『廃虚に咲く一輪の花とありったけのしあわせを贈る 第7話【完結】』作者:アイ / t@^W[ - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
前世紀の西アジア、半島南部のインド洋沿い。隣国ユウオウを植民地支配していた経済大国シラアイは、首都災害に便乗したユウオウ人青年によるシラアイ大統領暗殺事件を境に、二国間の紛争を続けていた。宗主国と従属国、積年の憎しみと民族差別。両国の過激派による暴動や空爆、テロが絶えない中、二国共存の目的を持ったシラアイ各界の有力者が共存派「シラアイ国民評議会」を立ちあげ、さらに対過激派勢力「人民軍」を組織する。その共存派の思想の元にシラアイの戦争孤児達が武装蜂起し、幼い義勇軍「TPC」を作った。ある日、TPC副司令官の少年・コハクは、ユウオウから亡命した少女・カイを保護したことから、反ユウオウ派の武装組織の中核「リーブル」から狙われる。
全角79178文字
容量158356 bytes
原稿用紙約197.95枚
 初めて人を撃ったとき、僕は泣けなかった。
 グレネードランチャーから撃ちこんだ催涙弾の白煙が、崩れかけの廃ビルのあいだを縫うように広がってゆく。だが道路を占拠していた千人あまりのデモ隊は、酢を染みこませた布で口元を覆い薬剤を中和していた。アサルトライフルを各々かかげ、咆哮と共に防弾盾の列に突進してゆく。盾の向こうにいる軍服の治安部隊は、銃器を持った民間人に容赦なく発砲する。ホースの先を指でつぶしたように吹きだす血。鳴りやまない銃声。空爆後の町で波及する暴動。両思想の過激派同士のぶつかりあい。原型が分からないほど顔がひしゃげた青年。鉈で頭の端を切り落とされた人民軍の隊員。惨劇。僕は泣くこともできないまま、ランチャーの代わりにかかえたサブマシンガンを唸らせた。のけぞって崩れる民間人に血しぶきに嬌声。喉の奥から砂を含んだような息が漏れる。途中で咳きこんだ。その隙に鉈を振るおうとした青年を、ミツが僕の背後から撃った。恨み辛みをなみなみこめた目で、青年は僕の足元に崩れた。電流でも流されたように痙攣する。血の臭いがせりあがる。頭上に連合国軍のヘリが飛来し、重機関銃をデモ隊に向けて乱射する。あふれる死体。血が、砂が、対空砲が、飛ぶ。
 紛争がはじまったとき、僕は十三歳だった。


 瓦礫だらけの町の裏手に、美しいコバルトブルーの海は、あった。
 全身の血が足の指先から脳天まで一気に逆流するような錯覚。僕は鼻をつまんで窓枠を蹴り、さほど高くない崖を海まで落ちていった。風に翻弄されながら足から着水すると、一瞬の衝撃と痛みがまんべんなく肌を刺す。内臓を四方から殴られたような嘔吐感。水の中で天地を探してもがき、きらきら光る水面へ顔を出す。髪が顔に貼りついて気持ち悪い。一拍遅れて感じたシラアイの海の冷たさ。海流のせいで水温が低いとかどうとか、学校で習った気がするけど、忘れた。
 水中で何かにぶつけたのか、右足の甲がざっくりと切れていた。黒みがかった海水が僕の血で濃い赤に染まっていく。水面をただよっている海藻や木切れや軍服の切れ端が飲みこまれてゆく。僕は立ち泳ぎをしながら岬の廃ホテルを見あげて、二階の窓から顔を出しているサチコに向かって叫んだ。
「ほら、やっぱりさほど冷たくなんかないさ。大丈夫だよ」
 真っ白なワンピースを着たサチコが、呆れたように笑って首を振っていた。彼女の鎖骨に垂れたネックレスが、僕にも分かるほどはっきり光る。本物のジュエリーじゃない、ミツがいつだったか、どこかの町で拾ってきたイミテーションだ。彼女の長い黒髪が潮風にもてあそばれる。
「でも、ミツの真似をしなくてもよかったでしょ。けがしてるじゃない」サチコが叫んだ。
「君はいつもアサギの真似をしてばかりだったじゃないか」
「アサギはとくべつなのよ。コハクよりずっと賢いわ」
「まったくだ」僕は笑ってバタ足をする。岩場に手をついて這いあがったとき、顔からしたたる海水をなめてしまった。ぬめる岩にはりついて、僕はホテルへ戻るべく岸壁をよじのぼっていった。
 その西洋風の廃ホテルは海沿いの岬に建てられていて、僕らがきたときにはすでに戦火や大震災の打撃を受け廃墟同然となっていた。行政も誰も後処理に着手せず全備品が現在まで放置されている。震災直後はカクテルシェイカーに入れられたように、落下物や倒壊した家具などが散乱していたが、建物自体は揺れに耐えた。瓦礫を片づけ、水道や電気を整備すればじゅうぶん住めた。だから以前に軍人か一般人かが使っていたらしく、ときどき空の酒瓶や薬莢などが転がっているのを見つける。客室にある西側の窓をあけると下は崖だ。波が常に岩場にタックルしていて、僕もミツも以前からずっと「ここからダイヴしたい」とぼやいていた。
 かなりの時間をかけて崖をのぼりきると、サチコが大きな布を持って立っていた。足が血まみれになっていた僕は、「汚れてしまうよ」と言った。前髪からぽたぽたと雫が落ちる。真夏の暴力的な日差しが焦げるかと思うほど熱い。
「平気よ。これ、空き部屋のベッド・シーツだから。身体を洗ったあと、思う存分拭きなさい」サチコは笑った。
 彼女がほうり投げたシーツは空中でふわりと広がり、中途半端に勢いをなくして落下するのでつかまえる前にすっぽり全身を覆われた。それを剥がして髪を振りみだすと、ぱらぱらと飛び散る海水にサチコが顔をしかめる。
「まるで犬だわ」
「筋がいいね。僕の前世はハスキーだったんだよ。凍りついた北国の湖の上を、人間の乗ったそりをひいて、懸命に走ったものさ」
 サチコは子どものように笑ってくるりと踵をかえした。純白のワンピースがカーテンのように揺れる。
「もうすぐミツが帰ってくるわ」
 髪が潮くさい、と思いながら彼女の背中を見送った。ワンピースの裾にしつらえられたレースが、細く伸びた彼女の足を美しく見せる。
 僕はホテルの中庭の、花壇用スプリンクラーの水道管が破れて水が噴き出しているところへ行った。割れ目から高く吹きあがる水は、光を反射して虹色にひかりながらコンクリートのくぼみにたまる。あふれた分は割れた地面の傾斜に沿って流れ、崖から海へ落ちてゆく。くぼみに立って頭から透明すぎる真水を浴びる。髪と肌の表面を手でこすって海水をすすぎ落とす。身体を拭くと下着とジーンズだけはいて、けがをしたほうの裾をたくしあげる。血は止まったが力を入れると痛いので、かばいながらホテルのほうへ歩いた。
 ホテルのエントランスはロビーのソファを組みあげて作った高く厚いバリケードでふさがれているので、裏手にある従業員出入り口から入る。あちこちが破壊され穴があいているのだからその気になればどこからだって入れるのだが、僕とミツはなんとなく、ここに来た当初、真っ先に正面エントランスを封じることにした。階段で十二階へあがり、従業員通路から客室フロアへ出る。イタリアの宮殿を模した壁紙や装飾品がうつくしい。フロアの中央は吹き抜けになっていて、下を見ると一階ロビーの中央に落下したシャンデリアの頭頂部が見える。前衛芸術のオブジェみたいだ。放射状に広がる金色のガラス片。廊下をすすんでゆくと、通路の隅にうつぶせで転がっている忘れられたテディ・ベアを見た。
 震災と大統領暗殺から三年。僕らは戦争のまっただなかに、現実との兼ね合いが下手ながら、ただひたすら自分の意志と祈りだけを貫きとおしていたいと願う。戦火に希望を見いだすことがどうしてもできずに、崩れかけの廃ホテルに籠城する。
 僕らが拠点にしている一室は、最上階のいちばん端にあるVIPルームだ。メゾネットもふくめて五部屋もある。海沿いの壁はガラス張り。カテドラルを模した天井画。初めておとずれたときは倒れた家具が散乱していて、蜘蛛の巣や動物の死骸やガラス片があちこちにあったが今はきれいに整っている。
 痛む右足をひきずりながら玄関に座りこみ、サチコ、でっかい絆創膏をくれないか、と叫んだ。だが、部屋の奥からはサチコのものとは違う声がかえってきた。
「有刺鉄線で縄跳びでもしたのか、コハク」
 廊下に出てきたのはミツだった。シャワーを浴びていたのか肩にタオルをかけて、よく鍛えられた大きな身体のあちこちに包帯を巻いて。僕は足の痛みも潮くささも忘れて、あいかわらず人を小馬鹿にしたように笑うミツを、同じように笑ってにらみかえした。
「やあ、前にどこかで会ったことが?」
 四十年ぐらい昔にな、と言ってミツは幼い子どものように破顔する。軽くハイタッチ。アサギはどうした? 途中ではぐれたけど大丈夫。大丈夫ってお前なあ、まだちっちゃいのに。さっき無線で連絡が入って、海沿いにこっちへ向かってるってさ。
「よくやるよな、僕よりずっと副司令官に向いてる」
 僕はしあわせそうに笑う天使が描かれた天井画をあおぎ見た。右足を浮かせて立ちあがり、「有刺鉄線の縄跳びをぜひお試しあれ。足に引っかけるとこうなるから気を抜くな」と言った。ミツは僕の頭を叩いて笑った。彼より十センチほど、僕は背が低い。
 美しいオーシャンビューをかなえる壁全面のガラスは、爆撃の影響がほとんどなく、少しヒビが入っているていどだった。その真下の床で、サチコは細く白い足を無料でさらして眠っていた。さっきまで元気に起きていたっていうのに。僕はその隣に腰を落としてため息をついた。無防備でしあわせな寝顔。彼女の容姿は嫌というほど整っている。
「男がふたりもいるこの状況で悠然と寝ていられるのってすごいな」
「知らないんだよ、素で」ミツが棚の抽斗の中を順に見ながら言う。「状況とか、人の目とか、常識とか、体裁とか、そういうのは彼女にとって些末すぎるんだよ。素直で嘘を知らないし、自分をあざむいたりしない。そんな素直さによってたくさん傷ついたり騙されたりしたんだろうけど、サチコ自身の、何ひとつ疑いようのない願いが彼女を守ってて、だから根本的なところは傷つけられずに今まで生きてこれたんだよ。才能だね」
 ミツは抽斗の中から救急箱を探しあて、いちばん大きな絆創膏を僕に投げてよこした。赤く腫れた足の甲の傷口にそれを貼る。きっと、サチコは玄関でミツを見た瞬間に安心して眠ってしまったのだろう。彼女の身体は頭のてっぺんの髪から足のつま先まで水面のようになめらかで、ひっかかるものがなくて、うつくしい。まっしろな肌に汗の玉が浮いて、それが戦争の激しさと裏腹にかがやく青空を複雑に屈折させてうつしだしていた。
 サチコはまだ十二だ。少女だ。流されたり変化させられたりすることなく、かといって大人の口ぶりを真似する子どもとは違い、その幼さを自然と守りつづけている変わり者の少女だ。大人とは別。彼女は大人ほど思慮深くもずるくもない。彼女はシラアイ在住の外国人だ。ニュージーランド人の祖父とスウェーデン人の祖母、日本人の母を持つ。まるでその存在自体が地球をまるがかえしたよう。だけど親族に誰もシラアイ人はいない。だから傷つかずには生きてこられなかった。そんな彼女が守りつづける思想の一端に触れるとき、僕はいつも不可視の神秘に接したように畏縮してしまう。
 白いワンピースと黒髪は、ケースの両端に置かれた白と黒の色鉛筆を思い出す。嫌悪するようにもっとも遠く離れた白と黒。だけど彼らの間に敷きつめられた、白でも黒でもない色彩豊かな色鉛筆たちが生むグラデーションによって、溶けるように混じりあう。
 二週間ぶりに会うミツは怪我を増やして、だけど以前よりずっと怒りも悲しみも喜びもめいっぱいかき集めてポケットに詰めこんでそこに立っているようだった。彼こそ子どもらしさをいちばん欠いた子どもかも知れない。僕はサチコに毛布をかけているミツに、それで、と言った。
「その傷はどこでつけてきたんだい」
 ほこりっぽく、窓ガラスのヒビのラインが細く水色にかがやく部屋の中で、ミツは真剣な目つきになり、僕のとなりにしゃがみこんだ。彼の頬にはいくつか擦り傷があり、実年齢よりすこし大人びて見せた。
「やられてたよ。共存派のシラアイ人が、最低でも五十人は」
 ミツが口をあけたときに首に生まれるちいさな皺が、出会った当初よりも深く見えた。彼の目が憤りによって、揺れる。
 ――すごいんだ、まるで映画みたいでさ。どいつもこいつも、腹から内臓はみだして転がって死んでた。足とか手とか目玉とか爪とか、ないもの多いし。短気だよな、抗議デモひとつで装甲車までひっぱってきて。俺、死体が政府軍に燃やされるの、見たんだよ。タンパク質か脂質か何かなのかな、べっとりとしたものが空気中に浮いていて、気持ち悪かった。くそったれが。やっぱり政府も反ユウオウ派の連中も、やってることは暴力なんだよ。人のこと言えないんだよ。俺ら共存派はシラアイを捨ててるって言われてるけどさ、やつらも非道の連中になりつつあるよな。親父を殺したときのように正当化を重ねて。
 ミツは見聞したものをたっぷり語りつくした。反ユウオウ派シラアイ人の武装集団が、共存派シラアイ人のデモに装甲車で奇襲をかけて、大勢の人を殺したこと。その言葉から想起される映像に妙な既視感があった。純シラアイ人のミツはずっと両国共存派だ。都市部から離れたところで一緒に暮らしていた彼の父親は、当時南部にあった反ユウ派シラアイ人の民間武装集団のテントに大勢の共存派とともに特攻をかけ、殺害されたらしい。シラアイ政府軍に志願し特殊部隊隊員として訓練を受け、開戦後一気に共存派側の軍に反旗をひるがえしたミツは、まだ十代なのに大人のすることを大人以上に、じゅうぶんすぎるほど知っている。だからミツが義勇軍TPCの総司令官として武装蜂起したと同時に、拠点であるこの廃ホテルは大人の道理が何ひとつつうじなくなった。離反兵のミツと民間人の僕が手を組んだとき、ここに既存の価値観を葬った。平和をかなえたい。相互共存の道を模索したい。その願いはサチコの影響だ。
 それらは、僕達がうまく機能していられるようにと僕達の知らない誰かがはからってくれたことだ。ずっと前からこうなることを分かってて、はじめから決めておいてくれたことなんだ。
「君の見てきたものは」僕はつぶやいた。「君の親父さんも見て、憤ったのかな」
「さあな」「無感動だね」「親父だって、見たくて見たわけじゃないだろうさ」
 絆創膏を貼った右足を浮かせて首を振る僕。「同じだよ、きっと」
 僕はサチコの寝顔を見た。二階から海に飛び込んでみせると言ったとき、やめといたほうがいいと思うけどなあ、と笑いながら、けれど一度も止めなかった。もし彼女が海に飛び込んだら、このきれいな白いワンピースはどんなふうにひるがえって、どんなふうに濡れるのだろう。青空を吸いこんだ水を、吸いこんで。
 遠くから雷に似た空爆の音が聴こえた。鳥たちがいっせいに飛び去ってゆく。レコードの針を落としたときに聴こえるブツブツという音みたいに、その音は僕の耳にずいぶん優しく届いた。爆音も、鳥の羽ばたきも、風の音も。優しく覚醒をうながす音。サチコがゆっくりと寝がえりをうつ。


 パイプオルガンの音が、地面を削るような響きをあたえる。レコードはひたすらに盤上でまわる。まわる。古いプレイヤーが何十年も前の、何マイルも離れた国の音楽を奏でる。誰かが忘れた楽器の音の毛先まで僕は記憶しようとした。記憶することは、記憶しようと思うことは、無関心ではない。サチコは音楽ジャンキーだ。あらゆる国の楽器で奏でられるうつくしい音楽が、レコード棚に宝物のようにおさめられている。隣の部屋にある白塗りのグランド・ピアノを弾いているのをよく見る。彼女の身体を流れるたくさんの外国人の血は、彼女が奏でるささやかなメロディーを、最後の一滴が凝固するその瞬間まで覚えているのだろう。
 サチコはシラアイ語と英語とユウオウ語しか話せない。ろくに中学校に通っていなかった僕ですら、その三つのほかには二ヶ国語が話せるのに。だから、無邪気なのか無知なのか分からない彼女が最低限の言語しか話せなくて、だけど世界中の歌のレコードを山ほど持っていることが、僕には不思議だった。歌詞が理解できなくてもかまわないらしい。いかれていると世間が声高らかに批判するほど、僕はそんな彼女を差別しなかった。異端とはつまり、瞬間的な空気や状況に合わないだけの問題なのだ。僕は今でもサチコをおかしいとは思わない。ユウオウ語が話せない反ユウ派シラアイ人のほうがよっぽど変だ。
 レコードの針が盤の半分をすすんだところで、ソファに寝ていたサチコがちいさくうめいた。僕は立ちあがって彼女の肩からずり落ちかけている毛布を剥ぎ、それをたたみながら「目が覚めたかい」と言う。サチコはすこし汗ばんだ顔を手の甲でかるく拭うと、うなずいた。身じろいだとき、彼女の踵が肘かけを蹴る。衣擦れの音。桜の花びらの色にやわらかく染まる頬。ボッティチェリの女神と同じ光を、その漆黒の目にひと粒、宿す。
 僕は水をついだコップをサチコにさしだした。彼女はそれを何口か飲んで、夢を見ていたの、と言う。
「廃墟と化した、希望が道路にころがる町で、人々が何万人も集まって手を叩いているの。花火もあがっていたわ。ダンボールにカラーペンで国旗を描いて、それをみんなが高々とかかげるの。英語で『権利、権利』と叫ぶ。トランペットが鳴って、紙吹雪が舞う。靴を履いている人もそうじゃない人も。スプレーで落書きされた戦車にのぼった若者たちが、爆竹を投げて歓喜の声をあげてる。祝福の銃声が響いて、路駐の車やビルが燃える。だけどね、上空に政府軍の戦闘機が隊列をくんで飛んできて、空爆をはじめるの。爆音が響いて、火の手があがって、軍隊が民間人を襲撃して、大勢の人がばらばらになって死んじゃうの。あとに残ったのは、大きなバツが真ん中に書かれた独裁者の顔写真と、国旗とプラカードと酒瓶と、火薬と血の匂いと、人の死体やその破片だけなの。だけど今度はもっと遠い別の国の町で、同じように歓声が起こって、花火があがるの」
 サチコはコップの中の水をじっと見ながら、無表情でそう話した。僕はその光景に見覚えがあった。ここではないどこか遠くの町で、ミツといっしょに見た。大統領暗殺事件のすぐあとだった。武装蜂起した大勢のシラアイ在住ユウオウ人が起こした無差別大量虐殺。シラアイによる長いユウオウ占領のツケだった。駅前の大通りで、ユウオウ人が老若男女問わず撃ち、ピックアップトラックで轢き、手足を切り落とし、子どもに銃で親を殺させ、火炎瓶を周囲の建物や民家に投げこんだ。赤ん坊を抱いて逃げまどう女性、瓦礫をユウオウ人に投げつける男たち、やけどを負って路駐の車の陰で泣く子ども、彼らを銃で撃ち殺す武装したユウオウ人。ちいさかった僕は軍服姿のミツに手をひかれ、暴走する市民の波からはずれて路地にかけこみ、そこに積まれたビールケースの山の中へ隠された。暗く狭い中で膝をかかえ、人々の悲鳴と無数の銃声と爆音を聴きながら、声を押し殺して泣いていた。騒ぎがおさまって外へ出ると、砂埃が舞う路上に転がるたくさんの死体と血がすぐに目に入った。硝煙と火薬の匂い。放置された頭部や手首や耳、鼻から下の顔がない幼児を抱いて泣く母親、下半身だけの男、焼けた車のボンネットに乗った頭の皮と髪の毛。
 約二十年前、経済進出の名のもとに隣国ユウオウを植民地支配した僕らの国、シラアイ。ユウオウ人の多くはシラアイの工場などで奴隷同然の労働を強制され、ユウオウに移住したシラアイ人有力者は占領国の特権を使い下層のユウオウ国民を尻目に悠々と暮らす。正義を騙る共産主義と言論統制にユウオウ人の怒りは募る一方だが、彼らによるデモやクーデターなどはことごとく武力で鎮圧されてきた。そして三年前、シラアイの首都を襲った直下型大地震のどさくさにまぎれて過激派のユウオウ人青年がシラアイ大統領を暗殺し、それをユウオウ政府が擁護したことでこの民族紛争がはじまった。「隣国の野蛮人」の虐殺をくりかえす宗主国シラアイの政府軍と、武装蜂起した反ユウ派のシラアイ国民による暴動。そして従属国ユウオウの反シラ派団体や政府からの報復攻撃。自由を求め互いの怒りが爆発する。国外勢力の武力介入や右派の元老院議員などが戦況を悪化させ、現在。彼らの両方に反発し、ユウオウの独立と両国共存を目指すのが、国民評議会を中心とする僕ら共存派のシラアイ人だ。売国奴のテロリストだと政府にののしられ、反ユウ派のシラアイ国民との内戦がやまないけど、だからって権益の略取を容認したり共存の道をあきらめたりしない。平和の二文字が現実味をなくしたこの時代でも。
 シラアイは東大陸の西南部に位置し、周囲を三つの国と海に囲まれている。北の国境に接している国がユウオウで、貧富の差は激しく、シラアイの進出と利権漁りがそれに拍車をかけていた。しかし歴史をさかのぼれば同じ民族から発展し、人種も同じなら文化や言葉の起源も同じで、結局は国境など地面に棒きれで線がひいてあるていどのちがいしかないのだ。だけど今ここで、この時代で、戦争が起こっている。
 サチコはコップを床に置き、「ミツは」と言った。
「出ていったよ。君が寝ているとき、遠くで砲撃があってね」僕はこたえた。
 あくまで専守防衛としたうえでミツは暴動や爆撃が起こると羽がついたように飛びだしてゆく。彼は血の気が多い。暴徒が銃を撃つなら問答無用で攻勢に転じる。そうしないと殺されることは分かっているし僕も同じことをするけれど、ミツは父親の件があるからかどこか私怨たっぷりにテロリストを殺す。一般市民も混じっているのに。だから今日も僕は二度ほど止めたが、彼はサブマシンガンを手に断固として行くと言い張った。今ごろ、アサギと一緒に人民軍にまぎれに行っているのだろう。
 サチコはちいさくため息をついて、そんなことを、とつぶやいた。
「砲撃って、一体なんなのかしら」
「分からない。都市への空爆かな」
 ――デモ隊の鎮圧? そうだよ、どうしてそんなに悲しそうなの。だって、デモなんて名ばかりで実際はテロと変わらないもの。響きが変よ、両国共存って言いながら、やってることは暴徒じゃない。それで何かの結論にたどりついたとしても、先のことがまるで見えないもの。正義の戦いなんて嫌い。解放されるべきは両方なのに。どうしてみんな、ただの平和を望まないの。
「そうだね」
 僕はそれ以上言えなかった。それしか言えなかった。サチコが望んでいるのはあくまで対話による相互和解なのだ。言葉で伝えることを諦め武力で鎮圧することが、結局は火をひろげるだけなのだとサチコは言う。だけど、現状は対話すら不可能になっていることを、彼女も僕も、知っている。それでも彼女は、戦争の終結をひたすらに願いつづける。
「不思議な話ね。どっちの国も、自分たちの正義を貫いてるだけだもの。私たちなんて政府から反乱軍扱い。だけど双方望むのは自由と平和。だから争うのね」
 髪を右肩に寄せて言うサチコの目は熱を孕んだように揺れ、それが彼女自身の震えだと気づいた僕は、何も言わず、ただ彼女から視線をそらした。
 僕はべつのコップに自分のぶんの水をつぎ、それを片手にサチコの隣に座った。彼女は反対側に寄る。ソファがすこし僕のほうへ傾く。爆撃を生き延びた最上階のソファは、僕の気分のぶん深く沈んでいる気がした。
「正義には定義がなくて」僕は水をひとくち飲んで言う。「だけど正義という言葉は権力を持つ。正義がのっかれば武力行使だって聖戦になるし、民間の犠牲者が出ても必要悪扱い。流血なくして変革はありえない。その価値観を両国が持ってるから厄介なんだ」
 それを逆手にとって暴れているのが過激派だ。僕は無意識に歯を食いしばる。
 サチコは僕の服の袖にすがりついて、低い位置から僕を見あげた。彼女の目が、分かりきったことのくりかえしなのに分かりきっていないことを非難するような色をしていた。
 ――真の自由と平和はどの正義の結末?
「それは」
 解放されるべきは両国だ、というサチコの言葉がこだまする。
「ユウオウは植民地支配からの独立を望んで、シラアイはユウオウ人の暴虐の被害から逃れたいと願う」僕はちいさな声で言った。「それぞれに自由と平和のための正義があって、だけど片方の自由を叶えるともう片方は叶わない。そうしてまた新しい戦争が起こる」
 うまく言葉にできずに頭を掻いた。平和にはリスクがつきまとう。死体を踏み台にする覚悟もいる。専守防衛を貫いているけど実際そううまくはいかない。平和のための行動が裏目に出たことは歴史上にもたくさんある。だけど国民は己の正義のために火薬をぶちまけ人を殺す。車の上にのぼってプラカードをかかげ、デモ隊と共に祝福の声をあげる。それらの無数の声が、ここに生まれた人間を少しずつかたどってゆく。
 僕は純シラアイ人だ。僕が生まれる五年ほど前にシラアイ政府がユウオウを占領したことになる。若い両親の足元から二百キロほど離れたすぐ北の国で、シラアイ軍の侵攻が行われていた。シラアイはあくまで平和的な関係を築くためにユウオウを占領下においたのだと強調された教科書を、僕は信じなかった。シラアイは著しい経済成長の果てに飽食国家となったけれど、搾取される側のユウオウは天井知らずのインフレで今のシラアイのようになっていたはずだ。それのどこが正義だと先生に反論すると冷たい廊下に正座させられた。中学校をやめた今も、たいして変わらない。
 サチコも同じだ。学校で習う歴史がはなから不条理だと分かっていて、それに沈黙することを許さなかった。立ち向かって傷つくなら、いっそ血が出るまで切り刻まれてその血痕が永遠に壁や床に残ればいいと思っていた。終戦とユウオウ独立と和解のために。甘いと言われてもかまわない。それが僕らの提唱する自由と平和のための正義だった。
 サチコはそっと目を閉じた。「もう戦いたくない。みんなが平和な世界で笑っていられるようになってほしい」
 彼女の呟きは音の粒になって部屋を満たし、溶ける。空気に同調して、ミルクのように優しくあたたかいものになる。僕は忘れない。ここに彼女がいたことを。彼女の言葉を。
「コハク」
 サチコは僕の肩にすこしもたれかかって言った。「ちょっとおなかがすいてきちゃった」
 彼女の頭はあまり重さを感じなかった。幼いサチコのちいさな身体は、素直すぎて純粋すぎて、世の中に氾濫するうつくしい暴虐や本音建前を受けとめる力がまったくない。彼女の手首は細く、僕はいつも扱いかたに困る。高級な食器や生まれたての小鳥を目の前にしたように触れるすべを知らず、何回りも大きい自分の手で触れることに罪をおぼえて、いつだって躊躇してしまう。
 分かった、ここでちょっと待ってて。僕がそう言うとサチコはシャボン玉が舞うように笑った。僕は玄関で靴をひっかけ、いちどだけサチコのいるソファを振りむくと、部屋のドアノブに手をかけた。が、その瞬間、僕が加えた以上の力が外側にかかり、前向きにつんのめった。鼻先で細い土色の髪が揺れる。ドアの向こうでは、ミツが僕の腰ほどの背しかない薄汚れた少女の手を引いて、あがった息のまま立っていた。彼らの背後で、ライフルをかかえたアサギが廊下のようすをうかがっていた。
 僕は体勢を整え、「アサギ、無事だったのか」と叫んだ。彼は笑って「こんなので死んだらとっくに国は滅びてるよ」と言った。まだ幼い笑顔だった。
 そして僕はミツの鼻先に人さし指をつきつけ、たまらず罵倒する。
「いくら女に飢えてるからって、ファーストがレフトフライを取りに行くほど守備範囲を広げなくても」
「くそったれが、そんなこと言ってる場合じゃねえよ。まずこいつを中に入れろ」
 そう言ってミツは、華奢な身体が浮きあがりそうなほど強く少女の手をひっぱった。泥で汚れたワンピースがおおきく揺れ、少女がひどく痛がった。僕はミツの手をつかんで離させた。「御婦人は丁重に」僕は傷だらけの少女を抱きあげてダイニングに入り、ソファで待っていたサチコの隣に座らせた。小学校のなかばほどの少女は、怯えてちいさくちぢこまりながら僕を見あげる。サチコが距離をつめて彼女にそっと寄り添い、「大丈夫よ、怖い人たちじゃないから」と声をかける。年の近いサチコに警戒心をゆるめた少女が、それでも混乱しきって視線を泳がせる。
 僕は靴を脱いで転がりこむミツとアサギに、「この子をまっさきに隠さないといけない理由は」とたずねた。ミツは防弾チョッキを脱ぎながらウィンチェスターM1887を地面に放る。その大げさな音に驚いた少女の肩が跳ね、サチコにすがりつく。
 息があがっているミツに代わり、すこし血走った眼をさらに焦りの色で上塗りして、アサギは吐き捨てるように言った。
「その子は、ユウオウからの不法入国者だ」


 孤児たちによって作られ、ミツと、彼に次ぐ年長者である僕が指揮を執っている。そんなちいさな義勇軍「TPC」は、反過激派勢力人民軍と同盟を結んでいる。
 シラアイ政府から離反した軍人や各界の有力者、政権を離脱した元政治家などが創設した「シラアイ国民評議会」が、シラアイ人の共存派勢力の中軸となっている。「人民軍」は、評議会の軍事委員が離反軍人や警察官や民間人の義勇兵で組織した軍隊だ。ユウオウ解放の願いを込めて作られた、共存派の大人の軍である。シラアイ政府軍によるユウオウ弾圧と反ユウオウの過激派集団によるテロや殺戮を止めるための軍隊、それが僕らTPCと人民軍だ。民間団体も含めると勢力はもっと多い。だが実際、ユウオウ人に親兄弟を殺された多くのシラアイ国民は反ユウ派に転がり、共存派は人数の比率で負けている。TPCも当初は四十七人の子どもたちがいたが、大勢が爆撃などで命を落として現在は僕とミツとサチコとアサギしかいない。
 僕は共存派の母のはからいにより、ユウオウの言葉や芸術に触れて育った。自分の国籍を否定こそしないものの、歴史の中でユウオウに対して繰りかえしてきた自国の略奪や横暴を正義とすることだけはできなかった。ユウオウを敵視したことは一度もない。シラアイ在住のユウオウ人は学校も居住区も別だったが、子どもだけのコミュニティ内で仲良くなったユウオウ人の秘密の友達が何人かいて、政治的軋轢など考えず毎日一緒に遊んでいた。しかし、彼らもまた政府の弾圧や爆撃であっけなく命を落とした。些末な諍いのために流れた同じ人間の涙を覚えているから、僕の両国共存の願いは頑固なまでに崩れない。
 目の前にいる少女が怯えた目でこちらを見ているのを見つめかえすと、確かに、僕はこの少女を差別の対象として見ることはできないと自覚する。
「不法入国者ってことは、つまり」
 僕の言葉に、少女はわけが分からないといったふうに首をかしげる。「シラアイ在住じゃないんだな」
「多分そう。自分で言ったから」アサギがコップの水を一気飲みして言う。
「自分で?」
「ユウオウって、シラアイ語の勉強を学校で強制されてるだろ。言葉は通じるよ」
 アサギはそう言ってサチコのとなりに立った。サチコと同い年なのに、サチコがちいさいせいでアサギが大人っぽく見える。コップの水をちびちび飲んでいるユウオウ人の少女は、サチコにぴったり寄りそっている。シラアイ人の右翼が野蛮な低級民族だと罵倒する理由など、彼女には何ひとつなさそうだった。友達と無邪気に遊んで好きなものを食べて、将来の夢を考えながら寝て、毎日楽しいことであふれていそうな、まだなにもかもがちいさい子だった。だけど僕は同時に、戦場で彼女ほどの子どもが頭の上半分をなくしたり腹をえぐられたり、ばらばらになって死んでいるのを見たことがある。
『君の名前は?』
 僕は一応ユウオウ語でたずねた。少女は少し怯えたようすだったが、優しく笑いかけてやるとサチコの袖にしがみつきながら「カイ」と言った。
「カイ? まるでシラアイ人みたいな名前だな」
「ユウオウもシラアイも人種は同じなんだから、似たようなところはたくさんあるさ」アサギが言う。「言語だって、文法や発音がよく似てるだろ。肌の色も同じ。同じ大陸の隣国同士ならおかしくないさ」
 あきれたように言うアサギに、顔をしかめて「三倍返しだな」と反論する。必死で背伸びしたがる子どものいじらしさが言葉尻にうかがえたことを悟り、アサギが「うるさい」と言って顔をそむける。僕らのやりとりを笑うサチコとミツ。カイはあいかわらずサチコの服にしがみついたままだ。
 僕はソファでちぢこまるカイの目をじっと見つめた。
「なんでまた戦争まっただ中の敵国に。よくあの戦線を乗りこえてきたなあ」
「穴を掘ったの」カイがシラアイ語で話した。「国境の近くにある建物の影に、草で蓋をしながら、半年ぐらいかかって、シラアイのほうに」
「すごいな、ちいさなスティーヴ・マックィーンだ」
 かっこいいじゃん、と言ってカイの頭を撫でようとすると、大仰に怯えられてしまった。そうだよなあ、そう簡単に心を許してもらえるわけがないよなあ、と苦笑する僕を尻目にアサギがカイの隣に腰をおろし、「この歌を?」と言ってユウオウ語の歌をうたいはじめた。ゆっくりとしたテンポの、眠ってしまいそうに優しいメロディーだった。カイの表情がみるみるうちに笑顔に変わる。
『それ、お母さんがよく歌ってくれた歌だよ。どうして知ってるの?』
 カイはアサギをきらきらした目でじっと見つめる。僕が訝しげに眉をひそめると、「ユウオウの子どもならみんな知ってる民謡だよ」とアサギが言った。
「なんでそんなの、シラアイ生まれのお前が知ってるんだ」
「親がユウオウ人なんだから、少なからずユウオウ文化にだって触れてきたよ。子どものころ、ばあちゃんがよく歌ってくれたし」 
 お前は今も子どもだ、と僕が笑う。母国が植民地となり帰国できなくなったシラアイ在住のユウオウ人が今もそのままこの国に住んでいるが、ユウオウ人の血が流れているというだけで純シラアイ人から迫害される。尋常ならざる差別を受けたことでアサギは共存派となり、TPCに加わった。僕らは彼がユウオウ人だということを知っているけれど、そんな些末なプロフィールや過去を気にする世代じゃない。
 帰化ユウオウ人の多くは母国の国民や政府から見放され、シラアイにとどまらざるを得なくなった人たちばかりだ。血液型占いじゃあるまいし血で差別することは理不尽だ、とアサギは以前、まだちいさいながらに訴えていた。シラアイ国内で起こる犯罪や殺人事件の七割近くはユウオウ人によるものだというから、迫害する人と迫害されつづけてきた人の両方の気持ちが理解できるとアサギは言う。「だからって暴力で解決したがるのはくそ喰らえだけどな」とも。
 彼には兄がいる。アサギがTPCに入る以前に家を飛び出し、そのまま帰ってこないという。ユウオウに亡命したか、反シラ派のテロリストにでもなったか、分からないままだ。彼は今も、反シラ派団体の中に兄の姿を探している。
 アサギは優しい声でユウオウの民謡を歌いつづける。やがてカイもそのメロディーにのって歌いはじめ、サチコも分からないながらにハミングした。穏やかな空気が部屋を包んだ。国籍の違う三人の子どもたちがソファに並んで座り、同じ歌を歌う姿が、僕の目にずっと烙印のように焼きついて離れなかった。
 僕はミツの隣に立ち、彼にぎりぎり聴こえるように「彼女をかくまうのか」と呟いた。
「今の戦況で無傷のままかえすのは無理だろう」ミツがこたえる。「極右は殺しにかかってくるぞ。成長して反シラアイ勢力になる前に食い止めるって言って。守るしかない」
 僕は苦笑してミツの足を軽く蹴った。なんだよ、と文句を言われつつ。
 夜、サチコの部屋をそっとのぞくと、ひとつのベッドでサチコとカイが寄りそって眠っていた。カイのちいさな手をサチコが握っている。仲良しの子猫のようで、僕はつい笑ってしまった。神秘的な光景だった。僕らは突き離されたわけでなく、神秘と常に一歩離れた場所に立っていること、その一歩が数マイルと言えるほど離れていることを知っている。だけど同時に僕らの世代は、その数マイルが一フィートと言えるほど近いことも知っている。だから大人は神秘を殺し、同時に神秘をあがめる。数ヶ国の血が流れるサチコがこの国にいることは、保守派のシラアイ人にとって喜ばしいことではないのかも知れない。その態度の前に、理解の意志も示されることなく罵殺されるのかと思うと、僕はサチコの、一途な平和の祈りを守らずにはいられない。ふたりの少女が眠る部屋の扉をしめ、僕は手に持ったカンテラの灯を消した。静寂と暗闇が、昼間の光のまぶしさを僕に教える。


 三年前に起こった首都直下型大地震の際、僕は母を亡くした。父は僕が生まれる前に脳卒中で死んだらしい。
 首都から少し離れた郊外に母親とふたりで住んでいて、僕は学校で習う正当化されたユウオウ差別の歴史に反発をくりかえし、母は共存派であることを隠して働いていた。それなりに自我も生まれてアイデンティティーを確立してゆくころに、友人たちのユウオウに対する侮蔑にこちらが関係を切らざるをえなくなり、居場所を失っていた。ユウオウ語を勉強していた僕はよくクラスでいじめられた。「ユウオウにも共存派はいるはずだ、かならず分かりあえる」と主張すると笑われ喧嘩に発展した。ユウオウ人の犯罪率を見ろ、民度の低い人種と共存なんてできっこない、と。大事なものの比重が違ったから、思想の孤立を寂しいとは思わなかった。彼らに媚を売って一時的にうまくやる義理はなかった。
 地震発生時の早朝、僕の自宅は揺れに耐えきれず倒壊した。その後の大火災から生き延びたのは僕だけだった。母は崩れた屋根の下敷きになり、僕が必死でひっぱりだそうとしてもとうとう抜けだせなかった。屋根の下から「逃げなさい」と叫んだ母。無理だと叫びかえした僕。水道がストップして消火が追いつかず、火の手はあっという間に僕の家を焼き払った。近所の人たちに助けられながら避難し、業火が去るのを待った。焼け野原となった被災地には、家族や友人の骨を探す人々が亡者のようにさまよっていた。行方不明の人を求める張り紙だらけの町。僕の家だった瓦礫にまじって、母の蔵書が黒焦げになり、何かの精巧なオブジェのように大量に散らばっていた。母の骨らしき黒く焼けた欠片を見て、瓦礫の前で泣き崩れた。
 その当日、ライフラインや情報や交通や首都機能が完全に停止した超混乱状態のなかで、あのシラアイ大統領暗殺事件が発生した。Tシャツジーパンで町へ降りて市民の声を直接政治に反映させ、国民主権で先導し各国から高い信頼を得ていた大統領の殺害。復讐の合図だった。長きにわたりユウオウを貶めた結果だ。その尻拭いを僕らの世代が請け負う今、誰を恨み、殺せばいいのだろう。
 野蛮人の住む後進国だとシラアイが侮辱してきたユウオウの、シラアイ語で書かれた文献などからは絶対に知りえない魅力や美しい芸術品を教えてくれた母は、開戦と時を同じくして死んだ。一緒にかくれんぼやサッカーやカードで遊んだユウオウ人の友達は、声変わりもしないうちに迫害や空爆で殺された。僕の持つ両国共存の思想は、シラアイの一部にしか成り得ない。だけど確かに一部を成している。
 そして僕はシラアイ政府軍から離反した元特殊部隊隊員のミツに出会い、TPCを結成し、子どもたちを集め、武器を手にした。TPCは、親の世代からまわってきたツケを払わされることに不満をつのらせる子どもたちが、両国共存を叫ぶ集団だ。平和の言葉を何かのシグナルのようにくりかえし口にするのは、僕がこの手のひらに感じる銃の重さを少しでも軽減するためなのかも知れないと、ごく最近になって気づいた。


 ささやかな香りで目を覚ました。
 朝のおぼろげな光が差しこむ室内。身をよじり、薄い毛布を掻き抱く。ベッドのスプリングが軽く鳴る。そのとき、些末な香りが決して人工的な何ものかではなく、人の匂いだと気づいて上半身を起こす。ベッドの端に、カイがちょこんと座っていた。
 僕は手の平で豪快に目をこすり、あくびをした。黄みを帯びた朝日に照らされながら舞う埃の中、何もかもが壊れやすく作られた人形のようなユウオウ人の少女を見た。大きな黒い目が僕をじっと見つめている。シーツよりも白い肌。普通の少女よりもずいぶんにちいさい背丈。昨日のことを思い出す。町から戻ってきたミツとアサギが連れてきた、ユウオウからの不法入国者。早起きなカイを前に、僕はベッドの上にあぐらをかいた。
『おはよう』僕はユウオウ語で言った。
「おはよう」カイはシラアイ語で言った。
 言葉の交換ごっこだな、と僕は苦笑した。
 隣のベッドではまだアサギが寝ている。僕は早々に起きあがって着替えを済ませ、軽くストレッチをし、海側の窓をあけた。歪んでいるのでめいっぱい力を加えないとひらかない。物騒な音をたててそれを開放すると、浅い陽の光とさざなみの音と浜風が部屋に吹きこんでくる。カイはガラス壁に貼りついて、わずかな光にきらめく水面と同じほどきらきらと目をかがやかせて見ていた。
 徐々にのぼりはじめる太陽の光を複雑に受け止めてかがやく海は、昔、水平線の果てにある別の大陸への冒険心をくすぐり、大勢のシラアイ人を乗せた船を幾度も運んだのだろう。シラアイ西海岸は常に世界のどこかとつながっている。
 何十分も海を見ていたカイが『コハクはどこの国の人なの』とたずねた。
『シラアイ人だよ。純の』
『私はユウオウ人だよ。純の』
『ユウオウは多国籍民族じゃないからね。友達もユウオウ人ばかりだろう』
『うん。みんなユウオウ人だよ。でも、シラアイが嫌いっていう子と仲良くしようっていう子が、クラスでいつも喧嘩してた』
 まるで僕だな、と苦笑した。ユウオウ人迫害を当然だと言うクラスメイトたちと喧嘩になり、大抵僕が加害者扱いされていた。
『カイはどっちだったの』
『私はシラアイが好きだよ。お母さんがよくシラアイの音楽を聞かせてくれたり、お母さんの友達のシラアイ人と遊んだりしたんだ。国なんて関係ないよ。いい人と悪い人はいるだろうけど、それだけだよ。コハクもミツもサチコもアサギも。シラアイ人はひどい民族ってみんな言うけど、理由が分からない』
『そうだね』僕は窓枠に手をついてそっと目を閉じた。『そのとおりだね』
 それ以外に何かあるわけでもなかった。
『結局は人種なんてどうでもいいんだよ。同じ種類の犬で毛色や斑の模様が違うぐらいの差しかないんだ。生まれてきた場所が違うだけ。僕らの世代はそういう価値観の元に生きてきて、だから差別が理解できない』
 カイが小首をかしげている。難しい話だったかも知れない。僕は彼女の頭を撫でて、世界じゅうの人はみんな同じ人間だってことだよ、と言った。
『みんな』『そう、みんな』くりかえす。
『でもね、コハク。今の世界はいろんなものが差別されていて』
 もしかしたら自分の中でも納得していなかったようなことを。
『みんなみんなが友達になるのはできないって、みんな言ってたよ』
 まるで臆病者がすがりつく道徳の言葉だ。
 カイを連れてダイニングに入ると、すでにサチコとミツがいた。サチコに買い物へ出るよう頼まれ、玄関で靴をはいていると、カイが僕をじっと見あげていた。『危ないからみんなと一緒にいろよ』と言ったが、彼女はそのちいさな腕を僕の腰にまわして離さない。「おいおいファーストさん、レフトフライを取りに行くのかい」とミツに茶化される。僕はため息をついて、カイの手をひいた。
 震災で壊滅した町は、直後に起こった戦争で手いっぱいのためまったく復興作業が進んでいない。しかし各派の自治で拠点周辺が区画整理され住み分けはできている。一般市民を暴動などから遠ざける目的もあったが、過激派が町で騒動を起こし、非武装の民間人が巻き添えになることも日常だ。この国はかつての先進国としての威厳を失い、ひとりでは道を歩けないほどに荒れている。
 僕らはいつも、廃ホテルのある岬から内陸の北北東側にくだったところにある、共存派が多く住む町に出る。このあたりも当然のように廃屋だらけで、軍が建てた仮設住宅やテントで隙間を埋めている。さらに北へゆけば国民評議会と人民軍の本部がある。軍隊のトラックなどが通ると砂埃が舞うので、僕は着ていた上着を脱いでカイの頭にサリーのようにかぶせた。町の一画にある小学校の校庭を使ったマーケットに、僕はカイと共に入った。子どもが子どもを連れて歩くのも珍しくはないが、TPCをよく知る馴染みの人や軍人からは声をかけられる。
 主に「よう、コハク。そのガールフレンドはどうした?」と。
「人妻との隠し子」「皮も剥けてねえくせに」「マダムの庇護欲を煽る絶倫だから」
 僕はカイから手を離さないまま、数日分のパンと一ガロンのミルクを買った。テントやパラソルが立ち並び、老いも若きも物資を分けあって戦争を乗りきろうという気迫が漂う。大勢の人がごったがえし、にぎわっている。TPCは過激派の極左など一部を除いて共存派の大人からはむしろ歓迎されているし、互いに顔見知りが多い。が、だからといって無邪気に市街地をうろつくことはできない。過去、別の共存派の居住区内で無差別テロを起こした反ユウの過激派もいたぐらいだ。早く済ませて帰ってしまおう、と思った。
 僕はポケットの中の硬貨を出すため「ちょっと持ってて」とカイにパンの入った紙袋をあずけた。重そうに袋を両手でかかえている。「女連れとは呑気だなコハク」「男連れよりましだよ」そんな軽口をたたきながら硬貨を店先のおじさんに渡しふりかえると、カイはそこにいなかった。
 僕は周囲を見わたした。ただひたすらに人混みと、人混み。戦争が起こる前の地元のマーケットと変わらないにぎやかさが今は恨めしい。子どもひとりを見つけるのは困難だった。ジャケットの下におさめた拳銃を確かめ、僕はカイの名前を呼んだ。だが返事は、ない。近くを歩いて探してみるが、いない。
 さっきまで僕にくっついてたくせに。心の中で悪態をつきながらさらに奥へ進んでゆくと、廃校舎の隙間に隠れるようにして、紙袋を抱えたカイが立っているのを見た。僕はすぐに呼びもどそうとしたが、彼女の前に立っている男の姿をみとめ戦慄した。ジープが横ぎって一瞬視界をさえぎる。
 薄汚れた麻の服に身を包み、髭を蓄えた中年男性。見た目では国籍まで分からない。僕は飛び出し、男の腕をつかんで「おい」と叫んだ。すると男は信じられない力で僕を廃校舎のあいだにひきずりこみ、両肩をきつくつかんだ。カイが悲鳴をあげるが、群衆の騒ぎ声にかき消されてしまう。
「どこかで見たことがあると思ったら」
 口に砂を含んでいるような声で男が言った。「TPCの隊員だな」
 顔をしかめる。汚れが付着した彼の髭のあいだから金歯混じりの歯が見え、裕福な家の出であることをうかがわせた。肩が脱臼するほど痛い。カイが何事かをユウオウ語でわめきながら、パンの紙袋を男に投げつけた。彼は舌打ちをし、腰から拳銃を引き抜いた。
 そこから先の僕の行動は、自分でも信じられないほど速かった。男がコルト・ガバメントを手にしたとき、僕は自由になった手で男の肘の関節を的確に打った。彼が銃を落とした隙に僕はリボルバーを抜き、男の足の甲を撃つ。銃声が響き、買い物をしていた人たちが金切り声をあげてしゃがみこむ。よろめきながらも地面の銃を拾った男との間合いがとれず、反撃の銃弾を二の腕に喰らった。かすめた程度だが筋肉が死ぬほど痛い。男を外へ乱暴に蹴りだす。僕は低くしゃがんで背中にカイを隠し、生まれたての子馬のように立ちあがろうとする男に銃口を向けた。周りの人たちは離れた場所で身を低くし、頭を抱えて震えている。
「そうだ、僕がTPC副司令官のコハク・ベンディクスだ」
 僕はめいっぱい叫んだ。周りにいる民間人に自分は味方だと伝える意もこめて。男は片足を損傷しながらも立ち、同じように銃を向けた。抜けるほど青い空の下で、人々が恐怖に震える市場。そんな場所じゃない。ここで暴動を起こすと無駄な犠牲者を出す。
 男は長い前髪の中でぎらりと光る目を、カイにまっすぐ向けた。この男は僕じゃなく、カイが欲しいんだ。そのことにはとっくに気づいていた。
「そのガキに用があるんだ。コハク・ベンディクス。お前にする話じゃない」
「対話で済む用件なら僕が聞く。必要とあらば彼女に答えを求めるよ」
「必要かどうかはお前に関係のない話だ」
「彼女は僕の大事な人だ。見ず知らずのおっさんと話しちゃいけませんって普段から教えているんでね」
「そいつのセクレタリーか何かのつもりなのか? さあ、物騒な銃をしまおうぜ。銃弾で叶う会話は一方的すぎやしないか」
「こっちのセリフだよ」僕はぼそっと呟いた。腕が痛い。生ぬるい血が手首まで伝う。カイが背後で震えているのが分かる。
 一秒たりとも銃身をそらそうとしない緊迫した状況に耐えられなくなったか、男がふんと鼻を鳴らした。
「橋はどこだ」
「橋?」僕は拍子ぬけて素っ頓狂な声をあげてしまった。「そんなのどこにでもあるじゃないか。それとも川への地図でも書いてやろうか。方位磁石は自分で手に入れてくれ」
「知らないことはないだろう。TPCは子どもだけとはいえ、情報網を甘く見てはいない」
「それはどうも。橋ぐらい見たことあるよ。存在定義を哲学的に話せばいいのか?」
「ふざけるな」男は一発撃った。僕のすぐ足元に。砂がはじけ飛んで、周囲の一般人が悲鳴をあげてさらに低くしゃがみ、子どもが泣きだす。歯を食いしばり、どうにかしなければと思うも、僕には彼の要求の意味が何も分からなかった。
「橋はどこかって聞かれたら川へ行けって言うしかないだろう」僕はヤケになって叫んだ。
「ガキが、頭がいい連中ばかり集まっているとは聞いたが、大人をなめると自滅するのは自分だぞ」
「どっちがだよ」と言いかけたところで男が無作為に発砲した。近くの酒樽に命中して中の酒が吹きだす。ひときわ高い悲鳴があがる。やばい、と思った瞬間には彼の二発目が僕の頬をかすめた。細く熱い風が起こる。間をおかずにトリガーを引くと、男の脇腹に当たる。よろめいた男の三発目を、カイを抱きかかえて横へ飛んでかわした。うつぶせの状態で二発撃つ。一発ははずれて近くのテントに穴をあけ、もう一発は男の手の甲にかじりついた。弾はあと二発。砂埃が邪魔だ。手首を押さえて悶絶する男のみぞおちを、地面についた右手を軸にして蹴りあげると、傷口から冗談のように血が吹き出た。そのまま彼の喉元に銃をつきつけ、叫んだ。
「いいニュースだ。ダンテの『インフェルノ』を読んだことが? 地獄の門をくぐったあと、死者は小舟に乗ってアケロン川を渡るそうだ。ああよかった、探せば橋のひとつぐらいありそうじゃないか」
 つづく二発の銃声に黙らせた。男は僕の足元に倒れこみ、そのまま動かなくなった。風穴のあいた首から泉のように溢れる血と硝煙の匂い。僕はかるく正気に戻り、地面にへたりこむ。被弾した腕がようやく痛みはじめる。砂塵まじりの酸素をめいっぱい吸って荒い息をととのえながら、脱力してしまった。頬を汗が伝う。廃校舎の影で怯えているカイに『もう大丈夫』と言って手を伸ばしたが、彼女は涙を目に浮かべて動こうとしない。おそるおそる立ちあがりはじめた周りの群衆。「コハク、けがをしているじゃないか」と叫びながら駆けつけてきた人民軍の知人に頭をさげて謝る。僕は男の死体をひっくりかえし、血まみれの彼の上着を乱暴に破いた。内ポケットのさらに内側に、オリジナルらしい軍章のバッジがしまわれていた。反ユウオウ民族をかかげる武装組織「リーブル」の隊員だ。
 悔しさにつよく地面を殴った。僕は未熟すぎる。TPCを作ったときのミツとほぼ同じ年になって、まだこのざまだ。正当防衛だったとは周囲の民間人が証言してくれるだろうが、他にいくらでも手はあったはずだ。カイが殺されるかも知れないという恐怖に駆られ、詳細を聞く前に殺してしまった。できれば殺したくなかった。命を狙われなければ、もっとどうにかなったかも知れないのに。
 えらそうに人を批判できないだろう? 僕は舌打ちする。
 カイがゆっくりと僕のそばへ歩いてきた。そして子猫のような弱々しい力で僕の上着をひっぱる。早く帰ろう、こんなところにいたくないよ、コハク。彼女は死体を見るまいと目を瞑っている。そのあいだから涙が溢れる。息を詰まらせてしゃくりあげる。僕は彼女の頭を優しく撫でて抱きよせ、『大丈夫、もう怖くないから、ごめんな』とささやいた。カイが何を怖がっているのかは分かりかけていた。騒ぎを聞いてかけつけた人民軍の隊員や自治体の知人たちに軽く状況を説明し、足早にマーケットをあとにした。
 早くこの場所から離れたかった。カイの記憶に血の匂いが染みつく前に。僕はこれまで大勢の暴徒化したシラアイ人を殺した。僕ら共存派の存在を知らないユウオウ人に殺されそうになり、殺したこともあった。そして今、僕はどこにいるのだろう。弾丸を失ったリボルバーの感触が、手にしつこいほど残っている。ぐずりつづけるカイの手をひいて歩きながら、僕は何度も首をふった。
 廃ホテルに帰ってきた僕はまっさきに叫んだ。
「人づてに聞いたんだけど、橋って何のことか、誰か知ってるか?」
 テーブルで銃の手入れをしていたミツがこたえる。「河川、海峡、谷、交通路の上をまたぎ、道路や鉄道やライフラインを通すために使われる構築物。材料は石やら木やら金属やらさまざま。アーチ型や吊り橋型が多い。哲学的な答えを求めているの?」
 僕はため息をついてソファに倒れこんだ。「親切にありがとう。求められるだけの橋の存在意義があるんだろうなとは思う」
「人づてに橋の存在を初めて聞いた十代はきっと先進国ではコハクだけだ」
「そう、本当に人づてに聞いたんだよ。『橋』を探してるらしい」「川に行けって言えばいいのに」「アケロン川へ案内してやった。殺されかけたから」怒られた。当然だ。
 おかえり、と笑顔で部屋に入ってきたサチコにも同じ質問をした。「川に行けばあるんじゃないかな」と言われてそりゃそうだとつぶやく。
『カイ、あの男と何を話していたんだ?』僕の足元にちょこんと座るカイに聞くと、半泣きのまま『橋はどこにあるのかって聞かれた』とこたえた。
 寝坊してきたアサギには「知らないことそのものは罪じゃないけど橋のなんたるかを知らないのは恥と思え若人」と馬鹿にされた。
「誰から聞いたんだよ」
「武装してた反ユウ派のやつに。さらに問いつめたいならシャーマンを呼んで葬式に参列するしかないな」
 それを聞いてアサギは苦い顔をした。カイはミルクの瓶をサチコにあけてもらい、コップについで飲んでいた。真っ白な液体が、同化するようにカイの口に消えてゆく。ほとんど溶けあってしまう。カイは僕が反ユウ派の男を殺すところを見て泣いていた。無垢な子どもでありながらその実、見透かされている気がした。白いミルクの跡を唇のまわりにつけて、カイはまっすぐな瞳で、それこそ疑問でいっぱいの悲しげな表情で僕を見た。それが僕の意志をひどく狂わせる。

 その夜、僕は夢を見た。
 廃ホテルの窓から見える海が、丘を形成するようにゆっくりと盛りあがり、フラットな水面がやがて生き物のように躍動する。岬を削り、リアス式海岸を海水が水平線へ向かって進んでゆく。破砕音に近い波音を立てて崩れた海水が、地面をえぐるほど強くめぐり、世界のすべてと同調してゆく。共鳴する。あらゆる国の海岸へ運ぶ。惑星をひとめぐりするように、だけど慎重に、新しい波音に恐れる子どもたちを優しくなだめながら。騒ぐ大人たちを尻目に子どもたちが遊ぶ。まぎらわしいほど楽しげに。何かが崩れる音がした。僕らを守ろうとするために。海岸沿いに散らばった屍は、その上にちいさな花をいくつも咲かせて異臭を放つ。海の広さを怖がらない子どもたちは風を追い、潮騒に涙を流さずにはいられない。瓦礫も廃墟も死体も巻き込んで、波は世界をめぐる。引き潮でむき出しになった海底がモーゼの十戒のように、他の大陸に歩いてゆくための道を作る。僕はためらい、ひいてゆく海水に誘われつつも、海岸沿いでいつまでも足踏みしている。息を止める。耐えられそうになかった。過去に誰かここを渡ったことがあるのだろうかとばかりかんがえていた。取り残されそうだった。水がきらきら光って、手のひらほどの虹が見えた。

 戦争は終わる、君が望むなら、とうたう曲のレコードをサチコが持っていた。それはかつて世界じゅうの民衆の心をとらえた流行歌だったが、戦争のたびに放送禁止になる曲でもあった。サチコはそのレコードを大事そうに持っていた。
 だけど望めない人もいるのよ、とサチコが言っていた。――何も知らない純粋な子どもは、ただ戦争は怖くてひどいものだと思ってるわ。それが真実よ。少なくとも愛と希望に満ちたものじゃない。それを分かっているから子どもたちは平和を祈るの。だけどその祈りは大人によって、あるいは大人になるにつれて淘汰される。甘いとか、非現実的だとか、祈ってもしょうがないとか。親兄弟を殺されたらなおさら、戦争をしなければ憎しみで自分が潰れてしまうもの。正しい望みを望みつづけることは難しいのよ。
 僕はうなずいた。気づいていた。父親を殺されて反ユウ派シラアイ人を恨んでいるだろうミツも、差別を受けつづけた帰化ユウオウ人のアサギも――望まなければ戦争は終わらないという強迫めいた道徳の言葉で理性を保っているだけなのだ。それは別に崇高でも、純粋でも、なんでもない、ただの自我。


 カイはずっと眠っていた。群衆の中で騒ぎを起こし、僕が敵とはいえ人を殺したことが彼女を苦しめたのか、ソファで眠っているその表情はひどく険しい。僕は彼女の額を何度もタオルでぬぐいながら、その白い肌に幻灯機のようにうつる夕日を見た。オレンジ色がダイヤモンドのかけらをばらまいたように海面で光る。その粒のひとつひとつが、肌の表面に落ちる。
 ミツがダイニングに入ってきた。まだ寝てるのか。うん、もうちょっとこのままにしてあげよう。僕がガラス張りの壁の前に立つと、ミツも隣に立った。あいかわらずの、ダイヤモンドのかけらたち。じゃれあうように。波が岬の下の崖ではじけ、轟音を立てる。少し風が強いらしい。
「さっき、ラジオでおっさんがスピーチしてたんだけどさ」
 ミツの表情は暗く沈んでいる。「我が国シラアイは神の国、英雄の国、伝統の国。国内の犯罪の七割はユウオウ人によるものである。彼らは我々の進出による恩恵に砂をかけ、この戦争の開始に向けて準備を進めていた野蛮人だ。反シラ思想を植えつけられた低級民族は我々の説得も聞かず、斯様な殺戮をくりかえしている。寛大だった我々は被害者だ。家族や友人を殺された同志は数知れず。かの国に移住したシラアイ人たちが、非情なユウオウ人に虐殺された事件をみな忘れてはいないだろう。シラアイの民よ、子どもたちの笑顔のために武器をとれ。魂の国に蛮族はいらない。今あらためて心をつなぎ、家族を守れ。平和を実現させる日は近い。――だってさ」
 実際はもっと長いんだけどな、とミツは言った。アサギが聞いたら怒り狂いそうだ。
「あのおっさん?」
「おっさん。髭の」ミツは指で口元に髭を作った。「こんだけ大々的に放送してるぐらいだから本腰いれてきたってことだよな」
 うん、と僕は答えた。反ユウ派の中核組織「リーブル」の幹部、通称おっさん。ミツが人民軍のアスペル元帥と共に何度か書面で抗議したことがあるらしいが無視されている。僕も激戦区で銃弾を交わしたことがある。直接対話こそしないものの、融通のきかない頑固じじいというイメージがあった。
 開戦後から情報統制されたシラアイは、現存する放送局が国営の一局のみだ。ユウオウへの敵意を国民に喧伝する世論喚起の目的もあり、反ユウ派団体の幹部代表がラジオで発言することは日常である。誇張や捏造があって当然なのに疑いもしない。大統領暗殺の一件もあり、共存派の支持は減る一方だ。
 確かにユウオウに移り住んだシラアイ人が殺された事件は数多くあったし、植民地支配の裏でインフラを整備したことは事実で、そう考えれば砂をかけられたと言えなくもない。しかしシラアイ人も大勢のユウオウ人を奴隷扱いし、共産主義と言論規制で縛りつけ、殺戮をくりかえした。恨み恨まれ、憎み憎まれ、同じ穴の狢。どちらが先に銃口を向けたかと水かけ論のエンドレス。正当化して、自分の傷のかさぶたをはがし続けているだけなんだ。被害者となることがいちばん、自党の正義が第三者に受けいれられやすいから。
「情報リテラシーを持たないから、みんな反ユウオウ思想の過剰なプロパガンダに踊らされるのかな」僕はつぶやいた。「取捨選択が下手すぎて、メディアのいうこと全部正しいと思ってやんの」
「この場合はプロパガンダというかむしろアジテーションだろ。犯罪率や殺人の卑劣さを強調して、シラアイ国民の不安をいい感じに煽ってる」
 それもそうだ。反ユウ派のとなえる主張の一部は根拠がなく、単にユウオウ民族を殲滅させたいがために民衆を扇動しているように見える。元民主主義だからねえ、と僕はつぶやいた。何をどう言われようと、僕は共存派からどこかに寝返るつもりはないのだけど。
 ま、そういうわけだからさ。ミツが歌うように言うと、玄関のドアがひらいた。廊下を確認して入ってくるアサギ。タイミングがよかった。「話をつかんできたよ」と言う彼の手には封書が握られていた。
「人民軍の諜報部に聞いてみた。『橋』について」
 僕とミツはその書類をざっと読んだ。『橋』の情報はここ数日、音速で反ユウ派のあいだに知れわたり、徐々に国民評議会をはじめとする共存派勢力たちの耳にも届いているらしい。人民軍の拠点にいる捕虜も、秘密裏に橋のありかを探っていると吐いた。盗聴防止のため無線を使うことは憚られ、アサギが直接本部に出向いていた。
「その橋は」アサギが説明する。「この世界のどこかにあるらしい。もちろん普通の橋じゃない。荒波や嵐にも耐えて何百年も昔からあるもので、それを見つけて最後まで渡りきった者の望みが自然と叶うらしい。ただ、橋は世界を一周するほど長い。まあ、尾ひれも背びれもくっついてるんだろうけどさ」
「自然と叶う? わけが分からない」僕は眉をひそめた。
「うん、俺も理解できない。第一そんなもの、本当にあったらわざわざ探さなくても知れ渡ってるだろう。あったとしても、三年前の大震災で潰れたんじゃないか」
「世界を一周するほど長いのに最後まで渡れと。無茶な」
「渡り終わる前に人生が終わるな」
 馬鹿馬鹿しい、とつぶやき便箋を投げてしまいたくなった。が、僕は目を細めて思いとどまる。かの男が橋を求めて、カイのような幼い子どもに銃を向けたのだ。一般市民を巻き添えにしてでも見つけたいもの。ベクトルが悪意でも善意でも、人が真剣になって求める対象にはそれなりの理由と意味がある。
 わっかんねえ、とミツがぼやくとカイがソファの上で身じろぎした。彼女はゆっくりと身を起こして、眠そうな目で『おはよう』と笑った。春の暁に似た笑顔だった。
 ああ、おはよう、よく眠れた? うん、夢を見ていたよ。どんな夢? うん、おうちの夢。パパとママがまだ仲良くしてたころの夢。
 アサギはゆっくりとカイに話しかけている。彼女がここにいることを今さらながら不思議に思った。戦争と無関係の子どもの亡命者をかくまうのは構わないけれど、どこか常人とは違う、その気になれば僕らのような一般人なんてぼろぼろに負けてしまいそうな強さを持っている気がする、そんな少女がこの廃ホテルにいるのが不思議だった。瓦礫の中から顔を出す花のつぼみのようで。
『お父さんとお母さんは仲が悪いの?』アサギが深い話に食いこんでいった。同じユウオウ人の彼には特に心を許しているらしく、カイは素直にうなずく。そして、誰もつづきをうながしていないのに、最初から誰かに聞いて欲しかったように饒舌に話しだした。
 ――お父さんはシラアイが嫌いで、お母さんは共存派なの。学校ではシラアイ語を勉強して、シラアイは素晴らしい国だから悪口を言っちゃいけないって習ったんだけど、お父さんは間違いだって言うの。シラアイは悪い国で、いつか私たちユウオウ人をみんな殺してしまうんだって。だから大人になったら反シラ派になって一緒に戦おうって、お父さんも近所の人もこっそり言うの。だけどお母さんは違ったんだ。お母さんは、シラアイとユウオウはおたがいに悪いことをしたんだから、ごめんなさいって謝りあえば、きっと仲良くなれるんだって。シラアイ人全員が悪い人たちみたいにお父さんは言うけれど、いい人たちもいるからその人とお友達になりなさいって。だけど、お父さんとお母さんはいつも仲が悪くて、私が寝てると隣の部屋で喧嘩ばかりしてるの。朝起きると、お母さんがいなかった。おうちに警察の人が来てた。お父さんは、お母さんは悪いことをしたから連れていかれたんだ、だけどお父さんがいるから寂しくないよ、って言うの。でも、私は三人家族がよかった。だから家出して、お母さんを探したの。そうしたら、お父さんがいつも近づいちゃいけないって言われてるぼろぼろのビルの入り口におばあさんがいてね、お母さんのことを話したら、おばあさんは私をビルの中にいれてくれて、他にたくさんいた大人の人たちと一緒に「両国の平和を!」って叫んだの。お母さんと同じ共存派の人たちだって、こないだやっと分かった。でね、私、どうしてもシラアイに行って、戦争をやめてくださいって言いたくて、みんなのところを出てここに来たの。国境に穴を掘って、森の中に出て、そしたらミツが見つけてくれて、今ここにいるよ。
 見えた。
 僕の中でカイの周囲のできごとがすっと一列に並んだ。カイに反シラ思想を定着させたかった彼女の父親は、妻を政府に告発したのだ。夫婦の思想の違いが軋轢を生み、敵国シラアイと友好を望む売国奴だとでも言って、カイの母親を消すしかなかったのだろう。ユウオウには言論の自由がない。日常の雑談でわずかでもシラアイを批判すれば拘束され、獄中で殺害される。カイの母親が存命だとは考えられない。父親も友人知人を殺されたなどして、シラアイに個人的な恨みを持っているのかも知れない。
「ユウオウの共存派って、そんなにたくさんいるんだ」
 カイはちいさくうなずいた。「ビルの中にいた人は、ユウオウ中に仲間がいるって言ってたよ」と言って笑う。みんなに教えてもらったんだ。シラアイにも絶対に平和を目指す人がいるはずだから、少なくてもいい、みんなで戦争の終結のために戦おうって。
 アサギは笑って、「大丈夫、俺たちがカイを守ってあげるから」と言っていた。カイが照れたように笑って、彼に頭を撫でられるがままになっている。笑っているけれど、そうじゃない。ぬるついた違和感がある。
 カイは笑っていた。僕らがどこかに忘れてきた笑顔だった。色とりどりのキャンディが地面を転がるような音がした、気がした。
「私、お父さんとお母さんに仲良くして欲しかったけど、それ以上に戦争をやめて欲しいって思うよ。でないと、私みたいにひとりぼっちになっちゃう子がもっとたくさん増えると思う。だからおばあさんのお話をたくさん聞いて、みんな仲良くしなきゃいけない、そのために頑張ることを絶対にやめちゃいけないって決めたんだ」
 透きとおってしまいそうな思い。願い。祈り。同調するよりも、現実を説くよりも、今ここで何かを口にしてしまうことそのもののほうがずっと罪に思えて。僕は泣きたくなるのを必死でこらえた。
 そのとき、雷が耳元で落ちたような大きな音がした。その唐突な爆音に全員の肩が跳ねあがり、カイが怯えてアサギにしがみつく。すべての音を吸いこんだような緊迫した静寂ののち、僕は立ちあがって隣の部屋のドアを静かにあけた。サチコがグランド・ピアノの蓋に手を添えてうつむいていた。先刻の音は、彼女が蓋を乱暴に叩きつけたもののようだった。それほど大きな音だった。波が崖に激突したときに立てる轟音のような。白塗りのピアノにサチコの涙がぽたぽたと落ちる。僕は彼女の身体を後ろからそっと抱きしめた。細く簡単に折れてしまいそうな彼女の上半身に腕をまわし、どこにも行ってしまわないようにと力を込めた。彼女の涙は止まらなかった。カイが不安げな表情でサチコの服をひっぱって、泣かないで、と言う。サチコは僕の腕からそっと抜け、カイをぎゅっと抱きしめた。ごめんね、ごめんね、つらかったよね、悲しかったよね。ちいさなサチコのささやき声。僕はそっと目をそらした。蓋を乱暴に扱われた白いグランド・ピアノは、夜闇に端から犯され沈黙していた。
「祈りましょう。どうか世界が穏やかで、優しくて、みんなしあわせでいられるように」
 サチコの言葉に、僕はもう、何も付け加えられないと思った。


 地対空ミサイルの弾道が、追いかけっこをするうさぎの兄弟のように間隔をあけて飛んでゆく。大きな弧をえがく。耳をつんざく爆音が、うさぎたちを蹴散らす。建物が粉砕し、火柱が夜空を突きやぶらんばかりに高くあがる。戦闘機が上空をいくつも飛び、ナパーム弾を落として火の手をさらにひろげる。
 隠れていた民家の壁が銃弾を受け、細かな石の粒を飛び散らせる。僕は血の止まらない足をひきずって曲がり角から飛び出し、道路の真ん中で横倒しになった車の影で待つTPCの隊員たちと合流する。舌打ちに似た音とはじけ飛ぶ砂。やまない銃声。あちこちにあふれる隊員や民間人の屍。血の臭いが鼻を曲げる。少し離れたところで倒れている人民軍の隊員の死体は、左半分の顔がなく脳味噌がはみ出ている。僕はグレネードランチャーをかかえて片膝をつき、タイヤのあいだから顔を出して構えた。周辺の建物から煙が出て視界をさえぎる。僕は爆薬の臭いと砂埃で集中力を切らされそうになりながらトリガーを引いた。肘から肩にかかる衝撃。すぐに車の裏に伏せた。爆音。衝撃で車体が軋む。悲鳴が聴こえた。過激派の残党が、装甲車をひっぱってなおも前進をつづける。
 僕はランチャーの銃身を折り、熱い空薬莢をチャンバーから乱暴にはじき出した。別の班からの連絡がイヤホンに届く。[十時の方向、屋根の上だ。距離五十ヤード。こちらは狙撃手が一名負傷、保護を優先する。ヘリを二台まわした][了解、対象を確認。三十秒ください。僕も片足負傷につき応戦後は退避します]無線を切ってランチャーに装弾し、上に跳ねあげて閉じる。TPCでいちばん視力に恵まれた僕は必然的に単発銃での遠距離担当だ。ふと見た夜空は地上の戦火で赤くかがやき、曳光弾が飛ぶ。光の玉がいくつも弧をえがきながら飛ぶさまは美しくもあった。バラバラバラッ、チリリリリ――ライフルの連続音と排莢の音が、ここが死骸の上に成り立つ場所なのだということを思いださせる。
 僕はランチャーの銃床を肩に当てて空へかまえた。廃ビルの屋根の上で重機関銃をふるうテロリストの男へ照準を定める。三秒。目標はほとんど動かない。僕は何も考えずにトリガーを引いた。まっすぐ飛んでゆく弾。ビルの上で爆発が起きる。一瞬上がる火の手。炎に包まれながら落下する肢体。イヤホンから歓声が聴こえた。マシンガンの音の雨をさえぎるほど大きな声だった。
 別の声が僕の耳にじかに届いた。民間人確保の合図だった。山積みになって燃えている車の煙の中から、人民軍の救出班隊員が飛び出してくる。廃ビルに立て籠っていたテロリストが複数、外に出て彼らを撃ち続ける。僕はカラシニコフに切り替え、車の影から出て彼らの援護射撃を開始した。隊員に囲まれながらこちらへ走ってくる民間人の夫婦とその子どもふたり。シラアイに住むユウオウ人。僕は撃つ手を止めないまま隊員のひとりと目を合わせて笑った。彼らがヘリで逃げ切るまで援護しつづけなければならない。僕は砂埃が舞う中、ミツや他のTPCの子どもたちと一緒に、後退しつつライフルを撃った。
 ローター音が聴こえふりかえる。人民軍のヘリコプターが民間のユウオウ人たちを乗せて飛び去るところだった。強い風を受けながら僕はミツたちに合図をし、手をあげてTPCに退去命令を出した。銃を抱えて退避ルートを走る武装した子どもたち。救出班のリーダーから無線が入り、人質の救出を確認する。僕は一旦ふりかえって片膝をつき、さっきまで隠れていた廃車めがけてランチャーを放った。ガソリンの残っていた車体は爆発炎上し、炎の塊が暴れる。僕とミツは走りながらハイタッチをした。
 だが次の瞬間、上空を飛んでいた救出用ヘリがそれ以上に大きな爆音と共に大破した。耳が一瞬聴こえなくなる。ほぼ真っ二つになったヘリは炎をあげながら地面に落下し、さらにもう一度爆発する。はずれたプロペラが回転しながらビルに激突し、燃える部品が狂い飛ぶ。僕らは他の人民軍の兵士と共に建物のあいだに前のめりに転がりこんだ。肌を焼くような熱波と爆風。飛んできた部品がすぐ近くの壁にぶつかって崩れ落ちた。対空砲だ。全く気づかなかった。
 ミツが怒気をあらわにして立ちあがった。テロリスト勢の前に飛びだしかねない彼を慌てて人民軍のひとりが押さえつける。今ここでお前が暴れてどうする、退去が最優先だろうが。彼の叫び声を聞いて一瞬大人しくなったミツは、しかしすぐに悔しそうな雄たけびをあげた。ありったけの声を絞り出して叫んでいた。僕だってそうしたかった。失敗だ、と無線に向かって叫ぶ大人の隊員の横顔を見て、僕は壁を拳で殴った。死ぬほど痛かったけれど、分からなかった。「総員退避!」路地裏をみんなで走って逃げた。上空を敵のヘリが横ぎってゆく。空爆と地響きと炎。窓ガラスの破片が降り注ぎ、建物が崩れる。地面すれすれでホバーリングする応援のヘリに子どもたちが次々飛び乗り、つづいて人民軍の大人、最後に僕とミツが離陸寸前に梯子につかまった。地上で大規模な爆発があり、市街地の一角で大きな炎の塊が膨れあがる。空気が熱を帯びて震え、ヘリがバランスを崩す。ミサイルが百メートル弱の上空で僕の右足をかすめた。


 リボルバーのシリンダーを倒すと、空薬莢がコインのような音を立てて床に散らばった。僕はテーブルの上に立てて並べた銃弾をひとつひとつ、確かめるようにシリンダーの中に押しこんでいった。指先に伝わる金属質な感触と冷たさが、僕を無言で叱責している。ソーセージよりちいさい弾丸が世界をぶち壊し、あるいは築きあげ、革命の合図を鳴らすのだと思えば、それは絶対に、重みを失うことはない。強い朝日が部屋全体を明るいオレンジ色に染め、銃身で光がするどく反射する。
 僕が常に持ち歩いているリボルバーは、TPCを作る前、護身用にとミツがくれたものだった。今は同じ拳銃でもベレッタがあるし、ライフルが二つとグレネードランチャーもある。それでも装弾数六発の近距離用リボルバーを未練がましく離さないのは、最初にもらった思い出の品、と言うとくすぐったいが、それなりに愛着があるのかも知れない。
 シリンダーをはじいて回し、銃身をかたむけて元に戻した。パチン、と小気味よい音を立てる。子どもの時分は両手に拳銃を持って交互に撃つなんていう映画のワンシーンに憧れたりもしたが、実際に持ってみればその重みに圧倒されるばかりだった。手首や腕の骨にかかる衝撃も半端ではない。怖くてやみくもに撃てば当然すぐ弾切れになり、キャッチを押す指も震えた。戦争に触れたばかりの少年には荷が重すぎた。
 リボルバーをしまって部屋の外に出ると、ダイニングでミツが窓の外を見て立っていた。手に色紙が握られている。僕は床の上に放られっぱなしの彼のウィンチェスターを拾って、「なつかしいな」と言った。
「ミツは一生、そういうものを出して感傷に浸ったりしないと思ってた」
「そこまで冷徹な上官に見えるかな、俺」
「いや、単にここで全部記憶してるだろうって思ったから」
 僕はふざけて彼の後頭部を指でつついた。色紙には幼く汚い文字と血判がひたすらに敷きつめられている。TPC結成当時、メンバー全員がここに記名し、指を切って宣誓の印を押し、ミツに命をあずけた。四十七人ぶんある。中央に名前が書かれた十七歳のミツを最年長とし、下は九歳から十四歳だった僕まで。二年前までこの廃ホテルにはそれだけ大勢の子どもたちが集まり、泣き、怒り、死ぬ気で笑って、ミツが政府軍の武器庫から奪ってきた銃を全員で掲げていた。
「僕も、なつかしい夢を見たよ」僕はミツのウィンチェスターを手渡しながら言った。「去年、空爆のどさくさにまぎれてユウオウ人居住区でテロがあっただろう。民間人を人質にとって立て籠った」
「ああ、あのゴーストタウンでの」
「ときどき思うんだ。僕らだけでも粘っていれば、テロリストを食い止めてヘリも撃ち落とされずにすんだんじゃないかと」
「仕方ないんだ、ああいうのは。コハクが怪我をしていたし。俺だって人民軍のアスペル元帥に、叱られる前に慰められたぜ。気に病むなよ、って。プライド丸つぶれだ」
「あれを事故と処理した幹部代行の顔、一発ぶん殴ってやりたかったよ」僕は自分の銃をいじりながら苦笑いをした。「おっさんめ、都市空爆に便乗してまた民間人巻きこみやがって、ってね」
「おっさん的には非武装の民間人だって、ユウオウ人の血が流れているなら敵だもんな。反シラ教育を受けた純ユウオウ人ならまだしも、シラアイ生まれまで見境なく殺す」
「物でも人でも思想でも、主軸のはっきりしない紛争っていつもそうだよ」
 だからシラアイでも内戦が勃発してるじゃないか。僕は小声でそう付け加えた。
 君は何を守るんだ? 僕は昔、ミツにそうたずねたことがある。すると、国よりもっとでっかいものだよ、と返事がかえってきた。そのときのミツは、無表情だった。
「子どもの頃、シラアイへ出稼ぎに来てた年上のユウオウ人の兄ちゃんと友達になってさ」
 ミツはウィンチェスターのレバーに指を入れて回しながら言う。「いつも笑顔で明るい人だった。その人の両親はシラアイを批判して死罪になって、学校を追い出されたからシラアイの工場で働いてたらしいんだけど、そんなつらいことを表に出さずに俺をかわいがってくれた。ユウオウ人居住区には入れなかったから近所の公園で待ち合わせしてさ。誕生日には手作りのバースデイ・カードをくれたんだ。シラアイの伝統芸能や音楽を何より愛していた。故郷の町にいる友達のことや、ユウオウでの楽しい思い出をたくさん話してくれた。いずれは両国が和解して平和になればいいのにと願ってた。この国でこれでもかというほどひどく差別されて、それでもひねくれないでシラアイと故郷を愛していた。その人の影響で、俺は子どもの頃から共存派だった」
 僕はその先をたずねなかったし、ミツも話さなかった。分かっていた。朝日が完全にのぼりきり、部屋が秒単位で明るくなってゆく。
「だから、ユウオウ人は全員シラアイを憎んでいるとか、ユウオウ人の犯罪率がどれだけ高いかとか、脈々とつづく蛮族の血だとか、そういう話を聞いても現実としてピンと来ないんだよ。その兄ちゃんもそうだし、アサギだっていい奴だ。俺たちは本物を知ってる」
「そうだよな、十把一絡げにしてこんな民族紛争を起こして、何も変わらないと思う」
「いや、変わりはする。いろんなところが」
 プラスでもマイナスでも、とミツが言う。頭の後ろで手を組みながら。
「TPCには色んな子どもたちがいただろ。親を殺されたやつが特に多かった。アサギのように差別を受けたユウオウ人の子どもだって何人かいた。銃をとり、命をかけてでも戦いたいと心から願う子どもたちだった。あいつらが全員『平和』の言葉のもとに集い武装蜂起したんだって、そんなことははなから承知だ」
 僕はミツの言いたいことがなんとなく分かった気がして、だけど相槌は打たなかった。
「分かってるだろ」
 見透かしたようにミツが言う。「あの子たちは、いつだって戦争肯定派になれたんだ」
 彼の脳裏に浮かんだ映像を共有できた。四十七人の、ミツの声に同調して命をかけて戦うことを決めた子どもたち。ユウオウ民族殲滅でも反政府でもない、共存の願い。目隠しをして歴史をくりかえすことを許さず、現在からはじまる新しい国家の構築を目指した共存派。民族紛争のさなか、祈りを貫き通した子どもたち。
 だけど断言できない。彼らが共存ではなく、憎しみの対象を殺すために武器をとる可能性はひとつもなかったなんて。
「愛する家族を殺された人にとって、戦争を止めろ、憎しみを捨てろ、平和を願え、なんていうのは拷問だ」ミツの瞳は朝日を受けて小刻みに震える。「それは彼らの心の平和にはならない。国ごと恨み、相手を同じ目に遭わせてやりたい、と願うことだってごく自然なんだ。恨むなっていうほうが無理な話だろ。それを『平和』という正論と道徳の鎖で縛りつけると憎しみが重なる。被害者による新たな戦争がはじまるのは至極当然だ」
 平和という名の鎖。道徳の脅迫。殺人犯に死刑が下れば被害者の家族は救われる。誰かの死を願い、死を喜ぶ人間は確実に、いる。相手の家族のことなんて考えない。それは、戦争がはじまる以前は「どんな理由があっても人を殺しちゃいけない」と浅く答えていた僕が、戦争に何もかもを奪われて気づいたこと。
「俺やコハクみたいに、人柄のいいユウオウ人を知ってる人間からすれば反ユウ派は理解できない。理解してもいないのに外から『復讐は何も生まない、視野が狭い』とか言っても届くわけがない」
「だとしたらアサギは」そこまで言いかけて僕は口をつぐんだ。アサギへの信頼がないわけではない。だが長く迫害されつづけてきたユウオウ人の彼が、いつ何を引き金にシラアイ人全員へ底知れぬ恨みを持ちはじめるか。もしそうなったとしても彼の罪悪感を煽り引き戻すことは逆に罪だ。
「無駄に流れた血や涙を知る人間にとって、自分や愛する人を蹂躙した人間の命なんて潰れて当然かも知れない」ミツの声がちいさくなる。「誰もイカれていない。だから俺たちは彼らを全否定しないんだ。正義であることには変わりないから、TPCは常に誰かにとっての敵なんだ」
 ――戦争をしなければ憎しみで自分が潰れてしまうもの。正しい望みを望みつづけることは難しいのよ。
 サーチライトで照らしたように、僕とミツのあいだに朝日が細くさしこむ。岸壁の隙間から漏れる強い陽の光が、また新しい夜明けを乱暴に告げる。宙に舞う埃。めくれた床に散らばる防弾服や銃火器や空薬莢。
 アサギはシラアイで生まれ育っていながら、シラアイ人に今まで差別されつづけていた。ユウオウ人学校に通い、乗り物の座席も分けられ、レストランでは劣悪な待遇を受ける。税金や保険金も高い。シラアイ人の僕を恨んでいるかとたずねると、関係ないよ、と言って涙を浮かべながら笑っていた。同じだ。腹の中で獣が眠っている。彼らはいつだってその靴のつま先の向きを変えられる。その理由をかざす準備がある。
「それでも」と僕は言った。言葉が急にドラム缶のように重みを増す。
「みんな、平和を実現するために集まってきてくれた」
 僕はミツの持っていた色紙を彼の胸に押しつけた。名前と血判。両国共存の誓詞。ただの正方形の板。ミツはすこしだけ目を見開いて、僕をじっと見た。
 今ここにいる共存派としての矜持や憎しみを越える意志がある。いつかおさえつけた過去の痛みが首を締めだしたときに後悔するかどうかは誰も知らない。
「戦争の真っただ中に放り出された、まだろくに英語も掛け算も分からないような子どもたちが、十七歳の君が掲げた平和の夢に同調してくれて戦場で銃を持ったんだ。今でも四十三人全員のフルネームが、死んだ順に言えるぞ。例え聞き飽きられたありきたりな願いでも、ありきたりになるほど大勢の人間が望んだ夢を絶対にあきらめなかった。彼らはその上で散った。僕は副司令官として、戦争が終わったら、武装蜂起した子どもたちがここで戦ったことを世界に知らしめてやる。TPCはただの左翼ゲリラじゃない、子どもたちの願いが結集した軍隊だったんだと」
 さらに強く色紙を押しあてた。厚紙が少し変形する。僕はミツから目を離さなかった。届かないものは何もないと信じて、睨みつけた。やがてミツは僕の手をぽんと叩き、色紙を取った。板の中央が少しへこんでしまった。
「そうだな」ミツは優しく笑った。「俺の友達の兄ちゃん、お前の友達、アサギ、そしてカイ。彼らがシラアイを愛してくれたことは確かだ」
 その優しさを知ろうとしないままじゃいけない。彼はそうつぶやいた。
 僕らはTPCに骨を埋めた。どれだけ誰かを憎んでも、戦争と破滅を願うことは絶対に間違っていると信じた。平和のために銃をとらなくてはいけない悲しみも罪悪感も、流した血も涙も、ごまかさずに正当化せずに未来永劫記憶する。
「誰も忘れないよ」僕は笑った。
 ―――君がTPCの誇り高き総司令官だったということを。
 きっと、ミツの父親のことを聴いたらカイは彼に謝ってしまう。その光景すら鮮明に脳裏に浮かんだ。ワンピースの裾をつかんで泣く少女。彼女の優しさと無垢さが、出会って間もない僕らにそれを容易に想像させるほど、まっすぐに届けられた。僕らが築いてきた自我なんて簡単に壊れてしまうほど、強くて、だけどやわらかい。
 そのとき、木が軋むちいさな音がして隣の部屋のドアがひらいた。隙間からひょっこり顔を出すカイ。驚いた僕らが声をかけるより早く、彼女は小走りに駆けよってきて、僕とミツの手を片方ずつとった。それをよろけるほどきつく、胸元に抱きよせる。何回りもちいさな手が僕の手のひらに食いこむ。
『おはよう』
 カイはそれだけ叫んだ。僕とミツを交互に見て、少し不安そうな表情で、丸くてきらきらした瞳で。すっかりのぼった朝日を全部奪い取ってしまいそうな笑顔は、ない。どうしてそんな顔をしているのかたずねてみたかったけど、なんとなくはばかられた。僕には音が聴こえる。サチコが見ていた夢の音だ。人々の歓声と爆竹と花火とビルが炎上する音。政権の崩壊が招いた音。上空を通過する戦闘機の音が、地上の音をさらってゆく。もし僕がTPCにいなかったら、街角で火炎瓶を投げ軍隊に制圧される暴徒化したデモ隊のひとりになっていたかも知れないんだ、と考えればシンプルだったし、それは腰のリボルバーを一層重く感じさせた。
 僕はミツの手ににぎられた色紙を見た。赤黒い血判が、僕に重力を思い出させる。
『おはよう』
 僕はカイに笑いかけて答えた。彼女は一瞬笑顔になったものの、すぐに険しい表情に戻った。そしてはっきりと言った。
『私、みんなの仲間になりたい』
 え、と彼女の顔をのぞきこんだ。聴こえなかったわけではない、信じられなかった。
『みんなって、TPCの?』
『そう。私もTPCの隊員になって戦いたい。平和をとり戻して、ユウオウに帰りたい』
『悪いけど、それは無理だ』ミツがぴしゃりと拒否する。『死んでも英雄扱いなんかされない。ただの反政府派の暴徒として殺される。まして君はユウオウ人だ。自分の命に名誉を求めず、エゴ同然に平和を叶えるつもりじゃなきゃ、俺は君の命をあずかれない』
『それでもいいよ。私はお父さんとお母さんに喧嘩して欲しくないだけ。友達や先生が殺されるところを見るのはもう嫌。みんなが仲良くしてくれるようになるんだったら、私は死んでもいい。私ひとりだけ助かりたくない。私にはもう誰もいないもの』
 目の端に涙をにじませるカイ。僕とミツは顔を見あわせた。何を言えばいいのか分からなかった。きらきら光るカイの大きな瞳。火薬臭い世界から拾い集めた記憶のあちこちに、子どもたちの涙を見た。四十七の決意。息がつまった。僕が今まで何度も、未来では見たくないと思いながらも何度も、かつて、こんな瞳を見たことを思いだした。僕らが大人になったとき、次の世代の子どもたちに伝えたいことよりも伝えたくないもののほうが多すぎて、それが現状のシラアイという国を形成していて。ここに生まれた僕らは、何を誇りにして生き、何を恥と定め、子どもたちの目の前に何を示せばいいのだろう。贅句を削いだ真実ひとつの言葉で。
 TPCの隊員には、ともすれば甘いと一蹴されるかも知れない、両国共存への依存があった。TPCができるずっと前から、僕らの中で、シラアイとユウオウは不安定に地続きだったから。サチコの持っているユウオウのレコードを蓄音器にかければ、それは確かに、確実に質量をもつものとなって僕らの意識になだれこんでくる。
 もし、僕らとカイが聴く音が同じ旋律なのだとしたら。
 僕は総司令官のほうを向いた。ミツは頭を掻き「デジャヴュか」とつぶやく。遠くで拍手がこだまするような音が聴こえた。銃撃戦。そんなに遠くない。鳥が一斉に話し声をやめた。ミツは立ちあがってテーブルの上のペンをインクにつけた。小型のナイフを取り出し、ペンと一緒にカイの前にさしだす。幼い少女の瞳はペンとナイフとミツの間で泳ぐ。
「同じ場所に立ってるっていうことぐらいは、俺にも分かる」
 カイの目がすっと焦点をむすんだ。気がした。だけどもう泳がない。はじめから何もかも決められていたようだった。家出をしてユウオウの共存派のところで暮らし、今、この色紙を前にしている。反発意識じゃない。そうなることが彼女の中で結論づいていた。
 ペンをゆっくりと手に取ると、カイはぎっしり名前が書いてある色紙の隅にスペースを見つけ、つよい筆圧でしっかりとフルネームを刻んだ。ユウオウ語で。カイ・ブレンストレームと。うつくしい名前だと思った。カイはナイフを手にすると、息を止めて人差し指を少し切った。半泣きになりながら血を親指にこすりつけ、名前の下にちいさな血判を押した。
 これがすべてだ。誓詞だ。僕らの覚える仲間がひとり、ミツに命をあずけた。泣きそうな目、と思ったときにはカイは泣いていた。必死で声を殺しながら、歯を食いしばって涙を流していた。ミツは眉をひそめて色紙を強くつかんだ。僕はカイの頭を撫でてやった。やわらかい髪が砂で少しざらついていた。
 僕らは戦わなくちゃいけないわけじゃない。理不尽な戦いをあえて望んでここに集まった。――だから、

 ピーピーピー、という無骨な電子音が部屋中に響いた。カイが肩を震わせて泣きやむ。ミツは無線機のボタンを押した。
「こちらTPC、総司令官ミツ・ベリクヴィストです」
『アスペルだ。反過激派勢力人民軍本部よりTPC総員に告ぐ』アスペル元帥は早口に言った。『すまない、我々ではおさえきれなかった。リーブルの一個中隊がそっちへ向かっている。ホテルの場所が割られたんだ。こちらは敵の奇襲攻撃で半壊滅状態、とても応援をひっぱれそうにない。ヘリはまわせたからそれに乗ってこっちへ来い。奴らは国際テロ組織と組んだんだ。間に合わなかったらなんとか耐えてくれ』
「ちょっと、えっ、いきなりすぎです」
 アスペル元帥ががなりたてる。『こっちもいきなり早朝から奇襲されたんだよ、あいかわらず橋はどこだと紋切り型みたく』
 また橋か、と舌打ちするのとほぼ同時だった。階下でガラスの割れる音が、つづいて震災のときに聴いたものとよく似た、家具が倒れる低い轟音が重なった。床がかすかに震える。下のバリケードをやぶられたのだ。複数の男たちが階段を駆けあがる気配。「大遅刻ですよ元帥っ」と無線に怒鳴り、ミツはカラシニコフを拾いあげた。
 僕は寝室のドアを蹴やぶり「起きろアサギ」と叫んだ。しかし彼はベッドの上に座りこんだままじっと動かない。彼の手元にはラジオが握られていた。
「なあ、コハク」ふりかえったアサギは青ざめていた。「今、ラジオで反シラ派ユウオウ人のテロのようすが流れてたんだけどさ、どう聴いても兄さんのものだとしか思えない声が入ってたんだ」
「あの、出ていったっていうお兄さんが?」
「嘘だよな。あの兄さんがテロリストに、しかも反シラ派に転がってるなんて。その集団、人民軍の本拠地を爆撃したっていうんだよ。反ユウ派の過激派に便乗して。なあ、どうなってるんだよ。兄さんがそんなやつらに加担するわけない」
「落ちつけ」僕はアサギの肩をつかんだ。「君の兄さんのことはひとまず置いておくんだ。今、そのテロリストが下のバリケードを突破してこっちに向かってきてる。まずはここから避難するのが先だ」
「でも」アサギの表情が歪む。差別を受けても共存を願いつづけたアサギは、シラアイを最後まで愛せなかった兄を今も追いかけていた。僕は強く彼の身体を揺さぶった。
「分かってる。だけど大事なのは、君がずっと今日まで守ってきた願いだろ」
 僕はアサギを立たせて部屋からひきずりだした。すでにサチコがミツに起こされて着替えも済ませていた。白のチュニックにジーンズ。片手にアサルトライフル。年齢不相応な姿だが実際、彼女はあまり戦闘向きじゃない。
「事情は聴いたわ。本部がやられたって」
「元帥から詳細を報告してもらった」ミツがウィンチェスターのレバーをひきながら言う。「反ユウ派シラアイ人が人民軍本部を襲撃し、それに反シラ派ユウオウ人の暴徒が便乗してる。双方の狙いは『橋』だ。今こっちに向かってきてるのは反ユウ派のほう。テロリストとリーブルの中隊だ。なめやがって」
「まだヘリは来てないのね。粘らないと」
「くそったれが」僕が怒鳴ると同時に最上階へ軍隊が到達する気配がした。やかましい足音と怒鳴り声が響く。カイがなぜか色紙を左手ににぎりしめて震えているが、決して泣かない。屋上の階段へは吹き抜けの廊下を反対側まで半周しなくてはならないので、一旦ここを出ることになる。僕は入り口のドアの番側に張りつき解錠した。ミツとアサギは反対側の棚の影に隠れる。リーブルの隊員がドア前に迫る足音が聴こえた。サチコとカイは部屋の奥へ身を隠す。やがてドアがゆっくりと開き、三十代半ばほどの武装した男がサブマシンガンを構えて上半身をのぞかせた。僕は手早くその喉にライフルを押しつける。固まる男を僕は顎でしゃくった。「そっちはどうだ」という別の声が聴こえ、男は「いや、誰もいない」とこたえる。彼がゆっくりとドアを閉めかけたので一瞬油断した。隙をついて男のサブマシンガンが僕の耳横をかすめる。
 背をかがめるとミツとアサギが一斉射撃を開始した。男は身体の右半分を負傷して倒れこみ、彼を蹴飛ばして僕らは外へ出た。「いたぞ」合図の声が重なる。高級ホテルの広い廊下のあちこちから武装した大人たちが飛び出して銃弾の集中攻撃を食らう。目視で二十人弱。突破できるか不安だったが考えている暇はない。僕は一分七百五十発のライフルを全開にして、カイを守りつつ走るサチコの後方援護にまわった。ミツもカラシニコフを、アサギはレミントンM870で隊員を蹴散らした。いくつもいくつも被弾し、足や腕から血を流して、それでも僕らは走った。銃の重みを、痛みを忘れるほど一心不乱に、トリガーを引きっぱなしにする。ああ、これが平和のための殺人なんだろうな、と思えば集中力が乱れた。後退しながら、できるだけ隊員の足や銃を持った手を狙って撃った。それでも何人かは殺している。戦争だ。ちいさな国の民族紛争が、今ここで僕に銃弾の痛みとその価値をしつこいまでに叩きつける。
 何重ものドラムロールじみたマシンガンの銃声と空薬莢の金属音に交じって、上空にヘリが飛来する音が聴こえた。「走るぞ!」ミツの声を合図に僕らは射撃を止めて全力疾走した。ジグザグに走っても背後からの追撃であちこちに被弾する。防弾チョッキ越しでも当たれば衝撃で気絶するだろう。僕はカイの後方にまわって走りつづけた。
 とたんに、アサギが急ブレーキをかけた。「兄さん!」
 逆走しはじめた彼を止めようと伸ばされた僕の手は虚空を掻いた。人が変わったようにショットガンを連射して兄の名前を呼ぶアサギ。「違う、リーブルにはいないはずだ!」僕がその背中に叫ぶとアサギは肩越しにふりかえった。「兄さんに似たやつがいた、絶対そこにいる! やめさせるんだ!」
 止める声もきかずアサギは追っ手を撃ち、銃のグリップで殴り、どんどん廊下の奥へ走っていった。「兄さん、俺だよ!」悲痛な叫びが遠ざかる。「冗談だろ、おい」ミツが背後から名を呼ぶがアサギは振りかえらない。連れ戻そうとすると別の隊員からの総攻撃を食らう。慌てて屋上の階段めがけて駆けだした。もうどうしようもなかった。僕はでたらめな叫び声をあげて、追手に向かってライフルを乱射した。血がはじけ飛ぶ。何も分からなかった。
 屋上へつづく階段のドアを内側から閉め、鍵をかけた。二秒でも三秒でも時間を稼ぎたかった。サチコは先頭でカイの手をひきながら泣いていた。暗い螺旋階段を駆けあがり、屋上のドアを蹴破る。人民軍のヘリは、ひろく障害物のない屋上すれすれに降りた。「TPC、女子から先に乗せろ」キャビンから手を出して叫ぶ救助班の隊員に、まずカイを引き渡す。抱きあげてキャビンに押しこむと、屋上のドアがやぶられた。ヘリを狙い撃つテロリストたちにミツが振りかえって威嚇射撃をする。その隙に僕はグレネードランチャーに閃光弾を叩きこんだ。「後ろを向いて目を覆って」と全員に叫ぶと、銃床を肩に当てずそのまま撃ちこんだ。螺旋階段の足元に飛んだ弾が炸裂すると、こちらの目まで痛くなる強烈な閃光が走った。リーブルの隊員たちがうめき声をあげて目をおさえ、その場にしゃがみこむ。
 一年前のテロ事件のとき、民間人を乗せたヘリは対空砲の直撃を受けて大破した。その記憶がよみがえる。ぬめったらしい寒気がした。光がやまないうちにミツとサチコがキャビンにあがり、ヘリが離陸をはじめた。僕は助走をつけてジャンプし、ホバーリングするヘリからおろされた梯子につかまった。そのまま飛び去るつもりだった、が。
 数発の銃声のあと、キャビンからぐらりと何かが転げ落ちた。風に舞う黒髪。伸ばされたミツの手は、届かない。
「サチコ!」僕は真上から落ちてくる彼女の身体をつかもうと、足を梯子の金属部にからめて手を伸ばすが、彼女のワンピースの端をかすめただけだった。まっすぐ落下するサチコの身体を下で待ちかまえていた男が抱きとめる。嘘だろ、と思った。アサギだけでなくサチコまで。さらにキャビンの中を狙って飛んでくる銃弾に、慌ててヘリが浮上する。「待ってくれ、サチコを取りかえすから高度を下げてくれ」と叫ぶも、すぐに無駄だと分かった。対戦車擲弾砲RPG−7を肩に担いだ男が、屋上に膝をついてこちらを狙っているのが見えた。
 やばい、と思った瞬間にヘリが急上昇し、飛んできた弾は足元にはずれる。僕は梯子を駆けあがり、ハイスピードで退避するヘリのキャビンに転がりこんだ。気が動転して天井に頭をぶつけ、激痛でようやく現実に釘留めされる。ミツは苛立って壊れるほど強くドアを閉めた。地上から爆音がする。カイがサチコの名前を呼んで泣きながら窓に張りついている。床にサチコのものらしき血がまだ液体のまま飛び散っていた。僕は床にぺたりと座りこんだ。太ももが震えて立てなかった。全身に被弾していたのに、痛みを忘れた。嘘だろ、嘘だろ、嘘だろ。うわごとのように呟きながら、両手で顔を覆った。血に似た金属の臭いがした。ミツが何度も壁を殴る。


 まだこんなにちいさかったんだ、と思わせるほどカイの身体は細かった。少しでも力を入れたら骨まで砕けてしまいそうだ。あちこちに貼られたガーゼや包帯がそのちいささを浮き彫りにする。自分が被弾することをいとわず常にかばっていたのに、彼女はいくつかかすり傷ていどだが銃弾を受けていた。
 耳を両手で強くふさぐカイを後ろから抱きしめ、両腕でさらに彼女の耳をおさえて、手のひらで目を覆ってやった。もう長いこと泣いていたがさすがに疲れたのか、今のカイは微動だにせず、一言もしゃべらず、ずっと耳をふさいだままだ。僕は彼女を膝に乗せてパイプ椅子に座ったまま、ずっと彼女の目を覆ったままだ。
 空き会議室の透明な壁の向こうに、あわただしく人民軍隊員や軍委の人間がゆきかう廊下が見える。大人数の反ユウ派テロリストの早朝奇襲によって意表を突かれた人民軍本部は激戦区となった。大勢の兵士とテロリスト、そして民間人から死者を出している。数人の隊員がTPCの拠点地を吐くよう脅され、そして僕らが襲われた。ヘリで上空から見おろした本部の建物は爆撃を受けて大破し、黒煙が三エーカーほどの敷地全体を包んでいた。隊員の半数が生還し、ここ国民評議会の拠点にある軍事委員会本部に避難した。同盟軍の僕らはここに集められ、治療を受けた。
 隣の部屋からミツの怒鳴り声が聴こえてくる。あるていどは防音が効いているので、耳をふさいでいるカイには届くまい。簡易机の上にはカイがずっと握りしめていたTPC隊員の誓詞の色紙が乗っている。少し曲がっていた。僕はそこに書かれた名前をひとつひとつ読みながら、時間を経るごと強くなっていく全身の痛みに耐えた。心臓の鼓動に合わせて疼く傷口。自分がこれほど多く被弾していたことに気づかなかった。
 だけど。僕は強くカイを抱きしめる。サチコはどこを撃たれたのだろう。足や腕ならまだしも、致命傷になっていれば?
 ミツの怒声を聴きながら、僕はカイを抱く腕の力を強めた。優しいユウオウの民謡でも聞かせてやりたいが、僕が歌ってもきっと意味がない。アサギは死んだのか。捕虜になったのかも知れない。シラアイを愛せずにいた兄の姿を探し求めて、そのために彼は身の危険をかえりみず敵陣につっこんだ。彼はそれでもシラアイと兄を愛していた。そのことがよく分かった。責められない。それを伝えたい。だけどその相手が今、どこにもいない。
 サチコ。アサギ。
 やがてガラス戸がひらいてミツが怒気をあらわにして会議室に入ってきた。カイが大仰に震えたので「大丈夫、ミツだから」と手の平越しに声をかける。一瞬安心した彼女だったが、ミツが机を挟んで反対側のパイプ椅子に大きな音を立てて座ったのでまた怯える。僕はため息をついた。タンクトップを着た彼の身体にも包帯がこれでもかというほど巻かれている。彼の右耳の上半分がなかったのでぎょっとした。
「あったまくるぜ、スタンリーめ」総司令官を堂々と呼び捨てにするミツ。「年齢が子どもだからって子ども扱いして。お役所仕事ってやつだな」
「言っておくが、君は立派に子どもだよ」
「人間性として子どもかどうかっていうのはまた別だろう? なんのための同盟軍だよ。俺たちははじめから死ぬつもりでTPCにいるのに」
「ミスター・スタンリー、許可してくれなかったんだ」
 TPCの女子隊員が生死不明のまま身柄を拘束されたと説明しても、ただでさえ減った隊員を動かすわけにはいかないの一点張り。テロリストによる本部殲滅を踏み台とした、評議会本部への直接奇襲の可能性が消えないことがその理由だ。実際、サチコ以外に捕虜となった隊員は確認されず、リーブルからの要求もなく、下手に動けない。僕は元国防長官だった軍事委員総司令官への進言権がないので黙っている。
 確かに、リーブルの拠点がどこかも把握できていない状態だ。まして相手は政府軍部や連合国の支援を受けている。軍需品も潤沢にあれば工作もできる。さらにテロリストと組んだとなれば、戦略も何もない丸腰で見切り発車をするにはいささかリスクが大きい。
 どうしたものか、と思っていると空き会議室のドアがふたたびひらいた。
「そろってるな、ボーイズ」
 軍服に身を包んだアスペル元帥が、けだるげに足でドアを閉める。元政府軍軍曹で、離反後は人民軍元帥として指揮を執る若き総元締めだ。TPC結成当時、同盟軍として連携できるようはからってくれたことがあり、一番仲が良く友人扱いだ。僕とミツは立ちあがっておざなりに敬礼をする。カイは僕の足元に降りたって、背中に隠れた。
「ガールフレンド連れかい」元帥が面白そうに笑って言う。
「カイ。ユウオウからの亡命者です。身内がいないようなので、保護を」
「亡命?」眉をひそめる元帥に軽く事情を説明する。彼女がユウオウの共存派団体の元で暮らしていたことも含めて。「前に市街地で過激派に命を狙われたって言ってたのはその子か」とカイを見て言う元帥。怯える彼女に「信頼できる人だから大丈夫」と声をかけるが、僕の背後に隠れて出てこない。
「よし、ちょっとオフィスに移動しようか、少年たち」そう言って元帥はしゃがみこみ、カイに笑いかける。「おじさんがいいものを持ってきてあげよう」
 僕らは包帯だらけの身体をひきずって隣の大きな事務室に移動した。外界は砂地が多く民家の少ない郊外なので、太陽光の照りかえしが部屋を黄土色に染めている。赤道に近いこの国は化石燃料が豊富に採掘される代わりに砂漠化が進み、しめきった室内は熱気がこもる。しかしその暑さを感じる暇もなく走り回る他の隊員たち。元帥が部屋に入ると全員が立ちあがり、一斉に敬礼をする。僕らもそれをかえした。よく見知った隊員たちに「無事でよかった」などと声をかけられたが、うまく笑顔でかえせなかった。
 一瞬席をはずした元帥は、戻ってくると手に水の入ったコップを人数分乗せたトレイ、それに紙と十二色入りの色鉛筆のケースを持っていた。あきテーブルに座るカイの前にそれらを置く。カイは目をかがやかせてケースをひらき、色鉛筆を手に取って見つめる。
 僕らは残りのパイプ椅子に座って、彼女が一心不乱に絵を描いているのを見ていた。「子どもなんだな」とミツがつぶやいた。
「娘のものなんだ。カイにあげよう」
 元帥が優しい微笑を浮かべて言った。細められた目は父親のそれだった。僕は事情を知っているから、それ以上は何も訊けなかった。コップの水を飲みながら「それで」と話題を変えたのはミツだ。
「話はどこまで伝わってますか」
「廃ホテルをリーブルに襲撃され、アサギとサチコの生死が不明というところまで」
「何度も無線で連絡したけど、どちらとも応答がありません。アサギはテロリストの軍勢に自ら突撃していきました。サチコは地上から狙撃されてヘリから落下し、身柄を奪われてそれっきりです」
「自ら、か」アサギらしいな、と元帥がちいさな声でつぶやいた。僕はテーブルに肘を乗せた右手を握りしめた。
「今のところ、リーブルから何の動きもない」元帥は考えごとをするときの癖で、ペンを指先で回した。「彼らの目的は『橋』だ。これの正体は俺でもつかめていない。分かっているのは、物理的な従来の橋とは別次元だということだ。本部を奇襲した連中が『橋をよこせ』と言っていた。よこせと言われて手渡しできないだろう、あんなもの。比喩か何かであればぎりぎり合点がいくんだ。橋はものとものをつなぐ比喩としても使われる」
「荒波にかかる橋のように君を導く、ですね」僕はこたえた。サチコの持っていたレコードの山の中にあった曲だ。あの盤たちは今、どうなってしまったのだろう。
「そうだ。類推すると彼らが捜しているのは橋の場所ではなく、観念としてのかけ橋、アレゴリカルなものだ。それもとびきり高級な」元帥がペンで頭を掻く。「かけ橋だなんて、もっとかがやかしい意味で使われるのかと思っていたが。プラスでもマイナスでも、人が命がけで追うものには自然と価値が生まれて周囲を誘発してゆくのか」
 それは僕も思ったことだ。「橋」が何なのか、どこにあるのか、比喩なのか概念なのか、それすらも分からないなか、僕らも無意識にその存在に踊らされている。それはそのぶん、存在感が強く、影響力があるということ。
「オーケイ」ミツが結論を急いだ。「その『橋』を求めたやつらが、なぜTPCを?」
「分かっていたら男とのんびりティータイムなんかしてないさ。お前たちが純金製の橋のおもちゃでも持っていれば別だがな」
「本部襲撃は決してそれ自体が目的ではなく、評議会殲滅への踏み台でもなく、TPCへの足がかりをつかむためだったんでしょうね。人民軍に捕虜は出ていない。俺たちは一応同盟軍だけど非公表だし、戦場で見かけたという噂はあくまで噂で実際は子どもの戦争ごっこ、軍事組織としての実体はないと思ってる人たちも結構多いし。人民軍は一般にほぼ露見してるし批判もされるけど、TPCは相対的に輪郭があやふやだから拠点の廃ホテルのことも知られず、知ろうとする人もさほどいなかった」
「それが突然、リーブルが過激派テロリストと組んでまで一様にTPCを探しはじめた。お前たち、何かしたのか」
「していたらおっさんとのんびりティータイムなんてしてませんよ」
 動揺を押し隠すように会話を途切れさせないミツの横顔は、普段以上に銃創まみれなぶん、苦しげだった。「橋を探すために必要なものがまだこちらの手元にあるのなら、サチコたちの身柄と交換もできる」と荒く語る。父親を殺された彼の過去がその背中に貼りついている。事務的な口調にも焦りが混じる。
 僕はいまだにお絵描きに夢中になっているカイの手元をのぞきこんだ。そして息をのむ。赤い太陽と水色の雲の下に立つ、ふたりの少女。ワンピースを着て、満面の笑顔で、手をつないでいる。幼い子どもらしい元気あふれるその絵。燦然とかがやく陽のもとで笑う少女たち。敵国を殺す兵士の絵でも、自国の国旗の絵でもない、しあわせな絵。
『色鉛筆、すごくきれい』
 カイが描く手を止めないまま言った。『私、こんなにたくさんの色鉛筆を見たのは初めて。いつもお絵描きは黒だけだったんだ。色鉛筆は高いから、買ってもらえなかった。だけど、たくさんの色鉛筆を並べるとこんなに綺麗なんだね。知らなかった』
 絵の少女のように笑うカイ。色鉛筆のケースは、白から黒までうつくしいグラデーションを形成していた。溶けるように、混じりあうように。まったく違う色なのに、十二色そのものがひとつの色になってしまう。そしてカイは白鉛筆から順番に、並べるように空に半円を描いた。黄色、桃色、橙、赤、茶色、黄緑、緑、水色、青、紫、黒。おおきな、世界を覆うほどおおきな虹が、手をつないだふたりの少女の頭上にあらわれた。太陽をも凌駕する、十二色。
 僕には音楽が聴こえた。サチコが白いグランド・ピアノで奏でるメロディーだ。棚におさめられたサチコの宝物のレコードが、世界中の音楽を聴かせてくれる。白と黒の鍵盤が、完璧なハーモニーの元に共存する。どうして僕らはうまくいかない? と歌うサチコの声がこだまする。混声合唱が僕らを強引にひっぱってゆく。詩が僕らを呼び醒ます。さあコハク、立ちなさい、あなたはまだ生きているのよ、と。銃声よりも爆音よりも、人々の悲痛な叫び声がつよく地面をふるわせる。
 賭ける命の重み、無駄に流れる血の数。
 喧騒がやまない事務室に、突如かん高い電話のベルが響いた。隊員のひとりが受話器をとり、しばらくして蒼白になる。通話口をおさえてミツを呼ぶ。彼はスピーカー・フォンに切り替えた。最初に電話をとった隊員が「全員静かにしろ」と言う。
「TPC総司令官、ミツ・ベリクヴィストです」
『しばらくぶりだな、少年。リーブルのブラントです』
 室内が静まりかえる。リュウ・ブラント。僕らはおっさんと呼んでいる、リーブルの最高司令官。印象的な口ひげのせいで年齢より老けて見えるが実際は三十代後半と若い、反ユウ派の先導者として民衆と連合諸国の代表から支持を集める政治力に長けた大佐だ。だけど頭の頑固さについては銀河随一。
「どうも、お久しぶりです」ミツの口調はていねいだが表情が硬い。「今朝は大がかりなモーニングコールをありがとう」
『ずいぶんと大人な言い草をするようになったな。いずれ国の将来を語りあいながら、酒を飲み交わしたいものだ』
「元帥ではなく私を呼んだのは要求ありきでしょう。身柄を拘束している隊員の生死を確認させて頂きたい。利害が一致すれば終戦後、酒を」
『ストレートだな』電話口で苦笑するブラント。その声だけを聴けば、会えば小遣いをくれそうな優しいおじさんに感じられるが、実際はユウオウ民族殲滅を目指し政府軍と共に銃を振るう、一歩間違えれば過激派になりかねないおっさんだ。
『要求を先に。単純な共通の願いを叶えるためにも、TPCで保護しているカイ・ブレンストレームという八歳前後の少女の身柄を、我々に引き渡し願いたい』
 室内が静かにどよめいた。視線が一挙にカイに集まる。彼女は目に見えて怯えていた。僕は彼女の肩を抱いてやる。大丈夫、絶対守るから、と耳元でささやく。数日前と同じだ。マーケットで銃を出した反ユウ派の男もカイを探していた。
 ミツは明らかに困惑したように「何を」と答える。
「それは『橋』に関することで?」
『そのようすだと、橋の意味をそもそもつかめていないようだな』小馬鹿にするように笑うブラント。『世界中がカイ・ブレンストレームを探している。西の大国から東の民衆まで『橋』を崇めんと死力を尽くしている。その橋を見つけるためには、今ここにいるサチコ・コトノハとカイ・ブレンストレームが必要だ。安心しろ、サチコ・コトノハは生きている』
 安堵のため息があちこちから漏れたが、ミツは全く落ちつけていない。
「待ってくれ、話が全く読めない。『橋』にごく普通の民間人の少女がなぜ関わる? 彼女たちが行きかたを知っているとでも言うのか。それに、私がカイを引き渡したとして、その対価は何になる」
『詳細は伏せさせてもらう。我々はふたりが揃えばいいだけだ。用件が済めば身柄はどちらも無事にかえそう。しかし君たちが少女を断固として守るのなら、ここにいる数十名の民間人の安全は保障しきれない』
「ここにいる、だって」ミツの呟きに重なるように、別の隊員から逆探知成功の声があがった。目の前にシラアイの首都レクザの地図を広げたアスペル元帥が、国会議事堂から二マイルほど離れたある一点に赤いペンで印をつける。
 そこは開戦時からの言論統制によって一時閉鎖に追いこまれた多くのラジオ局のうち、プロパガンダのためにたったひとつだけ残された国営の放送局だった。
『逆探知はできたと思うが』
 ブラントには筒抜けだったらしい。僕にも状況がすべて呑み込めた。リーブルはテロリストと組んでラジオ局を制圧し、局員や民間人を人質にとって立てこもっているのだ。カイが市街地に現れたことが知れ渡り、彼女を探す者の耳に届いてこのような強硬手段に出たのか。
 腕の中で小刻みに震えるカイを僕は強く抱きしめた。色鉛筆を全部使って虹を描くこの幼い少女に、世界が目を向けるのはあまりにいたたまれない。
『そういうことだ、今日をふくめ二日の猶予を設けよう。それまで一切の侵撃は自粛する。これから私はここを離れるが、明後日の午後二時に局内で待機する。武力で突破するなり膝詰め談判に出るなり道は自由だ。そちらの有能な参謀本部で存分に考えて結論を出せ。ただし、下手な小細工を仕掛けた場合、拘束している民間人の命は保証しない。攻勢に転じる。私の言葉を左翼の売国奴かつ理想主義者の評議会に信用させるかどうかは、総司令官である君の手腕にまかせます』
「要求については討議に付しましょう」ミツが声を低くして言う。「が、その人質の中にアサギはいませんか。十二歳の、レミントンを持った少年兵は」
 ブラントが眉をひそめる気配がした。しばらく電話の向こうで話し声がして、『今はそんな少年はいないぞ』と彼がこたえた。『レミントンを使っていたTPCの子どもならいたそうだ。ただ彼は君たちの拠点の廃ホテルで死んだ。知らなかったのか』
 カイが短い悲鳴をあげた。そして、糸が切れたようにわっと泣き出す。僕は彼女を胸に抱いて背中に手を回した。背中に氷の杭を押しこまれたようだった。カイの細い髪をめいっぱいつかんで歯を食いしばった。四十人ほどの演奏家が一斉にコントラバスを鳴らすような音が僕の耳に届いた。脳裏を映像が駆けてゆく。兄の姿を求めて叫びながらショットガンを乱射するアサギ。彼に向けられるサブマシンガンの銃口。響く破裂音。被弾と共にのけぞる未発達の身体。赤い飛沫が散る。床に這いつくばって咳きこむ彼の口に突きつけられる銃。
 オフィス内にいる隊員が顔を伏せた。口や目元を押さえ、首を振っている。ミツは遠目にも分かるほど青ざめていた。机に手をついてうなだれ、氷づけになったように微動だにしない。やがて拳をきつく握りしめ、ゆっくりと口をひらいた。
「あなたたちはユウオウ民族だけを恨んでいるはず」ミツの声は震えている。「その当初の着地点を脇に置いてまで『橋』が必要なのか。これだけ争い、死者を出し、自由と正義のために突っ走ってきたのに寄り道か」
 そしてつづけた。「この戦争はなんのためにあるんだ」
 ブラントは軽く鼻で笑って、『よいクリスマスを』と言った。電話はそこで切られてしまった。軍部だとは思えない静寂が室内を包む。聴こえるのは、カイのちいさなすすり泣きの声だけだった。ミツは瞼ひとつ動かさずにいた。アスペル元帥も絶望したように天を仰いでいた。ガンッ、と大きな音がした。ミツが机を蹴り飛ばしたのだ。くそったれ、くそったれ! 何度も何度も叫びながら机を蹴る。誰も止めなかった。ミツの目は真っ赤に充血していた。僕はカイの耳をふさいだ。今はどんな歌も、彼女には届けられない。
「子どもたち、知っているか」アスペル元帥が天井を見たまま言った。「世界は今、クリスマスだ」


 ――あなたもここに生きているの?
 二年前、少女はそう言った。両過激派が銃撃戦を起こした市街地で、マシンガンの音の隙間を縫うように。ごく普通の民間人の子どもだった。美しい黒髪と純白のワンピース。装甲車の裏に隠れて銃弾を回避し、ふたつのベレッタのキャッチを押す僕に、少女は摘みとったちいさな花をさしだした。僕はぽかんとしてその花を見つめた。リリースされた空のマガジンが地面に落ちる。彼女のワンピースと同じ、白い花だった。手の熱で少しだれている。だが太陽の光をめいっぱい集めようとひろげられたその葉とちいさな花びらが、砂埃まみれの、銃撃戦の最中の市街地にひとひらのぬくもりを転がす。
 ――あなたもここに生きているの?
 僕は答えた。シラアイ生まれのシラアイ育ちだよ。彼女は首を振った。あなたが生きているのはシラアイじゃないよ、私が生きているのもシラアイじゃないよ。
 大きな目で、無表情で花を差しだしてそう言う少女を、僕は当時、理解できなかった。新しいマガジンを出してグリップに手のひらで叩きこむ。じゃあなんだ、ユウオウだとでも言うのかい? 僕の質問に彼女はふたたび首を振った。ここはここでしかないよ、きっと、生きていることは確かだもの。
 彼女の瞳は星の砂でも入っているようにきらきらしていた。その瞳に圧倒されそうだった。僕らの価値観や理論では永遠に見えない、決定的に何かが欠けているために手が届かずにいる領域に、彼女はいる気がした。身震いする。僕が生まれるずっと前から先人たちが両手に抱こうとしては重みに耐えきれず、手放しては誰もが追い求めてきたあらゆるものが、巡り巡って彼女の持つちいさな花に変化したのだと思った。口から出かけた年寄りじみた言葉のすべてを死ぬ気で胃に戻した。
 少女の両親らしき外国人の夫婦は銃撃戦に巻きこまれて死んでいた。過激派に区別をつけろと文句を言うのも無駄だと分かっている。だけど遺された彼女はどうなるのか。一旦は評議会に身柄を引き渡しても、その後のことを僕は知らない。
 僕は小隊の子どもたちに声をかける。この子は無傷だ、早く安全なところへ誘導しろ。少女より少し年上の子どもたちが、銃弾が飛び交うなかアサルトライフルを抱えて走ってきて、少女の手をつかんだ。走り去る直前、僕は彼女にたずねた。名前は?
 少女は手に持った花を絶対に離さないまま、僕を肩越しにふりかえって笑った。サチコ。


「シラアイとユウオウは昔、ひとつの国だったんだ」
 アスペル元帥の言う昔、は三百年ほど前だ。「当時はイギリス領だった。独立後は複数の国に分裂し、そのうちシラアイは代を重ねて世界一の石油輸出大国になった。それが現代になって隣国を覇権統治するとは、ひねくれものもいいところだな」
 机の上にひろげられた地図を前に、空き部屋で休憩をとる僕とミツとアスペル元帥。時間がまだあるとはいえ人命がかかった非常事態に、評議会全体が荒れていた。あれこれと激論を交わす声が四方から響く。テロリストが民間人を人質にとり国営ラジオ局を占拠した事件は音速で世界じゅうに伝わった。世論は割れた。『橋』のためなら多少の犠牲もいとわない容認派、非武装の民間人の命を脅かすことへの批判派。後者のほうが多いが、『橋』の価値が分からない僕らはどちらにも同意できずとまどう。
 共存派もそうだが、元々、極右の過激派テロリストから中立に限りなく近い穏健派まで、反ユウ派と言っても実際は熱量の落差が激しい烏合の衆だ。元政治家、警察官、軍人、武器商人、国際テロ組織、武装した民衆などのメルティング・ポット。そのため思想が同じでも内部で反目していることはこれまでもよく聴かれ、今回のラジオ局占拠はさらに顕著に溝を深めることになった。派閥内でも亀裂が発生し、離脱する者が増えた。アンチ反ユウオウ派となった彼らは、しかし共存派とは一線を引いている。
 そして連合諸国の過半数は、暴動の鎮圧以外で市民を危険にさらすことは問題だと、リーブルと彼らを援助する元老院を糾弾した。大統領暗殺事件の擁護問題を受けてユウオウへ経済制裁を行い、弾圧のために武力介入してきたアメリカ軍をはじめ多数の国外勢力が、今回の事件に抗議してはじめてシラアイから撤退の意を示した。資金援助や軍需品の提供もストップした。石油の輸出制限を恐れた保守派の国家は黙っているが、正義感の強い民衆は熱く批判する。国内の治安維持が困難になるとの声もあがっている。ソビエト連邦政府の諜報員が胡乱な噂を流してリーブルを扇動した、などという虚偽の情報もあふれた。
 これだけ世界を揺るがせて、敵にまわして、しかしリーブルは現状を崩さない。彼の大勢の支持者は幻滅し、嘆き、離れていった。国際社会からの孤立を覚悟してまで『橋』を見つけたいか。
「なんでユウオウが嫌いなんでしょうね」僕は地図上のユウオウの場所を指先で叩きながら言った。「僕らなんて、普通にユウオウ人の友達がいたんですよ。仲が良く、もちろん悪いやつじゃない。素敵な友人だった。なのにユウオウの民族を嫌い、国全体や国民全員、国家そのものの存続を許さないシラアイ人がいるのはやっぱり不思議」
「前も言っただろ、家族を殺された人が加害者を恨むのは当然だって」ミツが横槍を入れる。「問題はむしろ、それを他人に押しつけることだ。どんな因縁があろうと、その遺恨や復讐を全く関係ない赤の他人の背中に乗せようとするのは人としてだめだろ」
「それが悪化したものが紛争か」元帥が鼻で笑う。「昔、大学受験に落ちた男が、第一志望の大学の敷地内で無差別に学生を斬りつける事件があったが、似てるな」
「規模と状況が全然違います」僕は呆れて首を振った。
 陽が沈みかけている。橙色の光が室内を包む。このまま朝まで誰もが走りまわりつづけるのだろう。局員だけで百人以上がいる国営ラジオ局だ。もし犠牲者が出れば各国代表からの批難は免れない。ブラントの支持がどれだけ下落するかは分からないが、無駄に死体を増やしてプラスに転じると思えない、もちろんユウオウ人ではないサチコをピンポイントで殺害するはずがない、と信じたい。彼だって自由と平和のために戦っているのだ。
 だけど、諸外国からの支持と支援を手放してまで『橋』を探したがっているのもまたブラントだ。橋を見つけるためにサチコとカイが必要だとして、それが生死を問わないとすれば簡単には安心できない。
「どうやったら」
 ミツが世界一こたえづらい質問を、ひとりごとのように吐きだした。「戦争がなくなるのかな」
 元帥が椅子の背もたれに体重をあずけてため息をついた。僕は机から離れて窓際に立つ。砂地の奥に太陽がまさに消えようとしていた。これから夜が来る。明ければブラントとの約束の日だ。僕は無意識に腰のリボルバーに手をやった。触れていると落ちつく。
「共存の道なんて」
 そう言ってから元帥はたっぷり一分ほど時間を置いた。
「もうどこにもないのかも知れない」
 僕はふりかえって元帥を見た。沈んで鋭さを失った夕日に照らされる横顔は感情がないように見えて、だがロールシャッハ・テストのように僕はそこに苦痛の色を見つけた。
「リーブルのようにユウオウを憎むシラアイ人がいるのと同じく、ユウオウにもシラアイを憎むユウオウ人がいる。当然だ。彼らは二十年ものあいだ自国を占領され、シラアイの発展のためだけに搾取され、無駄に血を流してきた。今この紛争で奪われたシラアイ人の命以上に大勢のユウオウ人が殺され、そしてこの国が経済大国に成長した。彼らにとっては、家族を殺されたからとユウオウ殲滅を望むシラアイ人なんて、己の歴史を棚にあげる偽善者だとしか思えないだろうさ」
 すっ、と光が消える。太陽が完全に地平線へ隠れた。また地球を一周して巡ってくるまでの時間は、おそらく途轍もなく早い。
「今さらどうしろって言うんだ。多くのユウオウ人はシラアイを何世代にもわたって恨んでいる。この国を愛してくれ、友好を深めようなんて都合のいいことが言えるか。まがりなりにも俺たちだって、彼らを蹂躙したシラアイ人と同じ国の国民だ。大切なものを奪われた人間の恨みつらみは数年では消えない」
 深く、ゆっくりと、秒刻みに部屋が暗くなってゆく。太陽の光が届かなくなる。窓の外の建物がぽつぽつと灯りをつけはじめた。夕日のオレンジと白んだ青とのグラデーションが、この国の願いをあらわしているようだった。
 僕は誰を憎むかと考えた時期があった。共存派でいることでいじめられ、まともな友人は同じ共存派だけだった。僕の思想に同意してくれ、理不尽な歴史の教科書を無視して真相をうがった授業をした教師は、吊るしあげられ退職した。隠れて一緒に遊んでいたユウオウ人の友人たち。いつも傷だらけだった子どもたち。石を投げつけられたと言って、それでも笑っていた。さようならも言えずに獄中で殺害された。明日も一緒に遊ぶ約束はひきちぎられた。居住区の町は空爆を受けた。彼らにもらった手紙や写真は、震災に伴う大火災ですべて失った。みんな死んだ。殺された。母は震災の餌食になった。大量虐殺の現場で僕はミツに拾われ、銃を手渡され、告げられた。
「平和のために他人の血を浴びる覚悟があるなら、俺の軍隊に入れ」と。
 ごく普通の中学生の僕は、友達も家族も、守るべきものがなくなると強くなった。ミツと手を組み、四十七人の志願兵の子供たちによるTPCが出来た。ミツがいることで子どもの軍隊ごっこは脅威となった。銃の扱いを覚え、暴動を鎮圧し、前線で武装集団を前に戦った。大勢の子どもたちが被弾し、爆撃を受け、身を呈して誰かを守り、手榴弾を投げこまれ、装甲車に轢かれ、命を落とし、最終的に三人だけになってしまったTPC。
 いじめたクラスメイト? 違う。震災? 違う。政府? 違う。歴史? 違う。生まれた国とその時代? 違う。ユウオウ人? 違う。シラアイ人? 違う。そもそもここにいる自分? 違う。世界のすべて? 違う!
 戦争のない平和な先進国に生まれていれば僕は高校生になり、青春を謳歌していたはずだ。その自分を想像したことは何度かある。だけど僕はシラアイ人で、TPCの副司令官だ。他の僕のことは知らない。
 これだけ生傷の絶えない人生を送りながら、憎むものが見あたらないのは鈍感なんじゃない。まして聖人でもない。どれだけ理不尽でも不公平でも、たとい恵まれていても、神から与えられたその状況の中で、誰もが死にもの狂いで生きているのだということを、僕は知ってしまっているからだ。
 知っていても涙が止まらない人が争いを起こす。彼らの悲しみを僕は否定できない。
「戦争なんてひどいこと、人間のやることじゃないと思った」
 僕は静かに言った。「だけど、こんなことをするのは人間しかいないとも思った」
 廊下のあかりがドアのちいさな窓から入ってくる。だけどそれ以上に、まだ低い月あかりのほうがずいぶん優しく感じられた。風が木々をくすぐる音が、はっきりと聴こえる。
「ミツ」僕は地図を前に頬杖をついている彼に呼びかけた。「見当違いなら否定してくれ。君は反ユウオウという思想の存在自体を消そうとしているんじゃないか」
 ミツは動かなかった。不自然に、微動だにしなかった。おそらく同じ疑問をずっと抱えていただろうアスペル元帥は何も言わなかった。数秒の沈黙のあと、ミツは「見当違いだ」と言った。
「そんな物騒なもんじゃあない。だけど敵対心が消滅すれば戦争は淘汰されるんじゃないかとは思う。今回の場合」
「そう、両国の反発意識自体は歴史が浅く、宗教戦争のように民族そのものに根付いた争いじゃない。ベースが怨恨だから、そこを完全に断ちきれば少なくとも後世までつづくことはないと僕も思う。机上の空論だけど、誰も憎まなくなったら戦争は終わる」
 でも、と僕はつづけた。「それがうまくいくなら、TPCは必要ないよ」
 ミツは一瞬僕を見た。だけどすぐに視線を地図に戻した。それは拒否ではないと僕は受け取った。だから遠慮なくつづけた。
「君は父親を反ユウ派に殺されたことを一生忘れないだろう。それが反ユウ派を否定する材料になるだなんて単純なことは思ってない。君は基本的に中立を守り、ベクトルの違う正義も彼らにとっては間違いなく正しいものだとちゃんと分かってる。だけど反ユウオウ思想を理屈で納得こそすれ、全部を認めて愛してやることは絶対にできないんじゃないか。戦争を肯定してしまうことはしかたない、なんて口酸っぱく言うのも、その心理に決して無関心ではいられないからだろう」
「シンプルすぎる、それこそ空論だ」
「そうさ、僕の勝手な想像にすぎない。だけど僕は両派がそれぞれの正義を守り、それを破壊せず、かつ共存してゆけるような外交関係を築くのがベストだと思っているから。もし君がアンチ思想を徹底追放することで平和が叶うと思うのなら確かにそれも正義だ。反ユウ派を愛せないと思っていても否定しない。だけど僕とは食い違う」
 ミツは勢いよく立ちあがり、僕の肩をつかんで窓に叩きつけた。「おい、ミツ」アスペル元帥が叫ぶが手は出さない。ミツの手はかつてリーブル隊員に撃たれた箇所を締めあげていて、死ぬほど痛い。だけど僕は耐えた。ミツのほうがよっぽど痛いと思った。
「悪い、言いすぎた」声がかすれる。「だけどこれが僕の本音だ。色々考えた結果だ」
「そこまで考えさせて真実が届かなかったのが腹立たしいよ」
 ミツは僕から絶対に目線をはずさなかった。だから僕も絶対に顔をそむけなかった。十センチほど背の高い彼の肩幅は僕より少し広かった。ああ、あらがえないな、と思った。
「俺の親父は知ってのとおり、武装した反ユウ派の拠点に奇襲をかけて死んだ。その経緯までは話さなかったな。親父の女房、つまり俺の母親は、反ユウ派の引き起こした暴動に巻きこまれて死んだんだ」
 息をのんだ。ばらばらだった記憶が一気につながった。空爆のたびに廃ホテルからしょっちゅう飛び出していったミツの背中。アスペル元帥がミツの肩のむこうで、悔しそうに舌打ちをした。
「だから親父は共存派の中でも、アンチ反ユウ派の思想に寄った過激派になった。分かるだろ、親父も復讐を是としたんだ。俺に『母さんの仇をとってくる』と言い残したままさ。殺人が美談になり、人が死んで喜ぶ人間は腐るほどいるんだよ。それを俺は家族ぐるみで証明されて、納得せざるをえなかったんだ」
 ミツの声がうわずった。彼は僕の肩をつかんだまま顔を伏せる。僕の靴の上に、優しい雫がふたつ、こぼれ落ちた。
「戦争肯定派に転がった人間の心理が、下手に理解できてしまう。反ユウ思想のために俺の両親は無駄死にしたんだ。できるならリーブルなんか全員殺してやりたいと思ってる。だけどな、よりによってその理屈は反ユウ派と同じなんだ。――あいつらだって、自分の家族がユウオウ人に殺されたからユウオウを憎んでるんだ」
 分かるんだよ。分かっちまうんだよ。
 うわごとのようにミツが何度もくりかえすその言葉が、僕の脳髄を満たして激しく揺さぶる。僕は何を見ていたんだろうと、思わず目をきつく瞑った。
「俺は、両親を、愛していた」鼻水をすすりながらとぎれとぎれに言うミツ。「ずっと後悔していた。仇打ちなんか母さんは望まないって親父に何度も言った。だけどそれ以上に親父は憤ってたんだ。テロリストと同じ瞳だった。ああなる前に俺がもっと親父を愛して、強くなった息子の姿を見せれば、憎悪に犯されることもなかったかも知れない。戦争がなくなれば母さんのように殺される人間はいなくなるって、だから共存派として正義を貫こうって、言えばよかった。それでも親父は死んだ。TPCは贖罪の証だ。せめて家族の中で俺だけでも世界平和を願いたいって。だけど、それでも、なあ、コハク」
 ミツは顔をあげた。両頬は涙で濡れて、目が充血していた。手の甲で乱暴に涙を拭いてから、隣の部屋まで聴こえるほど大きな声で怒鳴った。
「もう二度とやつらを愛することはできないんだ! 別の正義があることぐらい分かってるさ! 焼け落ちた反ユウ派団体の拠点には親父の死体が転がっていた。両方の目玉をくりぬかれて口に詰めこまれ、ちぎられた右腕は腰から上がない女の死体のマンコに突っこんであったんだ。俺は聖人君子じゃない、大事な家族がそんなふうに蹂躙されてなお、純粋なまま平和を一途に望むなんていうサチコみたいなことはもうできない! シラアイ人から差別されてもこの国を愛し、暴徒化した兄貴を共存派にひきもどそうとしたアサギのようにはなれない! TPCの総司令官が聞いてあきれるだろう? 俺だって無駄に人を殺してプラスになるとは思えない。それでも銃を取ることを選んだんだ。だけど親父と同じように、平和のためなら反ユウ派が死ぬことぐらい構いやしないって思いながらTPCにいる自分が許せないんだよ! ましてあれだけ大勢の子どもたちを守れなかった俺が、その総司令官でいる資格があると誰が思う!」
 息を荒げて涙をこぼしながら、そのまま床に膝をついたミツ。アスペル元帥は成り行きをずっと見守っていたが、何も言わなかった。僕はうなだれるミツの後頭部を、窓に背中をあずけたまま見おろした。こんなにちいさくなった彼を見るのは初めてだ。
 ああ、そうだ。確かに僕とは違う。ただ目指す着地点が同じというだけだ。屍なしに平和は築けないと、僕らは知ってしまった。痛みをごまかす大人の理屈だ。物語のように美しく解決してしまう戦争なんてない。憎しみと悲しみと喪失感と、それを吐きだす場所や環境がなくて行き場をなくしてしまったことと、理解者が少ないことと。あるいは古代から絶えない隣国同士の争いや、食糧不足に水不足、生まれついた肌の色、信じる宗教の違い。いくつもの要素がからまって戦争が起こる。中途半端な正義の味方は、人の憎悪の重さに潰れてしまう。だから平和を望む覚悟とは、誰かの血や涙を浴びてなお意志を貫けるかどうかなのだ。
 正しい望みを望み続けることは難しい。良心や道理より強いものがたくさんある。
「正義の心髄なんて、どこにもないんだ」
 僕はそっと呟いた。ほとんど動いてないのに身体が疲れていた。泣きそうなほど打ちひしがれていたのに、涙は出なかった。
「僕の中にだって、僕の信じる正義がある。だけどそれはミツのものとは別だ。だから反ユウ派を認めろなんて絶対に言わない」
 信じられないほど自由に言葉がつむがれた。散らばったガラスの破片があるべき形をとり戻そうとするように、呼吸を、許す。
「だけどこれだけは言わせてくれ。この戦争にかかわらなかった次の世代の子どもたちにはユウオウを愛していて欲しい。過去の暴虐は忘れられないしどうにもならない。この紛争は起きるべくして起きたようなものだ。今さら二十年前のことを悔やめない。だけど歴史の怨恨を子どもへ、その子どもへと受け継いだら戦争は絶対に終わらない。それよりも紙や色鉛筆を手渡したい。真っ白な子どもが、自分たちには理解できない理不尽な差別や戦争で傷つき、誰かを憎むところなんて想像したくない」
 些細なことで戦争が起こる人の世は、平和が実現できないからこそ、しあわせになる方法を知って欲しい。
 それが、今僕の中で考える平和への路線だ。血なまぐさい歴史は、二度とくりかえさないためにあるものだ。愛された音楽はかならず世界を駆けめぐる。人々をつなぐために。
 僕は早足に歩きだし、机の上に置いてある地図の上に片手をついた。
「思いだそう」
 その地図をぐしゃりとつかむ。「君がTPCを作った理由を」
 ミツは立ちあがって呆然と僕を見ていた。目が赤く腫れている。そのさまがずいぶんと間抜けで、僕は思わず吹き出した。ミツはようやく照れて「なんだよ」と言いながら目を覆う。彼が泣くところを見たのははじめてだった。僕の上官であり友人である彼のことを、ようやく理解できた気がした。
 もしも、カイの絵のように、誰もが臆することなく手をつなげたなら。
 この世界は、人々は、もっとしあわせでいられただろうか。
 軽いノック音がした。ドアがひらいて「怪談話でもしているのかしら」と苦笑する声が聴こえた。電灯がつけられ、夜闇に飲み込まれていた部屋が一瞬で明るくなる。入ってきたのは人民軍の女子隊員で、左手に寝眼をこするカイをひいている。
「さっき起きたみたい。お腹がすいたって」
「ひっきりなしに泣いてたもんなあ」アスペル元帥がカイを肩車してやる。はしゃぐ彼女の寝癖がついてしまった髪がふわふわと踊る。元帥の手帳に挟んである彼の娘の写真を見たことがあるが、カイほどの年齢だったはずだ。カイは元帥の肩の上で楽しそうに笑っていた。左手に色鉛筆をにぎりしめて。
 誰もが幸せになる方法なんて存在しない。だけど必要悪を正当化することだけは絶対にしたくない。犠牲が増えるだけの道をゆきたくないだけだ。僕らは何を信じればいいのだろうと何度も迷った。何を選べば納得でき、後悔せず死ねるのか。死んだ親に顔向けできるのか。本当の平和や差別のない世界を願いながら、それが限りなく不可能に近いことを理解できてしまった。願いつづけることが戦時中に生きる僕らにとって難しいことが分かっていた。それでもサチコは願いつづけた。祈りつづけた。願いや祈りが無意味なんじゃない、それらを失った心が正義をとなえてもなんの役にも立たないのだ。戦争を終わらせたいという民衆の願いが国家を動かし、世界をふるわせる。地鳴りのように、つよく優しい調べのように。僕らは瓦礫に立ち、人の血を浴び、何度も銃に弾を込めながら、願っていた。爆撃で壊滅した死体だらけの町で、たったひとつでも美しい花が咲くことを。
 両親と帰る家を失い銃を手にした子どもたちが、傷だらけの足をひきずりながらなんのために生き、なんのためにTPC隊員として戦うかとは、その花を守りつづけるために他ならないんだ。
「さあ、今宵はクリスマス・イブだ。ボーイズ」
 アスペル元帥がカイを床におろしながら言う。「軍部も戦争状態だが、今日は愛する家族の話や幼いころの思い出話をビールの肴にしようじゃないか。総員、食堂に集合だ」
「あのドタバタしてる隊員たちを止められるの」
「俺、参謀総長も兼任だからいざとなったら命令する」
 人民軍に入らなくてよかった、と言ってミツが苦笑する。彼の目元はもうにじまない。見失わない。カイが満面の笑みで「ごはん食べよう!」と叫ぶ。僕に手をふって、楽しそうに。手をふりかえして彼女を抱きあげれば、ちいさいのに想像以上に重かった。僕らが持っている武器よりも、はるかに。



 助手席のドアを勢いよくあけると、よほど古いのか車体全体が揺れた。カイの脇に手を差して座席から降ろす。左側の運転席から降りたミツが「ハンドルの切れが悪すぎる」と文句を言った。人質回収のために軍事委員がひっぱってきた野戦用トラックは、アメリカ軍のセカンド・ハンドだ。いくつの戦争を乗りこえてきたのかと思うほどずだぼろで、運転するミツが何度も舌打ちしていた。ドアを閉めるとまたぐらりと揺れる。
 シラアイの首都レクザは他市に比べて都市化が進み、ビル群や鉄道、自動車などが目立っていた。三年前の大震災の影響で町の大半が崩壊したが、現在は一部の国家機関や行政の施設、各国の領事館、空港、貿易港、そしてマスメディアであるラジオ局や新聞社などの再建がなされている。民間人が避難したあとでも首都機能は通常営業だ。倒壊したビルや割れたコンクリートの地面が目立つゴーストシティには、過激派団体たちが拠点をかまえることが多く、激戦区になったことも多々あった。
 最高議長と軍事委員に談判したアスペル元帥の功労あって、元帥本人が現場で指揮をとることを条件に、リーブル軍と戦闘経験がある中隊が召集された。当初、子どもでどうにかなる相手じゃない、危険だ、あくまで文面で抗議すべきなどと言ってユウオウとの直接対決を避けつづけた総司令官も、今回ばかりは折れた。評議会本部への襲撃を警戒し全兵を動かすことはできなかったが。ミツと僕は現場で元帥を補佐することになった。
 愛用の銃を手入れし、残弾を確認しているところへ、ミツがカラシニコフを差しだした。そして「セミオートにしておけ」と言う。僕は使いなれたそのアサルトライフルとミツとを交互に見た。TPCに入りたてのころから使っている、政府軍の武器庫から奪ったAK47を少し改造したものだ。引き金を引いているあいだ連続で銃弾が発射されるフルオート射撃と違い、セミオートは引き金を引くごとに一発ずつ発射するショットモードである。ミツの考えは読めた。僕が彼よりはるかに武器を持つことに抵抗があり、最小限のさらに限界まで犠牲者を抑えたいという意図を汲んでいるのだろう。僕が殺傷を目的とした銃よりも、催涙ガス弾や閃光弾の撃てるグレネードランチャーを愛用している理由ももちろん気づいている。だが、僕はライフルを受けとり、軽く首を横に振った。ミツは腰に手を当てて目を伏せ、ため息をついた。そしてすれ違いざま僕の肩を二度叩いて部屋から出ていく。彼の手には、愛銃のウィンチェスターM1887ショットガンがにぎられていた。突入時、敵の手足を撃って拘束する作戦だが、それはあくまで戦略のベースだ。危害が及べば頭を撃っても誰もとがめない。それが戦争だ。どんな目的を掲げていようとも、どうしても止められないこと。戦わずには終わらない戦い。それを最初にはじめたのは、まぎれもなく僕たち人間だ。
 僕はAK47にマガジンを叩きこみ、コッキングレバーを勢いよく引いた。ガシャン、と小気味良い音を鳴らしたそれを素早く構える。肩にかける革製のストラップが揺れる。スコープを覗きこんで狙うは壁に貼られた世界地図。大陸から突きだした半島の西にぽつんと放り出されたシラアイ、その北のユウオウ。東には中国や日本が、北西にはもともとシラアイを支配していたイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国がある。南西のアフリカ大陸はここよりさらに深刻な紛争や飢餓で子供たちが苦しんでいることだろう。地図で見るとあらゆるものがずいぶんと近い。僕は両手でライフルのバレルをつかみ、顔の前にひきよせた。手袋越しに伝わる銃の冷たさ。唇が震え、頬を涙が伝う。もう二度と、これまでのように、命の心配をせずに安寧と暮らす十六歳の男子学生には戻れない。それと同時に、何もかもの終焉を覚悟し、そして願った。
 自分にできることを、なんて言っている場合ではない。目標さえ定まっていれば、やるべきことも、やりたいこともおのずと見えてくる。
 国営ラジオ局は国会議事堂から北へ二マイル地点にあり、交戦にそなえて朝のうちに周囲一マイル圏内の道路をすべて封鎖した。屋外で銃撃戦になる可能性もある。それが僕には恐ろしかった。これまで直接顔を合わせたことのない頑固じじいと銃を交わすことになるのだ。テロリストと組んだ彼らと離反軍人たちが本気でぶつかりあえばどれだけの被害が及ぶのか、想像もつかない。だからできるだけラジオ局ビルから外へ組織のメンバーを逃がさない。作戦は民間人救出を優先しつつ、敵を建物の内部へと追いこむ。間取り図は頭に入っている。おっさんが脱出ルートを探すとすれば下より上だ。震災の爪痕が残るラジオ局周辺の建物はほとんど捨てられ、屋上は他の連立する廃ビルと背丈が変わらずさほど離れていない。その気になればロープ一本で渡ってゆける。まさか本気で無事に身柄を返還してくれるなんて思っちゃいない、こちらははじめから談判なしでサチコを奪還するつもりだ。多少強引だが相手も強引なので応じたくないというのが本音だった。
 自分より十歳近くも大人の軍人たちが、アスペル元帥の威を借っているとはいえ自分たちの背後についているというのは不思議な感覚だ。TPCの隊員はなんだかんだ言いつつただの子どもで、人民軍の隊員たちからは年下の友だち扱いされている。めちゃくちゃに割れたコンクリートの道路をラジオ局に向かって走りながら、僕は空を仰いだ。抜けるような晴天。あきれるほどの、青。
 局の西側は港である。震災で倒壊したコンテナの影に突撃部隊全員が集まり、輪になって銃を空にかかげた。
「民衆に力を!」
 声をそろえる。それはTPCの合言葉と同じだった。僕の背後にあいかわらずカイが隠れていた。まさか彼女を前線へ駆りだすわけにもいかず、内部を制圧しブラントを追いつめ、人質全員を回収したところで、別の分隊が彼女を連れてくることになっている。要求には応じないが、彼らにとって担保であるカイの存在は目に入れるだけでいい。
 打ちっぱなしのコンクリートからなるラジオ局ビル。その正面エントランスと裏口にはそれぞれ武装したリーブルの隊員がふたりずつ、ライフルを片手に配備されていた。二手に分かれ、僕は正面の警備をしている男の背後から彼の口を手でふさいだ。ひるんだ隙に首に腕を回し、つま先で背骨を蹴りあげた。気絶した彼の銃を奪い、両手足を縛る。反対側の男も同様に別の隊員が拘束した。裏口突破の合図が無線で飛んでくる。
 壁にはりついて顔を出し、ドア越しに一階フロントのようすをうかがう。目視で十人もいない。ずいぶん手薄だな、と思う間もなかった。僕はグレネードランチャーに弾を込めると、ドアを足で蹴り開けた。すぐに全員の銃口がこちらへ向けられるが、遅い。僕は床に伏せてランチャーを放った。目を両腕で覆うと同時に炸裂する閃光弾。絶叫とうめき声。光がやむと隊員たちが一斉に突入した。暴れまわるカラシニコフの銃声。僕もベレッタ二丁を抜いて両手に持った。見えないなりにやみくもに反撃するリーブル軍の手足を狙う。はじけ飛ぶ血しぶき。警報装置が作動し、耳障りなトーンのアラームが鳴り響く。できるだけ犠牲は出さない、というのがミツからの要望だった。前方隊が敵の手足を撃って動きを止め、後方隊が彼らの武器を奪って拘束する。監視カメラももちろん破壊してまわる。
 被弾しながらも一階フロントを突破し、二階から応援にきた別の隊員をエレベーターホールで迎え撃つ。だが敵はサブマシンガンを持っていた。雨あられと飛んでくるフルオート射撃の連続音と銃弾。前転でフロントの影に転がりこんでカラシニコフに切り替え、角から顔を出して撃つ。だが敵の9ミリパラベラム弾に追いつかない。頬を弾がかすめる。僕は銃のマガジンを床へ落とした。硬質の音。敵から奪ったアサルトライフルを撃つ味方の声と薬莢の音。それらすべてに被さる銃声。硝煙の匂い。これがすべてだと思った。何もかも無関心ではいられないのだ。
 新しいマガジンを手のひらでたたきこむとすぐさま攻勢に転じる。すべるように床に伏せて手を伸ばし、足元を撃った。数人の隊員に命中して倒れこむ。頭上を飛ぶライフルの銃弾。首に被弾して即死らしい男がいた。最後に残ったひとりを別の味方がグリップで目尻を殴って床にたたきつける。彼の右手に握られたライフルを僕のほうへ蹴り飛ばし、足の甲を拳銃で撃つ。悲鳴をあげて悶絶する彼の持っていたライフルは、ビニールテープでマガジンが連結してあった。アスペル元帥はそれを抱えて「第三班は敵を一ヶ所へ拘束し、民間人がいないか各部屋をあらためろ、それ以外は二階へ」と叫んだ。
 敵の軍勢は二百人前後だろうと目星をつけていたが実際はそれ以下だった。二階の警備も一階と同じほどであっけにとられる。僕らが来ることは分かっていたはずだ。専守防衛主義でも人命がからむと武力行使に出るということも。だとすればこの配備は、僕らがほぼ無傷でブラントと対面することになっても準備があるということか、もしくは最初からそれが目的で誘導されているのか、よほど離脱者が多かったのか。そんなことを一次元的に展開して考えながら、ライフルを暴れさせる。
 ラジオ局はそう広くない。一般見学者向けの歴史資料館などがある一階から上はスタジオや控室だ。ここでも数人の敵兵が待ちかまえていて、廊下でいきなり銃撃戦になる。人民軍隊員やミツに比べて、視力に恵まれたぶん体力的に劣る僕は、応戦しながらもミキサー室や防音室のドアノブをすべてあけ、民間人がいないか確かめていった。
 レコーディングスタジオのドアを蹴やぶったところ、悲鳴が聴こえたのでとっさに銃を向けた。ミキサーテーブルの下に数名の男女が固まっていて、『撃たないでくれ』とユウオウ語で叫んでいる。僕は銃をおろして廊下の状況を確認し『早く外へ』とうながした。
『シラアイ国民評議会の者です。外で救護班が待機していますので、負傷者は手当てを受けてください。軍委で身柄を保護します』
『なぜ』目尻に涙を浮かべて女性が飛び出してきた。『私たちはユウオウ人なのに』
『評議会は中立組織です』我ながら冷たい言い方になってしまった、と僕は思った。『人種は関係なく、人質を奪還しに来たんです』
 女性は泣き出してしまった。他の人たちがテーブルの下から這い出て彼女を慰める。どうしてこんなことに、とうわごとのように呟く彼女を見て、僕は目をそらした。銃弾がやみ、二階を制圧したことが無線で告げられる。早い。僕らTPCとは格段に違う。
 他の部屋から救出した人質の民間人が、隊員に誘導され廊下に集まっていた。『さあ早く』彼女たちの背中を押して外へ連れだす。別の班の隊員へ引き渡そうとすると、一緒にいた四十代ほどの男性が『申しわけない』と僕に頭をさげた。
『我々ユウオウ人が、情けないことを』
 それは大統領暗殺を讃えたユウオウ政府のことか、シラアイ在住ユウオウ人による猟奇殺人や犯罪のことか、そもそもなんのことで謝られているのか。僕には分からなかった。だから『あなたは誰も殺してないし、ただ生きているだけだ、ユウオウ人を代表しなくてもいいんです』とこたえた。
『あなたたちを愛しているシラアイ人が必ずいます。どうかそれを忘れずに』
 笑うことは、できなかった。始終無表情だったと思う。僕らシラアイ人に笑う資格はないはずだ。隊員たちに出口へ誘導される彼がふりかえり、涙目で『私たちを見捨てないでくれ』と叫んだときは、なんとなく力が抜けて立ちつくしてしまった。
 シラアイとユウオウ。諍いの絶えない両国。どれだけの血が流れたかと被害者ぶりを主張するのは楽で簡単すぎるから、彼のように自分の側から謝罪することは難しい。それは国辱扱いとなり自国民から糾弾される。
 人民軍なんて、ネーミングがすでに中立ではない。もしかしたら僕もユウオウ人の共存派に出会ったら謝ってしまうかも知れない。心の底からというよりは、反射的に。
「ぼさっとするな、走れコハク!」
 ミツに頭を叩かれて我にかえる。どんどん上階へ攻めゆく隊員たちのあとに走ってついていきながら、やっぱり戦争なんて嫌だ、と思った。心の底から。
 そうでなければ今の僕がここにいないことも承知の上で。
 拘束されていた人質は五十人ほどだった。民間の死者はゼロだ。リーブル軍も想定していた大群かと思えば裏切られ、重火器類が充実していること以外は人民軍が優勢だった。
 もちろん負傷者も出た。被弾し戦闘不能になった隊員はそのまま救護班が回収していった。僕だって無傷じゃいられない、もうすでに傷だらけで血まみれだ。左手を撃たれ激痛のあまりライフルを拳銃に変えざるをえなくなった。銃弾が頭に直撃した敵兵は、脳の破片をまきちらしながら倒れた。真っ黒に染まった服と生肉の臭い。重なる死体。見なれたと言いたくはないが、開戦当初ほどうろたえない自分が嫌だった。生きることに必死で、必死すぎて、路上の死体を見るたび吐いていた。死を間近に感じる今、僕はその屍を生みだす側になっている。
 あれこれと理由をつけても、それは変わらない事実。
 上階に行くにつれ軍勢が厚みを増した。こちらの負傷者も多い。一刻も早くブラントを捕らえなければ、と焦るほど銃身がぶれた。ライフルを抱えて廊下を走り、いくつかの事務室のドアを破って確かめる。が、どこにもブラントはいない。まさかフェイクだったなんてことは、と一瞬嫌な想像が頭をよぎったが、それを打ち破ったのは元帥の声だった。
「非常階段がある、先に行け!」
 片手で銃を撃ちながらもう一方の手の親指で廊下の奥のドアを示す。リーブル隊員は人民軍にまかせて、僕とミツは目で合図しドアの外へ出た。ビルの西側に鉄筋の階段がたてつけてあった。手が届きそうなほど隣の廃ビルが近い。僕らはそのまま上へ駆けあがった。機甲部隊がラジオ局周辺を取り囲んでいる中、地上へ逃げたとは考えにくい。ジグザグに伸びる階段をあがりきると、急に高い建物がなくなって強い風が吹きつけ、目を強く瞑る。だが、そこにいた人物を目の当たりにし、僕はすぐに銃を向けた。
 何もない屋上の真ん中に、車椅子に座った男がいた。リュー・ブラント。直接会うのは初めてだったが、ミツが話していたとおりのイメージだった。年齢より少し老けて見える口ひげ。電話で聴いた彼の声を思いだす。ワイシャツにスラックスで、ネクタイを風にはためかせたその姿は、裕福な家の出身であり決して馬鹿ではないことをうかがわせる。背後にこちらへライフルを向けたふたりの護衛隊員を従え、ひとりがサチコの両腕をつなぐ鎖を持っていた。二日前と同じワンピースで、目隠しをされているサチコは僕らに気づかない。ヘリのキャビンで撃たれたらしい左腕には包帯がていねいに巻いてあった。彼女の服と黒髪が、風にあおられて舞う。
「ジェネラル・ブラント、いつの間に足を」
 ミツは僕の隣で同じように銃を向けながら、わずかに目を見ひらいていた。ブラントは膝の上で手を組み、切なげに目を細めた。「本当に久しぶりだな」と彼が言うと、電話の声とぴったり重なった。
「大きくなったじゃないか。もう子どもの軍隊だなんて言えないな。四十七人の少年少女たちを大人顔負けの兵士に育て、私たちリーブルにとっても脅威となったその政治手腕、どう形容すればいいやら」
「今は四十八人です。しかし生存者は四人。もう軍隊ではなくただの残党ですよ」
「ミツ、そこにいるのはミツなの?」
 サチコが僕らに気づいて声をあげる。兵士が「大人しくしていろ」と押さえつけようとするが、サチコは怒れる猫のように「うるさい」と叫ぶ。怪我をしたり、精神的苦痛を受けていたらと若干不安だったので、なんだあいかわらずか、と僕は安心してしまった。
「そちらは初めてお目にかかるな」
「TPC副指揮官」僕はゆっくりと名乗った。「コハク・ベンディクス」
「本当に素晴らしい軍だ。君たちのような若者が一人前に主張を掲げ、茶の間で文句を言うだけでなく行動に移して統治機構に訴えかけた。例え無駄に終わったとしても、その行動力は評価されるべきだ。ベクトルが違うが、私の若いころは経済成長の真っただ中でね、己の出世と保身しか考えられなかった」
「世間話なら戦争が終わったあとに酒を飲みながらしましょうよ」ミツがじれったそうに銃を振って言う。「まして反ユウ派に褒められてもちっとも嬉しくない。交渉に移ります」
「そう焦るな。年上の話には耳をかたむけなさい、子どもたち」
「同じ民族同士で争っている暇はないんです。階下の人質は全員回収した。今は人民軍があなたの部下を拘束している。早く終わらせてお互い家に帰って、クリスマスのシャンペンをあけましょう。時間稼ぎをするなら今ここでサチコを奪還します」
「ひとつ知りたいんだが」
 ブラントは少し、錯覚かも知れないけれど、少しだけ悲しそうな目で、足元にかけたブランケットを引きあげて言った。「なぜミツはTPCを作った?」
 何を今さら、と僕は思ったがミツは違うらしい。急に苦味のにじむ表情になった彼は、持った銃を降ろさないまま視線を落とした。悔しいのか、悩んでいるのか、怒っているのか、分からなかった。
「TPCとは」代わりに僕が紋切り型の返答をする。「震災や戦争で家族を失った孤児たちが国籍血族に関係なく集まり、ユウオウの解放と両国共存を目的とし、過激派による暴動や銃撃戦での被害を最小限に阻止し、民間人の安全を保障し、現政権と両派に抗議する非公認無所属の武装集団です。この戦争の最終解脱は両国共存のみと信じ、それを目指しています」
「世間に名を流していないTPCは、存在が露呈したとき、おそらくそれだけでは批判されるぞ。未来ある子どもたちに銃を与え危険な戦場へ連れてゆく軍だと」
「彼らは全員志願兵です。誰も離反しなかった。ひとりとして逃げださず、最後までこの世界の平和を実現させようと戦った」
「恣意的な戦争ごっこで結成されたものではないと。しかし世間はそう見ないだろうな」
 ブラントは眉をひそめてうなる。挙げ足をとって笑うためでなく、純粋にTPCの存在理由を知りたかったことが分かる。が、僕は核心を突かれるのが怖かった。
 結局は人を殺しているじゃないか、と。
「世界の平和なんて、どうすれば実現できるんだ?」
 ブラントが二番目に言われたくないことを言う。全館制圧の合図が無線で飛んできた。ひとりずつ階段をあがり、僕らの背後で銃を構える人民軍の隊員たち。徐々に増える彼らに、ブラントは恐れるようすもない。
「私はどうしても、この状況下で両国共存を掲げることはさらに火種を悪化させ、ユウオウの侵略を許すことになると思うんだがな。甘さにつけこんでくると予測できていて、あえて自国の傷口を広げて何になる」
「当たり前だわ」サチコが噛みついた。「ユウオウの民衆が武装蜂起するほどの怒りをシラアイは買ったもの。大統領は気の毒だったけど、二十年のツケは大きいわ。あれが民族ごと殲滅させる理由にはならないわよ」
「『それが理由にはならない』は、多面的に考えることを放棄した者の常套句だ」
 唇を噛むサチコ。ブラントはゆっくりと車椅子を転がして近づいてきた。両者の隊員たちが一斉に銃を構えなおす。だが丸腰のブラントは僕とミツの二フィートほど手前で車椅子を止め、ため息をついた。彼の座高は低く、銃を持った手が胸のあたりまでさがる。
「私が探しているのは、ただ『橋』だけだ」
 ブラントは淡々と口にした。「橋が見つかれば、いつだってリーブルを解散できる」
「何を」ミツが慌てて言うがブラントはそれを手で遮った。
 そして彼はちいさな声でつぶやく。――君たちだって、家族を失った身だろう。
 ズン、と地面を震わせる低い音があたり一帯を満たした。地上の鳥が一斉に羽ばたく。屋上よりもずっと高い空を目指して。たくさんの拍手がこだまするような銃声。どこかでまた争いがはじまった。何かを求めて。何かを探して。血を流してでも。
「私とて」
 ブラントは一旦地獄へ落ちて帰ってきたような顔で、僕らふたりを見あげた。「ただ理由もなくこんなことをしているわけじゃない!」
 その叫び声と憤怒の表情に驚いて僕は肩を震わせた。一歩後退した足。響きわたるブラントの怒声。
「仕事から帰ってくると自宅が血の海になっていた。愛する妻と三歳になる娘が八つ裂きにされて死んでいた。地獄はさぞ楽園だろうと思うほどの惨劇だった。家族の身体の破片を集めて、集めて、だけどどうしても妻の右手と娘の頭だけが見つからなかった。私がつないだ愛する手は、私が撫でてやったちいさな頭は、もう二度と触れられない! ふたりを殺したのはユウオウ人だった。快楽殺人鬼だ。誰でもよかったと言っていた。いくら妻と娘が悲しむと善人が言っても、だからといって私は愛する家族を無残に殺した奴を生みだした国を見過ごせない。妻も娘も戻ってこないから殺しても無駄だろうが、それは奴が生きていても同じだ。ならば贖罪のために息の根を止めてやりたい。止めろとお前たちが言うのなら、この憎しみと家族を失った絶望をどうしてくれよう? 妻と娘の将来をかえしてくれるのか。私は妻を愛しつづけ生涯を添い遂げるはずだった。娘は学校に入って友達を作り、大人になるはずだった。誰も恨まず、殺人鬼を祝福し、すぐにでも妻子に会いたい気持ちをこらえて寿命まで生きながらえろと!? 私はユウオウがシラアイに対して長年つづけた暴虐を謝罪すると言えば、妻と娘に会いに行くつもりだ。もう一度、幼い我が子を抱きしめ妻にキスをしてやりたい。襲われたとき、どんなにか怖かっただろう。逃げ場を失った絶望の声が今も聴こえてきそうだ。私があの場にいれば命を賭けてでも守ってやったのに、なぜ私はここに生きている! なぜユウオウ人がこの国にのさばる! もう二度と、同じことをくりかえさせない!」
 ブラントは車椅子から身を乗りだしてミツの胸倉をつかんだ。ライフルが床に落ちる。
「私のような人間が大勢いるシラアイで平和を祈る理由こそ問いたい。それは中立と言い張りながら犠牲者を出す共存派の残酷な仕打ちか! 占領していたのだから諦めろなどと言うつもりか? 口を半開きにしたまま死を享受するのか? 君は平和という清潔な免罪符の元に人情と命の重みを葬り、不都合な現実から目をそむける偽善者ではないのか!」
 ミツが首を絞められて顔をしかめる。僕は銃のグリップで彼の右腕を打ち、手首をひねろうとつかんだところ、突然脇腹を殴られたような衝撃があった。腰を曲げてその場に倒れこむ。呼吸が止まり、内臓を無造作にかきまわされているような感覚に吐き気がした。ミツが僕の名を呼んでしゃがむ。そこでようやくブラントの護衛兵に腹を撃たれたのだと分かった。防弾チョッキを着ていたので被弾こそしなかったものの、拳銃一発のショックは大きく、激痛が走る。心臓が早鐘を打ち、血圧が一気に上がって身体が熱くなる。口の端から唾が垂れる。
 呼吸が徐々に戻ってきて咳きこむ僕に、右腕をおさえたブラントが頭上から「悪循環だと批判するか」と言い放った。「だが、主観が基準の善意で人の痛みを駆逐できると思いこんだ傲慢な人間は、いずれ淘汰されて然るべきだろう」
 ブラントの背後にいたサチコが音だけで状況を把握したのか、鎖を持っている男の股間を裸足で強く蹴った。よろけるサチコに銃口を向けようとする別の護衛ふたりを、構えていた人民軍の隊員たちの数人が撃つ。弾は両者の足に命中し、隊員たちによって銃を奪われ拘束される。駆け寄ったミツがサチコの目隠しをはずし、着ていたジャケットを肩にかける。鎖を解かれ自由になったサチコは、脇腹を押さえて立ちあがる僕を見て「コハクは体力がないんだから」と場違いなことを叫ぶ。苦笑いをするしかない。
 隊員たちが地上の機甲部隊に無線で連絡をいれる。これでラジオ局内に残ったリーブル軍はブラントだけになった。その状況に接してなお彼は車椅子の上で整然としている。全隊員に銃を向けられても武器を出す気配すらない。
「橋を見つけよう」
 ミツがつぶやいた。「そうすれば、平和な未来だって夢物語じゃなくなるんだ」
 たった十二歳の女の子が、傷つくことを恐れず願いつづけたことが。
 共存派だろうが過激派だろうが、ユウオウ人だろうがシラアイ人だろうが、誰しもがしあわせに生きることを渇望している。誰も祈らなくなってしまえば、希望や平和の存在そのものがいずれ失われてしまう。
「詭弁だ」ブラントが呆れたように一蹴する。「ただ願うこと以上にすべきことが山ほどあるだろう。自分の人々のしあわせと今の平穏を維持すること、そのための行動」
「願いを欠いた行動なんて成果を得られない。最も悲しいのは、希望を捨てることや、誰かの希望を踏みにじることと同等に、『くだらない』と人を鼻で笑い、はじめから諦める理由を探して絶望することが正しいと思うことじゃないか」
 だから僕らは祈りつづけてきた。僕は心の中でミツの言葉に付け加える。何よりも忘れていなかった、死んだ者たちの墓標。
 正義をかかえて散った子どもたちに捧げる鎮魂歌だ。
 今ここにいるんだと、神の世界へ聴こえるほど大きな声で、高らかに。
「僕はあまりにも幸運でした」
 銃をおろし、僕は言った。もう僕はいっさいの武器を捨ててもよかった。ミツが、サチコが、泣きだしそうな目で僕をじっと見ている。車椅子の上のブラントは俯きつづけ、僕に目を合わそうとしない。
「あなたは反シラ派にとって、大統領の支持者にとって、正義の味方だ。僕らは国家に危険を及ぼす売国奴だと言われてる。正義の形は、違わないほうがおかしいんです」
 また、爆発。どこかで黒煙があがり、暴動の声が屋上へ届く。大陸のどこかで、あるいは世界の裏側で、レコードの針が折れてしまう。
「あなたの願いをなかったことにはしたくない」
 だからもう、やめよう。あなたが守りつづけてきたことは間違っていない。
 その言葉が喉の奥につっかえた。奥歯が鳴る。僕は彼の家族のことを何も知らない。政府や諸外国の支持を集め、テロリストと組み、これだけの死者を出した彼に、武装蜂起した一民衆の僕が言えるのか。逡巡しているあいだにサチコが立ちあがり、白いチュニックをはためかせながら叫んだ。
「私たちができる追悼は、ただ『忘れない』ことなの」
 ブラントは頭を垂れたまま振りかえらない。彼が泣いたらどうしようと思った。サチコはひたひたと屋上を横ぎりながら言葉を、ひとつひとつ大切に、いつくしむように紡ぐ。
「あなたにそれほど愛された奥さんとお嬢さんが、とってもうらやましい」
 僕の隣に立って、撃たれた箇所に防弾チョッキの上からそっと触れる。まだ少し痛んだ。
「こんなことをしてもふたりは喜ばない、なんて言わない。でも、あなたが自分を追いこんで苦しんでいることをきっと悲しむわ。その痛みをとにかく忘れたかったのでしょう? そうしないと耐えられないほど、ふたりに大きな愛を捧げていたのでしょう?」
 間違ってない。間違ってないんだ。しあわせでありたいとみんなが願うから。
 ブラントはゆっくりと顔をあげてサチコを見た。ぼろぼろに傷ついた父親、そして夫。昨日、僕に噛みついたときのミツと同じ目をしていた。
 違う違うと言いながら、それでも最後にはひとつに結びついた。世界じゅうのあらゆる人が同じ痛みを持っていた。同じ願いを持っていた。僕もそのひとりだ。もっと時間があれば、些細な違いを埋めることができたら、こんなふうに銃を向けることだってなかったのかも知れない。僕は無力だ。
 ―――どうか、しあわせを祈りつづけて。
 サチコはそう言うと背後にいる人民軍隊員の列のあいだに割りこみ、非常階段からあがってきたカイの手を引いた。カイと一緒にいた隊員は大きな機材を脇にかかえていた。上部に取りつけられたマイクを見て、ブラントが目を見ひらいた。それはラジオ放送に使う製作用無線機だった。
「会話の内容はすべて全国中継されました」機材を持った隊員が言う。「おそらくどこかが回収して、世界じゅうに放送されるでしょう。ジェネラル・ブラントの家族のことも含めて」
 ブラントはしばらくそのまま硬直していたが、やがて放心したように車椅子に背中をあずけた。自嘲的な笑みを浮かべている。彼の目はまっすぐに、青空へ向かっていた。何を見ているのだろう。そこにかかっている大きな架け橋が、妻と娘の笑顔が、彼には見えているのだろうか。空へ飛んでゆく鳥たちと爆撃の音。つながるようにこだまする銃声。ミサイルの軌跡。雲の上を走り抜けるように、地平線の向こうまで、音が、飛ぶ。
 サチコの手を離れて、カイがゆっくりとブラントの足元へ歩いていった。彼女の手にはTPCの色紙がにぎられていた。子どもたちの名前と血判が、結成当時と同じままに残っている。カイはそれをブラントの膝に乗せた。破壊され、人々が死に、銃弾が飛び交う町にも咲く強い花を、彼女はいくつも知っていた。ブラントが呆然と色紙を見ている。突如与えられたちいさく儚いものに、どう触れたらいいか分からないようだった。
『ごめんなさい』
 カイの声がうわずった。大きな目から信じられない量の涙がこぼれた。彼女は泥まみれの手でそれを拭いた。何度も、何度も。
『ごめんなさい』
 悲痛な叫びが屋上に響く。いちばんちいさな彼女だけが、他のあらゆるものと比較にならないほど大きかった。末代まで忘れられそうになかった。声のひとつひとつが、優しいはずなのに、痛い。彼女は何度も謝った。僕らよりもたくさんのことを知っているから、謝った。ピアノの蓋を叩きつける音を思いだした。すべての悲痛な音をさらってしまう、音。カイは顔をぐしゃぐしゃにゆがめて、ちいさな声でつぶやいた。
 ――もう、私とおじさんは、仲良しになれないよね。
 じゃれあいながら、ころがりながら世界へ放たれた言葉がある。当たり前のようにそこにあって、だから少し口にするのをためらうような、それでも誰しもに見えている祈りの言葉。この世界はあまりにも汚いものが多すぎて、後ろむきな言葉が多すぎて。居づらくなってしまったその言葉たちを、僕らはうつくしい音楽に変えて慰めてあげないといけない。痛みを苦笑いで上塗りして歩きつづける必要はない。蔑まれようが貶められようが、最後には死のうが、僕らがあの白いグランド・ピアノの音を覚えているかぎり、笑っていられる。組曲は世界をめぐる。レコードはまわりつづける。何百もの鐘の音が、はじまりの合図だ。
 何も恐れることはない。僕らは必ずここにかえってくるから。
 気がつけばブラントも泣いていた。悲しみを幾重にも上塗りしつづけた頬に、カイと同じほど透明な雫が伝った。顎から落ち、ブランケットに染みこむ。僕はもう、動けなかった。ふたつの国をかつてつないでいた指先は、もう二度と触れられることがないと思っていた。だけどブラントが手を伸ばし、カイの頭を優しく撫でたとき、ああ、これだ、と思った。本当は誰も追いつけない早さだから見えなかっただけなんだと。雨粒が落ちるようなメロディーを、神が与えた音楽を浴びながら走っていたんだ。天使の梯子から舞いおりる音のかけらが世界のあちこちに散らばって、いくつもの種を瓦礫の隙間に埋めた。その花を咲かせるために雨が降り、太陽がかがやき、地球が巡る。誰かの笑顔を覚えている。
 民衆は確かに銃を選んだ。その手に友人と家族と子どもたちの写真をにぎりしめて。親を亡くした子供たちが、自分のような子どもを二度と増やさないために戦い、笑って天国で家族と再会するためにTPCがあったのだとしたら。
 忘れないでいよう。何もかもを。
 カイの頭を撫でていたブラントの手が、彼女の頬の涙を拭った。乾燥してひび割れ、痛々しいほどに傷だらけの彼の指。カイはその手をつかんで額に押しつけた。祈るように、願うように。僕らが持ちえない力でもって。
「胸を張れるだけの強さが、私にもあればよかったんだがな」
 ブラントはそうつぶやくと彼女の手から逃れ、そのまま腰にさしていた拳銃をとった。僕はあわててカイを後ろから抱きベレッタを向けたが、ブラントの銃は僕の予想に反しゆっくりと、彼の目尻を示した。
「よせ!」
 僕がブラントの腕をつかむより一瞬早く、トリガーが引かれた。耳を壊しにかかる爆音と血しぶき。体液と硝煙の臭い。ぐらりと傾いだ彼の痩躯は前のめりになり、膝に頭をつけた状態で動きを止めた。ブランケットが黒く染まってゆく。僕は糸が切れたように泣きだしたカイの目を手で覆った。ミツが悔しそうに舌打ちして目をそらし、サチコは膝から崩れ落ちて顔を両手で覆いすすり泣く。人民軍隊員たちが息を詰め、何人かが銃をおろす。ブラントの左手には、しっかりと色紙がにぎられていた。
 幼い子どもが泣き叫ぶ声が、美しい青空を串刺しにした。世界はこんなことのためにあるわけじゃない。もっと何かが、どこかが。もっと、もっとたくさんのものが、間違っていなかったんだ。正しいことがたくさんあったはずなんだ。だけどどうして、僕らは今も誰かの血を浴び、涙を流し、子どもたちの悲痛な叫びを止められずにいるんだろう。戦争が一体何を生んだというのだろう。僕らにとって戦争は何のためにあったのだろう。家族を奪われた僕らにできることと言ってせいいっぱい生きてるつもりで、僕らは一体どんな高尚なことをしたのだろう。子どもたちが笑っていられるようにと願っていたはずなのに、うまくいかないように神様が最初からはからったように、不条理にまわりつづける。そうじゃなかった。最初はそうじゃなかった。誰かがそうじゃなくしてしまったんだ。悔みつづけることが無意味だと分かっていても、僕は泣きたかった。だけど死ぬ気でこらえた。代わりに叫んだ。嗄れるほど叫んだ。ブラントの声はラジオを通してこの国に、未来に何を残すのかと思った。何か意味のあるものだったのかと思った。そうであって欲しいと願った。だって僕は一瞬でも、確かにブラントと同じ願いを共有していたから。僕らはうまく生きられない。友達も家族もみんな一緒になって、ただ屈託なく笑える世界が勝手にそこにあるわけがない。だから願った。求めた。夢見た。実現させようとした。屍の上に生きた。血にまみれた手ではもう誰も抱けないと諦めた。そのかわりに死ぬつもりで戦った。戦っている自分だけが真実だった。こうでない自分の姿は想像できなかった。銃を片手に廃墟に立ちつくして、馬鹿のひとつ覚えのようにしあわせを祈った。世界がなんのためにまわりつづけるかって、僕らが自分の笑顔に誇りを持っていられるようにだろう?


 人々の嬌声と爆音が建物を取り囲んだ。「切り替えろコハク」ミツに身体を揺さぶられてようやく立ち上がる。屋上から見おろすと、ブラント死亡の一部始終をラジオで聴いていたらしい武装した民衆が、バリケードを突破して集まっていた。地上で待機していた機甲中隊めがけ、政府の治安部隊が方々からこちらへ突進している。民間人とはいえ武器を持っているので脅威はリーブルに劣らない。
「本部に連絡をとれ、トラックが破壊されていなければそのまま逃げられる」アスペル元帥がトランシーバーに叫ぶ。「総員戦闘配備、総員戦闘配備! 暴動に備えろ! 油断するな、彼らはテロリストとだって渡りあえる!」
 ブラントとの交渉のようすを全国中継することははじめから戦略に組みこんでいた。そして同時に両派の過激派とその離反者、テロリスト、一般民衆などが暴力的な手段に出ることも予想していた。だがまさかのブラント自害により状況が若干変わった。ブラント信者の反ユウ派、アンチ反ユウ派や人民軍に抗議する反シラ派、正義感あふれる民衆たちが武器を持って集った。調子に乗っただけの連中もいる。ブラントを失ったリーブルをここぞとばかり狙う装甲車と人民軍に抗議する団体とがぶつかりあい、そこに地上の隊員たちが割って入る。ブラント死亡の中継は国民を揺さぶった。銃声と破壊音に、人々の悲鳴が混ざる。
「とりあえず、当初の目的は達成されたから」
 ミツがサチコの肩を叩いて言う。「ここを突破するのがまず最優先事項だ」
 道路を封鎖したラインに停めたままの車で脱出できれば、あとは本部まで逃げられる。だがこのようすだと国民評議会の拠点周辺でも暴動が起こっていることは想像に難くない。ただの民衆でも集まれば軍隊になる。それを改めて思い出させる。
 局内にはまだ侵入を許していないという連絡が入り、屋上に集まった二十人余りの隊員は内部の階段を降りて脱出を試みた。古い非常階段は立てつけが悪く、大勢が一斉に駆けおりたりリペリングしたりすると事故につながると判断した。僕は色紙を持ったまま死んでいるブラントの前で立ちつくすカイの手を引き「大丈夫」と声をかけた。何が大丈夫なのか、分からない。
 階段で二階までは無事に降りた。が、一階で武装した軍勢に行く手を塞がれる。「なぜブラントの自害を止めなかった!」悲痛な叫びがフロアを満たす。それどころじゃないんだよ、と僕らは突破を試みた。突入時と同じように、彼らの手足を撃って拘束する。迷わなかった。ベレッタのマガジンを何度も入れかえて、撃った。耳になじんだ銃声と硝煙が、もう痛くない。
 床にバタバタと伏してゆく死体と永遠に残りそうな血しぶき。ずっと見てきた惨状とはいえ、この状況が決して非日常の映画や小説ではなく、現実なんだと思い知る。重戦車に轢かれてビスケットのように粉々に砕けた頭部や、左手を切り落とされながらも右手でナイフを持って暴れる青年。シラアイの一般家庭で命の心配をせず平和に暮らしていた中学生が実際の戦争を目の当たりにし、今現在も世界でつづいている紛争が決してフィクションじゃないことを思い知った。
 だから僕は今もここにいる。ここで戦う僕だけが僕の知っている僕だ。そう思いながら僕は痛む腕をおさえ、敵から奪ったアサルトライフルを乱射した。リーブル軍勢の足元に次々被弾し、血しぶきを吹いて大の男が何人も床に這いつくばる。傷つかないわけでも、心のどこかが痛まないわけでもない。だけど僕は守りたいものがたくさんある。守れなかったもののために生きる人たちを救いたい。泣くのはこの戦争が終わってからにしよう。国同士が和解し、平和な未来のために世界が一歩でも進めるようになったら、いつか両親に会いに行こう。そして、こんなことをしてごめんなさい、だけど、せいいっぱい生きていたよ、と伝えよう。
 今も世界のあちこちから聴こえる子どもたちの悲鳴と銃声を抱いて。
 ラジオ局周辺で起こった暴動はほとんど全面戦争だった。各思想の過激派もアンチも一堂に会し、ありったけの武器を持って敵をつぶしにかかる。ラジオ局が攻撃の対象になったのは当然の帰結だったとて、予想だにしない規模に銃を持つ手が震えた。民衆の暴動とはかくも手に負えない。何百人もの市民が武装して人民軍の波に突撃し、サブマシンガンやライフルを暴れさせ、砂塵の中で血まみれになりなお戦おうとする。鉈を振りまわして、ガラス片の入った袋や火炎瓶を投げつける。これが戦争の縮図だ、と思った。三年間、変わらない光景だ。
 僕とミツはサチコとカイの前に立ち、「抜けるぞ」と声をはりあげた。僕はフロント前に放置していたグレネードランチャーを構え、無線に「総員、閃光ゴーグル着用!」と叫ぶ。エントランスを抜けてすぐの道路の手前でランチャーを撃つ。群衆の頭上へ飛んでいったフラッシュバンが炸裂すると、数百万カンデラの閃光が人々の目を蹂躙する。呻き声をあげる民衆。その隙に彼らの脇を抜けて、突破を試みる。僕はカイの手を引いて走りながら、やみくもに銃を乱射する武装した暴徒たちを次々に撃つ。殴る。蹴る。ピックアップトラックに積んだミサイルが火を噴く。周辺の建物を火柱に変える。人種なんか関係ない。ただそこで戦っている。
 僕ら四人は路地裏に逃げこみ、区外へ近道をしようとした。だがその細い路地裏の出口を、急ブレーキしたジープがふさぎ、反ユウ派らしき若い男たちが発砲した。とっさに地面に伏せてやり過ごし、その隙にサチコがライフルを連射する。いくつかは命中するも反撃を食らい、僕はカイを隠すように立ってベレッタを撃った。「橋さえあればいいんだよ!」男は車に乗せた重機関銃を暴れさせながら、確かにそう叫んだ。
 そのとき、ウィンチェスターを撃っていたミツの身体がくの字に折れ曲がり、口から血を吹いて倒れた。マシンガンの銃弾が防弾チョッキを貫通したらしく、腹から血を流している。「ミツ!」僕は彼の身体を支えて建物の影に転がりこみ、地面にあおむけに寝かせた。なおも銃弾が背後を飛びかう。僕は舌打ちしてミツのウィンチェスターを手に取ると、その大きなレバーを引いてジープのエンジンルームを狙った。派手に爆発する車。炎上する車体を見届けて、僕は銃を投げ捨てるとミツの防弾チョッキを脱がせた。
「悪い、僕がちゃんと援護していれば」
 焦って声が上ずる。だがミツの腹筋をやすやすと貫いた銃弾は、彼の服をどす黒く染めていた。全身が一気に凍りついた。「嫌よ、駄目、死なないで」サチコが悲鳴をあげながらミツの腹を手で押さえるが出血が止まらない。カイが声をあげて泣いている。「嘘だろ」僕のつぶやきはカイの声にかき消される。
「うるさい、傷に響く」そう言ったミツの口から血がこぼれた。僕は「いいから喋るな」と言う。ジャケットを脱いでミツの腹に巻くと、きつく締めあげた。だが血は布地にどんどん染みこんでゆく。僕は涙声になるのをおさえられなかった。
「もういい、君に反ユウ派を無理に愛せなんて言わないよ。君が愛するべき人はたくさんいるんだ。だからもう戦うな。このまま病院に搬送してもらう。完治したらTPCは解散しよう。戦争は終わるんだ。民族同士の軋轢から離れて、静かにしあわせに暮らそう」
「俺、TPCの由来、言ったっけ」
 ミツの声はちいさく、遠くからの銃声に消えてしまいそうだった。僕はちいさく首を振った。ミツは笑って、「Team“Peace Children”」とうつくしい発音で言った。
 ――平和の子どもたちの軍。
 それが、何もかもの、ぜんぶだった。
「おっさんと酒を飲む約束、してるから」ミツの呼吸が浅くなり、四肢が痙攣をはじめる。「家族のこと、もっと、話したい。おっさんと、奥さんと娘さんと、俺の親父と母さんと、で、楽しく、思い出、話し、て」
 ミサイルが空を切る音がして、爆音と共に近くの建物の上部が吹き飛んだ。僕らは一斉に身を伏せる。砂埃が舞い、瓦礫が落下する。振動が襲う。崩落がおさまったとき、僕は顔をあげずに地面を指で掻いた。爪のあいだに土が入る。女の子ふたりのすすり泣く声が響く。砂埃がやまないうちに僕は立ちあがり、サチコとカイの手を引いた。『嫌、ミツ!』泣き叫ぶカイを抱いて、広い道路に出た。砂塵がミツの顔を覆っていた。冷たい路地裏にあおむけに倒れ、ただひとり沈黙する彼に、僕はふりかえりざま敬礼をした。
 歴史は何度も、平和のために生きた人々を殺した。暗殺された偉人が大勢いた。世界が穏やかであるようにと願った平和の伝道師たちがいて、戦った人たちがいて。走りながら僕は願った。どうか子どもたちに優しい音楽を、しあわせを、神の祝福を。
 少し離れた場所で廃ビルの影に逃げ込む。トランシーバーを持つ手が震えた。目をあけていられない。
「こちらTPC副司令官、コハク・ベンディクス」僕はできるだけ落ちついた声で言った。「シラアイ国民評議会人民軍総員に告ぐ。ミツ・ベリクヴィスト司令官の殉死に伴い、これより私がTPCの陣頭指揮を執る。現在はレクザ西海岸、J13ブロックへ退避中。海兵隊員、負傷兵の回収をお願いします」
「ベンディクス副司令官、聴こえるか。こちら海兵隊第二中隊長。了解した。今そちらへ向かっている。なんてことだ。ミツは偉大な指揮官だった。我々は彼と連携できたことを誇りに思う」
「コハク、こちら突撃中隊、人民軍元帥アスペル。ラジオ局前の暴動はまだおさまりそうにない。手隙の者を見つけ次第応援に向かわせる。くそったれ、どうしてこう世界にとって必要な人ばかり死ぬんだ!」
 元帥の怒声にイヤフォンの音が割れる。「コハク、ミツは勇敢な少年だった。俺はあいつと組めて嬉しかった。俺がTPCを見こんだことは間違いじゃなかったんだ。あいつは俺の誇りだ。彼のように優秀な上官を持てたお前は幸運だ。死ぬまで誇れ! 何を言われても胸を張れ! お前が生きて後世の子供たちに伝えつづける限り、ミツがこの世界のためにと流した血も涙も決して墓石を汚すばかりではなくなる! 必ずこの無駄な戦争を終わらせろ! そのために生きるのならどんな屈辱や汚泥を背中に塗りたくられてもお前は世界中の子供たちのしあわせをつなぐかけ橋のひとつになれる! お前はまだ十六年しか生きていないんだ、あと五十年以上も時間が残されている。そのあいだにこの戦争のために死んだ大勢の民衆の願いを、声が枯れ喉が潰れても命ある限り次世代に伝えつづけろ! ミツは神に祝福された子だ。あの子が命をかけて救おうとした世界が未来で今以上に凄惨なものになっただなんて、あんなにも傷ついて後悔しながら必死に戦ったミツの前でそんな醜態を晒せるわけがないだろう!」
 アスペル元帥は一気に話した。鼻をすする音が聴こえた。僕は泣いていた。涙を手の甲で拭い、嗚咽を漏らした。二年前、無差別殺傷事件から救い出してくれた特殊部隊兵のミツ。彼に告げられた「平和のために他人の血を浴びる覚悟」を、僕は今も完全には持ちあわせていないかも知れない。この世界が平和に成り難いことを知っていて、だけどミツはTPCを作った。その副司令官に民間人の僕を呼び、重いライフル銃を持たせた、上官であり親友でもある大切な存在。僕はふりかえらなかった。なぜ僕を選んだのか、なんて訊けなかった。彼の中には理由があったのだろう。だけど、もうどうでもよかった。彼の傍にいられたことが名誉だった。震災と戦争で帰る場所を失った暴徒化寸前の子供に、家族をくれた。生きる目的をくれた。自分の信じたものや願いを決して手放さない生き方を、優しさを学んだ。彼と共に過ごした二年間を、僕は流した涙と一緒に永久に守りつづける。憎しみでその宝物が擦りきれないように、僕は生き延びる。
 元帥は僕の声に気づかないふりをして、「TPC総司令官に告ぐ」と静かな声で言った。
「命令だ。生きろ。そのまま逃げきれ。評議会本部で必ず再会しよう」
「アスペル元帥、こちらベンディクス副司令官。了解しました。武運と天佑を」
 僕はトランシーバーを切った。それを捨てた手で冷たいライフルを抱える。未だ涙の止まらないサチコとカイの手を引き、ビルの影から外へ出た。砂埃の舞う道路を走り抜け、海岸線へ向かう。すり減った靴底が地面の感触を如実に伝える。
 どうか、もう終わってくれ。戦争なんて人が無駄に死ぬだけだ。何も生みやしない。いずれ人の流した涙が足元を崩してしまうだけだ。母と一緒に暮らして、学校で勉強していた自分はもうはっきりとは思い出せない。それをなつかしいと思うこともあった。だけど。
 二度と戻れない。戻るわけにはいかない。あの崩れかけの廃ホテルで、僕は素晴らしい友人たちとめいっぱい笑い、枯れるほど泣き、ただ一途にしあわせだけを祈った。戦火の踊るこの理不尽な世界で、僕たちは現実に何度も絶望しながら、それでも。みんなが一緒にいて、笑っていた。家族を失った子供たちが、確かにあの場所で、家族になった。
 今もこうして、生きている。
 ――こんなに大事なことをどうして僕たちは簡単に忘れてしまうのだろう。
 ラジオ局から少し離れた瓦礫だらけの郊外をひたすら走り抜けた。放送を聴いて集まった暴徒たちが何人もいた。僕とサチコは彼らを撃ちながら走った。もう嫌だった。これ以上血を流したくなかった。戦争を終わらせたかった。このまま走りつづけていれば戦争のない平和な国に、遠い内陸の土地へ逃げられるのかと思った。だけどこの国を捨てられなかった。僕はシラアイに生まれ育った。だから最後のひとりになってもシラアイ人でいる。この理不尽な世界で、何度でも立ちあがるために。
 忘れたくない。終わらせたい。刻みつけたい。伝えたくない。伝えたい。
 郊外を走り浅い林を抜けてゆくと、急に視界がひらけた。海だ。貿易港から少し離れた海岸線につき出た岬にいた。慌てて急ブレーキをかけるが、カイとサチコを欲しがる民間人が背後から大勢追ってきている。まだ海兵隊員のボートが来ていない。政府軍の戦闘機が上空を飛びさる。空爆がはじまった。暴動が町じゅうに広がり、武装した民衆がひたすらに『橋』を探している。轟音と地響きが爆撃の規模を伝える。どこまでつづくのだろう。どこまでつづければいいのだろう。
「逃げよう、サチコ、カイ」僕は岬の上から海を見おろして立ちつくすふたりに声をかけた。「ここにいたら、人民軍の人が来る前に見つかってしまう。とにかく飛びこむんだ」
「無茶よ、こんな高さからなんて」
 サチコの悲痛な声とカイの泣き声が背後からの銃声に消される。もう間に合わない。ふたりの手をつかみ、「大丈夫」と言った。
「もうすぐこの戦争は終わるから」
 僕は両手をいっぱいに広げ、サチコとカイをまとめて強く抱きしめた。少女たちの細い体は、『橋』なんて大層なものを知るにはちいさすぎた。だけど、おそらく、僕よりたくさんのことを知っている。
 そのままふたりの手をつなぎ、一気に岬から飛びおりた。それは数日前、ホテルの窓から飛んだ感覚に似ていた。ただ自由に、あの大きな海に抱かれてみたかった。髪や服が風にあおられ、そのまままっさかさまに落ちてゆく。一瞬の衝撃と痛みと水の音。全身を泡につつまれ、口や鼻腔に海水が入る。絶対に手を離さなかった。目をあけると、ふたりとも僕の手をしっかりつかんで――場違いなほど嬉しそうに笑っていた。
 本当に、嬉しそうに。
 その瞬間、強くにぎっていたはずのふたりの手が急に質量をなくした。泡になってはじけ、僕の手は水をつかむ。真っ白な泡が、ふたりの少女を飲みこんでゆく。嘘だ、とふたりの身体を抱こうとすると、ふわり、と泡が舞って消える。僕の腕は、誰もつかめなかった。あちこちを見わたしても、そこにあるのは水と水面から差しこむ光だけだった。
 どうして、サチコ、カイ。とまどう僕は水中で呆け、波に揺られた。太陽の光がきらきらとかがやいて、暗い海中を細く照らす。海はどこまでもつづいていた。僕には全部が見えなかったけれど、光が教えてくれている気がした。この光の届く場所、どこにでも海が広がっているのだと。異国へつづく水の道。強い波が、海流が、巡る。
 間違いない。
 すべての人間が、すべての生物が、この海で生まれたんだ。
 世界とつながる、この海で。

 僕は水面に顔を出し、「サチコ! カイ!」と叫んだ。
 だけど僕に見えたのは、青空と雲と太陽と、雨が降ったわけでもないのに地平線から地平線へ大きなアーチを描いて伸びる、色彩ゆたかな虹だけだった。






  やあ、はじめまして! 僕はコハク。君の名前を教えてくれないかい。
  戦争を生きのびた兄弟たちに訊きたいんだ。
  元気だった? 今はどうしてる? 楽しいことはなんだい? 
  大切な家族と友だちのことを話しておくれよ。
  僕らはここに生きているんだ。


<完>
2012-06-11 13:30:33公開 / 作者:アイ
■この作品の著作権はアイさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
2012.6.11 完結

お世話になっております。アイです。
ごはん中に読んだ友達から「貴様何読ませやがるwwwチャーハン吹いたwwwww」って電話が直でかかってきたり、銃の名前でツッコミ入れて頂けたり(修正しました)、そりゃテキトーに書いたらこうなるわな、というような文字通り、てか手をかけなかったなりの結果が出てしまったものです。
自分としては凄く思い入れがあって、単に銃が書きたかったっていうだけで書きはじめたけど最終的にはなんだか重いことになっちゃったり、紆余曲折ありましたがお楽しみいただけたのなら幸いです。
しょーもねえなって叩きつけたくなったのならひたすら平謝りです。ほんとごめんなさい。

リビアやシリアやチュニジアの騒乱を見て重い月、実際の戦争の記録や写真や映像を見て思ったことをホイホイ書きましたが、資料を見てるうちにむくむくと腹が立ってきて、偽善者めいてますがやっぱり戦争なんてやるもんじゃねえなちくしょうって思ったりしました。
思ったこと考えたことは全部本文に書いたので改めて書くこともないのですが、私は実際に中東に行ったこともないのでまだ知らない戦争の悲惨な現状がたくさんあると思うのです。
それを全部知ることは絶対不可能でしょうけど、この小説を書くために調べたこと、知ったこと、それを大事にしながら私がやれそうなことを少しずつ実行に移していく次第です。

コハクたちのような子供たちは物凄く少数派でしょうし、人類みんな彼らのようになればいいなんて思わないし思えないし求めるのも酷だし、で現実はなかなか動かないなと。
私のように先進国の片隅で日がなボケーッと小説ばっか書いてギャルゲーばっかやってごろんごろんしてる小娘に何ができるかって人にたずねても絶対笑われるかはぐらかされるかでしょうけど、ごろんごろんしてるこの地面と地続きのどこかで幼い子供が何も分からないまま殺されるのかということだけでもとにかく自覚していきたいのです。
……長々語ってしまいました……すみません……。


書こうと思ったきっかけが、サイモン&ガーファンクルのとても美しい楽曲「The Bridge over Troubled Water」で、そこからも「橋」のキーワードが出ています。(作中でサチコがピアノの蓋を叩きつけたのも、この曲の終盤で何度か聴こえる爆音がピアノの蓋の音だというところから持ってきました)
私の中では、作中にある色鉛筆のエピソードで書いたみたいな、正反対な白と黒が間にいる色んな色とでグラデーションになって混ざるとか、そこから虹の架け橋だとか、それが世界をぐるっと一周するかけ橋だとか、なんか色々頭にあるんですが。
でもそのへんぼんやりしてるので(深く考えないで書いたともいう)色々解釈して頂ければと思います。
私ほんとにてきとーに書きすぎですね。ハイ。

ぼけーっと書いた小説の割に愛はガスッとてんこもりあるので、新人賞でギリギリまで行っといてすっ転んだのがただひたすらに悔しいばかりなのです。
何か足りなかったのかな、と後から読み返せばポロッポロ粗が出てきたので、皆様にも「こりゃひでえ」と言われる覚悟です。
4次選考だとだいたい「決定的に何かが欠けててアウト」っていう作品が落とされると思うので、その「何か」を模索しつつ、フォームをちょこちょこ変えて試作をくりかえしながら空振り覚悟で今後もフルスイングしていこうと思います。
バットは振らなきゃ当たらない。

そのうえで、今回のこれも含め皆様にアドバイス等頂けましたら一層嬉しいです。
今後もご指導のほど、よろしくお願いします。
この作品に対する感想 - 昇順
とりあえず三話とも読ませていただきましたが、設定に拘っているのがよく分かる小説だと思います。

しかしすべての作品を三回ほど読んでいるのですが、登場人物の関係性や世界観がはっきりとしません。私の理解力不足もあるのでしょうが、設定を説明するような文が多すぎるのではないかと思います。一人称の小説だと思うので、もっと省略しても話は成立すると思います。冒頭における紛争のシーンの混乱した描写などは秀逸ですが、意図的なものであったとしても、具体的な表現と抽象的な表現の混在にも困惑しました。
こうした綿密なプロットが存在する小説だからこそ、細かい設定が最初から判明ではなく、徐々に明らかになっていく方が読み手としては有り難いと個人的には思います。なぜなら作者の考えやプロットを、読者は持ち合わせていないからです。

細かい点ではありますが、単発式のグレネードランチャー=M79というのはぎりぎり分かったのですが、ウィンチェスターやコルトといわれても何の銃なのかが分かりませんでした。一人称ということで具体的な名称を述べることを嫌ったのでしょうが、軍事組織に所属しているので問題ないかと思います。登場人物ごとに愛銃があるのであれば、なおさら必要だと思います。逆にアサルトライフルやサブマシンガン、機関銃といわれても区分を理解できない人が多いのではないでしょうか。
「拳銃弾をつかうサブマシンガンで、ライフル弾をつかうアサルトライフルに立ち向かうのは射程でも威力でも無謀すぎる」など、さりげなく比較描写を盛り込むといいのではないかと思います。

私も受賞経験はありませんが、「別の話を書いてほしい」とプロットと原稿を提出したところ、設定だけパクられて他人に出版されるという辛酸を去年のクリスマスに舐めました。しかしそれは、自分の文体では設定を生かしていないと判断されたのも一因だと考えています。アイさんは最終選考まで残ったとのことなので、文体についても魅力があると評価されたものと思います。

設定と表現のバランスが良ければ素晴らしい作品になると思うので、この感想が何かの糧になれば幸いです。
2012-06-01 05:22:13【☆☆☆☆☆】AoA
>AoA様
コメントありがとうございます!
おっしゃる通りでぐうの音も出ません。実はそれほど設定をガッチリ組んで書いたものではなく自由に書いていたのですが、むしろそれが仇になったような気がしてなりません。
説明しすぎた点は私も違和感を感じていましたが、これはずしたらワケ分からなくなるだろうなーとか無いと困るかなーとあれこれ考えすぎて結局削る勇気が出ませんでした。
もっと読者様視点で考える鍛錬が必要かと思いました。
文章全体からバランスを考える練習を今後していきます。
というか言いわけですが、恋愛小説や青春小説をこれまで読み書きしていた私がいきなりこういう壮大な話を書くと、世界観の設定だけで迷うんだと身を持って思い知りました……精進致します。
銃に関してはAoAさんのおっしゃる通り、具体的な名称や構造をいちいち解説するとくどい&鼻につくかなと思った結果です。プロの書く架空戦記小説を実際に読んだことがないせいです。趣味の範疇から抜けだせないまま書いたので、同じように読者視点が抜けていました。
自分の好きな銃を書くにしても配慮が必要でした。本当に至らぬ点ばかりで悔しいです。勉強になりました。
設定だけパクられてプロが出版する、というのはあくまで都市伝説だと思っていましたが本当にあるんですね……怖いです。
あと、すみません、書き方が悪かったんですが最終選考まで残ったのではなくそのひとつ前、最終候補作品が決まる第4次選考で落とされました。本当に悔しいです。出戻り息子と呼ばわってます(笑)。
また戦記ものを書くことになると思うので、次回作で改善を図りたいと思います。本当にありがとうございました。
2012-06-01 10:20:16【☆☆☆☆☆】アイ
銃器の描写に関しては登場するたびに名称や動作についていちいち綴るのではなく、アクションシーンなどで特徴的な動き(排きょうや遊底、ボルトの動作など)を場面の中で印象が残るように描写するといいと思います。もちろんこれについても、全ての場面で同様の書き方をするとマンネリ化してしまうので、表現はあっさりめにしつつ、不必要と思われる戦闘は極力へらすように努めるべきでしょう。ひとつの物語に小競り合い程度が1回、重要な戦闘が2回といったところだと思います。
シンプルなアクション映画が好きとの事ですが、アクションを売りにしている映画でも常に戦闘をしているわけではなく、ストーリーのラインに沿って緩急をつけた場面挿入が行われているものが大半かと思います。

感想や掲示板とは関係性がないのでこれ以上は触れませんが、都市伝説ではなく担当編集が別の編集に設定を横流しし、本が出来上がってから別の企画を仄めかすのは珍しいことではないと思います。私は分野が違うのですが、ライトノベル系のレーベルでは書き手に困るというのはまずないので、分かっていて盗用した話を書き手に提供するという逆パターンを含めて多いと聞いています。
正直感心はしませんが、「やったもん勝ち」が文壇の基本のひとつなのでしょう。小説家は出版社と付き合えなければ芸術家にはなれない、それを現実として受け入れられただけ良かったと思っています。
2012-06-01 14:21:13【☆☆☆☆☆】AoA
>AoA様
何度もありがとうございます。
こうして詳しい方の視点から考えてみると駄作もいいところですね私の小説。
なんというか、私自身銃に関しては「好き」の一言のみで細っかい知識は実はよく分かっておらず、お恥ずかしながらコルトといえばガバメントのような拳銃というイメージのまま書いてしまいこうして指摘されるような横着者です。後から知ったんですがあれ社名なんですね…馬鹿じゃないですか私…。
やっぱり勉強不足に尽きます。ぬるい小説ばっかり書いてるとこうなると痛感しました。
こんなんでよく新人賞に出したなと今さらながら思うのですが……絶対怒られますね。ただの映画好きが乱暴はたらくとこんな小説書いてしまいます。
色々ダメすぎて今恥ずかしい限りなんですが、とにかく最後まで修正していこうと思うので、「そこはちゃうやろ」とツッコミ入れるべき場面もあると思いますがどうかこのアホをよろしくお願いします。

「好きなものを好きなだけ書く」というのが自由にできるのは幸福なことですね。実感しました。
支離滅裂な知識でこうして書いていても、私自身とても楽しくて、最後には物凄い達成感を味わえたので、書いて良かったです。しんみり。
きっと出版社と契約して本を書くようになればそれも無理でしょうし、今のうちに勉強します。
ありがとうございました。
2012-06-01 15:32:32【☆☆☆☆☆】アイ
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