出て行こうとする僕を涙を浮かべながら止めてきてくれましたが僕はそれを振り払い出ていきました。母にはすまない事をしているという罪悪感はありましたが一度高ぶった感情に流され引き返すことができませんでした。
 行くあてもなくしばらくの間(一週間程度であったと記憶しております)ふらふら歩き続けていますとやはり職を見つけなくてはこのまま餓死してしまうという現実的な問題に直面してこの世の生きづらさにひどく悲しい気持ちになりました。ただ生きるために働く、まるで家畜だ。僕はついに家畜になり下がってしまったのだ。そう思い僕は自嘲気味に唇を歪ませてひどく情けない声で「ワン」とつぶやきました。ひどく惨めでした。
 僕は不器用であるということを自認しておりますからおよそ職人のようなものは無理だと直感的に思いました。僕は父を心から侮蔑しておりますが家を作ることで収入とするその器用さだけはかねがね感心しておりました。職自体はたくさんありましたがやはりその日限りの肉体労働的なものが多く理想とするものが皆無でしたから恥を忍んで家に帰るしかあるまいかとそう思ったときふと目に入った求職ポスターにようやく自分にふさわしいと思われる職を見つけ出すことができました。
 仕事内容は大雑把に申しますとこの近辺で一番の富豪であるところのとある製紙会社の社長宅の警備といったものです。警備は建築や工事と違ってセンスがいりませんし何より楽だと感じました。それに日雇いの工事現場で働くよりは幾分馬鹿っぽくもない(主観的ではあるが)。それに制服が与えられるときた。軍服と比べて天と地ほどに格は劣るがやはり制服に異常なまでの執着のある僕にとってはありがたいものでした。さっそく書かれている場所まで行きますと、幸運なことにその日のうちに正式に採用されました。何でも人手がひどく足りないらしいのです。なるほどこれだけ広大な屋敷と敷地の警備ともなると確かに一人二人では無理があるだろう。僕を含めて警備員は五名もいました。僕は一番年下であったので随分と可愛がってもらえました。小汚い奴がやはり多かったが一人だけ眼鏡をかけてどことなく品格のある顔をした初老の男(五十くらいと思われる)だけは別格に思われた。偶然門番をその初老の男と二人で担当する機会があったので色々と話をしてみて分かったことは、彼が元々は地方銀行の支店長であったこと、部下の横領の責任を問われて職を追われたということ、それが原因で妻と離婚し息子にも見放されたということであった。今は落ちぶれてしがない警備員をやっているがかつては何十人と部下ががいて月給もゆうに百万ダカットはあったという。一ダカットで一か月は普通に暮らしていくことができるから大した金額である。彼は士官学校にかつていながら今はこんな警備員をしている僕に深い同情をしてくれた。僕はなぜか不快といった感じはせず寧ろ心地よかったのを覚えている。
 二か月が経った。いつものように敷地内を色々ととりとめめもないことを考えながら歩いていると僕と同年代くらいと思われる社長の御嬢さんに声を掛けられました。何でもこれから親戚のところへ会いに行くらしいのですが一人で行くのはどうも心細いから付き添いをして欲しいとのことでした(どうやらそれ以前にも外出する際は僕以外の警備員に付き添ってもらっていたらしいので特段彼女が僕を意識しての行動ではなかったそうですが)。僕は制服を着ておりましたから何とか平生を保った対応ができましたがひどくどぎまぎした気持ちになりました。何とも言い難い歯がゆさを経験しました。
 彼女はまっすぐ親戚のところへ向かい途中何かしら会話したような気がしますがどれもどうでも良いたぐいの話であったので良く覚えていません。二時間ほどして親戚の家から出てきた彼女と行きと同じ帰り道を歩いておりますと広場でバザーが催されておりました。彼女が寄り道したいといいますので拒否権のない僕はただそれに従って後をついていくことしかできませんでした。彼女は骨董品が並ぶ店の前で立ち止まると目が異常に大きく顎に手を当て何か考えていそうな表情をした顔と右手だけの黄金色の置物に興味を持ったらしく、何でもこういうシュールレアリズムな所が気に入ったときた。値段は三百ダカット。こんな高いものを誰が買うのかと考えていると何と彼女はそこいらの人間がぼろい布きれを買うかのようにいともあっさりと買いやがった。鞄から三百ダカットもの大金がポンと出てきたことにも驚いたがまさか本気で買うとは思わなかったのでそれ以上に驚かされた。
 バザー見学も終わり帰路に再びついた。黄金色の変な置物を両腕で抱えながらも彼女は特段この置物に関しての話題を振らなかった。二十分ほどして疲れたのか彼女はその置物を地面にやおら置きだした。僕は少し休憩するのだろうと思い立ち止まっていると彼女はスタスタと前に歩み始めた。僕はすかさずお嬢様、置物をお忘れですよと言いそっと置物を拾い上げ彼女に手渡そうと売ると彼女はただいらないとだけ言ってまた前に歩み始めた。どうしていらないのですか、先ほどまではあれほど熱心でしたのにと申しますと彼女はただもう飽きたからいらない、欲しければあげると仰せられた。僕はその時、激しい怒りの感情を抱いた。三百ダカットもあればおそらく僕が大学に十分入って卒業できるだけの大金だ。そしてその三百ダカットがないために僕は歴史学者になる夢を諦める羽目になり母とも付和の原因を作ってしまった。その三百ダカットをこの女はただの暇つぶし程度の余興に使いやがった。僕はもう堪らなくなり自分を抑えることのできない激しい憎悪の感情に支配されてしまいました。そして人気のない所に差し掛かりますと僕は彼女の顔を殴り続けていました。そして僕はどこへ向かうということもなく駆け出していました。そのまま僕は二度とあの屋敷へは戻りませんでした。今思えば彼女にはすまないことをしたと思っています。
 僕はこの時初めて政治家になろうと本気で考えました。世の中不平等だ。三百ダカットで死ぬ者もいれば犬のえさに五百ダカット使う者もいるのです。とにかく平等な社会を築くこと、それが僕に神から与えられて使命のように感じやはりなるべくして自分はこういう人生を送ってきたのだと悟った。平等というのだからとりあえず共産党だ。近くに共産党の支部があったので高ぶる感情そのままに入党を希望した。あっさりおぉ同志よ、とでも言われると思っていたが対応した細身で眼鏡をかけた青白い顔の女性党員はどこか冷めた表情で、いきなりは困りますので手続きをしっかり踏んでくださいと行ってきた。それから薄いパンフレットみたいなものをよこしてきて必要事項を記入の上入党料を納めてくださいと言ったきりもう義務は果たしたといわんばかりに机に向かったまま見向きもしないときた。拍子抜けしながらも彼女の言うことにも一理はあるので言われるとおりにした。するとその女党員は確かにあなたは共産党員として受理されました、と言ってとりあえずこれを処理してくださいと山ほどあるビラを渡されました。「税金をさげよ」「市民の力で国を変えよう」といった類のやる気があるのかないのかわからないような平凡なデザインがされたビラをさっさと配りにいけというのだ。駅前の通勤者や学生にビラを配りましたがたいていの人は受け取ろうとはせずに素通りしたまに手に取ってくれてもすぐ近くの道路脇に捨ててしまう。何故だか自分のしていることがひどくちっぽけであるかのように感じ二週間後に共産党を脱党しました。
 もはや僕はは自分が人間の最底辺のように感じられました。よっぽど農家や日雇い労働者のほうが偉い。あれだけの単純かつ何の権力も伴わないような仕事に文句ひとつ言うことなく黙々と従事している。僕には到底耐えられない精神力を彼らは持っていたのです。士官学校に入るまで僕は世界のだれよりも優れていると思っていたら僕は実のところ世界のだれよりも劣っていたのでした。僕はもうヤケクソになってこうなれば盗みでもなんでもしてやらぁという気分になり手当たり次第空いていそうな家を狙っては盗みを働きました。宝石の価値なんてこれっぽっちもわかりませんがとにかく光るものは全て盗みました。随分とたまったので僕は質屋に売りに行きましたが浅はかな行動でした。質屋の主人は愛想のよい顔をしており、鑑定のためしばらく時間がかかるのでここで座って待っていてくださいといったきり十分ほど姿を現しませんでした。僕はしまったと思いました。きっと彼は盗品に気づき警察に連絡したのだ、そう思いあわてて店を出ました。案の定店を出てすぐ警察を見つけました。危機一髪のところでで助かりました。僕は急にこの街全体が怖くなりました。
 行く当てがないのはもう慣れました。無鉄砲に汽車に乗り思ったところで降りてみる。どことなく中世を思わせるようなノスタルジックな村。季節は夏真っ盛りでした。当然のどが渇きますし腹も減ります。どれだけ立派な主義主張を持っている人間でも何も食わなければお腹が鳴ります。人っ子一人いない静かな村だ。こんなところで死ぬのもあるいは良いのかもしれない。頭の中ではもう死ぬことばかり考えていましたから周りが見えていなかったのだと思います。僕は用水路に落っこちてしまい泥だらけ。このままもう立ち上がる力も気も起きなかったのでそのまま眠ることにしました。
 目が覚めるとどこか古い感じの建物の中にいました。しばらく何も考えれずに呆然としておりますと男が入ってきました。白髪頭の老人です。斧を持っていますから樵でしょうか。老人は穏やかな声で、目が覚めたのかね、というと事情を話すように促してきました。僕は全部を全部話す気にはなれませんでしたので暑かったから用水路で寝ていた、行くあてはないとだけ伝えた。老人はふんふんそうか、そうか、とひとりでに納得したらしくここにはパンもワインも十分にあるから心行くまで泊まっていきなさいと言うとまたどこかへ行ってしまった。とりあえず優しそうな老人に助けられて命を救われたらしい。それからまたしばらくたった後、家の中にあったワインとチーズとパンを食べていると老人が外から戻ってきた。老人の後ろには孫らしき十代前半くらいの少女が立っていた。僕の存在に少女が気付くと一瞬驚いたような顔を見せたがすぐにニコッと人なっこい屈託のない笑顔をむけてお兄さんは誰、と尋ねてきた。僕がどう反応していいものかと思案していると老人が、この方は困っておられるのだ、そしてひどく傷ついている。優しく接しておやりなさいと言うと老人は次に少女を僕に紹介してきた。
 「この子は実のわしの子ではないんです。いわゆる養子というやつです。この年で一人だとやはりさびしいですから孤児院からもらってきたんですよ。本当にいい子でねぇ、感謝してもしきれんです。ずっと孤児院にいたものですからろくに教育を受けさせてもらえなかったらしく字もおぼつかない。今さら学校もどうかと思いまして放っておいたのですが、もしよければ彼女に色々と教えてやってはくれませんか。見たところあんたは学がありそうな顔をしている」
 僕は少女のほうをしばらくじっと見つめておりました。それから今まさに自分が食べていたワインとチーズとパンに目をやり、このお礼に物を少しくらい教えてあげるくらい造作ないと思った。元々人に物を教えるのが好きな性質だ。僕は彼女が掛け算もろくにできないことを知り位置から丁寧に教えてあげた。制服を着ていなかったのでやはり人と話すときはどぎまぎしたが少女が都会特有の汚らわしさというべきものに汚染されていない様に感じ幾分話しやすくはありました。彼女と老人は朝早くから外へ出て何かしらの農作業をし昼ごろに一度帰ってくる。そして再び外に出て夕方に帰ってくる。それから僕が少女に数学やら都市での生活について語ってやる。たまに老人の愚痴なんかも聞いてやったりした。
 そんな日々が数か月と経った。少女とも次第に気の置けない仲となり色々と僕が思うことを彼女に聞いてもらったりするようになった。僕はこんな質問を投げかけてみた。こんな辺鄙な村で毎日毎日同じことの繰り返しだけの人生が楽しいのかと。
 彼女はあなたにとっての幸せとは何なのですかと聞いてきた。僕は砕けた感じで素直な気持ちを吐露した(不思議と彼女の前では自分を取り使わなくても平気であった)。
 「そりゃぁみんなに認められて偉いねって言われて、親にも自慢したいし、金だって欲しいさ」
 「そのみんなっていうのは誰の事なの?知ってる人?知らない人?」
 「みんなはみんなさ。知ってる人も知らない人もひっくるめて……」
 「じゃぁどうやったらみんなチヤホヤしてくれるの?」
 「そりゃぁ大臣か将軍にでもなりゃぁ……みんな凄いっていってくれるだろ」
 「じゃぁさ今のこの国の将軍と大臣全員言えるの?」
 「それは無理だよ」
 「でも大臣や政治家はあなたが言うみんなから凄いって言われる人なんでしょ。知らないなんておかしいわ」
そこまできて僕は彼女にどこかしら圧倒されているような気がしてきた。彼女は無教養であるがそれ故に無垢で純粋だ汚れていない。教養があるが差別や偏見、都会的汚さから生まれる主義主張に汚された僕とは対をなす存在だ。彼女と話していくうちに僕は僕がこれまで信じてきたこと生きてきたことすべてがまるで喜劇役者か道化のような感じがしてきてひどく馬鹿にされたというよりは否定されたような気がしてきた。そしてそれは多分間違っていないはずだ。
 「確かにこの村に大臣や将軍が来たら村中の人がすごいすごいっていうと思うの。でも次の日にはみんなぽかんと忘れていると思うの。すぐに自分のことを忘れてしまうような知らない人からすごいってその場限りで言われてもそれが一体何になるの?」
 僕はもう何も言い返すことができなかった。その場限りでも凄い凄いと言われたいがために今日まで生きてきたかのような人間が他でもない僕自身なのだ。
 その翌朝、僕は老人と彼女に初めて仕事場までついていくことにした。黙々とただ黙々と木を伐り続ける。伐っては束にし伐っては束にしを延々と繰り返す。誰からも凄いなんて決して言われない仕事をただ黙々と繰り返す。そしてそれは多分今日明日明後日一年後十年後ずっと繰り返すのだろう。何の変化もないただ過ぎてゆく毎日。僕はただそれがひどく恐ろしいもののように感じた。そして背筋が凍りついた。戦慄した。途中僕は抜けだして先に家に帰った。そしてワインとチーズとパンを食べた。
 老人は遺産をすべて譲る代わりに少女と結婚してはくれんかと言ってきた。彼女の了承はすでに得てあるという。この村で彼女とともに生活をする。それはおそらく幸せな事なのだろう。僕は彼女のことをそれほど悪くは思っていない。いつしかの大富豪のお嬢様とは比べ物にならないほど素晴らしい女性だと思う。しかし彼女と結婚してそれからどうなる。僕は残りの人生昨日の老人と少女のように木を伐り続ける。黙々と、ただ黙々と。やることといったら多分セックスぐらいじゃなかろうか。僕は憂鬱になった。そして今まで世話になった旨を手紙に書き残して村を去ることを決めた。
 僕は神の使命を全うする義務があるのだ。とてもじゃないがあんな村で骨をうずめるつもりはない。ぼくは大物になるんだ。あの時そう誓ったはずじゃないか。今さっきまでの僕はどうにかしていた。心地よいぬるま湯につかりすぎた。僕はスラム街へ行った。そして毎日毎日彼らに不平等なこの社会を訴え続けた。生得権(birth-right)。これこそが悪の諸源だ。あの三百ダカットの置物を冷やかし半分で買ったあの女とその三百ダカットで大学に行けなかった僕を決定的に分けたものだ。ここにいるホームレス、日雇い労働者の諸君も生まれさえ良ければこんな惨めな生活をしなくても済んだはずだ。僕たちは立ち上がらなければならない、この不平等社会を叩き潰すために!
 何年も何年も僕は訴え続けた。その甲斐あってか世界的大恐慌のあおりもあってかついに僕は帝国議会の議員に選ばれた。現職であった二世議員を破っての勝利に世間は大いに注目した。議員になってからは僕の周りにはいろいろな人間が近づいてくようになった。皆先生、先生と笑顔で接してくれるため悪い気はしなかった。仕事もひと段落しこの立派になった姿を母に見せてあげようと思った。最後に母に会って以来、もう何十年も母とは会っていない。僕は意気揚々と実家に帰った。思えば色々なことがあったが全ては今の成功につながるものだったと考えると後付ではあるが良くできた人生だったと思う。こうして議員にも慣れたわけだし。僕は開口一番なんて言おうかなどと考えながら扉を開けた。そこには母の姿はもうなかった。代わりに一番上の兄が住んでいた。
 「兄さん久しぶりだなぁ。母さんは?」
 「母さんはとっくの前に亡くなった。膵臓がんだ。最期の最期までお前を追い出すような真似をしなければよかったと後悔しながら死んであったよ。お前が今いくら偉くなったとしても親不孝モンだ」
 母さんが死んだ。何てことだ。そんなこと全く考えてもいなかった。せっかく議員になっというのにこの晴れ姿を見せてやることができないなんて。がっかりはしたが涙までは流れなかった。ただ気分は暗くなった。
 僕は次にあの村の少女に会いに行こうと思った。いや、もう少女ではないかな。母の死に動揺は隠せないままであるもののとりあえずあの村へ向かうことにした。あの頃と全く変わっていない光景。まさしく僕が恐怖した延々が続く世界だ。彼女はあの時のように木を伐り続けているのだろうか。僕は老人の家に向かった。誰かが住んでいる気配がする。少し安心した。母の二の舞は勘弁だ。扉を開けると小太りの人が好さそうな男と健康的な感じをさせるマダムと十歳くらいの二人の子供がいた。マダムはまさしくあの時の少女で間違いなかった。僕はマダムにあの時はすまなかったという旨と今は立派な議員になったことを話した。僕は得意げであった。
 マダムの旦那は村役場の職員らしい。道理で豊かな暮らしをしていると思った。マダムとの関係を知ったその小太りの旦那は気を利かせて僕とマダムを二人きりにしてくれた。僕とマダムはしばらくの間思い出話に花を咲かせていたがマダムは「それで?」と話を変えてきた。
 「それで、とはどういうことだい?」 
 「皆からは凄い凄いって言われるようになったのかしら?」
 「もちろんさ。行きかうたびに先生、先生ってもうまいっちゃうよ」
 マダムはしばらくじっと僕の顔を見つめた後視線を宙にかえて
 「だったら私も言おうかしら。先生、凄いわね。どう、満足した?」
 「随分と嫌な言い方だなぁ。まぁ君らしいか。君は君で幸せそうで何よりだ」
 「それはどうも。いい旦那よ。初恋の私を放っておいて逃げたあなたとは大違いよ」
 マダムはからかうような口調でそう言ってのけた。マダムはもう話すことはないわよ、と言って僕から離れて行った。最期別れ際に「でもあなたのことは明日になったらぽかんと忘れてるから」と言い残した。
 僕はその後も社会の不平等を糾弾し続けて新人議員から中堅議員の地位に落ち着いた。いつものように議場で熱弁をふるう。熱弁をふるった後はもうくたくたになって汗だくとなった。
 「先生、今日も実に素晴らしい演説でした。このままいけば大臣も夢ではありませんね」
 「あぁそうなってくれればいいがな。僕はちょっと疲れたから少し寝てくるよ。後のことは君に任せた。予算会議の時間になったらおこしに来てくれたまえ」
 僕は秘書にそう言いつけると議員会館の仮眠室で眠ることにした。
 変な夢を見た。夢に現れてきたのは士官学校を辞めて直後の自分だった。
 「やや、若いころの自分が夢に出てくるなんて……」
 「おじさん、ずいぶんといいスーツを着ているね。それ何ダカットだい?」
 「これは僕が汗水たらして稼いで買ったものだ。お前にどうこう言われる筋合いはない」
 「汗水たらして?机に座ってただ演説したり聞いたりしてるだけじゃないか?」
 「そんなことはない。お前は知らないだけで気苦労も多いのだ。議員というものは」
 すると、過去の自分は姿を消し、次に最初の選挙で負かした二世議員が姿を現した。
 「私は少なくとも一流大学を出て法律的な知識も経験も君なんかよりも遥かに多くあった。なのにあの選挙以来私はすっかり落ちぶれてしまった。こんなのは不公平じゃないか」
 「君の言うこともわからなくはないが人民は私を選んだのだ。それが民主主義というもんだろう」
 するとその二世議員は姿を消した。次から次へと人が出てくる。被差別民や病人、冤罪の者……。
 ついにはネズミまでもが現れた。
 「うちはものすごいアイデアがあるんや。それはもう世界を革命的に変えるもんや。せやけどうちにはそれを伝えるだけの言葉があらへんから発表できない。こんなことおかしいやろ」
 「あぁそうだとも確かに不平等だ。君には素晴らしい才能があるというのに誰からも認められないとは。だからこそ僕がそんな君でも平等に機会を与えられる社会を作るために頑張っているんだ」
 僕はそこで目が覚めた。背中はびっしょりと濡れていた。どうやら多少はうなされていたらしい。秘書が姿を見せに来た。
 「先生、そろそろお時間ですよ」
 その時、一匹のネズミが秘書の足元を通り過ぎた。
 「わっ、ネ、ネズミ!ネズミなんて初めて見ましたよきもちわるいなぁ」
 「いやいや君。あのネズミは聖人君子なんだよ」
 「はぁ、さようでございますか」
 僕はその後も議員として頑張り続けたが結局大臣には届かなかった。政界を引退してからは病気がちとなりついに倒れてしまった。病室には誰も来ない。新聞では今の政局について色々書かれているが当然私のなめなんてものはもう無い。僕は急にさびしくなった。秘書もここ最近はもうずっと面会にも来ない。親戚もいない。僕はたまらなく人恋しかった。僕は息を引き取った。七十歳だった。
 マダムは新聞で彼の死を知った。と言っても記事はごくごく小さいもので
 [A・ウェロンビー氏死す。格差是正に尽力。享年七十]
 
 「たったこの一文を乗せるためにあなたは私を捨てたんですもの。さぞ満足な人生だったでしょうね」
 マダムはただただ静かに手を合わせて彼の冥福を祈った。
 
 
 
 
 

 
2012-08-11 22:43:15公開 / 作者:ちーな
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■作者からのメッセージ
気が向いたままに思いついたことを一気に書いた気がします。そのため技巧や構成などに全くこだわらなかったため読みずらい所が多いと思いますがそこは読者の方に脳内保管してもらいたいです(涙)
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文は稚拙だがところどころに鋭い箇所が光る良作
2013-01-04 21:27:44【☆☆☆☆☆】あっくん
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