『楽園のサジタリウス〜後編』作者:紫静馬 / SF - 創作小説 投稿掲示板『登竜門』
(前編からの続き)現実に疲れ果て、違う場所への逃避を望んだ的場一機は、ふとしたことから望んだとおりの新天地――異世界メガラ大陸へとやってきた。しかし、彼はその逃避の代償を知ることとなる。遅すぎた後悔と恥辱が、一機を無謀な行動へと動かす。果たして封印されし『魔神』の正体とは?――そして目覚める、恐るべき悪意。脅威は人の心なり――
全角113521文字
容量227042 bytes
原稿用紙約283.8枚
   4TURN 神の矢、来たる

「脱走!?」
 翌日の朝、親衛隊キャンプは大騒ぎとなっていた。
 数日前この世界へ転移してきたアマデミアン、そして親衛隊雑用見習い補佐(仮)として入隊した的場一機、親衛隊での名をシリア・L・レッドナウが、姿をくらましたのだ。
 発覚は、前日の疲れと温泉に入ったことによる脱力感で少々寝過してしまったヘレナが「遅くなってすまない。さあ今日から訓練再開するぞ」と一機の寝台車に行ったら、すでにもぬけの空だった、というのがきっかけだ。
 さらわれたのだとすると荒らされた様子もないし、いくらなんでも見張りが気付くだろう。荷物は一機があちらより持ってきたものがなくなっている。となるとこれは――脱走一択しかない。
「ふ、ふん! 所詮あいつは軟弱な男だったんですよ! 親衛隊には耐えきれないと思って逃げ出したんでしょう! いい気味です!」
 あっはっはと上ずった声で笑うグレタの向かいに座ったヘレナは、眉をひそめ考え込んでいた。
 一応皆には周囲を探させている。「あのやろー逃げやがって、やっぱり殺す!」と怒りに燃える隊員たちだが、いつどこへ向かったのかわからないのでは望み薄だろう。
「やはりあんな男を親衛隊に入れたのは間違いだったのです! いえ、正確にはまだ親衛隊雑用見習い補佐でしたね。あっさり逃げるような腰抜けを親衛隊として入れるなんて百年の栄光に泥を塗るようなもの……」
「本当に逃げたと思ってるのか?」
 やたら早口で語っていたグレタが言葉に詰まる。グレタ自身、一機が逃げるとは予想もしていなかったに違いない。
 ここ数日直に一機を鍛え接してきたヘレナから見た的場一機という男は、まあ軟弱だ。筋力も体力も無いし意思も弱い。トロいし弱音を吐いて訓練も仕事もロクにこなせない役立たずだ。
 しかし、それでもやり遂げようとする。
 どんなに大変な仕事でも理不尽な扱いでもこなそうとしている。できないことでも一応最大限ていねいに仕事をやろうとはする。意思薄弱で流されてるだけ、と言えばそうなのかもしれないが、少なくともその姿勢は評価できる。
 あれでプライドは高いようなので、こちらが不条理な真似をしなければそれなりの腕になるかな、と思っていた矢先のこと。逃げるとはとても思えなかった。
「第一、私たちから逃げたところでどうしようもないことくらいあいつだってわかってるだろ。何処に逃げるというのだ?」
「それは……当てもなくというところで」
「しかも、逃げるにしても、あいつが彼女を――麻紀を置いておくと思うか?」
「そ、それは……」
 そこを指摘されるとグレタも黙るしかない。
 事実、ヘレナが来た時も麻紀はベッドの中で眠っていた。起こしてみても「さあ?」ととぼけた様子。仮に逃げるとしたら、麻紀を置いていくだろうか? 見た目は素っ気ないが、あれで二人は互いのことを気遣っているはずだ。何も言わず立ち去るというのはいくらなんでもおかしい。
 が、ではいったい一機はどうしたのだろう? 自己鍛錬……はない。あいつがそこまで能動的とは思えないし、だったら着替える必要もない。ヘレナには皆目見当もつかず、隊員たちに探させているのも何かあったのではないかと心配してのことだった。
 ひょっとして、また――と、ヘレナの脳裏にある光景がよぎった。
「くっ……」
「ヘレナ様、どうかなさいましたか?」
「あ、ああ、いや、なんでもない」
 冷や汗をかいていたのを悟られたか、あわてて平静を装う。
 いくら昔のこと、過ぎたことと思っても、未だ心が乱れてしまう。もう六年になるというのに、私はまだ……
「――とにかく、これだけ探してまだ見つからんということは、かなり遠くへ行ったようだな。さて、どうしたものか」
「ヘレナ様、私たちには時間がないんですよ」
 毅然と、固い声でグレタは言った。驚いて顔を上げると、冷やかな目で見つめるグレタがそこにいた。
「ただでさえ敵の罠によって進軍が滞っている以上、時間的余裕はありません。その上で脱走者の捜索などに時間を費やしていては、任務を果たすことも難しくなるでしょう」
「……見捨てろというのか、グレタ」
「先に逃げたのはあいつの方ではないですか。たしかに拾ったやったのはこちらですが、逃げた奴を構う義理などありません。……それとも」
 半眼で睨みつけながら、グレタは告げる。
「ヘレナ様は、他に一機を手元に置いておきたい理由でも?」
「……!」
 言葉こそ疑問形だが、その表情はこちらを非難した厳しいものだった。
 気付かれている。自分の身の寂しさと、現実から目をそらす手段としてあまりに利己的な行いをしていることを――
「――わかった。捜索は止めさせよう。皆に進軍の準備を……」
「それはちょっと困りますねえ」
「わっ!」
 突然会話に入られびっくりしてしまう。いつ来たのか麻紀が間に顔を出していた。
「お、お前気配を出さず近づくのはやめろ!」
「仮にも騎士の皆さんが一般人の気配に気付けないというのはどうなんでしょう」
「ぐぐっ……返す言葉がない」
 二人とも、麻紀には何度も不意をつかれているので押し黙ってしまう。すると、麻紀が紙切れを一枚取り出してヒラヒラさせる。
「とにかく、捜索は続けてくれるとありがたいのですが。一機さんもそれを望んでますし」
「な、なに?」
 ギョッとした。一機は麻紀に何か伝えていたのであろうか。
「どういうことです。あなた今朝は何も聞いていないと言ってたじゃありませんか」
「ええ、何も聞いていません。ですが、あの人置き手紙を残していました。ほら、これです」
 麻紀は二人に持っていた紙切れを差し出した。小さいがつるつるしていて、普通の紙ではないことは容易にわかった。そこに、文字が書かれているのだが……
「……読めん」
「おや、そうですか? あの人字クセ強くて汚いですけど、まあ読めないってことはないはずなのに」
「あの男の字の上手さなんか知りません。私たちにアマデミアンの文字が読めないと言っているのです」
 あら、と麻紀は舌を出し、こつんと自分の頭を叩くそぶりをした。どことなく可愛い。が、からかわれたこちらとしては笑うこともできない。こちらの文字が読めてもまだ教えていないので書けない一機の伝言は、当たり前だがあいつの世界の文字だった。
「いいから、教えてくれ麻紀。それには何が書いてあったのだ?」
「ええと……これはちょっと読むのがためらわれますねえ」
「もしかして、貴方個人に送られたものですか?」
「いいえ、それはちょっと違うのですが……わかりました。お読みいたします」
 ごくり、とヘレナとグレタが息を呑むと、麻紀はこほんと咳払いしてから読み上げた。
「『魔神を取ってきます。探してください』」
 以上です、と麻紀が言い終えると、その場にもういくつかわからない静寂が訪れた。
「………………………………………………………………………………………………………」
「…………………………………………………………………………………………………は?」
 は? を言ったのが誰だったが、多分どっちも同じ感想だから判別する必要はないだろう。
「な、なん、ですかそれ? 取ってくる? 魔神を? あいつが?」
「それしか書いてないですねぇ。魔神というと怒ると顔が豹変する方でしょうかそれとも大リーグへ行った方でしょうか」
「そちらの世界の魔神なんか知りません! この状況で魔神だったらこの峡谷にある『炎の魔神』以外あり得ないでしょう!」
 グレタは激昂した。ヘレナはわけがわからず戸惑うばかりだ。
「『魔神』を、取ってくるだと?」
「まあそう書いてますから。伝えなかったてことは単独でということですが、許可取らなかったので?」
「取ってませんよ! 第一やるわけないでしょそんな勝手! それ以前になんですか最後の「探してください」というのは!」
「恐らく、先に見つけてくるけど逃げるわけじゃないから迎えに来てねん(笑)ってところじゃないですか?」
「だったら最初からそんな独断専行すんじゃねええええええええええええええぇぇっ!!」
 髪を逆立てグレタは怒号を上げる。ヘレナはといえば怒りと呆れが入り混じったような感覚だった。
「何を考えているんだあいつ、一人で敵地に先行するなんて……」
「ふんっ! どうせ手柄でも欲しくなったんでしょ! 男というのは欲まみれで単細胞なものですから!」
「たしかに一機さんは短絡的で欲深でスケベ小僧で脳みそツルッツルなんじゃないかというくらい頭悪くてその実できもしないくせに思案を巡らせたがっておまけに体力無いし腕力ないし脚力は意外とある方だけど使いどころがないから無駄無意味無力でそれになんといってもぬぼーっとして無気力で行動力がなくて向上心がなくて臆病で鈍感で唐変木でウスラトンカチでオタンコナスでにぶちんでKYなバカヤローですが」
「……あの、そこまで言ってないんですけど。しかも意味がわからない言葉が少々」
「――でも、基本石橋を叩いて叩いて叩き壊して結局通らないような腰抜けですから、そんな大胆な行動できるとは思えませんね。よっぽどのことがなければ」
 ジロリ、とヘレナを睨みつけてくる麻紀の視線にたじろいてしまう。
「な、なんだ麻紀?」
「なにか、身に覚えありませんか? あの馬鹿がこんな突拍子もないようなことする理由」
「――っ!」
 思わず息を呑んだ。一機が、しかもこの機にそんな危険なことをする理由。ヘレナには一つしか思いつかなかった。
「おや、何か心当たりあるんですね?」
「あ、ああ……実は」
「もしかして、この目のこと話しちゃいました?」
言葉に詰まる。包帯で巻かれた右目が、その下からヘレナの心の底まで覗いているようで怖気がした。
「なるほど、そうなると一機さんがこんな無茶をした理由も見当がつきますね」
「ひょっとして、手柄でも立てて親衛隊での地位を上げ、麻紀を置いてもらうよう頼む気だと?」
「他に思いつかなかったんでしょうねえ? 誰にも先越されないように単独で。はは、あの人にしちゃアクティブですこと」
「…………」
 皮肉っているような笑みをこぼす麻紀の顔に、ヘレナは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
――麻紀の奴、まさか全て承知していたんじゃないだろうな。もっと早く置き手紙を見つけていて、いや、もしかしてあいつが出ていく時気付いていたんじゃ……
それで麻紀は今の今まで置き手紙を隠しておいた。自分のために行動した一機の気持ちを汲んだのだろう。
「何が手柄ですか! そんな勝手な真似して、帰ってきたら焚火の上で逆さ吊りにしてあげますから!」
「ハムか何かじゃないんだぞ……」
 ますます激昂し出したグレタをたしなめる。しかし、とため息をつく。
 ――あいつは、私を信用しなかったのか。だからこんな無謀なことを……
 正直、麻紀の処遇についてヘレナは悩んでいた。
 片目を失ったアマデミアンの素人など、ある意味一機以上に隊員としては問題がある。こちらに留めるよりは親しい貴族に使用人として紹介するかなどと考えていたのは事実。そんな思惑を読まれてしまったのが今回の原因か。
「というわけで、本人のご希望通り探していただけるとありがたいのですが」
「馬鹿を言いなさい! 第一、そんな素人がたった一人で行って『魔神』を奪い返せるわけないでしょ! 返り討ちにあって殺されるのがオチです!」
「そうとも限らないじゃないですか」
 あっさり放たれた言葉に二人ともギクリとする。
「だってあの人、世界を乱す者なんでしょう? 聖女様が言ってた人なら、それくらい可能だと思いますが?」
「いや、でも、いくら予言でそう言われていたからって……」
 予言。
 それこそがシルヴィア王国親衛隊がこんな奥地まで参じた理由であり、またこの二人を保護した理由でもあった。

『シルヴィアの聖女』とは、シルヴィア王国で信仰されている唯一神カルディナを頂くカルディニス教の中において、カルディナ神の言葉を聞ける存在だという。だがその聖女様がどんな人物か知ることが許されるのは女王とカルディニス教団の中枢にいる教皇と数名のみ。ただ、神託を受けるのは修行で身につくものでなく、生まれながらの才能らしい。聖女が死ぬたびに新しい聖女がどこかで生まれ、お告げによって教団はその聖女を迎え入れる。
 その聖女は、カルディナ神の声を予言として聞くことができる。神言葉だからそれは絶対と思うのが普通だが――これが、的中率は意外と高くない。教団によればそれは未来を示す指標であり、起こり得る危険や困難を回避するためのものと語っている。
 そして今回、わざわざ親衛隊が出向いてまで確認することとなった予言の内容はこうだ。

『――魔を潜める峡谷より、天からの異邦人現れん。
その者、怪物と心を交わし、国を乱さん――』

「……なんか直球なのか抽象的なのかよくわかんない予言ですね。いい加減というか」
「貴様、聖女様の予言を愚弄する気ですか!」
 こちらこそあまりにそのままな感想を述べた麻紀にグレタがまた怒り出す。ヘレナはというと、似たようなことを思ったので何も言えない。
 とにかく、外れる可能性が高い予言でも危険を示すとあれば確かめに行かねばならない。しかし、そんなことに女王を守ることが本来の任務たる親衛隊が向かうことになるとは……ヘレナはため息をついた。
 仕方がない。今の親衛隊などあってないようなものなのだから……
「ま、予言通り一機さんがやっばい奴だったら、案外なんとかなっちゃうかもしれませんね」
「何を言ってるんですか、武装したグリード軍の残党相手に、たった一人で……」
「そうですね、あのヘタレに戦うことなんて無理でしょう。でも、戦わなかったら?」
 また二人は顔を見合わせる。しかし驚きはなかった。
「皆さんわかってるんじゃないですか? この峡谷に来てからののほほんとしたこの有様。一機さんも見当がついてるからこそ――こんな大それたことをやろうとした」
 ニヤリ、と笑った顔に怖気が走る。こちらの心の奥まで見通そうとする隻眼が異様に冷たく輝いていた。
「……たしかに可能性はあるが、普通に考えてあり得ないだろ。そんな憶測で隊を動かすなどできるわけがない」
「ですね。だから一機さんは一人で行ったわけだし。ま、もっとも……」
 ふと、麻紀はこちらから視線をそらし、何故か昨日温泉が湧き出た崖崩れの辺りに目を向けた。
「仮にその予想が当たっていたとしても、あのお間抜けさんのことだから自滅するでしょうけど」

    ***

 それより数刻前。一機が親衛隊から抜け出して数時間が経過したところ。
「……少しは明るくなってきたか。だけど、やっぱ携帯のライトじゃうすぼんやりとしか見えんなあ」
 愚痴をこぼしつつ歩いている一機。そのスピードは遅く、早くも疲れが見て取れた。結構ゆるやかにもかかわらず、半ニート生活者の一機にフリーロッククライミングはきつかったらしい。
 今一機が歩いているのは峡谷の上にあたる。MNでは登ることもできず仕方ないからシルヴィア軍は下を通らざるを得なかった。当然である。まさか鋼鉄の巨人相手に生身なんて馬鹿はいない。
 故に、一機は悠々と――本当はちょっとビクビクしながら――進んでいた。そう、上の方に罠はないとタカをくくったのだ。
 そしてただ一人敵地へ向かうのも考えなしではない。これまでに得られたあらゆる情報を元に立てたある推測がなければ行わなかったろう。その一つがあの石ケンだった。
「……あの石ケン、さして土がついていなかった。崖の上にあったのがたまたま転がり落ちてきたなら土まみれじゃないと変だし、そもそも携帯に向かって飛んでくるわけがない。となると……ん?」
 ふと足元を見ると、地面に何か薄い出っ張り様なものがあった。
 腰を下ろしライトを当てると……
「――やっぱりな」
 一機はニヤリと顔を歪ませる。お目当てのものが見つかった会心の笑みだ。
 つまり、真新しい何者かの足跡が。
「そりゃ、石ケン持って露天風呂に入ろうってんだから、そう遠くからわざわざ来るわけないよな」
 仮にあの温泉が誰かが前々から掘りあてていたものなら、石ケンがあるということは今も使われている証。しかし上にはそこ小屋の類は存在しなかった。となれば答えは一つ。
 グリード軍の残党は、入浴にわざわざ訪れるくらい近くにいる。
 そしてあの時も、石ケンを投げつけた時も入ろうとしていた。そしたら露天風呂が壊れていたから怒って投げたんだ。無理ないけど。
「しかし、なんで入口から入ったばかりこんなとこにいるのかね? 普通に考えれば、前線基地の一つってとこだが……う〜ん」
 近くにいることは確信していたが、一機のもう一つの推測はまだ疑念が多かった。それこそ単独で飛び出してきた理由ではあるが、どうにもかみ合わない。
「他に考えられるとすれば、こんな入り口付近に基地を作らないといけない明確な?理由?があるってとこだが、う〜ん……ま、こんなとこで悩んでてもしょうがないか」
 結論が出ない思考をしてても不毛だと切り捨て、一機は足を出す。普段臆病すぎるほど臆病で行動しない男らしくなかった。
「――ひょっとしたら、やっぱり現実味ないのかな。まだゲームやってるつもりなのかも、はは……」
 乾いた笑いが荒涼とした大地に滲みて消えていく。今更ながらやはり自分は楽しんでるのではないかという気がしてきた。
 ゲームと同じ名前の世界、国、大地。ヘレナたちの衣服や食事、食器などから見た感じでは中世ヨーロッパ辺りと思われる時代観に合わない巨大な怪獣と人型ロボット。どれもこれもが一機からリアリティを奪っていた。本当にゲームの世界に迷い込んだんじゃないかとワクワクすらしている。
 不謹慎ながら、麻紀のケガだってイベントの一つで、ここから『魔神』を手に入れるルートに入ったんじゃないかと思えてくる。上手くいかなかった際は、『GAME OVAR』とでも表示されるだろう。
 あの少女だって、高いところから落ちたり体が大きくなったり小さくなったり、動物と会話をしていても楽しんでいたではないか。そして最後は夢から覚めるように目覚めた。そう、現実に戻っていた。
 一機は、それが不安と恐怖を誤魔化すための現実逃避であることを悟ってはいなかった。
「……ま、こうなりゃトコトンやるまでさ。毒を食らわば……ん?」
 ふと、足元の土が盛り上がった。そしてボコっと何かが顔を出す。
「ぬわっ!」
 土の中から何か出てきた。とんがった鼻をして、目は小さくて、手がなんか硬い爪をしているってこれはどう見ても、
「――モグラ?」
 そうとしか表現できない生命体だった。地面から半分顔を出して周りをキョロキョロしている。騒いでたので驚かしたのだろうか?
「いやしかし、こうしてみるとちょっと可愛いなこいつ。なんかもふもふしてそうで……うい」
 なんとなく和んでしまい、ちょっと指先でつついてみる。が、
「……だっ!?」
 鋭い痛みを感じて引っ込めた。指から血が流れている。
 モグラに目を戻すと、フーとこちらを威嚇し体毛が逆立っている。
「……針? モグラつーよりハリネズミなのか。野生動物を無警戒に触るもんじゃないな」
 指の先を舐めて血を拭う。わりと深く刺さったようで血がなかなか止まらない。モグラorハリネズミはまた地面へ潜っていった。
「いかんいかん。敵地へ潜入するというのに気が緩み過ぎだ。もうちょっと緊張感持ってやらないと……おろ?」
 かくんと片膝をつく。別にどこにも引っかかってないのに転んだみたいだ。
「はて? 日頃の運動不足が祟ってロッククライミングでもうバテたのかな。やれやれ、しっかりしろよ俺の体」
 どっこいせと立ち上がり、再び歩き出す。さっきよりは明るくなってきて、足跡もだいぶ明快に見える。
「さて、もうそろそろだといいんだけど……徒歩で温泉入るんだからそんな離れてることはないだろうが……ま、後は運次第か」
 ふと、首にかけているネックレスを取り出す。出自がヘレナの母上たる女王陛下で王冠と剣、軍事国家らしいエンブレムからして王宮ゆかりのものだろう。あんな気軽に渡したからには安物と考えるべきだが。
「まあ幸運のお守りならそれに期待するのも一興……ってちょっと待て、こっちじゃ金より銀の方が価値高いんじゃなかったか? すると……はれ?」
 がくんとまた膝をついた。今度は両膝どころか前のめりに倒れそうになり、四つん這いのように両手で支えた。
「ん、え? なんかおかし……」
 体を支える両腕がピクピクいっている。気がつけば全身が震え、力が入らない。
「え、え? として、こんな……」
 口も上手く動かなくなり、ついには地面に倒れてしまう。さっきのように疲れが足に来たなんてものじゃない。明らかに異様だった。
 困惑しながら手の平に視線を向けると、そこにはまだ血が流れてる傷跡が。そこでハッとする。
 ――毒!? しまった!
 あのモグラだかハリネズミだかわからない生き物は、有毒生物だったのかもしれない。不用意に触ったせいで毒が回ったのだ。自分の愚かさに愕然となる。
 ――んなばかな、こんな、こんなアホなことで……
 敵にやられるとか、魔獣に喰い殺されるならまだ恰好がつく。
 しかしこんな自滅としか言えない馬鹿馬鹿しい死に方なんて絶対に嫌だ。こんな誰もいないところで鳥葬まがいのGAME OVARなんてできるわけがない。どんなクソゲーなんだ。
 だがそんな思いもむなしく四肢に力はまるで入らず呼吸は荒くなり、にもかかわらず意識は遠のいていく。
 だが恐怖にむせび泣く声も出せない。視界も暗くなっていき、いよいよ死の危機が迫る。
 ――やだ、こんな、一人で、一人で……! 誰か、誰、か……?
 一機は助けを求めようとした。だがそこで、頭の中で声がした。

『――誰がお前なんか助けるんだ?』

「――は、はは、ははは……」
 何も出せなかった口から、かすれたような笑い声がした。最後の遺言にはあまりに虚しい、自嘲の笑い。
「そりゃ、こんな奴助ける奴なんて、いっこねえよな、ははは……」
 親からも見放された。うっとおしいほど媚びてきた親戚は手のひらを返したように冷たくなり、幼いころからの友人もあっさりと離れていった。
 だが彼らを恨んだことなど一度もない。
 だって、全ては水から招いた種。自分の今ある、そしてこれからも続いていくだろう楽園(せかい)などただの妄想に過ぎす、一瞬で崩れ去るほど弱い代物だと気付きもせず怠惰に生きた自分の愚が原因なのだから。
 だけど本当は戻りたかった。あの楽園へ。それが叶わぬなら、別の楽園へ。あの少女のように戻る現実(せかい)がないのなら、永遠に、そこへ留まれると思うから――
 だというのに、ついた楽園(あたらしいせかい)ではこの体たらく……本当に、情けない。
 いったい何が、誰が悪かったのか――それは、考えるまでもないか。
 その時、ザッザッと足音がした。
「――!」
 こんなところに誰かいるわけない。
 ではまさか――死神の足音というのじゃあ、なんて働かなくなってきた頭で戦慄する。
 ついに年貢の納め時というものか、と一機は覚悟した。
 仕方がない。現実逃避と怠惰がウリの男が人生の最後の最後で見栄を張ろうとして上手くいくわけがない。こうなる運命だったのだ。いやいっそ、もっと早くこうすべきだったのかも。
そしたら、あんなみじめで空虚な日々を過ごすことはなかったから――
「……冗談じゃねえ」
 その言葉は、意識とは無関係に飛び出してきた。一瞬自分が言ったのかわからなかった。
「あいつ、助けてないのに……助けてくれた恩、何もしてないのに……死ねるか、死ねるわきゃ……!」
 薄れゆく意識の中、肉体は閉じようとするまぶたを必死に開き、感覚が失せた両手を動かしてまで足音から逃げようとする。
 何故自分がこんなことをしているのか、意識では生存を諦めたはずの体を何が突き動かしているのか、その衝動の源を一機は理解できなかった。
 しかして一機の肉体は細動叶わず、結局そのまま崩れ落ちる。
 ――ド畜生。
 悔しさと歯がゆさの中一機の意識は闇へ落ちてゆく。やはり自分には何もできなかったと己に憎悪すら抱きながら。
 ――なんなのアンタ?
 そう最後に胸の奥に落ちた言葉に、一機は心でこっちが知りたいと返しながら意識を失った。

 その質問が自分が発したものなのか否か、一機には知る余裕はなかった。

「……おかしなところがある? どういうことだ?」
 時間を戻し親衛隊キャンプ。隊長宛に隊員から通信が突如入ったのでヘレナは応答していた。
(とにかく隊長来て下さい! 異様なところを見つけて……!)
 一機を(嫌々ながら)捜索していた隊員があわてて通信してきた。その様子を麻紀は不思議なものを見るようにしていた。
「……あれ、ヘレナさん石と会話しておかしくなったんですかね」
「あれはただの石じゃありません。『ジスタ』と呼ばれる霊石の一種です」
 ヘレナの手に握られていたのは、黄土色の長方形で角ばった手のひらサイズの石だった。それに向かって言葉をかけ、その石から声がしてくる。別世界から来た麻紀からすれば珍妙極まりない光景だ。
「あれは同じ『ジスタ』と声を繋げることができるのです。さすがにあまり離れていては聞こえませんが、ある程度なら障害物があろうと声を伝えることができますのでMNには必須の装備です」
 そういえばと麻紀は思い出す。初めてこの世界に来てMNに乗った際、コクピットにある箱の中からヘレナの声がした。電気もない世界に無線でもあるのかと不思議がっていたが、あれはこういうことだったのか。
「特定の相手とも会話できるんですか?」
「石に術式を書けば。ただ、時たま何処とも知れない音を拾ってしまいますがね……」
 携帯電話というより無線機なのかと麻紀は判断した。周波数が安定してなくて聞こえてしまうなら、盗聴とかにも便利だろうなぁ……なんて腹黒なことまでこの女は想像してしまう。
 なんて話していると、ヘレナが残っていた隊を率いて動き出した。通信のあったその妙な所へ実際行ってみようということだろう。ヘレナが陣頭で進み、グレタと麻紀は少し後方から《マンタ》に乗ってついていった。
「……グレタ副長。一ついいですか」
「はい? いきなりなんですか?」
「教えてくれません? ――ハンスについて」
「っ!? ど、どこでその名前を!?」
「一機さんが呟いてるのを聞いたのです」
 ギョッとしたグレタに二人が会話しているのをのぞいていたなどおくびにも出さない麻紀。麻紀にとって嘘とは鼓動とさして変わりなかった。
「――あの男は何と?」
「昔振られた男の名前かなぁなんて愚痴ってましたが」
「ふらっ……! そ、そんなわけないでしょ!」
 真っ赤になって怒ったグレタに内心にやりとする。無論一機はそんなこと一言も言っていない。こうすれば話すだろうと考えた麻紀の罠だった。
 そして麻紀も、ハンスなる人物がヘレナとそんな生ぬるい関係の人物ではないと察していた。
 やがてグレタははあとため息をつくと、「……他言無用でお願いしますよ?」と前置きを述べ、椅子代わりの木箱に二人腰掛けた上で語り出した。
「――弟ですよ。ヘレナ様にとってハンスという男は」
「弟? ヘレナ隊長は二人姉妹じゃありませんでしたっけ」
「ええ。血のつながった弟じゃなくて、弟分といったところだったんです。シルヴィア貴族名門中の名門ゴールド家の末弟ハンス・ゴールドは」

 女王になれるのがたった一人とて歴代女王も全て女子一人ずつ産んだわけはなく、当然兄弟姉妹というのはいた。
 そういう女王になれなかった王子や王女は貴族たちと婚姻関係を結ばせられる。特にシルヴィア建国時からシルヴィア一世に仕えた者達の末裔などの名門貴族たちとは関係を強化するためにも婚姻は必要なことだ。
 ゴールド家もそういった名門貴族の一つ。つまりヘレナとは少々遠い親戚関係でもある。
「そのゴールド家の息子がハンスでした。彼は幼いころパーティでヘレナ様と出会い、仲良くなりました。まあゴールド家は当時貴族内で発言権が薄れていましたから、関係を深めたい家の人間がけしかけたんでしょうが」
「グレタ副長もそうなんですか?」
「……聞きにくいことをはっきりといいますね。ええ、ヘレナ様とは子供の時侍従として仕えていました。まあ、お互い小さかったから遊び相手みたいなものでしたけど」
 ヘレナとハンスも、家の都合など理解できるはずもないからそのまま仲良くなっていった。利害関係など全くない友人、いや姉と弟のような仲になる。
 小さいころからダンスや勉強より体を動かすことや剣術が好きだったヘレナは騎士を目指すようになる。弟分のハンスが遅れてついていったのは自然だった。自分も騎士になりヘレナ姉様を守ると宣言したハンスにヘレナは喜々として剣を教え、ヘレナはハンスの師匠となった。
「男子が騎士になるのはシルヴィアでは普通ですし、騎士出身なら女性上位のわが国でもそれなりの地位につけます。ゴールド家も侍従として傍にいさせることは利が大きいと判断したのでしょう、ヘレナ様の意に任せました」
「はて、そのハンス君ってのはいくつだったんですか?」
「え? そうですね……ヘレナ様とは七歳くらい離れていましたか」
「おやおや、ヘレナさんも凛々しく見えて実はショタコンだったんですね。そんな若いツバメ捕まえるなんて」
 にやにや笑った麻紀にグレタは眉をひそめた。
「ショタ? ショタとはなんのことです」
「う〜ん、定義はちょっと難しいですが、誤解を承知で説明すると、要するに幼くて可愛い男の子にあんなことやこんなことをイチャコラしたい人のことを指しますね」
 グレタは荷台から転がり落ちた。あやうく《マンタ》に踏み潰されかけたが、なんとか回避して息を乱して荷台によじ登った。
「な、な、何を言いますか突然!」
「えー私はてっきりそうなんじゃないかと」
「ば、馬鹿なことを! たしかにハンスはクリクリッとした目でちっちゃい背も相まって愛らしいとメイドたちにも評判……ってだから違います!」
 もしかしてショタコンはこの人かなぁと思っているが、話にならないので続けさせた。
「ったく……まあ、ゴールド家はあわよくばなんて考えがあったのは間違いないでしょうが、ヘレナ様がどうだったのかはわかりませんね。本当に仲良しの姉弟にしか見えませんでしたから。あの方は他に親しい人もおりませんし、そうなるのは自然ですがね」
「? はて、お姉さんいるんですよね? 仲悪いんですか?」
「いいえ、姉妹の仲は良好なのですが……その、周りが」
「周り?」
「王位継承者が双子の姉妹なんて、面倒なだけですからね」
 麻紀もなくとなく察する。同時に生まれた姉妹なのに王位継承権は一位と二位の差がつく。それにつけこんで野心を企てる者が不遇の妹を持ち上げて――なんというのは、麻紀の世界では歴史上飽きるほど行われたことだ。どうやらシルヴィアでもさして変わりがないらしい。
「ヘレナ――様が騎士となり親衛隊に入ることを決めて早々と継承権を返還したのは、そういった輩が騒ぎ立てないようにするためです――いや、そうさせられたとすべきでしょうか。勿論、騎士になるのが嫌なわけではないですが……」
 だからと言って、タッチの差で生まれた姉の邪魔にならないようわざわざ影として生きることを強制されればそれは陰鬱な物を抱えて当然だろう。仲が悪くないとはいえ、溝ができてしまった。
「……豆殻で豆を煮る、ですか」
「なんですかそれ?」
「いえ別に」
 兄弟間で酷く憎みあい傷つけあうという中国の故事を思い出した麻紀。
――そういえばあの人も似たような境遇でしたね……
あの元来人見知りで人間不信の男が最初から普通に話せたのは、もしかして――なんて考えていたが、ここは話を戻すことにした。
「それで、そのハンス君とやらはいくつなんですか?」
「――生きてれば、十七歳。あいつと同じ年齢ですね」
「亡くなったのですか?」
 これまでのことから察していたのでそこに麻紀は驚かなかった。
 しかしグレタの答えは意外にも、困ったかのような失笑だった。
「……その方が、都合がよかったのかもしれませんね、ヘレナ様には」
「え?」
「行方不明なんですよ。一緒に遠方へ出向いた時に山で崖崩れに遭いましてね。もう六年も前になりますか」
「崖崩れ……」
「聞くところによると、ヘレナ様の目の前で落ちていったそうですよ?」
 唯一の気兼ねなく話せる弟分、そしてゴールド家より預かっていた大事な息子さん、将来が楽しみな騎士見習い。それら全てを一瞬で失った絶望はいかほどのものか。傍にいたのに助けられなかった自分をどれだけ呪ったか。しかも遺体は見つかっておらず、諦めることも忘れることもできない。ただ自分の不実を苦しみながら、生存という絶望的な希望を信じなければならない身。この六年間苦悶の日々を過ごしたのだろう。
「……それじゃ、一機さんとそのハンス君は似てるんですかね?」
「はぁ!? まさか、これっぽっちも似てませんよ! あんな生意気で陰気なスケベ野郎と一緒にしないでください! 第一ゴールド家は王国誕生以来続く名門貴族、そこらの平民でしかないアマデミアンとは比べること自体おかしいんです!」
 ああ、この人に一機さんの家のこと話したらどんな反応するかなぁ、多分とんでもなくびっくりするだろうなぁ、などと思っていると、
「――でも、思い出してしまったのは事実でしょうね」
 さっきまでの剣幕を失せて、呟くようにグレタは口を開いた。
「あんなヘレナ様を見たのは、久しぶりでしたから……おや?
ふと、《マンタ》が突然停止した。どうやら目的地に着いたらしい。
「グレタ、ちょっとこっちに来てくれ!」
「は、はいっ!」
 ヘレナに呼ばれあわてて飛び降りる。角を曲がった向こうに何かあるのか。
「……ふう」
 ため息をかけ、木箱に腰掛け直す。目の前にはグレタが腰かけていた木箱が。そういえば、数日前ここを訪れた時のヘレナもこれに座っていたような。
「なるほど、だいたい予想はついていましたが、おかげでよくわかりました」
 弟を失った悲しさ――どうもそれだけではないようだが、これも親衛隊をみていれば想像つく――に打ちひしがれている時にどんな奴でも同じくらいの少年が突然現れればそれは嬉しかろう。まるで無くした玩具が帰った来たような気分になり、浮かれてしまうのも無理はない。
 王家という狭苦しい家柄に生まれ、抑圧されてきた人の苦しみは麻紀にはわからないが、その寂しさと悲しみは同情できなくもない。一機を重ね、遠き思いでの日々を取り戻した気になってしまうのも無理からぬことだろう。
「……っざけやがって」
 すっと立ち上がり、目の前にある木箱を思い切り蹴り飛ばした。
 寝床のドアにぶつかった木箱は木っ端みじんになり、《マンタ》が何事かと驚いて少し揺れた。
「てめえの寂しさ紛わせのお人形さんごっこに、一機さん巻き込んで……一機さんだって、なんであんなのに……」
 自由な右手で三つ編みの先にあるアクセをいじる。向日葵の形をしたこれを、麻紀は季節問わずいつもつけていた。
 それから麻紀は、包帯を巻かれた――二度と何も写すことのない右目をさする。別に痛くはないが、こうして触るとちゃんとある目が使えないというのは不思議な気分だ。
「別に気にしなくていいのに、こんな目のこと。私は……」
 と、そこに悲鳴のような声が上がった。
「な、なんですかこれぇ!?」
 声の主はどうやらグレタらしい。気になってそこへ向かってみる。
 角を越え、声の元へと行ってみると……
「……なんですかこれ」
 麻紀すら驚きを隠せない異様な光景が広がっていた。
 そこにあったのは、まあ今まで通り罠だった。落とし穴だったり細い紐に引っかかると上から岩が落ちてくる仕掛けだったり、横に穴が開いていて矢でも飛び出してきそうなからくりや、鎌がしゃんしゃんと左右に揺れて斬り殺さんとする忍者屋敷さながらのものまで盛りだくさんだった。
 だが問題は、それらが全て剥き出しで、足の踏み場もないほど敷き詰められていることだった。用意周到なのは結構なことだが、これでは進軍してきた相手を引っかける罠の役目がまるで果たせないではないか。
「蛮族の残党は何をトチ狂ったのでしょうか、こんな丸出しの罠にかかるものなどいるはずがありません」
「……ということは、最初から罠にかけるための罠ではないということか」
「足止め、ですか」
 これだけの罠を無力化しつつ進むのは相当骨が折れる。あちら側にとっては体勢を整える時間稼ぎにもなるだろう。敵軍に侵攻を諦めさせる見せしめ的な役目もあるのかもしけない。
「しかし、これだけの罠では自軍が進むことすらままならないではありませんか。人間はともかく、MNは動けませんよ?」
「ああ。それに、ここ一か所だけに罠を集中させたりして……この先に何かあると言っているようなものではないか」
「あるいは、そんなこと気にしてられない事情でもあるのかもしれせんね」
「わっ!」
 また二人の間に割って入った。もうビックリさせたのは何度目だろう。
「く、くそっ、また気付けなかった!」
「……何か楽しんでませんあなた方?」
「なわけないでしょう! それで、なんですか気にしてられない事情とは?」
「単純な話、罠以外頼るものが何もないんじゃないですか、ってことです」
 ヘレナとグレタはまた渋い顔をした。二人も麻紀と同じ推測をしているが、確証が得られないので言い出せずにいるのだ。ため息をついた麻紀はまた進言する。
「で、こんな罠馬鹿正直に通るつもりですか? おとなしくどこか別の道を探すべきでは?」
「ダメだ、恐らく敵はここにいる」
 え? グレタが呆気にとられる。まあ彼女もそれは予想していたろうが、こんな断言するとは思わなかったのだろう。
「どうしてそんなことが? 単なるデコイの可能性だってあるじゃないですか」
「ないな。囮だったらもうちょっとわかり辛くやるだろう。こうもあからさまなのは、逆に相手に疑念を抱かせて外れさせるからだな。――お前とて、そう考えているのではないか?」
「……っ」
「で、ですがヘレナ様、ここはまだ峡谷の入り口ですよ!? こんなところに敵の基地があるわけが……」
「たしかにそうだな。だが、この向こうに『炎の魔神』があることはほぼ間違いあるまい」
「――どうして、そう言えるんですか?」
「簡単なことだ」
 そう言うと、ヘレナはふっと笑って、
「一機も、そう思ったから飛び出したんだろ?」
「っ!」
 不敵な笑みに、今度はこちらの心の奥底をのぞかれた気がして息が詰まる。
 つまり、親衛隊をここから離れさせ、一機に手柄を取らせてあげようとした自分の思惑を。
「よし、全隊員に進軍命令。罠を潰しながら進むぞ」
「は。しかし、これだけの罠、時間がかかりますね。全て壊すのは夜明けまで必要かと」
「なるべく急がせろ。時間はあまりないからな」
「了解しました」
 わざわざ追い立てるような指示をした時、麻紀は悟った。
 ヘレナは一機を助ける気だ。だから早く罠を突破するよう指示を出した。
 異世界からの友人を救おうと無謀へ突き進んだ男を助けるために――
「……勝手を」
 そう隊員たちが峡谷突破へ駆けている中、一人ポツンと突っ立っている麻紀はギリリと歯ぎしりした。
 そこでふと、前で声を張り上げて隊を指揮しているヘレナから、ヘレナとは違う別人の声がした。首を傾げるものの、すぐにさっき説明された『ジスタ』を思い出す。
「ヘレナさん、通信入ってますよ」
「ん? おっと、すまないな……ああ、なんだどうした? ……ん? おい、聞こえてるのか? おい、おーい?」
 電波の届かないところで使ってる携帯のような仕種をしているヘレナ。よっぽど遠くにでも行った者からだろうか。
「うん? 誰だこれは。皆この場にいるはずだし……こちらへ連絡しているわけではないのか? どこかの『ジスタ』からの声が漏れだしているのかもしれん」
「通じないんですか?」
「いや、聞こえはするがかなり小さいな……相手が遠くにいるか、『ジスタ』がよほど小物か……あっ!」
 突然ヘレナはハッとして、『ジスタ』を耳につける。
 真剣な顔をして石を耳に押し付けるヘレナにびっくりした麻紀は「ど、どうしたんですか?」と尋ねるが、ヘレナは「しっ!」と黙るよう促した。
 親衛隊が罠撤去に奔走している中、その場だけ異様な静寂が存在していた。

    ***

 ……どこからか、電車が走るような音がした。
 少年は不思議に思った。ここは室内だ。近くに電車など通っていない。しかしレールの走る音はする。しかも異様に小さい。
 となると――と少年は音の元と思われる部屋の前に立ち、ふすまを開いた。果たしてあったのは予想通りの光景。
 十畳はあろうかという畳の部屋に、一面埋めつくさんとレールが敷いてあった。その上を軽快に走る電車……無論、鉄道模型だけど。
 そしてレールの前には、鉄道模型を操る老人が少年に背を向け座り込んでいた。こちらに気付いているだろうに振り返りもせず、ただカチカチ模型を操作して楽しんでいる。
 はあ、と少年は老人の背中に呆れたため息をかけた。もう真っ白でかなり後退した髪の毛が揺れる。
『……今度は鉄道模型かよ。また数日で飽きるのが目に見えるな。ちゃんと自分で片付けろよ』
 冷やかな視線をものともせず、老人は背を向けたまま反論する。
『うるさいわい。わしが飽きっぽいみたいに言うな。この鉄道模型だって昔からたしなんどるわ』
『数年ぶりに始めた趣味をたしなんでるとは言わねーんだよ。ったく、どの趣味も広くて浅くなんだから困るぜ。いっそ完全に飽きてくれたら助かるのに、置き場がいくらあっても足りん』
 そんな少年の苦言もどこ吹く風、老人はまだ鉄道模型を楽しんでいる。今のところは。
 そう、この頭髪が後退しきったいい歳の老人はかなりの趣味人間だった。
 切手、昆虫、乗馬、落語、流鏑馬、サーフィン、盆栽、サボテン、アリの巣研究……趣味としてポピュラーなものやおかしなものまで、ありとあらゆるものに手をつける生粋の趣味人間、あるいは趣味マニア。
 しかし、あらゆるものに手をつけるかわりに飽きるのも早い。
 そのくせ思い出したかのようにやり始めるだからたちが悪い。少年もこの老人の趣味には散々付き合わされてウンザリしてる。猟銃の資格が取れたからと熊狩りに連れられて熊と誤認され撃たれた時は本当に縁を切ろうと思った。
 ――まあ切れるわけがないか。俺には他に居場所がないんだから……
『ところで、飯はまだか? 結構いい時間じゃぞ』
『あらやださっき食べたじゃないですかおじいさん』
『お前はわしのばあさんか! もうろくしとるからってボケとらんわまだ!』
『それを言いに来たんだよ……ったく、もう食卓に並べてるからこいや』
『あーそうかそうか。もうわしゃ腹ペコじゃ』
『そうだろうなもう夕方五時だ』
『朝飯七時からもう十五時間か。お前わしを餓死させる気か』
『てめえが「朝何にする?」「んー足テビチ」なんてほざくからだろうが! 十時間もかかるの要求しやがって、こっちだって腹と背中くっつくわ!』
『マジでやる方もやる方と思うが……しかし、それだけか?』
『あーはいはいちゃんと鯛の塩釜焼も作りましたよ。どっかのパーティ会場かここは。無駄に手間かかるもんばっか要求しやがって』
『年寄りがそんな重たいもの食えるわけないだろ、馬鹿かお前』
『自分で言ったんだから自分で責任持ちやがれ! 俺は知らん!』
 なんてのを捨て台詞にして少年は部屋から出て行った。老人ももうすぐやってくるだろう。
 実際この少年はこの二人しか住んでいない家で炊事洗濯掃除その他もろもろ全て行っていた。老人も料理好きだからできるはずだが、めんどくさがって生活は少年に依存している。そして少年も悪態をつきながら、この生活を悪いとは思っていなかった。
 少なくとも、数年前のあらゆるものを持っていたがあらゆることが窮屈だった生活よりは。たまにこんな無茶を言うこともあったが。
 ――それも、いつまで続くかわからんがね。
 視線だけ老人がいる部屋へ向ける。見た目には十分カクシャクしているが、あまり体調がよくないことは少年も知っていた。実際身体を動かす趣味はここのところ敬遠している。自分でも自覚はあるだろう。
『まあ、高校行かずに介護生活も悪くないか。お前の手をわずらわせたくないとかじいさんは反対するかもしれんが……どうせ高校なんか言ってもしょうがないし』
『んー、なんか言ったか一機?』
『なんでもねーよ、さっさと来いよじいさん』

 ……しかし、老人が少年を、一機の祖父が一機の手をわずらわせることはなかった。
 それから少しして、祖父はあまりに呆気なくこの世を去ったのだから。

 その数日後、葬式も済ませた後一機は突然高校進学することにした。
 進学しろと口がすっぱくなるまで言っていたのに聞かなかった一機の心変わりに担任も驚いていたが、本人は『暇になったから』としか語らなかった。
 しかし進学すると決めた時期も遅く、勉強嫌いの一機は偏差値も低かったためあまりいい高校へは行けなかった。その高校で一機はのちに鉄伝でのパートナーとなる麻紀と出会った。
 ちなみに、一機が鉄伝を始めたのも祖父が亡くなった頃だった。というか、知人から貰ってきたと言って一機に鉄伝を与えたのがこの祖父なのだ。
 ……そして、一機自身は自覚していないが、あの別の世界に迷い込んだ少女の物語に異様に魅せられていくのも、この頃からになる――

    ***

「う……っ」
 ひどくまぶたが重く感じられ、一機はうっすらとしか開けなかった。
 まぶたと言うより、全身がだるく、重い。例えるならヘレナに着せられた鎧を着けたまま寝ている様な感覚で、起きているはずなのに身体は起き上がってくれなかった。手足も動いてくれない。
「う……うん?」
 目を開けた先には、パチパチと燃える焚き火があった。揺れる光に照らされ、向こうに見える岩肌が蠢いているようだ。時折シャッシャと何かをこするような音もする。
 焚き火を揺らしている風はこころなしか冷たく感じられる。もう日は落ちたのかもしれない。横になっている布の下も硬い地面で――
「――!」
 そこでぼやけていた頭が一気に覚醒する。ヘレナから麻紀の目について聞かされたこと。『魔神』を一人で取ってくると決意したこと。その途中で毒にやられ気絶したこと。
「っ! だっ!」
 あわてて起きようとしたが、手足が思い通り動かずその場で素っ転びしたたか顔を地面に打ち付ける。
「いてて……ってなんだこ」
「あ、起きた?」
 自分の状況を確認しようとしたところ、突然声をかけられビクリとする。恐る恐るそちらへ顔を向けてみると……
「あーあんた無事? 身体の方はまあ怪我はしてなかったみたいだけど、まだどこか痺れるとかある?」
「……いや、別に」
 明るくけらけらと笑う声の主に、思わず一機はそう答えてしまった。
 横になったまま視線だけ動かした一機の目の前にいたのは、同年代くらいの少女だった。
 少し褐色がかった肌の色に、小さい顔に大きめの瞳はサファイヤのように青く輝いている。髪は瞳のサファイヤを薄く溶かしたような空色……なのだが、ショートカットでボサボサ頭のため魅力を削いでおり、第一バンダナを巻いていて見える部分が少ない。
 服はシャツとジーンズのようなズボンだが、かなり汚れていて親衛隊で着られているものより質が低く見える。腰に巻かれたベルトには、何故かペンチやドライバーなど工具が引っかけられていた。どこかの整備士のようだ。
 整備士と思いついてMNをメンテナンスしてた親衛隊員を頭に浮かべてみたが、少なくともこんな女はいなかったはず。ということは……
「……ちょっと、聞いてる?」
「え? ああすまん、何?」
「だから大丈夫かって聞いてるの。まだボケてるの?」
「ボケてるって酷いなおい。まあボーッとしてたのは認めるけどさ」
 どうもハッキリしない頭を押さえながら周囲を確認してみる。
 場所は、両脇に切り立った岩肌があり崖のように狭い。天井は開いてるがやはり暗くなっていた。近くに鍋や包丁など調理器具が揃えてあってキャンプ場のよう。その他には衣類の端がはみ出ている木箱なとがある。奥には木の根状に続いているらしい。どこだか一機には見当もつかなかった。
「はは、寝ぼけてるんだったらいいけどさ。ほら、これ飲んで」
 そういってその女が差しだしたのは、木のコップに入れられた何かの液体だった。な、なんかもわっと匂うのだが。
「なに引いてるんだよ、いいからこれ飲みなって」
「いやだよ! なんだその緑か茶色かわかんない色してる液体! 築百年の校舎の古漬けみたいな香り醸し出しやがって! 言ってる俺でもわけわからん!」
「こっちはアンタ以上にわけわかんないって。ほら、さっさと飲んで」
 ずいと突きだされ、抵抗できず受け取ってしまう。考えてみれば俺って気の強い女に弱い気がする……と一機は泣きたくなった。
 ええい、ままよと一気に飲み込む。ぐえぇ、これ絶対木の皮とかだ。図画工作の味がする。
「ちょ、これ何なんだよ?」
「ん、毒消し」
「ぶばっ!」
 瞬間、一機は新開発の超大型ジェット霧吹き(特許未取得)となった。
「きゃ! なにすんの汚いわね!」
「ど、どどど、毒!?」
「違うわよ毒消しよ毒消し! よりによって逆の意味で捉えてんじゃないって!」
「毒消しぃ?」
 とりあえず毒じゃないのはわかって安心したが、一機はまた疑問を作ってしまった。何故毒消しなんぞ自分が飲まなければならないのだろうかと。
「そ。あんた《トゲモグラ》に刺されたんでしょ? 馬鹿ねーあいつらおとなしいから滅多に針出さないのに。どうせ触ってみたりしたんでしょ?」
「とげもぐら……? なんじゃそれ、そんな生き物聞いたことも……あ!」
 呆然としてた一機はそこでやっと思い出した。倒れる直前、土から出てきたおかしな生物を。
「そういや俺あいつに刺されたんだったな……え、大丈夫なのか俺?」
「んー? 毒消し飲んだし、見たとこ他に怪我してないから大丈夫じゃない?」
「いやいやいや、だって毒だぞ? その――死んだりとか」
 不安げに聞いてみると、少女はキョトンとした顔をし、数秒後笑いだした。
 それも大爆笑。腹を抱えて笑い転げる姿は、生死が関わっている一機からすると冗談じゃない。誰でも憤慨するであろう。
「何笑ってるんだよ! こちとら毒が体に回って死にそう……!」
「あはははは、《トゲモグラ》の毒で死んだ奴なんか聞いたこと無いわよ。せいぜいちょっと体が痺れる程度だって。あんな弱い毒で死んでたらあんた末代までの恥よ、あはは!」
「……え、えー……」
 情けない声を出してしまう。一機はズーンと漫画だったら顔に線が入って黒くオーラが描かれてそうな表情になった。
 あれだけ死ぬとか終わりだとか心の中でネガティブなことになっていたのに、全然大したことないなんて恥ずかし過ぎた。いっそまた《トゲモグラ》とやらに刺されて今度こそ毒で死ぬ、いやだから死ねない毒なんだってと馬鹿な問答していると、少女が笑いながら話しかけてきた。
「あっはっは、おっかしな奴。変なかっこしてるし、妙なもの持ってるし。ま、これは美味いけど。なんか味わったことのない香りと甘さとサクサクしててさ」
「何がサクサク……ってあー! お前いつの間に人のチョコスティック喰ってんだよ!」
 気がつけば一機が持ってきたリュックはガサ入れ済みで、チョコスティックのみならずポテチとか色々既に喰われていた。キャンプ場を襲った熊やらのニュースを思い出す一機。
「えーいいじゃん助けてあげたんだから。なんか見たこと無い食べ物で変な袋入ってたからびっくりしたけど、美味しいからいいや。そ・れ・よ・り・も♪」
 いきなりずいと顔を近づけられて一機は思わず後ずさる。なんかふはーふはーと鼻息が荒く顔も上気している。盛りのついたサルだろこの女。
「これ、なんなのさ。なんかピカーって光ってタラリンリンって音が鳴って見たこともない文字が表示されるんだけど」
 と言って突き出してきたのは、なんと一機の携帯であった。
「あーっ! お前人のもの勝手に……て待て! なんかバラバラになってないか!?」
「失礼ね、バラバラになんかしてないわよ、ちょっと分解しただけ」
「一緒だ! 液晶とかどうやって外したお前! こんな中身飛び出して直るのかよ!」
「なによこんなの、ちょっとネジ回しただけでしょ。ほら、貸してみなさい」
 ちょっとムカついた様子で一機から携帯をひったくると、止める間もなく背を向けてかちゃかちゃと妙な音をたてはじめた。
 ネジ一本まで分解されもはや携帯だった名残が何一つない様(そこまで分解できるわけないが)想像し「ちょっ……!」と止めようと肩に手をかけようとしたら、それより早く女の子が「んっ」と振り返ってきた。
「ほら、これで満足?」
「え……え、あ、え?」
 一機の目の前に再び突き出された携帯は、コードも電子版も出ておらず元通り。分解された姿を見ていなければ一旦バラバラになったことすら想像できない完璧さだった。あわてて携帯を操作してみるが、何の問題も無く起動している。ボロだが特に故障もない一機の携帯だった。
「うわ、すげっ。あんだけバラバラにしたのに!」
「何よ、見たことのないパーツあったけどあんなもん大した構造じゃないわよ。ドライバーさえあれば朝飯前だって」
「おいおい、日本の技術者を泣かせるようなこと言うなって」
 とはいえ実際この女はあれほど簡単に分解しそして組み直した。一機からすると何がなんやらチンプンカンプンな代物を別世界の人間がこうも簡単にできるわけがない。こいつひょっとしたら天才という奴では……別世界?
「あーっ!」
「きゃっ! な、なによ今度は!」
 またしても寝起きで(正確には気絶だが)でボケていたらしい。この状況にいち早く気付かねばならなかったというのに。
「お前、誰だよ!」
「へ? ああごめん、名前言ってなかったわね。あたしマリー・エニス。あんたは?」
「はい? ああ、的場一機……じゃなくて!」
 あまりに普通に返されてしまったのでこちらもつい転校初日のクラスメイトへの挨拶のように答えてしまった。アホか俺。
「だからさ、ここどこなんだよ!」
「ここ? ドルトネル峡谷に決まってんじゃん? あんた知らないで来たの?」
「いやそれは知ってるけど。親衛隊の連中と来たんだし」
「親衛隊? ……あーっ!」
 今度はマリーとやらが叫ぶ番だった。峡谷の合間で幅が狭いので、声が反響され一機は耳をふさぐ。
「思い出した! どっかで見た顔だなあと思ったけど、あんたあの時崖下で温泉のぞこうとした変態でしょ!」
「いやあれはのぞこうとしたんじゃなくて隠し撮りしようと……似たようなもんか。って違う、なんでそれを……! お前か、あん時石ケン投げつけてきた奴は! なんてことすんだ、危うく死ぬとこだったぞ!」
「うっさいわね! あんたたちが悪いんじゃない! 人の温泉ぶっ壊して自分たちで楽しんじゃってさ!」
「んなもん俺は関係ない! だいたいなんであんなとこに温泉なんか作ったんだ! わざわざ入り口近くに! しかも崖上で! 崩れてもしゃーないだろ!」
「好きで作ったんじゃないわよ! 罠作ってたら温泉が噴き出しちゃったのよ!」
「ああ、偶然の産物だったのね……どおりで」
 別に『グレタが殴ったショックで噴き出した』でも構わなかったようだ。内心頭を抱えつつ、今の言い争いで分かったことをまとめてみる。
 ここがドルトネル峡谷から移動してない場所で、周りの状況から察するにこいつ、マリーと名乗った女はここに最低でも数日は滞在している。
 そしてさっきの「罠作ってたら」という発言と一応この国の防衛を受け持つ騎士団を「あんたたち」呼ばわりしている点からして――
「……お前か、例の墓守ってのは?」
 そう聞くとマリーは一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐニヤリと笑みを浮かべた。
「そうよ、あたしが墓守……じゃない、『守護の民』の一族。四十五年前からシルヴィア軍の魔の手から秘宝を守り続けた英雄たちの末裔よ」
 誇り高く、声を上げて言ったその言葉は、
「――ところで、あんた」
「ん?」
「カズキ、とかだっけ? あんたさっき――親衛隊から来たって言わなかった?」
「……ああ、言った」
 二人が敵対する関係であると、宣言したものだった。
 ウラーと奇声を上げたマリーに、一機は縛られてしまった。もう、慣れたものである。

「――あのー、ほどいてくれませんかねえ」
「お断りよ、何度も言わせないで。今晩御飯作ってるんだから」
 そう一機の懇願を流しながらマリーは木箱をまさぐっている。どうも食料入れらしく、出てきたのはでっかい干し肉の塊と壺だった。なんか、あの壺から酸っぱいような妙な匂いがしているのは気のせいか。
「おい、その魔王か何か召喚されそうな壺なんなんだよ」
「何よ魔王って。これはただのコーヤの酢漬けよ、ほら」
 そう壺の中から取り出したのはキュウリみたいな緑色の野菜だった。なるほどピクルスみたいなものかと一機は納得する。しかし、この世界は干し肉とか臓物から作る調味料とか乾燥や発酵食品が実に多いとどうでもいい感想を抱いた。
「しっかしよりによって親衛隊の人間助けちゃうとはね……まあ行商も来ないところだからシルヴィア軍かもしれないとは思ってたけど」
「だったら助けなきゃよかったんじゃ……いや助けてもらわないと困ったけど。つーかそれじゃどうして助けたんすか?」
「えー、だってあんたアマデミアンでしょ?」
「え……いや、そうだけどさ」
「でしょうね、そんな変なカッコしてるし」
「ちょっ、変ってなんだ変て!」
 一機自身別にこの制服に思い入れがあるわけじゃないが、なんか己を馬鹿にされてるようで腹が立った。足も縛られているので足は立たないけど。
「あっはっは、いいからいいから、あたしら『守護の民』はシルヴィアの鬼畜どもと違って優しいからね。捕虜にもちゃんとご飯上げるから」
「はあ……」
 ヘレナたちを鬼畜発言したのはムッとしたが、文字通り手も足も出ない状況で反感買う訳にもいかないので相槌を打っておいた。とりあえずこのまま縛られたままなのも癪なので、情報収集でもしておくかと一機は決めた。
「あのー、見たところお前以外ないみたいだけど、一人暮らししてるの?」
「まさか、いっぱいいるわよ。今日はちょっとみんな出かけてるだけ。なんせ人多いから買い出し大変なのよね〜」
 ふんふんと何故か鼻歌を歌いながら食材や調理器具をそろえるマリー。なんだろう、妙にテンションが高いぞこの女。
「『守護の民』とか言ってたけど、それって四十五年前シルヴィア軍に包囲されたグリード軍の残党のことだろ? お前その末裔なのか」
「だからそうだって言ってるでしょ。悪逆非道なシルヴィア王国のケダモノたちに勇敢に立ち向かった戦士たちの血を引く……あ、塩もう残り少ないわね。買いに行かないと」
 ところどころ偏見を見え隠れしつつ家庭的な呟きをするのがものすごく違和感があった。まあ戦争している相手同士なんてこんなものだろうと一機は思った。ヘレナたちだって『蛮族』呼ばわりだし。
 やけに気分よく鍋や包丁やまな板を取り出し、かまどに火打ち石で火をつける姿は野蛮な反乱勢力の生き残りでも英雄の末裔でも無く、普通の女子にしか見えなかった。高校の時友達と仲良く服や好きなアイドルのことを話していた女生徒と、親衛隊で意気揚々と働いていた隊員たち。彼女たちとどれくらい違いがあるのだろうか? こんな狭いところで……
「それで、その捕虜にも御飯を与えてくれるお優しい英雄さんたちはいつメシくれるんだよ?」
「あんた、自分の立場わかってる? 言われなくてもすぐ作ってあげるから……あれ、この、ふんぬっ……」
 包丁で干し肉を切ろうとしたようだが、どうも切れなくて悪戦苦闘しているようだ。
「おら、んんっ……ああもう、また切れなくなっちゃって、どうしてこう包丁ってダメになるのが早いのか……」
「――ああもう、見てらんない。おいちょっと、貸してみ」
「は?」
「貸せってその包丁。俺が作ってやるから」
 こう、メガラに同じ表現があるかどうかわからないが、狐につままれた顔をマリーはした。一機は内心ほくそ笑む。
「あんたさ、本当に自分の立場わかってる? 捕虜だって知っててその台詞?」
「だってお前に任せると餓死するどころか骨になって風化してテンハンドレッドの風になるか埋まって化石になるまでかかりそうなんだもん」
「そこまでかかるわけないでしょ! 第一、あんたそんな縛られて料理なんてできるわけないじゃん!」
「だからさ、これ外してって言ってるの」
「はぁ!? どこに料理作らせるために敵の縄ほどく馬鹿がいるのよ!」
「安心しろ、自由があろうがなかろうがあんたに勝てる気しないから俺」
「……言ってて自分で情けなくないの?」
 恥ずかしくないと言えば嘘になるが、事実なので一機は臆面もなく言い切った。その様子に呆れたのが気が抜けたのか、マリーはあっさり縄をほどいてくれた。
「ふっはっはっはっは、ひっかかかったなアホが! この俺様がそんな軟弱モヤシ野郎と本気で思ったか! 最初からお前をだますための芝居だったのさ! よくも今まで散々馬鹿にしやがったな! お礼に貴様を永久に婚姻届を出せぬ体にしてやろうと思ったがそんなことはなかったぜ! あべーん!!」
 なんてことを言うわけもなく、一機は普通にマリーから包丁を受け取った。
「あ、やっぱり。すっかり丸っ刃じゃないか。こんなんで切れるか」
「は? マルッパ?」
「刃が尖ってないことだよ。砥石……なんてあるわけないか。水ってこのカメの中にあるのでいいんだよな。ちょっと借りるぞ」
 了解も得ずに一機は、その辺の岩肌に水をかけ、包丁を横にして刃を研いだ。『刃を研ぐ』という概念がわからないマリーには謎の光景であろう。
「んーまあこんなもんか。一応刃は立てたしな。さてと、久々だけど大丈夫かな」
 と自信なさげに肉を切り出すが、トントンと問題無くいとも簡単に角切りにしていく。刃を入れるだけで苦労していたマリーには魔法のようにしか見えない。同じく固いコーヤもあっさり切ってしまうので「はええ……」となんとも情けない声を上げる。
「あーちょっと、水沸かしてくんない? 俺かまどほとんど使ったことないから火加減できないし」
「う、うん」
「それとさ、いくらなんでもこの二つだけって寂しいから他に材料ない?」
「えーと、あ、そういや野菜もう一つあったっけ」
「うん? うわ、何これどう見てもキャベツじゃん。まあキャベツならダシ出るしいいか……あ、水はあんまし沸騰させず弱火な」
「は、はいっ」
 いつの間にかマリーは一機のアシスタントと化している。完全に呑まれていた。
「――あんた、料理得意なの?」
「んー? うちのじいさんが好きでさ、色々仕込まれたんだよ。それ以前に家事は俺担当だったからな。ま、ここ二年くらいやってなかったけど」
「? やってなかった? 得意なのに?」
「まあ、できるんだけどやるわけにいかなくなったというか……ん? やべ、この水硬水だ。レシピ考えなきゃな……」
 そんなわけで、マリーをビビらせていることにも気付かず一機はあっという間に戻した干し肉と野菜のスープを作ってしまった。
「……美味しい」
「んー、材料もないし調味料も初めてだからこんなもんか。もうちょっと余裕があれば……ま、しょうがないか」
 正反対の評価をしつつ二人はテーブルに向かい合わせに座って食事タイム。と言ってもパン(親衛隊のより質が劣る固くて味が薄い物)とスープだけという質素なものだったが。
「あんた、親衛隊で料理担当でもしてるの?」
「まさか、数日前に入った新米だよ。つーか、俺って親衛隊雑用見習い補佐もどきだし」
「はぁ? 何それ?」
 思いっきり変な顔をされた一機は、こちらの世界に来てからのことをだいたい話した。無論、親衛隊が『魔神』を狙ってこちらへ来たなどは隠して。
「ふーん、あんたやっぱり来たばっかのアマデミアンだったんだ。雰囲気からして同類かなとは思ってたけど」
「同類って、もしかしてお前も?」
「あ、いや私はお母さんがなんだけど……」
 五十年前シルヴィア王国に反旗を翻しグリード皇国を名乗ったのは蛮族、つまり地方の少数民族やアマデミアンだったはず。その生き残りならアマデミアンだろうが、マリーの場合母親もあっちの世界から来た人間らしい。たしかに同類ではある。
「それにしてもあんた大変だったわねー。絶望の国(ナイトメアワールド)から来ちゃったと思えばよりによって親衛隊なんかに拾われるなんて最悪よねー」
「――あん? ナイト、なんだって?」
「あれ、聞いてない? 絶望の国(ナイトメアワールド)、あんたの世界のことよ」
 聞いたことが無い。カケラすらも。
「えー、なに、俺たちの世界そんな風に呼ばれてるのか?」
「誰が言い出したかは知らないけど、昔からある呼び名だって。なんでも、来た人々が「あちらは地獄だ、それに比べてここは楽園だ」なんて言ってたのが由来らしいけど。ねえ、あっちの世界ってそんな悪い国なの?」
「いやそんなそこまで……」
 否定しかけて、一機は黙ってしまった。
 未来も何もかも明るく決まっていると思っていた幼い頃。
 一瞬で奪われてしまった絶望、その悔しさ。
 怠惰な日々を過ごしながら、ただ別の世界へ連れてってくれる何かを待ちわびた自分――

 ――現実に飽きてはいませんか?
   くだらないと思っていませんか?
   どこかもっと楽しい、自分の才能が生かせる場所に行きたいと思いませんか?
   貴方を、楽園にご招待――

「――たしかに、絶望の国だったかもしれんな」
 はあとため息をついて、一機はスープを飲み干した。
 ――なるほど、たしかに俺はアマデミアンたちと同類なのかもしれんな。
 呆れ混じりの納得をすると、その場にあお向けに倒れる。牛になるかもしれんが知ったことではない。
「お母さんも自分とこよりよっぽどマシとか言ってたわねえ。昔のこと話すの嫌いだったからあんまし聞いてなかったけど」
「――お前のお母さんて、どこら辺の人とか言ってた?」
「えーと、あ、ふり――なんだっけ。忘れたけど、あたしの肌もちょっとお母さん譲りなんだって」
 アフリカ、だとすれば紛争地帯にでもいたのかと憶測する。なるほど、それならばここを楽園と語った気持ちはわからなくもない。一機も当初喜んでいた一人だった。
 しかし――
「ところでさ、なんで親衛隊がこんなとこにいたか、聞いてる?」
「え? い、いや、聞いてないな……」
 不意打ちだったので、思わずどもってしまった。怪しむように半目で睨まれ「やばい」と焦る。
「ふうん……ちょっと待ってて」
 すっと立ち上がったマリーは、食材入れの木箱から素焼きのビンと木製のコップを持ってきた。
「ささ、まずは一杯」
「え、何これ?」
「酒」
「酒!?」
 目の前に置かれたコップになみなみと注がれる液体は、白くてどこか濁っていて発酵臭のする――
「ってこれポン酒じゃん!」
「何ポン酒って。これはライズって酒よ。最近仕入れてきたばかりなんだから」
「あの、ライズって、原料は?」
「えーと、米だったっけ?」
 だから日本酒だろ、というツッコミは無意味なのでやめておいた。日本人である自分たちが来ているのだから、同じ日本人がこちらの世界に来て米があれば作っても不自然ではないが、全体的にヨーロッパ的な雰囲気が漂うこのメガラで日本酒はアンバランスにも程がある。しかもこれどぶろくだし。
「いや、でも俺まだ十七だし……」
「だから何?」
「……だよな」
 それがどうしたとあっさり返されたので一機も受け取る。二十歳(はたち)にならないと飲酒禁止は日本くらい、他は十八歳とかそもそも年齢制限なしの国の方が多いそうだし、シルヴィアも別に飲んでOKなのだろうと一機は『郷に入れば郷に従え』の精神で受け取った。
 まあ、飲酒なんて一機はもっと幼い時からしていたりする。主に祖父の晩酌の相手として散々付き合わされたものだが。二日酔いを経験したのは小学校出る前だったと一機はおぼろげに思いだす。
 それというのも一機の父が「酒なんてものは人間を堕落させる忌むべき代物。あるだけでも許しがたいのにそれを飲むなんてあり得ん。酒に狂うということは人として狂うと同じ事で――」などと誰も聞いてないのに熱く語っていたが、単に一滴も飲めない体なのを理論武装しているだけである。変なところで見栄っ張りなのは的場家男の伝統だ。
 それだから、息子と酒盛りしたいという夢を果たせなかった祖父は孫に求めたわけで、小学校高学年の頃祖父の家に転がり込んだ時から相手をさせられていた。さすがに最初は飲ませ過ぎないよう気をつけていたが、一機がいくらか慣れると歯止めは無くなり大抵の種類の酒は飲んでしまった。
 しかしまあ、付き合いで飲んでいただけで一機自身はそんなに酒好きでもなかったので、祖父が死んだあとは一滴も口にしていなかった。だから一杯目でちょっとクラクラする。
「酒なんかよくあるな。自分で作ったのか?」
「まさか。街に知り合いの酒屋がいるのよ。そこから物々交換してもらった」
「物々交換? 何を交換したのさ?」
「んーと、ここら辺に自生してるキノコとか獣とか、あと金」
「金!?」
 思わずスープをむせそうになった。へんなところに入り咳をする一機。
「ちょっ、何よそんな驚いて」
「いや金って、金っておい、金を物々交換て、そんな簡単にあげちゃっていいの?」
「簡単にって別に珍しいものでもないし――ほら、そこにも埋まってるけど」
「ええっ!?」
 指差された地面に飛びついて手で掘ると、あっさりとピカピカしたものが現れた。
「うっわ、これ黄鉄鉱とかじゃなくて本物の金だよ……すげえな。お前こんなとこで暮らさないでこの金持って街繰り出せばあっという間に億万長者だぞ?」
「はあ? さっきから言ってることさっぱりなんだけど。金なんかで金持ちになれるわけないじゃん」
「へ? いやいやちょっと待て、金だぞゴールドだぞ? 一番高い貨幣だって金だろ、それがこんだけありゃ何でも手に入るわ」
「――? あんた、銀貨と間違えてない? 銀や銅より圧倒的に多く採れる金がそんな価値あるわけないでしょ。酒屋のは娘さんが金細工作るの趣味だから交換してもらってるだけ。ほら、そこのやかんだって金製よ」
 言われて振り返るとたしかに黄金のやかんが転がっていた。秀吉が作った純金の茶釜を思い出させるが、やかん型だとこうもけばけばしくなるものかと逆に感心させられてしまう。ちょっと手に持ってみた。
「ペロ……これは純金!」
「え、あんた舐めただけで金属の素質わかるの?」
「わかるわけないだろ、言ってみたかっただけだ」
「なんなのよ!」
 とまあそんな軽いボケは置いといて、二人は夕食から移行して酒盛りを始めてしまった。マリーは干し肉やら木の実をいくつか持ってくる。
「それで、実のところ親衛隊が何したか知ってるんじゃないのあんた?」
「だから知らないって。ちょっと近くに来ただけなんじゃないの? こんなへんぴなところに、わざわざ親衛隊が来るような理由があるのか?」
 そう笑うと、マリーはちょっとムッとした様子で酒をあおった。
「んくっ、んくっ……ぷはぁ! 言ってくれるじゃない、どこがへんぴな場所だって?」
「え? だってここ、こんな谷の中で……」
「かーっ! 笑わせるわねえ。なんも知らない奴ってのはこれだから困るわ。ちょっと付いてきなさい、いいもの見せてあげる」
 アルコールのせいでテンションが上がっているマリーは、すくっと立つと意気揚々と奥へ歩いていった。あわてて追う一機は、気付かれないよう心の中でにやりと笑う。
 とりあえず接触することには成功。はなから親衛隊の一員とバレてしまったのは失敗だったが、大して気に止めてないのは好都合。元々アマデミアンとして警戒心を与えず近づく作戦だったが、今のところさしたる問題はない。
 それに――どうやらこの様子だと一機の推測も正解だったようだ。周囲をうかがってさらに確信へとたどり着いたが、そう思うと目の前でやたらルンルン気分のマリーが哀れに思えてくる。
 ――誇り高き『守護の民』の末裔、ねえ。
 ふっと笑いそうになると、先行していたマリーがいきなり立ち止まり少し驚く。
「な、なんだどうした?」
「いっけない、今日の分忘れてた」
「ちょっと待ってて」と一機に告げ戻っていく。かと思えば、荷車に何かを乗せてやってきた。見てみると、何かの肉片や骨、野菜くずなど生ごみが積まれていた。
「な、なんだそりゃ?」
「お供え」
「お供え!?」
 一機は目を丸くした。こんなものをお供えなんてしたら確実に天罰が下るだろう。落雷ならいいが崖崩れとかだと巻き込まれる可能性があるから勘弁してほしい。
 しかもマリーはあろうことかそのお供えの名を借りた廃棄物をだばだばとそこらにあった穴にぶち込んでいく。
「おい、それのどこがお供えなんだ。ただのゴミ捨て場だろ」
「失礼ね、この穴の中に毎日供物を捧げるって決まってるのよ。ゴミ捨て場扱いしないで」
「えー何のために?」
「知らないわよ、そう教えられて四十五年間やってきてるんだから」
 理由もわからずに意味不明なことを淡々と続けるなんて無神論者の一機には馬鹿馬鹿しいと失笑するだけのことだった。が、そんな一機の呆れを見逃すほど神仏は愚かではなかった。
 ウオオオオオオオオオォ……と突然亡者の呻きのような声が辺りに響いた。思わずビビる。
「うわあ! ってなんだ、前にも聞いたやつか」
 峡谷の入り口で聞いた声(多分風の反響か何か)につい油断していたので驚いてしまった。恥ずかしさを覚える一機。
「ああ気にしないで、お供え落とした時とかたまに聞こえてくるのだから。下に落ちた音が反響とかしてるのかなあ」
「――お前も、信じてないんじゃないの? で、どこ行くんだだから」
「せっかちなこと言わないで、すぐだから」
 そう抜かしておきながらちょっと距離があるようだ。ただ歩くのも退屈なので、一機はいくつか質問することにした。
「なあ、ここってお前以外何人いるんだ? 十人くらい?」
「はぁ? 十人なわけないでしょ。千人以上いるわよ」
「千人だぁ? おいちょっと待て、いくらなんでもサバ読み過ぎだろ。そんな千人もこんなとこで寝泊まりできるか」
「ここだけじゃないわよ、あたしらの一族はこの峡谷中に散らばって守ってるの。普通考えればわかるでしょ。ちなみにここは五十人くらい」
 なるほどそれならばわかる。ドルトネル峡谷はかなり広いようだし、そこを防衛するならば人は多ければ多いほどいい。千人という数も全然おかしくない――普通ならば。
 一機が思案していると、ふと大きなところに出た。視界の端に何かおかしなものが映り、なんだろうと思って視線を動かすと、
「うわあ!」
 この世界に来て何度目かわからない悲鳴を上げた。慣れたつもりだが無理だったらしい。
 何しろ、眼前に巨大な顔が横たわっていたのだから。
「な、なんだよこ……ってこれ、ひょっとして……」
 落ちついて良く見てみると、それは巨大な顔ではなく、何度も凝視し整備も手伝ったMNであった。
 しかし、親衛隊が運んできた《ヴァルキリー》とも《エンジェル》とも違う。全体的に流線型だった《エンジェル》とは違い、こちらは角ばっていて古いアニメに出てくる四角パーツが主体のロボットを思わせる。山吹色の装甲は貼り付けたような簡素なもので古臭いというか安っぽい印象を一機に与えた。
「これは――MNか?」
「そ、《ゴーレム》っていう最初期のMNよ。五十年前にグリード皇国が開発したの」
「え、最初期というと、まさかFMNか?」
「なわけないでしょ。それは量産型MNよ。当時はこれでシルヴィア軍と戦ってたんだから」
 なるほど、グリード侵攻で使われたのはFMNだけではないのは知っていたが、それがこの《ゴーレム》か。――どうしてMNの名前は俺たちの世界にある言葉なのだろうと一機は内心首をかしげた。
「しかしこんなポンコツ何に使うんだ?」
「失礼ね、そりゃ旧式だけど、整備はきちんとしてるから余裕で動くわよ。これで穴掘ったり、上から岩落とすトラップ作ったりと頑張ってるんだから」
「あ、あの巨大トラップ群お前が作ってたんか! まあたしかにあんな深い穴人力じゃ無理だろうが……しかし大変だろ」
「なんてことないわよ、MNの扱いは慣れてるし、道具だって揃ってるから余裕で作れるわよ」
「――余裕で、ねえ。まあいいか。で、その見せたいものってのはどこにあるんだよ」
「もう着いたわよ、ほら」
「え?」
 そう一機はマリーの指が示す方向へ視線を向け、
「――っ!」
 思わず息を呑んだ。
 へっへーんとどや顔をするマリーになど気付かず、ただそこに鎮座されている異形のモノを仰ぎみる。
 そこにあったのは、巨人。
 否、さっきの《ゴーレム》と同じくMNだった。しかし、一機は最初それをMNと判断することを躊躇してしまった。
 まずその表面の色は、黒。
それもただの黒ではない。闇をすくって絵の具に使ったような、見ていて怖気がするような濃い黒だ。
その闇の色で塗られた装甲は《ヴァルキリー》や《ゴーレム》と比べ数段ごつく、太く作られているようだ。騎士というより熊のような猛獣に近いかもしれない。頭部の兜は五画形のバケツを逆さにしたような不格好さで、額と横にそった角が真っ白く生えていて気持ち悪いほどのアンバランスさをかもし出している。
だが、一機が戦慄したのはそこらではない。
最も異様な部分、巨人の右腕と背中であった。
本来左腕と同じく豪腕があるはずのところにあるのは、筒。
巨大なMNの全長に匹敵するほどの長い筒が、右腕とすげ替わっていた。そしてその筒は、もう一つ異様な背中と繋がっているようだ。
そのMNは、背中に黒いランドセルのような箱を背負っていた。巨体の肩から腰くらいまである箱はどう見ても剣をふるって戦う騎士にはそぐわず、まるで行軍する兵隊みたいな姿になっていた。
兵隊――というフレーズが浮かんだ一機は、もう一度筒を眺めてみる。正面から見ると筒は中空で、中に螺旋状の傷が付いている。そして側面には左手でつかむであろうフォアグリップが……ってちょっと待て、これはまさか……
「……大砲?」
「そ、大砲」
 恐る恐る紡がれた一言をあっさり肯定されてしまう。一機は動揺する他なかった。
「いやだって、こんな大砲、この世界の技術で作れるわけが……」
 あくまで聞いた話だが、この世界は剣や槍、弓矢が主だった武器で銃や大砲はあるもののあまり浸透してはいないようだ。シルヴィア王国軍でもほとんど所有しておらず、むしろ地方蛮族――つまりはアマデミアン――がよく使うらしい。まあ、現代兵器の対戦車ライフムや大口径砲ならともかく、鋼鉄の巨人相手で火縄銃や旧式の大砲なんて役立たずだろうから無理無いが。
 そんなメガラで、こんな巨大な大砲を作る技術があるとは思えない。それより、どうしてこんなところにMNがもう一機もある? まるで、隠されているかのように――とまで考えて、一機はふとあることを思い出した。
「……っ! こいつ、まさか!」
「え、あんた知ってんの?」
「ああいや、ちょっと小耳にはさんだ程度だが……とするとこいつが」
「そ、これがあたしたち『守護の民』が四十五年間守り通してきたもの、FMN(ファーストメタルナイト)『炎の魔神』よ」
 FMN。グリード皇国が開発し、その後シルヴィア王国に奪われ使用された最初のMN。一騎当千の戦闘能力を秘めたと語り継がれ、伝説の魔神の名を得た巨人――その一つ、親衛隊が出向いてまで手に入れようとした『炎の魔神』がそこにあった。
「『炎の魔神』か……なるほど、名の通り、いや、それ以上の力だな。一騎当千も納得だ」
 この砲身の大きさからして、砲弾は最低でも十センチは下るまい。戦車の大砲として載っててもおかしくない代物だ。MNの装甲強度など知らないが、こんな大砲食らって無事で済むわけがない。射程も弓矢とは比べ物ならないはずだから、戦闘は一方的なリンチになるだろう。まさに『炎(を吹く)魔神』と呼ぶにふさわしい。
「しかし何処の誰がこんなもの作れたのか……ふむ、砲弾は背中のバックパックに入ってるのか。そこから大砲と繋がって装填されて……うわ、駐退復座機まである。おいおい中世ヨーロッパどころじゃないぞこれ?」
「??? あんたさっきから何言ってるの? チュータイフクザキって何よ」
 大砲オタクのウンチク語り出しについていけないマリーは目を白黒させる。彼女は『炎の魔神』自体は知っていてもそれがなんなのか詳しくわかっていなかったようだ。
「え? あーと説明しづらいな。駐退復座機ってのは大砲を発射した時の衝撃を逃がすため、ピストンの方式で砲身をスライドさせるものだ。……っていったところで理解できんか。ううむ、お前、銃や大砲見たことあるか?」
「拳銃だったら、ここにあるけど」
 と言って、一機の眼前に銃口を突き付ける。
「うわっ! お、お前なんでオートマチックなんか持ってんだよ!」
「えー? なんか旅人に貰った」
「気前のいい旅人だこと。まあこれで説明しやすくなったか。撃ったの見たことくらいあるだろ? ここのスライドのように、駐退復座機は砲身を後方へガシャンと下げる。それで衝撃がある程度消されるんだ。オートマチックとはスライドする部分と目的が違うんだが……いや待て、一緒か? この大砲とバックパックへの繋がり方からすると、発射のガス圧でオートマチック同様次弾を装填する仕組みかもしれん」
 マリーは一機の言葉を半分も理解できなかったが、とにかくこの男が自分が長年整備してきた『炎の魔神』の真価を知っている人間だということはわかった。
「なんか――ずいぶん詳しいわねあんた」
「んー、一時期そういうのにハマった時期があってな、にわか勉強だけど色々本読んだりしたもんだよ」
 自他(麻紀&鉄伝のプレイヤーたち)共に認める大砲馬鹿として有名な一機は、それが祟って大砲や戦車など軍関係の本や戦争映画などに夢中になっていたことがある。無論バーチャル世界である鉄伝でその知識が役立ったことなど一度もないが、まあ楽しめたから良しとしていた。ちなみにその頃の一機は「動画で大砲が発射され煙と轟音が響くたんびにエヘエヘ笑って気持ち悪かったby麻紀」とのこと。
 そして大砲馬鹿が大砲を一目見ると、その口径が気になってしまうのは当然(一機だけかもしれんが)。目の前の大砲が何センチ砲なのか気になって仕方なかったが、いくら一機でも砲口だけで細かい口径を判断するのは不可能であった。
「具体的な口径知りたいな……マリー、この砲弾の口径ってどれくらいかわかるか?」
「は? 口径って何さ?」
「お前、口径も知らずに大砲付きMNの管理してたわけ? えーと、正確じゃないけど、つまりこいつの砲弾はどれくらいの直径かってこと」
「あ、それなら聞いたことある。4ディオ……ってわからないわね。ちょうど、今のあたしの身長の十分の一くらいかな?」
「……そりゃまたずいぶん分かり辛い単位だこと」
 一機は困ったが一応推測してみる。マリーの身長は一機より少し低い程度。百六十以下か百五十以上、あるいは中ほど――いや、
「――まさか、十五.五センチ砲?」
 十五.五センチ、と思ってしまったのは、大砲研究に熱中してた時読んだ艦載砲最大口径、四十六センチ砲を積んだ戦艦大和の副砲が十五.五センチだったことを思い出したからだった。まあ主砲に比べあまりに脆弱すぎるということでいらない子扱いされた不遇の砲なのだが――と大砲に同情するという高度なプレイをかます変態ぶりを発揮したところで現実に戻る。
「なるほど、お前が見せたかったのってこれか。しかし、五十年近く前の代物だろ? とっくにサビついてくず鉄じゃないのか?」
「おいちょっと待て。何がくず鉄だって?」
「ぬわっ!」
 一瞬でマリーのジト目が眼前に迫ってきて思わずビビる一機。というか近い。息感じる近いと妙に赤くなってあわてる。
「な、なんだよいったい!」
「何がくず鉄ですって? あたしら『守護の民』が四十五年間守ってきた魔神をくず鉄呼ばわりとはいい度胸ね」
「え、怒ったのか? いやいやでも、そんな年月経ってたら金属製品なんて使い物にならないに決まって……」
「馬鹿言わないでよ、ちゃんと毎日整備くらいしてるわよ。ほら、ちょっと触ってみて」
「触る? このMNにか? それがなに……うん?」
 言われるまま『炎の魔神』の表面に触れてみると、ぬとっとネバネバした感触がした。なんか燻製みたいな匂いもする。
「なんだよこれ?」
「樹液」
「樹液ぃ? なんでそんなもん塗ってあるんだよ」
「サビ止めのために決まってるでしょ。これでも毎日整備してるんだからね」
「えー? こんなでかいものを毎日整備て無理あるだろ」
「……そりゃ、さすがに全部片付けるのは無理だから工程決めてコツコツと。他に罠作ったりする必要もあるし。で、でも、ちゃんと完璧に整備してるんだから」
「……ふうん」
 どうも毎日きちんと手入れできないことに歯がゆさとか後ろめたさとか感じているらしく最後の方気弱になってしまった。そんなマリーをあえて気にしないことにし、一機はもう一度『炎の魔神』に視線を向ける。
「しっかし、大砲付きとか重くてしょうがないと思うが、歩けるのか? ……ってん? この足の裏まさか……おいおい履帯かよ! 何が人型ロボットだ、ほぼ戦車だろ人型の!」
 いきなり叫び出した一機にマリーはもはや皆目不明。頭から???を出しまくっている。
 履帯というのは、無限軌道、クローラーなど様々な名称があるが、一般的なのはやはりキャタピラになるだろう。通常の車のようなタイヤではなく車輪に履板と呼ばれる板を囲むように接続することで不整地などの移動を可能にするもので、例を上げると戦車が有名だろう。大砲オタなら戦車オタになるのが必然(とは限らないが)なのでその関係の本も読んでいた。
 いずれにしろ、大砲といい履帯といいこれがメガラの世界の技術では作り得ないことは明白だ。駐退復座機などというものは第一次世界大戦中発明された物、その他大砲といい履帯といい、本来のこの世界の技術では発想することすら不可能なはずである。
 ――確実だな。こいつを作ったのは絶対にアマデミアン、それも軍の技術者か何かだ。でないとこんなものは作れやしない。この『炎の魔神』を、いや――
 実を言うと、一機が驚愕したのは『炎の魔神』の異様さそのものではなかった。一目見た時、あるものとダブって映ってしまったのだ。全然似てないというのに。
 数年来自分の手足に代わって戦場を駆け抜けた、0と1で出来た相棒と。
「ところでさ、マリー」
「何さ今度は」
「こいつ、名前あるのか?」
「名前? 『炎の魔神』以外の? ないと思うけど」
「ないのは変だな。魔神の名前はシルヴィア側がつけた名称だろ、グリードで使われてた時の名前とか聞いてないのか?」
「そんなもんいないし……あ、ええと、ここにはいないってことで、他の拠点の長老に聞けばわかるかもしれないけど、今日はもう遅いし明日にして」
「――あいよ」
 急にわたわたしだしたマリーにもう追求する気にもなれない一機は軽く流した。それより重要なことがあるし。
「じゃあ、俺名付けていい?」
「はい?」
「この『炎の魔神』、俺が名前つけていいかって」
 突発性難聴にでもかかったのか耳に手を当て聞き返したマリーにもう一度告げる。そうしたら口を大きく開けて「あ?」みたいな顔になった。一機は思わず吹いた。
「ちょっ、何笑ってんのよ! 名前ってどういうこと!?」
「えーいいじゃん、名前ないんだったら勝手につけて。シルヴィア王国がつけた名称なんかいつまでも使う必要無いだろ。だったら別の名前にしたって問題無いさ」
「だからってなんであんたが……ちょっと待って」
 最初怒っていたマリーだが、急に真剣な顔になり一機から背を向けた。なんとなく首筋に手をやった一機は、そこでやっとあのネックレスが消えていることに気付いた。
「あ、あれ? お、おいマリー」
「……名前つけるってことはこれが気に入ったってこと? だったらここにいてくれるかもしれない……下手に拒否するより受け入れてしまった方が……もうこれ以上……りはごめんだし……ってうわっ! な、何よ!?」
「あのさ、俺が首に巻いてたネックレス知らないか?」
「ネックレス? んなもん服のポケットに入ってるわよ。運ぶ時落ちちゃったから入れといてあげたの」
 言われてまさぐってみると、たしかに右ポケットの中にネックレスはあった。少々汚れてはいるが別に壊れてはいないので安堵する。とりあえずもう一度かけ直すと、マリーが一人言から解放され声をかけてきた。
「わ、わかったわ。名前つけてもいいわよ。でもあんまり変な名前は勘……弁……」
 最後の言葉は形にならなかった。振り返った一機の顔を見て思わず引いてしまったのだから。
 実を言うと一機はもうマリーの声など耳に入っていなかった。自分でも不思議なほど昂っていて、動悸も激しいし息も絶え絶え。今この瞬間にも暴れ出しそうなほど茹だった体温の中、発したのはたった一言。
「……《サジタリウス》」
「――は?」
「だから、《サジタリウス》だ。こいつは今から《サジタリウス》なんだ」
「はあ……」と首をかしげるマリーの様子からすると、このメガラでは意味の無い単語らしい。しかし、一機にはそんなことどうでもいい。
 早速とばかりに、鎮座されている『炎の魔神』――《サジタリウス》によじ登った。
「あー! ちょっと何してるのあんた!」
「ん? 何ってなんだよ。乗り込んで操縦するに決まってるだろ。よく言うじゃないか、「何故乗るのか、そこに《サジタリウス》があるからさって」
「聞いたこと無いし、そもそも《サジタリウス》って何よ! 第一、それ操縦しようなんて無理! 動かせないんだから!」
「……は?」
 思わず力が抜けて《サジタリウス》からずり落ちた。したたか頭を打ち、悶絶する。コントのような見事なこけっぷりにマリーは爆笑する。
「〜〜〜〜〜っ! ……あたたたた。おいちょっと待てマリー。動かせないってどういうことだ。ええい笑ってるんじゃない!」
「ははははは……あーお腹痛い。えーとなんだっけ、動かせないってとこ? 文字どおりの意味よ、この『炎の魔神』――いいか、《サジタリウス》でも。とにかく、こいつはここに封印されてから四十五年間、一回も動かされたことがないの」
「動かされたことが、ない?」
 一機は信じられなかった。伝説の魔神の名を頂いたFMN、その名に恥じない火力を有したこの《サジタリウス》は本物だ。壊れてもいないのはマリー自身が断言したとおりならば、この大砲で敵――《サジタリウス》奪還を目論むシルヴィア軍――を蹴散らさんとしないわけがない。それが動かされたことがない? あり得ない。
「なんで動かさないんだよ? どこか壊れてるのか?」
「失礼ね、さっき整備は完璧って言ったでしょ。動かせないのは操縦者の問題よ。これを動かせた操縦者はあの戦争の終わりごろ亡くなって、それ以来誰も操れていないのよ」
「操れてない……そんなことが……あ」
 言いかけて、ふと一機は思い出した。
 この世界に来て初めての時、乗り込んだMNを動かそうとして身じろぎすらできなかったことを。
「そういや、MNの操縦は訓練が必要だっては聞いたけど、でもお前さっきの《ゴーレム》は動かせるんだろ? どうしてこいつは無理なんだよ」
「そりゃ、あたしは普通のMNなら動かせるんだけど……こいつはちょっと」
「あん?」
「なんつーかキモいというか……こう、ズポッとなってザワザワってしてズシッってきて……とにかく怖気が走って嫌なのよ! あんなの無理無理!」
 ブンブンと首を振るマリーは本当に嫌そうで、嘘をついているようには見えなかった。本当に動かせないらしい。
 ――変な話だなあ。仮にも五十年前のグリード侵攻で活躍した機体なら動かせたに決まってるるから、動かせないわけはないと思うんだが。何が気持ち悪いってんだ?
 そう言われてみると、一機もどこかふらつくというか気分が悪くなったというか……
「……うぅっ」
「ん? あれ、あんたどうしたの?」
「ええと、急にフラフラというか意識がかすみがかったようというか、これも《サジタリウス》が発する魔力……うぷ」
「ちょっ!? それ魔神のせいじゃなくて悪酔い! ここで吐いちゃだめー!」
 ここら辺は父に似て、飲めてもそれほど強くない一機はあっさり気分が悪くなる。ましてや久々の酒は想像以上に回るのが早かった。
 歩くことすらままならなくなってきた一機を、ここを汚物まみれにされてはたまらないとマリーが元の場所へ引きずって戻る。ウオオオオオオオオオォ……とまたうめき声が泣き声だかわからない叫びがそこらに響いた。決して一機がリバースしているのではない。

    ***

「――それで、状況は?」
「ようやく半分、といったところですか。なにぶん罠が過剰なほど多いのと、総員休みなしで解除に回っているため疲弊してきてますね」
「そうか……」
 グレタの報告を聞いて、ヘレナはひとつため息をついた。すっかり日の暮れた中乏しい松明に照らされた青の鎧姿は相変わらず美しく凛々しかったが、肩を落としていると不思議と小さく感じられる。
「正直、この程度でへばっていては話にならないんですがね。ま、無理な行軍であることは事実ですが」
「仕方無かろう。なにせ、今の親衛隊は……」
「何が仕方ないんです?」
「っ! ……もう慣れてしまっている自分が嫌だ」
「まったくです」
 親衛隊隊長と副隊長としてはこうも簡単に後ろを取られてはいけないだろうが、もう憤る気力も失せているらしい。疲れているのはこの二人も一緒かと麻紀は考える――違う意味で、だが。
「な、何の用だ麻紀?」
「何の用って、ヘレナさんが頼んだ仕事の報告ですよ、ほら」
 そう言って麻紀は紙の束を渡す。この世界で借りた筆で質の悪い紙(一機たちの世界からするとだが、メガラだとそれなりのもの)に書かれているのは、箇条書きのよくわからない文だった。
 自ら書いた文の意味を、麻紀自身理解してはいなかった。ただ聞こえてくることから意味のありそうなものを羅列しただけである。本当はまだ聞いてなくてはいけないのだが、これは中間報告だった。
「ああ、御苦労だな。変な役を押し付けてすまない」
「いえいえ、けが人の私ができることなんてこれくらいですからどんどん使ってください。まあ利き腕この様ですから字は汚いでしょうが」
「――字が汚い以前に、読めません。あなた方の世界の字で書かないでくれませんか?」
 懇切丁寧な麻紀の声にグレタのツッコミが被る。だとしても麻紀は笑顔を崩さずさらに歪める。
 この世界に来た時から何故かこちらの言語が理解できるアマデミアンには、当然のごとくメガラで使用されている文字を読むことだって平気。しかしながら書かれている文章を理解しても、その文字や文章を書くことはできない。ちょうど、薔薇とか躊躇とか読めるけど書けない漢字のようなものか。故に麻紀の箇条書きも日本語だった。
「すみませんねえ不勉強で。これが終わったら練習いたしますのでどうかご勘弁を」
「来たばかりのお前にそこまで要求せんさ。なら、口頭で頼めるか?」
「了解しました。ではまず最初に――」
 と、麻紀は紙に書いた内容を述べる。これなら初めから口で伝えるべきだったかもしれないが、まあメモと思えば無駄にはならない。麻紀が伝え終わると、ヘレナは口元に手を当て考え込む仕種をした。
「――なるほど。やはり『炎の魔神』はこの向こうにあると思って間違いないな。そして、相手はやはり少人数、いや一人らしいな」
「ええ、正直驚きましたね」
「驚いた? 少ないことがか?」
「いいえ」
 意味ありげな会話をする二人。麻紀も何を指すのか予想がついたので何も言わなかった。
「とにかく、目的地は近いということだな。急いでここを突破する必要がある。隊員に指令を……」
 言いかけたところ、ガシャーン! という轟音と共に「あーっ……」という『ジスタ』越しの悲鳴が辺りに響いた。何せ狭い峡谷内だから音が反響してうるさいことこの上ないのだ。
「つぅ……こら、そこの《エンジェル》! 誰だかわかりませんが、隠されてもいない落とし穴に落ちてどうするんです! そのまま埋葬されたいんですか!」
 キンキンする耳をさすりながらグレタが叫ぶ。単に《MN》が足を滑らせて転んだだけなのだが、グレタの苛立ちは本物だった。
 苛立っているのはグレタだけではない。一機が気付いていたかは分からないが、ヘレナやグレタはいつもピリピリしていた。ヘレナは比較的穏やか――きっと一機と幼なじみを重ねていたせいだろう――だったが、グレタは常に不機嫌。それは性格のせいもあるだろうが、麻紀にはそれだけとは思えなかった。
 何より気にかかったのは、それ以外の隊員の様子だった。全員明るいというか、軽い。麻紀は知り合いに軍人などいないが、彼女達にはそういった雰囲気というものがあまり感じられず、同年代のせいもあって普通の女子高生に見えてしまう。両者の間に溝がありすぎるのだ。
「まったく……これでは親衛隊の名が泣きますよホント」
「言ってやるな。とにかくこれでこんな任務ともおさらばだ。元老院もこんなくだらん任務を押し付けるなんて、我々をいったいなんだと……」
「なんだと思われてるかは、ご自身が一番よくわかっているのでは?」
 ピクリ、と一瞬動きを止め、ヘレナがこちらへ視線を向ける。睨みつけるような鋭い視線だが麻紀はまるで気にも留めず続ける。
「まあ、私はこの国の事情はよく知りませんが、こんなあるかどうかもわからない宝箱探すような仕事させる気持ちもわかっちゃうかなーって」
「……どういう意味です?」
「どういう意味ですって? うーん、そうですね……」
 小馬鹿にした態度で二人のボルテージが上がっていくのを感じつつ、くるりと可愛く回ってヘレナの眼前に指を突き付けた。
「いい加減、全部教えてくれませんかね?」
「……全部?」
「だって、一応私もここの一員になってるんでしょ? 今のところですけど。だったら教えてくれたっていいじゃないですか、この親衛隊の問題を」
 問題、のところで虚を突かれたような顔をされた。気付いていたことよりも、聞いてきたことに驚いているような顔だ。麻紀としても、これまでの様子や会話から察してはいたが、直接聞くつもりなどまったくなかった。聞くのが躊躇われたというのではなく、単に関心が無かっただけだ。
 しかし、彼が行動しているのならば、自分も深入りすべきと思った。だからこうして質問することにした。
 だって、情報収集(あいつにできないこと)こそが、間陀羅麻紀(ティンカー・ベル)の役割なのだから。
「ちょっと、貴方どういうつもりで……!」
「わかった、話そう」
「ヘレナ様!?」
 逆上しかけたグレタをヘレナが制する。不思議とさっきより疲れたような顔なのは、二十四歳という若さで一軍隊の指揮をしている重みからか、失った幼なじみの埋められない空虚を抱き続ける辛さか、あるいはそれ以上の何か――問題という重圧からなのか。
「……そうだな、一時休憩としよう。全隊員に通達、しばし休息だ」
 そうグレタに指示し、麻紀を連れて指揮所代わりのテントに戻る。と、そこにウオオオオオオオオオォ……とここに来てから何度も聞こえたうめき声のような音がした。
 さすがにヘレナも慣れてきたのか騒ぎはしないものの、ビクッとするのは相変わらずで、見ている分には愛らしいものではあった。
 しかし――このうめき声は、麻紀には他と違う『何か』があるように感じていたのだった。

    ***

 引きずられてグッタリした一機は、二人だけの飲み会会場に戻っても地面に寝転がってるだけだった。天地もはっきりせずうえぇぇ……とうなるしかない。
「ったく、こんなに弱いとは思わなかった……ほら、迎え酒」
「いや、迎え酒って意味ないから水……わかったよ、飲むよ」
 断るのもわずらわしく、促されるまま差し出されたコップを受け取る。起き上がれはしたが岩肌を背もたれ代わりにしないと倒れてしまいそうである。
「飲めないなら飲めないって言いなさいよ、だったらあたしだって勧めたりしなかったのに」
「いや、飲めるし酒も嫌いじゃない。ただ……度がすぎると高確率でこうなるんだ」
 一番たちが悪いわね、同感なんて交わしつつ、一機は呼吸を整えた。
「しかし、動かせないMNなんて無用の長物だろ。あんな大事に整備する必要も、ここで守ってる必要もないんじゃないか?」
「馬鹿言わないで。あたしたちには動かせないってだけで、本国の騎士なら乗れるかもしれないじゃない。それまで完全な状態を維持しとかないと」
「……本国の、ねえ」
 つまり、グリード皇国が再侵攻してこちらへ救援に来るということだろう。四十五年間ずっと沈黙している国が、しかもこんな敵陣のど真ん中にある動くかもわからんMNをわざわざ取りに来るとは一機には思えなかったが、言わないでおく。
「にしてもさ」
「うん?」
「この騒音に対して無反応ってのはどうかと思うんだが」
 二人が座り込んでる谷間には、さっきからガシャーンだのドシーンだの轟音が耳障りなほど響いている。考えるまでもなく、親衛隊が行軍している音だろう。にもかかわらず酒をかっくらってるマリー能天気振りが一機には理解できなかった。
「仮にも敵が来てるんだぞ? なんか武装したりとか、仲間と連絡取るとかせんでいいのか?」
「あっはっは、仲間なんて……いやいや、放っておいても大丈夫よ、いつものことだから」
「はぁ?」
 ちょっと何かを口走りそうになったが、「しまった」という顔をしてあわてて取り繕った。
「あいつらいつもこうなんだから。蛮族討伐とか奪還作戦とかほざいて、適当にあたしらの住処を荒らして帰っちゃうの。でもやる気がないのよね」
「やる気がない?」
「昔はあっちも本気で攻めてきて一族のみんなも懸命に戦ったらしいけど、近頃は言い訳みたいなもんよ。とりあえずメガラ統一のため頑張ってますよって姿を現しておきたくて、そこらに攻め入ってちょっと暴れたら帰ってくわよ。いつものこと……でも今回はちょっとしつこいけどね」
「――なるほど」
 要するに、プロバガンダ的な行為なのだと一機は理解する。シルヴィア王国としてもいくら伝説のFMNが潜んでいるとはいえ、四十五年もの間ずっと引きこもっている残党になんぞ興味を示さないのだろう。道理でロクな地図もないわけだ。『炎の魔神』奪還なども今は昔の話でもはや興味はなく、国民に対するアピール用の軍事行動以外には用はない。つまり、この地は完全に忘れられた場所だったのだ。
 ……否、忘れ去られていた、だ。少なくとも親衛隊は、ヘレナは本気で《サジタリウス》を取り戻す気でいる。予言なんておかしな物により命令であれ真っ当にやり遂げようとするだろう。そうなれば遊び半分でも言い訳でもない、本当の戦闘が始まる。このドルトネルが本物の戦地になってしまう。
 いや――ならない。そうはならない。だとすればもっと悪い。そう判断した一機は、マリーにそれを伝えようとした。が、
「しかも親衛隊だって。まったく馬鹿にしてるわよねぇ。『貴族のお遊び場』なんて揶揄されてる親衛隊をあてがうなんて、物見遊山でもこっちを舐めてるにも程があるって。ねえ、あんたもそう思わない?」
「……え?」
 一瞬、マリーが何を言ったのか理解できなかった。
 しかし脳に言葉が反芻されていくと、理解できないのではなくしたくないという思いが立った。
「な、なんだそりゃ? どういうこった? 親衛隊て、女王の傍で護衛する一番優秀な兵士たちなんじゃ……」
「え? ああ、あんたが知ってるわけないか。なにそう聞かされてたの? あっはっはっはっは! 笑っちゃうわねえ!」
 アルコールの影響もあるとはいえあまりに朗らかに親衛隊を馬鹿にするマリーに一機は怒りを覚えたが、戸惑いの方が強く何も言えなかった。
 いや――本当は一機は戸惑ってなどいなかった。むしろこちらに来た時から抱えていたモヤモヤが晴れていく気分すら感じていた。
 隊長含め若過ぎる隊員たち、どこか幼さが抜けず統率も取れてない。整備兵も足りてないと愚痴も聞いた。第一、女王を守護するはずの親衛隊がこんな極地とやらにいるのが編ではないか。予言だか何だか知らないがあまりはっきりもしていないことにそんな大事な部隊が遠征されるとは思えない。
 それら不自然が導くことは――推測は、一機も立てていた。だが直接ヘレナに聞くことはできなかった。勇気がなかったからだ。だけど今は……
「ちょっ、と……説明してくんない? 親衛隊が『貴族の遊び場』って、なんのことさ?」
「えー? あんたあいつらから聞いてないの? ま、当然よねー。そんな恥ずかしいこと何も知らなアマデミアンに言うわけないか。ははっ!」
 酔いが回ってきたのかさらにテンションが上がるマリーは、コップに残った酒を一気に飲み干すと、開口一番こう告げた。
「簡単に言うとね、親衛隊なんて部隊は四年前に滅亡してんのよ」

 マリーの話をかいつまんで話すとこうなる。
 話は遡ると五百年前、シルヴィア一世がメガラ大陸を統一した頃から始まる。稀代の武人と知られたシルヴィア一世はその武力によって乱世だったメガラ大陸を統一したはいいが、無論そんな力ずくでは不平不満を持つ者は少なくない。シルヴィア王国から『蛮族』と称される地方の少数民族や迫害されるアマデミアンなどがそれだ。
 故に、統一したとはいえ五百年の歴史に規模の大小あれ内乱や暴動などはしょっちゅうだった。しかしながら、魔人という圧倒的な武力と魔獣を討伐するという役目を独占したことによりそれは致命的なものにはならなかった。
 ところが五十年前のグリード侵攻が全てを変えてしまった。もたらされたMNの建造技術は不満を持つ地方領主や蛮族にも強大な力を与え、起きる内乱は規模も被害も格段に上がってしまった。対処するシルヴィア軍も大規模な派兵を強いられる。これが五十年続けば、国に与える経済的ダメージは計り知れない。
 今シルヴィア国は疲弊の極みに達しており、軍事力だけで領地を支配するのは困難になった。ならば政治的宣伝、プロバガンダが必要になり、白羽の矢が立ったのが女王を守護する精鋭部隊として名高いシルヴィア王国親衛隊であった。
 最新鋭のMNと優秀な騎士を集めた最強の部隊。しかも当時現シルヴィア女王陛下の娘で『シルヴィア一世の再来』と呼ばれるほどの剣の腕を持つヘレナが入隊していたのが大きかった。無論女王守護が存在理由である親衛隊はそのような広告塔のような役割は無いのだが、宣伝目的がなくても軍事力の減退激しく兵もMNも不足している現状において精鋭を遊ばせる余裕はシルヴィアにはなく、様々な戦場に投入される。
 が、そんな事情での投入となれば当然のことながら酷使される羽目になった。各地方に休みなく繰り出され、戦わされ、そして傷ついても暴動があれば行かされた。無理に飛ばされているとはいえ実際剣を振るって殺したのは親衛隊、戦い続けていれば相手から恨みを買う。ついに四年前、酷使され過ぎて疲労困憊だった親衛隊にアマデミアンや蛮族たちが総攻撃を行い、かろうじて勝利したものの壊滅的打撃を被る。
 いや、被害は壊滅どころか全滅と言った方が正しい。MNはほぼ大破、隊員で生き残ったのは片手で足りる数、それで現役として復帰できたのはヘレナとグレタ二人しかいなかった。事実上親衛隊はこの世から消え失せたのだ。
 しかし、だからと言ってシルヴィア王国の象徴たる親衛隊を無くしたままでいるわけにはいかない。再建することに決定したが、ただでさえ軍事力低迷著しい今少ない女性騎士に余裕はなかった。他から引っ張ろうものなら編成が乱れてしまう。育てている余裕もない。それならば――

    ***

「――だから、素人に毛が生えたようなのをにわか仕込みで親衛隊にしちゃった、ってわけですか」
 テントの中、呆れたように呟いたその台詞に、ヘレナは沈黙という肯定で返した。ぶっちゃけた発言に紅茶をおいたテーブルに向かい合わせに座ったグレタが激昂するかと思ったが、彼女も沈黙しか返さなかった。
「まったくその通りだよ。再編の際、「親衛隊に配属されていた」という名が欲しい貴族たちが二女や三女をこぞって入れてきたから、今の親衛隊を『貴族の遊び場』なんて笑うものもいる。――否定できないのが寂しいところだがな」
 自嘲の笑みを浮かべつつ紅茶に口を付けるヘレナに、隣のグレタは唇を噛みしめていた。ヘレナのあまりのいいように怒っているのではなく、名ばかりの親衛隊と化した現状に対して憤っているのだと麻紀は感じていた。
「……単なる地方の暴動だと思っていました。そのことに対するこちらの判断が甘かったのは事実です。でも、元老院たちが私たちをああも使い走らせなければ、あんな無様なことにはならなかった」
 苦々しく吐露するグレタは、その時の惨状を思い出してるだろう。カップを強く握りしめ過ぎて壊れてしまいそうになっている。
「……『貴族の遊び場』、ですか」
 ちらと視線を外へとそらす。テントの入り口から見えるのは親衛隊の面々。休憩に入った者もいればMNの整備にいそしむ者、または交代で作業を続ける者もいる。
 そんな素人どもの集まりになってしまった親衛隊に戦う力などあるわけがない。だから親衛隊の任務など軽い魔獣退治や小規模な暴動制圧など小じんまりしたものになった。戦闘経験を積むと言うならそれも悪くないが、元がプロバガンダ部隊の意味合いが強い親衛隊はそのどうでもいいような戦果や大したことない戦いが誇大に宣伝され勇名を轟かせると同時に名ばかりと叩かれる声も大きくなる。その高名と現実のギャップ、おまけに過去の栄光を思い出し凋落ぶりに憂いでいる、のだろうと麻紀は理解した。
「…………」
 もう一度入口から隊員たちをのぞき見る。みんなたしかに幼くて年頃の雰囲気はある。が、遊んでるようには見えなかった。
 少なくともみんなヘレナに対する敬愛はある。一機に裸を見られたことで本当に殺しかかっていたし、それが歪んだものであったとしても隊長のためなら死ねるという覚悟は持っていると思う。
誰が言ってるのか知らないが『貴族の遊び場』という蔑称は当たらない気がする。しかし、この当人たちはそうは考えない。まあかつての優れた騎士ぞろいだった親衛隊を知っていれば無理ないことなのか。
「それで、予言という不確かなものを調べるのにあてがわれたわけですか……つーことは、それを命令した元老院とやらもあんまり信じてないってことじゃありません?」
「さあな。予言はともかく、伝説の『炎の魔神』とやらは欲しがっているかもな。もっとも元老院もどんなものか詳細は知ってるのか知らないのか……本当に凄まじい力を秘めているのなら、な」
 ヘレナはちらりと、テーブルに置かれた紙束を見た。さっき取ったメモだが、もう内容は伝え終わっていた。
「しっかし、こうものんびりしてていもんですかね? 一応交代で作業はしてますけど」
「構わんさ。急いで罠にかかっては話にならんし、急ぐ必要はなくなった……だろ?」
「――そりゃそうですね」
 麻紀も視線をテーブルに向ける。テーブルには紅茶と紙束ともう一つ、例の『ジスタ』が置かれていた。
「遅くとも明日の……朝方には全ての罠を撤去できるようです。もっとも、他の罠が発見されねば、の話ですが」
「さすがにそれは仕方がない。今は体力温存を……うん、どうした麻紀?」
 不意に麻紀は『ジスタ』を取り上げると、耳に押し付けていた。ちょうど、貝殻を耳に当て波の音を聞くように。
「いえ、また何か聞こえるんじゃないかと……おや?」
「? どうかしましたか?」
 怪訝そうな顔のグレタには答えず、麻紀は耳をすませる。
 ――ウオオオオオオオオオォ……
「これは……風の声? いえ、それとも……?」
 突如聞こえてきた鳴き声とも風とも知れぬ音に、麻紀は戸惑っていた。
「何かまた話してるのか?」
「いえ、話し声ではないと思いますが……なんでしょうこれ」
「騒いでないのなら問題ないのではありませんか? まったく、あの馬鹿平民が、こちらの苦労も知らないで勝手なことを……」
「馬鹿平民? あら、それは不適切ですよ?」
「……は?」
「あ、失礼しました。不適切なのは平民の方ですので誤解なきよう」
「あら、そうですかそれは……いえ馬鹿は撤回しないんですか!? そっちの方がよっぽど失礼でしょ!」
 ツッコミに対し麻紀は平然と受け流す。このやりとりは一機を思い出して似たようなタイプかもと心の中で笑う。
「それより、平民が不適切とはどういう意味だ?」
「――そうですね、話してもいいかもしれませんね。せっかくだから」
 仮にここに一機がいたら、絶対に止めていただろう。麻紀自身だって、コンビを組んで一年目ほどに家に残ってた酒を飲んでベロベロに酔っ払った一機がつい漏らしたことから聞き及んだのだ。
 でも、この二人、ヘレナには聞いてほしい気がした。
 もしかして自分と重ねているのかもしれない一機の心境と合わせて。

    ***

「うおおおおおおおおおぉ……うぷ」
「だから吐くなっつってんでしょ! 落ち着きなさい、病は気から!」
「悪酔いは病気と呼んでいいものか……うぐ」
 結局また悪化して吐きそうになる一機。これでもギリギリ我慢しているのに汚れるのを嫌がってばかりのマリーは鬼畜だと心の中で悪態をついていた。
「あーもうこれ噛みなさい、薬草だから」
「ああどうも……って苦っ! 苦すぎる! でもなんか気分晴れたかも!」
「え? いやこれそんな即効性なかったと思うけど……」
「ぶべばぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
 プラシーボ効果だったらしい。回復したはずの気分がまた悪化した。
「だーもう、しばらくじっとしてなさい!」
「へいへい、言われるまでもなく……しかし、知らなかったよ。親衛隊がそんなことになっていたとはね」
「え? ああ、あはは、そうでしょうね。そんな恥なこと口に出せやしないわよね、貴族とか王族ってのはホント体面ばかり気にするんだから」
 大口を開けて笑うマリーの瞳がどこか冷たく、言葉が尖っている。さっきまでの楽しそうに器械をいじくってるときの子供みたいな目や自爆で体調悪くしたこちらを(一応)案ずる優しい輝きはない。まあ彼女の立場からしては仕方ないのかもしれないが、しかし……
「いいご身分よね、貴族とか王族って。ただその家に生まれたってだけで国民から金もらってウハウハ生活。もう小憎らしいったらありゃしない」
 酔っているからか口調は明るいが、言葉に毒が含まれている。自分を助けてくれて看病してもらい飯を作ってやった恩人が、同じく自分を助けてくれて看病してもらい飯もくれた恩人を誹謗しているところを見ると切なくなる。コップに酒を注ぎ、一口煽って喉を潤す。
 違うと言ってやりたい。ヘレナは遊び半分でも単なる広告塔でもない。あいつは一生懸命やっている。グレタだって、他の隊員だってそうだ。貴族だから金持ちだからなんて関係ない、あいらは名ばかりの新生親衛隊に実を入れようとどんな小さなことからでも奮闘している、と。
 しかし、実際に一機の口から出てきたのはまったく別のことだった。
「……別にさ、金持ってたり、社会的に高い位置にいる奴が幸せとは限らないと思うけどな」
「はあ?」
 マリーが眉をひそめるのを、一機は気付かなかった。コップの酒に映った己の、酔いが覚めた顔を見つめていたからである。
「むしろ、変な義務とかしがらみとかあって疲れるもんさ。――疲れるというより、面倒ってとこかな?」
「なによあんた、知ったような口聞いちゃって」
「知ってるさ」
 残った酒をぐいとあおると、半眼でマリーを睨みつけつつ答えた。

「俺なんて金持ちのボンボンだったんだぜ?」

    ***

「――名家の生まれ? あいつが?」
 麻紀の発した言葉に、二人とも驚きで口をあんぐりとさせてしまった。
「ええ、結構な名士ですよ。私たちの住んでたところはそんな大都市じゃありませんが、聞くところによるとかなりの資産家だとか。地元じゃ的場の名字聞くと「ああ、あそこの人か」って反応されます。驚きました?」
「ああ、失礼ながら」
 それがヘレナの正直な感想だった。自分も王族の一員であるし、貴族なんてものは嫌というほど見てきたから、そういった人間が出す雰囲気はなんとなくわかるつもりでいた。が、一機にはそういうものがまるでなかった。一般人としか思えなかったし、今も思えない。
「信じられない気持ちわかりますよ。実際あの人、家とは関係断ってましたから」
「なんだと?」
「勘当されたんですよ、ずいぶん昔に。実家とは縁を切られちゃいましてね」
「か、勘当?」
 先ほどより斜め四十五度に驚きが増した二人の顔に、麻紀は失笑しつつ続けた。
「江戸時代――つーてもわからないね。とりあえずかなり昔からある家なんですが、それ故結構厳しいなんだそうで。一機さんはほら、無能というかパッとしない人でしょ? 両親ともうまくかみ合わなくて、結局妹さんがなかなか優秀だったから追い出される形で家を去ったようで」
「で、出来が悪いって……そんなことで、息子叩き出すんですか?」

    ***

「なに、殺されなかっただけありがたいと思わなきゃ」
「は……」
 干し肉をつまみながら、一機はまた酒を飲み干した。唖然としたマリーもあわてて注いでやる。
「本家の長子ともすれば次期当主だ。的場くらいの家になると分家にも勢力ってものがある。そんなところに無能な本家兄と有能過ぎる妹なんていてみろ、世継ぎ騒動の元凶にしかなりえんさ。財産を巡ってのサスペンス劇場さながらっていう血で血を洗う抗争になる可能性だってある。だったら、本家にいてもさして使えない愚兄から当主の資格奪って追い出し、賢妹に継がせて後顧の憂いを断とうって考えは自然だよ。ま、勘当より殺した方が確実だけど、それされなかっただけ優しいな」
 苦笑する一機に対し、マリーは化け物を見るかのような視線を向けてきた。ビビらせてしまったらしいと少し後悔する。以前この話をした麻紀が眉一つ動かさなかったら鈍くなっていたが、やはり他人からすると結構キツい内容らしい。
 ――あるいは、鈍くなってるのは俺の方かもしれんな。
 小さいころから次期当主として育てられたし、周囲もそれを当然として過ごしてきた。一機自身それなりに努力してきたし覚悟もしていたはずだった。
 だがそれは、一機が無能であることを証明する日々であったようだ。期待に答える才がない自分の不実が原因なのだから、恨みはしたことがない。まあ、ショックを受けなかったといえば嘘なのだが。
「――それで、あんた追い出されてからどうしてたのよ」
「隠居してたじいさんとこに行った。なんか一族でも変人扱いされてる人で、まあ実際変人なんだけど、家がわりと近いから昔から交流あったんだよな。砥ぎとか料理とか色々教わったわ。で、そのじいさんが亡くなってからは俺が一人で暮らしてる」
「お金は?」
「じいさんの遺産があるからな。元々金ある家だし、よほど豪遊しなけりゃ一生働かず過ごせるだろ」
「……やっぱ、幸福じゃん」
「いや、多分違う」
 酒をくいとまた飲み干し、自分で注ぎ直す。視線の先には、今はもういない自分の祖父がいた。
「じいさんは有り余った金でそりゃもう好き放題だった。気が向いたらどんな新しい遊びでもスポーツでも初めてさ、七十とっくに越してるのにパラグライダーやるって聞いた時は自殺志願者かと思ったね。常に新しいことやって遊んで、働きもせずそれができる生活ってたしかに幸運なんだろうな。勿論、同じ環境にいる俺もだよ」
 ふと、酒に映った自分の顔を覗き込む。ところどころ怪我しているが、基本的な造形が変わるわけはない。無気力で貧相な、世間に埋没した引きこもり特有の死人の面だ。
「だけど――じいさん、いつも飢えてたんだよ。何か欲しくて、それが何なのかわかんなくて、だから散々面白そうなことやって探してた……いや、空虚なの誤魔化してたんじゃないかな? じいさんは幸運ではあろうが、果たして幸福だったのかね? ――結局、俺もじいさんの欲しい『幸福』が何なのかわからずじまいだしな」
 酒を一気飲みし、天を仰ぐ。夜はまだ深く、赤い月が不気味さを演出する。月見酒はこの世界では難しいな、なんてアホなことを考えていると、マリーが地面に横たわった。
 倒れたのかと思ったが、顔をのぞくと別に体調不良ではなく、ふてくされたようにしているだけだった。
「……そんなの、金持ちの無い物ねだりよ」
 ぽつりと、こちらに伝える気があるのかというほど小さいその言葉は、一機の耳にきちんと捉えられ、そして一機はクックックと哄笑しだした。
「はは、そうだな――まったくその通りだ」
 実際その通りだし、マリーからしてみれば自慢話にしかなるまい。しかもマリーの現状は……
「それでさ、あんた今その金も何もあったとこからいなくなったわけじゃん?」
「うん? ああ、こっちの世界に来たってことね。んなこと言われなくてもわかってるよ。とりあえず親衛隊で世話になってるが……」
「やめちゃいなさいよ、親衛隊なんて」
 吐き捨てるようにこちらの話を遮るマリーの声はさっきより硬質化しているようであった。
「だって、親衛隊って女限定なんでしょ? 男がいられるわけないじゃない」
「あーはい、一応俺は親衛隊雑用見習い補佐もどきという立場ですから」
「何その階級。信用できるのそんなの? 第一、親衛隊なんて名ばかりの弱小部隊にいたって先無いわよ。おまけに隊長は王族の人間なんでしょ? アマデミアンなんて蛮族呼ばわりしてんだからどんな目に遭うか……ほらあんた、傷だらけじゃん」
「いやこれは隊員にリンチされたからで……あ、一緒か」
 今更ではあるが、マリーのシルヴィア王国に対する偏見はかなりねじくれている。偏見、というよりはコンプレックスとか憎しみと言った方が正しいかもしれない。そりゃ生まれた時から敵と教えてられれば当然だろう。思えばヘレナたちだって悪逆非道の蛮族とか呼んでいたし。
「――なんで、顔も名前も知らない奴を憎めるのかねえ」
「なんか言った?」
「ん、いや何にも。話戻すけど、親衛隊がどんなとこだってねえ、俺はあいつらの保護がないと生きていけないわけだし……」
「ねえ、一機」
 不意に、マリーが口を開いた。意を決したような固い表情をして。
「だったらさ――ここに、残らない?」
「――残る? それって、この峡谷にか?」
 疑問形ではあったが、一機はその提案に驚いていなかった。さきから執拗に親衛隊やシルヴィア王国を悪しざまに語っていたのはこのためなのだろう。
「うちならさほら、みんなアマデミアンとか少数民族とかばっかだから、あんたのことなんか気にしないって。あんた親衛隊なんかいても先無いよ。それよりもあんな奴ら捨てちゃってここにいた方がいいって、ね?」
 極めて明るく振舞っているが、一機を勧誘する様子は必死そのもの。その訳も、自分を勧誘する理由も見当がついている一機は一度天を仰いだ。
「……まあたしかに、悪い提案ではないかもな」
「でしょ? だったら――」

「でも、こんな広いとこでお前と俺二人きりってのはさすがに寂し過ぎないか?」

「――――え?」
 息を呑んだ、というより呼吸が停止したと表現した方が正しいほど、マリーははっきりと動揺した。
 最初何を言われたか理解できず、脳が一機の発言を把握していくほど彼女の顔はあおざめていく。
「な、な、何? 二人きりて。さっき言ったじゃない、ここにはあたしと同じ『守護の民』がたくさん……」
「いい加減バレバレの嘘はやめてくれないかな。つーか、四十五年前ならともかく、こんな狭くて不毛の大地に千人も人が暮らせるわけないだろ」
「そ、そりゃ千人は言い過ぎだけど、あたし以外にもここには……」
「いいや、断言していい。『守護の民』はもうお前しかいない。いや――」
 そこで一瞬ためらったが、意を決して決定的な言葉を放つ。
「本当はお前もここを守っていない。違うか?」
「え……?」
 青ざめるとか、凍りつくなんて表現が単なる表現ではなく、極めてそのままを記した単語であることを一機は初めて知った。まりーの困惑をあえて無視しつつ続ける。
「お前、実はここからほとんど出たことないって嘘だろ。ホントはちょくちょく――もしくは、ここにいることの方が少ないんじゃないか?」
「ちょっ、ちょっと待ってよ、どうしてそう思うのよ?」
「キャベツ」
「へ?」
 ぴしりと、一機はさっき作ったスープの残りが入った鍋を指差した。
「こっちでのあれの名称が何だか知らんがな、葉野菜なんてすぐに腐るもんだ。でもあれは新鮮そのものじゃないか。恐らく、今日くらいに仕入れてきたものだろ」
「あ、あれは仲間が持ってきて……」
「買い出しに出てる仲間がいるはずなのに、塩買いに行かなくちゃとか言ってたの誰だ? あと酒屋と懇意にしてるんだよな? 峡谷に仕掛けられていた罠は無人でも機能する。誰もここにいなくても問題ない。ていうか、五十人近くここにいるなら、防衛一人に任せて後は留守にするなんてあり得ないだろ」
「な、なんでさ?」
「なんでさ? アホか、ここに《サジタリウス》……『炎の魔神』があるんだぞ? シルヴィア王国が攻め入る唯一の目的じゃないか。普通なら一番防衛に力入れなきゃいけないのに、一人除いて空っぽにするなんてあり得るか。しかも、今その敵軍が来てるのに?」
 他にも、マリーの言動には不可解な点が多過ぎた。五十人以上いるなら必要な食料や調理器具、衣類など生活用品が転がっているはずなのにどれも一人分くらいしかない。防衛するために必要な武器どころかMNも《サジタリウス》を抜けばマリーが罠製作用に使っていた《ゴーレム》一体のみ。というか《サジタリウス》の整備や罠製作だって一人でやっているようなことを語っていた。隠しているつもりだったろうがモロバレである。
「……どこから?」
「んー、最初から、いやそれ以前かな。俺はてっきりここ誰もいないのかと思ってたし、ヘレナ……親衛隊の連中もそう思ってたんじゃないか? 明らかに緊張感足りなかったよな」
 一応敵地に乗り込むのだ、ヘレナだってある程度ドルトネル峡谷の情報は事前に耳にしていたはず。峡谷の中にいる残党が少ないかもういないかもしれないなんて聞いていたかもしれない。だったら隊の緩んだ雰囲気も納得がいく。予想通り襲撃もないので、途中でのんびり温泉――なんて気分にもなるだろう。もっとも、さすがに非現実的過ぎて誰も口には出せなかったが。
 一機自身、一人か最悪無人の本拠地に潜りこんで『炎の魔神』を取ってくるつもりだった。石ケン投げた奴がいることは想定していたが、そんな人数はいないと踏んだので突撃した。というかそうでなければ一機ほどのチキン野郎がこんな大胆な真似はしなかったろう。
 まさかモグラもどきに刺されて気絶する羽目に陥るとは思わなかったが、とりあえず墓守の内部に入ることは成功した。そうしてここでマリーの様子や周囲を観察して何故この女以外だれもいないのかの推測も立った。
「……なあ」
「……なによ」
「他の墓守――『守護の民』は、みんな戦死したってわけじゃないんだろ?」
「……なんでそう思うの?」
「墓がない」
「……あるわよあっちの奥に。こじんまりしたのだけど」
 もはや隠す気はないようで、低く亀が甲羅に閉じこもったように硬質化した答えを返すマリーの姿がその解答となっていた。
「――出てったのか、みんな」
「――逃げたのよ、『守護の民』の役目放棄して」
 マリーは一機の方を見ていなかった。伏せられたその瞳には怒りと悲しみがぐちゃぐちゃにかき乱された複雑な色をしている。
「どいつもこいつも……もう本国からの救援なんか来ないって、あんな鉄くず守っててもしょうがないって……シルヴィア軍だってまともに相手にしなくなったのに、いつまでもこんなところで防衛してるのなんか馬鹿馬鹿しいって、みんな逃げてった……あたしが生まれた頃からだいぶ減ってたんだけど、お母さんが死んだ頃になるともうほとんどいなくて、それで……っ」
 その後は言葉にならなかった。涙がにじんできてまともに話せなくなっている。
 マリーの様子からして、母親が死んだのはかなり昔のことのようだ。それから幾年経ったか知らないが、その間マリーは一人でここであのFMNを守ってきたことになる。
「――どうして、お前もここを捨てなかったんだ? あんましいないんだろホントは? だったらいっそこんな峡谷なんか出て、外で暮らした方が……」
「できるわけないじゃない!」
 涙で頬を濡らしながらマリーが叫ぶ。鬼気迫るその顔に圧倒され一機は二の句が告げなくなった。
「だってここは、『守護の民』が、一族のみんなが……お母さんが、必死に守ってきたのよ? 『炎の魔神』だってちゃんとまだある、敵だって来る。それなのに、どうして逃げなくちゃいけないのよっ」
「……っ。わかってるんだろ? 四十五年間も放ったらかしにしていた残党を今更敵陣に入ってまでグリードが取り戻そうとするか? ロクに動かせない鉄くずを。シルヴィアだってFMNはともかく半世紀近く前の残党なんか興味がない。お前が逃げたところで誰も追いかけたりしないさ。あんなもの守るため戦ったって無意味……いいや、お前の命が危険にさらされるだけで何の価値もない。そんな馬鹿な真似をどうして――」
「だったら! ――お母さんはなんで死んだのよ」
 一機は絶句した。血の気が引いていくのを感じつつ後ずさると、「シルヴィア軍との戦いで、あたし庇って死んだのよ」とマリーは震えながら続ける。
「『魔神』を、絶望の国から転移してきた自分を助けてくれた人たちを守るため死んだのよ。あたしにその役目を託して――それが無意味!? 何の価値もない!? 冗談じゃないわよ!」
 声と共に血を吐いているような凄まじい叫びを全身に受け、一機は硬直するしかなかった。悲痛としか表す術のない、いっそ悲鳴としたほうがいいマリーの咆哮は終わらない。
「あたしは――たとえ一人になっても、どんな大軍が攻めてきたって……『魔神』が本当の鉄くずになったとしても、あれを守って、戦い続ける。だってそれが、あたしの、『守護の民』の定められた役目なんだから――」
 最後の方は小さくなり、ひくひくと泣いているマリーの姿に、一機は察する。
 マリーは馬鹿じゃない、自分の、ここの状況を理解してないわけじゃない。
 理解したくないのだ。自分が生きてきて十七年、母や同族が守ってきて四十五年。その日々と、《サジタリウス》防衛に費やしてきた命と苦労、さらには自分のようにこんな狭いところで外界との交流を断ち人としての楽しみを捨てた者の無念。それら全てが無意味と思いたくなく、思考停止している。
 やっぱり馬鹿じゃないか。そう言うべきなのだろうが、一機にその舌は持てなかった。
 無能の烙印一つ押されただけで自暴自棄になり、それを跳ね返そうとせず名家の後継者としての役目から逃げた男に、たとえ愚かでも己の役割を果たそうとするマリーや、ヘレナに対し何か言う資格など、ありはしなかった。
 ――人生なんて理不尽なもんだ。誰もが背負いたくもないものを背負ってる。それに苦しみながら歩いていくってのが普通の生き方だ。ま、たまにそれを捨てちまう奴もいるが、な――
「――捨てられたのか、あるいは捨てたのか」
「……ふぇ?」
 泣いていたマリーは、一機の呟きがよく聞こえなかった。聞き返そうとしたが、一機の目はマリーを捉えておらず、過去に向けられていた。
 かつて勘当され祖父の家に転がり込んだ後、いくら経ったか知れない時祖父がそんなことを言っていた。当時は意味がわからなかったが……もう、理解できる。
「――わあったよ、好きにしろ」
「はえ? え?」
 コップに酒を注ぎ直し勧めてくる一機に、マリーはそのまま受け取る。
「ここにいたいってんなら、そうしろよ。お前の自由意思を阻害する気は、俺にはない」
「……あ、あんたはどうするの?」
「さて、どうしようかね。ここに残るってのも悪くはない気がしてきたが」
 マリーの顔がぱあっと明るくなる。当たり前だ。今までずっと一人だったのだから、仲間が欲しいと思うのは自然。必死なのもわかる。
「しかし、あいつらには色々助けてもらったし、このまま黙って出てくってのもなあ」
「ちょっと、はっきりしなさいよあんた」
「ははは、優柔不断ってよく言われるよ。主に一人の悪魔だが……ま、今日は難しいことは後にして、飲もうじゃないか」
 そう言って、マリーのコップに無理やり酒を注ぐ。あわてて口をつけて減ったところにまた注ぐ。
「わ、ちょっ、ちょっとそんな飲めないってば」
「嘘言うな、平然とした顔してるくせに。俺と違ってうわばみみたいだな、もっとアルコール入れないと飲んだことにならないんじゃないか?」
「何あるこーるって。あたしは顔に出にくいだけ……あーもう、だったらあんたももっと飲みなさい!」
「おっとっと。わかってるよ、今日はトコトン付き合おうじゃないか。ほら、俺が持ってきた菓子くれてやる。つまみにいいぞ?」
 こうして、さっきの重苦しい雰囲気はどこへやら、ドンチャン飲み会が再開された。
 ……少なくとも、表面上は。

 そうして、どれくらいの時間が経過したかわからないが、夜も更け闇が濃くなった。
 松明に照らされた二人飲み会会場は、まき散らされた菓子の袋と倒れたコップ、空になった酒ビンが数本、それと干し肉を口にくわえたままでイビキこいて寝ているマリーと、同じくテーブルに突っ伏して現世から意識を離した一機がいた。両者いわゆる寝落ちである。
 初め騒いでいた二人も、アルコールが体内に浸透するうちに勢いは弱くなり、やがてぱたりと倒れるようにそのまま泥のように眠った。――否。
「よっこらせ……と」
 今の今まで爆睡していたはずの一機が、ゆっくりと起き上がる。いや、寝たふりしていたわけでなく実際眠っていたのだが、泥酔したはずなのにこの覚醒の早さは異常。……とはいえ、まだ頭は半分眠っていて大アクビをかましているが。
「ああ……変に鍛えられた体も、役に立つことはあるもんだな」
 そう一人ごちる。幼少より自分に酒を与えた犯罪者祖父を思い出しつつ、あまりしたくない感謝をした。
 何せずっと昔から飲んでるのである。弱くてすぐ悪酔いするが、かわりに回復も早い。数時間うーうー唸っていれば元に戻る。それとマリーが食べさせたあの薬草も効いたのかと推測できる。
 しわくちゃの制服を整えて大きく伸びをする。そうして意識をはっきりさせてから、マリーの方へ近づく。
「……うい」
 頬を指で突いてみる。ぷに、と褐色がかった肌は柔らかく跳ね返った。「ううぅん……」なんて艶めかしい声を出すが起きる気配はない。
「……胸とかも触ってみようかな」
 起きないか確認するためなのに起きたら確実に命がないことをしようとする。大概エロガキであった。
 かなり胸元に接近したが、途中でさすがに良心が働いて手を止めた――わけではなく。
「――無いからいいや」
 というある意味触るよりよっぽど酷い理由からだった。たしかにゼロ距離で確認したヘレナの巨乳や裸身から見た麻紀の意外と大きい胸に比べればマリーのそれは「無い」と断言しても過言ではない寂しいものだが、起きていれば絶対に怒りを通り越して泣いていただろう。
「さて、と」
 かくして胸フェチ一機の変態行為は脇に置いて、寝ていることを確認した一機は手を組んで考え込んだ。
「どうするか、ねえ」
 どうするか、とは勿論無乳を触るか否かではなく、これからの一機がどう動くかについてだった。
 さっきは言葉を濁したが、このままマリーと二人峡谷に留まるという選択肢はなかった。というより、不可能だ。深夜の今さすがに勢いは下がったらしいが、親衛隊が罠を解体している音は聞こえてくる。ここに到着するのはどれだけ長くかかっても半日はかかるまい。罠が無ければ一体しかない《ゴーレム》で防衛など無理だ。
 しかしながら、マリーは逃げたりすまい。あの女はここで《サジタリウス》を守ることが自分の全てだと思っている。否、思っていたい。それが一族と、母親との繋がりだと信じているのだから。逃げるくらいなら戦って死ぬとか言いそうだ。
《サジタリウス》を峡谷の奥深くに移動させる、という選択肢もない。《サジタリウス》自体は動かせないし、外見からして《ゴーレム》より圧倒的に重量があるはず。引きずるようにしてもこれからでは到底逃げ切れまいし、峡谷内がいくら広くてもいずれは追いつかれてしまう。《サジタリウス》の防衛はもはや絶望的だ。
 それよりも問題はマリーの処遇だ。戦死なんて問題外、仮に捕まったとしても、相手五十年前シルヴィアを荒らした皇国軍の生き残り。ヘレナはともかく、本国に送られれば処刑は免れない。マリーは気にしていないが、自身の命すら危ういのだ。
 だからと言って、ヘレナに事情を話して撤退してもらうなんてできない。予言だか何だか知らないが、元老院からの正式な命令に背く訳にはいかない。ただでさえ立場の弱い親衛隊なのだからどんな任務でも成功させる必要があるはず。おまけに動かないとはいえ《サジタリウス》の持つ大砲の破壊力は本物である。戦力不足の親衛隊なら喉から手が出るほど欲しいはずだ。蛮族の少女のため退くなんてあり得ない。
 それに一機だって《サジタリウス》が欲しい。《サジタリウス》、FMNの力が本物であったならば、自力でそれを手に入れ制すればそれは『権力』になる。あの大砲を自在に操れば親衛隊内で地位を約束されるだろう。麻紀の処遇に口出しすることだって可能になる。
「う〜ん……」
 しばし目を閉じて思案する。どうするのが最善か、深く深く考えることにした。だけど時間はない。グズグズしているとヘレナたちがやって来てしまう。その前になんとかしなければ。
できれば、誰にとってもいい結果を出す方法で解決したい。ヘレナにとっても、マリーにとっても、麻紀にとっても。そして……自分のことは後回しでいいか。皆にとってプラスに働く何らかの方法はないか。こうも互いの事情を聞いてしまった今、誰かが不都合を背負うことはしたくない。出来れば穏便に済ませたかった。
だがそんな都合のいい手段が、馬鹿の一機に思いつくはずもない。結局思いついたのは、皆が少々の不都合を背負う手段だった。
「……うし、決めた」
 腹をくくり目を開けると、峡谷の奥へ歩き出した。正直まだちょっとふらつくが、構っていられない。
 目指すはただ一つ、眠れる魔神の床の間だ。

 サジタリウス、つまり射手座は、月の女神アルテミスから狩猟を学んだ半人半馬の怪物ケンタウロスであるケイロンが弓を引く姿と言われている。ヘラクレスの毒矢に当たったが不死のため死ねず苦しんだケイロンは、全能の神ゼウスに死を願い叶えられた。
ケイロンはその死後、彼を悼んで天に上げられ星座になったと語られている。海神ポセイドンの子オリオンを殺した功績で星座となったさそりを、もしそのさそりが暴れた際射殺すためケイロンは常に弓を引いている。ただしこれはギリシャ神話には描かれていない話だが。
 いずれにしろ、女神より弓を習い、神の子を殺したさそりを抹殺する役目を持ったケイロンの矢。『神の矢』というフレーズが自分で考えたものかどこからか聞いたものか一機はもう忘れたが、己の分身たる鉄伝の愛機にその二つ名と共に射手座の名前を付けた。
 祖父が亡くなって暇になったから始めた鉄伝だったが、才能があったのか今では鉄伝内で知らない者のいない強豪となる。扱いの難しい大砲で敵を撃ち殺す、まさに神話のスナイパー射手座(サジタリウス)として。
 それくらい有名だから、様々なギルドから組もうと連絡してきたが、みんな断った。わざわざ組む意味はない、一人でやってけると言っていたが、本当は面倒だったからだ。チームともなれば連携だの協力だの必要になる。基本自己中心的な一機には周りを慮るなんてできそうになかった。なんとなくコンビになった麻紀も索敵中心で襲われたことはゼロなので構ったことはない。戦闘においていつだって一機は一人だった。
 親に勘当され、祖父が死んで以降一機は常に一人。学校だろうが家だろうがネット上ですら話し相手もいない。もうすぐ卒業、麻紀も進学するのならばこのおかしな関係とそのうち切れる。そうなれば家の外に一生出ない生活となるかもしれん。鉄伝に飽きれば、もう外界との唯一の繋がりであるパソコンも二度と開かないかもしれない。
 それでいいと思っていた。つまらない、もっと楽しいことがないと願っていたとしてもそれは妄想。自分のことしか考えず生きてきて自分の都合ばかり気にする男に、それ以上のことがあると思わないし期待もしていない。いずれシリア・L・レッドナウの名前も捨て、社会の片隅で誰も気にせず死ぬのが、自分にとってふさわしい。そう思っていた。
「……だってのに」
 ふらつく足を制した一機は、肺の空気を一旦全部捨てるように息を吐いてからまた吸った。胸元のネックレスをいじくり、口角を上げる。
「なんでこんなところに突っ立ってるんだろうねえ、俺」
 失笑した一機の目の前にあったのは、自らの半身と同様の名前を付けた鋼鉄の巨人だった。
「《サジタリウス》……俺も酔狂なもんだ。その場の勢いとはいえなんて名前だよ。――こうなったら、ちょっと後悔してるところだが」
 ブツブツ呟くと、辺りを見回す。MNの整備室を兼ねた空洞には様々な工具が置かれていた。
「さてと、ペンチやツルハシじゃどうにもならんけど、大砲だから必要ないだろ。マッチみたいな発火物が欲しいんだが……お?」
 ついと、背中が押される感触がした。
 何か、細くて硬い棒のようなもので突かれているのと、後ろに荒い息遣いが聞こえて、一機は全てを理解した。
「……はっはっは、起きたのかお前。俺も回復早い方だけど、あれだけ飲んでてよくもまあ。それとも演技だったのか? だとしたら俺もほら吹きの名返上しないとな」
「……何してんのよ、あんた」
 低く、そして冷たい声でマリーは問いかけた。振り向かない一機の背中にピストルを突き付けて。
「あのさー、ピストルなんて使えるの? それ撃つのには色々工程が必要で、しかも素人には難しいんだけど」
「使えるわよ。これくれた旅人が使い方教えてくれたから。誰かに追われてるって言って、予備の弾とこれ置いたら逃げてったけど」
「――その人、確実に殺し屋か何かだね。証拠隠滅だったのかしら。それはいいとしても、本当に撃ったことあるの? 人とか」
「ないけど――この距離なら外さない」
 ごもっとも。背中に直接押し付けているのだからトリガーさえ引ければ赤ん坊でも一機を殺せるだろう。――その銃が、ガクガク震えてなければ、の話だが。
「そんな状態で撃ったら、どこに当たるかわからんからしまいなさい物騒なものは。跳弾して自分の脳天にズドーンとかなったら末代まで笑われるぞ」
「うるさい! 殺されかけてるってのに余裕ぶってんじゃないわよ!」
 いつしかマリーの声自体も震えている。どうも泣いてるようだが、それが悲しみか怒りか、多分両方だろうと一機は判断した。
「あんた、やっぱあっち側の人間だったのね……あんなこと言ってたけど、本当は最初から『魔神』を奪うだけが目的だったんでしょ! アマデミアンであること利用して潜入して、油断したところを……!」
「そんな馬鹿なことあるわけないだろ」
 不意を突かれ、「へ……?」変な声を上げた。クックックッと笑いながら一機は続ける。
「潜入して、寝たところ狙って、そしてどうするんだよ。《サジタリウス》は動かせないんだぞ? 動かせないものを俺一人でどう回収するのさ」
「そ、そんなの、味方がやってくるのを待って……」
「それこそ意味無いだろ。とっくに親衛隊は殺到して来てるんだぞ? 潜入したなら、そのままじっと待ってればいい。わざわざ危険な目に遭ってまで《サジタリウス》を確保する必要はない。それ以前に、俺が親衛隊の間諜だとしたらお前が無事なの変じゃない?」
 マリー自身それは自覚していたらしく、声を詰まらせる。
「じゃ、じゃああんたどうしてこんなところにいるのよ! 意味がないってんなら、何をしに……」
「決まってんだろ」
 と、そこで一機は初めて顔だけマリーに向け、こう告げた。

「ぶっ壊すんだよ、この《サジタリウス》」

 マリーはしばし口を「あ」の形にしたまま硬直していたが、やがて「はあ!?」と叫んだ。
「生憎MNは動かせないし工具とかもないようだけど、発火物ぐらいあるだろ。《サジタリウス》は見たとおり重量級のカタブツそうだが、積んでる砲弾は火薬搭載なんだから爆発させればさすがに木っ端みじんさ。松明の火じゃ難しそうだが、油とかよく燃える物とかぶせればなんとか――」
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ! ぶっ壊すって、どういうつもりなの!?」
「それが一番、誰にとっても穏便に済ませられる方法だろうが」
 振り返り、後ろ指で《サジタリウス》を示しながら一機は説明する。
「お前は『守護の民』としてここを防衛しなきゃならない。親衛隊も任務である以上ここを攻略しなきゃならない。――でもさ、それってこの《サジタリウス》……いや、『炎の魔神』があるからだよな?」
 戦慄し、目を見開いたマリーも一機の考えを理解したらしい。そのまま一機は続ける。
「お前も別にこの場所が大事なんじゃなくてこのFMNを守りたい。親衛隊もここに留まってる残党なんか用はなくて伝説の兵器が欲しい。お前も今更明け渡すなんて出来ないし、親衛隊も面子があるからお前一人のために「持って帰れませんでした」なんて報告するわけにゃいかない。だけど、それがなかったとしたら?」
 そう、それが一機の出した結論。誰にとってもいい結果、いや、正確には誰にもリスクがあるが一番被害の少ない解決法だった。
「お前にとっちゃわざわざここにいて守ってる理由が消滅する。親衛隊としても「ぶっ壊れてました」って言えば任務は失敗したことになるが責任はない。戦う意味も理由も消滅して両者丸く収まる。帰ってく親衛隊にお前も用ないだろ? あっちだって『魔神』が存在しない僻地で戦闘しても徒労だし、そもそも無人だと思ってるからお前を追う奴なんていないよ。……まあ、個人的な事情で俺もこの《サジタリウス》を欲しかったんだが……こうなっちゃしょうがない、自分でなんとかするさ」
 らしくないな、とは一機自身思う。この方法はマリーやヘレナたちだけに利益――というより損がないか――があり、自分は骨折り損のくたびれ儲けだ。自己中心的(アンビレイカブル)と常日頃認めていた一機らしくない。《サジタリウス》を回収した功績も、この力で親衛隊で地位を確立することもできないのだから。
 しかしまあ、それは怠慢だとわかってはいる。麻紀の安全と確保するとか言って自分は楽な道が欲しかっただけではないか。それに比べれば両者の事情は切羽詰まったもの、優先すべきはどれかなど考える必要はない。
 麻紀に関しては……正直困っているが、ヘレナなら悪いようにはしないだろうしとりあえずはどうにかなる。今は親衛隊で揉まれていずれどうにかしようと決めていた。――いい加減だけど。
 というわけでこうして《サジタリウス》の破壊活動に訪れたわけだが……マリーがそれを歓迎するかと言えばそんなわけはなく、
「だ、だだだ、だ……」
「だ? 顔が三つくらいあっても意味の無い宇宙人?」
「だあああああああああああほかあんたはああああああああああああああああっっ!!!」
 もう絶叫というより爆発と表現した方が正しい衝撃波を喰らった。峡谷に反響し一種の音波兵器と化す。
「づううぅ、くそっ何しやがる! 耳がキンキンするぞ!」
「こっちだってキンキンしてるわよ! ってんなことどうでもいいの! ぶっ壊す!? 冗談じゃないわよっ!」
「冗談でんなこと言わんて、本気だ本気」
「本気ならなおのこと悪い!」
 逆上したまま詰め寄ってくる。こうなるとわかっていたからこそ寝ているうちに済ませたかったのにとため息をつく。
「『炎の魔神』を壊す!? ざけんじゃないわよ! こいつを守るためにあたしたち一族はその身と人生を犠牲にしてきたのよ! それを壊すなんて、絶対させないんだから!」
「だから、説明したろ? これが無くなってしまえば、お前がその使命に縛られる必要なんかない。ここから出て、自由に生きれるのだって……」
「あたしはここで『炎の魔神(こいつ)』を守る! それがあたしの生きる意味そのもの!」
 涙混じりの目は血走っていて、こちらに対する敵意と憎悪に染まっていた。その姿に、一機も泣きそうになる。ただしそれは恐怖でなく。
 違う。こんなのはマリーの目じゃない。一機が起きた時こちらを気遣う目、携帯をバラバラにして子供のように昂ぶっていた目。料理を御馳走したら尊敬するように見つめてきた目、《サジタリウス》を見せて自慢げに語る目。それら全てが微塵も失せ、こっちの方が切なくなる瞳を寄こしてくる。
 こんなのはマリーじゃない。こんなのがマリーでいいはずがない。本来のマリーを縛るものがあるとしたら……
「……何の意味があるんだ、こんな鉄クズ守ることに」
「っ! だから、これは母さんが、一族のみんなが……!」
「お前だって出たいんだろ!?」
 マリーの腕をつかみ叫ぶ。複雑に絡まった様々な感情を叩きつけるように。
「あんだけ携帯面白そうにいじってたの誰だよ! 久しぶりの人に楽しそうに話してたの誰だよ! 《サジタリウス》を気分よく解説してたの誰だよ! 本当はここに出てやりたいこといっぱいあるんだろ!? いろんな人と楽しくお喋りしたいんだろ!? 機械いじくって遊びたいんだろ!? なら出ろよこんなとこ。こんなポンコツ捨ててって、さっさと逃げちまえよ!」
「な……か、勝手なこと言わないでよ! あんたに何がわかるっての!?」
「あーはいはい、わかりませんねえさっぱり! なんせ俺は、そういった使命とか役目とか背負うべきものから逃げちゃいましたからねえ! イェーイ!!」
 言ってみて、驚いたのはマリーより一機本人だったかもしれない。まあ、最初から分かり切っていたことではあったが。
 無能として追い出される前から、自分は次期当主としてすべき努力をしてきたか。追い出された後、それを撤回させようとさらに精進したか。答えはどちらも同じ、NOだ。
 元から当主になる気なんかなかった。面倒で嫌で、無能として何もせず怠惰に過ごしてあちらから勘当させた。自覚はなかったとはいえ結果は同じ、一機は自分のすべき責任を投げて妹に押し付けたのだ。
 だから、理解なんてできない。マリーや、ヘレナのように、自分の責務に辛いとか理不尽とか言わず果たそうとする者たちの気持ちも分からず、故に非難も否定も口をはさむことすら許されないだろう。
 だけど――その使命やら責務やらが何の意味もなく、生きてる人間を苦しめて、死なせるだけのものだったら――
「そんなのは、使命でも責務でも、ましてや役目でも繋がりでもなんでもない。
 ただの――呪いだろ」
 愕然と、目を見開いたマリー。目の前が暗くなった、というのを体験しているのかもしれない。俯いたマリーの手を握り、《サジタリウス》を指さした。
「お前ら『守護の民』は、ずっとこのFMNに縛られ、呪われてきたんだ。四十五年前の亡霊に、こんなとこに捕らわれてきた。血を吸い、肉を喰らって、命を、希望を奪う最悪の呪いでだ。もう流すべき血も涙も一滴だってあるもんか。いい加減解放されるべきだろう。違うか?」
 肩を抱いて、ゆっくり語りかけた。マリーを助けたい、嘘つき男の偽りない本心を乗せて。
 その想いを悟ってくれたのか、感動でマリーはふるふる震えている。泣いているのだろう、一機は手をそっと放して、
「ふっ、ふざっ、ふっざけてんじゃないわよおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!」
 二行ほど文面修正。全然伝わってなかったようだ。銃を振り回してまたしても絶叫。
「黙って聞いてりゃわけわかんないことばっか言って! キザ!? キザってんのあんた!?」
「いやさっきの説得は考えて言ったわけじゃないんだけど、というかちっとも俺の言うこと理解してくんなかったのおたく?」
「知らないわよそんなのっ! いいからもうあんた黙ってなさい! うおりゃあぁっ!」
 そう奇声を上げると、大リーグの選手もかくやという見事なフォームをとると、手に持ったものをボール代わりに振りかぶった。
「っておい、ちょっと待てぇ!」
 一機が止める間もなく、オートマチック銃は投げつけられた。
「うひゃあい!」
 通常の一機ではあり得ないほど敏捷な動きで回避すると、ピストルはそのまま地面に叩きつけられた。
 ガゥン! と激しい音がすると、一機とマリーの顔をかすめるように一筋の閃光が過ぎ去った。
「………………」
「………………」
 硬直する二人に、数刻前とはうって変わった静寂が訪れる。
 地面に激突したピストルが、衝撃で暴発してしまったのだ。
「ば……ば、馬鹿ーっ!! オープンボルトの銃投げる馬鹿がどこにいんだ! あやうく大地に射殺されるとこだこの馬鹿女!」
「ば、馬鹿馬鹿言わないでよこのアホ男! 何よオープンボルトってまたわけわかんないこと言って!」
「だああぁ、おい旅人! 銃教えるなら安全な扱い方くらいちゃんと把握させておけ! 自爆するならマシだけど被害被るのこっちだぞ! とにかく素人にそんな危ないもの持たせておけるか、よこせ!」
「ちょ、何人の物盗ろうとしてんのよ泥棒! 渡してなるもんですか!」
 両者地面に落ちた銃に飛びつこうとしたが、位置的に近かった一機と運動能力が上なマリーが同時に行ったため見事に空中でクロス、互いに頭突きあう奇跡の瞬間が生まれた。
 二人とも頭を抱えて悶絶するが、すぐに回復してまた飛びつく。今度は両者握って離さない。傍目からすると男と女が抱き合ってるもう少しで青年指定が必要だぞという光景だが、当人たちはにらみ合って威嚇している。
 てなわけで一機とマリーが銃を握ったまま罵声を浴びせつつゴロゴロ転がるというさっきまでのシリアスムードどこ行っちまったんだよ(泣)な有り様となる。しかし、神はどこまでも慈悲深いのか、この緊張感の欠けた展開を打ち消す鐘の音を鳴らした。

『――グオオオオオオオオオオォォッ!!』

 鐘の音というわりには、ずいぶん低くて重みのある音だったが。
「んっ?」
「えっ?」
 二人はびっくりして互いに顔を見合わせる。というか、一機はこれとまったく同じことに経験があった。
「これって、まさか……」
「やっばい!」
 あわててマリーは《ゴーレム》に駆け付けた。どうも乗り込むつもりらしい。
「お、おい、どうしたんだよ!」
「はあ!? あんたさっきの咆哮聞こえなかったの!? 《ウサギ》が攻めてきたのよ《ウサギ》が!」
「《ウサギ》ぃ!?」
 この場合の《ウサギ》とは、無論バニーちゃんでもモチつきマシーンでもない。こちらの世界に来た際一機を殺しかけた、あのでかくてごつい魔獣のことだ。
「で、でもどうやってこんなとこに入ってきたんだ? こんな狭いところに……」
「やっぱり馬鹿ねあんた、ウサギなんだから潜ってきたに決まってんでしょ!」
「潜ったぁ!? あれ地面潜るの!?」
 一機は意識を失いそうになる。外見上は九割九分九厘ただの化け物なのに、どうしてそんなとこだけ兎チックなんだよ!
「あいつら馬鹿で悪食だから、たまにこんなとこにも出てくるのよ! やばいわね、この咆哮からすると結構大群で来てるみたい……」
「前にもこんなことあったのか? よく防げたな」
「だからあんだけ罠作ってたのに、あんたたちがぶっ壊したせいで!」
「ああ、あれって魔獣退治用でもあったのね……」
 なるほど、それであんなにバカスカ作られていたのか。魔獣用に大した擬装もしてない簡易バージョンもあるんだろうなあと考えていると、咆哮とは違った音が聞こえてきた。
 鉄がぶつかり合うような、鋭い音。魔獣とは違う雄叫びがすると、魔獣も吠える。轟音はますます大きくなって峡谷内をうめつくそうとした。
「――っ! しまっ……!」

    ***

 親衛隊にとって幸運だったのは、《ウサギ》の襲撃が完全な不意打ちではなく、後方を確保していた隊員が異常に早く察知したことであった。
 作業は続行していたものの深夜帯でもありほとんどが眠っていたが、敵襲に隊員たちは飛び起きた。
 しかし不意の出来事だったため、混乱はすぐには収まらない。大挙してくる《ウサギ》から逃げようとする輩はいないものの、まだ全員が臨戦態勢には入っていなかった。
 したがって、今戦っているMNは、ヘレナやグレタ含む数体のみだった。
「くう……せえぇいっ!」
《ヴァルキリー》がロングソードで袈裟がけに《ウサギ》を斬る。流血が飛び散り、断末魔と共に絶命した。が、すぐに別の《ウサギ》が飛びかかってくる。
「ちい、このぉ!」
 今度は胸に剣を突き刺した。その身を貫かれた《ウサギ》は最初ピクピク痙攣していたが、すぐにがっくりとうなだれ動かなくなる。《ヴァルキリー》はその巨体を蹴り上げると、刃を肉体から抜いた。
「はあ、はあ……おのれ、まだ来るか!」
《ヴァルキリー》の操縦席に入ったヘレナには、谷間の向こうから突進してくる《ウサギ》が見えていた。MN内部には原理は知らないが外の光景を透過する素材が貼ってあって容易に確認することができる。たとえ嫌なことであったとしても。
 しかして、幸運はまだあった。峡谷自体が狭いので、《ウサギ》も一気に大群が押し掛けるということができず、数体と戦っていれば済むことだ。もっとも、その数体が倒しても倒しても迫ってくるのだが。
 今も、駆けていた《ウサギ》が直前で跳ねて、空から《ヴァルキリー》に飛びかかってきた。
「っ! なんのっ!」
(はあぁっ!)
 とっさに剣を構えた瞬間、影が己の上を飛んで《ウサギ》に槍を突き立てた。
「グレタか、助かったぞ!」
(礼は結構、次が来ます!)
「応っ!」
 グレタ専用の長槍を持った《エンジェル》と共に直進する。戦うだけでなく、テントから離れる意味もあった。
 親衛隊とはいえ、全員がMNを操縦するわけではない。自分のMNを持たない隊員にとって巨人と巨獣の戦いの中混じるのは死を意味する。まだMNに乗っていない兵を守るためにも、ヘレナたちは前進するしかない。
 しかし、状況はこちらに不利だった。
(ヘレナ様、上っ!)
「くっ!」
 崖の上から《ウサギ》が降ってきた。犬歯を剥き出しにし、爪を伸ばしこちらを喰らいつくそうと狂気を瞳に宿して。
「ぬおっ!」
 反射的に左手に取りつけられた盾で受け止める。衝撃が操縦席内部のみならず、自身の左腕にも伝わった。
「くくくっ……!」
 左腕からケダモノがこちらを押しつぶそうとかける重圧や熱気まで感じられる。無論本当に感じているわけではない、MNの精神操作によるものだ。
 MNの操縦は、いうなれば手足を動かすのとあまり変わらない。『アマダス』を介して『ディダル』の骨に刻まれた術式と精神を同調させ、擬似的にMNを肉体とする、いや、自らがMNになるといった方が正しいか。詳しい原理はヘレナにはわからないが、とにかくそう理解していた。
 だがこれにはリスクがある。MNで受けた攻撃がそのまま伝わってしまうのだ。表面を火で炙られれば焼かれる痛みが、首にロープでも巻かれれば締め付けられる苦しみが。腕でも切り落とされれば激痛がそのままやってくる。無論、実際には傷一つつかないが、その苦痛は本物だ。
 ヘレナ自身、四年前両腕を引きちぎられ、腹に五本ものランスを突き刺された記憶は今もなお薄れることなく残っている。MNの操縦とは生身で戦うのと同じ、あるいはそれ以上の苦痛を伴うものなのだ。
 しかして、MNと魂の同調が強くなればなるほど、MNの動きは速く、鋭くなる。
「はあっ!」
 左腕に力を込め《ウサギ》を押しのけ、ひるんだところを真っ向両断した。凄まじい領の血が雨のように降り注ぎ《ヴァルキリー》を汚した。
 正面で視界を塞ぐ血だけを拭うと、まだ迫ってくる《ウサギ》に剣を構える。と、横の斜面が突然崩れた。
「っ!」
 殺気を感じ飛び退くと、崩れた岩肌から《ウサギ》が《ヴァルキリー》へ襲いかかってきた。地面を掘ってきたに違いない。十本の爪がこちらを切り裂こうとする。
「なんのぉっ!」
 両腕が振り下ろされる一瞬、跳ねるように《ウサギ》の内懐に入り爪を抜け、その勢いのまま胸に剣を突き刺した。潰れたカエルのような声を上げると、そのまま崩れ落ちた。
「くっ、まずいな……」
《ウサギ》の生態は知っていたから予測の範囲だが、ヘレナは背中に冷たい汗をかいた。
 こちらはこの狭い峡谷の中で戦うしかない。しかしあちらは縦横無尽。地面からも、崖をよじ登って空からも攻撃できる。この差はあまりにも大きい。《ウサギ》は知能は低いが獰猛さと執念深さは恐れと共に語られている。きっと一機たちを助けた時仕留めたものが仲間を集めたのだろうが、何十匹いるか想像したくもない。収束していない混乱からしても、状況からすればこちらが不利だった。
 ざわ、と肌が泡立つ。後方を振りかえり、松明の炎を見た時、違う光景が瞳に映し出された。
 周囲のものは自然物から人工物、生物までも区別なく全て焼きつくそうとする業火。数刻前まで人型をしていたモノがボロボロに崩れ壊れていく。あれはMNか、それとも人間か。そもそも自分はMNからこの光景を見ているのか。真っ赤になった視界は自分の血によるものか他人の血によるものか。いつの間にか両腕の感覚が失せている。千切られたのはMNの腕だ、頭で考えても怖くて視線を向けられない。いや、動かせないのか? なにせ、私はランスを五本も刺されたんだ。死んでいるのが当然――
(――レナ様、ヘレナ様!)
「!」
 操縦席に取りつけられた『ジスタ』による通信機から、グレタの呼ぶ声がした。ハッとなると眼前に《ウサギ》が血走った目で《ヴァルキリー》に食らいつこうとした。
「ぐぅっ!」
 戦慄する間もなく、左腕を開いた口に突っ込む。ガキンと腕に牙を立てられるが、銀色に染まったMNの腕は噛み砕かれはしない。引き倒す要領で地面にひれ伏させると、剣を頭部にグサリと刺した。
(大丈夫ですかヘレナ様)
「……ああ、問題ない」
 一瞬意識が飛んでいたなどとは口が裂けても言えない。もっとも、グレタは承知の上だろうが。
「はあ、はあ……くそっ、またか」
 小さく舌打ちをする。『ジスタ』が内蔵されているこの通信機は通信を止めるということができない。箱に蓋でもすれば別だが、戦闘中にそんな真似は馬鹿の所業。操縦席では一人言すら容易に言えないのだ。
 ふと、右腕――剣を持っているMNのものではない本物の腕に視線を向けた。小刻みに、しかし止まることなく震えているのを見て呆れ返った。
「はは、酷いものだな……ここ数日は何もなかったというのに」
 四年前蛮族に殺されかけ、仲間が壊滅したことが心の傷になってしまい、戦場平時にかかわらず震えたり自失状態になる騎士。普通ならばとっくに軍を追い出されていたろう。
 だけどシルヴィアは自分を、ヘレナ・マリュースを必要としていた。見栄えのいい看板として勤まるなら、中身がまともに戦えない腰抜けでもそれなりに役立つということだ。さすがに剣すら持てなかった四年前よりはマシになったが、気を抜くとすぐこうなる。
 わかっている。今の親衛隊が名ばかりでまともな戦力もなければ任務も来ないのは、全てヘレナ自身のせいだと。ある意味素人よりたちの悪い隊長が率いる隊に優秀な人材を誰が寄越そうと思うか。任務など果たせると思うか。望んで就いた立場ではないとはいえ、現在の親衛隊の状況を生み出したのは全てヘレナの不実によるものだと。
 自覚はあるが、だからと言ってあっさり治せるほど四年前刻まれた傷は軽くなかった。理性ではどうにもできない自分の脆弱さに屈辱と恥辱にほぞをかむ日々が続いた。
 故に、求めてしまったんだろう。幼き頃から唯一の心の安らぎだった、あいつを。顔も背格好も面影がまるでないのに、ただ生きていればこの年頃だと思ったとき被せたのは、つまりは誰でもよかったからだろう。あいつを思い出せる何かがあれば、その時現れたのが一機だ。身勝手の極まる。勝手に無関係の人間を重ね合わせ、自分の寂しさを紛らわせようなどと。
 そんな誤魔化しをしたところで、今はこんな無様ぶりを見せ付けている。あいつがいなくなったからか? だとすれば情けないし、結局自分の脆弱さはそんなことで治るものでないとしたらなお情けない。
「……だがっ!」
 顔を上げ、地面に剣を突き立てる。少し盛り上がった地面からくぐもったうめき声がして、剣を抜くと間欠泉のように血が噴き出した。
「こんな腐れた命でも、くれてやる気はない!」
 己を奮い立たせ、剣を構え直す。
 たとえ騎士として失格でも、名だけの隊長に堕ちた身としても、まだ死ねない。自分の肩に乗る命と名誉、それこそどれだけ錆びた刃でも守らねばならないものである限り。
 そうだ、そうでなければ、あいつだって――
「――ん?」
 ふと、脳に妙なものが浮かんだ。いや、何かははっきりしているが、どうしてこの状況であいつの顔が、違う、あいつの顔が出るのはおかしくない、だけどだったらどうして自分はこんなに動揺して――
(ヘレナ様、前っ!)
「えっ、うわっ!」
 今度は掘ったわけでも飛びかかったわけでもなく、普通に正面から突っ込んできた魔獣にぶつかった。なんとか踏ん張って倒れるのは防ぎ、《ウサギ》の額に思い切り頭突きをして昏倒させる。
(ヘレナ様、いい加減にしてください! 調子が悪いんだったら下がったらいかがです!?)
「いいや、大丈夫だグレタ。体調は問題ない。……体調は、なんだが」
(はい!?)
「だ、だから大丈夫だ! こっちは支援しなくていいから周辺を警戒しろ!」
 恐らくこちらをいぶかしんだ目で見ているだろうグレタを無視して息を整える。なにか胸が体力の消耗以外の理由で激しく鼓動している気がしたが、気のせいだ、うん。
「それより、隊員たちは!」
(搭乗員は既にMNに搭乗、他の者は後退させてますが、なにぶんこの状況ではどこから現れるか……)
「下手に退かせるのも危険か、手の打ちようがないな……」
 このままではまずい。わかっていても手段が見つからず、歯がゆい思いでいっぱいになる。どうすればいいのか、どうしなければいけないか――
「……せめて、道が開けるか、もっと空間が広がれば――!?」
 ゾッ、とその時、ヘレナの背筋に強烈な寒気が走った。
 いや、寒気と言うより、全身の熱を力づくで奪われたような強烈な初めて味わう感覚だった。
(へ、ヘレナ様……?)
 グレタが声をかけてくる。あいつも何か感じたらしい。視界を動かすと、他の《エンジェル》や《ウサギ》の動きも鈍くなったように見える。
 何か感じた。今まで感じたことのない強烈な圧力を。しかしこの感覚自体は知っていた。
 これは――殺気だ。
 どこから? 何者、いや何物がこれを発しているのか。視線を巡らせるが、一瞬の知覚はもう消え失せ、どこからかわからない。
 だがその場にいた人間、否、《ウサギ》も凄まじい殺気に怯え、誰もが戦わずその場で固まっていると突如、
 轟音が、響いた。

    ***

 ――それより時間は少し遡る。

 土砂崩れのような音、鉄と鉄がぶつかり合う音、獣の叫び声も狭い峡谷は反響して一機とマリーの元へ届けたが、今のところ音だけで実害はなかった。
 もっとも、恐怖とパニックを煽るだけならそれだけでも十分過ぎたが。
「あああああどうしよどうしよ、よりによって親衛隊とぶつかったときにこんな大群来るなんて、ていうかあいつらがあんなにおびき出したのね、畜生畜生! 罠はあいつらがぶっ壊したし、これじゃ退治できないじゃない! こっちの《ゴーレム》じゃどうすることも……ああああぁっ!」
 なんて喚き散らしながら、マリーは周囲を走り回っていた。それも頭をかいてオタオタと典型的なパニック状態で。それを一機は冷めた目で見ている。人間自分よりあわてている人間が傍にいると逆に冷静になるものなのだ。
「……俺がさっき言った予想、完全に当たったな。喜んでいいんだか悪いんだか」
 無論、悪い。状況はさっきよりはるかに酷くなっている。
 もうマリーを逃がすどころか、自分の命すら危うい。あの魔獣の怖さは殺されかけた自分がよく知っている。すぐに逃げるべきだが、敵がどこにいるのかもわからない。
 そして、親衛隊の連中はどうだろうか。前回は皆武装していたし、開けた場所だった。ところが今は深夜で大半は寝ていたはず、場所もこんなところでは狭くて戦いづらいはず。あっちもやばいに違いない。あいつらはシルヴィア王国きっての親衛隊、なんて言葉は真実を知ってしまった今意味がない。
 やばい、どうにかしないと。そう頭に浮かぶものの、何も思いつかない。
 だが、一機が感じていたのは恐怖ではなく、苛立ちであった。
「……くそっ!」
 ドン、と横にあった金属製の物体を拳で叩いた。さして鈍い音もせず、揺らすこともなかった。一機の無力さを証明するように。
 呪わしかった。自分の無力さが。あっちの、絶望の国(ナイトメアワールド)にいた頃と何も変わらない自分が。
 無用だった。自分の存在、自分の必要性。何もない世界だった。だからこそ、求めた。自分の力が必要とされる世界を。願った。己の能力を生かせる場所を。そして手に入れた。はずだった。
 だというのに――情けないとしか言いようがない。結局自分はどこに行っても役立たずのままらしい。
「――いや、んなこた知ったことじゃない」
 一旦頭を冷やす。うなだれた胸元には、あのペンダントがぶら下がっていた。脳内に浮かぶ、ヘレナや麻紀、グレタたち親衛隊の姿が一機の胸を締め付ける。
 自分のことなどどうでもいい。カラッポな男の何もないプライドなど、知っている者達が危険にさらされている現状に何の意味があるのか。初めて己の無能を嘆くより、他人の身を案じた気がした。
「なんとか……なんとか……」
 なんとかしないと。なんとかしなければ。いくら気ばかり焦っても、名案が出るわけもなく。一度も信じたことのない神に祈り、血がにじむほど握った拳でもう一度金属製の物体を叩く。――と、そこで一機は、自分がさっきから何を殴りつけてたか気付く。
「……ん?」
 魔神。FMN。五十年前のグリード侵攻で伝説となった機体。そして、整備は滞りなくされているものの何故か動かない。
「……なあ、マリー」
「ええいこうなったら、このピストルであの旅人が言ってたテッポーダマを!」
「そいつヤがつく職業だったのか? そんな小型の銃があんなデカブツに効くもんか。いいから話聞け」
「何よっ! 今こっちは忙し」
「《サジタリウス》、動かせないかな」
「……は?」
 思わずマリーは銃をポロリと落とし、また暴発させてしまう。
「だぁう! だから危ねぇっつーの! 拳銃持ってる時は気をつけろ!」
「い、いやいや、あんた何言ってんの? 動かすって、だからそいつは動かないって何度も言ったじゃない! 第一、動かすって操縦者もいないのよ、いったい誰が……」
「俺だよ」
「はい!?」
 さっきまでとは違う意味でパニックに陥ってるマリーは面白くて一機は笑いそうになるが、時間が無いのでそのまま続ける。
「俺が乗るって言ったんだ。《サジタリウス》は見た目通り砲撃戦専用機。この口径からして砲弾は十五センチは下るまい。あの化け物ウサギの強度なんか知らんが、これだけの大口径なら十分過ぎるだろう。何匹いようが、圧倒できるさ……ところで、なんだその「おっしゃってることさっぱりわかりません」みたいな顔は」
「いや実際わかんないし! こいつがどんなものかなんて知らないけど、動かないものが役に立つわけないでしょ!? どうしてそんなに乗ろうなんて……!」
「やってみなきゃわからん。とにかく乗せろ」
「ちょ、無視しないでよ! だいたいあんた新人なんでしょ!? まともな訓練してない人間がMN操縦するなんて無理よ! どうしてそこまで……!」
「知るか」
 きっぱり、言いきった。続ける台詞は力も勢いも無く、ため息を吐くように弱々しかった。
「無茶なのはわかってる。できないかもしれんし、動かせても化け物どもに返り討ちにされるかもな。それ以前に、俺の力がなくたってあいつらが魔獣を倒す可能性だってある。徒労に終わることもあり得るさ。どっちにしろあいつら感謝するどころかボコボコにされるだろうな……ただ」
 なんとなく、ネックレスを胸から出し、銀細工をぶらぶら揺らす。それを見ていると、何故か心が安らぐ気がした。
「このまま何もせず――ただ終わる。俺にとって最悪の結果で終わるってのは――嫌だ。どんだけ無残な結果になっても、それを防げるかもしれないなら、それに賭けたい。自分には関係ないってほざくには……あいつらと関わり過ぎた」
 そう、理由はなかった。
 ただ、できるならばしたい。可能ならば力を貸したい。そんな衝動的なことだった。
「…………」
 言葉を失ったマリーを無視して、搭乗口を探す。前は横に倒れていたから乗れたが、どこかから登る手段があるはず……
 ぐい、とシャツの裾を引っ張られた。振り返ると、目を逸らしたマリーが指さしている。
「……あそこにあるでしょ、ラッタル」
 言われて視線を向けると、装甲の表面にたしかにラッタルらしきものがある。これで上り下りするのか。
「ありがと……って、いいのかよ」
「……好きにしなさいよ。どうなっても知らないけど」
 こちらに絶対目を向けないマリーは、何かを耐えているようだった。気にはなるが、時間がないので会えて無視することにした一機はラッタルを登ってコクピットにたどり着いた。
「ええと、たしかここら辺にハッチが……あった! そんでもって……うし、開いた!」
 なんとか飛びこむようにコクピットに入り込んだ。整備はきちんとしているというのは本当で、五十年前の中古品にもかかわらず数日前に乗った《エンジェル》と変わりない内装だった。
「おお、きちんと透けて見える……おい、コクピットにシートベルトとかないけど、どうやって体固定するんだ?」
「コクピット? シートベルト? よくわかんないけど、MNは専用の鎧があって、そこに窪みがあって席と接続することになってるの。鎧着てる暇ないから、ロープででもくくってなさい」
 そう言ってマリーはロープをぶん投げてきた。一機がシートを確認すると、なるほどたしかにフックみたいなのがある。正直MNの揺れは体験済みなのでロープではかなり不安だが、贅沢は言ってられない。
 とにかく今は動かすことが重要と、一機はシートに座る。思考制御なのだから、とりあえず心を落ち着かせ、目を閉じてみた。
「MNはね、動かすっていうより、一体化するとか自分がMNになるって感覚でやりなさいよー」
「あいよ」
 教えられたとおり、シートに触れている部分から神経を伸ばすイメージで意識を集中させる。前に試した時まったく動かせなかったことは頭の隅に追いやり、とにかく動かそうと必死になった。
 だんだんと、意識が遠のいてくる。いや、意識があるが、広がったというか開けたというか、急に背が伸びた気がしてきた。自分がどんどん大きくなっているような感覚に身を委ねていると……
 突然、右腕に風穴が開いた。
「……!?」
 異変はまだ続く。一機の肉体に重しがのしかかった、いや、体重が激増した。自重に潰されるという異常を味わっていると、足の裏が平たくなり、ウジやらミミズがまとわりついている不快な感覚がきた。さらに背中に背負った荷物から伸びたものが腕に突き刺さり――
「う、うわぁ!」
 たまらず目を開け、MNのコクピットから飛び出した。いきなり落下してきた一機にマリーも目を白黒させる。
「ちょ、だ、大丈夫!?」
 あわてて駆け寄るものの、幸い一機はケガを負ってなかった。ただし全身汗まみれで、息を荒々しく吐いているが。
「はあ、はあ……いやいや、大丈夫、問題ない」
「だから言ったじゃない、無理だって! こう気持ち悪いというかなんというか……とにかくできないってこれでわかったでしょ?」
「いんや――問題ないって。やっとわかったよ、何で誰もこいつを動かせなかったのか」
「え?」
「簡単な話だ。こいつが……《サジタリウス》があまりに人間離れしすぎてたからさ」
 体感してみて文字通り身にしみてわかった。全ては《サジタリウス》の異形さが原因だったのだ。
 思考制御、擬似的に意識をMNと一体化させるというのであればその機体は人体に似れば似るほどいい。当たり前の話だが操るのは人間なので、同じならば同じであるほど同調しやすいはずだからだ。
 しかし《サジタリウス》は右腕には大砲搭載、装甲は通常の数倍近く、足の裏なんか履帯となっていて人間なのはおおよそのフォルムだけ。そんなのと一体化したら、異物感で気持ち悪くなるのが道理だ。四十五年間動かせなかったのもそこだろう。
 多分、五十年前これのパイロットしていた人物はアマデミアンで、戦車兵とかだったに違いない。それならばなんとかイメージできるはずだ。
 それを説明すると、さすがに機械オタクだけあってだいたいは理解したらしい。少し言いづらそうにしていたが、意を決してマリーは口を開いた。
「人間離れって、そんなんじゃ操縦できないじゃない。やっぱり無理だって、あんた諦めたほうが……」
「いいや、可能だね」
 え、と目を見開くと、そこでマリーは初めて気付いたようだ。
 数メートルから転がり落ちてさっきまで青くなっていた一機の顔が、醜いほど歪んだ笑みになっていることを。
「くくく、なるほどなるほど。やっぱこいつは《サジタリウス》だよ。まるで俺にあつらえたみたいじゃん」
「な、何? ちょっとキモいんだけど、頭打った? ていうか打ってるわよね、血出てるし」
 精神が高揚していた。鉄の匂いが一機を燃え上がらせ、口に入った塩分が活性剤となる。
「いやそれあんた血流れて口に入っただけだから! てか出血量やばくない!? ちょ、だから登っちゃだめだって!」
 ぎゃーぎゃーわめきたてる女を無視して再び《サジタリウス》に乗り込んだ。マリーがやかましいのでハッチを閉じてからまたシートに座って目をつむった。
「一機! やめなさいって! 無理だってわかったんだからやめときなって! できないものをどうして……!」
「できるって。可能だよ。俺なら……いや」
 一旦言葉を切ると、唇をなめ、ニヤリと笑う。
「『週末の悪魔』シリア・L・レッドナウにはこの程度のこと、余裕なんだよ」
 外でキョトンとしたであろうマリーを無視して、一機は瞑想に入る。
先ほどと同様に、神経を伸ばすイメージで。より強く、より早く。
やがて、またあの不快感がやってきた。右腕が、足が、肩が、頭が、全身が異形へと変質していく。それは一機に恐怖を与えたが、等しく快感をもたらしていた。
――なんであの日、麻紀にはできたMNの操縦ができなかったか。もう、わかる。
MNの操縦方法を聞いた時は、単にあいつが弓道部だったからとか体力的なものかとか思っていたが、違う。もうどうしてだかはっきりわかった。
単純に、一機に動かす気がなかっただけだ。
あの時、完全に臆していた。命の危機が迫っているというのにまたしても精神的に退いた、逃げだしていた。だからこそMNの指先一つも動かせなかったのだ。ヘレナたちが助けてくれたからいいものの、心底呆れかえる男である。自分のことだが。
だけど、今度はそのヘレナたちがピンチという有り様。もう自分を助けてくれる人間はいない。逃げる場所もない。せいぜいがあの世ぐらいだろう。
だが、死に逃げるわけにはいかない。いや、逃げたくない。
「くく、くくく……」
 全身を銅線か何かがはいずり回るような感覚に一機は苦悶の表情を浮かべるが、今度は飛び上がったりせずひたすら耐えている。
 自分の命だけなら別にいい。こんな男の腐ったようなの一文にもならないし、腹の足しになるならむしろ貢献すべきかもしれない。
 でも、かかってるのは自分だけでなく、あいつらの命も。そう思うと、いくらきつくてもやめる気にならない。
 恐らく、できなかったとしても、ここでやめる方がよっぽど後悔するだろうし――
「――試した連中は、《サジタリウス》を同調、いや、理解できなかったんだ。だから操縦できなかった。だけど俺ならできる。だって――」
 血で汚れた顔を腕でぬぐい、もう一度哄笑する。
「このシリア・L・レッドナウ、戦車の動きなら誰でも知ってるんだよ」
 そう一機――鉄伝最強プレイヤーの一角『週末の悪魔』の片割れは、大出血人間には思えぬほど力強く宣言した。
 最初に《サジタリウス》に乗ったパイロット、恐らくアマデミアンの戦車兵か何かだった彼以外操れた者はいない。一機はそれを、試したのが非アマデミアンかアマデミアンでも一般人だったからだと踏んでいた。
 故に、履帯がどうやって動くとか、大砲の構造などが理解できなかった。だから余計に異物感が強かったし、ある程度同調したとしても動きを再現することができず結局起動させるなんて無理だったに違いない。戦車どころか自動車もない世界にそれを求めるのは酷というものだろう。
 しかし、一機は違う。
 四年近く履帯駆動のロボットを(二次元だけど)操り、戦車や大砲の知識を吸いまくったオタク魂(スピリット)は、文字通り身に刻まれている。実物を動かしたわけではないが、想像など容易だ。
『炎の魔神』、否、もはや《サジタリウス》と呼ぶべきこの機体は自分を待っていた、そう一機は信じていた。何の根拠も理屈もないが、今の一機を突き動かす動力源はそれだった。
「……楽園へご招待、か。楽園と言う割にはずいぶん変な世界へ連れてかれたが。しょっぱなから化け物に顔舐められるはのぞき魔扱いされるわ踏みつぶされかけるわ死にかけるわ」
 呟いている中で、同調をどんどん高めていく。大きな輪と化した足は履帯の一枚一枚まで、砲身と化した右腕は先のライフリングまで。脆弱な自分の肉体から、最強の魔神へと転じていく。
「でもここんとこ、楽しく思えてきたんだ。楽園には程遠いが、悪くはないって……だから、こんなところで潰されてたまるか。失ってたまるか」
 やがて、機体全てに神経が通ったイメージができた。だがいくら念じても動く気配はない。かっと目を開き、一機は叫んだ。
「魔神だとかFMNだか大層な名前だが……こんなところで寝てるだけの代物がぁ、偉そうにふんぞり返ってんじゃねえや! 俺の、俺の居場所を守るために、動けや《サジタリウス》ぅ!!!」
 咆哮が、谷全体に響き渡り、その場にいた全ての生命体に叩きつけると同時に、
 ゆっくりと、世界が揺れた。
「お、うお?」
 地震かとあわてた一機だったが、よく見ると動いたのは一機自身だった。
 正確には、一機の乗っている《サジタリウス》だが。
「え? え……?」
 よくわからず、なんの気なしに目をこすろうと右手を上げようとしたら、右手は上がらず、変わりに《サジタリウス》の砲身(みぎうで)が動いた。
 驚いて顔を上げようとすると、ガコンという鈍い音がして《サジタリウス》の首が動く。マリーの絶句する表情がコクピット越しに見えた。
「こ、れ……」
 信じられず、足に力を込める。ゆっくり、初めて歩くように、一歩に神経を集中させ。
 ドシンと、そのメタボな体格に似合った重厚な音がした。一機の足元にある《サジタリウス》の右足は、たしかに一歩進んでいた。
「は、はは、ははは……」
 理解が届いてなかった一機の頭に、実感が生まれると、歓喜に震え叫ぶ。
「はーはっはっはっはっは! ひゃーはっはっはっはっは! やったぜおらぁ! どーだどーだ! 『週末の悪魔』の底力思い知ったか! あっはっはっはっは!」
(うっさいわよ一機!)
「おわっ!」
 出血といろいろ溜まっていたフラストレーションが吹っ飛んでテンションがMAXレベルに上がっていた一機だが、突如声をかけられビビる。マリーだろうが、コクピットからは姿が見えない。
「あれ? ど、どっから声したんだ?」
(外からじゃないわよ、操縦席の前に小さい箱あるでしょ? そっから)
「おおこれか。お前いくら俺より小さいからってこんな小さな箱に入れるってびっくり人間か。テレビで人気者になれるぞ」
(なわけないでしょ! その箱の中には、『ジスタ』って霊石が……ええと、しにかく遠くの人と話せる石が入ってるの! MN間ではこれで話すのが基本! わかった!?)
 そういえば、麻紀とMNに乗った時も謎の箱を通してヘレナと会話したが、あれはそういうシステムだったのかと一機は悟った。『アマダス』といい『ジスタ』といい、この世界には変な石が多い。
(でも、まさか本当に動かせるなんて……なにやったのアンタ?)
「ふん、こんなのシリア・L・レッドナウには余裕ってこった」
(は? シリア?)
「説明は後だ! ようし、行くぞ《サジタリ……あれ?」
 そのまま全力発進しようとしたが、ピタリと硬直する。
「……なあ、マリー。これ、どうやって外出すの?」
 よく周囲を確認すると、《サジタリウス》を移動させられるような広い通路はない。動かせないというのはこの機体ではなく運搬経路も問題だったのではという最悪のオチが浮かんだ。
(ちょっと待ってなさい。ちゃん出し方あるから。左側にあるレバー、引ける?)
 視線を向けると、真横の壁にMNの大きさに合わせたレバーがあった。これを動かすのか。
「これを引けばいいんだな? よいしょ」
 ガコン、と言われるままレバーを引く。ギギギ……と歯車が動くような音がしたが、別段まわりに変わったところはない。どうするのかと不思議に思っていると、
「うわぁっ!」
 急に地面の底が抜け、《サジタリウス》ごと落下した。固定されていない身体は内部で浮遊し、全身をしたたかに打ちつけた。
「つう……なにが起こっ……え?」
 気がつくと、《サジタリウス》の機体は金属に筒まれていた。上には大穴があり、そこに落ちてきたとわかる。周囲の金属は円形に囲っているらしく、《サジタリウス》がはまるかはまらないかの狭い隙間があり、足元には蓋のようなものが存在した。
「……………………」
 一機は、何故だかわからないがものすごくやばい予感がしていた。全身からとてつもなく嫌な汗をダラダラかく。
「……マリー?」
(なによ一機、時間がないんでしょ? さっさとロープで身体縛って!)
「ロープで縛って、何する気? この、筒みたいなのにはめてどうするのよ?」
(ええと、カタパルトだったっけ。やばい時にはこれで出撃できるようにって、備え付けの設備があるのよ。使ったことないけど)
「か、カタパルト?」
(そ、カタパルトに入れて、ドーンて発射するの。たしかその《サジタリウス》の右腕と同じ原理って聞いたわよ)
「ちょい待ち! それはカタパルトじゃなくて人間大砲だぁ!」
 顔が出血以外の理由で真っ青になる。無茶苦茶だ。いや、原理は正しいが思考が無茶苦茶だ。こんなデカブツを大砲で撃ち出すなんて狂っている。四十五年前の残党どもは何を考えていたのか。確実に《サジタリウス》が砕けるかこっちが中でシェイクされ死ぬに決まっている。
 そうこう一機がパニック状態に陥っている間にもギギギギギとか機械が動く擬音が響く。マリーは本気で実行するつもりだ。
「や、やめろ中止しろ馬鹿! 無理だから不可能だから死ぬから俺!」
(ああもううるさいっ! もう準備は完了したから後は点火するだけ! だからさっさと身体固定しなさい!)
「ままま、まったああああああああっ!!」
 怯えた一機はあわてて脇に置いてあったロープで身体をコクピットに巻きつけようとするが、急いでいるので上手くいかない。必然間に合わず、
 下部から大量の火薬が爆発し、突き上げるように《サジタリウス》を天へ吹き飛ばした。
「わああああああああああああああああああああああっ!!」
 強烈なGを全身に浴びた。

 旧式の大砲のように後部から火薬を詰め、大砲内部に《サジタリウス》を入れてから空高く射出する簡易カタパルト――正確には人間砲台は、巨大で重いMNを飛ばすため飛んでもない量の装薬が必要であるから、それが発射された際の爆発音はとてつもなく、峡谷全体に轟いた。
 鼓膜が破れるんじゃないかという轟音に驚愕した親衛隊と《ウサギ》の群れは、その中で天高く昇った火の玉を見つけた。
 空に舞い上がった火の玉は、やがて火薬によってもたらされて運動エネルギーを使い果たし失速し、放物線運動を描いて峡谷に落ちる。地面に激突しても昇って落ちる際生じた運動エネルギーはそれだけでは相殺されず、峡谷内で激しく弾みまくる。一機たちの痛世界ならゴルフボールを思い出させる火の玉、《サジタリウス》のバウンドは、やがて地面を大きく削って停止する。
 なんという奇跡か、あれほど激しくバウンドしたのに、《サジタリウス》は目立った損傷もなく、機体は座ったような体勢で立つことも可能だった。
 もっとも、それは《サジタリウス》だけの話なのだが。
「う、ぐが、がが……」
(ちょっと、一機聞こえる? ねえ、一機ったら! くたばった?)
「……うるさいよ、マリー」
 全身の激痛に耐えつつ、うめくように一機は返した。これは《サジタリウス》にシンクロしているせいでダメージが伝わったか、もしくは普通に一機の肉体に来たのか、判別できなかった。
(何よ無事なんじゃない、さっさと返事しなさいよ。死んだかと思ったわよ)
「……死んだら真っ先に貴様を祟ってやる」
 ロープなど、気休めにもならなかった。いや、本当に巻かなかったらコクピット内でシェイクされミンチになっていたろうからとりあえず巻けてよかったのだが、人間大砲にされた身としては大差なかった。
 異世界なのに、重力と物理法則がきちんと存在していることを呪いたくなった。というか誰だこんな奇跡が何度も発生しなければいけない発射装置作った奴は。とっくに死んでいるだろうが、会って殴り倒したいと一機は憎しみを強くした。
(乗せてあげたんだから感謝しなさい! で、どうなのよ『魔神』――《サジタリウス》は。動かせそうなの?)
「ん……ええと、なんとか問題なさそうだな。あれだけガチャンガチャンやって無事て、メガラの科学力恐るべし……」
(一機!? この声は一機かっ!?)
「のわっ!」
 突然別の声が割り込んできた。通信機越しにもわかる、ヘレナの声だ。
「え? え? なんでヘレナの声が聞こえるの? この通信機?」
(通信機……おい、まさかさっき墜落してきたMN、乗っているのは一機か!? いや、あいつがMNに乗れるわけが……)
「ああ、いや間違ってないよ。さっき落ちてきたの、俺」
(なんですって!? どうしてあなたがMNに乗ってるんですか!)
 今度はグレタが割り込んできた。彼女らは当然MNに乗って戦っているはず。『ジスタ』とか言ってたが、その石は同じ場所で使うと混線してしまうらしい。
「えーと……すいません、全身痛くて説明すんのめんどいからしなくていい?」
(ダメに決まってるだろ! 一瞬で良く見えなかったが、おかしな造形のMNだったな、どこにあったんだそんなもの!)
(おかしな!? ふざけんじゃないわよ親衛隊! こいつは五十年前シルヴィアを恐怖のどん底に落とした『炎の魔神』よっ! あっはっはっはっは!)
(なんですって!? ……ていうか、誰ですかこの声?)
(あああぁぁっ!)
 マリー、自爆。みんないい感じにパニクっているが、騒ぎの張本人は落ち着いて周囲を確認した。
峡谷のどこら辺かははっきりしないが、とりあえず広い所に出た。戦闘の音からして戦場からそれほど離れてはいない。見る限り《ウサギ》は存在せず、落下直後敵だらけという最悪のパターンは回避できたとひとまず安堵する。
しかし……
(とにかく、素人がMNなんぞ動かせるか! どういう経緯で乗り合わせたかは知らんが、そこを動くな! 『炎の魔神』だろうが、動かせないMNなど邪魔なだけだ!)
「ああいやヘレナ、こいつの名は『炎の魔神』じゃない、《サジタリウス》ってんだ」
(な、なに? さじた……一機、今なんて)
(《サジタリウス》!? 一機さん、どういうことですか!?)
「うわぁっ! なに、お前がどうしてこの通信入ってきてんの!?」
(あ、私は『ジスタ』の原石持っていますから――じゃなくて! 一機さんいない間何してたんですか!? マリーとやらとどんな話したらそうなるんですか!)
「説明すると長いからな……後でにしてくれ。今はこいつの鳴らし運転だ。てなわけで、ヘレナ」
(な、なんだ?)
「すまんが、兵たちを密集させてくれ。なるべくMNで囲んで、非武装の兵の安全確保に専念。主に落石とかからな」
(はぁ? 一機、あなたどういうつもり……)
(……っ! ヘレナさん、グレタさん、親衛隊の皆さんも従ってください! 危険ですからっ!)
 さすがに察しがいい麻紀はあわてて叫ぶ。その間一機は《サジタリウス》の右腕、砲身を天高く持ち上げる。ただし垂直ではなく、少し角度をつけて。
 思い出す。アイアンレジェンドで慣れ親しんだ動き。キーを押す手が必要なくなり、回るイスではなく本物の操縦席に座っていたとしてもやることは一緒。
 だがパソコンの画面は存在しない。目の前には硬い岩と砂の崖。耳にするはBGMではなく、魔獣の雄叫びと鉄が激しくぶつかり合う音。
 右腕の砲身に取り付けられたフォアグリップを握る。ターゲットは何もない空、ではない。スコープサイトも表示されないが、長年のカンでだいたい見当をつける。
 ぐっと、存在しないトリガーに手をかけた。と同時に、自分の手のひらに汗がにじんでいることに気付いた。
 大丈夫、問題ない。いつも通りいけば余裕だ。そう言い聞かせ、『的場一機』から『シリア・L・レッドナウ』へと変貌していく。
「最初が崖ってのが少し寂しいが……祝砲といこうじゃないか、《サジタリウス》ぅ!!」
 声を張り上げると同時に、架空のトリガーを引く。
 それに連動して、大砲に装填されていた砲弾が爆音と共に発射された。
「づうぅっ!!」
 発射時のバックファイヤ、その衝撃が来た。これは予想範囲だったが、一機を襲った激痛はそれに留まらなかった。
 右腕(たいほう)から、骨か何か(ほうだん)が飛びだした。そう表現するしかない、日常ならあり得ない痛みが襲いかかった。
 砲身の内部は装薬が爆発した熱で焼けて熱い。現実なら腕が焼けただれ痛覚など無くなっていようが、一発ぐらい撃ってどうにかなる大砲ではなく燃えた苦痛だけがリアルに伝わってくる。
 これが《サジタリウス》。こんなものに五十年前乗れたパイロットはどんなドMだったんだと一機は涙目になるが、その代償の代わりに得られるものは大きいとすぐに知る。
 空に向かって放たれた《サジタリウス》の砲弾は、さっきの《サジタリウス》本体のように放物線を描いて地に戻ってきた。落着地は峡谷の崖。しかも真上である。
 先端から落ちた砲弾は《サジタリウス》のようにバウンドすることなく、崖に突き刺さりそのまま潜っていった。
 瞬間、崖が爆発した。
 音と衝撃波と砕けた岩をそこら中にブチ撒け、崖は大きな穴をあけ崩れた。向かいの道が見えるのを確認した一機は、砲撃のに加えて岩がぶつかった痛みをこらえ、使い終わった薬きょうが大砲の横から落ちるのを確認しつつ分析する。
「……徹甲弾、遅延信管。詳しいタイミングはわからんか。目標にもほぼドンピシャ、角度はちとずれたが、誤差の範囲内。鉄伝で大砲馬鹿呼ばわりされた腕前はこっちでも通じるか。あとは何発か撃って、こいつのクセを把握しておくか」
 一発目に撃ったのは、試し撃ち。知りたかったのは砲弾と信管の種類、あと大砲の狙いがどこまで正確か。
 徹甲弾は主に戦車や軍艦に対して用いられる砲弾で、硬い装甲を貫くために用いられる砲弾。遅延信管は砲弾内の爆薬を起爆させる信管の種類で、着弾してすぐ爆発するのではなくある程度時間が経ってから爆発するタイプ。徹甲弾と組み合わせれば敵の内部に入り込んでから爆発することができる。崖に潜ってから落ちたのなら間違いあるまい。
 問題は大砲のクセ。砲というのは大量生産品でもそれぞれクセが存在する。それは作られた時からのもののみならず使用、保存、損傷などその武器が存在した歴史からも生じるやむを得ない事象だ。しかも大砲というのは砲弾を撃つと熱により膨張する。そこら辺を計算に入れて修正し射撃しなければ当たるものではない。そういった大砲自体のクセがあるのは仕方がない。問題はそれを把握し、どう修正するか。こればかりは撃たなければ理解不能だ。
 だったら撃ちっぱするか――ともう一度射撃体勢に入ろうとしたところ、通信機からまた声がしてきた。
(な、なんですか今のっ。いきなり大きな音がしたかと思えば火の玉が落ちて、崖が吹き飛んで――)
(すごい破壊力……ねえ、今のが『魔神』の、《サジタリウス》の力なの?)
(間違いなくあれは大砲――やっぱり、《サジタリウス》は大砲持ちなんですね一機さん?)
(大砲!? 馬鹿な、私も大砲くらい知ってるが、あんな威力を持った物は聞いたことないぞ! なんなんだ、あれは!)
 またしても四人から動揺があからさまにでている通信が。こうさせたのは自分だと思うと気分がいいが、浸っている時間はない。早くならしを終わらせる必要がある。
「説明は後でにさせてくれ。マリーも、どこか安全な場所に隠れておけ。これからならしするから」
(ちょ……! だから止めなさいって! 皆さん、戦うのは一旦止めて身体を低くしてください! 危ないですよ!)
(危ないって、何する気ですが!?)
「だからならしって言ってるでしょ。つまり……」
 また《サジタリウス》の大砲を構える。今度は正面、穴の開いてない岩肌に向けて。
「巻き添え食っても知らねーってこった!」
 構え、自動装填されていた砲弾を発射する。十五.五センチ砲の射程からすればゼロ距離ともいえる場所にあった崖はほぼ直線で崖に喰らいつき、中心まで貫くと爆発した。粉砕された小石がぶつかってくるのにも構わず、別の場所にまた砲撃、三発、四発目と続く。
 数瞬前まで崖を構成する一部分だったものが空から飛来する流れ星と化す。そんな有り様にパニックを起こさない動物がいるわけない。《ウサギ》はわめきながらそこらを走り回るし、親衛隊隊員たちは、やっぱりキャーキャーわめきながらそこらを走り回っていた。一応麻紀の指示に従い固まって岩から身を守る者もいるが。
(ええい、何をしているか知らんが止めろ一機! こっちまで被害が及ぶ!)
(無理です、トリガーハッピーって人種は一旦銃持つと誰にも止められない馬鹿なんです馬鹿! ああもう酒入ってるからってやりすぎですよ!)
(とにかく皆さん降ってくる岩に警戒! MN非搭乗の者を最優先に守りなさい! 一機は止めなさいと言ってるでしょう! 何が慣らしですか!)
「だから言ってるだろならしって。正確には……」
 そう言ってる間にも、視線改めスコープは新たなターゲットたる崖に向けられている。アルコール&出血で意識がはっきりしない&元より大砲馬鹿なのに加え発射時の激痛がスパイスとなり、もう発狂レベルで昂ぶっている一機だが、行動は恐ろしく冷静かつ合理的だった。
「地ならし、だけどな」
 轟砲が火を噴く。文字通り炎に焙られる痛みに耐えつつ、一機は、鉄伝最強プレイヤーと呼ばれたシリアは笑みを崩さない。
 さっきまで《サジタリウス》を囲っていた崖は、もう崩れてほとんど原形を留めていない。砲弾の直撃を喰らったところは大穴が開いている。多少の起伏はあるが、通る分には余裕だろう。
 そう、今までの目標崖という寂しい砲撃は、全て小回りが利かず狭いところでは不利な《サジタリウス》のための地ならしであった。「邪魔な障害物があれば壊しちゃえばいいじゃん」とは大砲屋の決まり文句で、割と良くやること(麻紀の《クリティエ》も何度か巻き添え食らって撃破されかけた)だが、砲撃の余波を受ける身としてはたまったものではない。親衛隊も《ウサギ》も等しく悲鳴を上げていた。
 やがて激しい連射も終わり、あたりはきれいサッパリ……になるわけがない。砂が舞って視界が全然確保できなかった。
「つぅ……ここまで撃ちまくるといい加減痛みにも慣れてくるな。いちいち意識が飛びそうだが……しかし」
 飛ばすわけにはいかない。言外に付け足すと、砂の霧が収まってきた峡谷に目を戻す。
 開けた空間には、白い毛むくじゃらと犬歯をむき出しにした《ウサギ》の凶悪な顔がいくつもいくつも並んでいた。一匹の例外もなく、一機に、《サジタリウス》に対して殺意をむき出しにしている。
「ま、そりゃ怒るよなあ。いきなり大砲ドカンドカンうって岩ビュンビュン飛ばしてきたら」
 数日前襲われた時はビビっていたくせに、今にもあくびをかきそうなくらい一機は落ち着いていた。一見するだけで十数匹はいるであろう化け物たちに対して存外冷静でいられるのは、今鋼鉄の壁に閉じこもってるためだろうか。否、そうではない。
 一機に、シリア・L・レッドナウにしてみれば、画面(モニター)越しに向けられる殺意など、飽きるくらい浴びせられたものに過ぎないからだ。
《ウサギ》の何匹かが、威嚇に吠える。毛を逆立て、うなり声を上げ、血ばしった目でこちらを睨む。飛びかかってくる気であろう。
「さて――こっちも崖ばっか撃ってて閉口してたところだ。記念すべき《サジタリウス》獲物第一号となってもらおうかね」
 再び大砲を向ける。今度のターゲットは魔獣《ウサギ》。ド真ん中をぶち抜く気で構えた。
「日本人としては四十六センチ砲(フォーティシックス)じゃないのが残念だが……喰らえ、《サジタリウス》の十五.五センチ砲(フィフティーンファイブ)を!」
 実際の口径なんぞ知る由もないが、それくらいだと勝手に納得し、トリガーを引いた。
 砲弾後部、薬きょうに詰められた装薬が爆発し、砲内部に刻まれたライフリングによって回転し一直線に飛んでいく。
 飛んでいくとしたが、開けたとはいえ元々狭い峡谷、十五.五センチ砲からすれば距離はないも同然で、一秒と経たず目標の《ウサギ》に直撃した。
 回転された砲弾は本来硬い鋼鉄で構成されたMNを破壊するためのものであり、いくら強靭でも生物の物に過ぎない《ウサギ》の肢体に対してはあまりに威力が高すぎる。簡単に貫くと衝撃波で二足歩行動物だったものを四散させた。
 だが血で汚れた砲弾はそれで勢いを減退させることなく、地面に突き刺さりそこでやっと爆発する。自分の仲間がバラバラになったことに気付かないケダモノは、今度は自分に何が起こったかわからず爆風によってミンチ化し、焦げたハンバーグが出来上がる。
 かくして、一瞬にして四匹もの魔獣が、己の死を自覚することすら許されずに砕け散った。
「――四匹。一発でこれくらいなら上々か。しかし、我が相棒(サジタリウス)ながら恐ろしい破壊力……おっと」
 感心している暇はない。その間にも《ウサギ》が何匹か突撃してきた。《サジタリウス》の砲身から薬きょうが落ちて次弾が装填される音を聞きながら、照準をそちらに合わせる。
 爆音、発射。今度はヘッドショットのように頭部に命中し、《ウサギ》一匹の首から上が消え去った。砲弾自体はだいぶ後方に落着し爆発、一匹は倒したがその他は軽く火傷した程度で健在だ。
「っ! 砲弾自体が強すぎるか! 貫くにしても砲弾の落下位置を予測して撃たないと……っと!」
 仕留め損ねたのに気を取られていると、左側から《ウサギ》が飛びかかってきた。あわてて《サジタリウス》の履帯をフル稼働させ、全速後退した。足の表面がグリグリ回るという表現できない未知の体験を味わいながら。
「あがががが……っ、だいぶ気持ち悪いなこれ。あんまり使いたくないが、そうも言ってられんか」
 首をキョロキョロ回して状況確認をすると、だいぶ《ウサギ》に接近されていた。月明かりと肉が焼ける匂い付きの炎が照らすところによると、《サジタリウス》の周辺を囲むように集まってきている。目立ち過ぎたようだ。まあ、元から目立つ気だったのでOKなのだが。
「下がった方が適切だな。一旦おとなしくして……ろ!」
 狙いをつける暇も惜しいので、集まっているところに狙いをつけてぶっ放した。地面に落ちた砲弾は地面を抉って大穴を作り、土を砂に変え視界を曇らせる。駐退復座機によって砲身が後退し戻っていくのを、筋肉がずりゅっとスライドするようなおぞましい感覚に震えつつ一機は全速後進していった。
「ああ、つくづく心臓に悪い機体だなあこいつは……さてと」
 地ならしにより広がったとはいえ、やはり峡谷そのものは狭い。目を動かして戦場の環境、敵の位置を把握する。
「また増えてきたな、こっちに何匹向かってきてるのか、おい麻紀、策敵……できるわけないか。ええい、ところ構わず撃つ!」
 勝手の違いを嘆きながら、はんばやけ気味に乱射した。その場を戦ゃなどで使われる、左右の履帯を同速度で互いに反対に回転させることで向きを変える技術、超信地旋回の要領で回転しつつ撃ちまくる様は、傍から見ると滑稽そのものであった。しかし、その回る面白モジュールから飛んでくるのが一撃必殺の砲弾なのだが。
 周囲にいた《ウサギ》はぶちまけられる砲弾の雨にさらされ戦々恐々、爆音と爆風のコラボレーションの前に怯えまどうしかない有り様だった。
 しかし、そうして撃墜スコアを上げている方はというと、
「ぜえ、ぜえ、ぜえ……」
 戦闘開始から数分も経たずにグロッキー化していた。
 元々酔っていたのにいきなり人間大砲、そして地上へノーロープバンジー、大砲発射時の衝撃や高速稼働させると発生するG、どれも引きこもりの体力をガリガリ削るには十分すぎる代物である。
 だが、何よりも一機のささやかな体力を奪っていたのは、MNの操縦そのものであった。
「ぜえ、はあ……MNの精神操作ってのがこんだけきついとは、ヘレナが馬鹿みたいな筋トレやらせた理由わかる……サボんなきゃよかった」
 何せ普段の数十倍体重が増えたイメージで動かすのだ。例えるなら全身に重りをくくりつけられたのと一緒。おまけに《サジタリウス》は通常のMNと違い大砲を発射する、履帯を動かすという人間が行わない、行う必要のない動作を強いられる。そのため余計に神経をそちらに集中させなければならず、疲弊するのは自然だった。
 荒く息を吐き、操縦席に寄りかかり脱力した。MNへのリンクを切るわけにはいかず完全に力を抜けないのは辛いが、突然襲われた際またあの面倒な同調を繰り返すのは危険すぎるのでしょうがないと一機は舌打ちした。
「あー……まあどうせだいぶ撃破したからぐだっても平気だろ。にしても、鉄伝で遊んでた腕がこんなとこで役立つとはな、人生何事も塞翁が馬ってか」
 こうして動かせている一機自身信じられない。鉄伝で四年間履帯を回し大砲をぶちかましていた経験が、身になってこの《サジタリウス》を動かしていた。鉄伝で恐れられる『週末の悪魔』とはいえ実社会では何の役にも立たなかったのに、こんなところで力を発揮できるとは想像していなかった。
 まるで、自分にあつらえたかのような……

――現実に飽きてはいませんか?

 ――どこかもっと楽しい、自分の才能が生かせる場所に行きたいと思いませんか?

 ――貴方を、楽園にご招待しましょうか?

「……え?」
 ふと、脳裏に何の脈絡もなくどこかで聞いたような言葉が浮かび上がった。
 疲れ切った頭ではそれを理解することができず、何の言葉だったか思い出そうとした刹那、
(右斜め後方!)
 通信機から声が飛び出してきた。
「!」
 誰の声かと判断することもせず、完全に肉体が反射でその場で回転、振り返りざまに砲撃した。
 砲弾はかなり至近距離に迫っていた《ウサギ》の胸元を豆腐のように突き抜けていき、撃たれた魔獣はその場に倒れこんだ。
「あっぶね……いかん気抜けすぎてた。接近警報なんてものもないのに油断しすぎだ俺……で」
 ギロリとある一点を睨みつけた。視線の先は、機体からそう離れていない場所にあるまだ健在の崖の上。反転した時見つけたのだ。
 十数メートル以上ある崖の上には、人が一人立っている。炎が照らすその姿は、遠目でも結構酷いものだった。
 髪はボサボサで、服はところどころ汚れており戦場を走ってよじ登ってきたのがわかる。右目と左腕が塞がれている状態でそんなことすればああもなるだろう。手に握った黄土色の石らしきものを口元に当てているが、あれが『ジスタ』とかいう石だと一機は推測した。
「って麻紀、なんでこんなとこいるんだ! 危ないだろうが戦場だぞここ!」
(その戦場を更に危なくしている方に文句言われる筋合いありません。それに、私の仕事は策敵と情報収集のはずでしょフレークさん?)
 フレーク、と呼ばれて奇妙な懐かしさを覚えたが、すぐ正気に戻って叫ぶ。
「何がフレークだ、鉄伝じゃないんだから! 死んじまうかもしれないんだから引っ込めよ!」
(そうですね、死んじまうかもしれませんね貴方が)
「なんだと!?」
(トリガーハッピーって人種は一旦銃持つと周り見ないで暴れ回るんですから、危なくて放っとけませんよ。今だって私が通信しなきゃやばかったでしょ?)
 うぐ、と口ごもる。全く察知できていなかったのだからそう言われると立つ瀬がない。調子づくと暴れるとは麻紀から飽きるくらい聞かされたことだ。
「だからって、今のお前には《クリティエ》もないんだぞ! そんなところで襲われたら終わりだろ、さっさと逃げろ!」
(おや、心配してくれるんですか? 今までそんなこと一度もなかったのに)
「からかうな、それとこれとは別だ! おとなしく……!」
(左前方!)
「っと!」
 声に合わせ大砲を向け発射する。三匹ほど固まって迫っていた《ウサギ》がその中心に撃ちこまれ、上半身の半分を千切られてしまう。身に襲った悲劇に苦痛の叫びを上げることも許されず、爆発に巻き込まれ全身がバラバラになった。
(ほら、私がいないとまともに戦えない。伝説のFMNだからなんだか知りませんが、乗ってるのがこんなのじゃねえ)
「だあぁ、今のはお前と言い合ってたからだ! 余計な心配せんでいいから、おとなしく下がって……!」
 一機が言いかけた時、突然地面が盛り上がった。
「……! こいつは!」
 気付いた時には遅く、地面から《ウサギ》が何匹も這い出してきた。野生の勘でそのまま近づくのはまずいと判断したか、潜って襲うつもりなのだ。
(一機さん!)
「……なら!」
 一瞬で対応を構築した一機の頭脳は、鋼鉄の右腕に命令を伝達し、《サジタリウス》の真下に砲弾をぶち込んだ。
 地に潜った砲弾は発射した親とも言うべきあいてにも構わず爆風を叩きつける。地中にその身を伏せて今まさに突撃しようとしていた《ウサギ》は自爆同然の爆発に道づれとなって岩と鉄(分解された砲弾)の散弾銃を喰らって穴だらけになる。《サジタリウス》も直撃を喰らったが、元が重装甲が売りの金属性なためそれほどの損傷を得ず後方に吹き飛ばされる程度であった。
 元の重量が重量なのでそれほど飛ぶこともなかったが、尻持ちと地面に落ちて激震したコクピットに一機はクラクラした。
「あたたたた……とっさに思いついたにしては上手くいったな。真っ白毛むくじゃらもだいぶやれたし、好成績好成績」
(何が好成績ですか! 自分ごと爆破って、自殺志願者ですか貴方は!)
「えー、鉄伝ではよくやった手じゃん。囲まれた時とか。第一、大砲ってのは同じ威力の砲弾喰らっても自分が破壊されないよう設計されてるもんさ」
(それは軍艦の装甲の話でしょうが! MNまでそんな設計されてるかわからないでしょ! 砲弾に誘爆する可能性もあるし、もうちょっと考えて行動してください!)
「うるさいなあ、世話女房みたいに小言言うな」
(っ! せ、世話にょ……な、何馬鹿なことほざいてるんです! 左斜め前、三匹来ましたよ!)
 妙に声を上ずらせながらも伝達は忘れない。一機も即反応し、大砲を構えた。
「ふん、何匹まとめて来ようが無……駄……?」
 慣れた仕草で、敵集団に一発喰らわせてやろうとした途端、突如力が抜け、身体にのしかかってた重みが消失する。操縦席で座ったまま前のめりに倒れる。
(か、一機さん!?)
「やば……こんなに早いだなんて……」
 一機にはすぐ何が起こったかわかった。《サジタリウス》との同調が切れたのだ。
 理由は考えるまでもなく、体力不足。全神経を集中させ必死に維持していたその時間は、十分にも満たない微々たるものだった。もう一度念じても、ウンともスンとも言わない。シリア・L・レッドナウの時間は終わったのだ。
 だとしてもここはゲーム世界ではない。動きが止まった敵に躊躇することなく《ウサギ》は襲いかかってくる。もう脱出も何もできない。出ようとする体力すらなかった。
(一機さぁん!!)
 麻紀の悲鳴のような叫びが聞こえてくる。そんな中、一機は唇を噛んだ。
 死ねるか、こんなところで。これだけで死ねるか。まだ何も果たしてない。あいつらを救うことだってできてないのに、死ぬだなんて――
 残る力を振り絞り、視力を尽くして《サジタリウス》を動かそうとするが、もはや伝説の魔神もそれに応えようとはしなかった。
 そんなことをしていると、《ウサギ》が眼前に迫ってきた。大きく口を開け、その牙でこちらを砕こうとする様に戦慄すると、爪が振り下ろされ……
(――だから言ったんだ)
 その瞬間、横から光が飛び込んできて《ウサギ》を突き飛ばした。
 崖に叩きつけられた《ウサギ》は剣を突き立てられていて、断末魔をしばし上げると絶命した。
「あ……?」
 消耗が激しく視界もぼやけた一機が理解できていないと、剣を魔獣の肉体から引き抜いた巨人が言葉を続けた。
(素人は引っ込んでろ、とな)
 一機の前に、真紅のマントをはためかせた銀色の巨人、《ヴァルキリー》が颯爽と立ち上がっていた。
「ヘレ、ナ……?」
 仲間を殺された二匹の《ウサギ》が激情を露わにして《ヴァルキリー》に突撃するが、それは叶わなかった。
 何故なら、横から飛来した無数の矢が、その身に刺さり命を奪っていたからだ。
(ヘレナ様、ご無事ですか!)
(ああ、こっちは構わん、周辺を制圧しろ!)
(了解しました!)
《エンジェル》の弓兵に指示を出しつつ、向かってくる《ウサギ》を一太刀で切り捨て、まだ息のあるものがいれば止めをさしていた。銀色の鎧はさすがに地や砂で汚れてはいたが、大きな損傷は見当たらないので余裕で倒していったのだとわかる。
「……すげえ」
 一機はそう呟くしかなかった。ピンチだと心配して《サジタリウス》に乗って大暴れしたが、実はそんな必要なかったのではないか? と思わせるほどの強さだ。そう気付いてあたりを見回すと、親衛隊のMNが《ウサギ》と戦っている。が、それはもはや小規模なもので、戦闘は終息に近づいているのだとわかった。
「俺、余計なお世話だったかなあ……」
(いや、一応敵のかく乱と数を減らすのには役立ったぞ。――混乱したのはこっちも一緒だがな)
 独り言のつもりが、聞かれていたらしくヘレナより返事をいただいた。恐ろしく冷たい声で。
(ええ、幸いこちらに人的被害はありませんでしたが、砲弾の雨で危うく死にかけましたね。さて、こんなメチャクチャなことになったのは誰が原因でしょう?)
 今度はグレタから一層冷たい刃のような言葉をかけられた。紅潮していた顔が一気に寒冷化していく。
「……とにかく、色々言いたいことはあるでしょうが、一つ言わせて。――助かったよ。ありがと」
 それだけ告げると気絶する気で操縦席にもたれかかった。力を抜いていると、うん、とひるんだような声が聞こえてきた。
(ふ、ふん。隊の混乱を収めるため右往左往していて遅れたんだ、礼を言われる筋合いはない)
(……別に助けなくてもよかったのに。私が……)
「? 麻紀何か言った?」
(な、なんでも!)
 何か機嫌が悪そうに麻紀が喋ったような気がしたが、意識がもうろうとしている一機にはどんな内容か理解できなかった。
 考えるのもおっくうで、改めて寝ようとしたところ、ドンドン叩く音が耳に入ってきた。
「んー……うわっ!」
 目を開けたら、コクピットの前にマリーが張り付いていた。ラッタルでここまで登ってきたようだ。
「な、何してんだお前!」
 ハッチを開け、コクピットに押し入るマリーはやはり戦闘に巻き込まれたのか服はところどころボロボロでちょっと怪我もしているらしい。でもにししと嬉しそうなのがちょっと気持ち悪い。
「何って、決まってんじゃん。見てたのよあたしたちがずーっと守ってきた『炎の魔神』……《サジタリウス》だっけ? まあいいか。その戦いをよ。ホントすごかったわねえバンバン撃ってぶっとばしてさ。近くで見てて爽快だったわよ。耳キンキン言ってるけど」
「ああ耳鳴りだな。言われてみると俺もキンキン言ってるな。イヤーカットないときついなこれ操縦するの」
「いやあ楽しかったわよあんたの戦い。『魔神』の名に偽りはなかったのね。あんなすごいもの守ってたんだなあって思うと、今までの苦労は無駄じゃなかったって嬉しくて……」
「……だな」
 楽しそうな理由が一機にも分かった。先ほど一機は『魔神』なんて無駄なものと言って中傷した。何の役にも立たない木偶の坊だと。それはマリーも思っていたのだろう。しかしそれがこうして一騎当千の活躍をしてみれば、自分たち一族の行いは間違いではなかったと確信が持てる。それが嬉しくて泣きそうなのだ。
「ああ、こうしてその力がわかってみると、惚れ惚れするわね……結構汚れちゃったけど安心して、あたしが完璧に整備してみせるから。そしたらまた戦ってね」
「え、また乗れっての? 勘弁してよ俺もうバテバテで……」
(話の途中悪いが――お前たち動くな)
 と、そんなくだらない会話をしていると、突然横やりが入った。
 ギョッとして二人が外を見る。そうしたら、《ヴァルキリー》を含んだMN数機がこちらを囲んでいた。
「しまっ……」
 そこで一機は自分の愚かさを悟った。マリーは親衛隊の、シルヴィア王国の敵であるグリード皇国の残党。しかも『炎の魔神』を守ってここで防衛線を繰り広げた一族の生き残り。狙われている身なのに敵陣の真ん中でだべっていていいわけがなかった。
 やばい、マリーを逃がさないと。一機は焦りつつ言い訳を並べ立てようとする。
「あ、あの、ヘレナ、こいつはたまたまここに来た通りすがりで、俺を……」
(一機、そこにいるのが、マリーという唯一の生き残りで間違いないな?)
「……え?」
 一機だけでなく、名前を呼ばれたマリー自身凍りついた。何故自分の名前を知っているのか。自分以外『守護の民』が存在しないことをどうして知っているのか。
 そこで思い出した。《サジタリウス》でこちらの戦場に到着して今まで、何度もヘレナや麻紀たちと会話していたが、不自然な発言がいくつもあったではないか。マリーという名前もっと前から知ってなかったか? 大砲持ちだと既に知っていなかったか? 酒を飲んだとどうしてわかっていた? どうして……
(――悪いな。私もまさか、こんな風になるとは思っていなかったんだ)
 疑問を投げかける前に、返答がきた。理解できない一機に、突然マリーが胸元に喰らいついてきた。
「うわっ! ど、どうしたんだよ!」
 驚くと、マリーは抱きつくようにあるものを握っていた。胸元にぶら下がっている、ヘレナから貰った銀のネックレス。
「……『ジスタ』だ」
「え?」
 目を見開いているマリーの視線は、シルヴィア王国の証たる王冠が刺さった剣のマーク、その王冠に付けられているパチンコ玉ほどの石だった。
「この石、小さいけど『ジスタ』だ、間違いない」
「なっ――!」
『ジスタ』。先ほど聞いたばかりの、通信機の役割を果たす奇妙な石。麻紀が握っていたのも同じ黄土色の石であった。一機も驚愕する。
「な……そんな小さい石、使えるのか?」
「……会話は無理。小さくてあっちからの音聞こえない。でも……」
「でも?」
「……こっちの声を聞くだけなら、可能かも」
「んなっ……!?」
 言葉を失った。つまりは一方通行の盗聴器ということだ。これで疑問は氷解した。どこからかはわからないが、だいぶ前から一機とマリーの会話は聞かれていたのだ。
 しかし、どうしてこんなものをヘレナは持っていたのだろう。そこで昨夜のヘレナとグレタの言い争いを思い出した。肝試しの最中飛び出して迷子になったヘレナに、母親が次にこういったことがある場合に備えて持たせたのではないか。それを知っていてヘレナが一機にネックレスを渡したとしたら、一機の行動を予測してスパイ役をやらせたのか?
 それはない。ヘレナの性格上察していて止めないのはおかしい。ヘレナも一機の無鉄砲な真似はわからなかったが、ただならぬ様子から嫌な予感を覚え本当にお守り代わりにあげたのが真実だろう。スパイみたいなことになったのはヘレナでも想定外に違いない。
 そして、一機が図らずも情報を流す羽目になったことも。
「ちがっ、俺は……!」
 そうじゃない、こんなことするつもりはなかった。などと言い訳じみた口を開こうとしたが、止められてしまう。
「…………」
 マリーは何も言わなかった。
 裏切り者に対して非難も罵倒もせず、ただこちらを見つめていた。
 わかってる、と優しい瞳で語りながら。
「マ、リー……」
 この女は全てを理解してくれた。
 一機は悪くない、一機のせいじゃない、一機は自分を救おうと頑張ってくれた。そう信じてくれたことが嬉しくはあったが、同時に恥ずかしくもあった。一機がした行為は、救うどころか全てが裏目に出て、結果的にマリーは親衛隊に包囲される羽目に陥っている。
 馬鹿、そんな目するな。俺は何の役にも立たなかったのだから――そう告げたかったが、そこで意識がまた薄れる。今度はもう限界らしい。正気を維持できない。
(とりあえず、二人とも降りてきてください。乱暴な真似はしたくありませんので)
 グレタの冷徹な声が耳に入ってくる。やばい、まずい。この後のことが容易に想像できるだけになんとかしたかったが、もうMNどころか己の身を動かす力もなかった。自分の無力さに一機は憎悪すら覚える。
 マリーは何も言わず、指示に従ってハッチを開けようとする。止めようとしたが、手を伸ばすことも不可能だった。だけどそれに気付いたのが、マリーが背中を向けつつ呟いた。
「……一機」
 伸ばそうとしていた手を止めると、マリーは振り返って一言だけ、
「ありがとね」
 そうどこか悲しそうな、しかし笑顔で述べた。
「……っ!!」
 感謝の言葉に、より悔しさと不甲斐なさがあふれ、「ま……!」と引き止めようとしたが、そこでついに力尽き、前のめりに倒れる。
 ――ど畜生。
 そう口に出すこともできず、一機は意識を失った。
 こうして、愚かな男の一世一代の大博打は、誰にとっても最悪な形で幕を閉じた。



   FINALTURN 呪いの終焉

「う、うぐっ、が……」
 眠りから覚めたというより、全身に渡る激痛と疲労感が眠りを妨げたような最悪の目覚め方で一機は起きた。
 もはや見飽きた天井と言っていいテントの中には、意外なことに誰もいなかった。
「……てっきり、十字架の類に磔にされるものかと思ってたけど、寝かせてくれてるのは無罪放免ってとこかな」
「んなわきゃないじゃないですか。グレタさんなんかその場で首切り落とそうって騒いでましたよ」
「うわっ!」
 にょきっと横から顔を出してきた麻紀にビビる。そして舌打ち。
「くそっ、久々に気配悟れなかった」
「油断しましたね、最近は接近前に気付いてましたが」
「ていうかいちいち気配消すのやめろ、驚くから」
「やですよ、面白くない」
 はい確信犯。コンビ組み始めの頃は何度やられたことか。一回プレイ中に「ぴと」とキンキンに冷えた麦茶入りコップを首筋にひっつけられ「ひゃうっ!」なんて声を出してしまったのをあろうことか録音ししばらく携帯の着信音にしていたという悪魔がこの間蛇羅麻紀という女だ。……ていうか、改めてよくこんなのと組んでたな俺。
「づうぅ……やべえ全身痛い。これは何本か骨折ってるかも。特に首とか」
「即死ですよねそんなの。看護兵が言うには筋肉痛とMNで負った疑似ダメージが身体に残ってるだけだそうですよ。引きこもりには結構重い仕事だったみたいですねフレークさん?」
「……そだ、あいつ!」
 いつものトークで流されそうだったが正気に戻った。飛び起きようとしたが、全身がビキッときて動けない。
「あーよしよし、おじいちゃん腰悪いんだから動いちゃだめよ」
「誰がおじいちゃんだ! んなことはいい、麻紀、あいつは、マリーはどうなった!?」
 そう詰め寄ると、麻紀は視線をそらしてしまう。ぞっと背筋に冷たいものが走った。
「おい、どうしたんだよ。まさか……」
「……この期に及んで人の心配ですか貴方」
 硬質的な半眼が睨みつけてくる。片方しかないとはいえその眼差しは強かった。
「無断で抜け出して敵陣に飛びこんで、仲良くなっちゃったかと思えばMNに勝手に乗り込んで味方巻き添えの無差別砲撃(フルファイヤ)……普通命の心配されるの一機さんだと思いますが」
「ぐっ」
 それを言われると一機は黙る他ない。落ち着いた今となってはやり過ぎたと思う。あれで親衛隊側に犠牲が出なかったのだから奇跡だ。そうであっても、一機が想像する軍隊ではどれをとっても銃殺刑されそうな暴れっぷりだが。
「まあでも、こうして拘束されることもなく自由にされてるってのは、そんな荒っぽいことせず比較的穏便に済まそうという表れではないかね」
「あ、私監視役です。逃げようとしたらぶっ殺していいって許可貰ってますんで」
「……はーい、横に立てかけてある剣見えてましたー」
 まあこんな全身ギシギシ状態で逃げれると思ってないのでそれは別にいい。元よりある程度覚悟していたことだ。
「とにかく、一機さん自分の命が風前の灯だってのに、他人のこと考えてる暇ありますか。なんとか助けてもらえるよう嘆願したらいかかです?」
「う〜ん、ヘレナの性格からいってそんな命乞いしたら余計に処刑されると思う……」
「……否定できませんね」
 互いに想像してみたが、土下座なんてしたら下げた首が胴体から離れるイメージしか浮かばなかった。この二人これでも幼少から色々な人間と出会ってきたので人を見る目は悪くない。
「そんなことわかっていながら飛び出すって、馬鹿ですか貴方。逃げ道くらい用意しておきなさいよ」
「いや、正直考えはあったけどあんまり考えないで突っ走っちゃったしねえ。なんつーか、衝動に駆られて」
「ほう、そりゃまたどうして」
「……ええと、それは」
 一機は思わず視線をそらした。自分の利益も考慮してとはいえ、麻紀を助けようとしたわけだからどこか気恥かしい。
 じとっとこちらを睨んできた麻紀は、フゥーッとアメリカンなため息をついた。
「自己中で利己的ないつもの一機さんらしくないですねえ。こっちに来た時頭でも打っちゃいました?」
「……なんだと」
 麻紀のあまりに嫌味ったらしい言動にカチンと来た。一応は麻紀をなんとかしようと頑張ったのに、それを真っ向から否定されるのは一機としても面白くない。
「ずいぶんなこと言ってくれるじゃないか、俺はお前のこと考えてしたわけで……」
「……だったらどうしてそのまましてくれなかったんですか」
「はあ?」
 ポツリと呟いた。一応聞こえはしたが、よく意味はわからない。
「まあそれはいいでしょ。今はとりあえず……マリーさんでしたっけ? あの人とのこと聞きたいですね」
「マリーとの? どういうこった」
「だって、夜中二人一緒にいたんでしょ。どこをどんなとこまでやったんですか?」
「ぶっ」
 不意打ち喰らって吹き出したら、変な力が入ったらしく腹筋あたりに雷のような痛みが走った。一機が苦しんでいる時に、麻紀は左手で表現するのがはばかられるジェスチャーをしながら笑っている。ああ、いつもの小憎らしい麻紀だ。
「ぐぐ……あのなあ、あいつとそんなことは一切なかったわ。ていうかお前盗聴してたんじゃなかったのか?」
「人聞きが悪い。偶然が重なってそんな風になっちゃっただけですよ。聞いてはいましたが、あの小ささじゃさすがに全部は無理でした。というわけで、私は夜ばいに出かけた胸フェチ一機さんが道に迷って転んで頭打って現地の女と出会ってナイチチに目覚めてそのままダイブしたと把握していますが」
「どう聞いたらそんな解釈になるんだ。もうどこから間違いだと指摘するのすら面倒だな。てかナイチチってマリーに言うなよ、泣くから」
 同意見だけど、とはさすがに口に出さず、仕方なしに一機は脱走してから今までのあらましを簡潔に語り出した。その間麻紀は途中で口をはさまず、うんうんと相槌し、話し終わったところで事情を飲みこんだのか初めて口を開いた。
「なるほど、よくわかりました。つまり性欲を持て余した一機さんは女を求めて夜な夜な徘徊し偶然見つけた女をもう胸とかどうでもよくなって自慢の超小型砲で襲いかかったと」
「俺の話一つも聞いてなかったろお前。さっきより内容酷くなってるし。特に最後」
「冗談ですよ。ふむふむ、なんかまるでエロゲー主人公みたいな感じになってきましたね一機さん」
「どこがだよ! そんなイベント一つもないわ! 基本殺されかかってるんですけど俺!」
「そうですかねー、順調にフラグ立ててる気がしますが。代わりに一人はベキベキへし折ってますが」
「あん? 誰のだよそりゃ」
「さあ?」
 わけのわからんことを言いだした麻紀に困惑したが、その様子に一機はどこか違和感を抱いた。顔が四分の一ほど隠れていてよく掴めないのだが、なんとなく察する。
 この女、機嫌が悪い。それもかなり。表面はいつも通り嘲笑のポーカーフェイスを崩さないが、その皮一枚下にグラグラ煮えたぎっているものが沈殿している。二年近く一緒にいるからわかった変化だが、今までこんな怒っていることはなかった。
 何にそんな怒っているのか、一機には理解不能だけれど、放っておいてよくないことは判断できた。ていうかこっちに飛び火する、火砕流レベルのが。
「じゃ、話戻しますけど、どうしてそんな助けたいんですか? 昨日今日会った他人でしょ、そんな深い仲でもないってんなら、身の危険を冒してまで助ける理由ないと思いますけど」
「え? それは……まあ、どうせあいつ助けても助けなくても俺が最低でもボコボコにされるのは決定事項みたいだし」
「最低ボコボコってずいぶん甘いですね。仮にそうだとしても最低が鞭打ち三十八万回になると推測しますが」
「うん死ぬねそれ。回数多い鞭打ちって死刑だからね基本。つーかどうして月への距離なんだよ。わかってるよそれくらい。んなことしたらタダじゃすまないなんて十分承知の上さ。でも……それでも何とかしたいんだよ」
 この時、一機は麻紀を、二年近くコンビをしてた《クリティエ》のパイロット、ティンカーベルを頼っていた。前科持ちの自分一人では無理がある。気配を消して移動できる麻紀の力を借りれば脱走させることだって難しくない。鉄伝における一機の、シリアの無茶な攻撃や無謀な作戦を愚痴りつつ「やれやれ、仕方ないですね」と支援してきた麻紀なら了承してくれるとかすかに期待していたのだ。
 しかし、二年来の相棒はどこまでも機嫌が悪く、どこまでも冷たかった。
「……どうしてそこまで助けたいんです? ここから逃がしたって捕まる可能性だってあるし、どっちにしろ貧乏くじ引くのは一機さんですよ? 何のメリットもないのに、どうして?」
「どうしてって……そりゃ、あいつには助けられたし、色々世話になったし、飯も貰ったし……捨て置くってのはなんか寝覚めが悪くてさ」
「……世話や飯なら私もずいぶんやったと思いますがね」
「? さっきから何言ってるんだお前」
「べーつ……っ」
 別に、なんていつもの軽口を叩こうとしたようだが、途中で止まり唇を噛んだ。何かを必死に堪えるかの如く。
「ま、麻紀? お前おかしいぞ? 何かあったのか?」
「おかしい? これは異なこと仰いますねえ……一機さんが私の何知ってるってんです」
 表情が変わった。いつものポーカーフェイスが維持できておらず青筋が立っている。あまりに怖すぎる。一機が震えた。
「あの、麻紀さん? なんでそんな機嫌悪いの? 怖いんですけど?」
「別にい? 怒ってないですよ? 一機さんのこと恩知らずとかニワトリ野郎とか新品好きとかデカチチ&ナイチチと嗜好の範囲が広がったとか人の支援無視しやがってこのクソがなんてちっとも思ってませんとも。ええ、これっぽっちも怒ってません」
「怒ってるよね完全に。相当機嫌悪いでしょ貴方。ていうか何、発言がチンプンカンプンなんすけど」
 元より心が読めずわけのわからん女だが、今回は意味合いが違う気がする。それ以前に、麻紀が怒るということは二年間一度もなく戸惑うばかりだ。
「理解できませんか。ええ、最初からわかってましたよホント。一機さんなんかがわかるはずもないって。じゃあ一言だけ簡潔にわかりやすく言わせてもらいましょうか……いくらなんでも、図に乗り過ぎてません?」
「は、はあ?」
 それこそ意味が分からず首をかしげる。さっきからこの女は異常だと一機は頭をかいた。
「そりゃね、前々から望んでた別のところとか楽園にやっと来れて嬉しいのはわかりますよ。浮かれて突拍子のない行動に出ちゃうのも致し方ありません。でも……一機さん、リセットボタン押した気になってるんじゃありませんか?」
「――リセットボタン、だって?」
 聞き返すと、「ええ」といつもの数倍口元を歪ませて一機に言い放つ。
「一機さんの半生、あんまいい思い出なかったってことは存じてますよ。妹に出し抜かれ親に捨てられ学校でも友達ゼロ、唯一の話相手であるお祖父さんも亡くしてそりゃ不遇と言えば不遇ですね」
「…………」
「でもだからって……何でもかんでもリセットした気分ってのはどうかと思いますよ」
「……何が言いたい」
「おや? まだわかりませんか? ではもう一つだけ言いましょうか……的場さん」
「っ!」
 的場、と呼ばれて苦い記憶が蘇る。一機にとって的場の名は古傷を抉るものでしかない。そうと知っていてあえて使うなんて、いくら悪口と中傷が売りの麻紀でもなかったことだ。
「おい……!」と怒ろうとしたら、耳元に顔を寄せてきた。三つ編みがふわりと揺れ、麻紀の化粧でも香水でもない香りが鼻腔をくすぐる。
「ま……き……?」
「自分一人だけ……ずるいんですよ。逃げて、隠れて、閉じこもって……誰かに助けてもらわないと生きてけない引きこもりさんが、急に気合入っちゃって、似合わないどころじゃありません。身の程わかってんですか?」
 麻紀の方を向こうとしたが、顔面を左手で掴まれて無理だった。意外と腕力がありまったく動かせない。
「私が世話焼いてあげないとどうしようもない人が……それを忘れてルンルン気分? 腹立ちますねえ……ねえ、一機さん?」
「…………」
 麻紀が何を言いたいのか、よくわからなかった。
 否、本当は一機は充分理解している。だけど、それはお互いこの二年間でいつしかタブーなったことで、言ってはならないと了解しているはずだった。
 しかし、麻紀はその一線を踏み越えた。
 どうして踏み越えたのか、それはわからない。けれども、麻紀が越えたのを知ると、一機も意図せず越えてしまった。
 それも、最悪の形で。
「……俺ら別に、互いに互いが必要なかったろ」
「……!!」
 言ってから、やばいと後悔した。麻紀が息をのむ音が耳元でうるさいくらい聞こえる。密着しすぎた二人の身体から、動悸も激しくなったのが伝わってきた。
 しばらく両者の間に沈黙が走り、耐えきれなくなった一機が声をかけようとした途端、
「げふっ!?」
 掴まれていた顔をすごい力で地面に押し付けられた。後頭部が打ちつけられ眼前に星が走る。
「が、がが、がが……」
 呻いてる暇に、麻紀はテントから飛び出し走り去ってしまった。追いかけようとも思ったが、全身激痛により上手く動かずその場に転がる阿呆をさらしたのみだった。
「……やっちまった」
 頭を地面にぶつけた痛み以外の理由で抱え、一機は己の愚かさを呪った。

    ***

「はあ、はあ、はあ……」
 一機のテントから飛び出した麻紀は、まだ闇が全体を覆う峡谷を前もろくに見ずしばらく走ると、疲れてしまい一旦止まった。
 呼吸を整えながら荒ぶる自分の心も落ちつけようとする。そうすると、必然さっきまでの一機との会話を思い出すことに。
「……なんであんなこと言っちゃったんでしょ」
 一機に放った言葉一つ一つは、全部その場の勢いだ。本当は目覚めた一機に言いたいことは別にあったのに、波だった麻紀の心は全く違うことを申していた。どうしてあんな台詞が口から出たのか、麻紀自身にもわからない。
「あんなこと、言いたくなかったのに、どうして……私、本当は……」
麻紀の制御を無視した口はただ流れるように酷いことを告げ、そして酷いことを告げられた。自業自得とはいえさすがにショックで、そのままそこにいるとどうにかなってしまいそうで逃げたのだ。
「互いに必要ない、か……はは、ホントそうですよね、どうして一緒にいたんでしょう私ら」
 自嘲気味に笑いつつ、二年前のことを振り返る。
 一機とはクラスメイトだったが、二人とも友達付き合いもせず孤立していた関係で、接点もなくろくに顔だって覚えてなかった。親戚が祖母の三回忌の際くれた鉄伝を持て余し、とりあえずやってみるかとネットカフェで手探りでプレイしようと行った際たまたま出会った。そこからどうしてパートナーとなったのかイマイチ覚えていない。多分、くだらない理由だと思う。
 そうしていつしか誕生したあの空間。一機は鉄伝をプレイする環境を与え、麻紀は炊事洗濯など家事一切合財を対価として行う協力関係。週末か放課後限定の相棒というルールの元、『週末の悪魔』は成立した。――何の意味もないのに。
 一機は本当は家事なんてお手の物、なにしろ祖父が生きていることは一機が行っていたのだから。麻紀だって本当は家族と折り合いが悪く、葬儀でもない限りあまり相手にされない。週末どころか数日帰ってこなくても平気だろう。そもそも鉄伝どころかゲーム自体あまり興味がない。もし一機と出会わなければ、麻紀の鉄伝経験はあのネットカフェ一回で終わっていたかもしれない。
 一機の発言通り、実は両者とも互いを必要としていない。にも関わらず『週末の悪魔』という奇妙な関係が誕生し、今も続けられている。麻紀もどうしてだか意味不明だ。
 このコンビも、もう間もなく終わると考えていた。卒業後、麻紀が大学に進学すれば自然とこの関係は消え去ると。大学を卒業し就職し、結婚でもして家庭を持てば、もう思い出すこともない。あるいは思い出しても、幼いころの楽しい記憶として頭の片隅に置かれるだけだろう。普通に、あっさりと、何の感慨もなく『週末の悪魔』は終わるだろうと思っていた。
 そう、思っていたはずだったのに。
「はあ……どうしちゃったんでしょう、私」
 自分の心を荒ぶらせる気持ちが理解できず、麻紀はため息をつく。
「……戻りますか。にしても、ずいぶん走ってきちゃったみたいですね……おや?」
 そこで初めて、自分が『ジスタ』の原石を持っていることに気付いた。ヘレナから借りたものを、まだ返していなかった。もっとも、先ほどの《ウサギ》との戦いで一機に指示を出せたので結果オーライとなったが。
「……あれも必要あったか微妙ですがねえ。ったく、男ってのはどうして美人と胸に弱いのか……ん?」
 そこで、何者かの声がした。
 いや、それが『声』なのか麻紀には自信がなかった。『声』と言うには言葉には思えなかったが、『音』とも違う気がする。こう、『音』とするには形があるように思えるのだ。
何より不思議なのは、その『声』とも『音』ともつかない何かがどこから発されているかである。
「またですか……発生源どこなんでしょ」
 耳元に『ジスタ』を当てる。『ジスタ』を借りてから時々こんな謎の音が聞こえてくる。隊員に少し尋ねてみたが、他に耳にした人はいない。『ジスタ』の混線の一種だと思うが、どこからか不明では正体を探り様がなかった。
 でも、麻紀は妙に気になっていた。『音』とするには形が、『意思』が宿っているように感じられる、不思議な『声』が……
「……あれ?」
 しばらく聞いていると、あることに気付いた。
 音が先ほどより大きくなっている。それほど大した変化ではないが、確実に大きい。
 試しに耳元に当てながら前へ歩いてみると、ほんの少しだが間違いなく音量が上がった。
「音源が近づいてるんですかね? ……行ってみますか」
 興味がわいて、そのままゆっくりと歩き出した。赤い月に照らされた峡谷を、まるで吸い寄せられるかのように。
 しばらく歩くと、先ほどまでの戦闘現場へたどり着いた。《サジタリウス》の砲撃のせいで峡谷は破壊され、砕けた岩の残骸がゴロゴロ転がっている。《ウサギ》の死骸はあらかた持って帰るか埋めるかして片付けられたが、血の匂いはまだ残っていた。
「うっ……臭いですね。ここらへんだと思うんですが、こんなところ早いとこ出ないと倒れてしまいそうです」
 無自覚だが、麻紀に戻るという選択肢は消えていた。戦闘があってそれほど時間が過ぎていない危険な場所だというのに、好奇心の方が勝った。まるで自分を誘っているかのような音に引かれて――
 ――ウオオオオオオオォォ……
「きゃっ!? またあれですか……しかもずいぶんやかましい」
 ヘレナたち親衛隊の連中が化け物の声と恐れていたもの、実際は風の類が反響したものだと、麻紀や一機は当然の如く判断していた。
「……はて?」
 しかし、麻紀はそこで違和感を抱いた。
「これ……地面から出てません?」
 麻紀の足元にある人がギリギリ入れるくらいの穴。雄叫びのような音はそこから響いていた。
 風なら当然地上からだと思っていたが、火山により蒸気だとすれば地下からの方が正しい。それに、ここら辺は《ウサギ》のせいで穴だらけだろうから、そこで反響している可能性もある。と、麻紀は当然の知識で判断した。
 が、うっかり近づき過ぎた不覚は麻紀でも予想できなかった。
 ボコッ、と自分の足元が崩れるということを。
「えっ……きゃああああああああああ!!」
 何分急なことでその場で踏ん張ることも何かを掴むこともできず、そのまま滑り落ちた。狭い空洞の中を、ウォータースライダーの要領で落ちていく。
 どれくらい滑ったのか、やがて滑り台が突然終わり、空中浮遊したと思えば地面にお尻を強く打って停止した。
「いたたた……まるで一機さんみたいな無様な真似しちゃいましたね。で……ここどこでしょ」
 起き上がると、周囲は完全に真っ暗だった。一機と最初にこの世界へ訪れた時とは違い、ヒカリゴケの淡い光すらない。
「困りましたね、これじゃどうしようも……あ、そうだ、一機さんが盗っていった携帯返してもらってそのままでした」
 ポケットから携帯を出してライトをつける。かなり大きな空間のようだ。下手すれば峡谷より高いかもしれない。
 そして、どうやら人工的な物のようだ。空間の天井や端には柱や梁がある。多分マリーと同じ墓守たちが作ったものだろう。
「でも、マリーさんここのこと話してましたっけ? それに、守る対象の『炎の魔神』は地上に置き去りにして、なんで地下にこんな空間作ったんでしょう?」
 いくら考えても疑問に答えは出なかったので、とりあえず携帯のライトを頼りに進むことにした。
「上から落ちてきた穴には戻れませんし、人工物だとしたら出口がどこかにあるでしょう。手探りで探すしかありませんね……なんつーか、新鮮ですね。今まで誘導する役ではあっても自分が行くことはありませんでしたし」
 索敵担当なのだから当然だが、麻紀はどんなに強い相手でもたくさんの敵でも恐れたことはない。ステルス装備で見えないこともあるが、一機が、フレークがいつもやってくれるという安心感があったせいもある。
 でも今は一人きり。そう改めて認識すると、急に心細くなってきた。
「……ははは、本当にらしくない。どうしちゃったんでしょう、こんなの私じゃ、ない……私は、私……」
 途中から声にならず、俯いてしまう。携帯をつい落としてしまい、ライトだけが淡く輝いて、足元を照らした。
「私らしいって、いったい……」
 その時、再び『ジスタ』から音が聞こえてきた。さっきよりより鮮明に、より強く。
「あ、また……なんなんでしょう、これ。『音』なのか『声』なのか……どっちにでもないような、まるで……」
 麻紀の記憶の中から、一番近い物を取り出そうとする。一つ浮かんだのは、祖母が入院した病院の産婦人科から発された、赤ん坊の産声だった。
 でもそれとは違う。もっと幼く、もっと古い。産声の前、声にならない、原始の音……
 ――ウオオオオオオオォォ……
 思考に耽っている最中、今度は例の風音らしきものが耳を打った。
「……え?」
 そこで麻紀は、あることに気付いた。驚いて携帯を拾い上げ、音のようなものが鳴った先にライトを向けると、
 細く鋭い物が伸びてきて、麻紀の首と胸に絡みついた。
「ぐっ……!?」
 突然のことでわけがわからず、ライトをつい落としてしまう。音がした先から伸びてきた物は植物のツルのようで、巻きついて離さない。
「な、何ですこれ、苦し……っ!」
 息が出来ず苦しみながら、分析を専門とする麻紀は今までこの世界で得た物を参考に、状況を把握しようとする。

――知らんよ。ここんとこ――の情報収集してたんだから。ドルトネル峡谷が――

――魔を潜める峡谷より、天からの異邦人現れん。
その者、怪物と心を交わし、国を乱さん――

――で、ですがヘレナ様、ここはまだ峡谷の入り口ですよ!? こんなところに――

「――まさかっ!」
 一見何の関係もない情報が、一つにまとまり、ある仮説を作るに至った。
 最初は信じられなかったが、身体に巻きついたものの力はどんどん強くなり、地面に倒され引きずられる。
 麻紀は抵抗するがいかんせんあちらの力が強すぎる。逃げられないことを悟ると、左手でツインテールの片方からヘアゴムを外すと、一瞬ためらいを見せたが向日葵のアクセで地面に乱雑に文字を書いた。
 ――伝えなきゃ、一機さんに――!
 暗闇で引きずられつつなのでちゃんと書けたか不安だが、確認する術はない。とにかくヘアゴムを戻そうとした。
 が、急に引く力が増し、ついヘアゴムを落としてしまう。
「……え」
 それまで謎の存在に襲われているという異常状況下でやけに冷静だった麻紀は、ここで初めて動揺する。
「え、いや、やだ、放して、返して! それだけは……!」
 いつもの余裕は完全に消え、半狂乱と化し暴れまくる。だかツルらしきものは微塵もせず、ヘアゴムから離していく。
「ダメ、ダメなの! あれがないと、いないと、私、私は……!」
 泣き叫び、必死に左手を伸ばすが、届くわけがない。脳内にある光景がフラッシュバックした。

 ――ああ、やるよそんなもん。

 ――え? いいんですか?

 ――どうせ誰も使わないんだし、問題ないよ。

 ――では、ありがたくいただくとしましょう。

 ――いただくってねえ、お前……もうちょっと言い方というものが……

「いや、嫌なのっ! お願い、返して! お願い!」
 懇願するが、その何物かは反応せず、むしろツルを新たに何本も巻きついていく。怯えと恐怖と寂しさに、麻紀は声を上げた。
「助けっ……一機さん!!」
 求めた助けに返答はなく、苦しみの中麻紀は意識が闇に沈んでいった。

    ***

 激動の夜もあと一刻もすれば夜明けという中、親衛隊は疲労で冴えず見張りなど以外はまだ寝ているものも多かった。
 そんな隊のテントの間を、模造剣を杖代わりに生まれたての小鹿よろしくフルフルしながら、一機は誰にも見つからないよう歩いていた。
「くっそう……あいつ思いっきり打ちつけやがって……幸いそんなに意識飛んでたわけじゃないようだが、急がないと」
 走り去ってしまった麻紀も気にかかったが、今一機が優先すべきはマリーだった。下手すればこの瞬間にも殺されかねない。脱出させるため、まだ回復してない身体を文字通り引きずって進んでいた。
 こんな状態で捕獲されているマリーを救出させ脱出なんてできるわけないが、だからといって放っておたら処刑されるかもしれない。それだけは避けたかった。
「とにかく行ってみて、あとは野となれ山となれ……違う、この場合は神のみぞ知るってところか。あいつが捕えられてるテントを見つけなきゃ、話にならな……お?」
 つい、と後ろを小突かれた。
 ぞっ、と寒気がする。気付かれた。誰だかわからないが、一機が軟禁状態にあることは親衛隊隊員の誰もが知っているはず。どいつでもアウトだ。
 せめて、マリーを解放しようとしていたことは悟られないようしらばっくれないと……と一機がせめてもの笑顔で振り返ったら、
 巨大な赤い舌が、顔をベロリと舐めてきた。
「……ひっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃっ!!!」
《マンタ》、メガラで広く使われている運搬用の巨大トカゲ、なんて知識はこの瞬間沈みかけた赤い月までダイブし、一機は再び絶叫した。
「な、なんだどうした!?」
 悲鳴を聞きつけたヘレナが駆け付け、よだれでべっとりの一機が「やばい」と口を塞いだが、もう手遅れだった。
「……何してる、一機」
「え? はは、いや、起きてみたんだけどみんないないから、どうしたのかと思って辺りを……」
「麻紀を見張りにつけていたはずだがな。会わなかったのか?」
「麻紀? あいつどっか行っちまった……あ」
 自分が墓穴を掘ったことを悟った一機。ジト目で睨まれて思い切り目をそらす。
「もう一度聞くぞ、こんなところで何をしている」
「ははは、何って別に何もしてないっすよ、ヘレナさん」
「マリーなら今は無事だぞ、おとなしく捕まっている」
「え! そりゃ良かっ……あ」
 また墓穴。いや、一機の行動など予測できるだろうからバレたとは言えまいが、さらにヘレナの視線が厳しくなった。
「やはりあいつを救出でもする気だったか? 馬鹿なことを」
「馬鹿って、麻紀みたいなこと……ちょい待ち、さっき今は無事って言ったよな? じゃあこれからはどうなるんだ」
「……それは」
 今度はヘレナが視線をそらす番だった。嫌な予感が的中したことを察し、ヘレナに詰め寄る。
「なんでだよ、あいつが何したってんだ! 穴掘ったり罠作ったりしただけだろ! それだけで、どうして……!」
「……あの者、マリーは五十年前シルヴィアを荒らし、四十五年近くこの峡谷で遠征軍の血を流してきた墓守の人間だぞ。何もお咎めなしなんて許されるわけがない」
「それはその当時の人間の罪だろうが! なんでマリーがその責任を取らなきゃならない! あいつは単にそいつらから生まれたってだけじゃねーか!」
「あの者だって、罠を作ったり戦いに参加していた! 我が軍の兵を殺したこともある、それはあの者自身の罪だ!」
「あいつの母親はあんたらシルヴィア軍に殺されたんだぞ!」
 さすがにこれには口ごもった。それを気に、一機は勢いのまま言葉を荒げる。
「ああそうだよあいつもあんたらも同罪だ、殺し殺されたのはどっちも一緒だろ、だったらそれでいいじゃないか! 今さら屍の山にマリーを付け加えて何になる! シルヴィアの兵が生き返るのか? メガラから戦争なくなるのか? ならないだろ? それならあいつの死に何の意味がある、あんたらがあいつの血を浴びることに何の意味がある! 馬鹿馬鹿しいだけだ! いいじゃないか、あいつ一人逃がしたって、誰が迷惑被るわけじゃあるまい!」
「これは利益とか損得の問題ではない、軍としての役目の問題であって……!」
「だったらかつての親衛隊の敵として殺したいんじゃないって断言してみろよ!」
「っ!」
 刹那、右頬に鋭い閃光が走り、一機は横にはっ倒された。ヘレナが思い切り叩いたのだ。
 はたいただけなのに光がちらちらして痛かったが、我慢してヘレナを睨みつける。
「一機……貴様腰抜けに見えて以外に大胆だな。常人なら言えぬようなことを躊躇なくぶちまける」
「そりゃ、大胆なんじゃなくてコミュニケーション能力がないだけだよ。なんせ生身の人間と話すことはほとんどないんでね」
 さすがのヘレナも怒り心頭といったところ。目が憎悪に染まり血走っている。一機は似たような目を見た経験がある。数時間前の話だが。
「貴様……アマデミアンの女に情でも移ったか? 仮にとはいえ親衛隊に席を置く身であるにも関わらず、あの女を庇うような真似をして、どうなるか分かってるんだろうな」
「当然だろ、情くらい移るさ。助けてもらったんだから……あんたにもな、ヘレナ」
 不意を突かれ、ヘレナは一瞬キョトンとした顔になる。目をそらし、泣くように一機は声を出した。
「助けてもらった恩人が、情が移った同士が殺し合いやってんだぞ? 止めたくなって当然だろ。ヘレナたちがマリー殺すのも、マリーがヘレナたち殺すのも冗談じゃない……自分の安全気にして、そんな惨状起こしてなるかってんだ。後悔は……元の世界(あっち)でし飽きた」
 途中はもう声が震え、聞こえているか自信がなかった。しかしヘレナの顔からは怒りは消え、その場に座り込んだ。
「そう……だな。そう……だよな」
 呟くヘレナの目は一機を捉えておらず、どこか別のところに向けられていた。
「ヘレナ……?」
「言うとおりだよ、今さらあいつをどうにかしても何にもならん。だが……だからといって許すことはできん。それはわかるだろ?」
「わかってるよ、んなこと。だから……」
「なんとか拘束を解いて逃がそうとした、か? それではお前の首が胴体から離れるぞ? まったく、恩人を助けたい気持ちは理解できるが、少しは自分の身の方を案じたらどうだ?」
「はは、麻紀にも同じこと言われたよ」
「麻紀……? そうだ、あいつはどこへ行った? 見張らせていたはずだが?」
「え? ああ、あの不機嫌女ならどっか行っちまったよ」
「不機嫌? どうした、ケンカでもしたのか?」
「いや、ケンカというか……」
 ヘレナの質問に黙ってしまった。十分にも満たないあの会話で、二人の関係がどこか壊れてしまった気がする。売り言葉に買い言葉とはいえ、タブーを口にしたこっちが全面的に悪いのだがと一機はうなだれる。
「なんというべきか……一線踏み越えてしまったというか過ちを犯してしまったというか」
「一線!? 過ち!?」
「あ、すいませんそんなピンク色の妄想するような意味じゃありませんので」
「じゃあなんなんだ! 前から思っていたが、お前らの関係イマイチよくわからん!」
「関係と言われても……実は俺にもよくわかんない。呉越同舟というか、離れる必要がないからくっついたままというか」
 そんな説明ではヘレナの頭に?マークを浮かべるだけである。仕方なしに一機は出会いから今までのことをかいつまんで説明した。
「ふむ……よくわからんが、そのテツデンとかいう遊戯で一緒に遊んでいた仲間ということでいのだな?」
「まあ一応。しかし別に組む必要なかったんだけどねえ。くっついたけど離れるのも面倒だったからそのままズルズル行ったって感じの不思議な仲だったよ」
「? 不思議か? 友達というものではないのか?」
「……いや、俺友達とか持ったことないからわかんね。ヘレナはどうなんだ?」
「え!? あ、私も友達というのはちょっと……」
「何言ってるんだ、グレタとかハンスとかいるだろ」
「グレタは、あいつ子供の頃はともかくあの姿勢いつも崩さんし、ハンスは友達というより弟分で……待て、どうしてお前がハンスを知っている!? 誰から聞いた!?」
「聞いてないよ、あの鎧にハンスってあったじゃん」
「な……!」
 カマをかけられたことを知ってヘレナは言葉を失う。
「なるほど、ハンスってのは弟か。俺に着せたのはハンスのお古か?」
「……違う。あれはハンスがそれが着れるほど一人前に成長した時のプレゼントとして作らせたものだ。いなくなってからは手放せずたまに遠征に持っていくのが習慣になってしまっていたんだ。それと、ハンスは実の弟ではない。昔から私が姉代わりとして世話していた奴だ」
「なるほど、お姉さんしかいないって聞いてたから変だと思ったけどそういうこと。それじゃ、俺にあの鎧着せて昔を懐かしんでたのか」
「……すまない。お前を身代わりにさせるような真似をして。でも言わせてくれ、私はお前を本当に一人前の騎士にしようと……」
「ああいいよ、謝んなくて。代用品は慣れてるから」
「……は?」
 眉をひそめるヘレナの顔が存外面白くて失笑しつつ、一機は答えた。
「麻紀だよ。あいつにとっての俺って、単なる代用品だったんだろ。――世話してるって幻想抱くための」
「代用……? 誰のだ?」
「多分、あいつのばあちゃんだろ。両親とは仲悪いようだし、そんな話聞いたことある」
 もっとも、麻紀は一機以上にプライベートを話したがらない女だったため、数年前に祖母が死んだこと、生前は麻紀が世話をしていたことくらいしか知らないのだが。聞こうとしてもはぐらかされていたし。
 兎にも角にも、その祖母が死んで、家族との関係も悪く居場所がない麻紀と、祖父が死んだあと暇を持て余しゲームに熱中した一機が同調したのは事実だろう。偶然出会ってそれをなんとなく察した同士、そんなおかしな連中が不可思議な関係を作り上げた。
 一機は麻紀に鉄伝を行える環境を提供し、麻紀は一機をサポートすると同時に家事などを行う。誰にも必要とされてなく、どこにも居場所がない二人が、本当は不要なのに互いと必要とする幻想を抱きたいために作った関係――代用品なのは、お互い様だった。
 そんなの両者百も承知で、でもそれを口に出したら壊れて今度こそ二人とも一人ぼっちになるのがわかっていたから、気付かない振りをしていた――そんな脆くていびつで、壊れた不健全な存在が『週末の悪魔』の正体だった。
「あっちにいた頃は互いに距離感掴んでて、地雷踏むような真似はしなかったんだけどな。どーもこっちに来てバタバタしたせいでそこら辺読み間違えたらしい。失敗しちゃったよ」
 そうヤレヤレと首を振った。無言のヘレナは話が分かっていないのかもしれない。当然だろう、一機もよく理解できてないのだから。
 しかし、ヘレナの言葉は意外にも明瞭だった。
「……一つ聞きたいのだがな」
「? なに?」
「意味や理由がない関係とは、それは」
「あーーーーっ!!」
 聞きなれた叫びにヘレナの問いは打ち消された。テントの影からグレタが驚きの顔で現れる。
「一機、貴様どうしてここにいるのです! さては逃亡を謀りましたね!」
「あ、やべっ」
 話し込んですっかり目的を忘れてしまっていた。あわててヘレナがフォローに入る。
「違うぞグレタ。一機は逃げようとしたのではない、捕虜として捕まっているマリーを逃がそうとしたのだ」
「ああ、そうですかこれは失礼……なんて言うわけないでしょう! もっと悪いじゃないですか!」
「――あ」
「うおおぉい! 火に油注がないでくれません!?」
 かばうどころかより罪状を上げてしまった。間違いではないため弁明しようがないが、剣を抜いて振り上げるのは怖いからやめてほしい。
「一機、貴様という男は……一応助けられたとして即斬首は留まったというのに、やはりその首斬り落とすべきでした! ヘレナ様、ちょっとそいつ押さえててください!」
「――あれ、俺感謝されてるの?」
「え? ――っ! いや、違……っ!」
 真っ赤になってしまったグレタは髪の色と意外にマッチして可愛かった。地ならしの巻き添えにしてしまったので恨まれてると一機は思っていたが、どうやら憎悪はそれほどでもないらしい。
「え、ええいやかましい! 笑ってるんじゃありません! ヘレナ様もなんですかにやついて! 私は貴様の首を斬り落とすと……あれ?」
 グレタが気付くと、剣がその手からなくなっていた。周囲を三人で見回すが、どこにもない。そうしたら、
「あぎゃ!?」
 ドスっと、剣が天から落ちてきて横のテントを突き破った。中から隊員のものかカエルが潰れたような声が。
「……すっぽ抜けたか」
「グ、グレタ、なんて馬鹿なことを!」
「あ、い、いえ、これは一機が変なことを言うから……!」
「つーか、イボガエルの断末魔みたいなの聞こえたけど、誰か剣に刺さったりしてないよな?」
「ええ!?」
 グレタとヘレナがあわててテントに飛びこむ。一機も生まれてちょっと経った小鹿のように続いた。すると、
「……あ」
 中にいたのは一人。
 ほふく前進の要領で這っていたマリーが、眼前より飛来したロングソードの前で硬直してそのまま凍りついた様があった。
「……何してんの、マリー」
「あ、あがが……あの、「ど素人が、ロクな身体検査もしないで」ってあたしを縛ってた縄を切ってこっそり逃げようとしたら、剣が、剣が空から……!」
「なあ、お前の母さん本当は日本出身だったんちゃう? 生きてたら語り合いたかったような」
 見ると確かに傍に杭と切られた縄があった。マリーも風呂をのぞこうとした一機と同じく隠していた刃物で切断したのだろう。それ以前に、真横にマリーが捕まっていると知らないであんな会話してたのかと一機は恥ずかしくなった。
「ていうか、何逃げようとしてるんです! さっき貴方「自分は裁きをきちんと受けるので、一機は許してやって」と懇願してたでしょうが!」
「だって、見張りが急にいなくなっちゃって、これはチャンスと思ったらつい……ってああやめて、本人の前で言わないでぇ!」
 口が完全に滑ってしまい、今度はマリーが真っ赤になりあわてふためく番だった。一機もこれには仰天する。
「な、お前、なんでそんなことを……」
「……だって、曲がりなりにも助けてもらったわけだし、一族以外の人間ってのは気に入らないけど、『魔神』の雄志見せてくれたから、せめてその恩をと思って……」
「〜〜〜っ、あのなあ、その気持ちは嬉しいけど、元々お前を助けようと苦労したってのに、その本人がくたばっちゃ本末転倒だろうが!」
「何よ、一方的に助けられる身にもなりなさいよ! そんな犠牲にしてもらったら、申し訳ない通り越して気分悪いのよっ!」
「貴方がたそんな言い争ってないで、おとなしく捕まりなさい! 斬首しますよ!」
「グレタ、お前はさっさと剣をしまわんか! 刃先がこっちに……!」
「あ、いた隊長に副長! ご報告が……!」
「「「「やかましいっ!!!!」」」」
 テントに入ってきた隊員は四人分の怒声を喰らいひいと涙目になる。哀れ。
「今立てこんでいるんだ、用ならさっさと言え!」
「第一、どうして捕虜がいるのにここは空っぽなんですか! 見張りは!?」
「す、すみません、さっき副長がアマデミアンと変態を探せという指示を受けてみんな出払ってしまったのかと……」
「え? ――しまった、全員に至急と命令したんだった」
「お前の指示が足りなかったのではないか。まったくお前はいつもどこか抜けて――待て、誰を探せだと?」
 ヘレナが怪訝な顔をし、グレタに問いかける。
「ああ、そのことを急きょ報告しようとヘレナ様を探していたのですが、一機と一緒にいたので吹っ飛んでしまって……」
「まあ、捕えてたはずの奴が目の前にいたら当然……ん? ちょっと、今なんてった? アマデミアンと変態だと?」
 変態は認めたくないが一機だろう。既に親衛隊の中で正式名称化している。しかし、だったらアマデミアンとは誰のことか。
「え? 私はてっきり一機と逃げたとばかり……」
「おいおい、麻紀の奴まだ戻ってないのか!?」
 叩きつけられて起きた時にはその場にいなかったが、そのうち戻ってくるとたかをくくっていた一機は動揺した。
「二人一緒にいると思って総出で探させたんですが、まだ見つからないんですか? まさか、峡谷を出た?」
「それはないだろう、出口の方には見張りを配置してあるんだ。この場にいないとしたら内側――峡谷の奥に入ったか?」
「奥ぅ!? こんな夜中にか!? あの馬鹿何考えてんだ、急いで追わないと……うお?」
 駆け出そうとしたら、カクンと膝をついた。忘れていたがこの男はまだ回復していません。
「おとなしくしてろお前は。仕方ない、何名か残して麻紀を捜索するぞ」
「しかしヘレナ様、こうも暗くて道が悪いと危険です。夜明けまで待つべきでは?」
「そう待ってもいられまい。もしまた魔獣でも出た際は麻紀一人では危険だ。それに――またこいつが脱走を謀る」
 ほふく前進で行こうとしたらバレた。グレタに背中を踏みつけられる。
「行くな、こら! けが人というだけでなく命令違反の罪で拘束されているべき身なの忘れているんですか!」
「ぐぐぐ……くそぅ」
 悔しがってもまともに歩けないのではしょうがないのだが、待っているだけなんて精神的にキツイ。どうしたものかと考えを巡らせようとしたら、
 ベロ、と顔面を舐められた。
「……またお前か」
 先ほどと同じ《マンタ》がすり寄ってきた。ベトベトにされるのももう慣れたものである。良く見れば最初この世界に来た時ぶつかった《マンタ》と同一個体のようだ。
「ずいぶんとその《マンタ》に気に入られたな? 《マンタ》が生物を執拗に舐めるのは親愛の証だぞ?」
「はは、ケダモノに親愛されても嬉しくない――あ、そうだ」
 ピンと来て、ゆっくりと立ち上がると《マンタ》の方を向いた。
「おい、まさかその《マンタ》に乗って同行する気か? 勝手なことは許さ――」
 ヘレナを無視して、一機は《マンタ》の口を開けさせると、足から身体を突っ込んだ。
 胸のあたりまで入ると口を閉めさせ、戦慄する三人をよそに一昔前のロボットアニメに出てきそうな形態になる。
「よし、GO」
「わかった連れて行く! 連れて行くから今すぐ口から出ろ!!」
 ヘレナは涙目になっていた。マリーとグレタが一機を引っ張りだす。下半身よだれでベトベトになってしまったが別に噛まれてはいなかった。
「はあ、はあ……ったく、なんという愚かな真似するんですか貴方はっ!」
「あーびっくりしたぁ! わかってたけど、あんたどっかおかしいんじゃないの!?」
「えーだって、《マンタ》っておとなしい草食の生き物なんだろ?」
「だとしても心臓に悪い! お前臆病に見えて実は行き当たりばったりの恐れ知らずだろ!?」
「まさか、俺はそこまで自信過剰じゃないよ。ただ」
「ただ?」
「先を考えるのがめんどくさいだけだ」
「馬鹿じゃん!」
 とにかく、この身体を張った脅しが効いて捜索隊に無理やり同行することになった。ついでにマリーも峡谷を案内させるため手錠つきながら参加させた。
 首輪はないのか、と質問したらグレタにハイキックかまされたのは蛇足である。
2011-12-16 23:12:11公開 / 作者:紫静馬
■この作品の著作権は紫静馬さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうも、紫静馬です。
当初一つのスペースでやる予定が、あまりに長く書きすぎたため重くなってしまいやむを得ずもう一つ作成しました。……俺のパソコンスペック不足かなあorz
これからもどうかよろしくお願いします

追記:いよいよラストスパート……にしちゃあなんかぐだぐだやけどorz
えらく中途半端ですが、ここから先更新は一回あるかないかなんで、まあ一応。これからしばらく更新しなくなるかもだが……まあいい、気にされてないみたいだし。
こうなったら最後の最後まで書ききる。その後は……その後か
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